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玉臺新詠 巻四  (4

 

 

 

學阮步兵體

沈情發遐慮、紆懷所思。

髣髴聞簫管、鳴鳳接嬴

連緜共雲翼、嬿婉相攜持。

寄言芳華士、寵利不常期。

涇渭分清濁、視彼谷風詩。

(學阮步兵體)

沈情 遐慮を發し、紆鬱 所思を懷ふ。

髣髴として簫管を聞く、鳴鳳 嬴を接す。

聯綿として雲翼を共にし、嬿として 相攜持す。

言を寄す芳華の士に、寵利は常期あらず。

涇渭は清濁分る、よ彼の谷風の詩を。

 

 

《玉臺新詠》

其一 飛來雙白鵠

可憐雙白鵠,雙雙塵氛。連翩弄光景,交頸遊青雲。

逢羅復逢繳,雌雄一旦分。

哀聲流海曲,孤叫去江濆。豈不慕前侶,為爾不及群。

步步一零淚,千里猶待君。

樂哉新相知,悲來生別離。持此百年命,共逐寸陰移。

譬如空山草,零落心自知。

(樂府に擬す四首 其の一 “飛び來る 雙白鵠)  #1

憐れむ可し 雙白鵠,雙雙 塵氛をつ。

連翩として光景を弄し,頸を交えて 青雲に遊ぶ。

羅に逢い 復た 繳に逢い,雌雄 一旦 分る。

#2

哀聲は海曲に流れ,孤叫は江濆を去る。

豈に前侶を慕わざらんや,爾が為に群するに及ばず。

步步 一たび淚を零し,千里 猶お 君を待つ。

#3

樂しい哉 新相知,悲しいかな 來生別離。

此の百年の命を持して,共に寸陰の移るを逐う。

譬えば空山の草の如し,零落して 心自ら知る。

 

其二 陽春曲

百里望咸陽、知是帝京域。綠樹搖雲光、春城起風色。

佳人愛景華、流靡園塘側。

妍姿豔月映、羅衣飄蟬翼。宋玉歌陽春、巴人長歎息。

雅鄭不同賞、那令君愴惻。生平重愛惠、私自憐何極。

(樂府に擬す四首 其の二 陽春の曲)

百里 咸陽を望み、是れを知るは 帝京の域なるを。

綠樹 雲光 搖らぎ、春城 風色を起す。

佳人 景華を愛し、流靡 園塘の側ら。

#2

妍姿 豔月 映じ、羅衣 蟬翼を飄えす。

宋玉 陽春を歌い、巴人 長く歎息す。

雅鄭は同賞せず、那んぞ 君をして 愴惻せしむるや。

生平 愛惠を重んじ、私【じそか】に自ら憐れむ 何んぞ極りあらん。

 

其三 長別離

生離不可聞、况復長相思。如何與君別、當我盛年時。

蕙華每搖蕩、妾心空自持。

榮乏草木歡、瘁極霜露悲。富貴身難老、貧賤年易衰。

持此斷君腸、君亦宜自疑。

淮陰有逸將、折翮謝翻飛。楚亦扛鼎士、出門不得歸。

正為隆準公、仗劍入紫微。君才定何如、白日下爭暉。

(樂府に擬す四首 其の三 長別離)

生離は聞くに可【た】へず、況んや復た長く相思うをや。

如何ぞ君と別るる、我が盛年の時に當るや。

蕙華は毎に揺蕩するに、妾が心は空しく自ら持す。

#2

榮は草木の歓に乏しく、瘁は霜露の悲しみを極む。

富貴には身老い難く、貧賤には年衰へ易し。

此を持すれば吾が腸を断たしむ、君も亦宜しく自ら疑ふべし。

#3

准陰に逸將有り、翻を折って翻飛を謝せり。

楚にも亦鼎を扛ぐるの士あり、門を出でて歸るを得ざりき。

正に隆準公の爲に、剣に仗りて紫微に入る。

君が才は定めて何如、白日の下暉を争ふ。

 

其四

晨有行路客,依依造門端。人馬風塵色,知從河塞還。

時我有同棲,結宦游邯鄲。

將不異客子,分饑復共寒。煩君尺帛書,寸心從此殫。

遣妾長憔悴,豈復歌笑顏。檐隱千霜樹,庭枯十載蘭。

經春不舉袖,秋落寧復看。一見愿道意,君門已九關。

虞卿棄相印,擔簦為同歡。閨陰欲早霜,何事空盤桓。

樂府に擬す四首 其の三 長相思)

晨に行路の客有り,依依として門端に造る。

人馬風塵の色、知る河塞より還りしを。

時に我に同棲有り、官に結んで邯鄲に遊ぶ。

#2

將に客子に異ならず,饑を分ち 復た寒を共にせん。

君を煩わす 尺帛の書,寸心 此より殫きん。

遣妾をして長く憔悴せしむ,豈に復た歌笑の顏。

檐は 千霜の樹に隱れ,庭に 十載の蘭 枯る。

#3

春を經て 袖を舉げず,秋に落つ 寧んぞ 復た看んや。

一見して 意を道わんと愿えど,君が門は 已に九關せり。

虞卿は 相印を棄てて,簦を擔って 同歡を為しぬ。

閨陰は 早く霜ふらんと欲し,何事ぞ空しく盤桓するや。

 

 


【字解集】 ・學阮步兵

 

學阮步兵體

1. (夫婦の関係を君臣の寵愛関係に比し、阮籍の詩體にならって詠ったもの)

2. 【題意】題名の阮歩兵とは魏の阮籍、竹林七賢の一人。歩兵校尉となった。この詩はその詩体をまねた作で、夫婦の関係を君臣の関係に比し、君寵を得て時めいてもたよりにならぬことを諷したもので、単なる男女の情詩ではない。

王素(418471)字は休業、娘邪(雪)臨折(琶(山東省)の人、母の亡後隠盾、田園の生活を営んだ。孝文帝即位後しばしば召されたが皆辞して受けず、声誉甚だ高かった。山中に眩虫(はやすて)が屠った。声は清らかであったが形は醜くかった。そこで「蚿賦」を作って自らに比した。

3. 王 素は、南朝宋の隠者。本貫は琅邪郡臨沂県。平固県令の王元弘の子として生まれた。貧家に生まれて老母に孝事した。はじめ廬陵国侍郎となったが、母が死去したため、辞職して喪に服した。喪が明け、廬陵王劉紹が江州刺史となると、親しい人に旧居を修理して住むよう勧められたが、王素はそれを断った。単身で東陽に赴いて、隠居して仕えず、田園を経営して自立の生活を送った。文章を愛好したが、あまり人づきあいをしなかった。孝武帝が即位すると、太子舎人として召されたが、就任しなかった。大明年間、江夏王劉義恭に太宰倉曹属として招かれたが、赴かなかった。470年(泰始6年)、明帝に太子中舎人として召されたが、やはり就かなかった。山中に住むヤスデの声を好んで、人に聴かせたがったが、その形が醜く嫌われたため、「蚿賦」を作って宣伝につとめた。471年(泰始7年)、死去した。享年は54

 

沈情發遐慮、紆懷所思。

じっと心を沈めると遠いさまざまのことが思い起こされ、胸がふさがって恋しい人のことがあれこれと思いめぐらされる。

4. 遐慮 遠いさきを慮ること。

5. 紆 思いめぐらしふさぎこむこと。

 

髣髴聞簫管、鳴鳳接嬴

そしておぼろげに箱の音が聞こえると、鳳凰が鳴きながら秦姫弄玉を迎えにきて、

6. 髣髴 それとはなしおぼろげなさま。ここほとりとめなく連想する意であろう。

7. 鳴鳳接嬴 「麗しは秦国の姓、「蔵妃」は弄玉をいう。ここは簫史・弄玉の故事を引用した。泰の穆公の女弄玉が籍史について請を学んだ。ところが鳳凰が来てその屋上に止まった。穆公はそこで鳳凰台を作って二人を槙ませたところ、或る日、二人は鳳凰に来って飛び去ったという。

 

連緜共雲翼、嬿婉相攜持。

簫史と共々翼に乗せて飛び去ったというが、そのように雌雄互いに巽を連ね雲間に羽を交わし、睦み親しんで、互いに相携えて飛びゆくような楽しい気持ちにもなる。

8. 雲翼 雲中に飛ぶ翼の意。

9. 嬿 うちとけて睦みあうこと。

 

寄言芳華士、寵利不常期。

しかし寵愛を得て、今を時めいて栄華を誇る人々に物申したい。人の寵愛、世の栄利はいつまでも永続きするものではないということである。

10. 芳華士 君寵を得て、花と栄える人々。

 

涇渭分清濁、視彼谷風詩。

昔のあの詩經邶風「谷風」の詩をご見るがいい。涇水の濁流に渭水の清流が注ぐと清濁はおのずとはっきり区別されると歌っています。捏洞に比べてやがて斥けられる運命の訪れもないとは限りませぬ。

11. 涇渭分清濁 『詩経』谷風篇に「涇以渭濁,湜湜其沚。宴爾新昏,不我屑以。」(涇水は渭を以て濁る。湜湜たる其の沚(なぎさ)。爾の新婚を宴し、我を屑(いさぎよ)しとして以(もち)いず)先妻が新婦に対することを述べ、夫婦の道を失ったことをそしった詩である。

湜湜」は水のすみわたったさま。渭水・涇水は黄河の支流、涇水は濁り、渭水は清い。先妻か新婚の女のために悪しきものとされるのをたとえたものである。

12. 谷風詩 夫に棄てられた妻の悲怨をうたった「棄婦怨」しである。

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】 ・擬樂府四首

 

擬樂府四首其一

1. (古樂府“雙白鵠”に擬した詩、四首のその一、雌鳥が雄鳥を追いそしてさることをうたう)

2. 本書巻一の古楽府第六首に「双自鵠」がある。本簾はその擬作であるが、原作で鵠の雄が雌を負うて去らんとする意を述べたのを、この振作では雌が雄を恋うことにかえてある。

3. 邁遠(未詳 474年 南北朝、四七一年前後在世)その字も里居も生卒も共に詳かでない。篇章を作って、宋明帝の尊信を得たが、また自ら負う所も大で、意にかなう語を得ると地になげうって、「曹子建も何ぞ数ふるに足らんや」と誇ったことが伝えられて居り、官は江州従事に至ったという。

その作、楽府に長じ、特に男女贈答の詩が辞巧みに意新、華麗を以て称せられる。以下示した四属にもその作風を観ることができよう。

 

可憐雙白鵠,雙雙塵氛。

愛すべき二匹の白鳥が、雌雄うちそろい塵多い空をたちきって、飛んでいる。

4. 鵠 くぐい、又白鳥、雁・鴨に類する渡り鳥。白鳥 (はくちょうの別名。弓の的の中央にある黒い星。ほし。鵠を刻して鶩に類す《「後漢書」馬援伝から》白鳥を刻もうとしてできそこなっても、なお、家鴨(あひる)に似たものにはなる。

5. 塵氛 塵の多い気、俗界を意味する。

 

連翩弄光景,交頸遊青雲。

大空をひらひらと羽をひるがえし、日の光をあびながら、頸を交えて青空高く飛んでゆく。

6. 連翩 羽を連ねてひらひらと飛ぶこと。

 

逢羅復逢繳,雌雄一旦分。

それが狩人のあみにかかったり、いぐるみにであったりすると、急に雌と雄とが離れ離れになってしまう。

7. 繳【いぐるみ】 (1) 渡す,納入する学費を納める.税税を納める.上納する.(2) (武器を)差し出させる,取り上げる缴枪(投降などに際し)武器を差し出す.(3) 狩猟道具。矢に糸をつけて発射し,鳥や魚に当たると糸がからんで捕らえられるようになっているもの。

 

 

擬樂府四首其二 陽春曲

1. (都における人と情景との美麗を写し、それに心を移す夫に対して、妻の思いなやむ情を叙べたもの)

2.【題意】都における人と情景との美麗を写し、それに心を移す夫に対して、妻の思いなやむ情を叙べた作である。

陽春は『楽府解題』に、もと曲名で、「時を傷むなり」と記してある。この作も『楽府詩集』によると、清商曲中の「江南弄」に列し、「陽春歌」 と題している。

3. 陽春曲 春秋時代の師曠が作曲したとされ、「陽春」は「白雪」と一対として作ったとも言われている。

「陽春白雪」は、宋玉の「対楚王問」に、「客、郢中に歌ふ者あり。其の始めを下里巴人と曰ふ、国中の属して和する者数千人なり。其の陽阿薤露を為す、国中の属して和する者数百人なり。其の陽春白雪を為す、国中の属して和する者数十人に過ぎず、商を引き羽を刻み、雑ふるに流徴を以てす、国中属して和する者、数人に過ぎざるのみ。是れ其の曲彌々高くして、其の和彌々寡なし。(『文選』巻四十五)」とあり、楚の国の高尚な歌曲の意である。この話から、「陽春の曲、和する者、必ず寡し」という言葉が、普通の人は高尚な詩調を理解できない喩として使用されるようになった。

「陽春」の曲調は清新で流暢であり、穏やかな風・柔らかな春光・青々とした山々など、生命力に満ちあふれた春の様子や、春が来た喜びを表現している。謝希逸(四二一〜四六八)の『琴論』には「劉涓子善鼓琴、制陽春白雪曲」とあり、この斉国の劉涓子が「陽春」を作曲したとも言われている。また、『琴歴』(『初学記』所引)には、「陽春弄」「白雪」の記載があり、古くより有名な琴曲であったことがわかる。また、中国では琵琶曲としても伝えられた。

 

百里望咸陽、知是帝京域。

百里のかなたに成陽を眺めると、これこそは帝京の地域であるとすぐわかる。

4. 咸陽 かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」なためにこの名前がついた。

 

綠樹搖雲光、春城起風色。

そこには線の樹々が雲間に照る光にゆらめいて、春の城には春風の“けわい”が動いてきた。

5. 風色 “けわい”という雰囲気の意。視覚的な「けしき」に対して,聴覚的・雰囲気的な感じをいう語。①音・におい・感触などによって感じられる様子。②どこということなく漠然と受ける感じ。雰囲気。風情。③人間の言葉や動作から感じられる品格。ものごしから受ける感じ。④実体がなくなったあとに残された影響や面影。名残。

 

佳人愛景華、流靡園塘側。

美人はこのうるわしい景色を愛でて、うららかな春の光のなびく固の池のほとりを歩む。

6. 流靡 流れなびくさま、春の光のただようこと。

 

#2

妍姿豔月映、羅衣飄蟬翼。

そのうるわしい姿にはあでやかな月影がうつろい、うす絹の衣は蝉の羽のようにひるがえる。

 

宋玉歌陽春、巴人長歎息。

昔、楚の宋玉や、そのような詩人が「陽春」や「巴人」の歌をうたうと、「巴人」の歌に皆が感嘆したとのことです。

7. 宋玉歌陽春 楚の臣、劉向の『新序』によると。宋玉が楚の威王に対えた言に、郢の都で「下里」「巴人」の曲を歌うと、和するもの千人、「陽阿」「薤露(柚い)」を歌うと和するもの数百人、「陽春」「白雪」を歌うと和するもの数十人、とある。これによって曲が高尚になればなるほど和するものが少なくなったこと、また「陽春」の曲の由来

の古いこともわかる。

 

雅鄭不同賞、那令君愴惻。

わたしは雅声と鄭声とは同じように賞美しないものだと聞いているけれど、あなたは「巴人」のような鄭声のために心をいたましめるのでしょうか。

8. 雅鄭 『詩経』に見える語、「雅」は正しくみやびな歌。「鄭」は鄭国の民謡で、淫排な歌。「陽春」は雅に属し、「巴人」は鄭声に焦す。

9. 恰側 心をいたみ悲しませること。ここは夫が美人と部曲に感嘆して心をなやますことを指したのであろう。

 

生平重愛惠、私自憐何極。

ふだんあなたの愛となさけをありがたく思っているわたしです。今棄てられては自分が可愛そうでならないのです。

 

 

擬樂府四首其三 長別離

1. (妻も思いとは異なる夫が、功名心にかられて外地に仕官を求めて往っていることに対して、留守居の年若い妻が帰らぬ夫を思い、悶々の情を寄せる詩)

2. 【題意】 『楽府詩集』では雑曲歌辞に列する歌曲で、功名心にかられて外地に仕官を求めている夫に対して、留守居の年若い妻が悶々の情を寄せる詩である。

 

生離不可聞、况復長相思。

生きながら離れはなれの夫婦生活は聞くさえつらい。ましてそれがいつまでも続くのではやりきれない思いである。

3. 不可聞 聞くに堪えずの意に解した。

4. 長相思 『考異』本は「恩」を「離」にするのが、題名にかなうと述べているが、上旬の「離」と重複するようなので原文に従っておく。

 

如何與君別、當我盛年時。

それがどうしたことであろうか、あなたと別れて、思いもしなかった一人で、盛りの年を過ごさねばならないことになろうとは。

 

蕙華每搖蕩、妾心空自持。

あのかおり草の花はいつもゆらゆらとのびやかに動いているのに、わたしの心はただあてもなくむなしく自らを保っていることしかできない。

5. 搖蕩 ゆれ動くこと。ゆり動かすこと。

 

#2

榮乏草木歡、瘁極霜露悲。

栄えても草木の花さくような喜びは無く、やつれては露や霜にくだかれる草木の悲しみを極める。

6. 瘁極 尽瘁とは   スル 全力をつくし,自分のことはかまわずに苦労すること。

 

富貴身難老、貧賤年易衰。

人は富貴にあっては身も老いにくいが、貧賎になると衰え易いのが常というもの。

 

持此斷君腸、君亦宜自疑。

これを思うと、わたしも思っていますあなたの腸も断ちきられる思いでいることを。そしてあなたもまた、私腸が断ち切られそうだという事をこれについては自ら疑って見られても宜しいでしょう。

7. 君腸 通行の本に「吾腸」とあるが、次句に「君亦」とあるので「吾」に作るのがよいという鈴木博士の説に従って正した。お互いを思いやる意味と解釈する。

 

#3

淮陰有逸將、折翮謝翻飛。

昔、淮陰の地にすぐれた武将韓信がおりましたが、彼は後に主羽を折られて空飛ぶこともかなわぬことになりました。

8. 淮陰有逸將 「准陰」は江蘇准安県、韓信の封地。漢高祖に用いられて偉功を立て大将となったが後に疑われて殺された。韓信は、秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。

9. 折翮謝翻飛 『文苑英華』本には「折羽不會飛」に作る。韓信の殺されたことを鳥にたとえていった。「翮」は羽の主羽、たちばね。「」はやめること。

 

楚亦扛鼎士、出門不得歸。

また、楚の国には力量は鼎をもちあげる程の剛の者項羽が居りましたが、この人もわが家の門を出てから遂に家には帰れず、垓下の下に散った。

10. 扛鼎士 楚の項羽を指す。『史記』「項羽本紀」に「項羽 長八尺余り、力能く鼎を扛ぐ」とある。

11. 出門不得歸 楚漢戦争の垓下の戦に敗死して故郷楚に帰れなかったことをいう。

 

正為隆準公、仗劍入紫微。

あなたは、今、鼻柱の高かったという漢高祖のような方のために、剣をたよりに紫微宮にいます天子のもとに赴かれたのであります。

12. 隆準公 漢高祖は「人と為り隆準にして龍顔」と称せられた。「隆準」は鼻柱の高いことをいう。

13. 仗劍入紫微 「紫微」は星座の名、帝王の居所、紫微宮殿をいう。高祖の言に「吾布衣を以て三の剣を提げ天下を取る」とある。

 

君才定何如、白日下爭暉。

さてあなたの才能は、韓信や、項羽の名将に比べてどんなものでしょうか。輝く太陽のもとで光を競うようなみじめな結果に終わるように思えてむなしくなります。

14. 白日下爭暉 「白日下るに暉を争う」と訓し、「太陽はどんどん走っていつも西方へ下ろうと暉を争うている」と釈し、光陰、歳月留らず急に去る意とされる。あるいは、夫の才能が韓信や項羽に及ばずして徒らに功名を争うことの不幸を夫のために惜しんだものと解すこともできる。ここでは夫の才能が韓信や項羽に及ばずして光陰の短い中、徒らに功名を争うことが夫婦にとって不幸であるということをしめす。

 

 

 

 

擬樂府四首其四   長相思

1. (邯鄲に仕官している夫のもとへ、南方に居る妻が夜着の中に「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせいつまでも思い慕っていて、早く帰ってほしいと言いやるものである)

2. 【題意】 これも前の詩と同じく雑曲歌辞の中に収められて、いつまでも思い慕うという題意である。邯鄲に仕官している夫のもとへ、南方に居る妻が手紙と伝言を託して、早く帰ってほしいと言いやることを叙べた。

3. 長相思 久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。

李白《相逢行》「願因三青鳥,更報長相思。」(願わくば三青鳥に因って,更に長相思を報ぜん。)勿論面と向っては、兎角にうら恥かしく、胸の思いも、十分に述べられぬから、彼の王母の使いと称する三羽の青鳥に言づけて、長く相思うが心を知らせたいものである。

李白 長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 (長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

132 24-38長相思【寄遠】,二首之一》kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

168 《巻24-39長相思【寄遠】,二首之二》kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5368

 

晨有行路客,依依造門端。

その朝早く、旅人が心ひかれ、なつかしげにわが家の門のそばへやって来た。

4. 依依 心ひかれるさま。

 

人馬風塵色,知從河塞還。

見ると人も馬も旅路の塵によごれた色にまみれているのは、きっと黄河の塞から来たのであろう。

5. 河塞 黄河の塞。

 

時我有同棲,結宦游邯鄲。

その時わたしには同棲の夫があったが、役人の仲間になって邯鄲の都の方へ出かけて居っていたのです。

6. 結官 仕官の人に交わる意。

7. 邯鄲 河北省南部の都市。綿花・落花生の集散地。古来、山東・山西を結ぶ交通の要衝に当たり交易が盛ん。戦国時代、趙の国都。

 

 

#2

將不異客子,分饑復共寒。

それはちょうど旅人のあなたと同じ仲間で、互いに飢えを分かったり、寒さを共にしていたのでありましょう。

 

煩君尺帛書,寸心從此殫。

ご面倒でもあなたに手紙を一通お頼みいたしたい。わたしのささやかな心はこの手紙で尽きます。

8. 尺帛書 一尺ほどの帛にかかれた短い信書。

 

遣妾長憔悴,豈復歌笑顏。

その手紙にいう、「あなたと別れてからわたしは、それが久しくて、思い出すほどやつれさせられています。歌ったり笑ったりした顔つきなどはもうどこにもありはしませぬ。

 

檐隱千霜樹,庭枯十載蘭。

軒端は千年の霜を経た大樹のかげに隠され、庭には十年を重ねた蘭草が枯れ残っています。

9. 庭枯十載蘭 蘭草の枯れるのが十年も繰り返されたことを言う。手入れをする人のいない庭。

 

 

#4

經春不舉袖,秋落寧復看。

春になっても袖をあげて花を手折るでもなく、秋に木の葉が散り落ちてもそれを眺めようともしませぬ。」

10. 不挙袖 袖を挙げて花を折る。歌舞するの意とも思えるが、下句からはとらぬほうがよい。

 

一見愿道意,君門已九關。

そして、旅の人にことづてを託していう。夫に一度会われたらどうぞ私の心を伝えて下さい。「君主の御門は九重に閉ざされて近づくこともできませぬ。

11. 九関 幾重にも門を閉じること。『楚辞』九弁に「君の門九重」とある。

 

虞卿棄相印,擔簦為同歡。

昔、趙の虞卿は宰相になったが、その印綬を棄てて傘をかついで歩き、同愛の妻と貧乏暮らしにかえったという。

9.  虞卿棄相印 『史記』「虞脚伝」に、虞胸は遊説の士で、躊(持上)(わらぐつ)をふみ、豊玉(からかさ)をにない、貧餞のなりで超の孝成王に説き上卿となったが、その位を重んぜず脚相の印を棄て同志魂斉と共に超を去って梁に苦しんだとある。これによれば茎を担うの事は題の卿相となる以前の事に属する。

虞卿(紀元前3世紀中頃)は、戦国時代末期趙の政治家・歴史家・弁論家。「卿」は通称・尊称であり、本名は不明。趙の上卿・宰相を務め、また、歴史書『虞氏春秋』を著した。その史料と義侠に溢れた生き様は『史記』の著者司馬遷にも大きな影響を与えた。

10. 同歓 歓びを同じくするもの、史実によれば、同志魏斉を指すことになるが、この詩では同愛の妻を指す語と解さねばつじつまが合わぬように思われる。この点鈴木博士の説に従う。なお虞卿の故事は趙都邯鄲に連関するので引いたものと思う。

 

閨陰欲早霜,何事空盤桓。

わたしの閏のかげには早くも霜が置かれようとしています。それなのにあなたはなぜいたずらに北地に留まってさまよい歩き廻るのでしょう、早くお帰りになればよいのに」と。

11. 閏陰 閏の北、日かげ、霜ふるの縁語。

12. 盤桓 徘徊、歩き廻る意。