玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

政治批判

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

浣渓沙 十首 其九 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-347-7-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3282

張泌浣渓沙 十首 其九晩方の景色の後を追うように美人を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車のとばりが少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり微笑を満面に泛べている。


2013年11月12日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ71魏武帝(曹操) 《短歌行》 魏詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3281 (11/12)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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浣渓沙 十首 其九 張泌【ちょうひつ】  Ⅹ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-347-7-#9   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3282

 

 

浣渓沙 十首 其九

(酔った勢いで宮殿に召されたけれどもしばらくたつと音信不通になっているという、気まぐれな施政者の女に対すること、気の毒な女について詠う。)

晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。

晩方の景色の後を追うように美人を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車のとばりが少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり微笑を満面に泛べている。

消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

それなのに今は消息さえ分からず手紙も来ない、何がここにあったのだろう、それはすべてのことが酔った時の勢いで始まりそして成り行きでそうなったのだ。こんなことは稀なことかもしれない狂った者の仕業ということだろう。

 

浣渓沙 十首 其九

晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。

消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。

春爛漫の美女007
 杏の白花012

 

『浣渓沙 十首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣渓沙 十首 其九

晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。

消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

 

 

(下し文)

浣渓沙 十首 其九

晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。

消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。

 

 

(現代語訳)

(酔った勢いで宮殿に召されたけれどもしばらくたつと音信不通になっているという、気まぐれな施政者の女に対すること、気の毒な女について詠う。)

晩方の景色の後を追うように美人を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車のとばりが少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり微笑を満面に泛べている。

それなのに今は消息さえ分からず手紙も来ない、何がここにあったのだろう、それはすべてのことが酔った時の勢いで始まりそして成り行きでそうなったのだ。こんなことは稀なことかもしれない狂った者の仕業ということだろう。

 

 

(訳注)

浣渓沙 十首 其九

(酔った勢いで宮殿に召されたけれどもしばらくたつと音信不通になっているという、気まぐれな施政者の女に対すること、気の毒な女について詠う。)

 

晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。

晩方の景色の後を追うように美人を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車のとばりが少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり微笑を満面に泛べている。

・晚逐 逐:1 後を追う。追い払う。「逐鹿(ちくろく)/角逐・駆逐・放逐」2 順を追って進む。「逐一・逐次・逐条・逐年・逐語。不吉な予感を示す言葉。

・鳳城 1 《中国の漢代、門に銅製の鳳凰(ほうおう)を飾ったところから》宮城。皇居。禁裡。2 都。都城。帝京。

・斜揭 車の覆いを少しかかげて外を見るしぐさ。

 

消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

それなのに今は消息さえ分からず手紙も来ない、何がここにあったのだろう、それはすべてのことが酔った時の勢いで始まりそして成り行きでそうなったのだ。こんなことは稀なことかもしれない狂った者の仕業ということだろう。

・佯醉 佯:振りをする,見せ掛ける佯死死んだ振りをする.佯装…の振りをする.佯攻 []《書》陽動作戦をとる,偽装攻撃をする.佯狂(阳狂) yángkuáng[]《書》狂人を装う,気のふれた振りをする.
 杏の白花012

105 河傳三首 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-286-5-#40  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2977

韋荘《河傳 其一》 何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。

 

2013年9月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。    
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html    
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。    
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

105 河傳三首 其一 韋荘  Ⅹ唐五代詞・宋詩Gs-286-5-#40   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2977

 

花間集  河傳 詞十八首
        
 1溫助教庭筠河傳三首 温庭筠66首 花間集1・2巻  
 3韋相莊河傳三首 韋莊47首 花間集二巻  
 6張舍人泌河傳二首 張泌27首 花間集四巻  
 11顧太尉河傳三首 顧夐56首 花間集6・7巻  
 12孫少監光憲河傳四首 孫光憲47首 花間集7・8巻  
 15閻處士選河傳一首 閻選8首 花間集9巻  
 18李秀才珣河傳二首 李珣39首 花間集10巻  
        
 

河傳三首

河傳其一

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

 

河傳其二

春晚,風暖,錦城花滿,狂殺遊人。

玉鞭金勒,尋勝馳驟輕塵,惜良晨。

翠娥爭勸邛酒,纖纖手,拂面垂絲柳。

歸時煙裏,鐘鼓正是黃昏,暗銷魂。

 

河傳其三

錦浦,春女,繡衣金縷,霧薄雲輕。

花深柳暗,時節正是清明,雨初晴。

玉鞭魂斷煙霞路,鶯鶯語,一望巫山雨。

香塵隱映,遙見翠檻紅摟,黛眉愁。

 

 

河傳其一

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

(河を題材にした悲しい逸話 其の一)

何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。

絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。

五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。

江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。

 

(河傳【かでん】其の一)

何處【いずこにか】?煙雨ありて,隋堤 春の暮,柳色蔥籠【そうろう】たり。

畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めく,水光 融【やわら】ぐ。

青娥【せいが】殿【でんきゃく】春妝【しゅんしょう】して【なまめ】かし,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たり司花の妓。

江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月は迷樓に映え,古今 愁う。

魚玄機55021 

 












『河傳三首』 現代語訳と訳註

(本文)

河傳其一

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

 

 

(下し文)

(河傳【かでん】其の一)

何處【いずこにか】?煙雨ありて,隋堤 春の暮,柳色蔥籠【そうろう】たり。

畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めく,水光 融【やわら】ぐ。

青娥【せいが】殿【でんきゃく】春妝【しゅんしょう】して【なまめ】かし,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たり司花の妓。

江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月は迷樓に映え,古今 愁う。

 

 

(現代語訳)

(河を題材にした悲しい逸話 其の一)

何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。

絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。

五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。

江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。

 

 

(訳注)

河傳其一

(河を題材にした悲しい逸話 其の一)

『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三灰韻二平韻で詞形をとる。温庭筠に『河傳』がある。

河傳

湖上,閑望。

雨蕭蕭,煙浦花橋路遙。

謝娘翠蛾愁不消,終朝,夢魂迷晚潮。

蕩子天涯歸棹遠,春已晚,語空腸斷。

若耶溪,溪水西。

柳堤,不聞郎馬嘶。

(河傳)

湖の上り,閑かに望む。

雨 蕭蕭として,煙める浦に花橋の路遙なり。

娘 翠蛾を謝するは愁い消さず,終に朝なり,夢魂は晚の潮に迷う。

蕩子は天涯にあり棹して歸るは遠く,春 已に晚く,鶯語 空しく腸斷す。

若耶溪,溪水の西。

柳の堤,郎の馬嘶くも聞えず。

『河傳』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812

 

 

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。

○隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。

○葱寵 草木の青々と茂るさま。

 

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。

○畫橈 彩色を施した棹や櫂、楫などの船具。

○金縷 ここではの金糸の房飾りを指す。

 

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花

五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。

○青娥 靑は若く美しい、娥は艶めかしい女。選ばれた女。

○殿/殿脚 殿脚女。煬帝が船で江都に向かう際、船を引くために選び集めた女性。煬帝は詔を出して大型の船を造らせ、江に浮かべて淮河に沿って下り、呉や越で民間の十五、六歳の少女五百人を選び殿女と呼んで、羊とともに引き船をさせたと言う。

○綽約 たおやかなさま。

○司花妓 煬帝は江都に向かう際、洛陽の人から迎輦花を献じられたので、御者の袁宝児にそれを持たせて司花女と呼んだと言う。

 

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。

○江都 煬帝の行宮の置かれた所。今の江蘇省揚州。

○宮闕 宮城の門の両側に建てられた楼門。ここでは宮殿全体をあらわす意。

○准清淮 江淮地帯。長江と淮河に挟まれた地帯。ここで揚州二帯を指す。地図参照。

○迷樓 煬帝は行宮に楼閣を建て、仙人をこの楼閣に遊ばせたならば真の仙人でもきっと迷うことであろうと言い、迷倭と名付けたと言われている。

 toujidaimapsoshu

 

≪解説≫

隋の煬帝が開いた運河の堤について詠う。京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。

 

この詩は運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となった隋堤を訪れての懐古の情を詠う。前段は、冒頭から人の意表を突いて「何処ぞ」と問いを発して煬帝の遺跡のありかを尋ね、第二句以下は、煬帝が船団を仕立てて江都揚州に向かうさまを述べる。後段も前段を引き継ぎ、最初の三句で船団の模様について述べ、船を牽くために選ばれた江南の少女たち、花を手にした花司の女官を思い描き、続く最後の三句では、現実に返り、煬帝の行宮、江郡の宮殿の迷樓は今も江淮の清らかな月の光に包まれ、人を愁いに誘わずにはいないと言い、権力者の滅亡につながった、民への負担、強引な手法の象徴としての「青娥」「殿」「春妝媚」「司花妓」というものを並び立て憐れを誘っている。この詩は、煬帝が、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われたことを連想させ、批判めいたことを一切述べているわけではないが充分に理解させるものである。

再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

劉禹錫《再遊玄都觀》 この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。


2013年7月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

再遊玄都觀  劉禹錫
ー序 
海棠花011余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。重遊玄都觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。

余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。

私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。

再遊玄都觀
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 

(再び玄都觀に遊ぶ。)
百畝【せ】の庭中 半【なか】ば是れ苔,桃花 淨【ことごと】く盡【つ】き 菜の花開く。
桃を種えし道士 今 何【いづこ】にか歸り,前度 劉郞 今 又た 來【きた】りける。


『再遊玄都觀』 現代語訳と訳註
(本文)
百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。
種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。


(下し文)
(再び玄都觀に遊ぶ。)
百畝【せ】の庭中 半【なか】ば是れ苔,桃花 淨【ことごと】く盡【つ】き 菜の花開く。
桃を種えし道士 今 何【いづこ】にか歸り,前度 劉郞 今 又た 來【きた】りける。


(現代語訳)
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 


(訳注)
再遊玄都觀
(再び訪れた玄都観に遊んだ時の詩。) 
★初めて玄都観に訪れたときの詩、(816年)『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」には、「諷刺がある」とされて、そのために、再び地方に出された原因となったいわく付きの詩。それ故、この「玄都観の詩」にも、含みがあると見るかどうか。 
再遊 二度目の訪問。一度目の訪問とは、以前(元和十一年:816年)に、十年ぶりに都へ帰ってきた作者の耳に、玄都観の桃の花がみごとであるとの評判が入った。それでお花見に行き、『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』を作った時。その第一回目の時から数えて、今回(太和二年:828年)が二度目の訪問になる。桃の花はなくなり、すっかりと荒れ果てた道観の姿に、今昔の感を抱いた。 
・玄都觀 長安の朱雀街にあった道教寺院。

百畝庭中半是苔、桃花淨盡菜花開。
この百畝の広い庭の中の半ばまで、苔で覆われてしまっている。また、もう半分の側は花が咲ほこっているはずの桃の木がすっかり無くなって、兔葵・燕麥などの野菜の花が咲いている。
・百畝 約5.8ヘクタール。1畝≒5.8アール。 
・半是 なかばは…である。半分は…である。
・淨盡 すっかり無くす。 
・菜花:野菜の花。序に「兔葵燕麥」(うさぎあおい、えんばく)等の野生の草。
★詩序で「蕩然無復一樹」(あとかたも無く、一本も残っていない)と述べている。先の詩から(816年元和十一年)、この詩の828年太和二年までの十二年間のおそらく初期の段階で有名で、人気のあった劉禹錫の詩が流布したことで、諷刺の対象となった官僚・宦官によって伐ってしまうように命令したのだろう。 そうした反響があるからこそ、劉禹錫がこの詩を書いたということなのだ。


種桃道士今何歸、前度劉郞今又來。
桃の樹を植えたあの道士は、今はどこに行ってしまったのだろうか。12年前に玄都観にここに来た、あの天台山奥の仙境に訪れた劉晨である劉禹錫は、今日またしても、こうして来ているのだ。 
・種桃 桃を植える。 ・種:植える。動詞。去声。 
・道士 道教の僧。方士。 
・今何 今はどこに…。 
・歸 本来落ち着くべき場所(自宅・故郷・墓所)にかえる。死ぬ。
・前度 前回の。元和十一年(816年)に訪れたときのことを謂う。 
・劉郞 仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である作者、劉禹錫をいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、朝廷のメンバーも全く変わっていたのだ。 
・今 太和二年:(828年)三月を謂う。 
・又 またしても。またもや。「獨」ともする。その場合は「(阮肇を連れないで、劉晨)ひとりだけで」の意。
★劉禹錫の反対の相手側からすると、『俺は妥協などしない、見たまま感じたままのことをしっかり発言するよ。』と宣戦布告のようにとらえたのかもしれない。それほど、長安で、劉禹錫の詩が人気があったのであろう。


海棠花05劉禹錫・『晩笑堂竹荘畫傳』
代々儒学者として名があった家に生まれた。793年(貞元9年)進士に及第した。淮南節度使であった杜佑の配下で書記を務めた。その後、中央政界で同じ年に進士となった柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、徳宗末期の貞元年間から順宗期を経て政治改革を推進した(永貞の革新)。なかでも劉禹錫は財政面を担当し、王叔文・王伾・柳宗元らとともに「二王劉柳」と並称されるほど重要な役割を果たした。急激な改革だったため彼らは武元衡のような政敵を多くつくってしまう。宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、王叔文は失脚、劉禹錫も連州(広東省連州市)刺史に左遷を命じられ、その途次で朗州(湖南省常徳市)司馬に降格となった。このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷された(八司馬事件)。朗州での約9年間、劉禹錫は文学に没頭するようになり、古来楚であった当地の風俗に取材した詩をつくったり、民衆のために祭祀用の歌詞をつくった。
815年(元和10年)、ようやく都長安に召還されたが、玄都観(道教の施設)で詠んだ詩が政府の主流派を揶揄する内容だったためその怒りにふれ、連州刺史に逆戻りとなった。それから数ヶ所の刺史を経たあと、828年(大和2年)に長安に戻り主客郎中を拝命した。そこで劉禹錫はまたも玄都観で、前回の続編となる詩を詠んだ。このときは宰相裴度のおかげでどうにか左遷を免れていたが、その裴度が引退すると洛陽にやられた後、832年(大和6年)蘇州刺史にされた。このように劉禹錫は、狭量な性格ゆえにその地位が安定しなかった。その後も太子賓客となったり刺史となったりを繰り返した。
晩年は白居易と親交が深まり、元稹亡き後も詩を唱和し、その神妙さを讃えられた。最終的には検校礼部尚書・太子賓客で生涯を終えた。

詩風
左遷を経験したことから、楽府体の寓言詩で諷喩色の強い詩を詠んだ。例えば、蚊を小さい存在ながらも夏にはうるさく飛び回っては人を傷つけるさまを中央政界にいる佞臣に喩えた。いずれ冬が来れば蚊が絶えるように佞臣達も時の利を失って凋落するであろうとの意味を込めている。
また、各地で歌われていた歌曲に新たな歌辞をつくった。虁州(重慶市奉節県)刺史として赴任中には、この地の歌謡であった竹枝をもとにして「竹枝詞」を多く作ったことは有名である。

儒学
『天論』は柳宗元の『天説』に呼応するもので、天に関する考え方を変革する先鞭となった。従来の天人相関説に異議を唱え、天は万物を生成するだけであり、人は法によってそれらを制御することができると説いた。

pla030

再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737

劉禹錫《再遊玄都觀 序文》私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。



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孟郊詩 
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李商隠詩 
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再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737


元和十一年(816年)に朗州(現・湖南省常徳市)より召還され、長安に戻ってきて、戯れに花見をしている諸賢に詩を贈る。 
永貞元年(805年)に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、足掛け12年、都へ呼び戻されたとき(元和十一年:816年)、このページの詩を作ったのである。それが政敵に知られることとなり、「この表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。やがて、この詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄都觀』とその序に、その間の事情が説明されている。


再遊玄都觀   序
余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。

そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。



再遊玄都觀
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
・玄都觀 道教寺院の名。長安の東西を春明門と金光門、延興門と延平門に大通りがあり、南北通り朱雀門と明徳門、が交差するあたりにあった。

燕麦01











『再遊玄都觀 序』 現代語訳と訳註
(本文)
再遊玄都觀

余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
居十年,召至京師,
人人皆言,有道士手植仙桃,
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。


(下し文)
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。


(現代語訳)
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。




(訳注)
再遊玄都觀  序


燕麦003余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
・貞元二十一年(805年=永貞元年 正月德宗が亡くなり、順宗が待望の即位をしたがすでに重病であり政務を満足に取ることができなかった。そこで側近の王叔文が、王伾・劉禹錫・柳宗元・程异など少壮官僚達とともに新政に乗り出した。宦官軍權の排除や停滞した政治の改革が矢継ぎ早に指令された。しかし抵抗勢力が強くなかなか浸透しなかった。
順宗の健康は悪化していくばかりであり、皇太子の即位を望む声が強く、八月には順宗は退位して上皇となり、憲宗が即位した。憲宗は宦官吐突承璀の影響を受け、宦官の軍權を元に戻したが、政治改革については精力的におこなった。しかし前帝の側近王叔文や取り巻きの少壮官僚は左遷され姿を消した。また八月には対吐蕃の重鎮西川節度使韋皐(薛濤のパトロン)が亡くなり、その幕僚の劉闢が自立した。憲宗は即位早々この対策に逐われることになった。
・屯田員外郎 古代の官職。主税助の別称。前漢の武帝は、辺境地帯を防衛する兵士に農耕を行わせた(軍屯)。後漢末期に徐州の陶謙が陳登を典農校尉に任じて屯田のことを行わせ、続いて196年には魏の曹操は、韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。


是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
・牧 地方長官。前漢・後漢代に於ける州の長官のこと。刺史:前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。


居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。


人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
・仙桃 会稽郡(浙江省)の劉晨と阮肇という人が、薬草を採りに天台山へ入ったところ、道に迷ってしまった。谷川のほとりに女が二人立っていて絶世の美女たちである。女は二人を自分達の家へ連れて帰った。女達の家は見事なもので、屋根は銅の瓦、広間の南側と東側の壁際に立派な寝台、紅い薄絹の帳をめぐらしてある。帳には金糸銀糸で精緻な縫い取りが施され、四隅に懸けられた鈴が風が吹くたびにチリンチリンと可愛い音を鳴らしている。 寝台の脇にはそれぞれ侍女が十人ずつ居並んでいた。女達と一緒に暮らすようになって十日経った時、二人が家へ帰らせてくれと言うと女達は、「あなた方がこちらにおいでになったのは、前世からのご縁に引き寄せられたからです。どうして帰りたいなどとおっしゃるの」と言って涙を落とした。そして二人はそのまま女の柔かな抱擁を受け、すべてを忘れた。二人はそれから半年ほどの間、昼は酒宴を開き、夜は女達と共に歓楽に耽る日々を過ごした。不思議なことにここには四季がなく、いつも春の気候で花が咲き乱れ鳥が囀っていた。しかし、山を下りた二人が故郷に戻ってみると、村の様子は一変していた。親戚や知人が一人もいないのである。何とか自分の家に帰り着いて当主という人物に会ってみると、何と七代目の子孫であった。


滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。


旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。


重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。


唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
・兔葵 (ウサギアオイ)はアオイ科ゼニアオイ属の一年草である。 原産地はヨーロッパである。 日本では1948年に帰化が確認されている。 畑の縁などに生える。
・燕麥 イネ科カラスムギ属の穀物。一年草。別名、オートムギ、オーツ麦、オート、マカラスムギ。また、同属の野生種 A. fatua と同名でカラスムギとも呼ばれる。


因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
・二十八字 七言絶句
・太和二年 劉禹錫は主客郞中となる。ついで東都に分司となる。


劉晨遇仙 東漢。劉晨和阮肇國二人入山採藥。遇二仙女。 招至成親。半年後二人回家。怎知至家已過百年。 無人認識二人。二人返山找仙女。終不可得。 喻有心花開花不發。無心插柳柳成蔭。 2.燕昭王為郭隗築黃金臺. 燕昭王是燕王噲的兒子,名子叫平。

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