玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

欧陽烱

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
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《花間集序 (5)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-730--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5197

《花間集序 (5)》 唐朝滅亡後、宋朝が興るまでの間、中原では五代に亘って王朝が交替し、江南を始めとする各地では、小国が分立した。この間の小国分立時代を五代または、五代十国と呼ぶ。この時代は、唐最後の皇帝の譲位から宋建国までの五十余年間と、短い。しかし、この中原と江南の政情不安は、才人、技能の優秀なもの、優れた楽工、優秀な妓優らを蜀に集めることとなった。中原から来たもののうち趙一族により、詩文、歌舞が保護発展せられ、趙家の文芸サロンに集められたことが、「花間集」というものに集大成されたというのが、その歴史的背景なのである。

 

 
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《花間集序 (5)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-730--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5197

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちは陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

(4)

『花間集』の詞に類似する歌は、既に南朝の時代に作られているが、それは言葉が雅やかでないばかりか、実体を伴わぬ空疎なものであったこと、そして、唐の玄宗皇帝の時代になって初めて外面内面ともにそなわった清平楽調が作られ、近年に至って温庭第の詞集『金茎集』が現れたことを指摘し、詞が名実ともに新しい時代の文学となったことを言う。しかし、この評価は巻末の晃謙之の欧文とは相反するものがある。この後、欧陽桐は筆を続けて、先に触れた『花間集』命名の謂われについて語り筆を結ぶ。欧陽胴は 『花間集』 にきわめて高い評価を与えているが、これは自身が 『花間集』 詞人の一員であったこと、また、編集者の趙崇祚との人間関係に起因するものといえよう。

(5)

(5)-1

唐が滅亡して、中原では五つの王朝が長江流域では十数もの地方政権が興亡を繰り返したが、四川盆地を拠とする前・後の蜀は豊かな経済力を基盤に安定した地域となっていた。前・後の蜀は君臣共に一時の安逸をむさぼり、享楽に耽ることで、ここに前・後の蜀の頽廃文化が形成された。それの中核を担ったのは、中原、江南から、文化人のみならず、妓優、楽工、各種職人が戦火を避けて、蜀の地に終結したことが大きな原因である。

(5)-2

編者の趙崇祚は、祖籍は開祖父の趙廷隠が後蜀の大祖・孟知祥に従って蜀に入り、親軍を統括すること十数年。趙崇祚は衛尉少卿となり、弟の崇韜は都知領殿直となって、ともに親軍の指揮に参与した。趙氏一門は要職を占め、その暮らしぶりは贅を尽くしたものであった。

『太平廣記』巻四〇九引孫光憲《北夢瑣言》「趙廷除起南宅北宅、千梁萬供、其諸奢麗、莫之與儔。後枕江瀆、池中有二島嶼、遂甃石循池、四岸皆種垂楊、或間雜木芙蓉、池中種藕。毎至秋夏、花開魚躍、柳陰之下、有士子執巻者、垂綸者、執如意者、執塵尾奢、譚詩論道者。」

邸宅は並ぶものがないほど豪奢で、庭の池に二つの島を造り、岸辺に楊柳を、池の端に水芙蓉を、池の中に蓮を植えていた。毎年、夏や秋になれば、花は咲き魚は躍り、柳の木陰で人々が思い思いに巻物を持ち、釣糸を垂れ、如意やら大

鹿の尾で作った払子やらを揮い、詩を語り、道を論じたりしていた。

 趙崇祚はこのすべての芸の優れたもの、風流あるものを集めたサロンで、「広く賓客に会い、時に談論風発する中で、近来の詩客の曲子詞五百首を集め、十巻に分けた」という。

 


花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。


邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

 

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為し、乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

(下し文)
-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為し、乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

 

 

(現代語訳)

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

 安史の乱期 勢力図 002

 (訳注) -5

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 杏の花0055

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

○詩客曲子詞 詩人の歌詞。曲子詞は曲につけられた歌詞の意。曲子の子は接尾辞。この一句は『花間集』の詞が民間の卑俗な歌と違って、詩人の手に成る洗練された作品であることを言ったもの。

 

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

○爛 欧陽胴の自称。

○粗預知音 少しばかり音楽に詳しい。教坊の曲に合わせた詩という意味で音楽のことを承知しているということであるが、此処の意味は、この十七名の詩人たちと旧知の間で、これらに詩人たちを取りまとめていく力があるということを認められたという意味である。

○序引 序言。

 

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

○郢 戦国時代の楚の国の都。今の湖北省の江陵の北部。

○陽春 陽春白雪の曲。先の「白雪」の注参照。

 

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

○庶 願望を表す言葉。

○西園 漢代の御苑の名。ここでは趙崇祚の豪邸の文芸サロンを言う。

○英哲 俊才。

○用資 それによって助ける。用は以に同じ。

○羽蓋之歓 儀式、行事などにおける楽しみ、集いの喜び。

 

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

○南国嬋娟 南国の美女の「浣溪沙」56首、「菩薩蠻」41首、「酒泉子」26首「臨江仙」「竹枝」「楊柳」の各24首「女冠子」「更漏」などの嬋娟詞で過半数を超える。

○蓮舟之引 楽府詩の採蓮曲。南朝の梁代に多く作られた。もともと民間の蓮取り歌に由来するもの。蓮の実を取るには湖面に船を浮かべねばならぬので蓮舟と言った。引は曲の意。

 

時大蜀廣政三年夏四月日序。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

○大蜀 蜀。大は美称。

○広政三年夏四月日 広政は後苛の孟乗の時の年号。広政三年は西暦九四〇年。旧暦では四月、五月、六月が夏。夏四月日と記して、具体的な日付の数字が入っていないのは、序を書きおえて、彫師に渡す時に後から正式に日付を入れるため。

917年 五代十国
 

 

 唐朝滅亡後、宋朝が興るまでの間、中原では五代に亘って王朝が交替し、江南を始めとする各地では、小国が分立した。の間の小国分立時代を五代または、五代十国と呼ぶ。この時代は、唐最後の皇帝の譲位から宋建国までの五十余年間と、短い。この中原と江南の政情不安は、才人、技能の優秀なもの、優れた楽工、優秀な妓優らを蜀に集めることとなり、やはり、中原から来た趙一族により、趙家の文芸サロンに集められたことが、花間集というものが、その歴史的背景なのである。

《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192

欧陽烱《花間集序 (4)》 衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

 
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《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちは陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

(4)

『花間集』の詞に類似する歌は、既に南朝の時代に作られているが、それは言葉が雅やかでないばかりか、実体を伴わぬ空疎なものであったこと、そして、唐の玄宗皇帝の時代になって初めて外面内面ともにそなわった清平楽調が作られ、近年に至って温庭第の詞集『金茎集』が現れたことを指摘し、詞が名実ともに新しい時代の文学となったことを言う。しかし、この評価は巻末の晃謙之の欧文とは相反するものがある。この後、欧陽桐は筆を続けて、先に触れた『花間集』命名の謂われについて語り筆を結ぶ。欧陽胴は 『花間集』 にきわめて高い評価を与えているが、これは自身が 『花間集』 詞人の一員であったこと、また、編集者の趙崇祚との人間関係に起因するものといえよう。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。


邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

海棠花021
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

 

(下し文) -#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

 

(現代語訳)

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

花間集
 

(訳注)

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。

○明皇 唐の玄宗皇帝。

○李太白 盛唐の詩人、李白。太白は字。・李白《清平樂》詞四首 参考に末尾に李白詩清平楽五首、清平調三首を掲載した。

○応制 天子の詔に応えて詩を作ること、またその詩。

○清平楽 詞牌すなわち曲名。李白の清平楽の詞は、現在、『尊前集』に五首残るが、ここに言う清平楽と同じ作品かどうかは不明。なお玄宗の命で楊貴妃の美を称えて詠んだ、いわゆる七言絶句の清平調三首とは異なる。

○温飛卿 晩唐の溫庭筠。飛卿は字。後の作者解説参照。・溫飛卿複有《金筌集》

○金筌集 温庭第の詞集。詞集の囁矢をなすが、今は亡んで伝わらない。

1 温庭筠 おんていいん

812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

 

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は超崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。

 

邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

○邁来 以来。

 

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家野奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

○衛尉少卿 官名。兵使、甲胃、武器などを管掌。

○弘基 趙崇祚の字。『花間集』の編者であり、蜀の孟昶に仕えて衛尉少卿になった。編者の趙崇祚は、祖籍は開祖父の趙廷隠が後蜀の大祖・孟知祥に従って蜀に入り、親軍を統括すること十数年。趙崇祚は衛尉少卿となり、弟の崇韜は都知領殿直となって、ともに親軍の指揮に参与した。趙氏一門は要職を占め、その暮らしぶりは贅を尽くしたものであった。

『太平廣記』巻四〇九引孫光憲《北夢瑣言》「趙廷除起南宅北宅、千梁萬供、其諸奢麗、莫之與儔。後枕江瀆、池中有二島嶼、遂甃石循池、四岸皆種垂楊、或間雜木芙蓉、池中種藕。毎至秋夏、花開魚躍、柳陰之下、有士子執巻者、垂綸者、執如意者、執塵尾奢、譚詩論道者。」

邸宅は並ぶものがないほど豪奢で、庭の池に二つの島を造り、岸辺に楊柳を、池の端に水芙蓉を、池の中に蓮を植えていた。毎年、夏や秋になれば、花は咲き魚は躍り、柳の木陰で人々が思い思いに巻物を持ち、釣糸を垂れ、如意やら大

鹿の尾で作った払子やらを揮い、詩を語り、道を論じたりしていた。

 趙崇祚はこのサロンで、「広く賓客に会い、時に談論風発する中で、近来の詩客の曲子詞五百首を集め、十巻に分けた」という。

 

○拾翠 翡翠の羽を拾う。翡翠は雄と雌で色が違い、高貴な閨に飾られるものであることから、閨情詞、艶詞のたぐいをさすので、ここでは詞を捜し集めること。

○羽毛之異 美しい羽毛。ここでは優れた詞の意。

 

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

○織綃泉底 『博物志』に、「蛟人は魚のように水中で暮らしており、常に紡いだり織ったりしていて、時たま海中から出て人家に綃を売りさばく」とまた『述異記』に「南海から鮫綃紗を産出する。またの名を亀紗と言う。その値段は百金余り」と。ここは優れた詞集を編纂することの喩え。

○独殊 特に優れている。

〇機杼之功 機織り仕事の出来はえ。ここでは『花間集』編纂の出来ばえのこと。機杼は織りの横糸を通す杼。

 

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

○延佳論 優れた議論を展開する。

 

杏の花0055
 

李白詩 尊前集  清平楽五首、清平調三首

    李太白集 《巻二十五補遺》清平楽令二首清平楽三首、《巻四》清平調三首

清平樂 一(一)

禁庭春畫。鶯羽披新繡。百草巧求花下鬥。祗賭珠璣滿鬥。

日晚卻理殘妝。禦前閑舞霓裳。誰道腰肢窈窕,折旋笑得君王。

 

清平樂 二(二)

禁闈清夜。月探金窗罅。玉帳鴛鴦噴蘭麝。時落銀燈香

女伴莫話孤眠。六宮羅綺三千。一笑皆生百媚,宸衷教在誰邊。

 

清平樂 三(一)

煙深水闊。音信無由達。惟有碧天雲外月。偏照懸懸離別。

盡日感事傷懷。愁眉似鎖難開。夜夜長留半被,待君魂夢歸來。

 

清平樂 四(二)

鸞衾鳳褥。夜夜常孤宿。更被銀臺紅蠟燭。學妾淚珠相續。

花貌些子時光。人遠泛瀟湘。欹枕悔聽寒漏,聲聲滴斷愁腸。

 

清平樂 五(三)

畫堂晨起。來報雪花墜。高卷簾櫳看佳瑞。皓色遠迷庭砌。

盛氣光引爐煙,素草寒生玉佩。應是天仙狂醉。亂把白雲揉碎。

 

清平調 三首其一

雲想衣裳花想容。春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

 

清平調 三首其二

一枝紅艷露凝香。雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

 

清平調 三首其三

名花傾國兩相歡。常得君王帶笑看。解得春風無限恨。沈香亭北倚闌幹。

 

清平調詞 三首 其一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白154

清平調詞 三首 其二 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白155

清平調詞 三首 其三 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

雲髻001
 

《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187

欧陽烱《花間集序 (3)》 詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

 
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《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちほ陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

海棠花101
 

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 


-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

917年 五代十国
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

何止言之不文,所謂秀而不實。

有唐已降,率土之濱,

家家之香徑春風,寧尋越豔。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

 

(下し文) -#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

 

(現代語訳) -#3

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

 

(訳注) -3

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。
 

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

○南朝 東晋の後を受けて建康(今の南京)に都を置いた宋、斉、梁、陳の四王朝。

○宮体 南朝の斉、梁時代に流行した詩体。主として後宮の女性を題材とした艶麗な詩を指す。

○扇 煽る。

○倡風 少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行させて、俗っぽく頽廃してゆく。

 

何止言之不文,所謂秀而不實。

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

 

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

率土之濱 国の津々浦々に至るまで広がる。長安、洛陽中心の文学、特に、唐の教坊の詞曲が唐の滅亡、都の政情不安により各地に分散し、特に、各地の交通の要衝の地を中心に広がったことをいう。

 

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

越豔 江南の美女、江南の文化。

 

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

常娥 誇蛾、恒蛾、嫦娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。ここでは占いの雰囲気作りにはみょうれいな女性の神、巫女の登場というシチュエーションというところか。 ○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには轄蛤(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。素蛾 月ひめ常蛾のこと。夫の努の留守中、霊薬をぬすみ飲んで月中にのがれ、月の楕となった神話中の人物。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。○嬋娟 艶めかしく姿あでやかなるさま。顔や容姿があでやかで美しい。魏の阮籍(210263年)の詠懐詩に「秋月復た嬋娟たり。」とブログ阮籍 詠懐詩、白眼視 嵆康 幽憤詩

 

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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
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11 -17 鳳樓春一首 歐陽舍人炯十七首Ⅹ唐五代詞・「花間集」 Gs-427-11-#17   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3682

      
 ID作品名作者 
 ■ 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首 
 1五巻浣渓沙 三首 其一欧陽烱 
2五巻浣渓沙 三首 其二欧陽烱 
3五巻浣渓沙 三首 其三欧陽烱 
4六巻三字令欧陽烱 
5六巻子八首 其一欧陽烱 
6六巻子八首 其二欧陽烱 
7六巻子八首 其三欧陽烱 
8六巻子八首 其四欧陽烱
9六巻子八首 其五欧陽烱
10六巻子八首 其六欧陽烱
 11六巻子八首 其七欧陽烱
 12六巻子八首 其八欧陽烱
 13六巻獻衷心一首欧陽烱
 14六巻賀明朝二首 其一欧陽烱
 15六巻賀明朝二首 其二欧陽烱
 16六巻江城子一首欧陽烱
 17六巻鳳樓春一首欧陽烱
      


鳳樓春

(春から初夏になっても連絡がない、次から次へと咲く海棠の花散る時節にいたる閨怨を詠う。)

鳳髻綠雲叢,深掩房攏。

宮女は豊かな黒髪を両鬢の雲型に後ろに鳳の髪に結い降ろしていて、宮殿の深くの房閏の帳におおわれ、向こうに連子窓がある。

錦書通,夢中相見覺來慵,勻面淚臉珠融。

恋しい思いを何度も練り絹にしたため届けます。夢ではたがいに会ったとしても覚めてしまえばけだるさだけが残ってしまう、涙の後を化粧で整えても、珠の涙は頬紅を溶かしてしまう。

因想玉郎何處去,對淑景誰同。

手紙は届いているはずなのに合いには来てくれない、若くて輝いているあの人は何処に行ったのでしょう、春の美しい景色を誰とともに過ごしているのでしょうか。

小樓中,春思無窮。

小樓に登って眺めるけれど、春にあの人と過ごすという思いは果てしなくくりかえす。

倚欄顒望,闇牽愁緒,柳花飛起東風。

そのまま手すりにもたれて臨むのですが、知らぬ間にまた愁いのなかにひきこまれてしまいます。柳絮は春風がおこるたびに舞い散っています。

斜日照簾,羅幌香冷粉屏空。

日が傾けば簾越に牀を照らし、寝牀を覆う薄絹の帳にはお香の火も消えのこり、ただ空しく鳳凰の屏風が立つだけです。

海棠零落,鶯語殘紅。

やがて海菜の花も凋んで落ちてしまい、春を告げていた鶯の啼き声も残った紅の花の中に消えていく。

美女画557
 

『鳳樓春』 現代語訳と訳註

(本文)

鳳樓春

鳳髻綠雲叢,深掩房攏。

錦書通,夢中相見覺來慵,勻面淚臉珠融。

因想玉郎何處去,對淑景誰同。

小樓中,春思無窮。

倚欄顒望,闇牽愁緒,柳花飛起東風。

斜日照簾,羅幌香冷粉屏空。

海棠零落,鶯語殘紅。

 

(下し文)

(鳳樓春【ほうろうしゅん】

鳳髻【ほうけい】綠雲 叢【そう】とし,深く房攏を掩う。

錦書 通し,夢中 相い見 覺め來りて慵【ものう】き,面を勻い 臉に淚し 珠融く。

因りて想う 玉郎 何處にか去らん,淑景に對し誰か同じうすと。

小樓に中【あた】って,春思 窮り無し。

欄に倚り顒望【ぎょうぼう】し,闇牽するは愁緒【しゅうちょ】を,柳花 東風に飛び起つ。

日斜むけば簾を照し,羅の幌には香 冷めて 粉しても屏は空し。

海棠も零落し,鶯語も殘紅す。

 

(現代語訳)

(春から初夏になっても連絡がない、次から次へと咲く海棠の花散る時節にいたる閨怨を詠う。)

宮女は豊かな黒髪を両鬢の雲型に後ろに鳳の髪に結い降ろしていて、宮殿の深くの房閏の帳におおわれ、向こうに連子窓がある。

恋しい思いを何度も練り絹にしたため届けます。夢ではたがいに会ったとしても覚めてしまえばけだるさだけが残ってしまう、涙の後を化粧で整えても、珠の涙は頬紅を溶かしてしまう。

手紙は届いているはずなのに合いには来てくれない、若くて輝いているあの人は何処に行ったのでしょう、春の美しい景色を誰とともに過ごしているのでしょうか。

小樓に登って眺めるけれど、春にあの人と過ごすという思いは果てしなくくりかえす。

そのまま手すりにもたれて臨むのですが、知らぬ間にまた愁いのなかにひきこまれてしまいます。柳絮は春風がおこるたびに舞い散っています。

日が傾けば簾越に牀を照らし、寝牀を覆う薄絹の帳にはお香の火も消えのこり、ただ空しく鳳凰の屏風が立つだけです。

やがて海菜の花も凋んで落ちてしまい、春を告げていた鶯の啼き声も残った紅の花の中に消えていく。

 

(訳注)

鳳樓春

(春から初夏になっても連絡がない、次から次へと咲く海棠の花散る時節にいたる閨怨を詠う。)

唐の教坊の曲名。『花間集』には欧陽欄の一首のみ所収。双調七十七字、前段三十七字七句六平韻、後段四十字九句五平韻で、

⑤④③⑦⑥7⑤/③④44⑥4⑦4④の詞形をとる。

 雲髻001

鳳髻綠雲叢,深掩房攏。

宮女は豊かな黒髪を両鬢の雲型に後ろに鳳の髪に結い降ろしていて、宮殿の深くの房閏の帳におおわれ、向こうに連子窓がある。

鳳髻綠雲叢 全体は雲型で後ろに背に向けて鳳の羽の形に結い上げた豊かな黒髪。宮妓の髪。

房攏 房は宮女の部屋の前のたたき廊下の連子窓。攏は、獣を入れておく「おり、」。連子窓。

 

錦書通,夢中相見覺來慵,勻面淚臉珠融。

恋しい思いを何度も練り絹にしたため届けます。夢ではたがいに会ったとしても覚めてしまえばけだるさだけが残ってしまう、涙の後を化粧で整えても、珠の涙は頬紅を溶かしてしまう。

錦書通 練り絹に書いてかれた宮女への手紙。前秦の竇滔の妻蘇氏が錦を織って廻文の詩二百余首を題して任地に行ったままで消息の分からない夫の滔におくって愛情を取り戻したという故事にならっている。手紙の美称。(夫は趙明誠) 

 けだるさだけが残ってしまう。虚無感。

 均等に整える。ここでは拭い払うこと。

腺珠融 頬の涙の滴が (紅白粉を) くずす。涙で紅白粉が溶けることを言う。

 

因想玉郎何處去,對淑景誰同。

手紙は届いているはずなのに合いには来てくれない、若くて輝いているあの人は何処に行ったのでしょう、春の美しい景色を誰とともに過ごしているのでしょうか。

玉郎 玉のように輝かしい男。ここでは若くて輝いている、誰からも愛される高貴な男の意。

淑景 春の美しい景色。

 

小樓中,春思無窮。

小樓に登って眺めるけれど、春にあの人と過ごすという思いは果てしなくくりかえす。

春思 万物が子作りを始め、成長するのが春。冬の間にたくわえられて春に開花する、人の思いも思い続けていたものが春には遂げられるという五行思想をいう。

柳絮01
 

倚欄顒望,闇牽愁緒,柳花飛起東風。

そのまま手すりにもたれて臨むのですが、知らぬ間にまた愁いのなかにひきこまれてしまいます。柳絮は春風がおこるたびに舞い散っています。

顒望 じっと動かず遠くを眺める

闇牽 闇に牽く。知らぬ間に誘い込まれる、あるいは一つの考えに引き込まれることを云う。

 

斜日照簾,羅幌香冷粉屏空。

日が傾けば簾越に牀を照らし、寝牀を覆う薄絹の帳にはお香の火も消えのこり、ただ空しく鳳凰の屏風が立つだけです。

羅幌香冷粉麻空 寝台を覆う薄絹の帳は香炉の火も消え、白く塗り飾った屏風の中には人影(夫の姿) のないことを言う。女性の悲しみを言ったもの。

 

海棠零落,鶯語殘紅。

やがて海菜の花も凋んで落ちてしまい、春を告げていた鶯の啼き声も残った紅の花の中に消えていく。

海棠 紫色の枝から数㎝の花柄を伸ばし、淡いピンク色の花を次つぎと咲かせ、花の美しさから美女を形容するときにも登場する、晩春から初夏にかけて咲く。女盛りをいう。

零落 1 落ちぶれること。2 草木の枯れ落ちること。

鶯語殘紅 ここは、海棠の花が咲き誇っている時に鶯が啼いていたのが記憶として残っていること、海棠花が零落しているのであるから夏が来ているのであるから、鶯は啼いてはいない。
 海棠花022

11 -16 江城子一首 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677

歐陽炯《江城子一首》 太陽が傾き、日は斜めに射す「傾国」の歴史を見てきた金陵の岸べ草原広がり、水は無情にながれる。呉から続いた六代・六朝の繁華がのこり、空は赤く燃え、その街は波音を追うて去ってゆく。


 

2014年1月30日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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11 -16
江城子一首 歐陽舍人炯十七首Ⅹ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677

      
 ID作品名作者 
 ■ 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首 
 1五巻浣渓沙 三首 其一欧陽烱 
2五巻浣渓沙 三首 其二欧陽烱 
3五巻浣渓沙 三首 其三欧陽烱 
4六巻三字令欧陽烱 
5六巻子八首 其一欧陽烱 
6六巻子八首 其二欧陽烱 
7六巻子八首 其三欧陽烱 
8六巻子八首 其四欧陽烱
9六巻子八首 其五欧陽烱
10六巻子八首 其六欧陽烱
 11六巻子八首 其七欧陽烱
 12六巻子八首 其八欧陽烱
 13六巻獻衷心一首欧陽烱
 14六巻賀明朝二首 其一欧陽烱
 15六巻賀明朝二首 其二欧陽烱
 16六巻江城子一首欧陽烱
 17六巻鳳樓春一首欧陽烱
      


『花間集』の江城子



韋相莊

江城子二首①


牛嶠(牛給事嶠)

江城子二首①


張舍人泌

江城子二首①


歐陽舍人炯

江城子一首

 

 

 

 

 

 

 
 

103 江城子 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-295-5-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3022

104 江城子 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-296-5-#50  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3027

江城子二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-328-6-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3187

江城子二首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-329-6-#57-(20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3192

江城子 二首 其一 張泌ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-357-7-#19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3332

江城子 二首其二 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-358-7-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3337

 

 

江城

晚日金陵岸艸平,落霞明,水無情,六代繁華,暗逐逝波聲。

空有姑蘇臺上月,如西子鏡照江城。

(かつて六朝の都として栄えた金陵(南京・建康)を懐古し、世の変遷を詠う。)

太陽が傾き、日は斜めに射す「傾国」の歴史を見てきた金陵の岸べ草原広がり、水は無情にながれる。呉から続いた六代・六朝の繁華がのこり、空は赤く燃え、その街は波音を追うて去ってゆく。

今はただ荒れ果てた姑蘇台のうえに月がのぼる、それはまるで西施のようであり、鏡湖にも月影をおとす、そして長江のほとりの金城を照らしている。

 

(江城子)

晚日 金陵 岸の艸 平らかに,落霞 明るく,水 無情なり,六代 繁華とし,暗に波聲を逐逝【ついせき】す。

空しく姑蘇臺上の月有り,西子の鏡の如く江城を照す。

杏の花01
 

 

『江城子』 現代語訳と訳註

(本文)

江城

晚日金陵岸艸平,落霞明,水無情,六代繁華,暗逐逝波聲。

空有姑蘇臺上月,如西子鏡照江城。

 

(下し文)

(江城子)

晚日 金陵 岸の艸 平らかに,落霞 明るく,水 無情なり,六代 繁華とし,暗に波聲を逐逝【ついせき】す。

空しく姑蘇臺上の月有り,西子の鏡の如く江城を照す。

 

(現代語訳)

(かつて六朝の都として栄えた金陵(南京・建康)を懐古し、世の変遷を詠う。)

太陽が傾き、日は斜めに射す「傾国」の歴史を見てきた金陵の岸べ草原広がり、水は無情にながれる。呉から続いた六代・六朝の繁華がのこり、空は赤く燃え、その街は波音を追うて去ってゆく。

今はただ荒れ果てた姑蘇台のうえに月がのぼる、それはまるで西施のようであり、鏡湖にも月影をおとす、そして長江のほとりの金城を照らしている。

DCF00207
 

 

(訳注)

江城

『花間集』には欧陽烱の作が一首収められている。単調三十」は六字、八句五平韻で、⑦③③4⑤74③の詞形をとる。韋荘、牛嶠、張泌の『江城子』の参照。

韋相莊

江城子二首①


牛嶠(牛給事嶠)

江城子二首①


張舍人泌

江城子二首①


歐陽舍人炯

江城子一首

 

 

 

 

 

 

 

(かつて六朝の都として栄えた金陵(南京・建康)を懐古し、世の変遷を詠う。)

【解説】 栄華を極めた六朝の都の女の街も繁華も、長江の流れは西から東へ無情であり、消え去る世の無常を述べる。最後の二句は、今はただ姑蘇台の上に輝く西施(西子)の鏡のような月が、都跡を照らすばかりであることをいい、時代はさらに戦国時代の呉まで遡り、世の変遷に対する無常の観をより深めている。

 

 

晚日金陵岸艸平,落霞明,水無情,六代繁華,暗逐逝波聲。

太陽が傾き、日は斜めに射す「傾国」の歴史を見てきた金陵の岸べ草原広がり、水は無情にながれる。呉から続いた六代・六朝の繁華がのこり、空は赤く燃え、その街は波音を追うて去ってゆく。

金陵 、江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。南京の歴史は春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。その後秦朝による統一事業が達成され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵県と改称している。三国時代になると呉の孫権が229年に石頭城という要塞を築いて建業と称してこの地に都を置いた。西晋にて一旦、建業とされた後に司馬鄴(愍帝)を避諱して建康と改められ、東晋及びその後の四王朝(宋、斉、梁、陳)の都となった。呉を含めた六国が全て同じ地に都を置いたことから六朝時代の名がある。隋代には江寧県、唐代には金陵県、白下県、上元県と改称されている。隋唐代には新たに開削された大運河により、長江対岸の揚州が物資の集積地となり、この地域の中心地としての地位を奪われた恰好となり、往時の都としての繁栄は見られなくなった。唐崩壊後の五代十国時代には、南唐の都城である金陵府が置かれ、後に改名されて西都と称する。

落霞 夕焼け。霞は朝焼け雲または夕焼け雲。

水無情 長江の流れは人の世にはお構いなく日夜流れ続けること。また川の流れは時の流れを象徴し、時の推移の無常を言う。金陵が長江の南岸に位置するのでこのように表現した。

六代 いわゆる六朝のこと。金陵に都を置いた呉、東晋、宋、斉、梁、陳の六つの王朝を指す。

 

空有姑蘇臺上月,如西子鏡照江城。

今はただ荒れ果てた姑蘇台のうえに月がのぼる、それはまるで西施のようであり、鏡湖にも月影をおとす、そして長江のほとりの金城を照らしている。

姑蘇台 戦国時代、呉王の大差が西施のために築いた台館。姑蘇は蘇州の西方にある山。・姑蘇:姑蘇台。蘇州にある。また蘇州の街のこと。呉の首都。呉王・夫差が姑蘇城にいたが、越王・勾践に攻められ、降ろされたところ。

『浣溪沙八首其七』 薛昭蘊

傾國傾城恨有餘,幾多紅涙泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

呉主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

9 9 浣溪紗八首 其七 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-385-9-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3472

四子 西施:本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。
 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。
 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。
 (2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

・『古風五十九首 第十八 李白ではべつの視点から興味あるとらえ方をしている。李白は西施にかかわる多く詩を残している。

 

魚玄機『光・威・裒、姉妹三人』「文有貌終堪比,西子無言我更慚。」光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172

江城 川沿いの街。長江南岸沿いの金陵を言う。城は街。
姑蘇台02rihaku200
 

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歐陽炯《賀明朝二首 其二》 昔の良い思い出があります、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったその後のです。ただ、この若くてか細いこの手にたよることで、ただ、押し黙ってその人に気付いてもらうために紅小豆をなげました。


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賀明朝二首 

(高貴な人の女である女妓と愛し合ったが、公な付き合いはできない男の思いを詠う。)

憶昔花間初識面,紅袖半遮粧臉。

昔のよいことを思いだす、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったのです。きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠していました。

輕轉石榴裙帶,故將纖纖玉指,撚雙鳳金線。

石榴色のスカートを軽く揺らせ、帯を緩やかにしめていたのです。ことさらに白いほっそりとした指を示し、つぎに、密かにスカートの鳳風の金糸をよじっていました。

碧梧桐鏁深深院,誰料得,兩情何日教繾綣。

仲睦まじい鳳凰の住まいであるみどりの梧桐の葉の茂った奥の奥、深く閉ざされた楼閣の奥庭のことを、いったい誰に推し量ることができよう、二人の恋が実っていたはずなのに結ばれるのはいつの日になるのでしょうか。

羨春來雙鷰,飛到玉樓,朝暮相見。

羨ましいとおもうのは、春がくれば番の燕が子作りをします。私が燕なら、あの輝くような高楼館にすんでいるところへ飛んでゆくなら、朝に、夕べにたがいに会うことができるというものです。

 

其二

(高貴な男は若い細身の音楽の上手い女を好むもので、その春の行楽の有様を詠う)

憶昔花間相見後,只憑纖手,暗紅豆。

昔の良い思い出があります、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったその後のです。ただ、この若くてか細いこの手にたよることで、ただ、押し黙ってその人に気付いてもらうために紅小豆をなげました。

人前不解,巧傳心事。

いろんな人たちの前では知らないそぶりをしましたが、心の中で一緒になりたいと思う気持ちをうまく伝える一番良い方法なのです。

別來依舊,辜負春晝。

そうして愛し合い、そうして別れましたが能くその時の事を思い出します。春の行楽で明るい日差しの中で恥ずかしさも忘れて愛し合ったことです。

碧羅衣上蹙金繡,睹對對鴛鴦,空裛淚痕透。

緑色の薄絹の着物の金の刺繍の裾が知事真里、体を開いたのです。そしてツガイになり、鴛鴦のように一体となったのです。そんな思いを胸に包むほどに空しくなり、涙が流れてかわくことがないのです。

想韶顏非久,終是為伊,只恁瘦。

どんなに音楽の優れていて若く美しい妓女であってもいつまでも保てることはない。結局このことなのです、男は若い美しい女に限るのです。ただ、男がこんな調子なものだから、こっそり恋をしたり、細身の女になろうとするのです。

木蘭00

『賀明朝二首其一』現代語訳と訳註

(本文)

賀明朝二首 

憶昔花間相見後,只憑纖手,暗紅豆。

人前不解,巧傳心事。

別來依舊,辜負春晝。

碧羅衣上蹙金繡,睹對對鴛鴦,空裛淚痕透。

想韶顏非久,終是為伊,只恁瘦。

 

(下し文)

憶う昔 花の間 たがいに見そめし後に,只だ 纖手に憑かれ,暗【だま】って紅豆を【なげう】つ

人前に解【と】かず,心事を巧傳するを。

別れ來り 舊に依り,春晝に辜負【こふ】す。

碧の羅衣の上 金繡を蹙【しゅく】し,對【つい】するを睹て 鴛鴦對【つい】し,空しく裛【たぎし】め 淚痕 透す。

韶顏を想えば 久しく非らず,終【つい】に是れ 伊れを為す,只だ恁瘦。

 

 

(現代語訳)

(高貴な男は若い細身の音楽の上手い女を好むもので、その春の行楽の有様を詠う)

昔の良い思い出があります、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったその後のです。ただ、この若くてか細いこの手にたよることで、ただ、押し黙ってその人に気付いてもらうために紅小豆をなげました。

いろんな人たちの前では知らないそぶりをしましたが、心の中で一緒になりたいと思う気持ちをうまく伝える一番良い方法なのです。

そうして愛し合い、そうして別れましたが能くその時の事を思い出します。春の行楽で明るい日差しの中で恥ずかしさも忘れて愛し合ったことです。

緑色の薄絹の着物の金の刺繍の裾が知事真里、体を開いたのです。そしてツガイになり、鴛鴦のように一体となったのです。そんな思いを胸に包むほどに空しくなり、涙が流れてかわくことがないのです。

どんなに音楽の優れていて若く美しい妓女であってもいつまでも保てることはない。結局このことなのです、男は若い美しい女に限るのです。ただ、男がこんな調子なものだから、こっそり恋をしたり、細身の女になろうとするのです。

 

豆蔻 なつめぐ01

(訳注)

賀明朝二首 其一

唐の教坊の曲名。またの名を賀熙朝、双調朝聖朝、賀聖朝と言う。『花間集』には欧陽烱の二首のみ所収。双調六十一字、前段三十一字七句五仄韻、後段三十字六句四仄韻で❼❹❹44❹❹/❼5❺❺4❹の詞形をとる。

檀の実00
 


(高貴な男は若い細身の音楽の上手い女を好むもので、その春の行楽の有様を詠う)

 

憶昔花間相見後,只憑纖手,暗紅豆。

昔の良い思い出があります、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったその後のです。ただ、この若くてか細いこの手にたよることで、ただ、押し黙ってその人に気付いてもらうために紅小豆をなげました。

憑纖手 憑はたのむこと。纖手は若い妓女のやさしくか細い手。 

暗 おしだまって。

紅豆 紅豆は女性自身を示し、小豆を投げて気を引くことを表現する。

 

人前不解,巧傳心事。

いろんな人たちの前では知らないそぶりをしましたが、心の中で一緒になりたいと思う気持ちをうまく伝える一番良い方法なのです。

○巧傳心事 あなたと一緒に過ごしたいということを一番うまく表現するということ。

 

別來依舊,辜負春晝。

そうして愛し合い、そうして別れましたが能くその時の事を思い出します。春の行楽で明るい日差しの中で恥ずかしさも忘れて愛し合ったことです。

依舊 どうしてもその時の事を思い出します

辜負春晝 「依舊」に対する意味で、“春の行楽で明るい日差しの中で恥ずかしさも忘れて愛し合ったことです”ということ。この句と次の三句もこれにあたる

 

碧羅衣上蹙金繡,睹對對鴛鴦,空裛淚痕透。

緑色の薄絹の着物の金の刺繍の裾が知事真里、体を開いたのです。そしてツガイになり、鴛鴦のように一体となったのです。そんな思いを胸に包むほどに空しくなり、涙が流れてかわくことがないのです。

蹙金繡 蹙は金の刺繍がちじまることで、セックスの描写で、思い浮かべていること。

○睹對對鴛鴦 こちらでツガイの鴛鴦を見ると、また傍につがいをみる。*思い浮かべる性交を表現している。

○裛 ふくろにする。たきしめる。心の片隅に思いを留める。

淚痕透 涙が乾かず流れつづくことをいう。

 

想韶顏非久,終是為伊,只恁瘦。

どんなに音楽の優れていて若く美しい妓女であってもいつまでも保てることはない。結局このことなのです、男は若い美しい女に限るのです。ただ、男がこんな調子なものだから、こっそり恋をしたり、細身の女になろうとするのです。

.・韶顏 音楽の優れた美しい妓女。韶:舜の楽。楽を奏でる宮女は若い子に限られる。宋時代以降、音楽の優れた美しい妓女をいう。

○恁 おもう。このように

 (1) 盗む人家自行人の自転車を盗む.(2) (暇を)見つける空儿 kòngr 時間をつくる.━ []こっそり听盗み聞きする.跑了ずらかった.いい加減にする(とも書く) tōu'ān[]《書》目先の安逸。*「不倫する。よばい。」と
蓼花00
 

     
 1浣渓沙 三首 其一欧陽烱 
2浣渓沙 三首 其二欧陽烱 
3浣渓沙 三首 其三欧陽烱 
4三字令欧陽烱 
5子八首 其一欧陽烱 
6子八首 其二欧陽烱 
7子八首 其三欧陽烱 
8子八首 其四欧陽烱
9子八首 其五欧陽烱
10子八首 其六欧陽烱
 11子八首 其七欧陽烱
 12子八首 其八欧陽烱
 13獻衷心一首欧陽烱
 14賀明朝二首 其一欧陽烱
 15賀明朝二首 其二欧陽烱
 16江城子一首欧陽烱
 17鳳樓春一首欧陽烱
     
 

11 -14 賀明朝二首 其一 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-424-11-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3667

歐陽炯≪賀明朝二首 其一≫ 昔のよいことを思いだす、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったのです。きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠していました。石榴色のスカートを軽く揺らせ、帯を緩やかにしめていたのです。ことさらに白いほっそりとした指を示し、つぎに、密かにスカートの鳳風の金糸をよじっていました。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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 ■ 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首 
 1五巻浣渓沙 三首 其一欧陽烱 
2五巻浣渓沙 三首 其二欧陽烱 
3五巻浣渓沙 三首 其三欧陽烱 
4六巻三字令欧陽烱 
5六巻子八首 其一欧陽烱 
6六巻子八首 其二欧陽烱 
7六巻子八首 其三欧陽烱 
8六巻子八首 其四欧陽烱
9六巻子八首 其五欧陽烱
10六巻子八首 其六欧陽烱
 11六巻子八首 其七欧陽烱
 12六巻子八首 其八欧陽烱
 13六巻獻衷心一首欧陽烱
 14六巻賀明朝二首 其一欧陽烱
 15六巻賀明朝二首 其二欧陽烱
 16六巻江城子一首欧陽烱
 17六巻鳳樓春一首欧陽烱
      


賀明朝二首 

(高貴な人の女である女妓と愛し合ったが、公な付き合いはできない男の思いを詠う。)

憶昔花間初識面,紅袖半遮粧臉。

昔のよいことを思いだす、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったのです。きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠していました。

輕轉石榴裙帶,故將纖纖玉指,撚雙鳳金線。

石榴色のスカートを軽く揺らせ、帯を緩やかにしめていたのです。ことさらに白いほっそりとした指を示し、つぎに、密かにスカートの鳳風の金糸をよじっていました。

碧梧桐鏁深深院,誰料得,兩情何日教繾綣。

仲睦まじい鳳凰の住まいであるみどりの梧桐の葉の茂った奥の奥、深く閉ざされた楼閣の奥庭のことを、いったい誰に推し量ることができよう、二人の恋が実っていたはずなのに結ばれるのはいつの日になるのでしょうか。

羨春來雙鷰,飛到玉樓,朝暮相見。

羨ましいとおもうのは、春がくれば番の燕が子作りをします。私が燕なら、あの輝くような高楼館にすんでいるところへ飛んでゆくなら、朝に、夕べにたがいに会うことができるというものです。 

其二

憶昔花間相見後,只憑纖手,暗紅豆。

人前不解,巧傳心事。

別來依舊,辜負春晝。

碧羅衣上蹙金繡,睹對對鴛鴦,空裛淚痕透。

想韶顏非久,終是為伊,只恁瘦。

檀の実00
 

 

『賀明朝二首其一』現代語訳と訳註

(本文)

賀明朝二首 

憶昔花間初識面,紅袖半遮粧臉。

輕轉石榴裙帶,故將纖纖玉指,撚雙鳳金線。

碧梧桐鏁深深院,誰料得,兩情何日教繾綣。

羨春來雙鷰,飛到玉樓,朝暮相見。

 

(下し文)

賀明朝二首 

憶う昔 花間 初め面を識りしおり,紅袖 半ば粧臉【しょうけん】遮【さえぎ】る。

輕やかに石榴の裙帶を轉【めぐら】し,故に纖纖【せんせん】たる玉指を將て,【ひそ】かに雙鳳の金線を撚【よ】りしを

碧の梧桐 深深たる院を鏁【とざ】し,誰か料【はか】り得ん,兩情 何れの日にか繾綣【けんけん】たら教【しめ】ん。

春 雙鷰來たるを羨【うらや】む,玉樓に飛び到り,朝に暮に 相い見る。

 

(現代語訳)

(高貴な人の女である女妓と愛し合ったが、公な付き合いはできない男の思いを詠う。)

昔のよいことを思いだす、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったのです。きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠していました。

石榴色のスカートを軽く揺らせ、帯を緩やかにしめていたのです。ことさらに白いほっそりとした指を示し、つぎに、密かにスカートの鳳風の金糸をよじっていました。

仲睦まじい鳳凰の住まいであるみどりの梧桐の葉の茂った奥の奥、深く閉ざされた楼閣の奥庭のことを、いったい誰に推し量ることができよう、二人の恋が実っていたはずなのに結ばれるのはいつの日になるのでしょうか。

羨ましいとおもうのは、春がくれば番の燕が子作りをします。私が燕なら、あの輝くような高楼館にすんでいるところへ飛んでゆくなら、朝に、夕べにたがいに会うことができるというものです。

蓼花00
 

 

(訳注)

賀明朝二首 其一

唐の教坊の曲名。またの名を賀熙朝、双調朝聖朝、賀聖朝と言う。『花間集』には欧陽烱の二首のみ所収。双調六十一字、前段三十一字五句三仄韻、後段三十字六句三仄韻で❼❻66❻/❼5❺54❹の詞形をとる。

 

其一

(高貴な人の女である女妓と愛し合ったが、公な付き合いはできない男の思いを詠う。)

【解説】 前段は、女性を見初めた時のことを回想し、後段は、回想から現実に戻り、彼女に会うすべのない苦衷を訴える。なお別の解釈として、前段は男の表白、後段は女件の表白と解する説もあるが、無理があるので採らない。作中の番の燕が男の孤独感を際立たせていることは言を供つまでもない。

 

憶昔花間初識面,紅袖半遮粧臉。

昔のよいことを思いだす、満開の花に囲まれた中で初めて知り合ったのです。きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠していました。

紅袖 紅い袖、若い女妓をいう。

半遮粧臉 きちんと化粧をした顔を恥かしそうに紅い袖で半ば隠すこと。

 

輕轉石榴裙帶,故將纖纖玉指,撚雙鳳金線。

石榴色のスカートを軽く揺らせ、帯を緩やかにしめていたのです。ことさらに白いほっそりとした指を示し、つぎに、密かにスカートの鳳風の金糸をよじっていました。

石榴裙帶 石榴色のスカートの帯。

故將纖纖玉指 わざと細く白い指で。故は故意に、わざと。将は〜で、〜でもって。

双鳳金線 スカートに刺繍された番の鳳凰の金の糸。

 

碧梧桐鏁深深院,誰料得,兩情何日教繾綣。

仲睦まじい鳳凰の住まいであるみどりの梧桐の葉の茂った奥の奥、深く閉ざされた楼閣の奥庭のことを、いったい誰に推し量ることができよう、二人の恋が実っていたはずなのに結ばれるのはいつの日になるのでしょうか。

梧桐 鳳凰は、霊泉(醴泉〈れいせん〉、甘い泉の水)だけを飲み、60-120年に一度だけ実を結ぶという竹の実のみを食物とし、梧桐の木にしか止まらないという。『詩経』には「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に」とある。

誰料得 誰も推し量ることはできない。反語。

教繾綣 離れがたくさせる。二人が一つに結ばれるようになることを言う。教は使役を表す。

 

羨春來雙鷰,飛到玉樓,朝暮相見。

羨ましいとおもうのは、春がくれば番の燕が子作りをします。私が燕なら、あの輝くような高楼館にすんでいるところへ飛んでゆくなら、朝に、夕べにたがいに会うことができるというものです。
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歐陽炯≪獻衷心一首≫ あの人との情事が未だ終わっていないときでしたが心は通い合っておりました。脱ぎ捨てた衣でいっぱいの閨にはそれでもなお、自分自身で檀の葉が紅く色づいていたのです。


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11 -13 獻衷心一首 歐陽舍人炯十七首Ⅹ唐五代詞・「花間集」 Gs-423-11-#13   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3662

 

 

1 浣渓沙 三首 其一 欧陽烱
2 浣渓沙 三首 其二 欧陽烱
3 浣渓沙 三首 其三 欧陽烱
4 三字令 欧陽烱
5 子八首 其一 欧陽烱
6 子八首 其二 欧陽烱
7 子八首 其三 欧陽烱
8 子八首 其四 欧陽烱
9 子八首 其五 欧陽烱
10 子八首 其六 欧陽烱
11 子八首 其七 欧陽烱
12 子八首 其八 欧陽烱
13 獻衷心一首 欧陽烱
14 賀明朝二首 其一 欧陽烱
15 賀明朝二首 其二 欧陽烱
16 江城子一首 欧陽烱
17 鳳樓春一首 欧陽烱

獻衷心

(春が来て楽しい日々を暮らしそれが秋まで続いた、仲秋の日に棄てられそれっきりになってしまった女を詠う。)

見好花顏色,爭笑東風。

若い花のようなはちきれんばかりの赤く染まった顔を見るのがとても好きで、春風の吹くころには笑い声が絶えなかったのです。

雙臉上,晚粧同。

両のまぶたの上には夜の化粧をいつもと同じようにするのです
閑小樓深閣,春景重重。

奥まったところの高閣には、春の景色がいっぱいであり、その上に春の様相、行事と重なって華やかな暮らしのなかにも静かな離れの小さな楼閣のくらしがあるのです。
三五夜,偏有恨,月明中。

それは仲秋まで続き、十五夜の夜のこと、ひたすらに恨みに思うことがありました。それは月が明るく真上の上がった真夜中のことです。
情未已,信曾通,滿衣猶自染檀紅。

あの人との情事が未だ終わっていないときでしたが心は通い合っておりました。脱ぎ捨てた衣でいっぱいの閨にはそれでもなお、自分自身で檀の葉が紅く色づいていたのです。
恨不如雙鷰,飛舞簾櫳。

恨んでいるのは、ツガイの燕のようにしてくれなくなったことで、飛び交い、舞いを舞うのもこの閨の簾にかこまれたところだけに限られていることなのです。

春欲暮,殘絮盡,柳條空。

やがて春も過ぎようとする頃には、残った柳絮もことごとく飛んで行ってしまい、柳の枝でまた会う約束をしていてもそれは空しい思いに変わってしまったのです。


献衷心【けんそうしん】

見好し 花顏の色を,東風に笑うを爭う。

雙臉の上に,晚粧 同じゅうす。

小樓を閑かにし閣を深くす,春景 重重たり。

三五の夜,偏えに恨有り,月は明るく中なり。

情 未だ已まず,信 曾通し,滿衣 猶お自ら檀紅に染る。

雙鷰の如からずを恨み,飛舞すは簾櫳のみ。

春も暮んと欲せば,殘絮 盡くし,柳條 空し。
 
≪参考≫ 

獻衷心  顧夐

繡鴛鴦帳暖,畫孔雀屏欹。

人悄悄,月明時,想昔年懽笑,恨今日分離。

銀釭背,銅漏永,阻佳期。

小樓煙細,虛閣簾垂。

幾多心事,暗地思惟。

被嬌娥牽役,魂夢如癡。

金閨裡,山枕上,始應知。


木蓮001
 

『獻衷心』 現代語訳と訳註

(本文)

獻衷心

見好花顏色,爭笑東風。

雙臉上,晚粧同。

閑小樓深閣,春景重重。

三五夜,偏有恨,月明中。

情未已,信曾通,滿衣猶自染檀紅。

恨不如雙鷰,飛舞簾櫳。

春欲暮,殘絮盡,柳條空。

 

(下し文)

献衷心【けんそうしん】

見好し 花顏の色を,東風に笑うを爭う。

雙臉の上に,晚粧 同じゅうす。

小樓を閑かにし閣を深くす,春景 重重たり。

三五の夜,偏えに恨有り,月は明るく中なり。

情 未だ已まず,信 曾通し,滿衣 猶お自ら檀紅に染る。

雙鷰の如からずを恨み,飛舞すは簾櫳のみ。

春も暮んと欲せば,殘絮 盡くし,柳條 空し。

 

(現代語訳)

(春が来て楽しい日々を暮らしそれが秋まで続いた、仲秋の日に棄てられそれっきりになってしまった女を詠う。)

若い花のようなはちきれんばかりの赤く染まった顔を見るのがとても好きで、春風の吹くころには笑い声が絶えなかったのです。

両のまぶたの上には夜の化粧をいつもと同じようにするのです

 

奥まったところの高閣が、春の景色がいっぱいであり、その上に春の様相、行事と重なって華やかな暮らしのなかにも静かな離れの小さな楼閣のくらしがあるのです。

それは仲秋まで続き、十五夜の夜のこと、ひたすらに恨みに思うことがありました。それは月が明るく真上の上がった真夜中のことです。

あの人との情事が未だ終わっていないときでしたが心は通い合っておりました。脱ぎ捨てた衣でいっぱいの閨にはそれでもなお、自分自身で檀の葉が紅く色づいていたのです。

恨んでいるのは、ツガイの燕のようにしてくれなくなったことで、飛び交い、舞いを舞うのもこの閨の簾にかこまれたところだけに限られていることなのです。

やがて春も過ぎようとする頃には、残った柳絮もことごとく飛んで行ってしまい、柳の枝でまた会う約束をしていてもそれは空しい思いに変わってしまったのです。
 

(訳注)

獻衷心

唐の教坊の曲名。『花間集』には二首所収。欧陽烱の作が一首、古径の作が収められている。六十四字、単調九平韻である。

前半三十三字、後半三十一字、三字句が多く可愛らしさを陰僧都蹴るものである。(5④ ③③ ④ 33③ / 3③⑦ 5④ 33③)33 31

 

獻衷心一首

(春が来て楽しい日々を暮らしそれが秋まで続いた、仲秋の日に棄てられそれっきりになってしまった女を詠う。)

詩は物語のようで、若いころには、女のもとに足しげく来て一緒に過ごしていたものが、女が年を取ると〔この頃は二十代中盤を過ぎること〕見限られてしまったことを云う。おんなを檀の実に喩えて詠っている。

 

見好花顏色,爭笑東風。

若い花のようなはちきれんばかりの赤く染まった顔を見るのがとても好きで、春風の吹くころには笑い声が絶えなかったのです。

李白『宮中行樂詞八首 其五』「繡香風暖。 紗窗曙色新。 宮花爭笑日。 池草暗生春。 綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。 昭陽桃李月。 羅綺自相親。」

宮中行樂詞八首其五 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146

 

雙臉上,晚粧同。

両のまぶたの上には夜の化粧をいつもと同じようにするのです

 

閑小樓深閣,春景重重。

奥まったところの高閣には、春の景色がいっぱいであり、その上に春の様相、行事と重なって華やかな暮らしのなかにも静かな離れの小さな楼閣のくらしがあるのです。

 

三五夜,偏有恨,月明中。

それは仲秋まで続き、十五夜の夜のこと、十五夜の夜のこと、ひたすらに恨みに思うことがありました。それは月が明るく真上の上がった真夜中のことです。

 

情未已,信曾通,滿衣猶自染檀紅。

あの人との情事が未だ終わっていないときでしたが心は通い合っておりました。脱ぎ捨てた衣でいっぱいの閨にはそれでもなお、自分自身で檀の葉が紅く色づいていたのです。

○檀 ニシキギ科の落葉低木。山野に生え、葉は楕円形で、対生。雌雄異株。晩春に黄緑色の小さな4弁花が咲いて、枝にびっしり実をつけ、秋になると淡紅色に熟して四つに割れた実から真っ赤な皮におおわれた種子がぶらさがり、葉が散ったあとも枝に残る。初夏、緑白色の小花が集まって咲き、果実はほぼ四角形で、熟すと四つに裂けて赤い種子が現れる。古くは材で弓を作った。やまにしきぎ。かわくまつづら。《季 花=夏 実=秋》ここは、女性の性器を表現しているということは、満足できず、中途半端で帰っていったことを示す。十分な満足というのは、夜を共にして夜明け前に帰ることを言う。

檀の実00
 

恨不如雙鷰,飛舞簾櫳。

恨んでいるのは、ツガイの燕のようにしてくれなくなったことで、飛び交い、舞いを舞うのもこの閨の簾にかこまれたところだけに限られていることなのです。

○簾櫳 この頃の女性は自分だけで、どこかに出ることはできなかったのである。通い婚が基本であり、男が通ってくれなければ籠の鳥なのである。ここは、閨の四方にに架けられた、簾によってそこから出ることも、楽しいこともなくなったことを示す。

 

春欲暮,殘絮盡,柳條空。

やがて春も過ぎようとする頃には、残った柳絮もことごとく飛んで行ってしまい、柳の枝でまた会う約束をしていてもそれは空しい思いに変わってしまったのです。

○殘絮 春の盛りに柳絮が飛び交うころになると、いつも柳絮が飛ぶ春には女のもとに来てくれていた。その柳絮もあとわずかしか残っていない春も終わろうとしている。そういった思いを残●●という。

○柳條 柳は男性を意味し、枝が揺れるのをセックスに喩える。柳は柳枝詩にいう別れる時のおまじないを象徴するもので、柳の枝を見て男を思い浮かべ、別れる時の約束を思い浮かべるという意味になる。
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11 -12 南鄉子八首 其八 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-422-11-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3657

≪南子八首 其八≫ 春のころ、翡翠のように飾られ、ごいさぎのように仲睦ましく暮らし、夏のころ、水草の白蘋のように可憐で、かおりにかこまれた中のよい鷺のような渚の波打ち際のような小さな住まいで幸せに暮らしていたのです。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選花間集 古詩源 玉台新詠

 

11 -12 子八首 其八 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-422-11-#12   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3657

 

1浣渓沙 三首 其一欧陽烱
2浣渓沙 三首 其二欧陽烱
3浣渓沙 三首 其三欧陽烱
4三字令欧陽烱
5子八首 其一欧陽烱
6子八首 其二欧陽烱
7子八首 其三欧陽烱
8子八首 其四欧陽烱
9子八首 其五欧陽烱
10子八首 其六欧陽烱
11子八首 其七欧陽烱
12子八首 其八欧陽烱
13獻衷心一首欧陽烱
14賀明朝二首 其一欧陽烱
15賀明朝二首 其二欧陽烱
16江城子一首欧陽烱
17鳳樓春一首欧陽烱

子 

(長江下流域のあたりか、浙江省会稽・紹興辺りを連想させ、大江に面した樓亭に若い芸妓を侍らせた状況を詠う。)

嫩草如煙,石榴花發海南天。

若々しく柔らかい草原に陽炎が経つ頃も過ぎ、石榴の花は開き始める南国の海辺の郷に居る。

日暮江亭春影淥,鴛鴦浴。

日暮れ近くの水辺の樓亭は春景色の中きれいな水に影を落とす。そばには鴛鴦が水浴びをしている。

水遠山長看不足。

江水のはるか遠くに山並みが長く連なり、ここの春景色は飽きることがない。

 


(昔は、蝶よ、花よと下にも置かない生活をしていたが、今では芭蕉の林の中で粗末な生活をしている女の悲哀を詠うものである。)

畫舸停橈,槿花籬外竹橫橋。

すこし長い旅をしてきたきれいな塗り舟のさおをとめておりてみる。儚い思いを見てきたむくげの花が籬の外に顏を出していて、少し進むと、その横には、竹の橋が架かっている。

水上遊人沙上女,迴顧,笑指芭蕉林裏住。

船旅で港ごとに遊んできた男は、渚に佇む女に目をやる。そして尋ねる。女は振り向き、微笑んで芭蕉の林を指さして、「あそに住んでいます。」と答えを返してくれる。

 


(南国の夕暮れ時に水辺近くの女館についたものの、なじみのおんながいなくてなんにもできないと詠う。)

岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。

故郷に帰る船は港を目指すが、岸は遠く砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きて舟を降りて、帰り路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。

孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。

昔馴染みの女妓がいなくて男らしさを示すものの、どうしようもないことで自らを憐れむいがいにない、それは帰る路に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すことしかできず、その美しさゆえに、その尾をあわれにおもうしかないのだ、そしてただどうしようもなく江水を臨むだけ、だから、ここの女たちが旅人のわたしを見てもなにもできなくて飛び立つこともしない。

 

其四

(つぼみの先が必ず北を向く木蘭のように思い続けてくれる女妓と花さく中、睦まじく過すさまを詠う)

洞口誰家,木蘭舡繫木蘭花。

聖女祠の所に来たけれどこの洞口は誰が住んでいる家なのか、ここまでの水路の岸辺に木蘭がつづき、舟を繋いで進むと木蘭の花のように私だけを見てくれているように迎い入れてくれる。

紅袖女郎相引去,游南浦,笑倚春風相對語。

紅い木蘭の花の中に紅い袖の女祠を携えて此処を去る。ここ南の港町で遊んだ時の事。微笑み合い、倚りそいあう、情を交わす時節になる春かぜが抜け、互いに見交わして語り合う。

 

其五

(十六になった女妓が初めてのお化粧したが、何時しか恋しい男を待つ身になったことを詠う。その五)

二八花鈿,胸前如雪臉如蓮。

十六歳になって初めて花鈿の化粧をしました。着物の胸のあたりにはゆきのもようでかざってもらい蓮の花のようなお顔にしてもらいました。

耳墜金鐶穿瑟瑟,霞衣窄,笑倚江頭招遠客。

抱かれると、細黄金の耳飾りは耳から落ちて床に落ちてシャリン、シャリンとなり、ふたりは霞のような薄いころもの中に蕾のようになりました。微笑み合い、寄り添い合う、大江のほとり立って、待ちに待った人をお迎えした時の事でした。

 

其六

(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)

路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。

街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。

兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。

河川の両岸には人家があり、小雨が少し降ったのちにはもう晴れあがり、唐アズキを収穫している、「くろつぐ」の大樹のもとで若い女の華奢な白い手がもたげて体に回してくる。

 

其七

(南国田舎のがさつな感じの女が南国特有の花に囲まれた中での宴席を詠う)

袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。

南国田舎の女はざらついた肌と薄絹を袖でかくしている。お香をたいてその部屋に漂わせて、微笑を浮べてお相手を迎い入れる。

藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆花間晚日。

藤の編み込みの敷物をひろげ、枝が頭上に屋根のように広げられているその下で、蘆酒の安い酒を酌み交わす。葵の花で区分けされた宴席があり、ナツメグの花のような女妓はその花の間にいて、夕方から翌日まで一緒に食をとっていた。

 

其八

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

(きまぐれな男に春から夏に架けてはあいされていたが、秋には棄てられ、今は何処の宿で男を相手にするのか、女妓を詠う。)

春のころ、翡翠のように飾られ、ごいさぎのように仲睦ましく暮らし、夏のころ、水草の白蘋のように可憐で、かおりにかこまれた中のよい鷺のような渚の波打ち際のような小さな住まいで幸せに暮らしていたのです。

それが秋になると、その島の上にも雲がかかり暗き影を落とし、秋の長雨が降り暗い景色になったのです。そしてアシの花穂は、打ちひしがれたのです。今は、数々の漁師の船が浮かぶところで生きていて、何処の宿に泊まる事やら。

白蘋005
 

 

『南』 現代語訳と訳註

(本文) 其八

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

 

(下し文)

其の八

翡翠のごとく、鵁鶄【こうせい】のごとく,白蘋【はくひん】の香の裏【うち】に小さき沙汀す。

島上 陰陰として秋雨の色になり,蘆花 撲し,數隻 漁の舡何處に宿せんか。

 

(現代語訳)

(きまぐれな男に春から夏に架けてはあいされていたが、秋には棄てられ、今は何処の宿で男を相手にするのか、女妓を詠う。)

春のころ、翡翠のように飾られ、ごいさぎのように仲睦ましく暮らし、夏のころ、水草の白蘋のように可憐で、かおりにかこまれた中のよい鷺のような渚の波打ち際のような小さな住まいで幸せに暮らしていたのです。

それが秋になると、その島の上にも雲がかかり暗き影を落とし、秋の長雨が降り暗い景色になったのです。そしてアシの花穂は、打ちひしがれたのです。今は、数々の漁師の船が浮かぶところで生きていて、何処の宿に泊まる事やら。

 

 

(訳注)


唐の教坊の曲名。『花間集』には十八首所収。欧陽烱の作は八首収められている。二十八字、二十七字で、単調二平韻三仄韻である。

其八は、二十八字単調、五句二平韻三仄韻で④⑦❼❸❼の詞形である。

haqro04
 

其八

(きまぐれな男に春から夏に架けてはあいされていたが、秋には棄てられ、今は何処の宿で男を相手にするのか、女妓を詠う。) 

 

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

春のころ、翡翠のように飾られ、ごいさぎのように仲睦ましく暮らし、夏のころ、水草の白蘋のように可憐で、かおりにかこまれた中のよい鷺のような渚の波打ち際のような小さな住まいで幸せに暮らしていたのです。

○鵁鶄 【コウセイ】水鳥、ごいさぎ。ごいさぎ. 水鳥の一種。即ち「池鷺」。頭は細く身は長い,身には花紋を披い,頸は白毛で有り,頭には紅冠が有り,能く水に入って魚を捕り,分佈は中國南方である。鳬に似て脚高く毛冠あり、高木に巣くひ、子を穴中に生む。子其の母の翅を銜へ飛びて上下す。

*この二句は、鷺のように仲睦まじく過ごしたのに、鷺のように南に飛んで行ってしまった。船で降ったあの人の旅路は航路困難な場所があってとても心配だということをいう。

牛嶠『江城子二首 其一』

鵁鶄飛起郡城東,碧江空,半灘風。

越王宮殿,蘋葉藕花中。

簾捲水樓魚浪起,千片雪,雨濛濛。

(鵁鶄【こうせい】 起きて郡て城東に飛び,江空を碧とし,半灘の風。越王の宮殿,蘋葉 藕花 中【あつま】る。簾捲 水樓 魚浪 起き,千片の雪,雨 濛濛たり。)

○白蘋 夏から秋にかけて白い花をつける浮草。

○沙汀 砂浜と海・湖などの、波が打ち寄せる所。波うちぎわ。みぎわ。

 

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

それが秋になると、その島の上にも雲がかかり暗き影を落とし、秋の長雨が降り暗い景色になったのです。そしてアシの花穂は、打ちひしがれたのです。今は、数々の漁師の船が浮かぶところで生きていて、何処の宿に泊まる事やら。

○蘆花 アシの花穂。

○撲 うつ なぐる打ちたたく。なぐる。「撲殺・撲滅

○隻【せき】1 比較的大きい船を数えるのに用いる。「駆逐艦二・」2 屏風など対(つい)になっているものの片方を数えるのに用いる。「六曲一・」3 魚・鳥・矢などを数えるのに用いる。
采蓮004
 

11 -11 南鄉子八首 其七 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-421-11-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3652

欧陽烱の詞は花間派の艶美さのなかにも江南の楽府に見られるような情緒がたたえられ、清らかで可憐な作が多い。漁父歌がとりわけ詞家によろこばれ唱和されたといぅが、これ以外の三字令、南郷子、賀明朝などにもこのような詞風を十分うかがうことができる。


2014年1月25日の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選花間集 古詩源 玉台新詠

 

11 -11 子八首 其七 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-421-11-#11   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3652

 

 

11 欧陽胴(896971)益州華陽(四川)の人。前軾の後主玉柏に仕えて中書舎人となった。前蜀が後唐に亡ぼされたので、王衍に従って洛陽に入ったが、孟知祥が後蜀を建てたので、ふたたび蜀に入って仕官した。蜀主孟証の広政三年(940)花間集の序文を書いた。花間集の南宋晁謙之跋本には、序文の前に武徳軍節度判官撰すとあり、この官にあったものだ。ただし集中に欧陽舎人とあるから、この時同じく中書舎人でを兼務したのかとおもわれるが確実なことはわからない。広政十二年(949) に翰林学士となり、同二十四年(961) に門下侍郎兼戸部尚書同平章事(宰相) となっている。広政二十八年(965)後裾が亡び、宋に降服した。そののち宋に仕えて右散騎常侍から翰林学士をへて左散騎常侍となり、開宝四年(971)七十六歳で卒した。のち工都尚書を贈られた。かれは率直で放縦な性質の人であり、長笛を吹くのが上手であったといぅ。その詞は花間集に十七首を収めている。

その詞は花間派の艶美さのなかにも江南の楽府に見られるような情緒がたたえられ、清らかで可憐な作が多い。漁父歌がとりわけ詞家によろこばれ唱和されたといぅが、これ以外の三字令、南郷子、賀明朝などにもこのような詞風を十分うかがうことができる。

 

豆蔻 なつめぐ01
 

 

1浣渓沙 三首 其一欧陽烱
2浣渓沙 三首 其二欧陽烱
3浣渓沙 三首 其三欧陽烱
4三字令欧陽烱
5子八首 其一欧陽烱
6子八首 其二欧陽烱
7子八首 其三欧陽烱
8子八首 其四欧陽烱
9子八首 其五欧陽烱
10子八首 其六欧陽烱
11子八首 其七欧陽烱
12子八首 其八欧陽烱
13獻衷心一首欧陽烱
14賀明朝二首 其一欧陽烱
15賀明朝二首 其二欧陽烱
16江城子一首欧陽烱
17鳳樓春一首欧陽烱

歐陽舍人炯

子八首

李秀才珣

子十首

 

 

子 

(長江下流域のあたりか、浙江省会稽・紹興辺りを連想させ、大江に面した樓亭に若い芸妓を侍らせた状況を詠う。)

嫩草如煙,石榴花發海南天。

若々しく柔らかい草原に陽炎が経つ頃も過ぎ、石榴の花は開き始める南国の海辺の郷に居る。

日暮江亭春影淥,鴛鴦浴。

日暮れ近くの水辺の樓亭は春景色の中きれいな水に影を落とす。そばには鴛鴦が水浴びをしている。

水遠山長看不足。

江水のはるか遠くに山並みが長く連なり、ここの春景色は飽きることがない。

 


(昔は、蝶よ、花よと下にも置かない生活をしていたが、今では芭蕉の林の中で粗末な生活をしている女の悲哀を詠うものである。)

畫舸停橈,槿花籬外竹橫橋。

すこし長い旅をしてきたきれいな塗り舟のさおをとめておりてみる。儚い思いを見てきたむくげの花が籬の外に顏を出していて、少し進むと、その横には、竹の橋が架かっている。

水上遊人沙上女,迴顧,笑指芭蕉林裏住。

船旅で港ごとに遊んできた男は、渚に佇む女に目をやる。そして尋ねる。女は振り向き、微笑んで芭蕉の林を指さして、「あそに住んでいます。」と答えを返してくれる。

 


(南国の夕暮れ時に水辺近くの女館についたものの、なじみのおんながいなくてなんにもできないと詠う。)

岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。

故郷に帰る船は港を目指すが、岸は遠く砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きて舟を降りて、帰り路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。

孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。

昔馴染みの女妓がいなくて男らしさを示すものの、どうしようもないことで自らを憐れむいがいにない、それは帰る路に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すことしかできず、その美しさゆえに、その尾をあわれにおもうしかないのだ、そしてただどうしようもなく江水を臨むだけ、だから、ここの女たちが旅人のわたしを見てもなにもできなくて飛び立つこともしない。

 

其四

(つぼみの先が必ず北を向く木蘭のように思い続けてくれる女妓と花さく中、睦まじく過すさまを詠う)

洞口誰家,木蘭舡繫木蘭花。

聖女祠の所に来たけれどこの洞口は誰が住んでいる家なのか、ここまでの水路の岸辺に木蘭がつづき、舟を繋いで進むと木蘭の花のように私だけを見てくれているように迎い入れてくれる。

紅袖女郎相引去,游南浦,笑倚春風相對語。

紅い木蘭の花の中に紅い袖の女祠を携えて此処を去る。ここ南の港町で遊んだ時の事。微笑み合い、倚りそいあう、情を交わす時節になる春かぜが抜け、互いに見交わして語り合う。

 

其五

(十六になった女妓が初めてのお化粧したが、何時しか恋しい男を待つ身になったことを詠う。その五)

二八花鈿,胸前如雪臉如蓮。

十六歳になって初めて花鈿の化粧をしました。着物の胸のあたりにはゆきのもようでかざってもらい蓮の花のようなお顔にしてもらいました。

耳墜金鐶穿瑟瑟,霞衣窄,笑倚江頭招遠客。

抱かれると、細黄金の耳飾りは耳から落ちて床に落ちてシャリン、シャリンとなり、ふたりは霞のような薄いころもの中に蕾のようになりました。微笑み合い、寄り添い合う、大江のほとり立って、待ちに待った人をお迎えした時の事でした。

 

其六

(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)

路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。

街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。

兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。

河川の両岸には人家があり、小雨が少し降ったのちにはもう晴れあがり、唐アズキを収穫している、「くろつぐ」の大樹のもとで若い女の華奢な白い手がもたげて体に回してくる。

 

其七

(南国田舎のがさつな感じの女が南国特有の花に囲まれた中での宴席を詠う)

袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。

南国田舎の女はざらついた肌と薄絹を袖でかくしている。お香をたいてその部屋に漂わせて、微笑を浮べてお相手を迎い入れる。

藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆花間晚日。

藤の編み込みの敷物をひろげ、枝が頭上に屋根のように広げられているその下で、蘆酒の安い酒を酌み交わす。葵の花で区分けされた宴席があり、ナツメグの花のような女妓はその花の間にいて、夕方から翌日まで一緒に食をとっていた。

 

其八

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

 

木蓮001
 

『南子八首其七』 現代語訳と訳註

(本文)

其七

袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。

藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆花間晚日。

 

(下し文)

其七

鮫綃を袖で斂【かく】くし,香を採めて洞に深く笑いて相い邀【むかえ】り。

藤杖枝頭して蘆酒滴り,鋪葵席,豆花間晚日。

 

 

(現代語訳)

(南国田舎のがさつな感じの女が南国特有の花に囲まれた中での宴席を詠う)

南国田舎の女はざらついた肌と薄絹を袖でかくしている。お香をたいてその部屋に漂わせて、微笑を浮べてお相手を迎い入れる。

藤の編み込みの敷物をひろげ、枝が頭上に屋根のように広げられているその下で、蘆酒の安い酒を酌み交わす。葵の花で区分けされた宴席があり、ナツメグの花のような女妓はその花の間にいて、夕方から翌日まで一緒に食をとっていた。

 

 

(訳注)


唐の教坊の曲名。『花間集』には十八首所収。欧陽烱の作は八首収められている。二十八字、二十七字で、単調二平韻三仄韻である。

其六は、二十八字単調、五句二平韻三仄韻で④⑦❼❸❼の詞形である。

 

其七

(南国田舎のがさつな感じの女が南国特有の花に囲まれた中での宴席を詠う)

 

袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。

南国田舎の女はざらついた肌と薄絹を袖でかくしている。お香をたいてその部屋に漂わせて、微笑を浮べてお相手を迎い入れる。

斂 レン1 引きしめ集める。取り入れる。「苛斂(かれん)・聚斂(しゅうれん)2 引きしまる。「収斂」3 死体を棺に収める。「斂葬」

鮫 荒れてザラザラしたヒトの皮膚を指す。鮫の皮は滑り止めとして日本刀の柄に巻いたりワサビおろしに用いる。

綃 綃:生糸。あやぎぬ。うすぎぬ。

/迎【むかえる】1 人の来るのを待ち受ける。「旧友を駅に―・える」「拍手で―・える」2 呼んで、来てもらう。呼びよせる。

 

藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆花間晚日。

藤の編み込みの敷物をひろげ、枝が頭上に屋根のように広げられているその下で、蘆酒の安い酒を酌み交わす。葵の花で区分けされた宴席があり、ナツメグの花のような女妓はその花の間にいて、夕方から翌日まで一緒に食をとっていた。

藤杖 籐のつえ。ここでは籐の編み込みの敷物。

蘆酒 あしのくだで吸ってのむ酒。あまり濃くないが、しかし多くのめば酔うという。蘆酒特曲という酒があるらしい。送從杜甫『弟亞赴河西判官』「黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。」(黄羊飫けども羶ならず、蘆酒多ければ還た酔う)田舎の安い酒という意味であろう。

鋪葵席 葵の花で区分けされた宴席。

鋪 鉱山で、坑道のひと区切りのこと。

葵 アオイ科の総称. トロロアオイ、タチアオイなど. ウマノスズクサ科カンアオイ属の総称. カンアオイ・フタバアオイ・ヒナカンアオイなど.初夏から真夏に咲く。南国の花。

 なつめぐ。ニクズク科の常緑高木の一種である。またはその種子中の仁から作 ... 種子全体または種子の仁を取り出し、石灰液に浸してから乾燥させ、粉砕したものを香辛料のナツメグとする。

 「」は、米を原料とする粉食の一種である。
広東曾城
 

11 -10 南鄉子八首 其六 歐陽舍人炯(欧陽烱【おうようけい】)十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-420-11-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3647

子八首 其六(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。
 

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11 -10 子八首 其六 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-420-11-#10   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3647

 

 

 

11 欧陽胴(896971)益州華陽(四川)の人。前軾の後主玉柏に仕えて中書舎人となった。前蜀が後唐に亡ぼされたので、王衍に従って洛陽に入ったが、孟知祥が後蜀を建てたので、ふたたび蜀に入って仕官した。蜀主孟証の広政三年(940)花間集の序文を書いた。花間集の南宋晁謙之跋本には、序文の前に武徳軍節度判官撰すとあり、この官にあったものだ。ただし集中に欧陽舎人とあるから、この時同じく中書舎人でを兼務したのかとおもわれるが確実なことはわからない。広政十二年(949) に翰林学士となり、同二十四年(961) に門下侍郎兼戸部尚書同平章事(宰相) となっている。広政二十八年(965)後裾が亡び、宋に降服した。そののち宋に仕えて右散騎常侍から翰林学士をへて左散騎常侍となり、開宝四年(971)七十六歳で卒した。のち工都尚書を贈られた。かれは率直で放縦な性質の人であり、長笛を吹くのが上手であったといぅ。その詞は花間集に十七首を収めている。

その詞は花間派の艶美さのなかにも江南の楽府に見られるような情緒がたたえられ、清らかで可憐な作が多い。漁父歌がとりわけ詞家によろこばれ唱和されたといぅが、これ以外の三字令、南郷子、賀明朝などにもこのような詞風を十分うかがうことができる。

 

 

 

1浣渓沙 三首 其一欧陽烱
2浣渓沙 三首 其二欧陽烱
3浣渓沙 三首 其三欧陽烱
4三字令欧陽烱
5子八首 其一欧陽烱
6子八首 其二欧陽烱
7子八首 其三欧陽烱
8子八首 其四欧陽烱
9子八首 其五欧陽烱
10子八首 其六欧陽烱
11子八首 其七欧陽烱
12子八首 其八欧陽烱
13獻衷心一首欧陽烱
14賀明朝二首 其一欧陽烱
15賀明朝二首 其二欧陽烱
16江城子一首欧陽烱
17鳳樓春一首欧陽烱

歐陽舍人炯

子八首

李秀才珣

子十首

 

 

子 

(長江下流域のあたりか、浙江省会稽・紹興辺りを連想させ、大江に面した樓亭に若い芸妓を侍らせた状況を詠う。)

嫩草如煙,石榴花發海南天。

若々しく柔らかい草原に陽炎が経つ頃も過ぎ、石榴の花は開き始める南国の海辺の郷に居る。

日暮江亭春影淥,鴛鴦浴。

日暮れ近くの水辺の樓亭は春景色の中きれいな水に影を落とす。そばには鴛鴦が水浴びをしている。

水遠山長看不足。

江水のはるか遠くに山並みが長く連なり、ここの春景色は飽きることがない。

 


(昔は、蝶よ、花よと下にも置かない生活をしていたが、今では芭蕉の林の中で粗末な生活をしている女の悲哀を詠うものである。)

畫舸停橈,槿花籬外竹橫橋。

すこし長い旅をしてきたきれいな塗り舟のさおをとめておりてみる。儚い思いを見てきたむくげの花が籬の外に顏を出していて、少し進むと、その横には、竹の橋が架かっている。

水上遊人沙上女,迴顧,笑指芭蕉林裏住。

船旅で港ごとに遊んできた男は、渚に佇む女に目をやる。そして尋ねる。女は振り向き、微笑んで芭蕉の林を指さして、「あそに住んでいます。」と答えを返してくれる。

 


(南国の夕暮れ時に水辺近くの女館についたものの、なじみのおんながいなくてなんにもできないと詠う。)

岸遠沙平,日斜歸路晚霞明。

故郷に帰る船は港を目指すが、岸は遠く砂濱は平らかに広がる。やがて、日は傾きて舟を降りて、帰り路を行けば、空は夕焼けに染まり、夕霞が漂う。

孔雀自憐金翠尾,臨水,認得行人驚不起。

昔馴染みの女妓がいなくて男らしさを示すものの、どうしようもないことで自らを憐れむいがいにない、それは帰る路に孔雀は自分の羽を広げて美しさを示すことしかできず、その美しさゆえに、その尾をあわれにおもうしかないのだ、そしてただどうしようもなく江水を臨むだけ、だから、ここの女たちが旅人のわたしを見てもなにもできなくて飛び立つこともしない。

 

其四

(つぼみの先が必ず北を向く木蘭のように思い続けてくれる女妓と花さく中、睦まじく過すさまを詠う)

洞口誰家,木蘭舡繫木蘭花。

聖女祠の所に来たけれどこの洞口は誰が住んでいる家なのか、ここまでの水路の岸辺に木蘭がつづき、舟を繋いで進むと木蘭の花のように私だけを見てくれているように迎い入れてくれる。

紅袖女郎相引去,游南浦,笑倚春風相對語。

紅い木蘭の花の中に紅い袖の女祠を携えて此処を去る。ここ南の港町で遊んだ時の事。微笑み合い、倚りそいあう、情を交わす時節になる春かぜが抜け、互いに見交わして語り合う。

 

其五

(十六になった女妓が初めてのお化粧したが、何時しか恋しい男を待つ身になったことを詠う。その五)

二八花鈿,胸前如雪臉如蓮。

十六歳になって初めて花鈿の化粧をしました。着物の胸のあたりにはゆきのもようでかざってもらい蓮の花のようなお顔にしてもらいました。

耳墜金鐶穿瑟瑟,霞衣窄,笑倚江頭招遠客。

抱かれると、細黄金の耳飾りは耳から落ちて床に落ちてシャリン、シャリンとなり、ふたりは霞のような薄いころもの中に蕾のようになりました。微笑み合い、寄り添い合う、大江のほとり立って、待ちに待った人をお迎えした時の事でした。

 

其六

(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)

路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。

街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。

兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。

河川の両岸には人家があり、小雨が少し降ったのちにはもう晴れあがり、唐アズキを収穫している、「くろつぐ」の大樹のもとで若い女の華奢な白い手がもたげて体に回してくる。

 

其七

袖斂鮫綃,採香深洞笑相邀。

藤杖枝頭蘆酒滴,鋪葵席,豆花間晚日。

 

其八

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

 

 

『南子八首其六』 現代語訳と訳註

(本文)

其六

路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。

兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。

 

(下し文)

其六

路 南中に入り,桄榔 葉暗くして蓼の花 紅なり。

兩岸 人家は微【かすか】な雨の後,紅豆を收め,樹の底【もと】には纖纖として素手を擡【もたげ】る。

 

 

(現代語訳)

(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)

街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。

河川の両岸には人家があり、小雨が少し降ったのちにはもう晴れあがり、唐アズキを収穫している、「くろつぐ」の大樹のもとで若い女の華奢な白い手がもたげて体に回してくる。

 

 

 

(訳注)


唐の教坊の曲名。『花間集』には十八首所収。欧陽烱の作は八首収められている。二十八字、二十七字で、単調二平韻三仄韻である。

其六は、二十八字単調、五句二平韻三仄韻で④⑦❼❸❼の詞形である。

 

其六

(嶺南山脈を越え、南国の街にはいると異なる樹木の景色のなか、女妓との行楽のようすを詠う。)

桄榔00
 

路入南中,桄榔葉暗蓼花紅。

嶺南山脈を越え、街道を通って南国地方の街に入った。黒つげの木樹は大きく育ち、葉影が十分にある、こちらには赤い花を咲かせた蓼の花が眩しい。

南中 中国の南方の地をさすことば。ここは『其一首』の「海南」と同じく広東地方をさす。

桄榔 桄榔・桄榔子【くろつぐ】. ヤシ科の常緑低木。九州南部の林内に自生。葉は羽状で硬く,長さ2メートルほどで,短い幹に多数束生する。葉柄の下部は黒色の繊維に包まれる。液果は球形で赤熟。

蓼花 たでの花。タデ科 一年草または多年草。草丈20cm2m前後(種類によって異なる)。花期610月。花色 赤紫、ピンクなど。

蓼花00
 

兩岸人家微雨後,收紅豆,樹底纖纖擡素手。

河川の両岸には人家があり、小雨が少し降ったのちにはもう晴れあがり、唐アズキを収穫している、「くろつぐ」の大樹のもとで若い女の華奢な白い手がもたげて体に回してくる。

紅豆 唐小豆・相思子【とうあずき】. マメ科のつる性常緑木本。アフリカ原産。茎は長さ3メートル 内外となり,羽状複葉を互生。花は赤・紫など。扁平な豆果を結ぶ。種子は赤色で一端が黒い。美しいのでビーズなど装飾用とされる。また,毒性があり毒矢に用いる。

纖纖擡素手 纖纖は女の子を形容することば。この句は大樹の下で、二人が横になりやさしい白い手をもたげて男の体に回してきたことを云う。
蓼花01