張泌《滿宮花一首》その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないものであったが、讒言によってひっそりと寂しい上陽宮の中に閉じ込められてしまった。
8-421《滿宮花一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-604-8-(421) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4567
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| 花間集 教坊曲『滿宮花』三首 | | |||
| 作者 | 巻 | 題 | 初句7字 | |
| 張舍人泌 | 巻四 | 滿宮花一首 | 花正芳,樓似綺, | |
| 魏太尉承班 | 巻九 | 滿宮花一首 | 雪霏霏,風凜凜, | |
| 閻處士選 | 巻九 | 滿宮花一首 | 月沉沉,人悄悄, | |
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滿宮花一首
(宮女の一生を皮肉を込めて詠う。特に洛陽の上陽宮に映されたものには寵愛を受ける春はやってこないと。)
花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。
その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないものであったが、讒言によってひっそりと寂しい上陽宮の中に閉じ込められてしまった。
鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。
花鈿に高楼の籠、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれて使えなくなり、鴛鴦も眠らされてしまった。簾から寒気が入ってくるし、華燭、珠の聯、淝水の飾りの閨に夜露も降ってくる。
嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。
愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、この閨には薫り高く雪のように色白の素肌に満ちている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくる。
東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。
春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。
滿宮花一首
花 正に芳し,樓 綺に似て,寂寞とす 上陽宮の裏。
鈿籠 金鏁 鴛鴦睡り,簾冷く 露華 珠翠あり。
嬌豔 輕盈 香雪膩,細雨 黃鶯 雙起す。
東風 惆悵して 清明ならんと欲す,公子 橋邊 沉醉す。
魏承班《滿宮花》
雪霏霏,風凜凜,玉郎何處狂飲。
醉時想得縱風流,羅帳香幃鴛寢。
春朝秋夜思君甚,愁見繡屏孤枕。
少年何事負初心,淚滴縷金雙衽。
尹鶚《滿宮花》
月沉沉,人悄悄,一炷後庭香裊。
風流帝子不歸來,滿地禁花慵掃。
離恨多,相見少,何處醉迷三島。
漏清宮樹子規啼,愁鏁碧䆫春曉。
張泌『滿宮花一首』 現代語訳と訳註
(本文)
滿宮花一首
花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。
鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。
嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。
東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。
(下し文)
滿宮花一首
花 正に芳し,樓 綺に似て,寂寞とす 上陽宮の裏。
鈿籠 金鏁 鴛鴦睡り,簾冷く 露華 珠翠あり。
嬌豔 輕盈 香雪膩,細雨 黃鶯 雙起す。
東風 惆悵して 清明ならんと欲す,公子 橋邊 沉醉す。
(現代語訳)
(宮女の一生を皮肉を込めて詠う。特に洛陽の上陽宮に映されたものには寵愛を受ける春はやってこないと。)
その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないものであったが、讒言によってひっそりと寂しい上陽宮の中に閉じ込められてしまった。
花鈿に高楼の籠、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれて使えなくなり、鴛鴦も眠らされてしまった。簾から寒気が入ってくるし、華燭、珠の聯、淝水の飾りの閨に夜露も降ってくる。
愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、この閨には薫り高く雪のように色白の素肌に満ちている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくる。
春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。
(訳注)
滿宮花一首
(宮女の一生を皮肉を込めて詠う。特に洛陽の上陽宮に映されたものには寵愛を受ける春はやってこないと。)
唐の教坊の曲名。滿宮花は宮女について詠うもので、花間集には張舍人泌(張泌)、魏太尉承班(魏承班)、閻處士選(閻選)がそれぞれ一首づつ所収されている。双調五十一字、前段二十五字五句三二、後段二十六宇四句三仄韻で、3❸❻7❻/❼❻7❻の詞形をとる。
宮女
宮女たちは身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。
宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。
宮人は六局、二十四司に分属して管理され、各職務に任命された。彼女たちは出身、容姿、技芸の才能などによって、それぞれに適した任務と職掌が与えられていた。上級の宮人は大半が近侍となり、皇帝、后妃の日常生活や飲食等の世話に従事した。その他に皇帝が朝政に当たる時は側に侍り、内延から皇帝の勅命を伝える任務にも当った。唐末の哀帝の時代になって、こうした任務ははじめて廃止され、宮人は内延の門を自由に出ることが禁じられた。その他の下層の宮人は宮中のこまごまとした各種の雑事を分担した。たとえば、ある種の宮人はもっぱら宮中の門を見張っていたので「戸婦」とよばれた。また裁縫、織布、刺繍など、ん悩特有の仕事を専門にする宮人は、皇帝、后妃などの衣服を調達したり、また軍服をつくる仕事も兼ねた。また宮中の掃除や、庭園、灯火、倉庫など一切の管理事務を受けもつ者もいた。
宮人のもう一つの役割は皇帝を楽しませることであった。皇帝の寝所に侍ったお手付きの宮女は、皆腕に「風月常新」(男女の情愛は常に新しい、という意)の四文字を刻印され、そこに桂紅膏(赤色のクリーム)を塗られたので、水洗いしても色があせなかった。宮女を玩具にし、人格を踏みにじったことは多くの詩に残されている。さらに不幸なのは、亡き皇帝の霊の弔いを命ぜられた「奉陵宮人」とか、「陵園妾」とか呼ばれる女性であった。唐朝の制度では「およそ皇帝の崩御にあたっては、子の無い官女は悉く山陵に遣わし、朝な夕な、洗面用具を揃え、夜具を整えて、あたかも生者に仕えるように死者に仕えさせた」。「陵園妾,顏色如花命如葉。」(顔色は花の如く命は葉の如し)《白居易「陵園妾」》であったこれらの宮人は、半生を陰惨でもの寂しい陵墓に、自ら墓に入るその日までずっとお仕えしなければならなかった。
白居易「後宮詞」
雨露由來一點恩,爭能遍布及千門?
三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕!
「三千の宮女 胭脂の面、幾個か春来りて涙の痕無からん」(白居易「後宮詞」)。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、官官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。
彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。
白居易《上陽白髪人》「上陽白髪の人」
上陽人。紅顏暗老白髪新。
綠衣監使守宮門、一閉上陽多少春。
玄宗末歲初選入、入時十六今六十。
同時採擇百余人、零落年深殘此身。
・・・・・・・
上陽の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり。
綠衣の監使宮門を守る、一たび上陽に閉ざされてより多少の春ぞ。
玄宗の末歲 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。
同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す
・・・・・・・
唐の玄宗の時,楊貴妃に寵愛(ちようあい)を独占されて上陽宮に移され空しく老いた宮女たち。不遇な宮女。上陽宮の人。上陽の白髪人。
花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。
その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないものであったが、讒言によってひっそりと寂しい上陽宮の中に閉じ込められてしまった。
○上陽宮 洛陽上陽宮。上陽人:《「上陽」は唐代、洛陽の宮城内にあった宮殿の名》上陽宮にいた宮女。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めたため、他の宮女が不遇な一生を送ったところから、女性、特に宮女の不遇をたとえる語として用いられる。
唐の玄宗の時,楊貴妃に寵愛(ちようあい)を独占されて上陽宮に移され空しく老いた宮女たち。不遇な宮女。上陽宮の人。白居易「後宮詞」白居易『上陽白髪人』。劉長卿『上陽宮望幸』など多くの作品がある。
鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。
花鈿に高楼の籠、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれて使えなくなり、鴛鴦も眠らされてしまった。簾から寒気が入ってくるし、華燭、珠の聯、淝水の飾りの閨に夜露も降ってくる。
鏁 ① 金属製の輪をつないだひも状のもの。② 物と物とを結び付けているもの。きずな。
嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。
愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、この閨には薫り高く雪のように色白の素肌に満ちている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくる。
東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。
春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。
公子は、中国の春秋戦国時代の各国の公族の子弟。 君主の子は公子と呼ばれ、公子の子は公孫と呼ばれた。実質上、諸侯は王族に等しく、その子弟も王子と呼んでもさしつかえはないが、建前上は列国は周王の家来であり、王は周王ただ一人であるので、諸侯は公を称し、その子弟は公子となった。
陵園妾,顏色如花命如葉。命如葉薄將奈何,一奉寢宮年月多。年月多,時光換,春愁秋思知何限。
○女冠
宗教や迷信に携わる専業の女性である。彼女たちは唐代の女性の中ではきわめで特殊な階層であった。彼女たちは基本的には生産に携わらない寄生的階層であり、同時にまたいささか独立性と開放性をもった階層であった。
唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬢・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。
出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。
① 家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。
② 病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、
③ 圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。
④ 家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観にたよらざるをえなかった者もいる。
⑤ 妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。
⑥ 貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。























