玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

鹿太保虔扆(鹿虔扆【ろくけんい】)

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

16-462《虞美人一首,》巻九 鹿虔扆Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-645-16-(462) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4772

もう、この生活には耐えられず、いっそ病気になってしまいたいと思う、花鈿が薄れて消えかけているし、お化粧の頬には縦横に涙の痕がついている、何百人の入る宮女の中で女の思いが勝ることはなく、このまま年老いてゆく。

 

 
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それでも、いましがた、新しい夢に愛しい阮郎が出てきて、一緒に過ごす夢を見たところなのだ、だから、この夢で、情事ができるというなら、どうして千々に腸断しているということではないのではないのか。

 
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16-461《思越人一首,》九巻 鹿虔扆Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-644-16-(461)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思越人』四首

 

 

張舍人泌

巻四

思越人一首

鷰雙飛,鶯百囀,

 

 

孫少監光憲

巻八

思越人二首其一

古臺平,芳艸遠

 

 

巻八

思越人二首其一

渚蓮枯,宮樹老,

 

 

鹿太保虔扆

巻九

思越人一首

翠屏欹,銀燭背,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ID


作品名

作者

 

 

■ 鹿太保虔(鹿虔【ろくけんい】)六

 

 

 

1

九巻

臨江仙二首,其一

鹿虔扆

 

 

2

九巻

臨江仙二首,其二

鹿虔扆

 

 

3

九巻

女冠子二首,其一

鹿虔扆

 

 

4

九巻

女冠子二首,其二

鹿虔扆

 

 

5

九巻

思越人一首,

鹿虔扆

 

 

6

九巻

虞美人一首,

鹿虔扆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿虔扆(生卒年未詳、およそ938年前後に在世)は、後蜀の詞人。呼び名や原籍も不詳。広政年間(938965)に、永泰軍節度使となり、検校大尉に昇進、太保の官を加えられた。そのため鹿太保と呼ばれた。

欧陽烱、毛文錫、韓琮、閻選らとともに詞に巧みで、後主の孟昶に奉仕した。これを嫌った人々は、この五人を五鬼と呼んだ。後蜀滅亡後は仕えることはなかった。『花間集』には六首の詞が収められている。

 

 

思越人

(呉越に行ったきりの阮郎を思ってもだえる女妓を詠う)

翠屏欹,銀燭背,漏殘清夜迢迢。

高貴な方からの贈り物の翡翠の屏風は使うこともなく壁に斜めに立てている、銀の灯火は背にして、遠くに置いたまま、寝付けず、漏刻の音はすべて聞いた、何にもしない清らかな長き夜も尽きかける。

雙帶繡窠盤錦薦,淚浸花暗香銷。

錦の敷物にドグロを巻いたように置かれた刺繍帯の二本もどれも使うことない、悶々とした夜は、涙が花模様を濡らして薫きしめすお香のほのかな香りも消えて久しい。

珊瑚枕膩鴉鬟亂,玉纖慵整雲散。

妓女の珊瑚の枕の方には油脂に光り、鴉黒髪も乱れたままだし、するとしても、白玉のようなか細い指で物憂く整えているくらいだ。

若是適來新夢見,離腸爭不千斷。

それでも、いましがた、新しい夢に愛しい阮郎が出てきて、一緒に過ごす夢を見たところなのだ、だから、この夢で、情事ができるというなら、どうして千々に腸断しているということではないのではないのか。

 

(越人を思う)

翠屏 欹せ,銀燭 背にし,漏殘り 清夜 迢迢たり。

雙帶 繡窠にして 錦薦を盤にす,淚 花を浸し 暗く香銷ゆ。

珊瑚の枕は膩り 鴉鬟も亂れ,玉纖 雲散を慵く整う。

若し是に 適來すれば 新夢 見ることなり,離腸 爭【いか】で 千斷せざらん。

 

 杏の花0055

『思越人』 現代語訳と訳註

(本文)

思越人

翠屏欹,銀燭背,漏殘清夜迢迢。

雙帶繡窠盤錦薦,淚浸花暗香銷。

珊瑚枕膩鴉鬟亂,玉纖慵整雲散。

若是適來新夢見,離腸爭不千斷。

 

(下し文)

(越人を思う)

翠屏 欹せ,銀燭 背にし,漏殘り 清夜 迢迢たり。

雙帶 繡窠にして 錦薦を盤にす,淚 花を浸し 暗く香銷ゆ。

珊瑚の枕は膩り 鴉鬟も亂れ,玉纖 雲散を慵く整う。

若し是に 適來すれば 新夢 見ることなり,離腸 爭【いか】で 千斷せざらん。

 

(現代語訳)

(呉越に行ったきりの阮郎を思ってもだえる女妓を詠う)

高貴な方からの贈り物の翡翠の屏風は使うこともなく壁に斜めに立てている、銀の灯火は背にして、遠くに置いたまま、寝付けず、漏刻の音はすべて聞いた、何にもしない清らかな長き夜も尽きかける。

錦の敷物にドグロを巻いたように置かれた刺繍帯の二本もどれも使うことない、悶々とした夜は、涙が花模様を濡らして薫きしめすお香のほのかな香りも消えて久しい。

妓女の珊瑚の枕の方には油脂に光り、鴉黒髪も乱れたままだし、するとしても、白玉のようなか細い指で物憂く整えているくらいだ。

それでも、いましがた、新しい夢に愛しい阮郎が出てきて、一緒に過ごす夢を見たところなのだ、だから、この夢で、情事ができるというなら、どうして千々に腸断しているということではないのではないのか。

春爛漫の美女007
 

(訳注)

思越人

(呉越に行ったきりの阮郎を思ってもだえる女妓を詠う)

【解説】詩題の意味は江南に去って行った阮郎を恨むということである。李白の《巴女詞》と同じように、蜀の女妓について詠ったものである。鹿虔扆の役職からすれば、官妓についてのものである。蜀には、成都の西側とには、南津の渡し場には、民妓が、南から東側に官妓がいた。表向きには漢魏が圧倒していた。其処にいる女たちの歌である。もっとも花間集における「恨む」は男目線のものである。当時の倫理観には、棄てられた女が男を恨むということはなく、民から近代にかけての儒教思想による倫理観に変化したことで、詩の解釈も儒教的解釈が当たり前となったことで、男目線の「恨む」という解釈に変わったのである。この事については花間集の訳註解説として別の機会に発表する予定である。 女性の孤閏の侘しさを詠う。前段は、独り寝の夜の閏の様子を通じて、女の侘しさを述べ、後段は、前半の二句で、枕を覆う乱れた髪と、それを物憂く整えるさまを、後半の二句で、男との出会いの夢から覚めた後の悲痛な思いを語る。

『花間集』には鹿慶辰の作が二首収められている。双調五十一字、前段二十五字五句二平韻、後段二十六字四句四仄韻で、33⑥7⑥/❼❻❼❻の詞形をとる。

翠屏欹 銀燭背  漏殘清夜迢
雙帶繡窠盤錦薦  淚浸花暗香
珊瑚枕膩鴉鬟  玉纖慵整雲
若是適來新夢  離腸爭不千

●△○ ○●●  ●○○●○○

○●●○○●●  ●△○●○○

○○△●○○●  ●○○●○●

△●●△○△●  △○○△○●

 

翠屏欹,銀燭背,漏殘清夜迢迢。

高貴な方からの贈り物の翡翠の屏風は使うこともなく壁に斜めに立てている、銀の灯火は背にして、遠くに置いたまま、寝付けず、漏刻の音はすべて聞いた、何にもしない清らかな長き夜も尽きかける。

○銀燭背 灯火に背を向ける。銀燭は明るく燃える灯燭。一人で居て悶々としていることを強調する語。

○漏殘清夜迢迢 長い夜が明けそぅになることを言う。漏は水時計。ここでは時間の意。残は損なわれる、さびれる。迢迢は遙かなさま。

 

雙帶繡窠盤錦薦,淚浸花暗香銷。

錦の敷物にドグロを巻いたように置かれた刺繍帯の二本もどれも使うことない、悶々とした夜は、涙が花模様を濡らして薫きしめすお香のほのかな香りも消えて久しい。

○双帯繍窠盤錦薦 刺繍のある帯の両端が錦の敷物の上に垂れ、蛇がとぐろを巻いたように円くなっていることを言う。葉は刺繍模様。薦ほ敷物。

○涙侵花暗香銷 敷物の上に置かれた帯の模様の上に涙がこぼれ落ちて薫きしめた香の香りも消えた、ということ。花は帯の刺繍模様。暗香は徴かな香り。

 

珊瑚枕膩鴉鬟亂,玉纖慵整雲散。

妓女の珊瑚の枕の方には油脂に光り、鴉黒髪も乱れたままだし、するとしても、白玉のようなか細い指で物憂く整えているくらいだ。

○珊瑚枕膩 珊瑚の飾りの付いた枕が髪油、皮脂の染みで光っていること。一人寝をひたすらしているということ。この時代の女性は自らの意思で外に出ることはできない。

○鴉鬟 結い上げた黒髪の髷。鴉はいわゆる「烏の濡羽色」。

○雲散 髪の乱れを言う。雲は女性の大きく膨らませた豊かな髪を形容する言葉、で、鬢を蝉の羽のように梳いた髪型を両雲鬢。この髪型が乱れたままというのは見せる人がいないこと。寝崩れしても気にしないことをいう。

 

若是適來新夢見,離腸爭不千斷。

それでも、いましがた、新しい夢に愛しい阮郎が出てきて、一緒に過ごす夢を見たところなのだ、だから、この夢で、情事ができるというなら、どうして千々に腸断しているということではないのではないのか。

○適来 今しがた。

○若是適來新夢見 もし、いまここで、夢で情交できるというのなら、という意味。

 

DCF00102010

 

唐宋時代の貞操観、倫理観

唐代の女性は一般に早婚であり、大半が十五歳前後で嫁に行った。早い人は十三、四歳であり、遅い人は十七、八歳であった。これくらいが正常な結婚年齢であった。「媒無ければ選ぶを得ず、年は忽三六(十八歳)を過ぐ」(自居易「続古詩」)。女子は十八歳を過ぎれば婚期を逸したと思われていたようである。唐初より以来、人口増殖のために、国家は結婚適齢期に遅れないように結婚せよとずっと強調してきた。貞観年間には十五歳以上の女子に対して、開元年間には十三歳以上の女子に対して、婚期に遅れないように結婚すべしと命じた(『唐会要』巻三八「嫁要」

当然花街における妓女も15歳から23・4までがピークである。性的成長と婚姻が驚くほど低年齢であった。結婚感は、前世から定められているもので、本人の気持ちで決まるものではない。その一方で貞操感が全くないので、父母、媒酌人、天意できめられた。

唐代の結婚について、もう一つ注目すべき現象がある。それは男が女の家に行って婚礼をあげるケースがひじょうに多いということである。これについては、敦燈で発見された唐代の書儀(諸種の公文・書簡等の書式)の写本が確かな証拠を提供してくれる。それに「最近の人の多くは妻を自分の家に迎えない。つまり妻の実家で結婚式をあげ、何年たっても夫の実家に行かない。自分の実家でそのまま子供を出産することが、一度や二度にとどまらない者もいる。道が遠くて日返りで舅姑に挨拶に行けないからでもない。……婦人は婚礼が終っても夫の一族を全く知らないのである」という。

この文書からみると、夫は妻の実家で結婚式をあげ、また妻は何年も夫の家に行かないのみならず、甚だしい場合には、何人か子どもを生んだ後でも妻は夫の実家の人々と知りあうことがないのである(以上の観点と材料は超和平先生より提供いただいた。併せて周一良先生の「敦煙写本書儀の中に見る

 

唐代の人々は貞操観念が稀薄だったので、離婚、再婚はきわめて一般的な風潮となり、古代社会史上注目すべき現象となった。ところで離婚は、もちろん男女双方に平等というわけではなかった。

カンナ223
 

唐代の法律は、まず男が女を離婚して家から出す権利を保証している。唐律は、妻が次の「七出」を犯せば、夫は離婚してもよいと規定している。「七出」とは古い時代からの礼法により、Ⅲ男児を生まない、榔淫乱である、㈲舅姑によく仕えない、㈲他人の悪口を言いふらす、㈲盗みを行う、㈱嫉妬心が強い、仰悪い病気にかかる、以上の七項目とされている。しかし、「七出」に該当するものでも、追い出せない三つの条件があった。それは、Ⅲ舅姑の葬式を主催した者、榔嫁に来た時は下品であったが後に立派な女性になった者、㈱離婚されても行くところのない者、以上の三つの場合は妻を離縁すべきでないとした(『唐律疏議』巻一四)。こうした一定の制限があったにせよ、妻を離縁することはやはりきわめで簡単であった。離婚の理由はたいへん多く、たとえば、厳澄夫の妻慎氏は十余年たっても子供が出来なかったので離縁された(『雲渓友議』巻一)、李過秀の母は微賎の生れであったが、嫁が家の奴婦を叱る声を聴き不愉快になった。息子の過秀はそれを知るとすぐ妻を離縁した(『雲渓友議』巻一、『旧唐書』李大亮伝附李過秀伝)。自居易の判決文にも、妻を離縁することを許した例が少なからずある。たとえば、父母が嫁を女性たちの乱行や道徳に反した現象が、じつは少なくなかった。敦煌変文の 「齢酎書」 の中に、次のような女性たちの情況が記されている。

 

彼女たちは「児を欺り婿を踏みつけにし、大声で罵り、舅や姑が話してもまったく耳を貸さず、台所に入って怒り出したら、粥も汁もひっくり返し、鉢や髄をたたき、釜や鍋を打ち、怒ると水牛の飼葉桶のように大きくふくれ、笑うと轍櫨が廻るようにうるさい」、「村で自由気ままにやってきたのに慣れて、礼儀を学ばず、女仕事も好まない」(『敦塩変文集』巻七)等々。ある唐代の民歌に、「家がだんだん貧しくなるが、これは全くものぐさな妻のせい、酒を飲めば夫も顔負け、衣服を縫ったりほどくこともできない。よい衣裳を着てはすぐ外出し、男の同伴を求めないが、心の中ではいつも男を欲しがっている。東の家ではデマを飛ばし、西の家では相槌を打ち、……」(『唐代民歌考釈及変文考論』)などとある。これらは行儀の悪い婦人を皮肉ったものである。封建道徳の模範となった少数の女性の他に、唐代の女性、とりわけ下層の働く女性の中には、女道徳を守らず、甚だしくは「風を傷つけ俗を敗る」現象さえあったことを、これらの描写は反映している。

 

このような倫理道徳に惇る状況は、夫婦の間の関係と家庭における女性の地位の上に、より集中的に反映していた。礼教の「三綱」(君臣、夫婦、父子の三つの綱)の一つが、夫は妻の綱というものであり、女性の「三従」 の一つが妻は夫に従うぺしというものであった。しかしながら、唐代の少なからざる家庭の中には、逆に「婦は強く夫は弱し、内(妻)は剛く外(夫)は柔なり」(『朝野愈載』巻四)という情況があり、妻が家の主人、夫はただの操り人形でしかない家も多かった。

 

こうした現象は、決して唐代だけに存在したわけではなく、南北朝時代の北朝以来の遺風を受け継ぐものであった。北斉(五五〇1五七七)の顔之推が書いた『顔氏家訓』 の中に、「鄴(北朝の都、現在の河北省臨港県)下の風俗では、もっぱら家は女で維持されている。彼女らは訴訟をおこして是非を争ったり、頼みごとに行ったり、人を接待したりするので、彼女らの乗る車で街路はふさがれ、彼女らの着飾った姿は役所に溢れている。息子に代って官職を求め、夫のために無罪を訴えているのである。これは恒、代(鮮卑族の建てた北魂王朝が最初に都を置いた現在の大同一帯の古地名)の遺風であろうか」とある。北朝の伝統と、封建道徳の不振とが、この 「夫は柔で妻が剛、夫が妻に従う」という現象を日常化したのである。とりわけ唐代の初期は、上は皇帝から下は貴族、士大夫に至るまで、「内(妻)を倶れる」 ことが風習になっていた。しかも、君臣、上下、誰もが妻の恐ろしさを公然と口にして恥とも思わなかったのである。万乗の君ともなった中宗も恐妻家として有名であったから、宮中の伶人(宮中の楽人)が中宗に面と向って「振り返って見ますと、皇帝様は柳の枝で編んだ寵のよう(ぶくぶく肥っているが骨がなく柔かい)、御婦人を恐れることは結構じゃ。宮廷外では蓑談が恐妻家として第一番、宮廷内では李老(中宗)に勝る者はおりません」(『本事詩』嘲戯)などと戯れ歌を唱ったところ、その場ですぐ中宗の妻の葦后から褒美を賜った。また、粛宗は張皇后を大いに恐れていたので、ある詩人は「張后 楽しまざれば 上(皇帝) 忙と為す(心が落ちつかない)」(杜甫「憶昔」)と誘った。

 

士大夫の恐妻家としては、太宗の時代の任壊、中宗の時代の襲談などが有名であった。裳談などは「かかあ天下」 であることを正統化する一式の理屈さえ持っていて、「妻を恐れる理由は三つある。一つは、若くて美しい時に彼女を見れば生菩薩のように見える。どうして生菩薩を畏れない人があろうか。息子や娘が成人する前に彼女を見れば九子魔母(インド渡来の女神で、鬼子母神と同じ)のようである。どうして九子魔母を畏れない人があろうか。五十、六十になって、薄化粧を施し顔が黒くなった彼女を見れば鳩盤茶(インド渡来の神で、人の精気と血を吸う魔神)のようである。どうして鳩盤茶を

畏れない人があろうか」(『本草詩』嘲戯)と言った。高宗はかつて朝臣の楊弘武にどうして某人に官職を与えたのかと問うた。すると場はこともあろうに「臣の妻の毒氏は強くで猛々しい女でございます。昨日この妻が私に頼んだからなのでして、もし従わなければおそらくひどい目に遭うのでございます」と答えた(『太平広記』巻二七二)。次の唐末の宰相王鐸の話はもっと滑稽である。彼は姫妾を連れて黄巣の進撃を防ぎに出陣した。妻は嫉妬して後を追い、とつぜん彼のところに妻が都を離れてこちらに向っているという知らせがとどいた。彼は幕僚たちに「黄巣は南から、妻は北から向って来る。どう対処すればいいだろう」と聞いた。幕僚たちは冗談に「黄巣に降伏する方がマシで

す」と言った(『太平広記』巻二五二)。

 

下級官吏や一般庶民の家にも同じ情況があった。紆州(安徽省懐寧県)の兵士李廷壁は軍内で連日宴会を開き、三日間家に帰らなかった。その妻は恨んで「帰って来たら切り殺してやる」と伝えた。李は驚き恐れて泣きくらし、寺に移り住んで家に帰ろうとしなかった(『太平広記』巻二七二)。自居易は、妻が夫を殴った事件を受理したことがある。この事件は県令がすでに彼女を三年の懲役刑に処した案件であった。

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お慕いするあのお方が来られるというので、化粧をきちんと施すとゆったりと落ち着いた顔つきになっている、お慕いする檀郎の心をおもうことの一点で語ることなどない、寝牀の準備を整えて横になって待つ。

 
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 【女尼、女冠、女巫】 (2

 

 

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家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。しかし、こうした人は少数で圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。また、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に入らざるをえなかった者もいる。

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。

宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。長安の政平坊にあった安国観の女道士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちは女尼,女冠,女巫かつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。

 

 

鹿虔扆 女冠子二首

鹿虔扆(生卒年未詳、およそ938年前後に在世)は、後蜀の詞人。呼び名や原籍も不詳。広政年間(938965)に、永泰軍節度使となり、検校大尉に昇進、太保の官を加えられた。そのため鹿太保と呼ばれた。

欧陽烱、毛文錫、韓琮、閻選らとともに詞に巧みで、後主の孟昶に奉仕した。これを嫌った人々は、この五人を五鬼と呼んだ。後蜀滅亡後は仕えることはなかった。『花間集』には六首の詞が収められている。
 

女冠子二首 其一

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

應共吹簫侶,暗相尋。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

 

女冠子二首 其二

(花の盛りの様な女冠子と高貴な檀郎を迎え、もだえるのを詠う)

脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。

お慕いするあのお方が来られるというので、化粧をきちんと施すとゆったりと落ち着いた顔つきになっている、お慕いする檀郎の心をおもうことの一点で語ることなどない、寝牀の準備を整えて横になって待つ。

鬢低含綠,羅衣澹拂黃。

蝉の羽のように両鬢の髪型にして緑の飾りを低く垂らしている、寝牀用のうす絹の上衣をつけ、女黄冠を波のように揺れ払うように愛撫する。

悶來深院裏,閑步落花傍。

小楼の奥深い座敷の内ではもだえ苦しんでいるようだ、花弁が散り敷かれたところを静かに歩く。

纖手輕輕整,玉鑪香。

か細い手で着物の乱れを軽く優しく整える、また女自身から愛液の香りがしてくる。

 

(女冠子二首 其の一)

碧の桃 紅の杏,遲日 媚籠 光影あり,彩霞 深し。

香暖く 鶯語に薰る,風清 鶴音を引く。

翠鬟 冠玉葉,霓袖 瑤琴を捧ぐ。

應に共に簫侶をき,暗に相い尋ねん。

 

(女冠子二首 其の二)

蛾を脩め 臉を慢す,語らず 檀心の一點に,小山の粧。

蟬鬢 綠を含み低る,羅衣 黃を澹拂す。。

悶し來って院裏に深し,閑かに步む 落花の傍。

纖手 輕輕しく整え,玉鑪の香。

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『女冠子二首 』 現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首 其二

脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。

蟬鬢低含綠,羅衣澹拂黃。

悶來深院裏,閑步落花傍。

纖手輕輕整,玉鑪香。

 

 

(下し文)

(女冠子二首 其の二)

脩蛾し 慢臉して,語らず檀心一點にし,小山の粧。

蟬鬢 含綠をむを低れ,羅衣 黃を澹拂す。

悶え來りて 深く院の裏,閑かに步む 落花の傍。

纖手 輕輕しく整え,玉鑪の香。

 

(現代語訳)

(花の盛りの様な女冠子と高貴な檀郎を迎え、もだえるのを詠う)

お慕いするあのお方が来られるというので、化粧をきちんと施すとゆったりと落ち着いた顔つきになっている、お慕いする檀郎の心をおもうことの一点で語ることなどない、寝牀の準備を整えて横になって待つ。

蝉の羽のように両鬢の髪型にして緑の飾りを低く垂らしている、寝牀用のうす絹の上衣をつけ、女黄冠を波のように揺れ払うように愛撫する。

小楼の奥深い座敷の内ではもだえ苦しんでいるようだ、花弁が散り敷かれたところを静かに歩く。

か細い手で着物の乱れを軽く優しく整える、また女自身から愛液の香りがしてくる。

 

(訳注)

女冠子二首 其二

(花の盛りの様な女冠子と高貴な檀郎を迎え、もだえるのを詠う)

唐の教坊の曲名。女冠は女黄冠”、女道士、道姑。唐代において女道士は皆、黄冠を戴いた。『花間集』 には牛嶠の作が四首収められている。双調四十一字、前段二十四字五句韻三平韻、後段十八宇四句二平韻で、③5⑤/55③の詞形をとる。

脩蛾慢臉  不語檀心一點小山
蟬鬢低含綠  羅衣澹拂
悶來深院裏  閑步落花
纖手輕輕整  玉鑪

○△●△  △●○○●●●○○

○●○○●  ○△△●○

●△△△●  ○●●○△

○●△△●  ●○○

 

 

脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。

お慕いするあのお方が来られるというので、化粧をきちんと施すとゆったりと落ち着いた顔つきになっている、お慕いする檀郎の心をおもうことの一点で語ることなどない、寝牀の準備を整えて横になって待つ。

○脩蛾 化粧をきちんと施すこと。蛾は眉をかくこと。

○慢臉 ゆったりと落ち着いた顔つき。

《後庭花二首其二》孫光憲(24) 「脩蛾慢臉陪雕輦,後庭新宴。」(脩蛾し 慢臉して 雕輦に陪すれば,後庭 新らたに宴す。)宮女たちは化粧をきれいにし、ゆったりと落ち着いた顔つきで、天子の彫刻の輦に付き従っている、亦今夜もここの後宮の庭では新しい宴がひらかれるのだ。 14-364後庭花二首其二》孫光憲(24)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-547-14-(364) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4282

○檀心 檀郎の心根、思い。「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。「佯弄紅絲蠅拂子,打檀郎。」(佯弄【ようろう】 紅絲【こうし】 蠅の拂子【ほっす】,檀郎を打つ。)あの別れた日の約束は私をもてあそぶもので素振りだけ、紅い糸で結ばれているといった、その赤い糸で蠅を打ち拂う「払子」を作って、あの恋しい「檀郎」を打ちたたいてやりたいものです。

・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。

小山粧 寝牀の化粧。小山は女性が情交の準備をして横になって待つこと。

 

蟬鬢低含綠,羅衣澹拂黃。

蝉の羽のように両鬢の髪型にして緑の飾りを低く垂らしている、寝牀用のうす絹の上衣をつけ、女黄冠を波のように揺れ払うように愛撫する。

綠 みどり色、暗い、緑色のもの、刈安、二番目、二回、双方、という意味がある。

澹拂黃 女黄冠を波のように揺れ払うように愛撫する。孫光憲《酒泉子三首其三》「玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。」(玉纖 澹拂し眉山 小さくし,鏡中 嗔 共に照す。)繊細で奇麗な白い肌は輝いて幾度となく波のように揺れ払うように動く、この時にはきれいだった眉も色薄く小さくなっている。それに気がついて鏡を取り出し、見ようとするとあの人が顔を乗り出して鏡の中に伴に移されてしまい見えないから怒ったりする。

 

悶來深院裏,閑步落花傍。

小楼の奥深い座敷の内ではもだえ苦しんでいるようだ、花弁が散り敷かれたところを静かに歩く。

悶 1 もだえ苦しむ。「悶死・悶絶・悶悶/苦悶・煩悶」2 もつれる。「悶着」

 

纖手輕輕整,玉鑪香。

か細い手で着物の乱れを軽く優しく整える、また女自身から愛液の香りがしてくる。

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長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

 
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16-459《女冠子二首,其一》九巻 鹿虔扆唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-642-16-(459)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4757 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『女冠子』十九首

 

 

溫助教庭筠

巻一

女冠子二首其一

含嬌含笑

 

 

 

巻一

女冠子二首其二

霞帔雲髮,

 

 

韋相莊

巻三

女冠子二首其一

四月十七,

 

 

 

巻三

女冠子二首其二

昨夜夜半,

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三

女冠子二首其一

求仙去也,

 

 

 

巻三

女冠子二首其二

雲羅霧縠,

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

巻四

女冠子四首 其一

綠雲高髻,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其二

錦江煙水,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其三

星冠霞帔,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其四

雙飛雙舞,

 

 

張舍人泌

巻四

女冠子一首

露花煙草,

 

 

孫少監光憲

巻八

女冠二首其一

蕙風芝露,

 

 

 

巻八

女冠子二首其二

澹花瘦玉,

 

 

鹿太保虔扆

巻九

女冠子二首其一

鳳樓琪樹,

 

 

 

巻九

女冠子二首其二

步虛壇上,

 

 

毛秘書熙震

巻九

女冠子二首其一

碧桃紅杏,

 

 

 

巻九

女冠子二首其二

脩蛾慢臉,

 

 

李秀才珣

巻十

女冠子二首其一

星高月午,

 

 

 

巻十

女冠子二首其二

春山夜靜,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿虔扆 女冠子二首

 

女冠子二首 其一

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

應共吹簫侶,暗相尋。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

 

 bijo02 女冠子二首 其二

脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。

蟬鬢低含綠,羅衣澹拂黃。

悶來深院裏,閑步落花傍。

纖手輕輕整,玉鑪香。

 

(女冠子二首 其の一)

碧の桃 紅の杏,遲日 媚籠 光影あり,彩霞 深し。

香暖く 鶯語に薰る,風清 鶴音を引く。

翠鬟 冠玉葉,霓袖 瑤琴を捧ぐ。

應に共に簫侶をき,暗に相い尋ねん。

 

(女冠子二首 其の二)

蛾を脩め 臉を慢す,語らず 檀心の一點に,小山の粧。

蟬鬢 綠を含み低る,羅衣 黃を拂い澹す。

悶し來って院裏に深し,閑し步みて花傍に落つ。

纖手 輕輕して整い,玉鑪 香す。

  

 

『女冠子二首 』 現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首 其一

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

應共吹簫侶,暗相尋。

 

(下し文)

(女冠子二首 其の一)

碧の桃 紅の杏,遲日 媚籠 光影あり,彩霞 深し。

香暖く 鶯語に薰る,風清 鶴音を引く。

翠鬟 冠玉葉,霓袖 瑤琴を捧ぐ。

應に共に簫侶をき,暗に相い尋ねん。

 

(現代語訳)

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

大雁寺02
 

(訳注)

女冠子二首 其一

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)


鹿虔扆(生卒年未詳、およそ938年前後に在世)は、後蜀の詞人。呼び名や原籍も不詳。広政年間(938965)に、永泰軍節度使となり、検校大尉に昇進、太保の官を加えられた。そのため鹿太保と呼ばれた。

欧陽烱、毛文錫、韓琮、閻選らとともに詞に巧みで、後主の孟昶に奉仕した。これを嫌った人々は、この五人を五鬼と呼んだ。後蜀滅亡後は仕えることはなかった。『花間集』には六首の詞が収められている。


唐の教坊の曲名。女冠は女黄冠”、女道士、道姑。唐代において女道士は皆、黄冠を戴いた。『花間集』 には牛嶠の作が四首収められている。双調四十一字、前段二十四字五句韻三平韻、後段十八宇四句二平韻で、
③5⑤/55③の詞形をとる。

碧桃紅  遲日媚籠光影 彩霞 

香暖薰鶯語 風清引鶴

翠鬟冠玉葉 霓袖捧瑤

應共吹簫侶 暗相

●○○●  ○●●△△● ●○△

○●△○●  △○●●○

●○△●●  △●●○○

△△△○●  ●△○

 美女004

○女冠

宗教や迷信に携わる専業の女性である。彼女たちは唐代の女性の中ではきわめで特殊な階層であった。彼女たちは基本的には生産に携わらない寄生的階層であり、同時にまたいささか独立性と開放性をもった階層であった。

唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬢・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。

出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。

① 家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。

   病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、

   圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。

  家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観にたよらざるをえなかった者もいる。

   妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。

  貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。

 

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

媚の用語解説 - [音]ビ(漢) [訓]こびる1 なまめかしくする。色っぽい。「媚態・媚薬」2 こびへつらう。「佞媚(ねいび)3 あでやかで美しい。

 

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

鶴音 笙を吹く仙人が鶴に乗ってあらわれる。『列仙伝』巻上・王子喬に「王子喬は周の霊王の太子晋なり。好んで笙を吹き、鳳鳴を作し、伊洛の間に遊ぶ。

 

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

霓 夕立のあとなど,太陽と反対側の空に弧状にかかる七色の帯。空中の水滴粒子にあたった光の屈折と分光によって生じる。内側が紫,外側が赤の配列をした虹のほかに,この外側をとりまき,逆の色の配列の第二の虹が見えることがある。

捧 1 両手でささげ持つ。「捧持・捧呈・捧読」2 両手で持ちあげるようにしてかかえる。

 

應共吹簫侶,暗相尋。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。《列仙傳》:「蕭史者,秦穆公時人,善吹蕭,能致孔雀、白鵠。穆公有女字弄玉,好之。公以妻焉,遂教弄玉作鳳鳴,居數十年,吹似鳳聲,鳳皇來止其屋。為作鳳臺,夫婦止其上,數年,皆隨鳳飛去。」

「蕭史という者,秦の穆公の時の人である,善く蕭を吹き,能く孔雀を、白鵠致す。穆公は女有り 字を弄玉,之を好む。公は以て妻と焉し,遂に弄玉に教え鳳鳴を作り,數十年居し,吹けば鳳聲に似たり,鳳皇は來りて其の屋に止る。鳳臺を作るを為し,夫婦は其の上に止り,數年,皆に鳳に隨って飛び去る。」

秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は魯の恭王が残しておかれたもののようである。王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

  

善吹簫 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。
oushokun01
 

6-458《臨江仙二首,其二》九巻 鹿虔扆Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-641-16-(458) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4752

柳がしげり、枝を窓に映し、春霞はしなやかに揺れただよう、翡翠の簾はものうげにまきあげている、高楼の砌のまとまったところに咲いていた杏の花の散り去ってしまった。一たび美男子のお方は遊び呆けて自ら出て行った、それからというもの、はすはしぼみ、月は欠けて惨めなほどになっている、まるでそれは女の人生の手本のようだ。

 
 2014年9月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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437-#5 《謝自然詩》韓愈(韓退之)ID 794年貞元10年 27歳<1153> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4749韓愈詩-437-#5 
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16-458《臨江仙二首,其二》九巻 鹿虔扆唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-641-16-(458)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4752

 

 

鹿太保虔扆 花間集巻九に六首所収。

臨江仙二首  鹿太保虔扆(鹿虔扆【ろくけんい】)

鹿虔扆(生卒年未詳、およそ938年前後に在世)は、後蜀の詞人。呼び名や原籍も不詳。広政年間(938965)に、永泰軍節度使となり、検校大尉に昇進、太保の官を加えられた。そのため鹿太保と呼ばれた。

欧陽烱、毛文錫、韓琮、閻選らとともに詞に巧みで、後主の孟昶に奉仕した。これを嫌った人々は、この五人を五鬼と呼んだ。後蜀滅亡後は仕えることはなかった。『花間集』には六首の詞が収められている。 

臨江仙二首 其一

(栄枯盛衰、亡国の後、後宮に立って見ると絢爛さはないけれど、その中で男女の情は消えることはないと詠う。)

金鏁重門荒苑靜,綺愁對秋空。

国は敗れたというのに、錠前の下りた重なる門はしっかりとしていて、荒れ果てているものの苑は静まりかえっている、閨の彫りの窓には愁いを含んで秋空に向かう。

翠華一去寂無蹤,玉樓歌吹,聲斷已隨風。

天子の御旗は去ってしまったが、寂しさの跡形はここにはないのだ。たしかに、以前は、玉楼の歌や楽の音がやむことはなかったが、にぎやかなその声は、いま、一切ないが、風の声が音楽のように流れ随っている。

煙月不知人事改,夜闌還照深宮。

霞める月のように、男女の情は人の世の改まるを知らず、夜がふけて、男女の情事は闌に向えば、月の明かりは、なお宮殿を照らすのである。

藕花相向野塘中,暗傷亡國,清露泣香紅。

池の蓮の花のように美人たちはさし向かいたくましく生きるが、国の亡んだことで暗く傷ましいものもいる、清き露をまもっていく宮女、美人たちは香しき花に泣いたのだ。

 

臨江仙二首 其二

(一旦宮殿に上がった宮女はそのまま歳を重ねてゆくと詠う。)

無賴曉鶯驚夢斷,起來殘醉初醒。

暁に春を告げる鶯が啼いたけどそれは夢を見ているの驚かされるだけであり、それで起き上がっても酔いたくてのんだお酒で宵は残っているはずなのに初めて醒めたかのように酔えない。

絲柳裊煙青,翠簾慵卷,約砌杏花零。

柳がしげり、枝を窓に映し、春霞はしなやかに揺れただよう、翡翠の簾はものうげにまきあげている、高楼の砌のまとまったところに咲いていた杏の花の散り去ってしまった。

一自玉郎遊冶去,蓮凋月慘儀形。

一たび美男子のお方は遊び呆けて自ら出て行った、それからというもの、はすはしぼみ、月は欠けて惨めなほどになっている、まるでそれは女の人生の手本のようだ。

暮天微雨灑閑庭,手挼裙帶,無語倚雲屏。

夕方の大空から細雨が降り、静かな庭を潤している、手にはしわが出始めても宮女の正装を付けている、誰とも話すことはなく、閨に倚る人もなく雲母の屏風は使うことなく壁に倚りかかっている。

 

(臨江仙二首 其の一)

金鏁の重門 苑荒て靜なり,綺 愁いて秋空に對す。

翠華 一たび去り 寂として蹤無く,玉樓 歌吹し,聲え斷え 已に風に隨う。

煙月 人事の改まれるを知らず,夜 闌【たけなわ】にして還た 深宮を照らす。

藕花 野塘の中ほどに相い向い,暗に亡國を傷み,清露 香紅に泣く。

 

(臨江仙二首 其の二)

無賴 曉鶯 驚きて夢斷ち,起き來って 醉い殘るも 初めて醒む。

に絲柳を映し 裊煙青し,翠簾 慵く卷く,砌に約して 杏花零す。

一たび自ら玉郎 遊冶去り,蓮は凋れ 月は慘け 形を儀す。

暮天に微雨 閑庭に灑ぎ,手は挼し 裙は帶す,語る無くして 雲屏に倚る。

芍薬001
 

『臨江仙二首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

臨江仙二首 其二

無賴曉鶯驚夢斷,起來殘醉初醒。

絲柳裊煙青,翠簾慵卷,約砌杏花零。

一自玉郎遊冶去,蓮凋月慘儀形。

暮天微雨灑閑庭,手挼裙帶,無語倚雲屏。

 

(下し文)

(臨江仙二首 其の二)

無賴 曉鶯 驚きて夢斷ち,起き來って 醉い殘るも 初めて醒む。

絲柳を映し 裊煙青し,翠簾 慵く卷く,砌に約して 杏花零す。

一たび自ら玉郎 遊冶去り,蓮は凋れ 月は慘け 形を儀す。

暮天に微雨 閑庭に灑ぎ,手は挼し 裙は帶す,語る無くして 雲屏に倚る。

 

(現代語訳)

(一旦宮殿に上がった宮女はそのまま歳を重ねてゆくと詠う。)

暁に春を告げる鶯が啼いたけどそれは夢を見ているの驚かされるだけであり、それで起き上がっても酔いたくてのんだお酒で宵は残っているはずなのに初めて醒めたかのように酔えない。

柳がしげり、枝を窓に映し、春霞はしなやかに揺れただよう、翡翠の簾はものうげにまきあげている、高楼の砌のまとまったところに咲いていた杏の花の散り去ってしまった。

一たび美男子のお方は遊び呆けて自ら出て行った、それからというもの、はすはしぼみ、つきはかけてみじめなほどになっている、まるでそれは女の人生の手本のようだ。

夕方の大空から細雨が降り、静かな庭を潤している、手にはしわが出始めても宮女の正装を付けている、誰とも話すことはなく、閨に倚る人もなく雲母の屏風は使うことなく壁に倚りかかっている。

 

杏の花01
 

(訳注)

臨江仙二首 其二

 

臨江仙二首

『花間集』には鹿虔扆の作が六首、臨江仙は二首収められている。双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる。

無賴曉鶯驚夢斷  起來殘醉初
絲柳裊  翠簾慵卷 約砌杏花

一自玉郎遊冶去 蓮凋月慘儀  

暮天微雨灑閑庭 手挼裙帶  無語倚雲

○●●○○△●  ●△○●○

●?○●?○  ●○○△ ●●●○  

●●●○○●● △○●●○ 

●○○●●○ ●○○●  ○●△○

 

無賴 曉鶯 驚夢斷,起來 殘醉 初醒。

暁に春を告げる鶯が啼いたけどそれは夢を見ているの驚かされるだけであり、それで起き上がっても酔いたくてのんだお酒で宵は残っているはずなのに初めて醒めたかのように酔えない。

無賴 ① 定職をもたず,素行の悪い・こと(さま)。そのような人をもいう。ならずもの。  頼るところのないこと。

 

 絲柳 裊煙青,翠簾 慵卷,約砌 杏花零。

柳がしげり、枝を窓に映し、春霞はしなやかに揺れただよう、翡翠の簾はものうげにまきあげている、高楼の砌のまとまったところに咲いていた杏の花の散り去ってしまった。

裊とは?漢字辞典。 裊画数:13音読み:ジョウ、 ニョウ、 チョウ訓読み:しなやか

約 やく【約】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]ヤク(呉)(漢)[訓]つづめるつづまやか[学習漢字]41 ひもで結ぶ。締めくくる。「制約・括約筋」2 ひもで結び目を作り、取り決めの目印とする。広く、約束のこと。

 

一自 玉郎 遊冶去,蓮凋 月慘 儀形。

一たび美男子のお方は遊び呆けて自ら出て行った、それからというもの、はすはしぼみ、つきはかけてみじめなほどになっている、まるでそれは女の人生の手本のようだ。

遊冶 〔「冶」は飾る意〕 遊びにふけって,容姿を飾ること。酒色にふけること。

慘〔惨〕【さん】1 いたましい。みじめ。「惨禍・惨苦・惨憺(さんたん)・惨落/悲惨」2 むごい。むごたらしい。

儀形 手本。模範。ぎぎょう。「和漢の鑑(かがみ)と仰ぎて、四海 ... 1件の用語解説(儀刑で検索). Tweet. デジタル大辞泉の解説. ぎ‐けい 【儀刑/儀型/儀形】 《「儀式刑法」の略》手本。模範。

 

暮天 微雨 灑閑庭,手挼 裙帶,無語 倚雲屏。

夕方の大空から細雨が降り、静かな庭を潤している、手にはしわが出始めても宮女の正装を付けている、誰とも話すことはなく、閨に倚る人もなく雲母の屏風は使うことなく壁に倚りかかっている。

挼とは。意味や日本語訳。[](1) (紙などが)(しわ)になる.(2) (布などが)すりへる.

くんたい【裙帯】① 裳の腰につけて左右に長く垂らした紐。官女が正装の時,装飾として用いた。② すそと帯。
杏の花001
 

16-457《臨江仙二首,其一》九巻 鹿虔扆 Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-640-16-(457) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4747

天子の御旗は去ってしまったが、寂しさの跡形はここにはないのだ。たしかに、以前は、玉楼の歌や楽の音がやむことはなかったが、にぎやかなその声は、いま、一切ないが、風の声が音楽のように流れ随っている。霞める月のように、男女の情は人の世の改まるを知らず、夜がふけて、男女の情事は闌に向えば、月の明かりは、なお宮殿を照らすのである。

 
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