玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

巻二 溫庭筠

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-〈107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737

(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》(錦江のほとり望江樓に官妓として詩を作り、恋愛をした逸話から 其の三;海棠の花いっぱいの錦江のほとりに薛濤は春の歌を多くの詩人たちと和した、高官の男たちは、やがて去っていったが、官妓の薛濤は、いつまでも望江樓で春を詠った錦江の流れ淵の畔、海棠の花いっぱいの春に魅せられた女がいたが、それは刺繍の衣に金の糸にかざられ、霧が薄くかかり、雲淡くうかぶ官妓の望江樓にいたのだ。

 
 2015年3月23日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#6奉節-35-#6 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -6》 杜甫index-15 杜甫<907-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5735 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『河傳』十八首

 

 

溫助教庭筠

2-09

(改訂版)河傳三首其一

曉妝仙,仙景箇

 

 

2-10

(改訂版)河傳三首其二

雨蕭蕭,煙浦花

 

 

2-11

(改訂版)河傳三首其三

杏花稀,夢裡每

 

 

韋相莊

巻二

河傳三首 其一

何處,煙雨,隋堤

 

 

巻二

河傳三首 其二

春晚,風暖,錦城

 

 

巻二

河傳三首 其三

錦浦,春女,繡衣

 

 

張舍人泌

巻五

河傳 二首之一

渺莽雲水,惆悵暮

 

 

巻五

河傳 二首之二

紅杏,交枝相映,

 

 

顧太尉

巻七

河傳三首 其一

鷰颺,晴景。小

 

 

巻七

河傳三首 其二

曲檻,春晚。

 

 

巻七

河傳三首 其三

棹舉,舟去,波光

 

 

孫少監光憲

巻七

河傳四首(1

太平天子,等閑遊

 

 

巻七

河傳四首(2

柳拖金縷,着煙籠

 

 

巻七

河傳四首(3

花落,煙薄,謝家

 

 

巻七

河傳四首(4

風颭,波斂。

 

 

閻處士選

巻九

河傳一首

秋雨,秋雨,

 

 

李秀才珣

巻十

河傳二首其一

朝雲暮雨,依舊

 

 

巻十

河傳二首其二

落花深處,啼鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》三巻3-〈103〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5717

(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》(何にも知らない少女は後宮に入って、まず口に紅するのを覚える、寵愛を受けるようになると、いつしか、腕枕の中に眠るようになる。愛し合えば愛し合うほど寵愛を失った時の心の痛みは大きいのにと詠う。)

 
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708 
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49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》三巻3-103〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5717

 

 

宮中に入る

このように多くの女性はどこから来たのか。またどのようにして宮廷に入ったのか。彼女たちはだいたい次の四種類に分けられる。

 

第一種は、礼をもって宮廷に迎え入れられた場合である。この種の人々の大部分は名門貴顕の出身である。たとえば高宗の王皇后、中宗の趨皇后、粛宗の張皇后等の場合、みな皇室の親戚であった。また唐朝の権力者の娘もいた。たとえば意宗の郭貴妃は尚父郭子儀の孫娘であった。また名門大族の子孫もいた。

 

第二種は、選抜されて宮廷に入った場合である。この種の女性は必ずしも高貴な家柄の出ではなかったが、しかし大多数は「良家」の出身、つまり一般の官僚あるいは士人の家の出であった。

 

第三種は、宮中に献上された女性である。この種の人々には様々なタイプがあったが、大半は美貌か技芸の才によって献上された女性であった。いくらかの朝臣は自分の出世のために妻や娘を宮中に入れることを常に願った。たとえば、秘書官の鄭普息は、娘を中宗の後宮に献上したので弾劾を受けたことがあった(『資治通鑑』巻二〇八、中宗神龍二年)。雀堤はさらに恥知らずにも美貌の妻と娘を一緒に皇太子の宮中に献上し、高官になることができた。

 

第四種は、罪人の家の女性で宮廷の稗にされたものである。これらの大多数は、官僚士大夫層の女性であった。唐律の規定では、「籍没」といって謀反および大逆罪を犯した官僚士大夫層の家族(母、娘、妻、妾、子孫を含む)と奴稗は、みな後宮に入れて官奴婦にすることになっていた。つまり「技芸に巧みな者は後宮に入れる」(『唐六典』巻六、刑部都官)と定めていた。そして、無能な者は司農寺(銭穀のことを司る官庁)等の官庁に配属して官奴稗とし、後宮に入れられた者の一部分は官女とした。著名な宮廷の才女となった上官娩児は、祖父の罪に連坐し、まだおむつを着けている時、母とともに宮廷に没収された女性である。

 

 

以上をまとめてみると、唐の宮廷女性は四種の主な方法1招聴、選抜、献上、連坐によって調達されていたことが分かる。彼女たちの中には、名門貴族、官僚士大夫層の娘のみならず、また少数ながら娼妓、俳優、脾妾など下賎な身分に属する者もいた。罪没される者は比較的特殊な例であったが、これ以外の女性たちはあるいは家柄、あるいは才智と徳行、あるいは容姿、あるいは技芸によって宮中に選抜された人々であり、以上の四つが彼女たちが宮廷に入る主要な道であった。そして彼女たちの大半は十三、四歳の少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『應天長』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

3-03

江城子二首其一

恩重嬌多情易傷

 

 

3-04

江城子二首其二

髻鬟狼藉黛眉長

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

0426

江城子二首其一

鵁鶄飛起郡城東

 

 

0427

江城子二首其二

極浦煙消水鳥飛

 

 

張舍人泌

0501

江城子二首其一

碧欄干外小中庭

 

 

0502

江城子二首其二

浣花溪上見卿卿

 

 

歐陽舍人炯

0612

江城子一首

晚日金陵岸艸平

 

 

 

 

 

 

 

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》溫庭筠66首巻二16-〈66〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5527

(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

 

 
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177-#2 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#2> Ⅰ李白詩1395 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5523 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》溫庭筠66首巻二16-66〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5527

 

 

一 歌舞と音楽 (3

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

・・・・・・・・・・・・

案前舞者顏如玉,不著人家俗衣服。

虹裳霞帔步搖冠,鈿瓔累累佩珊珊。

・・・・・・・・・・・・

飄然轉旋迴雪輕,嫣然縱送游龍驚。

小垂手后柳無力,斜曳裾時雲欲生。

煙蛾斂略不勝態,風袖低昂如有情。

・・・・・・・・・・・・

 

「案前 舞う者 顔は玉の如く、人家の俗なる衣服を著けず。虹の裳 霞の帔(内掛け」 歩揺の冠、細瓔は累累として珊珊を佩ぶ。.……諷然と転旋すれば廻る雪より軽く、嫣然と縦送すれば游る龍も驚く。小しく手を垂れし後 柳は力無く、斜めに裾を曳く時 雲 生ぜんと欲す。煙き蛾は斂略めて態に勝えず、風はらむ袖は低く昂く 情有るが如し」(白居易「霓裳羽衣歌」)

 

白居易の《胡旋女》

胡旋女,胡旋女,心應弦,手應鼓。

弦鼓一聲雙袖舉,回雪飄搖轉蓬舞。

左旋右轉不知疲,千匝萬周無已時。

人間物類無可比,奔車輪緩旋風遲。

曲終再拜謝天子,天子為之微齒。

胡旋女,出康居,徒勞東來萬里余。

中原自有胡旋者,斗妙爭能爾不如。

天寶季年時欲變,臣妾人人學圜轉。

中有太真外祿山,二人最道能胡旋。

梨花園中冊作妃,金雞障下養為兒。

祿山胡旋迷君眼,兵過黃河疑未反。

貴妃胡旋惑君心,死棄馬嵬念更深。

從茲地軸天維轉,五十年來制不禁。

胡旋女,莫空舞,數唱此歌悟明主。

 

胡旋の女 胡旋の女、心は弦に應じ 手は鼓に應ず。

弦鼓一聲 雙袖舉がり、回雪飄搖し 轉蓬舞ふ。

左に旋り右に轉じて疲れを知らず、千匝 萬周 已む時無し。

人間物類 比すべき無く。奔車 輪緩 旋風 遲し。

曲終り再拜して天子に謝す、天子之が為に微かし齒を(ひら)く。

胡旋の女 康居に出ず、勞して東來すること萬里余。

中原に自ずから有胡旋の者有り、斗妙 爭能 爾如かず。

天寶の季年 時に變はらんと欲し、臣妾人人 圜轉を學ぶ。

中に太真有り 外には祿山、二人最も道ふ 能く胡旋すと。

梨花園中 冊して妃と作し、金雞障下 養ひて兒と為す。

祿山の胡旋 君は眼を迷はし、兵黃河を過ぐるも未だ反せずと疑ふ。

貴妃の胡旋 君が心を惑はし、死して馬嵬に棄つるも 念ひ更に深し。

茲(これ)より地軸天維轉じ、五十年來 制せど禁ぜず。

 

胡旋舞は別の風格がある。これら舞妓のなかから、何人かの出色の舞踊家が出現した。

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》溫庭筠66首巻二15-〈65〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5522

(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》(後宮の秋の夜の舟遊び、歌舞と採蓮に出た宮女たちのそれぞれが思いやることを詠う)後宮の大池の鏡のような水面に映る秋の夜の月は、雪のような景色にかえている。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》溫庭筠66首巻二15-65〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5522

 

 

 

一 歌舞と音楽 (2

 

文宗の時代、宮人の沈阿翹は歌と舞いが上手な上、また作曲と演奏もできた。彼女が「何満子」(宮廷妓の何満子が作った作品)という舞曲を演じた時には、音の調べ、舞う姿ともやわらかくしなやかで流れるように素晴らしかった。「涼州曲」という一曲を演奏した時なぞは、音が清らかで哀調を帯び、文宗はこれぞ天上の音楽であると称讃した。そして最も優れた才能をもつ宮人を選んで彼女から芸を学ばせた。後に、この女性は宮中を出て秦という姓の男に嫁した。夫が出張していた時、『翹制曲』「憶秦郎」(秦郎を憶う」という一曲を作って、遥かに思慕の情を寄せた(『古今図書集成』「閏媛典閏藻部」、『杜陽雄編』巻中)。

泰娘は貴族の家の家妓であった。多芸多才で、歌舞弾奏なんでも窮めないものはなく、当時、都の貴顕の子弟は争って泰娘の名を伝えた。劉南錫は「泰娘の歌」を作ってその経歴を記している。

武則天の時代に、もう一人よく歌曲を作る無名の宮人がいた。その夫は菟罪で獄に陥ち、自分も籍没されて宮中の婦女にされた。彼女は日頃、篳篥を上手に吹き、また音律にもよく通じていた。

 

そして、「離別難」(別れの苦しみ)という曲を作って、自分の悲しみと恨みの気特を托した(『楽府雑録』「離別難」)。

楽器に精通している女性などは、数えきれぬほどたくさんいた。宰相宋璟の娘の宋氏は獦鼓(インドから中央アジアを経て伝わった太鼓の一種)を専門に習い、その技量はかなり高度な水準に達していた(南卓『掲鼓録』)。楊志の父方の叔母は、もともと宮妓であり、琵琶の演奏で一世を風廃した女性であった(『楽府雑録』「琵琶」)。ひじょうに多くの唐詩の諸篇に、楽器を演奏する高度な技術と妙なる音声を持つ女性たちのことが描かれている。白居易の有名な詩「琵琶行」には、次のように琵琶妓の絶妙な技術と芸術的な影響力とが生々と描かれている。

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》溫庭筠66首巻二14-〈64〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5517

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》溫庭筠66首巻二14-64〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5517

 

 

 

一 歌舞と音楽

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

 

永新念奴は、共に盛唐時代の著名な宮廷歌手であった。永新の本名は許和子といい、もとは吉州永新(江西省永新県)の楽家(音楽を専業にしていた家)の娘であり、選ばれて宮廷に入った。彼女は歌が上手なばかりでなく、新しい歌を編み出すことができた。秋が深まり月が晴々と輝き、楼台、宮殿が静まりかえった時に、彼女がひと声歌えば、その声は長安の大通りに響き渡ったという。ある時、玄宗皇帝は勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 

念奴も歌がたいへん上手で、玄宗は彼女をひじょうに愛し、一日たりとも側を離れることを許さなかった。彼女は歌声で人を魅了したばかりでなく、身振りも人の心をうった。彼女は歌う度に観衆を見まわし、流し目を送ってうっとりさせた。歌声は雲や霞を突き抜け、鐘・太鼓・笙・竿(大型の笙)などにぎやかな音も、彼女の歌声を凌ぐことはできなかった(『開元天宝遺事』巻上)。

 

また、張紅紅という著名な歌手がいた。彼女はもともと父について大道で歌を唱って暮らしていたが、その歌声が将軍寺青の耳にとまり彼の姫妾にされた。彼女は非常に賢く、曲をすぐ覚えてしまった。ある時、韋青は一人の楽工(歌舞演奏の芸人)に曲を作らせ一遍だけ歌わせた。側にいた張紅紅は豆を置きながらメロディーとリズムを覚えて、楽工が歌い終るとすぐ一人で歌い、楽工を大いに驚かせた。彼女の芸術的才能は後に代宗の耳にも達し、宮中に召されて才人に封じられ、宮中で「記曲娘子」(曲覚えの名手)とよばれた(『楽府雑録』「歌」)。

 

教坊妓の中でも、任智方の四人の娘は、いずれも歌が上手で、それぞれの歌いぶりに特徴があった。中でも「二番目の娘は発声の仕方が柔かく物悲しく、歌が終る時いつ止んだのか分からないほど静かだった。三番目の娘は物腰が穏やかで、側で見ると歌を唱っているという意識が全くないようであった。四番目の娘は声が穏やかでしっとりしており、また透き通るように澄んでいてその声はあたかも空から降ってくるようだった」(『教坊記』「仕氏四女」、以下本書によるものは特別注記しない)。

 

劉采春と周徳華は俳優、楽工の身分に属する歌手であり、二人は母娘の関係であった。劉采春の歌声は空の雲をつき通すほど響きわたった。その歌はすべて当代の才子が書いた新詩であり、中でも羅貢曲が得意だった。周徳華は楊柳詞を歌うのが上手で、多くの名門・豪族の家の女性たちが彼女から歌を学んだ。彼女の性格は上品で世俗に媚びず、一流の作者による優れた歌曲を唱うだけで、輕佻浮薄な歌はいっさい唱わなかった(『雲渓友議』巻九、一〇)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『荷葉盃』十四首

 

 

作者

初句7字

 

 

溫助教庭筠

巻二14

荷葉盃 三首 其一

一點露珠凝冷

 

 

巻二15

荷葉盃 三首 其二

鏡水夜來秋月

 

 

巻二16

荷葉盃 三首 其三

楚女欲歸南浦

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二44

荷葉杯二首其一

絶代佳人難得

 

 

巻二45

荷葉杯二首其二

記得那年花下

 

 

(顧太尉

巻七22

荷葉盃九首其一

春盡小庭花落,

 

 

巻七23

荷葉盃九首其二

歌發誰家筵上,

 

 

巻七24

荷葉盃九首其三

弱柳好花盡拆,

 

 

巻七25

荷葉盃九首其四

記得那時相見,

 

 

巻七26

荷葉盃九首其五

夜久歌聲怨咽,

 

 

巻七27

荷葉盃九首其六

我憶君詩最苦,

 

 

巻七28

荷葉盃九首其七

金鴨香濃鴛被,

 

 

巻七29

荷葉盃九首其八

曲砌蝶飛煙暖,

 

 

巻七30

荷葉盃九首其九

一去又乖期信,

 

 

 

 

 

 

 

(旧解釈)

荷葉杯 其一

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その一

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

一粒の露の玉は寒くて凍えそうなのも緩んできた。池には小波が広がる。ため池には蓮がいっぱいに溢れている。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの肉太の茎があり、紅く妖艶な花があり二つながら合い乱れている。そんな蓮を見ると女の腸がちぎれるほどにいたむ、水面を抜けてくる風は涼しく現実に戻してくれる。

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 凝冷たり,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。
(旧解釈)

荷葉杯 其二

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)

鏡水夜來秋月,如雪。採蓮時,

鏡のような水面に映る秋の夜の月は、雪のように輝き庭を照らす。

小娘紅粉對寒浪。惆悵,正思惟。

蓮を採る時、寒くなり始めた中、装いした乙女たちはその顔を冷たい水に差し向けている。

胸を痛め、怨みを思い、それでもまだ、あなたのことを思う。

其の二

鏡水 夜來の秋月,雪の如し。採蓮の時,

小娘【しょうじょう】の紅粉 寒浪に對す。惆悵として,正に思惟す。
(旧解釈)

荷葉杯 其三

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その三

楚女欲歸南浦,朝雨,濕愁紅。

楚の国の女が江南の港に帰ろうとしている。その朝、雨が降っている。女の紅い頬は憂いにあふれ涙にぬれている。

小船搖漾入花裏,波起,隔西風。

旅立つ船はゆらゆら揺れながらこの街の船着き場に入って來る。波を起こして出向する。そして西風に乗って離れていく。

荷葉杯【かようはい】 其三

楚女 南浦に歸らんと欲す,朝 雨あり,愁紅を濕す。

小船 漾を搖らせ 花裏に入り,波 起し,西風を隔つ。


(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》

荷葉杯 其一

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

 

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 冷を凝り,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。

 

 

(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》

『荷葉杯』三首其一 現代語訳と訳註

(本文)

荷葉杯 其一

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

 

(下し文)

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 凝冷たり,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。

 

(現代語訳)

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

 

(訳注)

荷葉杯 其一

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

唐の教坊の曲名。『花間集」一には十四首所収。温庭筠の作は三百収められている。単調二十三字、六句四仄韻二平韻で、❻❷③❼❷③の詞形をとる。

一點露珠凝,波,滿池

綠莖紅艷兩相,腸,水風

  

  

094荷葉杯 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-279-5-#33  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2942

荷葉杯 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

 

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

・池塘 いけ。池は円く、塘は四角いのをさす。謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

 

綠莖 紅艷 兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

・綠莖 けい【茎〔莖〕】[漢字項目]とは。意味や解説。[常用漢字][音]ケイ(慣)[訓]くき〈ケイ〉植物のくき。「花茎・塊茎・球茎・根茎・地下茎」男根。「陰茎・包茎」〈くき(ぐき)〉「歯茎・水茎」[難読]芋茎(ずいき)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》溫庭筠66首巻二13-〈63〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5512

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》溫庭筠66首巻二13-63〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5512

 

 

紅桃

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。

謝阿蛮

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。

張雲容

全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

王大娘

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。

許和子(永新)

『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

 

 

(旧版)

蕃女怨二首 其一

(北の辺境にいる男を思う女の気持ちを詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

春の盛りになると枝という枝咲き薫る一面の白い花(あの人のいる北の国境にも咲いている)春の細雨が降る中そろいの番の燕が飛び交う。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

螺鈿の琴は蝉模様、扇は金の雀の絵柄で幸せな時をうかがわせる。絵が描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

雁門関からの音信が帰って來ることはなく、雁はそのまま北へむかい帰り飛んでゆく。

 

(旧版)

蕃女怨二首 其二

(北の辺境にいる男が帰って來る知らせがあった女の気持ちを詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いた。雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、もう何年も征伐の戦いをしてきた。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

奇麗な絵が描かれた高楼にはあれだけ恨みに思っていたことと離別した女が空しくしていた錦の屏風の向こうにいる春を告げる杏の花のように可憐な赤い花のようにいる。

 

(改訂版)-1溫庭筠62《巻2-12 蕃女怨 之一》

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

蕃女怨二首其二

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の二)

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。

花蕊夫人002

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

『蕃女怨二首』 現代語訳と訳註

(本文)

其二

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

 

 

(下し文)

其二

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。

 

 

(現代語訳)

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

唐 長安図 基本図00
 

(訳注) (改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

蕃女怨二首 其二

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

蕃女怨 未開の種族。野蛮な民族。神の紅い外国から来た女。敦煌曲、涼州曲を演奏し、歌い、踊るために、長安に来て、後宮に入った。

遠くから来た妃嬪が寵愛を失ってしまったことを表現した詩である。

温庭筠の創始の曲と言われ、『花間集』には温庭筠の二首のみ所収。単調三十一字、七句四仄韻●二平韻○で、❼❹3❸❹⑦③の詞形をとる。

萬枝香雪開已 細雨雙
鈿蟬箏 金雀 畫梁相

鴈門消息不歸 又飛

  
  

 

磧南沙上驚鴈,飛雪千

玉連環,金鏃,年年征

畫樓離恨錦屏,杏花

  
  
 

 

 

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

・磧南沙上 川の流れに沿う平地で、ふだんは水の流れていない、石や砂の多い所。北の砂漠を連想させ、雁は雁書で書簡が届くこと。詞の成り立ちからすると、北方の娘が後宮に入ったもの、その寂しさを詠ったものという所か。

 

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

・玉連環 もっとも古い種類の知恵の輪と考えられている。 『戦国策』には、「秦の昭王が斉国に玉連環を贈った」という記述が出てくる。確証はないがこの「玉連環」が、「九連環」と同種のものであるといわれている。

・金鏃箭 金:鏃やじり。箭:武器・狩猟具の一。弓の弦(つる)につがえ、距離を隔てた目的物を射るもの。木または竹で作った棒状のもので、一方の端に羽をつけ、他方の端に鏃(やじり)をつける。「―をつがえる」2木材や石など、かたいもの

 

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

・離恨 別離の悲しみ。人と別れるつらさ。故郷と分かれてきたこと。寵愛を失ったこと。

・杏花 長安曲江の杏園の杏花。アンズはバラ科の喬木(きょうぼく)で、原産地は中国。リンゴやモモに似た白または薄ピンクの花を咲かせ、春の訪れを告げるようすは可憐(かれん)で、詩にもうたわれているほど。

 

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唐宋の女性の生活

唐代の女性は比較的高い地位と比較的多くの自由を享受していたけれども、しかし結局は、男尊女卑の封建社会から脱出することはできなかった。それゆえ、法律の上でも現実の生活の上でも、また観念の上でも、依然として様々な不平等な待遇を受けた。

まず、法律の上では、男女は全く不平等であった。経済・財産の上では、女性はただわずかな嫁入り費用を分けてもらえるだけで、兄弟たちとちがって財産を相続する権利はなかった。男の相続人がなく「戸絶」(後嗣の絶えた家)と認められた情況下ではじめて、未婚あるいは既婚の女性が財産の相続権に与ることができたのである(楊廷福「唐代婦女の法律上における地位」『法律史論叢』第三輯、法律出版社、一九八三年)。『全唐文』(巻九八〇)に、次のような記載がある。「洛陽の人見諺は、先ず本県から同郷人任蘭の死後に戸絶となった任蘭の住宅一区画を支給された。ところが、任蘭の娘婿の郭恭理から訴えられた。県官は晃諺の所有と断じたが、州官は娘に返せと判決した。しかし鬼諺は服さなかった」という事件である。上級の州の判決文は、「宅及び資産は、近親者たる娘のものである。令式に条文があり、この規定に拠るべきである」というものであった。この事件からみると、たとえ女子が健在であっても、この戸はやはり県官から「死絶」とされたのである。女子の財産相続権は法律で明確に定められているのに、それが認められるまで大変な手間をかけねはならなかったことがわかる。

 

夫婦関係では、夫が妻を棄てても何ら法律上の罰則はなかったが、妻や妾が夫を棄てた場合は制裁を受けねばならなかった。「妻や妾が勝手に夫のもとを去った場合は、二年の徒刑に処し、さらに他人の嫁となったものは二等級二年間)加算する」(『唐律疏議』巻一四)。さらに不平等なことは、夫が妻を殴って負傷させた場合、罪は「一般人の場合より二等級減ずる」、逆に妻が夫にそうした場合は「徒刑一年」、また夫に重傷を負わせた場合は「一般の殴傷より二等級罪を重くする」というのである(『唐律疏議』巻二二)。同じ喧嘩の訴訟でも、量刑の軽重は男女によって異なっており、男は減刑、女は増刑となった。これは男女間の法律上の地位の不平等を示したものであるばかりか、さらに夫婦の間の地位の不平等をも示していた。媵妾の類に至っては、正妻に比べてさらに一等級低かった。男女の差別の上に良民、賎民の差別が加重され、量刑にも軽重の区別がつけられた。この他、女性にはまた「連坐」の刑罰があり、未婚の娘は父の罪に連坐し、既婚の夫人ならば夫と子の罪に連坐する定めであったから、父や夫、子が罪を犯せば、自分に罪がなくても連坐制によって奴稗にされる女性が大変多かった。この法律の規定は、まさに女性を男性の付属品とみなす明らかな反映である。

 

女性は現実の生活でも、さらに多くの不幸に見舞われた。彼女たちは独立した人格をもたない資財であり男の慰み物と見なされたので、常に権勢を持つ人々から侮辱され、掠奪され、そして占有された。こうした不幸は戦乱の時が最も甚だしく、官軍であれ、「胡兵」であれ、常に女性を掠奪、強姦した。杜甫はかつて官軍がほしいままに女性を掠奪するのを非難して、「婦女 多くは官軍中に在り」(杜甫「三絶句」)と詠ったことがある。回紇などの「胡兵」に掠奪された女性はさらに悲惨であった。「生きては名家の女と為り、死しては塞垣(万里の長城)の鬼と作る」(戎昱「苦哉行」)というわけで、永遠に家族と団欒することはできなかった。また、女性は第二等の下賤の輩と見なされていたので、一度戦乱とか変事とかがあった場合には、真っ先に犠牲となった。安史の乱の時、名将張巡は陥落寸前の城を守っていたが、城内の食糧が尽きると、こともあろうに自分の愛妾を殺して将兵に食べさせ、続いてまた城中にいた女性を捜し出して軍糧とし、それを食べ尽くすと老幼の男子の順番とした(『旧唐書』張巡伝)。建中年間、節度使李希烈は汴州(河南省開封市)を攻撃したが攻略できず、ついに女性と輜重(軍事用物資)をもって壕を埋めたてた(『太平広記』巻二六九)。これら血の滴るような惨劇ほど、女性の卑賎な地位と不幸を示しているものは他にない。

 

 

(旧版)

蕃女怨二首 其一

(北の辺境にいる男を思う女の気持ちを詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

春の盛りになると枝という枝咲き薫る一面の白い花(あの人のいる北の国境にも咲いている)春の細雨が降る中そろいの番の燕が飛び交う。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

螺鈿の琴は蝉模様、扇は金の雀の絵柄で幸せな時をうかがわせる。絵が描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

雁門関からの音信が帰って來ることはなく、雁はそのまま北へむかい帰り飛んでゆく。

 

(旧版)

蕃女怨二首 其二

(北の辺境にいる男が帰って來る知らせがあった女の気持ちを詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いた。雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、もう何年も征伐の戦いをしてきた。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

奇麗な絵が描かれた高楼にはあれだけ恨みに思っていたことと離別した女が空しくしていた錦の屏風の向こうにいる春を告げる杏の花のように可憐な赤い花のようにいる。

 

(改訂版)-1溫庭筠62《巻2-12 蕃女怨 之一》

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の二)

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。


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『蕃女怨二首』 現代語訳と訳註

(本文)

蕃女怨二首 其一

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

 

(下し文)

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(訳注)

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

蕃女怨 未開の種族。野蛮な民族。神の紅い外国から来た女。

遠くから来た妃嬪が寵愛を失ってしまったことを表現した詩である。

温庭筠の創始の曲と言われ、『花間集』には温庭筠の二首のみ所収。単調三十一字、七句四仄韻●二平韻○で、❼❹3❸❹⑦③の詞形をとる。

萬枝香雪開已 細雨雙
鈿蟬箏 金雀 畫梁相

鴈門消息不歸 又飛

  
  

 

 

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

○香雪 梨や杏の白く香しい花を指す。

◎万物が成長する春が来る、寵愛を受けるチャンスが生まれる春という宮殿の景色を表す。

 

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

〇鈿蟬箏 蟬の鈿蟬飾りの琴。

○金雀屈 金泥で描いた雀の絵のある扇。

◎この三句は、後宮の宮殿の中ですぐそこに天子がいて、顔を合わすこともあるのにすれ違い、相手にされないことを表している。

 

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

○雁門消息木帰來 雁門にいる男からの便りのないこと。雁門は今の山西省の雁門関の西の雁門山。雁は秋にここを発って南に渡ると考えられていた。

○又飛迴 ここでは今年の春、雁がまた北へ帰って行くこと。女は夫への便りを手紙の使者である雁に託したい。しかし雁は女性のことなどお構いなしに無情にも飛び帰って行く、といった意味合い。いずれにしても、女への思いが伝わってこないことを云う。

◎この二句は、季節が変わっても便りがないことを、実際にこの詩の中の宮殿のような家に住むものの夫が雁門に行っているわけではなく、寵愛を受けるべく妃嬪も、季節、季節でいろんな努力をしてうったえる。それに対して、全く反応がないことを、雁門に行った征夫の返事がないことに置き換えることで、強調している。

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(改訂版)-1溫庭筠61《巻2-11 河傳三首其三》(曲江離宮の妃嬪宮女が舟遊びの時に見初められ、時を過ごしたが、季節が変わるころには、放置された、次の春が過ぎようとする頃、同じような若い宮女がまた一人池端にいると詠う。)

 

 
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宮人・宮女・妃嬪

彼女たちは身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。

宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「宮女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮、)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮〔芙蓉苑〕、別館、諸親王府、皇帝陵、宗廟にそれぞれ配属されていた。

 

宮官と職掌

宮廷は小社会であり、宮人の中にも身分の高下貴賎があり、また様々な等級があった。后妃たちに「内官」 の制度があったように、宮人たちには「宮官」 の制度があった。宮官と内官を比較してみると、品階の上で差があったばかりでなく、いくらかの本質的な区別があったようだ。つまり、内官は官と称したが身分上は妃嬪の身分に属すべきもの、つまり皇帝の妾でもあったが、宮官にそうした身分はなく、ただ宮中の各種の事務を司る職員にすぎなかった。当然、これはあくまで身分上のことに過ぎず、彼女たちと皇帝の実際の関係に何ら影響しないことは、ちょうど主人と家碑の関係と同じである。

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司、司薬、司、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

宮官は事務官であったから、必ずしも容貌とか、皇帝のお気に召すかどうかにこだわる必要はなく、良家の出身で才徳兼備の女性を選びさえすればよかった。著名な才女であった宋若昭は、徳宗によって宮中に召され宮官の首席尚宮に任命された。裳光延の母庫秋氏は婦徳の名が高く、武則天に召されて女官御正に封じられた(『新唐書』蓑行倹伝)。

六局の宮官の他に、宮中には内文学館があり、宮人の中の文学の教養ある者を選んで学士とし、妃嬪宮人に教養、読み書き、算術などを教育する仕事を担当させた。

 

 

(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-10 河傳三首其一》
《河傳三首其一》

江畔,相喚。

曉妝仙,仙景箇女採蓮。

請君莫向那岸邊,少年,好花新滿舡。

紅袖搖曳逐風暖,垂玉腕,腸向柳絲斷。

浦南歸,浦北歸,莫知,晚來人已稀。

(大江のほとりの娼屋館の若いおんなが採蓮に向かう、ここに遊びに来た貴公子たちが声をかける、遊んだあとはそれぞれ女を棄てて帰っていくと詠う)

大江の淵の岸辺のあたりで、大きな声で呼んでいる。

朝化粧をきれいにした仙女たちがいる、いまにも霓裳羽衣の曲を舞おうかという光景のなかに、たった一人の女が蓮を摘み取っている。

清らかなあなたにお願いしたいのは向うの方に行ってはダメだということ、そう、あそこの岸辺のことだ。遊侠の貴公子たちがたむろしているのだ。美しく佳い花の美人ばかりを新たに選んで、舟遊びの船をいっぱいにしようとしている。

女たちの紅い袖がそちらから吹いてくる暖かい風に揺れている、袖をたくし上げて輝くような白い素肌を見せ、船縁から垂らして蓮を摘む。貴公子に恋いの思いを向けても、柳の梢を断ち切るように翌朝にすぐわかれる。

船着き場から南に帰っていくもの、北に帰るものがいたとしてもそれ以上を知ろうとするものではない。やがて夕刻になるまでに若者も、やがてだれもいなくなる。
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(河傳三首 其の一)

江畔,相いに喚【よびあ】う。

曉妝の仙,仙景 箇女 蓮を採る。

君に請う 向う莫れ 那の岸邊,少年,花を好み 新たに舡滿つ。

紅袖 搖れ曳き 風暖を逐う,玉腕を垂れ,腸は向えど 柳絲斷つ。

浦南 歸りて,浦北 歸り,知る莫れ,晚來りて 人に稀れなり。

 


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(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》(耶馬溪の採蓮のころ愛され、身請けされて小さな家に住むようになったものの放蕩の男は春が来ても現れる事は無かった。来るときはいつも馬を土手の柳につないでいたが、それ以降、柳のもとで馬の嘶きを聞いた事は無いとうたう。)

 

 
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34-03§2 《讀巻03-09 與孟東野書 -3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1302> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5494 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》溫庭筠66首巻二10-60〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5497

 

 

採蓮について、梁の武帝が、南朝の民歌である「西曲」を改めて作った「江南弄」の七曲のうちの一つであり、その後梁の簡文帝、元帝、劉孝威、朱超、母君攻、呉均、陳の後引、階の盧思、、般英里、唐代では崔国輔、彦伯、李白、賀知章、王昌齢、戎呈、儲光義、墨壷、白居易、斉己が同題で詠じている他、王勃「採蓮帰」、閻朝隠「採蓮女」、李白「湖辺採蓮婦」、溫庭筠「張静婉採蓮曲」がいずれも『楽府詩集』の同じ巻に採録されている。

内容は、蓮の花や蓮採りの女性の美しさ、また男性に対する恋情を詠うものを特徴としている。若い女、素足、水にかかわる女たちは、好奇な目で詩人たちは捉えた。

「採蓮」は文字通り蓮を摘み採る。蓮の花を摘んだり、蓮の実を摘んだりする意味で用いられるが、張籍のこの詩では蓮の実を摘むこと。用例は古くからあり、梁の武帝が「採蓮曲」を作る際に基づいたとされる前漢の古楽府「江南」(『宋書』楽志三)に、「江南可採蓮、蓮葉何田田」(江南 蓮を採るべし、蓮葉 何ぞ田田たる)と見える。

杜甫には用例がない。張籍に詩中で使われる例がもう一例、「烏棲曲」に、「呉姫採蓮自唱曲、君王昨夜船中宿」(呉姫 蓮を採りて 自ら曲を唱い、君王 昨夜 船中に宿る)とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『河傳』十八首

 

 

溫助教庭筠

巻二

河傳三首其一

曉妝仙,仙景箇

 

 

巻二

河傳三首其二

雨蕭蕭,煙浦花

 

 

巻二

河傳三首其三

杏花稀,夢裡每

 

 

韋相莊

巻二

河傳三首 其一

何處,煙雨,隋堤

 

 

巻二

河傳三首 其二

春晚,風暖,錦城

 

 

巻二

河傳三首 其三

錦浦,春女,繡衣

 

 

張舍人泌

巻五

河傳 二首之一

渺莽雲水,惆悵暮

 

 

巻五

河傳 二首之二

紅杏,交枝相映,

 

 

顧太尉

巻七

河傳三首 其一

鷰颺,晴景。小

 

 

巻七

河傳三首 其二

曲檻,春晚。

 

 

巻七

河傳三首 其