玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

巻二 溫庭筠

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-〈107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737

(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》(錦江のほとり望江樓に官妓として詩を作り、恋愛をした逸話から 其の三;海棠の花いっぱいの錦江のほとりに薛濤は春の歌を多くの詩人たちと和した、高官の男たちは、やがて去っていったが、官妓の薛濤は、いつまでも望江樓で春を詠った錦江の流れ淵の畔、海棠の花いっぱいの春に魅せられた女がいたが、それは刺繍の衣に金の糸にかざられ、霧が薄くかかり、雲淡くうかぶ官妓の望江樓にいたのだ。

 
 2015年3月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#6奉節-35-#6 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -6》 杜甫index-15 杜甫<907-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5735 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『河傳』十八首

 

 

溫助教庭筠

2-09

(改訂版)河傳三首其一

曉妝仙,仙景箇

 

 

2-10

(改訂版)河傳三首其二

雨蕭蕭,煙浦花

 

 

2-11

(改訂版)河傳三首其三

杏花稀,夢裡每

 

 

韋相莊

巻二

河傳三首 其一

何處,煙雨,隋堤

 

 

巻二

河傳三首 其二

春晚,風暖,錦城

 

 

巻二

河傳三首 其三

錦浦,春女,繡衣

 

 

張舍人泌

巻五

河傳 二首之一

渺莽雲水,惆悵暮

 

 

巻五

河傳 二首之二

紅杏,交枝相映,

 

 

顧太尉

巻七

河傳三首 其一

鷰颺,晴景。小

 

 

巻七

河傳三首 其二

曲檻,春晚。

 

 

巻七

河傳三首 其三

棹舉,舟去,波光

 

 

孫少監光憲

巻七

河傳四首(1

太平天子,等閑遊

 

 

巻七

河傳四首(2

柳拖金縷,着煙籠

 

 

巻七

河傳四首(3

花落,煙薄,謝家

 

 

巻七

河傳四首(4

風颭,波斂。

 

 

閻處士選

巻九

河傳一首

秋雨,秋雨,

 

 

李秀才珣

巻十

河傳二首其一

朝雲暮雨,依舊

 

 

巻十

河傳二首其二

落花深處,啼鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》三巻3-〈103〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5717

(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》(何にも知らない少女は後宮に入って、まず口に紅するのを覚える、寵愛を受けるようになると、いつしか、腕枕の中に眠るようになる。愛し合えば愛し合うほど寵愛を失った時の心の痛みは大きいのにと詠う。)

 
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203 《巻19-1 遊南陽白水登石激作 (朝涉白水源)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <203> Ⅰ李白詩1432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5708 
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49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-25韋荘103《巻3-03 江城子二首 其一》三巻3-103〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5717

 

 

宮中に入る

このように多くの女性はどこから来たのか。またどのようにして宮廷に入ったのか。彼女たちはだいたい次の四種類に分けられる。

 

第一種は、礼をもって宮廷に迎え入れられた場合である。この種の人々の大部分は名門貴顕の出身である。たとえば高宗の王皇后、中宗の趨皇后、粛宗の張皇后等の場合、みな皇室の親戚であった。また唐朝の権力者の娘もいた。たとえば意宗の郭貴妃は尚父郭子儀の孫娘であった。また名門大族の子孫もいた。

 

第二種は、選抜されて宮廷に入った場合である。この種の女性は必ずしも高貴な家柄の出ではなかったが、しかし大多数は「良家」の出身、つまり一般の官僚あるいは士人の家の出であった。

 

第三種は、宮中に献上された女性である。この種の人々には様々なタイプがあったが、大半は美貌か技芸の才によって献上された女性であった。いくらかの朝臣は自分の出世のために妻や娘を宮中に入れることを常に願った。たとえば、秘書官の鄭普息は、娘を中宗の後宮に献上したので弾劾を受けたことがあった(『資治通鑑』巻二〇八、中宗神龍二年)。雀堤はさらに恥知らずにも美貌の妻と娘を一緒に皇太子の宮中に献上し、高官になることができた。

 

第四種は、罪人の家の女性で宮廷の稗にされたものである。これらの大多数は、官僚士大夫層の女性であった。唐律の規定では、「籍没」といって謀反および大逆罪を犯した官僚士大夫層の家族(母、娘、妻、妾、子孫を含む)と奴稗は、みな後宮に入れて官奴婦にすることになっていた。つまり「技芸に巧みな者は後宮に入れる」(『唐六典』巻六、刑部都官)と定めていた。そして、無能な者は司農寺(銭穀のことを司る官庁)等の官庁に配属して官奴稗とし、後宮に入れられた者の一部分は官女とした。著名な宮廷の才女となった上官娩児は、祖父の罪に連坐し、まだおむつを着けている時、母とともに宮廷に没収された女性である。

 

 

以上をまとめてみると、唐の宮廷女性は四種の主な方法1招聴、選抜、献上、連坐によって調達されていたことが分かる。彼女たちの中には、名門貴族、官僚士大夫層の娘のみならず、また少数ながら娼妓、俳優、脾妾など下賎な身分に属する者もいた。罪没される者は比較的特殊な例であったが、これ以外の女性たちはあるいは家柄、あるいは才智と徳行、あるいは容姿、あるいは技芸によって宮中に選抜された人々であり、以上の四つが彼女たちが宮廷に入る主要な道であった。そして彼女たちの大半は十三、四歳の少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『應天長』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

3-03

江城子二首其一

恩重嬌多情易傷

 

 

3-04

江城子二首其二

髻鬟狼藉黛眉長

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

0426

江城子二首其一

鵁鶄飛起郡城東

 

 

0427

江城子二首其二

極浦煙消水鳥飛

 

 

張舍人泌

0501

江城子二首其一

碧欄干外小中庭

 

 

0502

江城子二首其二

浣花溪上見卿卿

 

 

歐陽舍人炯

0612

江城子一首

晚日金陵岸艸平

 

 

 

 

 

 

 

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》溫庭筠66首巻二16-〈66〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5527

(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

 

 
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177-#2 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <177-#2> Ⅰ李白詩1395 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5523 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》溫庭筠66首巻二16-66〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5527

 

 

一 歌舞と音楽 (3

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

・・・・・・・・・・・・

案前舞者顏如玉,不著人家俗衣服。

虹裳霞帔步搖冠,鈿瓔累累佩珊珊。

・・・・・・・・・・・・

飄然轉旋迴雪輕,嫣然縱送游龍驚。

小垂手后柳無力,斜曳裾時雲欲生。

煙蛾斂略不勝態,風袖低昂如有情。

・・・・・・・・・・・・

 

「案前 舞う者 顔は玉の如く、人家の俗なる衣服を著けず。虹の裳 霞の帔(内掛け」 歩揺の冠、細瓔は累累として珊珊を佩ぶ。.……諷然と転旋すれば廻る雪より軽く、嫣然と縦送すれば游る龍も驚く。小しく手を垂れし後 柳は力無く、斜めに裾を曳く時 雲 生ぜんと欲す。煙き蛾は斂略めて態に勝えず、風はらむ袖は低く昂く 情有るが如し」(白居易「霓裳羽衣歌」)

 

白居易の《胡旋女》

胡旋女,胡旋女,心應弦,手應鼓。

弦鼓一聲雙袖舉,回雪飄搖轉蓬舞。

左旋右轉不知疲,千匝萬周無已時。

人間物類無可比,奔車輪緩旋風遲。

曲終再拜謝天子,天子為之微齒。

胡旋女,出康居,徒勞東來萬里余。

中原自有胡旋者,斗妙爭能爾不如。

天寶季年時欲變,臣妾人人學圜轉。

中有太真外祿山,二人最道能胡旋。

梨花園中冊作妃,金雞障下養為兒。

祿山胡旋迷君眼,兵過黃河疑未反。

貴妃胡旋惑君心,死棄馬嵬念更深。

從茲地軸天維轉,五十年來制不禁。

胡旋女,莫空舞,數唱此歌悟明主。

 

胡旋の女 胡旋の女、心は弦に應じ 手は鼓に應ず。

弦鼓一聲 雙袖舉がり、回雪飄搖し 轉蓬舞ふ。

左に旋り右に轉じて疲れを知らず、千匝 萬周 已む時無し。

人間物類 比すべき無く。奔車 輪緩 旋風 遲し。

曲終り再拜して天子に謝す、天子之が為に微かし齒を(ひら)く。

胡旋の女 康居に出ず、勞して東來すること萬里余。

中原に自ずから有胡旋の者有り、斗妙 爭能 爾如かず。

天寶の季年 時に變はらんと欲し、臣妾人人 圜轉を學ぶ。

中に太真有り 外には祿山、二人最も道ふ 能く胡旋すと。

梨花園中 冊して妃と作し、金雞障下 養ひて兒と為す。

祿山の胡旋 君は眼を迷はし、兵黃河を過ぐるも未だ反せずと疑ふ。

貴妃の胡旋 君が心を惑はし、死して馬嵬に棄つるも 念ひ更に深し。

茲(これ)より地軸天維轉じ、五十年來 制せど禁ぜず。

 

胡旋舞は別の風格がある。これら舞妓のなかから、何人かの出色の舞踊家が出現した。

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》溫庭筠66首巻二15-〈65〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5522

(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》(後宮の秋の夜の舟遊び、歌舞と採蓮に出た宮女たちのそれぞれが思いやることを詠う)後宮の大池の鏡のような水面に映る秋の夜の月は、雪のような景色にかえている。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》溫庭筠66首巻二15-65〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5522

 

 

 

一 歌舞と音楽 (2

 

文宗の時代、宮人の沈阿翹は歌と舞いが上手な上、また作曲と演奏もできた。彼女が「何満子」(宮廷妓の何満子が作った作品)という舞曲を演じた時には、音の調べ、舞う姿ともやわらかくしなやかで流れるように素晴らしかった。「涼州曲」という一曲を演奏した時なぞは、音が清らかで哀調を帯び、文宗はこれぞ天上の音楽であると称讃した。そして最も優れた才能をもつ宮人を選んで彼女から芸を学ばせた。後に、この女性は宮中を出て秦という姓の男に嫁した。夫が出張していた時、『翹制曲』「憶秦郎」(秦郎を憶う」という一曲を作って、遥かに思慕の情を寄せた(『古今図書集成』「閏媛典閏藻部」、『杜陽雄編』巻中)。

泰娘は貴族の家の家妓であった。多芸多才で、歌舞弾奏なんでも窮めないものはなく、当時、都の貴顕の子弟は争って泰娘の名を伝えた。劉南錫は「泰娘の歌」を作ってその経歴を記している。

武則天の時代に、もう一人よく歌曲を作る無名の宮人がいた。その夫は菟罪で獄に陥ち、自分も籍没されて宮中の婦女にされた。彼女は日頃、篳篥を上手に吹き、また音律にもよく通じていた。

 

そして、「離別難」(別れの苦しみ)という曲を作って、自分の悲しみと恨みの気特を托した(『楽府雑録』「離別難」)。

楽器に精通している女性などは、数えきれぬほどたくさんいた。宰相宋璟の娘の宋氏は獦鼓(インドから中央アジアを経て伝わった太鼓の一種)を専門に習い、その技量はかなり高度な水準に達していた(南卓『掲鼓録』)。楊志の父方の叔母は、もともと宮妓であり、琵琶の演奏で一世を風廃した女性であった(『楽府雑録』「琵琶」)。ひじょうに多くの唐詩の諸篇に、楽器を演奏する高度な技術と妙なる音声を持つ女性たちのことが描かれている。白居易の有名な詩「琵琶行」には、次のように琵琶妓の絶妙な技術と芸術的な影響力とが生々と描かれている。

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》溫庭筠66首巻二14-〈64〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5517

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》溫庭筠66首巻二14-64〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5517

 

 

 

一 歌舞と音楽

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

 

永新念奴は、共に盛唐時代の著名な宮廷歌手であった。永新の本名は許和子といい、もとは吉州永新(江西省永新県)の楽家(音楽を専業にしていた家)の娘であり、選ばれて宮廷に入った。彼女は歌が上手なばかりでなく、新しい歌を編み出すことができた。秋が深まり月が晴々と輝き、楼台、宮殿が静まりかえった時に、彼女がひと声歌えば、その声は長安の大通りに響き渡ったという。ある時、玄宗皇帝は勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 

念奴も歌がたいへん上手で、玄宗は彼女をひじょうに愛し、一日たりとも側を離れることを許さなかった。彼女は歌声で人を魅了したばかりでなく、身振りも人の心をうった。彼女は歌う度に観衆を見まわし、流し目を送ってうっとりさせた。歌声は雲や霞を突き抜け、鐘・太鼓・笙・竿(大型の笙)などにぎやかな音も、彼女の歌声を凌ぐことはできなかった(『開元天宝遺事』巻上)。

 

また、張紅紅という著名な歌手がいた。彼女はもともと父について大道で歌を唱って暮らしていたが、その歌声が将軍寺青の耳にとまり彼の姫妾にされた。彼女は非常に賢く、曲をすぐ覚えてしまった。ある時、韋青は一人の楽工(歌舞演奏の芸人)に曲を作らせ一遍だけ歌わせた。側にいた張紅紅は豆を置きながらメロディーとリズムを覚えて、楽工が歌い終るとすぐ一人で歌い、楽工を大いに驚かせた。彼女の芸術的才能は後に代宗の耳にも達し、宮中に召されて才人に封じられ、宮中で「記曲娘子」(曲覚えの名手)とよばれた(『楽府雑録』「歌」)。

 

教坊妓の中でも、任智方の四人の娘は、いずれも歌が上手で、それぞれの歌いぶりに特徴があった。中でも「二番目の娘は発声の仕方が柔かく物悲しく、歌が終る時いつ止んだのか分からないほど静かだった。三番目の娘は物腰が穏やかで、側で見ると歌を唱っているという意識が全くないようであった。四番目の娘は声が穏やかでしっとりしており、また透き通るように澄んでいてその声はあたかも空から降ってくるようだった」(『教坊記』「仕氏四女」、以下本書によるものは特別注記しない)。

 

劉采春と周徳華は俳優、楽工の身分に属する歌手であり、二人は母娘の関係であった。劉采春の歌声は空の雲をつき通すほど響きわたった。その歌はすべて当代の才子が書いた新詩であり、中でも羅貢曲が得意だった。周徳華は楊柳詞を歌うのが上手で、多くの名門・豪族の家の女性たちが彼女から歌を学んだ。彼女の性格は上品で世俗に媚びず、一流の作者による優れた歌曲を唱うだけで、輕佻浮薄な歌はいっさい唱わなかった(『雲渓友議』巻九、一〇)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『荷葉盃』十四首

 

 

作者

初句7字

 

 

溫助教庭筠

巻二14

荷葉盃 三首 其一

一點露珠凝冷

 

 

巻二15

荷葉盃 三首 其二

鏡水夜來秋月

 

 

巻二16

荷葉盃 三首 其三

楚女欲歸南浦

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二44

荷葉杯二首其一

絶代佳人難得

 

 

巻二45

荷葉杯二首其二

記得那年花下

 

 

(顧太尉

巻七22

荷葉盃九首其一

春盡小庭花落,

 

 

巻七23

荷葉盃九首其二

歌發誰家筵上,

 

 

巻七24

荷葉盃九首其三

弱柳好花盡拆,

 

 

巻七25

荷葉盃九首其四

記得那時相見,

 

 

巻七26

荷葉盃九首其五

夜久歌聲怨咽,

 

 

巻七27

荷葉盃九首其六

我憶君詩最苦,

 

 

巻七28

荷葉盃九首其七

金鴨香濃鴛被,

 

 

巻七29

荷葉盃九首其八

曲砌蝶飛煙暖,

 

 

巻七30

荷葉盃九首其九

一去又乖期信,

 

 

 

 

 

 

 

(旧解釈)

荷葉杯 其一

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その一

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

一粒の露の玉は寒くて凍えそうなのも緩んできた。池には小波が広がる。ため池には蓮がいっぱいに溢れている。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの肉太の茎があり、紅く妖艶な花があり二つながら合い乱れている。そんな蓮を見ると女の腸がちぎれるほどにいたむ、水面を抜けてくる風は涼しく現実に戻してくれる。

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 凝冷たり,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。
(旧解釈)

荷葉杯 其二

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)

鏡水夜來秋月,如雪。採蓮時,

鏡のような水面に映る秋の夜の月は、雪のように輝き庭を照らす。

小娘紅粉對寒浪。惆悵,正思惟。

蓮を採る時、寒くなり始めた中、装いした乙女たちはその顔を冷たい水に差し向けている。

胸を痛め、怨みを思い、それでもまだ、あなたのことを思う。

其の二

鏡水 夜來の秋月,雪の如し。採蓮の時,

小娘【しょうじょう】の紅粉 寒浪に對す。惆悵として,正に思惟す。
(旧解釈)

荷葉杯 其三

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その三

楚女欲歸南浦,朝雨,濕愁紅。

楚の国の女が江南の港に帰ろうとしている。その朝、雨が降っている。女の紅い頬は憂いにあふれ涙にぬれている。

小船搖漾入花裏,波起,隔西風。

旅立つ船はゆらゆら揺れながらこの街の船着き場に入って來る。波を起こして出向する。そして西風に乗って離れていく。

荷葉杯【かようはい】 其三

楚女 南浦に歸らんと欲す,朝 雨あり,愁紅を濕す。

小船 漾を搖らせ 花裏に入り,波 起し,西風を隔つ。


(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》

荷葉杯 其一

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

 

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 冷を凝り,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。

 

 

(改訂版)-1溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》

『荷葉杯』三首其一 現代語訳と訳註

(本文)

荷葉杯 其一

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

 

(下し文)

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 凝冷たり,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。

 

(現代語訳)

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

 

(訳注)

荷葉杯 其一

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

唐の教坊の曲名。『花間集」一には十四首所収。温庭筠の作は三百収められている。単調二十三字、六句四仄韻二平韻で、❻❷③❼❷③の詞形をとる。

一點露珠凝,波,滿池

綠莖紅艷兩相,腸,水風

  

  

094荷葉杯 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-279-5-#33  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2942

荷葉杯 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

 

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

・池塘 いけ。池は円く、塘は四角いのをさす。謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

 

綠莖 紅艷 兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

・綠莖 けい【茎〔莖〕】[漢字項目]とは。意味や解説。[常用漢字][音]ケイ(慣)[訓]くき〈ケイ〉植物のくき。「花茎・塊茎・球茎・根茎・地下茎」男根。「陰茎・包茎」〈くき(ぐき)〉「歯茎・水茎」[難読]芋茎(ずいき)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》溫庭筠66首巻二13-〈63〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5512

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》溫庭筠66首巻二13-63〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5512

 

 

紅桃

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。

謝阿蛮

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。

張雲容

全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

王大娘

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。

許和子(永新)

『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

 

 

(旧版)

蕃女怨二首 其一

(北の辺境にいる男を思う女の気持ちを詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

春の盛りになると枝という枝咲き薫る一面の白い花(あの人のいる北の国境にも咲いている)春の細雨が降る中そろいの番の燕が飛び交う。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

螺鈿の琴は蝉模様、扇は金の雀の絵柄で幸せな時をうかがわせる。絵が描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

雁門関からの音信が帰って來ることはなく、雁はそのまま北へむかい帰り飛んでゆく。

 

(旧版)

蕃女怨二首 其二

(北の辺境にいる男が帰って來る知らせがあった女の気持ちを詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いた。雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、もう何年も征伐の戦いをしてきた。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

奇麗な絵が描かれた高楼にはあれだけ恨みに思っていたことと離別した女が空しくしていた錦の屏風の向こうにいる春を告げる杏の花のように可憐な赤い花のようにいる。

 

(改訂版)-1溫庭筠62《巻2-12 蕃女怨 之一》

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

蕃女怨二首其二

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の二)

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。

花蕊夫人002

(改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

『蕃女怨二首』 現代語訳と訳註

(本文)

其二

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

 

 

(下し文)

其二

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。

 

 

(現代語訳)

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

唐 長安図 基本図00
 

(訳注) (改訂版)-1溫庭筠63《巻2-13 蕃女怨 之二》

蕃女怨二首 其二

(北の辺境から嫁いだものの、離宮の片隅で一人さびしく春をすごす蕃胡娘を詠う。)

蕃女怨 未開の種族。野蛮な民族。神の紅い外国から来た女。敦煌曲、涼州曲を演奏し、歌い、踊るために、長安に来て、後宮に入った。

遠くから来た妃嬪が寵愛を失ってしまったことを表現した詩である。

温庭筠の創始の曲と言われ、『花間集』には温庭筠の二首のみ所収。単調三十一字、七句四仄韻●二平韻○で、❼❹3❸❹⑦③の詞形をとる。

萬枝香雪開已 細雨雙
鈿蟬箏 金雀 畫梁相

鴈門消息不歸 又飛

  
  

 

磧南沙上驚鴈,飛雪千

玉連環,金鏃,年年征

畫樓離恨錦屏,杏花

  
  
 

 

 

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲南側は砂地で砂漠を思い起こす、北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いたが、女と同じように雪深い所から千里も飛んできた。

・磧南沙上 川の流れに沿う平地で、ふだんは水の流れていない、石や砂の多い所。北の砂漠を連想させ、雁は雁書で書簡が届くこと。詞の成り立ちからすると、北方の娘が後宮に入ったもの、その寂しさを詠ったものという所か。

 

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

その中洲や砂漠には、九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、がのこされ、うずまっている。この地との間には、古い昔から、寒くなるごとに、もう何年も征伐の戦いをしてきたことか。

・玉連環 もっとも古い種類の知恵の輪と考えられている。 『戦国策』には、「秦の昭王が斉国に玉連環を贈った」という記述が出てくる。確証はないがこの「玉連環」が、「九連環」と同種のものであるといわれている。

・金鏃箭 金:鏃やじり。箭:武器・狩猟具の一。弓の弦(つる)につがえ、距離を隔てた目的物を射るもの。木または竹で作った棒状のもので、一方の端に羽をつけ、他方の端に鏃(やじり)をつける。「―をつがえる」2木材や石など、かたいもの

 

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

たがいの国が平穏に過ごすため、女は嫁いできたけれど、いまここには、奇麗な絵が描かれた離宮の高楼、離別したうらみ、錦の屏風があるけれど、愛情の雰囲気を感じさせるものはなく、そこから見えるのは杏園の花が咲き乱れていることだけだ。

・離恨 別離の悲しみ。人と別れるつらさ。故郷と分かれてきたこと。寵愛を失ったこと。

・杏花 長安曲江の杏園の杏花。アンズはバラ科の喬木(きょうぼく)で、原産地は中国。リンゴやモモに似た白または薄ピンクの花を咲かせ、春の訪れを告げるようすは可憐(かれん)で、詩にもうたわれているほど。

 

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唐宋の女性の生活

唐代の女性は比較的高い地位と比較的多くの自由を享受していたけれども、しかし結局は、男尊女卑の封建社会から脱出することはできなかった。それゆえ、法律の上でも現実の生活の上でも、また観念の上でも、依然として様々な不平等な待遇を受けた。

まず、法律の上では、男女は全く不平等であった。経済・財産の上では、女性はただわずかな嫁入り費用を分けてもらえるだけで、兄弟たちとちがって財産を相続する権利はなかった。男の相続人がなく「戸絶」(後嗣の絶えた家)と認められた情況下ではじめて、未婚あるいは既婚の女性が財産の相続権に与ることができたのである(楊廷福「唐代婦女の法律上における地位」『法律史論叢』第三輯、法律出版社、一九八三年)。『全唐文』(巻九八〇)に、次のような記載がある。「洛陽の人見諺は、先ず本県から同郷人任蘭の死後に戸絶となった任蘭の住宅一区画を支給された。ところが、任蘭の娘婿の郭恭理から訴えられた。県官は晃諺の所有と断じたが、州官は娘に返せと判決した。しかし鬼諺は服さなかった」という事件である。上級の州の判決文は、「宅及び資産は、近親者たる娘のものである。令式に条文があり、この規定に拠るべきである」というものであった。この事件からみると、たとえ女子が健在であっても、この戸はやはり県官から「死絶」とされたのである。女子の財産相続権は法律で明確に定められているのに、それが認められるまで大変な手間をかけねはならなかったことがわかる。

 

夫婦関係では、夫が妻を棄てても何ら法律上の罰則はなかったが、妻や妾が夫を棄てた場合は制裁を受けねばならなかった。「妻や妾が勝手に夫のもとを去った場合は、二年の徒刑に処し、さらに他人の嫁となったものは二等級二年間)加算する」(『唐律疏議』巻一四)。さらに不平等なことは、夫が妻を殴って負傷させた場合、罪は「一般人の場合より二等級減ずる」、逆に妻が夫にそうした場合は「徒刑一年」、また夫に重傷を負わせた場合は「一般の殴傷より二等級罪を重くする」というのである(『唐律疏議』巻二二)。同じ喧嘩の訴訟でも、量刑の軽重は男女によって異なっており、男は減刑、女は増刑となった。これは男女間の法律上の地位の不平等を示したものであるばかりか、さらに夫婦の間の地位の不平等をも示していた。媵妾の類に至っては、正妻に比べてさらに一等級低かった。男女の差別の上に良民、賎民の差別が加重され、量刑にも軽重の区別がつけられた。この他、女性にはまた「連坐」の刑罰があり、未婚の娘は父の罪に連坐し、既婚の夫人ならば夫と子の罪に連坐する定めであったから、父や夫、子が罪を犯せば、自分に罪がなくても連坐制によって奴稗にされる女性が大変多かった。この法律の規定は、まさに女性を男性の付属品とみなす明らかな反映である。

 

女性は現実の生活でも、さらに多くの不幸に見舞われた。彼女たちは独立した人格をもたない資財であり男の慰み物と見なされたので、常に権勢を持つ人々から侮辱され、掠奪され、そして占有された。こうした不幸は戦乱の時が最も甚だしく、官軍であれ、「胡兵」であれ、常に女性を掠奪、強姦した。杜甫はかつて官軍がほしいままに女性を掠奪するのを非難して、「婦女 多くは官軍中に在り」(杜甫「三絶句」)と詠ったことがある。回紇などの「胡兵」に掠奪された女性はさらに悲惨であった。「生きては名家の女と為り、死しては塞垣(万里の長城)の鬼と作る」(戎昱「苦哉行」)というわけで、永遠に家族と団欒することはできなかった。また、女性は第二等の下賤の輩と見なされていたので、一度戦乱とか変事とかがあった場合には、真っ先に犠牲となった。安史の乱の時、名将張巡は陥落寸前の城を守っていたが、城内の食糧が尽きると、こともあろうに自分の愛妾を殺して将兵に食べさせ、続いてまた城中にいた女性を捜し出して軍糧とし、それを食べ尽くすと老幼の男子の順番とした(『旧唐書』張巡伝)。建中年間、節度使李希烈は汴州(河南省開封市)を攻撃したが攻略できず、ついに女性と輜重(軍事用物資)をもって壕を埋めたてた(『太平広記』巻二六九)。これら血の滴るような惨劇ほど、女性の卑賎な地位と不幸を示しているものは他にない。

 

 

(旧版)

蕃女怨二首 其一

(北の辺境にいる男を思う女の気持ちを詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

春の盛りになると枝という枝咲き薫る一面の白い花(あの人のいる北の国境にも咲いている)春の細雨が降る中そろいの番の燕が飛び交う。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

螺鈿の琴は蝉模様、扇は金の雀の絵柄で幸せな時をうかがわせる。絵が描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

雁門関からの音信が帰って來ることはなく、雁はそのまま北へむかい帰り飛んでゆく。

 

(旧版)

蕃女怨二首 其二

(北の辺境にいる男が帰って來る知らせがあった女の気持ちを詠う。)

磧南沙上驚鴈起,飛雪千里。

河の中洲北側は石や砂の多い所で砂地のところで雁が起き上がり驚いた。雪深い所から千里も飛んできた。

玉連環,金鏃箭,年年征戰。

九連の環、こがねに飾った矢じり、弓、もう何年も征伐の戦いをしてきた。

畫樓離恨錦屏空,杏花紅。

奇麗な絵が描かれた高楼にはあれだけ恨みに思っていたことと離別した女が空しくしていた錦の屏風の向こうにいる春を告げる杏の花のように可憐な赤い花のようにいる。

 

(改訂版)-1溫庭筠62《巻2-12 蕃女怨 之一》

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の二)

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。


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『蕃女怨二首』 現代語訳と訳註

(本文)

蕃女怨二首 其一

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

 

(下し文)

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(訳注)

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

蕃女怨 未開の種族。野蛮な民族。神の紅い外国から来た女。

遠くから来た妃嬪が寵愛を失ってしまったことを表現した詩である。

温庭筠の創始の曲と言われ、『花間集』には温庭筠の二首のみ所収。単調三十一字、七句四仄韻●二平韻○で、❼❹3❸❹⑦③の詞形をとる。

萬枝香雪開已 細雨雙
鈿蟬箏 金雀 畫梁相

鴈門消息不歸 又飛

  
  

 

 

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

○香雪 梨や杏の白く香しい花を指す。

◎万物が成長する春が来る、寵愛を受けるチャンスが生まれる春という宮殿の景色を表す。

 

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

〇鈿蟬箏 蟬の鈿蟬飾りの琴。

○金雀屈 金泥で描いた雀の絵のある扇。

◎この三句は、後宮の宮殿の中ですぐそこに天子がいて、顔を合わすこともあるのにすれ違い、相手にされないことを表している。

 

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

○雁門消息木帰來 雁門にいる男からの便りのないこと。雁門は今の山西省の雁門関の西の雁門山。雁は秋にここを発って南に渡ると考えられていた。

○又飛迴 ここでは今年の春、雁がまた北へ帰って行くこと。女は夫への便りを手紙の使者である雁に託したい。しかし雁は女性のことなどお構いなしに無情にも飛び帰って行く、といった意味合い。いずれにしても、女への思いが伝わってこないことを云う。

◎この二句は、季節が変わっても便りがないことを、実際にこの詩の中の宮殿のような家に住むものの夫が雁門に行っているわけではなく、寵愛を受けるべく妃嬪も、季節、季節でいろんな努力をしてうったえる。それに対して、全く反応がないことを、雁門に行った征夫の返事がないことに置き換えることで、強調している。

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(改訂版)-1溫庭筠61《巻2-11 河傳三首其三》(曲江離宮の妃嬪宮女が舟遊びの時に見初められ、時を過ごしたが、季節が変わるころには、放置された、次の春が過ぎようとする頃、同じような若い宮女がまた一人池端にいると詠う。)

 

 
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宮人・宮女・妃嬪

彼女たちは身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。

宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「宮女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮、)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮〔芙蓉苑〕、別館、諸親王府、皇帝陵、宗廟にそれぞれ配属されていた。

 

宮官と職掌

宮廷は小社会であり、宮人の中にも身分の高下貴賎があり、また様々な等級があった。后妃たちに「内官」 の制度があったように、宮人たちには「宮官」 の制度があった。宮官と内官を比較してみると、品階の上で差があったばかりでなく、いくらかの本質的な区別があったようだ。つまり、内官は官と称したが身分上は妃嬪の身分に属すべきもの、つまり皇帝の妾でもあったが、宮官にそうした身分はなく、ただ宮中の各種の事務を司る職員にすぎなかった。当然、これはあくまで身分上のことに過ぎず、彼女たちと皇帝の実際の関係に何ら影響しないことは、ちょうど主人と家碑の関係と同じである。

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司、司薬、司、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

宮官は事務官であったから、必ずしも容貌とか、皇帝のお気に召すかどうかにこだわる必要はなく、良家の出身で才徳兼備の女性を選びさえすればよかった。著名な才女であった宋若昭は、徳宗によって宮中に召され宮官の首席尚宮に任命された。裳光延の母庫秋氏は婦徳の名が高く、武則天に召されて女官御正に封じられた(『新唐書』蓑行倹伝)。

六局の宮官の他に、宮中には内文学館があり、宮人の中の文学の教養ある者を選んで学士とし、妃嬪宮人に教養、読み書き、算術などを教育する仕事を担当させた。

 

 

(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-10 河傳三首其一》
《河傳三首其一》

江畔,相喚。

曉妝仙,仙景箇女採蓮。

請君莫向那岸邊,少年,好花新滿舡。

紅袖搖曳逐風暖,垂玉腕,腸向柳絲斷。

浦南歸,浦北歸,莫知,晚來人已稀。

(大江のほとりの娼屋館の若いおんなが採蓮に向かう、ここに遊びに来た貴公子たちが声をかける、遊んだあとはそれぞれ女を棄てて帰っていくと詠う)

大江の淵の岸辺のあたりで、大きな声で呼んでいる。

朝化粧をきれいにした仙女たちがいる、いまにも霓裳羽衣の曲を舞おうかという光景のなかに、たった一人の女が蓮を摘み取っている。

清らかなあなたにお願いしたいのは向うの方に行ってはダメだということ、そう、あそこの岸辺のことだ。遊侠の貴公子たちがたむろしているのだ。美しく佳い花の美人ばかりを新たに選んで、舟遊びの船をいっぱいにしようとしている。

女たちの紅い袖がそちらから吹いてくる暖かい風に揺れている、袖をたくし上げて輝くような白い素肌を見せ、船縁から垂らして蓮を摘む。貴公子に恋いの思いを向けても、柳の梢を断ち切るように翌朝にすぐわかれる。

船着き場から南に帰っていくもの、北に帰るものがいたとしてもそれ以上を知ろうとするものではない。やがて夕刻になるまでに若者も、やがてだれもいなくなる。
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(河傳三首 其の一)

江畔,相いに喚【よびあ】う。

曉妝の仙,仙景 箇女 蓮を採る。

君に請う 向う莫れ 那の岸邊,少年,花を好み 新たに舡滿つ。

紅袖 搖れ曳き 風暖を逐う,玉腕を垂れ,腸は向えど 柳絲斷つ。

浦南 歸りて,浦北 歸り,知る莫れ,晚來りて 人に稀れなり。

 


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(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》(耶馬溪の採蓮のころ愛され、身請けされて小さな家に住むようになったものの放蕩の男は春が来ても現れる事は無かった。来るときはいつも馬を土手の柳につないでいたが、それ以降、柳のもとで馬の嘶きを聞いた事は無いとうたう。)

 

 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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34-03§2 《讀巻03-09 與孟東野書 -3》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1302> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5494 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-31-#2奉節-22 -#2 《巻15-47 雨 -#2》 杜甫index-15 杜甫<895 -#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5495 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》溫庭筠66首巻二10-〈60〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5497 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠60《巻2-10 河傳三首其二》溫庭筠66首巻二10-60〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5497

 

 

採蓮について、梁の武帝が、南朝の民歌である「西曲」を改めて作った「江南弄」の七曲のうちの一つであり、その後梁の簡文帝、元帝、劉孝威、朱超、母君攻、呉均、陳の後引、階の盧思、、般英里、唐代では崔国輔、彦伯、李白、賀知章、王昌齢、戎呈、儲光義、墨壷、白居易、斉己が同題で詠じている他、王勃「採蓮帰」、閻朝隠「採蓮女」、李白「湖辺採蓮婦」、溫庭筠「張静婉採蓮曲」がいずれも『楽府詩集』の同じ巻に採録されている。

内容は、蓮の花や蓮採りの女性の美しさ、また男性に対する恋情を詠うものを特徴としている。若い女、素足、水にかかわる女たちは、好奇な目で詩人たちは捉えた。

「採蓮」は文字通り蓮を摘み採る。蓮の花を摘んだり、蓮の実を摘んだりする意味で用いられるが、張籍のこの詩では蓮の実を摘むこと。用例は古くからあり、梁の武帝が「採蓮曲」を作る際に基づいたとされる前漢の古楽府「江南」(『宋書』楽志三)に、「江南可採蓮、蓮葉何田田」(江南 蓮を採るべし、蓮葉 何ぞ田田たる)と見える。

杜甫には用例がない。張籍に詩中で使われる例がもう一例、「烏棲曲」に、「呉姫採蓮自唱曲、君王昨夜船中宿」(呉姫 蓮を採りて 自ら曲を唱い、君王 昨夜 船中に宿る)とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『河傳』十八首

 

 

溫助教庭筠

巻二

河傳三首其一

曉妝仙,仙景箇

 

 

巻二

河傳三首其二

雨蕭蕭,煙浦花

 

 

巻二

河傳三首其三

杏花稀,夢裡每

 

 

韋相莊

巻二

河傳三首 其一

何處,煙雨,隋堤

 

 

巻二

河傳三首 其二

春晚,風暖,錦城

 

 

巻二

河傳三首 其三

錦浦,春女,繡衣

 

 

張舍人泌

巻五

河傳 二首之一

渺莽雲水,惆悵暮

 

 

巻五

河傳 二首之二

紅杏,交枝相映,

 

 

顧太尉

巻七

河傳三首 其一

鷰颺,晴景。小

 

 

巻七

河傳三首 其二

曲檻,春晚。

 

 

巻七

河傳三首 其

棹舉,舟去,波光

 

 

孫少監光憲

巻七

河傳四首(1

太平天子,等閑遊

 

 

巻七

河傳四首(2

柳拖金縷,着煙籠

 

 

巻七

河傳四首(3

花落,煙薄,謝家

 

 

巻七

河傳四首(4

風颭,波斂。

 

 

閻處士選

巻九

河傳一首

秋雨,秋雨,

 

 

李秀才珣

巻十

河傳二首其一

朝雲暮雨,依舊

 

 

巻十

河傳二首其二

落花深處,啼鳥

 

 

 

 

 

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-09 河傳三首其一》溫庭筠66首巻二9-〈59〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5492

(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-09 河傳三首其一》(大江のほとりの娼屋館の若いおんなが採蓮に向かう、ここに遊びに来た貴公子たちが声をかける、遊んだあとはそれぞれ女を棄てて帰っていくと詠う)

 
 2015年2月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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34-02§1-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -2》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1301> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5489 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-31-#1奉節-21 《巻15-47 雨 -#1》 杜甫index-15 杜甫<893-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5470 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-09 河傳三首其一》溫庭筠66首巻二9-〈59〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5492 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠59《巻2-09 河傳三首其一》溫庭筠66首巻二9-59〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5492

 

 

「男耕女織」、これは中国古代の標準的な農家の生活風景である。唐代の農民は官府に租税を納める外に、なお調として絹、綾、布、綿などを納めねばならず、これらの任務はみな女性たちが担わされていた。少数の豪紳地主の家の女性を除いて、大多数の農家の女性は、その生涯のすべてを養蚕や紡織の仕事に投じた。社会全体の「衣と食」という二つの大仕事は、彼女たちがその半分を担ったのであるが、それと同時に彼女たちは精美な織物を大量に作って古代文明に貢献したのである。

孟郊《織婦辞》「夫是田中郎,妾是田中女。當年嫁得君,爲君秉機杼。 筋力日已疲,不息窻下機。如何織紈素,自著藍縷衣。 官家牓村路,更索栽桑樹。」(夫は田中の郎、妾は田中の女。当年君に嫁し得て、君の為に機杼を秉る。筋力は日に巳に疲るるも、窓下の機を息めず。如何せん紈素を織るに、自らは襤褸の衣を著くるを)。

これが一般の農家の女性たちの労働と生活の状況であった。

春が来るとすぐに彼女たちは明ければ桑の葉を摘み、蚕を飼うことに暮れるまでするようになる。

来鵠《蚕婦》「曉夕采桑多苦辛,好花時節不閒身。」(暁夕桑を採んで苦辛多く、好花の時節も不閑身。)

張籍 《江村行》「桑林椹黑蠶再眠,婦姑采桑不向田。」(桑林植黒く蚕は再び眠り、婦姑は桑を採んで田に向かわず)。

彼女たちは天の神様に御加護を祈る、どうか繭がたくさん取れますようにと。

王建 蔟蚕辞「但だ青天を得て雨下らず、上に蒼蝿無く下に鼠無からんことを。新婦は蔟を拝して繭の稠がるを願い…。三日箔を開けば雪く団団、先ず新たな繭を将で県官に送る。已に聞く郷里にては織作を催すと、去きて誰人の身上に著けられん。」

蠶欲老,箔頭作繭絲皓皓。

場寬地高風日多,不向中庭蒿草。神蠶急作莫悠揚,年來爲爾祭神桑。

但得青天不下雨,上無蒼蠅下無鼠。新婦拜簇願繭稠,女灑桃漿男打鼓。

三日開箔雪團團,先將新繭送縣官。已聞里催織作,去與誰人身上著。

 

こうした労働と生活の風景は、南方の女性たちがあたかも牧歌的な田園生活を送っていたかのように思わせるが、実際は彼女たちの生活も詩人が描くような詩情に富むものでは決してなかった。彼女たちにも、北方の姉妹たちと同じょうに様々な苦痛と困難があった。ただ江南はわりに豊かであり、またこれまで戦乱も一貫して比較的少なかったので、彼女たちが受ける災難はやや少なかっただけのことである。それよりも重要なことは、詩人たちが江南の明るく美しい景色に陶酔して、女性の労働をロマンチックに飾り立てて詠んだので、彼女たちの苦労があまり反映されずに終ったことである。

 

採蓮について、梁の武帝が、南朝の民歌である「西曲」を改めて作った「江南弄」の七曲のうちの一つであり、その後梁の簡文帝、元帝、劉孝威、朱超、母君攻、呉均、陳の後引、階の盧思、、般英里、唐代では崔国輔、彦伯、李白、賀知章、王昌齢、戎呈、儲光義、墨壷、白居易、斉己が同題で詠じている他、王勃「採蓮帰」、閻朝隠「採蓮女」、李白「湖辺採蓮婦」、溫庭筠「張静婉採蓮曲」がいずれも『楽府詩集』の同じ巻に採録されている。

内容は、蓮の花や蓮採りの女性の美しさ、また男性に対する恋情を詠うものを特徴としている。若い女、素足、水にかかわる女たちは、好奇な目で詩人たちは捉えた。

「採蓮」は文字通り蓮を摘み採る。蓮の花を摘んだり、蓮の実を摘んだりする意味で用いられるが、張籍のこの詩では蓮の実を摘むこと。用例は古くからあり、梁の武帝が「採蓮曲」を作る際に基づいたとされる前漢の古楽府「江南」(『宋書』楽志三)に、「江南可採蓮、蓮葉何田田」(江南 蓮を採るべし、蓮葉 何ぞ田田たる)と見える。

杜甫には用例がない。張籍に詩中で使われる例がもう一例、「烏棲曲」に、「呉姫採蓮自唱曲、君王昨夜船中宿」(呉姫 蓮を採りて 自ら曲を唱い、君王 昨夜 船中に宿る)とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『河傳』十八首

 

 

溫助教庭筠

巻二

河傳三首其一

曉妝仙,仙景箇

 

 

巻二

河傳三首其二

雨蕭蕭,煙浦花

 

 

巻二

河傳三首其三

杏花稀,夢裡每

 

 

韋相莊

巻二

河傳三首 其一

何處,煙雨,隋堤

 

 

巻二

河傳三首 其二

春晚,風暖,錦城

 

 

巻二

河傳三首 其三

錦浦,春女,繡衣

 

 

張舍人泌

巻五

河傳 二首之一

渺莽雲水,惆悵暮

 

 

巻五

河傳 二首之二

紅杏,交枝相映,

 

 

顧太尉

巻七

河傳三首 其一

鷰颺,晴景。小

 

 

巻七

河傳三首 其二

曲檻,春晚。

 

 

巻七

河傳三首 其三

棹舉,舟去,波光

 

 

孫少監光憲

巻七

河傳四首(1

太平天子,等閑遊

 

 

巻七

河傳四首(2

柳拖金縷,着煙籠

 

 

巻七

河傳四首(3

花落,煙薄,謝家

 

 

巻七

河傳四首(4

風颭,波斂。

 

 

閻處士選

巻九

河傳一首

秋雨,秋雨,

 

 

李秀才珣

巻十

河傳二首其一

朝雲暮雨,依舊

 

 

巻十

河傳二首其二

落花深處,啼鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠58《巻2-08 夢江南二首其二》溫庭筠66首巻二8-〈58〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5487

(改訂版)-1溫庭筠58《巻2-08 夢江南二首其二》『買斷』で他の客と接することが無くなって、朝もゆっくりと顔を洗い、髪に梳く、身繕いをおわると、ひとりで大江ほとり高殿に上って眺める。

 
 2015年2月1日の紀頌之5つのブログ 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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172-#4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <172-#4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠58《巻2-08 夢江南二首其二》溫庭筠66首巻二8-58〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5487

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『歸國遙』五首

 

 

作者



初句7字

 

 

溫助教庭筠

2-07

夢江南二首其一

蘭燼落,屏上暗紅蕉。

 

 

2-08

夢江南二首其二

樓上寢,殘月下簾旌。

 

 

皇甫先輩松

2-25

夢江南二首其一

千萬恨,恨極在天涯。

 

 

2-25

夢江南二首其二

梳洗罷,獨倚望江樓。

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

4-05

夢江南二首其一

含泥燕,飛到畫堂前。

 

 

4-06

夢江南二首其二

紅繡被,兩兩間鴛鴦。

 

 

 

 

 

 

 

  

(旧版)

夢江南 之一
千萬恨,恨極在天涯。
限りないほどのこの恨んでも恨んでも恨みきれない。この恨みの最も強いものは地の果てにいる愛しい人が行ったきりだということです。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
私の周りの自然美の山にかかる月は心の内から裏まであふれるほどのものになっている心配事は知らないでしょう。川面を吹き抜ける風は私の目の前の花をむなしく落していくのも私の心の内を知らないのです。
揺曳碧雲斜。
はるかかなたのあの人の所へあのたなびいている雲が渡してくれるのです。

夢江南 之一
千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。

(旧版)

夢江南 之二
梳洗罷,獨倚望江樓。
毎朝 顔を洗い、くしで髪を梳く、身繕いをおわると、河畔の高殿に上って、いつもひとりで大江を眺めるのです。
過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。
何もかも通り過ぎてしまったこと、千の帆かけ船が行き交うけれどあの人がのっている船ではないのです。そうしているといつの間にか太陽が西に傾いている、みゃくみゃくと思いつきないこの気持ちを、せつなくやるせない思いを知らないというように川の流れは悠悠と流れて行くのです。
腸斷白蘋洲。
この下はらの痛みの私の身を知らぬまま、白州の花はどこへともしれず流れて行くのでしょう。

夢江南 之二
梳洗【そせん】罷【おわ】り,獨り江樓に倚【よ】りて望む。
過ぎ盡くす千帆 皆是ならず,斜暉【き】脈脈として  水悠悠。

腸斷す 白蘋【ひん】の洲。


(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》
夢江南二首其一

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

千萬恨,恨極在天涯。
あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。

揺曳碧雲斜。

長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
(江南を夢む)
千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。

 

(改訂版)-1溫庭筠58《巻2-08 夢江南二首其二》
夢江南二首其二

(『買斷』を受けている時には何もすることが無く身支度を整えて大江のほとりの高楼に登って川を眺めてゆっくりとした時を過ごす、でももう中州に白蘋があつまる秋に季節になろうとしている、おんなはいつまでこんな生活をするのだろうかと詠う)

梳洗罷,獨倚望江樓。
『買斷』で他の客と接することが無くなって、朝もゆっくりと顔を洗い、髪に梳く、身繕いをおわると、ひとりで大江ほとり高殿に上って眺める。
過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。
多くの船が通り過ぎる様に男は通り過ぎて行った、千帆の船が行き交うけれどおなじものはない、いつの間にか太陽が西に傾いている、物憂げなことは脈々と続き、長江の流れは悠悠と流れて行く。
腸斷白蘋洲。

男との関係がなくなってしばらくたっている、また秋になろうとする、白蘋は中州に流れ寄っている。
(江南を夢む 二首其の二)
梳洗【そせん】罷【おわ】り,獨り江樓に倚【よ】りて望む。
過ぎ盡くす千帆 皆是ならず,斜暉【き】脈脈として  水悠悠。

腸斷す 白蘋【ひん】の洲。
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『夢江南』之二 現代語訳と訳註
(
本文)  
梳洗罷,獨倚望江樓。
過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。
腸斷白蘋洲。


(下し文)
(江南を夢む 二首其の二)
梳洗【そせん】罷【おわ】り,獨り江樓に倚【よ】りて望む。
過ぎ盡くす千帆 皆是ならず,斜暉【き】脈脈として  水悠悠。
腸斷す 白蘋【ひん】の洲。

 

(現代語訳)
(『買斷』を受けている時には何もすることが無く身支度を整えて大江のほとりの高楼に登って川を眺めてゆっくりとした時を過ごす、でももう中州に白蘋があつまる秋に季節になろうとしている、おんなはいつまでこんな生活をするのだろうかと詠う)

『買斷』で他の客と接することが無くなって、朝もゆっくりと顔を洗い、髪に梳く、身繕いをおわると、ひとりで大江ほとり高殿に上って眺める。
多くの船が通り過ぎる様に男は通り過ぎて行った、千帆の船が行き交うけれどおなじものはない、いつの間にか太陽が西に傾いている、物憂げなことは脈々と続き、長江の流れは悠悠と流れて行く。
男との関係がなくなってしばらくたっている、また秋になろうとする、白蘋は中州に流れ寄っている。

(訳注)
夢江南 之二
(『買斷』を受けている時には何もすることが無く身支度を整えて大江のほとりの高楼に登って川を眺めてゆっくりとした時を過ごす、でももう中州に白蘋があつまる秋に季節になろうとしている、おんなはいつまでこんな生活をするのだろうかと詠う)

『買斷』とされている間は、妓女にとって、ただ、御主人を待つことだけである。花街において、一人、高楼から川を眺めるというのは、よく見られた光景であった。この時代、女一人というのは、身請けされたものか、買斷によって一定の自由を得たもの以外にはないことである。この詩は、高樓に登り長江を眺めている女妓を旅の作者がこれを詠ったものである。女の身を白蘋に喩えたことも連想させる。買斷に対する金がなくなるまでの事ではあるが、歳を重ねた女妓は出家して道女、尼僧となるということで、それについても、身分と金がついて回るのである。

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、溫庭筠の作が二首収められている。夢江南二作品中の第にである。単調二十七字、五句三平韻で、37⑦⑤の詞形をとる。

梳洗罷  獨倚望江
過盡千帆皆不是  斜暉脈脈水悠
腸斷白蘋

  
  


梳洗罷,獨倚望江樓。
『買斷』で他の客と接することが無くなって、朝もゆっくりと顔を洗い、髪に梳く、身繕いをおわると、ひとりで大江ほとり高殿に上って眺める。
・梳洗 くしけずることと洗うことで、朝起きたときなどの身繕いのこと。梳沐。
・罷 おわる。やむ。
・望江樓 河辺に建てられた江を見ることができる高殿」とあった。


過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。

多くの船が通り過ぎる様に男は通り過ぎて行った、千帆の船が行き交うけれどおなじものはない、いつの間にか太陽が西に傾いている、物憂げなことは脈々と続き、長江の流れは悠悠と流れて行く。
過盡 (全てが)通り過ぎてしまったが。
・千帆 多くの帆掛け船。
・皆 みな。
・不是 「是」ではない。そうではない。人生いろいろ、男もいろいろ。
・斜暉 夕陽。斜陽。落暉。
脈脈 情を含んで(見つめて)いるさま。思いを寄せて尽きないさま。
・水悠悠 自分の心は「脈脈」として切ない思いなのに、それに反して、自然の川の流れは、物に拘泥せずに悠々と流れ去っていく。


腸斷白蘋洲。
男との関係がなくなってしばらくたっている、また秋になろうとする、白蘋は中州に流れ寄っている。
・腸斷 男性と関係がもてないことへの腸が断たれるほどの辛い思い。
・白蘋洲 蘋は萍で、浮き草。白い花をつけている。それがある川の洲。蘋萍(ひんへい)、萍蘋(へいひん)の小さな中洲。
杜甫『麗人行』「楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。」
白蘋 蘋はあさざの類、白い花のさく水草。
麗人行  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65

 

 

【詩の背景】

 

『買斷』『身請け』『再売買』『献上』など、妓女も若くないとありえないことであった。

 

揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。

九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っる。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。長江中流域にある水陸駅の宿場町、荊門、江夏、漢陽、武昌、鄂州は少し規模が縮小されても揚州と同じように栄えていた。「夢江南二首其二」はこうした辺りが思いうけべられるものである。

 

 

妓女たちは、他のどのような女性に比べでも、男性と親密に交際する機会にめぐまれていたが、しかし、真の愛情や円満な結婚とは無縁であった。彼女たちは身分の卑賎によって、生れた時から、単なる男の玩具にすぎず、男女の平等による真の愛情を手にすることはきわめて難しかった。たとえ彼女たちが真心から人と愛しあったとしても、賎民と良民の身分の隔たりは、恋人同士が最終的に夫婦になりたいという願いを徹底的に断ち切った。

 

 

大多数の妓女の最後の願いは、途中で普通の男に身請けされ結婚することだった。しかし、この結婚も彼女たちが愛情を得て、円満な結婚生活を送れるということを決して意味してはいなかった。

彼女たちが見初めた人に必ずし.も結婚の意志があったり、身請けの金があったりしたわけではない。

また、彼女たちを身請けしようと願い、またその金がある人が、必ずしも彼女たちの意中の人だったわけでもない。

 

 

身請けされたからといって、妓女という賎民身分でなくなり、正常な家庭生活が送れたわけではない。妓女を身請けしたのは大部分が武将、下級官吏、商人たちであったが、身分が賎しいために、彼女たちが正妻になることはきわめて難しかった。一般には彼らの側室とか姫妾になったのである。正室になったものは、史書の記載ではただ一例見られるだけである。それは宰相楊国忠の妻蓑柔で、彼女はもともと「どう蜀(四川)の大娼妓」であった(『太平広記』巻二四〇)。また『李娃伝』に描かれた李姓は鄭生という人物を救い、また彼が科挙に合格するのを助けた後、自分の責任はすべて果したので、貴男は別に高貴な家から正室を迎えるようにと願った。この話は唐代の人々が良民と賤民をいかに厳密に区別していたかを示している。しかし、最後に李姓は鄭生から正室として迎えられ、朝廷の命婦に封じられた。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》溫庭筠66首巻二7-〈57〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5482

(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

 

 
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(旧版) 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『歸國遙』五首

 

 

作者



初句7字

 

 

溫助教庭筠

2-07

夢江南二首其一

蘭燼落,屏上暗紅蕉。

 

 

2-08

夢江南二首其二

樓上寢,殘月下簾旌。

 

 

皇甫先輩松

2-25

夢江南二首其一

千萬恨,恨極在天涯。

 

 

2-25

夢江南二首其二

梳洗罷,獨倚望江樓。

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

4-05

夢江南二首其一

含泥燕,飛到畫堂前。

 

 

4-06

夢江南二首其二

紅繡被,兩兩間鴛鴦。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧版)

夢江南 之一
千萬恨,恨極在天涯。
限りないほどのこの恨んでも恨んでも恨みきれない。この恨みの最も強いものは地の果てにいる愛しい人が行ったきりだということです。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
私の周りの自然美の山にかかる月は心の内から裏まであふれるほどのものになっている心配事は知らないでしょう。川面を吹き抜ける風は私の目の前の花をむなしく落していくのも私の心の内を知らないのです。
揺曳碧雲斜。
はるかかなたのあの人の所へあのたなびいている雲が渡してくれるのです。


夢江南 之二
梳洗罷,獨倚望江樓。
毎朝 顔を洗い、くしで髪を梳く、身繕いをおわると、河畔の高殿に上って、いつもひとりで大江を眺めるのです。
過盡千帆皆不是,斜暉脈脈水悠悠。
何もかも通り過ぎてしまったこと、千の帆かけ船が行き交うけれどあの人がのっている船ではないのです。そうしているといつの間にか太陽が西に傾いている、みゃくみゃくと思いつきないこの気持ちを、せつなくやるせない思いを知らないというように川の流れは悠悠と流れて行くのです。
腸斷白蘋洲。
この下はらの痛みの私の身を知らぬまま、白州の花はどこへともしれず流れて行くのでしょう。

夢江南 之二
梳洗【そせん】罷【おわ】り,獨り江樓に倚【よ】りて望む。
過ぎ盡くす千帆 皆是ならず,斜暉【き】脈脈として  水悠悠。
腸斷す 白蘋【ひん】の洲。


(改訂版)-1溫庭筠57《巻2-07 夢江南二首其一》
夢江南二首其一

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

千萬恨,恨極在天涯。
あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。

揺曳碧雲斜。

長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
(江南を夢む)
千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。

宮島(5)
 


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『夢江南』 之一 現代語訳と訳註
(本文)
夢江南二首其一

千萬恨,恨極在天涯。
山月不知心裏事,水風空落眼前花。
揺曳碧雲斜。

 

(下し文)
(江南を夢む)

千萬の恨み,恨みの極まれるは天涯に在り。
山月は知らず心裏の事,水風は空しく落つ 眼前の花。
碧雲 揺曳して斜めなり。


(現代語訳)
(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。

長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
巫山十二峰003

 (訳注)

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

教坊の宜春院に属した妓優には江南から選ばれて長安に来ているもの、江南の優雅な楽曲が多く出身者だけでなく多くの人が音楽と舞踊、その他の芸も愛された。教坊の曲には、江南の曲が多くあり、長安から江南に赴任した夫が音信不通になる、あるいは、棄てられた女が調べてみると男は江南に行っているということで、旅に出た男を思う詩ということになるが、ここは、「落籍」(身請け)された妓優が愛妾となったものの、棄てられてしまったということである。

 

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くの“へそくり”を工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。

 

以上が長安に生きる妓女のおよその生活状態であるが、東都洛陽や揚州など大都市の妓女の生活も、長安により近かったようである。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。

九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っる。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、溫庭筠の作が二首収められている。夢江南二作品中の第一である。単調二十七字、五句三平韻で、37⑦⑤の詞形をとる。

千萬恨,恨極在天
山月不知心裏事,水風空落眼前

揺曳碧雲

  
  


千萬恨,恨極在天涯。
あれほど壊れて身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている、千万の恨みにおもう、この極限に達した恨みは南の地の果てまでも届くほど。
・千萬 限りない。多量を云う。
・恨 うらみ。こころに強く残っているわだかまり。
・恨極 恨みの最たるもの。
・在天涯 天の果てにある。地の果てまでとどく。


山月不知心裏事,水風空落眼前花。

山にかかる月は、きっと南の空にも同じように照らし、女の心の内から裏まであふれるほどのうらみごと、心配事は知らせることがないのだ。川面を吹き抜ける風にしたって、目の前の花をむなしく落していくだけで女の心の内を届けることにはならないのだ。
山月 山にかかっている月。周りの自然。
不知 知らない。分からない。
・心裏事 心の中の事。「心中事」としないで、「心裏事」としたのは、中に持っているのではなくそのうらまであふれるほどのものになっている。
・水風 水辺の風。川面を吹き抜ける風。ここも周りの自然。
空落 むなしくおちる。
眼前花 目の前の花。


揺曳碧雲斜。
長安の空からはるかかなたの南の空に揺れ動きながらも引き伸ばして続いている雲だけはこの思いを渡してくれるのだろう。
揺曳 雲などがたなびいている。
・碧雲 青雲。
・斜 雲などが渡る時の動きある表現。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》溫庭筠66首巻二6-〈56〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5477

(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》 宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》溫庭筠66首巻二6-56〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5477

 

 

 

教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

○楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

 

これら何百何千もの宮妓は、どのような生活をしていたのであろうか。宮妓は宮人と共通するところもあったが、しかし全く同じというわけでもなかったようだ。宮人の中から選抜されて宮妓にされたものの大半は、「宮婦」の身分のままであったが、それ以外の民間から選抜されたものの地位と身分は、一般の宮人に比べてやや高かったようである。各時代の記録はきわめて少ないが、ただ玄宗の時代についてだけは、『教坊記』という書物が彼女たちについて専門に書いている。

 

選ばれて宜春院に入った「内人」は身分が最も高かった。彼女たちが演舞する時には、雲韶院で訓練中の宮人とは衣服や装飾品に高低の区別があり、「内人」には佩魚が許されていたが、宮人には許されなかった。内人は比較的優遇されており、その家庭は「内人家」とよばれ、みな宮廷の外の外教坊に住み、季節ごとに宮廷から糧米が支給されていた。内人の中で皇帝から最も寵愛を受けていた「十家」と称される内人は邸宅を賜り、日常の賞賜もたいへん多かった。また、内人は家族と常時会うことができ、毎月の二日、十六日、あるいは自分の誕生日などに母親や姉妹が訪ねることができた。敬宗の時、皇帝は自ら内人の家族千二百人を招待し、教坊で宴席を設け、褒美として錦を下賜した(『旧唐書』敬宗紀)。

○佩魚 五品以上の貴人が身に着けることを許されていた魚形のバッジ(佩び玉)

 

 

彼女たちの生活も比較的自由で、彼女たちに対する宮中の束縛も、それほど厳格ではなかった。年をとり容色が衰えると、宮中から出て家に帰りたいと申し出ることが許されており、宮人のように必ずしも深宮の中で朽ち果てねばならないというわけではなかった。『教坊記』に記されている竿木妓の范漢女大娘子、許渾の「簫煉師に贈る」という詩に出てくる内妓の簫煉師、また『楽府雑録』に記されている宣徽院(宮中の一役所)の門弟楊氏などは、みな年老いて後、宮中から退出した内人であった。張祜の「退宮の人」という詩に、「歌喉漸く退えで宮闈を出でんとし、泣いて伶官(宮中の楽官)に話せば 上 帰るを許す」とある。廖融の「退官妓」という詩に、「一旦色衰えて故里に帰るも、月明 猶お夢に梁州(曲名)を按く」とあるが、これらはいずれも内人が年老いて後、宮中から退いたことを述べているのである。宮妓が宮中から出た後の境遇は、おしなべてそれほど良いというわけでもなかったが、宮人に比べれば概して自由の身であった。以上によって、唐朝の宮廷は宮妓を芸人と見なして待遇し、宮人のような賎民身分とは区別していたこと、宮妓たちの待遇はまだ比較的良かったことが分かる。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 

 

宮妓はまたしばしば皇帝の御下賜晶として大臣や貴族に与えられた。唐の各時代に、某人に「女楽」幾組を下賜するといった記録があるが、この 「女楽」とはよく訓練された宮中の楽妓のことである。宮妓たちはその半生を軽やかな音楽とあでやかな舞、笠・策などの笛や太鼓の中に費やし、そして少なからざる宮妓がその名を後世に残したのであるが、しかし生前の境遇はといえば、たいへん不幸なものであった。彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでひじょうに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。たとえば、先に述べた宮廷の名妓粛煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府雑録』「歌」)。

 

 

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。玄宗は彼女たちをたいへん愛したが、しかし「侠遊(民間の遊里)の盛んなるを奪うを欲せず、未だ嘗て置きて宮禁(宮中)に在らしめず」)と詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。

元稹 「連昌宮詞」 に、「〔高〕力士 伝呼して念奴を覚れど、念奴は潜に諸邸を伴って宿す」という句がある。

419_1 《連昌宮詞》元稹

連昌宮中滿宮竹,久無人森似束。又有牆頭千葉桃,風動落花紅蔌蔌。

宮邊老翁為余泣,小年進食曾因入。上皇正在望仙樓,太真同憑闌幹立。

樓上樓前盡珠翠,炫轉熒煌照天地。歸來如夢複如癡,何暇備言宮裏事。

初過寒食一百六,店舍無煙宮樹綠。夜半月高弦索鳴,賀老琵琶定場屋。

力士傳呼覓念奴,念奴潛伴諸郎宿。須臾覓得又連催,特敕街中許然燭。

春嬌滿眼睡紅綃,掠削雲鬟旋裝束。飛上九天歌一聲,二十五郎吹管逐。

逡巡大遍涼州徹,色色龜茲轟錄續。李謨笛傍宮牆,得新翻數般曲。

平明大駕發行宮,萬人歌舞塗路中。百官隊仗避岐薛,楊氏諸姨車鬥風。

明年十月東都破,禦路猶存祿山過。驅令供頓不敢藏,萬姓無聲淚潛墮。

兩京定後六七年,卻尋家舍行宮前。莊園燒盡有枯井,行宮門閉樹宛然。

爾後相傳六皇帝,不到離宮門久閉。往來年少長安,玄武樓成花萼廢。

去年敕使因斫竹,偶門開暫相逐。荊榛櫛比塞池塘,狐兔驕癡緣樹木。

舞榭欹傾基尚在,文窗窈窕紗猶綠。塵埋粉壁舊花鈿,烏啄風箏碎珠玉。

上皇偏愛臨砌花,依然禦榻臨階斜。蛇出燕巢盤鬥栱,菌生香案正當衙。

寢殿相連端正樓,太真梳洗樓上頭。晨光未出簾影黑,至今反掛珊瑚鉤。

指似傍人因慟哭,卻出宮門淚相續。自從此後還閉門,夜夜狐狸上門屋。

我聞此語心骨悲,太平誰致亂者誰。翁言野父何分別,耳聞眼見為君

姚崇宋璟作相公,勸諫上皇言語切。燮理陰陽禾黍豐,調和中外無兵戎。

長官清平太守好,揀選皆言由相公。開元之末姚宋死,朝廷漸漸由妃子。

祿山宮裏養作兒,虢國門前鬧如市。弄權宰相不記名,依稀憶得楊與李。

廟謨顛倒四海搖,五十年來作瘡痏. 今皇神聖丞相明,詔書才下蜀平。

官軍又取淮西賊,此賊亦除天下寧。年年耕種宮前道,今年不遣子孫耕。

老翁此意深望幸,努力廟謀休用兵。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

海棠花101
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二

郷一首

花花、満枝紅似霞

 

 

韋相莊

巻三

思帝郷二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三

思帝鄕二首 其二

春日遊,杏花吹滿

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更。

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧版)

思帝郷

(一途に思う女心の詩)
花花、満枝紅似霞。

花、花が咲いてる、枝一面の紅は朝や夕暮れにかすみがかかるのに似ています。

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖に、画模様の車の帳に、どれもみなつがいの画ばかりで腸が断ち切られるようにうずくのです。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

車を停め、顔振り背けるようにして冷静に人と語らってみたけれど、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れる。

唯有阮郎春尽、不帰家。

もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、それでも、これからは、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」ということだけがあるということなのでしょうか。

 

(思帝郷)

花花、満枝 紅 霞に似たり。

羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。

 

面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。

唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。

 

(改訂版)

思帝郷

(春が来るたび寵愛を受け絶頂のころを辛く思い出すが、それでも、その時の事は女としての矜持であり、今もその時の者を身に着け、部屋を飾って待つ、次々に新しい妃嬪もとに行くのはいいけど、女ばかりが老け込むわけではないと詠う)

花花、満枝紅似霞。

花、花が満面に咲き、枝満面の花紅に日が射して、紅のかすみがかかっているのかとおもわれ、あの頃も花の下に筵をした時のようだ。

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖も、画模様の車の帳にも、寵愛を一手に受けていた時に贈られたもの、愛し続けるとどれもみなつがいの画ばかりをよろこんだもので、それはいま、腸が断ち切られるようにうずくものだ。車を停め眺め直す。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

顔振り背けるようにしても、同乗のおつきの者には冷静に語ることはしなくて押し黙った、すると、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れて、おもいだしてしまう。

唯有阮郎春尽、不帰家。

また、仙女に在って、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」といってるうちに、春が尽きて老いてしまうのは女だけではないのだから。

 

紅梅002
 

『思帝郷』 現代語訳と訳註

(本文)

思帝郷

花花、満枝紅似霞。

 

羅袖画簾腸断、阜香車。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

 

唯有阮郎春尽、不帰家。

 

(下し文)

(思帝郷)

花花、満枝 紅 霞に似たり。

羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。

面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。

唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。

 

(現代語訳)

(一途に思う女心の詩)

花、花が咲いてる、枝一面の紅は朝や夕暮れにかすみがかかるのに似ています。

薄絹の袖に、画模様の車の帳に、どれもみなつがいの画ばかりで腸が断ち切られるようにうずくのです。

車を停め、顔振り背けるようにして冷静に人と語らってみたけれど、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れる。

もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、それでも、これからは、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」ということだけがあるということなのでしょうか。

 

(訳注)

思帝郷

(一途に思う女心の詩)

長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。

詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。これらを題材にしたものが、思帝郷である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収で温庭筠籍の作は一首、韋荘は二首、顧夐が一首収められている。単調三十六字、八句五平韻で、②⑤6③6⑤6③の詞形をと

115 思帝郷 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-289-5-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2992

思帝鄕 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-263-5-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697

 

花花、満枝紅似霞。

花、花が満面に咲き、枝満面の花紅に日が射して、紅のかすみがかかっているのかとおもわれ、あの頃も花の下に筵をした時のようだ。

○霞 夕焼けや朝焼け。朝や夕暮れにかすみがかかるさま。

 

羅袖画簾腸断、阜香車。

薄絹の袖も、画模様の車の帳にも、寵愛を一手に受けていた時に贈られたもの、愛し続けるとどれもみなつがいの画ばかりをよろこんだもので、それはいま、腸が断ち切られるようにうずくものだ。車を停め眺め直す。

○羅袖画簾腸断 着物の袖、絹の帳、番の画のはいったものは寵愛を受けて、何時までも愛し続けると贈られたものである。その夫婦、つがいの画をみると、別れ去って久しく寵愛をうしなってしまった愛しいお方に対して、思い焦がれる胸の思いと情事の思いが悶々とすることで腸が断ち切られるようにうずくこと。

○卓香車 車を停める。卓は停める。香車は香しい車、車の美称。

 

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

顔振り背けるようにして、同乗のおつきの者には冷静に語ることはしなくて押し黙った、すると、斜めに挿せるカンザシの金の鳳凰はゆらゆら揺れて、おもいだしてしまう。

○戦箆金鳳斜 髪に斜めに挿した哲の金の鳳凰飾りが揺れる。戦は揺れ動く。箆はここではカンザシ。

 

唯有阮郎春尽、不帰家。

また、仙女に在って、後漢の阮郎のように「家に帰らざる」といってるうちに、春が尽きて老いてしまうのは女だけではないのだから。

○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉部は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》溫庭筠66首巻二5-〈55〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5472

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》 (春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》溫庭筠66首巻二5-55〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5472




 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『訴衷情』 十三首

 

 

作者

初句7字

 

 

溫庭筠

巻一

訴衷情一首

鶯語花舞春晝午

 

 

韋莊(韋相莊)

巻二

訴衷情二首 其一

燭燼香殘簾半卷

 

 

巻二

情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜

 

 

毛文錫

巻五

訴衷情首其一

桃花流水漾縱橫

 

 

巻五

訴衷首其二

鴛鴦交頸繡衣輕

 

 

巻七

訴衷二首 其一

香滅簾垂春漏永

 

巻七

訴衷情二首 其二

永夜人何處去

 

魏承班(魏太尉承班)

巻九

訴衷情首 其一

高歌宴罷月初盈

 

 

巻九

訴衷情五首 其二

春深花簇小樓臺

 

 

巻九

訴衷情五首 其三

銀漢雲晴玉漏長

 

 

巻九

訴衷情五首 其四

金風輕透碧

 

 

巻九

訴衷情五首 其五

春情滿眼臉紅綃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作者

詩題

詞形 ○平韻 ●仄韻

 

溫庭筠

訴衷情一首

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

 

❷❷❸❸❷③ ⑤②⑤③)

(十一句六平五仄)

韋莊

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

⑦③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

毛文錫

訴衷情二首其一

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

訴衷情二首其二

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

顧夐

訴衷情二首其一

❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

魏承班

訴衷情五首其一

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其二

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其三

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其四

⑦⑤3③⑤ 5③7③

41

六平韻

訴衷情五首其五

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

 

(旧版)訴衷情
鶯語花舞春晝午,雨霏微。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
柳弱蝶交飛,依依。
遼陽音信稀,夢中歸。

夜が明けると鶯が鳴いている、花が風に舞い散りゆく、春雨の日はもう真昼を過ぎる。それでも細かなそぼふる雨は涙雨なのです。
今夜もただひとり金帯の枕をあてて、錦のしとねをしきます。鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれると、さびしさがますのです。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
あの人は帰ってこれないという遙か先の遼陽にいってしまった、もう手紙も噂話さえもおとずれは稀になっている。いまは夢の中にあの人は帰ってきてくれる。

鶯語り花舞う春の晝午,雨は霏微【ひび】たり。
金帶の枕,錦なる宮に,鳳凰の帷【たれきぬ】。
柳弱らかく蝶 交り飛ぶ,依を依とする。
遼陽 音信 稀れなり,夢中にして歸る。

 花蕊夫人002

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

訴衷情一首
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

鶯語花舞春晝午,雨霏微。
又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
柳弱蝶交飛,依依。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
遼陽音信稀,夢中歸。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。

(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

『訴衷情』 現代語訳と訳註
(
本文)
訴衷情
鶯語花舞春晝午,雨霏微。
金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
柳弱蝶交飛,依依。
遼陽音信稀,夢中歸。


(下し文)
鶯語り花舞う春の晝午,雨は霏微【ひび】たり。
金帶の枕,錦なる宮に,鳳凰の帷【たれきぬ】。
柳弱らかく蝶 交り飛ぶ,依を依とする。
遼陽 音信 稀れなり,夢中にして歸る。


(現代語訳)
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。
唐 長安図 基本図00

(訳注)
(改訂版)溫庭筠55《巻2-05 訴衷情一首》

訴衷情一首
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

【解説】

 春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。

初めに、室外の景を、次いで視線は室内に移る。金糸で帯状に飾った枕、贅を尽くした掛け布団、鳳凰の刺繍の帳。それらが豪華であることは、後宮で一時は寵愛を一手に浴びていたということである。そうであればあるほど、女の悲しみを一層そそるのであるが、妃嬪は。それでも寵愛を受けるための努力をしないといけないのである。垂れ下がった柳の枝は若い妃嬪の細腰、その枝の間を飛ぶ蝶。蝶は細腰の間を飛んでゆく。これではまるで、最果ての守りに出かけた男から便りもなく、夢に帰って来るだけというのとまったく同じではないか、だからもっと努力をして寵愛を取り戻したいと心に思うのである。

唐の教坊の曲名。文頭の表のように『花間集』には十三首所収されている。単調と双調とがある。温庭筠の作は一篇収められている。この詩は単調三十三字、九句六平韻二仄韻で、7③❸❷③ ⑤②⑤③の詞形をとる。ただ、初句7字を❷❷❸と短い句にして考えることもできる。どの場合十一句六平韻五仄韻となる。

鶯語花舞春晝午  雨霏
金帶   鳳凰

柳弱蝶交飛   

遼陽音信稀 夢中

 
  

  

 


鶯語花舞春晝午,雨霏微。
又春が来て、眠れぬままに鶯が鳴くのをきき、花が風に舞い散りゆくのを眺めていると正午を過ぎている、それから、細かな雨は降り続く。
・この二句はうとうととしていて鶯の声で起きた。朝からそぼ降る雨が夕方まで続くことを云う。この句によって寂しさの表現を強調することになっている。


金帶枕,宮錦,鳳凰帷。
寵愛を一手に受けていたころの金帯の枕をあてて、宮錦の褥、鳳凰の模様がえがかれた垂絹がたれる閨に、さびしさと侘しさに包まれる。
・金帶枕 金の編み込みの帯のついた枕である。金鏤枕と同じであろう。黄金をちりばめた枕。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)の李善の注が引く「記」 に、「東阿王(曹植)朝に入り、帝(文帝=曹丕)は植に甄后の玉銭金帯枕を示す」。

「金帶枕」,「宮錦」,「鳳凰帷」部屋にこれだけのものがある女性は妃嬪ということであろう。


柳弱蝶交飛,依依。
柳は風になよなよと枝をからませ、蝶は花へととびかう、ああ、柳のように、蝶のようにあの人と春を過ごしたい。
・柳 蝶は花から花へ、細腰の女から細腰の女へとゆく男性を意味する。女性を意味するのは柳、花が女性を示す。
・依依 依依はそれぞれ柳に依りと蝶に依りが私が生かされるということである。


遼陽音信稀,夢中歸。
北方の国境、遼陽にいってしまった征夫を待つ多くの女は、手紙も噂話さえもすぐに稀になるってしまうという。そんな女は夢の中に男が帰ってきてくれるという。諦めてはいけない、何時か復寵愛を受けることを夢見てしっかりしよう。
・遼陽 今、遼寧省洛陽県西南にあたる地名、古くから征夫の行ったところとして詩詞にあらわれる。この詩では行ったきりで帰ってこないことの喩えとしている。実際に行ったわけではない

 

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(改訂)-1溫庭筠54《巻2-04 遐方怨 二首之二》あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
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 2015年1月28日の紀頌之5つのブログ 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠54《巻2-04 遐方怨 二首之二》溫庭筠66首巻二4-54〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5467

 

 

溫庭筠遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。

 

溫庭筠遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。

 

 

顧夐《遐方怨》 

簾影細,簟紋平。

象紗籠玉指,縷金羅扇輕。

嫩紅雙臉似花明,兩條眉黛遠山橫。

風簫歇,鏡塵生。

遼塞音書,夢魂長暗驚。

玉郎經負娉婷,教人爭不恨無情。

 

孫光憲《遐方怨》 

紅綬帶,錦香囊。

爲表花前意,慇懃贈玉郎。

此時更自役心腸,轉添秋夜夢魂狂。

思豔質,想嬌妝。

願早傳金盞,同歡臥醉

任人猜妒盡提防。到頭須使是鴛鴦。

 

 


(
旧版)遐方怨 二首 温庭筠

遐方怨 之一
花半坼,雨初晴。
花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
宿妝眉淺粉山橫。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

(旧版)遐方怨二首之二
憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で私の体はとかれたのです。
未得君書,腸斷,瀟湘春雁飛。
今はあなたからの書簡さえ届かず、下腹の痛みさえ覚えるのです。風光明媚な水郷の瀟湘地方では春になると雁が北に帰っていく。
不知征馬幾時歸?
それなのに馬に乗って旅に出たきり、あの人がいつ帰って來るのか、いつの事かわかりはしない。
海棠花謝也,雨霏霏。
雨に打たれて海棠花はしぼんでいく、私の若さも失っていくのが心配なのです。雨はたえまなく降りつづけている。(この雨が上がってくると強い日差しで花は凋むのである。そうなる前に私のもとに。)

遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

(改訂版)
《遐方怨 二首之一》

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花半坼,雨初晴。

早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
宿妝眉淺粉山橫。

若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
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(改訂版)

遐方怨 二首之二

(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
不知征馬幾時歸?
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
海棠花謝也,雨霏霏。

あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

花蕊と蜂01

『遐方怨』二首 之一 現代語訳と訳註
(
本文)

遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。


(下し文)
遐方怨
繡檻に憑り,羅帷を解く。
未だ君の書を得ずして,腸斷し,瀟湘 春雁飛ぶ。
征馬 幾時にか歸えるを知らずや?
海棠の花は謝す也,雨は霏霏【ひひ】とする。

 

(現代語訳)
(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
大毛蓼003

(訳注)
遐方怨

(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。花間集にはない 孫少監光憲の遐方怨については文頭に参考に乗せている。

憑繡檻  解羅
未得君書 腸斷 瀟湘春雁

不知征馬幾時
海棠花謝也  雨霏

 
  


 


憑繡檻,解羅帷。
綺麗に飾り付けられた部屋の欄干に惹かれて、うす絹のとばりの中で女の佩びはとかれた。そして「落籍」され愛妾となった。
・繡檻 飾り付けられた欄干。檻は囲われた部屋、檻であるから、束縛された状況にある女性を意味している。

芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。

少し有名な妓女はなじみの客を多くよぶことができたので、豪門や富貴の客から大量の銭と品物が仮母の懐に入った。これらの妓女の生活は一般にかなり裕福であり、賛沢ですらあった。また、ある妓女は仮母に大量の金を儲けさせたが、仮母はいぜんとして彼女にひどく辛くあたった。たとえば楊莱児は仮母にたっぷり金を儲けさせたが、仮母は彼女を虐待した。それで、莱児は身請けされて行く時、仮母を大いに罵り衣を払って去った。やっと鬱憤を晴らしたのである。下層妓女の収入はたいへん少なく、生活はきわめて苦しかった。張住住の家の場合は、抱えている二人の妓女が売れなかったので、置屋は没落し、雑貨を売って生活しなければならなかった。

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くのへそくりを工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。


未得君書,腸斷,瀟湘春雁飛。
それなのに、男は江南に赴任し、今は男からの書簡は届かない、まだ若い女の身にこの胸の思い、やりきれない下腹部の痛みはどうしたらよいのか。あの雁でさえ冬瀟湘で過ごしても春になると北に帰っていくというではないか。
・瀟湘 湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。
 水が深くて清い.瀟洒(表情や振舞いが)スマートな,(あか)ぬけした.瀟瀟(1) 風雨の激しい,吹き降りの.(2) (小雨が)しとしと降る,そぼ降る.


不知征馬幾時歸?
本当に赴任して、馬に乗って旅に出たのだろうか、それすら疑わしく、ましていつ帰って來るのか、ということなど、あてにもならないし、いつの事かわかりはしないことなのだ。
・征馬 旅に出るときに乗る馬。戦場におもむく馬。


海棠花謝也,雨霏霏。
あのころ、あれほどに愛してくれて、女として磨きがかかったものであったが、いまは、ただ、雨に打たれてつづける海棠の花は花びらを散らし、しぼんでいくしかない、それでも雨はたえまなく降りつづけている。(寵愛を失うことは、諦める事しかないのだろうか。)
・花海棠 花期は4-5月頃で淡紅色の花を咲かせる。性質は強健で育てやすい。花が咲いた後の林檎に似た小さな赤い実ができる。「妖艶」「艶麗」「美人の眠り」。女の盛りを表す花で、雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になるということ

・霏霏 雪や雨が絶え間なく降るさま。物事が絶え間なく続くさま。
海棠渓        薛濤
春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。
人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。

春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ
水面の魚身総て花を帯ぶ
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を
競って紅纈を将(も)って軽沙を染む

春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 

世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠53《巻2-03 遐方怨 二首之一》溫庭筠66首巻二3-〈53〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5462

(改訂)-1溫庭筠53《巻2-03 遐方怨 二首之一》早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠53《巻2-03 遐方怨 二首之一》溫庭筠66首巻二3-53〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5462

 

 

溫庭筠遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。

 

溫庭筠遐方怨 二首之二

憑繡檻,解羅帷。
未得君書,腸斷(一作斷腸),瀟湘春雁飛。
不知征馬幾時歸?
海棠花謝也,雨霏霏。

 

 

顧夐《遐方怨》 

簾影細,簟紋平。

象紗籠玉指,縷金羅扇輕。

嫩紅雙臉似花明,兩條眉黛遠山橫。

風簫歇,鏡塵生。

遼塞音書,夢魂長暗驚。

玉郎經負娉婷,教人爭不恨無情。

 

孫光憲《遐方怨》 

紅綬帶,錦香囊。

爲表花前意,慇懃贈玉郎。

此時更自役心腸,轉添秋夜夢魂狂。

思豔質,想嬌妝。

願早傳金盞,同歡臥醉

任人猜妒盡提防。到頭須使是鴛鴦。

 

 


(旧版)遐方怨 二首 温庭筠

遐方怨 之一
花半坼,雨初晴。
花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
宿妝眉淺粉山橫。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

綬帶鳥00
 

(改訂版)
《遐方怨 二首之一》

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花半坼,雨初晴。

早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
宿妝眉淺粉山橫。

若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
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(遐方怨二首の一)
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉
【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。

木蘭02
 

(改訂版)
『遐方怨』二首 之一 現代語訳と訳註
(
本文
遐方怨 二首之一

花半坼,雨初晴。
未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。
宿妝眉淺粉山橫。
約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。


(下し文) 遐方怨
花 半坼【はんたく】し,雨 初めて晴る。
未だ珠簾を卷ずして,夢は殘り,惆悵【ちょうちょう】して曉鶯【ぎょうおう】を聞く。
妝を宿して眉淺く粉【おしろい】山橫たえるなり。
鬟を約して鸞鏡【らんきょう】の裏【うち】,繡羅 輕やかなり。


(現代語訳)
(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

花はその弁を半ばほころびはじめている、雨はけさ早くに晴れあがっている。
夜は明けても閨に臥したまま、いまだ簾をかかげようとはしない。あの人との夢だけがのこるだけだから、かなしく愁いの心持で、いつしか暁の鶯の啼く声を聞くのです。
昨夜のお化粧はもうくずれてしまい、えがいた眉ずみの色もうすれて、おしろいは額に寄り、線のように横たわっている。
鏡にむかって髷【わげ】をたばね、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。
(崩れた夜の化粧を落として、朝の化粧を済ませた女の哀いい愁い。)


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(訳注)(改訂版)
遐方怨 二首之一

(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

遐方 遠方の土地。

夫が家に帰ってこない妻、愛妾の此処も地を詠うものでその夫というのは、①寵愛を失った妃嬪。②浮気性な男の妻愛妾。③行役で遠くの地に赴任したまま連絡してこない高官の妻、愛妾。④旅商人の妻、愛妾。⑤国境の守りにつぃている夫を思う。この詩の場合①~④の可能性がある。当時の状況として、どの場合も、正妻、第一夫人ではないというのは基本である。この詩の雰囲気から、妃嬪、高官の愛妾ということであろう。

遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。

花半坼 雨初
未卷珠簾 夢殘 惆悵聞曉

宿妝眉淺粉山 
約鬟鸞鏡裏 繡羅

 
  


 

 

花半坼,雨初晴。
早春になり、雨はけさ早くに晴れあがって、花のつぼみはその弁を半ばほころびはじめ、春心を目覚め指す、枝に雨の雫が光る。
・坼 さける、 わかれる、ひらく、 さけめ
「牡丹半坼初經雨,雕檻翠幕朝陽。」「正海棠半坼,不耐春寒。」
「草木半舒坼,不類冰雪晨。」(草木は半ば舒坼(じょたく)し、氷雪の晨に類()ず。)

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149

○「花半坼・雨初晴」乙女から女になろうと宮中であれば、寵愛を受けるまで、徹底して教育され、練習を重ねて初夜を迎える。芸妓の場合も幼くして,置屋に預けられ十五歳になるまで、教育される。この句は初夜を迎えた時のことを詠っている。

余談だが、芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。
 

未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。 

玉簾をいまだにまきあげることはしない。あのお方と別れた時のままにしていたいし、その時を夢に残しておきたいから、眠りも浅く、かなしく愁いの心持でうとうとしていると、いつしか暁の鶯の啼く声が聞こえてくる。
・憫帳 憂え悲しむこと。温庭筠『更漏子 一』「惆悵謝家池閣」 謝女というのは晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。


宿妝眉淺粉山橫。
若い時のように眉もお化粧もくずれることはなかったけれど、何事も物憂げで化粧もあまりしないで、直ぐ横になって臥してしまう。

宿妝 宵越しの化粧。岑参《醉戏窦子美人》诗:“朱唇一点桃花殷,宿妆娇羞偏髻鬟。”

鬟鸞鏡裏,繡羅輕。
思い直して、あのお方から贈られた鸞鳳の鏡に映して髷【わげ】をたばねて、刺繍をしたうすぎぬの上衣をかるく身にまとう。(あのお方がここに帰って来ることをしっかり思い続けていきていくことが大切なのだ。)
・鸞鏡 背面に鸞を彫んだ鏡。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》溫庭筠66首巻二2-〈52〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5457

(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》(春にはいろんな階層、いろんな人たちが別れの涙を流す、中でも、春の行楽での無礼講での貴公子たちのふるまいにおおくの娘たちが千行の涙を流すと詠う)

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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169 -#4(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -#4》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <169 -#4> Ⅰ李白詩1381 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5453 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠52《巻2-02 清平樂二首》溫庭筠66首巻二2-52〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5457

 

 

李白 清平楽

楽府には、清調・平調・瑟調の三つがあって、清平調とはこのうちの清調と平調を合わせたものである。

 

双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

清平楽五首之一

禁庭春畫  鶯羽披新
百草巧求花下  祗賭珠璣滿
日晚卻理殘  禦前閑舞霓
誰道腰肢窈窕  折旋笑得君

  
  
  
  

 

単調二十八字三平韻

清平調

雲想衣裳花想  春風拂檻露華
若非群玉山頭見  會向瑤臺月下

  
  

 

 

李白詩 尊前集  清平楽五首、清平調三首

    李太白集 《巻二十五補遺》清平楽令二首清平楽三首、《巻四》清平調三首

清平樂 一(

禁庭春畫。鶯羽披新繡。百草巧求花下鬥。祗賭珠璣滿鬥。

日晚卻理殘妝。禦前閑舞霓裳。誰道腰肢窈窕,折旋笑得君王。

 

清平樂 二(

禁闈清夜。月探金窗罅。玉帳鴛鴦噴蘭麝。時落銀燈香

女伴莫話孤眠。六宮羅綺三千。一笑皆生百媚,宸衷教在誰邊。

 

清平樂 三(

煙深水闊。音信無由達。惟有碧天雲外月。偏照懸懸離別。

盡日感事傷懷。愁眉似鎖難開。夜夜長留半被,待君魂夢歸來。

 

清平樂 四(

鸞衾鳳褥。夜夜常孤宿。更被銀臺紅蠟燭。學妾淚珠相續。

花貌些子時光。人遠泛瀟湘。欹枕悔聽寒漏,聲聲滴斷愁腸。

 

清平樂 五(

畫堂晨起。來報雪花墜。高卷簾櫳看佳瑞。皓色遠迷庭砌。

盛氣光引爐煙,素草寒生玉佩。應是天仙狂醉。亂把白雲揉碎。

 

----------------------------------------------------------------------

清平調 三首其一

雲想衣裳花想容。春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

 

清平調 三首其二

一枝紅艷露凝香。雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

 

清平調 三首其三

名花傾國兩相歡。常得君王帶笑看。解得春風無限恨。沈香亭北倚闌幹。

 

 

 

 

(改訂版)

清平樂二首其一

(天子のために、妃嬪は大明宮六宮、興慶宮、洛陽内裏、上陽宮、離宮、御陵など宮殿陵廟に配置され、寵愛を得ようとそれぞれ努力をすることだけを生きるあかしとしている。美貌、音楽舞踊、芸、文学、裁縫、・・・を競って努力をする。しかしそのまま埋もれてしまうことがほとんどで、漢の陳皇后のようにいずれ寵愛を取り戻せることだけを信じていきていくと詠う)

上陽春晚,宮女愁蛾淺。

上陽宮で待ち続けてもう春も終ろうとしている。待つだけの妃嬪は眉も薄くなり愁いが消えることなどない。

清平思同輦,爭那長安路遠。

また新しい歳に変わる、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、天子の事だけ考えていきていて、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。どうしようもないことには、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。

鳳帳鴛被徒燻,寂寞花鏁千門。

それでも、天子が何時来られてもいい準備だけは欠くことはできない、鳳凰の画かれたとばり、鴛鴦の刺繍のかけ布団、そしていたずらに焚かれるお香、そこには天子に寵愛されることを希望として生きる事しかないのであって、どんなに寂寞の思いにかられても、多くの門があろうとも、天子を思う気持ちだけはなくしてはいけない、それだけで生きてゆくのであるから。

競把黃金買賦,為妾將上明君。

昔。陳皇后は寵愛を取り戻すために司馬相如に黄金百斤で賦を作ってもらい、自らも詩を勉強し、競い合い寵愛を取り戻したというが、寵愛をうけるためには、女として、向上する事であり、まさに、それを受け入れる賢明な天子のもとにあがることが必要なのだ。

清平樂二首其一

上陽の春晚,宮女 蛾淺に愁う。

 清平 同輦を思う,爭い那ぞ長安路遠く。

鳳帳 鴛被 徒らに燻じ,寂寞 花鏁 千門。

把を競い 黃金 賦を買う,妾為す 將に明君に上る。

 

 

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清平樂二首其二

(唐の東都洛陽の町には、終日、あちこちで柳の枝を手折っては旅立ついろんな人を詠う。)

洛陽愁,楊柳花飄雪。

春も盛り、柳架は花のように、雪のように乱れ散るというのに、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願すると、それにつられて橋の下流れさる春水は嗚咽して泣いてくれるのだ。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

旅立とうとして馬に上ってまでも、人々は争って別れを傷むので盃をわたし見送りの酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいは哭き、人を悲します。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

洛陽の高級住宅地の若者は戦国「平原君」を気取って粋がっていた貴公子たちでさえも愁いが極まったようで、振り返りつつ千行の涙を拭っているのだ。

 

(改訂版)
清平樂二首其二

(春にはいろんな階層、いろんな人たちが別れの涙を流す、中でも、春の行楽での無礼講での貴公子たちのふるまいにおおくの娘たちが千行の涙を流すと詠う)

洛陽愁,楊柳花飄雪。

高官の移動、貴公子が存在感を見せる春も盛り、楊柳はもえ、柳絮の花は、雪のように乱れ散るころには、洛陽の町には愁いや侘しさが一杯で絶えることがない。

終日行人爭攀折,橋下流水嗚咽。

春のこの季節は、一日中、赴任する官僚、出征兵士、旅人、行商人、宮女、夫婦であり、妾婦妓女らが橋のたもとで柳の枝を手折って旅の安全を祈願するのであるが、そればかりでなく、貴公子たちのおもちゃにされた娘たちの悲しみの嗚咽が春水の音にまじって橋の下を流れ去る。

上馬爭勸離觴,南浦鶯聲斷腸。

貴公子たちは、馬に上ったままで、新酒の封を切ってそのままラッパ飲みをしたり、別れの盃をわたし酒を勧めている、洛陽城の南にある別れの浦湊には鶯が鳴く声のように美人たちが断腸のおもいで哭している。

愁殺平原年少,迴首揮淚千行。

戦国「平原君」を気取って春の無礼講にむれをなし、洛陽の高級住宅地の貴公子たちのやることはこれ以上の心配はない程極まったもので、あっちでも、こっちでも振り返れば多くの女たちが千行の涙を拭っているのだ。

(清平樂二首其の二)

洛陽に愁絶す、楊柳 花 雪を飄【ひるが】えす。

終日 行人 攀折を爭い、橋下 水流 鳴咽す。

馬に上れば 争いて離れの觴を勧む、南浦 鶯声 腸を断つ。

愁殺す 平原の年少、首を遅らし涙千行を揮う。

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠51《巻2-01 清平樂二首》溫庭筠66首巻二1-51〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5452

 

 

 

《清平樂二首其一》温庭筠≫(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410)  二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『清平樂』九首

 

 

溫助教庭筠

巻二

清平樂二首其一

上陽春晚,宮女

 

 

巻二

清平樂二首其二

洛陽愁,楊柳

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二

清平樂四首其一

春愁南陌,故國

 

 

巻二

清平樂四首其二

野花芳草,寂寞

 

 

巻二

清平樂四首其三

何處游女,蜀國

 

 

巻二

清平樂四首其四

鶯啼殘月,繡閣

 

 

孫少監光憲

巻八

清平樂二首其一

愁腸欲斷,正是

 

 

巻八

清平樂二首其二

等閑無語,春恨

 

 

毛秘書熙震

巻九

清平樂一首

春光欲暮,寂寞

 

 

 


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