《(改訂版Ver2.1)花間集 皇甫松集十二首》『花間集』全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6017
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)
《(改訂版Ver2.1)花間集 皇甫松集十二首》『花間集』全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6017
(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》 ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》皇甫松12首巻二28-〈78〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5592
(改訂版)-77-2皇甫松11《巻2-27 採蓮子二首其一》
採蓮子二首 其一
(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)
菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。
未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
晚來弄水船頭濕(舉棹),更脫紅裙裹鴨兒(年少)。
日が落ちてきたけど水は揺れて波だって、舟の舳先まで水浸し。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、そのうえ、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、若いもの今を楽しめ。)
(採蓮子二首 其の一)
菡萏の蓮は香る 十頃の陂【つつみ】(棹を舉げよ)、小姑 戲れるを貪【むさぼ】り 蓮を採ること遲し (年少なり)。
晩來れども 水に弄じて 船頭 濕れる (棹を舉げよ),更に 紅裙を脱ぎ 鴨兒【おうじ】を裹【つつ】む (年少なり)。
(旧版)
採蓮子二首 其二
舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。
無端隔水拋蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。
(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)その二
舟が動いて月の光がきらきらと影を落とす秋の夜(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。乙女らは丘の上で見ている青年をじっと見つめるものだから船が流されるがままになっているのです。(ああ、そうだよ若いもの。)
ただわけもなく船を岸に向けると、乙女は蓮の実を好きな青年に向けて投げるのです。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。それをはるか離れている人に見られたので、半日も恥ずかしい思いをした。(ああ、そうだよ若いもの。)
採蓮子二首 其の二
船は 湖光を動かし 灔灔たる 秋 (棹を舉げよ)。
年少を貪り看て 船の流るるに 信【まか】す (年少なり)。
端 無くも水を隔てて 蓮子を抛【なげう】てば (棹を舉げよ),遙か人に知られて 半日羞づ (年少なり)。
(改訂版)-78-2皇甫松12《巻2-28 採蓮子二首其二》
採蓮子二首 其二
(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)その二
舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。
舟が動けば湖面の波に月の光がきらきらとゆれ、艶やかな波が続いて、艶やかな秋の夜が更ける(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、貴公子がみるのもまた増えて舟は合流し、時に流され、船も流されるがままになっている。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
無端隔水拋蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。
ただわけもなく船に乗って離れてしまった、採蓮子は、貴公子と舟で一夜を過ごした後は蓮の実を売るかのように棄てられてしまう。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、それをはるか離れている人に見られたけれど、半日、恥ずかしい思いをすればいいだけだ。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
(採蓮子二首 其二)
舡動すれば湖光して 灔灔の秋なり(棹を舉げよ)、貪看すれば年少くして 舡 流るるに信【まか】す。 (年少なり)。
端 無くも水を隔てれば 蓮子を抛【なげう】つ、(棹を舉げよ)、遙か人に知られども 半日 羞ずだけ。(年少なり)。

(改訂版)-77-2皇甫松11《巻2-27 採蓮子二首其一》未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-77-2皇甫松11《巻2-27 採蓮子二首其一》皇甫松12首巻二27-〈77〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5587
(旧版)
採蓮子二首 其一
菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。
晚來弄水船頭濕(舉棹),更脫紅裙裹鴨兒(年少)。
(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)
ハスの花、蓮の実、薫り高いハス、この十頃もあるこの池に、(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。乙女らは遊びに夢中になって蓮とり作業がはかどらないのです。(ああ、そうだよ若いもの。)
そんなことして薄暗くなってきたのにまだ水遊びをしている、舟の舳先までびしょぬれだ。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。それにくわえて、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、そうだよ若いもの。)
採蓮子二首 其の一
蓮は香る 十頃の陂【つつみ】(棹を舉げよ)。
小姑 戲れて 貪【むさぼ】り 蓮を採ること遲し (年少なり)。
晩來 水を 弄びて 船頭 濕れる (棹を舉げよ),更に 紅裙を脱ぎ 鴨兒【おうじ】を裹【つつ】む (年少なり)。
(旧版)
採蓮子二首 其二
舡動湖光灔灔秋(舉棹),貪看年少信舡流(年少)。
無端隔水拋蓮子(舉棹),遙被人知半日羞(年少)。
採蓮子二首 其の二
船は 湖光を動かし 灔灔たる 秋 (棹を舉げよ)。
年少を貪り看て 船の流るるに 信【まか】す (年少なり)。
端 無くも水を隔てて 蓮子を抛【なげう】てば (棹を舉げよ),遙か人に知られて 半日羞づ (年少なり)。
(改訂版)-77-2皇甫松11《巻2-27 採蓮子二首其一》
採蓮子二首 其一
(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)
菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。
未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
晚來弄水船頭濕(舉棹),更脫紅裙裹鴨兒(年少)。
日が落ちてきたけど水は揺れて波だって、舟の舳先まで水浸し。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、そのうえ、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、若いもの今を楽しめ。)
(採蓮子二首 其の一)
菡萏の蓮は香る 十頃の陂【つつみ】(棹を舉げよ)、小姑 戲れるを貪【むさぼ】り 蓮を採ること遲し (年少なり)。
晩來れども 水に弄じて 船頭 濕れる (棹を舉げよ),更に 紅裙を脱ぎ 鴨兒【おうじ】を裹【つつ】む (年少なり)。
『採蓮子二首』 現代語訳と訳註
(本文)
採蓮子二首
其一
菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。
晚來弄水船頭濕(舉棹),更脫紅裙裹鴨兒(年少)。
(下し文)
採蓮子二首 其の一
菡萏の蓮は香る 十頃の陂【つつみ】(棹を舉げよ)。
小姑 戲れるを貪【むさぼ】り 蓮を採ること遲し (年少なり)。
晩來れども 水に弄じて 船頭 濕れる (棹を舉げよ),更に 紅裙を脱ぎ 鴨兒【おうじ】を裹【つつ】む (年少なり)。
(現代語訳)
(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)
未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
日が落ちてきたけど水は揺れて波だって、舟の舳先まで水浸し。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、そのうえ、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、若いもの今を楽しめ。)
(訳注)
採蓮子二首 其一
(酒宴で、秋の風物詩の採蓮に出た娘を想定して女たちと男との楽しいやり取りを詠う)
唐の教坊の曲名。「教坊記』は采蓮子と記す。お座敷、宴会の席で詠うもので、意味合い的には男同士で飲みながら、下ネタの意味を込めて、娼妓に歌わせ、踊らせるものである。
『花間集』には皇甫松の二首のみ所収。
単調二十八字、四句・平韻で、各句末に二字の囃子詞が付く。この囃子詞を含めると三十六字になり、⑦❷、⑦❷。7❷、⑦❷。の詞形をとる。( )内は囃子詞。
菡萏香蓮十頃陂 小姑貪戲採蓮遲
晚來弄水船頭濕 更脫紅裙裹鴨兒
●●○△●△△ ●○○△●△○
●△●●○○● △●○○●●○
皇甫松:皇甫が姓。睦州の人(現・浙江建徳)。皇甫湜の息子。生没年不詳。唐代の人。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。
菡萏香蓮十頃陂(舉棹),小姑貪戲採蓮遲(年少)。
未だ蕾の蓮の花、開いてもいないのに香はただよう十頃もある広い池陂の葉影には(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、娘たちはじゃれ合って採蓮の作業が進まない。(ああ、若いもの今を楽しめ。)
ハスの花、蓮の実、薫り高いハス、この十頃もあるこの池に、(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。乙女らは遊びに夢中になって蓮とり作業がはかどらないのです。(ああ、そうだよ若いもの。)
・菡萏:ハスの花。はちす。
・香蓮:薫り高いハス。
・頃:面積の単位。一頃=百畝で、周代、古代では、1,82ヘクタール。碧波万頃(広い水面)という風に広さの表現となっている。
・陂/堤。ここでは、池。
・舉棹:第一句と三句の後に来るおはやしのことば。「(舟を漕ぐ)さおをあげて」止まってじっと見るという意味を含む。(下ネタの意味もある)
・小姑:女の子。乙女。年若い娼妓。
・貪戲:遊びほうけている。じゃれあっている。
・採蓮遲:ハスを採るのがなかなか進まない。採蓮したものを岸に集荷するのが遅れる。
・年少:第二句と四句の後に来るお囃子のことば。「年が若い(者)」(下ネタの意味もある)
晚來弄水船頭濕(舉棹),更脫紅裙裹鴨兒(年少)。
日が落ちてきたけど水は揺れて波だって、舟の舳先まで水浸し。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)、そのうえ、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、若いもの今を楽しめ。)
そんなことしてると薄暗くなってきたのにまだ水遊びをしている、舟の舳先までびしょぬれだ。(ああ、だったらここで棹を挙げよ)。それにくわえて、紅いスカートをぬぎすてて、もうかわいいアヒルの子だよ、(ああ、そうだよ若いもの。)
・晩來:薄暗くなってきて。
・弄水:水遊びをしている。
・船頭濕:船の上が濡れる。船頭:へさき。船首のこと。船頭さんのことではない。
・更:おまけに。
・脱:(衣服を)ぬぐ。
・紅裙:紅いスカート(状の着物)。
・裹:(くゎ;guo3)つつむ。
・鴨兒:アヒル。カモ。児は、名詞などに付く接尾辞。現代語では、可愛い感じを出す場合もあるが、特に意味はない。アヒルの子、ヒヨコという意味は普通ない。
採蓮曲
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫騮嘶入落花去、見此踟蹰空断腸。
若耶渓のあたりで蓮の花摘む女たち
笑いさざめきハスの花を隔てて語り合う
陽照は化粧したての顔を明るく水面に映しだし、
吹いている風は香しい袖を軽やかに舞い上げている
岸辺にはどこの浮かれた若者だろうか
三々五々としだれ柳の葉影に見え隠れ。
栗毛の駒は嘶いて柳絮のなかに消え去ろうと
この女たちを見ては行きつ戻りつむなしく心を揺さぶられる。
(採蓮曲)
若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。
日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。
岸上 誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。
紫騮【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟蹰【ちちゅう】して空しく断腸。
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馬とともにおふざけをして垂楊(しだれやなぎ)の葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿と、一方、急におしゃべりを止めて「踟蹰」(ためらい)がちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白は描いている。ハスを採る娘らとその乙女の気を引こうとしている若者=遊冶郎、現在だったらチャラ男のこと?。もう若い者の中に入りきれない客観してみている李白。
(改訂版)-76-2皇甫松10《巻2-26 夢江南二首其二》(石頭城近くの駅舎に泊まって、六朝文化が花開いた頃に思いをはせて詠ったもの)その二 酔い覚ましに高楼に上りうとうとしていると、名残月は西に傾き、羽飾り旗に重なり、簾をおろして出発の準備をする。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-76-2皇甫松10《巻2-26 夢江南二首其二》皇甫松12首巻二26-〈76〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5582
皇室は各種の政治的原因と西晋、東晋以来の門閥観念によって、名族と姻戚関係をもちたいと望んでいたから、彼女たちは特別厚い礼をもって宮中に招かれた。ごく少数であるが、徳と才能と容姿によって宮中にその名を知られ、特別に厚い礼をもって招かれた女性もいた。彼女たちの出身は必ずしも貴顕ではなかったが、大多数は文武百官、あるいは士大夫階級の娘であった。
たとえば、太宗の徐賢妃は才能、学識が衆に抜きんでていたので招かれて才人となったが、武則天はと言えば美貌によって招かれて後宮に入っている。こうした部類の女性たちは皇室の特別厚い礼によって招かれた人々であったから、大部分は後宮に入った後、高い位の妃嬢や女官に封じられ、身分はよりいっそう高かった。
唐朝の諸帝は、前後して何度となく民間の良家の娘を広く選抜して後宮に入れた。唐朝の初め、尚書省は次のように奏上している。「近頃、後宮の女官の選抜に身分の購しい者どもが選ばれ、礼儀作法がないがしろにされております(侍女や歌姫・舞姫から抜擢された者を指す)。また刑罰や死刑にあった家の女もおりますが、これらは怨恨の積った者たちであります(罪に連坐して後宮に没収された者を指す)。そのため、今後、後宮や東宮(皇太子の宮殿)の女官に欠員が生じた場合は、みな良家の才智と徳行のある女性を当て、礼をもって招聴されますように。また罪人として宮廷に入れられた者や、もともと下賎の家の者はみな補充に当てないようお願いいたします」(『資治通鑑』巻一九五、太宗貞観十三年)と。
十数歳に達した「良家の子女」は、この種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。このように良家の子女を選抜するのが、宮廷女性の主要な来源であり、宮廷女性の中で少なからざる比率を占めていた。
歴代の皇帝は宮女を選別するのに、決してこれほど厳格な規定を持ってはいなかった。皇帝たちは名門の令嬢でも、貧しい家の娘でも、はては娼妓、俳優などの賎しい女たちであろうとも、ただ容姿、技芸が衆に抜きんでていれば、一様に選んで宮廷に入れたのであった。
皇族、大臣や藩鎮(節度使)などが民間の美人を捜し出して献上した。藩鎮の大半が入朝の際にも女口を献上しょうとし、干嘩韓弘は歌舞妓、女楽(楽器を奏でる妓女)を献上した。こうした女口たちの中には娼優(娼妓、俳優)や個人が所有する家妓・姫妾、それに若干の名もなき民家の娘も含まれていた。
(旧版)
夢江南二首 其二
樓上寢,殘月下簾旌。
夢見秣陵惆悵事,桃花柳絮滿江城,
雙髻坐吹笙。
(江南で過ごした日、愛する女との別離の思い出、女の身になって歌う)その二
金陵の高楼に上り愛するあのひとと寝たのです。傾きかけた月を見て簾をおろし、羽飾り旗出して出発の準備をしました。
でも、夢に見るのは金陵の高楼で別れた恨み嘆き事ばかりなのです、あのときは、桃が花を咲かせ、柳絮が長江のほとりに立つ城郭に一杯に飛んでいました。
そして、雲型の兩の鬢をととのえて、坐して、笙をふいたのです。
夢江南二首 其二
樓 上りて 寢,殘月 下りて 簾旌す。
夢 秣陵 惆悵の事を見て,桃花 柳絮 江城に滿つ,
雙髻 坐して 笙を吹く。
(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》
夢江南二首 其一
(江南で過ごした日、水陸駅では、毎夜送別の宴が開かれ、一夜の思い出をつくったと詠う)
蘭燼落,屏上暗紅蕉。
香油の入った蝋燭の燈芯が燃え尽き、蝋のしずくが落ちる、屏風絵の紅蕉(カンナ)の花に焔の残りが照らすのも薄暗い。
閒夢江南梅熟日,夜船吹笛雨蕭蕭。
江南は素晴らしいところだった、夢路に辿るのは江南の初夏、梅の実が熟すころのこと、夜の船遊びで笛の音がひびき、雨はしとしとと降って、雨だれが鼓のように和合して伝わってきたものだ。
人語驛邊橋。
そこは、水陸駅の水辺であり、陸路の要衝である橋の側の亭から送別の宴の話し声が聞こえてきたのだ。
(改訂版)-76-2皇甫松10《巻2-26 夢江南二首其二》
夢江南二首 其二
(石頭城近くの駅舎に泊まって、六朝文化が花開いた頃に思いをはせて詠ったもの)その二
樓上寢,殘月下簾旌。
酔い覚ましに高楼に上りうとうとしていると、名残月は西に傾き、羽飾り旗に重なり、簾をおろして出発の準備をする。
夢見秣陵惆悵事,桃花柳絮滿江城,
それにつけても、夢に見るのは南斉の文化的な中心であった金陵が恨み嘆き事の渦巻いているところであり、あのころは、桃が花を咲かせ、柳絮が長江のほとりに立つ石頭城郭には一杯に文化の花が開いたのである。雙髻坐吹笙。
そして、国が亡ぼうというのに、雲型の兩の鬢をととのえた女を侍らして、坐して笙をふいていた。
(江南を夢む二首 其の二)
樓上に寢り,殘月は簾旌に下る。
夢見 秣陵惆悵事,桃花柳絮滿江城,
雙髻坐吹笙。
皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》(江南で過ごした日、水陸駅では、毎夜送別の宴が開かれ、一夜の思い出をつくったと詠う)香油の入った蝋燭の燈芯が燃え尽き、蝋のしずくが落ちる、屏風絵の紅蕉(カンナ)の花に焔の残りが照らすのも薄暗い。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》皇甫松12首巻二25-〈75〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5577
(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》
原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。エンゲルスは『家族私有財産及び国家の起源』において、この歴史的変化について「女性にとって世界史的意義を有する失敗」といった。この失敗はおよそ「逃れられない劫難」 であり、これはまた人々にいささかの悲しみを感じさせずにはおかなかった。
なぜならそれはずうっと数千年間も続いたのであるから。その時から、中国の人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。かくして、男を生めば「弄璋」(璋をつかむ)といい、女を生めば「弄瓦」(瓦【いとまき】をつかむ。古代、女子が生れると糸巻を与える習慣があった)といった。そこで、「婦は服するなり」「婦人は人に伏すなり」ということになり、「女子と小人(奴僕)は養い難し」とか、「三従四徳」を守れとか、「餓死しても小事であり、貞節を失うことの方が大事だ……」といった価値観が生れた。
中国の女性は、数千年間もこのような哀れな境遇の中でもがき苦しんだのである。ずっと後の今世紀初頭になって、民主革命(辛亥革命)のかすかな光が彼女たちの生活にさしこみ、こうした状況に初めてわずかばかりの変化が生れたのであった。
三従四徳 |
女は幼い時は父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うという三従を守り、婦徳、婦言、婦容、婦功の四つの徳を持たねばならない、という儒教の教え。 |
唐代三百年間の女性たちは、この数千年来低い地位に甘んじてきた古代女性たちの仲間であった。
彼女たちは先輩や後輩たちと同じように、農業を基本とする男耕女織の古代社会において、生産労働で主要な位置を占めず、経済上独立できなかった。この点こそ、付属品・従属物という彼女たちの社会的地位はどの王朝の女性とも変わらない、という事態を決定づけたのである。しかしながら、唐代の女性たちは前代や後代の女性たちと全く同じだというわけでもなかった。先学はかつて次のように指摘したことがある。「三千年近い封建社会の女性に対する一貫した要求は、貞操、柔順、服従にはかならず、例外はきわめて少なかった。もし例外があるとすれば、それは唐代の女性たちにはかならない」(李思純「唐代婦女習尚考」『江村十論』、上海人民出版社、一九五七年)。筆者は、さらに一歩進めて次のように言うことができると思う。唐代の女性は中国古代の女性たちの中でわりあい幸運な部類であったと。なぜなら、彼女たちは他の王朝、とりわけ明清時代という封建末期の女性たちに比べると、社会的地位はあれほどまでに卑賎ではなく、また蒙った封建道徳の束縛と圧迫もやや少なめであり、まだ比較的多くの自由があった。
| (旧版) | | | | | |||
| 花間集 教坊曲『歸國遙』五首 | | ||||||
| 作者 | 巻 | 題 | 初句7字 | | |||
| 溫助教庭筠 | 巻2-07 | 蘭燼落,屏上暗紅蕉。 | | ||||
| 巻2-08 | 樓上寢,殘月下簾旌。 | | |||||
| 皇甫先輩松 | 巻2-25 | 千萬恨,恨極在天涯。 | | ||||
| 巻2-25 | 梳洗罷,獨倚望江樓。 | | |||||
| 牛嶠(牛給事嶠) | 巻4-05 | 含泥燕,飛到畫堂前。 | | ||||
| 巻4-06 | 紅繡被,兩兩間鴛鴦。 | | |||||
| | | | | | |||
皇甫松(生卒年不詳)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。韓愈門下、工部侍郎、皇甫湜の子、宰相牛僧孺の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『人隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。『花間集』には十二首の詞が収められている。
(旧版)
夢江南二首 其一
蘭燼落,屏上暗紅蕉。
閒夢江南梅熟日,夜船吹笛雨蕭蕭。
人語驛邊橋。
(江南で過ごした日、愛する女との別離の思い出)
香油の入った蝋燭の燈芯が燃え尽きるのか蝋のしずくが落ち、屏風絵の紅蕉(カンナ)の花も薄暗い。
夢路に辿るのは江南の初夏、梅の実が熟すころのこと、夜の船にでいると笛の音がひびく、雨はしとしとと降って、雨だれが鼓のように合わせて伝わってくる。
人の話し声が駅舎近くの橋から聞こえる。
(夢江南二首 其の一)
蘭燼【らんじん】落ち, 屏上【へいじょう】紅蕉【こうしょう】暗し。
閒夢【かんむ】江南 梅 熟す日, 夜船の吹笛 雨 蕭蕭たり。
人は語る 驛邊の橋。
(改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》
夢江南二首 其一
蘭燼落,屏上暗紅蕉。
閒夢江南梅熟日,夜船吹笛雨蕭蕭。
人語驛邊橋。
『夢江南』 現代語訳と訳註
(本文)
夢江南
蘭燼落,屏上暗紅蕉。
閒夢江南梅熟日,夜船吹笛雨蕭蕭。
人語驛邊橋。
(下し文)
(夢江南二首 其の一)
蘭燼【らんじん】落ち, 屏上【へいじょう】紅蕉【こうしょう】暗し。
閒夢【かんむ】江南 梅 熟す日, 夜船の吹笛 雨 蕭蕭たり。
人は語る 驛邊の橋。
(現代語訳)
(江南で過ごした日、水陸駅では、毎夜送別の宴が開かれ、一夜の思い出をつくったと詠う)
香油の入った蝋燭の燈芯が燃え尽き、蝋のしずくが落ちる、屏風絵の紅蕉(カンナ)の花に焔の残りが照らすのも薄暗い。
江南は素晴らしいところだった、夢路に辿るのは江南の初夏、梅の実が熟すころのこと、夜の船遊びで笛の音がひびき、雨はしとしとと降って、雨だれが鼓のように和合して伝わってきたものだ。
そこは、水陸駅の水辺であり、陸路の要衝である橋の側の亭から送別の宴の話し声が聞こえてきたのだ。
(訳注) (改訂版)-75-2皇甫松9《巻2-25 夢江南二首其一》
夢江南
(江南で過ごした日、水陸駅では、毎夜送別の宴が開かれ、一夜の思い出をつくったと詠う)
・夢江南:【ぼうこうなん】単調の望江南、望江南、謝秋娘、夢江南、憶江南と同調。「夢」の音は「ぼう」がふさわしい。「む」は慣用音。なお「望江南」は【ばうこうなん】と言う。詞の形式名。花間集二巻第所収。 平韻 一韻到底。韻式は「AAA」。
かつて江南の水陸駅で過ごした日、一夜の思い出を詠う。夢に見たということで、旅の夜の思い出を描く。梅の実の熟す頃の江南、しとしとと雨の降る夜、宿駅の橋、船の中で誰かが吹く笛、遅くまで送別の話し声が聞こえてくる、と。皇甫松の詩は自身の経験の詩ではなく、客観的に見、女と過ごすということは、こういうことだろうと、閨情の様子を想定する。
唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、皇甫松の作が二首収められている。夢江南二作品中の第一である。単調二十七字、五句三平韻で、3⑤7⑦⑤の詞形をとる。
蘭燼落 屏上暗紅蕉
閒夢江南梅熟日 夜船吹笛雨蕭蕭
人語驛邊橋
白居易の「憶江南」「江南好,風景舊曾諳。 日出江花紅勝火,春來江水綠如藍。 能不憶江南。」「夢江南」と「憶江南」は同一詞調。(江南好し。風景 旧【もと】より 曽て諳【そら】んず、日出づれば 江花 紅きこと火に勝り。春来れば 江水 緑なること 藍の如し、能く 江南を 憶はざらんや。)江南は素晴らしい。その風景はずっと昔から私の記憶に焼きついている。太陽が昇ると江上の花は火のように真っ赤に見え、春が来れば江の水は藍のように緑色になる。どうして江南を慕わずにいれよう。
蘭燼落,屏上暗紅蕉。
香油の入った蝋燭の燈芯が燃え尽き、蝋のしずくが落ちる、屏風絵の紅蕉(カンナ)の花に焔の残りが照らすのも薄暗い。
・蘭燼:香油の入った立派なロウソクの燃え残り。・蘭:蘭膏。香油。また、植物の蘭と、特に関係はない場合もある。・燼:燃え残り。燃えさし。「燼滅/灰燼・余燼」。李淸照の「獨上蘭舟」の蘭も木蘭の舟の意はあるが、結果としては、美称。
・屏上:屏風の。屏風に描かれている。ここは屏風に映る蝋燭の揺らめく炎の照らしをいう。
・暗:ロウソクが消えかかっているので、薄暗くなっている。
・紅蕉:紅いカンナ。カンナは美人蕉という。
閒夢江南梅熟日,夜船吹笛雨蕭蕭。
江南は素晴らしいところだった、夢路に辿るのは江南の初夏、梅の実が熟すころのこと、夜の船遊びで笛の音がひびき、雨はしとしとと降って、雨だれが鼓のように和合して伝わってくる。
・閒夢:のどかな夢。ここの「閒」は「閑」の意(音も)。
・江南:中国南部。長江以南。
・梅熟日:梅の実が熟す晩春、初夏に。=黄梅季、黄梅天。梅雨どき。
・閒夢江南梅熟日:ひそやかな夢は江南の初夏を辿る。白居易の「江南好,風景舊曽諳。日出江花紅勝火,春來江水綠如藍。能不憶江南!」に応えているとも思える。
・夜船:作者との関係が不明。作者は韋荘のように、船にいるのか、それとも、夜船でだれかが笛を吹いているのか。韋荘の「菩薩蛮」「人人盡説江南好,遊人只合江南老。春水碧於天,畫船聽雨眠。」も参考になる。
・吹笛:笛を吹く。静かな宵、遙か彼方から笛の音が伝わってきた、ということ。音が聞こえるということは、静かだからなので、静かな夜、と解しても好かろう。
・蕭蕭:もの寂しいさま。ここでは雨が静かに降る様子をいう。
人語驛邊橋。
水陸駅の水辺であり、陸路の要衝である橋の側の亭から送別の宴の話し声が聞こえる。
・人語:人の話し声が聞こえる。少なくとも泣いて、取りすがるという状況ではない。上の読み下しでは「人は語る」と読んではいるが…。 女性の話し声がする、鳥のさえずり、美人の声が聞こえる、という感じの意味である。「人語」の場合、「語」は、日本語で「かたる」という重々しい感じよりも「声が聞こえる」という軽いものの方がふさわしい。
・驛邊橋:古代の駅舎。宿舎。この場合、水陸駅の水辺であり、陸路の要衝である橋の側の亭。
(改訂版)-74-2皇甫松8《巻2-24 摘得新二首其二》こうした宴には平生から行われていて、今を楽しむことであり、皆新たなことを得るのであるのは、幾十度になるだろうか、そして、その後には、褥にお香の香りが広がっているものだ。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-74-2皇甫松8《巻2-24 摘得新二首其二》皇甫松12首巻二24-〈74〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5572
(改訂版)-73-2皇甫松7《巻2-23 摘得新》
摘得新二首 其一
(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
酌一巵,須教玉笛吹。
まず、大盃一杯の大酒を酌みかわす、そこには、王子喬のように玉笛を吹き鳴らさせることが必要である。そうすれば、王子喬のように仙界に行って不老長寿を得るかもしれない。
錦筵紅䗶燭,莫來遲。
錦の筵、紅梅のもとに蝋燭ともされたその下で、この時は再びは来ないものだからこの時を逃さず、楽しむことである。
繁紅一夜經風雨,是空枝。
春盛り、桃の花もただの一夜の軽やかな風と雨が降って来れば、空しきただの枝となるではないのか。だから、咲き誇っている時にこそ、たのしまねばならないのである。
(新たにするを得るを摘る【てきとくしん】二首 其の一)
一巵【し】を酌み、須く玉笛を吹かしむべし。
錦筵 紅の蝋燭、来たり遅るること莫かれ。
繁紅 一夜 風雨を経れば、是れ空枝なり。
(改訂版)-74-2皇甫松8《巻2-24 摘得新二首其二》
摘得新二首 其二
(今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その二)
摘得新,枝枝葉葉春。
今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、枝という枝、葉という葉、春景色になっている。枝も栄えて葉も茂る。今のこの時こそ、楽しもう。
管弦兼美酒,最關人。
笛や琴の音楽が盛んになれば、美味しいお酒が酌み交わされる。役所の人間たちの宴は酣になる。
平生都得幾十度,展香茵。
こうした宴には平生から行われていて、今を楽しむことであり、皆新たなことを得るのであるのは、幾十度になるだろうか、そして、その後には、褥にお香の香りが広がっているものだ。
(新たにするを得るを摘る【てきとくしん】二首 其の二)
新たにするを得るを摘る,枝枝 葉葉の春。
管弦 美酒を兼ね,最關の人。
平生 都て得る 幾十度,香りが茵【しとね】に展ず。
『摘得新二首 其一』 現代語訳と訳註
(本文)
摘得新二首 其二
摘得新,枝枝葉葉春。
管弦兼美酒,最關人。
平生都得幾十度,展香茵。
(下し文)
(新たにするを得るを摘る【てきとくしん】二首 其の二)
新たにするを得るを摘る,枝枝 葉葉の春。
管弦 美酒を兼ね,最關の人。
平生 都て得る 幾十度,香りが茵【しとね】に展ず。
(現代語訳)
(今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その二)
今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、枝という枝、葉という葉、春景色になっている。枝も栄えて葉も茂る。今のこの時こそ、楽しもう。
笛や琴の音楽が盛んになれば、美味しいお酒が酌み交わされる。役所の人間たちの宴は酣になる。
こうした宴には平生から行われていて、今を楽しむことであり、皆新たなことを得るのであるのは、幾十度になるだろうか、そして、その後には、褥にお香の香りが広がっているものだ。
(訳注)
摘得新二首 其二
(今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その二)
「妓」は歌舞音曲に携わったり、縄・竿・球・馬などを操る女芸人を総称する言葉であって、決して肉体を売る女性だけを指すものではなかった。それで常に「聴妓」(音楽を聴く)とか、「観妓」(歌舞を観る)という言い方があったのである。「妓」は娼妓と女芸人を合せた呼称ということができる。事実、芸人は常に売笑を兼ね、娼妓もまた芸を提供せねばならなかった。両者には時として明確な区別というものがなかったので、合せて「妓」と呼んだのは怪しむに足りない。「娼」となると、唐代には多く娼妓を指した。そして「女優」とか、「女伶」などの類の言葉は当然芸人を指した。しかし、彼女たちの身分・地位・生活などは娼妓と非常に近かったので、両者を合せて「妓優」とか「娼優」とかよぶ呼称が常に存在した。それゆえ彼女たちも一括して論ずることにする。以上は本論に入る前の「正名」(名称と実態を正しく概念規定すること)の作業である。
さて、唐代には「妓」と呼ばれた人は三種類あった。家妓・宮妓・官妓の三種である。いずれも妓と称されたが、三者の身分・生活はそれぞれ異なっていた。家妓は私人が自宅で養い蓄えている女楽、歌舞人であり、私有財産であって、姫妾とか婦女と呼ばれる人と同類であった。
唐の教坊の曲名。『花間集』には皇甫松の二首のみ所収。単調二十六字、六句四平韻で、③⑤/5③/7③の詞形をとる。
其一
酌一巵 須教玉笛吹
錦筵紅䗶燭 莫來遲
繁紅一夜經風雨 是空枝
其二
摘得新 枝枝葉葉春
管弦兼美酒 最關人
平生都得幾十度 展香茵
摘得新,枝枝葉葉春。
今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、枝という枝、葉という葉、春景色になっている。枝も栄えて葉も茂る。今のこの時こそ、楽しもう。
管弦兼美酒,最關人。
笛や琴の音楽が盛んになれば、美味しいお酒が酌み交わされる。役所の人間たちの宴は酣になる。
關人 役所の人間。
平生都得幾十度,展香茵。
こうした宴には平生から行われていて、今を楽しむことであり、皆新たなことを得るのであるのは、幾十度になるだろうか、そして、その後には、褥にお香の香りが広がっているものだ。
茵(しとね)とは座ったり寝たりするときの敷物の古風な呼称。寝るときの敷物は「褥」という文字を使い、ベッドパッドなどのことを指す。本項では寝殿造りなどに見られる座具である。通常、畳の上に敷かれた真綿入りの座具であり、座布団の一種といえる。四方の縁(へり)を錦(にしき)などで囲った正方形の敷物。縁は位階により五位以上は黄絹、六位以下は紺布などとなっていた。
(改訂版)-73-2皇甫松7《巻2-23 摘得新》(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-73-2皇甫松7《巻2-23 摘得新》皇甫松12首巻二23-〈73〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5567
(改訂版)-72-2皇甫松6《巻2-22 楊柳枝二首其二》(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は同じように広がっているけれど、この景色が呉の国を滅ぼしたのではなく、美女の微笑におぼれたから傾国したのだということが認識されることだ。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-72-2皇甫松6《巻2-22 楊柳枝二首其二》皇甫松12首巻二22-〈72〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5562
(旧版)
(皇甫松)楊柳枝二首 其一
春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。
如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。
(長安城大明宮には八千人との数万人とも言われた宮女がいたというが、春の盛りの今は緑の柳が生えるだけである。)
春景色は後宮の庭にも入ってきて、庭園の山に薄緑色に生える。ここに暮らした、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の舞う紫煙のように儚いものなのだ。
その後宮もこの頃は、柳のように細腰の宮女たちでにぎわうこともなく、誰もいない宮城には柳の緑が生えている。輝くような横笛は、どのような人の手にあるのか、そして、それを吹かれているのだろうか。
(楊柳枝二首 其の一)
春入り 行宮 翠微に映り,玄宗 侍女 煙絲に舞う。
如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。
(旧版)
楊柳枝二首其二
爛熳春歸水國時,吳王宮殿柳絲垂。
黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。
(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は広がっているけれど、そんな妖艶な気配は感じることはできないけど、これだけの史蹟を遺すということは改めて認識をさせるものである。)
花の咲き乱れる春が、呉國江南の水郷の一帯にも景色をひろげてきた。姑蘇台の吳王宮殿にも柳の目を緑に繁らせて、枝を垂らしている。
高麗鶯が春の訪れを告げる泣き声を長く引っ張って叫んで知るけれど、西施の閨のあとにはもう何もなく曠湖畔の景色があるだけである。西施は本当にその微笑で呉の国を滅ぼすという故事があったのだろうか、今の此処の景色からわかることはできないが、ここに残された史蹟からさらに認識することが出来るだろう。
(楊柳枝二首其の二)
爛熳 春歸 水國の時,吳王 宮殿 柳絲 垂る。
黃鶯 長叫 空閨の畔,西子 無因 更に知るを得る。
(改訂版)-71-2皇甫松5《巻2-21 楊柳枝二首其一》
皇甫先輩松(皇甫松)楊柳枝二首
楊柳枝二首其一
(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。
春景色は離宮の庭からの眺める全てに入ってきて、春山の中腹は薄緑色に生える。ここにも侍っていた、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の紫煙のなかで舞い、儚くきえていった。
如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。
その離宮行在所もこの頃は、柳がたれるだけで、誰もいない城には鬱蒼とした緑に染まっている笛中の内、楊柳の一曲はだれがふいているのか、行宮の情を起させるのか、更に笛の音が響いてくる。
(楊柳枝二首 其の一)
行宮に春は入り 翠微に映る,玄宗の侍女 煙絲に舞う。
如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。
(改訂版)-72-2皇甫松6《巻2-22 楊柳枝二首其二》
楊柳枝二首其二
(越の国を後にして独り呉の国をその微笑で傾国させたという西施の宮殿跡に春景色は同じように広がっているけれど、この景色が呉の国を滅ぼしたのではなく、美女の微笑におぼれたから傾国したのだということが認識されることだ。)
爛熳春歸水國時,吳王宮殿柳絲垂。
花の咲き乱れる春になって、呉國である江南の水郷の一帯にも春景色がひろがる中に立つ。かつて姑蘇台の吳王宮殿であったここあるのは、呉の栄枯盛衰を見てきた柳が緑に繁り、枝を垂らしていることだけだ。
黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。
高麗鶯が春を告げる長く引っ張って叫び啼き声、だれもいない西施の閨のあとに曠がる湖畔の景色は同じようにある。この同じ景色から西施がその微笑で呉の国を滅ぼすということがあったのかという事実は分からないが、ここに残された女におぼれたなら、傾国するという歴史は認識できることだ。
(楊柳枝二首其の二)
爛熳なり 春歸る 水國の時,吳王の宮殿 柳絲 垂る。
黃鶯 長叫して 空閨の畔,西子 無因なり 更に知るを得る。
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(改訂版)-71-2皇甫松5《巻2-21 楊柳枝二首其一》(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-71-2皇甫松5《巻2-21 楊柳枝二首其一》皇甫松12首巻二21-〈71〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5557
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| 花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首 | | ||||
| 溫助教庭筠(温庭筠) | 巻一 | 館娃宮外鄴城西, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之二 | 宜春苑外最長條, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之三 | 金縷毿毿碧瓦溝, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之四 | 御柳如絲映九重, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之五 | 織錦機邊鶯語頻, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之六 | 蘇小門前柳萬條, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之七 | 南內牆東御路傍, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之八 | 兩兩黃鸝色似金, | | ||
| 皇甫先輩松(皇甫松) | 巻二 | 春入行宮映翠微 | | ||
| 巻二 | 爛熳春歸水國時 | | |||
| 牛給事嶠(牛嶠) | 巻三 | 解凍風來末上青, | | ||
| 巻三 | 橋北橋南千萬條, | | |||
| 巻三 | 狂雪隨風撲馬飛, | | |||
| 巻三 | 吳王宮裡色偏深, | | |||
| 巻三 | 裊翠籠煙拂暖波, | | |||
| 張舍人泌(張泌) | 巻四 | 膩粉瓊粧透碧紗, | | ||
| 和學士凝(和凝) | 巻六 | 軟碧瑤煙似送人, | | ||
| 巻六 | 瑟瑟羅裙金縷腰, | | |||
| 巻六 | 鵲橋初就咽銀河, | | |||
| 顧太尉敻(顧敻) | 巻七 | 秋夜香閨思寂寥, | | ||
| 孫少監光憲(孫光憲) | 巻八 | 閶門風暖落花乾 | | ||
| 巻八 | 有池有榭即濛濛, | | |||
| 巻八 | | ||||
| 巻八 | | ||||
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(改訂版)-70-2皇甫松4《巻2-20 浪濤沙二首其二》 やがて、そこに波が起こり、鵁鶄は安眠することが出来なって、そのまま寒気の砂浜に残され、心寂しくかろうじて生き延びるだけで、そして、大江の流れの中に入り流れ去ってゆく。華やかだった女も、いつしか同じように何処かへいなくなっていく。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-70-2皇甫松4《巻2-20 浪濤沙二首其二》皇甫松12首巻二20-〈70〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5552
(2015/07/04再補正)
紅桃
『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。
謝阿蛮
『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。
張雲容
全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。
王大娘
『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。
許和子(永新)
『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。
念奴
『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。
(旧版)
浪濤沙二首其一
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
(波が砂を洗う水際の近くの娼妓が去年遭い、別れた人を思って長江の景色を詠う)
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには葉のか細い草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、四隅を竹ざおで張った沙網を仕掛ける船が半ば沈みかけようとしている。
水際には白鷺が棲みついているし、かもめは砂地で眠っている、何かの拍子に昔の入り江の港の方に飛んでいく。もう去年のことになるのは、その砂浜で觜宿の星を見て別れてしまったけれど、これが大江の別れの心というものか、二度と逢うことはないのだろう。
(浪濤沙二首其の一)
灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。
宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。
(旧版)
浪濤沙二首其二
蠻歌豆蔻北人愁,蒲雨杉風野艇秋。
浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。
(歌妓の一生を鵁鶄に比喩して詠う。)
その頃は、珍しい江南か南国のうたがうたわれる宴席を開いていて、愛してもらうことが、豆蔻などの常緑樹とおなじで枯れることもないとおもっていたが、北の国から来た人であり、少し心配をすることもあった。その間、雨が集中して降ったり、杉林を抜ける風が清々しく、いろんな時を過ごし、秋には、野原や沼地に採蓮、菱摘みに舟遊びを楽しんだのだ。
そこに波が起こり、鵁鶄は安眠することが出来なくて、そのまま寒気の砂浜に残され、心寂しくかろうじて生き延びて、そして何時とはなく長江の流れの中に入り流れ去ってゆくのである。ここの女は、年を取るとみんな同じように何処かへいなくなっていくのが通常のことなのだ。
(浪淘沙 二首其の二)
蠻歌 豆蔻 北人の愁,蒲雨 杉風 野艇の秋。
浪起き 鵁鶄 眠りは得られず,寒沙 細細にして 江に入りて流る。
(改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》
浪濤沙二首其一
(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。
(浪濤沙 二首其の一)
灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。
宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。
(改訂版)-70-2皇甫松4《巻2-20 浪濤沙二首其二》
浪濤沙二首其二
(妃嬪・妓優・歌妓、華やかな女の一生を鵁鶄に比喩して詠う。)
蠻歌豆蔻北人愁,蒲雨杉風野艇秋。
熱帯性の常緑高木のお庭に、なよなよとした踊りに合わせ、南国の異民族の歌がうたわれる、北の国で生まれたものにとって、恋しくて、心配する。そして、雨が集中して降る季節に変わり、杉林を抜ける風が清々しい季節になり、そして、秋になり、採蓮、菱摘みに舟遊びを楽しむ。
浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。
やがて、そこに波が起こり、鵁鶄は安眠することが出来なって、そのまま寒気の砂浜に残され、心寂しくかろうじて生き延びるだけで、そして、大江の流れの中に入り流れ去ってゆく。華やかだった女も、いつしか同じように何処かへいなくなっていく。
(浪濤沙二首其の二)
蠻歌 豆蔻 北人の愁,蒲雨 杉風 野艇の秋。
浪起き 鵁鶄 眠りは得られず,寒沙 細細にして 江に入りて流る。
(改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》
『浪濤沙二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
浪濤沙二首其二
蠻歌豆蔻北人愁,蒲雨杉風野艇秋。
浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。
蠻歌豆蔻北人愁,松雨蒲風野艇秋。
浪起眠不得,寒沙細細入江流。
(下し文)
(浪濤沙二首其の二)
蠻歌 豆蔻 北人の愁,蒲雨 杉風 野艇の秋。
浪起き 鵁鶄 眠りは得られず,寒沙 細細にして 江に入りて流る。
(現代語訳)
(妃嬪・妓優・歌妓、華やかな女の一生を鵁鶄に比喩して詠う。)
熱帯性の常緑高木のお庭に、なよなよとした踊りに合わせ、南国の異民族の歌がうたわれる、北の国で生まれたものにとって、恋しくて、心配する。そして、雨が集中して降る季節に変わり、杉林を抜ける風が清々しい季節になり、そして、秋になり、採蓮、菱摘みに舟遊びを楽しむ。
やがて、そこに波が起こり、鵁鶄は安眠することが出来なって、そのまま寒気の砂浜に残され、心寂しくかろうじて生き延びるだけで、そして、大江の流れの中に入り流れ去ってゆく。華やかだった女も、いつしか同じように何処かへいなくなっていく。
(訳注)
浪濤沙二首其二
(妃嬪・妓優・歌妓、華やかな女の一生を鵁鶄に比喩して詠う。)
花間集には浪淘沙は皇甫松の二首が所収されている。雑曲歌辞、七言絶句形式、二十八字四句三平韻⑦⑦7⑦の詞形をとる。
蠻歌豆蔻北人愁 蒲雨杉風野艇秋
浪起鵁鶄眠不得 寒沙細細入江流
○○●●●○○ ○●○△●●○
△●○○○△● ○△●●●○○
皇甫松(生卒年不詳・父皇甫湜が約777~約830とされているので約800~約850と考える。親子とも、隠遁者の為形跡を遺していない)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。韓愈門下、工部侍郎、皇甫湜の子、宰相牛僧孺の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『人隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。『花間集』 には十二首の詞が収められている。
《雑曲歌辞》 宮廷では、数百里の遠方からも、歌の好きな人々、踊りの腕を競わせる「歌競」「舞競」を常時開いた。
浪濤沙 雑曲歌辞であるところの浪濤沙【浪淘沙ろうとうさ】。波が砂をよなげる。この作は、黄河や長江の流れを詠じている。『楚辭』の九歌に擬しているといわれる。九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。作者は屈原とされるが、異説もある。王逸は、屈原が懐王に追われて、瀟湘地域に旅した際、土着の祭祀歌があまりに野卑だったので、優美なものに改作して与えたのだとする。同時に、その神に対する心情のうちに、自分の王に対する忠誠を寓意として歌いこんだともいう。
雑曲歌辞:楽府詩の一つ。内容は雑然としており、志を描写するものや感情を発露するものであり、宴遊や歓楽、うらみや別離の情、行役や征戍の苦労を詠ったものがある。・浪濤沙:なみが砂を洗う。詞牌・『浪濤沙(浪淘沙)』となる。 ・濤淘:よなげる。米を水に入れて、ゆりとぐ。物を水に入れて、揺らし動かして洗う。
蠻歌 豆蔻 北人愁,蒲雨杉風野艇秋。
熱帯性の常緑高木のお庭に、なよなよとした踊りに合わせ、南国の異民族の歌がうたわれる、北の国で生まれたものにとって、恋しくて、心配する。そして、雨が集中して降る季節に変わり、杉林を抜ける風が清々しい季節になり、そして、秋になり、採蓮、菱摘みに舟遊びを楽しむ。
蠻歌 珍しい江南か南国のうたがうたわれる宴席を開いていることをさす。
豆蔻 ・荳蔻 草の名、にくづく。花が葉間に生ずる。その形から、南方では少しく開いた花を含胎花といい、歳が若くして妊娠することをいう。ニクズク属は、ニクズク科の1属。学名Myristica。ミリスティカ属とも。属名はギリシャ語で香油を意味するミュリスティコス から。 熱帯性の常緑高木。東南アジア、オーストラリアに自生。 種子から、スパイスのナツメグ とメース 、生薬の肉荳蔲が作られる。
蒲雨 集中豪雨。スコール。
野艇 採蓮や、菱摘みを見る遊び。
浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。
やがて、そこに波が起こり、鵁鶄は安眠することが出来なって、そのまま寒気の砂浜に残され、心寂しくかろうじて生き延びるだけで、そして、大江の流れの中に入り流れ去ってゆく。華やかだった女も、いつしか同じように何処かへいなくなっていく。
鵁鶄 ごいさぎ.(1)、一名{刑-刂+鳥}。鳬に似て脚高く毛冠あり(2)。高木に巣くい、子を穴中に生む。子其の母の翅を銜へ飛びて上下す(3)。淮賦の所謂、「鸕{茲+鳥}は雛を八九に吐く、鵁鶄は翼を銜へ低昂する」者なり。
細細 1 非常に細いさま。また、細く弱々しいさま。「―とした声」2 かろうじて続いているさま。また、やっとのことで維持するさま。
音楽と歌舞
古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。
初唐では九寺の一つである太常寺が舞楽を司る中心となり、宮廷舞楽のうちの雅楽を取り扱った。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。
宮廷音楽で歌われる歌の歌詞は唐詩が採用された。民間にも唐詩を歌詞にし、音楽にあわせて歌うものが現れ、晩唐には音楽にあわせるために書かれた詞を作られた。また、「闘歌」という歌の上手を競わせる遊びも存在していた。
舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。
舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。
唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。
唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。
安史の乱以後は、戦乱や、梨園の廃止、教坊の縮小とともに、楽工や妓女は地方に流れ、音楽や舞踊の普及は進んでいくことになった
(改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》皇甫松12首巻二19-〈69〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5547
(旧版)
浪濤沙二首其一
(波が砂を洗う水際の近くの娼妓が去年遭い、別れた人を思って長江の景色を詠う)
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには葉のか細い草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、四隅を竹ざおで張った沙網を仕掛ける船が半ば沈みかけようとしている。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
水際には白鷺が棲みついているし、かもめは砂地で眠っている、何かの拍子に昔の入り江の港の方に飛んでいく。もう去年のことになるのは、その砂浜で觜宿の星を見て別れてしまったけれど、これが大江の別れの心というものか、二度と逢うことはないのだろう。
浪濤沙二首其一
(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。
(浪濤沙 二首其の一)
灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。
宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。
浪濤沙二首其二
蠻歌豆蔻北人愁,蒲雨杉風野艇秋。
浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。
(浪濤沙二首其の二)
蠻歌 豆蔻 北人の愁,蒲雨 杉風 野艇の秋。
浪起き 鵁鶄 眠りは得られず,寒沙 細細にして 江に入りて流る。
『浪濤沙二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
浪淘沙二首其一
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
(下し文)
浪濤沙二首其一
灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。
宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。
(現代語訳)
(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。
水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。
(訳注) (改訂版)-69-2皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》
浪濤沙二首其一
(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)
花間集には浪濤沙は皇甫松の二首が所収されている。雑曲歌辞、七言絶句形式、二十八字四句三平韻⑦⑦7⑦の詞形をとる。
蠻歌豆蔻北人愁 蒲雨杉風野艇秋
浪起鵁鶄眠不得 寒沙細細入江流
○○●●●○○ ○●○△●●○
△●○○○△● ○△●●●○○
皇甫松(生卒年不詳・父皇甫湜が約777~約830とされているので約800~約850と考える。親子とも、隠遁者の為形跡を遺していない)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。韓愈門下、工部侍郎、皇甫湜の子、宰相牛僧孺の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『人隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。『花問集』 には十二首の詞が収められている。
《雑曲歌辞》
浪濤沙 雑曲歌辞であるところの浪濤沙【浪淘沙ろうとうさ】。波が砂をよなげる。この作は、黄河や長江の流れを詠じている。『楚辭』の九歌に擬しているといわれる。九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。作者は屈原とされるが、異説もある。王逸は、屈原が懐王に追われて、瀟湘地域に旅した際、土着の祭祀歌があまりに野卑だったので、優美なものに改作して与えたのだとする。同時に、その神に対する心情のうちに、自分の王に対する忠誠を寓意として歌いこんだともいう。
雑曲歌辞:楽府詩の一つ。内容は雑然としており、志を描写するものや感情を発露するものであり、宴遊や歓楽、うらみや別離の情、行役や征戍の苦労を詠ったものがある。・浪濤沙:なみが砂を洗う。詞牌・『浪濤沙(浪淘沙)』となる。 ・濤淘:よなげる。米を水に入れて、ゆりとぐ。物を水に入れて、揺らし動かして洗う。
灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。
緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。
罾 正方形の網の四隅を竹ざおで張った沙網。水底に沈めておいて、時々引き上げて魚をとる。
宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。
水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。
舊浦 この詩は、屈原楚辞九歌に基づいており、瀟湘、黄河の水神を連想させるものである。いかに重要な河であったかは神話や伝説からも十分にうかがえる。 10個の太陽のうち9個を射落としたという伝説を持つ羿は、河伯を弓で射てその妻の雒嬪を奪ったといわれる。河伯とは黄河の神であり、雒嬪とは黄河の支流のひとつ洛水の女神である。瀟湘神:詞牌の一。詞の形式名。『瀟湘曲』ともいう。詳しくは下記の「構成について」を参照。この作品がこの詞牌の起源になる。湘妃と斑竹の、亡き人を偲ぶ故事で、深い味わいを出している。
皇甫松2《巻2-18 天仙子二首其二》(初夏になりツツジの花が開き始めころに、人里離れて隠棲し修行にはいった、それは、年を経るにしたがって、始めのころに帰って来るという、千も、万里先にいっていても、「歸去來」(かえりなんいざ)と帰って来たものであり、神仙のなかで生きていくと詠う。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-68-2皇甫松2《巻2-18 天仙子二首其二》皇甫松12首巻二18-〈68〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5542
皇甫松(生卒年不詳)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。工部侍郎皇甫湜の子、宰相牛僧濡の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『大隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。『花間集』 には十二首の詞が収められている。
(旧版)
天仙子二首 其一
(仙女といわれる道教の寺の尼と男の別れを詠う。)
晴野鷺鷥飛一隻,水葓花發秋江碧。
晴れわたる野辺にはツガイの白鷺一羽飛んでゆく、蓼の花が咲き開いていたのに、もう秋になっての大江の水は青々と広がる。
劉郎此日別天仙,登綺席,
ここに來ると皆、劉郎となってこの日、仙女と別れるのだ。それは送別の宴に着くところからだ。
淚珠滴,十二晚峯高歷歷。
はらはらと涙の玉が滴る。十二の峰々は晴れあがった夕空にくっきりとしたシルエットをのこして聳えている。
晴野 鷺鷥【ろし】一隻【いっせき】飛び,水葓【すいこう】花 發して 秋江碧なり。
劉郎 此の日天仙に別る,綺席【きせき】に登り,淚珠 滴【したた】り,十二晚峯【ばんぽう】高く歷歷たり。
天仙子二首其二
(人里離れた道教の聖女祠の女、年増になって好きな人は去って行った。それでも天仙子として生きていくしかない。)
躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。
ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行って、未練だけが残る。
行人經歲始歸來,千萬里,
女も年を重ねて行く様に、行き過ぎていく人も年を経た人に変わっていく、若い初めのころに帰って來るならば、千も、万里もいとうことはない。
錯相倚,懊惱天仙應有以。
交じり合い、互いに寄り添う。悩んで苦しむことばかり、「天仙」と呼ばれて、まさにこれからも依然としてここにあるだけ。
(天仙子二首其の二)
躑躅の花 開き 紅い水に照し,鷓鴣 飛びて遶ぐり 青山の觜。
行人【こうじん】歲を經て 始めて歸り來れば,千、萬里も,
錯り相い倚る,懊惱するも天仙 應に以ってする有り。
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(改訂版)-67-2皇甫松1《巻2-17 天仙子二首其一》(秋の長雨で、巫山に逗留し、巫山の仙女と劉郎のように過ごした、そしてこの日秋晴れになり、「高唐賦」のように襄王と巫女の別れ、珠の涙を流して、巫山十二峰を後にする別れを詠う。)
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-67-2皇甫松1《巻2-17 天仙子二首其一》皇甫松12首巻二17-〈67〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5537
(旧版)
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| 花間集 教坊曲『天仙子』九首 | | |||
| 作者 | 巻 | 題 | 初句7字 | |
| 皇甫先輩松 | 巻二 | 晴野鷺鷥飛一隻 | | |
| 巻二 | 躑躅花開紅照水 | | ||
| 韋相莊 | 巻三 | 悵望前回夢裏期, | | |
| 巻三 | 深夜歸來長酩酊, | | ||
| 巻三 | 蟾彩霜華夜不分, | | ||
| 巻三 | 夢覺雲屏依舊空, | | ||
| 巻三 | 金似衣裳玉似身, | | ||
| 和學士凝(和凝) | 巻六 | 柳色披衫金縷鳳, | | |
| 巻六 | 洞口春紅飛蔌蔌, | | ||
| | | | | |
●皇甫先輩松 天仙子二首
天仙子二首
其一
晴野鷺鷥飛一隻,水葓花發秋江碧。
劉郎此日別天仙,登綺席,淚珠滴,十二晚峯高歷歷。
其二
躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。
行人經歲始歸來,千萬里,錯相倚,懊惱天仙應有以。
●韋相莊 天仙子五首
天仙子五首
其一
悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。
露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。
其二
深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。
醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。
其三
蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。
人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。
其四
夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。
一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。
其五
金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。
來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。
●歐陽舍人炯 天仙子二首
天仙子二首
其一
柳色披衫金縷鳳,纖手輕拈紅豆弄,翠蛾雙斂正含情。
桃花洞,瑤臺夢,一片春愁誰與共。
其二
洞口春紅飛蔌蔌,仙子含愁眉黛綠。
阮郎何事不歸來,懶燒金,慵篆玉。
流水桃花空斷續。
皇甫松(生卒年不詳)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。工部侍郎皇甫湜の子、宰相牛僧濡の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『大隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。『花間集』 には十二首の詞が収められている。
(旧版)
天仙子二首 其一
(仙女といわれる道教の寺の尼と男の別れを詠う。)
晴野鷺鷥飛一隻,水葓花發秋江碧。
晴れわたる野辺にはツガイの白鷺一羽飛んでゆく、蓼の花が咲き開いていたのに、もう秋になっての大江の水は青々と広がる。
劉郎此日別天仙,登綺席,
ここに來ると皆、劉郎となってこの日、仙女と別れるのだ。それは送別の宴に着くところからだ。
淚珠滴,十二晚峯高歷歷。
はらはらと涙の玉が滴る。十二の峰々は晴れあがった夕空にくっきりとしたシルエットをのこして聳えている。
(旧版)
天仙子二首其二
(人里離れた道教の聖女祠の女、年増になって好きな人は去って行った。それでも天仙子として生きていくしかない。)
躑躅花開紅照水,鷓鴣飛遶青山觜。
ためらいがちにツツジの花が開き始め、大江の水面を赤く染めている。つがいでいた鷓鴣鳥も飛び立ち暫くグルッと回っていたが遠くの山の端の方に飛んで行って、未練だけが残る。
行人經歲始歸來,千萬里,
女も年を重ねて行く様に、行き過ぎていく人も年を経た人に変わっていく、若い初めのころに帰って來るならば、千も、万里もいとうことはない。
錯相倚,懊惱天仙應有以。
交じり合い、互いに寄り添う。悩んで苦しむことばかり、「天仙」と呼ばれて、まさにこれからも依然としてここにあるだけ。
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玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-4雜詩十二首其三夜聽妓二首之一 瓊閨釧響聞 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11099
玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-3雜詩十二首其二同王主簿怨情 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-2雜詩十二首其一贈王主簿二首之一 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11083
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紀 頌之