毛熙震 臨江仙二首其一
南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。
縱態迷歡心不足,風流可惜當年。纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。
(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)
六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。
また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。
宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった
それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている
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《花間集》 443巻九41 |
臨江仙二首其一 |
全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7479 |
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(改訂版Ver.2.1) |
17 毛熙震 |
前蜀の詞人 |
938年前後に在世 |
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臨江仙二首
臨江仙二首其一
南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。
潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。
縱態迷歡心不足,風流可惜當年。
纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。
(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)
六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。
また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。
宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった
それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。
(臨江仙二首其の一)
南齊の天子 嬋娟を寵う,六宮 羅綺三千。
潘妃 嬌豔 獨り芳妍,椒房 蘭洞,雲雨 神仙に降る。
態を縱ままにす 迷いて歡心 足らず,風流 當年にり惜む可し。
纖腰 婉約 金蓮に步み,妖君は傾國なり,猶お 自より今に至って傳う。
臨江仙二首其二
幽閨欲曙聞鶯囀,紅䆫月影微明。
好風頻謝落花聲,隔幃殘燭,猶照綺屏箏。
繡被錦茵眠玉暖,炷香斜裊煙輕。
澹蛾羞斂不勝情,暗思閑夢,何處逐雲行。
『臨江仙二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
臨江仙二首其一
南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。
潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。
縱態迷歡心不足,風流可惜當年。
纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。
(下し文)
(臨江仙二首其の一)
南齊の天子 嬋娟を寵う,六宮 羅綺三千。
潘妃 嬌豔 獨り芳妍,椒房 蘭洞,雲雨 神仙に降る。
態を縱ままにす 迷いて歡心 足らず,風流 當年にり惜む可し。
纖腰 婉約 金蓮に步み,妖君は傾國なり,猶お 自より今に至って傳う。
(現代語訳)
(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)
六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。
また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。
宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった
それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。
(訳注)
臨江仙二首其一
(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)
1 李商隠《南 朝》
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
(南 朝)
玄武湖中 玉漏催し、鶏鳴壊口 繍襦廻る。
誰か言う 瓊樹 朝朝に見わるるは、金蓮 歩歩に来たるに及はずと
敵国の軍営 木柹を漂わし、前朝の神廟 煙煤に鎖さる
満宮の学士 皆な顔色あり、江令 当年只だ才を費す
南 朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46
唐の教坊の曲名。『花間集』には初めに示した表のとおり、二十六首所収。毛熙震の作は二首収められている。双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる
南齊天子寵嬋娟 六宮羅綺三千
潘妃嬌豔獨芳妍 椒房蘭洞 雲雨降神仙
縱態迷歡心不足 風流可惜當年
纖腰婉約步金蓮 妖君傾國 猶自至今傳
○△○●●○○
●○○●△○
○△△●●○○ ○○○△ ○●△○○
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南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。
六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。
2 南斉 中国,南北朝時代の南朝の一(479~502)。宋の蕭道成(しようどうせい)が順帝の禅譲を得て建国。都は建康(今の南京)。七代で蕭衍(しようえん)(梁の武帝)に国を奪われた
3 嬋娟 容姿のあでやかで美しいさま。
4 六宮 中国で、皇后と五人の夫人が住む六つの宮殿。皇后と五人の夫人。後宮。
綺羅 《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。
5 三千 宮女三千人。
杜甫はかつて《20-99 観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。
767年-23幷序⑶ 杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 幷序⑶》 杜甫詩index-15-1145 <1595> 767年大暦2年56歲-23幷序⑶
古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。100人くらいもいる妃賓に100人の宮女が使えていたとするから、後宮には一万人くらいがいたとされる。
潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。
また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。
7 潘妃 (生没年不明)東昏侯の妃。本名は兪尼子、のちに、潘玉児といった。もと王敬則の妓で、東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長する
ことが大であった。かつて東昏侯は、金の蓮華を地に敷いて潘妃にその上を歩かせ、「歩歩蓮華を生ず」といった。梁の武帝の革命が起こると、東昏侯は殺され、潘妃は捕えられたが、部
将の妾となることを拒んで自殺した。
8 芳妍【ほうけん】美しく、優美な女たちがあつまれば芳しい香りでこと。
9 椒房 ①皇后の御所。②皇后・皇妃の別名。「椒」は山椒(さんしよう)、「房」は室の意。中国で皇后の御所の壁に邪気を払うためと、実の多いことにあやかり、皇子が多く生まれるようにと、山椒を塗り込めたり、庭に植えたりしたところからこの名があるという。
10 蘭洞 妃賓の宮殿。
縱態迷歡心不足,風流可惜當年。
宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった
纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。
それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。
11 金蓮 南斉の末期の帝、東昏侯蕭宝巻(483-501)は黄金で蓮の花をこしらえて地面に敷き、その上を愛姫の潘妃に歩ませて、「此れ歩歩に蓮華を生ずるなり」といった(『南史』斉本紀)にある。
〔「南史斉本紀」より。中国南朝の東昏侯(とうこんこう)が潘妃(ばんき)に金製の蓮華の上を歩かせた故事による〕美人のあでやかな歩み。蓮歩。
南 朝
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。
南 朝
玄武湖中 玉漏催し、鶏鳴壊口 繍襦廻る。
誰か言う 瓊樹 朝朝に見わるるは、金蓮 歩歩に来たるに及はずと
敵国の軍営 木柹を漂わし、前朝の神廟 煙煤に鎖さる
満宮の学士 皆な顔色あり、江令 当年只だ才を費す
○南朝 439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。建康(江蘇省南京市)に都を置いた東晋・宋・南斉・梁・陳の王朝。西晋末の五胡十六国の乱から隋が統一するまで三百年近く、中国は漢民族による南朝と北方民族による北朝とに分裂した時期が続いた。北朝の質実剛健、南朝の繊細華美という対比で捉えられる。
北魏が華北を統一し、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。
李商隠にはほかにも「南朝(地険悠悠天険長)」と題する七言絶句がある。
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
○玄武湖 南京市北郊の湖。南朝宋の文帝が開墾し楽遊園に造った、行楽の場とした。「陳の後宮(玄武)」詩にも「玄武 新苑を開き、龍舟 燕幸(御幸して宴を催すこと)頻りなり」。○玉漏催 玉でできた漏刻(水時計)がせき立てるように時を刻む。文帝は次々に土木工事行い、夜まで時を忘れて享楽に耽ったことをいう。○鶏鳴埭 (けいめいたい) 玄武湖の北の堰の名。南斉の武帝はしばしば官女を引き連れて琅琊城に行幸し、宮廷を早朝に発って玄武湖の堰まで来ると鶏が鳴いたのでそこを「鶏鳴埭」と呼んだという(『南史』后妃伝・武穣装皇后伝)。「域」は堰の意。○繍襦廻 「繍襦」はうす絹の襦袢で刺繍を施したものをいう。膝上までの短衣を着たお供の官女たちを指す。「廻」は短衣が舞いながら回転する。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
○瓊樹 宝玉のように美しい木。陳の後主が張貴妃、孔貴嬪の美貌を讃えて作った「玉樹後庭歌」をふまえてに「璧月は 夜夜に満ち、瓊樹は朝朝新たなり」(『陳書』後主沈皇后伝論)にもとづく。「瓊」は赤い宝石。「璧」も美しい玉。○金蓮歩歩來 南斉の末期の帝、東昏侯蕭宝巻(483-501)は黄金で蓮の花をこしらえて地面に敷き、その上を愛姫の潘妃に歩ませて、「此れ歩歩に蓮華を生ずるなり」といった(『南史』斉本紀)にある。
〔「南史斉本紀」より。中国南朝の東昏侯(とうこんこう)が潘妃(ばんき)に金製の蓮華の上を歩かせた故事による〕美人のあでやかな歩み。蓮歩。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
○敵国 隋を指す。○漂木柹 隋の文帝は戦艦を建造した際、秘密裡に進めるようにという忠告に対して、天誅を施そうとしているのだから隠すまでもない、川に船の木くずを流せ、戦艦が攻めてくると知って陳が放埓を改めるならはそれでよい、と語った(『南史』陳本紀)。「柹」は木屑。○前朝神廟鎖煙煤 先帝の建国の艱難辛苦忘れ、霊を祀った7か所の御廟が祭祀も行われずに放置され酒食に耽った。その上、陳の後主(陳叔宝)は先祖の祀りを怠って酒食に溺れ、とがめた章華を斬殺した(司馬光「資治通鑑」)。「煙煤」はすすけむり。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。
○満宮学土皆顔色 陳の後主は宮女のなかで文才のあるものを「女学士」に命じ、宴遊に際して詩を書かせ、千人以上の宮女たちに合唱させた。「顔色」は美貌。○江令 陳の宮廷の御用文人江総(519-594)、梁、陳、隋の三朝に仕えた。尚書令であったので「江令」という。『陳書』江総伝に、総は権宰であったのに、政務を持せず、後主と遊宴のみし、陳喧・孔範・王瑳ら十余人と共にし、「狎客(お追従もの)」と称された。国政に与る身でありながら享楽の詩にのみ才を注いだことをのべる。














































