玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

風流、詠懐詞

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

17 毛熙震《巻九41臨江仙二首其一》『花間集』443全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7479

毛熙震  臨江仙二首其一

南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。

縱態迷歡心不足,風流可惜當年。纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。

(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)

六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。

また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。

宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった

それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている

《花間集》

443巻九41

臨江仙二首其一

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7479

(改訂版Ver.2.1

17 毛熙震

前蜀の詞人

938年前後に在世

 

 

 

 

臨江仙二首

 

臨江仙二首其一

南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。

潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。

縱態迷歡心不足,風流可惜當年。

纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。

(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)

六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。

また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。

宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった

それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。

(臨江仙二首其の一)

南齊の天子 嬋娟を寵う,六宮 羅綺三千。

潘妃 嬌豔 獨り芳妍,椒房 蘭洞,雲雨 神仙に降る。

態を縱ままにす 迷いて歡心 足らず,風流 當年にり惜む可し。

纖腰 婉約 金蓮に步み,妖君は傾國なり,猶お 自より今に至って傳う。

 

臨江仙二首其二

幽閨欲曙聞鶯囀,紅月影微明。

好風頻謝落花聲,隔幃殘燭,猶照綺屏箏。

繡被錦茵眠玉暖,炷香斜裊煙輕。

澹蛾羞斂不勝情,暗思閑夢,何處逐雲行。

 

興慶宮沈香亭
 

『臨江仙二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

臨江仙二首其一

南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。

潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。

縱態迷歡心不足,風流可惜當年。

纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。

 

(下し文)

(臨江仙二首其の一)

南齊の天子 嬋娟を寵う,六宮 羅綺三千。

潘妃 嬌豔 獨り芳妍,椒房 蘭洞,雲雨 神仙に降る。

態を縱ままにす 迷いて歡心 足らず,風流 當年にり惜む可し。

纖腰 婉約 金蓮に步み,妖君は傾國なり,猶お 自より今に至って傳う。

 

(現代語訳)

(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)

六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。

また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。

宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった

それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。

花間集 白梅
 

(訳注)

臨江仙二首其一

(南斉の後宮で為されていた頽廃文化は、国を傾けることになる。詠懐の詩である。)

1 李商隠《南 朝》 

玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。

誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。

敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。

満宮学土皆顔色、江令當年只費才。

(南 朝)

玄武湖中 玉漏催し、鶏鳴壊口 繍襦廻る。

誰か言う 瓊樹 朝朝に見わるるは、金蓮 歩歩に来たるに及はずと

敵国の軍営 木柹を漂わし、前朝の神廟 煙煤に鎖さる

満宮の学士 皆な顔色あり、江令 当年只だ才を費す

南 朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46

唐の教坊の曲名。『花間集』には初めに示した表のとおり、二十六首所収。毛熙震の作は二首収められている。双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる

南齊天子寵嬋  六宮羅綺三
潘妃嬌豔獨芳  椒房蘭洞 雲雨降神

縱態迷歡心不足 風流可惜當  

纖腰婉約步金蓮 妖君傾國 猶自至今

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○△△●●○○ ○○○△ ○●△○○

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南齊天子寵嬋娟,六宮羅綺三千。

六朝南斉の天子は、容姿端麗の若い美女を囲っていた。後宮には、華やかな宮女が三千人も仕えていた。

2 南斉 中国,南北朝時代の南朝の一(479502)。宋の蕭道成(しようどうせい)が順帝の禅譲を得て建国。都は建康(今の南京)。七代で蕭衍(しようえん)(梁の武帝)に国を奪われた

3 嬋娟 容姿のあでやかで美しいさま。

4 六宮 中国で、皇后と五人の夫人が住む六つの宮殿。皇后と五人の夫人。後宮。

綺羅 《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。

5 三千 宮女三千人。

杜甫はかつて《20-99 観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。

767年-23幷序⑶ 杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 幷序⑶》 杜甫詩index-15-1145 <1595> 767年大暦2年56-23幷序⑶

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。100人くらいもいる妃賓に100人の宮女が使えていたとするから、後宮には一万人くらいがいたとされる。

 

潘妃嬌豔獨芳妍,椒房蘭洞,雲雨降神仙。

また同時期の梁でも潘妃は妖艶で優しさがあり、ひとり美しく、優美な女で芳しい香りを発した。東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長することが大であり、後宮はどこも椒房となり、蘭洞となった。楚の懐王と巫女のように朝雲暮雨のように神仙の世界そのままになった。

7 潘妃 (生没年不明)東昏侯の妃。本名は兪尼子、のちに、潘玉児といった。もと王敬則の妓で、東昏侯の乳母となって寵愛をうけ、その即位とともに貴妃に拝された。潘妃は放恣で東昏侯の乱行を助長する ことが大であった。かつて東昏侯は、金の蓮華を地に敷いて潘妃にその上を歩かせ、「歩歩蓮華を生ず」といった。梁の武帝の革命が起こると、東昏侯は殺され、潘妃は捕えられたが、部 将の妾となることを拒んで自殺した。

8 芳妍【ほうけん】美しく、優美な女たちがあつまれば芳しい香りでこと。

9 椒房 ①皇后の御所。②皇后・皇妃の別名。「椒」は山椒(さんしよう)、「房」は室の意。中国で皇后の御所の壁に邪気を払うためと、実の多いことにあやかり、皇子が多く生まれるようにと、山椒を塗り込めたり、庭に植えたりしたところからこの名があるという。

10 蘭洞 妃賓の宮殿。

 

縱態迷歡心不足,風流可惜當年。

宮女たちの心は歓楽の心は迷いつづけ、道徳の心は不足していった、風流というものをこの時、もっと大切にしなければいけなかった

 

纖腰婉約步金蓮,妖君傾國,猶自至今傳。

それでも、繊細に指、細腰に艶やかな者たちが集められ、金製の蓮華の上を歩かせた故事「蓮歩」が当たり前であり、天子と後宮は頽廃して、国の危機でも頽廃に耽り、国を傾けることとなった、いなに語られる後宮の事は、今の高級にもあることと伝えられている。

11 金蓮 南斉の末期の帝、東昏侯蕭宝巻(483501)は黄金で蓮の花をこしらえて地面に敷き、その上を愛姫の潘妃に歩ませて、「此れ歩歩に蓮華を生ずるなり」といった(『南史』斉本紀)にある。

〔「南史斉本紀」より。中国南朝の東昏侯(とうこんこう)が潘妃(ばんき)に金製の蓮華の上を歩かせた故事による〕美人のあでやかな歩み。蓮歩。

 

杏の花01
 

南 朝 
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。


楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。

 

南 朝
玄武湖中 玉漏催し、鶏鳴壊口 繍襦廻る。
誰か言う 瓊樹 朝朝に見わるるは、金蓮 歩歩に来たるに及はずと
敵国の軍営 木柹を漂わし、前朝の神廟 煙煤に鎖さる
満宮の学士 皆な顔色あり、江令 当年只だ才を費す

 

 

南朝 439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。建康(江蘇省南京市)に都を置いた東晋・宋・南斉・梁・陳の王朝。西晋末の五胡十六国の乱から隋が統一するまで三百年近く、中国は漢民族による南朝と北方民族による北朝とに分裂した時期が続いた。北朝の質実剛健、南朝の繊細華美という対比で捉えられる。
北魏が華北を統一し、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。
 
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。
李商隠にはほかにも「南朝(地険悠悠天険長)」と題する七言絶句がある。

 

玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。
玄武湖 南京市北郊の湖。南朝宋の文帝が開墾し楽遊園に造った、行楽の場とした。「陳の後宮(玄武)」詩にも「玄武 新苑を開き、龍舟 燕幸(御幸して宴を催すこと)頻りなり」。○玉漏催 玉でできた漏刻(水時計)がせき立てるように時を刻む。文帝は次々に土木工事行い、夜まで時を忘れて享楽に耽ったことをいう。○鶏鳴埭 (けいめいたい) 玄武湖の北の堰の名。南斉の武帝はしばしば官女を引き連れて琅琊城に行幸し、宮廷を早朝に発って玄武湖の堰まで来ると鶏が鳴いたのでそこを「鶏鳴埭」と呼んだという(『南史』后妃伝・武穣装皇后伝)。「域」は堰の意。○繍襦廻 「繍襦」はうす絹の襦袢で刺繍を施したものをいう。膝上までの短衣を着たお供の官女たちを指す。「」は短衣が舞いながら回転する。




誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。
瓊樹 宝玉のように美しい木。陳の後主が張貴妃、孔貴嬪の美貌を讃えて作った「玉樹後庭歌」をふまえてに「璧月は 夜夜に満ち、瓊樹は朝朝新たなり」(『陳書』後主沈皇后伝論)にもとづく。「瓊」は赤い宝石。「璧」も美しい玉。○金蓮歩歩來 南斉の末期の帝、東昏侯蕭宝巻(483501)は黄金で蓮の花をこしらえて地面に敷き、その上を愛姫の潘妃に歩ませて、「此れ歩歩に蓮華を生ずるなり」といった(『南史』斉本紀)にある。
〔「南史斉本紀」より。中国南朝の東昏侯(とうこんこう)が潘妃(ばんき)に金製の蓮華の上を歩かせた故事による〕美人のあでやかな歩み。
蓮歩。

 

 

 

敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。
敵国 隋を指す。○漂木柹 隋の文帝は戦艦を建造した際、秘密裡に進めるようにという忠告に対して、天誅を施そうとしているのだから隠すまでもない、川に船の木くずを流せ、戦艦が攻めてくると知って陳が放埓を改めるならはそれでよい、と語った(『南史』陳本紀)。「柹」は木屑。○前朝神廟鎖煙煤 先帝の建国の艱難辛苦忘れ、霊を祀った7か所の御廟が祭祀も行われずに放置され酒食に耽った。その上、陳の後主(陳叔宝)は先祖の祀りを怠って酒食に溺れ、とがめた章華を斬殺した(司馬光「資治通鑑」)。「煙煤」はすすけむり。



満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。
満宮学土皆顔色 陳の後主は宮女のなかで文才のあるものを「女学士」に命じ、宴遊に際して詩を書かせ、千人以上の宮女たちに合唱させた。「顔色」は美貌。○江令 陳の宮廷の御用文人江総(519594)、梁、陳、隋の三朝に仕えた。尚書令であったので「江令」という。『陳書』江総伝に、総は権宰であったのに、政務を持せず、後主と遊宴のみし、陳喧・孔範・王瑳ら十余人と共にし、「狎客(お追従もの)」と称された。国政に与る身でありながら享楽の詩にのみ才を注いだことをのべる。

14鹿虔扆《巻九19虞美人》『花間集』421全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7369

虞美人

卷荷香澹浮煙渚,綠嫩擎新雨。璅疎透曉風清,象床珍簟冷光輕,水紋平。

九疑黛色屏斜掩,枕上眉心斂。不堪相望病將成,鈿昬檀粉淚縱橫,不勝情。

(後宮の数多い虞美人は寵愛を受けているわずかな期間が最高の時で、それを過ぎるとただ年老いてゆくだけであると詠う。)

蓮の葉がぐるぐる巻いているが、その香が漂ってくる、その香と霞が一緒になって渚の辺りに漂う、緑の新芽が新たに降ってきた雨に打たれている。宝飾で飾られた宮女の閨の窓のまばらに梳けたところから朝方の清々しい風が抜けてゆく。彫刻で飾られた寝牀にめずらしい天の敷物が敷かれていてひんやりとした軽い輝きをしている、その点の模様は水紋で平らかに広がっている。九疑山で神々が並んで迎い入れる水墨画の屏風は使わずに壁に立てかけている。横になり枕の上には額にしわを寄せて宮女が伏せている。もう、この生活には耐えられず、いっそ病気になってしまいたいと思う、花鈿が薄れて消えかけているし、お化粧の頬には縦横に涙の痕がついている、何百人の入る宮女の中で女の思いが勝ることはなく、このまま年老いてゆく。

《花間集》420巻九19

虞 美 人

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7369

(改訂版Ver.2.1

13 魏承班

前蜀の詞人

938965年前後に在世

 

 

 

 
  2016年2月20日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(82)李太白集829巻二十三03效古二首其二  401Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(82) Ⅰ李白詩1765 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7365  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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韓愈132-#2《 巻01-16秋懷詩,十一首之三 -#2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(4)<1678> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7366  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-23 #2杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #2》 杜甫詩index-15-1144 <1594> 767年大暦2年56歲-23 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7367  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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鹿虔扆(生卒年未詳、およそ938年前後に在世)は、後蜀の詞人。呼び名や原籍も不詳。広政年間(938965)に、永泰軍節度使となり、検校大尉に昇進、太保の官を加えられた。そのため鹿太保と呼ばれた。

欧陽烱、毛文錫、韓琮、閻選らとともに詞に巧みで、後主の孟昶に奉仕した。これを嫌った人々は、この五人を五鬼と呼んだ。後蜀滅亡後は仕えることはなかった。『花間集』には六首の詞が収められている。

 

 

虞美人

(後宮の数多い虞美人は寵愛を受けているわずかな期間が最高の時で、それを過ぎるとただ年老いてゆくだけであると詠う。)

卷荷香澹浮煙渚,綠嫩擎新雨。

蓮の葉がぐるぐる巻いているが、その香が漂ってくる、その香と霞が一緒になって渚の辺りに漂う、緑の新芽が新たに降ってきた雨に打たれている。

疎透曉風清,象床珍簟冷光輕,水紋平。

宝飾で飾られた宮女の閨の窓のまばらに梳けたところから朝方の清々しい風が抜けてゆく。彫刻で飾られた寝牀にめずらしい天の敷物が敷かれていてひんやりとした軽い輝きをしている、その点の模様は水紋で平らかに広がっている。

九疑黛色屏斜掩,枕上眉心斂。

九疑山で神々が並んで迎い入れる水墨画の屏風は使わずに壁に立てかけている。横になり枕の上には額にしわを寄せて宮女が伏せている。

不堪相望病將成,鈿昬檀粉淚縱橫,不勝情。

もう、この生活には耐えられず、いっそ病気になってしまいたいと思う、花鈿が薄れて消えかけているし、お化粧の頬には縦横に涙の痕がついている、何百人の入る宮女の中で女の思いが勝ることはなく、このまま年老いてゆく。

 

(虞美人)

卷荷 香澹 煙り渚に浮き,綠嫩【りょくどん】新雨に擎たれる。

【そうそう】疎に透き 曉の風清く,象床の珍簟 冷く光り輕やかにし,水紋 平かなり。

九疑 黛色の屏 斜に掩う,枕上 眉心の斂。

堪えず 相い望む 病 將って成すを,鈿昬【でんこん】 檀粉 淚 縱橫にし,情に勝らず。

 

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『虞美人一首』 現代語訳と訳註

(本文)

虞美人

卷荷香澹浮煙渚,綠嫩擎新雨。

疎透曉風清,象床珍簟冷光輕,水紋平。

九疑黛色屏斜掩,枕上眉心斂。

不堪相望病將成,鈿昬檀粉淚縱橫,不勝情。

 

 

(下し文)

(虞美人)

卷荷 香澹 煙り渚に浮き,綠嫩【りょくどん】新雨に擎たれる。

【そうそう】疎に透き 曉の風清く,象床の珍簟 冷く光り輕やかにし,水紋 平かなり。

九疑 黛色の屏 斜に掩う,枕上 眉心の斂。

堪えず 相い望む 病 將って成すを,鈿昬【でんこん】 檀粉 淚 縱橫にし,情に勝らず。

 

(現代語訳)

(後宮の数多い虞美人は寵愛を受けているわずかな期間が最高の時で、それを過ぎるとただ年老いてゆくだけであると詠う。)

蓮の葉がぐるぐる巻いているが、その香が漂ってくる、その香と霞が一緒になって渚の辺りに漂う、緑の新芽が新たに降ってきた雨に打たれている。

宝飾で飾られた宮女の閨の窓のまばらに梳けたところから朝方の清々しい風が抜けてゆく。彫刻で飾られた寝牀にめずらしい天の敷物が敷かれていてひんやりとした軽い輝きをしている、その点の模様は水紋で平らかに広がっている。

九疑山で神々が並んで迎い入れる水墨画の屏風は使わずに壁に立てかけている。横になり枕の上には額にしわを寄せて宮女が伏せている。

もう、この生活には耐えられず、いっそ病気になってしまいたいと思う、花鈿が薄れて消えかけているし、お化粧の頬には縦横に涙の痕がついている、何百人の入る宮女の中で女の思いが勝ることはなく、このまま年老いてゆく。

 

四川省西部地区略図
 

(訳注)

虞美人

(後宮の数多い虞美人は寵愛を受けているわずかな期間が最高の時で、それを過ぎるとただ年老いてゆくだけであると詠う。)

寵愛がまだあるかもしれないと思って悶々とした生活を送っているが、天子の許しを得て、道女になることが目標となるが大抵許されず、朽ち果てる様に死んでゆくものである。

1 1 虞美人 項羽の愛姫で虞姫ともいう。5年にわたる楚・漢抗争のすえ,前202年に項羽は劉邦の漢軍によって垓下(がいか・安徽省霊璧県)に囲まれた(垓下の戦)。夜,四面から聞こえてくる楚の歌に,項羽は郷里の楚も漢におちたことを悟り(四面楚歌),虞美人をかたわらに決別の酒宴をひらいた。項羽は悲憤慷慨し,涙して辞世の詩をうたうと,彼女も唱和し,みな泣き伏したという。虞美人草の名は,彼女の鮮血が化して草花になったという伝から来ている。

秦末 虞美人『虞美人歌』

漢兵已略地,四方楚歌聲。

大王意氣盡,賤妾何聊生。

(虞美人の歌)

漢兵 已に地を略し,四方 楚の歌聲。

大王 意氣盡き,賤妾 何ぞ生を聊んぜん。

虞美人歌  秦末・虞美 詩<118>古代 女性詩 555 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1482

項羽が、垓下で敗れたときに慷慨悲歌したときの詩

項羽『垓下歌』

力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。

騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!

であるが、それに対して虞美人が歌い舞った。

項羽と劉邦は戦いと和睦を繰り返しながら、垓下で雌雄を決する一戦を迎える。この時、項羽の少数の軍勢を大軍で取り囲んだ劉邦は、味方の兵士たちに項羽の祖国楚の歌を歌わせる。この歌を聞いた項羽は味方の兵が寝返ったのだと誤解して絶望する。その絶望の中で歌ったとされるのが、「垓下歌」である。

2. 美人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。

 

唐の教坊の曲名。『花間集』には十四首所収。鹿虔扆の詩は一首収められている。双調五十八字、前後段五句二十九字三平韻で、75⑦⑦③/75⑦⑦③の詞形をとる。

卷荷香澹浮煙渚  綠嫩擎新雨
疎透曉  象床珍簟冷光輕 水紋

九疑黛色屏斜掩 枕上眉心斂

不堪相望病將成 鈿昬檀粉淚縱  不勝

△△○△○○●  ●●○○●

●?△●●△○  ●○○●△△△ ●○○

△○●●△○● △●○○●

△○△△●△○ △?○●●△△  △△○

 

卷荷香澹浮煙渚,綠嫩擎新雨。

蓮の葉がぐるぐる巻いているが、その香が漂ってくる、その香と霞が一緒になって渚の辺りに漂う、緑の新芽が新たに降ってきた雨に打たれている。

3 嫩 新芽の葉。若葉。 【嫩芽】どんが. 新しく生えてきた芽。新芽。 【嫩緑】どんりょく. 草や木の新芽の色。 若緑 ( わかみどり ) 。新緑。 【嫩い】わかい. 生じたばかりで柔らかい。新しく柔らかい。 【嫩草】わかくさ. 若々しく柔らかい草。 「若草」とも書く。「どんそう」とも読む。1(植物の芽・果実や人の肌などが)若い,柔らかい,みずみずしい.3.用例个姑娘 niang 皮很嫩。〔述〕=この娘は肌がみずみずしい

◎この前半、二句と次の三句は宮女=虞美人が寵愛されている様子を蓮、香り、煙、綠嫩、擎、新雨等の語で情事の様子をイメージさせている。それはやがて孤独な生活へ変わってゆく前奏曲の様なものなのである。

 

疎透曉風清,象床珍簟冷光輕,水紋平。

宝飾で飾られた宮女の閨の窓のまばらに梳けたところから朝方の清々しい風が抜けてゆく。彫刻で飾られた寝牀にめずらしい天の敷物が敷かれていてひんやりとした軽い輝きをしている、その点の模様は水紋で平らかに広がっている。

4 璅 宝飾で飾られた窓。宮女の閨の窓。

5 簟 細く割った竹や籐(とう)で編んだむしろ。夏の敷物。古代では高価なもので、特にここに出ている水紋の網目のものは最も高価なものである。花間集では、情事を連想させるアイテムとして登場する。

 

九疑黛色屏斜掩,枕上眉心斂。

九疑山で神々が並んで迎い入れる水墨画の屏風は使わずに壁に立てかけている。横になり枕の上には額にしわを寄せて宮女が伏せている。

6 九疑 屏風に描かれた山水画であろう。1. 九嶷山 「舜 之所葬,在 零陵 界中。」 2.九疑山 之神。《楚辞·離騒》十三段:「百神翳其備降兮,九疑繽其並迎。」《楚辞、九歌、(四)湘夫人》「九疑繽兮並迎、霊之來兮如雲。」(九疑山の神々が 盛んにむらがり並んで迎えると、湘君の神霊は衆神を随えて雲のように降ってこられる。)

◎後半、この二句と次の三句は寵愛がなくなる様子、男性の象徴である九疑山の神の屏風がかたずけられ、悶々として横になるしかない様子をいう。

 

不堪相望病將成,鈿昬檀粉淚縱橫,不勝情。

もうこの生活には耐えられず、いっそ病気になってしまいたいと思う、花鈿が薄れて消えかけているし、お化粧の頬には縦横に涙の痕がついている、何百人の入る宮女の中で女の思いが勝ることはなく、このまま年老いてゆく。

7 鈿昬 昬:昏 花鈿が暗くなる。花鈿が薄れて消えかけている。

8 檀粉 化粧品で白粉の中に香りが良いものが入っている。高価なもので宮女の使う化粧品。

 

 

9 『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、婕妤九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で一二二人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

 

唐代の皇帝たちは、後宮の女性を選抜したり寵愛したりするのに、あまり尊卑貴職を気にかけなかったが、彼女たちに地位・品級を賜る時には家柄をたいへん重視した。とりわけ皇后に立てる時には絶対に家柄が高貴でなければならず、「天下の名族を厳選」しなければならなかった(『資治通鑑』巻一九九、高宗永徴六年)。漢代に歌妓の衛子夫(武帝の皇后。もと武帝の姉の歌妓)や舞妓の超飛燕(成帝の皇后。もと身なし児で歌妓)が皇后になったようなことは、唐代には完全に跡を絶った。后妃に封ずる時は、まず「地肖清華」(家柄の高貴)、「軒冤之族」(貴顕なる名族)等々の出身であることが強調され、その次にやっと徳行が問われた。

 

彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嫁妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟻蝉を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺草』巻上)。これらが彼女たちの優閑無柳の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

 

 

 

思越人【字解】

(呉越に行ったきりの阮郎を思ってもだえる女妓を詠う)

1 【解説】詩題の意味は江南に去って行った阮郎を恨むということである。李白の《巴女詞》と同じように、蜀の女妓について詠ったものである。鹿虔扆の役職からすれば、官妓についてのものである。蜀には、成都の西側とには、南津の渡し場には、民妓が、南から東側に官妓がいた。表向きには漢魏が圧倒していた。其処にいる女たちの歌である。もっとも花間集における「恨む」は男目線のものである。当時の倫理観には、棄てられた女が男を恨むということはなく、民から近代にかけての儒教思想による倫理観に変化したことで、詩の解釈も儒教的解釈が当たり前となったことで、男目線の「恨む」という解釈に変わったのである。この事については花間集の訳註解説として別の機会に発表する予定である。 女性の孤閏の侘しさを詠う。前段は、独り寝の夜の閏の様子を通じて、女の侘しさを述べ、後段は、前半の二句で、枕を覆う乱れた髪と、それを物憂く整えるさまを、後半の二句で、男との出会いの夢から覚めた後の悲痛な思いを語る。

2 『花間集』には鹿慶辰の作が二首収められている。双調五十一字、前段二十五字五句二平韻、後段二十六字四句四仄韻で、33⑥7⑥/❼❻❼❻の詞形をとる。

翠屏欹 銀燭背  漏殘清夜迢
雙帶繡窠盤錦薦  淚浸花暗香
珊瑚枕膩鴉鬟  玉纖慵整雲
若是適來新夢  離腸爭不千

●△○ ○●●  ●○○●○○

○●●○○●●  ●△○●○○

○○△●○○●  ●○○●○●

△●●△○△●  △○○△○●

3 銀燭背 灯火に背を向ける。銀燭は明るく燃える灯燭。一人で居て悶々としていることを強調する語。

4 漏殘清夜迢迢 長い夜が明けそぅになることを言う。漏は水時計。ここでは時間の意。残は損なわれる、さびれる。迢迢は遙かなさま。

5 双帯繍窠盤錦薦 刺繍のある帯の両端が錦の敷物の上に垂れ、蛇がとぐろを巻いたように円くなっていることを言う。葉は刺繍模様。薦ほ敷物。

6 涙侵花暗香銷 敷物の上に置かれた帯の模様の上に涙がこぼれ落ちて薫きしめた香の香りも消えた、ということ。花は帯の刺繍模様。暗香は徴かな香り。

7 珊瑚枕膩 珊瑚の飾りの付いた枕が髪油、皮脂の染みで光っていること。一人寝をひたすらしているということ。この時代の女性は自らの意思で外に出ることはできない。

8 鴉鬟 結い上げた黒髪の髷。鴉はいわゆる「烏の濡羽色」。

9 雲散 髪の乱れを言う。雲は女性の大きく膨らませた豊かな髪を形容する言葉、で、鬢を蝉の羽のように梳いた髪型を両雲鬢。この髪型が乱れたままというのは見せる人がいないこと。寝崩れしても気にしないことをいう。

10 適来 今しがた。

11 若是適來新夢見 もし、いまここで、夢で情交できるというのなら、という意味。

12 唐宋時代の貞操観、倫理観

唐代の女性は一般に早婚であり、大半が十五歳前後で嫁に行った。早い人は十三、四歳であり、遅い人は十七、八歳であった。これくらいが正常な結婚年齢であった。「媒無ければ選ぶを得ず、年は忽三六(十八歳)を過ぐ」(自居易「続古詩」)。女子は十八歳を過ぎれば婚期を逸したと思われていたようである。唐初より以来、人口増殖のために、国家は結婚適齢期に遅れないように結婚せよとずっと強調してきた。貞観年間には十五歳以上の女子に対して、開元年間には十三歳以上の女子に対して、婚期に遅れないように結婚すべしと命じた(『唐会要』巻三八「嫁要」

当然花街における妓女も15歳から23・4までがピークである。性的成長と婚姻が驚くほど低年齢であった。結婚感は、前世から定められているもので、本人の気持ちで決まるものではない。その一方で貞操感が全くないので、父母、媒酌人、天意できめられた。

唐代の結婚について、もう一つ注目すべき現象がある。それは男が女の家に行って婚礼をあげるケースがひじょうに多いということである。これについては、敦燈で発見された唐代の書儀(諸種の公文・書簡等の書式)の写本が確かな証拠を提供してくれる。それに「最近の人の多くは妻を自分の家に迎えない。つまり妻の実家で結婚式をあげ、何年たっても夫の実家に行かない。自分の実家でそのまま子供を出産することが、一度や二度にとどまらない者もいる。道が遠くて日返りで舅姑に挨拶に行けないからでもない。……婦人は婚礼が終っても夫の一族を全く知らないのである」という。

この文書からみると、夫は妻の実家で結婚式をあげ、また妻は何年も夫の家に行かないのみならず、甚だしい場合には、何人か子どもを生んだ後でも妻は夫の実家の人々と知りあうことがないのである(以上の観点と材料は超和平先生より提供いただいた。併せて周一良先生の「敦煙写本書儀の中に見る

 

唐代の人々は貞操観念が稀薄だったので、離婚、再婚はきわめて一般的な風潮となり、古代社会史上注目すべき現象となった。ところで離婚は、もちろん男女双方に平等というわけではなかった。

 

唐代の法律は、まず男が女を離婚して家から出す権利を保証している。唐律は、妻が次の「七出」を犯せば、夫は離婚してもよいと規定している。「七出」とは古い時代からの礼法により、Ⅲ男児を生まない、榔淫乱である、㈲舅姑によく仕えない、㈲他人の悪口を言いふらす、㈲盗みを行う、㈱嫉妬心が強い、仰悪い病気にかかる、以上の七項目とされている。しかし、「七出」に該当するものでも、追い出せない三つの条件があった。それは、Ⅲ舅姑の葬式を主催した者、榔嫁に来た時は下品であったが後に立派な女性になった者、㈱離婚されても行くところのない者、以上の三つの場合は妻を離縁すべきでないとした(『唐律疏議』巻一四)。こうした一定の制限があったにせよ、妻を離縁することはやはりきわめで簡単であった。離婚の理由はたいへん多く、たとえば、厳澄夫の妻慎氏は十余年たっても子供が出来なかったので離縁された(『雲渓友議』巻一)、李過秀の母は微賎の生れであったが、嫁が家の奴婦を叱る声を聴き不愉快になった。息子の過秀はそれを知るとすぐ妻を離縁した(『雲渓友議』巻一、『旧唐書』李大亮伝附李過秀伝)。自居易の判決文にも、妻を離縁することを許した例が少なからずある。たとえば、父母が嫁を女性たちの乱行や道徳に反した現象が、じつは少なくなかった。敦煌変文の 「齢酎書」 の中に、次のような女性たちの情況が記されている。

 

彼女たちは「児を欺り婿を踏みつけにし、大声で罵り、舅や姑が話してもまったく耳を貸さず、台所に入って怒り出したら、粥も汁もひっくり返し、鉢や髄をたたき、釜や鍋を打ち、怒ると水牛の飼葉桶のように大きくふくれ、笑うと轍櫨が廻るようにうるさい」、「村で自由気ままにやってきたのに慣れて、礼儀を学ばず、女仕事も好まない」(『敦塩変文集』巻七)等々。ある唐代の民歌に、「家がだんだん貧しくなるが、これは全くものぐさな妻のせい、酒を飲めば夫も顔負け、衣服を縫ったりほどくこともできない。よい衣裳を着てはすぐ外出し、男の同伴を求めないが、心の中ではいつも男を欲しがっている。東の家ではデマを飛ばし、西の家では相槌を打ち、……」(『唐代民歌考釈及変文考論』)などとある。これらは行儀の悪い婦人を皮肉ったものである。封建道徳の模範となった少数の女性の他に、唐代の女性、とりわけ下層の働く女性の中には、女道徳を守らず、甚だしくは「風を傷つけ俗を敗る」現象さえあったことを、これらの描写は反映している。

 

このような倫理道徳に惇る状況は、夫婦の間の関係と家庭における女性の地位の上に、より集中的に反映していた。礼教の「三綱」(君臣、夫婦、父子の三つの綱)の一つが、夫は妻の綱というものであり、女性の「三従」 の一つが妻は夫に従うぺしというものであった。しかしながら、唐代の少なからざる家庭の中には、逆に「婦は強く夫は弱し、内(妻)は剛く外(夫)は柔なり」(『朝野愈載』巻四)という情況があり、妻が家の主人、夫はただの操り人形でしかない家も多かった。

 

こうした現象は、決して唐代だけに存在したわけではなく、南北朝時代の北朝以来の遺風を受け継ぐものであった。北斉(五五〇1五七七)の顔之推が書いた『顔氏家訓』 の中に、「鄴(北朝の都、現在の河北省臨港県)下の風俗では、もっぱら家は女で維持されている。彼女らは訴訟をおこして是非を争ったり、頼みごとに行ったり、人を接待したりするので、彼女らの乗る車で街路はふさがれ、彼女らの着飾った姿は役所に溢れている。息子に代って官職を求め、夫のために無罪を訴えているのである。これは恒、代(鮮卑族の建てた北魂王朝が最初に都を置いた現在の大同一帯の古地名)の遺風であろうか」とある。北朝の伝統と、封建道徳の不振とが、この 「夫は柔で妻が剛、夫が妻に従う」という現象を日常化したのである。とりわけ唐代の初期は、上は皇帝から下は貴族、士大夫に至るまで、「内(妻)を倶れる」 ことが風習になっていた。しかも、君臣、上下、誰もが妻の恐ろしさを公然と口にして恥とも思わなかったのである。万乗の君ともなった中宗も恐妻家として有名であったから、宮中の伶人(宮中の楽人)が中宗に面と向って「振り返って見ますと、皇帝様は柳の枝で編んだ寵のよう(ぶくぶく肥っているが骨がなく柔かい)、御婦人を恐れることは結構じゃ。宮廷外では蓑談が恐妻家として第一番、宮廷内では李老(中宗)に勝る者はおりません」(『本事詩』嘲戯)などと戯れ歌を唱ったところ、その場ですぐ中宗の妻の葦后から褒美を賜った。また、粛宗は張皇后を大いに恐れていたので、ある詩人は「張后 楽しまざれば 上(皇帝) 忙と為す(心が落ちつかない)」(杜甫「憶昔」)と誘った。

 

士大夫の恐妻家としては、太宗の時代の任壊、中宗の時代の襲談などが有名であった。裳談などは「かかあ天下」 であることを正統化する一式の理屈さえ持っていて、「妻を恐れる理由は三つある。一つは、若くて美しい時に彼女を見れば生菩薩のように見える。どうして生菩薩を畏れない人があろうか。息子や娘が成人する前に彼女を見れば九子魔母(インド渡来の女神で、鬼子母神と同じ)のようである。どうして九子魔母を畏れない人があろうか。五十、六十になって、薄化粧を施し顔が黒くなった彼女を見れば鳩盤茶(インド渡来の神で、人の精気と血を吸う魔神)のようである。どうして鳩盤茶を

畏れない人があろうか」(『本草詩』嘲戯)と言った。高宗はかつて朝臣の楊弘武にどうして某人に官職を与えたのかと問うた。すると場はこともあろうに「臣の妻の毒氏は強くで猛々しい女でございます。昨日この妻が私に頼んだからなのでして、もし従わなければおそらくひどい目に遭うのでございます」と答えた(『太平広記』巻二七二)。次の唐末の宰相王鐸の話はもっと滑稽である。彼は姫妾を連れて黄巣の進撃を防ぎに出陣した。妻は嫉妬して後を追い、とつぜん彼のところに妻が都を離れてこちらに向っているという知らせがとどいた。彼は幕僚たちに「黄巣は南から、妻は北から向って来る。どう対処すればいいだろう」と聞いた。幕僚たちは冗談に「黄巣に降伏する方がマシで

す」と言った(『太平広記』巻二五二)。

 

下級官吏や一般庶民の家にも同じ情況があった。紆州(安徽省懐寧県)の兵士李廷壁は軍内で連日宴会を開き、三日間家に帰らなかった。その妻は恨んで「帰って来たら切り殺してやる」と伝えた。李は驚き恐れて泣きくらし、寺に移り住んで家に帰ろうとしなかった(『太平広記』巻二七二)。自居易は、妻が夫を殴った事件を受理したことがある。この事件は県令がすでに彼女を三年の懲役刑に処した案件であった。

14鹿虔扆《巻九16女冠子二首其一》『花間集』418全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7354

鹿虔扆 女冠子二首 其一

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。香暖薰鶯語,風清引鶴音。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。應共吹簫侶,暗相尋。

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

《花間集》416巻九16

女冠子二首 其一

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7354

(改訂版Ver.2.1

14鹿虔扆

前蜀の詞人

938年前後に在世

 

 

花間集 教坊曲《女冠子》七首

溫庭筠

巻一48女冠子二首其一含嬌含笑,宿翠殘紅窈窕。鬢如蟬,寒玉簪秋水,輕紗捲碧煙。雪鸞鏡裡,琪樹鳳樓前。寄語青娥伴,早求仙。

溫庭筠

巻一49女冠子二首其二霞帔雲髮,鈿鏡仙容似雪。畫愁眉,遮語迴輕扇,含羞下繡帷。玉樓相望久,花洞恨來遲。早晚乘鸞去,莫相遺。

韋莊

巻三21女冠子二首其一四月十七,正是去年今日。別君時,忍淚佯低面,含羞半斂眉。不知魂已斷,空有夢相隨。除卻天邊月,沒人知。

韋莊

巻三22女冠子二首其二昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。

薛昭蘊

巻三43女冠子二首其一求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。野煙溪洞冷,林月石橋寒。靜夜松風下,禮天壇。

薛昭蘊

巻三44女冠子二首其二雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。往來雲過五,去往島經三。正遇劉郎使,瑤緘。

牛嶠

巻四01女冠子四首其一綠雲高髻,點翠勻紅時世。月如眉。淺笑含雙靨,低聲唱小詞。眼看唯恐化,魂蕩欲相隨。玉趾迴嬌步,約佳期。

牛嶠

巻四02女冠子四首其二錦江煙水,卓女燒春濃美。小檀霞。繡帶芙蓉帳,金釵芍藥花。額黃侵膩髮,臂釧透紅紗。柳暗鶯啼處,認郎家。

牛嶠

巻四03女冠子四首其三星冠霞帔,住在蘂珠宮裏。佩叮。明翠搖蟬翼,纖珪理宿粧。醮壇春艸綠,藥院杏花香。青鳥傳心事,寄劉郎。

牛嶠

巻四04女冠子四首其四雙飛雙舞,春晝後園鶯語。卷羅幃。錦字書封了,銀河鴈過遲。鴛鴦排寶帳,荳繡連枝。不語勻珠淚,落花時。

張泌

巻四39女冠子露花煙草,寂寞五雲三島,正春深。貌減潛銷玉,香殘尚惹襟。竹疎虛檻靜,松密醮壇陰。何事劉郎去,信沉沉。

孫光憲

巻八24女冠子二首其一蕙風芝露,壇際殘香輕度。蘂珠宮,苔點分圓碧,桃花踐破紅。品流巫峽外,名籍紫微中。真侶墉城會,夢魂通。

孫光憲

巻八25女冠子二首其二澹花瘦玉,依約神仙粧束。佩瓊文,瑞露通宵貯,幽香盡日焚。碧紗籠絳節,黃藕冠濃雲。勿以吹簫伴,不同羣。

鹿虔扆

《巻九16女冠子二首其一》  鳳樓琪樹,惆悵劉郎一去,正春深。洞裡愁空結,人間信莫尋。竹疎齋殿迥,松密壇陰。倚雲低首望,可知心

鹿虔扆

《巻九17女冠子二首其二》  步虛壇上,絳節霓旌相向,引真仙。玉珮搖蟾影,金爐麝煙。露濃霜簡濕,風緊羽衣偏。欲留難得住,卻歸天

毛熙震

《巻九45女冠子二首其一》  碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。香暖薰鶯語,風清引鶴音。翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。應共吹簫侶,暗相尋。

毛熙震

《巻九46女冠子二首其二》  脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。鬢低含綠,羅衣澹拂。悶來深院裏,閑落花傍。纖手輕輕整,玉鑪香

李珣

《巻十36女冠子二首其一》  星高月午,丹桂青松深處。醮壇開,金磬敲清露,珠幢立翠苔。步虛聲縹緲,想像思徘徊。曉天歸去路,指蓬萊。

李珣

《巻十37女冠子二首其二》  春山夜靜,愁聞洞天疎磬。玉堂虛,細霧垂珠珮,輕煙曳翠裾。對花情脉脉,望月步徐徐。劉阮今何處?來書。

  

鹿虔扆 女冠子二首

女冠子二首 其一

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

應共吹簫侶,暗相尋。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

 

女冠子二首 其二

脩蛾慢臉,不語檀心一點,小山粧。

蟬鬢低含綠,羅衣澹拂黃。

悶來深院裏,閑步落花傍。

纖手輕輕整,玉鑪香。

 

(女冠子二首 其の一)

碧の桃 紅の杏,遲日 媚籠 光影あり,彩霞 深し。

香暖く 鶯語に薰る,風清 鶴音を引く。

翠鬟 冠玉葉,霓袖 瑤琴を捧ぐ。

應に共に簫侶をき,暗に相い尋ねん。

 

(女冠子二首 其の二)

蛾を脩め 臉を慢す,語らず 檀心の一點に,小山の粧。

蟬鬢 綠を含み低る,羅衣 黃を拂い澹す。

悶し來って院裏に深し,閑し步みて花傍に落つ。

纖手 輕輕して整い,玉鑪 香す。

泰山の道観02
 

『女冠子二首 』 現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首 其一

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

應共吹簫侶,暗相尋。

 

(下し文)

(女冠子二首 其の一)

碧の桃 紅の杏,遲日 媚籠 光影あり,彩霞 深し。

香暖く 鶯語に薰る,風清 鶴音を引く。

翠鬟 冠玉葉,霓袖 瑤琴を捧ぐ。

應に共に簫侶をき,暗に相い尋ねん。

 

(現代語訳)

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

杏の白花012
 

(訳注)

女冠子二首 其一

(王子喬の「笙鶴」伝説、蕭史と弄玉の伝説のように仲が良かったのに、笛を吹いても、琴を弾いても、風と合奏をするだけだ。)

唐の教坊の曲名。女冠は女黄冠”、女道士、道姑。唐代において女道士は皆、黄冠を戴いた。『花間集』 には牛嶠の作が四首収められている。双調四十一字、前段二十四字五句韻三平韻、後段十八宇四句二平韻で、③5⑤/55③の詞形をとる。

碧桃紅  遲日媚籠光影 彩霞 

香暖薰鶯語 風清引鶴

翠鬟冠玉葉 霓袖捧瑤

應共吹簫侶 暗相

●○○●  ○●●△△● ●○△

○●△○●  △○●●○

●○△●●  △●●○○

△△△○●  ●△○

 

1 女冠  宗教や迷信に携わる専業の女性である。彼女たちは唐代の女性の中ではきわめで特殊な階層であった。彼女たちは基本的には生産に携わらない寄生的階層であり、同時にまたいささか独立性と開放性をもった階層であった。

唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬢・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。

出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。

① 家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。

   病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、

   圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。

  家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観にたよらざるをえなかった者もいる。

   妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。

  貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。

漢詩ブログ001
 

碧桃紅杏,遲日媚籠光影,彩霞深。

桃の実は緑に、杏の花は紅にはえる、日が長くなり、女冠の居る辺りには光が影を成している、夕刻の霞は彩を成して色濃くなってゆく。

2 媚 [訓]こびる1 なまめかしくする。色っぽい。「媚態・媚薬」2 こびへつらう。「佞媚(ねいび)3 あでやかで美しい。

 

香暖薰鶯語,風清引鶴音。

香炉には香が焚かれ暖かな煙が立ち、外に鶯が啼き、女冠達のささやきが混じる、清々しい風が流れ、鶴に乗った仙人の笙の音色が響き渡る。

3 鶴音 笙を吹く仙人が鶴に乗ってあらわれる。『列仙伝』巻上・王子喬に「王子喬は周の霊王の太子晋なり。好んで笙を吹き、鳳鳴を作し、洛陽の伊水、洛水の間に遊ぶ。

 

翠鬟冠玉葉,霓袖捧瑤琴。

長い黒髪を翡翠で飾った鬟に束ね冠には宝玉とはっぱに飾られている、虹色の袖で宝玉で飾った琴を両手で奉げている。

4 霓 夕立のあとなど,太陽と反対側の空に弧状にかかる七色の帯。空中の水滴粒子にあたった光の屈折と分光によって生じる。内側が紫,外側が赤の配列をした虹のほかに,この外側をとりまき,逆の色の配列の第二の虹が見えることがある。

5 捧 1 両手でささげ持つ。「捧持・捧呈・捧読」2 両手で持ちあげるようにしてかかえる。

 

應共吹簫侶,暗相尋。

まさに琴の音に乗せて共に笙の笛を吹くあの人と一緒に吹くと響きわたる、それは暗に互いを尋ね、求め合うかのようである。

6 蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。《列仙傳》:「蕭史者,秦穆公時人,善吹蕭,能致孔雀、白鵠。穆公有女字弄玉,好之。公以妻焉,遂教弄玉作鳳鳴,居數十年,吹似鳳聲,鳳皇來止其屋。為作鳳臺,夫婦止其上,數年,皆隨鳳飛去。」

「蕭史という者,秦の穆公の時の人である,善く蕭を吹き,能く孔雀を、白鵠致す。穆公は女有り 字を弄玉,之を好む。公は以て妻と焉し,遂に弄玉に教え鳳鳴を作り,數十年居し,吹けば鳳聲に似たり,鳳皇は來りて其の屋に止る。鳳臺を作るを為し,夫婦は其の上に止り,數年,皆に鳳に隨って飛び去る。」

秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は魯の恭王が残しておかれたもののようである。王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

 

善吹簫 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

巻八45 楊柳枝四首其四 12 孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》397巻八45 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7249

孫光憲   楊柳枝 四首 其四

萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹。

(栄枯盛衰を思わせ悲しい過去を思い出させる呉台であるが、それより、ここで見る月は素晴らしいし、美人が素晴らしい、今この時を楽しむことが大切と詠う。)

沢山の切り株があり、のこっているのも枯れ木ばかりで怨み、そこからいなくなり、そして堕ちてゆく。昔は呉の国の政治の中心であったものが滅んだのでとむらいをすることのようであり、ここに来たそれぞれのものは自然に首を垂れるのである。そんなことよりここ淮陰の呉の国でよいことは仲秋の名月が素晴らしいということ、そこにいる楊柳を折って旅立つ人の安全を願った美人が素晴らしいということだ。こんな美人の入る高楼で酒を酌み交わし呉越の「横笛曲」を吹き鳴らすのに勝るものが他にあろうか。

巻八45

楊柳枝四首其四

12

孫光憲

(改訂版Ver.2.1

《花間集》397巻八45

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7249

 

 

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花乾,飛遍江城雪不寒。

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄干。

(蘇州水陸駅の風景を詠う)

呉城の西北門の「閶闔門」から見れば春も終わりの風が暖かく花を落下させやがて乾燥させる。やがて、風が北から偏って吹きはじめると大江のほとりに立つ城郭に雪が降ることるがあっても、寒気に堪えられないほどのものではない(が一人で居るのが耐えられない)

一人で居るから夕闇が迫るころになると、水陸駅に入って来る舟を臨む。暇を持て余す人が大勢、同じように紅い欄干に倚りかかって眺めている。

(楊柳枝 四首其の一)

閶門 風暖く 花を落し乾く,飛遍 江城 雪寒からず。

獨り有る 晚來りて 水驛に臨み,人閑にして多く赤欄干に凭れる。

 

楊柳枝四首其二

有池有榭即濛濛,浸潤飜成長養功。

恰似有人長點檢,着行排立向春風。

(離宮の大池のほとりのあずまやに一人妃嬪が佇むが、春が来れば行楽に向かいたいと思うものである。万物春が来ればみんなそうなのだと詠う。)

離宮には大池があり、ほとりに四阿があるが、霧に包まれれば何が何だか分からなくなるし、水につかったり、ずぶぬれになったり、あるいはひっくり返ったり起き上がったり、そうやって長く生物は養われ、育っていくのである。

それは人間の生きていくこと、後宮の妃賓の有様にも似ているものであり、詳しく調べるとそんなものである、旅から戻ってきたり、旅に出ようとするし、一方を排し、他方を立てること、逢うも別れもあるものだし、愛されれていても、捨てられることもあるが、春風が吹いてくれば、万物の成長、行楽への思いは春風に向っての思うものである。

(楊柳枝 四首 其の二)

池有り 榭有る 即濛濛とす,浸潤し 飜成して 長しく 養功す。

恰も 人に有る 長しく點檢するに似たり,行に着き 排立するも 春風に向う。

 

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。

もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。

(楊柳枝四首其の三)

根柢  濁河を傍にすると雖然も,無妨にして 終日 笙歌を近くす。

驂驂として 金帶 誰か比に堪えん,還た共に 黃鶯 校せざるを多くす。

 

楊柳枝四首其四

(栄枯盛衰を思わせ悲しい過去を思い出させる呉台であるが、それより、ここで見る月は素晴らしいし、美人が素晴らしい、今この時を楽しむことが大切と詠う。)

萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

沢山の切り株があり、のこっているのも枯れ木ばかりで怨み、そこからいなくなり、そして堕ちてゆく。昔は呉の国の政治の中心であったものが滅んだのでとむらいをすることのようであり、ここに来たそれぞれのものは自然に首を垂れるのである。

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹。

そんなことよりここ淮陰の呉の国でよいことは仲秋の名月が素晴らしいということ、そこにいる楊柳を折って旅立つ人の安全を願った美人が素晴らしいということだ。こんな美人の入る高楼で酒を酌み交わし呉越の「横笛曲」を吹き鳴らすのに勝るものが他にあろうか。

(楊柳枝四首其の四)

萬株 枯槁 怨亡隋し,臺を弔ずるに似て 各の自ら垂る。

好是 淮陰 明月の裏,酒樓 橫笛 吹くに勝らず。

 

a謝霊運永嘉ルート02

 

『楊柳枝四首』現代語訳と訳註解説
(
本文)

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹。

(下し文)
(楊柳枝四首其の四)

萬株 枯槁 怨亡隋し,臺を弔ずるに似て 各の自ら垂る。

好是 淮陰 明月の裏,酒樓 橫笛 吹くに勝らず。

(現代語訳)
楊柳枝四首其四(栄枯盛衰を思わせ悲しい過去を思い出させる呉台であるが、それより、ここで見る月は素晴らしいし、美人が素晴らしい、今この時を楽しむことが大切と詠う。)

沢山の切り株があり、のこっているのも枯れ木ばかりで怨み、そこからいなくなり、そして堕ちてゆく。昔は呉の国の政治の中心であったものが滅んだのでとむらいをすることのようであり、ここに来たそれぞれのものは自然に首を垂れるのである。

そんなことよりここ淮陰の呉の国でよいことは仲秋の名月が素晴らしいということ、そこにいる楊柳を折って旅立つ人の安全を願った美人が素晴らしいということだ。こんな美人の入る高楼で酒を酌み交わし呉越の「横笛曲」を吹き鳴らすのに勝るものが他にあろうか。

白貯舞005



(訳注)

楊柳枝四首 其四』 現代語訳と訳註

(栄枯盛衰を思わせ悲しい過去を思い出させる呉台であるが、それより、ここで見る月は素晴らしいし、美人が素晴らしい、今この時を楽しむことが大切と詠う。)

 

楊柳枝四首其四

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花,飛遍江城雪不

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄

○○△●●○○  ○●○○●△○

●●●△△●●  ○○○△●○○

楊柳枝四首其二

有池有榭即濛,浸潤飜成長養

恰似有人長點檢,着行排立向春

●○●●●△△  △●○○△●○

●●●○△●●  ?△○●●○△

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁,無妨終日近笙

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校

○△○○△●○  ○△○●●○○

○○○●○○△  ○△○○△●○

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡  似弔臺各
好是淮陰明月裏  酒樓橫笛不勝

●○○●△○△  ●●○○●●○

●●○○○●●  ●○△●△△△

 

萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

沢山の切り株があり、のこっているのも枯れ木ばかりで怨み、そこからいなくなり、そして堕ちてゆく。昔は呉の国の政治の中心であったものが滅んだのでとむらいをすることのようであり、ここに来たそれぞれのものは自然に首を垂れるのである。

18 槁() かわく、枯れた,(しぼ)んだ枯槁同前.『荘子、齊物論』「槁木死灰。」(枯れ木と冷えた灰)すべてに無感動無関心である.

呉王夫差は国庫の金をつぎ込んで西施のために次々と庭園や離宮を作った。西施のための贅沢な庭園・館娃宮、は春には花が咲き乱れ、夏は冷たい井戸水で水浴びをし、秋には紅葉が目を楽しませ、冬は洞で暖を取る。西施が訪れるたびに大規模な響宴や歌舞が催されます。それを想像させる。

19 隋 祭りの肉の余り。おちる。おこたる。

20 弔 とむらう人の死をいたんで悔やみを述べる。とむらう。「弔意・弔歌・弔客・弔辞・弔電・弔砲・弔問/敬弔・慶弔」

 

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹

そんなことよりここ淮陰の呉の国でよいことは仲秋の名月が素晴らしいということ、そこにいる楊柳を折って旅立つ人の安全を願った美人が素晴らしいということだ。こんな美人の入る高楼で酒を酌み交わし呉越の「横笛曲」を吹き鳴らすのに勝るものが他にあろうか。

21 好是 ここにあるものこそ素晴らしい良いものだ。

22 淮陰 淮陰の股くぐり男、.韓信。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置、1273年(咸淳9年)には淮陰県より清河県が分置され、清河軍の軍治とされた。1283年(至元20年)、元朝により淮陰県は廃止され山陽県に編入されている。

23 横笛 漢代の「横笛曲」にある「梅花落」という笛曲。中国古代音楽於いての楽器は、胡琴、古筝、三弦、竪箜篌・琵琶・五絃・笙・橫笛・簫・篳篥・羯鼓・. 腰鼓・荅臘などによる楽器演奏がある。

和凝『望梅花』

春草全無消息,臈雪猶餘蹤跡。

越嶺寒枝香自拆,冷豔奇芳堪惜。

何事壽陽無處覓,吹入誰家橫笛

(梅花を望む)

春草 全無にして息を消し,臈雪【ろうせつ】猶お蹤跡に餘る。

越嶺 寒枝 香れば自ら拆り,冷豔【れいえん】奇芳 惜しむを堪えん。

何事ぞ壽陽 覓むる處無し 誰が家か「橫笛」の曲を,吹き入るは。

 

楊柳枝四首 【字解】

 

楊柳詞

漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

 

 

1 閶門 閶闔門、天の門、通常は宮城の門をさすが、ここでは蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53」「茂苑城如畫、閶門瓦欲流。詩参照。。

河内詩二首其二(湖中) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。

後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。

莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』

低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。

閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。

後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』

身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。

風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』

低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

2 水驛 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。牛車はまた、運送に利用された。

3 凭れる【もたれる/靠れる】1 人や物に自分のからだの重みをあずける。寄りかかる。「柱に―・れる」「籐椅子に―・れる」2 食べた物が消化されないで胃に残り重苦しく感じられる。

4 榭 榭とは、屋根のあるうてな、あずまや()、水榭、水ぎわの亭(チン)

5 濛濛 1 霧・煙・ほこりなどが立ちこめるさま。「―と砂ぼこりをまき上げる」2 心がぼんやりとしているさま。「木の本に―としてぞ立たりける」

6 飜成 ひっくり返ったり元に戻ったりする。

7 恰 [訓]あたかもちょうど。あたかも。「恰好(かっこう)」◇「恰好(かっこう)」「恰幅(かっぷく)」の「恰」の末尾促音は、「コウ(カフ)」の入声(にっしょう)pの変化したもの。

8 點檢 スル 一つ一つ検査すること。くわしく調べること。 「エンジンを-する」 「人数を-する」 「点検」に似た言葉»。檢〔検〕[音]ケン[訓]しらべる[学習漢字]51 取り調べる。「検閲・検査・検察・検死・検出・検証・検診・検定・検討/実検・点検・剖検」2 とりしまる。「検束」3 検査。

9 排立 二つのものを比べ、一方を排し、他方を立てること。排するとは、1 押しのける。しりぞける。排斥する。「万難を―・して進む」「反対勢力を―・する」2 並べる。排列する。「漢字を画数順に―・する」3 押し開く。

10 根柢 物事や考え方を成り立たせる土台になっているもの。基礎。根本。

11 雖然 にもかかわらず (雖然…但是…,儘管、卻…) N(である)+にもかかわらず な形+なの / な形である +にもかかわらず 普通体+にもかかわらず.

12 濁河 黄河のこと。《西漢會要/65》「夫齊,東有琅邪、即墨之饒,南有泰山之固,西有濁河之限,北有勃海之利。」斉には東に琅邪・即墨の豊穣があり、 南に泰山の堅固があり、西に濁河(黄河)の限界があり、北に渤海の便宜がある。

13 無妨 妨げるものはない。やりたい放題。

14 終日近笙歌 周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋、王子喬の故事。

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

○笙歌《古くは「しょうが」》笙に合わせて歌うこと。また、その歌。せいか。吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

Index-21 #1 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #1> Ⅰ李白詩1153 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4313

236-#2 《巻12-7 秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問 -#2Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <236-#2> Ⅰ李白詩1482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5958

291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

201《巻五 34少年行》「少年游俠好經過、渾身裝束皆綺羅。 蕙蘭相隨喧妓女、風光去處滿笙歌。」638《巻十九游泰山六首其六》「仙人游碧峰、處處笙歌發。 寂靜清暉、玉真連翠微。(仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。)」890《巻二十四01題隨州紫陽先生壁》忽耽笙歌樂。 頗失軒冕情。 終愿惠金液。 提攜凌太清。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元42 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

○驂驂 添え馬を並べて行く馬車。驂は、三頭立ての馬車。富貴の者の護衛に同車するもの。

古代在車旁駕車的兩匹馬。詩經.鄭風.大叔于田:「 執轡如組,兩驂如舞。」楚辭.屈原.九歌.國殤:「 凌余陣兮躐余行,左驂殪兮右刃傷。

15 金帶 的腰。古代帝王、后妃、文武百官所服腰

16 黃鶯 コウライウグイスの別名。

17 不校 仕返しをしない。孔子《論語·泰伯》:“ 曾子日、以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗従事於斯矣。” 曾子日く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若くし、犯さるるも校せず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。

  曾子が言いました。「才能があるにも拘らず、才能のない人の意見も聞き、知識が豊富であるにも拘らず知識の少ない人の意見も聞く。能力が有るにも拘らず無いかのように振舞い、人徳が充実しているにも拘らず、空虚であるように振舞う。又、他人から嫌なことをされても仕返しをすることが無い。昔、私の旧友はこのように努めていました」

巻八41 思越人二首 其二 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》393巻八41 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7229

 孫少監光憲  思越人二首 其二

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。想像玉人空處所,月明獨上溪橋。

經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、玉人、月明、溪橋、經春、秋風、紅蘭、綠蕙とすべて西施・宮女に関連したもので侘しさ、愁いを詠う。)

西施が見留められた「採蓮」の蓮は枯れ、館娃宮の樹木は老木となっている。長い砂浜が続き華やかだった庭園も見る人もなく崩れ廃墟となってひっそりとしている。栄華を極めた煌びやかに耀く白く艶やかな肌の美しい妃嬪やその頃の容を思い浮かべてみると何処も空しい所ばかりである。夜が訪れて月明かりに照らされた谷間の端を一人で渡ってみる。春を過ぎて順調に成長した芳香草が秋風によってはじめて萎れ、枯れ始めるのを見ると秋の気配を感じるし、赤く咲いていた蘭の花も、緑の香草も枯れてくることを思うと栄枯盛衰を憂えてしまうのだ。風は片側に吹きわたり、草木が揺れる波を片側に寄せて行くのでなおさら心が痛むこの場所である。西施の魂はもう消えてなくなっているはずなのに、見るものすべてを西施と関連付けてしまうので見るのをやめねばならないのだ。

巻八41

思越人二首 其二

12孫光憲

(改訂版Ver.2.1

《花間集》392巻八41

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7229

 


 
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花間集 教坊曲『思越人』四首

張泌

巻四45思越人  鷰雙飛,鶯百囀,越波堤下長橋。鈿花筐金匣,恰舞衣羅薄纖腰。東風澹蕩慵無力,黛眉愁聚春碧。滿地落花無消息,月明腸斷空憶。

孫光憲

巻八40思越人二首其一  古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。翠黛空留千載恨,教人何處相尋。綺羅無復當時事,露花點滴香淚。惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

孫光憲

巻八41思越人二首其二  渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。想像玉人空處所,月明獨上溪橋。經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

鹿虔扆

《巻九18思越人》  翠屏欹,銀燭背,漏殘清夜迢迢。雙帶繡窠盤錦薦,淚浸花暗香銷。珊瑚枕膩鴉鬟亂,玉纖慵整雲散。若是適來新夢見,離腸爭不千斷。

 

 

思越人二首 其一

(呉の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。)

古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた紫石山の高台はいま平地となり、草は伸びて遠くにまで連なり、霊岩山の西施の居所の館娃官の外にも、春は深くなっている。

翠黛空留千載恨,教人何處相尋。

この地の柳の葉には、翠黛美しき西施が空しく千載の恨みを留めている、しかし、その人もはやどこに尋ねたらあえるのか、尋ね求めるすべはないのだ。

綺羅無復當時事,露花點滴香淚。

越の名産である美しい綺羅の衣裳まとっていた当時の栄華は既にここにはないが、朝露のおける花は香りを含んだ涙を滴らしていることでその時のことを感じるのである。

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

 

(越の人を思う 二首 其の一)

古台 平らかに、芳草 遠く、館娃官の外 春 深くす。

翠黛 空しく留む 千載の恨み、人をして何処にか相い尋ねしむ。

綺羅 復た当時の事 無く、露花 香涙を点滴す。

惆悵す 遙天 淥水 横たわり、鴛鴦 対対として飛び起つ。

 

思越人二首 其二

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、玉人、月明、溪橋、經春、秋風、紅蘭、綠蕙とすべて西施・宮女に関連したもので侘しさ、愁いを詠う。)

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。

西施が見留められた「採蓮」の蓮は枯れ、館娃宮の樹木は老木となっている。長い砂浜が続き華やかだった庭園も見る人もなく崩れ廃墟となってひっそりとしている。

想像玉人空處所,月明獨上溪橋。

栄華を極めた煌びやかに耀く白く艶やかな肌の美しい妃嬪やその頃の容を思い浮かべてみると何処も空しい所ばかりである。夜が訪れて月明かりに照らされた谷間の端を一人で渡ってみる。

經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。

春を過ぎて順調に成長した芳香草が秋風によってはじめて萎れ、枯れ始めるのを見ると秋の気配を感じるし、赤く咲いていた蘭の花も、緑の香草も枯れてくることを思うと栄枯盛衰を憂えてしまうのだ。

一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

風は片側に吹きわたり、草木が揺れる波を片側に寄せて行くのでなおさら心が痛むこの場所である。西施の魂はもう消えてなくなっているはずなのに、見るものすべてを西施と関連付けてしまうので見るのをやめねばならないのだ。

 

白貯舞005
 

『思越人二首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

思越人二首 其二

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。

想像玉人空處所,月明獨上溪橋。

經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。

一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

 

(下し文)

思越人二首 其二

渚の蓮は枯れ,宮の樹は老い,長洲 廢苑 蕭條す。

像を想う 玉人 空處の所,月明く 獨り溪橋を上る。

春を經て 初めて敗る 秋風起つに,紅蘭 綠蕙 死を愁う。

一片 風流 傷心の地,魂銷 目は西子を斷つ 。

 

 

(現代語訳)

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、玉人、月明、溪橋、經春、秋風、紅蘭、綠蕙とすべて西施・宮女に関連したもので侘しさ、愁いを詠う。)

西施が見留められた「採蓮」の蓮は枯れ、館娃宮の樹木は老木となっている。長い砂浜が続き華やかだった庭園も見る人もなく崩れ廃墟となってひっそりとしている。

栄華を極めた煌びやかに耀く白く艶やかな肌の美しい妃嬪やその頃の容を思い浮かべてみると何処も空しい所ばかりである。夜が訪れて月明かりに照らされた谷間の端を一人で渡ってみる。

春を過ぎて順調に成長した芳香草が秋風によってはじめて萎れ、枯れ始めるのを見ると秋の気配を感じるし、赤く咲いていた蘭の花も、緑の香草も枯れてくることを思うと栄枯盛衰を憂えてしまうのだ。

風は片側に吹きわたり、草木が揺れる波を片側に寄せて行くのでなおさら心が痛むこの場所である。西施の魂はもう消えてなくなっているはずなのに、見るものすべてを西施と関連付けてしまうので見るのをやめねばならないのだ。

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(訳注)

思越人二首 其二

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、緑の水につがいの鴛鴦、緑の水に泛ぶ白い雲は西施の素足を連想させる。)

1.【解説】 西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。前段は、呉王の夫差が西施のために築いた姑蘇台は既に今は跡形もなく、ただ平地を残すのみで、辺り一帯は春もすっかり深まり、千載の遺恨を留める西施の姿は、もはやどこにも求めるすべのないことを言う。後段は、当時の栄華を伝えるものは何一つなく、露に濡れた花が西施の涙を思わせる滴をこぼすばかりで、遙か空の彼方の水辺から、番、番になって飛び立つ鴛駕(オシドリ) に悲しみに誘われることを語る。前段第四句の翠黛は西施を指すが、当時、館娃官の跡地一帯には柳が多く植えられていたことから、同時に、西施の美しい眉を思わせる柳の葉、西施は素足で作業していた採蓮の際に見つけられたという。緑の水に白い雲が白い素足ということでこの詩は成り立っている。

館娃宮:〔くゎんあ(い)きゅう;Guan3wa2gong1○○○〕呉王夫差が西施を住まわせた宮殿。蘇州の西、硯石山(霊巌山)上に築かれた。呉の宮殿があった蘇州を指している。白居易は蘇州刺史も任じられている。なお、春秋の呉宮と三国の呉宮とは異なる。

 

『花間集』には四首所収。孫光憲の作は二首収められている。思越人は鷓鴣天、思佳客、醉梅花の異名があるが、時代がもう少しあとになるもので無関係である。双調五十一字、前段二十五字五句二平韻二仄韻、後段二十六字四句四仄韻で、3❸⑥❼⑥/❼❻7❻の詞形をとる。

思越人二首 其一

古臺平,芳艸,館娃宮外春

翠黛空留千載,教人何處相

綺羅無復當時,露花點滴香

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛

●○○  ○●● ●○○●○△

●●△△○●● △○△●△○

●○○●△○● ●○●●○●

○●○○△●● ○○●●○●

思越人二首 其二も双調五十一字、前段二十五字五句二平韻、後段二十六字四句四仄韻で、33⑥7⑥/❼❻❼❻の詞形をとる。

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭

想像玉人空處所,月明獨上溪

經春初敗秋風,紅蘭綠蕙愁

一片風流傷心,魂銷目斷西

●△○  ○●● △○●●○○

●●●○△●● ●○●●○○

△○○●○△● ○○●●○●

●●△○△○● ○○●●○●

 

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。

西施が見留められた「採蓮」の蓮は枯れ、館娃宮の樹木は老木となっている。長い砂浜が続き華やかだった庭園も見る人もなく崩れ廃墟となってひっそりとしている。

11 蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。詠懐を表現する際に使う語。

杜甫『詠懐古跡 其の二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

曲江三章 第一章五句

曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。

遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

曲江三章 章五句(1) 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 

 

想像玉人空處所,月明獨上溪橋。

栄華を極めた煌びやかに耀く白く艶やかな肌の美しい妃嬪やその頃の容を思い浮かべてみると何処も空しい所ばかりである。夜が訪れて月明かりに照らされた谷間の端を一人で渡ってみる。

12 想像 この自然体が想像から生じたものである。

13 玉人 離宮に侍る白く艶やかな肌の美しい妃嬪。 

溫庭筠《巻一30楊柳枝八首其一》「宜春苑外最長條,閑裊春風伴舞腰。正是玉人腸處,一渠春水赤欄橋。」(宜春【ぎしゅん】苑の外最も條を長くす,閒裊【かんじょう】春風  腰に舞うを伴う。正【まさ】に是【こ】れ 玉人 腸斷の處,一つの渠【きょ】春水 赤闌【せきらん】の橋。)

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠35《巻1-35 楊柳枝八首其六》溫庭筠66首巻一35-35〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5372

 

經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。

春を過ぎて順調に成長した芳香草が秋風によってはじめて萎れ、枯れ始めるのを見ると秋の気配を感じるし、赤く咲いていた蘭の花も、緑の香草も枯れてくることを思うと栄枯盛衰を憂えてしまうのだ。

14 初敗 春を過ぎて順調に成長した芳香草が秋風によってはじめて萎れ、枯れ始める。栄華を誇っていたものが初めて衰退を知る。

15 紅蘭 ベニバナの別称。キク科の越年草、園芸植物、薬用植物。

16 綠蕙 香草のこと。この紅蘭綠蕙は当時華やかだった宮女のことをいう。とりわけ、西施について言うのである。

17 愁死 うれえ悲しんで死ぬこと。

 

一片風流傷心地,魂銷目斷西子

風は片側に吹きわたり、草木が揺れる波を片側に寄せて行くのでなおさら心が痛むこの場所である。西施の魂はもう消えてなくなっているはずなのに、見るものすべてを西施と関連付けてしまうので見るのをやめねばならないのだ。

18 魂銷目斷 目斷魂銷.意気消沈して目を伏せること、あるいは目を閉じること。:目斷:元稹《同州刺史謝上表》「臣自離京國,目斷魂銷。」目の力を竭盡して看望するも到かず,因って心の悲痛をいうものである。多くは別離することが原因して傷心の極みであることを形容するもの

19 西子 西施。本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

 

曲院風荷01
 

思越人二首【字解】

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、緑の水につがいの鴛鴦、緑の水に泛ぶ白い雲は西施の素足を連想させる。)

1.【解説】 西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。前段は、呉王の夫差が西施のために築いた姑蘇台は既に今は跡形もなく、ただ平地を残すのみで、辺り一帯は春もすっかり深まり、千載の遺恨を留める西施の姿は、もはやどこにも求めるすべのないことを言う。後段は、当時の栄華を伝えるものは何一つなく、露に濡れた花が西施の涙を思わせる滴をこぼすばかりで、遙か空の彼方の水辺から、番、番になって飛び立つ鴛駕(オシドリ) に悲しみに誘われることを語る。前段第四句の翠黛は西施を指すが、当時、館娃官の跡地一帯には柳が多く植えられていたことから、同時に、西施の美しい眉を思わせる柳の葉、西施は素足で作業していた採蓮の際に見つけられたという。緑の水に白い雲が白い素足ということでこの詩は成り立っている。

館娃宮:〔くゎんあ(い)きゅう;Guan3wa2gong1○○○〕呉王夫差が西施を住まわせた宮殿。蘇州の西、硯石山(霊巌山)上に築かれた。呉の宮殿があった蘇州を指している。白居易は蘇州刺史も任じられている。なお、春秋の呉宮と三国の呉宮とは異なる。

2 古台 姑蘇台。呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた台。

中国江蘇省呉県(現、蘇州市)の南西、姑蘇山上にあった離宮。呉王夫差が越を破って得た美人西施らを住まわせた。(胥台しょだい。)

3 館娃官 呉の宮殿の名。西施の居所。

4 古臺・館娃宮・木涜 姑蘇台と 館娃宮は木涜にある。これは、春秋時代、呉の王が越から貢がれた木材を使って西施のために霊岩山に「館娃宮」を建てさせ、紫石山に姑蘇台を建てさせた際、工事が非常に大規模になって材木を集めるのに3年かかり、水路が木で埋め尽くされたことから「木涜」という地名で呼ばれるようになったという。蘇州市から西に5キロ、太湖に隣接し、霊岩山のふもとに位置す。池が無数にあることから、堤防強化の植樹の柳の緑が目立ち、七句の「橫淥水」という表現につながる。

5 翠黛 眉のような柳の葉、美人の眉。ここでは西施を指す。

6 綺羅 《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。ここでは西施が美しい衣裳をまとって呉王の寵愛を一身に集めていた当時の栄華を意味する。

7 露花点滴香涙 露の降りた花からは香しい露の滴が滴る。花のように美しい西施が涙を滴らすさまを重ねる。この句の意味には、花間集としてのお遊びの意味が込められ、エロを加えることで、教坊曲を成立させている。

 

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

8 惆悵 嘆き悲しむ。花間集ではは好んで使った語である。

韋莊『浣渓沙』其三

惆悵夢餘山月斜、孤燈照壁背窗紗、小樓高閣謝娘家。

暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、満身香霧簇朝霞。

浣渓沙 其三 (惆悵夢餘山月斜) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-266-5-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2877

『淸平樂』

野花芳草,  寂寞關山道。

柳吐金絲鶯語早,惆悵香閨暗老。

羅帶悔結同心, 獨凭朱欄思深。

夢覺半床斜月, 小窗風觸鳴琴。

淸平樂 () 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-261-5-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2687

『荷葉杯』

記得那年花下。 深夜。

初識謝娘時。

水堂西面畫簾垂。 攜手暗相期。

惆悵曉鶯殘月。 相別。

從此隔音塵。

如今倶是異鄕人。 相見更無因。

荷葉杯 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

『應天長 之二』韋莊

別来半歳青書絶、一寸離腸千萬結。

難相見。易相別、又是玉楼花似雪。

暗相思、無虚説、惆悵夜来煙月。

想得此時情切、 涙沾紅袖

小樓高閣謝娘家。

暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、

應天長 二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-257-5-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2667

『歸國遙』 韋荘

春欲暮、 滿地落花紅帶雨。

惆悵玉籠鸚鵡、單棲無伴侶。

南望去程何許、問花花不語。

早晩得同歸去、恨無雙翠羽。

歸國遙 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-252-5-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2642

韋荘『菩薩蠻 一』

紅樓別夜堪惆悵。 香燈半捲流蘇帳。

殘月出門時。美人和涙辭。

琵琶金翠羽。絃上黄鶯語。

勸我早歸家。綠窗人似花。

菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617

9 遙天 思いをはせるところが明確でない場合の語句。青空に浮ぶ、遠い白い雲をいい、水の緑とで際立たせる。

10 橫淥水 渓谷の淵の水の色。楊の土手下の水の色。楊を映す水面。春の増水の水の色。

巻八40 思越人二首 其一 12孫光憲 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》392巻八40 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7224

 孫少監光憲  思越人二首 其一

古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。翠黛空留千載恨,教人何處相尋。

綺羅無復當時事,露花點滴香淚。惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

(呉の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。)

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた紫石山の高台はいま平地となり、草は伸びて遠くにまで連なり、霊岩山の西施の居所の館娃官の外にも、春は深くなっている。この地の柳の葉には、翠黛美しき西施が空しく千載の恨みを留めている、しかし、その人もはやどこに尋ねたらあえるのか、尋ね求めるすべはないのだ。越の名産である美しい綺羅の衣裳まとっていた当時の栄華は既にここにはないが、朝露のおける花は香りを含んだ涙を滴らしていることでその時のことを感じるのである。ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

巻八40

思越人二首 其一

12孫光憲

(改訂版Ver.2.1

《花間集》392巻八40

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7224

 

 

 

 
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花間集 教坊曲『思越人』四首

張泌

巻四45思越人  鷰雙飛,鶯百囀,越波堤下長橋。鈿花筐金匣,恰舞衣羅薄纖腰。東風澹蕩慵無力,黛眉愁聚春碧。滿地落花無消息,月明腸斷空憶。

孫光憲

巻八40思越人二首其一  古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。翠黛空留千載恨,教人何處相尋。綺羅無復當時事,露花點滴香淚。惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

孫光憲

巻八41思越人二首其二  渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。想像玉人空處所,月明獨上溪橋。經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

鹿虔扆

《巻九18思越人》  翠屏欹,銀燭背,漏殘清夜迢迢。雙帶繡窠盤錦薦,淚浸花暗香銷。珊瑚枕膩鴉鬟亂,玉纖慵整雲散。若是適來新夢見,離腸爭不千斷。

 

思越人二首 其一

(呉の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。)

古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた紫石山の高台はいま平地となり、草は伸びて遠くにまで連なり、霊岩山の西施の居所の館娃官の外にも、春は深くなっている。

翠黛空留千載恨,教人何處相尋。

この地の柳の葉には、翠黛美しき西施が空しく千載の恨みを留めている、しかし、その人もはやどこに尋ねたらあえるのか、尋ね求めるすべはないのだ。

綺羅無復當時事,露花點滴香淚。

越の名産である美しい綺羅の衣裳まとっていた当時の栄華は既にここにはないが、朝露のおける花は香りを含んだ涙を滴らしていることでその時のことを感じるのである。

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

 

(越の人を思う 二首 其の一)

古台 平らかに、芳草 遠く、館娃官の外 春 深くす。

翠黛 空しく留む 千載の恨み、人をして何処にか相い尋ねしむ。

綺羅 復た当時の事 無く、露花 香涙を点滴す。

惆悵す 遙天 淥水 横たわり、鴛鴦 対対として飛び起つ。

 

思越人二首 其二

渚蓮枯,宮樹老,長洲廢苑蕭條。

想像玉人空處所,月明獨上溪橋。

經春初敗秋風起,紅蘭綠蕙愁死。

一片風流傷心地,魂銷目斷西子。

西湖十景 曲院風荷02
 

 

『思越人二首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

思越人二首 其一

古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。

翠黛空留千載恨,教人何處相尋。

綺羅無復當時事,露花點滴香淚。

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

 

(下し文)

(越の人を思う 二首 其の一)

古台 平らかに、芳草 遠く、館娃官の外 春 深くす。

翠黛 空しく留む 千載の恨み、人をして何処にか相い尋ねしむ。

綺羅 復た当時の事 無く、露花 香涙を点滴す。

惆悵す 遙天 淥水 横たわり、鴛鴦 対対として飛び起つ。

 

(現代語訳)

(呉の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。)

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた紫石山の高台はいま平地となり、草は伸びて遠くにまで連なり、霊岩山の西施の居所の館娃官の外にも、春は深くなっている。

この地の柳の葉には、翠黛美しき西施が空しく千載の恨みを留めている、しかし、その人もはやどこに尋ねたらあえるのか、尋ね求めるすべはないのだ。

越の名産である美しい綺羅の衣裳まとっていた当時の栄華は既にここにはないが、朝露のおける花は香りを含んだ涙を滴らしていることでその時のことを感じるのである。

ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

花蕊夫人002
 

(訳注)

思越人二首 其一

(西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。とくに、緑の水につがいの鴛鴦、緑の水に泛ぶ白い雲は西施の素足を連想させる。)

1.【解説】 西施の遺跡である古蘇臺、館娃宮を訪れての懐古の情を詠う。前段は、呉王の夫差が西施のために築いた姑蘇台は既に今は跡形もなく、ただ平地を残すのみで、辺り一帯は春もすっかり深まり、千載の遺恨を留める西施の姿は、もはやどこにも求めるすべのないことを言う。後段は、当時の栄華を伝えるものは何一つなく、露に濡れた花が西施の涙を思わせる滴をこぼすばかりで、遙か空の彼方の水辺から、番、番になって飛び立つ鴛駕(オシドリ) に悲しみに誘われることを語る。前段第四句の翠黛は西施を指すが、当時、館娃官の跡地一帯には柳が多く植えられていたことから、同時に、西施の美しい眉を思わせる柳の葉、西施は素足で作業していた採蓮の際に見つけられたという。緑の水に白い雲が白い素足ということでこの詩は成り立っている。

館娃宮:〔くゎんあ(い)きゅう;Guan3wa2gong1○○○〕呉王夫差が西施を住まわせた宮殿。蘇州の西、硯石山(霊巌山)上に築かれた。呉の宮殿があった蘇州を指している。白居易は蘇州刺史も任じられている。なお、春秋の呉宮と三国の呉宮とは異なる。

 

『花間集』には四首所収。孫光憲の作は二首収められている。思越人は鷓鴣天、思佳客、醉梅花の異名があるが、時代がもう少しあとになるもので無関係である。双調五十一字、前段二十五字五句二平韻、後段二十六字四句四仄韻で、3❸⑥❼⑥/❼❻7❻の詞形をとる。

思越人二首 其一

古臺平,芳艸,館娃宮外春

翠黛空留千載,教人何處相

綺羅無復當時,露花點滴香

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛

●○○  ○●● ●○○●○△

●●△△○●● △○△●△○

●○○●△○● ●○●●○●

○●○○△●● ○○●●○●

 

古臺平,芳艸遠,館娃宮外春深。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた紫石山の高台はいま平地となり、草は伸びて遠くにまで連なり、霊岩山の西施の居所の館娃官の外にも、春は深くなっている。

2 古台 姑蘇台。呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた台。

中国江蘇省呉県(現、蘇州市)の南西、姑蘇山上にあった離宮。呉王夫差が越を破って得た美人西施らを住まわせた。(胥台しょだい。)

3 館娃官 呉の宮殿の名。西施の居所。

4 古臺・館娃宮・木涜 姑蘇台と 館娃宮は木涜にある。これは、春秋時代、呉の王が越から貢がれた木材を使って西施のために霊岩山に「館娃宮」を建てさせ、紫石山に姑蘇台を建てさせた際、工事が非常に大規模になって材木を集めるのに3年かかり、水路が木で埋め尽くされたことから「木涜」という地名で呼ばれるようになったという。蘇州市から西に5キロ、太湖に隣接し、霊岩山のふもとに位置す。池が無数にあることから、堤防強化の植樹の柳の緑が目立ち、七句の「橫淥水」という表現につながる。

 

翠黛空留千載恨,教人何處相尋。

この地の柳の葉には、翠黛美しき西施が空しく千載の恨みを留めている、しかし、その人もはやどこに尋ねたらあえるのか、尋ね求めるすべはないのだ。

5 翠黛 眉のような柳の葉、美人の眉。ここでは西施を指す。

 

綺羅無復當時事,露花點滴香淚。

越の名産である美しい綺羅の衣裳まとっていた当時の栄華は既にここにはないが、朝露のおける花は香りを含んだ涙を滴らしていることでその時のことを感じるのである。

6 綺羅 《「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意》1 美しい衣服。羅綺。「―をまとう」2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。「―を張る」「―を競う」3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。ここでは西施が美しい衣裳をまとって呉王の寵愛を一身に集めていた当時の栄華を意味する。

7 露花点滴香涙 露の降りた花からは香しい露の滴が滴る。花のように美しい西施が涙を滴らすさまを重ねる。この句の意味には、花間集としてのお遊びの意味が込められ、エロを加えることで、教坊曲を成立させている。

 

惆悵遙天橫淥水,鴛鴦對對飛起。

ここに立てば、歎き悲しみをさそう、空の果てまで緑水が横たわり続く、その水に鴛鴦の番が浮かび、飛び立つときにも番になっている景色で昔を呼び起こす。

8 惆悵 嘆き悲しむ。花間集ではは好んで使った語である。

韋莊『浣渓沙』其三

惆悵夢餘山月斜、孤燈照壁背窗紗、小樓高閣謝娘家。

暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、満身香霧簇朝霞。

浣渓沙 其三 (惆悵夢餘山月斜) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-266-5-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2877

『淸平樂』

野花芳草,  寂寞關山道。

柳吐金絲鶯語早,惆悵香閨暗老。

羅帶悔結同心, 獨凭朱欄思深。

夢覺半床斜月, 小窗風觸鳴琴。

淸平樂 () 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-261-5-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2687

『荷葉杯』

記得那年花下。 深夜。

初識謝娘時。

水堂西面畫簾垂。 攜手暗相期。

惆悵曉鶯殘月。 相別。

從此隔音塵。

如今倶是異鄕人。 相見更無因。

荷葉杯 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

『應天長 之二』韋莊

別来半歳青書絶、一寸離腸千萬結。

難相見。易相別、又是玉楼花似雪。

暗相思、無虚説、惆悵夜来煙月。

想得此時情切、 涙沾紅袖

小樓高閣謝娘家。

暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、

應天長 二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-257-5-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2667

『歸國遙』 韋荘

春欲暮、 滿地落花紅帶雨。

惆悵玉籠鸚鵡、單棲無伴侶。

南望去程何許、問花花不語。

早晩得同歸去、恨無雙翠羽。

歸國遙 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-252-5-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2642

韋荘『菩薩蠻 一』

紅樓別夜堪惆悵。 香燈半捲流蘇帳。

殘月出門時。美人和涙辭。

琵琶金翠羽。絃上黄鶯語。

勸我早歸家。綠窗人似花。

菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617

9 遙天 思いをはせるところが明確でない場合の語句。青空に浮ぶ、遠い白い雲をいい、水の緑とで際立たせる。

10 橫淥水 渓谷の淵の水の色。楊の土手下の水の色。楊を映す水面。春の増水の水の色。
douteikoshoko297
 

12孫光憲《巻八31河滿子冠劍不隨》『花間集』383全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7179

孫光憲  河滿子

冠劍不隨君去,江河還共恩深。

歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。

惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。

(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)

爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。

何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。

この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。

12孫光憲《巻八31河滿子冠劍不隨》『花間集』383全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7179

 

 

 
  2016年1月13日 の紀頌之5つのBlog  
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花間集 教坊曲 『河滿子』 六首

毛文錫

《巻五33 河滿子一首》 紅粉樓前月照,碧紗外鶯啼。夢斷遼陽音信,那堪獨守空閨。恨對百花時節,王孫綠草萋萋。

和凝

《巻六21 河滿子二首其一》  正是破瓜年幾,含情慣得人饒。桃李精神鸚鵡舌,可堪虛度良宵。卻愛藍羅裙子,羨他長束纖腰。

和凝

《巻六22 河滿子二首其二》  寫得魚牋無限,其如花鏁春輝。目斷巫山雲雨,空教殘夢依依。卻愛熏香小鴨,羨他長在屏幃。

孫光憲

《巻八31 河滿子一首》 冠劍不隨君去,江河還共恩深。歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。

毛熙震

《巻十01 河滿子二首 其一》  寂寞芳菲暗度,華如箭堪驚。緬想舊歡多少事,轉添春思難平。曲檻絲垂金柳,小絃斷銀箏。深院空聞鷰語,滿園閑落花輕。一片相思休不得,忍教長日愁生。誰見夕陽孤夢,覺來無限傷情。

毛熙震

《巻十02 河滿子二首 其二》  無語殘粧澹薄,含羞嚲袂輕盈。幾度香閨眠曉,綺疎日微明。雲母帳中惜,水精枕上初驚。笑靨嫩疑花坼,愁眉翠斂山橫。相望只教添悵恨,整鬟時見纖瓊。獨倚朱扉閑立,誰知別有深情。

 

河滿子

(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)

冠劍不隨君去,江河還共恩深。

爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。

歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。

何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。

惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。

この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。

河滿子

冠劍 君去るに隨わず,江河 還た共に恩深し。

歌袖  眉黛慘なるに半ば遮ぎり,淚珠 衣襟に 旋滴す。

惆悵して 雲は愁い 雨は怨む,斷魂して何處にか相い尋ん。

 

凌波曲舞002

 

『河滿子』 現代語訳と訳註

(本文)

河滿子

冠劍不隨君去,江河還共恩深。

歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。

惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。

 

(下し文)

河滿子

冠劍 君去るに隨わず,江河 還た共に恩深し。

歌袖  眉黛慘なるに半ば遮ぎり,淚珠 衣襟に 旋滴す。

惆悵して 雲は愁い 雨は怨む,斷魂して何處にか相い尋ん。

 

(現代語訳)

(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)

爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。

何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。

この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。

 

(訳注)

河滿子

(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)

1 河滿子 唐教坊曲名であり舞曲とされる。一名を《何滿子》という。白居易詩注:開元中,滄州の歌う者の姓名であった。元稹詩に云う:“便ち將て何滿は,御府新題樂府纂に 曲名を為すとしている。又《盧氏雜》には唐文宗が宮人の沈翹翹の舞に《河滿子》詞を命じたとしている。又 舞曲に屬すとする。馮夢龍《詹詹外史、唐文宗》“「唐文宗御宴,宮妓舞《河滿子》,是沈翹翹。其詞云「浮雲蔽白日」。文宗曰:「汝知書耶?此是《文選》第一首。」遂問其繇。翹翹泣曰:「妾本元濟女,自因國亡,沒入掖庭,易姓沈。因配樂籍,本藝方響,乃白玉也。」乃賜金玉環。”

唐文宗李昂(原名涵,8091120日-840210日)

大明宮の圖003
 

2 唐の教坊曲、花間集には河滿子は五首あり、孫光憲は一首所収。単調三十七字、三平韻二仄韻6⑥❼⑥❻⑥の詞形をとる。

河滿子

冠劍不隨君去,江河還共恩

歌袖半遮眉黛淚珠旋滴衣

惆悵雲愁雨斷魂何處相

△●△○○●  ○○○△○△

○●●○○●●  ●○△●△○

○●○○●△  ●○△●△○

 

冠劍不隨君去,江河還共恩深。

爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。

3 冠劍 爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けている。

4 江河 長江と黄河の河の神に安全を祈る。

 

歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。

何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。

5 眉黛慘 今宵の逢瀬で眉と黛が崩れてしまって悲惨な状態になる。

 

惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。

この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。

6 惆悵 恨み嘆くこと。恨み嘆くさま。

7 雲愁・雨怨 雲雨:男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事からきている。

宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

杜甫『水檻遣心二首』其の2 「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。

これまでの李商隠の雨を主題にした詩
7
 無題(颯颯東風細雨來)
8
 無題 (昨夜星辰昨夜風)
53
 夜雨寄北
71
 風雨
76 細雨(帷飄白玉堂) 李商隠特集
77 春雨 李商隠特集
78細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠
79七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作
など
雨を主題とした詠物詩。この詩には「雨」の語を出さず、比喩を連ね、比喩から連想されるイメージを繰り広げる手法がとられている

12孫光憲《巻八18酒泉子三首其二》『花間集』370全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7122

孫光憲  酒泉子三首其二

曲檻小樓,正是鶯花二月。思無憀,愁欲,鬱離襟。

展屏空對瀟湘水,眼前千萬里。淚掩紅,眉斂翠,恨沉沉。

(又春になり、久方ぶりに高楼にあがって眺めると春の盛りであった。気分がよくなり閨に戻って屏風を広げると古代の舜帝を追って旅をした瀟水と湘水の、二神の絵が出てくると前にもまして心がふさがれる)

閨から出て渡り廊下の欄干に沿って小さめの楼閣に来て見ると、まさに盛春真っただ中の鶯は囀り花は満開の二月の景色に変わっている。晴れやかに気持ちになって何にもおもいでボーとしている。これで愁いに思ったりすることから立ち直ることが出来るだろう。憂欝の底とは縁が切れる。閨に帰って、雰囲気を変えようと屏風を広げて見ると瀟水と湘水の、水の神の絵に空しく対峙することになる。絵ははるか千里万里を越えて行くものである。女はこの部屋から出ることはないが絵のように千里万里行くことが出来たらと思うと涙はあふれ、紅色の頬をおおいつくし、緑の蛾眉の間の額にはしわを寄せている、また怨みに思う気持ちは深く沈んでゆく。

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韋莊

巻三24酒泉子月落星沉,樓上美人春睡。綠雲傾,金枕膩,畫屏深。子規啼破相思夢,曙色東方纔動。柳煙輕,花露重,思難任。

牛嶠

巻四22酒泉子記得去年,煙暖杏園。花正發,雪飄香,江艸綠,柳絲長。鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。鳳釵低裊翠鬟,落梅粧。

張泌

巻四42酒泉子二首其一春雨打,驚夢覺來天氣曉。畫堂深,紅焰小,背蘭缸。酒香噴鼻懶開缸,惆悵更無人共醉。舊巢中,新鷰子,語雙雙

張泌

巻四43酒泉子二首其二紫陌青門,三十六宮春色。御溝輦路暗相通,杏園風。咸陽沽酒寶釵空,笑指未央歸去。插花走馬落殘紅,月明中。

毛文錫

巻五07酒泉子綠樹春深,鷰語鶯啼聲斷續。蕙風飄蕩入芳叢,惹殘紅。柳絲無力裊煙空,金盞不辭須滿酌。海棠花下思朦朧,醉香風。

牛希濟

巻五43酒泉子枕轉簟涼,清曉遠鐘殘夢。月光斜、簾影動,舊鑪香。夢中盡相思事,纖手勻雙淚。去年書,今日意,斷離腸。

顧夐

巻七09酒泉子七首其一楊柳舞風,輕惹春煙殘雨。杏花愁,鶯正語,畫樓東。錦屏寂寞思無窮,還是不知消息。鏡塵生,珠淚滴,損儀容。

顧夐

巻七10酒泉子七首其二羅帶縷金,蘭麝煙凝魂斷。畫屏欹,雲鬢亂,恨難任。幾迴垂淚滴鴛衾,薄情何處去。登臨,花滿樹,信沉沉

顧夐

巻七11酒泉子七首其三小檻日斜,風度綠人悄悄。翠幃閑掩舞雙鸞,舊香寒。別來情緒轉難判,韶顏看卻老。依稀粉上有啼痕,暗銷魂。

顧夐

巻七12酒泉子七首其四黛薄紅深,約掠綠鬟雲膩。小鴛鴦,金翡翠,稱人心。錦鱗無處傳幽意,海鷰蘭堂春又去。隔年書,千點淚,恨難任。

顧夐

巻七13酒泉子七首其五掩卻菱花,收拾翠鈿休上面。金蟲玉鷰鏁香奩,恨猒猒。雲鬟半墜懶重篸,淚侵山枕濕。恨燈背帳夢方酣,鴈飛南。

顧夐

巻七14酒泉子七首其六水碧風清,入檻細香紅藕膩。謝娘斂翠恨無涯,小屏斜。堪憎蕩子不還家,謾留羅帶結。帳深枕膩炷沉煙,負當年。

顧夐

巻七15酒泉子七首其七黛怨紅羞,掩映畫堂春欲暮。殘花微雨隔青樓,思悠悠。芳菲時節看將度,寂寞無人還獨語。畫羅襦,香粉,不勝愁。

孫光憲

巻八17酒泉子三首其一空磧無邊,萬里陽關道路。馬蕭蕭,人去去,隴雲愁。香貂舊制戎衣窄,胡霜千里白。綺羅心,魂夢隔,上高樓。

孫光憲

巻八18酒泉子三首其二曲檻小樓,正是鶯花二月。思無憀,愁欲,鬱離襟。展屏空對瀟湘水,眼前千萬里。淚掩紅,眉斂翠,恨沉沉。

孫光憲

巻八19酒泉子三首其三斂態前,裊裊雀釵頸。鷰成雙,鸞對影,耦新知。玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。翠連娟,紅縹渺,早粧時。

毛熙震

《巻十09巻十酒泉子二首其一》  閑臥繡幃,慵想萬般情寵。錦檀偏,翹股重,翠雲欹。暮天屏上春山碧,映香煙霧隔。蕙蘭心,魂夢役,斂蛾眉。

毛熙震

《巻十10酒泉子二首其二》  鈿匣舞鸞,隱映豔紅脩碧。月梳斜,雲鬢膩,粉香寒。曉花微斂輕呵展,裊釵金鷰軟。日初昇,簾半掩,對殘粧。

李珣

《巻十38酒泉子四首其一》  寂寞青樓,風觸繡簾珠翠撼。月朦朧,花暗澹,鏁春愁。尋思往事依稀夢,淚臉露桃紅色重。鬢欹蟬。釵墜鳳,思悠悠。

李珣

《巻十39酒泉子四首其二》  雨清花零,紅散香凋池兩岸。別情遙,春歌斷,掩銀屏。孤帆早晚離三楚,閑理鈿箏愁幾許?曲中情,絃上語,不堪聽。

李珣

《巻十40酒泉子四首其三》  秋雨聯綿,聲散敗荷叢裏。那堪深夜枕前聽,酒初醒。牽愁惹思更無停,燭暗香凝天欲曉。細和煙,冷和雨,透簾中。

李珣

《巻十41酒泉子四首其四》  秋月嬋娟,皎潔碧紗外。照花穿竹冷沉沉,印池心。凝露滴,砌蛩吟,驚覺謝娘殘夢。夜深斜傍枕前來,影徘徊。

 

 

酒泉子三首其一

(西域を守る兵士たちは行ったら行ったきり帰って来ることは難しい、残された者たちがどんな思いをしていても間には高い山があり、砂漠があり、万里の長城が隔てている。)

空磧無邊,萬里陽關道路。

砂漠に空しく石ころを防塁として果てしなく続いている、万里の先にある西域の陽関への道路はつづく先に兵士はいる。

馬蕭蕭,人去去,隴雲愁。

そこに至る天に続く道は馬でさえヒューヒューとくるしくて嘶き、人は行き去り、帰ることなく行き去る、隴山にかかる雲はこんな悲しい出来事を見ている。

香貂舊制戎衣窄,胡霜千里白。

西域を守る兵士は貂【てん】の防寒軍服が誰かの御下がりであろうが、古着の継ぎはぎだらけであろうと、この地は千里にわたり異民族の攻め寄るところであり極寒の霜は白く凍りつくので必要不可欠の服なのだ。

綺羅心,魂夢隔,上高樓。

美しい綺羅の衣を着た女がどんなに兵士のことを思っていても、どんなに夢に見て思おうと、それは隴山と砂漠の防塁に隔てられて届きはしない。高楼に上って西の空を臨んでいることだろう。

(酒泉子三首 其の一)

空磧 辺 無く、万里のさき陽関の道路あり。

馬は蕭蕭とし、人は去り去りて、隴雲は愁う。

香貂【こうちょう】 旧製にして戎衣窄【きつ】し、胡霜 千里さきに白し。

綺羅 心し、魂夢は隔つ、高楼に上らん。

 

酒泉子三首其二

(又春になり、久方ぶりに高楼にあがって眺めると春の盛りであった。気分がよくなり閨に戻って屏風を広げると古代の舜帝を追って旅をした瀟水と湘水の、二神の絵が出てくると前にもまして心がふさがれる)

曲檻小樓,正是鶯花二月。

閨から出て渡り廊下の欄干に沿って小さめの楼閣に来て見ると、まさに盛春真っただ中の鶯は囀り花は満開の二月の景色に変わっている。

思無憀,愁欲,鬱離襟。

晴れやかに気持ちになって何にもおもいでボーとしている。これで愁いに思ったりすることから立ち直ることが出来るだろう。憂欝の底とは縁が切れる。

展屏空對瀟湘水,眼前千萬里。

閨に帰って、雰囲気を変えようと屏風を広げて見ると瀟水と湘水の、水の神の絵に空しく対峙することになる。絵ははるか千里万里を越えて行くものである。

淚掩紅,眉斂翠,恨沉沉。

女はこの部屋から出ることはないが絵のように千里万里行くことが出来たらと思うと涙はあふれ、紅色の頬をおおいつくし、緑の蛾眉の間の額にはしわを寄せている、また怨みに思う気持ちは深く沈んでゆく。

(酒泉子三首 其の二)

曲檻 小樓,正に是れ鶯花二月なり。

思うは無憀にして,愁いんと欲す,鬱 襟を離る。

展屏 空しく對す 瀟湘の水に,眼前に 千萬里。

淚 紅に掩い,眉 翠に斂まり,恨 沉沉たり。

 

酒泉子三首其三

斂態前,裊裊雀釵頸。

鷰成雙,鸞對影,耦新知。

玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。

翠連娟,紅縹渺,早粧時。

DCF00212
 

 

『酒泉子三首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

酒泉子三首其二

曲檻小樓,正是鶯花二月。

思無憀,愁欲,鬱離襟。

展屏空對瀟湘水,眼前千萬里。

淚掩紅,眉斂翠,恨沉沉。

 

(下し文)

(酒泉子三首 其の二)

曲檻 小樓,正に是れ鶯花二月なり。

思うは無憀にして,愁いんと欲す,鬱 襟を離る。

展屏 空しく對す 瀟湘の水に,眼前に 千萬里。

淚 紅に掩い,眉 翠に斂まり,恨 沉沉たり。

 

(現代語訳)

(又春になり、久方ぶりに高楼にあがって眺めると春の盛りであった。気分がよくなり閨に戻って屏風を広げると古代の舜帝を追って旅をした瀟水と湘水の、二神の絵が出てくると前にもまして心がふさがれる)

閨から出て渡り廊下の欄干に沿って小さめの楼閣に来て見ると、まさに盛春真っただ中の鶯は囀り花は満開の二月の景色に変わっている。

晴れやかに気持ちになって何にもおもいでボーとしている。これで愁いに思ったりすることから立ち直ることが出来るだろう。憂欝の底とは縁が切れる。

閨に帰って、雰囲気を変えようと屏風を広げて見ると瀟水と湘水の、水の神の絵に空しく対峙することになる。絵ははるか千里万里を越えて行くものである。

女はこの部屋から出ることはないが絵のように千里万里行くことが出来たらと思うと涙はあふれ、紅色の頬をおおいつくし、緑の蛾眉の間の額にはしわを寄せている、また怨みに思う気持ちは深く沈んでゆく。

十三夜月
 

(訳注)

酒泉子三首其二(又春になり、久方ぶりに高楼にあがって眺めると春の盛りであった。気分がよくなり閨に戻って屏風を広げると古代の舜帝を追って旅をした瀟水と湘水の、二神の絵が出てくると前にもまして心がふさがれる)

 

『花間集』には孫光憲の作が三首収められている。双調四十字、前段十九字五句一仄韻二平韻、後段二十一字五句三仄韻一平韻で、③/❼❺3❸③の詞形をとる。ちなみに溫庭筠、韋荘は孫光憲と同じ詞形で、張泌、牛嶠は③/⑦733③の詞形をとる。

酒泉子三首其一

空磧無邊,萬里陽關道。馬蕭,人去去,隴雲

香貂舊制戎衣,胡霜千里。綺羅心,魂夢,上高

△●○○  ●●○○●● ●○○  ○●● ●○○

○○●●○△● ○○○●●  ●○○ ○△●  ●○○

『花間集』には孫光憲の作が三首収められている。双調四十字、前段十九字五句二仄韻二平韻、後段二十一字五句三仄韻二平韻で、③/❼❺③❸③の詞形をとる。ちなみに溫庭筠、韋荘は孫光憲と同じ詞形で、張泌、牛嶠は③/⑦733③の詞形をとる。

酒泉子三首其二

曲檻小,正是鶯花二

思無憀,愁欲,鬱離

展屏空對瀟湘,眼前千萬

淚掩,眉斂,恨沉

●●●○  △●○○●●

△○○  ○●● ●△○

●△△●○○● ●○○●●

●●○ ○●●  ●○○

 

曲檻小樓,正是鶯花二月。

閨から出て渡り廊下の欄干に沿って小さめの楼閣に来て見ると、まさに盛春真っただ中の鶯は囀り花は満開の二月の景色に変わっている。

8. 曲檻 閨は奥まったところにあるのでそこから樓閣までにある欄干のある廊下。

9. 小樓 多くくない楼閣。

10. 鶯花 鶯は囀り花は満開である。

11. 二月 盛春真っただ中の二月の景色に変わっている。閨にいると暦は二月であっても季節感がないので、この言い方になる。

 

思無憀,愁欲,鬱離襟。

晴れやかに気持ちになって何にもおもいでボーとしている。これで愁いに思ったりすることから立ち直ることが出来るだろう。憂欝の底とは縁が切れる。

12. 無憀 ・何もしないでボーっとする。顧夐『河傳三首 其三』「棹舉,舟去,波光渺渺,不知何處,岸花汀草共依依,雨微,鷓鴣相逐飛。天涯離恨江聲咽,啼猿切,此意向誰倚蘭橈,無憀。魂消,小爐香欲焦。」13-9 河傳三首 其三 》顧太尉(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集」Gs-461-13-(9) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3852

・心が晴れやかにならない。悲しんだり、恨んだりすることはない。牛希濟『臨江仙七首 其三』「渭闕宮城秦樹凋,玉樓獨上無憀。含情不語自吹簫,調情和恨,天路逐風飄。何事乘龍入忽降,似知深意相招。三清攜手路非遙,世間屏障,彩筆劃嬌饒。」10 -7 臨江仙七首其三 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-404-10-#7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3567

 

展屏空對瀟湘水,眼前千萬里。

閨に帰って、雰囲気を変えようと屏風を広げて見ると瀟水と湘水の水神の絵に空しく対峙することになる。絵ははるか千里万里を越えて行くものである。

13. 瀟湘水 娥皇と女英の二人の女神からなる洞庭湖から湘江、瀟水にかけての地域の絵が描かれている。

14. 眼前千萬里 当時の女性は基本的に閨から出ることはないので、絵を見て千里万里を行くことが出来たら、あの人を探して歩けるだろうというほどの意味になる。

 

淚掩紅,眉斂翠,恨沉沉。

女はこの部屋から出ることはないが絵のように千里万里行くことが出来たらと思うと涙はあふれ、紅色の頬をおおいつくし、緑の蛾眉の間の額にはしわを寄せている、また怨みに思う気持ちは深く沈んでゆく。

15. 紅 頬の琴、転じて化粧をした顔。

16. 眉斂翠 緑の蛾眉の間の額にはしわを寄せることをいう。

17. 沉沉 ](1) (水中に)沈む,水没する.【反】浮(2) (抽象的事物について)抑える,鎮める.沉不住气怒りを抑えられない.(3) 《方》休む,休息する.━ [](1) (重量が)重い,目方のある.(2) 程度が大きい,甚だしい.

薛昭蘊『浣溪紗八首 其四』

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

手を握りあったのは河橋のたもとの柳が金のように芽吹き繁る下でした。蜂はその鬚でもって、輕やかに百花の芯に惹かれ、飛び回るのです。花のかおりが風に乗って吹いて来て、そのなかの蘭のはなに思いよせると、いつのまにか清がしい琴の音に寄ってしまうのです。

あの人への思いは胸いっぱいであり、ちょうど今、川いっぱいの春の増水とおなじのようなのです,あのひとのおもい、やさしさはとても深く、だから、また、酒盃をいっぱいに何度も注いでくれることのようでした,楚の巫女と皇帝の化身である靄、カスミが漂い、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくものです。

9 6 浣溪紗八首 其四 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-382-9-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3457

12孫光憲《巻八11後庭花二首其二》『花間集』363全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7087

孫光憲  後庭花二首其二

石城依舊空江國,故宮春色。七尺青絲芳草綠,世難得。

玉英凋落盡,更何人識,野棠如織。只是教人添怨憶,悵望無極。

(歓楽街の若い美人たちも、宮女たちも絶世の美女、陳の張貴妃もやがては散り去って、誰も覚えていない。悲しい女の定めを詠う。)

金陵の石頭城は六朝の王朝は滅んだものの、むなしく城郭だけは残っている長江下流域、江南の要衝の都市である。ここに立てば、昔の宮殿はすっかり春の景色である。それは、二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。こりんごの花と葉、それに実というものはしげれば織物のように美しいものである。ただ、人にとっては「陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた」とかなしい思いを思い出させるものである。美人たちみんな、盛りを過ぎれば悲しく、うらめしいことが果てしがないのである。

12孫光憲《巻八11後庭花二首其二》『花間集』363全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7087

 

 
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-7-#7杜甫 《19-07 課伐木》#7 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#7 <1081> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7085  
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