玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

花間集 巻三 韋莊

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-〈126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

(改訂版)韋荘 小重山一首 (小重山〔閨での寵愛の様子を連想させる題〕:漢の後宮の賢夫人“薄姫”を歌ったもの)魏の王族の生まれであった薄姫は奴隷の身まで落ち、機織りの仕事をしていて、劉邦にみとめられたが、昭陽殿にただいるだけで蟄居されたもおなじであった、春が過ぎまた春が過ぎ、秋の寒々とした独り寝で、時を知らせる音を聞く長き夜、帝の情け夢に見る。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『小重山』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

巻三26

小重山一首

一閉昭陽春又春

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三27

小重山二首 其一

春到長門春草青

 

 

巻三28

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃

 

 

和凝

巻六14

小重山二首其一

春入神京萬木芳

 

 

巻六15

小重山二首其二

正是神京爛熳時

 

 

毛秘書熙震

巻十03

小重山一首

梁鷰雙飛畫閣前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-〈125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827

(改訂版)韋荘 木蘭花一首  京劇の「花木蘭」は男となって異郷にいったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827

 

 

化粧と美意識

 

◎ 1.胡装

胡服を着て胡帽を被る ー 「女が胡の婦と為り胡敏を学ぶ」(元横「法曲」)、これは唐代女性の特別の好みの一つであった。唐代の前期には、女性が馬に乗って外出する際に被った「帯解」(頭から全身をおおうスカーフ)は、「戎夷」(周辺の蛮族)から伝わった服装であった。また、彼女たちは袖が細く身体にぴったりした、左襟を折り返した胡服を好んで着た。盛唐時代(開元〜大暦の間)には、馬に乗る時に胡帽をかぶるのが一時流行した。胡服・胡帽の姿は絵画や彫刻、塑像の中で、随所に見ることができる。

彼女たちは、また胡人の化粧をも学んだ。ファッション

「新楽府」「其三十五 時世妝」 白居易

時世妝,時世妝,出自城中傳四方。

時世流行無遠近,腮不施朱面無粉。

烏膏注唇唇似泥,雙眉畫作八字低。

妍媸黑白失本態,妝成盡似含悲啼。

圓鬟無鬢堆髻樣,斜紅不暈赭面狀。

昔聞被發伊川中,辛有見之知有戎。

元和妝梳君記取,髻堆面赭非華風。

 

時世の妝 時世の妝、城中より出でて四方に傳はる。

時世の流行 遠近無し、腮に朱を施さず面に粉無し。

烏膏唇に注(つ)けて唇泥に似たり、雙眉畫きて八字の低を作す。

妍媸 黑白 本態を失し、妝成って盡く悲啼を含めるに似たり。

圓鬟(かん)鬢無く堆髻の樣、斜紅暈せず赭面の狀。

昔聞く 被髪伊川の中、辛有之を見て戎有るを知る。

元和の妝梳 君記取せよ、髻堆面赭は華風に非ず。

 

流行の化粧は、都会から出て四方に伝わる、時勢の流行には近在も遠方もない、頬紅をささず顔に白粉を塗らぬ、黒い油を口に塗って泥を見るようだ、眉を書けば八の字に垂れ下がって見苦しい(時世妝:流行の化粧法、腮:顎から頬にかけて)

美醜と黒白がひっくり返って、化粧した顔は泣きべそ顔だ、丸髷にはふくらみがなくさいづちまげのようだし、頬紅はぼかしてないのでまるで赤ら顔だ(妍媸:美醜、含悲啼:泣きべそ顔、圓鬟:丸髷、堆髻:さいづちまげ、胡人の女が結ぶ、斜紅:斜めに引いた頬紅、赭面:赤ら顔)

昔のことに、髪をふり乱した者たちが伊川で踊っているのを見て、辛有はその地が戎の地だといったというではないか、元和の流行の化粧について記録しておいてほしい、さいづちまげや赤ら顔は華風ではないと(被髪:髪を振り乱す、妝梳:化粧とヘアスタイルのこと)

 

 

◎ 2.戎装と男装

唐代の女性、とりわけ宮廷の女性は、常に戎装(軍装)と男装を美しいものと考えていた。高宗の時代、太平公主は武官の服装をして宮中で歌舞を演じたことがある。また、武宗の時代、王才人は武宗と同じ服を着て一緒に馬を駆って狩りをした。それで天子に上奏する人はいつもどちらが天子か見まちがったが、武宗はそれを面白がった。宮女たちが軍服を着たり、男装するのは全く普通のことだった。

男女が同じ服を着て、妻と夫の区別も無いとは、本当に平等な感じがする。こうした風潮が生れたのは、社会の開放性と尚武の気風があったからにはかならない。当時の若干の保守的な人々は、男女の服装に違いがなく、陰陽が逆さまになっている情況に頭を横に振りながら、「婦人が夫の姿になり、夫は妻の飾りとなっている。世の中の顛例でこれより甚だしいものはない」(『全唐文』巻三一五、李華「外孫雀氏二該に与うる書」)と慨嘆した。これぞまさしく、女性が男装する風潮は封建道徳の緩みであると説明する直接的表現ではないか。

 

 

◎ 3.時世粧

唐代の三百年間には、服装、装飾は何度も変化し、各時代にその時代の時世粧があった。「時世赦 時世赦、城中自り出でて四方に伝わる」、「小頭鞋履 窄衣裳……天宝末年の時世赦」(自居易「時世赦」、「上陽白髪人」)などと詩に書かれている。唐代の女性はファッションに大変に凝った。彼女たちはモダンなもの、新奇なものを追うのが大好きで、しばしば宮中から何か新しいファッションが伝わってくると、民間も競ってそれをまねたので、すぐ社会全体の流行になった。

。服装の変化のリズムは非常に速く、女性は目新しいモードを追いかけるのが大好きで、服装が流行に合っているかどうかを気にかけたが、それは何を意味していたのだろうか。人々は次のように言うかもしれない。どうせただ悠々と満ちたりた生活を送っていた貴婦人たちの、賛沢で退屈しのぎの表れであり、また妃嬢・姫妾・娼妓など色気で寵愛を求める者の、男を龍絡する手段にすぎないと。こういう説明は確かに誤りではない。しかし、別の角度から見れば、社会に新鮮な活力がみなぎっていた一つの表現であるとは言えるのである。

 

 

◎ 4.身体を露出するファッション

唐初、女性が騎馬で外出する時には、冪蘺を着用して頭から全身を蔽っていた。後世になると、冪蘺の代りに帷帽(山高帽のつばの左右と後部に首を隠す網が垂れているもの)をかぶった。帷帽から垂れている網は首まで覆うだけで、もう全身を覆うものではない。盛唐の開元年間に至ると、女性は騎馬で外出する時にはただ胡帽をかぶるだけで、顔も、甚だしい場合には頭髪さえも外に露出していた。

唐代の女性の服装は、まさに社会の風気が開放的になるに従って自由となり、益々拘束がなくなっていったのである。家庭での服装については、私たちは唐代の絵画の中に見ることができる。たとえば、有名な永泰公主の墓の壁画の中に見られる女性などは、たいてい上着も下着も太めにゆったり美しいが、しかし胸も乳も露わにされているのである。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-〈124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822

(改訂版)韋荘 酒泉子一首(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)


『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822

 

 

後宮での酒泉子

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。

妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、

六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、

美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、

才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。

 

しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

 

 
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217 《(改訂版) 巻22-34 自遣》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <217> Ⅰ李白詩1453 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5813 
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54-#1 《巻07-02 送僧澄觀 -#1  (浮屠西來何施為,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1355> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -6》 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-〈124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-45韋荘123《巻3-23 更漏子一首》三巻23-〈123〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5817

(改訂版)韋荘 更漏子一首 (寵愛を失った妃嬪が夜の時間経過の気にする:秋の夜長に時を告げる、女の侘しさを詠う。)献上するために錦を織りあげる作業をしていたら、鐘鼓の響きが寒々ときこえてくる、気が付けば、樓閣の一角で機織りの場所だけの燈だけになってあたりは暗くなっている、月は明かるく庭を照らし、擣衣の砧の作業も済んだ、銅張りの井戸端を照らしている。

 

 
 2015年4月8日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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216 (改訂版)《巻22-26 春日醉起言志》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <216> Ⅰ李白詩1452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5808 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-45韋荘123《巻3-23 更漏子一首》三巻23-123〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5817

 

 

白居易に「繚綾」(呉越で作られた花柄模様の最高級の錦)「念女工之勞」と題する詩がある。

綾繚綾何所似?不似羅綃與紈綺。

應似天台山上明月前,四十五尺瀑布泉。

中有文章又奇,地鋪白煙花簇雪。

織者何人衣者誰?越溪寒女漢宮

去年中使宣口敕,天上取樣人間織。

織為雲外秋雁行,染作江南春水色。

廣裁衫袖長製裙,金鬥熨波刀剪紋。

異彩奇文相隱映,轉側看花花不定。

昭陽舞人恩正深,春衣一對千金。

汗沾粉汙不再著,曳土踏泥無惜心。

繚綾織成費功績,莫比尋常繒與帛。

絲細繰多女手疼,紮紮千聲不盈尺。

昭陽殿裏歌舞人,若見織時應也惜。

 

この繚綾は何という素晴らしい、天然の技をも凌ぐ、精美で色鮮やかな織物であったことか。

それは、われわれが今でも見ることのできるひじょうに美しい唐代の多くの織物と同じょうに、まさにこの時代の無名の「越渓の寒女」の手から生れた。すばらしい技能をもっていた女職人たちは、心血を注ぎ技術の限りを尽して、紡織1芸史と技術史の上に重要な一頁を飾ったのである。しかし、その名前事績も人に知られることなく、われわれはただこれらの作品の中から、当代の女職人たちの聡明な才知と高度な技芸を味わう以外にない。

紡織、染色、刺繍などの工芸技術の方面で、新しい創造をし、絶妙な技術を発揮した女性はいたが、その内の何人かが偶然の原因でわずかばかりの記録を残したにすぎなかった。玄宗の柳婕妤の妹は生れつき手が器用で頭もよく、鏤板(板木)に様々な模様を彫って布の上に捺染する新しい染織の技法を発明した。技術は高く、染めた織物はたいへん精巧で美しかった。彼女はかつて自分の作品を王皇后に献上したことがあったが、玄宗はそれを見てたいそう喜び、宮中でそれをまねて作るよう命じた。最初、この技術を宮廷外に伝えることは禁止されたが、後しだいに民間にも伝わり、一般庶民もこの柳氏の染織法で染めた織物から作った衣服を着るようになった(『唐語林』巻四)。

永貞年間(八〇五年)、南海(広東省沿海一帯)から宮中に一人の「奇女子」が献上されてきた。名を盧眉娘といい、年はわずか十四歳であったが、その巧みな技芸は他に並ぶものがなかった。彼女は長さ一尺の絹布に『法華経』七巻すべてを刺繍することができた。その文字は粟粒のように小さいが、点も画もはっきりしており、髪の毛のように細い文字であった。さらにまた、彼女は傘のような蓋いである「飛仙蓋」も作った。これは一束の絹糸を三段に分け五色に染め、五重の傘の蓋を作るのである。その上面には、伝説上の仙人の島である十洲三島、天人仙女、御殿、麒麟、鳳凰などの模様が描かれていたが、さらに千人に上る子供の像も刺繍されていた。この蓋は幅が一丈もあったが、量ってみると重さは三両にも満たなかったという(『太平広記』巻六六)。このような高度で精妙な技能をもっていたのだから、まさに「奇女」ということができよう。

もう一人、馬雷五という技が巧みな少女がいた。彼女は幼い時から聡明で手先もたいへん器用で、およそ彼女が織り刺繍したものは、誰からもこの世の物と息われないと常に絶讃された。彼女の叔母は柳宗元の姫妾であった。馬雷五がわずか十五歳で病死した時、柳宗元は特にこの手芸に長じた薄命の少女のために墓誌銘を書いた(『全唐文』巻五八九、柳宗元「馬室女雷五葬志」)。彼女は、唐代に

無数にいた手芸に巧みな女性の一人に過ぎなかったが、大文学者のおかげで幸運にも後世にその名が伝わったのである。

中国古来の「男耕女織」という生産方式は、女性を制約し、彼女たちがその他の生産活動、科学技術の方面で知恵と才能を発揮するのを不可能にした。

高邁かつ深遠な学術の世界は、古来女性が足を踏み入れ難いところであった。それで唐代においては、哲学や学術の世界で書物を読みあさって造詣の深かった女性は一人か二人しか生れなかった。

一人はすでに文学の方面で言及した才女牛応貞である。彼女は博識多才で、十三歳でもう儒教経典、諸子百家、歴史書など数百巻、仏教経典二百巻を朗読できた。彼女は、「学問は、六芸(詩・書・礼・楽・易・春秋の六つの経書)全般にわたり、文章は諸子百家を兼ね、道家の秘言を頣い、釈部(仏教)の幽旨を采る」といわれ、儒仏道の三教に通じないところは無かった。彼女はまた夢の中で古代の哲学者の王弼、鄭玄、王衍らと名理(名と本質)を論じ、文章について語り合った。彼女の有名な著作「魍魎 影に問う賦」は、文学作品であると同時に哲学書でもあった。この作品は『荘子』の魍魎(霊魂)が影を責める話に基づいて、霊魂と影の問答に仮託して深遠な哲理を追究したものであり、女性が哲学を論じた、じつに稀な著作である(宋若昭『牛応貞伝』)。

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-44韋荘122《巻3-22 女冠子二首 其二》三巻22-〈122〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5812

韋荘(改訂版)女冠子二首 其二  昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

 
 2015年4月7日の紀頌之5つのBlog 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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52  (改訂版)《巻03-01-1 河之水二首寄子侄老成 其一)》韓愈(韓退之) 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1353> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-44韋荘122《巻3-22 女冠子二首 其二》三巻22-122〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5812

 

 

(旧解)

女冠子 (二)

昨夜夜半,枕上分明夢見。

昨夜の夜半のことだった。枕辺で。寝ていてはっきりと明らかなことは夢で会えるということです。

語多時。

その時は幾時か、共にかたりあったものでした。

依舊桃花面,頻低柳葉眉。

以前と同じで麗しい女性の面影は桃の花のようです。女性の美しい眉はしきりに長く下げている。

半羞還半喜,欲去又依依。

半ば、恥じらい、こんどは半ば、喜ぶということでしたし、行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたいのです。

覺來知是夢,不勝悲。

夢から覚めてから、夢であるということがやっと分かったし、悲しみにとてもたえることができないのです。

 女冠子

昨夜 夜半,枕上 分明に夢に見【まみ】ゆ。

語ること  多時にわたる。

舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。

 

 

【出家の動機】

およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の斎璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下務の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、輩県(河南省筆県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(侠名『宝応録』)。焼騎将軍桃李立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『全唐文』巻五三一、張貫「桃李立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に人らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、成宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。睾参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は榔州(湖南省榔県)で出家し尼になった(『新唐書』睾参伝)。

 

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃嬢は太宗の死後、盛業寺に送られて尼にされた。また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の喜妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。楊貴妃が女道士になった件は、玄宗が息子の嫁を自分の妃にするために弄した策略にすぎず、これで天下の耳目を掩ったのである。公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たち事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

 

(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》 

女冠子二首其一

(道女になると別れた女性を思い偲ぶ情を詠う。)

四月十七,正是去年今日。

初夏、四月十七日、まさにこの日一年前の今日。

別君時,忍淚佯低面,含羞半斂眉。

それはきみと別れの時、涙をこらえつつ、ただ、見つめ合えばこらえきれないのでうつむいてしまう、形の上の出家とはいえ、泣けば恥かしいことと思い顔を作るから、少し眉間にしわを寄せてしまった。 

不知魂已斷,空有夢相隨。

すでに思いを通わせることは許されないと心に言い聞かせているのに、夢で君を追いかけていることがある、それは空しくつらいことだということは知らなかった。

除卻天邊月,沒人知。

空にある月がきみであるから、もう月を見る事はしなくなったし、そして、人のうわさも75日、一年もたったので、誰も別れた人の心を知ろうとはしない。 

(女冠の子)

四月の十七,正に是れ去年の今日。

君と別れし時。涙を忍びて佯【いつは】りて面を低げ,羞【はぢら】いを含みて眉を斂む。

知らず  魂い已に斷たれ,空しく夢に相ひ隨う有るを。

除卻す 天邊の月を,人の知る沒【な】し。

 

女冠子二首其二

(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。

(女冠の子)

昨夜 夜半,枕上 分明に夢み見【まみ】ゆ。:「語ること 時に多く、舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。
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紅梅002
 

『女冠子二首其二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》
女冠子二首其二

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。


(下し文)
(女冠の子)

昨夜 夜半,枕上 分明に夢み見【まみ】ゆ。:「語ること 時に多く、舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。

(現代語訳)
(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。


(訳注) (改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》

女冠子二首其二

(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

この作品は、女冠子(二)と聯章詞(聯章体=同一の事柄を複数の詞で詠むもの)になっている。男が女性の側に立って描いているが、発想はあくまで男性である。

・女冠 ①道教の門中に在って修道している女道士をいう。②宮中の妃嬪・女官が位階を与えられること。

【解説】 其一で、去年の四月十七日に、王建に韋荘の愛妾はうばわれた。まず道女となり、その道女として後宮に入り、妃嬪となった。 夢に恋い慕う女を見た男の情を詠う。その夢が覚め、そこで初めて夢だと知り、悲しみに堪えることができないことを語る。

唐の教坊の曲。『花問集』には韋荘の作が二首収められて心る。双調四十.字、前段二十三字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

詞牌の一。双調(単調、異体もある) 四十一字。換韻。

《巻3-21 女冠子二首 其一》

四月十,正是去年今

別君,忍淚佯低面,含羞半斂

不知魂已斷,空有夢相

除卻天邊月,沒人





(改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》

昨夜夜,枕上分明夢:語多,依舊桃花面,頻低柳葉

半羞還半喜,欲去又依

覺來知是夢,不勝


  
  

 

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

・分明:はっきりと明らかなこと。

・夢見:夢で会う。見:会う。ここは、夢を見る、ではない。

・語多時:(想いを)語ることが長時間に亘る。多くの時間、(情愛を)語った。

・依舊:昔ながらの。以前と同じで。

・桃花面:桃の花のように麗しい女性の容貌。美貌。面:かお。

・頻低柳葉眉:しきりとほほえんでくれるので美しい眉尻を下げる。柳眉:女性の美しい眉。

 

半羞還半喜,欲去又依依、覺來知是夢,不勝悲。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。

・半羞還半喜:半ばは恥じらい、半ばは喜ぶ。

・還:なおも。また。

・欲去又依依:行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。依依:名残惜しく離れにくいさま。・依依 後に心がひかれるさま。 顔延之《秋胡詩》(7)  (「遲遲前途盡,依依造門基。」(遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。)秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

・門基 わが家の門の土台。

・覺來:夢から覚める。

・知是夢:夢であるということがやっと分かった。知ったことは、夢である。

・不勝悲:悲しみに勝(た)えない。とても悲しい。 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》三巻21-〈121〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5807

韋荘(改訂版) 女冠子二首 其一 道女になると別れた女性を思い偲ぶ情を詠う。初夏、四月十七日、まさにこの日一年前の今日。それはきみと別れの時、涙をこらえつつ、ただ、見つめ合えばこらえきれないのでうつむいてしまう、形の上の出家とはいえ、泣けば恥かしいことと思い顔を作るから、・・・・・・・。 

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》三巻21-121〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5807

 

 

公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たち事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

【女冠子の生活】

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。

建国当初、高祖は勅令を下して、「およそ戒律を守り、修行に励む僧尼、女冠等の人には、一律に衣食を供給し、欠かさぬようにせよ」(『旧唐書』高祖紀)と命じている。しかし、尼や女道士の生活状況は人によって大変な相違があった。豪奢な生活をし奴僕を使っている上層の者もいれば、清貧の生活をし奴稗に等しい下層の者もいた。上層に属す尼や女道士には、国家が生活物資を支給する以外に、高官貴人も布施などの援助をしたので、彼女たちの生活は往々にして豊かであり賛沢でさえあった。

 

彼女たちは最も独立性に富んだ身分であり、同時にまたきわめて開放的な階層でもあった。なぜなら、彼女たちは家庭と夫の束縛から抜け出しており、また世俗的な道徳倫理の拘束からも解放されていたからであり、なおかつ唐代の宗教教門の戒律もそれほど厳格ではなかったからである。彼女たちのうち、とりわけ女道士は、唐代の女性の中できわめで自由奔放な人々であったから、唐代の女道士は娼優に近かったという学者もいる(梁乙真『中国婦女文学史綱』、譚正壁『中国女性文学史話』)

 

彼女たちは深い教養を身につけ、常に宮廷、王府、貴族豪門の屋敷に出入りしては、軍事・政治の大事に参画したり、天文や人事に関する吉凶を占ったので、皇帝・皇后や貴顕から大いに信用された。女道士の許霊素はかつて粛宗の張皇后を助け、偽の詔勅を作り、皇后の生んだ子を皇太子にした(『旧唐書』后妃伝下)。また、尼僧の王奉仙は唐末、節度使間の戦争が激しかった時、朝廷の観察使等の大官や将帥たちの軍師となり、軍中の賞罰、作戦などすべて自ら決した(『資治通鑑』巻二五七、偉宗光啓三年)。こうした例は決して少なくない。

 

彼女たちは、社交、外出、生活などなんでも比較的自由だった。上述の出家した玉貴公主は、玄宗時代には特殊な地位にあって活躍した人物である。彼女は常時宮廷に出入りし、兄玄宗や高官貴顕とよく一緒に出かけて遊んだ。唐詩の中には、当時の近臣たちの唱和の作品に、玉真公主とともに遊んだことを特別に詠んだ詩がある。ところで、尼僧や女道士は常に四方の名山大川を自由に遊歴することができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『女冠子』十九首

 

 

溫助教庭筠

0148

女冠子二首其一

含嬌含笑

 

 

 

0149

女冠子二首其二

霞帔雲髮,

 

 

韋相莊

0321

女冠子二首其一

四月十七,

 

 

 

0322

女冠子二首其二

昨夜夜半,

 

 

薛侍郎昭蘊

0338

女冠子二首其一

求仙去也,

 

 

 

0339

女冠子二首其二

雲羅霧縠,

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

0401

女冠子四首 其一

綠雲高髻,

 

 

 

0402

女冠子四首 其二

錦江煙水,

 

 

 

0403

女冠子四首 其三

星冠霞帔,

 

 

 

0404

女冠子四首 其四

雙飛雙舞,

 

 

張舍人泌

0439

女冠子一首

露花煙草,

 

 

孫少監光憲

0824

女冠子二首其一

蕙風芝露,

 

 

 

0825

女冠子二首其二

澹花瘦玉,

 

 

鹿太保虔扆

0916

女冠子二首其一

鳳樓琪樹,

 

 

 

0917

女冠子二首其二

步虛壇上,

 

 

毛秘書熙震

0945

女冠子二首其一

碧桃紅杏,

 

 

 

0946

女冠子二首其二

脩蛾慢臉,

 

 

李秀才珣

1036

女冠子二首其一

星高月午,

 

 

 

1037

女冠子二首其二

春山夜靜,

 

 

 

 

 

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-〈120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

(改訂版)韋荘上行杯二首 其二(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の二:其の一で部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになった、上司のものが、部下の遊侠の貴公子の者に、別れの歌を返して激励し、だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの【其一と其二はセットになっている連歌のようである】

 

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

 

 

(旧解) 

上行杯二首其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

派手な白馬に、飾り立てた鞭に、金に輝くくつわを付けている。そこに貴公子の遊び人たちがいる。こんな奴は簡単に女と別れるのだ。

迢遞去程千萬裏。

あの男は遙かに遠くに去って行ってしまった、それも千里、万里の先の方にいるという。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

一所にとどまらず自由きままな男は異郷に行ったまま恨みに思う、宴席にあってみんな盃を注ぎ合い進め遭った、すると涙が和んできた。

須愧,珍重意,莫辭醉。

こんなことを愧じとする。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

(上行杯二首其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

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(改訂版)韋荘 上行杯二首 其一(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 韋荘  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5797

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『上行盃』四首

 

 

韋相莊

0319

上行杯二首 其一

芳草灞陵春岸

 

 

0320

上行杯二首 其二

白馬玉鞭金轡

 

 

孫少監光憲

0837

上行盃二首 其一

草草離亭鞍馬

 

 

0838

上行盃二首 其二

離棹逡巡欲動

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧解)

上行杯二首其一

芳草灞陵春岸。柳煙深,滿樓弦管。

長安の別れは若草が香る灞陵の川の春の岸にある。柳も鬱蒼と煙り、高殿には楽の音が満ちわたる。

一曲離聲腸寸斷。

一節の別れの歌に帰りの遅いあの人を思い出し、腸は断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅縷玉盤金鏤盞。

この日はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、鱠盛る大血と金縁の杯をそえる。

須勸、珍重意,莫辭滿。

よし存分に飲もう。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

 

其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

迢遞去程千萬裏。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

須愧,珍重意,莫辭醉。

 

(上行盃二首其一其の一)

芳草 㶚陵の春岸、柳煙深く、滿樓の弦管。

一曲の離聾に腸は寸断さる。

今日君を千萬に送る、紅縷の玉盤に 金鐘の蓋。

須らく勸むべし、意を珍重せよ、滿つるを辞することなかれ。

 

(上行盃二首其一其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの
芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

上行盃二首其二

白馬玉鞭金轡,少年郎,離別容易,迢遞去程千萬里。

惆悵異雲水,滿酌一盃勸和淚,須愧珍重意,莫辭醉。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 

『上行杯二首』現代語訳と訳註

(本文)

上行盃二首其一

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

 

(下し文)

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

(現代語訳)

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

 

(訳注) (改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行杯二首 其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

○上行 上に進む。上の人が行う。上座。上の列。上の人の指図。下級の者が上級の者に差しだす杯。妓楼の亭主のさしだす杯。送別の歌のお手本というべき詞である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収。韋荘の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十字四句三仄韻、後段二十一字四句三仄韻で、❻3❹❼/❻❼5❸の詞形をとる。

《巻3-19 上行杯二首 其一》

芳艸灞陵春柳煙深、滿樓弦一曲離腸寸寸
今日送君千紅樓玉盤金鏤珍重意莫辭滿 

 
 

 

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

○灞陵 朝陵とも記す。漢の文帝の陵墓。唐の都長安の東にあり、近くを滻水が流れ、川には滻が架かり、古来から送別の地とされてきた。・灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭までが30里である。ここを東に洛陽に向い、南に行くと漢水へ出る。人棭言って送別するのが習わしである。の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 ・灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。

李白『灞陵行送別』

送君灞陵亭。 灞水流浩浩。

上有無花之古樹。 下有傷心之春草。

我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。

古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。

正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。

まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている

土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。

もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

○離声 別離の曲、歌。驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。「驪駒の歌」というものがあり、客が主人に向って別れ卯を告げる時に歌ったもの。 驪駒門に在り,僕夫具に存す。驪駒 路に在り,僕夫 駕を整う。“とある。

〈驪歌〉原來叫做〈驪駒歌〉,是不見於《詩經》的佚詩。《曲禮》:「客欲去,歌之。」歌詞是:「驪駒在門,僕夫具存。驪駒在路,僕夫整駕。」歸客要離去時,唱出〈驪駒歌〉,表達自己別離的心意。

○腸寸寸斷 「腸斷寸寸」 一寸ごとに。ずたずたに。すこしづつ。

 

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

〇千万 千山里。

〇紅樓 頬紅を紅く染めた妓女の舞にそまる高樓。

○金鏤盞 金鏤:きんをちりばめる。盞:玉の盃。こさかずき。ともしびのあぶらざら。

〇珍重意 私の心を酌んで。私を愛してくれる気持ち。

 

 

(10)4-1

(王室の七陵)-1 

若乃觀其四郊,浮遊近縣,

さて、できるなら、長安四方の郊外をとくと眺めていただき、近県を周遊してみる。

則南望杜㶚,北眺五陵。

南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。

班孟堅(班固)《西都賦》(10)4-1 文選 賦<11210

 

登池上樓    謝靈運
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。」
徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。
傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』

 

初景革緒風,新陽改故陰。
池塘生春草,園柳變鳴禽。」
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。
索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

 

池塘生春草,園柳變鳴禽。」

祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。

索居易永久,離群難處心。

持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。

祁祁【ひとおお】きに豳【ひん】の歌に傷【いた】み、萋萋【せいせい】たる楚吟【そぎん】に感ず。

索居【ひとりい】は永久なり易く、群れを離れては心を處【しょ】し難し。

操を持するは豈ひとり古【いにしえ】のみ成らんや、悶【うれ】い無きの徵【しる】しは今に在り。

池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-40韋荘118《巻3-18 訴衷情二首 其二》三巻18-〈118〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5792

(改訂版)韋荘  訴衷情二首 其二(妃嬪の孤独な心情を詠う二首の其の二。妃嬪の夢をくだく、雨による舟遊びの中止の様子を詠う。)後宮の池には柳の緑に水面も染まっていて、赤い花と薫り高い花が咲きほこっているが、カスミが靄になり細雨に変わり静かに時が過ぎていく。その日の舟遊びを楽しみにしていた妃嬪が、蘭の棹に倚り、ゆくのをためらっている。


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-40韋荘118《巻3-18 訴衷情二首 其二》三巻18-118〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5792


 

作者

詩題

詞形 ○平韻 ●仄韻


 

溫庭筠

訴衷情一首

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

 

❷❷❸❸❷③ ⑤②⑤③)

(十一句六平五仄)

韋莊

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

⑦③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

毛文錫

訴衷情二首其一

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

訴衷情二首其二

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

顧夐

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

魏承班

訴衷情五首其一

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其二

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其三

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其四

⑦⑤3③⑤ 5③7③

41

六平韻

訴衷情五首其五

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

(旧解)

訴衷情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜,倚蘭橈。

春も深まり緑に染まる池の周りには赤い花や薫り高い花が咲き、カスミが靄になり細雨に変わり静かに時が過ぎていく。そして蘭の大きな弱くなった樹に倚りかかる。

垂玉佩,交帶,嫋纖腰。

朝が来ると朝賀の儀に佩び玉が垂れ整列する。其の後でもう閨で交わる。妖艶な細腰は寵愛されていたのである。

鴛夢隔星橋,迢迢,越羅香暗銷,墜花翹。

鴛鴦のように過したものが七夕の橋渡になり今はそれも隔たることになった。春ははるか遠くになってしまった。うす絹の上衣、香をたくこともなく消え行ってしまった。あれだけ寵愛によって栄華を誇ったものも今や落ちてしまった。

(訴衷情【そちゅうじょう】二首其の二)

碧沼の紅き芳に煙雨静かに、蘭橈に倚れば。

玉佩び垂れ、帯交る、嫋【しなや】かに纖【ほそ】き腰鴛夢は星橋を隔てて、迢迢たり、越羅の香は暗【ひそ】かに銷え、花翹 墜つ。



改訂版 3 韋莊《03-38 
訴衷情二首 其一

訴衷情二首 其一

(女盛りを過ぎた女の孤独な心情を詠う二首の其の一:踊りと美しさにより妃嬪となったが、毎年新しい女性が後宮に選ばれて後宮に入って来次第に忘れ去られる寵愛を失った踊りの得意であった妃賓を詠う。)

燭燼香殘簾半卷,夢初驚。

寵愛を失い、孤独の夜をうとうととしている、今しがた、なにかで夢から目覚めて驚いた、春とはいえ少し肌寒いと思えば、蝋燭も燃え尽き、残り香も消えても未だ昼間に帳を半分巻き上げたままにしていたからだが、それでも何もする気になれない。

花欲謝,深夜,月朧明。

庭を見ると、もう、深夜をすぎたから、月はおぼろにあかるくて、花はもう散りかけ凋み始めている。

何處按歌聲?輕輕,舞衣塵暗生,負春情。

夢を醒ませた楽器に合わせて歌う歌声は何処の御殿から聞こえてくるのだろう、こちらには、自慢であった舞の衣に塵が積もって色あせて見える、春の心情は忘れないし、寵愛を受ける準備も、踊りの準備も毎日している、それに負けたら生きていけないのだと思っても、心は折れそうになる。

(訴衷情【そちゅうじょう】二首其の一)

燭 燼【も】え 香 残り 簾 半ば捲かれて 夢初めて驚む。

花も謝【しぼ】まんと欲す、深き夜、月朧に明かく。

何處よりぞ 按歌の聾の軽軽たる、舞衣は塵 暗【ひそ】かに生じて春の情に負【そむ】く。


 


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改訂版 韋莊 訴衷情二首其一 女盛りを過ぎた女の孤独な心情を詠う二首の其の一:踊りと美しさにより妃嬪となったが、毎年新しい女性が後宮に選ばれて後宮に入って来次第に忘れ去られる寵愛を失った踊りの得意であった妃賓を詠う。

 

 
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