玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

花間集 巻三 韋莊

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-〈126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

(改訂版)韋荘 小重山一首 (小重山〔閨での寵愛の様子を連想させる題〕:漢の後宮の賢夫人“薄姫”を歌ったもの)魏の王族の生まれであった薄姫は奴隷の身まで落ち、機織りの仕事をしていて、劉邦にみとめられたが、昭陽殿にただいるだけで蟄居されたもおなじであった、春が過ぎまた春が過ぎ、秋の寒々とした独り寝で、時を知らせる音を聞く長き夜、帝の情け夢に見る。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『小重山』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

巻三26

小重山一首

一閉昭陽春又春

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三27

小重山二首 其一

春到長門春草青

 

 

巻三28

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃

 

 

和凝

巻六14

小重山二首其一

春入神京萬木芳

 

 

巻六15

小重山二首其二

正是神京爛熳時

 

 

毛秘書熙震

巻十03

小重山一首

梁鷰雙飛畫閣前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-〈125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827

(改訂版)韋荘 木蘭花一首  京劇の「花木蘭」は男となって異郷にいったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827

 

 

化粧と美意識

 

◎ 1.胡装

胡服を着て胡帽を被る ー 「女が胡の婦と為り胡敏を学ぶ」(元横「法曲」)、これは唐代女性の特別の好みの一つであった。唐代の前期には、女性が馬に乗って外出する際に被った「帯解」(頭から全身をおおうスカーフ)は、「戎夷」(周辺の蛮族)から伝わった服装であった。また、彼女たちは袖が細く身体にぴったりした、左襟を折り返した胡服を好んで着た。盛唐時代(開元〜大暦の間)には、馬に乗る時に胡帽をかぶるのが一時流行した。胡服・胡帽の姿は絵画や彫刻、塑像の中で、随所に見ることができる。

彼女たちは、また胡人の化粧をも学んだ。ファッション

「新楽府」「其三十五 時世妝」 白居易

時世妝,時世妝,出自城中傳四方。

時世流行無遠近,腮不施朱面無粉。

烏膏注唇唇似泥,雙眉畫作八字低。

妍媸黑白失本態,妝成盡似含悲啼。

圓鬟無鬢堆髻樣,斜紅不暈赭面狀。

昔聞被發伊川中,辛有見之知有戎。

元和妝梳君記取,髻堆面赭非華風。

 

時世の妝 時世の妝、城中より出でて四方に傳はる。

時世の流行 遠近無し、腮に朱を施さず面に粉無し。

烏膏唇に注(つ)けて唇泥に似たり、雙眉畫きて八字の低を作す。

妍媸 黑白 本態を失し、妝成って盡く悲啼を含めるに似たり。

圓鬟(かん)鬢無く堆髻の樣、斜紅暈せず赭面の狀。

昔聞く 被髪伊川の中、辛有之を見て戎有るを知る。

元和の妝梳 君記取せよ、髻堆面赭は華風に非ず。

 

流行の化粧は、都会から出て四方に伝わる、時勢の流行には近在も遠方もない、頬紅をささず顔に白粉を塗らぬ、黒い油を口に塗って泥を見るようだ、眉を書けば八の字に垂れ下がって見苦しい(時世妝:流行の化粧法、腮:顎から頬にかけて)

美醜と黒白がひっくり返って、化粧した顔は泣きべそ顔だ、丸髷にはふくらみがなくさいづちまげのようだし、頬紅はぼかしてないのでまるで赤ら顔だ(妍媸:美醜、含悲啼:泣きべそ顔、圓鬟:丸髷、堆髻:さいづちまげ、胡人の女が結ぶ、斜紅:斜めに引いた頬紅、赭面:赤ら顔)

昔のことに、髪をふり乱した者たちが伊川で踊っているのを見て、辛有はその地が戎の地だといったというではないか、元和の流行の化粧について記録しておいてほしい、さいづちまげや赤ら顔は華風ではないと(被髪:髪を振り乱す、妝梳:化粧とヘアスタイルのこと)

 

 

◎ 2.戎装と男装

唐代の女性、とりわけ宮廷の女性は、常に戎装(軍装)と男装を美しいものと考えていた。高宗の時代、太平公主は武官の服装をして宮中で歌舞を演じたことがある。また、武宗の時代、王才人は武宗と同じ服を着て一緒に馬を駆って狩りをした。それで天子に上奏する人はいつもどちらが天子か見まちがったが、武宗はそれを面白がった。宮女たちが軍服を着たり、男装するのは全く普通のことだった。

男女が同じ服を着て、妻と夫の区別も無いとは、本当に平等な感じがする。こうした風潮が生れたのは、社会の開放性と尚武の気風があったからにはかならない。当時の若干の保守的な人々は、男女の服装に違いがなく、陰陽が逆さまになっている情況に頭を横に振りながら、「婦人が夫の姿になり、夫は妻の飾りとなっている。世の中の顛例でこれより甚だしいものはない」(『全唐文』巻三一五、李華「外孫雀氏二該に与うる書」)と慨嘆した。これぞまさしく、女性が男装する風潮は封建道徳の緩みであると説明する直接的表現ではないか。

 

 

◎ 3.時世粧

唐代の三百年間には、服装、装飾は何度も変化し、各時代にその時代の時世粧があった。「時世赦 時世赦、城中自り出でて四方に伝わる」、「小頭鞋履 窄衣裳……天宝末年の時世赦」(自居易「時世赦」、「上陽白髪人」)などと詩に書かれている。唐代の女性はファッションに大変に凝った。彼女たちはモダンなもの、新奇なものを追うのが大好きで、しばしば宮中から何か新しいファッションが伝わってくると、民間も競ってそれをまねたので、すぐ社会全体の流行になった。

。服装の変化のリズムは非常に速く、女性は目新しいモードを追いかけるのが大好きで、服装が流行に合っているかどうかを気にかけたが、それは何を意味していたのだろうか。人々は次のように言うかもしれない。どうせただ悠々と満ちたりた生活を送っていた貴婦人たちの、賛沢で退屈しのぎの表れであり、また妃嬢・姫妾・娼妓など色気で寵愛を求める者の、男を龍絡する手段にすぎないと。こういう説明は確かに誤りではない。しかし、別の角度から見れば、社会に新鮮な活力がみなぎっていた一つの表現であるとは言えるのである。

 

 

◎ 4.身体を露出するファッション

唐初、女性が騎馬で外出する時には、冪蘺を着用して頭から全身を蔽っていた。後世になると、冪蘺の代りに帷帽(山高帽のつばの左右と後部に首を隠す網が垂れているもの)をかぶった。帷帽から垂れている網は首まで覆うだけで、もう全身を覆うものではない。盛唐の開元年間に至ると、女性は騎馬で外出する時にはただ胡帽をかぶるだけで、顔も、甚だしい場合には頭髪さえも外に露出していた。

唐代の女性の服装は、まさに社会の風気が開放的になるに従って自由となり、益々拘束がなくなっていったのである。家庭での服装については、私たちは唐代の絵画の中に見ることができる。たとえば、有名な永泰公主の墓の壁画の中に見られる女性などは、たいてい上着も下着も太めにゆったり美しいが、しかし胸も乳も露わにされているのである。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-〈124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822

(改訂版)韋荘 酒泉子一首(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)


『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822

 

 

後宮での酒泉子

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。

妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、

六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、

美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、

才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。

 

しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

 

 
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217 《(改訂版) 巻22-34 自遣》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <217> Ⅰ李白詩1453 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5813 
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54-#1 《巻07-02 送僧澄觀 -#1  (浮屠西來何施為,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1355> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -6》 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》三巻24-〈124〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5822 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-45韋荘123《巻3-23 更漏子一首》三巻23-〈123〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5817

(改訂版)韋荘 更漏子一首 (寵愛を失った妃嬪が夜の時間経過の気にする:秋の夜長に時を告げる、女の侘しさを詠う。)献上するために錦を織りあげる作業をしていたら、鐘鼓の響きが寒々ときこえてくる、気が付けば、樓閣の一角で機織りの場所だけの燈だけになってあたりは暗くなっている、月は明かるく庭を照らし、擣衣の砧の作業も済んだ、銅張りの井戸端を照らしている。

 

 
 2015年4月8日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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216 (改訂版)《巻22-26 春日醉起言志》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <216> Ⅰ李白詩1452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5808 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-45韋荘123《巻3-23 更漏子一首》三巻23-123〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5817

 

 

白居易に「繚綾」(呉越で作られた花柄模様の最高級の錦)「念女工之勞」と題する詩がある。

綾繚綾何所似?不似羅綃與紈綺。

應似天台山上明月前,四十五尺瀑布泉。

中有文章又奇,地鋪白煙花簇雪。

織者何人衣者誰?越溪寒女漢宮

去年中使宣口敕,天上取樣人間織。

織為雲外秋雁行,染作江南春水色。

廣裁衫袖長製裙,金鬥熨波刀剪紋。

異彩奇文相隱映,轉側看花花不定。

昭陽舞人恩正深,春衣一對千金。

汗沾粉汙不再著,曳土踏泥無惜心。

繚綾織成費功績,莫比尋常繒與帛。

絲細繰多女手疼,紮紮千聲不盈尺。

昭陽殿裏歌舞人,若見織時應也惜。

 

この繚綾は何という素晴らしい、天然の技をも凌ぐ、精美で色鮮やかな織物であったことか。

それは、われわれが今でも見ることのできるひじょうに美しい唐代の多くの織物と同じょうに、まさにこの時代の無名の「越渓の寒女」の手から生れた。すばらしい技能をもっていた女職人たちは、心血を注ぎ技術の限りを尽して、紡織1芸史と技術史の上に重要な一頁を飾ったのである。しかし、その名前事績も人に知られることなく、われわれはただこれらの作品の中から、当代の女職人たちの聡明な才知と高度な技芸を味わう以外にない。

紡織、染色、刺繍などの工芸技術の方面で、新しい創造をし、絶妙な技術を発揮した女性はいたが、その内の何人かが偶然の原因でわずかばかりの記録を残したにすぎなかった。玄宗の柳婕妤の妹は生れつき手が器用で頭もよく、鏤板(板木)に様々な模様を彫って布の上に捺染する新しい染織の技法を発明した。技術は高く、染めた織物はたいへん精巧で美しかった。彼女はかつて自分の作品を王皇后に献上したことがあったが、玄宗はそれを見てたいそう喜び、宮中でそれをまねて作るよう命じた。最初、この技術を宮廷外に伝えることは禁止されたが、後しだいに民間にも伝わり、一般庶民もこの柳氏の染織法で染めた織物から作った衣服を着るようになった(『唐語林』巻四)。

永貞年間(八〇五年)、南海(広東省沿海一帯)から宮中に一人の「奇女子」が献上されてきた。名を盧眉娘といい、年はわずか十四歳であったが、その巧みな技芸は他に並ぶものがなかった。彼女は長さ一尺の絹布に『法華経』七巻すべてを刺繍することができた。その文字は粟粒のように小さいが、点も画もはっきりしており、髪の毛のように細い文字であった。さらにまた、彼女は傘のような蓋いである「飛仙蓋」も作った。これは一束の絹糸を三段に分け五色に染め、五重の傘の蓋を作るのである。その上面には、伝説上の仙人の島である十洲三島、天人仙女、御殿、麒麟、鳳凰などの模様が描かれていたが、さらに千人に上る子供の像も刺繍されていた。この蓋は幅が一丈もあったが、量ってみると重さは三両にも満たなかったという(『太平広記』巻六六)。このような高度で精妙な技能をもっていたのだから、まさに「奇女」ということができよう。

もう一人、馬雷五という技が巧みな少女がいた。彼女は幼い時から聡明で手先もたいへん器用で、およそ彼女が織り刺繍したものは、誰からもこの世の物と息われないと常に絶讃された。彼女の叔母は柳宗元の姫妾であった。馬雷五がわずか十五歳で病死した時、柳宗元は特にこの手芸に長じた薄命の少女のために墓誌銘を書いた(『全唐文』巻五八九、柳宗元「馬室女雷五葬志」)。彼女は、唐代に

無数にいた手芸に巧みな女性の一人に過ぎなかったが、大文学者のおかげで幸運にも後世にその名が伝わったのである。

中国古来の「男耕女織」という生産方式は、女性を制約し、彼女たちがその他の生産活動、科学技術の方面で知恵と才能を発揮するのを不可能にした。

高邁かつ深遠な学術の世界は、古来女性が足を踏み入れ難いところであった。それで唐代においては、哲学や学術の世界で書物を読みあさって造詣の深かった女性は一人か二人しか生れなかった。

一人はすでに文学の方面で言及した才女牛応貞である。彼女は博識多才で、十三歳でもう儒教経典、諸子百家、歴史書など数百巻、仏教経典二百巻を朗読できた。彼女は、「学問は、六芸(詩・書・礼・楽・易・春秋の六つの経書)全般にわたり、文章は諸子百家を兼ね、道家の秘言を頣い、釈部(仏教)の幽旨を采る」といわれ、儒仏道の三教に通じないところは無かった。彼女はまた夢の中で古代の哲学者の王弼、鄭玄、王衍らと名理(名と本質)を論じ、文章について語り合った。彼女の有名な著作「魍魎 影に問う賦」は、文学作品であると同時に哲学書でもあった。この作品は『荘子』の魍魎(霊魂)が影を責める話に基づいて、霊魂と影の問答に仮託して深遠な哲理を追究したものであり、女性が哲学を論じた、じつに稀な著作である(宋若昭『牛応貞伝』)。

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-44韋荘122《巻3-22 女冠子二首 其二》三巻22-〈122〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5812

韋荘(改訂版)女冠子二首 其二  昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

 
 2015年4月7日の紀頌之5つのBlog 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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52  (改訂版)《巻03-01-1 河之水二首寄子侄老成 其一)》韓愈(韓退之) 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1353> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-44韋荘122《巻3-22 女冠子二首 其二》三巻22-122〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5812

 

 

(旧解)

女冠子 (二)

昨夜夜半,枕上分明夢見。

昨夜の夜半のことだった。枕辺で。寝ていてはっきりと明らかなことは夢で会えるということです。

語多時。

その時は幾時か、共にかたりあったものでした。

依舊桃花面,頻低柳葉眉。

以前と同じで麗しい女性の面影は桃の花のようです。女性の美しい眉はしきりに長く下げている。

半羞還半喜,欲去又依依。

半ば、恥じらい、こんどは半ば、喜ぶということでしたし、行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたいのです。

覺來知是夢,不勝悲。

夢から覚めてから、夢であるということがやっと分かったし、悲しみにとてもたえることができないのです。

 女冠子

昨夜 夜半,枕上 分明に夢に見【まみ】ゆ。

語ること  多時にわたる。

舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。

 

 

【出家の動機】

およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の斎璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下務の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、輩県(河南省筆県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(侠名『宝応録』)。焼騎将軍桃李立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『全唐文』巻五三一、張貫「桃李立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に人らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、成宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。睾参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は榔州(湖南省榔県)で出家し尼になった(『新唐書』睾参伝)。

 

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃嬢は太宗の死後、盛業寺に送られて尼にされた。また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の喜妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。楊貴妃が女道士になった件は、玄宗が息子の嫁を自分の妃にするために弄した策略にすぎず、これで天下の耳目を掩ったのである。公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たち事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

 

(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》 

女冠子二首其一

(道女になると別れた女性を思い偲ぶ情を詠う。)

四月十七,正是去年今日。

初夏、四月十七日、まさにこの日一年前の今日。

別君時,忍淚佯低面,含羞半斂眉。

それはきみと別れの時、涙をこらえつつ、ただ、見つめ合えばこらえきれないのでうつむいてしまう、形の上の出家とはいえ、泣けば恥かしいことと思い顔を作るから、少し眉間にしわを寄せてしまった。 

不知魂已斷,空有夢相隨。

すでに思いを通わせることは許されないと心に言い聞かせているのに、夢で君を追いかけていることがある、それは空しくつらいことだということは知らなかった。

除卻天邊月,沒人知。

空にある月がきみであるから、もう月を見る事はしなくなったし、そして、人のうわさも75日、一年もたったので、誰も別れた人の心を知ろうとはしない。 

(女冠の子)

四月の十七,正に是れ去年の今日。

君と別れし時。涙を忍びて佯【いつは】りて面を低げ,羞【はぢら】いを含みて眉を斂む。

知らず  魂い已に斷たれ,空しく夢に相ひ隨う有るを。

除卻す 天邊の月を,人の知る沒【な】し。

 

女冠子二首其二

(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。

(女冠の子)

昨夜 夜半,枕上 分明に夢み見【まみ】ゆ。:「語ること 時に多く、舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。
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紅梅002
 

『女冠子二首其二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》
女冠子二首其二

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。


(下し文)
(女冠の子)

昨夜 夜半,枕上 分明に夢み見【まみ】ゆ。:「語ること 時に多く、舊に依る  桃花の 面【かほ】,頻に 低ぐ  柳葉の眉を。

半ば羞ぢ 還た 半ば喜び,去らんと欲して 又 依依たり。

覺め來って  知るは 是れ 夢,悲みに 勝【た】へず。

(現代語訳)
(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。


(訳注) (改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》

女冠子二首其二

(一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

この作品は、女冠子(二)と聯章詞(聯章体=同一の事柄を複数の詞で詠むもの)になっている。男が女性の側に立って描いているが、発想はあくまで男性である。

・女冠 ①道教の門中に在って修道している女道士をいう。②宮中の妃嬪・女官が位階を与えられること。

【解説】 其一で、去年の四月十七日に、王建に韋荘の愛妾はうばわれた。まず道女となり、その道女として後宮に入り、妃嬪となった。 夢に恋い慕う女を見た男の情を詠う。その夢が覚め、そこで初めて夢だと知り、悲しみに堪えることができないことを語る。

唐の教坊の曲。『花問集』には韋荘の作が二首収められて心る。双調四十.字、前段二十三字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

詞牌の一。双調(単調、異体もある) 四十一字。換韻。

《巻3-21 女冠子二首 其一》

四月十,正是去年今

別君,忍淚佯低面,含羞半斂

不知魂已斷,空有夢相

除卻天邊月,沒人





(改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》

昨夜夜,枕上分明夢:語多,依舊桃花面,頻低柳葉

半羞還半喜,欲去又依

覺來知是夢,不勝


  
  

 

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

昨夜の夜半のことだった。一年以上も経つというのに、枕辺で、夢を見たことをはっきり覚えている。「夢では多く語り合ったし、以前と同じ妝装いでで麗しい君の面影は桃の花のようだった。ほほえんでくれて女性の美しく若い柳葉の眉尻はしきりに下げている。」というものだ。

・分明:はっきりと明らかなこと。

・夢見:夢で会う。見:会う。ここは、夢を見る、ではない。

・語多時:(想いを)語ることが長時間に亘る。多くの時間、(情愛を)語った。

・依舊:昔ながらの。以前と同じで。

・桃花面:桃の花のように麗しい女性の容貌。美貌。面:かお。

・頻低柳葉眉:しきりとほほえんでくれるので美しい眉尻を下げる。柳眉:女性の美しい眉。

 

半羞還半喜,欲去又依依、覺來知是夢,不勝悲。

それでも、その夢の、「半ば、恥じらい、また、半ば、喜ぶ、去って行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。」ということがつらいのだ。夢から覚めてから、それが夢だったと分かってしまうと、その悲しみにとてもたえることができないのだ。

・半羞還半喜:半ばは恥じらい、半ばは喜ぶ。

・還:なおも。また。

・欲去又依依:行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。依依:名残惜しく離れにくいさま。・依依 後に心がひかれるさま。 顔延之《秋胡詩》(7)  (「遲遲前途盡,依依造門基。」(遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。)秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

・門基 わが家の門の土台。

・覺來:夢から覚める。

・知是夢:夢であるということがやっと分かった。知ったことは、夢である。

・不勝悲:悲しみに勝(た)えない。とても悲しい。 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》三巻21-〈121〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5807

韋荘(改訂版) 女冠子二首 其一 道女になると別れた女性を思い偲ぶ情を詠う。初夏、四月十七日、まさにこの日一年前の今日。それはきみと別れの時、涙をこらえつつ、ただ、見つめ合えばこらえきれないのでうつむいてしまう、形の上の出家とはいえ、泣けば恥かしいことと思い顔を作るから、・・・・・・・。 

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-43韋荘121《巻3-21 女冠子二首 其一》三巻21-121〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5807

 

 

公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たち事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

【女冠子の生活】

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。

建国当初、高祖は勅令を下して、「およそ戒律を守り、修行に励む僧尼、女冠等の人には、一律に衣食を供給し、欠かさぬようにせよ」(『旧唐書』高祖紀)と命じている。しかし、尼や女道士の生活状況は人によって大変な相違があった。豪奢な生活をし奴僕を使っている上層の者もいれば、清貧の生活をし奴稗に等しい下層の者もいた。上層に属す尼や女道士には、国家が生活物資を支給する以外に、高官貴人も布施などの援助をしたので、彼女たちの生活は往々にして豊かであり賛沢でさえあった。

 

彼女たちは最も独立性に富んだ身分であり、同時にまたきわめて開放的な階層でもあった。なぜなら、彼女たちは家庭と夫の束縛から抜け出しており、また世俗的な道徳倫理の拘束からも解放されていたからであり、なおかつ唐代の宗教教門の戒律もそれほど厳格ではなかったからである。彼女たちのうち、とりわけ女道士は、唐代の女性の中できわめで自由奔放な人々であったから、唐代の女道士は娼優に近かったという学者もいる(梁乙真『中国婦女文学史綱』、譚正壁『中国女性文学史話』)

 

彼女たちは深い教養を身につけ、常に宮廷、王府、貴族豪門の屋敷に出入りしては、軍事・政治の大事に参画したり、天文や人事に関する吉凶を占ったので、皇帝・皇后や貴顕から大いに信用された。女道士の許霊素はかつて粛宗の張皇后を助け、偽の詔勅を作り、皇后の生んだ子を皇太子にした(『旧唐書』后妃伝下)。また、尼僧の王奉仙は唐末、節度使間の戦争が激しかった時、朝廷の観察使等の大官や将帥たちの軍師となり、軍中の賞罰、作戦などすべて自ら決した(『資治通鑑』巻二五七、偉宗光啓三年)。こうした例は決して少なくない。

 

彼女たちは、社交、外出、生活などなんでも比較的自由だった。上述の出家した玉貴公主は、玄宗時代には特殊な地位にあって活躍した人物である。彼女は常時宮廷に出入りし、兄玄宗や高官貴顕とよく一緒に出かけて遊んだ。唐詩の中には、当時の近臣たちの唱和の作品に、玉真公主とともに遊んだことを特別に詠んだ詩がある。ところで、尼僧や女道士は常に四方の名山大川を自由に遊歴することができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『女冠子』十九首

 

 

溫助教庭筠

0148

女冠子二首其一

含嬌含笑

 

 

 

0149

女冠子二首其二

霞帔雲髮,

 

 

韋相莊

0321

女冠子二首其一

四月十七,

 

 

 

0322

女冠子二首其二

昨夜夜半,

 

 

薛侍郎昭蘊

0338

女冠子二首其一

求仙去也,

 

 

 

0339

女冠子二首其二

雲羅霧縠,

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

0401

女冠子四首 其一

綠雲高髻,

 

 

 

0402

女冠子四首 其二

錦江煙水,

 

 

 

0403

女冠子四首 其三

星冠霞帔,

 

 

 

0404

女冠子四首 其四

雙飛雙舞,

 

 

張舍人泌

0439

女冠子一首

露花煙草,

 

 

孫少監光憲

0824

女冠子二首其一

蕙風芝露,

 

 

 

0825

女冠子二首其二

澹花瘦玉,

 

 

鹿太保虔扆

0916

女冠子二首其一

鳳樓琪樹,

 

 

 

0917

女冠子二首其二

步虛壇上,

 

 

毛秘書熙震

0945

女冠子二首其一

碧桃紅杏,

 

 

 

0946

女冠子二首其二

脩蛾慢臉,

 

 

李秀才珣

1036

女冠子二首其一

星高月午,

 

 

 

1037

女冠子二首其二

春山夜靜,

 

 

 

 

 

 

 

 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-〈120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

(改訂版)韋荘上行杯二首 其二(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の二:其の一で部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになった、上司のものが、部下の遊侠の貴公子の者に、別れの歌を返して激励し、だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの【其一と其二はセットになっている連歌のようである】

 

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

 

 

(旧解) 

上行杯二首其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

派手な白馬に、飾り立てた鞭に、金に輝くくつわを付けている。そこに貴公子の遊び人たちがいる。こんな奴は簡単に女と別れるのだ。

迢遞去程千萬裏。

あの男は遙かに遠くに去って行ってしまった、それも千里、万里の先の方にいるという。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

一所にとどまらず自由きままな男は異郷に行ったまま恨みに思う、宴席にあってみんな盃を注ぎ合い進め遭った、すると涙が和んできた。

須愧,珍重意,莫辭醉。

こんなことを愧じとする。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

(上行杯二首其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

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(改訂版)韋荘 上行杯二首 其一(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 韋荘  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5797

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『上行盃』四首

 

 

韋相莊

0319

上行杯二首 其一

芳草灞陵春岸

 

 

0320

上行杯二首 其二

白馬玉鞭金轡

 

 

孫少監光憲

0837

上行盃二首 其一

草草離亭鞍馬

 

 

0838

上行盃二首 其二

離棹逡巡欲動

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧解)

上行杯二首其一

芳草灞陵春岸。柳煙深,滿樓弦管。

長安の別れは若草が香る灞陵の川の春の岸にある。柳も鬱蒼と煙り、高殿には楽の音が満ちわたる。

一曲離聲腸寸斷。

一節の別れの歌に帰りの遅いあの人を思い出し、腸は断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅縷玉盤金鏤盞。

この日はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、鱠盛る大血と金縁の杯をそえる。

須勸、珍重意,莫辭滿。

よし存分に飲もう。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

 

其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

迢遞去程千萬裏。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

須愧,珍重意,莫辭醉。

 

(上行盃二首其一其の一)

芳草 㶚陵の春岸、柳煙深く、滿樓の弦管。

一曲の離聾に腸は寸断さる。

今日君を千萬に送る、紅縷の玉盤に 金鐘の蓋。

須らく勸むべし、意を珍重せよ、滿つるを辞することなかれ。

 

(上行盃二首其一其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの
芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

上行盃二首其二

白馬玉鞭金轡,少年郎,離別容易,迢遞去程千萬里。

惆悵異雲水,滿酌一盃勸和淚,須愧珍重意,莫辭醉。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 

『上行杯二首』現代語訳と訳註

(本文)

上行盃二首其一

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

 

(下し文)

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

(現代語訳)

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

 

(訳注) (改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行杯二首 其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

○上行 上に進む。上の人が行う。上座。上の列。上の人の指図。下級の者が上級の者に差しだす杯。妓楼の亭主のさしだす杯。送別の歌のお手本というべき詞である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収。韋荘の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十字四句三仄韻、後段二十一字四句三仄韻で、❻3❹❼/❻❼5❸の詞形をとる。

《巻3-19 上行杯二首 其一》

芳艸灞陵春柳煙深、滿樓弦一曲離腸寸寸
今日送君千紅樓玉盤金鏤珍重意莫辭滿 

 
 

 

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

○灞陵 朝陵とも記す。漢の文帝の陵墓。唐の都長安の東にあり、近くを滻水が流れ、川には滻が架かり、古来から送別の地とされてきた。・灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭までが30里である。ここを東に洛陽に向い、南に行くと漢水へ出る。人棭言って送別するのが習わしである。の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 ・灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。

李白『灞陵行送別』

送君灞陵亭。 灞水流浩浩。

上有無花之古樹。 下有傷心之春草。

我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。

古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。

正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。

まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている

土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。

もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

○離声 別離の曲、歌。驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。「驪駒の歌」というものがあり、客が主人に向って別れ卯を告げる時に歌ったもの。 驪駒門に在り,僕夫具に存す。驪駒 路に在り,僕夫 駕を整う。“とある。

〈驪歌〉原來叫做〈驪駒歌〉,是不見於《詩經》的佚詩。《曲禮》:「客欲去,歌之。」歌詞是:「驪駒在門,僕夫具存。驪駒在路,僕夫整駕。」歸客要離去時,唱出〈驪駒歌〉,表達自己別離的心意。

○腸寸寸斷 「腸斷寸寸」 一寸ごとに。ずたずたに。すこしづつ。

 

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

〇千万 千山里。

〇紅樓 頬紅を紅く染めた妓女の舞にそまる高樓。

○金鏤盞 金鏤:きんをちりばめる。盞:玉の盃。こさかずき。ともしびのあぶらざら。

〇珍重意 私の心を酌んで。私を愛してくれる気持ち。

 

 

(10)4-1

(王室の七陵)-1 

若乃觀其四郊,浮遊近縣,

さて、できるなら、長安四方の郊外をとくと眺めていただき、近県を周遊してみる。

則南望杜㶚,北眺五陵。

南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。

班孟堅(班固)《西都賦》(10)4-1 文選 賦<11210

 

登池上樓    謝靈運
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。」
徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。
傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』

 

初景革緒風,新陽改故陰。
池塘生春草,園柳變鳴禽。」
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。
索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

 

池塘生春草,園柳變鳴禽。」

祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。

索居易永久,離群難處心。

持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。

祁祁【ひとおお】きに豳【ひん】の歌に傷【いた】み、萋萋【せいせい】たる楚吟【そぎん】に感ず。

索居【ひとりい】は永久なり易く、群れを離れては心を處【しょ】し難し。

操を持するは豈ひとり古【いにしえ】のみ成らんや、悶【うれ】い無きの徵【しる】しは今に在り。

池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-40韋荘118《巻3-18 訴衷情二首 其二》三巻18-〈118〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5792

(改訂版)韋荘  訴衷情二首 其二(妃嬪の孤独な心情を詠う二首の其の二。妃嬪の夢をくだく、雨による舟遊びの中止の様子を詠う。)後宮の池には柳の緑に水面も染まっていて、赤い花と薫り高い花が咲きほこっているが、カスミが靄になり細雨に変わり静かに時が過ぎていく。その日の舟遊びを楽しみにしていた妃嬪が、蘭の棹に倚り、ゆくのをためらっている。


 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-40韋荘118《巻3-18 訴衷情二首 其二》三巻18-118〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5792


 

作者

詩題

詞形 ○平韻 ●仄韻


 

溫庭筠

訴衷情一首

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

 

❷❷❸❸❷③ ⑤②⑤③)

(十一句六平五仄)

韋莊

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

⑦③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

毛文錫

訴衷情二首其一

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

訴衷情二首其二

7⑤33⑤ ⑤③⑦③

41

六平韻

顧夐

訴衷情二首其一

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

訴衷情二首其二

7③❸❷③ ⑤②⑤③

33

六平・二仄

魏承班

訴衷情五首其一

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其二

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其三

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

訴衷情五首其四

⑦⑤3③⑤ 5③7③

41

六平韻

訴衷情五首其五

⑦⑤3③⑤ ⑤③⑦③

41

八平韻

(旧解)

訴衷情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜,倚蘭橈。

春も深まり緑に染まる池の周りには赤い花や薫り高い花が咲き、カスミが靄になり細雨に変わり静かに時が過ぎていく。そして蘭の大きな弱くなった樹に倚りかかる。

垂玉佩,交帶,嫋纖腰。

朝が来ると朝賀の儀に佩び玉が垂れ整列する。其の後でもう閨で交わる。妖艶な細腰は寵愛されていたのである。

鴛夢隔星橋,迢迢,越羅香暗銷,墜花翹。

鴛鴦のように過したものが七夕の橋渡になり今はそれも隔たることになった。春ははるか遠くになってしまった。うす絹の上衣、香をたくこともなく消え行ってしまった。あれだけ寵愛によって栄華を誇ったものも今や落ちてしまった。

(訴衷情【そちゅうじょう】二首其の二)

碧沼の紅き芳に煙雨静かに、蘭橈に倚れば。

玉佩び垂れ、帯交る、嫋【しなや】かに纖【ほそ】き腰鴛夢は星橋を隔てて、迢迢たり、越羅の香は暗【ひそ】かに銷え、花翹 墜つ。



改訂版 3 韋莊《03-38 
訴衷情二首 其一

訴衷情二首 其一

(女盛りを過ぎた女の孤独な心情を詠う二首の其の一:踊りと美しさにより妃嬪となったが、毎年新しい女性が後宮に選ばれて後宮に入って来次第に忘れ去られる寵愛を失った踊りの得意であった妃賓を詠う。)

燭燼香殘簾半卷,夢初驚。

寵愛を失い、孤独の夜をうとうととしている、今しがた、なにかで夢から目覚めて驚いた、春とはいえ少し肌寒いと思えば、蝋燭も燃え尽き、残り香も消えても未だ昼間に帳を半分巻き上げたままにしていたからだが、それでも何もする気になれない。

花欲謝,深夜,月朧明。

庭を見ると、もう、深夜をすぎたから、月はおぼろにあかるくて、花はもう散りかけ凋み始めている。

何處按歌聲?輕輕,舞衣塵暗生,負春情。

夢を醒ませた楽器に合わせて歌う歌声は何処の御殿から聞こえてくるのだろう、こちらには、自慢であった舞の衣に塵が積もって色あせて見える、春の心情は忘れないし、寵愛を受ける準備も、踊りの準備も毎日している、それに負けたら生きていけないのだと思っても、心は折れそうになる。

(訴衷情【そちゅうじょう】二首其の一)

燭 燼【も】え 香 残り 簾 半ば捲かれて 夢初めて驚む。

花も謝【しぼ】まんと欲す、深き夜、月朧に明かく。

何處よりぞ 按歌の聾の軽軽たる、舞衣は塵 暗【ひそ】かに生じて春の情に負【そむ】く。


 


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-39韋荘117《巻3-17 訴衷情二首 其一》三巻17-〈117〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5787

改訂版 韋莊 訴衷情二首其一 女盛りを過ぎた女の孤独な心情を詠う二首の其の一:踊りと美しさにより妃嬪となったが、毎年新しい女性が後宮に選ばれて後宮に入って来次第に忘れ去られる寵愛を失った踊りの得意であった妃賓を詠う。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-39韋荘117《巻3-17 訴衷情二首 其一》三巻17-117〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5787

 

 

 

教坊の曲 舞踊

紅桃

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。

謝阿蛮

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。

張雲容

全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

王大娘

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。

許和子(永新)

『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

 

 

訴衷情二首 其一

燭燼香殘簾半卷,夢初驚。

花欲謝,深夜,月朧明。

何處按歌聲?輕輕,舞衣塵暗生,負春情。

 

訴衷情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜,倚蘭橈。

垂玉佩,交帶,嫋纖腰。

鴛夢隔星橋,迢迢,越羅香暗銷,墜花翹。

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二》三巻16-〈116〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5782

改訂版 韋荘 思帝鄕二首 其二 帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う。

 

 
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210 《巻17-22 送梁四歸東平》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <210> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二》三巻16-116〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5782 
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(旧解)

思帝郷二首 其二

(帝都にいて田舎を思う。)

 春日遊,  杏花吹滿頭。

ある春の日に、郊外へ行楽に出かけました。杏の花びらが頭一杯に降りかかってくるような日でした。
 陌上誰家年少、 足風流。

こんな田舎道にいるのは、どこの若者なのでしょう。 行楽で足を延ばしてきたなかなか風流な事でしょう。
 妾擬將身嫁與、 一生休。

わたしは一度でいいから、嫁という地位をあたえられたいのです。そしたら、一生 おちつき、これでおわっても満足なのです。

 縱被無情棄,  不能羞。

たとえ、無情にも棄てられたとしても、いっかいよめになっておれば、はずかしいとは思わないものなのです。

思帝鄕

春日遊ぶ, 杏花 吹きて頭に滿つ。

陌【あぜみち】の上 誰が家の年少か、足【はなは】だ風流なり。

妾【わたし】は擬【おも】う 身を嫁與【かよ】すとしても、 一生の休んぜん。

 縱【たと】い無情に棄てらるるとも, 羞づ能【あた】わず。

 

 

女性の家庭内の娯楽と節句の行事には次のようなものがあった。

人日の剪彩

陰暦の正月七日は「人日」 である。この日、宮中でも民間でも、女性は美しい色彩の絹布をとりだして、花、葉、鳥などの図案をはさみで切り抜く。「閏婦は刀を持して坐し、自ら憐む 裁ちて新しきを乗るを。葉は催して情は色を綴り、花は寄せて手は春を成す。燕(燕の模様の努紙)は帖めて敷戸に留め、鶏(鶏の模様の努紙)は謝りて餉う人を待つ。撃ち来って夫婿に問う、何処ぞ真の如からざらん」(徐延寿「人日華麻」)。上手にできれば、それを木に飾ることもあれば、それを空に飛び散らせる人もあった。こうした勢彩は主に節句のめでたさを盛り上げるために行ったのであろうが、また女性たちはこの機会を借りて自分の器用さを人に誇ったのである。

* 人日は一月一日から六日まで各種家畜の成育を占い、七日が人、八日が穀物の占い口であった。これは年頭に豊凶、吉凶を占う習俗であり、古代日本にも伝わった。

 

 

蕩鞦韆(ぶらんこ蕩ぎ)

この女性の遊びは、毎年、寒食(清明節の前二日の節句)と清明節(冬至から一〇六日目、春の到来を祝う)前後に行われた。「天宝年間、宮中では寒食節に至ると、鞦韆を作って宮婦たちを乗せて宴楽とした。これを〝半仙の戯〞(半分仙人気分となる遊び)とよんだ」(『開元天宝遺事』巻下)。民間の女性もぶらんこをして遊んだ。唐詩に、

「少年き児女は鞦韆を重んじ、巾を盤け帯を結んで両辺に分かつ。身は軽く裙薄く 力を生じ易し、双手は空に向き 鳥の翼の如し。下り来り立ち定まりて 重ねて衣を繋ぎ、復た斜めの風の 高きを得ざらしむるを畏る。傍人 上に送る 那ぞ貴ぶに足らん、終に鳴璫を賭け 聞いて自ら起つ。回り回って高樹と斉しかるが若く、頭上の宝釵 従って地に堕つ」(王建「鞦韆詞」)。

また別の詩に、

「五糸もて縄を繋ぎ 墻を出ること遅く、力尽き纔かに瞵りと隣の圃を見る。下り来って矯く喘ぎ末だ調うる能わず、斜めに朱闌に借りて久しく語無し」(韓偓「鞦韆」)とある。これらの詩からみると、少女たちはぶらんこが大好きで大いに勝負を争い、時にアクセサリーまで賭けて、誰が最も高く揚がるか競った。

韓偓《鞦韆》

池塘夜歇清明雨,繞院無塵近花塢。

五絲繩繫出牆遲,力盡才瞵見鄰圃。

下來嬌喘未能調,斜倚朱欄久無語。

無語兼動所思愁,轉眼看天一長吐。

 

王建《鞦韆詞》

長長絲繩紫復碧,裊裊橫枝高百尺。

少年兒女重秋千,盤巾結帶分兩邊。

身輕裙薄易生力,雙手向空如鳥翼。

下來立定重系衣,復畏斜風高不得。

傍人送上那足貴,終賭鳴鬥自起。

回回若與高樹齊,頭上寶釵從墮地。

眼前爭勝難為休,足踏平地看始愁。

 

浣渓沙五首 其二

欲上鞦韆四體傭、擬教人送又心忪、畫堂簾幕月明風。

此夜有情誰不極、隔墻梨雪又玲瓏、玉容憔悴惹微紅。

(浣渓沙五首 其の二)

鞦韆【しゅうせん】に上らんとして四体慵【ものう】し 人をして送らしめんと擬【ほっ】するも又心 忪【おどろ】く、畫堂の簾幕に月明らかに風ふく。

此の夜情有るを誰か極めざらん、墻【かき】を隔てて梨雪又玲瓏【れいろう】たり、玉容憔悴して微紅惹【みだ】る。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-2韋荘80《巻2-30 浣渓沙五首 其二 (欲上鞦韆四體傭)》二巻30-〈80〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5602

 

闘百草(百草を闘わす遊び)

五月五日端午の節に摘み草比べ合って遊んだ風俗

草花を採ってその優劣を競う遊びで、端午の節句の前後、百草の生い茂る頃に行われた。「帰り来って小姑に見え、新たに放って百草を弄しむ」(劉駕「桑婦」)、「閑来に百草を闘わし、日を度るも敗を成さず」(雀顛「王家少婦」)などと詩に詠われでいる。これは主に少女たちの遊びであろう。中宗の時代、安楽公主は五月五日の「闘百草」 の時、出し物を豊富にするために、わざわざ人を南海のある寺院まで派遣して、南朝宋の謝霊運が臨終の時に寺に寄進した美害(ほほひげ)を取り寄せて、百草遊びの賭け物とした(『隋唐裏話』巻下)。この「闘百草」という遊びは、恐らく草の品種で勝ち抜けを競ったものと思う。それで安楽公主は、謝霊運のほほひげを草の一種のように装って賭け草にするという、奥の手を考えついたのであろう。

 

弓子団子

端午の節句に、宮中の女性たちは団子を作り、それを小さな弓で射る遊びもした。「粉団で角黍()を造り、金盤の中に貯く。小さな角で弓子を造るが、うっとりするほど繊細巧妙である。箭を架えて盤中の粉団めがけて射かけ、当たれば食べでもよいが、粉団は滑威して射ぬくのは難しい」(『開元天宝達事』巻上)。この遊びは宮中だけで行われたらしく民間には普及しなかった。

 

七夕の乞巧(針仕事の占い)

旧暦七月七日の夜の針仕事の占いは、一年の中で女性にとって最も重要な祭日だった。この日の晩は宮廷でも民間でも祭壇をつくり、鄭重に線香、果物、酒などをお供えして、香を焚いて牽牛と織女の二神を祭り、音楽を奏して宴会を開き、賑やかに過ごした。女性たちは織女に様々なお願い事 - 針仕事が上手になるように、幸せになるようにと願い、また「困難を乗り越え、手と目がさらによく利き、織りも縫いも心のままにできるよう」お願いした(『柳河東集』巻一八「乞巧文」)。この夜、女性たちは月に向い針に糸を通してみる。うまく通れば上手になると解釈した。宮中の女性たちは、次のような新しい占いもした。「宮女たちは、瓜の花と酒食を庭に並べて牽牛と織女に願いごとをした。また各人が蜘株を捉えて小さな盆の中に入れ、蜘妹がかける巣の糸が粗いか細かいかを見て、自分の針仕事が上手か下手かを占った」(『開元天宝達事』巻下)。

 

拜新月

「幼女綾かに六歳、末だ巧も拙も知らず。向夜堂前に在りて、人に学んで新月を拝む」(施肩吾「幼女詞」)、「東家の阿母も亦た月を拝し、一拝一悲 声断絶す。昔年 月を拝しては容輝を蓮 にし、如今 月を拝しては双すじの涙垂る。衆女の 新月を拝するを回り看て、却って憶う紅閏の年少の時」(張婦人「新月を拝す」)、などと唐詩に歌われている。拝月はもちろん新月が初めて出た時に行う。古代の小説や戯曲の中に家庭の女性が拝月する情景がしばしばでてくる。それらによって、拝月は昔から女性たちがお月様に願いごとをする機会であったことを知るのである。

 

 

蔵鈎(鈎隠し)

「蔵鈎を得て多少を語らん(数を当てん)と欲し、嬢妃官女は相い和すに任す。朋毎に一百人を定(定数)となし、三千匹の森羅を遣勝る」(羅宗涛『教壇変文社会風俗事物考』台北文史哲出版社、一九七四年より引用)。これは双方百人ずつが勝負を競う集団的な遊びで、これは宮中の女性だけに盛んに行われたもののようである。

* 鈎とは、とめ金、帯どめなど、先端が曲っている金属製の小物の総称。

 

 

動物の飼育

「年は二八(十六歳)、久しく香閏に鎖こめられ、禍児(狩)と鶴鵡を相手に戯ぶのが愛き」(『敦煙変文社会風俗事物考』より引用)とあるように、家庭の少女や婦人、それに宮中の女性たちは常に鶴鵡や犬などの小動物を友として飼い、寂しさをまざらわせていた。楊貴妃が飼っていた鶴鵡は雪衣女といい、犬は康国(中央アジアのサマルカンド)から献上されたもので、どちらも高貴な品種であった。宮女や妃妾もまた常に小さな金の龍に蟻蜂を捉えて飼い、夜枕辺に置いて鳴き声を聞き、孤独の苦しみをまざらわせた。後に、この風習を民間が争ってまねるようになり、蟻蜂を飼うのを娯楽とした(『開元天宝遺事』巻上)。

 

 

 

唐代で最も特色のあるのは、女性たちの外出である。

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》三巻15-〈115〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5777

改訂版  韋荘 巻3-15 思帝郷二首 其一 帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う。

 

 
 2015年3月31日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》三巻15-115〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5777

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二06

(改訂版) 思帝一首 

花花、満枝紅似霞。

 

 

韋相莊

巻三15

思帝二首 其一 

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三16

思帝鄕二首 其二 

春日遊,杏花吹滿頭

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更多。

 

 

 

 

 

 

 

 

教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 

 

内職、冊封

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。彼女らの運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたのであり、それを失えば、いつまでその場、立場いられるかというのは難しいことだった。

 

彼女たちは生前は孤独に苦しんだが、死後はより一層寂しく惨めであった。後宮で一生を終えない人もいたが、その運命は堀川の流れに漂う紅葉よりもさらにあてどのないものであった。天子は気ままに宮人を贈物とし、外洋(臣従してくる異民族)や功臣に褒美として与えたので、彼女たちの結末がどうなるのか、全く運命の流れに身を委ねるはかなかった。老いて天寿を全うできたなら、彼女たちにとってはやはり幸せなことだった。後宮にはいたるところ危険が潜んでおり、宮人たちは常に政治闘争や宮廷の政変に巻きこまれ、身分が下賎であったから、しばしば理由もなく刀刃の露と消えた。

 

唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

 

 

(旧解)

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと)

雲髻墜,鳳釵垂,

雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れている。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

もとどりが落ち、カンザシがかろうじてついているということはもう何もする気が無く無気力な状態なのだ、枕の箱も壊れかけている。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風には部屋の奥深い所にあり、月が落ちかかってそこにまで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるであろう。

盡人間天上,兩心知。

女も年増になって來ると愚痴も言い尽くしてしまうし、下世話な世でおこる女の儚さと高貴なところでの女の一生は全く異なった二つの心情があるということがいまさらにわかるというものだ。

 

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,兩つの心 知る。

 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

雲髻墜,鳳釵垂,

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

長安城皇城図
紅梅002
 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

『思帝』二首 其一 現代語訳と訳註

(本文)

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,

髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。

盡人間天上,兩心知。

 

(下し文)

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

(現代語訳)

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

 

 

(訳注) 改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-24韋荘102《巻3-02 謁金門二首 其二》三巻2-〈102〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5712

唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻、③③666③の詞形をとる。

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  


 

雲髻墜,鳳釵垂, 
寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

・雲髻 女性の髪が雲の形のように大きなものとしていた。大きいほど高貴であった。これを雲鬢とするテキストがあるが、それでは三国志の「関羽」の顔がイメージされ意味が限定され通らない。756年ウイグルの王女が粛宗の妾になる際に、ウイグル国王に嫁いだ姫君の髪型が有名。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

・鳳釵 鳳凰のかんざし。通常、つがいの物を云い、ここではそのの片方が壊れて垂れ下がっていることを云う。


髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

・枕函 箱型のまくら。

・欹 新しい簪に取り換えて気分を変える、身支度を整えるのをやめた。

 

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

・漏 五更の時をつげる

・依依 名残惜しく離れにくいさま。

 

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

盡 このままの退屈な毎日を送るより、尼寺、道観に出家をさせ貰うことを願い出る。解放を願い出る。

・人間天上 世間の中から選抜され、その中からまた選ばれて、妃嬪になった事、世俗の人間が、天上の御殿に生活する。孤独と暇との戦いをしていることをいう。(韋荘の愛妾が蜀王の王建に召されていて、別々の世界で暮らすこと。)

・兩心 二つの心情。寵愛を受けたい、解放されたいという心。白居易《長恨歌》「臨別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知」(別れに臨みて殷勤に重ねて詞を寄す、詞中に誓い有り 両心のみ知る。)別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。韋荘の愛妾は蜀王の王建に召されている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-〈114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772

改訂版 韋荘 巻3-14喜遷鶯二首 其二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772

 

 

喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,天上探人回。

長安の街は朝早くから太鼓の音が鳴り響き、人々も早くから動きにぎわうのである。宮中の正門はひらかれ、宮中では人を探し回るほどの騒ぎだ。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

金沙の入った袋を鳳凰が口に銜え雲の合間から飛んできた。平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

春を告げる鶯は既にもう帰っていて、龍は既に化身されてお席に着かれた。その夜は長安城には溢れるほどの車馬でいっぱいなのだ

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

どの家でも、高楼の上には仙郷の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴というべき科挙合格者が天に登るかのように宮中の御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

 

喜遷鶯二首 其二

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲より出でて來り,平地 一聲の雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 滿城の車馬。

家家 樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って鶴の天に冲【のぼ】るを看る。


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(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

長安城皇城図
 

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改訂版 韋荘 巻0313 喜遷鶯二首其一 科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまでまったく経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》三巻13-113〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『喜遷鶯』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

3-13

喜遷鶯二首 其一

人洶洶,鼓鼕鼕,

 

 

 

3-14

喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,

 

 

 

03-43

9 16 喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,

 

 

薛侍郎昭蘊

03-44

9 17 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,

 

 

 

03-45

9 18 喜遷鶯三首 其三

清明節,雨晴天,

 

 

毛司徒文錫

0509

8 -11 喜遷鶯一首

芳春景,曖晴煙,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧解)

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

夜明け前というのに人が町に出て騒がしくしている、鼓の響きが轟きわたった、合格して、得意満面、颯爽と明け方近くの風が襟袖を吹き過ぎる、時はまだ五更、風を切って朝廷に向う。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

宮中には天空よりおぼろの月が照らしている、馬に跨り、その虚空の宮中にはれて昇るのだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

何処でも香が焚かれて衣に香が満たされる、街路にも宮中の通路にも雲のように人がいっぱいで、この身に着けた刺繍の鳳凰は人々の雲の間を身を巡り飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、いよいよ神であるところの玉華君の最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅天の上 月 朦朧【もうろう】たり、馬に騎して 虚空に上る。

 

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。 


喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,天上探人

鳳銜金榜出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴沖天。

 

 

(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

 

 

(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》 

『喜遷鶯二首』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯二首 其一

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

霓旌絳節一群群,引見玉華君。

 

(下し文)

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一)

人は洶洶【きょうきょう】として、鼓は鼕鼕【とうとう】たり。襟袖【きんしゅう】五更の風。

大羅 天上 月 朦朧【もうろう】たり、馬騎して 虚空に上る。

香は衣に満ち、雲は路に満つ、鸞鳳 身を繞りて 飛び舞う。

霓旌【げいせい】絳節【こうせつ】一群群、立華君に引見せらる。

 

(現代語訳)

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

芍薬003
 

(訳注) (改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

喜遷鶯二首 其一

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

○遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。前段は、天子に拝謁に向かう騎馬の行列の鳴り物入りの賑やかなさまは他人の騒がしさ、襟や袖を吹き過ぎる夜明けの風の模様、五更の空は自分自身が感じるこれまでと違った感覚などを描写する。後段は、参内する科挙の合格者の騎馬の列、それを導く儀仗隊の盛んなさま、合格者の豪華な着衣などを描写した後、いよいよ天子に拝謁するさまを述べる。韋荘は科挙の試験に幾度も失敗を重ね、晩年、五十九歳になって初めて合格した。この詞には、その歓びのさまが言葉の端々に表れている。後段最後の「玉華君に引見せらる」の句は、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

韋莊 長安の春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892 

薛昭蘊 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

9 17 喜遷鶯三首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-394-9-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3517

またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

人洶,鼓鼕,襟袖五更

大羅天上月朦,騎馬上虛

香滿衣,雲滿,鸞鳳繞身飛

霓旌絳節一群,引見玉華

   

 

   
  

 

霓裳羽衣舞001

人洶洶,鼓冬冬,襟袖五更風。

暗いうちから人は参朝のため騒がしく準備をする、鼓の響きが轟きわたるごろには、時は今、五更、颯爽と夜明けの風が襟袖を吹き過ぎる。

○洶洶 人声の騒がしいさま。車馬の準備で、下男たちが越えろ擧、馬が嘶く、車馬の行き交う音、朝ご飯の支度と唐のことを言う。

○鼕鼕 大鼓の音の擬音語。どんどん。

○襟袖有更風 襟や袖のあたりを吹き過ぎてゆく明け方の風。五更は夜明け近い時刻。夜明け前に朝廷に整列するためいえをはやくでて、この句からは、受験をしている時と、科挙に合格し、朝礼に参列するようになると、すべて違ってくる。作者の得意満面、颯爽と明け方近くの風を切ってゆくさまが窺える。

 

大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

皇城の上には天空に照るおぼろの月が柔らかな後光のようにある、馬に跨り進めると、それは虚空の仙界に昇るようだ。 

〇大羅天 道家の説く最高の人。ここでは宮中を喩える。
○上虚空 宮中に上ることをいう。

 

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。

衣に香が満たされるし、見れば皇城の通路は雲中のように香煙がいっぱいに漂う、まさに天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようである。

○雲満路 宮中に参内する合格者の騎馬や、それを導く儀仗隊の人々が道に溢れること、雲はお香に加えて彼らの足元から舞い上がる土埃を喩える。なお、道端に居並ぶ宮女のこと、あるいは車馬の盛んなさますべてが、天上、天界ということでもある。

○鸞鳳繞身飛舞 天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようであるこという。

 

霓族絳節一群群,引見玉華君。

いよいよ、虹の旗や、紅き旗を掲げ持つ儀仗隊の一群に導かれ、合格者もひと塊となって進む、いよいよ神であるところの玉華君にお目通りして、最期の試験、殿試を受けるのである。

○霓旌絳節 儀仗隊が手にする五色や紅の旗指物。

○玉華君 道教の上帝。ここでは天子を喩える。

羣羣  むれ。ひとかたまりになったあつまり。また、なかま。みうち。もろもろ。。 まるく円陣をなして集まる。仲間たちが一つ所に集まる。

《鄭箋》孔羣,言和調也。 又緹羣,山名。《後漢·五行志》出門,望緹羣。 又羣羣。《李嘉祐詩》荻花寒漫漫,鷗鳥暮羣羣。

(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》

金似衣裳玉似身、眼如秋水鬢如雲、霞裙月帔一羣羣。

來洞口 望煙分、劉阮不歸春日曛。

引見 地位・身分の高い者が、相対的に身分の低い者を、自分のもとへ招いて面会すること。 特に天子が使節などと面会されることを指す際に用いられる。ここでは、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》三巻12-〈112〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5762

(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》(天にある仙郷にいる人の詩。 其の五;出会う人が誰もが美人と認める女性と好きあったが、天子のもとに召されたが、やがて寵愛を失い、後宮から解放されて、道教に出家したことを詠う)

 

 
 2015年3月28日の紀頌之5つのBlog 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》三巻12-112〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5762

 

 

宮人の解放

    ――― 天仙子五首 其五 に関する参考 ―――

唐朝後宮の宮人の数はたいへん多かったが、それでも、宮人の採用は止むことはなかったので、後宮では恨みつらみが積もり、また民間でも不満が生れた。それで宮人問題は社会と朝廷の注目をあびることになった。どの皇帝の時代にも、この悪政を批判し、宮人たちが家族や恋人と離別させられる恨みや苦しみに同情して、彼女たちを放ち帰らせるようにと皇帝に願い出る人がいた。

 

皇帝たちは、自分が徳政を実施し、歌舞音曲や女人を好まない振りをするために、また時には純粋に宮廷費用を節約するために、あるいはまた、後宮に怨恨が満ち溢れたせいで、災難にあって「天罰」を受けることを恐れるために、しばしば詔勅を発して宮人を解放した。唐朝では高祖より後、ほとんどの皇帝が宮人を解放したという記録がある。多い時には三千人、少ない時でも数百人であった。

 

これら宮人は宮中を出てから家のある者は家に帰り、嫁に行くことも可能だった。老いて病いのある者、身寄りのない者などは寺院や道観(道教の寺院)に送って収容し、時々少しばかりの金品を支給し生活の用とした(『全唐文』巻四二、粛宗「宮人を放つ詔」)。これは唐朝の皇帝のわずかばかりの仁政ということができる。しかし解放したといっても、宮人の数はいぜんとして相当なもので、唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。

 

その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天仙子五首其一

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

 

天仙子五首其三

蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。

人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。

 

天仙子五首其四

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

 

天仙子五首其五

金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。

來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。


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花間集』全詩訳注解説(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》三巻11-〈111〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5757

(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》(寵愛を受けたころの迹片を残して、毎日寵愛を受けるべく準備をする、又春を過ぎようとしているが夢がかなうことはない、縁起を担いだ跡形も消えかけ、毎日泣き腫らすと詠う。)

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》三巻11-111〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5757

 

 

 

天仙子 其四 ----111

(天仙子【てんせんし】 其の四)
夢覚雲屏依舊空、杜鵑聲咽隔簾墻。

雲母を散らした屏風のかげに、あの人とのたのしいかたらいの夢がさめると、やっぱり相変わらず空しいものなのです。それはすだれを隔て、垣根を隔てて、ほととぎすの啼く声が、悲しくむせぶようにきこえてくるのです。

玉郎薄幸去無蹤。

薄情なおとこのあの人は、どこへいったのか、ゆくえもわからないのです。

一日日、恨重重。

あの人の迎えを待っているその一日と重ねる日々は恨みを重ねていく一日なのです。

涙界蓮腮兩線紅。

なみだのあとが、お化粧のほほをつたい紅のふたすじのなみだとなってながれるのです。

 

(天仙子【てんせんし】 其の四)

夢覚むれば雲屏舊に依りて空しく、杜鵑【とけん】聲咽【むせ】びて 簾墻【れんしょう】を隔つ。

玉郎は薄幸にして去るも 蹤無し。

一日日、恨み重重。

涙は蓮腮【れんさい】に界たりて 両線 紅し。

 

 

(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》

天仙子五首其四

(寵愛を受けたころの迹片を残して、毎日寵愛を受けるべく準備をする、又春を過ぎようとしているが夢がかなうことはない、縁起を担いだ跡形も消えかけ、毎日泣き腫らすと詠う。)

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

あの寵愛を受けた日々は夢だったのだろうか、現実に引き戻らされると、そこには、雲母を散らした屏風は壁に寄せ、寝牀は相い変わらず空しいものである。今年ももう、春は過ぎて、すだれを隔て、垣根を隔てて、ほととぎすの啼く声が、悲しくむせぶようにきこえてくる。美しい顔立ちのあのお方は薄情もので、ここを去って行ったけれど、又帰って来ることを思ってそのままにしていたけれど、その跡形もなくなってしまうほど時は絶ってしまった。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

寵愛を受けることを思い続けて一日、また一日、先のこと考えず活きる。確かにそこに、恨みも、一つ、また一つと重なってゆく、化粧も毎日し直すけれど、涙がこぼれ、眼の淵にはレンゲの花の顎様に残り、両の頬紅を落した涕の痕は蓮華の花の茎の様になる。そしてまた次の日も繰り返す。

(天仙子【てんせんし】五首 其の四)

夢は覚め 雲屏は舊に依りて空し、杜鵑【とけん】聲咽【むせ】びて 簾墻【れんしょう】を隔ち、玉郎は薄幸 去って 蹤無し。

一日【いつじつ】に日【じつ】、恨みは重ねて重ぬ、涙は蓮腮【れんさい】に界し 両たながらの紅に線とす。

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-〈110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752

(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》やがて蟋蟀も鳴きやみ、御殿の閨には寂しさと静けさが入り、庭の木の葉に風に吹かれて地面を揺れ動く音だけが聞える。たとえわずかの眠りでも、以前、寵愛を受けた愉しかった思い出を夢見たいと思うのに寝付けない。


 
 2015年3月26日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》三巻10-110〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5752

 

 

三百年間も続いた大唐帝国は、まさに輝ける封建時代の盛世にへり、封建道徳も後世のように厳格で過酷な段階にまでは発展していなかったからである。封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳は、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていった。

 

七情六欲

『礼記』 の記載にある喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲。

 

先秦時代(秦の始皇帝以前の時代)から唐代以前まで、どの時代にも常に女道徳を称揚する人がいたけれども、大体において支配者たちはまだそれほど切迫した危機感がなかったので、女性に対する束縛もそれほど厳重ではなく、彼女たちもまだ一定の地位と自由をもっていた。ただ宋代以降になると、支配者たちは種々の困難に遭遇し、自分に対して日ごとに自信を喪失したので、道徳家たちはそこで始めて女性に対するしつけを厳格にするようになった。明、清という封建時代の末期になると、封建道徳はますます厳格になり、完備して厳密になり、残酷になり、ついには女性を十八界の地獄の世界に投げ込むことになった。まさに封建社会の最盛期にあった唐朝は、非常に繁栄し強盛であったから、支配者たちは充分な自信と実力を持っており、人々の肉体と精神をさらに強く束縛する必要を感じなかったため、唐朝は各方面でかなり開明的、開放的な政策を実施したのである。

 

 

彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。「錦を集め花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流」(施肩吾「少婦遊寿詞」)、「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。

瓜田李下の疑い、唐人はらず。「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」

「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。

宋洪邁《容齋三筆白公夜聞歌者》:然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。”

 

彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。

またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。

杜甫の《哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。)と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。

彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、妃嬪たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃嬪たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。


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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》三巻9-〈109〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5747

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》 (天にある仙郷にいる人の詩。 其の二:春行楽の酒は無礼講であっても、楽しく愉快な酒でなければいけない、「人生百年、それがどれほどのものか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのかと詠う)

 

 
 2015年3月25日の紀頌之5つのBlog 
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韋莊

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836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅梅004

(旧解)

天仙子 其二 ----109

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の二 酒)

深夜歸來長酩酊。扶入流蘇猶未醒。

夜も更けてから帰ってゆく長い時間酩酊状態にあるようだ。万幕を張ったような流蘇樹の中に助けられて入っていったのだが、やっぱりまだ酔いがさめてはいないのだ。

醺醺酒気麝蘭和。

酒に酔ってにこにこしている状態は続いているのにさらに酒を呑んでいるけれど、美人の蘭の香りや麝香の香りが和んでいる。
驚睡覚、笑呵呵。

眠りから覚めて驚いたようで、次に大声で笑い始めている。

長道人生能幾何。

そして、何度も言うことは「人生というものはどれだけものであるか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのか。

 

(天仙子【てんせんし】 其の二)

深夜 歸り来たりて長く酩酊【めいてい】し、扶けられて流蘇【りゅうそ】に入るも 猶お未だ醒めず。

醺醺【くんくん】たる酒気、麝蘭【じゃらん】と和じる。

驚いて睡りより覚むれば 笑ふこと呵呵【かか】とし。

長【さか】んに道【い】ふ「人生能く幾何ぞ」と。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子五首其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで、後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

 

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

幔幕に流蘇の房が付いている高貴な宴席に、酔っていたから、高貴な婦人に助けられて入っていったのだが、しばらくたってもやっぱりまだ酔いがさめてはいない、結局、深夜になって帰って来た随分長い時間飲んだので、酩酊状態にあって、なかなか醒めない。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

酔えば酔うほどってにこにこしている状態は続いていて、それでもさらに酒を呑んで、酒のにおいに、蘭の香りや麝香の香りが和んでたのしむものである。少しうとうとして、驚いて眠りから覚める、次に大声で声高らかに笑い始めればよい。そして、もうながいこと言われてきた「人生百年、それがどれほどのものか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのか。

(天仙子【てんせんし】 其の二)

深夜 歸り来たりて長く酩酊【めいてい】し、流蘇【りゅうそ】に扶けられて入るも 猶お未だ醒めず。

醺醺【くんくん】たる酒気、麝蘭【じゃらん】と和し、驚いて睡りより覚むれば、呵呵【かか】と笑い、長【さか】んに道【い】ふ「人生能く幾何ぞ」と。

紅梅002
 

  

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》三巻8-〈108〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5742

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

 

 

 


 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》三巻8-108〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5742

 

 
『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」とある。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『天仙子』九首

 

 

作者



初句7字

 

 

皇甫先輩松

0217

(改訂版)天仙子二首其一

晴野鷺鷥飛一隻

 

 

0218

(改訂版)天仙子二首其二

躑躅花開紅照水

 

 

韋相莊

0308

天仙子五首 其一

悵望前回夢裏期,

 

 

0309

天仙子五首 其二

深夜歸來長酩酊,

 

 

0310

天仙子五首 其三

蟾彩霜華夜不分,

 

 

0311

天仙子五首 其四

夢覺雲屏依舊空,

 

 

0312

天仙子五首 其五

金似衣裳玉似身,

 

 

和學士凝(和凝)

0625

天仙子二首 其一

柳色披衫金縷鳳,

 

 

0626

天仙子二首 其二

洞口春紅飛蔌蔌,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天仙子五首其一

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

天仙子五首其二

深夜歸來長酩酊,扶入流蘇猶未醒。

醺醺酒氣麝蘭和,驚睡覺,笑呵呵,長道人生能幾何。

 

天仙子五首其三

蟾彩霜華夜不分,天外鴻聲枕上聞,繡衾香冷嬾重熏。

人寂寂,葉紛紛,才睡依前夢見君。

 

天仙子五首其四

夢覺雲屏依舊空,杜鵑聲咽隔簾櫳,玉郎薄倖去無蹤。

一日日,恨重重,淚界蓮腮兩線紅。

 

天仙子五首其五

金似衣裳玉似身,眼如秋水鬢如雲,霞裙月帔一羣羣。

來洞口,望煙分,劉阮不歸春日曛。

 

 (旧解)

天仙子 其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 薄情な男)

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

うらむ気持ちをもってこの前の夢の中での情事の約束を思い出しています。それは花を観賞しても苦しく尋ねても、思いをうちあけても少しも私に語りかけてはくれませんでした。

露桃花裏小腰肢。

小さい枝のような腰の私の存在感は庭に咲くどの桃の花に同じように降りる露のようでしかないのでしょうか。

眉眼細、鬢雲垂。

私はまだ自信を持っているのです。眉や眼は柳の葉のように細く長いのです。そして、鬢は雲の形にかたちよくととのえています。

唯有多情宋玉知。

ただ、わたしは楚の文学者「宋玉」のことを知っていますし、あなたが同じように能力は持っていても多情の浮気者であることも知っているのです。

 

前回の夢裏の期を惆望し、花を看るも苦尋の思いを語らず。

露しく桃花の裏の小腰肢。

眉眼細く、鬢雲垂しを。

唯だ多情の宋玉の知ること有らん。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子五首其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで、後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》 

『天仙子 其一』 現代語訳と訳註

(本文) 

天仙子五首其一  ----108

悵望前回夢裏期,看花不語苦尋思。

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

 

(下し文)

(天仙子【てんせんし】五首 其の一)

惆望【ちょうぼう】す 前回 夢裏の期を、花を看るも語らず 尋ねること思うことを苦しむを。

桃を露し 花裏は小腰肢、眉眼は細やかなり、鬢雲は垂して、唯だ 多情有り 「宋玉の知」ことを。

 

(現代語訳)

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一 去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

 

 

(訳注) 改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

天仙子 其一

(天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

後宮は天上界、仙郷に喩えられ、一旦はいれば二度と出ることはできないとまで言われたが、娯楽、遊戯を愉しんでは致し、自由な性倫理もそこには在った。

原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」一夫多妻は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、ごく最近まで、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。(形態の違いこそあれ、未だに真の平等までにいたっていないのかもしれない。)

そうした中で、彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生、ごりごりの儒学者たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。これは、世界的にも同時期に同じような婚姻制度、性倫理が存在した、日本での万葉集から、源氏物語と六朝文学から花間集の時期、全く同じということではないが、中世封建制の儒教的性倫理の前の自由な文学と共に興味深いものである。

この詩は、韋荘は、宋玉の《登徒子好色賦》の民間逸話に基づいて、春の行楽というものに、貴族の男女が期待を持ち、自由な恋愛を行った結果、それがあまりに楽しかったために、「後日悲しみ恨むことになってしまう」と分かっていてもそれに流されてしまうものだ、というものである。

『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
  
   

 

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

・惆望 うらむ、いたむ、気落ちするなどの気持ちをもって遠くを眺める。

前回 前回の逢瀬。

夢裏期 前回の逢瀬の逢瀬で次回の逢瀬の日を約束したことが夢のこととなり、夢でしか逢瀬できないこと。

 

露桃花裏小腰肢,眉眼細,鬢雲垂,唯有多情宋玉知。

なぜなら、そこには、桃の花は露に濡れ、花は小さい細い枝に咲いていて、若い美人と美男子が行楽していて、美人は雲型の鬢を垂らして艶めかしい。そしてそこには、春に起きた好色の気持ちの者ばかりがいて、「宋玉」のように、好色男だということは分かっていても流されてしまうというものだ。

露桃花裏小腰肢 春の行楽の様子。

細くてしなやかな腰。多く、美人のたとえ。李商隠『楚宮』「楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。」楚宮詩でいう「腰支在」は妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

また、同様に細腰について、女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。

眉眼細 若い美人、美男子をいう。

鬢雲垂 艶めかしさを形容する語。

唯有多情 好色であることをいう。

宋玉知 楚の文学者、美男子「宋玉」は好色男であることを知っている。《登徒子好色賦》・宋玉 中国,戦国時代末期、楚の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

《登徒子好色賦》

宋玉と登徒子はともに楚国の大夫であり、楚の王とは親しい関係にある。だが登徒子は宋玉の才能を妬み、楚王の前で彼の悪口を言い続けた。ある日、登徒子は「宋玉は美男子であり、才能もありますが、好色な人間ですから、陛下は後宮に行かれるときは決して彼をともにしてはなりませんぞ。後宮には美しい妃たちがいらっしゃるので、宋玉に会ってしまえばあとで面倒なことが起こりかねますから」と楚王に助言した。

 

それを聞いた楚王は宋玉を謁見し、登徒子の言葉を確認しようとした。そこで宋玉は「わたしの外見がいいのは、生まれつきであり、学問が豊富なのは、学問に励んだからです。しかし、わたしのことを好色というのは、まったくありもしないデタラメでございます」と答えた。すると楚王は「ならば証拠を見せよ」という。そこで宋玉は「天下の美人は、楚の国に最も多くいて、なかでも美人が最も多いのはわたしの故郷の臣里です。さらに臣里で一番の美人はわたしの隣に住んでおります。この美人の背丈が高くも低くもなく、なんの化粧もする必要はありません。彼女の歯、髪とその仕草などは美そのものであり、彼女は一つの笑顔を見せるだけで多くの貴公子を酔わせることができましょう。しかし彼女は三年の間、壁の隙間を通してわたしを覗きましたが、わたしの心は動きませんでした。わたしは好色な人物ではありません。実は、登徒子こそが好色な人間なのです」と答えた。

 

楚王がその理由を聞くと、宋玉は「登徒子の妻は決して美しい人ではありませんが、登徒子は彼女に一目惚れし、今ではすでに五人の子供が出来ているのですよ。」というので、これには楚王も言葉を失ったのである。これが“隣の女が壁に窺う”という故事である。

 

韋莊

836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

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  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-6雜詩十二首其四詠邯鄲故才人嫁為厮養卒婦  訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11115
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-4雜詩十二首其三夜聽妓二首之一 瓊閨釧響聞 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11099
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-3雜詩十二首其二同王主簿怨情 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-3雜詩十二首其二同王主簿怨情 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-2雜詩十二首其一贈王主簿二首之一 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11083
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-5雜詩五首其五巫山高 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-5雜詩五首其五巫山高 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-4雜詩五首其四詠幔 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11083
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-3雜詩五首其三詠琵琶 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11075
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