牛嶠 酒泉子一首 記得去年,煙暖杏園花發。雪飄香,江艸綠,柳絲長。鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。
(去年科挙に及第して、杏園での祝宴に招かれ、妃嬪の美しさを初めて見て以来、女性を見る目、人生観が変ったことを詠う。)青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい妃嬪の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めるのに顔をすこし覗かせた。その眉は春山の姿に倣って書かれ、まばゆい美しさであった。そして、みどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった故事のように、花鈿の梅花化粧が美しかった。
牛嶠《巻四18酒泉子一首》『花間集』169全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6117
(改訂版Ver.2.1)
酒泉子一首
(去年科挙に及第して、杏園での祝宴に招かれ、妃嬪の美しさを初めて見て以来、女性を見る目、人生観が変ったことを詠う。)
記得去年,煙暖杏園花發。
忘れることのできない去年の及第の発表は鮮明な記憶として残っている、その日は、春霞に暖かな日、祝宴の開かれる曲江の杏園には杏花が咲き誇っていた。
雪飄香,江艸綠,柳絲長。
雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆき、曲江坊の池のほとり、杏園には花々草木が繁り緑に萌えていた。土手の柳はみどりのかたまりをつらね、長く枝垂れ、風に揺れていた。
鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。
青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい妃嬪の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めるのに顔をすこし覗かせた。その眉は春山の姿に倣って書かれ、まばゆい美しさであった。
鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。
そして、みどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった故事のように、花鈿の梅花化粧が美しかった。
(酒泉子一首)
去年に記得,煙 暖にして 杏園の花發く。
雪飄は香り,江艸は綠し,柳絲は長す。
鈿車 纖手 簾を捲げて望み,眉は學ぶ 春山の樣を。
鳳釵 翠鬟の上に低く裊かにす,落梅の粧。
後宮での酒泉子
后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。
『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。
妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、
六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、
美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、
才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。
しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。
形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。
(改訂版Ver.2.1)
『酒泉子一首』 現代語訳と訳註
(本文)
酒泉子一首
記得去年,煙暖杏園花發。
雪飄香,江艸綠,柳絲長。
鈿車纖手捲簾望,眉學春山樣。
鳳釵低裊翠鬟上,落梅粧。
(下し文) (改訂版Ver.2.1)
(酒泉子一首)
去年に記得,煙 暖にして 杏園の花發く。
雪飄は香り,江艸は綠し,柳絲は長す。
鈿車 纖手 簾を捲げて望み,眉は學ぶ 春山の樣を。
鳳釵 翠鬟の上に低く裊かにす,落梅の粧。
(現代語訳) (改訂版Ver.2.1)
(去年科挙に及第して、杏園での祝宴に招かれ、妃嬪の美しさを初めて見て以来、女性を見る目、人生観が変ったことを詠う。)
忘れることのできない去年の及第の発表は鮮明な記憶として残っている、その日は、春霞に暖かな日、祝宴の開かれる曲江の杏園には杏花が咲き誇っていた。
雪のような白い杏の花が、風に漂わせて散ってゆき、曲江坊の池のほとり、杏園には花々草木が繁り緑に萌えていた。土手の柳はみどりのかたまりをつらね、長く枝垂れ、風に揺れていた。
青貝細工を施した美しい輦車に乗って、羅帷の間からは優しい妃嬪の手がのぞき、そして簾を巻き上げて杏園の春景色を眺めるのに顔をすこし覗かせた。その眉は春山の姿に倣って書かれ、まばゆい美しさであった。
そして、みどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった故事のように、花鈿の梅花化粧が美しかった。
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