玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
******************************************

温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

花間集巻三 薛昭蘊

《(改訂版)花間集 薛昭蘊集》『花間集』165全詩訳注解説(改訂版)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6027



(改訂版)花間集 薛昭蘊集》『花間集』165全詩訳注解説(改訂版)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6027

 
 2015年5月20日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
243-#2 《巻05-35 長歌行 #2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <243-#2> Ⅰ李白詩1495 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6023 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
67 -#3 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#3 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1408> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6024 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1515 遺懷-#2》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6025 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog《(改訂版)花間集 薛昭蘊集》『花間集』165全詩訳注解説(改訂版)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6027 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 




 

花間集 薛昭蘊集

薛昭蘊 花間集 十九首

 

花間集 巻二  薛侍郎昭蘊 十九首

浣溪紗八首 喜遷鶯三首 小重山二首

離別難一首 相見歡一首 醉公子一首

女冠子二首 謁金門一首

 

 

薛侍郎昭蘊十九首

巻三27浣溪沙八首其一紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

巻三28浣溪沙八首其二鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

巻三29浣溪沙八首其三粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

巻三30浣溪沙八首其四握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

巻三31浣溪沙八首其五簾下三間出寺牆,滿街垂楊綠陰長,嫩紅輕翠間濃粧。瞥地見時猶可可,卻來閑處暗思量,如今情事隔仙

巻三32浣溪沙八首其六江館清秋纜客舡,故人相送夜開筵,麝煙蘭焰簇花鈿。正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘絃,月高霜白水連天。

巻三33浣溪沙八首其七傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

巻三34浣溪沙八首其八越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

巻三35喜遷鶯三首其一殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

巻三36喜遷鶯三首其二金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。樺煙深處白衫新,認得化龍身。九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

巻三38小重山二首其一春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

巻三39小重山二首其二秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

巻三40離別難寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。那堪春景媚,送君千萬里。半粧珠翠落,露華寒。紅燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。未別心先咽,欲語情難。出芳艸,路東西。搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。

巻三41相見歡羅襦繡袂香紅,畫堂中。細艸平沙蕃馬,小屏風。卷羅幕,凭粧閣,思無窮。暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

巻三42醉公子慢綰青絲髮,光砑綾襪。床上小燻籠,韶州新退紅。叵耐無端處,捻得從頭汚。惱得眼慵開,問人閑事來。

巻三43女冠子二首其一求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。野煙溪洞冷,林月石橋寒。靜夜松風下,禮天壇。

巻三44女冠子二首其二雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。往來雲過五,去往島經三。正遇劉郎使,瑤緘。

巻三45謁金門春滿院,疊損羅衣金線。睡覺水精簾未捲,簷前雙語鷰。斜掩金鋪一扇,滿地落花千片。早是相思腸欲斷,忍教頻夢見。

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版-Ver2.1)  薛昭蘊 花間集 十九首

 (改訂版)-4.薛昭蘊127《巻三30浣溪紗八首 其一》

(改訂版)-4.薛昭蘊128《巻三31浣溪紗八首 其二》

(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》

(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》

(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》

(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》

(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

(改訂版)-4.薛昭蘊134《巻三34浣溪紗八首 其八》

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》

(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》

(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》

(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》

(改訂版)-4.薛昭蘊142《巻三41相見歡》

(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》

(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》

(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》

(改訂版)-4.薛昭蘊146《巻三45謁金門》

 

 

岳飛《小重山一首》花間集関連詩

 

(改訂版)-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》

 

 



 


 


 


 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊146《巻三45謁金門》巻三4546-〈146〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5932

謁金門

春滿院,疊損羅衣金線。

睡覺水精簾未捲,簷前雙語鷰。

斜掩金鋪一扇,滿地落花千片。

早是相思腸欲斷,忍教頻夢見。

もう、どれだけ思い続けただろうか「長相思」の綿入れ、「結同心」の帯、思い出すたび腸が千切れの苦しみになり、それでも、寵愛を夢見る事だけしかできない生活を強いられている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊146《巻三45謁金門》巻三4546-146〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5932

 
 2015年5月1日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
233 《巻23-50 觀放白鷹二首其一 (八月邊風高)》 <233> Ⅰ李白詩1476 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5928 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#5-§3-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1389> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5929 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56歲-83 <913-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊146《巻三45謁金門》巻三4546-〈146〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5932 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》巻三4445-〈145〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5927

(改訂版)女冠子二首其二
雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。

髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。

往來雲過五,去往島經三。

正遇劉郎使,瑤緘。

(女冠子二首其の二:清廉な礼拝の修行の成果、神女となって昇天し、雲に乗って五岳、神仙三山を廻ったが、劉郎の使者が訪れ寵愛を受けると詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》巻三4445-145〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5927

 
 2015年4月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (歲落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -5》 杜甫index-15 杜甫<913-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊145《巻三44女冠子二首其二》巻三4445-〈145〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5927 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-〈144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922

女冠子二首其一 .薛昭蘊(改訂版)

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922

 

 
 2015年4月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -4》 杜甫index-15 杜甫<912-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5920 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-〈144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

李白《江上送女道士褚三清游南岳》

江女道士,頭戴蓮花巾。

霓衣不雨【霓裳不雨】,特異陽臺雲。

足下遠遊履,凌波生素塵。

尋仙向南嶽,應見魏夫人。

 

南岳魏夫人(神仙・上清派の開祖) 道教上清派の開祖とされている女神仙。南岳衡山(こうざん)の支配者ともいわれ、紫虚元君(しきょげんくん)とも呼ばれる。 もとは魏華存(ぎかそん)(251~334年)という名で、西晋の司徒魏舒(ぎじょ)の娘として山東省に生まれたと伝えられている。若いときから『道徳経』などに親しみ、胡麻散などの長生薬を服用し、神仙術に打ち込んだ。結婚後に河南省に移り二男をもうけたが、子供が成長すると斎室を建て、家族と離れて修道生活に入った。288年12月16日、ついに神々が降下してきて、『上清経』などの経典や道法を授けられた。83歳のときには東華帝君から仙薬を与えられ、その薬を飲んで尸解(しかい)して昇天し、天界で紫虚元君に封じられ、南岳衡山を支配するようになったという。  また、それから30年後に茅山(ぼうざん)の楊羲(ようぎ)、許穆(きょぼく)のもとに降霊し、上清派の諸経典を授け、これによって上清派が始まったのだという。

 

唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。『唐六典』(巻四)に、盛唐の時代、天下に女道士のいる五五〇の道観、二一二二の尼寺があったと記されている。尼や女道士の数はさらに相当なものである。『旧唐書』 の 「侍突伝」 に、唐初「天下の僧尼の数は十万に満ちる」とあり、『新唐書』 の 「百官志」には「天下の女冠は九八八人、女尼は五万五七六人」とある。『唐会要』の「僧籍」によれば、唐後期の会昌年間(八讐-八四六)、僧尼は二六万五百人に達した。これらの記録から推測すると、尼僧は少ない時でも数万人、多い時には十余万人にも達していたと想像される。都から遥か遠方の敦蝮地区でも、普通の寺の尼僧は常に一寺院に百人はいた(『敦蛙資料』第一輯「敦塩寺院僧尼等名牒」)。道教寺院の女道士の数はやや少なめであった。これに各地で自由に活動している女巫(女占師)を加えて合計すると、無視できない階層を形成していたのである。

この数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃嬢・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人・令嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の餞しい娼妓などもいた。彼女たちはどうして同じ道を歩んで出家するに至ったのだろうか。

【出家の動機】

およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の斎璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下務の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、輩県(河南省筆県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(侠名『宝応録』)。焼騎将軍桃李立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『全唐文』巻五三一、張貫「桃李立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に人らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、成宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。睾参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は榔州(湖南省榔県)で出家し尼になった(『新唐書』睾参伝)。

 

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

 

長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

靜夜松風下,禮天壇。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

(改訂版)(女冠子 二首其の一)

仙を求めて去るなり,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫 白玉の冠。

野煙 溪洞に冷やかなり,林月 石橋に寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》

『女冠子二首其一』現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

 

(下し文)

(改訂版)(女冠子 二首其の一)

仙を求めて去るなり,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫 白玉の冠。

野煙 溪洞に冷やかなり,林月 石橋に寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

 

(現代語訳) (改訂版)女冠子二首其一

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

 

 

(訳注)

(改訂版)女冠子二首其一

(寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

前段は、女道士となるために、家も身を創る品々もすべてを捨て去って、山に入ると、いつしかもやのようにつつまれて同化する衣裳に変わること述べる。後段は、月の照る静かな夜、風渡る松の木の下で、天壇、地壇に祈りを捧げるさまを描く。

『花間集』には薛昭蘊の作が二首収められている。双調四十一字、前段二十三字五句、二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

女冠子二首其一

求仙去、翠鈿金篦盡、入嵒

霧捲黃羅帔、雲彫白玉

野煙溪洞冷、林月石橋

靜夜松風禮天





 

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

寵愛を失って神仙をもとめて俗世を去るのである、これまでの翡翠の飾り、花鈿、黄金の櫛、簪、なにもかもすべて投げ捨て、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

求仙 仙人になることを求める。ここでは南岳魏夫人(神仙・上清派の開祖)にあこがれて高貴な身分を棄てる(しかし、宮人を引き連れて入山する。)

翠細金箆 翡翠や金で飾った櫛や簪。

嵒巒 自然に同化するため岩山に入る。道教は、南北朝の時代に成熟し、唐代には国教となり、宗教としての質をどんどん向上させた。宗教人類学・宗教歴史学・宗教心理学・宗教社会学の観点から分析すると、道教は宗教の基本要素を全て備えている。キリスト教・イスラム教・仏教の三大世界宗教と比べると、道教は一般の宗教としての特徴だけでなく独特の民族文化の特色も備えている。道教の一般的な宗教としての特徴を次に示す。道教は自然発生した自然宗教と人為的な倫理宗教の結合体である。人格化した主神(元始天尊・太上老君など)に対する信仰だけだけでなく、自然界の本質である汎神論の「道」の信仰(ヒンズー教の「ブラーフマン」、大乗仏教の「仏性」と類似している)もある。祠に女妓ともなった。

 

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。頭には雲の彫刻の白玉の冠を付けている。

霧捲黃羅帔 薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。

古代婦女披於肩背的一種紗巾,多為薄質紗羅所制。

白玉冠 白い玉。白壁。《禮記》「衣白衣、服白玉。」

 

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

野に靄が漂うのは、修業している渓谷の洞窟の冷気が靄は生むのである、そして、ここに繁る木々に月光はあまねく照らし、清川な流れにかかる石橋をも一体化して寒気がひろがる。

野煙溪洞冷 渓谷の洞窟から靄が発生し、雲に成長するというのが古代中国の考えであった。道教はこの煙、霞と一体化することが修業である。

林月石橋寒 この後段からは、自然と一体化していく修行の場の様子をいう。

 

靜夜松風下,禮天壇。

清廉で静かな夜に、小高い丘の松をぬけた風が遠くやさしく吹いてくるところで、王屋山の頂の様に天壇をつくって礼拝する。

靜夜・松風下 どちらも清いことに喩える語。杜甫《陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九》「醒酒微風入,聽詩靜夜分。」(酒を醒まさんとして微風入り 詩を聴けばかんとして静夜分かる)酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。

杜甫 《玉華宮》「溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。」(渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る。)谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書禮志三》:光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。” 《南齊書禮志上》:郊為天壇。 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。 杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:王屋山 頂曰 天壇 。” 陳師道 《談叢》卷十八:王屋 天壇 道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

**********************************************************************************

(旧解)

女冠子二首其一

求仙去也,翠鈿金篦盡捨,入嵒巒。

霧捲黃羅帔,雲彫白玉冠。

野煙溪洞冷,林月石橋寒。

靜夜松風下,禮天壇。

(家を出て山間に入り道士となった女を詠う。)

女道士になるために家を出るにつけて、翡翠の飾り、黄金の櫛、簪、なにもかもみな投げ捨てて、自然に同化できる岩山の洞窟に入ったのだ。

霧は巻かれることもあり、きれいな薄絹の肩掛けをつけるようになり、『高唐の賦』にいう雲は祠にかざられた彫刻に白い玉の冠をつけるようになった。

野に靄がひろがり、渓谷の洞窟が冷ややかにして靄は生まれ、この祠の近くに散歩する木々のあいだから月あかりに映えていたが、いまは石橋をわたるのもひとりで寒い。

あの人が来てくれなくなった静かな夜、小高い丘の松をぬけて風が吹いてくる、こうして恵まれてきたことを天壇に祈りを捧ぐ。

女冠子 二首其の一

仙を求めて去る也,翠鈿【すいでん】金篦【きんべい】盡く捨て,嵒巒【がんらん】に入る。

霧捲く 黃羅の帔【かたかけ】,雲彫る 白玉の冠。

野煙 溪洞 冷やかに,林月 石橋 寒し。

靜夜 松風の下,天壇に禮す。

(旧解)

女冠子二首其二

雲羅霧縠,新授明威法籙,降真函。

髻綰青絲髮,冠抽碧玉篸。

往來雲過五,去往島經三。

正遇劉郎使,瑤緘。

(家を出て山間に入り道士となった女を詠う。)

その日、ここ仙郷に雲の薄絹に覆われ、霧は谷を被う、新たに晴れやかに道女としての法籙を授かった。そうして、真の女道士の教授として里に下りてゆく。

髪を書き上げ髻をしっかりし、若さある髪を整え、そして冠を選んで、碧玉の簪を付けた。

行き過ぎるの雲が過ぎる様に今宵を過した、行きつ戻りつして中州、島々、一年を過していった。

まさに、遊び人のあの劉郎の使いのものと出会った、そしてもう、道教の経典の「啓瑤壇」を封印してしまった。

女冠子二首其の二

雲は羅に 霧は縠に,新らたに明威なる法籙を授り,真函に降ろ。

髻綰 青絲の髮,冠抽 碧玉の篸。

往來して雲 五を過り,去往して島 三を經る。

正に劉郎の使に遇い,瑤 緘ず。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-〈143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917

花間集 巻三42《醉公子》薛昭蘊(改訂版)

慢綰青絲髮,光砑綾襪。

床上小燻籠,韶州新退紅。

叵耐無端處,捻得從頭汚。

惱得眼慵開,問人閑事來。

(最初は大切にしてくれ、贅沢なもの、華美なものを身に付けさせてくれたのに、今はどこにいるのだろう、何時も酔っていてかえってこなくなった貴公子に、心が捻じ曲がり、汚れていったと、なにもしたくないと生きる意欲も失せたと詠う。)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917

 
 2015年4月28日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
231 《巻17-27 送二季之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <231> Ⅰ李白詩1473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5913 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#3 §1-2 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1386> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5914 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -3》 杜甫index-15 杜甫<912-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5915 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊143《巻三42醉公子一首》巻三4243-〈143〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5917 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『醉公子』 四首

 

 

作者



初句7字

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三42

醉公子一首

慢綰青絲髮

 

 

(顧太尉

巻七35

醉公子二首其一

漠漠秋雲澹

 

 

 

巻七36

醉公子二首

岸柳垂金線

 

 

尹鶚

巻九32

醉公子一首

暮煙籠蘚砌

 

 

 

 

 

 

 

薛侍郎昭蘊 十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収。

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭筠に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊142《巻三41相見歡》巻三4142-〈142〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5912

花間集巻三41   相見歡

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

  (改訂版)薛昭蘊 《相見歡》(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)


 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊142《巻三41相見歡》巻三4142-142〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5912

 
 2015年4月27日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
230 《巻17-25 江夏送張丞》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <230> Ⅰ李白詩1472 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5908 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -2》 杜甫index-15 杜甫<912-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5910  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊142《巻三41相見歡》巻三4142-〈142〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5912 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

薛侍郎昭蘊 十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収。

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

(旧解)

相見歡一首

(浮気男に棄てられた女の愁いの情を詠う。)

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

今日も夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あの人を待つ鳳凰の画かれた奥まった閨の中にいる。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

そこには、あの人が好きな小草生う広がる砂地に戒の駿馬の小さな屏風をかざった。 

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

待っても来ないから、薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い化粧の部屋の窓辺に寄りながめるけれど、いくら思っても果てがない。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

女として若くないことを実感させる暮れ方の雨のあとの靄、これで完全に女のもとに訪れるという思いは断たれてしまった、ここから出ることもかなわない身の上の者には窓にかかる簾は檻であり、あの人の居る世界と隔離されてしまっている。 

(相見歡【そうけんかん】)

羅襦【らじゅ】繡袂【しゅうべい】紅に香り,畫堂の中。

細艸 平沙の蕃馬【ばんば】,小屏風にあり。

羅幕を卷き,粧閣に凭【よ】れば,思 窮り無し。

暮の雨 輕き煙 魂は斷たれ,簾櫳を隔つるに。

 

唐宋代の絵画、彫像に出てくる女性の姿を見ると、彼女たちはみな確かに顔は満月のようにふくよかであり、からだは豊満でまるまるとしている。そして、胡や、国軍服を着て馬に乗って弓を引く女性は、特に堂々とした勇敢な姿を示しており、痩せて弱々しい姿はほとんど見られない。これはまさに唐宋代の人々の審美観と現実の生活そのものの反映であった。唐宋代第一の美人楊玉環(楊貴妃)は豊満型の美人であり、漢代の痩身型の美人趨飛燕と並んで、「燕は痩せ、環は肥え」といわれ、美人の二つの典型と称された。

 

このような美意識は、唐代の社会生活と社会の気風から生れた。というのは、唐宋代の物質生活は比較的豊かであったから、身体がふっくらとした女性が多くいたのである。また社会の気風は開放的であり、北朝の尚武の遺風を受け継ぎ、女性は家から出て活動することもわりに多く、また常に馬に乗って矢を射る活動にも加わっていた。それで、往々女性は健康的で颯爽たる姿をしていたのである。こうした現実が人々の審美観に影響し、そしてこの審美観と時代の好みとが、逆に女性たちにこの種の美しさを極力追求させたのである。少なくとも「楚王、細き腰を好む*」ために、食を減らすといったことはなかった。これによって、女性は健康で雄々しくかつ豊満であるといった傾向が助長されたのである。審美観と密接な関係がある服装と化粧は、女性の生活の重要な一部分であった。

 『筍子』等に、昔、楚の霊王は腰の細い美人を好んだ。それで宮中の女性は食を減らし餓死したという故事がある。

 

唐宋代の女性の服装は、貴賤上下の区別なく、だいたいにおいで衫(一重の上着)、裙(スカート)、帔(肩かけ)の三つからなっていた。上着の衫の裾は腰のあたりで裙でとめる。裙はたいていだぶだぶとして大きく、長くて地面をひきずるほどであり、普通六幅(一幅は二尺二寸)の布で作られた。肩に布をかけるが、これを「帔服」といい、腰のあたりまでゆったりと垂れている。また、常に衫の上に「半臂」(袖の短い上着)をはおったが、これはかなり質のよい布で作り、主に装飾のためのものであった。足には靴か草履をはいたが、これらは綿布、麻、錦帛、蒲などで作られていた。


胡装

胡服を着て胡帽を被る 「女が胡の婦と為り胡妝を学ぶ」(元稹「法曲」)、これは唐代女性の特別の好みの一つであった。唐代の前期には、女性が馬に乗って外出する際に被った「冪蘺」(頭から全身をおおうスカーフ)は、「戎夷」(周辺の蛮族)から伝わった服装であった。また、彼女たちは袖が細く身体にぴったりした、左襟を折り返した胡服を好んで着た。盛唐時代(開元〜大暦の間)には、馬に乗る時に胡帽をかぶるのが一時流行した。胡服・胡帽の姿は絵画や彫刻、塑像の中で、随所に見ることができる。

彼女たちは、また胡人の化粧をも学んだ。

 

「新楽府」「其三十五 時世妝」 白居易

時世妝,時世妝,出自城中傳四方。

時世流行無遠近,腮不施朱面無粉。

烏膏注唇唇似泥,雙眉畫作八字低。

妍媸黑白失本態,妝成盡似含悲啼。

圓鬟無鬢堆髻樣,斜紅不暈赭面狀。

昔聞被發伊川中,辛有見之知有戎。

元和妝梳君記取,髻堆面赭非華風。

 

時世の妝 時世の妝、城中より出でて四方に傳はる。

時世の流行 遠近無し、腮に朱を施さず面に粉無し。

烏膏唇に注(つ)けて唇泥に似たり、雙眉畫きて八字の低を作す。

妍媸 黑白 本態を失し、妝成って盡く悲啼を含めるに似たり。

圓鬟(かん)鬢無く堆髻の樣、斜紅暈せず赭面の狀。

昔聞く 被髪伊川の中、辛有之を見て戎有るを知る。

元和(806820年)の妝琉(顔の化粧、髪型) 君 記取よ、髻椎、面赭は華風に非ざるを。

 

流行の化粧は、都会から出て四方に伝わる、時勢の流行には近在も遠方もない、頬紅をささず顔に白粉を塗らぬ、黒い油を口に塗って泥を見るようだ、眉を書けば八の字に垂れ下がって見苦しい(時世妝:流行の化粧法、腮:顎から頬にかけて)

美醜と黒白がひっくり返って、化粧した顔は泣きべそ顔だ、丸髷にはふくらみがなくさいづちまげのようだし、頬紅はぼかしてないのでまるで赤ら顔だ(妍媸:美醜、含悲啼:泣きべそ顔、圓鬟:丸髷、堆髻:さいづちまげ、胡人の女が結ぶ、斜紅:斜めに引いた頬紅、赭面:赤ら顔)

昔のことに、髪をふり乱した者たちが伊川で踊っているのを見て、辛有はその地が戎の地だといったというではないか、元和の流行の化粧について記録しておいてほしい、さいづちまげや赤ら顔は華風ではないと(被髪:髪を振り乱す、妝梳:化粧とヘアスタイルのこと)

 

 

同時代に流行したファッションを批判したもの。都の人々が中国固有の化粧やヘアスタイルを捨てて、戎の風俗にしているという内容で、白居易は中国風でない化粧や髪型の流行を慨嘆している。こうした胡服や胡粧は大半が北方と西北の遊牧系少数民族から伝わってきた。服装と装飾が胡族化したことは、まさに強盛な大帝国が率先して外来文化を吸収したことを、最も良く示す現象である。

唐代の人々には、宋代の人のような「〔中華の〕遺民 涙尽く 胡塵の裏」(陸游「秋夜将に暁に籬門を出で涼を迎えんとして感有り」)といった亡国の痛みはなかったので、当然にも胡服や胡粧によって中華の中心たる中原が胡化するとか、生臭い土地に変り「蛮夷」の邦になるといった恐れや心配は全く頭に浮かんではいない。ただ唐の中期になり、「胡騎 煙塵を起こす」というようになると、始めて「女が胡の婦と為り胡敏を学ぶ」(元稹「法曲」)のは乱国の兆であると、悲しみ嘆く人が出てきた。国勢が衰退したので、統治者の自信が揺らいだのである。女性からすると、一瞥の女卑からの解放、自由な外出へと、社会的な大変革をもたらすものであった。これは、文化的頽廃、性倫理の変貌と有機的に化学反応したものである。

 

 

戎装と男装

唐宋代の女性、とりわけ宮廷の女性は、常に戎装(軍装)と男装を美しいものと考えていた。高宗の時代、太平公主は武官の服装をして宮中で歌舞を演じたことがある。また、武宗の時代、王才人は武宗と同じ服を着て一緒に馬を駆って狩りをした。それで天子に上奏する人はいつもどちらが天子か見まちがったが、武宗はそれを面白がった。宮女たちが軍服を着たり、男装するのは全く普通のことだった。「軍装の宮妓、蛾を掃くこと浅し」(李賀「河南府試十二月楽詞」)、「男子の衣を着て靴をはく者がいる。あたかも奚、契丹の服のようである」(『新唐書』車服志)などの記録はたいへん多い。絵画や彫像の中にはさらに多くの戎装、男装の宮女の姿を見ることができる。こうした風潮は民間にも伝わり、妓女や俳優(役者)たちも常に「装束 男児に似たり」(李廓「長安少年行」)といわれ、また「士流(士人階級)の妻は、あるいは大夫の服を着、あるいはまた男物の靴、衫(上着)、鞭、帽子などを用いて、妻も夫も身仕度が同じだった」(『大唐新語』巻十)といわれている。男女が同じ服を着て、妻と夫の区別も無いとは、本当に平等な感じがする。こうした風潮が生れたのは、社会の開放性と尚武の気風があったからにはかならない。当時の若干の保守的な人々は、男女の服装に違いがなく、陰陽が逆さまになっている情況に頭を横に振りながら、「婦人が夫の姿になり、夫は妻の飾りとなっている。世の中の顛倒でこれより甚だしいものはない」(『全唐文』巻三一五、李華「外孫崔氏二孩に与うる書」)と慨嘆した。これぞまさしく、女性が男装する風潮は封建道徳の緩みであると説明する直接的表現ではないか。

 

(改訂版)《巻三41相見歡》

相見歡

(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ。

 

 

(改訂版)《巻三41相見歡》

『相見歡一首』 現代語訳と訳註

(本文)

相見歡

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

細艸平沙蕃馬,小屏風。

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

 

(下し文)

相見歡

羅襦【らじゅ】繡袂【しゅうべい】紅に香り,畫堂の中。

細艸 平沙の蕃馬【ばんば】,小屏風にあり。

羅幕を卷き,粧閣に凭【よ】るも,思 窮り無し。

「暮雨輕煙」の魂 斷つ、簾櫳に隔たる。

 

(現代語訳)

(相見歡:いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたものだが、いまはもうそんなことはまったくなく、ただひたすら、待ち続けて歳を重ねるだけだと詠う。)

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ。

 

 

(訳注) (改訂版)《巻三41相見歡》

相見歡

(浮気男に棄てられた女の愁いの情を詠う。)

妃嬪の愁いが詠われる時、季節は多く晩春である。「暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳」妃嬪は待つのが使命である、寵愛を失えば、これほど人格を否定されるものがないから、詩に登場する。この時代、その他の階層の女性は、比較的、自由な性生活をしている。不倫や自由恋愛多いから、役所で取り締まらなければいけなかった。妃嬪には、その可能性が極めてない。その間、春が来るごとに「暮の雨」花が落ち、年増になってゆくこと、それでも、地位が変わらなければ、あいかわらず、ちょうあいをうけるじゅんびをして、まちつづけなければならないのである。と、詠うものである。

寵愛を受けている時と寵愛を失って以降の対比、一人で出かけることはできないので、この語を使用する。なかにわに出るくらいの生活を意味するもの。

唐の教坊の曲名。『花間集』には薛昭蘊の一首のみ所収。双調三十六字、前段十八字四句二平韻、後段十八字五句二仄韻二平韻で、⑥③6③/❸❸③6③の詞形をとる。

羅襦繡袂香畫堂
細艸平沙蕃馬小屏
卷羅凭粧、思無

暮雨輕煙魂斷隔簾





 

羅襦繡袂香紅,畫堂中。

夜化粧に紅をさし、薄絹の上着の刺繍の袂に香しきのかおりをつけ、あのお方を待つ鳳凰の画かれた奥まった御殿の閨の中にいる。

香紅 もみの上着に薫きしめた香が香ること。

羅襦 杜甫.新婚別詩:「自嗟貧家女、久致羅襦裳。羅襦不復施、対君洗紅粧。(自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。)

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

繡袂  袂に縋る願いを聞いてもらうまでは離すまいと、人のたもとをとらえる。転じて、相手の同情を引いて助けを求める。

 

細艸平沙蕃馬,小屏風。

いつも一緒に、同じ軍装をきて、好きな小草原の広がる砂地に戒の駿馬に乗って狩をしたもので、寝牀の置く小さな屏風にも馬の画の物を飾る。

蕃馬 戎の馬、小ぶりの足の速い遊牧民族の馬、騎馬兵士の勇壮さが好きだから飾っている。駿馬が好きで、おそらく女性自身も、男装して馬に乗るのであろう。だから屏風にもそうしたえがかれたもおを飾った。

 この時代の女性は、男装にあこがれ、馬の画を善く飾った。この馬を以て意中の男が最果ての砂漠の地に旅立って帰ってこないことを連想するというのは、短絡である。

 

卷羅幕,凭粧閣,思無窮。

薄絹の幃帳を巻きあげ、少し高い床の化粧の部屋の窓辺に寄りに気怠く眺める、あのお方のことをいくら思っても果てがない、でもそれしかすることがないのも事実だ。

粧閣 化粧の部屋。明かりをよくいれるために他の部屋より独立し、階床が高かった。物見もできるもの。

班婕妤 王維 (後宮の妃嬪を詠う)

怪來妝閣閉,朝下不相迎。

總向春園裏,花間笑語聲。

怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。

總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。

この三句でわかることは、西域のどこか、砂漠に出征したのでなくて、何時でも女のもとに来られることをあらわす句である。

 

暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳。

高唐の賦の「朝雲暮雨」様にいつも一緒だよと誓ってくれていたのに、妃嬪を思いやる気持ちは絶たれてしまった。待つだけが使命である妃嬪にとって、今や簾のかかる連子窓によって隔離されたようなものだ

暮雨軽煙 夕暮れの雨と簿霞は高唐の賦の「朝雲暮雨」の故事をいう。晩春に降る雨はここで必ず春の花は落花する。妃嬪の希望、期待を完全に断たれたことを意味する。

簾櫳 簾のかかる連子窓。1窓.2(動物を入れる)おり.寵愛を受けているころは、事あるごとに、連れ立って出かけた、寵愛を失っても、寵愛を受けるための準備と、ただ待つだけが使命であるから、動くことができないから、御殿のその場所から出られないことをいう。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-〈141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907

薛昭蘊 花間集巻三40《離別難一首》

離別難一首

寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

那堪春景媚,送君千萬里。

半粧珠翠落,露華寒。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

未別心先咽,欲語情難

出芳艸,路東西。

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。


薛昭蘊(改訂版)

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907


 

 

 

(旧解)

離別難

(男性から見た、宮女・官妓が情のかよった男を送り出し、これから先どうして貞操を守ってゆくのかその心持を詠う。)
寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

夜明け前に出発する男の宝飾で盛装した馬を整え、車には暁の斜め横からの日差しを防ぐためのとばりがかけられ、彫刻に飾られた車前の横木のおおいや鞍も準備されている。閨の薄絹のとばりの中で二人は離れがたい気持ちでいたのだ。

那堪春景媚,送君千萬里。

どうしてまだ春の最中で、この景色を楽しみたいのに、それを堪えねばならないのでしょうか。あのお方を千里も万里もはるかなところへ送らないといけないのでしょうか。

半粧珠翠落,露華寒。

玉と翡翠の簪を落したまま兮そそくさと薄化粧を整えて外に出たのですが、朝露がきれいに降りて光っていてとても寒いのです。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

昨日の夜の赤い蝋燭と瑟で「靑絲の曲」を奏でたことで一つになった、そんなことを思い出すとひたすら涙を誘い、涙にぬれて渡り廊下の欄干にすがっているのです。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

こんな素敵な春の夜を二人で過ごせたいい夜だったが、春の夜は短く二人で過ごす良い夜の時はあっという間に過ぎてしまったし、蝋燭の火も燃え尽きそうで、香炉のお香もいつしか消えていたのも気が付かず過したのです。別れるのがつらく眉が檀になり、眉間にしわを寄せてしままったままで、愁いの気持ちでただそこへ蹲ってしまうのです。

未別心先咽,欲語情難

本当に別れたわけではないのに一緒に居たい気持ちはどうにもならずむせび泣いています。声を掛けようと思うのですが別れがつらすぎて声にならないのです。

出芳艸,路東西。

あの人は良い香りの街道の草花の中へ旅立って、東西に長い街道を隔てて別れるのです

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。

私はこの袖を揺らして別れを惜しんで立ち尽くし、一人で春の突風に晒されるのです。ああこんなに桜が咲いても、こんなにも、楊も柳も葉をつけて繁っても、私が巫山の巫女となって雨に化身しても、それはただ寂しくさらさらと降るだけなのです。

 

(離別【わかれ】難し)

馬を寶【かざ】り曉の鞲【ふく】彫の鞍【くら】,羅幃【らい】は乍【たちま】ちの別 情【なさけ】難し。

那んぞ春景の媚に堪えん,君を千萬里に送るを。

珠翠の落るに半粧して,露華の寒。

燭【かつしょく】紅にし,絲曲に青しものを,偏えに能く鉤引【こういん】し 闌干に淚す。

 

良夜は促し,香塵は綠す,魂は迷わんと欲し,檀眉 半ば斂して愁いて低す。

未だ心は咽を先んじて別れず,語らんと欲れど 情 難し。

芳艸に出で,東西に路す。

袖を搖して立し,春風急す,櫻花 楊柳 雨 淒淒【せいせい】。

9 15-#1 離別難一首-#1(薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-391-9-15-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3502 

9 15-#2 離別難一首 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-392-9-15-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3507

 


(改訂版) 薛昭蘊 花間集巻三40《離別難一首》

離別難一首

寶馬曉鞲彫鞍,羅幃乍別情難。

天子のお馬車に夜明け前から彫刻に飾られた輦、馬には彫刻の鞍が、そしてうす絹のとばりが足らされて待っているが、別れをされながら情が離れがたいのだろうお出ましが遅い。

那堪春景媚,送君千萬里。

天子を千里、万里もはるかなところへ送りすれば、一緒にこの春の景色をいつくしむことが出来ないのをどうして堪えられようか?という別れもある。

半粧珠翠落,露華寒。

「徐妃半面妝」というので珠翠の寵愛を失い、鬱くちい妃嬪が後宮を出て、四つを浴び寒い寺観に追いやられたという別れもある。

燭,青絲曲,偏能鉤引淚闌干。

紅い蝋燭のもと天子に“壽陽來”と侯景は渦陽を大敗させた戦果に錦を求めたが、朝廷は靑布を給したことで、童謠の「靑絲の曲」のように謀反を起こした。錦の変わりに蒼絲ということが引き金になって謀反を起し、涙で御殿の欄干から別離をしたこんな偏ったこともある。

 

良夜促,香塵綠,魂欲迷,檀眉半斂愁低。

春の夜、二人で過ごせたいい夜だが短くすぐにすぎる、香炉のお香もいつしか消えていたのも気が付かず過したというのに、愛する心はどこへ行ったのか、ここにはいなくなった、つらく眉間に横の皺と縦の皺が出来てしまって、愁いの気持ちは心沈ませて高まることはない。

未別心先咽,欲語情難

いまだに別れを告げられたのではない、別れの事が咲きに考えるから嗚咽してしまう、声を掛けようと思うが別れがつらすぎて声にならない。

出芳艸,路東西。

門を出れば、良い香りの草草は沢山あるし、路は東と西にわけてしまうと、あとは何にをしようと分からない。

搖袖立,春風急,櫻花楊柳雨淒淒。

袖を揺らして立ち見送る、一人ですごす春の風は急いで過ぎてゆく。桜の花を吹き飛ばし、柳絮もいそいでとびさるし、雨はただ寂しくさらさらと降るだけで、それが別れというものである。

 
 2015年4月26日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
229 《巻17-23 江夏送友人【江夏祖友人】》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <229> Ⅰ李白詩1471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5903 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
65-#1 《讀巻02-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 35歳》   ()<1384> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65-#1 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1》 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-〈141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

(離別難一首:別れというのは昔からいろいろあるが、別れて仕舞えば、あれほど「那堪春景媚」と春景色をいつくしんでいたものが、櫻も花も楊も柳も雨も淒淒としてただ寂しいだけであると詠う)
続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-〈139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃,畫梁雙鷰去,出宮牆。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。
薛昭蘊 小重山二首





『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897



 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『小重山』 六首

 

作者



初句7字

 

韋相莊

巻三

(改訂版)小重山 韋荘

一閉昭陽春又春

 

薛侍郎昭蘊

巻三

小重山二首 其一

春到長門春草青

 

巻三

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃

 

和凝

巻六

小重山二首其一

春入神京萬木芳

 

巻六

小重山二首其二

正是神京爛熳時

 

毛秘書熙震

巻十

小重山一首

梁鷰雙飛畫閣前

 

薛侍郎昭蘊十九首:

小重山二首 

浣溪紗八首 

喜遷鶯三首 

離別難一首 

相見歡一首 

醉公子一首 

女冠子二首

謁金門一首

 

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

 

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

 

(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。



 

(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》

(小重山二首 其の二:漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている)

秋到長門秋草黃,畫梁雙去,出宮牆。

寵愛を失ったまま秋が来る、長門宮には草木が枯れ始め、菊の黄色も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちもその巣を去って行き、軽快な身のこなしの燕は、後宮の土塀の外に出て東南の宮殿に行ってしまった。

玉簫無復理霓裳,金蟬墜,鸞鏡掩休粧。

ここの宮殿で、きれいに飾られた簫は再び吹かれることはなく「霓裳羽衣の曲」の踊りの練習さえもすることはなくなった。金蝉の簪は化粧台に置かれたまま、鳳鸞鳥の鏡に掩いがしたまま、化粧さえしなくなった。

憶昔在昭陽,舞衣紅綬帶,繡鴛鴦。

昔の昭陽殿にいたころは花形であった、舞着物には紅の綬帶の佩びていたし、鴛鴦鳥の刺繍がいっぱいに際江の寵愛を受けた。

至今猶惹御爐香,魂夢斷,愁聽漏更長。

寵愛を失った今に至っても、化粧や飾り付けの花鈿、簪を付けなくても、閨の褥の準備だけは毎日して、なお、香炉に焚くことに惹かれてはいるものの、もう夢にも出てくることはなく、秋の夜長に時を刻む漏更の音は愁いを聞くにほかならない。

凌波曲舞002
 

 



 


 
 2015年4月24日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ589 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -7》 杜甫index-15 杜甫<911-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5895 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-〈139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 


 

其二(小重山二首 其の二:漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている)寵愛を失ったまま秋が来る、長門宮には草木が枯れ始め、菊の黄色も枯れていく、絵模様の梁の上の番のツバメたちもその巣を去って行き、軽快な身のこなしの燕は、後宮の土塀の外に出て東南の宮殿に行ってしまった。
続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-〈138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892

薛昭蘊(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892

 
 2015年4月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
226-#2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-#2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)《 802年貞元18年 36歳》<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -6》 杜甫index-15 杜甫<911-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5890 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-〈138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

 

(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。

 

花蕊夫人002
紅梅003
 

(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

『小重山二首 其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

小重山二首 其一

春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

 

(下し文)
(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉堦 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。


(現代語訳)
(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。



(訳注)

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

「長門宮」は、前漢の武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられた、そんな宮殿である。この歴史的経緯を説明すると次のとおりである。

陳氏は、武帝の従姉妹に当たる伯母の子である。また、武帝、劉徹が太子になる事が出来たのは、母の陳氏によるのと、館陶公主の力添えがあってこそであった。陳氏との間には子は生まれなかったから、二人は血縁的に強い結び付きが合った。そのような折り、姉である平陽公主の下を訪れた武帝は、謳者の一人であった衛子夫を見初め、そのまま宮中に連れ帰ってきた。この二人の間には、三女一男が生まれた。これによって、いよいよ陳氏の嫉妬が強まり、それは武帝の我慢の限界を超える程のものとなった。衛子夫が男児を生んだのが、元朔元年(前128)で、陳氏が皇后を廃されたのはが、元光五年(前130)である事から、子の男女に関わらず、子が出来た事が、寵を奪われた事に加算されて、嫉妬に狂ったのである。その嫉妬のあまり、媚道を行うに至った。媚道とは、つまり、呪詛である。これが露見し、死罪は減じられたものの、長安城の東南にあった長門宮に隠居させられた。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。衛子夫は男児を生んだその年、皇后に立てられている。

 

小重山は《柳色新》《小冲山》、《小重山令》という別名がある。『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

春到長門春草、玉堦華露滴、月朧

東風吹斷玉簫聲、宮漏促、簾外曉啼鶯。
愁起夢難、紅粧流宿淚、不勝

手挼裙帶遶宮行、思君切、羅幌暗塵生。





 

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

・長門 漢代の宮殿の名。漢武帝の陳皇后がはじめ天子の寵愛を得ていたが、人の妬みを受けて長門官に別居し、憂悶の日を送っていた。時に司馬相如の文名を聞き、黄金百斤を奉じて長門既を作らせ天子に献上し、再び寵幸を得たという故事に本づく。寵愛を受けていた女性が棄てられることを比喩するもの。長門宮は長安城の東南にあった。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。

韋荘『小重山』

一閉昭陽春又春,夜寒宮漏永,夢君恩。

臥思陳事暗消魂,羅衣濕,紅袂有啼痕。

歌吹隔重閽,繞庭芳草綠,倚長門

萬般惆悵向誰論?凝情立,宮殿欲黃昏。

126 小重山 韋荘 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-290-5-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2997

・玉堦 玉のきざはし、階段。

・華露 露草に同じ。ここは月の光をうけてきらきらひかるつゆ。階の露は甘露、男女の混じり合いを云う。

・朧月 - 霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。《季 春》朧月は月が女性を意味し男女の混じり合いを連想させる。

 

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

・宮漏 宮中の漏刻。水時計。

・促 水時計の音がほやくせわしくきこえること。

 

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

・夢難成 夢が完成しにくいこと。たのしい夢が愁いに断たれて十分見つくすことが困難になること。

・紅粧 紅をほどこしたうつくしい化粧。ここは陳皇后をさす。

・流宿涙 循涙を流す。宿涙は昨夜から泣きつづけて、枕も布団もぬれてしまうほど涙を流すこと。

 

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

・手挼裙帶 裾(もすそ)を手にとって揉むこと。裙帶:①もすそのひも。もすそとおび。②女官の制服に着用した装飾の具。③后妃の力によってその地位を得ること。武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられたということを暗示させる。

・遶宮行 長門宮に回り道をしてゆく。遶越/遶行:回り道をしてゆく。皇后を廃され、長門宮に隠居させられたことを暗示。

・思君切 陳皇后が天子を思うことがはなはだしいこと。

・羅幌 うすぎぬのとばり。

・暗塵生 産暗生といういい方もあり、ひそかに塵がつもっていること。寵愛を失っている状態をあらわすことは。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》巻三3737-〈137〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5887

薛昭蘊 改訂版)喜遷鶯三首其三(何年も頑張って来て進士に及第した、その日は春の盛りの清明節に晴天であったのに、雨がぱらついたが馬を飛ばし、野山に行楽に出かけ、楽しみ、帰り道まで、雨に濡れたも活力を出している、自分も次の目標にむかって頑張ろうと詠う。)清明節の日、朝から晴天であったのに突然雨が降り出した。それでも、まさに積年の願いがみのり、おもいが叶ったということだ。

 

 
 2015年4月22日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
226 -#1 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226 -#1> Ⅰ李白詩1467 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5883 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -5》 杜甫index-15 杜甫<911-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5885 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》巻三3737-〈137〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5887 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊137《巻三37喜遷鶯三首 其三》巻三3737-137〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5887

 

 

(旧解)

喜遷鶯三首 其三

(前の年から願っていた春の盛り、清明節もはれわたり、野山に行楽に出かけ、楽しみ、帰り道まで、草むらで楽しんだ。春を謳歌する詩。)

清明節,雨晴天,得意正當年。

清明節が来る、雨が上がって晴れている。まさに昨年から思っていたことが叶ったということ。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

馬も喜び跳ね回り、歩く道を軟弱にしていたがそれも乾いて、みちには、錦の飾りを列ねている。女たちも袖口にしっかりと香りをしみこませて、半分のブランコで遊ぶ。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。

花が咲き乱れるとこの街にも華やかな色に和らいでいるし、人々も、競うように着飾っている、こんなはるはだれもことごとく刺繍で飾った馬の鞍をつけ、赤の馬のむながいをあたらしくしてやる。

日斜無計更留連,歸路艸和煙。

しかし、今日も日が傾いて来ても、何の計画もない、さらにここに留守居のように又過ごしているけれど、帰り道には草も成長していて、夕靄に覆われ馴染んできているところで楽しむのだ。 

喜遷鶯三首 其の三

清明節,晴天に雨ふり,意を得る 正に年りに當るを。

馬驕 泥軟 錦連として乾,香袖 半ば籠鞭す。

花色 融け,人は賞を競う,是を盡せば 繡鞍 朱鞅。

日斜となり計無く 更に留り連る,路に歸り艸煙に和む。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》
喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

殘蟾【ざんせん】落ち,曉鐘【ぎょうしょう】鳴る,羽化 身輕を覺ゆ。

乍ち春睡無く餘酲有り,杏苑 初めて晴れ雪のごとし。

紫陌 長く,襟袖 冷か,是れなく人間風景を。

迴看し塵土 前生に似たり,羨むを休む 谷中の鶯。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

喜遷鶯三首 其二

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)
金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。



続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》巻三3636-〈136〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5882

薛昭蘊(改訂版)喜遷鶯三首 其二(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

 
 2015年4月21日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
225-#2 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <225-#2> Ⅰ李白詩1466 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5878 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
62 -#2(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1379> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5879 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -4》 杜甫index-15 杜甫<911-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5880 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》巻三3636-〈136〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5882 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》巻三3636-136〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5882

 


当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市であった。
7
世紀に建立された慈恩寺大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。
この詩の杏園は曲江池の西にあり、慈恩寺大雁塔の等々あった庭園である。春、都では官僚になるための試験、科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。

 

貴族たちの家々の庭は合格者に解放され、無礼講。春、二月三月、当時富貴の者は、牡丹の花の出来栄えを競っていた。自分の家の庭、牡丹、それを題材にして、大雁塔の下に詩を題してくれると大変な名誉であった。だから、富貴の者は合格者を大歓迎し、もてなした。

そして、夜になると杏園において、庭の花を競い、酒を競い、華やかな歌舞に宮廷料理、宴は賑やかに行われる。科挙に合格した者だけがわが世の春を謳歌するのだ。この日だけは、華やかな高殿の若き乙女たちも主役の座を譲ってくれる。

 

この試験のために全国から若者が集まってくる。

何年もかかってやっと合格するもの、どうしても及第しないもの悲喜こもごもの日なのだが、この喜遷鶯というのは喜選鶯令、鶴冲天、鶴冲霽、燕帰来、燕帰梁、早梅芳、春光好などといこの詩は長安の科挙合格者を主役にしたにぎわいを詠った有名な詩である。

 

 《唐摭言》巻六 「唐進士杏花園初會謂之探花宴,擇少俊二人為探花使,徧遊名園,若他人先折得花,二人皆受罰。」 

唐の神龍(705)ごろから杏園での祝宴の後、合格者全員慈恩寺塔のもとに詩を題して書いた。その題内一番優秀の者はこれを記録し後世に残された。

《唐摭言》卷三 「自神龍已來,杏園宴後,皆於慈恩寺塔下題名,同年中推一善書者記之。」

 

喜遷鶯三首 其二

(科挙に及第した両家の子息の合格前夜と合格の祝宴などを詠う)

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

昨日、科挙に受かったので、いま、金門を出て行こうとすると暁の空に変わろうとしている。それは科挙合格の耀く長安の春のことである。だから、駿馬にまたがって喜び勇んで砂塵を巻いて突っ走っていく。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

昨日の夜、樺の灯火の煙は奥まったところにまで漂っていったのだ。そこには白く新しい上着をまとった女がいて、そこで龍身に化身(男になった)したのだ。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

長安城の「九通」どの通りも喧しくなり、千個どの家も家の門を開いた。人々は手を振って喜んでくれ、桂のよい香りは春のおだやかな微風に乗って届いた。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも祝い、長安の街を園遊する。このようにいま自分はよい日、よい時を一人でかみしめているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬 驟【にわか】に塵輕【じんけい】。

樺煙 深處 白衫新たなり,龍身に化するを認得す。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかに。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

喜遷鶯三首 其三

清明節,雨晴天,得意正當年。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。

日斜無計更留連,歸路艸和煙。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》 

『喜遷鶯三首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

(下し文)

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

(現代語訳) (改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

長安城皇城図
--[if !vml]-->
唐朝 大明宮2000
endif]-->

 

 

続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》巻三3535-〈135〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5877

薛昭蘊(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第した型といって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

 

 
 2015年4月20日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
228-#1 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228-#1> Ⅰ李白詩1465 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5873 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
62 -#1(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入) 韓愈(韓退之) 801年貞元17年 34歳<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -3》 杜甫index-15 杜甫<911-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5875  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》巻三3535-〈135〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5877 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》巻三3535-135〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5877

 

 

遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。前段は、天子に拝謁に向かう騎馬の行列の鳴り物入りの賑やかなさまは他人の騒がしさ、襟や袖を吹き過ぎる夜明けの風の模様、五更の空は自分自身が感じるこれまでと違った感覚などを描写する。後段は、参内する科挙の合格者の騎馬の列、それを導く儀仗隊の盛んなさま、合格者の豪華な着衣などを描写した後、いよいよ天子に拝謁するさまを述べる。韋荘は科挙の試験に幾度も失敗を重ね、晩年、五十九歳になって初めて合格した。この詞には、その歓びのさまが言葉の端々に表れている。後段最後の「玉華君に引見せらる」の句は、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

韋莊 長安春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892 

薛昭蘊 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

9 17 喜遷鶯三首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-394-9-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3517

またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

 

 

 

 

喜遷鶯三首 其一

(女、女妓の一生を詠う。)

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

名残の月も沈んで、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされ、酔いはのこったまま、その身はまだ夢見心地なのだ。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

たちまちのうちにうとうとともできない二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には雪のように花が咲いてお天気も晴れてきた。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

都大路は花が咲き長く続く、おんなの襟や袖は涙にぬれて冷たい、これは女の本筋ではなかったのだがこれが人の世の風景というものなのだ。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の世の塵の様なものまで見まわしてみると結局、前の年も、その前も、そして、自分たちの前世も似たようなものなのである。春を告げる鶯の声を羨むことをやめたのだろう谷の奥の方に行ってしまった。

 

其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

其三

清明節,雨晴天,得意正當年。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。

日斜無計更留連,歸路艸和煙。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》
喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。


<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》

『喜遷鶯三首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

 

 

(下し文)

喜遷鶯三首 其一

殘蟾【ざんせん】落ち,曉鐘【ぎょうしょう】鳴る,羽化 身輕を覺ゆ。

乍ち春睡無く餘酲有り,杏苑 初めて晴れ雪のごとし。

紫陌 長く,襟袖 冷か,是れなく人間風景を。

迴看し塵土 前生に似たり,羨むを休む 谷中の鶯。

 

 

(現代語訳)

(女、女妓の一生を詠う。)

(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第した型といって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

 

<!--[if !vml]-->杏の白花012<!--[endif]-->
 

(訳注)

喜遷鶯三首 其一

(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第した型といって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

喜遷鶯は、またの名を喜選鶯令、鶴冲天、鶴冲霽、燕帰来、燕帰梁、早梅芳、春光好などという。遷鶯は鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。“花間集」には薛昭蘊の詩三首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、3③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。
(改訂版)喜遷鶯三首 其一

殘蟾落、曉鐘鳴、羽化覺身

乍無春睡有餘、杏苑雪初晴。

紫陌長、襟袖、不是人間風
迴看塵土似前、休羨谷中鶯。






殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

・殘蟾 二十日過ぎの月の名残。つまり夜明けの後に沈んでゆく月のこと。

・曉鐘 暁の仕事始めの鐘。当時は夜明け前に仕事場に入らなければいけなかった。

・羽化 1.昆虫が、蛹(さなぎ)や幼虫から、成虫になること。→蛹化(ようか)。2 羽化登仙 《蘇軾「前赤壁賦」から》中国古代の信仰で、からだに羽が生え仙人となって天へのぼること。また、酒に酔ってよい気持ちになったときのたとえにいう。羽化。

羽化覺身輕 科挙及第になった

杜甫『漫成 二首其一』「野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。」(野の日びは 荒荒として白く,春の流れは 泯泯として清し。渚の蒲 地に隨って有り,村の徑 門に逐って成る。只 作るは 衣を披き慣れる,常に從うは酒生ずるを漉【こ】す。邊を眼るに俗物は無し。病多くして身輕と也。)

漫成二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 6)  杜甫 <411 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2000 杜甫詩1000-411-594/1500 

 

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

・春睡 春眠と同じ。孟浩然《春曉》「春眠不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少。」

・餘酲 ふつかよい。酲:酒に酔ってもうろうとなる.ふつかよい。宿酔。杏園から春の科挙祝宴、饗宴での妓優や女妓とのその日の無礼講を連想する。

杏苑雪初晴  杏園における祝賀の宴。杏苑は杏園とおなじ。

・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。《唐摭言》巻六 「唐進士杏花園初會謂之探花宴,擇少俊二人為探花使,徧遊名園,若他人先折得花,二人皆受罰。」 

唐の神龍(705)ごろから杏園での祝宴の後、合格者全員慈恩寺塔のもとに詩を題して書いた。その題内一番優秀の者はこれを記録し後世に残された。

《唐摭言》卷三 「自神龍已來,杏園宴後,皆於慈恩寺塔下題名,同年中推一善書者記之。」

・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、長安の曲江西の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

・長安:唐の首都。現・陝西省・西安。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

孟郊はそれに落第して、落胆のさまを『再下第』「一夕九起嗟,夢短不到家。兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。この詩もそれと似た感情を詠っていよう。

孟郊は『登科後』で「昔日齷齪不足誇,今朝放蕩思無涯。春風得意馬蹄疾,一日看盡長安花。」と、がらりと変わった詩を作っている。 唐宋詩236 登科後 Ⅶ孟郊(孟東野)<19>紀頌之の漢詩ブログ

長安の春
長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892

 

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

紫陌長 長安の東西に走る大通り。都の街路。都の市街。合格者は、何処のに葉にも入って行けたし、合格を祝ってもらった、そうすると都大路は。とても長く感じた。

襟袖冷 襟には頬をつたわって流れた涙でぬれ、袖は涙を吹いて濡れていて冷たい。

不是人間風景  この街には悲喜こもごも合格発表に泣くものの方がはるかに多い。

 

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

塵土 1 ちりと土。取るに足りないもの、値うちのないもののたとえにもいう。2 けがれた現世。俗世間。 

谷中鶯 谷の中の鶯。谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものをいう。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊134《巻三34浣溪紗八首 其八》巻三3434-〈134〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5872

薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其八(浣溪の沙 八首其の八 :西施のように美しい娘は、生娘でその魅力を認められたが、歳をとってしまえば、若い時の魅力はなくなるものだと詠う)

 

 
 2015年4月19日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
224 《巻7-43 赤壁歌送別》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5868 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -2》 杜甫index-15 杜甫<911-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5870 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊134《巻三34浣溪紗八首 其八》巻三3434-〈134〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5872 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊134《巻三34浣溪紗八首 其八》巻三3434-134〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5872

 

 

雇われたり手伝い仕事をする女性は必ずしも針仕事だけではなく、その他の生計の道もあった。九隴(四川省彭県)の人張守珪は茶園を一つ持っていた。彼は「毎年茶摘みの人を百余人旦雇った。男女の雇工が茶畑に入り混っていた」(『太平広記』巻三七「陽平諦仙」)。これは女性が茶摘みに雇われた例である。張薦の著した『霊怪集』には、鄆州(山東省東平県)の関某なるものが、紐という姓の女を傭婦として雇い、それに衣食を給して酷使した話が載っている(『太平広記』巻二八六)。これは家の雑事に雇われた例である。これらの傭婦たちの大半は生きるすべがなく、他人に雇われたものであるが、しかし彼女たちと主人の関係は雇傭関係であって、売買可能な奴碑と同じではなかった。その他にも、別の仕事に従事する女性も若干あった。

澄州(広西省上林県)の砂金採りの女性たち。劉禹錫 《浪淘沙九首其六》「日照澄洲江霧開,淘金女伴滿江隈。美人首飾侯王印,儘是沙中浪底來。」(日は澄みたる洲を照らし江霧は開け、金を淘う女伴は江の隈に満つ。美人の首飾 侯王の印、尽く是れ抄の中 狼の底より来る)

その他に手工業に従事する女性もいる。広州に何二娘という女がおり、年わずか二十歳で専ら靴を編んで生業としていた(『太平広記』巻六二)。

これら農業以外の仕事に従事する女性たちは、農家の女性と同じょうに、唐代社会の経済的発展、富の蓄積、さらには科学技術文明に対して貢献をなしたのである。

花間集において、労働する女性を詠う場合、その労働の部分は、かつて純真無垢の乙女であった時をいう場合が多く、その後、選ばれて、後宮にあがった、官妓になって名声を得たとか、比較するための常套である。西施が、素足で水辺にいたのをスカウトされる。採蓮曲なども、腕をあらわにし、素足を出す乙女を詠うものである。これら同じ労働する無垢な少女がその美貌で栄華を得るサクセスストーリが描かれている。浣溪沙八首其八では「越女淘金春水上」とその少女は素足で砂を浣っていたのである。

 

(旧解)

浣溪沙八首其八

(浣溪の沙 八首其の八 妓女の一生を詠う)

越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。

越地方にくるとの美女がす足で金を水に選りわけ作業をしているがそれは春の雪解け水の水嵩が増えているあたりだ。歌に合わせて揺れ動き雲型の髪を高く結い、動きに合わせて帯玉や耳飾りが鳴っている。中州の渚に風が吹き、大江の土手の草が揺れると、また、風に乗って、乙女らの清々しい香りが漂ってくる。

不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

春の山は遠きに霞みにうつる体ではないし、翡翠のような眉に似せてはもう画けない。ただ、年増になった女妓にとってまさにこの山に日がかたむいて來るとどうしても怨みの思いを含んだ景色ということなるのだ。青い桃の花がやがてパッと咲くが、それもつかの間、花は落ちてしまい、まるで浦島太郎の様な一時のことだと思うのである。

(浣溪の沙八首其の八)

越女が春水の上で金を淘【よな】げ,雲鬢を步み搖らし 珮 璫を鳴らせる,渚風【ちょふう】 江草 又た清香なり。

遠山 翠黛を凝すを為さず,只だ應に恨みを含むは 斜陽に向い,碧桃も花謝【お】ち 劉郎を憶うを。

芍薬003
 


続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》巻三3633-〈133〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5867

薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首其七  呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

 
 2015年4月18日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
226 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#4》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226> Ⅰ李白詩1463 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5863 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -1》 杜甫index-15 杜甫<911> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》巻三3633-〈133〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5867 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》巻三3633-133〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5867

 

 

(旧解)

浣溪沙八首其七

(郊外の乙女の時に好きになって、何年かたって春別れて秋になっても合いには来てくれない道女の心を詠う)

傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

国を亡ぼすほどの美貌には、恨みごとが、余りあるほどである。幾多の女性が姑蘇城に涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城に涙を流したことだろう。 風に乗って瞳をこらせば、雪のように真っ白な美しい肌の女性だ。

主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践の宮殿は、半ば、草に埋もれている。ハスに花が咲き、ヒシが繁って、太湖に、いっぱいになっている。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

浣溪沙八首其七

(浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

傾國傾城恨有餘,幾多紅涙泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女には、恨みごとが、余りあるほどである。たった200本の立派な黒檀が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えることになった豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台となずけたが、幾多の女性が姑蘇城にあつめられ、涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城で忍び泣き、涙を流したことだろう。若耶溪で風に乗って瞳をこらして見つけ呉主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

(浣溪紗八首 浣溪沙その七)

傾國傾城 恨みは餘り有り,幾多の紅涙 姑蘇に泣く,風に倚り 睇【ひとみ】を凝【こ】らせば 雪の 肌膚。

呉主の山河 空しく落日,越王の宮殿 半ば平蕪,藕【はす】 花さき菱【ひし】蔓【の】びて 重湖に滿つ。

 

浣溪沙八首其八

越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。

不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->


続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》巻三3532-〈132〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5862

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其六  それでも、ここで別れるということは、江南に旅立ってしまうと心は断ち切れ、いかに、巫女と皇帝の化身である楚の雨も、その降るところを迷ってしまう。舜の娥皇と女英の湘江のほとりで瑟を奏でたように思い続けても、離別に堪えきれなくて、怨みを持ち、水に投身することになるということをいうが、私の心は、志が高く、清廉潔白であって、「月高霜白」である、それに、その清廉な空と大江の流れとは連なっているではないか。(だから余計な心配はするな)

 
 2015年4月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
225 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <225> Ⅰ李白詩1462 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5858 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 34歳<1375> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#6奉節-38-#6 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -6》 杜甫index-15 杜甫<910-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5860 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》巻三3532-〈132〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5862 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》巻三3532-132〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5862

 

 

 

薛昭蘊:五代、後蜀*の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。
*後蜀(935-965)は中国五代十国時代に成都を中心に四川省を支配した国。四川の豊かな財物を背景に文化の華を開かせた。)

醇紹撃(生没年未詳900年代前半)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前蜀に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

57moon

続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》巻三3431-〈131〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5857

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首其五  元宵節の時に知り合って、親の目を盗んで、月一回のお参りに、寒食・清明節と逢瀬を重ねた。才色兼備の令嬢崔鶯鶯はと書生の張君瑞とたまたま元宵節で出会って愛しあい、封建道徳の束縛と母親の反対を押しのけて西廂(西の棟)でこっそりと会っては情交を結んだ、それは悲恋に終わったと詠う。

 

 
 2015年4月16日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
224 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5853 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#5奉節-38-#5 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5》 杜甫index-15 杜甫<910-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5855 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》巻三3431-〈131〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5857 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》巻三3431-131〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5857

 

 

才色兼備の令嬢崔鶯鶯は、書生の張君瑞とたまたま元宵節で出会って愛しあい、封建道徳の束縛と母親の反対を押しのけて西廂(西の棟)でこっそりと会っては情交を結んだ、というロマンチックな物語も生れた(元稹『蔦鴬伝』)。これは後世、ながく名作として喧伝されることになる戯曲『西廂記』 の原話である。これは中国古代の恋愛物語の典型ということができる。また、別の話であるが、美しくて聡明な官僚の家の娘無双は、従兄と幼い時から仲良く遊び互いに愛し合っていた。後に無双が家族の罪に連坐し宮中の婢にされると、この従兄は侠客に頼んで彼女を救い出し、二人はめでたく結婚したという話(薛調『劉無双伝』)。名妓李娃は、自分のために金と財産を使い果し、乞食に落ちぶれた某公子を救い、さんざん苦労して彼が名を成すのを助け、二人は白髪になるまで一緒に暮らしたという話(『李娃伝』)。妓女霞小玉は才子の李益を死ぬほど愛したが、李益は途中で心変りして彼女を棄ててしまった。小玉は気持が沈んで病気にかかり、臨終に臨み李益をはげしく恨んで失恋のため死んでしまったという話(蒋防『霍小玉伝』)。唐代には、こうした話以外に、人と神、人と幽霊、人と狐が愛しあう「柳毅伝書」、「蘭橋遇仙」など有名な物語がたくさん生れた。唐代の愛情物語は、中国古代のなかできわだっており、後代の戯曲、小説に題材を提供する宝庫となった。

 

愛情物語の中ばかりでなく、現実の生活の中でも、当時の労働する女性たちが自由に恋愛し夫婦となることは、どこでもわりに一般的に見られることであった。「妾が家は越水の辺、艇を揺らして江煙に入る。既に同心の侶を覚め、復た同心の蓮を来る」(徐彦伯「採蓮曲」)。あるいは「楊柳青青として 江水平らかに、邸が江上の唱歌の声を聞く。東辺に日出で西辺は雨、遣う是れ無暗(無情)は却って有晴(有情)」(劉禹錫「竹枝詞」)などと詠われている。これらは労働する女性たちの自由な愛情を描いている。彼女たちは長年屋外で働いていたので、男性との交際も比較的多かった。同時にまた、封建道徳観念は稀薄であり、感情は自然で自由奔放であったから、自由な恋愛はわりに多くみられた。一般庶民の家の娘は礼教の影響や束縛を受けることが比較的少なく、自由な男女の結びつきは常に、またどこにでも存在していたのである。たとえば、大暦年間、才女の見栄は隣に住む文士の文茂と常に詩をやりとりして情を通じ、また機会を見つけては情交を重ねた。見栄の母はそれを知り、「才子佳人というものは、往々にしてこんなふうになるものだ」と嘆息したが、ついに二人を結婚させた(『古今図書集成』「閏媛典閏藻部」)。この話は、当時の社会には男女の自由な恋愛やひそかな情交があったばかりでなく、こうした関係を父母が許していたことも示している。

 

女性が恋人と駆落ちするという事件も時々発生した。白居易は次に紹介する詩の中で、庶民の娘の「駆落ち」について書いている。

 

 

井底引銀缾 白居易 (井底より銀缾を引く)白居易(白氏文集 巻四)

井底引銀缾、銀瓶欲上糸縄絶。

石上磨玉簪、玉簪欲成中央折。

瓶沈簪折知奈何、似妾今朝与君別。

憶昔在家為女時、人言挙動有殊姿。

嬋娟両鬢秋蝉翼、宛転双蛾遠山色。

笑随戯伴後園中、此時与君未相識。

妾弄青梅憑短牆、君騎白馬傍垂楊。

牆頭馬上遥相顧、一見知君卽断腸。

 

知君断腸共君語、君指南山松柏樹。

感君松栢化為心、暗合双鬢逐君去。

到君家舎五六年、君家大人頻有君。

聘則為妻奔是妾、不堪主祀奉蘋蘩。

終知君家不可住、其奈出門無去処。

豈無父母在高堂、亦有情親満故郷。

潜来更不通消息、今日悲羞帰不得。

為君一日恩、誤妾百年身。

寄言癡小人家女、慎勿将身軽許人。

 

(井底より銀缾を引く)

井の底より銀缾を引きあぐに、銀桝は上らんと欲で糸縄絶つ。

石の上にて玉くつわ簪を磨くも、玉簪は成らんと欲て中央より折れたり。

研沈み簪折れる 知らず奈何せん、妾 今朝君と別れるに似たり。

憶うに昔家に在りて女為りし時、人言う 挙動に殊姿有りと。

嬋娟な両鬢は秋蝉の翼、宛転った双蛾は遠山の色。

笑いで戯伴に随う後園の中、此の時君と末だ相い識らず。

妾は青梅を弄びて短塔に憑りかかり、君は白馬に騎って垂楊に傍う。

墻頭と馬上とで遥かに相い顧み、一見して君が即ち断腸たるを知る。

 

君の断腸たるを知りて君と共に語り、君は南山の松柏の樹(雄大にして常緑なる巨木のたとえ)を指さす。

君が松柏を化して心と為す(わが心は松柏の如く四時変ることがない)に感じ、闇かに双鬟(少女の髪型)を合して君を逐うて去る。

君が家に到りて舎ること五、六年、君が家の大人頻りに言有り(小言をいう)。

「聘すれば(礼をもって迎えたならば)則ち妻と為り 奔すれば(出奔して来たならば)是れ妾、

主祀(祭りの主宰)として蘋蘩(供物とするヨモギ科の草)を奉ずるに堪えず」と。

終に君が家の住まる可からざるを知るも、其れ門を出でて去く処無きを奈んせん。

豈 父母の高堂に在る無からんや、亦た親情(肉親)の故郷に満つる有り。

潜かに来れば更に消息を通ぜず、今日 悲しみ羞じて帰り得ず。

君が一日の恩の為に、妾が百年の身を誤る。

言を痴小なる人家の女に寄す、「慎んで身を将て軽しく人に許すこと勿れ」と。

 

 

白居易は詩を書いて世の人々を戒めたのであるが、こうした駆落ちは決して例外的なことではなく、また結婚も必ずしも両家の家長の承認を得なければならないものでもなかったことが分かる。官僚の家の女子の自由恋愛は比較的困難であったが、元稹が自分の経験に基づいて書いた『鴬鴬伝』や、陳玄祐の『離魂記』、薛調の『劉無双伝』などの小説が世に出現したことは、彼女たちの中にも崔鶯鴬のような、封建道徳への反逆者たちが出現していたことを示している。六朝以来、儒教的恋愛観は嫌気があり、そこに、北方文化との融合があって、自由な恋愛が広がったのである。(この時期の自由恋愛の風潮は、中國のみならず、日本を含めた世界的なものである。)

要するに、唐代の女性たちの愛を追求する想いは、決して封建道徳というのはこの頃は成熟していなくて、完全に圧殺されはしなかったし、彼女たちの勇気に人々は感嘆の声を上げたのである。

唐代の女性の恋愛観は社会全体の価値観の影響を全面的に受けて、相手に「文才」があることをとても重んじた。小説はもちろん現実の世界においても、女性が愛する対象はたいてい風流才子であった。「我は悦ぶ 子の容艶を、子は傾く 我が文章に」(李白「情人に別れしひとに代りで」)、「娘は才を愛し、男は色を重んじる」(『零小玉伝』)というように、女は男の才能を愛し、男は女の容色を重んずるというのが、唐代の男女の典型的な恋愛観であった。ここから、後世の小説や戯曲の中の「才子佳人」という恋愛パターンが形成されたのである。

 


続きを読む

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》巻三3330-〈130〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5852

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其四(万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)


 
 2015年4月15日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
223 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳  李白と道教48襄陽歌 ⅰ<223> Ⅰ李白詩1459 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5843 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
60-#3 (改訂版)《巻03-02 山石 #3》 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1373> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5849 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#4奉節-38-#4 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -4》 杜甫index-15 杜甫<910-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5850 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》巻三3330-〈130〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5852 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》巻三3330-130〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5852

 

(旧解)

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 春になると春水に、柳に、蜂に、琴に、雲霧に、月にあの人のことを思い出してしまう。)

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあったのは河橋のたもとの柳が金のように芽吹き繁る下でした。蜂はその鬚でもって、輕やかに百花の芯に惹かれ、飛び回るのです。花のかおりが風に乗って吹いて来て、そのなかの蘭のはなに思いよせると、いつのまにか清がしい琴の音に寄ってしまうのです。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

あの人への思いは胸いっぱいであり、ちょうど今、川いっぱいの春の増水とおなじのようなのです,あのひとのおもい、やさしさはとても深く、だから、また、酒盃をいっぱいに何度も注いでくれることのようでした,楚の巫女と皇帝の化身である靄、カスミが漂い、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくものです。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

紅梅002
 

(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》
『浣溪紗八首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪紗八首 其四

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

 

 

(下し文)

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

手を握るは河橋なり 柳 金に似たるころ,蜂鬚 輕く惹れる 百花の心,蕙風 蘭思 清琴に寄る。

意 滿つ 便ち同うするは 春水滿ちるがごとく,情 深くするは 還た酒盃深くすに似たり,「楚煙」 「湘月」 兩れも 沉沉たり。

 

 

(現代語訳) (改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

 

019
 

(訳注) (改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。



双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳



(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。



(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。



 

 

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

○握手河橋 別れることを意味した句。漢·李陵《與蘇武三首其三》詩「攜手上河梁,遊子暮何之?徘徊蹊路側,悢悢不得辭。行人難久留,各言長相思。安知非日月,弦望自有時。努力崇明德,皓首以為期。」(手を携えて河梁に上る、遊子暮に何くにか之く。蹊路の側 に徘徊して、悢悢【りょりょう】として辞する能わず。行人久しく留まり難し、各々言う長く相い思うと。安んぞ日月に非るを知らんや、弦望自ら時有る。努力して明徳を崇くせよ、皓首以て期と爲さん。)にもとづいており、橋。送別を示す。

李陵 《與蘇武詩三首 其三》 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩853 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2813

○蜂鬚 ちじれた髭が蜂がむらがったような顔の男。いわゆる猛者のようなおとこ。はちのくちひげ。・鬚 (あごひげ)、髭(ひげ)とは、人間の顔から顎の下にかけて生える毛のこと。鬚はどうぶつのひげ。ふさ。、あごひげをいう。くちひげ(髭)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分ける。

 

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

・春水滿 四方の沢が春水で満ちること。春の雪解け水はきれいな水が増水していることで、川の中ほどが盛り上がって流れる様子を云う。水の流れを人の心の思いに喩える。そしてそれは、男女が布団の中での情事の様子を連想させるのである。

『春水』

三月桃花浪,江流複舊痕。

朝來沒沙尾,碧色動柴門。

接縷垂芳餌,連筒灌小園。

已添無數鳥,爭浴故相喧。

(春 水)

三月 桃花の浪、江流 復た旧痕まであり。

朝来 沙尾【さび】没し、碧色【へきしょく】柴門に動く。

縷【る】を接して芳餌【ほうじ】を垂れ、筒を連ねて小園【しょうえん】に潅ぐ。

己に添う 無数の鳥、争い浴して故に相い喧【かますび】し。

春水 杜 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

 

春水生 二絶其一

二月六夜春水生,門前小灘渾欲平。

鸕鸂鸂鶒莫漫喜。吾與汝曹俱眼明。

其の一

二月の六夜 春水生じ,門前の小灘【しょうたん】渾て平ならんと欲す。

鸕鸂【ろじ】鸂鶒【けいせき】漫【みだり】に喜ぶこと莫れ。吾と汝と曹【むれ】となしは俱に眼明せん。

4- 9.春水生 二絶其一 杜甫 

『春水生 其二

一夜水高二尺強,數日不可更禁當。

南市津頭有船賣,無錢即買系籬旁。

其二

一夜にして水高くは二尺強,數日にして更に禁當する可からず。

南市 津の頭り 船賣有り,無錢 即ち系籬の旁に買う。

4-10.春水生 二絶其二 杜甫

 

遣意二首 其一

囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。

一徑野花落,孤村春水生。

衰年催釀黍,細雨更移橙。

漸喜交遊,幽居不用名。

其の一

枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。

一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。

衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。

漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

・情深:盃深 ここは男性の心持を表現するもので、思いが深ければ、盃に酒をいっぱいに注ぐこと。この句も男が女に状を示し、連想させる。

楚煙 「朝雲暮雨」の「楚の朝雲」をいう。《楚()の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

湘月 湘夫人の月琴演奏九歌。《楚辞》九歌篇に歌われる2人の女神。湖南省にある湘水の神とされ,また洞庭湖の水神でもあって,湖中の君山にその祠廟がある。《山海経(せんがいきよう)》に洞庭の山に住む天帝の2人の娘のことが見え,漢の《列女伝》では,この2人は尭帝の娘で舜の妃である娥皇と女英であって,舜が蒼梧で死ぬと2人は湘水に身を投げてその神になったのだとされている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》巻三3229-〈129〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5847

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其三  それでも、心動かされた出来事があったのは、忘れもしない去年の寒食の日の行楽での事、行列は、ふだんは使われない延秋門から外にでて、行楽先で、金の車止めて降りた時に見初めた人がいた。日は傾く様に時は流れ、「郡庭花」と言われた妃嬪も花が散るものであるし、おもう魂は消え失せてしまうものである。

 

 

 
 2015年4月14日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#3奉節-38-#3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》巻三3229-〈129〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5847 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》巻三3229-129〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5847

 

 

各クラスの官僚が彼女たちの門下に出入し、へつらったり賄賂を送ったりして栄達を求めた。彼女たちが顔を出して頼み事をすると、役所は皇帝の詔勅のごとく見なして奔走し、不首尾に終わることをひたすら恐れた。一般の官僚で彼女たちに逆らおうとする人はいなかった。

貴族の女性は衣食住の心配も家事の苦労もなかったので、年中歌舞音曲とお化粧とで暇をつぶした。

彼女たちは豊かといえば豊か、地位が貴いといえば貴かったが、しかしその富貴と地位の大半は、男性の付属物たる身分によって獲得したものであった。彼女たちに富貴をもたらすことができたものは、逆にまた災難をもたらすこともできた。一家の男が一旦勢力を失うと、彼女たちも同様に付属物として巻き添えになった。そして一夜にして農婦、貧女にも及ばない官稗(国有の奴隷)となった。

これが彼女たちの最も恐れたことである。厳武は剣南節度使となって相当好き勝手に振舞った。彼が死ぬとその母はむしろほっとして、「これからは官碑にならないですむ」といった(『新唐書』厳挺之附厳武伝)。(杜甫が厳武について述べている中には、厳武は英雄としての表現しか見当たらない。参考「《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#1》 杜甫」)

「栄耀栄華は束の間のことで長続きはしない」といつも恐れおののいていたほかに、貴族の婦人たちがそれこそ絶えず感じていたのは閨の孤独、夫の薄情に対する恨み、それに容色の衰え易さに対する嘆きであった。唐詩の中で百首に上る「閏怨」詩の大部分が、彼女たちのこの種の心情をよく表現している。花間集以外でたとえば、

王昌齢「閏怨」

閨中少婦 不曽愁、春日凝粧上翠楼。

忽見陌頭 楊柳色、悔教夫婿覓封侯。

閨中の少婦かつて愁えず、春の日に粧いを凝らして翠楼を上る。

忽ち見る 陌頭の楊柳の色を、夫婿をして封侯を求めしむるを悔ゆる。

陳羽「古意」

妾年四十絲滿頭、郎年五十封公侯。

男兒全盛日忘舊、銀床羽帳空飃

妾の年四十にして絲の頭に滿ち、郎の年五十にして公侯に封ぜらる。

男兒は全盛なれば、日びに舊を忘れ、銀床、羽帳は、空しく飃飅たり。

などの詩。こうした心情は彼女たちがただ終日飽食し、何の心配もなく暮らしていたから生れたというだけではない。それよりも重要なのは、彼女たちは下層の労働する女性たちに比べて独立した経済的能力が無かったため、男性に対する依存心が強く、また家庭の中でも地位が低かったために、夫の自分に対する感情に頼らざるを得なかったことによる。しかし、貴族の男たちは往々にしてたくさんの妻妾を持ち、あちこちで女色を漁ったので、おのずから彼女たちは一日中夫の薄情に苦悩し、家庭の中での自分の行く末を案じ、従って自分の容色の衰えを嘆く以外に為すすべがなかった。

 

命婦制

高貴な身分の女性に授与する封号を定めたもの。皇帝の母や妃嬢等に対しては内命婦制が、公主など外朝の男に嫁した者に対しては外命婦制が定められていた。外命婦には国夫人、郡夫人、郡君、県君、郷君の五等級があった。

内命婦

宮中の全ての妃嬪

外命婦

公主、王妃、貴婦人

外命婦制

親王の母と妻を「妃」とし、文武の二品官と国公の母と妻を「国夫人」に封じ、三品官以上の官僚の母と妻を「郡夫人」に封じ、四品官の官僚の母と妻を「郡君」に封じ、五品官の官僚の母と妻を「県君」に封ず、と。以上の婦人はそれぞれ封号を与えられたが、母親の封号には別に「太」の字が付け加えられた。

 

 

 (旧解)

浣溪沙八首其三

其の三(官妓から妾妻に迎えられたものの寒食の時から見むきもされない女を詠う)

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

逢いたいのに逢えなかった娘はお白粉塗をぬった頬に徴かに残った涙跡があり、郡役所の官舎の庭に咲く花は散り夕闇となる。思いは遠くにいるあの人のこと、深き恨みを誰に話したらいいのだろうか。

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

忘れもしない去年の寒食の日の行楽での事、延秋の門の外れに車止め、日は傾きてあの人は花が散るように魂消え失せてしまった時でもあるのだ。

 

唐朝 大明宮2000

(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》
浣溪沙八首其三

(「郡庭花」として後宮に選ばれて迎えられたものの寵愛を受けることもなく、女の盛りを過ぎてしまう、一度だけ、寒食の日の行楽で心ときめかしたこともあったけど、みんな遠い夢の中と詠う)

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

妃嬪はお白粉塗をぬった頬に徴かに残った涙跡がある、郡役所の官舎の大きな庭に咲く花も散り夕闇となってしまう。妃嬪は「郡庭花」として後宮に選ばれては行ったが、しかし、寵愛もないまま花の盛りを過ぎようとしている。情も通うことなく遠く隔ったままで、この深き恨みを誰に話したらいいのだろうか。

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

それでも、心動かされた出来事があったのは、忘れもしない去年の寒食の日の行楽での事、行列は、ふだんは使われない延秋門から外にでて、行楽先で、金の車止めて降りた時に見初めた人がいた。日は傾く様に時は流れ、「郡庭花」と言われた妃嬪も花が散るものであるし、おもう魂は消え失せてしまうものである。

(浣溪の沙 八首 其の三)

粉上 依稀【いき】として淚痕有り,郡庭の花 落ち 黃昏【こうこん】せんと欲す,遠情 深恨 誰とか論ぜん。

記【おぼ】え得ぬ 去年 寒食の日,延秋門の外 金輪を卓【と】む,日は斜めに 人は散りて 暗く消魂するなり。

 

唐 長安図 基本図00

(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》 

『浣溪沙八首』 現代語訳と訳註

(本文) 薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其三

浣溪沙八首其三

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

  

(下し文) 薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其三

(浣溪の沙 八首 其の三)

粉上 依稀【いき】として淚痕有り,郡庭の花 落ち 黃昏【こうこん】せんと欲す,遠情 深恨 誰とか論ぜん。

記【おぼ】え得ぬ 去年 寒食の日,延秋門の外 金輪を卓【と】む,日は斜めに 人は散りて 暗く消魂するなり。

 

(現代語訳) 薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其三

(「郡庭花」として後宮に選ばれて迎えられたものの寵愛を受けることもなく、女の盛りを過ぎてしまう、一度だけ、寒食の日の行楽で心ときめかしたこともあったけど、みんな遠い夢の中と詠う)

妃嬪はお白粉塗をぬった頬に徴かに残った涙跡がある、郡役所の官舎の大きな庭に咲く花も散り夕闇となってしまう。妃嬪は「郡庭花」として後宮に選ばれては行ったが、しかし、寵愛もないまま花の盛りを過ぎようとしている。情も通うことなく遠く隔ったままで、この深き恨みを誰に話したらいいのだろうか。

それでも、心動かされた出来事があったのは、忘れもしない去年の寒食の日の行楽での事、行列は、ふだんは使われない延秋門から外にでて、行楽先で、金の車止めて降りた時に見初めた人がいた。日は傾く様に時は流れ、「郡庭花」と言われた妃嬪も花が散るものであるし、おもう魂は消え失せてしまうものである。

 

(訳注) (改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》

浣溪沙八首其三

(「郡庭花」として後宮に選ばれて迎えられたものの寵愛を受けることもなく、女の盛りを過ぎてしまう、一度だけ、寒食の日の行楽で心ときめかしたこともあったけど、みんな遠い夢の中と詠う)

この詩は郡令・節度使の娘が、選ばれて後宮に迎えられ、妃嬪となり、親孝行となるも、寵愛を受けることもなく、暇を持て余す。故郷の郡官舎の庭遊んだことを思いだす。しかし、どうしようもないことだが、去年の寒食の時、大勢の行楽行列の中の官僚人の男を見初めた。

その初恋の人を忘れる事は無いとおもっていたが、今年の寒食で見つけることはできなかった。妃嬪もしだいに年を重ねる。もう忘れる事しかないのである。

この詩の背景をまとめると郡令・節度使の娘が、選ばれて後宮に迎えられ、妃嬪となり、死の雰囲気から、寵愛を受ける事のない状態であった。.初めた男を思い慕う娘、②.後宮の奥院囲でただ寵愛を受ける準備をして生活するだけ、③.自分の意志を伝える手段はないし、④.そこまでの地位ではない。唐宋の性倫理は結構自由であったが、妃嬪という立場は最も高速性の高い者で、若しあやまちがあれば、本人、一族に至るまで死罪である。ただ、解放される場合、貴族、地方貴族、高級官僚には者のように与えられることはあった。

寒食の時、後宮から、クルマを連ねて、楽遊原、曲江、韋曲などに行楽に行く。

当時の娘、妃嬪、など、深窓の中に暮らし、外出する自由はなかった。外出が許されるのは、月十五日の元宵節や、寒食清明、あるいは寺社参りなど、特別な日に限られていた。しかも一人での外出など許されなかった。

本詞の女主人公は、何時:「去年」「寒食日」というから、今年の寒食の日との対比、去年見初めたけれど、今年はなかった。

何処で:「延秋門外」、この門の内外、一般人は近づくこともできない。つまりここに登場するのは、天子に関係した人物である。去年は延秋門から出て行列の中にいた人であるが、その行列の中には今年はいなかったのか、妃嬪そのものが、行楽に参加させてもらえなかったのか。

どうした時:「卓金輪」去年車を止めて乗り降りするときに見かけた、今年は見かけなかった、あるいは妃嬪はこの康楽に参加させてもらえなかった。

寒食の日に延秋門外に行楽に出かけた時の車も、その身分に相応しい立派なものであったことが金輪の語から窺える。妃嬪は、大勢の行列の中の人の男を見初めたが、もちろん男に二正業をかけることなどできるはずもない。やがて日も西に傾き、人々はみな帰り去ってしまった。

花先、花散る寒食の時節になると、特に強く男のことが思い起こされ、密かに涙を流さずにはいられなかったのである。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。



双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳



(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。



 

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

妃嬪はお白粉塗をぬった頬に徴かに残った涙跡がある、郡役所の官舎の大きな庭に咲く花も散り夕闇となってしまう。妃嬪は「郡庭花」として後宮に選ばれては行ったが、しかし、寵愛もないまま花の盛りを過ぎようとしている。情も通うことなく遠くへだったまま、この深き恨みを誰に話したらいいのだろうか。

○粉上 白粉を塗った頬。

○依稀 かすかなさま。

○郡庭 郡役所の庭。ここでは郡の長官の官舎の庭を指す。郡は中国では県の上の行政単位。

○遠情 

 

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

それでも、心動かされた出来事があったのは、忘れもしない去年の寒食の日の行楽での事、行列は、ふだんは使われない延秋門から外にでて、行楽先で、金の車止めて降りた時に見初めた人がいた。日は傾く様に時は流れ、「郡庭花」と言われた妃嬪も花が散るものであるし、おもう魂は消え失せてしまうものである。

○寒食 冬至から数えて百五日目。・寒食:清明節の3日前夜。現在の暦で言うと、四月四日前後か。“掃墓”(先祖のお墓参りをして、お墓の掃除をする日)の日でもある。春の盛りから晩春にさしかかる頃。この日は火を焚くことを禁じ、あらかじめ調理しておいた冷えた料理を食べたので寒食と言った。

の「寒食天」:戦国の時、晋国は内乱が発生し、介之推は苦難を恐れなくてに重耳を追随して、困難の時、自分足の肉を切ってスープを作って重耳に飲まされたことがある。重耳が晋文公をした後、介之推は母と隠遁して山奥に行った。重耳は介之推の行ったことが分からない。重耳は行って、あちこちを探しても出せなかった。仕方がなくて彼は、そこで火を放して人を探しす。三日の火が続き、強火が消した後、介之推と母と互いに抱いていっしょに深山の中で焼き殺された。

介之推と母の焼き殺される時間をちょうど清明前の日であり、こちらの忠義の臣を記念するため、清明の時に人々はすべて介之を焼き殺す火を拒絶し、冷たい食品だけを食べて、だからこの日は「寒食節」を叫ぶ。

○延秋門 唐の禁苑の宮門の名。 長安 禁苑西門。 ・天寶 十四載冬115日, 安祿山 起兵叛亂。 次年六月長安陥落,玄宗 即由して 延秋門から長安を脱出し, 蜀に避難に赴く。

   杜甫 《哀王孫》詩:長安 城頭頭白烏, 夜飛 延秋門 上呼。”(長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

程大昌《雍錄》卷五:玄宗 自苑西門出, 為苑之 延秋門 為都城 直門 也。 既出, 即由便橋渡 咸陽 馬嵬 而西。”

宋敏求 《長安志》卷六:苑中宮亭凡二十四所, 西面二門, 南曰 延秋門 北曰 玄武門 。”

 

○卓金輪 立派な車を止める。卓は停める。

長安城皇城図

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊128《巻三31浣溪紗八首 其二》巻三3128-〈128〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5842

(改訂版).薛昭蘊 浣溪紗八首其二 (寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二。額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。


 
 2015年4月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
221 《(改訂版) 巻4-15 襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
60-#1 (改訂版)《巻03-02 山石 #1》 (山石犖確行逕微,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1371> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5839 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#2奉節-38-#2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2》 杜甫index-15 杜甫<910-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊128《巻三31浣溪紗八首 其二》巻三3128-〈128〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5842 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊128《巻三31浣溪紗八首 其二》巻三3128-128〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5842

 

 

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

 

<!--[if !supportLists]-->1.<!--[endif]-->女性の美の総論

唐代の人々が美しいと感じる女性は、どのような人であったか。玄宗は太子の妃を選ぶ時、はっきりと「背が高くて色の白い」女子を選ぶようにと言ったことがある(『唐語林』巻一)。寧王李憲(容宗の長子)は、隣に住む餅売りの妻を見初めたが、それは彼女が「肌のきめが細かくて白く、目が輝いて美しい」からであった(『本草詩』情感)。これらは、およそ基本的に唐代の人々の女性についての審美観を反映しており、また中国古代の女性美についての一般的な標準とも一致している。つまり、「長、白、美」の三つであった。長とは身長が高いこと、白とは皮膚の色が白いこと、美とは容貌が美しいことである。中国古代の美人の基準は主にこうした点にあり、唐代の人々も例外ではなかった。その他に、「桜桃 焚素(白居易家の歌妓)の口、楊柳 小蛮(同じく歌妓)の腰」(白居易「楊柳枝詞」)というように、唐代の詩詞や著作の中に反復して出てくる、小さい口、細い腰、白い手、細い足などは、秀麗で繊細な美人の特徴であり、だいたい各時代のそれと一致している。

しかし、人々は唐代の女性美には他の時代にはない特色があったことに注目している。唐代の男性は、背が高く色が白く、細くて優雅な女性を好んだが、しかし決して林黛玉(『紅楼夢』の主人公)のような病弱なものは喜ばなかった。彼らは健康で雄々しく、はては豊満でぽっちゃりした美人を大いに尊んだ(これはただこの時代の好みというだけであって、決してあらゆる人々がいつもこうだったわけではない)。この点に関しては、証拠はたいへん多く、すでに人々の周知のことである。

 

《体型》

唐代の絵画、彫像に出てくる女性の姿を見ると、彼女たちはみな確かに顔は満月のようにふくよかであり、からだは豊満でまるまるとしている。そして、あの軍服を着て馬に乗って弓を引く女性は、特に堂々とした勇敢な姿を示しており、痩せて弱々しい姿はほとんど見られない。これはまさに唐代の人々の審美観と現実の生活そのものの反映であった。唐代第一の美人楊玉環(楊貴妃)は豊満型の美人であり、漢代の痩身型の美人趨飛燕と並んで、「燕は痩せ環は肥え」といわれ、美人の二つの典型と称された。

このような美意識は、唐代の社会生活と社会の気風から生れた。というのは、唐代の物質生活は比較的豊かであったから、身体がふっくらとした女性が多くいたのである。また社会の気風は開放的であり、北朝の尚武の遺風を受け継ぎ、女性は家から出て活動することもわりに多く、また常に馬に乗って矢を射る活動にも加わっていた。それで、往々女性は健康的で楓爽たる姿をしていたのである。こうした現実が人々の審美観に影響し、そしてこの審美観と時代の好みとが、逆に女性た

ちにこの種の美しさを極力追求させたのである。少なくとも「楚王、細き腰を好む」ために、食を減らすといったことはなかった。これによって、女性は健康で雄々しくかつ豊満であるといった傾向が助長されたのである。

* 『筍子』等に、昔、楚の霊王は腰の細い美人を好んだ。それで宮中の女性は食を減らし餓死したという故事がある。

審美観と密接な関係がある服装と化粧は、女性の生活の重要な一部分であった。この方面の論文や著書はたいへん多いが、ここでは、すでに発表された著作のうち、主として孫機先生の「唐代婦女の服装と化粧」(『文物』一九八四年第四期)と題する一文によって簡単に紹介し、その後で、唐代女性の服装と化粧について、少しばかり私の意見を述べようと思う。

 

《服装と化粧》

 ―服装

唐代の女性の服装は、貴賎上下の区別なく、だいたいにおいで杉(一重の上着)、裾(スカート)、岐(肩かけ)の三つからなっていた。上着の衫のすそは腰のあたりで裙でとめる。裙はたいていだぶだぶとして大きく、長くて地面をひきずるほどであり、普通六幅(一幅は二尺二寸)の布で作られた。肩に布をかけるが、これを「帔服」といい、腰のあたりまでゆったりと垂れている。また、常に衫の上に「半臂」(袖の短い上着)をはおったが、これはかなり質のよい布で作り、主に装飾のためのものであった。足には靴か草履をはいたが、これらは綿布、麻、錦帛、蒲などで作られていた。

 

―化粧

唐代の女性は、化粧にたいへん気をつかった。普通は、顔、胸、手、唇などに白粉や頬紅をつけ、また肌を白くし、あるいは艶やかにしたが、それ以外に眉を画くことをことのほか重視した。眉毛の画き方はたいへん多く、玄宗は画工に「十眉図」を描かせたことがあり、それらには横雲とか斜月などという美しい名称がつけられていた(『粧楼記』)。ある人は、唐代の女性は眉毛の装飾に凝り、それはいまだかつてなかった水準に達したと述べている。その他、彼女たちは額の上に黄色の粉を塗り、それを「額黄」「花蕊」「蕊黄」といった。また、金箔や色紙を花模様に切り抜いて両眉の間に貼るのが流行り、「花細」、「花子」などと呼んだ。その他、両頬に赤、黄の斑点、あるいは月や銭の図柄を貼るケースもあり、これは「粧靨」靨はえくぼの意)といった。

唐の玄宗皇帝が画工に命じて描かせた《十眉図》に見られるように,鴛鴦眉(八字眉),小山眉(遠山眉),五嶽眉,三峯眉,垂珠眉,月稜眉(却月眉),分稍眉,涵烟眉,払雲眉(横烟眉),倒暈眉の10種類であった。唐の末期には〈血曇粧〉といって目の縁を赤紫に彩った化粧がはやった。

 

 ―髪型

髪型はさらに豊富多彩で、段成式の著作『髻鬟品』 には、多種多様の髪型が列挙されている。たとえば、半翻髻【はんほんけい】、反綰髻【はんわんけい】、楽游髻、双環望仙髻、回鶻髻、愁来髻、帰順髻、倭堕髻など。髻の上に、色々な宝石や花飾りの簪を挿したり、歩揺(歩く度に美しく揺れ光る髪飾り)を着けたり、櫛を挿したりして飾った。それらは、貧富や貴賎によって定まっていた。

衣服、装飾などはきわめて墳末な物ではあるが、かえって一滴の水と同じょうに、往々にして社会の多種多様の情況をよく映し出すことができた。唐代の女性の服飾もその例に漏れない。そこに浮かび上がる特色もまた、まさに唐代という社会の諸相を映し出す映像そのものであった。

 

 

 

 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》

浣溪沙八首 其一

(春の清明節のころ、秋の長雨のように降り止まないので、行楽が中止になった。その時の様子を詠ったものである。)

紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。

春の行楽、舟遊びを楽しみいるというのに、渡し場のあたりの紅蓼にもあきのながあめのように雨が降ってくる、砂浜もぬれてカモメの足跡が列をなしてしっかりと残るほどである、舟遊び、野砂浜で宴を催すはずであった女たちがあめのやむのをまっている。髷の髻から髪が垂れ、袖が揺れ、野の風が香りを運んでくる。

不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

行楽が中止されると誰もが語ることもないし、苦々しさを含んだ顔つきで、船津の裏の奥の方に消えていく、憂い顔の船頭は幾度も廻って舟歌を歌ってかえって行く。ツバメも、女妓たちも帰ってしまい、小雨そぼ降る水面が茫茫として広がっているだけなのだ。

(浣溪沙八首 其の一)

紅蓼【こうじん】渡頭に秋の正ぞ雨なる,鷗跡【おうせき】沙に印して 自ら行を成し,整鬟【せいかん】飄袖【ひょうしゅう】野風 香る。

語らず 嚬【しかめ】るを含んで浦の裏に深くする,幾びか迴って 棹舡郎【とうこうろう】を愁煞【しゅうさつ】せんとし,鷰 歸って 帆は水を茫茫とし盡す。

(旧解)

浣溪沙八首其二

其の二(湘水の港町の妓女が、旅から戻ってくる男を待つ、そして次の年も同じように待つ、全く音信もなくなって空しく春過す。)

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

顔面の上に飾物や、菱花の鏡を用意して、宝飾箱があり、横には西の帯が垂れたままにある。この静けさは、蘭のかおる女の閨に広がり、今、頭飾りを取り去ろうとしている髪の毛の頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方を整えようとしているのは、旅から戻ってくる約束の日が来たからなのだ。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

春も盛んになり野山に草木が繁茂して、ここ湘水には緑がいっぱいに広がっている。夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いてくる。もう二回目の春は終わろうとしている春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって來るのだ。

 

 

(改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

浣溪沙八首其二

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

 

 

 

(改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

『浣溪沙八首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

 

(下し文)

(浣溪の沙 八首 其の二)

鈿匣【でんこう】菱花【りょうか】錦帶垂れ,靜かに臨む蘭の檻 卸頭【しゃとう】の時,約鬟【やくかん】低珥【ていじ】歸期に等【なお】す。

茂茂として艸青 湘渚【しょうちょ】闊がる,夢餘り 漏は依依とするも空しく有り,二た年 日終り 芳菲も損う。

 

(現代語訳)

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

 

(訳注) (改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

浣溪沙八首其二

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

 浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳



 

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

・鈿匣 ・鈿:古代婦女の顔面の上に飾物をつけること。匣:はこ。

・菱花 ヒシの花。《裏面に多くヒシの花を鋳るところから》金属製の鏡。菱花鏡。

・蘭檻 蘭のかおる女の閨。

・卸頭 女性の頭に飾っているものを取り去ること。通常は逢瀬で床に入る際に飾り物をとるという意味だが、この詩は帰って来る相手のために飾ったものを、約束を破られたので飾を執ることをいう。卸下頭上的裝飾。唐·韓偓·閨情詩:「輕風滴礫動簾鉤,宿酒猶酣懶卸頭。」

・鬟 鬟:わげ。頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。びずら。びんずら。髻【もとどり】:《「本取り」の意》髪を頭の上に集めて束ねた所。また、その髪。たぶさ。

・珥 1.耳の飾り珠。丸玉。2. 剣の白玉飾りのある柄頭。《楚辭·九歌、東皇太一》撫長兮玉珥,璆鏘鳴兮琳琅。《註》珥,音餌。 又同咡。3.日傘。日傍の雲気。日旁氣也。《前漢·天文志》抱珥𧈫蜺。蜺とは、耳飾りという意味の漢字である。

・等 等しい。整える。階級。階段。順位をあらわす。はかる。待つ。篇海に「等,侯待也。」とある。ここでは帰る約束の寒食清明節のころに毎日同じように待っているというほどの意。

・歸期 帰って來るという約束の日のこと。

 

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

・茂茂 1茂る,繁茂する.≡懋.⇒繁茂.用例根深叶茂=根は深く葉が茂っている.2豊富ですばらしい.

湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。  湘江は、広西チワン族自治区北部臨桂県の海陽山に発する。海洋圩から流れる海洋河を源流とし、北東方向へ広西チワン族自治区を流れる。湖南省永州市東安県の瀑埠頭で湖南省に入る。永州市では紫水、石期河、瀟水、応水、白水などの支流が、衡陽市では蒸水と耒水が、衡山県では水が、株洲県淥口鎮で淥水が、湘潭市で漣水が流入する。長沙市の中心で瀏陽河と撈刀河が、望城県新康で水が流入し、湘陰県の濠河口で左右に分かれて洞庭湖に注ぐ。湘江には2,157の支流があるとされ、主要な支流のうち、瀟水、耒水、水、淥水、瀏陽河は東岸の支流で、祁水、蒸水、涓水、漣水、水は西岸の支流である。

『臨江仙 一首』

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

古祠深殿,香冷雨和風。

臨江仙 一首 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-349-7-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3292

『花間集』全詩訳注解説-4.薛昭蘊 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》27-〈花間集127〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5837

薛昭蘊 (改訂版)浣溪紗八首 其一 (春の清明節のころ、秋の長雨のように降り止まないので、行楽が中止になった。その時の様子を詠ったものである。)春の行楽、舟遊びを楽しみいるというのに、渡し場のあたりの紅蓼にもあきのながあめのように雨が降ってくる、砂浜もぬれてカモメの足跡が列をなしてしっかりと残るほどである、舟遊び、野砂浜で宴を催すはずであった女たちがあめのやむのをまっている。髷の髻から髪が垂れ、袖が揺れ、野の風が香りを運んでくる。

 

 
 2015年4月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
220 《(改訂版) 巻4-14 襄陽曲,四首之三》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-14 李白と道教(7)襄陽曲四首之三<220> Ⅰ李白詩1456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5828 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
59-#3 《補遺-02 海水》 -#3 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1370> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5834 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#1奉節-38-#1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1》 杜甫index-15 杜甫<910-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5835 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説-4.薛昭蘊 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》27-〈花間集127〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5837 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

『花間集』全詩訳注解説-4.薛昭蘊 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》27-〈花間集127〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5837

 

 

続きを読む
記事検索
ギャラリー
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-6雜詩十二首其四詠邯鄲故才人嫁為厮養卒婦  訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11115
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-4雜詩十二首其三夜聽妓二首之一 瓊閨釧響聞 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11099
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-3雜詩十二首其二同王主簿怨情 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-3雜詩十二首其二同王主簿怨情 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-2雜詩十二首其一贈王主簿二首之一 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11083
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-5雜詩五首其五巫山高 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-5雜詩五首其五巫山高 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11091
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-4雜詩五首其四詠幔 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11083
  • 玉臺新詠集 巻四 8.王融_ 巻4•8-1-3雜詩五首其三詠琵琶 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11075
プロフィール

紀 頌之

カテゴリー
タグクラウド
記事検索
  • ライブドアブログ