玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

後宮 妃嬪

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

12孫光憲《巻八36思帝鄉一首》『花間集』388全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7204

孫少監光憲詩 思帝  

如何?遣情情更多。永日水堂簾下,斂羞蛾。

六幅羅裙窣地,微行曳碧波。看盡滿地疎雨,打團荷。

(何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、寵愛を受けた。しかし、時が移り状況が変化し、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。いつしか、後宮から離宮に移り、春の日もただ一人過ごす。自分の歩く音が廊下に響き、池の浪が寂しく広がり、雨が、蓮の葉を敲く。)

なぜか、寵愛を失ってもあの頃を思い出すし、忘れようとすればするほど、ますます思いは募ってくる。春の日、日が少し傾いてきたので、離宮の水辺の座敷に簾垂れる、愁いに眉を曇らせる。六幅の長さで6本のプリーツのスカートは地を払い、離宮の欄干の廊下を忍びあるく、碧の波もしずかにひろがる。いつまでも離宮の広い庭園の一面に疎らにふる雨は、円い蓮の葉を打つ音だけがきこえてくる。

12孫光憲《巻八36思帝一首》『花間集』388全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7204

 

 
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花間集 教坊曲 『思帝』 四首

溫庭筠

巻二06思帝一首  花花,滿枝紅似霞。羅袖畫簾腸斷,卓香車。迴面共人閑語,戰篦金鳳斜。惟有阮郎春盡,不歸家。

韋莊

巻三15思帝二首其一  雲髻墜,鳳釵垂。髻墜釵垂無力,枕函欹。翡翠屏深月落,漏依依。盡人間天上,兩心知。

韋莊

巻三16思帝二首其二  春日遊,杏花吹滿頭。陌上誰家年少,足風流。妾擬將身嫁與,一生休。縱被無情棄,不能羞!

孫光憲

巻八36思帝一首  如何?遣情情更多。永日水堂簾下,斂羞蛾。六幅羅裙窣地,微行曳碧波。看盡滿地疎雨,打團荷。

 

 

思帝

(何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、寵愛を受けた。しかし、時が移り状況が変化し、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。いつしか、後宮から離宮に移り、春の日もただ一人過ごす。自分の歩く音が廊下に響き、池の浪が寂しく広がり、雨が、蓮の葉を敲く。)

如何?遣情情更多。

なぜか、寵愛を失ってもあの頃を思い出すし、忘れようとすればするほど、ますます思いは募ってくる。

永日水堂簾下,斂羞蛾。

春の日、日が少し傾いてきたので、離宮の水辺の座敷に簾垂れる、愁いに眉を曇らせる。

六幅羅裙窣地,微行曳碧波。

六幅の長さで6本のプリーツのスカートは地を払い、離宮の欄干の廊下を忍びあるく、碧の波もしずかにひろがる。

看盡滿地疎雨,打團荷。

いつまでも離宮の広い庭園の一面に疎らにふる雨は、円い蓮の葉を打つ音だけがきこえてくる。

 

(思帝

如何ぞ 情を遣るも 情 更に多し。

永日 水堂 簾 下し、差蛾を斂め。

六幅の羅裙 地を窣い、微行して碧波を曳き。

看尽くす 満池の疎雨、団荷を打つを。

 

 

『思帝』 現代語訳と訳註

(本文)

思帝

如何?遣情情更多。

永日水堂簾下,斂羞蛾。

六幅羅裙窣地,微行曳碧波。

看盡滿地疎雨,打團荷。

 

(下し文)

(思帝

如何ぞ 情を遣るも 情 更に多し。

永日 水堂 簾 下し、差蛾を斂め。

六幅の羅裙 地を窣い、微行して碧波を曳き。

看尽くす 満池の疎雨、団荷を打つを。

 

(現代語訳)

(何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、寵愛を受けた。しかし、時が移り状況が変化し、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。いつしか、後宮から離宮に移り、春の日もただ一人過ごす。自分の歩く音が廊下に響き、池の浪が寂しく広がり、雨が、蓮の葉を敲く。)

なぜか、寵愛を失ってもあの頃を思い出すし、忘れようとすればするほど、ますます思いは募ってくる。

春の日、日が少し傾いてきたので、離宮の水辺の座敷に簾垂れる、愁いに眉を曇らせる。

六幅の長さで6本のプリーツのスカートは地を払い、離宮の欄干の廊下を忍びあるく、碧の波もしずかにひろがる。

いつまでも離宮の広い庭園の一面に疎らにふる雨は、円い蓮の葉を打つ音だけがきこえてくる。

曲院風荷01
 

 (訳注)

1.孫光憲 思帝

(もしかしたらあの人が帰って来た時の音かと思い、自分の歩く音でわからなくなると厭なので、ゆっくり歩く。するとその音は、雨音の聴覚的な余韻を残し、丸い蓮の葉を打つ雨音の一つ一つしかしない。)

【解説】 女性の愁いの情を詠う。詞の後半、彼女が忍び歩いたのは、もしかしたらあの人が帰って来た時の音かと思い、自分の歩く音でわからなくなると厭なので、ゆっくり歩く。するとその音は、雨音の聴覚的な余韻を残し、丸い蓮の葉を打つ雨音の一つ一つしかしない。彼女の傷心の心を打つ音でもあったに違いない。

『花間集』には孫光憲の作が一首収められている。単調三十六字、八句五平韻三仄韻で、②⑤❻③❻⑤❻③の詞形をとる。

思帝

?遣情情更

永日水堂簾,斂羞

六幅羅裙窣,微行曳碧

看盡滿地疎,打團

△△ ●○○△○

●●●○○● ●○△

●●○○●● ○△●●○

△●●●△● ●○△

2.  思帝郷

(一途に思う女心の詩)

長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。

3. 唐の妓優 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

4. 梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

5. 霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。これらを題材にしたものが、思帝郷である。

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》溫庭筠66首巻二6-〈56〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5477

思帝郷

花花、満枝紅似霞。

羅袖画簾腸断、阜香車。

廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。

唯有阮郎春尽、不帰家。

(思帝郷)

花花、満枝 紅 霞に似たり。

羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。

面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。

唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。

【解説】

 春が尽きても遠い旅に出て帰らぬ男を思う女の情を詠う。女は待つことしか選択肢がない時代の歌である。第二.句、着物の袖と車の帳の画模様が胸を引き裂くのは、着物の袖や帳に、男女和合の象徴である番の鳥の絵模様があしらわれていたことによる。続く句は、知人の車を認めたのであろう、車を停めて、髪に斜めに挿した簪の金の鳳の飾り括らしながら、何の屈託もないかのように語り合うさまを述べる。最後の「もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、家に帰らぬ愛しの人だけ」と言うのは、はた目には幸せそうに見えながら、実は孤蘭を守る口々に、腸が引き千切られるほどの思いをしていることを訴え、もうあきらめなければならないのかということである。

 

如何?遣情情更多。

なぜか、寵愛を失ってもあの頃を思い出すし、忘れようとすればするほど、ますます思いは募ってくる。

 6. 遣情 遣懐。こころをやる。杜甫《巻七67 遣懐》昔のことを思い出して述べる。

 

永日水堂簾下,斂羞蛾。

春の日、日が少し傾いてきたので、離宮の水辺の座敷に簾垂れる、愁いに眉を曇らせる。

7. 永日 1 日中がながく感じられる春の日。春の日なが。永き日。《季 春》2 《いずれ日ながの折にゆっくり会おうの意から、別れのあいさつや手紙の結びに用いる語。

8. 水堂 離宮の水辺の建物や座敷部屋。

9. 斂羞蛾 女性の羞じらいを含んだ眉。蛾は蛾の触角に似せて措いた眉。美しい曲線を描いた女性の眉を言う。命婦、妃嬪、妓優、芸妓、美人をいう。

 

六幅羅裙窣地,微行曳碧波。

六幅の長さで6本のプリーツのスカートは地を払い、離宮の欄干の廊下を忍びあるく、碧の波もしずかにひろがる。

10. 六幅羅裙 六幅の長さの絹のスカート。幅は長さの単位。約三四cm。別の意味に、六本のプリーツの入ったスカートと解することでもよい。

11. 傘地 地を払う。

12. 微行 忍び歩く。なお小道と解する説もある。

13. 碧波 蒼浪,蒼波,滄浪,滄波。青い波。 

 

看盡滿地疎雨,打團荷。

いつまでも離宮の広い庭園の一面に疎らにふる雨は、円い蓮の葉を打つ音だけがきこえてくる。

14. 滿地疎雨 離宮の広い庭園の一面に

15. 団荷 円い蓮の葉。 興慶宮の龍池の蓮、紹興の曲院風荷などが連想されるが、此処は龍池とする。

16. 疎雨 まばらに降る雨。

大明宮の圖003
 

 

 

 

大多数の后妃と皇帝との結婚は、事実上政略結婚であり、もともと皇帝の愛情を得たのではなかった。何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、あるいは皇帝と艱難を共にしたことによって寵愛を受けた。しかし、いったん時が移り状況が変化したり、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。王皇后と玄宗は艱難を共にした夫婦であり、彼女は玄宗が行った喜后打倒の政変に参与した。しかし武恵妃が寵愛を一身に集めた後には、しだいに冷遇されるようになった。彼女は皇帝に泣いて訴え、昔艱難を共にした時の情愛を想い出してほしいと願った。玄宗は一時はそれに感動したが、結局やはり彼女を廃して庶民の身分に落してしまった。境遇がちょっとマシな者だと、后妃の名が残される場合もあったが、それ以後愛情は失われ、後半生を孤独と寂実の中に耐え忍ばねばならなかった。また、彼女たちの運命は、ひどい場合は完全に皇帝の一時的な喜怒哀楽によって決められた。武宗はかつて一人の妃嬢に非常に腹を立てたことがあった。その場に学士の柳公権がいたので、皇帝は彼に「もし学士が詩を一篇作ってくれるなら、彼女を許してやろう」といった。柳公権が絶句を一首つくると、武宗はたいそう喜び、彼女はこの災難を逃れることができた(王走保『唐掟言』巻一三)。しかし、皇帝から廃されたり、冷遇されただけの者は、まだ不幸中の幸いであったように思う。最悪の場合は生命の危険さえあった。高宗の王皇后と斎淑妃の二人は、武則天と寵愛を争って一敗地に塗れた。

この二人の敗北者は新皇后の階下の囚人となり、それぞれ二百回も杖で打たれてから手足を切断され、酒瓶の中に閉じ込められた後、無惨に殺された。

后妃、妃嬪にとって、最後の脅威は皇帝の死去である。これは皇帝の付属品である后妃たちが、いっさいの地位と栄誉の拠り所を失うことを意味した。一つだけ例外がある。つまり子が皇帝に即位した場合で、「やんごとなき夫の妻」から、「やんごとなき子の母」 へと転じることができた。少なくとも子のある妃嬪はちょっとした地位を保つことができたが、子のない妃嬢たちは武則天のように仏寺に送られて尼にされるか、あるいは寂しく落ちぶれて後宮の中で生涯を終えた。たとえ太后といぅ至尊の地位に登っても、新皇帝の顔色を窺わねばならなかった。憲宗の郭皇后は郭子儀の孫娘にあたり、公主を母に持ち、また穆宗の母となり、敬宗、文宗、武宗の三皇帝の祖母にあたる女性であったから、人々は唐朝の后妃のなかで「最も高貴」な方と呼んだ。しかし、宣宗が即位(八四七年)すると、生母の鄭太后はもともと郭太后の侍女であり、かねてから怨みをもっていたため、郭太后を礼遇しなかった。それで郭太后は鬱々として楽しまず、楼に登って自殺しょうとした。宣宗はそれを聞くと非常に怒った。郭太后はその夜急に死んでしまったが、死因はいうまでもなく明らかであろう。

唐代の后妃のなかには、そのほか皇帝に殉死したという特別な例がある。それは武宗の王賢妃である。彼女はもとは才人の身分であり、歌舞をよくし、皇帝からたいへんな寵愛を受けた。武宗は危篤間近になると、彼女に「朕が死んだらお前はどうするのか」と問うた。すると彼女は「陛下に御供して九泉にまいりたいと思います」と答えた。すると武宗は布を彼女に与えたので、王才人は帳の下で首をくくって死んだ(『資治通鑑』巻二四八、武宗会昌六年)。次の宣宗が即位すると、彼女に「賢妃」を追贈し、その貞節を誉め讃えた。このようにして、一個の生きた肉体が「賢妃」という虚名と取り換えられたのである。

もし、予測のつかない未来と苦難の多い運命によって生みだされる不安な感情が、后妃たちの生活の普通の心理であったとするなら、もう一つ彼女たちにまとわりついているのは、心の慰めや家庭の暖かさが欠けていることによって深く感ずる孤独、寂蓼、哀怨の気特であった。次のようにも言うことができよう。彼女たちは物質的には豊かであったが、人間の情愛の面では貧しかったと。

寵愛を失った者は言うまでもないが、寵愛を受けている者でさえも、何万にものぼる女性が一人の男性に侍っている宮中においては、誰も皇帝の愛情をいつまでも一身に繋ぎとめておくことは不可能であり、また正常な夫婦生活と家族団欒の楽しみを味わうことも不可能であった。皇帝が訪れることもなくなって、零落してしまった后妃の場合、おのずから悲痛はさらに倍加した。

玄宗の時代、妃嬪がはなはだ多かったので、「妃嬪たちに美しい花を挿すよう競わせ、帝は自ら白蝶を捕えて放ち、蝶のとまった妃嬪のところに赴いた」。また、妃嬪たちは常に「銭を投げて帝の寝所に誰が侍るのかを賭けた」(『開元天宝遺事』巻上、下)。彼女たちの苦痛を想像することができる。

「長門(妃嬪の住む宮殿)閉ざし定まりで生を求めず、頭花を焼却し挙を卸却す。玉窓に病臥す 秋雨の下、遥かに聞く別院にて人を喚ぶ声」(王建「長門」)、「早に雨露の翻って相い誤るを知らば、只ら荊の簪を挿して匹夫に嫁したるに」(劉得仁「長門怨」)、「珊瑚の枕上に千行の涙、是れ君を思うにあらず 是れ君を恨むなり」(李紳「長門怨」)等々と詩人に描写されている。唐代の人は「宮怨」「婕妤怨」「長門怨」「昭陽怨」などの類の詩詞を大量に作っており、その大半は詩人が后妃になぞらえて作ったものであるが、じつに的確に后妃たちの苦悶と幽怨の気持とを表している。これらの作品を貴婦人たちの有りもしない苦しみの表現と見なすべきではない。これらには彼女たちの、宮中での不自然な夫婦生活に対する怨み、民間の普通の夫婦に対する憧れがよく表現されている。女性として彼女たちが抱く怨恨と憧憬は、自然の情に合い理にかなっている。

 

 

残酷な生存競争

日常的に危険と不安が潜伏している後宮のなかで、気の弱い者、能力のない者は、ただ唯々諾々と運命に翻弄されるしかなかった。しかし、ちょっと勇敢な者は、他人から運命を左右されることに甘んぜず、自分の力をもって自分の運命を支配し変革しょうとし、さらに進んでは他人をも支配しょうとした。これは高い身分にいることから激発される権力欲ばかりではなかった。彼女たちの特殊な生活環境もまた、彼女たちを一場の激しい 「生存競争」 の只中に投げ入れずにはおかなかったのである。
興慶宮002
 

(改訂版)7毛文錫《巻五12更漏子一首》『花間集』全詩訳注解説213(改Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6337

毛文錫  更漏子  

春夜闌,春恨切,花外子規啼月。人不見,夢難憑,紅紗一點燈。

偏怨別,是芳節,庭中丁香千結。宵霧散,曉霞輝,梁間雙鷰飛。

(春の夜の時の移り変わり、三春の時、別れてからの時、やがて人が訪ねて来なくなる時、秋の夜の燈火の時、そして庭の丁子が蕾を付け、「同心結」した春が来て、ツバメが軒下に子作りをした。寡婦の情を詠う。)春の盛りの夜の宴、こんな春には恨みが身に染みるもので、春の終わりには交際も断絶する、花の彼方には月に囁く子規が恋しい胸の内を訴える様になきはじめる。訪ねてくるひとのなく、夢のなかで逢追うと思っても、それさえも難しくなる。灯火はただ一つ、紅く戸張に映るだけだ。ひたすらに別れたことを怨みに思っているけれど、いま、最高の季節とである、庭先の丁字の花のように、せっそうをかたくまもっているし、千年さきまでと「同心結」と約束してくれたことを信じている。それでもまた、今日も宵闇の霧は消えさり、朝になれば、朝靄は晴れ、空は輝き始める、ことしもまた、梁のあいだを番の燕がとびかうようになった。

(改訂版)7毛文錫《巻五12更漏子一首》『花間集』全詩訳注解説213<!--[if !supportFields]-->改<!--[endif]-->Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6337

 

 
 2015年7月21日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-77 <940> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335 
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更漏子

(春の夜の時の移り変わり、三春の時、別れてからの時、やがて人が訪ねて来なくなる時、秋の夜の燈火の時、そして庭の丁子が蕾を付け、「同心結」した春が来て、ツバメが軒下に子作りをした。寡婦の情を詠う。)

春夜闌,春恨切,花外子規啼月。

春の盛りの夜の宴、こんな春には恨みが身に染みるもので、春の終わりには交際も断絶する、花の彼方には月に囁く子規が恋しい胸の内を訴える様になきはじめる。

人不見,夢難憑,紅紗一點燈。

訪ねてくるひとのなく、夢のなかで逢追うと思っても、それさえも難しくなる。灯火はただ一つ、紅く戸張に映るだけだ。

偏怨別,是芳節,庭中丁香千結。

ひたすらに別れたことを怨みに思っているけれど、いま、最高の季節とである、庭先の丁字の花のように、せっそうをかたくまもっているし、千年さきまでと「同心結」と約束してくれたことを信じている。

宵霧散,曉霞輝,梁間雙鷰飛。

それでもまた、今日も宵闇の霧は消えさり、朝になれば、朝靄は晴れ、空は輝き始める、ことしもまた、梁のあいだを番の燕がとびかうようになった。

 

(更漏子【こうろうし】)

春夜闌【たけなわ】にして,春恨 切に,花外にして 子規 月に啼く。

人見ず,夢 憑【たの】み難く,紅紗 一點の燈。

偏【ひとえ】に別れを怨み,是れ芳節,庭中 丁香 千結す。

宵霧 散り,曉霞 輝き,梁間 雙鷰 飛ぶ。

 

 

『更漏子』 現代語訳と訳註

(本文)

更漏子

春夜闌,春恨切,花外子規啼月。

人不見,夢難憑,紅紗一點燈。

偏怨別,是芳節,庭中丁香千結。

宵霧散,曉霞輝,梁間雙鷰飛。

 

(下し文)

(更漏子【こうろうし】)

春夜闌【たけなわ】にして,春恨 切に,花外にして 子規 月に啼く。

人見ず,夢 憑【たの】み難く,紅紗 一點の燈。

偏【ひとえ】に別れを怨み,是れ芳節,庭中 丁香 千結す。

宵霧 散り,曉霞 輝き,梁間 雙鷰 飛ぶ。

 

(現代語訳)

(春の夜の時の移り変わり、三春の時、別れてからの時、やがて人が訪ねて来なくなる時、秋の夜の燈火の時、そして庭の丁子が蕾を付け、「同心結」した春が来て、ツバメが軒下に子作りをした。寡婦の情を詠う。)

春の盛りの夜の宴、こんな春には恨みが身に染みるもので、春の終わりには交際も断絶する、花の彼方には月に囁く子規が恋しい胸の内を訴える様になきはじめる。

訪ねてくるひとのなく、夢のなかで逢追うと思っても、それさえも難しくなる。灯火はただ一つ、紅く戸張に映るだけだ。

ひたすらに別れたことを怨みに思っているけれど、いま、最高の季節とである、庭先の丁字の花のように、せっそうをかたくまもっているし、千年さきまでと「同心結」と約束してくれたことを信じている。

それでもまた、今日も宵闇の霧は消えさり、朝になれば、朝靄は晴れ、空は輝き始める、ことしもまた、梁のあいだを番の燕がとびかうようになった。

 

 

(訳注)

更漏子

(春の夜の時の移り変わり、三春の時、別れてからの時、やがて人が訪ねて来なくなる時、秋の夜の燈火の時、そして庭の丁子が蕾を付け、「同心結」した春が来て、ツバメが軒下に子作りをした。寡婦の情を詠う。)

更漏 夜の時を刻むことをいい、一人寝の寂しさを詠う。

前段は、眠れぬ時を送る孤閏の悲しみを述べ、後段、丁字(チョウジ)の花は愁いが心から離れぬことを表し、番の燕は身の孤独を際上江たせる。ただ、ここに登場する女性は、別れた男がどこに行ったのかだれなのか師の言葉の中から直接的なものは見いだせない。こういう女性は、寵愛を失った女性であること、生活の心配がない女性ということであり、妓女、妓優ではないし、戦争や、兵役で送り出した寡婦でもない、ある時期寵愛を受け、寵愛を失って久しい妃嬪ということであろう。

『花間集』には毛文錫の作が一首収められている。双調四十六字、前段二十三字六句二仄韻二平韻、後段二十三字六句三仄韻二平韻で、3❸❻3③⑤/❸❸❻3③⑤の詞形をとる。

更漏子

春夜闌, 春恨, 花外子規啼。 人不見, 夢難, 紅紗一點

偏怨, 是芳, 庭中丁香千。 宵霧散, 曉霞, 梁間雙鷰

○●○  ○●●  ○●●○○●  ○△●  △△○  ○○●●○

△△●  ●○●  ○△○○○●  ○△●  ●○○  ○△○●○

更漏子という題で、花間集には温庭筠、韋莊、牛嶠、毛文錫、孫光憲、毛熙震などの作が収録されている。

123 更漏子 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-282-5-#36  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2957

『更漏子 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-15-2-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1676

『更漏子 二』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-16-2-#2 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1680

『更漏子 三』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-17-2-#3 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1684

『更漏子 四』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-18-2-#4 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1688

『更漏子 五』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-19-2-#5 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1692

『更漏子 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-20-2-#6 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1696

更漏子三首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-325-6-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3172

更漏子三首 其二 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-326-6-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3177

更漏子三首 其三 牛嶠【ぎゅうきょう】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-327-6-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3182

 

春夜闌,春恨切,花外子規啼月。

春の盛りの夜の宴、こんな春には恨みが身に染みるもので、春の終わりには交際も断絶する、花の彼方には月に囁く子規が恋しい胸の内を訴える様になきはじめる。

○春夜闌 :①盛春、②深夜、③宴席がたけなわ、④性交の絶頂期 ・春恨:①盛春を過ぎようとするのに待ち人が来ない、②春わずかな間に別れを告げられる ・子規:晩春から初夏にかけて鳴く。

○子規 ホトトギス。晩春から初夏。子規と杜鵜とは別種との説があるが恐らくは同じものであろう。ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑
成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

766年大暦元年55-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090

766年大暦元年55-2-2 《杜鵑 -#2》 杜甫index-15 杜甫<865ー#2>漢文委員kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5095

766年大暦元年55-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100

この三句で早春、盛春、晩春の三春という時間経過を示す。

 

人不見,夢難憑,紅紗一點燈。

訪ねてくるひとのなく、夢のなかで逢追うと思っても、それさえも難しくなる。灯火はただ一つ、紅く戸張に映るだけだ。

○人不見 愛する人の姿のないこと。

○難憑 1 今は夢しか会えず、よりかかる、頼みにする、よりどころとするのが難しい。2 霊がのり移りがたし。つきがたし。

 

偏怨別,是芳節,庭中丁香千結。

ひたすらに別れたことを怨みに思っているけれど、いま、最高の季節とである、庭先の丁字の花のように、せっそうをかたくまもっているし、千年さきまでと「同心結」と約束してくれたことを信じている。

○偏怨別是芳節 今が美しい春の季節であるがため、別離が一層辛い、の意。

○丁香千結 チョウジの花が千々に結び咲く。本句は実景を描くと同時に女性の愁いが千々に結ばれて解けぬことを言う。チョウジの花は、愁いに心が結ばれて解けぬ比喩。

牛嶠「感恩多」其二

自從南浦別,愁見丁香結

近來情轉深,憶鴛衾。

幾度將書托煙鴈,淚盈襟。

淚盈襟,禮月求天,願君知我心。

チョウジの花が開花の崎でも花びらが閉じたようになっていること。愁いに心が結ばれて解けぬ比喩。香の字を用いているのは、チョウジの花を乾燥させたものが薬剤や香辛料として用いられたことによるもの。

 

宵霧散,曉霞輝,梁間雙鷰飛。

それでもまた、今日も宵闇の霧は消えさり、朝になれば、朝靄は晴れ、空は輝き始める、ことしもまた、梁のあいだを番の燕がとびかうようになった。

宵霧は散り,曉霞は輝き,梁間には雙鷰が飛ぶ。

 

 

接賢賓

香韉鏤襜五花驄,春景初融。

流珠噴沫躞蹀,汗血流紅。

少年公子能乘馭,金鑣玉轡瓏璁。

為惜珊瑚鞭不下,驕生百步千蹤。

信穿花,從拂柳,向九陌追風。

 

贊浦子

錦帳添香睡,金鑪換夕薰。

懶結芙蓉帶,慵拖翡翠裙。

正是桃夭柳媚,那堪暮雨朝雲。

宋玉高唐意,裁瓊欲贈君。

 

甘州遍二首

其一

春光好,公子愛閑遊,足風流。

金鞍白馬,雕弓寶劍,紅纓錦襜出長鞦。

花蔽膝,玉銜頭。

尋芳逐勝歡宴,絲竹不曾休。

美人唱,揭調是《甘州》。醉紅樓。

堯年舜日,樂聖永無憂。

 

其二

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

青塚北,黑山西。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

 

花間集 毛文錫の作品

虞美人二首其一

虞美人二首其二

酒泉子一首

喜遷鶯一首

贊成功一首

西溪子一首

中興樂一首

更漏子一首

接賢賓一首

贊浦子一首

甘州遍一首

恨二首

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柳含煙四首其一

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