玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

花間集 巻八 魏承班

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
******************************************

温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

13魏承班《巻八50菩薩蠻二首 其二》『花間集』402全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7274

魏承班  菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

巻八50

菩薩蠻二首 其二

13魏承班

(改訂版Ver.2.1

《花間集》402巻八50

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7274

 

 

 

 

魏承斑(生卒年未詳、およそ九三〇年前後に在世)

前蜀の詞人。字、出身地ともに未詳。魏承斑の父親の魏宏夫は、前蜀の王建の養子となり、王宗弼の名を賜り、斉王に封じられた。蜀承斑は鮒馬都尉(皇女の婿に与えられる官職)となり、官は大尉に至った。その詞は、専ら抒情を主とし、淡白にして明噺で、人々は好んでその詞を模倣したと言われ、薛昭蘊や牛橋には譲るが、毛文錫には勝ると評価されている。『花間集』には十五首の詞が収められている。全唐詩によりなお六首を補うことができる。詞風は溫庭筠に近い。

 

 

花間集 巻八 魏太尉承班二首

花間集 巻九 魏太尉承班十三首

 

 

菩薩蠻二首

 

菩薩蠻二首 其一

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

相見綺筵時,深情暗共知。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

(菩薩蠻二首 其の一)

羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。

相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。

翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。

宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。

 

菩薩蠻二首 其二

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

 

(菩薩蠻二首 其の二)

羅衣 隱約たり 金泥の畫,玳筵【たいえん】一曲 秋夜に當る。

聲 戰【ふる】え 人を覷ること嬌かし,雲鬟 翠翹 裊【ゆ】れる。

酒醺 紅玉輭【やわら】かに,眉翠 秋山遠し。

繡幌【しゅうこう】麝煙 沉み,誰れ人か 兩心を知らん。

 

大明宮の圖003
 

『菩薩蠻二首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

 

(下し文)

(菩薩蠻二首 其の二)

羅衣 隱約たり 金泥の畫,玳筵【たいえん】一曲 秋夜に當る。

聲 戰【ふる】え 人を覷ること嬌かし,雲鬟 翠翹 裊【ゆ】れる。

酒醺 紅玉輭【やわら】かに,眉翠 秋山遠し。

繡幌【しゅうこう】麝煙 沉み,誰れ人か 兩心を知らん。

 

(現代語訳)

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

 

(訳注)

菩薩蛮二首其二

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

後段、宴も終わった時には、彼女は酔って顔を紅く染め、男と香の煙なびく自室の帳の内に戻るが、二人の胸の内を知る者は誰一人いないと言う。

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だったという。

彼女らも、芸を売ることだけだったということではなく、歌、踊りの後天子のものとでその夜を過すということは当然あった。富貴の者の家に置かれた芸妓たちも同様であり、軍隊や地方官庁に置かれた官妓も同じであった。

この詩の中ではもっとも高貴なものの酒宴であったので、天子の御手が着いたということであろう。

たとえば、『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。

菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波,眉間畫時山兩

相見綺筵,深情暗共

翠翹雲鬢,斂態彈金

宴罷入蘭,邀入解珮

○○●●○○●  ○△●○○●●

△●●○○  △○●△○

●△○●●  ●●△○●

●△●○○  ○●●●○

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥,玳筵一曲當秋

聲戰覷人,雲鬟裊翠

酒醺紅玉,眉翠秋山

繡幌麝煙,誰人知兩

○△●●○△●  ●○●●△○●

○●●○△  ○○●●△

●○○●●  ○●○○●

●●●○○  ○○○●○

興慶宮沈香亭
 

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

7 隠約 ほのかかなさま。①はっきりと見分けがたいこと。②言葉は簡単でも意味が奥深いこと。また、あからさまに表現しないこと

8 玳筵 玳瑁の筵。玳瑁は海亀の一種で、甲羅が半透明なところから珍重される。ここでは豪華な宴席、興慶宮勤政楼を指す。

 

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

9 聲戰 おおらかに声を震わせて独唱する。

唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

10 紅玉輭 ここでは酒に酔って紅くなった歌妓の頬のこと。

11 秋山 ここでは女の眉を指すが、遠き山であり、紅く染まった頬は色づく秋の山である。眉と女がよこになったシルエットを山で喩える姿をいう。屏風と山は女体を意味する。

 

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

12 麝煙沉 麝香の煙が低くなびくこと。

 

 

 

《菩薩蠻二首》 【字解】

 

1 羅:絡み織を用いた、目の粗い絹織物の一種。 もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなった。2 :膝から下という意味。転じて、衣服の下の方。

3 眉間山兩點 花鈿をかくこと。

4 翹《意味》. あげる。鳥の尾羽のように、高くかかげる。つまだてる。つま先だって背を高くする。 特に秀でた人。また、特にすぐれているさま。ぬきんでる。 【翹楚】ぎょうそ. 大勢の中でとびぬけてすぐれていること。また、その人。 「楚」は、特に丈の高い木。

5 斂態彈金鳳 服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。斂態:服の乱れをまとめること。

酒泉子三首其三

斂態前,裊裊雀釵頸。

鷰成雙,鸞對影,耦新知。

玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。

翠連娟,紅縹渺,早粧時。

12孫光憲《巻八19酒泉子三首其三》『花間集』371全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7127

6 珮璫 佩び玉と耳飾り。・珮:① 身につけるもの。腰にさげる装飾品。 奈良時代,礼服(らいふく)に用いた装飾品。組み糸に玉を通し,胸の下から沓(くつ)のところまで垂らし,歩くときに鳴るようにしたもの。おんもの。玉佩。・璫:耳珠・冠飾。〔「木尻」の意〕 刀剣の鞘(さや)の末端。また,そこにはめる金物。 〘建〙(「木尻」とも書く)部材の先端の総称。主として,破風板・垂木などの下方の端。

巻 八49 菩薩蠻二首 其一 13 魏承班 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》401巻八49 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7269

魏承班  菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。相見綺筵時,深情暗共知。

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

49

菩薩蠻二首 其一

13

魏承班

(改訂版Ver.2.1

《花間集》401巻八49

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7269

 

 
  2016年1月31日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(70)李太白集卷十六23-《送白利從金吾董將軍西征》(西羌延國討,) 389Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(70) Ⅰ李白詩1745 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7265  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈128《 巻01-13南山詩 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1657> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7261  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574> 767年大暦2年56歲-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 巻 八49 菩薩蠻二首 其一 13 魏承班 (改訂版Ver.2.1) 《花間集》401巻八49 全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7269  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

菩薩蠻の世界(1

歴史絵巻は私たちに唐代の女性の生き生きとした姿を示してくれる。

彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。

·施肩吾少婦游春詞

簇錦攢花勝遊,萬人行處最風流。無端自向春園裏,笑摘青梅阿侯。

(錦を集め、花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流。端無くも自ら向う春園の裏,笑うて摘む青梅阿侯。)(七言句押尤韻)

「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

杜甫《卷二41 麗人行》

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。

三月三日 天氣新たに,長安の水邊 麗人多し。

態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

態は濃く 意は遠くして淑且かつ真に,肌理きりは 細膩さい ぢ にして  骨肉は勻ひとし。

繡羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。

繍羅しう ら の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金しゅくきんの孔雀 く じゃく  銀の麒麟 き りん。

頭上何所有,翠微盍葉垂鬢脣。

頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉おうようと爲して鬢びん脣しんに 垂たる。

背後何所見,珠壓腰衱穩稱身。

背後何の見る所ぞ,珠は腰衱えうけふを壓して穩やかに身に稱かなふ。』

就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

就中なかんづく 雲幕の椒房せうばうの親しん,名を賜ふ 大國  虢くゎくと秦しんと。

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。

紫駝しだの峰を翠釜すゐ ふ より 出いだし,水精の盤に  素鱗 行くばる。

犀箸厭飫久未下,鑾刀縷切空紛綸。

犀箸さいちょ 厭飫えんよして久しく未だ下さず,鸞刀らんたう 縷切る せつして  空しく紛綸たり。

黃門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。

黄門 鞚くつわを飛ばして塵を動かさず,御廚ぎょちゅう 絡繹らくえきとして 八珍を送る。

簫鼓哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。

簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從ひんじゅう 雜遝ざったふして  要津えうしんに實みつ。』

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。

後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡んする,軒に當たりて 馬より下りて  錦茵きんいんに入る。

楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。

楊花やうくゎ 雪のごとく落ちて  白蘋はくひんを覆ひ,靑鳥 飛び去りて  紅巾こうきんを銜ふくむ。

炙手可熱勢倫,慎莫近前丞相嗔。

手を炙あぶらば 熱す可べし  勢は絶倫なり,慎みて 近前する莫れ  丞相じょうしゃう 嗔いからん。』

麗人行  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。

「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」(瓜田李下の疑い、唐人は譏らず。)

「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。

宋の洪邁《容齋三筆‧白公夜聞歌者》「然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」

 

彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。

またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。

杜甫の《卷四32哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。天子の乗り物の前に才人などの騎兵隊の女官たちが、弓矢を腰に携えていたのだ。先導する白馬は、黄金製のくつわを噛んで堂々としたものだった。体の向きを変えるように、恩ある天子に向かって仰向(あおむ)いて、雲に反旗の矢を射掛ける。楊貴妃の微笑による王朝の頽廃は、梧桐のつがいになって翼を並べて飛んでいた鳥が、ちょうど墜されたのだ卷四32哀江頭と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。

彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。

 

彼女たちの家庭における地位は比較的高く、「婦は強く夫は弱く、内(女)は齢く外(男)は柔かい」(張鷲『朝野愈載』巻四)といった現象はどこにでも見られた。唐朝の前期には上は天子から下は公卿・士大夫に至るまで、「恐妻」がなんと時代風潮にさえなったのである。ある道化の楽人は唐の中宗の面前で、「かかあ天下も大いに結構」(孟築『本事詩』嘲戯)と歌ったことで、韋皇后から褒美をもらったという。御史大夫の襲談は恐妻家としてたいへん有名であったばかりか、妻は恐るべしという理論までもっていた。妻たちが家で勝手気ままに振舞っているのを見聞したある人は、大いに慨嘆して次のようにいった。「家をもてば妻がこれをほしいままにし、国をもてば妻がそれを占拠し、天下をもてば妻がそれを指図する」(干義方『異心符』)と。

この時代には、まだ「女子は才無きが輒ち是れ徳なり」(清の石成金の『家訓抄』が引く明の陳眉公の語)という観念は形成されていなかった。宮廷の妃嫁、貴婦人、令嬢から貧しい家の娘、尼僧や女道士、娼妓や女俳優、はては婦女にいたるまで文字を識る者がきわめで多く、女性たちが書を読み文を作り、詩を吟じ賊を作る風潮がたいへん盛んであった。これによって唐代には数多くの才能ある女性詩人が生れたのである。女道士の魚玄機はかつて嘆息して、「自ら恨む 羅衣の 詩句を掩うを、頭を挙げて空しく羨む 模中の名(女に生れて詩文の才を発揮できないのが恨めしい。むなしく科挙合格者の名簿を眺める)」(「崇真観の南楼に遊び、新及第の題名の処を括る」)と詠んだ。この詩句は、女性が才能の点で男性に譲らぬ自信をもってはいるが、男とともに金棒(科挙合格者発表の掲示板)に名を載せ、才能を発揮できない無念さをよく表している。

 

 

花間集 巻八 魏太尉承班二首  / 花間集 巻九 魏太尉承班十三首

 

魏承斑(生卒年未詳、およそ九三〇年前後に在世)

前蜀の詞人。字、出身地ともに未詳。魏承斑の父親の魏宏夫は、前蜀の王建の養子となり、王宗弼の名を賜り、斉王に封じられた。蜀承斑は鮒馬都尉(皇女の婿に与えられる官職)となり、官は大尉に至った。その詞は、専ら抒情を主とし、淡白にして明噺で、人々は好んでその詞を模倣したと言われ、薛昭蘊や牛橋には譲るが、毛文錫には勝ると評価されている。『花間集』には十五首の詞が収められている。全唐詩によりなお六首を補うことができる。詞風は溫庭筠に近い。

 

 

菩薩蠻二首 其一

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

相見綺筵時,深情暗共知。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

(菩薩蠻二首 其の一)

羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。

相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。

翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。

宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。

 

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

 

大明宮の圖003
 

『菩薩蠻二首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

相見綺筵時,深情暗共知。

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

 

(下し文)

(菩薩蠻二首 其の一)

羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。

相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。

翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。

宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。

 

(現代語訳)

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

興慶宮沈香亭
 

(訳注)

菩薩蛮二首其一

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

 

『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。

菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波,眉間畫時山兩

相見綺筵,深情暗共

翠翹雲鬢,斂態彈金

宴罷入蘭,邀入解珮

○○●●○○●  ○△●○○●●

△●●○○  △○●△○

●△○●●  ●●△○●

●△●○○  ○●●●○

 

羅裾 薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。妃嬪の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

1 羅:絡み織を用いた、目の粗い絹織物の一種。 もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなった。2 :膝から下という意味。転じて、衣服の下の方。

3 眉間山兩點 花鈿をかくこと。

 

相見綺筵時,深情暗共知。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

 

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

妃嬪は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

4 翹《意味》. あげる。鳥の尾羽のように、高くかかげる。つまだてる。つま先だって背を高くする。 特に秀でた人。また、特にすぐれているさま。ぬきんでる。 【翹楚】ぎょうそ. 大勢の中でとびぬけてすぐれていること。また、その人。 「楚」は、特に丈の高い木。

5 斂態彈金鳳 服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。斂態:服の乱れをまとめること。

酒泉子三首其三

斂態前,裊裊雀釵頸。

鷰成雙,鸞對影,耦新知。

玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。

翠連娟,紅縹渺,早粧時。

12孫光憲《巻八19酒泉子三首其三》『花間集』371全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7127

 

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

6 珮璫 佩び玉と耳飾り。・珮:① 身につけるもの。腰にさげる装飾品。 奈良時代,礼服(らいふく)に用いた装飾品。組み糸に玉を通し,胸の下から沓(くつ)のところまで垂らし,歩くときに鳴るようにしたもの。おんもの。玉佩。・璫:耳珠・冠飾。〔「木尻」の意〕 刀剣の鞘(さや)の末端。また,そこにはめる金物。 〘建〙(「木尻」とも書く)部材の先端の総称。主として,破風板・垂木などの下方の端。

 

続きを読む
記事検索
ギャラリー
  • もう少しすると、ブログを再開します。
  • もう少しすると、ブログを再開します。
  • 玉臺・巻四-20 雜詩六首其三 題書後寄行人〔鮑令睴〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10664
  • 玉臺・巻四-20 雜詩六首其三 題書後寄行人〔鮑令睴〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10664
  • 2018年5月17日 の紀頌之"6"つの校注Blog
  • 玉臺・巻四-17 擬樂府四首其四#2〔吳邁遠〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10629
  • 玉臺・巻四-17 擬樂府四首其四#2〔吳邁遠〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10629
  • 2018年5月14日  の紀頌之"6"つの校注Blog
  • 2018年5月14日  の紀頌之"6"つの校注Blog
livedoor 天気
プロフィール

紀 頌之

カテゴリー
タグクラウド
livedoor 天気
記事検索
  • ライブドアブログ