玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

徐陵

玉-014 玉臺新詠集序⒁§4-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7647

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161114

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-009卷182_22.4  月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

 

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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-3 805年陽山から江陵36

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog

757年-14 入宅三首其三 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7645

暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog

花間集 訳注解説 巻一09 (14)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其九》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7646 (11/14)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

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玉臺新詠序の字解集

玉-014 玉臺新詠集序⒁§4-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7647

 

 

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-014 玉臺新詠集序⒁§4-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7647

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

 

-001-#11

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7629

徐陵

 

(11)§3-3

 

 

 

 

玉臺新詠集序

        陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

⑴§1-1

夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬、張衡之所曽賦。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

玉-001 玉臺新詠集序.docx

⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

玉-001-#2 玉臺新詠集序⑵§1-2〈徐陵〉

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、

無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

玉-001-#3 玉臺新詠集序⑶§1-3〈徐陵〉

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

玉-001-#4 玉臺新詠集序⑷§2-1〈徐陵〉

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

玉-001-#5 玉臺新詠集序⑸§2-2〈徐陵〉

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

玉-001-#6 玉臺新詠集序⑹§2-3〈徐陵〉

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

玉-001-#7 玉臺新詠集序⑺§2-4〈徐陵〉

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

玉-001-#8 玉臺新詠集序⑻§2-5〈徐陵〉

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

 

⑿§4-1

於是麗以金箱、裝之瑶軸。 

そこでこれに十巻を附添するに黄金の箱を以てし、これを宝玉の軸に被装した。

三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、

筆者はいにしえ、後漢の三台、蔡邕の妙蹟にも比すべきものであるだけに、文字は龍躍り、蠼屈するの姿勢があるのである。

五色花牋、河北膠東之紙。

それは、五色の花模様の詩箋であり、その料紙は河北・膠東の名産である。

高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。

高楼紅粉の才媛が念入りに校勘して魯魚の誤りを正し、書中には麝香の薬剤をはさんで一応蛙損を防いである。

⒀§4-2

靈飛太甲、高擅玉函、

あたかも漢の武帝が西王母より得たる二つの書物を授かり、それにより霊飛六甲の神符を占有して他人の手の届かぬ場所に、玉白石の箱に入れた。

鴻烈仙方、長推丹枕。

それに、准南王劉安が鴻烈の仙方を人知れず長く丹枕の下に隠して置いたようにして珍蔵することにしたのである。

至如靑牛帳裏、餘曲終、

これぞ青牛の図が刺繍されているとばりというものであり、古来の楽曲歌唱が、もうすでに終わって感激したようなものである。

朱鳥窓前、新粧已竟、

南の方の神である紅鳥の窓前にあり、髪を梳き新たに化粧さえもすでに終わってしまったようである。

方當開玆縹帙、散此繩、

そうなると、はじめてこの書帙を開き、この書帯をほどきひらくのである。

永對翫於書幃、長循環於纎手、

それから、永くあいだ書斎の中で相対して玩賞するのであり、長く引き継がれるべきは、宮人のような繊手のものに反復誦読されるべきものである。

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、

どうして後漢の鄧皇后が曹大家について、儒学の春秋を読まれたとしても、儒者の業は習熟し難いものである。

竇專黃老、金丹之術不成。

漢の竇皇后が熱心に黄老の言を学ばれても、金丹の術に成功しなかったようなことになろうか。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、

むろん西蜀の豪家(劉琰)の侍婢が情をこめて纔かに王延寿の「魯霊光殿の賦」を読むのである。

東儲甲觀、流詠止於洞簫。

漢の元帝の東宮であった時、甲観の宮人がただ王褒の「洞爺の頌」を吟誦し得たのにも勝る。

孌彼諸、聊同棄日、

麗しい貌の諸姫にして空虚な日々を過ごす、聊か消遣の具となるものである。

猗歟彤管、無或譏焉。

彤管を握る女史官といえども、これに対して譏刺を加えることはあるまい。

 

⑿§4-1

是に於て麗【つ】くるに金箱を以てし、之を瑶軸に裝す。 

三臺の妙迹は、龍伸 蠖屈の書、

五色の花牋は、河北 膠東の紙。

高樓の紅粉は、仍りて魚魯の文を定め辟惡の生香、聊さか羽陵の蠹を防ぐ。

⒀§4-2

靈飛の太甲は、高く玉函を擅【ほしい】ままにし、鴻烈 仙方し、長えに丹枕を推す。

靑牛の帳裏、餘曲 終え、朱鳥の窓前、新粧 已に竟るが至るが如し。

方に玆の縹帙を開くに當り、此の繩を散じ、

永く書幃に對翫し、長えに纎手に循環す。

⒁§4-3

豈に鄧の春秋を學び、儒者の功 習い難く、竇 黃老に專らにして、金丹の術 成らざるが如くならんや。

固より西蜀の豪家、情を託する魯殿に窮まり、東儲の甲觀、流詠 洞簫に止まるに勝る。

孌たる彼の諸、聊か同じく日を棄て、

猗歟【ああ】彤管【とうかん】、或いは焉を譏る無からん。

 

玉臺新詠序の字解集

 

 

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玉-013 玉臺新詠集序⒀§4-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7641

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅰ李白詩(李白詩校注)

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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(11)§3-3

 

 

 

玉臺新詠タイトル002
 

玉臺新詠集序

        陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

⑴§1-1

夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬、張衡之所曽賦。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

玉-001 玉臺新詠集序.docx

⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

玉-001-#2 玉臺新詠集序⑵§1-2〈徐陵〉

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、

無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

玉-001-#3 玉臺新詠集序⑶§1-3〈徐陵〉

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

玉-001-#4 玉臺新詠集序⑷§2-1〈徐陵〉

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

玉-001-#5 玉臺新詠集序⑸§2-2〈徐陵〉

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

玉-001-#6 玉臺新詠集序⑹§2-3〈徐陵〉

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

玉-001-#7 玉臺新詠集序⑺§2-4〈徐陵〉

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

玉-001-#8 玉臺新詠集序⑻§2-5〈徐陵〉

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。


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玉-012 玉臺新詠集序⑿§4-1〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7635

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161112

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-007-#2 卷182_22.2 月下獨酌四首 其二-#2 (卷二三(二)一三三二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7631

 

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

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杜甫詩(1)736~751  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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-012 玉臺新詠集序⑿§4-1〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7635

⑿§4-1  そこでこれに十巻を附添するに黄金の箱を以てし、これを宝玉の軸に被装した。筆者はいにしえ、後漢の三台、蔡邕の妙蹟にも比すべきものであるだけに、文字は龍躍り、蠼屈するの姿勢があるのである。それは、五色の花模様の詩箋であり、その料紙は河北・膠東の名産である。高楼紅粉の才媛が念入りに校勘して魯魚の誤りを正し、書中には麝香の薬剤をはさんで一応蛙損を防いである。

 

-001-#11

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7629

徐陵

 

(11)§3-3

 

 

 

 

玉臺新詠タイトル
 

玉臺新詠集序

        陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

⑴§1-1

夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬、張衡之所曽賦。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、

無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

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玉-011 玉臺新詠集序⑾§3-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7629

玉-011 玉臺新詠集序⑾§3-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7629

こうして、これまで生まれた幾多の名作を、前代の名文に、当今の佳作を選定し編纂した。そしてそれらは、すべて麒麟閣に分蔵したし、儒林伝にいう、鴻都門より、分散して蔵弄されたのである。しかし、それらの篇章を収拾整理して一本にまとめないと、一般に、閲読する方法もない。そこで、燈油をともして夜分までも鈔写しつづけ、筆管をとって暁晨に浄書したのである。その結果、多くの艶歌を選録して共にまとめて十巻とした。乃ちこれは、詩経の雅頌の正声をはずかしめるものでもなく、風人温柔敦厚の本旨を乱るものでもない。乱れたとしても、わずかに黄河にそそぐ水の濁水の涇水と清流の渭水が合流するように、編纂されたという、ニ水の清濁のへだてがある程度にすぎぬというものである。


        
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 index-5 806年39歳(2)25首index-6 807~809年 20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳57首index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28首 
 index-11 819年『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 國子祭酒18首index-13 821年~822年 22首index-14 57歳・病気のため退職。没す14首韓愈 哲学・儒学「五原」孟郊 
        
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 杜甫詩(1)736~751年  53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)757年、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53首杜甫詩(6)759年 三吏三別 44首 
 杜甫詩(7)759年秦州詩 66首杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36首杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45首杜甫詩(10)761年、50歳 成都82首杜甫詩(11)762年蜀中転々43首杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49首 
        
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-001-#11

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7629

徐陵

 

(11)§3-3

 

 

 

玉臺新詠タイトル
 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。

かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。

絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。

三星未夕、不事懷衾、

未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。

五日猶賖、誰能理曲。

五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。

少託、寂寞多閒。

ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。

厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、

妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。

生長深宮、笑扶風之織錦。

深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、

たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。

爭博齊姫、心賞窮於六箸。

斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。

庶得代彼、蘇蠲玆愁疾。

したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、

こうして、これまで生まれた幾多の名作を、前代の名文に、当今の佳作を選定し編纂した。

分諸麟閣、散在鴻都。

そしてそれらは、すべて麒麟閣に分蔵したし、儒林伝にいう、鴻都門より、分散して蔵弄されたのである。

不籍篇章、無由披覽。

しかし、それらの篇章を収拾整理して一本にまとめないと、一般に、閲読する方法もない。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、

そこで、燈油をともして夜分までも鈔写しつづけ、筆管をとって暁晨に浄書したのである。

選錄艶歌、凡爲十卷。

その結果、多くの艶歌を選録して共にまとめて十巻とした。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。

乃ちこれは、詩経の雅頌の正声をはずかしめるものでもなく、風人温柔敦厚の本旨を乱るものでもない。

涇渭之間、若斯而已。

乱れたとしても、わずかに黄河にそそぐ水の濁水の涇水と清流の渭水が合流するように、編纂されたという、ニ水の清濁のへだてがある程度にすぎぬというものである。

 

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

Ta唐 長安近郊圖  新02
 

 

玉臺新詠集序現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、

分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、

選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。

涇渭之間、若斯而已。

 

 

(下し文)

§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

 

(現代語訳)

こうして、これまで生まれた幾多の名作を、前代の名文に、当今の佳作を選定し編纂した。

そしてそれらは、すべて麒麟閣に分蔵したし、儒林伝にいう、鴻都門より、分散して蔵弄されたのである。

しかし、それらの篇章を収拾整理して一本にまとめないと、一般に、閲読する方法もない。

そこで、燈油をともして夜分までも鈔写しつづけ、筆管をとって暁晨に浄書したのである。

その結果、多くの艶歌を選録して共にまとめて十巻とした。

乃ちこれは、詩経の雅頌の正声をはずかしめるものでもなく、風人温柔敦厚の本旨を乱るものでもない。

乱れたとしても、わずかに黄河にそそぐ水の濁水の涇水と清流の渭水が合流するように、編纂されたという、ニ水の清濁のへだてがある程度にすぎぬというものである。

杜甫乱前後の図003鳳翔
 

(訳注)

⑾§3-3

 

但徃世名篇、當今巧製、

こうして、これまで生まれた幾多の名作を、前代の名文に、当今の佳作を選定し編纂した。

 

分諸麟閣、散在鴻都。

そしてそれらは、すべて麒麟閣に分蔵したし、儒林伝にいう、鴻都門より、分散して蔵弄されたのである。

51.分諸麟閣 「麟閣」は麒麟関で、漢の殿名。未央官の左にあり粛何が建てたといわれ、秘書を蔵した所。「分」は分蔵すること。

52. 散在鴻都 「鴻都」は漢代、宮門の名。其の内に学を置き、書を蔵した。『漢書』「儒林伝」に、「辟雍殖・東観・蘭台・石室・宣明・鴻都の諸蔵の典第・文章より競うて共に剖散す。」とある。「剖散」は分散して蔵弄すること。

 

不籍篇章、無由披覽。

しかし、それらの篇章を収拾整理して一本にまとめないと、一般に、閲読する方法もない。

53. 不籍篇章、無由披覽 篇章を収拾して一本としないと一般の人は閲読する方法がない。

 

於是然脂暝寫、弄筆晨書、

そこで、燈油をともして夜分までも鈔写しつづけ、筆管をとって暁晨に浄書したのである。

54. 燃脂瞑写 「「瞑」はくらいこと、夜をいう。夜燈油をもやしながら写したという意。昼夜を分かたず浄書したということ。

55. 弄筆晨書 筆をとって朝早くから書いた。

 

選錄艶歌、凡爲十卷。

その結果、多くの艶歌を選録して共にまとめて十巻とした。

56. 選錄艶歌 「艶歌」はあだめいた歌。六朝の文化でもある。

 

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。

乃ちこれは、詩経の雅頌の正声をはずかしめるものでもなく、風人温柔敦厚の本旨を乱るものでもない。

57. 曽無叅於雅頌 「曾」は「乃」と同じ。「叅」ははずかしめること。ここでは見劣りすること。「雅頒」は『詩経』の雅と頌。

58. 亦靡濫於風人 「靡」は「無」と同じ。「濫」は乱ること。「風人」は「詩人」に同じ。『後漢書』「桓栄伝」に「風人の興歌する所以」とあり、『魏志』「陳思王植伝」に、「是を以て殖々穆々、風人之を詠ず」とある。錘露昇氏が「国風の作者を指す」という意味でも深くなる。

 

涇渭之間、若斯而已。

乱れたとしても、わずかに黄河にそそぐ水の濁水の涇水と清流の渭水が合流するように、編纂されたという、ニ水の清濁のへだてがある程度にすぎぬというものである。

59. 涇渭之間、若斯而己 陝西省の涇水と渭水の清濁分かるるをいう。その流域が黄土である涇水が濁り、流域が岩石で安定している渭水は澗水が清流であるが、『詩経』「榔夙谷風篇」に、「控は洞を以て濁る」とあるので、清の乾隆の時、駅西巡撫奉承恩に実地調査をさせた所、『詩経』にある通り、実際は浬水が清く洞水が濁っていたという。

 

 

玉臺新詠序の字解集

玉-010 玉臺新詠集序⑽§3-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7623

-010 玉臺新詠集序⑽§3-2〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7623

玉臺新詠集序⑽§3-2  妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。

 

-001-#9

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7617

徐陵

 

⑼§3-1

 

 

 

        
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玉臺新詠タイトル
 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。

かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。

絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。

三星未夕、不事懷衾、

未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。

五日猶賖、誰能理曲。

五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。

少託、寂寞多閒。

ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。

厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、

妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。

生長深宮、笑扶風之織錦。

深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、

たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。

爭博齊姫、心賞窮於六箸。

斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。

庶得代彼、蘇蠲玆愁疾。

したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

 

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

 

 

 

玉臺新詠集序現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊姫、心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

 

(下し文)

§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇に代り しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

 

(現代語訳)

妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。

深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。

たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。

斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。

真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。

したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。

 

(訳注)

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、

妖艶な細腰は美しいが力なく、南陽の張魯は女児の搗衣を学ぶを悟らなばならない。

44.  纎腰無力、怯南陽之擣衣 「纎腰」は一に「軽身」に作る。「無力」はなよなよとして華香なこと。「南陽」は秦漢の郡名。河南省南陽府・湖北省蓑陽府一帯の地。「擣衣」は梼衣・搗衣に同じ。きぬたをうつこと。『水経注』に、「漢水の南に女郎山あり。上に女郎家あり、下に女郎廟及び梼衣石あり。張魯の女なりと言ふ。小水北流して漢水に入る」とあり、司馬彪の『郡国志』に、「梁州の女郎山は、張魯の女の衣を石上に浣(あら)へるに、女便ち懐朶して二龍を生む。女の死して将に残せんとするに及んで、柩車忽ち騰躍して比の山に升る。遂にここに葬る」とある。旧注は刑州記によって、南郡稀帰県にある屈原の姉、女須の覇及び鴇衣石を以てこれに充て、鍾露昇氏はこれによって「南陽」を「南郡」の誤りとするが、「南陽」は南山の南、洪水の北によって名を得て居り、前記の如く、張魯の女の故事とすれば「南陽」でよいと思われる。

 

生長深宮、笑扶風之織錦。

深宮の中に生長して、扶風(陝西省)の蘇意が織錦の詩を笑う。

45. 笑扶風之織錦 「扶夙」は郡名。漢の郡治は今の駅西省威陽県の東、晋では漢陽県の西北に移っているが、いずれにしても今の陝西省。「織錦」は錦に織ったといわれる蘇意の「回文詩」をさす。蘇意は前奏の符堅の時の人、隣留の令、武功の道質の三女、名は若、字は若蘭、賛治の妻である。賓は符堅の腹心として顕職を歴任していたが、後に有名な妓女趙陽台を寵するや、蕙は嫉妬のあまり之に捶辱を加えたので、賓も怒り、安南将軍として襄陽に赴任する時、ひとり陽台のみを供して蘇氏との音問を絶った。のち蘇氏も恨悔して回文の詩を作って之に寄せた。その詩は縦横八寸の錦に認めたもので、縦横反覆皆章句を成し、名づけて旋磯図といった。賓もその妙絶に感じて、陽台を送りて關中にゆかしめ、再び蘇氏をよび迎え、これより恩好いよいよ厚かったという。今その図は手近なところで王闓運の八代詩選・丁福保の八朝全詩(全漢三国晋南北朝)に載せている。縦横二十九字、題詩二百余首、文字の数は八百四十一字、五色に染めわけてあり、これをいろいろに読むことによって三言より七言に至る凡そ三千八百余首になる。その工巧無比、殆んど神技に近いといわれる。「笑」とは嘲笑すること。

 

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、

たとい玉女の投壷の妙技も、これを見物するのは育矢を往返することに終わるのみである。

46. 雖復 「雖」の字は「心賞窮於六等」までかかる。この場合、「たとい」か「もし」とよむがよい。『礼記』少儀の「推論退可也」の疏に、「経は仮令なり」とあり、『儀礼』士昏礼の「維無梯腰先」の注に、「若し或は梯無くは腰を先にして之を客とするがごとし」といっている。

47. 投壺玉女、為観尽於百験 「観」は一に「歓」に作る。観は見物すること、歓は喜ぶこと。「嬌」は一に「驍」に作るが「矯」の誤写と思われる。「投壷」は古礼の二宴会の席で一つの壷に賓主が矢を投げ入れ、勝ったものが負けたものに酒を飲ませる遊戯。『礼記』「投壷篇」にやり方が詳しく述べてある。『事物紀原』に『西京雑記』を引いて、「漠武の時、郭舎人投壷を善くし、竹を以て矢と為し、嫌を用ひず。古の投壷は中るに取りて還るを求めぎりしが、郭は則ち矢を致して還らしむ。之を験といふ。博の碁を輩中に立て駐傑と為すが如きを言ふなり。今投壷の竹矢を用ひ、激遠を為すを鋲と為すは郭舎人より始まる」といっている。鍾露昇氏は、「京王公が玉女と投壷し、投ずる毎に千二百矯なりしは『神輿経東荒経』に見ゆ。矯は即ち験。院とは其の矢を激して壷より躍り出でしめ、再び手を以て之に接するなり。屡々投じ屡々還し、一矢百余返して失墜せざるなり」と説いている。

 

爭博齊姫、心賞窮於六箸。

斉姫の双陸の手錬も、感心するのは六箸の操作だけに止まるであろう。

48. 争博斉姫、心賞窮於大著 「博」は双六の類。「斉姫」のことは未詳。但し、斉国には古より美人を産す。よって美人を斉姫というか。枚乗の「七発」に「越女、前に侍し、斉姫、後に奉ず」とある。「六箸」は一に「大著」に作る。古の博具。『説文』(河)に、「六博は局戯なり。六著は十二棊なり」とあり、『西京雑記』四に、「許博昌、陸博を善くす。賓嬰之を好み、常に居処を与にす。云々。法六等を用ひ、或は之を究と謂ふ。竹を以て之を為る。長さ六分」とある。「投雫争博」の二事は、たとい玉女・斉姫の妙技に対しても、宮女たちはさほど感心賞嘆しない意を述べた。

 

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

真に心をこめるのは、暇日に恰ばすものはないから、工夫を新詩に凝らすというものである。

49. 無怡神於暇景 「暇景」は「暇日」と同じ。ひまなこと。「怡神」は心をよろこばすこと。

 

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

したがって、これこそ皐蘇のかわりに、彼女たちの愁悶を除去することが出来ようというものである。

50. 庶得代彼蘇蠲玆愁疾 「皐」は本集には「萱」に作る。萱は忘れ草。「葬蘇」は「白苔」ともいう。木の名。『山海経』「海山経」に、「侖着の山に木あり、其の状穀の如くして赤理あり、其の汁は漆の如く、其の味は飴の如し。食ふ者は飢ゑず、以て労を釈く可し。其の名を白苔と日ふ」とあり、注に「或は皋蘇に作る」と記す。王朗の「銃の太子に与ふる書」に、「奉読歓笑、以て飢渇に籍く。復た萱草の憂を忘れ、皐蘇の労を釈くと蛙も以て加ふるなし」とある。「露」は除くこと。新詩こそ奉蘇のかわりに官女たちの憂愁を除き得ることを述べた。

 

 

玉臺新詠序の字解集

玉-009 玉臺新詠集序⑼§3-1〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7617

-009 玉臺新詠集序⑼§3-1〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7617

 

玉臺新詠集序⑼§3-1 かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

 

-001-#9

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⑼§3-1

 


        
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玉臺新詠タイトル

玉臺新詠集序

        陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

⑴§1-1

夫凌雲槩日、由余之所未窺、千門萬、張衡之所曽賦。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞、琵琶新曲、

無待石崇、箜篌雜引、非關曹植、傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

 

⑿§4-1

於是麗以金箱、裝之瑶軸。 

三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、五色花牋、河北膠東之紙。

高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。

⒀§4-2

靈飛太甲、高擅玉函、鴻烈仙方、長推丹枕、至如靑牛帳裏、

餘曲終、朱鳥窓前、新粧已竟、方當開玆縹帙、散此繩、

永對翫於書幃、長循環於纎手、

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、竇專黃老、金丹之術不成。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、東儲甲觀、流詠止於洞簫。

孌彼諸、聊同棄日、猗歟彤管、無或譏焉。

 

 

 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。

かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。

絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。

三星未夕、不事懷衾、

未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。

五日猶賖、誰能理曲。

五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。

少託、寂寞多閒。

ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。

厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊姫、心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

 

⑼§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

⑽§3-2

纎腰 力 無くして、南陽の擣衣を怯る、

深宮に生長して、扶風の織錦を笑う。

雖【たと】い復た 投壺の玉女も、歡を爲すは 百嬌に盡く、

爭博の齊姫も、心に賞するは、六箸に窮まらん。

神を暇景に怡ばす無く、唯だ 意を新詩に屬す。

庶わくは 彼の蘇にり 玆しく 愁疾を蠲【のぞ】くを得ん

⑾§3-3

但 徃世の名篇、當に今の巧製、

諸【これ】を麟閣に分ち、散じて鴻都に在り。

篇章を籍にせざれば、披覽にする由し無し。

是に於て脂を然して暝寫し、筆を弄して晨に書す、

艶歌を選錄し、凡そ十卷と爲す。

曽ち 雅頌に叅【はず】る無く、亦た風人に於て濫【みだ】るる靡【な】し。

涇渭の間、斯の若き 已【のみ】。

 

 

 

玉臺新詠集序現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。

絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、

五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。

厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

 

(下し文)

§3-1

にして椒宮宛 轉し、柘觀 隂岑たり。

絳鶴 晨に嚴し、銅蠡 晝 靜かなり。

三星 未だ夕ならざれば、衾を懷【いだ】く事をせず、

五日 猶お賖【はる】かなれば、誰か能く曲を理めん。

 託すること少く、寂寞 閒なること多し。

長樂の疎鍾に厭き、中宮の緩箭に勞る。

 

(現代語訳)

かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。

早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。

未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。

五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。

ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。

時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

 

(訳注)

⑼§3-1

(詩経の雅頌に比しても優れた詩歌を昼夜分かたず撰編し、10巻になった。)

 

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。

かくて椒房の殿角さえもまろやかにまがり、柘館の管陰は高大深邃なものである。

34. 既而 この「既」は上に述べたることを前提にして下を言い起こす辞。乃ち、もとより、という意。『詩経』「大雅鳧鷖篇」、《鳧鷖》(ふえい)、生民の什「鳧鷖在涇、公尸來燕來寧。爾酒既清、爾殽既馨、公尸燕飲、福祿來成。」(鳧鷖 涇に在り、公尸 來り 燕し來り寧んず。爾の酒 既に清く、爾の肴 既に馨し、公尸 燕飲して、福祿 來り成る。」とあるのがその例である。「而」の字があるので、軽い転接の詞として「かくて」と訳す。

35. 椒宮宛轉 「椒宮」は一に「椒房」に作る。同じ。「椒房」は①皇后の御所。②皇后・皇妃の別名。山椒を泥にまぜて塗りこむからいう。山板は暖気を与え悪気を除く効果があり、実を多く結ぶので子孫の多いことを祝する意味がある。椒房殿は未央官に在った。「宛転」は攣曲のさま。曲折の貌。「椒」は山椒(さんしよう)、「房」は室の意。中国で皇后の御所の壁に邪気を払うためと、実の多いことにあやかり、皇子が多く生まれるようにと、山椒を塗り込めたり、庭に植えたりしたところからこの名があるという。

36. 柘觀隂岑 「柘館」は漢の上林官の館名。「隂岑」は高大深邃なさま。駱賓王の「帝京篇」にも、「桂殿は陰岑として玉楼に対す」の句がある。

 

絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

早朝、宮門の紅鶴は厳重に鎖され、白昼になっても、門上の銅環は音もなく静かである。

37. 絳鶴晨嚴 「緯鶴」は紅鶴で、錘露昇氏は江総の文に「鶴籥晨に啓く」とあるから、宮門の鎖籥が鶴の形をしているのだと見た。江総の文は「陳の六宮を為るの謝表」に、「鶴籥晨に起り、雀釵 暁に映ず」とあるのをさし、文に異同があるが、鶴籥は鶴の笛と解されている。然し陳子良の「王季卿の為に王仁寿に与ふる書」には、「俱に龍樓に侍し、預りて鶴籥に陪す」とあり、鍾説に従う。

38. 銅蠡晝靜 「銅蠡」は「鋪首」ともいって、門扉に著けて環を銜える銅製の金具である。「駢雅釈宮」に、「鋪首は門錯なり」とある。鍾霹昇氏は銅蠡の起こりについて、「風俗通に、『公輸班、水中の蠡を見て、引いてその戸を閉づるに、終に開く可からず。遂に之を像にし門戸に立つ』とあり」と記している。一種の門の飾りともなっていたらしい。「緯鶴・銅蠡」の二句は、掖庭の扉は常に開かれているのではなく、日中の出入りにも、やかましい音を立てるのを禁じてあるのをいった。

 

三星未夕、不事懷衾、

未だ三星の輝く薄暮になるというのに、布団を抱いて御寝に侍する準備もないのである。

39. 三星未夕、不事懷衾 この句は『詩経』「召南小星篇」に本づく。「嘒たる彼の小星は、三五東に在り。粛々として宵征く。夙夜公に在り、寔に命同じからず。」「嘒たる彼の小星は、維れ参と昂と。粛々として宵征く。衾と裯とを抱く。寔に命同じからず」とある。序には、「夫人妬忌の行無く、恵賤妾に及ぶ。君に進御するに、其の命、貴賎あるを知りて、能く其の心を尽す」とあり、朱子もこれに従っている。後世、小星を妾のことにいうのはこの解に本づく。然し王質の『詩総聞』には、「君子、王事を以て役に行き、婦人之を送る。星を指すは、是れ夜に入るなり」といい、方玉潤は行役者の作とし、「衾と裯とを抱く」をさして、「もし比の句をして閨閤の詠たらしめは、亦青楼枕を移して人に就くの意、豈深宮、君に進御するの象ならんや」と旧説を否定している。徐陵の意は勿論序に従って説かねばならない。「三星」とは、「三・五東に在り」を受けて、星数の少ないのにいった。三・五東に在るのはこれ初昏の時である。「三星未夕」とは未だ三星の輝く薄暮に至らない意。『詩経』「唐風綢繆篇」には、「綢繆薪を束ぬ。三星天に在り」の句があり、『毛伝』では参星が東方にあらわれた初昏の時と見、『鄭箋』では三星を心星としている。一説にはこの篇に本づくとする。亦通ずるが、下旬に考えて、姑らく前説に従う。「不事懐余」は「小星篇」の「余と禍とを抱く」から来ている。「」は夜具、「」はひとえのふとん。これを抱くのは君に進御するためだというのが旧説。(新しい解釈では征夫の野営用の毛布の類と見る。徐陵の意は勿論旧説によらねばならない。)

 

五日猶賖、誰能理曲。

五日の輪番の期はまだ遠いから、誰が清曲のおさらいをするものがあろうか。

40. 五日猶賖、誰能理曲 「賖」は一に「餘」に作る。「賖」ははるかなこと。一御に五日を期としていたことは、『詩経』「小雅采緑篇」に、「五日を期と為す」とあり、『毛伝』に、「婦人は五日にして一御」とある。「理曲」とは、枚乗の「雑詩」に、「燕趙に美人多し。美なる者は顔玉の如し。羅裳の衣を被服し、戸に当って清曲を理む。音響一に何ぞ悲しき。絃急にして柱の促すを知る。情を馳せて巾帯を整ふ。沈吟柳か尉拭。双飛燕の為に、泥を衝んで君が臣に巣つくらんと恩ふ」の意をふまえている。従ってここは、「五日ごとに輪番で進御に上るので、その間がまだ違いから、絃声を急にし清曲のおさらいをする者もない」の意。

 

少託、寂寞多閒。

ただ、安閑と日を度り、情を寄せる所もなく、寂寞として職事もないから閑暇な時が多い。

41. 優少託、寂寞多閒 「はのんびり遊びくらすこと。「少託」は(趣味・技芸等)他に自分の心情をよせるものも少ないこと。「寂寞」はさびしいこと。「多閒」は何の職事もなくひまをもてあますこと。

 

厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

時を知らせる長楽宮の疎鐘の音も聴くにいとわしく、内寝の水時計の目盛りの箭も見るのが億劫である。

42. 厭長樂之疎鍾 「長楽」は宮殿の名。未央官の東隅に在った。長楽宮で時をしらせる鐘の声を聴くのもうとましい意。

43. 勞中宮之緩箭 「中宮」は内寝をいう。「緩箭」は緩やかに上りて水時計の目盛りをさす矢。「」は億劫なこと。水時計の日盛りを見るのも億劫であるという意。

玉-001-#8 玉臺新詠集序⑻§2-5〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7611

-001-#8 玉臺新詠集序⑻§2-5〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7611

 

⑻§2-5  こうして作られた清高の作品は筐裏に満ちていて、ただに、晋の傳統が妻の「芍薬花の頌」に比すべきのみならない。幾多の新作の文章は 漢の張洪茂が「葡萄酒の賦」よりも優れたものであるのである。九月九日、重陽の節句には、高い処に登り菊花の酒を飲むにあたっては、時節に合ったやさしき抒情の詩が出来ているのである。晋の万年公主が、父武帝のために寵姫左貴嬢の早世を悼んで作った作品のような生前の徳をたたえた如き名文がなくもないということである。とにかく、その容姿の麗しいことは前述の如くであるが、その才情の豊かなこともかくの通りなのである。

 

-001-#8

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7611

徐陵

 

⑻§2-5

 

 

 

        
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玉臺新詠タイトル
 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、

新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。

畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。

馺娑、騁纎腰於結風、

未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。

長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、

それかと思うと、髪は魏の文帝の宮人、莫瓊樹がなせる蝉の羽のように透けて見えるほどに解きつくした髪型であったり、或は後漢の政治家梁冀の妾孫寿の考案した「愁眉・啼妝・堕馬髻・折腰歩・齲歯笑、以て媚感を為す」とし、特に堕馬の垂髪を照し出したようなものまであった。

反揷金鈿、橫抽瑶樹。

それに、黄金作りのかんざしをそりまがるように挿し、宝珠作りのこうがいを横につき出して強い自己主張をしている。

南都石黛、最發雙蛾、

南方の都の地方でとれる石墨で念入りに蛾眉を画き、なによりもさきに、三日月眉、蛾の触鬢が美しい弧を画くのである。

北地燕支、偏開兩靨。

北方産のものである燕脂でひたすら両頬の靨鈿をくまどり、飾っている。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、

舞容の蹁躚たることは、山上の仙童が魏の文帝に丸薬を与え、「羽翼を生ず」といったことにひとしいほどである。

腰中寳鳳、授曆軒轅。

そして、簫の笛の吹奏の巧妙なるは、仙界の宮女らが腰中の宝鳳を黄帝が伶倫に命じて律を作らせたもののように、その律暦があざやかなものである。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

金星の黄色のおしろい「花黄」「花鈿」は須女と其の華やかさを争ったといい、彎々たる麝月の眉は嫦娥とさわやかさを競うというものである。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、

そして、舞う姿にあたっては、鸞鳳の驚くに似たなまめかしい袖があり、時々晋の韓掾の名香をひるがえしたようである。

飛燕長裾、宜結陳王之佩。

燕の飛ぶに似た長い裾襟 は 魏の陳思王曹植の玉珮を繋けるにふさわしいものである。

雖非圖畫、入甘泉而不分、

それは、絵にかいたほどの美人ではないが、もし描けば、甘泉宮に入った武帝妃の李夫人の名画と上下を分かち難いのである。

言異神仙、戯陽臺無

楚の懐王が高唐で逢った、神仙瑤姫とは異なるといっても、陽台の下に戯れてはそれととんと区別ができないということであろう。

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

まことに傾国といおうか傾城といおうか美人ではある、比類なき無双の美人というべきものである。

加以天時開朗、逸思雕華。

それに加えることとして、天資・天性は明朗(賢)にして、俊逸の才思は華彩を生じたのである。

妙解文章、尤工詩賦。

そして、よく文章を理解し、殊に詩賦を作るに巧みである。

琉璃硯匣、終日隨身、

そして、大切な琉璃の硯箱は、終日、身辺に携えておくのである。

翡翠筆牀、無時離手。

そこには、筆かけに翡翠の筆管は、一時たりとも手から離さない。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、

こうして作られた清高の作品は筐裏に満ちていて、ただに、晋の傳統が妻の「芍薬花の頌」に比すべきのみならない。

新製連篇、寧止葡萄之樹。

幾多の新作の文章は 漢の張洪茂が「葡萄酒の賦」よりも優れたものであるのである。

九日登高、時有緣情之作、

九月九日、重陽の節句には、高い処に登り菊花の酒を飲むにあたっては、時節に合ったやさしき抒情の詩が出来ているのである。

萬年公主、非無累德之辭。

晋の万年公主が、父武帝のために寵姫左貴嬢の早世を悼んで作った作品のような生前の徳をたたえた如き名文がなくもないということである。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

とにかく、その容姿の麗しいことは前述の如くであるが、その才情の豊かなこともかくの通りなのである。

 

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

 

 

玉臺新詠集序現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、

新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、

萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

(下し文)

§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

 

(現代語訳)

⑻§2-5

こうして作られた清高の作品は筐裏に満ちていて、ただに、晋の傳統が妻の「芍薬花の頌」に比すべきのみならない。

幾多の新作の文章は 漢の張洪茂が「葡萄酒の賦」よりも優れたものであるのである。

九月九日、重陽の節句には、高い処に登り菊花の酒を飲むにあたっては、時節に合ったやさしき抒情の詩が出来ているのである。

晋の万年公主が、父武帝のために寵姫左貴嬢の早世を悼んで作った作品のような生前の徳をたたえた如き名文がなくもないということである。

とにかく、その容姿の麗しいことは前述の如くであるが、その才情の豊かなこともかくの通りなのである。

 

(訳注)

⑻§2-5

〔以下、更に「玉臺新詠」の詩歌の選定に対して、麗貌と舞容とを反復形容し、甘泉・陽台の二句に至っては、帝寵を檀にすることを述べたものである。〕⑹§2-3、⑺§2-4のつづき

 

 

清文滿篋、非唯芍藥之花、

こうして作られた清高の作品は筐裏に満ちていて、ただに、晋の傳統が妻の「芍薬花の頌」に比すべきのみならない。

34. 清文満餞、非惟弓英之花 「清文」は下句と対して、「清・新」を分用した。「」は竹製の文箱。原稿などを入れておく。晋の傳統の妻に「芍薬花の頌」があったというが、今は伏して伝わらず、僅かに「傳統伝」に、「煜煜たる芍薬、此の前庭に植う。晨には甘露に潤ひ、昼は陽臺に晞に(かわ)く」の四句だけがのこっている。

 

新製連篇、寧止葡萄之樹。

幾多の新作の文章は 漢の張洪茂が「葡萄酒の賦」よりも優れたものであるのである。

35. 新製連篇、寧止蒲萄之樹 「新製」は新しい作品。「連篇」は篇数の多いこと。「蒲萄之樹」は鐘露昇氏は前涼の張洪茂の「葡萄酒の賦」としている。

 

九日登高、時有緣情之作、

九月九日、重陽の節句には、高い処に登り菊花の酒を飲むにあたっては、時節に合ったやさしき抒情の詩が出来ているのである。

36. 九日登高、時有縁情之作 九月九日は重陽の節句で、高い処に登り菊花の酒を飲むならわしである。「縁情」は感情の動くままにの蕃U陸機の「文賦」に、「詩は情に縁りて綺靡、賦ほ物を体して劃亮たり」とある。杜甫、

登高 重陽には高い丘に登ることを言う。この園の高処にのぼるをいう。

《卷一二58  九日》「去年登高縣北,今日重在涪江濱。」(去年 高きに登る 縣の北,今日 重ねて在る 涪江の濱。)

《卷一七25 九日(登高)諸人集於林》 「登高明朝是,相要舊俗非。」(高きに登る 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。)

《卷一九18又上後園山》「秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。」(秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。)      

《卷二○49九日五首其四》「 故里樊川菊,登高素滻源。」(故里樊川の菊,高きに登る 素滻の源。)

《卷二○九日五首其五登高》「風急天高猿嘯哀、渚清沙白鳥飛廻。」(風急に天高くして 猿嘯哀し、 渚清く沙白くして 鳥飛廻る。)

 

萬年公主、非無累德之辭。

晋の万年公主が、父武帝のために寵姫左貴嬢の早世を悼んで作った作品のような生前の徳をたたえた如き名文がなくもないということである。

37. 万年公主、非無累徳之辞 「万年公主」は晋の武帝の女。「累徳」は徳を績みかさねる意。晋の武帝の左貴妃嬪は名を芬といい、少くして学を好み、善く文を属したが、早く卒したので、帝痛悼して己まず、万年公主に詔して誄(哀悼文)を作らせ、その生前の徳行を偲ばれた。その文には左貴妃嬪の徳を形容称賛してある。一説に「累」は一に「誄」に作る。誄を作り徳行を叙べるから「誄徳之辞」といったと見るものがあるが、熟語としては生硬な感がある。

 

其佳麗也如彼、其才情也如此。

とにかく、その容姿の麗しいことは前述の如くであるが、その才情の豊かなこともかくの通りなのである。

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玉-001-#7 玉臺新詠集序⑺§2-4〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7605

玉-001-#7 玉臺新詠集序⑺§2-4〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7605

 

⑺§2-4

まことに傾国といおうか傾城といおうか美人ではある、比類なき無双の美人というべきものである。それに加えることとして、天資・天性は明朗(賢)にして、俊逸の才思は華彩を生じたのである。そして、よく文章を理解し、殊に詩賦を作るに巧みである。そして、大切な琉璃の硯箱は、終日、身辺に携えておくのである。そこには、筆かけに翡翠の筆管は、一時たりとも手から離さない。

 

 

-001-#7

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7605

徐陵

 

⑺§2-4

 

        
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⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、

新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。

畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。

馺娑、騁纎腰於結風、

未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。

長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、

それかと思うと、髪は魏の文帝の宮人、莫瓊樹がなせる蝉の羽のように透けて見えるほどに解きつくした髪型であったり、或は後漢の政治家梁冀の妾孫寿の考案した「愁眉・啼妝・堕馬髻・折腰歩・齲歯笑、以て媚感を為す」とし、特に堕馬の垂髪を照し出したようなものまであった。

反揷金鈿、橫抽瑶樹。

それに、黄金作りのかんざしをそりまがるように挿し、宝珠作りのこうがいを横につき出して強い自己主張をしている。

南都石黛、最發雙蛾、

南方の都の地方でとれる石墨で念入りに蛾眉を画き、なによりもさきに、三日月眉、蛾の触鬢が美しい弧を画くのである。

北地燕支、偏開兩靨。

北方産のものである燕脂でひたすら両頬の靨鈿をくまどり、飾っている。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、

舞容の蹁躚たることは、山上の仙童が魏の文帝に丸薬を与え、「羽翼を生ず」といったことにひとしいほどである。

腰中寳鳳、授曆軒轅。

そして、簫の笛の吹奏の巧妙なるは、仙界の宮女らが腰中の宝鳳を黄帝が伶倫に命じて律を作らせたもののように、その律暦があざやかなものである。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

金星の黄色のおしろい「花黄」「花鈿」は須女と其の華やかさを争ったといい、彎々たる麝月の眉は嫦娥とさわやかさを競うというものである。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、

そして、舞う姿にあたっては、鸞鳳の驚くに似たなまめかしい袖があり、時々晋の韓掾の名香をひるがえしたようである。

飛燕長裾、宜結陳王之佩。

燕の飛ぶに似た長い裾襟 は 魏の陳思王曹植の玉珮を繋けるにふさわしいものである。

雖非圖畫、入甘泉而不分、

それは、絵にかいたほどの美人ではないが、もし描けば、甘泉宮に入った武帝妃の李夫人の名画と上下を分かち難いのである。

言異神仙、戯陽臺無

楚の懐王が高唐で逢った、神仙瑤姫とは異なるといっても、陽台の下に戯れてはそれととんと区別ができないということであろう。

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

まことに傾国といおうか傾城といおうか美人ではある、比類なき無双の美人というべきものである。

加以天時開朗、逸思雕華。

それに加えることとして、天資・天性は明朗(賢)にして、俊逸の才思は華彩を生じたのである。

妙解文章、尤工詩賦。

そして、よく文章を理解し、殊に詩賦を作るに巧みである。

琉璃硯匣、終日隨身、

そして、大切な琉璃の硯箱は、終日、身辺に携えておくのである。

翡翠筆牀、無時離手。

そこには、筆かけに翡翠の筆管は、一時たりとも手から離さない。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

 

 

玉臺新詠集序現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。

妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、

翡翠筆牀、無時離手。


(
下し文)
⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。


(現代語訳)
⑺§2-4

まことに傾国といおうか傾城といおうか美人ではある、比類なき無双の美人というべきものである。

それに加えることとして、天資・天性は明朗(賢)にして、俊逸の才思は華彩を生じたのである。

そして、よく文章を理解し、殊に詩賦を作るに巧みである。

そして、大切な琉璃の硯箱は、終日、身辺に携えておくのである。

そこには、筆かけに翡翠の筆管は、一時たりとも手から離さない。


(
訳注)
⑺§2-4

〔以下、更に「玉臺新詠」の詩歌の選定に対して、麗貌と舞容とを反復形容し、甘泉・陽台の二句に至っては、帝寵を檀にすることを述べたものである。〕⑹§2-3のつづき

 

 

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

まことに傾国といおうか傾城といおうか美人ではある、比類なき無双の美人というべきものである。

28. 傾国傾城 一国を傾けても居ない、一城を傾けても見つからない程の美人。今日は男をして国や城を亡しても顧みない程の美人と説くけれどここでは単に美人を言う。娼妓・遊女をいうようになるのも後世の転義。また一国一城の人の耳目をそびやかす程の美人の意と見る別解も世に行わる。

29. 無對無雙 一に「無双無対」に作る。「無対」とは対偶するものがないこと。「無双」とは二人とないこと。要するに世にならびない美人のこと。

 

加以天時開朗、逸思雕華。

それに加えることとして、天資・天性は明朗(賢)にして、俊逸の才思は華彩を生じたのである。

30.  天時開朗 一に「天時」に作り、また「天精」に作る。「天情」 の二字はもと南北朝の習語、「天時」「天晴」「天精」は恐らくは訛誤であろう。「天情」は天資・天性という程の意。「開朗」は「明朗」と同じ。(陶淵明の「桃花源の記」に「豁然開朗」とある。) ここはその心がうち開けて賢明なるをいったものと思われる。『晋書』「胡奮伝」に、「奮、性開朗」とあるのがその例である。

31. 逸恩彫華 俊逸の才藻(文才)あるのをいった。前の「天情開朗」と対である。鐘露昇露昇氏は「天情開朗」を、「才情映発のごとし」と説きながら、「逸恩彫華」を、「瓢逸の思想、修飾の文彩」と二つに分けて解している。対法からいって無理である。ここは「才思絢欄」と同じに見る。

 

妙解文章、尤工詩賦。

そして、よく文章を理解し、殊に詩賦を作るに巧みである。

 

琉璃硯匣、終日隨身、

そして、大切な琉璃の硯箱は、終日、身辺に携えておくのである。

32.  琉璃硯匣 「瑠璃」は梵語で青色の宝石。ここは美しい形容に用いた。「硯匣」はすずり箱。

 

翡翠筆牀、無時離手。

そこには、筆かけに翡翠の筆管は、一時たりとも手から離さない。

33.  翡翠筆牀「翡翠」はかわせみ。また翠緑色をした宝石。亦美しいのにいった。「筆牀」は筆かけ。ここは筆という程の意に用いた。「牀」は元来物を安置する具で、筆牀・墨牀・印牀・琴牀などの例。

 


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玉-001-#6 玉臺新詠集序⑹§2-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7599

-006 玉臺新詠集序⑹§2-3〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7599

 

⑹§2-3 〔以下、更に「玉臺新詠」の詩歌の選定に対して、麗貌と舞容とを反復形容し、甘泉・陽台の二句に至っては、帝寵を檀にすることを述べたものである。〕

金星の黄色のおしろい「花黄」「花鈿」は須女と其の華やかさを争ったといい、彎々たる麝月の眉は嫦娥とさわやかさを競うというものである。

そして、舞う姿にあたっては、鸞鳳の驚くに似たなまめかしい袖があり、時々晋の韓掾の名香をひるがえしたようである。

燕の飛ぶに似た長い裾襟 は 魏の陳思王曹植の玉珮を繋けるにふさわしいものである。

それは、絵にかいたほどの美人ではないが、もし描けば、甘泉宮に入った武帝妃の李夫人の名画と上下を分かち難いのである。

楚の懐王が高唐で逢った、神仙瑤姫とは異なるといっても、陽台の下に戯れてはそれととんと区別ができないということであろう。

 

 

-001-#6

玉臺新詠集序

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徐陵

 

 (6)§2-3

 

        
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⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、

新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。

畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。

馺娑、騁纎腰於結風、

未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。

長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、

それかと思うと、髪は魏の文帝の宮人、莫瓊樹がなせる蝉の羽のように透けて見えるほどに解きつくした髪型であったり、或は後漢の政治家梁冀の妾孫寿の考案した「愁眉・啼妝・堕馬髻・折腰歩・齲歯笑、以て媚感を為す」とし、特に堕馬の垂髪を照し出したようなものまであった。

反揷金鈿、橫抽瑶樹。

それに、黄金作りのかんざしをそりまがるように挿し、宝珠作りのこうがいを横につき出して強い自己主張をしている。

南都石黛、最發雙蛾、

南方の都の地方でとれる石墨で念入りに蛾眉を画き、なによりもさきに、三日月眉、蛾の触鬢が美しい弧を画くのである。

北地燕支、偏開兩靨。

北方産のものである燕脂でひたすら両頬の靨鈿をくまどり、飾っている。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、

舞容の蹁躚たることは、山上の仙童が魏の文帝に丸薬を与え、「羽翼を生ず」といったことにひとしいほどである。

腰中寳鳳、授曆軒轅。

そして、簫の笛の吹奏の巧妙なるは、仙界の宮女らが腰中の宝鳳を黄帝が伶倫に命じて律を作らせたもののように、その律暦があざやかなものである。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

金星の黄色のおしろい「花黄」「花鈿」は須女と其の華やかさを争ったといい、彎々たる麝月の眉は嫦娥とさわやかさを競うというものである。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、

そして、舞う姿にあたっては、鸞鳳の驚くに似たなまめかしい袖があり、時々晋の韓掾の名香をひるがえしたようである。

飛燕長裾、宜結陳王之佩。

燕の飛ぶに似た長い裾襟 は 魏の陳思王曹植の玉珮を繋けるにふさわしいものである。

雖非圖畫、入甘泉而不分、

それは、絵にかいたほどの美人ではないが、もし描けば、甘泉宮に入った武帝妃の李夫人の名画と上下を分かち難いのである。

言異神仙、戯陽臺無

楚の懐王が高唐で逢った、神仙瑤姫とは異なるといっても、陽台の下に戯れてはそれととんと区別ができないということであろう。

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

 


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玉-001 玉臺新詠集序 《玉臺新詠序の字解集》 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7600

玉-001 玉臺新詠集序 《玉臺新詠序の字解集》 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7600

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161113

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

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Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-008卷182_22.3 月下獨酌四首 其三(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7637

 

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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-13 巻一 14-9-#1秋懷詩,十一首之九Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7638

 

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog

757年-13 入宅三首其二 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7639

暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog

花間集 訳注解説 巻一08 (13)回目温庭筠 《菩薩蠻十四首 其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7640 (11/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉臺新詠序の字解集

玉-013 玉臺新詠集序⒀§4-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7641

 

 

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 玉臺新詠序の字解

 

【字解】玉臺新詠序 陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

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1. 玉臺 「壁臺」「瑤臺」「金屋」などと同意義で、後宮の美人の居所を想定していて、齊の後宮、東宮御所流行の詩を主体に選定された。

2. 尚書左僕射 尚書省(しょうしょしょう)とは、中国で後漢代から元代まで存在した省。唐の三省六部体制の元で中書省・門下省の取り決めた事を六部に伝える役割を ... 後漢代には尚書台として少府の下に置かれ、長官を尚書令(一名)・副長官を尚書僕射(二名)としている。

3.徐陵 507583)中国,南朝梁,陳の文人貴族。字は孝穆(こうぼく)。梁代から文名がたかく,548年には梁朝の使節として東魏を訪問したが,江南に侯景の乱が勃発し,555年の帰国まで辛酸をなめた。陳代に尚書僕射に栄進。梁の簡文帝の皇太子時代,その東宮に父の徐摛(じよち),および庾肩吾・庾信父子とともに奉職したころの軽艶の詩文は,〈宮体〉(宮体詩)とか〈徐廋体〉とかよばれて世にむかえられた。また《玉台新詠》の編者である。

3. 抑《接続詞「そもそも」が文頭に置かれるところから》最初。発端。副詞的にも用いる。「この話には―から反対だった」「目的が―違う」[接]改めて説き起こすときに用いる語。いったい。だいたい。さて。「―人間というものは」そもそもろん【抑論】物事の始まりや、問題の起きた理由などに立ち戻って論じること。また、そのような論調。

4. 凌雲槩日 宮殿の高いのをいった。「凌雲」は雲を凌いで高く聳えること。「概日」は天日と高さが等しいこと。「概」はとかきで、斗斛に盛った物を平らにする棒である。従って、概日はその高さが太陽と平らになることである。『周書』の「武帝紀」、「鄴を平ぐるの詔」に、「或は層台累構、日に概(たいら)に雲を凌ぐ」とある。「凌雲概日」は下の「千門万戸」と対句になっている。

4. 由余 戎の臣。後に秦の宰相になる。由余の祖先は晋人で、逃げて戎に入ったもので、由余は晋国の言葉を話すことができた。B.C.626戎王の命で秦を視察する。秦繆公が官室の

 

祭器をみせると、由余は「これを人民に作らせば人民を苦しめます」と言った。繆公は「中国は詩書礼楽法律をもって政をしていても時々乱れることがある。これらの祭器がなくて、どうやって政をやっていくのだ」と問うと、由余は笑って「それが中国の乱れる所以です。上は法律により下々を責め、民は苦しむと仁義を盾に上を恨みます。国が乱れるのはこれら礼楽・法律のたぐいがあるためです。

一方、戎夷では上は純朴倹素の徳をもって下に臨み、下は忠誠信実の心をもって上につかえているため、国の政をするのは、一身を治めるようなもので、治まるいわれも知らずに治まっているのです。これこそ、ほんとうの聖人の治というものです」と言った。

繆公は由余が賢明であることがわかると内史の廖に「わしは隣国に聖人がいるのは、相手の国のうれいだと聞いている。どうしたらよかろう」と問うた。

廖は「戎王の心を女楽で乱れさせ、一方で由余を秦にとどめましょう。戎王と臣との間に隙を作り、由余を戎王に疑わせればよろしいでしょう」と言った。繆公は戎王に女楽を奏する者16人を贈った。のちに由余は帰国して戎王を諌めたが、戎王は聴かなかった。一方で繆公は人を遣り、戎王に由余を秦に与えるように説いた。このため由余はついに戎を去って秦に降り、繆公は賓客の礼をもって待遇した。そして繆公は由余に戎を討つ形勢を尋ねた。

B.C.623繆公は由余の策を用いて戎王を討ち、西戎の覇となった。穆公は由余を用い、その謀によって地を拓くこと千里、遂に西戎に覇となった(『史記』「秦本紀」)。ここは、由余は穆公の宮殿は見たであろうが、「凌雲概日」の大宮殿は未だ見たことがない筈というのである。

まず徳があり、国民に利益をあたえる。聖人の治()は民に蔵(ぞう)して府庫(ふこ)に蔵(ぞう)せず。 『聖人之蔵於民府蔵於府庫』 韓非子聖人とは、徳の高い人を指し、府庫とは財物・文書などを入れておく蔵。ここでは自分の財布のこと。

5. 千門万戸 一に「万戸千門」に作る。

6. 張衡 (78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。経歴[編集]. 没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。曾て班回の「南都の賦」に擬して「二京の賦」を作り、王侯以下の香惨を諷諌した。その作は十年の構恩を経て成ったといわれる。

張衡《西京賦》(27)(建章宮〔二〕には、次の通りである。「閈」は垣のこと。

(建章宮(二)) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

 張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)#11-2 文選 賦<114―(27)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868


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玉-001-#5 玉臺新詠集序⑸§2-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7593

-005 玉臺新詠集序⑸§2-2〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7593

 

⑸§2-2玉臺新詠集序  それかと思うと、髪は魏の文帝の宮人、莫瓊樹がなせる蝉の羽のように透けて見えるほどに解きつくした髪型であったり、或は後漢の政治家梁冀の妾孫寿の考案した「愁眉・啼妝・堕馬髻・折腰歩・齲歯笑、以て媚感を為す」とし、特に堕馬の垂髪を照し出したようなものまであった。それに、黄金作りのかんざしをそりまがるよう挿し、宝珠作りのこうがいを横につき出して強い自己主張をしている。南方の都の地方でとれる石墨で念入りに蛾眉を画き、なによりもさきに、三日月眉、蛾の触鬢が美しい弧を画くのである。北方産のものである燕脂でひたすら両頬の靨鈿をくまどり、飾っている。舞容の蹁躚たることは、山上の仙童が魏の文帝に丸薬を与え、「羽翼を生ず」といったことにひとしいほどである。そして、簫の笛の吹奏の巧妙なるは、仙界の宮女らが腰中の宝鳳を黄帝が伶倫に命じて律を作らせたもののように、その律暦があざやかなものである。

 

-001-#5

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7593

徐陵

 

 (5)§2-2

 

 

 

        
 2016年11月4日の紀頌之5つの校注Blog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 
 Ⅰ李白詩(李白詩校注)744年-004-#2卷179_16 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7589 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注806年-005 巻一 14-4-#2 秋懷詩,十一首之三 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7590 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41首index-2[800年~804年]27首index-3 805年陽山から江陵36首index-4 806年 39歳 江陵・国子博士25首 
 index-5 806年39歳(2)25首index-6 807~809年 20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳57首index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28首 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog757年-005 王十五前閣會 杜詩詳注(卷一八(四)一六○○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7591 
 杜甫詩(1)736~751年  53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)757年、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53首杜甫詩(6)759年 三吏三別 44首 
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⑴§1-1《玉臺新詠集序》

(六朝末期に編集された詩集である《玉臺新詠》)の序文。この詩集は、陳の徐陵が撰したもので六朝の新樂府を産出せしめる、当時の思想信条、感情に大きく反映せしめるものであった。)

夫凌雲槩日、由余之所未窺、

そもそも高く雲零を凌ぎ天の太陽と高さを斉しくする豪華な宮殿は(春秋時代の)晋の由余も未だ曾て見ない所であった。

千門萬、張衡之所曽賦。

千門万戸の盛況は、漢の張衡が著書の《西京賦》」にえがき出した通りである。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

そして、そこは、さながら周の穆王の壁台の上なのか、あるいは漢の武帝の金屋の中かと見まごうばかりであるばかりか、玉樹は珊瑚を枝としているのである。

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

珠簾は玳瑁ではめこみの鎮飾がほどこされてあり、その中に「宮中内職制度」により、多くの美人が住んでいるのである。

(玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

四姓良家、馳名永巷。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

楚王宮裏、無不推其細腰、

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

衞國佳人、俱言訝其纎手。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

その奥ゆかしく上品な高教養な態度は、かの西施が(范蠡の)特殊教育を受けて呉王の宮中に入ったのとも異なっている。

弟兄協律、自少小學歌、

音楽家系で育ち、その協律のなか家庭に育って、小さい時から歌を学んでいたのである。

長生河陽、由來能舞。

それに舞の盛んな河陽において成長したので、舞は無論妙手である。

琵琶新曲、無待石崇、

自ら琵琶の新曲を作るのに苦もなくて、「造新の曲、哀怨の声多し」といわれた晋の石崇を待つまでもないのである。

箜篌雜引、非關曹植。

それに、箜篌の難曲も、文選に見る魏の曹植を煩わすようなことはない。

傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

鼓瑟は(漢)名門楊(惲の)家より伝授され、吹籍は名人秦女(弄玉)より会得したものであるから、いずれも絶妙の域に達している。

 

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、

新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。

畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。

馺娑、騁纎腰於結風、

未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。

長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、

それかと思うと、髪は魏の文帝の宮人、莫瓊樹がなせる蝉の羽のように透けて見えるほどに解きつくした髪型であったり、或は後漢の政治家梁冀の妾孫寿の考案した「愁眉・啼妝・堕馬髻・折腰歩・齲歯笑、以て媚感を為す」とし、特に堕馬の垂髪を照し出したようなものまであった。

反揷金鈿、橫抽瑶樹。

それに、黄金作りのかんざしをそりまがるように挿し、宝珠作りのこうがいを横につき出して強い自己主張をしている。

南都石黛、最發雙蛾、

南方の都の地方でとれる石墨で念入りに蛾眉を画き、なによりもさきに、三日月眉、蛾の触鬢が美しい弧を画くのである。

北地燕支、偏開兩靨。

北方産のものである燕脂でひたすら両頬の靨鈿をくまどり、飾っている。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、

舞容の蹁躚たることは、山上の仙童が魏の文帝に丸薬を与え、「羽翼を生ず」といったことにひとしいほどである。

腰中寳鳳、授曆軒轅。

そして、簫の笛の吹奏の巧妙なるは、仙界の宮女らが腰中の宝鳳を黄帝が伶倫に命じて律を作らせたもののように、その律暦があざやかなものである。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。

 

 

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玉-001-#4 玉臺新詠集序⑷§2-1〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7587

-004 玉臺新詠集序⑷§2-1〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7587

 

⑷§2-1 新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

 

 

-001-#4

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7587

徐陵

 

 (⑷§2-1)

 

 

 

        
 2016年11月4日の紀頌之5つの校注Blog 
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⑴§1-1《玉臺新詠集序》

(六朝末期に編集された詩集である《玉臺新詠》)の序文。この詩集は、陳の徐陵が撰したもので六朝の新樂府を産出せしめる、当時の思想信条、感情に大きく反映せしめるものであった。)

夫凌雲槩日、由余之所未窺、

そもそも高く雲零を凌ぎ天の太陽と高さを斉しくする豪華な宮殿は(春秋時代の)晋の由余も未だ曾て見ない所であった。

千門萬、張衡之所曽賦。

千門万戸の盛況は、漢の張衡が著書の《西京賦》」にえがき出した通りである。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

そして、そこは、さながら周の穆王の壁台の上なのか、あるいは漢の武帝の金屋の中かと見まごうばかりであるばかりか、玉樹は珊瑚を枝としているのである。

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

珠簾は玳瑁ではめこみの鎮飾がほどこされてあり、その中に「宮中内職制度」により、多くの美人が住んでいるのである。

(玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

四姓良家、馳名永巷。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

楚王宮裏、無不推其細腰、

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

衞國佳人、俱言訝其纎手。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

その奥ゆかしく上品な高教養な態度は、かの西施が(范蠡の)特殊教育を受けて呉王の宮中に入ったのとも異なっている。

弟兄協律、自少小學歌、

音楽家系で育ち、その協律のなか家庭に育って、小さい時から歌を学んでいたのである。

長生河陽、由來能舞。

それに舞の盛んな河陽において成長したので、舞は無論妙手である。

琵琶新曲、無待石崇、

自ら琵琶の新曲を作るのに苦もなくて、「造新の曲、哀怨の声多し」といわれた晋の石崇を待つまでもないのである。

箜篌雜引、非關曹植。

それに、箜篌の難曲も、文選に見る魏の曹植を煩わすようなことはない。

傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

鼓瑟は(漢)名門楊(惲の)家より伝授され、吹籍は名人秦女(弄玉)より会得したものであるから、いずれも絶妙の域に達している。

 

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、

新寵の名が長楽官に聞こえてきたといえば、漢の陳皇后の阿嬌(武帝の皇后)であることはだれもが知って心に憤懣をいだくのである。

畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

天仙の肖像画を見たならば、それは匈奴の王妃閼氏を見ることであり、絶対に寵愛を大いに受けるに違いないから、同時に嫉妬の心を生ずるにちがいない。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

或は宋玉の賦にいう東隣の美女(衛子夫)が帝(漢の武帝)の更衣の処に御寝に侍り寵愛を得たるのをいうのであり、また西子が微しく眉をひそめて甲帳の中に横臥するを得たるが如くをあげられる。

馺娑、騁纎腰於結風、

未央宮の駿婆殿に陪遊しては、その柳のような細腰を疾風に舞わしたものだ。

長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

そして、鴛鷺宮にいつまでも華やかに、永楽して、新編の秦声を即座に歌曲にのせてうたうのである。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑷§2-1

寵 長樂に聞ゆるが若きに至りては、陳后知りて平かならず、

畫 天仙を出せば、閼氏覽て遥かに妬み至るが如し。

東鄰の巧笑に 來りて寢に更衣に侍し、西子の微嚬【びひん】せるは橫に甲帳に陳なるを得。

馺娑にしては、纎腰を結風に騁せ、鴛鴦に長樂しては、奏 聲を度曲に新たにす。

⑸§2-2

鳴蟬の薄鬂を粧い、墮馬の垂鬟を照し。

反まがって金鈿を揷し、橫ざまに瑶樹を抽く。

南都の石黛は、最も雙蛾を發き、

北地の燕支は、偏えに兩靨を開く。

亦た嶺上の仙童、丸を魏帝に分ち、腰中の寳鳳、曆を軒轅に授くる有り。

⑹§2-3

金星は将に婺女【ぶじょ】と華を爭い、麝月は姮娥と爽を兢う。

驚鸞の冶袖は、時に韓掾の香を飄し、飛燕の長裾は、陳王の佩を結ぶに宜し。

圖畫に非ずと雖も、甘泉に入りて分たず、

神仙に異なると言うも、陽臺に戯れてつなし

⑺§2-4

眞に傾國、傾城、無對、無雙の者と謂う可きなり。

加うるに天時の開朗、逸思の雕華を以てす。

妙に文章を解し、尤とも詩賦に工みなり。

琉璃の硯匣、終日 身に隨い、

翡翠の筆牀は、時として手より離す無し。

⑻§2-5

清文の篋に滿つるは、唯 芍藥の花のみに非ず、

新製の篇に連ぬるは、寧んぞ葡萄の樹に止まらん。

九日 登高、時に緣情の作有り、

萬年公主、累德の辭 無きに非ず。

其の佳麗や 彼の如く、其の才情あるや 此の如し。


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玉-001-#3 玉臺新詠集序⑶§1-3〈徐陵〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7581

-001-#3 玉臺新詠集序⑶§1-3〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7581

 

玉臺新詠集序⑶ その奥ゆかしく上品な高教養な態度は、かの西施が(范蠡の)特殊教育を受けて呉王の宮中に入ったのとも異なっている。

音楽家系で育ち、その協律のなか家庭に育って、小さい時から歌を学んでいたのである。

それに舞の盛んな河陽において成長したので、舞は無論妙手である。

自ら琵琶の新曲を作るのに苦もなくて、「造新の曲、哀怨の声多し」といわれた晋の石崇を待つまでもないのである。

それに、箜篌の難曲も、文選に見る魏の曹植を煩わすようなことはない。

鼓瑟は(漢)名門楊(惲の)家より伝授され、吹籍は名人秦女(弄玉)より会得したものであるから、いずれも絶妙の域に達している。

 

 

-001-#3

玉臺新詠集序

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徐陵

 

 (⑶§1-3)

 

        
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 index-11 819年『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 國子祭酒18首index-13 821年~822年 22首index-14 57歳・病気のため退職。没す14首韓愈 哲学・儒学「五原」孟郊 
        
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⑴§1-1《玉臺新詠集序》

(六朝末期に編集された詩集である《玉臺新詠》)の序文。この詩集は、陳の徐陵が撰したもので六朝の新樂府を産出せしめる、当時の思想信条、感情に大きく反映せしめるものであった。)

夫凌雲槩日、由余之所未窺、

そもそも高く雲零を凌ぎ天の太陽と高さを斉しくする豪華な宮殿は(春秋時代の)晋の由余も未だ曾て見ない所であった。

千門萬、張衡之所曽賦。

千門万戸の盛況は、漢の張衡が著書の《西京賦》」にえがき出した通りである。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

そして、そこは、さながら周の穆王の壁台の上なのか、あるいは漢の武帝の金屋の中かと見まごうばかりであるばかりか、玉樹は珊瑚を枝としているのである。

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

珠簾は玳瑁ではめこみの鎮飾がほどこされてあり、その中に「宮中内職制度」により、多くの美人が住んでいるのである。

(玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

四姓良家、馳名永巷。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

楚王宮裏、無不推其細腰、

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

衞國佳人、俱言訝其纎手。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

その奥ゆかしく上品な高教養な態度は、かの西施が(范蠡の)特殊教育を受けて呉王の宮中に入ったのとも異なっている。

弟兄協律、自少小學歌、

音楽家系で育ち、その協律のなか家庭に育って、小さい時から歌を学んでいたのである。

長生河陽、由來能舞。

それに舞の盛んな河陽において成長したので、舞は無論妙手である。

琵琶新曲、無待石崇、

自ら琵琶の新曲を作るのに苦もなくて、「造新の曲、哀怨の声多し」といわれた晋の石崇を待つまでもないのである。

箜篌雜引、非關曹植。

それに、箜篌の難曲も、文選に見る魏の曹植を煩わすようなことはない。

傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

鼓瑟は(漢)名門楊(惲の)家より伝授され、吹籍は名人秦女(弄玉)より会得したものであるから、いずれも絶妙の域に達している。

 

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

 

⑿§4-1

於是麗以金箱、裝之瑶軸。 

三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、五色花牋、河北膠東之紙。

高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。

⒀§4-2

靈飛太甲、高擅玉函、鴻烈仙方、長推丹枕、至如靑牛帳裏、

餘曲終、朱鳥窓前、新粧已竟、方當開玆縹帙、散此繩、

永對翫於書幃、長循環於纎手、

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、竇專黃老、金丹之術不成。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、東儲甲觀、流詠止於洞簫。

孌彼諸、聊同棄日、猗歟彤管、無或譏焉。

 

 

 

《玉臺新詠集序》現代語訳と訳註解説
(
本文)

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞。

琵琶新曲、無待石崇、箜篌雜引、非關曹植。

傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。


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玉-001-#2 玉臺新詠集序⑵§1-2〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7575

-001-#2 玉臺新詠集序⑵§1-2〈徐陵〉Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7575

 

(玉臺新詠集序⑵§1-2) その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

 

 

-001-#2

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7575

徐陵

 

 (⑵§1-2)

 

  

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⑴§
1-1《玉臺新詠集序》

(六朝末期に編集された詩集である《玉臺新詠》)の序文。この詩集は、陳の徐陵が撰したもので六朝の新樂府を産出せしめる、当時の思想信条、感情に大きく反映せしめるものであった。)

夫凌雲槩日、由余之所未窺、

そもそも高く雲零を凌ぎ天の太陽と高さを斉しくする豪華な宮殿は(春秋時代の)晋の由余も未だ曾て見ない所であった。

千門萬、張衡之所曽賦。

千門万戸の盛況は、漢の張衡が著書の《西京賦》」にえがき出した通りである。

周王璧臺之上、漢帝金屋之中、玉樹以珊瑚作枝、

そして、そこは、さながら周の穆王の壁台の上なのか、あるいは漢の武帝の金屋の中かと見まごうばかりであるばかりか、玉樹は珊瑚を枝としているのである。

珠簾以玳瑁爲柙。其中有麗人焉。

珠簾は玳瑁ではめこみの鎮飾がほどこされてあり、その中に「宮中内職制度」により、多くの美人が住んでいるのである。

(玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

四姓良家、馳名永巷。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

楚王宮裏、無不推其細腰、

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

衞國佳人、俱言訝其纎手。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

詩敦禮、豈東鄰之自媒。

そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

⑶§1-3

婉約風流、異西施之被教。

弟兄協律、自少小學歌、長生河陽、由來能舞。

琵琶新曲、無待石崇、箜篌雜引、非關曹植。

傳鼓瑟於楊家、得吹簫於秦女。

 

(玉臺新詠集の序) ⑴

夫れ凌雲・槩日は、由余の未だ窺ほざる所にして、千門寓戸は張衡の曾て賦せし所なり。

周王璧臺の上、漢帝金屋の中、玉樹は珊瑚を以て枝と為す。

珠簾は玳瑁を以て押へと為す。其の中麗人有り。

其の人や、五陵の豪族にして、掖庭に充選せられ、四姓の良家にして、名を永巷に馳す。

亦た穎川・新市・河聞・觀津、に本と矯蛾と號し、魯て巧笑と名づくる有り。

楚王の宮裏、其の細腰を堆さざる無く、衞國の佳人、俱に言ひて其の纎手を訝る。

詩を閲し禮に敦き、豈 東隣の自ら媒するがごとくならんや。

婉約風流、西施の被教に異なれり。

協律を弟兄とし、小より歌を学び、少きより河陽に長じて、由来能く舞ふ。

琵琶の新曲は石崇を待つ無く、箜篌の雜引は曹植に関するに非ず。

鼓瑟を楊家に傳はり、吹簫を秦女に得たり。

 

 

⑷§2-1

至若寵聞長樂、陳后知而不平、畫出天仙、閼氏覽而遥妬至如。

東鄰巧笑來侍寢於更衣、西子微嚬得橫陳於甲帳。

馺娑、騁纎腰於結風、長樂鴛鴦、奏新聲於度曲。

⑸§2-2

粧鳴蟬之薄鬂、照墮馬之垂鬟、反揷金鈿、橫抽瑶樹。

南都石黛、最發雙蛾、北地燕支、偏開兩靨。

亦有嶺上仙童、分丸魏帝、腰中寳鳳、授曆軒轅。

⑹§2-3

金星将婺女爭華、麝月與姮娥兢爽。

驚鸞冶袖、時飄韓掾之香、飛燕長裾、宜結陳王之佩。

雖非圖畫、入甘泉而不分、言異神仙、戯陽臺無

⑺§2-4

眞可謂傾國傾城、無對無雙者也。

加以天時開朗、逸思雕華。妙解文章、尤工詩賦。

琉璃硯匣、終日隨身、翡翠筆牀、無時離手。

⑻§2-5

清文滿篋、非唯芍藥之花、新製連篇、寧止葡萄之樹。

九日登高、時有緣情之作、萬年公主、非無累德之辭。

其佳麗也如彼、其才情也如此。

 

⑼§3-1

而椒宮宛轉、柘觀隂岑。絳鶴晨嚴、銅蠡晝靜。

三星未夕、不事懷衾、五日猶賖、誰能理曲。

少託、寂寞多閒。厭長樂之疎鍾、勞中宮之緩箭。

⑽§3-2

纎腰無力、怯南陽之擣衣、生長深宮、笑扶風之織錦。

雖復投壺玉女、爲歡盡於百嬌、爭博齊心賞窮於六箸。

無怡神於暇景、唯屬意於新詩。

庶得代彼蘇蠲玆愁疾。

⑾§3-3

但徃世名篇、當今巧製、分諸麟閣、散在鴻都。

不籍篇章、無由披覽。

於是然脂暝寫、弄筆晨書、選錄艶歌、凡爲十卷。

曽無叅於雅頌、亦靡濫於風人。涇渭之間、若斯而已。

 

⑿§4-1

於是麗以金箱、裝之瑶軸。 

三臺妙迹、龍伸蠖屈之書、五色花牋、河北膠東之紙。

高樓紅粉、仍定魚魯之文辟惡生香、聊防羽陵之蠹。

⒀§4-2

靈飛太甲、高擅玉函、鴻烈仙方、長推丹枕、至如靑牛帳裏、

餘曲終、朱鳥窓前、新粧已竟、方當開玆縹帙、散此繩、

永對翫於書幃、長循環於纎手、

⒁§4-3

豈如鄧學春秋、儒者之功難習、竇專黃老、金丹之術不成。

固勝西蜀豪家、託情窮於魯殿、東儲甲觀、流詠止於洞簫。

孌彼諸、聊同棄日、猗歟彤管、無或譏焉。

 

 

 

 

 

《玉臺新詠集序》現代語訳と訳註解説
(
本文)

玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、四姓良家、馳名永巷。

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

楚王宮裏、無不推其細腰、衞國佳人、俱言訝其纎手。

詩敦禮、豈東鄰之自媒

(下し文)
天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を開く。

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を方【なら】べ。

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る。

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ。

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す。


(現代語訳)
(玉臺新詠集序⑵§1-2

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。


(訳注)

玉臺新詠集序⑵§1-2

其人、五陵豪族、充選掖庭、

その後宮の人たちは、五陵の貴族の子女が選ばれて後宮に入り、妃嬪となったのである。

12. 其人 一本に「也」の字あり。この「人」は複数。

13. 五陵豪族 「五陵」は長安の近郊にある漢の高祖以下五帝の陵で、長陵(高帝)・安陵(恵帝)・陽陵(景帝)・茂陵(武帝)・平陵(昭帝)をいぅ。その近傍には富豪の家があった。唐代、王維、李白、杜甫の「少年行」詩にみる、貴族の住んでいた所である。

14. 充選抜庭 「掖庭」は奥御殿。宮中正殿の傍合をいう。皇妃官女の居る所。ここは選ばれて後宮の妃嬪に充(ぁ)てられる意。後宮に入るには、①礼をもって宮廷に迎え入れられた場合である。この種の人々の大部分は名門貴顕の出身である。②選抜されて宮廷に入った場合である。良家の子女の才智徳行あるものを厳格に選択するというものであった。③宮中に献上された女性である。この種の人々には様々なタイプがあったが、大半は美貌か技芸の才によって献上された女性であった。いくらかの朝臣は自分の出世のために妻や娘を宮中に入れることを常に願った。④罪人の家の女性で宮廷の婢にされたものである。これらの大多数は、官僚士大夫層の女性であった。ここにいう妃嬪は、①と②をいう。

 

四姓良家、馳名永巷。

昔から言われる由緒ある四姓の良家の出身で、その名を永巷(後宮中)に馳せたものもあるのである。

15. 四姓良家 後漢の明帝の外戚樊氏・郭氏・陰氏・馬氏を四姓といったのに始まり、三国の呉では朱氏・張氏・顧氏・陸氏、晋では雷民・蒋氏・穀氏・魯氏、後魏では廬氏・崔氏・鄭氏・王氏をいずれも四姓といった。六椚時代は郡の名望家を甲乙丙丁の四等に分けて貴族とし、これを四姓といった。

16. 馳名永巷 「馳名」とは美貌を以て名を後宮に馳せたといぅこと。「永巻」は宮中の長廊下。転じて官女、またはその居る所をいう。

 

亦有潁川新市河間觀津、本號嬌娥、魯名巧笑。

あるいは頴川・新市・河間・観津などの産で、もと嬌・娥とよばれ、曾て巧・笑と名づけられた人がいた。

17. 頴川 郡名。頴水によって名づけた。頴水は河南省登封県の頴谷より出て湛水にそそぐ。水がきれいである。許由が耳を洗ったのも此の川である。頴川郡は美人の多い所、郡治は陽翟、今の河南省禹県。

18. 新市 漢の侯国。故城は今の河北省新楽県の西南にある。今は県名となっている。

19. 河間 漢の侯国。河北省献県、河間県の西南にある。今は郡名となる。

20. 観津 戦国の趙の地。楽毅の封ぜられた所。漢の孝文竇太后(名は漪)も清河観津の人(『太平御覧』三百九十六)であった。故城は河北省武邑県の東南。穎川以下、皆昔から多く美人の生まれた所。

21. 本号嬌娥 「嬌・娥」は女子の名に多く用いる。

22.  魯名巧笑 『詩経』「荷風碩人篇」に、「巧笑倩たり、美目盻たり」とあり、『論語』「八佾篇」にもこれを引いている。「巧笑」は美人の愛くるしく靨をうかべて笑うのにいう。よって女子の通名にも用いることになった。魂の文帝の宮人に段巧笑というのがあったと、古今注に見える。

 

楚王宮裏、無不推其細腰、

彼女らは、恐らく美女が集められたあの楚の霊王の宮中に入れても第一の細腰と推さないものはないといわれたのである。

23. 楚王宮裏、無不推其細腰 「宮裏」は一に「宮内」に作る。『墨子』「兼愛中篇」・『韓非子』「二柄篇」に、「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」楚の霊王が細腰の美人を好んだことが見え、『後漢書』「馬磨伝」に、「楚王細腰を好み、宮中餓死多し」の語もある。「推」は推尊・推賞の意。

 

衞國佳人、俱言訝其纎手。

衛国の佳人に比べても、口をそろえてその纎手に驚嘆しないものはあろうはずもないが、ひとり容姿の美しいばかりではないのである。

24. 衞国佳人、倶言訝其纎手 『詩経』「魏風葛瘻篇」に、「摻摻たる女手、以て裳を縫ふ可し」とある。注に「摻摻は猶繊々のごときなり」とある。「繊手」は指の細くしなやかなのをいう。陛機の「擬西北有高楼」(一八七頁)の詩に、「佳人琴瑟を撫す、繊手清くして且つ閑なり」の句がある。「魏国」は一に「衛国」に作る。『詩経』「衛風碩人篇」に美人をうたって、「手は柔荑の如し」の句がある。然し「敵手」の文字よりすれば、魏風を出典とするがよろしく、従って「魏国」に作るを善しとする。「倶言」は口をそろえていう。「訝」は驚嘆羨望の意。

 

詩敦禮、豈東鄰之自媒
そのうえ大切な、教養が高くて、詩を読み、礼を知るのである、だから、(『孟子』告子下に見える)墻を踰えて自ら男を追いかけるような東隣の女とは同日の談ではないのである。

25. 閲詩敦礼 詩を読み札を知るという程の意。教養の高いのにいった。ただ詩を読む結果、人格も向上する、『礼記』「経解篇」の、「温柔敦厚は詩の教なり」の意も多少含んでいるであろう。

26. 東隣之自媒 宋玉の「登桂子好色の賦」や司馬相如の「美人の賦」によって「東隣」は多く隣家美人の意とするが、ここは《孟子·告子下》「踰東家墻而摟其處子,則得妻。」に、「東家の墻を踰えてその処子をひけば則ち妻を得、ひかざれは妻を得ず。則ち将に之をひかんとするか」をふまえていよう。「自媒」は『礼記』「坊記篇」にいわゆる、「男女は媒なければ交はらず」にそむいた行為で、妄りに自ら男を求めて奔るのをいう。

 

 

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【字解】玉臺新詠序⑴§1-1陳尚書左僕射、太子少傅、東海徐陵孝穆撰。

1. 玉臺 「壁臺」「瑤臺」「金屋」などと同意義で、後宮の美人の居所を想定していて、齊の後宮、東宮御所流行の詩を主体に選定された。

2. 尚書左僕射 尚書省(しょうしょしょう)とは、中国で後漢代から元代まで存在した省。唐の三省六部体制の元で中書省・門下省の取り決めた事を六部に伝える役割を ... 後漢代には尚書台として少府の下に置かれ、長官を尚書令(一名)・副長官を尚書僕射(二名)としている。

3.徐陵 507583)中国,南朝梁,陳の文人貴族。字は孝穆(こうぼく)。梁代から文名がたかく,548年には梁朝の使節として東魏を訪問したが,江南に侯景の乱が勃発し,555年の帰国まで辛酸をなめた。陳代に尚書僕射に栄進。梁の簡文帝の皇太子時代,その東宮に父の徐摛(じよち),および庾肩吾・庾信父子とともに奉職したころの軽艶の詩文は,〈宮体〉(宮体詩)とか〈徐廋体〉とかよばれて世にむかえられた。また《玉台新詠》の編者である。

3. 抑《接続詞「そもそも」が文頭に置かれるところから》最初。発端。副詞的にも用いる。「この話には―から反対だった」「目的が―違う」[接]改めて説き起こすときに用いる語。いったい。だいたい。さて。「―人間というものは」そもそもろん【抑論】物事の始まりや、問題の起きた理由などに立ち戻って論じること。また、そのような論調。

4. 凌雲槩日 宮殿の高いのをいった。「凌雲」は雲を凌いで高く聳えること。「概日」は天日と高さが等しいこと。「概」はとかきで、斗斛に盛った物を平らにする棒である。従って、概日はその高さが太陽と平らになることである。『周書』の「武帝紀」、「鄴を平ぐるの詔」に、「或は層台累構、日に概(たいら)に雲を凌ぐ」とある。「凌雲概日」は下の「千門万戸」と対句になっている。

4.由余 戎の臣。後に秦の宰相になる。由余の祖先は晋人で、逃げて戎に入ったもので、由余は晋国の言葉を話すことができた。B.C.626戎王の命で秦を視察する。秦繆公が官室の祭器をみせると、由余は「これを人民に作らせば人民を苦しめます」と言った。 繆公は「中国は詩書礼楽法律をもって政をしていても時々乱れることがある。これらの祭器がなくて、どうやって政をやっていくのだ」と問うと、由余は笑って「それが中国の乱れる所以です。上は法律により下々を責め、民は苦しむと仁義を盾に上を恨みます。国が乱れるのはこれら礼楽・法律のたぐいがあるためです。

一方、戎夷では上は純朴倹素の徳をもって下に臨み、下は忠誠信実の心をもって上につかえているため、国の政をするのは、一身を治めるようなもので、治まるいわれも知らずに治まっているのです。これこそ、ほんとうの聖人の治というものです」と言った。

繆公は由余が賢明であることがわかると内史の廖に「わしは隣国に聖人がいるのは、相手の国のうれいだと聞いている。どうしたらよかろう」と問うた。

廖は「戎王の心を女楽で乱れさせ、一方で由余を秦にとどめましょう。戎王と臣との間に隙を作り、由余を戎王に疑わせればよろしいでしょう」と言った。繆公は戎王に女楽を奏する者16人を贈った。のちに由余は帰国して戎王を諌めたが、戎王は聴かなかった。一方で繆公は人を遣り、戎王に由余を秦に与えるように説いた。このため由余はついに戎を去って秦に降り、繆公は賓客の礼をもって待遇した。そして繆公は由余に戎を討つ形勢を尋ねた。

B.C.623繆公は由余の策を用いて戎王を討ち、西戎の覇となった。穆公は由余を用い、その謀によって地を拓くこと千里、遂に西戎に覇となった(『史記』「秦本紀」)。ここは、由余は穆公の宮殿は見たであろうが、「凌雲概日」の大宮殿は未だ見たことがない筈というのである。

まず徳があり、国民に利益をあたえる。聖人の治()は民に蔵(ぞう)して府庫(ふこ)に蔵(ぞう)せず。 『聖人之蔵於民府蔵於府庫』 韓非子聖人とは、徳の高い人を指し、府庫とは財物・文書などを入れておく蔵。ここでは自分の財布のこと。

5.千門万戸 一に「万戸千門」に作る。

6.張衡 (78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。経歴[編集]. 没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。曾て班回の「南都の賦」に擬して「二京の賦」を作り、王侯以下の香惨を諷諌した。その作は十年の構恩を経て成ったといわれる。

張衡《西京賦》(27)(建章宮〔二〕には、次の通りである。「閈」は垣のこと。

(建章宮(二)) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

 張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)#11-2 文選 賦<114―(27)>31割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868

7. 周王壁台之上 周の穆王(第五代目の天子)が盛姫のために重壁の台を作ったことをいう。

8. 漢帝金屋之中 『漢武故事』に、「武帝の少時、(膠東王となって数歳)、その姑館陶長公主、抱いて膝上に置き、問うて日く、『児、婦を得んと欲するや否や』と。並びにその女阿橋を指して日く、『好むや否や』と。帝笑って対へて日く、『若し阿橋を得は、当に金屋を作りて之を貯ふべし』と。長公主大に悦ぶ。帝既に位に即き、阿橋を立てて皇后と為す」とある。

9. 玉樹以珊瑚為枝『漢武故事』に、「上、神尾を起し、前庭に玉樹を柏う。洞門を以て枝と為し、碧玉を葉と為す。花子の青赤なるは珠玉を以て之を為り、其の中を空にし、小鈴の如くす。鎗々として声有り」とある。「甘泉の賦」の顔師古の注に、「玉樹は武帝の作る所にして、衆宝を集めて之を為る。用つて神に供するなり」とある。

(據《藝文類聚.卷八三.寶玉部上.金》引) 帝年數,長公主1>遍指侍者曰:「與子作婦,好否?」皆不用。後指陳后2>,帝曰:「若得阿嬌,當作金屋貯3>之。」 *注解: (1) 長公主:漢時皇帝姐妹之稱謂。此指武帝姑媽劉嫖。

10. 珠簾以粥瑠為押 『漢武故事』に、「白珠を以て簾と為し、玳瑁もて之を押ふ」 とある。海亀の一種でその背甲はいわゆる竃甲色で、各種の装飾品に加工される。「押」はおさえる意で、その縁のおさえとしてあること。「押」は一に「押」に作り、また「匣」に作る。はこのこと。今は「押」に従っておく。

11. 麗人 美人。宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官晶をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

玉-001-#1 玉臺新詠集序⑴§1-1〈徐陵〉 Ⅴ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7569

-001-#1 玉臺新詠集序⑴§1-1〈徐陵〉 Ⅴ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7569

《玉臺新詠集序》(六朝末期に編集された詩集である《玉臺新詠》)の序文。この詩集は、陳の徐陵が撰したもので六朝の新樂府を産出せしめる、当時の思想信条、感情に大きく反映せしめるものであった。)

そもそも高く雲零を凌ぎ天の太陽と高さを斉しくする豪華な宮殿は(春秋時代の)晋の由余も未だ曾て見ない所であった。

千門万戸の盛況は、漢の張衡が著書の《西京賦》」にえがき出した通りである。

そして、そこは、さながら周の穆王の壁台の上なのか、あるいは漢の武帝の金屋の中かと見まごうばかりであるばかりか、玉樹は珊瑚を枝としているのである。

珠簾は玳瑁ではめこみの鎮飾がほどこされてあり、その中に「宮中内職制度」により、多くの美人が住んでいるのである。

 

 

 

-001-#1

玉臺新詠集序

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ7569

徐陵

 

 (⑴§1-1)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016111

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玉臺新詠タイトル
 この文はみごとな四六駢儷体で書かれている。四六文には作法上厳密な規則があるが、ここには作法を述べるのが主旨ではないから説明を省くが、読者として特に注意したいことは、対語・対句に十分気をつけて見ねばならないことである。この文は便宜上、四段に分け各段ごとに区切って解説することにする。

 

駢文(べんぶん)とは、中国の文語文における文体の一つ。「駢体」または「駢体文」ともいう。散文・韻文に対立する文体で、魏・晋のころに形成され、六朝時代から唐にかけて盛行した。

「駢」とは2頭の馬が並んでいることを表し、対句を基本とする文体であることを意味している。「駢儷文」(べんれいぶん)あるいは「駢儷体」ということもあるが、「儷」(または「麗」)もまた「ならぶ」という意味である。また1句の字数が、4字句または6字句を基調とするため、「四六文」(しろくぶん)とも呼ばれた。「四六」の語は晩唐から使われはじめ、宋から明にかけて使われた。「駢文」の名は用いられるようになったのは清代においてである。これらを合わせて「四六駢儷文」または「四六駢儷体」と呼ぶこともある。また「駢四儷六」ともいう。さらに駢文の中には、平仄など韻律面を整えたものもある。


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