玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

送別、感謝、贈答

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

張泌《巻四24浣渓沙 十首 其一 》『花間集』175全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6147

張泌  浣溪沙十首其一  

鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。

張泌《巻四24浣渓沙 十首 其一 》『花間集』175全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6147

 

 
 2015年6月13日の紀頌之5つのBlog 
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花間集 張泌 《浣溪沙十首》

浣溪沙十首其一

鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

(浣溪沙十首 其の一)
鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。
花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。

浣溪沙十首其二

馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。

早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。

(浣溪沙十首其の二)馬上 凝情 舊遊を憶い,照花 淹竹 小溪の流れ,鈿箏 羅幕 玉として頭を搔く。早に是こに出門 月も長帶たり,堪える可し 袂を分ち 又た秋も經るを,晚風 斜日 愁に勝らず。

浣溪沙十首其三

獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。

雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。

(浣渓沙 十首 其の三)独り寒堦【かんかい】に立ちて 月華を望む、露 濃く 香り 泛く 小庭の花、繍屏【しゅうへい】に 愁い背きて 一灯 斜めなり。雲雨 分散してより後、人間 路の仙家に到る無く、但だ魂夢を憑【たの】みて 天涯を訪ぬ。

浣溪沙十首其四

依約殘眉理舊黃,翠鬟擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。

閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。

(浣溪沙十首 其の四)約に依り眉を殘し舊黃を理し,翠鬟【すいかん】擲【ほうてき】一簪【いちしん】長じ,暖風 晴日 朝粧を罷む。閑にして海棠を折り 看 又た撚じ,玉纖 力無く 餘香に惹かる,此の情 誰れに會うのか 斜陽に倚る。

浣溪沙十首其五

翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。

微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。

(浣渓沙 十首 其の五)翡翠 屏開き 繡幄【しゅうあく】の紅,謝娥 力無く 曉粧の慵,錦帷 鴛被 宿香濃く。微雨 小庭 春 寂寞たり,鷰飛 鶯語 簾櫳を隔ち,杏花 凝恨 東風に倚る。

浣溪沙十首其六

枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。

天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。

(浣渓沙 十首 其の六)枕障 燻鑪 繡幃を隔つ,二年 終日 兩つながら相い思い,杏花 明月 始めて應に知る。天上 人間 何處に去り,舊歡 新夢 時に來るを覺ゆ,黃昏 微雨 畫簾垂る。

浣溪沙十首其七

花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。

人不見時還暫語,令纔後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。

(浣渓沙 十首 其の七)花月 香り 寒く 夜塵 悄まり、綺筵の幽会 傷神を暗にし、嬋娟 依約として画屏の人。人 見ざる時 還た暫く語り、纔かにたしむるの後 愛みて微かに嚬み、越羅、巴錦も春に勝えず。

浣溪沙十首其八

偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。

小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。

(浣渓沙 十首 其の八)偏戴 花冠 白玉の簪,睡容 新起 意沉吟,翠鈿 金縷 鎮眉心。小檻 日斜 風悄悄たり,簾を隔てて零落 杏花の陰,斷香 輕碧 鏁愁深。

浣溪沙十首其九

晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。

消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。

(浣渓沙 十首 其の九)晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。

浣溪沙十首其十

小市東門欲雪天,眾中依約見神仙,蘂黃香畫貼金蟬。

飲散黃昏人草草,醉容無語立門前,馬嘶塵烘一街煙。

(浣渓沙 十首 其の十)小市 東門 雪天に欲し,眾中 依約 神仙を見,蘂黃 香畫 金蟬を貼る。飲散 黃昏 人草草たり,醉容して語る無し 門前に立ち,馬嘶き 塵烘【じんこう】一街の煙。

 

 

(改訂版Ver.2.1

浣溪沙十首其一

(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)

鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。

螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。

 

(浣溪沙十首 其の一)

鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。

花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。

 

 

(改訂版Ver.2.1

『浣溪沙十首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪沙十首 其一

鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

 

(下し文)

(浣溪沙十首 其の一)

鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。

花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。

 

(現代語訳)

(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)

螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。

駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。

 

(訳注) (改訂版Ver.2.1

『花間集』と張泌、《浣溪沙》

張泌(生平年未詳)は、五代、前蜀の人。字、出身地ともに未詳。『花間集』では牛嶠と毛文錫の間に置かれていることから、前蜀に仕えて舎人になったことが知れるだけである。晩唐から五代にかけて、張泌という名の人物が三人いたことが分かっており、このため同名異人のこの三者がしばしば混同されてきた。『花間集』 には《浣溪沙》二十七首の詞が収められていて、張泌の「浣溪沙」作が十首収められている。浣溪沙は早春の川に染めた布地を晒し、その後、河原で一枚づつ並べて乾す様子をいうものであったが、寒食、清明節のころから、初夏にかけて、行楽で、川縁や野原に、万幕を張る様子を、言うようになった。春の絶頂期、人生の絶頂期、恋愛のの絶頂期を示すものが多い。舟を出して花いっぱいの渓谷に入って遊んだものが、今では砂ばかりの渓谷しか見られない、ということを象徴にして女、女妓の侘しさ、寂しさを詠うものである。

 

当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。

幹線道路沿いは、民家や商店が多く、民間の旅人でも食糧に不足はしなかった。民営の旅舎や逆旅と呼ばれる旅館も多数存在した。9世紀の唐代を旅行した円仁の『入唐求法巡礼行記』によると、円仁は長期間の旅行をほとんど危険もなく行っている。

宿屋は寝具持参で自炊が原則であった。相部屋が多く、その時は、寝床だけを借りることになる。寝床は大きいのを牀、小さいのを榻といった。使用しない時は寝床は壁に立てていたが、宿では常時、設置していたところもあった。食店という食堂を兼ねた宿も存在したが、安宿は自炊が一般的で、飯だけはつける宿もあった。旅行は遠距離なものが多く、長期間に渡るため、馬車や馬、ロバ、ラクダで荷を運ぶことが多かった。相部屋には炉があり、部屋で煮炊きを行い、外から食糧や酒も持参できた。宿屋の中に馬小屋があることもあった。宿は貸し切りもあり、小房という個室もある宿も存在した。

 

浣溪沙十首 其一

(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)

男の旅立ちを見送る女性の情を詠う。前段は、彼女が車に乗り、一駅までの道すがら、柳の堤を進み、一駅である駅亭で別れを交わし、後段、朝まだきから旅の支度をはじめ、暗いうちに出発する様子と、楼閣の窓辺でいつまでもみおくりつづけるようすをうたったものである。高殿に身を寄せて思いを馳せるが、杜鵑(ホトトギス)の声も途絶え、名残の月は西に低く傾いてしまい、何もかも終ったという。

『花間集』に描かれる男女の別れは、残月(二十日頃の夜明けの月)が空に懸かる、当時の生活習慣で仕事に出る、旅に出るのは夜の明けきらぬ時であること、男が女のもとを去るという形が多い。しかし、この詞は女性が夜、男性を駅亭まで見送る形をとる。明瞭に書かれていないが、後段第一句の「玉蟾低し」からすれば、二人は駅亭で一夜をともにし、男性は翌日の明け方に旅立ったのであろう。こうした送別は、王維の「元二が安西に使いするを送る」詩に「渭城の朝雨 軽塵を泥す、客舎 青青 柳色 新たなり」とあるように、男同上の間では広く行われていた。けれども、男女間にあってほ例が少ない。なお、後段末句の「楼西に倚る」から男は西に向かって旅立ったことが分かる。

唐の教坊の曲名。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦.の詞形をとる。韋荘は同名の詩五首載せている。

浣溪沙十首 其一

鈿轂香車過柳,樺煙分處馬頻,為他沉醉不成

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾,含情無語倚樓西

△●○○△●△  △○△●●○○ ○△○●△○△

○●●○○●● ●○○●●○○  ○○○●△○○

 

 

鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。

螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。

○鈿轂香車 螺釦や香木をあしらった高貴な人用の車。

○柳堤 この頃の柳は、区画の境、堤の維持保護に官費で飢えられたものが多い。東、南に向かう別れには長安から30里一駅目の㶚水橋の駅亭まで行って別れの宴会をして翌朝旅立つ。西、北に向かう場合は、西渭水橋の駅亭で宴会をした。通常は馬による旅立ちであった。

○樺煙 蝋を樺の木の皮で巻いた灯火の煙。

○沉醉 深酔い。

○不成泥 泥酔しない、正体を失わない。

 

花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。

駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。

○玉蟾 月の別称。月は蟾が中に住むことで、性描写の一つである。「天仙子」の「蟾彩」の注参照。夜明けまで月が残る、20日前後の、名残月である。

○驛亭 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

○楼西 西楼を押韻のために倒置したもの。

○この三句、「香露細」「杜鵑聲斷」「玉蟾」「含情」は、送別の夜の性交を連想させる語句である。

後世、別離の際に歌われるようになった。近代以降の我が国でいえば『蛍の光』のような使われ方をしたしである。

唐 王維 《送元二使安西》

渭城朝雨裛輕塵,客舍靑靑柳色新。

勸君更盡一杯酒,西出陽關無故人。

(元二の 安西に使するを 送る)

渭城の朝雨  輕塵を 裛し,客舍 靑靑 柳色 新たなり。

君に勸む 更に盡)せ 一杯の酒,西 陽關を 出づれば 故人 無からん

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》巻三3532-〈132〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5862

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其六  それでも、ここで別れるということは、江南に旅立ってしまうと心は断ち切れ、いかに、巫女と皇帝の化身である楚の雨も、その降るところを迷ってしまう。舜の娥皇と女英の湘江のほとりで瑟を奏でたように思い続けても、離別に堪えきれなくて、怨みを持ち、水に投身することになるということをいうが、私の心は、志が高く、清廉潔白であって、「月高霜白」である、それに、その清廉な空と大江の流れとは連なっているではないか。(だから余計な心配はするな)

 
 2015年4月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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225 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <225> Ⅰ李白詩1462 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5858 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 34歳<1375> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊132《巻三35浣溪紗八首 其六》巻三3532-132〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5862

 

 

 

薛昭蘊:五代、後蜀*の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。
*後蜀(935-965)は中国五代十国時代に成都を中心に四川省を支配した国。四川の豊かな財物を背景に文化の華を開かせた。)

醇紹撃(生没年未詳900年代前半)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前蜀に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》巻三3330-〈130〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5852

.薛昭蘊(改訂版)浣溪紗八首 其四(万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)


 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》巻三3330-130〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5852

 

(旧解)

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 春になると春水に、柳に、蜂に、琴に、雲霧に、月にあの人のことを思い出してしまう。)

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあったのは河橋のたもとの柳が金のように芽吹き繁る下でした。蜂はその鬚でもって、輕やかに百花の芯に惹かれ、飛び回るのです。花のかおりが風に乗って吹いて来て、そのなかの蘭のはなに思いよせると、いつのまにか清がしい琴の音に寄ってしまうのです。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

あの人への思いは胸いっぱいであり、ちょうど今、川いっぱいの春の増水とおなじのようなのです,あのひとのおもい、やさしさはとても深く、だから、また、酒盃をいっぱいに何度も注いでくれることのようでした,楚の巫女と皇帝の化身である靄、カスミが漂い、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくものです。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

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(改訂版)-4.薛昭蘊130《巻三33浣溪紗八首 其四》
『浣溪紗八首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪紗八首 其四

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

 

 

(下し文)

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

手を握るは河橋なり 柳 金に似たるころ,蜂鬚 輕く惹れる 百花の心,蕙風 蘭思 清琴に寄る。

意 滿つ 便ち同うするは 春水滿ちるがごとく,情 深くするは 還た酒盃深くすに似たり,「楚煙」 「湘月」 兩れも 沉沉たり。

 

 

(現代語訳) (改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

 

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(訳注) (改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

浣溪紗八首 其四

(浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。



双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳



(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。



(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。



 

 

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

手を握りあった「皓首以為期」と言って別れるのは、むかしから河橋のたもとで、柳が金のように芽吹き繁る下でするものだし、蜂という生き物はその鬚でもって、輕やかに飛び回って百花の芯に惹かれるもの、蘭の花に思いよせることは花のかおりが風に乗って吹いて来て、そこには、いつのまにか清がしい琴の音に寄せてしまうもの。春というもの、それぞれひかれるものがあるというものである。

○握手河橋 別れることを意味した句。漢·李陵《與蘇武三首其三》詩「攜手上河梁,遊子暮何之?徘徊蹊路側,悢悢不得辭。行人難久留,各言長相思。安知非日月,弦望自有時。努力崇明德,皓首以為期。」(手を携えて河梁に上る、遊子暮に何くにか之く。蹊路の側 に徘徊して、悢悢【りょりょう】として辞する能わず。行人久しく留まり難し、各々言う長く相い思うと。安んぞ日月に非るを知らんや、弦望自ら時有る。努力して明徳を崇くせよ、皓首以て期と爲さん。)にもとづいており、橋。送別を示す。

李陵 《與蘇武詩三首 其三》 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩853 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2813

○蜂鬚 ちじれた髭が蜂がむらがったような顔の男。いわゆる猛者のようなおとこ。はちのくちひげ。・鬚 (あごひげ)、髭(ひげ)とは、人間の顔から顎の下にかけて生える毛のこと。鬚はどうぶつのひげ。ふさ。、あごひげをいう。くちひげ(髭)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分ける。

 

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

この季節は誰も思いを胸いっぱいにするものであり、ちょうど今、春の雪解けのみずが増水するのとおなじのような増加していく,たがいの思いが深くなるというのは、また、大盃に酒を注いでいくと次第に深くなるのと似ている、楚の懐王は「朝雲暮雨」と煙霧のようにまじわり、舜の後を追って湘水に身を投げた娥皇と女英が月に化身している,そのふたつの思いは、やがて沉沉とおさまっていくもの、「楚煙」は雨沈々、「湘月」は湘水に沈々となった、いずれもそこには「送別」というものがあるのである。

・春水滿 四方の沢が春水で満ちること。春の雪解け水はきれいな水が増水していることで、川の中ほどが盛り上がって流れる様子を云う。水の流れを人の心の思いに喩える。そしてそれは、男女が布団の中での情事の様子を連想させるのである。

『春水』

三月桃花浪,江流複舊痕。

朝來沒沙尾,碧色動柴門。

接縷垂芳餌,連筒灌小園。

已添無數鳥,爭浴故相喧。

(春 水)

三月 桃花の浪、江流 復た旧痕まであり。

朝来 沙尾【さび】没し、碧色【へきしょく】柴門に動く。

縷【る】を接して芳餌【ほうじ】を垂れ、筒を連ねて小園【しょうえん】に潅ぐ。

己に添う 無数の鳥、争い浴して故に相い喧【かますび】し。

春水 杜 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

 

春水生 二絶其一

二月六夜春水生,門前小灘渾欲平。

鸕鸂鸂鶒莫漫喜。吾與汝曹俱眼明。

其の一

二月の六夜 春水生じ,門前の小灘【しょうたん】渾て平ならんと欲す。

鸕鸂【ろじ】鸂鶒【けいせき】漫【みだり】に喜ぶこと莫れ。吾と汝と曹【むれ】となしは俱に眼明せん。

4- 9.春水生 二絶其一 杜甫 

『春水生 其二

一夜水高二尺強,數日不可更禁當。

南市津頭有船賣,無錢即買系籬旁。

其二

一夜にして水高くは二尺強,數日にして更に禁當する可からず。

南市 津の頭り 船賣有り,無錢 即ち系籬の旁に買う。

4-10.春水生 二絶其二 杜甫

 

遣意二首 其一

囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。

一徑野花落,孤村春水生。

衰年催釀黍,細雨更移橙。

漸喜交遊,幽居不用名。

其の一

枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。

一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。

衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。

漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

・情深:盃深 ここは男性の心持を表現するもので、思いが深ければ、盃に酒をいっぱいに注ぐこと。この句も男が女に状を示し、連想させる。

楚煙 「朝雲暮雨」の「楚の朝雲」をいう。《楚()の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

湘月 湘夫人の月琴演奏九歌。《楚辞》九歌篇に歌われる2人の女神。湖南省にある湘水の神とされ,また洞庭湖の水神でもあって,湖中の君山にその祠廟がある。《山海経(せんがいきよう)》に洞庭の山に住む天帝の2人の娘のことが見え,漢の《列女伝》では,この2人は尭帝の娘で舜の妃である娥皇と女英であって,舜が蒼梧で死ぬと2人は湘水に身を投げてその神になったのだとされている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-〈120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

(改訂版)韋荘上行杯二首 其二(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の二:其の一で部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになった、上司のものが、部下の遊侠の貴公子の者に、別れの歌を返して激励し、だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの【其一と其二はセットになっている連歌のようである】

 

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-42韋荘120《巻3-20 上行杯二首 其二》三巻20-120〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5802

 

 

(旧解) 

上行杯二首其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

派手な白馬に、飾り立てた鞭に、金に輝くくつわを付けている。そこに貴公子の遊び人たちがいる。こんな奴は簡単に女と別れるのだ。

迢遞去程千萬裏。

あの男は遙かに遠くに去って行ってしまった、それも千里、万里の先の方にいるという。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

一所にとどまらず自由きままな男は異郷に行ったまま恨みに思う、宴席にあってみんな盃を注ぎ合い進め遭った、すると涙が和んできた。

須愧,珍重意,莫辭醉。

こんなことを愧じとする。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

(上行杯二首其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 韋荘  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5797

(改訂版)韋荘 上行杯二首 其一(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

 

 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 韋荘  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5797

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『上行盃』四首

 

 

韋相莊

0319

上行杯二首 其一

芳草灞陵春岸

 

 

0320

上行杯二首 其二

白馬玉鞭金轡

 

 

孫少監光憲

0837

上行盃二首 其一

草草離亭鞍馬

 

 

0838

上行盃二首 其二

離棹逡巡欲動

 

 

 

 

 

 

 

 

(旧解)

上行杯二首其一

芳草灞陵春岸。柳煙深,滿樓弦管。

長安の別れは若草が香る灞陵の川の春の岸にある。柳も鬱蒼と煙り、高殿には楽の音が満ちわたる。

一曲離聲腸寸斷。

一節の別れの歌に帰りの遅いあの人を思い出し、腸は断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅縷玉盤金鏤盞。

この日はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、鱠盛る大血と金縁の杯をそえる。

須勸、珍重意,莫辭滿。

よし存分に飲もう。我が意を酌んで、肴も酒も調えているので、これ以上飲めないと言ってはいけない。

 

其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。

迢遞去程千萬裏。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。

須愧,珍重意,莫辭醉。

 

(上行盃二首其一其の一)

芳草 㶚陵の春岸、柳煙深く、滿樓の弦管。

一曲の離聾に腸は寸断さる。

今日君を千萬に送る、紅縷の玉盤に 金鐘の蓋。

須らく勸むべし、意を珍重せよ、滿つるを辞することなかれ。

 

(上行盃二首其一其の二)

白馬に玉の鞭と金の轡、少年郎は 離別容易ならんも。

迢遞たる去程は千萬裏。

惆悵ことならん異郷の雲と水とに、一杯を勸和して涙和りに勘む。

須らく愧づべし、意を珍重せよ、酔うことを辭するなかれ。

 

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行盃二首其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの
芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

上行盃二首其二

白馬玉鞭金轡,少年郎,離別容易,迢遞去程千萬里。

惆悵異雲水,滿酌一盃勸和淚,須愧珍重意,莫辭醉。

 

(改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》 

『上行杯二首』現代語訳と訳註

(本文)

上行盃二首其一

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

 

(下し文)

(上行盃二首其の一)

芳草の㶚陵、春の岸、柳 煙深くし、樓 弦管滿つ、一曲の離に腸断するに寸々たり。

今日 君を千萬に送る、紅樓 玉盤 金鏤の盞、須【ねが】うは、珍重する意「滿するを辞することなかれ」を勸める。

 

(現代語訳)

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

 

(訳注) (改訂版)-41韋荘119《巻3-19 上行杯二首 其一》

上行杯二首 其一

(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

○上行 上に進む。上の人が行う。上座。上の列。上の人の指図。下級の者が上級の者に差しだす杯。妓楼の亭主のさしだす杯。送別の歌のお手本というべき詞である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収。韋荘の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十字四句三仄韻、後段二十一字四句三仄韻で、❻3❹❼/❻❼5❸の詞形をとる。

《巻3-19 上行杯二首 其一》

芳艸灞陵春柳煙深、滿樓弦一曲離腸寸寸
今日送君千紅樓玉盤金鏤珍重意莫辭滿 

 
 

 

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

長安春明門から東30里、灞陵、㶚水の春の岸に若草が香る。土手の柳並木も鬱蒼と煙り、㶚水亭の高殿には管絃楽の音が満ちわたる。驪歌一曲、驪駒歌一節の歌に、もう腸はずたずたに断ち切られる思いになる。

○灞陵 朝陵とも記す。漢の文帝の陵墓。唐の都長安の東にあり、近くを滻水が流れ、川には滻が架かり、古来から送別の地とされてきた。・灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭までが30里である。ここを東に洛陽に向い、南に行くと漢水へ出る。人棭言って送別するのが習わしである。の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 ・灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。

李白『灞陵行送別』

送君灞陵亭。 灞水流浩浩。

上有無花之古樹。 下有傷心之春草。

我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。

古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。

正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。

まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている

土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。

もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

○離声 別離の曲、歌。驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。「驪駒の歌」というものがあり、客が主人に向って別れ卯を告げる時に歌ったもの。 驪駒門に在り,僕夫具に存す。驪駒 路に在り,僕夫 駕を整う。“とある。

〈驪歌〉原來叫做〈驪駒歌〉,是不見於《詩經》的佚詩。《曲禮》:「客欲去,歌之。」歌詞是:「驪駒在門,僕夫具存。驪駒在路,僕夫整駕。」歸客要離去時,唱出〈驪駒歌〉,表達自己別離的心意。

○腸寸寸斷 「腸斷寸寸」 一寸ごとに。ずたずたに。すこしづつ。

 

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

この日、はるか千里万里の地、旅行く君を見送る、頬紅を紅く染めた妓女の舞に高樓には鱠盛る大血と金縁の杯をそえている。肴も酒も調えているので、こいねがうことは、存分に飲もうという我が意を酌んで、「これ以上飲めないと言ってはいけない。」ということだ。

〇千万 千山里。

〇紅樓 頬紅を紅く染めた妓女の舞にそまる高樓。

○金鏤盞 金鏤:きんをちりばめる。盞:玉の盃。こさかずき。ともしびのあぶらざら。

〇珍重意 私の心を酌んで。私を愛してくれる気持ち。

 

 

(10)4-1

(王室の七陵)-1 

若乃觀其四郊,浮遊近縣,

さて、できるなら、長安四方の郊外をとくと眺めていただき、近県を周遊してみる。

則南望杜㶚,北眺五陵。

南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。

班孟堅(班固)《西都賦》(10)4-1 文選 賦<11210

 

登池上樓    謝靈運
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。」
徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。
傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』

 

初景革緒風,新陽改故陰。
池塘生春草,園柳變鳴禽。」
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。
索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

 

池塘生春草,園柳變鳴禽。」

祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。

索居易永久,離群難處心。

持操豈獨古,無悶徵在今。』

 

池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。

祁祁【ひとおお】きに豳【ひん】の歌に傷【いた】み、萋萋【せいせい】たる楚吟【そぎん】に感ず。

索居【ひとりい】は永久なり易く、群れを離れては心を處【しょ】し難し。

操を持するは豈ひとり古【いにしえ】のみ成らんや、悶【うれ】い無きの徵【しる】しは今に在り。

池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

送扶煉師 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-226-92-#82 H:\Ⅴ唐宋詞詩&女性\薛濤\78送扶煉師30.docx 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2677

薛濤 《送扶煉師》 今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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送扶煉師
錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。

此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)

李清照0055
















『送扶煉師』 現代語訳と訳註
(本文)
送扶煉師
錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。


(下し文)
送扶煉師
錦浦 舟歸り 巫峽の云,綠波 遞を迢え 雨 紛紛。
山陰 妙朮【みょうじつ】人 傳うること久し,也【また】 鵝を將って右軍に與うと 說【いわ】ん。


(現代語訳)
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)


(訳注)
送扶煉師
・扶煉師 
成都に高級官僚が女性を携えて場合の其の女性が芸妓である場合が想定される。これまでは、道士の元丹を練ってつくる人という解釈が多いのだが詩の雰囲気からすると三句の山陰、会稽という地名は謝安の「芸妓を携えて」を連想させる。芸妓が道士の煉師を云う場合、低い地位のものではないので別の尊称を使うはずである。芸妓にとっては最高の呼び方であるから、ここでは「同行された元芸妓の煉師おくさま」ということである。
(漢文大系の“扶という道士。第三句により山陰会稽の人と思われる。”という解釈は間違い。
・煉師 芸妓から官僚の妻になった人のことを煉師という。
「孫権の歩夫人にあやかっての呼び合っていたのであろう。ちなみに歩夫人は徐州臨淮郡淮陰(現在の江蘇省淮安市)の出身。呉に仕えた歩隲の同族。諱は「練師」だった(『建康実録』)。史書に名前が残る孫権の妻の一人。戦乱を避けて母と共に江東に移住した所、孫権に見初められて夫人となった。嫉妬しない性格だったため孫権が最も寵愛した夫人となった。孫権が皇帝に即位すると内心歩夫人を皇后にしようと考えていたが、皇太子の孫登や群臣達は孫登の養母である徐夫人を皇后にすることを望んでいた。しかし孫権は徐夫人の立后を拒否し、歩夫人もまた皇后につこうとせず238年に没した。
孫権はあらためて歩夫人に皇后の位を追贈し、孫権死後に陵墓である「蒋陵」に一緒に葬られることになった。」その後、芸妓から官僚の妻になったものが煉師と呼ばれるようになった。


錦浦歸舟巫峽云,綠波迢遞雨紛紛。
今この錦浦を船出され、山陰へと長江をくだると、巫峡から始まる三峡の「綵雲」、美しい雲も有名です。瞿塘堆の緑の波があり、「巫山の雨」は神女の化身です。
・錦浦 成都のことを錦官城という。杜甫に
『贈花卿』「錦城絲管日紛紛,半入江風半入雲。此曲只應天上有,人間能得幾回聞? 」(花卿に贈る)(錦城の糸管【しかん】日【ひび】に紛紛たり、半ば江風【こうふう】に入り半ば雲に入る。此の曲只応に天上に有るなるべし、人間能く幾回か聞くことを得ん。)
錦城・錦里ともいう。昔、織錦をつきどる官があり、成都のわきを流れる江で濯いだ色あざやかな錦を、中央に納めた。そこで成都城外の船出のところを錦浦といったもの。
・歸舟 帰るための舟。出港する舟。
・巫峡 長江の上流、三峡の一つ。巫山のふもとを流れる長江最大の難関。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。
「巫山廟に謁す」(このブログでは薛濤94で掲載予定)の巫山廓の注を見よ。朝雲暮雨の語があり、ここの朝やけ雲の美しさは、李白の「早に白帝城を発す」の詩にも「朝に辞す白市彩雲の間」と詠じられている。 
・迢遞 はるかに遠いさま。薛濤の今いる成都から、揚子江をはるかに会稽へとくだってゆく、はるかな道のりの遠さをいう。杜甫『野望』「清秋望不極,迢遞起層陰。遠水兼天淨,孤城隱霧深。葉稀風更落,山迥日初沈。獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。」(野 望) (清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。)

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425


山陰妙朮人傳久,也說將鵝與右軍。
此れから帰る山陰の会稽は、中国史上最高書家の王義之は甘く知られ、その書は伝えられたのです。王義之は道徳経を麗筆で書くと、大好きな鵞鳥をもらい、その鳥が大きいので邸の池に飼っていたという故事にあるように後世になっての値打ちの下がらない書であったと伝えられているのです。
・山陰 煉師は山陰に帰る人である。道教の道士であれば表現が変わっているはずで、山陰というひょげんで、女性を連想させる。山陰は今の噺江省の紹興のあたり。○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。李白『憶東山二首其二』 「我今攜謝妓。 長嘯絕人群。 欲報東山客。 開關掃白云。」(我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。)

李白『憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

妙術は、この地にいた王義之のすばらしい書をいう。
・右軍 東晋の文章家で.風流人であり、また書家として有名であった王羲之をいう。謝安と同じように時の権力者に対して芸子遊びにかこつけて抵抗している。

(薛濤は王羲之の書体を書かせば誰にもひけをとらないので、競って薛濤に書を依頼したということがこの詩の前提にあり、この詩をおそらく王羲之の書体で薛濤䇳に書いたのであろう。)

送友人 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-213-79-#73  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2612

薛濤 《送友人》今、夜もふけて、船出されるあなたをお送りしていると、この水郷の国にある菰の葉にはまっ白く霜が降りて、月はさむざむと、その下につらなっている山々の色とともに、青く冷えきって、さびしい光景をしめしています。

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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送友人 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-213-79-#73   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2612


薛濤の代表的な作品として、いろんな本にとられている作である。「四庫全書提要」の「薛濤李冶詩集」の條には、この詩と、「竹郎府に題す」兩詩は、「向來傳誦するところ為り」と記している。それはこの二首と「柳架」の三簾が、後蜀の韋穀(王建に仕えて監察御史となる)の「才調集」十巻(四部叢刊本あり)に採収されたからであろう。とにかく、その「才調集」の註にもいうように、この詩の「水國の兼葭、夜、霜あり」は名句で、いわば薛濤の代表句である。


34題竹郎廟 
竹郎廟前多古木,夕陽沉沉山更綠。
何處江村有笛聲,聲聲盡是迎郎曲。
題竹郎廟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-169-41-#34  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2392


18柳絮詠 
二月楊花輕復微,春風搖蕩惹人衣。
他家本是無情物,一向南飛又北飛。
柳絮詠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-153-25-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2312


69送友人
水國蒹葭夜有霜,月寒山色共蒼蒼。
今、夜もふけて、船出されるあなたをお送りしていると、この水郷の国にある菰の葉にはまっ白く霜が降りて、月はさむざむと、その下につらなっている山々の色とともに、青く冷えきって、さびしい光景をしめしています。
誰言千里自今夕,離夢杳如關塞長。

「今宵、千里の旅の別離」などと誰もが言うのですが、わたくしにとっては、千里などの遠さではないのです。あの萬里の長城の、その十倍も百倍もの遙か遠いところへの旅立ちと思うのです。
魚玄機55021


『送友人』 現代語訳と訳註
(本文)
水國蒹葭夜有霜,月寒山色共蒼蒼。
誰言千里自今夕,離夢杳如關塞長。


(下し文)
送友人
水國蒹葭夜有霜,月寒山色共蒼蒼。
誰言千里自今夕,離夢杳如關塞長。


(現代語訳)
今、夜もふけて、船出されるあなたをお送りしていると、この水郷の国にある菰の葉にはまっ白く霜が降りて、月はさむざむと、その下につらなっている山々の色とともに、青く冷えきって、さびしい光景をしめしています。
「今宵、千里の旅の別離」などと誰もが言うのですが、わたくしにとっては、千里などの遠さではないのです。あの萬里の長城の、その十倍も百倍もの遙か遠いところへの旅立ちと思うのです。


(訳注)
送友人

(友人を送る詩)
本来は大将の人物があったのであろうが、この題の詩は多くの日との別離に宴席で誰もがこの詩を披露するというもので中国人にとっての送別の恒例の物なのである。

水國蒹葭夜有霜,月寒山色共蒼蒼。
今、夜もふけて、船出されるあなたをお送りしていると、この水郷の国にある菰の葉にはまっ白く霜が降りて、月はさむざむと、その下につらなっている山々の色とともに、青く冷えきって、さびしい光景をしめしています。
・水國 水多き地方。成都は錦江に臨み、やがて沱江をへて長江へもつながっている。水源豊富な四方を山脈にかこまれ、おおきな成都盆地は水に恵まれているのでかくいう。
○兼葭 あしのくさ。蒹とは。・蒹葭アシやヨシの類.葭 片葉の葦(かたはのあし)。
『詩経・秦風・蒹葭』
兼葭蒼蒼,白露為霜。
所謂伊人,在水一方。
溯洄從之,道阻且長;
溯游從之,宛在水中央
とある。枯れ始めた陰暦九月の候をいう。
河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。杜甫のこの詩も最終句「歲蹉跎」という語でそのすべてを表している。
杜甫『蒹葭』
摧折不自守,秋風吹若何?
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
體弱春苗早,叢長夜露多。
江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。
秦州抒情詩(13) 兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418


・蒼蒼 あおあお。また空のほれわたっているさま。ここは月が映え、山の色もそれとともに、あおくくっきりと寒むざむと見えること。成都を最近訪れた人の話によると、四川平原は広漠たるもので、成都から山など見えない、その広さに駕いたということであるが、詩語として味わえばよかろう。杜甫が成都紀行の最後を飾る
『成都府』において
「曾城填華屋,季冬樹木蒼。」
と述べて、成都に着いて薛濤のこの詩と同じような表現をしている。杜甫
「去去才難得,蒼蒼理又玄。」
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1469 杜甫詩 700- 454


誰言千里自今夕,離夢杳如關塞長。
「今宵、千里の旅の別離」などと誰もが言うのですが、わたくしにとっては、千里などの遠さではないのです。あの萬里の長城の、その十倍も百倍もの遙か遠いところへの旅立ちと思うのです。
・杳 はるかなるさま。
薛濤『寄詞』
菌閣芝樓杳靄中,霞開深見玉皇宮。
紫陽天上神仙客,稱在人間立世功。
・關塞 關塞は、関所ととりで。万里の長城もその代表的なものであるから、千里、万里に対するものとして、直感的潜在的にそれを思うもの。
sas0013

別李郎中 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-214-80-#74  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617

薛濤 《別李郎中》あお桐の花が落ちる時節になり、李郎中さまは、奥方さまがおなくなりおわかれになった。あお桐に棲む鳳凰が、永遠の別れをした。これから都むかえば、秦嶺の上からは、遠く眼下に長安の平野が望まれ、きっと堪らなく淋しいことでしょう。




別李郎中 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-214-80-#74   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617


別李郎中
(李郎中さまと別れる。)
花落梧桐鳳別凰,想登秦嶺更淒涼。
あお桐の花が落ちる時節になり、李郎中さまは、奥方さまがおなくなりおわかれになった。あお桐に棲む鳳凰が、永遠の別れをした。これから都むかえば、秦嶺の上からは、遠く眼下に長安の平野が望まれ、きっと堪らなく淋しいことでしょう。
安仁縱有詩將賦,一半音詞雜悼亡。
郎中さまは詩人としてもあの晋の潘岳に並ぶ方で、きっとまた詩をお作りになるでしょう。妻の死を悲しんで「悼亡」の詩を詠ったように、「起承転」の大部分が「悼亡」ということになるでしょう。

花蕊夫人006











『別李郎中』 現代語訳と訳註
(本文)
花落梧桐鳳別凰,想登秦嶺更淒涼。
安仁縱有詩將賦,一半音詞雜悼亡。


(下し文)
bijo02李郎中に別る
花落ちて梧桐【ごとう】鳳は凰【おう】に別る,想うに秦嶺【しんれお】に登りなば更に淒涼【せいりょう】ならん。
安仁【あんじん】縱【たと】い 詩 將に賦せんとする有るも,一半の音詞は悼亡【とうぼう】を雜【まじ】えん。


(現代語訳)
(李郎中さまと別れる。)
あお桐の花が落ちる時節になり、李郎中さまは、奥方さまがおなくなりおわかれになった。あお桐に棲む鳳凰が、永遠の別れをした。これから都むかえば、秦嶺の上からは、遠く眼下に長安の平野が望まれ、きっと堪らなく淋しいことでしょう。
郎中さまは詩人としてもあの晋の潘岳に並ぶ方で、きっとまた詩をお作りになるでしょう。妻の死を悲しんで「悼亡」の詩を詠ったように、「起承転」の大部分が「悼亡」ということになるでしょう。


(訳注)
別李郎中
(李郎中さまと別れる。)
・李郎中 郎中は官名。各部にあり、宿衛の官。一本に中郎に作るとあるが、中郎の称は六朝まで。採らぬ。


花落梧桐鳳別凰,想登秦嶺更淒涼。
あお桐の花が落ちる時節になり、李郎中さまは、奥方さまがおなくなりおわかれになった。あお桐に棲む鳳凰が、永遠の別れをした。これから都むかえば、秦嶺の上からは、遠く眼下に長安の平野が望まれ、きっと堪らなく淋しいことでしょう。
・梧桐 鳳凰は、霊泉(醴泉〈れいせん〉、甘い泉の水)だけを飲み、60-120年に一度だけ実を結ぶという竹の実のみを食物とし、梧桐の木にしか止まらないという。『詩経』には「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に」とある。
・鳳凰 梧桐の内に棲む想像上の鳥、雄と雌。瑞鳥として考えられ、ここでは李郎中を、その妻を恩にたとえたもの。結句に「悼亡」の語があるから、妻の死を悲しんだことになる。妻は都にのこしておいたと解釈する方が、いくらか自然に近いであろう、ここでは妻は都で留守中に死亡した。
・秦嶺 四川から剣門の峠を越えて都の長安の方へおりてゆく道に横たわっている山脈の名。長安の南背後にある。やがて長安の方が望見せられる位置。
・凌涼(せいりょう) たまらなくさびしい。


安仁縱有詩將賦,一半音詞雜悼亡。
郎中さまは詩人としてもあの晋の潘岳に並ぶ方で、きっとまた詩をお作りになるでしょう。妻の死を悲しんで「悼亡」の詩を詠ったように、「起承転」の大部分が「悼亡」ということになるでしょう。

・安仁 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」 の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。
・悼亡 妻の死をなげくこと。
一半音詞 詩の大部分がということであるが、詩(起承転結)の起承転に「悼亡」の意味を含んでいると具体的な例ということ。


魚玄機『光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8』 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-126--#8   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2177
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
いや、もうすでに、よい愛人と、花の下で憩をささやいて、何度も阿母さんから叱られたこともあるでしょうし、夢の中では、美男子の潘岳のような詩才もある男が、きっと彼女たちのところへ通ってきていることでしょう。
・阿母 娼妓を置いている館の女主人。仮母である。
・藩郎 晋の潘岳。美男子であり、詩人であった。
魚玄機『迎李近仁員外』
今日喜時聞喜鵲,昨宵燈下拜燈花。
焚香出戶迎潘嶽,不羨牽牛織女家。

迎李近仁員外 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-115-50-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2122

潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。
『和新及第悼亡詩二首 其一』
仙籍人間不久留,片時已過十經秋。
鴛鴦帳下香猶暖,鸚鵡籠中語未休。
朝露綴花如臉恨,晚風欹柳似眉愁。
彩雲一去無消息,潘嶽多情欲白頭。

和新及第悼亡詩二首 其一 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-87-23-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1982

和新及第悼亡詩二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-88-24-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1987


送盧員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-210-76-#70  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597

薛濤 《送盧員外》玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。



2013年6月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《薤露歌》 無名氏挽歌 漢魏詩<90>古詩源 巻五 809 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2593
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#4>Ⅱ中唐詩722 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2594
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集冬到金華山觀,因得故拾遺陳公 楽府(五言古詩) 成都 杜甫 <490-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2595 杜甫詩1000-490-#2-713/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送盧員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-210-76-#70  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 
送盧員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-210-76-#70   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2597


送盧員外
(盧員外をお送り申しあげます。)
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。

盧員外を送る
玉壘の山前 風雪の夜,錦官の城外 別離の魂。
信陵の公子 相いの如しと問わば,長く夷門に向って舊恩に感ず。

都江堰002










『送盧員外』 現代語訳と訳註
(本文)
送盧員外
玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。


(下し文)
盧員外を送る
玉壘の山前 風雪の夜,錦官の城外 別離の魂。
信陵の公子 相いの如しと問わば,長く夷門に向って舊恩に感ず。


(現代語訳)
(盧員外をお送り申しあげます。)
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。


(訳注)
送盧員外
盧員外をお送り申しあげます。
・盧員外 員外は員外郎の略称で官名。また富豪のこと。信陵君を例にひいて詠んでいるところから考えると、後者らしい。


玉壘山前風雪夜,錦官城外別離魂。
玉塁山のふもとに立つと、風雪の夜がおとずれる。錦官城の郊外までお見送りしたら、いよいよこれでお別れと思います。
・玉塁山 ・玉塁 四川省理蕃県東南にある山の名、現在四川省都江堰市玉塁山(標高約800m)。奇石千尺、城表に伐立屹立している。青城山、峨媚山とならんで四川省の代表的な山。都江堰は灌県の西側にある玉塁山の麓にあり、成都市から59km離れる。この一帯は成都平原西北部の頂きである。大小さまざまな支流が集まる岷江はここで成都平原に注ぐことになる。
四川省理蕃県の東南、成都の北方、灌県からさらに北に約三百里、汶川県の南三里にある西蜀の代表的な山。彰県から北上すると、重畳たる山脈がつらなり、沱江の源となっているが、その北山脈中でもっとも有名なのがこの玉塁山で、背光山ともいうが、山中から美玉を産するところから、玉塁の名で古くから知られている。
薛濤の『續嘉陵驛詩獻武相國』
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
(「題嘉陵驛」の詩に續いて武相國に獻ず)
蜀門 西のかた更に青天に上り,強いて公の為に蜀國の弦を歌わん。
卓氏 長卿 士女を稱し,錦江 玉壘 山川を獻ず。
・錦宮城(きんかんじ上う) 成郡の別名。四川の特産品である錦の製造買上げを職とする官吏が常駐していたところから、成郡のことを錦官城とよぶ。


信陵公子如相問,長向夷門感舊恩。
貴方様は食客三千人もおいていたという信陵君の「宴席の門番の老人」の故事にみるようなお方です。だから私は「この老人がその時の恩を忘れずお返しをした」故事のように御恩は決して忘れません。
・信陵君 魏の昭王の子、無忌。食客が三千人あったという。秦が趙を囲んだ時、趙では救援を魏に求めた。信陵君は、その大勢の客たちを集めての宴の席に、みんなを待たせておいて、みずから車を駆けて、大梁の夷門の番人であった老人の侯瀛を、迎えにゆき、そしてその老人を、宴席では、みんなの上座にすえた。侯瀛は、その時の感激が忘れられず、後日、信陵君の趙に秦の軍が侵入し、危急存亡のとき、ぐずぐずしていた趙の将軍を殺す人物を推薦し、ついに趙軍を麾下におさめて、秦軍を撃退するチャンスをつくったという。善恩人にお返しをした故事。


送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537

薛濤 《送姚員外》 その方の旅の安全を祈って柳の枝を折って、旅立ちのお別れに差しあげたいと思っている、しかし、川端はけぶる月のすがた、柳を見て、この郷と旅の向こうの郷には、兩地には同じさびしい思いがのこる。


2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537


送姚員外
(剣南幕府の姚員外を見送る詩)
萬條江柳早秋枝,裊地翻風色未衰。
花街の川端の柳は万状の枝を垂れ、秋にむかう風が吹きはじめた。地を掃くように、風に揺られているのに、まだ柳の緑は色をのこして、決して衰えてはいない。
欲折爾來將贈別,莫教煙月兩鄉悲。
その方の旅の安全を祈って柳の枝を折って、旅立ちのお別れに差しあげたいと思っている、しかし、川端はけぶる月のすがた、柳を見て、この郷と旅の向こうの郷には、兩地には同じさびしい思いがのこる。

姚員外を送る
萬條の江柳 早秋の枝,地に裊【じゅう】し風に翻り 色 未だ衰えず。
爾を折り來って 將って別に贈らんと欲す,煙月をして兩鄉に悲しまむること莫れ。


『送姚員外』 現代語訳と訳註
美女画557













(本文)
萬條江柳早秋枝,裊地翻風色未衰。
欲折爾來將贈別,莫教煙月兩鄉悲。


(下し文)
姚員外を送る
萬條の江柳 早秋の枝,地に裊【じゅう】し風に翻り 色 未だ衰えず。
爾を折り來って 將って別に贈らんと欲す,煙月をして兩鄉に悲しまむること莫れ。


(現代語訳)
(剣南幕府の姚員外を見送る詩)
花街の川端の柳は万状の枝を垂れ、秋にむかう風が吹きはじめた。地を掃くように、風に揺られているのに、まだ柳の緑は色をのこして、決して衰えてはいない。
その方の旅の安全を祈って柳の枝を折って、旅立ちのお別れに差しあげたいと思っている、しかし、川端はけぶる月のすがた、柳を見て、この郷と旅の向こうの郷には、兩地には同じさびしい思いがのこる。


(訳注)
送姚員外
剣南幕府の姚員外を見送る詩
・姚員外 員外は員外郎の異称。官職名。その人物は、段文昌が西川節度使であったときに、判官であった姚向というものと、剣南観察推官であった姚康のどちらかといわれている。


萬條江柳早秋枝,裊地翻風色未衰。
花街の川端の柳は万状の枝を垂れ、秋にむかう風が吹きはじめた。地を掃くように、風に揺られているのに、まだ柳の緑は色をのこして、決して衰えてはいない。
・萬條 条はえだをいう。
・江柳 花街は川端に作られその川端柳。
・早秋 秋のはじめ。
・裊地(ちにじょうす) 裊はなよやか。しなやか。慮聾の詩に、「軌、弱柳を置す」の句がある。なでるように、柳の枝がゆれているさま。


欲折爾來將贈別,莫教煙月兩鄉悲。
その方の旅の安全を祈って柳の枝を折って、旅立ちのお別れに差しあげたいと思っている、しかし、川端はけぶる月のすがた、柳を見て、この郷と旅の向こうの郷には、兩地には同じさびしい思いがのこる。
・贈別 柳の枝を折って旅立つ者に贈る風習がある。    
・煙月 夕刻のかすみの中の月。
・兩郷 両地に同じ。姚員外の行く先と、別れ前のこの地。成都のこと。

江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522

薛濤 《江亭餞別》 今、夜の帷がおりるなかに、緑の澄み切った沼があり、赤ちゃけたような色の河岸の土が、萬物みな静かに眠っている。ここでお見送りしたのは、范さま、汪さま、そしてそのおつれの幷州の太守の李さまのお三方でした。


 

2013年6月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#2>Ⅱ中唐詩708 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2524
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集去秋行 楽府(七言歌行) 成都6-(14) 杜甫 <479>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2520 杜甫詩1000-479-698/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522


江亭餞別
(岷江の畔の亭でのお見送り)
綠沼紅泥物象幽,范汪兼倅李并州。 
今、夜の帷がおりるなかに、緑の澄み切った沼があり、赤ちゃけたような色の河岸の土が、萬物みな静かに眠っている。ここでお見送りしたのは、范さま、汪さま、そしてそのおつれの幷州の太守の李さまのお三方でした。
離亭急管四更後,不見車公心獨愁。 
ここ成都の次の駅の亭では、にぎやかな音楽が奏でられて、もう四更を過ぎてしまった。みなさまはもうご出發されてて、車も見えなくなり、わたくしひとりさびしい思いでいるのです。


『江亭餞別』 現代語訳と訳註
(本文)
江亭餞別
綠沼紅泥物象幽,范汪兼倅李并州。 
離亭急管四更後,不見車公心獨愁。 


(下し文)
江亭餞別
綠沼【りょくしょう】紅泥【こうでい】物象 幽なり,范・汪 兼ねて倅【さい】す 李幷州。
離亭 急管して 四更後にす,車の公を見ず心 獨り愁う。 


(現代語訳)
(岷江の畔の亭でのお見送り)
今、夜の帷がおりるなかに、緑の澄み切った沼があり、赤ちゃけたような色の河岸の土が、萬物みな静かに眠っている。ここでお見送りしたのは、范さま、汪さま、そしてそのおつれの幷州の太守の李さまのお三方でした。
ここ成都の次の駅の亭では、にぎやかな音楽が奏でられて、もう四更を過ぎてしまった。みなさまはもうご出發されてて、車も見えなくなり、わたくしひとりさびしい思いでいるのです。


美女画55101道観



















(訳注)
江亭餞別

(岷江の畔の亭でのお見送り)
・江亭(こうてい) 川辺のちん。亭はあずまや。五里ごとの駅亭がある。成都からのその出発点の亭であろうか。
・餞別 酒宴を催して人を見送ること。


綠沼紅泥物象幽,范汪兼倅李幷州。 
今、夜の帷がおりるなかに、緑の澄み切った沼があり、赤ちゃけたような色の河岸の土が、萬物みな静かに眠っている。ここでお見送りしたのは、范さま、汪さま、そしてそのおつれの幷州の太守の李さまのお三方でした。
・縁沼 沼であるがここでは淵、入江になっているところで津であろうか。
・物象 物のかたち。あたりすべてのものが。
・幽 ひっそりと奥淡い感じ。隠棲の場所。
・范・汪・李 いずれも今旅立っていった人たちの姓。誰に当てたらよいか、はっきりしない。いずれも西川節度使の幕下であった人々であろうか。李だけは幷州とあるから、井州の太守になって赴任した人であろう。幷州は山西省にある。
・倅 副武の意。李幷州が滝と在の副えであって、一段と位がひくいのであろう。


離亭急管四更後,不見車公心獨愁。 
ここ成都の次の駅の亭では、にぎやかな音楽が奏でられて、もう四更を過ぎてしまった。みなさまはもうご出發されてて、車も見えなくなり、わたくしひとりさびしい思いでいるのです。
・離亭 次の駅の亭。
・急管 管はふえ。ふえでその他の楽器をも代表させたもの。急はその高調子のせまっていること。
・四更 夜の午前二時ごろ。
・公車 貴い地位お方の乗車。

送鄭資州 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-194-60-#54  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2517

薛濤 《送鄭資州》 峨眉山あたりに雨が降りつづき空も暗いのです。大江の水が流れています。夜を共にした人とのおわかれはこの高殿の上から、袂をおおうて涙を隠します。


2013年6月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送鄭資州 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-194-60-#54  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2517
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


送鄭資州 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-194-60-#54   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2517


送鄭資州
(資州に帰る鄭様を見送る詩。)
雨暗眉山江水流,離人掩袂立高樓。
峨眉山あたりに雨が降りつづき空も暗いのです。大江の水が流れています。夜を共にした人とのおわかれはこの高殿の上から、袂をおおうて涙を隠します。
雙旌千騎駢東陌,獨有羅敷望上頭。
夫の太守さまのお行列は旗をたて、大勢のお供をお従えて、大道を東に向かわれる。相和曲『陌上桑』(日出東南隅行)の「羅敷」のように、妻のわたくしはひとり、東に進む行列の先頭のあなたさまを、じっとみつめております。



『送鄭資州』 現代語訳と訳註
bijo02(本文)
雨暗眉山江水流,離人掩袂立高樓。
雙旌千騎駢東陌,獨有羅敷望上頭。


(下し文)
鄭資州を送る
雨は暗し 眉山 江水流る,離人 袂を掩うて 高樓に立つ。
雙旌【そうしょう】千騎 東陌【とうばく】駢【なら】び,獨り有る 羅敷【らふ】上頭を望むを。


(現代語訳)
(資州に帰る鄭様を見送る詩。)
峨眉山あたりに雨が降りつづき空も暗いのです。大江の水が流れています。夜を共にした人とのおわかれはこの高殿の上から、袂をおおうて涙を隠します。
夫の太守さまのお行列は旗をたて、大勢のお供をお従えて、大道を東に向かわれる。相和曲『陌上桑』(日出東南隅行)の「羅敷」のように、妻のわたくしはひとり、東に進む行列の先頭のあなたさまを、じっとみつめております。


(訳注)
送鄭資州

(資州に帰る鄭様を見送る詩。)
望江楼で送別の宴席を終え、万里橋のたもとから沱江への運河を行き簡州を下り、資州に入るということ。


雨暗眉山江水流,離人掩袂立高樓。
峨眉山あたりに雨が降りつづき空も暗いのです。大江の水が流れています。夜を共にした人とのおわかれはこの高殿の上から、袂をおおうて涙を隠します。
・眉山 眉の山。峨眉山、成都からは泯江の流れをくだる方角にあるやまであるが、若い芸妓の薛濤が見送ることは別れの宴会を何日間か過ごしているのである。女子の眉から、ただここでは薛濤自信を示すものと考える
・江水 望江楼の傍を岷江が流れる。このあたりでは大きな流れになっている。
・離人 前日までくっ付いていたから、離れる人となる鄭資州太守のこと。羅敷、つまりあなたの妻が残される。そして、地位ある人に声を掛けられるということを連想させる。そこで第四句の「独り」が生きてくる。


雙旌千騎駢東陌,獨有羅敷望上頭。
夫の太守さまのお行列は旗をたて、大勢のお供をお従えて、大道を東に向かわれる。相和曲『陌上桑』(日出東南隅行)の「羅敷」のように、妻のわたくしはひとり、東に進む行列の先頭のあなたさまを、じっとみつめております。
・雙旌 雙は最先頭に二本かかげる、旌は軍旗。舵の上に羽槙のかぎりのついたもの。
・東陌 東方へむかう道路。資州は成都の東にある。南の眉州に向かうという解釈の本もあるが間違い。
・駢 二頭並列すること。
・羅敷 古楽府の「陌上桑」に見ゆる邯鄲の秦氏のむすめ。
・上頭 列の先頭。この位置に相手がおり、あとには従者が大勢ついている。
・千騎・上頭 ともに下に示す「階上桑」の中の句に見える語で、「東方千余蹄、大将頭に居る」これから「私の夫は千騎の上頭の物ですよ」と云いますというほどの意味になる。





 

相和歌辭︰相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。
秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷
善蠶桑、採桑城南隅。
青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
緗綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔捋髭須。
少年見羅敷、脫帽著□頭(更+)。
耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟躕、使君遣吏往。
問此誰家姝、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。
二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。

羅敷前致辭、使君一何愚。
使君自有婦羅夫自有夫。

東方千餘騎、夫婿居上頭
何用識夫婿、白馬從驪駒。
青絲系馬尾、黃金絡馬頭
腰中鹿盧劍、可值千萬餘。
十五府小史、二十朝大夫。
三十侍中郎、四十專城居。
為人潔白皙、□□頗有須。
盈盈公府步、冉冉府中趨。
坐中數千人、皆言夫婿殊。

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、
青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。
蜀の山50055

罰赴邊上韋相公二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-177-49-#39  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2432

薛濤 《罰赴邊上韋相公二首 其二》 しっかりと馬のたづなをにぎりしめ、嶺を超える辺りでは、その手はこおりそうで、寒いうえに、寒く、氷りつきそうな寒さです、それに微風であっても、その粉ぬか雨が頬をうつ、冷たく、それが身体の芯そこをおらせてしまいそうです。
 

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

罰赴邊上韋相公二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-177-49-#39   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2432


罰赴邊上韋相公二首 其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その一)
螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。
収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が飛びあがって光っているが、とてもあの高い室の月の側まではゆけないでしょう。
重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。

その月の明るい光は、どんなに遠いところへでも、万遍なく届いている、ただ大空をあの雲のように、仰ぎ見るだけで、心に思うまことは、上書した文には同じだけ、届かないのです。


罰赴邊上韋相公二首 其二
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その二)
按轡嶺頭寒復寒,微風細雨徹心肝。
しっかりと馬のたづなをにぎりしめ、嶺を超える辺りでは、その手はこおりそうで、寒いうえに、寒く、氷りつきそうな寒さです、それに微風であっても、その粉ぬか雨が頬をうつ、冷たく、それが身体の芯そこをおらせてしまいそうです。
但得放兒歸舍去,山水屏風永不看。
こんなに地獄のような寒さにつくづくと思うのですが、かりにもし、お許しが出て、故郷のわが家へ無事歸ることができたとしましたら、山水をえがいた屏風は、きっといつまでたっても、見るのもいや、というものです。


『罰赴邊上韋相公二首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)

按轡嶺頭寒復寒,微風細雨徹心肝。
但得放兒歸舍去,山水屏風永不看。


(下し文)
轡を嶺頭に按ゆれば 寒復た寒、微風 細雨 心肝に徹る。
但し 兄を放して令に歸り去るを得しむとも、山水の屏風は 永く看じ。


蜀の山50055(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その二)
しっかりと馬のたづなをにぎりしめ、嶺を超える辺りでは、その手はこおりそうで、寒いうえに、寒く、氷りつきそうな寒さです、それに微風であっても、その粉ぬか雨が頬をうつ、冷たく、それが身体の芯そこをおらせてしまいそうです。
こんなに地獄のような寒さにつくづくと思うのですが、かりにもし、お許しが出て、故郷のわが家へ無事歸ることができたとしましたら、山水をえがいた屏風は、きっといつまでたっても、見るのもいや、というものです。


(訳注)
罰赴邊上韋相公二首 其二
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その二)


按轡嶺頭寒復寒,微風細雨徹心肝。
しっかりと馬のたづなをにぎりしめ、嶺を超える辺りでは、その手はこおりそうで、寒いうえに、寒く、氷りつきそうな寒さです、それに微風であっても、その粉ぬか雨が頬をうつ、冷たく、それが身体の芯そこをおらせてしまいそうです。
・按轡嶺頭 際しい峠越えのようす、馬のたづなをおさえけわしい山道をのぼる。馬が谷底へ足を踏みすべらして落ちたりしないように、たづなを引き締めること。あるいは、この旅の途中に、そうした意味から名付けられた。詩人は按轡嶺という、固有名詞があったかのように使うことで後世に伝わるものである。
・心肝 心臓と肝臓。身体の芯のこと。


但得放兒歸舍去,山水屏風永不看。
こんなに地獄のような寒さにつくづくと思うのですが、かりにもし、お許しが出て、故郷のわが家へ無事歸ることができたとしましたら、山水をえがいた屏風は、きっといつまでたっても、見るのもいや、というものです。
・但 それだけ、かりにの意。万一の意。
・放 はなつ。ほしいままにする。自由に解散する。
・舎 營妓の宿舎、住居。
・屏風 びょうぶ。
・永 永遠に。
Nature1-007














罰赴邊上韋相公二首  罰赴邊有懷上韋令公二首其一
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罰赴邊上韋相公二首 其一
螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。
重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その一)
収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が飛びあがって光っているが、とてもあの高い室の月の側まではゆけないでしょう。
その月の明るい光は、どんなに遠いところへでも、万遍なく届いている、ただ大空をあの雲のように、仰ぎ見るだけで、心に思うまことは、上書した文には同じだけ、届かないのです。

罰赴邊上韋相公二首 其二
按轡嶺頭寒復寒,微風細雨徹心肝。
但得放兒歸舍去,山水屏風永不看。

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その二)
しっかりと馬のたづなをにぎりしめ、嶺を超える辺りでは、その手はこおりそうで、寒いうえに、寒く、氷りつきそうな寒さです、それに微風であっても、その粉ぬか雨が頬をうつ、冷たく、それが身体の芯そこをおらせてしまいそうです。
こんなに地獄のような寒さにつくづくと思うのですが、かりにもし、お許しが出て、故郷のわが家へ無事歸ることができたとしましたら、山水をえがいた屏風は、きっといつまでたっても、見るのもいや、というものです。


罰赴邊有懷上韋令公二首其一
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。
韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。

罰赴邊上韋相公二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-176-48-#38  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2427

薛濤 《罰赴邊上韋相公二首 其一》 "収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が光っている。とてもあの月の側まではゆけないでしょう。"


2013年5月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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罰赴邊上韋相公二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-176-48-#38   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2427

bijo0538 
螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。   86
 重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。   
    
39
 按轡嶺頭寒復寒,微風細雨徹心肝。 87 
 但得放兒歸舍去,山水屏風永不看。   


801年貞元17年松州方面への吐蕃の侵略があったころのこと。詩はその前年の作。罰をうけた原因については、「鑑戒録」には、彼女が有名になり、中央から遣わされてくる役人が、韋皐へ口効きをする。彼女を通じて韋皐の側近へ金品をとどけてもらったり、彼女自身に金品を贈ったりしたことがあった。薛濤33・34歳頃のことである。詩により名声が高くなるに伴い増加したとある。ここでいう罰はこの収賄により国境の軍隊慰問をさせられたということなのだ。
この2年後に薛濤を寵愛した剣南節度使韋皐は蜀の地で死んでいる。61歳であった。
に薛濤 《罰赴邊有懷上韋令公二首》(罰せられて邊に赴き、懐あり、韋令公に上る」(11・12)と題した五言二首が収録されている。
この二首もまた韋皐にたてまつったもの。(11・12)の解説を読まれたい。
11.罰赴邊有懷上韋令公二首其一
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
罰赴邊有懷上韋令公二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-146-18-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2277

12.罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。
罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282



罰赴邊上韋相公二首 其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その一)
螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。
収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が飛びあがって光っているが、とてもあの高い室の月の側まではゆけないでしょう。
重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。

その月の明るい光は、どんなに遠いところへでも、万遍なく届いている、ただ大空をあの雲のように、仰ぎ見るだけで、心に思うまことは、上書した文には同じだけ、届かないのです。

(罰せられて適に赴き、韋相公に上 る 二首)
蛍は 荒蕪に在り 月は 天に在り、螢飛ぶも 豈に月輪の邊に到らんや。
重光は萬里なるも 應に相い照らすべし、目は雲霄に断たれて 信 傳はらず。




『罰赴邊上韋相公二首 其一』 現代語訳と訳註
(本文)
螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。
重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。


(下し文)
(罰せられて適に赴き、韋相公に上 る 二首)
蛍は 荒蕪に在り 月は 天に在り、螢飛ぶも 豈に月輪の邊に到らんや。
重光は萬里なるも 應に相い照らすべし、目は雲霄に断たれて 信 傳はらず。


(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その一)
収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が飛びあがって光っているが、とてもあの高い室の月の側まではゆけないでしょう。
その月の明るい光は、どんなに遠いところへでも、万遍なく届いている、ただ大空をあの雲のように、仰ぎ見るだけで、心に思うまことは、上書した文には同じだけ、届かないのです。


(訳注)
罰赴邊上韋相公二首 其一

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、韋皐節度使に上奏いたします。その一)
・韋相公 相公は宰相をいう。宰相でありながら、剣南西川節度使として出向していたのでかくいう。武は、武元衡。彼は憲宗の元和二年正月宰相となり、同年十月剣南西川節度使として赴任。八年三月、都にもどっている。そこで、この詩をこの題の通り、武元衡にたてまつったものということから、薛濤の四十歳から四十五歳までの間の作ということになる。しかし上述のように、これを韋令公、すなわち韋皐に上ったものとすれば、韋皐の死は彼女の三十八歳の時に当たるから、それまでの間の作ということになる。


螢在荒蕪月在天,螢飛豈到月輪邊。
収賄のことで罰をうけて、そのつぐないに、西北の荒れ果てた国境地方へ、守備兵の慰問途中の月が天高く上がった夜、宿舎の庭さきの荒れはてた草むらに、螢が飛びあがって光っているが、とてもあの高い室の月の側まではゆけないでしょう。
・荒蕪 土地が荒れて草が生い繁ること。またそうした土地。


重光萬里應相照,目斷云霄信不傳。
その月の明るい光は、どんなに遠いところへでも、万遍なく届いている、ただ大空をあの雲のように、仰ぎ見るだけで、心に思うまことは、上書した文には同じだけ、届かないのです。
・重光 重は尊の意。重光は、月の光のほかに、節度使の徳をも意味している。 
雲霄 雲と空。高い天をいう。
・目断 視力がそこまではとどいても、それから先へはとどかないこと。
 まこと。誠意。また書翰の意。

試新服裁制初成三首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-165-37-#30  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2372

薛濤 《試新服裁制初成三首 其二》
この布の色彩は、九天の佳気が分かれてできた九つの色の霞のような美しきです。そして、五つの神霊的鳥獣によって駆られた神仙が乗っている五色の雲の車のような美しきです。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

試新服裁制初成三首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-165-37-#30   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2372


(一)試新服裁制初成三首 其一
(新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。)
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。

紫陽宮里賜紅綃,仙霧朦朧隔海遙。
仙人の紫陽宮(ここでは剣南西川節度使署を示す)から、あかいあやぎぬを頂いたのです。その宮殿は、海路はるかに仙霧のたちこめたあたりにあり、俗人の容易には出入できぬ尊いところです。ちょうどあの月宮殿にもたとえるべきところで、月のなかの兎は、この衣をつくるために、やわらかい毛をとられたにちがいない。
霜兔毳寒冰繭淨,嫦娥笑指織星橋。

月の兎はかわいそうに、いかにも清らかで、俗塵のかけらさえも見られない寒がっていることだろう。わたしは毛で織られたこの衣はおかげでさむくはないのです。月宮殿の女仙嫦娥も、さあさ急いで織ったがよいぞと、年一度の天の川の上にかかる織星橋の方を指さして、笑いながら、天上の織女星にお命じになり、そのようにして織りなされたものであろう。

(二)
(新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。その二)
九氣分為九色霞,五靈仙馭五云車。
この布の色彩は、九天の佳気が分かれてできた九つの色の霞のような美しきです。そして、五つの神霊的鳥獣によって駆られた神仙が乗っている五色の雲の車のような美しきです。
春風因過東君舍,偷樣人間染百花。
そのうえ、春の神のいますところを通ってきた春風が、天上の百花の美しい姿を、そっとぬすんできて、人間のために染めてくださったようにも思われます。

(三)
長裾本是上清儀,曾逐群仙把玉芝。
每到宮中歌舞會,折腰齊唱步虛詞。


bijo02(新服の裁制を試み初めて成る三首其の一)
紫陽【しよう】宮里【きゅうり】紅綃【こうしょう】を賜う,仙霧【せんむ】朦朧【もうろう】海を隔てて遙かなり。
霜兔【そうと】毳【ぜい】寒うして冰繭【ひょうけん】淨し,嫦娥【じょうが】笑って指さす織星の橋。


(新服の裁制を試み初めて成る三首其の二)
九氣 分れて九色の霞と為り,五靈の仙 五云の車を馭す。
春風 東君の舍を過ぎるに因り,樣を偷んで人間に百花を染む。


『試新服裁制初成三首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)
(二)
九氣分為九色霞,五靈仙馭五云車。
春風因過東君舍,偷樣人間染百花。


(下し文)
(新服の裁制を試み初めて成る三首其の二)
九氣 分れて九色の霞と為り,五靈の仙 五云の車を馭す。
春風 東君の舍を過ぎるに因り,樣を偷んで人間に百花を染む。


(現代語訳)
(新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。その二)
この布の色彩は、九天の佳気が分かれてできた九つの色の霞のような美しきです。そして、五つの神霊的鳥獣によって駆られた神仙が乗っている五色の雲の車のような美しきです。
そのうえ、春の神のいますところを通ってきた春風が、天上の百花の美しい姿を、そっとぬすんできて、人間のために染めてくださったようにも思われます。


(訳注) (二)試新服裁制初成三首 其二
新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。
・裁製 きぬを裁って着物につくること。
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。
 

九氣分為九色霞,五靈仙馭五云車。
この布の色彩は、九天の佳気が分かれてできた九つの色の霞のような美しきです。そして、五つの神霊的鳥獣によって駆られた神仙が乗っている五色の雲の車のような美しきです。
・九気 九天の気。九天は最高の天。
.五霊仙 五霊は、麟・鳳・亀・竜・白虎の五つの神霊的鳥獣。
.五雲車 五色の雲は瑞雲。また神仙は雲を車のように馭して、乗るという考えがある。
・駁 車の馬を操縦すること。


春風因過東君舍,偷樣人間染百花。
そのうえ、春の神のいますところを通ってきた春風が、天上の百花の美しい姿を、そっとぬすんできて、人間のために染めてくださったようにも思われます。
・東君 春の神。ここでは剣南節度使のこと。
・舎 とどまるところ。住居。
・偷樣 形式を盗み取る、形や色をまねる。


試新服裁制初成三首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-164-36-#29  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2367

29・30・31―59・60・61 薛濤 《試新服裁制初成三首 其一》
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


試新服裁制初成三首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-164-36-#29   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2367

(一)試新服裁制初成三首 其一
bijo04(新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。)
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。

紫陽宮里賜紅綃,仙霧朦朧隔海遙。
仙人の紫陽宮(ここでは剣南西川節度使署を示す)から、あかいあやぎぬを頂いたのです。その宮殿は、海路はるかに仙霧のたちこめたあたりにあり、俗人の容易には出入できぬ尊いところです。ちょうどあの月宮殿にもたとえるべきところで、月のなかの兎は、この衣をつくるために、やわらかい毛をとられたにちがいない。
霜兔毳寒冰繭淨,嫦娥笑指織星橋。

月の兎はかわいそうに、いかにも清らかで、俗塵のかけらさえも見られない寒がっていることだろう。わたしは毛で織られたこの衣はおかげでさむくはないのです。月宮殿の女仙嫦娥も、さあさ急いで織ったがよいぞと、年一度の天の川の上にかかる織星橋の方を指さして、笑いながら、天上の織女星にお命じになり、そのようにして織りなされたものであろう。

(二)
九氣分為九色霞,五靈仙馭五云車。
春風因過東君舍,偷樣人間染百花。

(三)
長裾本是上清儀,曾逐群仙把玉芝。
每到宮中歌舞會,折腰齊唱步虛詞。


(新服の裁制を試み初めて成る三首其の一)
紫陽【しよう】宮里【きゅうり】紅綃【こうしょう】を賜う,仙霧【せんむ】朦朧【もうろう】海を隔てて遙かなり。
霜兔【そうと】毳【ぜい】寒うして冰繭【ひょうけん】淨し,嫦娥【じょうが】笑って指さす織星の橋。


(一)『試新服裁制初成三首 其一』現代語訳と訳註
(本文)
試新服裁制初成三首 其一
紫陽宮里賜紅綃,仙霧朦朧隔海遙。
霜兔毳寒冰繭淨,嫦娥笑指織星橋。


(下し文)
(新服の裁制を試み初めて成る三首其の一)
紫陽【しよう】宮里【きゅうり】紅綃【こうしょう】を賜う,仙霧【せんむ】朦朧【もうろう】海を隔てて遙かなり。
霜兔【そうと】毳【ぜい】寒うして冰繭【ひょうけん】淨し,嫦娥【じょうが】笑って指さす織星の橋。


(現代語訳)
(新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。)
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。
仙人の紫陽宮(ここでは剣南西川節度使署を示す)から、あかいあやぎぬを頂いたのです。その宮殿は、海路はるかに仙霧のたちこめたあたりにあり、俗人の容易には出入できぬ尊いところです。ちょうどあの月宮殿にもたとえるべきところで、月のなかの兎は、この衣をつくるために、やわらかい毛をとられたにちがいない。
月の兎はかわいそうに、いかにも清らかで、俗塵のかけらさえも見られない寒がっていることだろう。わたしは毛で織られたこの衣はおかげでさむくはないのです。月宮殿の女仙嫦娥も、さあさ急いで織ったがよいぞと、年一度の天の川の上にかかる織星橋の方を指さして、笑いながら、天上の織女星にお命じになり、そのようにして織りなされたものであろう。


(訳注)
試新服裁制初成三首 其一

新しい着物を作ることができたのでお礼に三首を詠ってみました。
・裁製 きぬを裁って着物につくること。
節度使から、薛濤ら營枝の何人かが、美しい布地をもらった。薛濤はその布で新しい着物をつくって、そのお礼と感激をこの詩によみこんだもの。


紫陽宮里賜紅綃,仙霧朦朧隔海遙。
仙人の紫陽宮(ここでは剣南西川節度使署を示す)から、あかいあやぎぬを頂いたのです。その宮殿は、海路はるかに仙霧のたちこめたあたりにあり、俗人の容易には出入できぬ尊いところです。ちょうどあの月宮殿にもたとえるべきところで、月のなかの兎は、この衣をつくるために、やわらかい毛をとられたにちがいない。
・紫陽宮(しょぅきゅう) 昔から神仙の号として紫陽の二字が使われている。周の穆王の時の李八百は紫陽真君とよばれたし、漢の周義山も紫陽真人と号した。たがって紫陽官は、神仙の住む宮殿。こではそれをもって節度使の官署を、尊いところとしてほのめかしている。
・紅綃 綃はうすぎぬ。またあやぎぬ。紅はその色。
・朦朧 おぼろげなさま。
・隔海迄 東海に蓬莱・方丈・瀛州といぅ神仙の住む三つの島があるという神話から、紫陽宮もそこにあるもののごとくうたったもの。


霜兔毳寒冰繭淨,嫦娥笑指織星橋。
月の兎はかわいそうに、いかにも清らかで、俗塵のかけらさえも見られない寒がっていることだろう。わたしは毛で織られたこの衣はおかげでさむくはないのです。月宮殿の女仙嫦娥も、さあさ急いで織ったがよいぞと、年一度の天の川の上にかかる織星橋の方を指さして、笑いながら、天上の織女星にお命じになり、そのようにして織りなされたものであろう。

・霜兔 白兎。月中にいるという神話的兎。
 にこげ。柔い毛。
・冰繭 淡蚕の繭から取った糸は火にも焼けぬという。「拾遺記」に、「員晴山のなかに、氷蚕を産する。長さ七寸、霜や雪におおわれている。始めて薪を成すに、五色のものができる。織って錦にすると、水に入れても濡れず、火に投げこんでも焼けない」とある。
・嫦娥/姮娥 『准南子』に「翠、不死の薬を西王母に請ふ。その妻檀紙、これを病みて月官に奔る」とみえる。・誇蛾 恒蛾、嫦娥、常娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881-l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。ここでは占いの雰囲気作りにはみょうれいな女性の神、巫女の登場というシチュエーションというところか。 
・織星橋 織女星は、銀河をさしはさんで牽牛星と向かいあい、年に一度だけ七月七日の夜に、この橋を渡り、牽牛星と会うという神話がある。天の川には橋はなく薛濤だけがこういう表現をしている。


罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282

薛濤《罰赴邊有懷上韋令公二首其二》 
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)


2013年4月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽)<56> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2281 (04/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282


罰赴邊有懷上韋令公二首其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

罰赴邊有懷上韋令公二首其二
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
聞道邊城苦,而今到始知。
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。

韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。


(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。

(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。


『罰赴邊有懷上韋令公二首其二』 現代語訳と訳註
(本文)

聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。


(下し文)
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。


(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。
韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。


(訳注)
罰赴邊有懷上韋令公二首其二

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その二)
801年貞元17年松州方面への吐蕃の侵略があったころのこと。詩はその前年の作。罰をうけた原因については、「鑑戒録」には、彼女が有名になり、中央から遣わされてくる役人が、韋皐へ口効きをする。彼女を通じて韋皐の側近へ金品をとどけてもらったり、彼女自身に金品を贈ったりしたことがあった。薛濤33・34歳頃のことである。詩により名声が高くなるに伴い増加したとある。ここでいう罰はこの収賄により国境の軍隊慰問をさせられたということなのだ。唐では恭州に都護府を置いていたので、慰問するとすればここではないかと考える。
この2年後に薛濤を寵愛した剣南西川節度使韋皐は蜀の地で死んでいる。61歳であった。


聞道邊城苦,而今到始知。
かねて聞きおよんでおりましたのは吐蕃国境地帯にある都護府の城塞のご苦労の多いことですが、今、ここにきてみて、はじめてそれがはっきりわかりました。
・邊城 吐蕃国境地帯にある守備。ここでは薛濤が慰問に訪れている恭州都護府の城塞。
・而今 今来。


卻將門下曲,唱與隴頭兒。
韋皐節度使さまが幕府のご宴席で歌っておられた平穏で歌われる「門下曲」は、とても毎日毎夜、守備にご苦労なさっている勇ましい「隴頭兒」の方々には、お聞かせできませんでした。
・門下曲 晋代にはじまった近衛軍に門下省というのがある。門下は黄門の意。中書省からくだされた詔勅を審査するところ。門下曲は、帝都で流行している呵やわらかい平和なしゃれた曲の意か。韋皐の成都における役所の宴会などでも歌われたものと思われる。
・唱與 歌って聞かせる。
・隴頭兒 隴右道東部、今の甘粛省東南地方の隴西を中心とした山岳部の男児。転じてその地方、すなわち国境地帯を守備している兵士たちを指す。
西から河西節度使―隴右節度使―剣南東川節度使―剣南西川節度使と、その最前線に網の目の様に都護府をおいて、シルクロードの守り、それこそが吐蕃に対する守りの体制であった。

罰赴邊有懷上韋令公二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-146-18-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2277

薛濤 《罰赴邊有懷上韋令公二首》
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

2013年4月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 魏詩<73-#2> 女性詩745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2273
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第九段―#3 宋玉  <00-#29>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 658 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2274
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-146-18-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2277
 
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安安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

罰赴邊有懷上韋令公二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-146-18-#11   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2277 


罰赴邊有懷上韋令公二首其一
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。

罰赴邊有懷上韋令公二首其二
聞道邊城苦,而今到始知。
卻將門下曲,唱與隴頭兒。


(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。

(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の二)
聞道 邊城 苦しと。今来って 始めて知るに到ぶ。
羞づ 門下曲を將って、隴頭兒に唱與するを。




『罰赴邊有懷上韋令公二首其一』 現代語訳と訳註
(本文)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一
成都薛濤の地図015黠虜猶違命,烽煙直北愁。
卻教嚴譴妾,不敢向松州。


(下し文)
(罰せられて邊に赴き懐あり、韋令公に上る。其の一)
黠虜 猶お命に違き、蜂煙 直北の愁。
卻って嚴譴の妾をして、敢へて松州に向はざらしむ。


(現代語訳)
(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことである。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。


(訳注)
罰赴邊有懷上韋令公二首其一

(収賄のことを譴責されて国境の都護府慰問から松州慰問へ赴いているところ、心配されて面槍を受けたので韋皐節度使に上奏いたします。その一)
801年貞元17年松州方面への吐蕃の侵略があったころのこと。詩はその前年の作。罰をうけた原因については、「鑑戒録」には、彼女が有名になり、中央から遣わされてくる役人が、韋皐へ口効きをする。彼女を通じて韋皐の側近へ金品をとどけてもらったり、彼女自身に金品を贈ったりしたことがあった。薛濤33・34歳頃のことである。詩により名声が高くなるに伴い増加したとある。ここでいう罰はこの収賄により国境の軍隊慰問をさせられたということなのだ。
この2年後に薛濤を寵愛した剣南節度使韋皐は蜀の地で死んでいる。61歳であった。


黠虜猶違命,烽煙直北愁。
あの悪くてずるい吐蕃の奴らが、いまだに唐朝廷の命にそむいている。この度も成都の真北の国境地帯からのろしがあがって侵入のしらせがきた。北の方は困ったことです。
・黠虜/黠賊 吐蕃を蔑んでこう呼んだ。蜀から西域涼州にかけて国境を接していて、唐に問題があると必ず局地戦を仕掛けてきている。したがって、この侵略行為に対して不安状態にあったことは間違いないことなのだ。しかし吐蕃の側から見れば、漢民族が日常的に浸透、侵略をしており、それを我慢しきれず跳ね返したということで、本気で蜀を侵略しようというものではなかったのだ。そういった漢民族の浸透侵略性は現在にも受け継がれている民族性である。(チベット、ウイグル、内モンゴル、満州民族を完全に中国化してしまっている。)
・違命 唐にそむいたこと。
・烽煙 のろしの煙。山頂で薪を焚いて煙をあげ、順に急を告げることになっていた。焚火に狼の糞を加えると煙が細くまっすぐにあがるので、狼煙ともいう.
・直北 松州方面は、成郡の真北成都の北180kmのところに当たる。


卻教嚴譴妾,不敢向松州。
わたしは、いまきびしい譴責をうけてわたしは北の都護府の軍営の慰問をしているところ。その都護府のさらに北の松州慰問迎へということであったが、節度使さまは、わたしの身を心配されて、途中からもどってこいというお使いをくださった。
・嚴譴 きびしい譴責をうける。おしかり。
・妾 わたし。
・松州 今の四川省の西北部成都の北180kmのところ。蔵族自治区の松藩。チベット族が岷山台地から四川盆地へ侵入してくる場合の要衝の地。唐では恭州に都護府を置いていたが、貞元十六年吐蕃の侵攻によって陥落した。

西川使宅有韋令公時・・・・・因賦此詩用廣其意 武元衡  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-130--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2197"

武元衡 西川使宅有韋令公時孔雀存焉暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓興嗟久之、因賦此詩用廣其意



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西川使宅有韋令公時・・・・・因賦此詩用廣其意 武元衡  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-130--#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2197"


西川使宅有韋令公時孔雀存焉暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓興嗟久之、因賦此詩用廣其意。

作者: 武元衡

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全唐詩 巻316
西川使宅有韋令公時孔雀存焉。暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓。興嗟久之、因賦此詩用廣其意。
(軍人であり詩人の韋皐公の時に西川節度使の官舎軍営芸妓に、孔雀とも思える美人がいたのだ。ある日 諸公と同席して鑑賞する宴があるときは、この幕府のの賓妓を兼ねたおんなである。感興をうたう詩を作ることを長い期間している、よって此の詩をうたうことに用いてこの女性が優れていることを広めるのである。)
荀令昔居此,故巢留越禽。
昔「王佐の才」を持つ荀彧が大いに役得有を果たしたが今ここにその人がいるのである。ここの先祖伝来の富沃の地を吐蕃や西域の異民族から守っているのだ。
動摇金翠尾,飛舞碧梧陰。
クジャクがその金翠尾をゆっくりと雄雄しく動かすように立ち振る舞い、鳳凰の愛の巢は碧いことのしげる所に奥ゆかしくあったのだ
上客徹瑶瑟,美人傷蕙心。
立派な主賓であった韋皐を偲んで立派な瑟を奏でるのを夜を徹してなされるのである。妻として過ごしていた美人芸妓は今や慕わしい気持ちを胸に心痛めている。
会因南国使,得放海云深。

たまたま、この南の国成都からの使いによって韋皐の病死が知らされたのである。韋皐の功績は海よりも深く雲よりも高いものである。
(西川の使宅に韋令公の時、孔雀も存する有り。暇日 諸公と同玩するに、座中に故府の賓妓を兼ぬ。興嗟すること之を久しゅうす、因って此の詩を賦して用いて其の意を廣うす。)
荀令 昔 此に居り,故巢 越禽を留む。
動摇するは 金翠の尾,飛舞するは 碧梧の陰。
上客 瑶瑟を徹し,美人 蕙心を傷ましむ。
会【たまた】ま南国の使いに因って,海雲の深きに放つを得んや。
 

『西川使宅有韋令公時孔雀存焉暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓興嗟久之、因賦此詩用廣其意』 現代語訳と訳註
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西川使宅有韋令公時孔雀存焉。暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓。興嗟久之、因賦此詩用廣其意。
荀令昔居此,故巢留越禽。
動摇金翠尾,飛舞碧梧陰。
上客徹瑶瑟,美人傷蕙心。
会因南国使,得放海云深。


(下し文)
(西川の使宅に韋令公の時、孔雀も存する有り。暇日 諸公と同玩するに、座中に故府の賓妓を兼ぬ。興嗟すること之を久しゅうす、因って此の詩を賦して用いて其の意を廣うす。)
荀令 昔 此に居り,故巢 越禽を留む。
動摇するは 金翠の尾,飛舞するは 碧梧の陰。
上客 瑶瑟を徹し,美人 蕙心を傷ましむ。
会【たまた】ま南国の使いに因って,海雲の深きに放つを得んや。


(現代語訳)
(軍人であり詩人の韋皐公の時に西川節度使の官舎軍営芸妓に、孔雀とも思える美人がいたのだ。ある日 諸公と同席して鑑賞する宴があるときは、この幕府のの賓妓を兼ねたおんなである。感興をうたう詩を作ることを長い期間している、よって此の詩をうたうことに用いてこの女性が優れていることを広めるのである。)
昔「王佐の才」を持つ荀彧が大いに役得有を果たしたが今ここにその人がいるのである。ここの先祖伝来の富沃の地を吐蕃や西域の異民族から守っているのだ。
クジャクがその金翠尾をゆっくりと雄雄しく動かすように立ち振る舞い、鳳凰の愛の巢は碧いことのしげる所に奥ゆかしくあったのだ
立派な主賓であった韋皐を偲んで立派な瑟を奏でるのを夜を徹してなされるのである。妻として過ごしていた美人芸妓は今や慕わしい気持ちを胸に心痛めている。
たまたま、この南の国成都からの使いによって韋皐の病死が知らされたのである。韋皐の功績は海よりも深く雲よりも高いものである。


(訳注)
西川使宅有韋令公時孔雀存焉。暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓。興嗟久之、因賦此詩用廣其意。
軍人であり詩人の韋皐公の時に西川節度使の官舎軍営芸妓に、孔雀とも思える美人がいたのだ。ある日 諸公と同席して鑑賞する宴があるときは、この幕府のの賓妓を兼ねたおんなである。感興をうたう詩を作ることを長い期間している、よって此の詩をうたうことに用いてこの女性が優れていることを広めるのである。


荀令昔居此,故巢留越禽。
昔「王佐の才」を持つ荀彧が大いに役得有を果たしたが今ここにその人がいるのである。ここの先祖伝来の富沃の地を吐蕃や西域の異民族から守っているのだ。
・荀令 「王佐の才」を持つ荀彧が魏曹操を支えた。董卓、袁紹を滅ぼすことに力を発揮した。特に後方支援としての役割があった。吐蕃の侵攻を食い止める拠点の成都において韋皐の役割は大きかったし、実際にも韋皐が務めていた間は吐蕃は一切侵攻していない。
故巢 先祖伝来の富沃の地。
・越禽 南からの異民族、吐蕃、ウイグルなどをいう。


動摇金翠尾,飛舞碧梧陰。
クジャクがその金翠尾をゆっくりと雄雄しく動かすように立ち振る舞い、鳳凰の愛の巢は碧いことのしげる所に奥ゆかしくあったのだ
・金翠尾 クジャク。
・碧梧 アオギリの別名。鳳凰の愛の巢。


上客徹瑶瑟,美人傷蕙心。
立派な主賓であった韋皐を偲んで立派な瑟を奏でるのを夜を徹してなされるのである。妻として過ごしていた美人芸妓は今や慕わしい気持ちを胸に心痛めている。
・上客 軍営芸妓のもとに來る最上級の客。韋皐の事である。薛等は一緒に過ごしているが妻ではなかった。謝朓『金谷聚』「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗佳人を送り,玉杯上客を邀ふ。車馬一び東西にせられ,別後今夕を思はん。)謝朓①玉階怨 ②王孫遊 金谷聚 ④同王主薄有所思 ⑤遊東田 謝靈運:東陽谿中贈答 班婕妤と蘇小小 
・瑶瑟 離れた地にいる男性をうらめしく思うのだけれど思い直して、立派な瑟を奏でて帰ってくるのを夢見るために奏でる瑟琴。

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中唐・劉禹錫の『瀟湘神』
斑竹枝,斑竹枝,涙痕點點寄相思。
楚客欲聽瑤瑟怨,瀟湘深夜月明時。
中唐・錢起の『歸雁』
瀟湘何事等閒回,水碧沙明兩岸苔。
二十五弦彈夜月,不勝淸怨卻飛來。
両宋・李清照『一翦梅』
紅藕香殘玉簟秋。輕解羅裳,獨上蘭舟。
雲中誰寄錦書來,雁字回時,月滿西樓。
花自飄零水自流。一種相思,兩處閑愁。
此情無計可消除,才下眉頭,却上心頭。
・瑤瑟 美しい玉(ぎょく)でもって飾りを施された瑟。 
・蕙心 香しい心。薛濤の韋皐を慕う思い


会因南国使,得放海云深。
たまたま、この南の国成都からの使いによって韋皐の病死が知らされたのである。韋皐の功績は海よりも深く雲よりも高いものである。



薛濤は中唐の人。韓愈や白居易と同年輩である。もと長安の良家の娘だったが、父について蜀(四川省)へ行き、のち妓女となる。節度使韋皐に愛され二十年仕えた。韋皐は薛濤の才を惜しみ、本気で朝廷の校書郎に推薦しようとしたほどである。むろん女性に官を授けられるはずもなく、この話は実現しないが、このことから芸妓を「校書」と呼ぶようになった。
 薛濤は劉禹錫や元稹とも交遊があった。晩年は浣花渓に住み「薛濤箋」と呼ばれる紅色の原稿用紙を作った。今日、成都の町を流れる錦江のほとりの望江楼公園の中に、薛濤が使った井戸が残されている。


芸妓について
妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと。娼妓、娼女という呼称もある。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。また、道教の寺観にも娼婦に近い巫女がいた。この時代において、女性が男性と対等にできる唯一の場所であった。
もともとは国家による強制的な徴発と戦時獲得奴隷が主な供給源だったと考えられるが、罪人の一族を籍没(身分を落とし、官の所有とする制度)する方法が加わった。また、民間では人身売買による供給が一般的であった。区分すると以下の通り。
(1.宮妓 2.家妓 3.営妓、4.官妓、5.民妓、6.道妓)

1 宮妓
皇帝の後宮に所属。籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上された女性。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務をし、技芸を学び、皇帝を楽しませた。道教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。班婕妤・趙飛燕上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。

2 家妓
高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。

3営妓
軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。蘇小小。唐代女流詩人の薛濤が有名。

4官妓
中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。唐代はその活動は最大なものであった。
唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。

5民妓
民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。
6.道妓
道教の祠に学問等していない娼婦に近いものが多かった。




妓館には、花や植物が植えられ、狆や鸚鵡が飼われ、香炉が置かれ、また、雲母屏風、山水画や骨董が飾られているところが多く、庭園風になっているものもあった。妓館は、互いに奇をてらい合い、提供される様々な香りが数里先まで漂ったと伝えられる。さらに、厨女(女料理人)が働いており、彼女らが料理する山海の珍味がすぐに作れるように準備されていた。旧院には商店もあり、客が妓女に贈るための高級品が置かれていた。また、茶を専門とする茶坊もあった。夜には、妓女による音楽が奏でられ、芝居が上演された。妓館の額もまた、名人の手になるものがいくつもあった。妓館には、他に下働きの下女と男衆が別にいた。