玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

詠懐詩

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-〈138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892

薛昭蘊(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

 

 

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892

 
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(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

 

(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。

 

花蕊夫人002
紅梅003
 

(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首其一》

『小重山二首 其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

小重山二首 其一

春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

 

(下し文)
(小重山二首 其の一)

春は長門に到り 春草 青く、玉堦 華露 滴り、月は朧に明らかに。

東風 玉簫聲の声を吹断す、宮漏 促【せきた】て、簾外 鶯 暁に啼く。

愁い極まり 夢 成り難く、紅粧 宿涙 流る、情に勝えず。

手もて裙帶を挼りつつ階を遶りて行く、君を思うこと切に、羅幌 暗に塵 生ず。


(現代語訳)
(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。



(訳注)

小重山二首 其一

(小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

「長門宮」は、前漢の武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられた、そんな宮殿である。この歴史的経緯を説明すると次のとおりである。

陳氏は、武帝の従姉妹に当たる伯母の子である。また、武帝、劉徹が太子になる事が出来たのは、母の陳氏によるのと、館陶公主の力添えがあってこそであった。陳氏との間には子は生まれなかったから、二人は血縁的に強い結び付きが合った。そのような折り、姉である平陽公主の下を訪れた武帝は、謳者の一人であった衛子夫を見初め、そのまま宮中に連れ帰ってきた。この二人の間には、三女一男が生まれた。これによって、いよいよ陳氏の嫉妬が強まり、それは武帝の我慢の限界を超える程のものとなった。衛子夫が男児を生んだのが、元朔元年(前128)で、陳氏が皇后を廃されたのはが、元光五年(前130)である事から、子の男女に関わらず、子が出来た事が、寵を奪われた事に加算されて、嫉妬に狂ったのである。その嫉妬のあまり、媚道を行うに至った。媚道とは、つまり、呪詛である。これが露見し、死罪は減じられたものの、長安城の東南にあった長門宮に隠居させられた。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。衛子夫は男児を生んだその年、皇后に立てられている。

 

小重山は《柳色新》《小冲山》、《小重山令》という別名がある。『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

春到長門春草、玉堦華露滴、月朧

東風吹斷玉簫聲、宮漏促、簾外曉啼鶯。
愁起夢難、紅粧流宿淚、不勝

手挼裙帶遶宮行、思君切、羅幌暗塵生。





 

春到長門春草青,玉華露滴,月朧明。

春が訪れて長門宮にも春の芳草が青く芽吹く、宮殿の美しい階を降りてゆくと花の花弁に甘露が滴り、月はおぼろに照っている。

・長門 漢代の宮殿の名。漢武帝の陳皇后がはじめ天子の寵愛を得ていたが、人の妬みを受けて長門官に別居し、憂悶の日を送っていた。時に司馬相如の文名を聞き、黄金百斤を奉じて長門既を作らせ天子に献上し、再び寵幸を得たという故事に本づく。寵愛を受けていた女性が棄てられることを比喩するもの。長門宮は長安城の東南にあった。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。

韋荘『小重山』

一閉昭陽春又春,夜寒宮漏永,夢君恩。

臥思陳事暗消魂,羅衣濕,紅袂有啼痕。

歌吹隔重閽,繞庭芳草綠,倚長門

萬般惆悵向誰論?凝情立,宮殿欲黃昏。

126 小重山 韋荘 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-290-5-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2997

・玉堦 玉のきざはし、階段。

・華露 露草に同じ。ここは月の光をうけてきらきらひかるつゆ。階の露は甘露、男女の混じり合いを云う。

・朧月 - 霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。《季 春》朧月は月が女性を意味し男女の混じり合いを連想させる。

 

東風吹斷玉簫聲,宮漏促,簾外曉啼鶯。

春風に乗って芳草の香りと笛の音に酔っていると、きれいに飾られた簫の吹奏の音は、春の突風が吹いて中段される、宮殿の夜は日ごと短く時せわしなくすすむ、すだれの外に夜明けの鶯が啼いている。

・宮漏 宮中の漏刻。水時計。

・促 水時計の音がほやくせわしくきこえること。

 

愁起夢難成,紅粧流宿淚,不勝情。

寵愛を失って、愁いがはじまり、しだいに夢にも見なくなってしまう、春の夜に、頬を紅く染めた化粧をとかす涙は夜具をぬらす、それは耐えることができない。

・夢難成 夢が完成しにくいこと。たのしい夢が愁いに断たれて十分見つくすことが困難になること。

・紅粧 紅をほどこしたうつくしい化粧。ここは陳皇后をさす。

・流宿涙 循涙を流す。宿涙は昨夜から泣きつづけて、枕も布団もぬれてしまうほど涙を流すこと。

 

手挼裙帶遶宮行,思君切,羅幌暗塵生。

皇后を廃され、長門宮に隠居させられたのである、どれほど天子の事を慕おうとこのせつなさはどれほどのものであろうか。絹のとばりにほこりや塵が積もっている。

・手挼裙帶 裾(もすそ)を手にとって揉むこと。裙帶:①もすそのひも。もすそとおび。②女官の制服に着用した装飾の具。③后妃の力によってその地位を得ること。武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられたということを暗示させる。

・遶宮行 長門宮に回り道をしてゆく。遶越/遶行:回り道をしてゆく。皇后を廃され、長門宮に隠居させられたことを暗示。

・思君切 陳皇后が天子を思うことがはなはだしいこと。

・羅幌 うすぎぬのとばり。

・暗塵生 産暗生といういい方もあり、ひそかに塵がつもっていること。寵愛を失っている状態をあらわすことは。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-〈126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

(改訂版)韋荘 小重山一首 (小重山〔閨での寵愛の様子を連想させる題〕:漢の後宮の賢夫人“薄姫”を歌ったもの)魏の王族の生まれであった薄姫は奴隷の身まで落ち、機織りの仕事をしていて、劉邦にみとめられたが、昭陽殿にただいるだけで蟄居されたもおなじであった、春が過ぎまた春が過ぎ、秋の寒々とした独り寝で、時を知らせる音を聞く長き夜、帝の情け夢に見る。

 

 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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59-#2 《補遺-02 海水》 -#2 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1369> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5829 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-〈126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832 
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『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『小重山』 六首

 

 

作者



初句7字

 

 

韋相莊

巻三26

小重山一首

一閉昭陽春又春

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三27

小重山二首 其一

春到長門春草青

 

 

巻三28

小重山二首 其二

秋到長門秋草黃

 

 

和凝

巻六14

小重山二首其一

春入神京萬木芳

 

 

巻六15

小重山二首其二

正是神京爛熳時

 

 

毛秘書熙震

巻十03

小重山一首

梁鷰雙飛畫閣前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647

 薛濤 《贈段校書》大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。


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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647


贈段校書
(段校書さまにこの詩を贈る。)
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。

yayoipl05



段文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国・唐代の宰相である。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。
段文昌(772年-835年),字墨卿,一字景初,唐朝鄒平(今屬山東濱州)人。生於荊州江陵(今湖北荊州市)。唐代政治人物,曾拜宰相,後除節度使,歷轉各軍。卒赠太尉。子段成式,為太常少卿。

段校書は、後に二度も剣南西川節度使として、成郡に赴任し「新唐書」によれは、に景初のあざな段文昌といい、もあり、剰州の生まれ。さっぱりした人物で、が嫌いで、刑南節度使の襲胃に愛されたが、やがて成都に出て彼はあざなを墨卿といい、別義侠な男、こせこせとしたこと、ここでもまた節度使の尊卑に醇清が死んだとき、彼女のために墓誌を書いてやった段文昌であろう。めに墓誌を書いた。
かわいがられ、葦皐は彼を中央政府に願って校苦邸とした。そして偶宗の永貞元年に、葦皐が覇で死に、語荒め元卸二年に、李書簡が宰相となると、彼は抜擢されて登封(河南省にある)の尉になった。したがってこの作は、その前のことであるから、彼女の三十五歳から四十歳までの問のことであろう。段は彼女よりおそらく若干年下であった


『贈段校書』 現代語訳と訳註
(本文)
70
公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 


(下し文)
贈段校書 
公子は翩翩たりと校書を說【たと】う,玉弓金勒して 紫綃裾【ししょうきょ】なり。 
玄成は便ち 名譽に驕ること莫れ,文采は風流にして 定めて知らざらん。 


(現代語訳)
(段校書さまにこの詩を贈る。)
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。


(訳注)
贈段校書 70
(段校書さまにこの詩を贈る。)
・段校書 校書は校書郎の官名。段は段文昌。


公子翩翩說校書,玉弓金勒紫綃裾。 
大史公(司馬遷:「史記」の著者)は、趙の平原君(趙勝)のことを「翩翩たる佳公子」といいましたし、また魏の文帝は、呉質に與えた手紙に、阮瑀のことを「元喩書記は翩翩として、致、楽しむに足るなり」といっていまが、校書さまのことをたとえたものでございましょう。そして、玉弓をわきばさみ、金のくつわをつけた馬にまたがられ、紫の薄絹のすそをひらひらさせておいでになるお姿は、まことに風流そのものでございます。
・公子翩翩 趙の平原君の趙勝のことを司馬遷はその「史記」の「平原君伝」において、「翩翩たる濁世の佳公子なり」と評している。佳公子とは、よい若殿の意また魏の文帝が、「呉質に与ふる暑」(「文選」におさむ)では、阮瑀のことを「阮瑀書記は翩翩、致、楽むに足るなり」といっている。ともに文釆風流なことをたとえたもので、後者の註には、「翩翩は
美しきかたち、その文雅の致、楽しむに足るをいふなり」とある。

・玉弓 玉で飾った弓。弓の美称。
・金勒 勒はくつわ。上に玉字を使ったので、こちらでは金字を用いたもの。
・紫綃裾 綃はきざぬ、またあやぎぬ。裾は下衣のすそ。


玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。 
それに、「文采風流」といえは、漢の宰相になった韋玄成のことが、有名ですが、しかしその玄成も、校書さまに比べたら、いたずらに昔語りとして有名なだけで、とても及びませんでしょう。
・玄成 漢の韋玄成のこと。あざなは少翁。鄒魯の大儒といわれた宰相韋賢の子で、わかくして経書に通じ、元帝の朝に相となった。そこで、鄒魯地方(山東省西部)では、「子供には金をいっぱい遺してやるより、経書を教えておいた方がよい」ということをいった。宰相をつとめること七年、守正持重は父に及ばなかったが、文采風流は、父以上であったという。
・文釆 文章著述の世に伝うるに足るものをいう。司馬遷の「任少卿に報ずる書」に、「鄙陋没世、而して文采、後世に表はれざるなり」 の語がある。
・風流 挙止蕭散にして品格清高をいう。さっぱりして気が利き上品たこと。



浣紗廟 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-74-10-# 卷804_6 【浣紗廟】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1912


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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
與顏錢塘登障樓望潮作 孟浩然  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1916 (02/12) 

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浣紗廟 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-74-10-# 卷804_6 【浣紗廟】魚玄機  漢文委員会

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浣紗廟 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-74-10-#  卷804_6 【浣紗廟】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1912 

卷804_6 【浣紗廟】魚玄機



浣紗廟
吳越相謀計策多,浣紗神女已相和。
呉の國と越の国と互いに陰謀して抗争し合っていたときに、この山の下の川縁で洗濯をしていた絶世の美女西施は、范蠡に見出された。それで彼女は越國の復興のために力を合わせると合意したのだ。
一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。
夫差は彼女のえくぼに魅せられてしまった。そしてさしもの異国の精兵も、彼女のほほえみにうつつをぬかしてしまった王の嬌奢に反感を抱き、軍の統率力は消え、越軍が侵入すると、あっさり祖国に鉾先を替えてしまった。 範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。
こうして越の范蠡は、王の勾践をたすけて、ついに呉を滅ぼす大功をたてた。ただ、この見事に役目をはたしおわった美女をともなって、五湖のほとりへ隠遁してしまった。しかるに、一方、呉王をたすけていた伍子胥の方は、王の日夜をおかぬ亨楽におぼれ、討齊というのに反対して極諌したために死を賜わった。その國はやがて越軍の揉輪のもとに滅ぼされてしまった。
只今諸暨長江畔,空有青山號苧蘿。

今日では、諸暨(西施の出身地)の大きな河のほとりに、その歴史のなごりをとどめている。ただ、むなしいことは苧羅山と号する山が青々と聳えていて、絶世の美女、西施の跡としては、ただそれだけがあるだけでなのだ。
浣紗廟
呉越相謀るに計策多く、浣紗の神女己に相和す。
一雙の笑靨【しょうよう】複に面を回らせば、十萬の精兵 盡く戈を倒【さかしま】にす。
範蠡【はんれい】は 功成って 身 隱遁【いんとんn】し、伍胥【ごしょ】は 諌死【かんし】して 國 消磨す。
只今 諸暨【しょき】長江の畔、空しく青山の苧蘿【ちょら】と號【ごう】する有るのみ。


天台山 瓊臺

















6.『浣紗廟』 現代語訳と訳註
(本文)
浣紗廟
吳越相謀計策多,浣紗神女已相和。
一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。
範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。
只今諸暨長江畔,空有青山號苧蘿。


(下し文) 浣紗廟
呉越相謀るに計策多く、浣紗の神女己に相和す。
一雙の笑靨【しょうよう】複に面を回らせば、十萬の精兵 盡く戈を倒【さかしま】にす。
範蠡【はんれい】は 功成って 身 隱遁【いんとんn】し、伍胥【ごしょ】は 諌死【かんし】して 國 消磨す。
只今 諸暨【しょき】長江の畔、空しく青山の苧蘿【ちょら】と號【ごう】する有るのみ。


(現代語訳)
呉の國と越の国と互いに陰謀して抗争し合っていたときに、この山の下の川縁で洗濯をしていた絶世の美女西施は、范蠡に見出された。それで彼女は越國の復興のために力を合わせると合意したのだ。
夫差は彼女のえくぼに魅せられてしまった。そしてさしもの異国の精兵も、彼女のほほえみにうつつをぬかしてしまった王の嬌奢に反感を抱き、軍の統率力は消え、越軍が侵入すると、あっさり祖国に鉾先を替えてしまった。
こうして越の范蠡は、王の勾践をたすけて、ついに呉を滅ぼす大功をたてた。ただ、この見事に役目をはたしおわった美女をともなって、五湖のほとりへ隠遁してしまった。しかるに、一方、呉王をたすけていた伍子胥の方は、王の日夜をおかぬ亨楽におぼれ、討齊というのに反対して極諌したために死を賜わった。その國はやがて越軍の揉輪のもとに滅ぼされてしまった。


(訳注)
浣紗廟
 諸曁(しょき)市城区の南部、苧蘿山のほとりを流れる浦陽江(浣江・浣紗渓・浣浦ともいう)の川岸に西施石(浣紗石)、浣紗廟がある。呉越抗争のころ、越の美女西施がこの渓川で洗濯をしていたとつたえられている。紗はうすぎぬ。浣はすすぐ。せんたくすること。1980年、西施を記念する西施亭が、1990年、西施殿が再建されている。

呉越の地図

















吳越相謀計策多,浣紗神女已相和。

呉の國と越の国と互いに陰謀して抗争し合っていたときに、この山の下の川縁で洗濯をしていた絶世の美女西施は、范蠡に見出された。それで彼女は越國の復興のために力を合わせると合意したのだ。
・吳越 春秋時代に、今の江蘇省南部を中心にした呉の国(首都は今の蘇州)と、その南方、折江省の紹輿を中心にした越の国(首都は会稽。今の紹興の南)とが相争っていた。 
・計策多 それぞれいろんな計略をめぐらしていた。呉には楚の国からのがれてきた伍員が参謀格としてついていたし、越には范蠡が参謀としてついていたが、呉王夫差は越に侵入して、越王祁配をとりこにした。ここから、臥薪嘗胆がうまれる。范蠡は夫差の使臣伯嚭に賄賂を贈って巧みに釈放してもらうと、浣紗の美女西施を夫差のもとへ送った。夫差はその計略にかかって、淫楽にふける一方で、呉員の諌めるのもきかず、兵を北に出して斉を討った。勾践・范蠡はその機会をのがさず、呉を攻め、呉を滅ぼした。
・神女 西施をいう。廟に祭られているから神女といった。美しいということで宿敵を破る力となったこと。多大な評価をするということである。
・相和 范蠡はこの西施とかたく約束をむすんで、呉を滅ぼすために、夫差のところへいってもらったことをいう。


一雙笑靨才回面,十萬精兵盡倒戈。
夫差は彼女のえくぼに魅せられてしまった。そしてさしもの異国の精兵も、彼女のほほえみにうつつをぬかしてしまった王の嬌奢に反感を抱き、軍の統率力は消え、越軍が侵入すると、あっさり祖国に鉾先を替えてしまった。
・一雙(いっそう) 二つの意。左右にあるから。
・笑靨(しようよう) えくぼ。
・回面 ふり向く。呉王に媚を豊することをいう。
・十萬精兵 呉軍をいう。
・倒戈 敵(越) にむけていたはこを味方(呉)にむけること。裏切ること。ほこは両刃の短剣を長い柄につけたもの。


範蠡功成身隱遁,伍胥諫死國消磨。
こうして越の范蠡は、王の勾践をたすけて、ついに呉を滅ぼす大功をたてた。ただ、この見事に役目をはたしおわった美女をともなって、五湖のほとりへ隠遁してしまった。しかるに、一方、呉王をたすけていた伍子胥の方は、王の日夜をおかぬ亨楽におぼれ、討齊というのに反対して極諌したために死を賜わった。その國はやがて越軍の揉輪のもとに滅ぼされてしまった。
范蠡 越王勾銭の重臣。
・隠遁 范蠡は、勾践が復仇をとげて凱旋すると、呉の重臣伍負が、斉を討つことに反対して殺されたことを思い、勝利をおさめた勾践のもとにあって、伍員のような運命にめぐりあうこ之を恐れ、西施をつれて隠遁して五湖に泛び、斉にいって大富家となった。
・伍胥背 伍子背(ごししょ)、名は員。もと楚の重臣であった伍奢の子。楚王からその父(伍奢)と兄を殺された彼は、呉にのがれ、前述のように呉王夫差の重臣となったが、夫差が西施の色におぼれ、宮殿を築いて遊楽にふけり、かれは斉(山東省の雄国) への出兵を志したので、これを諌めた。それがかえって夫差の怒りを買い、死を賜わった。死に当たって、自分の首を呉宮の西門にかけさせ、「この目で越軍の入城を見てやる!」といったが、そのとおりに越は侵入し、夫差は殺されて、呉の国は亡びた。
・消磨(しょうま) 消えほろびること。


只今諸暨長江畔,空有青山號苧蘿。
今日では、諸暨(西施の出身地)の大きな河のほとりに、その歴史のなごりをとどめている。ただ、むなしいことは苧羅山と号する山が青々と聳えていて、絶世の美女、西施の跡としては、ただそれだけがあるだけでなのだ。
・諸暨 今の新江省の解興の南、諸聾県。近くに浣沙渓がある。
・長江 揚子江ではない。実際には諸盤の近くを北流する浦陽江をさす。大きな河をいう。
・苧羅(ちょら) 山の名。諸暨に近く、その麓が浣紗渓であり、浣紗廟がある。
・號(ごう) 名をつける。いう




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