玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

唐人物

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
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温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732

劉禹錫《自朗州至京戲贈看花諸君》玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕


2013年7月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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自朗州至京戲贈看花諸君(玄都觀看花) 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 劉禹錫-237--#93   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2732


元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子:自朗州至京戲贈看花諸君:(玄都觀看花)」玄都観にて花を看る

劉禹錫(りゅう うしゃく、772年 - 842年)は中国の唐代(中唐)期の詩人、政治家。字は夢得(ぼうとく)。自身は中山(河北省定州市)出身と称したが、彭城(江蘇省徐州市)出身とも伝えられる。詩豪と呼ばれた。

劉禹錫・『晩笑堂竹荘畫傳』
代々儒学者として名があった家に生まれた。793年(貞元9年)進士に及第した。淮南節度使であった杜佑の配下で書記を務めた。その後、中央政界で同じ年に進士となった柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、徳宗末期の貞元年間から順宗期を経て政治改革を推進した(永貞の革新)。なかでも劉禹錫は財政面を担当し、王叔文・王伾・柳宗元らとともに「二王劉柳」と並称されるほど重要な役割を果たした。急激な改革だったため彼らは武元衡のような政敵を多くつくってしまう。宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、王叔文は失脚、劉禹錫も連州(広東省連州市)刺史に左遷を命じられ、その途次で朗州(湖南省常徳市)司馬に降格となった。このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷された(八司馬事件)。朗州での約9年間、劉禹錫は文学に没頭するようになり、古来楚であった当地の風俗に取材した詩をつくったり、民衆のために祭祀用の歌詞をつくった。
815年(元和10年)、ようやく都長安に召還されたが、玄都観(道教の施設)で詠んだ詩が政府の主流派を揶揄する内容だったためその怒りにふれ、連州刺史に逆戻りとなった。それから数ヶ所の刺史を経たあと、828年(大和2年)に長安に戻り主客郎中を拝命した。そこで劉禹錫はまたも玄都観で、前回の続編となる詩を詠んだ。このときは宰相裴度のおかげでどうにか左遷を免れていたが、その裴度が引退すると洛陽にやられた後、832年(大和6年)蘇州刺史にされた。このように劉禹錫は、狭量な性格ゆえにその地位が安定しなかった。その後も太子賓客となったり刺史となったりを繰り返した。
晩年は白居易と親交が深まり、元稹亡き後も詩を唱和し、その神妙さを讃えられた。最終的には検校礼部尚書・太子賓客で生涯を終えた。


薛濤『和劉賓客玉蕣』
(太子賓客、劉禹錫さまがお作りになった「玉蕣」の詩に和します。)
瓊枝玓瓅露珊珊,欲折如披云彩寒。
玉の蕣(あさがお)は、朝露をおびて、その枝は、きらきらと日に輝き、はらはらと露がこぼれ落ちます。それは、花を折ろうとして、手にとると、まるで美しい玉を開くようなすがすがしさなのです。
閑拂朱房何所似,緣山偏映日輪殘。
そっとやさしく赤い花房をちぎってしまうと、花瓣の形は、何にたとえられるのでしょう。それは、山の端に沈んでゆく太陽が偏ったかがやきの形を遺している姿のようでしょうか。
(劉賓客の玉蕣【ぎょくしゅん】に和す)
瓊枝【けいし】玓瓅【てきれき】露 珊珊【さんさん】,折らん欲とすれば云彩【うんさい】の寒さを披くが如し。
閑かに朱房【しゅぼう】を拂えば何の似たる所ぞ,山に緣【そ】うて 偏映【へんえい】 日輪の殘するに。

劉禹錫 
七言絶句。來・囘・栽(平声灰韻)。
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看て仲間の諸君にこの詩を贈る。)
紫陌紅塵拂面來、無人不道看花囘。
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
玄都觀裏桃千樹、盡是劉郎去後栽。

玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕
(朗州より京に至いたり、戯れに花を看る諸君に贈る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】 面を払って来きたる、人の花を看て回ると道わざるなし。
玄都観の裏 桃千樹、盡【ことごと】く是れ 劉郎去って後に栽えたり。


『自朗州至京戲贈看花諸君』 現代語訳と訳註
(本文)
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回,
玄都觀裡桃千樹,盡是劉郎去後栽。


(下し文)
(朗州より京に至いたり、戯れに花を看る諸君に贈る)(玄都観にて花を看る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】面を拂うて來る,人【ひとびと】は無く  花を看回るを道わず,
玄都觀の裡 桃千樹,盡く是れ 劉郎 去りて後 栽うるものなり。


(現代語訳)
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看て仲間の諸君にこの詩を贈る。)
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕

長安城図 座標

































(訳注)
『自朗州至京戲贈看花諸君』「玄都觀看花」
(朗州から長安に帰ってきて、戯れに花を看ている仲間の諸君にこの詩を贈る。)
・朗州 湖南省にかつて設置された州。現在の常徳市一帯に相当する。 魏晋南北朝時代. 南北朝時代の560年(天嘉元年)、陳により荊州天門郡、義陽郡、南平郡及び郢州武陵郡に設置された武州を前身とする。
・自朗州至京 816年元和十一年に朗州(現・湖南省常徳市。洞庭湖西岸の地名。「武陵桃源」の武陵。)より召還され、長安に戻ってきて、戯れに花見をしている諸賢に詩を贈る。805年永貞元年に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、足掛け12年、都へ呼び戻されたとき(816年元和十一年)、この詩を作ったのである。それが政敵に知られることとなり、「この表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。やがて、この詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄都觀』とその序に、その間の事情が説明されている。

再遊玄都觀

余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。重遊玄都觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。
(再遊玄都觀:本文)
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
・玄都觀 道教寺院の名。長安の東西を春明門と金光門、延興門と延平門に大通りがあり、南北通り朱雀門と明徳門、が交差するあたりにあった。(長安図 f-3付近


紫陌紅塵拂面來、無人不道看花回。
長安の真ん中を東西南北の交差点、人通りの多い大通りの塵は顔を撫で払うように飛んで来る。この通りにいるどの人も砂ぼこりが顔につかない人はいないし、花を看ての帰りだというのにそれを口に出して謂う人もいない。
・紫陌 都の市街。帝都の郊外の道路。 
・紅塵 賑やかな街の埃(ほこり)。市街地に立つ土ぼこり。繁華な市街地。また、空が赤茶けて見えるほどの土ぼこり。また、浮き世の塵。煩(わずら)わしい俗世間。俗塵。反対意見は握りつぶされていることを示す。
・拂面 顔を撫(な)で払う。
・無人 …という人はいない。誰もが…でない。 
・道 言う。動詞。 
・無…不… …しない…はない。全て…だ。(結果として)二重否定。
・回 戻る。めぐる。かえる。


玄都觀裏桃千樹、盡是劉郎去後栽。
玄都観の中には千本の桃の木が植えられているというが、その木々のことごとく全部が仙桃を味わった劉晨が、仙郷を去った後に栽えられたものだという。
〔12年も経過すると、朝廷に誇らかにしている官僚は、ことごとく、わたし(劉禹錫)が左遷されてから出世した連中でしかないのだ。〕
・玄都觀 道教寺院の名。長安の朱雀街(f-3付近)にあった。 
・裏 (…の)中。 
・桃千樹 千本の桃の木。この語に寓意があるとされた。「新・官僚」。
・盡是 ことごとく…だ。 
・劉郎 仙桃を味わった劉晨、中国版・浦島太郎伝説中の人物。であり、12年ぶりに帰ってきた作者・劉禹錫であるということは誰もが容易に理解した。
・去後 去っていったあと(で)。 
・栽 植える。栽培する。


(玄都観にて花を看る)
紫陌【しはく】の紅塵【こうじん】面を拂うて來る,人【ひとびと】は無く  花を看回るを道わず,
玄都觀の裡 桃千樹,盡く是れ 劉郎 去りて後 栽うるものなり。
海棠花04

賊平后上高相公 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-200-66-#60  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2547

薛濤 《賊平后上高相公》 それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


賊平后上高相公 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-200-66-#60   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2547


賊平后上高相公
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
始信大威能照映,由來日月借生光。

それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。


『賊平后上高相公』 現代語訳と訳註
甘粛省-嘉峪関(本文)
驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
始信大威能照映,由來日月借生光。


(下し文)
賊 平ぐの后 高相公に上【たてまつ】る
驚き看る 天地の白 荒荒たるを,瞥見【べっけん】す 青山の舊【きゅう】夕陽。
始めて信ず 大威【たいい】の能く 照映【しょうえい】するを,由來 日月 生光【しょうえい】を借す。


(現代語訳)
(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。


(訳注)
賊平后上高相公

(劉闢の乱を平定したのちに、この詩を高相公に上奏いたします。)
・賊 劉闢の乱をいう。元和元年(西暦806年)、相次ぐ皇帝の死で重臣と宦官が抗争を繰り広げ、朝廷は荒れていた。憲宗皇帝が即位し、綱紀粛正に努め、朝廷は収まる。
しかし、蜀(剣南、後の四川省)の西川(せいせん)節度使・劉闢(りゅうへき)が挙兵し、蜀は劉姓の者が支配するべき(自分は劉備の再来である)と公言、朝廷に背く。劉闢討伐で朝廷の意見は割れるが、劉闢が成都に逃げ帰った後で、皇帝もようやく劉闢討伐の決断を下す。
その頃成都には、陳昭という孔目典(文書担当官)がいた。陳昭は劉闢の部下であるが、家臣ではないため騒ぎを静観していた。ある夜、仕事を終えて帰ろうとすると、上司に呼び止められ、劉闢の内衙(ないが、住居のこと)へ行くよう命じられる。部屋に先客がいたようで、ふと奇妙な勘が働き、陳昭は窓から部屋を覗き見る。すると、劉闢が口を大きく開き、客を丸呑みする異様な光景を見てしまう。
劉闢と目が合ってしまい、すぐに逃げ出す陳昭。劉闢からは、問答無用で殺せと命令が下る。必死に逃げる陳昭だが、眼前に兵士が現れ、ほこが突き下ろされる、そう思った瞬間、凄まじい叫びと共に兵士は倒れる。陳昭を助けたのは、美貌の若い女、名を尋ねると、聶隠、劉闢を殺しに来たと冷淡に答える。・元和二年[807年]西川劉闢の乱を鎮定した高崇文が諸軍都統を兼ねて転任してきた。
邠寧は關内の諸鎭のうちで朔方に代わり最も有力であり、
対吐蕃の前線として常に緊張を求められていた。
・崇文は元和4年[809年]卒した。その後神策系を中心とした武将の赴任先として続く、
閻巨源・李光顔・高霞寓・李聴などがみられる。


驚看天地白荒荒,瞥見青山舊夕陽。
劉闢の叛乳を平定され、天地は全面薄ぐらいけしきがひろがり驚いてしまうのです。遠くの青々とした山々を照らしているのを見つけて、いつもとわらない夕日のはるの光を眺めるのです。
・白荒荒(はくこうこう) 荒荒は、薄暗いこと。誓淡におなじ。杜甫 五言律詩『漫成二首其一』「野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。 只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。」

漫成二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 6)  杜甫 <411 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2000 杜甫詩1000-411-594/1500

・青山 遠く春霞の中の山々。夕日のシルエットの山ではない。
・旧夕陽 昨日一昨日とおなじく輝いている夕日。


始信大威能照映,由來日月借生光。
それは初めて本当のことが分かったのです。天日の威光には、なんの変わりもなく、地上を照らしていたわけで、閣下が叛乱平定も、ことわざに「日月は光を借す」という、その天日が天子の御稜威を、後光のようにうけているということなのです。
・大威 一本に天成、また火威につくるものもある。いずれにしても、高崇文将軍の武威をいったもの。劉闢をとりこにし、乱をたいらげたことをさす。
借生光 借は、かりる意ではなく、貸す意。成都に入城した高崇文が、乱に関係した諸官吏をすべて助命し、城民からも何一つ奪わなかったことをいったものと思われる。


・高相公 高崇文(746~809) 幽州、或いは渤海の人。 早くから平盧軍にあって軍幹を称され、789年に寧州を侵した吐蕃を大破して行営節度・御史中丞とされた。順宗の末年(805)に西川節度使劉闢が叛くと工部尚書・左神策行営指揮使とされて神策軍を以て平定し、検校司空・剣南西川節度使・南平郡王とされた。
劉闢(未詳~806)徳宗の貞元年間(785~805)の進士。韋皋の死に伴い強請によって西川節度使に直されたが、翌年には三川(剣南西川・剣南東川・山南西道)兼領を強請し、左神策行営指揮使高崇文・山南東道節度使らに討平された。 これは同時期の淮南節度使李錡の叛乱失敗とともに、憲宗の対藩鎮強硬策の契機になったとされる。
miyajima594

蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222

鄭谷《蜀中三首》 其三 


2013年4月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#5>古詩源 巻五 女性詩734 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2218
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第六段-#2 宋玉  <00-#18>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 647 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2219
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集一室 成都5-(2) 杜甫 <455>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2220 杜甫詩1000-455-638/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運<44>西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2221 (04/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222


薛濤(せつとう)は768年うまれ 831年歿した。中国・中唐代の宮妓・詩人、魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。
・ 字は洪度または宏度。長安の良家に生まれたが、父が地方官として赴任するのに伴われて、蜀(四川省成都)へゆき、そこで父を失い妓女となった。節度使韋皐(いこう)に愛され、召されて宴会で詩をつくり、女校書(じょこうしょ)と称された。
・ 浣花渓にいて、白居易、元槇、牛僧孺、令狐楚、張籍、杜牧、劉禹錫など多くの詩人たちとと唱和し、名妓として知られた。なかでも元槇と親しかった。
・ 彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。
・ 王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。段文昌の墓誌が残されている。


其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。

錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に火が入る。この時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。

其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。

其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
渚は遠くにまで続いている、錦江はきよくながれている。河畔の宴席には清涼感のある緑の簟の敷物がしここまれている。小桃の花が周りに咲き乱れている薛濤の墓墳がある。
朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
この成都の朱塗りの万里橋から直接中央の金馬門へも伝わり知られた。それは城郭の金の上のひめがきのように高く連なり、かがやきを幾重にも重なった雲のように崇高であった。
窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
窓の下で琴を奏でると鳳凰が足を挙げて飛び上がったというし、浪は立っている錦江にうかんで錦を洗うと群がっていたカモメが散りぢりに飛び立ったというように薛等に合いたい高官たちも群れをなすように集まった。
子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。
それでも巴蜀は恋多き町でありホトトギスは夜ごと啼いている。それはホトトギスのふるさとが呉であり、楚の国、江南の美女たちの国でさえも並び立つものではない。

其の三
渚遠く江清くして 碧りの簟紋,小桃の花は繞る 薛濤の墳。
朱橋 直ちに指す 金門の路,粉堞 高く連なる 玉壘の雲。
窗下に 琴を斷ずれば 鳳足を翹ぐ,波中に 錦を濯えば 鷗群を散ず。
子規 夜夜 巴蜀に啼き,並ばざるは 吳鄉、楚國と聞くに。


『蜀中三首』 現代語訳と訳註
(本文)
其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。


(下し文)
其の三
渚遠く江清くして 碧りの簟紋,小桃の花は繞る 薛濤の墳。
朱橋 直ちに指す 金門の路,粉堞 高く連なる 玉壘の雲。
窗下に 琴を斷ずれば 鳳足を翹ぐ,波中に 錦を濯えば 鷗群を散ず。
子規 夜夜 巴蜀に啼き,並ばざるは 吳鄉、楚國と聞くに。


(現代語訳)
渚は遠くにまで続いている、錦江はきよくながれている。河畔の宴席には清涼感のある緑の簟の敷物がしここまれている。小桃の花が周りに咲き乱れている薛濤の墓墳がある。
この成都の朱塗りの万里橋から直接中央の金馬門へも伝わり知られた。それは城郭の金の上のひめがきのように高く連なり、かがやきを幾重にも重なった雲のように崇高であった。
窓の下で琴を奏でると鳳凰が足を挙げて飛び上がったというし、浪は立っている錦江にうかんで錦を洗うと群がっていたカモメが散りぢりに飛び立ったというように薛等に合いたい高官たちも群れをなすように集まった。
それでも巴蜀は恋多き町でありホトトギスは夜ごと啼いている。それはホトトギスのふるさとが呉であり、楚の国、江南の美女たちの国でさえも並び立つものではない。

Nature1-007
(訳注) 其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
渚は遠くにまで続いている、錦江はきよくながれている。河畔の宴席には清涼感のある緑の簟の敷物がしここまれている。小桃の花が周りに咲き乱れている薛濤の墓墳がある。
簟紋 簟:竹。竹でできた宴席の細密に編み込まれた文様によって清涼感のある状況を云う。


朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
この成都の朱塗りの万里橋から直接中央の金馬門へも伝わり知られた。それは城郭の金の上のひめがきのように高く連なり、かがやきを幾重にも重なった雲のように崇高であった。
・朱橋 成都の南にある朱塗りの万里橋。
・金門 唐代では文学の翰林院の門の金馬門のこと。漢代の未央宮(びおうきゅう)の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。
・粉堞 白塗りのひめがき。城壁の上に回らした低い墻。化粧をした女娼。


窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
窓の下で琴を奏でると鳳凰が足を挙げて飛び上がったというし、浪は立っている錦江にうかんで錦を洗うと群がっていたカモメが散りぢりに飛び立ったというように薛等に合いたい高官たちも群れをなすように集まった。
・窗下の二句 窗下という場合閨を示す。女木の役とは全く違った訳もできる。


子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。
それでも巴蜀は恋多き町でありホトトギスは夜ごとないている。それはホトトギスのふるさとが呉であり、楚の国、江南の美女たちの国でさえも並び立つものではない。
・子規夜夜啼巴蜀 蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

蜀の山50055


成都市は戦国時代以来「蜀錦」と呼ばれる錦織の製造が盛んであり、蜀錦の品質の高さは雲錦・宋錦・壮錦と並び称された。漢代には、朝廷が成都に錦織物を扱う専門の官員を置いたため、成都は「錦官城」あるいは「錦城」と呼ばれていた

蜀中三首 其二 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-134-6-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2217

鄭谷 蜀中三首 其二 

2013年4月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#4>古詩源 巻五 女性詩733 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2213
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性蜀中三首 其二 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-134-6-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2217
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

蜀中三首 其二 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-134-6-#2   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2217


薛濤一身既傳薛濤井、薛濤牋、女校書之典,自不能免於文人風騷之筆,茲《全唐詩》搜尋偶得鄭谷「蜀中三首」: 
   
其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。

其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新,
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春,
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰,
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。

其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。

其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。
錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に火が入る。この時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。

其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。

其二
夜に多雨無く 曉に塵を生じ,草は嵐光を色なし 日日に新し。
蒙頂の茶畦 千點の露,浣花の牋紙 一溪の春。
揚雄は宅在して 唯 喬木し,杜甫は臺荒して 絕だ舊鄰す。
共に卻【しりぞい】て 海棠 花に約する有り,數年 留滯して人に歸らず。


『蜀中三首』其二 現代語訳と訳註
八女茶 畑(本文) 其二

夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。


(下し文) 其二
夜に多雨無く 曉に塵を生じ,草は嵐光を色なし 日日に新し。
蒙頂の茶畦 千點の露,浣花の牋紙 一溪の春。
揚雄は宅在して 唯 喬木し,杜甫は臺荒して 絕だ舊鄰す。
共に卻【しりぞい】て 海棠 花に約する有り,數年 留滯して人に歸らず。


(現代語訳)
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。


(訳注)蜀中三首 其二
880年頃、蜀を訪れ、成都東南にある薛濤の墓にきた。薛濤の死後、半世紀後のことであった。

夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
・夜無多雨 蜀では季節の変わり目には夜雨が降り、朝に晴れる。仙女が雨に化けているから降るという伝説。ここでは薛濤という美女がいるので雨の仙女が出てこれないという意味。


蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
・蒙頂 蒙頂山四川茶、中国の代表的緑茶産地をとして、蒙頂山茶は、中国の六大茶の一つ。四川省雅安市、南に山北部、四川盆地の南西部、雅安市名山県西北部の嘘を北東-南西帯状分布であった、雅安市の中にも及ぶ。山は約10キロと4キロの幅である。蒙頂山は五峰でなりたち,蓮花のように形作る。清峰を最高峰として,海拔1456m。名山縣にある。
・浣花牋「浣花箋」 浣花牋とは紙を桃花色にそめたもので、薛濤箋ともいい、 唐末五代名紙である。このため薛等を海棠に喩える。


揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
・揚雄宅 杜甫が『堂成』で「旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。」<私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。>ということに基づいている。
・喬木 「高木(こうぼく)」に同じ。 ⇔灌木(かんぼく)
・台〔臺〕1 周囲が見渡せるように高く造った建物や構造物。うてな。「灯台・番台・露台・楼台・天文台」2 政府の役所。「弾正台」3 平らで小高い土地。.


卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。


題新津北橋棲00

海棠渓 
春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。
人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。

春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ、水面の魚身総て花を帯ぶ。
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を、競って紅纈を将(も)って軽沙を染む。

春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している。




薛濤(せつとう)は768年うまれ 831年歿した。中国・中唐代の宮妓・詩人、魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。

 字は洪度または宏度。長安の良家に生まれたが、父が地方官として赴任するのに伴われて、蜀(四川省成都)へゆき、そこで父を失い妓女となった。節度使韋皐(いこう)に愛され、召されて宴会で詩をつくり、女校書(じょこうしょ)と称された。
 浣花渓にいて、白居易、元槇、牛僧孺、令狐楚、張籍、杜牧、劉禹錫など多くの詩人たちとと唱和し、名妓として知られた。なかでも元槇と親しかった。
 彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。
 王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。段文昌の墓誌が残されている。


蜀中三首 其一 鄭谷 唐五代詞・宋詩 薛濤Gs-133--#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2212

鄭谷「蜀中三首」


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


蜀中三首 其一 鄭谷 唐五代詞・宋詩 薛濤Gs-133--#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2212


千載人憐女校書(三)

薛濤一身既傳薛濤井、薛濤牋、女校書之典,自不能免於文人風騷之筆,茲《全唐詩》搜尋偶得鄭谷「蜀中三首」: 
   

其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。
其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新,
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春,
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰,
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。



「蜀中三首」
其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒。
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山。
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間。
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。

錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に火が入る。この時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。
(其の一)
馬頭 春向して鹿頭の關あり,遠樹 平蕪して一望の閒なり,
雪下の文君は酒市に沾う,雲藏の李白は書山を讀む,
江樓の客恨は黃梅の後,村落の人歌は紫芋の間にある,
堤月 橋燈 好時の景なり,漢庭は事無くして 蠻を征せず。


『蜀中三首』其一 現代語訳と訳註
(本文)

馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。

(下し文) (其の一)
馬頭 春向して鹿頭の關あり,遠樹 平蕪して一望の閒なり,
雪下の文君は酒市に沾う,雲藏の李白は書山を讀む,
江樓の客恨は黃梅の後,村落の人歌は紫芋の間にある,
堤月 橋燈 好時の景なり,漢庭は事無くして 蠻を征せず。


(現代語訳)
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に日が入る。子の時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。


(訳注)
杜甫 体系 地図459同谷紀行蜀中三首 其一

880年頃、蜀を訪れ、成都東南にある薛濤の墓にきた。薛濤の死後、半世紀後のことであった。
鄭谷【ていこく】( 未詳‐896頃)中国,唐末の詩人。字は守愚。宜春(江西省)の人。司空図(しくうと)に文才を認められた。光啓3年(887)進士に及第し,官位は都官郎中に至った。鄭都官とも称される。〈鷓鴣詩(しやこのし)〉が広く人口に膾炙(かいしや)し,ために鄭鷓鴣の呼び名さえあった。清婉明白な詩風と評される。僖宗(きそう)に従って華山に登り,雲台の道観において編まれた詩集《雲台編》3巻がよく知られる。ほかに《宜陽集》3巻の著もあったが散逸した。


馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
・鹿頭關 鹿頭山とそこを超える所にある関所。杜甫の『成都紀行十二首』の十二番目に鹿頭山がある。長安から蜀に入る最後の難関である。この中で杜甫が「連山西南斷,俯見千裡豁。遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。」(山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。)あるいは李白は『蜀道難』で「劍閣崢嶸而崔嵬。」(剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。)といっている。
・平蕪 雑草の生い茂った野原。
○春になって鄭谷はここを越えて蜀、成都に入ったのだろう。


雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
・卓文君
前漢時代、臨の大富豪である卓王孫の娘。司馬相如と恋に落ちて駆け落ちをする、愛情溢れる女性とされる。
『白頭吟』の初句に「皚如山上雪,皎若雲間月。」とある。成都の西にある臨邛は司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。男を惑わす女の居る所の意で使う。臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。
・雲藏 すぐれた才能を持って謫仙人といわれた。
・讀書山 李白は山について多くの詩を残している。その初期の作品『峨眉山月歌』
訪載天山道士不遇 李白1

峨眉山歌 李白 2



江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
・江樓 錦江の辺に立つ高樓。薛濤が若い時に過ごした妓楼。万里橋の近くにあったもの。
・黃梅:紫芋 黃梅の見ごろは早春で、紫芋の作付けはこうばいがおわってから晩春から初夏にするもの。



浣花峡556堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。
錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に日が入る。子の時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。
・堤月橋燈 錦江の北側に西川節度使の幕府駐屯地があり、錦江を挟んで南がわに官妓楼閣があった。橋は万里橋。
・漢庭無事不征蠻 黄巣の乱を意味するもの。乾符元年(874年)、同じ塩の闇業者だった王仙芝が挙兵するとこれに参加し、やがて反乱軍の中心人物の一人となっていった。塩賊はあちこちで兵を挙げ、それらを糾合した王仙芝と黄巣の反乱は瞬く間にその規模を増大させて各地を荒らしまわった。
その後王仙芝と黄巣は分裂し、双方とも各地を転戦したが、乾符5年(878年)に王仙芝は官軍に破れて戦死、一方の黄巣はこの年広州を落として勢いを増すと、その後は破竹の進撃を続けていった。金統元年(880年)には洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗を蜀の地へと逃亡させた。

贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202

白居易 贈薛濤 全唐詩 巻462  


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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202  


贈薛濤
蛾眉山勢接雲霓,欲逐劉郎北路迷。
あなたが臨む峨眉山までには山々が連綿として続いており、仙女の住むところには虹が出ているでしょう。劉禹錫、元稹からあなたのことは聞いていて彼らのようにあなたと唱和したいと思うのですが何せ現在の所、左遷の身であり、身動きが取れないのです。
若似剡中容易到,春風猶隔武陵溪。

ここ剡中の渓谷にいって、天姥山の天上の仙女には簡単にあうことができるのですが、春風さえもあの絶景の武陵源の渓谷を隔ててその地まで届くことは容易ではないのです。
蛾眉の山勢 雲霓【うんげい】に接【つづ】き,劉郎【りゅうろう】を逐んと欲するも北路【ほくろ】に迷う。
若【いか】んぞ 剡中【せんちゅう】の容易に到るが似きならん,春風 猶お隔つ 武陵の溪。

天台山 瓊臺


















『贈薛濤』 現代語訳と訳註
(本文)
贈薛濤
蛾眉山勢接雲霓,欲逐劉郎北路迷。
若似剡中容易到,春風猶隔武陵溪。


(下し文)
蛾眉の山勢 雲霓【うんげい】に接【つづ】き,劉郎【りゅうろう】を逐んと欲するも北路【ほくろ】に迷う。
若【いか】んぞ 剡中【せんちゅう】の容易に到るが似きならん,春風 猶お隔つ 武陵の溪。


(現代語訳)
あなたが臨む峨眉山までには山々が連綿として続いており、仙女の住むところには虹が出ているでしょう。劉禹錫、元稹からあなたのことは聞いていて彼らのようにあなたと唱和したいと思うのですが何せ現在の所、左遷の身であり、身動きが取れないのです。
ここ剡中の渓谷にいって、天姥山の天上の仙女には簡単にあうことができるのですが、春風さえもあの絶景の武陵源の渓谷を隔ててその地まで届くことは容易ではないのです。


(訳注)
峨眉山003贈薛濤

この詩には、「張爲の主客圖を見て」という自註がついている。張爲の生卒の年はあきらかでないが、その自作の詩のうちに、「大中十二年、薄となり、長沙に遊ぶ」と自註したものがあり、その年は、白居易の死後十一年、薛濤のの死後二十七年にあたる。彼は江南の人であるから、白居易が江南にいたころ、張爲はよほど若くしてその「詩人主客圖の稿を見せたものであろう。白居易はかねて元稹から薛濤の詩才について聞いていたところへ、はしなくも「主客圖」を見て、その「堂に升る」位置に薛濤の名を見いだし、触発されてこの詩を作ったものと思われる。詩意は、かねてから、ぜひ一度は合いたいと思っていたが、あまりにも遠い四川のことなので、とても合えそうもないことをなげき、彼女を仙女になぞらえて詠じたものである。


蛾眉山勢接雲霓,欲逐劉郎北路迷。
あなたが臨む峨眉山までには山々が連綿として続いており、仙女の住むところには虹が出ているでしょう。劉禹錫、元稹からあなたのことは聞いていて彼らのようにあなたと唱和したいと思うのですが何せ現在の所、左遷の身であり、身動きが取れないのです。
・蛾眉山 道教の本山がある。剡中、天姥山も道教の本山がある。薛濤を蜀の仙女と云っているので仙女伝説くくりで詠っているもの。
・雲霓 雲と虹。または、虹。蜀には雨が多いことを連想させる。蜀、→雲霓、→雨、→仙女。
・劉郎 劉禹錫、元稹などの白居易のグループから薛等の噂を聞き及んでいたこと。
・北路迷 左遷された江州から中央朝廷に帰る道、少し自由に行動することが出来ないことを云う。。


若似剡中容易到,春風猶隔武陵溪。
ここ剡中の渓谷にいって、天姥山の天上の仙女には簡単にあうことができるのですが、春風さえもあの絶景の武陵源の渓谷を隔ててその地まで届くことは容易ではないのです。
・剡中 浙江省嵊県。・天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。謝靈運「登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 」暝投剡中宿,明登天姥岑。
・武陵 武陵源(ぶりょうげん)は、湖南省張家界市にある、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区の総称。1992年より、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録。

寄贈薛濤  元稹  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-129--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2192

(元稹 唐詩)寄贈薛濤


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Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#2 宋玉  <00-#12>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 641 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2189
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性

寄贈薛濤  元稹  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-129--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2192

 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

寄贈薛濤  元稹  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-129--#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2192


寄贈薛濤
錦江滑膩蛾眉秀,幻出文君與薛濤。
錦江の流れのあるところに滑らかなきめの細かい葉だ、秀美な眉の人がいる。そんなところに卓文君と薛濤は幻のように輩出された。
言語巧偷鸚鵡舌,文章分得鳳凰毛。
彼女らの詩句に云う言語は鸚鵡の舌を盗んだかのようであり、司馬相如の詩賦を借りたようである。文章は理解しやすくその鮮やかさは鳳凰のきのようである。
紛紛辭客多停筆,個個公卿欲夢刀。
沢山いる文人詩人たちはこぞって筆を競い詩を酬唱する。そして一人一人の三公九卿までもが、晋の刀州である成都に來ることを夢に見たという。
别後相思隔煙水,菖蒲花發五雲高。
薛濤と別れてもう随分経ち、はるか遠く雲と河水を隔てていても私は彼女を思い続けているのだ。成都のあの菖蒲花は長安の五色の雲よりも鮮やかに心に残っているのだ。

錦江の滑膩 蛾眉の秀、幻出す 文君と薛濤と。
言語 巧みに倫む 鸚鵡の舌、文章 分ち得たり 鳳凰の毛。
紛紛たる詞客 多く筆を停め、箇箇の公侯刀を夢みんと欲す。
別後の相思煙水を隔つ、菖蒲 花發いて 五雲高からん。

『寄贈薛濤』 現代語訳と訳註
bijo02(本文)

錦江滑膩蛾眉秀,幻出文君與薛濤。
言語巧偷鸚鵡舌,文章分得鳳凰毛。
紛紛辭客多停筆,個個公卿欲夢刀。
别後相思隔煙水,菖蒲花發五雲高。

(下し文)
錦江の滑膩 蛾眉の秀、幻出す 文君と薛濤と。
言語 巧みに倫む 鸚鵡の舌、文章 分ち得たり 鳳凰の毛。
紛紛たる詞客 多く筆を停め、箇箇の公侯刀を夢みんと欲す。
別後の相思煙水を隔つ、菖蒲 花發いて 五雲高からん。


(現代語訳)
錦江の流れのあるところに滑らかなきめの細かい葉だ、秀美な眉の人がいる。そんなところに卓文君と薛濤は幻のように輩出された。
彼女らの詩句に云う言語は鸚鵡の舌を盗んだかのようであり、司馬相如の詩賦を借りたようである。文章は理解しやすくその鮮やかさは鳳凰のきのようである。
沢山いる文人詩人たちはこぞって筆を競い詩を酬唱する。そして一人一人の三公九卿までもが、晋の刀州である成都に來ることを夢に見たという。
薛濤と別れてもう随分経ち、はるか遠く雲と河水を隔てていても私は彼女を思い続けているのだ。成都のあの菖蒲花は長安の五色の雲よりも鮮やかに心に残っているのだ。


(訳注)
寄贈薛濤

元稹から薛濤に贈った詩は、その集に一首だけ収められ、「全唐詩」では巻四二三に、それが翰林學士になった後に贈ったものであるという註をつけている。


錦江滑膩蛾眉秀,幻出文君與薛濤。
錦江の流れのあるところに滑らかなきめの細かい葉だ、秀美な眉の人がいる。そんなところに卓文君と薛濤は幻のように輩出された。
・滑膩 滑:なめらか。 膩:あぶら。ねっとりした脂肪。 なめらか。きめ細かい。
・蛾眉 蛾眉山と芸妓の眉、美人の眉を云う。
・文君 司馬相如の妻、卓文君。
 漢  88   白頭吟            卓文君          古詩源(上)
白頭吟 卓文君 <109-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩543 1446
白頭吟 卓文君 <109-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩544 1449
 

言語巧偷鸚鵡舌,文章分得鳳凰毛。
彼女らの詩句に云う言語は鸚鵡の舌を盗んだかのようであり、司馬相如の詩賦を借りたようである。文章は理解しやすくその鮮やかさは鳳凰のきのようである。
・鸚鵡 司馬相如の『長門賦』『鸚鵡賦』を云い、それを鸚鵡がうたうようにくりかえす。
・鳳凰 司馬相如『鳳求凰』(琴歌)がある。


紛紛辭客多停筆,個個公卿欲夢刀。
沢山いる文人詩人たちはこぞって筆を競い詩を酬唱する。そして一人一人の三公九卿までもが、晋の刀州である成都に來ることを夢に見たという。
・紛紛 わずらわしいさま。 葉蔓にさす月光のゆらいでみだれるさま。おおいさま。杜甫『貧交行』「翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。」
・辭客 詩人・文人。
・停筆 唱和すること。
・個個 われもわれもと。ひとりひとりが。
・公卿 三公九卿から〕「公」と「卿(けい)」の総称。公は太政大臣、左・右大臣、卿は大・中納言、三位以上の朝官および参議。
・刀 晋の刀州。晉の王濬の故事。蜀を滅びした功績により相国・晋王に奉じられ、かつての曹操以来、臣下が王を賜ることになったもの。


别後相思隔煙水,菖蒲花發五雲高。
薛濤と別れてもう随分経ち、はるか遠く雲と河水を隔てていても私は彼女を思い続けているのだ。成都のあの菖蒲花は長安の五色の雲よりも鮮やかに心に残っているのだ。
・别後 元稹は東川で別れて10年経過している。809年元和四年のこと。
・相思 元稹が薛濤のことを思っていることを云い、相手がどう思っているかはわからない場合でも使う。
・隔煙水 はるか遠く雲と河水を隔てていても
・菖蒲花發 菖蒲は薛等を示し、元稹の心に刻まれたものであることを云う。「唐才子博」に、薛濤の浣花里の住居の門のところに一面に植えられていて、そこは東北長安へむかう大道に臨んでいたので、往来の車馬もその美しきにしばらく見とれたとあるもの。
・五雲高 五雲 五色の雲。綵雲。杜甫『重経昭陵』
「再窺松柏路,還見五雲飛。」(再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。)
菖蒲02

光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-126--#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2177

魚玄機 光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8 

七言の詩をここまでのいいものに仕上げている。男性を含めた多くの詩の中でもよくまとまった抜群の作詩力である。秀作である。

2013年4月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-126--#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2177
 
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 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。

孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。

 

光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。-#8 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-126--#8   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2177


bijo04光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
#1
昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
客の話にでた三人の姉妹は、南方の生まれだという、南方に美人はすくないと聞いていたが、まちがいで、今、現に都のわたしの住んでいたすぐ近くに、こんな美しい三人の姉妹があろうとは。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
三姉妹は、化粧部屋で、「鸚鵡の賦」を見せあったりしているというし、東側の窓べで着物に鳳凰の模様を刺繍したりしているという。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
また一面に赤い花の咲き、芳しい風が中庭にただよい、そこで、三人は、長い花あるいは花を短く手折ったりしている、新酒のうまい清酒を、杯についでは、姉妹仲よく、順々に飲んでいることであろう。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。
こんな聯句の詩を作った彼女たちは、きっと仙宮瑤池で西王母に仕えていた仙女で何かの罪によったのでしょう。今の下界に謫されてきたもので、男に生まれかわってりっはな詩人になってもよかったものを、女にさせられたものでしょう。
#2
文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
漢末の蔡文姫(蔡琰)は、美人のうえに風流人で琴の腕前と詩にもたけていたてから、美人であり詩才のある今日の三人姉妹が比較されても、それに堪えうるほどのものであるが、同じ美人でも貧しい薪売りの娘で詩才のなく残していなかった西施とくらべられたら、比べる人がかえってそのことを羞じなければいけないでしょう。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
蔡琰と三姉妹が、琴に合わせて、もし艶っぼく歌うと、琴の音は、奥ゆかしいようようと余韻をただよわせるでしょう。それがもし、琵琶をひいて歌ったのなら、その歌聾は、軽いばちさばきにのせて、賞賛した声はなんなんとどこまでもささやかれてゆくでしょう。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
鏡台の前に坐っていたら、三人がそれぞれみどりの黒髪の美しきをきそいあうでしょう。月の射しかかる下では、顔の白さ、輝きと髪にさした白玉のこうがいの美しさを自慢しあっていることでしょう。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。
彼女たち三人は謫仙女であるから、きっと松から露のしたたる清浄なあの小有洞へ掃ってゆくのであり、そこから柳と雲かすみにのりかかり、大羅天の天上仙界へ、やがては昇天してゆくことでしょう。
#3
但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
だが、昔、巫山の神女の故事のように、雲と雨となったというし、彼女たちも謫仙女であってもこの世界で育った女であるから、そのように男とちぎる心の下地は、ちゃんともっているはず。だから今は弄玉のように簫を吹く故事にあるほどではないかもしれないので、それを心配する必要はないのでしょう。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
いや、もうすでに、よい愛人と、花の下で憩をささやいて、何度も阿母さんから叱られたこともあるでしょうし、夢の中では、美男子の潘岳のような詩才もある男が、きっと彼女たちのところへ通ってきていることでしょう。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
そんな男たちは、彼女の清らかな詞句を讀むだけで、魂だけでなく下腹にも恋する思いがしたことでしょうから、それがもし実際に彼女たちの麗しき紅顏を見たならば、それこそ死んでもよいと思うにちがいないことでしょう。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。

それにしても、この美人の三姉妹を遠くから悲しく眺めているのはどこにどんな男がいるのでしょうか、行く雲のように男は女と交際していても、北へ帰る雁のように妻のもとに帰るものだけれど、聯句に「看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南。」とあり、彼女たちは故郷の江南に帰ろうとするのでしょうか。

昔聞く南国には 容華 少なりと、今日東隣に 姉妹三たりあり。
妝閣相看る 鸚鵡の賦、碧窗応に繍すべし 鳳凰の衫。
紅芳 院に滞つれば 参差として折り、綠醑 杯に盈つれば 次第に銜む。
恐らくは 瑤池に向って曾つて女となり、
謫せられて塵世に来って 未だ男と爲らざりしならん。

文姬には貌有り 終に比べるに堪ゆ,西子は言無く我更に慚づ。
一曲 艷歌 琴 杳杳【ようよう】,四弦 輕撥 語喃喃【なんなん】。
臺に當り競鬥して青絲の發,月に對し爭誇して白玉の簪。
小有 洞中 松露 滴り,大羅 天上 柳煙 含む。

但だ能く 雨と為る 心は 長へに在り、怕れず 簫を吹く 事 未だ諳んぜざるを。
阿母 幾たびか 花下に語るを 嗔り、潘郎 曾て 夢中に向って 参ず。
暫時の清句にも、魂 猶は断ゆ、若し 紅顔を睹なは 死もまた甘んぜん。
悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。


『光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
王屋山01但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。


(下し文)
但だ能く 雨と為る 心は 長へに在り、怕れず 簫を吹く 事 未だ諳んぜざるを。
阿母 幾たびか 花下に語るを 嗔り、潘郎 曾て 夢中に向って 参ず。
暫時の清句にも、魂 猶は断ゆ、若し 紅顔を睹なは 死もまた甘んぜん。
悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。


(現代語訳)
だが、昔、巫山の神女の故事のように、雲と雨となったというし、彼女たちも謫仙女であってもこの世界で育った女であるから、そのように男とちぎる心の下地は、ちゃんともっているはず。だから今は弄玉のように簫を吹く故事にあるほどではないかもしれないので、それを心配する必要はないのでしょう。
いや、もうすでに、よい愛人と、花の下で憩をささやいて、何度も阿母さんから叱られたこともあるでしょうし、夢の中では、美男子の潘岳のような詩才もある男が、きっと彼女たちのところへ通ってきていることでしょう。
そんな男たちは、彼女の清らかな詞句を讀むだけで、魂だけでなく下腹にも恋する思いがしたことでしょうから、それがもし実際に彼女たちの麗しき紅顏を見たならば、それこそ死んでもよいと思うにちがいないことでしょう。
それにしても、この美人の三姉妹を遠くから悲しく眺めているのはどこにどんな男がいるのでしょうか、行く雲のように男は女と交際していても、北へ帰る雁のように妻のもとに帰るものだけれど、聯句に「看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南。」とあり、彼女たちは故郷の江南に帰ろうとするのでしょうか。


(訳注) #3
但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。

だが、昔、巫山の神女の故事のように、雲と雨となったというし、彼女たちも謫仙女であってもこの世界で育った女であるから、そのように男とちぎる心の下地は、ちゃんともっているはず。だから今は弄玉のように簫を吹く故事にあるほどではないかもしれないので、それを心配する必要はないのでしょう。
・為雨  ・爲雲爲雨 男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり、夕べには雨になるという故事からきている。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りという風ではなく、もう少し気楽な交わりを謂う。 ・爲雲 (神女は、朝は巫山の)雲となる。 ・爲雨 (神女は、夕べには巫山の)雨になる ・楚襄王 そじょうおう 楚の襄王。宋玉の『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。婉約の詩歌でよく使われる。「巫山之夢」。李白の『清平調』三首之二に「一枝紅艷露凝香,雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新粧。」 と詠っている。
公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐


・吹簫  簫史と弄玉との故事。 『列仙伝』に「簫史者、秦穆公時人也。善吹簫、穆公有女號弄玉、好之、遂以妻焉。遂教弄玉作鳳鳴。居數十年、吹似鳳凰、鳳凰來止其屋、為作鳳臺、夫婦止其下。不數年、一旦隨鳳凰飛去。」(秦の穆公の時、蕭史あり、善く簫を吹く。公の女弄玉これを好む。公もって奏す。遂に弄玉に教へて鳳鴫をなす。居ること数年、吹くに鳳凰の声あり。鳳来ってその星に止まる。公、為に鳳台を作る。夫妻その上に止りしが、一旦、みな鳳凰に随って飛去す)とみえる。・霊妃 秦の穆公の女の弄玉。
春秋時代、秦の穆公に弄玉というむすめがあった。帯の名手の蒲史を愛したので穆公は二人を夫婦にした。弄玉は夫から蒲の吹き方を教わり、鳳の鳴き声が吹けるようになり、その昔につられて鳳がやってくるようになった。後に斎史は竜に乗り、弄玉は鳳に乗って、二人とも天上にのぼったという伝説がある。


阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
いや、もうすでに、よい愛人と、花の下で憩をささやいて、何度も阿母さんから叱られたこともあるでしょうし、夢の中では、美男子の潘岳のような詩才もある男が、きっと彼女たちのところへ通ってきていることでしょう。
・阿母 娼妓を置いている館の女主人。仮母である。
・藩郎 晋の潘岳。美男子であり、詩人であった。魚玄機『迎李近仁員外』
今日喜時聞喜鵲,昨宵燈下拜燈花。
焚香出戶迎潘嶽,不羨牽牛織女家。
迎李近仁員外 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-115-50-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2122

・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。『和新及第悼亡詩二首 其一』
仙籍人間不久留,片時已過十經秋。
鴛鴦帳下香猶暖,鸚鵡籠中語未休。
朝露綴花如臉恨,晚風欹柳似眉愁。
彩雲一去無消息,潘嶽多情欲白頭。

和新及第悼亡詩二首 其一 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-87-23-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1982

和新及第悼亡詩二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-88-24-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1987


暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
そんな男たちは、彼女の清らかな詞句を讀むだけで、魂だけでなく下腹にも恋する思いがしたことでしょうから、それがもし実際に彼女たちの麗しき紅顏を見たならば、それこそ死んでもよいと思うにちがいないことでしょう。
・清句 清らかな詞句。
・魂猶斷 魂だけでなく下腹にも恋する思い。
・紅顔 若くうつくしい顔。


悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。
それにしても、この美人の三姉妹を遠くから悲しく眺めているのはどこにどんな男がいるのでしょうか、行く雲のように男は女と交際していても、北へ帰る雁のように妻のもとに帰るものだけれど、聯句に「看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南。」とあり、彼女たちは故郷の江南に帰ろうとするのでしょうか。
魚玄機55021・悵望 かなしくながめる。
・佳人 三姉妹の事。「後漢書」に、「尚書令の陸閉、姿容、玉の如し。光武歎じて日く、南方佳人多しと」三人の夫たるにふさわしい美男子をいうか。
・行雲 流れ雲のような男の行動を云う。原詩に、「為雲分易甘」(雲となるに甘んず)の語があることに応ず。
・歸北 妻のもとに帰る。
・歸南 聯句に「看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南。」とあり、(風流な景色を見て過ごし、霜の降り頃には葉をおとし尽くすのをこの身において歌にするのです。今なお琴を弾いて「江南を望む」を追いかけて歌うのです。)に基づいている。」

光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172

光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#3> 女性詩724 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2168
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#4 宋玉  <00-#8回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 637 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2169
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集初去郡 謝霊運<34> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2171 (04/04)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172
 
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光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
#1
昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
客の話にでた三人の姉妹は、南方の生まれだという、南方に美人はすくないと聞いていたが、まちがいで、今、現に都のわたしの住んでいたすぐ近くに、こんな美しい三人の姉妹があろうとは。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
三姉妹は、化粧部屋で、「鸚鵡の賦」を見せあったりしているというし、東側の窓べで着物に鳳凰の模様を刺繍したりしているという。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
また一面に赤い花の咲き、芳しい風が中庭にただよい、そこで、三人は、長い花あるいは花を短く手折ったりしている、新酒のうまい清酒を、杯についでは、姉妹仲よく、順々に飲んでいることであろう。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。
こんな聯句の詩を作った彼女たちは、きっと仙宮瑤池で西王母に仕えていた仙女で何かの罪によったのでしょう。今の下界に謫されてきたもので、男に生まれかわってりっはな詩人になってもよかったものを、女にさせられたものでしょう。
#2
文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
漢末の蔡文姫(蔡琰)は、美人のうえに風流人で琴の腕前と詩にもたけていたてから、美人であり詩才のある今日の三人姉妹が比較されても、それに堪えうるほどのものであるが、同じ美人でも貧しい薪売りの娘で詩才のなく残していなかった西施とくらべられたら、比べる人がかえってそのことを羞じなければいけないでしょう。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
蔡琰と三姉妹が、琴に合わせて、もし艶っぼく歌うと、琴の音は、奥ゆかしいようようと余韻をただよわせるでしょう。それがもし、琵琶をひいて歌ったのなら、その歌聾は、軽いばちさばきにのせて、賞賛した声はなんなんとどこまでもささやかれてゆくでしょう。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
鏡台の前に坐っていたら、三人がそれぞれみどりの黒髪の美しきをきそいあうでしょう。月の射しかかる下では、顔の白さ、輝きと髪にさした白玉のこうがいの美しさを自慢しあっていることでしょう。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。
彼女たち三人は謫仙女であるから、きっと松から露のしたたる清浄なあの小有洞へ掃ってゆくのであり、そこから柳と雲かすみにのりかかり、大羅天の天上仙界へ、やがては昇天してゆくことでしょう。
#3
但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。

昔聞く南国には 容華 少なりと、今日東隣に 姉妹三たりあり。
妝閣相看る 鸚鵡の賦、碧窗応に繍すべし 鳳凰の衫。
紅芳 院に滞つれば 参差として折り、綠醑 杯に盈つれば 次第に銜む。
恐らくは 瑤池に向って曾つて女となり、
謫せられて塵世に来って 未だ男と爲らざりしならん。

文姬には貌有り 終に比べるに堪ゆ,西子は言無く我更に慚づ。
一曲 艷歌 琴 杳杳【ようよう】,四弦 輕撥 語喃喃【なんなん】。
臺に當り競鬥して青絲の發,月に對し爭誇して白玉の簪。
小有 洞中 松露 滴り,大羅 天上 柳煙 含む。

但だ能く 雨と為る 心は 長へに在り、怕れず 簫を吹く 事 未だ諳んぜざるを。
阿母 幾たびか 花下に語るを 嗔り、潘郎 曾て 夢中に向って 参ず。
暫時の清句にも、魂 猶は断ゆ、若し 紅顔を睹なは 死もまた甘んぜん。
悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。


『光・威・裒、姉妹三人、・・・・・因次其韻。』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。


(下し文)
文姬には貌有り 終に比べるに堪ゆ,西子は言無く我更に慚づ。
一曲 艷歌 琴 杳杳【ようよう】,四弦 輕撥 語喃喃【なんなん】。
臺に當り競鬥して青絲の發,月に對し爭誇して白玉の簪。
小有 洞中 松露 滴り,大羅 天上 柳煙 含む。


(現代語訳)
漢末の蔡文姫(蔡琰)は、美人のうえに風流人で琴の腕前と詩にもたけていたてから、美人であり詩才のある今日の三人姉妹が比較されても、それに堪えうるほどのものであるが、同じ美人でも貧しい薪売りの娘で詩才のなく残していなかった西施とくらべられたら、比べる人がかえってそのことを羞じなければいけないでしょう。
蔡琰と三姉妹が、琴に合わせて、もし艶っぼく歌うと、琴の音は、奥ゆかしいようようと余韻をただよわせるでしょう。それがもし、琵琶をひいて歌ったのなら、その歌聾は、軽いばちさばきにのせて、賞賛した声はなんなんとどこまでもささやかれてゆくでしょう。
鏡台の前に坐っていたら、三人がそれぞれみどりの黒髪の美しきをきそいあうでしょう。月の射しかかる下では、顔の白さ、輝きと髪にさした白玉のこうがいの美しさを自慢しあっていることでしょう。
彼女たち三人は謫仙女であるから、きっと松から露のしたたる清浄なあの小有洞へ掃ってゆくのであり、そこから柳と雲かすみにのりかかり、大羅天の天上仙界へ、やがては昇天してゆくことでしょう。


(訳注) #2
文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
漢末の蔡文姫(蔡琰)は、美人のうえに風流人で琴の腕前と詩にもたけていたてから、美人であり詩才のある今日の三人姉妹が比較されても、それに堪えうるほどのものであるが、同じ美人でも貧しい薪売りの娘で詩才のなく残していなかった西施とくらべられたら、比べる人がかえってそのことを羞じなければいけないでしょう。
・文姫 後漢の蔡邕の娘で蔡琰のことで、学識と琴の腕を誇る女性。匈奴単于にとらえられ、その妻にされるがその後、曹操によって保護され帰る。匈奴に残した子供との離れ離れの悲しさを『悲憤詩(三章)』、『胡笳十八拍』に賦した名作がある。
・貌 かんはせ。(1)顔つき。顔のさま。 美醜などから見た顔容貌 ・ 容色 ・ 器量 ・ 造作(ぞうさく) ・ みめかたち ・ 目鼻立ち ・ 顔立ち ・ 紅顔の(美少年) ・ (花の)かんばせ ・ (甘い)マスク  (2)名誉。体面。
・西子 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。
 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。
 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。
(2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

・『古風五十九首 第十八 李白ではべつの視点から興味あるとらえ方をしている。李白は西施にかかわる多く詩を残している。
・無言 言は文字。西子には文学的作品がなかった。


一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
蔡琰と三姉妹が、琴に合わせて、もし艶っぼく歌うと、琴の音は、奥ゆかしいようようと余韻をただよわせるでしょう。それがもし、琵琶をひいて歌ったのなら、その歌聾は、軽いばちさばきにのせて、賞賛した声はなんなんとどこまでもささやかれてゆくでしょう。
・杳杳 遙々。はるかに深いさま。
・四絃 琵琶のこと。
・喃喃 賞賛した声はなんなんとどこまでもつづく。


當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
鏡台の前に坐っていたら、三人がそれぞれみどりの黒髪の美しきをきそいあうでしょう。月の射しかかる下では、顔の白さ、輝きと髪にさした白玉のこうがいの美しさを自慢しあっていることでしょう。
・當臺 台は鏡台。鏡台にむかって。
・青絲發 長いくろかみ。
・簪 かんざし。こうがい。ここはこうがい。

小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。

王屋山01
彼女たち三人は謫仙女であるから、きっと松から露のしたたる清浄なあの小有洞へ掃ってゆくのであり、そこから柳と雲かすみにのりかかり、大羅天の天上仙界へ、やがては昇天してゆくことでしょう。
・小有洞 道教の洞祠。仙境。河南省の王屋山上にある王屋山小有洞のこと。「小有清虚洞天」という。杜甫『秦州雑詩二十首 其十四』(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのべる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
神魚今不見,福地語真傳。
近接西南境,長懷十九泉。
何當一茅屋,送老白雲邊。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。

秦州雜詩二十首 其十四 杜甫 第4部 <267> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1250 杜甫詩 700- 381

小有清虚洞天
●山の中が空洞になっており、其の中に多くの仙人たちの住宅がある。その広きこと、王者の館のごとくである。
頂上に天壇があり、いつも雲気があってこれを輪のように取り囲んで隠している。雷・雨の類はすべてこの天壇より下に起こり、飛ぶ鳥も背中しか見えぬ。いにしえより、仙人・神霊の朝に会するところと伝わる。
●この山麓は唐の司馬承禎の真理を修めたところである。白雲道院あり、承禎の名づけるところである。
●宋の徽宗皇帝、かつて遊び、天尊殿内の壁に自ら神仙・龍・鶴・雲気昇降・仙人たちの車や籠の類を描いており、これを見るにすこぶるすばらしい。
●仙猫洞なる洞あり。かつて燕真人が丹薬作りに成功し、そのエネルギーでニワトリやイヌとともに天上に昇っていった場所である。ただネコだけが同時に昇天できず、いまに至るもこの洞に住むという。洞の入り口より呼びかければネコの声が応えるのである。

光威裒姉妹三人小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#6 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-124 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2167

光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。



2013年4月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#2> 女性詩723 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2163
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#3 宋玉  <00-#7回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 636 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2164
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石門巌上宿 謝霊運<33> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2166 (04/03)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#6 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-124 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2167
 
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー

 

光威裒姉妹三人小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#6 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-124 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2167


光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
(光・威・哀三姉妹は、小くして孤、而も始めて姸、乃ち是の作あり。精醉儔し難し。謝家の聯雪と雖も、何を以てか之に加へん。客の京師より來る者あり、予に示す。困って其の韻に次す。)

卷804_47 【光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。】魚玄機


光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
bijo02#1
昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
客の話にでた三人の姉妹は、南方の生まれだという、南方に美人はすくないと聞いていたが、まちがいで、今、現に都のわたしの住んでいたすぐ近くに、こんな美しい三人の姉妹があろうとは。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
三姉妹は、化粧部屋で、「鸚鵡の賦」を見せあったりしているというし、東側の窓べで着物に鳳凰の模様を刺繍したりしているという。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
また一面に赤い花の咲き、芳しい風が中庭にただよい、そこで、三人は、長い花あるいは花を短く手折ったりしている、新酒のうまい清酒を、杯についでは、姉妹仲よく、順々に飲んでいることであろう。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。
こんな聯句の詩を作った彼女たちは、きっと仙宮瑤池で西王母に仕えていた仙女で何かの罪によったのでしょう。今の下界に謫されてきたもので、男に生まれかわってりっはな詩人になってもよかったものを、女にさせられたものでしょう。
#2
文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。
#3
但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。

昔聞く南国には 容華 少なりと、今日東隣に 姉妹三たりあり。
妝閣相看る 鸚鵡の賦、碧窗応に繍すべし 鳳凰の衫。
紅芳 院に滞つれば 参差として折り、綠醑 杯に盈つれば 次第に銜む。
恐らくは 瑤池に向って曾つて女となり、
謫せられて塵世に来って 未だ男と爲らざりしならん。

文姬には貌有り 終に比べるに堪ゆ,西子は言無く我更に慚づ。
一曲 艷歌 琴 杳杳【ようよう】,四弦 輕撥 語喃喃【なんなん】。
臺に當り競鬥して青絲の發,月に對し爭誇して白玉の簪。
小有 洞中 松露 滴り,大羅 天上 柳煙 含む。

但だ能く 雨と為る 心は 長へに在り、怕れず 簫を吹く 事 未だ諳んぜざるを。
阿母 幾たびか 花下に語るを 嗔り、潘郎 曾て 夢中に向って 参ず。
暫時の清句にも、魂 猶は断ゆ、若し 紅顔を睹なは 死もまた甘んぜん。
悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。


『光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。』 現代語訳と訳註
bijo04(本文)

#1
昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。


(下し文)
昔聞く南国には 容華 少なりと、今日東隣に 姉妹三たりあり。
妝閣相看る 鸚鵡の賦、碧窗応に繍すべし 鳳凰の衫。
紅芳 院に滞つれば 参差として折り、綠醑 杯に盈つれば 次第に銜む。
恐らくは 瑤池に向って曾つて女となり、
謫せられて塵世に来って 未だ男と爲らざりしならん。


(現代語訳)
客の話にでた三人の姉妹は、南方の生まれだという、南方に美人はすくないと聞いていたが、まちがいで、今、現に都のわたしの住んでいたすぐ近くに、こんな美しい三人の姉妹があろうとは。
三姉妹は、化粧部屋で、「鸚鵡の賦」を見せあったりしているというし、東側の窓べで着物に鳳凰の模様を刺繍したりしているという。
また一面に赤い花の咲き、芳しい風が中庭にただよい、そこで、三人は、長い花あるいは花を短く手折ったりしている、新酒のうまい清酒を、杯についでは、姉妹仲よく、順々に飲んでいることであろう。
こんな聯句の詩を作った彼女たちは、きっと仙宮瑤池で西王母に仕えていた仙女で何かの罪によったのでしょう。今の下界に謫されてきたもので、男に生まれかわってりっはな詩人になってもよかったものを、女にさせられたものでしょう。


(訳注) #1
光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
聯句を詠っている姉妹三人、光・威・裒のことである。
小さいころに父親と死別した。(十分に教育してくれる人もなかったであろうと思われるのに)しかも初めから美人であり、美しい詩を作る。すなわち、こんなに立派な詩を作っている。
まことにりっぱな作品で、これに匹敵するような作品は、見出せないようなりっぱなものである。昔、晋の謝安の家で集まりがあったときに、たまたま降ってきた雪に封して、娘の道韞がそれを詩に詠んで、風にふかれて飛んでいる柳のわたのようだといい、いまだに語り草としてもてはやされているが、それさえもこの作以上とは思われない。
都の長安からやってきた旅の人が、こちらにきて、わたくしに見せてくれた。感心のあまり、次韻して、この詩を作ってみた。


昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
客の話にでた三人の姉妹は、南方の生まれだという、南方に美人はすくないと聞いていたが、まちがいで、今、現に都のわたしの住んでいたすぐ近くに、こんな美しい三人の姉妹があろうとは。
・容華 容色の華麗なこと。美人をいう。
曹植『雜詩六首、其四』
南國有佳人,容華若桃李。朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
南国に佳人有り、容華 桃李の若し。
朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。
俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。
列女伝、東家の女。秋胡詩、日出東南隅ということで、ほぼ同様な詩である。日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287身を売った西家の女は傾城といわれるほどの妓女となって黄金で身を飾り、刺繍を施した肌着を身に纏えるほどの生活をしている。 しかし東家の女はただただ貧しさに苦しみながらも、その玉体を北国の人買いの手には渡さなかった。
・東家有賢女 美人といっても賢くて美人の東家の女です。西は、色気がある傾国の美女を云う。
為焦仲卿妻作#4(-其二)で「東家有賢女,自名秦羅敷。」「でも、東隣には賢い女がいる。本人が自分でも秦の羅敷だというほどの器量よしなのだ。」と母親が息子の府吏にいっている。
・東家有賢女  ・東家 楚の宋玉の『登徒子好色の賦』「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。美女を称して”東隣”とした事例に唐の李白「自古有秀色、西施与東隣」(古来より秀でた容姿端麗美人、西施と東隣)白居易「感情」のもある 
李白『白紵辭其一』「揚清歌、發皓齒。 北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。」
李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞
無題(何處哀筝随急管) 李商隠21

・秦羅敷 秦氏羅敷。「陌上桑」その美貌をほこって自ら泰氏の羅敷と称したのである。秋胡詩 (1) 顔延之
秋胡詩 (1) 顔延之(延年) 詩<2471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230


妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
三姉妹は、化粧部屋で、「鸚鵡の賦」を見せあったりしているというし、東側の窓べで着物に鳳凰の模様を刺繍したりしているという。
・妝閣 娼屋の化粧室。妓女の住むへや。
・鸚鵡賦 建安年間の初め、遷都されたばかりの許に上京した。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、人々から憎まれた。ただ、孔融だけは禰衡を高く評価し、曹操にも推薦していた。司馬遷は彼らが諷諫によって君主の愚行を改めさせた点を高く評価し,《史記》の中に〈滑稽列伝〉を立てて表彰する。《漢書》も〈東方朔伝〉を詳しく記すが,以後この種の人々は宮廷に少なく,おそらく後漢末に〈俳優饒言〉と形容された禰衡(でいこう)を最後として姿を消す。
・碧窗 靑緑の色に塗った東の窓。
・繡 ぬいとりすることし
・鳳凰 架空の鳥。瑞鳥である。壁の絵、鏡、着物、男女にまつわる模様につかう。
 単衣。または袖なし。


bijo01紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
また一面に赤い花の咲き、芳しい風が中庭にただよい、そこで、三人は、長い花あるいは花を短く手折ったりしている、新酒のうまい清酒を、杯についでは、姉妹仲よく、順々に飲んでいることであろう。
・紅芳 赤い花。
・院 中庭。
・参差 長短や高低のそろわぬこと。
・綠醑 新酒の上等の酒。醑はしたみざけ。清酒。上等の酒には緑字を冠する。
・次第 順序をおって。


恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。
こんな聯句の詩を作った彼女たちは、きっと仙宮瑤池で西王母に仕えていた仙女で何かの罪によったのでしょう。今の下界に謫されてきたもので、男に生まれかわってりっはな詩人になってもよかったものを、女にさせられたものでしょう。
瑤池 崑崙山にあり、周の穆王が西王母と会ったという伝説の仙境。西王母は仙女王。三人の姉妹はその西王母に仕えていた天上仙宮の仙女であったろうという心。

瑤池 李商隱 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 52

瑤池阿母綺窗開、黄竹歌聲動地哀。
八駿日行三萬里、穆王何事不重來。
崑崙山の瑶池に住む不老不死の薬を持つ女の仙人の西王母(せいおうぼ)は、綾絹(あやぎぬ)を張った美しい窓を開けると。穆王が作った民の苦しみを歌った『黄竹詩(こうちくし)』の歌声が地を揺るがせて響いてきて哀(あわれ)なものだ。
西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。すべての女仙たちを統率する聖母。東王父に対応する。
周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという。また前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。
周の穆王は八頭だての馬車に乗って、一日に三万里の道のりを行ける、穆王は、どうしてなのだろうか、西王母の許へ再び来ることはなかった。
・謫 罪によって遠地に流されること。
・塵世 人人間の住む俗界。下界。

光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-119-54-# 1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2142

魚玄機 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。


2013年3月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#2> 女性詩718 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2138
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 宋玉 <00-#2>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 631 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2139
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其三 成都浣花渓 杜甫 <439>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2140 杜甫詩1000-439-622/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集登江中孤嶼 謝霊運<28> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2141 (03/29)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-119-54-# 1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2142
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有。是作精醉儔難。謝家聯雪何以加、之有客自京師来者示予因次其韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-119-54-# 1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2142


光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
(光・威・哀三姉妹は、小くして孤、而も始めて姸、乃ち是の作あり。精醉儔し難し。謝家の聯雪と雖も、何を以てか之に加へん。客の京師より來る者あり、予に示す。困って其の韻に次す。)



卷804_47 【光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。】魚玄機



光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。


文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。


但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。

昔聞く南国には 容華 少なりと、今日東隣に 姉妹三たりあり。
妝閣相看る 鸚鵡の賦、碧窗応に繍すべし 鳳凰の衫。
紅芳 院に滞つれば 参差として折り、綠醑 杯に盈つれば 次第に銜む。
恐らくは 瑤池に向って曾つて女となり、謫せられて塵世に来って 未だ男と爲らざりしならん。


文姬には貌有り 終に比べるに堪ゆ,西子は言無く我更に慚づ。
一曲 艷歌 琴 杳杳【ようよう】,四弦 輕撥 語喃喃【なんなん】。
臺に當り競鬥して青絲の發,月に對し爭誇して白玉の簪。
小有 洞中 松露 滴り,大羅 天上 柳煙 含む。

但だ能く 雨と為る 心は 長へに在り、怕れず 簫を吹く 事 未だ諳んぜざるを。
阿母 幾たびか 花下に語るを 嗔り、潘郎 曾て 夢中に向って 参ず。
暫時の清句にも、魂 猶は断ゆ、若し 紅顔を睹なは 死もまた甘んぜん。
悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。


『光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。』 現代語訳と訳註
(本文)
光・威・哀、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。


(下し文)
(光・威・哀三姉妹は、小くして孤、而も始めて姸、乃ち是の作あり。精醉儔し難し。謝家の聯雪と雖も、何を以てか之に加へん。客の京師より來る者あり、予に示す。困って其の韻に次す。)

(現代語訳)
聯句を詠っている姉妹三人、光・威・裒のことである。
光・威・裏の三人の姉妹は、幼い時に父をうしない、年ごろになると、こんな詩を作っている。


(訳注)
光・威・裒、姉妹三人、
聯句を詠っている姉妹三人、光・威・裒のことである。
・光、威、裒 三人の姉妹の名。姓はあきらかでないが、魚玄機のこの作によって、南方の生まれと想像される。

小孤、而始姸乃有是作。
小さいころに父親と死別した。(十分に教育してくれる人もなかったであろうと思われるのに)しかも初めから美人であり、美しい詩を作る。すなわち、こんなに立派な詩を作っている。
・孤 父のないことをいう。現代のわが国では、父母のない場合にこの字を使っているが、それとことなることに注意。
・姸 女の美しいこと。古代においては、今の西安附近の方言であったらしいが、一般に使われるようになった。ここでは見目麗しいこと、詩文が立派であることをいう。
・是作 三姉妹の原作は、「全唐詩」の巻801におさめられている。
聯句 光威裒
朱樓影直日當午,玉樹陰低月已三【:光。】。
膩粉暗銷銀鏤合,錯刀閒翦泥金衫【:威。】。
繡床怕引烏龍吠,錦字愁教青鳥銜【:裒。】。
百味鍊來憐益母,千花開處鬥宜男【:光。】。
鴛鴦有伴誰能羨,鸚鵡無言我自慚【:威。】。
浪喜游蜂飛撲撲,佯驚孤燕語喃喃【:裒。】。
偏憐愛數蛓蛦掌,每憶光抽玳瑁簪【:光。】。
煙洞幾年悲尚在,星橋一夕帳空含【:威。】。
窗前時節羞虛擲,世上風流笑苦諳【:裒。】。
獨結香綃偷餉送,暗垂檀袖學通參【:光。】。
須知化石心難定,卻是為雲分易甘【:威。】。
看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南【:裒。】。


精醉儔難。謝家聯雪何以加之。
まことにりっぱな作品で、これに匹敵するような作品は、見出せないようなりっぱなものである。昔、晋の謝安の家で集まりがあったときに、たまたま降ってきた雪に封して、娘の道韞がそれを詩に詠んで、風にふかれて飛んでいる柳のわたのようだといい、いまだに語り草としてもてはやされているが、それさえもこの作以上とは思われない。
・謝家聯雪 晋の謝道韞の雪のことをよんだ才の故事をいう。小女で詩才あることを褒める場合にこの故事をひく。「還有一年冬天,天空中雪花紛紛揚揚,謝家子弟正圍坐在火爐旁談詩論文。雪越下越大,謝安笑了笑問在座的侄兒侄女們:“白雪紛紛何所似(大雪紛紛而下像什麼樣子)?”
謝朗答道:“撒鹽空中差可擬(像是空中撒下的一把白花花的鹽)。”謝朗是謝安的二哥謝據的兒子,謝安聽了侄兒的回答後,沒置可否,只是默不作聲。
謝道韞隨即答道:“未若柳絮因風起(滿天飛舞的雪花就像春天隨風起舞的柳絮)。”聽了謝道韞的回答,謝安一面鼓掌,一面口中對謝道韞的才華贊賞不已。此後,人們稱有文學才能的女子為“詠絮之才”。」
魚玄機 卷804_46『和人次韻』
喧喧朱紫雜人寰,獨自清吟日色間。
何事玉郎搜藻思,忽將瓊韻扣柴關。
白花發詠慚稱謝,僻巷深居謬學顏。
不用多情欲相見,松蘿高處是前山。


和人次韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-118-53-#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2137

有客自京師来者示予。因次其韻。
都の長安からやってきた旅の人が、こちらにきて、わたくしに見せてくれた。感心のあまり、次韻して、この詩を作ってみた。
・容華 容色の華麗なこと。美人をいう。
そうね曹植の詩に、「南國有佳人,容華若桃李。」(南国に佳人あり、容華、桃李の若し。)
『雜詩六首其四』「南國有佳人,容華若桃李。朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。時俗薄朱顏,誰為發皓齒。俯仰歲將暮,榮耀難久恃。」(南国に佳人有り、容華 桃李の若し。朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。)




光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。
(光・威・哀三姉妹は、小くして孤、而も始めて姸、乃ち是の作あり。精醉儔し難し。謝家の聯雪と雖も、何を以てか之に加へん。客の京師より來る者あり、予に示す。困って其の韻に次す。)

昔聞南國容華少,今日東鄰姊妹三。
妝閣相看鸚鵡賦,碧窗應繡鳳凰衫。
紅芳滿院參差折,綠醑盈杯次第銜。
恐向瑤池曾作女,謫來塵世未為男。

文姬有貌終堪比,西子無言我更慚。
一曲艷歌琴杳杳,四弦輕撥語喃喃。
當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。
小有洞中松露滴,大羅天上柳煙含。

但能為雨心長在,不怕吹簫事未諳。
阿母幾嗔花下語,潘郎曾向夢中參。
暫持清句魂猶斷,若睹紅顏死亦甘。
悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。


聯句 光威裒
朱樓影直日當午,玉樹陰低月已三【:光。】。
膩粉暗銷銀鏤合,錯刀閒翦泥金衫【:威。】。
繡床怕引烏龍吠,錦字愁教青鳥銜【:裒。】。
百味鍊來憐益母,千花開處鬥宜男【:光。】。
鴛鴦有伴誰能羨,鸚鵡無言我自慚【:威。】。
浪喜游蜂飛撲撲,佯驚孤燕語喃喃【:裒。】。
偏憐愛數蛓蛦掌,每憶光抽玳瑁簪【:光。】。
煙洞幾年悲尚在,星橋一夕帳空含【:威。】。
窗前時節羞虛擲,世上風流笑苦諳【:裒。】。
獨結香綃偷餉送,暗垂檀袖學通參【:光。】。
須知化石心難定,卻是為雲分易甘【:威。】。
看見風光零落盡,弦聲猶逐望江南【:裒。】。



唐才子傳 李郢   ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-84-20-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1967

唐才子傳 :李郢 


2013年2月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其五-#2 曹植(曹子建) 魏詩<44>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1958
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
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●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性唐才子傳 李郢   ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-84-20-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1967
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 
 


唐才子傳 李郢   ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-84-20-#   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1967


唐才子傳
李郢
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
初居余杭,出有山水之興,
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
人有琴書之娛,疏于馳競。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。 

郢,字を楚望【そぼう】,大中十年崔铏榜【さいけいぼう】の進士に及第。
初めに余杭【よこう】に居る,出でては山水之興有り,
人とし 琴書之娛【たのし】み有り,疏に馳競【ちきょう】なり。
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。


『唐才子傳;李郢』 現代語訳と訳註
(本文)

郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第。
初居余杭,出有山水之興,
人有琴書之娛,疏于馳競。
歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
與清塞、賈島最相善。


(下し文)
郢,字を楚望【そぼう】,大中十年崔铏榜【さいけいぼう】の進士に及第。
初めに余杭【よこう】に居る,出でては山水之興有り,
人とし 琴書之娛【たのし】み有り,疏に馳競【ちきょう】なり。
歷為【れきい】するは藩鎮【はんちん】の従事,后に侍御史を拜す。
郢 詩に工なり,理 密にして辭 閑たり,個個 珠玉なり。
其の清麗【せいれい】は極めて能く景を寫し懷を狀り,每【つね】に人をして竟日【きょうじつ】卷を釋す能わず。
清塞【せいさい】と賈島【かとう】最も相い善し。


((現代語訳)
李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。


(訳注)
郢,字楚望,大中十年崔铏榜進士及第

李郢はあざなを楚望といい、長安の人。大中十年の崔铏榜の時進士に及第した。
832年唐、太和六年うまれ、代表作有《南池》、《陽羨春歌》、《茶山貢焙歌》、《園居》、《中元夜》、《晚泊松江驛》、《七夕》、《江亭晚望》、《孔雀》、《畫鼓》、《曉井》等がある。


初居余杭,出有山水之興,
はじめに杭州の余杭にすんでいた。都の出てからは山水に興味を抱くようになる。
・余杭 いま、浙江省杭州市に位置する市轄区。杭嘉湖平原の南端にあたる。


人有琴書之娛,疏于馳競。
琴と書画をたのしみ、好んで行ったが、一条ずつわけて意見を述べた上奏文ではやくかきあげることきそいあうのがうまい
 一条ずつわけて意見を述べた上奏文
・于 ~で、~にくわえて。


歷為藩鎮従事,后拜侍御史。
経歴として潘鎮のもとに従事したこと、後に侍御史を拝命する。
・侍御史 秦から前漢以降の官職名。主に監察、弾劾の官である。


郢工詩,理密辭閑,個個珠玉。
李郢は詩技巧に優れており、理論的であり、細密で静かに述べるのである。ここそれぞれの詩はその出来栄えは輝ける宝玉のようである。


其清麗極能寫景狀懷,每使人竟日不能釋卷。
その詩は自然の景色の状態であり、感じたことを清廉で華麗な表現である。常時人にその詩を与えたため詩集としてまとめることが出来なかった。


與清塞、賈島最相善。
「苦吟詩人」清塞と賈島を最も好んで慕った。
・清塞 晚唐「苦吟詩人」李洞、清塞、曹松、馬戴、裴說、許棠、唐求、方干、雍陶、. 無可、喻鳧、劉得仁,與姚合、賈島などがあげられる。

・賈島 (浪仙・無本) 779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。 <韓愈Groop>渡桑乾(客舍并州已十霜)尋隱者不遇(松下問童子) 題李凝幽居(閒居少鄰並) 劍客(十年磨一劍) 三月晦日贈劉評事(三月正當三十日)
韓愈『送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)』

清塞,字南卿,居廬嶽為浮屠,客南徐亦久,後來少室、終南間。俗姓周,名賀。工為近體詩,格調清雅,與賈島、無可齊名。寶歷中,姚合守錢塘,因攜書投刺以丐品第,合延待甚異。見其《哭僧》詩雲:『凍須亡夜剃,遺偈病中書。』

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  • 玉臺・巻四-20 雜詩六首其三 題書後寄行人〔鮑令睴〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10664
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