薛濤《續嘉陵驛詩獻武相國》蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
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續嘉陵驛詩獻武相國
(『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。)
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
この詩は、武元衝の「嘉陵驛に題す」と題した次の詩につづけて作ったものである。
悠悠風旆繞山川、山驛空濛雨作煙。
路半嘉陵頭己白、蜀門西更上青天。
悠悠 風旆 山川を繞る、山驛 空濛 雨 煙と作る。
路 嘉陵に半ばして頭は己に白くし、蜀門 西のかた更に青天に上る。

『續嘉陵驛詩獻武相國』 現代語訳と訳註
(本文)
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
(下し文)
(「題嘉陵驛」の詩に續いて武相國に獻ず)
蜀門 西のかた更に青天に上り,強いて公の為に蜀國の弦を歌わん。
卓氏 長卿 士女を稱し,錦江 玉壘 山川を獻ず。
(現代語訳)
(『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。)
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
(訳注)
續嘉陵驛詩獻武相國
『題嘉陵驛』の詩に続いて武元衝節度使様にこの詩を献上もうしあげます。
・續 武元衝の「嘉陵驛に題す」の原作につづける意。武元衝の詩の第四句が。薛濤の詩の第一句になっている。
・嘉陵驛 今の四川省の広元。嘉陵江の東岸にあり、秦から蜀への要道を拒し、その第一の高処。西は剣門に入り南の成都へ向かう。城の西門に「全蜀咽喉」の四字が掲げられている。
・武相國 武元衝が創南西川節度使として蜀に赴任してきたとき、最初の宴席で彼女が賦したものであろう。武元衡の赴任は、憲宗の元和二年、冬十月のことであった(武元衡の「准南の中書相公の寄せらるるに酬ひたてまつる」といぅ詩の序文に、「皇帝改元の二年、余、詔によって放校更部尚書兼門下侍郎を授けられ、膨弓致矢、出でて西局を潰す」とあることにょって知られる)から、従ってこの詩は蹄溝が四十歳のときの作ということになる。武詩の第四句を、蒔溝は第一旬に取り入れてうけていることに注意。また彼女が武元衡にたてまった詩は、ほかにもある。
62・63 上川主武元衡相國二首
其一
落日重城夕霧收,玳筵雕俎荐諸侯。
因令朗月當庭燎,不使珠帘下玉鉤。
其二
東閣移尊綺席陳,貂簪龍節更宜春。
軍城畫角三聲歇,云幕初垂紅燭新。
とある。
蜀門西更上青天,強為公歌蜀國弦。
蜀への入り口といわれる嘉陵の駅から、さらに西の方、青天にものぼるような剣門のけわしい山路の旅をつづけられたことにたいし、一つ思いきって、恒例の蜀の鄙歌を弦いて、うたわせていただきます。
卓氏長卿稱士女,錦江玉壘獻山川。
この蜀のくにではご存じの、男といえは司馬相加、女といえば卓文君、それにあわせて、美しい錦江の流れ、それから玉塁山、これら山と川の代表をすべてをささげてお願い申しあげます。
・卓氏長卿 卓氏は卓王孫のむすめの卓文君。長卿は漢の司馬相如のあざな。成都の人。相如は臨邛の官邸に客として泊まっているうち、卓邸に招かれ、琴をひいて卓文君を誘惑し、二人は手を振りあって成都に逃走し、酒肆を開いて、文君は炉にのぞみ、相加は酒器を洗ったので、王孫は恥じてこれに金と奴隷を与えたので、司馬相如は一挙に富人となり、都へ出発。武帝に「上林」・-「子鹿」の杭を献じて、郎となり、西南夷を平定して功あり、孝文園の吏となり、病んで茂陵で死んだが、漠代文学の代表的作家であった。
・錦江 成都附近を流れる河の名。もとこの地に錦官を置き、この川で濯いでつくられた錦の製造を監督した。
・玉塁 四川省理蕃県東南にある山の名、現在四川省都江堰市玉塁山(標高約800m)。奇石千尺、城表に伐立屹立している。青城山、峨媚山とならんで四川省の代表的な山。

朱樓影直日當午,玉樹陰低月已三。[:光。]
朱樓影直日當午,玉樹陰低月已三。


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