玉臺新詠 全十巻 訳注解説

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之   唐五代詞詩・花間集・玉臺新詠 中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。 5年以上のブログ連載。(魚玄機・薛濤・花間集)完掲載 現在《玉臺新詠》完全版連載中 予定(文選【詩篇】文選【賦篇 楚辞 詩經 ・・・・)

謝罪 序文 その他

中国の韻文学には、古くは周代の詩があり、漢魏六朝には古詩と楽府かあり、唐代になって古詩に対して新しい近体の律詩、絶句がおこった。楽府がおとろえ新しく勃興したのが詞である。詞ははじめ、学詞ともよばれ、楽曲の歌詞をさしていうものであるが、それが流行するとともに、唐詩などと相ならんで、一つの韻文学として成立したのである。
******************************************

温庭筠の詞詩を約60首程度掲載の後、魚玄機50首程度連載し,薛濤約百首、韋莊五十首
森鴎外小説 『魚玄機』 彼女の詩を冷静に、客観的に分析 過去の女性蔑視の見方を排除して解釈 訳註解説
現在、『花間集』全詩500首、全首連載が終了した。いま、500首全首、見直し、改訂版Ver.2.1として、根本的に語訳、注釈をやり直して掲載しています。出来るだけ(改訂版Ver.2.1)と記している詩を読まれることを薦めます。
現在 玉臺新詠 訳注解説連載中
   玉臺新詠 概要 目録・目次 http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/list1.html

《花間集序 (5)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-730--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5197

《花間集序 (5)》 唐朝滅亡後、宋朝が興るまでの間、中原では五代に亘って王朝が交替し、江南を始めとする各地では、小国が分立した。この間の小国分立時代を五代または、五代十国と呼ぶ。この時代は、唐最後の皇帝の譲位から宋建国までの五十余年間と、短い。しかし、この中原と江南の政情不安は、才人、技能の優秀なもの、優れた楽工、優秀な妓優らを蜀に集めることとなった。中原から来たもののうち趙一族により、詩文、歌舞が保護発展せられ、趙家の文芸サロンに集められたことが、「花間集」というものに集大成されたというのが、その歴史的背景なのである。

 

 
 2014年11月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
141-#1 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (5)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-730--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5197 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《花間集序 (5)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-730--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5197

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちは陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

(4)

『花間集』の詞に類似する歌は、既に南朝の時代に作られているが、それは言葉が雅やかでないばかりか、実体を伴わぬ空疎なものであったこと、そして、唐の玄宗皇帝の時代になって初めて外面内面ともにそなわった清平楽調が作られ、近年に至って温庭第の詞集『金茎集』が現れたことを指摘し、詞が名実ともに新しい時代の文学となったことを言う。しかし、この評価は巻末の晃謙之の欧文とは相反するものがある。この後、欧陽桐は筆を続けて、先に触れた『花間集』命名の謂われについて語り筆を結ぶ。欧陽胴は 『花間集』 にきわめて高い評価を与えているが、これは自身が 『花間集』 詞人の一員であったこと、また、編集者の趙崇祚との人間関係に起因するものといえよう。

(5)

(5)-1

唐が滅亡して、中原では五つの王朝が長江流域では十数もの地方政権が興亡を繰り返したが、四川盆地を拠とする前・後の蜀は豊かな経済力を基盤に安定した地域となっていた。前・後の蜀は君臣共に一時の安逸をむさぼり、享楽に耽ることで、ここに前・後の蜀の頽廃文化が形成された。それの中核を担ったのは、中原、江南から、文化人のみならず、妓優、楽工、各種職人が戦火を避けて、蜀の地に終結したことが大きな原因である。

(5)-2

編者の趙崇祚は、祖籍は開祖父の趙廷隠が後蜀の大祖・孟知祥に従って蜀に入り、親軍を統括すること十数年。趙崇祚は衛尉少卿となり、弟の崇韜は都知領殿直となって、ともに親軍の指揮に参与した。趙氏一門は要職を占め、その暮らしぶりは贅を尽くしたものであった。

『太平廣記』巻四〇九引孫光憲《北夢瑣言》「趙廷除起南宅北宅、千梁萬供、其諸奢麗、莫之與儔。後枕江瀆、池中有二島嶼、遂甃石循池、四岸皆種垂楊、或間雜木芙蓉、池中種藕。毎至秋夏、花開魚躍、柳陰之下、有士子執巻者、垂綸者、執如意者、執塵尾奢、譚詩論道者。」

邸宅は並ぶものがないほど豪奢で、庭の池に二つの島を造り、岸辺に楊柳を、池の端に水芙蓉を、池の中に蓮を植えていた。毎年、夏や秋になれば、花は咲き魚は躍り、柳の木陰で人々が思い思いに巻物を持ち、釣糸を垂れ、如意やら大

鹿の尾で作った払子やらを揮い、詩を語り、道を論じたりしていた。

 趙崇祚はこのすべての芸の優れたもの、風流あるものを集めたサロンで、「広く賓客に会い、時に談論風発する中で、近来の詩客の曲子詞五百首を集め、十巻に分けた」という。

 


花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。


邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

 

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為し、乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

(下し文)
-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為し、乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

 

 

(現代語訳)

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

 安史の乱期 勢力図 002

 (訳注) -5

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 杏の花0055

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,

かくて、近来の各地からここに集まった詩人たちの中から十七人の歌詞五百首を議論の上選り集め、分けて十巻とした。

○詩客曲子詞 詩人の歌詞。曲子詞は曲につけられた歌詞の意。曲子の子は接尾辞。この一句は『花間集』の詞が民間の卑俗な歌と違って、詩人の手に成る洗練された作品であることを言ったもの。

 

以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

私、欧陽烱は、いささか音楽に通じ、詩人、楽工と旧知であることでとりまとめ、かたじけなくもこの詩集の題名をつけるよう依頼されたので、よって序文をしたためた。

○爛 欧陽胴の自称。

○粗預知音 少しばかり音楽に詳しい。教坊の曲に合わせた詩という意味で音楽のことを承知しているということであるが、此処の意味は、この十七名の詩人たちと旧知の間で、これらに詩人たちを取りまとめていく力があるということを認められたという意味である。

○序引 序言。

 

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

昔、楚の都、郢に《陽春白雪の歌》を歌う者がいて、絶唱と称された。そこでこれを『花間集』と名付けることにした。

○郢 戦国時代の楚の国の都。今の湖北省の江陵の北部。

○陽春 陽春白雪の曲。先の「白雪」の注参照。

 

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。

願わくは、(《陽春白雪の歌》を歌う者たちによって)この集が漢の西苑に比す趙家のサロンの才人、文人が集結した、その集い議論によって高められることの喜びにあふれた。

○庶 願望を表す言葉。

○西園 漢代の御苑の名。ここでは趙崇祚の豪邸の文芸サロンを言う。

○英哲 俊才。

○用資 それによって助ける。用は以に同じ。

○羽蓋之歓 儀式、行事などにおける楽しみ、集いの喜び。

 

南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

こうして、古くからの女子の詞と云えば「採蓮曲」舟歌であった、これに代わって、南国の雅な美しき女らを嬋娟に唱いあげたものがこの詩集なのである。

○南国嬋娟 南国の美女の「浣溪沙」56首、「菩薩蠻」41首、「酒泉子」26首「臨江仙」「竹枝」「楊柳」の各24首「女冠子」「更漏」などの嬋娟詞で過半数を超える。

○蓮舟之引 楽府詩の採蓮曲。南朝の梁代に多く作られた。もともと民間の蓮取り歌に由来するもの。蓮の実を取るには湖面に船を浮かべねばならぬので蓮舟と言った。引は曲の意。

 

時大蜀廣政三年夏四月日序。

編纂時は大蜀、広政三年(940年)夏四月吉日に記す。

○大蜀 蜀。大は美称。

○広政三年夏四月日 広政は後苛の孟乗の時の年号。広政三年は西暦九四〇年。旧暦では四月、五月、六月が夏。夏四月日と記して、具体的な日付の数字が入っていないのは、序を書きおえて、彫師に渡す時に後から正式に日付を入れるため。

917年 五代十国
 

 

 唐朝滅亡後、宋朝が興るまでの間、中原では五代に亘って王朝が交替し、江南を始めとする各地では、小国が分立した。の間の小国分立時代を五代または、五代十国と呼ぶ。この時代は、唐最後の皇帝の譲位から宋建国までの五十余年間と、短い。この中原と江南の政情不安は、才人、技能の優秀なもの、優れた楽工、優秀な妓優らを蜀に集めることとなり、やはり、中原から来た趙一族により、趙家の文芸サロンに集められたことが、花間集というものが、その歴史的背景なのである。

《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192

欧陽烱《花間集序 (4)》 衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

 
 2014年11月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちは陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

(4)

『花間集』の詞に類似する歌は、既に南朝の時代に作られているが、それは言葉が雅やかでないばかりか、実体を伴わぬ空疎なものであったこと、そして、唐の玄宗皇帝の時代になって初めて外面内面ともにそなわった清平楽調が作られ、近年に至って温庭第の詞集『金茎集』が現れたことを指摘し、詞が名実ともに新しい時代の文学となったことを言う。しかし、この評価は巻末の晃謙之の欧文とは相反するものがある。この後、欧陽桐は筆を続けて、先に触れた『花間集』命名の謂われについて語り筆を結ぶ。欧陽胴は 『花間集』 にきわめて高い評価を与えているが、これは自身が 『花間集』 詞人の一員であったこと、また、編集者の趙崇祚との人間関係に起因するものといえよう。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。


邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

海棠花021
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

 

(下し文) -#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

 

(現代語訳)

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家の奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

花間集
 

(訳注)

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

花間集が手本としたものに、玄宗の御代には、李太白が天子のお言葉に応えて作った清平楽詞四首があり、近頃になっては溫飛卿庭筠の『金筌集』があり、これらの影響を受けている。

○明皇 唐の玄宗皇帝。

○李太白 盛唐の詩人、李白。太白は字。・李白《清平樂》詞四首 参考に末尾に李白詩清平楽五首、清平調三首を掲載した。

○応制 天子の詔に応えて詩を作ること、またその詩。

○清平楽 詞牌すなわち曲名。李白の清平楽の詞は、現在、『尊前集』に五首残るが、ここに言う清平楽と同じ作品かどうかは不明。なお玄宗の命で楊貴妃の美を称えて詠んだ、いわゆる七言絶句の清平調三首とは異なる。

○温飛卿 晩唐の溫庭筠。飛卿は字。後の作者解説参照。・溫飛卿複有《金筌集》

○金筌集 温庭第の詞集。詞集の囁矢をなすが、今は亡んで伝わらない。

1 温庭筠 おんていいん

812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、幷州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

 

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は超崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美閎約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金荃詞一巻があり、七十首を伝えている。

 

邇來作者,無愧前人。

以後、詞人はみな前人に恥じない者ばかりを選んだ。

○邁来 以来。

 

今衛尉少卿弘基(趙崇祚),以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

ところで、当世の衛尉少卿弘基殿は翡翠の羽を洲のほとりに拾い、見事な羽を手に入れたのである。(趙家野奢侈なサロンで優雅な雰囲気の中に詞は集められた)

○衛尉少卿 官名。兵使、甲胃、武器などを管掌。

○弘基 趙崇祚の字。『花間集』の編者であり、蜀の孟昶に仕えて衛尉少卿になった。編者の趙崇祚は、祖籍は開祖父の趙廷隠が後蜀の大祖・孟知祥に従って蜀に入り、親軍を統括すること十数年。趙崇祚は衛尉少卿となり、弟の崇韜は都知領殿直となって、ともに親軍の指揮に参与した。趙氏一門は要職を占め、その暮らしぶりは贅を尽くしたものであった。

『太平廣記』巻四〇九引孫光憲《北夢瑣言》「趙廷除起南宅北宅、千梁萬供、其諸奢麗、莫之與儔。後枕江瀆、池中有二島嶼、遂甃石循池、四岸皆種垂楊、或間雜木芙蓉、池中種藕。毎至秋夏、花開魚躍、柳陰之下、有士子執巻者、垂綸者、執如意者、執塵尾奢、譚詩論道者。」

邸宅は並ぶものがないほど豪奢で、庭の池に二つの島を造り、岸辺に楊柳を、池の端に水芙蓉を、池の中に蓮を植えていた。毎年、夏や秋になれば、花は咲き魚は躍り、柳の木陰で人々が思い思いに巻物を持ち、釣糸を垂れ、如意やら大

鹿の尾で作った払子やらを揮い、詩を語り、道を論じたりしていた。

 趙崇祚はこのサロンで、「広く賓客に会い、時に談論風発する中で、近来の詩客の曲子詞五百首を集め、十巻に分けた」という。

 

○拾翠 翡翠の羽を拾う。翡翠は雄と雌で色が違い、高貴な閨に飾られるものであることから、閨情詞、艶詞のたぐいをさすので、ここでは詞を捜し集めること。

○羽毛之異 美しい羽毛。ここでは優れた詞の意。

 

織綃泉底,獨殊機杼之功。

蛟人のように綺麗な水底に絹を織り、素晴らしい機織りの技を示すかのように、出来栄えの良い、順序秩序を間違えぬ良き歌を集められた。

○織綃泉底 『博物志』に、「蛟人は魚のように水中で暮らしており、常に紡いだり織ったりしていて、時たま海中から出て人家に綃を売りさばく」とまた『述異記』に「南海から鮫綃紗を産出する。またの名を亀紗と言う。その値段は百金余り」と。ここは優れた詞集を編纂することの喩え。

○独殊 特に優れている。

〇機杼之功 機織り仕事の出来はえ。ここでは『花間集』編纂の出来ばえのこと。機杼は織りの横糸を通す杼。

 

廣會眾賓,時延佳論。

そしてそのサロンにおいて、幅広く大勢の客人を一堂に会して、議論を繰り広げさせたのである。

○延佳論 優れた議論を展開する。

 

杏の花0055
 

李白詩 尊前集  清平楽五首、清平調三首

    李太白集 《巻二十五補遺》清平楽令二首清平楽三首、《巻四》清平調三首

清平樂 一(一)

禁庭春畫。鶯羽披新繡。百草巧求花下鬥。祗賭珠璣滿鬥。

日晚卻理殘妝。禦前閑舞霓裳。誰道腰肢窈窕,折旋笑得君王。

 

清平樂 二(二)

禁闈清夜。月探金窗罅。玉帳鴛鴦噴蘭麝。時落銀燈香

女伴莫話孤眠。六宮羅綺三千。一笑皆生百媚,宸衷教在誰邊。

 

清平樂 三(一)

煙深水闊。音信無由達。惟有碧天雲外月。偏照懸懸離別。

盡日感事傷懷。愁眉似鎖難開。夜夜長留半被,待君魂夢歸來。

 

清平樂 四(二)

鸞衾鳳褥。夜夜常孤宿。更被銀臺紅蠟燭。學妾淚珠相續。

花貌些子時光。人遠泛瀟湘。欹枕悔聽寒漏,聲聲滴斷愁腸。

 

清平樂 五(三)

畫堂晨起。來報雪花墜。高卷簾櫳看佳瑞。皓色遠迷庭砌。

盛氣光引爐煙,素草寒生玉佩。應是天仙狂醉。亂把白雲揉碎。

 

清平調 三首其一

雲想衣裳花想容。春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

 

清平調 三首其二

一枝紅艷露凝香。雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

 

清平調 三首其三

名花傾國兩相歡。常得君王帶笑看。解得春風無限恨。沈香亭北倚闌幹。

 

清平調詞 三首 其一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白154

清平調詞 三首 其二 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白155

清平調詞 三首 其三 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

雲髻001
 

《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187

欧陽烱《花間集序 (3)》 詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

 
 2014年11月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
140-#3 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#3> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#11 《此日足可惜贈張籍-11》韓愈(韓退之)ID <1240> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5184 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-3 《奉節-2客堂 -#3》 杜甫index-15 杜甫<875> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5185 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《花間集序 (3)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-728--()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5187

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花 間 集

 

(1)

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

(2)

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちほ陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

(3)

続いて欧陽烱は、『花間集』 の詞が楽府詩に連なるものであり、贅沢を競い合うどんな富豪の家を凌駕する趙家の(趙崇祚)の豪華な宴席では、貴公子が詞を色紙にしたためて美女に手渡すと、それを受け取った美女が拍子木を手に取って、それを歌えば、美女の美しきは嫌が上にも勝ると言い、ここでも『花間集』の詞が宴席のためのものであることを言う。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

何止言之不文,所謂秀而不實。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

海棠花101
 

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 


-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

917年 五代十国
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

何止言之不文,所謂秀而不實。

有唐已降,率土之濱,

家家之香徑春風,寧尋越豔。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

 

(下し文) -#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、

何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、

家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

 

(現代語訳) -#3

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

 

(訳注) -3

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。
 

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,

六朝南朝から続いた後宮の女性を題材とした艶麗な宮廷風の詩は、紅楼の少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行を勢いづけた。

○南朝 東晋の後を受けて建康(今の南京)に都を置いた宋、斉、梁、陳の四王朝。

○宮体 南朝の斉、梁時代に流行した詩体。主として後宮の女性を題材とした艶麗な詩を指す。

○扇 煽る。

○倡風 少し色っぽい音曲歌舞(教坊の曲)の流行させて、俗っぽく頽廃してゆく。

 

何止言之不文,所謂秀而不實。

その歌の言葉は雅やかでないばかりか、文体も成り立たないものもあり、いわゆる「花咲いて実のならぬ」空虚なものであった。

 

有唐已降,率土之濱,

詩文が最高潮となった唐より後は、唐の滅亡、都の政情不安により、詩文、音曲歌舞は各地に分散し国の津々浦々に至るまで広がるということになった。

率土之濱 国の津々浦々に至るまで広がる。長安、洛陽中心の文学、特に、唐の教坊の詞曲が唐の滅亡、都の政情不安により各地に分散し、特に、各地の交通の要衝の地を中心に広がったことをいう。

 

家家之香徑春風,寧尋越豔。

蜀の家々の庭先には花が咲きみだれ、花の香りが春風に乗って小道に吹きわたり、南国の美女を訪ねるまでもなく、文化は成長したのである。

越豔 江南の美女、江南の文化。

 

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

したがって、至る所の紅楼に夜の月が照り輝き、言わずもがな、そこには嫦娥のような美しい女性があつまってきたのである。

常娥 誇蛾、恒蛾、嫦娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。ここでは占いの雰囲気作りにはみょうれいな女性の神、巫女の登場というシチュエーションというところか。 ○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには轄蛤(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。素蛾 月ひめ常蛾のこと。夫の努の留守中、霊薬をぬすみ飲んで月中にのがれ、月の楕となった神話中の人物。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。○嬋娟 艶めかしく姿あでやかなるさま。顔や容姿があでやかで美しい。魏の阮籍(210263年)の詠懐詩に「秋月復た嬋娟たり。」とブログ阮籍 詠懐詩、白眼視 嵆康 幽憤詩

 

霜月 李商隠

李商隠 『嫦娥』 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集約130首 詩の背景1.道教 2.芸妓 3.嫦娥と李商隠

《花間集序 (2)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説727--0- (2) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5182

欧陽烱《花間集序 (2)》 古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

 
 2014年11月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
140-#2 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#2> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#10 《此日足可惜贈張籍-10》韓愈(韓退之)ID <1239> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5179 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-2 《奉節-2客堂 -#2》 杜甫index-15 杜甫<874> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5180 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (2)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説727--0- (2) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5182 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

《花間集序 (2)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説727--0- (2)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5182

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

花 間 集

 

 

1

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

2

その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちほ陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

 

花間集序-#1

(花間集序)

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、

葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、

繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

Flower1-008
 

 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

則有綺筵公子,繡幌佳人,

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

 

(下し文)-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

 

(現代語訳)

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

pla027
 

(訳注) -2

花間集序

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

楊柳大堤之句,樂府相傳。

古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。

○楊柳大堤 古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」等を指す。

 

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。

○芙蓉曲渚之篇 ・芙蓉(蓮)を詠った「古詩十九首」第六首「涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。還顧望舊,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。」 (江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。)

曲渚(入り江)を詠った南朝梁・何遜作《送韋司馬別詩》「送別臨曲渚,征人慕前侶。離言雖欲繁,離思終無緒。」(韋司馬の別れを送る)詩の「入り江に臨んで別れを見送れば、旅立つ君は友なる我を思う」を指す。いずれも古代の名詩。

 

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。

〇高門下 趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったことをいう。このサロンの談論風発する中で五百首集めた。

○三千玳瑁之簪 三千もの鼈甲の簪。ここでは富豪が互いに贅を競い合うことを言う。

 

競富樽前,數十珊瑚之樹。

盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。

○数十珊瑚之樹 数十もの珊瑚の木。本句も前注同様、趙家と他の富豪の贅を互いに競い合う、の意だが、趙家は富豪たちの贅を凌駕しているからこそ、そこのサロンに権威があったのだ。

 

則有綺筵公子,繡幌佳人,

かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。

○繍幌 刺繍を施した垂れ幕。豪奢な閨をいう。蜀の地に長安・中原の雅な妓優、江南の風流な美人たちが逃げて、集まってきていたことを示す。

 

遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

○逓 送り伝える。ここでは公子が佳人に送ることを言う。

○葉葉之花箋 歌を書きつけた一枚一枚の色紙。儀は詩文や手紙を書くための紙。この地には、中唐の薛濤の手による薛濤䇳が有名である。

○文抽麗錦 歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。

 

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。

○拍按香檀 拍子木を打ってリズムを取る。香檀は拍子をとるための板状の楽器。香は修飾の語。

 

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。

嬌嬈 艶めいてたおやかなさま、またそのような女性によってえらばれた500首はさらに良い詞となったということ。
917年 五代十国
 

《花間集序 (1)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-(1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5177

欧陽烱《花間集序 (1)》 趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 
 2014年11月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
140-#1 《邠(豳)歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#1> Ⅰ李白詩1325 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5173 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID <1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-1奉節-2《客堂 -#1》 杜甫index-15 杜甫<873> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5175 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (1)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-(1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5177 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

《花間集序 (1)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5177

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 五百首

 

 

 

 

 

 

 

 

花 間 集

 

1

『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。

 

欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。

 

 

花間集序花間集序

作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰  

 

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。

海棠花101
 

花間集序-#1

(花間集の序として)
鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。
名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-2

楊柳大堤之句,樂府相傳。

芙蓉曲渚之篇,豪家自制。

莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。

競富樽前,數十珊瑚之樹。

則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。

舉纖纖之玉指,拍按香檀。

不無清之辭,用助嬌嬈之態。

-3

自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。

有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。

處處之紅樓夜月,自鎖常娥。

 

-4

在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。

邇來作者,無愧前人。

今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。

織綃泉底,獨殊機杼之功。

廣會眾賓,時延佳論。

-5

因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。

昔郢人有歌《陽春》者,號為唱,乃命之為《花間集》。

(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。

時大蜀廣政三年夏四月日序。

 

(花間集の序)

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

-#2

楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。

高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。

則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。

清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。

-#3

南朝の宮体、北里の倡風を扇りてより、何ぞ「之を言いて文ならず」、所謂「秀でて実らざる」に止まらんや。

有唐巳降【いこう】、率土の浜、家家の香逕春風、寧くんぞ越艶を尋ねん。

処処の紅楼、夜月 自ら常娥を墳ざす。

-#4

明皇の朝に在りては、則ち李太白の応制清平楽詞四首 有り、近代の温飛卿には復た『金筌集』有り。

邇来 作者 前人に塊ずること無し。今 

衛尉少卿 字は弘基、翠を洲辺に拾い、自ら羽毛の異なれるを得て、綃を泉底に織り、独り機杼の功 殊なるを以て、広く衆賓を会し、時に佳論を延ぶ。

-#5

困りて近来の詩客の曲子詞五百首を集め、分けて十巻と為す。

烱 粗ぼ知音に預かるを以て、命題を請わるるを辱くし、仍りて序引を為る。

昔 郢人に陽春を歌う者有り、号して絶唱と為す。

乃ち之に命じて『花間集』と為す。

庶わくは西園の英哲をして用て羽蓋の歓びを資けしめ、南国の嬋娟をして蓮舟の引を唱うを休めしめんことを。時に大蜀広政三年夏四月日 序す。

 

木蓮0005
 

『花間集序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#1

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

 

(下し文) -#1

玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。

花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。

是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。

名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。

響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。

 

(現代語訳)

(花間集序)

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。
その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

紅梅002
 

(訳注) -#1

花間集序

武徳郡節度判官 歐陽炯 撰

○武徳軍節度判官 官名。節度判官は節度使の属官。

○欧陽烱(896-971)  五代の詞人。益州華陽(今の四川省成都)の人。前蜀、後唐、後蜀、宋と四王朝に仕えた。笛に長じ、歌詞を多く作ったが、一流のものは少なかった。なお宋書』 では烱の字が迥になっている。『花間集』に十七首の詞が、『尊前集』に三十一首の詞が収められ、今日、計四十八首の詞が伝わる。欧陽桐の「花間集序」は、当時、詞がどのような環境のもと、何を目的にして作られたか、あるいは詞の由来がどのように認識されていたかについて言及しており、詞史の上で、貴重な文献になっている。

 

益州の華陽、今の四川省成郡の人。若くして前蜀の王衍に仕えて中書舎人となり、後唐に前蜀が滅ぼされると、王衍に従って洛陽に行った。その後、孟知祥が後蜀を建てたので、欧陽烱は蜀に移り、中書舎人、翰林学士、礼部侍郎、陵州の刺史、吏部侍郎等に任じられた。後蜀が宋によって亡ぼされると、宋朝に帰した。欧陽烱は笛に長じていたので、末の太祖超匡胤は常に彼を召し出し笛を演奏させたと伝えられる。欧陽烱は音楽に明るかったということで、『花間集』の編者、後蜀の趙崇祚に請われて『花間集』の序文を書いた。序文の日付は、後蜀の広政三年(940年)夏四月になっている。欧陽烱の詞は、『花間集』には十七首が収められている。

 

鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。

『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。

○鏤玉雕瓊 『花間集』の詞は美しい玉にさらに彫刻を施したようだ、ということ。鐘は彫り刻む。壇は赤玉。

○鏤玉雕瓊 この句も『花間集』の詞の素晴らしさを言う。擬はなぞらえる。化工は造化・造物主のたくみさ。回は迥、遙か。 

 

裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。

そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。

○春豔以爭鮮 妃嬪、後宮宮女、教坊の曲、妓優、妓女の恋心、逢瀬、別離、棄てられた後の生活、を艶やかに詠う。

 

是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。

それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。

○是以 そういうわけで、それ故。

○唱雲謡則金母詞清 「雲謡」は白雲謡。「金母」は西王母。「穆天子伝」に中国の西の果て、西王母の住まう崑崙山の山頂にある池の名。『穆天子伝』に「(穆)天子 西王母を瑤池の上に觴し(酒を勧め)、西王母 天子の為に謡う」というように、西王母が穆天子と会した場。穆天子は周の穆王が伝説化された存在。仙界の女王である西王母と地上の帝王とが交歓する故事は、穆天子のほかに、漢の武帝の話もある。老子が西王母と一緒に碧桃(三千年に一度実が生るという仙界の桃)を食べたという話がある(『芸文類聚』巻八六などが引く『尹喜内伝』)。『漢武故事』には、西王母が七月七日に漢の武帝のもとを訪れ、持参した桃を食べさせた、武帝がその種を取っておこうとすると、西王母がこの桃は三千年に一度実を結ぶものだから地上で構えても無駄だと笑った。どうしてもほしいなら、と約束の訓戒を与えた。武帝は、訓戒を守らず侵略のための浪費と、宮殿を数多くたててまっていた 本句は、西王母と穆天子、老子の故事を借り、『花間集』の詞は、すべての詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示す。

○挹 酒を酌む。

○霞醴 仙酒。

○穆王 前注の穆天子。

 

名高白雪,聲聲而自合鸞歌。

その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。

○白雪 古代の高雅な名曲の名。国中でわずか数人の者しか歌えなかったという。○合鸞歌 作られた歌詞が美しい音楽に合っている。鸞は霊鳥の名。鳳凰の一種。神霊の精で、五色の色をそなえ鶏の形をし、鳴き声は五音に適い、ゆったりと厳かで、嬉しい時には舞い踊って楽しむという。

 

響遏青雲,字字而偏諧鳳律。

その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。

○響遏青雲 歌の響きが流れる雲さえも止めるほどに感動的である。

○鳳律 十二律の音階。十二律は十二音の楽律で、八度にわたる音列を十二音階で形成したもの。今日の音階のハ調と、へ調に当たる。
pla044
 

再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737

劉禹錫《再遊玄都觀 序文》私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。



2013年7月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
 LiveDoor
出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#10>Ⅱ李白に影響を与えた詩837 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2733
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoor
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#7>Ⅱ中唐詩750 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2734
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor得廣州張判官叔卿書使還以詩代意【案:叔卿,魯人,見甫雜述。】 蜀中転々 杜甫 <508>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2735 杜甫詩1000-508-741/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2安世房中歌十七首(其9) 唐山夫人   漢詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2736
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


 

再遊玄都觀 序文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-238--#94   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2737


元和十一年(816年)に朗州(現・湖南省常徳市)より召還され、長安に戻ってきて、戯れに花見をしている諸賢に詩を贈る。 
永貞元年(805年)に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、足掛け12年、都へ呼び戻されたとき(元和十一年:816年)、このページの詩を作ったのである。それが政敵に知られることとなり、「この表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。やがて、この詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄都觀』とその序に、その間の事情が説明されている。


再遊玄都觀   序
余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。

そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。



再遊玄都觀
百畝庭中半是苔, 桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處? 前度劉郎今又來。
・玄都觀 道教寺院の名。長安の東西を春明門と金光門、延興門と延平門に大通りがあり、南北通り朱雀門と明徳門、が交差するあたりにあった。

燕麦01











『再遊玄都觀 序』 現代語訳と訳註
(本文)
再遊玄都觀

余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
居十年,召至京師,
人人皆言,有道士手植仙桃,
滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。


(下し文)
余【よ】貞元二十一年(805年)屯田員外郎 爲【た】るの時,此の觀 未だ花 有らず。
是の歳 連州に出でて牧す,尋【つ】いで 朗州の司馬に貶【へん】せらる。
居ること十年,召されて京師に至る,
人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,
滿觀 紅霞の如しと,遂に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。
旋【たちま】た又た牧に出づ,今に 十有四年,復【ま】た主客郎中 爲【た】り。
重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復た一樹も無し,
唯だ兔葵【いえにれ】燕麥の春風に動搖する耳【のみ】。
因って再び二十八字を題し,以て後遊を俟【ま】つ,時に 太和二年(828年)三月。


(現代語訳)
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。




(訳注)
再遊玄都觀  序


燕麦003余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。
私、劉禹錫は805年永貞元年屯田員外郎であった時にここで来てみた時にはこんなに花はなかった。
・貞元二十一年(805年=永貞元年 正月德宗が亡くなり、順宗が待望の即位をしたがすでに重病であり政務を満足に取ることができなかった。そこで側近の王叔文が、王伾・劉禹錫・柳宗元・程异など少壮官僚達とともに新政に乗り出した。宦官軍權の排除や停滞した政治の改革が矢継ぎ早に指令された。しかし抵抗勢力が強くなかなか浸透しなかった。
順宗の健康は悪化していくばかりであり、皇太子の即位を望む声が強く、八月には順宗は退位して上皇となり、憲宗が即位した。憲宗は宦官吐突承璀の影響を受け、宦官の軍權を元に戻したが、政治改革については精力的におこなった。しかし前帝の側近王叔文や取り巻きの少壮官僚は左遷され姿を消した。また八月には対吐蕃の重鎮西川節度使韋皐(薛濤のパトロン)が亡くなり、その幕僚の劉闢が自立した。憲宗は即位早々この対策に逐われることになった。
・屯田員外郎 古代の官職。主税助の別称。前漢の武帝は、辺境地帯を防衛する兵士に農耕を行わせた(軍屯)。後漢末期に徐州の陶謙が陳登を典農校尉に任じて屯田のことを行わせ、続いて196年には魏の曹操は、韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。


是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。
しかしこの年連州の長官に貶されているし、それからも朗州の司馬に左遷された。
・牧 地方長官。前漢・後漢代に於ける州の長官のこと。刺史:前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。


居十年,召至京師,
その間続くこと十年も経過して、やっと長安に呼び戻された。


人人皆言,有道士手植仙桃,
人々は口々に言う。「道士が仙郷にある桃の木をここにうえたのです。」と。
・仙桃 会稽郡(浙江省)の劉晨と阮肇という人が、薬草を採りに天台山へ入ったところ、道に迷ってしまった。谷川のほとりに女が二人立っていて絶世の美女たちである。女は二人を自分達の家へ連れて帰った。女達の家は見事なもので、屋根は銅の瓦、広間の南側と東側の壁際に立派な寝台、紅い薄絹の帳をめぐらしてある。帳には金糸銀糸で精緻な縫い取りが施され、四隅に懸けられた鈴が風が吹くたびにチリンチリンと可愛い音を鳴らしている。 寝台の脇にはそれぞれ侍女が十人ずつ居並んでいた。女達と一緒に暮らすようになって十日経った時、二人が家へ帰らせてくれと言うと女達は、「あなた方がこちらにおいでになったのは、前世からのご縁に引き寄せられたからです。どうして帰りたいなどとおっしゃるの」と言って涙を落とした。そして二人はそのまま女の柔かな抱擁を受け、すべてを忘れた。二人はそれから半年ほどの間、昼は酒宴を開き、夜は女達と共に歓楽に耽る日々を過ごした。不思議なことにここには四季がなく、いつも春の気候で花が咲き乱れ鳥が囀っていた。しかし、山を下りた二人が故郷に戻ってみると、村の様子は一変していた。親戚や知人が一人もいないのである。何とか自分の家に帰り着いて当主という人物に会ってみると、何と七代目の子孫であった。


滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。
花は満開に咲き誇り、まるで紅の霞が漂っているかのようです。そしてまた、前篇『元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った時の事を思い出していた。


旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。
その詩を書くや否や、わたしはまた地方の長官に出されてしまい、それでまた十四年も経過し、やっとまた戻されて、主客郞中という役目を仰せつかった。


重遊玄都觀,蕩然無復一樹,
そうして重ねてこの玄都観に遊びに立ち寄った。するとどうだろう、ふたたびここには一本の木も無くなっていたのだ。


唯兔葵燕麥動搖於春風耳。
ただ、兔葵と燕麦だけが伸びており、そこを吹き抜ける春風だけなのだ。
・兔葵 (ウサギアオイ)はアオイ科ゼニアオイ属の一年草である。 原産地はヨーロッパである。 日本では1948年に帰化が確認されている。 畑の縁などに生える。
・燕麥 イネ科カラスムギ属の穀物。一年草。別名、オートムギ、オーツ麦、オート、マカラスムギ。また、同属の野生種 A. fatua と同名でカラスムギとも呼ばれる。


因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。
そうして、再び二十八字、七言絶句の詩を作った。しかしこの間にどんなことがあったというのだ。この詩を作ったのは828年太和二年三月のことである。
・二十八字 七言絶句
・太和二年 劉禹錫は主客郞中となる。ついで東都に分司となる。


劉晨遇仙 東漢。劉晨和阮肇國二人入山採藥。遇二仙女。 招至成親。半年後二人回家。怎知至家已過百年。 無人認識二人。二人返山找仙女。終不可得。 喻有心花開花不發。無心插柳柳成蔭。 2.燕昭王為郭隗築黃金臺. 燕昭王是燕王噲的兒子,名子叫平。

上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637

薛濤 《上王尚書》 碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。


2013年7月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor早發射洪縣南途中作 成都 杜甫 <493-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2630 杜甫詩1000-493-#2-720/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637


この王尚書は、王播とされる。王播(「新唐書」巻一六七) はあざなを明剔といい、点元中、進士にぬきんでられ、憲宗の淮酉討伐に功あり、禮部尚書になった。禮部は進士の試験をつかさどる。そこで右のような詩が作られたもの。このとき薛濤は五十歳前後である。やがて彼は検校戸部尚書をもって、西川節度使として成都に赴任してくる。これは薛濤の予期したことではなかったが、抜群の処世術をもっている彼女にとっては、この詩を前に献じておいたことは、当然結果を考えないで行う人柄ということだろう。そして彼はつぎの穆宗の長慶元年に、段文昌と入れかわって都に歸るのである。


上王尚書
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。

峨眉山003

















『上王尚書』 現代語訳と訳註
(本文)
上王尚書
碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
手持云篆題新榜,十萬人家春日長。


(下し文)
(王尚書にたてまつる。)
碧玉の雙幢【そうとう】白玉の郎、初めて天帝を辞して 扶桑に下る。
手に雲篆【うんてん】を持して 新榜【しんぼう】に題す、十萬の人家 春 日長し。


(現代語訳)
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。


(訳注)
王屋山01上王尚書
(王尚書さまにこの詩をたてまつります。)
・王尚書 尚書は唐代六部の長官で、今の大臣に当たる。王は王播。大原の人。父の代から揚州に家し、播は弟の炎とともに文名あり。進士に及第したのち、塩鉄転運使をへて、礼部尚書、西川節度使、刑部尚書、中宙侍郎同平章事、淮南節度使をへて大和の初め、再び宰相となる。


碧玉雙幢白玉郎,初辭天帝下扶桑。
碧玉と菩薩の前のたれぎぬに飾れらた「白玉郎」と申すべきお方でございます。道教の最高神にはじめてお別れのを辞をつげられ、この地上においての理想の場所とされる扶桑の地に下られました。
・碧玉 微細な石英の結晶が集まってできた鉱物(潜晶質石英)であり、宝石の一種。 ... を含んだ石英は種類が多く、それゆえに様々な呼び方がある。3月の誕生石になっているブラッドストーン(血玉髄)も碧玉の一つである。
・雙幢 二つのはたはこ。儀衛または指庵に寺院の仏像のまわりにさげて用いる旗。
幢【どう】① 昔、儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種。彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした。はたほこ。② 魔軍を制する仏・菩薩のしるし。また、仏堂の装飾とするたれぎぬ。
・白玉郎 上の「碧玉」に対して「白玉」の字面をつかい、上品な天上の男をいい、王尚書の前身を暗示したことば。
・天帝 道教の最高神。
・扶桑(ふそう) 神木の名。日出のところにある木。ここは朝日とともに人間世界にⅢ現したことをさす。中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。扶桑・扶桑国は、日本の異称ともなった。古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。
のちの『梁書』以降は、東海上の島国と考えられるようになった。巨木の伝承は、その国では桑の木が多いという話に代わった。蔑称とする説もある一方では、古代の中国では、九夷は扶桑の生えるところで「紫庭」としての憧れの地だった面があるという説もある。
『山海経』海経第4巻 第9 海外東經、「下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝」
(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)
東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇る。


手持云篆題新榜,十萬人家春日長。
そして、犀行の筆をおとりになって、最高に権威のある書体で新しい官吏試験の登庸者の名をお書き出しになりました。成都の十萬戸の民草もすべて春のあたたかい光をいただいて、のびのびと日をおくらせていただくことになりました。
雲篆 道教で書かれる最高に権威のある書体。この詩は道教に因んだ語が強調されて使用されている。王尚書を誉め讃える場合の最高の表現であったのだろう。「筆」のつもり。
新榜 榜は試験の及第著名の掲示。
十萬人家 成都の戸数をいう。
杜甫『水檻遣心二首其一
去郭軒楹敞,無村眺望賒。
澄江平少岸,幽樹晚多花。
細雨魚兒出,微風燕子斜。
城中十萬戶。此地兩三家。

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 


十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492

薛濤 《十離詩十首 鏡離台》  この鏡は、黄金を鋳造して磨かれた立派な鏡なのです。それは初月から、三日月、五日月、そして満月になってぶらぶらと徘徊いたします。


 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

美人002522十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492


49 鏡離台 80
鏡離台
(鏡は台から取り去られる。)
鑄瀉黃金鏡始開,初生三五月徘徊。
この鏡は、黄金を鋳造して磨かれた立派な鏡なのです。それは初月から、三日月、五日月、そして満月になってぶらぶらと徘徊いたします。
為遭無限塵蒙蔽,不得華堂上玉台。

ところが、何かのことで、鏡に、限りない塵に蔽われてしまうようなことになったというのです。華やかな富貴の奥座敷の美しい台の上にのせられることも、許されなくなってしまうのです。


『鏡離台』 現代語訳と訳註
(本文)

鏡離台
鑄瀉黃金鏡始開,初生三五月徘徊。 
為遭無限塵蒙蔽,不得華堂上玉台。 


(下し文)
鏡 台を離る
黃金を鑄瀉して鏡は始めて開かる,初生 三五 月徘徊す。
無限にして塵の蒙蔽するに遭うが為に,華堂 玉台に上るを得ず。


(現代語訳)
(鏡は台から取り去られる。)
この鏡は、黄金を鋳造して磨かれた立派な鏡なのです。それは初月から、三日月、五日月、そして満月になってぶらぶらと徘徊いたします。
ところが、何かのことで、鏡に、限りない塵に蔽われてしまうようなことになったというのです。華やかな富貴の奥座敷の美しい台の上にのせられることも、許されなくなってしまうのです。


(訳注)
鏡離台

(鏡は台から取り去られる。)


鑄瀉黃金鏡始開,初生三五月徘徊。 
この鏡は、黄金を鋳造して磨かれた立派な鏡なのです。それは初月から、三日月、五日月、そして満月になってぶらぶらと徘徊いたします。
・鑄瀉 鋳はいること。潟は型に流しこむこと。写るまでにすることで、磨いて遷るようにする。
・黄金 銅と水銀をまぜたものでつくる。りっはな鏡というもの。
・初生 生まれたばかり。三日月よりも前の月で初月である。新月、初月は陰語を含むものである。
・三五 三かける五で十五。十五夜をいう。満月である。当時の鏡は円形であった。ここは月にもじって新月から満月になり名残月と進んでゆくことで時間の経過、使用頻度、私用する女子が若かったことから年増になっていくことを意味している。
・徘徊 ゆきつもどりつすること。ゆっくり動くかたち。時間経過を示すもの。男女の恋のゆくへを示唆するものである。


為遭無限塵蒙蔽,不得華堂上玉台。 
ところが、何かのことで、鏡に、限りない塵に蔽われてしまうようなことになったというのです。華やかな富貴の奥座敷の美しい台の上にのせられることも、許されなくなってしまうのです。
・蒙蔽 蒙はこうむる。蔽はおおう。磨かなければ映らなくなることをいう。年増になる姿を写したくないというのが理由なのであろう。
・華堂 玉堂におなじ、富貴のりつばなお座敷。
・玉臺 玉の飾りりついたようなりつはな台。台はここではもちろん鏡台をいう。



十首目にふさわしく妓女の生涯を鏡になぞらえ詠ったもので、一夫多妻制の時代、女として価値あるものとして扱われるのが十代であり、その後は次第に相手にされないことをいうのである。
魚玄機なら「男のその時の好みによって相手にされたり、捨てられたり、そんな勝手が許されるのか」というとこであろうが、薛濤は「十離詩十首」という詩で、やんわりと元稹に許しを乞うたのである。

十離詩十首 竹離亭 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-188-54-#48  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2487

薛濤 《十離詩十首 竹離亭》 新しく植えられた四、五列の竹がうっそうと茂っています。そしていつの年も、秋の霜にもめげないで、あおあおとしているのです。

2013年6月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。月池 韓愈(韓退之) <140>Ⅱ中唐詩701 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2489
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 成都6-(10-#1) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2485 杜甫詩1000-475-691/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
古詩十九首 之七  (7)   漢の無名氏 漢詩<20> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2486
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 竹離亭 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-188-54-#48  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2487
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

十離詩十首 竹離亭 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-188-54-#48   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2487


48 竹離亭 79
竹離亭
(竹が亭をはなれる)
蓊郁新栽四五行,常將勁節負秋霜。 
新しく植えられた四、五列の竹がうっそうと茂っています。そしていつの年も、秋の霜にもめげないで、あおあおとしているのです。
為緣春筍鑽牆破,不得垂陰覆玉堂。

ところが今年の春のこと、そのたけのこが、かきねを突き破ってしまったので、これではいかぬということになり、切りとられてしまった。そのために、もはや、おい茂った葉で、お座敷に日かげをつくってあげることもできないことになってしまったのです。

竹 亭を離る
蓊郁【おうゆう】新に栽うる 四五行,常に勁節【けいせつ】を將って秋霜に負【そむ】く。 
春筍【しゅんじゅん】牆【しょう】を鑽り破るに緣るを為し,垂陰 玉堂を覆うことを得ず。


『十離詩十首 竹離亭』 現代語訳と訳註
bamb05176(本文)

竹離亭
蓊郁新栽四五行,常將勁節負秋霜。 
為緣春筍鑽牆破,不得垂陰覆玉堂。


(下し文)
竹 亭を離る
蓊郁【おうゆう】新に栽うる 四五行,常に勁節【けいせつ】を將って秋霜に負【そむ】く。 
春筍【しゅんじゅん】牆【しょう】を鑽り破るに緣るを為し,垂陰 玉堂を覆うことを得ず。


(現代語訳)
(竹が亭をはなれる)
新しく植えられた四、五列の竹がうっそうと茂っています。そしていつの年も、秋の霜にもめげないで、あおあおとしているのです。
ところが今年の春のこと、そのたけのこが、かきねを突き破ってしまったので、これではいかぬということになり、切りとられてしまった。そのために、もはや、おい茂った葉で、お座敷に日かげをつくってあげることもできないことになってしまったのです。


(訳注)
竹離亭

竹が亭をはなれる


蓊郁新栽四五行,常將勁節負秋霜。 
新しく植えられた四、五列の竹がうっそうと茂っています。そしていつの年も、秋の霜にもめげないで、あおあおとしているのです。
・蓊郁 草木のさかんにしげるさま。蒼森におなじ。
・勁節 ふしがあって強いこと。転じて固いみさお。江滝の詩に「風を凌んで勁節を知り、雪に負いて点心を見るとある。
・負秋霜(しゅうそうにそむく) 秋の霜にほかの草木は凋落するのに、竹はそれに堪え、めげないことをいう。
 

為緣春筍鑽牆破,不得垂陰覆玉堂。
ところが今年の春のこと、そのたけのこが、かきねを突き破ってしまったので、これではいかぬということになり、切りとられてしまった。そのために、もはや、おい茂った葉で、お座敷に日かげをつくってあげることもできないことになってしまったのです。
・春筍 筍はたけのこ。
・鑽 つき破って穴をあける。錐で穴をあける。
・牆 かき。
垂陰 葉かげ。
・玉堂 りっはなお座敷。
・覆 上からかぶせるようにおおい、日かげをあたえる。

十離詩十首 鷹離鞲 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-187-53-#47  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2482

薛濤 《十離詩十首 鷹離鞲》 あなたは刀のきっさきのように鋭い爪、鈴のように大きな目をもっていて、平原を走る兎を、その目で見つけ、爪でとらえるという、ご満足されていた鷹狩用の鷹でありました。


2013年6月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。方橋 韓愈(韓退之) <138>Ⅱ中唐詩699 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2479
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集戲贈友,二首之二 五言律詩 成都6-(9) 杜甫 <474>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2480 杜甫詩1000-474-690/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鷹離鞲 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-187-53-#47  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2482
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

十離詩十首 鷹離鞲 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-187-53-#47   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2482


47 鷹離鞲 78
大鷹01鷹離鞲
(鷹匠の腕から飛び立ってしまった鷹。)
爪利如鋒眼似鈴,平原捉兔稱高情。
あなたは刀のきっさきのように鋭い爪、鈴のように大きな目をもっていて、平原を走る兎を、その目で見つけ、爪でとらえるという、ご満足されていた鷹狩用の鷹でありました。
無端竄向青云外,不得君王臂上擎。
ふとしたはずみに、逃げ出して、空高く舞いあがってどこかえ行ってしまった。それからは、もう二度と狩りの遊びをなさる君王さまのひじの上につながれることはできないことになってしまいました。


『鷹離鞲』 現代語訳と訳註
(本文)
鷹離鞲
爪利如鋒眼似鈴,平原捉兔稱高情。
無端竄向青云外,不得君王臂上擎。


(下し文)
(鷹 鞲【ゆごて】を離る)
爪の利なること鋒の如く眼は鈴に似たり,平原にて兔を捉え高情に稱う。
端なくも 竄【のが】れて青雲の外に向ふ、君王の臂上【ひじょう】に 擎【ささ】げらるるを 得ず。


(現代語訳)
(鷹匠の腕から飛び立ってしまった鷹。)
あなたは刀のきっさきのように鋭い爪、鈴のように大きな目をもっていて、平原を走る兎を、その目で見つけ、爪でとらえるという、ご満足されていた鷹狩用の鷹でありました。
ふとしたはずみに、逃げ出して、空高く舞いあがってどこかえ行ってしまった。それからは、もう二度と狩りの遊びをなさる君王さまのひじの上につながれることはできないことになってしまいました。


(訳注)
鷹離鞲
(鷹匠の腕から飛び立ってしまった鷹。)
・硝 音こう。弓を射るとき、左のひじにつける革具。鷹匠は、そこに鷹をとまらせておくわけ。


爪利如鋒眼似鈴,平原捉兔稱高情。
あなたは刀のきっさきのように鋭い爪、鈴のように大きな目をもっていて、平原を走る兎を、その目で見つけ、爪でとらえるという、ご満足されていた鷹狩用の鷹でありました。
・利 するどいこと。
・鋒 刀のきっさき。
・高情 相手(第四句の君王-すなわち元稹をさす) の心。心に称うとは満足させること。


無端竄向青云外,不得君王臂上擎。
ふとしたはずみに、逃げ出して、空高く舞いあがってどこかえ行ってしまった。それからは、もう二度と狩りの遊びをなさる君王さまのひじの上につながれることはできないことになってしまいました。
・臂上 ひじの上。
鸕鶿001

十離詩十首 魚離池 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-186-52-#46  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2477

薛濤 《十離詩十首 魚離池》 
深い池にもう四五年も養飼されて、のびのびと跳ねまわって遊でいたのです、。あかい尾を振り動かしながら、釣針の餌をうまく食べるのが欒しいいつものことでありました。


2013年6月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#1>文選 雜擬 上 785 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2473
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。孤嶼 韓愈(韓退之) <137>Ⅱ中唐詩698 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2474
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集戲贈友,二首之一 成都6-(8) 杜甫 <473>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2475 杜甫詩1000-473-689/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 魚離池 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-186-52-#46  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2477
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 魚離池 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-186-52-#46   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2477
46 魚離池 77


魚離池
(魚が池をはなれる)
跳躍深池四五秋,常搖朱尾弄綸鉤。
深い池にもう四五年も養飼されて、のびのびと跳ねまわって遊でいたのです、。あかい尾を振り動かしながら、釣針の餌をうまく食べるのが欒しいいつものことでありました。
無端擺斷芙蓉朵,不得清波更一游。

ところが、ふとしたはずみに、蓮の茎をおしひらき、折ってしまったものだから、池を追われ、それからはもうその美しい池の水の中で、遊びまわることは許されないことになってしまったのです。

nat0026











『魚離池』 現代語訳と訳註
(本文)
魚離池
跳躍深池四五秋,常搖朱尾弄綸鉤。
無端擺斷芙蓉朵,不得清波更一游。


(下し文)
魚、池を離る
深き池に 跳躍すること 四五秋、常に 朱尾を搖して綸鉤を弄す。
端なくも 芙蓉の采を滞断し、清波 更に一游することを、得ず。


(現代語訳)
(魚が池をはなれる)
深い池にもう四五年も養飼されて、のびのびと跳ねまわって遊でいたのです、。あかい尾を振り動かしながら、釣針の餌をうまく食べるのが欒しいいつものことでありました。
ところが、ふとしたはずみに、蓮の茎をおしひらき、折ってしまったものだから、池を追われ、それからはもうその美しい池の水の中で、遊びまわることは許されないことになってしまったのです。


(訳注)
魚離池
(魚が池をはなれる)


跳躍深池四五秋,常搖朱尾弄綸鉤。
深い池にもう四五年も養飼されて、のびのびと跳ねまわって遊でいたのです、。あかい尾を振り動かしながら、釣針の餌をうまく食べるのが欒しいいつものことでありました。
・跳躍 おどりあがる。自由にできたことを云う。
・深池 深池はのびのびと生活できたことをいうものである。
・綸釣 綸は糸。鈎はかぎ。釣糸と釣針。


無端擺斷芙蓉朵,不得清波更一游。
ところが、ふとしたはずみに、蓮の茎をおしひらき、折ってしまったものだから、池を追われ、それからはもうその美しい池の水の中で、遊びまわることは許されないことになってしまったのです。
・擺斷 擺はひらく。おしひらく。断は切る。
・芙蓉 蓮の異名。
・朵 ここは茎。

十離詩十首 珠離掌 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-185-57-#45  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2472

薛濤 《十離詩十首 珠離掌》 
白くけがれがなく、まるくて明かるく透明な玉がある。その清らかに光っているありさまは、照りかがやいている水晶宮のように美しい。

2013年6月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北樓 韓愈(韓退之) <135>Ⅱ中唐詩696 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2464
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集溪漲 成都6-(6-#2) 杜甫 <472-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2470 杜甫詩1000-472-688/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 珠離掌 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-185-57-#45  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2472
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 珠離掌 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-185-57-#45   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2472
45 珠離掌 76


珠離掌
(掌中で愛玩されていたが棄てられた玉。)
皎潔圓明內外通,清光似照水晶宮。
白くけがれがなく、まるくて明かるく透明な玉がある。その清らかに光っているありさまは、照りかがやいている水晶宮のように美しい。
只緣一點玷相穢,不得終宵在掌中。
ところが、たった一つ、小さなきずが生じて、それがよごれとなってしまったのだ。今まではずっと一日中、掌中に愛玩されていたというのに、棄てられてしまった。



『珠離掌』 現代語訳と訳註
pla026(本文)

皎潔圓明內外通,清光似照水晶宮。
只緣一點玷相穢,不得終宵在掌中。


(下し文)
(珠、掌を離る。
皎潔【こうけつ】圓明【えんめい】內外 通ず,清光は水晶宮を照すに似たり。
只だ 一點 玷の相い穢【けが】すに緣って,終宵【しゅうしょう】掌中に在るを得ず。


(現代語訳)
(掌中で愛玩されていたが棄てられた玉。)
白くけがれがなく、まるくて明かるく透明な玉がある。その清らかに光っているありさまは、照りかがやいている水晶宮のように美しい。
ところが、たった一つ、小さなきずが生じて、それがよごれとなってしまったのだ。今まではずっと一日中、掌中に愛玩されていたというのに、棄てられてしまった。


(訳注)
hakka02珠離掌

(掌中で愛玩されていたが棄てられた玉。)
・掌 たなごころ。手のひら。掌中で愛玩されていた。


皎潔圓明內外通,清光似照水晶宮。
白くけがれがなく、まるくて明かるく透明な玉がある。その清らかに光っているありさまは、照りかがやいている水晶宮のように美しい。
・皎潔 通音ではこうけつ。白くけがれのないこと。
・内外通 外から内のなかまで見通しであること、透明。
・水晶宮 水晶でつくった宮殿。「述異記」に、「闔閭、水晶宮、備さに珍巧を極む。皆、水府より出づ」とある。想像の宮殿。水晶宮とは大仰な。 春秋時代に呉王・闔閭がそんな建物を建てたとか、大秦国(ローマ帝国)にもあったとかと言われるが、わたしが反応したのはそれではない。闔閭(こうりょ、? - 紀元前496年/在位:紀元前514年 - 紀元前496年)は、中国春秋時代の呉の第6代の王。姓は姫。諱は光。家臣の孫武、伍子胥などの助けを得て、呉を一大強国へと成長させ覇を唱えたが、越王勾践に敗れ、子の夫差に復讐を誓わせて没した。春秋五覇の1人に数えられることがある。闔廬とも表記される。


只緣一點玷相穢,不得終宵在掌中。
ところが、たった一つ、小さなきずが生じて、それがよごれとなってしまったのだ。今まではずっと一日中、掌中に愛玩されていたというのに、棄てられてしまった。
・只 一本に都に作る。すべてと読む。
・砧 玉の傷ついた所。
・終宵 一夜じゅう。それなりは一日中の意味。
suiren0016

十離詩十首 燕離巢 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-184-56-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2467

薛濤 《十離詩十首 燕離巢》 
身分の高いお方の顕官のお邸に、朱門から出入りするようになったが、その家の主人は女を打ち棄てるのもかわいそうだと考えられ、かえってチュッチュッと鳴いているのを、いつもかわいがっている。


2013年6月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北樓 韓愈(韓退之) <135>Ⅱ中唐詩696 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2464
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集溪漲 成都6-(6-#1) 杜甫 <471-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2465 杜甫詩1000-471-687/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 燕離巢 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-184-56-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2467
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

十離詩十首 燕離巢 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-184-56-#44   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2467


44 燕離巢 75
燕離巢
(巣から追い出された燕。)
出入朱門未忍拋,主人常愛語交交。
身分の高いお方の顕官のお邸に、朱門から出入りするようになったが、その家の主人は女を打ち棄てるのもかわいそうだと考えられ、かえってチュッチュッと鳴いているのを、いつもかわいがっている。
銜泥穢污珊瑚枕,不得梁間更壘巢。
巣をつくるために口にくわえて運んでいた泥を落として、さんごの飾りのついた枕をよごしてしまう。追い出され、もはや梁の上に巣をつくることはできないことになってしまった。

美人002522
燕離巢
『燕離巢』 現代語訳と訳註
(本文)
燕離巢
出入朱門未忍拋,主人常愛語交交。
銜泥穢污珊瑚枕,不得梁間更壘巢。


(下し文)
(燕、巣を離る)
朱門に出入して 未だ拋【なげう】つに忍びず、主人 常に愛す 語 交交なるを。
泥を銜んで 珊瑚の枕を 穢汚す、梁間 更に巣を壘するを 得ず。


(現代語訳)
(巣から追い出された燕。)
身分の高いお方の顕官のお邸に、朱門から出入りするようになったが、その家の主人は女を打ち棄てるのもかわいそうだと考えられ、かえってチュッチュッと鳴いているのを、いつもかわいがっている。
巣をつくるために口にくわえて運んでいた泥を落として、さんごの飾りのついた枕をよごしてしまう。追い出され、もはや梁の上に巣をつくることはできないことになってしまった。


(訳注)
燕離巢

(巣から追い出された燕。)
身分の高いお方の顕官のお邸に、朱門から出入りするようになったが、その家の主人は女を打ち棄てるのもかわいそうだと考えられ、かえってチュッチュッと鳴いているのを、いつもかわいがっている。


出入朱門未忍拋,主人常愛語交交。
身分の高いお方の顕官のお邸に、朱門から出入りするようになったが、その家の主人は女を打ち棄てるのもかわいそうだと考えられ、かえってチュッチュッと鳴いているのを、いつもかわいがっている。
・朱門 身分の高い顕官の邸。① 朱塗りの門。 ②《門を朱塗りにしたところから》富貴の人の家。家屋は南を正門とし、高貴の人はその邸の門を朱色に塗った。郭璞の「遊仙詩」に、「朱門何ぞ栄とするに足らん」 の句がある。
・交交 鳥の飛び交うさま。『詩経 秦風「黄鳥」』「交交黃鳥 止于棘」(交交たる黃鳥 棘に止まる)という句がある。ここではチュッチュッと鳴きかわすありさま。


銜泥穢污珊瑚枕,不得梁間更壘巢。
巣をつくるために口にくわえて運んでいた泥を落として、さんごの飾りのついた枕をよごしてしまう。追い出され、もはや梁の上に巣をつくることはできないことになってしまった。
・枕 簟はござ。竹または葦で編んだ敷物。珊棚と上にあるから枕がよい。
・穢污 よごす。
・染 はり。家庭の棟をささえる大きな横木。妓女、女性の閨と梁はセットのものである。
・壘 積重ねてとりでをつくる。防塁。

十離詩十首 鸚鵡離籠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-183-55-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2462

薛濤 《十離詩十首 鸚鵡離籠》 
シルクロードを経て隴西から連れられて來られた 一羽の鸚鵡がいます。ある日籠から飛び出して、あちらこちらを飛びまわり、そして美しい敷物の上にとまったというのです。


2013年6月1日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。花源 韓愈(韓退之) <134>Ⅱ中唐詩695 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2459
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(5) 杜甫 <470-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2460 杜甫詩1000-470-#3-686/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鸚鵡離籠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-183-55-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2462
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

十離詩十首 鸚鵡離籠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-183-55-#43   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2462


有名な「十離詩」(40)が、元稹のところの家宴に列して、酒に酔い、酒令のことから盃?を投げて、元稹の甥の脚を傷つけ、元稹の気嫌を損じておわれたことに原因して作られたという。の詩中に、「四、五年」および 「四五秋」の語がある。「全唐詩」 の註には、これを彼女が厳司空(厳綬)によって元稹のもとへ派遣されたときのこととである。


鸚鵡離籠
(籠を離れた鸚鵡。)
隴西獨自一孤身,飛去飛來上錦茵。
シルクロードを経て隴西から連れられて來られた 一羽の鸚鵡がいます。ある日籠から飛び出して、あちらこちらを飛びまわり、そして美しい敷物の上にとまったというのです。
都緣出語無方便,不得籠中再喚人。

言葉を話しても適宜なことばを使うことが出来ない。さてどう人を呼んだらよいか、寵の中に戻ることができない。

kairo10682







『十離詩十首 鸚鵡離籠』 現代語訳と訳註
(本文)
鸚鵡離籠
隴西獨自一孤身,飛去飛來上錦茵。
都緣出語無方便,不得籠中再喚人。


(下し文)
(鸚鵡、寵を離る)
隴西 獨自 一孤身、飛び去り飛び來って錦茵に上る。
都て 出語 方便なきに 緣って、籠中に 再び人を喚ぶを 得ず。


(現代語訳)
(籠を離れた鸚鵡。)
シルクロードを経て隴西から連れられて來られた 一羽の鸚鵡がいます。ある日籠から飛び出して、あちらこちらを飛びまわり、そして美しい敷物の上にとまったというのです。
言葉を話しても適宜なことばを使うことが出来ない。さてどう人を呼んだらよいか、寵の中に戻ることができない。


(訳注)
鸚鵡離籠

(籠を離れた鸚鵡。) 
鸚鵡(おうむ) 西域地方の産。唐代貴家の家には広く飼われていた。


隴西獨自一孤身,飛去飛來上錦茵。
シルクロードを経て隴西から連れられて來られた 一羽の鸚鵡がいます。ある日籠から飛び出して、あちらこちらを飛びまわり、そして美しい敷物の上にとまったというのです。
・隴西 陝西省南西部から甘粛省の南部の山岳地帯をいう。シルクロードの玄関口、2ルート分岐点。
・錦薗 蘭はしとね。しきもの。


都緣出語無方便,不得籠中再喚人。
言葉を話しても適宜なことばを使うことが出来ない。さてどう人を呼んだらよいか、寵の中に戻ることができない。
・方便(ほうべん) 便宜。
菖蒲02

十離詩十首 馬離廄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-182-54-#42  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2457

薛濤 《十離詩十首 馬離廄》 
美しくかわいい若さまをお驚かせして、車から落としてしまったために、それ以来、りっはな事につけられて威勢よくいななくこともできなくなって、うまやから追い出されて追いやられてしまった。

2013年5月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。柳巷 韓愈(韓退之) <133>Ⅱ中唐詩694 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2454
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(4) 杜甫 <470-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2455 杜甫詩1000-470-#2-685/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 馬離廄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-182-54-#42  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2457
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 馬離廄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-182-54-#42   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2457


馬離廄
(馬がうまやから追われた。)
雪耳紅毛淺碧蹄,追風曾到日東西。 
雪のようにまっ白い耳のあたりの毛があり、ほかの部分は赤い栗毛いろの馬で、ひずめは薄みどり色だからきっといい馬だ。かっては、風を追うようにして、日が昇ってから、西に沈むまで、一日中東へ西へと駆けまわっていた。
為驚玉貌郎君墜,不得華軒更一嘶。
 
美しくかわいい若さまをお驚かせして、車から落としてしまったために、それ以来、りっはな事につけられて威勢よくいななくこともできなくなって、うまやから追い出されて追いやられてしまった。


bijo04『十離詩十首 馬離廄』 現代語訳と訳註
(本文)

雪耳紅毛淺碧蹄,追風曾到日東西。 
為驚玉貌郎君墜,不得華軒更一嘶。 


(下し文)
(馬、厩を離る)
雪耳 紅毛 浅碧の蹄、
風を追うて 曾て 日の東西に到る。
王貌の郎君を 驚かし堕せしが為に、
華軒に 更に一たび斯くことを 得ず。


(現代語訳)
(馬がうまやから追われた。)
雪のようにまっ白い耳のあたりの毛があり、ほかの部分は赤い栗毛いろの馬で、ひずめは薄みどり色だからきっといい馬だ。かっては、風を追うようにして、日が昇ってから、西に沈むまで、一日中東へ西へと駆けまわっていた。
美しくかわいい若さまをお驚かせして、車から落としてしまったために、それ以来、りっはな事につけられて威勢よくいななくこともできなくなって、うまやから追い出されて追いやられてしまった。


(訳注)
十離詩十首 馬離廄

馬がうまやから追われた。


雪耳紅毛淺碧蹄,追風曾到日東西。 
雪のようにまっ白い耳のあたりの毛があり、ほかの部分は赤い栗毛いろの馬で、ひずめは薄みどり色だからきっといい馬だ。かっては、風を追うようにして、日が昇ってから、西に沈むまで、一日中東へ西へと駆けまわっていた。
・紅毛(こうもう) あかい毛。実は粟毛色をさす。杜甫が多く馬について詠っている。
房兵曹胡馬詩
胡馬大宛名、鋒稜痩骨成。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
所向無空闊、真堪託死生。
驍騰有如此、万里可横行。

兵曹胡馬詩 杜甫

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102


・浅碧 うすあお色。
・日東西 神話によれば、義和は日の車の御者で、東から太陽をのせた車を西へ駆るという。「楚辞」に「日忽々として其れ将に暮れんとす、吾、義和をして節を辞めしめん」とある。○義和 日の神であり、日を乗せる馬車の御者とも考えられ、更には、二つの名に分けて、暦法を定めた人ともされた。「山海経」に記載のある太陽の母神であり、炎帝に属し東夷人の先祖にあたる帝俊の妻。東海の海の外、甘水のほとりに義和の国があり、そこに生える世界樹・扶桑の下に住む女神である義和は、子である「十の太陽たち」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。ここでは日の御者としての義和とすると、時間を進める御者として、義和をいっているから、日月といってもそう矛盾を感じないものである。太陽をのせて走る車の御者。神話中の人物である。「楚辞」離巌に「吾義和をして節を辞めしめ云云」と見える。○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一,『准南子』「天文訓」など)。
また、「書経」五子之歌から》くさった縄で6頭の馬を御するように、非常に難しくて危ないこと
義和の神を例にとることは、暗殺計画を意味するものである。


為驚玉貌郎君墜,不得華軒更一嘶。 
美しくかわいい若さまをお驚かせして、車から落としてしまったために、それ以来、りっはな事につけられて威勢よくいななくこともできなくなって、うまやから追い出されて追いやられてしまった。
・玉貌郎君 玉のように美しい顔をした若様。
・華軒 豪華な車。高貴の人の乗る車。


十離詩十首 筆離手 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-181-53-#41-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2452

薛濤 《十離詩十首 筆離手》
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。

 
 

2013年5月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。稻畦 韓愈(韓退之) <132>Ⅱ中唐詩693 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2449
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 成都6-(3) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2450 杜甫詩1000-470-684/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 筆離手 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-181-53-#41-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2452
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



十離詩十首 筆離手 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-181-53-#41-#1   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2452


筆離手
(筆がすてられた。)
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。 
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。 
何もかもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
(筆は手を離る。)
越管【えつかん】宣毫【せんごう】始めより情に稱【かな】う,紅箋【こうせん】紙上 花瓊【かけい】を撒【ま】く。
都【すべ】て用うること久しきことに緣り鋒頭【ほうとう】盡き,羲之の手里に擎【ささ】げらるるを得ず。


『十離詩十首 筆離手』 現代語訳と訳註
(本文)
筆離手
越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。 
都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。 


(下し文)
(筆は手を離る。)
越管【えつかん】宣毫【せんごう】始めより情に稱【かな】う,紅箋【こうせん】紙上 花瓊【かけい】を撒【ま】く。
都【すべ】て用うること久しきことに緣り鋒頭【ほうとう】盡き,羲之の手里に擎【ささ】げらるるを得ず。 


(現代語訳)
(筆がすてられた。)
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
何もかもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。

(訳注)
筆離手

筆がすてられた。
薛濤は詩歌と書も王羲之の書体をマスターしており、文具についても詳しかった。彼女の作った薛濤䇳は現在も廃れていないものであることから、文具全般に薛濤の改良品を作っていたのではないだろうか。なお、薛濤が四大文具について詠った詩『四友贊』がある。四友贊 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-152-24-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2307


越管宣毫始稱情,紅箋紙上撒花瓊。
越州産の軸に、宣州産の穂がついた筆がある。はじめから気に入って、紅い画宣紙や詩箋の上に、花瓊を撒いた様なみごとな書画を書くことができたものだった。
・越管 越は今の浙江省の地方。管はくだ。筆の軸をいう。越地方産の竹の筆軸。竹管を使うようになったのは六朝時代から。湘江の班竹をつかったもの。
・宣毫(せんごう) 宣州は宣城。李白の詩にも宣城紙についてふれている。今の安徽省、江西省、浙江省六朝文化の中心地で文具は完成された。。毫は筆の毛。筆の穂である。唐の開元二年に、宰相に斑竹の筆を賜わったことが、「唐書」に見える。また宣城は紙と筆の名産地で、唐代から諸葛氏が筆の製造家として有名である。画仙紙/宣紙は「宣紙を冠される紙」はその伝統的産地「宣城」、現在の「安徽省県烏城地域」で伝統手法に則り生産される紙に限定されている。
紅箋 あかい詩集。箋は今の便箋のようなもの。薛濤䇳。
花瓊(かけい) 瓊は黄玉。ここでは端渓石で作った硯(すずり)。美しい斑文(はんもん)があり、墨のおりもよく、古来珍重される。
*瓊花 隋から唐の時代、「瓊花(チウンホア)」は「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられたという。ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたそうだが、やがて元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったという。この花は薛濤らしい花である。

花瓊








都緣用久鋒頭盡,不得羲之手里擎。

何もかにもに愛用し、しかも久しく使ったことによって、穂さきまとまらなくなって、いかに有名な名筆家の晋の王義之の腕にかかっても、良い書画がえられなくなってしまったのだ。
・鋒頭 筆の穂のさき。宋の熙寧頃までは固い穂で、バラバラの穂が現われたのはその後。
・義之 晋の名書家王羲之。

十離詩十首 犬離主 原註 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-180-52-#40-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2447

薛濤 《十離詩十首 犬離主 原註》 
元稹のところの家宴に列して、酒に酔い、酒令のことから御銚子を投げて、元稹の甥の脚を傷つけ、元稹の気嫌を損じておわれたことに原因して作られた。の詩中に、「四、五年」および 「四五秋」の語がある。

2013年5月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。荷池 韓愈(韓退之) <131>Ⅱ中唐詩692 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2444
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍禦 五言律詩 成都(6-(2-#4)) 杜甫 <469-#4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469#4-683/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 犬離主 原註 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-180-52-#40-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2447
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 犬離主 原註 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-180-52-#40-#3   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2447


有名な「十離詩」(40~49)が、元稹のところの家宴に列して、酒に酔い、酒令のことから御銚子を投げて、元稹の甥の脚を傷つけ、元稹の気嫌を損じておわれたことに原因して作られた。の詩中に、「四、五年」および 「四五秋」の語がある。「全唐詩」 の註には、これを彼女が厳司空(厳綬)によって元稹のもとへ派遣されたときのこととであるとしている。



十離詩
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
困事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
涛作十離詩以献。逐復善焉。
薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。
犬離主
(飼い主の主人から追いだされた犬の歌。)
出入朱門四五年,為知人意得人憐。 
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。
近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。 
ところが、ふとしたことから、ご主人の近縁のお方にかみつくようなまねをしてしまい、このうえは、紅い上等の毛せんの上で眠るわけにはいきませんと孟反省致しております。

濤因酔爭令、擲注子、
薛濤は、元稹のところの家宴に列し、酒に酔ったことによって、酒令のなかで御銚子を投げた。
誤傷相公猶子、
それが誤って元稹の世話になっている甥の足にあたりけがをさせた。
去幕。故云。
宴席掛をおろされ、幕府を去った。それでこの「十離詩十首」を作り、いう。



『十離詩十首 犬離主 原註』 現代語訳と訳註
(本文)

濤因酔爭令、擲注子、誤傷相公猶子、去幕。故云。

魚玄機550034
(下し文)
濤 酔に因って爭【いかで】は令むらる、注子を擲ちて、誤って相公の猶子を傷け、幕を去る。故に云う。


(現代語訳)
薛濤は、元稹のところの家宴に列し、酒に酔ったことによって、酒令のなかで御銚子を投げた。
それが誤って元稹の世話になっている甥の足にあたりけがをさせた。
宴席掛をおろされ、幕府を去った。それでこの「十離詩十首」を作り、いう。


(訳注)
濤困酔爭令、擲注子、

薛濤は、元稹のところの家宴に列し、酒に酔ったことによって、酒令のなかで御銚子を投げた。
・爭令 「令を争い」どちらが良いか爭う。
酒宴の席で座興を添えるためにする遊戯。またその規則。わが国でいったら唐八拳のようなもの。詩を作ることもある。負けると酒をのまなければならない。
・注子 おちようし。酒壷。


誤傷相公猶子、
それが誤って元稹の世話になっている甥の足にあたりけがをさせた。
・相公 宰相さま。ここは元稹をさす。
・猶子(ゆうし) 坊または養子をいうが、ここは甥であろう。客というのはその甥が元稹の世話になっているから。


去幕。故云。
宴席掛をおろされ、幕府を去った。それでこの「十離詩十首」を作り、いう。
・幕 幕府。地方長官の役所。

十離詩十首 犬離主 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#40-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437

薛濤 《十離詩十首 犬離主》 
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。



2013年5月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。竹徑 韓愈(韓退之) <130>Ⅱ中唐詩691 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2439
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#3) 杜甫 <469-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469-682/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 犬離主 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#40-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 犬離主 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#40-2   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437


十離詩
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
困事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
涛作十離詩以献。逐復善焉。

薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。
犬離主
(飼い主の主人から追いだされた犬の歌。)
出入朱門四五年,為知人意得人憐。 
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。
近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。
 
ところが、ふとしたことから、ご主人の近縁のお方にかみつくようなまねをしてしまい、このうえは、紅い上等の毛せんの上で眠るわけにはいきませんと孟反省致しております。

濤困酔爭令、擲注子、誤傷相公猶子、去幕。故云。



『十離詩十首』 現代語訳と訳註
bijo02(本文)
40犬離主71
出入朱門四五年,為知人意得人憐。 
近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。 


(下し文) 40犬離主71
朱門に出入して四五年,人意あるを知るを為して人憐れむを得る。 
緣近くも親知の客を咬著し,紅絲の毯上に眠ることを得ず。 


(現代語訳)
(飼い主の主人から追いだされた犬の歌。)
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。
ところが、ふとしたことから、ご主人の近縁のお方にかみつくようなまねをしてしまい、このうえは、紅い上等の毛せんの上で眠るわけにはいきませんと孟反省致しております。


(訳注) 40
犬離主

飼い主の主人から追いだされた犬の歌。
・犬離主 薛濤がみずからを罪を受けるものとして犬にたとえ、元稹を罪を与えるものとして飼主にたとえたもの。いかように処分されても文句はないと覚悟しているということを示す。


出入朱門四五年,為知人意得人憐。 
高貴なお邸に出入りさせていただいて早、四、五年にもなっています。あなた様のご厚情にあまえつづけており、本当にご主人にかわいがられていたのです。
・出入朱門四五年 ・出入 別にテキストで馴擾(じゅんじょう) 馴は慣らすこと。擾もならすこと。
・朱門 富貴・豪貴家の門は南にある。元稹の邸の家の正規の門。
・憐(あわれむ) 可愛がる。


近緣咬著親知客,不得紅絲毯上眠。 
ところが、ふとしたことから、ご主人の近縁のお方にかみつくようなまねをしてしまい、このうえは、紅い上等の毛せんの上で眠るわけにはいきませんと孟反省致しております。
hakka02

十離詩十首 犬離主-幷序 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#1-#40 -1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437

 薛濤 《十離詩十首 犬離主-幷序》  元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。

2013年5月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。西山 韓愈(韓退之) <129>Ⅱ中唐詩690 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2434
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#2) 杜甫 <469-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2435 杜甫詩1000-468-#2-681/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 犬離主-幷序 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#1-#40 -1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


十離詩十首 犬離主-幷序 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#1-#40   漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437


十離詩
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
困事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
涛作十離詩以献。逐復善焉。

薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。


『十離詩』 現代語訳と訳註
魚玄機55021(本文)
元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。因事獲怒。遠之。涛作十離詩以献。逐復善焉。


(下し文)
(十離詩)
元微之【げんびし】蜀に使わす。巌司空【げんしくう】遣涛【とう】をして往いて事えしむ。事に因って怒りを獲。之を遠ざく。涛 十離詩を作って以って献ず。逐に復た善し。


(現代語訳)
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。


(訳注) 十離詩
元稹が監察御史として東川(蜀の東側一帯)に使いしたのは、憲宗の809年元和四年春三月のことであった。ときに元稹三十歳。薛濤は四十二歳、詩人としての地位は確立し、その名は都の長安にもひびいていた。
彼女を彼の旅先の慰め相手として推薦したのが厳綬(厳司空)である。彼が夏州の楊恵琳と成都の劉闢の反乱を討伐し、その功によって、司空となったばかりのときで、成都にいたときのことである。
この詩は薛濤が酒の上で元稹の甥に、徳利を投げつけけがを負わせたために厳罰を受けた。
・十離詩 何々を離れたという題の詩十篇で、十離詩と名づけた。


元徴之使蜀。巌司空遣涛往事。
元稹が官吏を取り締まる官、監察御史として蜀に遣わされた。厳綬(厳司空)は旅の慰労に薛濤を同行させた。
・元微之 元稹のあざな。白居易(楽天)とならんで、中唐の代表的詩人。
・使蜀 上述のように、監察御史として東川に出張したことをいう。
・厳司空 厳綬のこと。司空は官名。刑獄のことをつかさどる最高官。


因事獲怒。遠之。
事件を起こして逆鱗に触れ、罰として遠ざけられた。
・因事 酔っはらって洒令をあらそい、酒豪を投げて元稹の甥を傷つけたということが原因であった。


濤作十離詩以献。逐復善焉。
薛濤は、「十離詩」と題した詩を詩集にして元稹に献上した。やがてまた許され良いことになった。