鄭谷 蜀中三首 其二
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蜀中三首 其二 鄭谷 唐五代詞・宋詩 薛濤-134-6-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2217
薛濤一身既傳薛濤井、薛濤牋、女校書之典,自不能免於文人風騷之筆,茲《全唐詩》搜尋偶得鄭谷「蜀中三首」:
其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。
其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新,
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春,
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰,
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
其三
渚遠江清碧簟紋,小桃花繞薛濤墳,
朱橋直指金門路,粉堞高連玉壘雲,
窗下斷琴翹鳳足,波中濯錦散鷗群,
子規夜夜啼巴蜀,不並吳鄉楚國聞。
其一
馬頭春向鹿頭關,遠樹平蕪一望閒,
春になったので馬を進めて蜀に向い、鹿頭山の剣門を越す。ここからは絶景であってたくさんの樹木が高くそびえているのだがそれも遠くに臨めば雑草の生い茂った野原程度に見える。そのくらいにみえるここからの一望は絶景なのだ。
雪下文君沾酒市,雲藏李白讀書山,
『白頭吟』を詠った卓文君は司馬相如と恋して駆け落ちを始めたのは臨邛の酒場の事であった。二十歳前後まで燭で育ち、すぐれた才能を持って謫仙人といわれた李白は、山について多くの詩を残している。
江樓客恨黃梅後,村落人歌紫芋間,
薛濤が若い時に過ごした妓楼の望江楼にいる旅人の私にもは薛濤を惜しむのであるが季節は春も過ぎそうで黄梅の花が散っている。ここに住む村人たちはこぞって歌うむらさきいもを作付けする最盛期になっている。
堤月橋燈好時景,漢庭無事不征蠻。
錦江の遊郭の堤の上に月が出て、万里橋の灯篭に火が入る。この時節と風景は素晴らしい。但唐の朝廷は道も仕事が出来なくなってきたようで黄巣の乱を抑えることが出来ず、洛陽と長安を相次いで陥落させ、僖宗をこの蜀の地へと逃亡させることになった。
其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。
其二
夜に多雨無く 曉に塵を生じ,草は嵐光を色なし 日日に新し。
蒙頂の茶畦 千點の露,浣花の牋紙 一溪の春。
揚雄は宅在して 唯 喬木し,杜甫は臺荒して 絕だ舊鄰す。
共に卻【しりぞい】て 海棠 花に約する有り,數年 留滯して人に歸らず。
『蜀中三首』其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
(下し文) 其二
夜に多雨無く 曉に塵を生じ,草は嵐光を色なし 日日に新し。
蒙頂の茶畦 千點の露,浣花の牋紙 一溪の春。
揚雄は宅在して 唯 喬木し,杜甫は臺荒して 絕だ舊鄰す。
共に卻【しりぞい】て 海棠 花に約する有り,數年 留滯して人に歸らず。
(現代語訳)
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。
(訳注)蜀中三首 其二
880年頃、蜀を訪れ、成都東南にある薛濤の墓にきた。薛濤の死後、半世紀後のことであった。
夜無多雨曉生塵,草色嵐光日日新。
春も盛りになり夜に大雨が降ることはなくなった、それを示すように朝になると塵が巻き立つのだ。春草も萌黄の色を越して爛々と光っている。これが日々新しくなっているのだ。
・夜無多雨 蜀では季節の変わり目には夜雨が降り、朝に晴れる。仙女が雨に化けているから降るという伝説。ここでは薛濤という美女がいるので雨の仙女が出てこれないという意味。
蒙頂茶畦千點露,浣花牋紙一溪春。
蒙頂山には茶のさんちで畑が畝をなしている。ここでの千年茶とも言われるお茶のしずくは天下の銘茶である。薛濤が考案して作った「浣花箋」の神にはこの年の春の谷のようすを詠いしるすのだ。
・蒙頂 蒙頂山四川茶、中国の代表的緑茶産地をとして、蒙頂山茶は、中国の六大茶の一つ。四川省雅安市、南に山北部、四川盆地の南西部、雅安市名山県西北部の嘘を北東-南西帯状分布であった、雅安市の中にも及ぶ。山は約10キロと4キロの幅である。蒙頂山は五峰でなりたち,蓮花のように形作る。清峰を最高峰として,海拔1456m。名山縣にある。
・浣花牋「浣花箋」 浣花牋とは紙を桃花色にそめたもので、薛濤箋ともいい、 唐末五代名紙である。このため薛等を海棠に喩える。
揚雄宅在唯喬木,杜甫臺荒絕舊鄰。
この成都では揚雄が住んでいたし、杜甫が「錯比揚雄宅」といって白髪頭の揚雄と間違われるといって照れたものだが、その杜甫は朝廷の立派な地位を捨ててまでこの古い町の近所で世俗をたってすんだのだ。
・揚雄宅 杜甫が『堂成』で「旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。」<私の頭が白いのでこのあたりのよその人は揚雄の宅と間違えて比べられるが、そう云われたからといって私は怠け者だから、揚雄のようにすぐ答えて「解嘲賦」をつくりはしないのだ。>ということに基づいている。
・喬木 「高木(こうぼく)」に同じ。 ⇔灌木(かんぼく)
・台〔臺〕1 周囲が見渡せるように高く造った建物や構造物。うてな。「灯台・番台・露台・楼台・天文台」2 政府の役所。「弾正台」3 平らで小高い土地。.
卻共海棠花有約,數年留滯不歸人。
しかし、杜甫も薛濤も共に退いてしまって海棠の花が約束されたように咲いている。薛濤が生まれ変わったといっても数年待っても花は変わらず人の姿には戻ってくれないのだ。
海棠渓
春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。
人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。
春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ、水面の魚身総て花を帯ぶ。
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を、競って紅纈を将(も)って軽沙を染む。
春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している。
薛濤(せつとう)は768年うまれ 831年歿した。中国・中唐代の宮妓・詩人、魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。
字は洪度または宏度。長安の良家に生まれたが、父が地方官として赴任するのに伴われて、蜀(四川省成都)へゆき、そこで父を失い妓女となった。節度使韋皐(いこう)に愛され、召されて宴会で詩をつくり、女校書(じょこうしょ)と称された。
浣花渓にいて、白居易、元槇、牛僧孺、令狐楚、張籍、杜牧、劉禹錫など多くの詩人たちとと唱和し、名妓として知られた。なかでも元槇と親しかった。
彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。
王羲之の書法を学んだ書家としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。段文昌の墓誌が残されている。
















