韋荘《河傳 其一》 何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。
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河傳三首
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
河傳其二
春晚,風暖,錦城花滿,狂殺遊人。
玉鞭金勒,尋勝馳驟輕塵,惜良晨。
翠娥爭勸邛酒,纖纖手,拂面垂絲柳。
歸時煙裏,鐘鼓正是黃昏,暗銷魂。
河傳其三
錦浦,春女,繡衣金縷,霧薄雲輕。
花深柳暗,時節正是清明,雨初晴。
玉鞭魂斷煙霞路,鶯鶯語,一望巫山雨。
香塵隱映,遙見翠檻紅摟,黛眉愁。
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
(河を題材にした悲しい逸話 其の一)
何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。
五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。
江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。
(河傳【かでん】其の一)
何處【いずこにか】?煙雨ありて,隋堤 春の暮,柳色蔥籠【そうろう】たり。
畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めく,水光 融【やわら】ぐ。
青娥【せいが】殿腳【でんきゃく】に春妝【しゅんしょう】して媚【なまめ】かし,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たり司花の妓。
江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月は迷樓に映え,古今 愁う。
『河傳三首』 現代語訳と訳註
(本文)
河傳其一
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
(下し文)
(河傳【かでん】其の一)
何處【いずこにか】?煙雨ありて,隋堤 春の暮,柳色蔥籠【そうろう】たり。
畫橈【がとう】金縷【きんる】,翠旗 香風に高く颭【はた】めく,水光 融【やわら】ぐ。
青娥【せいが】殿腳【でんきゃく】に春妝【しゅんしょう】して媚【なまめ】かし,輕雲の裏【うち】,綽約【しゃくやく】たり司花の妓。
江都の宮闕【きゅうけつ】,清淮【せいわい】の月は迷樓に映え,古今 愁う。
(現代語訳)
(河を題材にした悲しい逸話 其の一)
何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。
五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。
江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。
(訳注)
河傳其一
(河を題材にした悲しい逸話 其の一)
『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三灰韻二平韻で詞形をとる。温庭筠に『河傳』がある。
河傳
湖上,閑望。
雨蕭蕭,煙浦花橋路遙。
謝娘翠蛾愁不消,終朝,夢魂迷晚潮。
蕩子天涯歸棹遠,春已晚,莺語空腸斷。
若耶溪,溪水西。
柳堤,不聞郎馬嘶。
(河傳)
湖の上り,閑かに望む。
雨 蕭蕭として,煙める浦に花橋の路遙なり。
娘 翠蛾を謝するは愁い消さず,終に朝なり,夢魂は晚の潮に迷う。
蕩子は天涯にあり棹して歸るは遠く,春 已に晚く,鶯語 空しく腸斷す。
若耶溪,溪水の西。
柳の堤,郎の馬嘶くも聞えず。
『河傳』温庭筠 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-# 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812
何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。
何処にあるのだろうか?細雨霞がかかる、ここ隋堤も春は暮れゆこうとしていて、青々と柳の葉が茂る。
○隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。
○葱寵 草木の青々と茂るさま。
畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。
絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませている。
○畫橈 彩色を施した棹や櫂、楫などの船具。
○金縷 ここでは橈の金糸の房飾りを指す。
青娥殿腳春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。
五百人もの船牽く乙女が、艶やかな春の粧いをして、軽やかな雲のうちにいる。そして献上された迎輦花を持つ麗しい女官が居並んでいる。
○青娥 靑は若く美しい、娥は艶めかしい女。選ばれた女。
○殿腳/殿脚 殿脚女。煬帝が船で江都に向かう際、船を引くために選び集めた女性。煬帝は詔を出して大型の船を造らせ、江に浮かべて淮河に沿って下り、呉や越で民間の十五、六歳の少女五百人を選び殿腳女と呼んで、羊とともに引き船をさせたと言う。
○綽約 たおやかなさま。
○司花妓 煬帝は江都に向かう際、洛陽の人から迎輦花を献じられたので、御者の袁宝児にそれを持たせて司花女と呼んだと言う。
江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。
江都に宮殿を立てて、江淮地帯の清い月影は今もなお「迷楼」と名付けられた宮殿を照らしている。そして、人々を愁いに誘うのである。
○江都 煬帝の行宮の置かれた所。今の江蘇省揚州。
○宮闕 宮城の門の両側に建てられた楼門。ここでは宮殿全体をあらわす意。
○准清淮 江淮地帯。長江と淮河に挟まれた地帯。ここで揚州二帯を指す。地図参照。
○迷樓 煬帝は行宮に楼閣を建て、仙人をこの楼閣に遊ばせたならば真の仙人でもきっと迷うことであろうと言い、迷倭と名付けたと言われている。

≪解説≫
隋の煬帝が開いた運河の堤について詠う。京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。
この詩は運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となった隋堤を訪れての懐古の情を詠う。前段は、冒頭から人の意表を突いて「何処ぞ」と問いを発して煬帝の遺跡のありかを尋ね、第二句以下は、煬帝が船団を仕立てて江都揚州に向かうさまを述べる。後段も前段を引き継ぎ、最初の三句で船団の模様について述べ、船を牽くために選ばれた江南の少女たち、花を手にした花司の女官を思い描き、続く最後の三句では、現実に返り、煬帝の行宮、江郡の宮殿の迷樓は今も江淮の清らかな月の光に包まれ、人を愁いに誘わずにはいないと言い、権力者の滅亡につながった、民への負担、強引な手法の象徴としての「青娥」「殿腳」「春妝媚」「司花妓」というものを並び立て憐れを誘っている。この詩は、煬帝が、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われたことを連想させ、批判めいたことを一切述べているわけではないが充分に理解させるものである。
















