漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2011年07月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 
李商隠は女性の側から見た詩をうたっているが、特に 18の無題 (八歳倫照鏡)が女の生きる道を書いた詩であった。劉希夷の詩は男性が女性に対する思いを詠っているので気分転換に取り上げた。閨の詩、恋歌である。

公子行

天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。
洛陽の都の天津橋の下を流れる、暖かな季節春の水が流れている。洛陽の都の天津橋の上を行き交う、世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たちがいる。
馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。
馬の嘶きが交わり合って青空の向こうまで伝わっていく。人の姿が澄んだきよらかな水の波のうえで揺れ動いている。
綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。
澄んだきよらかな波は、揺れ動き漂って、宝石の玉のようである。青空のくもは離れ拡がり、恰も雲の筋が錦のようである。
可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。
憐れんでしまう、楊柳の緑は別れ、傷心の樹。憐れんでしまう、桃李は斷腸の花。
此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。』

この陽春の一日の遊びは美女を迎えるのだ、此の時、歌舞遊興をもとめて妓楼に入り込んだのだ。
娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。
妓楼の美女は、鬱金香の香りがしている、貴公子の側を、いったりきたりしている。

的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。
きらきらと輝く宝玉製のスダレが、昼間の太陽に照り映えている。きれいなきらきらした顔をした女性が、紅(べに)と白粉(おしろい)で、粧(よそお)っている。
花際裴回雙蛺蝶,池邊顧歩兩鴛鴦。
花の周りをアゲハチョウが行ったり来たりしており、池の畔(ほとり)では、二羽の対(つがい)となったオシドリが左右をふり返りながら歩いている。
傾國傾城漢武帝,爲雲爲雨楚襄王。』

国を傾け、城を傾けさせると謂われるほどの絶世の美女(李夫人)を愛した漢の武帝、雲となり、雨となる(神女との契りを結んだ)楚の襄王(の情愛)。 
古來容光人所羨,況復今日遙相見。
昔よりずっと、顔や姿の美しいことは、人々が羨(うらや)ましいと思うところだ、人々は、昔から、美女を羨望の的として思ってきたが、今日はこうやって遙々(はるばる)と会いに来たのだ。
願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。
願うことならば軽やかな薄絹となって、か細い腰にまとわりつきたいものだ。願うことならば、澄んだ鏡となって、可愛い顔を写し取りたいものだ。
與君相向轉相親,與君雙棲共一身。
あなたと向かい合っていると、一層親しさが濃くなってくる、あなたと二人で、一緒になって住むのです。
願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。
願うことならば、貞操を守っていつも葉の色を変えない松のようになって千年も経たいのです、ムクゲのように、毎朝、新たに咲いて、夕方には凋んでしまうようなこと一体誰が考えましょうか。
百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。』
百年、人生も同様に太陽のように西方の山に沈んでいくのだ。永遠の時の後は、北山の陵墓の塵土になっている。

洛陽の都の天津橋の下を流れる、暖かな季節春の水が流れている。洛陽の都の天津橋の上を行き交う、世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たちがいる。
馬の嘶きが交わり合って青空の向こうまで伝わっていく。人の姿が澄んだきよらかな水の波のうえで揺れ動いている。
澄んだきよらかな波は、揺れ動き漂って、宝石の玉のようである。青空のくもは離れ拡がり、恰も雲の筋が錦のようである。
憐れんでしまう、楊柳の緑は別れ、傷心の樹。憐れんでしまう、桃李は斷腸の花。
この陽春の一日の遊びは美女を迎えるのだ、此の時、歌舞遊興をもとめて妓楼に入り込んだのだ。
妓楼の美女は、鬱金香の香りがしている、貴公子の側を、いったりきたりしている。
きらきらと輝く宝玉製のスダレが、昼間の太陽に照り映えている。きれいなきらきらした顔をした女性が、紅(べに)と白粉(おしろい)で、粧(よそお)っている。
花の周りをアゲハチョウが行ったり来たりしており、池の畔(ほとり)では、二羽の対(つがい)となったオシドリが左右をふり返りながら歩いている。
国を傾け、城を傾けさせると謂われるほどの絶世の美女(李夫人)を愛した漢の武帝、雲となり、雨となる(神女との契りを結んだ)楚の襄王(の情愛)。 
昔よりずっと、顔や姿の美しいことは、人々が羨(うらや)ましいと思うところだ、人々は、昔から、美女を羨望の的として思ってきたが、今日はこうやって遙々(はるばる)と会いに来たのだ。
願うことならば軽やかな薄絹となって、か細い腰にまとわりつきたいものだ。願うことならば、澄んだ鏡となって、可愛い顔を写し取りたいものだ。
あなたと向かい合っていると、一層親しさが濃くなってくる、あなたと二人で、一緒になって住むのです。
願うことならば、貞操を守っていつも葉の色を変えない松のようになって千年も経たいのです、ムクゲのように、毎朝、新たに咲いて、夕方には凋んでしまうようなこと一体誰が考えましょうか。
百年、人生も同様に太陽のように西方の山に沈んでいくのだ。永遠の時の後は、北山の陵墓の塵土になっている。

(下し文)公子行
天津橋下  陽春の水、天津橋上  繁華の子。
馬聲 廻合(くゎいがふ)す  青雲の外,人影 搖動(えうどう)す  綠波の裏。
綠波 蕩漾(たうやう)として  玉を 砂と爲し,青雲 離披(りひ)として  錦を 霞と作す。
憐む可(べ)し 楊柳(やうりう)  傷心の樹,憐む可(べ)し 桃李(たうり)  斷腸の花。
此の日 遨遊(がういう)して  美女を 邀(むか)へ,此の時 歌舞して  娼家(しゃうか)に入る。
娼家の美女  鬱金香(うっこんかう),飛び去り 飛び來(きた)る  公子の傍(かたはら)。
的的たる 珠簾  白日に 映(は)え,娥娥(がが)たる 玉顏  紅粉もて 妝(よそほ)ふ。
花際 裴回(はいくゎい)す  雙 蛺蝶(けふてふ),池邊 顧歩す  兩 鴛鴦(ゑんあう)。
國を傾け 城を傾く  漢の武帝,雲と爲り 雨と爲る  楚の襄王(じゃうわう)。
古來 容光(ようくゎう)は  人の羨(うらや)む所,況(いは)んや復(ま)た 今日  遙かに相ひ見るをや。
願はくは 輕羅(けいら)と作(な)りて  細腰(さいえう)に 著(つ)かん,願はくは 明鏡(めいきゃう)と爲りて  嬌面(けうめん)を 分かたん。
君と 相ひ向ひて  轉(うた)た 相ひ親しみ,君と 雙(なら)び棲(す)みて  一身を共にせん。
願はくは 貞松(ていしょう)と作(な)りて  千歳に古(ふ)りなん,誰(たれ)か論ぜん  芳槿(はうきん) 一朝(いつてう)に新たなるを。
百年 同(おなじ)く 謝す  西山の日,千秋 萬古  北邙(ほくばう)の塵。



公子行
劉希夷の二つの代表作。公子(男性)の一生を歌ったもので、女性の一生を歌った『白頭吟(代悲白頭翁)』「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。古人無復洛城東,今人還對落花風。年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。此翁白頭眞可憐,伊昔紅顏美少年。公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」とともに「詞調哀苦」で有名である。この『公子行』は、『白頭吟(代悲白頭翁)』同様、全篇の殆どが対句で構成されている見事なものである。

天津橋下陽春水、天津橋上繁華子。
洛陽の都の天津橋の下を流れる、暖かな季節春の水が流れている。洛陽の都の天津橋の上を行き交う、世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たちがいる。
 ・天津橋 洛陽の都の南にあった橋。隋・煬帝が洛陽に都を遷した時、架した橋で、洛水を天の川に比して「天津」(天の川の渡し場)と名づけた。旧洛陽は洛水を挟んでおり、宮城の南に皇城があり、その正門が「端門」で、更にその真南にあるのが「天津橋」になる。この橋の道というのが、街路中央に御道(天子行幸路)が備えられた御成道であるという洛陽の代表的な道であり、この天津橋は、洛陽を代表的する橋になる ・陽春 陽気の満ちた暖かな春の時節。 ・ ここでは、洛水川の流れのことになる。 ・繁華子 世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たち。

馬聲廻合青雲外、人影搖動綠波裡。
馬の嘶きが交わり合って青空の向こうまで伝わっていく。人の姿が澄んだきよらかな水の波のうえで揺れ動いている。
 ・馬聲 馬の嘶き。 ・廻合 かいごう 交わり合う。 ・青雲 青みがかった雲。春霞の空。 ・ …の向こうまで。 ・人影 人の姿。 ・搖動 ようどう 揺れ動く。 ・綠波 緑色の波。「 波」とみれば、澄んだきよらかな水の波。 ・ …の内。ここでは、人影が川面に映っているさまをいう。

綠波蕩漾玉爲砂、青雲離披錦作霞。
澄んだきよらかな波は、揺れ動き漂って、宝石の玉のようである。青空のくもは離れ拡がり、恰も雲の筋が錦のようである。
蕩漾 とうよう 水、波などが揺れ動く。漂う。 ・玉爲砂 恰も玉(ぎょく)を砂にしたようである。宝石の玉のようである。 ・離披 りひ 分離するさま。 ・錦作霞 くもがが分かれて、筋状になった久野のある夕やけ。 ・作 なす。なる。 ・ 夕やけや朝やけ。

可憐楊柳傷心樹、可憐桃李斷腸花。
憐れんでしまう、楊柳の緑は別れ、傷心の樹。憐れんでしまう、桃李は斷腸の花。
可憐 強く心に感じたさまを表す。普通では、いじらしく、かわいらしいこと。 ・楊柳 ようりゅう ヤナギの総称。 ・傷心 柳は別れ、心を傷(いた)めること。悲しく思うこと。・桃李 モモの花とスモモの花。 ・斷腸 だんちょう 腸(はらわた)を断ち切られるほどの悲しさ、辛さなどを謂う。嫉妬と焦燥感を示す花のこと。男女を詠うん場合、ほかのもとにいる男性を待っていも来ない状況女性の心境をあらわす。


此日遨遊邀美女、此時歌舞入娼家。
この陽春の一日の遊びは美女を迎えるのだ、此の時、歌舞遊興をもとめて妓楼に入り込んだのだ。
此日 この日。この陽春の一日。 ・遨遊 ごうゆう あそぶ。 ・ よう 迎える。求める。濫(みだり)に受ける。遇(あ)う。待ち受ける。 ・美女 容姿の美しい妓女のこと。・歌舞 歌うことと舞うこと。遊興。 ・娼家 しょうか 遊女を置いて客をとる家。妓楼。青楼。

娼家美女鬱金香、飛去飛來公子傍。
妓楼の美女は、鬱金香の香りがしている、貴公子の側を、いったりきたりしている。
鬱金香 うっこんこう チューリップ。キゾメグサ(鬱金)の香。香草、ハーブの名。西域にあるウッコン草から採った香。女性の性をしめす語。 ・飛去飛來 飛び交う。いったりきたり。 ・公子 諸侯や貴族の子息。・ かたわら。そば。

的的珠簾白日映、娥娥玉顏紅粉妝。
きらきらと輝く宝玉製のスダレが、昼間の太陽に照り映えている。きれいなきらきらした顔をした女性が、紅(べに)と白粉(おしろい)で、粧(よそお)っている。
 ・的的 てきてき 明るく輝くさま。 ・珠簾 玉スダレ。宝玉製のスダレ。 ・白日 照り輝く太陽。昼間の太陽。 ・映 照り映える。映じる。反射する。・娥娥 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881-l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。 ・玉顏 きれいな顔。 ・紅粉 (女性の化粧品の)紅(べに)と白粉(おしろい)。化粧品。 ・ しょう 化粧する。粧(よそお)う。

花際裴徊雙蛺蝶、池邊顧歩兩鴛鴦。
花の周りをアゲハチョウが行ったり来たりしており、池の畔(ほとり)では、二羽の対(つがい)となったオシドリが左右をふり返りながら歩いている。
花際 花の咲いている周り。 ・裴徊 はいかい うろうろするさま。また、うろつく。行ったり来たりする。たちもとおる。孔雀が長い尾を曳きずるさま。衣服の長い裾を曳きずってうろうろするさま。
 つがいの。二匹の。 ・ 蛺蝶 きょうちょう ヒオドシチョウ。アゲハチョウ。 ・池邊 池の畔(ほとり)。池の傍(そば)。 ・顧歩 こほ 左右をふり返りながら歩く。 ・兩:ここでは、二羽の。つがいの。 ・鴛鴦 えんおう オシドリ。オシドリの雌雄が常に離れることがないので、仲のよい夫婦に喩えられる。「鴛」は雄で「鴦」は雌ともする。

傾國傾城漢武帝、爲雲爲雨楚襄王。
国を傾け、城を傾けさせると謂われるほどの絶世の美女(李夫人)を愛した漢の武帝、雲となり、雨となる(神女との契りを結んだ)楚の襄王(の情愛)。 
 ・傾國傾城 国を傾け、城を傾けさせるほどの絶世の美女。漢代、歌手の李延年が武帝に自分の妹を絶讃して薦めた「歌」に基づく。  ・傾國 国を傾けさせるほどの絶世の美女。 ・傾城 城を傾けさせるほどの絶世の美女。 ・漢武帝 漢の武帝。(前156年~前87年)前漢第七代皇帝。劉徹のこと。漢帝国の基礎を確立させ、匈奴勢力を漠北から駆逐した。
 ・爲雲爲雨 男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり、夕べには雨になるという故事からきている。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りという風ではなく、もう少し気楽な交わりを謂う。 ・爲雲 (神女は、朝は巫山の)雲となる。 ・爲雨 (神女は、夕べには巫山の)雨になる ・楚襄王 そじょうおう 楚の襄王。宋玉の『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。婉約の詩歌でよく使われる。「巫山之夢」。李白の『清平調』三首之二に「一枝紅艷露凝香,雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新粧。」 と詠っている。

古來容光人所羨、況復今日遙相見。
昔よりずっと、顔や姿の美しいことは、人々が羨(うらや)ましいと思うところだ、人々は、昔から、美女を羨望の的として思ってきたが、今日はこうやって遙々(はるばる)と会いに来たのだ。 
古來 昔から今に至るまで。昔より。 ・容光 〔ようくゎう〕顔や姿の美しいこと。風采。ようす。俤。 ・人所羨 人々の羨(うらや)むところである。 ・ …するところ(のこと)。・況復 きょうふく その上。それに加えて。 ・ まして。いわんや。いはんや…をや。 ・今日 男性と女性が出会った日。 ・ 遙々(はるばる)と。 ・相見 会う。

願作輕羅著細腰、願爲明鏡分嬌面。
願うことならば軽やかな薄絹となって、か細い腰にまとわりつきたいものだ。願うことならば、澄んだ鏡となって、可愛い顔を写し取りたいものだ。
願作 …になりたい。願望を表し「願爲」と同じ。

漢の烏孫公主・劉細君の『悲愁歌』
吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。
輕羅 軽やかなうすぎぬ。 ・ つく。 ・細腰 さいよう 女性のか細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。 ・願爲 …になりたい。前出「願作」と同じ。 ・明鏡 澄んだ鏡。  ・嬌面 可愛い顔。愛くるしい顔。艶やかな顔。

與君相向轉相親、與君雙棲共一身。
あなたと向かい合っていると、一層親しさが濃くなってくる、あなたと二人で、一緒になって住むのです
與君 あなたと。 ・相向:向かい合って。 ・ てん ま。一層…となってくる。かえって…となってくる。何となく。うたた。 ・相親 親しくしていき。 ・雙棲 夫婦や、つがいのように両者が一緒になって住む。 ・共一身 我が身と貴男の身を共にして。夫婦として。

願作貞松千歳古、誰論芳槿一朝新。
願うことならば、貞操を守っていつも葉の色を変えない松のようになって千年も経たいのです、ムクゲのように、毎朝、新たに咲いて、夕方には凋んでしまうようなこと一体誰が考えましょうか。
貞松 ていしょう 操の堅い松。節義を守って冬にも葉の色を変えない、常青の松。 ・千歳古 千載不磨の契りを交わす。 ・千歳 千年。 ・誰論 一体誰があげつらおうか。 ・槿 芳(かぐわ)しいムクゲ。花は、アサガオのように朝に開いて、夜には凋(しぼ)む。一朝だけの儚(はかな)い花。色には淡紅・白・淡紫色などがある。木槿。

百年同謝西山日、千秋萬古北邙塵。
百年、人生も同様に太陽のように西方の山に沈んでいくのだ。永遠の時の後は、北山の陵墓の塵土になっている。
百年 人の生の最大値である。 ・同 同じく。同様に。 ・ 辞去する。世を去る。死ぬ。衰える。散る。凋む。 ・西山日 西方の山に沈んでいく太陽。 ・千秋萬古 永遠に。とわに。永久に。 ・北邙塵:北邙山の陵墓の塵土。洛陽の北にある陵墓が集まってある山。墓所をいい表す語である。洛陽の北20キロメートルの所を東西に広がっている。その北側を黄河が流れている。 ・ ぢん 塵土。土に帰ること。

無題(鳳尾香羅薄幾重) 李商隠 20

無題(鳳尾香羅薄幾重) 李商隠 20
ほかの女性のもとにいる男のことをそれでも待っている女の気持ちを詠う。



無題
鳳尾香羅薄幾重、碧文圓頂夜深縫。
あなたのものとなった印に頂いた鳳凰模様の香わしい綾絹があり、それは幾枚重ねてもほとんど厚みの感じられないほどの薄さの極上もの。夜更けの閏でわたしひとり、うすみどりの文絹でいつでも交拝の礼を行なえるよう帳を縫っています。
扇裁月魄羞難掩、車走雷聲語末通。
いま、私は班婕妤のように、月魄に似せたまるい扇をつくったけれど、その扇であなたに送る風を私一人でおこしてもはずかしいだけです。門の前を雷のような音を立てて車が駆けるたびに、私の胸は踊るけれど、あなたの声は届かない。
曾是寂蓼金燼暗、断無消息石榴紅。
以前のあなたの愛が消えてから、豪華なともし火の燃えかすだけで暗くなり、私は寂しい思いで暮しております。今も、あなたからのお便りが途絶えてしまい、あなたのために作って置いた石榴酒が、私の体のほてりと同じように燃えるような紅の色をしているのです。
斑騅只繋垂楊岸、何処西南待好風。

家のそばのしだれ柳の川岸に、まだら毛の馬がひく車もなく繋ぎっぱなしになっています。あなたからおたよりがあったなら、西南の突風のように飛んであなたの腕の中に飛び込みたい。何処にいるの。

あなたのものとなった印に頂いた鳳凰模様の香わしい綾絹があり、それは幾枚重ねてもほとんど厚みの感じられないほどの薄さの極上もの。夜更けの閏でわたしひとり、うすみどりの文絹でいつでも交拝の礼を行なえるよう帳を縫っています。
いま、私は班婕妤のように、月魄に似せたまるい扇をつくったけれど、その扇であなたに送る風を私一人でおこしてもはずかしいだけです。門の前を雷のような音を立てて車が駆けるたびに、私の胸は踊るけれど、あなたの声は届かない。
以前のあなたの愛が消えてから、豪華なともし火の燃えかすだけで暗くなり、私は寂しい思いで暮しております。今も、あなたからのお便りが途絶えてしまい、あなたのために作って置いた石榴酒が、私の体のほてりと同じように燃えるような紅の色をしているのです。
家のそばのしだれ柳の川岸に、まだら毛の馬がひく車もなく繋ぎっぱなしになっています。あなたからおたよりがあったなら、西南の突風のように飛んであなたの腕の中に飛び込みたい。何処にいるの。


(下し文)無題
鳳尾ほうびの香羅こうら 薄きこと幾重ぞ、碧文へきぶんの円頂えんちょう 夜深に縫う
扇は月魄げつはくを裁つも羞はじらいおおい難く、車は雷声を走らすも語末だ通ぜず
曾て是 寂蓼せきりょう 金燼きんじん暗く、断えて消息無く石榴せきりゅう紅なり
斑騅はんすい 只だ繋ぐ 垂楊すいようの岸、何の処か 西南好風を持たん

無題
○芸妓の現実には結ばれぬ関係、待っていてもほかの女性のもとにいる男のこと表に出さない嫉妬心を抱いた女性を、嫁入支度をととのえて待つ女性の焦躁に託して歌ったもの。清の程夢星の評に「古人云う。士は己を知る者の為に死し、女は己れを悦ぶ者の為に容づくる(史記の言葉)。故に女子に仮借して以て詞を為す。」とある。女性をセックスの対象とだけ考えられている時代の詩である。嫁入りを待つ女性と、閨で待つ女性の気持ちが同じというところからこの詩を見なければ理解できないのだ。

鳳尾香羅薄幾重、碧文圓頂夜深縫。
あなたのものとなった印に頂いた鳳凰模様の香わしい綾絹があり、それは幾枚重ねてもほとんど厚みの感じられないほどの薄さの極上もの。夜更けの閏でわたしひとり、うすみどりの文絹でいつでも交拝の礼を行なえるよう帳を縫っております。
鳳尾羅 鳳凰の模様のあるうすぎぬ。六朝時代につくられた道教の経典「黄庭内景経」に「盟(ちか)うに金簡鳳文の羅四十尺を以てす。」とある。○碧文円頂 南宋の程大昌の「演繁露」によると、唐の時代、婚礼の時、長い帳を柳の樹にめぐらせ、青いテントを張って四阿のようにつくり、そこで交拝の礼を行なったという。つまり、婚礼用の式幕をいう。

扇裁月魄羞難掩、車走雷聲語末通。
いま私は班婕妤のように、月魄に似せたまるい扇をつくったけれど、その扇であなたに送る風を私一人でおこしてもはずかしいだけです。門の前を雷のような音を立てて車が駆けるたびに、私の胸は踊るけれど、あなたの声は届かない。
扇裁月魄  漢の成帝劉鷔(紀元前51-7年)の宮人班婕好が趙飛燕のために寵を奪われて作ったという怨歌行に「裁ちて合歓の扇を為る。団として明月に似たり。」とあるのをふまえる。月魄は月の陰の部分。○羞難掩 東晋時代の歌謡、団扇郎歌に「憔悴して復た理むる無し。羞ず郎と相い見ゆるを。」と云う句があるのを利用している。中国の婚礼の儀式のときには、侍童が扇をかざして花嫁の顔を扇ぐものなのである。○雷声 いかずちの響き。それが車輪の音に似ていることをいう。漢の司馬相加(紀元前179-117年)の長門賦に「雷隠隠として響起り、声は君の車の音に象たり。」とある。

曾是寂蓼金燼暗、断無消息石榴紅。
以前のあなたの愛が消えてから、豪華なともしびの燃えかすだけで暗くなり、私は寂しい思いで暮しております。今も、あなたからのお便りが途絶えてしまい、あなたのために作って置いた石榴酒が、私の体のほてりと同じように燃えるような紅の色をしているのです。
金燼 豪華なともし火の燃えかす。○石榴紅 石榴は酒の名。赤ぶどう酒のような色。唐の姚思廉の「梁書」に、扶南国のある国に酒の樹があり、その樹は安石榴に似ている。花汁を数日甕に入れておくだけで酒となるのだという記事が見える。その注記に、石榴酒は合歓に喩えしと。なお程夢星は、梁の元帝蕭繹(未詳―554年)の烏棲曲をひいて石榴裾(婦人のもすそ)のこととしている。

斑騅只繋垂楊岸、何処西南待好風。
家のそばのしだれ柳の川岸に、まだら毛の馬がひく車もなく繋ぎっぱなしになっている。あなたからおたよりがあったなら、西南の突風のように飛んであなたの腕の中に飛び込みたい。何処にいるの。
斑騅 斑ら毛の馬。別の無題詩に「斑騅は嚬断す七香車」という句がある。七香車は七つの香木で作った車。○西南待好風 魏の曹植(192一232年)の七哀詩に「願くは西南の風と為り、長く逝きて君のの懐に人らん。」という一節のあるのを想起すべき句。好風を待つとは、早くたよりを得て、女性が思い人の元に駆けよりたく願っております、ということを意味すると思われる。


同様の趣に 、謝朓の『玉階怨』「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」や、 李白の『怨情』「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」がある。    

<参考>
怨詩  班婕妤 
新裂齊紈素,皎潔如霜雪。
裁爲合歡扇,團團似明月。
出入君懷袖,動搖微風發。
常恐秋節至,涼風奪炎熱。
棄捐篋笥中,恩情中道絶。

  新たに裂きやぶっているのは斉の国産の白い練り絹、練り絹の穢れない清い白さは、霜や雪のようだ。
裁断して、合歡の扇を作っている。丸くして明月のようにしたわ。
あなたさまの胸ふところやソデに出たり入ったりしたい。搖動かして、そよ風を起こすの。
でもいつも秋の季節が来ることを恐れているの。涼しい風が、この情熱を奪ってしまうから。
捨てられる、籠の中になげすてられるわ。私への愛が、もう絶えてしまったの。

無題(來是空言去絶蹤) 李商隠 19

 
 ■ 唐五代詞・宋詩 花間集 温庭筠 漢文委員会 
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無題(來是空言去絶蹤)李商隠 19
七言律詩 六朝時代の謝朓、李白、の閨怨の詩を受け継ぎ李商隠風に発展させた詩である。


無題
題をつけない詩。閨怨の詩。
來是空言去絶蹤、月斜楼上五更鐘。
また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
夢為遠別啼難喚、書被催成墨未濃。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。

蝋照半籠金翡翠、麝薫微度繍芙蓉。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
劉郎已恨蓬山遠、更隔蓬山一萬重。

劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。


題をつけない詩。閨怨の詩

また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。


(下し文)無題
来るとは是れ空言 去って蹤を絶つ
月は斜めなり 楼上 五更の鐘
夢に遠別を為して啼けども喚び難く
書は成すを催されて墨未だ濃からず
蝋照 半ば籠む 金翡翠
麝薫 微かに度る 繍芙蓉
劉郎は己に恨む 蓬山の遠きを
更に隔つ 蓬山 一万重
 
無題
無題 題をつけない詩。閨怨の詩
空閏、とどかぬ思い、胸の痛み、あのお方はなぜ来ない。やり切れぬ思い、女性の側から恋情を歌ったもの。

來是空言去絶蹤、月斜楼上五更鐘。
また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
空言 事実に裏付けされない言葉。空約束。絵空事。〇五更鐘 一夜を五分し、その度に夜番の者が更代(交代)する。五更は午前四時。

夢為遠別啼難喚、書被催成墨未濃。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。
 声をあげて悲しみ泣く。梁の蕭綸(未詳―551)の秋胡の婦に代って閨怨する詩に「涙は尽く夢啼の中。」とある。○催成 催は催促されて気がせくこと。被催はせかされること。(夜明けが始業時間、朝廷の官僚も暗いうちから出勤した)したがって書被催成とは、夜が白みかけたら人の往来がある四、夜明けの鐘とともに使者が出発するので、それに間に合わないといけないために、早く手紙を書かかなければと焦っている状態を示す。また梁の劉孝威(496~549)の冬暁と題する詩に「妾が家は洛陽に辺す、慣れ知る暁鐘の声。鐘声猶お未だ尽きず、漢使応に行くべきを報ず。天寒くして硯の水凍る、心は悲しむ書の成らざるに。」寒くて墨がすれない。また、薄墨の言伝は心がないこと別れを意味する。だから、紛らわしくない濃い墨でとどけないといけない。

蝋照半籠金翡翠、麝薫微度繍芙蓉。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
金翡翠 蝋燭の光で閨に置く羽の飾り物が金色を散らしたようにみえる。翡翠はカワセミの長い綺麗な羽をいう。この翅は節句の飾りつけにつかわれる。○麝薫 麝薫 麝香鹿:中央アジア産の鹿の類 の腹からとった香料のかおり。○繍芙蓉 ぬいとりの蓮花模様。しとねの模様である。杜甫(712-770)の李監の宅の詩に「屏は開く金孔雀、裕は隠す繍芙蓉。」と。

劉郎已恨蓬山遠、更隔蓬山一萬重。
劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。
劉郎 中唐の詩人李賀(790-817)の「金銅仙人の漢を辞するの歌」に『茂陵の劉郎秋風の客。』から出る言葉。元来は漢の武帝劉徹を指すがそれにひっかけながらここは待っている人という意味で用いられている。○蓬山 東方海上、三仙山の一つ。〇 わたる。渡にひとしい。香りが漂いわたる。


 道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。

無題 (八歳倫照鏡) 李商隠 18

無題(八歳倫照鏡)李商隠 18
幼い少女が社会に翻弄され成長してゆく。それは女の悲しみを伴って成長しなければならないことなのだ。

無題
八歳倫照鏡、長眉己能畫。
八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
十歳去踏青、芙蓉作裙衩。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
十二學弾筝、銀甲不曾卸。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
十四蔵六親、懸知猶未嫁。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
十五泣春風、背面鍬韆下。

十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。

八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。

(下し文)無題
八歳にして倫かに鏡に照つし、長眉 己に能く画く
十歳にして去きて青を踏み、芙蓉もて裙衩と作す
十二にして筝を弾くを学び、銀甲 曾て卸さず
十四にして六親に蔵る、懸めて知る 猶お未だ嫁がざるを
十五にして春風に泣き、面を背く 鍬韆の下
 
無題 これまでの無題詩とは少し趣きを異にしている。女の悲しみを知りそめる迄の少女の生長を描く。漢末に焦仲卿の妻の為に作る」と題ざれる詠人知らずの歌謡があり、それは、「十三にして能く素を織り、十四にして裁衣を学ぶ(下略)。」と年を追って生長を記すことから始まる。これ儒教の精神で女の成長を述べたものである。李商隠は儒教精神の個人滅私、現実と合わない節度・礼節の強要、これらが支配者にとって有利なように利用され、また、国家の成りたちにも影響し安定国家したものにならなかった、さらに、礼節の裏側におびただしい奢侈がなされて庶民は困窮したのである。

 それを意識していたであろう。謝朓から李白に受け継がれた女の詩、李商隠はそれをさらに具体性を持たせて発展させている。李白10から20にかけて、採連曲、越女詞のイメージをとっている。屈原や、漢時代の詩とは全く異質なものなのでそれでは、李商隠は全く理解できない。女性についても、儒教では女は字も学べません。学問をしてはいけない、圧倒的大多数の女性は文盲であった。社会進出の唯一の手段は芸妓になることしかないのである。貧しい生活から逃れる手段は少女の時代から始まるのであり、少女のうちに稼げるのだ。女性が貧困から逃れる道であった。

八歳倫照鏡、長眉己能畫。
八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
 人目をぬすんでする。○長眉 まゆずみで眉を長く描く化粧。

十歳去踏青、芙蓉作裙衩。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
 ゆく。(売春にゆく。)俗語的な言い方。〇踏青 青は青草・摘草をすること。春、郊外に出て草の上で売春をしたのである。これをピクニックに行くと訳したら、この少女の悲しみをあらわすことはできない。○芙蓉 蓮の花の異名。可憐な女性を示す言葉。○裙衩 裳すそ。スカートにあたる部分。蓮の花が開くようにすそを開いたのである。

十二學弾筝、銀甲不曾卸。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
弾筝  筝は十三絃の琴。弾はつまはじく。男性側から見た女性との性行為を示す。○銀甲 鹿の骨で作られた琴の爪。銀甲はその詩語である。○不曾卸 卸ははずす。一向にはずそうとしない。

十四蔵六親、懸知猶未嫁。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
蔵六親 りくしん 六親眷族のこと。一切の血縁親族と絶縁する。 蔵は身をかくすこと。○懸知 予想し推察する。

十五泣春風、背面鍬韆下。
十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。
背面 顔をそむけること。○鍬韆 ぶらんこ。がんらい春にする楼閣の芸妓の遊戯の具である。宮廷の芸妓の場合鍬千、秋千といった。李煜『蝶恋花』参照。李商隠の特集のあと、李煜特集の予定。白楽天「寒食夜」にもある。春の恋の遊びと考える。裾が乱れ、素足が見える。素足はセックスアピールであった。蛇足であるが、白くて小さい脚、これは唐時代に大流行したもの、素足は纏足の女性を示し、遊びはブランコであった。李白、越女詞其一(屐上足如霜、不着鴉頭襪),其四(東陽素足女)を参照。ちなみに男は蹴鞠。

<儒教的な訳し> 矛盾と意味不明。
八つの頃から、かあさんの、鏡をそっとのぞくようになりました。花嫁の真似をしたりして、黛を塗っみましたら、ちゃんと上手にかけました。
十の時には、郊外へ、摘草に行きました。着物の裾の方には芙蓉のはなが咲いたようでした。
十二のとし、お琴のけいこを始めました。そうしていつでもお琴の爪をはめたままでした。
十四になった頃からは、外に出ないばかりか親族からも視線をさけるようになりました。その頃嫁に行くこと推察できたけどをまだいかなかった。
今年、十五の春になりました。でも、何故か悲しくて、春風吹く庭のブランコの、その下で、顔をそむけて泣いてます。

無題 (聞道閶門萼緑華)李商隠 17

無題(聞道閶門萼緑華) 李商隠 17

無題
聞道閶門萼緑華、昔年相望抵天涯。
よく知られていたことだけど、蘇州閶門のある江南の地には美人が多く、仙女、萼緑華のような絶世の美女もいると私は聞いていた。昔より、それに憧れて、遠く天涯ともいうべき呉の地方、江南のあたりまで行きつきたいと思っていたのだ。
豈知一夜秦棲客、倫看呉王苑内花。
ところが、今、ある人の宴席にまねかれて客となり、江南ならぬ長安で、呉王夫差の宮殿の庭に妖しいをふりまいた西施にも喩(たとえ)られる美人をぬすみ見ることができるなんてうれしい喜びを知った。

よく知られていたことだけど、蘇州閶門のある江南の地には美人が多く、仙女、萼緑華のような絶世の美女もいると私は聞いていた。昔より、それに憧れて、遠く天涯ともいうべき呉の地方、江南のあたりまで行きつきたいと思っていたのだ。
ところが、今、ある人の宴席にまねかれて客となり、江南ならぬ長安で、呉王夫差の宮殿の庭に妖しいをふりまいた西施にも喩(たとえ)られる美人をぬすみ見ることができるなんてうれしい喜びを知った。


無題(聞道閶門萼緑華)
(下し文)
聞道らく 閶門の萼緑華、昔年 相 望んで天涯に抵る
豈に知らんや 一夜 秦楼の客となり、呉王 苑内の花を倫ぬすみ看んとは
 
聞道閶門萼緑華、昔年相望抵天涯。
よく知られていたことだけど、蘇州閶門のある江南の地には美人が多く、仙女、萼緑華のような絶世の美女もいると私は聞いていた。昔より、それに憧れて、遠く天涯ともいうべき呉の地方、江南のあたりまで行きつきたいと思っていたのだ。
閶門 がんらいは閶闔すなわち天宮の門のことだが、古くから蘇州の西の城門を閶門と呼ぶ。この言葉は結句の呉王苑内の花と対応する。○萼緑華  南山の仙女の名。青い衣を着て容色絶麗。晋の升平三年(359年)の冬の夜、羊権の家に降下し、肉体を昇華して昇天する薬をあたえたという。年二十ばかり、青衣を着、素晴らしく美しい容姿であったと、陶弘貴の「真誥」にある逸話に登場する。○抵天涯 抵は行きつく。天涯は地の果て。

豈知一夜秦棲客、倫看呉王苑内花。
ところが、今、ある人の宴席にまねかれて客となり、江南ならぬ長安で、呉王夫差の宮殿の庭に妖しいをふりまいた西施にも喩(たとえ)られる美人をぬすみ見ることができるなんてうれしい喜びを知った。
秦楼 秦は長安の古名。○呉王苑内花 いにしえの越の美女西施のことをいう。呉王夫差及び西施に就いては6/5紀頌之の漢詩ブログ西施ものがたり に詳しくわかる。


七言絶句 韻字 華、涯、

 


萼緑華 関してのこれまでの詩

李商隠 11 中元作
絳節諷颻空国來、中元朝拜上清回。
羊権須得金條脱、温嶠終虚玉鏡臺。
曾省驚眠聞雨過、不知迷路爲花開。
有娀未抵瀛洲遠、青雀如何鴆鳥媒。


李商隠 6 重過聖女詞
白石巌扉碧辞滋、上清淪謫得歸遅。
一春夢雨常飄瓦、盡日靈風不満旗。
萼緑華來無定所、杜蘭香去未移時。
玉郎会此通仙籍、憶向天階問紫芝。

無題 (含情春晼晩) 李商隠 16

無題(含情春晼晩)李商隠 16
李商隠が旅先の南京周辺の家妓であろう女性の部屋にひそかに入り交わったということを詠っている。


無題
題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。(夜はふけてきた。)
樓響將登怯、簾烘欲過難。
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。

帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。

題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。
(夜はふけてきた。)
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。


(下し文)無題
情を含む春晼晩、暫く見る夜の蘭干たるを
楼は響きて将に登らんとして怯じ、簾は烘して過らんと欲するも難し
多に羞ず 釵上の燕、眞に愧ず 鏡中の鸞。
帰り去る横塘の暁、華星 寶鞍を送る。

無題

題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。李商隠の無題詩は地域的に、長安でのものと、節度使
書記官としての任地先、或いは旅さきでのものとに分けられる。これは旅先と思われるもの。

含情春晼晩、暫見夜蘭干。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。
(夜はふけてきた。)
含情 水をロに含むように、思いを心中に籠めること。○晼晩 一日乃至は一つの季節(多く春に用う)が暮れゆくさま。晼は日が西に傾くこと。○暫見 しばらく見る。様子をうかがうこと。○蘭干 縦横に散り乱れる。星または月が輝いてきらきらするさま。涙がとめどなく流れるさま。屋敷内の渡り廊下と掛けことば。

樓響將登怯、簾烘欲過難。
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
簾烘 烘はかがり火。照らす或いは香をたきたてる。途中の部屋の簾が明るくて忍んで行きづらいことをいう。


多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。

浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
○多羞 ○釵上燕 女性のかんざしについている飾りの彫物とたるに飛んできた燕、旅人、女性が隠れて別の男性と付き合うこと、年上の女が若い男と付き合う、などの意味を含み合わせる。○鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

歸去横塘暁、華星送寶鞍。
帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。
横塘 地名。江蘇省江寧県西南の築堤の名。三国、呉の太帝孫権(182-252)のとき築かれた。なお、盛唐詩人崔顥(未詳-754)の詩に「君家は何処の住す、妾は住みて横塘に在り。」と。あるいは晩唐の詩人許渾に「縁蛾青鬢 横糖に酔う。」等の句があり、その他、晩唐詩人、杜牧(803-852)や温庭筠の詩の用例からみて、このあたりには当時、一種の享楽機関が発達していたらしく思われる。○華星 暁の明星

○韻 晩、干、難、燕、鸞、鞍。

 この詩は、歓楽街とは限らないが、人目を忍んでいる、つまりお金を伴わないで、忍び込んでいる。
貴族、高官、商家などの女性との偲び合いである。
 李商隠は根強く残っている儒教的精神に対して批判的な姿勢をもってこの詩を作っている。
 権力を嵩に横暴を極めている高官に対する批判をこの詩にあらわしているのではなかろうか。



碧城三首其三 李商隠15「恋の無題詩」

碧城三首 李商隠15「恋の無題詩」
「恋する人へ打ち明けた思いの詩」

碧城 其三
七夕来時先有期、洞房簾箔至今垂。
七夕の日、天上で牽牛と織女が一年に一度の情交を楽しむというもの、地上でも古くには漢の武帝が延霊台で西王母と会ったという。それは先に使いの者がおとずれて約束を交していた。この碧き薄絹の帷、金箔玉の簾のある奥座敷、その今も垂れ下がったままにしてあるのは神たる仙女との愛を残していくためだ。
玉輪顧免初生魄、鐡網珊瑚未有枝。
夜空にかかる月も玉の輪のような麗しき初めて上がった閨で処女が待っているのを月に棲む媚薬作りの兎も見ている。鉄の強固な網で、海底に人知れず生育している珊瑚は、まだ幼なくで枝をのばしていなくて、鉄爪にかかってひきあげられるにはいたらないようなあどけない女性なのだ。
検輿神方敎駐景、収将鳳紙写相思。
そう、神仙の秘術、不老の法を探して、太陽をとめ、時間を停止させ夢の世界へ。また、この感情のとこしえに変わることのないよう、道教の聖者が祭文をしるすに用いる金鳳紙をもってきて私の恋情を書きつけておきたい。
武皇内伝分明在、莫道人間総不知。

「演武帝内伝」なる書物には、そうした甘美な交情のことがらがはっきりと書かれてあり、それ故に、人々よ、こうした現実を超える夢幻の世界、そしてその歓びなど、地上の人の知らないことと言ってはならない。私はそれをすべて知っているのだ。



七夕の日、天上で牽牛と織女が一年に一度の情交を楽しむというもの、地上でも古くには漢の武帝が延霊台で西王母と会ったという。それは先に使いの者がおとずれて約束を交していた。この碧き薄絹の帷、金箔玉の簾のある奥座敷、その今も垂れ下がったままにしてあるのは神たる仙女との愛を残していくためだ。
夜空にかかる月も玉の輪のような麗しき初めて上がった閨で処女が待っているのを月に棲む媚薬作りの兎も見ている。鉄の強固な網で、海底に人知れず生育している珊瑚は、まだ幼なくで枝をのばしていなくて、鉄爪にかかってひきあげられるにはいたらないようなあどけない女性なのだ。
そう、神仙の秘術、不老の法を探して、太陽をとめ、時間を停止させ夢の世界へ。また、この感情のとこしえに変わることのないよう、道教の聖者が祭文をしるすに用いる金鳳紙をもってきて私の恋情を書きつけておきたい。
「演武帝内伝」なる書物には、そうした甘美な交情のことがらがはっきりと書かれてあり、それ故に、人々よ、こうした現実を超える夢幻の世界、そしてその歓びなど、地上の人の知らないことと言ってはならない。私はそれをすべて知っているのだ。


碧城 其の三
七夕 来る時先ず期有り
洞房の簾箔今に至るまで垂る
宝輪 顧兎 初めて魄を生じ
鐡網 珊瑚 未だ枝有らず
神方を検し与えて景を駐め敎しめ
鳳紙を収め将って 相思を写す
武皇の内伝 分明に在り
道う莫れ 人間 総て知らずと



七夕来時先有期、洞房簾箔至今垂
七夕の日、天上で牽牛と織女が一年に一度の情交を楽しむというもの、地上でも古くには漢の武帝が延霊台で西王母と会ったという。それは先に使いの者がおとずれて約束を交していた。この碧き薄絹の帷、金箔玉の簾のある奥座敷、その今も垂れ下がったままにしてあるのは神たる仙女との愛を残していくためだ。
七夕有期 「漢武内伝」に見える漢の武帝劉徹(紀元前157-87)と西王母の逢瀬を指す。承華殿に閑居していた武帝の前に、青い鳥の化身の美女が現われ、妾は墉宮の王子登というもの、七月七日に道教西の理想郷の仙女西王母が来ることをお伝えにきましたと言った。武帝は延霊台に登って待ったところ、果して七夕の夜に西王母がやって来たという。期は会う約束。○洞房 奥まった私室。

玉輪顧兎初生魄、鐡網珊瑚未有枝
夜空にかかる月も玉の輪のような麗しき初めて上がった閨で処女が待っているのを月に棲む媚薬作りの兎も見ている。鉄の強固な網で、海底に人知れず生育している珊瑚は、まだ幼なくで枝をのばしていなくて、鉄爪にかかってひきあげられるにはいたらないようなあどけない女性なのだ。
玉輪顧兎 玉輪は月のたとえ。月中には桂の樹があり、また兎がすむと伝説される。兎は、愛の妙薬を臼でついている。前の二句にある洞房には桂が柱や梁がつかわれていることから、ここでの玉輪は女性を示すもの、○生魄 魄は月の影の部分。陰暦の十六日の月。新月前後のかすかな光。既望。処女の女性。初めて閨に入る女性を示す。ここの解釈が違っていて理解できない訳が多い。 ○鉄網珊瑚「神農本草経」に「珊瑚は海底の盤石の上に生ず一歳にして黄、三歳にして赤し。海人先ず鉄網を作りて水底に沈むれば中を貫いて生ず。網を絞りて之を出す。時を失して取らざれは則ち腐る。」とある。な玉輪 鉄網の二句には奥に隠された意味があると思われる。例えば西晋の傅玄(217-278)の雑詩の句「明月常には盈つるあたわず。」という月が女性の容姿の喩えであるように、恐らく「顧免初生魄」は、少くとも、愁いを知りそめた乙女の顔、そしてその瞳への聯想をいざなうように作られている。また、熟せば赤くなる珊瑚、だがまだ枝を生じないから網でひきあげられてはいない。セックスについて未成熟であるというこの一句にはエロティックな意味がある。



検輿神方敎駐景、収将鳳紙写相思
そう、神仙の秘術、不老の法を探して、太陽をとめ、時間を停止させ夢の世界へ。また、この感情のとこしえに変わることのないよう、道教の聖者が祭文をしるすに用いる金鳳紙をもってきて私の恋情を書きつけておきたい。
神方 神秘な不老長寿の法術。道教の神妙道の○駐景 景はひかり。時間をとめる。○鳳紙 道家で祭文をしるすのにこの紙を用いる。ここは後者の場合。

武皇内伝分明在、莫道人間総不知
「演武帝内伝」なる書物には、そうした甘美な交情のことがらがはっきりと書かれてあり、それ故に、人々よ、こうした現実を超える夢幻の世界、そしてその歓びなど、地上の人の知らないことと言ってはならない。私はそれをすべて知っているのだ
武皇内伝 後漢の歴史家班固に偽託される小説雑記。主に武帝後宮のことと武帝が仙を好んだことをしるす。唐の魏徴等の「隋書」経籍志には、「漢武帝内伝」二巻としるす。魏晋時代のの偽書である。○莫道道は云う。莫はしてはならぬ、禁止の詞。○人間 天上世界に対する人間の世界。

李商隠 14 碧城 其二(届かぬ思いの詩)

李商隠 14 碧城(届かぬ思いの詩)

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碧城其 二
對影聞聲己可憐、玉池荷葉正田田。
逢ってはいけないあなただから、その香、声、気配、窓辺の-簾に映る影、その声を聞くだけで、私の五感は、充分、可憐さを感じている。仙界の玉池には、荷の花が咲き、はすの葉が水面田田といっぱいに重なりあって覆い広がっている様子であなたを思う。
不逢粛史休回首、莫見洪崖又拍肩。
古くからの民謡に恋歌の採蓮曲というのがある。今、その池の蓮も、曲歌の通りに茂っている。むかし秦の穆公の娘を娶った粛史のように私以外の者には,恋しいひとよ、頸をめぐらして色目を使ったりしないでくれ。たとえ洪崖の肩叩きといわれる備わった人があらわれても親しく肩に触れてはいけないよ。
紫鳳放嬌銜楚珮、赤鱗狂舞撥湘絃。
紫色の高貴な鳳が私のいとしい人をもてあそんでいる。まるで、逸話の鄭交甫が漢水のほとりで水の精にあい、佩びだまをもらって誓ったが、彼が十数歩も行かぬうちに、精は消え、約束の晶も懐中から消えたという裏切りがあるのだろうか。淵深く住む赤い鱗の魚のように、あなたは、はじかれる琴の音にあわせて、狂おしい愉楽の舞いを舞うのか。
卾君悵望舟中夜、繍被焚香濁自眠。

楚の卾君は歌を唄って讃えてくれる漕手もいなくてびとり、さびしく、逢いたいと望むだけでその夜を過ごした。
私もあなたに近づけず、わが繍衣の袖で身を被って、あなたが愛用した香を焚き、あなたを思いつつ孤独に眠るのである。

逢ってはいけないあなただから、その香、声、気配、窓辺の-簾に映る影、その声を聞くだけで、私の五感は、充分、可憐さを感じている。仙界の玉池には、荷の花が咲き、はすの葉が水面田田といっぱいに重なりあって覆い広がっている様子であなたを思う。
古くからの民謡に恋歌の採蓮曲というのがある。今、その池の蓮も、曲歌の通りに茂っている。むかし秦の穆公の娘を娶った粛史のように私以外の者には,恋しいひとよ、頸をめぐらして色目を使ったりしないでくれ。たとえ洪崖の肩叩きといわれる備わった人があらわれても親しく肩に触れてはいけないよ。
紫色の高貴な鳳が私のいとしい人をもてあそんでいる。まるで、逸話の鄭交甫が漢水のほとりで水の精にあい、佩びだまをもらって誓ったが、彼が十数歩も行かぬうちに、精は消え、約束の晶も懐中から消えたという裏切りがあるのだろうか。淵深く住む赤い鱗の魚のように、あなたは、はじかれる琴の音にあわせて、狂おしい愉楽の舞いを舞うのか。
楚の卾君は歌を唄って讃えてくれる漕手もいなくてびとり、さびしく、逢いたいと望むだけでその夜を過ごした。
私もあなたに近づけず、わが繍衣の袖で身を被って、あなたが愛用した香を焚き、あなたを思いつつ孤独に眠るのである。

(下し文)碧城其の二
影に対し声を開く 己に憐む可し
玉池の荷葉 正に田田たり
粛史に逢わざれば首を回らすを休めよ
洪崖を見て又た肩を拍つこと莫かれ
紫鳳は嬌を故にして楚珮を銜み
赤鱗は狂舞して湘絃を撥く
顎君 悵望す 舟中の夜
繍被 香を焚いて独り自ら眠る

對影聞聲己可憐、玉池荷葉正田田。
逢ってはいけないあなただから、その香、声、気配、窓辺の-簾に映る影、その声を聞くだけで、私の五感は、充分、可憐さを感じている。仙界の玉池には、荷の花が咲き、はすの葉が水面田田といっぱいに重なりあって覆い広がっている様子であなたを思う。
已可憐 己はそれだけでもすでに。可憐は可愛らしい。○玉池 ため池の名として後漢の張衡(78-139)の南都賦に登場するが、ここは仙界の池として用いられている。なお梁の武帝粛衍(464-549)の王金珠歓聞歌に「豔豔たり金楼の女、心は玉池の蓮の如し。」という句がある。○荷葉正田田 荷は蓮 田田は荷の葉のかっこうをいう擬声語。楽府古辞即ち漢代民謡の江南篇に「江南にては蓮を採る可し、蓮の葉は何ゆえかくも田田たる。」と歌われる。正は、まさしくその通りと言う語調。なお、〈蓮〉は(憐)に通ずる隠し言葉である。

不逢粛史休回首、莫見洪崖又拍肩。
古くからの民謡に恋歌の採蓮曲というのがある。今、その池の蓮も、曲歌の通りに茂っている。むかし秦の穆公の娘を娶った粛史のように私以外の者には恋しいひとよ、頸をめぐらして色目を使ったりしないでくれ。たとえ洪崖の肩叩きといわれる備わった人があらわれても親しく肩に触れてはいけないよ。
粛史 漢の劉向の「列仙伝」中の人物。秦の穆公の娘である弄玉のむこ。○洪崖拍肩 洪崖は東晋の葛洪の神仙伝中の人物。衛叔卿と賭博をしたという。東晋の詩人郭璞(277-324)の游仙詩の左に浮丘(仙人の名)の袖をとり、右に洪涯の肩を拍つ。」の句を利用した表現句。

紫鳳放嬌銜楚珮、赤鱗狂舞撥湘絃。
紫色の高貴な鳳が私のいとしい人をもてあそんでいる。まるで、逸話の鄭交甫が漢水のほとりで水の精にあい、佩びだまをもらって誓ったが、彼が十数歩も行かぬうちに、精は消え、約束の晶も懐中から消えたという裏切りがあるのだろうか。淵深く住む赤い鱗の魚のように、あなたは、はじかれる琴の音にあわせて、狂おしい愉楽の舞いを舞うのか。

銜楚珮 漢水の精である二妃が鄭交甫にあって、佩び玉を説いて彼に与えた。漢の韓嬰の「韓詩内伝」佚文に出てくる話を引き合いに出している。交甫は神女と知らず交わり、十歩ばかり行った時、女の姿は見えなくなり、懐にした女の佩び玉もなくなっていたという。銜は鳳がくちばしにくわえることをいう。○赤鱗 仙界の魚。川の淵にすみ赤い鱗をもつという。梁の江淹(444-505)の別れの賦に「駟馬は仰秣を驚かし淵魚は赤燐を䵷ぐ聳ぐ。」とあり、李善注に、「伯牙瑟を鼓すれば淵魚出でて聴き、弧巴琴を鼓すれば六馬仰いで秣う。」という、漢の韓嬰の「韓詩外伝」の言葉をひいている。瓠巴は上古の楚の琴の名手。伯牙は春秋時代の琴の名手。

卾君悵望舟中夜、繍被焚香濁自眠。
楚の卾君は歌を唄って讃えてくれる漕手もいなくてびとり、さびしく、逢いたいと望むだけでその夜を過ごした。
私もあなたに近づけず、わが繍衣の袖で身を被って、あなたが愛用した香を焚き、あなたを思いつつ孤独に眠るのである。

卾君 楚の貴公子の名。舟遊びして越人の漕手が楫を擁して歌うのを聞き、それを抱擁し繍被もて覆ったという故事。牡丹の詩(7/末か8/初頃掲載予定)参照。その越人の歌は、「(前略)山に木有り木に枝有り、心に君を悦ぶも君知らず。」というのだが、この詩で、卾君が孤独を嘆くことの故事。

  芸妓を恋してしまった。いとおしくて狂いそうだが、高貴な人の宴の席に出ていたら、あなたと過ごした時の繍衣を抱き、あなたの好きなお香を焚いて過ごすよりない。
やはり、私にはあなたしかいない。



李白の詩 96首 7/23現在 酒と女 詩連載       杜甫全詩開始 青年期の詩
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碧城 三首 李商隠 13「恋の無題詩」

李商隠 13 「恋の無題詩」碧城三首
「恋する人へ打ち明けた思いの詩」

碧城三首
其一 
碧城十二曲蘭干、犀辟塵埃玉辟寒。
崑崙山の碧い霞のたちこめるその仙人の館は、十二曲りもの渡り廊下の曲折する豪壮さである。その館の中は、塵除けの不思議な海獣の角が置かれて清らけく、光かがやきつつ熱をも発する宝玉が備えられて、部屋はいつもあたたかい。
閬苑有書多附鶴、女牀無樹不棲鸞。
西の理想郷の庭園、閬風苑には、しばしば手紙を寄せる使者となる、多くの鶴が書を受けてくれる。また、東のその名も艶めかしい女牀山には、鸞鳥が樹上ではなく寝牀にいた。
星沉海底當囱見、雨過河源隔座看。
鶴が鸞鳥にことづてを伝わると、あけがたになって、星星が東方の大海、その青い海底に沈んでゆく有様も、その碧城の窓から望むことができる。そしてまた恋人同志は、雨雲が彼方の西のかなたの河源のあたりの空を雨降らしながらよぎるのを、座を隔てて眺められるのだ
若是暁珠明又定、一生長對水精盤。

暁の五色に輝く真珠、その真珠のきらめきが、やがてまた一つに集って太陽の輝きとなって一定するように、たとえば夢幻の中に、ぴかぴか光る情念の光彩が、もし一つの現実の光に凝集するならば、私は生涯にわたって、他の一切を忘却し、水晶盤のような愛の透明さにだけ向い合っていてもいい、と思う。

其の一
碧城に 十二蘭干 曲る、犀辟 塵埃玉寒 辟く。
閬苑 書有り 多く鶴に附す、女牀 樹無なし 鸞らんを棲すましめざる。
星の海底に沉むは 囱に當って見え、雨の河源を過ぐるは 座を隔てて看る。
若し是れ 暁珠 明又た定らば、一生 長く対せん 水精盤。

其の一(ラブレター)

碧城十二曲蘭干、犀辟塵埃玉辟寒。
崑崙山の碧い霞のたちこめるその仙人の館は、十二曲りもの渡り廊下の曲折する豪壮さである。その館の中は、塵除けの不思議な海獣の角が置かれて清らけく、光かがやきつつ熱をも発する宝玉が備えられて、部屋はいつもあたたかい。
碧城 仙人の住む碧い霞の館。「元始天尊は紫雲の闇に居り、碧霞を城と為す。」と宋初の類書「太平御覧」にある。この題は詩句の冒頭の言葉を取ったもので、無題詩に類する恋の歌である。○曲蘭干 曲りくねった長い蘭干。十二は曲蘭干にかかる形容で、十二まがりということで碧城が十二あるというのではない。○犀辟塵挨 却塵犀とよばれ、南海に住むという海獣。その角は塵をよけると考えられ、座席に置いたり女性の簪にしたりする。梁の任昉の「述異記」、及び五代の劉怐の「嶺表録異」などの書にある。実際には解熱剤となる。○玉辟寒 唐の王仁裕の「開元天宝遺事」に、扶桑(一本は扶余)国が火玉なる大きな宝石を貢物として、唐の玄宗皇帝に贈ったが、それは真っ赤な色をしていて、反射光が遠くまで及んだという記事がある。寧王がその玉で酒盃を作ったところ、その盃 の置かれた部屋は温かで、綿入を着る必要はなかった。

閬苑有書多附鶴、女牀無樹不棲鸞。
西の理想郷の庭園、閬風苑には、しばしば手紙を寄せる使者となる、多くの鶴が書を受けてくれる。また、東のその名も艶めかしい女牀山には、鸞鳥が樹上ではなく寝牀にいた。
閬苑 道教に言う中国西方の理想郷、仙女西王母が住んでいたという崑崙山中の閬風苑のこと。○附鶴 附は手紙をことづけること。道教では、青い鳥、鶴や白雲は音信を伝えるものと考えられた。〇女牀 東の理想郷の仙山の名である。「山海経」に「女牀山に鳥有り。其の状は翟の如く、五采の文あり。名づけて鸞鳥という。」としめして。女牀と閬苑の対はとは東西の方向対を示す。また、寝台をかけている。・鸞鳥 理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。

星沉海底當囱見、雨過河源隔座看。
鶴が鸞鳥にことづてを伝わると、あけがたになって、星星が東方の大海、その青い海底に沈んでゆく有様も、その碧城の窓から望むことができる。そしてまた恋人同志は、雨雲が彼方の西のかなたの河源のあたりの空を雨降らしながらよぎるのを、座を隔てて眺められるのだ。
海底・河源 東の大海の海底に対して河源は旬奴との境のあたりの西の辺境を指す、黄河の源、海底と河源の対は、同様に東西の方向の対をも意味する。
通説では、東西が反対で間違って解釈されている。


若是暁珠明又定、一生長對水精盤。
暁の五色に輝く真珠、その真珠のきらめきが、やがてまた一つに集って太陽の輝きとなって一定するように、たとえば夢幻の中に、ぴかぴか光る情念の光彩が、もし一つの現実の光に凝集するならば、私は生涯にわたって、他の一切を忘却し、水晶盤のような愛の透明さにだけ向い合っていてもいい、と思う。
暁珠 これについては諸説あるがこの真珠は、「その光彩月の、ことく、夜に人を照せば美醜にかかわらず、皆端麗に見えたと。」暁珠とは暁の太陽の彩光の喩えであると解するのが妥当と考える。○明又定 定は安定すること。○水精盤 水精は水晶に同じ。

この最後の聯が相手に伝えたいすべてであるから故事をとらないほうが前の句までのすべてがここに集中し、味わいがぐっと深まるいい詩になる。
あなたと一緒に過ごせた夜が日の出の宝石のように放つ採光を明日以降にも続けられるなら、他の一切のこと投げ捨てて、水晶盤のようなあなたを長くいつまでも愛し続けたい。)



李商隠 8 無題 (昨夜星辰昨夜風) 題をつけられない詩。
秘められた恋、許されない恋。いつの世も後に残るのはせつない思いか。
七言律詩 無題
昨夜星辰昨夜風、畫樓西畔桂堂東。
身無綵鳳雙飛翼、心有靈犀一點通。
隔座送鉤春酒暖、分曹射覆蠟燈紅。
嗟余聽鼓應官去、走馬蘭臺類轉蓬。

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李商隠 12 嫦娥 裏切られた愛
李商隠の詩は、難解といわれていますが、基礎知識が必要でありそれを理解すると、グッと味わいが深くなります。月の世界とか仙人の世界というのは道教の思想の中にあります。女性と接することができるのは芸妓の女性たちである。簡単な説明としくみについて述べる。

このページの目次
1. 道教の影響
2. 道教について
3. 李商隠 12 嫦娥


1. 道教の影響
道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。

 これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。ここに言う金丹は、ヒ素、水銀などが練りこまれている、常用していくと中毒死するもので、唐の後宮では数々の皇帝が、これにより暗殺されている。李商隠の時代、朝廷では、牛僧儒と李徳裕の両派閥の政争とされているが、道教の政治加入による傀儡同士政争で、これに朝廷内の実質権力は、数千人に膨らんだ宦官の手にあった。

したがって、道教思想を外して李商隠の詩、唐代の詩は語れないのである。そして芸妓である。

2 芸妓について
妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと。娼妓、娼女という呼称もある。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。また、道教の寺観にも娼婦に近い巫女がいた。この時代において、女性が男性と対等にできる唯一の場所であった。
もともとは国家による強制的な徴発と戦時獲得奴隷が主な供給源だったと考えられるが、罪人の一族を籍没(身分を落とし、官の所有とする制度)する方法が加わった。また、民間では人身売買による供給が一般的であった。区分すると以下の通り。
(1.宮妓 2.家妓 3.営妓、4.官妓、5.民妓、6.道妓)

1 宮妓
皇帝の後宮に所属。籍没された女性や外国や諸侯、民間から献上された女性。后妃とは別に、後宮に置かれ、後宮での業務をし、技芸を学び、皇帝を楽しませた。道教坊で技芸を習得した女性もこれに含まれる。班婕妤・趙飛燕や上官婉児などのように后妃に取り立てられるものもいた。
2 家妓
高官や貴族、商人の家に置かれ、家長の妾姫となった。主人だけではなく、客を歓待する席でも技芸により、これをもてなす役目があった。官妓から、臣下に下賜されて家妓になるものもいた。始皇帝の母にあたる呂不韋の愛人や、西晋の石崇の愛妾である緑珠が有名。
3営妓
軍隊の管轄に置かれ、軍営に所属する官人や将兵をその技芸で楽しませた。蘇小小。唐代女流詩人の薛濤が有名。
4官妓
中央政府の道教観や州府の管轄に置かれた。実際は、妓楼や酒楼は個別に運営されており、唐代・長安の北里、明代・南京の旧院は、その代表的な色町である。唐代の天宝年間以降に彼女らを題材にして、多くの士大夫が詩文にうたい、妓女となじんだという記録が盛んになる。唐代はその活動は最大なものであった。
唐代女流詩人の魚玄機、明代の陳円円、李香君、柳如是が有名。
5民妓
民営の妓楼に所属した。売春だけを目的とした女性も含まれる。明代以降、官妓が衰退した後、大きな役割を果たすようになった。清代は上海に多くの民妓がいた。宋代の李師師が有名。
6.道妓
道教の祠に学問等していない娼婦に近いものが多かった。

妓館には、花や植物が植えられ、狆や鸚鵡が飼われ、香炉が置かれ、また、雲母屏風、山水画や骨董が飾られているところが多く、庭園風になっているものもあった。妓館は、互いに奇をてらい合い、提供される様々な香りが数里先まで漂ったと伝えられる。さらに、厨女(女料理人)が働いており、彼女らが料理する山海の珍味がすぐに作れるように準備されていた。旧院には商店もあり、客が妓女に贈るための高級品が置かれていた。また、茶を専門とする茶坊もあった。夜には、妓女による音楽が奏でられ、芝居が上演された。妓館の額もまた、名人の手になるものがいくつもあった。妓館には、他に下働きの下女と男衆が別にいた。
妓女の部屋もまた、趣味がよく風雅であり、文人の書斎風になっているものもあった。李白の作品、李商隠の作品で登場する部隊はここの琴である。

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 李商隠 12 嫦娥 の舞台は妓館である。

嫦娥 
嫦娥のように裏切った恋は後悔の念にきっと苛まれる。
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
半透明の雲母を一面に貼りつめた屏風に、ろうそくの影があやしく映っている。眠られぬ独り寝の床で、その揺らめく焔の影を眺めているうちに、夜はいつしか白らけはじめ、天の川は次第に傾いて光をおとし、薄明の中に暁の明星も沈んで消えてゆく。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。
裏切られた心の痛み故に、夜のあけるまで、こうして星や月を眺めているのだ。あなたはいま何処にいるのだろうか。月の精である嫦娥は、夫の不在中に不思議な薬を飲み、その為に空に舞いあがったのだという。そのように、人間の世界を去った嫦娥は、しかしきっと、その薬をぬすみ飲んだ事をくやんでいるだろう。
青青と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、嫦娥は傷心しているに違いない。私を裏切った私の懐しき恋人よ。君もまた新らしい快楽をなめて、身分高い人のもとに身を寄せたことを悔いながら、寒寒とした夜を過しているのではなかろうか。


嫦娥 (下し文)
雲母の屏風、燭影沈む。
長河漸く落ちて、暁星沈む。
嫦娥は応に悔ゆるべし、霊薬を偸みしを、
碧海、青天夜夜の心

嫦娥
 これは裏切られた愛の恨みを古い神話に託した歌。○嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881-l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。○長河 あまの川。

雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。

半透明の雲母を一面に貼りつめた屏風に、ろうそくの影があやしく映っている。眠られぬ独り寝の床で、その揺らめく焔の影を眺めているうちに、夜はいつしか白らけはじめ、天の川は次第に傾いて光をおとし、薄明の中に暁の明星も沈んで消えてゆく。

嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。
裏切られた心の痛み故に、夜のあけるまで、こうして星や月を眺めているのだ。あなたはいま何処にいるのだろうか。月の精である嫦娥は、夫の不在中に不思議な薬を飲み、その為に空に舞いあがったのだという。そのように、人間の世界を去った嫦娥は、しかしきっと、その薬
をぬすみ飲んだ事をくやんでいるだろう。
青青と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、嫦娥は傷心しているに違いない。私を裏切った私の懐しき恋人よ。君もまた新し
い快楽をなめて、身分高い人のもとに身を寄せたことを悔いながら、寒寒とした夜を過しているのではなかろうか。

李商隠 11 中元作 七言律詩

李商隠 11 中元作
お盆に会う約束をしていたのに来てくれなかった。この思いどうやって伝えるの。青い鳥はどうしたの。

中元作
絳節諷颻空国來、中元朝拜上清回。
行列のえび茶色の旗じるし吹き上がる風に舞い、国中がからになったかと思われるほど、女道士や令娘たちが参詣にやって来る。今日はお盆の祭日。女たちは朝早く、やしろの至上天を礼拝にきて、帰ってゆく。
羊権須得金條脱、温嶠終虚玉鏡臺。
東晋時代の羊権の家に天女萼緑華が舞いおり、黄色の腕環を贈ったように、この日にこそ、あなたがあらわれて心の籠った贈物をくれるかも知れない。だが、たとえ会えてもあなたはまた天女のように帰ってゆくだろう。晋の人温嶠を真似て結納を納めようとしても、玉の鏡の話のように結局役には立たず、所詮、私達は 結ばれずむなしい思いをするだろう。
曾省驚眠聞雨過、不知迷路爲花開。
以前、うたたねから醒めて雨の音を聞く、楚の懐王と巫山の神女のような逢瀬が私たちにはあったのだが、「桃花源」は一度行けたのに二度とは行きつけないのは何故だろう。
有娀未抵瀛洲遠、青雀如何鴆鳥媒。

あなたの住む「有娀」というところは世界の外の海中にあるという「瀛洲」のように遠いわけではない。だから、「瀛洲」へでも手紙を持って行ってくれるという恋の使いの青い烏が、むかし屈原の頼みで「有娀」とのなかだちをした鳥より、うまく恋の思いを伝えてくれるかどうかが問題なのだ。



中元に作る
中元の祭日に会う約束をしていた女人と、何かの所要の為に会えなかった事を詠う。


行列のえび茶色の旗じるし吹き上がる風に舞い、国中がからになったかと思われるほど、女道士や令娘たちが参詣にやって来る。今日はお盆の祭日。女たちは朝早く、やしろの至上天を礼拝にきて、帰ってゆく。

東晋時代の羊権の家に天女萼緑華が舞いおり、黄色の腕環を贈ったように、この日にこそ、あなたがあらわれて心の籠った贈物をくれるかも知れない。だが、たとえ会えてもあなたはまた天女のように帰ってゆくだろう。晋の人温嶠を真似て結納を納めようとしても、玉の鏡の話のように結局役には立たず、所詮、私達は 結ばれずむなしい思いをするだろう。

以前、うたたねから醒めて雨の音を聞く、楚の懐王と巫山の神女のような逢瀬が私たちにはあったのだが、「桃花源」は一度行けたのに二度とは行きつけないのは何故だろう。

そこへの途上、路傍に咲き乱れる花の深さゆえに行く道を迷ってしまう住まい、すむ世界を異にするとはいえ、あなたの住む「有娀」というところは世界の外の海中にあるという「瀛洲」のように遠いわけではない。だから、「瀛洲」へでも手紙を持って行ってくれるという恋の使いの青い烏が、むかし屈原の頼みで「有娀」とのなかだちをした鳥より、うまく恋の思いを伝えてくれるかどうかが問題なのだ。

中元に作る(下し分)
絳節こうせつ諷颻 国を空しくして来り、中元に朝拝して上清より回る。
羊権 須らく得べし 金の条脱を、温嶠 終に虚なし 玉の鏡台。
曾て省って 眠を驚かして雨の過るを聞きぬ、知らず 路に迷いしは 花の開くが 為なるを。
有娀ゆうしゅう 未だ瀛洲えいしゅうの遠きに抵いたらず、青雀は如何に 鴆鳥ちんちょうの媒ばいに

中元作
中元 陰暦七月十五日、仏教では仏と僧侶に供養して父母の慈愛に感謝する孟蘭盆の日である。道教では、この日、地官(神仙の職)が降下して人の善悪を審判すると考えられ、道士達は夜まで経文を読誦する。餓鬼囚徒もそれで解脱できるとする。唐代からすでに仏道二数の混淆した祭りがこの日に行われていた。この詩は中元の祭日に会う約束をしていた女人と、何かの所要の為に会えなかった事を怨む。

絳節諷颻空国來、中元朝拜上清回。
行列のえび茶色の旗じるし吹き上がる風に舞い、国中がからになったかと思われるほど、女道士や令娘たちが参詣にやって来る。今日はお盆の祭日。女たちは朝早く、やしろの至上天を礼拝にきて、帰ってゆく。
○絳節 えび茶色の旗じるし。梁の郡陵王粛綸(未詳-551)の魯山神文に「絳節竿を陳ね、満堂に繁く会う。」と。○諷颻 ふうよう ・ 暗誦する。ひにくをいう。・ 吹き上がる風。ふき動かす。○上清 道教の至上神のいるところ。

羊権須得金條脱、温嶠終虚玉鏡臺。
東晋時代の羊権の家に天女萼緑華が舞いおり、黄色の腕環を贈ったように、この日にこそ、あなたがあらわれて心の籠った贈物をくれるかも知れない。だが、たとえ会えてもあなたはまた天女のように帰ってゆくだろう。晋の人温嶠を真似て結納を納めようとしても、玉の鏡の話のように結局役には立たず、所詮、私達は 結ばれずむなしい思いをするだろう。
羊権 東晋時代の泰山南城の人。字は道学。簡文帝司馬昱(321-372)に仕えて黄門郎となった。孫の羊欣(370-442)の伝が「宋書」六十二にある。梁の陶弘景の「実話」によると、仙女萼緑華は升平3年11月10日の夜、羊権の家に下ったが、其の時、詩一篇、石綿で織った手巾一枚、金と玉の跳脱各々一箇を羊権に贈ったという。○萼緑華 (がくりょくか)萼緑華伝説、 南山の仙女の名。青い衣を着て容色絶麗。晋の升平三年(359年)の冬の夜、羊権の家に降下し、仙薬を権にあたえておいて消え去った。この話は梁の陶弘貴の「真誥」にある逸話である。李商隠 6 重過聖女詞
白石巌扉碧辞滋、上清淪謫得歸遅。
一春夢雨常飄瓦、盡日靈風不満旗。
萼緑華來無定所、杜蘭香去未移時。
玉郎会此通仙籍、憶向天階問紫芝。

条脱 跳脱に同じ。腕環のこと。○温嶠 晋の将軍。字は太真(288-329)。元帝司馬睿(277-322)、
明帝司馬昭(299-325)二代に仕え、劉聡の勢力の鎮圧、丹陽の王敦、江州の蘇峻の反乱平定に功あった。劉宋の劉義慶の「世説新語」仮譎篇に、温嶠の従姑の劉氏が乱にあって一族離散し、娘が一人残ったが、その婿の世話を温嶠に依頼した時の話がのっている。その時、妻を失っていた温嶠は、密かに自分が嫁りたく思い、「わたし程度の人物ならどうか。」と言った。従姑は勿論大喜びである。数日後、温橋は、婿が見つかったと言って、結納の品として、昔、劉琨(270-317)の副官として江左に劉聡を討った時の戦利品である硬玉の鏡台を与えた。婚礼の式上花嫁は、侍児が支えて花嫁の顔を隠す扇を手でひらいて、掌をうって笑いながら、「やっぱり私の思った通り、鏡は老奴のものだったのね。」と言ったという。

曾省驚眠聞雨過、不知迷路爲花開。
以前、うたたねから醒めて雨の音を聞く、楚の懐王と巫山の神女のような逢瀬が私たちにはあったのだが、「桃花源」は一度行けたのに二度とは行きつけないのは何故だろう。
曾省 何何したことがある。省はかえりみる。記憶の義。しかし二字で以前に何何したことがあるの意味となる。詩語として曾経の二字に近い用法をもつ。○不知 その事(不知以下の文)の理由をいぶかることば。○迷路 この言葉は、「陶淵明」桃花源記の故事をふまえている。

有娀未抵瀛洲遠、青雀如何鴆鳥媒。
そこへの途上、路傍に咲き乱れる花の深さゆえに行く道を迷ってしまう住まい、すむ世界を異にするとはいえ、あなたの住む「有娀」というところは世界の外の海中にあるという「瀛洲」のように遠いわけではない。だから、「瀛洲」へでも手紙を持って行ってくれるという恋の使いの青い烏が、むかし屈原の頼みで「有娀」とのなかだちをした鳥より、うまく恋の思いを伝えてくれるかどうかが問題なのだ。
有娀 ゆうじゅう伝説的に伝えられる太古の国名。「呂氏春秋」に「有娀氏に二人の佚うつくしき女有り、之に九成台を為る。飲食必ず鼓を以てす。」と見える。国名を借りて、心に思う美女の住まいをいう。○瀛洲 現実世界の一つ外側にある海に聾えるという三仙山(道教神仙説にいう、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州えいしゅう、方壷(方丈)、蓬莱)、ならびに、西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。)○青雀 恋の使者(青鳥 仙界とのなかだちをするという青い鳥、恋の使者である。この島に棲む青い鳥が使者である。仙女西王母の使いの鳥。杜甫「麗人行」にもある。お誘いの手紙を届けるものを指す。)○鴆鳥 ちんちょう悪鳥の名。毒あって人を殺すゆえ、讒言ざんげん者の喩えとなる。屈原(紀元前339-278)の離騒に「瑤台の偃蹇えんけんたるを望み、有娀の佚女しつじょを見る。吾れ鴆をして媒を為さしむ。媒は余に告ぐるに好からざるを以てす。」とあるのをふまえる。

七言律詩
○韻 來、回。臺。開。媒。

李白の詩 ブログ              杜甫の詩 ブログ
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7/20 90首を超える。              7/17 開始。杜甫青年期。


李商隠 10 無題(重幃深下莫愁堂) 題をつけられない詩。

李商隠 10 無題(重幃深下莫愁堂) 題をつけられない詩。
恋していることが辛いこと、どうしようもない恋。

無題
重幃深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。

無益な恋に悩む自からを憐れむ歌。
幾重ものとばりを深くおろし、外と遮断された豪華なやしきの奥深いところ、そこには、むかしの洛陽の美女莫愁(ばくしゅう)の奥座敷に匹敵する座敷がある。人が寝静まった、静寂で清々しい夕べの一時がそこに連綿とつづいていく。
楚の懐王と高唐で契った神女の一生、それは夢のうちに過ぎたものであった。それと同じに、あなたと一夜を共にし、それが一生にも感じたことが、すべて夢であったというのか。むかし、小姑のところには男がおりませぬ、と歌って、束の間に姿を消した仙女のように、今はもう、冷たくあしらって私をよせつけなくなった。
風波のはげしさは、庭の池に咲く菱花のひ弱な枝にとって、とうてい凌ぎ切れないものだ。澄んだ空に月光、冴える今宵、一面に降りた露、桂の香もおとろえたものを、誰が芳しく匂わせることができよう。恋しい女のかおりも、私とは無縁に衰えるのだろうか。
このままあなたを恋し続けたとしても、もう無益なことだと分ってきたつもり、いうならいってもいいと思っている。だけど、失われた恋の悲しみにこだわるその嘆きそのものが、清新の心に突き進むことであってもいいわけなのだ。

無題(くだしぶん)
重幃 深く下す 莫慾の堂、臥後清宵 細細として長し
神女の生涯原と是れ夢、小姑の居処本と郎無し
風波は信ぜず菱枝の弱きを
月露 誰か桂葉をして香しからしめん
直え相思了に益無しと遣うも
未だ妨げず 悔恨は是れ晴狂なるを

無題
○無益な恋に悩む自からを憐れむ歌。

重幃深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
幾重ものとばりを深くおろし、外と遮断された豪華なやしきの奥深いところ、そこには、むかしの洛陽の美女莫愁(ばくしゅう)の奥座敷に匹敵する座敷がある。人が寝静まった、静寂で清々しい夕べの一時がそこに連綿とつづいていく。
○重幃 幾重ものとばり。○莫愁 古くから楽府に歌われる郢州(湖北省)石城の美女の名であるが、李商隠は梁の武帝蕭衍(464-549)の楽府によると蘆氏に嫁いだ洛陽の女児のこと。○堂 座敷。○清宵 清々しい宵、秋の夕べ。

紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
楚の懐王と高唐で契った神女の一生、それは夢のうちに過ぎたものであった。それと同じに、あなたと一夜を共にし、それが一生にも感じたことが、すべて夢であったというのか。むかし、小姑のところには男がおりませぬ、と歌って、束の間に姿を消した仙女のように、今はもう、冷たくあしらって私をよせつけなくなった。
○神女 楚の宋玉の高唐の賦及び神女の賦に登場する巫山の神女のこと。昔、楚の懐王が高唐の楼台に遊宴し、その昼寝の夢に神女と会って交わった。その神女は立去る時、「妾は巫山の陽におりますが、あしたには朝雲となり、碁には行雨となって、日夜、陽台の下におりましょう。」と言った。王が朝、眺めてみると、その言葉の通りだったという。○小姑 妹娘のこと。原注に、「古詩に小姑は郎無しの句有り。」という。その古詩とは、楽府神絃歌の青渓小姑曲のことで、ここでは梁の呉均の「続斉諧記」に出てくる齢若い仙女を指す。会稽の超文韶なる者と、つかのまの歌合せをして消え去ったという。○郎 思いをやるきみ。女性が男性を呼ぶ親称。


風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
風波のはげしさは、庭の池に咲く菱花のひ弱な枝にとって、とうてい凌ぎ切れないものだ。澄んだ空に月光、冴える今宵、一面に降りた露、桂の香もおとろえたものを、誰が芳しく匂わせることができよう。恋しい女のかおりも、私とは無縁に衰えるのだろうか。
○不信 まかせず。そのままに放っておかない。○月露桂樹 桂は木犀など香木の総称。月に生えている伝説上の木。優れたものの喩として使われるが、ここは、月の中の桂の葉の香しいであろう匂いも実際にはとどかない。女が自分にて手の到かねものとなったという意味である。

直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。
このままあなたを恋し続けたとしても、もう無益なことだと分ってきたつもり、いうならいってもいいと思っている。だけど、失われた恋の悲しみにこだわるその嘆きそのものが、清新の心に突き進むことであってもいいわけなのだ。

○直道 直は詩語としてしばしばたとえ何何であってという仮設の語となる。道はいう。 ○了 ついにとよむが、まったくの意。○清狂 俗世間を「濁」とし、清新社会を「静」とする。狂はもっぱらする。没頭することの意味で使うが、志が大きいけれど、その通りにならないという意味でもある。


 芸妓は宮廷、官妓、民妓、商妓、家妓とあり、また異種的な巫女(神女)も同様に女性の働き場のない時代の唯一の働き場であった。中国にあった纏足もこれらを背景に唐時代からの流行となったものだ。「素足」の女という表現で足にセックスアピールしていたのだ。白く小さな脚ほど喜ばれた。

 李商隠の生きたこの時代は、朝廷内の風紀は乱れ、朝廷も宦官たちの采配でほとんど決まっていた。宦官は道教と結託しており皇帝は全くの飾り物となっていた。
 朝廷の改革などできる状態ではなく、政治批判に近い表現もできるものではなかった。

 李商隠の『無題』シリーズの一首、一首はそれ其れの芸妓が哀れにも吐き捨てられていったことを芸妓の側から、恋歌として表現したものである。
 無益な恋、為さぬ恋、・・・理不尽な、わが身勝手な行為を批判したものなのだ。ただ、自分が経験したものでなく、見聞きしたものから作詩しているのと登場人物を特定できないようにしているため難解になる傾向にある。

李商隠 9 無題(相見時難別亦難) 題をつけられない詩。

悲恋を詠う詩人・李商隠 9 無題(相見時難別亦難) 題をつけられない詩。
誰からも祝福されない、二人の恋を支え応援してくれる人のいない悲恋を詠う。
七言律詩





無題
相見時難別亦難、東風無力百花残。
顔をあわせる機会も容易にもつことのできない間柄、会えば別れが一層つらい。だけど、どんなに別れ難いけど、やはり別れることになる。春の風は力無く、けだるく吹き、どの花すべてが、盛りをすぎてきて、形骸をとどめるだけだ。恋の終末にふさわしい風景なのだろう。
春蚕到死絲方盡、蝋炬成灰涙始乾。
春の蚕が死ぬその時まで細く美しい絹糸を吐き続けるように、私の思いはいつまでも細細と続いている、たらたらと雫を垂れる蝋燭が、燃え尽きてすっかり灰になりきるまで、蝋の涙を流しつづけるように、別れの悲しみはこの身の果てるまで続けてく。
暁鏡但愁雲鬢改、夜吟應覚月光寒。
あなたはどうしているのか? 朝の化粧をしようとして、鏡に姿をうつしながら、雲鬢の黒髪をきちんと整える。夜には、私の贈った詩を吟じながら、月光の寒々とした景色に、秋を感じて悲しむことだろう。
蓬山此去無多路、青鳥殷勤為探看。


蓬莱山の仙人の住む至楽の園は、私のいまいる所から、何ほどの距離もない。別れねばならぬとはいえ、あなたは同じ都の中にいる。恋の使いをするという青い鳥よ。せめて彼女と情を交わしたい、どうか誰にもきづかれず看さだめてきてくれないか。

(無題)
相見る時難く別わかれるも亦難し、東風は力無く百花 残(そこな) う。
春蚕 死に到たりて、糸方に尽き、蝋炬 灰と成り、涙 始めて乾く。
暁鏡に 但 愁 雲鬢を改め、夜に吟ず 応に覚える、月光の寒
蓬山 此より去ること多路無し、青鳥 殷勤 探り看ることう為さん。

海棠花021


『無題』 現代語訳と訳註
(本文)

無題

相見時難別亦難、東風無力百花残。

春蚕到死絲方盡、蝋炬成灰涙始乾。

暁鏡但愁雲鬢改、夜吟應覚月光寒。

蓬山此去無多路、青鳥殷勤為探看。


(下し文)

無題
相見る時難く別わかれるも亦難し、東風は力無く百花 残(そこな) う。
春蚕 死に到たりて、糸方に尽き、蝋炬 灰と成り、涙 始めて乾く。
暁鏡に 但 愁 雲鬢を改め、夜に吟ず 応に覚える、月光の寒
蓬山 此より去ること多路無し、青鳥 殷勤 探り看ることう為さん。


(現代語訳)

祝福されぬ恋の悲しみを歌う。

顔をあわせる機会も容易にもつことのできない間柄、会えば別れが一層つらい。だけど、どんなに別れ難いけど、やはり別れることになる。春の風は力無く、けだるく吹き、どの花すべてが、盛りをすぎてきて、形骸をとどめるだけだ。恋の終末にふさわしい風景なのだろう。

春の蚕が死ぬその時まで細く美しい絹糸を吐き続けるように、私の思いはいつまでも細細と続いている、たらたらと雫を垂れる蝋燭が、燃え尽きてすっかり灰になりきるまで、蝋の涙を流しつづけるように、別れの悲しみはこの身の果てるまで続けてく。

あなたはどうしているのか? 朝の化粧をしようとして、鏡に姿をうつしながら、雲鬢の黒髪をきちんと整える。夜には、私の贈った詩を吟じながら、月光の寒々とした景色に、秋を感じて悲しむことだろう。

蓬莱山の仙人の住む至楽の園は、私のいまいる所から、何ほどの距離もない。別れねばならぬとはいえ、あなたは同じ都の中にいる。恋の使いをするという青い鳥よ。せめて彼女と情を交わしたい、どうか誰にもきづかれず看さだめてきてくれないか。
朱槿花・佛桑華

(訳注)

○無題 題知らずと題して、祝福されぬ恋の悲しみを歌う。

相見時難別亦難、東風無力百花残。
顔をあわせる機会も容易にもつことのできない間柄、会えば別れが一層つらい。だけど、どんなに別れ難いけど、やはり別れることになる。春の風は力無く、けだるく吹き、どの花すべてが、盛りをすぎてきて、形骸をとどめるだけだ。恋の終末にふさわしい風景なのだろう。
東風 春の風。李商隠「無題」颯颯東風細雨來﹐芙蓉塘外有輕雷。参照。李白「早春寄王漢陽」昨夜東風入武昌とつかう。
百花残 残は衰え滅ぼす。そこなう。


春蚕到死絲方盡、蝋炬成灰涙始乾。

春の蚕が死ぬその時まで細く美しい絹糸を吐き続けるように、私の思いはいつまでも細細と続いている、たらたらと雫を垂れる蝋燭が、燃え尽きてすっかり灰になりきるまで、蝋の涙を流しつづけるように、別れの悲しみはこの身の果てるまで続けてく。
春蚕 春の蚕。カイコは4回脱皮しさなぎとなり、絹糸をはき繭を作るが春に孵化して娥となり、産卵して死ぬ。死ぬ間際の時期ととらえる。
絲方盡 方は、その時になってはじめての意味。(絲)は(思)と同音の掛けことばである
○蝋炬
 ろうそくのこと。なお蝋のしずくを涙にたとえ、悶え悲しむ涙、とか、故郷を憶涙を誘うものとして使用する。ここでは、蝋燭の燃えるのは、恋の思い、蝋の立たれたしずくはやるせない恋の涙となる。


暁鏡但愁雲鬢改、夜吟應覚月光寒。
あなたはどうしているのか? 朝の化粧をしようとして、鏡に姿をうつしながら、雲鬢の黒髪をきちんと整える。夜には、私の贈った詩を吟じながら、月光の寒々とした景色に、秋を感じて悲しむことだろう。
暁鏡 昨夜もやるせない思いに眠れぬ夜を過ごして明けた朝、鏡は思いを示す。
雲鬢 美女の黒髪。雲は毛の美しくゆたかなこと。鬢はびんの毛。ぼこぼことして大きな髪型にするほど高貴な女性であった。
 あらためる。きちんとしてあらため整える。


蓬山此去無多路、青鳥殷勤為探看。
蓬莱山の仙人の住む至楽の園は、私のいまいる所から、何ほどの距離もない。別れねばならぬとはいえ、あなたは同じ都の中にいる。恋の使いをするという青い鳥よ。せめて彼女と情を交わしたい、どうか誰にもきづかれず看さだめてきてくれないか。
蓬山 東方はるか海中にある三仙山の一つ蓬莱山(瀛州山、方丈山)。仙人のすまいのこと。
青鳥 仙界とのなかだちをするという青い鳥、恋の使者である。仙女西王母の使いの鳥。杜甫「麗人行」にもある。お誘いの手紙を届けるものを指す。
殷勤 丁寧に、ねんごろに。男女の情交。
探看 探はさぐる、肴は気をつけてみること。


○悲恋を表す言葉。百花残 春蚕 蝋炬 暁鏡 殷勤 
○韻  難、残、乾 寒、看。
蛺蝶02
(無題)
相見る時難く別わかれるも亦難し、東風は力無く百花 残(そこな) う。
春蚕 死に到たりて、糸方に尽き、蝋炬 灰と成り、涙 始めて乾く。
暁鏡に 但 愁 雲鬢を改め、夜に吟ず 応に覚える、月光の寒
蓬山 此より去ること多路無し、青鳥 殷勤 探り看ることう為さん。



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李商隠 8 無題 (昨夜星辰昨夜風) 題をつけられない詩。

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恋愛詩人・李商隠 8 無題 (昨夜星辰昨夜風) 題をつけられない詩。

秘められた恋、許されない恋。いつの世も後に残るのはせつない思いか。
七言律詩

無題
昨夜星辰昨夜風、畫樓西畔桂堂東。
昨夜、大空に星が瞬き、そして、昨夜、夜の街に風が吹いていた。美しく彩られた高楼の西の方、微風が吹けば柱や梁からほのかな香りが広がる豪華な座敷の東側でのことであった。
身無綵鳳雙飛翼、心有靈犀一點通。
そこであなたに会えたとはいいながら二人並んで飛び立つつがいの鳥だけどあの鳳凰の彩り鮮やかに見せびらかせることはできな。心は神秘的な媚薬で一点に集中したように通じ合っている。
隔座送鉤春酒暖、分曹射覆蠟燈紅。
宴はたけなわ、やがて余興のお座敷遊びに移った、握っているのを他の人が言い当てる蔵鉤の時、春の花びらを浮かべた紅酒で暖かくなった。組み分けをやりなおして盆下の品物当ての遊びに移るころは明りの蝋燭は、視線を合わせることもふせた隠された恋の焔に赤く揺らめいていた。
嗟余聽鼓應官去、走馬蘭臺類轉蓬。

ああ、それにしても日が変わった時の音が聞こえた、役所仕事のためにここを去らないといけない。馬を走らせ秘書省へ向かう私は、秋風に毬のように転がりまわる草のようなものだ。



題をつけられない詩。
昨夜、大空に星が瞬き、そして、昨夜、夜の街に風が吹いていた。美しく彩られた高楼の西の方、微風が吹けば柱や梁からほのかな香りが広がる豪華な座敷の東側でのことであった。
そこであなたに会えたとはいいながら二人並んで飛び立つつがいの鳥だけどあの鳳凰の彩り鮮やかに見せびらかせることはできな。心は神秘的な媚薬で一点に集中したように通じ合っている。
宴はたけなわ、やがて余興のお座敷遊びに移った、握っているのを他の人が言い当てる蔵鉤の時、春の花びらを浮かべた紅酒で暖かくなった。組み分けをやりなおして盆下の品物当ての遊びに移るころは明りの蝋燭は、視線を合わせることもふせた隠された恋の焔に赤く揺らめいていた。
ああ、それにしても日が変わった時の音が聞こえた、役所仕事のためにここを去らないといけない。馬を走らせ秘書省へ向かう私は、秋風に毬のように転がりまわる草のようなものだ。


 

昨夜星辰昨夜風、畫樓西畔桂堂東。       
昨夜、大空に星が瞬き、そして、昨夜、夜の街に風が吹いていた。美しく彩られた高楼の西の方、微風が吹けば柱や梁からほのかな香りが広がる豪華な座敷の東側でのことであった。
○星辰 星座。ほし。 ○畫樓 美しく彩られた二階建ての建物、高楼。 ○西畔 すべてのものの側辺を畔という。西側に寝台を置くもので、西とか窓が出る場合、男女を連想する。 ○桂堂 その部屋の柱や梁に高価な桂材を使用してある座敷をいう。桂材は香木。李白の「長門怨」其二(桂殿長く愁いて春を記せず。)、桂柱、桂堂、桂香などがある。      

 
身無綵鳳雙飛翼、心有靈犀一點通。
そこであなたに会えたとはいいながら二人並んで飛び立つつがいの鳥だけどあの鳳凰の彩り鮮やかに見せびらかせることはできな。心は神秘的な媚薬で一点に集中したように通じ合っている。
綵鳳 神鳥。鳳凰は美しい綾絹のような羽をもつ。綵は五色に彩られた絹織物。 ○靈犀一點通 靈は神妙な、不思議な、妖しい。犀は大型の哺乳類動物。皮で鎧を作り、角は精力剤とされる。これらにより回春薬ということか。薬剤により、心が一本になる。一点に集中して心が通じ合う。

隔座送鉤春酒暖、分曹射覆蠟燈紅。
宴はたけなわ、やがて余興のお座敷遊びに移った、握っているのを他の人が言い当てる蔵鉤の時、春の花びらを浮かべた紅酒で暖かくなった。グループをやりなおして盆下の品物当ての遊びに移るころは明りの蝋燭は、視線を合わせることもふせた隠された恋の焔に赤く揺らめいていた。
送鉤 鉤は蔵鉤(ぞうこう)という遊戯。二組に分かれて、その一組のものが握り拳を出し、その中の一人がものを握っているのを他の人が言い当てるお座敷ゲーム。 ○分曹 曹はグループ。グループ分けをする。 ○射覆 覆われたものを射あてる。盆の下に品物を隠し置きそれを言い当てる遊び。視線を合わせるのをわからないようにすることとかけている。


嗟余聽鼓應官去、走馬蘭臺類轉蓬。
ああ、それにしても日が変わった時の音が聞こえた、役所仕事のためにここを去らないといけない。馬を走らせ秘書省へ向かう私は、秋風に毬のように転がりまわる草のようなものだ。
 時を告げる太鼓の音。 ○蘭臺 政府の記録局文庫秘書省の雅称。李商隠は839年任じられている。 ○轉蓬 枝が四方に伸びて広がり、飢えで合して毬状になったころ、秋風にあうと根こそぎ吹きちぎられ手すさまじい勢いで転がっていく植物のこと。人が当てもなく流浪することの比喩に使用される。杜甫「野人送朱楼」(この日新しきを嘗めて転蓬に任す。)に使う。また、ここの意味は、秋風に毬のように転がりまわる草と書いたが「役所で一番のプレイボーイだ」ということだ。
 


無題
昨夜の星辰 昨夜の風、画楼の西畔 桂堂の東。
身に綵鳳双飛の翼無きも、心に霊犀一点の通う有り。
座を隔てて送鉤すれば春酒暖かく、曹を分けて射覆すれば蝋燈紅なり。
嗟ああ 余が鼓を聴き官に応じて去り、馬を蘭台に走らせて転蓬に類(にる)を。

李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)

恋愛詩人・李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)
ひそかに心を寄せる貴族むすめ、何かそわそわして不安気な姿。しかし、心に思う人とは添い遂げられないもの、そんな時代なのだ。きっと愛の終末は不幸なもの。

 無題
1. 颯颯東風細雨來﹐芙蓉塘外有輕雷。
2. 金蟾嚙鎖燒香入﹐玉虎牽絲汲井回。
3. 賈氏窺帘韓掾少﹐宓妃留枕魏王才。
4. 春心莫共花爭發﹐一寸相思一寸灰。

「はやて」のようにふく風が春風となり、小糠雨を連れてきた。蓮の花が咲き乱れる庭の池のむこうの方でかろやかな雷が鳴っている。

ここ貴族の館では、誰を喜ばそうとするのか、新たに香が入れかえられ、黄金の香炉全体に浮彫りされた魔よけの蛙が、あたかも口をかみ合わしたかのように、錠前が閉ざされ、やがて薫り高い香煙が客間の方に広がってくる。そして井戸では、虎のかたちを刻んだ宝玉で飾ったの釣瓶の滑車が綱を引き井戸水が汲みあげられるにつれて回転する。

このように、この家の娘(令嬢)が、香をたかせ、化粧の水を汲ませるのは、晋の時代の大臣、賈充かじゆうの娘が、父の宴を簾越しに見たとき、韓寿という若い書記官を見初めた。その話の様に、この娘は誰か心に慕う人あってのことだろう。しかし、魏の甄后が、七歩の才という文才に秀でた弟の曹植に心寄せながらも、兄の曹丕に嫁がせられたように、いずれは死後のかたみに贈る枕でしか、思いを遂げることのできない非運に泣かぬようにせねばならのではあるまいか。

萌えたぎる若き春の心は、花同志が競いあうことはない、その心にあるひと時の愛の燃えるたかまりはひと時後には灰となり、一寸の相思はやがて一寸の死灰となっておわる。


1. 颯颯たる東風 細雨来る、 芙蓉塘外 軽雷有り
2. 金蟾きんせん 鎖を齧かみ 香を焼きて入り、 玉虎 糸を牽き 井を汲みて回る
3. 賈氏 簾を窺いて 韓掾かんえんは少わかく、 宓妃 ふくひ 枕を留めて 魏王は才あり
4. 春心 花と共に発ひらくを争うこと莫かれ、 一寸の相思 一寸の灰



1. 颯颯東風細雨來﹐芙蓉塘外有輕雷。
「はやて」のようにふく風が春風となり、小糠雨を連れてきた。蓮の花が咲き乱れる庭の池のむこうの方でかろやかな雷が鳴っている。
颯颯 はやて。疾風。さかんなさま。風のさやさやと吹く形容。楚の屈原(紀元前339-278年)の「楚辞」九歌に「風は楓楓として木粛蒲たり。」と。王維(699-761)輞川集13「欒家瀬」 とても味わい深い、いい詩なので紹介する。

欒家瀬
颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。
波跳自相濺、白鷺驚復下。

欒家瀬 (らんからい)
颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)、浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ
波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ、白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり

また、杜甫(712-770)「石龕」颯颯驚蒸黎 颯颯として人民を驚かすや と使う。王維の使い方に李商隠の詩は似ている。
東風 はる風。○芙蓉 蓮の花。○ いけ。或いは池畔。○軽雷 かろやかな雷のとどろき。

2. 金蟾嚙鎖燒香入﹐玉虎牽絲汲井回。
ここ貴族の館では、誰を喜ばそうとするのか、新たに香が入れかえられ、黄金の香炉全体に浮彫りされた魔よけの蛙が、あたかも口をかみ合わしたかのように、錠前が閉ざされ、やがて薫り高い香煙が客間の方に広がってくる。そして井戸では、虎のかたちを刻んだ宝玉で飾ったの釣瓶の滑車が綱を引き井戸水が汲みあげられるにつれて回転する。
金蟾嚙鎖 金は黄金、そして一般に華麗な装飾のほどこされた物品の形容。蟾はひきがえる。湿気が病気のもとと考えられていた時代。カエルが湿気を呑むとされ、健康を願って香炉をその形に造った。操は錠前。擬人的表現で、香炉の蓋が閉ざされることを、その飾りものの蛙が噛むというもの。○玉虎牽絲 玉は宝石。また金殿玉楼というように広く豪華なものの形容。玉虎は虎の形を浮き彫りに轆轤=歯車をいう。飾り立てた香炉だけならまだしも、井戸の釣瓶の滑車にも豪華な金玉の飾りをしている奢侈なことを風刺している。

3. 賈氏窺帘韓掾少﹐宓妃留枕魏王才。
このように、この家の娘(令嬢)が、香をたかせ、化粧の水を汲ませるのは、晋の時代の大臣、賈充かじゆうの娘が、父の宴を簾越しに見たとき、韓寿という若い書記官を見初めた。その話の様に、この娘は誰か心に慕う人あってのことだろう。しかし、魏の甄后が、七歩の才という文才に秀でた弟の曹植に心寄せながらも、兄の曹丕に嫁がせられたように、いずれは死後のかたみに贈る枕でしか、思いを遂げることのできない非運に泣かぬようにせねばならのではあるまいか。
賈氏窺帘韓掾少 西晋時代の宰相賈充(217-282)の令嬢と、若い書記官韓寿との物語をさす。賈氏は賈の姓の女性という意味。劉宋・劉義慶「名士言行録」『世説新語』惑溺篇に「賈充のむすめ賈氏は、父の宴の客たちを青簾の中から窺って、韓寿の美貌を見そめ、以後二人は情を通じ合った。のちに令嬢の用いている高貴な香料の香りで、韓寿が賈氏のもとに通っている事が発覚した。その香料は外国からの献上品で大臣の陳騫(221-292)と賈充だけに朝廷から賜ったものだったからである。だが、賈充はそれを秘め、韓寿を婿養子とした。」とある掾は太府掾、大臣つきの書記官である。○宓妃留枕魏王才 魏の陳思王曹植(192-232)にからまる悲恋の物語をさす。曹植がみそめた甄逸のむすめを、父の曹操(155-220)は、当時五官中郎将だった兄の文帝曹杢(186-226)にめあわせてしまった、〕 いわゆ 甄后である。彼女は謗られて早く死んだのだが、黄初年問、洛陽におもむいた曹植は兄の文帝から甄后の遺品である枕を示され、覚えず涙を流したという。帰途、洛水のほとりで甄后の霊が現われ、「妾はもとから貴方が好きでした。生時には枕を兄上様にあげましたけれど、今、この枕を貴方にさしあげます。貴方のお顔をもっと見たい。」と言って消え去ったという。曹植の洛神の賦は、太古の帝王伏羲氏のむすめ宓妃が洛水に入水して川の精となったという伝説にもとづいて作られているが、実は甄后をしのんで作られたものという。曹植は七歩の才といわれ、七歩詩が有名。


4. 春心莫共花爭發﹐一寸相思一寸灰。
萌えたぎる若き春の心は、花同志が競いあうことはない、その心にあるひと時の愛の燃えるたかまりはひと時後には灰となり、一寸の相思はやがて一寸の死灰となっておわる。
一寸 心臓の大きさは一寸といわれる。○相思 恋。片思いでも相思という。李賀(790~816)「神絃」(相思 木帖す 金の舞鸞)に使う。本当は相思相愛であるのに木に貼られて片方しか見えない。



無題
晩楓たる東風 細雨来る
芙蓉塘外 軽甫有り
金糖 鎖を轟み香を焼きて〃り
玉虎 糸を牽き井を汲みて回る
か し  すだれ うかが   かんえん わか
質氏 簾を親いて 韓按は少く

怒妃 枕を留めて 魂王は才あり
春心 花と共に発くを争うこと莫かれ
一寸の相思一寸の灰

建安の三曹 曹操 曹丕 曹植

武帝(曹操)(ぶてい・そうそう) 155年 - 220 後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 ・短歌行 ・求賢令 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・薤露

曹丕・文帝(そうひ・ぶんてい) 187~226 三国時代の魏(ぎ)の初代皇帝。在位220~26。曹操の長子。字(あざな)は子桓(しかん)。諡号(しごう)、文帝。廟号は世祖。父を継いで魏王となり、後漢の献帝の禅譲によって帝位につき、洛陽を都と定め、国号を魏と号した。九品中正法を施行。詩文を好み、楽府にすぐれた。著「典論」など。 寡婦   ・典論  ・画餅  ・燕歌行  ・善哉行  ・王は驢鳴を好めり

曹植(そうしょく) [192~232] 中国、三国時代の魏(ぎ)の詩人。字(あざな)は子建。曹操の第3子。陳王に封ぜられたので、陳思王とも呼ばれる。五言詩にすぐれた。そうち。→建安体 →七歩(しちほ)の才 七歩詩 ・怨詩行  ・野田黄雀行  ・贈白馬王彪  ・左顧右眄   七哀詩

恋愛詩人・李商隠 6 重過聖女詞

      
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恋愛詩人・李商隠 6 重過聖女詞
この詩も物語のように読む。七言律詩


重過聖女詞
1.白石巌扉碧辞滋、上清淪謫得歸遅。
2.一春夢雨常飄瓦、盡日靈風不満旗。
3.萼緑華來無定所、杜蘭香去未移時。
4.玉郎会此通仙籍、憶向天階問紫芝。


1. 東川より長安に帰る途中、ここ鳳州、秦岡山、懸崖の聖女を祭る祠に再び立ち寄ることとなった。祠の玄関は自然の峻しい巌石でできている。それが扉でもある白い石の門は時代の色に古び、青い蘚が、石の白さに対照して色鮮やかに繁っている。ここに祭られる女神は、過去に何か罪を犯すところあって至上天の楽土から流謫せられ落ちぶれたのだろうが、祠の扉が苔むしてまだ天上に帰ることができないでいるのだろう。


2. ここでは、ひと春のあいだ中、春めく愛を示すような夢のなごり雨が、祠の古びた瓦に飛び散り飄える。そしてまた、何か神秘な風が、かかげたのぼり旗を一杯脹らませることもなく、一日中、柔らかく吹いている。
 
3. もとは宮女、罪あって道観に出だされて、女道士となったと思われる女達の、妖しくもなまめかしい姿が、ここに見られたのだが、
「昔、気紛れに羊権の家に下って不思議な贈物を届けた仙女「萼緑華」のように、彼女らはどこからともしれず、ふと現われたものだった。そしてまた、湘江の岸に捨てられ、漁夫の家に育って成長すると、天上に帰ったという杜蘭香のように、ほんの少し前までは、ここにいたと思うのに、人の愛の心をその気にさせてから、ふと消えてゆく。」

4. 仙界の官位で云えば、まだ「玉郎」に過ぎず、日頃不遇な私のこと、ここでは必ずや仙人世界の名簿に名をつらね、宮殿に自由に出入りできる身分になりたい。かつてここを訪れた時、美女の歓待を受け、夢幻の界なる天の宮殿のきざはしで、その世界にしかない、もしそれを食えば幸福のおとずれるという植物のことについて語り合った、その歓びを私はよく憶えている。


重過聖女詞
聖女詞 鳳州(陝西省鳳翔)の秦岡山の懸崖の側、列壁の上にある祠。その神体は女性で上が赤く下が白
く塗られているという。(856年45歳のころ、東川の幕府からか、陝西省南鄭県)興元の方面から長安に帰る途中の作と推定される。
「重ねて過る」とは以前一度たちよった事があるということである。聖女祠と題する詩は他に二篇ある。
唐代の道教のやしろ、或いはそれに類するいわゆる淫祠の女冠は多分に売春、娼妓的性格をもっていた。それを考え併せてこの詩を読まないとわからない。

1. 白石巌扉碧辞滋、上清淪謫得歸遅。
東川より長安に帰る途中、ここ鳳州、秦岡山、懸崖の聖女を祭る祠に再び立ち寄ることとなった。祠の玄関は自然の峻しい巌石でできている。それが扉でもある白い石の門は時代の色に古び、青い蘚が、石の白さに対照して色鮮やかに繁っている。ここに祭られる女神は、過去に何か罪を犯すところあって至上天の楽土から流謫せられ落ちぶれたのだろうが、祠の扉が苔むしてまだ天上に帰ることができないでいるのだろう。
上清 道教では天を玉清・太清・上清とわける、その至上天。そこに太上宮なる宮殿があり、聖者が住むという。○淪謫 流れものとなっておちぶれる。

2. 一春夢雨常飄瓦、盡日靈風不満旗。
ここでは、ひと春のあいだ中、春めく愛を示すような夢のなごり雨が、祠の古びた瓦に飛び散り飄える。そしてまた、何か神秘な風が、かかげたのぼり旗を一杯脹らませることもなく、一日中、柔らかく吹いている。 
一春 ひと春のあいだ中。○夢雨 楚の懐王の巫山神女を夢みるの故事にもとづき、男女の愛の喜びとその名残を夢雨という。晩唐の杜牧(803-852年)の潤州の詩に「柳は朱横に暗く夢雨多し。」と。○尽日 ひねもす。一日じゅう。

3. 萼緑華來無定所、杜蘭香去未移時。
もとは宮女、罪あって道観に出だされて、女道士となったと思われる女達の、妖しくもなまめかしい姿が、ここに見られたのだが、
「昔、気紛れに羊権の家に下って不思議な贈物を届けた仙女「萼緑華」のように、彼女らはどこからともしれず、ふと現われたものだった。そしてまた、湘江の岸に捨てられ、漁夫の家に育って成長すると、天上に帰ったという杜蘭香のように、ほんの少し前までは、ここにいたと思うのに、人の愛の心をその気にさせてから、ふと消えてゆく。」
萼緑華 (がくりょくか) 南山の仙女の名。青い衣を着て容色絶麗。晋の升平三年(359年)の冬の夜、羊権の家に降下し、仙薬を権にあたえておいて消え去った。この話は梁の陶弘貴の「真誥」にある逸話である。○杜蘭香 (とらんこう) 中国のかぐや姫。昔、一人の漁夫が湘江の岸で泣声をきき、嬰児を拾いそれを養った。その少女「杜蘭香」は成長して天姿奇偉(天女のようで妖しく賢そう)。ある日青い衣の仙界の下僕が空より、その家に下り彼女をつれ去った。昇天の際に、漁夫に言った。「私はもと仙女でございました。あやまちを犯して人間の世界に貶められておりましたが、今、帰ります。」と。後に、洞庭包山(どうていほうざん)の張碩(ちょうせき)の家に下って彼と結婚したと、前蜀の杜光庭の「墉城集仙録」(ようじょうしゅうせんろく)にある。「杜蘭香」は、晋の干宝の「捜神記」や「晋書」曹毗伝(そうひでん)などに登場するが、我が国最初の小説「竹取物語」は恐らく「杜蘭香」伝説にヒントを得ていると思われる。道教の寺院は「観」という。

4. 玉郎会此通仙籍、憶向天階問紫芝。
仙界の官位で云えば、まだ「玉郎」に過ぎず、日頃不遇な私のこと、ここでは必ずや仙人世界の名簿に名をつらね、宮殿に自由に出入りできる身分になりたい。かつてここを訪れた時、美女の歓待を受け、夢幻の界なる天の宮殿のきざはしで、その世界にしかない、もしそれを食えば幸福のおとずれるという植物のことについて語り合った、その歓びを私はよく憶えている。
玉郎 仙界の身分高き仙人に仕える侍従。梁の陶弘景の「登眞隠訣」にある。ここは李商隠みずからをいう。なお別の聖女桐の詩に、「星娥(せいが)ひとたび去りし後、月姊(げつし)更に来りしやいなや。」という、この二句と類似した発想の一聯がある。○通仙籍 宮門に出入を許された者の名をしるす掛札を通籍という。また、仕官することを「籍を通ず」という。○天階 本来は、三台とも呼ばれる星座の名を意味する。「晋書」の天文志によると、この星座は六つの星からなり、太微星(天の中央にある星)に最も近い星を天柱ともいい、人の世界でいえば三公(大司馬、大司徒、大司空)にあたる。以下順位があるのだが、その意味を含みつつ、この詞の最も高く、奥まった部屋のきざはしをいうのであろう。(向)もまた、最上の星に(むかって)であると同時に、この祠の部屋のきざはし〈で〉という意味でもある。○紫芝 天上の宮廷の庭に植えられる紫色の神秘な植物。道教では、それを内服すると仙界の官位が上進してあがめられるという。


○韻 滋、遅、旗、時、芝。

重ねて聖女詞を過る
白石の巌扉(がんぴ) 碧辞(へきじ)滋(しげし)、上清より淪謫(りんたく)せられて帰り得る 遅(おそし)。
一春 夢雨 常に瓦に飄、尽日 霊風 旗に満たず。
萼緑華(がくりょくか)の来る 定所無く、杜蘭香(とこうらん)去って未だ時を移さず。
玉郎 会えず此に仙籍を通ぜん、憶う天の階(きざはし)に向って紫芝(しし)、問いしことを。

李商隠 5 登樂遊原

李商隠 5 登樂遊原


登樂遊原
向晩意不適,驅車登古原。
夕陽無限好,只是近黄昏。


日暮に近づくにつれて私の心は何故となく苛立つ。馬車を命じて郊外に出、西のかた、楽遊原に私は登ってみた。陵があちこちにある歴史古き高原の空はいましも夕焼けに染まり、落日は言い知れぬ光に輝いている。とはいえ、その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へと近づいてゆくのだけれども。

樂遊原に 登る
晩(くれ)に向(なんな)んとして 意(こころ)適(かな)わず,車を驅(か)りて  古原に登る。
夕陽  無限に好し,只だ是れ  黄昏に近し。
**************************************
樂遊原
地名で長安の東南にある遊覧の地で、高くなっており、長安を眺め渡すことができる古来からの名勝地で漢の武帝のころからすでにそうだという。7/15ブログの地図に示した地点6月24日李白43杜陵絶句 五言絶句で
南登杜陵上、北望五陵間。
秋水明落日、流光滅遠山。
南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む
秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す
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**************************************
杜牧の「將赴呉興登樂遊原」
淸時有味是無能,閒愛孤雲靜愛僧。
欲把一麾江海去,樂遊原上望昭陵。
清時(せいじ)味有るは是(これ)無能
滝(しづか)に孤雲(こうん)を愛し静に僧を愛す
一麾(いっき)を把(と)って江海(こうかい)を去らんと欲し
楽遊原上昭陵(らくゆうげんじょうしょうりょう)を望む
------------------
平穏な時代は無能な者ほど味わいがある、静かに雲を眺めたり僧と話しをした。
地方長官の旗を執っていよいよ出発する時に、楽遊楼に上って昭陵を眺めた
------------------
楽遊原は長安の城郭の内側にあり曲江の北にある。眼下に長安のまちが広がり、すぐ北の方には東市がある。ずっと北には昭陵(太宗李世民の墓)を望む。この小高い場所からは北と西しか望めない。すぐ近くにある場所なので、別れの時、夕日が沈みかけたころに登るのである。

したがって、樂遊原の詩題のものは、落ち込んだ詩になるのである。この作品は、僅かの間、美しく輝く夕陽の素晴らしさを詠んでいるが、左遷を命じられ数日のうちに旅立つ前に上ったのだろう。「朝廷には、意に沿わない連中がたくさんいる。」いらだつ気持ちを抑えつつも、登ってみると素晴らしい景色。その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へ。宦官たちの暗躍を連想させる詩ととらえる。
「夕陽無限好,只是近黄昏。」の聯が現代で年を取っていく心境に使われる。


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向晩意不適、驅車登古原。
日暮に近づくにつれて私の心は何故となく苛立つ。馬車を命じて郊外に出、西のかた、楽遊原に私は登ってみた。
○向晩 夕方。暮れ方。名詞。 ○意 思い。心。気分。 ○不適 調子がわるい。具合が悪い。不快感がある。かなわない。

○驅車 車を駆って。馬車に乗って。馬車を出して。 ○古原 由緒ある古くからの原。ここでは長安の東南にあって、長安を眺め渡すことができる景勝地のことになる。後世、清・王士禛は『即目三首其一』で「蒼蒼遠煙起,槭槭疏林響。落日隱西山,人耕古原上。」と使う。 ○夕陽 夕日。 ○無限好 (白話か)限りなくよい。「好」は、「良」「佳」「善」「美」…等とは意味が違う。「好」は、似合って形の良いことをはじめとして、口語では広く使われることば。「良」は、悪(あく)ではなくて、善良なこと、という具合に使い分けが儼然としている。


夕陽無限好、只是近黄昏。
陵があちこちにある歴史古き高原の空はいましも夕焼けに染まり、落日は言い知れぬ光に輝いている。とはいえ、その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へと近づいてゆくのだけれども。
 ○只是 ただ…ではあるが(しかし)。 ○近黄昏 たそがれに近い。間もなくたそがれになる。



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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dwt05ch175pla01geocity
nat0017176sas00121205
李商隠の女詞特集ブログ連載中
burogutitl185李商隠 毎日書いています。

 李白の漢詩特集 連載中
kanshiblog460李白 毎日書いています。

李商隠 4 曲江

曲江もものがたりである。おもな舞台は長安である。
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李商隠 4 曲江



人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。

 皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。

 かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。

 だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はずだずたに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春にも喩うべきその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱にくじける心のかなしみも何ほどのこともないと思えるのだ

曲江 
望断平時翠輦過、空聞子夜鬼悲歌。
望断す 平時 翠輦の過りしを、空しく聞く 子夜 鬼の悲歌するを
金與不返傾城色、玉殿猶分下苑波。
金與(きんよ)は返らず 傾城の色(かんばせ)、宝殿は猶お分つ 下苑の波
死憶華亭聞唳鶴、老憂王室泣銅駝。
死せまりて憶う 華亭に唳鶴を聞きしことを、老いては王室を憂えて銅駝に泣く
天荒地欒心雖折、若比傷春意未多。

天荒れ地変じ心折ると雖も、若し春を傷むに此ぶれば意(こころ)未だ多からじ


曲江
望断す 平時 翠輦の過りしを、空しく聞く 子夜 鬼の悲歌するを
金與(きんよ)は返らず 傾城の色(かんばせ)、宝殿は猶お分つ 下苑の波
死せまりて憶う 華亭に唳鶴を聞きしことを、老いては王室を憂えて銅駝に泣く
天荒れ地変じ心折ると雖も、若し春を傷むに此ぶれば意(こころ)未だ多からじ


曲江
○曲江 古くから長安の南の郊外にある遊園地。唐の玄宗皇帝李隆基(685~752)の時改修して景勝の地とした。楼閣あり、庭園あり、寺社あり、士女官妓遊宴し、毎年三月三日の節句には公式の園遊会がこで催された。詳細は唐の康駢の「劇談録」に見える。唐の文宗皇帝李昂(809~840年)もしばしば寵姫楊賢妃をともなって、ここに遊んだが、甘露の変(835年)の後、補修作業も中止され、行幸も止んだ。詩は文宗の没後、後継争いから楊賢妃殺され、死骸が曲江に葬られた事を感慨する(馮浩の説)。
宦官は、虚勢を施した朝廷の侍従たち755~763安史の乱後の政治的混乱に乗じ権力を増大させ、数も数十人から5・6000にまで膨らんだ。「尚父」と号し大臣級の位まで持った。文宗は即位したときもほとんど実権を握られていた。準備周到に進められた一時は成功すとみられたが(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件「昨夜、甘露が降りてきた」と偽って宦官を一か所に集め殺そうとしたが、宦官の組織力が強く、失敗した。唐における宦官勢力の権力掌握がさらに強めることとなった事件。甘露の変という。

mapchina003李商隠 4 曲江、5楽遊園を示す

望断平時翠輦過、空聞子夜鬼悲歌。
人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。
○望断 望は遠くからみる。断は視界のとどかぬ事だが、ここは、以下の事柄のもう見られなくなったことをいう。○平時 つねきろ。かねがね。○翠輦 翠玉でかざった車、皇后や寵妃の乗る車と思われる。○子夜 第一の意味は真夜中ということだが、南北朝時代の歌謡に子夜歌という、南方から発生した一群の恋愛民歌をも指す。その曲詞は、東晋の時代、子夜なる乙女が初めに作り、東晋の孝武帝司馬曜(362~396年)の太元年間、琅椰の名族王氏の家で、亡霊がこの子夜を歌ったと伝えられ(「末書」楽志)、またその声は哀切に過ぎるものだったとも伝えられる(「唐書」楽志)。李白も呉の国の恋歌としてうたった。李白25子夜呉歌 ○鬼 亡霊。


金與不返傾城色、玉殿猶分下苑波。
皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。
○金輿 天子の車。○傾城色 その妖艶な色香の一瞥で城をも滅ぼすほどの美貌。漢の協律郎<李延年>が妹を武帝劉徹(紀元前157~87年)に薦めて歌った詩の一節、「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾けん。」からこの語にしている。皇帝の気に入られる事前調査済みの美人が差し向けられる場合、命を受けている。麗しい色気と回春の媚薬とでとりこにして行き、中毒死させていくのである。この役割の一端を宦官が担っていた。○下苑 「漢書」元帝紀に、この語が見え、顔師古の注に、京城東南隅の曲江なりとある。


死憶華亭聞唳鶴、老憂王室泣銅駝。
かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。○華亭唳鶴 華亭は江蘇省松江県西方の渓谷の名。呉の滅亡後、陸機(261~303年)はそこに隠棲した。陸機は呉の貴族、弟の陸雲(262~303年)と、祖国滅亡後、共に上洛して晋朝に仕えたが、乱世のこと、しばしばその主を変えねばならなかった。いわゆる八王の乱の第三クーデターの時、彼は成都王司馬頴の将軍として長沙王司馬乂と戦ったが大敗、宦官孟玖に誹謗され、陣中に殺された。処刑の間際に、「あの華亭鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬ。」と嘆いたという=陸士衡集」十巻がある。○王室泣銅駝 西晋の五行学者索靖(239~303三年)の故事。銅駝は洛陽王宮の南、東西に走る街路。王宮から南へ走る路との交叉点に、青銅の駱駝の像が相対して立てられていた。索靖は、天下の混乱を予見し、その銅駝を指さして、「今は宮門に据えられたお前を、そのうち荊の茂る廃墟で見ることとなろう。」と慨嘆したという。事実、やがて いわゆる五胡の晋都侵攻があり、洛陽は半ばが灰燼に帰した。


天荒地欒心雖折、若比傷春意未多
今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はズダズタに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春の花のようなその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱に挫ける心の悲しみも何ほどのこともないと思えるのだ
○心折 心が悲しみにくじける。盛唐の詩人杜甫(712~770年)の冬至の詩に「心折れ此の時一寸無し。」と。○傷春 実は文宗の寵妃楊賢妃の死を悼むことば。
甘露の変(かんろのへん)とは、唐の大和9年(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件だが、失敗した。そのことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の権力掌握がほぼ確実となったもの。





 人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。

 皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。

 かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。

 今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はズダズタに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春の花のようなその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱に挫ける心の悲しみも何ほどのこともないと思えるのだ


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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李商隠の女詞特集ブログ連載中
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 李白の漢詩特集 連載中
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李商隱 3 聞歌 七言律詩(解説編)

李商隱 3 聞歌 七言律詩

聞歌
1 斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
2 銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
3 靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
4 此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。


歌を聞く
1 笑(わらひ)を斂(をさ)め 眸(ひとみ)を凝(こ)らして  意 歌はんと欲し,
高雲 動かず  碧 嵯峨(さが)たり。
2 銅臺 望むを罷めて   何處にか歸り,
玉輦(ぎょくれん) 還(かへ)るを忘るる事 幾多(いくばく)ぞ。
3 靑冢(せいちょう)の路邊  南雁 盡き,
細腰宮 裏  北人 過(よぎ)る。
4 此の聲の腸(はらわた)斷つは  今日のみに 非ず,
香 灺(き)え 燈 光り  爾(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。


1 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。

2 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

3 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。
4 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひちたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしない、歌っている薄幸の宮女よ。

聞歌
○聞歌 落塊した官女が歌うのを聞いて作った詩。晩唐の詩人杜牧(803-852年)の杜秋娘の詩にも見られるように、落塊してさすらい、流転せぬまでも、仏教寺院、道教の観に寵を得ないまま、移された宮女は、当時はなはだ多かった。作者李商隠は、全国から選りすぐって集められた宮女、後宮女、芸妓(実質同じ意味を持つ)に目を向け、日ごとのやるせない思い、満たされない思い、そしてこの詩のように、別の皇帝が即位する際、これまでの宮女はすべて、寺院、寺観(唐時代国教になった時「観」というようになった)に預けられた。李商隠は唐時代、宦官らによる皇帝の毒殺が多く、被害者ともいえる宮女を詩に取り上げているのも社会批判の一つと考える。


1 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった

○斂 れん おさめる。ひきしめる。かくす。 ○笑:えみ。わらい。笑い顔。名詞。 ○凝 ぎょう こらす。定める。固まる。 ○眸 ぼう ひとみ。目の黒い部分。 ○意 表現されんとする人間の意志。恨みの思いという訳のあたることが多い。 ○欲 ~をしたい。 ○高雲不動 高い空の雲の動きを(歎きで)止(とど)める。 ○碧 へき みどり。李白と李商隠の愛用語。 ○嵯峨 さが 山の嶮しく石のごつごつしているさま。

2 

銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

○銅台罷望 銅台は規の武帝曹操(155~220年)が河南省臨漳県に建てた宮殿銅雀台をさす。
----------
西晋の文学者陸機の「弔魏武帝文」によると、298年、陸機は宮中の書庫から曹操が息子たちに与えた遺言を目にする機会を得た。遺言には「生前自分に仕えていた女官たちは、みな銅雀台に置き、8尺の寝台と帳を設け、そこに毎日朝晩供物を捧げよ。月の1日と15日には、かならず帳に向かって歌と舞を捧げよ。息子たちは折にふれて銅雀台に登り、西にある私の陵墓を望め。残っている香は夫人たちに分け与えよ。仕事がない側室たちは履の組み紐の作り方を習い、それを売って生計を立てよ。私が歴任した官の印綬はすべて蔵にしまっておくように。私の残した衣服はまた別の蔵にしまうように。それができない場合は兄弟でそれぞれ分け合えよ」などと細々した指示が書き残されていたという。これを見た陸機は「愾然歎息」し、「徽清絃而獨奏進脯糒而誰嘗(死んだ後に歌や飯を供して誰が喜ぼうか)」「貽塵謗於後王(後の王に醜聞を伝える)」と批評している。李商隠は曹操が没後、宮女たちすべて放遂されていることを述べている。
----------
 ○歸:本来居るべき所(自宅・故郷・墓地)などへ帰っていく。 ○何處 どこ(に)。
○玉輦 ぎょくれん天子の鳳輦(れん)。天子の乗り物。ここでは、隋・煬帝を指している。煬帝〔ようだい〕569~618年(義寧二年)隋の第二代皇帝。楊広。英。宮殿の造営や大運河の建設、また、外征のため、莫大な国費を費やし、やがては、隋末農民叛乱を招き、軍内の叛乱で縊(くび)り殺された。 ○忘還事 宮廷に帰還することを忘れて遊蕩に耽った出来事。煬帝の悪政と自身の頽廃した生活が史書に残されている。
○幾多(いくばく)どれほど。どれほどの多数。
----------
『隋書・帝紀・煬帝下』に「六軍不息,百役繁興,行者不歸,居者失業。人飢相食,邑落爲墟,上不之恤也。東西遊幸,靡有定居,毎以供費不給,逆收數年之賦。所至唯與後宮流連耽湎,惟日不足,招迎姥媼,朝夕共肆醜言,又引少年,令與宮人穢亂,不軌不遜,以爲娯樂。」
皇帝の軍隊は、休む閑が無く、数多くの仕事が次から次に起こり、出て行った者は帰ってくることがなく、留まっている者は失業している。(煬帝は)各地を遊び回り、定まった住所が無く、お金を渡すことはなく、逆に数年分の税金を取り立てる。ただ、後宮の女性の所に居続け、それでもの足らないときは、熟年の老女を呼び込み、朝夕に亘って、醜い言葉をほしいままにしていた。その上、若者に対して宮人に穢らわしいことをさせて、むちゃくちゃなことをさせ、それを楽しみとしていた。)とある。
〔煬帝の概要]
即位した煬帝はそれまでの倹約生活から豹変し奢侈を好む生活を送った。また廃止されていた残酷な刑を復活させ、謀反を企てた楊玄感(煬帝を擁立した楊素の息子)は九族に至るまで処刑されている。
洛陽を東都に定めた他、文帝が着手していた国都大興城(長安)の建設を推進し、また100万人の民衆を動員し大運河を建設、華北と江南を連結させ、これを使い江南からの物資の輸送を行うことが出来るようになった。対外的には煬帝は国外遠征を積極的に実施し、高昌に朝貢を求め、吐谷渾、林邑、流求(現在の台湾)などに出兵し版図を拡大した。
更に612年には煬帝は高句麗遠征(麗隋戦争)を実施する。高句麗遠征は3度実施されたが失敗に終わり、これにより隋の権威は失墜した。また国庫に負担を与える遠征は民衆の反発を買い、第2次遠征途中の楊玄感の反乱など各地で反乱が発生、隋国内は大いに乱れた。各地で李密、李淵ら群雄が割拠する中、煬帝は難を避けて江南に逃れた。
煬帝は現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われていた。618年、江都で煬帝は故郷への帰還を望む近衛兵を率いた宇文化及兄弟らによって、末子の趙王楊杲(13歳)と共に50歳にして殺害された。
---------- 


3 
靑冢路邊南雁盡、細腰宮裏北人過。
 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

 ○盡 姿がつきる。無くなる。 ○青冢 〔せいちょう青塚〕青い草の生えている塚で、王昭君の陵墓をいう。王昭君の墓所には、冬でも青々と草が生えていた故事に因る。現・呼和浩特(フホホト)沙爾泌間の呼和浩特の南九キロメートルの大黒河の畔にある。杜甫の『詠懷古跡五首』之三とある。常建の『塞下曲』とある。白楽天も王昭君二首を詠う。李白は三首詠(李白33-35 王昭君を詠う 三首)っている。王昭君自身は、『昭君怨  王昭君 』 詳しくは漢文委員会「王昭君ものがたり」に集約して掲載。 ○路邊 道端の。 ○南雁 南の方の郷里である漢の地に飛んで帰るカリ。故郷への雁信。 ○盡 姿がつきる。無くなる。
 ○細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。
  ○細腰 温庭には『楊柳枝』「蘇小門前柳萬條,金線拂平橋。黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。」と詠われる美女の形容でもある。(紀頌之ブログ7月8日蘇小小) ○北人:北方人。春秋・楚は、長江流域にあった中国南部の大国。漢民族の故地である黄河流域の中原とは、『楚辭』に象徴されるように、異なった文明を持つ。その後漢は黄河流域に栄えるが、三国、五胡十六国、南北朝と、原・漢民族は南下し、その間、前秦北魏などが北方を制し、突厥が北方を伺った。(その後も金(女真人)、元(モンゴル人)清(女真→満洲人)という流れ)。「南風不競」という通り、「北人」には「征服者」という感じが籠もる。現・漢民族の外見的な特徴は、(「南人」と比べてのイメージとしてだが)背が高く、大柄(「南人」は小柄)。目が切れ長でつり上がっている(「南人」はぱっちりとした二重まぶたの目)。南朝の繊細華麗優美な文化に比べ北朝の武骨な文化を野暮なものとしている。 ・過:よぎる。通り過ぎる。

4 

此聲腸斷非今日、香灺燈光奈爾何。
 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひとたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしないのだ、歌っている薄幸の宮女よ。

 ○此聲:元、しかるべき地位にあった女性の淪落後の歌声。 ○腸斷:非常な悲しみを謂う。 ○非今日:今日だけではない。 ○香灺:香が燃え尽きる。 ○灺 しゃ ともしびの燃え残り。蝋燭の余燼。 ・燈光 ともしびが輝く。ここは、「燈殘」ともする。 ○奈爾何 あなたをどうしようか。 ○奈何 どのようにしようか。 ○爾 なんぢ。女性を指すか。香を指すのか。



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李商隠 3 聞歌

李商隠 3 聞歌


李商隠の詩は小説である。漢詩ととらえて、言葉だけを並べたのでは何の意味か分からないものになってしまう。これまでの李商隠1,2ではまだ通常の現代訳(kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ)という形でよかったが、それでは、李商隠の詩の良さは分からない。詩商隠の詩は、その語句の背景にある物語を考え併せて読んでいかないと李商隠の素晴らしさが伝わらないのである。
 李商隠は詩を書くのにほとんど自分の部屋で、机のまわりにいろんな書物、故事に関連したものなど並べて書いたそうである。「獺祭魚的方法」で書かれている。したがって、その背景こそ重要なものなのである。
また、密偵、内通などにより、親しい人、官僚の死、流刑、左遷と衰退していく唐朝の中で暗黒の時代でもあった。男女の愛についてもこうした背景で見ていかないと、単に死んだ妻を偲んで詠ったもの的な解釈になるのである。李商隠における「エロ」的表現には社会批判、当時の権力者への批判が込められている。そういう意味で味わい深い詩なのである。 


ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。

かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひちたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしない、歌っている薄幸の宮女よ。

聞歌
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。


歌を聞く
笑を斂 眸(ひとみ)を凝らして意歌わんと欲し,高雲 動かず  碧 嵯峨(さが)たり。
銅臺 望むを罷めて   何處にか歸り,玉輦(ぎょくれん) (かへ)るを忘るる事 幾多(いくばく)ぞ。
靑冢(せいちょう)の路邊  南雁 盡き,細腰宮 裏  北人 過(よぎ)る。
此の聲の腸(はらわた)斷つは  今日のみに 非ず,香 灺(き)え 燈 光り  爾(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。

靑冢は王昭君のこと 紀頌之のブログ参照 34 王昭君二首 五言絶句 王昭君二首 雑言古詩 35李白王昭君詠う(3)于巓採花

詩の訳註、解説について長いので、別の機会に漢文委員会HP に掲載することとする。

李商隠 2 房中曲

李商隠 2 房中曲 五言律詩

房中曲
薔薇泣幽素、翠帯花銭小。
庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい
嬌郎癡若雲、抱日西簾暁。
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。
枕是龍宮石、割得秋波色。
この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
玉箪失柔膚、但見蒙羅碧。
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。
憶得前年春、未語含悲辛。
思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。
帰来已不見、錦瑟長於人。
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。
今日澗底松、明日山頭檗。
今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
愁到天地翻、相看不相識。
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。


庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。

この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。

思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。

今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。

房中曲
○房中曲 言葉の意味は私室の中の歌ということ。漢の高祖劉邦(紀元前247~195年)の時、その妃唐山夫人が房中詞を作り、また漢の武帝劉傲(紀元前157~87年)の時に房中歌という歌曲があった。それは周の房中楽に基づくのだという。3年で喪が開ける。表だっての派手な行動ははばかられる時期。851年李商隠四十歳頃の作。

薔薇泣幽素、翠帯花銭小。
庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい。
○泣幽素 幽素は人知れずひっそりと。素は飾りけのないことであり、色が白いこと。南北朝の劉昼の「春の花は日を見て笑うに似て、秋の露は滋くして泣くが如し。」とみえる。○花銭小 薔薇の花が銅貿のように小さいことをいう。

嬌郎癡若雲、抱日西簾暁。』
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。
○嬌耶 まだまだ若さを保った男。自分のことを言う。○抱日 雲が帆を包み抱く。

枕是龍宮石、割得秋波色。
この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
○龍宮石 石枕のことを龍宮石というが、この龍宮が水の中の宮殿。龍宮は次の秋波につながる。そして秋波は蒙羅の碧という言葉を呼び起こす。波は男女の行為を言う。
 
玉箪失柔膚、但見蒙羅碧。』
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。
○玉箪 箪はたかむしろ。もと竹で作る。 ○蒙羅 うす絹のかけ布団。あるいは、うすぎぬの机着。

憶得前年春、未語含悲辛。
思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。

帰来已不見、錦瑟長於人。』
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。
○長於人 大琴の長さが人の背たけほどの長さで、そこにあるということ。


今日澗底松、明日山頭檗。
今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
○今日澗底松 澗は谷川。松は、万木枯れてのち松の青きを知るというように、不変なものを象微する樹。○明日山頭檗 明日は山頂のミカンの木。檗はミカンの木。

愁到天地翻、相看不相識。』
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。




 この詩は約一年半前に別れ旅立っている間に死んだ妻を偲んで詠ったものとされているものですが、人の大きさの琴は、宮廷の芸紀、地方政府の宮廷の芸妓、などが使っていたもの。そして、綺麗な石枕⇔竜宮⇔秋波⇔玉箪⇔柔膚⇔蒙羅 と男女の営みの語字を使い、そして、行為を次々連想させ、広げさせてくれる。 作者の寂しさは誰に向けられたものなのか。

李商隠の詩は、こうした独特の世界を広げてくれます。

○韻 小、暁 /色、碧 /辛、人 /檗、識

四句ごとに韻を変えている、絶句(四句)が四つで、聯は対句をなし、律排詩にに構成されている。それそれを絶句としてみるとこの詩が妻の死を悲しむ歌なんかじゃなくて、巧みに字、語、句を配置させ、四句ごとに転韻させ、それぞれ意味が全く違うもので詩が出来上がったいる。初めrの四句「起」庭の素肌の白い花(女)と太陽(女)小銭のような花びら(女)、翠帯(男)雲(男)という暗号のように、男女を示す。つづく「承」は竜宮城から始まる男女の行為を連想させます。「転」で一転して帰ってみたら女の人はいなかった。「結」で人生はいろいろある。橋だけでも楽しもうよ。後にお互い年を取って誰だかわからないっということでもいいじゃないか。

薔薇 幽素に泣き、翠帯 花銭 小さく。
嬌郎は癡(おろか)なること雲の若く、日を抱く 西簾(せいれん)の暁。』
枕は是 龍宮の石、割き得たり 秋波の色を。
玉箪(ぎょくてん)柔膚を失し、但 見る蒙羅の碧き。』
憶 得る 前年の春、未だ語らずして 悲辛を含む。
帰り来れば 已に見えず、錦瑟 人よりも長し。』
今日 澗底の松、明日 山頭の檗。
愁は到らん天と地の翻(ひるがえり)、相看る相識らざるまでに。』

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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錦瑟 李商隠 1 Ⅰ晩唐李商隠詩<1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之漢詩ブログ<64>

錦瑟 李商隠 1 Ⅰ晩唐李商隠詩<1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之漢詩ブログ<64>
2012/9/25 訂正更新


 李商隠の詩は、
(1)恋愛・悲恋・嫉妬・屈辱・恥辱
・ 他人に口外できないような不幸な恋愛、
・ 思いを遂げえない恋愛、権力者に囲われ、その庇護でないと生きられない女
・ 漢詩でありながら小説的構成を持つ妖艶、妖気な恋愛、
・ ポルノ写真にモザイクを掛けたいような表現の恋愛もの、
・ 酒宴で詠われたもの
・ 国家の末期の衰退期の頽廃的表現のもの
(2)社会批判、叙事詩、
・ 牛李の闘争と宦官の陰謀
・ 不運・不遇な人間、抑圧された世界
・ 過去の王朝の滅亡
・ 富貴のものの反社会詩・頽廃
・ 詠史・風刺
・ 怪奇・妖気・伝奇
・ 市民社会の勃興
(3)官職が転貶され漂泊の苦しみ、辺々地の悲しみ、妻に対する気持ちの歌を素直に表現せず、他の娼妓に置き換えて表現をしている。


李商隱1錦瑟(きんしつ)

錦瑟  
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
あの人と仲の良かったころに敲いていた立派な模様のある瑟(おおごと)をいつものように五十弦を弾いている。一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)その一つひとつがあなたとの楽しかった逢瀬を思い起こしているし、たとえ逢えないことがあってもこの思いは壊せはしない。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
昔、『荘子、内篇、齊物論』で、荘周が蝶になった夢をみて、その自由さに明け方、夢が覚めてのち、自分の夢か、蝶の夢かと疑ったというけれど、わたしも蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいいきたいのです。また、蜀の望帝はその身が朽ち果てても、春めくその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。私の愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴しているのです。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
あなたと二人で青い海に向かったとき、月は白くかがやき珠の肌を重ねた素晴らしい思いで、人魚が行為の後で流した涙、真珠の涙をこぼしたように、藍田の玉山なのか、西王母の玉山なのか悦楽で朦朧としているこの気持ち、はっきりと暖かくしてくれた、五色の雲煙が立ち込めていた中でのことは、今は遠く過ぎ去ったことでしかないのです。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。
これほど燃えていた二人だが今あなたのもとに行けないのだ。わたしのこのやるせない心情(失意)は、追憶の中だけのものなのか、いや、違う。いつもせつない思いをしていて、今も続いているのだ。人目を忍んであいしあうことは、初めからもどかしいやりきれなさを持っているものだったのです。


現代語訳と訳註
(本文)
錦瑟
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。


 (下し文)
錦瑟【きんしつ】端無【はし な】くも  五十弦【ご じゅうげん】,一弦【いちげん】一柱【いっちゅう】  華年【かねん】を思う。
莊生【さうせい】の曉夢【ぎょうむ】は  蝴蝶【こちょう】に迷い,望帝【ぼうてい】の春心は杜鵑 【と けん】に托す。
滄海【そうかい】月 明らかにして 珠に涙 有り,藍田【らんでん】日ひ 暖かにして玉は煙を 生ず。
此この情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,只 是 當時より 已【すで】に惘然【ばうぜん】。


(現代語訳)
あの人と仲の良かったころに敲いていた立派な模様のある瑟(おおごと)をいつものように五十弦を弾いている。一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)その一つひとつがあなたとの楽しかった逢瀬を思い起こしているし、たとえ逢えないことがあってもこの思いは壊せはしない。
昔、『荘子、内篇、齊物論』で、荘周が蝶になった夢をみて、その自由さに明け方、夢が覚めてのち、自分の夢か、蝶の夢かと疑ったというけれど、わたしも蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいいきたいのです。また、蜀の望帝はその身が朽ち果てても、春めくその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。私の愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴しているのです。
あなたと二人で青い海に向かったとき、月は白くかがやき珠の肌を重ねた素晴らしい思いで、人魚が行為の後で流した涙、真珠の涙をこぼしたように、藍田の玉山なのか、西王母の玉山なのか悦楽で朦朧としているこの気持ち、はっきりと暖かくしてくれた、五色の雲煙が立ち込めていた中でのことは、今は遠く過ぎ去ったことでしかないのです。
これほど燃えていた二人だが今あなたのもとに行けないのだ。わたしのこのやるせない心情(失意)は、追憶の中だけのものなのか、いや、違う。いつもせつない思いをしていて、今も続いているのだ。人目を忍んであいしあうことは、初めからもどかしいやりきれなさを持っているものだったのです。


(訳注)
錦瑟
: 琴の胴の部分に錦のような絵模様が描かれた大琴で、一般的に亡き妻をしのんで詠ったとされるが(漢文委員会ジオ倶楽部)、一夫多妻制の当時として、ここではおもい焦がれる恋しい人、たとえば不倫相手(逢いたくてもあうことのできない時のおもい)に対しての詩である。後世の儒学的詩人・評論家は解釈が狭い。李商隠は実際には亡き妻のことを詠っているのであるが、それを娼妓に置き換えて詠った。こう言うことで李商隠の詩の解釈において詩の矛盾や、謎がすべて消える。


錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
あの人と仲の良かったころに敲いていた立派な模様のある瑟(おおごと)をいつものように五十弦を弾いている。一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)その一つひとつがあなたとの楽しかった逢瀬を思い起こしているし、たとえ逢えないことがあってもこの思いは壊せはしない。
無端 何の原因もなく。ゆえなく。わけもなく。端(はし)無く。これというきざしもなく。思いがけなく。はからずも。いつもどおい何の変りもなく。 
五十弦:古代の瑟は五十弦のものは宮女(宮廷の芸妓)が使ったもの。後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている。 
華年:あなたと逢瀬を過ごしているこの年月。


莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
昔、『荘子、内篇、齊物論』で、荘周が蝶になった夢をみて、その自由さに明け方、夢が覚めてのち、自分の夢か、蝶の夢かと疑ったというけれど、わたしも蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいいきたいのです。また、蜀の望帝はその身が朽ち果てても、春めくその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。私の愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴しているのです。
莊生 荘周。荘子。 
 自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 
蝴蝶 荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。 
荘子 内篇齊物論 (最終段)
昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。

昔者、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此れを之れ物化と謂ふ。

望帝 蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。  井泥四十韻 第四場面 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 144
春心 春を思う心。相手と結ばれたいとを思う心。 ○春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。
燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-1


滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
 あなたと二人で青い海に向かったとき、月は白くかがやき珠の肌を重ねた素晴らしい思いで、人魚が行為の後で流した涙、真珠の涙をこぼしたように、藍田の玉山なのか、西王母の玉山なのか悦楽で朦朧としているこの気持ち、はっきりと暖かくしてくれた、五色の雲煙が立ち込めていた中でのことは、今は遠く過ぎ去ったことでしかないのです。

滄海 ここでは、思い浮かべる架空の青い海。仙界、東海の蓬莱山に至る大海原。 
月明珠有涙 西晋、左思「呉都賦」月と真珠は縁語であり、感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。つまり、滄⇔海⇔月⇔明⇔珠⇔有⇔涙それぞれの語字が関連、連携して男女の思いを強調する効果を出している。・珠 ここでは真珠。「蚌中の月」。 ・有涙:鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。張衡『南都賦』にある。六朝小説『別国洞冥記』にもみえる。 ○藍田 色蒼き山。陝西省藍田県東南にある山の名で、名玉を産する。『山海経』にいう西王母の住む玉山、美玉を産し、玉山ともいうが、ここでは想像上の逢瀬の場所をれんそうさせる。 
日暖 陽光が射す。はっきりする。 
玉生煙 五色の雲煙が生じて宝気が立ち上るという。瑟の音色の形容でもあり、雲煙が慕情をさらに包み込んでいくことをしめす。
中唐 戴叔倫 「詩家之景、如藍田日暖、良玉生煙、可望而不可置於眉睫之前」(詩家の景色、“藍田の日が暖かく、良玉の煙が. 生じる”というようなものは、遠くから望むことならできるが、目の前に置くことはで. きない)


この聯は、二人が愛し合った時の模様をいうのである。滄海は性交時のエクスタシーの様子の表現であり、月は女性で、行為の終わった後の悦楽の涕をいう。藍田は西王母の立った一日情を交わしたこと五色の紫煙が立ち込める中でのことであり、今は遠く過ぎ去った事である。


此情可待成追憶、只是當時已惘然
これほど燃えていた二人だが今あなたのもとに行けないのだ。わたしのこのやるせない心情(失意)は、追憶の中だけのものなのか、いや、違う。いつもせつない思いをしていて、今も続いているのだ。人目を忍んであいしあうことは、初めからもどかしいやりきれなさを持っているものだったのです。
此情 この(鬱々とした)心情。失意。  
○可待 何を待とうか。待つまでもないことだ。反語的な語気を含む。
當時 その頃。その時。その頃。 
 とっくに。すでに。はじめから  
惘然 〔ぼうぜん〕気落ちしてぼんやりするさま。もどかしいやりきれなさ。



 なさぬ恋、悲恋の詩と解釈した。道ならぬ恋を「望帝」を持ち出して示唆している。これまでのように死に別れた妻の気持ちを詠うのに姦通の故事を詠いこむのはおかしい。この歌は、貴族の歌会や、酒宴で披露したことを想定してみると実に奥深い趣のある芸術性に富んだ詩となる。恋歌は不倫の詩である。李商隠の力作である。
李商隠は837年令狐綯により科挙に合格している。この時こそが、この詩に歌う絶頂期であり、838年27歳で反対党の王茂元の娘を娶る。これ以降不遇となる。これ以降の詩はこの不遇が基本となっているため、成功者=勝ち組の視点の詩は全くない。


錦瑟  李商隱
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。


錦瑟【きんしつ】端無【はし な】くも  五十弦【ご じゅうげん】,一弦【いちげん】一柱【いっちゅう】  華年【かねん】を思う。
莊生【さうせい】の曉夢【ぎょうむ】は  蝴蝶【こちょう】に迷い,望帝【ぼうてい】の春心は杜鵑 【と けん】に托す。
滄海【そうかい】月 明らかにして 珠に涙 有り,藍田【らんでん】日ひ 暖かにして玉は煙を 生ず。
此この情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,只 是 當時より 已【すで】に惘然【ばうぜん】。






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