漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2011年08月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 「哭劉司戸二首
其一」李商隠 812~858



哭劉司戸二首其一
離居星歳易、失望死生分。
離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
酒甕凝餘桂、書籖冷舊芸。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
江風吹雁急、山木帯蝉曛。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
一叫千廻首、天高不爲聞。

ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。


離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。


劉司戸を哭す二首其の一
離居して星歳易(か)わり、望みを失す 死生分かるるに
酒甕(しゅおう) 余桂(よけい) 擬(ぎょう)し、書籖(しょせん) 旧芸(きゅううん)冷やかなり
江風 雁を吹きて急に、山木 蝉を帯びて曛(く)る
一たび叫び千たび首を廻らすも、天高くして為に聞かず



劉司戸
劉司戸 劉蕡、字は去華。当時の硬骨の士。宝暦二年(826)進士及第ののち、大和二年(828)に賢良方正能直言極諌科に応じた時、権勢・謀略をほしいままにしていた宦官勢力を激しく攻撃し、その対策論文を提出した。試験官たちは感服したものの甘露の変*以降、どうすることもできない状態だったので宦官を恐れて落とした。
合格者のなかには劉蕡が落ちて自分が合格した厚顔には堪えられないと授けられた官職を辞退する者まであらわれた。劉蕡は令狐楚、牛僧濡らの幕下で大切に扱われたが、宦官の恨みはすさまじく、結局柳州(広西壮族自治区柳州市)司戸参軍に流謫されてその地で歿した。死後六十数年を経た唐末に至って左諌議大夫を追贈されたことが示すように、権力を恐れない義人として名声は伝えられた。李商隠はおそらく令狐楚を介して知り合ったのだろうが、その人となりを敬慕し、劉蕡が柳州に流される時には「劉司戸に贈る 李商隠35」送別詩を作り、その死に際しては、「劉蕡を哭す 李商隠36」、と「劉司戸蕡を哭す二首」の計四首を作っている。次回「其の二を掲載。」

*甘露の変(かんろのへん)とは、中国、唐の大和9年(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件。本件が失敗したことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の権力掌握がほぼ確実となった。



離居星歳易、失望死生分。
離ればなれに暮らし、星のまたたきとともに年月は移り、再会できない失望のまま、生と死さえ分かたれているのだ。
離居 離ればなれに住む。『礼記』檀弓の「離群索居」朋友から離れて孤独にいること。○星歳 時間をいう。



酒甕凝餘桂、書籖冷舊芸。
かめにはのこった桂酒が凝り、書物に挟んだしおりも古びた芸香が冷たくなっている。
酒甕 酒を入れたかめ。この甕は女性を意味するものであり、桂は閨を意味する。ととも○余桂 「桂」は香木の香りのさけ、桂酒。桂を浸した上等の酒。次の句の「芸」とともに香り高いものでもある。○書籖 書物の間にしおりのように挟むふだ。籖にも閨情の意味のつきさすということだ。○旧芸 芸は芸香という香草。書物の虫除けに用いる。芸は云、情交を意味する。武骨な部分とこうした、閨情語を使用してしゃれた感じを出したのである。ここでは、李商隠の部隊が娼屋ではない、閨情詩ではないので普通に訳す。次の聯が李商隠の主張であるから。

風吹雁急、山木帯蝉曛。
長江の風は旅だった雁に激しく吹き付けるようにわたしたちにも吹いている、そして、山の木々のように世間の人たくさんには正しいことを主張し啼いている蝉の声を響かせたけれどとどかないで暮れていくのだ。
○蝉 李商隠の「蝉」に詳しく述べているが、蝉は損得、賄賂など関係なく正しいことを主張するという意味で使っている。この意味を正しくとらえないとこの詩を理解はできない。紀頌之漢詩ブログ29「蝉」を参照 夕日の光、夕暮れ、黄昏。



一叫千廻首、天高不爲聞。
ひとたび大きく正論を主張し叫んだ、それを千回も向を振り返っても、天子は宦官によって高いところに置かれていて、この正当な主張を耳に届くことはないのだ。
天高一句 「天高きも卑きを聴く」(『史記』宋傲之世家など)といわれるのに、低い所から発する声を天はただ聞いてくれないだけでなく、宦官が宮廷を牛耳っており天子にこれが届かないということなのだ。


詩型・押韻 五言律詩 分、芸、噴、聞。



李商隠の時代

 宦官は、唐王朝初期60人程度であったものから、徐々に宮廷を侵食し、約100年前の玄宗皇帝の宦官、を高力士の時期には1000人程度まで増大し、さらに、皇帝暗殺、など様々に権勢をにぎり、さらに急速に増大して李商隠の時代は数千人名にまで膨れ上がった。宦官は養子縁組で増大していく、一方の朝廷は科挙から官僚になるものと、血縁、貴族の世襲のものとが、対立していて、宦官対策どころではないのである。権力闘争というより、人事権の争いの様なもので、有力な地方の節度使は独立国を形成していた。
 唐王朝の実質支配は、長安の一体、洛陽の中心部と地方のピンポイントに支配権をもって点と線で結ばれた限られた地域のものにあっていた。
 そうした中で、唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争をしていたのである。
 ところが、ここから、半世紀以上も唐王朝は宦官の力で続くのである。

杜司勲  李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38 「杜司勲」李商隠(812~858)
849年李商隠38歳 848の冬から849年9月まで、京兆尹留後三軍事奏署掾曹(長安駐屯の軍の書記)でいた。
杜司勲  李商隠38



杜司勲
高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。

とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。

雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。



杜司勲
高楼の風雨 斯文に感ず
短翼 差池(しち)として 群するに及ばず  
刻意 春を傷み 復た別れを傷む
人間(じんかん) 唯(た)だ有り 杜司勲


○杜司勲 晩唐の大詩人杜牧(803~852年)あざな牧之。京兆の人。憲宗期に名臣と称された宰相杜佑の孫で文宗皇帝の太和元年(827年)の進士。初め沈伝帥(769-827年)、牛僧儒(779-847年)の幕下で僚官となり、ついで侍御史に任ぜられた。のち司勲員外郎に左遷、上書した辺防策が認められて中央に召され、中書舎人で卒した。「焚川文集」二十巻がある。その詩情は豪遇洒脱で、人は小杜と呼んで杜甫と区別する。死に臨んで、自分でから墓誌を作り、また作品の多くを焚いて終ったと伝えられる(新旧「唐書」杜佑伝および「唐才子伝」)。司勲員外郎は行箕を司る官名。この詩は宜宗皇帝の大中三年(849年)李商隠38歳頃の作品。


高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
斯文 杜牧から送られた詩をいう。○差池 「差池」は燕が飛ぶときに、尾羽が互い違いになってふぞろいである様子をいう。「詩経」雅風燕燕にある。
燕燕于飛   差池其羽
之子于帰   遠送于野
瞻望不及   涕泣如雨 

 

刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。
刻意 こころを刻むようにして事にはげむ。「荘子」刻意欝に「意を刻し行を尚び、世を離れ俗に異なる。(二句略)此れ山谷の士にして世の人に非ず。」と。○傷春亦傷別 ・傷春 春は万物が成長を迎える時期、その時期でも私には春が来ないことに傷つくという心境を詩にする。男女の情愛に対して傷む詩。・傷別 悲しき別離を傷む詩を、〇人間 天上世界に対する人の世界。仙界に対する俗人界。○ これひとり。

寄令狐郎中 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 「寄令狐郎中」李商隠(812~858)845年34歳



李商隠はやわかり。
唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争である。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道節度使 令狐楚の庇護を受け、837年、26歳にして進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度はなぜか、李徳裕の派に属する太原公王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った。翌839年、王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省の校書郎に任官されるも、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる。しかし、これは詩人として選んだ道であった。この頃の詩人は、武人でなく、文人詩人としての生き方であったと考えるべきであろう。儒教的発想によりみると詩に、不遇を悔やむものといわれるものがあるや、よく読むと全く悔やむものではなく、矜持を感じるものである。儒教の垣根を取り払ってみなければ、李商隠は理解できない。

李商隠37

寄令狐郎中  
嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
天空の中心である嵩山から雲は続いている、いにしえから時代のありさまを見てきた長安の大樹、私はそういうすべてのものから離れて孤独な日日をすごしている。こうした中、はるばると寄せられました貴下からの手紙は、どんなにか私を喜ばせたものでありました。
休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。

私はかつてあなたの父君に見出されて梁の孝王の賓客のような地位待遇を受けましたが、今私は反対党にいましたから、あまりお気にかけてくれないでください。私は、茂陵の秋雨の中に病む司馬相如のように、いまは故郷・に病を養って蟄居する身なのであります。


天空の中心である嵩山から雲は続いている、いにしえから時代のありさまを見てきた長安の大樹、私はそういうすべてのものから離れて孤独な日日をすごしている。こうした中、はるばると寄せられました貴下からの手紙は、どんなにか私を喜ばせたものでありました。
私はかつてあなたの父君に見出されて梁の孝王の賓客のような地位待遇を受けましたが、今私は反対党にいましたから、あまりお気にかけてくれないでください。私は、茂陵の秋雨の中に病む司馬相如のように、いまは故郷・に病を養って蟄居する身なのであります。


令狐郎中に寄す
嵩雲 秦樹 久しく離居す、双鯉 迢迢たり一紙の書。
問うを休めよ 梁園の旧賓客、茂陵秋雨 病 相如。



寄令狐郎中 
令狐郎中 令狐楚(れい こそ、766年 - 837年)の次男令狐綯のこと。李商隠は牛李党争の牛党派の令狐楚が河陽の節度使だった時、文筆の才を認められて厚遇を受けたが、狐綯の力により進士に及第したが、令狐楚が同年死没する。彼の死後、反対党の李党派(貴族門閥)の王茂元の幕下に身を寄せ、その娘を娶った。当然、牛僧濡党の人から詭薄無行とののしられ、幼ななじみの令狐絢にも疎まれたという。狐綯については、宋の欧陽修の「新唐書」及び元の辛文房の「唐才子伝」に見える。この詩は、その父令狐楚の勲功により、令狐絢が特別待遇で入朝して戸部員外郎となった頃、母の喪に服して田舎に蟄居していた李商隠が、狐綯からの手紙に答えて寄せた詩である。武宗の会昌五年李商隠三十四歳の作。この詩は「唐詩選」にもある。



嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
天空の中心である嵩山から雲は続いている、いにしえから時代のありさまを見てきた長安の大樹、私はそういうすべてのものから離れて孤独な日日をすごしている。こうした中、はるばると寄せられました貴下からの手紙は、どんなにか私を喜ばせたものでありました。
嵩雲 嵩は五岳の一。河南省登封県の北にある。○秦樹 秦は長安のあたり。その古名でよんだもの。戦国時代、秦の国都は長安のすぐ北の成陽だったからである。○離居 離群索居。朋友から離れて孤独にいること。○双鯉 手紙をいう。漢代の歌謡である・飲馬長城窟行に「客遠方より来り、我に双つの鯉魚を通る。児を呼びて鯉魚を烹るに、中に尺素の書あり。」とあるのに依る。尺素は自絹。



休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。
私はかつてあなたの父君に見出されて梁の孝王の賓客のような地位待遇を受けましたが、今私は反対党にいましたから、あまりお気にかけてくれないでください。私は、茂陵の秋雨の中に病む司馬相如のように、いまは故郷・に病を養って蟄居する身なのであります
○迢迢 はるかなるさま。○梁園 漢の孝景帝劉啓(紀元前188-141年)の弟である梁の孝王が河南省開封附近に作った苑固。彼は好んで宮墓苑圏を営み、司馬相如ら文人賓客を厚遇した。
茂陵 漢の武帝劉徹の御陵名。駅西省興平県東北にあり、司馬相加は晩年病んでここに蟄居した。

哭劉蕡  李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 「哭劉蕡」李商隠(812~858)
哭劉蕡  李商隠36


哭劉蕡
上帝深宮閉九閽、巫咸不下問銜冤。
天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
黄陵別後春涛隔、湓浦書来秋雨翻。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
只有安仁能作誄、何骨宋玉解招魂。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
平生風義兼師友、不敢同君哭寝門。

これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。



天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。



劉蕡を哭す
上帝の深宮は九閽
(きゅうこん)を閉ざし、巫咸は下りて銜冤(こうえん)を問わず。
黄陵
(こうりょう)に別れて後 春涛(しゅんとう)に隔てられ、湓浦(ほんほ)に書来りて 秋雨翻える。
只だ安仁の能く誄
(るい)を作す有り、何ぞ曾て宋玉の解く魂を招く。
平生 風義は師友を兼ねたり、敢えて君を寝門に哭する同じくせず。




哭劉蕡
 人の死を悲しみ泣き叫ぶ礼。劉蕡の死を自分の師である人として追悼する哀傷詩である。武宗会昌二年(842年)の作。李商隠三十一歳。
劉蕡 柳州の司戸参軍、劉貫は字去華。(生没年不詳)。幽州昌平(北京の附近)の人。敬宗皇帝、宝暦二年(826年)の進士。「春秋左伝」に精通する学者であり、正義漢だった。文宗皇帝の太和二年(828年)賢良方正の試験に応じて、時の宦官の政治干渉を痛烈に批判した。李商隠の進士及第が837年であり、劉蕡が10歳程度年上であったのだろう。


上帝深宮閉九閽、巫咸不下問銜冤。
天子は宮を宦官らに奥に追いやられて、九重の門を閉ざし、地上の出来事がわからない。冤罪を救う巫咸も、冤罪をうけた事の次第を問い正すため天より下ってこなかった。
上帝 天の神。天子。○深宮 宦官が巣食ったその奥深いところ。宮を宦官らに奥に追いやられている。○九閽 九関に同じ。天子のいる宮殿の、九重(きゅうちょう)の門。○巫咸 古の神巫女。天帝との仲立ちをして冤罪の者を救う「巫咸将に夕に降らんとす、椒糈(しょうしょ香物と精米)を懐きて之を要むかえん。」と屈原の「離騒」に見える。○衝冤 身に覚えのない罪を受けながら釈明できぬもの。



黄陵別後春涛隔、湓浦書来秋雨翻。
洞庭湖をのぞむ丘陵で意気投合し、その後春になって君と別れてからは、洞庭湖の波涛に隔てられ、通じあうこともできなかった。そしてもうこの秋に、湓浦に君の死が手紙で知らされた。悲しみの秋の雨が風にひるがえりこの秋をさびしいものにしている。
黄陵 山名。湖南省湘陰県の北にあり洞庭湖にのぞむ。〇湓浦 ほんほ江西省に源を発する湓水が東流し、九江県城下を経て長江にそそぐ、その九江のあたりを湓浦港と名づける。



只有安仁能作誄、何骨宋玉解招魂。
ただ西晋の秀れた感傷詩人潘岳だけが、このかなしみをよく誄文に綴りうるだろう。君の魂は、どんな文章によって事蹟をたたえようとも、再びは呼びもどせないのである。宋玉でさえは屈原の魂を招くことができなかったし、いま私が宋玉をまねたところで、君はもう帰ってはこないのだ。
安仁 西晋の詩人潘岳(はんがく247年 - 300年)字は安仁。輿陽中牟(河南省開封附近)の人。賈充(217―282年)に認められて司空太尉の書記官となり、河陽県、懐県の長官を歴任。黄門郎になったとき、八王の乱の発端となった趙王司馬倫のクーデターで殺された。出世をあせる人物だったが、〈哀〉〈誄〉すなわち哀傷の文学には卓越の才を発揮した。輯本「潘黄門集」一巻。(潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。 愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。)○ るい。死者の事段を記して功徳をたたえつつ哀悼する文章。○何曾 不曾にほぼ同じ。そんな事が一度でもあったろうか、ありはしない、ということ。○宋玉 楚の懐王と襄王に仕えた文人。但し小臣で間もなく官を去った。生没年・伝記ともに未詳の人物。彼は屈原の弟子であったといわれる。後漢の班固の「漢書」芸文志には賦十六篇を記録する。現在宋玉の名がつけられる作品は十四篇あるが、九弁と招魂が注目される。○招魂  宋玉が追放中の屈原の魂をよび戻そうとして作った辞。「楚辞」におさめられる。



平生風義兼師友、不敢同君哭寝門。
これまでつね日頃、君の正しい気風は、師として私の尊敬するところであり、理解し合う友であった。それゆえに、故事にも云われている通り君をとむらうには私の師として、居室においてするものであり、「寝門の外に哭する」単なる友にするようなものと同じようにはできないと私は思う。
風義 正しい気風。道徳的関係。○哭寝門 「礼記」檀弓篇に「師(死せば)吾諸を寝に哭し、友は、吾諸を寝門の外に哭す。」という孔子(紀元前551―前479年)の言葉をのせる。寝は居室のある建物。寝門はその前にある門である。結句の意味は師礼を以て異するということ。宋の欧陽修の「新唐音」には、節度使の令狐楚(765―836年)や牛僧主孺(779―847年)らは劉蕡認めていた。劉蕡の死後李商隠とも、交えていたとしている。

贈劉司戸蕡  李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集35

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 35 「贈劉司戸萱」 李商隠(812~858)

贈劉司戸蕡  李商隠

贈劉司戸蕡 
江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
寓里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。

万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。



激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。


劉司戸葉に贈る
江風は浪を揚げて雲根を動かし、重き碇と危き檣は白日に昏し。
己に断つ 燕鴻初めて起つの勢、更に驚かす 騒客後に帰るの魂。
漢延の急詔 誰か先ず入る、楚路の高歌 自ら翻えらんと欲す。
万里 相い逢いて歓んで復た泣く、鳳巣は西に隔つ 九重の門



贈劉司戸蕡
劉司戸蕡 柳州の司戸参軍、劉貫は字去華。(生没年不詳)。幽州昌平(北京の附近)の人。敬宗皇帝、宝暦二年(826年)の進士。「春秋左伝」に精通する学者であり、正義漢だった。文宗皇帝の太和二年(828年)賢良方正の試験に応じて、時の宦官の政治干渉を痛烈に批判した。



江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
雲根 横雲の裾。西晋の詩人張協(255-310年)の雑詩に「雲根は八極に臨み、雨足は四溟に濯ぐ。」と先例がある。劉宋の孝武帝劉駿(430-464年)の楽山に登るの詩に、雲根を石の意味に用いた例があるが、ここにはあたらない。ただし古く雲は石から発生すると考えられていたので、まったくそういう意味を含まないとはいえない。○白日 太陽。



已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
燕鴻 燕の地の鴻。劉貫が幽州の出身で、先秦時代に南燕の国のあったから喩えた表現で河北省を燕と呼ぶ。○騒客 離騒の作者である楚の屈原のことをいう。○後帰魂 屈原の弟子であったといわれる宋玉が、追放中の屈原の魂を招びもどそぅとしで、「招魂」の賦を作ったことをふまえた表現。



漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
漢廷急詔 漢の文人賈誼(紀元前201-169年)が長沙王の太傅として左遷させられ、三年後、再び召された事にもとづく表現。○楚路高歌 楚の狂接輿が遊説中の孔子にあった時「鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往者は諌むべからず、来者猶お追うべし。己みなん、己みなん。今の攻に従わん者あやうし。」と歌った故事にもとづく。「論語」微子篇、及び少しかたちをかえて「荘子」人間世篇に見える故事。



萬里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。
鳳巣 鳳は宮廷をいう。巣は宦官の巣くっていること。〇九重門 天子の宮殿には九つの門がある(「礼記」月令篇)。

涙 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 33

 
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kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 33 「涙」李商隠
七言律詩 涙 李商隠

おびただしい嘆きに満ちるこの人の世では、数知れぬ人人がそれぞれの悲運に涙を流す。どんな「涙」が一番悲しいのか、、一番悔しいのか、うれし涙はないのか。李商隠の秀作。


涙  
永巷長年怨綺羅、離情終日思風波。
華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
湘江竹上痕無限、峴首碑前灑幾多。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
人去紫臺秋入塞、兵残楚帳夜間歌。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
朝来㶚水橋邊問、未抵青袍送玉珂。

この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。

華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。



永巷 長年綺羅を怨む、離情 終日風波を思う。
湘江の竹上痕限り無く、峴首の碑前灑ぎしこと幾多ぞ。
人は紫台を去りて秋に塞に入り、兵は楚帳に残きて夜に歌を聞く。
朝来 㶚水の橋辺に問えば、未だ青袍の玉珂を送るに抵ばず。


詩の解説
○おびただしい嘆きに満ちるこの人の世では、数知れぬ人人がそれぞれの悲運に涙を流す。
この詩は、恨みの涙、別れの涙。慟哭の涙、偲ぶ涙。辺境の地に向かう惜別の涙、四面楚歌の絶望の悔し涙。とあるけれど、頼りにして従っていた貴顕の御方が、左遷された、取り残された書生の将来不安の涙。
人の世の涙の諸相を写し出し、最後に保護者と別れる貧士の涙が、何よりも痛切であることを歌う。



永巷長年怨綺羅、離情終日思風波。
華やかな都の、華やかな宮殿の奥深く、女官用の牢獄があり、長い年月を報復によって過ごしている、今はもう曾て着飾った綾絹やうす絹の晴着を独り撫でつつ怨みの涙を流している、また、船つき場では、日日、人は離別の情、旅路に向かう人のこの先の風波苦しみを思って、涙がたえない。
永巷 前漢初期、高祖劉邦の側室であった戚夫人が皇位継承問題にまけ、呂雉皇太后による報復で女官を入れる牢獄の永巷(えいこう)投獄し、一日中豆を搗かせる刑罰を与えた。戚夫人が自らの境遇を嘆き悲しみ、詠んだ歌が「永巷歌」として『漢書』に収められている。○綺羅 綾絹とうす絹、美しい衣等



湘江竹上痕無限、峴首碑前灑幾多。
太古、南に巡察の旅に出て途中で崩御した舜帝のあとを慕って湘江までたどりついた二妃が慟哭し、河畔の竹を涙斑で染めたと言い伝えた。今も涙の痕は限りなく、竹の上にあとをとどめている。晋の時代、慈しみ深い将軍羊祜が死んだ時、襄陽の民はその徳を偲んで、峴山に碑石を立て、その碑のもとで涙を流した。その碑前にそそがれた涙もどれほど多いものだろうか。
○湘江竹上 「瀟湘妃子」の故事をふまえての句である。太古の聖天子である舜帝は、南巡(なんじゅん:南方の視察)した際に蒼梧(そうご)で崩御した。堯帝の二人の娘であり舜帝の妃であった娥皇(がこう)と女英(じょえい)の姉妹は湘水(しょうすい)のほとりで舜帝の死を泣きに泣く。二人の流した涙が河畔の竹の上に降り注いで斑点となり、これがすなわち斑(まだら)模様のついた竹、斑竹(はんちく)になったという。○峴首碑前 西晋の将軍羊祜(221-278年)は有徳の人物で、呉の将軍陸抗(226-274年)と対時しながらも、南の地方の民を善導した。彼が死んだ時、嚢陽(湖北省裏陽県)の民は、その人柄を偲んで峴山に石碑を建てた。それを望む民は涙せざるものはなく、ときに、「左伝」の注家として知られる杜預(222-284年)がそれを「堕涙の碑」と名付けた。紀頌之の漢詩ブログ李白「襄陽曲四首」「襄陽歌」



人去紫臺秋入塞、兵残楚帳夜間歌。
異民族に嫁ぐべく命ぜられた漢の宮女王昭君は、長安の宮殿を去って秋の辺疆の地に赴いた。宮殿を去るのに彼女はどんなに涙をながしたことか。また、覇王である項羽でさえ、敵軍が四面に楚の歌をうたって包囲するのを聞き、愛妾と愛馬に絶望の呼びかけをしつつ、涙数行をおとした。
人去紫台 漢の元帝劉爽(紀元前75-33年)の宮女、王昭君が匈奴の王呼韓邪単子に嫁した故事をいう。紀頌之の漢詩ブログ李商隠 「聞歌」の詩参照。杜甫(712―770年)の古跡を詠懐する詩に
詠懐古蹟五首 其三
群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。
一去紫台連朔漠,獨留青塚向黃昏。
畫圖省識春風面,環佩空歸月夜魂。
千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論
「一たび紫台を去りて朔漠連らなる。」という句がある。紫台は漢の長安の宮殿。
紀頌之の漢詩ブログ李 白「王昭君二首」+「一首」 
漢文委員会HP 王昭君特集 白居易「王昭君二首」
楚帳聞歌 項羽が核下で四面楚歌のうちに漢の高祖劉邦(紀元前247―195年)との戦に敗れ、自殺する寸前、愛妾の虞、愛馬の騅に絶望の呼びかけをしつつ涙を流した有名な史実をさす。その歌は、
力抜山兮 気蓋世 時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何 虞兮虞兮 奈若何
「力は山を抜き、気は世を蓋いしに、時に利あらずして経は逝かず。雉の逝かざるは奈何すべき。虞よ虞よ、若を奈何せん。」



朝来㶚水橋邊問、未抵青袍送玉珂。
この朝、一介の書生が、㶚水の橋のたもとで泣いているわけをたずねてみれば、白い貝の鈴に飾られた馬で鈴音を立てて千里の彼方に転任するのを、とり残されて見送る涙は、悲しみも少ないに違いない。それより青い服を着た貧乏書生にとって、頼りにしていた大官貴顕の人を政争で見失って、一体、以後どのようにして生きてゆけばよいのであるか不安の涙が一番苦しい。
朝来 朝になって。来は、ある動作或いは時間の展開や継続を示す助詞。○問 たずねる。○㶚水 陝西省の藍田県の東から発し、長安を経て渭水に入る。㶚陵橋は長安の東にあり、一夜を過ごす旅籠もあった。㶚水の土手に柳が植えられていて、人を送るときは柳の枝を手折り夫婦、男女の別離をするのが古くからの習慣である。○青袍 書生乃至は下級の官にいる者の服。○玉珂 馬のくつわにつける貝の装飾。馬の歩みにつれて音を立てる。これは旅立つ大官貴顕の人のくつわである。

辛未七夕 李商隠

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 34 「辛未七夕」李商隠



辛未七夕 
恐是仙家好別離、故教迢逓作佳期。
察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
由来碧落銀河畔、可要金風玉露時。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
清漏漸移相望久、微雲末接過来遅。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
豈能無意酬烏鵲、惟與蜘蛛乞巧絲。

天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。


察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。


辛未七夕(しんぴしちせき)
恐らくは是れ 仙家の別離を好むならん、故さらに迢逓(ちょうてい)に佳期を作さしむ。
由来 碧落 銀河の畔、要らず金風玉露の時なる可けんや。
清漏 漸く移って相望むこと久しく、徴雲は未だ接せず過り来ること遅し。
豈に能く鳥鵲(うじゃく)に酬ゆるに意無からんや、惟だ蜘蛛の巧糸を乞うに与す。

○辛未七夕 辛未はかのとひつじの年。851年がそれにあたる。李商隠40歳。徐州幕府で約二年いがそこを罷めて一時気長安に帰った時期であろうか。その年の11月には四川省梓州で書記を務めている。久方ぶりに長安の芸妓の女性に逢うことができるというので約束をしてあろう、ところが先約があったのだろう、自分のところになかなか来てくれない。この詩は力のあるものが横やりを入れてなかなか会えない気持ちを詠う。権力を持ったものの横暴がまかり通った時代であるということを示している。

恐是仙家好別離、故教迢逓作佳期。
察するに、朝廷のおかみも、仙界の世界でも別離させることが、お好きらしい。何故といって、こんなに長い間愛しい人と会う約束すらできなく隔てられていたのであるから。
仙家 天上の人人。○迢逓 迢かに遠いこと。時間的にも空間的にも。○ ことさら、○ ~しむ。使役の助詞。 ○佳期 愛人とあう時間、おうせ。李白「大堤曲」でも、愛人と会う逢瀬を示す。

由来碧落銀河畔、可要金風玉露時。
天界においてはもともと、あの高い大空の銀河の河畔で逢瀬をすることなのだから、ことさら同じように、秋風が吹き、星がきらめき露が下りはじめる一夕に限る必要はあるまいに。
由来 もともと。○碧落 道教でいう天上最高のところ。中唐の詩人白居易(772-846年)の長恨歌に「上は碧落を窮め下は黄泉。」と云うのも、仙界を訪ねてのこと。○金風 秋風。五行思想では、金は時節では秋、方位では西である。
 

清漏漸移相望久、微雲末接過来遅。
水時計は時を刻み、他人の部屋はうまくいっている。次第に夜もふけて、ふたりは長い間、望みをかなえているはずなのに、空は晴れ渡り、銀河を橋渡するはずのほのかな雲はつながらず、織女の渡河はなかなか実現しそうにない。
清漏 水時計の清らかな音。
 

豈能無意酬烏鵲、惟與蜘蛛乞巧絲。
天上の恋人たちが会う為に、烏鵲が河をうずめて橋をかけてくれるということだが、せっかくの努力に酬いる気もないのであろう。ただ、地上の蜘蛛の五色の糸の七夕の飾り物や果物をお供えさせておくだけというのは、献身して働く者は放っておいて、権力を持ったものには厚遇しょうということなのか。
烏鵲 七夕の夜、烏鵲が銀河の橋渡しをするという伝説。○蜘蛛乞巧 中国の七夕の飾りは、五彩の糸を七つの孔のある針に通し、女達は裁縫の上達を天孫すなわち織女星に願う。色色の瓜果を庭に供え、香燭をつけて翌日を待ち、朝に蜘蛛が網をくだものの上に掛けていると、その願いが聞き入れられるとする。その祭りを乞巧奠という。

「少年」李商隠

紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 32 「少年」李商隠

少年
外戚平羌第一功、生年二十有重封。
外戚はその身内から皇后を出して厚遇される貴族の家柄、その上、父は羌討征に第一の勲功あった名将軍なのである、生まれたのがめぐまれた家系であった少年は何にも勲功なしで年二十歳の若さで、重ねて封禄を増される恩命を受けたのだ。
直登宣室螭頭上、横過甘泉豹尾中。
この世に恐いものなしの貴公子は、門番がいても素通りするし、遠慮も、臆面もなく天子の正室の前にも行くし、暁の彫物のある宮庭のきざはしに登る。また甘泉離宮へ行幸する豹の尾のはたを立てた天子の行列を強引に横切ったりする。
別館覚来雲雨夢、後門歸去蕙蘭叢。
その貴公子はまた妾のいる寝所にも行き、女と淫行勝手な振る舞い、眠りから醒めて夕刻、妓女の香草の叢に淫らに戯れてから帰ってゆく。
㶚陵夜猟随田竇、不識寒郊自轉蓬。

夜はまた猟をするとて、おなじ外戚の田と竇をおともにしてその文帝の陵墓で猟を楽しんでいる。(その陵墓の文帝は飛将軍が異民族からおそれられ北の守りをしていたのを評価されず不遇に終わったのだ。)めぐまれた貴公子は、才能ありながらも世に認められず、寒寒とした郊外の野原を根本からちぎれて飛ぶ転び蓬のように、独りころがってゆく者のあることなどを知っていないだろう。



外戚はその身内から皇后を出して厚遇される貴族の家柄、その上、父は羌討征に第一の勲功あった名将軍なのである、生まれたのがめぐまれた家系であった少年は何にも勲功なしで年二十歳の若さで、重ねて封禄を増される恩命を受けたのだ。
この世に恐いものなしの貴公子は、門番がいても素通りするし、遠慮も、臆面もなく天子の正室の前にも行くし、暁の彫物のある宮庭のきざはしに登る。また甘泉離宮へ行幸する豹の尾のはたを立てた天子の行列を強引に横切ったりする。
その貴公子はまた妾のいる寝所にも行き、女と淫行勝手な振る舞い、眠りから醒めて夕刻、妓女の香草の叢に淫らに戯れてから帰ってゆく。
夜はまた猟をするとて、おなじ外戚の田と竇をおともにしてその文帝の陵墓で猟を楽しんでいる。(その陵墓の文帝は飛将軍が異民族からおそれられ北の守りをしていたのを評価されず不遇に終わったのだ。)めぐまれた貴公子は、才能ありながらも世に認められず、寒寒とした郊外の野原を根本からちぎれて飛ぶ転び蓬のように、独りころがってゆく者のあることなどを知っていないだろう。


少年
外戚 完を平らぐ 第一の功、生年 二十にして重封有り。
直ちに宣窒 櫨頭の上に登り、横ままに過る甘泉 豹尾に中る。
別館に覚め来る 芸雨の夢、後門より帰り去る 薫蘭の叢。
濁陵の夜猟 田貴に随い、識らず 寒郊に自ら転蓬するを。




少年
少年の解説 この詩は漢代の貴公子の橋態の叙述に託し、唐の時代の外戚子弟のほしいままなふるまいを諷刺したものであるが、李商隠の晩唐の時期と後漢の時期の共通点に外戚がある。権力が弱くなって国をうまく抑えられなくなると力の強い豪族、諸侯に頼るというのは、法則のようなものである。日本でも古代から江戸末期まで、古今東西、この法則は当てはまる。権力という者均等化されておれば、絶対君主、絶対権力者を生むし、その権力地盤を均等にすれば長期的にその権力を維持できる。このメカニズムは権力構造における法則なのである。

 武力、資金力はあっても権威のなかった者たちに皇帝との姻戚関係ができると、この詩の貴公子の様なものが馬鹿が出るもの法則の様なものである。李商隠は、この朝廷、唐王朝の末期を悟ったのであろう。
 

外戚平羌第一功、生年二十有重封。
外戚はその身内から皇后を出して厚遇される貴族の家柄、その上、父は羌討征に第一の勲功あった名将軍なのである、生まれたのがめぐまれた家系であった少年は何にも勲功なしで年二十歳の若さで、重ねて封禄を増される恩命を受けたのだ。
外戚 皇后の親族。○平羌第一功 後漢の時代の有力な外戚馬援(紀元前一四-紀元四九年)の子、馬防を指。 防は革帝の建初四年(七九年)蘇陽侯に封ぜられ、西荒を平定した功を以て、邑一千三百五十戸を増された。○重封 食呂の戸数を増されること。

直登宣室螭頭上、横過甘泉豹尾中。
この世に恐いものなしの貴公子は、門番がいても素通りするし、遠慮も、臆面もなく天子の正室の前にも行くし、暁の彫物のある宮庭のきざはしに登る。また甘泉離宮へ行幸する豹の尾のはたを立てた天子の行列を強引に横切ったりする。
直登 挨拶ぬきでただちに挙る。○宣室 漢朝の未央宮前殿の天子の正室。○螭頭上 宮殿の赤くぬりこめられた庭、丹斑の上階を螭頭という。螭は額に角を持たない龍のことを言う。龍から角を取った感じだ。山や沢に棲む小さな龍で、色は赤や白、あるいは蒼色のものがいる。螭はとりわけ岩や木陰などの湿った場所を好むという。恐らくその階段の手摺に螭の彫物がしてあったのだろう。○横過 きまりを無視して横暴に通り過ぎる。○甘泉 漢の離宮の名。○豹尾 天子行幸の時、その属事の最後尾の事に、豹の尾のはたを飾る。そこから前は通行止めであるというしるし。

別館覚来雲雨夢、後門歸去蕙蘭叢。
その貴公子はまた妾のいる寝所にも行き、女と淫行勝手な振る舞い、眠りから醒めて夕刻、妓女の香草の叢に淫らに戯れてから帰ってゆく。
別館 妾のいる寝所。○覚来 覚はひとねむりすることであり、また夢から醒めることでもある。○帰去 かえる。○雲雨夢 男女の愛のまじわりを意味する。○蕙蘭叢 蕙も蘭も共に香草で、美女の喩えとなる。美女の叢という表現は裸体を意味する。



㶚陵夜猟随田竇、不識寒郊自轉蓬。
夜はまた猟をするとて、おなじ外戚の田と竇をおともにしてその文帝の陵墓で猟を楽しんでいる。(その陵墓の文帝は飛将軍が異民族からおそれられ北の守りをしていたのを評価されず不遇に終わったのだ。)めぐまれた貴公子は、才能ありながらも世に認められず、寒寒とした郊外の野原を根本からちぎれて飛ぶ転び蓬のように、独りころがってゆく者のあることなどを知っていないだろう。
㶚陵 漢の文帝劉恆(紀元前203-前157年)陵墓。長安の東南にある。〇夜猟 㶚陵夜猟 漢の「飛」将軍が、夜、山中に射猟して文帝に「君が高祖の時代に生まれていればなあ」と不遇なままで終わったことさす。満陵の尉に叱責された故事をふまえる。〇田竇 漢の武安侯田蚡(未詳-紀元前31年)と魏其侯竇嬰(未詳-紀元前131年)のこと。前者は孝景皇后の弟。後者は孝文后の従兄の子。共に漢代の有力な外戚貴族である。○轉蓬 風にころがって行く野草。魏の曹植(192-232年)の雑詩其二に「転蓬は本根を離れ、諷颻として長風に随う。」と。杜甫の野人送朱桜「この日 新しきを嘗めて転蓬にまかす。」など。


少年  李商隠
七言律詩
○韻 功、封、中、叢、蓬。

幽居冬暮 李商隠

「幽居冬暮」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集31

幽居冬暮
羽翼嶊残日、郊圃寂寞時。
大空翔て天にも昇れると頼りにしていた羽が、損いくだけ、官を退いて幽居する冬の一日。郊外の田畑には人の気配なく寂寞としている。
暁鶏驚樹雪、寒鶩守冰他。
暁の時をつげる鶏は昨夜降りしきった雪が樹々を白く染め、景色が変わったのに驚いて鳴き、寒の家鴨は、氷の張りつめた池を守るかのように動かない。
急景忽云暮、頽年寝己哀。
時の移ろいはとても速く、年の暮になってしまった。寄る年波は、だんだんに私の体力と気力をくじき、私を衰弱させていく。
如何匡国分、不興夙心期。

それにしても一体、どうしたというのだろう。国のために役立つ士人の本分と、かつてそれを志した私の希望とが、こんなにもくい違ってしまったというのは。


大空翔て天にも昇れると頼りにしていた羽が、損いくだけ、官を退いて幽居する冬の一日。郊外の田畑には人の気配なく寂寞としている。
暁の時をつげる鶏は昨夜降りしきった雪が樹々を白く染め、景色が変わったのに驚いて鳴き、寒の家鴨は、氷の張りつめた池を守るかのように動かない。
時の移ろいはとても速く、年の暮になってしまった。寄る年波は、だんだんに私の体力と気力をくじき、私を衰弱させていく。
それにしても一体、どうしたというのだろう。国のために役立つ士人の本分と、かつてそれを志した私の希望とが、こんなにもくい違ってしまったというのは。

居 冬の暮
羽巽 嶊残する日、郊園 寂寞の時。
暁鶏は樹雪に驚き、寒鶩は冰池を守る。
急景 忽ちに云に暮れ、頽年 寝く己に哀う。
如何ぞ 国を匡すの分、夙心と与に期せざるや。

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幽居冬暮
幽居 人知らぬしずかなすまい。郊外の竹林の奥まったところ、隠遁生活を連想させる。
詩の内容からすると李商隠が晩年に故郷で病にふせた頃の作であろう。母の喪を30歳過ぎに3年余り、故郷で過ごした時の作品という説が多いが、李商隠30代の作品とは全く違って、隠遁者になっている。


羽翼嶊残日、郊圃寂寞時。
大空翔て天にも昇れると頼りにしていた羽が、損いくだけ、官を退いて幽居する冬の一日。郊外の田畑には人の気配なく寂寞としている。
羽翼 はね。往往援助するものの意に用いられ、ここも多少そのニュアンスを含ませていると思われる。
この時代役人は守旧派と改革派のどちらかに属していないとやっていけなかった。その頼りにしていた人物が失脚したことを意味する。○嶊残 くだけそこなう。



暁鶏驚樹雪、寒鶩守冰他。
暁の時をつげる鶏は昨夜降りしきった雪が樹々を白く染め、景色が変わったのに驚いて鳴き、寒の家鴨は、氷の張りつめた池を守るかのように動かない。
寒驚 驚はあひる。家鴨。



急景忽云暮、頽年寖己哀。
時の移ろいはとても速く、年の暮になってしまった。寄る年波は、だんだんに私の体力と気力をくじき、私を衰弱させていく。
急景 すみやかに経過する時間。貴は日のひかり。忽の字は、歳の字に作るテキストもあるが、対句としてそれはおかしい。○云暮 一年の時間が末に近づくこと。云はここに。「詩経」小雅小明に「歳費に云に暮れん」。陶淵明「桃花源詩」などにも「云~」ここにと使う。○頽年 よる年波。○ 次第に。



如何匡国分、不興夙心期。
それにしても一体、どうしたというのだろう。国のために役立つ士人の本分と、かつてそれを志した私の希望とが、こんなにもくい違ってしまったというのは。
匡国分 分はつとめ、職責。○夙心 宿志、以前からいだいていた志。○ あう。予め取決めた時にあう。


 李商隠は文人である。したがって、、自分では何もできない。これは、六朝期を以降、武人とまったく剣を持たない、戦場に行かない詩人がでている。多くの詩人がそうなっていったのである。戦場に送り出す「檄文」を軍人たる詩人が詠ったのである。多くは軍事参謀でもあった。兵法、と文学が一体化していた。
 時代を経て、李商隠は、誰かに頼らないとできない。やる気はいくらでもある。それをどこで生かせばいいのか、ともどかしさを訴えているのだ。

西亭 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150 -30 西亭に関する新解釈

「西亭」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 30 西亭に関する新解釈


西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。


西亭
此の夜 西亭 月正に円し、
疎簾 相伴ないて風煙に宿る
梧桐よ 更に清露を翻えす莫れ
孤鶴 従来 眠るを得ず



A 解釈。

此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
今夜、独り西の亭に宿を取った仲秋の夜。夜空の月は翳なくまんまるい。私は隙間の多い簾を友として、風ばみ、霧の立つここに独りとまる。
西亭 洛陽の崇譲(洛陽城南東、図の下右から2番目の坊)にある妻の実家王家の家があった。これは妻の死を悼んだ悼亡の詩である。○風煙 風にたなびく秋霞

漢魏隋唐の洛陽城
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梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
自然に私の頬に涙がこぼれるのに、庭の梧桐の樹よ、清らかな露の涙をこれ以上こぼさないでほしい。妻をうしなった鶴はかねがね眠れないでいるのだから。



以上が、これまでの解釈である。
 李商隠は一句、語にいろんな意味を込める。これが亡き妻を悼んだ悼亡の詩であるというのはおかしい。李商隠は不遇であった、不満を胸にしている、(李商隠「蝉」参照)亡き妻を悼んでいる、という条件下でこの詩を読むと上の意味になるのであるが、以下のようにも解釈できる。



B 解釈。

西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。

この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。



この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。




此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
西という意味は、東の窓辺(書斎)勉強をするという意味であるが、西の窓辺、西亭というのは、色町、邸宅の閨、牀床がつきものである。○疎簾 立派な簾ではなく、粗末な作りの粗い簾、高級なところであれば、帳ということになる。娼屋という意味にとれる。 ○正圓 閨にある丸い窓のこと。


梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。
梧桐 元代の戯曲「梧桐雨」というのがあり、玄宗と楊貴妃の物語であるが、李商隠の時代にまだこの戯曲があったわけではないが、閨の部屋に使われた柱や梁のことを指し、この言葉から、男女の情交をイメージさせる。○莫更 さらに~なかれという意味と、夜明けまでしていたいという意味がある。○清露 情交の際のあせ。○孤鶴 群れを離れた孤独な鶴。○不得眠 何時もつがいの鶴が孤独になるとねむることができない。




 最初のA の解釈では、全くつまらない意味の詩であり、妻の死を悼んだ悼亡の詩を詠うならもっと詩が違っているだろう駄作にしか思えない。


 しかし、B の解釈では、李商隠の最も得意とするもので、詩人としての幅、奥行きが断然出てくる。詩としても、なかなかいいものになってくる。

 儒教者的な解釈は李白、李商隠には当てはまらない。

蝉 李商隠  紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 29 清廉潔白な男の詩

蝉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 29 清廉潔白な男の詩

○蝉 この詩は「蝉に託して自己の不遇の恨みをのべる」といわれるが果たしてそうなのか。
 李商隠は不遇であったから不満を根べているという先入観を外して読んでかないといけない。このブログでは、自然界の生きている素材をまっすぐに見てこの李商隠の詩を見ていくことにする。


本以高難飽、徒労恨費聲。
蝉は、もともと高い樹の上にいたら腹いっぱいになるまで食べることが難しい。それで、声をからして鳴き叫ぶのが、それは無駄なことをやっているに過ぎない。
五更疎欲断、一樹碧無情。
夜あけ前になると、さすがに鳴声もまばらになってくる、途絶えがちになる。だが其の声がどんなに淋しく響こうと、一樹はただひたすら場所は与えているが無情に立っているだけなのだ。
薄官梗猶汎、故園蕪己平。
下級官吏というものは、水に漂う木ぼりの人形のようなものでどこへ流れつくのか風と流れ次第だ。
はからずも郷里に帰れば、田畑は小作もいなく手をかけるものがいないので雑草におおわれ、一面の荒野となっていた。
煩君最相警、我亦拳家清。

蝉よ、君をわずらわせることになるが、権力闘争や賄賂で私腹を肥やす高官を最も厳しくいましめてもらいたい。今後も私の家族、一族は、まことに清らか聖人のように暮らしているのだから。

蝉は、もともと高い樹の上にいたら腹いっぱいになるまで食べることが難しい。それで、声をからして鳴き叫ぶのが、それは無駄なことをやっているに過ぎない。
夜あけ前になると、さすがに鳴声もまばらになってくる、途絶えがちになる。だが其の声がどんなに淋しく響こうと、一樹はただひたすら場所は与えているが無情に立っているだけなのだ。
下級官吏というものは、水に漂う木ぼりの人形のようなものでどこへ流れつくのか風と流れ次第だ。
はからずも郷里に帰れば、田畑は小作もいなく手をかけるものがいないので雑草におおわれ、一面の荒野となっていた。
蝉よ、君をわずらわせることになるが、権力闘争や賄賂で私腹を肥やす高官を最も厳しくいましめてもらいたい。今後も私の家族、一族は、まことに清らか聖人のように暮らしているのだから。


(訓読み)蝉
本もと高き以に飽き難く、徒らに労す 恨みて声を費やすを。
五更 疎にして断えなんとし、一樹 碧にして情無し。
薄官 梗猶お汎び、故園 蕪れて己に平かなり。
君が最も相い警しむることを煩わす、我も亦家を挙げて汚し。


本以高難飽、徒労恨費聲。
蝉は、もともと高い樹の上にいたら腹いっぱいになるまで食べることが難しい。それで、声をからして鳴き叫ぶのが、それは無駄なことをやっているに過ぎない。
○高難飽 高い樹の上にいては腹いっぱいになるまで食べることが難しい。「孔子家語」に「蝉は露を飲みて食わず。」と。また、漢の趙煜の「呉越春秋」に「秋蝉は高樹に登りて清露を飲む。風に随って撝撓し、長吟悲鳴す。」と見える。蝉は清廉潔白な生き物としての比喩に使用される。


五更疎欲断、一樹碧無情。
夜あけ前になると、さすがに鳴声もまばらになってくる、途絶えがちになる。だが其の声がどんなに淋しく響こうと、一樹はただひたすら場所は与えているが無情に立っているだけなのだ。
五更 夜あけ前、日の出まえ。日が昇ると役所仕事が始まる。通常、郭に行った男性が気にする場合に使い表現。日没から日の出までを五等分したその最後の時の知らせ。○ まばら。蝉の鳴声に間隔のあくこと。


薄官梗猶汎、故園蕪己平。

下級官吏というものは、水に漂う木ぼりの人形のようなものでどこへ流れつくのか風と流れ次第だ。
はからずも郷里に帰れば、田畑は小作もいなく手をかけるものがいないので雑草におおわれ、一面の荒野となっていた。

薄官 地位低き官吏。〇梗猶汎 梗は木偶。木彫の人形。猶はやっぱり、まだ。汎は水に浮んで漂うこと。の表現は「史記」の孟嘗君伝に見える蘇代が孟嘗君を諌めた言葉にもとづく。「蘇代謂いて日く。今旦、代外より来る。木梗人、土梗人と相い与に語ろうを見る。木偶人日く。天雨ふる。子将に敗れん。と。土偶人目くっ我土より生る。取るれば則ち土に帰す。今天雨ふる。子を流して行かん。末だ止息する所を知らざる也。」と。「戦国策」にも見える。○故国蕪 故郷の田園の荒蕪。東晋の陶淵明の帰去来辞に「帰りなむいざ、田園将に蕪れなんとす。」とあるのを継承する。○己平 己は末に対する詞。もう。平はここでは荒廃して田畑が一面にたいらかになってしまうこと。七言歌行 24 兵車行 杜甫の「兵車行」に耕す人がいなくて荒れ地になっていく様子が詳しくかかれている。


煩君最相警、我亦拳家清。
蝉よ、君をわずらわせることになるが、権力闘争や賄賂で私腹を肥やす高官を最も厳しくいましめてもらいたい。今後も私の家族、一族は、まことに清らか聖人のように暮らしているのだから。
煩君 人にものをたのむこと。○挙家 家ぐるみ。○ 清貧。ただしこの場合、聖人ということと、賄賂を受けとったりしない清いという詩人の矜持を述べている。

蝉は、大樹に留まってはいるが、いろんな誘惑にも負けず、ひたすら、その誠意を啼くことで表している。大樹は、蝉がどんなに苦しんだり、ひもじかったりしてもどっしりと構えている。世の中は、それぞれの筋を通して、生きていくものだ。


  世はまさに、権力闘争が激しく、その渦に巻き込まれてしまったり、宦官の陰湿な権力に惑わされたり、中央政府から、地方政府に至るまで、賄賂でもって政治がなされている。

下級官僚のままでいるのは、聖人である限り故郷の田畑に雇用人をもって耕させることもできない。それでも聖人で生きていくことが詩人としての矜持である。

 「蝉君、そう思わないか


 最初に挙げた様に一般の解釈で「蝉に託して自己の不遇の恨みをのべる」といわれる近視眼的内容ではない。
 先入観を変えてみると、もっと大きな李商隠が見えてくるものである。このブログでは、従来の李商隠の視点をできるだけ客観的にしてみていくつもりである。

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秋日晩思 李商隠

「秋日晩思」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 28


秋日晩思
桐槿日零落、雨餘方寂蓼。
一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
枕寒荘蝶去、囱冷胤螢鎖。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
取適琴將酒、忘名牧與樵。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
平生有遊舊、一一在烟霄。

ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。



一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。


秋日晩思
桐槿 日びに零落し、雨余 方に寂蓼たり。
枕は寒くして荘蝶去り、窓は冷くして胤螢鎖ゆ。
適を取る 琴と酒、名を忘る 牧と樵。
平生 遊旧有りしも、一一 煩霄に在り

 


桐槿日零落、雨餘方寂蓼。
一葉揺落し秋を知らせる桐の樹、一朝花をつける桂の樹が、日、一日と葉を落す秋の夕暮れ。秋の雨が降りやんだあとにはただ寂蓼がひろがっていた。
○桐 きりとむくげ。ともに季節の変化に敏感な落葉喬木。○零落 草木の枯れおちること。〇雨余 雨のあと。〇方 ちょうどいま。


枕寒荘蝶去、囱冷胤螢鎖。
うたたねの床は枕もひえびえとして、むかし夢に荘子が見て楽しんだという春の蝶はもう消えていない、目醒めたのでは書を見ようとしてみるのだが、窓はつめたく、晋時代の勤勉の士、車胤が明りにした螢をあつめようにも、もう飛んでいない。
荘蝶 荘子が夢に煤となってたのしんだという故事にもとづく。
李商隠『錦瑟』「莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。」
( 昔、荘子がで、蝶になった夢をみて、その自由さに暁の夢が覚めてのち、自分の夢か、蝶の夢かとと疑ったという。蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいければいいのに。また、昔の望帝はその身が朽ちて果ててもの春目くその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴するものなのだ。。
 ○莊生 荘周。荘子。 ○ 自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 ○蝴蝶 荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。 ○望帝 蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。  ○春心 春を思う心。相手と結ばれたいとを思う心。 ○春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。)
胤螢 東晋の学者車胤あざなは武子の故事。彼は少年時代、豪が貧しく常には油を得る
ことができなかったので、夏には練嚢に数十の螢火を盛って照明とし、勉学にいそしんだという(「晋書」車胤伝)。東晋の孫康が雪のあかりで勉強した故事と共に名高い。


取適琴將酒、忘名牧與樵。
官職を離れていて田舎のわび住いに次第にあってきた。そこに琴と酒でもって心を養われるようであることは、悠々自適の生活を我がものにできている。羊を牧畜している村の童と、山で樵りして野犬たちがあたえてくれた、俗世間のこと、名誉心や野心から脱することができそうだ。
取適 取は資料とする、というぐらいの意味。適は自由。○忘名 北魂の顔之推の「顔氏家訓」に「上土は名を忘れ、中士は名を立て、下士は名を窃む。」と見える。忘名は、名誉心から超脱することをいう。


平生有遊舊、一一在烟霄。
ひごろ付き合っていた旧知の友人達は、ひとりびとり、時流に乗ってめぐまれ、栄達していて、いまかすめる空にある人となってはいる。
〇一一 どれもこれも。○烟霄 かすめる空。朝廷乃至は高き地位のたとえである。

春日寄懐 李商隠

「春日寄懐」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 27


845年作。 この詩は母の喪に会って故郷に帰り、家を永楽県に移して、三年四度目の春、武宗会員五年(八四五年)の作。李商隠三十四歳。李商隠はその喪についている蟄居の時期に、詩のスタイルに一つの変化を見せ、中唐の白居易(772-846年)や元積(779-831年)の作風に近い詩を多く作っている。これはその一つ。なお彼の詩はのちに広西省の桂林に行き、以後、後半生の大半を邊疆にすごすに至って完成される。よく言われる李商隠の人物評価に出世のできない境遇に自分を嘆いてということが言われるが、ここまで、27首、愚痴っぽい詩は全くない。艶情詩とは全く違っっている。艶情詩のはってんをさせてきたわけだが、さすがの李商隠も母のもの期間中は抒情詩の佳作を作っている。


春日寄懐
世間榮落重逡巡、我獨邱園坐四春。
世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
縦使有花兼有月、可堪無酒又無人。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
青袍似草年年定、白髪如絲日日新。
私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
欲逐風波千萬里、未知何路到龍津。

普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。

世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。





春日 懐を寄す
世間の栄落 重ねて逡巡、我独り邱園に坐(そぞろ)四春。
縦使(たと)い花有り 兼ねて月有ろうとも、堪う可けんや 酒無く又人無きに。
青袍は草に似て年年定まり、白髪は糸の如く日日に新なり。
逐わんと欲す 風波 千万里、未だ知らず 何の路か竜津に到る。



世間榮落重逡巡、我獨邱園坐四春。
世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
遮巡 ぐるぐる堂堂めぐりして進展しないこと。○邱園 郷里の田園。○坐四春 坐はそぞろ、慢然と時を過すこと。隠遁者の表現。杜甫「北征」、白居易「別元九後詠所懐」、李商隠が郷里に帰ったのが会昌二年、四度目の春をもそこで迎えたのである。喪は三年したがって春を四度迎えることになったのだろう。。


縦使有花兼有月、可堪無酒又無人。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
縦使 たとい 訓読みの常套。縦令、仮令。


青袍似草年年定、白髪如絲日日新。

私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
青袍 処士及び下級官吏の服。(青袍似草)の語は漢代の古詩に「青袍は春草に似たり。」とあるのをふまえている。


欲逐風波千萬里、未知何路到龍津。
普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。
風波 変化定めなき現実の荒波。○龍津 龍門の急流。「龍門」とは夏朝の皇帝・禹がその治水事業において山西省河津県北西の黄河上流にある龍門山を切り開いてできた急流のことである。にある滝の名。水の流れが激しく、江海の亀や魚はその滝の下に集るが、それを登り切る事ができない。もし上り得れば化して竜となると、「三秦記」に見える。登竜門という言葉はそれから出る。




 李商隠らしい表現である。自分が不遇と読む人がいるだろう。
「可堪無酒又無人」その酒もなく友も居らず、女なくして春の風情に堪えることができようか。
「未知何路到龍津」登竜門が何処にあるのか、どこをどう進めばそこまで行き着けるのか、私にはさっぱり分らないのだ。上官に媚びを売り、宦官に色目を使って出世をしてどうなるというのだ。男性官僚も権力者の庇護の上に出世があったのだ。
 女性の場合艶情詩という形で権力者におもねる女たちの姿を描いたが、それは、六朝以来の女たちの艶情を借りての物語を述べているのである。男性社会については、抒情詩の中では、この詩のように「登竜門がどこにあるかわからないのだよ」とボケをいっているのである。

李商隠は詩人として生きようと思っている、「多くの書冊を選び左右に鱗次して、獺祭魚と号し」することによって、その知識をすべてちりばめたのだ。李商隠らしい詩人的表現である。「私は頑張る、どこをどうしたらこうなる」というのはまったくない。
ボケと、自虐と、頽廃、直接的な方法としては、宗教、古辞の借用があるが、これはすぐ摘発され募集のみならず罰せられている。が権力に対しての表現である。詩人はそれぞれの特徴を出していくのである。

霜月 李商隠

「霜月」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 26

霜月
初聞征鴈己無蝉、百尺樓南水接天。
秋になってきた兵士は国境に向かう音、雁の群れが南の空に鳴きながら飛んでいるのが初めて聞かれた。既に蝉も抜け殻だけになっているこの街にも男がいなくなっている。百尺もの高い楼閣の上から、南の彼方を眺めると、清らかな湖の水は月夜の天空とで静かに交わっているのである。
青女素娥倶耐寒、月中霜裏闘嬋娟。

仙女の霜降らす青女と、月で一人さびしくしている精なる嫦娥たちが、寂しさと寒さに耐えている。楼の中では、月窓の中、霜のような絹かけ布団の中で、艶めかしく姿あでやかさでもってそれぞれ闘っている。


秋になってきた兵士は国境に向かう音、雁の群れが南の空に鳴きながら飛んでいるのが初めて聞かれた。既に蝉も抜け殻だけになっているこの街にも男がいなくなっている。百尺もの高い楼閣の上から、南の彼方を眺めると、清らかな湖の水は月夜の天空とで静かに交わっているのである。
仙女の霜降らす青女と、月で一人さびしくしている精なる嫦娥たちが、寂しさと寒さに耐えている。楼の中では、月窓の中、霜のような絹かけ布団の中で、艶めかしく姿あでやかさでもってそれぞれ闘っている


霜月
初めて征鴈を聞き己に蝉無し、百尺の樓の南 水 天に接す。
青女 素娥 供に寒きに耐え、月中霜裏 嬋娟を闘わす。



初聞征鴈己無蝉、百尺樓南水接天。
秋になってきた兵士は国境に向かう音、雁の群れが南の空に鳴きながら飛んでいるのが初めて聞かれた。既に蝉も抜け殻だけになっているこの街にも男がいなくなっている。百尺もの高い楼閣の上から、南の彼方を眺めると、清らかな湖の水は月夜の天空とで静かに交わっているのである。
霜月 霜降る夜の寒き月。月:女を詠う詩。


青女素娥倶耐寒、月中霜裏闘嬋娟。
仙女の霜降らす青女と、月で一人さびしくしている精なる嫦娥たちが、寂しさと寒さに耐えている。楼の中では、月窓の中、霜のような絹かけ布団の中で、艶めかしく姿あでやかさでもってそれぞれ闘っている。
青女 霜を降らす天女の名。漢の劉安の「淮南子」に 「秋三月、青女乃ち出で、以て霜雪を降らす。」とみえる。○素蛾 月ひめ常蛾のこと。夫の努の留守中、霊薬をぬすみ飲んで月中にのがれ、月の楕となった神話中の人物。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。○嬋娟 艶めかしく姿あでやかなるさま。顔や容姿があでやかで美しい。魏の阮籍(210-263年)の詠懐詩に「秋月復た嬋娟たり。」とブログ阮籍 詠懐詩、白眼視 嵆康 幽憤詩

日日 李商隠

「日日」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 25



娼屋に買われてきて、待つ身の辛さ、蜘蛛の糸を飛ばすように好きな人のもとに飛んで行きたい。



日日春光闘日光、山城斜路杏花香。

日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさが競い合い成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

幾時心緒渾無事、得及遊絲百尺長。

いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。


日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさが競い合い成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。

日 日

日日に春光 日光を闘わす、山城の斜路 杏花香わし

幾時ぞ 心緒 渾て事無く、及ぶを得んや、遊糸の百尺の長きに



日日春光闘日光、山城斜路杏花香。

日一日と、春の気配がましてくる、万物を息づかせ、あらゆる景物の輝きと太陽の輝かしさとが競い合っ成長させている。山腹の城郭からのびる勾配の道に咲く杏の淡紅の花も、素晴しく香わしいように私も杏の花なの

杏花 あんずの花


幾時心緒渾無事、得及遊絲百尺長。
いつのことになるだろうか、私の一途な思いが何事もなく、蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂い、百尺までも長くのびる遊糸に追いついてこの囲われたところから自由に風にたなびいていくことができるのか。

心緒 心の条理。長く連続する情念。たとえ体はささげても心の中で一人の男性を思い続けること。○渾 一切合切、ひっくるめて。○遊糸 蜘蛛が空に糸を飛ばして風に漂う。



 


 

李花 李商隠

「李花」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 24(花街の年増女の艶情)

 花街にまつわる年を重ねた女の艶情について詠っている。



李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。

歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。



すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。


李 の 花
李径 独り来ること数々、愁情 相与に懸る。
自から明かなり 月無き夜、強いて笑う 風ならんと欲するの天。
粉を減じては園籜に与え、香を分ちては渚蓮を沾す
徐妃 久しく己に嫁して、猶お自ら玉を鈿と為す

 

李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
李径 すももの花さく小道。遊郭へ行く小道のこと。 ○ しばしばの意として入声によんだ。かぞえると上声によんで晶ずる。○相与 愁いと花とがときた。


自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
強笑 強はむりにも。笑は花開くことのたとえ。女性が、笑って白い歯を出すこと。


減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
 たけのこの皮。その皮にふく粉を籜粉という。○渚蓮 渚はみぎわ。釈道源の注にいう、「李の開くは蓮と時を同じゅうせず。此れ其の色を彷彿せるのみ。」と。 


徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。
徐妃 梁の元帝蕭繹(508-554年)の多情の妃。唐の李延寿の「南史」に、徐妃は僧侶智遠道人と私通し、また帝の侍臣李江と姦通した。その嫉妬深さ多情さは、当の李江が「柏直(土地の名)の狗は年老いてもよく猟するように、徐娘は婆さんになっても矢張り多情だ。」と非難した程だったという。徐妃は後に自殺を命ぜられて死んだ。○ かんざし。



ウィキペディアには少し詳しいので参照
徐 昭佩(じょ しょうはい、生年不詳 - 549年)は、南朝梁の元帝蕭繹の妃。本貫は東海郡郯県。
侍中・信武将軍の徐緄の娘として生まれた。天監16年(517年)12月、湘東王妃となった。武烈世子蕭方等と益昌公主蕭含貞を生んだ。貞恵世子蕭方諸の母の王氏が元帝の寵愛を受けていたが、王氏が死去すると元帝は徐妃のせいにした。蕭方等が死去すると、徐妃は病がちになった。太清3年(549年)5月、罪を問われて自殺を迫られ、井戸に身を投げて死去した。江陵の瓦官寺に葬られた。元帝は『金楼子』に彼女の淫行を書かせた。
 
伝説
 徐妃は容姿が醜く、元帝は2、3年に1回しか入室しなかった。元帝は片眼だったので、徐妃は元帝がやってくると知ると、半面を化粧して待ったため、元帝は激怒して部屋を出た。徐妃は酒を好み、よく深酒していて、元帝が私室に帰ると、衣中に吐きもどした。徐妃は荊州の後堂瑤光寺の智遠道人と私通した。ひどく嫉妬深く、元帝の寵愛を受けない妾とは酒杯を交わして仲良くした。元帝の子を宿した者がいると分かると、手ずから刃傷を加えた。元帝の側近の曁季江の容姿が美しかったので、またこれと姦通した。季江は徐妃の老いらくの情に困惑して嘆いた。ときに賀徽という者の容姿が美しいことで知られたが、徐妃は賀徽を普賢尼寺に召して、白角の枕頭で詩を贈答しあった。
 
伝記資料
 『梁書』巻7 列伝第1 皇后
 『南史』巻12 列伝第2 后妃下

柳 李商隠

「柳」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 23 (野暮な男を詠う)
この詩は、漢、六朝、の憂愁艶情の詩、斉梁時代(479-556年)の唯美的な艶情詩の発想を発展的に継承した李商隠独特の詠物詩。基本的に楊は女性をあらわし、柳は男性をあらわす。したがって、男性の側の恋心、野暮な男を詠うもの。



動春何限葉、撼暁幾多枝。
柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
解有相思否、應無不舞時。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
絮飛蔵皓蜨、帯弱露黄鸝。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
傾国宜通體、誰來濁賞眉。

一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。


柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。



春に動く 何限の葉、暁に撼く 幾多の枝。
解く相思有りや否や、応に舞わざる時無かるべし。
絮は飛んで皓蜨を蔵し、帯は弱くして黄鸝を露わす。
傾国 宜しく通体なるべし、誰か来って独り眉を賞す。


動春何限葉、撼暁幾多枝。
柳は春の暖かい季節になった男たちは数知れぬ新しい葉葉をゆさぶり、暁まで、おびただしく垂れた枝をゆさゆさとゆさぶるように女たちとたのしむ。
何限 無限におなじ。○ ゆさゆさゆすぶること。


解有相思否、應無不舞時。
新しく目を出した柳に恋はないのか。まさに風のそよぐ限り、枝葉の舞いはやむ時などとてもなさそうだ。
 会(きっと何何する)や能(何何する事ができる)に同じ。○相思否 否の字は別のテキストでは、苦の字に作る。相思は恋。李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)
颯颯東風細雨來﹐芙蓉塘外有輕雷。
金蟾嚙鎖燒香入﹐玉虎牽絲汲井回。
賈氏窺帘韓掾少﹐宓妃留枕魏王才。
春心莫共花爭發﹐一寸相思一寸灰。


絮飛蔵皓蜨、帯弱露黄鸝。
柳絮を飛ばせて、清らかな白い蝶の姿をかくし、また、やわらかい細い腰の枝はとまった鶯の重みにたえかねて、その姿をあらわす。
絮飛 柳絮。柳が白い綿を飛ばす。男性の性行為をあらわす。 ○皓蜨 蝶。○ たれさがった柳の枝のこと。○黄鸝 うぐいす。この句は、思いのの通い合った高尚な男女間ではなく、その場の性交渉だけの男女間を示し、次の句へつなぐ。


傾国宜通體、誰來濁賞眉。
一瞥にて国を傾けた美女というものは、その肉体、情を交えることすべてのことのはずなのに、格子から見えるたたった一つだけの美しい眉だけでその気になる野暮な男は一体誰か。
傾国 その一瞥で国運を傾けるほどの要。漢の李延年が李夫人の美貌をたたえた詩から出る言葉。○通体  漢の司馬相如の琴歌に「情を交え体を通じて心和諧す。」という句があり、(宜通体)は、よろしく体を通すべし、という意味になる。○賞眉 女の眉の美しさ。この場合、娼婦の格子越の化粧した眉のことを指す。

牡丹 李商隠

牡丹 李商隠22七言律詩

李商隠の最初の支援者だった令狐楚(765-837年)の宅で催された宴会の席上、そこにいた妓女たちを独特の視線から詠って作られたものである。

長安の開化坊(稗の名)では令狐楚の宅の牡丹が最も見事だと、唐の段成式の「酉陽雑爼」佚文に見える。牡丹になぞらえ、乱交を詠ったのだ
 この詩は、一聯ごとのオムニバス映画四場面である。
 第一場面は二つの故事を使って状況を想像させるもので、衛夫人の故事で高貴な人の閨の状況を、続いて楚の貴公子と船頭との王性愛の故事を借用して夫人と芸妓の同性愛を述べている。
第二場面、艶めかしい踊り、(その愛し合う様子)
第三場面、たくさんの蝋燭は芸妓であり、ハーレム状態、たくさんの男女の絡み合いを詠う。
第四場面、ここに参加していた私はどの妓と楽しむか得意の詩でお誘いしよう、というものである。
 李商隠の詩は解説を先に読んで、本文を読んでみると面白い。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。

花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。

晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹
錦幃
きんい 初めて巻く衛夫人、繍被しゅうい 猶お堆うずたかし越鄂君。
手を垂れて乱れ翻
ひるがえる雕玉ちょうぎょくの佩おび、腰を折りで争い舞う鬱金裙うつきんくん
石家の蝋燭
ろうそく 何か曾て剪りし、筍令の香炉 薫るを待つ可けんや。
我は是れ 夢中に彩筆を伝う、花片に書して朝雲に寄せんと欲す。
 

錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。

昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
錦幃 錦織のとばり。 ○初巻 初めて巻き上げる。初体験。 ○衛夫人 原注があり晋の魚豢の「典略」を引く。「孔子衛にり、衛公の夫人南子に見ゆ。夫人は錦の帷の中に在り。孔子は北面して稽首す。夫人は帷の中より再拝す。環佩の聲璆然たり。」北面は臣下が君にまみえる時の方位。稽首は最敬礼の形式の一つ。環佩はおびにつけた玉の類。○繍被 牡丹の花のあでやかな刺繍がなされたかけ布団。 ○ そのかけ布団がこんもり盛り上がっている。その下で絡み合っていることを示す。○鄂君 一句楚の貴公子鄂晳の故事。江に舟を浮べて管絃の遊びをした時、たまたま鐘鼓の音がとだえた。その時、舟の漕ぎ手の越の国の者が、王子と同じ船に乗った喜びを歌に唄って鄂君を讃えた。鄂君は長い袖袂をあげてその歌手を抱擁し、繍被で姿をおおったという。故事の男色を出しているということは、富士人と芸妓の同性愛を示すものと思われる。儒教者はこれを無理矢理、花とか、舞、あるいは男女という解釈をしているが、そういう概念を取り払ってみていくことの方が李商隠の詩を理解しやすい。


垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
 手を垂れる。大垂手・小垂手という舞曲のかたちがあるのにひっかけ言ったもの。○折腰 梁の呉均の「西京雑記」に、漢の高祖劉邦の妃、戚夫人が翹袖折腰の舞いに巧みだったという記事がある。単に腰を曲げる意味だけでなく、舞踊の一つの形式を意味すると思われる。折の字はもと招の字になっているが、朱鶴齢の説に従って改め持○鬱金裙 香草鬱金草の花のような渋い黄色のうす絹の腰巻。


石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
石家蝋燭 西晋時代、豪奢な行為で有名な文人石崇(249-300年)の故事。当時、照明用として贅沢だった蝋燭を薪代りに使って炊事をしたことが、劉宋の劉義慶の「世説新語」に見える。○何曾 不曾にほぼ同じ。そん事が何時あったろうか、ありはしない。○筍令香炉 後漢の筍彧(163-212年)あざな文若の故事。若くして侍中守尚書令となった。魏の曹操(455-220年)の軍参謀役を後に勤めたが、曹操は常に彼を筍令とよんだという。東晋の習鑿歯の「譲陽記」には、筍彧の坐った跡には、馥郁たる香りが三日間も消えずにただよったとある。性同一を示す。ここでも同性愛を詠う。乱交という意味であろう。


我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。
私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。
夢中伝彩筆 梁の文人江掩(444-505年)にまつわる伝説による表現。唐の李延寿の「南史」にょると、ある夜、江俺の夢枕に、神仙のことに詳しかった晋の文人郭漢(277-324年)が現われ、「私の筆を長い間、君に借しておいたが返して欲しい。」と言った。江掩が懐中を探ると、五色の色どりある筆が出て来たのでそれを渡した。以来、江俺の詩文には全く精彩がなくなったという。李商隠は弱冠の頃、令狐楚の知遇をえ、彼の慫慂で四六駢儷文に手を染めた。恐らくはそれを指す(摘浩の説)。○朝雲 巫山の神女が、楚の懐王の昼寝の夢に現われ、その帰り際に、「あしたには朝雲となり、ゆうべには行雨となり、朝朝暮暮、陽台の下にあらん。」と言った、宋玉の高唐の賦に発する習見の故事をふまえる。

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21

無題(何處哀筝随急管) 李商隠21
七言古詩

 李商隠は実際に見たことを詩にしているのではなく舞台を設定しその中で物語を作っているのである。この詩は訳注、解釈本に書かれていない大前提がある。それは、始まりの舞台は遊郭の通路である。笛の音は男女の性交の際の声である。「東家老女」の身になってこの詩が書かれているのではない「清明暖後」若い男女のもつれあいを垣根越しに見てしまったこと。ということである。
 これを前提にして読むと、難解であったことのなぞがすべて解けてすべて理解できる。

無題
何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。

その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。


何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。

無題
何の處か哀筝を急管に随う、櫻花の永巷 垂楊の岸。
東家の老女 嫁せんとして售れず、白日 天に當たる三月の半。
溧陽公主 年十四、清明暖後に牆を同じくして看る。
蹄來 展轉して五更に到る、梁間の燕子 長嘆を聞く。


何處哀筝随急管、櫻花永巷垂楊岸。
何処からなのだろう、高く哀しい琴の音が急テンポの笛の音に和して、挑むように響いてくる。それは桜桃の花咲く娼屋の路地の奥、川岸のしだれ柳が新緑に萌えるところである。
 絃楽器、琴の類。哀は音階の高いこと。○急管 急テンポの笛の声 ○桜花 日本のサクラでなく桜桃の花である。○永巷 ふつう後宮の罪を犯した宮女を幽閉すことをいうが、ここは市中の長い路地で幽閉されたと同じように住んでいることを指す。娼婦のいる奥まった路地裏。○ この柳は女性の肢体をあらわす。男性は柳。


東家老女嫁不售、白日當天三月半。
そこの娼屋には今日はお客がついていない女がいる。季節は春、太陽が中空に白く輝く三月の半ばです。
東家 楚の宋玉の登徒子好色の賦に「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。美女を称して”東隣”とした事例に唐の李白「自古有秀色、西施与東隣」(古来より秀でた容姿端麗美人、西施と東隣)白居易「感情」のもある ○老女 婚期をのがして嫁き遅れの女性。いかず後家。○ うる。うれる。おこなう。流行。仲人がいない場合は、無である。客がついていないという意味。


溧陽公主年十四、清明暖後同牆看。
昔、梁の簡文帝の公主は、十四の年にもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のような若い男女の仲睦まじいことをしたと同じことを、かきねごしに見てしまった。
溧陽公主 梁の簡文帝蕭網(503-551年)のむすめ。美人だった。当時の有力な将軍であり、後に謀叛する侯景(?-551年)に求められて嫁いだ。昔、梁の簡文帝の公主は、十四のとしにもとめられて侯景に嫁し、清明の節句の後のある晴れた日に自分達が皇帝と皇后ででもあるかのように、帝が遊宴に行った隙に、帝座に肩を並べて坐っていた ○清明 二十四節気の一つ。春分後十五日、陽暦の四月五・六日に当る。桜など草木の花が咲き始め、万物に清朗の気が溢れて来る頃。毎年4月4~5日頃。天文学的には、天球上の黄経15度の点を太陽が通過する瞬間。黄道十二宮では白羊宮(おひつじ座)の15度。
清明の期間の七十二候は以下の通り。
 初候 玄鳥至(げんちょう いたる) : 燕が南からやって来る(日本) 桐始華(きり はじめて はなさく) : 桐の花が咲き始める(中国) 次候 鴻雁北(こうがん きたす) : 雁が北へ渡って行く(日本) 田鼠化為鴽(でんそ けして うずらと なる) : 熊鼠が鶉になる(中国) 末候 虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める(日本・中国)○同牆看 牆はかきね。太宝元年(550年)の三月に、簡文帝蕭綱が楽遊苑にあそび、宮殿に帰って来てみると、侯景と溧陽公主が、皇帝の座に坐っていた、という「梁書」に見える話をふまえた表現である。


蹄來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆。
その春画のような様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘が鳴るまで、ねがえりばかりして眠れません。やるせない溜息は、梁に夫婦で巣くっている燕だけが聞いている。
展転 ねがえりをうつと。〇五更 午前四時。○燕子 つばめ。常に雌雄あいともなって巣くうことがきかしになっている。○長嘆 売れ残りの娼婦はいらないといって帰りがけに見てしまった光景、眠れぬ夜を過ごしてしまった。ということでの長い溜息。


万物に清朗の気が溢れて来る頃、どうにもできないもどかしさを持つ男の身になってそのやるせなさを詠っている。婚期を逸して、器楽に悲しみをまざらす老女よりもせつない男の苦渋を述べている。
それでも「東家老女」ではなく、「年十四」の女性が良いという男心を詠ったものである。


陸游 麗わしの人、唐琬。(8)釵頭鳳 唐琬

 
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 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
 
陸游 麗わしの人、唐琬。(8)

離婚して10年二人は偶然に沈園で、みかけたのだ。その時は唐琬の夫とあいさつもした。しかし、後日、人づてに、沈園の壁に書き付けられた詩は唐琬にとって驚きであったのではなかろうか。いや迷惑ではなかったのだろうか。唱和するように詠っている。一般に言われるように、ロマンが続いていたとは思えない。
別れて互いに他の人と一緒になっていて、内容は、「私への思いは、迷惑だ、いい加減にしてよ」と受け取れる詩になっている。唐琬のしに、むしろ礼節を知ることができる。やはり、唐琬は、麗しの女性だったのだ。


釵頭鳳 唐琬

世情薄、 人情悪。
三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
雨送黄昏花易落。      
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。
暁風干、 泪痕残、         
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
欲箋心事 独語斜欄。
手紙(詩)を書こうとする、心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
難!難!難!

はばかれ、どうして、とがめたい

人成各、 今非昨、
人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、
病魂常似鞦韆索。
病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
角聲寒 夜闌珊。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
怕人詢問 咽泪粧歡。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
瞞!瞞!瞞!

あざむく。はじる。はずかしい。



三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
手紙(詩)を書こうとする、心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
はばかれ、どうして、とがめたい


人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
あざむく。はじる。はずかしい。

釵頭鳳

世 情は薄なり 人 情は悪なり。
雨送り 黄昏、花易落。
暁風は乾かし、 泪痕は残る
箋 心事を欲せん 独語 欄に斜す
難(かた)し 難し 難し

人各々に成り 今は昨に非ず。     
病魂 常に千秋(ブランコ)の索くに似たり。 
角声 寒く 夜にして珊を爛し、
人の尋問を怕れ 咽泪せしも歓を装う
瞞(あざむ)かん 瞞かん 瞞かん


   

釵頭鳳 
唐琬南宋の頃から沈園は江南の有名な私家庭園で、今も残る園内のヒョウタン形の池、石板橋、池辺の築山、井戸はみな南宋時代のもの。
 唐琬は一緒に来ていた夫の許しをえた上で酒肴を陸游のもとにとどけさせる。
その後、唐琬たちが帰ったあと、陸游が庭園の壁に書き付けたのが、「釵頭鳳」(さいとうほう)という詞に対し、返信の如く書き綴ったのが次の詞、同じく「釵頭鳳」である。

 陸游は 20歳で結婚、
      22歳で離婚、唐琬と別れたのち23歳で再婚、
      24歳で第一子、
      26歳第二子、
      27歳で第三子と、三人の子を持っている。
 仲が良すぎて科挙の試験の妨げになるため別れさせたというけれど、子作りだけが上手くいっている。
 陸游は29歳の時、鎖庁試に主席及第した。本来ならば、この及第により、これを踏み台として、洋々の未来が期待できるはずであった。しかし、陸游にとってこの主席が災いし、将来をふさがれるのである。
 当時、南宋の実権は秦檜であった。北の強国、金に対して、強硬策化、和平策化で抗戦派の中心、詩人でもある岳飛を殺してまで和平を成立させた人物が秦檜であったのだ。陸游は抗戦派であった。
 陸游が主席及第した試験に秦檜の孫が受験していたのだ。次席であった。
 翌年30歳進士落第。
 陸游、地方官に任官するのがやっと34歳が初めてのことなのだ。ということからして、31歳のころは、いわばどん底、悶々とした状況にあった。そこで、沈園での出来事、唐琬は、再婚し、安らいだ生活をしていた。別れた夫に対し、許しを得て酒を送っている賢女である。陸游がいかにどん底とはいえ、唐琬にとって、迷惑な詩であったに違いない。二十歳前後の少年ならいざ知らず、また、離婚仕立てならまだしも、三十といえば自分の考えを確立していなければいけない年齢である。陸游の「釵頭鳳」はいただけない。さすが、唐琬の冷静で、陸游をたしなめるような詩は理解できる。唐婉の声が聞える詞です。
(しかし、陸游というのは一言で言って、憎めない人物である。立派な詩人なのにどこか抜けていて、頼りなさそうで、優しそうな雰囲気を感じる。)
 




世情薄、人情惡、 雨送黄昏花易落。
三十年になれば思いはうすくなるもの、人の情けを思うことはよくない
 三十。30歳。○情薄 情は薄くなる ○ 人の情の移り変りをわるくする。だれだれが悪いといっているのではない。

雨送黄昏花易落。
雨と黄昏はともに花が散りやすくし送ってくれている。

曉風乾、涙痕殘。
風は乾かすことを悟らせ、それでも涙は後を残す。
三語、三語の啖呵を切っている。

欲箋心事、獨語斜闌。
手紙(詩)を書こうとする、 心に思うことを実行する、自分勝手な言葉、正しくない遮り。
二語二語、二語二語、というのは、啖呵を切っているので句ではないのである。ここでは、欲箋 心事、獨語 斜闌と文章ではない。・欲箋 手紙(詩)を書こうとする、 ・心事 心に思うことを実行する、・獨語 ひとりごと、自分勝手な言葉、 ・斜闌 正しくない遮り、斜:正しくない。闌:さえぎる、せき止める(唐琬がせっかく落ち着いてきて安定した生活を取り戻したことを遮ったり邪魔をすることはよくない)

難!難!難!
はばかれ、どうして、とがめたい。
(前の啖呵「欲箋 心事、獨語 斜闌」を受けてのことばである)
女子は最初嫁いだ家のために別の家に嫁ぎ最初の家の弾に尽力するということも考えられたが、この場合どうも違いようである。やはり、お母さんが陸游の出世のために唐琬をいいところへ嫁がせたのであろうがうまくいかなかったということか。

人成各、今非昨、 病魂常似鞦韆索。
人それぞれ成長するもの、今日は昨日ではない、病のような思いというものは何時の世もブランコの縄のようなもの。
ここも三語、三語の啖呵。○鞦韆(しゅうせん):秋千、ブランコ。○ ブランコの綱。縄。
   
角聲寒、夜闌珊。
角笛の音色というものは寒々と響くもの、夜は珊瑚をさかりがすぎてしまった。
ここも三語、三語の啖呵。○角聲寒 角笛の音色というものは寒々と響くもの。ときのうつろいをあらわす。 ○闌 さかりがすぎる。さえぎる。おとろえる。  珊 珊瑚、珊瑚の弾。珊瑚は東海の海底で育つもの。時をやり過ごせば枯れてとることはできない。
「神農本草経」に「珊瑚は海底の盤石の上に生ず一歳にして黄、三歳にして赤し。海人先ず鉄網を作りて水底に沈むれば中を貫いて生ず。網を絞りて之を出す。時を失して取らざれは則ち腐る。」とある。な玉輪 鉄網の二句には奥に隠された意味があると思われる。例えば西晋の傅玄(217-278)の雑詩の句「明月常には盈つるあたわず。」という月が女性の容姿の喩えであるように、恐らく「顧免初生魄」は、少くとも、愁いを知りそめた乙女の顔、そしてその瞳への聯想をいざなうように作られている。また、熟せば赤くなる珊瑚、だがまだ枝を生じないから網でひきあげられてはいない。セックスについて未成熟であるというこの一句にはエロティックな意味がある。
その頃は燃えて赤くなっていたがもうそれも衰えてしまった

怕人尋問、咽涙裝歡。
人は怖いもの、問われ尋ねられること、啼いて涙を流すこと、装った悦楽の言葉。
ここも二語二語、二語二語の啖呵。・怕人:人は怖いもの。・尋問:問われ尋ねられること。・咽涙:啼いて涙を流すこと。・裝歡:装った悦楽の言葉
 よそおう。おさめる。ふりをする。 ○ 喜び楽しむ。愛し合う男女が互いに掛け合う喜びの表現。

瞞!瞞!瞞!
あざむく。はじる。はずかしい。
上の啖呵、怕人尋問、咽涙裝歡を受けての言葉である。


麗しき人唐琬。について、手元にはまだまだ掘り下げて見てはいるがこれで終了にしたい。
明日から、また李商隠を中心に書いていくことにする予定。

陸游 麗わしの人、唐琬。(7)春草

陸游 麗わしの人、唐琬。(7)春草

84歳、春の行楽に出かけ、沈園を訪れて感傷にふける。

[結婚期間]  21-22歳
1. 釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2. 絶句二首其一 63歳 菊採り枕嚢を縫い、
3. 絶句二首其二 63歳 「凄然」とした詩
4. 七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう
5. 沈園 二首其一 75歳 春波綠
6. 沈園 二首其二 75歳 柳老不吹綿

(夢を見ての作)
7. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一84歳
      緑は寺の橋を帯して 春水生ず
8. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其二84歳
      墨痕は猶お壁間の塵に鎖さる
9. 禹寺   是れ古人なるかと
10春草   幽夢の太だしく勿勿たるに


「春草」四首の四
沈家園裏花如錦、半是常年識放翁。
沈家の庭園には、花が錦織のように色とりどりである、その花のうち半分はいつもの年にみかける花だから陸放翁を識っている
也信美人終作土、不堪幽夢太勿勿。

もしかすると 美人もついに土になっていることだろう、寂しい夢を見ることがはなはだしく絶えず我慢しなければならないのだ

沈家の庭園には、花が錦織のように色とりどりである、その花のうち半分はいつもの年にみかける花だから陸放翁を識っている
もしかすると 美人もついに土になっていることだろう、寂しい夢を見ることがはなはだしく絶えず我慢しなければならないのだ


春草
沈家の園の裏に花は錦の如く
半ばは走れ当の年に放翁を識りしならん
也また信なり 美人も終に土と作ること
堪えず 幽夢の太だしく勿勿たるに


(「春草」四首の四)
沈家園裏花如錦、半是常年識放翁

沈家の庭園には、花が錦織のように色とりどりである、その花のうち半分はいつもの年にみかける花だから陸放翁を識っている
常年 いつもの年。毎年。○放翁 晩年陸游は陸放翁と呼ばれていた。

也信美人終作土、不堪幽夢太勿勿
もしかすると 美人もついに土になっていることだろう、寂しい夢を見ることがはなはだしく絶えず我慢しなければならないのだ
○也信 もしかすると・・・・・・だろう。○勿勿 あわただしいこと。絶えず努力をする。



 陸游、歿する1年前の作で八十四歳の老人の作とは思えないみずみずしさである。若き日の回想が感覚を若返らせるのであろうか。六十年以上も前に、いったんは結ばれながら心ならずも別れ、その後ふと出逢いながらことばを交わすこともなく、それが永久の別れとなった。その胸のいたみを詞に詠じたのももう半世紀以上も前のことになる。その間ずっと忘れることなく、おりにふれて回想し、夢にみ、そして詩に詠ずる。いやな思いも、苦しい思いもすべてが夢の中のことになってしまった。

陸游 麗わしの人、唐琬。(6)禹寺

陸游 麗わしの人、唐琬。(6)禹寺

八十四歳の年の春、陸游は禹跡寺に遊び、またも石に刻まれた自分の詞を見た。この詞を壁に書きしるしたのは五十年以上も前のこと、自分にとっては昨日のことのようでも、人々にとっては昔話でしかない。歳を重ねて、八十四、人生五十年といわれた時代、二十歳の思い出が石に刻まれて残されている。思い出よりも詩碑が残されていることへの嬉しさの方が強く感じられる詩である。


禹寺
禹寺荒残鐘鼓在、我來又見物華新。
寺にいて自分はいろんな考えをすることができない状況でいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
紹興年上曾題壁、観者多疑是古人。

紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。

禹跡寺にいて自分はいろんな考えをすることができないじょうきょうでいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。



禹寺 荒残れて 鐘鼓在り、我来りて又た見る 物華の新たなるを。
紹興の年上(ころおい) 曾て 壁に題せし、観る者 多く疑う 走れ古人なるかと



禹寺荒残鐘鼓在、我來又見物華新。
禹跡寺にいて自分はいろんな考えをすることができない状況でいたら時を告げる鐘鼓の音がしてきた、私はまたここに来たわけだが、新たに来ている人たちは新たなものを見る様である。
荒残 ものの考え方が大まか。深く考えない。


紹興年上曾題壁、観者多疑是古人。
紹興に棲むよわいを重ねた者たちはかねてからの壁の題詩を知っている、この寺の観覧者はこの題詩についてむかしの人のことだと多いに疑っている。
年上 ころおい よわいを重ねた者。老人たち、昔からこの壁を見ている者たち。

陸游 麗わしの人、唐琬。(5)夜夢沈氏遊園亭

陸游 麗わしの人、唐琬。(5)
 七言絶句 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一
  陸游75歳の作 
 
[結婚期間]  21-22歳
1. 釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2. 絶句二首其一 63歳 菊採り枕嚢を縫い、
3. 絶句二首其二 63歳 「凄然」とした詩
4. 七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう
5. 沈園 二首其一 75歳 春波綠
6. 沈園 二首其二 75歳 柳老不吹綿

(夢を見ての作)
7. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一84歳
8. 十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其二84歳


7
十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其一
路近城南己怕行、沈家園裏更傷情。
道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。

香穿客袖梅花在、緑蘸寺橋春水生。

香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。

道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。
香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。


(下し文)十二月二日夜、夢に沈氏の園亭に遊ぶ二首
路城南に近づけば 己に行くを怕る、沈家の園の裏に更に情を傷ましむ
香は客の袖を穿ちて 梅花在り、緑は寺の橋を帯して 春水生ず


路近城南己怕行、沈家園裏更傷情。
道をそぞろに歩くと城郭の南の方に来ていた青の場所に近づいてきたので行くのをためらってしまう。
そのため沈家の庭園の裏側回ってみたがますます痛みの気持ちになってしまった。
 おびえる。しんぱいだな。


香穿客袖梅花在、緑蘸寺橋春水生。
香が袖から入ってきたので梅の花が開いているのに気が付いた、綠が寺への橋のなみなみと注がれ、いっぱいになるように春水がうまれていた。
香穿 香が入り込む。 ○客袖 陸游自身の袖。○緑蘸 透きとった水がひたひたになる。 ○春水生 これから春の水になっていく。
香、綠、春水、蘸艶歌に使われる用語で構成されている。後漢・六朝からつづく玉台新詠の流れのもので、艶歌は上流社会で、何より喜ばれた時代である。



十二月二日夜夢沈氏遊園亭 二首 其二
城南小陌又逢春、只見梅花不見人。
城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
玉骨久成泉下土、墨痕猶鎖壁閒塵
麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。

城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。


(下し文)其の二
城南の小陌に又た春に逢う、只だ梅花を見るのみにして人を見ず
玉骨 久しく泉下の土と成れり、墨痕は猶お壁間の塵に鎖さる


城南小陌又逢春、只見梅花不見人。
城南へ向かう小陌(みち)に又、春のはなにで逢った、只 梅花を見ている人がいない。
 街の中の通りの小道。


玉骨久成泉下土、墨痕猶鎖壁閒塵

麗しの人は骨になっており泉の下の土になって久しい、壁に書き付けた詩の墨は今なお壁の間で塵とともにのこっている。
玉骨 唐琬がすでに死んでいるそれを骨という表現をしている。○久成 そうなってから久しい。○泉下土 わざわざ泉という艶歌用語を使用し、下という用語を土で挟んでいる艶歌である。○墨痕 詩を書きつけた痕跡。○壁閒塵 柱と柱の間の壁と長い間の塵で薄汚れてきた様子をあらわしている。この聯の圧巻は「泉下土」である。骨となって埋葬されているとしながら、男女間のこと連想させて、麗しの人をぅおい徴している。


(「十二月二日夜、夢に沈氏の園亭に遊ぶ」二首)

(84歳春、絶句二首につづく。)

陸游 麗わしの人、唐琬。(4)沈園 二首

陸游 麗わしの人、唐琬。(4)
 七言絶句 沈園 二首  陸游75歳の作 
 
[結婚期間]  21-22歳
1. 釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2. 絶句二首其一 63歳 菊採り枕嚢を縫い、
3. 絶句二首其二 63歳 「凄然」とした詩
4. 七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう
5. 沈園 二首其一 75歳 春波綠
6. 沈園 二首其二 75歳 柳老不吹綿


(4-1)
沈園二首其一
城上斜陽畫角哀,沈園非復舊池臺。
城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
傷心橋下春波綠,曾是驚鴻照影來。

悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。


城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。



(下し文)沈園しんえん二首 其の一    
城上じょうじょうの斜陽  畫角がかく 哀かなし,沈園しんえん 復また 舊きう池臺 ち だいに 非ず。
傷心  橋下  春波しゅん ぱ の綠,曾かつて是これ 驚鴻きょうこうの  影を照うつして來きたりしを。


城上斜陽畫角哀、沈園非復舊池臺。
城郭の上で、陽が傾いている中、いつもの夕の時を告げる角笛のもの悲しげな音色がもの悲しさを描いている。沈園は、既に面影は移ろいもはや昔の池の畔の高台ではなくなっている。 
城上 城市の方から。城郭の上。ここは ○斜陽 西に傾いた太陽。夕日。 ・ 角笛。朝夕の時を告げる。夕方の景色がもの悲しい○ また。 ○ 昔の。 ○池臺 池の畔の高台。池の中の高台。

傷心橋下春波綠,曾是驚鴻照影來。
悲しく思うきもちは橋の下を流れる春の川の緑色に澄んだ流れの中、かつてのしなやかな美人の姿を映し出したのでおどろいておおとりが飛び立つほどときめいた。
傷心 心をいためること。悲しく思うこと。 ○ 緑色に澄む。綠を ○曾是 かつて。以前に。 ○ かつて~ことがある。 ○驚鴻 おどろいて飛び立つおおとり。 ○照影來 姿を映し出してきた。 
春波綠は男女の情交を示す言葉で、水面の揺らめく波で、若き日のその時を思い出した。



沈園二首其二

夢斷香消四十年,沈園柳老不吹綿。
夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
此身行作稽山土,猶弔遺蹤一泫然。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している

夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している

(下し文)沈園しんえん二首 其の二
夢は斷え 香りは消えて  四十年,沈園 柳は老いて  綿を吹かず。
此この身 行ゆくゆく  稽山の土と作ならんとも,猶  遺蹤いしょうを弔いたみて  一いつに 泫然げんぜんたり。


夢斷香消四十年,沈園柳老不吹綿。
夢のような偶然の出逢いから色香も消え失せてしまって、四十年が経(た)つ。沈園のヤナギは、年老いて、柳絮を飛ばさなくなった。
 前妻・唐琬の色香。 ○四十年 前妻・唐婉との別離以降の歳月。 ・柳老 年老いたヤナギ。陸游を示す。なお、ヤナギはヤナギでも楊の楊花は、男性の間を転々と移り行く女性を謂う。 ○不吹綿 柳絮を飛ばさなくなった。年老いたということ。陸游が年を取って男としての役割ができなくなったことをあらわす。


此身行作稽山土、猶弔遺蹤一泫然。
この身も、やがては会稽山の墓地に埋葬されて、そこの土となることだろうが、なおも昔に想いを馳せて、もっぱら涙をはらはらと流している。
 ゆくゆく。やがて。 ○稽山 会稽山(かいけいざん)のこと。浙江省紹興市の南南東にある大山。春秋時代、越王・勾践が呉王・夫差に敗れて、立て籠もったところ。謝朓、李白の詩がある。李白「送姪良携二妓赴会稽戯有此贈」「越女詞 其四」 ブログ越女詞五首其三 14其四 12-5其五稽山土 死んだ後、会稽山に埋葬されて、そこの土となることを謂う。○ なお。引き続いて。 ○ いたみあわれむ。弔古。古(いにしえ)をしのぶ。遺跡等で往事の人を祀ったり、昔に想いを馳せること。 ○遺蹤 残っているあと。あとかた。遺跡。 ○ ひとえに。もっぱら。いつに。 ○泫然 涙をはらはらと流すさま。

陸游 麗わしの人、唐琬。(3)

陸游 麗わしの人、唐琬。(3)

「釵頭鳳」は通常の詩とは異なり、「詞」といって、歌曲の辞である。「欽頭鳳」は詩題ではなく曲名であり、この曲にのせる歌辞であることを示したものであった。唐琬とのことを整理してみた。

結婚期間  21-22歳
1.釵頭鳳  33歳 偶然の再開
2.3.絶句二首 63歳 菊採り枕嚢を縫い、凄然とした詩
4.七言律詩 68歳 妄想はのぞき消しつくそう(今回)

 唐琬が「釵頭鳳」の詞を読み、傷心のあまり世を去った、とされているが、を何度読み返しても、唐琬が貞操観念が強かったにしても、何度でも婚姻ができる時代であり、胸の思いで死ぬことにはならない。新しい夫が以前の夫、陸游に嫉妬して唐琬を苛め抜いて殺したのなら別であるが、そうではない。これも後世、悲恋に仕立て上げられたものであろう。唐琬とのはかない縁は、陸游の胸に深く刻みこまれ、一生のあいだおりにふれて思い出しては感傷にふけただけなのだ。

四十年を経たある日、陸游はこの園を訪れ、自分の書きしるした詞が石に刻まれているのを見て詩を詠ずる。
(「禹跡寺の南に沈氏の小園有り。四十年前、嘗て小闋を壁間に題す。園己に主を易え、小闋を石に刻す。之を読みて悵然たり」と題した)


本文
楓葉初丹槲葉黄、河陽愁鬢怯新霜。
つらの葉(もみじ)が赤くなりはじめ、柏の葉は黄色に色づく、黄河の北地方は愁いのため白くなった鬢髪と初霜に怯えている。
林亭感舊空回首、泉路凭誰説断腸。
林の中に屋敷がある、思い返してみると昔と変わらないと感じた、あの世において燃え上がるせつない思いをだれによって喜びを得られるのか。
壊壁酔題塵漠漠、断雲幽夢事茫茫。
古ぼけた壁に昔書きつけていた、酔った席で作った詩題は埃によってぼやけていた、千切れ雲のようにぼんやりした夢は事とともに薄らいでいた。
年来妄念消除盡、回向禪龕一炷香。

数年来の妄想はのぞき消しつくす、思う向きをかえて禅宗の塔に香を焚くことにした。



かつらの葉(もみじ)が赤くなりはじめ、柏の葉は黄色に色づく、黄河の北地方は愁いのため白くなった鬢髪と初霜に怯えている。
林の中に屋敷がある、思い返してみると昔と変わらないと感じた、あの世において燃え上がるせつない思いをだれによって喜びを得られるのか。
古ぼけた壁に昔書きつけていた、酔った席で作った詩題は埃によってぼやけていた、千切れ雲のようにぼんやりした夢は事とともに薄らいでいた。
数年来の妄想はのぞき消しつくす、思う向きをかえて禅宗の塔に香を焚くことにした。



(下し文)
楓葉初めて丹く槲葉(かしわの菓)黄なり、河陽の愁鬢 新霜に怯ゆ。
林亭 旧に感じて空しく回首す、泉路 誰に焦りてか断腸を説かん
壊壁の酔題 塵漠漠たり、断雲 幽夢 事茫茫たり
年来 妄念 消険し尽くせり、禪龕に回向す 一炷の香



楓葉初丹槲葉黄、河陽愁鬢怯新霜。
かつらの葉(もみじ)が赤くなりはじめ、柏の葉は黄色に色づく、黄河の北地方は愁いのため白くなった鬢髪と初霜に怯えている。
楓葉 かつらの葉。カエデ科の落葉樹の総称。戴叔倫「盧橘花開楓葉衰」○槲葉 かしわの菓、○河陽 黄河の北側地方。○愁鬢 愁いのため白くなった鬢髪。 ○新霜 初霜。


林亭感舊空回首、泉路凭誰説断腸。
林の中に屋敷がある、思い返してみると昔と変わらないと感じた、あの世において燃え上がるせつない思いをだれによって喜びを得られるのか。
林亭 沈氏の庭園 ○回首 振り返って眺めやる。同時に回想にふける。李煜「采桑子」にある。 ○泉路 あの世。死後の世界。黄泉。○ 悦とおなじ。 ○断腸 悲痛の極み。李白「春思」と「清平調詞其二」につかう。どちらも情交できない満たされないときの悲痛な思いを詠う。


壊壁酔題塵漠漠、断雲幽夢事茫茫。
古ぼけた壁に昔書きつけていた、酔った席で作った詩題は埃によってぼやけていた、千切れ雲のようにぼんやりした夢は事とともに薄らいでいた。
壊壁 古ぼけた壁。 ○酔題 酔っていた席で作った詩題。 ○ 俗事。欲望。 ○漠漠 広大なはてのないさま。ぼんやりとしていて、とりとめもないさま。 ○断雲 ちぎれた雲。離れ離れの男女。 ○幽夢 ぼんやりした夢。 ○茫茫 広々したさま。疲れたさま。白居易「琵琶行」、韓愈「祭十二郎文」に使う。


年来妄念消除盡、回向禪龕一炷香。
数年来の妄想はのぞき消しつくす、思う向きをかえて禅宗の塔に香を焚くことにした。
年来 としごろ。数年来。 ○妄念 みだらなおもい。妄想。 ○消除 のぞきけしさる。○回向 むきをかえる。 ○禪龕 禅宗の塔。灯篭 ○炷香 しゅこう 香を焚く。


 ふれて思い出しては感傷にふけることになる。四十年を経たある日、陸游はこの園を訪れ、自分の書きしるした詞が石に刻まれているのを見て詩を詠ずる。


(75歳の時のにつづく)

陸游 麗わしの人、唐琬。(2) 釵頭鳳

陸游 麗わしの人、唐琬。(2)


われわれは、麗しの人、唐琬(1)で陸游たちの離婚は「政略結婚を推し進められたもの」とういう仮説を立てた。それに基づいて陸游の詩7編を見ていくことにしたのである。(1)ではここに立てた仮説の方が分かりやすいという結果になった。
詩題の結び、「凄然として感有り」は、①若き日を回想して甘い感傷にふけっているのではなく、②無惨な破局に終わったことを思い出す胸の痛みを表わしているのでもなく、③特に其一には、性と情交、閨に関した語句でつづられている、無理やり引きはがされたとしても仲が良すぎて引き離すのは理屈に合わない。これでは、本人陸游は意外とさばさばしている感がする。したがって、これまでの「母の唐氏はどういうわけか自分の姪でもあるこの嫁が気に入らなかった。一説によれば、あまり仲がよすぎて、科挙受験を目ざしている陸游が勉学をおろそかにしたため、などともいうが、さだかではない。とにかく諸書の記載の一致するところ、母夫人の気に入らず離縁されてしまった。陸游は、はじめのころ別宅に隠れてしのび逢いをしていたが、それも見つかってしまい、とうとう断絶してしまった。やがて陸游は王氏と再婚し、唐琬は宋の皇室と縁つづきの趙士程なる人物にあらためてとついだが、二人はたがいに忘れることができず、思いを胸のうちにひそめていた。そして、十年ほどを経たある日、二人は偶然再会することになる。」(中国詩人⑫村上哲見著P48)とされているが、我々はこれでは別れた原因に疑問が残り、十分な説明にはならないとした。この原因を、母親を巻き込んだ関係者の政略と仮説した。


紹興の東南隅、禹跡寺の隣に、沈氏の庭園があった。唐宋のころ、仏寺・通観(道教の教会)や富豪の庭園は、花見のシーズンになると士族らに開放されるのが習わしであった。ある春の日、陸游はこの庭園に花見に出かけ、思いがけず別れた妻と出逢ったのだ。唐氏の夫は、陸游に酒肴を贈ったのだ。

唐氏らが去ったあと、陸游は庭園の壁に詞をしたためた。

釵頭鳳
紅酥手,黄縢酒,滿城春色宮牆柳。
紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
東風惡,歡情薄。
春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
一懷愁緒,幾年離索。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。
錯,錯,錯。

まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。

春如舊,人空痩,涙痕紅浥鮫綃透。
春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
桃花落,閑池閣,山盟雖在,錦書難託,
桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
莫,莫,莫。

あってはならない、やめよう、終わりにした

紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。
まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。

春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
あってはならない、やめよう、終わりにした



紅く 酥(やはら)かき手,
黄縢の酒,
滿城の春色  宮牆の柳。
東風 惡しく,歡情 薄し。
一懷の愁緒,幾年の離索。
錯,錯,錯。


春 舊の如く,
人 空しく 痩す,
涙痕 紅(あか)く 鮫綃  して 透る。
桃花 落ち,
閑かなる池閣,
山盟 在りと雖も,
錦書 托し難し,
莫,莫,莫!


酥手,黄縢酒,滿城春色宮牆
紅色に染まった柔らかい部分に手をやる、黄色のわきでる酒、城郭一面が春景色で、宮殿の壁沿いの柳にも春が訪れた。
紅酥手 ピンク色に染まった柔らかい手。  ・ ふっくらとして柔らかい。名詞;バター、チーズ等の乳脂肪を固めたもの。女性の局部。黄縢酒 黄色の酒。 ・縢 わく。わきでる。 ・滿城春色 城内一面が春景色。 ・宮牆柳 宮殿の壁沿いの柳。宮、牆、柳。この語は性交渉を暗示する語。 ・  壁。


風惡,情薄。

春風は、その時を思い浮かばせるからわるいし、歓びの思いが薄かった。
東風惡 春風がわるい。 ・東風 春風。思いを起させる風。 ・ わるい。春風は、その時を思い浮かばせるからわるい。だれだれを憎むとかいうのではない。
歡情薄 歓びの思いが薄かった。二人が夫婦として楽しく過ごした期間は短かった。


一懷愁緒,幾年離索。
思うことは一つ断ち切れない思いのさびしさ、幾年も、もとめあうことがなくなってる。 
一懷 思うことは一つ。 ・愁緒 さびしい(離別の)心情。緒 情緒。断ち切れない思い。幾年離索 どれだけ逢わずにいたことだろう。 ・離索 離別。別居。・索 なわ。もとめる。よめをもらう。さみしい。


錯,錯,錯。

まじりあいたい。かわるがわるしたい。間違がったのか。
・錯 まじりあう。かわるがわる。間違がった。



春如舊,人空痩,涙痕紅浥鮫綃透。
春の訪れは旧来のままである。人は空しく痩せてしまった。ひとのこころは、 空しくやせ衰えてしまった。
涙が頬紅を流して、薄絹までもに紅く滲み出てきた。 

涙痕 涙のあとがで流れて紅く。 ・紅浥 ひたす。うるおす。滲み(透り)。 ・鮫綃 肌着。 ・透 にじみ出る。


桃花
落,閑池閣,山盟雖在,錦書難託,

桃の花が散る。静かな池の畔の建物。男女の深い契りあるとはいえ、思いをしたためた手紙は、もはや手渡すわけにはいかない。
・山盟 男女の深い契り ・雖在 …が存在しているとはいても。・錦書 思いをしたためた文、手紙。 ・難托 託し難い。委託しにくい。手渡しにくい。


莫,莫,莫

あってはならない、やめよう、終わりにした
・莫 ・・・・・・なかれ。


「錯,錯,錯。」とか「莫,莫,莫」。の受け止め方、顔借により、この詩はかなり異なった解釈になるだろう。これまでの解釈は大前提に、①陸游が無理やり引き離された、②親がすべて決めてきた、③陸游には一途な思いがあった、④礼節の美徳、⑤貞操、⑤陸游は儒教の教えを守っていた、⑥母親の姪の唐琬、母親は自分の兄弟との子であるから自分の兄弟親戚関係が無茶な離婚をさせてもおかしくならないなどの前提条件があるから決めつけた解釈となっている。
 あるにはあったろうがそれほど強くはなかったのではないか。この詩の通りの気持ちであれば、別の手段はなかったのか疑問は残る。

 思い焦がれた気持ちで他の女性と一緒になり、他の男性と一緒になったのか。仲が良いだけで離婚させて何のメリットがあったのか。怒るのならその矛先が、なぜ、別れさせた母親に向かわないのか、なぜ10年も音信不通なのか、当事者でない場合なら、いくらでも恋しい思い、せつない思いを表現している。中国の詩で思いを表現する場合、他人のこころを借りて表現するはずである。
 この詩は「艶歌」であるから、艶を借りて、表現しているといえるが、艶=「遊び」であると考えれば、理解できる。後世、悲恋に仕立て上げられたものと考える。

 しかしはっきりしたことがある。それは、唐琬という女性は「麗しい人」であったということである。この庭園に来た人々に女性の「麗しさ」感じさせることが第一であったものと考える。


( 3)68歳の作につづく)

陸游 麗わしの人、唐琬。 (1)

陸游 麗わしの人、唐琬。 (1)


陸游は二十歳のころ結婚している。相手は陸游の母親唐氏の一族の娘で、唐琬といった。二人は仲むつまじいものであったらしい。このころ陸薄は、菊の花びらをつめた枕を詩に詠じ、世間の評判となった。ただ、彼は、その若いころの詩を後にすべて廃棄しているために伝わっていない。

四十余年を経てつぎのような回想の詩、絶句二首を作っている。
詩には「自分が年二十の時、菊枕の詩を作り、すこぶる人に評判を得た。今秋、たまたま、また菊を採り、枕嚢を縫い、凄然としたので詩をしたためた。」という内容の添え書きがされている。この詩も、例によって、艶歌として、お遊びのひとつとして書かれていると考える。いろんな訳註に不満を持って読んだが「お遊びの詩」「閨情」とすれば納得できる。(唐琬とのことを詠ったとする詩を少し追っかけてみる。5回程度になる)

絶句二首 63歳

其一
采得黄花作枕嚢、曲屏深幌悶幽香。
菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
喚回四十三年夢、燈暗無人説断腸。

思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。

菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。


(その一)
黄花を采得して枕嚢を作る、曲屏 深幌 幽香 悶(かす)かなり
喚(よ)び回(かえ)す 四十三年の夢、灯暗くして 人の断腸を説く無し


采得黄花作枕嚢、曲屏深幌悶幽香。
菊の黄花を採りあつめ、枕嚢に詰め込んだ、曲がり屏風奥のとばりあたりまでゆっくりとその香がほのかに届いている。
采得黄花作枕嚢 昔一緒に暮らしていたころ菊の花を詰めた枕から匂うことは性的感情を高めるものとされていた。その香が閨に漂うのである。


喚回四十三年夢、燈暗無人説断腸。

思い起こすこと四十三年になるあの閨のこと、燈火がとどかない暗い部屋の中でこのせつないやるせなさを誰もいないのに説いていた。
燈暗 ほの暗くして閨の雰囲気を感じさせる詩人の表現。○断腸 悲痛の極み。李白「春思」と「清平調詞其二」につかう。どちらも情交だできない満たされないときの悲痛な思いを詠う。



其二
少日曾題菊枕詩、蠧編残稿鎖蛛絲。
まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
人閒萬事消磨盡、只有清香似舊時。

人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。

まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。

(其の二下し文)

少き日 曾て題せし 菊枕の詩、蠧編 残稿 蛛絲に鎖(とざ)さる
人間 万事 消磨し尽き、只だ 清香の旧時に似たる有り

少日曾題菊枕詩、蠧編残稿鎖蛛絲。
まだ青年だったあの頃、菊枕と題した詩をうたった、虫に食われてバラバラになり、下書きを含めた詩文全部が蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしないものとなった。
蠧編 虫に食われてバラバラになること。蠧は衣類や書物を食う虫。 ○残稿 下書きを含めた詩文全部。 ○鎖蛛絲 蜘蛛が糸を張って訳が分からない、見る気がしない。・蛛絲 蜘蛛が糸を張ること。放置したままにしておくこと。 ・鎖 とざしてしまう。


人閒萬事消磨盡、只有清香似舊時。
人の閒でおこることというものは萬事、消磨し尽くすもの、只有るのは清らかな香りにかこまれたあの閨のその時のことだけだ。




淳照十四年、六十三歳のときの作。
 この詩の中で、元妻に対する愛の感情は全く感じられない。万物、形あるものはすべて消え去るもの、残るのはほのかなかおりの思い出だけである。と。

 妻の唐婉は宋の皇室の縁続きに嫁いでいることから、推理されることは、強いものになびいたか、皇室のつながりから陸游の母の関係者から、母親に言い含めた結果、母親がふたりを別れさせた。相手がそういう関係者であるから、文句をつけるわけにいかなかったということなら陸游の謎は解けるのである。
お母さんとうまくいかなかったのではなくて、お母さんも言い含められ、どうしようもなかったということではなかろうか。
 唐婉との関係は本来ならすべて消し去られたはずなのに、陸游が詩人でしかも40年以上も過ぎれば、お遊びで詠っても害は受けなくなっていたのだろう。

女性が何人いてもおかしくなく、いる方が立派な人物である時代である。欲しいものは力ずくで奪ってくる時代である。
 当時の男性は、女性を性の対象物とみていたのが根底にある。すべてのことが弱肉強食の時代である。腕力、権力、血筋、すべてが強いものが手に入れられるものである。人間の尊厳が男社会にだけ存在した時代のことだ。詩人が残していなければ、しかも「艶歌」だから残ったのだ。



(釵頭鳳へつづく)

七哀(詩) 曹植 魏・三国時代 (5)

七哀(詩) 曹植 魏・三国時代 (5)
『文選』では七哀詩、『玉台新詠』では雑詩、『楽府詩集』では怨詩行、と題している。これは楽府題で音楽の関係で「七」哀とされたというのが有力であろう。作時につぃては不明。なお、阮偊、王粲にも「七哀」の詩がある。
男として女に対する、男たちの中での遊びの詩と考える。昔から中国では自分のこととか家族のことを話題にはしなくて、他人称でかたるものである。自分が思うのではなく、人がこう思っているだろう、というようにである。まして、自分の妻がどう思っているとかは表現するものではない。そこのところの大前提がぼけると、意味の通らないものになってしまう。多くの解説書、訳注で違っているのは、この点である。国の皇帝が遊びでなければ表現はしない。閨情詩、艶詩とはそういう「詩遊び」を前提で見なければいけない。謝霊運(4)でも同様のことをのべた。

曹植
明月照高樓,流光正徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
浮沈各異勢,會合何時諧。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願爲西南風,長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
君懷良不開,賤妾當何依。

あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。




明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 
言うのは、旅だった男の女であった。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。


七哀 
鈴木虎雄博士は、九歌・七発とともに「七」哀は、その篇数を示すものであろうといわれている(岩波文庫「玉台新詠集」上203ページ)。

明月照高樓,流光徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
明月 「古詩」に「明月何んぞ皎皎たる」。そのほか詩人に詠われる秋の代名詞。○流光正徘徊 移りゆく月光をいう。呂向は注して、月の移動が早いから、光が流れる如くであるという。また流光には、かがやくような明るさをも、その語感としてもっているようだ。何畳の「景福殿の賦」には「灼として明月の流光の如し。」と、飽照の「舞鶴の賦」には「流光の照灼たるに対す。」とあり、李白「古風其十」に「逝川と流光と」川の流れと時の流れということに使っている。は丁度その時。徘徊とは、去りやらぬさま。ここでは高楼の女性の気持ちを示すもの。

上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
上有 (たかどのの)上には…がいる。 ○愁思婦 つらい思いをしている女。 ・愁思 つらい思い。うれえる心。 ○思婦 思い人を偲んでいる妓女。

借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
借問 試みに問う。問うてみる。歎者 歎いている者○客子 旅人。「曹集」「文選」五臣注は宕子としている。宕は久しく他郷をさすらうこと

君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
 起過する。こえること。


君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
 客子たる男のこと。
君若薄路塵、妾若濁水泥。 塵も泥も、乾いているか(男)濡れているか(女)本来一体となるもの。
夫婦一体にたとえる。この場合、塵は浮いて清く、泥は沈んで濁る。次に「勢を異にす。」とはこれをいう。そこでここの二句の意は、旅人は風のまにまに吹かれる塵のようなもの。じっと待つ自分はよどんだ泥のようとなろう。

浮沈各異會合何時
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
○勢 形状をいう。○會合 出会い。再会。○ 希望が達せられる。和合する。たわむれる。情交を示唆。


願爲西南風長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
西南風 西南の方向は坤にあたり、坤は妻の道なる故かくいうとか、当時曹植は、都の西南にあたる薙丘にいたからとかの説もあるが、おとこが東北の方にいるからと考える方がよい。○長逝 遠いみちのりを行く。まる君懷 あなたのふところ。あなたの胸に。


君懷良不開,賤妾當何依。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。
良不 よし・・・・・せざれば。 ・當何…:一体どうすべきか。

艶歌 東陽谿中贈答(一)(二) 謝霊運 (4)六朝時代

艶歌 東陽谿中贈答 謝霊運 (4)

   謝霊運の詩というと、一般に山水の美を歌ったもののみが高く評価されている。
 梁の徐陵の探した『玉台新詠』の巻十に、きわめてなまめかしい霊運の艶歌二首が選ばれていることに注目してみた。艶歌とは、当時、多くの詩人が遊びとして作ったもので、男女の間の愛情を歌ったものである。謝霊運も遊びとして作ったものであろう。
 その作品数も二首のみではなく、相当数あったものであろうが、このような傾向のものが彼の楽府のなかに微弱に認められるもののこれほどのものはほかにない。
創作年代は不明であるが、常識的に、若いころのものとおもわれる。謝霊運もおそらくこれに属すると推定される。

 「東陽の新中の贈答」の「東陽」とは浙江省の金華府のことであり、色町のあったところである。この詩はその街において男女のことを客観的に見て男女について詠っている。
 このわずかな謝霊運のこの詩に影響され、李白はこの詩をそのままの語、内容で詠っている。閨情詩として「越女詞其四」(東陽素足女)である。そこではこの詩の(一)、と(二)を一緒にして歌っている。
李白 16 越女詞 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
まるっきりそのものであり、興味がわいてきて味わいが深い。

東陽谿中贈答 
 場面の設定は、民妓、官妓であろう、あるいは娼婦かもしれないが女性から誘っている詩である。

(一)女篇
可憐誰家婦」 (可憐なり誰が家の婦おんな)
可憐誰家婦,淥流洗素足。
可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
明月在雲間,迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。

可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。


可愛らしいのは、どの娼家にいる女の方か、さかんに素足を見せて誘ってくる。
(なんにもしないでそのままでいたら、)女との情交というものは、はるかかなたのもので手に入れられはしない


(下し文)東陽谿中 贈答
(一)女篇
可憐なり  誰(た)が家の 婦(おんな)ぞ,淥流(ろくりゅう)に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢(ちょうちょう)として  得 可(べ)からず。

可憐誰家婦、淥流洗素足。
可愛らしいのは、どの家にいる婦人か、澄み切った流に、白い足を洗っている。
・可憐 愛すべき。可愛らしい。 ・誰家 どこの。 ・ おんな。 ・淥流:きよらかな谷川の流れに沿って。 ・ あらう。 ・素足 白い足。 ・素:白い。素足を出して洗うのは、着物の裾をあげて女が男を誘う際のしぐさ。男を誘う際のしぐさを淥流素足を洗うと表現する。別にわざわざ川に行って洗うわけではない。この句を後世、


明月在雲間、迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあるもの、遥か彼方の存在だから、手にいれることはできない。 
明月 澄みわたった月。この場合の月は女性自身を示す。したがって明月と女性とをあらわす掛けことば。 ・雲間:雲の間。雲は情交の行為をあらわす掛け言葉。 ・迢迢 (ちょうちょう) 遥か。遠い。高い。 ・不可得 得ることができない。

と誘っている女を詠い、次の歌では、
 

(二)可憐誰家郎 (可憐なり誰が家の郎おとこ)
可憐誰家郎、淥流乗素射。
そこのいいおとこが、清らかな流れに一人で船に乗っている。
但問情若爲、月就雲中堕。

声をかけられている、情交をするときよ、月は雲間に隠れているのに。

そこのいいおとこが、清らかな流れに一人で船に乗っている。
声をかけられている、情交をするときよ、月は雲間に隠れているのに。

そこのいい男、小舟に乗っているあなたのことよ。
もしもその気があるなら、わたしはいつでも、とてもよいチャンスなのよ。
と、何をぐずぐずしてられるのさ。と、女の独語で表現している。もちろん、この詩(一)(二)ではエロチックな意味を意識して謝霊運はうたっている。


(下し文)東陽谿中 贈答
(二)男篇

可憐なり誰が家の郎ぞ、淥流 素肘に乗る
但だ問う 情 若為(いか)にと、月は雲中に就いて堕つ

権力もあり、金持で、秀才であった謝霊運が、現実に美しい女性にそれほど事欠くことはなかったであろう。それにもかかわらず、このような詩を作ったのは、六朝の文化である。直接的な表現を使わないでいかにそのことを詠うかというのが当時の遊びだったからであったと思う。詩としてはあまり巧みとはいえないが、十分にエロチシズムもあり、謝霊運の詩にもこのような一面があったことを示すのによい材料と思う。
しかし、この傾向は後世にきっちり引き継がれて行く。

豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ 六朝時代(3)

 

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豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ

傅玄 217-278 三国魏から晋の初めにかけての思想家、文人。字は休奕。泥陽(陝西省燿県東南)の人。貧困のうちに少年時代をすごしたが、晋の武帝に仕えて、散騎常侍、司隷校尉(首都の警備長官)となり、子爵に封ぜられた。政治哲学の書『傅子』を著わしたといわれ、また社会問題や男女の愛情をうたった楽府体の詩に長ずる。『詩品』が下品におき、息子の傅咸と並べて「繁富嘉す可し」と評するのは、多作であったことへの賛辞らしい。『文選』が一篇、『玉台新詠』が十二篇の詩を収め、『晋書』巻四十七に伝がある。


豫章行苦相篇
【豫章行•苦相篇】晉•傅玄
よしょうこう・くそうへん        しん・ふげん
苦相身為女,卑陋難再陳。
苦しみのもとになる星は、女に生まれたためで、低くて粗末にされること言葉にするのが難しい。
兒男當門戶,墮地自生神。
男子に生まれたものは一家を背負うものとされ、生まれおちた時から備わったものとして人の心がちがうのだ
雄心志四海,萬里望風塵。
志を天下四方の海に雄飛させ、万里のかなたで戦い手柄を立てることを望む
女育無欣愛,不為家所珍。
女に生まれたら育つ時もてもよろこばれず、家では大事にあつかわれはしない
長大逃深室,藏頭羞見人。
大きくなれば 奥の部屋に逃れ、顔をかくして 人にあうのも恥しがる
無淚適他鄉,忽如雨絕雲。
涙もないままに他郷へゆかせられ、たちまちにして雲を離れた雨と同じになってしまう。
低頭和顏色,素齒結硃脣。
頭を下げてきめ顔をつくり、白い歯も朱い唇を結んでかくす。
跪拜無複數,婢妾如嚴賓。
うなずいてお辞儀のしどおし、下女とめかけをこわいお客のように扱う
情合同雲漢,葵藿仰陽春。
交情というものは 天の川で出会う年に一度の七夕のよう、女の本質は 春の陽の慈愛慈恵を仰ぐというもの
心乖甚水火,百惡集其身。
心は水と火よりもちぐはぐ、すべての悪いことがこの身に集まってくる。
玉顏隨年變,丈夫多好新。
若さあふれる美しい顔は年を重ねて老けていく、それにともなう一人前のおとこというものは新しい女を多く作ることが甲斐性なのだ。
昔為形與影,今為胡與秦。
昔は二人の仲は影が姿にそうようにいっていたけど、今は胡異民族と漢民族のように離れてしまった。
胡秦時相見,一絕逾參辰。

でも胡異民族と漢民族なら時に出会うこともあるが、今は一切絶えて参星と辰星よりこえるほどひどい。

苦しみのもとになる星は、女に生まれたためで、低くて粗末にされること言葉にするのが難しい。
男子に生まれたものは一家を背負うものとされ、生まれおちた時から備わったものとして人の心がちがうのだ
志を天下四方の海に雄飛させ、万里のかなたで戦い手柄を立てることを望む
女に生まれたら育つ時もてもよろこばれず、家では大事にあつかわれはしない
大きくなれば 奥の部屋に逃れ、顔をかくして 人にあうのも恥しがる
頭を下げてきめ顔をつくり、白い歯も朱い唇を結んでかくす。
うなずいてお辞儀のしどおし、下女とめかけをこわいお客のように扱う
涙もないままに他郷へゆかせられ、たちまちにして雲を離れた雨と同じになってしまう。頭を下げてきめ顔をつくり、白い歯も朱い唇を結んでかくす。
うなずいてお辞儀のしどおし、下女とめかけをこわいお客のように扱う
交情というものは 天の川で出会う年に一度の七夕のよう、女の本質は 春の陽の慈愛慈恵を仰ぐというもの
心は水と火よりもちぐはぐ、すべての悪いことがこの身に集まってくる。
若さあふれる美しい顔は年を重ねて老けていく、それにともなう一人前のおとこというものは新しい女を多く作ることが甲斐性なのだ。
昔は二人の仲は影が姿にそうようにいっていたけど、今は胡異民族と漢民族のように離れてしまった。
でも胡異民族と漢民族なら時に出会うこともあるが、今は一切絶えて参星と辰星よりこえるほどひどい。


【豫章行•苦相篇】 晉•傅玄

苦相身為女,卑陋難再陳。
苦しみのもとになる星は、女に生まれたためで、低くて粗末にされること言葉にするのが難しい。
卑陋 ひろう 心が賤しく狭い。下品。身分が賤しい。低くて粗末。


兒男當門戶,墮地自生神。
男子に生まれたものは一家を背負うものとされ、生まれおちた時から備わったものとして人の心がちがうのだ
門戶 門と戶。入り口。家。家柄。○墮地 おまれ堕ちたところ  ○ 天の神。人の心。


雄心志四海,萬里望風塵。
志を天下四方の海に雄飛させ、万里のかなたで戦い手柄を立てることを望む
四海 天下の人。大地の四方の果てに海があると意識されていた。○風塵 兵乱、戦争。


女育無欣愛,不為家所珍。
女に生まれたら育つ時もてもよろこばれず、家では大事にあつかわれはしない
欣愛 喜び愛する。愛すること。○家所珍 家の宝物。一族での貴重なもの。


長大逃深室,藏頭羞見人。
大きくなれば 奥の部屋に逃れ、顔をかくして 人にあうのも恥しがる
深室 家の奥まった部屋。 ○見人 出会う人。女として、芸妓に出されるのを恐れるさまをいう。


無淚適他鄉,忽如雨絕雲。
涙もないままに他郷へゆかせられ、たちまちにして雲を離れた雨と同じになってしう。
他鄉 生れたところより違う地方のこと。芸妓の楼のことをいう。 ○雨絕雲 雲を離れた雨。雲は姿態をしめす。


低頭和顏色,素齒結硃脣。
頭を下げてきめ顔をつくり、白い歯も朱い唇を結んでかくす。
○硃脣 紅を塗った唇。硃 赤い顔料。赤い砂。素齒は子供のような笑顔のしぐさのこと。


跪拜無複數,婢妾如嚴賓。
うなずいてお辞儀のしどおし、下女とめかけをこわいお客のように扱う
婢妾 下女とめかけ。○嚴賓 怖いお客。厳格な威厳のある客。


情合同雲漢,葵藿仰陽春。
交情というものは 天の川で出会う年に一度の七夕のよう、女の本質は 春の陽の慈愛慈恵を仰ぐというもの
情合 男女の交わり。 ○雲漢 天の川。 ○葵藿 キカク ひまわり。物性はものの本姓。奪い取ることのできない天性のもの。魏の曹植「親を通ぜんことを求る表」に『葵藿の葉を傾けるがごときは、太陽の之がために光を廻らさずと雖も、終に之に向かう者は誠なり』とあるに基づく。 ○陽春 陽気の満ち満ちた春。春という季節は万物をはぐくみ育てる、それに似た慈愛慈恵。


心乖甚水火,百惡集其身。
心は水と火よりもちぐはぐ、すべての悪いことがこの身に集まってくる。
○乖 カイ さからう。わかれる。はなれる。


玉顏隨年變,丈夫多好新。
若さあふれる美しい顔は年を重ねて老けていく、それにともなう一人前のおとこというものは新しい女を多く作ることが甲斐性なのだ。
○玉顔 キラキラ輝くような顔。美しい顔。若さあふれる顔をいう。○丈夫多好新 一人前のおとこになったら新しい女を多く作ることが甲斐性。


昔為形與影,今為胡與秦。
昔は二人の仲は影が姿にそうようにいっていたけど、今は胡異民族と漢民族のように離れてしまった。
形與影 二人の情愛をしめす。


胡秦時相見,一絕逾參辰。
でも胡異民族と漢民族なら時に出会うこともあるが、今は一切絶えて参星と辰星よりこえるほどひどい。
 ・・・・を超える。 ○參辰 東の星と西の星は交わらないことを示す。參:西に三つ星ならんでから犂のように見える星。三星。辰:天体。東の方。

代白頭吟 劉希夷(劉廷芝)(2) 初唐

代白頭吟 劉希夷(劉廷芝)(2)

初唐の詩人。(651~678)。二十八歳という若さで、命を落とす。字は希夷、或いは廷芝。汝州(現・汝州市)の人。二十四歳で進士に合格するが、仕官せずに巴蜀、江南を遊覧する。その行より帰って後、洛陽の居にて、この作品や『故園置酒』を作った。

劉 希夷(りゅう きい、651年(永徽2年) - 679年(調露元年))は中国唐代の詩人。字は庭芝、廷芝。一説に名が庭芝で字が希夷ともいわれる。汝州(河南省汝州市)の出身。幼くして父を失い、母と共に外祖父のもとに身を寄せ20歳頃まで過ごした。容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格なので素行が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。675年(上元2年)進士となるが仕官せずに各地を遊覧した。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」で有名な詩「代悲白頭翁」、貴族の若者を詠った「公子行」が代表作。この二首は唐詩選におさめられている。いずれも楽譜体で、南朝の楽府にヒントを得ている。

ここでは、前回の「公子行」とここに挙げる「代白頭吟」のみとする。

代白頭吟     (代悲白頭翁) 
洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。
洛陽の都の東にさきみだれる桃李の花は。ひらひらと風に舞う花は、誰の家へ落ちていったのか。
洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。』
 洛陽の都の色香を出し惜しみのむすめは、じっと落花をみていて、ふと長いため息を吐く。 
今年花落顏色改,明年花開復誰在。

今年は、(もう)花が散り落ちて、花の色香が改まったが。明年、花が咲き開く時には、誰か(その女(ひと)は)まだ在(い)るだろうか。(もう、いまい)。

已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。』
すでに、年を経た長く繁茂する松や柏の樹木も、切り倒された木々のなるのを見受けられた。更にまた、桑畑が變じて大海原に変わるという故事を聞いているだろう。 
古人無復洛城東,今人還對落花風。
昔の知人は、洛陽の東の郊外にはもう住んではいない。そして今の人は落花の風に舞い散るのを目の当たりにしている。
年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。
毎年、花は同じように色香で咲く。その年ごとにそれを見る人というものは同じではないのだ。
寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。』
私は言葉を寄せたい、もう死のうかというこの白髪の老人を憐れんでください。
此翁白頭眞可憐,伊昔紅顏美少年。
この老人の白髪は、まことに憐れむべきようすだが、それでもこの白髪の老翁が、昔は若々しい美少年であった。 
公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。
貴公子たち公達が香しい大樹の下で。きよらかな歌声や落花の舞をめにしていた。
光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。
その場所は漢の光祿王根のだい庭園にも匹敵する錦を広げたようであった。高官のお屋敷の庭の池の畔の高台では麗しい情景が展開され。後漢順帝のときの梁冀は大将軍で壮麗な邸宅の楼閣に神仙の像を描かせた素晴らしいものであった。
一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。』
ひとたび、病臥してしまったら、交際する知りあいもいなくなってしまい、春三月の行楽は誰のものなのか。
宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。

しなやかな美人の姿も、その若さと美貌を誇れるのは、どれくらいの長さの時間たもてるというのか。つかのまの間に絹絲がもつれたような白髪になったのだ。

但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。』

ただ古来からの歌舞、遊興の地で華であったこの地が、たそがれときに、小鳥や雀の啼き声だけが悲しげに聞こえるだけである。


代白頭吟 (白頭を悲しむ翁に代りて)
洛陽城東桃李の花,飛び來り飛び去りて誰が家にか落つる。
洛陽の女兒 顏色を惜しみ,行(ゆくゆ)く 落花に逢ひて  長歎息す。』
今年花落ちて顏色改まり,明年花開きて 復た 誰か在る。
已(すで)に見る松柏の摧(くだ)かれて薪と爲るを,更に聞く桑田の變じて海と成るを。』
古人復(ま)た洛城の東に無く,今人還(ま)た對す落花の風。
年年歳歳花相(あ)ひ似たれども,歳歳年年人同じからず。
言を寄す全盛の紅顏子,應に憐むべし半死の白頭の翁。』
此の翁白頭眞に憐む可し,伊(こ)れ昔紅顏の美少年。
公子王孫芳樹の下,清歌妙舞 落花の前。
光祿の池臺に錦繍を開き,將軍の樓閣に神仙を畫(ゑが)く。
一朝病ひに臥して人の識る無く,三春の行樂誰が邊にか在る』。
宛轉たる蛾眉能(よ)く幾時ぞ,須臾にして鶴髮亂れて絲の如し。
但(た)だ看る古來歌舞の地,惟(た)だ黄昏に鳥雀の悲しむ有るを。」


代白頭吟
『代悲白頭翁』ともいう。「白頭を悲しむ老翁になり代る」

劉希夷の二つの代表作のうち、女性の一生を歌ったもの。

男性の一生を歌ったものは『公子行』
天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。
馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。
綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。
可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。
此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。』

娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。
的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。
花際裴回雙蛺蝶,池邊顧歩兩鴛鴦。
傾國傾城漢武帝,爲雲爲雨楚襄王。』

古來容光人所羨,況復今日遙相見。
願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。
與君相向轉相親,與君雙棲共一身。
願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。
百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。』


 であり、ともに彼の代表作である 。

嘗て歌われていた。なお、この作品を宋之問の作『有所思』ともするが、劉希夷の方が強い。この詩は、時の移ろいの悲しみを歌っている。唐の杜秋娘『金縷曲』(勸君莫惜金縷衣) や、宋の朱熹『偶成詩』(少年易老學難成) のモチーフの元とも謂える。蛇足になるが、我が国でいえば、小野小町の「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに」にでもなろうか。

  ほぼ全篇、対句による構成である。なお、この原詩は日本流布バージョン『唐詩選』のものである。『楽府詩集』などのものとは微妙に出入りがある。

楽府題『白頭吟』 漢・卓文君
皚如山上雪,皎若雲間月。
聞君有兩意,故來相決絶。
今日斗酒會,明旦溝水頭。



代白頭吟

洛陽城東桃李花、飛來飛去落誰家。
洛陽の都の東にさきみだれる桃李の花は。ひらひらと風に舞う花は、誰の家へ落ちていったのか。 
洛陽 唐代の東都。首都・西都たるべき長安とともに、当時のみやこ。 ・ 街。都市。 ・桃李花 モモやスモモの花。春を代表する花。美しいものを指す。 ・~來~去:(…して)行ったり来たり。 ・落誰家 どの辺りに落ちるのか。「家」は、必ずしも建物の「いえ」のみをいっていない。 ・誰家 だれ。どこ。
 

洛陽女兒惜顏色、行逢落花長歎息。
洛陽の都の色香を出し惜しみのむすめは、じっと落花をみていて、ふと長いため息を吐く。 
顏色 顔の色。 ・行 やがて。まさに…しようとする。行将。近い将来のことを表す表現

今年花落顏色改、明年花開復誰在。
今年は、(もう)花が散り落ちて、花の色香が改まったが。明年、花が咲き開く時には、誰か(その女(ひと)は)まだ在(い)るだろうか。(もう、いまい)。

已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。』
すでに、年を経た長く繁茂する松や柏の樹木も、切り倒された木々のなるのを見受けられた。更にまた、桑畑が變じて大海原に変わるという故事を聞いているだろう。 
・「松柏摧爲薪」 松や柏のような千年も長く繁茂する樹木も、伐採されるとマキとなってしまう、ということの言。 
 「桑田變成海」は李白「古風」其第九首109
古風 其九
莊周夢胡蝶。 胡蝶為庄周。
一體更變易。 萬事良悠悠。
乃知蓬萊水。 復作清淺流。
青門種瓜人。 舊日東陵侯。
富貴故如此。 營營何所求。
○蓬莱水 蓬莱というのは、東海の中にあるといわれる仙人の島。麻姑という女の仙人が言った。「東の海が三遍干上って桑畑にかわったのを見たが、先ごろ蓬莱島に行ってみると、水が以前の半分の浅さになってしまっている。またもや陸地になるのだろうか。」王遠という者が嘆いて言った。「聖人はみな言っている、海の中もゆくゆくは砂塵をまきあげるのだと。」「神仙伝」にある話。ここに言う、神仙伝の女の仙人麻姑の言葉を踏まえている。

古人無復洛城東、今人還對落花風。
昔の知人は、洛陽の東の郊外にはもう住んではいない。そして今の人は落花の風に舞い散るのを目の当たりにしている。
古人 古い知り合い。 ・無復 もう居ない。二度とは居ない。再びは、いない。全然…ない。また…なし。「復」は語調を整え、強めるためでもある。・今人:前出「古人」に対応して使っている。 ・ なおも。なおもまた。 ・對:…に対している。…に向かっている。 ・落花風 花を散らし、(ふりゆく年月を暗示する)無常の風。


年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。

毎年、花は同じように色香で咲く。その年ごとにそれを見る人というものは同じではないのだ。
この聯「年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。」は、「花=自然界:営みは不変」と「人=人間界:営みは容易に変遷していく」ということを対比させて展開している。 ・年年歳歳 毎年。

寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。』
私は言葉を寄せたい、もう死のうかというこの白髪の老人を憐れんでください。
寄言 言葉を寄せて人に悟らせる。言づてをする。ここは前者。・全盛:今を盛りとする。・紅顏子 若者。 ・子:人。

此翁白頭眞可憐、伊昔紅顏美少年。
この老人の白髪は、まことに憐れむべきようすだが、それでもこの白髪の老翁が、昔は若々しい美少年であった。 
・伊昔 この昔。


公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前

貴公子たち公達が香しい大樹の下で。きよらかな歌声や落花の舞をめにしていた。
公子王孫 貴公子たち。 


光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。
その場所は漢の光祿王根のだい庭園にも匹敵する錦を広げたようであった。高官のお屋敷の庭の池の畔の高台では麗しい情景が展開され。後漢順帝のときの梁冀は大将軍で壮麗な邸宅の楼閣に神仙の像を描かせた素晴らしいものであった。
光祿 光祿勳(光禄勲)のこと。漢の元帝の外戚王根は、光禄勲という。高官の意で使われている。光祿勲は前漢の官制で、九卿の一。宮殿の掖門を警護する役目。元帝がその邸宅に遊んだ際、大庭園におどろいたという。 ・錦繍 にしきと縫い取りで、美しいものの喩え。 ・將軍 後漢順帝のときの梁冀は大将軍で壮麗な邸宅で壁に、雲や仙人を描いていた。
 

一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。』
ひとたび、病臥してしまったら、交際する知りあいもいなくなってしまい、春三月の行楽は誰のものなのか。
三春 春の三ヶ月で、孟春(陰暦正月)、仲春(陰暦二月)、季春(陰暦三月)のこと。行樂:遊び楽しむ。外出旅行して遊ぶ。 ・在誰邊 どこであるのか。

宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。
しなやかな美人の姿も、その若さと美貌を誇れるのは、どれくらいの長さの時間たもてるというのか。つかのまの間に絹絲がもつれたような白髪になったのだ。
宛轉 えんてん しなやか。なよやかな姿態。本来曲がりくねっていること言う。 ・蛾眉 がび ガの触角のような美しい形の眉をひいた化粧をしている若くて美しい女性。 ・須臾 しゅゆ 忽ち。暫時。しばらく。・鶴髮 白髪。

但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。』
ただ古来からの歌舞、遊興の地で華であったこの地が、たそがれときに、小鳥や雀の啼き声だけが悲しげに聞こえるだけである。
但看 (ここも、現在では、)……を見かけるだけだ。・但:ただ…だけ。 ・惟有 ただ…だけがある。

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