中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2011年11月

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠


棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。



其 二
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』-#1

蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
桂宮流影光難取、嫣薫蘭破軽軽語。
直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」
濁水清波何異源、済河水清黄河渾。
安得薄霧起緗裙、手接雲輧呼大君。』-#2
右夏

巻、見。彈。/天、旋。棉。』/取、語。去。/源、渾。君。

其の二
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』
#2
桂宮 影を流すも光は取り難し、嫣薫として蘭は破る 軽軽たる語。
直だ銀漢をして懐中に堕(おと)さしめ、未だ星妃をして鎭に来去せしめず。
濁水 清波 何ぞ源を異にするや、済河は水清く 黄河は渾る。
安くんぞ得ん 薄霧 緗裙に起こり、手ずから雲輧に接して太君と呼ぶを。
右夏


燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1

前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
 
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』

(現代語訳)
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
ここ石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。


(訳注)其 二 夏
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
向こう側に楼閣がある雨は簾となって鬱々と降り注ぎやむことがない、その後方の奥の離れ座敷には芳しい木々の陰湿でくらい影が映っている。
前閣右 向こう側にある雨の降り込める様子を簾にたとえ、簾にたとえたので雨が降り続くのを巻き上げないと比喩する。○陰陰 薄暗い様子。

南 朝   李商隠
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

景陽井
景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。


陳後宮   李商隠
茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
還依水光殿、更起月華棲。
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
従臣皆牛酔、天子正無愁。


石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
石城を舞台にして数々の悲劇がおこされた、その風景は黄泉の国なのだ、そんなところに深夜になっても遊客の一人はせっかく打ったはじきが空しくおわっている。
石城 南京郊外の200年頃孫権によって作られた石頭城。石城の意味は、それから150年後の六朝の莫愁にかかわるもの。ここでは。
無名氏の楽府「莫愁楽」其一
莫愁在何処。莫愁は何処にありや。
莫愁石城西。莫愁は石城の西にあり。
艇子打両槳、艇子、両槳(りょうしょう)を打して、
催送莫愁来。莫愁を催送して来たれ。

其二
聞勧下揚州、勧(きみ)が揚州に下ると聞きて、
相送楚山頭。相送る 楚山の頭(ほとり)。
探手抱腰看、手を探りて腰を抱き看よ、
江水断不流。江水、断じて流れず。


李商隠『無題』
重帷深下莫愁堂、臥後清宵細細長。
紳女生涯原是夢、小姑居処本無郎。
風波不信菱枝弱、月露誰敦桂葉香。
直道相思了無益、未妨啁悵是清狂。


莫愁 古くから楽府に歌われる郢州(湖北省)石城の美女の名であるが、李商隠は梁の武帝蕭衍(464-549)の楽府によると蘆氏に嫁いだ洛陽の女児のこと。○黄泉 死者の住む地底の世界。○行郎 行人、遊客。石城の莫愁と対になる男。妓女をまっている。○柘彈 柘(ヤマグワ)の枝で作ったはじき。


綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
あや絹の扇は「天下を治めるところ」というおつげの風を呼びおこしている閶闔門は天界の門となる、奥の座敷では軽やかなとばり、翡翠のとばりの中に淵が波を打っている大皿が回っている。
綾扇 あやぎぬの扇。夏に結びつく物。○閶闔 天界の門。閶闔門は蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門。陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53
河内詩二首其二(湖中) 抜粋
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126
李商隠はこの語を使用するのに展開との辛味で使っていない。商売で交通する船、遊郭に入っていく船を意味する場合に使っている。○軽帷翠幕 李商隠「無題』「重帷深下莫愁堂」と囲って出られない重いとばりでなく軽いとばり、「帷」も「幕」も布の仕切りで暖簾、幔幕。「帷」はベッドの周囲に、「幕」は部屋の周囲に垂らす。○波淵 大皿の淵が波を打っているもの李商隠はイメージを作るための道具、比喩として用いる。


蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑に魂を托し、そんな血を吐きながら啼く思いにお供をする者がおりはしない。幾晩も、南国の地から来た花は木綿の実をひらかせたのだ。
蜀魂 蜀の望帝の化身である「啼いて血を吐く杜鵑。」「李商隠1錦瑟」詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

古代中国・蜀の望帝が、臣下の妻に恋して、その為に亡びた時、 ほととぎすが啼いたので人々は ほととぎすを蜀帝の魂の化した 鳥として、こう記す。○瘴花 熱帯の花。瘴は瘴癘、南方熱帯の地に満ちる気。○木綿 花が咲き実できその身が割れると真っ白な素肌が出てくる。

燕臺詩四首 其一 春#2 李商隠129 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128-#2

燕臺詩四首 其一 春#2 李商隠129 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128-#2
燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠

棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。


燕臺詩四首 其一
春#1
風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』

#2
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、かき集められた生娘の魂、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』

今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。


陌,得。識。/西,齊。迷。/曙,語。所。/窄,白。魄。/珮。海。

燕台詩四首 其の一
風光 冉冉(ぜんぜん)たり東西の陌、幾日か嬌魂(きょうこん) 尋ぬるも得ず。
蜜房の羽客 芳心に類し、冶葉(やよう) 倡条 偏く相い識る。』
暖藹(だんあい)輝遅(きち)たり 桃樹の西、高鬟 立ちて桃髪と斉し。
雄龍 雌鳳 杏として何許ぞ、絮は乱れ糸は繁く 天も亦た迷う。』

#2
酔いより起きれば 微陽 初めて曙くるが若く、簾に映じて夢断たれ残語を聞く。
愁いて鉄網を将って珊瑚に胃くるも、海は開く天は寛く処所に迷う
衣帯は情無く寛窄有り、春煙は自ら碧く秋霜は白し。
丹を研き石を撃くも天は知らず、願わくは天牢の冤晩を鎖すを得ん。
爽羅 笹に委ねて単純起く、香肌 冷やかに破く 尊嘩たる珮。
今日 東風 自ら勝(まさ)らず、化して幽光と作り西海に人らん。
右春


燕台詩四首 其の一 #2 現代語訳と訳註
(本文) 春#2

醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』

(下し文)
酔いより起きれば 微陽 初めて曙くるが若く、簾に映じて夢断たれ残語を聞く。
愁いて鉄網を将って珊瑚に胃くるも、海は開く天は寛く処所に迷う
衣帯は情無く寛窄有り、春煙は自ら碧く秋霜は白し。
丹を研き石を撃くも天は知らず、願わくは天牢の冤晩を鎖すを得ん。
爽羅 笹に委ねて単純起く、香肌 冷やかに破く 尊嘩たる珮。
今日 東風 自ら勝えず、化して幽光と作り西海に人らん。
右春

 (現代語訳)
#1 春の景色のなか、芽を吹くものすべて柔らかでしな垂れているのであり、都の東西の道には流転、蓬飄が満ちている。来る日も来る日も生娘の魂もたずねても得られないのだ。
蜜房にいる人、神仙となって空を飛ぶ人、身分の違いあれ春の芳心はある。艶めかしい葉、か細い枝を示している、それぞれのことを互いに何もかも知っている。
のどかな春の日、柔らかなかすみに包まれた暮れなずむ桃樹林の西は金色にかわる、輪のかたちに結いあげた桃型の髪、桃型髪の様な桃花、共に立っている。
雄の龍、雌の鳳、結ばれない筈の二人は今どこにいったのか。柳架が乱れ飛び、遊糸が浮かぶ春の空、ここの世界は乱れていて、天もどうなっているのか迷ってしまう。


#2
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、かき集められた生娘の魂、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。


(訳注)
燕台詩四首 #2
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
浅い酔いから醒めれば、残照が暁のやわらかい光のようである、御簾に映しているその光に夢と現実がいりまじるようだが、夢のなかでの会話の名残が耳にのこっている。
微陽 眠りから覚め、薄い日の光。朝なのか、夕暮れなのかわからないのでこのような表現になる。官僚として出発したての頃が夢のようだったということを連想させる。このイメージは下句につながる。


愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
愁いがある。鉄の網を海に沈めて珊瑚を取るようにつれてゆかれたのだ。それを海にひろくさせ、大空をも 果てしなく拡がらせた、それを掻い潜るにはどこに居たらいいのか惑うこの身なのだ。
愁将 鐵網 ・ わなをかけてとる。珊瑚は鉄の網を海中に沈め、それに着床させて引き上げたという。美女狩りも網の目のように張り巡らし、見つけたものに褒美を取らせた。李商隠 13 「恋の無題詩」碧城三首


衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
着物と帯、一対のものだが同じものではない。情けがある場合とない場合、色恋に情けはいらないのか。 ゆるやかと窮屈、自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。春には霞というけれど、春いつも霞があるわけではない。でも春になるとおのずと緑に包まれる。秋には秋霜があり、おのずと白いのだ。
衣帯 着物と帯、一対のものだが同じではない。○無情 情けがある場合とない場合。色恋に情けはいらないのか。 ○寛窄 ゆるやかと窮屈。自由な恋なのか、囲われて窮屈な色恋なのか。○春煙 春霞。○自碧 春になるとおのずと緑に包まれる。○秋霜白 秋霜はおのずと白い。


研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの、これが自然界の法則であるのに、天は知らぬことというのだろうか。もし望みがかなうというなら、天牢の星に、多くの無実の罪で死んだ人の魂、不当に評価された人の魂、迷える魂を閉じこめてもらいたいものだ。
研丹擘石 丹砂は磨いてさらに赤くするものであり、石はくだいても壁になるべきもの。・:丹砂、・:巌。 『呂氏春秋』誠廉に「石は破るべきなるも、堅を奪うべからず。丹は磨くべきなるも、赤を奪うべからず」とあるのにもとづく。○天牢鎖冤魄 古代中国には、「太陽星」「太陰星」「先天五行星」「九宫星」「黄道十二守護星」「南斗七星」「北斗七星」「二十八宿群星」「天罡三十六星」「地煞七十二星」「三百六十五大周天星斗」および十万八千の副星によって天(宇宙)が形成されている、という考えがあった。それぞれの星に神がいて名前を持っている、とされており、当然「天罡三十六星」「地煞七十二星」にも名前がある。天罡星のひとつに天牢星がある。『晋書』天文志に「天牢六星は北斗の魁(星の名)の下に在り、貴人の牢なり」。・冤塊は本来無実の罪で死んだ人の魂。非業の死を遂げた者の魂。張飛は配下の武将の手によって業半ばで殺された、また、全戦全勝の武将であるのに身分差別に不当な仕打ちを受けたことが李商隠と重なる。死んだのちに劉備に報いた話もある。
李商隠 無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。
無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125参照


夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
袷の衣を箱に収める、かき集められた美女は単衣の着物のように取りかえた、香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付く、そして凧玉の音がじゃらじゃらと音を立てている。
爽羅 うすぎぬのあわせ。○委篋 大切なものを入れておく箱に見捨てること。この語は新しい女性の手をつけ、囲いものの女を部屋に閉じこめることを意味する。○単綿 絹のひとえ。春から夏へ移行する時期をいうように女性をあしらっているさま。○香肌冷襯 香しき肌が少し汗ばんで単衣のうす絹がぴったりと張り付くさま。襯は肌にぴったりくっつく。○琤琤珮 琤琤は玉の触れ合う音。珮は腰に帯びる玉。性交をしめす。


今日東風自不勝,化作幽光入西海。』
今日の春の風というものは、自分のこころの中から生まれた色恋に勝るものはない、化身してかすかな光を頼りに西王母のいる仙界に入るのだ。
西海 西の果てに海がある。古来中国では四方の行き着くところ海とされていた。ここでは西王母の仙界をいう。

右 春のうた


○詩型 七言古詩。
○押韻 陌,得。識。/西,齊。迷。/曙,語。所。/窄,白。魄。/珮。海。

燕臺詩四首 其一 春#1 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128

燕臺詩四首 春#1 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 128

燕臺詩(えんだいし) 四首 李商隠

棄てられた芸妓のこと、思いが伝わらない芸妓、そのやるせない思いは政治の中で正当に評価されなかったものとおなじなのだ。舞台は燕の国の王朝、実際には唐王朝の淫乱、頽廃、そして陰湿な讒言など、四季に分けて詠っている。この詩は、恋歌とみせかけ、その裏にこっそりと王朝批判をしている。




燕臺詩四首 其一
春#1
風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
春の景色のなか、芽を吹くものすべて柔らかでしな垂れているのであり、都の東西の道には流転、蓬飄が満ちている。来る日も来る日も生娘の魂もたずねても得られないのだ。
蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
蜜房にいる人、神仙となって空を飛ぶ人、身分の違いあれ春の芳心はある。艶めかしい葉、か細い枝を示している、それぞれのことを互いに何もかも知っている。
暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
のどかな春の日、柔らかなかすみに包まれた暮れなずむ桃樹林の西は金色にかわる、輪のかたちに結いあげた桃型の髪、桃型髪の様な桃花、共に立っている。
雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』

雄の龍、雌の鳳、結ばれない筈の二人は今どこにいったのか。柳架が乱れ飛び、遊糸が浮かぶ春の空、ここの世界は乱れていて、天もどうなっているのか迷ってしまう。
#2
醉起微陽若初曙,映簾夢斷聞殘語。
愁將鐵網罥珊瑚,海闊天寬迷處所。』
衣帶無情有寬窄,春煙自碧秋霜白。
研丹擘石天不知,願得天牢鎖冤魄。』
夾羅委篋單綃起,香肌冷襯琤琤珮。
今日東風自不勝,化作幽光入西海。』


陌,得。識。/西,齊。迷。/曙,語。所。/窄,白。魄。/珮。珮。


燕台詩四首
其の一
風光 冉冉(ぜんぜん)たり東西の陌、幾日か嬌魂(きょうこん) 尋ぬるも得ず。
蜜房の羽客 芳心に類し、冶葉(やよう) 倡条 偏く相い識る。』
暖藹(だんあい)輝遅(きち)たり 桃樹の西、高鬟 立ちて桃髪と斉し。
雄龍 雌鳳 杏として何許ぞ、絮は乱れ糸は繁く 天も亦た迷う。』

酔いより起きれば 微陽 初めて曙くるが若く、簾に映じて夢断たれ残語を聞く。
愁いて鉄網を将って珊瑚に胃くるも、海は開く天は寛く処所に迷う
衣帯は情無く寛窄有り、春煙は自ら碧く秋霜は白し。
丹を研き石を撃くも天は知らず、願わくは天牢の冤晩を鎖すを得ん。
爽羅 笹に委ねて単純起く、香肌 冷やかに破く 尊嘩たる珮。
今日 東風 自ら勝えず、化して幽光と作り西海に人らん。
右春


燕台詩四首 其の一 #1 現代語訳と訳註
(本文) 春#1

風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』


(下し文) 其の一#1
風光 冉冉(ぜんぜん)たり東西の陌、幾日か嬌魂(きょうこん) 尋ぬるも得ず。
蜜房の羽客 芳心に類し、冶葉(やよう) 倡条 偏く相い識る。』
暖藹(だんあい)輝遅(きち)たり 桃樹の西、高鬟 立ちて桃髪と斉し。
雄龍 雌鳳 杏として何許ぞ、絮は乱れ糸は繁く 天も亦た迷う。』

(現代語訳)
春の景色のなか、芽を吹くものすべて柔らかでしな垂れているのであり、都の東西の道には流転、蓬飄が満ちている。来る日も来る日も生娘の魂もたずねても得られないのだ。
蜜房にいる人、神仙となって空を飛ぶ人、身分の違いあれ春の芳心はある。艶めかしい葉、か細い枝を示している、それぞれのことを互いに何もかも知っている。
のどかな春の日、柔らかなかすみに包まれた暮れなずむ桃樹林の西は金色にかわる、輪のかたちに結いあげた桃型の髪、桃型髪の様な桃花、共に立っている。
雄の龍、雌の鳳、結ばれない筈の二人は今どこにいったのか。柳架が乱れ飛び、遊糸が浮かぶ春の空、ここの世界は乱れていて、天もどうなっているのか迷ってしまう。



(訳注)
燕台詩四首

燕台 周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した国。春秋十二列国の一つ、また戦国七雄の一つ。河北省北部、現在の北京を中心とする土地を支配した。戦国時代、燕の国の昭王が全国から賢人を集めた楼台。それが詩の内容とどのような繋がりをもつかはわからない。節度使の幕下を指し、そこで避返した女性との恋をうたうとの説もある。
「柳枝五首」詩の序を抜粋。
他日春曾陰,讓山下馬柳枝南柳下,詠余燕臺詩,柳枝驚問:“誰人有此?誰人為是?”讓山謂曰:“此吾里中少年叔耳。” 
ある春の重く曇った日、譲山は柳枝の家の南の柳に馬を繋いだ、わたしの「燕台の詩」を口ずさんでいる。
柳枝がびっくりして尋ねてきた。
「今口ずさんだ詩はどなたのものですか?この詩はどなたが作られたのですか?」と。
譲山は答えた。
「これはわたしの里の若いいとこの作だ」と。
「柳枝五首」詩の序を参照。


風光冉冉東西陌,幾日嬌魂尋不得。
春の景色のなか、芽を吹くものすべて柔らかでしな垂れているのであり、都の東西の道には流転、蓬飄が満ちている。来る目も来る目も生娘の魂もたずねてもえられない。
風光 春の景色。杜甫『曲江二首』「傳語風光共流転」○冉冉 柔らかでしな垂れるさま。曹操『美女篇』「柔條粉冉冉」とある。○東西陌 曹植『吁嗟篇』「東西經七陌」(東西 七陌を経て)に基づく。李白『古風 其二十四』「大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。」(長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。)○阡陌 阡:たて南北。陌:よこ東西のみち。[陌(はく)とは、中国の晋から南北朝時代(魏晋南北朝時代)にかけて使われた通貨単位である。銭貨100枚を1陌とした。]○嬌魂 生娘のたましい。李賀「感諷」五首の二、「嬬魂 回風(つむじ風)に従い、死処に郷月懸かる」の句に出る語。この連作詩は李質の詩と表現の類似が目立つ。李商隠『獨居有懐』、『賈生』「可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。」
*上の句は流転、蓬飄、東西黄河の上流と下流、都の東西の道。使用されている語がいずれも燕の朝廷のことではなくそれ以降のこと。
*下の句は親を亡くして、諸侯に無理やり連れて行かれた柳枝の生娘の思い、それに答えてやれなかったこと。李賀の賈誼のことを題材にした詩に基づいている。


蜜房羽客類芳心,冶葉倡條遍相識。』
蜜房にいる人、神仙となって空を飛ぶ人、身分の違いあれ春の芳心はある。艶めかしい葉、か細い枝をしめしている、それぞれのことを互いに何もかも知っている。
蜜房 蜂の巣。『柳枝五首』其の一「花房與蜜脾,雄蜂蛺蝶雌。」○羽客 神仙となって空をとべるようになった人。仙人。仙客。「羽客は霞に乗りて至り、仙人は月を玩(もてあそ)ぶ」〈宴曲集・四〉○芳心:花香る春の情感であるが、女性の心でもある。李白「古風」四十九首に「皓齒終不發、芳心空自持。」(賠歯終に発かず、芳心空しく自ら持す)。○冶葉倡條 葉、条(枝)に艶麗な語。・冶:1 金属や鉱石をとかしてある形につくる。「冶金/鍛冶(たんや)」 2 人格を練りあげる。「陶冶」3 心をとろけさせる。なまめかしい。「艶冶(えんや)」「天下理、夫倡婦随」「倡」となえる、いう。・:細い枝。


暖藹輝遲桃樹西,高鬟立共桃鬟齊。
のどかな春の日、柔らかなかすみに包まれた暮れなずむ桃樹林の西は金色にかわる、輪のかたちに結いあげた桃型の髪、桃型髪の様な桃花、共に立っている。
暖藹 暖藹はのどかな春のもや。・:かすみ。草木が茂っている。おだやかなさま。○輝遅 春の陽光が暮れなずむようすをいう。『詩経』幽風・七月に「春日輝遅たり」とある。○桃樹西 桃樹林の西は金色にかわる・西 五行思想で、西は色:白で、金。○高鬟 鬟のような桃の花を女の髪に見立てる。○ 輪のかたちに結いあげた髪。○桃鬟 まげのように盛り上がって咲く桃の花。若い女性の美しさを桃の花にたとえるのは『詩経』周南・桃夫「桃の大夫たる、灼灼たる其の華」以来、習熟した比喩。


雄龍雌鳳杳何許?絮亂絲繁天亦迷。』
雄の龍、雌の鳳、結ばれない筈の二人は今どこにいったのか。柳架が乱れ飛び、遊糸が浮かぶ春の空、ここの世界は乱れていて、天もどうなっているのか迷ってしまう。
雄龍雌鳳 オスの龍とメスの鳳凰、雄士の男と、高貴な女性であっても絶対に結ばれないはずの二人を意味する。勲功をあげた英雄が後宮の后妃と密会すること、宦官と后妃の密会などの淫乱なことを意味するものと考える。・杳 くらい○絮亂 柳絮、・遊糸:空中に浮遊するクモの糸、心の乱れを柳絮や遊糸などの春の景物に繋げて言う。後宮ではいろんな伝言手段があったことを意味する。

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127

河内詩二首其二(湖中) 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 127


この詩は、捨てられた芸妓のやるせなさを詠う、その裏に、843~844年天子に反旗を翻した劉稹、この詩では「淥菱」により連想される を詠っている。その有力潘鎮の叛乱に対し、討伐軍を率いて平定した英雄が出身身分が低いために正当な評価を受けなかったのだ。それが石雄である。地方の低い武官から身を起こしたものだった。この詩を恋歌とだけで理解しようと思うとまったくわけのわからない詩となってしまう。


其二
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
右一曲 湖中

この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


其の二
閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。
後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』
身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。
風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』
低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

右一曲 湖中


河内詩二首其二(湖中) 現代語訳と訳註
(本文) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』


遠、満。幹。/軽、清。聲。』/道、草。


(下し文) 其の二
閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。
後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』
身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。
風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』
低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』
右一曲 湖中


(現代語訳)
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


(訳注)
閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。
蘇州の閶闔門出て舟は進む、日はおちかかってきた、呉の国の民謡の詩が遠く変え阿聞こえてくる。歌声の先には女が土手に植わる縁菱をつみとっている、あたりにその香りは満ちあふれている。
閶門 閶門は蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53詩参照。○日下 太陽が沈みかけてきたことしめす。 ○呉歌 南朝の時、長江下流地域でうたわれた民間歌謡。長江中流域の西曲と並んで恋の歌が多いがこの頃は、夫を徴兵で送り出した妻たちの哀調の詩であったが、蘇州という地では、商人の夫が旅立った時の詩である。○陂路 堤の上の道。○緑菱 菱は江南の地の歌謡に菱摘みをうたう情歌が多い。上の句の呉歌がかかってくる。天子に反旗を立てた潘鎮の劉稹を連想させる。○香満満 菱の香りがいっぱいにあふれる。摘み取っているので、その香が充満している。
 
後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』
はるか向こうの渓谷からはそっと鯉魚の風のように反旗をたてものがいる、船の旗がはためきせん光が走った枯れた芙蓉の葉のように揺れ、枯れた茎が折れるように王朝は揺れたのだ。』
鯉魚風 九月の風を指す。李賀「江楼曲」に「楼前流水 江陵の道、鯉魚の風起こりて芙蓉老ゆ」。○船旗閃断 蓮の葉が風に揺れる。強大で有力藩鎭の劉稹の反旗を示す。王朝に激震が走ったが、だれも制圧できなかった。


傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。
わが全身全霊を捧げて天子にお仕えするには、その身が低かったである。一組の橈、一対の漿櫓、そして清らかなお酒のようにこの地を鎮めた。
傾身 全身全霊をかたむける。○身軽 身分が低いことをいう。石雄は地方の低い武官から身を起こし、叛乱を平定している。○雙橈兩漿 橈も漿も舟を漕ぐ道具。討伐軍を整え、平定したことを示す。


莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』
秋の冷たい風雨がおさまるように叛乱、謀反を一人の副将軍配によってもたらされたがそれによる論功がなされない。この「愁扇」の曲、身を切るほど切ないのは、まさに北の副将の声なのだ。』
団扇 軍配。○此曲 秋の扇をうたった「怨歌行」を指す。○北声 李商隠「漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107」この詩の題材 石雄は唐王朝を救った英雄なのに代北偏師でしかなかった。貴族社会であり、門閥社会であったため、出身身分が低かったため正当な評価をされなかった。


低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』
そんな出来事がありながら、小さな楼から小路をたどって城南の道に来てみたら、そこには今も遊び呆けている貴族らの黄金の鞍をつけた馬が、芳草を食んでいました。』
金鞍 戦となったらなんにもできないが豪華な鞍をつけている。女遊びは超一流の貴族たち、馬だけが芳草を食んでいることによって、富貴の男の女遊びを連想させる。「無題(鳳尾香羅薄幾重) 李商隠 20」詩にも「斑騅只繋垂楊岸」(斑騅は只繋ぐ 垂楊の岸)という。
 
右一曲 湖中
この詩は、舟に乗っておきに出て詠ったものである。


(解説)
○詩型 七言古詩。
○押韻 遠、満。幹。/軽、清。聲。』/道、草。



「楼上曲は仙界の女を慕う男」を装った、王朝、宦官による皇帝毒殺事件をうたい。「湖中曲は貴顕の男に棄てられた女、男女双方の立場から恋の苦しさを歌行のかたちを借りてうたうこと」を装い、出身身分の低い英雄が正当な評価を得られなかったことを詠うものだ。

 どちらも腐りきった唐王朝を批判するもので、自分のみを投じてやる価値も何もないということ、貴族門閥社会の問題点を指摘している。晩唐期には宦官の勢いは凄まじいものがあったということなのだ。

河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126

河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126

恋歌として読んだら、いろいろ意味不明なところがある。これは政治批判詩なのだ。宦官による皇帝を薬漬けにし、薬殺したことを詠う。詩は殺されたその夜を詠う。

其一
鼉鼓沈沈虬水咽、秦絲不上蠻絃絶。
なにがおこったのか、ワニ皮の太鼓が重く響き、虬の漏刻は咽び泣いている。宮中で秦の琴瑟は弾かれず、異民族の楽器は絃が切れたという。
常蛾衣薄不禁寒、蟾蜍夜艶秋河月。』
薬を飲んで帰られなくなった嫦娥は薄いころもをまとった月の女神となり寒さに震えている。月は蟾蜍に食べられた三日月になってはつややかに美しい、銀河と月が輝く秋の夜のできごとだ。
碧城冷落空豪煙、簾輕幕重金鉤欄。
ここ碧城は、茫漠たる靄に包まれ、ひっそりと静まりかえる。軽い御簾、重いとばり、そして金の簾止め、欄檻にもひとはいない。
霊香不下兩皇子、孤星直上相風竿。』
この仙界には香木の桂が繁っている八桂の林のあたりに九葉霊芝草の生えている、またそこで粗末なきものに制裁として小鬢を剃り落としたひとに出会った。
八桂林邊九芝草、短襟小鬢相逢道。
霊験あらたかな香を焚き、お勤めする身となった二人の皇子は下界にもう降りてこない。星が一つ、まっすぐ宮廷に建てたられた風旗台を目がけて登っていく。
入門暗數一千春、願去閏年留月小。』
正しい系統の王族たちで朝廷が立ち上がるのはそっと数えてみれば一千年もかかるという。なんとか閏の年ははぶき、小の月だけを数えることにできないものか。
梔子交加香蓼繁、停辛佇苦留待君。』

辛いクチナシの実というべき党派やら苦いタデの宦官たちの世の中、しかしその辛さ、苦しさに踏みとどまり、あなたに会える日のようにじっと待つしかない。右一曲 楼上

河内詩二首其の一
鼉鼓(だこ)沈沈として虬水(きゅうすい)咽(むせ)ぶ、秦糸(しんし)は上(のぼ)らず 蛮絃(ばんげん)絶ゆ
常蛾(じょうが) 衣薄くして 寒きに禁(た)えず、蟾蜍(せんじょ) 夜 艶たり 秋の河月(かげつ)。
碧城(へきじょう)冷落(れいらく)たり 空蒙(くうもう)たる煙、簾は軽く幕は重し 金の鉤欄(こうらん)。
霊香(れいこう)して下らず 両皇子(りょうおうじ)、
孤星(こせい)直ちに上る 相風竿(そうふうかん)。
八桂の林辺 九芝の草、短襟(たんきん) 小鬢(しょうひん) 相い逢う道。
門に入るには 暗(ひそ)かに數う 一千春、願わくは閏年を去りて月小を留めん。
梔子(しし)交(こも)ごも加わり 香蓼(こうりょう)繁し、辛に停まり苦に佇みて 留まりて君を待たん。

右 一曲 楼上にて。


河内詩二首其の一(楼上) 現代語訳と訳註
(本文) 其一
鼉鼓沈沈虬水咽、秦絲不上蠻絃絶。
常蛾衣薄不禁寒、蟾蜍夜艶秋河月。』
碧城冷落空豪煙、簾輕幕重金鉤欄。
霊香不下兩皇子、孤星直上相風竿。』
八桂林邊九芝草、短襟小鬢相逢道。
入門暗數一千春、願去閏年留月小。』
梔子交加香蓼繁、停辛佇苦留待君。』
右一曲 楼上

(下し文)
鼉鼓(だこ)沈沈として虬水(きゅうすい)咽(むせ)ぶ、秦糸(しんし)は上(のぼ)らず 蛮絃(ばんげん)絶ゆ
常蛾(じょうが) 衣薄くして 寒きに禁(た)えず、蟾蜍(せんじょ) 夜 艶たり 秋の河月(かげつ)。
碧城(へきじょう)冷落(れいらく)たり 空蒙(くうもう)たる煙、簾は軽く幕は重し 金の鉤欄(こうらん)。
霊香(れいこう)して下らず 両皇子(りょうおうじ)、
孤星(こせい)直ちに上る 相風竿(そうふうかん)。
八桂の林辺 九芝の草、短襟(たんきん) 小鬢(しょうひん) 相い逢う道。
門に入るには 暗(ひそ)かに數う 一千春、願わくは閏年を去りて月小を留めん。
梔子(しし)交(こも)ごも加わり 香蓼(こうりょう)繁し、辛に停まり苦に佇みて 留まりて君を待たん。
右 一曲 楼上にて。

(現代語訳)
なにがおこったのか、ワニ皮の太鼓が重く響き、虬の漏刻は咽び泣いている。宮中で秦の琴瑟は弾かれず、異民族の楽器は絃が切れたという。
薬を飲んで帰られなくなった嫦娥は薄いころもをまとった月の女神となり寒さに震えている。月は蟾蜍に食べられた三日月になってはつややかに美しい、銀河と月が輝く秋の夜のできごとだ。
ここ碧城は、茫漠たる靄に包まれ、ひっそりと静まりかえる。軽い御簾、重いとばり、そして金の簾止め、欄檻にもひとはいない。
この仙界には香木の桂が繁っている八桂の林のあたりに九葉霊芝草の生えている、またそこで粗末なきものに制裁として小鬢を剃り落としたひとに出会った。
霊験あらたかな香を焚き、お勤めする身となった二人の皇子は下界にもう降りてこない。星が一つ、まっすぐ宮廷に建てたられた風旗台を目がけて登っていく。
正しい系統の王族たちで朝廷が立ち上がるのはそっと数えてみれば一千年もかかるという。なんとか閏の年ははぶき、小の月だけを数えることにできないものか。
辛いクチナシの実というべき党派やら苦いタデの宦官たちの世の中、しかしその辛さ、苦しさに踏みとどまり、あなたに会える日のようにじっと待つしかない。


(訳注)
河内詩二首
○河内 懐州の治所のある河内県。今の河南省沁陽県。
ほんの少ししかつながりのない地名にこそ、政治批判できることがある。

鼉鼓沈沈虬水咽、秦絲不上蠻絃絶。
なにがおこったのか、ワニ皮の太鼓が重く響き、虬の漏刻は咽び泣いている。宮中で秦の琴瑟は弾かれず、異民族の楽器は絃が切れたという。
鼉鼓 ワニの皮で作った太鼓。『詩経』大雅・霊台に「鼉鼓逢逢たり」。逢蓬は太鼓の音。○沈沈 重々しく響く音。○虬水咽 虬水は虯水。虯水は蛟の口から水が出る形の水時計。咽は其の水音がむせびなく。皇帝、皇子が殺害されたのであるから、こういう表現で表したのだろう。○秦糸 糸はここでは琴瑟、単なる琴ではない。秦代の瑟は五十弦のものは宮女(宮廷の芸妓)が使い、一般に二十五弦で、琴瑟の起源とともに伝えられている。瑟はのち十三舷にかえられる。○蛮絃 少数民族の弦楽器。

常蛾衣薄不禁寒、蟾蜍夜艶秋河月。
薬を飲んで帰られなくなった嫦娥は薄いころもをまとった月の女神となり寒さに震えている。月は蟾蜍に食べられた三日月になってはつややかに美しい、銀河と月が輝く秋の夜のできごとだ。
常蛾 月の女神。「

1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥
」詩参照。仙薬を飲んでいる。○蟾蜍 月に住むといわれるひきがえる。李白「古朗月行」月の満ち欠けはカエルが食べてかけていく。○河月 天の川と月。

碧城冷落空豪煙、簾輕幕重金鉤欄。
ここ碧城は、茫漠たる靄に包まれ、ひっそりと静まりかえる。軽い御簾、重いとばり、そして金の簾止め、欄檻にもひとはいない。
碧城 仙人の住む地。碧城三首其三 李商隠15「恋の無題詩」詩参照。仙薬を飲んでたどりついたところ。○冷落 ひっそり寒々としたさまをいう。○空豪 空濠と同じ。雨や霧でもやった状態をいう。○鉤欄 金の簾止めと欄檻。

霊香不下兩皇子、孤星直上相風竿。
霊験あらたかな香を焚き、お勤めする身となった二人の皇子は下界にもう降りてこない。星が一つ、まっすぐ宮廷に建てたられた風旗台を目がけて登っていく。
霊香 香を焚いて礼拝すること。〇両皇子   740年、宦官仇士良が、文宗中毒死させた。詔を改ざんし、武宗を皇帝に立てる。この時、敬宗の二子皇子を殺害。846武宗毒殺。 これらの事件は宦官がすべて行った。文宗薬殺以前も宦官は皇帝を薬漬けにしている。憲宗、穆宗、敬宗と中毒死が続いていた。ただ武宗の後に皇帝に即位した宣宗は仙薬を飲まなかったので長期にわたった。李商隠は宣宗より早く歿した。この両皇子のとらえ方で、この詩は180度の展開を見せる重要点である。○孤星 天上の女を求めて上昇する男をたとえるという表現法だが、宮廷内において宣宗は、できるだけ対決を避け、孤軍奮闘していたことをいう。○相風竿 宮廷に建てた風旗台。三支槍を一番上にさした細くて長い旗竿を風旗台の穴に挿し、旗台には細くて非常に長い旗を掲げた。また、風旗台には「相風竿」という文字が彫られているということで、唐王朝のことをしめす。

八桂林邊九芝草、短襟小鬢相逢道。
この仙界には香木の桂が繁っている八桂の林のあたりに九葉霊芝草の生えている、またそこで粗末なきものに制裁として小鬢を剃り落としたひとに出会った。
八桂 香木の桂、○九芝草 九葉霊芝草のこと。天界の霊薺殿(れいしょうでん)の前に植えられていた、西王母の霊草で、大変な仙気を持ち、これで掃いたものは、何でも性質が強化され、瑞光や瑞気を放つようになる。○短襟 平民のやすい粗末なきもの。 ○小鬢 遊郭の制裁として男の片小鬢を剃り落とす風習があった。
.

入門暗數一千春、願去閏年留月小。
正しい系統の王族たちで朝廷が立ち上がるのはそっと数えてみれば一千年もかかるという。なんとか閏の年ははぶき、小の月だけを数えることにできないものか。
暗數 数一千春一千年たったら会えると数える。○願去閏年留月小一千年が少しでも短くなるように、閏の年ははずして小の月は入れる。

梔子交加香蓼繁、停辛佇苦留待君。
辛いクチナシの実というべき党派やら苦いタデの宦官たちの世の中、しかしその辛さ、苦しさに踏みとどまり、あなたに会える日のようにじっと待つしかない。
梔子交加香蓼繁 クチナシの実は辛く蓼は苦い。辛さ若さを代表する植物。「植物の若さに掛けて胸中の苦しさをいうのは、南朝楽府によく見える。たとえは「子夜四時歌」春歌に 「黄垂 春に向かって生じ、苦心 日に随って長し」。黄葉も苦い植物。「交加」 はかわるがわる迫ってくる。薬物、仙薬などを連想させる句である○停辛佇苦留待君 辛苦に耐えてあなたを待ち続けるの意。


○詩型 七言古詩。
○押韻 絶。月。/煙、欄。竿。/草、道。小。/繁、君。


(解説)
 三十代後半、それ以降の李商隠は、唐王朝の中では官僚としての生きるいかなる方法もないという結論に至ったようだ。ストレートな批判は危険を招くことは身をもって体験している。詩人として生きるべきことを納得し始めた時期で、王朝批判の比喩的題材を求めていった。この時期から、意味不明、難解な詩が多くなっていく。
さまざまな芸妓、女性を描く素振りで、政治的批判をするようになる。難解な詩もいくつか並べると理解できる。ジグソーパズルか、謎解き問題のように楽しんで作っているようだ、この詩も角度を変えてそのことを述べている。表立って批判はできない、「自分の生まれ故郷(本籍地)にはこんな歌がある」という言い訳をしているかのようである。

 この詩を恋歌と解釈しているのを見かけるが、どこをどう考えてそうなるのか理解に苦しむ。登場関係者は皆、薬物に関係している。李商隠の「薬轉」とまったく同じ方向性をもった詩である。おそらく同じ時期につられたものと解釈している。この詩を恋歌と解釈するには、多分、李商隠をいつまでもうだつの上がらない、女好きの不遇のダメ男と理解されているのであろうと思う。

薬轉 李商隠
鬱金堂北畫樓東、換骨神万上藥通。
露気暗連靑桂苑、風聾偏猟紫蘭叢。
長籌末必輸孫皓、香棗何勞問石崇。
憶事懐人兼得句、翠衾歸臥繍簾中。

鬱金の堂の北 画楼の東、換骨 神方 上薬にして通ず。
露気 暗に連なる 青の桂苑、風声 偏猟にして紫蘭の叢。
長語末だ必ずしも孫皓に輸せず、香棗 何ぞ石崇に問うを労せん。
事を憶い人を懐いて兼ねて句を得たり、翠衾 歸りて臥さん 繍簾の中。
 
(現代語訳)
香を焚きしめた鮮やかな黄色の奥座敷の北側、あでやかな色彩の楼閣の東側にある。仙骨に変わる神秘の方法、最上の仙薬こそがそこに通ずる手段なのだ。
佳人をあらわにするような雰囲気が暗いところまで続いている、春の誘いをもよおす桂樹の庭園である。風の音に混じって紫の蘭の花のくさむらの一部のあたりで鳥獣を追い立てるような声がしている。
長い竹べらがある、西晋の富豪孫酷は竹べらで局部がはれたがまだそこまでに、なっていないようだ。厠に香を焚き、侍女に香り高い棗よういさせる、それは何のためかと石崇に尋ねるまでもない彼らと同様の横暴ななふるまいをしているのだ。
いろんな故事をおもいだし、いろんな人を思ってこんな詩句ができた。自分もみどりのしとねにくるまった妓女がいる、刺繍のすだれの部屋の真ん中に帰り、臥せることにしよう。

藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85



無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125

無題(萬里風波一葉舟)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 125


無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王濬は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。

わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。


無 題
万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)。
碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。
益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。
人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。


無題(萬里風波一葉舟) 現代語訳と訳註
(本文)
無 題
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。


(下し文)
万里の風波 一葉の舟、帰る を 憶い 初めて罷むも更に夷猶(いゆう)。
碧江 地に没して 元と相(あい)引き、黄鶴 沙辺 亦(また)少しく留(とどむ)。
益徳の冤魂(えんこん) 終(つい)に主に報い、阿童(あどう)の高義(こうぎ) 鎮(つね)に秋に横たわる。
人生 豈(あに) 長(とこしえ)に謂われ無き を 待んや、古(いにしえ)を懐い 郷を思いて共に白頭。

(現代語訳)
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王濬は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。


(訳注)
萬里風波一葉舟、憶歸初罷更夷猶。
ここ荊州を通ると、はるか万里のかなたから吹き寄せる風と波、そこに一枚の木の葉のような舟がうかぶ。ふるさとに帰えろうと思いはじめて職を辞すことにしたが、この風と波は故郷に帰ることにもとどめようとするのか。
一葉舟 厳しい風波に弄ばれる小舟。「万里」と「一葉」 の数の対比によって新しいことへの意気込みを李商隠らしく述べる。青雲とか一切使わない。 
荊門西下 李商隠 
一夕南風一葉危、荊門廻望夏雲時。
人生豈得軽離別、天意何曾忌嶮巇。
骨肉書題安絶徼、蕙蘭蹊径失佳期。
洞庭湖濶蛟龍悪、却羨楊朱泣路岐。
では「南風で一葉の小舟が危い」とある。

荊門西下 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ特集 57
夷猶 躊躇すること、ぐずぐずすることであるが、決して,後悔する悪い意味ではない。『楚辞』九歌・湘君に「君行かずして夷猶す」とあり、王逸注に「夷猶は猶予なり」とある。南斉、謝朓、「棹を輟めて子、夷猶す」にもとづいている。
盛唐、王維「汎前陂」も同様に使う。
秋空自明迥,況復遠人間。
暢以沙際鶴,兼之雲外山。
澄波澹將夕,清月皓方閑。
此夜任孤櫂,夷猶殊未還。(この夜孤櫂に任せて夷猶殊に還らず)


碧江地没元相引、黄鶴沙邊亦少留。
青く流れる長江は大地の果てに没するまで流れ行き、否応なくこの小舟を引き寄せる。恩返しをした黄鶴にちなんで建てられた黄鶴楼の磯、水辺に鶴の群が戯れていてしばしわたしを引き留め、故事、いにしえのことを思わせる。
黄鶴 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。
黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
岸辺の砂浜に自在に遊ぶ黄鶴は次の張飛を連想させていく。


益徳冤魂終報主、阿童高義鎮横秋。
ここ長江のほとりで非業の死を遂げた張飛は、死んでなお君主の恩に報いた、呉の天敵阿童の名を持つ王潜は、長江を下って呉を討伐した、気高い正義はとこしえに秋季をつつむ気のなかにこころに在り続ける。
益徳 三国・筍の張飛の字。「冤魂」は非業の死を遂げた者の魂。張飛は配下の武将の手によって業半ばで殺された、また、全戦全勝の武将であるのに身分差別に不当な仕打ちを受けたことが李商隠と重なる。死んだのちに劉備に報いた話もある。○阿童 晋の将軍王濬の幼名。呉の国で「阿童復た阿童、刀を銜みて浮きて江を渡る。岸上の獣を畏れざるも、水中の龍を畏る」という童謡が流れた。呉にとって恐ろしいのは阿竜という名の人物と龍であると知った晋では、阿童を幼名とする王潜を龍驤将軍に任じ、呉の討伐を命じた(『晋書』五行志、また羊相伝)。○ 永遠に。○横秋秋の空に張りつめる。南斉・孔稚珪「北山移文」(『文選』巻四三)に「風の情は目に張り、霜の気は秋に横たわる」。


人生豈得長無謂、懐古思郷共白頭。
わたしの人生、いつまでも無意味であってよいはずがない。いにしえの英傑をなつかしみ、ふるさとを思い出させる、その二つの思いがかさなりあったので私の髪を白くするのだ。
○無謂 無意味。



○詩型 七言律詩。
○押韻 舟、猶。留。秋。頭。


(解説) 
官を辞して、郷里に向かう舟の中で李商隠らしく、自己の評価を正当にできないことに対して、一言言い残す。唐王朝の中で、自分の持っているものを生かせはしないのだ。自分だけでなく、唐王朝は、あまたの顕官を失ったことか、奸臣だけが生き延びていく場でしかないのか。長江を下りながらその地にまつわる過去の英雄たちの気高い正義は、いつまでも消えはしない。自分の作る詩歌もいつまでも残ってほしいと、詩人としての矜持をもって生きていくことを決心したのだ、しかし、間もなく詩人としても終わりを告げるのである。


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#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。
齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
便爲帝王師,不假更纖悉。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
況今西與北,羌戎正狂悖。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
誅赦兩未成,將養如痼疾。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
兒當速成大,探雛入虎穴。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
當爲萬戶侯,勿守一經帙。

万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。


驕兒詩 #5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ

#6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


驕兒詩 #6 現代語訳と訳註
(本文) #6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


(下し文) #6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


(現代語訳)
齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。


(訳注) #6
穰苴司馬法,張良黃石術。

齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
穰苴 司馬という名称は周代の軍部をつかさどる官名で、それが後に姓名になったものである。この本の主人公の司馬穰苴は斉人で氏は田(つまり田穰苴)であり、斉の景公に任じられ大司馬の職についたので司馬穰苴と呼ばれるようになった。
そもそも、斉は兵法の開祖といわれる太公望が作った国であり、春秋戦国時代では兵法や学問が盛んに研究されていた。有名な孫子も斉人である。司馬法が成立するきっかけになったのは、斉の威王が古くから斉に伝わる兵法を駆使して斉を強国にしたという経緯の元に、兵法の大切さに気づき、家臣たちに命じて、古くから伝わる斉の兵法を研究させ、それに司馬穰苴が作った兵法を付け加えて「司馬穰苴の兵法」としてまとめたというのが有力な説である。春秋・斉の景公のもとの将軍、田穣丑。大司馬に任じられたので司馬穰苴と称される。その兵法は古代の兵法と併せて『司馬穰苴兵法』として伝えられた(『史記』司馬穰苴伝)。
張良黃石術 張 良(ちょう りょう、未詳 - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。下邳時代の逸話から「黄石公」の兵法と尊ばれた。このページの末尾に、逸話を参考に掲載する。
 
便爲帝王師,不假更纖悉。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
不假更纖悉 ・:かりる、たよる。・織悉:こまかくきわめる。学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵書であれば出世できるという意。

況今西與北,羌戎正狂悖。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
羌戎 当時、西北の地から中国を脅威にさらしていた吐蕃や回紇などの異民族。○狂悖 狂暴。安史の乱以降、攻められやすくなり、略奪中心の侵攻だったようだ。

誅赦兩未成,將養如痼疾。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
誅赦 征伐するか和睦・懐柔するかの二つの解決策。○将養 休息し養生する。・将:ここではやしなう、助ける、休むの意味もの意。○痼疾 長くわずらっている病気。
 
兒當速成大,探雛入虎穴。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
探雛入虎穴 果敢に行動する。後漢の武人班超のことばに、「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」(『後漢書』班超伝)。・:烏の子から広く動物の子を指す。


當爲萬戶侯,勿守一經帙。
万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。
万戸侯 食邑(領地)一万戸の侯爵。〇一経帙  後漢の王充の「論衡」超奇稿に「夫れ能く一経を説く者は儒生たり。」とある。は書物のこと。また、漢・韋賢父子の儒教の故事もある。韋賢の子の韋玄成は経学に明るいことから父と同じく丞相の位に昇ったので、世間では「子に黄金万籝を遺こすも、一経に如かず」(『漢書』葦賢伝)という諺が隼まれた。・:竹で編んだ箱。財産をのこすよりも学問を身につけさせておくのがよい、という儒教者の教えだけではだめで、大局を見る広い心持つのだと教えている。


○詩型 五言古詩。
○押韻 術。悉。悖。疾。穴。帙。



(解説)
 学問の大切さを理解してないわけではない。それどころか、学問をしなければ人の上に立つことはできない。学問に頼り切ると、自己満足に落ちいってしまう。「子に黄金万籝を遺こすも、一経に如かず」などというのは、儒教者の陥りやすいことである。
 自分も若いうちに、懸命に学問にはげんだ。学問をそれ以上積重ねてきた人に太刀打ちができず完膚なきまで叩きのめされた。そこで、方向性を誤ったのだ。その時、力を持っていた人、この人ならばついて行ってもよいのではと思った。自分自身も大変気に入られ、娘を嫁に娶った。
しかし、唐王朝は、腐っていて、宦官という病気のもとがいて,それにおかされている。その上、官僚は、二手に分かれて権力闘争をしている。「將養如痼疾」(将養 痼疾(こしつ)の如し)状況なのだ。

 軍師になって、天子に仕えることは、学問だけではできるものではない。大局を見る力と時の運、その力を引き出せてくれる器の天子と出会わなければ無理なのだ。唐王朝は西域や北域の異民族が略奪行為をしてもせいばつができないのだ。腐りきった王朝の天子のおそばでお仕えするということではなく、一万個の邑の侯爵・大名になるのが一番いいのだ。
 若い時に学問で負かされても、学問にだけしがみついてはいけないのだ、広い心を持ちなさい。

 蛇足ではあるが、この詩を「自分のふがいない半生を振り返って、文より武によって出世をせよと諭す。」ととらえる解説もあるが、違う。
中唐の韓愈のように「児に示す」詩では無一文で長安に出てきた自分がかくも富貴の身に達したのは勉強のたまものだということを李商隠は否定していない。勉強はすべての基礎であることを踏まえている。
ただ、儒者のように教条主義的になるなといっているのだ。
李商隠、社会的には、不遇の側面が強調されるが、詩人として、当時も一定程度以上の評価を受けていたようだ。その詩人としての矜持は随所に表れている。


*********参考*****************
下邳時代の逸話
ある日、張良が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。
5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったという。
後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、張良の死後には一緒に墓に入れられたという。
(ウィキペデアより抜粋。)

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驕兒詩
#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
#2
安得此相謂,欲慰衰朽質。青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。歸來學客面,闡敗秉爺笏。
#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


押韻
匹。七。栗。物。一。骨。質。侄。溢。出。實。笏。吃。傈。突。鶻。佛。蜜。疾。失。戌。律。漆。膝。
乞。日。筆。述。虱。乙。術。悉。悖。疾。穴。帙。


#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。
#2
安んぞ此(かく)相(あい) 謂(いう)を得ん、衰朽(すいきゅう)の質を慰めんと欲すればなり。
青春 妍和(けんわ)の月、朋戯(ほうぎ)は甥姪(せいてつ)に渾(まじ)る。
堂を繰り復(また) 林を穿(くぐ)り、沸として金鼎(きんてい)の溢(あふる)るが 若(ごとし)。
門に長者の来たる有れば、造次(ぞうじ)に請(こ)い 先に出る。
客前に須(ほしい)所(もの)を問えば、意を含(ふく)みて実(じつ)を吐かず。
帰り来たれは客の面(めん)を学(ま)ね、闡敗(ぜんはい)して爺(ちち)の笏(こつ)を秉(と)る。
#3
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む
#4
蛺蝶の軽きことを争わんと欲し、未だ柳絮の疾(はやき)に謝(ゆず)らず。
階前 阿姉(あし)に逢い、六甲 頗(すこぶる)輸失す
凝(ひそめ)走って 香奩(こうれん)を弄(もてあそ) ぶ、抜脱(ばつだつ)す 金の屈戌(くつじゅつ)。
抱持(ほうじ)すれば反側すること多く、威怒(いど)するも律すべからず。
躬(み)を曲げて窓の網を牽(ひ)き、衉唾(かくだ)して琴の漆(うるし)を拭(ぬぐ)う
時有り て 臨書を看れば、挺立(ていりつ)して膝を動かさず。
#5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ
#6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


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#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。
古い布で書幌を作ってくれと頼んでくる、つぎには書物を巻く軸などほしがる。
請爺書春勝,春勝宜春日。
この親父に立春の日の掛け物を書いてほしいとねだってくる、その立春の掛け物には「宜春」と書く日になっている。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。
庭の芭蕉は斜めに葉を巻いているのが短冊を巻いたようになっている、筆のような辛夷の花が咲いて芭蕉の短冊が下から差出し筆で書くようだ。
爺昔好讀書,懇苦自著述。
おやじの私は昔から読書が好きで、辛さに耐えて努力をし、著述してきた。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。
その結果、やつれ果てもう四十になろうとしている、暮らしは貧しく、食卓に肉もつけられないし、のみやしらみに人一倍堪えている
兒慎勿學爺,讀書求甲乙。

わが子よ、どうかこの親父の私のただひたすら学問だけをして、進土に及第すればよいとだけ思ってはいけない、大局を見ないといけないのだ。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


#4
蛺蝶の軽きことを争わんと欲し、未だ柳絮の疾(はやき)に謝(ゆず)らず。
階前 阿姉(あし)に逢い、六甲 頗(すこぶる)輸失す
凝(ひそめ)走って 香奩(こうれん)を弄(もてあそ) ぶ、抜脱(ばつだつ)す 金の屈戌(くつじゅつ)。
抱持(ほうじ)すれば反側すること多く、威怒(いど)するも律すべからず。
躬(み)を曲げて窓の網を牽(ひ)き、衉唾(かくだ)して琴の漆(うるし)を拭(ぬぐ)う
時有り て 臨書を看れば、挺立(ていりつ)して膝を動かさず。

#5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ

#6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


驕兒詩 現代語訳と訳註
(本文) #5

古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。


(下し文) 驕兒詩#5 李商隠
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ


(現代語訳)
古い布で書幌を作ってくれと頼んでくる、つぎには書物を巻く軸などほしがる。
この親父に立春の日の掛け物を書いてほしいとねだってくる、その立春の掛け物には「宜春」と書く日になっている。
庭の芭蕉は斜めに葉を巻いているのが短冊を巻いたようになっている、筆のような辛夷の花が咲いて芭蕉の短冊が下から差出し筆で書くようだ。
おやじの私は昔から読書が好きで、辛さに耐えて努力をし、著述してきた。
その結果、やつれ果てもう四十になろうとしている、暮らしは貧しく、食卓に肉もつけられないし、のみやしらみに人一倍堪えている
わが子よ、どうかこの親父の私のただひたすら学問だけをして、進土に及第すればよいとだけ思ってはいけない、大局を見ないといけないのだ。

(訳注)#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。
古い布で書幌を作ってくれと頼んでくる、つぎには書物を巻く軸などほしがる。
裁衣 衣はここでは書物を包む幌を指す。○玉軸 巻子本の軸。両端は玉で作られる。


請爺書春勝,春勝宜春日。
この親父に立春の日の掛け物を書いてほしいとねだってくる、その立春の掛け物には「宜春」と書く日になっている。
春勝 春の到来を祝う字を書いて立春の日に掛けるもの。○宜春 春勝に書く文字。『荊楚歳時記』 に「立春の目、悉く綵を剪りて燕を為り、以て之を戴きて、宜春の二字を貼る」。


芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。
庭の芭蕉は斜めに葉を巻いているのが短冊を巻いたようになっている、筆のような辛夷の花が咲いて芭蕉の短冊が下から差出し筆で書くようだ。
芭蕉斜卷箋 懐紙を巻くのを芭蕉の葉が出てくる時のかたちにたとえる。「斜」 はぎこちなく、きちんと巻けないこと。
辛夷低過筆 辛夷(コブシ)は木筆花の別名もあり、ふくらんだつぼみのかたちが墨を含んだ筆に似ている。「低」は落としそうで危なっかしいことをいうか。「過」は手渡しする。


爺昔好讀書,懇苦自著述。
おやじの私は昔から読書が好きで、辛さに耐えて努力をし、著述してきた。
懇苦 辛さに耐えて努力することをいう。


憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。
その結果、やつれ果てもう四十になろうとしている、暮らしは貧しく、食卓に肉もつけられないし、のみやしらみに人一倍堪えている。
無肉畏蚤虱 食事は肉をつけてあげられないし、住まいはノミ、シラ、、、がいる貧しさをいう。あるいは、からだに肉がついていなくてやせほそっていて、蚤シラミに人一倍堪えている。


兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
わが子よ、どうかこの親父の私のただひたすら学問だけをして、進土に及第すればよいとだけ思ってはいけない、大局を見ないといけないのだ。
○甲乙 科挙の試験をいう。進士科には「甲」と「乙」の二科があった。進士に及第すればよいというのではいけない、政治的に大局を見ないいけないといっている。

驕兒詩 #4 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 122

驕兒詩 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 122


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#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。
蝶と身軽さ競おうと思っているのかじっとしていない、風に飛ぶ柳絮のすばやさにも劣っていない。
階前逢阿姊,六甲頗輸失。
庭の石の上がり框の前で姉さんにばったりでくわした、すごろくをしようとねだったが、すれば負けて点棒をとられてばかりなのだ。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。
こっそり抜き足で姉さんの化粧箱にいたずらをする。だいじな金の蝶番をはずしてしまうのだ。
抱持多反側,威怒不可律。
いたずらはいけないと抱きかかえれば体をそっくり返ししまう、叱りつけてもおとなしくならないのだ。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。
体を曲げて窓の網戸を引っ張ったりしている、つぎには琴の漆の上に唾をとはいてみがいている。
有時看臨書,挺立不動膝。

ある時、わたしが手本に従って習字をしているのを見ていることがあった、直立不動で、膝も動かさないでじっと立ってみている。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。

#3
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む。

4

蝶の軽きことを争わんと欲し、未だ柳絮の疾(はやき)に謝(ゆず)らず。

階前 阿姉(あし)に逢い、六甲 頗(すこぶる)輸失す

(ひそめ)走って 香奩(こうれん)を弄(もてあそ) ぶ、抜脱(ばつだつ)す 金の屈(くつじゅつ)

抱持(ほうじ)すれば反側すること多く、威怒(いど)するも律すべからず。

()を曲げて窓の網を牽()き、(かくだ)して琴の漆(うるし)を拭(ぬぐ)

時有りて 臨書を看れば、挺立(ていりつ)して膝を動かさず。

#5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す。
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日。
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす。
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す。
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる。
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ。


驕兒詩 #4 現代語訳と訳註
(本文) #4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。


(下し文)
蛺蝶の軽きことを争わんと欲し、未だ柳絮の疾(はやき)に謝(ゆず)らず。
階前 阿姉(あし)に逢い、六甲 頗(すこぶる)輸失す
凝(ひそめ)走って 香奩(こうれん)を弄(もてあそ) ぶ、抜脱(ばつだつ)す 金の屈戌(くつじゅつ)。
抱持(ほうじ)すれば反側すること多く、威怒(いど)するも律すべからず。
躬(み)を曲げて窓の網を牽(ひ)き、衉唾(かくだ)して琴の漆(うるし)を拭(ぬぐ)う
時有り て 臨書を看れば、挺立(ていりつ)して膝を動かさず。



(現代語訳)
蝶と身軽さ競おうと思っているのかじっとしていない、風に飛ぶ柳絮のすばやさにも劣っていない。
庭から家に入る石の上がり框の前で姉さんにばったりでくわした、すごろくをしようとねだったが、すれば負けて点棒をとられてばかりなのだ。
こっそり抜き足で姉さんの化粧箱にいたずらをする。だいじな金の蝶番をはずしてしまうのだ。
いたずらはいけないと抱きかかえれば体をそっくり返ししまう、叱りつけてもおとなしくならないのだ。
体を曲げて窓の網戸を引っ張ったりしている、つぎには琴の漆の上に唾をとはいてみがいている。
ある時、わたしが手本に従って習字をしているのを見ていることがあった、直立不動で、膝も動かさないでじっと立ってみている。


(訳注)#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。

蝶と身軽さ競おうと思っているのかじっとしていない、風に飛ぶ柳絮のすばやさにも劣っていない。
柳架 柳の綿毛。春の風物。


階前逢阿姊,六甲頗輸失。
庭から家に入る石の上がり框の前で姉さんにばったりでくわした、すごろくをしようとねだったが、すれば負けて点棒をとられてばかりなのだ。
阿姉 姉さん。阿は人の名や呼称の前に付けて親しみをあらわす。〇六甲 すごろくの遊び。○輸失 ゲームに敗れる。初めに等分に分けて持つ点棒様なものをとられてしまう。


凝走弄香奩,拔脫金屈戌。
こっそり抜き足で姉さんの化粧箱にいたずらをする。だいじな金の蝶番をはずしてしまうのだ。
凝走 凝は注意深く何かをするという意味。足をひそめてすすむこと。○香奩 お化粧箱。○抜脱 はずす。○金屈戌 金のかけがね。ちょうつがい。


抱持多反側,威怒不可律。
いたずらはいけないと抱きかかえれば体をそっくり返ししまう、叱りつけてもおとなしくならないのだ。
反側 体を反転させる。○威怒 きびしくしかる。


曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。
体を曲げて窓の網戸を引っ張ったりしている、つぎには琴の漆の上に唾をとはいてみがいている。
窓網 網戸のような虫除けの網で上下にスライドするものという。○衉唾 つばを吐く。この句まで、いたずらな様子を描く。


有時看臨書,挺立不動膝。
ある時、わたしが手本に従って習字をしているのを見ていることがあった、直立不動で、膝も動かさないでじっと立ってみている。
臨書 手本に従って習字する。この句から一転、勉強に興味を示す子の姿を描く。○挺立 まっすぐにL江つ。父の習字しているのを見る時はきまじめな態度になる。

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驕兒詩 #2
安得此相謂,欲慰衰朽質。青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。歸來學客面,闡敗秉爺笏。

#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。
ひげのある客は張飛(ちょうひ)みたいだとふざけたり、吃音の客は鄧艾(とうがい)みたいだと笑ったりするのだ。
豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
猛々しい鷹が羽ばたいてを大空に舞いあがるような、鼻息の粗い馬が駆けめぐるような元気な子なのだ。
截得青筼簹,騎走恣唐突。
青い竹を切り取り、それを竹馬にして跨って、めちゃめちゃに走りまわるのだ。
忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
次には突然に、参軍をまねて、低い声色の狂言のものまねで脇役の蒼鶴(そうかく)を呼んだりする。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。
さらにまた紗を掛けたともし火に明かりを入れるとそのそばで、仏様に深々と頭を下げて坊様の夜の勤行のまねをする。
仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。

鞭を振り上げて届く限りの蜘蛛の巣を絡め取ったかと思うと、庭にしゃがみこんで花の蜜を吸っている。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。

#2
安んぞ此(かく)相(あい) 謂(いう)を得ん、衰朽(すいきゅう)の質を慰めんと欲すればなり。
青春 妍和(けんわ)の月、朋戯(ほうぎ)は甥姪(せいてつ)に渾(まじ)る。
堂を繰り復(また) 林を穿(くぐ)り、沸として金鼎(きんてい)の溢(あふる)るが 若(ごとし)。
門に長者の来たる有れば、造次(ぞうじ)に請(こ)い 先に出る。
客前に須(ほしい)所(もの)を問えば、意を含(ふく)みて実(じつ)を吐かず。
帰り来たれは客の面(めん)を学(ま)ね、闡敗(ぜんはい)して爺(ちち)の笏(こつ)を秉(と)る。。

#3
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む。
#4
蛺蝶の軽きを争わんと欲し、未だ柳架の疾きに謝らず。
階前 阿姉に逢い、六甲 頗る輸失す
凝め走りて香蔭を弄び、抜脱す 金の屈戊
抱持すれば反側すること多く、威怒するも律すべからず
窮を曲げて窓の網を牽き、略唾して琴の漆を拭う
時有りて臨書を看れば、挺立して膝を動かさず


驕兒詩 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3

或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。
豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。
忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。
仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。


(下し文)
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む。


(現代語訳)
ひげのある客は張飛みたいだとふざけたり、吃音の客は鄧艾みたいだと笑ったりするのだ。
猛々しい鷹が羽ばたいてを大空に舞いあがるような、鼻息の粗い馬が駆けめぐるような元気な子なのだ。
青い竹を切り取り、それを竹馬にして跨って、めちゃめちゃに走りまわるのだ。
次には突然に、参軍をまねて、低い声色の狂言のものまねで脇役の蒼鶴を呼んだりする。
さらにまた紗を掛けたともし火に明かりを入れるとそのそばで、仏様に深々と頭を下げて坊様の夜の勤行のまねをする。
鞭を振り上げて届く限りの蜘蛛の巣を絡め取ったかと思うと、庭にしゃがみこんで花の蜜を吸っている。



(訳注)
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。
ひげのある客は張飛みたいだとふざけたり、吃音の客は鄧艾みたいだと笑ったりするのだ。
 ひやかす。○張飛胡 張飛(未詳-223年)は三国時代蜀の勇将。字は益徳。関羽(未詳-219年)と共に昭烈帝劉備(162-223年)に仕えたが、のち部下に殺され。胡はひげづら、その顔色が胡人ようであるのをいう。○鄧艾吃 三国時代の魏の武将鄧艾(197-264)あざな士載のこと。劉末の劉義慶の「世説新語」言語篇に、鄧艾がドモリでもの言う時に艾艾と言うのを、晋の文王司馬昭が戯って「卿は云う艾艾と、いったい幾艾なのか。」と言った時、鄧艾は答えて「楚の狂接輿が、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる、と孔子によびかけて歌った鳳ももと一匹の鳳でございます。」と答えたという。 


豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
猛々しい鷹が羽ばたいてを大空に舞いあがるような、鼻息の粗い馬が駆けめぐるような元気な子なのだ。
毛崱屴 そそりたつさま。宮殿を形容する語としている。〇佶傈 勢い溢れるさまをいう畳韻の語。


截得青筼簹,騎走恣唐突。
青い竹を切り取り、それを竹馬にして跨って、めちゃめちゃに走りまわるのだ。
○載 切り取る ○筼簹 竹の表。○騎走 跨って走る。竹馬の遊びは中国では竹竿を両足の間に挟んで走る。○唐突 ぶつかる様子をいう双声の語。


忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
次には突然に、参軍をまねて、低い声色の狂言のものまねで脇役の蒼鶴を呼んだりする。
参軍 参軍戯という演芸の登場人物の一人。晩唐のころ民間に流行し、主役の「参軍」と脇役の「蒼髄」の二人が滑稽なやりとりをした。『太平御覧』巻五六九の引く『楽府雑録』などに見える。○按声 声を押し殺す。


又複紗燈旁,稽首禮夜佛。
さらにまた紗を掛けたともし火に明かりを入れるとそのそばで、仏様に深々と頭を下げて坊様の夜の勤行のまねをする。
紗燈 紗の覆いをかけてほの暗くしたともし火。○稽首 頭を床につける、最も丁寧な拝礼。○礼夜仏 夜に仏前に拝する。


仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
鞭を振り上げて届く限りの蜘蛛の巣を絡め取ったかと思うと、庭にしゃがみこんで花の蜜を吸っている。
 からみつける。


○押韻 吃。傈。突。鶻。佛。蜜

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#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
#2
安得此相謂,欲慰衰朽質。
いくら可愛いとはいえ、どうしてこれほどまでに誉めてもらえるのだろうか。それは、友人等が、衰朽の材とでもいうべきこの親として私の性の拙なさを憐み、児を誉めることによって、私を慰めようとするのだろう。
青春妍和月,朋戲渾甥侄。
春の中の春、万物が成長をはじめ、自然が美しくなるうららかな日である、わが子はいとこたちに混じって遊びまわっている。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。
奥座敷まで広間を駆けめぐったかと思うと、林の中へ突きぬけて進んでいる。まるで金の鼎(かなえ)が沸騰するかの大騒ぎである。
門有長者來,造次請先出。
門からはいったところでお客人が見えれば、すぐさま「ぼくが出迎えていいか」と請けて迎えに走る。
客前問所須,含意下吐實。
お客の前で「ほしいものいいなさい」と聞かれると、羞らって思う本当のことが言われない。
歸來學客面,闡敗秉爺笏。
お客が帰ってしまえばお客さんの顔つきのまねをする、しかも門からぶつかるような勢いで入ってきてこの私の笏を取り、まねをするのだ。
#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。


#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。

#2
安んぞ此(かく)相(あい) 謂(いう)を得ん、衰朽(すいきゅう)の質を慰めんと欲すればなり。
青春 妍和(けんわ)の月、朋戯(ほうぎ)は甥姪(せいてつ)に渾(まじ)る。
堂を繰り復(また) 林を穿(くぐ)り、沸として金鼎(きんてい)の溢(あふる)るが 若(ごとし)。
門に長者の来たる有れば、造次(ぞうじ)に請(こ)い 先に出る。
客前に須(ほしい)所(もの)を問えば、意を含(ふく)みて実(じつ)を吐かず。
帰り来たれは客の面(めん)を学(ま)ね、闡敗(ぜんはい)して爺(ちち)の笏(こつ)を秉(と)る。
#3
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む。


驕兒詩 現代語訳と訳註
(本文) #2

安得此相謂,欲慰衰朽質。
青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。
門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。
歸來學客面,闡敗秉爺笏。


(下し文)
安んぞ此(かく)相(あい) 謂(いう)を得ん、衰朽(すいきゅう)の質を慰めんと欲すればなり。
青春 妍和(けんわ)の月、朋戯(ほうぎ)は甥姪(せいてつ)に渾(まじ)る。
堂を繰り復(また) 林を穿(くぐ)り、沸として金鼎(きんてい)の溢(あふる)るが 若(ごとし)。
門に長者の来たる有れば、造次(ぞうじ)に請(こ)い 先に出る。
客前に須(ほしい)所(もの)を問えば、意を含(ふく)みて実(じつ)を吐かず。
帰り来たれは客の面(めん)を学(ま)ね、闡敗(ぜんはい)して爺(ちち)の笏(こつ)を秉(と)る。


(現代語訳)
いくら可愛いとはいえ、どうしてこれほどまでに誉めてもらえるのだろうか。それは、友人等が、衰朽の材とでもいうべきこの親として私の性の拙なさを憐み、児を誉めることによって、私を慰めようとするのだろう。
春の中の春、万物が成長をはじめ、自然が美しくなるうららかな日である、わが子はいとこたちに混じって遊びまわっている。
奥座敷まで広間を駆けめぐったかと思うと、林の中へ突きぬけて進んでいる。まるで金の鼎(かなえ)が沸騰するかの大騒ぎである。
門からはいったところでお客人が見えれば、すぐさま「ぼくが出迎えていいか」と請けて迎えに走る。
お客の前で「ほしいものいいなさい」と聞かれると、羞らって思う本当のことが言われない。
お客が帰ってしまえばお客さんの顔つきのまねをする、しかも門からぶつかるような勢いで入ってきてこの私の笏を取り、まねをするのだ。


(訳注)
安得此相謂,欲慰衰朽質。

いくら可愛いとはいえ、どうしてこれほどまでに誉めてもらえるのだろうか。それは、友人等が、衰朽の材とでもいうべきこの親として私の性の拙なさを憐み、児を誉めることによって、私を慰めようとするのだろう。
○安得 どうして何何する事ができようか、という反語。○衰朽質 活力を失いつつある人間の形体。


青春妍和月,朋戲渾甥侄。
春の中の春、万物が成長をはじめ、自然が美しくなるうららかな日である、わが子はいとこたちに混じって遊びまわっている。
○青春 春。五行説では季節の春と色の青が対応するので「青春」という。又東も青である。○妍和 美しくおだやか。○朋戯 友達と一緒に遊ぶ。○ 混じって一体となる。○甥侄 姉妹の子を甥といい、兄弟の子を姪という。日本語のそれとは意味がちがう。


繞堂複穿林,沸若金鼎溢。
奥座敷まで広間を駆けめぐったかと思うと、林の中へ突きぬけて進んでいる。まるで金の鼎(かなえ)が沸騰するかの大騒ぎである。
 家の中心となる部屋。奥座敷。○穿 通り抜ける。○沸若金鼎溢 「沸」は湯が沸騰したさま。「金鼎」は黄金あるいは金属製の鼎。三権鼎立の状態から、沸騰することから戦争を始めるような大騒ぎという意味。


門有長者來,造次請先出。
門からはいったところでお客人が見えれば、すぐさま「ぼくが出迎えていいか」と請けて迎えに走る。
○長者 年長者の称。また貴顕の者の称。○造次 わずかの間。この言葉は「論語」の里仁清から出る。


客前問所須,含意下吐實。
お客の前で「ほしいものいいなさい」と聞かれると、羞らって思う本当のことが言われない。
 必要とする。需と通ずる。○含意 合は内に籠める。羞らって思うことが言われないこと。


歸來學客面,闡敗秉爺笏。
お客が帰ってしまえばお客さんの顔つきのまねをする、しかも門からぶつかるような勢いで入ってきてこの私の笏を取り、まねをするのだ。
闡敗 闡は門を開く、敗は壊す。門を打ち破って入ることと。ぶつかるような勢いをいう。○爺笏 爺は父を意味する。笏は官人が手にする笏(しゃく)。「帰来」以下の四句は客人が去ったあとの悪ふざけを並べるので、父の笏を取るのは「客の面を学」ねるため。


○押韻 質。質。溢。出。實。笏。

驕兒詩 #1 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 119

驕兒詩 #1 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 119


李商隠 38歳の作品。35歳の時の子兗師は目の中に入れても痛くない子であったのだろう。親ばかぶりに好感の持てる詩である。1200年前の三歳児教育はいかがなものであったのか。(詩中四歳児は数え年であるため、現在でいう3歳児である。)
五言古詩。ここでは単純に12句6聯ごとに区切って掲載する。

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驕兒詩
#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
#2
安得此相謂,欲慰衰朽質。青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。歸來學客面,闡敗秉爺笏。
#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
文葆未周晬,固已知六七。
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
四歲知名姓,眼不視梨栗。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
前朝尚器貌,流品方第一。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
不然神仙姿,不爾燕鶴骨。

そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。


騎児の詩
#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。


驕兒詩 #1 現代語訳と訳註
(本文)

袞師我驕兒,美秀乃無匹。
文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。
不然神仙姿,不爾燕鶴骨。

(下し文)#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。

(現代語訳)
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。


(訳注)
驕兒詩

驕兒詩 可愛いわが子の歌。この詩は李商隠の嫡子である褒師の矯遊のさまを、志をとげ得ぬ自己の憂愁のうちから、幾分の謹話を以て歌ったもの。李商隠三十八歳の頃の作品。
西晋の詩人左思250頃~305頃
嬌女詩
吾家有嬌女、皎皎頗白皙。
小字爲紈素、口齒自清曆。
有姊字蕙芳、眉目燦如畫。
馳騖翔園林、果下皆生摘。
貪華風雨中、倏忽數百適。
心爲荼荈劇、吹噓對鼎鐕。

東晋の詩人陶淵明(365~427)
陶淵明 .責子
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

李白 701年 - 762年
李白 寄東魯二稚子
・・・・・・・
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
・・・・・・・
李商隠がそれらの作品を念頭に置いていたことは詩句の節節から推測できる。


袞師我驕兒,美秀乃無匹。
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
袞師 李商隠の子の幼名。
 
文葆未周晬,固已知六七
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
文葆 はらあて。○周晬 子供が生れて一年のことを呼という。周は年をめぐるの義。○固已 ある状態を以前からそうだったという時、国という。故に通ず。○知六七 陶淵明の子を責むでは「雍端年十三,不識六與七。」とあるのを逆用した表現。

四歲知名姓,眼不視梨栗。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
眼不視梨栗 同じく責子の詩に「通子垂九齡,但覓梨與栗。」とあるのをふまえる。
 
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
交朋 李商隠のいつも交流している知人、友人。○頗 すこしく。○窺観 規はこっそりと見る。窺観は注意深く観察する。○ 意見をのべる。○丹穴物 丹穴は南の果ての神山の名で、そこにすむ鳳凰のような逸材だというのが「丹穴の物」の意味。「山海経」に「丹穴の山に鳥有り。状は鶏の如く、五采にして文あり。名づけて鳳凰と日う。」とある。


前朝尚器貌,流品方第一。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
前朝尚器貌 前朝は隋唐による中国統一以前の魏晋南北朝時代、六朝をいう。この時代は月旦、人物批評が盛んで、弁舌と容貌によって大きく作用した。○流品 魏の曹操が作った九品官人法により、六朝の官吏登用は九品中正、郡の中正が、郷里の評価を基礎にして、この人物はどの階層の官位までのぼり得る能力があると予言的に人物評価をし、中央に報告した。官職はその評価に基づいてあたえられた。その人物評価の等級を流品という。貴族社会を定着させるものであった。李商隠の頃は、この制度は形式的なものになっていた。


不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。
不然 そうでなければ、という仮設の義。○神仙姿 姿は資質という意味。○燕鶴骨 燕領や鶴歩はみな貴人のかたちの喩えである。骨は風骨すなわちキャラクターという意味。


---[参考]-------------------------------------------

西晋 左思 250頃~305頃 中国西晋の文学者。臨(りんし)(山東省)の人。字(あざな)は太沖(たいちゅう)。構想10年で書きあげた「三都賦」の人気が洛陽の紙価を高めた故事で知られる。詩では詠史詩にすぐれる。西晋 左思 驕女詩
吾家有嬌女、皎皎頗白皙。小字爲紈素、口齒自清曆。有姊字蕙芳、眉目燦如畫。馳騖翔園林、果下皆生摘。貪華風雨中、倏忽數百適。心爲荼荈劇、吹噓對鼎鐕。
左思の「嬌女詩」に「吾が家に嬌女ありて、皎皎として頗る白皙なり。小字は紈素と為し、口の歯は自のずと清曆なり。姉あり字は恵芳、眉目は燦として画けるが如し。馳せ騖びて園林を翔け、果の下で皆な生で摘ぐ。華を貪る風雨の中、倏忽にして数百適く。心は荼荈の為に劇だしく,吹嘘して鼎鐕に対す。」と。


陶淵明(陶潜) 365~427 六朝時代の東晋の詩人。江西の人。名は潜。淵明は字(あざな)。一説に名は淵明、字は元亮(げんりょう)。官職に就いたが、束縛を嫌い、彭沢(ほうたく)県の県令を最後に「帰去来辞(ききょらいのじ)」を作って官を辞し、故郷へ戻った。自然を愛する田園生活を送り、すぐれた詩を残した。詩では「飲酒」、文では「桃花源記」が有名。五柳先生。

陶淵明 「.責子


李白 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。 


李白のわが子に対する詩 二首

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柳枝五首 其五 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 118

柳枝五首 其五 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 118



其五
畫屏繡步障,物物自成雙。
鮮やかな屏風がある、縫い取りを施した外出用のとばりもある、物と物、すべてのものがみなそれぞれ自然に対と対のそろいになっている。
如何江上望,只是見鴛鴦。
なんとしたことか湖上を眺めてみた、ただそこに見えるはこれまたつがいのおしどりではないか。

其の五
画屏 繍歩障、物物 自ら双を成す。
如何ぞ湖上に望めば、只だ是れ鴛鴦を見る


柳枝五首 其五 現代語訳と訳註
(本文) 其五

畫屏繡步障,物物自成雙。
如何江上望,只是見鴛鴦。

(下し文) 其の五
画屏 繍歩障、物物 自ら双を成す。
如何ぞ湖上に望めば、只だ是れ鴛鴦を見る


(現代語訳)
鮮やかな屏風がある、縫い取りを施した外出用のとばりもある、物と物、すべてのものがみなそれぞれ自然に対と対のそろいになっている。
なんとしたことか湖上を眺めてみた、ただそこに見えるはこれまたつがいのおしどりではないか。


(語訳)
畫屏繡步障,物物自成雙。

鮮やかな屏風がある、縫い取りを施した外出用のとばりもある、物と物、すべてのものがみなそれぞれ自然に対と対のそろいになっている。
画屏 あやどり美しい屏風。○繍歩障 歩障は外出した時に用いるとばり。竹や木の枠に布を張った物。○物物自成雙 「成双」はペアになる。屏風、歩障、いずれも二枚で一揃いになっている。


如何江上望,只是見鴛鴦。
なんとしたことか湖上を眺めてみた、ただそこに見えるはこれまたつがいのおしどりではないか。


○詩型 五言絶句。
○押韻 障,雙。鴦。


自分の詩をきっかけに一人の娘と知り合ったが、自分のミス、旅の支度のもの必要需品を先に送りかえしてしまった。その日に逢えなかったことが、こうして二度と会えないことになってしまった。でも会えたとしても、一介の下級官僚風情ではどうしようもないのだ。詩歌については、広く知れ渡っても、それだけのことなのだ。朝廷内の派閥争いに負けた側の私はもう取り返しがつかないのだ。柳枝も芸妓として連れて行かれたものできょうぐうは私と違いはないのだ。
 世の中のものは何からなにまで二つにそろい、対である。江上の鴛鴦もつがいである。そのつがいになったことも私にとって将来を期待できないものとなったのだ。
 柳枝、丁香、嘉瓜、碧玉、いずれも芸妓を指す語である。美しい、おいしいと表現されれば、その反対語としては、醜い、まずいということになる。芸妓にとっては、歳を重ねることを意味している。芸妓は一度傅くとそのまま一生底で過ごすか、流民となるかであるが、流民は詩を意味する時代である。明日の食のためには我慢しかないのである。


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柳枝五首 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 117

柳枝五首 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 117



其四
柳枝井上蟠,蓮葉浦中乾。
柳の枝々は冬支度を始める井戸端の上で絡まり合って身を縮こまらせている、入り江の中ほどの蓮の葉は枯れている。
錦鱗與繡羽,水陸有傷殘。

錦鱗の鮮やかな魚と繍の模様きわだつ烏がいる。水のなかのものと陸上のもの、だれもみな傷を負ってそれを残したままでいるのだ。


其の四
柳枝井上に煉り、蓬莱酒中に乾く。
錦鱗と繍羽と、水陸 傷残有り。


柳枝五首 其四  現代語訳と訳註
(本文) 其四
柳枝井上蟠,蓮葉浦中乾。
錦鱗與繡羽,水陸有傷殘。

(下し文) 其の四
柳枝井上に煉り、蓬莱酒中に乾く。
錦鱗と繍羽と、水陸 傷残有り。

(現代語訳)
柳の枝々は冬支度を始める井戸端の上で絡まり合って身を縮こまらせている、入り江の中ほどの蓮の葉は枯れている。
錦鱗の鮮やかな魚と繍の模様きわだつ烏がいる。水のなかのものと陸上のもの、だれもみな傷を負ってそれを残したままでいるのだ。 


(語訳)
柳枝井上蟠,蓮葉浦中乾。
柳の枝々は冬支度を始める井戸端の上で絡まり合って身を縮こまらせている、入り江の中ほどの蓮の葉は枯れている。
柳枝 娘の名「柳枝」と柳の木の細枝。○井上 井戸端。冬支度のための砧をたたく場所であり、土手のような場所である。井は、晩秋から、初冬にかけての季語であることから、年齢の経過を連想させる。○ 砧の場所で柳が密集して植えられている情景が浮かんでくる。蛇がとぐろを巻くように太い枝が絡んでいる。細枝の柳の枝が女性を、太枝の柳が男性で絡んでいることを思わせる。○蓮葉・乾 蓮は女性、乾によって年齢の経過となる。○浦中 入り江の水辺の中ほど。


錦鱗與繡羽,水陸有傷殘
錦鱗の鮮やかな魚と繍の模様きわだつ烏がいる。水のなかのものと陸上のもの、だれもみな傷を負ってそれを残したままでいるのだ。 
錦鱗與繡羽 錦のような美しい鱗の魚と、刺繍を施したよぅにきれいな羽の鳥がいた。柳と烏、蓮と魚が関連付けられる。○有傷殘 傷を負ってそれを残したまま。柳の木に冬枯れし、棲む鳥は傷を残したまま、はすの葉は枯れ、遊ぶ鮮やかな魚も傷ついたまま。



○詩型 五言絶句。
○押韻 蟠,乾。殘。

水上の物、陸上の物、誰もみな傷めつけられている。
美しい娘も、いい詩文を作っても、身分が違えばどうしようもない。特に一度傷ついたら直すことはできないのだ。娘は年老いてくればもう相手もされないのである。

柳枝五首其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 116 

柳枝五首其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 116 

花と張0104

柳枝五首 其 三
嘉瓜引蔓長,碧玉冰寒漿。
美しい、美味い瓜は蔓を引き合って長くのびているものだ。碧玉ともいえる実は氷のように冷えて果汁がおいしいのだ。
東陵嵗五色,不忍值牙香。

東陵の瓜は五色のものがとれるというけれど東方の諸侯のところで五年経過している五色の色に染められたのであろう、香しいその実、歯に当てるにはしのびないという美しい娘は見るだけで我が物とはしないものなのだ。


其の三

嘉瓜 蔓を引くこと長し、碧玉 寒漿氷る。

東陵 五色と嵗(さい)するも、牙香に値うに忍びず。



柳枝五首其三 現代語訳と訳註
(本文) 其三

嘉瓜引蔓長,碧玉冰寒漿。
東陵嵗五色,不忍值牙香。

(下し文) 其の三
嘉瓜(かか) 蔓を引くこと長し、碧玉(へきぎょく) 寒漿(かんしょう)氷る。
東陵 五色と嵗(さい)するも、牙香(がこう)に値うに忍びず。


(現代語訳) 其三
美しい、美味い瓜は蔓を引き合って長くのびているものだ。碧玉ともいえる実は氷のように冷えて果汁がおいしいのだ。
東陵の瓜は五色のものがとれるというけれど東方の諸侯のところで五年経過している五色の色に染められたのであろう、香しいその実、歯に当てるにはしのびないという美しい娘は見るだけで我が物とはしないものなのだ。


(訳注)
嘉瓜引蔓長,碧玉冰寒漿。

美しい、美味い瓜は蔓を引き合って長くのびているもの。碧玉ともいえる実は氷のように冷えて果汁がおいしい。
○嘉瓜 「瓜」 は蔓が勢いよく伸びることから生命力あふれた植物とされる。ここでは柳枝の健康な美しさを瓜の実にたとえる。○碧玉 微細な石英の結晶が集まってできた鉱物(潜晶質石英)であり、宝石の一種。酸化鉄や水酸化鉄などの不純物が混入しているため不透明であり、不純物の違いによって、紅色・緑色・黄色・褐色など様々な色や模様のものがある。瓜の実を碧色の玉にたとえる。べつに、恋の歌に登場する少女の名に使用されることは多い。
梁•元帝
碧玉小家女,來嫁汝南王。蓮花亂臉色,荷葉雜衣香。因持薦君子,願襲芙蓉裳。
○寒漿 冷たい飲料。瓜は、現代のように果物としてより、果汁を飲んだものである。
魏・曹丕「朝歌令呉質に与うる書」(『文選』巻四二)に「甘瓜を清泉に浮かべ、朱李を寒水に沈む」と、瓜やスモモを冷やして食べることが記されている。

 

東陵嵗五色,不忍值牙香。
東陵の瓜は五色のものがとれるというけれど東方の諸侯のところで五年経過している五色の色に染められたのであろう、香しいその実、歯に当てるにはしのびないという美しい娘は見るだけで我が物とはしないものなのだ。
東陵嵗五色 東陵では五色のものがとれるという。嵗(作付け)。ここでは、東方の諸侯と東陵をかけているので五年経過して五色の色に染められたという意味になる。
泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
卲平 東陵の瓜は五色
曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜,卲平の訳注は、「古風」 第九首 李白109参照
魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。
牙香 牙は歯。噛むと香りが立ち上る。美しい娘は見るだけで我が物とはしないという意。


○詩型 五言絶句。
○押韻 長・渠・香。


李商隠はここでも、阮籍や李白と同様に邵平の「東陵の瓜」に基づいているということで大切に作付けられた瓜で、風流に食べるといっている。娘も理不尽につれていき、理不尽を続けているのではないか。権力者は世の道理をわきまえていない

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柳枝五首其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 115

柳枝五首其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 115 

柳枝五首 其二
本是丁香樹,春絛結始生。
本来これは丁子の香木、どんなになってもくちをとざしているというもの。柳枝も蕾を閉じていたのだが、春になって伸びた細い枝というのは、蕾のように固く結んでいたのに初めて性を経験したのだ。
玉作彈碁局,中心亦不平。

ここは諸侯の御屋敷、宝玉でこさえられた将棋盤があるのだ、どんなに宝玉で作られていてもその中心はやっぱり盛り上がっていて平らではないのだ。


其の二
本より是れ丁香の樹、春条 結 始めて生ず。
玉もて弾棋の局を作るも、中心 亦た平らかならず。

柳枝五首 其二 現代語訳と訳註 解説
(本文)

本是丁香樹,春絛結始生。
玉作彈碁局,中心亦不平。

(下し文)其の二
本より是れ丁香の樹、春条 結 始めて生ず。
玉もて弾棋の局を作るも、中心 亦た平らかならず。

(現代語訳)
本来これは丁子の香木、どんなになってもくちをとざしているというもの。柳枝も蕾を閉じていたのだが、春になって伸びた細い枝というのは、蕾のように固く結んでいたのに初めて性を経験したのだ。
ここは諸侯の御屋敷、宝玉でこさえられた将棋盤があるのだ、どんなに宝玉で作られていてもその中心はやっぱり盛り上がっていて平らではないのだ。


(訳註)
本是丁香樹,春絛結始生。
本来これは丁子の香木、どんなになってもくちをとざしているというもの。柳枝も蕾を閉じていたのだが、春になって伸びた細い枝というのは、蕾のように固く結んでいたのに初めて性を経験したのだ。
丁香樹 香木の丁子の木。○春条 春になって伸びた細い枝。芽吹く春とはは男女の性交をあらわす季節。○結 つぼみ。少女が恋に目覚めてゆくのとともに、また「代附二首」(代わりて贈る二首)其一代附二首 其一 漢詩ブログ150- 97
樓上黄昏欲望休、玉梯横絶月中鉤。
芭蕉不展丁香結、同向春風各自愁。

というように、つぼみがつくことと心が結ばれることとをも掛ける。

玉作彈碁局,中心亦不平。
ここは諸侯の御屋敷、宝玉でこさえられた将棋盤があるのだ、どんなに宝玉で作られていてもその中心はやっぱり盛り上がっていて平らではないのだ。
弾棋 弾碁ともいう。遊戯の一。 中心が盛り上がった盤で行うおはじきに似たゲーム。四角い中高の盤の両方に6個または8個の白黒の石を並べ、対座した二人が交互にその石をはじいて、相手の石に当たれば取り、当たらなければ取られる。指石。いしはじき。たぎ。・局:その盤。このゲームは、男の客に相手にされなくなり暇を持て余した年増の芸妓の子を連想させるものである。初めて経験したうぶな女を「梁を照らす朝日」を見ていることで表現し、その芸妓が年を取ってきて待っていても思う人が来てくれなくなったという表現につかう。
「無題(梁を照らして)」。
照梁初有情、出水舊知名。
裙衩芙蓉小、釵茸翡翠輕。
錦長書鄭重、眉細恨分明。
莫近彈棋局、中心最不平。
無 題(照梁初有情) 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-90この「無題」の詩では、「いくら男から声がかからなくなったとしても『彈碁』のゲームをしてはますます辛くなるだけだから近付いてはダメだよ。」というもの、中央の朝廷からどんなに声がかからくなったとしても、信念を曲げるなと詠ったものだ。この詩を踏まえて柳枝其二は詠われている。


○詩型 五言絶句。
○押韻 生。平。

諸公とは、勝手なものだ、禊ぎまでさせて、連れてきて、固く閉ざしていたものを初めて開いたのだ。それがどうだ、どこにでもある彈碁局があるではないか。
 楊枝は、若い間だけの慰めものなのか。彈碁局は権力者、富豪がしている理不尽なことを示す、日常茶万事をあらわす材料としているのだ。


芭蕉のツボミ、丁子のツボミ。男と女に、口を閉ざさなければいけないわけがあるのだろうか。春風に同じように向かって各々の心の内にそれぞれ違った愁いというものがあるのだろうか。
 貴公子や、富豪には口を閉ざす理由はない。権力を持たない、体制側でない官僚にはは口を閉ざす理由は山ほどある。妓女になる女性にはいつも違ったわけがある。

柳枝五首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 114

柳枝五首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 114


柳枝五首 其一
花房與蜜脾,雄蜂蛺蝶雌。
花房に蜜脾あたえる。雄の蜂が蛺蝶の雌に。
同時不同類,哪復更相思。

同じ場所、同じ時であっても、同類ではないのである、どうしてまた、更に思いを寄せるというのか。


其の一 
花房と蜜脾と、蜂の雄と蛺蝶の雌と。
時を同じくするも類を同じくせず、那ぞ復た更に相い思わんや。



柳枝五首 其一 現代語訳と訳註 解説
(本文)

花房與蜜脾,雄蜂蛺蝶雌。
同時不同類,哪復更相思。

(下し文)
花房と蜜脾と、蜂の雄と蛺蝶の雌と。
時を同じくするも類を同じくせず、那ぞ復た更に相い思わんや。

(現代語訳)
花房に蜜脾あたえる。雄の蜂が蛺蝶の雌に。
同じ場所、同じ時であっても、同類ではないのである、どうしてまた、更に思いを寄せるというのか。


(訳註)
花房與蜜脾,雄蜂蛺蝶雌。

花房に蜜脾あたえる。雄の蜂が蛺蝶の雌に。
○花房 花弁で囲まれた空洞の部分。○蜜脾 中国古代からあるブドウの原種。蜜のように甘くおいしく、脾胃(胃腸)にたいへんよいというのが蜜脾(みつひ)の名前の由来という。中国で何千年も前から知られた滋養強壮の果物で、特に胃腸が弱って消化吸収機能が衰えている時によいとされているもの。中国の地方では、血液補給に、必ずこの蜜脾を贈る風習があった。○蛺蝶 鱗翅(りんし)目タテハチョウ科の昆虫の総称。一般に中形のチョウで、活発に飛び、止まると翅(はね)を立て下げする。アカタテハ・クジャクチョウ・オオムラサキなど。
無題

同時不同類,哪復更相思。
同じ場所、同じ時であっても、同類ではないのである、どうしてまた、更に思いを寄せるというのか。




(解説)
○詩型 五言絶句。
○押韻 雌。思。


李商隠はこれが自分を慕ってくれた柳枝が諸侯のもとに連れて行かれ、その身に起こること思い遣ったのである。花ならばいくら花弁房をもっていても、また蜂や蝶にとまられたとしても、体を預けたり、思いを寄せることにはならないのである。
またこの時代、身分階級の違いがすべてのことに違いがあった。貴族以外の女性は、女としてか、子供を産む道具とされていたようだ。柳枝は禊ぎをして連れて行かれているから、おそらく貴族や、富豪のところへ行ったのである。いわゆる家妓という設定とおもわれる。
 李商隠は、単にセックスシンボルを取り上げ、それで「同類でなければ性への思いはかなわない」といっているのではないのである。本来なら、何不充なく一生送れたはずなのに、父の不慮の事故によってもたらされたものが「不遇」ということであった。
これは、李商隠の婚姻によってもたらされたものが自分自身の「不遇」になったことを比喩しているのである。柳枝五首有序はそのためにある。この視点に立ってこの詩を見ていく。この視点に立ってこの詩を見ていく。
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柳枝五首有序 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 113

柳枝五首有序 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 113


 


柳枝五首 有序
柳枝,洛中里孃也。父饒好賈,風波死于湖上。其母不念他兒子,獨念柳枝。生十七年,塗裝綰髻,未嘗竟,已復起去,吹葉嚼蕊,調絲擫管,作天海風濤之曲,幽憶怨斷之音。居其旁,與其家接故往來者,聞十年尚相與,疑其醉眠夢物斷不娉。與從昆讓山,比柳枝居為近。

他日春曾陰,讓山下馬柳枝南柳下,詠余燕臺詩,柳枝驚問:“誰人有此?誰人為是?”讓山謂曰:“此吾里中少年叔耳。”柳枝手斷長帶,結讓山為贈叔乞詩。明日,余比馬出其巷,柳枝丫環畢妝,抱立扇下,風鄣一袖,指曰:“若叔是?後三日,鄰當去濺裙水上,以博山香待,與郎俱過。”

余諾之。會所友偕當詣京師者,戯盜余臥裝以先,不果留。雪中讓山至,且曰:“為東諸侯娶去矣。”明年,讓山復東,相背于戯上,因寓詩以墨其故処云。

 
柳枝五首 有序
柳枝は、洛中の里の娘なり。父饒かにして賈を好くするも、風波に湖上に死す。其の母 他の児子を念わず、独り柳枝を念う。生まれて十七年、塗裝綰髻(としょうわんけい)、末だ嘗て竟らず、巳にして復た起ち去き、葉を吹き蕊を噛む。糸を調え管を擫え、天海風涛の曲、幽憶怨断の音を作る。其の傍に居り、其の家と揖故往来する者聞くこと十年なるも、尚お相い与に其の酔眠夢物かと疑いて断って贈らず。余の従昆譲山、柳枝の居に比びて近しと為す。

他日 春の曾陰に、譲山は馬を柳枝の南柳の下に下り、余の燕台の詩を詠ず。柳枝驚きて問う、誰が人か此れ看る、誰が人か足れを為る、と。譲山謂いて日く、此れ吾が里中の少年叔のみ、と。柳枝手づから長帯を断ち、譲山に結びて為に叔に贈りて詩を乞う。明日、余は馬を比べて其の巷を出ず。柳枝は丫環(あかん)して妝を畢(お)え、抱きて扇下に立ち、風 一袖に障(さえぎ)らる。指して目く、若し 叔 是れなるか、後三日にして隣は当に去きて裙を水上に濺(そそ)ぐべし、博山の香を以て待つ、郎と供に過ぎらん、と。

余 之を諾す。会(たま)たま友とする所の偕に当に京師に詣るべき老有り、戯れに余が臥装を盗みて以て先んじ、留まるを果たせず。雪中に譲山至り、且つ日く、東の諸侯取り去れり、と。明年、譲山復た東し、戯上に相い背にす。困りて詩を寓せて以て其の故の処に墨せしむと云う。 




(現代語訳)
柳枝は洛陽の町のむすめである。父は豊かな商人であったが、嵐に巻き込まれて湖で亡くなった。
母はほかの子供は念頭になく、ただ柳枝だけをかわいがった。
十七歳になっている、おしろいを塗ったり髪をたばねたりしている、そんなふうのままに、そして外に出て行ったのだ、草の葉を吹いたり花蕊を口に噛んだり無邪気に興じている、琴や笛を操って、空の風、海の波のような壮大な曲、あるいはまた忍びやかな、消え入りそうな曲を奏でているのだ。
その住まいのそばにいる、彼女の家とのつきあっているものがいる、十年来うわさを聞いている人たちでも、だれもが酔時の夢のようにつかみどころがない女だと思って、嫁に取ろうとする者はついぞなかった。
わたしのいとこの譲山は、柳枝の家の近くに住んでいた。
ある春の重く曇った日、譲山は柳枝の家の南の柳に馬を繋いだ、わたしの「燕台の詩」を口ずさんでいる。
柳枝がびっくりして尋ねてきた。
「今口ずさんだ詩はどなたのものですか?この詩はどなたが作られたのですか?」と。
譲山は答えた。
「これはわたしの里の若いいとこの作だ」と。
柳枝は自分の手で長い帯を断ち切った、結び目をして、あなたのいとこに贈ってこれに詩を書いてほしいと譲山に頼んだのだ。
明けての日、わたしは譲山と馬を並べて小路を出ると、柳枝は髪を結ってすっかりおめかしし、扉の前で両腕を重ねて、片袖が風に揺れていた。
わたしに向かって言ってきた。
「いとこの方でしょうか。三日後に、隣のもののわたしは水辺に参って禊ぎをいたします。博山の香炉をもってお待ちしますから、あなたもご一緒しましょう」と。
わたしは承諾した。しかしたまたま一緒に都へ行くことになっていた友人がいるのだが、ふざけてわたしの旅の荷物を先にこっそり持っていってしまった、これ以上逗留することができなくなってしまったのだ。
明けて翌年、譲山はまた東都に行くことになったので、戯水のほとりで別れを告げた。そしてこの詩を托して彼女の棲んでいた居宅に書き付けるように頼んだ。
雪の降るなかを譲山がやってきて、こういった
「柳枝は東方の諸侯に連れていかれてしまった」と。




(訳注)

柳枝,洛中里孃也。父饒好賈,風波死于湖上。
柳枝は洛陽の町のむすめである。父は豊かな商人であったが、嵐に巻き込まれて湖で亡くなった。


其母不念他兒子,獨念柳枝。
母はほかの子供は念頭になく、ただ柳枝だけをかわいがった。


生十七年,塗裝綰髻,未嘗竟,已復起去,吹葉嚼蕊,調絲擫管,作天海風濤之曲,幽憶怨斷之音。
十七歳になっている、おしろいを塗ったり髪をたばねたりしている、そんなふうのままに、そして外に出て行ったのだ、草の葉を吹いたり花蕊を口に噛んだり無邪気に興じている、琴や笛を操って、空の風、海の波のような壮大な曲、あるいはまた忍びやかな、消え入りそうな曲を奏でているのだ。
塗裝綰髻 お化粧して髪を結う。・:おしろいを塗る。・:まるく結ぶ。・髻:もとどり。○未嘗責 きちんと最後まで(お化粧を)しない。○吹葉嚼蕊 葉を吹き鳴らし花の蕊を噂むとは、子供の遊びをいうか。年頃になってもおめかしに興味がない少女を描く。○調絲擫管 ・:弦楽器、・:管楽器。・調:調律する、演奏する。・:は穴を指で押さえること。○作天海風涛之曲、幽憶怨断之音 ・天海風涛:「天風海溝」の意。人自然の音を写したような雄大な曲。・幽憶怨断之音:それと反対に、秘やかな思いをこめて消え入るような哀愁に満ちた曲。


居其旁,與其家接故往來者,聞十年尚相與,疑其醉眠夢物斷不娉。
その住まいのそばにいる、彼女の家とのつきあっているものがいる、十年来うわさを聞いている人たちでも、だれもが酔時の夢のようにつかみどころがない女だと思って、嫁に取ろうとする者はついぞなかった。
接故往來 近所づきあいをする。○酔眼夢物 尋常の少女と異なる柳枝は、周囲の人から見ると酔って眠った夢の中のようにわけがわからないことをいうか。


與從昆讓山,比柳枝居為近。
わたしのいとこの譲山は、柳枝の家の近くに住んでいた。 
従昆譲山 ・従昆:いとこ。・譲山:その字名。


他日春曾陰,讓山下馬柳枝南柳下,詠余燕臺詩,
ある春の重く曇った日、譲山は柳枝の家の南の柳に馬を繋いだ、わたしの「燕台の詩」を口ずさんでいる。
曾陰 雲が厚く重なる。「曾」 はかさなる。○余燕台詩 李商隠の「燕台詩四首」(12月10日頃掲載予定)を指す。 
 
柳枝驚問:“誰人有此?誰人為是?”
すると柳枝がびっくりして尋ねてきた。
「今口ずさんだ詩はどなたのものですか?この詩はどなたが作られたのですか?」。と。


讓山謂曰:“此吾里中少年叔耳。”
譲山は答えた。
「これはわたしの里の若いいとこの作だ」と。
少年叔 年少のいとこ。
 
柳枝手斷長帶,結讓山為贈叔乞詩。
柳枝は自分の手で長い帯を断ち切った、結び目をして、あなたのいとこに贈ってこれに詩を書いてほしいと譲山に頼んだのだ。
手断長帯 帯に詩を書いてもらうために手で帯を裂く。○ 帯に結び目を作って約束や願い事をする。


明日,余比馬出其巷,柳枝丫環畢妝,抱立扇下,風鄣一袖,
明けての日、わたしは譲山と馬を並べて小路を出ると、柳枝は髪を結ってすっかりおめかしし、扉の前で両腕を重ねて、片袖が風に揺れていた。
 道路から奥まった小路。○丫環 あげまき。若いむすめの髪型。○畢粧 完全にお化粧する。先にお化粧もろくにしないで外に遊びに出たというのと対比をなす。○抱立扇下 ・抱:抱くように両腕を重ねる。・扇:扉。


指曰:“若叔是?後三日,鄰當去濺裙水上,以博山香待,與郎俱過。”
わたしに向かって言ってきた。
「いとこの方でしょうか。三日後に、隣のもののわたしは水辺に参って禊ぎをいたします。博山の香炉をもってお待ちしますから、あなたもご一緒しましょう」と。
 近所の者、という言い方で、柳枝は自分を称したのだ。○瀬袴水上 水辺で衣服を洗い、清めの酒をそそぎ無病息災を祈る民間行事。女性が外出できる数少ない機会でもあった。○博山香 「博山」という仙山のかたちをした香炉

春雨 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-77
参照。男女が会うことを暗示する。


余諾之。會所友偕當詣京師者,戯盜余臥裝以先,不果留。
わたしは承諾した。しかしたまたま一緒に都へ行くことになっていた友人がいるのだが、ふざけてわたしの旅の荷物を先にこっそり持っていってしまった、これ以上逗留することができなくなってしまったのだ。
臥装 寝具。旅には寝具も携帯した。


明年,讓山復東,相背于戯上,因寓詩以墨其故処云。
明けて翌年、譲山はまた東都に行くことになったので、戯水のほとりで別れを告げた。そしてこの詩を托して彼女の棲んでいた居宅に書き付けるように頼んだ。
相背 背中を向け合うことから別れることをいう。○戯上 戯水のほとり。戯水は陝西省臨潼県の南、驪山に発し、渭水に流れ込む。長安の東30km位のところ。


雪中讓山至,且曰:“為東諸侯娶去矣。”
雪の降るなかを譲山がやってきて、こういった
「柳枝は東方の諸侯に連れていかれてしまった」と。
長安黄河
                 陝西省臨潼県戯水
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随師東 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 112

随師東 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 112


随師東
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。



随師東す

東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。

軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫を報ず。

但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟林に在るに暇あらんや。

惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 を成して陣雲深し。





随師東 現代語訳と訳註 解説

(本文)
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
  
(下し文)
東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。
軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫歆を報ず。
但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟鴞の泮林に在るに暇あらんや。
惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 莾を成して陣雲深し。
  
(現代語訳)
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。


  
(語訳と訳註)
○随師東
 隋軍の高句麗征伐に借りて時局を批判するということと同時に「師に随いて東したがす」と読み、李商隠が829年大和三年、天平節度使令狐楚に従って郵州(山東省東平県)に赴いた時、瘡州(河北省瘡県)で戦乱のあとを目略したことをうたったということで、李商隠は明確にしない方法をとった。いずれにしても王朝批判であり、の対象として、横海節度使李全略の死後、子の李同捷がそのまま居座ったのに対して、官軍の攻撃が827年大和元年に始まって829年大和三年に至ってようやく李同捷を諌伐し瘡州を奪還した、当時の事件をあげる。この時のことを詩にしたものが

漫成五章 其四 紀頌之の漢詩商隠特集150- 107
にいう、石雄のことである。


東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
東征 煬帝は612年から614年にかけて三度にわたって高句麗を攻めるが挫折、以後江南に移り、隋は崩壊に向かった。〇日調万黄金 毎日、大金を費やしたこと。○ ほとんど。

隋宮 kanbuniinkai紀頌之の漢詩李商隠特集 49


軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
馬謖(ば しょく、190年 - 228年)は、後漢末期から三国時代にかけて蜀の武将。第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭(甘粛省安定県)の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫する。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖を処刑した。諸葛亮はこの為に涙を流し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった○捷書 勝利を知らせる報告書。捷は勝利。○孫歆 そんかん三国・呉の都督(軍司令官)。この句には「呉を平らぐるの役に、歆を得たりと上言す、呉平らぐも、孫は尚お在り」という原注がある。王隠の『晋書』(『太平御覧』巻三九一)に、晋が呉を討った際、晋の将王濬(おうしん)が孫歆の首を討ち取ったと手柄を誇ったが、そのあとから生け捕りにされた孫歆の身柄を杜預が送ってきたので、王濬は洛中の笑いものになったという。
 

但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
鸑鷟(がくさく) 鳳凰の一種。『禽経』 の張華の注に 「鳳の小なる者は鷺鷺と口う」。すぐれた人物を比喩する。○阿閣 四方にひさしがそりあがった楼閣。ここでは朝廷を指すが、あずまや作りの樓閣を言うので、宦官たちの陰湿を排除した開かれた朝廷を示す。○鴟鴞 しきょう(鴟梟)はふくろうの一種。残虐な鳥。好臣を比喩する。○泮林 西周の諸侯の学問所を泮宮といい、そのかたわらの樹林のこと。鴞という悪鳥が教化され、魯侯伯禽が准夷を帰順させたことをたたえるもの。ここでも逆賊を教化させる意。


可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。
玄菟郡 漢の武帝の時、朝鮮の地に置いた四つの郡の一つ。吉林省の北朝鮮国境に近い地域。隋の高句麗遠征における戦場。○積骸成葬 積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい。○陣雲 戦の雲行は天下どこでも殺気に満ちた雲がある。潘鎮、節度使が君王化して、どこで反乱がおこってもおかしくない状況になっている。



(解説)
○詩型 七言律詩。
・押韻 金・心・款・林・深


隋・煬帝(ようだい)の高句麗遠征失敗を題材とする詠史詩の体裁を取りながらも、李商隠の時代のすべての体制にほころびがあること、それを攻撃的な筆致により批判している。唐王朝は滅亡のスパイラルの中でひしめいていたのだ。この詩は、そのため歴史に借りながら、時局に批判をぶつけた政治詩である。唐代後半は節度使が各地に居坐って朝廷に反抗し、潘鎮は地方の君王化し、官軍との攻防が続いて唐王朝の滅亡に至るのである。それは40年後、黄巢の乱を引き起こしてからはじまるのである。李商隠の詩はほとんどのものが政治批判の詩なのだ。
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李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

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鸞鳳 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 111

鸞鳳 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 111
李商隠の詩111番目の詩であるがたまたまの偶然で2011-11-11の111ということであった。
詩題としても鸞鳳ということでめでたい。

鸞鳳
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
王子調清管、天人降紫泥。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
豈無雲路分、相望不應迷。

きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。


鸞鳳

舊鏡 鸞は何処、衰桐 鳳は棲まず。

金銭 孔雀に饅り、錦段 山鶏に落つ。

王子 清管を調し、天人 紫泥を降す。

豈 雲路の分無からんや、相 望みて応に迷うべから




鸞鳳 現代語訳と訳註 解説
(本文)

舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
王子調清管、天人降紫泥。
豈無雲路分、相望不應迷。
  
(下し文)
舊鏡 鸞は何処、衰桐 鳳は棲まず。
金銭 孔雀に饅り、錦段 山鶏に落つ。
王子 清管を調し、天人 紫泥を降す。
豈 雲路の分無からんや、相 望みて応に迷うべからず。
  
(現代語訳)
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。

(語訳と訳註)

鸞鳳
鷲鳳 すぐれた資質をもつ人をたとえる。賈誼「屈原を弔う文」(『文選』巻六〇)に屈原と彼に敵対する人々を「鸞鳳は伏竄し、鴟梟は翺翔す」、鸞鳳と鴟梟(ふくろうの悪鳥)になぞらえるが、ここでは鸞鳳を唐王朝の中で今の朝廷中枢にいる人物を鴟梟とし、鸞鳳のような人物もいたではないかと「孔雀」、「山鶏」と対比する。賈誼について賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64でうたっている。


舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
舊鏡鸞何處 ・鸞という鳥は鐘に映った自分の姿を見て絶命するまで鳴き続ける。陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53衰桐鳳不棲 鳳凰は梧桐の木に棲むとされる。『詩経』大雅・巻阿に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生ぜり、彼の朝陽に」。その鄭玄の箋に「鳳凰の性は、梧桐に非ざれは棲まず。竹の実に非ざれは食わず」。
・梧 こどう 立秋の日に初めて葉を落とす。大きな葉を一閒一枚落としてゆく青桐は凋落を象徴するもの。特に井戸の辺の梧桐は砧聲と共に秋の詩には欠かせない。李煜「采桑子其二」李煜「烏夜啼」温庭筠「更漏子」李白「贈舎人弟台卿江南之」李賀「十二月楽詞」などおおくある。玄宗と楊貴妃を喩える場合もある。
 
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
金銭饒孔雀 孔雀には銭のようなかたちをした五色の模様があるが、鳳凰にはそれがない。・:ゆずる、~に比べて劣る。○錦段落山雞 華麗さという点では錦の織物のような山鶏には及ばない。・: 緞通、織物。・山鶏:鳳凰に似た鳥で、はでな模様をもつ。
 

王子調清管、天人降紫泥。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
王子 仙人の王子喬。鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。(『列仙伝』)○清管 笠を吹いて鳳凰の鳴き声をまねると鳳凰が降りてきた。「甘露が降った」とお告げを受けたことを比喩する。○天人降紫泥 天子の文書を鸞詔、鸞詰などということから、鸞にかけて、賢人を求める詔書も下されるであろうという。「天人」 はここでは天子を指す。○紫泥 紫の印泥、高貴の人の文書に用いた。
甘露の変において一度は紫の印泥を賜ったのに、奸臣を排除すらできなかったことを言う。


豈無雲路分、相望不應迷。
きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。
雲路分 ・雲路:天下の正道。官界の高い地位への道。・:運命の定め。○應迷 李商隠「楚宮」―楚厲迷魂逐恨遙(楚厲(それい)の迷魂 恨みを逐いて遙かなり)
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。


(解説)
○詩型 五言律詩。
○押韻 棲・鶏・泥・迷。

舊鏡~不棲の二句については、
鳳凰の屈原や賈誼のように王朝改革を訴えること、劉蕡など左遷、失脚の後、世を去った。正論を言って啼かせてくれる鏡はないのか。鏡を曇らせているのは宦官たちである。せっかく宦官の一網打尽の計略も李訓、鄭注のような鴟梟のような輩のために台無しになったではないか。
梧桐の中で鳳凰は棲む楊貴妃一族の権勢もすでに亡くなった、しかし王朝では今も巣食っているのは鴟梟ばかり。
金銭~山雞の二句は、学問を身に備え、王朝を正しい方に導いていけるものはいない。見せかけのものでしかない。宦官の力を借りてその地位に登っていることをいっている。

正月崇譲宅 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 110

正月崇譲宅 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 110


正月崇譲宅
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。


正月 崇譲(そうじょう)の宅

密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。

先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。

蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。

燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。




正月崇譲宅
(本文)

密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。

(下し文)
正月 崇譲(そうじょう)の宅
密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。
先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。
蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。
燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。

(現代語訳)
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。

こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。



(訳註)

正月崇譲宅
○崇譲宅 「崇譲」は洛陽の坊の名。そこに李商隠の岳父、河陽節度使王茂元の居宅があった。「七月二十九日崇譲宅の宴の作」と題する七律もある。通説で、これが妻を追悼する詩という解釈は何遍読み返しても、わたしは追悼に読めない。こんな追悼があり得るのか。
 
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
重関 何重もの門。○緑苔 苔が生えていることは、訪れる人もないことのしるし。○徘徊 人目を避けている様子で、一つ所を行きつ戻りつする。牛李の闘争は続いており、李派の重鎮であった妻の実家王氏には人目を忍んではいる必要があったのであろう。


先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
先知 李派は徹底的に追い詰められていたこと。 風起月含暈 月にかさが掛かると風が吹く、いろんな出来事があり、李派が盛り返そうとするがやはりだめなのである。月にと暈がかかるように取り込まれてしまってどうしようもない。月に暈がかかると風雨が起こることを比喩している。○尚自 自分を尊ぶ。○露寒 情勢が不利であることを比喩する。 ○花未開 クーデターは起こせないことを比喩している


蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
簾旌 絹で縁取りしたすだれ。○展転 眠れぬままに寝返りを打つ。無題(何處哀筝随急管) 李商隠21○窓網 網戸。○驚猜 びっくりして何の音かと怪しむ。この句は、李書院が牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けていて、そのいじめに対してびくついていることをあらわす。


背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。
背燈 灯火を後ろ向きにして部屋を暗くする。中晩唐の頃から詩にあらわれ、これも詞にしきりに用いられる語。○余香 のこっている香り。李商隠の西亭 李商隠30 西亭に関する新解釈 ○起夜来 「起夜来」と題する楽府のこと。前の句が餘香語(余香と語り)であるから、起夜来(夜來るに起く)


解説

○詩型 七言律詩。
・押韻 禍・苔・開・清・来。



唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争である。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道節度使 令狐楚の庇護を受け、

837年、26歳 進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度は李徳裕の派に属する太原公王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った

839年、28歳王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省校書郎に任官されるも、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる


839年 任官同年、早くも中央にいたたまれず、弘農県(河南省霊宝県南)の尉となって地方に出る。以後の経歴は、忠武軍節度使となった王茂元の掌書記、秘書省正字、桂管防禦観察使府掌書記、観察判官検校水部員外郎、京兆尹留後参軍事奏署掾曹、武寧軍節度使府判官(もしくは掌書記)、太学博士、東川節度使書記、検校工部郎中、塩鉄推官など、ほとんどが地方官の連続であり、中央にあるときも実職はなかった。端的に言えば干されたのである。また、さらにそれすらまっとうできずにたびたび辞職したり、免職の憂き目に遭っている。

842年 31歳 母を亡くす。

848年、37歳 

夜雨寄北 李商隠 漢詩ブログ李商隠特集 53
851年 40歳 妻王氏も喪っている。
李商隠1錦瑟
李商隠 5 登樂遊原
李商隠 3 聞歌
瑤池 李商隱 漢詩ブログ李商隠特集 52
李商隠 9 無題(相見時難別亦難) 題のない詩。
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥
漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63

858年 47歳 またも失職して郷里へ帰る途中、または帰り着いてまもなく病没した。享年47。


この詩は、
亡き妻をしのぶ悼亡の作に見せかけ自分の近況を歌にしている。李商隠の妻に対するものはほとんどが、牛李の闘争を示すものである。それを前提にすれば、難解な詩ではなくなる。
毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
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當句有對 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 109

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當句有對 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 109

この詩は、王朝を傾けた様々な出来事を詠う、いわば李商隠王朝批判INDEXともいえる。語、句それぞれ李商隠の詩に基づいている。この詩については、最終回にもう一度詳しく取り上げる予定である。聯ごとに要約をつけた。


句有對
密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。

夜空の三つ星は自らも招いた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。地に沈み、仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遥けく、青い虚空が果てしなく拡がる。



句に当たりて対有り

平陽に密適し上蘭に接す、秦楼の鴛瓦 漢宮の盤。

池光定まらずして花光乱る、日気初めて涵し露気乾く。

但だ覚ゆ 遊蜂に舞蝶饒きを、豈に知らんや 孤鳳の離鸞を憶うを。

三星自ら転じて三山は遠し、紫府 程遥かにして碧落寛し。






當句有對 現代語訳と訳註 解説
(本文)

密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。


(下し文)
平陽に密適し上蘭に接す、秦楼の鴛瓦 漢宮の盤。
池光定まらずして花光乱る、日気初めて涵し露気乾く。
但だ覚ゆ 遊蜂に舞蝶饒きを、豈に知らんや 孤鳳の離鸞を憶うを。
三星自ら転じて三山は遠し、紫府 程遥かにして碧落寛し。


(現代語訳)
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである。
夜空の三つ星は自らも招いた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。地に沈み、仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遥けく、青い虚空が果てしなく拡がる。


(訳註)

○当句有対 いわゆる当句対。「密邇:接、平陽:上蘭」、「秦楼:漢宮、鴛瓦:盤」のように、一句のなかに対を持つ句作。一首のすべての句を当句対で仕立てるのはこれのみ。
 

(自己の不老長寿のための贅をつくし国を傾けた。)
密邇平陽接上蘭、秦樓鴛瓦漢宮盤。
西王母を待つために秦の平陽宮は密接し、漢の上蘭観は隣接してけんせつした。不老長寿のため秦の楼閣には鴛駕の模様を施した甍が並び、漢の宮殿には薬を集める承露盤までつくられた。
密邇平陽接上蘭
密邁 ぴったりつく。「遡」 は近い、近づく。『左氏伝』文公十七年に 「陳・祭の楚に密遡するを以てして、敢えて弐かざるは、則ち敵邑(我が国)の故なり」。杜預の注に 「密適は比近なり」。○平陽 平陽宮。秦の宮殿の名。次の句の 「秦楼」 に対応する。○上蘭 上蘭観。漢の上林園のなかにあった楼観の名。次の句の「漢宮」 に対応する。
秦樓鴛瓦漢宮盤
窯瓦 鴛駕の姿をかたどった瓦。○漢宮盤 漢の武帝が宮中に作った承露盤。仙人の銅像が捧げ持つ盤に不老長生のための玉露を受けるもの。

藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63



(ここは、宮女におぼれているさまを詠う。)
池光不定花光亂、日気初涵露気乾。
池に映る光はゆらめき、池の光を受けて花の光も入り乱れる。日の昇る気配があたりでは浸すことを続けている、朝露が消えてゆくまでである
池光不定花光亂 
池、光、花、乱、はすべて男女の交わりを示唆する語である。
〇日気初涵露気乾
日気 日が昇ろうとする時の気配。〇涵 液体や気体がじんわり拡がる。夜の情交を過ごして朝になること。乱れた風紀はずっと続いているのである。

宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 62


(王朝、宮殿の頽廃なさまを詠う)
但覚遊蜂饒舞蝶、豈知孤鳳憶離鸞。
蜂や蝶があちこちであまた番い、集い戯れるのは目に映ってくる、理不尽に切り裂かれ孤独な鳳が別離した鸞を慕い続けていることなど、気づかれもしない
但覚遊蜂饒舞蝶
遊蜂・舞蝶 男女を蜂と蝶に比喩する。○饒 多いの意。群れ集う蜂や蝶のように、楽しげにむつみ合う男女があまたいる。王朝末期の頽廃の有様を言う。 

蝿蝶鶏麝鸞鳳等 成篇 李商隠 -84

南朝 (南斉の武帝と陳の後主)李商隠 46

南朝(梁・元帝) 李商隠 47


○豈知孤鳳憶離鸞
孤鳳・離鷲 理不尽にも鳳と鸞も引き裂かれた男女の比喩。陽気につどう蜂・蝶と対比され、互いに思いながらも理不尽なことで一緒になれない男女。この意味の詩は李商隠にたくさんある。

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63



(こんな有様では仙界にはいけるものではない)
三星自轉三山遠、紫府程遙碧落寛。
夜空の三つ星は自らもまねいた行いのために逢うことすらできないことになってしまった。仙界の三山は遠く行き着けない。仙女の遊ぶ天界の紫府、そこへの道のりは遠のいてしまい、ぬけるような青い空が果てしなく拡がる。
〇三星日輪三山遠
三星
 オリオンの三つ星。中国での名は参(毛伝)。『詩経』唐風・綱膠に「三星 天に在り」。この句のあとに「今夕は何の夕ぞ、此の良人を見る」と続き、男女の出会いを予兆する星。それが「転」じたことは会う機会が失われたこと。〇三山 東海に浮かぶ蓬莱、方丈、濠洲の三つの神仙が住む山。「牡丹(圧径)」詩に「鸞鳳 三島に戯る」。
紫府 仙女のいる場所。無 題(紫府仙人號寶鐙) 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-93
碧落 道教で天空を指す語。

辛未七夕 李商隠


○詩型 七言律詩。
○押韻 蘭・盤・鸞・寛。


漫成五章 其五 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 108

漫成五章 其五 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 108


其 五
郭令素心非黷武、韓公本意在和戎。
中書令郭子儀は大乱を平定し、異民族の侵入をふせいだが、もともと武特を汚し、いわれのない戦をするような武将ではないのだ、韓国公、張仁愿も本心は北方異民族との共存を望んでいたのだ。
兩都耆舊偏垂涙、臨老中原見朔風。

長安・洛陽二都の長老たちはひたすら涙にくれるのである。まさかこの年になってもこの漢民族の伝統の地中原の地に北方の軍服姿に加え、平服や風俗を見つづけているのだ。


其の五

郭令の素心は黷武に非ず、韓公の本意は和戎に在り。

両都の耆旧 偏えに涙を垂る、老いに臨んで中原に朔風を見ると。





漫成五章 其五 現代語訳と訳注 解説
(本文)

郭令素心非黷武、韓公本意在和戎。
兩都耆舊偏垂涙、臨老中原見朔風。

(下し文)
郭令の素心は黷武に非ず、韓公の本意は和戎に在り。
両都の耆旧 偏えに涙を垂る、老いに臨んで中原に朔風を見ると。

(現代語訳)
中書令郭子儀は大乱を平定し、異民族の侵入をふせいだが、もともと武特を汚し、いわれのない戦をするような武将ではないのだ、韓国公、張仁愿も本心は北方異民族との共存を望んでいたのだ。
長安・洛陽二都の長老たちはひたすら涙にくれるのである。まさかこの年になってもこの漢民族の伝統の地中原の地に北方の軍服姿に加え、平服や風俗を見つづけているのだ。

(訳註)
郭令素心非黷武、韓公本意在和戎。

中書令郭子儀は大乱を平定し、異民族の侵入をふせいだが、もともと武特を汚し、いわれのない戦をするような武将ではないのだ、韓国公、張仁愿も本心は北方異民族との共存を望んでいたのだ。
郭令 郭子儀(697年 - 781年)。安禄山の乱を平定した功績によって中書令に任じられたので「郭令」という。安史の乱で大功を立て、以後よく異民族の侵入を防いだ。盛唐~中唐期を代表する名将。○素心 もともとの気持ち。○黷武 武特を汚す。いわれのない戦をする。兵力に頼り、外交をしない武将のこと。武力濫用。・黷:けがすの意。郭子儀はのちに回紇、吐蕃など周辺異民族の侵入に際して武力を用いずして撤兵させた。○韓公 則天武后の時、幽州を中心に北の異民族を封じ込めた名将、張仁愿。武則天は702年4月、幽州刺史の張仁愿へ幽、平、嬀、檀の防禦を専任させ、薛季昶と連携して突厥軍を拒ませた。この時、韓国公に封じられたので「韓公」という。○和戎 周辺異民族と和睦する。張仁愿は北方国境地帯に城を築き、それ以後突厥は侵犯しなくなった。韓公については杜甫「諸將五首其二」にふれている。李商隠の「漫成五章」は杜甫のこの詩にも影響受けている。

兩都耆舊偏垂涙、臨老中原見朔風。
長安・洛陽二都の長老たちはひたすら涙にくれるのである。まさかこの年になってもこの漢民族の伝統の地中原の地に北方の軍服姿に加え、平服や風俗を見つづけるているのだ。
〇両都 唐の東西の都、長安と洛陽。○耆旧 長老たち。○ ひとえに、もっぱら、ひたすら。○朔風 北方の人々の風俗、暮らしぶり。北方の領土が唐に返還され、河西・陵右(甘粛省西部一帯)で異民族の支配を受けていた中国の人々が、胡服のまま都に参することがあった。




(解説)
○詩型 七言絶句。
○押韻 戎・風。


#1
沈宋裁詞矜變律、王楊落筆得良朋。
當時自謂宗師妙、今日唯観封屈能。
六朝の文学のほうがはるかに優れていると思われる。それより、盛唐、中唐、晩唐と圧倒的に優れた詩人が出現するわけであるから比較にならないということか。 律詩については李商隠で完成されたというべきものである。
初唐までは詩人であるが、政治家、軍人のほうに力点が置かれていた。次第に、詩に王朝色が薄れ、軍人色が薄い詩人が多くなる。
 ここに挙げられた詩人は天子の謁見は叶ったがのち疎まれた人物である。しかし、初唐の詩人については宦官の讒言はなかった。


#2
李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。
711年玄宗は高力士らの手を借りてクーデターを成功させた。宦官は一気に力を持つようになり、朝臣、張説、張九齢は失脚し、李林甫は宦官の手を借り朝廷を牛耳った。玄宗は一芸に秀でたものを集めたが李林甫は文学の詩を嫌った。これより、宦官と無学が唐王朝の中枢をなす。この詩は盛唐期に入って、詩のレベルが変わった事、しかし、宦官と無学によって妨げられたとしている。朝廷における朝礼を鶏に喩え、うるさく飛び交う青蝿を宦官に喩えている。唐王朝初期に60名くらいの宦官が李商隠の時代には5千名を超えていたという。


#3
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。
借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。
孫権の時代は、三権鼎立、王羲之の時代は、南北朝、時代を経て東西の晋、どちらも若い自分は優れた軍人であった。晩年は、悪酒に傲慢な振る舞いをした孫権だけれど、臣下の諫言には耳を傾けた。官を辞し会稽の地にとどまり、人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごした王羲之であるが、飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。李商隠の時代には、自己の利益のためだけに動く軍人、文人、皇帝にしても宦官勢力に牛耳られて身動きが取れない。
だれも頼りとする人物がいない。
 七言絶句の中に込められた軍人、文人たちの対立、まとまっていかないといけないのにまとまらない。それでいて、媚びるものだらけの暗黒の時代を示している。


#4
代北偏師銜使節、關東裨將建行臺。
不妨常日饒軽薄、且喜臨戎用草莱。
其三の詩を今の時代には、時代を引っ張る人材がいないといいながら、受けて、よく探してみると、賤しい身分から異民族を破り、国内の叛乱を抑えた人材がおり、そして、その人材を発掘抜擢した人物がいた。孫権、王羲之のレベルの違い感は免れないのは、宦官の支配の中での問題である。

#5
郭令素心非黷武、韓公本意在和戎。
兩都耆舊偏垂涙、臨老中原見朔風。
「漫成三首」がいわゆる評論詩であったように、この「漫成五章」も詩評に借りた王朝批判である。どの時期も政策ミスをしている。それらの基本に流れるのは宦官の讒言であった。しかし、北の異民族と和睦ができていたものを、異民族出身の唐の連隊長が謀叛を起こし、北の異民族軍を操り、唐の兩都を蹂躙した。それを平定するために宦官の意見を取り上げ、異民族の手を借り大乱を平定したのだ。そんなことをしなくても、平常から賢臣を的確に抜擢し朝廷を作り上げれば、戦をすることはないのだ。奸臣ばかりが朝廷の中心におり、場当たり的に事にあたっていくのは王朝の末期的な象徴である。


(参考)
安禄山の母は突厥の名族阿史徳氏出身の「巫師」であった。『新唐書』巻225上 安禄山伝などによると、「軋犖山」という名の突厥の軍神に巫女であった母が祈ったところ、穹廬(ゲルなどのテント)を光が照らして懐妊し、野獣はことごとく鳴くなど祥瑞が現れた、と出生に関わる奇瑞譚が載せられている。当時、節度使であった張仁愿がこれを知り殺そうとしたが、なんとか逃れることができたという伝承もある。


郭子儀
(かく しぎ、697年 - 781年)は中国、唐朝に仕えた軍人・政治家。玄宗、粛宗、代宗、徳宗の4代に歴仕。安史の乱で大功を立て、以後よく異民族の侵入を防いだ。盛唐~中唐期を代表する名将。

身長190cmほどの偉丈夫であった。旧唐書によると、父郭敬之は綏州・渭州・桂州・壽州(寿州)・泗州の刺史(地方長官)を歴任したと言う。これは必ずしも低い身分ではなく、新唐書・百官志四下によると、「上州」刺史は「従三品」に当たり、また渭州・壽州などには中都督府が置かれ、中都督は「正三品」であった。府兵制が崩れる以前においては、都督・刺史の官は地方職(外官)としては高官であったと言える。

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漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107

漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107



其四
代北偏師銜使節、關東裨將建行臺。
代北軍の昭義軍という偏隊から節度使の割り符を受けるまでに出世し、関東の副将の身から一城の主になれたという。
不妨常日饒軽薄、且喜臨戎用草莱。
かつてはその卑賎な出を軽んじる者ばかりだったが、ともかくも戦時に雜草というべき士を登用したのはともかく喜ばしいことである。


其の四

代北の偏師 使節を銜み、関東の裨将 行台を建つ。

妨げず 常日 軽薄餞きを、且く喜ぶ 戒に臨みて草莱を用いしを。





漫成五章 其四 現代語訳と訳註 解説と参考

(本分)

代北偏師銜使節、關東裨將建行臺。
不妨常日饒軽薄、且喜臨戎用草莱。

(下し文)
代北の偏師 使節を銜み、関東の裨将 行台を建つ。
妨げず 常日 軽薄餞きを、且く喜ぶ 戒に臨みて草莱を用いしを

(現代語訳)
代北軍の昭義軍という偏隊から節度使の割り符を受けるまでに出世し、関東の副将の身から一城の主になれたという。
かつてはその卑賎な出を軽んじる者ばかりだったが、ともかくも戦時に雜草というべき士を登用したのはともかく喜ばしいことである。


代北偏師銜使節、關東裨將建行臺。
代北軍の昭義軍という偏隊から節度使の割り符を受けるまでに出世し、関東の副将の身から一城の主になれたという。
代北偏師銜使節 この詩は同時代の武将石雄が抜擢されて大きな戦果を挙げたことを述べる。843年石雄が回鶴を撃破して功責をあげ、李徳裕は、石雄を豊州防禦使に抜擢したことをいう。・代北は代北軍、安史の乱を治めたのち、765年永泰元年、代州(山西省代県)に置かれた(『新唐書』地理志)。・偏師は、全軍ではなく、全軍ではない軍、偏隊(昭義軍をいうのではないか)。・使節は天子の使者であることを示す割り符のこと。節度使などに任じられることをいう。・は命令や辞令を受けること。○関東裨將建行臺 この句でも石雄が徐州(江蘇省徐州市)という一地方の低い武官から身を起こし、844年昭義軍を率いて藩鎮の劉稹を破り、河中節度使に任じられたことをいう。・関東は函谷関より東の地域。ここでは徐州を指す。・裨将は副将。裨は補佐するという意味だが、実際には指揮をふっている。・行台は辺境の枢要の地に置かれた軍事機構。


不妨常日饒軽薄、且喜臨戎用草莱。
かつてはその卑賎な出を軽んじる者ばかりだったが、ともかくも戦時に雜草というべき士を登用したのはともかく喜ばしいことである。
軽薄 うとんじる。『漢書』王尊伝に「公卿を推辱し、国家を軽薄す」。石雄が低い出身ゆえに侮蔑されたことをいう。○臨戎 いくさに臨んで。○草葉 草奔と同じく民間、在野。また庶民をいう。・莱は雑草。石雄を抜擢したのは当時の朝廷の重鎮李徳裕であり、馮浩はこの詩は李徳裕を讃える意をこめるという。


(解説)

○詩型 七言絶句。
○押韻 台、莱。


其三の詩を今の時代には、時代を引っ張る人材がいないといいながら、受けて、よく探してみると、賤しい身分から異民族を破り、国内の叛乱を抑えた人材がおり、そして、その人材を発掘抜擢した人物がいた。孫権、王羲之のレベルの違い感は免れないのは、宦官の支配の中での問題である。

李徳裕(り とくゆう、787年 - 849年)は、中国・唐代の政治家である。趙郡(河北省寧晋県)を本貫とする、当代屈指の名門・李氏の出身。字は文饒。憲宗朝の宰相であった李吉甫の子である。

徳裕は、幼くして学を修めたが、科挙に応ずることを良しとせず、恩蔭によって校書郎となった。
 
820年、穆宗が即位すると、翰林学士となった。次いで、822年には、中書舎人となった。その頃より、牛僧孺や李宗閔らと対立し始め、「牛李の党争」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。また、後世の仏教徒からは、道士の趙帰真と共に「会昌の廃仏」を惹起した張本人である、として非難されている。
 
敬宗の代に浙西観察使となって、任地に善政を敷き、帝を諌める等の功績があった。829年、文宗代では、兵部侍郎となった。時の宰相、裴度は、徳裕を宰相の列に加えるよう推薦した。しかし、李宗閔が、宦官と結託して先に宰相の位に就いた。逆に、830年徳裕は、投を排除され、鄭滑節度使として地方に出された。833年兵部尚書になる。 甘露の変の際、前年より病勝ちで療養中の出来事。

840年、武宗が即位すると、徳裕が宰相となり、843年、844年劉稹の地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、宣宗が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。

特に『会昌一品集』は、李徳裕が宰相として手腕をふるった会昌年間6年に書いた制・詔・上奏文などをまとめたものである。ここには彼が処理した、ウイグル帝国崩壊後、南へ逃れ唐北辺へと流れてきたウイグル一派への対応や、昭義軍節度使劉稹の反乱の平定など、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料として注目される。

漫成五章 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 106

漫成五章 其三 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 106


漫成五章 其三 
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。
むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。


其の三

児を生めば古には孫征虜有り、女を嫁がすに今は王右軍無し。

借問す 琴書もて一世を終わるは、何如ぞ 旗蓋 三分を仰ぐに。




漫成五章 其三 現代語訳と訳註 解説・参考


(本文)
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。
借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。

(下し文)
児を生めば古には孫征虜有り、女を嫁がすに今は王右軍無し。
借問す 琴書もて一世を終わるは、何如ぞ 旗蓋 三分を仰ぐに。


(現代語訳)
むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。


(訳註)
生兒古有孫征虜、嫁女今無王右軍。

むすこを生むならば、曹操がこんなむすこを持ちたいと羨んだ、呉の討虜将軍孫権のような武人が昔はいたものだ。娘を政略で嫁がせようにも、郗鍳が気に入って婿にした王義之のような将軍で文人の人材が今は見あたらないのだ。
生児 「児」は男の子。○孫征虜 三国・呉の孫権をいう。200年(建安5年) - 急死した兄孫策から後継者に指名され、19歳で家督を継ぎ、江東一帯の主となる。曹操の上表により会稽太守・討虜将軍に任じられる。任地には赴かず、呉(現在の蘇州)に本拠を構える。「児を生めば」は、曹操が孫権の水軍のよく整備されているのに感心して「子を生めば当に孫仲謀(孫権の字)の如くなるべし」と羨ましがったという話を用いる(『三国志』呉書・孫権伝の裴松之注が引く『呉歴』)。○嫁女 権力者にとって女は女の子で政略の道具の一つである。○王右軍 東晋の王義之。書聖として知られるが、右軍将軍になったので「王右軍」という。太博の郗鍳が王導の子弟の中から婿を選ほうとして、使者が王家を訪れると、みな取り澄ましていたのに、一人だけ何知らぬ顔して寝そべったままの若者がいた。報告を聞いた郗鍳が気に入ったのがその王義之だった。むすめは彼に嫁がせたという。『世説新語』雅量篇に見える話。


借問琴書終一世、何如旗蓋仰三分。
聞いてみたい、軍人でありながら官を辞して、琴や書物とともに一生を終えられる王羲之のような文人と、孫権のように天子の儀仗で活躍した武人、天下を三分していてもだれからも尊敬され仰ぎ見られる、はたしてだれが勝るといえるのかと。
琴書 琴と書物。文人の生活をいう。陶淵明「帰去来の辞」に「琴書を楽しみて以て憂いを消さん」。王義之は政界への意欲はなく、静謐な生き方を好んだ。○何如 二つのものを較べて、どうであるかの意。ここでは「不如」(……に及ばない)というのに同じ。王義之のような文人か、孫権のような武人か、子供や女婿には後者がよいとする。○旗蓋仰三分 「旗蓋」 は天子のしるしである旗と申蓋。しばしば「黄旗紫蓋」 の四字で用いられる。「三分」 は天下が魏蜀呉、南北東西に三分されたこと、どちらも天下が戦時下にあり、軍人であり続けるのかどうか。


(解説)

○詩型 七言絶句。
○押韻 軍。分。


 孫権の時代は、三権鼎立、王羲之の時代は、南北朝、時代を経て東西の晋、どちらも若い自分は優れた軍人であった。晩年は、悪酒に傲慢な振る舞いをした孫権だけれど、臣下の諫言には耳を傾けた。官を辞し会稽の地にとどまり、人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごした王羲之であるが、飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。李商隠の時代には、自己の利益のためだけに動く軍人、文人、皇帝にしても宦官勢力に牛耳られて身動きが取れない。
だれも頼りとする人物がいない。
 七言絶句の中に込められた軍人、文人たちの対立、まとまっていかないといけないのにまとまらない。それでいて、媚びるものだらけの暗黒の時代を示している。


(参考)
三曹 
武帝(曹操)(そうそう) 155―220後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 ・短歌行 ・求賢令 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・薤露

孫権182年―252年 後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。呉を建国し初代皇帝に即位した。字は仲謀。長命で帝位に昇る相があるとされ、三国時代の君主の中で最も長命した。なおよく並べられる曹操、劉備とは(父孫堅が同世代なので)およそ1世代下にあたる。時勢を読んだ外交を始めとして思慮深さを見せる人物であったが、一方で感情のままに行動を取り部下から諌められた逸話が複数残っている。

 

三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。    



王羲之 303年 - 361年 東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。王述が会稽郡にさまざまな圧力をかけてくると、これに嫌気が差した王羲之は、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごした。


漫成五章 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 105

漫成五章 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 105


漫成五章 其二
李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。

天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。



其の二

李杜の操持 事 略(ほぼ)斉(ひとし)、三才 万象 共に端促(たんげい)す。

集仙殿と金鑾殿と、是れ蒼蝿(そうよう)の曙鶏(しょけい)を惑(まど)わすべけんや。




漫成五章 其二 現代語訳と訳註 解説
(本文)

李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。

(下し文)
李杜の操持 事 略(ほぼ)斉(ひとし)、三才 万象 共に端促(たんげい)す。
集仙殿と金鑾殿と、是れ蒼蝿(そうよう)の曙鶏(しょけい)を惑(まど)わすべけんや。


(現代語訳)
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。



李杜操持事畧齊、三才萬象共端倪。
李白、杜甫の筆さばき、その力量は肩を並べる。天、地、人あるいは太陽、月、星の三才、森羅万象、すべてをかすかな兆しまではかりしり、表現されている。
李杜 李白と杜甫。盛唐を代表する詩人。韓愈「張張籍」(李杜文章在り、光焔万丈長し。)○操持 手で扱う。ここでは筆墨を手にすることをいう。〇三才 天、地、人。太陽、月、星。○万象 森羅万象、世界のすべての物。○端倪 端緒、きざし。端はいとぐち、倪ははて。はかりしること。『荘子』大宗師篇に「終始を反復して端悦を知らず」。ここでは動詞として、わずかなきざしをも捉えること。韓愈は「薦士」の中で、「国朝文章の盛なる、子昂始めて高踏し、勃興李杜を得て、万類は陵暴に困しむ」と言う。これは陳子昂を先駆者とし、李白の復古主義への貢献も含めての評価をしている。


集仙殿興金鑾殿、可是蒼蝿惑曙雞。
天子の集仙殿と金鑾殿は厳かにある、そこで二人はそれぞれ天子の謁見を受けた、暁の朝礼で鶏の声、裏方である小うるさい青蝿よって消されてしまうことになっているはずなのだ。
集仙殿・金鑾殿 ともに朝廷の宮殿の名。「集仙殿」はのちに集賢殿と改名された。杜甫は「三大礼賦」を献じて玄宗に称賛され、「集賢殿」に待機することを命じられた。李白は賀知章の推挽を受けて「金鑾殿」で玄宗の謁見を受けた。二つの宮殿は二人の詩人が玄宗の知遇を得た場所であったが、結局二人ともその好機を生かして重用されることはなかった。○可是 ~だろうか。○蒼蝿惑曙鶏 『詩経』斉風・鶏鳴、「鶏既に鳴く、朝既に盈つ。鶏則ち鳴くに匪ず、蒼蝿の声」 にもとづく。鶏が鳴くので夜が明けたかと思ったら、蝿の羽音だったという。ここでは李白を宮中から追い出した高力士、杜甫を認めなかった李林甫などの無学の物がかしましく騒ぎ立てて、二人を宮中から追放したことをいう。



(解説)
○詩型 七言絶句。
○押韻 斉、倪、鶏。


711年玄宗は高力士らの手を借りてクーデターを成功させた。宦官は一気に力を持つようになり、朝臣、張説、張九齢は失脚し、李林甫は宦官の手を借り朝廷を牛耳った。玄宗は一芸に秀でたものを集めたが李林甫は文学の詩を嫌った。これより、宦官と無学が唐王朝の中枢をなす。この詩は盛唐期に入って、詩のレベルが変わった事、しかし、宦官と無学によって妨げられたとしている。朝廷における朝礼を鶏に喩え、うるさく飛び交う青ばえを宦官に喩えている。唐王朝初期に60名くらいの宦官が李商隠の時代には5千名を超えていたという。



盛唐期
唐代の最盛期を反映し、多くの優れた詩人を輩出した時期である。修辞と内容が調和した詩風は、それまでの中国詩歌の到達点を示している。代表的詩人には、中国詩歌史上でも最高の存在とされる李白と杜甫を頂点として、王維・孟浩然・岑参・高適・王昌齢などがいる。



李白 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。

 kanbuniinkai紀頌之のブログ 李白詩


    2011/11/3 210首掲載 -350首予定


杜甫 712年 - 770年 鞏(きょう)県(河南省)の人。字(あざな)は子美(しび)。少陵と号し、杜工部、老杜とも呼ばれる。青年時代から各地を放浪。湖南省の湘江付近で不遇の一生を終えた。現実の社会と人間を直視し、誠実・雄渾な詩を作り、律詩の完成者で詩聖と称され、詩仙と呼ばれる李白と並ぶ唐代の代表的詩人とされる。「兵車行」「春望」などは有名。

kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詩


  2011/11/3 110首掲載 -700首予定

漫成五章 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 104

漫成五章 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 104


其一
沈宋裁詞矜變律、王楊落筆得良朋。
初唐の詩人、沈佺期、宋之問は言葉を操っては、律詩を一変させたと自慢ばかりしていた。同時期の王勃、楊炯は詩を作る以外によき仲間をもっていた。
當時自謂宗師妙、今日唯観封屈能。
その当時は文壇の宗匠だと自分から言うだけでうぬぼれというものだ、今日の詩のレベルからすると、ただ対句の才能を出しただけのものでしかない。


漫成五章  其の一

沈宋 詞を裁して変律を矜る、王楊 筆を落として良朋を得たり。

当時 自ら宗師のの妙と謂うも、今日 唯だ、対属の能として観る



漫成五章 現代語訳と訳註 解説
(本文) 其一

沈宋裁詞矜變律、王楊落筆得良朋。
當時自謂宗師妙、今日唯観封屈能。

(下し文) 其の一
沈宋 詞を裁して変律を矜る、王楊 筆を落として良朋を得たり。
当時 自ら宗師のの妙と謂うも、今日 唯だ、対属の能として観るのみ

(現代語訳) 漫成五章  其の一
初唐の詩人、沈佺期、宋之問は言葉を操っては、律詩を一変させたと自慢ばかりしていた。同時期の王勃、楊炯は詩を作る以外によき仲間をもっていた。
その当時は文壇の宗匠だと自分から言うだけでうぬぼれというものだ、今日の詩のレベルからすると、ただ対句の才能を出しただけのものでしかない。

(訳註)

○漫成五章 
ふとできあがった詩の五章。

漫成三首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-8082

「五章」というのは、『詩経』の詩が複数の「章」から成るのをまねて、五章を連ねて一后の詩としたもの。
杜甫に曲江三章 章五句 杜甫特集 52  がある。


沈宋裁詞矜變律、王楊落筆得良朋。
初唐の詩人、沈佺期、宋之問は言葉を操っては、律詩を一変させたと自慢ばかりしていた。同時期の王勃、楊炯は詩を作る以外によき仲間をもっていた。
沈宋 初唐後期武則天に律詩の評価を受けた宮廷詩壇を代表する詩人、沈任期と宋之間。文学史上では律詩(近体詩)の形式を完成に近づけたとされる。○裁詞 布を裁断するように言葉を裁ち切って詩を作る。「詞」は「辞」 に同じ。言葉を操る。うそを言うので有名でもあった。○変律 新しいスタイルの律詩。○王楊 王勃と楊炯のこと。盧照鄰、駱賓王とあわせて初唐四傑、と称され、宮廷文壇の外にあって、南朝風の給靡な文学から脱皮して雄渾な唐代の文学を切り開いた。ここでは沈宋とともに対句の技巧に長けていたにすぎないと否定的にとらえる。○落筆 筆をくだす。○得良朋 王勃、楊けいが慮照郷、騒賓王という盟友をもって四傑と称されたことをいう。


當時自謂宗師妙、今日唯観封屈能。
その当時は文壇の宗匠だと自分から言うだけでうぬぼれというものだ、今日の詩のレベルからすると、ただ対句の才能を出しただけのものでしかない。
宗師 師としてあがめられる中心的存在。○対属 対偶表現。近体詩の特徴の一つは対句の技巧を用いることなのでこういう。

(解説と参考)
○詩型 七言絶句。
・押韻 朋・能。

六朝の文学のほうがはるかに優れていると思われる。それより、盛唐、中唐、晩唐と圧倒的に優れた詩人が出現するわけであるから比較にならないということか。 律詩については李商隠で完成されたというべきものである。
初唐までは詩人であるが、政治家、軍人のほうに力点が置かれていた。次第に、詩に王朝色が薄れ、軍人色が薄い詩人が多くなる。
 ここに挙げられた詩人は天子の謁見は叶ったがのち疎まれた人物である。しかし、初唐の詩人については宦官の讒言はなかった。


初唐
前代の六朝時代の余風を受け、繊細で華麗な詩風を身上とする修辞主義的な詩風が主流である。宮廷の詩壇における皇帝との唱和詩がこの時期の中心的作品となっている。代表的詩人には「初唐の四傑」と呼ばれる、①王勃・②楊炯・③盧照鄰・④駱賓王のほか、近体詩の型式を完成させた武則天期の沈佺期・宋之問などがいる。さらにこうした六朝の遺風を批判し、詩歌の復古を提唱して次代の盛唐の先駆的存在となった陳子昂が現れた。

魏徴 580年 - 643年 唐初の政治家・学者。癇癪を起こした太宗に直諫(じかに諫言)することで有名であり、魏徴死亡時太宗は非常に哀しんだという。曲城(山東省)の人。字(あざな)は玄成。太宗に召し出され、節を曲げぬ直言で知られる。「隋書(ずいしょ)」「群書治要」などの編纂(へんさん)にも功があった。

上官儀 (じょうかんぎ) 608?年 - 665年 文才があり、五言詩をもっとも得意とし、多くは命を受けて作り献上した。詞句は婉麗にしてたくみで整っており、士大夫に模倣されて上官体と称された。皇后であった則天武后を廃そうと高宗に建議したことにより、則天武后(武則天)の怨みを買い、後に梁王・李忠の「謀反」事件に関連させられ、獄死した。

王勃 おうぼつ   650年 - 676年 "王勃の作品には、南朝の遺風を残しながら、盛唐の詩を予感させる新鮮自由な発想が見られる。「初唐の四傑」の一人。幼くして神童の誉れ高く、664年に朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王・李賢の侍読となってその寵を受けたが、諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南(四川省)に左遷された。虢州(河南省霊宝市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあった。
 この事件に連座して交趾の令に左遷された父の王福時を訪ねる途中、南海を航行する船から転落して溺死した。"
・滕王閣 , ・送杜少府之任蜀州唐、・蜀中九日(九月九日望鄕臺)


楊炯 (ようけい、生年不詳-692年)は中国・唐代初期の詩人。字は不詳。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる.華陰(陝西省)の出身。幼時から慧敏でよく文章を作り、661年に神童に挙げられ校書郎を授けられた。681年、崇文館学士になった。則天武后の時代に梓州司法参軍に左遷されて、のち盈川の令となった。著に『盈川集』がある
・従軍行    ・夜送趙縦 


盧照鄰 (ろしょうりん、生没年未詳) 范陽(河北省)の出身。幼少より曹憲・王義方に従って経史と小学を学び、詩文に巧みであった。初めは鄧王府の文書の処理係である典籤となり、王(唐高祖の子・元裕)に重用された。 のち新都(四川省)の尉となったが病のために職を辞し、河南省具茨の山麓に移住した。病が重くなって、ついに頴水に身を投じて死んだ。 その詩は厭世的で悲しみいたむ作が多い。長安の繁栄のさまを詠じた「長安古意」が最もよく知られ、『唐詩選』にも収められている。著に『盧昇之集』7巻と『幽憂子』3巻がある。
・長安古意

駱賓王 らくひんおう  640年? - 684年? "「初唐の四傑」の一人。7歳からよく詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。特にその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。好んで数字を用いて対句を作るので「算博士」の俗称がある。(浙江省)の出身。初めから落魄し、好んで博徒と交わり、性格は傲慢・剛直。高宗の末年に長安主簿となり、ついで武后の時に数々の上疏をしたが浙江の臨海丞に左遷される。
 出世の望みを失い、官職を棄てて去った。684年に李敬業が兵を起こすと、その府属となり敬業のために檄文を起草して武后を誹謗、その罪を天下に伝えた。
・易水送別 , ・霊隠寺 , ・詠鵞

宋之問 (そうしもん) 652~712 "宋 之問(そう しもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。字は延清。虢州弘農(現河南省、『旧唐書』より)あるいは汾州(現山西省、『新唐書』より)の人。沈佺期とともに則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。
 汾州出身。字は延清。科挙進士科に及第して武后に認められ、張易之と結んでいたために中宗復辟で瀧州(広東羅定)に流されたが、洛陽に潜行して張仲之に庇護され、仲之の武三思暗殺を密告して赦免・登用された。太平公主に与し、横暴・驕慢として越州長史に遷されたが、以後も素行を修めず欽州・桂州に流され、玄宗に自殺を命じられた。 娘婿の劉希夷に、詩(代悲白頭翁)の“年年歳歳花相似たり”の句の譲渡を求めて拒まれ、人を遣って土嚢で圧殺させたという。(或いは毒殺説もある)"


沈佺期 (しんせんき) 656年? - 716年?
宋之問とともに則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。
字は雲卿。相州内黄の人。上元二年(675)、進士に及第した。協律郎・考功郎中・給事中を歴任した。張易之の庇護を受けたが、武周朝が倒れて張易之が殺されると、賄賂を取った罪で驩州に流された。その後、呼び戻されて起居郎・修文館直学士となり、中宗にとりいって、中書舎人・太子少詹事にいたった。宋之問とともに、「沈宋」と併称される。 "


重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103

重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103


重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。

真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  


重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。

竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし

豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや

昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん




重有感 現代語訳と訳注、解説

(本文)
重有感

玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
  
(下し文)
重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。
竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし
豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや
昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん
  
(現代語訳)
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  

  

(語訳と訳註)

重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。

天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
玉帳 軍営のなかで将軍の慢幕。節度使の陣営を指す。○牙旗 将軍の軍旗。族竿の頭部に元々は象牙で作った飾りをつけたのでかくいう。○上游 川の上流が原義。そこから形勢の有利な地をいう。
 
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
竇融 (とう ゆう、紀元前15年 - 62年)中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。後漢建国に功を挙げた武将。帝を潜称した隗囂をただちに攻めるべく光武帝に進言し、全幅の信頼を寄せていた。(『後漢書』)。ここでは宦官に不満を抱いた昭義節度使の劉従諫が、宰相の王涯らは何の罪があって殺されたのかと問う上書を再三文宗に呈したことをいう。又、836年宦官の仇士良を弾劾する。○関右 函谷関より西の地。ここでは都を指す。○陶侃 東晋の安定に尽力した武将259年 - 334年。蘇峻の乱に際して温嶠、庾亮らとともに軍勢を石頭城(南京市郊外)に結集し、都を奪還した。ここでは843年8月の劉稹は朝命を拒む。
父は呉の武将陶丹。母は湛氏。子は16人いたとされるが、記録に残っているのは陶洪、陶瞻、陶夏、陶琦、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱の9人だけである。甥に陶臻、陶輿。詩人の陶淵明は曾孫とされるが、陶淵明の祖父とされる陶茂は晋書の陶侃伝には記録されてない。


豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
○豈有蚊龍愁失水 蚊龍は皇帝を、失水は皇帝が力を失うことを、喩える。○更無鷹隼興高秋 鷹隼は残虐な猛禽、朝廷に逆らう軍閥、劉稹を喩える。劉稹は844年8月昭義軍に殺された。「更無」は反語に読む。


晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
○兼幽顕 「幽」は死んだ人、「顕」は生きている人。○早晩 いつの日か。時間の疑問詞。○星関 星の関門の意、皇帝の居所を指す。ここでは劉稹などの軍閥を詠っているのだが、実際には宦官が強大な軍隊を牛耳っていたのだ。正規軍に守られた天子の状態を星に喩えた。


(解説)

○詩型 七言律詩。
○押韻 湛・憂・秋・収・頭


835年の甘露の変について、同時代にこれを取り上げた詩文はほとんどない。それは、歴史の中心に宦官がいたことの証明である。歴史書は支配者の歴史である。自己の美化のためには事実を捻じ曲げるものである。李商隠のこれらの詩も、果たしてこの時代に公にされていたかどうか、おそらく唐が滅亡して以降、付加されたものである。
 李商隠の「有感二首」は835年のことを取り上げており、「重有感」は843・844年の事件を取り上げている。後に書かれたものであっても、明確に示しているわけではなく、後世の訳註によるものである。唐末期の宦官の支配力は計り知れないほどのものであったのだ。

有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102

有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102


有感二首 其 二
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
近聽開壽讌、不廢用咸英。』

ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。


有感二首 其 二 現代語訳と訳注


(本文)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。」
古有清君側、今非乏老成。
素心雖未易、此擧太無名。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
近聽開壽讌、不廢用咸英。」
  
(下し文)其の二
丹陛 猶お敷奏するに、彤庭(とうてい)歘(たちま)ち戦い争う。
危きに臨みて盧植(ろしょく)に対し、始めて悔ゆ 龐萌(ほうぼう)を用いしを。
御仗(ぎょじょう) 前殿を収め、兇徒 背城に劇す。
蒼黄たり 五色の棒、掩遏(えんあつ)す一陽生ずるを。』
古えより君側を清むる有り、今も老成乏しきに非ず。
素心 末だ易らずと雖も、此の挙 太(はなは)だ名無し。
誰か冤を銜(ふく)む目を瞑せん、寧(なん)ぞ絶えんと欲する声を呑まん。
近ごろ聞く 寿讌を開きて、咸英を用いるを廃せずと。』

  
(現代語訳)
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。

 
(語訳と訳註)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。

朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
丹陛 天子の宮殿の正殿の正面階段。赤く塗られているので「丹陛」という。○敷奏 朝臣が天子に奏上すること。太和9年11月壬戌の日、左金吾衛大将軍の韓約が朝会にて、「左金吾役所(左金吾衛)裏庭の石に昨夜、甘露が降った」と上奏。○彤庭 宮中の地面は赤く塗られていたが血の色に染まった。


臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
盧植 後漢末の忠臣。何進が昏官誅殺を謀って殺されると臣官は少帝を宮中から連れ出したが、盧植は追いかけて宦官を殺し、少帝を奪回した。また董卓が少帝を廃して陳留王(献帝)を立てようとした際、朝臣がみな黙していた時に盧植のみが断固として反対を唱えた(『後漢書』盧植伝)。ここでは令狐楚に比す。この句には「是の晩 独り故の相影陽公を召して入らしむ」の自注がある。「影陽公」は影陽郡開国公に封ぜられていた令狐楚。『旧唐書』令狐楚伝に「(李)訓の乱の夜、文宗は右僕射鄭覃と(令狐)楚を召して禁中に宿せしめ、制勅を商量す。上は皆な用て宰相と為さんと欲す」。○龐萌 後漢初期の人。龐萌は、謙遜温順な人柄により光武帝から信任と寵愛を受け、「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也」(若い孤児を託せ(=後見を任せ)、百里四方の国の命(=政令つまり政事)を任せられるは、龐萌この人なり)とまで言わしめている。その後、龐萌は平狄将軍に任命された。任務失敗により、楚郡太守孫萌を殺害し、蓋延を撃破して、劉紆陣営に寝返ってしまう。寵臣から叛逆者へ変身した人物。ここでは鄭注、李訓を比喩している。


御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
御杖 皇帝の儀仗兵。宦官と禁中の軍を指す。○前殿 正殿。ここでは含元殿。○背城 城を背にして死にものぐるいの戦いをする。


蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
蒼黄 あわてふためくさま。ここでは五色の棒にかけて、蒼、黄という色を用いた。〇五色棒 曹操は、洛陽の県尉であった若い時、五色の棒を用意して法を犯す者を厳しく取り締まり、有力な宦官蹇碩の叔父まで夜行の禁を犯したとして撲殺した。○掩遏 押さえつけて止める。〇一陽生 冬至に至って陽気が生じる。甘露の変の起こったのは陰暦十一月二十一日、冬至に近いので事件を連想させる。


古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
○清君側 君主のそばの奸臣、姦臣を除去する。○老成 経験が多く物事によく馴れている。ここでは令狐楚を指す。「老賊」にたいする「老成」。


素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
素心 もともとの思い。○無名 大義名分が立たない。


誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
誰瞑銜 瞑目は目を閉じるだけで何もしようとしない。銜は口を開かないこと。○冤目 冤は無実の罪。銜冤は罪もなく殺害された王渡ら朝臣を指す。○寧呑欲絶聲 「声を呑む」とは声に出せないほどの悲しみ。


近聽開壽讌、不廢用咸英。』
ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。
寿讌 天子の生誕を祝う宴会。○咸英 古代の雅楽。黄帝の「咸池」と帝嚳の「六英」。 『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。帝嚳の「六英」古代中国の伝説上の五聖君を尊称として「帝嚳」とし、六英等歌曲としてうたった。

送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7



○詩型 五言排律。
○押韻 奏、争。萌。城。生。/成。名。聲。英。


(参考)
令狐楚(れい こそ、766年 - 837年)は、中国・唐の詩人。原籍は敦煌(甘粛省)の人。しかし、一族は早くに宜州華原(陝西省耀県)に移り住んでいたので、華原の人とも言う。字は殻士(かくし)。貞元7年(791年)の進士。太原(山西省)節度使の幕僚となって文才を徳宗に認められ、憲宗朝では中書舎人から同中書門下平章事(宰相)に至った。穆宗朝では朝廷内の派閥争いのため地方に転出、各地の節度使を歴任し、敬宗朝では一時復活したが、山南西道節度使に任ぜられて、任地の興元(陝西省南鄭)で没した。

有感二首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 101

有感二首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 101




有感二首 其一       
九服歸元化、三霊叶睿圖。
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
如何本初輩、自取屈氂誅。』
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
有甚當車泣、因勞下殿趨。
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
何成奏雲物、直是減萑蒲。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
證逮符書密、詞連性命倶。
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。
政云堪慟哭、未免怨洪爐。』

この惨状を痛ましくおもっても、慟哭すら許されるものではないのだ、それでもなお、大きな溶鉱炉のような怨みのたかまりを述べずにはいられないのだ。

其の一

九服 元化に帰し、三霊 睿図に叶う。

如何ぞ 本初の輩、自ら取る 屈の誅。』

車に当たりて泣かしむるより甚だしき有るも、困りて殿を下りて趨るを労せしむ。

何ぞ成さん 雲物を奏するを、直だ是れ蒲を減す。

証逮えられ符書密なり、詞連なれば性命供にす。

竟に漢相を尊ぶに縁る、早に胡雛を弁ぜず。』

 朝部を分かち、軍烽 上都を照らす。

敢えて慟哭に堪うと云わんや、未だ洪爐を怨むを免れず。』



現代語訳と訳註 解説


(本文)
九服歸元化、三霊叶睿圖。』
如何本初輩、自取屈氂誅。
有甚當車泣、因勞下殿趨。』
何成奏雲物、直是減萑蒲。
證逮符書密、詞連性命倶。』
竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
敢云堪慟哭、未免怨洪爐。』
 
(下し文)
九服 元化に帰し、三霊 睿図に叶う。』
如何ぞ 本初の輩、自ら取る 屈氂の誅。
車に当たりて泣かしむるより甚だしき有るも、困りて殿を下りて趨るを労せしむ。』
何ぞ成さん 雲物を奏するを、直だ是れ萑蒲を減す。
証逮えられ符書密なり、詞連なれば性命供にす。
竟に漢相を尊ぶに縁る、早に胡雛を弁ぜず。
鬼籙 朝部を分かち、軍烽 上都を照らす。
敢えて慟哭に堪うと云わんや、未だ洪爐を怨むを免れず。
  
(現代語訳)
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。



有感二首 其一(語訳と訳註)

有感二首
有感 思うところ有り。
835年、甘露の変にまつわる詩であることが示される。杜甫の「有感五首」も当時の政治状況に対する感慨を述べる作。○乙卯年 835年大和九年(文宗)李商隠24歳 科挙試験のため長安にいる。11月甘露の変が勃発。文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件。宦官が反撃朝臣を大量に殺した。本件が失敗したことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の全権力掌握がほぼ確実となった。
丙辰年 その翌年、836年開成元年(文宗)。


九服歸元化、三霊叶睿圖。』
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
九服 中国の周囲すべての地。古代中国では中心に一辺千里の正方形を置いて王畿とし、それを囲む同心の正方形を五百里ずつ拡大していって、侯服・甸服(でんぶく)・男服・采服(さいふく)・衛服・蛮服・夷服(いふく)・鎮服・藩服(はんぶく)の九つをいう。九畿。「服」は天子に服属するの意。○元化 世界の根元の働き。ここでは天子の徳化を指す。〇三霊 日月星、あるいは天地人。世界の根幹となる三つの霊妙な存在。○睿図 叡智に満ちた天子のもくろみ。


如何本初輩、自取屈氂誅。
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
本初 後漢の末期、全権力を握った袁紹のこと。袁紹は大将軍何進とともに宦官誅穀を謀り、何進は宦官によって殺されたが、袁紹は宦官を一人のこらず殺した。ここでは礼部侍郎李訓及び太僕卿鄭注をなぞらえる。○屈氂 劉屈氂。前漢の武帝の甥。武帝を呪詛していると宦官に誣告され、腰斬の刑に処せられた(『漢書』劉屈氂伝)。李訓、鄭注が宦官を打倒しようとして逆に宦官の手によって誅滅されたことをなぞらえる。
 
有甚當車泣、因勞下殿趨。』
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
当車泣 前漢、袁盎の故事を用いる。袁盎は漢の文帝に仕え直諫が多くした。妾夫人と王妃との関係を諌め、宦官の趙同に天子の車に乗せてはならぬと諌め、趙同は泣く泣く車から降りた(『史記』袁盎伝)。ここでは李訓はそれよりうるさく文宗を諌めた。○下殿趨  梁の武帝蕭衍にまつわる故事を用いる。534年中大通六年、熒惑(火星)が南斗星に重なった。この不吉な徴侯を見て武帝は「熒惑 南斗に入れば、天子 殿を下りて走る」という諺を引き、はだしのまま宮殿から下りて不祥を祓った(『資治通鑑』)。ここでは李訓、鄭注らが攻め入った際に宦官仇士良が文宗を宮殿から連れ出したことを指す。


何成奏雲物、直是減萑蒲。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
雲物 雲の様子。『周礼』春官・保章氏に「五雲の物を以て、吉凶を弁ず」、その鄭玄の注に「物は色なり」。それを観察することによって吉凶を判断する。『左氏伝』倍公五年に「凡そ分(春分と秋分)、至(夏至と冬至)、啓(立春と立夏)、閉(立秋と立冬)には、必ず雲物を書す」。ここでは甘露が降ってきたという瑞兆を指す。瑞兆の真偽の確認には宦官全員が確認することが慣例であったことから軽はずみな策略した。○萑蒲 盗賊のすみか。萑は草の多いさまをいう。ここでは草を朝臣としている。


證逮符書密、詞連性命倶。』
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
証逮一句 証は証人。符書は官庁の文書。証人まで逮捕すべく周到な文書が発せられたこと。○詞連一句 証人の言葉からつながりがわかると、命まで奪われる。

竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
漢相 漢の宰相王商。王商は立派な風貌をしていたので来朝した匈奴の単于が畏敬し、成帝は「此れ真に漢相なり」と称えた(『漢書』王商伝)。ここでは李訓を比す。李訓も風采にすぐれ、弁舌巧みであったことから文宗は将来を託したという(『旧唐書』李訓伝)。○弁胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは攻める役割のものが蔑称の胡の子供並みであると鄭注のことを示す。


鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。
鬼籙 善鬼の選り分け帳、過去帳。○朝部 朝班(朝臣の隊列)をいうか。○軍煙 いくさののろし。○上部 みやこ。長安を指す。


敢云堪慟哭、未免怨洪爐。』
この惨状を痛ましくおもっても、慟哭すら許されるものではないのだ、それでもなお、大きな溶鉱炉のような怨みのたかまりを述べずにはいられないのだ。
敢云堪慟哭 働笑することによって関係者とされるから、泣くことさえ許されない。悲惨ことである、の意。○洪燵 大きな溶鉱炉。怨みのたかまり。「異俗二首」其の二でも使う。
 


○詩型 五言排律。上平十虞
○押韻 化、圖。/誅、趨。/蒲、倶。/相、雛。/部、都、爐。


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甘露の変 概略
宦官の王守澄に権力を握られており、その専横を憎んでいた。その文宗の意を受ける礼部侍郎李訓及び太僕卿鄭注は仇士良という宦官を王守澄と対立させ、両者を抗争させ共倒れさせるという謀議を献策した。この下準備として鄭注は軍を動員できる節度使(鳳翔節度使)となった。
 
この策は当初順調に推移し、王守澄は実権を奪われ冤罪により誅殺された。この後、返す刀で王守澄の葬儀に参列した仇士良及び主立った宦官勢力を、鄭注が鳳翔より兵を率いて粛清する予定であったのだが、功績の独占を目論んだ李訓は、鄭注が出兵する王守澄の葬儀前に宦官を一堂に会させる機会を作るため、「瑞兆として甘露が降った」ことを理由に宦官を集めようとした。これは瑞兆の真偽の確認には宦官全員が確認することが慣例であったからである。
 
太和9年11月壬戌の日、左金吾衛大将軍の韓約が朝会にて、「左金吾役所(左金吾衛)裏庭の石に昨夜、甘露が降った」と上奏、慣例に従い殆どの宦官が確認に赴いた。
 
この時、左金吾衛の裏庭には幕が張られ、その陰に郭行余、羅立言らが兵を伏せていた。しかし、幕間から兵が見えてしまい、事態に気づいた仇士良らは文宗を擁して逃亡、宦官に取り囲まれた文宗は李訓、鄭注らを逆賊とする他なく、李訓らは殺された。
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