漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2012年01月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-208 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-9-#2

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-208 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-9-#2

(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)

門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

宮島(3)

#1
此日足可惜,此酒不足嚐。 舍酒去相語,共分一日光。
念昔未知子,孟君自南方。自矜有所得,言子有文章。
我名屬相府,欲往不得行。」
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る) 此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

#2
思之不可見,百端在中腸。
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
維時月魄死,冬日朝在房。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
驅馳公事退,聞子適及城。
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
命車載之至,引坐於中堂。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
開懷聽其說,往往副所望。」
2
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる


之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。
#3
孔丘殁已遠,仁義路久荒。紛紛百家起,詭怪相披猖。
長老守所聞,後生習爲常。少知誠難得,純粹古已亡。
譬彼植園木,有根易爲長。」3

孔丘残して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。
紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。


 現代語訳と訳註
(本文)
#2
思之不可見,百端在中腸。
維時月魄死,冬日朝在房。
驅馳公事退,聞子適及城。
命車載之至,引坐於中堂。
開懷聽其說,往往副所望。」

(下し文)
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

(現代語訳)
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる。


(訳注)
思之不可見,百端在中腸。
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
君のことを思っても会えない、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだ かまっていた。
 ○思之 前の句で君に会いに行けないから思うこと。○百端 沢山の端々までのさまざまの思い。○中腸 胸から下腹に至るまで思いがたまっていくこと。蟠りがたまる。談義をすることに価値を置いているため、話ができないためフラストレーションがたまる。

維時月魄死,冬日朝在房。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、十月冬の日がきたその時、房宿にから長安に旅立つのだ。
維時 これの初めの時。○月魄 月の陰の部分。・:人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」。○冬日 10,11,12月が冬。前の句のこの時がかかってくる。朝在房 10月に張建封に随って長安に朝したことを言う。


驅馳公事退,聞子適及城。
(驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。)
幕府のつとめに走りまわっていたのから家に帰ると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
驅馳 馬かって走り回る。人のために尽力し、奔走すること。○公事 幕府での務め、公務。○適及 ○ 城郭。汴州の街。

命車載之至,引坐於中堂。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。
車を命じて君を乗せて来てもらった、案内して客間に座ってもらった。
中堂 一番の座敷、客間。

開懷聽其說,往往副所望。」2
()
胸のうちを開いて君の諸説に耳を傾けた、私の考えとしばしば合致した点が出てくる。
開懷 胸襟を開く。○其說 儒者の諸説。○往往 往々にして。屡。○副所望 儒者として、この時代で忘れられ、嫌気なものとされてきたものの復活。清廉な考えに合致することが多かったものと思われる。


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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-8-#1

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此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)

門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
韓愈の地図00

長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。
 
#1
  此日足可惜,此酒不足嚐。
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。
  舍酒去相語,共分一日光。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。
  念昔未知子,孟君自南方。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。
  自矜有所得,言子有文章。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。
  我名屬相府,欲往不得行。」
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

思之不可見,百端在中腸。維時月魄死,冬日朝在房。
驅馳公事退,聞子適及城。命車載之至,引坐於中堂。
開懷聽其說,往往副所望。」2
#2
之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。
維(こ)れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

孔丘殁已遠,仁義路久荒。紛紛百家起,詭怪相披猖。
長老守所聞,後生習爲常。少知誠難得,純粹古已亡。
譬彼植園木,有根易爲長。」3
留之不遣去,館置城西旁。歲時未雲幾,浩浩觀湖江。
眾夫指之笑,謂我知不明。兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
州家擧進士,選試繆所當。」4
馳辭對我策,章句何煒煌。相公朝服立,工席歌鹿鳴。
禮終樂亦闋,相拜送於庭。之子去須臾,赫赫流盛名。
竊喜複竊歎,諒知有所成。」5
人事安可恒,奄忽令我傷。聞子高第日,正從相公喪。
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。暮宿偃師西,徒展轉在床。
夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
我時留妻子,倉卒不及將。相見不複期,零落甘所丁。
驕兒未絕乳,念之不能忘。忽如在我所,耳若聞啼聲。
中途安得返,一日不可更。」7
俄有東來說,我家免罹殃。乘船下汴水,東去趨彭城。
從喪朝至洛,還走不及停。假道經盟津,出入行澗岡。
日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
主人願少留,延入陳壺觴。卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。平明脱身去,決若驚鳧翔。
黄昏次汜水,欲過無舟航。」9
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14


此日足可惜贈張籍 韓愈
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

門人の張 籍も無事で、訪ねて来てくれた。愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。

現代語訳と訳註
(本文)
此日足可惜贈張籍
此日足可惜,此酒不足嚐。
舍酒去相語,共分一日光。
念昔未知子,孟君自南方。
自矜有所得,言子有文章。
我名屬相府,欲往不得行。」

(下し文)(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」


(現代語訳)
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。

(訳注)
此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る
 

此日足可惜,此酒不足嚐。

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
今日というこの日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではない。


舍酒去相語,共分一日光。
酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。
だから酒をおいてたがいに思っていることを語ろうではないか、共に過ごしているこの一日の時間こそ値打ちがあるのだ。


念昔未知子,孟君自南方。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方から来たときである。


自矜有所得,言子有文章。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。
わたしに対して、わたしが良い人材であると自信を持っていると自慢し、かれ自身も文学の才があると胸を張って云ったのだ。


我名屬相府,欲往不得行。」1
我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」
そのとき私は幕府に所属し、試験官であった、だから、君の所へ行きたいと思っても行けない立場にあったのだ。
 宣武軍節度使の幕府


この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

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汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7

汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7

 汴州亂其二

葬送の行列に変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈は、このとき妻を迎えており、長女も生まれていた。まだ乳呑み子である。当然、反乱を起こした兵士たちは、女子供を相手にしないはずではあるが、治安の保てなくなった汴州に限らず、どこでも変事があると、略奪、盗賊が出現する。愈の心配はつのった。

汴州亂二首 其一
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
其二
母從子走者爲誰,大夫夫人留後兒。
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
昨日乘車騎大馬,坐者起趨乘者下。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
廟堂不肯用幹戈,嗚呼奈汝母子何。

この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。

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汴州乱 二首 現代語訳と訳註
(本文) 汴州乱 其二

母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。
昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。

(下し文)
母の子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
昨日は串に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨(はし)り乗る者は下る。
廟堂は肯(あえ)て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。

(現代語訳)
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。


(訳注)
母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。

母が子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
母従子 『汴州亂其一』「健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。」天狗星がこの地に落ち、兵士たちは節度使の留後の事務取扱者である陸長源を殺し、屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。そこにいた母子。○走者 走る人。○大夫夫人 節度使の留後の事務取扱者、陸長源の夫人。○留後児。後に残された子供。

昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
昨日は車に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨(はし)り乗る者は下る。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
大馬 肥えた大馬。○騎 速く走れる馬にまたがる。○坐者 車馬の中に座っていたもの。○起趨 立ち上がって走る。○乗者下 お付で乗っていたもの。


廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。
廟堂は肯(あえ)て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。
この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。
 ○廟堂 中央政庁、朝廷。○千戈 節度使の軍隊が起したことであるから、その上級の軍が鎮圧すべきである。


詩はこの乱に、礼節・道徳心が存在しない。王朝は、徳をもって治にあたるべきである。叛乱した軍隊を圧倒する王朝軍が制圧しない限り、流血自体は継続する。そうした状況に、韓愈自身は何もしてやれない。陸長源の夫人とその子とに同情するだけである。


この反乱を放置した朝廷の徳のなさ、無策ぶりを攻撃する。他方、陸長源の妻子を借りて、韓愈自身の妻子は無事をあらわしている。

さいわい、韓愈の妻子は無事であった。反乱の知らせに続いて東から来た人があって、その話によって事情はかなり明瞭になったのだが、それによると、韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と再会したのは二月の末になっていた。
韓愈はもはや、董晋が死んだとき、汴州での地位を失っている。あらためて探さねばならないのだが、しかし、当座は無事を確認し、喜びあったのであろう。

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李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6

汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6
 (汴州亂其一 汴州亂其二)
韓愈の地図00

韓愈 汴州 にて
795年貞元十一年一月、今に残っている「宰相に上る書」には、(自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたい)という手紙を韓愈は時の宰相に送って、仕官を求めた。科挙の試験に出ない自分の哲学を、自由論文として出し、藁をもつかむ思いであったのだろう。 二月、三月と執念深く宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

五月、困った韓愈は都を後に、郷里の河陽へと帰る。韓愈を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年に死んでいた。その墓参が目的であり、長安での生活費の一部を持ち帰ること目的であった。
 
翌796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に世襲に絡んで紛争が発生した。クーデターを成功させたものが節度使を継承できなかったことから、世情が落ち着かない状態であった。
節度使幕府の軍隊は節度使の傭兵であり、新たに中央からの任じられてきたものの命令には従わないのである。

しかし新任の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であったという。何もなかったような顔で宣武軍に着任し、軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言した。これで部惟恭の顔も立ち、宜武軍は混乱から立ち直った。

この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。節度使は行政・軍政を行なうために幕府を作るが、人事権は、節度使がもっているので、節度使が任命した人事に対して、朝廷が追認した形で辞令を出すのであった。しかし、その節度使一代限りにおいて役職が保障されるもので、節度使が死んだりやめたりしたときには、自動的にその地位を失う。科挙で選ばれた普通の官僚は、皇帝に忠節を尽くす。節度使の意のままに動く部下を必要とした。

礼部の試には合格したが、吏部で落第したという人を幕僚にして幕府を構成するということを、どの節度使がとった方法あった。韓愈も董晋の幕僚となったが、幕僚としての働きは顕著でない。797年貞元十三年には病気だったことが「復志賦」などの作品から、仕事をしたのは、翌年の貞元十四年にからであろう。宣武軍の科挙の予備試験の試験官という仕事であった。

799年貞元十五年二月三日、董晋が病気のため亡くなったため、ふたたびこの地に乱がおこったのだ。
この時の詩が「汴州の乱二首」である。

汴州亂二首 其一
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

其二
母從子走者爲誰,大夫夫人留後兒。
昨日乘車騎大馬,坐者起趨乘者下。
廟堂不肯用幹戈,嗚呼奈汝母子何。

五重塔(1)


汴州亂二首 其一
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
この日、城門というものは夜明けとともに開くのが常法なのだが、ここ汴州の城門は朝になっても開かない。諸葛孔明が死んだときに落ち、兵乱の前兆を知らせた天狗星は大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちた。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することができなかった。孤立無援の士が一人いる、哀悼の心をおこしているが、誰なのだろうか、私いがいにいないようだ。


其の一
汴州の城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
健児 争い誇って 留後を殺し、連屋 累棟 焼けて灰と成る。
諸侯 咫尺なるも救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興こす。


yuugure02


汴州乱 其一 現代語訳と訳註
(本文)

汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。

(下し文) 其の一
汴州の城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
健児 争い誇って 留後を殺し、連屋 累棟 焼けて灰と成る。
諸侯 咫尺なるも救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興こす。

(現代語訳)
この日、城門というものは夜明けとともに開くのが常法なのだが、ここ汴州の城門は朝になっても開かない。諸葛孔明が死んだときに落ち、兵乱の前兆を知らせた天狗星は大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちた。
兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。
諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することができなかった。孤立無援の士が一人いる、哀悼の心をおこしているが、誰なのだろうか、私いがいにいないようだ。

(訳注)
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
汴州の城門 朝に開かず、天狗 地に堕ちて 声 雷の如し。
この日、城門というものは夜明けとともに開くのが常法なのだが、ここ汴州の城門は朝になっても開かない。諸葛孔明が死んだときに落ち、兵乱の前兆を知らせた天狗星は大きな音をたてて天空を走りこの地に落ちた。
城門 夜明けとともに鐘を合図に明けられるものである。○天狗 天狗星。音を立てて落下したり、地上に落ちて燃えたりする、大きな流星。天狗流星。[塵袋]諸葛孔明が死んだときに落ち流星を言う。兵乱がある。もしくは敗軍の前兆とされる。


健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
健児 争い誇って 留後を殺し、連屋 累棟 焼けて灰と成る。
兵士たちは先を争って節度使の留後、つまり事務取扱者である陸長源を殺した。屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。


諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
諸侯 咫尺なるも救う能わず、孤士 何者ぞ 自ら哀しみを興こす。
諸公、潘鎮、ほかの節度使たちは目と鼻の近くにいるにもかかわらず、救助することができなかった。孤立無援の士が一人いる、哀悼の心をおこしているが、誰なのだろうか、私いがいにいないようだ。
咫尺 「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸  1 距離が非常に近いこと。「―の間(かん)」 2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

天狗は彗星のごとく、天空に見え、雷のごとき音を発する。地に落ちた所を見れば犬のようで、落ちた地方には兵乱がある。もしくは敗軍の前兆とされる。ここではむろん、汴州で兵士たちが反乱を起こしたことをさす。ただ、韓愈はこのとき、どういうわけか陸長源に同情してるともとれるが、正義感たくましい韓愈は、自分たちの利益のみで行動していることに懸念を示しているのと、死者を葬るというセレモニーの期を利用して乱を起こしたという礼節・道徳上の問題を定義しているのである。

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唐宋詩204 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「渭上思帰」孟郊(9)

唐宋詩204 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「渭上思帰」孟郊(9)


渭上思帰
獨訪千里信、囘臨千里河。
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
家在呉楚郷、涙寄東南波。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。

渭上の思帰
ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。

sas00800



渭上思帰 現代語訳と訳註
(本文)

獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。


(下し文)
ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。


(現代語訳)
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。


(訳注)
獨訪千里信、囘臨千里河。

ひとり千里の信を訪う、また千里の河に臨む。
ひとり長安で試験に臨んでいる、千里先の故郷の母は信頼し、及第することを信じてくれている、そしてまた、渭水は千里の先で故郷とつながっているだからこの川にのぞむと母につながっていることを感じるのである。
千里信 長安と江南は千里以上もある。その間を信頼という絆でつながっている。あるいは、母の慈愛であろうか。○千里河 渭水は黄河に灌ぎ、黄河は運河を通じて長江のつながっている。都、長安の食料の大半が江南地方の生産物に頼っていた。


家在呉楚郷、涙寄東南波。
家は在り呉楚の郷、涙は寄す東南の波。
実家は呉と楚の国の地方の水郷にある、春風の波から夏の風の波に変わりつつある、また次の都市の試験を思うと涙が止まらない。
呉楚郷 呉と楚の国の地方の水郷。浙江省、安徽省にある。○東南波 東の風は春を示す、春風に倚る波。春は、科挙の試験の季節。南は夏風による波、季節の移り変わりを詠ったものである。夏になる前から受験の準備にかかる。受験生は、毎年こうした季節を感じているのである。

 隋時代から始まった科挙試験、20歳前後から30年近く受験し続けた孟郊がすごいのか、息子を元気づける母親がすごいのか。現代人に理解できるのか。当時は貴族時代。当時としては科挙試験を宿命づけられた人にとって、頑張り続けるより道はなかったのだ。通常40歳を超え、45歳までにあきらめる場合が多かったようだが。
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唐宋詩203 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「古別離」孟郊(8)

唐宋詩203 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「古別離」孟郊(8)


古別離
欲別牽郞衣,郞今到何處。
男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
不恨歸來遲,莫向臨邛去。

あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨邛(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。

別れんと欲して 郞が衣を 牽く,郞 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。
歸來の 遲きを 恨みず,臨邛(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。


kairo10680



 現代語訳と訳註
(本文)
欲別牽郞衣,郞今到何處。
不恨歸來遲,莫向臨邛去。

(下し文)
別れんと欲して 郞が衣を 牽く,郞 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。
歸來の 遲きを 恨みず,臨邛(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。


(現代語訳)
男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨邛(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。 
 
 (訳注)
古別離
楽府題。『楚辭』『招隱士』招辞の一種。
王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。
歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。
『楚辭』のこの詩では、王孫とは屈原のことになる。王孫が帰ってくるのかどうかの女性の悩み。


欲別牽郎衣 郎今到何処
別れんと欲して 郞が衣を 牽く,郞 今は 何(いづ)れの 處にか 到る。

男が出かけようとするとき、男の着物を引っ張っている。そして言うことは、あなたは、今どこへ行こうとしているのですか。
欲別 夫の出発に際して。別れようとする。 ○ 引っ張る。 ○郎 男性の衣服。○ 主人。夫。男性を謂う。 ○ …に。…に到る。 ○何處 どこ。 


不恨帰来遅 莫向臨邛去
歸來の 遲きを 恨まず,臨邛(りんきょう)に 向かって去ること莫(な)かれ。
あなたが帰るのが遅くなっても恨めしくは思ったりはしないけど。あの駆け落ちをしたという臨邛(りんきょう)の様なことだけはしてくれるな。 
不恨 恨めしくは思わない。この語を伝統的に「恨みず」と訓ずる。「恨む」は国文法、他動詞・マ行上二段活用未然形「恨み」なので、「恨みず」。近世以降、四段化で、「恨まず」。 ○歸來 帰ってくる。もどる。 ○ 〔ち〕おそくなる。おくれる。のろい。ゆっくり。ぐずぐずする。⇔「速」。なお、「晩」〔ばん〕(時期的に)おそい。暮れる。後になる。○莫向 …にするな。 ○臨邛 〔りんきょう〕司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。男を惑わす女の居る所の意で使う。臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。 ○ 行く。去る。

-------------------------------------
孟郊 中唐の詩人。字は東野。751年(天寶十年)~814年(元和九年)。韓愈の哲学グループ。
韓 愈 孟郊に仕事の世話をよくしてやった。768年(大暦3年) - 824年(長慶4年)
-------------------------------------
女性の口を借りて、詠っているのであるが、儒教者の発想そのものである。風流なものを求めるわけではないが、司馬相如の故事のとらえ方が一般的でない。臨邛という語、駆け落ちであるとか、女性との遊びということに限定して詩にしている。詩に奥深さがないのは儒教者の特徴である。逆に、下手なおやじギャグを見るようなのであるが、そこがとても好感を持てる詩というものである。

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唐宋詩202 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「春雨後」孟郊(7)

唐宋詩202 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「春雨後」孟郊(7)

春雨後 
昨夜一霎雨、天意蘇群物。
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
何物最先知、虚庭草争出。

その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。

春雨の後
昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。
何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。

春雨後 現代語訳と訳註
(本文)

昨夜一霎雨、天意蘇群物。
何物最先知、虚庭草争出。

(下し文) 春雨の後
昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。
何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。


(現代語訳)
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。


(訳注)
昨夜一霎雨、天意蘇群物。
(昨夜 一霎(いっしょう)の雨、天意 群物を蘇らす。)
昨夜、わずか短い時間、雨が降った、天の意志で、群れを成し関連しあった万物を復活させるおつもりなのだ。
一霎 短い時間 霎眼 瞬く間に. 霎时, 霎时间 一瞬の間.○天意 1 天の意志。造物主の意志。また、自然の道理。 2 天の意志。天子の思い、おぼしめし。○群物 群れを成し関連しあった万物。

何物最先知、虚庭草争出。
(何物ぞ 最も先ず知る、虚庭 草 争い出ず。)
その天意を最初に知ることになったのは何だろうか、冬枯れした庭の雑草が先を争って生えだした。
虚庭 冬枯れした庭。手入れがなく荒廃した庭。○草争出 雑草が先を争って生える。


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重雲李觀疾贈之 #2 唐宋詩201Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

重雲李觀疾贈之 #2 唐宋詩201Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

孟郊が進士の試に合格したのは貞元十二年〈七九六〉であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている・ そして翌貞元十年〈七九四〉に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。

李観が死んだのは、貞元十年の春である。この春は異常に長雨が続き、『唐書』「五行志」によれば、四か月のあいだに降らなかったのはたった一日か二日であったという。詩はそのときに作られたのであろう。


重雲李觀疾贈之
#1

  天行失其度,陰氣來幹陽。
  重雲閉白日,炎燠成寒涼。
  小人但咨怨,君子惟憂傷。
  飲食爲減少,身體豈寧康。」
#2
此志誠足貴,懼非職所當。
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
藜羹尚如此,肉食安可嚐。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
且況天地間,大運自有常。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。


#1
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。
#2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。


重雲李觀疾贈之 " 現代語訳と訳註
(本文) #2

  此志誠足貴,懼非職所當。
  藜羹尚如此,肉食安可嚐。
  窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
  且況天地間,大運自有常。
  勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」

(下し文) #2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。


(現代語訳) #2
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する)。
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。


(訳注)
此志誠足貴,懼非職所當。
(此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。)

君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
 職責 李観博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職。


藜羹尚如此,肉食安可嚐。
(藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。)
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
藜羹 アカザを実にした吸い物。粗末な食物のたとえ。(藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず.)


窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
(窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。)
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
 1 カツラ科の落葉高木。山地に自生。葉は広卵形で裏面が白い。雌雄異株。5月ごろ、紅色の雄花、淡紅色の雌花をつけ、花びらはない。材を建築・家具や碁盤・将棋盤などに用いる。おかつら。かもかつら。
2 中国の伝説で、月の世界にあるという木。
桂を折る
《「晋書」郤詵(げきしん)伝から。すぐれた人材を桂の枝にたとえて》官吏登用試験に合格する。桂林(けいりん)の一枝(いっし)
 よいかおりのするさま。匂いただようさま。


且況天地間,大運自有常。
(且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。)
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。


勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
(君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。)
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。



詩は、韓愈が李観の家へは行かずに、詩のみを贈って病気見舞いとしたらしい。観の病気に対して愈はあまり重大に考えず、気侯不順のため食欲も進まず、身体に違和を来たしたと思っていたようである。それに加えて、天侯の異変は天のいましめであるとする通念がある。まじめな李観は、それを心配しているのであろう。だが、そんなことを心配するのは宰相の職分で、太子校書ごときが心配するのは、越権行為である。そんなことは気にかけず、療養につとめなさい、と愈は言っているのである。
 そのかいもなく、李観は死んだ。享年二十九であった。

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重雲李觀疾贈之 #1 唐宋詩-200Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

重雲李觀疾贈之 唐宋詩-200Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-5

孟郊が進士の試に合格したのは貞元十二年〈七九六〉であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている・ そして翌貞元十年〈七九四〉に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。

李観が死んだのは、貞元十年の春である。この春は異常に長雨が続き、『唐書』「五行志」によれば、四か月のあいだに降らなかったのはたった一日か二日であったという。詩はそのときに作られたのであろう。



重雲李觀疾贈之
#1
天行失其度,陰氣來幹陽。
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
重雲閉白日,炎燠成寒涼。
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
小人但咨怨,君子惟憂傷。
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
飲食爲減少,身體豈寧康。」
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。

#2
此志誠足貴,懼非職所當。  藜羹尚如此,肉食安可嚐。
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。  且況天地間,大運自有常。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」

#1
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。

#2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。
miyajima 683

重雲李觀疾贈之 現代語訳と訳註
(本文) #1

  天行失其度,陰氣來幹陽。
  重雲閉白日,炎燠成寒涼。
  小人但咨怨,君子惟憂傷。
  飲食爲減少,身體豈寧康。」


(下し文) #1
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。

(現代語訳)
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。


(訳注)
天行失其度,陰氣來幹陽。

(天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。)
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
天行 天の運行。天候。○其度 天候のきめられた節度。○來幹 その幹となるために来る。


重雲閉白日,炎燠成寒涼。
(重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。)
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
重雲 雨多く含んだ厚い雲。○炎燠 灼熱、炎天。燠は1 赤くおこった炭火。おきび。「かっかと赤くおこった火鉢の―のやまに」〈野上・迷路・四〉2 まきなどが燃えて炭火のようになったもの。 熱い陽気
 
小人但咨怨,君子惟憂傷。
(小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。)
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
小人 韓愈と同グループの孟郊の小人は次のとおりである。
唐宋詩196 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」
唐宋詩198 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(5)「審交」 

小人とは 「小人槿花心,朝在夕不存。」
(小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。)
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
槿花 むくげの花が朝咲いて、夕暮れには散ることからいう。 ・「槿花」はむくげの花。はかないたとえ。また、「小人、槿花の心」(つまらない人の心はむくげの花のように移ろいやすい)などといって、人の心は変わりやすいことのたとえ。
咨怨 歎き恨む。溜息をつきうらむ。○憂傷 天の異変として心配する。


飲食爲減少,身體豈寧康。」
(飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。)
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。
豈寧康 からだに障りがないはずはあるまい。


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唐宋詩199 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(6) 結愛

唐宋詩199 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(6) 結愛

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結愛 孟郊
心心複心心,結愛務在深。
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。
一度欲離别,千迴結衣襟;
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまうものだ。
結妾獨守志,結君早歸意。
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
始知結衣裳,不如結心腸。
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武巢部以外にないのだ。
坐結行亦結,結盡百年月。

常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。


心の心を 複た心の心,愛を結ぶには 深く在るに務む。
一度 離别せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;
妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早に意を歸す。
始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。
坐に行き亦 結びて結び,盡ばしば百年月を結ぶ。

DCF00102500

結愛 現代語訳と訳註
(本文)

心心複心心,結愛務在深。
一度欲離别,千迴結衣襟;
結妾獨守志,結君早歸意。
始知結衣裳,不如結心腸。
坐結行亦結,結盡百年月。

(下し文)
心の心を 複た心の心,愛を結ぶには 深く在るに務む。
一度 離别せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;
妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早に意を歸す。
始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。
坐に行き亦 結びて結び,盡ばしば百年月を結ぶ。

(現代語訳)
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまうものだ。
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武巢部以外にないのだ。
常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。


(訳注)
心心複心心,結愛務在深。

(心心 複 心心,愛を結ぶには 深く在るに務む。)
心の中のこころ、そして、そのなかの心の中の心で思うことがある、愛を結び通い合わせることは、心の奥底に必ず置いておかないといけないのだ。


一度欲離别,千迴結衣襟;
(一度 離别せんと欲す,千たび迴る 衣襟を結ぶ;)
ひとたび別れることを思って別れたら、千回繰り返しても前身ごろを結んでしまってしまう。
衣襟 前身ごろ.○下の句から以降は、結ばれる事例としてかかる。


結妾獨守志,結君早歸意。
(妾に結ぶは獨り志を守り,君と結ぶは早(つと)に意を歸す。)
妾と結ぶにはひとり志を守らないといけない、芸妓と結ぶには一番に自分の思いを決め、そこに気持ちを置いてはいけない。
 一人称の人称代名詞。謙遜の意味があり主に女性が使う。貴人に仕える女性、神に仕える女性、女子、という意味がある。また〔春秋左氏伝・僖公十七年〕から「女を人妾と爲す」を引用し、「娉(めと)らざるなり」と、めかけの意味を載せる。


始知結衣裳,不如結心腸。
(始に衣裳を結ぶを知り,心腸を結ぶに如かざるを。)
まず、はじめに知ることは衣服、衣裳を結ぶことである、心と体腹の底まで武巢部以外にないのだ。


坐結行亦結,結盡百年月。
(坐に結び 行きて 亦 結び,盡ばしば百年月を結ぶ。)
常日頃、結ぶということはこちらら行動して、そのあとで結ばれる、そうして結ばれたという場合、屡々百年の月日続くというものだ。
DCF00117

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唐宋詩198 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(5)「審交」

唐宋詩198 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(5)「審交」


審交 孟郊
種樹須擇地,惡土變木根。
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
結交若失人,中道生謗言。
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
君子芳桂性,春榮冬更繁。
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
小人槿花心,朝在夕不存。
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
唯當金石交,可以賢達論。

ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。

交わりを審(つまびら)かにす
樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。
交はりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。
君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。
小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。
躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。
唯だ金石の交わりに当たっては、賢達の論を以てすべし。
DCF00220

審交 現代語訳と訳註
(本文)

種樹須擇地,惡土變木根。
結交若失人,中道生謗言。
君子芳桂性,春榮冬更繁。
小人槿花心,朝在夕不存。
莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
唯當金石交,可以賢達論。

(下し文) 交わりを審かにす
樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。
交はりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。
君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。
小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。
躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。
唯だ金石の交はりに当たっては、賢達の論を以てすべし。

(現代語訳)
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。


(訳注)
種樹須擇地,惡土變木根。

(樹を種うるは須らく地を択ぶべし、悪土は木根を変ず。)
樹を植えるには土地を選ぶことが必要なことだ。悪い土地は木の成長をだめにする根を変化させるのだ。
種樹 友という樹を植えるならということだが、朋の存在するグループということである。○悪土 利害関係を指す。友人グループの全体の持っている成り立ち、派閥の性格などをいう。


結交若失人,中道生謗言。
(交わりを結んで若し人を失へば、中道にて謗言を生ず。)
人が交際をするということは、たとえば人が自分から離れていくことがある、その人から悪口を言われ、世間で風評となることがあるのだ。
中道 世間で言われること。世間で風評となること。
失人 この時代の人を失うとは、グループの離脱を意味するもので、何らかの力が働くか、誤解の上でこじれてグループを離脱することであるため、誹謗中傷につながる。○謗言 誹謗 (ひぼう) する言葉。悪口。


君子芳桂性,春榮冬更繁。
(君子は芳桂の性、春栄え 冬更に繁る。)
君子のもっている性は匂いのよい桂のようなものであり、春にさかんに香るのは当然で、冬になってもますます生い繁るというものだ。
君子 儒教の君子という意味もあるが、グループ内でのよきリーダーということもいえるのではなかろうか。孟郊は青春を受験で過ごしており、詩や、世界観が極端に狭いので、孟郊の使う語句には奥行、味わい深さというものが全くない。


小人槿花心,朝在夕不存。
(小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。)
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
槿花 むくげの花が朝咲いて、夕暮れには散ることからいう。 ・「槿花」はむくげの花。はかないたとえ。また、「小人、槿花の心」(つまらない人の心はむくげの花のように移ろいやすい)などといって、人の心は変わりやすいことのたとえ。


莫躡冬冰堅,中有潛浪翻。
(躡(ふ)む莫かれ 冬冰の堅きを、中に潜浪の翻る有り。)
冬の氷が堅くなるものであるがうっかり踏んではならないのだ。表面では固くても中ではゆるやかで波が翻っているのだ。
冰堅 氷の結晶をいうのであるが、いろんなグループからの誘いを示すもの。孟郊の詩は遇言詩である。この場合も過去の苦い経験からグループを検討することを示すもの。


唯當金石交,可以賢達論。
(唯だ金石の交はりに当たっては、賢達の論を以てすべし。)
ただ、だれも思うことは、金石のような変わらぬ交際のためには、その賢達についての人物について論ずるべきなのである。
賢達 賢者の尊敬語。グループ内の賢者の人物、そのなかで尊敬でき得る人物であるから、立派な尊敬できるリーダーということ。

 朝開いていた花が夕方にはしぼんで亡くなっているような友人ではどうしようもない。年中緑の葉を留めている松であっても、その地が悪い土地に変化していけばやがて枯れることになる。
 友はグループ全体を見なければいけない、そして、賢者の中で最も尊敬できる人との論議を重ねていくことが人生にとって良いことなのだと説いている。
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唐宋詩197 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(4)「勸友」

唐宋詩197 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(4)「勸友」


勸友 孟郊
至白涅不緇,至交淡不疑。
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
人生靜躁殊,莫厭相箴規。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
膠漆武可接,金蘭文可思。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
堪嗟無心人,不如松柏枝。

ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。


友を勧む
至白は涅すれども緇(くろ)まず、至交は談けれども疑わず。
人生 靜躁 殊なる、相 箴規するを厭ふ莫かれ
膠漆 武(あと)接ぐべく、金蘭 文 思ふべし。
嗟くに堪へたり 無心の人の、松柏の枝に如かざるを。


DCF00102500


勸友 現代語訳と訳註
(本文)
勸友 孟郊
至白涅不緇,至交淡不疑。
人生靜躁殊,莫厭相箴規。
膠漆武可接,金蘭文可思。
堪嗟無心人,不如松柏枝。


(下し文) 友を勧む
至白は涅(くり)すれども緇(くろ)まず、至交は淡けれども疑わず。
人生 靜躁 殊なる、相 箴規するを厭ふ莫かれ
膠漆(こうしつ) 武(あと)接ぐべく、金蘭 文 思ふべし。
嗟くに堪へたり 無心の人の、松柏の枝に如かざるを。


(現代語訳)
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。


(訳注)
至白涅不緇,至交淡不疑。
白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないという白は黒く染めようとしても黒くならない。親密な上に親密な交際というものは気持をあっさりして疑いの心がないことをいうのである。
至白 白いものの中で真っ白の物を選んでこれ以上の白はないというもの。○ (1)水の底によどんだ黒い土。黒色の染料として用いる。[和名抄] (2)「涅色(くりいろ)」の略。○至交 親密な交際の中でもさらに上級なもの。○ 1 色などが濃くない。あわい。「淡黄・淡彩・淡粧/濃淡」 2 塩けがない。「淡湖・淡水」 3 気持ちがあっさりしている。情が厚くない。「淡交・淡淡・淡泊/枯淡・恬淡(てんたん)・冷淡」.


人生靜躁殊,莫厭相箴規。
人生というものは、静かにすごすことと忙しく騒がしくすごすこととはことなるものだ、いましめて行動や判断のよりどころとなる基準に従うことをいやがってはならない。
靜躁 しずかなことと、騒がしいこと○殊 普通とは違っている。特に。ことに。「殊遇・殊勲・殊勝/特殊」○箴規 1 いましめ。いましめの言葉。箴言(しんげん)。きそく、とりきめ。2 行動や判断のよりどころとなる基準


膠漆武可接,金蘭文可思。
膠と漆のような堅い友情は後々まで継続していくものである。金蘭の美しい非常に親密な交わりは彩のある文章にすることを思わないといけない。
膠漆 にかわとうるし。きわめて親しく離れがたい関係のたとえ。「膠漆の交わり」○武可接 武は継続すべきこと。跡。先人の残した事業。○金蘭 非常に親密な交わり。非常に厚い友情。 2 ラン科の多年草。低山の木陰に生える。高さ約50センチ。葉は互生し、披針形で粗い縦じわがある。春、黄色の花を総状に10個ほどつける。○文可思 ・文はいろどり、学問、書物、文章、てがみ、韻文、詩文、文人。


堪嗟無心人,不如松柏枝。
ああ、悲しいことではないか、心のない人がいるという、そのことは、いつも常緑の葉をつけて信念を曲げない松柏の枝には及ばないことである。

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唐宋詩196 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」

■唐宋詩196 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」


結交
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。
鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
結交遠小人,小人難姑息。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
凡銅不可照,小人多是非。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。

交わりを結ぶ
鏡を鋳るには青銅を須(もち)ふ、青銅は磨拭し易し。
交はりを結ぶには小人を遠ざく、小人は姑息し難し。
鏡を鋳るは微を鑒するを図る、交はりを結ぶは相依るを図る。
凡銅 照らすべからず、小人 是非多し。
sas00800



結交 現代語訳と訳註
(本文)
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。
結交遠小人,小人難姑息。
鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
凡銅不可照,小人多是非。

(下し文) 交わりを結ぶ
鏡を鋳るには青銅を須(もち)ふ、青銅は磨拭し易し。
交はりを結ぶには小人を遠ざく、小人は姑息し難し。
鏡を鋳るは微を鑒するを図る、交はりを結ぶは相依るを図る。
凡銅 照らすべからず、小人 是非多し。


(現代語訳)
鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。


(訳注)
鑄鏡須青銅,青銅易磨拭。

鏡を鋳造するには黄金食に輝く青銅を必要とする。青銅は磨くときれいにかがやきやすいからである。
鑄鏡 鋳造して鏡を作る。○青銅 放置すれば酸化銅で青緑に変色するが、磨けば黄金色に光ったもの。○磨拭 鏡の表面をよく磨きふき取ること。


結交遠小人,小人難姑息。
人と腹を割った付き合いをするには度量の小さい「小人」を遠ざけることである。小人は根本的な解決ではなく、一時しのぎをするので根本の解決をすることが難しいからである。
結交 腹を割った付き合いをする交際。○姑息 根本的な解決ではなく、一時しのぎをする・はかること。「姑」は仮初め、「息」は休みの意。 「卑劣」と同意語のつもりで使っている例が多いが、これは誤用。○小人 器量や度量の小さい人や、人間として小さい人物を指す。また、身分の低い人を指す場合も。 この場合の読み方は"こびと"ではなく"しょうじん"となる。 孔子の言葉に「唯女子と小人とは養い難し」とある。


鑄鏡圖鑒微,結交圖相依。
鏡を鋳造するのは、微かな顔の変化ということでも映し出してあきらかにしようとするからである。人と腹を割った交際するのは、互いに相関することをかんがえているからである。
鑒微 〔「かがみ(鏡)」と同源。映し見る意から〕規範とすべきもの。模範。手本。亀鑑(きかん)。○相依 相関関係をいう。


凡銅不可照,小人多是非。
平凡な銅は鏡にしたところで照らすことができない。小人は目先の是非でもってきめていくことが多いのである。

 「鋳鏡」と「青銅」、「結交」と「小人」が、蝉聯体、反復的表現を多用しながら述べられる。


解説 
文人、あるいは、浪人、志を持っている者に対して、肉親、親族など周りのものは応援するものであり、富豪、貴族は優秀なものを発見し、育てるのが役割であった。儒教的なものは、書生に援助をすることは当然のことであった。そういう中での友人関係を述べているわけで、お互いが頼りあえるものでなければ友人ではなかったのだ。したがって、小人の打算、姑息を徹底的に排除すべきであるとしたのだろう。
これは、初唐代では最も強調されたもので詩題に弱くなるが近代まで続いた通念であった。政治的経済的な援助を期待するという考えは普通のこととして存在した。援助したものは、その人間が出世すれば、数倍になって帰ってくることも通念であった。
孟郊が交友における「利」を否定することも矛盾しない。友人に助けてもらおうとするのは、当時は決して「利」を求めることではなかったのである。

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唐宋詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)擇友 #2

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擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。

#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は荆棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。

宮島(1)

擇友 現代語訳と訳註
(本文)
#2
好人常直道,不顺世間逆。
惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。
君子大道人,朝夕恒的的。


(下し文) #2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。 

(現代語訳)
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。


孟郊(2)擇友 #2  (訳注)
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。


惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得
いやしく‐も【も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。


若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。


不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。


面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。


君子大道人,朝夕恒的的
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。


hinode0100

擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。君子大道人,朝夕恒的的。


獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
 
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾人 幾人~だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
 
古人形似獸,皆有大聖德。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖德 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。


今人表似人,獸心安可測。
今人は、表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。


雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。


面結口頭交,肚里生荆棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生荆棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。


好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。


惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得
いやしく‐も【も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。


若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。


不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。


面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。


君子大道人,朝夕恒的的
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。



解説
 古人が良くて、今人が良くないといっているのではない。「最近の若い者は、昔の人は・・・・・」といういみであろう。自分が生きていて経験していることが、今人としてのものを述べていて、古人と表現されるものは、いわゆる儒家の思想である。
 
この詩で、孟郊の言い分の痛烈な言葉としては「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」である。当時の唐王朝、初期の「貞観の治」では科挙試験のみならず、若い時に地方知事に赴任させ、仁徳をもってよく収めたものを中央の高級官僚にして行くシステムがあった。次の「開元の治」では玄宗の無能により、李林甫の「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」の奸臣を重用、政治のバランスに異民族を登用した。韓愈・孟郊の時代は「中興の治」といわれるが、宦官の力が強大になり、実質の政治を動かしたのである。この時代、皇帝も宦官の差し出す、媚薬により、短命で、頽廃的にならざるを得なかった。そのような情勢下で30年も科挙のための浪人生活をしていた孟郊である。作詩自体は、レベルは高いが、内容的にはこの程度かという内容である。韓愈の詩と対照的である。盛唐の、李白、杜甫、王維、孟浩然などの詩のレベルが強烈なため、多くいる中唐の文人、詩人は独自性を出していくのに大変苦労したと思う。

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唐宋詩194 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1

唐宋詩194 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1

孟郊の長安の交遊者五首(紀 頌之選定)について
「求友」、「択友」、「結交」、「勤友」、「審交」孟郊作
30年近くもその人生のほとんどを科挙試験に費やした特異な人生で誰から見てもおかしくない友情関係はできないであろう。受験は母の力強い応援があったことは孟郊の詩に残っている。しかし、周りの援助がなかったら続けられなかったであろう。その生活から、まともな人生観は無いだろう。今回は2回目、孟郊の友を選ぶ条件とはなんであろうか、という詩である。


擇友 #1 孟郊
獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
古人形似獸,皆有大聖德。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
今人表似人,獸心安可測。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう
雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
面結口頭交,肚里生荆棘。

表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。

#2
好人常直道,不顺世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。君子大道人,朝夕恒的的。
#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は荆棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝()しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。

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擇友 現代語訳と訳註
(本文) #1

獸中有人性,形異遭人隔。
人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。
今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。
面結口頭交,肚里生荆棘。


(下し文) #1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は荆棘を生ず。

(現代語訳)
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。


(訳注)
獸中有人性,形異遭人隔。

獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
 
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾 幾人~だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
 
古人形似獸,皆有大聖德。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖德 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。


今人表似人,獸心安可測。
今人は表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。


雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
○必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。


面結口頭交,肚里生荆棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生荆棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。

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唐宋詩193 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(1)「求友」

唐宋詩193 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(1)「求友」


孟郊の長安の交遊者五首(紀 頌之選定)について
「求友」、「択友」、「結交」、「勤友」、「審交」孟郊作
30年近くもその人生のほとんどを科挙試験に費やした特異な人生で誰から見てもおかしくない友情関係はできないであろうはずである。周りの援助によりつづけられたものである、まともな人生観は無かろうというものだ。。


求友
北風臨大海、堅冰臨河面。
北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
下有大波瀾、對之無由見。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいち理由づけをしないものだ。
求友須在良、得良終相善。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
求友若非良、非良中道變。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
欲知求友心、先把黄金錬。

普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。


友を求む
北風 大海に臨み、堅冰 河面に臨む。
下に大波瀾有れども、之に対するに見る由無し。
友を求むるは須らく良に在るべし、良を得れば終に相善し。
友を求めて若し良に非ざれば、非良 中道にて変ず。
友を求むるの心を知らんと欲せば、先づ黄金を把つて錬ぜよ。

DCF00212

交遊者五首(紀 頌之選定) 現代語訳と訳註
(本文) 求友
北風臨大海、堅冰臨河面。
下有大波瀾、對之無由見。
求友須在良、得良終相善。
求友若非良、非良中道變。
欲知求友心、先把黄金錬。


(下し文) 友を求む
北風 大海に臨み、堅冰 河面に臨む。
下に大波瀾有れども、之に対するに見る由無し。
友を求むるは須らく良に在るべし、良を得れば終に相善し。
友を求めて若し良に非ざれば、非良 中道にて変ず。
友を求むるの心を知らんと欲せば、先づ黄金を把つて錬ぜよ。


(現代語訳)
北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいち理由づけをしないものだ。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。


(訳注)
北風臨大海、堅冰臨河面。

北風は冬である大海原に臨み春を待つことになる。清廉潔白を示す堅い氷にたいし、水は東流するのが道理である河面に臨むものなのである。
北風 五行思想で北は冬、海原の蒼は春を示す。寒さに立ちむかう人生訓。○堅冰 氷は清廉潔白を示す。水は東流する。道理と清廉を示す。


下有大波瀾、對之無由見。
人生にはその過程でよいこと、悪いことの大きな波乱があるものである、これに対してそれを見ていていちいちいち理由づけをしないものだ。
大波瀾 人生にはいろんな出来事がある。○由見 見ていることへの理由づけのこと。


求友須在良、得良終相善。
友人を求めるなら根っから良い人物でなければならない。本質的な良い人物が得られれば、死ぬまで仲よくできる。
○誰かにとって良いというのでは、時代、時期状況によって変化するもの。


求友若非良、非良中道變。
友人を求めていたとして、もしも良い人物でなかったら、その良くない人物はきっと途中で心変わりするものだろう。
求友 友人を求める。自分が相手に抑止相手もよくするという友人関係の設定ではなく、その性格はその人に備わったものとしている。孟郊の生活環境から普通との違和を感じさせるものである。


欲知求友心、先把黄金錬。
普通の人たちが友人を求める心を知ろうとするならば、まず黄金を精錬する門閥を見つけ出すことからということだ。
○貧乏生活、科挙の試験のための浪人生活が長いための内容である。



 詩の前半は儒教精神を表現したものであり、いびつな青春を過ごしてきた人間にとっての友を求めるのである。疑う気持ちをもって求めることでよい朋ができるものであろうか。詩は詩として語を並べた感がしてならないものである。
 受験という目標を持った生活の中で本来なら本音の付き合いができるはずのものである。門閥・コネと賄賂で便宜を図られる科挙試験の中で親友が求められたのかというとなかなか難しい。

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唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-4 長安交遊者贈孟郊

唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-4 長安交遊者贈孟郊

 この詩は793年貞元九年の作とされている。孟郊(751~814)は、愈より17歳年長であったが、進士の科に合格したのはあとであった。
韓愈の合格年  792年 25歳
孟郊の合格年  796年 46歳(27,8年間受験)
この詩は、合格の3年前の孟郊に贈ったものである。韓愈は孟郊に度々詩をやり取りしている。

長安交遊者贈孟郊 韓愈

長安交遊者,貧富各有徒。
長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
親朋相過時,亦各有以娛。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
陋室有文史,高門有笙竽。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
何能辯榮悴?且欲分賢愚。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。


長安に交遊する者孟郊に贈る
長安に交遊する者、貧富 各七徒有り。
親朋 相い過る時、亦各と以て娯しむ有り。
肺室に文史有り、高門に笙竿有り。
何ぞ能く栄悴を弁じ、且つ賢愚を分たんと欲する。

miyajima0033221107930

長安交遊者贈孟郊 現代語訳と訳註
(本文)

長安交遊者, 貧富各有徒。
親朋相過時, 亦各有以娛。
陋室有文史, 高門有笙竽。
何能辯榮悴?且欲分賢愚。

(下し文)
長安に交遊する者、貧富 各々徒有り。
親朋 相い過る時、亦各と以て娯しむ有り。
肺室に文史有り、高門に笙竿有り。
何ぞ能く栄悴を弁じ、且つ賢愚を分たんと欲する。

(現代語訳)
長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。


(訳注)
長安交遊者,貧富各有徒。

長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
交遊者 友達関係を言うのではなくパトロンの存在を言う。あるいは門閥、党派の場合もある。○貧富 この頃受験するものは科挙の及第が家名のためであることから、宿命的に義務感をもって受験するものが多く、長期に渉る浪人生活者が多かった。そのため長期になるほど、その家の資力の違いで生活は極端に違っていたのだ。○各有徒 受験生はそれぞれ、貴族富豪によりグループを作った。

親朋相過時,亦各有以娛。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
親朋 同グループの中の近しい友人。○相過時 何かあるなしで、一緒に過ごしたことを示す。○有以娛 基本は談義をするわけであるから、党派で政治談議に違いがあった。

陋室有文史,高門有笙竽。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
陋室 儒教者の質素な、粗末な部屋、何にも無い様なみすぼらしい部屋。○有文史 学問・文学の書物があること。○高門 貴族、富豪のりっぱなお屋敷。○有笙竽 笙笛などの音楽の娯楽。

何能辯榮悴?且欲分賢愚。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。
○何 どうして~といえようか。○辯榮悴 それでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつける。○賢愚 賢人なのか、愚かな人か。


解説
 苦しい受験生活を乗り越えるためには、きれいごとだけではなりたたない。長安の街の中に受験生が数千人いるのである。地方試験を通過してきているので匈奴の希望を背負ってきているのである。春にある試験に合わせて猛勉強をするのである。韓愈には、儒教者が賢人であると思っているわけであるが、一般世間の人は、正当な道のことが分かっていないというものである。

 儒教者の論理は、教条主義的であり、発展性が少なく、このしでも面白みに欠ける。この詩で、韓愈より20年近くこの受験をしている孟郊に対して、自分たちの貧しさを美化して「つらいけど、今後頑張っていきましょう」と伝えているのである。詩に奥深さが全くないのが特徴であろうか。しかし、この頃、道教の国教化による嫌気から、文人に儒虚者の理解が多くなったのも確かである。その静かなるブームに乗ったものではなかろうか。

 この詩からくみ取れるのは、韓愈の思っていること、人に対する、仲間に対する思いがうまく表現されていないのであって、、実際の韓愈の友人を大切にする心温かさというもの、を無骨な詩によって、ギャップがあることが逆に理解されるのである。李白と杜甫が好きであった韓愈は李白杜甫の詩から何を学んでいたのだろう。そのほうが大きな疑問である。


 この詩は793年貞元九年の作と推定されている。孟郊(751~814)は、愈より年長であったが、進士の科に合格したのはあとになってしまった。後年のことになるが、孟郊が官職を得るのに愈が骨を折ってやったこともあり、そんな縁で孟郊は韓門の一人に数えられているが、愈の弟子ではない。「孟詩韓筆」(詩は孟郊で散文は韓愈)という評判をとったほどで、愈もこの人に対しては、あくまでも先輩に対する礼をとることを忘れなかった。
 孟郊が進士の試に合格したのは796年貞元十二年であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている。 そして翌794年貞元十年に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。

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唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-3 北極贈李觀#2

 
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唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-3 北極贈李觀#2
792年25歳

北極贈李觀 韓退之(韓愈)

北極贈李觀 #1
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。
誰言道裏遠,感激疾如神。
#2
我年二十五,求友昧其人。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。


#1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
#2
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。


現代語訳と訳註
(本文) #2

我年二十五,求友昧其人。
哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。


(下し文) #2
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。


(現代語訳)
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。


(訳注)
我年二十五,求友昧其人。

わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。


哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
哀歌 哀歌は、悲歌と同じょうな意で、興奮して高い調子でうたうこと。○西京 東京、東都は洛陽であり、それに対して長安のことを言う。○ 長安には西と東の中心部に市場があった。マーケット。古代には、商業は、市場で行われ、したがって盛り場にもなっていた。○夫子 夫子とは李觀よりみた、韓愈のことをさす語。子は、男子の敬称。それから二人称としても用いるようになった。夫は、指示の「この」[あの]の意味から、子の上について、いっそうていねいないい方であることを示す。実際には、事例は多いが特殊な意味として、孔子をさす場合いがある。この詩全体が孔子の言葉を使っているので、李觀にたいしての韓愈の謙譲的な態度といえるのかもしれない。

所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
二人とも仁徳の尊きことに心を傾けるものが同じでありさえするならば、世間の賢人か愚人かと頭の程度などで人間を区別することには関心はない。
同趨 心を傾けるものが同じであること。『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。ここではこの『論語』の趨の方向性が同じであることを言う。○賢愚 賢人か愚人か、頭の程度.
ここでは賢は、李観について、愚は、自分韓意についていう。○豈異倫人間を区別することには関心はない。


方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
金石 金は鐘鼎、石は碑碣。古代にはそうした銅器や石に頌功紀事、あるいは寓戒の言葉を刻んで、自分を戒めた。○緇磷:(しりん) 緇(し)は、糸を黒く染めること、黒ずむこと。僧衣を意味することもある。緇塵は世俗の醜い事柄のこと。 磷(りん)は石などを鱗のように薄くすることで、磨り減ること。雲母の意味もある。この場合は、『論語』陽貨篇の、「子曰、不曰堅乎、磨而不磷、不曰白乎、涅而不淄。」(子曰、堅しといはざらんや、磨すれども磷(うす)ろがず。白しといはざらんや、涅(くろ)くすれども緇(くろ)からず、と)
君子であれば貞節は固く身は潔白で、磨いても磨り減らないし、黒く染めようとも黒くならない。しかし、この私(謝)は最初のそんな決意の清さも明らかさも、失って(謝して)しまった。


無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
兒女態 辛いこと、悲しいことに涙を見せる大どうとることは女子供のすることである。めめしい態度。児は乳飲み子ではない十歳までの子供。童はそれより上で十五、六歳までの子供を言う。○憔悴 やつれはてる。○賤貧 賤は身分の低いこと。普通は、「貧賤」というが押韻の関係で、「貧」の字を下にした。



北極贈李観 
○北極という題は、この詩の第一句の歎初のことばを取って名づけた。「詩経」などに見える古代的な題のつけ方である。
李観(766-794)は愈と同じ受験者であったが、愈はこの人を特に評価して、親友としてつきあった。愈は親分肌の人物で、よく後輩の世話をしてやったり、指導をしたりしたが、友人と呼べるものには乏しかった。李観はその数少ない親友の一人である。この詩はニ十五歳と言っているので、この年に作られたことは明白であるが、「賤貧」などという言葉があり、科挙に合格した人の口から出たものとは思えないことばである。
 792年貞元八年、愈はめでたく科挙に合格した。例の李観も、やはり合格した。当時の習慣として、同時に合格した進士たちは、「同年」と称して友人の義を結んだものである。愈と李観とは、これで慣例としても完全な親友となった。

李観(767~795)
  洛陽の人。唐の乾元年間、朔方節度使の郭子儀に従い、策を献じた。坊州刺史呉伷の下で防遏使をつとめた。広徳初年、吐蕃の攻撃に対して郷里の子弟を率いて黒水の西を守備すると、吐蕃もかれをはばかって避けたという。嶺南節度使楊慎微の知見をえて、偏将となり、広州の軍政を総覧した。広州で徐浩・李勉らに歴仕した。馮崇道の乱や朱泚の乱の平定に功を挙げ、大将に進んだ。李勉が滑州にうつると、推挙をうけて試殿中監・開府儀同三司となり、右龍武将軍となった。建中末年、涇の軍がそむくと、千余人を率いて奉天に駐屯し、諸軍を訓練した。興元元年(784)、四鎮北庭行軍涇原節度使・検校兵部尚書となり、治績を挙げた。少府監・検校工部尚書となり、まもなく病没した。

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北極贈李觀 韓退之(韓愈)

北極有羈羽,南溟有沉鱗。川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。誰言道裏遠,感激疾如神。
我年二十五,求友昧其人。哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。


北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。

北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
○北極 天下は九分割されて九州としていたが、地上波東西南北それぞれ行き着くところがあり、崖になって海になるという考えでありその北の果てをいうものである。○羈羽 旅人のことを言うのであるが、下句に魚を言うので表現としては、故郷を離れた鳥と訳すのが妥当。○南溟 南のはての海。○沉鱗 水底深くもぐったままの魚。人に認められないことのたとえ。睨は魚類。揖羽と沈鱗は、韓愈と李観とに喩える。

川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
○浩浩 広々としたさま。○影響 影と声の響き。○兩無因 両方ともその姿さえ見えない。因は手段。

風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
○風雲 風雲に乗じて、という心持ち。外からはたらく助けによってある機会を得ることをさす。○一朝會 ある朝出会う。ひとたび出会うこと。○一身 わかれていたものが、あるいは離れていたものが一体化すること。

誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
○道裏遠 道のりが遠いさまをいう。○疾如神 速いこと神わざかと思えるほどであること。

我年二十五,求友昧其人。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。

哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
○哀歌 哀歌は、悲歌と同じょうな意で、興奮して高い調子でうたうこと。○西京 東京、東都は洛陽であり、それに対して長安のことを言う。○市 長安には西と東の中心部に市場があった。マーケット。古代には、商業は、市場で行われ、したがって盛り場にもなっていた。○夫子 夫子とは李觀よりみた、韓愈のことをさす語。子は、男子の敬称。それから二人称としても用いるようになった。夫は、指示の「この」[あの]の意味から、子の上について、いっそうていねいないい方であることを示す。実際には、事例は多いが特殊な意味として、孔子をさす場合いがある。この詩全体が孔子の言葉を使っているので、李觀にたいしての韓愈の謙譲的な態度といえるのかもしれない。

所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
二人とも仁徳の尊きことに心を傾けるものが同じでありさえするならば、世間の賢人か愚人かと頭の程度などで人間を区別することには関心はない。
○同趨 心を傾けるものが同じであること。『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。ここではこの『論語』の趨の方向性が同じであることを言う。○賢愚 賢人か愚人か、頭の程度など○豈異倫人間を区別することには関心はない。ここでは賢は、李観について、愚は、自分韓意についていう。

方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
方為 ○金石 金は鐘鼎、石は碑碣。古代にはそうした銅器や石に頌功紀事、あるいは寓戒の言葉を刻んで、自分を戒めた。○緇磷:(しりん) 緇(し)は、糸を黒く染めること、黒ずむこと。僧衣を意味することもある。緇塵は世俗の醜い事柄のこと。 磷(りん)は石などを鱗のように薄くすることで、磨り減ること。雲母の意味もある。この場合は、『論語』陽貨篇の、「子曰、不曰堅乎、磨而不磷、不曰白乎、涅而不淄。」(子曰、堅しといはざらんや、磨すれども磷(うす)ろがず。白しといはざらんや、涅(くろ)くすれども緇(くろ)からず、と)
君子であれば貞節は固く身は潔白で、磨いても磨り減らないし、黒く染めようとも黒くならない。しかし、この私(謝)は最初のそんな決意の清さも明らかさも、失って(謝して)しまった。

無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
○兒女態 辛いこと、悲しいことに涙を見せる大どうとることは女子供のすることである。めめしい態度。児は乳飲み子ではない十歳までの子供。童はそれより上で十五、六歳までの子供を言う。○憔悴 やつれはてる。○賤貧 賤は身分の低いこと。普通は、「貧賤」というが押韻の関係で、「貧」の字を下にした。

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唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-2 北極贈李觀

唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-2 北極贈李觀
792年25歳
宮島(6)

韓退之(韓愈)は、罪を得て流され、配所で死んだ韓会の弟である。そんな者の世話をしようなどという奇特な人、があるわけはない。韓退之(韓愈)が「古えの道」をふりかざしていなくとも、「門を出でて之く所がない」状態になるのは、当然のことであった。
落第も続くとなると、周囲の目も温かいばかりではなくなってくる。ことに韓退之(韓愈)の場合は、世話をしてくれる馬燧への気がねも必要である。

787年、韓退之(韓愈)は、馬燧が外出のおり、その行列をさえぎって直訴した。「馬前に拝した」後、馬燧は、直訴した韓愈を罰せずに、安邑里の私邸で会ってくれ、「其の寒飢(かんき)を軫(み)て」、着物と食事とを恵んでくれ、二人の息子を呼び出して韓愈の世話をしてやるようにと命じたたためもあって、三回目に落第した翌年の790貞元六年、彼は都を離れて江南へと帰った。その目的は明らかにされていないが、長安での生活が意外に長くなりすぎたため、一度家に帰って一息ついて気分新たに都での生活費をなんらかの補充したのではなかろうか。愈はこの旅の途中で、滑州(河南省鄭州の付近)にいた賈耽(かたん)という節度使にあてて手紙を送った(「賈滑州に上る書」)。内容は賈耽の幕僚として採用を願い出たもので、このときの愈は落第が続いたためもあり、よほど経済的に困っていたのだ。だがこの手紙は、買耽に韓愈のためを成したというものにはならなかった。

 江南へ帰って一年、詳しいことはわからないが経済上の見通しが立ったのであろう、791貞元七年韓愈は再び上京した。そして翌年、二十五歳でめでたく科挙に合格する。その年合格の前に作ったのが「北極贈李觀」である。韓愈と李観とは科挙同期及第者、「同年」と称して友人の義を結んだ親友であった。

北極贈李觀 韓退之(韓愈)

北極贈李觀 #1
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
誰言道裏遠,感激疾如神。

こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
#2
我年二十五,求友昧其人。
哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。


#1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。

#2
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。


 現代語訳と訳註
(本文) 北極贈李觀 #1

北極有羈羽,南溟有沉鱗。
川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。
誰言道裏遠,感激疾如神。


(下し文) #1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
 
(現代語訳)
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。

(訳注)
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
北極 天下は九分割されて九州としていたが、地上波東西南北それぞれ行き着くところがあり、崖になって海になるという考えでありその北の果てをいうものである。○羈羽 旅人のことを言うのであるが、下句に魚を言うので表現としては、故郷を離れた鳥と訳すのが妥当。○南溟 南のはての海。○沉鱗 水底深くもぐったままの魚。人に認められないことのたとえ。睨は魚類。揖羽と沈鱗は、韓愈と李観とに喩える。


川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
浩浩 広々としたさま。○影響 影と声の響き。○兩無因 両方ともその姿さえ見えない。


風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
風雲 風雲に乗じて、という心持ち。外からはたらく助けによってある機会を得ることをさす。○一朝會 ある朝出会う。ひとたび出会うこと。○一身 わかれていたものが、あるいは離れていたものが一体化すること。


誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
道裏遠 道のりが遠いさまをいう。○疾如神 速いこと神わざかと思えるほどであること。



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唐宋詩189Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-1 出門

唐宋詩189Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-1 出門

第一回目「出門」は、制作年代を確定し得る限りで、現存する韓退之(韓愈)の詩のうち、最も早い時期の作品である。786年19歳。



出門
長安百萬家,出門無所之。
長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
豈敢尚幽獨,與世實參差。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
古人雖已死,書上有其辭。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
開卷讀且想,千載若相期。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
出門各有道,我道方未夷。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
且於此中息,天命不吾欺。

しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
 

長安には百萬の家、門出でて之(ゆ)く所無し。
豈 敢えて幽獨を尚(とうと)ばんや、世にあたって參差(しんさ)を實なり。
古人已に死すと雖も、書上に其の辭(じ)有り。
巻を開きて讀み且つ想い、千載も相い期するが若(ごと)し。
門を出でては各々道有り、我が道は方(まさ)に未だ 夷(たいら)かならず。
且く此の中(うち)に息(いこ)わん、天命 我を欺(あざむ)かじ。


DCF00214


出門 現代語訳と訳註
(本文)

長安百萬家,出門無所之。
豈敢尚幽獨,與世實參差。
古人雖已死,書上有其辭。
開卷讀且想,千載若相期。
出門各有道,我道方未夷。
且於此中息,天命不吾欺。

(下し文)
長安には百萬の家、門出でて之(ゆ)く所無し。
豈 敢えて幽獨を尚(とうと)ばんや、世にあたって參差(しんさ)を實なり。
古人已に死すと雖も、書上に其の辭(じ)有り。
巻を開きて讀み且つ想い、千載も相い期するが若(ごと)し。
門を出でては各々道有り、我が道は方(まさ)に未だ 夷(たいら)かならず。
且く此の中(うち)に息(いこ)わん、天命 我を欺(あざむ)かじ。

(現代語訳)
長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
 

(訳注)
長安百萬家,出門無所之。

長安には何百、何万という家があるけれど、私は門を出たらどこにも行く所がない。
百萬家 ○出門 門を出る。門は科挙試験の会場の門を言う。この時代の受験生は、浪人の段階で門閥を決めていた。そうでなければ、及第することも難しかったのだ。韓退之は派閥に属さなかったのだ。


豈敢尚幽獨,與世實參差。
どうしてといって、べつにひとり静かに住みたいと思っているわけではないが、正直なところ世間の人々と考え方や好みが食い違っているからだ。
 どうして・・・なのか。○幽獨 さびしい奥まった場所で一人でいること。隠遁を示すことが多い語。


古人雖已死,書上有其辭。
いにしえの人はもはや肉体的には死んでしまっているが、書物、詩文にはその言葉、精神が載っている。
古人 昔の人。古代からの詩人を指す。○書上 書物、詩文上。○有其辭 その言葉、その精神。


開卷讀且想,千載若相期。
その本をあけて読みながらその人を想像するのである、千年を隔てていても、たがいに会おうと約束したかのような心地がするのである。
開卷 書物を開くこと。巻は書物のこと。○讀且想 読みながらその人を想像すること。○千載 千年もの間。千年を隔てていること。○若相期 たがいに会おうと約束したかのような心地のさまをいう。

出門各有道,我道方未夷。
人は門を出ればそれぞれに道ができているものなのに、私の道は見つかっていないので、今はまだ平坦でないということだ。
 儒教でいう道は仁義の道を実践し徳による王道で天下を治める覇道、徳治主義の道を官僚になることによってその一助になろうとすることが広義の道であるが、ここでは食べるための手段、方法をいうものであるが、媚奸によるものをいうのではない。○ 平らにする。平坦。異民族。 

且於此中息,天命不吾欺。
しかし、科挙試験を受けることはつづけるのだが、ひとまずは少し休息することとしよう。天命は私を欺くことはないであろうと思っている。
且於 ひとまずは。しばらくは。○此中息 科挙試験を受けることはつづけるのだが休息する。○天命 儒教者は常々天という鏡を念頭に置くものである。○不吾欺 自分は自分に対して嘘をつかない、妥協をしないから、天も自分を欺くことはないということ。


解説
 儒教者の韓退之の詩は、表裏がないので、掛詞がないといっていいとおもう。
 「門を出でて之く所」とは、衣食の道を与えてくれるところのことだが、それだけではない。受験者が衣食の道を求めるといっても、むろん何をしてもよいわけではない。一方、すでに高級官僚となった人々のあいだには、受験者たちの世話をして、その生計のめんどうまで見てやる風潮があった。

その面倒を見た受験者が合格したならば、高級官僚にとっては自分の派閥に属する人員がふえるわけで、一種の青田買いをするわけである。受験者のほうもそこを心得ていて、何かのつてを求めては高位高官の人の屋敷を訪問し、自分を売り込もうとする。うまくすれば、生活のめんどうが見てもらえるうえに、試験官と会ったときに何某という受験者は優秀だと吹聴し、先入感を与えておいてくれるかもしれないのである。なかにはこの受験者をぜひ合格させろと、地位を利用して試験官に頼みこんだという話も伝えられているが、正式の記録に残る性質のものではないので、こまかい実体は突きとめるすべもない。

 ところで韓愈の言う「道」は、当時にあっては時代おくれの、古えの道、儒教者の道であった。誰もそんな道は進もうとしないので、韓愈としては自分の道が「平坦でない」と感ぜざるを得ないのである。韓愈としても他の受験者と同様に、当世風の売り込みをしなければならないのだということは、わかっていたろう。だがわかっていても、その気にはなれない。それが儒教者なのだ。

 しかも韓愈は、罪を得て流され、配所で死んだ韓会の弟である。そんな者の世話をしようなどという奇特な人、があるわけはない。韓愈が、「門を出でて之く所がない」状態になるのは、当然のことであった。「且く此の中に息わん」と述べていることは、科挙試験が終わった直後の時期を示しているものであると考えるのが妥当であろう。


浪人暮らし
 科挙は、毎年、春に施行される。韓愈が上京したのは768年貞元二年であったが、初めて受験したのは、翌貞元三年の春であった。そして彼は、みごとに落第している。しかし、落第するのは、常識である。科挙にストレートに合格するのは、よほどの秀才というよりは、は強いコネのある人以外にはなかったのである。

問題となるのは収入をどうして得るかということである。韓退之(韓愈)の家は、江南でつましい生活を送っている。韓愈自身はしきりに自分の家は貧乏だったと言ってはいるが、それは比較の問題で、彼の一家が飢え死にしそうな事態に追いこまれた形跡はない。韓愈の将来の展望は何ひとつなく、じり貧の道をたどるばかりであったから、自己の未来に希望をもつ若い意は、上京して科挙に応じた。しかしそれに落第してみると、長安の物価高のなかでの生活という、きびしい現実が待ちうけているのである。

唐宋詩188 Ⅱ韓退之(韓愈)紀頌之の漢詩ブログ

唐宋詩188 Ⅱ韓退之(韓愈)紀頌之の漢詩ブログ

韓退之(韓愈)はじめに
2012年1月~3月の掲載予定の詩を下に示す。  韓退之(韓愈)の詩は長いものが多く、雜になることを避けるため、八句四韻をきほんとして分割して掲載していくものとなる。韓退之のブログ全体の約1/3位であろうか。



詩題名(韓退之25歳から40歳程度までの詩)
出門   
北極贈李觀
長安交遊者贈孟郊
重雲李觀疾贈之
汴州亂其一
汴州亂其二
此日足可惜贈張籍
忽忽
歸彭城
将歸贈孟東野房蜀客
山石
落歯
湖中
答張十一功層
縣齊有懐
題木居士二首
酔後
宿龍宮灘
八月十五日夜贈張功曹
赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺二十六員外翰林三学士
岳陽楼別霅司直
南山詩


官僚試験を受けるということは、中央官僚の書生となって青田刈りをされていた。これまでの李商隠のブログで試験そのものにも高級官僚の影響があり、党派、派閥が決まっていた。杜甫の時代は、武則天の時代より、結構公正な試験がなされ、及第した官僚がまず地方で実績を残したものが中央でも登用された。その良いシステムが、玄宗、李林甫の時代から狂い始め、李商隠の時代では、完全に形骸化していた。ちょうどその中間的な時代が韓退之(韓愈)の時代である。
韓退之はこの崩れかけていく官僚の腐敗に対して自分の道を歩いていくということを決意する。

 これまで掲載した李商隠(2011.7~2012.1―李商隠150)は科挙試験の時期甘露の変を体験し、夢を完全に失ってしまったのであるが、韓退之の頑固な、道を究める生き方、文人武士のリーダー的存在である。このブログでを約半年弱の予定で見ていくことになる。



韓退之 概略
768年(大暦3年) - 824年(長慶4年)享年57歳 鄧州南陽(今の河南省孟州市)の人であるが、昌黎(河北省)の出身であると自称した。涙を見せない詩人である。諡によって「韓文公」ともよばれる。
3歳のとき父を、14歳のとき兄を失って兄嫁の鄭氏に養われ、苦労して育った。792年(貞元8年)に進士に及第する。その後、監察御史、中書舎人、吏部侍郎(この官によって「韓吏部」とも呼ばれる)、京兆尹などの官を歴任した。

818年(元和13年)、30年に1度のご開帳に供養すればご利益があるとして信仰を集めていた鳳翔(陝西省)法門寺の仏舎利が、長安の宮中に迎えられ、供養されることとなった。819年(元和14年)、それに対して韓愈は、『論仏骨表』を憲宗に奉って諌言した。結果、崇仏皇帝であった憲宗の逆鱗に触れ、潮州(広東省)刺史に左遷された。

翌820年、憲宗が死去して穆宗が即位すると、再び召されて国子祭酒に任じられた。その後は兵部侍郎・吏部侍郎を歴任し、824年に死去した。礼部尚書を追贈された。

韓愈は、六朝以来の文章の主流であった四六駢儷文が修辞主義に傾斜する傾向を批判し、秦漢以前の文を範とした古文復興運動を提唱し、唐宋八大家の第一に数えられている。この運動に共鳴した柳宗元は、韓愈とともに「韓柳」と並称される。

古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と一体化しているものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。そのための排仏論も、六朝から隋唐にかけて儒教に対する嫌気と崇仏の傾向を斥け、中国古来の儒教の地位を回復しようとする、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。その傾向を受けついだのは高弟の李翱である。詩人としては、新奇な語句を多用する難解な詩風が特徴で、平易で通俗的な詩風を特徴とする白居易(別ブログ李白、次に王維の後、掲載予定)に対抗する中唐詩壇の一派を形成した。グループには孟郊・張籍・李賀・王建・賈島など「韓門の弟子」と称する詩人たちを輩出したのである。


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唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文)

行次西郊作一百韻 李商隠 白文 下し文 現代語訳 (全文)26歳の作品

蛇年建午月,我自梁還秦。
南下大散關,北濟渭之濱。
草木半舒坼,不類冰雪晨。
又若夏苦熱,燋卷無芳津。」#-1
高田長檞櫪,下田長荆榛。
農具棄道旁,饑牛死空墩。
依依過村落,十室無一存。
存者皆面啼,無衣可迎賓。』#-2


丁巳の年、即ち開成二年、北斗星の柄が丑の位を指す陰暦十二月のことである。私は(興元に恩人令狐楚の葬儀を終え)、古く梁州とよばれた地から、古くは秦と呼ばれた長安に帰るべく旅立った。
まず南に秦蜀往来の要地、関所大散関を過ぎてその峠道を下り、次に北にすすんで渭水をわたった。
川をわたれば鳳翔府、もう都の近郊なのだが、見渡せる山野の草木は、その半ばが芽生えはじめた、氷がはり雪の降る冬の朝景色らしからない展望となった。
その冬の朝景色に似ていないばかりか、また夏の厳しい炎熱に、燋げしおれ、草木はそのかおりと潤いを失ってしまったようなのだ。
丘陵の高い田畑には、役立たずの木、どんぐりだけが繁り、低い田畑に穀物はなく、雑木だけが生い茂っていた。
農民の大切な農具類が、道傍に遺棄されていた、働き手がいなくなって餓え死にした牛の死骸が横わってあたりは荒涼として、人気はまったくなくなっているのだ。
道すがら心配して心をそこの村に寄せて立ちよってみれば部落は崩壊していた、人人は死んだのか、あるいは逃げたのか、十軒人がいなくて、次の一軒に人が住むという有様なのだ。


始若畏人問,及門還具陳。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
官清若冰玉,吏善如六親。」#-3
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。


始めはただもう、何かたずねられるのをこわがってびくびくしていたが、私が門前にたどりつくと、これだけどうして荒廃したのか、事の次第を詳しく物語ってきかせてくれた。
みやこ長安より上流で右の輔翼にあたるこの鳳翔は昔からやせた土地で、田畑の収穫は乏しく、このあたりの農民は貧しさにつね日頃から苦くるしんでおりました。と村人は語り始めた。
それというのも、その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。

そのころは、どこの家でも、男の児を産んだとしても兵役にとられて国境守備にかり出される心配もなく、生れた児が女なら、いずれ近隣に嫁がせて幸せな一生を送らせる事ができたのです。
どこの調理場におかれた素焼の酒瓶には地酒があった。雑木造りの粗末な倉だけど、倉にはよくみのった穀物がうず高く積まれていたのです。
丈夫で屈強な働き盛りの男たちは近隣の女たちをかばうことをしたのです。年寄りは、皆から気遣ってもらい、自分の孫を可愛がってやればいいというものでした。


例以賢牧伯,徵入司陶鈞。
降及開元中,奸邪撓經綸。
晉公忌此事,多錄邊將勳。
因令猛毅輩,雜牧升平民。」#-5
中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#6

通例として、そのうちから、治績いちじるしかった偉い地方の太守を選抜して中央の大臣として召還されることとされたのだ。かくて、地方官はその地の民を恵しむことに励み、国政の大綱も輝かしい文治の方針にそって、その繁栄の道を歩んだのだった。
それから降って約100年後開元の時代、第六代皇帝玄宗在位の頃に汲んでから、よこしまな奸臣が、私利私欲のため国攻の施政方針をゆがめ、規律を乱し始めたのだ。
737年開元二十五年に晋国公に封ぜられた宰相李林甫は、科挙合格者の文官が地方州の長官となり、そのうち功績をあげて名望の高いものをえらんで大臣とするこの慣例が、自らの野望のさまたげとなる英賢な文人を嫌い粛清した。そして辺疆の武将(哥舒翰、高仙芝、安禄山ら)の功績を過大に評価して記録し、上申して武将を文官以上に重く用いることにしたのである。
そのため、安縁山ら、異民族出身のたけだけしい将軍たちが節度使となり、平和な中國の人民を無秩序に支配するという事態がおこった。
天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。

天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。
かくて中原の人民は身を八つ裂きにされるような苦しみをなめ、それに反して遊牧奴隷の輩、かの安禄山らは豪華な食事に満腹するといった状態となったのだった。



皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8


楊貴妃が玄宗の寵愛をいいことに、李林甫は生れてくる正腹の嫡子は棄てられて育てなかった、(太子瑛、鄂王瑤、光王琚は讒殺され)異常な事に安禄山とわむれに親子のちぎりを結ぶ有様で、禁男の後宮、山椒を塗りこめたその居間で、脱生日を祝うことによせて、安禄山を錦織りのおむつで包み、宮女達にかつがせて楊貴妃は遊びたわむれた。
安禄山への寵愛、信任は日常的にあつく、手厚い賜物はほとんど国中の富を使いつくすほどひどかった。その上、范陽節度使、河北道採訪処置使、河東節度使と、次次に節度使を兼任し、遂に北辺一帯、三道の広大な地域に彼の部下の兵が駐屯し、安禄山がそれに君臨した。
范陽の幕府には強い弓をひく士人騎兵二十万が養われていた。野蛮な兵士たちは強い弓に腕をきたえて、かいなが長く、みな猿のような体格で太刀打ちができないものだった。
皇都長安にいたるまでの道のり三干里、参勤する安禄山の隊列は、くまたか、鳶のごとく往還して土地、土地のみつぎ物を吸いあげてゆくのである。

あまりの肥満で馬を取り替える安禄山のために、五里ごとに換馬台が築かれた、十里ごとに、彼等が休憩する時には、街道の長官たちに接見し鐙をのべて、山海の珍味をつらねて饗応したのだった。
 その勢力の盛んになりとめどがなくなっていた、彼が指さしつつ首をめぐらせば、西に沈む太腸も逆行させた、彼の熱気は自然の運行を逆転させ、秋の空を春にかえすといわれたものである。
朝廷の大臣や公卿は、安禄山の嘲笑と叱責にはずかしめられたのだ、それは糞団子のように唾棄されるがままになっていたのだ。


大朝會萬方,天子正臨軒。
采旂轉初旭,玉座當祥煙。
金障既特設,珠簾亦高褰。」#-9
捋須蹇不顧,坐在禦榻前。
忤者死艱屨,附之升頂顛。
華侈矜遞衒,豪俊相並吞。
因失生惠養,漸見征求頻。』#-10

年に二度、元旦と冬至に催される大朝の儀式、天下の州と郡からの使者を宮廷に謁見する時のことだ、天子は庭に面する宮殿の軒端近くに臨席された。
五彩に色彩られた霓旌(げいぜい)は朝日の光をうけてひるがえり、天子の座の両側に据えられた香炉からめでたい香煙がたちのぼった。
その左に金鶏模様の大屏風が特別に前もって設けられてある。屏凰の前に帷があり、真珠を糸で貫いた簾が、高くかかげられていた。

范陽節度使安禄山はそこへおもむろに胡人特有の長い顎ひげを指先でこねまわしながら、ふてぶてしい、これ以上ない威張り腐った態度で居並ぶ群臣の順序を顧みずに登場してくるのだ。天子の席の前、ほとんど天子と桔抗する高座に太っていること良いことにして悠悠と坐るのである。
もし安禄山にさからう者あれば、身分の如何にかかわらずたちどころに圧死するまで靴で踏みつけられるのだ。彼に媚を売り、おもねるものは高位にまで出世できる生殺与奪を握っているのだ。
当時、長安の都に華美は蔓延し、楊氏一族や安禄山らは、邸宅の華麗さや奢侈を互に誇り、次々みせびらかしあった。それにならって地方の強い勢力を持つ節度使らは、安禄山の三道兼制と争うかのように、その富を独占し、吸い上げたのである。
このようにして、民を愛しみ養うべき攻治の本道は完全に消失し、中央の財政は困窮し、それを補うために次第に賦税を重くし、ひんぱんに課していき始めたのだった。



奚寇西北來,揮霍如天翻。
是時正忘戰,重兵多在邊。
列城繞長河,平明插旗幡。
但聞虜騎入,不見漢兵屯。
大婦抱兒哭,小婦攀車轓。」#-11
生小太平年,不識夜閉門。
少壯盡點行,疲老守空村。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
爲賊掃上陽,捉人送潼關。』#-12


天宝十四年十一月、遂に安禄山は范陽に叛し、同年十二月洛陽を落とし天宝十五年六月奚人の叛乱軍が長安城西北の開遠門、光化門、芳林門から攻め入った。そのすばやい霍乱は、天地を転倒させるかのようにすさまじいものであった。
この時、天下は100年間も続いた太平に慣れ、戦を忘れてそなえなかったのだ、参軍師団のほとんどが、辺疆防御軍にあてられ配置されていた。
渭水の河畔には数多く城郭がつらなり河をめぐらして威容を誇っていた、一朝にして叛乱軍に占領され、城樓高台にさしはさまれる旗はことごとく安禄山の軍旗となったのだ。
この段階で、伝令の報告や人の噂は、どこもかしこも叛乱軍の騎兵が侵人したというものばかりになった。近郊の郡県のどこ一つとして唐王朝の正規軍の駐屯するのは見られなかったのである。
全てのものが逃げまどい、上の嫁はわが児を抱いて声あげて泣き叫び、下の嫁は、退避する官車の被いにしがみつき、「置いていくな」、と取りすがり泣きわめいたという。

思い起こせばその昔、天下太平であった、この鳳翔の住民は夜、戸締りをしなければいけないということ意識することはなかったのだ。
だが今は、青壮年の者たちはことごとく徴兵され、ただ疲れはてた老人が、空虚になった村を守っているだけなのだ。
村に残ったものができることは、散り散りばらばらに別れて暮らしても、死ぬ時だけは一緒に死のうと誓い合うことだけなのだ。流れ落ちる涙を振り払ったら、ちょうどその時、秋の空に浮ぶ雲だけがずっと連なっているのだった。
叛乱軍に対して、朝廷の下臣、官僚らは、臆病な小鹿のように怯えばかりであった、都と王朝朝廷を守るべき北司と南司の近衛師団は、やせ羊が野原に散らばるように逃げ去ったのである。
残った軍隊や官吏らは、叛乱軍のために洛陽の宮殿を掃き清めてあけわたし、叛乱軍の侵人をたすけた。次に長安城に入った叛乱兵は、略奪、強奪し、官民、老若、男女を問わず人を捉えてはたきかん潼関の方へと送り込んだのである。


玉輦望南鬥,未知何日鏇。
誠知開闢久,遘此雲雷屯。
送者問鼎大,存者要高官。
搶攘互間諜,孰辨梟與鸞。
千馬無返轡,萬車無還轅。」#-13
城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14

756年天宝十五年六月十三日。玄宗は遂に都を棄てて、未明に南斗を望みつつ、蜀の地方へと御車を走らせたのだ。あわただしく落ちのびるその路行きは、常の巡幸にはあらず、ひとたび逃避したならば、今度はいつ、都にかえってこられるかはわからないのだ。
こうして新たな天地において天子が遷都されることになるのは、唐王朝の建国より以来はじめてのことであると認知したのだ、これは雷雲が群れて時期を待っているようにいったんは逃げるが、沈黙を保って計画を見せず、体制を整え奪還するということだ。
この玄宗に従った臣下は唐王朝も見限って、天子の権威を落し、またあわよくばとって代ろうと考えるのがでた、都に残ったものは、安禄山の偽攻府に仕え、ただ高い官位を求めていた。
このような混乱のさなかには、人というもの、互に相手の行動を探り合う。だが誰が悪鳥か神鳥か、だれが誠実であり誰が腹黒い人間であるかを見分ける事はできはしない。

街は人影なく荒涼として、荒田には、穀物の残りもつきて、ねずみやすずめも餓死した。人の去ったあとには、荒野や山にすむ猛獣が出て来て、豺や狼が叫びあい、そのこえはひとしお喧(かしま)しいものであった。
今まで、長安へは運河により南から食物や塩鉄などの必需物資が搬び込まれた、西方の異国からは、シルクロードで数知れぬ衣服や装飾などの貢物や貿易品がもち込まれていた。
それで、安史の乱でそれらの資源も、南は呉越の地方で使いはたし、略奪され、その中で、西に向けられた資物は黄河の源のあたりで、吐蕃に横領されて、左の蔵庫に搬入されないのだ。右の国庫は、百姓の乱入するにまかせて、唯空しき垣だけを残し、もはや再びその蔵に貢物や財宝のおさめたものがなくなったのだ。
租庸調という賦税の事は、戦禍が一応おさまれば、元通り履行されたので、左の藏庫には資財は確保されていったが、それは人間の体に喩えれば、左半分が有って右半分の無い片輪のようなものであった。
體の筋肉の半分が搾れて、痺れた、半身不隨、自由のきかぬ片方のひじや脇はかさぶたができ、そこから膿みがでている、その上その膿がなま臭い悪臭を発したのか、なま臭い異民族の輩の匂いなのかが周辺に漂っていた。



列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」#-15
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16

行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり

それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。

供給される兵糧も多くはその時期を逸したのである。物価は高騰し、鉛の上に銅をかぶせた悪幣の乱発は一層インフレに拍車をかけた。
山東一帯から河北のあたりを眺めてみた、安禄山の家臣や子孫がなお君臨するその地方では、家々からかまどの煙が互につらなって立ちのぼるのが見えたのである。
本来朝廷の地域としての京畿とその近辺は、官も民ももれなく困窮になりそれも甚だしく、朝廷はいきつくひまもない有様であった。辛苦して応急策を講じたが年の半ばに尽き果てるものでしかなかった。
王朝は課税対象をやたらに広げ、行商人や運送業者は、通行税をとられたのである、また新たな家屋税では垂木一本の長さごとに、税を計上された。


中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17
直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18


そののち、あげくのはてに節度使はかすめ取った富で私兵を雇った。そして、ついに朝廷にそむいて武力を乱用するようになるのである。
一方、朝廷はこうした節度使に、わざわざ宮中より使いを派遣し、その軍門の力関係によって節度使に官位を授け、その徽章である旗をおくった。おくられる爵位、それは天子に直接、接することのできる高い位だったのである。
反抗して失敗した節度使たいしては、一族連座して洙滅はされたものもいる。しかし、生きのがれた者は日ごとに力をつけていってもとのようになったのだ。
社会の秩序には正しい順位がある、その位が異なれば礼の様式をも異にする区別によって支えられるものなのだ。もはや序列は崩壊した、臣王のような節度使と天子の皇帝との区別が殆どなくなり、中央に対する関係は、西方の異民族の国羌零のような半独立国のようなものとなった。

心からの忠誠を、たとえ要求してもどうしてそれが果されよう。現実には、形だけの平衡、ともかくも朝廷が存続されることで満足するより仕方がなかったのである。
高く徳の高く尊いものである行攻の殿堂である、しかし、なに一つ実際の政治の討議もされず、大臣たちはただ八種の珍味に満腹しているだけなのである。
あえて私は書記官に問うてみたいと思う。それは為政の権は一休誰が掌握しているのか、いま天子の下にいて攻事をつかさどる大臣諸氏は、一体何をしているのか、ということなのだ。
できものが膿み、潰瘍となって国家を苦しめる状態は、もう幾十年続いてしまっている。それにも拘らず、勇気をふるって、禍の根をその根もとからりさとろうとする者もいない。
国家の実質支配の版図は年を追って縮小していった、残った土地に課せられる税は一層重くなっていった。人民が原籍をはなれて流民となり、死亡するにつれ、残った者への労役義務はますます比重を増していき、賦税徴収の回数が頻繁になっていくのもむしろ当然のことになった。



近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20


少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。

鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。



爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22


その事がございましてから、今年でもう三年になりますが。自然のうるおいを受けていた沢地もいまだに、耕せず田畑にならなくて春の季節に間にあいそうにないのです。
治安は改められず、白昼堂々と盗賊は横行するのです。その盗賊は、みんな食いつめた難民のなれの果てなので誰と問うことができましょうか。
節度使は責任上、宿場の駐在所所員をひっとらえて殺します。盗賊を捕えようとしたところで、到る所にいるのです。その窮民達、どうして、捕縛することができるというのでしょう。 
旱天続きで黄土は乾燥しているので、ただでさえ埃がまっているのに、風吹けば黄塵で、一寸先も見えなくなるのです。

州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。



我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。

私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
天子のおわす官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただおのれの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 171 #24

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「行次西郊作一百韻」について李商隠の詩150 -147はじめに
李商隠 148 北徵と行次西郊作一百韻について


#23
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#23

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
使典作尚書,廝養爲將軍。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
慎勿道此言,此言未忍聞
。』#-24
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。

#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。

叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。




行次西郊作 一百韻 現代語訳と訳註

(本文)
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。

(下し文)
叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。


(現代語訳)
私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


(訳注)
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。

私は天子の叱責をこうむるのも覚悟の上、床に額をうちつけて、甘露の変の血とは違い清らかな朱血を流し、涙ともども、天子政庁の殿堂を、その血と涙の玉で彩りたいとおもうのです。
叩額出鮮血 漢の朱雲が佞臣張禹を斬らんと願って成帝劉爽の怒りをかった時、左将軍の辛慶忌が、叩頭流血してその謝免を願った故事から出る言葉。○滂沱 涙の盛んに流れるさま。「詩経」陳風沢陂に「涕泗滂沱たり。」の句がある。○紫宸 天子が政を聴く一番奥の御殿。唐の長安の宮中でも紫宸殿は奥に位する。


九重黯已隔,涕泗空沾唇。
天子のおられます官殿は以前よりすでに九重の門を固く閉ざして王朝の雰囲気はうす暗く重いものになっている、誠心あるおおくの官位低き者を隔てて近寄せられない状況なのです。流れ落ちる涙、鼻水は、まだ何事をも心にしまい、建議すらできない、今はただ已れの唇を空しく濡らすに過ぎないというものです。
○九 天子の宮城には九つの門がある。○涕泗 涙を流し鼻水を流す。


使典作尚書,廝養爲將軍。
今は学問も正義も不用、ただ僥倖姦智(ぎょうこうかんち:悪知恵―おべっか、賄賂、女などにより成り上がること)によって、役揚の小役人が最高宰相となり、軍陣の飯たきが成りあがって将軍になる時世となっているのです。
使典作尚書 使典は役所の小役人。尚書は法令を実施する官庁。ここは、その尚書省の大臣をいう。「旧唐書」李林甫の伝に、その一党の朔方節度使牛仙客(生年不詳―742年)が尚書を兼ねた時、唐朝中興の功臣の一人で、それまで尚書僕射であった張九齢(673-740年)はそれをそしって、「仙客はもと河湶の一使典のみ。」と言ったとある。この事実を直接さす訳ではないが、官僚機構の秩序がこのように崩壊していたことをいうのである。○廝養 「春秋公羊伝」の宜公十二年の章に「廝役扈養」なる語がみえる。漢の何休の注によると「草を刈りとって防を為す者を廝、炊亨する者を養と曰う。」と。また、「東観漢記」に「忠下の養 中郎将たり。」云云と、商人や料理人が官爵を授った当時の風を風刺した後漢の歌謡をのせる。下賤より成りあがった者をいやしめていう言葉であろう。 


慎勿道此言,此言未忍聞。
村人よ、よく教えてくれた、私も常々そうおもっていたが、もう二度とこうした話をされてはいけない。理解をしているからこそ、これ以上これを話されると辛くなるばかりなのでもうこれ以上聞けないのだ。


次回まとめ

行次西郊作一百韻

蛇年建午月,我自梁還秦。
南下大散關,北濟渭之濱。
草木半舒坼,不類冰雪晨。
又若夏苦熱,燋卷無芳津。」#-1
高田長檞櫪,下田長荆榛。
農具棄道旁,饑牛死空墩。
依依過村落,十室無一存。
存者皆面啼,無衣可迎賓。』#-2
始若畏人問,及門還具陳。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
官清若冰玉,吏善如六親。」#-3
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。
降及開元中,奸邪撓經綸。
晉公忌此事,多錄邊將勳。
因令猛毅輩,雜牧升平民。」#-5
中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#-6
皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8
大朝會萬方,天子正臨軒。
采旂轉初旭,玉座當祥煙。
金障既特設,珠簾亦高褰。」#-9
捋須蹇不顧,坐在禦榻前。
忤者死艱屨,附之升頂顛。
華侈矜遞衒,豪俊相並吞。
因失生惠養,漸見征求頻。』#-10

奚寇西北來,揮霍如天翻。
是時正忘戰,重兵多在邊。
列城繞長河,平明插旗幡。
但聞虜騎入,不見漢兵屯。
大婦抱兒哭,小婦攀車轓。」#-11
生小太平年,不識夜閉門。
少壯盡點行,疲老守空村。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
爲贼掃上陽,捉人送潼關。』#-12
玉輦望南鬥,未知何日鏇。
誠知開辟久,遘此雲雷屯。
送者問鼎大,存者要高官。
搶攘互間諜,孰辨梟與鸞。
千馬無返轡,萬車無還轅。」#-13
城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」#-15
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16
中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17
直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18
近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19
鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20
爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21
官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23
叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 170 #23


官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22

我聽此言罷,冤憤如相焚。
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
又聞理與亂,在人不在天。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
我願爲此事,君前剖心肝。」
#-23
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。
#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。
#24
叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。



行次西郊作 一百韻 現代語訳と訳註
(本文)#23
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」


(下し文) #23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。


(現代語訳)
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。


(訳注)
我聽此言罷,冤憤如相焚。
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
 完了を意味する助詞。だが現代語の罷とは少し異なる。○如相焚「詩経」小雅節南山に「憂心肘べ`が如
し。」と。心が憤りに熱してきてただれるようになることをいう。


昔聞擧一會,群盜爲之奔。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
挙一会 会は春秋時代の晋の大夫、士会のこと。晋の景公が士会を中軍に将として抜擢、また太傅に任用したとき、晋国の盗賊はまだ追いもしないのに、逃れて秦の国に逃亡した、という「春秋左氏伝」宜公十六年の記事にもとづく。


又聞理與亂,在人不在天。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
理与乱 理から乱は治乱に同じ。唐の太宗(599―649)続く高宗(628一683年)の治から政治闘争、権力闘争へ、開元の治から、安禄山の叛乱、中興の治から甘露の変、を指すもので、平穏な治を作り上げるためには、数々の改革をして成し遂げられるものであり、天から授かるものではないのだ。


我願爲此事,君前剖心肝。」
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ
此事 天すなわち超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を指す。○剖心肝 心肝は胸の奥底。杜甫の彭衙行 #4 杜甫 135 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132に「誰肯艱難際,豁達露心肝」(誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん)と。

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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 169 #22

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 169 #22



爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22
州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。


我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」#-23


#21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。

#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。


#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。


 
#22 現代語訳と訳註
(本文) #-22

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』


(下し文)#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。


(現代語訳)#22
州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。


(訳注)
官健腰佩弓,自言爲官巡。

州軍の兵士達は腰に弓矢をおび(携帯)て、お上のために巡察しているのだと自分では申しております。
官健 衣・糧の官給される州兵を官健という。なお、天下諸道には、みな健児なる州兵がいた。唐の玄宗の御批「唐六典一に見える。自給のための若干の土地が与えられているが俸禄はほとんどないもので、平時にやっと生活できる程度の生活レベルであった。官健も生活にあえいでいたものが多かったのだ。


常恐值荒迥,此輩還射人。
けれども、人里離れた荒地にまいりましたなら、日常的に恐ろしいことするのです。この兵士達が逆に人を射殺して、盗賊人となるのです。
值荒迥 値はそこへ丁度行きあたること。荒迥は人里離れた草原。○還射 矢を射る、人を殺す人にかわること。


愧客問本末,願客無因循。
旅人のお方、この有様、この現状に至った顛末を理解してくれたことを、かたじけなく思います。そして、願わくは、ぐずぐずして一向に改めようとしないこの現状が何とかならないでしょうか。
 かたじけなく思う。○本末 事の次第。ここでは、この有様、現状に至った顛末を理解すること。○因循 1 古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしないこと。また、そのさま。2 思い切りが悪く、ぐずぐずしていること。引っ込み思案なさま。


郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。
郿塢のあたりより、陳倉に至るこの一帯でございますが、いまだに夕暮れ時からが禁物なので早く移動してください。
郿塢 陝西省郡県北方にある地名。○陳倉 陝西省宝鶏県の東にある地名。


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 168 #21

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 168 #21


鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20

爾來又三歲,甘澤不及春。
その事がございましてから、今年でもう三年になりますが。自然のうるおいを受けていた沢地もいまだに、耕せず田畑にならなくて春の季節に間にあいそうにないのです。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
治安は改められず、白昼堂々と盗賊は横行するのです。その盗賊は、みんな食いつめた難民のなれの果てなので誰と問うことができましょうか。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
節度使は責任上、宿場の駐在所所員をひっとらえて殺します。盗賊を捕えようとしたところで、到る所にいるのです。その窮民達、どうして、捕縛することができるというのでしょう。 
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

旱天続きで黄土は乾燥しているので、ただでさえ埃がまっているのに、風吹けば黄塵で、一寸先も見えなくなるのです。

官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22

#20
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。

#21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。

#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。

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行次西郊作 #21 現代語訳と訳註

(本文)
爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。

(下し文) #21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。


(現代語訳)
その事がございましてから、今年でもう三年になりますが。自然のうるおいを受けていた沢地もいまだに、耕せず田畑にならなくて春の季節に間にあいそうにないのです。
治安は改められず、白昼堂々と盗賊は横行するのです。その盗賊は、みんな食いつめた難民のなれの果てなので誰と問うことができましょうか。
節度使は責任上、宿場の駐在所所員をひっとらえて殺します。盗賊を捕えようとしたところで、到る所にいるのです。その窮民達、どうして、捕縛することができるというのでしょう。 
旱天続きで黄土は乾燥しているので、ただでさえ埃がまっているのに、風吹けば黄塵で、一寸先も見えなくなるのです。


(訳注)
爾來又三歲,甘澤不及春。

その事がございましてから、今年でもう三年になりますが。自然のうるおいを受けていた沢地もいまだに、耕せず田畑にならなくて春の季節に間にあいそうにないのです。
○甘沢 甘美なるうるおい。梁の宗惶の「荊楚歳時記」に「六月に必ず三時の雨有り。田家以て甘沢と為す。」
と見える。

盜贼亭午起,問誰多窮民。
治安は改められず、白昼堂々と盗賊は横行するのです。その盗賊は、みんな食いつめた難民のなれの果てなので誰と問うことができましょうか。
亭午 まひる。


節使殺亭吏,捕之恐無因。
節度使は責任上、宿場の駐在所所員をひっとらえて殺します。盗賊を捕えようとしたところで、到る所にいるのです。その窮民達、どうして、捕縛することができるというのでしょう。 
節使 節度使。○亭吏 駐在所所員。○無因 方法、手段がない。因は原因の意にも手段の意にもなる。


咫尺不相見,旱久多黄塵。」
旱天続きで黄土は乾燥しているので、ただでさえ埃がまっているのに、風吹けば黄塵で、一寸先も見えなくなるのです。
咫尺 ほんのわずかの距離。咫は古い尺の八寸。



 ここに出てくる「甘沢」とは、甘美なるうるおいとはまさしく夏に降る雨であるが、それは作物の成長に欠かせない雨でもあり、もともと恵まれていた川の傍の田畑であったとこを指すものである。「爾来 又三歳甘沢 春に及ばず」、甘露の変より三年経つが、この地には春の恵みの雨すら降らない、また、川から水をひきいれたり、田んぼ畑を耕さないので保水力が全くないのである。当然、干ばつも推定される。咫尺の間が見えなくなる。黄河流域の砂塵のものすごさを想像させる。

問題は、流民の全員が盗賊になってしまったこと、役人でさえも、強盗になるというもので、ここには生産性のあるものはもはやなくなってしまったゴーストタウンということなのだ。


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kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 167 #20

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 167 #20



近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
不複議所適,但欲死山間。』
#-20
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。
爾來又三歲,甘澤不及春。
盜贼亭午起,問誰多窮民。
節使殺亭吏,捕之恐無因。
咫尺不相見,旱久多黄塵。」#-21

#19
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、
城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。
#-20
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。

#21
爾来(じらい) 又三載(またさんさい)、甘沢(かんたく) 春に及ばず。
盗賊は亭午(ていご)に起る、誰かと問えば 多くは窮民。
節使はただ亭吏を殺す、之を抽えんとするも恐らく因るところ無けん。
咫尺(しせき)にも相い見えず、
旱(ひでり)久しくして黄塵(こうじん)多し。


 現代語訳と訳註
(本文)

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20

(下し文)
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。
 
(現代語訳)
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。


(訳注)
鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
鳳翔から長安に至るまで、凡そ三百里の間は、しかしその甘露の変のために無政府状熊におち入り、ならず者は群盗と化し、農民一揆は乱発し、あたかも漢末の黄巾の乱のように、兵馬が駆けめぐったのだった。
鳳翔三百里 鳳翔府は長安の西三百十五里にある。180km余り。○黄巾 後漢の霊帝劉宏(一五六―一八九年)の時に起り、後漢の滅亡の原因の一つとなった、張角に指導された大農民一揆。天師道の信仰によって結束し、その一党はみな黄色い頭巾をかぶっていたので、世にこれを黄巾の賊と称する。黄は土の色を象徴し、五行思想から云えば漢の徽色である赤に代るべき色なのである。李商隠の死後、同様に唐の末期的症状を示す黄巣の乱(こうそうのらん)(875~884)が起こっている。


夜半軍牒來,屯兵萬五千。
真夜中に軍部からの指令が村にとどいたのであるが、それは、一万五干の王朝の軍が駐屯するというしらせであったが、同時にそれは村人の負担になるのだ。
軍牒 軍の指令書。


鄉里駭供億,老少相扳牽。
村人にとって、兵糧米の供出に、村里は愕然とせねばならなかった。命令に従う以外にはないからである。老人と幼少年の者、それら辛うじて村に居残っていたものたちは前後で手をひき合って逃亡するしかなかった。
供億 乏しき者に物を給与してそれを安んぜしめるのが原義、転じて供出の義に用う。[左伝]の隠公十一年の章に「鄭伯曰く、寡人は惟だ是。のこ一の父兄だに供億する能わず。」と見える。○扳牽 扳はひっぱる。牽は前にひくの意。


兒孫生未孩,棄之無慘顏。
逃民は生れてまだ乳ばなれせぬ嬰児を足于まといになるということで路傍に棄て去り、しかも、それを悲しむ表情をすら失っていた。
未孩 生れて二I三歳、笑いを知りそめた子供を孩という。未孩は乳飲児。「老于」に「嬰児の未だ孩ならざる如し」とある。○惨顔 惨は哀れに思って心いたむこと。


不複議所適,但欲死山間。
どこへ行けばよいのかを相談すこともないままに、ただもう、兵戈にかかるよりは、山の中で餓え死にした方がましであると、逃避したのである。
 事の宜しきを考えはかる。


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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 166 #19

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2012new01



直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18

近年牛醫兒,城社更扳援。
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目把大旆,處此京西藩。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
生爲人所憚,死非人所憐。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」
#-19
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。

鳳翔三百里,兵馬如黄巾。
夜半軍牒來,屯兵萬五千。
鄉里駭供億,老少相扳牽。
兒孫生未孩,棄之無慘顏。
不複議所適,但欲死山間。』#-20

-#18
直え赤誠(せきせい)輸さんことを求むるも,望む所は大體の全(まった)きのみ。
巍巍たる政事の堂,宰相は八珍に厭(あ)く。
敢敢て 下執事に問う,今 誰か其の權を掌(つかさど)るや。
瘡疽(そうそ) 幾十載,敢て其の根を扶(えぐ)らず。
國 蹙(おとろ) えて 賦 更に重く,人 稀にして 役彌(いよ) いよ繁し。』-18

-#19
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。

#20
鳳翔(ほうしょう) 三百里、兵馬(へいば)は黄巾(こうきん)の如し。
夜半(やはん)に軍牒(ぐんちょう)来り、兵を屯する 万五干。
鄉里は供億(きょうおく)に駭(おどろ)き、老少(ろうしょう) 相い扳(たす)け牽(ひ)く。
児孫(じそん) 生れて未だ孩(がい)ならざるに、之を棄てて惨顔(さんがん)無し。
複た適(ゆ)く所を議(はか)らず、但だ山間に死せんことを欲す。



現代語訳と訳註
(本文)

近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

(下し文)
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。


(現代語訳)
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。


(訳注)
近年牛醫兒,城社更扳援。
 
少し前近年のことだ、田舎獣医の子供であったものが口を巧みにあやつった鄭注は、宦官どもにとり入って、政治の場によじ登ったのだ。
牛医児 835年文宗太和九年十一月の宦官勢力掃討を名目としたクーデター、所謂「甘露の変」の主謀者の一人、風翔節度使鄭注を指す。牛医児はもと、後漢の獣医の子であった黄憲のことをいうが、鄭注(?-835年)は医薬の術で文宗皇帝李昂(809-840年)の厚遇を得たので、借りて牛医の児と呼んだのである。○城社 君側の佞臣。○扳援 一本に板援につくる。扳は攀に同じ。よじのぼること。勢力ある人に頼って出世することが攀縁・鄭注は最初、中尉(宦官の職)王守澄(?-835年)の推薦で文宗の愛寵を得た。 


盲目把大旆,處此京西藩。
盲目に等しい極度の近限というだけでなく、加えて何らの先見もなく政策をも知らすに節度使となり、大旗を翻えして、この帝都の西のまもりである鳳翔の地に赴任して来た。
盲目 鄭注は近視眼で遠くを見ることが出来なかったことにひっかけ、政見も政策も持たずして重任されたことを、盲目といったもの。○把大旆 大きな旗を立てて節度使となることをいう。鄭注は833年太和七年昭義行軍司馬であったが、王守澄のすすめで天子の病をいやすべく都によばれ、彼の医術が効を奏して寵を得、835年太和九年に鳳翔節度使となった。○京西藩 鳳翔節度使をいう。藩は王城守備の外垣というのがもとの意味。ここでは潘鎮をいう。

樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
彼は派閥争いに割り込んで人が失敗や禍にあうのを楽しんだ、私利私欲の節度使や宮廷に巣喰う宦官など、朝廷にとっては怨敵であるはずの者達を敵として戦うことなどをあたまから忘れてしまった。また鄭注のたてた党派に属するものどもは観念的な事ばかりのことをいうものや、その反対にやみ雲にやろうとするものが多かった。
楽禍 李徳柿(789-849年)と牛伯儒(779-847年)、李宗閔の派閥争い、宦官王守澄、仇士良(779-841年)の介人、汲び、鄭注、李訓(?-835年)の新興勢力の巴状態の対立の中で、鄭注と李訓が自己の勢力拡張に腐心し、要職人の禍にかかるのを喜んだことをいう。○怨敵 宦官を指す。○狂狷 中庸の道に合わぬ行い。狂は実践力の伴わない観念ばかりのことをいう。狷はその反対にやみ雲にやろうとすること。 


生爲人所憚,死非人所憐。
それゆえに生きている間には、人のはばかり畏れる高位を得たけれども、彼の死後は、その死に様の悲惨さにも拘らず、憐れむ者はいなかったのである。


快刀斷其頭,列若豬牛懸。」
企まれたクーデターは失敗し、急ぎ長安に攻め入ろうーとした彼の軍隊は監軍使にだまし討ちされ、見事な切れ味の刀に彼はその頭をはねられた。その首は、あたかも豚や牛の首のように、死刑場にさらしものにされたのである。
快刀-牛懸 甘露の変は、宦官を外廷におびき寄せて殺害せんとし、冬至の日に宮殿わきの庭の石榴の花に露がおりたと奏上させ、邠寧節度使郭行俆、太原節度使王璠の援軍によって、一拳に事をきめるべく、李訓と鄭注によって計画されたクーデターである。だが、失敗して、逆に宦官の為に李訓は勿論、それに無関係な朝臣までが多く殺害された。その失敗を聞いた鄭注は、鳳翔より親兵五百余人を率いて宮門に攻め入ろうとしたが、途中監軍使張仲清に殺された(「旧唐書」鄭往伝および 「通鑑」)。
甘露の変は李商隠の人生にとって、希望の灯を立たれたエポックメーキングであった。李商隠の人生はこれにより決まったのである。この詩をはじめ多くの詩はどこかでこの事件につながったものである。

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中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17
直求輸赤誠,所望大體全。
心からの忠誠を、たとえ要求してもどうしてそれが果されよう。現実には、形だけの平衡、ともかくも朝廷が存続されることで満足するより仕方がなかったのである。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
高く徳の高く尊いものである行攻の殿堂である、しかし、なに一つ実際の政治の討議もされず、大臣たちはただ八種の珍味に満腹しているだけなのである。
敢問下執事,今誰掌其權。
あえて私は書記官に問うてみたいと思う。それは為政の権は一休誰が掌握しているのか、いま天子の下にいて攻事をつかさどる大臣諸氏は、一体何をしているのか、ということなのだ。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
できものが膿み、潰瘍となって国家を苦しめる状態は、もう幾十年続いてしまっている。それにも拘らず、勇気をふるって、禍の根をその根もとからりさとろうとする者もいない。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18

国家の実質支配の版図は年を追って縮小していった、残った土地に課せられる税は一層重くなっていった。人民が原籍をはなれて流民となり、死亡するにつれ、残った者への労役義務はますます比重を増していき、賦税徴収の回数が頻繁になっていくのもむしろ当然のことになった。
近年牛醫兒,城社更扳援。
盲目把大旆,處此京西藩。
樂禍忘怨敵,樹黨多狂狷。
生爲人所憚,死非人所憐。
快刀斷其頭,列若豬牛懸。」#-19

#17
中間 遂に梗(こう)を作(な)し、狼藉(ろうぜき) 戈鋋(かせん)を用う。
門に臨(のぞ)みて節制(せっせい)を送り、以て通天の班を錫(たも)う。
破れし者は以て族滅せられ、存れし者は尚お遷延す。
礼数(れいすう) 君父(くんぷ)に異なり、羈縻(きび)羌零(きょうれん)の如し』-#17

-18

直え赤誠(せきせい)輸さんことを求むるも,望む所は大體の全(まった)きのみ。

巍巍たる政事の堂,宰相は八珍に厭()く。

敢敢て 下執事に問う,今 誰か其の權を掌(つかさど)るや。

瘡疽(そうそ) 幾十載,敢て其の根を扶(えぐ)らず。

國 蹙(おとろ) えて 賦 更に重く,人 稀にして 役彌(いよ) いよ繁し。』-18


-#19
近年 牛医(ぎゅうい)の児(こ)、
城社(じょうしゃ)に更に扳援(はんえん)す。
盲目(もうもく)にして大旆(たいはい)を把(と)り、此の京西(けいせい)の藩(はん)に処(お)る。
禍(わざわい)を楽しみて怨敵(おんてき)を忘れ、党を樹てて狂狷(きょうけん)多し。
生きては人の憚(はばか)る所と為り、死しても人の憐む所に非ず。
快刀(かいとう) 其の頭(こうべ)を断(き)り、列(つら)ねらるること猪牛(ちょぎゅう)の懸(かけ)らるるに若(に)たり。



現代語訳と訳註
(本文)

直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18


(下し文) -#18
直え赤誠(せきせい)輸さんことを求むるも,望む所は大體の全(まった)きのみ。
巍巍たる政事の堂,宰相は八珍に厭(あ)く。
敢敢て 下執事に問う,今 誰か其の權を掌(つかさど)るや。
瘡疽(そうそ) 幾十載,敢て其の根を扶(えぐ)らず。
國 蹙(おとろ) えて 賦 更に重く,人 稀にして 役彌(いよ) いよ繁し。』-18


(現代語訳)
心からの忠誠を、たとえ要求してもどうしてそれが果されよう。現実には、形だけの平衡、ともかくも朝廷が存続されることで満足するより仕方がなかったのである。
高く徳の高く尊いものである行攻の殿堂である、しかし、なに一つ実際の政治の討議もされず、大臣たちはただ八種の珍味に満腹しているだけなのである。
あえて私は書記官に問うてみたいと思う。それは為政の権は一休誰が掌握しているのか、いま天子の下にいて攻事をつかさどる大臣諸氏は、一体何をしているのか、ということなのだ。
できものが膿み、潰瘍となって国家を苦しめる状態は、もう幾十年続いてしまっている。それにも拘らず、勇気をふるって、禍の根をその根もとからりさとろうとする者もいない。
国家の実質支配の版図は年を追って縮小していった、残った土地に課せられる税は一層重くなっていった。人民が原籍をはなれて流民となり、死亡するにつれ、残った者への労役義務はますます比重を増していき、賦税徴収の回数が頻繁になっていくのもむしろ当然のことになった。


(訳注)
直求輸赤誠,所望大體全。
心からの忠誠を、たとえ要求してもどうしてそれが果されよう。現実には、形だけの平衡、ともかくも朝廷が存続されることで満足するより仕方がなかったのである。
直求 直はたとえ何何であって唇という仮設の意味になることがある。○大体 かなめのことがら。「孟子」告子篇の「休に貴践有り。小大有り。」からでる。ここは恐らく朝廷をいう。○赤誠 心からの忠誠。


巍巍政事堂,宰相厭八珍。
高く徳の高く尊いものである行攻の殿堂である、しかし、なに一つ実際の政治の討議もされず、大臣たちはただ八種の珍味に満腹しているだけなのである。
巍巍 1 山などの高く大きいさま。「巍巍たる岩山」 2 徳の高く尊いさま。○八珍 八種よりなる最上の御馳走。「周礼」の膳夫の条に見える。


敢問下執事,今誰掌其權。
あえて私は書記官に問うてみたいと思う。それは為政の権は一休誰が掌握しているのか、いま天子の下にいて攻事をつかさどる大臣諸氏は、一体何をしているのか、ということなのだ。
下執事 とりつぎの書記官。「国語」の呉語に古い用例としてこの言葉が見える。


瘡疽幾十載,不敢扶其根。
できものが膿み、潰瘍となって国家を苦しめる状態は、もう幾十年続いてしまっている。それにも拘らず、勇気をふるって、禍の根をその根もとからりさとろうとする者もいない。
療疸 かさぶたとできもの。○扶其根 政治体制にさまざまな問題点が生じている。目先の場当たり的な対処しかしなかった。それは、宦官が政治、軍事的にも圧倒的な力を持っていたからなのだ。


國蹙賦更重,人稀役彌繁。
国家の実質支配の版図は年を追って縮小していった、残った土地に課せられる税は一層重くなっていった。人民が原籍をはなれて流民となり、死亡するにつれ、残った者への労役義務はますます比重を増していき、賦税徴収の回数が頻繁になっていくのもむしろ当然のことになった。
国蹙 蹙は縮まり狭くなること。○ 土地農作物に課せられる税。○ 人力を提供する賦役。○ ますます。


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 国力が衰えていく一方で、力を蓄えた節度使は国家の障害をなすようになり、武力を以って朝廷に背く者まで現れた。しかし朝廷はこれにも十分な対策を練ることが出来ず、逆に使者を派遣して節度使に徽章である旗と任命の詔勅を送り、それのみならず宰相のような天子直属の高い官職を与え懐柔しようとする目先に動かされる対応策だけであった。このことは、朝廷の考えの中枢に宦官がいたことを示すことでもあるのだ。朝廷の討伐を受け滅亡した者もいない訳ではないが、難を逃れた者は口実を設けては生き残りを図ろうとする。もはや節度使は君王というもに変化したのである、朝廷の節度使への対策は西方の異民族に対しこれを綾絡し繋ぎとめようとする対策と同様の考えに基づいている。
朝廷が節度使に対し忠誠を尽くす事を求めえるものではなくなって、戦にならなければよいという程度の健全な状態、表向きの君臣関係を維持するのがやっとというものであったのだ。


饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16
中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
そののち、あげくのはてに節度使はかすめ取った富で私兵を雇った。そして、ついに朝廷にそむいて武力を乱用するようになるのである。
臨門送節制,以錫通天班。
一方、朝廷はこうした節度使に、わざわざ宮中より使いを派遣し、その軍門の力関係によって節度使に官位を授け、その徽章である旗をおくった。おくられる爵位、それは天子に直接、接することのできる高い位だったのである。
破者以族滅,存者尚遷延。
反抗して失敗した節度使たいしては、一族連座して洙滅はされたものもいる。しかし、生きのがれた者は日ごとに力をつけていってもとのようになったのだ。
禮數異君父,羈縻如羌零。」
#-17
社会の秩序には正しい順位がある、その位が異なれば礼の様式をも異にする区別によって支えられるものなのだ。もはや序列は崩壊した、臣王のような節度使と天子の皇帝との区別が殆どなくなり、中央に対する関係は、西方の異民族の国羌零のような半独立国のようなものとなった。
直求輸赤誠,所望大體全。
巍巍政事堂,宰相厭八珍。
敢問下執事,今誰掌其權。
瘡疽幾十載,不敢扶其根。
國蹙賦更重,人稀役彌繁。』#-18

#16
饋(たま)わる 餉(こめ)は多く時を過ぎ,估(あたい)を高うす銅と鉛。
山東より河北を望(のぞ)めば、爨煙(さんえん)は猶お 相い聯(つらな)れるに
ちようていきゆう。   
朝廷は給するに暇(いとま)あらず、辛苦して半年をた唇つ無し。
行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり。』-#16

17

中間 遂に梗(こう)を作()し、狼藉(ろうぜき) 戈(かせん)を用う。

門に臨(のぞ)みて節制(せっせい)を送り、以て通天の班を錫(たも)う。

破れし者は以て族滅せられ、存れし者は尚お遷延す。

礼数(れいすう) 君父(くんぷ)に異なり、羈縻(きび)羌零(きょうれん)の如し』-17


-#18
直え赤誠(せきせい)輸さんことを求むるも,望む所は大體の全(まった)きのみ。
巍巍たる政事の堂,宰相は八珍に厭(あ)く。
敢敢て 下執事に問う,今 誰か其の權を掌(つかさど)るや。
瘡疽(そうそ) 幾十載,敢て其の根を扶(えぐ)らず。
國 蹙(おとろ) えて 賦 更に重く,人 稀にして 役彌(いよ) いよ繁し。』-18

#17 現代語訳と訳註
(本文)
中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17


(下し文) #17
中間 遂に梗(こう)を作(な)し、狼藉(ろうぜき) 戈鋋(かせん)を用う。
門に臨(のぞ)みて節制(せっせい)を送り、以て通天の班を錫(たも)う。
破れし者は以て族滅せられ、存れし者は尚お遷延す。
礼数(れいすう) 君父(くんぷ)に異なり、羈縻(きび)羌零(きょうれん)の如し』

(現代語訳)
そののち、あげくのはてに節度使はかすめ取った富で私兵を雇った。そして、ついに朝廷にそむいて武力を乱用するようになるのである。
一方、朝廷はこうした節度使に、わざわざ宮中より使いを派遣し、その軍門の力関係によって節度使に官位を授け、その徽章である旗をおくった。おくられる爵位、それは天子に直接、接することのできる高い位だったのである。
反抗して失敗した節度使たいしては、一族連座して洙滅はされたものもいる。しかし、生きのがれた者は日ごとに力をつけていってもとのようになったのだ。
社会の秩序には正しい順位がある、その位が異なれば礼の様式をも異にする区別によって支えられるものなのだ。もはや序列は崩壊した、臣王のような節度使と天子の皇帝との区別が殆どなくなり、中央に対する関係は、西方の異民族の国羌零のような半独立国のようなものとなった。


(訳注)
中間遂作梗,狼藉用戈鋋。

そののち、あげくのはてに節度使はかすめ取った富で私兵を雇った。そして、ついに朝廷にそむいて武力を乱用するようになるのである。
中間 ここは時間的な意味で、そののちにということ。○作梗 梗は山楡。その樹にはとげがある。梗をなすとは妨害になること。○狼藉用戈鋋 節度使が武力にあかせ、その地の賦税を独占し中央に反抗したことをいう。特に河北の諸藩鎮は、朱濡(?―785年)、田悦(?-784年)、王武悛(?-801年)、汲び朱訟(?-784年)、李懐伯(?―768年)、李納(?-792年)、李希戸(?-786年)等、あい継いで叛乱した。鋋は小さな戈。戈鋋の二字で武力をさす。


臨門送節制,以錫通天班。
一方、朝廷はこうした節度使に、わざわざ宮中より使いを派遣し、その軍門の力関係によって節度使に官位を授け、その徽章である旗をおくった。おくられる爵位、それは天子に直接、接することのできる高い位だったのである。
節制 節度使に賜わる族と任命の詔勅。のちには広く、指揮管轄の権の意に用いる。○通天班 天子に自由に拝謁できる爵位。班は官の位わけ。


破者以族滅,存者尚遷延。
反抗して失敗した節度使たいしては、一族連座して洙滅はされたものもいる。しかし、生きのがれた者は日ごとに力をつけていってもとのようになったのだ。
 やっぱり。○遷延ことがのびのびになる。


禮數異君父,羈縻如羌零。」
社会の秩序には正しい順位がある、その位が異なれば礼の様式をも異にする区別によって支えられるものなのだ。もはや序列は崩壊した、臣王のような節度使と天子の皇帝との区別が殆どなくなり、中央に対する関係は、西方の異民族の国羌零のような半独立国のようなものとなった。
礼数 儀式の等級。○羈縻 半従属国の関係をいう。○羌零 西戎の異民族の名。零は、羌零ずなわち西強に同じ。この場合、レンとよむ。


 #1、#2



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行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 154 #7

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 155 #8

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列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」#-15
饋餉多過時,高估銅與鉛。
供給される兵糧も多くはその時期を逸したのである。物価は高騰し、鉛の上に銅をかぶせた悪幣の乱発は一層インフレに拍車をかけた。
山東望河北,爨煙猶相聯。
山東一帯から河北のあたりを眺めてみた、安禄山の家臣や子孫がなお君臨するその地方では、家々からかまどの煙が互につらなって立ちのぼるのが見えたのである。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
本来朝廷の地域としての京畿とその近辺は、官も民ももれなく困窮になりそれも甚だしく、朝廷はいきつくひまもない有様であった。辛苦して応急策を講じたが年の半ばに尽き果てるものでしかなかった。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16
王朝は課税対象をやたらに広げ、行商人や運送業者は、通行税をとられたのである、また新たな家屋税では垂木一本の長さごとに、税を計上された。

中間遂作梗,狼藉用戈鋋。
臨門送節制,以錫通天班。
破者以族滅,存者尚遷延。
禮數異君父,羈縻如羌零。」#-17

#15
列聖(れつせい) 此の恥を蒙(こうむり)り、懐を含むも宜(の)ぶる能(あた)わず。
謀臣(ぼうしん)は手を拱(こまね)いて立ち、相い戒(いまし)めて敢て先んずる無し。
万国 杼軸(ちょじく)に困(くる)み、内庫(ないこ)に金銭無し。
健児(けんじ)は霜雪(そうせつ)のうちに立ち、腹は歉(あ)かず 衣裳は単のみ。

16

(たま)わる 餉(こめ)は多く時を過ぎ,估(あたい)を高うす銅と鉛。

山東より河北を望(のぞ)めば、爨煙(さんえん)は猶お 相い聯(つらな)れるに

ちようていきゆう。   

朝廷は給するに暇(いとま)あらず、辛苦して半年をた唇つ無し。

行人(こうじん)は行資(こうし)(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり。#16
#17
中間 遂に梗(こう)を作(な)し、狼藉(ろうぜき) 戈鋋(かせん)を用う。
門に臨(のぞ)みて節制(せっせい)を送り、以て通天の班を錫(たも)う。
破れし者は以て族滅せられ、存れし者は尚お遷延す。
礼数(れいすう) 君父(くんぷ)に異なり、羈縻(きび)羌零(きょうれん)の如し』-#17


#16 現代語訳と訳註
(本文)

饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。

(下し文) #16
饋(たま)わる 餉(こめ)は多く時を過ぎ,估(あたい)を高うす銅と鉛。
山東より河北を望(のぞ)めば、爨煙(さんえん)は猶お 相い聯(つらな)れるに
ちようていきゆう。   
朝廷は給するに暇(いとま)あらず、辛苦して半年をた唇つ無し。
行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり。』

(現代語訳)
供給される兵糧も多くはその時期を逸したのである。物価は高騰し、鉛の上に銅をかぶせた悪幣の乱発は一層インフレに拍車をかけた。
山東一帯から河北のあたりを眺めてみた、安禄山の家臣や子孫がなお君臨するその地方では、家々からかまどの煙が互につらなって立ちのぼるのが見えたのである。
本来朝廷の地域としての京畿とその近辺は、官も民ももれなく困窮になりそれも甚だしく、朝廷はいきつくひまもない有様であった。辛苦して応急策を講じたが年の半ばに尽き果てるものでしかなかった。
王朝は課税対象をやたらに広げ、行商人や運送業者は、通行税をとられたのである、また新たな家屋税では垂木一本の長さごとに、税を計上された。


(訳注)#16
饋餉多過時,高估銅與鉛。
供給される兵糧も多くはその時期を逸したのである。物価は高騰し、鉛の上に銅をかぶせた悪幣の乱発は一層インフレに拍車をかけた。
饋餉 饋は食物を贈ること。餉は乾米。兵糧のこと。○過時 あるべき時期をはずす。○高估銅与鉛 「新唐書」食貨志によれば、徳宗の時代に金銀が不足し、鉛の上に銅をかぶせた貨幣を発行してインフレ現象をおこした。高估は、帛すなわち交換単位である絹のあたいが、悪貨乱発に比例して騰貴したことをいう・


山東望河北,爨煙猶相聯。
山東一帯から河北のあたりを眺めてみた、安禄山の家臣や子孫がなお君臨するその地方では、家々からかまどの煙が互につらなって立ちのぼるのが見えたのである。
山東・河北 安禄山の手下の節度使どものよっている土地。○爨煙 かしぐ. 飯をたく。かまどに火をおこして米をたく。 「炊ぐ」とも書く。 【爨】かまど. 土・レンガなどで築いた、火をたいて煮炊きする設備。 「竈」とも書く。 【爨婦】さんぷ. 飯炊き女。 【炊爨】すいさん. 飯をたくこと。炊事。


朝廷不暇給,辛苦無半年。
本来朝廷の地域としての京畿とその近辺は、官も民ももれなく困窮になりそれも甚だしく、朝廷はいきつくひまもない有様であった。辛苦して応急策を講じたが年の半ばに尽き果てるものでしかなかった。
不暇給 時間に余裕のないこと。


行人搉行資,居者税屋椽。』
王朝は課税対象をやたらに広げ、行商人や運送業者は、通行税をとられたのである、また新たな家屋税では垂木一本の長さごとに、税を計上された。
搉行資 搉は通行税を課すること。徳宗の時代、一年に夏と秋の二度課税する両税法が行われたのは有名な事だが、782年建中三年また諸道の要地や渡し場に官吏を置き通行税をとった。貨物一貫文の評価につき、税二十文。「旧唐書」徳宗紀に見える。なお、「孟子」梁恵王下に「昔、文王の岐を冶むるや、耕するものには九(分)の一を課し、(中略)関は譏(しら)ぶれども征(税)せず。」と見え、儒家の理想から云えぱ、その税率の多寡よりも、通行税の徴収自体が悪政の一形態と意識される。○税屋椽 また783年建中四年には、屋二架を一間とし、一間ごと二干、一千、五百銭の三段階の差ある家屋税が課せられた。「新唐書」徳宗紀に見える。橡はたるきのこと。



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行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 162 #15

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行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 161 #14


城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」
#-15
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16



#14
城は空しくして鼠雀(そじゃく)死し、人は去りて豺狼(さいろく)喧(かしま)し。
南の資は呉越に竭(つ)き、西の費は河源に失す。
因(よ)りて右の蔵庫(ぞうこ)を令(し)て、摧毁(さいき)して惟だ空垣(くうえん)のみならしむ。
人の一身に当りて、左有りて右辺無きが如し。
筋体(きんたい) 半ば痿(な)えて痺(しび)れて、肘腋(ちゅうえき)に 臊膻(そうせん)を生ず。

15

列聖(れつせい) 此の恥を蒙(こうむり)り、懐を含むも宜()ぶる能(あた)わず。

謀臣(ぼうしん)は手を拱(こまね)いて立ち、相い戒(いまし)めて敢て先んずる無し。

万国 杼軸(ちょじく)に困(くる)み、内庫(ないこ)に金銭無し。

健児(けんじ)は霜雪(そうせつ)のうちに立ち、腹は歉()かず 衣裳は単のみ。

#16
饋(たま)わる 餉(こめ)は多く時を過ぎ,估(あたい)を高うす銅と鉛。
山東より河北を望(のぞ)めば、爨煙(さんえん)は猶お 相い聯(つらな)れるに
ちようていきゆう   
朝廷は給するに暇(いとま)あらず、辛苦して半年をた唇つ無し。
行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり



#15 現代語訳と訳註
(本文)

列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」


(下し文) #15
列聖(れつせい) 此の恥を蒙(こうむり)り、懐を含むも宜(の)ぶる能(あた)わず。
謀臣(ぼうしん)は手を拱(こまね)いて立ち、相い戒(いまし)めて敢て先んずる無し。
万国 杼軸(ちょじく)に困(くる)み、内庫(ないこ)に金銭無し。
健児(けんじ)は霜雪(そうせつ)のうちに立ち、腹は歉(あ)かず 衣裳は単のみ。


(現代語訳)
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。


(訳注)
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
 
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
列聖 歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)を指す。ほとんど毒殺か、中毒死。○含懐 水を口に含むように感情を胸に一杯ためる。○ 心をときほぐす。


謀臣拱手立,相戒無敢先。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
謀臣 軍政参議の臣。「敵国破、謀臣亡」(敵国破れて謀臣亡ぶ。)という言葉が「史記」(韓信のこと)伝にある。○摂 ふところ手して何もせぬこと。○ なんのそのと、事を押し切ってすること。


萬國困杼軸,内庫無金錢。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
抒軸 はたおりの器具。抒柚とも書く。抒は横糸を通、軸は縦糸を受ける具、経緯というに等しく、古くから、国家経済の運営や作文技俯の喩えととされる。


健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。
健児 職業軍人のこと。西方、南方で大敗し、北方の局地戦でも負けていたため、754年天宝十四年、首都長安に義勇軍十万を募り、天宝健児と号した。○腹歉 歉は不足なこと。○衣裳単 単はひとえの着物。


2012new01



李商隠特集について
李商隠はほとんどの詩を王朝批判としてうたっている。恋歌、艶情、閨情、故事、形を変えて批判している。李白、杜甫、王維、白居易、韓愈、・・・・それぞれの方向性に違いはあっても、王朝批判をしている。

李商隠(812-858、杜甫が712年の生誕である)が生きたその青春時代、あるいは、最も大切な時期、将来を悲観する事件が起こっている。「甘露の変」である。李商隠にとって、衝撃的なものであり、その一生を変える大事件であった。この事件を理解すること、そしてこの事件をエポックメーキングとして李商隠の一生は決まったのである。このブログではそのことに留意して紹介してきたつもりである。


李商隠の生きた時代は、それは、その広大な国土に本来の意味で広大な統一国家が成立した初めての安定した王朝国家であった。そして、格段に向上した生産体制を基軸に、空前の文明社会を築いた。その唐王朝が、建国して100年前後、150年後、国家存亡の最大ピンチを迎えたが、体制を弱めながら、そして数十年ごとにと危機をむかえながら約300年続いたのである。当然のこととして、建国から150年頃の安史の乱以降、崩壊への道をたどりながら維持されたのである。
唐建国から100年の皇帝を頂点として、支配権力・軍事体制と軍事力・行政組織・監査機関など、あらゆる政治の要素が集中的に統一され、強化されたその蓄積された総合力により、のちの200年があったのである。


 日本では、詩の一部分を切り取り、それをその時の都合に合わせて解釈して行くことがほとんどの詩の読み方である。古詩の一部分を絶句のように、あるいは律詩のように一部分を切り取って都合よく紹介されているのはほとんどである。長詩を読まないとその詩人の性格がわからない。長詩にはその詩人の性格がすべて出ている。そしてそうした長詩の幾つかを重ね合わすといろんな人生が見えてくるのである。

 身分社会であること、どこで讒言されるかわからない時代である。詩人はその網をすり抜けて現代に遺産として残してくれたのである。
 このブログでは、できるだけその時の状況、政治体制などを考慮し、詩に書かれてあることの深い意味を紹介しようと思っている。そのため、一般的に本に書かれていることと違う解釈になっていること多いのである。これも、毎日少しずつ紹介しているので、論文の様な訳にはいかないが、李商隠150首特集はそれ全体で李商隠の研究論文といえるかもしれない。

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