漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2012年03月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2


縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
雖免十上勞、何能一戰覇。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
人情忌殊異、世路多權詐。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。


現代語訳と訳註
(本文)

誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。


(下し文)
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。


(現代語訳)
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。


(訳注)
誰爲傾国媒、自許連城價。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)連城の璧とは? 〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。


初随計吏貢、屡入澤宮射。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
計吏貢 会計簿を朝廷にたてまつる役人。○澤宮 めぐみを施す宮殿。周代の宮殿の名前。榭を習わし、士を選んだ場所をいう。『周禮、夏官、司弓矢』「」澤共射椹質之弓矢。」(澤は椹質を射るこの弓矢を共す)。
射は科挙試験を射止めるという意味。


雖免十上勞、何能一戰覇。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
十上勞 上奏文十回の、戦国時代の蘇秦最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる「鶏口となるも牛後となることなかれ」という言辞を述べた。何能一戰覇。


人情忌殊異、世路多權詐。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。


蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。

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中唐詩-267 縣齋有懐 #1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29

中唐詩-267 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29



縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
悠悠指長道、去去策高駕。

そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。

誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。


冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。


大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。


名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。


湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。


指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。


禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。




「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


縣齋有懐#1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

#4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。

#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。

#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


(1)
県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


現代語訳と訳註
(本文)
縣齋有懐

少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。


(下し文) (県斉にて懐い有り)#1
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。


(現代語訳)
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。


(訳注)
縣齋有懐(県斉にて懐い有り)
少小尚奇偉、平生足悲咤。
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
少小 子どものころ。○尚奇偉 すぐれて平凡でないのを好む。○平生 へいじょう。ふだん。ひごろ。往年。○足悲咤 哀しみ歎くことに十分である。


猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
子夏儒 子夏は孔子の弟子の中でも儒者として教条的である。○樊遅稼 孔子の弟子で農業に従事した。
子路第十三 「樊遅請學稼。子曰。吾不如老農。」樊遅、稼を学ばんと請う。子の曰く、吾れ老農に如かず。圃を為くることを学ばんと請う。


事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
○事業 仕事。わざ。○窺皋 皋陶(皐陶). コウヨウ. 中国神話. 堯帝の法官. 堯(ぎょう)の時代に五刑を定めたとされる神で、裁判で判決を下すのに獬豸(かいち)という聖獣を用いたことで知られる。獬豸は一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分けることができる不思議な獣である。后稷 后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。○文章 文学。○曹謝 曹植・謝霊運。


濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
濯纓 官僚がつける冠の纓を結ぶのであるが、清廉潔白のために、或は隠遁するために、濯ぐ。○江湖 湘江、洞庭湖。○綴珮 腰に帯びた佩び玉○雑蘭麝 蘭の花と麝香(じゃこう)の香り。また、よい香り。


悠悠指長道、去去策高駕。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。
悠悠 ゆうゆうとして、はるかなさま。○指長道 長安への道を目指すこと。○去去 去りゆくさま。○策高駕 名馬にまたがって鞭を打つ。

中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29

答張十一功曹 韓愈-<29>

この803年の事件(通説では7月観察御史に任ぜられ、間もなく京兆尹李実を弾劾したが、逆にわずか2カ月で流罪となったものである。この弾劾自体は個人攻撃というものでなく、不作・凶作期の徴税方法について見識を示したものである)で3人流罪にとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かあったことは確実である。ただ、歴史的事実で不明な点が多い場合の原因は宦官が関係していることが多い。この段階になって、宦官勢力は、軍隊の中枢にまで触角をひろげていた。(ただ、翌年には流罪は説かれている)

 湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江をかなり源流に近くなったあたりに臨武があり、そこから山越えをして、陽山に行き着く。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、五嶺山脈によって、互いに隔絶されている。配所へ行くのに、韓愈と張署とは別々にずらされてが赴任したのだが、先に臨武に到着してい張署と詩を交換したのである。


答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。

君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

(張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。

韓愈の地図01

現代語訳と訳註
(本文)
答張十一功曹
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。
篔簹競長纖纖笋,躑跼閑開豔豔花。
未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。


(下し文) (張十一功菅に答う)
山浄く江空しくして水は沙を見【あら】わす、哀猿【あいえん】啼く処 両三家。
篔簹【いんとう】競いて長ず纖纖【せんせん】たる笋【たけのこ】、躑躅【てきしょく】閑かに開く豔豔【えんえん】たる花。
未だ恩波【おんは】を報ぜず死所を知る、炎瘴をして生涯を送らしむること莫かれ。
君が詩を吟じ罷【お】わりて双鬢【そうびん】を看れば、斗【たちま】ち覚ゆ霜毛の一半加わるを。


(現代語訳)
(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。

韓愈の地図03

(訳注)
山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。

(湘江の最上流部にきたようだ)山はきよらかであかるい、江川にはまったく人影もない、水は少ないので川砂の堆積がある。ここでも悲しげに猿が啼くあたりに、二、三軒の家が見えている。
山淨 山は汚れていない。きよい、澄んでいる,清くあかるい。○江空 川には人影もなく。○水見沙 水は少なくて川砂が現われている。


篔簹競長纖纖笋,躑躅閑開豔豔花。
この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに細い筍をのばしている、つつじは静かに美しい花を咲かせている。
篔簹 竹の名前。偃竹。蘇軾「篔簹谷偃竹記」から。(竹の絵を描くとき、胸中にその構図を描いたのち始める意から)前もって立てている計画。十分な見通しということに使っている。○躑躅 つつじ。あしをとめる。またたたずむこと。ゆきつもどりつする。通常「躑跼」をつかう。○閑開 しずかにひらく。○豔豔花 つややかな花。あでやかな花。つつじのはな。華。


未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。
いまだに天子のご恩にまだ報いていないので、死に場所は心得ていてここでは死ねない。瘴癘の地に特有の暑さと瘴病の毒気のなかで、一生を終わらせてはならないのだ。
炎瘴 瘴癘の地 湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病。


吟君詩罷看雙鬓,鬥覺霜毛一半加。
君から送ってきた詩を吟じ終えてわが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで数を一気に増したのに気づくのである。
霜毛一半加 白髪が半ばまで数を増した。韓愈数えの37歳である。中国において、若白髪は、自分の思いとは違った行動をとる場合の情況を白髪に喩える常套句である。韓愈は、35歳で歯が落ち始め、37歳で白髪頭になったということではない。詩的表現と見る。ただし、歯については、残り20本と具体的に示しているので詩的表現ではなかろう。


●張十一功曹」とは、前に名をあげた張署のことである。この詩は臨武に流された張署から愈のもとに送られてきた詩に答えたもので、署の詩も現在残っている。●署にこんな所で死ぬなといっているのは、愈自身のここでは死なないぞという決意を表わしたものである。●この詩は張署が先に配所に着いていて、あとから臨武を通りかかった韓愈に、面会は許されないので、詩を贈答して友情を確かめあった。韓愈が陽山に着いたのは804貞元二十年の2月であった。

中唐詩-265 湘中 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-28

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最初の流罪
 韓愈が流罪の処分を受けたのは貞元十九年〈803〉の冬、流された先は陽山(広東省)であった。
このとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かの事件があったことは確実である。食糧不安、従来通りの税取立て等々に対しての民衆の不平不満のガス抜きとして、誰かを流罪という形で処分したのであろう。
 急な抜擢をされ、そして2カ月で流罪、この件については、資料的にも無い様なので、これ以上の推測は避けることにする。
韓愈の地図01

韓愈は、湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江にのってd-3からd-5にむかって南下している。当時の旅は基本船旅である。かなり源流に近くなったあたりに臨武がある。そこからさらに山越えをすれば、陽山に行き着く。今の行政区画でいえば、臨武は湖南省に、陽山は広東省に属する。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、山があるので、互いに隔絶されている。広西の佳林と湘江は秦の始皇帝の土木工事により運河が作られていたので、今の香港方面に行く場合は桂林を経由するルートが常識的なのだが、韓愈は流罪であるから、配所へ行くのに、観光旅行ではない。韓愈と張署とが連れだって旅することが許されるはずもなかった。しかし、同じく流された者として、連帯感を持ったのは間違いないことで資料的にも詩の交歓というものが残っている。

『湘中』は804年韓愈37歳流罪の途中での詩。

湘中
猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。

(湘中) 
猿愁え魚踊って水波を翻【ひるがえ】し、古【いにし】え自【よ】り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。
頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【そな】うる処無く、空しく聞く漁父の舷【ふなばた】を叩いて歌うを


現代語訳と訳註
(本文)
湘中
猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。


(下し文)
(湘中) 
猿愁え魚踊って水波を翻【ひるがえ】し、古え自り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。
頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【そな】うる処無く、空しく聞く漁父の舷【ふなばた】を叩いて歌うを


(現代語訳)

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははねて、川の水は波をわきたたせている。昔からの言い伝えによれば、ここが旧羅なのだという。
水草は皿いっぱいに盛ったが、さてどこにそなえて屈原の霊を祭ったものだろう。屈原に対して漁父が船端を叩きながらうたった舟歌がいまはむなしく聞こえてくる。

 (訳注) 湘中
湘中 湘江の船旅の途中の詩。五嶺(現・南嶺)山脈を流域を源流にして北流して洞庭湖に流入する、長江の支流である。韓愈は長安C-1から陽山d-5に流罪されたのだ。

猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。
猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははねて、川の水は波をわきたたせている。昔からの言い伝えによれば、ここが旧羅なのだという。
猿愁 中国南部の猿は、手長猿、悲鳴のような啼き方をする。孟浩然『宿桐廬江寄廣陵舊遊』「山暝聽猿愁,滄江急夜流。」(山暝【くらく】して猿愁を聽き,滄江【そうこう】急ぎて夜に流る。)李白『尋高鳳石門山中元丹邱』「寂寂聞猿愁、行行見云收。」(寂寂(せきせき)として猿の愁うるを聞き、行行雲の収まるを見る。)○汨羅 今の湖南省長抄の付近の川の名で、その昔、戦国時代末期の楚の屈原は、政敵に謹言されて都を放逐され、洞庭湖畔を放浪した末、旧羅江に身を投げて自殺した。彼の痛憤は「離騒」「九章」などの韻文にうたわれ、それらは『楚辞』に収められている。
李白『江上吟』
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
李白『秋浦歌十七首 其六』
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊』(王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る)
贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232

李白、杜甫、李商隠、韓愈、多くの詩人がは洞庭湖について、屈原に関してたくさん詩を作っている。


蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌。
水草は皿いっぱいに盛ったが、さてどこにそなえて屈原の霊を祭ったものだろう。屈原に対して漁父が船端を叩きながらうたった舟歌がいまはむなしく聞こえてくる。
蘋藻 かたばみ藻と水藻。水草。この水藻を敬ってお供えをするということに基づいている。『左傳、㐮公二十八』「済澤之阿、行两潦之蘋藻、寘諸宗室、季蘭尸之、敬也。敬可棄乎。」(済澤之阿、行潦の蘋藻も、諸を宗室に寘【お】き、季蘭これを尸【つかさど】るは、敬なり。敬として棄つく可けん乎。)とある。屈原の祭壇が分からないのである。○漁父 隠遁者のこと。『楚辞』のなかにはまた「漁父」という一篇があり、現在では後世の人の作とされるが、韓愈の時代には屈原が作ったものと信じられていた。「漁父」とは「漁師のおやじ」という意味で、ここの漁父は隠者であり、屈原が、「挙世みな酔う」なかで自分一人正気でいるこんな目にあっているのだというと、それなら、自分もその酒の余りを飲み、世の中の人たちといっしょに酔ったらよいではないかという。しかし、屈原と漁父とでは、しょせん生き方が違う。それを知った漁父は、ふなはたを叩いて歌をうたいながら舟を濯ぎ去る。


この詩は愈が配流の旅の途中、洞羅にさしかかって作ったものである。同じく都から追放された者として、彼はわが身を屈原になぞらえているのである。ただし汨羅江のほとりに漁師の歌・舟歌はいくらも聞けたであろうが、現代の漁父は、一人も韓愈のそばへ舟を濯ぎ寄せ、声をかけようとはしてくれなかった。左遷、流刑の旅である。気軽に声をかけてくれる者はいない。その寂しさを屈原の孤独と重ねているのである。

『答盧仝』(孟郊 唐詩
「楚屈入水死,詩孟踏雪僵。」(
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。)
楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
○楚屈 戦国時代の楚の政治家、詩人。氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248


李商隠『楚宮』 「湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。」(湘波 涙如 色漻漻【りょうりょう】たり、楚厲【それい】の迷魂 恨みを逐いて遙かなり。)
楚宮 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55


李商隠 『潭州』「潭州官舎暮樓空、今古無端人望中。湘涙浅深滋竹色、楚歌重畳怨蘭叢。」(潭州の官舎 暮楼空し、今古 端なくも人望中る。湘涙 浅深 竹色を涼し、楚歌 重畳 蘭叢を怨む。)
潭州 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41




中唐詩-263 落歯#3 監察御史 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27

中唐詩-263 落歯#3 監察御史 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27


四門博士も後輩を指導する職で、韓愈の日ごろの理想に合致したものではあったが、こわもてのする監察御史も、韓愈にふさわしい官職であったといえよう。
 これで監察御史として平穏に勤務していれば何でもなかったのだが、どうやら官僚としての出世街道に出たと思った矢先に、わずか2カ月で重大事件が発生した。彼は流罪という処分を受けてしまったのである。


落 歯
去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。
餘存皆動搖、盡落應始止。憶初落一時、但念豁可恥。
及至落二三、始憂衰即死。毎一將落時、懍懍恆在己。』

叉牙妨食物、顛倒怯漱水。終焉捨我落、意與崩山比。
今來落既熟、見落空相似。餘存二十餘、次第知落矣。
儻常歳落一、自足支両紀。如其落併空、與漸亦同指。』

人言齒之落、壽命理難恃。
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。
我言生有涯、長短倶死爾。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。
人言齒之豁、左右驚諦視。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。
我言荘周云、木鴈各有喜。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるから却って都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。
因歌遂成詩、持用詫妻子。』
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。


(落歯)
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』


現代語訳と訳註
(本文)

人言齒之落、壽命理難恃。
我言生有涯、長短倶死爾。
人言齒之豁、左右驚諦視。
我言荘周云、木鴈各有喜。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。
因歌遂成詩、持用詫妻子。』

(下し文)
人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』


(現代語訳)
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるから却って都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。


(訳注)
人言齒之落、壽命理難恃。
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。


我言生有涯、長短倶死爾。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。


人言齒之豁、左右驚諦視。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。


我言荘周云、木鴈各有喜。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。


語訛黙固好、嚼廢軟還美。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるからかえって都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。


因歌遂成詩、持用詫妻子。』
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

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最初の流罪
 愈が流罪の処分を受けたのは803年貞元十九年の冬、流された先は陽山(広東省)であった。
形式上は監察御史から陽山の県令に転任させる辞令が出たわけだが、扱いは朝廷の罪人としてであった。

 流罪の原因ははっきりしない。当の愈にも、よくわからなかったらしいのである。わずかに考えられるのは、貞元十九年は長安一帯に日照りが続き、そのうえ秋には早くも霜が降りて、農作物は壊滅的な損害を受けたが、この地方の長官である京兆尹の李実は、平年どおりに租税を徴収しようとした、という事実があったことである。

監察御史であった愈は、これに対して意見書を皇帝に捧げた。その「御史台より上りて天旱人儀を論ずる状」は、今も残っているが、本年度分の租税の徴収を延期せよといった内容である。ことさら李実の政策を批判するようなところはない。だいたい李実は、愈が四門博士を辞任したあとによいポストにつけてもらうよう運動した一人であり、手紙のなかでは「国を憂うる」ことについて李実は現代の第一人者だなどと褒めちぎっている。

それは運勤する以上、やむを得ぬお世辞であったかもしれないが、一度褒めちぎった手前、監察御史になったからといって、いまさら李実を弾劾したり、彼の政策を批判したりするのは、気がとがめたであろう。しかし李実は、自分に反対する者に対して容赦4ない弾圧を加える人物であった。だから、自分の気に入らぬ「状」を書いた愈を、監察御史から追いはらい、都を遠く離れた土地に流罪としてしまったのだろうとする説がある。


 しかし、この説には何の証拠もないうえ、流された本人の愈が李実のしわざとは思っていなかったらしいのである。結果的には李を批判したこととなるわけだが、愈としてはそのつもりはなく、李実の名前も出さなかったのだから、それも当然といえよう。

 しかも、このとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かの事件があったことは確実である。

 湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江という川がある。その川ぞいの街道を行ってかなり源流に近くなったあたりに臨武があり、そこからさらに山越えをすれば、陽山に行き着く。今の行政区画でいえば、臨武は湖南省に、陽山は広東省に属する。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、山があるので、互いに隔絶されている。配所へ行くのに、観光旅行ではないのだから、意と張署とが連れだって旅することが許されるはずもなかったろう。しかし、同じく流された者として、この二人が互いの消息を知っており、また知ろうとつとめたのはしごく当然のことなのであった。

中唐詩-262 落歯#2 監察御史 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27

中唐詩-262 落歯#2 監察御史 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27

監察御史
 同じ803年貞元十九年の七月、韓愈は監察御史に転任した。これは御史台に所属するが、御史台とは検察庁に当たる役所で、監察御史というのは、定期的に地方を巡回し、地方官の不正をあばいたり、地方の裁判を再調査して判決を改めたりするのが役目である。身分はさほど高くはないが、四門博士よりは政治の中枢にタッチした職だけに、エリートコースに近づいたということができそうである。
 それにしてもこの転任には、何かの事情がありそうに思われる。監察御史となる前に韓愈は四門博士を辞任し、複散の高官にあてて手紙で就職運動をした末に監察御史となっているのだが、当時の例として、定期異動の場合もいちおう辞表を出し、それが受理されるのとひきかえに新しい官職の辞令をもらうことになっていたので、とりたてて特別視する必要はない。問題は、四門博士の在任期間が足かけ二年という、普通では考えられぬ短期間だったところにある。


落 歯
去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。
餘存皆動搖、盡落應始止。憶初落一時、但念豁可恥。
及至落二三、始憂衰即死。毎一將落時、懍懍恆在己。』
#2
叉牙妨食物、顛倒怯漱水。
ちぐはぐでものを食べるのに不自由だし、グラグラしてうがいをするのもビクビクものだった。
終焉捨我落、意與崩山比。
とうとう私を見捨てて抜けてしまったときには、まるで山が崩れ落ちたような気がした。
今來落既熟、見落空相似。
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けてもああまたかと思うだけだ。
餘存二十餘、次第知落矣。
後に残った二十余本も、次々に抜けてゆくに違いない。
儻常歳落一、自足支両紀。
だが仮に毎年一本ずつ抜けるとしても、二十余年は十分に持つ勘定だ。
如其落併空、與漸亦同指。』

もしまた万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだ。

人言齒之落、壽命理難恃。我言生有涯、長短倶死爾。
人言齒之豁、左右驚諦視。我言荘周云、木鴈各有喜。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。因歌遂成詩、持用詫妻子。』


叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』



現代語訳と訳註
(本文) #2
叉牙妨食物、顛倒怯漱水。
終焉捨我落、意與崩山比。
今來落既熟、見落空相似。
餘存二十餘、次第知落矣。
儻常歳落一、自足支両紀。
如其落併空、與漸亦同指。』


(下し文)
叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』


(現代語訳)
ちぐはぐでものを食べるのに不自由だし、グラグラしてうがいをするのもビクビクものだった。
とうとう私を見捨てて抜けてしまったときには、まるで山が崩れ落ちたような気がした。
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けてもああまたかと思うだけだ。
後に残った二十余本も、次々に抜けてゆくに違いない。
だが仮に毎年一本ずつ抜けるとしても、二十余年は十分に持つ勘定だ。
もしまた万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだ。


(訳注)#2
叉牙妨食物、顛倒怯漱水。
ちぐはぐでものを食べるのに不自由だし、グラグラしてうがいをするのもビクビクものだった。
○妨 さまたげる。○顛倒 さかさまになる。揺れ動く。○ くちをすすぐ。手で揺り動かして汚れを洗う。


終焉捨我落、意與崩山比。
とうとう私を見捨てて抜けてしまったときには、まるで山が崩れ落ちたような気がした。
終焉 その場で身が落ち着くこと。窮まり果てること。臨終。○意與 気持ちを


今來落既熟、見落空相似。
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けてもああまたかと思うだけだ。
今來 このころ○ 物事を、静かに深く考えたり、注意深く観察したりするさま。○空相似 空しく相い似たり


餘存二十餘、次第知落矣。
後に残った二十余本も、次々に抜けてゆくに違いない。


儻常歳落一、自足支両紀。
だが仮に毎年一本ずつ抜けるとしても、二十余年は十分に持つ勘定だ。
儻常 だが仮に。○両紀 二十余年。紀は歳星のひとまわり。十二年の倍二十四年。


如其落併空、與漸亦同指。』
もしまた万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだ。
如其 もしまた万が一。○落併空 いっぺんに完全抜けて○與漸 おもむろに少しずつ。○亦同指 結局は同じことだ。


 その事情は、さまざまに推測することはできるが、いずれにしても推測の域を出ない。四門博士も後輩を指導する職で、韓愈の日ごろの理想に合致したものではあったが、こわもてのする監察御史も、韓愈にふさわしい官職であったといえよう。
 これで監察御史として平穏に勤務していれば何でもなかったのだが、どうやら官僚としての出世街道に出たと思った矢先に、わずか2カ月で重大事件が発生した。彼は流罪という処分を受けてしまったのである。

中唐詩-262 落歯#1 四門溥士Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27

中唐詩-262 落歯#1 四門溥士Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27


 801年35歳貞元十八年春、韓愈はようやく吏部の試に合格して、大臣・宰相はあまり望めそうもない職ではあるが、高級官僚の列につらなった。これはたいへんな名誉で、韓愈に与えられたのは四門溥士というものであった。
 唐の政治体制のほとんどは、高級官僚、三品以上の人の子弟は国子学に、四品・五品の子弟は太学に、六品・七品の子弟は四門学に、それ以下の子弟は律学に入ることときまっていた。親の身分により、子弟の入学する学校に影響するわけで、これも六朝から続いた世襲制の名残りであり、博士はそこの教官の官名である。それぞれの学校には教官として博士および助教が各一名ないし三名いるので、韓愈が任官した四門博士というのは、四門学のなかでは高級官僚であってもとてもエリートコースに乗ったというものではない。重要なことは、役職に在るからこそ、作られた詩文に評判が出やすいというものである。頽廃化していく朝廷を儒教の論議により支えたいというのが韓愈であった。

 これらの学校には、学生になっていれば、無条件で科挙の受験資格、が得られ、国子監の学生であるか、地方長官の推薦状をもつことが、受験者としては必要な条件なのである。たてまえの上では前者のほうが本筋とされる。もっとも国立学校での講義は、科挙と無関係ではないものの、特別に受験指導をするわけでもないし、在籍していると受験に有利だということもない清廉な学校である。だから、長安の子弟は、入学しておけば学問的雰囲気のなかで過ごせるということであった。地方在住者がわざわざ上京して入学するということはなかった。国子監は科挙のための予備校であったのなら、賄賂等あり、清廉潔白ということはなかったのである。

 四門博士のような官を「清官」という。清廉潔白な官という意味である。この官職は教養があって学問・文学に熟達していなければ勤まりかねる職なので、これに任ぜられることは名誉であるが、役得というものとは全然ない。清潔なもので世の尊敬はあっても、本人にとっては一文も余分な収入はなく、生活は苦しかったようだ。

 韓愈は四門博士の職を、まじめに勤めたらしい。若い学生を相手にして「古えの道」を説くことは、彼の理想でもあったし、またそれが彼の性格にも最もよく合うものであった。ただ、それでは生計は立てにくい。四門博士に任官してまもない貞元十八年七月、韓愈は工部尚書兼山南東道節度使の于頗という人に手紙を送って、援助を求めている。何がしてほしいのか、必ずしも明瞭には書かれていないが、節度使に手紙を出した以上、援助してやるからおれの部下になれといわれたら、いまさら断わることはできまい。あるいは愈は、四門博士の俸給があまり安いのに音をあげて、節度使の幕僚にもう一度もどってもいいと思っていたのだろう。

 韓愈が、四門博士の職をけっして怠けていたわけではないが、韓愈にとって完全に満足できるポストではなかったということができる。それが反映したのか、このころの韓愈が書いたものの中に、
韓愈『与崔群書』(崔群に与うる書)というのがある。参考までに後半1/4を引用するが全体に自虐的な言葉が見える。生活の苦しさと、仕事に満足感がなかった時期であることが読み取れる。
「仆無以自全活者,從一官於此,轉困窮甚,思自放於伊、潁之上,當亦終得之。近者尤衰憊,左車第二牙,無故搖動脫去;目視昏花,尋常間便不分人顏色;兩鬢半白,頭發五分亦白其一,須亦有一莖兩莖白者。仆家不幸,諸父諸兄皆康強早世,如仆者,又可以圖於久長哉?以此忽忽,思與足下相見,一道其懷。小兒女滿前,能不顧念!足下何由得歸比來?仆不樂江南,官滿便終老嵩下,足下可相就,仆不可去矣。珍重自愛,慎飲食,少思慮,惟此是望。」
自分の老いを必要以上に強調しているところが認められる。自分の兄弟や叔父たちは、みな丈夫であったが若死にした。自分のように今から歯が抜け、目はかすみ、白髪が生えているありさまでは儒者たるもの、痩せ我慢をしたがる韓愈のことだから、寂しいというようなせりふはめったに口にしないが。(韓愈はこのとき三十五歳なのに)、そう長くはもたないだろうとも書いている。
 それは、見た目にもショッキングなできごとであったろう「歯が抜け落ちた」のだ。歯槽膿漏であった。

便宜的に3分割して掲載。

落 歯 #1
去年落一牙、今年落一齒。
去年は牙歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜けた。
俄然落六七、落勢殊未已。
ちょっとの間に六本七本とぬけてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもない。
餘存皆動搖、盡落應始止。
あとに残った歯もみなグラグラして、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしい。
憶初落一時、但念豁可恥。
最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを恥ずかしいと思った。
及至落二三、始憂衰即死。
しかしそのあと二・三本と抜けてゆくにつれて、このまま老衰して死ぬのではと心配した。
毎一將落時、懍懍恆在己。』

そして一本抜けそうになるたびに、いつもビクビクした思いにとりつかれた。

叉牙妨食物、顛倒怯漱水。終焉捨我落、意與崩山比。
今來落既熟、見落空相似。餘存二十餘、次第知落矣。
儻常歳落一、自足支両紀。如其落併空、與漸亦同指。』
人言齒之落、壽命理難恃。我言生有涯、長短倶死爾。
人言齒之豁、左右驚諦視。我言荘周云、木鴈各有喜。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。因歌遂成詩、持用詫妻子。』


(落歯)
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』



現代語訳と訳註
(本文)落 歯 #1

去年落一牙、今年落一齒。
俄然落六七、落勢殊未已。
餘存皆動搖、盡落應始止。
憶初落一時、但念豁可恥。
及至落二三、始憂衰即死。
毎一將落時、懍懍恆在己。』


(下し文)
叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

(現代語訳)
去年は牙歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜けた。
ちょっとの間に六本七本とぬけてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもない。
あとに残った歯もみなグラグラして、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしい。
最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを恥ずかしいと思った。
しかしそのあと二・三本と抜けてゆくにつれて、このまま老衰して死ぬのではと心配した。
そして一本抜けそうになるたびに、いつもビクビクした思いにとりつかれた。



(訳注)落 歯
去年落一牙、今年落一齒。
去年は牙歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜けた。


俄然落六七、落勢殊未已。
ちょっとの間に六本七本とぬけてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもない。
○俄然 にわかに。突然。○落勢 歯が抜けていく勢い。○殊未已 どうしたものか止まりそうにない。


餘存皆動搖、盡落應始止。
あとに残った歯もみなグラグラして、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしい。


憶初落一時、但念豁可恥。
最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを恥ずかしいと思った。
 歯と歯の間が透いた


及至落二三、始憂衰即死。
しかしそのあと二・三本と抜けてゆくにつれて、このまま老衰して死ぬのではと心配した。


毎一將落時、懍懍恆在己。』
そして一本抜けそうになるたびに、いつもビクビクした思いにとりつかれた。
懍懍 心の引き締まる形容。おそれおののく。 ○恆在己 常に心に心配事がある。



 このときの韓愈は35歳だから、ずいぶん早くから歯が悪かったわけである。本人は歯がぬけても平気のようなことをいっているが、内心で気にしていたことは疑いがない。それもそのはずで、この年(貞元十九年〈803年)の四月には韓愈の妻の母の苗氏が亡くなり、五月には兄の韓介の子で愈といっしょに育てられた韓老成(十二郎)が死んだ。愈は身辺が索莫として、もの寂しい気持に沈まざるを得ないのである。
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中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-261 寄盧仝#6 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝


先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。



先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文)

先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。

(下し文)
先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。

(現代語訳)
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。


(訳注)
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
先生は又長鬚の下男を使いとしていって来させられた、「このような処置はわたしにとってうれしいことではない。」と。
先生又遣長聚来 この一段は、慮仝がまた例の長鍋の下男をよこし、訴えた隣りの不良少年を寛大に取り扱うよう頼んで来たことを述べる。○如此処置非所喜 この句から下三句「都邑未可猛政理」までが、盧仝が下男にいわせて来たことばである。


況又時當長養節,都邑未可猛政理。
そうして、「ましていままさに季節は万物の生長する時節である、この街にきびしい政治をするべきときではない。」とおっしゃる。
 季節。○長養 育て養うこと。成長する時期には養ってやらないといけない。『漢書、五行志中之下』「長養同類」(養す同類を長す)昔の中国では、春と夏は、万物が芽吹き、成長する季節は育ててやることとされ、処刑を行わないことになっていた。○ この詩は、下に「偶逢明月曜桃李」(偶たま明月の桃李に哩くに逢えり)とあるように春であるから、「長養の節」というのである。○都邑 まち。大きなまちを都といい、小さなまちを邑という。○猛政理 猛は、きぴしくする。政理は、政治ということ。唐代では、高宗皇帝(李治)(649―683年在位)の名が治であったので、遠慮して治の字を用いず、代わりに理の字を用いた。


先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
先生は心から心から感服するお方である、その人格の大きさは、量りようがないはてがないほどのものだ。
固是 心からという気持ちをあらわすことば。ほんとに。○ 心から感服する。○度量 人をうけ入れるはら。人格の大きさ。○不敢窺涯涘 儒者として、涯も涘も、きし。きしべをうかがおうとも思わない、つまり、人格がはてしがなくひろくてうかがえない、ということ。

 
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』
勝乎気ままにあばれる不良少年どもが犯す行為はいったい誰の過ちだろうか、「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」といった王さまやしもべを殺したときに下のものの責任を負った殿さまを思いむかしの史書「春秋左氏伝」の故事に、はずかしく思うのである。
放縦 不良少年たちがすきほうだい勝手気ままなことをするのは。○ 詠嘆をこめた疑問をあらわす助辞。○効尤 人をとがめておきながら、自分為同じようにわるいことをする。『左伝、襄公二十一年』にある話に基づく。欒盈という晋の国の家老が晋の国を追われて、楚の国へ逃げて行く途中、周の王城の西を通ったところ、その近くの人たちに掠奪された。それを王に訴えると、王はいった。「尤【とが】めて効【なら】うは、それ又甚だし。」(とがめながらそのまねをするとは、いっそうひどいことだ。)そういって掠奪したものをかえし、賓客係りの官に送らせ、関所を出してやった。ここは、そのことばの意味よりも自分の部下のした悪事に責任を持った周の霊王(紀元前572―544在位)のはなしに重点が置かれている。○戮僕  僕である御者をころす。これも『左伝、襄公三年』に見えるはなしである。晋の悼公の弟の揚干が曲梁(今の河北省永年県)で陣を乱したので、司令官の魏絳がそのしもべである御者を貴任者として殺した。悼公は大変怒ったが、魏絳が手紙を悼公に送って、道理を説くとともに貴任を取ろうとした。公はそれに感じて、はだしで出て行っていった。「寡人が言は親愛なり。吾子が討は軍礼なり。寡人に弟有り、教訓すること能わずして、大命を干【おか】さしむ。寡人が過ちなり。子【なんじ】寡人が過ちを重ぬること無かれ。敢えて以て請うことを為すと。」つまり、これも、自分の弟のしたあやまちは、おのれの教訓できなかったためだと、自分の過夫にして責任を負ったはなしである。○愧前史 上の二つの「尤に効う」といった周の霊王と「僕を戮した」ときの晋の悼公のように、いずれも部下の責任を自分の過失としたものがたりを掲載する前代の歴史の書物に対し、治下から罪人を出しながら自分の過失と考えなかった自分がはずかしい、ということ。前史は、むかしの歴史の書物、ここでは「春秋左氏伝」をさす。


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ときは満月がかがやき、桃李の花がさきみだれる春の真っ盛りです、羊の肉や酒を買ってきております、不行き届きをおわびいたします。(こちらへ、足をお運びいただきたいのです。)
買羊聴洒謝不敏 倒句として読む。この四句、自分の不行き届きをわびて招待し、結びとする。○は、羊の肉、酒のさかなである。○は、売るという意にも、買うという意にも、用いられるが、ここは、買うこと。娼屋、高楼で酒を買うのではなく、亀の中に入れているお酒をばら売りしている酒屋が売ることをいう。○は、あやまる・不敏は、ものごとを知らぬこと。ふっつか。おろか。自分を謙遜していうときにいつもつかうことばである。○ 明月と桃李の花が咲き乱れるときがならぶ、そろうことをいう。偶逢で、春の真っ盛り、真只中ということ。○ あかるくかがやく。○挑李  桃とスモモ。花についていう。春旧暦二月にはじめて花がさく。


先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。
先生もしもわざわざのおこしを御承知くだされば、どうぞもう一度、長鬚の下男に何らかのお知らせをとどけさせて下さいませ。
有意 気持ちがある。わざわざ来てくれる。○降臨 こちらにおいでになる。謙遜したいい方である。○双鯉 何らかの知らせ。手紙のこと。『文選巻二十七』無名氏の楽府『飲馬長城窟行』「客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。」(客逍方より来たり、我れに双鯉魚を迫る。児を呼んで鰹魚を烹るに、中に尺素の書有り。)―旅人が遠くからやって来て、わたしに二匹のこいをくれた。こどもを呼んでこいを料理すると、中にきぬ巻き紙の手紙があった。―とあるのにもとづく。


漢無名氏《飲馬長城窟行》
青青河畔草,綿綿思遠道。遠道不可思,宿昔夢見之。
夢見在我傍,忽覺在他鄉。他鄉各異縣,輾轉不相見。
枯桑知天風,海水知天寒。入門各自媚,誰肯相為言。
客從遠方來,遺我雙鯉魚。呼兒烹鯉魚,中有尺素書。
長跪讀素書,書中竟何如。上言加餐食,下言長相憶。


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811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』

すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


現代語訳と訳註
(本文) #5

昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』


(下し文)
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。
婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。


(現代語訳)
昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう。
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。


(訳注)
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。

昨晩のこと、長鬚の下男が告訴状をとどけて来た、まず、隣りの不良少年は類のないほど悪いやつというものである
長鬚 最初に出て来たあごひげを長く生やした下男のこと。以下この#5の段は、虚仝が隣雀の不良少年を訴えたことを述べる。〇下状 告訴状を提出する。下は、自分のところへ持って来たから、謙遜して「下す」といった。状は、告訴状。○隔墻 土塀で隔てられたところ、隣家。○悪少 不良少年。○難似 比べるのがむずかしい。類がない。


每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
いつも大星根にまたがっては下の方を見下ろして中をのぞきこむ、家じゅうの女たちは驚愕して逃げる回り、その時足をくじくということがおこった。
每騎屋山 騎は、またがる。屋山は、里根の棟、山のような形だから、屋山という。○窺闞 窺は、のぞきこむ。闞は、瞰と同じく、見下ろす。○渾舎 後世の俗謳の原家と同じく、性的対称である人のこと、妻、妾、民妓などのことをいう。○驚伯 伯は、恐れる。○折趾 足をくじく。趾は、足(足さき)のことで脛より上を含まない。

 
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
その横暴な振る舞いは有力者と姻戚なのをよいことにして役人をあなどり、法令により禁止されていても取り締まることができないほどなので何も信じられないということなのだ。
憑依婚媾 姻戚に有力者があって、その力をたのみとしていることをいう。憑依は、たよる。婚媾は、結婚。貴族の子息「五陵年少」には処罰されないことが多かった。身分、血縁的なものに加え、任侠的なものとのかかわりを持つもの。王維、李白、杜甫「少年」

李白 17少年行

王維 楽府詩 少年行四首

杜甫 少年行


○欺 あなどる。ばかにする。欺侮というときの欺。○不信令行能禁止 不良少年は法令が行われて自分のした悪い事を禁止することができるとは信じない。この句までが告訴状の内容。


先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
先生はこれまでばかにされても辛抱して今までおっしゃられたことはなかった、突然いま訴えられたのはきっとよくよくわけがあるのであろう
受屈 受は、辛抱する、がまんする。屈は、屈辱的な不当なひどい目に遭うこと。○未曾語 未曾は、今までそうした経験がなかったことを示す助辞。○来告 告は、告訴する。○良有以 ほんとにわけがあるのだろう。良は、心庇から。は、理由。魏の文帝曹丕(187-226年)の「呉質に与うる書」に見える有名なことば。『詩経、邶風、旄丘』「必有以也」(必ず有る以【ゆえ】也)
李白『春夜宴桃李園序』「古人秉燭夜遊,良有以也。」(古人 燭を秉(と)りて夜に遊ぶ,良(まこと)に以(ゆえ)有る也。)

春夜桃李園宴序李白116

 

嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
ああ、わたしは赤県の県知事の身でありながら、権力を持っているのに用いずに何を怖がってこまねいているのだろう。
 嘆息のことば。○赤県令 赤県は、唐の県の隔級の七つのうちの最上級のもの。長安・洛陽など都制を敷かれた特別市直轄の県をいう。韓愈の令、長官、県知事であった河南は、赤県であった。なお、戦国時代の哲学者鄒衍が中国を呼んで赤県神州といったが、そうしたことが、この赤県という官庁用語が詩中に取り入れられるときにそう抵抗を感じきせなかったのであろう。令は、県の長官。○揉権不用 権力をにぎっていながらその権力を用いない。○何俟 俟は、待つ。その権力を何に使おうとするつもりなのか、ということ。 


立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
すぐさま賊曹検察官を招き伍伯の警官を呼び寄せ、つまらぬ悪さをするやつらをことごとくひっとらえて市場で晒し首にしようとしたのだ。
 すぐさま。○賊曹 漢代、郡や国の訴訟や犯罪を取りしまった官。今の警察と裁判所とを兼ねたようなもの検察官である。唐では、州の法普参軍事がこれに相当するが、韓愈は州より下の県令だから、警察関係を扱っている部下のものをさす。○伍伯 漢代の官職の名。伍は、五人を一組とした班。伯は、長をいう。組み頭。ここは、警察の方だから、巡査郎長ぐらいに当たる。この伍伯はヽ刑荊の執行人でもあった。○ 捕える。○鼠輩 つまらない人間。○屍諸市 屍は、死体をさらしものにする。屍諸市、むかし、商業は市場で行われ、したがって盛り場でもあったので、処刑は、多くの者のみせしめにするために、市場で行われたことをいう。

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。

#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。


現代語訳と訳註
(本文)

去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

(下し文)
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。

(現代語訳)
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。


(訳注)
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。

去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
去歲 去年。○添丁 丁は、一般の人民。人「氏が一人ふえたという意味で、「丁を添う」添丁と名づけたわけである。唐の律令制度では、21歳になると、一般人民は、口分田として一頃(約十町歩)の田が与えられ、租庸調の納税と府兵制度、兵役の義務が生じ、それを丁という。ただし、韓愈の時代の100年前には崩壊していた。のち盧仝が甘露の変の巻き添えで死刑に処せられ、頭が禿げていたため、頭に釘を打ち込んで殺した。子どもに添丁「丁(釘)を添う」と名づけたのは、その前兆であったという、中国特有の伝説ができる儒者であった。○ その役をさせる。○耘耔【うんし】 耘は、草取り。耔は、苗の根もとをかためること。したがって耘耔とは、農作をすることをいう。『詩経、小雅甫田』「今適南畝、或耘或耔。」(今南畝に適き、或は耘【くさぎ】り或は耔【つちこ】う。)とある。○丁口 人民の数。口は、人口の口。律令制度では、男子を(壮)丁といい、女子を口とし、女子を兵士にはしなかった。(古代は女子も兵士になった)つまり人間の数に入れなかったということだ。


國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけでらあるまいとおもいますが。
四海 中国の四方のはては天涯、海だと考えられ、そのはてまでの全世界をもいう。○ 自分で直接行う。○耒耜【らいし】 すき。田を耕す道具。・柄の方を耒といい、さきの刃の部分を耜という。ここは、すきを用いて耕すという動詞で、透きをもって耕すこと、耕作ということ。


先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
終大用 「終大用」の終わりは~を完了する。=成。『國後、周語下』「純明則終〔終成也〕」(純明は則ち終る〔終は成る也〕)次の句の「終不仕」は窮極には、とどのつまり。最後まで、どうしても。『大学』「有斐君子、終不可諠」(斐【はい】たる君子有り、終に諠【わす】るべからず)○宰相 天子を助けて政治の全体を総括する大臣をいう。今の総理大巨に当たる。韓愈の時代は、中書門下同平章事がそれであった。


假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
仮如 かりに……であったとしても。仮定を示す助辞。○陳力列 できるだけの力を出すべき位置。政治にたずさわって発言できる地位をいう。『諭語、季氏篇』「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止。危而不持、顚而不扶、則將焉用彼相矣。」(孔子曰く、求、周任言えること有り、曰く、力を陳[し]いて列[くらい]に就き、能うまじきときに止む。危けれども而も持[たも]たず、顚[たおれ]るとも而も扶[たす]けずんば、則ち將に焉んぞ彼の相[たすけ]を用いん。)力を陳べて列に就き、能わざる者は止む。」-「できるだけ努力して職務を行い、もし応自分の努力が受け入れられなかったら辞蔵する。」ということぱにもとづく。○立言 後世の戒めとなる立派な考えをことばに著わすこと。『左伝、襄公二十四年』に叔孫豹のことばとして、「大上有立徳、其次有立功、其次有立言。雖久不廃。此謂不朽。」(大上は徳を立つること有り、其の次ぎは功を立つること有り、其の次は言を立つること有り。久しといえども廃れず。此れを不朽と謂う。」とあり、そのくわしい説明をした唐の孔穎達(574-648年)の「左伝正義」に、「言を立つとは、言の其の要を得、理の伝うべきに足るを謂う。老(子)荘(子)荀(子)孟(子)管(子)晏(子)楊 (子)墨(子)孫(子)呉(子)の徒、子書を制作し、屈原・宋玉・賈誼・楊雄・司馬遷・班固以後、史伝を撰集し、及び文章を制作し、後世をして学習せしむる、皆是れ言を立つる者なり。」とある。哲学・文学・史学いずれであろうと著述によっていつの世までも不朽に伝わることをいう。○垂範 模範を後世に示す。○足恃 頼りにできる。期待してよい。


苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
苗裔 子孫。・苗は稲のなえ、すえ、ちすじ、・裔は着物のすそ。屈原(紀元前339―278年)の『楚辞』に離騒に見えることば。○十世宥 子孫十世まで刑罰を免除される。『左伝、襄公二十一年』叔向が芭宜子に捕えられたとき、祁奚が叔向を赦免するように芭宜子に説いたときのことばに先祖の嬉によって、十世の子孫まで、その恩恵を蒙って刑罰から免れさせ、有能な宥の励みにしたい、ということ。○ 厥、子孫のことをいう。「詩経」大雅文王有声篇に「詒(貽)厥孫謀」とあり、詒(貽)厥といえば、その下のことば、孫謀「子孫のための計画」或は孫をあらわすようになった。このように成語のはじめだけをあげて つづくことばを意味するものを歇後語といい、中国では現代に至るまでよく用いられることばのしゃれである。 なお、この「詒厥」の場合い、「詩経」の本来の意味よりも主として文字づらからいうのであって、後漢の『詩経』の注釈者鄭玄(127―200年)によれば、ここの孫は、順といい泣味、モタ吋り遜に通ずるのだとしている。○基阯 財産の基礎。田や家呈などの不動産をいう。漢代の歴史「漢書」の疏広の伝に、「子孫幾わくは君が 時に及んで、頗ぶる産業の基阯を立てんことを。今日飲食の費え且に尽きんとす。宜しく丈人の所に従って、君 に田宅を買わんことを勧説せよ。」とある。産業の基阯、すなわち財産の基礎が、田宅であることを示している。
 

故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。
天性 生まれつき。○潔身乱倫 自分ひとりだけ行いをきれいにして、大切な人間関係である君主に仕えるとをやめる。「論語」微子篇の中のはなし、子路がある隠者に一夜泊めてもらい、明くる日、孔子に話してもう一 度行ってみると、隠者がいないので、その二人の子どもにいったことばの中に「其の身を潔くして、大倫を乱る。」とある。○安足擬 比べものにならぬ。擬は、なぞらえる、比べる。盧仝の行いは、君にも忠であって、自分ひとりだけ清くして君主を忘れるような隠昔と比べものにならぬほどりっぱだ、というのである。

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』

近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。

#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる



現代語訳と訳註
(本文) #3

《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』


(下し文) #3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる


(現代語訳)
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。


(訳注)
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。

教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
春秋三伝 「春秋」は孔子が編した魯の国の年代記。「三伝」は孔子がいかなる意味をこめてこの春秋を害いたかを説明したもので、三種の書をいう。「左氏伝」は、左丘明の著わしたもの、公羊高の著わした「公羊伝」、穀梁赤の著わした「穀梁伝」をいう。唐のこの頃までは、春秋を解釈するばあい、この三伝が絶対的なものと考えられ、三伝のいずれかの説によってのみ、春秋は解釈すべきものとされていたが、この時代から、三伝によらずに、直接春秋を理解しようという試みが、啖助【たんじょ】、趙匡【ちょうきょう】の二人により始められる。その学説をまとめて、書物として著わしたのが韓愈と同時代人である陸淳(?-805年)であり、そのほか、韓愈の友人樊宗師(?―824年)にも、春秋集伝十五巻があったといわれ、こうした新しい春秋解釈学は、実にこの時代の風気であった。盧仝にも、春秋の注釈書があったらしいが、すぐ失しなわれたようである。○束高閣 東にして書斎に樓閣のように書籍を束にして積み重ねていくこと。束は、束にしてすておくこと。ここでは、春秋の三伝を問題としないこと。束ねて積重ねれば見ようがない。ておくことをいう。老荘思想の晋の庾亮(289~340)、庾翼(305-345年)兄弟が「春秋三伝」を束ねしまいこむことをいったことば。○独抱 独は、ひとり。他のものの助けをからず、自分ひとりの力での意。○遺経 孔子の遺した経書。すなわち春秋の本文をさす。○終始 はじめからしまいまで。すっかり。


往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
往年 過ぎ去った年。先年。○弄筆 弄は、たわむれにする。弄筆は、たわむれに詩を書いたこと。○嘲同異 慮仝の仝は同の字と同じ。同じ時代に、馬異という詩人がおり、盧仝は馬異と友人になって『與馬異結交』(馬異と交わりを結ぶ詩) 「不知元氣元不死,忽聞空中喚馬異。馬異若不是祥瑞, 空中敢道不容易。昨日仝不仝,異自異,是謂大仝而小異。 今日仝自仝,異不異,是謂仝不往兮異不至。直當中兮動天. 地。白玉璞裡斫斲出相思心,黃金礦裡鑄出相思淚。」 を作った。この詩は長句短句いりまじる雑言の詩で、大変奇妙な詩である。中でも有名なのは、次の数句。 (昨日、仝じからず異自から異なり、是れを大仝にして小異という。今日仝自のずから仝(同)じく異異ならず。是れを仝往かず異至らずと謂う。)大仝小異の語源。
要するに、かつて別別にいた盧仝と馬異がいっしょに交わるようになったということをいったものである。嘲は、たわむれる、からかう。○謗不已 謗りつづけられた。いつまでも謗られた。不已は、勣詞につづいて、その勤作が継続していることを示すいい方。


近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。
近来 近ごろ。来は、時間を示すことばにつづいて、それにひろがりを持たせる助辞。○坦途 たいらかなみち。詩文におけるわかり易いことばづかいを喩える・途は、塗と同じ。○猶 そういってもなお。それでも。○虚空 そら。空中。○綠駬 むかし馬ずきの天子として有名な周の穆王(紀元前1002―947年在泣)が、中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。馬車をひかせたという8匹の駿馬たちのこと。この「虚空跨綠駬」はそれをしめすもので、盧仝の詩が、坦途を尋ねたと自分ではいっても、なお人間ばなれした的外れかとおもえるような詩であることをたとえたものである。


庾亮(289~340)
  字は元規。潁川郡鄢陵の人。談論をよくし、老荘を好んだ。鎮東将軍司馬睿の西曹掾をつとめ、丞相参軍に転じた。華軼を討つのに功があり、都亭侯に封ぜられた。元帝が即位すると中書郎に任ぜられ、中領軍に進んだ。明帝のとき、中書監となった。王敦の乱のとき、左衛将軍として諸将とともに銭鳳・沈充らを討った。乱の平定後、護軍将軍となった。明帝の病が重く、王導とともに成帝を補佐するよう遺詔を受け、中書令に上った。政事全般を決裁したが、人望がえられぬまま、宗室を圧迫した。咸和二年(327)には蘇峻・祖約の乱を招き、建康を失陥した。翌年に温嶠・陶侃らによって乱が平定された後は、豫州刺史として出て、蕪湖に鎮した。陶侃の死後、江荊豫三州刺史・征西将軍となり、武昌に鎮した。ときに石勒が没し、中原恢復の大望を抱いて石城に移り、北伐諸軍を支援したが、勅許が下りなかった。咸康五年(339)、後趙が邾城を陥すのを救うことができないまま病没した。

庾翼(305~345)
  字は稚恭。潁川郡鄢陵の人。庾亮の弟にあたる。蘇峻の乱のとき、亮に命ぜられて石頭を守備した。乱が平定された後、太尉・陶侃のもとで参軍をつとめた。咸康四年(338)、南蛮校尉・南郡太守となり、江陵に鎮した。後趙の石虎が邾城を陥し、石城を囲んだとき、奇兵を用いて趙軍を撃退し石城を守った。功績により、都亭侯に封ぜられた。兄・亮が没すると、都督江・荊・司・雍・梁・益六州諸軍事となり、安西将軍・荊州刺史として武昌に鎮した。兄の志を継いで北伐を望んだが、襄陽に移る勅許が出ず、志半ばに病没した。

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-257 寄盧仝#2 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248


盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』

ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。

nat0021


現代語訳と訳註
(本文)

勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』


(下し文)
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。


(現代語訳)
盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。

八女茶 畑


(訳注) 
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。

盧仝先生に「東都留守のところに行ってください」とか「河南尹に面会に行くよう」とわたしが勧めても、ことばがその話になったかと思うと儒者の先生は許由のように耳をふさいでしまわれる。
勧参留守謁大尹 以下この一段は、隠れ住んでいる盧仝に対し、出て官に仕えるように勧めるが、いっこう承知しないことをいう。参は参じる、お目にかかりに行くこと、謁も同じ。留守は、洛陽が唐代からはじまる。『書言故事、府主類』「守舊京者曰留守。」(旧京を守る者をいう。)東都、洛陽を中央政府機関の一部分も置かれていたので、それらの最高責任者として置かれた官をいう。このときは、韓愈の後援者の一人である鄭余慶(746―820年)が「留守」であった。大尹とは、洛陽には、特別市制がしかれていて、その長官をいう。正式には、ただ尹といい、次官たる少尹に対して、特に大尹ということがある。このときは、李素(755-812年)が、少尹で大尹の事務を取り扱っていた。○【わずか】 やっと…したと思うと。その行為(ここでは「言語が及ぷ」)が始まったばかりであることを示す助辞。○ そのたぴごとにすぐに。それが習慣となっていることを示す劫辞。○掩耳 聞きたくないとして耳をふさいでしまう。隠者が、政治にたずさわるように勧められたとき、耳がけがれたと耳を洗った儒者のこと。古代の伝説上の人物、許由の故事をふまえたもの。このブログで掲載した許由を載せた詩をあげてみる。
『将歸贈孟東野房蜀客』韓愈
君門不可入,勢利互相推。
借問讀書客,胡為在京師?
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
如今便當去,咄咄無自疑。
「潁水清且寂,箕山坦而夷。」(頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。)

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

贈特進汝陽王二十韻  杜甫27


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古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5

行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5

 

水北山人得名聲,去年去作幕下士。
洛水の北岸の山人である石洪どのが評判になっている、去年出かけて行って河陽節度使烏重胤の幕僚になった。
水北山人 石洪(771―812年)のこと。水は、川のこと、ここでは洛陽の市内を流れる洛水のこと。山人は隠遁者。洛陽の北の隠棲者、石洪のことで、洛陽に十数年間隠遁していたが、河陽節度使の烏重胤(761-827年)がそれを聞き、自分の幕僚に招いた。そのとき、韓愈は、「送る序」と詩を作って「洛の北の涯なるを石洪という。」とある。石洪の墓誌銘も韓愈が書いている。○名声 よい評判。○去年去作幕下士 烏重胤に招かれて、その軍の幕僚になったことをいう。去年は、元和5年(810年)。
 
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
洛水南岸の山人温造どのは今度はつづいて出ていき、鞍をおいた馬や下男・従者たちが街をいっぱいにしてふさいでしまった。
水南山人又繼往 水南山人とは、温造(766―835年)のこと。韓意の「温処士の阿陽軍に赴くを送る序」に、「洛の南の涯なるを温生と云う」とある。温造もやはり烏重胤から石洪につづいて招かれたことをいう。そのとき、韓愈は、「送る序」を書いた。温造は、のち地方軍閥の抑圧に功を立て、節度使になっている。○鞍馬 鞍を置いた馬。○僕従 僕も従も、しもべ。従者たち。○ いっぱいにする。○閭里 閭は、部落の門であるが、また部落そのものをいう。ここは温造の住んでいる街をいう。

少室山人索價高,兩以諫官征不起。
嵩山の少室山に隠遁する李慟どのは自分の値打ちを高くつけている、二度も左拾遺で招かれたが官途には就かないという。
少室山人 少室は山の名。五岳の中岳である嵩山(今河南省登封県にある)の一峯。その少室山にこもっていた山人とは、李渤(773-831年)をさす。李渤は、左拾遺の官で招かれたが辞退した。元和三年(808年)、韓愈が手紙を送って官につくように勧めたので、洛陽に移り住み、攻治上の意見をも朝廷に上言するようになった。のち、元和9年(814年)、著作郎としてはじめて官途につき、太子賓客にまでなった。○索価高 自分の値段を高くつけようとする。自分の価慎を高く見いもつもって、低い地位では官途につこうとしないことをいう。なお、韓愈の「少室の李拾遺に与うる書」に肌、「又窃かに聞く、朝廷の議、必ず拾遺公を起たしめんと。使者往き、若し許さずんぱ、即ち河南(の尹)必ず継いで以て行かん。拾遺徴君若し至らずんぱ、必ず高秩を加えん。是くの如くんば、則ち少くなきを辞して多きに就く、廉に傷みて義に害あらん。」といっている。○両以諌官徴不起 李渤が二度左拾遺の官で招かれたが官につかなかったことをいう。諌官は、天子に諌めたてまつる官。つまり天子の行動にまちがいがあれば、それを正すように意見を申し上げることを職務とする官吏である。ここでは左拾遺をいう。左拾遺の職務は、「供奉諷諌し、乗輿に扈従するを掌どる。凡そ令を発し事を拳うに、時に便あらず、道に合せざること有らぱ、大は則ち廷議、小は則ち上封す。若し賢良の下に遺滞し、忠孝の上に聞えざるあらば、則ち其の事状を条して、之を薦め言う。」と、唐の官制を記した「唐六典」に見える。起は、はじめて官途につくこと。


彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
彼らの共通したことはいずれもきびしい毒舌、口ぶりで世間の事を論じているのだ、実力の有る人たちであるものだけれど結局は俗事に追いまわされることになってしまうのを免れない。
 石洪、温造、李渤をいう。○刺ロ とげのあるいい方で。○諭世事 世俗のことを批判する。○有力 石洪、温造、李渤のょうな人たちは、世事を論じ、カの有るものだから、かえって世俗から駆使されるょうな日にあったとつづく。○未免 免れることはできない。どうしても…になる。○ その目にあう。受身をあらわす動詞。○駆使 迫いまわして使う。


先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
ところで玉川先生の仕事は量り知ることができない、ただ自己の守るべき自らの律する則どおりに自己を制しておられるということなのだ。
事業 天下を治めるしごと。○不可量 石洪、温造、李渤らのような世事を論ずるものは、世俗に駆使されるが、世俗に超越している盧仝は、「量ることができない」のである。○ ただ…するだけだ。○法律 道徳律。自分の守るべき法則。今の「法律」とは異なる。○ 自分で。○ すみなわ。直線を引くときにつかう縄をいう。そのことからまっすぐにすること。ここでは、儒者としての仁徳律・道徳律の線のとおりに行うこと。自分でひかえめにして、自分の手腕を存分にふるおうとはしないことをいう。


中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22

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811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248

盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才須大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。』

#1
玉川先生 洛城の裏【うち】,破屋 数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動【やや】もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。』

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語 纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。』
#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる。』
#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする 無からん や。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て 範を垂るること 亦 恃【たのし】むに 足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを 蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは 安【いずく】んぞ 擬【ぎ】するに足らん。
#5
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。

先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文) 寄盧仝

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。


(下し文) (盧仝に寄す)
玉川先生洛城の裏【うち】,破屋数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。


(現代語訳)
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。


(訳注)
寄盧仝

寄盧仝 寄は、乎紙などを送ること。この詩は、盧仝に書いて送ったのである。盧仝(未詳一835)は、韓愈(768-846)と同時の詩人で、非常に難解なごつごつした詩を作った。うち最も有名なのは「月蝕詩」で、韓愈も、それにならって同じ題の「月蝕詩」を作っている。盧仝の生活は、この「盧仝に寄す」詩によって知られるとおりであるが、その死は悲惨であった。835大和九年甘露の変のとき、謀叛人として殺された宰相の王涯の宅にたまたま来あわせていたため、その一党と目されて、死刑に処せられている。この「寄盧仝」詩は、韓愈が河南県の令だったとき、811年元和六年44歳、春の作。長篇であるから、6分割して注釈を加えることにする。甘露の変については李商隠詩このブログでも10首程度掲載しているので詳しくは参考にされたい。 あるいは盧仝詩『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
玉川先生 盧仝は茶を煎じる水をとる玉川にちなんで自ずから玉川子と号した。この最初の一段(#1)は、盧仝の日常生活の貧しさをいう。○洛城 洛陽の城郭、街中のこと(今河南省洛陽市)。洛陽は、当時、洛陽県と河南県とで分治せられ、韓愈は、河市県の令であった。○数間 間とは、家屋の柱の開の数をいう。柱二本なら一間であり、三本なら二間ということになりこの、間数が大きいほど、大きな家である。○而巳矣 限定の意を表す助辞。それだけである。[而已]をひきのばした形で、詠嘆の気持ちが加えられる。『論語、里仁』「夫子之道、忠恕而已矣。」(夫子之道は、忠恕のみ。)盧仝が儒者であるので論語風に作るもの。


一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
一奴 奴は、下男。たった一人の下男とは、費しい(もちろん比較的のはなしで、知識階級の家としては)ことをあらわす。下の一婢も同じ。夫子であれば下僕が数人から十人程度は世襲で普通にいた。○長鬚 鬚は、あごひげ。○不裹頭 当時は下男でも頭巾をかぶるのが習慣となっていたのだろう。○一婢 婢は、下女。○赤脚 はだし。赤とは、何もなぃことをいう形容詞。杜甫『早秋苦熱詩』、赤脚で下女。『事物異名録、倫属、奴婢』「鶴林玉露、楊誠斉退休南渓之上。老屋一區、僅庇風雨。長鬚赤脚、纔三四人。按、長鬚謂奴、赤脚謂婢。」(長鬚 赤脚、纔【わず】かに三四人と。按【あん】ずるに、長鬚とは奴を謂い、赤脚とは婢を謂う。)に基づいている。


辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
辛勤 辛い思いをしても勤勉する。こつこつ苦労するさま。o奉養 奉は、かしずき仕えること。日常の生活、飲食起居をいう。『史記、齊太公世家』「令其秩服奉養此太子。」(其の秩服 奉養をして太子に此し令む。)とあり、これに基づいている。○慈親 慈は、めぐみ深いこと、親の子に対する道徳とされる。そこで親を形容することばとしてごく軽く使用される。『呂覽、慎大』「湯立爲天子。夏民大説、如得慈親。」(湯立ちて天子と爲す。夏の民 大いに説ぶこと、慈親を得たるが如し。)にもとづく。


先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
結發 少年のときに髪を束ねることから、少年のときをいう。あるいは、冠すること、す迩わち成人になフたとして冠をつける儀式のことであるともいう。要するに、若いときから。○【ややもすれば】 〔助字瓣略〕ともすれば。左思『文選、呉都賦』「出躡珠履、動以千百。」(出づるに珠履を躡【ふ】むもの、動もすれば千百を以もってす。)○一紀 歳星(本星)が天球を一週する期間をいう。十二年。十二の干支の


至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
至令 ~のことを命ずる始末までになっている。○乞米送 乞米は、托鉢の米。布施でもらった米など。○ わたくし。がんらい、しもべということから、自分の謙称になった。○ 身分不相応な位についているという謙迎したいい方。○県尹 県の長官。すなわち県今。○能不 反語。……でいられようか。


俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
俸銭供給公私余 俸給を公私に用いたあまり。供給は、その必要に応じて金銭を使用すること。ここは、旧訓にしたがったが、意味上は、「俸給公私に供給する余」ということである。○ 時には。○薄少 ごくわずかなお金。謙辿したいい方。○助祭祀 先祖のお祭りごと、あるいは縁者への祭祀の援助。生活費といえば、相手に失礼に当たるから、こういうのである。
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中唐概説 ―中唐詩人について(2)一覧&和張僕射塞下曲  盧綸―

中唐概説 ―中唐詩人について(2)―


・ 中唐の詩人一覧表
・ 和張僕射塞下曲  盧綸



 中唐期では、平易な表現を重んじた白居易・元稹らの「元白体」が現れた一方、個性的で難解な表現を愛用する韓愈・孟郊・張籍・李賀などの一派も存在するなど、詩風は前代よりも多様化する傾向を見せ、それぞれが多彩な性格を持つ詩壇を形成した。また韓愈・柳宗元らにより、六朝以来主流となっていた「四六駢儷体」と呼ばれる修辞主義的な文体を改め、漢代以前の達意を重んじる文体を範とする、新たな文体の創出が提唱された(「古文復興運動」)。韓愈らの試みは次の宋代の文学者に引き継がれ、後世、彼ら古文運動の主導者を「唐宋八大家」と総称する。

その詩人は次の通りとされている。    

唐宋八大家:①韓愈、②柳宗元、宋③欧陽脩、④蘇洵、⑤蘇軾、⑥蘇轍、⑦曾鞏、⑧王安石 

【大歴十才 】:

 次に詩人を羅列してみる。(記述もれがあるので順次補完して改正更新する。)

  中唐の詩人

ID

 詩人名 ふりかな生年~没年特徴>

作品 1

作品 2

 0  皇甫冉   こうほぜん 714 - 767年   曾山送別  送陸鴻漸栖霞寺採茶              

 1  元結    げんけつ  723~772 律詩 <田園山林> 閔荒の詩 春陵行 『篋中集』             

 2  韓翃     かんこう (720~未詳)  【大歴十才 】                

 3  錢起 (錟郎) せんき 722~780年  【大歴十才 】 江行無題(咫尺愁風雨)                     

 4  張謂     ちょうい 721~780年  早梅(一樹寒梅白玉條)                       

 5  郎士元    ろうしげん (727~780?)  【大歴十才 】 長安逢故人               

 6  皇甫曾    こうほそう (721~781?)  【大歴十才 】 哭陸羽処士   送陸鴻漸山人採茶回              

 7  李嘉祐    りかゆう 719~781  【大歴十才 】                

 8  李端     りたん 743~782  【大歴十才 】  山中寄苗員外               

 9  顔眞卿    がんしんけい  709 - 785年 
  題杼山癸亭得暮字  謝陸処士杼山折青桂花見寄之什  贈裴将軍  贈僧皓然  詠陶淵明  三言擬五雑組二首  使過瑤台寺有懐円寂上人幷序   登平望橋下作  刻清遠道士詩因而継作      

10  吉中孚      きつちゅうふ (未詳~785)  【大歴十才 】  送帰中丞使新羅冊立弔祭               

11  孟雲卿      もううんけい (729~未詳) <田園山林> 格律異同論 格律異同論「譜」              

12  劉長卿(文房)  りゅうちょうけい (709?~785?) 田園山林 送李判官之潤州行營(萬里辭家事鼓鼙)  逢雪宿芙蓉山主人(日暮蒼山遠)     送靈澈(蒼蒼竹林寺)     送舍弟之鄱陽居(鄱陽寄家處)      重送裴郞中貶吉州(猿啼客散暮江頭)  尋盛禪師蘭若(秋草黄花覆古阡)  細聽彈琴(泠泠七弦上)            

13  戴叔倫     たいしゅくりん  732~789年   敬酬陸山人二首               

14  司空曙     しくうしょ (?~790?)  【大歴十才 】 江村即事(釣罷歸來不繋船)       唐・司空曙 司空曙(しくうしょ)  送吉校書東帰             

15  耿湋      こうい  (734~未詳)   【大歴十才 】 秋日(返照入閭巷)    春日題苗発竹亭  贈苗員外            

16  冷朝陽     れいちょうよう (740~未詳)  【大歴十才 】  同張深秀才遊華厳寺  中秋与空上人同宿華厳寺  瀑布泉  宿柏巌寺  登霊善寺塔           

17  咬然      こうぜん  730~799  僧侶  塞下曲(寒塞無因見落梅)  送邢濟牧台州(海上名山屬使君)

18  靈一      りょういち  727~799 僧侶 題僧院(虎溪閒月引相過)                 

19  盧綸      ろりん (748~800年?)  【大歴十才 】 和張僕射塞下曲(鷲翎金僕姑)    客舎苦雨即事寄銭員外郎士元員外  送郎士元使君赴郢州      元日述懐(筮仕無中秩 )      

20  崔峒      さいどう   (未詳)     【大歴十才 】               

21  陸羽      りくう     ( ~804)   【大歴十才 】  会稽東小山               

22  夏侯審     かこうしん (750~未詳)  【大歴十才 】                

23  苗発      びょう-はつ (未詳~未詳)  【大歴十才 】  送司空曙之蘇州  送孫徳諭罷官往黔州              

24  顧況(逋翁)  こ きょう (725年 - 814年?)  聽角思歸(故園黄葉滿靑苔)  
             
25  孟郊(東野)  もうこう(とうや)  751年 - 814年 <韓愈Groop>贈別崔純亮(鏡破不改光)    古別離(欲別牽郞衣)         遊子吟(慈母手中線)                      

26  武元衡     ぶげんこう  758~815      題嘉陵驛(悠悠風旆繞山川)    
             
27  李賀(長吉)   りが      790~816      金銅仙人辭漢歌(茂陵劉郞秋風客)      蘇小小墓(幽蘭露,如啼眼)    雁門太守行(黑雲壓城城欲摧)    
            
28  權德輿     けんとくよ  759~818  <田園山林>送陸太祝赴湖南幕同用送字               

29  柳宗元 ② りゅうそうげん  773~819 <田園山林> 江雪(千山鳥飛絶)     登柳州峨山(荒山秋日午)     漁翁(夜傍西巖宿)      汨羅遇風(南來不作楚臣悲)   再上湘江(好在湘江水)      與浩初上人同看山寄京華親故(海畔尖山似劍鋩)   登柳州城樓寄漳汀封連四州(城上高樓接大荒)   柳州城西北隅種柑樹(手種黄柑二百株)   渓居    
  
30  朱放     しつほう 生没年不詳  題竹林寺(歳月人間促)                    

31  薛瑩     せつえい (未詳)  秋日湖上(落日五湖遊)                 

32  張継     ちょうけい (生没年不詳)  楓橋夜泊(月落烏啼霜滿天)                 

33  韓愈①韓退之 かん-ゆ  768~824年  <韓愈Groop> Ⅱ中唐の詩 韓愈特集

34  李益     りえき (748~827年?) 大歴十才 幽州(征戍在桑乾)     夜上受降城聞笛(囘樂峯前沙似雪)   題軍北征(天山雪後海風寒)      喜見外弟又言別(十年離亂後)     汴河曲(汴水東流無限春)    
          
35  王建      おうけん (768?~830年?<白居易Groop> 行宮(寥落古行宮)元稹  故行宮詩(寥落古行宮) 新嫁娘詞三首之三(三日入廚下)   渡遼水(渡遼水)     宮中調笑(團扇)     宮中調笑(楊柳) 
                
36  崔護      さいご (未詳)  題都城南莊(去年今日此門中)   
              
37  張籍      ちょうせき  768~830年  <韓愈Groop>  秋思(洛陽城裏見秋風)    董逃行(洛陽城頭火曈曈)     征婦怨(九月匈奴殺邊將)    節婦吟 寄東平李司空師道(君知妾有夫)     築城詞 Ⅷ 張籍<5>      

38  元稹 (微之) げん-しん  779~831 <白居易Groop>聞白樂天左降江州司馬(殘燈無焔影幢幢)  得樂天書(遠信入門先有涙)    歳日(一日今年始)      遣悲懷(謝公最小偏憐女)    離思(曾經滄海難爲水)            

39  薛濤      せつ とう  768年 - 831年  春望詞四首 其三 秋泉 柳絮 海棠渓  酬人雨後玩竹           

40  李渉(李渤)  りしょう   773~831  題鶴林寺(終日昏昏醉夢間)    重登滕王閣(滕王閣上唱伊州)                 

41  韋應物    いおうぶつ  735~835  <田園山林>  滁州西澗(獨憐幽草澗邊生)    秋夜寄丘二十二員外(懷君屬秋夜)  寄李儋元錫(去年花裏逢君別)    與村老對飮(鬢眉雪色猶嗜酒)  

42  楊巨源    ようきょげん (770?-?)                 

43  劉禹錫    りゅう-うしゃく  772~842年 <白居易Groop>秋風引(何處秋風至)      浪淘沙(八月濤聲吼地來)     楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱)    石頭城(山圍故國週遭在)      浪淘沙(九曲黄河萬里沙)    再遊玄都觀(百畝庭中半是苔)    烏衣巷(朱雀橋邊野草花)    與歌者何戡(二十餘年別帝京)    秋詞(自古逢秋悲寂寥)   同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難)   酬樂天揚州初逢席上見贈(巴山楚水淒涼地)  元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來)  杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣)  詠紅柿子(曉連星影出)  瀟湘神(斑竹枝)    

44  賈島(浪仙・無本) かとう  779~843年  <韓愈Groop>渡桑乾(客舍并州已十霜)     尋隱者不遇(松下問童子)     題李凝幽居(閒居少鄰並)       劍客(十年磨一劍)      三月晦日贈劉評事(三月正當三十日)             

45  白居易(楽天)  はくきょい  772~846 <白居易Groop>

46  李紳        りしん   780~846年 <白居易Groop> 憫農(春種一粒粟)                 

47  姚合       ようごう (775~855?)

花と張0104



大暦期には大暦の十才子といわれる五七言の律詩、絶句に長じた十人の詩人がある。蘆綸(748~800)、吉中孚(未詳~785)、韓翃(720~未詳)、錢起(722~780年)、司空曙(?~790?)、苗発(未詳)、崔峒(未詳)、耿湋(734~未詳)、夏侯審(750~未詳)、李端(743~782)、であるが、諸説あり、冷朝陽(740~未詳)、李益(748年 - 827年? )、李嘉祐(719~781)、皇甫曾(721~781)が一グループである。
 これに対して、孟浩然・王維を受け継ぐグループがいる。


○盧綸(ろりん)
中唐の詩人。748年(天寶七年)~800年?(貞元十六年?)。字は允言。河中蒲(現・山西省)人。大暦十才子の一。大暦の初め,屡々進士の試験を受けるが及第しなかったが後に、監察御史となった。長らく不遇であり、後に檢校戸部郎中となる。

和張僕射塞下曲  盧綸
鷲翎金僕姑,燕尾繍蝥弧。
獨立揚新令,千營共一呼。


張僕射(ぼくや) の塞下の曲に和す      
鷲翎(しゅうれい)の金僕姑(きんぼくこ) ,燕尾(えんび) の繍(しゅう)蝥弧(ぼうこ)。
獨り立ちて  新令を揚(あ)ぐれば,千營(せんえい) 共に一呼(いっこ)す。


五重塔(1)

現代語訳と訳註
(本文)
和張僕射塞下曲
鷲翎金僕姑,燕尾繍蝥弧。
獨立揚新令,千營共一呼。


(下し文)

張僕射(ぼくや) の塞下の曲に和す      
鷲翎(しゅうれい)の金僕姑(きんぼくこ) ,燕尾(えんび) の繍(しゅう)蝥弧(ぼうこ)。
獨り立ちて  新令を揚(あ)ぐれば,千營(せんえい) 共に一呼(いっこ)す。


(現代語訳)

僕射(ぼくや)の官職にあった張氏の作った『塞下曲』に唱和する。
鷲(わし)の尾羽の見事な矢。燕(つばめ)の尾のように割れた立派な縫い取りのある諸侯の旗。
独り雄々しく仁王立ちになって、新たに発布された命令を高らかに言えば。多くの兵営から一斉に声が湧き上がった。 


(訳注)
和張僕射塞下曲。

僕射(ぼくや)の官職にあった張氏の作った『塞下曲』に唱和する。
 詩を韻を合わせて唱和する。(時代によって、必ずしも和韻とは限らない)。 ○ 姓。不詳。 ○僕射官名。尚書省の次官。尚書僕射が宰相の地位にあった。 ○塞下曲 新楽府題で、辺塞の戦場の情景を詠う。辺疆の地での戦役の歌。万里の長城の外での戦役の歌。 李白26 塞下曲 李白27 塞下曲六首と塞上曲    
鷲翎 ワシのはね。(冠(かんむり)の飾りの)ワシのはね。 ○金僕姑 「僕姑」は矢の名。『左傳・莊公十一年』(紀元前683年)「乘丘之役,公以金僕姑射南宮長萬,公右歂孫生搏之。」(『左傳』(岳麓書社版)75ページ)とある。

鷲翎金僕姑、燕尾繍蝥弧。
鷲(わし)の尾羽の見事な矢。燕(つばめ)の尾のように割れた立派な縫い取りのある諸侯の旗。 
燕尾 燕(つばめ)の尾のように割れたさま。 ○ 縫い取りのある立派な。 ○蝥弧 諸侯の旗の名。
獨立 独り起ち上がる。 ○ 高らかに言う。 ○新令 新たに発布された命令。

獨立揚新令、千營共一呼。
独り雄々しく仁王立ちになって、新たに発布された命令を高らかに言えば。多くの兵営から一斉に声が湧き上がった。 
千營 多くの兵営。多くの陣営。 ○共一呼 一斉に声が湧き起こる。

中唐概説 ―中唐詩人について(1)― 241 『元日述懐』 盧照隣

中唐概説 ―中唐詩人について(1)―

中唐 (766-835)中唐期は大暦元年(766)に始まる。元和九年(835)を終りとすれば約七十年間である。宋の厳羽は唐詩のスタイルを五つに分け、唐初・盛唐・晩唐のほか大暦体と元和体とを立てた。この二つを合せたのが中唐であるが、中唐という一時期を立てた上で二分し、大暦期と元和期とを区別して説明するのが便利で
ぁろう。766年から徳宗皇帝の崩じた貞元二十年(804年)まで約四十年を大暦期とする。これは盛唐と中
庸の過渡期だということができる。


安史の乱は約十年も続き、唐の歴史の転機であったと同時に、文学にも非常な影響をもたらした。すなわち国力が飛躍的に伸びた初唐から盛唐までは、唐詩の発展としてもきわめて順調なあげ潮だったのである。ところが、安史の乱以後、王維、李白とその他の目立った詩人が次々に没していき、770年杜甫も歿して。唐詩は一気にひき潮となるのである。盛唐までの詩が<春の山野をおおう「百花斉放」の季節>だった。それに対し、中唐以後の詩は<秋の草花のようなもので、人の目をうばう強い色彩>はもはやないし、初唐の詩人がうたった「花は舞う大唐の春」(盧照鄰、元日述懐)のような手ばなしの礼讃は全くない。

元日述懐 盧照隣<初唐の詩人。初唐の四傑の一人。 

 



 筮仕無中秩 帰耕有外臣 
 人歌小歳酒 花舞大唐春 
 草色迷三径 風光動四隣 
 願得長如此 年年物候新 





 筮仕するも中秩無く、帰耕して外臣有り。
 人は歌う 小歳の酒、花は舞う 大唐の春。
 草色 三径を迷わせ、風光 四隣を動かす。
 願くば 長えに此の如く、年年 物候の新たなるを得ん







 仕官はしてみたものの人並の給料はもらえず、退官して田舎に帰ることにした。人々は年の暮れに開けた祝い酒に笑いさざめき、花々がこの大唐のあちこちに舞い散る。
浅緑色の草が隠棲する我が庭の小道を掩い、眩しい風光が辺り一面に揺れ動く。
願わくば、いつまでもこのように毎年みずみずしい風物の訪れを迎えたいものだ。



 初唐と盛唐の世をまとめている作品の一部を示すと次のとおりである。李商隠は、庶民生活をするのに初唐から盛唐の半ばまで楽園であった。家に鍵をかけるものはいなかった。仁徳の政治がなされたといっている。
『行次西郊作 一百韻』李商隠




  •   ・・・・・・
    伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
    官清若冰玉,吏善如六親。」
    生兒不遠征,生女事四鄰。
    濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
    健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
    況自貞觀後,命官多儒臣。』
    例以賢牧伯,徵入司陶鈞。
    降及開元中,奸邪撓經綸。
    晉公忌此事,多錄邊將勳。
    因令猛毅輩,雜牧升平民。」
    ・・・・・・





 伊(そ)の昔 楽土と称せしときは、頼る所は牧伯(ぼくはく)の仁なりき。
官は清きこと冰玉の若く、吏の善きこと六親(りくしん)の如し。」
児(おのこ)を生みても遠征せず、女(おみな)を生みては四隣(しりん)に事(とつ)がしむ。
濁酒(だくしゅ)は瓦缶(がふ)に盈(み)ち、爛穀(らんこく)は荊囷(けいきん)に堆(うずたか)し。
健児は旁婦(ぼうふ)を庇い、衰翁(すいおう)は童孫(どうそん)を舐む。
況んや貞観(じょうがん)より後、官に命ぜられるもの儒臣(じゅしん)多し』
例(ためし)として賢なる牧伯(はくばく)を以てし、徴(め)し入れては陶鈞(とうきん)を司(つかさ)どらしむ。
降(くだ)りて開元中に及ぶや、姦邪(かんじゃ) 経綸(けいりん)を撓(ゆが)めたり。
晋公 此の事を忌(い)み、多く辺将の勲を録す。
因(よ)りて猛毅(もうき)の輩(やから)を令(し)て、升平(しょうへい)の民を雑牧(ざつぼく)せしむ。』







 

その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。
そのころは、どこの家でも、男の児を産んだとしても兵役にとられて国境守備にかり出される心配もなく、生れた児が女なら、いずれ近隣に嫁がせて幸せな一生を送らせる事ができたのです。
どこの調理場におかれた素焼の酒瓶には地酒があった。雑木造りの粗末な倉だけど、倉にはよくみのった穀物がうず高く積まれていたのです。
丈夫で屈強な働き盛りの男たちは近隣の女たちをかばうことをしたのです。年寄りは、皆から気遣ってもらい、自分の孫を可愛がってやればいいというものでした。
まして、いわゆる貞観の治といわれる太宗皇帝の御治世から以後というもの、文治政策が採用され、地方長官に任命されるものの多くは正統的な儒教の教養を身につけた文臣でありました。

通例として、そのうちから、治績いちじるしかった偉い地方の太守を選抜して中央の大臣として召還されることとされたのだ。かくて、地方官はその地の民を恵しむことに励み、国政の大綱も輝かしい文治の方針にそって、その繁栄の道を歩んだのだった。
それから降って約100年後開元の時代、第六代皇帝玄宗在位の頃に汲んでから、よこしまな奸臣が、私利私欲のため国攻の施政方針をゆがめ、規律を乱し始めたのだ。
737年開元二十五年に晋国公に封ぜられた宰相李林甫は、科挙合格者の文官が地方州の長官となり、そのうち功績をあげて名望の高いものをえらんで大臣とするこの慣例が、自らの野望のさまたげとなる英賢な文人を嫌い粛清した。そして辺疆の武将(哥舒翰、高仙芝、安禄山ら)の功績を過大に評価して記録し、上申して武将を文官以上に重く用いることにしたのである。
そのため、安縁山ら、異民族出身のたけだけしい将軍たちが節度使となり、平和な中國の人民を無秩序に支配するという事態がおこった。
天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。

mugi880

 盛唐における李林甫による腐敗、朝廷内の頽廃により、地方末端まで貧困化していく。そして安史の乱の前、数年、大雨と日照りが交互に住民を苦しめた。
 安史の乱では、人口が60%になったという。中唐は、滅亡の危機ののち、それでも唐王朝が回復していく過程の中で、多くの詩人を産んだのである。
しかし、秋の七草や菊の花を思わせるものは、やはりなお咲き続けた。少しく注意して見れば、そこにも愛すべきものはあり、また「疾風に勁草を知る」のたとえのとおり、吹きすさぶ木がらしにたで、強い骨をもった詩人も少なくなかったのである。これは朝廷内の紛争、落ち着きのない政治、国家の富が低減していくことと無関係ではないし、決定的なことは、中唐期の区切りになった「甘露の変」、宦官の目立った台頭が、官僚たちに国家のため、国の隆盛のために力を注ぐことを諦めさせたことにある。「秋の七草」の原因は、多くの詩人が、この「甘露の変」に無関係を装ったことにある。廃屋を詠ったり、亡霊が出たり、現実逃避であり、難解詩が増えるのである。それは、晩唐まで続くのである。

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#3kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ253

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#3 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ253


盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。


韓愈、孟郊と親交があり、韓愈のグループとされている。孟郊の詩『答盧仝』では盧仝像が全く見えないので盧仝の代表作『走筆謝孟諫議寄新茶』を掲載する。


走筆謝孟諫議寄新茶
#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」
#2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
#3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?

だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)


日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。」

天子須く嘗むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關(とざ)して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。


現代語訳と訳註
(本文) #3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?


(下し文)
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。


(現代語訳)
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)


(訳注) #3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
孤悶 一人もだえる。儒者であり、禅に傾倒している盧仝であるから、自ら捨てきれていない煩悩について悶々としていることをいう。


三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
枯腸 思慮のないこと。文才のないこと。干からびた腹わた。うえたはら。○五千卷 経論五千余巻のこと。茶の生れは仏教とのかかわりが多く茶を焙煎し熟成することは、経を讀み修行をすることの中で行われた。○この聯は文才のない自分に経論五千余巻を読みながらつってくれたお茶の神髄が文才のない作者自身に才能をもたらせてくれるというもの。経論五千余巻を将来したものが僧正となる。経論とは仏の教えを記した経と、経の注釈書である論。『梁書、謝擧傳』「為晉陵郡時、常與義僧遞講経論」(晉陵郡を爲むる時、常に義僧と経論遞【たが】ひに講ず)現在でも茶をつくのは寺院でする場合が多くお経を唱えて焙煎している。


四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
平生 普段。日頃。平常。『論語、憲問』「久要不平生之言、亦可以為成人矣。」(久要に平生の言を忘れざるは、また、聖人と以て為すべし)○不平事 ここは不平ではなく、平常が平常でないことをいう。(平静=平常=平時=平事)同意語を否定につかことで尋常でないことが強調されるのである。不平不満理解すると意味は矮小化される。


五碗肌骨清、六碗通仙靈。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
肌骨清 発汗作用が体内の不純物を出してくれること、利尿作用も漢方における原則的なことである。○仙靈 仙界(伝説的な仙人の世界、道教の世界)と霊域(神仏を祭る神聖な世界)


七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。


蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。

蓬莱山 神仙三山(蓬莱・方丈・瀛州)の一つ。唐大明宮内の大掖池に蓬莱山があり、蓬莱殿があった。盧仝は仙界を朝廷の比喩として使っているのである。

山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
群仙 多くの仙人。『文選、木華、海賦』「群仙縹眇、餐玉淸涯。(群仙 縹眇として、玉を淸涯に餐す)」翰林学士。『琵琶記、春宴杏園』「引領群仙下翠微、杏園惟後の題詩に有るのみ。」(領して群仙を引き翠微を下る、杏園 惟だ有後題詩)ここでは山の上にいる多くの仙人に比喩した旧手の官僚を指すもの。○ 職務とする。管理監督する。○下士 凡夫。愚か者。


安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
蒼生命 民衆の命。○顚崖 山の頂と峻崖


便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?
だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)
○盛唐の玄宗以来、仁徳をもって政治にあたることがなくなったこと、特に、朝廷内において、官僚のみならず、宦官の腐敗頽廃により、民衆は苦しんでいたことを述べている。


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盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。


韓愈、孟郊と親交があり、韓愈のグループとされている。孟郊の詩『答盧仝』では盧仝像が全く見えないので盧仝の代表作『走筆謝孟諫議寄新茶』を掲載する。


走筆謝孟諫議寄新茶
#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」
#2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。
天子がぜひとも陽羡の茶を啜りたいと思召しておられる。しかし、百草はあえて天子のために先がけて花を開こうとはしないのである。
仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
天子に求められる仁徳による教化と同じように、人の知らないところで茶樹に真珠のような蕾をつけるものであり、そうであれば春に先駆けて黄金色の新芽を吹き出すのである。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。
鮮葉を丁寧に摘み、焙煎、揉み込み香り立つ茶の持つものをその中に心を込めて封じ込めるのである。それがもっともすぐれているものであり、最も好まれているものである、それをけっして奢りとしない。
柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
まず、紫門を閉じ俗客が入ってこれないようにするのでゆっくり茶を楽しめる。頭巾で頭を包み、邪念を拂う、そして貰った茶葉を自ら煎じて啜る。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
碧雲の湯気が茶湯から風に引かれるようにわいて止むことはない、白い花(雪)のような茶の泡が光を放つように茶碗の周り表面に満面に浮んでいる。

#3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?

日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣【たた】きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛【さな】がら見る諫議の面、首【はじ】めに月の團【まろ】きを閲【けみ】する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫【ちつちゅう】驚動して春風起る。」

天子須【すべから】く嘗【な】むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾【しゅばいらい】、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹【ほうか】す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關【とざ】して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃【せんきつ】す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。

一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。

ocha00
イメージ写真です。詩の内容のお茶ではありません。

現代語訳と訳註
(本文) #2

天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。
仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。
柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」


(下し文)
天子須く嘗むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關(とざ)して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。


(現代語訳)
天子がぜひとも陽羡の茶を啜りたいと思召しておられる。しかし、百草はあえて天子のために先がけて花を開こうとはしないのである。
天子に求められる仁徳による教化と同じように、人の知らないところで茶樹に真珠のような蕾をつけるものであり、そうであれば春に先駆けて黄金色の新芽を吹き出すのである。
鮮葉を丁寧に摘み、焙煎、揉み込み香り立つ茶の持つものをその中に心を込めて封じ込めるのである。それがもっともすぐれているものであり、最も好まれているものである、それをけっして奢りとしない。
まず、紫門を閉じ俗客が入ってこれないようにするのでゆっくり茶を楽しめる。頭巾で頭を包み、邪念を拂う、そして貰った茶葉を自ら煎じて啜る。
碧雲の湯気が茶湯から風に引かれるようにわいて止むことはない、白い花(雪)のような茶の泡が光を放つように茶碗の周り表面に満面に浮んでいる。


(訳注) #2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。

天子がぜひとも陽羡の茶を啜りたいと思召しておられる。しかし、百草はあえて天子のために先がけて花を開こうとはしないのである。
陽羡茶 陽羡とは晋の時代の県名、現江蘇省無錫市に位置する宜興で作られた茶をいう。急須は美しい青色の紫沙壺である。○ 須+動詞すべからく~すべし。ぜひとも~が必要だとする。このばあい。嘗める。


仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
天子に求められる仁徳による教化と同じように、人の知らないところで茶樹に真珠のような蕾をつけるものであり、そうであれば春に先駆けて黄金色の新芽を吹き出すのである。
仁風 仁徳による教化。『後漢書、章帝紀』「仁風行於千載」に基づく。
 

摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。
鮮葉を丁寧に摘み、焙煎、揉み込み香り立つ茶の持つものをその中に心を込めて封じ込めるのである。それがもっともすぐれているものであり、最も好まれているものである、それをけっして奢りとしない。
 新鮮、鮮少、芳鮮などの意味を持つ。○焙芳 焙煎して、揉みこむときに水分を飛ばし、一気に月團に固め、芳香を封じ込め、麹菌により、熟成される。○旋封裹 窯というか臼のような中で手もみし、そのときぐるぐる旋回させ、茶の良さを封じ込める。○至精 もっともすぐれていること。『易経、繋辭上』「非天下之至精、其孰能與於此。」(天下の至精に非ず、其れ孰【いずれ】か能くここに与らんや。)


柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
まず、紫門を閉じ俗客が入ってこれないようにするのでゆっくり茶を楽しめる。頭巾で頭を包み、邪念を拂う、そして貰った茶葉を自ら煎じて啜る。
柴門 柴で作った粗末な門。羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221「柴門鳥雀噪,歸客千裡至。」(柴門【さいもん】  鳥雀 噪【さわ】ぎ、帰客 千里より至る。)○籠頭 茶席の禅語「脱却籠頭卸角駄」(籠頭を脱却し角駄を卸す)團茶の種類。團龍。團鳳。 


碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
碧雲の湯気が茶湯から風に引かれるようにわいて止むことはない、白い花(雪)のような茶の泡が光を放つように茶碗の周り表面に満面に浮んでいる。
碧雲  青みがかった色の雲。青雲。茶を入れると湯気が立つことをいう。○白花 茶の泡をいうがいいものは雪のように白いものが上等とされている。


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中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。


韓愈、孟郊と親交があり、韓愈のグループとされている。孟郊の詩『答盧仝』では盧仝像が全く見えないので盧仝の代表作『走筆謝孟諫議寄新茶』を掲載する。


走筆謝孟諫議寄新茶
筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」

聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。

#2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。
仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。
柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
#3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?


日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。」
天子須く嘗むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關(とざ)して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。

八女茶 畑
本文とは関係のないイメージ写真です。

 現代語訳と訳註
(本文) 走筆謝孟諫議寄新茶

#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」


(下し文)
日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。

(現代語訳)
筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。


(訳注)
走筆謝孟諫議寄新茶

筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
諫議(かんぎ)諫議大夫という官職名を示す。政治の成功と失敗を論じて、天子の過ちと政治上の問題点を諫める官職です。友人の孟諫議大夫。不明の人物であるが、宰相王涯の部下であろう。


日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
丈五五睡 日高とあるので午睡と読み替える必要がある。通常は五行思想で、夜を、一夜を五睡(更)に分け、初更(甲夜)・二更(乙夜(いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))に五等分した称とし、このすべての時間、礼節を重んじる周公のことを夢見る夜のことを言う。したがって、丈五の「五」と「睡」で五睡=孔子=周公と連想させている。この語は下句の周公にかかっていて理想の人物孔子が夢に見続ける。○周公 礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。旦の時代から遅れること約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子は魯の出身であり、旦を理想の聖人と崇め、常に旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかったので「年を取った」と嘆いたと言う。『論語、述而』「子曰甚矣吾衰也。久矣吾不復夢見周公。」(子曰く、甚だしいかな吾が衰へたる也。久しいかな吾周公を復夢に見ず)に基づいている。


口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
口傳 口頭で伝えること。奥義などの秘密を口伝えに教えを授けること。口授。また,それを記した書。『准南子 氾論訓』「此れ皆不著於法令、而聖人所不口伝也。」(此れ皆法令に著わさずして、而して聖人の口伝せざるところ也。)に基づく。○白絹 当時は白い練絹に書をしたためていた。○斜封 斜めに封緘する。○三道印 関係した人間がそれぞれ印を押すので中間の人が二人いたのだろう。


開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
月團 團茶のこと。茶葉の持つ膠質を応用し、緑茶または紅茶の茶葉の粉を蒸してから臼を使って茶葉を搗いて固め、それを成型したものの上に麹を植え付けて熟成させることによってつくられる。当初は、団子状の形状をしていた。唐代には朝廷への献上品(貢納茶)でもあり、貴族らに愛飲された。團茶という名勝は宋時代からなので、盧仝らが名づけ広まったものであろう。○首閲 茶のツボミが竜の頭のようであったため、摘む際によく選んだということ。ウーロン茶の語源もここにある。○三百片 たくさんの茶葉ということ。焙煎して丸く固めて、麹菌で熟成させたものである。


聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」
聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。
○蟄虫【ちっちゅう】地中にこもって越冬する虫。『詩経』『禮記、月令』

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中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#3 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ250

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#3 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ250


盧仝に贈った詩で、詩について、楚の屈原は世をはかなんで死んだが、自分は悪戦苦闘し、良い語、良い句がなかなかできないことによって死ぬのであろうと詠じたものである。便宜上3分割して掲載する。


答盧仝(孟郊 唐詩)
#1楚屈入水死,詩孟踏雪僵。直氣苟有存,死亦何所妨。
  日劈高查牙,清棱含冰漿。前古後古冰,與山氣勢強。
  閃怪千石形,異狀安可量。』
#2有時春鏡破,百道聲飛颺。潛仙不足言,朗客無隱腸。
    爲君傾海宇,日夕多文章。天下豈無緣,此山雪昂藏。
    煩君前致詞,哀我老更狂。狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』
#3鳳兮何當來,消我孤直瘡。
又その鳳凰の詩文は何かひらめくものがある時に来るものである。私は孤独で立ち竦んでいることで傷ついたかさぶたを消し去ることができるだろうか
   君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
盧仝君の詩文は本当に鳳凰が言い出す声の様なもの、それは鐘が鳴り響き琴の音が絶え間なく溢れるようなできばえだろう。
   洛友零落盡,逮茲悲重傷。
洛陽での友人たちは落ちぶれ這い上がることはないほどだ。この段階になって深い傷を負ったことに哀しさを覚える。
   獨自奮異骨,將騎白角翔。
そうであっても、私は一人になっても異彩を放つ真髄をふるいたい。まさに白角の麒麟にのって飛んでいくような詩文を作りたいのである。
   再三勸莫行,寒氣有刀鎗。
何度も何度も進められて詩文を作るようなものではない、極寒の厳しい環境の中で刀や槍をふるうことができることではない。#1
   仰慚君子多,慎勿作芬芳。』

天子にいかに多く拝顔しても恥じ入るものであるが、盛んに香る詩文を作るとなれば慎むようなことはしてはいけない。


楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍【】くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日 劈【つんざ】き 高きこと查牙【さが】たり、清稜【せいりょう】 冰漿【ひょうしょう】を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪【せんかい】 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』
#2
時有り 春鏡破れ、百道 声 飛颺【ひき】す。
潜仙【せんせん】 言ひ足らず、朗客【ろうかく】 腸を隠す無し。
君が為に海宇を傾く、日夕 文章多し。
天下 豈 縁なからんや、此の山 雪昂【せつこう】 蔵たり。
君を煩【わずら】はし 前みて詞を致す、我が老いて更に狂なるを哀しむ。
狂歌 狂なるに及ばず、歌声 鳳凰に縁る。』
#3
鳳や 何か当に来たりて、我が孤直【こちょく】の瘡を消すべけんや。
君が文 真に鳳声なり、宣隘【せんあい】 鏗鏘【けんしょう】満つ。
洛友 零落【れいらく】尽し、茲【ここ】に逮【およ】んで重傷を悲しむ。
独自り 異骨を奮【ふる】い、将に白角に騎【の】りて翔【と】ばんとす。
再三 勧めて行ふ莫かれ、寒気 刀鎗【とうそう】有り。
仰ぎ慚ず 君子多し、慎んで芬芳【ふんほう】を作す勿かれ。』

80022008

現代語訳と訳註
(本文)

#3 鳳兮何當來,消我孤直瘡。
  君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
  洛友零落盡,逮茲悲重傷。
  獨自奮異骨,將騎白角翔。
  再三勸莫行,寒氣有刀鎗。
  仰慚君子多,慎勿作芬芳。』


(下し文) #3

鳳や 何か当に来たりて、我が孤直の瘡を消すべけんや。
君が文 真に鳳声なり、宣隘 鏗鏘満つ。
洛友 零落尽し、茲に逮んで重傷を悲しむ。
独自り 異骨を奮い、将に白角に騎りて翔ばんとす。
再三 勧めて行ふ莫かれ、寒気 刀鎗有り。
仰ぎ慚ず 君子多し、慎んで芬芳を作す勿かれ。』


(現代語訳)
又その鳳凰の詩文は何かひらめくものがある時に来るものである。私は孤独で立ち竦んでいることで傷ついたかさぶたを消し去ることができるだろうか
盧仝君の詩文は本当に鳳凰が言い出す声の様なもの、それは鐘が鳴り響き琴の音が絶え間なく溢れるようなできばえだろう。
洛陽での友人たちは落ちぶれ這い上がることはないほどだ。この段階になって深い傷を負ったことに哀しさを覚える。
そうであっても、私は一人になっても異彩を放つ真髄をふるいたい。まさに白角の麒麟にのって飛んでいくような詩文を作りたいのである。
何度も何度も進められて詩文を作るようなものではない、極寒の厳しい環境の中で刀や槍をふるうことができることではない。

天子にいかに多く拝顔しても恥じ入るものであるが、盛んに香る詩文を作るとなれば慎むようなことはしてはいけない。

(訳注)#3
鳳兮何當來,消我孤直瘡。

又その鳳凰の詩文は何かひらめくものがある時に来るものである。私は孤独で立ち竦んでいることで傷ついたかさぶたを消し去ることができるだろうか。
孤直。李白『古風五十九首其十二』「松柏本孤直、難為桃李顏。」


君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
盧仝君の詩文は本当に鳳凰が言い出す声の様なもの、それは鐘が鳴り響き琴の音が絶え間なく溢れるようなできばえだろう。
鏗鏘 鐘や石、また、琴などの楽器が鳴り響くさま。


洛友零落盡,逮茲悲重傷。
洛陽での友人たちは落ちぶれ這い上がることはないほどだ。この段階になって深い傷を負ったことに哀しさを覚える。
零落 落ちぶれること。 草木の枯れ落ちること。○逮茲 ここに及んで。この段階になって。○ ~に及ぶ。○重傷 深い傷。文章における取り返しのつかないような欠陥をいう。


獨自奮異骨,將騎白角翔。
そうであっても、私は一人になっても異彩を放つ真髄をふるいたい。まさに白角の麒麟にのって飛んでいくような詩文を作りたいのである。
白角 伝説上の動物。麒麟のことか、ユニコーンのことではなかろうか。どちらにしても詩文のことの比喩である


再三勸莫行,寒氣有刀鎗。
何度も何度も進められて詩文を作るようなものではない、極寒の厳しい環境の中で刀や槍をふるうことができることではない。

仰慚君子多,慎勿作芬芳。』
天子にいかに多く拝顔しても恥じ入るものであるが、盛んに香る詩文を作るとなれば慎むようなことはしてはいけない。
芬芳 盛んに香るさま。
mugi880

yamanoki02
 
 答盧仝(孟郊 唐詩)
#1楚屈入水死,詩孟踏雪僵。
   直氣苟有存,死亦何所妨。
   日劈高查牙,清棱含冰漿。
   前古後古冰,與山氣勢強。
   閃怪千石形,異狀安可量。』
#2有時春鏡破,百道聲飛颺。
   潛仙不足言,朗客無隱腸。
    爲君傾海宇,日夕多文章。
   天下豈無緣,此山雪昂藏。
   煩君前致詞,哀我老更狂。
   狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』
#3鳳兮何當來,消我孤直瘡。
   君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
   洛友零落盡,逮茲悲重傷。
   獨自奮異骨,將騎白角翔。
   再三勸莫行,寒氣有刀鎗。
   仰慚君子多,慎勿作芬芳。』
#1
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日劈き 高きこと查牙たり、清稜 冰漿を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』
#2
時有り 春鏡破れ、百道 声 飛颺す。
潜仙 言ひ足らず、朗客 腸を隠す無し。
君が為に海宇を傾く、日夕 文章多し。
天下 豈 縁なからんや、此の山 雪昂 蔵たり。
君を煩はし 前みて詞を致す、我が老いて更に狂なるを哀しむ。
狂歌 狂なるに及ばず、歌声 鳳凰に縁る。』
#3
鳳や 何か当に来たりて、我が孤直の瘡を消すべけんや。
君が文 真に鳳声なり、宣隘 鏗鏘満つ。
洛友 零落尽し、茲に逮んで重傷を悲しむ。
独自り 異骨を奮い、将に白角に騎りて翔ばんとす。
再三 勧めて行ふ莫かれ、寒気 刀鎗有り。
仰ぎ慚ず 君子多し、慎んで芬芳を作す勿かれ。』

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各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#2 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ249

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#2 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ249

盧仝に贈った詩で、詩について、楚の屈原は世をはかなんで死んだが、自分は悪戦苦闘し、良い語、良い句がなかなかできないことによって死ぬのであろうと詠じたものである。便宜上3分割して掲載する。


答盧仝(孟郊 唐詩)
#1楚屈入水死,詩孟踏雪僵。直氣苟有存,死亦何所妨。
  日劈高查牙,清棱含冰漿。前古後古冰,與山氣勢強。
  閃怪千石形,異狀安可量。』
#2有時春鏡破,百道聲飛颺。
もし春という世界が急に破れてなくなったとしたら、季語がないので、あちこちから風に飛ばされ舞い上がっていく声が聞えるような無秩序なものになるだろう。
   潛仙不足言,朗客無隱腸。
奥地に潜んだ仙人は詩を作るにも言がたりなくなる。はっきりした旅人は自分の断腸の思いを隠すところがなくなる。
   爲君傾海宇,日夕多文章。
盧仝君のために大海と宇宙をも傾けよう、そうすれば、太陽が夕方であっても明るいのでいい文章を考えかけることになるだろう。
   天下豈無緣,此山雪昂藏。
世界はどうしてこうも私の詩には縁がないのであろうか、この山には積雪が多く高く積み重なっていくように詩句ができ蔵に収めることができるのか。
   煩君前致詞,哀我老更狂。
こんなことは盧仝君を煩わすだけであり、君は前向きにそのまま詩をかいてくれ、そうは思っていても私は次第に年老いてしまい、狂ってしまうことは哀しいことである。
   狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』

普通でない歌は狂っていることまでではない。詩を詠う声は、鳳凰のように気高いも尾に縁っている。

#3鳳兮何當來,消我孤直瘡。君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
  洛友零落盡,逮茲悲重傷。獨自奮異骨,將騎白角翔。
  再三勸莫行,寒氣有刀鎗。仰慚君子多,慎勿作芬芳。』

#1
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍【】くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日 劈【つんざ】き 高きこと查牙【さが】たり、清稜【せいりょう】 冰漿【ひょうしょう】を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪【せんかい】 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』
#2
時有り 春鏡破れ、百道 声 飛颺【ひき】す。
潜仙【せんせん】 言ひ足らず、朗客【ろうかく】 腸を隠す無し。
君が為に海宇を傾く、日夕 文章多し。
天下 豈 縁なからんや、此の山 雪昂【せつこう】 蔵たり。
君を煩【わずら】はし 前みて詞を致す、我が老いて更に狂なるを哀しむ。
狂歌 狂なるに及ばず、歌声 鳳凰に縁る。』

#3
鳳や 何か当に来たりて、我が孤直【こちょく】の瘡を消すべけんや。
君が文 真に鳳声なり、宣隘【せんあい】 鏗鏘【けんしょう】満つ。
洛友 零落【れいらく】尽し、茲【ここ】に逮【およ】んで重傷を悲しむ。
独自り 異骨を奮【ふる】い、将に白角に騎【の】りて翔【と】ばんとす。
再三 勧めて行ふ莫かれ、寒気 刀鎗【とうそう】有り。
仰ぎ慚ず 君子多し、慎んで芬芳【ふんほう】を作す勿かれ。』

sangaku880

現代語訳と訳註
(本文)

#2有時春鏡破,百道聲飛颺。
   潛仙不足言,朗客無隱腸。
   爲君傾海宇,日夕多文章。
   天下豈無緣,此山雪昂藏。
   煩君前致詞,哀我老更狂。
   狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』

(下し文) #2
時有り 春鏡破れ、百道 声 飛颺【ひき】す。
潜仙【せんせん】 言ひ足らず、朗客【ろうかく】 腸を隠す無し。
君が為に海宇を傾く、日夕 文章多し。
天下 豈 縁なからんや、此の山 雪昂【せつこう】 蔵たり。
君を煩【わずら】はし 前みて詞を致す、我が老いて更に狂なるを哀しむ。
狂歌 狂なるに及ばず、歌声 鳳凰に縁る。』

(現代語訳)
もし春という世界が急に破れてなくなったとしたら、季語がないので、あちこちから風に飛ばされ舞い上がっていく声が聞えるような無秩序なものになるだろう。
奥地に潜んだ仙人は詩を作るにも言がたりなくなる。はっきりした旅人は自分の断腸の思いを隠すところがなくなる。
盧仝君のために大海と宇宙をも傾けよう、そうすれば、太陽が夕方であっても明るいのでいい文章を考えかけることになるだろう。
こんなことは盧仝君を煩わすだけであり、君は前向きにそのまま詩をかいてくれ、そうは思っていても私は次第に年老いてしまい、狂ってしまうことは哀しいことである。
普通でない歌は狂っていることまでではない。詩を詠う声は、鳳凰のように気高いも尾に縁っている。

botan00


(訳注)#2
有時春鏡破,百道聲飛颺。

もし春という世界が急に破れてなくなったとしたら、季語がないので、あちこちから風に飛ばされ舞い上がっていく声が聞えるような無秩序なものになるだろう。
春鏡破 春という世界が急に破れてなくなった○百道 季語がないので、あちこちから。 ○飛颺す飏(颺) 風で飛び舞い上がる。



潛仙不足言,朗客無隱腸。
奥地に潜んだ仙人は詩を作るにも言がたりなくなる。はっきりした旅人は自分の断腸の思いを隠すところがなくなる。
潜仙 奥地に潜んだ仙人。○不足言 句ができないごと。○朗客 はっきりした旅人。気楽な旅人に対して相手をする女性がいないことを意味する。○無隱腸 旅人の寂しい気持ちを晴らすことができない。。



爲君傾海宇,日夕多文章。
盧仝君のために大海と宇宙をも傾けよう、そうすれば、太陽が夕方であっても明るいのでいい文章を考えかけることになるだろう。
 詩題の盧仝のこと。○傾海宇 沈む夕日を海と大空を傾けることで日を長くする。○日夕 日中の太陽と夕日。○多文章 詩文がたくさんできる。



天下豈無緣,此山雪昂藏。
世界はどうしてこうも私の詩には縁がないのであろうか、この山には積雪が多く高く積み重なっていくように詩句ができ蔵に収めることができるのか。
天下 詩文の世界。○縁 納得のいく良い詩句が生まれる縁。 ○雪昂 雪は詩句、詩文を示す。○ 雪は降り積もって、氷となり、保存することができるように詩文、詩句をたくさん作ること。。



煩君前致詞,哀我老更狂。
こんなことは盧仝君を煩わすだけであり、君は前向きにそのまま詩をかいてくれ、そうは思っていても私は次第に年老いてしまい、狂ってしまうことは哀しいことである。
 盧仝の思うままにという意。○ 詩文、詩句。○ 狂うこと。



狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』
普通でない歌は狂っていることまでではない。詩を詠う声は、鳳凰のように気高いも尾に縁っている。
狂歌 普通でない歌。しかし執着心を持ったいい句をつくること。○歌声 良い句ができて胸を張って詠う詩。○鳳凰 仙界の鳥、素晴らしい詩文を比喩している。

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248

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(盧仝に答える)

盧仝に贈った詩で、詩について、楚の屈原は世をはかなんで死んだが、自分は悪戦苦闘し、良い語、良い句がなかなかできないことによって死ぬのであろうと詠じたものである。便宜上3分割して掲載する。

盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。

甘露の変については、李商隠の以下の詩を掲載している。

「行次西郊作一百韻」について李商隠の詩150 -147はじめに

李商隠 146 李商隠「井泥四十韻」について

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠132 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 131-1

鸞鳳 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 111

漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107

重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103

有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102

有感二首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 101 *このブログで「甘露の変」の概要説明参照

北斉二首其二 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 45

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

李商隠 4 曲江

sangaku880


答盧仝(孟郊 唐詩)
#1楚屈入水死,詩孟踏雪僵。
楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
   直氣苟有存,死亦何所妨。
詩にたいしてまっすぐな気持ちを持っており、それを大事にしていることに変わりはない。だからそれによって死という結果をどうして恐れることがあろうか。
   日劈高查牙,清棱含冰漿。
太陽を切り裂くほど高い牙のような山であっても、そこには清々しく筋を成しれ流れる凍りつくほど冷たい水を含んでいる。
   前古後古冰,與山氣勢強。
大昔の氷も昔の氷も氷で冷たいものである。作詩にたいする気持ちの勢いは山よりも強いものがある。
   閃怪千石形,異狀安可量。』

作詩のひらめきがあって書いてみるとどこにでもある千の石のように平凡なもので自分を責めてしまう。普通でないものを書くにはどうしていいのかわからない。

#2有時春鏡破,百道聲飛颺。
  潛仙不足言,朗客無隱腸。
  爲君傾海宇,日夕多文章。
  天下豈無緣,此山雪昂藏。
  煩君前致詞,哀我老更狂。
  狂歌不及狂,歌聲緣鳳凰。』
#3鳳兮何當來,消我孤直瘡。
  君文真鳳聲,宣隘滿鏗鏘。
  洛友零落盡,逮茲悲重傷。
  獨自奮異骨,將騎白角翔。
  再三勸莫行,寒氣有刀鎗。
  仰慚君子多,慎勿作芬芳。』

#1
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍【】くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日 劈【つんざ】き 高きこと查牙【さが】たり、清稜【せいりょう】 冰漿【ひょうしょう】を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪【せんかい】 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』
#2

#1
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍【】くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日 劈【つんざ】き 高きこと查牙【さが】たり、清稜【せいりょう】 冰漿【ひょうしょう】を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪【せんかい】 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』
#2
時有り 春鏡破れ、百道 声 飛颺【ひき】す。
潜仙【せんせん】 言ひ足らず、朗客【ろうかく】 腸を隠す無し。
君が為に海宇を傾く、日夕 文章多し。
天下 豈 縁なからんや、此の山 雪昂【せつこう】 蔵たり。
君を煩【わずら】はし 前みて詞を致す、我が老いて更に狂なるを哀しむ。
狂歌 狂なるに及ばず、歌声 鳳凰に縁る。』
#3
鳳や 何か当に来たりて、我が孤直【こちょく】の瘡を消すべけんや。
君が文 真に鳳声なり、宣隘【せんあい】 鏗鏘【けんしょう】満つ。
洛友 零落【れいらく】尽し、茲【ここ】に逮【およ】んで重傷を悲しむ。
独自り 異骨を奮【ふる】い、将に白角に騎【の】りて翔【と】ばんとす。
再三 勧めて行ふ莫かれ、寒気 刀鎗【とうそう】有り。
仰ぎ慚ず 君子多し、慎んで芬芳【ふんほう】を作す勿かれ。』

fuyu0005

現代語訳と訳註
(本文)
答盧仝
(孟郊 唐詩)
#1 楚屈入水死,詩孟踏雪僵。
   直氣苟有存,死亦何所妨。
   日劈高查牙,清棱含冰漿。
   前古後古冰,與山氣勢強。
   閃怪千石形,異狀安可量。』  

(下し文) #1
楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。
直気 筍くも存する有れば、死も亦た何ぞ妨ぐ所ならん。
日劈き 高きこと查牙たり、清稜 冰漿を含む。
前古 後古の冰、山よりも気勢強し。
閃怪 千石の形、異状 安んぞ量るべけんや。』


(現代語訳)
楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
詩にたいしてまっすぐな気持ちを持っており、それを大事にしていることに変わりはない。だからそれによって死という結果をどうして恐れることがあろうか。
太陽を切り裂くほど高い牙のような山であっても、そこには清々しく筋を成しれ流れる凍りつくほど冷たい水を含んでいる。
大昔の氷も昔の氷も氷で冷たいものである。作詩にたいする気持ちの勢いは山よりも強いものがある。
作詩のひらめきがあって書いてみるとどこにでもある千の石のように平凡なもので自分を責めてしまう。普通でないものを書くにはどうしていいのかわからない。


(訳注)#1
楚屈入水死,詩孟踏雪僵。

楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
楚屈 戦国時代の楚の政治家、詩人。氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した○詩孟 前句の楚屈に対して、詩の孟郊ということ。別のテキストでは、孟を「死」と作るものがある。その場合詩によって死に至るということになる。どちらでも詩の大意には変化はない。○ 面(おもて)を改める,表情をひきしめる.


直氣苟有存,死亦何所妨。
詩にたいしてまっすぐな気持ちを持っており、それを大事にしていることに変わりはない。だからそれによって死という結果をどうして恐れることがあろうか。
直気 詩にたいするまっすぐな気持ちをいう。


日劈高查牙,清棱含冰漿
太陽を切り裂くほど高い牙のような山であっても、そこには清々しく筋を成しれ流れる凍りつくほど冷たい水を含んでいる。
日劈 擘く/劈く【つんざく】 勢いよく突き破る。つよく裂き破る。太陽をつんざくほどの破壊力持った詩句。○查牙 とがった牙のような鋭い詩句。○清稜 清らかな筋を持った文章。棱(稜) 物のかど. いきおい。 (幾すじも並んだ)線状の突起.農地の単位。○冰漿 氷の底にある冷たく存在力のある水をいう。これも詩句のこと。


前古後古冰,與山氣勢強。
大昔の氷も昔の氷も氷で冷たいものである。作詩にたいする気持ちの勢いは山よりも強いものがある。
前古 大昔の氷。詩としての表現をいう。○後古 昔の冰、詩の表現、語、句の使い方をいう。○気勢 詩の表現、語、句の勢いのこと。


閃怪千石形,異狀安可量。』
作詩のひらめきがあって書いてみるとどこにでもある千の石のように平凡なもので自分を責めてしまう。普通でないものを書くにはどうしていいのかわからない。
 ひらめく.のぞく。身をかわす。稲妻。○ あやしい。普通でない。責める。恨む○千石の形、○異状 普通でない詩句、自分でしかできないと思われるような詩句。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 贈鄭夫子魴 <23> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ247

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 贈鄭夫子魴 <23> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ247

そもそも、孟郊にとって、詩を作るということは、どういうことを意味したのだろうか。孟郊に「贈鄭夫子魴」(巻六)と題する詩があり、詩歌の創作に対する見解を述べている。鄭魴という人物に贈った詩。
kairo10680

贈鄭夫子魴
 天地入胸臆,籲嗟生風雷。
天地、自然万物が詩人の胸に入る、ため息を吐き出し、それは風を生み、雷を鳴らせるのである。
 文章得其微,物象由我裁。
詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
 宋玉逞大句,李白飛狂才。
宋玉は雄々しい句でたくましい。李白は集中しこだわりを持ち常人では考えられないほどの才能を迸せている。
 苟非聖賢心,孰與造化該。
いやしくも詩歌を作る才能だけでなく聖人と賢人の心であらねばならない。そして、詩歌の創作が造物主の働きに匹敵することをいう。
 勉矣鄭夫子,驪珠今始胎。

鄭魴・先生はこのまま勉められるよいとおもう。黒竜の顎下の驪珠を手に入れたような宿されたばかりの若い才能に期待している。


天地 胸臆【きょうおく】に入り、吁嗟【ああ】風雷を生ず。
文章其の微を得て、物象我に由りて裁つ。
宋玉大句を逞しくし、李白狂才を飛ばす。
苟【いやし】くも聖賢の心に非ざれば、孰【いずれ】か造化と該たらん。
勉めよ鄭夫子、驪珠【りしゅ】今始めて胎す。

600moon880

現代語訳と訳註
(本文)
贈鄭夫子魴
 天地入胸臆,籲嗟生風雷。
 文章得其微,物象由我裁。
 宋玉逞大句,李白飛狂才。
 苟非聖賢心,孰與造化該。
 勉矣鄭夫子,驪珠今始胎。


(下し文)
天地 胸臆【きょうおく】に入り、吁嗟【ああ】風雷を生ず。
文章其の微を得て、物象我に由りて裁つ。
宋玉大句を逞しくし、李白狂才を飛ばす。
苟【いやし】くも聖賢の心に非ざれば、孰【いずれ】か造化と該たらん。
勉めよ鄭夫子、驪珠【りしゅ】今始めて胎す。


(現代語訳)
天地、自然万物が詩人の胸に入る、ため息を吐き出し、それは風を生み、雷を鳴らせるのである。
詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
宋玉は雄々しい句でたくましい。李白は集中しこだわりを持ち常人では考えられないほどの才能を迸せている。
いやしくも詩歌を作る才能だけでなく聖人と賢人の心であらねばならない。そして、詩歌の創作が造物主の働きに匹敵することをいう。
鄭魴・先生はこのまま勉められるよいとおもう。黒竜の顎下の驪珠を手に入れたような宿されたばかりの若い才能に期待している。

80022008

(訳注)
天地入胸臆,籲嗟生風雷。

天地、自然万物が詩人の胸に入る、ため息を吐き出し、それは風を生み、雷を鳴らせるのである。
胸臆  むね。胸部。心。心の中。胸のうち。肉体を自然現象になぞらえている。○ 籲嗟 ああ、の辞。籲は呼ぶ。杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』 
この句は、詩を作ることは、天地の自然を自由に操ることなのである。言い換えれば、詩歌の創作は造物主の働きに等しいことになる。


文章得其微,物象由我裁。
詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
○詩人が感じたものを創作の描写表現の神髄について述べる。主観的に描く対象を造型しうることこそが、創作の神髄なのだという。


宋玉逞大句,李白飛狂才。
宋玉は雄々しい句でたくましい。李白は集中しこだわりを持ち常人では考えられないほどの才能を迸せている。
宋玉 屈原の弟子で、『文選』巻十九に「高唐賦」「神女賦」などの作品が載っている。○逞 たくましいい。創作の神髄をきわめた詩人の例を挙げる。○大句  スケールの大きい句、雄々しい句であること。○李白 奔放で変幻自在な詩風。○狂才 集中しこだわりを持ち常人では考えられないほどの才能。狂は狂人というのではない。
○すぐれた詩句であること、孟郊は宋玉と李白を讃えている。


苟非聖賢心,孰與造化該。
いやしくも詩歌を作る才能だけでなく聖人と賢人の心であらねばならない。そして、詩歌の創作が造物主の働きに匹敵することをいう。
○苟 いやしくも。○ いずれ。


勉矣鄭夫子,驪珠今始胎。
鄭魴先生はこのまま勉められるよいとおもう。黒竜の顎下の驪珠を手に入れたような宿されたばかりの若い才能に期待している。
○夫子  1 昔、中国で、大夫(たいふ)以上の人に用いた敬称。また、長者・賢者・先生などを敬っていう語。2 その当人を指す語。あなた・あの人の意。 3 孔子の敬称。 ○驪珠 『荘子』《列禦寇》から黒色の竜のあごの下にある珠をいう。危険を冒さなくては手に入れることのできない貴重なもの。つまり黒竜のあごの下にある玉とは、鄭魴のすぐれた文才のたとえ。鄭魴を激励することばである。


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Ⅶ孟郊(孟東野) 燭蛾 <22> 紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩246

Ⅶ孟郊(孟東野) 燭蛾 <22> 紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩246


孟郊は『寒地百姓吟』で以下のように詠った。
  無火炙地眠,半夜皆立號。
  冷箭何處來,棘針風騷勞。
  霜吹破四壁,苦痛不可逃。
  高堂搥鍾飲,到曉聞烹炮。』
  寒者願爲蛾,燒死彼華膏。
  華膏隔仙羅,虛繞千萬遭。
  到頭落地死,踏地爲游遨。
  游遨者是誰,君子爲鬱陶。』

この詩は、前半と後半に分けることができる。前半八句は、河南の人民が寒さに苦しむようすを描く。
この詩の自注に、畿内の人民が鄭余慶の恩恵を受けたと言っているけれども、鄭余慶がどのような政治を行ったのかは述べていない。最後のわずか二句に、自分の言いたいことを込めているのだ。この時代、苦しい思いは自分の苦学の時代が長かったことでよく理解しているのであろう。力のないものは西王母の時代から、蛾に変身するということで表現されている。夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蝦蟇になったと伝えられる。貧しいものは、変身してもしまいには踏みつけられる。ここまで、孟郊の、のぞき穴から見るような世界感である。この時代の精いっぱいの政治批判であろう。


韓愈は『苦寒歌』で以下のように詠った。
黄昏苦寒歌,夜半不能休。
豈不有陽春,節歲聿其周,君何愛重裘。
兼味養大賢,冰食葛制神所憐。
填窗塞戶慎勿出,暄風暖景明年日。

韓愈は「苦寒」の最後を、天に向かって正常な気候の回復を願うことばで結んでいる。
そのほかの詩でもおおむね、「寒い冬もきっと春の日を迎える。」というものである。孟郊は、「弱者はどんなにしても弱者でしかあり得ない。貴人、富者が仁徳も持たない限り弱者は救えない。」というものである。だから、弱者が蛾に変死しても、やがて貴人に踏みつけられてしまいというものだ。その続編である。


燭蛾 孟郊
  燈前雙舞蛾,厭生何太切。
  想爾飛來心,惡明不惡滅。
  天若百尺高,應去掩明月。


燈前 雙つに蛾 舞う,何ぞ 太切 生を厭うや。
爾 飛びて心に來るを想う,明は惡しとし 滅するは惡からず。
若し 天が百尺の高なれば,應に去りて明月を掩う。


 燭蛾
ともしびの前に 舞う蛾がふたつ、なぜそれほどに 生を厭うか。
飛び来たった おまえの心をおもう、明かりをにくみ 滅びをにくまぬ。
もし天が百尺の高さなら、きっと行って明月を覆うだろう。
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中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 寒地百姓吟 <21> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ245

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 寒地百姓吟 <21> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ 245


「郊寒島痩」屈折された文学
宋の蘇軾は「祭柳子玉文」(『蘇軾文集』巻六十三、中華書局、一九八六)の中で、孟郊と賈島の詩の特色を「郊寒島痩」ということばで批評した。孟郊は寒く、賈島は痩せているという。「寒」「痩」という評語は、孟郊と賈島の詩を否定したものではなく、そこに新しい美意識を認めるのである。既に孟郊の「交友」友情、愛情について、「求友」  「擇友」  「結交」 「勸友」 「審交」   結愛  の六首を見た。    
孟郊の「人」について、「寒地百姓吟」(巻三)を例に挙げて、孟郊が「人」をどのように描いているか見てみよう。この詩には、「為鄭相、其年居河南、畿内百姓、大蒙矜卹」という自注がついている。宰相をつとめた鄭余慶が河南尹となり、人民のために尽くしたのを讃えた詩で、元和元年(八〇六)、五十六歳の作。孟郊は鄭余慶の下で、河南水陸運従軍、試協律郎の職に就いていた。

中唐詩193 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(1)「求友
中唐詩194 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1

中唐詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #2

中唐詩196 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交

中唐詩197 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(4)「勸友

中唐詩198 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(5)「審交

中唐詩199 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(6 結愛




寒地百姓吟(爲鄭相其年居河南畿内百姓大蒙矜卹)(孟郊 唐詩)
  無火炙地眠,半夜皆立號。
貧しい人間には土間をあぶっで暖房とすることができない。すると夜中に寒さでみんなが目をさまし泣き叫ぶのである。
  冷箭何處來,棘針風騷勞。
寒さがどこからも肌に突き刺さってくる。いばらのとげのように風が突き刺さるのである。
  霜吹破四壁,苦痛不可逃。
冷たい風が四方の壁を突き抜けてくるので、その苦痛は逃れる場所がないのである。
  高堂搥鍾飲,到曉聞烹炮。』
同じ寒い地方であっても貴人の家では、音楽を演奏して宴会を開いたり、おいしい料理を作ったり、ぜいたくな生活を送って明け方のときを知らせるのを聞くのである。
  寒者願爲蛾,燒死彼華膏。
寒さに苦しむ者が、蛾に変身したいと願うのである、どうせ死ぬなら燭蝋に焼かれたい、それほど寒いのだ。
  華膏隔仙羅,虛繞千萬遭。
しかし、蝋燭の灯火がうすぎぬで隔てられているので、蛾は部屋の周囲を千回も、万回もぐるぐる回るばかりなのだ。
  到頭落地死,踏地爲游遨。
しまいには蛾が地面に落ちて死ぬのである、そして遊楽する者に踏みつけられる。
  游遨者是誰,君子爲鬱陶。』

遊楽する者は、これだれであろうか、君子といわれる鄭余慶公は、貧富の差に心を痛めているだろう。


火の地を炙りて眠る無く、半夜皆立ちて号ぶ。
冷箭何処より来る、棘針風騒労す。
霜吹四壁を破り、苦痛逃るべからず。
高堂鐘を搥ちて飲み、暁に到るまで烹炮を聞く。』
寒き者は蛾と為り、彼の華膏に焼死せんことを願う。
華膏 仙羅を隔て、虚しく遶ること千万遭。
到頭 地に落ちて死し、地を踏みて遊遨を為す。
遊遨する者は 是れ誰ぞ、君子 為に鬱陶たり。』

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現代語訳と訳註
(本文)

 無火炙地眠,半夜皆立號。
 冷箭何處來,棘針風騷勞。
 霜吹破四壁,苦痛不可逃。
 高堂搥鍾飲,到曉聞烹炮。』
 寒者願爲蛾,燒死彼華膏。
 華膏隔仙羅,虛繞千萬遭。
 到頭落地死,踏地爲游遨。
 游遨者是誰,君子爲鬱陶。』


(下し文)
火の地を炙りて眠る無く、半夜皆立ちて号ぶ。
冷箭何処より来る、棘針風騒労す。
霜吹四壁を破り、苦痛逃るべからず。
高堂鐘を搥ちて飲み、暁に到るまで烹炮を聞く。』
寒き者は蛾と為り、彼の華膏に焼死せんことを願う。
華膏 仙羅を隔て、虚しく遶ること千万遭。
到頭 地に落ちて死し、地を踏みて遊遨を為す。
遊遨する者は 是れ誰ぞ、君子 為に鬱陶たり。』


(現代語訳)
貧しい人間には土間をあぶっで暖房とすることができない。すると夜中に寒さでみんなが目をさまし泣き叫ぶのである。
寒さがどこからも肌に突き刺さってくる。いばらのとげのように風が突き刺さるのである。
冷たい風が四方の壁を突き抜けてくるので、その苦痛は逃れる場所がないのである。
寒さに苦しむ者が、蛾に変身したいと願うのである、どうせ死ぬなら燭蝋に焼かれたい、それほど寒いのだ。
しかし、蝋燭の灯火がうすぎぬで隔てられているので、蛾は部屋の周囲を千回も、万回もぐるぐる回るばかりなのだ。
しまいには蛾が地面に落ちて死ぬのである、そして遊楽する者に踏みつけられる。
遊楽する者は、これだれであろうか、君子といわれる鄭余慶公は、貧富の差に心を痛めているだろう。


(訳注)
無火炙地眠,半夜皆立號。

貧しい人間には土間をあぶっで暖房とすることができない。すると夜中に寒さでみんなが目をさまし泣き叫ぶのである。


冷箭何處來,棘針風騷勞。
寒さがどこからも肌に突き刺さってくる。いばらのとげのように風が突き刺さるのである。
○冷 冷たい矢。○棘針 いばらのとげは、ともに寒風のたとえ。


霜吹破四壁,苦痛不可逃。
冷たい風が四方の壁を突き抜けてくるので、その苦痛は逃れる場所がないのである。
霜吹 寒風を指す。


高堂搥鍾飲,到曉聞烹炮。』
同じ寒い地方であっても貴人の家では、音楽を演奏して宴会を開いたり、おいしい料理を作ったり、ぜいたくな生活を送って明け方のときを知らせるのを聞くのである。
○貴人の豊かな生活と対比することによって、貧しい人民の悲惨な生活が強調されることになる。しかし、貧しいものに何の足しにもならないし、この時代九割の人間が貧乏人である。


寒者願爲蛾,燒死彼華膏。
寒さに苦しむ者が、蛾に変身したいと願うのである、どうせ死ぬなら燭蝋に焼かれたい、それほど寒いのだ。
華膏 華燭。・膏動物系のあぶら。○この二句は韓愈の「苦寒」(『昌黎先生集』巻四)に、冬の寒さに苦しむ雀を描いた句があり、「不如弾射死、却得親炰燖」、はじきだまで射られて死に、丸焼きにされるか茹でられるかして、暖まる方がよい、と言っている。803年貞元十九年の作であるから、これに基づき孟郊の詩がうたわれている。
苦寒歌(韓愈 唐詩)
黄昏苦寒歌,夜半不能休。
豈不有陽春,節歲聿其周,君何愛重裘。
兼味養大賢,冰食葛制神所憐。
填窗塞戶慎勿出,暄風暖景明年日。


無題
華膏隔仙羅,虛繞千萬遭。

しかし、蝋燭の灯火はうすぎぬで隔てられている、むなしいことに、蛾は部屋の周囲を千回も、万回もぐるぐる回るばかりなのだ。


到頭落地死,踏地爲游遨。
しまいには蛾が地面に落ちて死ぬのである、そして遊楽する者に踏みつけられる。
○苦痛の中で死ぬ貧しい人間と、享楽にふける富んだ人間を再び対比しながら、貧富の差があまりにも大きいことを述べている。


游遨者是誰,君子爲鬱陶。』
遊楽する者は、これだれであろうか、君子といわれる鄭余慶公は、貧富の差に心を痛めているだろう。
鬱陶 心がふさがって楽しまないこと。わずらわしく思うこと。


この詩は、前半と後半に分けることができる。前半八句は、河南の人民が寒さに苦しむようすを描く。
この詩の自注に、畿内の人民が鄭余慶の恩恵を受けたと言っているけれども、鄭余慶がどのような政治を行ったのかは述べていない。最後のわずか二句に、自分の言いたいことを込めているのだ。この時代、苦しい思いは自分の苦学の時代が長かったことでよく理解しているのであろう。力のないものは西王母の時代から、蛾に変身するということで表現されている。夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蝦蟇になったと伝えられる。貧しいものは、変身してもしまいには踏みつけられる。ここまで、孟郊の、のぞき穴から見るような世界感である。この時代の精いっぱいの政治批判であろう。
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Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #2 <20>紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩244

Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #2 <20>紀頌之の漢詩ブログ 中唐詩244


<賢者の処罰>
青々と茂る松は、冬の寒さにも枯れない。その姿は、逆境にも屈しない固い節操や、高潔な人格にたとえられる。陶淵明「飲酒二十首」其八(『陶淵明集』巻三)の冒頭でも、「青松在東園、衆草没其姿。凝霜殄異類、卓然見高枝」、青い松は庭の雑草に隠れているけれども、霜がほかの草木を枯らすと、ひときわ高くそびえているのが分かる、と松の姿を讃えている。ところが、孟郊は、そのような松の姿を非難する、「罪松」(巻二)と題する詩を書いている。

五十歳にしてやっと及第し、溧陽県尉というに低位にすぎない官職についたわけで、他の詩人と異なる最も大きいポイントが世界観の小ささだ。知能の発育、社会生活の中での自分形成、どこをとってもいびつなものである。視点は面白いのだが雰囲気が陰気である。


罪松 孟郊
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
  二月天下樹,綠於青松枝。
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
 涇流合渭流,清濁各自持。
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
 天令設四時,榮衰有常期。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
 榮合隨時榮,衰合隨時衰。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。
  天令既不從,甚不敬天時。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。
 松乃不臣木,青青獨何爲。」
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。



青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
#2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


現代語訳と訳註
(本文)#2

涇流合渭流,清濁各自持。
天令設四時,榮衰有常期。
榮合隨時榮,衰合隨時衰。
天令既不從,甚不敬天時。
松乃不臣木,青青獨何爲。」


(下し文) #2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


(現代語訳)
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。


(訳注)
涇流合渭流,清濁各自持。

涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。
涇水渭水 涇水と渭水。共に中国陝西(せんせい)省を流れる川で、涇水は常に濁り、渭水は常に澄んでいる。二つの川が合流する地点では、その清濁が対照的であるところから、清濁・善悪などの区別が明らかなことのたとえに用いられる。


天令設四時,榮衰有常期。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
そして、天はこの世に年、月、日それぞれに四時を設けさだめられ、栄えたのち衰えることという決まりごとのように時期は来るものである。
四時 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。・一日中の4回の座禅の時。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)五更(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・時(ほじ)(午後4時)。


榮合隨時榮,衰合隨時衰。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
繁栄するには法則に合致している時勢に従って繁栄するのであり、衰退するのはそれも衰退する時勢法則に合致し随っているのである。


天令既不從,甚不敬天時。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
青松は天の定めた法則に既に従わないでいるし、はなはだ問題なのは天の定めた時勢を敬わっていないことだ。


松乃不臣木,青青獨何爲。」
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」
このように松は天の定め西が得ないという不忠の家臣である、好き勝手に常に青々としている来tに何の意味があるというのだ。

Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #1 <20>紀頌之の漢詩ブログ

Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #1<20>紀頌之の漢詩ブログ


<賢者の処罰>
青々と茂る松は、冬の寒さにも枯れない。その姿は、逆境にも屈しない固い節操や、高潔な人格にたとえられる。陶淵明「飲酒二十首」其八(『陶淵明集』巻三)の冒頭でも、「青松在東園、衆草没其姿。凝霜殄異類、卓然見高枝」、青い松は庭の雑草に隠れているけれども、霜がほかの草木を枯らすと、ひときわ高くそびえているのが分かる、と松の姿を讃えている。ところが、孟郊は、そのような松の姿を非難する、「罪松」(巻二)と題する詩を書いている。


罪松(孟郊 唐詩)
 #1
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
  二月天下樹,綠於青松枝。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」
#2涇流合渭流,清濁各自持。
  天令設四時,榮衰有常期。
  榮合隨時榮,衰合隨時衰。
  天令既不從,甚不敬天時。
  松乃不臣木,青青獨何爲。」


青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」




現代語訳と訳註
(本文) 罪松(孟郊 唐詩)
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
  二月天下樹,綠於青松枝。
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
  涇流合渭流,清濁各自持。
  天令設四時,榮衰有常期。
  榮合隨時榮,衰合隨時衰。
  天令既不從,甚不敬天時。
  松乃不臣木,青青獨何爲。」

(下し文)#1
青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」

#2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


(現代語訳) 罪松
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」


(訳注)
雖爲青松姿,霜風何所宜。

青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
○松は、寺院、寺観、御陵、御廟などにうえられているものである。霜風に屈せず緑をのこすのであるが、清廉潔白というものではない。落葉樹ははお落とす中、緑を残しただけで、高潔な姿というものではない。


二月天下樹,綠於青松枝。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)


勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。


伊呂代封爵,夷齊終身饑。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
伊呂 伊尹(殷の宰相)、夏末期から商(殷)初期にかけての政治家。商王朝成立に大きな役割を果たした。呂尚(太公望)、二人とも国を興した功臣であること。○封爵 諸侯に封じて、官爵を授けること。また、その領地と官爵。 ○夷斉 伯夷・叔斉 殷代末期の孤竹国(現在地不明、一説に河北省唐山市周辺)の王子の兄弟である。高名な隠者で、儒教では聖人とされる。周の武王が紂王を討とうとするのを諫めたが聞き入れられず、周に仕えるのを恥じて、首陽山に隠れて餓死した。


彼曲既在斯,我正實在茲。」
彼の曲 既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」
○「伊尹・呂尚」と「伯夷・叔斉」を、「賢者」と「愚者」の対比に当てはめれば、前者が「賢者」、後者が「愚者」ということにならざるを得ない。ところが、孟郊は、伊尹と呂尚の二人は誰にも仕えずにいたのに、志を曲げて世に出たと考えているので、正義は伯夷と叔斉に存すると見ている。つまり、孟郊は「愚者」の生き方に共感するのである。

中唐詩242 築城詞 Ⅷ 張籍<5> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩 242 築城詞 Ⅷ 張籍<5> 紀頌之の漢詩ブログ


張籍【768年(大暦三年)~830年(太和四年)】。は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

張籍は汴州の乱のおこった年の貞元十五年(799年)の進士であるが、韓愈より年長かも知れない。韓愈は孟郊に比べて後輩である。しかし韓愈の門人であって、その推薦によって官につき、水部員外郎〔水運水利を管理する職)となったので張水部と言われ、のち国子司業(大学教授)となったから張司業とも称せられる。

楽府体の詩に関しては友人の王建【768?~830?年(大暦10年進士)】と名を等しくするといわれ、元稹・白居易らの一群に数える文学史家もある。しかし晩年は律詩に力をそそぎ門人が多かった.張王二人の楽府は政治に対する批判と人民の苦痛を訴える点では杜甫・元結の風をうけるもので、七言の体が多い。


築城詞
城壁建設の工事の詞
築城處, 千人萬人齊把杵。
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
家家養男當門戶,今日作君城下土。

家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。

城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。


現代語訳と訳註
(本文)

築城處, 千人萬人齊把杵。
重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
家家養男當門戶,今日作君城下土。


(下し文)
城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。


(現代語訳)
城壁建設の工事の詞
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。


(訳注)
築城詞

城壁建設の工事の詞
築城 城壁建設の工事。張籍のこの詩の前に奏の長城建設を歌う「築城曲」があり、それは長城を築いて異民族を防ぐ労働者がテーマとなっている、一方、「築城臨場曲」「唯陽曲」などと呼ばれる曲が別にあって、漢の梁の孝上が創設した楽曲で、小さな太鼓でリズムを取り、城を築くものがツチでそれに合わせたということである.力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。


築城處, 千人萬人齊把杵。
城を築く処、千人万人 斉しく杵を把る。
長城を築くところでは、何千何万もの人々が槌をしっかりと抱き握っている。
○築城處 長城を築いているところでは。○千人萬人 何千句万もの人々が。飾り気のない平明な措辞で、長城建設にかり出された民衆の口調を借りた、口語的な表現と思われる。○齊把杵 斉は一せいに。杵は土をつきかためる道具。


重重土堅試行錐,軍吏執鞭催作遲。
重重として土は堅く試みに錐を行うも、軍吏 鞭を執りて作すこと遅きを催す。
何重なり合ねていって土は硬くなりキリで刺して試して作業を進めていくのである、軍の指導の役人は鞭を持ち作業が遅いと出来上がるのが遅いと催促する。
重重土堅 重なる形容。土を何層にも重ねて、ツチで突き固めて行くことをいうのである。○試行錐土か堅くなったかどうか、キリで剌して試してみる。 ○軍吏 軍隊の将帥。○執鞭 ムチを持つ。○催作遲 催はせきたてる、作運は仕事がおそいこと。


來時一年深磧裏,盡著短衣渴無水。
来りし時より一年 深磧【しんせき】の裏、尽々く短衣を着て渇するも水無し。
ここへ来てから一年、深い砂漠の中で過ごし、着る物はみんな短い衣で、のどが渇いても水もない。
來時一年 ここに来てから一年が過ぎた○深磧裏 深い砂漠の中で過ごすこと。.○盡著短衣 みな短い着物を着ている。○渴無水 のどか渇いても、水もない。民衆の極限状態を描いている。


力盡不得休杵聲,杵聲未盡人皆死。
力尽くれども杵声【しょせい】を休むるを得ず、杵声未だ尽きずして 人皆な死す。
力尽きても手を休めて槌音を停めることはできず、作業員に槌音に合わせた歌を調わないうちに皆死んでしまう。
力盡休杵聲 力はなくなっても、ツチの音を停めることはできない。力尽きても、作業は続けなければならない。○杵聲 働く人々の歌声。○人皆死 死んでも作業をやめる二とができない苛酷な状況を描写した句である。杵聲を二度繰り返して使う意味はそれぞれ意味を持たせていることで、二重の強調するものである。


家家養男當門戶,今日作君城下土。
家家 男を養いて門戸に当らしめる、今日君か城下の土と作る。
家ごとに男子を養って一家の支えとしているのに、今や大君の城壁の下の土くれになってしまった。
家家 家ごと。張籍『征婦怨』に見える
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。
養男 男を養う。○當門戶 門戸は、常見のことば。ここでは家、一族の意。「当門戸」で、一家をきりもりする、一族を支えるの意。『家家』が主語なので、他動詞に訓んでおいた。「今日」のニとばを用いるのは、前の句を承けて、故郷で養われていた過去と現在の対比か述べられているのである。その奥には、悪名高い始皇帝の長城建設といった過去のことではないという対比もあり、さらに、「今こうしている瞬間も」と、現在進行形を強調する気持ちもあるのである。
作君 天子の作らせるもの。○城下土 死んだ者がその城の土になる。
結びの二句、先の一句で強いことばで労働者たちの死を述べたのを承けて、その死の意味を問うているように思われる。家にとってはその死は極めて重いのだか、天子にとってはその死は土くれのように軽いということが対比的に述べられているようだ。

中唐詩241 節婦吟 寄東平李司空師道 Ⅷ 張籍<4> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩241 節婦吟 寄東平李司空師道 Ⅷ 張籍<4> 紀頌之の漢詩ブログ

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


節婦吟 寄東平李司空師道  張籍
君知妾有夫,贈妾雙明珠。
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
感君纏綿意,繋在紅羅襦。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
妾家高樓連苑起,良人執戟明光裏。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
知君用心如日月,事夫誓擬同生死。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
還君明珠雙涙垂,何不相逢未嫁時。

あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。
 

(節婦吟 東平の李司空師道に寄す)   
君 知る 妾【しょう】に 夫と有るを,妾に贈る雙明珠【そうめいしゅ】。
君が纏綿【てんめん】の意に 感じ,繋げて紅の羅襦【らじゅ】に在り。
妾家の高樓 苑に連って起る,良人の執戟【しつげき】 明光の裏【うち】。
知る君 心 用るは 日月の如し,夫に事【つか】へて 誓って生死を同じうせんと擬【ぎ】す。
君に明珠を還【かえ】して 雙涙【そうるい】垂る,何ぞ未だ嫁せざる時に相逢わざる。



現代語訳と訳註
(本文)
節婦吟 寄東平李司空師道  張籍
君知妾有夫,贈妾雙明珠。
感君纏綿意,繋在紅羅襦。
妾家高樓連苑起,良人執戟明光裏。
知君用心如日月,事夫誓擬同生死。
還君明珠雙涙垂,何不相逢未嫁時。


(下し文) (節婦吟 東平の李司空師道に寄す)   
君 知る 妾【しょう】に 夫と有るを,妾に贈る雙明珠【そうめいしゅ】。
君が纏綿【てんめん】の意に 感じ,繋げて紅の羅襦【らじゅ】に在り。
妾家の高樓 苑に連って起る,良人の執戟【しつげき】 明光の裏【うち】。
知る君 心 用るは 日月の如し,夫に事【つか】へて 誓って生死を同じうせんと擬【ぎ】す。
君に明珠を還【かえ】して 雙涙【そうるい】垂る,何ぞ未だ嫁せざる時に相逢わざる。


(現代語訳)
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。


(訳注)
節婦吟 寄東平李司空師道
東平にいる司空の官である李師道に寄せる節婦の詩。 
○男女の不倫問題を詠った詩だが、政治的な批判を男女に置き換えている。反対党から裏工作をされたのであろう、厚遇に感謝しつつも、節義を貫きたい、という。不倫に置き換えるのが分かりやすいことである。○節婦 囲われている女性(民妓)だが、節操の正しい婦人。貞節な女性。貴族は側室として芸妓を迎え入れている。○吟 うた。古詩や楽府題の末尾に用いて『……吟』とする。『白頭吟』など。○ 手紙で詩を送る。○東平 地名。現・山東省鄲県の東にある隋の郡名。現・山東省東平県の東にある漢の東平国、南朝・宋の郡名。○ 真珠を渡してきた男性・李師道の姓。○司空 官名。周代の官名。土地、人民をつかさどる。漢代の御史大夫。○師道 男性の名。李師道とは、平盧淄青節度使。


君知妾有夫、贈妾雙明珠。
あなたは、わたしに、夫(おっと)がいることを知りながらつきあいました。わたしに一対の輝き光る真珠を贈くってくれました。
 相手の男性を指す。○ 分かっている。○ わたくしめ。謙譲の意を込めた女性の一人称。○有夫 おっとがいる(既婚女性)。○ ふたつの。一対の。○明珠 輝き光る玉。


感君纏綿意、繋在紅羅襦。
あなたの思いが深く離れがたく心にまとわりついているのに感じているのですね、その思いはこころにきざみ、そして紅(くれない)の薄絹の短い肌着につなぎとめておきます。
纏綿【てんめん】心がまつわりついて離れないさま。情緒の深いさま。○ 思い。○繋在 …につなぎとめる。○【けい】つなぎとめる。○ …に(…する)。○ 薄絹。○【じゅ】短い上着。短い下着。肌着のこと

 
妾家高樓連苑起、良人執戟明光裏。
わたしの家の高楼は、苑(にわ)に連(つら)なって起(た)っており、良人(おっと)は、戟(ほこ)を持って皇宮に勤めにあがっています。
高樓 たかどの。「高楼」と「庭」「起」は艶歌(性)の常套用語で、下句の「良人」「明光裏」で、思わせぶりな表現としている。○連 つらなる。○ 庭。○ たつ。○良人 おっと。○ (物をかたく)とる。○戟【げき】(枝刃のある)ほこ。○明光 明光殿のことで、皇宮を指す。明光殿は漢の宮殿名で、未央宮の西にあり、金玉珠璣を以て簾箔となし、昼夜光明あったという。また、明光宮のことで、明光宮は漢の宮殿名で、武帝が建てたもの。○ …の内で。


知君用心如日月、事夫誓擬同生死。
あなたのお心づかいは、明瞭に分かりましたが、わたしは夫(おっと)につかえて、誓って生死を共にしたいと思っております。
用心 心遣(づか)い。○日月 太陽と月、男と女。ここでは、太陽(男)と月(女)のように明瞭なことで、うやむやにはいかない。○事夫 おっとにつかえる。この関係は続けてはいけない。○ つかえる。動詞。○ 誓って…。願望、決意を表現する。○ …するつもりである。ほっする。しようとする。○同生死 生きることと死ぬことを同じくする。運命を同じくすること。


還君明珠雙涙垂、何不相逢未嫁時。
あなたに真珠をお返し致しますが、両目から涙が流れてまいります。恨めしいのは、まだ嫁(とつ)いでいない時にお逢(あ)いできなかったことです。
○相手の厚意を謝絶するものの、心が揺れ動くことを示して相手のことを配慮しやわらかく拒絶する。○雙涙 両目から流れ出る涙。○何不 なぜ…しない。○相逢 (偶然に)出逢う。○未嫁時 まだ嫁(とつ)がない(未婚の)時。


芸妓の節操ということである。多少の浮気、不倫がまかり通っていた時代に節操を守る「芸妓」を詠うことで政治的な批判をしている。宦官の巧みな工作を指摘しているものと思う。唐王朝の初期は数十人であった宦官が、玄宗期に飛躍的に増加し、中唐期には手が付けられないほどの勢力を持っていた。不老長寿の媚薬の中毒死は宦官と道教のたくらみであった。
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中唐詩-240 渡遼水 Ⅻ.王建<1> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩-240 渡遼水 Ⅻ.王建<1> 紀頌之の漢詩ブログ

中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。
新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩

渡遼水,    此去咸陽五千里。
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


現代語訳と訳註
(本文)
渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩
渡遼水,    此去咸陽五千里。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。


(下し文) (遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


(現代語訳)
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(訳注)
渡遼水、此去咸陽五千里。

中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
遼水【りょうすい】遼河【りょうが】のことで渤海国と国境線を画す位置付けにあった。回紇東部と渤海国西部の平野を貫いて流れる大河で河口は唐の領域で三か国にまたがる川であった。現在では内モンゴル自治区に源を発し、遼寧省を南西に流れて現遼東湾に注ぐ。拘柳河ともいう。
 
8世紀唐と周辺国00
地図に示す通り河北道に位置する。
張籍『征婦怨』
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。
○此去 ここ(遼河のほとり)を去ること。○咸陽 渭水の北岸にある都会で、漢代には、渭城と呼ばれた。渭水を間にして、東南に長安と接する。秦の始皇帝が都を置いた。ここでは、王権が渭城から出征したので故郷のようにいう。王建の故郷は潁川(現・河南省許昌)が故郷である。 

長安・杜曲韋曲

來時父母知隔生、重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
○來時 出征の時。故郷を離れて来る時。長安に集結し、咸陽(渭城)から出発している。○隔生 生死を隔(へだ)てる見納め。○重著 着替える。○送死 死に目に会う。みとりをする。葬儀をとりしきる。


亦有白骨歸咸陽、營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
 …も(また)。能(よ)く…。○白骨 風雨に晒(さら)されて白くなった骨。タンパク質がバイオ化され、カルシウム分のみになる。○ 本来の居場所(自宅、故郷、墓所)へかえる。○營家 兵営の中心的な所。○ (人に示すために)書く。○本鄕 本籍地。本貫。


身在應無回渡日、駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。 
 きっと。当然。○回渡日 遼河を渡ってかえる日。○回 かえる。○相看 …を見遣(や)る。○傍 ほとり。張籍『征婦怨』「遼水上」の「上」と使うと基本的には同義。
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中唐詩239 征婦怨 Ⅷ 張籍<3> 紀頌之の漢詩ブログ

中唐詩239 征婦怨 Ⅷ 張籍<3> 紀頌之の漢詩ブログ

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


征婦怨  張籍

夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。

九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。

夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。


征婦怨      

九月 匈奴【きょうど】邊將を殺し,漢軍 全て沒ぼっす 遼水れうすいの上ほとりに。
萬里の白骨 收【おさむ】る人無く,家家 城下に  招魂【しょうこん】して葬す。
婦人は 子と夫【おっと】とに依倚【いい】し,貧賤【ひんせん】なるも同居すれば 心も亦また 舒【の】ぶ。
夫【おっと】 戰場に死するも子 腹に在り,妾身【しょしん】 存りと雖いへども晝の燭の如し。



現代語訳と訳註
(本文) 征婦怨
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。


(下し文) 征婦怨
九月 匈奴【きょうど】邊將を殺し,漢軍 全て沒ぼっす 遼水れうすいの上ほとりに。
萬里の白骨 收【おさむ】る人無く,家家 城下に  招魂【しょうこん】して葬す。
婦人は 子と夫【おっと】とに依倚【いい】し,貧賤【ひんせん】なるも同居すれば 心も亦また 舒【の】ぶ。
夫【おっと】 戰場に死するも子 腹に在り,妾身【しょしん】 存りと雖いへども晝の燭の如し。


(現代語訳)
夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。
夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。


(訳注)
征婦怨

夫が出征して、取り残された妻の歎きの歌。
征婦 出征兵士の妻。出征兵士の妻の歎き。


九月匈奴殺邊將、漢軍全沒遼水上。
晩秋九月になると、匈奴は辺境守備の将兵を殺して南下し、中原を目指してくる。漢の軍勢は、全て関外の遼河の湿地、平原に没してしまった。
九月 秋は7,8,9月で9月は晩秋。天高く馬肥ゆる秋(匈奴の軍馬の体調ができあがり、中原進出に最適な気候の晴れわたった秋)のことをいう。○匈奴 西北方の強大な遊牧・騎馬民族で、伝統的に駿馬を生産した。紀元前五世紀から紀元五世紀にかけて活躍し、首長を単于と称する。フン族。○邊將 国境を守る将軍。○漢軍 漢民族の軍隊。また、漢の帝室の軍隊。ここでの「漢」は前出「匈奴」に対して使われ、西北の強大な民族・「匈奴」と、それに対抗する中国の「漢民族」の意で使われている。○沒 このあたりは平原で大きな湿地があり、その場所にしずむ。水中に入りきりになる。おぼれる。○遼水【りょうすい】遼河【りょうが】のことで渤海国と国境線を画す位置付けにあった。回紇東部と渤海国西部の平野を貫いて流れる大河で河口は唐の領域で三か国にまたがる川であった。現在では内モンゴル自治区に源を発し、遼寧省を南西に流れて現遼東湾に注ぐ。拘柳河ともいう。地図に示す通り河北道に位置する。○上 ほとり。
王建『渡遼水』
渡遼水,此去咸陽五千里。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。 

8世紀唐と周辺国00

萬里無人收白骨、家家城下招魂葬。
遥かに遠い万里の先に戦士の白骨は収める人が無いのでそのまま残されている。どこの家々でも城壁の外へ出て、死んだ兵士の衣服を振って魂を招いて葬儀をするだけなのだ。
○萬里 広大な範囲を形容する。 ○無人 …をする人がいない。 ○ しまう。おさめる。 ○白骨 風雨に晒(さら)されて白くなった骨。李白『戰城南』
去年戰桑乾源,今年戰葱河道。
洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。
萬里長征戰,三軍盡衰老。
匈奴以殺戮爲耕作,古來唯見白骨黄沙田。
秦家築城備胡處,漢家還有烽火然。
烽火然不息,征戰無已時。
野戰格鬪死,敗馬號鳴向天悲。
烏鳶啄人腸,銜飛上挂枯樹枝。
士卒塗草莽,將軍空爾爲。
乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。
戦城南 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175

家家 どこの家も。家ごとに。○城下 城の下。城の周辺。城壁の外。○招魂 死者の魂を呼びかえす。北方に向かって死者の衣を振り、三度その名を呼んで魂を招いた。死者を弔う。


婦人依倚子與夫、同居貧賤心亦舒。
結婚した婦人は、子と夫とに拠り所としている。貧しくつつましくいきなければいけない身分であっても、共に生活をするだけで、心は穏やかになる。 
○婦人 嫁入りした女。士の妻。○依倚 よりかかる。たよる。たよりにする。○同居 一つの家族がいっしょに住む。○貧賤 貧しいと身分が卑しいと。貧しく卑しい。○【じょ】 おだやか。のんびり。ゆっくり。また、のべる。ここは、おだやかの意。


夫死戰場子在腹、妾身雖存如晝燭。
夫が戦場に死んでも、その子が我が腹の中にいる。我が身は生きながらえているといっても、昼間にともした燭のような余分なものでしかない。
子在腹 子どもが腹の中にいる。○妾身 わたし(女性自身)の体。○雖存 生きながらえているものの。○晝燭 余計な物、余分な物の譬喩。役に立たない物の譬喩。
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中唐詩238 董逃行 Ⅷ 張籍<2> 紀頌之の漢詩ブログ

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韓愈の門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

汴州の科挙の地方試験の試験官をしていた韓愈に世話になっている。汴州の乱の後、心配して韓愈を訪ね、一カ月も語り明かしている。乱のこと、友人のこと詩にしたものが『此日足可惜贈張籍』(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)である。
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1


張籍は、中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。


董逃行 張籍

戦乱を呪う歌。
洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃行,    漢家幾時重太平。

董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

現代語訳と訳註
(本文)

洛陽城頭火曈曈,亂兵燒我天子宮。
宮城南面有深山,盡將老幼藏其間。
重巖爲屋橡爲食,丁男夜行候消息。
聞道官軍猶掠人,舊里如今歸未得。
董逃行,    漢家幾時重太平。

(下し文) 董逃行【とうとうこう】
洛陽 城頭 火 曈曈【とうとう】,亂兵【らんぺい】  我が天子の宮を燒く。
宮城の南面に 深山 有りて,盡【ことごと】く 老幼を將もって 其の間に藏【かく】す。
重巖【ちょうがん】を屋【おく】と爲して 橡【しょう】を食しと爲し,丁男【ていだん】夜 行きて 消息を候【うかが】う。
聞道【きくならく】官軍 猶も 人を掠【りゃく】すと,舊里【きう り】 如今【じょこん】歸ること未だ得ず。
董逃行【とうとうこう】,漢家 幾【いづれ】の時か  重ねて太平ならん。

(現代語訳)
戦乱を呪う歌。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。


(訳注)
董逃行

戦乱を呪う歌。
董逃行(とうとうこう(『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のような内容。 ○董逃行 『董逃歌』(とうとうか)の意で使われている。『董逃歌』とは、後漢末、京都(けいと)で流行った童謡。承樂世,董逃;遊四郭,董逃;蒙天恩,董逃;帶金紫,董逃;行謝恩,董逃;整車騎,董逃;垂欲發,董逃;與中辭,董逃;出西門,董逃;瞻宮殿,董逃;望京城,董逃;日夜絶,董逃;心摧傷,董逃。
なお、後漢末の董卓は「董卓が逃げた」のように聞こえるこの歌を疎んじて禁じた。また漢楽府篇名で、神聖な山に登って、仙薬を採取し、不老長寿を願う歌がある。


洛陽城頭火曈曈、亂兵燒我天子宮。
洛陽城内では、安史の乱の兵火が日の出の太陽のように輝いているのは。叛乱軍の兵士が我が天子の宮殿を焼いたからなのだ。
洛陽 東京。河南省西部の都市。黄河の支流、洛水の北岸に位置する。西の長安に対し、東都として栄える。周の成王が当時の洛邑に王城を築いたのに始まる。○城頭 (洛陽)城のほとり。(洛陽城の)城壁の上。(洛陽)城のあたり。(洛陽)城の上。 ○曈曈【とうとう】夜のあけわたるさま。○亂兵 叛乱兵。ここでは、安禄山軍のことになる。 ○燒我天子宮 我が天子の宮殿を焼い(た)。


宮城南面有深山、盡將老幼藏其間。
宮城の南面には深山があって、老人や幼児をその山の間に隠(かく)した。 
宮城 宮廷。王宮。○盡 ことごとく。○將 …をもって。…を。「將+名詞」で、強調したい名詞を前に取りだす。古漢語の「以」と似た働きをする。○老幼 老人と幼児。○ かくす○其間 ここでは、宮城の南面の深山のことになる。


重巖爲屋橡爲食、丁男夜行候消息。
重なった巌を家として、どんぐりを食糧として、成人男子が夜になって行ってみて、様子を窺(うかが)った。
重巖 重(かさ)なりあった巌(いわお)。○爲屋 家屋とする。○橡【しょう】どんぐり。クヌギ。トチ。○爲食 食糧とする。「食」は【し】と読んで、「めし」の意。○丁男 成人した男子。壮丁。○夜行 よまわり。よあるき。夜の旅。○候 うかがう。さぐる。○消息 たより。たよりの手紙。消えることと生じること。減ることと増えること。物や人の栄枯盛衰。


聞道官軍猶掠人、舊里如今歸未得。 
聞くところでは、唐朝廷側の軍でもなお人を夫役のために掠(さら)っているとのことで、郷里へは、現在、帰ることがまだできないという
聞道 聞くところによると。人の言うのを聞くと。きくならく。伝聞表現。○官軍 (ここでは、唐朝の)朝廷の正規軍。政府方の軍隊。正統の軍。なお、『舊唐書』などではこれに対して、叛乱軍(安禄山軍や史思明軍)を「賊」と表現している。賊軍のこと。この詩では「亂兵燒我天子宮」の「亂兵」のこと。○ なお。○掠人【りゃくじん】人を掠(さら)う。人を掠奪(りゃくだつ)する。 ・〔りゃく〕かすめる。掠(さら)う。略奪する。=略。○舊里 ふるさと。郷里。故郷。○如今 現在。○歸未得 まだ帰れない。帰ることがまだできない。


董逃行、漢家幾時重太平。
董逃歌という歌詞のようだ、いつになったら漢の国家唐の国家を暗示に重(かさ)ねて太平がおとずれることになるのだろうか。
董逃行(とうとうこう(正しくは『董逃歌』のこと))という後漢末、京都(けいと)で流行った歌の「董卓が逃げた」の歌詞のように。○漢家 漢朝の帝室。転じて、漢民族の王朝・国家。ここでは、唐王朝を指す。○幾時:いつ。○〔ちょう〕もう一度。かさねて。○太平 平和。世の中がよく治まって平和なこと。
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