漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2012年04月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

中唐詩-298 岳陽樓別竇司直 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#4

中唐詩-298 岳陽樓別竇司直 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#4


#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。
#4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


現代語訳と訳註
(本文) #4

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。


(下し文) #4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


(現代語訳)
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。


(訳注)#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
餘瀾 #2で「聲音一何宏,轟輵車萬兩。」(声音 一に何ぞ宏いなる、轟輵として車万両。)と起した余波。○喧聒 さわがしい、かまびすしい、やかましい○甕盎 つぼとかめ。


明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。


飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
飛廉 中国の想像上の動物で、頭は雀に似て角があり、胴体は鹿に似ていて豹文があり、尾は蛇に似るというもの。 ここでは昨夕の荒れた洞庭湖を考慮し、、風の神の名。風伯。○纖纊 細い糸くず。


泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
泓澄 水が深くて澄んでいるようす。○湛凝綠 静かに緑色をたたえているようす。


江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。
江豚 スナメリ。長江に棲む川イルカ。○蕩瀁 ただようさま。揺れ動く。なみまかせのさま。瀁は漾とおなじで古字。浩漾もおなじ。李白、『惜餘春賦』「水蕩瀁兮碧色、蘭葳兮紅芳。」(水 蕩漾として碧色なり、蘭葳として紅芳あり。)





岳陽樓別竇司直
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。
#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。
#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
この天の神がかなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。
#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
川波の名残りはまだ怒りを静めず、まるで壺や甕を打ち鳴らしているかのようにやかましく響いていた。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
夜が明けて岳陽楼に登ってみると、きらきらとかがやいて朝日が明るくひろがっている。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
飛廉という風の神はその威力をおさめられた、こうして静まりかえってみると細い糸くずさえ動かない。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに物の影を写し出す。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
江豚(イルカ)が時おり水面に出て遊び、今まで怒涛逆巻く波は急に静かになってゆたかにあふれている。

中唐詩-297 岳陽樓別竇司直 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#3

中唐詩-297 岳陽樓別竇司直 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#3


#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。

#3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

doteiko012

現代語訳と訳註
(本文)#3

鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。


(下し文) #3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。


(現代語訳)
この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。


(訳注)#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。

この天の神がなでる音楽のわざは人の世で聞けるものではなく、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。
鬼神 天の神がなでる音楽のわざ。○節奏頗跌踼  節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。


陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
管楽器を吹き鳴らすときは美しい声で聞こえているし、息を吸いこんで鳴らすときは凄惨、悲愴な感じになる。
陽施 『淮南子・天文篇』「吐気者施、含気者化、是故陽施陰化。」(吐気は施、含気は化、是れ故に施は陽で化は陰。)施;ほどこす。手前の物を向こうへ押しやる。のびる(ノブ)。のばす。うつる。長くのびる。また、のびてうつっていく。「是れ故に施は陽で化は陰」とは、陰陽分類とは、どんなことについて陰と陽に分けたかというテーマ性が必要で、それによって陰と陽に分けたものの性質と、それ同士の関係性を明確化するわけである。この場合は天があって地があることで生じる環境変化を、反応のために作用を施す陽と、受けた施しから変化と言うかたちで反応する陰とに分類して、次の気象の発生で説明をしている。○誇麗 美しい。『荀子,富国』「非ず特以て為す淫泰誇麗之聲。」(特だに以て淫泰誇麗之聲を為すのみに非ず。)○陰閉 いきをふきこむこと。○悽愴 凄惨、悲愴。


朝過宜春口,極北缺隄障。
朝がた、宜春の入りロのあたりにさしかかったときは、北のはての方に何もさえぎるものがなかった。
朝過 朝がたさしかかったとき○宜春口 宜春の入りロのあたり。まだ洞庭湖には入っていない。○極北 洞庭湖の北には岳陽がある。○缺隄障 高い障害物がないこと。雨季にはほとんど水没する湿地帯であることをいうのであろう。


夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
夜になって巴陵の中洲に舟をつなごうとすると、草がむらがって生えている小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられる程度であった。
巴陵 現在の岳陽市の中心部になる。洲 中洲○叢芮 むらがって生えている小さな芽生えた芽。○纔可傍 ようやく舟が寄せられる程度であった。


星河盡涵泳,俯仰迷下上。
そして夜空に見える星はすべて天の川のなかに浮かんで輝き、下を向いたり上を向いたりすると、天と地を見ちがえるほどだった。
○星河 夜空に見える天の川○涵泳 天の川のなかに浮かんで輝き○俯仰 下を向いたり上を向いたりする○迷下上 天と地を見ちがえるほどである。
韓愈の地図01

中唐詩-296 岳陽樓別竇司直 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#2

中唐詩-296 岳陽樓別竇司直 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#2

#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。

#2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。



現代語訳と訳註
(本文) #2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。


(下し文) #2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。


(現代語訳)
声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう。


(訳注)#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。

声高らかに笑うように大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどだ。
軒然 声高らかに笑うこと。


巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
波はそびえて嵩山・華山をもしのぐほどであり、その飛び越える動きは健やかで勇壮なさまをきそっているようだ。
拔嵩華 嵩山、崋山を凌ぐ。五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)○騰踔 飛び上がる。飛び越える。


聲音一何宏,轟輵車萬兩。
流れ込む音、波の音が 一つに集まってなんと大きなことになるのだろう、ごうごうと一万両の兵車が走るほどの響きをたてるのである。
聲音 流れ込む音、波の音。○一何宏 一つに集まって何とおおきなことになる。

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
聖帝の軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏しているのかと疑われるほどのものだ。
帝軒轅 軒轅。姓は姫姓とも姒氏とも言われ、また帝鴻氏とも呼ばれる。 三皇の最後、または五帝の始めに必ず名前のあがる人物で、一般に中華民族の祖とされている。 特に道家思想では、道家の論者を「黄老の徒」と呼んだように、理想の君主とされる。
張樂 天を弦にした音楽を演奏している。○空曠 天空の隅々までの広大なこと。


蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
底に住むみずちが楽器の台を水面に現わし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を吹くかのよう
蛟螭 蛟と螭のどちらも種類の違うみずちである。蛟は蛟であるが大魚、角のない竜。 螭は山の中のみずち、猛獣の名。○筍簴 楽器の台を水面に現わす。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1


 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れているが、愈の一行はその流れを舟で下ろうとはせず、川ぞいの街道を行く陸路をとったらしい。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。
 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。
             
岳陽樓別竇司直(岳陽楼にて賓司直と別る)
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。
#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。
#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。
#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
前臨指近岸,側坐眇難望。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
憐我竄逐歸,相見得無恙。
#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
杯行無留停,高柱送清唱。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
念昔始讀書,志欲干霸王。

#7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
前年出官由,此禍最無妄。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。
#8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。
#9
生還真可喜,尅己自懲創。
庶從今日後,粗識得與喪。
事多改前好,趣有獲新尚。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。


岳陽樓別竇司直
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。


#2
軒然大波起,宇宙隘而妨。
巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。
聲音一何宏,轟輵車萬兩。
猶疑帝軒轅,張樂就空曠。
蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

#2
軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。
巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。
声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。
猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。
蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。


#3
鬼神非人世,節奏頗跌踼。
陽施見誇麗,陰閉感悽愴。
朝過宜春口,極北缺隄障。
夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。
星河盡涵泳,俯仰迷下上。

#3
鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。
陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。
朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。
夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。
星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

#4
餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
明登岳陽樓,輝煥朝日亮。
飛廉戢其威,清晏息纖纊。
泓澄湛凝綠,物影巧相況。
江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

#4
余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。
明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。
飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。
泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。
江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。


#5
時當冬之孟,隙竅縮寒漲。
前臨指近岸,側坐眇難望。
滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。
主人孩童舊,握手乍忻悵。
憐我竄逐歸,相見得無恙。

#5
時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。
前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。
滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。
主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。


#6
開筵交履舃,爛漫倒家釀。
杯行無留停,高柱送清唱。
中盤進橙栗,投擲傾脯醬。
歡窮悲心生,婉孌不能忘。
念昔始讀書,志欲干霸王。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。
盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。
中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。
念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。


#7
屠龍破千金,爲藝亦云亢。
愛才不擇行,觸事得讒謗。
前年出官由,此禍最無妄。
公卿採虛名,擢拜識天仗。
姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。
才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。
公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。
姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。


#8
新恩移府庭,逼側廁諸將。
于嗟苦駑緩,但懼失宜當。
追思南渡時,魚腹甘所葬。
嚴程迫風帆,劈箭入高浪。
顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。
追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。
厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。
顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。


#9
生還真可喜,尅己自懲創。
庶從今日後,粗識得與喪。
事多改前好,趣有獲新尚。
誓耕十畝田,不取萬乘相。
細君知蠶織,稚子已能餉。
行當掛其冠,生死君一訪。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。
庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。
事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。
誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。
細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。
行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。


岳陽樓別竇司直
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。


(岳陽楼にて竇司直と別る)#1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。



現代語訳と訳註
(本文) #1

洞庭九州間,厥大誰與讓。
南匯羣崖水,北注何奔放。
瀦爲七百里,吞納各殊狀。
自古澄不清,環混無歸向。
炎風日搜攪,幽怪多冗長。


(下し文) #1
洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。
南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。
瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。
古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。


(現代語訳)
岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。


 (訳注)
岳陽樓別竇司直

岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。
岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。愈の時代より前で言えば、初唐の孟浩然が「波は揺がす岳陽城」と歌った

望洞庭湖贈張丞相
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。

洞庭湖を望み 張丞相に贈る     
八月 湖水 平らかに,虚【きょ】を涵【ひた】して  太淸【たいせい】に混ず。
氣は蒸【む】す 雲夢【うんぼう】澤【たく】,波は撼【ゆる】がす 岳陽【がくよう】城。
濟【わた】らんと欲するに 舟楫【しゅうしふ】無く,端居して 聖明【せいめい】に恥づ。
坐して 釣を垂る者を 觀【み】るに,徒【いたづら】に 魚【うお】を羨【うらや】むの情 有り。

盛唐詩 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然<36> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -343
望洞庭湖贈張丞相
八月湖水平,涵虚混太淸。
氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。
欲濟無舟楫,端居恥聖明。
坐觀垂釣者,徒有羨魚情。
盛唐の杜甫が「昔聞く洞庭の水、今登る岳陽楼」ではじまる詩を残したことが、ことに有名である。

泊岳陽城下   杜甫
江国踰千里、山城近百層。
岸風翻夕浪、舟雪灑寒灯。
留滞才難尽、艱危気益増。
図南未可料、変化有鯤鵬。
岳陽城下に泊す
江国踰(こ)ゆること千里、山城百層に近し。岸風夕浪(せきろう)を翻(ひるがえ)し、舟雪(しゅうせつ)  寒灯(かんとう)に灑(そそ)ぐ。留滞才尽き難く、艱危益々増す。図南未だ料(はか)る可からず、変化鯤鵬(こんほう)有り。

登岳陽樓 唐 杜甫
昔聞洞庭水,今上岳陽樓。
呉楚東南坼,乾坤日夜浮。
親朋無一字,老病有孤舟。
戎馬關山北,憑軒涕泗流。
岳陽樓に 登る
昔 聞く洞庭の水,今上る岳陽樓。呉楚東南に坼(さ)け,乾坤日夜浮かぶ。親朋一字無く,老病孤舟有り。戎馬(じゅうば) 關山の北,軒に憑(よ)りて涕泗(ていし)流る。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。


 
#1
洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らないものだ。
洞庭 長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。洞庭湖に流入する河川は、湖南省四大河川といわれる湘江・資江・沅江(げんこう)・澧水(れいすい)で、瀟水(しょうすい)も湘江と永州市(長沙市の近郊)で合流している。海を航行できる程の規模の船でも、長江から洞庭湖・湘江と経由して長沙にたどり着くことができる。○九州 天下ということ。戦国諸子の一人、陰陽家の代表者である鄒衍の言葉「九州の外に更に九州有り。」(「史記」の孟子筍卿列伝に見える)を引いている。陰陽家の考えでは、文明世界は赤県神州つまり中国を中心とした九つの州に分たれ、それを海がとりまいている。その外側にまた九つの州があり、更にその外部を大嵐海(大海)がとりまいているとされる。○厥大 その。それ。その大きさは。○誰與讓 誰に譲るということはない。


南匯羣崖水,北注何奔放。
その南側で群がるように集まり、他と和合しない水の流れ下る、それらの川が北へと流れこむ勢いのなんとすさまじいことだろうか
 水が廻り集まる。○羣崖水 群がるように集まり、他と和合しない水の流れ。○北注 北に向かって注ぎ込む。○何奔放 流れる勢いのなんとすさまじいことか。


瀦爲七百里,吞納各殊狀。
かくて水は集まって七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。
 みずたまり。ぬま。たまる。○七百里 403km、1里は576m○吞納 川水を飲みこむ。○各殊狀 それぞれに姿が異なる。


自古澄不清,環混無歸向。
この湖水は昔からいくら澄ませても澄まないし、混沌として帰着する所もわからない。
澄不清 澄ませても澄まない○環混 めぐってまざる。○無歸向 帰着する所もわからない。


炎風日搜攪,幽怪多冗長。
東北の風は日ごとに湖のおもてを騒がせ、底に住む怪物には長々しいものが多い。
炎風 東北の風。八風の一つ。融風。熱風。○日搜攪 日ごとに湖のおもてを騒がせ○幽怪 底に住む怪物○多冗長 長々しいものが多い。

中唐詩-294 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #13 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#13

中唐詩-294 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #13 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#13

#13
深思罷官去,畢命依松楸。
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
空懷焉能果,但見歲已遒。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。
殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
茲道誠可尚,誰能借前籌。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
殷勤謝吾友,明月非暗投。

ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。

#13
深く思う官を罷【や】めて去り,命を畢【お】えて松楸【しょうしゅう】に依【よ】らんことを。
空懷 焉【いず】くんぞ能く果たさんと,但だ見る歲の已【すで】に遒【せま】るを。
殷湯【いんとう】禽獸【きんじゅう】を閔【あわ】れんで,網を解きて蛛蝥【しゅぼう】を祝す。
雷煥【らいかん】寶劍を掘って,冤氛【えんぷん】鬥牛【とぎゅう】に銷【さ】ゆ。
茲の道 誠に尚【とうと】ぶ可し,誰か能く前籌【ぜんちゅう】を借らん。
殷勤【いんぎん】に吾が友に謝す,明月 暗投するに非ず。

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現代語訳と訳註
(本文)
#13
深思罷官去,畢命依松楸。
空懷焉能果,但見歲已遒。
殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
茲道誠可尚,誰能借前籌。
殷勤謝吾友,明月非暗投。

(下し文)#13
深く思う官を罷【や】めて去り,命を畢【お】えて松楸【しょうしゅう】に依【よ】らんことを。
空懷 焉【いず】くんぞ能く果たさんと,但だ見る歲の已【すで】に遒【せま】るを。
殷湯【いんとう】禽獸【きんじゅう】を閔【あわ】れんで,網を解きて蛛蝥【しゅぼう】を祝す。
雷煥【らいかん】寶劍を掘って,冤氛【えんぷん】鬥牛【とぎゅう】に銷【さ】ゆ。
茲の道 誠に尚【とうと】ぶ可し,誰か能く前籌【ぜんちゅう】を借らん。
殷勤【いんぎん】に吾が友に謝す,明月 暗投するに非ず。


(現代語訳)
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。

韓愈の地図01

(訳注)
深思罷官去,畢命依松楸。
しみじみ思うのは役人を辞職して去るということだ、松やヒサギの生い茂る田園生活をして一生を終えたいとおもうのだ。
松楸 マツとヒサギ。墓場にうえる木。墳墓そのものをさす。一生を終えること。


空懷焉能果,但見歲已遒。
だが、それはむなしく心に抱くばかりで、いつになったら実現できるのか果たせそうにない希望なのだ、ただ歳月の経過は見る見るうちに私の一生の持ち時間が残り少なくなってくるのを痛感するばかりなのだ。


殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。
むかし殷の湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛の網のまじないをとなえたという故事のように私もそのように自由な身、希望ある職につかせてほしいいのだ。
殷湯閔禽獣 殷の湯王が巡視したとぎ、四面に網を張って「天より落つるものよ、地よりはい出るものよ。四方より未たるものよ、みなわが網にかかれ」と呪文をとなえる男を見た。「ああ、これでは一切の生物が死にたえてしまうではないか」湯王はこう思って、網の三面を切り開き、あらためて呪文をとなえた。「右にゆきたいものは右にゆけ。左にゆきたいものは左にゆけ。空高くのぼりたいものはのぼれ、地にもぐりたいものはもぐれ。蜘昧のように、稲食い虫のように、むさぼるな」こんな話が『呂氏春秋』に見える。禽獣にまでおよんだ湯王の仁慈を今上陛下に期待することは、いけないことだろうか。わたしにもそのおめぐみの一端が与えられないだろうか、というもの。


雷煥掘寶劍,冤氛銷鬥牛。
晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように自分の才能を発揮できる、朝廷へ呼びもどしていただきたい。
雷煥堀宝剣 晋の代に、北斗星と牽牛星術の大家として知られる張草が観測して、無実の罪で苦しむもののうらみが凝ってこの気となったものであろうと判断し、雷煥という人を豊城の県令に任命し捜索させた。雷煥は赴任するとすぐ獄舎の土を掘らせた。深さ四尺あまりのところから石のはこが出てきた。中に二振の剣があって、それぞれに、「竜泉」「太阿」と名が刻んであった。剣を掘り出した日から、さきの妖気は見えなくなった。「晋書」に見える故事である。わたしのために雷煥のような労を惜しまぬ人はいないか、というのだ。


茲道誠可尚,誰能借前籌。
これらの人々の態度はたしかに尊ぶべきものだが、漢の張良が目の前の箸を使って計略を立てたように、国家の大計を立てるようなとき、私をその中に登用することは、誰ができよう(君たち、三君のほかにはないのだ)。
前鱒 張良が漢の高祖にはかりごとを進める時「ちょっとこいつをお借りしますよ」といって、高祖の前の膳から箸をとって図をさし示したがら説いたという。『史記』留侯世家に見える話だが、そのように、きみたちが心おきなく相談できる相手としてわたしが最適ではないか、とほのめかしているのだ。


殷勤謝吾友,明月非暗投。
ぶしつけに友人たちに申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、私は三君に対して明月の珠を暗闇のなかで投げつけるわけではないことを理解してくれると思っている。
明月 漢代に3陽が梁の孝王にたてまつった手紙に「明月珠や夜光璧のような宝玉でも、閤夜にふいに道ばたでさし出されたら、人びとは剣をにぎって顔を見合わせてあやしまないものはない。なぜなら、わけもなしに前にあらわれたからである」という語がある。この故事をとって、だがわたしのおくるこの詩は、きみたちにとっては暗中に投ぜられた明月珠ではないはずだが、友よ、わたしの申す意味が、きみたちに受け取ってもらえるものと期待していいよね、というほどの意。


この韓愈の自分の売り込みのしかたは、中国人の基本である。とくに、詩人は頭を下げることはしない。自分の持っている良さはここにある、これに気付かないのはあなたに仁徳がないからだ。故事には、無名のものを登用して国を立派にした天子がいた。今の天子、それに仕える近臣の人たちは当然そうしたことを理解している人である。
 奥ゆかしく、潔くしていたのでは生きていけないのかもしれない。韓愈の時代も、古代も、そして現代もそうなのだ。


朝廷はこの時、韓愈を流罪にした王伾・王叔文など革新派が失脚していた。同時に進士にきゅうだいした王二十補闕、李十一拾遺、李二十六員外の翰林三學士たちに対し、自分を都へ呼びもどしてくれるようにと、韓愈は訴えた。彼を江陵府の法曹参軍に任じたのは、順宗の名で出された辞令であり、宰相を粛清し、事態が変わった以上、事例の変更を期待したものであるが、江陵へは行きしかなかったのである。つぎは、洞庭湖の岳陽樓に立ち寄るのである。

中唐詩-293 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #12 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#12

中唐詩-293 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #12 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#12

<詩の背景>
王伾・王叔文を指導者とする革新派が順宗を擁して権力を握ろうとしており、反対派は排除しょうとしていたのであるが、韓愈はその反対派であり、監察御史として韓愈の同僚であった柳宗元・劉禹錫は恵の親友であったが、彼らは革新派に属していたという事実である。そこで韓愈が漏らした発言を柳宗元・劉禹錫がほかに伝えてしまい、それが流罪の原因となったのではないかというのが通説となっている。親友だった二人を一時的に韓愈は疑っていたのである。上奏文のなかではっきりと李実を弾劾したわけではない。

宮中で消費するさまざまの品物を調達することを「宮市」といい、在官が担当し、予算に従った調達費を持って買いに行き、宮中御用の名のもとにとりあげる、ただ同然の値段で物資を買い上げ、予算との差額は自分のふところに入れる。白居易(楽天)の『売炭翁』には、苦労して焼いた炭を、宮市の使者に安く買い上げられてしまう炭焼きの老人が描かれている。したがって宮市は、万民の怨嗟の的であった。順宗がまだ皇太子で、元気だったころのことであるが、側近との雑談のおりに、宮市の廃止を進言しようと思うと言った。みな賛成したが、王叔文ひとりが反対した。朝廷内は、一応、王叔文の一派により沈下させられた。

韓愈が監察御史として宮市を廃止せよという意見書を提出した。これは皇太子一派とは無関係であったが、皇太子としては、伏せておいたはずの案件が明るみへ出てしまったと思ったのも無理はない。韓愈はこのために、皇太子派によって罪に落とされ、流されたのだ。

#12
協心輔齊聖,政理同毛輶。
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
《小雅》詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
自從齒牙缺,始慕舌為柔。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。
因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。

病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。

#12
心を協【あわ】せて齊聖【せいせい】を輔け,政理 毛輶【もうゆう】に同じ。
《小雅》鳴鹿【めいろく】を詠じ,蘋【ひょう】を食いて呦呦【ゆうゆう】たるを貴ぶ。
遺風 邈【ばく】嗣【つ】ぐ,豈嘗つて稠【ちゅう】同じゅうせしを憶【おも】わんや。
誌【こころざし】を失って早く衰換【すいかん】せり,前期は蜉蝣【ふゆう】に擬す。
齒牙【しが】の缺【か】けて自從【よ】り,始めて舌の柔と為すを慕う。
疾に因って鼻又塞【ふさ】がり,漸【ようや】く能く薰蕕【くんゆう】を等しくする。


現代語訳と訳註
(本文)
#12
協心輔齊聖,政理同毛輶。
小雅詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
自從齒牙缺,始慕舌為柔。
因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。


(下し文)
心を協【あわ】せて齊聖【せいせい】を輔け,政理 毛輶【もうゆう】に同じ。
《小雅》鳴鹿【めいろく】を詠じ,蘋【ひょう】を食いて呦呦【ゆうゆう】たるを貴ぶ。
遺風 邈【ばく】嗣【つ】ぐ,豈嘗つて稠【ちゅう】同じゅうせしを憶【おも】わんや。
誌【こころざし】を失って早く衰換【すいかん】せり,前期は蜉蝣【ふゆう】に擬す。
齒牙【しが】の缺【か】けて自從【よ】り,始めて舌の柔と為すを慕う。
疾に因って鼻又塞【ふさ】がり,漸【ようや】く能く薰蕕【くんゆう】を等しくする。


(現代語訳)
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。

病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。

(訳注)
協心輔齊聖,政理同毛輶。
三人は心をあわせて聖天子を補佐しており、善い政治は毛のように軽々と徳が行きわたっている。
斉聖『書経』の周書同命に「昔在、文武は聡明斉聖にして」の語がある。文王・武王のようにすぐれた天于の意。・政理 政治。(唐では高宗の諱號の「治」を避け、「理」と書く)○同毛輶『詩経』大雅、蕩の蒸民に「徳の軽きは毛の如くなれども、民のよく挙ぐることすくなし」とある。


小雅詠鳴鹿,食蘋貴呦呦。
『詩経』の「小雅」では鳴きかわす鹿をうたい、野の草を食べておだやかな鳴声をあげるのを尊んでいる
小雅詠鳴鹿 『詩経』小雅鹿嗚に「拗として鹿は鳴き野の芋を食ふ。我に嘉き賓あり。認を鼓し笙を吹く」の語がみえる。野の獣も人をおそれず四方の国々からも嘉賓か来集して楽しく宴遊する平和な時代をたたえる詩。(『詩経』小雅の「鹿鳴」の詩。亥と仲よく過ごすことの象徴とされる)。


遺風邈不嗣,豈憶嘗同稠。
小雅鹿嗚の遺風を遠い昔のこととして継承できないようでは、以前に同じ蒲団にくるまって寝たよしみをおぼえていないのだろうか。
遺風滅不嗣 鹿鳴をうたった時代ははるかな昔のことだから、その時代の風俗が今日にのこされうけつがれることは、ないのではないか。○嘗同稠 かつて夜着を共にした仲。親瓦というほどの意。


失誌早衰換,前期擬蜉蝣。
私は理想を遂げることに失敗してとっくに老衰しており、これからの人生はかげろうのようにはかないものになぞられるということだ。
蜉蝣 かげろう.朝生まれて夕べに死ぬいのちの短い虫の代表的なものとされている。


自從齒牙缺,始慕舌為柔。
歯がぬけ落ちてからというものは、はじめて舌のような柔らかな生き方が好ましいものである。
始慕舌為柔 常樅が口をひらいて老子に示して「舌はのこってるかね」老子「のこっています」常樅「やわらかいからじゃないか。歯はないだろう」「ありません」「強いからじゃないか」それから常樅がいった。「世の中のことはみなこの通り」こんな話が『説苑』にみえる。気の強い生き方よりも、もの柔かな生き方のよいことがはじめてわかったという意味。


因疾鼻又塞,漸能等薰蕕。
病気のために鼻もつまって、だんだんと香りのよい草も悪い草も平等に見る境地に立てるようになった。
薰蕕 においのいい草とわるい草。

中唐詩-292 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #11 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#11

中唐詩-292 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #11 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#11


#10
懸知失事勢,恐自罹罝罘。
湘水清且急,涼風日修修。
胡為首歸路,旅泊尚夷猶?
昨者京使至,嗣皇傳冕旒。
赫然下明詔,首罪誅共兜。
#11
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。
またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
高議參造化,清文煥皇猷。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。
#10
懸ねて知る事勢を失い,恐らくは自ら罝罘【しゃふ】に罹【か】からんことを。[30]
湘水は清く且つ急なり、涼風 日に脩脩【しゅうしゅう】。
胡為【なんす】れぞ帰路に首【むか】いて、旅泊 尚夷猶【いゆう】する。
昨者【さきごろ】 京師より至り、嗣皇【しこう】 冕旒【べんりゅう】を伝え。
赫然【かくぜん】として明詔を下し、首罪 共兜【きょうとう】を誅すと。
#11
復聞く顛夭【てんよう】の輩、冠を峨【たか】くして鴻疇【こうちゅう】を進むと。
班行 再び肅穆【しゅくぼく】たり、璜珮【こうはい】鳴って瑯璆【ろうきゅう】たり。
貞觀の烈を繼ぎて,邊封【へんぽう】兜鍪【とうぼう】を脫ぐを佇【ま】つ。
三賢 侍從に推され,卓犖【たくらく】枚鄒【ばいすう】を傾く。
高議 造化【ぞうか】に參【まじ】わり,清文【せいぶん】皇猷【こうゆう】煥【かがや】かす。



<この詩の背景>
この詩は題にもあるとおり、江陵へ赴任の途中で作ったものであるが、どこで作ったのかは定めがたい。ただ、順宗が退位して憲宗が即位したことは、おそらく旅の途中でのことであろうが、韓愈の耳に入っていたわけである。そこで王伾・王叔文など革新派の失脚とともに浮かび上がった王涯たちに対し、自分を都へ呼びもどしてくれるようにと、韓愈は訴えているのである。彼を江陵府の法曹参軍に任じたのは、順宗の名で出された辞令であり、事態が変わった以上変更されるはずのものであるが、黙っていては忘れられてしまうおそれがある。変更されるはずの辞令でも、皇帝の名で出されているのだから、無視するわけにはいかない。そこで江陵へと赴任の旅を続けるのだが、「三学士」 の運動が功を奏して召還の命令が出れば、赴任の道すじをそのまま都へ帰る道とすればよい。韓愈はそこに期待をかけているのである。よほど江陵へは行きたくなかったと見える。


現代語訳と訳註
(本文)
#11
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。
班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
高議參造化,清文煥皇猷。


(下し文) #11
復聞く顛夭【てんよう】の輩、冠を峨【たか】くして鴻疇【こうちゅう】を進むと。
班行 再び肅穆【しゅくぼく】たり、璜珮【こうはい】鳴って瑯璆【ろうきゅう】たり。
貞觀の烈を繼ぎて,邊封【へんぽう】兜鍪【とうぼう】を脫ぐを佇【ま】つ。
三賢 侍從に推され,卓犖【たくらく】枚鄒【ばいすう】を傾く。
高議 造化【ぞうか】に參【まじ】わり,清文【せいぶん】皇猷【こうゆう】煥【かがや】かす。


(現代語訳)
またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。


(訳注)
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。

またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
顛夭輩 周の文王の補佐した名臣泰顛・閎夭のこと。 文王より、弓矢斧鉞を賜って、諸侯征伐の権が与えられた。犬戎・密須・耆国を破り、崇侯虎を討った。のち、豊邑を造営して、都とした。紂王が妲己に迷って、人心を失うと、討殷の兵を挙げ、王号を名乗ったともいう。・杜黄裳 元和元年(未詳―806年病没),西川節度使、805年当時は宰相になっている。・鄭余慶 748―820年字居業,鄭州の滎陽(現在河南省滎陽)の人。四十六歳で進士に合格し、五十歳ではじめて任官というひとであるが,すぐに中書侍郎同中書門下平章事になり、上奏できる立場にあった。七十二歳。
峨冠 高い冠。高官がかむる。○鴻疇 深遠な国家の大計。


班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
班行 朝臣の序列。 ○肅穆,厳粛清安。○璜珮 おび玉。璜は璧を二分した石で、二個で美音を発する。○瑯璆。コロンコロンという音。


佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
貞觀烈 太宗の貞観時代は唐代を通じて最も政治が正しくおこなわれ国勢が隆盛だった。杜甫、韓愈、白居易、李商隠の詩にみえる。○邊封 辺境。○兜鍪 かぶと。


三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
三賢 この詩題の王二十補闘たち、王涯、李建、李程のこと。○ 傾倒させる。○枚鄒 枚乗・鄒陽梁の孝王の食客だった鄒陽、枚乗で司馬相如らと共にした。枚乗ばい じょう前漢淮陰の人で賦や文章を得意とした遊説の徒。李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳』「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」(荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。)


高議參造化,清文煥皇猷。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。
○高議 高くすぐれた議論。○造化 万物を創造するわざ。○清文 清雅の文章。○皇猷 王道。○煥 かがやかす。

中唐詩-291 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #10 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#10

中唐詩-291 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #10 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#10


#10
懸知失事勢,恐自罹罝罘。
もう今から予想がつくのだが、事態の変化に応じて適宜の処置をとることに失敗し、自分が法網にかかってしまう恐れがある。
湘水清且急,涼風日修修。
(江陵へとおもむく途中の)湘水の流れは清らかでしかも急であり、涼しい風が日ごとに颯々と吹いて来る。
胡為首歸路,旅泊尚夷猶?
この道は都へと帰る道の方に首を向けていながら、この街道にあって、旅の宿りをかさねて足も滞りがちになるのは、どういうわけだろう。(秋風が吹くころの宋玉と心境が同じなのだ。)
昨者京使至,嗣皇傳冕旒。
きのう都から使者が来ての話では、世継ぎの皇太子が御即位されたそうだ。
赫然下明詔,首罪誅共兜。
そしてさっきゅうに明らかに詔勅を下し、悪人の首魁として共工・駻兜に比すべき者(王伾・王叔文を指す)を誅せられた。

#10
懸ねて知る事勢を失い,恐らくは自ら罝罘【しゃふ】に罹【か】からんことを。[30]
湘水は清く且つ急なり、涼風 日に脩脩【しゅうしゅう】。
胡為【なんす】れぞ帰路に首【むか】いて、旅泊 尚夷猶【いゆう】する。
昨者【さきごろ】 京師より至り、嗣皇【しこう】 冕旒【べんりゅう】を伝え。
赫然【かくぜん】として明詔を下し、首罪 共兜【きょうとう】を誅すと。

doteiko012

現代語訳と訳註
(本文) #10

懸知失事勢,恐自罹罝罘。
湘水清且急,涼風日修修。
胡為首歸路,旅泊尚夷猶?
昨者京使至,嗣皇傳冕旒。
赫然下明詔,首罪誅共兜。


(下し文)#10
懸ねて知る事勢を失い,恐らくは自ら罝罘【しゃふ】に罹【か】からんことを。[30]
湘水は清く且つ急なり、涼風 日に脩脩【しゅうしゅう】。
胡為【なんす】れぞ帰路に首【むか】いて、旅泊 尚夷猶【いゆう】する。
昨者【さきごろ】 京師より至り、嗣皇【しこう】 冕旒【べんりゅう】を伝え。
赫然【かくぜん】として明詔を下し、首罪 共兜【きょうとう】を誅すと。


(現代語訳)
もう今から予想がつくのだが、事態の変化に応じて適宜の処置をとることに失敗し、自分が法網にかかってしまう恐れがある。
(江陵へとおもむく途中の)湘水の流れは清らかでしかも急であり、涼しい風が日ごとに颯々と吹いて来る。
この道は都へと帰る道の方に首を向けていながら、この街道にあって、旅の宿りをかさねて足も滞りがちになるのは、どういうわけだろう。(秋風が吹くころの宋玉と心境が同じなのだ。)
きのう都から使者が来ての話では、世継ぎの皇太子が御即位されたそうだ。
そしてさっきゅうに明らかに詔勅を下し、悪人の首魁として共工・駻兜に比すべき者(王伾・王叔文を指す)を誅せられた。


(訳注)
懸知失事勢,恐自罹罝罘。

もう今から予想がつくのだが、事態の変化に応じて適宜の処置をとることに失敗し、自分が法網にかかってしまう恐れがある。
懸知 心にかけてあらかじめ心配する。○罝罘 法網にかかること。獣を取る網のことだが、ここでは法の網、刑罰の網をいう。


湘水清且急,涼風日修修。
(江陵へとおもむく途中の)湘水の流れは清らかでしかも急であり、涼しい風が日ごとに颯々と吹いて来る。
湘水 自分の赴任先の陽山から湘水を北へ下って洞庭湖に入る。○涼風 涼しい風。秋になり、その上北上している。○修修 颯々と吹いて来る


胡為首歸路,旅泊尚夷猶?
この道は都へと帰る道の方に首を向けていながら、この街道にあって、旅の宿りをかさねて足も滞りがちになるのは、どういうわけだろう。(秋風が吹くころの宋玉と心境が同じなのだ。)
胡為 なんすれぞ○首歸路 帰る道の方に首を向けていながら。○夷猶 ためらう。ぐずぐずする。王維『汎前陂』「此夜任孤棹、夷猶殊未還。」(此の夜孤棹に任せて、夷猶殊に未だ還らず)という心境にあり、もっといえば、宋玉『九辨』にみられる心境そのものであった。
九辨
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。


昨者京使至,嗣皇傳冕旒。
きのう都から使者が来ての話では、世継ぎの皇太子が御即位されたそうだ。
京使 長安朝廷からの使者。○嗣皇 皇太子。○傳冕旒 冠の前に垂れる飾り玉。天子の冕は十二旒。憲宗が順宗から譲位を受けた、805年貞元二十一年八月即位したことを指す。


赫然下明詔,首罪誅共兜。
そして輝く、盛んな様子で早急に明らかに詔勅を下し、悪人の首魁として共工・駻兜に比すべき者(王伾・王叔文を指す)を誅せられた。
赫然 怒る様子。むっとするさま。輝く、盛んな様子。蜀志『諸葛亮傳』「神武赫然、威鎮八荒。」(神武赫然として、威 八荒を鎮む。)○共兜 共工と駻兜。帝堯の臣で悪人であったから、舜が堯のゆずりをうけるとそれぞれ幽州と崇山に放逐した。ここでは王叔文党の迫放をさす。

中唐詩-290 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#9

中唐詩-290 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#9


#9
此府雄且大,騰淩盡戈矛。
新任の江陵府は雄大な場所で、大きな顔をしてのさばっているのは戎矛をもった武宮ばかりだ。
淒淒法曹掾,何處事卑陬。
こき使われ、うろうろした法曹の役人など、どこの片隅で仕事をしたらよいのか。
生平企仁義,所學皆孔周。
私は日ごろ仁義の道を慕い実現のため、学んでいたのは孔子・周公の教えであった。
早知大理官,不別三後儔。
早くから知っている法律関係の官職、裁判官は、人民を憐れむ行政職の三人とは同列にならないということらしい。
何況親犴獄,敲搒發奸偷。

ましてや下級の法官はみずから牢獄にでむき、鞭や棒で叩いて悪人を自白・供述・摘発することもせねばなるまい
#9
此の府 雄にして且つ大なり,騰淩【とうりょう】盡【ことごと】く戈矛【かぼう】。
淒淒【せいせい】法曹【ほうそう】掾【えん】,何れの處にか卑陬【ひすう】を事とせん。
生平 仁義を企【うかが】い,學ぶ所は皆孔周。
早【つと】に知る大理の官,三後【さんこう】の儔【ともがら】別ならざるを。
何ぞ況んや犴獄【かんごく】を親しく,敲搒【こうぼう】して奸偷【かんとう】を發【あば】くをや。

DCF00212

現代語訳と訳註
(本文)#9

此府雄且大,騰淩盡戈矛。
淒淒法曹掾,何處事卑陬。
生平企仁義,所學皆孔周。
早知大理官,不別三後儔。
何況親犴獄,敲搒發奸偷。

(下し文)#9
此の府 雄にして且つ大なり,騰淩【とうりょう】盡【ことごと】く戈矛【かぼう】。
淒淒【せいせい】法曹【ほうそう】掾【えん】,何れの處にか卑陬【ひすう】を事とせん。
生平 仁義を企【うかが】い,學ぶ所は皆孔周。
早【つと】に知る大理の官,三後【さんこう】の儔【ともがら】別ならざるを。
何ぞ況んや犴獄【かんごく】を親しく,敲搒【こうぼう】して奸偷【かんとう】を發【あば】くをや。

(現代語訳)
新任の江陵府は雄大な場所で、大きな顔をしてのさばっているのは戎矛をもった武宮ばかりだ。
こき使われ、うろうろした法曹の役人など、どこの片隅で仕事をしたらよいのか。
私は日ごろ仁義の道を慕い実現のため、学んでいたのは孔子・周公の教えであった。
早くから知っている法律関係の官職、裁判官は、人民を憐れむ行政職の三人とは同列にならないということらしい。
ましてや下級の法官はみずから牢獄にでむき、鞭や棒で叩いて悪人を自白・供述・摘発することもせねばなるまい。

(訳注)
此府雄且大,騰淩盡戈矛。

新任の江陵府は雄大な場所で、大きな顔をしてのさばっているのは戎矛をもった武宮ばかりだ。
此府 江陵府。長江流域の拠点である。○騰淩 のぼせていて怖さを感じさせる。・ のぼる。のぼせる。こえる。・ しのぐ。おそれる。


淒淒法曹掾,何處事卑陬。
こき使われ、うろうろした法曹の役人など、どこの片隅で仕事をしたらよいのか。
○淒 こき使われ、うろうろしている。○法曹掾 法曹の役人○事卑陬 どこの片隅で仕事をする


生平企仁義,所學皆孔周
私は日ごろ仁義の道を慕い実現のため、学んでいたのは孔子・周公の教えであった。
生平 日ごろ○企仁義 仁義の道を慕い実現。○所學 学んでいた○皆孔周 ただひたすら、孔子・周公の教えを学ぶ。


早知大理官,不別三後儔。
早くから知っている法律関係の官職、裁判官は、人民を憐れむ行政職の三人とは同列にならないということらしい。
早知 はやくから、少年のころから。○大理官 裁判官。○三後儔 同時進級の詩題の三人のこと。


何況親犴獄,敲搒發奸偷。
ましてや下級の法官はみずから牢獄にでむき、鞭や棒で叩いて悪人を自白・供述・摘発することもせねばなるまい。
親犴獄 自ら監獄に出向いていくこと。○敲搒鞭や棒で叩いて○發奸偷 悪人を自白・供述・摘発することもする。

中唐詩-289 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #8 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#8

中唐詩-289 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #8 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#8

「王二十補闘」は王涯、「李十一拾遺」は率建、「李二十六員外」は李程という人。補闘∵拾遺・員外は官名で、補闘∵拾遺は勤める役所は違うが、ともに皇帝の過失を指摘し、いさめることを職務とする。員外は正式には員外郎といい、行政官庁の事務官であるが、李程が具体的に何を担当していたかは、あまりはっきりしない。員外郎は初め定員外に設けられた官職であるためこの名がついたといわれるが、当時では完全に定員内のポストとなっていた。また三人とも翰林学士を兼務していたのであるが、これは宮中に作られた翰林院に出仕する、皇帝のプライペートな臣下で、学士・待詔などの階級がある。学士は翰林院では最高の地位だが、職務内容はあまり明瞭でなく、皇帝の学問上の顧問というにとどまる。しかし、皇帝が詔勅などを発布しようとするとき、その文章の手直しに始まり、政策の内容についても口をはさみ、後世では詔勅そのものを起草するようになって、翰林学士は政策の立案者という、重い地位を占めるようになった。愈の時代にはまだそれほど重い地位ではないが、皇帝の昏問に応ずるのだから、信頼されていなければ任命されるはずのない職である。また二十・十一・二十六といった数字はいわゆる排行で、一族(大家族の)のなかで同じ世代に属する人たち、たとえば従兄弟などを、出生の順に番号をつけて呼ぶもので、こうした呼び方をする友人は家族同然の、親しい間柄であることを示す。


#8
雷霆助光怪,氣象難比侔。
この地方の雷はすごい、それに怪しい光を添えて、こんな気象はほかに並ぶものもないほどだ。
癘疫忽潛遘,十家無一瘳。
瘴癘の流行病がこっそりと道を歩いていて、それに出会うと、十軒くらいの家のひとは一人も助かる者がない。
猜嫌動置毒,對案輒懷愁。
ひょっとすると毒虫が料理のなかに入れてあるのではないかと疑って、食膳に向かうたびに心配でしかたがないのだ。
前日遇恩赦,私心喜還憂。
先日恩赦にあって、心のうちで喜んだが、同時にそれはまた悲しいことでもある。
果然又羈縶,不得歸耡耰。
はたしてまたもや官職につながれ、農村に帰ることはできなくなったということなのだ。

#8
雷霆【らいてい】光怪【こうかい】を助け,氣象 比侔【ひぼう】し難し。
癘疫【れいえき】忽【たちま】ち潛遘【せんこう】し,十家一も瘳【い】ゆる無し。
猜嫌【さいけん】して動【やや】もすれば毒を置き,案に對して輒【すなわ】ち愁いを懷【いだ】く。
前日遇恩赦【おんしゃ】,私心に喜び還た憂う。
果然【かぜん】として又羈縶【きせつ】せられ,耡耰 【じゅじょう】に歸るを得ず。


現代語訳と訳註
(本文)#8

雷霆助光怪,氣象難比侔。
癘疫忽潛遘,十家無一瘳。
猜嫌動置毒,對案輒懷愁。
前日遇恩赦,私心喜還憂。
果然又羈縶,不得歸耡耰。

(下し文)#8
雷霆【らいてい】光怪【こうかい】を助け,氣象 比侔【ひぼう】し難し。
癘疫【れいえき】忽【たちま】ち潛遘【せんこう】し,十家一も瘳【い】ゆる無し。
猜嫌【さいけん】して動【やや】もすれば毒を置き,案に對して輒【すなわ】ち愁いを懷【いだ】く。
前日遇恩赦【おんしゃ】,私心に喜び還た憂う。
果然【かぜん】として又羈縶【きせつ】せられ,耡耰 【じゅじょう】に歸るを得ず。

(現代語訳)
この地方の雷はすごい、それに怪しい光を添えて、こんな気象はほかに並ぶものもないほどだ。
瘴癘の流行病がこっそりと道を歩いていて、それに出会うと、十軒くらいの家のひとは一人も助かる者がない。
ひょっとすると毒虫が料理のなかに入れてあるのではないかと疑って、食膳に向かうたびに心配でしかたがないのだ。
先日恩赦にあって、心のうちで喜んだが、同時にそれはまた悲しいことでもある。
はたしてまたもや官職につながれ、農村に帰ることはできなくなったということなのだ。



(訳注) #8
雷霆助光怪,氣象難比侔。
この地方の雷はすごい、それに怪しい光を添えて、こんな気象はほかに並ぶものもないほどだ。
雷霆 かみなりのひびき。雷も霆もかみなり。


癘疫忽潛遘,十家無一瘳。
瘴癘の流行病がこっそりと道を歩いていて、それに出会うと、十軒くらいの家のひとは一人も助かる者がない。
癘疫 流行病。伝染病。

猜嫌動置毒,對案輒懷愁。
ひょっとすると毒虫が料理のなかに入れてあるのではないかと疑って、食膳に向かうたびに心配でしかたがないのだ


前日遇恩赦,私心喜還憂。
先日恩赦にあって、心のうちで喜んだが、同時にそれはまた悲しいことでもある。


果然又羈縶,不得歸耡耰。
はたしてまたもや官職につながれ、農村に帰ることはできなくなったということなのだ。
果然 はたしてまたもや。其のまま過ごしていると。○羈縶 官職につながれること。○歸耡耰 農村に帰って鋤を持つこと。
ここは、同級のものが引き上げられて朝廷で天子の傍にお仕えしていることに対して、韓愈の不遇をあらわしている。農村に隠遁する気持ちはないが、自分の力を発揮できない場合、詩人はこういう表現をする。中国人の強がってみせる表現方法である。

中唐詩-288 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #7 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#7

中唐詩-288 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #7 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#7


#7
生獰多忿很,辭舌紛嘲啁。
彼らは気が荒くてとかく怒りだし、言葉はしきりに言うものの、鳥が鳴くようでわけがわからない。
白日屋檐下,雙鳴鬥鵂鶹。
白昼に軒下で、二羽で鳴きながらミミズクが喧嘩をしているのだ。
有蛇類兩首,有蠱群飛遊。
両頭の蛇がいるかのようで、こいつは話に聞く蛇に似ているし、南方に特有の毒虫が群れを作って飛びまわっている。
窮冬或搖扇,盛夏或重裘。
真冬でも扇であおがないといけないひがあり、真夏というのに皮ごろもを重ね着する日もある。
颶起最可畏,訇哮簸陵丘。

台風の起こるときは最も恐ろしいのである、大きなうなり声をあげて小山もふるわせうごかすほどだ。
#7
生獰【せいどう】にして多忿很,辭舌 紛として嘲啁【ちょうちゅう】。
白日 屋檐【おくえん】の下,雙び鳴いて鵂鶹【きゅうりゅう】鬥【たたか】う。
蛇有りて兩首に類し,蠱【こ】有りて群飛して遊ぶ。
窮冬 或いは扇を搖【ゆる】がし,盛夏 或いは裘を重ね。
颶【ぐ】の起こる最も畏るべし,訇哮【こうこう】して陵丘【りょうきゅう】を簸【うご】かす。


八女茶 畑

現代語訳と訳註
(本文) #7

生獰多忿很,辭舌紛嘲啁。
白日屋檐下,雙鳴鬥鵂鶹。
有蛇類兩首,有蠱群飛遊。
窮冬或搖扇,盛夏或重裘。
颶起最可畏,訇哮簸陵丘。


(下し文) #7
生獰【せいどう】にして多忿很,辭舌 紛として嘲啁【ちょうちゅう】。
白日 屋檐【おくえん】の下,雙び鳴いて鵂鶹【きゅうりゅう】鬥【たたか】う。
蛇有りて兩首に類し,蠱【こ】有りて群飛して遊ぶ。[22]
窮冬 或いは扇を搖【ゆる】がし,盛夏 或いは裘を重ね。
颶【ぐ】の起こる最も畏るべし,訇哮【こうこう】して陵丘【りょうきゅう】を簸【うご】かす。


(現代語訳)
彼らは気が荒くてとかく怒りだし、言葉はしきりに言うものの、鳥が鳴くようでわけがわからない。
白昼に軒下で、二羽で鳴きながらミミズクが喧嘩をしているのだ。
両頭の蛇がいるかのようで、こいつは話に聞く蛇に似ているし、南方に特有の毒虫が群れを作って飛びまわっている。
真冬でも扇であおがないといけないひがあり、真夏というのに皮ごろもを重ね着する日もある。

台風の起こるときは最も恐ろしいのである、大きなうなり声をあげて小山もふるわせうごかすほどだ。

(訳注)
生獰多忿很,辭舌紛嘲啁。
彼らは気が荒くてとかく怒りだし、言葉はしきりに言うものの、鳥が鳴くようでわけがわからない。
生獰 粗野獰猛。○多忿很 怒りうらむ、ことが多い。○嘲啁 がやがやとやかましいさま。


白日屋檐下,雙鳴鬥鵂鶹。
白昼に軒下で、二羽で鳴きながらミミズクが喧嘩をしているのだ。
○屋檐下 軒下。○雙鳴 二羽で鳴く。○鵂鶹 ミミズクが喧嘩をしている。


有蛇類兩首,有蠱群飛遊。
両頭の蛇がいるかのようで、こいつは話に聞く蛇に似ているし、南方に特有の毒虫が群れを作って飛びまわっている。
 大蛇。○兩首 鎌首が二つある。○ 毒虫


窮冬或搖扇,盛夏或重裘。
真冬でも扇であおがないといけない日があり、真夏というのに皮ごろもを重ね着する日もある。
○窮 真冬。○搖扇 扇であおがないといけない日。○重裘 皮ごろもを重ね着する日


颶起最可畏,訇哮簸陵丘。
台風の起こるときは最も恐ろしいのである、大きなうなり声をあげて小山もふるわせうごかすほどだ。
颶起 台風○訇哮 大きなうなり声をあげる。○簸陵 丘小山もふるわせうごかす。

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中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6

中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6


#6
朝為青雲士,暮作白首囚。
朝は青雲の上高くに志を持った士だったのに、夕方には白髪あたまの囚人となってしまったのだ。
商山季冬月,冰凍絕行輈。
商山には晩冬の冴えかかる月が上がり、旅路にそえてくれている、道は凍りついていて旅人の姿も絶えてきた・
春風洞庭浪,出沒驚孤舟。
春風がふいて洞庭湖に波をたている上を船は進む、見えつ隠れつしながら進む小さな舟は、今にも沈むかと恐怖心を抱かせる。
逾嶺到所任,低顏奉君侯。
こうして五嶺の高峰を越え、新しい任地に着いた。そこで気持を抑え、顔を低く伏せながら連州刺史に仕えた。
酸寒何足道,隨事生瘡疣。
生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、嫌いなことをしているとかさぶたができるというが、何につけてもかさぶたのできるようなことばかりだ。
遠地觸途異,吏民似猿猴。
都を遠く離れた土地ではなにごとも変わっている、吏員・下役や住民もまるで猿のようだ。

#6
朝【あした】には青雲の士為【た】り,暮には白首の囚と作【な】れり。
商山 季冬の月,冰凍して行輈【こうしゅう】絕ゆ。
春風 洞庭の浪,出沒して孤舟驚く。
嶺を逾【こ】えて任とする所に到り,顏を低【た】れて君侯に奉ず。
酸寒 何ぞ道【い】うに足らん,事に隨って瘡疣【そうゆう】を生ず。
遠地 途【みち】に觸れて異なり,吏民 猿猴【えんこう】に似たり。

nat0021


現代語訳と訳註
(本文) #6

朝為青雲士,暮作白首囚。
商山季冬月,冰凍絕行輈。
春風洞庭浪,出沒驚孤舟。
逾嶺到所任,低顏奉君侯。
酸寒何足道,隨事生瘡疣。
遠地觸途異,吏民似猿猴。


(下し文) #6
朝【あした】には青雲の士為【た】り,暮には白首の囚と作【な】れり。
商山 季冬の月,冰凍して行輈【こうしゅう】絕ゆ。
春風 洞庭の浪,出沒して孤舟驚く。
嶺を逾【こ】えて任とする所に到り,顏を低【た】れて君侯に奉ず。
酸寒 何ぞ道【い】うに足らん,事に隨って瘡疣【そうゆう】を生ず。
遠地 途【みち】に觸れて異なり,吏民 猿猴【えんこう】に似たり。


(現代語訳)
朝は青雲の上高くに志を持った士だったのに、夕方には白髪あたまの囚人となってしまったのだ。
商山には晩冬の冴えかかる月が上がり、旅路にそえてくれている、道は凍りついていて旅人の姿も絶えてきた・
春風がふいて洞庭湖に波をたている上を船は進む、見えつ隠れつしながら進む小さな舟は、今にも沈むかと恐怖心を抱かせる。
こうして五嶺の高峰を越え、新しい任地に着いた。そこで気持を抑え、顔を低く伏せながら連州刺史に仕えた。
生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、嫌いなことをしているとかさぶたができるというが、何につけてもかさぶたのできるようなことばかりだ。
都を遠く離れた土地ではなにごとも変わっている、吏員・下役や住民もまるで猿のようだ。


(訳注)
朝為青雲士,暮作白首囚。

朝は青雲の上高くに志を持った士だったのに、夕方には白髪あたまの囚人となってしまったのだ。
青雲士 仙人のことをいう場合もあるか、ここでは朝廷につかえる人。志を高く持った人、韓愈自身のこと。○白首囚 白髪頭の囚人、韓愈のこと。


商山季冬月,冰凍絕行輈。
商山には晩冬の冴えかかる月が上がり、旅路にそえてくれている、道は凍りついていて旅人の姿も絶えてきた。
商山 商州上洛郡にある山。○季冬月 冬の末の十二月という説もあるが、冬のはての空に冴えかえる月とみる方がよさそうである。○行軸 軸はながえ。それを追めること。


春風洞庭浪,出沒驚孤舟。
春風がふいて洞庭湖に波をたている上を船は進む、見えつ隠れつしながら進む小さな舟は、今にも沈むかと恐怖心を抱かせる。


逾嶺到所任,低顏奉君侯。
こうして五嶺の高峰を越え、新しい任地に着いた。そこで気持を抑え、顔を低く伏せながら連州刺史に仕えた。
逾嶺 五嶺山脈をこえる。五嶺山脈は漢民族と南の異民族を分ける山でこれより先を瘴癘の地としていた。瘴癘の地とhs空気中に毒ガスが混じっており是の中毒にかかって高熱を発する病気になると信じられていた。蚊を媒介とするマラリアのことである。蚊によって伝染するなどと考えもしなかった。
君侯 陽山県令の上司にあたる連州の刺史をさす。
 
酸寒何足道,隨事生瘡疣。
生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、ひと山越えると見るも聞くものが何につけても異様な出来事ばかりだ。
酸寒 まずしいこと。びんぼう。酸辛の場合辛さが先に立つ。○瘡疣 かさぶた。わざわい。異様な出来事。


遠地觸途異,吏民似猿猴。
都を遠く離れた土地ではなにごとも変わっている、吏員・下役や住民もまるで猿のようだ。
觸途異 身民族の風土をいう。○猿猴 猿。○言葉が分からないことをいう
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中唐詩-286 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #5 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#5

中唐詩-286 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #5 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#5


#5
中使臨門遣,頃刻不得留。
左遷の命に宮中からの使者は戸口の所に立って私を追いたてた、少しも遅滞していることは許されなかった。
病妹臥床褥,分知隔明幽。
病気の妹は蒲団に寝ているが、これが今生の別れだと覚悟はついているようだ。
悲啼乞就別,百請不頷頭。
悲しんで位き、別れの旅路を共にしたいとないたのだ、しかし、百篇なだめてみたけれどうなずいてはくれない。
弱妻抱稚子,出拜忘慚羞。
うら若い妻は乳飲み子を抱き、戸口に出て恥ずかしさも忘れて拝み、あいさつしている。
僶俛不回顧,行行詣連州。
私はうなだれたまま無理に振りかえりもせず、連州の陽山県までの旅を続けた。


#5
中使 門に臨みて遣【や】り,頃刻【けいこく】留まるを得ず。
病妹 床褥【しょうじょく】に臥す,分【さだ】めて明幽を隔てんことを知る。
悲啼【ひてい】別れ就かんと乞い,百【もも】たび請えども頭【こうべ】を頷【うなず】かせず。[17] [18]
弱妻は稚子を抱き,出で拜して慚羞【ざんしゅう】を忘る。
僶俛【べんびん】回顧せず,行き行きて連州に詣【いた】る。



現代語訳と訳註
(本文)
#5
中使臨門遣,頃刻不得留。
病妹臥床褥,分知隔明幽。
悲啼乞就別,百請不頷頭。
弱妻抱稚子,出拜忘慚羞。
僶俛不回顧,行行詣連州。


(下し文) #5
中使 門に臨みて遣【や】り,頃刻【けいこく】留まるを得ず。
病妹 床褥【しょうじょく】に臥す,分【さだ】めて明幽を隔てんことを知る。
悲啼【ひてい】別れ就かんと乞い,百【もも】たび請えども頭【こうべ】を頷【うなず】かせず。[17] [18]
弱妻は稚子を抱き,出で拜して慚羞【ざんしゅう】を忘る。
僶俛【べんびん】回顧せず,行き行きて連州に詣【いた】る。


(現代語訳)
左遷の命に宮中からの使者は戸口の所に立って私を追いたてた、少しも遅滞していることは許されなかった。
病気の妹は蒲団に寝ているが、これが今生の別れだと覚悟はついているようだ。
悲しんで位き、別れの旅路を共にしたいとないたのだ、しかし、百篇なだめてみたけれどうなずいてはくれない。
うら若い妻は乳飲み子を抱き、戸口に出て恥ずかしさも忘れて拝み、あいさつしている。
私はうなだれたまま無理に振りかえりもせず、連州の陽山県までの旅を続けた。


(訳注)
中使臨門遣,頃刻不得留。

左遷の命に宮中からの使者は戸口の所に立って私を追いたてた、少しも遅滞していることは許されなかった。
中使 朝庭の使い。


病妹臥床褥,分知隔明幽。
病気の妹は蒲団に寝ているが、これが今生の別れだと覚悟はついているようだ。
病妹 妹、妾、少女、嫁・妻。病気の受妾。韓癒に妹、妾があったことを他の文献が全く伝えないので、ここでは妻。
隔明幽 幽明境を異にする。つまり一方は死に一方は生きていること。


悲啼乞就別,百請不頷頭。
悲しんで位き、別れの旅路を共にしたいとないたのだ、しかし、百ぺんなだめてみたけれどうなずいてはくれない。


弱妻抱稚子,出拜忘慚羞。
うら若い妻は乳飲み子を抱き、戸口に出て恥ずかしさも忘れて拝み、あいさつしている。
弱妻 弱は二十歳を意味する。ここではうら若い。○


僶俛不回顧,行行詣連州。
私はうなだれたまま無理に振りかえりもせず、連州の陽山県までの旅を続けた。
僶俛 励み努める。むりにつとめて。『新書、勸学』「舜僶俛而加志。」(舜は僶俛して而志を加う。)潘岳の『悼亡詩』に「僶俛として朝命を恭【かしこ】み、心を回らせて初役に返る」という句がみえる。

中唐詩-285 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#4

中唐詩-285 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #4 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#4


1.中唐詩-282 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#1
2.中唐詩-283 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#2
3.中唐詩-284 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#3


#4
天子惻然感,司空嘆綢繆。
天子はこれを読んで心の底から感じいられ、司空は事務処理の適切と叙述に感嘆したという。
謂言即施設,乃反遷炎州。
だからすぐにでも手が打たれると思っていたのに、逆に南の州、熱帯の地方に左遷されることになったのだ。
同官盡九俊,偏善柳與劉。
役所の同僚たちはことごとく才能があってすぐれた人たちだが、なかでも特に柳宗元と禹錫と仲がよい。
或慮語言泄,傳之落冤讎。
あるいは、ことによるとかれらの言葉が漏れ、伝わって行って敵の手中に陥ったのかもしれない。
二子不宜爾,將疑斷還不。
しかし両君がそんなことをするはずがない、まさに疑おうとするのを打ち消すが、いや、やはり疑うべきか。

#4
天子 惻然【そくぜん】として感じ,司空 綢繆【ちゅうびゅう】を嘆ず。
謂言【おも】えらく即ち施設すべしと,乃【すなわ】ち反って炎州に遷【うつ】さる。
同官 盡【ことごと】く九俊,偏【ひと】えに柳と劉とに善し。
或いは慮【おもんばか】る語言の泄れて,之を傳えて冤讎に落ちしかと。
二子は宜【よろ】しく爾【しか】るべからず,將【は】た疑うらくは斷【さだ】めんや還【ま】た不【いな】や。


現代語訳と訳註
(本文) #4

天子惻然感,司空嘆綢繆。
謂言即施設,乃反遷炎州。
同官盡九俊,偏善柳與劉。
或慮語言泄,傳之落冤讎。
二子不宜爾,將疑斷還不。


(下し文) #4
天子 惻然【そくぜん】として感じ,司空 綢繆【ちゅうびゅう】を嘆ず。
謂言【おも】えらく即ち施設すべしと,乃【すなわ】ち反って炎州に遷【うつ】さる。
同官 盡【ことごと】く九俊,偏【ひと】えに柳と劉とに善し。
或いは慮【おもんばか】る語言の泄れて,之を傳えて冤讎に落ちしかと。
二子は宜【よろ】しく爾【しか】るべからず,將【は】た疑うらくは斷【さだ】めんや還【ま】た不【いな】や。


(現代語訳)
天子はこれを読んで心の底から感じいられ、司空は事務処理の適切と叙述に感嘆したという。
だからすぐにでも手が打たれると思っていたのに、逆に南の州、熱帯の地方に左遷されることになったのだ。
役所の同僚たちはことごとく才能があってすぐれた人たちだが、なかでも特に柳宗元と禹錫と仲がよい。
あるいは、ことによるとかれらの言葉が漏れ、伝わって行って敵の手中に陥ったのかもしれない。
しかし両君がそんなことをするはずがない、まさに疑おうとするのを打ち消すが、いや、やはり疑うべきか。


(訳注)#4
天子惻然感,司空嘆綢繆。
天子はこれを読んで心の底から感じいられ、司空は事務処理の適切と叙述に感嘆したという。
司空 官名。人臣の最高位。このときの司空は杜佑という人物であった。○綢繆 苦辛経営すること。


謂言即施設,乃反遷炎州。
だからすぐにでも手が打たれると思っていたのに、逆に南の州、熱帯の地方に左遷されることになったのだ。
炎州 熱帯の地方という意。


同官盡九俊,偏善柳與劉。
役所の同僚たちはことごとく才能があってすぐれた人たちだが、なかでも特に柳宗元と禹錫と仲がよい。
同官 同役の監察御史。○柳與劉 柳宗元と劉禹錫
柳宗元:773~819 河東(山西)出身。字は子厚。793年に進士に及第し、校書郎をへて監察御史に進んだ。太子近侍の王叔文・韋執誼らに与して順宗即位と共に礼部員外郎とされ、賦役削減の諸改革にも参与したが、憲宗が即位して叔文らが失脚すると永州司馬に左遷された。815年に柳州刺史に転じて弊風改正に注力し、在任中に歿した。
 文人として著名で、韓愈と同じく戦国~西漢の散文復帰を主張して復古運動を展開したが、六朝以来の形式的な駢文打倒には至らなかった。学術的議論文に優れた韓愈の古文に対して叙景文に優れ、韓愈とともに唐宋八大家の一人とされる。
・劉禹錫:772年~842年中唐の詩人。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。


或慮語言泄,傳之落冤讎。
あるいは、ことによるとかれらの言葉が漏れ、伝わって行って敵の手中に陥ったのかもしれない。


二子不宜爾,將疑斷還不。
しかし両君がそんなことをするはずがない、まさに疑おうとするのを打ち消すが、いや、やはり疑うべきか。



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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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李商隠INDEX02
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中唐詩-284 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#3

中唐詩-284 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#3


#3 
適會除禦史,誠當得言秋。
私はちょうど監察御史に任ぜられたところで、誠実に役目をすると、この飢饉がひどい状況の秋なのでこれこそ意見を申しあげるべきときである。
拜疏移閤門,為忠寧自謀?
そこで上奏文を捧げ、天子のもとに提出した。忠義のみを心がけていたので、自分のことなど考えて行ったことではあるはずがあろうか。
上陳人疾苦,無令絕其喉。
はじめに上奏した民の苦しみ、窮状が、さらにその喉を締めあげないようにさせるというものであった。
下陳畿甸內,根本理宜優。
終わりに述べたのは、畿内はすべての根本なのだから、道理から言っても優遇を加えるべきことを述べている。
積雪驗豐熟,幸寬待蠶麰。
そして、この冬は雪が多くて豊年の前兆があるのだから、どうか納税の時期を、蚕と麦の収穫があるまで延ばしていただきたいと論じたものだった。

#3
適ゝ【たまたま】禦史に除せらるるに會う,誠に當【まさ】に言うを得べき秋なり。
疏を拜して閤門に移【い】す,忠を為して寧【いず】くんぞ自ら謀【はか】らんや?
上は人の疾苦を陳【の】べて,其の喉を絕た令むること無く。
下は畿甸の內,根本にて理として宜しく優なるべきを陳ぶ。
積雪 豐熟の驗あり,幸【こいねが】わくは寬【ゆる】めて蠶麰【さんぽう】を待たん。


現代語訳と訳註
(本文)
#3 
適會除禦史,誠當得言秋。
拜疏移閤門,為忠寧自謀?
上陳人疾苦,無令絕其喉。
下陳畿甸內,根本理宜優。
積雪驗豐熟,幸寬待蠶麰。


(下し文) #3
適ゝ【たまたま】禦史に除せらるるに會う,誠に當【まさ】に言うを得べき秋なり。
疏を拜して閤門に移【い】す,忠を為して寧【いず】くんぞ自ら謀【はか】らんや?
上は人の疾苦を陳【の】べて,其の喉を絕た令むること無く。
下は畿甸の內,根本にて理として宜しく優なるべきを陳ぶ。
積雪 豐熟の驗あり,幸【こいねが】わくは寬【ゆる】めて蠶麰【さんぽう】を待たん。


(現代語訳)#3
私はちょうど監察御史に任ぜられたところで、誠実に役目をすると、この飢饉がひどい状況の秋なのでこれこそ意見を申しあげるべきときである。
そこで上奏文を捧げ、天子のもとに提出した。忠義のみを心がけていたので、自分のことなど考えて行ったことではあるはずがあろうか。
はじめに上奏した民の苦しみ、窮状が、さらにその喉を締めあげないようにさせるというものであった。
終わりに述べたのは、畿内はすべての根本なのだから、道理から言っても優遇を加えるべきことを述べている。
そして、この冬は雪が多くて豊年の前兆があるのだから、どうか納税の時期を、蚕と麦の収穫があるまで延ばしていただきたいと論じたものだった。


(訳注)#3
適會除禦史,誠當得言秋。

私はちょうど監察御史に任ぜられたところで、誠実に役目をすると、この飢饉がひどい状況の秋なのでこれこそ意見を申しあげるべきときである。
○適會 たまたまその時にあたる。○禦史 803年貞元十九年の七月、韓愈は監察御史に転任した。これは御史台に所属するが、御史台とは検察庁に当たる役所で、監察御史というのは、定期的に地方を巡回し、地方官の不正をあばいたり、地方の裁判を再調査して判決を改めたりするのが役目である。身分はさほど高くはないが、四門博士よりは政治の中枢にタッチした職だけに、エリートコースに近づいたということができそうである。○言秋 いうことができたのは秋である。


拜疏移閤門,為忠寧自謀?
そこで上奏文を捧げ、天子のもとに提出した。忠義のみを心がけていたので、自分のことなど考えて行ったことではあるはずがあろうか。
拜疏 上奏文を捧げること。○移閤門 当時、監察御史が弾劾をおこなう場合は、まず文害を中書門下にさし出しておいで、その後、天子に奏上するきまりだった。閤は門傍の戸のこと。○自謀 自分のみを考えてはかりごとを行う。


上陳人疾苦,無令絕其喉。
はじめに上奏した民の苦しみ、窮状が、さらにその喉を締めあげないようにさせるというものであった。
上陳人疾舌 上奏文のはじめの方には人民の苦しみをのべた。唐代には太宗の諱【いみな】をはばかって民を人と書いた。


下陳畿甸內,根本理宜優。
終わりに述べたのは、畿内はすべての根本なのだから、道理から言っても特別の優遇を加えるべきことを述べている。
 政治。唐代には高宗の諱をはばかって治を埋と害いた。


積雪驗豐熟,幸寬待蠶麰。
そして、この冬は雪が多くて豊年の前兆があるのだから、どうか納税の時期を、蚕と麦の収穫があるまで延ばしていただきたいと論じたものだった。

○蠶麰 蚕の糸がとれ麦の収穫できること。



80022008

*****************************
赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士#1
孤臣昔放逐,血泣追愆尤。
君たちと離れて孤独な臣下である私は、以前に都から追われて、血の涙を流しながら自分の犯した罪の深さを追究している。
汗漫不省識,怳如乘桴浮。
でも、どこに罪があったのか、さっぱりわけがわからず、俘に乗って海に浮かんだような茫然とした心地なのだ。
或自疑上疏,上疏豈其由?
ことによると京兆の飢饉を論じて李実の租税徴収を上疏のせいではないかと自分で疑ってみるのだが、上疏が理由だとはどうしても考えられない。
是年京師旱,田畝少所收。
この年、都の周辺の地方は目照りで、田畑からはほとんど収穫がなかった。
上憐民無食,征賦半已休。
天子は人民の食糧がないのを憐れみたまわれた、租税や賦役の半分は免除するとの命令を出されたのだ。
#2
有司恤經費,未免煩徴求。
係の役人は必要な費用のことを心配して、予定どおり徴収する手間をかけ、民は免れなかった。
富者既雲急,貧者固已流。
富んでいる者すら追いつめられるしまつなのだから、貧しい者はもちろん流民となってしまうのはしかたがない。
傳聞閭裏間,赤子棄渠溝。
こんな話を人づてに聞いた、村里で、赤ん妨を溝に捨てているという。
持男易鬥粟,掉臂莫肯酬。
また自分の息子を一升の穀物と取りかえようとする者がいて、手を振って断わる人ばかりで、代価を払ってくれようとする者はない。
我時出衢路,餓者何其稠。
私はじっとしておれず道路に出て見たのだが、飢えた人がなんと多いことか。目の前で道ばたの死体に逢った。
親逢道邊死,佇立久咿憂。
思わずその場に立ちつくし、久しくもぐもぐしてなげかずにはおられなかった。
歸舍不能食,有如魚中鉤。
家に帰っても貧しい食膳に向かっても食事がのどを通らない、魚が釣り針を飲みこんだようなものであった。
#3 
適會除禦史,誠當得言秋。
そして、この冬は雪が多くて豊年の前兆があるのだから、どうか納税の時期を、蚕と麦の収穫があるまで延ばしていただきたいと論じたものだった。
積雪驗豐熟,幸寬待蠶麰。
私はちょうど監察御史に任ぜられたところで、誠実に役目をすると、この飢饉がひどい状況の秋なのでこれこそ意見を申しあげるべきときである。
拜疏移閤門,為忠寧自謀?
そこで上奏文を捧げ、天子のもとに提出した。忠義のみを心がけていたので、自分のことなど考えて行ったことではあるはずがあろうか。
上陳人疾苦,無令絕其喉。
はじめに上奏した民の苦しみ、窮状が、さらにその喉を締めあげないようにさせるというものであった。
下陳畿甸內,根本理宜優。
終わりに述べたのは、畿内はすべての根本なのだから、道理から言っても優遇を加えるべきことを述べている。

中唐詩-283 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#2

中唐詩-283 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#2

803年貞元十九年七月、かれは四門博士から監察御史に遷った。官吏をとりしまるのが、その役目である。冬、京兆の尹、すなわち首都長安の長官である李実の暴政を弾劾したため、まもなく陽山県の令に左遷された。陽山県は、広東省西北部にあるまちで、唐代の長安や洛陽に住むひとにとっては、地の涯、瘴癘の地と感ぜられた地方である。この左遷はかれの生涯における重要な事件の一つで、その文学にも大きな影響を与えた。時に36歳。「江陵に赴く途中、王二十補闕、李十一拾遺、李二十六員外翰林三学士に寄贈す」 は、すでに恩赦によりその罪をゆるされて、江陵府法曹参軍事として新任地にむかう途中、さきの左遷の始終を追想した長詩で、代表作の一つである。其の2回目。(全13回)


#2
有司恤經費,未免煩徴求。
係の役人は必要な費用のことを心配して、予定どおり徴収する手間をかけ、民は免れなかった。
富者既雲急,貧者固已流。
富んでいる者すら追いつめられるしまつなのだから、貧しい者はもちろん流民となってしまうのはしかたがない。
傳聞閭裏間,赤子棄渠溝。
こんな話を人づてに聞いた、村里で、赤ん妨を溝に捨てているという。
持男易鬥粟,掉臂莫肯酬。
また自分の息子を一升の穀物と取りかえようとする者がいて、手を振って断わる人ばかりで、代価を払ってくれようとする者はない。
我時出衢路,餓者何其稠。
私はじっとしておれず道路に出て見たのだが、飢えた人がなんと多いことか。目の前で道ばたの死体に逢った。
親逢道邊死,佇立久咿憂。
思わずその場に立ちつくし、久しくもぐもぐしてなげかずにはおられなかった。
歸舍不能食,有如魚中鉤。
家に帰っても貧しい食膳に向かっても食事がのどを通らない、魚が釣り針を飲みこんだようなものであった。

#2
有司 經費を恤【うれ】え,未だ徴求【ちょうきゅう】を煩【わずら】わすを免れず。
富者は既に雲【ここ】に急に,貧者は固より已に流る。
傳え聞く閭裏【りょり】の間,赤子【せきし】渠溝【きょこう】に棄つと。
男を持して鬥粟【とぞく】易【か】うるも,臂【ひじ】を掉【ふる】って肯えて酬【むく】ゆる莫【な】し。
我時に衢路【くろ】に出ずるも,餓えたる者 何んぞ其れ稠【おお】き。
親しく道邊の死に逢い,佇立【ちょりつ】して久しく咿憂【いゆう】す。
舍に歸るも食うこと能わず,魚の鉤に中【あた】れるが如き有り。


現代語訳と訳註
(本文)#2

有司恤經費,未免煩徴求。
富者既雲急,貧者固已流。
傳聞閭裏間,赤子棄渠溝。
持男易鬥粟,掉臂莫肯酬。
我時出衢路,餓者何其稠。
親逢道邊死,佇立久咿憂。
歸舍不能食,有如魚中鉤。


(下し文) #2
有司 經費を恤【うれ】え,未だ徴求【ちょうきゅう】を煩【わずら】わすを免れず。
富者は既に雲【ここ】に急に,貧者は固より已に流る。
傳え聞く閭裏【りょり】の間,赤子【せきし】渠溝【きょこう】に棄つと。
男を持して鬥粟【とぞく】易【か】うるも,臂【ひじ】を掉【ふる】って肯えて酬【むく】ゆる莫【な】し。
我時に衢路【くろ】に出ずるも,餓えたる者 何んぞ其れ稠【おお】き。
親しく道邊の死に逢い,佇立【ちょりつ】して久しく咿憂【いゆう】す。
舍に歸るも食うこと能わず,魚の鉤に中【あた】れるが如き有り。


(現代語訳)
係の役人は必要な費用のことを心配して、予定どおり徴収する手間をかけ、民は免れなかった。
富んでいる者すら追いつめられるしまつなのだから、貧しい者はもちろん流民となってしまうのはしかたがない。
こんな話を人づてに聞いた、村里で、赤ん妨を溝に捨てているという。
また自分の息子を一升の穀物と取りかえようとする者がいて、手を振って断わる人ばかりで、代価を払ってくれようとする者はない。
私はじっとしておれず道路に出て見たのだが、飢えた人がなんと多いことか。目の前で道ばたの死体に逢った。
思わずその場に立ちつくし、久しくもぐもぐしてなげかずにはおられなかった。
家に帰っても貧しい食膳に向かっても食事がのどを通らない、魚が釣り針を飲みこんだようなものであった。


(訳注)#2
有司恤經費,未免煩徴求。

係の役人は必要な費用のことを心配して、予定どおり徴収する手間をかけ、民は免れなかった。
有司 官吏。この場合は京兆尹李実をさす。李実は、免税などしていては国費がまかなえぬと考え「ひでりはつづき京したが、五穀のみのりはなかなかよろしい」と奏上し、免税排置を中止させた上、家誕税や道路税などを新設したため、住居をこわして瓦や木材を売り、この秋まくべき麦を売って税金にあてるものも出た。役者の成昿端が徴税攻勢を皮肉った謳をつくってやんやのかっさいをあびた。李実はこれを知ると、朝政誹膀の名目で、鞭うって殺した。


富者既雲急,貧者固已流。
富んでいる者すら追いつめられるしまつなのだから、貧しい者はもちろん流民となってしまうのはしかたがない。


傳聞閭裏間,赤子棄渠溝。
こんな話を人づてに聞いた、村里で、赤ん妨を溝に捨てているという。
棄渠溝 みぞにすてられている。


持男易鬥粟,掉臂莫肯酬。
また自分の息子を一升の穀物と取りかえようとする者がいて、手を振って断わる人ばかりで、代価を払ってくれようとする者はない。
掉臂 いらないよ、と手をふる。


我時出衢路,餓者何其稠。
私はじっとしておれず道路に出て見たのだが、飢えた人がなんと多いことか。目の前で道ばたの死体に逢った。


親逢道邊死,佇立久咿憂。
思わずその場に立ちつくし、久しくもぐもぐしてなげかずにはおられなかった。
咿憂 なげく。


歸舍不能食,有如魚中鉤。
家に帰っても貧しい食膳に向かっても食事がのどを通らない、魚が釣り針を飲みこんだようなものであった。
魚中鈎 つり針をノドにひっかけた魚。つり好きの斡愈でなければ出ないようなうまい言葉。陸機の『文賦』に「遊魚の鈎を銜んで重淵の深ぎより出づるが若し」の語がみえる。

中唐詩-282 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#1

中唐詩-282 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#1


赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士#1
孤臣昔放逐,血泣追愆尤。
君たちと離れて孤独な臣下である私は、以前に都から追われて、血の涙を流しながら自分の犯した罪の深さを追究している。
汗漫不省識,怳如乘桴浮。
でも、どこに罪があったのか、さっぱりわけがわからず、俘に乗って海に浮かんだような茫然とした心地なのだ。
或自疑上疏,上疏豈其由?
ことによると京兆の飢饉を論じて李実の租税徴収を上疏のせいではないかと自分で疑ってみるのだが、上疏が理由だとはどうしても考えられない。
是年京師旱,田畝少所收。
この年、都の周辺の地方は目照りで、田畑からはほとんど収穫がなかった。
上憐民無食,征賦半已休。
天子は人民の食糧がないのを憐れみたまわれた、租税や賦役の半分は免除するとの命令を出されたのだ。

#1 
孤臣 昔 放逐せられ,血泣【けつきゅう】愆尤【けんゆう】を追う。
汗漫【かんまん】として省識【せいしき】せず,怳【こう】として桴【いかだ】乘って浮ぶが如し。
或いは自ら疑う 上疏【じょうそ】かと,上疏は豈其の由ならんや?
是の年京師【けいし】旱【ひでり】して,田畝【でんは】收むる所少【まれ】なり。
上【しょう】民の食無きを憐れみて,征賦【せいふ】半ばは已【すで】に休【や】めらる。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
孤臣昔放逐,血泣追愆尤。
汗漫不省識,怳如乘桴浮。
或自疑上疏,上疏豈其由?
是年京師旱,田畝少所收。
上憐民無食,征賦半已休。


(下し文) #1 
孤臣 昔 放逐せられ,血泣【けつきゅう】愆尤【けんゆう】を追う。
汗漫【かんまん】として省識【せいしき】せず,怳【こう】として桴【いかだ】乘って浮ぶが如し。
或いは自ら疑う 上疏【じょうそ】かと,上疏は豈其の由ならんや?
是の年京師【けいし】旱【ひでり】して,田畝【でんは】收むる所少【まれ】なり。
上【しょう】民の食無きを憐れみて,征賦【せいふ】半ばは已【すで】に休【や】めらる。


(現代語訳)
君たちと離れて孤独な臣下である私は、以前に都から追われて、血の涙を流しながら自分の犯した罪の深さを追究している。
でも、どこに罪があったのか、さっぱりわけがわからず、俘に乗って海に浮かんだような茫然とした心地なのだ。
ことによると京兆の飢饉を論じて李実の租税徴収を上疏のせいではないかと自分で疑ってみるのだが、上疏が理由だとはどうしても考えられない。
この年、都の周辺の地方は目照りで、田畑からはほとんど収穫がなかった。
天子は人民の食糧がないのを憐れみたまわれた、租税や賦役の半分は免除するとの命令を出されたのだ。


(訳注) #1
赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士
○贈った相手の王二十補闕はかれと同年の進士の王涯、李十一拾遣は李建、率二十六員外は率程べいずれもかつての同僚であり、この詩のつくられたときには、翰林学士として天于の側近にあったので、韓愈はこの詩を贈ることによって、韓愈自身の長安帰還を三人にとりなしてもらおうと思ったのである。二十、十一、二十六は排行。


孤臣昔放逐,血泣追愆尤。
君たちと離れて孤独な臣下である私は、以前に都から追われて、血の涙を流しながら自分の犯した罪の深さを追究している。
孤臣 徳高く智慧さとく、学術知識ある人も、つねに災禍に見録われるものだ。その楊合にも、孤臣すなわち君から追放され遠くさまよう孤独の臣や、親に見捨てられた子どものように、不如意の境遇に身をおくものは、心をきびしく保ち、外部の危険に備える習慣がついて不慮の災禍を切りぬけ、ものの道理に通じ、人として高い立場に到達する。そういうことばが『孟子』尽心上にみえる。そこから韓愈自身の孤独であっても天子に忠精神を持った臣下であるとして孤臣という。○放逐 戦国時代、魏の武侯が竜門の西河に遊び、その一帯の山河が天然の要害となっていることを感歎した。家臣の一人が「お上のおっしゃる通りです。晋の国が強いといわれるのもこの地のおかげです。この要害を手に入れられれば、天下も統一できましょう」聞いていた戦街顧問の呉起かいう。「お上のお言葉こそ国を危うくするものと案ぜられるのに、きみがまたお追従では危険を倍加させることになる」武侯はカッとなって「何を根拠にいうのか」呉起「山や河は、いざという時のたよりにはなりません。天下統一の大業が、こんなものでなしとげられるものではない。むかし三苗が彭蟸湖・洞庭湖・汶山・衡山にかこまれた地に住み、この要害をたのんで国政をゆるがせにしたので、禹がこれを放逐したのです」こんな話が『戦国策』に見える。禹に追われた三苗の場合にこそふさわしい「放遂」という運命が、なぜわたしの上にやって来たのか、という疑間がこの詩の発端となっている。○血泣 血の戻を流して泣く。周の時代に卞和という人が璞垠を手に入れ楚の厲王に献じた。王室付の宝石師が「ただの石です」と鑑定をしたため詐欧師として左の足を削られた。厲王がなくなって武王が位についた。宇和はまた献じた。同じく右足を削られた。やがて文王が位についた。宇和は玉を抱いて三日三晩泣き、涙が尽きて血が流れた。王が「世の中には足を削られたぐらいのものは少なくないのにお前はなぜそう位くのか」牢和「足を削られたのが悲しいのではありません、りっぱな玉をただの石といいくるめ、正しい人を詐欺師とする世の中が悲しいのです」王が玉を磨かせると、はたして稀有の名玉であった。○愆尤 とがめ。


汗漫不省識,怳如乘桴浮。
でも、どこに罪があったのか、さっぱりわけがわからず、俘に乗って海に浮かんだような茫然とした心地なのだ。
汗漫 あやふや。○不省識 かえりみてこれと納得できる心のがない。○ ぼんやりする。○乘桴浮 『論語』公冶長に「道行われずんば、桴に乗じて海に浮ばむ」の語が見える。


或自疑上疏,上疏豈其由?
ことによると京兆の飢饉を論じて李実の租税徴収を上疏のせいではないかと自分で疑ってみるのだが、上疏が理由だとはどうしても考えられない。
上疏 天子に意見をたてまつること。


是年京師旱,田畝少所收。
この年、都の周辺の地方は目照りで、田畑からはほとんど収穫がなかった。
是年京師早 貞元十九年、長安付近では正月から七月まで雨が降らず、秋に入るとすぐ早霜がおりて、長産物は甚だしい不作だった。


上憐民無食,征賦半已休。
天子は人民の食糧がないのを憐れみたまわれた、租税や賦役の半分は免除するとの命令を出されたのだ。
征賦 租税。

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中唐詩-281 八月十五夜贈張功曹 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#3

中唐詩-281 八月十五夜贈張功曹 #3 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#3


八月十五夜贈張功曹(八月十五夜張功曹に贈る)

 
纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3

一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。
600moon880
  

(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。
#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

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現代語訳と訳註
(本文)

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3

(下し文) #3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん


(現代語訳)
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。


(訳注)#3
判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
わたしが任命された判司(各参軍の総称)は低い官職で一々言ってはいられぬくらい。庭先で埃まみれになって杖で打たれるお仕置きを免れることはできない。
不堪說 一々言ってはいられないほどのもの。○捶楚 杖で打たれるお仕置きをうける。○塵埃間 庭先で埃まみれになる。


同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
同年代の仲間は多く出世街道を歩んでいるが、天へと昇る道は険しくて、あとを追って進むこともむずかしい。
○天路 天子の政。天子の作る法則。はるか遠い天上のみち。ここでは、中央朝廷に迎えられることをいう。○幽險 一人ぼっちで誰もいない、書して峻道。○難追攀 あとを追って進むこともむずかしい。


君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
君の歌はひとまずやめにして、私の歌を聴きたまえ。私の歌はいま、君の歌とは種類が違っている。
殊科 科を異にする。科が優れていること。


一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
一年に円い月は何度もあるが、今宵こそ月光が豊かなのだ。人の一生は天命によって動くもの、ほかのものによって勤くのではない。酒がここにあるのに飲まなかったら、この明月をどうしようか。



 「張功曹」とは、前に見えた張署である。功曹は官名で、正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。

韓愈をも含めた同一事件の流罪人について一律の命をくだしている。州の刺史は都に召還されるべき人のリストのなかに間違いなく入れてくれた。しかし、韓愈たちには都へ召喚されるものではなかった

州の刺史の上申を握りつぶしたのは、当時の湖南観察使であった。楊憑は柳宗元の妻の父であり、韓愈たちが柳宗元の一派に、すなわち王伾・王叔文の一党に、敵対するものである以上、その召還を妨害したのだ。韓愈の置かれている立場は、守旧派であり、急進改革の王伾・王叔文の一党が、実権を握っている間は、上申書が中央に届いていても取り上げられるわけはないのである。官僚の陰湿さは科挙試験の前から、党派を明確にしておかないと出世はないのである。韓愈は守旧派ではないが、急進派からはそう見られていたのだろう。
この詩の中で、愚痴を述べた韓愈であったが、その点をさらに明確に述べた詩がある。次に掲載する『赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺二十六員外翰林三学士』である。


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中唐詩-280 八月十五夜贈張功曹 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#2

中唐詩-280 八月十五夜贈張功曹 #2 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34-#2

八月十五夜贈張功曹(八月十五夜張功曹に贈る)

 纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。
―2
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
  

(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

韓愈の地図03

現代語訳と訳註
(本文)

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。


(下し文) #2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。


(現代語訳)
隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。


(訳注)
下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。

隠れ住んでいるように感じるのは、寝台から降りれば毒蛇の心配があり、食事には毒薬の入っている恐れがある。海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂う。
○下牀 寝台から降りる。○畏蛇 毒蛇の心配があること。○食畏藥 食事には毒薬の入っている恐れがある。○海氣 海から立ちのぼる気○濕蟄 空気中の水分が多いこと、湿気を帯びていること。○熏腥臊 なまぐさい臭いがあたりに漂う。北回帰線付近の8月だから、まだ蒸しあつい日がある。


昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
先日のこと、州庁の前の太鼓が鳴らされた。そして、お世継ぎの天子が聖明の徳を継がれ、賢臣を登用されるということが知らされた。
昨者 先日のこと。○捶大鼓 州庁の前の太鼓が鳴る。○嗣皇 世継ぎの天子。○繼聖 聖明の徳を継がれたこと○登夔皋 賢臣を登用される。


赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
赦免状は一日に一万里を行き、極刑以下の罪はすべて死を免ぜられた。
赦書 赦免状○罪從 罪を負ったもののこと。○大辟 五刑のひとつ。死刑。死罪。○皆除死 すべて死を免ぜられ。


遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
左遷された者はもとへもどされ、流された者は還され、加えられた恥辱をすすぎ、百官の仲間に加わって朝廷に参上した。
○遷 左遷された者。○追回 もとへもどされ。○流者還 流された者は還される。○滌瑕 加えられた恥辱をすすぎ。○盪垢 垢を洗い落とす。○清朝班 百官の仲間に加わって朝廷に参上した。


州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2
だが私の場合は、州の刺史は名前を上申してくれたのに湖南観察使がおさえてしまい、運の悪いことに蛮俗の土地である江陵へ移ることができただけだった。
州家 州の刺史○申名 名前を上申する。○使家抑湖南観察使がおさえる。○坎軻 いきなやむ。不遇なこと。○隻得 ただ一つだけ得る。○移荆蠻 蛮俗の土地である江陵へ移る。

中唐詩-279 八月十五夜贈張功曹 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34

中唐詩-279 八月十五夜贈張功曹 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-34
(八月十五夜張功曹に贈る)

八月十五夜贈張功曹
仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。
1
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
昨者州前捶大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。
赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。
遷者追回流者還,滌瑕盪垢清朝班。
州家申名使家抑,坎軻隻得移荆蠻。―2

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。
同時輩流多上道,天路幽險難追攀。』
君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他。有酒不飲奈明何。』―3
  

江陵は現在の武漢市より少し西の長江沿いにあって、この地方では大都会にちがいないが、やはり都を遠く離れた蛮夷の地である。法曹参軍というのは府の司法関係の事務を扱う役人で、官僚にはちがいないが、最末端に属する低い地位である。つまり愈は、流罪は解かれたわけだが、都へ帰ることは許されず、低い地位の地方官として田舎町に勤務しなければならなくなったのである。愈はこの命令に不満だったらしいが、いったん命令が出された以上、ありがたくお受けしないわけにはいかない。まして彼はもう罪人ではなく、身分が低いとはいえ地方官の一人なのである。今までの陽山県令の肩書は流罪に際して形式的に授けられたもので、法曹参軍は県令よりも地位が低いとはいうものの、勤務地が格段に都から近くなったのだし、罪人の扱いはもはや受けないのだから、これで満足としなければならぬのであった。


(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。
#2
牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。
昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。
赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。
遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。
州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。
#3
判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。
同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。
君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。
一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

韓愈の地図03


現代語訳と訳註
(本文)

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

(下し文)(八月十五夜張功曹に贈る)#1
繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。
沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。
君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。
洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。
十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

(現代語訳)
仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。


(訳注)
八月十五夜贈張功曹

仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。
「張功曹」は803年暮、3人流罪にされたうちの張署である。中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。
これら参軍の職をひっくるめて判司と呼び、罪があれば鞭や杖で叩かれるお仕置きを受ける。高級官庶の場合は身分を重んじて、流罪とか左遷、革職(官職剥奪)、あるいは自殺を賜わるなどの処罰はあるのだが、叩かれることはない。判司はいちおう高級官原の末席には連なるのだが、扱いは高級職と下級職との中間にあるのであった。張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのであろう。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地がなかなか命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものなのであろう。

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
細い筋のような雲が四方の空に巻き、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月影は波の上にひろがりうつしている。
纖雲 細い糸の雲。筋雲。○四卷 糸巻きのように四方の空を巻く。


沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
川岸の砂は平らに流れの音もやみ、物音も物の姿も絶えたとき、一杯の酒を君に勧めたら、君は歌を歌ってくれ。

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
君の歌はむせぶ様な痛ましいし調べと歌詞も哀しく、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる
聲酸 辛い、痛ましい、むせぶ様な調べ。


洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。
九疑 九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。


十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1
私は九死に一生を得て転任先、配所の郴州に着いたが、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんでいるばかりで、まるで逃げ隠れしているようだった。

中唐詩-277 宿龍宮灘 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-33

中唐詩-277 宿龍宮灘 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-33
(竜宮灘に宿す)

 徳宗崩御の報せがいつ陽山にとどいたのかはわからない。その年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。
大赦令が出たという情報などは、一般的なものと異なるため、早い段階でしらされる。当然、陽山の韓愈のもとにもすぐとどけられた。
それが届けられると陽山の県令でいることの意味はなくなってくる。韓愈は、次の任地がどこかわからないと動きようがない。
しかし、流罪というものがなければ次の認知の報せまで、ゆっくりその地で待つものであるが、流罪を解かれているのであるから、その場にいることの意味がないので、805年永貞元年の夏ごろにになって、陽山を出て、北へと峠を越えて湖南の地に入り、郴州という町に滞在して命令が来るのを待ち受けることとしたのだ。

韓愈の地図03

宿龍宮灘
竜宮灘というところに宿泊する。
浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。
奔流疑激電,驚浪似浮霜。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。
夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。
如何連曉語,一半是思鄉。
嬉しくて仕方がないのだ、どうしたものか、夜明けまで語り続ける言葉の半分がふるさとを思うものになってしまうのだ。

(竜宮灘に宿す)
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。
ishibashi00

 
 二月に報せが来て、当時の慣例で、流罪による県令の命をまず返上しなればならない、早速韓愈は辞表の提出をしている。
 書して韓愈は、一刻も早く赦免の使者に会い、都に帰りたいと思っていたのであろう。陽山と郴州との間には南と文化をくっきりと分ける五嶺山脈がある。ここの山越えは難儀ものであったから、陽山への赴任の折には別の容易なルートで来ている。湘江を南下しそのもっとも源流である臨武という町に入り、そこから陽山に赴いている。やはり一刻も早く次の任地先へ行きたかったのであろうということが、北への旅を開始さぜたものであった。


現代語訳と訳註
(本文)
宿龍宮灘
浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
奔流疑激電,驚浪似浮霜。
夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
如何連曉語,一半是思鄉。

(下し文) (竜宮灘に宿す)
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。

(現代語訳)
竜宮灘というところに宿泊する。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。
眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。

(訳注)
宿龍宮灘

竜宮灘というところに宿泊する
龍宮灘 陽山の郊外にある地名である。たぶん川底に竜が住むなどという伝説があって、この名がついたのであろう。灘とは川、が激流になっている交通の難所。○川岸で一夜を明かし、この詩を作ったのである。


浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。

奔流疑激電,驚浪似浮霜。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。

夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。

眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。


如何連曉語,一半是思鄉。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。
嬉しくて仕方がないのだ、どうしたものか、夜明けまで語り続ける言葉の半分がふるさとを思うものになってしまうのだ。
○韓愈に随って従者が数人以上おおくいる。すべてのものが異習慣の地を去ることに喜びを感じないものはなかったはずである。嬉しさあふれる感情を表に出した無感情の儒者、韓愈の中では珍しい良い作品である。真夏の暑さを滝のように流れる場所に宿したというのもよく表現されている。

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中唐詩-276 題木居士二首其二 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-32

中唐詩-276 題木居士二首其二 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-32


韓愈は王伾、王叔文の急進改革に反対であった。彼は保守派に所属していた。王伾たちからは敵側と見られていたし、宦官の暗躍が問題になり始めていた。
韓愈の書き残したものを読むと、たしかに政治的に革新派であったとは思えないが、かといって徳宗時代の「弊政」の保守派を擁護しょうとする態度は見られないのは、儒者の特徴かもしれない。しかも王伾の一派で相当の重要人物である柳宗元や劉南錫は、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属してもよかったはずであるが、現実にはそうでないはかりか、反感すらもっていたのである。人の行動、考え方を儒者の目で見るところは、ある意味革新性はなく、仁徳を重んじる復古主義へつながるものである。この詩「其一、其二」も儒者の考え方を示すものである。
韓愈の地図03

題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


題木居士二首  其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


徳宗崩御のしらせがいつ陽山にとどいたのかはわからない。都ではその年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。ただしこれは一般的な処置で、個々の人については、朝廷からあらためて沙汰の下るのを待たなければならない。
大赦令が出たという情報も、当然陽山までとどいたはずであるが、これもいつのことかはわからない。とにかく韓愈は、その情報をつかんで間もなくのことと思われるが、次の任地がどこかわからないが、流罪を解くという赦免状がとどいていたので、805年永貞元年の夏ごろに陽山を出て、来た道を逆にたどった。北へと峠を越えて湖南の地に入り、榔州という町に滞在して彼自身についての命令が来るのを待ち受けた。


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現代語訳と訳註
(本文)
題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


(下し文) 題木居士二首其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


(現代語訳)
神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。


(訳注) 題木居士二首
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。

神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
○詎比 比べものにはならない。詎は反語。○溝中断 どぶ中にすてられた木の切れっぱし。「荘子」天地篇に 「百年之木,破為犧尊,比溝中之斷,則美惡有間矣,其於失性一也。」(百年の木、破【わか】って犧尊【みきどつくり】と為し、青と黄ぬりて之を文【かざ】る。其の断【のこ】りは溝の中に在り。犠尊を溝の中の断【きれはし】に比ぶれぱ、即ち美しきと悪【みにく】きと間【ちが】い有れども、其の性を央しなうに於いては一なり。」とあるにもとづく。○還 やはり。これもまた。○爨下餘 めしたきの薪の余り。「後漢蔡邕在吳,有燒桐以爨者,聞火烈之聲,知其良木,因裁為琴。」後漢の蔡邕(132-192年)が、桐をたきぎとしているのを見ていたが、そのもえぐあいから、その桐が良質であるのを知り、もえ残りを用いて琴を作ったところ、はたして名器「焦尾琴」(しょうびきん)となったという故事にもとづく。


朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。
朽蠹 朽ちて虫が食っている。○不勝 できない。それに持ちこたえるだけの力がない。○匠人 大工。指し物師。


気の早いことをしたものである。当時の慣例では、官僚の異動に際し、いちおうそれまでの職の辞表を提出し、それが受理されてから、次のポストの辞令が下されることとなっていた。恵は形式上は陽山県令の肩書をもっているので、都に帰るとなれば、県令の辞表を提出し、一時的に無位無官となる必要がある。だがそれも、赦免状を持った使者が陽山に来てからでよいはずであった。流罪を解かれるのが既定の事実になっているからよいようなものの、本来は勝手に配所を離れるのは御法度のはずで、この点はもう大赦令が出された以上、大丈夫との見通しが立っていたのであろう。
おそらく恵は、一刻も早く赦免の使者に会い、都に帰りたいと思っていたのであろう。陽山と那州との間には五嶺と総称される山脈があって、ここの山越えは難儀には達いないが、南方のことだから冬でも寒さのために遭難といったケースは、めったにない。こちらから山を越えて得たねはならぬ必要には乏しいと思われる。やはり一刻も早く使者に会って、赦免の命令を耳にしたいという心が、北への旅を開始させたのであろう。

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中唐詩-275 題木居士二首其一 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-31

中唐詩-275 題木居士二首其一 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-31

順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに45歳で、薬物中毒の可能性が高いのだが、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王佐・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。

徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の垂断をはかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。


題木居士二首其一
火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
偶然題作木居士,便有無窮求福人。

誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。

木居【もっこ】士に題す 二首 其の一
火の透【とお】り波の穿【うが】って春を計らず、根は頭面の如く榦は身の如し
偶然に題して木居士と作【な】せば、便【すなわ】ち窮【きわ】まり無く福を求むる人有り。


結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。


韓愈の地図03


現代語訳と訳註
(本文) 
其一
火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
偶然題作木居士,便有無窮求福人。

(下し文) 木居【もっこ】士に題す 二首 其の一
火の透【とお】り波の穿【うが】って春を計らず、根は頭面の如く榦は身の如し
偶然に題して木居士と作【な】せば、便【すなわ】ち窮【きわ】まり無く福を求むる人有り。


(現代語訳)
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。


(訳注)
題木居士二首 其一
題木居士 木居士を題にしてよんだ詩。題とは、あるものを題にして詩にしてよみ、そのものに書きつけるのが通例であるが、ここは、おそらく書きつけたのではあるまい。木居士は、木の羅漢さま。彫刻刀で掘ったものではなく、自然に羅漢さまのかっこうをしているのである。居士は、在家のまま仏教の修行をしている人。この木居士は、湖南省耒陽県の北少こし離れた鼇口寺に祭られてあったという。805年永貞元年、韓愈38歳の夏を過ぎたころ、広東者の陽山県から湖南者の郴州に出て、転任命令を待っているときの作。木像を神として幸福を祈る人たちに対する風刺詩である。


火透波穿不計春,根如頭面榦如身。
野火が通りぬけ川波が穴をうがちつつ幾とせ経たであろうか。根は頭や顔のようで幹はからだのようだ。
火透 野火○波穿 川波が巌の穴をうがちつつ○不計春 春は、年というのとほぽ同じ。巌の穴を穿つのにとても長い時間の経過がある。


偶然題作木居士,便有無窮求福人。
誰呼ぶこともなく何かの機会で木の羅漢さまだと名づけられたのだろう、その木偶人形に御利益を求める人が限りなくいるものだ。
便 そうすると。○求福人 人は幸福を求めている。御利益を求める。御利益があったから人はまた求める。偶然から始まったものであっても、その後の世には、仏様となっている。

 


徳宗崩御のしらせがいつ陽山にとどいたのかはわからない。都ではその年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。ただしこれは一般的な処置で、個々の人については、朝廷からあらためて沙汰の下るのを待たなければならない。
大赦令が出たという情報も、当然陽山までとどいたはずであるが、これもいつのことかはわからない。とにかく韓愈は、その情報をつかんで間もなくのことと思われるが、次の任地がどこかわからないが、流罪を解くという赦免状がとどいていたので、805年永貞元年の夏ごろに陽山を出て、来た道を逆にたどった。北へと峠を越えて湖南の地に入り、榔州という町に滞在して彼自身についての命令が来るのを待ち受けた。
天台山 瓊臺
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中唐詩-274 酔後 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-30

中唐詩-274 酔後 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-30

kairo10680

次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。私はただこの傷を源ぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。嵩山を切りひらいて山小屋を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。こうしてお上の租税はきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと村人たちに誘いをかけよう。心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからはがんぜない娘をあやして楽しもう。今となってほ望むところはこれだけだ。息子の嫁とり、娘の嫁入りがすむのを待つ必要がどこにあろうか。

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。恵は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。

この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで恵も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

即位期間 786-804 徳宗  (韓愈 19歳―37歳)
  〃   805-805 順宗  (〃   38歳    )
  〃   806-820 憲宗  (〃   39歳―53歳)

もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王伾・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の壟断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。

結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。


酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
淋漓身上衣、蘇倒筆下字。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生如此少、酒購且勤置。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。

(酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。


現代語訳と訳註
(本文) 酔後

煌煌東方星、奈此衆客酔。
初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
淋漓身上衣、顚倒筆下字。
人生如此少、酒購且勤置。


(下し文) (酔後)
煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。
初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。


(現代語訳)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。


(訳注) 酔後
煌煌東方星、奈此衆客酔。

(煌煌【こうこう】たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【いかん】せん。)
今、きらきらと東の空に希望の龍の星が輝いているというのに、この客たちは何を考えているのだろう、この酔いぶりはどうしようもない。
○煌煌【こうこう】きらきらと輝くさま。明るく照るさま。○東方星 五行思想では東方の色は青だったので、青龍と呼ばれた。そこにインドから仏教とともにナーガーラジャ(蛇神)が伝来し、これが龍王と翻訳されたことから、龍王という呼び方が定着したという。皇帝が没し、順宗が即位し、新しい希望持つことを、東方で表し、万物の生まれ成長していく原点が東方にある。


初喧或忿爭、中静雜嘲戯。
(初めは喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。)
始めは大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあるが、中ごろは静かになってきた、女をからかう者も戯言をするものが出てくるのだ。
初喧 始めは大声をだし、騒がしくする。○忿爭 て喧嘩をする者もある。○中静 宴の中ごろは静かになってきた。○雜嘲戯 戯言、女をからう、酔いの勢いに乗って混じり合うさま。


淋漓身上衣、顚倒筆下字。
(淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。)
一生懸命で上着のからだにつけている着物はびっしょりぬれている、本来なら筆を持つ手がスラスラ行くはずなのに、字が傾いてうまく書けないのだ。
淋漓 したたるさま。元気や筆勢などの盛んなこと。 杜甫『奉先劉少府新畫山水障歌』「反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。」(反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。)顚倒 上句に淋漓があり、下句に筆が来ると筆の運びの勢いが盛んなことである。○上衣 からだにつけている着物。


人生如此少、酒購且勤置。
(人生 此の如きこと少なり、酒は賎【やす】し、且【しばら】く勤めて置け。)
人生にはこんなに酔ってしまうことはめったにないことでここだからできるというものだ。酒も安いことだ、できる限りこの場をそのままにしておこう。


当時朝廷を勝手気ままにしていた連中は、王伾・王叔文の一党であった。徳宗の末期には、不可解な事件が多く多くの文人が左遷されている。この詩で東の空に輝く星とは、東宮にある皇太子、後の憲宗をさす。
順宗は779年に立太子され、805年に徳宗の崩御により即位した。王叔文を翰林学士に任じ、韓秦、韓曄、柳宗元、劉禹錫、陳諌、凌准、程異、韋執宜ら(二王八司馬)を登用、徳宗以来続いていた官吏腐敗を一新し、地方への財源建て直し、宦官からの兵権を取り返そうとするなどの永貞革新の政策を行なっているが、即位して間もなく脳溢血に倒れ、言語障害の後遺症を残した。さらに8月には宦官の具文珍らが結託して皇帝に退位を迫り、即位後僅か7ヶ月で長男の李純に譲位し、自らは太上皇となった。翌年に47歳で病気により崩御したが、宦官によって殺害されたものであった。

中央では、このような状況の中、韓愈は、牧歌的な地域の県令であり、何の手の施しようもなかった。詩のなかには制作年代を推定させる言葉が一つもないが、韓愈がこの詩を書ける時期として、陽山しかないのである。陽山での作に入れられているのは、このためである。


とにかく、このように、韓愈は王伾・王叔文の改革に反対で、保守派に所属していたから、王伾たちからは敵側と見られていた。韓愈の書き残したものには、政治的に革新派であったとは思えるものはない。
しかし、徳宗時代の「弊政」を擁護しょうとする態度もまったくない改革、革新性のない儒者なのである。王伾の一派には柳宗元や劉禹錫がおり、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属すことができる可能性はあったが、王伾に対しては反感すらもっていたのである。


この詩の頭に「煌煌東方星」とあるのは、家臣たちの政治で左右されるものではなく、天子の徳に期待を持っていることをあらわしている。
五行思想では龍は東方を表して虎は西方を表し、また龍は水との縁に因んで北方を代表する動物として、虎は猛火を例えて南方を代表する動物として考えられている。龍と虎を描いて天下統一の思想と世界全体を表して用いられている。

木・火・土・金・水」の五元素によって自然現象や人事現象のいっさいを解釈し説明しようとする思想を五行説とよぶ。すなわち、あらゆる .... 東方は、太陽が昇る方向、南方は暑く、西方は白く輝く山々が有り、北方は冷たい地方とつながる。そして中央には、黄土に

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中唐詩-274 縣齋有懐 #8 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 

中唐詩-274 縣齋有懐 #8 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 


縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
官租日輪納、村酒時邀迓。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。



現代語訳と訳註
(本文) #8

禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。


(下し文)
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


(現代語訳)
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。


(訳注)
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
禾麦 イネと麥。多くは細長い葉をもち、花は花弁がなく二枚の 苞 ( ほう ) でつつまれている。イネ・ムギ。アワなどの穀類や、ススキ・アシなど。 【禾】のぎ. イネ・ムギなどの実の外殻にある針状の突起。のげ。 「芒」とも書く。○梨棗【りそう】なしとなつめ。杜甫『百憂集行』
憶年十五心尚孩、健如黄犢走復来。
庭前八月梨棗熟、一日上樹能千迴。
即今倐忽已五十、坐臥只多少行立。
強将笑語供主人、悲見生涯百憂集。
入門依旧四壁空、老妻覩我顔色同。
痴児未知父子礼、叫怒索飯啼門東。 


兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
雀鼠 芭蕉「 雀子と声鳴きかはす鼠の巣. 」(すずめごと こえなきかわす ねずみのす).農山村における平穏な生活をあらわす語。○駆嚇 駆はおいはらう。はしる。せまる。嚇はしかる、おどしつける。


官租日輪納、村酒時邀迓。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
官租 租税○日輪 太陽。ここでは、季節の廻ることをいい、収獲からそう遅くない日が決められているそれを守るということをあらわす。○邀迓 招き迎える。邀と迓、どちらも迎えることをいう。邀は待ちむかえることで、迓は出迎える。


閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
閑愛 「閑」「幽」「獨」など隠遁者の基本。○老兵愚 老農の愚直さ。○歸弄小女奼 この表現は儒者の愚直な生活と対比させて面白い。


如今便可爾、何用畢婚嫁。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
如今【じょこん】現在。ただいま。『史記、項羽紀』「如今人方爲刀爼、我爲魚肉。」

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。

この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。


もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王佐・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。
徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の垂断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。
結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。

中唐詩-273 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #7

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-273 縣齋有懐 #7 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29-7

1
縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 
5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
嗣皇新繼明、率土日流化。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。

嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。


現代語訳と訳註
(本文) 7

指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。


(下し文)
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。


(現代語訳)
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。


(訳注)
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
○睢肝 小人のよろこび媚びる様子。にらみ廻して、のさばり歩く。知を求めて見聞に努める。○猜訝 猜はおそれる。きらう。うたがう。訝はむかえる。疑い怪しむ。驚く。


秖縁恩未報、豈謂生足藉。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
恩未報 先帝の死去に伴う御恩報じがまだすまぬ  


嗣皇新繼明、率土日流化。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
嗣皇 次の皇帝。○新繼明 新たに聖明の徳を継承されること。○率土 国のすみずみまで。


惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
滌瑕垢 傷や垢をきれいに濯ぎたい。○事桑柘 隠遁生活のこと、隠遁者は桑、麻、瓜、黍、などの表現が常套語。 


斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。
○雲扃 雲のかんぬき、戸口。○頴 穎水。○風榭 内室のないお堂、道場のような建物。榭は屋根のある台。

中唐詩-272 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #6

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-272 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #6


湖波翻日車、嶺石坼天罅。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

天台山 瓊臺

現代語訳と訳註
(本文)

湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。

(下し文)
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。


(現代語訳)
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。


(訳注)
湖波翻日車、嶺石坼天罅。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
○湖波 洞庭湖の波は怒涛坂巻○日車 太陽の運行○嶺石 横嶺の巌石○天罅 天空に裂け目を探るかのようにそそり立つ。


毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
○毒霧 瘴癘のこと。マラリアが蚊によって媒介されることは後世のことでこの頃は、高温多湿のせいとされていた。○薫晝 いつも立ちこめ○焼夏 夏ごとにすべてを焼きつくす。


雷威固己加、颶勢仍相借。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
すさまじい雷が鳴っているうえに、激しい風が加わって力を借しているのだ。
○雷威 すさまじい雷が鳴っている○颶勢 激しい風○相借 加わって力を借している。


氣象杳難測、聾音吁可怕。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
○杳 よくわからない。ぼんやりしている。○難測 苦労して予測する。○可怕 おそろしいこと。 


夷言聴未慣、越俗循猶乍。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。
○夷言 異民族のことは。方言。○越俗 南国の風俗。五嶺山脈を南に越えると異民族の国とされた。○猶乍 


異俗二首其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-73


異俗二首其一
鬼瘧朝朝避、春寒夜夜添。
未驚雷破柱、不報水齊簷。
虎箭侵膚毒、魚鉤刺骨銛。
鳥言成諜訴、多是恨彤襜。
其 二
戸盡懸秦網、家多事越巫。
末曾容獺祭、只是縦猪都。
點封連鼇餌、捜求縛虎符。
賈生兼事鬼、不信有洪爐。

中唐詩-271 縣齋有懐 #5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29ー5

縣齋有懐 韓愈(県斉にて懐い有り)
中唐詩-271 縣齋有懐 #5 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 

名聾荷朋友、援引乏姻婭。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。

朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。

寒空聳危闕、暁色曜脩架。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
荒誠職分、領邑幸寛赦。

都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。

「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。


現代語訳と訳註
(本文)

名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。

寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。


(下し文)
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。


(現代語訳)
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。


(訳注)
名聾荷朋友、援引乏姻婭。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
 おかげよるものである○援引 出自血縁。○姻婭 姻戚関係の手づるによ



雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
 参事すること。○彤庭臣 赤きお庭に立つことができる監察御史をしめす。○靑冥靶 青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達



寒空聳危闕、暁色曜脩架。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
危闕 高い宮殿の門。○脩架 長い軒の棟木。普段は日陰なのに下から光が当たること、不吉なこと、初めての経験をイメージする語である。 



捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
辰在丁 五行思想で南方・「火」をあらわし、流罪の広東の陽山を示す。実際には、陽山の県令である。○鎩翮 翼をもがれた。観察御史は韓愈は意気に感じて仕えていたことをあらわす。



投荒誠職分、領邑幸寛赦。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。
投荒 都を遠く離れた地方へ追いやられる○領邑 県令の身分を与えられ○寛赦 寛大な処置にめぐりあった幸運


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中唐詩-270 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #4

中唐詩-270 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #4

縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。

#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。

汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
兩府變荒涼、三年就休暇。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

韓愈の地図03

現代語訳と訳註
(本文)

大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。

(下し文)
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

(現代語訳)
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。


(訳注)
大梁従相公、彭城赴僕射。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
○大梁 796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であった。何軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言し宜武軍は混乱から立ち直った。この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。○相公 宣武軍節度使の幕府の董晋のこと。○彭城 徐州(彭城)へ帰ったのは、880年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩を作っている。○僕射 中国の官名。戦国時代には各政府 、僕射という名称は尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。 隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。


弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
○弓箭 弓と矢。弓矢。 2 弓矢を取る身。武士。○狐兔 きつね、うさぎ。○絲竹 絲は弦楽器。竹、笛の楽器。○羅酒炙 宴会に酒や肉をならべたもの。


兩府變荒涼、三年就休暇。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
○兩府 宣武軍節度使の董晋の幕府と死んだ後の幕府。○荒涼 叛乱があり統治が乱れた。○三年 798―800年官を退く。足かけ三年。中国では経過年では表現しない。○休暇 お暇をいただく身の上となった(浪人となった)


求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
○求官 官を求める。○東洛 東の都の洛陽○犯雪  ○西華 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳。


塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。
○塵挨 世俗、世間。舞い立つほこり。○紫陌春 長安の東西の大道の裴景色。○風雨 春の長雨。○霊臺夜 汴州で反乱がおこり、陳西省都県の霊台で足止めをされた。

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中唐詩-269 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #3

中唐詩-269 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #3


縣齋有懐  #3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。


796年董晋の招きで宣武軍節度使の幕下に。
797年病気休職
798年董晋死歿。汴州の乱。
汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6

此日足可惜贈張籍 唐宋詩-207Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7-#1

忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


800年五月幕職を退く。
歸彭城 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-23



801年身言書判科を受験落第。
將歸贈孟東野房蜀客 韓愈 唐宋詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

山石 #1(全3回) 韓愈 唐宋詩-226 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-24



802年四門博士に任官。すぐ休暇を取って洛陽に行き、華山を遊覧。

803年7月四門博士を退任。7月監察御史。
中唐詩-262 落歯#1 四門溥士Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27


   12月陽山令に左遷。

804年2月陽山着任
中唐詩-265 湘中 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29


805年陽山県の書斎で作る。

中唐詩-267 縣齋有懐 #1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29


   8月恩赦。法曹参軍事を受け、江陵へ。

現代語訳と訳註
(本文)

冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。

(下し文)
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。


(現代語訳)
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。


(訳注)
冶長信非罪、侯生或遭罵。

冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
公冶長 春秋時代の人。字 (あざな) は子長。孔子の門人で女婿。鳥の言葉を解したという。生没年未詳。○生 魏の公子信陵君と食客としてむかえた侯嬴の故事で、侯嬴は失礼な爺だと皆は蔑まれたが、信陵君の器量に感動した。これが噂となって、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まった。


懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
 長安城の東の門があり、春明門を出るとます杜陵を水源とした滻水を渡り、その後街道駅の起点となる㶚陵橋には藍田終南山を水源にした㶚水がある両河川は長安東を北に下り渭水に合流する。

長安と何将軍

身將老寂寞、志欲死閑暇。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。


朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。


軍書既頻召、戎馬乃連跨。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。

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