漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2012年06月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#2>Ⅱ中唐詩359 紀頌之の漢詩ブログ1156


83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。
其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。



現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其二

近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。


(下し文)(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんき】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


(現代語訳)
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。


(訳注) #2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
・李杜 盛唐詩人李白701~762、杜甫712~770年のこと。無檢束 だらしのないこと。・爛漫 春爛漫。・長醉 よいどれること。・多文辭 多く詩文を作ること。


屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
屈原 前343-278春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。離騒二十五 強烈な愛国の情から出た詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された詩篇25作をいう。
不肯鋪畷槽与鴨 漁父曰、「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」漁父曰く、「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たれしむるを為すや」と。
老漁師は言った。「聖人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるのです。世の人がみな濁っているならば、なぜ(ご自分も一緒に)泥をかき乱し、その濁った波を高くあげようとしないのですか。人々がみな酔っているなら、なぜ(ご自分も)その酒かすを食べて、薄い酒を飲もうとしないのですか。どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自ら追放されるようなことをなさるのですか。」といったが、屈原は「世間が酔ってもわたしは醒めている」といった話がある。
不到聖処 魏の時代に禁酒令が出ると濁酒を賢人、清酒を聖人という隠語がはやった。竹林の七賢人、建安の七賢人をいう。これと「漁父辞」の聖人とをひっかけて、酒の味もわからず聖人にもなれぬ奴、というのだ。


惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
癡(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。 仏教で人間の諸悪・苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根のひとつ。


幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
堯舜 古代の聖人、三皇五帝。・明四目 四方の事物に対して正しい観察力と判断力をもっていること。・條理 ものごとのすじみち、道理の論理が整っていること。判断の基準。・品彙【ひんい】品定め。種類別にまとめたもの。分類。分析力。


平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。
酩酊馬上 山簡の故事に基づく。山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 
 


感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153

感春四首 其二(2) 韓退之(韓愈)詩<58-#1>Ⅱ中唐詩358 紀頌之の漢詩ブログ1153



83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84 感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。

(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。

#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86 感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。



84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

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現代語訳と訳註
(本文)
感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(下し文)
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。


(現代語訳)
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。


(訳注)感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
皇天平分 春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。『楚辞』に「皇天は四時を平分す」という句が見える。○四時 春夏秋冬の四季。四運。朝、昼、夕、夜。浄土教、禅宗の時の考え方。一般的には五行思想であった。 ○春氣 四季のうちの春の気。その気が、他の気、夏、秋、冬など別のの気を兼ねて受けもつことはいけないこと、悲しむべきことする。○漫誕 すずろに。とりとめなく。


雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
・白日匪上傾天維 白く輝く太陽のいる座に天のカーテンが煩く。日なたもかげる。
留不待 花の散ってゆくのを留めることはできない。


蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。


豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
豈如秋霜雖慘冽 秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが。
摧落老物誰惜之 ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。


為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
為此 ゆく春のために。○徑 ただちに。○自外天地 自分で天地の外に出ていって。○棄不疑 天地を棄ててしまい、そのことに疑問ももたない。

感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150

感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150

806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。『早春雪中聞鸎』(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それを鶯に言い訳しているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ない。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。



83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。

(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。

#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。
#2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。




感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し。
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。



現代語訳と訳註
(本文)

感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。


(下し文)
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。

(現代語訳)
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。


(訳注)
感春四首 其一

・感春四首 底本巻三。杏花と同じころの作。


我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
所思 思う対象。・兮 韻文の語句の中間につけて意気のあがる勢いを示すまたは末尾につけて一時語勢をとどめ調える。訓読では読まない。詩経、史記、老子など古い詩には多く出る。韓愈は復古主義であるから多く使う。
情多地遐兮編処処 人生のこと、詩文のこと、どこでもぎろんをたたk愛すべきひとはたくさんいる、ただ遠いところにいるだけなのだ。遠いところになら、あちらにも、こちらにも、いっぱいいる。


東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。


春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
春風吹園雜花開 都から朗報をさびしく待つ、孤独なわたしにはかかわりなく、春風は園に吹き、さまざまの花がさきみだれ、万物を成長させるが、私はここで埋もれてしまうのか、 という程度の意味。


三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
三杯取酔不復諭、一生長恨奈何許。 酒を呑む度に理不尽な罪を着せられ、永嘉に流され、恩赦で罪を説かれたとしても元の地位さえつけてくれない。こうした怨み、長恨を酒を傾けるごとに長々と論じている。三杯の酒は酔うほどにわからなくなり、同じことの繰り返しであったり、論理が、滅裂になったりする。この自分の人生どうしたらいいのか、隠遁したら、自分の意見を、仲間と戦わしてきた正論を進めることはできない。このジレンマどうにかしてくれ。同時期に作った韓愈『早春雪中聞鸎』(早春雪中に鶯を聞く)と詩の内容は同じである。
朝鸎雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147

早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147
254早春雪中聞鸎(早春雪中に鶯を聞く)

806年早春江陵府法曹参軍亊の時作る。

早春雪中聞鸎
朝鸎雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
   
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
   
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。


(早春雪中に鶯を聞く)
朝鸎【ちょうおう】雪裏【せつり】に新なり、雪樹【せつじゅ】眼前の春。
澀【じゅう】を帯びて先づ気を迎へ、寒を侵して己に人に報ず。
共に解る 初めて聴きしことの早きを、誰か貴ばむ後に聞くことの頻なるを。
暫く囀【さえず】るも那んぞ曲を成さむ、孤鳴【こめい】豈に辰【とき】に及ぼむや。
風霜に徒に自ら保たむも、桃李 詎【なん】ぞ相親まむ。
寄謝す 幽棲【ゆうせい】の友、辛勤【しんきん】するは身の馬ならず。


現代語訳と訳註
(本文)

朝鶯雪裏新,雪樹眼前春。
帶澀先迎氣,侵寒已報人。
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
風霜徒自保,桃李詎相親。
寄謝幽棲友,辛勤不為身。

(下し文) (早春雪中に鶯を聞く)
朝鸎【ちょうおう】雪裏【せつり】に新なり、雪樹【せつじゅ】眼前の春。
澀【じゅう】を帯びて先づ気を迎へ、寒を侵して己に人に報ず。
共に解る 初めて聴きしことの早きを、誰か貴ばむ後に聞くことの頻なるを。
暫く囀【さえず】るも那んぞ曲を成さむ、孤鳴【こめい】豈に辰【とき】に及ぼむや。
風霜に徒に自ら保たむも、桃李 詎【なん】ぞ相親まむ。
寄謝す 幽棲【ゆうせい】の友、辛勤【しんきん】するは身の馬ならず。


(現代語訳)
早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。


 (訳注)
早春雪中聞鸎

早春、まだ雪がある中、鸎のこえを聞く。 
・鸎 ウグイス黄莺コウライウグイス.莺歌燕舞 yīng gē yan wǔ《成》(鴬が歌い燕が舞う>)すばらしい春の景色(のような状勢)を形容.


朝鶯雪裏新,雪樹眼前春。
朝になってうぐいすが庭中の雪のなかではじめて鳴いた、雪をおく樹々に春は目の前ということを知らせてくれる。
雪裏 雪の中で。


帶澀先迎氣,侵寒已報人。
鶯も鳴き初めで、渋みを帯びた声ではあるが、まずその早春の気を迎えるのだ、寒さをおかしてくれて、人に春をつげ知らしてくれたのだ。
帯渋 声がまだ十分なめらかでない。・報人 人に春をつげ知らす。

   
共矜初聽早,誰貴後聞頻。
人々はともに初めて聞きくこと早春であることを ほこりにしあっている、後から聞いたのではなんど聞いたところで誰が貴いものと思うであろうか。


暫囀那成曲,孤鳴豈及辰。
けさは暫く鳴いていたが、あれで一曲歌ったことにはなっていたのだろうか、ひとりで鳴いていたけれど、 うまく時節に合っているのだろうか、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるというものだ。
孤鳴隻及辰 うぐいすも、他のうぐいすと競いあってこそ歌声が洗練されるのだ。孤独を守っていては、人々が聞いてくれようという時になっても、うまい工合にうたえず、せっかくのチャンスを失ってしまいはしないか。ことに、文学や芸術というものは、人に誉めそやされてこそ豊艶な光を放つようになるのだ。
   

風霜徒自保,桃李詎相親。
風霜に耐えて自分自身をきびしく保つのもいいのであるが、春の盛りの桃やスモモとどうして互いに仲よくなれるというのであろうか
風霜徒自保 風霜の中でひたすら我慢して、自らを保つのはむだなことだ。・桃李 人々にしたわれるもの。春の盛り桃李に、その時になって急にものを言ったとしてうまくゆかないというのである。


寄謝幽棲友,辛勤不為身。
君にだけにひとこと言わせてもらうのを許してもらいたいことだが、静かに隠棲して友と過ごしたいということを、辛い勤めに励むのも身のためばかりじゃないのだ。
不為身 自分の身のためにするのではない。自分の地位を高めれば、人々が注目してくれ、意見も聞いてもらえるようになろう。そうすればわれわれの理想が実際にうつされやすくなるだろう。それが、世の人々に、より多く貢献することになるのではないか。そしてその窮極が隠棲するということになる。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(5) 韓退之(韓愈)詩<55-#5>Ⅱ中唐詩355 紀頌之の漢詩ブログ1144

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(5) 韓退之(韓愈)詩<55-#5>Ⅱ中唐詩355 紀頌之の漢詩ブログ1144


805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくった。
805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。


大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


現代語訳と訳註
(本文)

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。


(下し文)#5
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


(現代語訳)
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


(訳注)
大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
 廈:おおきな家。寄棟の家。
巨川楫行剡 『書経』商書説命「若済巨川、用汝作舟楫。」(若し巨川を済らば、汝を用で舟楫と作さむ)殷の高宗が、夢に傅説を見、彼を得、彼のことを、巨川を渡るときの楫、日照りの時の霖雨に喩えた『書』説命上「若濟巨川、用汝作舟楫、若歳大旱、用汝作霖雨」とあり『易経』繋辞下伝に「蓋帝尭舜垂衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、刳木為舟、剡木作楫、舟楫之利、以済不通、致遠以利天下、蓋取諸渙」(木を刳【えぐ】りて舟と為し、木を剟【けず】りて楫と為し、舟楫の利、以て通せざるを済し、遠きを致して以て天下を刺す)とある。、「黄帝や尭舜が衣裳を垂れたまま、ことさらの作為も施さずに天下が無事に治まったのは、おそらく乾坤の卦(乾坤は天地、天地の変化は無為自然)から思いついたことであろう。また木を刳り抜いて舟をつくり、木を剡(けず)って楫をつくり、これら舟と楫の便利さによって、今まで通れなかった水上に人を渡し遠方にまで行きつけるようにして天下の人々を利したのは、おそらく渙の卦(坎下巽上、坎は水、巽は木、すなわち水上に浮かぶ木の象)から思いついたことであろう。つまり楊常侍が今や巨川をわたす舟の楫としての信頼をうけ政治家としての仕上げのけずりをうけている人だ、ということ。
 

經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
遊宴固已歉 わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。・ (1) 凶作,不作歉年凶年.(2) すまないと思う気持ち,遺憾(い/かん)の意抱歉申し訳なく思う.歉疚 ]気がとがめる,良心がうずく.歉收 凶作に見舞われる
 

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
荏苒【じんぜん】なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。


平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
柔翰 墨をしっかりふくませた筆。
頻染 しきりに書きつける。


輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。
曙燈青睒睒 睒睒はひかりかがやくさま。眠りが浅く淡々と夜が明けていく表現に使われる。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(4) 韓退之(韓愈) 詩<55-#4>Ⅱ中唐詩354 紀頌之の漢詩ブログ1141

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(4) 韓退之(韓愈) 詩<55-#4>Ⅱ中唐詩354 紀頌之の漢詩ブログ1141


椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
珥貂藩維重,政化類分陝。
禮賢道何優,奉己事苦儉。

(下し文) #4
椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


(現代語訳)
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


 (訳注)
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
椒蘭 王椒文(おうしゅくぶん)805年正月徳宗が崩御、順宗が即位し、気に入られていた王叔文は王伾と組んで政権を握った。しかし、凄まじい妬みと怨みにより七月には政権を追われやがて八月憲宗の即位に伴い名がされ翌年には殺された。この王叔文の事件で韓愈は都に復帰できるのである。 ・蘭  呉子蘭(ごしらん、生年不詳~200年)、名は不詳で子蘭は後漢朝の将軍。献帝が董承に曹操暗殺の密勅を出した際、董承に協力していた将軍。 しかし事が露見し、董承らと共に殺された。・妒忌 ねたむ,嫉妬する,
絳灌 周勃と濯嬰。周勃(しゅう ぼつ、? - 紀元前169年)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将、政治家。子は世子の周勝之、条侯・周亜夫、平曲侯・周堅らがいる。爵位は絳侯。諡号は武侯。・灌嬰(かん えい、? - 紀元前176年)は、中国の秦・前漢時代の武将。 ・讒諂 讒言することと、こびへつらうこと。諂う【へつらう】相手の気に入るようにふるまう。機嫌をとる。おもねる。


誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
誰令悲 屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。


翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
瑕玷 欠点。


珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
・珥 漢代に侍中・常侍の冠には、貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした。珥はさしはさむ。あるいは耳を飾る玉。揚常侍に対していいかけていることばだ。・藩維 藩は王庭の藩屏、維は天下を維持すること。揚常侍は監察使だから諸侯にひとしい地位だ、とたたえているのだ。・分陝 周の周公と召公は隣の地を境として天下の政治を二分して担当したことをいう。


禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(3) 韓退之(韓愈)詩<55-#3>Ⅱ中唐詩353 紀頌之の漢詩ブログ1138

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(3) 韓退之(韓愈)詩<55-#3>Ⅱ中唐詩353 紀頌之の漢詩ブログ1138


幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。


doteiko012

現代語訳と訳註
(本文)

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

(下し文)#3
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

(現代語訳)
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


(訳注)
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
幸逢車馬歸 わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せだ。相手が気をきかせてくれたことを感謝しているのだ。


山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。


夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
・磨颭 磨はすれる。颭は風が吹いて波立つ。立つ。山楼崇拝月からここまでの四旬は、山寺の夜を映してまことに美しい。


猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
・猶疑在波濤 杉や槍の木立の波だち騒ぐ音を暗い部屋で聞いているといつの間にか、嵐ふく波涛の中に漂うているかと錯覚する。その錯覚がただちにかれを陽山左遷の回想へと駆りたて、洞庭湖上の苦しい体験に結びつくのだ。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

怵惕 おそれて心が安らかでないさま。 ・夢成魘 夢の中でうなされる。


靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。
・屈原沈 屈原は名は平、原はその字、号は霊均。戦国時代の楚の人。楚王の一族で、懐王に仕え、三閭大夫となり国政にたずさわって信任されたが、懐王の弟の令尹子蘭や大夫の子槭に妬まれ、王からも疎まれるようになった。懐王の子㐮王はかれを長抄に追放した。「離騒」はじめ楚辞の諸篇はかれの作である。長沙
を放浪中、ついに汨羅の淵に投身自殺した。
要誼茫 漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。

李白行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183』参照。

賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照

贈劉司戸蕡  李商隠

哭劉蕡  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

寄令狐郎中 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 

杜司勲  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

哭劉司戸二首其二 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40

潭州 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41


瞿塘峡001

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(2) 韓退之(韓愈)詩<55-#2>Ⅱ中唐詩352 紀頌之の漢詩ブログ1135

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(2) 韓退之(韓愈)詩<55-#2>Ⅱ中唐詩352 紀頌之の漢詩ブログ1135

#2
是時秋之殘,暑氣尚未斂。
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
群行忘後先,朋息棄拘檢。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
客堂喜空涼,華榻有清簟。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。

#2

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。


現代語訳と訳註
(本文)

是時秋之殘,暑氣尚未斂。羣行忘後先,朋息棄拘檢。
客堂喜空涼,華榻有清簟。澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。


(下し文)#2
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。


 (現代語訳)
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。


(訳注)
是時秋之殘,暑氣尚未斂。
時はすでに秋から冬への秋の終わりになっている、それなのに暑気はなお収まらないのである。
秋之残 残はそこないやぶれてわずかにのこるという意味で、おわりに近いこと。秋の終わり。
・斂 暑さが収斂していくこと。
 

羣行忘後先,朋息棄拘檢。
一行はあとさき忘れて群がり歩んでいる、休みもいっしょにとりながら他人行儀なところがないのである。
羣行忘後先 軍は群と同じ。むれ立ってゆき、主客、あとさきなどを忘れる。○朋恩棄拘検 いっしょに休んで、客は休んでも、主人は休んでほならないなどいった他人行儀なことはしない。


客堂喜空涼,華榻有清簟。
到着した客殿がカラリと涼しいのがとてもうれしい、そして美しい長椅子にすがすがしい竹簟さえしつらえてあるのだ。
空涼 人気がなく掠しい。涼は俗字。・華榻 美しい長椅子。ベッドとして使用することもある。・清簟 すがすがしい竹むしろ。韓愈は、でっぷりと肥えた人で、暑がりやの汗かきだった。少し親しい人だと、訪ねていった早々に、竹むしろと枕を出させて、ねそべった、というエピソードが残っている鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998寺の客殿にはいって、まず華榻清簟をうたうところ、いかにもかれらしい。この時も、おそらく、杜侍御などほったらかしにして、大好きな簟にごろりと寝ころんだことだろうと思う。


澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
渓流でとれたかおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてある。
澗疏 谷間でとれた蔬菜。・蒿芹 ヨモギとセリ。・菱芡 ヒシとミズブキ。


伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
これこそわたしがずっと前から望んだことなのだ、案内してくれる方が また実に良い人でありがたい。
陪賞 案内してくれる方がいること。お供して鑑賞させてもらう。



陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
#1 
長沙千里平,勝地猶在險。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

剖竹走泉源,開廊架崖广。
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。
#2 
是時秋之殘,暑氣尚未斂。

群行忘後先,朋息棄拘檢。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。
#3 
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

山樓黑無月,漁火燦星點。

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。
#4 
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。
#5 
大廈棟方隆,巨川楫行剡。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂
嗟荏苒。

平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂
【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(1) 韓退之(韓愈)詩<55-#1>Ⅱ中唐詩351 紀頌之の漢詩ブログ1132

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(1) 韓退之(韓愈)詩<55-#1>Ⅱ中唐詩351 紀頌之の漢詩ブログ1132

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくったのがこの詩である。

805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。

岳陽樓003

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍
地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び独り宿して一首を作った。これに因んで揚憑常侍に献上する。
長沙千里平,勝地猶在險。
長沙は「一望千里の大平原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
況當江闊處,鬥起勢匪漸。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
深林高玲瓏,青山上琬琰。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
剖竹走泉源,開廊架崖广。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。
#2
是時秋之殘,暑氣尚未斂。羣行忘後先,朋息棄拘檢。
客堂喜空涼,華榻有清簟。澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。
伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
#3
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
#4
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。珥貂藩維重,政化類分陝。
禮賢道何優,奉己事苦儉。
#5
大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。





現代語訳と訳註
(本文)
長沙千里平,勝地猶在險。況當江闊處,鬥起勢匪漸。
深林高玲瓏,青山上琬琰。路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
剖竹走泉源,開廊架崖广。

(下し文)#1
(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。


(現代語訳)
地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び独り宿して一首を作った。これに因んで揚憑常侍に献上する。
長沙は「一望千里の大平原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。


(訳注)
・陪杜侍御瀞湘丙両寺独宿有越因献物常侍 
楊常侍は揚憑で官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。


長沙千里平,勝地猶在險。
長沙は「一望千里の大平原・湿原」であるが、その景勝の地はやはり険岨に存在するのである。
・長沙 湖南省の中心。長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展。・平 「一望千里の大平原・湿原」当時、雨季には、洞庭湖の面積が10倍になるという。


況當江闊處,鬥起勢匪漸。
ましてや湘江は大きく広がり、下流では洞庭湖に濯ぐあたりは一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸にぬっと門のようがけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。
・江 湘江、湘水(しょうすい)は、湖南省最大の川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流である。長さは856km。・斗起 角だって鋭く突き起こる。
・勢匪漸 だんだん高まる状勢ではない。段々急になる形状ではない。


深林高玲瓏,青山上琬琰。
緑深い林がありその間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。その木々の絨毯上には青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねっている。
・玲瓏 玉のように光りかがやくさま。木々の間に他気が珠と輝く水を吐き出す。この文字にはすきとおる感覚があるので滝を宝飾と見立てる。
・上琬琰 琬琰は女性の美しい肢体をあらわす語である。緑の木々が絨毯や寝床をあらわしその上に薄着根を羽織ったような青くかすんだ山が美女が横たわっているようにあるという景色である。【前漢•司馬相如傳】鼂采琬琰。 【註】琬琰,美玉名。又人名。」楚辭.屈原.遠遊:「吸飛泉之微液兮,懷琬琰之華英。」


路窮臺殿辟,佛事煥且儼。
路登って窮まったところにふいに楼台や仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しいのである。
・仏事 仏殿のかざりや設備。・煥且儼 てりかがやき、美しい。


剖竹走泉源,開廊架崖广。
竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせている。廊下が開けて崖のところまでつきでたように屋形にかかっている。
・開廊架崖广 廻廊が開け延び、その先に崖に突き出たような家がある、というほどの意味である。山岳仏教の寺院、道教の寺観はほとんどそうである。雪舟の山水画に出てくる仏寺の姿に、この句を思わせるようなのがある。广は一方ががけのところに造られた家。



陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)
#1 
長沙千里平,勝地猶在險。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

剖竹走泉源,開廊架崖广。
長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。
況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。
深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。
路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。
竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。
#2 
是時秋之殘,暑氣尚未斂。

群行忘後先,朋息棄拘檢。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。
是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。
羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。
客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。
澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。
伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。
#3 
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

山樓黑無月,漁火燦星點。

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。
#4 
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。
#5 
大廈棟方隆,巨川楫行剡。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂
嗟荏苒。

平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂
【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

祝融峰 韓退之(韓愈)詩<54>Ⅱ中唐詩350 紀頌之の漢詩ブログ1129

祝融峰 韓退之(韓愈)詩<54>Ⅱ中唐詩350 紀頌之の漢詩ブログ1129


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。


祝融峰
禅の玄関である祝融峰
曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。

祝融峰
曾て祝融峰の頂上に到り, 歩隨して明月し、禅関に宿す。
夜深して一陣 雨に窓を打つ, 臥して聴く風雷 半山に在り。



現代語訳と訳註
(本文)
祝融峰
曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。


(下し文)
祝融峰
曾て祝融峰の頂上に到り, 歩隨して明月し、禅関に宿す。
夜深して一陣 雨に窓を打つ, 臥して聴く風雷 半山に在り。


(現代語訳)
禅の玄関である祝融峰
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。

(訳注)
祝融峰
禅の玄関である祝融峰
祝融峰 海拔1290米で,衡山の最高峰であり,古代帝王三皇の一の祝融が曾てここに栖息奏楽し,死後もこの地に葬ったので,この名があると伝わる。祝融峰の高きことは衡山の一絶である。峰は群山を繞らし,その中心の“独尊”の位置にある。
風穴雷池・甘泉と涌流・洞穴
山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。
<頂上>峰頂の気象は変化に富み,“煙靄未だ盡きず澄徹”なる時,“四望すれば渺然として極るところを知らず”,“大海の只中にいる”が如くである。
<月>月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲)の趣きがある。
<日>日の出に至っては,尚更に多くの登山者の感動するところである。古くから,多くの文人雅士が雲集し詩篇を残している。



曾到祝融峰頂上, 歩隨明月宿禅関。
先日、衡山の一絶で峰は群山を繞らし,その中心の独尊の位置にある祝融峰の高きところに登った。歩くに任せて進むと下界の月は盡きてもここはまだ清光低からずという明月を見るそして、「玄妙なる関所、真理への関門」であるこの寺に宿をした。
明月 月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲:1584年沒明代の学者)の趣きがある。・禅関 関は禅語で玄関の関 「禅関」とは「玄妙なる関所、真理への関門」という意味である。


夜深一陣打窓雨, 臥聴風雷在半山。
夜が更けてきて、風雨がひとしきり激しく吹き降りし、雨は窓をはげしくたたいた、横になったままで山の中腹のところにあって風穴雷池・陰風怒号を聞いたのだ。
一陣 風や雨がひとしきり激しく吹いたり降ったりすること。山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。




衡山は,また岣嶁山あるいは虎山とも呼ばれ,その俊秀をもって天下に聞こえ,“五岳の独秀”との誉れが高い。その位置は湖南省衡山県の西である。旧志では現在の岳麓山や石鼓山をも衡山に含めており,“回雁(峰)を首とし,岳麓を足”として,“周回八百里”と謂う。東南に湘江を俯瞰し,江上に舟を泛べてここを過れば,“帆は湘水に隨って転じ, 処処に衡山を見”,湘水は山下を巡り,五折して北へ去る。魏源は《衡岳吟》の中で五岳の雄姿を比較してこのように描写した:“恒山は行くが如く,岱山は坐るが如く,華山は立つが如く,嵩山は臥すが如く,ただ南岳は独り朱雀の飛ぶが如く垂雲大なり”。南岳の山形は朱雀の如く,山間を繞る煙雲は飄動して止まらず,72峰は真に太空を翱翔する神鳥のようである。

別盈上人 韓退之(韓愈)詩<53>Ⅱ中唐詩349 紀頌之の漢詩ブログ1126

別盈上人 韓退之(韓愈)詩<53>Ⅱ中唐詩349 紀頌之の漢詩ブログ1126
805年順宗永貞元年 七言絕句


別盈上人
盈上人と別れる
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。

祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。

盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。



現代語訳と訳註
(本文)
別盈上人
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。


(下し文) 盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。


(現代語訳)
盈上人と別れる
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。


(訳注)
別盈上人

盈上人と別れる
・別盈上人 民本巻九。衡山で韓危がとまった寺にいる僧におくった詩。この僧は同じ寺の希操上人の弟子の誠盈という人だろうといわれ、般若経読誦の功をつんだ高徳の僧だったらしい。
盈上人,即誡盈律師,時居衡山中院
柳宗元『衡山中院大律師塔銘』
「誡盈,蓋衡山中院大律師希操之弟子也。」夫佛門號律師者,率以輕重等持,守戒精嚴著稱

韓愈が五嶺山脈の南、陽山に流刑されて2年,805年順宗の永貞元年,大赦され,陽山から帰る時、衡山、湘州に立ち寄った。赴任先が決まらず、報せを待つ間、衡嶽廟に拝謁、嶽寺にしゅくはくした。
韓愈『謁衡嶽廟遂宿嶽寺題門樓』盈師の所で作ったものである。


山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
出無期 山を出る時などはなさそうだ、というほどの意。・俗士 相手が僧だから、自分のことをこう謙称している。・牽俗 世俗のことに牽制せられる。宋玉の「招魂」に「俗に牽かれて蕪猿たり」という語が見える。
韓愈が僧に贈った詩としては珍しく素直な作品だ。盈上人がそれだけすぐれた僧だったのだろう.


祝融峰下一回首,即是此生長別離。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。
祝融峰 海拔1290米で,衡山の最高峰であり,古代帝王三皇の一の祝融が曾てここに栖息奏楽し,死後もこの地に葬ったので,この名があると伝わる。祝融峰の高きことは衡山の一絶である。峰は群山を繞らし,その中心の“独尊”の位置にある。山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。峰頂の気象は変化に富み,“煙靄未だ盡きず澄徹”なる時,“四望すれば渺然として極るところを知らず”,“大海の只中にいる”が如くである。月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲)の趣きがある。日の出に至っては,尚更に多くの登山者の感動するところである。古くから,多くの文人雅士が雲集し詩篇を残している。

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山 韓退之(韓愈)詩<52>Ⅱ中唐詩348 紀頌之の漢詩ブログ1123

岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。


現代語訳と訳註
(本文)
岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。
蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。

(下し文)岣嶁山
岣嶁山【こうろうさん】 尖【せん】の神禹の碑、字 青く 石 赤く 形慕【けいも】 奇に。
蝌蚪【かと】 身を拳【かが】め 薤【かい】 倒【さかさま】に披【ひら】き、鸞【らん】 飄【ただよ】ひ 鳳 泊って 虎と螭【みずち】とを拿【つか】む。
事 嚴【げん】に 跡 秘【ひ】にして 鬼【き】も窺【うあたが】ふ莫し、道人【どうじん】 獨り上って 偶【たまた】ま之を見き と、我 來って咨嗟【しさ】し 涕【なみだ】 漣洏【れんじ】たり。
干搜【せんそう】萬索【ばんさく】するも 何れの處にか有り、森森【しんしん】たる緑樹【りょくじゅ】に 猿猱【えんどう】の悲めるのみ。



(現代語訳)
岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。


(訳注)岣嶁山
岣嶁山尖神禹碑,字青石赤形模奇。

岣嶁山の鋭く尖った頂に古代の聖王禹の碑がある、文字は青色で、石は赤く、形は奇抜なものなのだ。
岣嶁山 底木巻三。中国,湖南省の中東部,衡山県の西15kmにある山。その南・東・北の3面を湘江がめぐって流れる。隋の文帝(在位581‐604)以後,南岳として尊ばれ五岳の一つとなった。岣嶁山(こうろうざん)とも呼ばれる。周囲約400kmで,花コウ岩より成る断層山脈で,山容は雄大。72峰あり祝融(1290m),天柱,芙蓉,紫蓋,石廩(せきりん)の5峰が有名。山中に南台寺,祝聖寺などの大寺院があり礼拝者が絶えず,天台・禅の名僧が駐錫したという。岣嶁山は衡山の峯の別名で岣も嶁も山の頂という意味だから、これが衡山の主峯だとする説もある。又、別名に虎山ともいう。古代の聖王禹の廟が安置してある。禹が治水事業を完成したとき山壁に功績を刻みつけたという伝説がある。岬嗜碑と名づけ中国最古の碑とされる。


蝌蚪拳身薤倒披,鸞飄鳳泊拿虎螭。
それはおたまじゃくしが身をかがめ、らっきょうが 逆さにぶら下がったようなかたちであり、鸞が飛び 、鳳がそれの泊まって、虎と螭がつかみ合うように見えるという。
蝌蚪 おたまじゃくし。古代の文字に科斗を組み合わせたような形のものがあった。碑の文字のことをいっている。
薤倒披 これも碑の文字の形容。ラッキョウをさかさにひろげたような。・鸞飄鳳泊拿虎螭 碑面全体のようすを形容しているのである。


事嚴跡秘鬼莫窺,道人獨上偶見之,我來咨嗟涕漣洏。
事実は厳粛なものであり、形跡は秘密なものである、 だから鬼神にさえも窺知を許さないというものなのだ。それは、道敦の修行者がなんとかひとり上ることできて偶然これを発見したそうだ。我々もここにやって来たがなげいてしまい、涙がしとどに流れて止まらないのだ。
道人 神仙の道をえたひと、道敦の修行者。仏教の僧、修験者をさしていうこともある。・咨嗟 なげく。・漣洏 涙のしとどに流れるさま。

 
千搜萬索何處有,森森綠樹猿猱悲。
干遍探し、万遍も探索したのだが、いったい何処にあるというのか、ただそこでは、森森とした静かな緑樹の林に猿と猱共が、悲しく泣いているだけなのだ。
猿猱 猿と猱サル ・神禹碑は道教の徒がつくったような伝説におおわれ、しかも道教の徒以外に見たというものがいない。韓愈はその伝説がいつわりであることをあばくため、この山に上った。案の定、碑などはなかったということでこの詩は生まれた。又この衡山を舞台にした詩が以下のものである。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。



謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(下し文) #4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


(現代語訳)
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。


(訳注)#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。

蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
野蛮の荒地に鼠逐せられたということであったが 辛くも死のみまぬかれた身である、衣食もなんとかわずかに足りたのであるし、寿命をながらえることになったのであるから、まずよしとせねばならない。
鼠逐 罪ある人を遠くへ追いやること。五嶺山脈を越えた向こうに行くことは死を意味した。・蛮荒 野蛮の荒地。瘴癘の地。・幸不死 死なないだけが幸福というような身の上。


侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
王侯将相のぞむような野心はとっくのむかしに無くなっている、神がたとえ幸福を与えようとなされたのだとしても、これが御利益などとは思われはしない。
侯王将相 諸侯・国王・将軍・宰相。高い地位の人をいう。・望久絶 望みを持たなくなってから長い時間がたつ。・ かりにそういうことがあったところで。


夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
夜になって山中の仏寺を宿とし、そこの高い鐘楼に上ってみた。星や月を覆って光を帯びた薄雲があたりを ぼんやりと照らし始めている。
掩映 拾は掩と同じで、おおうこと。おは反映する。てりはえる。・朣朧 月かげの明るくなりかけるさま。潘岳の「秋興賦」に「月は朣朧として光を含めり」という有名な句がある。


猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。
猿が啼き叫ぶそして鐘が鳴るけれど、まだ明け方になってはいないはずである。よく見るとキラキラ冷たく輝く太陽が東方に生まれていて木の上にのぽり切っているのだ。
不知曙 明方だとはわからなかった・唐の詩ではよく、知りでいることを知らずといい、わからないことを知るという場合がある。一種の反語である。
杲杲 キラキラ。コウコウとかがやく。杲は太陽が木の上にのぽり切ったさま。




#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#3>Ⅱ中唐詩346 紀頌之の漢詩ブログ1117


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。

#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。


(下し文) #3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。


(現代語訳)
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。


 (訳注)#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
白い漆喰の壁と丹塗の柱はきらきらと互いに映えている。鬼神や霊獣が青や紅の絵の具でもり上げて描かれてあった。
粉牆 白く漆喰の壁。・鬼 鬼神と霊獣。・填青紅青や紅の絵の具が凹凸に塗り込めてある。


升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
陵廟の階をのぼってゆき、ぬかずいて、乾肉と酒とを供えた。お粗末かもしれないが、奉謝の誠意をあらわそうと思ったからだ。
傴僂 うやうやしくぬかずく。傴はせぐくまる。僂はまげる。・脯酒 乾肉と酒。おそなえにする。・菲薄 非も薄もうすいことで、粗末というほどの意。・衷 誠。


廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
そこの年老いた宮司は神慮をうかがうことができると認識した。つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらう顔色を見て身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。
廟令 神主。・睢盱 つまらぬ人がにこにこと媚びヘつらうさま。・鞠躬 身を丸くしてぺこべこお辞儀をする。


手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
そして貝占をしてみなさいとわたしに二枚の貝殼を 投げさせた。それで卦が出てこのように言ったのだ
「最もよい吉であり、こんな卦はめったに出るものではない」などと。
盃竣 貝殼占い。二板の貝殼を投げてその表裏の出方で占う。・余難同 他の人は、同じ卦は出にくい。

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#2>Ⅱ中唐詩345 紀頌之の漢詩ブログ1114


この詩は805年夏、陽山の県令を解かれ、陽山を出発し、郴州で次の赴任地の命を待った8月江陵府法曹参軍事の命を受け江陵へ向か際、五嶽の衡山にたちよったものである。韓愈は、王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵幕府へ赴任するほかはない。


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。

山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。

#3
粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4
竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文) #2

潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。


(下し文) #2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しゅゆ】にして 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】淮し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。


(現代語訳)
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。


(訳注)#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。

心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、嶽に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
そうして、心を静かに潜めるようにして黙祷したら、それに応えてくれたように思われるのだ。それで正直であることが出来ない様でどうしてよく神仏に祈り、悟ことができようか。
能感通 其の理の極まる処能く感通知識し来りて、初めて事物に応接するし、禱ぎ・神仏に祈り、悟ことができようか。


須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
しばらくすると 静かに暗い陰気の雲は掃われて 連峰の山々が姿を現わしている。見あげれば 高く抜きん出て立ち青空をささえていた。
須臾 しばらくの時間。1000兆分の1であることを示す漢字文化圏における数の単位である。逡巡の1/10、瞬息の10倍に当たる。・静掃 しずかに、くらい陰気を掃いのぞいて。・眾峰 峰が多いこと。連峰の山々。・突尤 高くぬきんでてたつさま。


紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
衡山七十二峯の紫蓋は連なって延び 天をささえる天柱と接しており、石稟は飛騰し、祝融は淮積岩をあらわにし、衡山四絶景を構成する。
紫蓋 衡山七十二峯の一つで、祝融、天柱、芙蓉、紫蓋、石稟の五峯が最も有名である。祝融峰が衡山において最高峰であり,海拔1290米。五嶽(陰陽五行説に基づき、木行=、火行=、土行=、金行=西、水行= の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。衡山は南嶽)の南嶽に四絶景がある:祝融峰は高さ,方廣寺は谷が深いこと,藏經殿は秀美であり,水簾洞は奇怪な洞窟。 衡山を登るには必ず祝融を登るとされる。芙蓉、石厦、天柱、祝融とともにその最も高い峯をいう。


森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。
山は森然として神霊な動きをしており、わたしは馬を下りて拝礼するのである。松柏の間を行く一筋の小径には霊宮にはしり通じている。
森然 シンとして。・魄 ここでは神霊をさす。


謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#1>Ⅱ中唐詩344 紀頌之の漢詩ブログ1111


謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。

#2
潛心默禱若有應,豈非正直能感通。
須臾靜掃眾峰出,仰見突兀撐青空。
紫蓋連延接天柱,石廩騰擲堆祝融。
森然魄動下馬拜,松柏一徑趨靈宮。
#3

粉牆丹柱動光彩,鬼物圖畫填青紅。
升階傴僂薦脯酒,欲以菲薄明其衷。
廟令老人識神意,睢盱偵伺能鞠躬。
手持杯珓導我擲,云此最吉餘難同。
#4

竄逐蠻荒幸不死,衣食才足甘長終。
侯王將相望久絕,神縱欲福難為功。
夜投佛寺上高閣,星月掩映雲朣朧。
猿鳴鐘動不知曙,杲杲寒日生於東。

(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
#2
心を潜めて默禱【もくとう】すれば 応【こたえ】有るが若し、豈に 正直なるに非ずんば 能く感通【かんつう】せむや。
須臾【しばらく】して 靜かに掃って 衆峯【しゅうほう】出づ、仰いで見るに 突冗【とつごつ】として 青空を撐【ささ】ヘ。
紫蓋【しがい】連り延びて 天柱に接し、石廩【せきりん】騰擲【とうてき】し 祝融【しゅくゆう】堆し。
森然【しんぜん】として魄【はく】動き 馬を下って拝す、松柏の一徑【いっけい】霊宮【れいきゅう】に趨【おもむ】く。#3
粉牆【ふんしょう】丹柱【たんちゅう】光彩【こうさい】を勤し、鬼物【きぶつ】の圖畫【とが】青紅【せいこう】を填【うづ】む。
階に升【のぼ】って傴僂【うろう】し 脯酒【ほしゅ】を薦む、菲薄【ひはく】を以て 其の衷を明にせんと欲す。
廟令【びょうれい】の老人 神意【しんい】を識る と、睢盱【いく】偵伺【ていし】して 能く鞠躬【きくきゅう】す。
手に盃珓【はいこう】を持して 我をして擲【なげう】たしむ、云ふ 此れ最も吉にして餘【よ】は同じうし難し と。
#4
蠻荒【ばんこう】に竄逐【ざんちく】せられ 幸に死せざるも、衣食【いしょく】緩【わずか】に足りて長【とこしえ】に 終らんことに甘んず。
侯王【こうおう】將相【しょうそう】たらんとする望は 久しく絶ちたり、神 縦【たと】い福【さいわい】せんと欲すとも 功を錫し難し。
夜 佛寺【ぶつじ】に投じて 高閣に上る、星月 掩映【えんえい】して 雲 朣朧【とうろう】たり。
猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず、杲杲【こうこう】たる寒日【かんじつ】東に生ず。


現代語訳と訳註
(本文)

謁衡獄廟遂宿岳寺題門樓
五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。


(下し文)
(衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。)
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。


(現代語訳)
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。


(訳注)#1
謁衡岳廟遂宿獄寺題門樓
衡嶽【こうがく】廟に謁し、遂に嶽寺に宿り、門樓【もんろう】に題す。 
衡嶽廟に拝謁してとうとう衡山にある仏寺の宿坊に宿し、その楼門に題す詩
謁衡岳廟 底本巻三。衡岳廟は衡山の山霊を祭る嗣である。衡山は中国五岳の一つで、湖南省卸南県の南方にあたり、衡山県の西三十里の地にあり、南岳とよぱれた。永貞元年九月中下句、槨州から新任地江陵へ向かう途中の作。・岳寺 衡山にある仏寺。・門楼 楼門。


五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。
五嶽の祭秩【さいちつ】皆 三公【さんこう】、四方に環【めぐ】り鎮【ちん】して 嵩【すう】は中に當る。
五嶽は祭典序列はみな三公待遇である。天下四方に位置し、嵩山を中心にして天下鎮守するのである。
五岳祭秩皆三公『礼記』王制に「天子は天下の名山大川を祭る。五岳は三公に視へ、四涜は諸侯に視ふ。」とある。五岳とは
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
これを祭るとぎ、その祭器や犠牲の数を、三公すなわち国家の元老たる太師・太傅・太保を正餐にまねく場合になぞらえ、四涜すなわち長江・黄河・淮江・済河の四大川を祭るときは、諸侯になぞらえる、というのである。


火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。
火維【かい】地荒れて 妖怪【ようかい】足【おお】く、天 神柄【しんぺい】を瑕【か】して 其の雄を専にす。
赤道に位置するといわれてきたこの地は荒廃し、妖怪どもがあまた棲息した、そして天は衡山に神の権能を賦与し、それらを雄伏させようとされたのだ。
火維 赤道に位置するもの。衡山は 『初学記』に「南岳衡山は朱陵の霊台、太虚の宝洞にして、上は冥宿を承け、徳を銓り物を釣ぶ。放に衡山と名づく。下は離宮に踞し、位を火郷に摂り、赤帝その嶺に館し、祝融その陽に託す。故に南岳と号す」。と記すように南方熱帯の地にある山だ。・天仮神柄 天が衡山に神としての権能を貸し与えた。


噴雲洩霧藏半腹,雖有絕頂誰能窮。
雲を噴き 霧を泄【もら】して 半腹を蔵【ぞう】す、絶頂有りと雖も 誰か能く窮めむ。
雲を吹き出し、霧をもらしていて、中腹以上にいくとかくれている。頂上はもとより存在しているといっても、誰が見きわめえたというのか。


我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。
我来って 正に 秋雨の節に逢ふ、陰気【いんき】晦昧【かいまい】として 清風無し。
私はここへ来て正に秋雨の季節に逢ってしまった。秋雨の陰湿の気、ぶきみに暗いし、ここではすがすがしい風は吹かないのである。
晦昧 くらい。

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#4>Ⅱ中唐詩343 紀頌之の漢詩ブログ1108

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#4>Ⅱ中唐詩343 紀頌之の漢詩ブログ1108


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
家住幽都遠,未識氣先感。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。
遂來長安里,時卦轉習坎。」

そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。

#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
念當委我去,雪霜刻以憯。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。



(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)
#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(下し文) #4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。


(現代語訳)
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。


(訳注)#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
年老いて物憂いになったし闘争心はなくなったのではあるが、久しくことをなし、詩文に携わることをしてきたこれを止める気にはならない。
老懶 おこた(る)、ものう(い)、ものぐさ、なま(ける)、ものぐさ(い).○鉛槧 〔昔、中国で、槧(木の札)に鉛粉で文字を書いていたことから〕詩文を書くこと。文筆に携わること。操觚(そうこ)。


欲以金帛酬,舉室常顑頷。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
でもって、金銭と布帛の報酬を欲するというけれど、その居室を挙げて常に顔や顎に火が出るほどの恥と思っている。
金帛【きんぱく】金と絹。金銭と布帛(ふはく)。どちらも貨幣価値のあるもの。○  顔かたち • 顔から火がでる • 顔から血の気が引く • 顔がいい •○あご。


念當委我去,雪霜刻以憯。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
こんなことにあたって思うことは、わたしはこの仕事をしかるべきひとに任せここを去ろうと思うのである。雪と霜の極寒に時を刻み以て憂えるのである。
【こく】1 きざむこと。彫りつけること。2 (「剋」とも書く)漏刻の漏壺(ろうこ)内の箭(や)に刻んである目盛り。旧暦の時間および時刻の単位。○ いたむ。うれえる。するどい。


獰飆攪空衢,天地與頓撼。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
大風が吹き、大空の四方を撹拌する、天と地はともにゆるく感じている。
獰飆 【どうひょう】 大風○空衢 四方に通じる道。よつつじ。○頓撼 頓ぬかずく。たおれる。くるしむ。撼うらむ。うれえる。


勉率吐歌詩,慰女別後覽。」
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ。
出来る限りの努力をしてしいかを作り歌う、そのことはあなたがここ去り別れてから慰めることになるだろう。



送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本於為文,身大不及膽。吾嘗示之難,勇往無不敢。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
天陽熙四海,注視首不頷。鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
夫豈能必然,固已謝黯黮。狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
奸窮怪變得,往往造平澹。蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。勉率吐歌詩,慰女別後覽。


送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#3>Ⅱ中唐詩342 紀頌之の漢詩ブログ1105

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#3>Ⅱ中唐詩342 紀頌之の漢詩ブログ1105


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
家住幽都遠,未識氣先感。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。
遂來長安里,時卦轉習坎。」

そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。

#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。

#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ


(訳注)#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
草と花房があるが荒れ果てたところでカバノキが抜きんでるものだ、孤独な鳥は連続して生え始めた稲の苗を起してしまう。
芝英 草と花房。○荒榛 カバノキ科の落葉低木。日当たりの良い山野に生える。葉は広卵形で鋸歯(きよし)がある。若葉には紫褐色の斑紋がある。○孤翮 孤独な鳥の翼。また,孤独な鳥。○連菼 おぎ。生え始めた稲。


家住幽都遠,未識氣先感。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
家は黄泉のように遠いところに住まいしている。どこなのかいまだに認識はしていないが気配としてはまず感じるのである。
幽都 ひろくは〈地獄〉〈他界〉〈黄泉国〉〈死〉などの項を参照されたい。 古代中国では,死者の霊魂の帰する所は〈黄泉〉〈九泉〉〈幽都〉などと呼んだ。


來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
尋ねてきたとしたら私は何をしてあげれ良いのだろうか、ほめあげたり、激しくしかったりしてあげてほかのことはしようがない。
昌歜 傳說周文王嗜昌歜, 孔子慕文王而食之以取味。 ○ たしなむ。○ ほめる。○ 激しく怒る


始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
始めて見る洛陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
始めて洛陽の春を見た桃の枝には紅色に惨めなものでつづったのである。


遂來長安里,時卦轉習坎。」
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
そしてとうとう、長安の街に来たときには時間の経過するに伴い一難去ってまた一難ということになってしまった。
時卦 時間的な進捗状況○習坎 落とし穴に陥る、また、困難な状況に陥ること を象徴します。一難去ってまた一難。


#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうかん】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る洛陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#2>Ⅱ中唐詩341 紀頌之の漢詩ブログ1102

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#2>Ⅱ中唐詩341 紀頌之の漢詩ブログ1102


送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
奸窮怪變得,往往造平澹。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」

蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。
家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。
始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。」
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。
欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。
獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦 窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。

#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで、孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る。
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうしょく】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【せん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ



現代語訳と訳註
(本文)

鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。
夫豈能必然,固已謝黯黮。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
奸窮怪變得,往往造平澹。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。


(下し文) #2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。


(現代語訳)
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。


(訳注)
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。

鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
巨鯨と大鳥は互いに磨り合うように突然に飛び出してくる。そして両手を挙げて快く軽やかにひとたび啖をはいた。


夫豈能必然,固已謝黯黮。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
ということはどうしても必ずそうなるというわけではないのであって、もともと既に失望するので謝ることになる。
黯黮 曇って明らかでないさま。がっかりする。失望する。


狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
おとぼけの意を含んだ言葉、詩文が花びらが開くように盛んな勢いでわき起こってくる。
狂詞 詩詞の法則に乗り、おとぼけの意を含んだ言葉、詩文。○滂葩 は1 水がみなぎり逆巻くさま。「―たる波浪」 2 物事が盛んな勢いでわき起こるさま。○は、はな・はなびら


奸窮怪變得,往往造平澹。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
正道にそむいたよこしまなことしかしないことは奇怪な方向へ行ってしまい、まあ、往々にしてしつこくない妥協の産物になるのである。
 よこしま かしましい1 不倫をする。女性をおかす。2正道にそむく。悪賢い。○往往 そうなる場合が多いさま。よくあるさま。○平澹 平淡あっさりしてしつこくない。


蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
蜂と蝉はにしきと絞り染めの絹を砕く、澄み切った水の池は美しい蓮の花におおわれる。
蜂蟬 蜂と蝉。○〔碎〕【さい】くだくくだける1 くだく。くだける。2 こまかい。○錦纈 にしきと絞り染めの絹。○菡萏 蓮の花別名。菡萏とは「かん」が美しい人、 「たん」は華やかという意を持つ文字で、蓮の花を表す

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#1>Ⅱ中唐詩340 紀頌之の漢詩ブログ1099

送無本師歸范陽 韓退之(韓愈)詩<50-#1>Ⅱ中唐詩340 紀頌之の漢詩ブログ1099
811年、元和6 年.

韓愈は唐代きっての排仏論者だが、かれの仏教排撃の論鋒のはげしさは、じつは、当時の儒教の類勢と反比例し、仏教教団の隆勢と正比例していたのだ、と考えても、さして不当はあるまい。僧の中には教団勢力政治勢力に癒着、権力を笠に着る鼻もちならぬ連中が世に横行したのであった。

宗教教団もまた人間の社会である。韓愈が晩年潮州で出くわした、大顛のようにほんとうにすぐれた僧は、「禅」という修行し、人目につかないところで、悟りを得ることに努力をかさねるものである。韓愈がつねに目にしたような僧は、官吏社会に出入し、上位のものは官僚と癒着し、買い物は、兵役都税を逃れる田茂の喪が多かった。俗物以上の俗物が多かったのである。韓愈の仏教ぎらいは、俗僧たちから得た印象の堆積によるもので、大いに与っていたのであろう。

 なお、詩中この僧の「頭にもとどりさせたい」といっているが、かれは会う僧にはみな腐りきった仏教の名をかりた集団からの還俗をすすめたらしい。弟午の買島はもと無本という僧だった。かれの言葉に従って還俗し、進士の試験をうけたが、何度も失敗し、やっと官界に入っても不遇で、貧窮のうちに死んだ。次に、参考までに、韓愈が無本と称したころの賈島におくった詩「無本師の茫陽に帰るを送る」811年、元和6 年.の作品である。

送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本於為文,身大不及膽。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天陽熙四海,注視首不頷。」

天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。
#2
鯨鵬相摩窣,兩舉快一啖。夫豈能必然,固已謝黯黮。
狂詞肆滂葩,低昂見舒慘。奸窮怪變得,往往造平澹。
蜂蟬碎錦纈,綠池披菡萏。」
#3
芝英擢荒榛,孤翮起連菼。家住幽都遠,未識氣先感。
來尋吾何能,無殊嗜昌歜。始見洛陽春,桃枝綴紅糝。
遂來長安里,時卦轉習坎。」
#4
老懶無鬥心,久不事鉛槧。欲以金帛酬,舉室常顑頷。
念當委我去,雪霜刻以憯。獰飆攪空衢,天地與頓撼。
勉率吐歌詩,慰女別後覽。」


(無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。

#2
鯨と鵬と相摩窣【まそつ】するに、両挙して 快かに一啖【いつたん】す。
夫れ豈能く必ずしも然らむや、固【まこと】に已に黯黮【あんたん】を謝す。
狂詞肆【ほしいまま】にして滂葩【ぼうは】たり、低昂【ていこう】 舒惨【じょさん】を見る。
姦窮まり 怪変じ得て、往往 平淡に 造【いた】る。
蜂蝉【ほうせん】 錦纈【きんけつ】を碎き、緑池菡萏【かんたん】を披く。
#3
芝英 荒榛【こうしん】より擢【ぬき】んで
孤翮【こかく】連菼【れんたん】より起る
家は幽都の遠きに住し、未だ識らざれども 気先【ま】づ感ず。
来り尋ぬ 吾何をか能くせむ、昌歜【しょうかん】を嗜【たしな】に殊なること無し。
始めて見る格陽の春、桃枝 紅惨【こうさん】を綴る。
遂に長安の里に来り、時卦【じたつ】習坎【しゅうかん】に転ず。
#4
老懶【ろうらん】 闘心無く、久しく鉛槧【えんぜん】を事とせず。
金帛を以て酬いむと欲すれども、挙室 常に顑頷【かんがん】たり。
念ふに当に我を委【す】てて去【ゆ】くべし、霜雪 刻にして以て憯【てん】たり。
獰飆【どうひょう】 空衢【くうく】を攬【みだ】し、天地 与に 頓撼。
勉め率いて歌詩を吐き、女【なんじ】が別後の覧を尉【なぐさ】めむ


現代語訳と訳註
(本文)
送無本師歸范陽(賈島初為浮屠,名無本)#1
無本於為文,身大不及膽。
吾嘗示之難,勇往無不敢。
蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
天陽熙四海,注視首不頷。」


(下し文) (無本師 范陽に歸るを送る〈賈島 初め浮屠と為す,名は無本〉)#1
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
蛟龍 角牙を弄し、造次に手づから攬【と】らむと欲す。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。


(現代語訳) #1
無本僧師が范陽にぁえるを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。


(訳注) #1
送無本師歸范陽
(賈島初為浮屠,名無本)
無本僧師が范陽に帰るを送る。(賈島は初め僧侶であった、戒名を無本と称した。)
賈島【か とう】779―843年(中和4年)は中国唐代の詩人。字は浪仙、または閬仙。范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。この詩は賈島33歳、韓愈44歳の時 ・浮屠の用語解説 - 1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。 2 《(梵)buddha-stpaから》仏塔。 3 仏寺。 4 僧侶。


無本於為文,身大不及膽。
無本 文を爲【つく】るに於て、身の大いさ 胆に及ばず。
無本僧師は詩文を作るにおいて、身の丈に応じたものをつくる、勇気や度胸の生じる範囲のものに及んではいない。
 1 肝臓。きも。2 からだの中で、勇気や度胸の生じるもとと思われているところ。きもったま。


吾嘗示之難,勇往無不敢。
吾 嘗【つね】に之に難きを示すに、勇往 敢てせざる無し。
私もいつものこととしてこの範囲を超えることは難しいことを示しているし、勇気や度胸で行くことは、あえてすることはないと思っている。
勇往は勇んで行くこと。「邁進」は勇敢に突き進んで行くこと。元気よく前進すること。


蛟龍弄角牙,造次欲手攬。
蛟龍【こうりゅう】角牙【かくし】を弄し、造次【ぞうし】に手づから攬【と】らむと欲す。
蛟龍というものは角や牙を持っていて奮っているものだ。ほんのわずかの時間でほしいものを手に入れてしまうのである。
蛟龍【こうりゅう】蛟(コウ; jiāo)は、中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる。・造次【そうし】とっさの場合。ごく短い時間。事がにわかで、急ぎあわてる場合。ほんのわずかの時間。


眾鬼囚大幽,下覷襲玄窞。
衆鬼 大幽に因【とら】はるるに、下覷【かき】して 玄窞【げんたん】ぞ襲ふ。
そして大勢の鬼たちは広くて静かなところで囚われ、下を見ると暗い穴の中で襲われている。
 うかがう、 みる。玄窞 あな。(1)黒い色。黒。 (2)天。 「黄に満ち―に満てり/三教指帰」 (3)老荘思想の根本概念。万物の根源としての道。 (4)奥深くて微妙なこと。深遠な道理。


天陽熙四海,注視首不頷。」
天陽 四海に煕るに、注視して 首頷【た】れず。
天を仰ぐと太陽が世界中を照らしている。注意してみてみると首をうなだれてはいないのだ。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#9>Ⅱ中唐詩339 紀頌之の漢詩ブログ1096

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#9>Ⅱ中唐詩339 紀頌之の漢詩ブログ1096

送靈師(韓愈 唐詩)
霊僧師を送る
#1
佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。

#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
古氣參彖系,高標摧太玄。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」

このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。

(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。



現代語訳と訳註
(本文)
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(下し文)
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


(現代語訳) #9
ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。


(訳注) #9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。

ましてや、南曹王吏部員外郎の霊僧師殿を讃える送序を手に取って見るに、青玉に刻み、はめ込んだものよりも重厚な文宇である。
南曹 吏部員外郎の別名。さぎに見えた王員外のことである。・ 送序。ここでは王員外が霊師を送る文章をさす。王仲舒(761~822)のことで、韓愈と交友があった。礼部考籾員外郎から流されて当時連州司戸だった。曆任蘇州刺史、洪州刺史、中書舍人等。・穫其先 第一番に霊師を獲得した。・青瑶 青い玉。 ・ 彫る/雕る/鐫る【える】1 彫刻する。ほりつける。2 ほり刻んで、金銀・珠玉をはめ込む。。


古氣參彖系,高標摧太玄。
易経の衆辞繋辞をさながらの古風な文調であり、揚雄の太玄経もそこのけの心の高い表現である。
古気 古風な文調。 ・彖系『易経』の各卦の下に加えた経文で、周の文王の作とされる。・高標 高遠というほどの意に用いている。・太玄 漢の楊雄のつくった文章で、高遠な文章の代表的なものとされる。『太玄経』(『易経』を模したもの)、『法言』(『論語』を模したもの)揚 雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。


維舟事幹謁,披讀頭風痊。
そういうことで、間もなくすると、舟を係留してお目通りをもとめられた、頭痛もなおろうというほどうまいその文章のおかげなのだ。
干謁 謁見を求める。・頭風痊 頭痛もなおる。


還如舊相識,傾壺暢幽悁
この二人が会えばたちまちのうちに幼な馴染も同然になってしまう、徳利かたむければ、世のわずらいも悲しみもみんな忘れてしまうだろう。
旧相識 ふるくからの知りあい。・傾壺 徳利をかたむける。壺の字は金属や陶製のつぼのみでなくヒョウタンをも指したものであろう。ヒョウタンというものは、中にいっぱい酒なり水なりを入れると直立しているが、中のものが減るに従って傾いてゆく。傾壺は酒をつぐために徳利を傾ける場合よりも、酒をのむことによって傾いてゆくヒョウタンを指す場合の方が多い。・幽悁 ふかいいかり。


以此複留滯,歸驂幾時鞭。」
このことがあって以降はまた逗留を長くされ、帰りの三頭立ての馬車に鞭うち、お帰りなさるはいつのことになるやらわからないのである。
歸驂 帰ってくるための三頭立ての馬車。



送靈師
佛法入中國,爾來六百年。齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失跡成延遷。逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋斗白黑,生死隨機權。六博在一擲,梟盧叱迴旋。
戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。
同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,溪宴駐潺湲。
別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。
自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。
手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。
維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此復留滯,歸驂幾時鞭。


送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#8>Ⅱ中唐詩338 紀頌之の漢詩ブログ1093

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#8>Ⅱ中唐詩338 紀頌之の漢詩ブログ1093


送靈師(韓愈 唐詩)
霊僧師を送る
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」

客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。

#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」


(下し文)
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。


(現代語訳) #8
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。


(訳注) #8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあっっている。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
謡俗 俗謡。・瑣屑 些細なこと。項は墳の俗字。・羅穿 ならべたり、せんさくしたりする。


材調真可惜,朱丹在磨研。
才智の程度はまったく惜しいおもわれるほどなのだ。朱を練っていき金丹のように、削って磨いていけくのである。
材調 才調と同じ。才智の程度。・朱丹在磨研 金丹のことで丹は水銀と硫黄の化合した赤色の鉱物。朱墨の原料である。丹が朱墨としての価値を発揮するのは硯にかけて磨ることによる、というほどの意。『呂氏春秋』に「丹は磨くべきも、朱を奪うべからず」という語がある。


方將斂之道,且欲冠其顛。
孔子孟子の教えをさずけ霊師を儒教の道に収容させるのである。そして、頭に冠をつけさせ、還俗させることなのだ。
方将 方も将も、二字合しても、まさに。・斂之道 仏教僧侶の霊師を儒教の道に収容する。・は儒教における大小之斂礼ということもある。・冠其順 その頭に冠をつけさせる。還俗させること。


韶陽李太守,高步凌雲煙。
韶陽の李太守どのがそこにいる、そのすぐれた歩みというものは雲やかすみをつきぬける御身分であるというものだ。
韶陽 韶州始興郡の地名。・高歩 すぐれた歩み。・凌雲煙 雲やかすみをつきぬける。


得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれるのである、そして、自分の財布ひらいて「絹、銭」を 惜しまずお与えなさるのである。
 そのたびごとに。・忘食 客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれる。・乞繒錢 絹布や銭を与える。おくりものとするのである。当時、絹布は貨幣の代用とされていた。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#7>Ⅱ中唐詩337 紀頌之の漢詩ブログ1090

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#7>Ⅱ中唐詩337 紀頌之の漢詩ブログ1090


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
聽說兩京事,分明皆眼前。」

その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。



現代語訳と訳註
(本文)
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」


(下し文)
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。


(現代語訳) #7
こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。


 (訳注)
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

こうしたのち、十月になってようやく五嶺山脈を越え 桂嶺くだるのである。冬の避寒にかこつけてこの地に寄られるということだ。
桂嶺 賀州臨賀郡にある県名。三国時代、呉の黄武5年(226年)に孫権が臨賀郡を置く。隋代に賀州を置く。・乗寒 陰暦十月は冬である。その寒さにかこつけて。・恣窺縁 うかがうゆかりを自由にする。この地にやって来たというほどの意。五嶺山脈の南、嶺南は暖熱の地だから避寒にはもってこいである。


落落王員外,爭迎穫其先。
そして、心のひろい王員外どのが、競い爭って第一番に霊師を獲得したのである。
落落 心のひろいさま。・王員外 王仲舒(761~822)のことで、韓愈と交友があった。礼部考籾員外郎から流されて当時連州司戸だった。曆任蘇州刺史、洪州刺史、中書舍人等。・穫其先 第一番に霊師を獲得した。


自從入賓館,占吝久能專。
そういうことにより客殿に迎い入れたのであるが、それはもう独り占めし、とても重用されたのである。
自従 より。そういうことにより。・賓館 客殼。・占吝 占拠。独占すること。


吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
われらもそれによってそそくさと夜具持参してよりあった、幾晩もぶっ続けに歓談し、優美をきわめた。
 やや、かなりというほどの意。すこぶると似た意で用いられることもある。・ 夜具。・接宿 幾晩もぶっ続けに。・【けん】優美なこと。美しいこと。


聽說兩京事,分明皆眼前。」
その歓談のなかにも長安・洛陽のことを語りあった。まざまざと皆、目の前にわき上るようにはっきり話したのだ。
両京 長安と洛陽。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#6>Ⅱ中唐詩336 紀頌之の漢詩ブログ1087

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#6>Ⅱ中唐詩336 紀頌之の漢詩ブログ1087


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」

(下し文)
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。


(現代語訳)#6
先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。


(訳注) #6
昨者至林邑,使君數開筵。

先ごろもことである、林邑の地に行くことがあったのだ、そこで刺史の招宴がたびたびあるのである。
林邑 驩州 日南郡越裳県、・使君 刺史またはこれに準ずる人をいう。


逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
放逐された三、四諸公の客臣が同席していた、霊師のふところがいっぱいになるまで蘭かおるすぐれた詩を贈られた。
逐客 放逐された客臣。・盈懐 霊師のふところがいっぱいになるまで。・蘭荃 どちらも匂いのよい草。そのようなすぐれた文章をさす。『楚辞』などに見える語である。


湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
まだその上にひろびろとした湖に漕ぎ出で舟遊びをする、さらさらとした水音で清い渓にとまってここでもえんをしたのだ。
漭沆 水の広大なさま。・潺湲【せんかん】1 さらさらと水の流れるさま。せんえん。2 涙がしきりに流れるさま。


别語不許出,行裾動遭牽。
別れをつげることばを云い出立のお許しをされることはなかったが、旅に出ようとする袖を引き戻されうごけることなかった。
別語 別れをつげることば。・行裾 行は旅。裾は衣服の襟から下をさす。場合によっては、ふところ、えり、すそ、そでをさす。ここでは、旅に出ようとする霊師の袖というほどの意。


鄰州競招請,書劄何翩翩。」
ということで隣あった州の間で靈僧師の招請を競い合っている、招きの手紙がしきりにひらひらと舞いこんでいるという。
書札 てがみ。・翩翩 ひらひら。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#5>Ⅱ中唐詩335 紀頌之の漢詩ブログ1084 

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#5>Ⅱ中唐詩335 紀頌之の漢詩ブログ1084 

送靈師(韓愈 唐詩)


#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。

#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」


(下し文) #5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。


(現代語訳) #5
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。


(訳注)
同行二十人,魂骨俱坑填。
同行したのは二十人にもなる。魂も骨體もことごとく奈落の底におちこんだ。
坑填 あなにうずもれる。


靈師不掛懷,冒涉道轉延。
そんなこんなも靈僧師どのはこころにもかけないのだ、冒険する意欲、探険する気持ちはその進むべき路を拡張し進展していくのである。


開忠二州牧,詩賦時多傳。
その時の開・忠二州の長官どのは開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫であった。詩賦の作者と広く著名なお方であった。
開忠二州牧 開州・忠州の刺史、牧は牧民官の意・当時、開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫。758. 中国,唐の政治家。字は弘憲,諡は忠懿。趙郡(河北省)の人。憲宗のとき宰相となる。現存最古の地誌『元和郡県図志』を編纂。李吉甫(りきっぽ)758-814 27歲爲太常博士。後任忠州、郴州、饒州刺史。元和二年(807年)爲相。後因與竇群等有隙,三年(808年) 九月轉任淮南節度使。六年(811年)正月還朝複相,封讚皇侯,徙趙國公。その子李徳裕(り とくゆう、787年 - 849年)は、中国・唐代の政治家である。趙郡(河北省寧晋県)を本貫とする、当代屈指の名門・李氏の出身。字は文饒。憲宗朝の宰相であった李吉甫の子である。徳裕は、幼くして学を修めたが、科挙に応ずることを良しとせず、恩蔭によって校書郎となった。820年、穆宗が即位すると、翰林学士となった。次いで、822年には、中書舎人となった。その頃より、牛僧孺や李宗閔らと対立し始め、「牛李の党争」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。また、後世の仏教徒からは、道士の趙帰真と共に「会昌の廃仏」を惹起した張本人である、として非難されている。
 
敬宗の代に浙西観察使となって、任地に善政を敷き、帝を諌める等の功績があった。829年、文宗代では、兵部侍郎となった。時の宰相、裴度は、徳裕を宰相の列に加えるよう推薦した。しかし、李宗閔が、宦官と結託して先に宰相の位に就いた。逆に、830年徳裕は、投を排除され、鄭滑節度使として地方に出された。833年兵部尚書になる。 甘露の変の際、前年より病勝ちで療養中の出来事。

840年、武宗が即位すると、徳裕が宰相となり、843年、844年劉稹の地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、宣宗が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。

特に『会昌一品集』は、李徳裕が宰相として手腕をふるった会昌年間6年に書いた制・詔・上奏文などをまとめたものである。ここには彼が処理した、ウイグル帝国崩壊後、南へ逃れ唐北辺へと流れてきたウイグル一派への対応や、昭義軍節度使劉稹の反乱の平定など、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料として注目される。

漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107


失職不把筆,珠璣爲君編。
輝く前職を失ってしまうとその後詩筆をお取りなされなくなった、それをかがやく宝飾、真珠の文字でもってあなたのためにと編纂されたのだ。
失職 りっぱな地位を失う。・珠璣爲君編 宝玉のような文字をあみつらねて君におくる文章とした。璣は丸くない珠。


強留費日月,密席羅嬋娟。」
そうして無理に引きとめられ、月日を無駄に費やした。その期間にはかこわれた部屋において美女のサービスをうけたりもしたのだ。
嬋娟 美女。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#4>Ⅱ中唐詩334 紀頌之の漢詩ブログ1081

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#4>Ⅱ中唐詩334 紀頌之の漢詩ブログ1081


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

瞿塘峡001瞿塘峡

現代語訳と訳註
(本文)
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」


(下し文)#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。


(現代語訳)#4
瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。


(訳注) #4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。

瞿塘峡の五、六月が最も危険である。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
瞿塘 長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。三峡瞿塘峡四川省奉節県の東にある。ようし長江で最もせまい峡谷で、古来難処として知
られ、ことに陰暦五、六月のころが、最も渡航に危険だとされる。
驚電讓歸船 譲をゆずると読む説と、せむと胱む説とがある。ゆずるならば、帰る船のはげしい早さには稲妻もゆずるほどという意である。せむならば、稲妻が帰る船を責め怒るようだ。


怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
怒濤は忽ち寄せ來る波でせめぎ合いをし、そしてなかばより裂ける。千尋の底、地獄の淵涯までまっさかさまに落ちていく。
幽泉 黄泉と同じ、よみじ、地獄。


環回勢益急,仰見團團天。
逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、勢いはさらに増していく、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような円形の空になっている。
団団天 まんまるい天。渦巻の底から天を見ると円く見える。すり鉢の底から見た空。


投身豈得計,性命甘徒捐。
そこに身を投げ、舟を進めるどういうわけか無謀なことをしているのだ。甘いその時の感情で出発したことは自分の命をむざむざ棄てるということではないか。


浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
白浪が時にちぢまり、はじけてひるがえり、そしてわきあがると木の葉の船はあわとなってこなごなにくだけ散る。それでもどうやら浮び上ったようで、ふたたび生きているのを感じとり、命ぱかりはとりとめたということだ。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#3>Ⅱ中唐詩333 紀頌之の漢詩ブログ1078

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#3>Ⅱ中唐詩333 紀頌之の漢詩ブログ1078


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」

風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。


現代語訳と訳註
(本文) #3

戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」


(下し文)
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。


(現代語訳)#3
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。


 (訳注)#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
歌詩、戦文で詩文の技を競い合うが、だれも敵となるものがいないし、それは広く見渡して、大小の矛を横に振って近づけないようなのだ。
戦詩 詩文のわざをぎそいあうことを、唐の人は歌詩、戦文などといった。○浩汗 水の広大なさま。ひろく限りないこと。汗は瀚に通じる。○戈鋋 戈は柄の先端に両刃の刀を一つ横につけたほこ。鋋は小さなほこ。


飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
お酒にいたってはしばしの間に百杯飲んでしまい、あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。
嘲諧思逾鮮 あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。


有時醉花月,高唱清且緜。
そしてある時は、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、歌を唱わせれば清々しくそして連綿と続く声なのだ。


四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
お座敷の宴席で四方にいならぶ人たち一同は聞き惚れてしんと静まるものであり、その鎮まりはまるで湘江の水の神が「湘弦」の曲を奏でるときのようなのだ。
四座 その席の四方にいならぶ人。○寂黙 聞きほれてしいんとする。○湘絃 湘水の神のひく語。古代の帝王亮のむすめで帝舜の妃となった蛾皇・女英が舜の死後、湘水に身投げしてその川の神となった。盛唐から中唐はじめの銭起(722-780)「湘靈鼓瑟」に「善鼓雲和瑟、常聞帝子霊。馮夷空自舞、楚客不堪聴。苦調凄金石、清音入杳冥。蒼梧来怨慕、白芷動芳馨。流水伝瀟浦、悲風過洞庭。曲終人不見、江上数峰青。」(湘君が舜帝の魂を慰めるために瑟を奏でると、その清らかで悲しい調べに誘われて水神も舞う。屈原は聞くことさえ堪えられないほどである。悲愴な音色は鐘や馨よりも遥か遠くまで悲しげに響いていく。舜の魂も眠る蒼梧から遥々やって来て、二人の妃との離別を悲しんだ。水中の香草はいい香りを周りに漂わせ、その調べは流水のように湘水の岸辺まで伝わり、悲風のように洞庭湖の湖面を渡っていく。やがて瑟の音が終わると、周りに人影は見えず、岸辺にただ幾つかの峰々が青くそそり立つのみであった。)


尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもありたとえ険路であってもいとわない。かの黔江を幾度も遡り、流れくだったということをしたのだ。
尋勝 風流を愛で勝景を訪ね歩く旅客。○黔江 貴州の東南から流れ出る川で、長江の最上流の一つ。○洄沿 流れに逆らって上ることを洄、順って下ることを沿という。

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#2>Ⅱ中唐詩332 紀頌之の漢詩ブログ1075

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#2>Ⅱ中唐詩332 紀頌之の漢詩ブログ1075


送靈師(韓愈 唐詩)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」

六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」
#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

天台山 瓊臺

現代語訳と訳註
(本文)
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」


(下し文) #2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」


(現代語訳)
幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。


(訳注)
少小涉書史,早能綴文篇。

幼少のころから 四書五経、歴史書を読んでしまった少年のころになると旱くも詩文の作成に力を示し巧く編纂したりした。


中間不得意,失蹟成延遷。
成人になって意気盛んなころになると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、文官試験をうけ、合格して中央の官途につくという出世のコースから、しりぞいて出家したのである。
成延遷 しりぞく。文官試験をうけ合格すれば官途につくという予定のコースから、しりぞいて出家したことをさす。


逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義なんぞに拘泥しないのであるし、それが人より高くぬきんでており、仏教徒として守るべき戒律を無視するのである。
逸志 並はずれた志。○軒騰 高くつき上っている。○斷牽攣 束縛をたち切る。仏教徒として守るべき戒律を無視することをさす。


圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせるこをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなものであった。
○機 はかりごと。


六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
六博の賭博をやり、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあった。
六博 。ハクチの道具。○梟盧 バクチに使うサイの目。当時、五木というサイを使った。五木は五本の小さなヘラのような木で、両端がとがり、投げるとくるくる室わる。両面は白と黒に塗りわけ、黒い面に子牛、白い面に焙が描いてある。五本投げて白黒の出かたで勝負する。五本とも黒が出ると盧といい、最高で六点。四黒一白を薙といって次点。全部白だと梟といって最下の一点。これが普通の採点法だが場合によっては、いろいろ複雑な採点法を加味したようである。

梟盧一擲【きょうろいってき】思い切ってさいころを投げる。大勝負に出ることのたとえ。  「梟盧」は、ばくち。「一擲」は、すごろくのさいころなどを思い切って投げること。梟は一、盧は六を表す
李白『猛虎行』
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
○六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む○一擲 一回賽を投げろと連呼する
李白『梁園吟』「連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。」
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて質する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。」
nat0021

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#1>Ⅱ中唐詩331 紀頌之の漢詩ブログ1072

送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#1>Ⅱ中唐詩331 紀頌之の漢詩ブログ1072


送靈師(韓愈 唐詩)
霊僧師を送る
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」

さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
#2
少小涉書史,早能綴文篇。
中間不得意,失蹟成延遷。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
圍棋鬥白黑,生死隨機權。
六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
#3
戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
有時醉花月,高唱清且緜。
四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
#4
瞿塘五六月,驚電讓歸船。
怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
環回勢益急,仰見團團天。
投身豈得計,性命甘徒捐。
浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
#5
同行二十人,魂骨俱坑填。
靈師不掛懷,冒涉道轉延。
開忠二州牧,詩賦時多傳。
失職不把筆,珠璣爲君編。
強留費日月,密席羅嬋娟。」
#6
昨者至林邑,使君數開筵。
逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
别語不許出,行裾動遭牽。
鄰州競招請,書劄何翩翩。」
#7
十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
落落王員外,爭迎穫其先。
自從入賓館,占吝久能專。
吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
聽說兩京事,分明皆眼前。」
#8
縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
材調真可惜,朱丹在磨研。
方將斂之道,且欲冠其顛。
韶陽李太守,高步凌雲煙。
得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
#9
手持南曹叙,字重青瑤鐫。
古氣參彖系,高標摧太玄。
維舟事幹謁,披讀頭風痊。
還如舊相識,傾壺暢幽悁。
以此複留滯,歸驂幾時鞭。」


(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」

#2
少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。
中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。
逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。
棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。
六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」
#3
詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。
酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。
四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。
勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。
#4
瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。
怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。
環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。
身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。
浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。
#5
同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。
霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。
開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。
職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。
強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。
#6
昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。
逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。
湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。
別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。
鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。
#7
十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。
落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。
賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。
吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。
兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。
#8
樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。
材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。
方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。
韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。
客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。
#9
手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。
古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。
舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。
還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。
此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。




現代語訳と訳註
(本文)
#1 
佛法入中國,爾來六百年。
齊民逃賦役,高士著幽禪。
官吏不之制,紛紛聽其然。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。
靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」


(下し文)
(靈師を送る)
佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。
齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。
官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。
耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。
靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。」


(現代語訳)
霊僧師を送る
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。


 (訳注) #1 
送靈師

霊僧師を送る
送霊師 底本巻二。804年貞元二十年陽山での作。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。


佛法入中國,爾來六百年。
仏教が中国に伝来して既に600年以上がすぎている。
爾来六百年 仏教の中国伝来については諸説あり、『資治通鑑』に後漢の明帝の65年永平八年に「初め帝、西域に神ありてその名を仏といふと聞き、使をして天竺にゆきてその道を求めしむ」とある。その年から804年貞元二十年まで七百四十年。布教活動して、修行するまで140年かかったということであろうか。


齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかで税金や徴兵逃れに坊主となるものであったものが、いつのまにか高い徳を持った士まで 静かに精神統一を行う禅を愛するとりことなった。
斉民 平民。○逃拭役 僧は納税労役の義務を免除されていたから、税金のがれや徴兵忌避で剃髪得度する人民が少なくなかった。○高士 高い徳を持った士。知識人。○ 愛と同じ意味で使われている。○幽禅 幽玄な禅。禅は禅那とも禅定ともいい一種の精神統一法で、仏教の主要な修行法である。ここではいわゆる禅宗ではない。


官吏不之制,紛紛聽其然。
官吏はこれを禁止してはいなかったが、紛紛としたゴネ得のものたちをそのまま許してしまいった。
紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。ごね得のさま。


耕桑日失隸,朝署時遺賢。
ということもあり、農耕養蚕に従う奴隷たちが日ごとにいなくなり、朝廷官署にしておく人材さえも時には放って民間におかねばならないこともある。
朝署 朝廷官署。○遺賢 賢者はみな登用して官につけ国家に役立たせるべきひとだのに、それをすてておく。『書経』の大禹謨に「野に遣賢なし」の語がみえる。朝廷以外を野という。民間のことである。いい人材は民間に置かずに登用するものだ。


靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。」
さて霊僧師さまは、出家される前の苗字は皇甫氏であった、連綿とつたわる名家の子孫であった。
胤冑 子孫。○蝉聯 連綿と同じ。絶えないさま。

縣齊讀書 韓退之(韓愈)詩<48> Ⅱ中唐詩330 紀頌之の漢詩ブログ 1069

縣齊讀書 韓退之(韓愈)詩<48> Ⅱ中唐詩330 紀頌之の漢詩ブログ 1069
縣齋讀書(在陽山作)(韓愈 唐詩)
804年貞元二十年]



縣齋讀書 
陽山県の書斎で書を読む。
出宰山水縣,讀書松桂林。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
蕭條捐末事,邂逅得初心。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
詩成有共賦,酒熟無孤斟。』
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。
#2
青竹時默釣,白雲日幽尋。
南方本多毒,北客恒懼侵。
謫譴甘自守,滯留愧難任。
投章類縞帶,伫答逾兼金。』

出でて 山水の県に宰となり、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】として末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成りて共に賦すること有り、酒熟して孤【ひと】り斟【く】むこと無し。』
青竹【せいちく】もて時に默【もく】して釣り、白雲 日【ひび】に幽尋【ゆうじん】す。
南方 本【もともと】 毒多し、北客【ほくきゃく】 恒【つね】に侵されむことを懼【おそ】る。
謫譴【たくけん】 自ら守るに甘んじ、滞留【たいりゅう】 任【た】へ難きを愧【は】づ。
章を投ずるは縞帯【こうたい】に類す、答を伫【ま】つこと兼金【けんきん】に逾【こ】えたり』

iwamizu01


現代語訳と訳註
(本文)
#1
縣齋讀書 
出宰山水縣,讀書松桂林。
蕭條捐末事,邂逅得初心。
哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
詩成有共賦,酒熟無孤斟。』


(下し文) #1
出でて 山水の県に宰となり、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】として末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成りて共に賦すること有り、酒熟して孤【ひと】り斟【く】むこと無し。』


(現代語訳)
陽山県の書斎で書を読む。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。


(訳注)
陽山県の書斎で書を読む
県斎読書 底本巻四。804年貞元二十年陽山での作。
韓愈に『縣齋有懷』(陽山縣齋作805年貞元二十一年)がある。


出宰山水縣,讀書松桂林。
左遷され陽山県の知事になったが山水ゆたかなところである、時には県令として高台の松桂の林で読書することもある。
 長安の中央官庁から地方に転出する。・ 為政者。ここでは県令となること。○山水県 山水に富んだ県。自分が県令であることと半官半隠であることをあらわしている。○松桂林 松とモクセイの混生した林。陽山県の北二里に賢令山(牧民山)があって、その上に読書台があり、それがこの詩にいう読書松桂林のあとだとされる。


蕭條捐末事,邂逅得初心。
都を離れものさびしい思いが募る時には些事うちすててひっそりすごすのである。するとここでめぐりあう人は初めから気が合う人なのである。
蕭條 ものさびしいさま。○邂逅 めぐりあい。○得初心 初対面のときから気が合う。


哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
尾長猿の哀しい鳴き声は俗事を聞くことでけがれた耳を高潔の士許由のように耳を洗うまでのことではないが醒まさせてくれるのだ、穢れのない清らかな泉は世俗のことにわずらわされる心を潔めてくれる。
哀狖 かなしく鳴く尾長猿の声。○俗耳 俗事を聞くことによりけがれた耳。○有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八」○塵襟 世俗のくだらないことどもを塵という。襟はえりのあるところ、すなわち胸、すなわち心。つまり世俗のことにわずらわされる心である。


詩成有共賦,酒熟無孤斟。』
わたしは酒をつくるのではなく詩を成ってここで新しくできた友と唱和するのであり、陶淵明のように酒を造り熟してさびしく独酌することはないのである。
孤酎 独酌する。陶淵明の詩に、「舂秫作美酒、酒熟吾自斟」(秫(じゅつ)を舂(つ)きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟(く)む。)“もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。”の句がある。韓愈は明らかに陶の句をふまえているが、儒者として濁りのない酒、聖人の酒「清酒」を飲むというのだ。韓愈は陶淵明の思想は評価していない。


(参考) 韓愈は語句について、下に示す「陶淵明の詩」に基づいて作詩している。
和郭主簿 其一 陶淵明
藹藹堂前林、中夏貯淸陰。
凱風因時來、回飆開我襟。
息交遊閑業、臥起弄書琴。
園蔬有餘滋、舊穀猶儲今。
營已良有極、過足非所欽。
舂秫作美酒、酒熟吾自斟。
弱子戲我側、學語未成音。
此事眞復樂、聊用忘華簪。
遙遙望白雲、懷古一何深。  


藹藹たり堂前の林、中夏に清陰を貯う。
凱風 時に因りて来たり、回飆(かいひょう) 我が襟を開く。
交りを息(や)めて閑業に遊び、臥起に書琴を弄ぶ。
園蔬は余滋有り、旧穀は猶お今に儲(たくわ)う。
已(おのれ)を営むは良(まこと)に極(さだめ)有り、足るに過ぐるは欽(ねが)う所に非ず。
秫(じゅつ)を舂(つ)きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟(く)む。
弱子(じゃくし)我が側らに戲むれ、語を學(ま)ねて未だ音を成さず。
此の事眞に復た樂し、聊か用って華(か)簪(しん)を忘る。
遙遙たる白雲を望む、古(いにしえ)を懐(おも)うこと一(いつ)に何ぞ深き。

(座敷の前の林はこんもりと茂り、夏のさなかにはさわやかな木陰をたくわえている。折から南風が吹くようになり、小さく渦巻いてわたしの襟元を吹きひらく。世間との付き合いをやめたわたしのいまの関心は芸に遊ぶことにあって、日がな一日、書物や琴をもてあそんでいる。畑の野菜はすくすくと育っているし、穀物も去年の分がまだたくわえてある。暮らしを立てるには一定の限度があり、必要以上に求めるのは不本意なことである。もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。幼い子供が傍で戯れている。まだ言葉を覚えだしたばかりで片言しか話すことは出来ない。こうした生活は本当に楽しく、束の間、華やかな政治の世界を忘れることが出来る。遠くを流れる白い雲を眺めながら、古き良き時代を想うことはなんとも趣き深いことだ。)

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