漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2012年07月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#14>Ⅱ中唐詩390 紀頌之の漢詩ブログ1249

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#14>Ⅱ中唐詩390 紀頌之の漢詩ブログ1249


南山詩 第四部 (韓愈 唐詩)
南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項
第三部 以前左遷の際、冬に終南山を抜けた時の事

第四部 (#13~#16―十句五聯を四章分)
終南山の特徴


#13 
或散若瓦解,或赴若輻湊。
あるものは瓦がばらばらになったように散らばった小山があり、あるものは車の矢があつまるようにひと所をめざしている谷と尾根がある。
或翩若船游,或決若馬驟。
あるものは船がうかぶようにかろやかな稜線であり、あるものは馬が走るようにぶつりときれて崖を成している。
或背若相惡,或向若相佑。
あるものは憎みあうように背中あわせになっているし、あるものは助けあうように向かいあっている。
或亂若抽筍,或嵲若注灸。
あるものはたけのこがふいに頭を出したばかりのように乱れた小山があり、あるものは灸をすえるときの百草のようにけわしくもりあがっている小山がある。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。
あるものは絵画のように濃い薄い、淡い深いなど複錐にまじわりあう山々があり、あるものは篆文のようにまがりくねっている。
或るいは散じて瓦の解く若し,或るいは赴いて輻【くるまや】の湊【あつま】るが若し。
或るいは翩【へん】として船游若し,或るいは決【けつ】として馬の驟【はし】るが若し。
或るいは背【そむ】いて相い惡【にく】むが若し,或るいは向いて相い佑【たす】くるが若し。
或るいは亂れて筍の抽【お】うるが若し,或るいは嵲【あや】うくして灸を注【す】えたるが若し。
或るいは錯【まじ】わりて繪畫の若し,或るいは繚【まと】わりて篆籀【てんちゅう】の若し

終南山01
#14
或羅若星離,或蓊若雲逗。
あるものは星が天にちりばめられ、星座をつくっているように居並ぶ、あるものは草木の盛んに繁って山の形がもりあがるような勢いであり、雲がとどまっているように勢いをひそめている。
或浮若波濤,或碎若鋤耨。
あるものは大波小波のようにただよい、あるものは土を掘りかえして草を取る道具、川葦草を取る鋤物で耕やされたように砕けている。
或如賁育倫,賭勝勇前購。
あるものは孟賁や夏育のような人たちがいるようであり、目の前の賞品に勇んで勝負をかけているようである。
先強勢已出,後鈍嗔餖譳。
先の方は強くて形勢が早くも図抜けており、後の方は鈍さのあまり腹を立ててぶつぶつ不満をいっているようだ。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。
あるものは帝王が尊厳、威厳をもっているようであり、身分いやしきものいと幼い王族のものたちをよびあつめ朝廷での朝礼に集わせられているようである。
或るいは羅【つら】なって星の離【つら】なるが若く、或るいは蓊【さかん】にして雲の逗【とど】まるが若し。
或るいは浮かんで波濤【はとう】の若く、或るいは砕【くだ】けて鋤耨【じょどう】せしが若し。
或るいは賁育【ほんいく】が倫【りん】の、勝つことを賭けて前の購【かけもの】に勇むが如し。
先強うして勢 已【すで】に出で、後 鈍くして嗔【いか】って餖譳【とうどう】す。
或るいは帝王の尊きが、叢【あつ】め集めて賤幼【せんよう】を朝せしむるが如し。

#15
雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,餚核紛饤饾。
又如游九原,墳墓包槨柩。或累若盆罌,或揭若覴梪。
或覆若曝鱉,或頹若寢獸。
#16 
或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。或齊若友朋,或隨若先後。
或迸若流落,或顧若宿留。或戾若仇讎,或密若婚媾。
或儼若峨冠,或翻若舞袖。
#17  
或屹若戰陣,或圍若蒐狩。或靡然東注,或偃然北首。
或如火熹焰,或若氣饙餾。或行而不輟,或遺而不收。
或斜而不倚,或弛而不彀。
#18
或赤若禿鬝,或熏若柴槱。或如龜拆兆,或若卦分繇。
或前横若剝,或後斷若姤。延延離又屬,夬夬叛還遘。
喁喁魚闖萍,落落月經宿。
#19
誾誾樹牆垣,巘巘駕庫廄。參參削劍戟,煥煥銜瑩琇。
敷敷花披萼,闟闟屋摧霤。悠悠舒而安,兀兀狂以狃。
超超出猶奔,蠢蠢駭不懋。大哉立天地,經紀肖營腠。
#20 
厥初孰開張,黽勉誰勸侑。創茲樸而巧,戮力忍勞疚。
得非施斧斤,無乃假詛咒。鴻荒竟無傳,功大莫酬僦。
嚐聞於祠官,芬苾降歆嗅。斐然作歌詩,惟用讚報酭。


現代語訳と訳註
(本文) #14
或羅若星離,或蓊若雲逗。
或浮若波濤,或碎若鋤耨。
或如賁育倫,賭勝勇前購。
先強勢已出,後鈍嗔餖譳。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。


(下し文)
或るいは羅【つら】なって星の離【つら】なるが若く、或るいは蓊【さかん】にして雲の逗【とど】まるが若し。
或るいは浮かんで波濤【はとう】の若く、或るいは砕【くだ】けて鋤耨【じょどう】せしが若し。
或るいは賁育【ほんいく】が倫【りん】の、勝つことを賭けて前の購【かけもの】に勇むが如し。
先強うして勢 已【すで】に出で、後 鈍くして嗔【いか】って餖譳【とうどう】す。
或るいは帝王の尊きが、叢【あつ】め集めて賤幼【せんよう】を朝せしむるが如し。


(現代語訳)
あるものは星が天にちりばめられ、星座をつくっているように居並ぶ、あるものは草木の盛んに繁って山の形がもりあがるような勢いであり、雲がとどまっているように勢いをひそめている。
あるものは大波小波のようにただよい、あるものは土を掘りかえして草を取る道具、川葦草を取る鋤物で耕やされたように砕けている。
あるものは孟賁や夏育のような人たちがいるようであり、目の前の賞品に勇んで勝負をかけているようである。
先の方は強くて形勢が早くも図抜けており、後の方は鈍さのあまり腹を立ててぶつぶつ不満をいっているようだ。
あるものは帝王が尊厳、威厳をもっているようであり、身分いやしきものいと幼い王族のものたちをよびあつめ朝廷での朝礼に集わせられているようである。


(訳注)
或羅若星離,或蓊若雲逗。

あるものは星が天にちりばめられ、星座をつくっているように居並ぶ、あるものは草木の盛んに繁って山の形がもりあがるような勢いであり、雲がとどまっているように勢いをひそめている。
○羅 ならぶ。羅列の齢である。○星離 離は、くっつく。離は、麗(つく)である。ここは、星が天にくっついてちりばめられて星座を爲していること。なお、普通には、「星離」といえば、星のようにぱらばらに散ってしまうことをいう。○ 草木のさかんにしげっているさま。山の形がもりあがるような勢いであることをいう。○雲逗 逗は、じっとしている。


或浮若波濤,或碎若鋤耨。
あるものは大波小波のようにただよい連なる小山であり、あるものは土を掘りかえして草を取る道具、川葦草を取る鋤物で耕やされたように砕けているところがある。
鋤耨 耨は、土を掘りかえして草を取る道具、およびその道具を川いて草を取ること。ここは鋤物とも、勤詞として用いられている。すきくわで土を掘りかえしたようにばらばらになっている、ということ。


或如賁育倫,賭勝勇前購。
あるものは孟賁や夏育のような人たちがいるようであり、それは目の前の賞品に勇んで勝負をかけているようである。
賁育 賁は、孟賁。育は、夏育。どちらも古代の力にすぐれた勇士。○ たぐい、類。○賭勝 勝負をかける。○前購 購は、買収するということであるが、ここでは、賭けの賞品をいう。


先強勢已出,後鈍嗔餖譳。
先の方は強くて形勢が早くも図抜けており、後の方は鈍さのあまり腹を立ててぶつぶつ不満をいっているようだ。
先強勢已出 先の方は強くてもう勝ちを得た勢いだ。山の形でいえば、威勢よく中空につっ立っているさま。O後鈍嗔餖譳 餖譳は、はっきり口のきけない形容。後の方はにぶくてそれに腹を立ててぶつぶつ不平をいっている。山の形でいえば、先の方が高くけわしくつっ立っているのに対し、後の方は低くはなっているが、起伏の多いのをいう。


或如帝王尊,叢集朝賤幼。
あるものは帝王が尊厳、威厳をもっているようであり、身分いやしきものいと幼い王族のものたちをよびあつめ朝廷での朝礼に集わせられているようである。
叢集 よせあつめる。○賤幼 賤は、身分の低いもの。幼は、王族の幼少のものをいうのであろう。朝賤幼ということばを造ったのは、幼で押韻するためである。・朝 朝の集い。夜明け前にちょうれのために集まる雰囲気をいう。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#13>Ⅱ中唐詩389 紀頌之の漢詩ブログ1246

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#13>Ⅱ中唐詩389 紀頌之の漢詩ブログ1246


南山詩 第四部 (韓愈 唐詩)
南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項
第三部 以前左遷の際、冬に終南山を抜けた時の事

第四部 (#13~#16―十句五聯を四章分)
             終南山の特徴


#13 
或散若瓦解,或赴若輻湊。
あるものは瓦がばらばらになったように散らばった小山があり、あるものは車の矢があつまるようにひと所をめざしている谷と尾根がある。
或翩若船游,或決若馬驟。
あるものは船がうかぶようにかろやかな稜線であり、あるものは馬が走るようにぶつりときれて崖を成している。
或背若相惡,或向若相佑。
あるものは憎みあうように背中あわせになっているし、あるものは助けあうように向かいあっている。
或亂若抽筍,或嵲若注灸。
あるものはたけのこがふいに頭を出したばかりのように乱れた小山があり、あるものは灸をすえるときの百草のようにけわしくもりあがっている小山がある。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。
あるものは絵画のように濃い薄い、淡い深いなど複錐にまじわりあう山々があり、あるものは篆文のようにまがりくねっている。
或るいは散じて瓦の解く若し,或るいは赴いて輻【くるまや】の湊【あつま】るが若し。
或るいは翩【へん】として船游若し,或るいは決【けつ】として馬の驟【はし】るが若し。
或るいは背【そむ】いて相い惡【にく】むが若し,或るいは向いて相い佑【たす】くるが若し。
或るいは亂れて筍の抽【お】うるが若し,或るいは嵲【あや】うくして灸を注【す】えたるが若し。
或るいは錯【まじ】わりて繪畫の若し,或るいは繚【まと】わりて篆籀【てんちゅう】の若し。

#14
或羅若星離,或蓊若雲逗。或浮若波濤,或碎若鋤耨。
或如賁育倫,賭勝勇前購。先強勢已出,後鈍嗔餖譳。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。
#15
雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,餚核紛饤饾。
又如游九原,墳墓包槨柩。或累若盆罌,或揭若覴梪。
或覆若曝鱉,或頹若寢獸。
#16 
或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。或齊若友朋,或隨若先後。
或迸若流落,或顧若宿留。或戾若仇讎,或密若婚媾。
或儼若峨冠,或翻若舞袖。
#17  
或屹若戰陣,或圍若蒐狩。或靡然東注,或偃然北首。
或如火熹焰,或若氣饙餾。或行而不輟,或遺而不收。
或斜而不倚,或弛而不彀。
#18
或赤若禿鬝,或熏若柴槱。或如龜拆兆,或若卦分繇。
或前横若剝,或後斷若姤。延延離又屬,夬夬叛還遘。
喁喁魚闖萍,落落月經宿。
#19
誾誾樹牆垣,巘巘駕庫廄。參參削劍戟,煥煥銜瑩琇。
敷敷花披萼,闟闟屋摧霤。悠悠舒而安,兀兀狂以狃。
超超出猶奔,蠢蠢駭不懋。大哉立天地,經紀肖營腠。
#20 
厥初孰開張,黽勉誰勸侑。創茲樸而巧,戮力忍勞疚。
得非施斧斤,無乃假詛咒。鴻荒竟無傳,功大莫酬僦。
嚐聞於祠官,芬苾降歆嗅。斐然作歌詩,惟用讚報酭。


現代語訳と訳註
(本文)
#13 
或るいは散じて瓦の解く若し,或るいは赴いて輻【くるまや】の湊【あつま】るが若し。
或るいは翩【へん】として船游若し,或るいは決【けつ】として馬の驟【はし】るが若し。
或るいは背【そむ】いて相い惡【にく】むが若し,或るいは向いて相い佑【たす】くるが若し。
或るいは亂れて筍の抽【お】うるが若し,或るいは嵲【あや】うくして灸を注【す】えたるが若し。
或るいは錯【まじ】わりて繪畫の若し,或るいは繚【まと】わりて篆籀【てんちゅう】の若し。


(下し文)
或散若瓦解,或赴若輻湊。
或翩若船游,或決若馬驟。
或背若相惡,或向若相佑。
或亂若抽筍,或嵲若注灸。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。


(現代語訳)
あるものは瓦がばらばらになったように散らばった小山があり、あるものは車の矢があつまるようにひと所をめざしている谷と尾根がある。
あるものは船がうかぶようにかろやかな稜線であり、あるものは馬が走るようにぶつりときれて崖を成している。
あるものは憎みあうように背中あわせになっているし、あるものは助けあうように向かいあっている。
あるものはたけのこがふいに頭を出したばかりのように乱れた小山があり、あるものは灸をすえるときの百草のようにけわしくもりあがっている小山がある。
あるものは絵画のように濃い薄い、淡い深いなど複錐にまじわりあう山々があり、あるものは篆文のようにまがりくねっている。


(訳注)
或散若瓦解,或赴若輻湊。

あるものは瓦がばらばらになったように散らばった小山があり、あるものは車の矢があつまるようにひと所をめざしている谷と尾根がある。
瓦解 瓦のように粘蕭力なくばらばらにな。てしまうこと。○ 一定の方向に行くこと。○輻湊 輻は、車の矢。車の矢は、車輸の中心にある、まん中に軸をとおすあなのあいているまるい木にあつまる。それを輻湊という。湊は、あつまる、輳とも書く。


或翩若船游,或決若馬驟。
あるものは船がうかぶようにかろやかな稜線であり、あるものは馬が走るようにぶつりときれて崖を成している。
 ひらひらと軽やかにただよ。ているさま。○ 断ち切れる。山の端、稜線が堤防の決潰というときの決である。


或背若相惡,或向若相佑。
あるものは憎みあうように背中あわせになっているし、あるものは助けあうように向かいあっている。
 助ける。


或亂若抽筍,或嵲若注灸。
あるものはたけのこがふいに頭を出したばかりのように乱れた小山があり、あるものは灸をすえるときの百草のようにけわしくもりあがっている小山がある。
抽笥 抽は、芽が出ること。筍は、たけのこ。○ 山の高くけわしく安定していないさま。○注灸 灸をすえる。ここは、灸をすえたとき、もぐさがもりあがっているのに似ているというもの。


或錯若繪畫,或繚若篆籀。
あるものは絵画のように濃い薄い、淡い深いなど複錐にまじわりあう山々があり、あるものは篆文のようにまがりくねっている。
 いりまじる。交鈎、錯綜の錯である。○ まといつく。〇篆籀 篆文【てんぶん】と籀文【ちゅうぶん】。中国の古代の文字の書体の一つ。篆文、籀文、古文は、漢字の成り立ちを知る補助となる。印の文字に使用されるものもある。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#12>Ⅱ中唐詩388 紀頌之の漢詩ブログ1243

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#12>Ⅱ中唐詩388 紀頌之の漢詩ブログ1243


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項

第三部 (#9~#12―十句五聯を四章分)


#9 
拘官計日月,欲進不可又。
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
魚やえびは前かがみになって手攫みできるというものだが、竜となればそうやすやすと捕えることができものではない。
林柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。

見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。
官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。
因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。
魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。
林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。
争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。
#10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。

かえり行く道からふりかえってみると、山はそそり立ち壮大にまた重なり合ってもいる。
籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
ああ本当に不思議なものだと思うのは、この嶮しい山そのものが変化することができるということなのだ。
前年遭譴謫,探曆得邂逅。
さきの年803年に陽山に地方官に流されて、この南山を越えて行くこととなりおもいがげなくもわけ入ったのであった。
初從藍田入,顧盻勞頸脰。
まず藍田から山へはいったばかりのところである、あたりを見まわし、振り返り見て、山が高いので、首をつかれさせるばかりであった。
時天晦大雪,淚目苦矇瞀。
その時折悪しく一転、かき暗くなり大雪にかわったのだ、都を後にして涙のたまった目にはまったく何も見えなかった。
鏇【めぐ】り帰って道より回【かえ】り睨【み】れば、達枿【たつげつ】として壮にして復た奏【あつ】まる。
籲嗟【ああ】信に奇怪【きかい】なり、峙質【じしつ】も能く化貿【かぼう】す。
前年【ぜんねん】鑓鏑【けんたく】に遭い、探歴【たんれき】して邂逅【かいこう】することを得たり。
初じめ藍田【らんでん】より入りしとき、顧盻【こべん】して頸脰【けいとう】を労す。
時に 天 晦【くろ】うして大いに雪ふり、涙の目は苦【はなは】だ矇瞀【もうぼう】たり。

#11
峻塗拖長冰,直上若懸溜。
けわしい道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長い、氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぼって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ。
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
着物の裾をからげて馬から降りて歩き、馬をおすこともある。つまずいたり、たおれたり、すべりおちてはまたのぼるという具合だ。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
なかなか進めず心があわただしくなり、はるか先をながめ渡すことなど忘れてしまい、見えるところといえばほんの左右身近なところばかりである。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
杉林と竹やぶなのかと、どちらでできた矛なのか見まがいをしてしまう、木か竹の上にはきらきらと氷雪のよろいかぶとをまとっていた。
專心憶平道,脱險逾避臭。
ひたすら心に浮かぶのは平らかな道を思うことであり、この難所を通り抜けたい一心はいやな臭いを避けようとするよりも増しているほどだ。
唆【けわ】しき塗【みち】に長き冰りを拖【ひ】き、直ちに上ぼれば懸かれる溜【なが】れの若し。
衣を襄【かか】げて歩んで馬を推せば、顛【たお】れ蹶【つまず】いて退いては且た復【ふたたび】す。
蒼黄【そうこう】として遐【とお】く睎【み】んことを忘れ、矚【み】る所は才【わず】かに左右のみ。
杉篁【さんこう】は蒲蘇【ほそ】かと咤【あや】しみ、杲耀【こうよう】として介冑【かいちゅう】を攢【あつ】む。
心を専【もっぱ】らにして平らかなる道を憶い、険を脱【まぬ】かるること臭【しゅう】を避【さ】くるに逾【こ】えたり。

12 
昨來逢清霽,宿願忻始副。
昨日からは折りよく上天気にめぐまれた、長年の望みがありがたくもやっと叶えられるというものだ。
崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
嶮しくそそりたつ山頂に登って行く、閃光のようにぱっ、ぱっと「むささび」や「いたち」があらわれてわれわれの前を連れ立って行くのである。
前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
前が低くなってぱあっと急に開けたところにきた、いちめんに遠くの方へばらばらにちらばっているさまざまな山並みが積み重なっている。
或連若相從,或蹙若相鬥。
あるものは連れ添って行く様に連なり、あるものは戦い取っ組み合いをしているようにちぢこまっている。
或妥若弭伏,或竦若驚雊。

あるものは降参したようにどっかと坐り、あるものは驚いたキジが鳴いて立ちあがり、つまさき立っているようにも見える。

昨来【さくらい】清霽【せいせい】に逢い、宿願【しゅくがん】始めて副うことを忻【よろこ】ぶ。
崢嶸【そうこう】として塚頂【ちょうちょう】に躋【のぼ】れば、倏閃【しゅくせん】として鼯鼬【ごゆう】を雜【もじ】う。
前低くして劃【かく】して開闊【かいかつ】なるところ、爛漫【らんまん】として衆皺【しゅうしゅう】を堆す。
或るいは連なって相い従うが若く、或るいは蹙【ちじ】まって相い鬥【たたか】うが若し。
或るいは妥うして弭【なび】き伏すが若く、或るいは竦【つまさきだ】って驚き雊【な】くが若し。

#13 
或散若瓦解,或赴若輻湊。或翩若船游,或決若馬驟。
或背若相惡,或向若相佑。或亂若抽筍,或嵲若注灸。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。
#14
或羅若星離,或蓊若雲逗。或浮若波濤,或碎若鋤耨。
或如賁育倫,賭勝勇前購。先強勢已出,後鈍嗔bz譳。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。
#15
雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,餚核紛饤饾。
又如游九原,墳墓包槨柩。或累若盆罌,或揭若bB豆。
或覆若曝鱉,或頹若寢獸。
#16 
或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。或齊若友朋,或隨若先後。
或迸若流落,或顧若宿留。或戾若仇讎,或密若婚媾。
或儼若峨冠,或翻若舞袖。
#17  
或屹若戰陣,或圍若蒐狩。或靡然東注,或偃然北首。
或如火熹焰,或若氣饙餾。或行而不輟,或遺而不收。
或斜而不倚,或弛而不彀。
#18
或赤若禿鬝,或熏若柴槱。或如龜拆兆,或若卦分繇。
或前横若剝,或後斷若姤。延延離又屬,夬夬叛還遘。
喁喁魚闖萍,落落月經宿。
#19
誾誾樹牆垣,巘巘駕庫廄。參參削劍戟,煥煥銜瑩琇。
敷敷花披萼,闟闟屋摧霤。悠悠舒而安,兀兀狂以狃。
超超出猶奔,蠢蠢駭不懋。大哉立天地,經紀肖營腠。
#20 
厥初孰開張,黽勉誰勸侑。創茲樸而巧,戮力忍勞疚。
得非施斧斤,無乃假詛咒。鴻荒竟無傳,功大莫酬僦。
嚐聞於祠官,芬苾降歆嗅。斐然作歌詩,惟用讚報酭。


現代語訳と訳註
(本文)
12 
昨來逢清霽,宿願忻始副。
崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
或連若相從,或蹙若相鬥。
或妥若弭伏,或竦若驚雊。
 
(下し文)
昨来【さくらい】清霽【せいせい】に逢い、宿願【しゅくがん】始めて副うことを忻【よろこ】ぶ。
崢嶸【そうこう】として塚頂【ちょうちょう】に躋【のぼ】れば、倏閃【しゅくせん】として鼯鼬【ごゆう】を雜【もじ】う。
前低くして劃【かく】して開闊【かいかつ】なるところ、爛漫【らんまん】として衆皺【しゅうしゅう】を堆す。
或るいは連なって相い従うが若く、或るいは蹙【ちじ】まって相い鬥【たたか】うが若し。
或るいは妥うして弭【なび】き伏すが若く、或るいは竦【つまさきだ】って驚き雊【な】くが若し。


(現代語訳)
昨日からは折りよく上天気にめぐまれた、長年の望みがありがたくもやっと叶えられるというものだ。
嶮しくそそりたつ山頂に登って行く、閃光のようにぱっ、ぱっと「むささび」や「いたち」があらわれてわれわれの前を連れ立って行くのである。
前が低くなってぱあっと急に開けたところにきた、いちめんに遠くの方へばらばらにちらばっているさまざまな山並みが積み重なっている。
あるものは連れ添って行く様に連なり、あるものは戦い取っ組み合いをしているようにちぢこまっている。
あるものは降参したようにどっかと坐り、あるものは驚いたキジが鳴いて立ちあがり、つまさき立っているようにも見える。


(訳注)
昨來逢清霽,宿願忻始副。
昨日からは折りよく上天気にめぐまれた、長年の望みがありがたくもやっと叶えられるというものだ。
昨來逢清霽 晴天にめぐまれて、はじめて頂上に到達し、ながめを存分にしたことを述べる。山の種種なさまを「或若」或るいは…・:の若し、という形で、形容しており、こうした羅列する形式は、詩というより、むしろ読誦された文「賦」の様式に多く用いられたものである。韓愈は、賦の形式をこの詩にとり入れて、新鮮さを感じさせ、と同時に詩経のような古風な味を出そうとしたもののように思われる。なお、山の状態の形容は、この段以下にもつづく。・咋来は、きのう以来。・来は、近来、年来の来。清霽は、きれいに晴れる、雲が一つもなくなる。〇宿願 まえからの願い。宿は、まえからもっていたということ、宿志などの宿。○ 欣と同じ。よろこぷ。○始副 始は、ここではじめて、やっと。副は、つりあう、願いが思い通りになる。


崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
嶮しくそそりたつ山頂に登って行く、閃光のようにぱっ、ぱっと「むささび」や「いたち」があらわれてわれわれの前を連れ立って行くのである。
崢嶸 高くけわしいさま。○ 登る。○塚頂 塚も、山の頂上、○倏閃 倏も閃も速くうごくさま。ばっと。○鼯鼬 鼯鼬は、むささび。前肢と後肢のあいだに、皮阪があって、それをひろげ空中を滑走することができる。鼯鼬は、いたち。あるいは、むささびは、夷由ともいうから、辞典によると、鼯鼬で、むささびのことをいう場合もあるようだ。


前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
前が低くなってぱあっと急に開けたところにきた、いちめんに遠くの方へばらばらにちらばっているさまざまな山並みが積み重なっている。
前低劃開闊 前が低くなってそこをくぎりとしてからりと闊けている。山頂についたわけである。劃は、そののぼりついたところを、はっきりさかいとして。○爛漫 遠くの方へばらばらにちらばっている形容。
 

或連若相從,或蹙若相鬥。
あるものは連れ添って行く様に連なり、あるものは戦い取っ組み合いをしているようにちぢこまっている。


或妥若弭伏,或竦若驚雊。
あるものは降参したようにどっかと坐り、あるものは驚いたキジが鳴いて立ちあがり、つまさき立っているようにも見える。
驚雊 雊は、きじの鳴くこと。


昨来【さくらい】清霽【せいせい】に逢い、宿願【しゅくがん】始めて副うことを忻【よろこ】ぶ。
崢嶸【そうこう】として塚頂【ちょうちょう】に躋【のぼ】れば、倏閃【しゅくせん】として鼯鼬【ごゆう】を雜【もじ】う。
前低くして劃【かく】して開闊【かいかつ】なるところ、爛漫【らんまん】として衆皺【しゅうしゅう】を堆す。
或るいは連なって相い従うが若く、或るいは蹙【ちじ】まって相い鬥【たたか】うが若し。
或るいは妥うして弭【なび】き伏すが若く、或るいは竦【つまさきだ】って驚き雊【な】くが若し。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#11>Ⅱ中唐詩387 紀頌之の漢詩ブログ1240

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#11>Ⅱ中唐詩387 紀頌之の漢詩ブログ1240


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項

第三部 (#9~#12―十句五聯を四章分)

#9 
拘官計日月,欲進不可又。
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
魚やえびは前かがみになって手攫みできるというものだが、竜となればそうやすやすと捕えることができものではない。
林柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。

見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。
官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。
因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。
魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。
林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。
争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。
#10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。

かえり行く道からふりかえってみると、山はそそり立ち壮大にまた重なり合ってもいる。
籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
ああ本当に不思議なものだと思うのは、この嶮しい山そのものが変化することができるということなのだ。
前年遭譴謫,探曆得邂逅。
さきの年803年に陽山に地方官に流されて、この南山を越えて行くこととなりおもいがげなくもわけ入ったのであった。
初從藍田入,顧盻勞頸脰。
まず藍田から山へはいったばかりのところである、あたりを見まわし、振り返り見て、山が高いので、首をつかれさせるばかりであった。
時天晦大雪,淚目苦矇瞀。
その時折悪しく一転、かき暗くなり大雪にかわったのだ、都を後にして涙のたまった目にはまったく何も見えなかった。
鏇【めぐ】り帰って道より回【かえ】り睨【み】れば、達枿【たつげつ】として壮にして復た奏【あつ】まる。
籲嗟【ああ】信に奇怪【きかい】なり、峙質【じしつ】も能く化貿【かぼう】す。
前年【ぜんねん】鑓鏑【けんたく】に遭い、探歴【たんれき】して邂逅【かいこう】することを得たり。
初じめ藍田【らんでん】より入りしとき、顧盻【こべん】して頸脰【けいとう】を労す。
時に 天 晦【くろ】うして大いに雪ふり、涙の目は苦【はなは】だ矇瞀【もうぼう】たり。

#11
峻塗拖長冰,直上若懸溜。
けわしい道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長い、氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぼって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ。
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
着物の裾をからげて馬から降りて歩き、馬をおすこともある。つまずいたり、たおれたり、すべりおちてはまたのぼるという具合だ。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
なかなか進めず心があわただしくなり、はるか先をながめ渡すことなど忘れてしまい、見えるところといえばほんの左右身近なところばかりである。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
杉林と竹やぶなのかと、どちらでできた矛なのか見まがいをしてしまう、木か竹の上にはきらきらと氷雪のよろいかぶとをまとっていた。
專心憶平道,脱險逾避臭。

ひたすら心に浮かぶのは平らかな道を思うことであり、この難所を通り抜けたい一心はいやな臭いを避けようとするよりも増しているほどだ。
唆【けわ】しき塗【みち】に長き冰りを拖【ひ】き、直ちに上ぼれば懸かれる溜【なが】れの若し。
衣を襄【かか】げて歩んで馬を推せば、顛【たお】れ蹶【つまず】いて退いては且た復【ふたたび】す。
蒼黄【そうこう】として遐【とお】く睎【み】んことを忘れ、矚【み】る所は才【わず】かに左右のみ。
杉篁【さんこう】は蒲蘇【ほそ】かと咤【あや】しみ、杲耀【こうよう】として介冑【かいちゅう】を攢【あつ】む。
心を専【もっぱ】らにして平らかなる道を憶い、険を脱【まぬ】かるること臭【しゅう】を避【さ】くるに逾【こ】えたり。

12 
昨來逢清霽,宿願忻始副。
崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
或連若相從,或蹙若相鬥。
或妥若弭伏,或竦若驚雊。

第4部
#13 
或散若瓦解,或赴若輻湊。或翩若船游,或決若馬驟。
或背若相惡,或向若相佑。或亂若抽筍,或嵲若注灸。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。
#14
或羅若星離,或蓊若雲逗。或浮若波濤,或碎若鋤耨。
或如賁育倫,賭勝勇前購。先強勢已出,後鈍嗔bz譳。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。
#15
雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,餚核紛饤饾。
又如游九原,墳墓包槨柩。或累若盆罌,或揭若bB豆。
或覆若曝鱉,或頹若寢獸。
#16 
或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。或齊若友朋,或隨若先後。
或迸若流落,或顧若宿留。或戾若仇讎,或密若婚媾。
或儼若峨冠,或翻若舞袖。
第5部
#17  
或屹若戰陣,或圍若蒐狩。或靡然東注,或偃然北首。
或如火熹焰,或若氣饙餾。或行而不輟,或遺而不收。
或斜而不倚,或弛而不彀。
#18
或赤若禿鬝,或熏若柴槱。或如龜拆兆,或若卦分繇。
或前横若剝,或後斷若姤。延延離又屬,夬夬叛還遘。
喁喁魚闖萍,落落月經宿。
#19
誾誾樹牆垣,巘巘駕庫廄。參參削劍戟,煥煥銜瑩琇。
敷敷花披萼,闟闟屋摧霤。悠悠舒而安,兀兀狂以狃。
超超出猶奔,蠢蠢駭不懋。大哉立天地,經紀肖營腠。
#20 
厥初孰開張,黽勉誰勸侑。創茲樸而巧,戮力忍勞疚。
得非施斧斤,無乃假詛咒。鴻荒竟無傳,功大莫酬僦。
嚐聞於祠官,芬苾降歆嗅。斐然作歌詩,惟用讚報酭。



現代語訳と訳註
(本文) #11
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
專心憶平道,脱險逾避臭。


(下し文)
唆【けわ】しき塗【みち】に長き冰りを拖【ひ】き、直ちに上ぼれば懸かれる溜【なが】れの若し。
衣を襄【かか】げて歩んで馬を推せば、顛【たお】れ蹶【つまず】いて退いては且た復【ふたたび】す。
蒼黄【そうこう】として遐【とお】く睎【み】んことを忘れ、矚【み】る所は才【わず】かに左右のみ。
杉篁【さんこう】は蒲蘇【ほそ】かと咤【あや】しみ、杲耀【こうよう】として介冑【かいちゅう】を攢【あつ】む。
心を専【もっぱ】らにして平らかなる道を憶い、険を脱【まぬ】かるること臭【しゅう】を避【さ】くるに逾【こ】えたり。


(現代語訳)
けわしい道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長い、氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぼって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ。
着物の裾をからげて馬から降りて歩き、馬をおすこともある。つまずいたり、たおれたり、すべりおちてはまたのぼるという具合だ。
なかなか進めず心があわただしくなり、はるか先をながめ渡すことなど忘れてしまい、見えるところといえばほんの左右身近なところばかりである。
杉林と竹やぶなのかと、どちらでできた矛なのか見まがいをしてしまう、木か竹の上にはきらきらと氷雪のよろいかぶとをまとっていた。
ひたすら心に浮かぶのは平らかな道を思うことであり、この難所を通り抜けたい一心はいやな臭いを避けようとするよりも増しているほどだ。


(訳注) #11
峻塗拖長冰,直上若懸溜。
けわしい道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長い、氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぽって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ。
峻塗 けわしい道。塗は途と同じ。○拖 ひきずる。坂道いっぱいに氷りがはりつめているのをいう。雪が氷に変わっていること。○長冰 道に氷りがはっているから、道の部分が峠まで積雪していたものが氷に変わり、反物のように長いといったのであろう。冰は氷と同じ。○直上 まっすぐ上ぼって行く。○懸溜 溜は、水の流れおちること。懇溜、ぶらさがった水の流れとは、つららをいう。氷りでまっ白な坂道をまっすぐ上ぽって行くと、まるで凍りついた滝を登ようだ、ということ。


褰衣步推馬,顛蹶退且複。
着物のすそをからげて馬から降りて歩き、馬をおすこともある。つまずいたり、たおれたり、すべりおちてはまたのぼるという具合だ。
襲衣 きもののすそをはしおる・○推馬 馬に乗ったまま行かれないから、下りておすわけである。○顛諏 つまずいてたおれる。○退 氷ですべってあともどりする。○ すべったところ・をもう一度あがる。


蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
なかなか進めず心があわただしくなり、はるか先をながめ渡すことなど忘れてしまい、見えるところといえばほんの左右身近なところばかりである。
蒼黄 進行が遅くいらだち、あわてるさま、倉皇と同じ。○遐睎 遐は、とおい。睎は、ながめる。○所矚 ながめられる範囲。見えるところ。所は、受け身をあらわして名詞句を作る助辞。 


杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
杉林と竹やぶなのかと、どちらでできた矛なのか見まがいをしてしまう、木か竹の上にはきらきらと氷雪のよろいかぶとをまとっていた。
杉篁 篁は、たけやぶ・○ 詫と同じく、いぶかしむ。矛かと見まごう。○蒲蘇 大きな矛。○杲耀 あかるくかがやいているさま。○ あつめる。身によろっている。○胃 よろいかぶと。介がよろい、冑がかぶと。


專心憶平道,脱險逾避臭。
ひたすら心に浮かぶのは平らかな道を思うことであり、この難所を通り抜けたい一心はいやな臭いを避けようとするよりも増しているほどだ。
専心 一心に。○ 心にかける。なつかしむ。○平道 南山山中のけわしい山道に対し、平坦な道をなつかしむのである。○ すぎる。それ以上である。○避臭 いやなにおいを避ける。「呂氏春秋」孝行覧遇合篇に、いやな臭いを持った男には、兄弟妻子さえ一緒に住もうとはしなかったという話がある。いやな場所からの脱出のこと言う。


#11
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
專心憶平道,脱險逾避臭。
唆【けわ】しき塗【みち】に長き冰りを拖【ひ】き、直ちに上ぼれば懸かれる溜【なが】れの若し。
衣を襄【かか】げて歩んで馬を推せば、顛【たお】れ蹶【つまず】いて退いては且た復【ふたたび】す。
蒼黄【そうこう】として遐【とお】く睎【み】んことを忘れ、矚【み】る所は才【わず】かに左右のみ。
杉篁【さんこう】は蒲蘇【ほそ】かと咤【あや】しみ、杲耀【こうよう】として介冑【かいちゅう】を攢【あつ】む。
心を専【もっぱ】らにして平らかなる道を憶い、険を脱【まぬ】かるること臭【しゅう】を避【さ】くるに逾【こ】えたり。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#10>Ⅱ中唐詩386 紀頌之の漢詩ブログ1237


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項

第三部 (#9~#12―十句五聯を四章分)

#9 
拘官計日月,欲進不可又。
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
魚やえびは前かがみになって手攫みできるというものだが、竜となればそうやすやすと捕えることができものではない。
林柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。

見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。
官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。
因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。
魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。
林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。
争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。
#10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。
かえり行く道からふりかえってみると、山はそそり立ち壮大にまた重なり合ってもいる。
籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
ああ本当に不思議なものだと思うのは、この嶮しい山そのものが変化することができるということなのだ。
前年遭譴謫,探曆得邂逅。
さきの年803年に陽山に地方官に流されて、この南山を越えて行くこととなりおもいがげなくもわけ入ったのであった。
初從藍田入,顧盻勞頸脰。
まず藍田から山へはいったばかりのところである、あたりを見まわし、振り返り見て、山が高いので、首をつかれさせるばかりであった。
時天晦大雪,淚目苦矇瞀。

その時折悪しく一転、かき暗くなり大雪にかわったのだ、都を後にして涙のたまった目にはまったく何も見えなかった。
鏇【めぐ】り帰って道より回【かえ】り睨【み】れば、達枿【たつげつ】として壮にして復た奏【あつ】まる。
籲嗟【ああ】信に奇怪【きかい】なり、峙質【じしつ】も能く化貿【かぼう】す。
前年【ぜんねん】鑓鏑【けんたく】に遭い、探歴【たんれき】して邂逅【かいこう】することを得たり。
初じめ藍田【らんでん】より入りしとき、顧盻【こべん】して頸脰【けいとう】を労す。
時に 天 晦【くろ】うして大いに雪ふり、涙の目は苦【はなは】だ矇瞀【もうぼう】たり。

#11
峻塗拖長冰,直上若懸溜。
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
專心憶平道,脱險逾避臭。
12 
昨來逢清霽,宿願忻始副。
崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
或連若相從,或蹙若相鬥。
或妥若弭伏,或竦若驚雊。


現代語訳と訳註
(本文) #10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。
籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
前年遭譴謫,探曆得邂逅。
初從藍田入,顧盻勞頸脰。
時天晦大雪,淚目苦矇瞀。


(下し文)
鏇【めぐ】り帰って道より回【かえ】り睨【み】れば、達枿【たつげつ】として壮にして復た奏【あつ】まる。
籲嗟【ああ】信に奇怪【きかい】なり、峙質【じしつ】も能く化貿【かぼう】す。
前年【ぜんねん】鑓鏑【けんたく】に遭い、探歴【たんれき】して邂逅【かいこう】することを得たり。
初じめ藍田【らんでん】より入りしとき、顧盻【こべん】して頸脰【けいとう】を労す。
時に 天 晦【くろ】うして大いに雪ふり、涙の目は苦【はなは】だ矇瞀【もうぼう】たり。


(現代語訳)
かえり行く道からふりかえってみると、山はそそり立ち壮大にまた重なり合ってもいる。
ああ本当に不思議なものだと思うのは、この嶮しい山そのものが変化することができるということなのだ。
さきの年803年に陽山に地方官に流されて、この南山を越えて行くこととなりおもいがげなくもわけ入ったのであった。
まず藍田から山へはいったばかりのところである、あたりを見まわし、振り返り見て、山が高いので、首をつかれさせるばかりであった。
その時折悪しく一転、かき暗くなり大雪にかわったのだ、都を後にして涙のたまった目にはまったく何も見えなかった。


(訳注) #10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。
かえり行く道からふりかえってみると、山はそそり立ち壮大にまた重なり合ってもいる。
旋帰 旋も、かえる。○廻睨 首をめぐらしてふりかえりみる。睨は、横日で見ること。○達枿【たつげつ】高くそそり立っているさま。○ この奏は、湊、輳と同じく、あつまる、つみかさなっている、ということ。


籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
ああ本当に不思議なものだと思うのは、この嶮しい山そのものが変化することができるということなのだ。
籲嗟 呼嗟 感嘆のこえ。○峙質 そびえている性貿。山の本休をいう。○化貿 貿は、変易する、かわる。化貿は、変化する。


前年遭譴謫,探曆得邂逅。
さきの年803年に陽山に地方官に流されて、この南山を越えて行くこととなりおもいがげなくもわけ入ったのであった。
前年遭譴謫 803年貞元十九年、韓愈が広東省の陽山県令に流されたとき、南山山脈の東部のとうげ、藍関をこえて行ったときのことを述べる。前年は、先年。譴謫は、もともと罪あって罰せられることをいうが、ここでは、流罪で官吏が位を下げて地方に追いやられることである。806年この詩を書く、三年前のこと。○探曆 探は、うかがうこと。曆は、そこをとおりすぎること。○邂逅 ゆくりなくめぐりあう。おもいがけなく南山にわけ入ることになったことをいう。 


初從藍田入,顧盻勞頸脰。
まず藍田から山へはいったばかりのところである、あたりを見まわし、振り返り見て、山が高いので、首をつかれさせるばかりであった。
藍田 長安の東南にある県の名。唐代、長安から、華中・華南へ旅行するには、ここを経て藍関・武関の二つのとうげを越え、今の河南省の南部から漢江流域に出るのが、ふつうの道すじであった。○顧盻 ふりかえりみる。○頸脰 くび。


時天晦大雪,淚目苦矇瞀。
その時折悪しく一転、かき暗くなり大雪にかわったのだ、都を後にして涙のたまった目にはまったく何も見えなかった。
 くらい。○大雪 この「雪」は、動詞。○ 非常に。程度がすぎて苦しんでいるという心持ちを含む副詞。○矇瞀 ぼんやりと目がかすんで見えない形容。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#9>Ⅱ中唐詩385 紀頌之の漢詩ブログ1234

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#9>Ⅱ中唐詩385 紀頌之の漢詩ブログ1234


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部 終南山朝夕・周辺の事項
 
第三部 (#9~#12―十句五聯を四章分)


#9 
拘官計日月,欲進不可又。
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
魚やえびは前かがみになって手攫みできるというものだが、竜となればそうやすやすと捕えることができものではない。
林柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。
見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。
官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。
因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。
魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。
林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。
争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。
#10  
鏇歸道回睨,達枿壯複奏。
籲嗟信奇怪,峙質能化貿。
前年遭譴謫,探曆得邂逅。
初從藍田入,顧盻勞頸脰。
時天晦大雪,淚目苦矇瞀。
#11
峻塗拖長冰,直上若懸溜。
褰衣步推馬,顛蹶退且複。
蒼黄忘遐睎,所矚才左右。
杉篁咤蒲蘇,杲耀攢介胄。
專心憶平道,脱險逾避臭。
12 
昨來逢清霽,宿願忻始副。
崢嶸躋塚頂,倏閃雜鼯鼬。
前低劃開闊,爛漫堆眾皺。
或連若相從,或蹙若相鬥。
或妥若弭伏,或竦若驚雊。


#13 
或散若瓦解,或赴若輻湊。或翩若船游,或決若馬驟。
或背若相惡,或向若相佑。或亂若抽筍,或嵲若注灸。
或錯若繪畫,或繚若篆籀。
#14
或羅若星離,或蓊若雲逗。或浮若波濤,或碎若鋤耨。
或如賁育倫,賭勝勇前購。先強勢已出,後鈍嗔bz譳。
或如帝王尊,叢集朝賤幼。
#15
雖親不褻狎,雖遠不悖謬。或如臨食案,餚核紛饤饾。
又如游九原,墳墓包槨柩。或累若盆罌,或揭若bB豆。
或覆若曝鱉,或頹若寢獸。
#16 
或蜿若藏龍,或翼若搏鷲。或齊若友朋,或隨若先後。
或迸若流落,或顧若宿留。或戾若仇讎,或密若婚媾。
或儼若峨冠,或翻若舞袖。
#17  
或屹若戰陣,或圍若蒐狩。或靡然東注,或偃然北首。
或如火熹焰,或若氣饙餾。或行而不輟,或遺而不收。
或斜而不倚,或弛而不彀。
#18
或赤若禿鬝,或熏若柴槱。或如龜拆兆,或若卦分繇。
或前横若剝,或後斷若姤。延延離又屬,夬夬叛還遘。
喁喁魚闖萍,落落月經宿。
#19
誾誾樹牆垣,巘巘駕庫廄。參參削劍戟,煥煥銜瑩琇。
敷敷花披萼,闟闟屋摧霤。悠悠舒而安,兀兀狂以狃。
超超出猶奔,蠢蠢駭不懋。大哉立天地,經紀肖營腠。
#20 
厥初孰開張,黽勉誰勸侑。創茲樸而巧,戮力忍勞疚。
得非施斧斤,無乃假詛咒。鴻荒竟無傳,功大莫酬僦。
嚐聞於祠官,芬苾降歆嗅。斐然作歌詩,惟用讚報酭。




現代語訳と訳註
(本文) #9 
拘官計日月,欲進不可又。
因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
林柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。


(下し文)
官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。
因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。
魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。
林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。
争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。


 (現代語訳)
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。


(訳注)#9 
拘官計日月,欲進不可又。
官吏の生活にしばられ身であるので休暇の日月をかぞえれば、この南山を廻りたんさくしようにもこれ以上はできないことである。
拘官 官吏の生活にしばられる。○計日月 日月をかぞえてみる。官吏として出動すべき月ロまでの日数を計算してみたわけである。○欲進不可又 この道から進もうとしたがそれ以上できない。


因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。
何かのついでに山の池をのぞいてみることになる、瀞と水をたたえている底に竜をひそめている。
囚縁窺其湫 杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。・因縁:ついでにということ。其湫の湫は、いけ。これは、南山の中にあって雨乞いの場所であった炭谷湫をさす。韓愈には、「炭谷湫の祠堂に題す」という詩(集巻五)もある。○凝湛 瀞とに水がたたえられているさま。○ かくれすまわせている。○陰獸【いんきゅう】 獸は、畜と同じ。家畜という考え方でこの池に飼っている竜のことをいう。竜を畜とすることは、『礼記』「礼運篇」に見えるという。
 

魚蝦可俯掇,神物安敢寇。
魚やえびは前かがみになって手攫みできるというものだが、竜となればそうやすやすと捕えることができものではない。
可俯直 うつ臥せや、前かがみになって、手掴みできる。・は、ひろい取る。○神物 竜をさす。O安敢冦 安は、どうして、ここでは反語。・は、むりに、大胆にも。・は、強奪する、ここでは竜を捕えること。 


柯有脱葉,欲堕鳥驚救。
池に森の木の枝から落ちる葉があり、落ちようとすると鳥があわててふせぎとめる。
林柯 柯は、えだ。
 

爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。
見るとわれ先に爭って葉をくわえて輪を描きつつ飛び、それらをさっさと投げ棄てるさまはいかにえさを与えるよりもあわただしい。
爭銜彎環飛 銜は、口にくわえる。彎環は、鳥が輪を描いて飛ぶさま。ただし、「環銜」(環を銜む)の故事。「銜環」は、黄雀が自分を助けた楊宝に白環四つを与えた故事に基づく言葉。『後漢書・楊震伝』引『続斉諧記、華陰黄雀』「宝年九歳、時至華陰山北、見一黄雀為鴟梟所搏、墜於樹下、為螻蟻所困、宝取之以帰、置巾箱中、唯食黄花百余日、毛羽成、乃飛去、其夜有黄衣童子、向宝再拝曰、我西王母使者、君仁愛救拯、実感成済、以白環四枚与宝、令君子孫潔白、位登三事、当如此環矣」。「結草」は『春秋左氏伝・宣公十五年』に見える言葉。晋の大夫魏武子に娘を助けられた老人が、魏武子と闘った杜回を、草を結んで躓かせ倒した故事にちなむ。「銜環」「結草」ともに報恩のこと。後漢の楊宝という人が、黄鳥が梟にやっつけられているのを助けたところ、その烏は、西王母の使者であった。そこで、黄鳥は、その御恩返しにと、四つの玉の環をくれて、この環のように、四代の子孫まで、三公にまでなるだろう、といった。ここも、あるいは、かの報恩の大切な環のようにくわえてわれがちに飛んでいる、ということばのしゃれがあるかもしれない。○投棄急哺鷇は、親鳥がひなにえさをやること。哺は、えさを親烏から食べさせてもらわねばならないひなをいう。この句は、烏たちがこの池の水をけがすまいと、枝から落ちる葉を投げ棄てるさまは、ひなにえさをやるよりもせかせかしている、ということ。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#8>Ⅱ中唐詩384 紀頌之の漢詩ブログ1231

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#8>Ⅱ中唐詩384 紀頌之の漢詩ブログ1231


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部(#5~#8―十句五聯を四章分)

#5
明昏無停態,頃刻異狀候。

朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがもの顔におどりもみあうのである。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、晴れた真昼のことである
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。
#6
朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。
昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。
綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。
微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。
驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。

この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。
ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。
前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。
崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。
行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。
勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。
巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す

#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
また少し造物主の思意をよくよく考えてみると、この終南山を固く護っていることは、山に対していろいろ造物主が施こして加えた力をたくわえていようとするのではないかと思う。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
その力がたとえ前の山を押しのけるだけの力があったとしても、かみなりが落ち、いなずまがひかり、しかられ、ののしられるのではなかろうか。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
今度は、崖をよじのぼると手足をすべらせた、あちこちにあたりながらよろよろと石ずみの所までに落ちた。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
ボーッとしたままで上を見上げてみると、土くれにふさがれており、どうしてよいかわからず、途方にくれてしまった。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。
すると、終南山の雄雄しい姿がなくなってあたりはものさびしく、目新しい近景はかつて遠く見た終南山なのかと惑わせるものであった。

還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。
力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。
攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。
茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。
咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。


現代語訳と訳註
(本文) #8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。


(下し文)
還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。
力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。
攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。
茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。
咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。


 (現代語訳)
また少し造物主の思意をよくよく考えてみると、この終南山を固く護っていることは、山に対していろいろ造物主が施こして加えた力をたくわえていようとするのではないかと思う。
その力がたとえ前の山を押しのけるだけの力があったとしても、かみなりが落ち、いなずまがひかり、しかられ、ののしられるのではなかろうか。
今度は、崖をよじのぼると手足をすべらせた、あちこちにあたりながらよろよろと石ずみの所までに落ちた。
ボーッとしたままで上を見上げてみると、土くれにふさがれており、どうしてよいかわからず、途方にくれてしまった。
すると、終南山の雄雄しい姿がなくなってあたりはものさびしく、目新しい近景はかつて遠く見た終南山なのかと惑わせるものであった。


(訳注)#8
還疑造物意,固護蓄精祐。

また少し造物主の思意をよくよく考えてみると、この終南山を固く護っていることは、山に対していろいろ造物主が施こして加えた力をたくわえていようとするのではないかと思う。
還疑 還は、それでもやはり。疑は、ではないかと思う。○造物 道。造物主。この天地自然を造った神。『烈子、周穆王』「造物主、其巧妙、其功深、固難窮難終。」(造物主、其の巧妙にして、其の功深く、固より難窮難終)○精祐 徴妙な造物主のしわざをいう。祐は、神の助けということ。ここは山に対していろいろ造物主が施こして加えた力をいう。
 

力雖能排斡,雷電怯呵詬。
その力がたとえ前の山を押しのけるだけの力があったとしても、かみなりが落ち、いなずまがひかり、しかられ、ののしられるのではなかろうか。
排斡 斡は、まわすこと。排斡で、おしのけ動かすことをいう。○雷電 かみなりといなずま。○ びくびくと心配する。○呵詬 呵は、しかりつける。詬は、ののしる。


攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
今度は、崖をよじのぼると手足をすべらせた、あちこちにあたりながらよろよろと石ずみの所までに落ちた。
攀緣 よじのぼる。攀緣は、よじる。縁は、たよって行く。○脱手足 手をはなし足をふみはずすことであろう。よじのぼっていくうちに、ふみはずし、崖下に落ちたということ。○蹭蹬 よろよろするさま。○積甃 甃は、井戸のまわりに積む煉瓦。この積甃とは、煉瓦のような石のつみかさなった瓦礫をいうのであろう。


茫如試矯首,堛塞生怐愗。
ボーッとしたままで上を見上げてみると、土くれにふさがれており、どうしてよいかわからず、途方にくれてしまった。
○茫如 如は、然などと同じく形容詞につく語尾。ボーッとしたままで。なにげなく。○矯首 あたまを上向ける。○堛塞 堛は、土くれ。堛塞は、土くれがいっぱいつまっているさま。○恂悲 おろかなさま。ここでは、どうしてよいかわからず、途方にくれたことをいう。


威容喪蕭爽,近新迷遠舊。
すると、終南山の雄雄しい姿がなくなってあたりはものさびしく、目新しい近景はかつて遠く見た終南山なのかと惑わせるものであった。
威容 南山のりっぱなすがた。雄々しき姿。○蕭爽 ものさびしいさま。○近新迷遠旧 南山の近い新しい風景が、遠くから見ていた以前の風景とちがうので、迷ってしまうこと。
 


#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。
還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。
力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。
攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。
茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。
咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#7>Ⅱ中唐詩383 紀頌之の漢詩ブログ1228

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#7>Ⅱ中唐詩383 紀頌之の漢詩ブログ1228
第2景

 
南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部(#5~#8―十句五聯を四章分)

#5
明昏無停態,頃刻異狀候。

朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがもの顔におどりもみあうのである。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、晴れた真昼のことである
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。
#6
朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。
昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。
綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。
微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。
驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。

ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。
前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。
崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。
行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。
勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。
巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。


現代語訳と訳註
(本文)
#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。


(下し文)
前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。
崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。
行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。
勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。
巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。


(現代語訳)
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。


(訳注)#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
○前尋 この前におとずれたとき。以下この段は、かつて杜陵(墅)を経て、南山に分け入ったときのことである。○径 まっすぐにとおりぬける。○杜墅 長安の南の郊外にある杜陵のこと。墅は、田園、荘園。○忿蔽 塵土がかぶさってうすぎたないさま。忿は、塵のことであるが、ここは忿蔽で形容詞的に用いられている。○畢原陋 畢原は、長安の南郊にあって、周の文王・武王・周公を葬むった土地。ここは、そういう聖人たちを葬むった畢原も、塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっているということ。

杜甫『奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 『夏日李公見訪 哀江頭 自京赴奉先縣詠懷五百字 醉時歌 

李白『杜陵絶句

「南登杜陵上、北望五陵間。秋水明落日、流光滅遠山。」



崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
崎嘔 山道のでこぼこしたさま。○軒昂 軒は、中国古代の馬車で前方の高いこと。そこから高いことをいう。昂も高いこと。軒昂は、高く盛りあがったさま。○始得 そこでやっと……できた。○観覧富 ながめが変化に富んでいること。



行行將遂窮,嶺陸煩互走。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
行行 ぼつぼつ行く。○遂窮 ことのついでに山頂をきわめる。おわりまで行くことが、窮である。○嶺陸 嶺は、みね。陸は、おか、高原。○煩互走 けわしいみねと、なだらかな丘陵とがうるさくいりまじってつらなっていて、いつまで行っても全体が見はらせないのである。


勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
勃然 急に興奮するさま。○坼裂 避ける意味を強調される。○擁掩 おおいかくす。○難恕宥 山があたりの見晴らしをおおいかくしているのを、大目に見ておれぬ、というのである。

 
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。
ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。
巨霊 黄河の神の名。伝説によれば、むかし陝西省の華山は、黄河のまん中につっ立っていて、黄河はこの山を迂回して流れていた。そこで巨霊が、手足で山を二つにひき分けて、華山と山西省の首陽山にし河流を通した、という。○誇蛾 むかしの神力ある者の名。愚公という人が、じゃまになる太行・王屋の二山を、子孫まで総がかりで、移そうとしたとき天帝がその志をあわれんで、誇蛾氏の二子に命じて、その二山を移さしめられたという。「列子」湯問篇に見える有名な愚公移山の故事である。○遠賈期必售 巨霊と誇蛾が遠くここまで山を裂く力を売りに来ればそれがきっと売れるだろうと期待できる。賈は商う。売り買いともに用いるが、ここは売る方である。售は売れる。力を売買する話ではないが、よく似たことがらで、恐らくこの着想のもととなったものに、「左伝」成公二年、斉の高固のことぱ「勇ならんと欲っする者は余が余勇を賈え。」がある。 

『列子、湯問篇「愚公移山」』
「太行、王屋二山,方七百里,高萬仞。本在冀州之南,河陽之北。 北山愚公者,年且九十,面山而居。懲山北之塞,出入之迂也,聚室而謀曰:吾與汝畢力平險,指通豫南,達于漢陰,可乎?雜然相 許。其妻獻疑曰:以君之力,曾不能損魁父之丘,如太行王屋何? 且焉置土石?雜曰:投諸渤海之尾,隱土之北。遂率子孫荷擔者 三夫,扣石墾壤,箕畚運于渤海之尾。鄰人京城氏之孀妻,有遺男 ,始齔,跳往助之。寒暑易節,始一反焉。河曲智叟,笑而止之, 曰:甚矣,汝之不惠。以殘年餘力,曾不能毀山之一毛,其如土石 何?北山愚公長息曰:汝心之固,固不可徹,曾不若孀妻弱子。雖 我之死,有子存焉﹔子又生孫,孫又生子﹔子又有子,子又有孫。 子子孫孫,無窮匱也。而山不加增,何苦而不平?河曲智叟亡以應。 操蛇之神聞之,懼其不已也,告之于帝。帝感其誠,命夸娥氏二子 負二山,一厝朔東,一厝朔南。自此,冀之南,漢之陰,無隴斷焉。」


南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#6>Ⅱ中唐詩382 紀頌之の漢詩ブログ1225

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#6>Ⅱ中唐詩382 紀頌之の漢詩ブログ1225



南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部(#5~#8―十句五聯を四章分)

#5
明昏無停態,頃刻異狀候。

朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。
真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがもの顔におどりもみあうのである。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、晴れた真昼のことである
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。
#6
朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。
昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。
綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。
微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。
驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。
#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。


現代語訳と訳註
(本文)
#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。


(下し文) #6
朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。
昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。
綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。
微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。
驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。


(現代語訳)
真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがもの顔におどりもみあうのである。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、晴れた真昼のことである
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。


(訳注) #6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがものがおにおどりもみあうのである。
朱維 朱は、五行思想で夏を朱明というように、夏をあらわす色。維はつな。朱維は、夏の太陽の軌道ということ。○方 ちょうどそのときにあたる。○陰霰 陰の気がこりかたまってできたあられ。○ 思うままに。○騰糅 地上にあられが降り、落ちて飛び跳ね揉み合っている様子。


昆明大池北,去覿偶晴晝。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、偶然にも晴れた真昼のことである
昆明大池北 南山のふもとにある昆明池に行ったたことをいう。昆明池は、長安の西南にある大きな池で、当時、周囲四十里(約20km)あったという。漢の武帝が紀元前121年の元狩二年に掘らせたが、四世紀ごろより水が涸れていた。唐の797年貞元十三年に、それを浚渫したというから、この806年元和元年には、水が湛えられていた。南山は、昆明池からすれば、南にあたるから、池の北がわの都からは、南山が水面にかげをおとしているのを見ることができるわけである。○去覿 覿は、ここでは、見ること。去覿は、現代中国語の「去看」と同じく、「見に行く」という意である。○ 偶然。おりよく。


綿聯窮俯視,倒側困清漚。
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
綿聯 聯綿と同じく、ひきつづいて長くつらなっているさま。○窮俯視 うつむいて池にうつる南山の影を見るリ、その影がどこまでも連綿とつづいていることをいう。窮は、そのはてまで行くということ、ここでは、池の面のはてまで見てもなお山の影がつづいているということ。○倒側 山の影がさかさにかたむいて映っている。○困清漚 漚は、ひたすこと。南山の影が清らかな水にひたされてこまっている、ということであろう。


微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
倣瀾 瀾は、なみ。水表面の上に波が波及する様子。かさぶた状になっている。○踊躍 はねまわる。○猱狖 猱、狖もさるの類。泣き方が違う猿のこと。また、狖は尾が長い猿で悲鳴のように泣く。猱は、鼠の類で、くるくるよくまわるというから、りすざるをいい、騒がしい猿である。○ さわぐ。狂躁。さるは、水面にうつる自分たちのかげが、さざなみにつれてゆれ動き、自分がもみけされそうに見えるのにびっくりしてさわぐことをいう。


驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。
呀不僕 呀は、牙を出して哭く猿の口の形容であるが、ここは、さるの「キィーッ」という鳴き声をうつしたもの。水に映っていること、木から落ちていないことなどについて喜ぴさわいでいる様子をいう。


南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#5>Ⅱ中唐詩381 紀頌之の漢詩ブログ1222

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#5>Ⅱ中唐詩381 紀頌之の漢詩ブログ1222


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部(#5~#8―十句五聯を四章分)

#5
明昏無停態,頃刻異狀候。
朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。

しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。
#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

韓愈地図1000

現代語訳と訳註
(本文) #5

明昏無停態,頃刻異狀候。
西南雄太白,突起莫間簉。
藩都配德運,分宅占丁戊。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。


(下し文) #5
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。


(現代語訳)
朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。


(訳注) #5
明昏無停態,頃刻異狀候。

朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
明昏 明は、夜明け、あさ。昏は、夕ぐれ。だからあさゆうということ。○停態 状態をそのままにしている。○頃刻 ほんのしばらくのあいだ。○状候 候も、状と同じく有様ということ。徴候の候である。


西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
西南雄太白 この段は、終南山脈のうちの一峰で西端の最高峰、太白山3760mのことである。○間簉 間は、なかをへだてる。簉は、そえものとしてくっついていること。


藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
藩都 藩は、かきね。都なる長安の垣根として太白山、終南山と崋山がつったっている。○配徳運 先秦以来、各朝代には、それぞれその朝が尊ぶ五行の徳が定められており、唐は土徳であるとされた。西府は、易の八卦で坤位にあたり、坤は、地すなわち土をあらわすから、「徳運に配す」というのである。つまり最高峰の太白山から他の山々にその気を、徳を配分、配当しているという。○分宅 太白山が、終南山脈中でもほかの山山とははなれて、別の家をかまえるように、特別の位置を占めていることをいう。○丁戊 西南の方角をいう。


逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
逍遙 【しょうよう】気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。「南山にある谷を散歩する。○坤位 西南の方位。○詆訐【テイケツ】欠点をあばいて、とことんまでつきつめる。○乾竇 乾は、西北の方位。資は、あな。ここは、長安の南西と西の渭水流域、西北の方位が、涇水流域となって、広範囲、低地となっていることをいう。


空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
空虚 がらんとなにもないさま。○競競 ひやひやと気づかうさま。○ かなり。○蒐漱 蒐は、さあっと風の速いさま。漱も、ここでは蒐と同じような意味。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#4>Ⅱ中唐詩380 紀頌之の漢詩ブログ1219

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#4>Ⅱ中唐詩380 紀頌之の漢詩ブログ1219


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部(#1~#4)・終南山連峰の概要・四季


#1
吾聞京城南,茲惟群山囿。
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
東西兩際海,巨細難悉究。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
山經及地志,茫昧非受授。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
團辭試提挈,掛一念萬漏。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
欲休諒不能,粗叙所經覯。
だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。

南山の詩 #1
吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。
東西 両つながら海に際【まじ】わり
巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。
山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。
團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。
休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

#2
嚐升崇丘望,戢戢見相湊。
かつて太白山ほどの高い丘にのぼって見渡したことがあった、この山に向かって山々が集まってきて、その上がかさなりあっているのだ。
晴明出棱角,縷脈碎分繡。
からりと晴れて山の稜線が際立ててつらなる、いと筋のように尾根がちりぢりの刺繍のような模様をなしている。
蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
晴れの日の陽炎のわき上がる山のすんだ気がまじりあっている、そこに表側と裏側を山気がつきぬける。
無風自飄簸,融液煦柔茂。
風もないのにおのずと巻きあげられ、とけたあとのぬくもりが草木をうるおすのである。
横雲時平凝,點點露數岫。
空高く横長の雲が時に一文字となってたなびき、点点とその上に峰々がつき出ている
嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。
晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。
蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。
風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。
横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
高い空の下に広がる長い画き眉が浮かぶ、こいみどりに引かれたばかりのようである。
孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、世のはてにある海に湯浴みする鵬がくちばしをあげているのだ。
春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始める、つやつやと新芽がおく深いところから目立ってつき出ている。
岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
とんがった岩の峰は高くてけわしいものとはいうものの、その裾をつつむのはやわらかな緑で、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれている。
夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。
夏のやけつく暑さがいろいろの木立の茂りに遭う、そこではこんもりしてますます覆い隠される。
天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。
孤撑【ことう】して巉絕【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。
春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。
岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。
夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。
#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
山の守り神は日日、山の持っている生命力といえる息吹をあげ、湧き上がる雲気がさまざまに造型をくみたてる。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
秋になり露霜が万物を傷める季節になると、草木は枯れて山だけがつっ立ちやせて骨だけになる。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、儒教者の気概のようなきびしさで宇宙にむかって聳え立つのである。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
冬の季節はくろい墨色だけれども、氷と雪がたくみに白玉の細工をして飾ってくれる。
新曦照危峨,億丈恒高袤。

清廉な時、出たばかりの朝日がけわしい崖を照らす、霊賢な光のひろがりはいつも億丈にまで行きわたる。
神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。
秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って臒【や】せ瘦【や】せたり。
參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。
冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。
新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。



現代語訳と訳註
(本文)
#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
新曦照危峨,億丈恒高袤。


(下し文)#4
神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。
秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って臒【や】せ瘦【や】せたり。
參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。
冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。
新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。


(現代語訳)
山の守り神は日日、山の持っている生命力といえる息吹をあげ、湧き上がる雲気がさまざまに造型をくみたてる。
秋になり露霜が万物を傷める季節になると、草木は枯れて山だけがつっ立ちやせて骨だけになる。
長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、儒教者の気概のようなきびしさで宇宙にむかって聳え立つのである。
冬の季節はくろい墨色だけれども、氷と雪がたくみに白玉の細工をして飾ってくれる。
清廉な時、出たばかりの朝日がけわしい崖を照らす、霊賢な光のひろがりはいつも億丈にまで行きわたる。


(訳注)#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。

山の守り神は日日、山の持っている生命力といえる息吹をあげ、湧き上がる雲気がさまざまに造型をくみたてる。
日歊歔 は、日日に・歊歔は、山の持っている生命力といえる気を上にふきあげるさま。その気が吐き上げられて雲氣となる。○争結構 競争でいろいろの造型をおこなう。桔構は、くみたてる。


秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
秋になり露霜が万物を傷める季節になると、草木は枯れて山だけがつっ立ちやせて骨だけになる。
刻轢いためつけること。○磔卓 草木が闌れて山だけがつっ立っている形容。○臒瘦 臒も瘦も、やせていること。


參差相叠重,剛耿陵宇宙。
長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、儒教者の気概のようなきびしさで宇宙にむかって聳え立つのである。
参差 長短不そろいのさま。○剛耿 しっかりとして人とたやすく妥協しない儒教者の気概をいう。・ 明るい,まばゆい.気概がある,公正な.誠実な,忠実な忠心。忠義に篤い.気掛かりな,○ 下に見くだす。○宇宙 四次元世界。宇は、空間系であり、宙は、時間系である。


冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
冬の季節はくろい墨色だけれども、氷と雪がたくみに白玉の細工をして飾ってくれる。
冬行 冬の季節。行は、運行、めぐひあわせということであろう。○幽墨 幽はくらい、墨はすみ。冬は、五行思想で玄(黒)、北、重陽、辰星(水星)で、水であり、黒色に相当する。○琢鏤 は、玉に細工する。は、彫刻する。


新曦照危峨,億丈恒高袤。
清廉な時、出たばかりの朝日がけわしい崖を照らす、霊賢な光のひろがりはいつも億丈にまで行きわたる。
新曦 曦は、日のひかり。新曦では、清廉な時、出たばかりの朝日。○危峨 山のけわしい形容。○億丈恒高洸 高袤は、高さとひろさ。ここは、「高袤恒に億丈」という意で、いつも億丈の高さとひろさとを、朝日が照らすということであろう。
丈は約3m。「広」は東西の、「袤」は南北の長さの意》幅と長さ。広さ。面積。


#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
新曦照危峨,億丈恒高袤。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。
秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って臒【や】せ瘦【や】せたり。
參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。
冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。
新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#3>Ⅱ中唐詩379 紀頌之の漢詩ブログ1216

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#3>Ⅱ中唐詩379 紀頌之の漢詩ブログ1216


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20

 第一部(#1~#4)・終南山連峰の概要・四季

#1 
吾聞京城南,茲惟群山囿。
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
東西兩際海,巨細難悉究。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
山經及地志,茫昧非受授。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
團辭試提挈,掛一念萬漏。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
欲休諒不能,粗叙所經覯。
だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。

南山の詩 #1
吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。
東西 両つながら海に際【まじ】わり
巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。
山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。
團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。
休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

#2
嚐升崇丘望,戢戢見相湊。
かつて太白山ほどの高い丘にのぼって見渡したことがあった、この山に向かって山々が集まってきて、その上がかさなりあっているのだ。
晴明出棱角,縷脈碎分繡。
からりと晴れて山の稜線が際立ててつらなる、いと筋のように尾根がちりぢりの刺繍のような模様をなしている。
蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
晴れの日の陽炎のわき上がる山のすんだ気がまじりあっている、そこに表側と裏側を山気がつきぬける。
無風自飄簸,融液煦柔茂。
風もないのにおのずと巻きあげられ、とけたあとのぬくもりが草木をうるおすのである。
横雲時平凝,點點露數岫。
空高く横長の雲が時に一文字となってたなびき、点点とその上に峰々がつき出ている
嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。
晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。
蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。
風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。
横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
高い空の下に広がる長い画き眉が浮かぶ、こいみどりに引かれたばかりのようである。
孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、世のはてにある海に湯浴みする鵬がくちばしをあげているのだ。
春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始める、つやつやと新芽がおく深いところから目立ってつき出ている。
岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
とんがった岩の峰は高くてけわしいものとはいうものの、その裾をつつむのはやわらかな緑で、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれている。
夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。
夏のやけつく暑さがいろいろの木立の茂りに遭う、そこではこんもりしてますます覆い隠される。

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。
孤撑【ことう】して巉絕【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。
春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。
岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。
夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。
#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
新曦照危峨,億丈恒高袤。


現代語訳と訳註
(本文)
#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。


(下し文)#3  
天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。
孤撑【ことう】して巉絕【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。
春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。
岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。
夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。


(現代語訳)
高い空の下に広がる長い画き眉が浮かぶ、こいみどりに引かれたばかりのようである。
斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、世のはてにある海に湯浴みする鵬がくちばしをあげているのだ。
春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始める、つやつやと新芽がおく深いところから目立ってつき出ている。
とんがった岩の峰は高くてけわしいものとはいうものの、その裾をつつむのはやわらかな緑で、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれている。
夏のやけつく暑さがいろいろの木立の茂りに遭う、そこではこんもりしてますます覆い隠される。


(訳注)#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
高い空の下に広がる長い画き眉が浮かぶ、こいみどりに引かれたばかりのようである。
修眉 咲は、長い。女性の化粧の一つである長い眉を画がくこと、ここは遠くから見た山のすがたをいう。○新就 えがきあげたばかりである。就は、でき上がること。


孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、世のはてにある海に湯浴みする鵬がくちばしをあげているのだ。
孤撑 撑は、斜に入れる支え柱。孤撑は、ひとつの峰だけが他とはなれて斜につっ立っていること。○巉絶 山が切り立っている形容。○褰 もちあげる。○鵬噣 噣は、「荘子」逍逢游篇に出て来る寓話上の巨大な鳥で、その背は何千里あるか分からないほどであり、北海に住み、南海に移動することがある・(「北極李観に贈る」詩、北極贈李觀 
北極有羈羽,南溟有沉鱗。川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。誰言道裏遠,感激疾如神。
我年二十五,求友昧其人。哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
『荘子、逍逢游篇』「北凕有魚焉,其廣數千里,未有知其修者,其名爲鯤。有鳥焉,其名爲鵬,背若泰山,翼若垂天之雲;摶扶摇羊角而上者九萬里,絶雲氣,負青天,然後圖南,且適南冥也。去以六月息者也。且夫水之積也不厚,(讀若“户”)則其負大舟也無力。」
ここから「海浴」ということばがみちびかれる。櫛ぞ島のくちぱし。


春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始める、つやつやと新芽がおく深いところから目立ってつき出ている。
春陽 生物を育てる春の陽気。春を青陽というように、陽は、春の性質とされる。以下ここから一季節四句で、南山の四季の移り変わりを述べている。○沮洳 じめじめしたさま。ものをうるおすさま。○濯濯 つやつやしているさま。○深秀 おく深くめばえているさま。秀は、他よりくらべて目立ってつき出ているさま。ここは草木の芽生え始めを描写している。


岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
とんがった岩の峰は高くてけわしいものとはいうものの、その裾をつつむのはやわらかな緑で、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれている。
巌巒 巒は、けわしい小山。巌巒で、とんがった岩の峰をいう。○嵂崒 高くてけわしい形容。○軟弱 やわらかくてよわよわしい。○含酎 酎は、よくかもされたこい酒の雰囲気を持ち、酎を含むとは、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれていることをいうのである。


夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。
夏のやけつく暑さがいろいろの木立の茂りに遭う、そこではこんもりしてますます覆い隠される。
夏炎 夏のやけつく暑さ。夏は、五行思想で赤、南、火星、火であり、その司る帝は、炎帝である。○百木 いろいろの木。○蔭鬱 こんもりしているさま・○埋覆 覆は、おおうこと。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#2>Ⅱ中唐詩378 紀頌之の漢詩ブログ1213

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#2>Ⅱ中唐詩378 紀頌之の漢詩ブログ1213


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20

 第一部(#1~#4)・終南山連峰の概要・四季

#1 
吾聞京城南,茲惟群山囿。
東西兩際海,巨細難悉究。
山經及地志,茫昧非受授。
團辭試提挈,掛一念萬漏。
欲休諒不能,粗叙所經覯。
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。
南山の詩 #1
吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。
東西 両つながら海に際【まじ】わり
巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。
山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。
團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。
休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

#2
嚐升崇丘望,戢戢見相湊。
かつて太白山ほどの高い丘にのぼって見渡したことがあった、この山に向かって山々が集まってきて、その上がかさなりあっているのだ。
晴明出棱角,縷脈碎分繡。
からりと晴れて山の稜線が際立ててつらなる、いと筋のように尾根がちりぢりの刺繍のような模様をなしている。
蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
晴れの日の陽炎のわき上がる山のすんだ気がまじりあっている、そこに表側と裏側を山気がつきぬける。
無風自飄簸,融液煦柔茂。
風もないのにおのずと巻きあげられ、とけたあとのぬくもりが草木をうるおすのである。
横雲時平凝,點點露數岫。
空高く横長の雲が時に一文字となってたなびき、点点とその上に峰々がつき出ている。
嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。
晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。
蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。
風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。
横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。
#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。
#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
新曦照危峨,億丈恒高袤。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
嚐升崇丘望,戢戢見相湊。
晴明出棱角,縷脈碎分繡。
蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
無風自飄簸,融液煦柔茂。
横雲時平凝,點點露數岫。


(下し文) #2
嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。
晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。
蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。
風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。
横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。


(現代語訳)
かつて太白山ほどの高い丘にのぼって見渡したことがあった、この山に向かって山々が集まってきて、その上がかさなりあっているのだ。
からりと晴れて山の稜線が際立ててつらなる、いと筋のように尾根がちりぢりの刺繍のような模様をなしている。
晴れの日の陽炎のわき上がる山のすんだ気がまじりあっている、そこに表側と裏側を山気がつきぬける。
風もないのにおのずと巻きあげられ、とけたあとのぬくもりが草木をうるおすのである。
空高く横長の雲が時に一文字となってたなびき、点点とその上に峰々がつき出ている。


(訳注) #2
嚐升崇丘望,戢戢見相湊。

かつて太白山ほどの高い丘にのぼって見渡したことがあった、この山に向かって山々が集まってきて、その上がかさなりあっているのだ。
嘗昇崇丘望 この段は、ある高い丘から南山の大観を見たところである。嘗は、そういう経験のあったことを示す助辞。崇は、高いこと。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。○戢戢 よりあつまっている形容。


晴明出棱角,縷脈碎分繡。
からりと晴れて山の稜線が際立ててつらなる、いと筋のように尾根がちりぢりの刺繍のような模様をなしている。
稜角 かど。山の稜線をいう。○緩脈 いとすじ・山だから尾根すじである。○砕分繍 いつもは、大きな尾根すじしか見えないのが、天気がからりとはれたので、こまかい支脈までよく見え、刺繍の絲すじがばらばらに分かれているようだ、というのである。


蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
晴れの日の陽炎のわき上がる山のすんだ気がまじりあっている、そこに表側と裏側を山気がつきぬける。
蒸嵐 わき上がる山気。かげろうのようなもので、山をいっそうくっきりと浮き出すようた力を持つ。嵐は、山気であって、あらしではない。○澒洞 気体がいっしょにいりまじっている形容。〇通透 つきぬける。

無風自飄簸,融液煦柔茂。
風もないのにおのずと巻きあげられ、とけたあとのぬくもりが草木をうるおすのである。
飄簸 ふきあげてひす。は、吹きあげられること。・ 箕(み)で穀物をあおって、くずを除き去る。○融液 とけること。○ あたためること。○柔茂 草木をうるおししげらせる。

横雲時平凝,點點露數岫。
空高く横長の雲が時に一文字となってたなびき、点点とその上に峰々がつき出ている。
平凝 平らになったままじっとしている。○ みね。ピーク。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#1>Ⅱ中唐詩377 紀頌之の漢詩ブログ1210

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#1>Ⅱ中唐詩377 紀頌之の漢詩ブログ1210


南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20

 第一部(#1~#4)・終南山連峰の概要・四季
#1 
吾聞京城南,茲惟群山囿。
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
東西兩際海,巨細難悉究。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
山經及地志,茫昧非受授。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
團辭試提挈,掛一念萬漏。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
欲休諒不能,粗叙所經覯。

だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。
南山の詩 #1
吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。
東西 両つながら海に際【まじ】わり
巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。
山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。
團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。
休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。
#2

嚐升崇丘望,戢戢見相湊。
晴明出棱角,縷脈碎分繡。
蒸嵐相澒洞,表里忽通透。
無風自飄簸,融液煦柔茂。
横雲時平凝,點點露數岫。
#3  
天空浮修眉,濃綠畫新就。
孤撑有巉絕,海浴褰鵬噣。
春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。
岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。
夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。
#4
神靈日歊歔,雲氣爭結構。
秋霜喜刻轢,磔卓立臒瘦。
參差相叠重,剛耿陵宇宙。
冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。
新曦照危峨,億丈恒高袤。


現代語訳と訳註
(本文)
南山詩 #1 
吾聞京城南,茲惟群山囿。
東西兩際海,巨細難悉究。
山經及地志,茫昧非受授。
團辭試提挈,掛一念萬漏。
欲休諒不能,粗叙所經覯。


(下し文) 南山の詩 #1
吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。
東西 両つながら海に際【まじ】わり
巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。
山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。
團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。
休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。


(現代語訳)
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。


(訳注) #1 
南山詩
 ○南山詩 南山は、唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。806年元和元年、江陵(現湖北省)から長安に召還され、権知国子博士となったときの作。韓愈三十九歳。韓愈の詩中、最大の長篇で、一百二韻二百四句を去声「宥」韻一つで押韻するという枝巧をこらし、南山をいろいろの角度から描写しようとした。従来「賦」の文学手法を、詩に用いようとしたもので、韓愈が一番精魂込めた作品である。杜甫の長詩「北征」と、優劣が論ぜられるほど、中国詩の歴史上からも、屈指の力作とされる。長篇であるから、いくつかの#(段)に分けることにする。


終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

吾聞京城南,茲惟群山囿。
わたしは聞いていた都長安城の南にあり、そこにこそ古代から修業の場として集う所である。
○吾聞京城南 この最初の一聯は、序にあたる部分である。京城は、みやこ長安。○茲惟 惟は、ことばの調子をととのえるための助辞。○群山太白山、終南山、嵩山 の秦嶺山脈をいう。終南山は古くから道教、仏教の本山がある。儒虚者の隠遁、修行の場である。○ 本来は、動物を飼っておく囲いのあるにわ。そこからものが集まっている所をいう。


東西兩際海,巨細難悉究。
山も川も東西に連なっており、地の際、海にまで続き、大いなる山小さき山とことごとく調べ尽くすのはむずかしいこと。
際海 際は、接していること。海は、四方の地のはてにあると考えられた。


山經及地志,茫昧非受授。
山経と地志とがあっても、とりとめなくてよくわからないので直接に伝授されるというものではない。
山経 山のことを書いた書物。例えば「山海経」など。○地志 土地の状況を書いた書物。○茫昧 ぼんやりとよくわからぬ。○受授 手ずから伝授する。


團辭試提挈,掛一念萬漏。
その地に伝わる言葉を取り集め試みに取り上げようとすれば、一つだけがとりあげられてその他の多くが漏れてしまうのではないかと気づかわしいとおもう。
団辞 団は、団結の意。ことばをいろいろとりあつめる。○提挈 挈も提と同じく、ひっさげること。○掛一 一つだけをとりあげて。掛は、挂と同じ。○方漏 万もあるそのほかの多数をわすれてしまう。漏万とあるべきところを、押韻の都合で、逆の順序にしてある、


欲休諒不能,粗叙所經覯。
だがやめようとしてもどうしてもやめられないもので、そこでわたしがこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにする。
欲休諒不能 やめようとおもうがどうしてもやめられない。諒は、実のところ、心中おくそこでは、の愈。○ 見る。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#9>Ⅱ中唐詩376 紀頌之の漢詩ブログ1207

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#9>Ⅱ中唐詩376 紀頌之の漢詩ブログ1207
(9/9)


薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。

#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。


#7
胡為久無成,使以歸期告。

どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。

幸いにもあなたが美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、有能な人材をきりすてるかどうか、その点によく心をとめてほしい。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものなのだ。
上言愧無路,日夜惟心禱。
意見を上奏しようにも恥ずかしながら道がないのだ、日夜心の内でただ祈るばかりなのだ。
鶴翎不天生,變化在啄菢
鶴の羽根は生えていることが飛べることではない。それが空を自在に飛べるよう之なるための変化は親鳥がえさをついばんでくれたり、巣で温めてくれたり飛ぶ訓練をして育んでくれるからなのだ。それは同様に、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないのだ。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。
広い大海原へ切り開いて進み行くのは、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちよっとした推挙がほしい。)
善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思い、どれほど憂えもだえても役には立たないだろう。
救死具八珍,不如一簞犒。
餓死寸前の人を救おうとして八珍の料理をそろえることというけれども、瓢箪にたった一杯の飲み物を供給するということであるように、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く考えないでほしい。
微詩公勿誚,愷悌神所勞。

そういうことで、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、神が民を父母の情で見るようにしてほしいのだ。

通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


現代語訳と訳註
(本文)
#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。


(下し文)
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

(現代語訳)
広い大海原へ切り開いて進み行くのは、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちよっとした推挙がほしい。)
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思い、どれほど憂えもだえても役には立たないだろう。
餓死寸前の人を救おうとして八珍の料理をそろえることというけれども、瓢箪にたった一杯の飲み物を供給するということであるように、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く考えないでほしい。
そういうことで、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、神が民を父母の情で見るようにしてほしいのだ。


(訳注) #9
通波非難圖,尺地易可漕。
広い大海原へ切り開いて進み行くのは、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちよっとした推挙がほしい。)
通波 波を切り開いて進むこと。・ はかりごと。計画。・尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思い、どれほど憂えもだえても役には立たないだろう。
善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
餓死寸前の人を救おうとして八珍の料理をそろえることというけれども、瓢箪にたった一杯の飲み物を供給するということには及ばないというではないか。
・八珍 品数の多い、上等の料理。


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、神が民を父母の情で見るようにしてほしいのだ。
詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。・公勿誚 悪く考えないでほしい。:せめる。そしる。・愷悌 安らぎを楽しむ。「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。(教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。):『詩経』大雅・泂酌【けいしゃく】の章。 

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#8>Ⅱ中唐詩375 紀頌之の漢詩ブログ1204

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#8>Ⅱ中唐詩375 紀頌之の漢詩ブログ1204

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薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。

#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。


#7
胡為久無成,使以歸期告。

どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。
幸いにもあなたが美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、有能な人材をきりすてるかどうか、その点によく心をとめてほしい。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものなのだ。
上言愧無路,日夜惟心禱。
意見を上奏しようにも恥ずかしながら道がないのだ、日夜心の内でただ祈るばかりなのだ。
鶴翎不天生,變化在啄菢

鶴の羽根は生えていることが飛べることではない。それが空を自在に飛べるよう之なるための変化は親鳥がえさをついばんでくれたり、巣で温めてくれたり飛ぶ訓練をして育んでくれるからなのだ。それは同様に、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないのだ。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


現代語訳と訳註
(本文)
#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。


(下し文) #8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。


(現代語訳)
幸いにもあなたが美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、有能な人材をきりすてるかどうか、その点によく心をとめてほしい。
私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものなのだ。
意見を上奏しようにも恥ずかしながら道がないのだ、日夜心の内でただ祈るばかりなのだ。
鶴の羽根は生えていることが飛べることではない。それが空を自在に飛べるよう之なるための変化は親鳥がえさをついばんでくれたり、巣で温めてくれたり飛ぶ訓練をして育んでくれるからなのだ。それは同様に、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないのだ。


(訳注) #8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。
幸いにもあなたが美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、有能な人材をきりすてるかどうか、その点によく心をとめてほしい。
瑉玉 瑉:玉に似た美石。瑉玉三采。・珪瑁 能力知才を持ち合わせていることの喩えで用いる。


悠悠我之思,擾擾風中纛。
私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものなのだ。
悠悠 1 はるかに遠いさま。限りなく続くさま。2 ゆったりと落ち着いたさま。3 十分に余裕のあるさま。・擾擾 乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。・ ヤクの尾などで飾った大旗》さおの先に象牙の飾りのある、天子や大将軍の旗。馬の尾の黒毛を束ねた飾り。竜像などの幡(はた)をかけ、即位式・大嘗祭(だいじょうさい)などに用いる。


上言愧無路,日夜惟心禱。
意見を上奏しようにも恥ずかしながら道がないのだ、日夜心の内でただ祈るばかりなのだ。


鶴翎不天生,變化在啄菢。
鶴の羽根は生えていることが飛べることではない。それが空を自在に飛べるよう之なるための変化は親鳥がえさをついばんでくれたり、巣で温めてくれたり飛ぶ訓練をして育んでくれるからなのだ。それは同様に、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないのだ。
鶴翎【かくれい】つるのはね。・啄菢 ・:ついばむくちばしでつつく。ついばむ。:卵を抱いて孵化させること。


幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#7>Ⅱ中唐詩374 紀頌之の漢詩ブログ1201

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#7>Ⅱ中唐詩374 紀頌之の漢詩ブログ1201



薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。

#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。


#7
胡為久無成,使以歸期告。
どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。


#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


現代語訳と訳註
(本文) #7

胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。


(下し文)
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。


(現代語訳)
どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。

(訳注)#7
胡為久無成,使以歸期告。

どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
歸期告 郷里へ帰る日を報告させるような羽目にしたこと。


霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。(晋の孟嘉の故事)
東晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。
李白『九日龍山飲』(九日 龍山に飲む)
九日龍山飲、黄花笑逐臣。
酔看風落帽
、舞愛月留人。
杜甫『九日藍田崔氏荘』(九日 藍田の崔氏の荘)
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277


念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
決焉去 決然として出発しようとしているさま。○戀嫪 心残りのたねが増すばかりというさま。


彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
関雎はミサゴの意で、文王と王妃の仲を詠じているところから〕夫婦が仲よくて、礼儀正しいこと。『詩経、周南、関雎』「關關雎鳩,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。參差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,輾轉反側。參差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。參差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,鐘鼓樂之。」


魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
廟鼎猶納郜 :太廟 郜鼎:春秋時代宋の国にあった鼎:魯の桓公二年(前710年)内乱を起こした家老の華父督によって、魯の国に賄賂として贈られ魯の先祖を周公を祭る廟におかれた。今の山東省にあった郜の国で鋳造されたので郜鼎と称された。
左伝、桓公二年 無責任な甘やかしは、愛にもとづく厳格な戒めに及ばないことのたとえ。【城下の盟】敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。
○紀元前701年、鄭の祭仲と公子突を抑留して脅迫し、盟を結ぶと帰国させて突(厲公)を国君に立てさせた。紀元前700年、魯の桓公や燕の人と穀丘で会談し、鄭との修好を求められた。また魯と虚や亀で会談したが、荘公は鄭との講和を拒否した。宋は魯・鄭の連合軍の攻撃を受けた。紀元前699年、斉・宋・衛・燕と魯・鄭・紀のあいだの会戦となった。
韓愈『石鼓歌』「薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。」(諸を太廟に薦めて郜の鼎に比せば,光價は豈に止だ百倍過ぐるのみならんや。)
掲載予定< 石鼓歌 韓退之(韓愈)詩<77>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363 >
『左伝、桓公二年』
郜鼎- 春秋郜國造的宗廟祭器, 以為國寶。 後被宋國取去。 宋又將此鼎賄賂魯桓公, 桓公獻於太廟。 《左傳‧桓公二年》: “﹝ 宋﹞以郜大鼎賂公……夏四月, 取郜大鼎於宋。 戊申, 納於大廟, 非禮也。” 《左傳‧桓公二年》: “ 郜鼎在廟, 章孰甚 .


胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#6>Ⅱ中唐詩373 紀頌之の漢詩ブログ1198

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#6>Ⅱ中唐詩373 紀頌之の漢詩ブログ1198


薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。
#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

DCF00212


現代語訳と訳註
(本文)
#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。


(下し文) #6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。


(現代語訳) #6
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。


(訳注) #6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。


聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
聖皇 806年元和元年とす。憲宗即位。・髦士 俊秀の士。才知が秀でて進んでいるひと。賢者。才智鋭敏。『詩経、小雅、甫田』「攸介攸止、烝我髦士。」(介【お】る攸【ゆう】 止まる攸、我が髦士【ぼうし】を烝【すす】む)


廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
廟堂 孔子廟のことであるが、それは鄭余慶が仁徳を持った施政を行うことをいうため、紫宸殿のことをこう表現した。


況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
歸與張 高官のなかの帰登と張建封の二人のことらしい。・嗟悼 哀傷悲嘆をいう。才智があるのにどうして認められ、とうようされないのかと歎くこと。晉の潘岳『楊荊州誄』「聖王嗟悼, 寵贈衾襚。」


青冥送吹噓,強箭射魯縞。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
強箭射魯縞 『史記、韓長孺伝』「彊弩之極矢、不能穿魯縞。衡風之末力、不能漂鴻毛。」 (強弩の末魯縞に入る能わず)強い弓で射た矢も、最後にはその勢いが衰えて、魯で産する薄絹さえも射通すことができない。強いものも、衰えてしまっては何事もできなくなることのたとえ。『漢書、韓安国伝』にもほぼ同様に見える。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#5>Ⅱ中唐詩372 紀頌之の漢詩ブログ1195

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薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) 

#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。



現代語訳と訳註
(本文) #5

孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。


(下し文) #5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


(現代語訳)
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。


(訳注)#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
眸子看了眊 論語雍也第六) 3孟子曰:「存乎人者,莫良於眸子;眸子不能掩其惡。胸中正,則眸子瞭焉;胸中不正,則眸子眊焉。聽其言也,觀其眸子,人焉廋哉?」(孟子曰わく、人を存(察)るには眸子より良きはなし。眸子はその悪を奄すこと能わず。胸中正しければ眸子も暸らかに、胸中正しからざれば眸子も咤し。)


杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
杳然【ようぜん】はるかに遠いさま。また、深くかすかなさま。その人物の奥深さははっきりしないほどではあるが。

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
酸寒 苦寒、韓愈『赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士』「酸寒何足道,隨事生瘡疣。」生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、嫌いなことをしているとかさぶたができるというが、何につけてもかさぶたのできるようなことばかりだ。中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6

孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
孜孜【しし】熱心に努め励むさま。・營甘旨 さまざまの苦労をなめてきたこと。・辛苦久所冒 孟郊は故郷の母を江蘇省溧陽の尉となった時に呼び直接面倒を見ているが不遇は続き、生活は困窮のままであったので、韓愈が孟郊を抜擢してもらうよう動いた。しかし、貧相な孟郊を嘲ったことをいう。
孟郊 唐代の詩人。751年― 814年字は東野、諡は貞曜先生という。湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省溧陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。


「郊寒島痩」屈折された文学
宋の蘇軾は「祭柳子玉文」(『蘇軾文集』巻六十三、中華書局、一九八六)の中で、孟郊と賈島の詩の特色を「郊寒島痩」ということばで批評した。孟郊は寒く、賈島は痩せているという。「寒」「痩」という評語は、孟郊と賈島の詩を否定したものではなく、そこに新しい美意識を認めるのである。既に孟郊の「交友」友情、愛情について「求友」  「擇友」  「結交」 「勸友」 「審交」   結愛  の六首を見た。    
孟郊の「人」について、「寒地百姓吟」(巻三)を例に挙げて、孟郊が「人」をどのように描いているか見てみよう。この詩には、「為鄭相、其年居河南、畿内百姓、大蒙矜卹」という自注がついている。宰相をつとめた鄭余慶が河南尹となり、人民のために尽くしたのを讃えた詩で、元和元年(八〇六)、五十六歳の作。孟郊は鄭余慶の下で、河南水陸運従軍、試協律郎の職に就いていた。

唐中唐詩193 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(1)「求友
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中唐詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #2

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薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#4>Ⅱ中唐詩371 紀頌之の漢詩ブログ1192

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#4>Ⅱ中唐詩371 紀頌之の漢詩ブログ1192



薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。
#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。

また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



現代語訳と訳註
(本文)
#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。


(下し文) #4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 奡を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


(現代語訳)
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。


(訳注) #4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
 1 表面の平らな台。碁盤や将棋盤などに駒を並べる2食物を盛る平たい円形の器。皿。鉢。3 食器などをのせる台。・硬語 硬質な言葉。華麗・妖艶な言葉・妥帖 適切な,ぴったりした。は、今は使わない漢字、陸上で船を動かすほどの力の持ち主。暴力的人物。羿と奡は暴力的人物、禹は道徳的諸侯、弓は出来ない。船を押す力もない。天下の庶民を理解するやさしさを自らに課して天下を有(たも)った。孔子からみれば代表的な儒家。
 

敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
敷柔 柔軟な表現。・紆餘 1 うねり曲がっていること。 2 伸び伸びとしてゆとりのあること。・海潦 雨が降って、地上にたまり流れる水。「はなはだも降らぬ雨故―いたくな行きそ人の知るべく」〈万・一三七〇〉 [枕]地上にたまった水が流れるようすから、「流る」「すまぬ」「行方しらぬ」にかかる。


榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
・榮華 つややかな言葉。・天秀 天然に咲き出た花。・捷疾 詩を作る速さ。・響報 こだま。


行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
規矩 行動にきちんとしたきまりがあること。

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#3>Ⅱ中唐詩370 紀頌之の漢詩ブログ1189

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#3>Ⅱ中唐詩370 紀頌之の漢詩ブログ1189


薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。
 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。
#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。



現代語訳と訳註
(本文)
#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。


(下し文)#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。


(現代語訳)
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。


(訳注) #3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
李杜 李白・杜甫
・李白 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
杜甫 712年 - 770年 鞏(きょう)県(河南省)の人。字(あざな)は子美(しび)。少陵と号し、杜工部、老杜とも呼ばれる。青年時代から各地を放浪。湖南省の湘江付近で不遇の一生を終えた。現実の社会と人間を直視し、誠実・雄渾な詩を作り、律詩の完成者で詩聖と称され、詩仙と呼ばれる李白と並ぶ唐代の代表的詩人とされる。「兵車行」「春望」などは有名。


後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
中唐文学 五七言の律詩・絶句に長じた一群が大歴の十才子で、孟浩然・王維の田園山林の文学を受け継ぐ一群、杜甫の精神を受け継ぐ一群には大きく二つの流れがある。一方は、八教委のグループ、もうひとつは、古文復興の一群で韓愈、孟郊、張籍、賈島がいる。
臻閫 臻:いたる。おおい。すなわち。とどく、およぶ。ゆきわたる。あつまってくる。・閫奧 おくぶかいところ。詩文学の奥義。閫:門のきしみ。


有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
雄驁 勇壮な名馬 驁:駿馬、おおきい。
孟郊 (もうこう)孟東野 751年 - 814年唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。
湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省溧陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。


冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ
・冥觀 暗くて見えないところを見る。・象外 現実の世界を超越したところ。・逐幽好 奥深い美を発見する力を備えている


中唐の詩人
ID  詩人名  ふりかな 生年~没年  
  1 皇甫冉 こうほぜん 714年 - 767年  曾山送別  074 送陸鴻漸栖霞寺採茶              
  2 元結  げんけつ  723~772   律詩田園山林 閔荒の詩 春陵行 『篋中集』             
  3 韓翃 かんこう (720~未詳) 大歴十才                
  4 錢起 (錟郎) せんき 722~780年 大歴十才 江行無題(咫尺愁風雨)        唐・錢起     錢起          
  5 張謂 ちょうい 721~780年  早梅(一樹寒梅白玉條)                   
  6 郎士元 ろうしげん (727~)780?) 大歴十才 長安逢故人               
  7 皇甫曾 こうほそう (721~781?) 大歴十才  010 哭陸羽処士  013 送陸鴻漸山人採茶回              
  8 李嘉祐 りかゆう 719~781 大歴十才 江上曲    送樊兵曹謁潭州韋太夫  
                  留別毗陵諸公 晚春送吉校書歸楚 州(吉中孚曾為道士)           
  9 李端 りたん 743~782 大歴十才  山中寄苗員外               
10 顔眞卿 がんしんけい  709 - 785年   題杼山癸亭得暮字  
                   謝陸処士杼山折青桂花見寄之什  贈裴将軍  贈僧皓然  詠陶淵明  
                   三言擬五雑組二首  使過瑤台寺有懐円寂上人幷序   登平望橋下作  
                   刻清遠道士詩因而継作      
11 吉中孚 きつちゅうふ (未詳~785) 大歴十才  送帰中丞使新羅冊立弔祭               
12 孟雲卿 もううんけい (729~未詳) 田園山林 格律異同論 格律異同論「譜」              
13 劉長卿(文房) りゅうちょうけい (709?~785?) 田園山林 
                    送李判官之潤州行營(萬里辭家事鼓鼙)   逢雪宿芙蓉山主人(日暮蒼山遠)
              送靈澈(蒼蒼竹林寺)   送舍弟之鄱陽居(鄱陽寄家處)  
                    重送裴郞中貶吉州(猿啼客散暮江頭)劉長卿 尋盛禪師蘭若(秋草黄花覆古阡) 
                     細聽彈琴(泠泠七弦上)        
14 戴叔倫 たいしゅくりん  732~789年   敬酬陸山人二首               
15 司空曙 しくうしょ (?~790?) 大歴十才 江村即事(釣罷歸來不繋船)      
                   唐・司空曙 司空曙(しくうしょ)  送吉校書東帰             
16 耿湋 こうい (734~未詳) 大歴十才 秋日(返照入閭巷)春日題苗発竹亭  贈苗員外            
17 冷朝陽 れいちょうよう (740~未詳) 大歴十才  同張深秀才遊華厳寺  
                   中秋与空上人同宿華厳寺  瀑布泉  宿柏巌寺  登霊善寺塔           
18 咬然 こうぜん  730~799 僧侶 塞下曲(寒塞無因見落梅)  
19 靈一 りょういち  727~799 僧侶 題僧院(虎溪閒月引相過)               
20 盧綸 ろりん (748~800年?) 大歴十才 和張僕射塞下曲(鷲翎金僕姑) 
                    客舎苦雨即事寄銭員外郎士元員外  送郎士元使君赴郢州             
21 崔峒 さい-どう (未詳) 大歴十才                
22 陸羽 りくう ( ~804) 大歴十才  会稽東小山               
23 夏侯審 かこうしん (750~未詳) 大歴十才                
24 苗発 びょう-はつ (未詳~未詳) 大歴十才  送司空曙之蘇州  送孫徳諭罷官往黔州              
25 顧況(逋翁) こ きょう (725年 - 814年?)  聽角思歸(故園黄葉滿靑苔)      唐・顧況 顧況(こ きょう)              
26 孟郊(東野) もうこう(とうや)  751年 - 814年 韓愈Groop 贈別崔純亮(鏡破不改光)
                     古別離(欲別牽郞衣) 遊子吟(慈母手中線)   
このブログで掲載済み
唐宋詩193 孟郊の交遊の詩(1)「求友」
唐宋詩194 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1
唐宋詩196 孟郊の交遊の詩(3)「結交」
唐宋詩197 孟郊の交遊の詩(4)「勸友」
唐宋詩198 孟郊の交遊の詩(5)「審交」
唐宋詩199 孟郊の交遊の詩(6) 結愛
唐宋詩202 「春雨後」孟郊(7)
唐宋詩203 「古別離」孟郊(8)
唐宋詩202 「渭上思帰」孟郊(9)
唐宋詩230 游子吟(10)
唐宋詩231 贈蘇州韋郎中使君 #1
唐宋詩232 贈蘇州韋郎中使君 #2 Ⅶ孟郊(孟東野)<14-2>
唐宋詩233 帰信吟 

唐宋詩234 京山行 
唐宋詩235 贈別崔純亮 
唐宋詩236 登科後 
Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #1 
Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #2 
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 寒地百姓吟 
Ⅶ孟郊(孟東野) 燭蛾 <22> 
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 贈鄭夫子魴 <23>
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> 
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#2 <24>
中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#3 <24>
27 武元衡 ぶげんこう  758~815  題嘉陵驛(悠悠風旆繞山川)      *ページアドレス リンクを張れないので 詩題をコピーし検索してください。
28 李賀(長吉) りが  790~816  金銅仙人辭漢歌(茂陵劉郞秋風客)  蘇小小墓(幽蘭露,如啼眼
)    雁門太守行(黑雲壓城城欲摧)              
29 權德輿 けんとくよ  759~818 田園山林  送陸太祝赴湖南幕同用送字               
30 柳宗元 ② りゅうそうげん  773~819 田園山林 江雪(千山鳥飛絶)              唐・柳宗元 登柳州峨山(荒山秋日午)       唐・柳宗元 漁翁(夜傍西巖宿)            唐・柳宗元 汨羅遇風(南來不作楚臣悲)      唐・柳宗元 再上湘江(好在湘江水)         唐・柳宗元 與浩初上人同看山寄京華親故(海畔尖山似劍鋩)唐・柳宗元 登柳州城樓寄漳汀封連四州(城上高樓接大荒)柳宗元 柳州城西北隅種柑樹(手種黄柑二百株)柳宗元 渓居 柳宗元      
31 朱放 しつほう 生没年不詳  題竹林寺(歳月人間促)          唐・朱放 朱放(しつほう)              
32 薛瑩 せつえい (未詳)  秋日湖上(落日五湖遊)         唐・薛瑩 薛瑩(せつえい)              
33 張継 ちょうけい (生没年不詳)  楓橋夜泊(月落烏啼霜滿天)        唐・張繼 張繼              
34 韓愈①韓退之 かん-ゆ  768~824年 韓愈Groop    
  このブログで連載中  おおよそ百首  2012/7/5 現在60首

35 李益 りえき (748~827年?) 大歴十才 幽州(征戍在桑乾)  夜上受降城聞笛(囘樂峯前沙似雪)  唐・李益 題軍北征(天山雪後海風寒)      唐・李益 喜見外弟又言別(十年離亂後)     唐・李益 汴河曲(汴水東流無限春)       
36 王建 おうけん (768?~830年? 白居易Groop 行宮(寥落古行宮)元稹  故行宮詩(寥落古行宮)王建 新嫁娘詞三首之三(三日入廚下)  渡遼水(渡遼水)    宮中調笑(團扇)   宮中調笑(楊柳)
37 崔護 さいご (未詳)  題都城南莊(去年今日此門中)     唐・崔護 崔護(さいご)              
38 張籍 ちょうせき  768~830年 韓愈Groop 秋思(洛陽城裏見秋風)         唐・張籍 董逃行(洛陽城頭火曈曈)        唐・張籍 征婦怨(九月匈奴殺邊將)        唐・張籍 節婦吟 寄東平李司空師道(君知妾有夫)唐・張籍 張籍   
39 元稹 (微之) げん-しん  779~831 白居易Groop 聞白樂天左降江州司馬(殘燈無焔影幢幢)唐・元稹 得樂天書(遠信入門先有涙)      唐・元稹 歳日(一日今年始)           唐・元稹 遣悲懷(謝公最小偏憐女)        唐・元稹 離思(曾經滄海難爲水)         唐・元稹 元稹          
40 薛濤 せつ とう  768年 - 831年  春望詞四首 其三 秋泉 柳絮 海棠渓  酬人雨後玩竹           
41 李渉(李渤) りしょう  773~831  題鶴林寺(終日昏昏醉夢間)       唐・李渉 重登滕王閣(滕王閣上唱伊州)     唐・李渉 李渉             
42 韋應物 いおうぶつ  735~835 田園山林 滁州西澗(獨憐幽草澗邊生)      唐・韋應物 秋夜寄丘二十二員外(懷君屬秋夜) 唐・韋應物 寄李儋元錫(去年花裏逢君別)     唐・韋應物 與村老對飮(鬢眉雪色猶嗜酒)     唐・韋應物              
43 楊巨源 ようきょげん (770?-?)                 
44 盧仝 ろどう (未詳~835年) 中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶
45 劉禹錫 りゅう-うしゃく  772~842年 白居易Groop 秋風引(何處秋風至) 浪淘沙(八月濤聲吼地來)           楊柳枝詞(煬帝行宮汴水濱)  石頭城(山圍故國週遭在) 浪淘沙(九曲黄河萬里沙) 再遊玄都觀(百畝庭中半是苔)  烏衣巷(朱雀橋邊野草花)  與歌者何戡(二十餘年別帝京)  秋詞(自古逢秋悲寂寥)          同樂天登棲靈寺塔(歩歩相攜不覺難) 酬樂天揚州初逢席上見贈(巴山楚水淒涼地) 元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子(紫陌紅塵拂面來) 杏園花下酬樂天見贈(二十餘年作逐臣)
 詠紅柿子(曉連星影出)  瀟湘神(斑竹枝)
46 賈島(浪仙・無本) かとう  779~843年 韓愈Groop 渡桑乾(客舍并州已十霜)          唐・賈島 尋隱者不遇(松下問童子)        唐・賈島 題李凝幽居(閒居少鄰並)        唐・賈島 劍客(十年磨一劍)            唐・賈島 三月晦日贈劉評事(三月正當三十日) 唐・賈島            
47 白居易(楽天) はくきょい  772~846 白居易Groop                
48 李紳 りしん  780~846年 白居易Groop 憫農(春種一粒粟)       唐・李紳 3 李紳             
               

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#2>Ⅱ中唐詩369 紀頌之の漢詩ブログ1186

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#2>Ⅱ中唐詩369 紀頌之の漢詩ブログ1186


 鄭群『鄭羣贈簟』から竹むしろをもらったのは、詩中の言葉からみれば元和元年の五月以降のことと思われるが、それから間もない六月十日に、韓愈は権知国子博士の辞令をもらい、ようやく都へ召還されることとなった。「権知」とは「仮に事務を執る」という意味で、つまり事務取扱を意味する。鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998

正規の官ではない、が、愈はこれで以前の職であった四門博士より上流の子弟を教育する学校の先生となり、官原生活としては、いわばふりだしに戻ったわけである。もっともそれにともなって、陽山だの江陵だのという、都から離れた土地でののんびりとした役人暮らしは終わりを告げ、彼はまた嘲笑と陰謀とが渦巻く朝廷での生活のなかに身を置かねばならなくなったのだが。

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
建安能者七,卓犖變風操。
 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
周詩 三百篇、雅麗 訓浩を理む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首めて号を更む。
東都 漸く涌漫し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓単として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
國朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。
#3
勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。


#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
#6
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。





現代語訳と訳註
(本文)#2

逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。中間數鮑謝,比近最清奧。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
國朝盛文章,子昂始高蹈。


(下し文) #2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


(現代語訳)
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。


(訳注)
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
西暦301頃~439 " 301年に始まった帝位継承紛争「八王の乱」によって西晋王朝が崩壊し始めたのを契機に、当時、中国の内外に多数居住していた異民族が華北に侵入した。彼らは略奪を行って引き上げるという遊牧民的な行動の代わりに中華領域内に定住して数多くの国を建国した。国の数がおおよそ十六であり、この時代を担った異民族が五族(匈奴、鮮卑、羯、羌、氐*1)であったことからこの名がある。
一般に、439年、北魏が北涼を滅ぼして華北を統一した時点でこの時代は終わり、南北朝時代*2に移るとされる。おおまかにいって、華北主要部では、東部と西部に確立した二つの王朝が対立する構図が、王朝が交代しながら続いた。現在の甘粛省付近では、いずれも「涼」と自称する*3五つの王朝が興亡した。江南はほぼ一貫して西晋王朝の衣鉢を継ぐ東晋王朝が存続した。こうした大勢力の間でいくつかの小国が勃興し滅亡していった。"    
439(420)~589中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。
この時期、華南には宋 ⇒ 斉 ⇒ 梁 ⇒ 陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。
南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、王羲之や陶淵明などが活躍した。
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。
北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。
東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。" 

   
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
謝霊運 385~433南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。 
顔 延之(がん えんし) 384年 - 456年 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。 
鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。擬行路難 , 代出自薊北門行
謝朓③(しゃちょう)464年 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり。遊東田,玉階怨、王孫遊、金谷聚、同王主薄有所思、


齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸倕)


搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
剽盜 人の文章を脅かしぬすむ。またかすめとる。剽窃。剽竊。


國朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
陳子昴(ちんすこう)661年 - 702年、六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。登幽州臺歌(前不見古人)、 感遇三十八首 其二(蘭若生春夏)、題祀山烽樹贈喬十二侍御(漢庭榮巧宦)、  送別(落葉聚還散)


薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#1>Ⅱ中唐詩367 紀頌之の漢詩ブログ1180

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#1>Ⅱ中唐詩367 紀頌之の漢詩ブログ1180


(1)
806年 待ちに待った「帰還」の便りは、杏の花のさくころになってもやって来ない。「香花」「春に感ず四首」「憶昨行張十一に和す」は、このころの作である。
その年の夏のおわりの六月、やっと、長安帰還の命令を、江陵で、うけとった。待ちに待った召還を果たす。
新しい任務は、権知国子博士。国立大学の准教授とでもいうべき地位である。さきの四門博士よりは、やや上級だが、正教授ではない。それでも、長安に帰れることは飛び上がるほどうれしかった。陽山や江陵に在任中につくった詩にしばしばうたった、鋤・鍬をとって祖先の基辺に残年を送ろうなどいう隠遁の考えは、たちまち雲散霧消し、さっさと長安に上って行った。



薦 士(士を薦む)
薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。
 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。中間數鮑謝,比近最清奧。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
國朝盛文章,子昂始高蹈。

#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。
#3
勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。


#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。





現代語訳と訳註
(本文)

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。
五言出漢時,蘇李首更號。東都漸瀰漫,派別百川導。
建安能者七,卓犖變風操。
 

(下し文)#1
周詩 三百篇、雅麗 訓浩を理む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首めて号を更む。
東都 漸く涌漫し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓単として風操を変ず。


(現代語訳)
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。


(訳注)
薦士
(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
孟郊を鄭餘慶宰相に推薦したと作者註にあるが、歴史家が作時期を疑問視している。
この詩では、鄭余慶が宰相の地位にあって、それに韓愈が孟郊を推薦したもののように見える。鄭余慶が宰相となったのはたしかだが、ほどなく免職となって国子祭酒に任ぜられ、それから東都留守(洛陽の長官) に転出している。鄭余慶が孟郊を私的な部下として採用したのはこの東都留守の時期であり、かつ 『旧唐書』に見える孟邦の伝記によれは、鄭に孟郊を推薦したのは韓愈の門人の李翺だということになっている。)
この詩の制作年代と鄭余慶に対する効果については、はっきりせぬ点が存在するのである。
いずれにしても、長安へもどった韓愈のもとに、「韓門」 の人々がまた集まりだしたのである。彼らの生計まで気にかけるのも、韓愈の性格としては自然のことだったであろう。


周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
・訓誥 典謨訓誥のこと。聖人の教え。 経典のこと。 「書経」にある、典、謨、訓、誥の四体の文の称で、同時に「書経」の篇名。これに誓、命を加えて尚書の六種ともいう。


曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。


五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
・蘇李 蘇武も李陵も漢代の武将。李陵は優勢な匈奴軍に包囲され、善戦したが、ついには降伏した。匈奴は李陵を厚く待遇し、匈奴軍の大将に任命した。また蘇武は、漢の外交使節として匈奴へ赴いたが、匈奴は蘇武を抑留し、匈奴の臣となることを強制した。蘇武はこれを拒絶し、さまざまな迫害にあったすえ、漢からの外交折衡により、無事に帰ることができた。そこで蘇武か帰国のとき、李陵が送りに出て、互いに唱和した詩が『文選『李都尉【従軍】陵』』に載っており、五言詩の始まりとされる。今日の研究では、すべて偽作とされているのだが、韓愈の時代には、本物と信じられていた。


東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
東都 後漢

建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
・建安 後湊末期の年号。いわゆる三国時代が事実上姶まった時。・七人 孔融・陳琳・王栞・徐幹・R璃・応揚・劉禎。建安の七子。三曹七子・風操 『詩経』や「琴操」(琴の曲の歌詞)の詩風。
「郊廟歌辭」「燕射歌辭」「鼓吹歌辭」「橫吹曲辭」「相和歌辭」「淸商曲辭」「舞曲歌辭」「琴曲歌辭」「雜曲歌辭」「近代曲辭」「雜歌謠辭」

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177



805年、この年は、中央では、さきに記したように、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。806年元和元年正月、江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかったようだ。『早春雪中聞鸎』 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147(早春雪中に鷲を聞く)はその一つである。通常、年が変われば人事報告があるもので、この詩には、いまにも都から、よびもどされようとはかりに、そわそわしているところおもしろい。
しかし、待てどもその便りは、杏の花が散ってもやって来なかったのである。「杏花」杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1
「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150はこのころの作である。同時期に「憶昨行張十一に和す」がある。これは、韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。


(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。


(下し文) #5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


(現代語訳)
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。


(訳注) #5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
頭は軽く感じ、眼つきは朗らになり、そして、肌も骨も体つきもしゃんとしてきた、古い剣の埃をはらい錆を新たにけずって、チリ埃を払って、いま砥石から出てきたようだ。
 けずる。さびをけずりとる。


殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
厄病は消え、幸福がいっぱいなり、百もの幸福がいっしょになってやってくるし、これからは 背がまがり皮膚にふぐの皮膚のようなシミのできるまでは元気なはずだ。
百福並 百もの幸福がいっしょになってやってくる。
 老年になって背の曲がること。
 ふぐ。老人の皮膚にはふぐの皮膚のようなシミのあるところから老人をさす。


嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
嵩山の東のふもと、伊水と洛水の岸べ、そこのよさは くどくどせんさくするまでもない。
嵩山 河南有髪討幕の北にある山で五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山のひとつ。この山で、韓愈はおのれのふるさとを指しているのである。東岳 泰山(山東省泰安市泰山区)、 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県)、 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市)、 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市)、 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)。
伊洛 伊水と洛水。洛陽のほとりの川である。
穿栽 せんさくする。


君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。
きみよ まず行きたまえ わたしは任期の満ちる日待とうとおもう。そして、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者の跡を継いで生涯を終えるまで田を耕そう。
沮溺 孔子と同時代の隠者で論語に見える長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)と呼ばれる隠者が並んで畑を耕していた。そこへ馬車に乗った孔子が通りかかった。あいにく渡し場が見つからなかったので、弟子の子路(しろ)に渡し場のあるところをたずねさせた。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#4>Ⅱ中唐詩366 紀頌之の漢詩ブログ1177

韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。

「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。

#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す)
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄【むぼう】の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。

現代語訳と訳註
(本文)
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。


(下し文) #4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄【むぼう】の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。


(現代語訳)
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。


(訳注) #4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
それが近ごろのことで、改革派と称したこの三人の悪者は悉くうちにその思惑は打ち砕かれたのだ。羽山の底なしの洞窟に黄熊が閉じこもった事と同様に、やつらは幽閉せられたということだ。
三奸 王伾、王叔文、韋執誼。順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。
羽窟黃能 羽山の洞窟。『書経』舜典に「共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄し、鯀を羽山に極し、四罪して天下威く服す」とある。南に追放された四者のうち鯀の幽閉された山で、江蘇省東海県の西北だとする説と、山東省蓬莱県の東南だとする説とがある。・黃能 熊が羽山に閉じこめられてそのたましいが黄熊になったと『左伝』に見える。黄能は熊の一種。


眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
私の目にはっきりと故郷の姿を思い浮かべて見ることもできる、帰る日のあるということがまちがいなくあるとわかるし、ひそめた眉がもうじき開けるというものなのだ。


今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
今、君がたとえはるか天涯の地の下級官吏に任命されたとしても、辞令を投げ返して、北の都に向けて官を去ることもどうしてむつかしいというのか。(君の力なら難しくはないというものだ)
縦署 たとえ任命せられたとしても。
投檄 辞令を投げ返して辞表をさし出す。


無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
「圥妄の憂は薬することなくして喜びあり」とかいうではないか、一の吉報はおのずから千の災いをはらいのけるに十分足るというものだ。
無妄之憂勿藥喜 『易経』に「圥妄の疾あるときは、薬すること勿くして喜び有り」ということばがある。圥は無と同じで、無妄とは虚妄のないこと、天理自然で人為を加えないことをいう。虚妄のない誠実の人が 偶然、病を得た場合には、薬をのんだりしなくとも、自然に治癒して喜びがやってくるという。韓愈の詩は、張署の病気も正に無妄の病だったから、治療せずに治ったというのである。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#3>Ⅱ中唐詩365 紀頌之の漢詩ブログ1174

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#3>Ⅱ中唐詩365 紀頌之の漢詩ブログ1174


韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』  張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。

だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。

#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
 #3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。

(下し文) #3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。


(現代語訳)
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのある立派な舟でも危険な状態におちいった。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。


(訳注) #3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
少し前のことを思い出すと先にきみと一緒に湘水を渡ったときのことだが、大きな帆を夜中に袈けて、 高いマストのあるりっはな舟でも危険な状態におちいった。
従君 韓愈と張署は同時に南方に流され、同じ舟で湖水を渡った。
 さける。
窮高桅 桅はマスト。高いマストのあるりっはな舟でも危険な状態におちいった。


陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
陽山から臨武へは鳥だけが通れるひとすじ道にでた、駅馬もこの地をいやがってむりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。
鳥路 鳥だけが通れる道。地上を歩くものはどんな動物でも通れないような峻路。
・臨武 張著の凍窮地、沼州にある。
驅頻隤 むりに走らせると、しきりにつまずきたおれた。


踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
いたるところで蛇をふみつけ、食物の中に毒虫がいたり、死をいとう暇もなかったが、しばらくして、とぶようにやって来る天子の詔勅が天降ることとはなった。
践蛇 いたるところで蛇をふみつける。
茹蠱 食物の中に毒虫がいる。
飛詔 とぶようにやって来る天子の命令。


伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
だが王伾・王叔文は斬られはしなくて、崖州の仲間の奴もまだ元気である、わたしは赦免は得たというものの 別の懸念がつきまとっているのだ。
伾文未揃 王位と王叔文はまだ斬殺さ
れない。
崖州 のちには崖州に流された葦執誼
をさす。
赦宥 ゆるし。
愁猜 推測してうれう。

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#2>Ⅱ中唐詩364 紀頌之の漢詩ブログ1171

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#2>Ⅱ中唐詩364 紀頌之の漢詩ブログ1171


『贈韓退之』    張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。
(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。

空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。

切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。

(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。
#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。


(下し文) #2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。


(現代語訳)
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。


(訳注) #2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
張君の名声は我々左遷や不遇の一座のものの注目するところとなっている、たから、立ち起きて舞い、まず酔うてしまい、松の巨木さながらくずれてしまう。
属 注目する。


宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
二日酔いのさめないうちに前からのマラリヤの発作が起こってくる、奥の間で絶対安静にしていると高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。
宿酲 二日酔い。
旧痁 痁はマラリヤ。
聞風雷 高熱に耳鳴りがして大風雷鳴を聞いているようだ。


自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
自分の命も最後となる時期かと春の季節のあと追い 命も尽きてしまうものと思っている、もう幾日と指折り数え、赤子を不憫に思うようである。
殞命 いのちつきる。しぬこと。・春序 春の季節.
嬰孩 赤子.


危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
切ない辛い君の言葉は 耳にするにつけいたましく感じられる、落ちる涙を掩いもしなで、なんとさめざめ涙を流すだけなのだ。
危辭苦語 あやぶみおそれることば。
漼漼 さめざめ涙を流すさま。


憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#1>Ⅱ中唐詩363 紀頌之の漢詩ブログ1168

憶昨行和張十一 韓退之(韓愈)詩<61-#1>Ⅱ中唐詩363 紀頌之の漢詩ブログ1168


805年、この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、自芸子が即位し、永点と改元した、じつにあわただしい年であった。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなく尽き、新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。806年元和元年正月、江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかったようだ。早春雪中聞鸎 韓退之(韓愈)詩<56>Ⅱ中唐詩356 紀頌之の漢詩ブログ1147(早春雪中に鷲を聞く)はその一つである。通常、年が変われば人事報告があるもので、この詩には、いまにも都から、よびもどされようとはかりに、そわそわしているところおもしろい。
しかし、待てどもその便りは、杏の花が散ってもやって来なかったのである。『杏花』 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150「春に感ず四首」感春四首 其一(1) 韓退之(韓愈)詩<57>Ⅱ中唐詩357 紀頌之の漢詩ブログ1150はこのころの作である。同時期に「憶昨行張十一に和す」がある。これは、韓愈より、一足先に都に帰る張署と交換した詩である。
『贈韓退之』    張署
九疑峰畔二江前,戀闕思鄉日抵年。
白簡趨朝曾竝命,蒼梧左宦一聊翩。
鮫人遠泛漁舟水,鵩鳥閑飛露裏天。
渙汗幾時流率土,扁舟西下共歸田。

(韓退之に贈る)
九疑峰の畔 二江の前,闕を戀ひ 鄉を思うて 自ら年に抵る。
白簡 朝に趨く曾て竝びに命ぜられ,蒼梧に宦を左せらるるも一聊翩たり。
鮫人遠く泛ぶ漁舟の水,鵩鳥 閑に飛ぶ 露裏の天。
渙汗 幾時か 率土に流べば,扁舟 西下して 共に歸田せむ。


88 憶昨行和張十一
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
#2
張君名聲座所屬,起舞先醉長松摧。
宿酲未解舊痁作,深室靜臥聞風雷。
自期殞命在春序,屈指數日憐嬰孩。
危辭苦語感我耳,淚落不掩何漼漼。
#3
念昔從君渡湘水,大帆夜劃窮高桅。
陽山鳥路出臨武,驛馬拒地驅頻隤。
踐蛇茹蠱不擇死,忽有飛詔從天來。
伾文未揃崖州熾,雖得赦宥恒愁猜。
#4
近者三奸悉破碎,羽窟無底幽黃能。
眼中了了見鄉國,知有歸日眉方開。
今君縱署天涯吏,投檄北去何難哉。
無妄之憂勿藥喜,一善自足禳千災。
#5
頭輕目朗肌骨健,古劍新劚磨塵埃。
殃消禍散百福並,從此直至耇與鮐。
嵩山東頭伊洛岸,勝事不假須穿栽。
君當先行我待滿,沮溺可繼窮年推。


(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す)
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。

#2
張君の名聲は座の所する屬,起って舞ひ先ず醉いて長松の摧くるごとし。
宿酲【しゅくてい】の未だ解けざるに舊痁【きゅうせん】作【おこ】る,深室【しんしつ】に靜臥【せいが】して風雷を聞く。
自ら期す命を殞【おと】すは春序【しゅんじょ】に在りと,指を屈り日を数へて嬰孩【えんがい】を憐む。
危辭【きじ】苦語【くご】我が耳に感ず,淚落ちて掩はず何ぞ漼漼【さいさい】。
#3
念う昔ごろ君に従って湘水を渡りしが,大帆 夜に割けて 高桅【こうき】窮りき。
陽山の鳥路【ちょうろ】は臨武【りんぶ】に出づるも,驛馬【えきば】地を拒みて驅れども頻りに隤【つまず】く。
蛇を踐み蠱【こ】茹【くち】いて死を擇【えら】ばず,忽【たちま】ち有飛詔【ひしょう】の天より来る有りしも。
伾文【ひぶん】は未だ揃【き】られずして崖州【がいしゅう】も熾【さかん】なり,赦宥【しゃゆう】を得たりと雖も恒に愁猜【しゅうせい】す。

#4
近者【ちかごろ】三奸【さんかん】の悉【ことごと】く破碎【はさい】せられ,羽窟【はくつ】の底無きに黃能【こうたい】を幽す。
眼中に了了として鄉國を見,歸る日有を知って眉【まゆ】方【まさ】に開かむとす。
今は君の縱【たとい】天涯の吏に署せらるるとも,檄を投じて北に去る何ぞ難からむや。
無妄の憂は藥することなくして喜ぶ,一善は自ら千災を禳【はら】うに足る。

#5
頭は軽く目の朗かに肌骨は健かなり,古劍【】新に劚【けず】って塵埃【じんあい】を磨【はら】う。
殃【わざわい】は消え 禍【まがつみ】は散じ 百福 【ひゃくふく】並す,此從より直ちに耇【こう】と鮐【たい】とに至らむ。
嵩山の東頭 伊洛の岸,勝事 穿栽【せんさい】を須【もち】うるを假らず。
君よ當に先行すべし我は満つるを得たむ,沮溺【そでき】繼ぐべし年を窮るまで推【たがや】さむ。


現代語訳と訳註
(本文)

憶昨行和張十一
憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。


(下し文)
(憶昨行【おくさくこう】張十一に和す
憶ふ昨に夾鍾【きょうしょう】の呂【りょ】の初めて灰【はい】を吹きしとき,上公の禮 罷【おわ】って元侯【げんこう】回【かえ】る。
車には牲牢【せいろう】を載せ甕【かめ】には酒を舁【か】く,賓客を並び召して鄒枚【すうばい】を延【ひ】く。
腰金【ようきん】と首翠【しゅすい】と光照【こうしょう】耀【よう】す,絲竹【しちく】迥【はるか】に發す清にして哀。
青天【せいてん】白日【はくじつ】花草麗【うるわ】し,玉斝【ぎょくか】屢ば舉げて金罍【きんらい】を傾く。


(現代語訳)
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。


(訳注)
憶昨行和張十一
かねて過ぎ去ったころの歌、張十一署に和す。
・憶昨行和張十一底本巻三。江陵での作。憶昨は初句の二字をとった。張十一は張署。
 昔と同じで過ぎ去った日。


憶昨夾鍾之呂初吹灰,上公禮罷元侯回。
かねて過ぎ去ったころのこと、季節の変わり目に吹く爽鐘の呂のはじめて灰を吹いた日のことであった、上代の聖人を祭りをしおえてこの江陵の節度使裴均長官がお帰りになられた
夾鍾1 中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より三律高い音。日本の十二律の勝絶(しょうせつ)にあたる。2 陰暦2月の異称。・爽饉之呂初吹灰 中国の音律は黄鐘・大呂・大蔟・爽鐘・姑洗・仲呂・蕤賓・林鍾・夷則・南呂・無射・応鍾の十二で偶数並びを陽六、奇数並びを陰六、または六呂という。この十二律を一年の十一月から翌年の十月までに配当する。したがってこの詩では二月、仲春で夾鍾となる。その季節の到来をはかるためには、智閉した部屋の中に机をおき、十二偶のまでつくった律をおき、茨の灰を律の内端につめておく。季節がかわれば、律はその気に感じ、灰は自然に飛散するといわれる。夾鍾の律が火を吹く日は仲春二月のはじめ。
上公 古代の聖人三皇五帝の三公のこと。上公之官は大臣。
元侯 地方長官、ここでは節度使の裴均のこと。


車載牲牢甕舁酒,並召賓客延鄒枚。
車に神に供える牛・羊・豚をの、神酒の甕を担がせている、宴に召された賓客に漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たちが居並んだ。
牲牢 神に供える牛・羊・豚など。
鄒枚 漢代の枚乗と鄒陽のような文豪たち。


腰金首翠光照耀,絲竹迥發清以哀。
腰には金の佩び玉をつけ、翡翠の羽飾りはきらきら輝いている、遠くからわき起こる管絃楽は清らにも哀れであった。
腰金首翠 金色の帯玉、礼冠の窮翠の羽かぎり。
糸竹 絃菜館と管楽器。


青天白日花草麗,玉斝屢舉傾金罍。
空は青く晴れ渡り、真昼の太陽は白くふりそそぐ、 花も草もうるわしく広がる、宝玉のさかずきはしばしば飲み干し、黄金色の真鍮の酒壷は傾けられた。
玉斝 玉のさかすき。斝は俗字。
金罍 黄金色の真鍮の酒壷。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165



806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。「早春雪中聞鸎」(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それをうぐいすに言いわけしているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。

DCF00117

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

花と張0104

感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文) 感春四首 其四 #2

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。


(下し文) #2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


(現代語訳)
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。


(訳注) 感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
画蛇著足 『史記』に見える故事にもとずく。数人の連中が、もらった酒を、蛇の絵を一番にかいたものがもらうというカケをした。一番にかいた男が、酒を貰って飲もうとして、「あ、足を画くのを忘れていた」といって書き加えたら、次の男が、足のあるのは蛇ではないといって、酒を取り上げた。無駄な努力をすること。余計なことをするということ。
趨埃塵 俗世間を走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。に基づいて作る。


乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
乾愁 なんとなくおこる愁い。「空しく愁ひて益無きなり」(何の得もないのに空しく愁いている)ということ。
漫解 理解する必要もないものを理解して。
 何となく。


數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
皎皎万慮 さまざまな思いがあきらかな状態にある。知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、心配の種がたえない。皎皎はあきらかなさま・。
・醒還訴 心配を酒でまぎらそうとするが、醒めると、更に新たな様相でせまってくる。還は、また。

 
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
・百年 人の一生をざっと百年とみたてる。
不得死 いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬ。
且可 しばらく、とりあえず。可は接尾語で意味はない。
勤買 せいぜい買うことさ。
拗青春 酒の銘柄。いい酒には、「土窟春」とか「石凍春」とか、春の宇のつくものが多かった。不老長寿と青春がつきもの。

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#1>Ⅱ中唐詩361 紀頌之の漢詩ブログ1162

感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#1>Ⅱ中唐詩361 紀頌之の漢詩ブログ1162



感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。

それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。

(感春四首 其の四)
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文)感春四首 其四

我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。


(下し文) 感春四首 其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。


(現代語訳)
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。


(訳注)
感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。

わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
江頭人 川辺で仕事する労働者。
紫鱗 魚。


獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
荒陂 いばらや雑草の生いしげる荒れた堤。・鳧雁  かもとかり。


歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。


今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
・今者 それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと。
無端 はからずも。

感春四首其三 (3) 韓退之(韓愈)詩<59>Ⅱ中唐詩360 紀頌之の漢詩ブログ1159

感春四首其三 (3) 韓退之(韓愈)詩<59>Ⅱ中唐詩360 紀頌之の漢詩ブログ1159


83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。 
(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84 感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。


85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文)
感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。


(下し文)春を感ず四首 其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


(現代語訳)
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。


(訳注) 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
 碁方。


詩書漸欲拋,節行久已惰
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
・詩書漸欲拋 今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきた。・詩書はこの場合は『詩経』『書経』と『楚辞』詩集のたぐい。
節行久己惰 節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたつ。


冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
冠欹 冠がかたむく。・禿 はげる。


孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか
孤負 そむく。
平生心 平生の志、ねがい。
已矣知何奈 孤負平生心といいかけた自分の心に、すんでしまったことだ、どうしようもないじゃないか、といっているのである。

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紀 頌之

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