中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2012年09月

元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#4>Ⅱ中唐詩451 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1432

元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#4>Ⅱ中唐詩451 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1432

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


腹敗枝披,不敢保聚。
叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになり、団結を維持することがとてもできない状態になった。
擲首陴外,降幡夜豎。
夏州兵馬便の張承金が楊恵琳をとらえて首を斬ってさしだしてひめがきの外にさらしたのである、そして降参のしるしの旗を夜になって建てたのである。
疆外之險,莫過蜀土。
そもそも、この地は都から遠く離れた辺境の地であり、その間に峻道がある、そのために蜀の国の管理を見過ごしていたのである。
韋皋去鎮,劉辟守後。
西川節度使南康忠武王韋皋が死んでからは別の節度使が任命されたが劉闢はこれに従わず軍隊で蜀を固めた。
血人於牙,不肯吐口。
人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすすって、搾りつくすだけ絞り、収奪したのである。
開庫啖士,曰隨所取。
天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらいて、自分の部下に好きなだけ与えることもした。
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。
そして「お前たちはお前たちの弓に絃を張れ」、「お前らはお前らの軍太鼓を打ち鳴らして集まるのだ。」と。
汝為表書,求我帥汝。

そうした後に「お前たちは上表文を書くのだ」。そしてそれは「わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。」ということであった。
腹敗れ 枝披け、敢て保宋せず。
首を陣の外に榔ち、降幡 夜 竪つ。
慮外の険は、筍土に過ぐる莫し。
貴幸 鏡を去り、劉関 守後たり。
人を牙に血ぬり、育て口より吐かず。
庫を開いて士に唱はしめ、日く 取る所の随にせむ。
汝は汝の弓を張れ、汝は汝の鼓を鼓て。
汝は表書を為り、我を求めて汝に帥たらしめよ と。




現代語訳と訳註
(本文)
#4・2
腹敗枝披,不敢保聚。
擲首陴外,降幡夜豎。
疆外之險,莫過蜀土。
韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。
開庫啖士,曰隨所取。
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。
汝為表書,求我帥汝。


(下し文)
腹敗れ 枝披け、敢て保宋せず。
首を陣の外に榔ち、降幡 夜 竪つ。
慮外の険は、筍土に過ぐる莫し。
貴幸 鏡を去り、劉関 守後たり。
人を牙に血ぬり、育て口より吐かず。
庫を開いて士に唱はしめ、日く 取る所の随にせむ。
汝は汝の弓を張れ、汝は汝の鼓を鼓て。
汝は表書を為り、我を求めて汝に帥たらしめよ と。


(現代語訳)
叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになり、団結を維持することがとてもできない状態になった。
夏州兵馬便の張承金が楊恵琳をとらえて首を斬ってさしだしてひめがきの外にさらしたのである、そして降参のしるしの旗を夜になって建てたのである。
そもそも、この地は都から遠く離れた辺境の地であり、その間に峻道がある、そのために蜀の国の管理を見過ごしていたのである。
西川節度使南康忠武王韋皋が死んでからは別の節度使が任命されたが劉闢はこれに従わず軍隊で蜀を固めた。
人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすすって、搾りつくすだけ絞り、収奪したのである。
天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらいて、自分の部下に好きなだけ与えることもした。
そして「お前たちはお前たちの弓に絃を張れ」、「お前らはお前らの軍太鼓を打ち鳴らして集まるのだ。」と。
そうした後に「お前たちは上表文を書くのだ」。そしてそれは「わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。」ということであった。


(訳注) #4・2
腹敗枝披,不敢保聚。

叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになり、団結を維持することがとてもできない状態になった。
腹放校披 叛乱軍の將候間で分裂し、末端でもちりぢりになる。披は折と同じで、さける。
不敢保栄 団結を維持することがとてもできない。『春秋左氏伝』債公二十六年に「我が倣邑は是を用って敢て保聚せず」 の語がある。それをここにそっくり使用した。


擲首陴外,降幡夜豎。
夏州兵馬便の張承金が楊恵琳をとらえて首を斬ってさしだしてひめがきの外にさらしたのである、そして降参のしるしの旗を夜になって建てたのである。
擲首 擲は、投げる、または、さし出す。叛乱軍の将兵が楊恵琳の首を切ってさし出した、というのであろう。もっとも、事実は、夏州兵馬便の張承金が楊をとらえて斬ったのである。
 陴堄。城の上から城下を覗い見るために作ったひめがき。
投降すること、開城のこと。城の上から城下をうかがい見るために造ったひめがき。
降幡 降参のしるしの旗。
 たてる、白旗を城にかかげたというのである。以上が楊恵琳討伐である。以下、劉闢征討の次第がのべられる。


疆外之險,莫過蜀土。
そもそも、この地は都から遠く離れた辺境の地であり、その間に峻道がある、そのために蜀の国の管理を見過ごしていたのである。
疆外 外国。すなわち、辺境。


韋皋去鎮,劉闢守後。
西川節度使南康忠武王韋皋が死んでからは別の節度使が任命されたが劉闢はこれに従わず軍隊で蜀を固めた。
韋皋去鎮 807年元和元年に叛乱した蜀の西川節度副使劉闢征討のことをのべるもの。
≪詩の背景≫参照。


血人於牙,不肯吐口。
人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすすって、搾りつくすだけ絞り、収奪したのである。
血人干牙 人を牙にかけて血まみれにする。人民の膏血をすする。『旧唐書』には、劉閥が実際に人間を殺して食った、と記すが、ここでは象徴的な書き方だと解すべきであろう。もっとも、中国には食入の風習のあったことは確かである。呂布に追われている時に逃げ込んだ家の主人劉安は、劉備をもてなす食料がなかったので妻を殺害してその肉を差し出したとされる。(三国志演義)中国では、客をもてなすため、嫁さんが自殺して、その肉を喰わせたという故事があり、美談とされている。


開庫啖士,曰隨所取。
天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらいて、自分の部下に好きなだけ与えることもした。
開庫 天子に上納すべき税金などをおさめた倉庫をひらく。
喝士 唱は、くらう。部下の将士に金品を与えて、人気取りをやるのである。
 劉閲が部下の将兵にいう。求我帥汝までがそのことは。
・随所収 とりたいだけとれ。随は随意というほどの意。


汝張汝弓,汝鼓汝鼓。
そして「お前たちはお前たちの弓に絃を張れ」、「お前らはお前らの軍太鼓を打ち鳴らして集まるのだ。」と。
汝鼓汝鼓 おまえはおまえの軍鼓をうて。上の鼓は動詞で、つづみうての意。
下の鼓は名詞で、軍太鼓。


汝為表書,求我帥汝。
そうした後に「お前たちは上表文を書くのだ」。そしてそれは「わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。」ということであった。
・表書 上表文。その内容が、次の句である。
求我帥汝 わたしを、おまえたちの将帥とするよう、請求せよ。



<詩の背景>
  劉闢は、西川節度使南康忠武王韋皋のもとで支度副使をしていた。韋皋は、二十三間在職し、その間に西川地方をまったく君王のように掌中のものとしていた。805年永貞元年秋八月、韋皋が死んだ。劉闢は、みずから「留後」と名乗った。

 また部下の諸将に命じて「西川節度使の後任には劉闢をあてていただきたい」と陳情させた。朝廷はこれを許さず、十月、中書侍郎同平章事の袁滋を西川節度使に任じ、劉闢を召して給事中とした劉闘はこれをうけず、軍隊を動かして蜀をかためたので、袁滋はおそれて任地に進もうとしない。怒った憲宗は、袁滋を吉川刺史に貶した。だが、即位したばかりの青年天子には、まだ、劉闢を討つことには自信がなかった。

 十二月、劉闢を西川節度副使に任じ、節度使の仕事にあたらせた。これが劉闢をつけ上がらせた。807年元和元年正月、西川以外の三川をも兼領させていただきたいと要求し、許されないことがわかると、早速、兵を発して、東川節度使の李康を梓州に包囲した。憲宗は劉闢を討とうと思い、そのことを公卿にはかった。蜀は討つに難い険固の地である。みな、はなはだ消極的であった。ただひとり宰相の杜黄裳がいった。「劉闢は気のふれた書生で、大したことはありません。神策軍使の高崇文におまかせになれば、かならず生けどりにいたしましょう」高崇文は、すぐれた武人で、平素から実戦の準備を怠らなかった。命をうけると、二時間後には、出発した。

 三月には梓州に進み、六月には鹿頭関で劉闢を撃退し、九月には長駆して成都にはいった。劉闢はついに数十騎のみを従え、チベットに向けて逃れたが、途中、高崇文の部下につかまった。十月、身柄が長安に送られ、その族党は誅せられた。

 韓愈は、憲宗の治世になって、やっと流鼠の地から長安に還ることができた。かれの貶謫を計画し実行したものと信じ切っていた王叔文党を追放したのが、憲宗であった。憲宗が中興の英主と、かれの目に映ったのは、無理もない。かれのみならず、当時の多くのひとは、この青年大子に大いに期待をかけ、天子もまた、わずかに十五年の治世ではあったが、その前半においては、政務に精励し、かなり思い切った施策があった。

元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#3>Ⅱ中唐詩450 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1429

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


元和聖德詩#3・1
皇帝即阼,物無違拒。
皇帝が即位されました、万物これに違背したり拒絶したりするものがまったくなかった。
曰暘而暘,曰雨而雨。
日が照ることを思召せば日は照り、雨が降れと思召せば雨が降る。
維是元年,有盜在夏。
それもこれも元和の年号になったことからである。盗人のような楊恵琳が蜀・夏州にいるのである。
欲覆其州,以踵近武。
それらの州で反乱を起こしたのである、それは近頃の李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということなのである。
皇帝曰嘻,豈不在我。
皇帝陛下は『ああ、』という声に続き、「そのような板乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。」と皇帝自ら反省の言葉をいわれたのだ。
負鄙為艱,縱則不可。
辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして叛乱をおこした、したいままにさせるということをさせてはならない。
出師征之,其眾十旅。
軍隊を出動させてこの叛乱を征伐されたのである。楚の師団には十旅団5000人であった。
軍其城下,告以福禍。

その両軍は揚恵琳の根拠地の城を包囲した。そして、直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられ、もし、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告したのである。
#4・2
腹敗枝披,不敢保聚。擲首陴外,降幡夜豎。
疆外之險,莫過蜀土。韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。開庫啖士,曰隨所取。
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。汝為表書,求我帥汝。
#5・3
事始上聞,在列鹹怒。皇帝曰然,嗟遠士女。
苟附而安,則且付與。讀命於庭,出節少府。
朝發京師,夕至其部。辟喜謂黨,汝振而伍。
蜀可全有,此不當受。萬牛臠炙,萬甕行酒。
#6・4
以錦纏股,以紅帕首。有恇其凶,有餌其誘。
其出穰穰,隊以萬數。遂劫東川,遂據城阻。
皇帝曰嗟,其又可許。爰命崇文,分卒禁禦。
有安其驅,無暴我野。日行三十,徐壁其右。
#7・5
辟黨聚謀,鹿頭是守。崇文奉詔,進退規矩。
戰不貪殺,擒不濫數。四方節度,整兵頓馬。
上章請討,俟命起坐。皇帝曰嘻,無汝煩苦。
荊並洎梁,在國門戶。出師三千,各選爾醜。
#8・6
四軍齊作,殷其如阜。或拔其角,或脫其距。
長驅洋洋,無有齟齬。八月壬午,辟棄城走。
載妻與妾,包裹稚乳。是日崇文,入處其宇。
分散逐捕,搜原剔藪。辟窮見窘,無地自處。
#9・7
俯視大江,不見洲渚。遂自顛倒,若杵投臼。
取之江中,枷脰械手。婦女累累,啼哭拜叩。
來獻闕下,以告廟社。周示城市,鹹使觀睹。
解脫攣索,夾以砧斧。婉婉弱子,赤立傴僂。
#10・8
牽頭曳足,先斷腰膂。次及其徒,體骸撐拄。
末乃取辟,駭汗如寫。揮刀紛紜,爭刌膾脯。
優賞將吏,扶珪綴組。帛堆其家,粟塞其庾。
哀憐陣沒,廩給孤寡。贈官封墓,周匝宏溥。
#11・9
經戰伐地,寬免租簿。施令酬功,急疾如火。
天地中間,莫不順序。幽恒青魏,東盡海浦。
南至徐蔡,區外雜虜。怛威赧德,踧踖蹈舞。
掉棄兵革,私習簋簠。來請來覲,十百其耦。
#12・10
皇帝曰籲,伯父叔舅。各安爾位,訓厥甿畝。
正月元日,初見宗祖。躬執百禮,登降拜俯。
薦于新宮,視瞻梁梠.戚見容色,淚落入俎。
侍祠之臣,助我惻楚。乃以上辛,於郊用牡。
#13・11
除于國南,鱗筍毛簴。廬幕周施,開揭磊砢,
獸盾騰拏,圓壇帖妥。天兵四羅,旂常婀娜。
駕龍十二,魚魚雅雅。宵升於丘,奠璧獻斝。
眾樂驚作,轟豗融冶。紫焰噓呵,高靈下墮。
#14・12
群星從坐,錯落侈哆。日君月妃,煥赫婐。
瀆鬼濛鴻,嶽祗嶪峨。飫沃膻薌,產祥降嘏。
鳳凰應奏,舒翼自拊。赤麟黃龍,逶陀結糾。
卿士庶人,黃童白叟。踴躍歡呀,失喜噎歐。
#15・13
乾清坤夷,境落褰舉。帝車回來,日正當午。
幸丹鳳門,大赦天下。滌濯剗磢,磨滅瑕垢。
續功臣嗣,拔賢任耇,孩養無告,仁滂施厚。
皇帝神聖,通達今古。聽聰視明,一似堯禹。
#16・14
生知法式,動得理所。天錫皇帝,為天下主。
並包畜養,無異細钜。億載萬年,敢有違者?
皇帝儉勤,盥濯陶瓦。斥遣浮華,好此綈紵。
敕戒四方,侈則有咎。天錫皇帝,多麥與黍。
#17・15
無召水旱,耗於雀鼠。億載萬年,有富無窶。
皇帝正直,別白善否。擅命而狂,既翦既去。
盡逐群奸,靡有遺侶。天錫皇帝,厖臣碩輔。
博問遐觀,以置左右。億載萬年,無敢餘侮。
#18・16
皇帝大孝,慈祥悌友。怡怡愉愉,奉太皇后。
浹於族親,濡及九有。天錫皇帝,與天齊壽。
登茲太平,無怠永久。億載萬年,為父為母。
博士臣愈,職是訓詁。作為歌詩,以配吉甫。



現代語訳と訳註
(本文)
元和聖德詩#3・1
皇帝即阼,物無違拒。曰暘而暘,曰雨而雨。
維是元年,有盜在夏。欲覆其州,以踵近武。
皇帝曰嘻,豈不在我。負鄙為艱,縱則不可。
出師征之,其眾十旅。軍其城下,告以福禍。


(下し文)
皇帝 阼【そ】に即き、物に違拒【いきょ】無し。
暘【ひで】れと日へは賜り、雨ふれと日へは雨ふる。
維れ是れ 元年、盜有り 夏に在り。
其の州を覆【くつがえ】して、近武【きんぶ】を踵【つ】がむと欲す
皇帝日く 嘻【ああ】、豈に我に在らざらむや。
鄙【ひ】を負【たの】みて艱【かん】を為す、縱【ゆる】さば不可 と。
師を出して之を征す、其の衆 十旅【じゅうりょ】。
其の城下に軍し、告ぐるに福禍【ふくか】を以てす。


(現代語訳)
皇帝が即位されました、万物これに違背したり拒絶したりするものがまったくなかった。
日が照ることを思召せば日は照り、雨が降れと思召せば雨が降る。
それもこれも元和の年号になったことからである。盗人のような楊恵琳が蜀・夏州にいるのである。
それらの州で反乱を起こしたのである、それは近頃の李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということなのである。
皇帝陛下は『ああ、』という声に続き、「そのような板乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。」と皇帝自ら反省の言葉をいわれたのだ。
辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして叛乱をおこした、したいままにさせるということをさせてはならない。
軍隊を出動させてこの叛乱を征伐されたのである。楚の師団には十旅団5000人であった。
その両軍は揚恵琳の根拠地の城を包囲した。そして、直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられ、もし、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告したのである。


(訳注)
元和聖德詩#3・1

左遷先から江陵を経て長安に帰って、元和年間にはいると、韓愈の作詩活動は、活発になる。「薦士」「短燈棨歌」「贈崔立之」「南山の詩」「城南聯歌」「琴操十首」「記夢」は元和初の作であり、807年元和二年正月、かれは「元和聖徳詩」を作った。元和の天子、すなわち憲宗の聖徳をたたえた、1,024文字からなる四言の長篇で、前半には、主として、元年に叛乱した蜀の西川節度副使劉関征討のことをのべ、後半には、二年正月の、郊天告廟すなわち天を祭り祖廟に告げる儀式を、うたっている。


皇帝即阼,物無違拒。
皇帝が即位されました、万物これに違背したり拒絶したりするものがまったくなかった。
・即阼 即位する。即はつく。阼は主人が客に対し上る階段、転じて天子の位。
物無違拒 万物の中には違背したり拒絶したりするものがない。


曰暘而暘,曰雨而雨。
日が照ることを思召せば日は照り、雨が降れと思召せば雨が降る。
 日が照ること。『書経』周書の洪範「八に庶徴、日く雨、曰く暘、日く燠、日く寒い、日く風、日く時、五者来り、備えは各々その叙をもってすれば庶草蕃廡す」とある。


維是元年,有盜在夏。
それもこれも元和の年号になったことからである。盗人のような楊恵琳が蜀・夏州にいるのである。
維是 維も是も、これ。
 楊恵琳をさす。


欲覆其州,以踵近武。
それらの州で反乱を起こしたのである、それは近頃の李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということなのである。
 ひっくりかえす。
踵近武 近ごろの武事、すなわち李希烈や朱沘などの叛乱をみならっておこしたということ。


皇帝曰嘻,豈不在我。
皇帝陛下は『ああ、』という声に続き、「そのような叛乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。」と皇帝自ら反省の言葉をいわれたのだ。
 ああ。感歎詞だが、これも古い文章に見られるものである。
豈不在我 そのような叛乱処理についての責任が、どうしてわたしにないといえようか。皇帝が自ら反省していっているのである。


負鄙為艱,縱則不可。
辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして叛乱をおこした、したいままにさせるということをさせてはならない。
負鄙 辺都の地で中央からの監視が行きとどかないのをよいことにして。
為艱 叛乱する。
・縱 したいままにさせる。


出師征之,其眾十旅。
軍隊を出動させてこの叛乱を征伐されたのである。その師団には十旅団5000人であった。
出師 軍隊を出動させる。
十旅 五千人。旅は軍隊の単位の一つ。五人を伍といい、伍が五つで丙。四両を卒、五卒を旅という。つまり一旅は五百人である。揚恵琳討伐に従ったのは河東・天徳両軍で、十旅5000人である。


軍其城下,告以福禍。
その両軍は揚恵琳の根拠地の城を包囲した。そして、直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられ、もし、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告したのである。
軍其城下 揚恵琳の根拠地に、軍隊を進撃させた。
告以福禍 直ちに降伏すれば、このような恩恵が与えられる、反抗すれば、このような罰をうけなければならない、と叛乱軍将兵に通告する。


元和聖徳詩 幷序 韓退之(韓愈)詩<80-#2>Ⅱ中唐詩449 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1426

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元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。

太平之期,適當今日。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
而其職業,又在以經籍教導國子,
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
誠宜率先作歌詩以稱道盛德,
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
不可以辭語淺薄不足以自效為解,
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
輒依古作四言元和聖德詩一篇。

すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。

全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,而其職業,又在以經籍教導國子,誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解,輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


(下し文)
臣、恩澤【おんたく】を蒙被【もうひ】し、日に羣臣【ぐんしん】と紫宸殿【ししんでん】の陛下に序立【じょりつ】し、親しく穆穆【ぼくぼく】の光を望めり。
而も其の職業は、又、経籍【けいせき】を以て國子【こくし】を教導するに在り。
誠に宜しく率先【そっせん】して歌詩を作り、以て盛徳を称道すべし。
辞語の浅薄にして、以て自ら致すに足らざるを以て解と為す可からず。
輒ち、古に依って、四言の元和聖徳詩一篇。
凡て千有二十四字なるを作り、事を指して実録し、具に明天子の文武神聖を載し、以て百姓の耳目を警動し、傳へて無極に示さむとす。其の詩に日く。


(現代語訳)
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。


(訳注)
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光。
私は、ふりそそぐほどの御恩をうけて、日々、あまたの臣下の者たちと列に従い紫宸殿の平価のもとに並び立ったのだ、天子のなごやかなお顔、威儀の隆盛なさまを光のように親しみをもって臨んだのだ。
序立 階級職務の順序にしたがってならび立つ。
紫演殿陛下 紫炭殿は内朝の正殿。陛下は、階段の下。
穆穆之光 天子のなごやかなお顔。威儀の隆盛なさま。


而其職業,又在以經籍教導國子
そうしてそれが私の職務であり、また国家の指導者養成機関である国子監の学生たちを教える権知国子博士であった。
其職業 わたしの職務。
国子 国家の指導者養成機関である国子監、すなわち国立大学、の学生たち。


誠宜率先作歌詩以稱道盛德
誠心誠意職務し、よろしく率先して詩歌を作ったことで、ほめたたえ皇帝はじめ、高徳の方々に評価された。
称道 ほめたたえ、いいふらす。


不可以辭語淺薄不足以自效為解
詩や文章の味わいの深浅、厚い薄いでもって、あるいは言葉不足などを以て言い訳をするということはしなかった。
 いいわけ。


輒依古作四言元和聖德詩一篇。
すぐさま古代の詩歌に似せて四言古詩「元和聖德詩」一篇を作った。
・輒 すぐさま。
依古 古代の詩歌に似せて。たしかに、この詩は、その文体が、『詩経』や『書経』の雰囲気を持つ。


凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。
全部で千二十四文字、実際にあった事実のみを書き、今生皇帝の文武神聖を一つ一つ具体的に記し、それをもってこの国の万民の注目する模範となるよう知らしめるものとし、そうして、この王朝の無限の先の世まで続くことを願うのである。それでは詩によっていうのである。
・凡 全部で。
・具載 一つ一つ具体的に記す。
・文武神聖 文事にも武事にも神聖でいらっしゃる御事をいう。
・警動 いましめ、感動させる。
・百姓 万民。農夫をさすのではない。
・顛極 時間空間の無限の彼方までというほどの意。


<背景>
805年貞元二十一年正月、徳宗が崩じ順宗が即位すると、王叔文は、やはり順宗の気に入りであった王位と結んで政権を握った。
葦執誼・陸淳・呂温・李景倹・韓嘩・韓泰・陳諌・柳宗元・劉轟錫・凌準・程昇らが、その党人であった。
順宗は即位の前年から中風で政治ができない状態だったから、すべては、王叔文らの思うがままにはこはれた。もっとも、王叔文は、小地主階数出身で、徳宗の治世に積みかさなっていた弊政を改革したいと思っていたので、その理想を短期間に実行に移そうとしたのであった。かれの党人の多くは、かれと同じような階級出身の尖鋭な少壮官僚だった。
この運動はたちまち貴族・大地主・常官たちのはげしい憎しみを買った。党人の中から、王叔文の名声をねたむ韋執誼がそむいた。また、王叔文を憎んでいた皇太子の李純が七月に摂政となり、八月、位を譲られて即位した。憲宗である。
憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し、王叔文は翌年殺され王伾もまもなく病死した。党人も喪中の李景儉、国外にあった呂温をのぞき、柳宗元は湖南の永州、劉禹錫は朗州というように、みな司馬として左遷された。かれらを「八司馬」 という。

元和聖徳詩 幷序 韓退之(韓愈)詩<80-#1>Ⅱ中唐詩448 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1423

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

#1
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈


元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,太平之期,適當今日。
#2
臣蒙被恩澤,日與群臣序立紫宸殿陛下,親望穆穆之光,而其職業,又在以經籍教導國子,誠宜率先作歌詩以稱道盛德,不可以辭語淺薄不足以自效為解,輒依古作四言元和聖德詩一篇。

凡千有二十四字,指事實錄,具載明天子文武神聖,以警動百姓耳目,傳示無極,其詩曰。


元和聖德詩#3・1
皇帝即阼,物無違拒。曰暘而暘,曰雨而雨。
維是元年,有盜在夏。欲覆其州,以踵近武。
皇帝曰嘻,豈不在我。負鄙為艱,縱則不可。
出師征之,其眾十旅。軍其城下,告以福禍。
#4・2
腹敗枝披,不敢保聚。擲首陴外,降幡夜豎。
疆外之險,莫過蜀土。韋皋去鎮,劉辟守後。
血人於牙,不肯吐口。開庫啖士,曰隨所取。
汝張汝弓,汝鼓汝鼓。汝為表書,求我帥汝。
#5・3
事始上聞,在列鹹怒。皇帝曰然,嗟遠士女。
苟附而安,則且付與。讀命於庭,出節少府。
朝發京師,夕至其部。辟喜謂黨,汝振而伍。
蜀可全有,此不當受。萬牛臠炙,萬甕行酒。
#6・4
以錦纏股,以紅帕首。有恇其凶,有餌其誘。
其出穰穰,隊以萬數。遂劫東川,遂據城阻。
皇帝曰嗟,其又可許。爰命崇文,分卒禁禦。
有安其驅,無暴我野。日行三十,徐壁其右。
#7・5
辟黨聚謀,鹿頭是守。崇文奉詔,進退規矩。
戰不貪殺,擒不濫數。四方節度,整兵頓馬。
上章請討,俟命起坐。皇帝曰嘻,無汝煩苦。
荊並洎梁,在國門戶。出師三千,各選爾醜。
#8・6
四軍齊作,殷其如阜。或拔其角,或脫其距。
長驅洋洋,無有齟齬。八月壬午,辟棄城走。
載妻與妾,包裹稚乳。是日崇文,入處其宇。
分散逐捕,搜原剔藪。辟窮見窘,無地自處。
#9・7
俯視大江,不見洲渚。遂自顛倒,若杵投臼。
取之江中,枷脰械手。婦女累累,啼哭拜叩。
來獻闕下,以告廟社。周示城市,鹹使觀睹。
解脫攣索,夾以砧斧。婉婉弱子,赤立傴僂。
#10・8
牽頭曳足,先斷腰膂。次及其徒,體骸撐拄。
末乃取辟,駭汗如寫。揮刀紛紜,爭刌膾脯。
優賞將吏,扶珪綴組。帛堆其家,粟塞其庾。
哀憐陣沒,廩給孤寡。贈官封墓,周匝宏溥。
#11・9
經戰伐地,寬免租簿。施令酬功,急疾如火。
天地中間,莫不順序。幽恒青魏,東盡海浦。
南至徐蔡,區外雜虜。怛威赧德,踧踖蹈舞。
掉棄兵革,私習簋簠。來請來覲,十百其耦。
#12・10
皇帝曰籲,伯父叔舅。各安爾位,訓厥甿畝。
正月元日,初見宗祖。躬執百禮,登降拜俯。
薦于新宮,視瞻梁梠.戚見容色,淚落入俎。
侍祠之臣,助我惻楚。乃以上辛,於郊用牡。
#13・11
除于國南,鱗筍毛簴。廬幕周施,開揭磊砢,
獸盾騰拏,圓壇帖妥。天兵四羅,旂常婀娜。
駕龍十二,魚魚雅雅。宵升於丘,奠璧獻斝。
眾樂驚作,轟豗融冶。紫焰噓呵,高靈下墮。
#14・12
群星從坐,錯落侈哆。日君月妃,煥赫婐。
瀆鬼濛鴻,嶽祗嶪峨。飫沃膻薌,產祥降嘏。
鳳凰應奏,舒翼自拊。赤麟黃龍,逶陀結糾。
卿士庶人,黃童白叟。踴躍歡呀,失喜噎歐。
#15・13
乾清坤夷,境落褰舉。帝車回來,日正當午。
幸丹鳳門,大赦天下。滌濯剗磢,磨滅瑕垢。
續功臣嗣,拔賢任耇,孩養無告,仁滂施厚。
皇帝神聖,通達今古。聽聰視明,一似堯禹。
#16・14
生知法式,動得理所。天錫皇帝,為天下主。
並包畜養,無異細钜。億載萬年,敢有違者?
皇帝儉勤,盥濯陶瓦。斥遣浮華,好此綈紵。
敕戒四方,侈則有咎。天錫皇帝,多麥與黍。
#17・15
無召水旱,耗於雀鼠。億載萬年,有富無窶。
皇帝正直,別白善否。擅命而狂,既翦既去。
盡逐群奸,靡有遺侶。天錫皇帝,厖臣碩輔。
博問遐觀,以置左右。億載萬年,無敢餘侮。
#18・16
皇帝大孝,慈祥悌友。怡怡愉愉,奉太皇后。
浹於族親,濡及九有。天錫皇帝,與天齊壽。
登茲太平,無怠永久。億載萬年,為父為母。
博士臣愈,職是訓詁。作為歌詩,以配吉甫。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
元和聖德詩(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

元和聖德詩並序。
臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛,海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順,太平之期,適當今日。


(下し文)
臣愈、頓首再拝して言す。臣、伏しておもん見るに、皇帝陛下、即位已来、姦臣を誅流し、朝廷清明にして、欺蔽するもの有ること無し。
外には楊惠琳・劉闢を斬りて、以て夏・蜀を収め、東のかたには青・徐の積年の叛を定めたまふ。
海内怖駭し、敢て違越せず。
天を郊り廟に告げ、神靈歡喜し、風雨晦明,從順ならざるは無し。
太平の期,適ま今日に當れり。

臣、恩澤を蒙被し、日に羣臣と紫宸殿の陛下に序立し、親しく穆穆の光を望めり。
而も其の職業は、又、経籍を以て國子を教導するに在り。
誠に宜しく率先して歌詩を作り、以て盛徳を称道すべし。
辞語の浅薄にして、以て自ら致すに足らざるを以て解と為す可からず。
輒ち、古に依って、四言の元和聖徳詩一篇。
凡て千有二十四字なるを作り、事を指して実録し、具に明天子の文武神聖を載し、以て百姓の耳目を警動し、傳へて無極に示さむとす。其の詩に日く。


(現代語訳)
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。


(訳注)
元和聖德詩並序。
(並序。初憲宗即位,劍南劉闢自稱留後以叛。元和元年正月,以高崇文為左神策行營節度使討闢。九月,克成都,十月,闢伏誅。二年正月己丑,朝獻於大清宮。庚寅,朝享於太廟。辛卯,祀昊天上帝於郊丘,還宮,大赦天下。) 韓愈

元和の聖徳の詩(並びに序。806年初めに憲宗が皇帝に即位する。劍南道の劉関は自ら留後と称して以て叛した。元和元年正月、以て高崇為左神策行營節度使がこれを闢を討つ勅命を發する。九月には成都を奪回し、十月には闢を平定し誅殺した。809年元和2年正月、朝廷大清宮において献上する。810年朝廷太廟にて享ずる。811年洛陽郊外の丘において天地合祭を行い,また大清宮に献上し,天下に大赦された。)韓愈の注。
この詩が韓愈にとって最も重要な、公的作品だと、韓愈グループの文学者には考えられていたのであろう。韓愈の集を編纂した弟子の李漠が、詩の最初にこの作品をおいているのは、そのあらわれと見られる。


臣愈頓首再拜言,臣伏見皇帝陛下即位已來,誅流姦臣,朝廷清明,無有欺蔽,
臣下である韓愈はひれ伏し再拝して申し上げます。私は伏してみるところによれば、皇帝陛下が即位されてからこれまで、王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放されて朝廷も春の生命のころのように穏やかになり、欺いて覆い隠すものはなくなったのである。
臣愈 皇帝にたてまつる文章だから、おのれのことを、こうとなえる。その場合、臣韓愈というふうに姓を記すことはしない。
頓首再拝言 きまり文句だが、頓首は、頭を地につける、再拝は、二度おじぎをする、という意。
皇帝陛下 憲宗皇帝である。
誅流姦臣 憲宗は即位と同時に王叔文を四川渝州の司戸に、王伾を四川門州の司馬に流し「八司馬」の追放のことをいう。

外斬楊惠琳、劉闢,以收夏蜀,東定青徐積年之叛。
夏州夏緩銀節度留後楊恵琳と劉関が斬られた。夏と蜀の反乱を平定され、東国における青州と徐州の長年にわたる叛乱を平定された。
外斬楊惠琳 805年永貞元年十一月、叛乱した、夏緩銀節度留後楊恵琳が、806年元和元年十月、斬られた。そのことをさす。外は夏州が辺境の州であるからいう。
夏蜀 夏は夏州で今の陝西省横山県の西。蜀は四川省。
 青州、今の山東省臨溜県。節度使の李師古が死に、弟の李師道が留後となっていたが、部将の劉悟に殺された。
 徐州。徐州に就職した次の年の800年貞元十六年の初夏のころ、韓愈は張建封の雫を辞して、洛陽に仮寓した。まもなく張建封は死に、その翌日、徐州の軍隊は暴動を起こした。かれは二度まで、その勤務先の動乱を寸前にまぬかれたのだ。


海內怖駭,不敢違越,郊天告廟,神靈歡喜,風雨晦明,無不從順。
国内中がおそれおどろき、あえて違うまま超えることはなく、天の神を郊外の朝廟にお告げして、神や霊気は喜びを告げた風も雨も暗い時も明るい時も関係なく法則に従順であることはない。
海内 国内。
怖骸 おそれおどろく。


太平之期,適當今日。
この時期において太平になり、時に合わせて今日に当たることになる。

短燈棨歌 韓退之(韓愈)詩<79-#2>Ⅱ中唐詩447 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1420

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

短燈棨歌
#1
長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。
黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。
太學儒生東魯客、二十辭家來射策。

こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。
#2
夜書細字紱語言、兩目眵昏頭雪白。
夜な々な細かな字を書いて文章つづりつづけた、両の目はかすみくらんで頭に白く雪をいただいたようになった。
此時提挈當案前、看書到曉那能眠。
こんなことの間はいつもいっしょに机の前にいてくれた、書籍を読み続け、明け方までそうしているのだから 寝ることもしなかったということだ
一朝富貴還自恣、長檠高張照珠翠。
ある朝なると隣の家の主人が富貴になってくると 隣の女は自由に何でも出来ることになった、すると長い燭台は高だかと掲げられ、真珠や翡翠を照らすのだ。
吁嗟世事無不然、牆角君看短檠棄。

ああ、世の中のことはみな例外なしに、若くて出世していない時は一緒になってがんばったものが、出世すると変わっていくものだ、だから、土塀のすみに  は短い燭台が棄てられているもを見とどけられるであろう。

#1
長檠【ちょうけい】八尺空しく自ら長し、短檠【たんけい】二尺便にして且 光る。
黃簾【こうれん】綠幕【りょくばく】朱戶【しゅこ】閉じ、風露の氣は秋堂に入って涼し。
衣を裁ち遠きに寄せむとして淚眼 暗く、頭を搔き頻挑【ひんちょう】して移し床に近し。
太學の儒生 東魯の客、二十 家を辭して來って策を射る。
#2
夜 細字を書して語言を紱【つづ】り、兩目眵昏【しこん】し頭は雪白。
此の時 提挈【ていけい】して案前に當る、書を看て曉に到るに那んぞ能く眠らん。
一朝 富貴にして還た自ら恣【ほしいまま】ならば、長檠 高く張って珠翠【しゅすい】を照さん。
吁嗟【ああ】世事 然らざる無し、牆角【しょうかく】君 看よ 短檠の棄てられるを。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
夜書細字紱語言、兩目眵昏頭雪白。
此時提挈當案前、看書到曉那能眠。
一朝富貴還自恣、長檠高張照珠翠。
吁嗟世事無不然、牆角君看短檠棄。


(下し文) #2
夜 細字を書して語言を紱【つづ】り、兩目眵昏【しこん】し頭は雪白。
此の時 提挈【ていけい】して案前に當る、書を看て曉に到るに那んぞ能く眠らん。
一朝 富貴にして還た自ら恣【ほしいまま】ならば、長檠 高く張って珠翠【しゅすい】を照さん。
吁嗟【ああ】世事 然らざる無し、牆角【しょうかく】君 看よ 短檠の棄てられるを。


(現代語訳)
夜な々な細かな字を書いて文章つづりつづけた、両の目はかすみくらんで頭に白く雪をいただいたようになった。
こんなことの間はいつもいっしょに机の前にいてくれた、書籍を読み続け、明け方までそうしているのだから 寝ることもしなかったということだ
ある朝なると隣の家の主人が富貴になってくると 隣の女は自由に何でも出来ることになった、すると長い燭台は高だかと掲げられ、真珠や翡翠を照らすのだ。
ああ、世の中のことはみな例外なしに、若くて出世していない時は一緒になってがんばったものが、出世すると変わっていくものだ、だから、土塀のすみに  は短い燭台が棄てられているもを見とどけられるであろう。


(訳注) #2
夜書細字紱語言、兩目眵昏頭雪白。
夜な々な細かな字を書いて文章つづりつづけた、両の目はかすみくらんで頭に白く雪をいただいたようになった。
眵昏 眵は目やにがたまること。昏は目がかすんで見えにくいこと。


此時提挈當案前、看書到曉那能眠。
こんなことの間はいつもいっしょに机の前にいてくれた、書籍を読み続け、明け方までそうしているのだから 寝ることもしなかったということだ
提挈 たずさえる。挈は携、攜の俗字。
当案前 つくえの前におく。


一朝富貴還自恣、長檠高張照珠翠。
ある朝なると隣の家の主人が富貴になってくると 隣の女は自由に何でも出来ることになった、すると長い燭台は高だかと掲げられ、真珠や翡翠を照らすのだ。
自恣 なんでも思いのままになる。
珠翠 真珠や翡翠の意。


吁嗟世事無不然、牆角君看短檠棄。
ああ、世の中のことはみな例外なしに、若くて出世していない時は一緒になってがんばったものが、出世すると変わっていくものだ、だから、土塀のすみに  は短い燭台が棄てられているもを見とどけられるであろう。
呼嗟 ああ、感嘆詞。

短燈棨歌 韓退之(韓愈)詩<79-#1>Ⅱ中唐詩446 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1417


     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



短燈棨歌 韓退之(韓愈)詩<79-#1>Ⅱ中唐詩446 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1417



長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。
黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。
太學儒生東魯客、二十辭家來射策。


こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。
#2
夜書細字紱語言、兩目眵昏頭雪白。
此時提挈當案前、看書到曉那能眠。
一朝富貴還自恣、長檠高張照珠翠。
吁嗟世事無不然、牆角君看短檠棄。

#1
長檠【ちょうけい】八尺空しく自ら長し、短檠【たんけい】二尺便にして且 光る。
黃簾【こうれん】綠幕【りょくばく】朱戶【しゅこ】閉じ、風露の氣は秋堂に入って涼し。
衣を裁ち遠きに寄せむとして淚眼 暗く、頭を搔き頻挑【ひんちょう】して移し床に近し。
太學の儒生 東魯の客、二十 家を辭して來って策を射る。

#2
夜 細字を書して語言を紱【つづ】り、兩目眵昏【しこん】し頭は雪白。
此の時 提挈【ていけい】して案前に當る、書を看て曉に到るに那んぞ能く眠らん。
一朝 富貴にして還た自ら恣【ほしいまま】ならば、長檠 高く張って珠翠【しゅすい】を照さん。
吁嗟【ああ】世事 然らざる無し、牆角【しょうかく】君 看よ 短檠の棄てられるを。


現代語訳と訳註
(本文)
短燈棨歌 #1
長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
太學儒生東魯客、二十辭家來射策。


(下し文) #1
長檠【ちょうけい】八尺空しく自ら長し、短檠【たんけい】二尺便にして且 光る。
黃簾【こうれん】綠幕【りょくばく】朱戶【しゅこ】閉じ、風露の氣は秋堂に入って涼し。
衣を裁ち遠きに寄せむとして淚眼 暗く、頭を搔き頻挑【ひんちょう】して移し床に近し。
太學の儒生 東魯の客、二十 家を辭して來って策を射る。


(現代語訳)
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。
こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。


(訳注) #1
短燈棨歌
・短燈棨歌 秋の夜長、読書の秋、、夜の遊びに欠かせない友が燈火だ。千年以前の唐では、油火が普通で油は、油皿に盛って燭台におく。この燭台を棨というのである。韓愈が、友としてこれを歌ったものである。


長檠八尺空自長、短檠二尺便且光。
長檠は八尺のたかさで、やたらおのずから長いだけのようだ、短檠は二尺のながさで便利で、明るいものだ。


黃簾綠幕朱戶閉、風露氣入秋堂涼。
となり家には黄色の簾がおりて、縁のカーテンがかかっていて、朱の戸は閉じたきりになっている、夜露がおりはじめ、風が吹き入って秋めいた奥の座敷がひえびえとしてくる。
黃簾 二階の韓愈の書斎からの見通しに、隣か向かいかの家があってそこの部屋には莱色いすだれがかかり、緑のカーテンが垂れ……というのでこの部誼が人の部屋であることがわかる。だが簾もカーテンも、いつも閉じられたきり。空家のようにひっそりしているが、そこの主人も韓愈同様、家を離れて苦労し、奥さんがひとり留守しているらしい。この時代、いかに想像たくましく描くのかが問われるもので全てフィクションである。


裁衣寄遠淚眼暗、搔頭頻挑移近床。
砧をたたき衣を裁縫して遠いところへ送ろうとしてながめやるとなみだがあふれ目はくらくなるのである、髪を掻いて衣裳をしきりにかかげて床の近くにひきよせる。


太學儒生東魯客、二十辭家來射策。
こちらの家では大学の儒学教授は東魯出身の人である。二十歳のとしに家をはなれ上京して科挙試験をうけた。
東魯 孔子と同じく東魯出身の、という意。韓愈は実際は東魯出身ではないが、昌黎の出身だと自称していた。昌黎なら東魯にあたる。『漢書』霍光伝「もろもろの儒生は窶れたる人のこの多く、遠く客して餓え寒ゆ」ということばがみえる。ただ、この詩の儒生は韓愈ではなくこちらの家の人をいう。
・射策 進士の試的をうけること。

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#3>Ⅱ中唐詩445 紀頌之の漢詩ブログ1414

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#3>Ⅱ中唐詩445 紀頌之の漢詩ブログ1414

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

王子喬は道教の仙人にしたがって仙郷に入ったが、儒者がそのようなことはしないというもの。こうした韓愈の儒者として明快に根べてイルので、後世の数多い儒家の評価型の詩人に比較して高いのである。この反対に謝靈運、孟浩然、李白は儒家の評価は低い。

3分割の三回目
記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥?。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。

壯非少者哦七言,六字常語一字難。
もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」

我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。
壯にして少に非ざる者 七言を哦【が】ず、六字は常語にして 一字は難し。
我 指を以て 白玉丹を撮る、行くゆく且つ阻噍し 行くゆく詰盤す。
口前に截断【せんだん】す 第二句、綽虐【しゃくぎゃく】として我を顧みて顏歡ばず。
乃【すなわ】ち知る 仙人も未だ賢聖ならず、短を護り 愚に憑【よ】って 我に敬を邀【もと】むるを。
我 能く屈曲せば 世間よりして、安んぞ能く女に従いて神山に巢まむ。


現代語訳と訳註
(本文)#3
壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」


(下し文)
壯にして少に非ざる者 七言を哦【が】ず、六字は常語にして 一字は難し。
我 指を以て 白玉丹を撮る、行くゆく且つ阻噍し 行くゆく詰盤す。
口前に截断【せんだん】す 第二句、綽虐【しゃくぎゃく】として我を顧みて顏歡ばず。
乃【すなわ】ち知る 仙人も未だ賢聖ならず、短を護り 愚に憑【よ】って 我に敬を邀【もと】むるを。
我 能く屈曲せば 世間よりして、安んぞ能く女に従いて神山に巢まむ。


 (現代語訳)
もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。
我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。


(訳注)
壯非少者哦七言,六字常語一字難。

もう青年ともいえない年配の男が思い出したように、七言の詩を吟じはじめた。六字は普通に使う言葉だが、あとの一字がどうも難解のようだ。
 (事情がわかったり,思い当たったりして)ああ,おお哦,想起来了ああ,思い出したよ.


我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
わたしは、王子喬のように指で白王丹をつまんでから、、歩きながら食べ、食べながらあるく、難解な文字を解くつもりで、繰り返してやったのだ。
白玉丹 仙藥。
夢の話は王子喬の故事に基づいている。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。 李白『古風五十九首 其七』 李白『贈銭徴君少陽』李白『別內赴徵三首』○白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。○
阻喋 かむ。
詰盤 くりかえす。


口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
年配の男は、詩を吟じ二句目で、たちき切ったのだ、それからあからさまでなくしいたげて來てじろじろとわたしの顔なめまわすように不機嫌そのものであった。
截断 たちきる。
綽虐 綽:1 ゆったりとしたさま。「綽綽・綽然・綽約」 2 あからさまでない。虐:しいたげるむごい扱いをする。「虐殺・虐政・虐待/残虐・嗜虐(しぎゃく)・自虐・暴虐」あからさまでなくしいたげて來ること。


乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
そんなもんだろう、道教の仙人は、賢人でも聖人でもない。このように短所をそのままにし、つまらない愚物を寄せてきて、それを敬えとわたしにも強要する。


我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」
我々は、そのような理屈に合わないことを世間と同じようにする、どうしてそんなことをするお主なんぞの後についていって、神仙の山に住む気をおこしたりするものか。
屈曲 おのれの本性をまげる。

王子喬は道教の仙人にしたがって仙郷に入ったが、儒者がそのようなことはしないというもの。こうした韓愈の儒者として明快に根べてイルので、後世の数多い儒家の評価型の詩人に比較して高いのである。この反対に謝靈運、孟浩然、李白は儒家の評価は低い。

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3分割の二回目
記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」

わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。

壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」



現代語訳と訳註
(本文)

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」


(下し文)
我 亦た平行して 蹻槱【きょうぎょう】を蹋【ふ】み、神完【まった】く 骨蹻【たか】うして腳【あし】掉【うご】かず。
身を側【そばだ】てて上に視れば 溪谷 盲【くら】く、杖もて玉版を撞【つ】けば 聾 彭觥【ほうこう】たり。
神官 我を見るや 顔を開いて笑い、前に対する一人 牡【そう】にして少に非らず。
石壇 坡陀【はだ】として 坐臥す可し、我 手もて頦【あご】を承【う】け 肘もて座を拄【さそ】ふ。
隆樓【りゅうろう】傑閣【けつかく】磊嵬【らいかい】として高く、天風 瓢諷【ひょうふう】我を吹いて過ぐる。


(現代語訳)
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。


(訳注)
我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
わたしもまた仙人とと平行して不安定な道を踏みしめている。仙人はぐらつく崖っぷちたどりゆくが全く動じるところがない
蹻槱 やすらかでないこと。
 たかいこと。


側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥。
ふしぎに気持ちはしゃんとして、身をそばめ、仰いでみると、渓谷はくらくて何も見えない。杖ふりまわせば、玉盤木にでもぶつかったのか、ポコポコと音がした。
・玉版 飾りのついたバンギ。
・彭觥 ぼこぼこという音。


神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
仙人が、わたしを見て、微笑を送ってくる。その前にかしこまっているのは 青年とはもういえぬ年配の男なのだ。


石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
そこの石垣、うねうねと、いかにも座ったり寝そべってもよさそうだ。わたしもあぐらかき、肘にアゴのせながめてみるのだ。
坡陀 斜めに傾いている平らでないさま。


隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
豪壮な楼閣はたかくとそびえている、天風は瓢々とわたしを吹きぬけてゆく。
磊嵬 高く聳えるさま。

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#1>Ⅱ中唐詩443 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1408

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#1>Ⅱ中唐詩443 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1408
3分割の一回目

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

記夢
(きのうのゆめのはなし。)
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。

我亦平行蹋蹻槱,神完骨蹻腳不掉。
側身上視溪穀盲,杖撞玉版聲彭觥?。
神官見我開顏笑,前對一人壯非少。
石壇坡陀可坐臥,我手承頦肘拄座。
隆樓傑閣磊嵬高,天風飄飄吹我過。」
壯非少者哦七言,六字常語一字難。
我以指撮白玉丹,行且咀噍行詰盤。
口前截斷第二句,綽虐顧我顏不歡。
乃知仙人未賢聖,護短憑愚邀我敬。
我能屈曲自世間,安能從汝巢神山。」


現代語訳と訳註
(本文)
記夢
夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
我徒三人共追之,一人前度安不危。」


(下し文)
夜 夢に 神官 我と言ふ、羅縷【らおう】道は妙なり 角と根と。
陬維【そうい】を挈攜【けつけい】して 口 瀾翻【らんぽん】、百二十刻も須臾【しゅゆ】の間なり と。
我 其の言を聴いて 未だ足れりと云はず、我を捨てて先づ度って山腹を横ぎる。
我が徒【と】三人 共に之を追ふ、一人は前に度り 安くして危【あやう】からず。


(現代語訳)
(きのうのゆめのはなし。)
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。


(訳注)
記夢

きのうのゆめのはなし。


夜夢神官與我言,羅縷道妙角與根。
夜、夢にでたことだが、神仙が、わたしに話かけてくれた。よく語ってくれることには宇宙の道は玄妙なもので、角(すぼし)と根(ねぼし)が基本でなりたっている。
神官 神仙の官。仙人。
与我言 私には語ってくれる。
『詩經・鄭風』狡童 「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」(彼(か)の狡童は,我(われ)と言らず。維(ただ)子(し)の故に,我をして餐する能(あた)はざらしむ。彼(か)の狡童は,我(われ)と食はず。維(ただ)子(し)の故に,我をして  息(いこ)ふ能(あた)はざらしむ。
羅縷 べらべらしゃべる。
角與根 角星と子星【すぼしとねぼし】・角 星の名、すぼし。二十八宿の一。『国語』に「それ辰角あらほれて雨畢る」と見える。・根 天根のこと。ねのほし子の星とは。北極星の異称。


挈攜陬維口瀾翻,百二十刻須臾間。
その角星と子星は西南・東南・西北・東北の四隅を波立たせ翻りして結び合わせて、星の間の事は、季節も年もほんのつかの間の事なのだ。
挈攜 むすびつける。
陬維 天地のすみ。『淮南子』の天文訓に「東北を報徳の経となし、西南を背陽の経となし、東南を常羊
の経となし、西北を旗通の経となす」とあり、墜形訓に「河水は昆魔の東北取に出で……赤水は其の東南随に出で……洋水は其の西北取に出で……」とある。
百二十刻 一昼夜を12等分し、午前零時を子(ね)の刻とし、次丑(うし)の刻、寅(とら)の刻のように十二支に配するものを時(とき)という。刻は10等分されたもの。1日は120刻。一か月、季節もこのように配分する。ここでは、星の位置で時間を測定し、春分点を起点として黄道帯を十二の部分に分かったものを十二宮といい、各官を十刻にわけると、百二十刻とする。
須臾 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。つかの間。


我聽其言未雲足,舍我先度橫山腹。
それをきいたとしても、簡単にそのことをなっとくはできるものではないのだが、仙人はわたしをほったらかしにして、先に進み川を渡って、山腹を横切ってゆくのである。


我徒三人共追之,一人前度安不危。」
わたしたち仲間三人は、いっしょにっ仙人を追っかける。一人は前に進み出て、危なげなしにすらすらと渡ってしまう。

酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#2>Ⅱ中唐詩442 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1405

酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#2>Ⅱ中唐詩442 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1405

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

醉留東野
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
東野不得官,白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。
低頭拜東野,原得終始如駏蛩。
孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「駏魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。
我願身為雲,東野變為龍。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 


醉留東野
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」
低頭して東野を拜し,願はくは終始 駏蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


現代語訳と訳註
(本文)

低頭拜東野,原得終始如駏蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」


(下し文)
低頭して東野を拜し,願はくは終始 駏蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


(現代語訳)
孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「駏魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 


(訳注)
低頭拜東野、願得終始如駏蛩。

孟郊君に頭を下げて拝してお願いしたい。願いが叶うならば、ずっといつまでも仲良しである「駏魖」と「蛩蛩」との二種の獣のようにありたいものだ。 
低頭 頭を下げて。 
 拝してお願いしたい。
願得 願いが叶う。 
終始 ずっといつまでも。 
駏蛩 前足の長く足の速い『駏魖』と前足の短く速く走れない『蛩蛩』」との二獣がのことで、常に寄り添いたすけあっている動物といわれる。


東野不迴頭、有如寸筳撞鉅鐘。
孟郊君は、ふりかえりもしない。たとえば、小さな竹の小枝で大きな釣り鐘をつくような無意味なことはしない。 
迴頭 ふり返る。
有如 (譬えば)…のような。 
寸筳 小さな竹の小枝。 ・筳 竹の小枝。ひくだ。機糸をまく管。 
 (鐘を)つく。 
鉅鐘 巨大な釣り鐘。 ・大きな。=巨。はがね。 *ここは、身の程知らずなことはしない、無意味なことはしない、という意。


我願身爲雲、東野變爲龍。
わたしはできることならば、我が身を雲として変身させたなら、孟郊君は大物の竜と変じさせよう。 
 韓愈の身体。 
爲雲 雲となる。龍は雲を得てはじめて天に昇ることができる。
變爲 …となる。 
 池の中の物から天を駆け巡る瑞獣。孟郊(孟東野)に対して斯くなるようにと願っているということ。


四方上下逐東野、雖有離別無由逢。
全国各地、上下の各階層から孟郊くんは追いかけまわされ、いそがしくなるだろう。これではここで別れるということがあると、こんどなかなか出逢ことができないだろうね。(だから詩題の「醉留東野」ということで引き止めるのだ。) 
四方 全国各地。 
上下 身分の高い階層や下級階層から。 
 追いかける。
雖有 …であるとはいっても。 
離別 別離。別れる。 
無由逢 出逢うわけがない。・無由 よしなし。・ 理由。わけ。・(偶然に)出逢う。


**********
醉留東野
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
東野不得官,白首誇龍鍾。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。
低頭拜東野,原得終始如駏蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。

酔留東野  韓退之(韓愈)詩<77-#1>Ⅱ中唐詩441 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1402

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雑言古詩

醉留東野
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。
昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
東野不得官,白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
低頭拜東野,原得終始如駏蛩。
東野不回頭,有如寸筳撞巨鍾。
我願身為雲,東野變為龍。
四方上下逐東野,雖有離別無由逢。」


醉って東野を留む
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」
低頭して東野を拜し,願はくは終始 駏蛩【きょきょう】の如くなることを得ん。
東野は頭【こうべ】を迴らさず,寸筳【すんてい】鉅鐘【きょしょう】を撞【つ】くが 如【ごと】くなること有り。
我 願はくは身の雲と爲り,東野は變じて龍と爲らんことを。
四方 上下【じょうげ】東野を逐【お】い,離別 有りと雖【いへど】も 逢ふに由【よし】無し。


現代語訳と訳註
(本文)

昔年因讀李白杜甫詩,長恨二人不相從。
吾與東野生並世,如何複躡二子蹤。
東野不得官,白首誇龍鍾。
韓子稍奸黠,自慚青蒿倚長松。」


(下し文) 醉留東野
昔年 李白杜甫の詩を讀むことに 因【よ】りて,長く恨む二人相ひ從はざりしことを。
吾と東野と生まれて世に並べたり,如何【いかん】ぞ 復【また】二子の蹤【あと】を躡【ふ】まん。
東野は官を得ず,白首 龍鍾【りょうしょう】たるに誇る。
韓子は稍【や】姦黠【かんかつ】たり,自ら慚【は】づ青蒿【せいこう】長松【ちょうそう】に倚れることを。」


(現代語訳)
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。

わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 

(訳注)
醉留東野
酔っぱらって帰っていく孟郊を引き留める。
楽府・古詩系統引き継いだものだった。811年元和六年、韓愈44歳河南県令の時の作品。
孟郊は、韓愈より年長であるが、韓愈の方がいつも官に推腰する方の立ち場にあり、ふつう韓愈の門人のうちに数えられている詩人である。詩人としては、貧窮生活を率直にうたい、抒情性に富んだすぐれた詩を作っている
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孟東野子を失う
・東野:孟郊の字。孟郊は中唐の詩人。湖州武康(現・浙江省湖州)の人。不遇な一生を送った。751年(天寶十年)~814年(元和九年)。諡は貞曜先生。


昔年因讀李白杜甫詩、長恨二人不相從。
むかし、李白や杜甫の詩を読んだことが原因で、そのことで。二人が一緒に寄り添って詩を読むことだできなかったことを残念に思っている。 
昔年 むかし。 
 …のために。…が(原因)のために。…に因(よ)って。また、因(よ)る。起因する。 
李白杜甫詩 李白と杜甫は、盛唐の同世代人でありながら、この二人は、744年天宝三載洛陽ではじめてあって、翌745年四載曲皐で別かれるまで、行動を共にした相識であったが、その後は、めぐりあって話す機会がなく、いたずらにその友情を詩に寄せで送るばかりであった。杜甫が李白示した詩は15首に上る。李白の方は4首確認できる。
長恨 いつも残念に思ってる。・長:いつも。ずっと。≒常。
二人 ふたり。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
相從 いっしょに寄り添う。・從:したがう。附き添う。


吾與東野生並世、如何復躡二子蹤。
わたしと孟郊とは同じ時代をいきているが、どうしてまた李白、杜甫の二人の跡を踏むのだろうか。(わたしと孟郊も、李白・杜甫の場合と同様に、離れて一緒になれないのだろうか。)
 わたし。ここでは、作者・韓愈のことになる。
並世 同世代に肩を並べる。
如何 どうして。・復:また。
 ふむ。(足を)ふみつける。追う。追いかける。(くつを)はく。 
二子 ふたりの人。ふたりの男子。ここでは、李白、杜甫のことになる。 
 あと。あしあと。行為のあと。物事のあとかた。


東野不得官、白首誇龍鍾。
孟郊(孟東野)君は官職を得ることが無く、しらが頭で、年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよいのだ。
不得官 官職に就けない。
白首 しらがあたま。 
誇龍鍾 年老いてつかれて病むようにみえるがじつはげんきがよい。・龍鍾 年老いてつかれて病むさま。失意のさま。行きなやむさま。

韓子稍姦黠、自慚青蒿倚長松。
わたし韓愈は、ややずるくて悪賢いかもしれませんが、その頼りない青いヨモギのようなわたしが、大きな松の木に寄りかかっていることを羞じてはいるのです。 
韓子 韓愈。 
 やや。 
姦黠 ずるくて悪賢い。
 面目なく思う。面目が無くはずかしい。はじる。自動詞。軽く用いる。 
青蒿 青いヨモギ。青いわら。作者自身のことを指す。 
 寄りかかる。たのむ。すがる。 
長松 大きな松の樹。


琴操十首 (10)殘形操 曾子夢見一狸,不見其首作 韓退之(韓愈)詩<66-#10>Ⅱ中唐詩440 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1399

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 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)
そこなわれた形のうた。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
有獸維貍兮,我夢得之;
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。
其身孔明兮,而頭不知。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
吉兇何為兮,覺坐而思。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
巫鹹上天兮,識者其誰?

吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。

現代語訳と訳註
(本文)
殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)
有獸維貍兮,我夢得之;
其身孔明兮,而頭不知。
吉兇何為兮,覺坐而思。
巫鹹上天兮,識者其誰?


(下し文)
殘形操【ざんけいそう】(残【そこな】われた形のうた)
(曾子【そうし】夢に一の貍を見るも,其の首を見ずして作る。)
獣有り 維【こ】れ狸なり、我れ夢に之を得たり。
其の身 孔【はなは】だ明きらかにして、而も頭は知らず。
吉凶 何為ぞや、覚めて坐して思う。
巫鹹【ふかん】天に上ぼれり、識れる者は其れ誰ぞや。


(現代語訳)
そこなわれた形のうた。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。


(訳注)
殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作)

残形操 (残【そこな】われた形のうた)。
(曾子が夢で見た一匹の貍,其の首がみえないのでこの歌を作る。)
・孔子の高弟である曾子(紀元前506-?年)は、ある日の昼寝のゆめに一匹のたぬきを見たが、からだだけが見えて、あたまが見えなかったので、この歌を作った。
曾子は、孔子および左丘明の弟子で、儒教黎明期の重要人物である。諱は参(しん)。字は子與(しよ)。父は曾皙、子に曾申。十三経の一つ『孝経』は、曾子の門人が孔子の言動をしるしたと称されるものである。


有獸維貍兮,我夢得之;
けだものがいた。それはたぬきだった、それをみたのはわたしの夢で見たことだ。


其身孔明兮,而頭不知。
そのからだは大変はっきりしていた、それなのにあたまが分からなかった。
 非常に。たいへん。甚しいという意味の古語。


吉兇何為兮,覺坐而思。
吉なのか凶なのか、どちらなのだろうか、ゆめから目ざめて起きあがって考えてみた。
吉兇 古代、夢の内容によって吉凶を占うのが巫女であった。○何為 どちらだろうか。


巫鹹上天兮,識者其誰?
吉凶を予言したみこの巫咸は天上にのぼった、いまそれを知っている者は誰だろうか。
巫咸 古代の巫女。未来の吉凶を予言したといわれる。この名で称される巫女は、ひとりでなく、すぐれた予言の能力者に対して、ひろく与えられる普通名詞化した呼び名である。屈原『離騒』十三段「巫咸將夕降兮,懷椒糈而要{陰平}之」○巫咸 神巫の名。天から降ると信ぜられていた。『山海経』征大荒西経に「大荒の中に霊山有り、巫咸・巫圓∵巫扮・巫彭・巫姑・巫真・巫礼・巫抵・巫謝・巫扁、十巫比より升降す。百薬ここに在りとある。
この時代を批判的に詠ったものである。まず、宦官勢力が増大したこと、皇帝が不審死が続いたこと、朝廷内の権力闘争、道教の朝廷への権力癒着、など韓愈はこの詩で、狸を比喩として、これを批判的に述べたものとするとはじめて味わいのある詩となるのである。

琴操十首 (9)別鵠操 商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作 韓退之(韓愈)詩<75-(9)>Ⅱ中唐詩439 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1396

琴操十首  (9)別鵠操  商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作 韓退之(韓愈)詩<75-(9)>Ⅱ中唐詩439 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1396

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

琴操十首  (9)別鵠操
別鵠操
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


現代語訳と訳註
(本文)
別鵠操
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
巢成不生子,大義當乖離。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。


(下し文)
別鵠操【べつこくそう】
(商陵の穆子【ぼくし】,妻を娶【めと】り 五年までに子無し。父母其の改め娶らんことを欲す,其の妻之を聞きて,中夜に悲しみ嘯【うそぶ】く,穆子之を感じて作る。)
雄鶴は枝だを街んで来たり、雌鶴は泥を啄んで帰る。
巣成って子を生まず、大義 当に帝離すべし。
江漢は水の大なるものなり、鶴の身は鳥の徴なるものなり。
更に相い逢う日無からん、且く樹を繰って相い随って飛ぶべし。


(現代語訳)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


(訳注)
別鵠操
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
別鵠操「「別かれゆく鶴」のうた。鵠は、こおのとりのことであるが、鶴と通じて用いられることが多い。万葉集でも「たづ」と読ませている。この「別鵠操」つるの意味であろう。
商陵牧子所作也。牧子娶妻五年,無子,父兄欲為改娶。妻聞之,中夜驚起,倚戶悲嘯。牧子聞之,援琴鼓之雲:“痛恩愛之永離,歎別鶴以舒情。”故曰《別鶴操》。後仍為夫婦。」
むかし商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。子がないのは、妻を離婚する七つの理由のひとつであるから、父母はその妻を出して、嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。


雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。


巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
大義当乖離 乖も、わかれること。古代中国では、後つぎのないのは、祖先の祭りを絶つため、最大の不孝とされ、たとえほかに欠点がなくても、子のない妻は、大きな「道徳」的見地からいって、離別しなければならなかった。


江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
○江漢 長江と漢江。大きな川の代表。つるは水禽であるから、川を持ち出したのであろう。
水之大 大きなものの代表が川である。大きな川があれば、水鳥がそこをよりどころとして住むところであり、水鳥にとっては幸福をもたらすことになる。
鳥之微 鳥の小さなものという意。つるは鳥の中で小さいものとはいえないであろうが、江漢に此すれば、鵬などという空想上の鳥は別とし、どんな大きな鳥でも、微という点では、大差ないであろう。


更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。
 ひとまず。いましばらくは。一時的にする気持ちを示す。

琴操十首 (8)雉朝飛操 牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 韓退之(韓愈)詩<74-(8)>Ⅱ中唐詩438 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1393

琴操十首  (8)雉朝飛操  牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 韓退之(韓愈)詩<74-(8)>Ⅱ中唐詩438 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1393

 

     
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   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

琴操十首(8)
雉朝飛操
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉之飛,於朝日。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
琴操十首(8)雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
雉朝飛操]
雉之飛,於朝日。
群雌孤雄,意氣橫出。
當東而西,當啄而飛。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
生身七十年,無一妾與妃。


(下し文)
雉朝飛操【ちちょうそう】
牧犢【ぼくとく】子七十にして妻無し,雉【きじ】の雙【な】らび飛ぶを見,之に感じて作る。
雉の飛ぶ、朝の日に干【お】いてす。
群雌孤雄、意気横出す。
東に当たりて西し、啄むに当たりて飛ぶ。
随って飛び随って啄んで、群雌粥粥たり。
嗟我れ人と雄も、曾ち彼の雉鶏にだも如かず。
生身七十年、一りの妾と妃とだも無し。


(現代語訳)
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


(訳注)
雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作。

「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉朝飛操「ぎじ朝に飛ぶ」のうた。
「齊獨沐子所作也。獨沐子年七十無妻,出薪於野,見飛雉雄雌相隨,感之,撫琴而歌曰:“雉朝飛,鳴相和,雌雄群遊於山阿。我獨何命兮未有家,時將暮兮可奈何,嗟嗟暮兮可奈何?”」
斉の宜王(紀元前三四二土三四年在位)のとき、牧犢子という人は七十になっても、妻がなかった。ある日薪を採りに出かけると、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。
それに心を動かされて、「立派な王さまがいらっしゃって、草木鳥獣にまでめぐみが及んでいるのに、わたしひとりだけがめぐみにあずからぬ。」といい、琴をひいてこの歌をうたい、自分の境遇を悲しんだが、その声は途中で切れてしまったという。


雉之飛,於朝日。
きじが飛んで行く、ちょうど朝日が輝き始めている。


群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
橫出 横は普通の軌道をはずれるまでという気持ち。だから、「ほしいまま」とか、「みちあふれている」という意味になる。ここでは、意気が「ほとばしりでている」こと。つまり、威勢のよいことをいう。


當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
当東両所 当は、「ちょうどそのとき」ということ。東にいると思うと西へ行くというありさまをいう。下の「当啄」の当も同じ。


隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
随飛 随は、「……するままにくっついて」という気持ち。ここは、雄の飛ぶままに、雌がくっついて行くこと。
粥粥 おとなしい形容。


嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
 それなのに。逆態の接続を示す。
雉鶏 雉は鶏と同類だから、押韻の関係で鶏の字を加えた。雉一字と同じくきじのこと。なお、野鶏といえば、きじのことである。


生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。
生身 この身が生まれてから。
 内妻。中国は一夫多妻制。夫の戸籍には入らない、生まれた男子が跡を継ぐ。
 正妻。配偶者という意味で、がんらいは貴人の夫人に対してだけいうものではなかったらしいが、のちにはある一定の身分の夫人に対してのみ用いられるようになった。

琴操十首 (7)履霜操 尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 韓退之(韓愈)詩<66-#7>Ⅱ中唐詩437 紀頌之の漢詩ブログ1390

琴操十首  (7)履霜操  尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 韓退之(韓愈)詩<73-(7)>Ⅱ中唐詩437 紀頌之の漢詩ブログ1390


     
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


琴操十首  (7)履霜操 
尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作


履霜操
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
獨無母憐,兒寧不悲?

ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


現代語訳と訳註
(本文)
履霜操
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
父兮兒寒,母兮兒饑。
兒罪當笞,逐兒何為?
兒在中野,以宿以處。
四無人聲,誰與兒語?
兒寒何衣?兒饑何食?
兒行於野,履霜以足。
母生眾兒,有母憐之。
獨無母憐,兒寧不悲?


(下し文)
履霜操【りそうそう】
(尹【いん】吉甫【きっぽ】が子 伯奇【はっき】罪無くして,後母【こうぼ】に譖【そし】られて逐われ,自ずから傷みて作る)
父よ 兒【こ】寒【こご】えたり,母よ 兒饑【う】えたり。
兒罪あらば當に笞【むち】うつべし,兒を逐うて何為れぞ?
兒 中野に在りて,以て宿し以て處【お】る。
四もに人の聲無し,誰か兒と語る?
兒寒【こご】えたれども何をか衣【き】ん?兒饑えたれども何をか食らわん?
兒 野を行くときに,霜を履むに足を以ってす。
母 眾兒【しゅうじ】を生めり,母の之を憐れむ有り。
獨り母の憐れむ無し,兒寧んぞ悲しまざらんや?


(現代語訳)
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


(訳注)
履霜操
履霜操 「霜を履んでのうた。」尹吉甫の子の伯奇は、何の咎もないのに、まま母が尹吉甫に悪しざまに告げ口したので、家をおい出された。伯奇ははすを編んで着物とし、やまなしの花を採って食物とし、朝あけに霜をふみながら、自分の境遇を悲しんで、琴を引きつつ、このうたを作り、歌がおわると、川に身を投げて死んだ。子供の身になって、大人の男性が詠んでいる。
蔡邕の『履霜操』では宣王がこのことを聞きおよんで「此のことは子が親をしたい、孝行なこととした詩である」とされ、後妻は追われ、射殺された。


(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。
父の尹吉甫は、周の宣王(紀元前827-782年在位)のときの大臣、四方の異民族との戦いに功績があった。「詩経」にその名が見える。『詩経、大雅、蕩之什』[烝民]P518「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)


父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
 こども。伯奇の自称。


兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
遂児何為 「何為逐児」をおきかえて疑問を強調した。わたくしを追い出されたのはどういうわけか。


兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
中野 広野のまんなか。


四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。


兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。


兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。


母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
有母燐之 その子供たちをいとおしむ母がある。「有・之、無・獨」の字の位置が下の「母憐」と同じ語を使っている。


獨無母憐,兒寧不悲?
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。



蔡邕《履霜操》者,尹吉甫之子伯奇所作也。吉甫,周上卿也,有子伯奇。伯奇母死,吉甫更娶後妻,生子曰伯邦。乃譖伯奇於吉甫曰:“伯奇見妾有美色,然有欲心。” 吉甫曰:“伯奇為人慈仁,豈有此也?” 妻曰:“試置妾空房中,君登樓而察之。” 後妻知伯奇仁孝,乃取毒蜂綴衣領,伯奇前持之。於是吉甫大怒,放伯奇於野。伯奇編水荷而衣之,采花而食之,清朝履霜,自傷無罪見逐,乃援琴而鼓之曰:“ 履朝霜兮采晨寒,考不明其心兮聽讒言,孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰說顧兮知我冤。” 宣王出遜,吉甫從之,伯奇乃作歌,以言感之於宣王。宣王聞之,曰:“此孝子之辭也。” 吉甫乃求伯奇於野而感悟,遂射殺後妻。

琴操十首 (6)岐山操 周公為太王作 韓退之(韓愈)詩<72-(6)>Ⅱ中唐詩436 紀頌之の漢詩ブログ1387

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琴操十首(6)岐山操 周公為太王作


岐山操 周公為太王作
我家於豳,自我先公。
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
伊我承序,敢有不同。
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
今狄之人,將土我疆。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
民為我戰,誰使死傷?
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。
彼岐有岨,我往獨處。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
爾莫余追,無思我悲。

君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
岐山操 周公為太王作
我家於豳,自我先公。
伊我承序,敢有不同。
今狄之人,將土我疆。
民為我戰,誰使死傷?
彼岐有岨,我往獨處。
爾莫余追,無思我悲。


(下し文)
岐山操【ぎざんそう】 (周公 太王の為に作る)
我れ豳【ひん】に家すること,我が先公【せんこう】よりす。
伊【こ】れ我れ序を承【う】けて,敢えて不同じからざること有らんや。
今 狄【てき】の人,將に我が疆【さかい】に土【お】らんとす。
民 我が為に戰い,誰か死傷せ使【し】めん?
彼の岐に岨【そ】有り,我れ往きて獨り處【お】らん。
爾 余【わ】れを追うこと莫れ,我れを思うて悲しむこと無し。


(現代語訳)
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。


(訳注)
岐山操
岐山は岐州に在り,現在の陝西省岐山縣であるやまである。
周公為太王作
岐州の陽に居をもっていた。太王といわれるものは,古公【ここう】亶父【たんふ】である。『孟子、梁惠王篇』に太王は豳【ひん】に土地所有の部族長であった,狄【てき】の主族が侵入してそのとき狄の種族が攻撃してきたので、人民は戦おうと望んだが、大王は自分の人民を戦わせるに忍びず、その土地を狄人にゆだねて、豳を去り岐山の南がわ梁山に移住した。
すると、そこの人民たちは、[仁人だ]といって、あとに随って移住したといわれる。
周公が大王にかわってそのときの心持ちをうたったとして作ったのがこの歌である。


我家於豳,自我先公。
わたしたちが豳に住みついたのは、御先祖さまの大王九世の祖公劉ときからだ。
我家於豳自我先公 周の部族が、豳に住むようになったのは、『詩経、大雅、公劉篇』に大王九世の祖公劉のときからである。豳は長安の北、黄河支流渭水の支流涇水の流域で岐山を南に控えた高原地帯である。
公劉のときから古公亶父まで数百年そこに住んだ、農耕部族である。『詩経、豳風』にその生活の様子を歌ものである。


伊我承序,敢有不同
わたしか後継者として世襲しても、同じようにしないといけないのだ。
 ことばのはじめにくる。調子をととのえることば。
承序 伝えられる順序にあたってそれを承けつぐ。
敢有不同 敢は文のはじめに来るとしばしば反語となる。ここも反語である。


今狄之人,將土我疆。
ところがいま狄の国の人たちが、わたしの領土を占領しようとしている。
○狄 北方の異民族を総称するいい方。
○土 その土地を所有する。「土」を動詞として用いた。
 領地。


民為我戰,誰使死傷?
人民はわたしのために戦おうとするが、その人たちを死なせたり賜つけたりできるものか。


彼岐有岨,我往獨處。
あの岐山には要害の地がある、わたしはそこへ行。てひとり住むことにしよう。
 けわしい要害の地。
 住む。居住する


爾莫余追,無思我悲。
君たちはわたしのあとからついて来てはいけない、わたしのことを思って悲しんでもいけないのだ。

琴操十首 (5)拘幽操 文王羑裏作 韓退之(韓愈)詩<71-(5)>Ⅱ中唐詩435 紀頌之の漢詩ブログ1384

琴操十首  (5)拘幽操  文王羑裏作 韓退之(韓愈)詩<71-(5)>Ⅱ中唐詩435 紀頌之の漢詩ブログ1384

     
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

琴操十首(5)拘幽操 文王羑裏作
拘幽操
目窈窈兮,其凝其盲。
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
耳肅肅兮,聽不聞聲。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
朝不日出兮,夜不見月與星。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。
有知無知兮,為死為生?
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。

ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
拘幽操 文王羑裏作
目窈窈兮,其凝其盲。
耳肅肅兮,聽不聞聲。
朝不日出兮,夜不見月與星。
有知無知兮,為死為生?
嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。


(下し文) 拘幽操【こうゆうそう】
文王 羑裏【ゆうり】に作る
目 窈窈【ゆうゆう】として,其れ凝り 其れ盲【めし】い。
耳 肅肅【しゅくしゅく】として,聽けども聲を聞かず。
朝 不日の出でず,夜 月と星とを見ず。
知有りや 知無しや,死と為さんや 生と為さんや?
嗚呼【ああ】,臣が罪は誅【ちゅう】に當り,天王は聖明なり。


(現代語訳)
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。


(訳注)
拘幽操

・拘幽操「ひとやにとらわれ」のうた。
文王羑裏作
蔡邕『琴操』「文王備修道德,百姓親附。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。紂用其言,乃囚文王於羑裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也。文王在羑裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭。」
(文王、徳を修め、百姓親附す。崇侯虎、これを疾み、紂に謗って日く、西伯昌は聖人なり。長子発中子旦、皆聖人なり。三聖、謀を合す。君其れ之を慮へ。と。乃ち文王か羑裏に囚へ、将に之を殺さむとす。ここにおいて、文王の四臣、散宜生の徒、美女大見白馬来鼠を得て、以て紂に献ず。紂遂に西伯を出す。文王、羑裏に在りしとき、易の八卦を演じて六十四となし、鬱厄の辞を作る)

周の文王は、善政を施し、徳行にはげんだので、人民たちは文王に心を寄せた。そこで、殷の紂王(暴君の代名詞紂王))に、文王は人望を集め野心をいだいていると、謹言したものがあって、紂王は、文王を羑裏というところに監禁した。文王が監禁されているときの心持ちを述べたものとして作った歌である。
幽閉された時期に、周易を書いた。その後、昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放され、西伯(西の統括をする諸侯の事)に任じられた。
国許に帰った昌は紂王に目を付けられないようにしながら仁政を行った。
羑裏は、今の河南省湯陰県付近にあった。


目窈窈兮,其凝其盲。
目はくろぐろとしているが、こりかたまってしまいなに一つ見えないのだ。
・訪窃 まっくらな形容。
・凝 目がこちこちになって、見えないこと。


耳肅肅兮,聽不聞聲。
耳はシーンシーンとしているけれど、いくらすましても声はきこえない。
粛粛 静かな様子をいう。シーンシーンという耳鳴りの昔。あるいは風の音だけが聞える状況である。
 注意してきくこと。下の「聞」がきこえてくる意であるのに対する。


朝不日出兮,夜不見月與星。
朝になっても日は出ず、夜るに月も星さえも見えない。


有知無知兮,為死為生?
知覚があるだろうかそれともないのか、死んでいるのだろうかそれとも生きているのか。
有知無知 知覚があるかないかさえ分からない。
為死為生 死んでいるのか生きているのかも分からない。


嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。
ああ、わたしの罪は処刑に相当するのだ、天子の徳はまちがいがないことなのだ。
臣罪当誅 わたしは今のこの罰が当然なほどの罪を犯している。罪のない文王が自ら罪ありといっているのは、反省的な文王の徳の高さをあらわすものだ。
天王 天子のこと。肘をさす。「春秋」に見えるいい方である。
聖明 天子の徳についていうことば。その道はどこにでも通じ、その明は至るところを照らすことをいう。天子さまは何でも御存知だ、まちがいがない、という心持ちを持つ。


蔡邕 『琴操』《拘幽操》
者,文王拘於羑裏而作也。文王備修道德,百姓親附。文王有二子,周公、武王皆聖。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。” 紂用其言,乃囚文王於 裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也;桴其腹者,言欲得奇寶也;蹀躞其足者,使疾迅也。於是乃周流海內,經曆風土,得美女二人、水中大貝、白馬朱鬣,以獻於紂。陳於中庭,紂見之,仰天而歎曰:“嘻哉,此誰寶?” 散宜生趨而進曰:“是西伯之寶,以贖刑罪。” 紂曰:“於寡人何其厚也!” 立出西伯。紂謂宜生:“譖岐侯者,長鼻決耳也。” 宜生還,以狀告文王,乃知崇侯譖之。文王在 裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭:“困於石,據於蒺藜。” 乃申憤以作歌曰:“ 殷道溷溷,浸濁煩兮。朱紫相合,不別分兮。迷亂聲色,信讒言兮。炎炎之虐,使我愆兮。無辜桎梏,誰所宣兮。幽閉牢,由其言兮。遘我四人,憂勤勤兮。得此珍玩,且解大患兮。倉皇迄命,遺後昆兮。作此象變,兆在昌兮。欽承祖命,天下不喪兮。遂臨下土,在聖明兮。討暴除亂,誅逆王兮."


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文王(ぶんのう、ぶんおう、? - 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。
文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。
この時の商王は暴君の代名詞紂王(帝辛)であった。ある時に昌と同じく三公の一人、鄂崇禹が残酷な殺され方をした事で思わずため息をついたが、これを紂のやり方に不満があると讒言された昌は羑里(ゆうり)に幽閉された。幽閉された時期に、周易を書いた。その後、昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放され、西伯(西の統括をする諸侯の事)に任じられた。
国許に帰った昌は紂王に目を付けられないようにしながら仁政を行った。ある時に虞とゼイという小国が互いの間の紛争の調停を頼むために周にやってきたが、周の人民はあぜを譲り合い、老人を敬する気風があったので、自分達がつまらない事で争っている事に二つの国の君主は恥ずかしくなって、昌に会わずに国許に帰った。
その後、領土を広げ、また太公望呂尚を軍師に迎えた。紂王の無道に見切りを付けた諸侯はみんな昌を頼るようになったが、最後まで商の臣下としてあり続けた。死後息子の武王が文王の積み上げた物を基盤として商を倒し、周王朝を立てた。武王は昌に対し文王と追号した。後世、特に儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。


琴操十首 (4)越裳操 周公作 韓退之(韓愈)詩<70-(4)>Ⅱ中唐詩434 紀頌之の漢詩ブログ1381

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琴操十首  (4)越裳操  周公作



越裳操
雨之施,物以孳。
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
我何意於彼為?
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
自周之先,其艱其勤。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労を、しまた徳について勤勉であった。
以有疆宇,私我後人。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
我祖在上,四方在下。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
厥臨孔威,敢戲以侮。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。
孰荒於門?孰治於田?
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
四海既均,越裳是臣。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


現代語訳と訳註
(本文)
越裳操 周公作
雨之施,物以孳。
我何意於彼為?
自周之先,其艱其勤。
以有疆宇,私我後人。
我祖在上,四方在下。
厥臨孔威,敢戲以侮。
孰荒於門?孰治於田?
四海既均,越裳是臣。


(下し文)
越裳操【しょうそう】周公作る
雨の施し、物ここを以て孳【しげ】し。
我れ何ぞ彼れの為【しわざ】に意あらん?
周の先より、其れ艱【なや】み其れ勤【つと】めん。
以て疆宇【きょうう】を有【たも】ちて、我が後人に私【のこ】す。
我が祖 上に在す、四方 下に在り。
厥【そ】の臨【のぞ】むや孔【はなは】だ威【い】あり、敢えて戯むれて以て侮【あなど】らんや。
執【たれ】か門に荒【すさ】びて、執【たれ】か田に治【おさ】めん。
四海 既に均し、越裳【えつしょう】是れ臣たり。


(現代語訳)
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労を、しまた徳について勤勉であった。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


(訳注)
越裳操 周公作

越裳【えつしょう】のうた。越裳は、今の越南(ヴェトナム)よりもっと南にあった国。『韓詩外傳』「周成王之時,越裳氏重九譯而至,獻白雉於周公,曰:‘吾受命國之黃發言曰:久矣,天不迅雷疾雨也,海不波溢,三年於茲矣。意者中國有聖人乎,盍往朝之?於是乃來。’”韓本註引《後漢•南蠻誌》,事同而文少異。《古琴操》曰:“於戲嗟嗟,非旦之力,乃文王之德。”
周の成王の時、越裳氏、九譯を重ねて至り,白雉を周公に獻じて,曰く:吾れ命を受く、國の黃髪を言いて曰く:久し、天迅雷疾雨せず也,海波 溢れず、ここ三年に於てをや。おもうに、中國に聖人あるか?,盍んぞ往いて朝せざると。ここにおいて乃ち來る。’と。”蔡邕の琴操十二首では「曰:戲れに嗟嗟,旦だ之の力に非ざり,乃ち文王の德なり。」
周の成王の時、越裳の国がはるばるとやって来て、周王にいった。「わが国では、長いあいだひどい雷もはげしい雨もございませんし、海が津浪をおこすことも、三年ばかりございません。中国に聖人がいらっしゃるからではないだろうか、往って御機嫌うかがいいたしましょう、というわけでまいりました。」と。そこで
周公が作った歌に擬して作られた。


雨之施,物以孳。
雨が天下にあまねくふって、万物はそのために発育する。
雨之施 雨が降ること。雲が空に流れ動いて雨が降り、万物をうるおして恩恵を施すこと。また、天子の恩恵が広く行き渡るたとえ。天下が太平であることのたとえ。『易経、乾卦』「彖曰.大哉乾元.萬物資始.乃統天.雲行雨施.品物流形.大明終始.六位時成.時乘六龍以御天.乾道變化.各正性命.保合大和.乃利貞.首出庶物.萬國咸寧.」〔彖(たん)に曰く、大なるかな乾元。万物資(と)りて始む、乃(すなわ)ち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物、形を流(し)く。大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六龍に乗りて、以って天を御す。乾道変化して、各性命を正す。大和を保合して、乃ち利貞なり。首として庶物を出でて、万国咸(ことごと)く寧(やす)し。〕
 繁殖する。


我何意於彼為?
自分が意図を以て彼らのために何かをするというのか、そうではなくて、むこうの成果がどうであろうが徳が自ずから及んでそうさせることとするのである。
我何意於彼為 向こうがそうすることを、こちらが糸としていたわけではない。雨は万物を生育し、繁殖させるために降ったわけではない。越裳の国が來貢したのも、周公が意図した結果としてやって来たのではないこと、徳が自ずから及んでそうさせたということである。


自周之先,其艱其勤。
周の先王たちのむかしから、徳について苦労をし、また徳について勤勉であった。
周之先 周の国の先祖は、古代の聖天子なる堯舜に仕えて農業を司どった后禝であり、その子孫は代代農業につとめた。また、韓愈『琴操十首、⑥岐山操』にあるように、異民族になやまされつつも、その民を大切にしたといわれる。それらのことを、「自周之先,其艱其勤。」(周の先より、其れ難み其れ勤しむ。)というのである。
 徳。


以有疆宇,私我後人。
そして国家ができ土地を保ったのであり、われわれ子孫に伝えられ、今の自分たちがあるのである。
疆宇 土地、国家。
 私有とする。


我祖在上,四方在下。
そうしてわれわれの大祖達は天上に有って見守り、四方の民草は下にいるのである。
 非常に。「甚だしい」という意味の古いことば。


厥臨孔威,敢戲以侮。
その監視はとてもきびしく威厳を保っているし、あえて戯れでもって外国(越裳)を下にみてあなどったりしてはいけはない。


孰荒於門?孰治於田?
誰かの家門で荒淫していないだろうか、田畑では懸命に耕作したりしているだろうか。
○荒 めちゃくちゃな遊びをする。荒淫、淫乱、頽廃的な遊び。


四海既均,越裳是臣。
四方の天下がひとしく治まっていればこそ、越裳の国までが我が臣民となったのである。


琴操十首 (3)龜山操 孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。 韓退之(韓愈)詩<69-(3)>Ⅱ中唐詩433 紀頌之の漢詩ブログ1378

琴操十首  (3)龜山操  孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。 韓退之(韓愈)詩<69-(3)>Ⅱ中唐詩433 紀頌之の漢詩ブログ1378

     
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琴操十首(3)龜山操 
(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
龜山操
龜之氛兮,不能雲雨。
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
龜之橛兮,不中梁柱。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
龜之大兮,祗以奄魯。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
知將隳兮,哀莫余伍。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
周公有鬼兮,嗟余歸輔。

周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。


現代語訳と訳註
(本文)

(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
龜山操
龜之氛兮,不能雲雨。
龜之橛兮,不中梁柱。
龜之大兮,祗以奄魯。
知將隳兮,哀莫余伍。
周公有鬼兮,嗟余歸輔。


(下し文)
(孔子 季桓子が齊の女樂を受け,諫むるも不從わざるを以って,龜山を望みて作る。)
龜山操
龜の氛【ふん】は,雲雨【うんう】する能わず。
龜の橛【けつ】は,梁柱【りょうちゅう】に中【あた】らず。
龜の大なるは,祗【た】だ以って魯を奄【おお】う。
將【まさ】に隳【やぶ】れむとするを知も,余【われ】と伍する莫きを哀【かな】しむ。
周公 鬼 有らば,嗟【ああ】余【われ】をして歸り輔【たす】けしめよ。


(現代語訳)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。


(訳注)
琴操十首(3)龜山操 
(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。)
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。


龜山操
○亀山操「亀山」のうた。亀山は、今の山東省泗水県の東北にある山。孔子が魯の国の司法長官であったとき、家老の季桓子が斉の国からわいろとしで贈られた踊り子たちを受け入れて、いっこう政治を顧りみなかったので、孔子はそれを諌めたが、季桓子は聞き入れない、そこで魯の国に希望を失しない、国を離れようとするとき、亀山をながめたとして作った歌である。亀山は、季氏を象徴する。
『史記』に「桓子、卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず、郊するに又膰爼を大夫に致さず。孔子遂に行く」とある。桓子は魯の国の家老季氏、女楽とは女の楽人歌手。当時、孔子は魯の大司寇すなわち司法長官であった。郊はまつり、祭にはおそなえした焼肉などのお下りを家老たちにわけるのが礼儀とされた。
季桓子は、対抗國の策略にのって女の歌手にうつつをぬかし、政治を怠り、礼儀をかえりみなかりたので、孔子はこの国を去った。
季氏受齊女樂,三日不聽政,郊又不致燔俎於大夫。孔子時為魯大司寇,遂行,宿於屯。而師己送曰:‘夫子則非罪。’孔子曰:‘吾歌可夫?’曰:‘彼婦之口,可以出走。彼婦之謁,可以死敗。蓋優哉遊哉,維以卒歲。’師己反,季子曰:‘孔子亦何言’,師己以實告。季氏喟然嘆曰:‘夫子罪我以群婢也。’”又《古操》雲:“予欲望魯兮,龜山蔽之。手無斧柯,奈龜山何?”譬季氏於龜山,托勢利於斧柯也。亀山は山東省泗水県の東にある。『太平御覧』には『水経注』をひいて「亀山は博県十五里に在り。昔、夫子、政道の陵遅を傷む。故に山を望んで操を懐ふ。故に琴操に斉の亀山操あり。山北は即ち亀陰の田なり。春秋の定公十年、斉人、亀陰の田に來帰する、これなり」という。


龜之氛兮,不能雲雨
亀山のもっている気は、雲となり雨となることができない。
 気。山の包蔵する気が石にふれて雲となると考えられた。
雲雨 農業を主産業とする古代中国では、雨は大切なもので、雲雨をおこすことは、人民に恩恵を与えることを象徴する。


龜之橛兮,不中梁柱。
亀山のひこばえの木は、梁や柱にすることができるものではない。
 ひこばえ。
不中 その役目をしない。
梁柱 家のはりとはしら。国家の支えを比喩する。


龜之大兮,祗以奄魯。
亀山はその大きさが、ただ魯の国をおおいかくすだけのことである。
 おおう。掩うと同じ。


知將隳兮,哀莫余伍。
いまに国が崩壊するとわかっていても、かなしいことにわたしの同志となるものがないのだ。
 くずれる。
 同志。


周公有鬼兮,嗟余歸輔。
周公の神霊がいまもいますなら、ああ、わたしを祖国を輔けるために、もう一度祖国へ帰らせてほしいのだ。
○周公魯の国に大名として初じめて封ぜられた人。名は且、周の武王の弟で、且つ武王の子成王の摂政として諸制度を定め、周の国家の基礎を築いた。古来聖人の一人とされる。
 神霊。

琴操十首 (2)猗蘭操 孔子傷不逢時作 韓退之(韓愈)詩<68-(2)>Ⅱ中唐詩432 紀頌之の漢詩ブログ1375

琴操十首  (2)猗蘭操  孔子傷不逢時作 韓退之(韓愈)詩<68-(2)>Ⅱ中唐詩432 紀頌之の漢詩ブログ1375

     
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琴操十首(2)猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子之傷,君子之守。

君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
蘭之猗猗,揚揚其香。
不采而佩,於蘭何傷?
今天之旋,其曷為然?
我行四方,以日以年。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
子如不傷,我不爾覯。
薺麥之茂,薺麥之有。
君子之傷,君子之守。


(下し文)
(2)猗蘭操【いらんそう】
(孔子 時の逢わざること傷んで作る)
蘭の猗猗【いい】たる,揚揚【ようよう】たり其の香。
採りて佩【お】びずとも、蘭に於いて何ぞ傷まん。
今天の旋【めぐ】る、其れ曷【なん】為【す】れぞ然る。
我が四方に行くは、日を以てし年を以てす。
雪霜 貿貿【ぼうぼう】として、薺麥【せいばく】の茂きあり。
子【なんじ】如【も】し傷まずんば、我れ爾【まんじ】を覯【み】じ。
薺麥【せいばく】の茂きは、薺麥【せいばく】の有なり。
君子の傷むは、君子の守なり。


(現代語訳)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。


(訳注)
琴操十首(2)猗蘭操(孔子傷不逢時作)

 『楚辞 離 騒』「扈江離與闢芷兮、紉秋蘭以為佩。」(江離と闢芷を扈り、秋蘭を紉いで以って佩と為す。)芳しい江離と闢芷とを身にまとい、秋蘭を繋いで帯ものとし、薫り高く身を世おうのである。
猗蘭操 「生き生きとした蘭」 のうた。

蔡邕『琴操、猗蘭操』の序文として
孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。
<序文の下し文>
孔子 諸侯に歷聘【れきへい】せしも,能く用いる莫れ。衛より魯に反るとき,隱谷の中に,香蘭の獨り茂るを見る,喟然【きぜん】として嘆じて曰く:“夫れ蘭は當に王者の香たるべし,今乃ち獨り茂り,眾草【しゅうそう】と伍を為す。”と。乃ち車を止め,琴を援って之れを鼓す。自ら時に逢わざるを傷み,辭を香蘭に托して雲【い】う。
孔子が、諸侯を歴訪して、自分を国政に用いるように求めたが、諸侯は任用することができず、孔子は自分の祖国魯に帰ろうとして、人知れぬ谷間を通りすぎると、香おり高い蘭がひとりぼっちでさいていたので、それを見て、時節にあわないのをわが身にひきくらべつつなげいたとして作った歌である。


(孔子傷不逢時作)
孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。


蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
猗猗 美しくよく茂っている形容。
揚揚 いせいよいさま。


不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
 からだにつける。帯にさげるといういみ。香りのよい草をからだにつけることは、「楚辞」以来、君子のすることとされ、それは美徳を身に具えていることの象徴であった。ここで、香のよい蘭が、身につけられることは、その才能によって用いられることを象徴する。蘭が孔子に佩びることを許されなかったとしても蘭はその草花の中で威風堂々咲いているから傷つくことはないだろう という意味。


今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
曷為 「何為」と同じく、どうしてという意。


我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。


雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
貿貿 くもってくらい形容。
葬麦 葬はなずな。なずなとむぎは、秋冬の寒いときに芽が出るこという。この二つの植物で小人、すなわちつまらぬ人間にたとえ、そのつまらぬものが寒い中おいしげることをいう。


子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。


薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。○搬 あう。○有 もちまえ。固有の性質。


君子之傷,君子之守。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。
 節操を守る。

琴操十首 (1)將歸操 孔子之趙聞殺鳴犢作 韓退之(韓愈)詩<67-(1)>Ⅱ中唐詩431 紀頌之の漢詩ブログ1372

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孔子之趙聞殺鳴犢作 (1)將歸操  琴操十首

(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
)
琴操十首。將歸操
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子之趙,聞殺鳴犢作。)

(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。)
(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し,歸り來る歸り來る胡んぞ斯れを為す。)

狄之水兮,其色幽幽;
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。
我將濟兮,不得其由。
わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
涉其淺兮,石齧我足;
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。
乘其深兮,龍入我舟。
深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。

帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。

琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
狄の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。

天台山 瓊臺



現代語訳と訳註
(序文本文)
孔子之趙,聞殺鳴犢作。
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。
(序文下し文)
孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:
狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し。
歸り來る 歸り來る 胡んぞ斯れを為す。

(序文現代語訳)
孔子が晋の国の家老である趙簡子の招きを受けて、その領地超へ行こうとしたが、彼れがその協力を得てのし上がることのできた有能な家老竇鳴犢を殺したことを聞き、河を渡って超に行くのをやめ、なげいて作ったとして模擬した歌である。
 “孔子臨狄水而歌曰:‘狄水衍兮風揚沙,船楫顛倒更相加。歸來歸來兮,胡為斯疑?’


(本文)
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄之水兮,其色幽幽;
我將濟兮,不得其由。
涉其淺兮,石齧我足;
乘其深兮,龍入我舟。
我濟而悔兮,將安歸尤。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。


(下し文)
琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄【てき】の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。


(現代語訳)
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。


(訳注)
琴操十首。將歸操 
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
将帰操 「將に帰らんとす」(さあかえろう)のうた。
韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。


この詩は、『史記、孔子世家』孔子既不得用於衛,將西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢﹑舜華之死也,臨河而歎曰:“美哉水,洋洋乎!丘之不濟此,命也夫!”子貢趨而進曰:“敢問何謂也?”孔子曰:“竇鳴犢,舜華,晉國之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此兩人而後從政;及其已得志,殺之乃從政。丘聞之也,刳胎殺夭則麒麟不至郊,竭澤涸漁則蛟龍不合陰陽,覆巢毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獸之於不義也尚知辟之,而況乎丘哉!


蔡邕 4.
《將歸操》
者,孔子之所作也。
趙簡子循執玉帛,以聘孔子。
孔子將往,未至,渡狄水,
聞趙殺其賢大夫竇鳴犢,喟然而歎之曰:
“夫趙之所以治者,鳴犢之力也。
殺鳴犢而聘餘,何丘之往也?
夫燔林而田,則麒麟不至;
覆巢破卵,則鳳皇不翔。
鳥獸尚惡傷類,而況君子哉?”
於是援琴而鼓之雲:
“翱翔於衛,複我舊居;從吾所好,其樂隻且。”


(孔子之趙聞殺鳴犢作)
孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。
◎孔子はもはや老いて政治を見ようともしない衛の霊公の元をまたも去って、晋の実力者の趙簡子(ちょうかんし)のところに行こうと決意した。だが、黄河にまで至ったときに趙簡子が大夫の竇鳴犢(とうめいとく)と舜華(しゅんか)を殺したことを聞いて、「ああ水は美しく、広大だ!余がこの川を渡らないのも天命なのか!」と嘆息したという。子貢がその言葉の意味を聞くと、孔子は「竇鳴犢と舜華は、晋の賢大夫。君子は同類を損なうことを、忌み嫌うのだ」と言ったという。そして一曲を作って、二人の死を悲しんだという(『史記』孔子世家)。


狄之水兮,其色幽幽;我將濟兮,不得其由。
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
狄之水 今の山東省済南市附近は、むかし狄の領地であった。そこを流れる済水を狄水というが、 狄【てき】[訓]えびす である。古代中国で、北方の異民族。広く、異民族や野蛮人。「夷狄(いてき)・戎狄(じゅうてき)・北狄」その川を渡ると夷狄の地である。○幽幽 くろい形容。○済 川をわたること。○ 手段。方法。手がかり。


涉其淺兮,石齧我足;乘其深兮,龍入我舟。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
 徒渉する。〇 ここでは、石のかどが足をきずつけること。○ 舟に乗って川をわたること。○竜入我舟 古代の神話的天子の南が長江を渡るとき、竜が南の舟を背に負うたので、人みな色を失しのうたが、南は平然としていたという「准南子」に見える故事をふんでいるといわれる。ここでは、危難にせまられることを意味する。


我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
将安 将は、それでは。安は、どこ。○竜求 自分を食べようとする竜の要求。


歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。


琴操十首 (0)序  韓退之(韓愈)詩<66-#0>Ⅱ中唐詩430 紀頌之の漢詩ブログ1369

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琴操十首 
琴操 琴うた。本来は、楽曲をさしたものであろうが、その一つ一つの曲に、由来がつき、その故事にもとづいて歌詞が作られるようになった。それらを編した書として、後漢の蔡邕(132-192年)に「琴操」がある。後漢末期の政治家・儒者・書家。字は伯喈(はくかい)。陳留郡圉県の人。蔡琰(蔡文姫)の父。熹平石経の揮毫者の一人で、飛白体の創始者とされる。
献帝の時代に入り董卓が権力を握ると、董卓は都に知識人らを招き、学者として高名だった蔡邕も招聘された。蔡邕は断ろうとしたが断りきれずに再び朝廷に出仕し、ここでも厚遇された。 董卓が王允らにより殺されると、厚くもてなされていた蔡邕は深く悲しんだ。これを知った王允は激怒し、蔡邕を投獄。間もなく処刑された。三国志の初めごろに登場してくる。
蔡邕の『琴操十二首』についてその題のみあげると、《伐檀操》《騶虞操》《白駒操》《將歸操》《猗蘭操》《龜山操》《越裳操》《拘幽操》《履霜操》《雉朝飛操》《別鶴操》《殘形操》である。後半太字について韓愈の十首にあるものである。


韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と、謝希逸(南北朝の末の謝荘〔421-466年〕)の「琴論」にあり、「操:ひく」ことであろう。韓愈の「琴操」の制作された年は不明であるが、その新しい詩風を求めようとする意欲的な態度から考えて「南山の詩」「城南聯歌」などの作られた806年元和初年の作とした。韓愈は四十歳前後であった。詩風からいって晩年のものとは思えない。


蔡邕『琴操十二首』

1.《伐檀操》者,魏國女之所作也。傷賢者隱避,素餐在位,閔傷怨曠,失其嘉會。夫聖王之製,能治人者食於人,治於人者食於田。今賢者隱退伐木,小人在位食祿,懸珍奇,積百穀,並包有土,德澤不加百姓。傷痛上之不知,王道之不施,仰天長歎,援琴而鼓之.


2.《白駒操》者,失朋友之所作也。其友賢居任也。衰亂之世,君無道,不可匡輔,依違成風,諫不見受。國士詠而思之,援琴而長歌。


3.《騶虞操》者,邵國之女所作也。古者聖王在上,君子在位,役不逾時,不失嘉會。內無怨女,外無曠夫。及周道衰微,禮義廢弛,強淩弱,眾暴寡,萬民騷動,百姓愁苦;男怨於外,女傷其內,內外無主:內迫性情,外逼禮義。欲傷所讒,而不逢時,於是援琴而歌。


4.《將歸操》者,孔子之所作也。趙簡子循執玉帛,以聘孔子。孔子將往,未至,渡狄水,聞趙殺其賢大夫竇鳴犢,喟然而歎之曰:“夫趙之所以治者,鳴犢之力也。殺鳴犢而聘餘,何丘之往也?夫燔林而田,則麒麟不至;覆巢破卵,則鳳皇不翔。鳥獸尚惡傷類,而況君子哉?” 於是援琴而鼓之雲:“翱翔於衛,複我舊居;從吾所好,其樂隻且。”


5.《猗蘭操》者,孔子所作也。孔子曆聘諸侯,諸侯莫能任。自衛反魯,過隱穀之中,見薌蘭獨茂,喟然歎曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍,譬猶賢者不逢時,與鄙夫為倫也。” 乃止車援琴鼓之雲:“ 習習穀風,以陰以雨。之子於歸,遠送於野。何彼蒼天,不得其所。逍遙九州,無所定處。世人暗蔽,不知賢者。年紀逝邁,一身將老。”自傷不逢時,托辭於薌蘭雲。


6.《龜山操》者,孔子所作也。齊人饋女樂,季桓子受之,魯君閉門不聽朝。當此之時,季氏專政,上僭天子,下畔大夫,賢聖斥逐,讒邪滿朝。孔子欲諫不得,退而望魯,魯有龜山蔽之。辟季氏於龜山,托勢位於斧柯;季氏專政,猶龜山蔽魯也。傷政道之淩遲,閔百姓不得其所,欲誅季氏,而力不能。於是援琴而歌雲:“予欲望魯兮,龜山蔽之。手無斧柯,奈龜山何?”


7.《越裳操》者,周公之所作也。周公輔成王,成文王之王道,天下太平,萬國和會,江黃納貢,越裳重九譯而來獻白雉,執贄曰:“吾君在外國也,頃無迅風暴雨,意者中國有聖人乎?故遣臣來。”周公於是仰天而歎之。乃援琴而鼓之,其章曰:“於戲嗟嗟,非旦之力,乃文王之德。”遂受之,獻於文王之廟。


8《拘幽操》者,文王拘於 裏而作也。文王備修道德,百姓親附。文王有二子,周公、武王皆聖。是時崇侯虎與文王列為諸侯,德不能及文王,常嫉妒之。乃譖文王於紂曰:“西伯昌,聖人也。長子發、中子旦,皆聖人也。三聖合謀,將不利於君,君其慮之。” 紂用其言,乃囚文王於 裏,擇日欲殺之。於是文王四臣太顛、閎夭、散宜生、南宮適之徒,往見文王。文王為反目者,紂之好色也;桴其腹者,言欲得奇寶也;蹀躞其足者,使疾迅也。於是乃周流海內,經曆風土,得美女二人、水中大貝、白馬朱鬣,以獻於紂。陳於中庭,紂見之,仰天而歎曰:“嘻哉,此誰寶?” 散宜生趨而進曰:“是西伯之寶,以贖刑罪。” 紂曰:“於寡人何其厚也!” 立出西伯。紂謂宜生:“譖岐侯者,長鼻決耳也。” 宜生還,以狀告文王,乃知崇侯譖之。文王在 裏時,演八卦以為六十四卦,作鬱尼之辭:“困於石,據於蒺藜。” 乃申憤以作歌曰:“ 殷道溷溷,浸濁煩兮。朱紫相合,不別分兮。迷亂聲色,信讒言兮。炎炎之虐,使我愆兮。無辜桎梏,誰所宣兮。幽閉牢,由其言兮。遘我四人,憂勤勤兮。得此珍玩,且解大患兮。倉皇迄命,遺後昆兮。作此象變,兆在昌兮。欽承祖命,天下不喪兮。遂臨下土,在聖明兮。討暴除亂,誅逆王兮."


蔡邕にはない ◎岐山操 韓愈

9.《履霜操》者,尹吉甫之子伯奇所作也。吉甫,周上卿也,有子伯奇。伯奇母死,吉甫更娶後妻,生子曰伯邦。乃譖伯奇於吉甫曰:“伯奇見妾有美色,然有欲心。” 吉甫曰:“伯奇為人慈仁,豈有此也?” 妻曰:“試置妾空房中,君登樓而察之。” 後妻知伯奇仁孝,乃取毒蜂綴衣領,伯奇前持之。於是吉甫大怒,放伯奇於野。伯奇編水荷而衣之,采花而食之,清朝履霜,自傷無罪見逐,乃援琴而鼓之曰:“ 履朝霜兮采晨寒,考不明其心兮聽讒言,孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰說顧兮知我冤。” 宣王出遜,吉甫從之,伯奇乃作歌,以言感之於宣王。宣王聞之,曰:“此孝子之辭也。” 吉甫乃求伯奇於野而感悟,遂射殺後妻


10.《雉朝飛操》者,齊獨沐子所作也。獨沐子年七十無妻,出薪於野,見飛雉雄雌相隨,感之,撫琴而歌曰:“雉朝飛,鳴相和,雌雄群遊於山阿。我獨何命兮未有家,時將暮兮可奈何,嗟嗟暮兮可奈何?”


11.《別鶴操》者,商陵牧子所作也。牧子娶妻五年,無子,父兄欲為改娶。妻聞之,中夜驚起,倚戶悲嘯。牧子聞之,援琴鼓之雲:“痛恩愛之永離,歎別鶴以舒情。”故曰《別鶴操》。後仍為夫婦。


12.《殘形操》者,曾子所作也。曾子鼓琴,墨子立外而聽之。曲終,入曰:“善哉鼓琴!身已成矣,而曾未得其首也。” 曾子曰:“吾晝臥見一狸,見其身而不見其頭,起而為之弦,因而殘形。”

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

『荘子』大宗師にのせるエピソードをほとんどそのまま詩としているのである。すなわち、「子輿は子桑と友なりき。霧雨すること十日。子輿いすb子桑の門に至れば、すなはち駄々かごとく、突くがごとし。琴をひきていはく『父か、母か、天か、人か』と。また、その声にたへず、いそいでその詩をうたふ。子輿、入っていはく『きみの詩を歌ふこと、なにがゆゑにかくのごときや』と。いはく『われは、かの我をしてかくのごとき極みに至らしめし者を恩へども、おもひあたらざるなり。父母はあにわれの貧しからむことを欲せむや。天は、私に覆ふことなく、地は、私に載することなし。天地は、あに、私にわれを貧しからしめむや。その、これをなせし者を求むれども、おもひあたらざるなり。しかもかかるくるしみに至りしは、命なるかな』と」。


贈崔立之 :韓愈
昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。
好事漆園吏,書之存雄詞。
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
千年事已遠,二字情可推。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。

我讀此篇日,正當寒雪時。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。
吾身固已困,吾友複何爲。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。
曾無子輿事,空賦子桑詩。

そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。


(崔立之に贈る)
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。

好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


現代語訳と訳註
(本文)

好事漆園吏,書之存雄詞。千年事已遠,二字情可推。
我讀此篇日,正當寒雪時。吾身固已困,吾友複何爲。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。


(下し文)
好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


(現代語訳)
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。


(訳注)
好事漆園吏,書之存雄詞。
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
好事 好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げる。
・漆園吏 司馬遷の「史記」によれば、荘子はかって蒙の近くの漆園と言う土地の小吏、あるいは漆の園の番役人であった。『荘子』の著者荘周のこと。
・雄詞/雄辞 『荘子』の文章は、中国の散文中でも屈指の名文である。そのような雄大で閎中肆外の文章で、この事件を書きとめている、というのである。(韓愈進学解)


千年事已遠,二字情可推。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。


我讀此篇日,正當寒雪時。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。


吾身固已困,吾友複何爲。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。


薄粥不足裹,深泥諒難馳。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。


曾無子輿事,空賦子桑詩。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。



『贈崔立之評事』(崔斯立,字立之,博陵人) 韓愈
  崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。
  曾從關外來上都,隨身卷軸車連軫。
  朝爲百賦猶鬱怒,暮作千詩轉遒緊。
  搖毫擲簡自不供,頃刻青紅浮海蜃。
  才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。
  知音自古稱難遇,世俗乍見那妨哂。
  勿嫌法官未登朝,猶勝赤尉長趨尹。
  時命雖乖心轉壯,技能虛富家逾窘。
  念昔塵埃兩相逢,爭名齟齬持矛楯。
  子時專場誇觜距,餘始張軍嚴韅靷。
  爾來但欲保封疆,莫學龐涓怯孫臏。
  竄逐新歸厭聞鬧,齒發早衰嗟可閔。
  頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。
  深藏篋笥時一發,戢戢已多如束筍。
  可憐無益費精神,有似黄金擲虛牝。
  當今聖人求侍從,拔擢杞梓收楛箘。
  東馬嚴徐已奮飛,枚皋即召窮且忍。
  複聞王師西討蜀,霜風冽冽摧朝菌。
  走章馳檄在得賢,燕雀紛拏要鷹隼。
  竊料二途必處一,豈比恒人長蠢蠢。
  勸君韜養待征招,不用雕琢愁肝腎。
  牆根菊花好沽酒,錢帛縱空衣可准。
  暉暉檐日暖且鮮,摵摵井梧疏更殞。
  高士例須憐曲蘖,丈夫終莫生畦畛。
  能來取醉任喧呼,死後賢愚俱泯泯。




答崔立之書
斯立足下:仆見險不能止,動不得時,顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,以至辱於再三,君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。足下猶複以為可教,貶損道德,乃至手筆以問之,扳援古昔,辭義高遠,且進且勸,足下之於故舊之道得矣。雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?不然,何子之不以丈夫期我也?不能默默,聊複自明。

仆始年十六七時,未知人事,讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,且得美仕,就求其術,或出所試文章,亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,因又詣州府求舉,凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,雖不得仕,人或謂之能焉。退因自取所試讀之,乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。因複求舉,亦無幸焉,乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,及得觀之,餘亦無甚愧焉。夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?乃不自進而已耳。設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤,其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳,其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,雖兩刖足不為病,且無使者再克。誠足下相勉之意厚也,然仕進者,豈舍此而無門哉?足下謂我必待是而後進者,尤非相悉之辭也。仆之玉固未嚐獻,而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

方今天下風俗尚有未及於古者,邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。仆雖不賢,亦且潛究其得失,致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。二者將必有一可。足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,又所謂者果誰哉?再克之刑信如何也?士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。



《曲池潔寒流》 崔立之
閒尋欹岸步,因向曲池看。
透底何澄澈,回流乍屈盤。
稍隨高樹古,迥與遠天寒。
月入鏡華轉,星臨珠影攢。
纖鱗時蔽石,轉吹或生瀾。
願假涓微效,來濡拙筆端。

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

贈崔立之 :韓愈
昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。
好事漆園吏,書之存雄詞。千年事已遠,二字情可推。
我讀此篇日,正當寒雪時。吾身固已困,吾友複何爲。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。曾無子輿事,空賦子桑詩。

(崔立之に贈る)
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。

好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


DCF00214

現代語訳と訳註
(本文)

昔年十日雨,子桑苦寒饑。哀歌坐空室,不怨但自悲。
其友名子輿,忽然憂且思。搴裳觸泥水,裹飯往食之。
入門相對語,天命良不疑。


(下し文)
昔年【せきねん】十日 雨ふり,子桑【しそう】寒饑【かんき】に苦しむ。
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。


 (現代語訳)
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。


(訳注)
・贈崔立之 底本外集巻一。この詩を贈った対手の崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。
「答崔立之書」
「贈崔立之評事」
「崔立之評事に贈る」という詩に「崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。崖侯の文章は苦だ捷敏」とうたい 「才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。」(才豪に気猛に語言を易しとし、往々にして較蛸に蝮矧を雑ふ)といっているところからすれば、才気にまかせて書きなぐり、できた詩文は玉石混淆だったのであろう。同じ詩に「頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。」(頻に怨句を蒙って棄遺すと刺らる。豈 問官にして敢て推引するあらむ)というのは、崔が現職にあきたらず、有利な職へ転ずるよう推薦してほしいと、しつこくたのみ、話がてきぱきと進まないと「お忘れになったのですか」と嫌味をいうこともあったのであろう。これに対し大学の下級教官では人を推薦できる柄ではない、といっているのである。

この詩は『荘子』の著者荘周についての逸話と『荘子内篇第六 大宗師篇』の子輿と子桑についての問答の話に基づいて作られている。
 子輿(しよ)と子桑(しそう)は友だちであった。あるとき,雨が十日も降り続いた。子輿は「多分,子桑は病気だろう」と言った。そこで彼は,食べ物を包んで,子桑に会いに出掛けた。
 戸口にやって来ると,弦楽器の音にまじって,歌っているとも泣いているともつかぬ声が聞こえてきた。その声は「父よ,母よ! これは神の仕業でしょうか,人のせいでしょうか」と。その声は途切れ途切れで,ことばはたどたどしかった。
 子輿は中に入って尋ねた,「どうしてそんな風に歌っているのかね。
 「こんなひどい状態に私を追い込んだのは,いったい誰なんだろうといろいろ考えていたんだ」と子桑は答えた,「父や母は私がみじめになることなど,とても望んではいまい。天はあまねくすべてのものを覆い,地はあまねくすべてのものを支える。天や地が私だけを差別してひどい貧乏に追い込んだのでもあるまい。私を突き落としたのは誰かと見つけようとしたんだが,うまくいかないんだ。結局のところ,運命が私をこのひどい状態に落とし込んだのにちがいないよ」


昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。


哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。


其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。


搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。


入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。


城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#31最終回>Ⅱ中唐詩427 紀頌之の漢詩ブログ1360

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城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#25>#1~#31(全31回)
第八部(#29~#31)最終回

#29
孟郊) 是節飽顏色,
韓愈) 茲疆稱都城。書饒罄魚繭,
孟郊) 紀盛播琴箏。奚必事遠覿,
韓愈) 無端逐羈傖。將身親魍魅,
孟郊) 浮跡侶鷗。腥味空奠屈,
韓愈) 天年徒羨彭。
#29  *上記聯句を韻により変更して読む
是節飽顏色,茲疆稱都城。
春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
奚必事遠覿,無端逐羈傖。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
將身親魍魅,浮跡侶鷗鶄。
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
腥味空奠屈,天年徒羨彭。
湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。
是の節 顏色に飽【た】り,茲【こ】の疆【きょう】都城と稱【しょう】す。
書くこと饒【おお】くして魚繭【ぎょけん】を罄【つく】し,紀すること盛んにして琴箏【きんしょう】にて播【ひろ】げん。
奚【なん】ぞ必しも遠覿【えんてき】を事せし,端無【はひなく】も羈傖【きそう】に逐さる。
身を將って魍魅【もうまい】に親み,跡を浮べて鷗【おうせい】に侶【ともな】う。
腥味【せいみ】空しく屈を奠【まつり】,天年【てんねん】徒らに彭を羨【うらや】む。

#30
韓愈) 驚魂見蛇蚓,
孟郊) 觸嗅值蝦蟛。幸得履中氣,
韓愈) 忝從拂天棖。歸私暫休暇,
孟郊) 驅明出庠黌。鮮意竦輕暢,
韓愈) 連輝照瓊瑩。陶暄逐風乙,
孟郊) 躍視舞晴蜻。
#30 *上記聯句を韻により変更して読む
驚魂見蛇蚓,觸嗅值蝦蟛。
そこではへびやミミズにいたるまで反骨の魂があるのに驚かされたし、ガマとエビガニには触っても匂ってもこまらされた。
幸得履中氣,忝從拂天棖。
そうこうしていると、幸いにも天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運が高まってきて、かたじけなくも私へのいわれのない罪が許され天子の御門をきれいに拂われたのだ。
歸私暫休暇,驅明出庠黌。
私生活にかえることがゆるされしばらくきゅうかおあたえられたことにより、夜明けを待って学び舎を旅立ったのだ
鮮意竦輕暢,連輝照瓊瑩。
こうして新鮮な詩意はつきあがってくるし、心は軽く伸びやかになり、つらなる光は照栄えて、美玉のような句が次々に生まれるのである。
陶暄逐風乙,躍視舞晴蜻。
うっとりとあたたかい日の風に舞う燕のように飛び交うのであり、めくるめく晴れた空にひるがえるとんぼのように舞うことが出来るのだ。
魂を驚かせて蛇蚓【だいん】を見,嗅に觸【ふ】れて蝦蟛【かほう】に值【あ】う。
幸に中氣を履【ふ】むを得たり,忝【かたじけな】くも天棖【てんちょう】を拂【はら】うに從う。
私に歸りて暫く休暇し,明に驅りて庠黌【しょうこう】を出づ。
鮮意【せんい】竦【あらわ】れて輕く暢び,連輝【れんき】照して瓊瑩【けいえい】なり。
陶暄【とうけん】風乙【ふうあつ】を逐い,躍視【やくし】晴蜻【せいせい】を舞わしむ。

#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。
#31 *上記聯句を韻により変更して読む
足勝自多詣,心貪敵無勍。
幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
始知樂名教,何用苦拘佇。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。

足 勝れて自ら詣【いた】ること多く,心 貪【むさぼ】れど敵も勍【つよ】く無し。
始めて知る名教【めいきょう】を樂しむを,何を用ってか拘佇【こうどう】に苦む。
景を畢【お】えて詩趣【ししゅ】に任す,焉ぞ能く鏗鏗【こうこう】を守る。


現代語訳と訳註
(本文)
#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。
#31
足勝自多詣,心貪敵無勍。
始知樂名教,何用苦拘佇。
畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。


(下し文) #31
足 勝れて自ら詣【いた】ること多く,心 貪【むさぼ】れど敵も勍【つよ】く無し。
始めて知る名教【めいきょう】を樂しむを,何を用ってか拘佇【こうどう】に苦む。
景を畢【お】えて詩趣【ししゅ】に任す,焉ぞ能く鏗鏗【こうこう】を守る。


(現代語訳)
幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。


(訳注) #31
足勝自多詣,心貪敵無勍。

幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
足勝 脚力が強健だ。
多詣 どこへでもゆける。
心貪 いくらでも相手になってやろうという気持ち。


始知樂名教,何用苦拘佇。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
名教 儒家思想のこと。名教・礼教
拘佇 拘束。


畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。
・畢景 朝廷に仕えている現在の景色を終えること。
任詩趣 趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいということ。
鏗鏗【こうこう】鐘の音などが鳴りわたるさま。「鏗」は金石の打ち合う音の意。

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#30>Ⅱ中唐詩426 紀頌之の漢詩ブログ1357

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城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#30>#1~#31(全31回)
第八部(#29~#31)最終3回

#29
孟郊) 是節飽顏色,
韓愈) 茲疆稱都城。書饒罄魚繭,
孟郊) 紀盛播琴箏。奚必事遠覿,
韓愈) 無端逐羈傖。將身親魍魅,
孟郊) 浮跡侶鷗。腥味空奠屈,
韓愈) 天年徒羨彭。
#29  *上記聯句を韻により変更して読む
是節飽顏色,茲疆稱都城。
春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
奚必事遠覿,無端逐羈傖。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
將身親魍魅,浮跡侶鷗鶄。
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
腥味空奠屈,天年徒羨彭。

湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。
#30
韓愈) 驚魂見蛇蚓,
孟郊) 觸嗅值蝦蟛。幸得履中氣,
韓愈) 忝從拂天棖。歸私暫休暇,
孟郊) 驅明出庠黌。鮮意竦輕暢,
韓愈) 連輝照瓊瑩。陶暄逐風乙,
孟郊) 躍視舞晴蜻。
#30    *上記聯句を韻により変更して読む
驚魂見蛇蚓,觸嗅值蝦蟛。
そこではへびやミミズにいたるまで反骨の魂があるのに驚かされたし、ガマとエビガニには触っても匂ってもこまらされた。
幸得履中氣,忝從拂天棖。
そうこうしていると、幸いにも天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運が高まってきて、かたじけなくも私へのいわれのない罪が許され天子の御門をきれいに拂われたのだ。
歸私暫休暇,驅明出庠黌。
私生活にかえることがゆるされしばらくきゅうかおあたえられたことにより、夜明けを待って学び舎を旅立ったのだ
鮮意竦輕暢,連輝照瓊瑩。
こうして新鮮な詩意はつきあがってくるし、心は軽く伸びやかになり、つらなる光は照栄えて、美玉のような句が次々に生まれるのである。
陶暄逐風乙,躍視舞晴蜻。

うっとりとあたたかい日の風に舞う燕のように飛び交うのであり、めくるめく晴れた空にひるがえるとんぼのように舞うことが出来るのだ。
#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。


現代語訳と訳註
(本文)
#30
韓愈) 驚魂見蛇蚓,
孟郊) 觸嗅值蝦蟛。幸得履中氣,
韓愈) 忝從拂天棖。歸私暫休暇,
孟郊) 驅明出庠黌。鮮意竦輕暢,
韓愈) 連輝照瓊瑩。陶暄逐風乙,
孟郊) 躍視舞晴蜻。
#30  *上記聯句を韻により変更して読む
驚魂見蛇蚓,觸嗅值蝦蟛。
幸得履中氣,忝從拂天棖。
歸私暫休暇,驅明出庠黌。
鮮意竦輕暢,連輝照瓊瑩。
陶暄逐風乙,躍視舞晴蜻。


(下し文)
魂を驚かせて蛇蚓【だいん】を見,嗅に觸【ふ】れて蝦蟛【かほう】に值【あ】う。
幸に中氣を履【ふ】むを得たり,忝【かたじけな】くも天棖【てんちょう】を拂【はら】うに從う。
私に歸りて暫く休暇し,明に驅りて庠黌【しょうこう】を出づ。
鮮意【せんい】竦【あらわ】れて輕く暢び,連輝【れんき】照して瓊瑩【けいえい】なり。
陶暄【とうけん】風乙【ふうあつ】を逐い,躍視【やくし】晴蜻【せいせい】を舞わしむ。


(現代語訳)
そこではへびやミミズにいたるまで反骨の魂があるのに驚かされたし、ガマとエビガニには触っても匂ってもこまらされた。
そうこうしていると、幸いにも天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運が高まってきて、かたじけなくも私へのいわれのない罪が許され天子の御門をきれいに拂われたのだ。
私生活にかえることがゆるされしばらくきゅうかおあたえられたことにより、夜明けを待って学び舎を旅立ったのだ
こうして新鮮な詩意はつきあがってくるし、心は軽く伸びやかになり、つらなる光は照栄えて、美玉のような句が次々に生まれるのである。
うっとりとあたたかい日の風に舞う燕のように飛び交うのであり、めくるめく晴れた空にひるがえるとんぼのように舞うことが出来るのだ。


(訳注)
驚魂見蛇蚓,觸嗅值蝦蟛。

そこではへびやミミズにいたるまで反骨の魂があるのに驚かされたし、ガマとエビガニには触っても匂ってもこまらされた。
・蛇蚓 へびやミミズ。
・蝦蟛 ガマとエビガニ。


幸得履中氣,忝從拂天棖。
そうこうしていると、幸いにも天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運が高まってきて、かたじけなくも私へのいわれのない罪が許され天子の御門をきれいに拂われたのだ。
中気 中和の気。天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運になる。
天棖 天門。


歸私暫休暇,驅明出庠黌。
私生活にかえることがゆるされしばらくきゅうかおあたえられたことにより、夜明けを待って学び舎を旅立ったのだ
・帰私 私生活にかえる。
・明 天明。
・庠黌 学舎。


鮮意竦輕暢,連輝照瓊瑩。
こうして新鮮な詩意はつきあがってくるし、心は軽く伸びやかになり、つらなる光は照栄えて、美玉のような句が次々に生まれるのである。
・鮮意 新鮮な詩意。
・竦 つきあがってくる。
・連輝 つらなる光。
・瓊瑩 美玉のような句。


陶暄逐風乙,躍視舞晴蜻。
うっとりとあたたかい日の風に舞う燕のように飛び交うのであり、めくるめく晴れた空にひるがえるとんぼのように舞うことが出来るのだ。
・陶暄 うっとりとあたたかい。
・風乙 風にただようつばめ。
・晴蜻 晴れた空にひるがえるとんぼ。

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#29>Ⅱ中唐詩425 紀頌之の漢詩ブログ1354

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城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#25>#1~#31(全31回)
第八部(#29~#31)最終3回

#29
孟郊) 是節飽顏色,
韓愈) 茲疆稱都城。書饒罄魚繭,
孟郊) 紀盛播琴箏。奚必事遠覿,
韓愈) 無端逐羈傖。將身親魍魅,
孟郊) 浮跡侶鷗。腥味空奠屈,
韓愈) 天年徒羨彭。
#29  *上記聯句を韻により変更して読む
是節飽顏色,茲疆稱都城。
春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
奚必事遠覿,無端逐羈傖。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
將身親魍魅,浮跡侶鷗鶄。
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
腥味空奠屈,天年徒羨彭。
湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。
#30
韓愈) 驚魂見蛇蚓,
孟郊) 觸嗅值蝦蟛。幸得履中氣,
韓愈) 忝從拂天棖。歸私暫休暇,
孟郊) 驅明出庠黌。鮮意竦輕暢,
韓愈) 連輝照瓊瑩。陶暄逐風乙,
孟郊) 躍視舞晴蜻。
#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。



現代語訳と訳註
(本文) #29
孟郊) 是節飽顏色,
韓愈) 茲疆稱都城。書饒罄魚繭,
孟郊) 紀盛播琴箏。奚必事遠覿,
韓愈) 無端逐羈傖。將身親魍魅,
孟郊) 浮跡侶鷗。腥味空奠屈,
韓愈) 天年徒羨彭。
#29  *上記聯句を韻により変更して読む
是節飽顏色,茲疆稱都城。
書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
奚必事遠覿,無端逐羈傖。
將身親魍魅,浮跡侶鷗。
腥味空奠屈,天年徒羨彭。


(下し文)
是の節 顏色に飽【た】り,茲【こ】の疆【きょう】都城と稱【しょう】す。
書くこと饒【おお】くして魚繭【ぎょけん】を罄【つく】し,紀すること盛んにして琴箏【きんしょう】にて播【ひろ】げん。
奚【なん】ぞ必しも遠覿【えんてき】を事せし,端無【はひなく】も羈傖【きそう】に逐さる。
身を將って魍魅【もうまい】に親み,跡を浮べて鷗【おうせい】に侶【ともな】う。
腥味【せいみ】空しく屈を奠【まつり】,天年【てんねん】徒らに彭を羨【うらや】む。


(現代語訳)
春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。


(訳注)
是節飽顏色,茲疆稱都城。

春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
顏色 いろ。みるべきもの。
茲疆 この土地。


書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
魚繭 紙のすぐれたもの。魚子紙と蚕繭紙。魚子紙は魚子織、斜文織風のもので、蚕繭紙とは、蚕が作り出す絹100%の紙。四門博士に任ぜられたこと言う。


奚必事遠覿,無端逐羈傖。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
遠覿 遠く旅して見物する。
・羈傖 旅をする傖人。韓愈が陽山に貶められたときに、その地方の人間が北から来たものを蔑んでいう言葉で、その時の経験を意味する。


將身親魍魅,浮跡侶鷗
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
魍魅 魑魅魍魎。山の怪物や川の怪物。様々な化け物、妖怪変化。
鷗鶄 カモメとゴイ鷺。


腥味空奠屈,天年徒羨彭。
湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。
腥味 生肉。
奠屈 楚の詩人屈原を祭る。・天年 寿命,天寿.天命。
羨彭 彭祖は仙人として700年生きたというのを羨ましがること。彭祖は中国古代の伝説上の長寿者。『荘子』には単に長寿者の代表として言及するが,神仙思想の発達につれて仙人の一人とされ,さまざまな伝承が付加された。

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#28>Ⅱ中唐詩424 紀頌之の漢詩ブログ1351

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城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首<#28>#1~#31(全31回)
第七部(#25~#28)

#25
孟郊) 玄祗祉兆姓,
韓愈) 黑秬饛豐盛。慶流蠲瘥癘,
孟郊) 威暢捐蹱輣。靈燔望高冏,
韓愈) 龍駕聞敲轑。是惟禮之盛,
孟郊) 永用表其宏。德孕厚生植,
韓愈) 恩熙完刖剠。
#25  *上記聯句を韻により変更して読む
玄祗祉兆姓,黑秬饛豐盛。
天の神、地の神は万民を幸福にするものであり、冬の黒木美を大皿に盛り上げて準備する。
慶流蠲瘥癘,威暢捐蹱輣。
幸せを慶びをまねき、流行病をとりのぞくと、権威、威勢はのびひろがり、戦車で敵陣を突き破ることになる。
靈燔望高冏,龍駕聞敲轑。
霊前でたく護摩壇は崇高で無の境地に臨むことであり、そうして修業すれば天子乗用の馬車のきしみひびかせてお迎えが来るのである。
是惟禮之盛,永用表其宏。
これもそれも祭礼のものとして各盛りつけておくのだ、そうすれば、幾久しく天子に上表しその宏壮など陵で用いられる。
德孕厚生植,恩熙完刖剠。
恩徳はみちあふれ動物植物の生育を増大させる。そして、恩に報いることは軍法に定める中程度の罪に対する刑罰の足の腱を切ったり、顔に入れ墨をする罰などから命を全うすることを広めることになるのだ。
玄祗【げんぎ】兆姓【ちょうせい】に祉【し】し,黑秬【こくきょ】豐盛【ほうせい】に饛【み】つ。
慶【けい】流【つた】いて蠲瘥癘【されい】を【のぞ】き,威【い】暢【の】びて蹱輣【しょうほう】を捐【す】つ。
靈燔【れいはん】高冏【こうけい】を望み,龍駕【りょうが】敲轑【こうろう】を聞く。
是れ惟れ禮之盛んなる,永く用いて其の宏を表わす。
德【とく】孕【み】ちて生植【せいしょく】を厚【あつくし】,恩 熙【ひろ】まりて刖剠【げいげつ】を完【まっと】うす。
#26
韓愈) 宅土盡華族,
孟郊) 運田間強甿,蔭庾森嶺檜。
韓愈) 啄場翙祥鵬,畦肥翦韭薤。
孟郊) 陶固收盆罌,利養積余健,
韓愈) 掘雲破嵽嵲,孝思事嚴祊。
孟郊) 采月漉坳泓。
#26  *上記聯句を韻により変更して読む
宅土盡華族,運田間強甿。
城郭の宅地には豪族のやしきがことごとく建ち並び、田畑を経営するのは、富強の民の間においてである。
蔭庾森嶺檜,啄場翽祥鵬。
米蔵は檜の木々が峰を為すように覆っていて、はたけで鳥が穀をついばみ、めでたい南方の神鳥がはばたいているのだ。
畦肥翦韭薤,陶固收盆罌,
畦の作物は肥えていてニラやラッキョウを摘みとる、陶器の窯で大皿や甕が固くやきあがっている。
利養積余健,孝思事嚴祊。
安らかに養なって健康な上に更に健康になる。恩に報い孝行し、体のことをおもんばかり、事に仕え、先祖を祭るのである。
掘雲破嵽嵲,采月漉坳泓。
雲がかかる高い所まで掘りくずし、山の高い所を平らにする。月を採って池と深くくぼんだ水たまりの水を漉して澄ますのである。

宅土【たくど】盡【ことごと】く華族,運田【うんでん】強甿【きょうぼう】を間【まじ】う。
庾【ゆ】蔭して嶺檜【れいかい】森たり,場に啄【ついば】みて祥鵬【しょうめい】翽【はばた】く。
畦肥えて韭薤【きゅうかい】を翦【き】り,陶【とう】固くして盆罌【ぼんおう】を收む,
利養【りよう】余健【よけん】を積み,孝思【こうし】嚴祊【げんぼう】を事す。
雲を掘りて嵽嵲【てつげつ】を破り,月を采りて坳泓【おうおう】を漉【こ】す。


#27
孟郊) 寺砌上明鏡,
韓愈) 僧盂敲曉鉦。泥像對騁怪。
孟郊) 鐵鐘孤舂锽,癭頸鬧鳩鴿。
韓愈) 蜿垣亂蛷蠑,葚黑老蠶蠋。
孟郊) 麥黃韻鸝鹒,韶曙遲勝賞。
韓愈) 賢朋戒先庚,
#27  *上記聯句を韻により変更して読む
寺砌上明鏡,僧盂敲曉鉦。
そこはお寺の雨滴の落ちるきわところであり、鏡のような水面の上にある。僧が食事につかう鉢をだしてきて、朝食の前に勤行の鉦を叩いている。
泥像對騁怪,鐵鐘孤舂鍠。
寺には粘土で彫造した仏像に向かうとその形は怪しげである。鉄でつくった半鐘があり、ひとり、うすでつく音と鐘をつく音がする。
癭頸鬧鳩鴿,蜿垣亂蛷蠑。
こちらでは鳩が頭をふくらまして家畜鳩が騒がしくしている。うねうねまがりくねった垣根はやもり、いもりがみだれるほどいる。
葚黑老蠶蠋,麥黃韻鸝鹒。
桑の実が黒くなるころ、カイコと芋虫は老いてくる。麦の穂が黄色に色づくと高麗うぐいすの声が響いてくる。
韶曙遲勝賞,賢朋戒先庚。
美しい夜明けの空が勝景をめでてくれるのをまっている。賢くすぐれた友人が我先に歩くことを注意してくれる。

寺砌【じせい】明鏡に上り,僧盂【そうう】曉鉦【ぎょうしょう】を敲【たた】く。
泥像【でいぞう】對して怪を騁【は】せ,鐵鐘【てつしょう】孤り鍠【こう】を舂【つ】く。
癭頸【えいけい】鳩鴿【きゅうこう】鬧【さわが】しく,蜿垣【えんえん】蛷蠑【きゅうえい】を亂る。
葚【じん】黑くして蠶蠋【てんしょく】老い,麥【むぎ】黃にして鸝鹒【りこう】韻【ひび】く。
韶曙【しょうしょ】勝賞【しょうしょう】を遲【ま】ち,賢朋【けんぽう】先庚【せんこう】を戒【いまし】む。

#28
韓愈) 馳門填偪仄。
孟郊) 競墅輾砯砰,碎纈紅滿杏。
韓愈) 稠凝碧浮餳,蹙繩覲娥婺。
孟郊) 鬥草擷璣珵,粉汗澤廣額。
韓愈) 金星墮連瓔。鼻偷困淑郁,
孟郊) 眼剽強盯黽。
#28  *上記聯句を韻により変更して読む
馳門填偪仄、競墅輾砯砰。
碎纈紅滿杏、稠凝碧浮餳。
蹙繩覲娥婺、鬥草擷璣珵。
粉汗澤廣額、金星墮連瓔。
鼻偷困淑郁,眼剽強盯黽。
急ぎ駆け足で出かけたら門のところでつまづいてあずり足になる。そうかとおもうと別荘のところで早車を競い合いきしり音をギィッギィーとたてている。
くれないの杏の花がたくさん咲いていてこまかな絞り染めを見るような景色である、その実は緻密に凝固していて飴いろでプルッと飛び出てくる。
ブランコの縄をけってゆすっている嫦娥を思わせる美しい女性をみる。草くらべのように美しい玉のような花を花束にする。
美女の白粉はあせはひろがり、額にながれている。
頭に付けた簪の金星がおちて、首飾りも落ちてしまった。
女のひと肌のよい匂いは鼻がむずがゆくなってしまったし、人目につかないようにすばやく視線をおくる。
寺砌【じせい】明鏡に上り,僧盂【そうう】曉鉦【ぎょうしょう】を敲【たた】く。
泥像【でいぞう】對して怪を騁【は】せ,鐵鐘【てつしょう】孤り鍠【こう】を舂【つ】く。
癭頸【えいけい】鳩鴿【きゅうこう】鬧【さわが】しく,蜿垣【えんえん】蛷蠑【きゅうえい】を亂る。
葚【じん】黑くして蠶蠋【てんしょく】老い,麥【むぎ】黃にして鸝鹒【りこう】韻【ひび】く。
韶曙【しょうしょ】勝賞【しょうしょう】を遲【ま】ち,賢朋【けんぽう】先庚【せんこう】を戒【いまし】む。




現代語訳と訳註
(本文)
#28
韓愈) 馳門填偪仄、
孟郊) 競墅輾砯砰。碎纈紅滿杏、
韓愈) 稠凝碧浮餳。蹙繩覲娥婺、
孟郊) 鬥草擷璣珵。粉汗澤廣額、
韓愈) 金星墮連瓔。鼻偷困淑郁、
孟郊) 眼剽強盯黽。
#28  *上記聯句を韻により変更して読む
馳門填偪仄、競墅輾砯砰。
碎纈紅滿杏、稠凝碧浮餳。
蹙繩覲娥婺、鬥草擷璣珵。
粉汗澤廣額、金星墮連瓔。
鼻偷困淑郁,眼剽強盯黽。


(下し文)
門を馳せて填【つまづ】いて偪仄【ひょくそく】、墅を競って輾【きし】りて砯砰【ひょうほう】。
碎纈【さいけつ】は紅にして 杏に滿ち、稠凝【ちょうぎょう】は碧【みどり】にして餳【あめ】を浮ぶ。
繩を蹙【け】って娥婺【がぼう】を覲【み】、草を鬥【たたか】わせて璣珵【きてい】を擷【むす】ぶ。
粉汗【ふんかん】廣額【こうがく】澤【うるお】い、金星 連瓔【れんえい】に墮つ。
鼻は偷【ひそか】に淑郁【しゅくいく】に困【くる】しみ,眼は剽【すばや】く強いて盯黽【とうぼう】す。


(現代語訳)
急ぎ駆け足で出かけたら門のところでつまづいてあずり足になる。そうかとおもうと別荘のところで早車を競い合いきしり音をギィッギィーとたてている。
くれないの杏の花がたくさん咲いていてこまかな絞り染めを見るような景色である、その実は緻密に凝固していて飴いろでプルッと飛び出てくる。
ブランコの縄をけってゆすっている嫦娥を思わせる美しい女性をみる。草くらべのように美しい玉のような花を花束にする。
美女の白粉はあせはひろがり、額にながれている。
頭に付けた簪の金星がおちて、首飾りも落ちてしまった。
女のひと肌のよい匂いは鼻がむずがゆくなってしまったし、人目につかないようにすばやく視線をおくる。


(訳注)
馳門填偪仄、競墅輾砯砰。
急ぎ駆け足で出かけたら門のところでつまづいてあずり足になる。かとおもうと別荘のところで早車を競い合いきしり音をギィッギィーとたてている。
・塀 つまずく。・偪仄 せまりかたむく。あずり足になる・競壁 野にいそいでゆく.・株杵 車の菅。


碎纈紅滿杏、稠凝碧浮餳。
くれないの杏の花がたくさん咲いていてこまかな絞り染めを見るような景色である、その実は緻密に凝固していて飴いろでプルッと飛び出てくる。
碎纈 こまかな絞り染め。・稠凝 緻密に凝固する。・浮餳 杏の実はあめのようにプルッと飛び出てくる。


蹙繩覲娥婺、鬥草擷璣珵。
ブランコの縄をけってゆすっている嫦娥を思わせる美しい女性をみる。草くらべのように美しい玉のような花を花束にする。
蹙繩 ブランコの縄をけってゆする。・娥婺 嫦娥を思わせる美しい女。・ 花束にするために結ぶ。・璣珵 美しい玉のような花。


粉汗澤廣額、金星墮連瓔。
美女の白粉はあせはひろがり、額にながれている。頭に付けた簪の金星がおちて、首飾りも落ちてしまった。
粉汗 おしろいが汗に流れる。・金星 頭に付けた簪の金星。・連瓔 首飾り。


鼻偷困淑郁,眼剽強盯黽。
女のひと肌のよい匂いは鼻がむずがゆくなってしまったし、人目につかないようにすばやく視線をおくる。
淑郁 女のひとのよい匂い。・眼剽 人目につかないようにすばやく視線をおくるという意味。・盯黽 みつめる。

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#27>Ⅱ中唐詩423 紀頌之の漢詩ブログ1348

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#27>#1~#31(全31回)
第七部(#25~#28)

#25
孟郊) 玄祗祉兆姓,
韓愈) 黑秬饛豐盛。慶流蠲瘥癘,
孟郊) 威暢捐蹱輣。靈燔望高冏,
韓愈) 龍駕聞敲轑。是惟禮之盛,
孟郊) 永用表其宏。德孕厚生植,
韓愈) 恩熙完刖剠。
#25  *上記聯句を韻により変更して読む
玄祗祉兆姓,黑秬饛豐盛。
天の神、地の神は万民を幸福にするものであり、冬の黒木美を大皿に盛り上げて準備する。
慶流蠲瘥癘,威暢捐蹱輣。
幸せを慶びをまねき、流行病をとりのぞくと、権威、威勢はのびひろがり、戦車で敵陣を突き破ることになる。
靈燔望高冏,龍駕聞敲轑。
霊前でたく護摩壇は崇高で無の境地に臨むことであり、そうして修業すれば天子乗用の馬車のきしみひびかせてお迎えが来るのである。
是惟禮之盛,永用表其宏。
これもそれも祭礼のものとして各盛りつけておくのだ、そうすれば、幾久しく天子に上表しその宏壮など陵で用いられる。
德孕厚生植,恩熙完刖剠。
恩徳はみちあふれ動物植物の生育を増大させる。そして、恩に報いることは軍法に定める中程度の罪に対する刑罰の足の腱を切ったり、顔に入れ墨をする罰などから命を全うすることを広めることになるのだ。
玄祗【げんぎ】兆姓【ちょうせい】に祉【し】し,黑秬【こくきょ】豐盛【ほうせい】に饛【み】つ。
慶【けい】流【つた】いて蠲瘥癘【されい】を【のぞ】き,威【い】暢【の】びて蹱輣【しょうほう】を捐【す】つ。
靈燔【れいはん】高冏【こうけい】を望み,龍駕【りょうが】敲轑【こうろう】を聞く。
是れ惟れ禮之盛んなる,永く用いて其の宏を表わす。
德【とく】孕【み】ちて生植【せいしょく】を厚【あつくし】,恩 熙【ひろ】まりて刖剠【げいげつ】を完【まっと】うす。
#26
韓愈) 宅土盡華族,
孟郊) 運田間強甿,蔭庾森嶺檜。
韓愈) 啄場翙祥鵬,畦肥翦韭薤。
孟郊) 陶固收盆罌,利養積余健,
韓愈) 掘雲破嵽嵲,孝思事嚴祊。
孟郊) 采月漉坳泓。
#26  *上記聯句を韻により変更して読む
宅土盡華族,運田間強甿。
城郭の宅地には豪族のやしきがことごとく建ち並び、田畑を経営するのは、富強の民の間においてである。
蔭庾森嶺檜,啄場翽祥鵬。
米蔵は檜の木々が峰を為すように覆っていて、はたけで鳥が穀をついばみ、めでたい南方の神鳥がはばたいているのだ。
畦肥翦韭薤,陶固收盆罌,
畦の作物は肥えていてニラやラッキョウを摘みとる、陶器の窯で大皿や甕が固くやきあがっている。
利養積余健,孝思事嚴祊。
安らかに養なって健康な上に更に健康になる。恩に報い孝行し、体のことをおもんばかり、事に仕え、先祖を祭るのである。
掘雲破嵽嵲,采月漉坳泓。
雲がかかる高い所まで掘りくずし、山の高い所を平らにする。月を採って池と深くくぼんだ水たまりの水を漉して澄ますのである。

宅土【たくど】盡【ことごと】く華族,運田【うんでん】強甿【きょうぼう】を間【まじ】う。
庾【ゆ】蔭して嶺檜【れいかい】森たり,場に啄【ついば】みて祥鵬【しょうめい】翽【はばた】く。
畦肥えて韭薤【きゅうかい】を翦【き】り,陶【とう】固くして盆罌【ぼんおう】を收む,
利養【りよう】余健【よけん】を積み,孝思【こうし】嚴祊【げんぼう】を事す。
雲を掘りて嵽嵲【てつげつ】を破り,月を采りて坳泓【おうおう】を漉【こ】す。


#27
孟郊) 寺砌上明鏡,
韓愈) 僧盂敲曉鉦。泥像對騁怪。
孟郊) 鐵鐘孤舂锽,癭頸鬧鳩鴿。
韓愈) 蜿垣亂蛷蠑,葚黑老蠶蠋。
孟郊) 麥黃韻鸝鹒,韶曙遲勝賞。
韓愈) 賢朋戒先庚,
#27  *上記聯句を韻により変更して読む
寺砌上明鏡,僧盂敲曉鉦。
そこはお寺の雨滴の落ちるきわところであり、鏡のような水面の上にある。僧が食事につかう鉢をだしてきて、朝食の前に勤行の鉦を叩いている。
泥像對騁怪,鐵鐘孤舂鍠。
寺には粘土で彫造した仏像に向かうとその形は怪しげである。鉄でつくった半鐘があり、ひとり、うすでつく音と鐘をつく音がする。
癭頸鬧鳩鴿,蜿垣亂蛷蠑。
こちらでは鳩が頭をふくらまして家畜鳩が騒がしくしている。うねうねまがりくねった垣根はやもり、いもりがみだれるほどいる。
葚黑老蠶蠋,麥黃韻鸝鹒。
桑の実が黒くなるころ、カイコと芋虫は老いてくる。麦の穂が黄色に色づくと高麗うぐいすの声が響いてくる。
韶曙遲勝賞,賢朋戒先庚。

美しい夜明けの空が勝景をめでてくれるのをまっている。賢くすぐれた友人が我先に歩くことを注意してくれる。

寺砌【じせい】明鏡に上り,僧盂【そうう】曉鉦【ぎょうしょう】を敲【たた】く。
泥像【でいぞう】對して怪を騁【は】せ,鐵鐘【てつしょう】孤り鍠【こう】を舂【つ】く。
癭頸【えいけい】鳩鴿【きゅうこう】鬧【さわが】しく,蜿垣【えんえん】蛷蠑【きゅうえい】を亂る。
葚【じん】黑くして蠶蠋【てんしょく】老い,麥【むぎ】黃にして鸝鹒【りこう】韻【ひび】く。
韶曙【しょうしょ】勝賞【しょうしょう】を遲【ま】ち,賢朋【けんぽう】先庚【せんこう】を戒【いまし】む。

#28
韓愈) 馳門填偪仄。
孟郊) 競墅輾砯砰,碎纈紅滿杏。
韓愈) 稠凝碧浮餳,蹙繩覲娥婺。
孟郊) 鬥草擷璣珵,粉汗澤廣額。
韓愈) 金星墮連瓔。鼻偷困淑郁,
孟郊) 眼剽強盯黽。


現代語訳と訳註
(本文)
#27
孟郊) 寺砌上明鏡,
韓愈) 僧盂敲曉鉦。泥像對騁怪。
孟郊) 鐵鐘孤舂鍠,癭頸鬧鳩鴿。
韓愈) 蜿垣亂蛷蠑,葚黑老蠶蠋。
孟郊) 麥黃韻鸝鹒,韶曙遲勝賞。
韓愈) 賢朋戒先庚,
#27  *上記聯句を韻により変更して読む
寺砌上明鏡,僧盂敲曉鉦。
泥像對騁怪,鐵鐘孤舂鍠。
癭頸鬧鳩鴿,蜿垣亂蛷蠑。
葚黑老蠶蠋,麥黃韻鸝鹒。
韶曙遲勝賞,賢朋戒先庚。


(下し文)
寺砌【じせい】明鏡に上り,僧盂【そうう】曉鉦【ぎょうしょう】を敲【たた】く。
泥像【でいぞう】對して怪を騁【は】せ,鐵鐘【てつしょう】孤り鍠【こう】を舂【つ】く。
癭頸【えいけい】鳩鴿【きゅうこう】鬧【さわが】しく,蜿垣【えんえん】蛷蠑【きゅうえい】を亂る。
葚【じん】黑くして蠶蠋【てんしょく】老い,麥【むぎ】黃にして鸝鹒【りこう】韻【ひび】く。
韶曙【しょうしょ】勝賞【しょうしょう】を遲【ま】ち,賢朋【けんぽう】先庚【せんこう】を戒【いまし】む。


(現代語訳)
そこはお寺の雨滴の落ちるきわところであり、鏡のような水面の上にある。僧が食事につかう鉢をだしてきて、朝食の前に勤行の鉦を叩いている。
寺には粘土で彫造した仏像に向かうとその形は怪しげである。鉄でつくった半鐘があり、ひとり、うすでつく音と鐘をつく音がする。
こちらでは鳩が頭をふくらまして家畜鳩が騒がしくしている。うねうねまがりくねった垣根はやもり、いもりがみだれるほどいる。
桑の実が黒くなるころ、カイコと芋虫は老いてくる。麦の穂が黄色に色づくと高麗うぐいすの声が響いてくる。
美しい夜明けの空が勝景をめでてくれるのをまっている。賢くすぐれた友人が我先に歩くことを注意してくれる。


(訳注)
寺砌上明鏡,僧盂敲曉鉦。
そこはお寺の雨滴の落ちるきわところであり、鏡のような水面の上にある。僧が食事につかう鉢をだしてきて、朝食の前に勤行の鉦を叩いている。
砌 雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところから。 1 時節。おり。ころ。2 軒下や階下の石畳。3 庭。・僧盂 僧が食事につかう鉢。僧の鉢が暁にならす鉦のようだ。あるいは、寺の住職が朝食の前に勤行の鉦を叩いていること。


泥像對騁怪,鐵鐘孤舂鍠。
寺には粘土で彫造した仏像に向かうとその形は怪しげである。鉄でつくった半鐘があり、ひとり、うすでつく音と鐘をつく音がする。
泥像 野仏。粘土で彫造した仏像。・鐵鐘 吊がね。半鐘。・舂鍠 うすでつく音と鐘をつく音。


癭頸鬧鳩鴿,蜿垣亂蛷蠑。
こちらでは鳩が頭をふくらまして家畜鳩が騒がしくしている。うねうねまがりくねった垣根はやもり、いもりがみだれるほどいる。
癭頸 こぶのある頭。ここでは鳩が頭をふくらまして、という意。・ 騒がしいという意味。・蜿垣 うねうね。まがりくねった垣。・蛷蠑 やもり、いもり。


葚黑老蠶蠋,麥黃韻鸝鹒。
桑の実が黒くなるころ、カイコと芋虫は老いてくる。麦の穂が黄色に色づくと高麗うぐいすの声が響いてくる。
 桑の実。・蠶蠋 カイコと芋虫。・鸝鹒 高麗うぐいす。


韶曙遲勝賞,賢朋戒先庚。
美しい夜明けの空が勝景をめでてくれるのをまっている。賢くすぐれた友人が我先に歩くことを注意してくれる。
韶曙 美しい曙。・ まつ。・勝賞 勝景をめでること。・賢朋 賢くすぐれた友人・先庚 先立って歩くこと。

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#25>Ⅱ中唐詩421 紀頌之の漢詩ブログ1342

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#25>Ⅱ中唐詩421 紀頌之の漢詩ブログ1342

     
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城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#25>#1~#31(全31回)
第七部(#25~#28)

#25
孟郊) 玄祗祉兆姓,
韓愈) 黑秬饛豐盛。[196]慶流蠲瘥癘,
孟郊) 威暢捐<車童>輣。[198]靈燔望高冏,
韓愈) 龍駕聞敲<風黃>。[200]是惟禮之盛,
孟郊) 永用表其宏。德孕厚生植,
韓愈) 恩熙完刖剠。
#25  *上記聯句を韻により変更して読む
玄祗祉兆姓,黑秬饛豐盛。
天の神、地の神は万民を幸福にするものであり、冬の黒木美を大皿に盛り上げて準備する。
慶流蠲瘥癘,威暢捐蹱輣。
幸せを慶びをまねき、流行病をとりのぞくと、権威、威勢はのびひろがり、戦車で敵陣を突き破ることになる。
靈燔望高冏,龍駕聞敲轑。
霊前でたく護摩壇は崇高で無の境地に臨むことであり、そうして修業すれば天子乗用の馬車のきしみひびかせてお迎えが来るのである。
是惟禮之盛,永用表其宏。
これもそれも祭礼のものとして各盛りつけておくのだ、そうすれば、幾久しく天子に上表しその宏壮など陵で用いられる。
德孕厚生植,恩熙完刖剠。

恩徳はみちあふれ動物植物の生育を増大させる。そして、恩に報いることは軍法に定める中程度の罪に対する刑罰の足の腱を切ったり、顔に入れ墨をする罰などから命を全うすることを広めることになるのだ。
玄祗【げんぎ】兆姓【ちょうせい】に祉【し】し,黑秬【こくきょ】豐盛【ほうせい】に饛【み】つ。
慶【けい】流【つた】いて蠲瘥癘【されい】を【のぞ】き,威【い】暢【の】びて蹱輣【しょうほう】を捐【す】つ。
靈燔【れいはん】高冏【こうけい】を望み,龍駕【りょうが】敲轑【こうろう】を聞く。
是れ惟れ禮之盛んなる,永く用いて其の宏を表わす。
德【とく】孕【み】ちて生植【せいしょく】を厚【あつくし】,恩 熙【ひろ】まりて刖剠【げいげつ】を完【まっと】うす。
#26
韓愈) 剠與黥同,
孟郊) 公文率用此剠字。此已上紀郊祀之禮。</ref>
韓愈) 宅土盡華族,運田間強甿。
孟郊) 蔭庾森嶺檜,啄場翙祥明鳥*>。
韓愈) 畦肥翦韭薤,陶固收盆罌。
孟郊) 利養積余健,
#27
孟郊) 孝思事嚴祊。
韓愈) 掘雲破嵽嵲。采月漉坳泓。
孟郊) 寺砌上明鏡,僧盂敲曉鉦。
韓愈) 泥像對騁怪,鐵鐘孤舂锽。
孟郊) 癭頸鬧鳩鴿,蜿垣亂蛷蠑。
韓愈) 葚黑老蠶蠋。
#28
韓愈) 麥黃韻鸝鹒。
孟郊) 韶曙遲勝賞,賢朋戒先庚。
韓愈) 馳門填偪仄,競墅輾砯砰。
孟郊) 碎纈紅滿杏,稠凝碧浮餳。
韓愈) 蹙繩覲娥婺,鬥草擷璣珵。
孟郊) 粉汗澤廣額,


現代語訳と訳註
(本文)
#25
孟郊) 玄祗祉兆姓,
韓愈) 黑秬饛豐盛。慶流蠲瘥癘,
孟郊) 威暢捐蹱輣。靈燔望高冏,
韓愈) 龍駕聞敲轑。是惟禮之盛,
孟郊) 永用表其宏。德孕厚生植,
韓愈) 恩熙完刖剠。
#25  *上記聯句を韻により変更して読む
玄祗祉兆姓,黑秬饛豐盛。
慶流蠲瘥癘,威暢捐蹱輣。
靈燔望高冏,龍駕聞敲轑。
是惟禮之盛,永用表其宏。
德孕厚生植,恩熙完刖剠。


(下し文) #25
玄祗【げんぎ】兆姓【ちょうせい】に祉【し】し,黑秬【こくきょ】豐盛【ほうせい】に饛【み】つ。
慶【けい】流【つた】いて蠲瘥癘【されい】を【のぞ】き,威【い】暢【の】びて蹱輣【しょうほう】を捐【す】つ。
靈燔【れいはん】高冏【こうけい】を望み,龍駕【りょうが】敲轑【こうろう】を聞く。
是れ惟れ禮之盛んなる,永く用いて其の宏を表わす。
德【とく】孕【み】ちて生植【せいしょく】を厚【あつくし】,恩 熙【ひろ】まりて刖剠【げいげつ】を完【まっと】うす。


(現代語訳)
天の神、地の神は万民を幸福にするものであり、冬の黒木美を大皿に盛り上げて準備する。
幸せを慶びをまねき、流行病をとりのぞくと、権威、威勢はのびひろがり、戦車で敵陣を突き破ることになる。
霊前でたく護摩壇は崇高で無の境地に臨むことであり、そうして修業すれば天子乗用の馬車のきしみひびかせてお迎えが来るのである。
これもそれも祭礼のものとして各盛りつけておくのだ、そうすれば、幾久しく天子に上表しその宏壮など陵で用いられる。
恩徳はみちあふれ動物植物の生育を増大させる。そして、恩に報いることは軍法に定める中程度の罪に対する刑罰の足の腱を切ったり、顔に入れ墨をする罰などから命を全うすることを広めることになるのだ。


(訳注)#25
玄祗祉兆姓,黑秬饛豐盛。

天の神、地の神は万民を幸福にするものであり、冬の黒木美を大皿に盛り上げて準備する。
玄祗 天の神、地の神。玄:てん、そら。奥深い道義、道理。祇:土地の神の意。・祉 幸福にする。・兆姓 万民。・黒秬 冬のくろきび。秬は黒黍。・ 食べ物を器にもりあげるさま。


慶流蠲瘥癘,威暢捐蹱輣。
幸せを慶びをまねき、流行病をとりのぞくと、権威、威勢はのびひろがり、戦車で敵陣を突き破ることになる。
瘥癘 流行病。・ 「除蠲」(じょけん)という言葉で、「のぞく」という意味。・蹱輣 磯車。蹱は敵陣をつきやぶる。輣はやぐらのあるもの。


靈燔望高冏,龍駕聞敲轑。
霊前でたく護摩壇は崇高で無の境地に臨むことであり、そうして修業すれば天子乗用の馬車のきしみひびかせてお迎えが来るのである。
靈燔 神前でたく火。護摩壇。・高冏 虚空。「冏」には、悲しみ、仕方のなさ、ばつの悪さといった心情が、新しい意味として加わった。このほか、「冏」と「窘(困らせる、の意)」の発音が同じであることも、気落ちした気分を表現するもの。・敲轑 竜駕、すなわち天子乗用の馬車のきしみひびく音。


是惟禮之盛,永用表其宏。
これもそれも祭礼のものとして各盛りつけておくのだ、そうすれば、幾久しく天子に上表しその宏壮など陵で用いられる。


德孕厚生植,恩熙完刖剠。
恩徳はみちあふれ動物植物の生育を増大させる。そして、恩に報いることは軍法に定める中程度の罪に対する刑罰の足の腱を切ったり、顔に入れ墨をする罰などから命を全うすることを広めることになるのだ。
厚生植 動物植物の生育を増大させる。・ 生命を完うさせる。・刖剠 ①罪人の足を切り落とす刑罰、軍法に定める中程度の罪に対する刑罰、軽い順に「聅刖剄」②切り落とす刑罰の総称、「月」は本来「肉」のことでここでは「体」の意足の筋をたち切る刑と、入れ墨の刑。剠:①顔に入れ墨をする刑罰②略奪する


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