漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2013年03月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

九辯 第二段-#2 宋玉  <00-#4>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 633 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2149

宋玉 九辯 第二段の#2


2013年3月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石門在永嘉 謝霊運<30> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2151 (03/31)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。・・・・・因次其韻。-#3 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-121--#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2152
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

九辯 第二段-#2 宋玉 韓愈(韓退之) <00-#4>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 633 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2149


wakaba002第二段 #1
悲憂窮戚兮獨處廓,有美一人兮心不繹。
悲しみ憂い、苦しみいたむのである。そして人けもない所にただひとり居るのである。美しく慕わしい一人の君王があることによって心はどうしても糸口を引き出せないのである。
去鄉離家兮徠遠客,超逍遙兮今焉薄?
故郷を去り住み慣れた家を離れて遠く旅人となっている、遙か遠くにさまよい歩くのだが、どこに止まるところがあるのだろうか。
專思君兮不可化,君不知兮可柰何!
ひたすらに君王を思う忠義心は改めることはないのだが、君王がそれを知らないことを、このままでよいのだろうか、どうしたらよいのか。
蓄怨兮積思,心煩憺兮忘食事。
怨みを晴らすことができず胸にたくわえてしまい、そして思いを積みあげるのである、心は悶え傷んでしまい、何事も手につかず食をとることさえ忘れてしまう。

#2
願一見兮道余意,君之心兮與余異。
一たび君王にあうことができれば自分の心に思うことを言いたいと願うけれど、君王の心は私とちがっているのである。
車既駕兮朅而歸,不得見兮心傷悲。
その車には既に馬がつけられて、去って帰えるように用意されていた、これでは君王に会えないので、心は傷み悲しむのだった。
倚結軨兮長太息,涕潺湲兮下霑軾。
車の前の横木によりかかり、長く溜息をつく。涙がはらはらと車台の横木などをぬらすほどに落ちてきた。
慷慨絕兮不得,中瞀亂兮迷惑。
たかぶる胸の思いで君王と断絶しょうかと思ってもできない、心の中はしずみ、暗み、乱れて迷い惑うのである。
私自憐兮何極?心怦怦兮諒直。

私は心中自ら憐れに思うのだが、いつはてることがあろう。心は忠謹にまじめであり、正直であるのだ。


#1
悲憂【ひゆう】窮戚【きゅうせき】獨り廓を處り,美なる一人有り 心 繹【と】けず。
鄉を去り家を離れて徠りて遠く客たり,超【とお】く逍遙【しょうよう】して今、焉んぞ薄【とど】まらん?
專ら君を思いて 化す可からず,君は知らず 柰何【いか】にす可けん!
怨を蓄へ思い積み,心 煩憺【はんたん】して 食事を忘る。
#2
願一見して 余が意を道はんと,君の心は余と異なり。
車 既にし、朅【さ】りて歸らんと,見ゆるを得ずして心 傷悲【しょうひ】す。
結軨【けつれいに倚りて 長く太息し,涕 潺湲として下り軾を霑す。
慷慨【こうがい】絕たんとして得ず,中瞀亂【ぼうさん】して迷惑す。
私【ひそ】かに自ら憐れみて何ぞ極まらん?心 怦怦【ひょうひょう】として諒直【りょうちょく】なり。


『九辯』第二段 現代語訳と訳註
sakura0081(本文)
#2
願一見兮道余意,君之心兮與余異。
車既駕兮朅而歸,不得見兮心傷悲。
倚結軨兮長太息,涕潺湲兮下霑軾。
慷慨絕兮不得,中瞀亂兮迷惑。
私自憐兮何極?心怦怦兮諒直。


(下し文)
願一見して 余が意を道はんと,君の心は余と異なり。
車 既にし、朅【さ】りて歸らんと,見ゆるを得ずして心 傷悲【しょうひ】す。
結軨【けつれいに倚りて 長く太息し,涕 潺湲として下り軾を霑す。
慷慨【こうがい】絕たんとして得ず,中瞀亂【ぼうさん】して迷惑す。
私【ひそ】かに自ら憐れみて何ぞ極まらん?心 怦怦【ひょうひょう】として諒直【りょうちょく】なり。


(現代語訳)
一たび君王にあうことができれば自分の心に思うことを言いたいと願うけれど、君王の心は私とちがっているのである。
その車には既に馬がつけられて、去って帰えるように用意されていた、これでは君王に会えないので、心は傷み悲しむのだった。
車の前の横木によりかかり、長く溜息をつく。涙がはらはらと車台の横木などをぬらすほどに落ちてきた。
たかぶる胸の思いで君王と断絶しょうかと思ってもできない、心の中はしずみ、暗み、乱れて迷い惑うのである。
私は心中自ら憐れに思うのだが、いつはてることがあろう。心は忠謹にまじめであり、正直であるのだ。


(訳注) #2
願一見兮道余意,君之心兮與余異。
一たび君王にあうことができれば自分の心に思うことを言いたいと願うけれど、君王の心は私とちがっているのである。
・余意 自分の心に思うことを


車既駕兮朅而歸,不得見兮心傷悲。
その車には既に馬がつけられて、去って帰えるように用意されていた、これでは君王に会えないので、心は傷み悲しむのだった。
・既駕 そのときには既に車には馬がつけられていること。
・朅而歸 去って国へ帰らせようとすること。実際に帰ったのではない。朅は去。
・心傷悲 心は傷み悲しむのだった。


倚結軨兮長太息,涕潺湲兮下霑軾。
車の前の横木によりかかり、長く溜息をつく。涙がはらはらと車台の横木などをぬらすほどに落ちてきた。
・結軨 軨は車の前と左右の三両を縦横の格子に組んだ木。給は構、組む。その前面の横木。立って倚りかかる。
・長大息 長く溜息をつくと。
・潺湲 注ぎ流れる。
・下霑軾 涙が落ちて、車台の横木をぬらした。


慷慨絕兮不得,中瞀亂兮迷惑。
たかぶる胸の思いで君王と断絶しょうかと思ってもできない、心の中はしずみ、暗み、乱れて迷い惑うのである。
・慷慨 たかぶる胸の思い。「憤慨は、壮士志を心に得ざるなり。」という。曹植はこの語を多用する。
・絶 君と関係を絶つ。
・中瞀亂 心がくらみ乱れる。


私自憐兮何極?心怦怦兮諒直。
私は心中自ら憐れに思うのだが、いつはてることがあろう。心は忠謹にまじめであり、正直であるのだ。
・私自憐 私は心中自ら憐れに思う。
・何極 いつはてるであろうか。限りがない。
・心怦怦 心が満足しないさま。忠謹。
・諒直 まじめであり、正直である。

九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 632 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2144

宋玉 九辯 第二段-#1


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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 632 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2144


一段目 #1
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。
憯悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。
惆悵兮而私自憐

心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。
#2
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
そうなると燕はひらりひらりと飛んでいても結局は別れを告げて飛び去りのであり、蝉はもう静かに影もなくどこかに消えて声さえ聞こえないのだ。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
雁は鳴きながら列をなして南へ旅をするのである。大きなしゃもはいやな声でやかましく悲しい鳴き声をするのだ。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
私はひとり暮六つから夜あけまで眠ることはなく、哀しむことでこおろぎの夜どおし鳴くのをききつづけるのだ。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
秋の日は時が過ぎ易く、すでに今年も盛りを過ぎたのに、ああもどかしい、久しくとどまっても何一つできはしないのだ。

第二段 #1
悲憂窮戚兮獨處廓,有美一人兮心不繹。
悲しみ憂い、苦しみいたむのである。そして人けもない所にただひとり居るのである。美しく慕わしい一人の君王があることによって心はどうしても糸口を引き出せないのである。
去鄉離家兮徠遠客,超逍遙兮今焉薄?
故郷を去り住み慣れた家を離れて遠く旅人となっている、遙か遠くにさまよい歩くのだが、どこに止まるところがあるのだろうか。
專思君兮不可化,君不知兮可柰何!
ひたすらに君王を思う忠義心は改めることはないのだが、君王がそれを知らないことを、このままでよいのだろうか、どうしたらよいのか。
蓄怨兮積思,心煩憺兮忘食事。

怨みを晴らすことができず胸にたくわえてしまい、そして思いを積みあげるのである、心は悶え傷んでしまい、何事も手につかず食をとることさえ忘れてしまう。

#2
願一見兮道余意,君之心兮與余異。
車既駕兮朅而歸,不得見兮心傷悲。
倚結軨兮長太息,涕潺湲兮下霑軾。
慷慨絕兮不得,中瞀亂兮迷惑。
私自憐兮何極?心怦怦兮諒直。


#1
悲憂【ひゆう】窮戚【きゅうせき】獨り廓を處り,美なる一人有り 心 繹【と】けず。
鄉を去り家を離れて徠りて遠く客たり,超【とお】く逍遙【しょうよう】して今、焉んぞ薄【とど】まらん?
專ら君を思いて 化す可からず,君は知らず 柰何【いか】にす可けん!
怨を蓄へ思い積み,心 煩憺【はんたん】して 食事を忘る。

#2
願一見して 余が意を道はんと,君の心は余と異なり。
車 既にし、朅【さ】りて歸らんと,見ゆるを得ずして心 傷悲【しょうひ】す。
結軨【けつれいに倚りて 長く太息し,涕 潺湲として下り軾を霑す。
慷慨【こうがい】絕たんとして得ず,中瞀亂【ぼうさん】して迷惑す。
私【ひそ】かに自ら憐れみて何ぞ極まらん?心 怦怦【ひょうひょう】として諒直【りょうちょく】なり。


『九辯』 現代語訳と訳註
岳陽樓詩人0051(本文)
第二段 #1
悲憂窮戚兮獨處廓,有美一人兮心不繹。
去鄉離家兮徠遠客,超逍遙兮今焉薄?
專思君兮不可化,君不知兮可柰何!
蓄怨兮積思,心煩憺兮忘食事。


(下し文) #1
悲憂【ひゆう】窮戚【きゅうせき】獨り廓を處り,美なる一人有り 心 繹【と】けず。
鄉を去り家を離れて徠りて遠く客たり,超【とお】く逍遙【しょうよう】して今、焉んぞ薄【とど】まらん?
專ら君を思いて 化す可からず,君は知らず 柰何【いか】にす可けん!
怨を蓄へ思い積み,心 煩憺【はんたん】して 食事を忘る。


(現代語訳)
Nature1-009悲しみ憂い、苦しみいたむのである。そして人けもない所にただひとり居るのである。美しく慕わしい一人の君王があることによって心はどうしても糸口を引き出せないのである。
故郷を去り住み慣れた家を離れて遠く旅人となっている、遙か遠くにさまよい歩くのだが、どこに止まるところがあるのだろうか。
ひたすらに君王を思う忠義心は改めることはないのだが、君王がそれを知らないことを、このままでよいのだろうか、どうしたらよいのか。
怨みを晴らすことができず胸にたくわえてしまい、そして思いを積みあげるのである、心は悶え傷んでしまい、何事も手につかず食をとることさえ忘れてしまう。


(訳注)
第二段 #1
悲憂窮戚兮獨處廓,有美一人兮心不繹。

悲しみ憂い、苦しみいたむのである。そして人けもない所にただひとり居るのである。美しく慕わしい一人の君王があることによって心はどうしても糸口を引き出せないのである。
・処廓 広々とむなしいところに居る。人けのない場所に住む。
・美一人 美わしい慕わしい人。善い方。君王をさす。王注に「位等く服好き、憐王を謂ふ。」とあり、劉良は「美人とは君を謂ふなり。」という。
・繹 1 糸口を引き出す。たずねる。「演繹・尋繹」 2 糸を引くように続く。「絡繹(らくえき)」


去鄉離家兮徠遠客,超逍遙兮今焉薄?
故郷を去り住み慣れた家を離れて遠く旅人となっている、遙か遠くにさまよい歩くのだが、どこに止まるところがあるのだろうか。
・徠遠客 離れて遠く旅人となっている。
・超逍遙 遠去して浮逝し、州域を離れる。
・薄 止まる。至る。


專思君兮不可化,君不知兮可柰何!
ひたすらに君王を思う忠義心は改めることはないのだが、君王がそれを知らないことを、このままでよいのだろうか、どうしたらよいのか。
・不可化 化は変。変改しない。自分の心を変えることはしない。


蓄怨兮積思,心煩憺兮忘食事。
怨みを晴らすことができず胸にたくわえてしまい、そして思いを積みあげるのである、心は悶え傷んでしまい、何事も手につかず食をとることさえ忘れてしまう。
・煩憺 憺は憂、煩い憂える。
・忘食事 食を忘れるという以上に何事もしたくない。


九辯 宋玉  <00-#2>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 631 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2139

九辯 宋玉-#2


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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

九辯 宋玉 韓愈(韓退之) <00-#2>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 631 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2139


一段目 #1
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。
憯悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。
惆悵兮而私自憐。
心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。
#2
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
そうなると燕はひらりひらりと飛んでいても結局は別れを告げて飛び去りのであり、蝉はもう静かに影もなくどこかに消えて声さえ聞こえないのだ。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
雁は鳴きながら列をなして南へ旅をするのである。大きなしゃもはいやな声でやかましく悲しい鳴き声をするのだ。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
私はひとり暮六つから夜あけまで眠ることはなく、哀しむことでこおろぎの夜どおし鳴くのをききつづけるのだ。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

秋の日は時が過ぎ易く、すでに今年も盛りを過ぎたのに、ああもどかしい、久しくとどまっても何一つできはしないのだ。


詩人055悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。
憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。
泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。
寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。
憯悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。
愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。
坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。
惆悵たり、而して私かに自ら憐む。
#2
燕は翩翩【へんぺん】として其れ辞し歸り、蝉は寂漠【せきばく】として聾無し。
雁は廱廱【ようよう】として南遊し、鶤雞【くんけい】は啁哳【ちょうたつ】として悲鳴す。
獨り旦を申ねて寐ねられず、蟋蟀【しつしゅつ】の宵征【しょうせい】を哀しむ。
時は亹亹【びび】として中を過ぎ、蹇【ああ】、淹留【えんりゅう】して成る無し。



『九辯』 宋玉 現代語訳と訳註
(本文)
#2
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。


(下し文)#2
燕は翩翩【へんぺん】として其れ辞し歸り、蝉は寂漠【せきばく】として聾無し。
雁は廱廱【ようよう】として南遊し、鶤雞【くんけい】は啁哳【ちょうたつ】として悲鳴す。
獨り旦を申ねて寐ねられず、蟋蟀【しつしゅつ】の宵征【しょうせい】を哀しむ。
時は亹亹【びび】として中を過ぎ、蹇【ああ】、淹留【えんりゅう】して成る無し。


(現代語訳)
そうなると燕はひらりひらりと飛んでいても結局は別れを告げて飛び去りのであり、蝉はもう静かに影もなくどこかに消えて声さえ聞こえないのだ。
雁は鳴きながら列をなして南へ旅をするのである。大きなしゃもはいやな声でやかましく悲しい鳴き声をするのだ。
私はひとり暮六つから夜あけまで眠ることはなく、哀しむことでこおろぎの夜どおし鳴くのをききつづけるのだ。
秋の日は時が過ぎ易く、すでに今年も盛りを過ぎたのに、ああもどかしい、久しくとどまっても何一つできはしないのだ。


(訳注) #2
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。

そうなると燕はひらりひらりと飛んでいても結局は別れを告げて飛び去りのであり、蝉はもう静かに影もなくどこかに消えて声さえ聞こえないのだ。


鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
雁は鳴きながら列をなして南へ旅をするのである。大きなしゃもはいやな声でやかましく悲しい鳴き声をするのだ。
・廱廱 雁の和して鳴く声。列をなして鳴きながら飛ぶさまを云う。
・鶤雞 しゃも。大きな鶏。
・啁哳 やかましくいやな声でなく。

獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
Nature1-009(そんな状態の屈原の悲しみを述べている。)
私はひとり暮六つから夜あけまで眠ることはなく、哀しむことでこおろぎの夜どおし鳴くのをききつづけるのだ。
・申旦 申:暮六つ。のびる。かさねる。旦:あけがた。ここでは秋の夕暮が早く夜が長いことをいい、そして夕方方朝までの時間経過を云う。
・蟋蟀 こおろぎ。
・宵征 夜征く。夜も寝ずに行くの意から、夜どおし鳴くの意味。


時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
秋の日は時が過ぎ易く、すでに今年も盛りを過ぎたのに、ああもどかしい、久しくとどまっても何一つできはしないのだ。
・時 秋の日の時間経過。
・亹亹 時の過ぎゆく形容。
・過中 やがてすぐに暮れる。
・蹇 蹇はのどにつまってうまくかたれない。ああもどかしい、ということ。ああ、いきなやむ。
・淹留 久しくなる。久しくとどまる。

九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134

九辯 宋玉-#1

2013年3月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其二 成都浣花渓 杜甫 <438>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2135 杜甫詩1000-438-621/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集游赤石進帆海詩 謝霊運<27> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2136 (03/28)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和人次韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-118-53-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2137
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134


王逸の序に
《九辯》者,楚大夫宋玉之所作也。辯者,變也,
謂敶道德以變說君也。
九者,陽之數,道之綱紀也。
・・・・・
宋玉者,屈原弟子也。閔惜其師,忠而放逐,
故作《九辯》以述其志。
至於漢興,劉向、王褒之徒,咸悲其文,依而作詞,
故號為「楚詞」。亦采其九以立義焉。

『九辯』は楚の大夫宋玉の作る所なり。辯は変なり。
道徳を敶べて以て君を変説するなり。
九は陽の数、道の綱紀なり。
・・・・・
宋玉は屈原の弟子なり。其の師の忠にして放逐せられしを閔惜す。
故に『九辯』を作りて以て其の志を述べしなり。
漢興るに至って、劉向・王褒の徒、咸其の文を悲しみ、依りて以て詞を作る。
故に号して「楚詞」と為す。亦其の九を采りて以て義を立つるなり。

九章説も、九の数に合わせるために無理に分けたような所もあって、確かではないが、一応旧説に準じて、九段に分けて訳注する。
「九辯」は楚辞の中でもすぐれた代表作品である。


一段目 #1
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。
憯悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。
惆悵兮而私自憐。
心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。
#2
燕翩翩其辭歸兮,蟬寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。


悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。
憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。
泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。
寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。
憯悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。
愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。
坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。
惆悵たり、而して私かに自ら憐む

#2
燕は翩翩【へんぺん】として其れ辞し歸り、蝉は寂漠【せきばく】として聾無し。
雁は廱廱【ようよう】として南遊し、鶤雞【くんけい】は啁哳【ちょうたつ】として悲鳴す。
獨り旦を申ねて寐ねられず、蟋蟀【しつしゅつ】の宵征【しょうせい】を哀しむ。
時は亹亹【びび】として中を過ぎ、蹇【ああ】、淹留【えんりゅう】して成る無し。

Nature1-009

『九辯』 宋玉 現代語訳と訳註
(本文)
一段目 #1
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
憯悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。


(下し文)
悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。
憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。
泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。
寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。
憯悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。
愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。
坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。
惆悵たり、而して私かに自ら憐む。


(現代語訳)
悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。
逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。
秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。
心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。
そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。
心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。

doteiko012
(訳注)一段目 #1
悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。
・悲哉秋 「悲秋」という語はこれにより生まれ、使われるようになる。秋の表現の際多くの詩人が用いる。
・蕭瑟 秋風が草木に鳴るさわさわという音。
・搖落 吹き散る。一本にこの下に今の字がある。


憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。
・憭慄 心が悲しみ痛む。憭は悟る、理解するという意味。慄然とする。恐れおののくさま。恐ろしさにぞっとするさま。
・送将帰 一年の秋を送るのが、親戚故友の帰って行こうとするのを送ると同じ気持ちで悲しい。


泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。
・泬寥 雲がなく、からりと晴れわたっているさま。むなしく晴れて雲もないさま。
・寂寥 静かにさびしい。心が満ち足りず、もの寂しいこと。
・潦 雨水の溜ったもの。みずたまり。秋の長雨があったことを云う。


憯悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。
・憯悽 悲痛の時の顔。
・增欷 ますますすすり泣く。増は重ねて。欷はすすり泣く。
・中人 人の身にしみる。中はあたる。傷う。
・愴怳 心が悲しみのためにぼんやりする。
・懭悢 心がむなしく愁える。
就新 妃とも寒さと餓えに苦しんだ。


坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。
(悲秋の供、貧士失職、遣客自ら憐むとは、宋玉が屈原に代わってその心中を述べる。)
・坎廩 失意。不平の気持ち。
・廓落 牢虚の貌。広々として静まり返った,がらんとした.
・友生 朋友。
・羇旅 旅路。異郷に滞留する。


惆悵兮而私自憐。
心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。
・惆悵 心うれえてぼんやりとなる。恨み嘆くこと。。
・私 ひそかに。内心で。


原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129

原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) 



2013年3月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集遊南亭 謝霊運<26> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2131 (03/27)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性左名場自澤州至京,使人傳語 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-117-52-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2132
 
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原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129

韓愈0015原毀



















#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
其待人也,輕以約。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
重以周,故不怠。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
輕以約,故人樂為善。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。

聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#1>Ⅱ中唐詩618 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2074


#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。
早夜以思,去其不如舜者,
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
就其如舜者。聞古之人有周公者,
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
其為人也,多才與藝人也。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#1>Ⅱ中唐詩618 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2074

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。
舜,大聖人也,後世無及焉。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。
周公,大聖人也,後世無及焉。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。
是人也,乃曰:
これなる人であるが、それなのに、いう。
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。
是不亦責於身者重以周乎。

これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#3>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084

#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
原毀 韓愈(韓退之) <119-#4>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084

#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
其於人也,乃曰:
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
「能有是,是亦足矣!」
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
曰:「能善是,是亦足矣。」
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
不亦待於人者輕以約乎。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#5>Ⅱ中唐詩621 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2089


#6四段目
4岳陽樓詩人003








今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#6>Ⅱ中唐詩623 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2099
#7五段目
其於人也,曰 :
そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。
「彼雖能是,其人不足稱也。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
彼雖善是,其用不足稱也。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
舉其一,不計其十;
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
究其舊,不圖其新;
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。
恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>Ⅱ中唐詩624 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2104
#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
吾未見其尊己也。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。
雖然,為是者,有本有原,
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。
怠與忌之謂也。怠者不能修,
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。
而忌者畏人修。吾常試之矣。
私はこれを実地に試みたのである。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#8>Ⅱ中唐詩625 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2109
#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
其應者,必其人之與也。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。
不然,則其畏也。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#9>Ⅱ中唐詩626 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2114
#10八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。
其不應者、必其人之輿也。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
不然則其所疎遠、不輿同其利者也。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。
不然則其畏也。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。
このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#10>Ⅱ中唐詩627 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2119
#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
このようなわけで、事業が次第によくでき上がってくるにしたがって、かえって誹謗中傷がおこりはじめ、人格が高くなるにしたがって、かえってそしり・妬みがやってくるのである。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
ああ、立派な人物がひろくこの世の中に住むようになっても、名誉心、功名心が光りかがやくことになる。
道德之行,難已!
ということで、道義や人格が広く行われることを望むのではあるけれど、実に困難なことである。
將有作於上者,得吾說而存之,
まさに、人の上に立って政治をしょうと思う者が、わたくしの「原毀の説」を会得して、常にこれを心にたもって忘れないことである。
其國家可幾而理歟。
それで、その国家は、願いのように治めることができるであろう―っよ!。
原毀 韓愈(韓退之) <119-#11>Ⅱ中唐詩628 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2124


原毀 韓愈(韓退之) <119-#11>Ⅱ中唐詩628 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2124

原毀 韓愈(韓退之) 


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原毀 韓愈(韓退之) <119-#11>Ⅱ中唐詩628 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2124


#10八段目
又嘗語於衆小目、某非良士 某非良士
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。
其不應者、必其人之輿也。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
不然則其所疎遠、不輿同其利者也。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。
不然則其畏也。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。

このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。
#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
このようなわけで、事業が次第によくでき上がってくるにしたがって、かえって誹謗中傷がおこりはじめ、人格が高くなるにしたがって、かえってそしり・妬みがやってくるのである。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
ああ、立派な人物がひろくこの世の中に住むようになっても、名誉心、功名心が光りかがやくことになる。
道德之行,難已!
ということで、道義や人格が広く行われることを望むのではあるけれど、実に困難なことである。
將有作於上者,得吾說而存之,
まさに、人の上に立って政治をしょうと思う者が、わたくしの「原毀の説」を会得して、常にこれを心にたもって忘れないことである。
其國家可幾而理歟。

それで、その国家は、願いのように治めることができるであろう―っ!。


『原毀』 現代語訳と訳註
韓愈0015原毀(本文)
#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
道德之行,難已!
將有作於上者,得吾說而存之,
其國家可幾而理歟。


(下し文)
是の故に事修【おさ】まって謗【そしり】興【おこ】り、徳高くして毀【そしり】來る。
鳴呼、士の此の世に處【お】りて、名誉の光き、
道徳の行はるるを望むや難きのみ。
將に上に作す有らんとする者、吾が説【せつ】を得て之を存せば、
其の国家 幾【き】して理【おさ】む可きか。


(現代語訳)
このようなわけで、事業が次第によくでき上がってくるにしたがって、かえって誹謗中傷がおこりはじめ、人格が高くなるにしたがって、かえってそしり・妬みがやってくるのである。
ああ、立派な人物がひろくこの世の中に住むようになっても、名誉心、功名心が光りかがやくことになる。
ということで、道義や人格が広く行われることを望むのではあるけれど、実に困難なことである。
まさに、人の上に立って政治をしょうと思う者が、わたくしの「原毀の説」を会得して、常にこれを心にたもって忘れないことである。
それで、その国家は、願いのように治めることができるであろう―っよ!。


(訳注) #11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。

このようなわけで、事業が次第によくでき上がってくるにしたがって、かえって誹謗中傷がおこりはじめ、人格が高くなるにしたがって、かえってそしり・妬みがやってくるのである。
○謗 人の欠点を悪くいう。誹謗中傷。
○毀 人の評判を傷つけやぶる。そしり・妬み。


嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
ああ、立派な人物がひろくこの世の中に住むようになっても、名誉心、功名心が光りかがやくことになる。
○士 高士。立派な人物。
○処世 世に住む。世に処してと読めは、世渡りをする意味になる。
○名誉之光 名誉心、功名心が光りかがやくこと。光は動詞に読む。


道德之行,難已!
詩人055ということで、道義や人格が広く行われることを望むのではあるけれど、実に困難なことである。
『原道』において「道徳」を以下のように定義している。「博愛之謂仁,行而宜之之謂義。由是而之焉之謂道,足乎己無待於外之謂德。」
分け隔てなく人々を愛すること、これを仁という。そういう行為は適宜におこなうこと、これを義という。
この仁と義により通って行くこと、これを道という。人が生まれならに得ている性格、また学問や修養によって身つけ得たもの、外から何にもしないで与えられることを待たないものであること、これを徳という。徳は得、自身に得ている人格である


將有作於上者,得吾說而存之,
まさに、人の上に立って政治をしょうと思う者が、わたくしの「原毀の説」を会得して、常にこれを心にたもって忘れないことである。
○作於上 人々の上に立って仕事をする。政治をする。○存 心にたもちわすれない。


其國家可幾而理歟。
それで、その国家は、願いのように治めることができるであろう―っ!。
○可幾而理欺 望み通り治めることができるであろうよ。幾:期、こいねがう。理:治に同じ。欺:「―よ!」というほどの感嘆詞。




#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如舜者,
就其如舜者。聞古之人有周公者,
其為人也,多才與藝人也。

その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼も人間であり、自分も人間である。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
舜,大聖人也,後世無及焉。
周公,大聖人也,後世無及焉。
是人也,乃曰:
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
是不亦責於身者重以周乎。
古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。
これなる人であるが、それなのに、いう。
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。
これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。
#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
能有是,是足為良人矣。
能善是,是足為藝人矣。」
取其一,不責其二;
即其新,不究其舊;
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。

その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」

#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。

一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。
#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。

今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。
#7五段目
其於人也,曰 :
「彼雖能是,其人不足稱也。
彼雖善是,其用不足稱也。」
舉其一,不計其十;
究其舊,不圖其新;
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎

そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。
恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。
#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
吾未見其尊己也。
雖然,為是者,有本有原,
怠與忌之謂也。怠者不能修,
而忌者畏人修。吾常試之矣。

その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。
私はこれを実地に試みたのである。

#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
其應者,必其人之與也。
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
不然,則其畏也。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。

実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。

#10八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
其不應者、必其人之輿也。不然則其所疎遠、不輿同其利者也。不然則其畏也。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。
このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。
#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
道德之行,難已!
將有作於上者,得吾說而存之,
其國家可幾而理歟。

このようなわけで、事業が次第によくでき上がってくるにしたがって、かえって誹謗中傷がおこりはじめ、人格が高くなるにしたがって、かえってそしり・妬みがやってくるのである。
ああ、立派な人物がひろくこの世の中に住むようになっても、名誉心、功名心が光りかがやくことになる。
ということで、道義や人格が広く行われることを望むのではあるけれど、実に困難なことである。
まさに、人の上に立って政治をしょうと思う者が、わたくしの「原毀の説」を会得して、常にこれを心にたもって忘れないことである。
それで、その国家は、願いのように治めることができるであろう―っよ!。


原毀 韓愈(韓退之) <119-#10>Ⅱ中唐詩627 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2119

原毀 韓愈(韓退之) 

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Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#10>Ⅱ中唐詩627 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2119
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集過白岸亭 謝霊運<24> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2121 (03/25)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性迎李近仁員外 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-115-50-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2122
 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#10>Ⅱ中唐詩627 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2119


#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
其應者,必其人之與也。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。
不然,則其畏也。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。

#10八段目
又嘗語於衆小目、某非良士 某非良士
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。
其不應者、必其人之輿也。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
不然則其所疎遠、不輿同其利者也。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。
不然則其畏也。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。
不若是、強者必説於言、懦者必説於色矣。

このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。
又嘗みに衆に語って日く、某は良士に非ず。某は艮土に非ずと。其の應ぜざる者は、必ず其の人の異なり。然らずんば則ち其の疎遠にして、輿に其の利を同じうせざる所の者なり。然らずんば則ち其の畏るるなり。是の若くならずんば強者は必ず言に説び、儒者は必ず色に説ぶ。


『原毀』 現代語訳と訳註
韓愈0015原毀(本文) 八段目

又嘗語於衆小目、某非良士 某非良士
其不應者、必其人之輿也。不然則其所疎遠、不輿同其利者也。不然則其畏也。
不若是、強者必説於言、懦者必説於色矣。


(下し文)
又嘗みに衆に語って日く、某は良士に非ず。某は艮土に非ずと。其の應ぜざる者は、必ず其の人の異なり。然らずんば則ち其の疎遠にして、輿に其の利を同じうせざる所の者なり。然らずんば則ち其の畏るるなり。是の若くならずんば強者は必ず言に説び、儒者は必ず色に説ぶ。


(現代語訳)
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。
このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。

 
(訳注) 八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
また試みに衆人、小者に告げて、なにがしは良い人物でない。あるいは誰それは良い人物でないというのである。


其不應者、必其人之輿也。
その衆人、小者の中で、それに対してその通りと答えないものは必ずその「某」の仲間である。
〇其不応者 衆人の中で、この悪口にそうだと答えないもの。


不然則其所疎遠、不輿同其利者也。
そうでなければその「某」と関係がうとく遠くて、利益を同じくしていないもの、仲間ではないである。


不然則其畏也。
あるいは、そうでなければ其の中でその「某」をおそれているものである。


不若是、強者必説於言、懦者必説於色矣。
このような人々でなければ、気の強いものは言語に出して悦び、意気地のないものは顔色に悦びのようすをあらわすのである。
○説 音エツ、よろこぶ。悦に同じ。
○懦者 意気地のない男。臆病な男。
Flower1-007

原毀 韓愈(韓退之) <119-#9>Ⅱ中唐詩626 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2114

原毀 韓愈(韓退之) 

2013年3月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#9>Ⅱ中唐詩626 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2114


#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
吾未見其尊己也。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。
雖然,為是者,有本有原,
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。
怠與忌之謂也。怠者不能修,
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。
而忌者畏人修。吾常試之矣。
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。
私はこれを実地に試みたのである。

#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
其應者,必其人之與也。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。
不然,則其畏也。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。

常試【こころ】みに衆に語って曰く、「某は良士なり、某は良士なり」と。
其の應ずる者は必ず其の人の異なり。
然らずんば則ち其の疎遠【そえん】にして、興に其の利を同じうせざる所の者なり。
然らずんば則ち其の畏るるなり。
是の若くならずんば、強者は必ず言に怒り、懦者【だしゃ】は必ず色に怒る。


『原毀』 現代語訳と訳註
韓愈0015原毀(本文)
#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
其應者,必其人之與也。
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
不然,則其畏也。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。


(下し文)
常試【こころ】みに衆に語って曰く、「某は良士なり、某は良士なり」と。
其の應ずる者は必ず其の人の異なり。
然らずんば則ち其の疎遠【そえん】にして、興に其の利を同じうせざる所の者なり。
然らずんば則ち其の畏るるなり。
是の若くならずんば、強者は必ず言に怒り、懦者【だしゃ】は必ず色に怒る。


(現代語訳)
4岳陽樓詩人003実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。


(訳注) #9七段目
sakura0081常試語於眾曰:「某良士,某良士。」

実際に試みてみると衆人に語っていう、「なにがしの人はよい人物であり、ある人はよい人物である」と。
○某良士 何のなにがしはよい人物であると名をあげていう。


其應者,必其人之與也。
その衆人の中で、それにたいしてそうだと答えるものは、必ずその人物のなかまである。
○其応者 衆人の中で、その通りだというもの。
○其人之与也 その某のなかまである。与はくみするもの。


不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
そうでなければ、その人物とは関係が疎い人、遠い人であり、その人と利害をともにしないものである。


不然,則其畏也。
またそうでないとすれば、その中でその人物をおそれているということである。
○其畏也 衆人の中で、某を畏れているものである。畏はおそれ、遠慮する。


不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。
このような三種の関係でないならは、気の強いものは必ず言葉に出して怒り、意気地のないものは必ず顔色に怒りをあらわすのである。
○不若是 この三種の関係でなければ。すなわち敵であり、関係が深く利害を争う人であり、遠慮すべきことがないならは。
○懦者 意気地のない男。臆病な男。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#8>Ⅱ中唐詩625 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2109

原毀 韓愈(韓退之) <119-#8>


2013年3月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#8>Ⅱ中唐詩625 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2109


#7五段目
其於人也,曰 :
そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。
「彼雖能是,其人不足稱也。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
彼雖善是,其用不足稱也。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
舉其一,不計其十;
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
究其舊,不圖其新;
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。

恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。

#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
吾未見其尊己也。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。
雖然,為是者,有本有原,
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。
怠與忌之謂也。
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。
怠者不能修,而忌者畏人修。
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。
吾常試之矣。
私はこれを実地に試みたのである。

夫れ是を之れ衆人を以て其の身を待たずして、聖人を以って人に望むと謂ふ。
吾未だ其の己を尊ぶを見ざるなり。
然り雖も、是を為すほ本有り原有り。
怠と忌との謂なり。怠る者は修むること能はずして、忌む者は人の修むるを畏る。吾之を常試せり。




『原毀』 現代語訳と訳註

韓愈0015原毀
(本文)
#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
吾未見其尊己也。
雖然,為是者,有本有原,
怠與忌之謂也。怠者不能修,
而忌者畏人修。吾常試之矣,



(下し文)

夫れ是を之れ衆人を以て其の身を待たずして、聖人を以って人に望むと謂ふ。
吾未だ其の己を尊ぶを見ざるなり。
然り雖も、是を為すほ本有り原有り。
怠と忌との謂なり。怠る者は修むること能はずして、忌む者は人の修むるを畏る。吾之を常試せり。


(現代語訳)
その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。
私はこれを実地に試みたのである。


八女茶 畑(訳注) #8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,

その人を責めることは、これをこそ、人並みの人間をもって自分自身に期待せずして、最高至上の聖人をもって他人に希望するのだということである。
〇不以衆人待其身 身につける善事について無欲であることによって、その結果、自身に期待するものは人並み以下の人格でよいとすることになる。これは自分を尊はないわけである。
○以聖人望於人 他人が聖人のような完全な人格であるように希望する。人に対しては厳重に要求することは、他人を聖人並みにもてあつかうことになる。


吾未見其尊己也。
これでは私には、その人が自分自身を尊んでいるとは見えないのである。


雖然,為是者,有本有原,
そうであるというけれども、このようにするのには、その本源があり、原因がある。


怠與忌之謂也。
それはその人の心にある怠りと人の善をきらう心とをいうことである。


怠者不能修,而忌者畏人修。
なまけ心のあるものは、身の行いをよくすることはできないし、人の善をいやがる者は、他人が行いを善くするのをおそれるのである。


吾常試之矣。
私はこれを実地に試みたのである。
〇常試 実地に試みた

原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>Ⅱ中唐詩624 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2104

原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>


2013年3月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩名都篇 曹植 魏<57-#2> 女性詩711 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2103
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>Ⅱ中唐詩624 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2104
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>Ⅱ中唐詩624 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2104


#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。


#7五段目
其於人也,曰 :
そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。
「彼雖能是,其人不足稱也。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
彼雖善是,其用不足稱也。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
舉其一,不計其十;
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
究其舊,不圖其新;
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。

恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。

其の人に於けるや、日く、
「彼是を能くすと雄も、其の人は稲【しょう】するに足らざるなり。」
「彼是を善くすと錐も、其の用は稱するに足らざるなり」と。
其の一を挙げて、其の十を計らず。
其の善を究めて、其の新を図【はか】らず。
恐恐然として惟其の人の聞ゆること有らんを懼【おそ】るるなり。
是れ亦人に責むること己【はなは】だ詳【つまびらか】ならずや。

韓愈0015原毀

『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#7五段目
其於人也,曰 :
「彼雖能是,其人不足稱也。
彼雖善是,其用不足稱也。」
舉其一,不計其十;
究其舊,不圖其新;
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。


(下し文)
其の人に於けるや、日く、
「彼是を能くすと雄も、其の人は稲【しょう】するに足らざるなり。」
「彼是を善くすと錐も、其の用は稱するに足らざるなり」と。
其の一を挙げて、其の十を計らず。
其の善を究めて、其の新を図【はか】らず。
恐恐然として惟其の人の聞ゆること有らんを懼【おそ】るるなり。是れ亦人に責むること己【はなは】だ詳【つまびらか】ならずや。


(現代語訳)
そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。
恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。

詩人055
(訳注) #7五段目
其於人也,曰 :
そのように中途半端な今の君子が人に対する場合のことをいう。


「彼雖能是,其人不足稱也。
「彼はこのようにすることができるけれども、彼の人物はほめるに足らない。」
○其人 彼の人柄。
○能是 是は技術、このわざをすることができる。


彼雖善是,其用不足稱也。」
「彼はこのことは上手であるけれども、その働きはほめるに足らない」と。
○其用 その働き。其は彼。
○能善是 是は技術、このわざを上手にすることができた。


舉其一,不計其十;
その人の一つの不善を取りあげているのであり、その他の十の美点をはかることをしない。
○其一 彼の一つの欠点。
○其十 彼の多くの美点。


究其舊,不圖其新;
またその人の過去の事を追究して、その人の新しく進歩したことをはかることをしないのである。


恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。
恐れにおそれて、ただその人の有名になったらどうしようということばかりをおそれるのである。だから、その人を責めることになるのであり、はなはだ詳密ではないことを責めるのである。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#6>Ⅱ中唐詩623 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2099

原毀 韓愈(韓退之) <119-#6>
人に対して厳しく、自分に対して甘いことをそしり、誡める。

2013年3月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#6>Ⅱ中唐詩623 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2099


#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。

「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
其の人に於けるや,曰く:「彼の人や,
能く是れ有り,是れ良人と為すに足る。
能く是れを善くす,是れ藝人と為すに足ると。」
其の一を取りて,其の二を責めず;
其の新に即【つ】いて,其の舊を究めず;
恐恐然として惟だ其の人の善を為すの利を得ざらんことを懼る。

#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
「能有是,是亦足矣!」
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
曰:「能善是,是亦足矣。」
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
不亦待於人者輕以約乎。
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。
#5三段目-(2)
一善は修め易きなり,一藝は能くし易きなり;
其の人に於けるや,乃ち曰く:
「能く是れ有り,是れも亦た足れり!」と。
曰く:「能く是れを善くし,是れも亦た足れり。」と。
不亦た人を待つ者、輕くして以って約



#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。

今の君子は則ち然らず。其の人を責むるや詳【つまびらか】に、其の己を待つや廉なり。
詳なるが故に入善を為すを難んず。廉なるが故に自ら取るや少し。
己未だ善有らざるに、日く、「我是を善くす。是も亦足れり」と。
己未だ能くすること有らざるに、日く、「我是を能くす。是も亦足れり」と。
外は以て人を欺き、内は以て心を欺き、末だ少しも得ること有らずして止む。
亦其の身を待つこと己だ廉ならずや。


『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#6四段目
詩人055今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。


(下し文)
今の君子は則ち然らず。其の人を責むるや詳【つまびらか】に、其の己を待つや廉なり。
詳なるが故に入善を為すを難んず。廉なるが故に自ら取るや少し。
己未だ善有らざるに、日く、「我是を善くす。是も亦足れり」と。
己未だ能くすること有らざるに、日く、「我是を能くす。是も亦足れり」と。
外は以て人を欺き、内は以て心を欺き、末だ少しも得ること有らずして止む。
亦其の身を待つこと己だ廉ならずや。


(現代語訳)
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。


(訳注) #6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。

wakaba002今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
○詳 くわしくこまかである。
○廉 無欲。廉の本義はかどめ正しくて、取るべきでない利を取らないこと。ここではわが身に修得することを欲はらない。ハードルを低く設定する。


詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
○難 はばかる。困難に思う。


己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、


己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。


外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
○欺 あざむく。ごまかす。


未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。
○已 甚だに

原毀 韓愈(韓退之) <119-#5>Ⅱ中唐詩621 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2089

原毀 韓愈(韓退之)
世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。


2013年3月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#5>Ⅱ中唐詩621 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2089
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性隔漢江寄子安 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-110-45-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2097
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#5>Ⅱ中唐詩621 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2089


#5三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
#4三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
其於人也,乃曰:
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
「能有是,是亦足矣!」
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
曰:「能善是,是亦足矣。」
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
不亦待於人者輕以約乎。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか

nat0021其の人に於けるや,曰く:「彼の人や,
能く是れ有り,是れ良人と為すに足る。
能く是れを善くす,是れ藝人と為すに足ると。」
其の一を取りて,其の二を責めず;
其の新に即【つ】いて,其の舊を究めず;
恐恐然として惟だ其の人の善を為すの利を得ざらんことを懼る

#5三段目-(2)
一善は修め易きなり,一藝は能くし易きなり;
其の人に於けるや,乃ち曰く:
「能く是れ有り,是れも亦た足れり!」と。
曰く:「能く是れを善くし,是れも亦た足れり。」と。
不亦た人を待つ者、輕くして以って約ならずや。


『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#5三段目-(2)
韓愈0015原毀一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。


(下し文)
一善は修め易きなり,一藝は能くし易きなり;
其の人に於けるや,乃ち曰く:
「能く是れ有り,是れも亦た足れり!」と。
曰く:「能く是れを善くし,是れも亦た足れり。」と。
不亦た人を待つ者、輕くして以って約ならずや。


(現代語訳)
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。


(訳注) #5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
○芸 技能。一芸に秀でる。746年天宝六載 玄宗は天下にたいし、一芸に秀で通ずるものを長安に集めて試験した。しかし、李林甫、文学の士を嫌っており、全員を落第させた。杜甫の応援者(ブログ杜甫20、21)であった李邕が、正月、李林甫により殺される。これがほんの50年前の出来事である。


其於人也,乃曰:
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。


「能有是,是亦足矣!」
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。


曰:「能善是,是亦足矣。」
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
○能善是 是は技術、このわざを上手にすることができた。


不亦待於人者輕以約乎。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。
○軽 軽く少ない。
○約 つつましい。簡略。ひかえめ。
したがって「輕以約,故人樂為善。」“人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。”である。○楽為善 楽しんで善いことをする。


原毀 韓愈(韓退之) <119-#4>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084

原毀 韓愈(韓退之) <119-#4>

2013年3月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩棄婦篇 曹植 魏詩<56-#2> 女性詩708 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2088
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#4>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集徐歩 杜甫 <429>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2090 杜甫詩1000-429-612/1500徐歩 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 24)
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集白石巌下径行田詩 謝霊運<18> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2091 (03/19)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和人 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-109-44-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ209
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


原毀 韓愈(韓退之) <119-#4>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084


#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。

重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。

聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。

聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。 
古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に舜といふ者有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。

#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。

早夜以思,去其不如舜者,
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
就其如舜者。聞古之人有周公者,
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
其為人也,多才與藝人也。

その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。
#2一段目-(2)
其の舜為る所以の者を求め,己を責めて曰く:
「彼も人なり,予【われ】も人なり;
彼是を能くするに,而も我は乃ち是れを能くせずに。」
早夜に以って思い,其の舜の如くならざる者去り,
其の舜の如き者に就く。聞く古の人に周公という者有り,
其の人と為りや,才と藝と多き人なり。

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。
舜,大聖人也,後世無及焉。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。
周公,大聖人也,後世無及焉。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。
是人也,乃曰:
これなる人であるが、それなのに、いう。
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。
是不亦責於身者重以周乎。
これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。

#3二段目
其の周公と為る所以の者を求め,己を責めて曰く:「彼も人なり,予も人なり;彼是を能くするに,而も我は乃ち是を能くせずと。」
早夜に以って思い,其の周公の如くならざる者を去って,其の周公もき如者に就く。
舜は,大聖人なり,後世に及ぶものなし。
周公は,大聖人なり,後世に及ぶものなし。
是の人や,乃ち曰く:
「舜の如くならず,周公の如くならず,吾の病なり。」
是れ亦た身を責むる者重く以って周ならずや。

4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。

「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。

其の人に於けるや,曰く:「彼の人や,
能く是れ有り,是れ良人と為すに足る。
能く是れを善くす,是れ藝人と為すに足ると。」
其の一を取りて,其の二を責めず;
其の新に即【つ】いて,其の舊を究めず;
恐恐然として惟だ其の人の善を為すの利を得ざらんことを懼る。

#5三段目-(2)
一善は修め易きなり,一藝は能くし易きなり;
其の人に於けるや,乃ち曰く:
「能く是れ有り,是れも亦た足れり!」と。
曰く:「能く是れを善くし,是れも亦た足れり。」と。
不亦た人を待つ者、輕くして以って約ならずや。

韓愈0015原毀
『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
能有是,是足為良人矣。
能善是,是足為藝人矣。」
取其一,不責其二;
即其新,不究其舊;
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。


(下し文)
其の人に於けるや,曰く:「彼の人や,
能く是れ有り,是れ良人と為すに足る。
能く是れを善くす,是れ藝人と為すに足ると。」
其の一を取りて,其の二を責めず;
其の新に即【つ】いて,其の舊を究めず;
恐恐然として惟だ其の人の善を為すの利を得ざらんことを懼る。


(現代語訳)
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」


(訳注) #4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,

その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
○彼人也 「かの人や」と読む。彼と読めば特定の人物を指すのでここは漠然とした人を云う。


能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
○能有足 是は善事。この善事があることができたということ。
○良人 善良な行いの人。


能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
○能書是 是は技術、このわざを上手にすることができた。
○芸人 技能の多い人。


取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」


即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」


恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
○恐恐然 おっかなびっくり。優柔不断を云う。損得、利便などを心配すること。心おそれてなにもできないでいること。
○為善之利 善事をなすのに都合のよいこと。
岳陽樓詩人0051

原毀 韓愈(韓退之) <119-#3>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084

原毀 韓愈(韓退之) <119-#3>

世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。
科挙の試験に用いる八股文という対句を主とした文章の模範とされた。

2013年3月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩棄婦篇 曹植 魏詩<56-#1> 女性詩707 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2083
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#3>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集獨酌 杜甫 <428>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2085 杜甫詩1000-428-611/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集晚出西射堂 謝霊運<17> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2086 (03/18)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性代人悼亡 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-108-43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2087
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



原毀 韓愈(韓退之) <119-#3>Ⅱ中唐詩620 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2084


世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。
科挙の試験に用いる八股文という対句を主とした文章の模範とされた。
九段、11回の分割で掲載後12回をまとめとする。この後、ちょっと横道であるが、宋玉『楚辞―九辯』を紹介し、そのあと韓愈に戻る。

#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。

重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。

聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。

聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。

古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に舜といふ者有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。

#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。

早夜以思,去其不如舜者,
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
就其如舜者。聞古之人有周公者,
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
其為人也,多才與藝人也。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。
#2一段目-(2)
其の舜為る所以の者を求め,己を責めて曰く:
「彼も人なり,予【われ】も人なり;
彼是を能くするに,而も我は乃ち是れを能くせずに。」
早夜に以って思い,其の舜の如くならざる者去り,
其の舜の如き者に就く。聞く古の人に周公という者有り,
其の人と為りや,才と藝と多き人なり。

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。
舜,大聖人也,後世無及焉。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。
周公,大聖人也,後世無及焉。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。
是人也,乃曰:
これなる人であるが、それなのに、いう。
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。
是不亦責於身者重以周乎。

これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。

#3二段目
其の周公と為る所以の者を求め,己を責めて曰く:「彼も人なり,予も人なり;彼是を能くするに,而も我は乃ち是を能くせずと。」
早夜に以って思い,其の周公の如くならざる者を去って,其の周公もき如者に就く。
舜は,大聖人なり,後世に及ぶものなし。
周公は,大聖人なり,後世に及ぶものなし。
是の人や,乃ち曰く:
「舜の如くならず,周公の如くならず,吾の病なり。」
是れ亦た身を責むる者重く以って周ならずや。


『原毀』 現代語訳と訳註
韓愈0015原毀(本文)
#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
舜,大聖人也,後世無及焉。
周公,大聖人也,後世無及焉。
是人也,乃曰:
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
是不亦責於身者重以周乎。


(下し文)

其の周公為る所以の者を求め、己を責めて日く、
彼も人なり、予も人なり。彼走を能くするに、而も我は乃ち是を能くせずと。
早夜に以て恩ひ、其の周公の如くならざる者を去って、其の周公の如き者に就く。
舜は大聖人なり。後世及ぶ無し。
周公は大聖人なり。後世及ぶ無し。
是の人や、乃ち日く、
舜の如くならず、周公の如くならざるは、吾の病なりと。
是れ赤身を責むる者、重くして以て周ならずや。


(現代語訳)
古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。
これなる人であるが、それなのに、いう。
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。
これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。


(訳注)#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:

古代の君子である、その周公の貴ばれるわけである才芸を求めて、自分を責めていう。
O周公 儒家の先聖の一人。周の文王の子、武王の弟で、成王の摂政として、周の礼楽を完成した多才、多芸の人。原性 六段目 韓愈(韓退之) <116-9> Ⅱ中唐晩唐 607 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2019
sakura0081韓愈『原性』六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
習非不善也,而卒為奸;
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
得其一而失其二者也。
武王の死後成王が幼かったので周公旦が摂政となった。管・蔡は国中に流言した、「周公は幼主の為によくない」と。周公は居を東都に避けた。後に成王は周公を迎えて帰ったので、管・蔡は懼れて、武康を立てて叛いた。成工は周公に命じてこれを討たせ、武康を誅し、管叔を殺し、蔡叔を追放してこれを遷したが、ついで彼もまた死んだ(『書経』金膽篇)。管叔[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡(さい)に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。蔡叔度は、西周の諸侯である蔡の初代の君主。姓は姫で、名は度。周の文王の五男として生まれた。武王が殷を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。


「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
「彼も人間であり、自分も人間である。彼にはこれができるのに、自分はそれなのにこれができない。」と。
○能是 多才であり多芸であることができた。


早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
朝から晩に思い求めて、その周公のようできないとそこから去って、その周公のように才芸の多い方へと行くのである。


舜,大聖人也,後世無及焉。
舜は大聖人であり、偉大な智徳の最高な人物である。後世にこれに追いつくものがいない。


周公,大聖人也,後世無及焉。
周公は大聖人である。後世にこれに及ぶものはいない。


是人也,乃曰:
これなる人であるが、それなのに、いう。


「不如舜,不如周公,吾之病也。」
「舜のようでなく、周公且のようでないことが、自分の心配である。」という。


是不亦責於身者重以周乎。
これはまた、わが身の行いを責めることの、重くて行き届いたことではないか。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#2>Ⅱ中唐詩619 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2079

原毀 韓愈(韓退之)
世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。

2013年3月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#2>Ⅱ中唐詩619 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2079
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集七里瀬 謝霊運<16> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2081 (03/17)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性暮春即事 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-107-42-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2082
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


原毀 韓愈(韓退之) <119-#2>Ⅱ中唐詩619 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2079


世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。
科挙の試験に用いる八股文という対句を主とした文章の模範とされた。

九段、11回の分割で掲載後12回をまとめとする。この後、ちょっと横道であるが、宋玉『楚辞―九辯』を紹介し、そのあと韓愈に戻る。

韓愈0015原毀#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如舜者,就其如舜者。
聞古之人有周公者,其為人也,多才與藝人也。

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
舜,大聖人也,後世無及焉。
周公,大聖人也,後世無及焉。
是人也,乃曰:
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
是不亦責於身者重以周乎。

#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
能有是,是足為良人矣。
能善是,是足為藝人矣。」
取其一,不責其二;
即其新,不究其舊;
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。

#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。

#7五段目
其於人也,曰 :
「彼雖能是,其人不足稱也。
彼雖善是,其用不足稱也。」
舉其一,不計其十;
究其舊,不圖其新;
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。

sakura0081#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
吾未見其尊己也。
雖然,為是者,有本有原,
怠與忌之謂也。怠者不能修,
而忌者畏人修。吾常試之矣,

#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
其應者,必其人之與也。
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
不然,則其畏也。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。

#10八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
其不應者、必其人之輿也。不然則其所疎遠、不輿同其利者也。不然則其畏也。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。

#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
道德之行,難已!
將有作於上者,得吾說而存之,
其國家可幾而理歟。


#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。

聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。

聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に舜といふ者有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。

#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼人也,予人也;
「彼も人間であり、自分も人間である。」
彼能是,而我乃不能是。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。
早夜以思,去其不如舜者,
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
就其如舜者。聞古之人有周公者,
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
其為人也,多才與藝人也。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。
#2一段目-(2)
其の舜為る所以の者を求め,己を責めて曰く:
「彼も人なり,予【われ】も人なり;
彼是を能くするに,而も我は乃ち是れを能くせずに。」
早夜に以って思い,其の舜の如くならざる者去り,
其の舜の如き者に就く。聞く古の人に周公という者有り,
其の人と為りや,才と藝と多き人なり。


『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如舜者,就其如舜者。聞古之人有周公者,其為人也,多才與藝人也。


(下し文) #2一段目-(2)
其の舜為る所以の者を求め,己を責めて曰く:
「彼も人なり,予【われ】も人なり;
彼是を能くするに,而も我は乃ち是れを能くせずに。」
早夜に以って思い,其の舜の如くならざる者去り,
其の舜の如き者に就く。聞く古の人に周公という者有り,
其の人と為りや,才と藝と多き人なり。


(現代語訳)
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
「彼も人間であり、自分も人間である。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。


(訳注)#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
その人が舜というすぐれた人格であるわけのもの、仁義を求めて、自分を責めていうのである。
○所以為舜 舜は聖人であるわけ。仁義をもついう。


「彼人也,予人也;
「彼も人間であり、自分も人間である。」
○枚人也、予人也 彼もわれも同じ人間である。『孟子』願文公上農に「成観(刷)斉の景公に謂つて日く、彼も大夫なり。我も大夫なり。吾何ぞ彼を畏れんやと。顔淵円く、舜何人(琶ぞや、予何人ぞやと。為す有る者も亦是の若し」とあるのによる。


彼能是,而我乃不能是。」
「彼、舜はこの仁義を行うことができるのに、それなのに我々はこれができない。これではならぬ。」と。
○乃 それなのに。


早夜以思,去其不如舜者,
朝晩これを思い求め、舜のようでない所から去ることである。
○早夜 朝晩。早は一に蚤に作る。
○去 立ち去り離れる。


就其如舜者。聞古之人有周公者,
その舜のようである所に就くのである。聞くところでは、古の人に周公旦というものがあった。
○就 そこへ行く。
○周公 儒家の先聖の一人。周の文王の子、武王の弟で、成王の摂政として、周の礼楽を完成した多才、多芸の人。


其為人也,多才與藝人也。
その人物は心の働きである多才と多芸、学芸との多い人であった。

原毀 韓愈(韓退之) <119-#1>Ⅱ中唐詩618 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2074

原毀 韓愈


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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原毀 韓愈(韓退之) <119-#1>Ⅱ中唐詩618 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2074

世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。
科挙の試験に用いる八股文という対句を主とした文章の模範とされた。
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#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如舜者,就其如舜者。聞古之人有周公者,其為人也,多才與藝人也。

#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
舜,大聖人也,後世無及焉。
周公,大聖人也,後世無及焉。
是人也,乃曰:
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
是不亦責於身者重以周乎。

#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
能有是,是足為良人矣。
能善是,是足為藝人矣。」
取其一,不責其二;
即其新,不究其舊;
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。

#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。

#7五段目
其於人也,曰 :
「彼雖能是,其人不足稱也。
彼雖善是,其用不足稱也。」
舉其一,不計其十;
究其舊,不圖其新;
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。

#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
吾未見其尊己也。
雖然,為是者,有本有原,
怠與忌之謂也。怠者不能修,
而忌者畏人修。吾常試之矣,

#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
其應者,必其人之與也。
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
不然,則其畏也。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。

#10八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
其不應者、必其人之輿也。不然則其所疎遠、不輿同其利者也。不然則其畏也。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。

#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
道德之行,難已!
將有作於上者,得吾說而存之,
其國家可幾而理歟。


#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
其待人也,輕以約。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
重以周,故不怠。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
輕以約,故人樂為善。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。

聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。

古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に舜といふ者有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。


『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。


(下し文)
古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に葬といふ老有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。


(現代語訳)
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。


韓愈0015原毀


(訳注) #1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
○其責己也 その人、古の君子が自己を責める場合に。責は追求する。


其待人也,輕以約。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。


重以周,故不怠。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
○重 おもくきびしい。厳重。
○周 あまねく、手落ちがない。おろそかでないこと。
○怠 怠惰。


輕以約,故人樂為善。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
○軽 軽く少ない。
○約 つつましい。簡略。ひかえめ。
○楽為善 楽しんで善いことをする。


聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
○舜 古代の伝説上の聖天子の名。三皇五帝の三皇を伏羲、女媧、神農、五帝を黄・堯・舜・禹・湯とする一人。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。 舜は顓頊(せんぎょく)の7代子孫とされる。母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。
○為人 人物、人がらをいう。
○仁義 儒家の遺徳の最大のものである博愛と義理。

原鬼 韓愈(韓退之) <118-4>Ⅱ中唐詩617 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2069

原鬼 韓愈(韓退之) <118-4>


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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原鬼 韓愈(韓退之) <118-4>Ⅱ中唐詩617 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2069


当時、不可解なもの、現象などにより、民間信仰から、道教、末法の仏教へ移行したものが多く、これを人間の精霊(鬼)の本原の理を明らかにすることにより防ごうというものである。
 

原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。有立於堂,從而視之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。有觸吾躬,從而執之,無得也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;有聲與形者,物有之矣,人獸是也;無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
曰:是有二:有鬼,有物。
漠然無形與聲者,鬼之常也。
民有忤於天,有違於民,
有爽於物,逆於倫,而感於氣,於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉,皆民之為之也。
其既也,又反乎其常。
四段目
曰:何謂物?曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;反乎無聲與形者,鬼神是也;不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。故其作而接於民也無恆,故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,亦有動於民而莫之為禍福,適丁民之有是時也。


原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。
これは精霊ではなかろうか。私は断言していう、「そうではない。精霊には声がない。」と。
有立於堂,從而視之,無見也。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。
有觸吾躬,從而執之,無得也。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
それこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には声もなく、形もないのだから、どうして手に実際に感じる感覚があるというのか。」と。

梁に嘯【うそぶく】くもの有り。従って之を燭【てら】すに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼には聾無しと。
堂に立つもの有り、従って之を視るに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼に形無しと。
吾が躬【み】に觸【ふ】るるもの有り、従って之を執【とら】ふるに、得ること無し。
斯れ鬼か。曰く、非なり、鬼には馨と形と無し、安んぞ気有らんと。

二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?
精霊は声を発しない、形にあらわさない、現象を構成する生命力という気さえもないならば、はたして精霊は存在しないのか?ということである
曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;
私はいう、「形体があって声がないものが、物体にはある。土や石などがこれである。」
有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;
「声があって形のないものが、物にはある。風や雷がこれである。」
有聲與形者,物有之矣,人獸是也;
「声と形体とがあるものが、物体にある。人や獣の類がこれである。」
無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
「声も形もないものが、物にはある。精魂、精霊や天と神がこれである。」と。

日く、鬼に聾無く、形無く、気無ければ、果して鬼無きかと。
日く、形有りて聲無き者、物に之れ有り。土石是なり。聾有りて形無き者、物に之れ有り。風霆是なり。
聲と形と有る者、物に之れ有り。人獣是なり。
聾と形と無き者、物に之れ有り。鬼神是なりと。

三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
そして言う。「それならば、あやしいもので、人や物にまじわるものは何であろうか。?」
曰:是有二:有鬼,有物。
私はいう、「これには二つのものがある。ひとつは精霊であり、もうひとつは物の怪である。」
漠然無形與聲者,鬼之常也。
「声も響きもなく静かで形もないのは霊魂の普通の常態である。」
 
民有忤於天,有違於民,
「「ところが人が天の時にさからうことがあり、人間から離れそむくことがあり、」
有爽於物,逆於倫,而感於氣,
万物がたがいに、調和しないことがあり、道理に逆らうことがあり、目には見えないが現象を構成する精気に感触することがある。」と、
於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉。
「ここに精霊が形にあらわれることがあり、物音についてあらわれることがあり、そうことがあることにより、これに応じてわざわいを下すのである。」
皆民之為之也。
これは皆、人間がこれをなしたためである。
其既也,又反乎其常。
しかし、その精霊の現象が尽きると、またもとの形なく声のない常態に復帰するのである。
日く、然らば則ち怪にして民物と接する有る者は何ぞやと。
日く、是に二有り。鬼有り、物有り。
漠然として形と聾と無き者は、鬼の常なり。
民に天に忤【さか】ふ有り、民に違【たが】ふ有り、
物に爽【さか】ふ有りて、倫に逆【さか】ひて、気に感ず。
是に於てか、鬼形に形【あら】はるる有り、聲に憑【よ】る有り以て之に應じて殃禍【おうか】を下す。
皆民の之を爲すなり。
其の既【つく】るや、又其の常に反る。

四段目
曰:何謂物?
何をもって「物の怪」というのか。
曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;
私はいう、「形と声とから成るものというのは、土石、風霆、人獣などがこれのことである。」
反乎無聲與形者,鬼神是也;
「声と形とが無い状態にかえるものは、精霊、天地の神がこれである。」
不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。
「形と声とを有することができないものではあるけれども、形と声とが無いというわけではないものは、物の怪はこういうことをいうのである。」(たとえば、石が移動して声を出すということ。)
故其作而接於民也無恆,
ということは、そのことがおこって、人々に接っすることをしようとするとしてもそれは常日頃あるものではない。
故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,
それというのも、その接することは人々に動きはたらいて禍をなすということがあり、また人々に作用して幸せをもたらすことがあるということである。
亦有動於民而莫之為禍福,
また人々に動きはたらいたとしても禍も幸福をもたらすことがない場合もあるのである。
適丁民之有是時也。作原鬼。
たまたま人々にとってこのような時に遭遇したということなのである。ここでは、鬼の本原を明らかにするために「原鬼」篇を作ったものである。

(四段目)
曰く:何をか物を謂う?と。
曰く:形と聲とに成る者は,土石、風霆【ふうてい】、人獸【じんじゅう】是れなり。
形と聲とに反る者は,鬼神是れなり。
形と聲に有る能わず,形と聲に有る能わざる者は,物怪【ぶつかい】是れなり。
故に其の作って民に接するや恆【つね】無し。
故に民動いて禍を為すこと有り,亦た動いて民に福を為すこと有り,
亦た民動いて之が禍福を為す莫きこと有り。
適【たまた】ま民の有是の時丁【あた】るなり。作原鬼。

太行山脈001

『原鬼』 現代語訳と訳註
(本文)
四段目
曰:何謂物?曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;反乎無聲與形者,鬼神是也;不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。故其作而接於民也無恆,故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,亦有動於民而莫之為禍福,適丁民之有是時也。作原鬼。


(下し文) (四段目)
曰く:何をか物を謂う?と。
曰く:形と聲とに成る者は,土石、風霆【ふうてい】、人獸【じんじゅう】是れなり。
形と聲とに反る者は,鬼神是れなり。
形と聲に有る能わず,形と聲に有る能わざる者は,物怪【ぶつかい】是れなり。
故に其の作って民に接するや恆【つね】無し。
故に民動いて禍を為すこと有り,亦た動いて民に福を為すこと有り,
亦た民動いて之が禍福を為す莫きこと有り。
適【たまた】ま民の有是の時丁【あた】るなり。作原鬼。


(現代語訳)
何をもって「物の怪」というのか。
私はいう、「形と声とから成るものというのは、土石、風霆、人獣などがこれのことである。」
「声と形とが無い状態にかえるものは、精霊、天地の神がこれである。」
「形と声とを有することができないものではあるけれども、形と声とが無いというわけではないものは、物の怪はこういうことをいうのである。」(たとえば、石が移動して声を出すということ。)
ということは、そのことがおこって、人々に接っすることをしようとするとしてもそれは常日頃あるものではない。
それというのも、その接することは人々に動きはたらいて禍をなすということがあり、また人々に作用して幸せをもたらすことがあるということである。
また人々に動きはたらいたとしても禍も幸福をもたらすことがない場合もあるのである。
たまたま人々にとってこのような時に遭遇したということなのである。ここでは、鬼の本原を明らかにするために「原鬼」篇を作ったものである。

韓愈0016
(訳注) 四段目
曰:何謂物?

何をもって「物の怪」というのか。


曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;
私はいう、「形と声とから成るものというのは、土石、風霆、人獣などがこれのことである。」
〇風霆 風や雷鳴。霆は雷の余声をいう。雷の物を震動する音を震、そのあとに残る音を霆といい、光を電というが、雷・霆・電は別なく「かみなり」をいう。


反乎無聲與形者,鬼神是也;
「声と形とが無い状態にかえるものは、精霊、天地の神がこれである。」


不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。
「形と声とを有することができないものではあるけれども、形と声とが無いというわけではないものは、物の怪はこういうことをいうのである。」(たとえば、石が移動して声を出すということ。)
○不能有形与声 形の有ることができないものは例えは風霊である。声の有ることができないものは、土石である。
○不能無形与声 前の句を受けて、形無きものが形をあらわし、声なきものが声をあげずにはおられないことを「物の怪」というのである。もし前の大字がなければ、鬼は本来形と声とがないものであるのに対して、物には形と声とが無いわけにはいかない。それが怪をなすのが物怪であるということである。


故其作而接於民也無恆,
ということは、そのことがおこって、人々に接っすることをしようとするとしてもそれは常日頃あるものではない。


故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,
それというのも、その接することは人々に動きはたらいて禍をなすということがあり、また人々に作用して幸せをもたらすことがあるということである。


亦有動於民而莫之為禍福,
また人々に動きはたらいたとしても禍も幸福をもたらすことがない場合もあるのである。


適丁民之有是時也。作原鬼。
たまたま人々にとってこのような時に遭遇したということなのである。ここでは、鬼の本原を明らかにするために「原鬼」篇を作ったものである。
○適 たまたま。ちょうど。適時。Timely.
○民之右足時 人々にこのような時があるのに出会った。丁は当、あたる。丁度。
岳陽樓詩人0051

原鬼 韓愈(韓退之) <118-3>Ⅱ中唐詩616 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2064

原鬼 韓愈(韓退之) <118-3>

2013年3月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


原鬼 韓愈(韓退之) <118-3>Ⅱ中唐詩616 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2064


当時、不可解なもの、現象などにより、民間信仰から、道教、末法の仏教へ移行したものが多く、これを人間の精霊(鬼)の本原の理を明らかにすることにより防ごうというものである。
 

原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。有立於堂,從而視之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。有觸吾躬,從而執之,無得也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;有聲與形者,物有之矣,人獸是也;無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
曰:是有二:有鬼,有物。
漠然無形與聲者,鬼之常也。
民有忤於天,有違於民,
有爽於物,逆於倫,而感於氣,於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉,皆民之為之也。
其既也,又反乎其常。
四段目
曰:何謂物?曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;反乎無聲與形者,鬼神是也;不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。故其作而接於民也無恆,故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,亦有動於民而莫之為禍福,適丁民之有是時也。


原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。
これは精霊ではなかろうか。私は断言していう、「そうではない。精霊には声がない。」と。
有立於堂,從而視之,無見也。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。
有觸吾躬,從而執之,無得也。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。

それこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には声もなく、形もないのだから、どうして手に実際に感じる感覚があるというのか。」と。

梁に嘯【うそぶく】くもの有り。従って之を燭【てら】すに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼には聾無しと。
堂に立つもの有り、従って之を視るに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼に形無しと。
吾が躬【み】に觸【ふ】るるもの有り、従って之を執【とら】ふるに、得ること無し。
斯れ鬼か。曰く、非なり、鬼には馨と形と無し、安んぞ気有らんと。

二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?
精霊は声を発しない、形にあらわさない、現象を構成する生命力という気さえもないならば、はたして精霊は存在しないのか?ということである
曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;
私はいう、「形体があって声がないものが、物体にはある。土や石などがこれである。」
有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;
「声があって形のないものが、物にはある。風や雷がこれである。」
有聲與形者,物有之矣,人獸是也;
「声と形体とがあるものが、物体にある。人や獣の類がこれである。」
無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
「声も形もないものが、物にはある。精魂、精霊や天と神がこれである。」と。

日く、鬼に聾無く、形無く、気無ければ、果して鬼無きかと。
日く、形有りて聲無き者、物に之れ有り。土石是なり。聾有りて形無き者、物に之れ有り。風霆是なり。
聲と形と有る者、物に之れ有り。人獣是なり。
聾と形と無き者、物に之れ有り。鬼神是なりと。

三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
そして言う。「それならば、あやしいもので、人や物にまじわるものは何であろうか。?」
曰:是有二:有鬼,有物。
私はいう、「これには二つのものがある。ひとつは精霊であり、もうひとつは物の怪である。」
漠然無形與聲者,鬼之常也。
声も響きもなく静かで形もないのは霊魂の普通の常態である。」
民有忤於天,有違於民,
 「ところが人が天の時にさからうことがあり、人間から離れそむくことがあり、」
有爽於物,逆於倫,而感於氣,
「万物がたがいに、調和しないことがあり、道理に逆らうことがあり、目には見えないが現象を構成する精気に感触することがある。」と、
於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉。
「ここに精霊が形にあらわれることがあり、物音についてあらわれることがあり、そうことがあることにより、これに応じてわざわいを下すのである。」
皆民之為之也。
これは皆、人間がこれをなしたためである。
其既也,又反乎其常。
しかし、その精霊の現象が尽きると、またもとの形なく声のない常態に復帰するのである。


日く、然らば則ち怪にして民物と接する有る者は何ぞやと。
日く、是に二有り。鬼有り、物有り。
漠然として形と聾と無き者は、鬼の常なり。
民に天に忤【さか】ふ有り、民に違【たが】ふ有り、
物に爽【さか】ふ有りて、倫に逆【さか】ひて、気に感ず。
是に於てか、鬼形に形【あら】はるる有り、聲に憑【よ】る有り以て之に應じて殃禍【】を下す。
皆民の之を爲すなり。
其の既【つく】るや、又其の常に反る。


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『原鬼』 現代語訳と訳註
(本文)
三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
曰:是有二:有鬼,有物。
漠然無形與聲者,鬼之常也。
民有忤於天,有違於民,
有爽於物,逆於倫,而感於氣,
於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉。
皆民之為之也。
其既也,又反乎其常。


(下し文)
日く、然らば則ち怪にして民物と接する有る者は何ぞやと。
日く、是に二有り。鬼有り、物有り。
漠然として形と聾と無き者は、鬼の常なり。
民に天に忤【さか】ふ有り、民に違【たが】ふ有り、
物に爽【さか】ふ有りて、倫に逆【さか】ひて、気に感ず。
是に於てか、鬼形に形【あら】はるる有り、聲に憑【よ】る有り以て之に應じて殃禍【】を下す。
皆民の之を爲すなり。
其の既【つく】るや、又其の常に反る。


(現代語訳)
そして言う。「それならば、あやしいもので、人や物にまじわるものは何であろうか。?」
私はいう、「これには二つのものがある。ひとつは精霊であり、もうひとつは物の怪である。」
「声も響きもなく静かで形もないのは霊魂の普通の常態である。」
 「ところが人が天の時にさからうことがあり、人間から離れそむくことがあり、」
「万物がたがいに、調和しないことがあり、道理に逆らうことがあり、目には見えないが現象を構成する精気に感触することがある。」と、
「ここに精霊が形にあらわれることがあり、物音についてあらわれることがあり、そうことがあることにより、これに応じてわざわいを下すのである。」
これは皆、人間がこれをなしたためである。
しかし、その精霊の現象が尽きると、またもとの形なく声のない常態に復帰するのである。


(訳注) 三段目

曰:然則有怪而與民物接者,何也?
そして言う。「それならば、あやしいもので、人や物にまじわるものは何であろうか。?」
○民物 人や物。


曰:是有二:有鬼,有物。
私はいう、「これには二つのものがある。ひとつは精霊であり、もうひとつは物の怪である。」
○有鬼有物 霊魂があり、物の怪がある。


漠然無形與聲者,鬼之常也。
「声も響きもなく静かで形もないのは霊魂の普通の常態である。」
○漠然 声も響きもなく静かなさま。


民有忤於天,有違於民,
「ところが人が天の時にさからうことがあり、人間から離れそむくことがあり、」
○民有件於天 人が天の時にさからうことがある。
○有違於民 人情にそむきはなれることがある。


有爽於物,逆於倫,而感於氣,
「万物がたがいに、調和しないことがあり、道理に逆らうことがあり、目には見えないが現象を構成する精気に感触することがある。」と、
○有爽於物 万物とたがい、調和しないことがある。
○逆於倫 道理にそむく。
○感於気 現象を構成するところの気に感じ触れる。


於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉。
「ここに精霊が形にあらわれることがあり、物音についてあらわれることがあり、そうことがあることにより、これに応じてわざわいを下すのである。」
○形於形 形なき鬼が現象にあらわれる。『
○憑於声 奇怪な声についてあらわれる。憑は乗り移る。付く。
○下殃禍 人にわざわいを下す。殃は凶、咎め、つみをかす。禍は福の反対、人に害を加えること、わざわい。


皆民之為之也。
これは皆、人間がこれをなしたためである。
○民之為之也 人が道理にそむくことをして、その結果招いたのである。


其既也,又反乎其常。
しかし、その精霊の現象が尽きると、またもとの形なく声のない常態に復帰するのである。
○既 おある。つきる。精霊の現象、か尽きる。
○反乎其常 精霊の常態である形なく声なき状態にもどる。
4岳陽樓詩人003

原鬼 韓愈(韓退之) <118-2>Ⅱ中唐詩615 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2059

原鬼 韓愈(韓退之) <118-2>


2013年3月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


原鬼 韓愈(韓退之) <118-2>Ⅱ中唐詩615 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2059
作〈原鬼〉。此篇收錄於 韓昌黎文集第一卷 
当時、不可解なもの、現象などにより、民間信仰から、道教、末法の仏教へ移行したものが多く、これを人間の精霊(鬼)の本原の理を明らかにすることにより防ごうというものである。
 

原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。有立於堂,從而視之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。有觸吾躬,從而執之,無得也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;有聲與形者,物有之矣,人獸是也;無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
曰:是有二:有鬼,有物。
漠然無形與聲者,鬼之常也。
民有忤於天,有違於民,
有爽於物,逆於倫,而感於氣,於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉,皆民之為之也。
其既也,又反乎其常。
四段目
曰:何謂物?曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;反乎無聲與形者,鬼神是也;不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。故其作而接於民也無恆,故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,亦有動於民而莫之為禍福,適丁民之有是時也。


原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。
これは精霊ではなかろうか。私は断言していう、「そうではない。精霊には声がない。」と。
有立於堂,從而視之,無見也。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。
有觸吾躬,從而執之,無得也。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
それこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には声もなく、形もないのだから、どうして手に実際に感じる感覚があるというのか。」と。

梁に嘯【うそぶく】くもの有り。従って之を燭【てら】すに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼には聾無しと。
堂に立つもの有り、従って之を視るに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼に形無しと。
吾が躬【み】に觸【ふ】るるもの有り、従って之を執【とら】ふるに、得ること無し。
斯れ鬼か。曰く、非なり、鬼には馨と形と無し、安んぞ気有らんと。

kaminari000







二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?
精霊は声を発しない、形にあらわさない、現象を構成する生命力という気さえもないならば、はたして精霊は存在しないのか?ということである
曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;
私はいう、「形体があって声がないものが、物体にはある。土や石などがこれである。」
有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;
「声があって形のないものが、物にはある。風や雷がこれである。」
有聲與形者,物有之矣,人獸是也;
「声と形体とがあるものが、物体にある。人や獣の類がこれである。」
無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。

「声も形もないものが、物にはある。精魂、精霊や天と神がこれである。」と。

日く、鬼に聾無く、形無く、気無ければ、果して鬼無きかと。
日く、形有りて聲無き者、物に之れ有り。土石是なり。聾有りて形無き者、物に之れ有り。風霆是なり。
聲と形と有る者、物に之れ有り。人獣是なり。
聾と形と無き者、物に之れ有り。鬼神是なりと。

韓愈0016

『原鬼』 現代語訳と訳註
(本文) 二段目

曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?
曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;
有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;
有聲與形者,物有之矣,人獸是也;
無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。


(下し文)
日く、鬼に聾無く、形無く、気無ければ、果して鬼無きかと。
日く、形有りて聲無き者、物に之れ有り。土石是なり。聾有りて形無き者、物に之れ有り。風霆是なり。
聲と形と有る者、物に之れ有り。人獣是なり。
聾と形と無き者、物に之れ有り。鬼神是なりと。


(現代語訳)
精霊は声を発しない、形にあらわさない、現象を構成する生命力という気さえもないならば、はたして精霊は存在しないのか?ということである
私はいう、「形体があって声がないものが、物体にはある。土や石などがこれである。」
「声があって形のないものが、物にはある。風や雷がこれである。」
「声と形体とがあるものが、物体にある。人や獣の類がこれである。」
「声も形もないものが、物にはある。精魂、精霊や天と神がこれである。」と。


(訳注) 二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?

精霊は声を発しない、形にあらわさない、現象を構成する生命力という気さえもないならば、はたして精霊は存在しないのか?ということである。


曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;
私はいう、「形体があって声がないものが、物体にはある。土や石などがこれである。」


有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;
「声があって形のないものが、物にはある。風や雷がこれである。」
〇風霆 風や雷鳴。霆は雷の余声をいう。雷の物を震動する音を震、そのあとに残る音を霆といい、光を電というが、雷・霆・電は別なく「かみなり」をいう。


有聲與形者,物有之矣,人獸是也;
「声と形体とがあるものが、物体にある。人や獣の類がこれである。」


無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
「声も形もないものが、物にはある。精魂、精霊や天と神がこれである。」と。
○鬼神 鬼と神。「きじん」(おにがみではない。)鬼は精魂、精霊、神は天と神、目には見えず万物の上に伸びる働きをいう。神は伸でもある。

原鬼 韓愈(韓退之) <118-1>Ⅱ中唐詩614 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2054

原鬼 韓愈(韓退之) <118-1>

2013年3月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原鬼 韓愈(韓退之) <118-1>Ⅱ中唐詩614 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2054
作〈原鬼〉。此篇收錄於 韓昌黎文集第一卷 
当時、不可解なもの、現象などにより、民間信仰から、道教、末法の仏教へ移行したものが多く、これを人間の精霊(鬼)の本原の理を明らかにすることにより防ごうというものである。
 

原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。有立於堂,從而視之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。有觸吾躬,從而執之,無得也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
二段目
曰:鬼無聲也,無形也,無氣也,果無鬼乎?曰:有形而無聲者,物有之矣,土石是也;有聲而無形者,物有之矣,風霆是也;有聲與形者,物有之矣,人獸是也;無聲與形者,物有之矣,鬼神是也。
韓愈0016三段目
曰:然則有怪而與民物接者,何也?
曰:是有二:有鬼,有物。
漠然無形與聲者,鬼之常也。
民有忤於天,有違於民,
有爽於物,逆於倫,而感於氣,於是乎鬼有形於形,有憑於聲以應之,而下殃禍焉,皆民之為之也。
其既也,又反乎其常。
四段目
曰:何謂物?曰:成於形與聲者,土石、風霆、人獸是也;反乎無聲與形者,鬼神是也;不能有形與聲,不能無形與聲者,物怪是也。故其作而接於民也無恆,故有動於民而為禍,亦有動於民而為福,亦有動於民而莫之為禍福,適丁民之有是時也。


原鬼
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。
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有立於堂,從而視之,無見也。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。
有觸吾躬,從而執之,無得也。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。
斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。

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梁に嘯【うそぶく】くもの有り。従って之を燭【てら】すに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼には聾無しと。
堂に立つもの有り、従って之を視るに、見ること無し。
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『原鬼』 現代語訳と訳註
(本文)
一段目
有嘯於梁,從而燭之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。有立於堂,從而視之,無見也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。有觸吾躬,從而執之,無得也。斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。


(下し文)
梁に嘯【うそぶく】くもの有り。従って之を燭【てら】すに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼には聾無しと。
堂に立つもの有り、従って之を視るに、見ること無し。
斯れ鬼か。日く、非なり、鬼に形無しと。
吾が躬【み】に觸【ふ】るるもの有り、従って之を執【とら】ふるに、得ること無し。
斯れ鬼か。曰く、非なり、鬼には馨と形と無し、安んぞ気有らんと。


(現代語訳)
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
これは精霊ではなかろうか。私は断言していう、「そうではない。精霊には声がない。」と。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。
それこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には声もなく、形もないのだから、どうして手に実際に感じる感覚があるというのか。」と。


 (訳注)
原鬼 一段目

当時、不可解なもの、現象などにより、民間信仰から、道教、末法の仏教へ移行したものが多く、これを人間の精霊(鬼)の本原の理を明らかにすることにより防ごうというものである。当時奇怪な現象を人の精霊のしわざであるとし、道女信仰、祈祷などによる事件がおおかったので、精霊と物の怪との区別を論じたのである。『説文』に「人の帰(き)する所を鬼(き)となす」という。『爾雅』釈訓に「鬼の言たる帰なり」 と、また『礼記』礼運篇注に「鬼は精魂の帰する所」とある。鬼は本来声も形もないものだから知覚できない、もし知ることができるならは、それは物であり、物の怪であるというものである。


有嘯於梁,從而燭之,無見也。
横になって天井を見る。すると家の梁桁でヒューッと息継いだものがある。そこで燭でそこら辺りを照らして見るが、見えるものがないのである。
○嘯 うそぶく。口をすぼめて、声を長くひいて息を出す。口笛をふく。
○従 そこへ行く。それを追い求める。
○燭 燈火でてらす。


斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲。
これは精霊ではなかろうか。私は断言していう、「そうではない。精霊には声がない。」と。


有立於堂,從而視之,無見也。
家の奥座敷に立っているものがあるようだ。そこへ行ってよく見てみるが、見えるものがない。
・堂 家の奥座敷。


斯鬼乎?曰:非也,鬼無形。
これこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には形がないのだ。」と。


有觸吾躬,從而執之,無得也。
私の身体にふれるものがある。では、それを求めて手につかまえようとしても、手に取れるものがない。


斯鬼乎?曰:非也,鬼無聲與形,安有氣。
それこそが精霊であろうか。私はいう、「そうではない。精霊には声もなく、形もないのだから、どうして手に実際に感じる感覚があるというのか。」と。
○気 現象、触れて知覚できるもの。現象を構成する物質的な要素。実際の感覚。


kairo10680

原人 韓愈(韓退之) <117-4>Ⅱ中唐詩613 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2049

原人 韓愈(韓退之) <117-4>

2013年3月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩

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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原人 韓愈(韓退之) <117-3>Ⅱ中唐詩612 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2044
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集隴西行 謝霊運<10> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2051 (03/11)
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原人 韓愈(韓退之) <117-4>Ⅱ中唐詩613 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2049


一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地。
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
命於其兩間者謂之人。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。
形於上,日月星辰皆天也。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
形於下,草木山川皆地也。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。
命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。
一段目
(人を原ぬ。)
上に形るる者之を天と謂う,下に形るる者之を地と謂う。
其の兩間に命ぜらるる者之を人と謂う。
上に形るる,日月星辰は皆天なり。
下に形るる,草木山川は皆地なり。
其の兩間に命ぜらるる,夷狄禽獸は皆人なり。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」
ある人はいう、「それならば、われわれは鳥やけものについてであるが、それを人といってよいだろうか」と。
曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?
それに対して私はいう、「それはいけない。山を指さして問うのに、『山ですか』という。
曰山,可也。
それにたいして『山である』というのはよいのである。
山有草木禽獸,皆舉之矣。
山には草木があり、禽獣がいるのであるが、これらすべてをふくめていうのである。
指山之一草而問焉,曰山乎?

山の一本の草を指さして問うたとして、『山か』というと、
曰山,則不可。」
山ということを云う。それはよくない」ということである。

二段目
曰く:「然らば則ち吾 禽獸を人と謂う,可ならんか?」よ。
曰く:「非なり。山を指さして問う,曰く山か?」と。
曰く山なるは,可なり。
山に草木 禽獸有り,皆 之を舉ぐるなり。
指山の一草を指さして問う,山と曰うなるか?」と。
山と曰う,則ち不可なり。」と

三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;
こうして天の運行の道筋が乱れると、太陽や月、星、星座の類が、その正しい運行を得ることが出来ないのだ。
地道亂,而草木山川不得其平;
地のあり方が乱れると、草木、山川などが、平安、安定、平穏であることができないのである。
人道亂,而夷狄禽獸不得其情。
人のあり方が乱れると、東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類までも、真実の生き方ができなくなる。

天者,日月星辰之主也;
天は太陽や月、星、星座の類するものの主をなすものである。
地者,草木山川之主也;
地は草木、山川の類するものの主をなすものである。
人者,夷狄禽獸之主也。
人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものの主となすものである。
主而暴之,不得其為主之道矣,
主となすものでありながらその属類を害するということは、主たるものがその為すべき道を正しく行わないということである。
是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。
このゆえに、聖人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものであろうと、漢民族も同一に見て同じく博愛の情をもって「一視同仁」として治め、身近のものに対して「仁」として手厚く施すとともに、遠くのものにものこらず及ぼすようにするのである。

故に天道【てんどう】乱れて、日月【じつげつ】星辰【せいしん】、其の行を得ず。
地道乱れて、草木山川、其の平を得ず。
人道乱れて、夷狄【いてき】禽獣【きんじゅう】、其の情を得ず。

天は日月屋辰の主なり。
地は草木山川の主なり。
人は夷狄禽獣の主なり。
主にして之を暴【そこな】ふは、其の圭偽るの道を得ざるなり。
是の故に聖人は一現して同仁に、近きに篤くして遠きを挙ぐるなり。

韓愈0015


韓愈『原人』 現代語訳と訳註
(本文)

天者,日月星辰之主也;
地者,草木山川之主也;
人者,夷狄禽獸之主也。
主而暴之,不得其為主之道矣,
是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。


(下し文)
天は日月屋辰の主なり。
地は草木山川の主なり。
人は夷狄禽獣の主なり。
主にして之を暴【そこな】ふは、其の圭偽るの道を得ざるなり。
是の故に聖人は一現して同仁に、近きに篤くして遠きを挙ぐるなり。


(現代語訳)
天は太陽や月、星、星座の類するものの主をなすものである。
地は草木、山川の類するものの主をなすものである。
人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものの主となすものである。
主となすものでありながらその属類を害するということは、主たるものがその為すべき道を正しく行わないということである。
このゆえに、聖人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものであろうと、漢民族も同一に見て同じく博愛の情をもって「一視同仁」として治め、身近のものに対して「仁」として手厚く施すとともに、遠くのものにものこらず及ぼすようにするのである。


(訳注)
原人
(人をたずねる)
五原の中でも法則の具わったものである。
『一視而同仁』天地万物は一体である。そして自分に近いものを手厚く溺愛し、遠いものをも取り挙げて忘れないのは、現実の事に対する用(はたらき)なのであるとする。
まず、肉親を親しんで、博く人民を愛し、人民に仁慈であって、それから万物を愛するのである。そこには本来攻めるべき間際(すきま)は無い」というものである。
韓愈は文人、思想家、哲学者としての見識をそなえていた。宋代以降の性理学、理気の学、すなわち本体と作用、あるいは原理と現象に関する哲学の基本的な物の見方がここに表れているのである。
いずれにしても中世封建制を支える思想となったことは間違いないのである。


天者,日月星辰之主也;
天は太陽や月、星、星座の類するものの主をなすものである。
○主 同属、類するものの主人。


地者,草木山川之主也;
地は草木、山川の類するものの主をなすものである。


人者,夷狄禽獸之主也。
人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものの主となすものである。


主而暴之,不得其為主之道矣,
主となすものでありながらその属類を害するということは、主たるものがその為すべき道を正しく行わないということである。
○暴 そこなう。害する。
○不待其為主之道 それらの主人としてのあり方、為すべきことが正しくないということ。


是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。
このゆえに、聖人は東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類するものであろうと、漢民族も同一に見て同じく博愛の情をもって「一視同仁」として治め、身近のものに対して「仁」として手厚く施すとともに、遠くのものにものこらず及ぼすようにするのである。
○一視而同仁 同一に視て同様に仁愛を施す。差別をつけず、すべての人を同じように愛すること。この句によって、「一視同仁」という熟語が生れ、朝鮮統治の際、使われた用語である。
○罵近而挙遠 近いものに手厚く、遠いものを残らず包括する。
○「挙」はすべて、こぞる。残さない。

原人 韓愈(韓退之) <117-3>Ⅱ中唐詩612 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2044

原人 三段目 韓愈(韓退之) <117-3>


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原人 韓愈(韓退之) <117-3>Ⅱ中唐詩612 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2044


韓愈『原人』
原人 一段目

韓愈0015形於上者謂之天,形於下者謂之地,命於其兩間者謂之人。形於上,日月星辰皆天也;形於下,草木山川皆地也;命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?曰山,可也。山有草木禽獸,皆舉之矣。指山之一草而問焉,曰山乎?曰山,則不可。」

三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;地道亂,而草木山川不得其平;人道亂,而夷狄禽獸不得其情。天者,日月星辰之主也;地者,草木山川之主也;人者,夷狄禽獸之主也。主而暴之,不得其為主之道矣,是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。


一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地。
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
命於其兩間者謂之人。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。
形於上,日月星辰皆天也。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
形於下,草木山川皆地也。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。
命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。
(人を原ぬ。)
上に形るる者之を天と謂う,下に形るる者之を地と謂う。
其の兩間に命ぜらるる者之を人と謂う。
上に形るる,日月星辰は皆天なり。
下に形るる,草木山川は皆地なり。
其の兩間に命ぜらるる,夷狄禽獸は皆人なり。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」
ある人はいう、「それならば、われわれは鳥やけものについてであるが、それを人といってよいだろうか」と。
曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?
それに対して私はいう、「それはいけない。山を指さして問うのに、『山ですか』という。
曰山,可也。
それにたいして『山である』というのはよいのである。
山有草木禽獸,皆舉之矣。
山には草木があり、禽獣がいるのであるが、これらすべてをふくめていうのである。
指山之一草而問焉,曰山乎?
山の一本の草を指さして問うたとして、『山か』というと、
曰山,則不可。」
山ということを云う。それはよくない」ということである。

二段目
曰く:「然らば則ち吾 禽獸を人と謂う,可ならんか?」よ。
曰く:「非なり。山を指さして問う,曰く山か?」と。
曰く山なるは,可なり。
山に草木 禽獸有り,皆 之を舉ぐるなり。
指山の一草を指さして問う,山と曰うなるか?」と。
山と曰う,則ち不可なり。」と


三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;
こうして天の運行の道筋が乱れると、太陽や月、星、星座の類が、その正しい運行を得ることが出来ないのだ。
地道亂,而草木山川不得其平;
地のあり方が乱れると、草木、山川などが、平安、安定、平穏であることができないのである。
人道亂,而夷狄禽獸不得其情。

人のあり方が乱れると、東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類までも、真実の生き方ができなくなる。

天者,日月星辰之主也;
地者,草木山川之主也;
人者,夷狄禽獸之主也。
主而暴之,不得其為主之道矣,
是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。

故に天道【てんどう】乱れて、日月【じつげつ】星辰【せいしん】、其の行を得ず。
地道乱れて、草木山川、其の平を得ず。
人道乱れて、夷狄【いてき】禽獣【きんじゅう】、其の情を得ず。

天は日月屋辰の主なり。
地は草木山川の主なり。
人は夷狄禽獣の主なり。
主にして之を暴【そこな】ふは、其の圭偽るの道を得ざるなり。
是の故に聖人は一現して同仁に、近きに篤くして遠きを挙ぐるなり。


太行山脈001

韓愈『原人』 現代語訳と訳註
(本文)
三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;
地道亂,而草木山川不得其平;
人道亂,而夷狄禽獸不得其情。


(下し文)
故に天道【てんどう】乱れて、日月【じつげつ】星辰【せいしん】、其の行を得ず。
地道乱れて、草木山川、其の平を得ず。
人道乱れて、夷狄【いてき】禽獣【きんじゅう】、其の情を得ず。

(現代語訳)
こうして天の運行の道筋が乱れると、太陽や月、星、星座の類が、その正しい運行を得ることが出来ないのだ。
地のあり方が乱れると、草木、山川などが、平安、安定、平穏であることができないのである。
人のあり方が乱れると、東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類までも、真実の生き方ができなくなる。


(訳注) 三段目
原人
五原の中でも法則の具わったものである。
『一視而同仁』天地万物は一体である。そして自分に近いものを手厚く溺愛し、遠いものをも取り挙げて忘れないのは、現実の事に対する用(はたらき)なのであるとする。
まず、肉親を親しんで、博く人民を愛し、人民に仁慈であって、それから万物を愛するのである。そこには本来攻めるべき間際(すきま)は無い」というものである。
韓愈は文人、思想家、哲学者としての見識をそなえていた。宋代以降の性理学、理気の学、すなわち本体と作用、あるいは原理と現象に関する哲学の基本的な物の見方がここに表れているのである。
いずれにしても中世封建制を支える思想となったことは間違いないのである。


故天道亂,而日月星辰不得其行;
こうして天の運行の道筋が乱れると、太陽や月、星、星座の類が、その正しい運行を得ることが出来ないのだ。
○行 みち、運行


地道亂,而草木山川不得其平;
地のあり方が乱れると、草木、山川などが、平安、安定、平穏であることができないのである。
○平 平安、安定、平穏


人道亂,而夷狄禽獸不得其情。
人のあり方が乱れると、東夷・西戎・南蛮・北狄、鳥毛物の類までも、真実の生き方ができなくなる。
○人道 人の筋道。人のあり方。
夷狄 東夷や北狄であるが、東夷・西戎・南蛮・北狄といい、加えて仏教とも、中華思想においては、漢人、儒者より下等のものと見ている。
○情 実情、「その情を得ず」はその実情に適したい。真実の生き方ができないの意。

(中華思想を意識しているわけではないが、漢民族的発想である。)この頃の人は、儒教に対して、嫌気がして、道教に向かうか、仏教に向かったために韓愈は国のあり方を憂いたのである。そのことは、『華山女』「街東街西講佛經,撞鐘吹螺鬧宮庭。」と『石鼓歌』「繼周八代爭戰罷,無人收拾理則那。」など同時期に作られた詩にその心配していることをのべているのである。

華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778

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原人 二段目 韓愈(韓退之) <117-2>Ⅱ中唐詩611 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2039

原人 二段目 韓愈(韓退之) <117-2>

2013年3月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原人 二段目 韓愈(韓退之) <117-2>Ⅱ中唐詩611 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2039
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集題新津北橋樓得郊字 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 14)  杜甫 <419>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2040 杜甫詩1000-419-602/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集述祖徳詩 二首(2)其一 謝霊運<8> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2041 (03/09)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性感懷寄人 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-99-35-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2042
 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



原人 二段目 韓愈(韓退之) <117-2>Ⅱ中唐詩611 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2039


韓愈『原人』

原人
一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地,命於其兩間者謂之人。形於上,日月星辰皆天也;形於下,草木山川皆地也;命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?曰山,可也。山有草木禽獸,皆舉之矣。指山之一草而問焉,曰山乎?曰山,則不可。」

三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;地道亂,而草木山川不得其平;人道亂,而夷狄禽獸不得其情。天者,日月星辰之主也;地者,草木山川之主也;人者,夷狄禽獸之主也。主而暴之,不得其為主之道矣,是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。


一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地。
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
命於其兩間者謂之人。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。
形於上,日月星辰皆天也。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
形於下,草木山川皆地也。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。
命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。
(人を原ぬ。)
上に形るる者之を天と謂う,下に形るる者之を地と謂う。
其の兩間に命ぜらるる者之を人と謂う。
上に形るる,日月星辰は皆天なり。
下に形るる,草木山川は皆地なり。
其の兩間に命ぜらるる,夷狄禽獸は皆人なり。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」
ある人はいう、「それならば、われわれは鳥やけものについてであるが、それを人といってよいだろうか」と。
曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?
それに対して私はいう、「それはいけない。山を指さして問うのに、『山ですか』という。
曰山,可也。
それにたいして『山である』というのはよいのである。
山有草木禽獸,皆舉之矣。
山には草木があり、禽獣がいるのであるが、これらすべてをふくめていうのである。
指山之一草而問焉,曰山乎?
山の一本の草を指さして問うたとして、『山か』というと、
曰山,則不可。」
山ということを云う。それはよくない」ということである。

二段目
曰く:「然らば則ち吾 禽獸を人と謂う,可ならんか?」よ。
曰く:「非なり。山を指さして問う,曰く山か?」と。
曰く山なるは,可なり。
山に草木 禽獸有り,皆 之を舉ぐるなり。
指山の一草を指さして問う,山と曰うなるか?」と。
山と曰う,則ち不可なり。」と


韓愈『原人』 現代語訳と訳註
(本文)
二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」
曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?
曰山,可也。
山有草木禽獸,皆舉之矣。指山之一草而問焉,曰山乎?曰山,則不可。」


(下し文)
曰く:「然らば則ち吾 禽獸を人と謂う,可ならんか?」よ。
曰く:「非なり。山を指さして問う,曰く山か?」と。
曰く山なるは,可なり。
山に草木 禽獸有り,皆 之を舉ぐるなり。
指山の一草を指さして問う,山と曰うなるか?」と。
山と曰う,則ち不可なり。」と


(現代語訳)
ある人はいう、「それならば、われわれは鳥やけものについてであるが、それを人といってよいだろうか」と。
それに対して私はいう、「それはいけない。山を指さして問うのに、『山ですか』という。
それにたいして『山である』というのはよいのである。
山には草木があり、禽獣がいるのであるが、これらすべてをふくめていうのである。
山の一本の草を指さして問うたとして、『山か』というと、
山ということを云う。それはよくない」ということである。


韓愈0015(訳注)二段目
原人

五原の中でも法則の具わったものである。
『一視而同仁』天地万物は一体である。そして自分に近いものを手厚く溺愛し、遠いものをも取り挙げて忘れないのは、現実の事に対する用(はたらき)なのであるとする。
まず、肉親を親しんで、博く人民を愛し、人民に仁慈であって、それから万物を愛するのである。そこには本来攻めるべき間際(すきま)は無い」というものである。
韓愈は文人、思想家、哲学者としての見識をそなえていた。宋代以降の性理学、理気の学、すなわち本体と作用、あるいは原理と現象に関する哲学の基本的な物の見方がここに表れているのである。
いずれにしても中世封建制を支える思想となったことは間違いないのである。


曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」
ある人はいう、「それならば、われわれは鳥やけものについてであるが、それを人といってよいだろうか」と。


曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?
それに対して私はいう、「それはいけない。山を指さして問うのに、『山ですか』という。


曰山,可也。
それにたいして『山である』というのはよいのである。


山有草木禽獸,皆舉之矣。
山には草木があり、禽獣がいるのであるが、これらすべてをふくめていうのである。
○挙 こぞって。すべて包括して。


指山之一草而問焉,曰山乎?
山の一本の草を指さして問うたとして、『山か』というと、


曰山,則不可。」
山ということを云う。それはよくない」ということである。

原人 韓愈(韓退之) <117-1>Ⅱ中唐詩610 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2034

原道 原性 原人 原鬼 原毀


2013年3月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

原人 韓愈(韓退之) <117-1>Ⅱ中唐詩610 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2034


韓愈『原人』

韓愈0015

一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地,命於其兩間者謂之人。形於上,日月星辰皆天也;形於下,草木山川皆地也;命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

二段目
曰:「然則吾謂禽獸人,可乎?」曰:「非也。指山而問焉,曰山乎?曰山,可也。山有草木禽獸,皆舉之矣。指山之一草而問焉,曰山乎?曰山,則不可。」

三段目
故天道亂,而日月星辰不得其行;地道亂,而草木山川不得其平;人道亂,而夷狄禽獸不得其情。天者,日月星辰之主也;地者,草木山川之主也;人者,夷狄禽獸之主也。主而暴之,不得其為主之道矣,是故聖人一視而同仁,篤近而舉遠。


韓愈『原人』
一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地。
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
命於其兩間者謂之人。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。
形於上,日月星辰皆天也。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
形於下,草木山川皆地也。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。
命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。

その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。
一段目
(人を原ぬ。)
上に形るる者之を天と謂う,下に形るる者之を地と謂う。
其の兩間に命ぜらるる者之を人と謂う。
上に形るる,日月星辰は皆天なり。
下に形るる,草木山川は皆地なり。
其の兩間に命ぜらるる,夷狄禽獸は皆人なり。


韓愈『原人』 現代語訳と訳註
(本文)
一段目
形於上者謂之天,形於下者謂之地,命於其兩間者謂之人。形於上,日月星辰皆天也;形於下,草木山川皆地也;命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。


(下し文)
上に形るる者之を天と謂う,下に形るる者之を地と謂う。
其の兩間に命ぜらるる者之を人と謂う。
上に形るる,日月星辰は皆天なり。
下に形るる,草木山川は皆地なり。
其の兩間に命ぜらるる,夷狄禽獸は皆人なり。


(現代語訳)
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。


(訳注) 一段目
原人

五原の中でも法則の具わったものである。
『一視而同仁』天地万物は一体である。そして自分に近いものを手厚く溺愛し、遠いものをも取り挙げて忘れないのは、現実の事に対する用(はたらき)なのであるとする。
まず、肉親を親しんで、博く人民を愛し、人民に仁慈であって、それから万物を愛するのである。そこには本来攻めるべき間際(すきま)は無い」というものである。
韓愈は文人、思想家、哲学者としての見識をそなえていた。宋代以降の性理学、理気の学、すなわち本体と作用、あるいは原理と現象に関する哲学の基本的な物の見方がここに表れているのである。
いずれにしても中世封建制を支える思想となったことは間違いないのである。


形於上者謂之天,形於下者謂之地。
上方にあらわれている形のもの、これを「天」という。下方にあらわれている形のもの、これを「地」という。
・天と地。『論語』憲問
子曰、莫我知也夫。
子貢曰、何為其莫知子也。
子曰、不怨天、不尤人、下学而上達、知我者其天乎。


命於其兩間者謂之人
その天と地、二つの間に命を受けて存在するもの、これを「人間」というのである。


形於上,日月星辰皆天也。
上おける形のあらわれるものには、日、月、星、星座は、皆「天」に存在するものである。
・日月星辰皆天也 これについては韓愈は多くに詩にも述べている
『陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉)』三光弛隳不複暾,虎熊麋豬逮猴猿。
日月星辰 天にあるものすべてものが地に堕ちてくる。地にいる虎 熊 鹿 猪 猿猴のたぐいも一緒になる。

陸渾山火和皇甫湜用其韻(湜時為陸渾尉) 韓退之(韓愈)詩<93-#2>Ⅱ中唐詩495 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1564

孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-5>Ⅱ中唐詩476 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1507

孟東野失子 韓退之(韓愈)詩<83-4>Ⅱ中唐詩475 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1504

○星辰 二十八宿の星と、日月の軌道の交わるところの辰(とき)をいう。あわせて星の類をいう。


形於下,草木山川皆地也。
下、すなわち地に形あるものとして、草木山川の類はみな「地」のものとするである。


命於其兩間,夷狄禽獸皆人也。
その天と地、二つの間に命を受けて存在するひとがいるが、ここでは東夷・西戎・南蛮・北狄の異民族、鳥やけものの、虫魚類までも皆「人」に属するということである。
○夷狄 四方を文化の低い異民族とし、東夷・西戎・南蛮・北狄といい、加えて仏教とも、中華思想においては、漢人、儒者より下等のものと見て、禽(鳥類)獣(けもの)と並べていい、虫や魚の類を同等のものとして一段低い人とあわせて見るのである。


原性(まとめ) 韓愈(韓退之) <116-11>Ⅱ中唐詩609 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2029

原性(まとめ) 韓愈(韓退之) 

2013年3月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ

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Ⅱ中唐詩・晩唐詩●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
・水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
・従遊京口北固應詔 謝霊運<6> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2031 (03/07)
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 ●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
・重陽阻雨 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-97-33-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2032
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/24004658.html
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古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 



原性(まとめ) 韓愈(韓退之) <116-11>Ⅱ中唐詩609 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2029

原道孔子廟001306










一段目
性也者,與生俱生也;
「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。
情也者,接於物而生也。
「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。
性之品有三,而其所以為性者五;
性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。
情之品有三,而其所以為情者七。

感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。

性なる者は生と倶に生ずるなり。
情なる者は物に接して生ずるなり。
性の品に三有り。而して其の性為る所以の者五あり。
情の品に三有り。而して其の情為る所以の者七あり。



二段目
曰:何也?
続いて言う:それはどういうことかといえば、次のようなわけである。
曰:性之品有上中下三。
続いて言う:「性」それは“人の誕生により生ずるもののであり、人間の生きるための心のはたらきである”ものに上・中・下の三等があるということだ。
上焉者,善焉而已矣;
その内の上等のものは善ばかりということである。
中焉者,可導而上下也;
その内の中等のものは、導きにより上等にも下等にもなりうるものである。
下焉者,惡焉而已矣。
その内の下等のものは、悪ばかりということである。
其所以為性者五:曰仁、曰禮、曰信、曰義、曰智。
人間の心の働きとするところの「性」に五種ある。「仁」という人間愛の心であり、「礼」という道徳形式の定めに従う心であり、「信」という言行一致のいつわりのない心であり、「義」という理性によって正しい行いをする心であり、「智」という善悪是非を判断する心のはたらきである。
上焉者之於五也,主於一而行於四;
上等の生まれつきのものの、この五種の徳性に対する関係は、その内一つを主として、他の四種に行きわたり働く(実行は相互に関係して成長するもの)。
中焉者之於五也,一不少有焉,
中等の性のものが、五つの徳性に対する関係は、その内一種が少しだけ有るという程度である。
則少反焉,其於四也混;
あるいは、少し叛いている。そして他の四種の徳は、備えていたり、不足していたりして、混合、不安定な状態である。
下焉者之於五也,反於一而悖於四。
性の下等な者が、五つの徳に対する心の働きは、その内の一つには完全にそむいていて、他の四種についても実行しようと云う意識にもかけているということだ。
性之於情視其品。
生れながらにそなわった「性」と「情」との関係は、情の上中下の三品位に比例していているのである。

日く、何ぞやと。
日く、性の品に上中下の≡有り。
上なる者は善のみ。
中なる者は導いて上下す可きなり。
下なる者は悪のみ。
其の性為る所以の者五あり。日く仁、白く禮、日く信、曰くく義、日く智と。
上なる者の五に於けるや、一に主にして四に行はる。中なる者の五に於けるや、一少しく有せざれは、則ち少しく反し、其の四に於けるや混す。
下なる者の五に於けるや、一に反して四に悖る。性の情に於ける、其の品に視ふ。
原性 韓愈(韓退之) <116-2>Ⅱ中唐詩600 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1984

原性 韓愈(韓退之) <116-3>Ⅱ中唐詩601 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1989


三段目
情之品有上中下三,其所以為情者七:
性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情の品には、上・中・下の三つの品がある。その感情の種類とするところのものは七種である。
曰喜、曰怒、曰哀、曰懼、曰愛、曰惡、曰欲。
まずいう、「喜び」である。続いて言うのは「怒り」であり、続いて言うのは「哀しみ」であり、続いて言うのは「懼れ」であり、続いて言うのは「愛」であり、続いて言うのは「悪【にく】しみ」であり、続いて言うのは「欲」である。
上焉者之於七也,動而處其中;
上等の情とこの七種の感情との関係は、情が動いて、しかも過不足のない適度のところに安定しているものである。
中焉者之於七也,有所甚,有所亡,然而求合其中者也;
中等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、過度に発動するところがあるものである。
と同時に欠乏しているところがあるのである。しかし、その過不足のないところに適合させることを求めるのである。

下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
下等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、全く欠乏しているのと、過度のものと、ともにその感情の動くままに行うものをいうのである。
情之於性視其品。

「情」と「性」との関係は、性の品の等級に見合っているものというわけである。

情の品に上中下の三有り。其の情爲る所以【ゆえん】の者七あり。曰く喜、曰く怒、日く京、曰く怖、曰く愛、曰く悪、曰く欲と。
上なる者の七に於けるや、動いて其の中に處【お】る。

中なる者の七に於けるや、甚しき所有り、
亡き所有り。然れども其の中に合はんことを求むる者なり。
下なる者の七に於けるや、亡きと甚【はなはだ】しきと、直情にして行ふ者なり。
情の性に於ける、其の品に視【なぞら】ふと。
原性 韓愈(韓退之) <116-4>Ⅱ中唐詩602 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1994



四段目
孟子之言性曰:人之性善。
孟子の性を論ずる説にいう。:人の性は善である。
荀子之言性曰:人之性惡。
筍子の人の性を論ずる説はこういう:人の性は悪である。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
揚子の人の性を論ずる説はこういう。:人の性は善と悪が混合しているのである。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
そもそも始めは善いけれども悪に進むという孟子の説と、もともと悪いけれども善に進むという荀子の説と、始めは善悪混合しているけれども、今は善となり、或いは悪にとなるという揚雄の説である。
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。

それぞれの挙げている説には、その性の中等のものを取りあげて論じているのであり、その上等のものと下等のものとを忘れているのである。その一つである中等の性を理解してはいるが、他の二つ、上等と下等の性を論外のものとして見落としているのだ。
孟子の性を言ふ、日く、人の性は善なりと。
荀子の性を言ふ、日く、人の性は悪なりと。
揚子の性を言ふ、日く、人の性は善悪混ずと。
夫れ始め善にして悪に進むと、始め悪にして善に進むと、始めや混じて今や善悪なると、
皆其の中を挙げて其の上下を遺す者なり。其の一を得て、其の二を失ふ者なり。


五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒之生也,子文以為大戚,知若敖氏之鬼不食也。
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。
人之性果善乎?後稷之生也,其母無災,其始匍匐也,
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のことである。
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
則岐岐然,嶷嶷然。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
文王之在母也,母不憂;既生也,傅不勤;既學也,師不煩;
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
人之性果惡乎?
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。

叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。

人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。

六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,習非不善也,
而卒為奸;
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。

瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,而卒為聖。人之性善惡果混乎?
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。

故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。

堯の朱、舜の均、文王の管蔡【かんさい】は、
習【ならい】善ならざるに非ざるなり。而も卒に奸を為す。
瞽叟【こそう】の舜、鯀【こん】の禹は、習【ならい】悪ならざるに非ざるなり。
而も卒に聖人と為る。人の性は善悪果して混ずるか。
故に日く、三子の性を言ふや、其の中を舉げて、其の上下を遺【のこ】す者なり。
其の一を得て、其の二を失ふ者なりと。

七段目
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
曰:上之性,就學而愈明;下之性,畏威而寡罪;
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」

是故上者可教,而下者可制也,其品則孔子謂不移也。
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。

曰:今之言性者異於此,何也?
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
曰:今之言者,雜佛、老而言也;雜佛、老而言也者,奚言而不異?

私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)

曰く:然らば則ち性之上下なる者は,其れ終に不可移すべからざるか?と。
曰く:「上之性は,學に就いて愈いよ明かに;
下之性は,威を畏れて罪 寡【すくな】し;
是の故に上なる者は教えべくして,下なる者は可制すべきなり,其の品は則ち孔子の謂う不移らざるなり」と。
曰く:「今の性を言う者は此に於て異なり,何んぞや?」と。
曰く:今の言う者は,佛と老を雜えて言うなり;
佛と老を雜えて言う者は,奚【なに】を言うて異ならざらんや?」と。



原性01













一段目
性也者,與生俱生也;情也者,接於物而生也。
性之品有三,而其所以為性者五;情之品有三,而其所以為情者七。

二段目
曰:何也?
曰:性之品有上中下三。
上焉者,善焉而已矣;中焉者,可導而上下也;
下焉者,惡焉而已矣。
其所以為性者五:曰仁、曰禮、曰信、曰義、曰智。
上焉者之於五也,主於一而行於四;
中焉者之於五也,一不少有焉,則少反焉,其於四也混;
下焉者之於五也,反於一而悖於四。性之於情視其品。

三段目
情之品有上中下三,其所以為情者七:
曰喜、曰怒、曰哀、曰懼、曰愛、曰惡、曰欲。
上焉者之於七也,動而處其中;
中焉者之於七也,有所甚,有所亡,然而求合其中者也;
下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
情之於性視其品。

四段目
孟子之言性曰:人之性善。
荀子之言性曰:人之性惡。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。

五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
越椒之生也,子文以為大戚,知若敖氏之鬼不食也。
人之性果善乎?後稷之生也,其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;既生也,傅不勤;既學也,師不煩;
人之性果惡乎?

六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,習非不善也,
而卒為奸;
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,而卒為聖。人之性善惡果混乎?
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。

七段目
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
曰:上之性,就學而愈明;下之性,畏威而寡罪;
是故上者可教,而下者可制也,其品則孔子謂不移也。
曰:今之言性者異於此,何也?
曰:今之言者,雜佛、老而言也;雜佛、老而言也者,奚言而不異?



原性 韓愈(韓退之) <116-1>Ⅱ中唐詩599 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1979

原性 七段目(最終回)韓愈(韓退之) <116-10>Ⅱ中唐詩608 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2024

原性 7段目(最終回)


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原性 韓愈(韓退之) <116-10>Ⅱ中唐詩608 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2024


原性 7段目(最終回)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
曰:上之性,就學而愈明;
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
下之性,畏威而寡罪;
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
是故上者可教,而下者可制也,
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
其品則孔子謂不移也。
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
曰:今之言性者異於此,何也?
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
曰:今之言者,雜佛、老而言也;
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
雜佛、老而言也者,奚言而不異?

そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)

七段目
曰く:然らば則ち性之上下なる者は,其れ終に不可移すべからざるか?と。
曰く:「上之性は,學に就いて愈いよ明かに;
下之性は,威を畏れて罪 寡【すくな】し;
是の故に上なる者は教えべくして,下なる者は可制すべきなり,其の品は則ち孔子の謂う不移らざるなり」と。
曰く:「今の性を言う者は此に於て異なり,何んぞや?」と。
曰く:今の言う者は,佛と老を雜えて言うなり;
佛と老を雜えて言う者は,奚【なに】を言うて異ならざらんや?」と。


原道孔子廟001306













『原性』七段目 現代語訳と訳註
(本文)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
曰:上之性,就學而愈明;
下之性,畏威而寡罪;
是故上者可教,而下者可制也,其品則孔子謂不移也。
曰:今之言性者異於此,何也?
曰:今之言者,雜佛、老而言也;
雜佛、老而言也者,奚言而不異?


(下し文)
曰く:然らば則ち性之上下なる者は,其れ終に不可移すべからざるか?と。
曰く:「上之性は,學に就いて愈いよ明かに;
下之性は,威を畏れて罪 寡【すくな】し;
是の故に上なる者は教えべくして,下なる者は可制すべきなり,其の品は則ち孔子の謂う不移らざるなり」と。
曰く:「今の性を言う者は此に於て異なり,何んぞや?」と。
曰く:今の言う者は,佛と老を雜えて言うなり;
佛と老を雜えて言う者は,奚【なに】を言うて異ならざらんや?」と。


(現代語訳)
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)


(訳注)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?

続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。


曰:上之性,就學而愈明;
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」


下之性,畏威而寡罪;
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
○畏威 刑罰のおどしをおそれはばかる。刑罰が重いほど懼れる。


是故上者可教,而下者可制也,
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」


其品則孔子謂不移也。
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
○孔子謂不移也 『論語』陽貨篇に「子日く、唯上知と下愚とは移らず」と。また「子日く、性相近きなり、習相遠きなり」とある。孔子はいう、中人の性は、ほぼ同じく、相近いから、習慣によって善にも悪にもなり、相遠くなる。ただ上等の知者と、下等の愚かな性のものとは、習慣によって移ることはないという。


曰:今之言性者異於此,何也?
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。


曰:今之言者,雜佛、老而言也;
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
○雑仏老而言 仏教や老荘の考えをまじえて言う。老荘道家のいう性には善悪がなく、自然の性である。善悪の差別をも認めない。『老子』二十章に「善と悪と相去ること何若(いかん)」と。仏教では性(しょう)は万有の原因といい、性具(しょうぐ)とは、本覚の性で、本覚の性は一切の善悪諸法を具有しているという。また「善悪不二」善と悪とは別のものではないという考えもある。これらの考えをまじえて人性を諭ずる。


雜佛、老而言也者,奚言而不異?
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)

原性 六段目 韓愈(韓退之) <116-9> Ⅱ中唐晩唐 607 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2019

原性 六段目 韓愈(韓退之) 

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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集三月三日侍宴西池 謝霊運<4> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2021 (03/05)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題任處士創資福寺 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-95-31-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2022
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



原性 六段目 韓愈(韓退之) <116-9> Ⅱ中唐晩唐 607 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2019




原性 六段目 韓愈(韓退之) 
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
習非不善也,而卒為奸;
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
得其一而失其二者也。

そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。


堯の朱、舜の均、文王の管蔡【かんさい】は、
習【ならい】善ならざるに非ざるなり。而も卒に奸を為す。
瞽叟【こそう】の舜、鯀【こん】の禹は、習【ならい】悪ならざるに非ざるなり。
而も卒に聖人と為る。人の性は善悪果して混ずるか。
故に日く、三子の性を言ふや、其の中を舉げて、其の上下を遺【のこ】す者なり。
其の一を得て、其の二を失ふ者なりと。


『原性』6段目 現代語訳と訳註
(本文)
六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
習非不善也,而卒為奸;
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
得其一而失其二者也。


(下し文)
堯の朱、舜の均、文王の管蔡【かんさい】は、
習【ならい】善ならざるに非ざるなり。而も卒に奸を為す。
瞽叟【こそう】の舜、鯀【こん】の禹は、習【ならい】悪ならざるに非ざるなり。
而も卒に聖人と為る。人の性は善悪果して混ずるか。
故に日く、三子の性を言ふや、其の中を舉げて、其の上下を遺【のこ】す者なり。
其の一を得て、其の二を失ふ者なりと。


(現代語訳)
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。


(訳注)六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,

各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
○堯之朱 聖帝東の子である丹朱。名は朱、丹淵(地名)に封ぜられた。父に似ない愚かな人であったので、堯は位を舜にゆずった。
○舜之均 聖帝舜とその妻・女英の息子。義均ともいう。この世で最初の優れた工人で、地上の民のために様々な器具を作ったという。だが、歌舞を好む不肖の息子で、舜の位は継げなかった。
○文王之管蔡 聖王とされる周の文王の不肖の子、管叔と蔡叔、武王の二弟。鮮は管に封ぜられたので管叔といい、一度は蔡に封ぜられたので蔡叔という。二人は殷の紂王の子武康・祿父の相であった。武王の死後成王が幼かったので周公旦が摂政となった。管・蔡は国中に流言した、「周公は幼主の為によくない」と。周公は居を東都に避けた。後に成王は周公を迎えて帰ったので、管・蔡は懼れて、武康を立てて叛いた。成工は周公に命じてこれを討たせ、武康を誅し、管叔を殺し、蔡叔を追放してこれを遷したが、ついで彼もまた死んだ(『書経』金膽篇)。管叔[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡(さい)に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。蔡叔度は、西周の諸侯である蔡の初代の君主。姓は姫で、名は度。周の文王の五男として生まれた。武王が殷を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。


習非不善也,而卒為奸;
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。


瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
○瞽叟 舜の父で、後妻に目がくらみ、舜を幾度か殺そうとしたが、成功しなかった。『書経』堯典の孔伝によれは、目の無いものを瞽という。舜の父は目はあったが、愛憎を分別できなかったので、時の人はこれを瞽といったという。膄もまた目の見えない人をいう。また瞽は叟に同じく、老人のことをいう。
舜父瞽叟盲,而舜母死,瞽叟更娶妻而生象,象傲。瞽叟愛後妻子,常欲殺舜,舜避逃;及有小過,則受罪。順事父及後母與弟,日以篤謹,匪有解。
舜の父は非常に愚かな人で、瞽叟(目が見えない年寄りのこと)と呼ばれ、また舜は実の母は早く亡くなったので、義母から虐げられていた。やがて義母が弟の象を生んだが、この象はひどく傲慢に育ち、父の瞽叟はこの弟をかわいがった。舜はこういう家庭で育ちながらも、自分の父や義母とそれに弟にも優しかったことから、みんなは舜を徳行の褒め称えたのだ。この話しを聞いた尭は、まず舜のことを確かめようと考え、自分の二人の娘、娥皇と女英を舜に嫁がせ、また食糧の蔵まで建ててやり、牛や羊を多く与えた。舜の義母と弟がそれを見て嫉妬し、瞽叟と計らって、舜を何度も殺そうとした。
○鯀 夏の禹王の父の名。堯は封じて崇伯とした。 黄河の洪水を治める命を受けたが功か無く、性質も剛情であり、罪を犯したので、舜は羽山に流して処刑し、四人の凶悪な者の一人とされた。その子禹は、父の業を継いで、治水に成功して聖王とされた。


而卒為聖。人之性善惡果混乎?
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。


故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。


得其一而失其二者也。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。

原性 韓愈(韓退之) <116-8>Ⅱ中唐詩606 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2014

原性 韓愈(韓退之) <116-8>

2013年3月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 




原性 韓愈(韓退之) <116-8>Ⅱ中唐詩606 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2014


#7五段目-(1)
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。

#8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にある。
其母無災,其始匍匐也,
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
則岐岐然,嶷嶷然。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
文王之在母也,母不憂;
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
既生也,傅不勤;
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
既學也,師不煩;
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
人之性果惡乎?
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。


叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。

人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。



原道孔子廟001306
#7『原性』五段目-1 現代語訳と訳註
(本文)
#8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,
其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;
既生也,傅不勤;
既學也,師不煩;
人之性果惡乎?



(下し文)
人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。


(現代語訳)
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にある。
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。


(訳注)
#8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,

このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にあ
○后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。舜帝に仕え、司農の官名が名となった。『山海経』大荒西経によると、帝俊の子とされる。ここからは『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦に基づいている。


其母無災,其始匍匐也,
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
○其母無災 安産で母体に傷害がなかった。『詩経』大雅生民篇に「さけずやぶれず、災い無く害無し」とあるのによる。
○匍匐 はう。両手両足で横ばいになって往く。


則岐岐然,嶷嶷然。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
○岐岐然,嶷嶷然 岐は知恵を云い、,嶷は知識という。この二句は詩経、鄭箋の注釈の引用である。「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたことを云う。
《诗•大雅•生民》“诞实匍匐,克岐克嶷” 汉郑玄笺:“能匍匐则岐岐然意有所知也。


文王之在母也,母不憂;
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
○文王之在母也 『国語』晋語四、胥臣が文公に答えた語に「文王母に在りては憂へしめず、傅に在りては勤めしめず。師に処りてほ煩はしめず」とある。『詩経・大雅•文王の什』「文王孫子、本支百世」周の徳はまことに顕然として先祖后稷から文王まで更に百世の子孫まで徳により繁栄した。


既生也,傅不勤;
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。


既學也,師不煩;
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。


人之性果惡乎?
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。

原性 韓愈(韓退之) <116-7>Ⅱ中唐詩605 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2009

#7『原性』五段目-1

2013年3月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-7>Ⅱ中唐詩605 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2009
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集九日従宋公戯馬台集送孔令詩 謝霊運<2> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2011 (03/03)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江行 二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-93-29-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2012
 
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原性 韓愈(韓退之) <116-7>Ⅱ中唐詩605 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2009






#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。

#8
人之性果善乎?後稷之生也,
其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;
既生也,傅不勤;
既學也,師不煩;
人之性果惡乎?

叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。

人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。


原道孔子廟001306



















#7『原性』五段目-1 現代語訳と訳註
(本文)

叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
越椒之生也,子文以為大戚,
知若敖氏之鬼不食也。


(下し文)
叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。


 (現代語訳)
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。


(訳注)#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。

叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
・叔魚 『国語』晋語八に「叔魚生まる。その母これを視て口く『これ虎の目にして豕(いのこ) の喙(くちさき)、鳶(とび) の肩にして牛の腹なり。渓壑(谷川)は盈たすべきも、これを饜かしむべからず。必ず賄(まいない)を以て死なん』と。遂に視ず」と(晋の大夫叔魚は生まれながらに貪欲の相をそなえていたので、母はかえりみ養わなかった。)
・叔魚 (前580年-前531年),姓は姬,羊舌氏一名は叔鮒,字が叔魚である。春秋時代、晉國の人である。
晉國の貴族であり、羊舌職の子である。長兄に羊舌肸が有る。官位は晉國大夫に、代理司馬、代理司寇にまでなる。羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。魯昭公十四年(前531年),晉國において邢侯、跟雍の子において家產(鄐田)爭奪があり,衝突が發生した。この時の司法官に叔魚がついていてわいろを要求し、これにより死罪になる。


楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
・楊食我 食の音に嗣に同じ。晋の大夫叔向の子伯石。楊は領地名である。字が食我である。『国語』晋語八に、「楊食我生まる。叔向の母これを聞き、往きて堂に及んでその号くを聞き、乃ち還りて日く、『その声は犲(山犬)狼の声なり。終に羊舌氏の宗(一族)を滅すものは必ずこの子ならん』」と。


越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
・越椒『左伝』宜公四年に「初め楚の司馬子良、子越椒を生む。子文(令尹闘子文)日く、『必ずこれを殺せ。この子や、熊虎の状にして、犲(山犬)狼の声なり。殺さざれば必ず若敖氏を滅さん。諺に曰く、狼子は野心と。これ狼なり。それ畜ふべけんや』と。子良可かず。子文以て大戚と為す。日く、『鬼(祖先の霊)猶食を求めば、若敖氏の鬼、それ餧ゑざらんや』」と。
 

知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。




叔魚   羊舌鮒
-----------------------------------------------------------------
前580年-前531年),姬姓,羊舌氏一名叔鮒,字叔魚。[1]春秋時代晉國人。
晉國貴族,晋武公的后代,羊舌職之子。有一兄長羊舌肸。官至晉國大夫、代理司馬、代理司寇。魯昭公十四年(前531年),晉國邢侯跟雍子爭奪家產(鄐田),發生衝突。由於司法官(士)景伯人在楚國,大夫韓起命羊舌鮒代理審判。羊舌鮒貪贓索賄,雍子獻出女兒,羊舌鮒即判雍子無罪。邢候不服,拔劍刺死雍子。晉昭公授權其兄長羊舌肸(叔向)處罰羊舌鮒,論以墨罪,“殺,棄屍於市。”[2]
[编辑]注釋

^ 《姓纂》中記載:“春秋時晉羊舌鮒,字叔魚,後以字爲氏。”
^ 《左傳•昭公十四年》:晋邢侯与雍子争赂田,久而无成。士景伯如楚,叔鱼摄理,韩宣子命断旧狱,罪在雍子。雍子纳其女于叔鱼,叔鱼蔽罪邢侯。邢侯怒,杀叔鱼与雍子于朝。宣子问其罪于叔向。叔向曰:“三人同罪,施生戮死可也。雍子自知其罪而赂以买直,鲋也鬻狱,刑侯专杀,其罪一也。己恶而掠美为昏,贪以败官为墨,杀人不忌为贼。《夏书》曰:‘昏、墨、贼,杀。’皋陶之刑也。请従之。”乃施邢侯而尸雍子与叔鱼于市。
羊舌鮒(ヨウゼツフ)【文官】
晋の臣。字は叔魚。叔鮒、叔魚ともいう。叔向の同母弟。~B.C.528。
羊舌鮒が生まれた時、母が羊舌鮒を見て「この子は虎の目をして残忍で、豚のとがった口で貪欲であり、とびの肩のように張っていやしんぼうで、 牛の腹のように太っている。きっと賄賂で死ぬだろう」と言って、ついに自分で育てなかった。
羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。
范カイが和大夫と田畑の境界争いをして、決着がつかなかったので、 范カイは和大夫を攻めようとして羊舌鮒に尋ねた。羊舌鮒は「わたくしが彼を殺しますので、お待ちください」と答えた。結局、范カイは土地を和大夫に与えて仲直りした。
B.C.529、7月30日、諸侯は邾の南で勢揃いした。兵車4000台(30万)という大軍で、羊舌鮒は司馬を代行した。
諸侯は平丘に宿ったが、羊舌鮒は衛からまかないを取ろうと考え、草刈や薪取りで山林を荒らして衛を悩ませた。衛人は向に相談すると、 叔向は「あなたが衛君の命だと称してあの者(羊舌鮒)にこの錦を与えるなら、きっとおさまるでしょう」と言った。衛がそのとおりにすると、羊舌鮒はこれをやめた。
冬、魯の子服椒が晋に捕らえられた季平子を取り返すために晋に来た。 晋は季平子を返すことを決めたが、子服椒が「わが魯がお許しを受けたことを諸侯の会合の席において晋君から賜りたいと存じます」と言って帰ろうとしなかった。 韓宣子は叔向に相談すると、叔向は「鮒ならできるでしょう」と答えた。そこで羊舌鮒は季平子に会って 「昔、この鮒が魯君のもとに身を寄せたとき、ご祖父の武子の助けがなければ今日はありませんでした。あなたは帰ろうとされませんが、 魯君はあなたのために西河でお待ちになっておられます」と泣きながら言った。季平子は恐れて子服椒より先に帰ったため、子服椒は正式に許されて帰される礼を待った。
B.C.528司法官士弥牟が楚に使いしていたので、羊舌鮒が司法官を代行することとなった。 邢侯と雍子が境界争いをしていたが、雍子が娘を羊舌鮒に与えて、自分の有利に判決するよう頼んだ。 罪は雍子の方にあったが、羊舌鮒は雍子が正しいと判決した。そのため邢侯は怒って羊舌鮒と雍子を朝廷で殺した。叔向は「三人とも同罪である。 生きている者には刑罰を施し、死んでいる者には誅戮を加えてよいであろう」と言い、邢侯を処刑し、羊舌鮒と雍子のしかばねを市場にさらした。


楊食我       《左伝》 昭公二十八年
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(?-前514年),字伯石,中国春秋时期晋国的大夫,他是叔向的儿子,他的母亲是巫臣和夏姬的女儿。
杨食我出生时,伯华(叔向长兄)之妻告诉婆婆。叔向的母亲到达产房外,听到了杨食我的哭声,说:“是豺狼之声也,狼子野心。非是,莫丧羊舌氏矣。”。
他和祁盈交好。祁盈的族人祁胜与邬臧换妻通奸。祁盈要治祁胜的罪,祁胜贿赂荀躒。荀躒向晋顷公说祁盈的坏话。祁盈还是杀了祁胜与邬臧。前514年,晋顷公杀祁盈,杨食我作为祁盈的同党也被处死,祁氏、羊舌氏被灭。叔向子孫逃入華山仙谷,遂居華陰弘农。就是弘农杨氏的始祖。
楊食我(ヨウショクガ)【文官】
晋の臣。名は伯石。叔向の子。母は姒。~B.C.514。
楊食我が生まれたとき、叔向の母がその泣き声を聞いて引き返して「この声は山犬や狼の声だ。将来、羊舌氏の一族を滅ぼすのは、きっとこの子であろう」と言って、 そのまま見ることはなかった。
B.C.514祁盈の家で騒動が起きて、国がこれに関与した。楊食我は祁盈の一味で、祁盈に味方したため殺されて、 一族は族滅された。



越椒          「野心」の生まれる故事
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中国の春秋時代、楚の国の司馬であった子良(しりょう)に子どもが生まれた。名を越椒(えつしょう)と言った。

 子良の兄・子文(しぶん)が越椒を見て、こう言った。「この子は必ず殺せ。容貌が熊のようであり、声は狼のようだ。生かしておけば、我が若敖(じゃくごう)一族は必ずや滅びてしまうだろう。ことわざに「狼子野心」とあるように、狼の子はいくら飼い馴らしても最後まで野性の心を失わず、ついにはその飼い主を害してしまう」

 果たして、越椒は成長した後、楚王に謀反を起こし、若敖一族は滅びることとなった。

 (春秋左氏伝・宣公四年より)

 この故事にあるように、「野心」とは元来、「野性の心」のことで、「人に馴れ親しまず、害を及ぼそうとする心」を指したが、それが転じて、「ひそかに抱く大きな望み」のことを言うようになった。

原性 韓愈(韓退之) <116-6>Ⅱ中唐詩602 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1994


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原性 韓愈(韓退之) <116-6>Ⅱ中唐詩602 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1994


人間の倫理性の本質を原【たず】ねる論文。孟子の性善、荀子の性悪、揚雄の性善悪混在説の三説に対して、韓愈は性に上・中・下三等の区別があるとし、その上品と下品の性は移らないものであるという新しい見解を述べた。


四段目
孟子之言性曰:人之性善。
孟子の性を論ずる説にいう。:人の性は善である。
荀子之言性曰:人之性惡。
筍子の人の性を論ずる説はこういう:人の性は悪である。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
揚子の人の性を論ずる説はこういう。:人の性は善と悪が混合しているのである。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
そもそも始めは善いけれども悪に進むという孟子の説と、もともと悪いけれども善に進むという荀子の説と、始めは善悪混合しているけれども、今は善となり、或いは悪にとなるという揚雄の説である。
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
それぞれの挙げている説には、その性の中等のものを取りあげて論じているのであり、その上等のものと下等のものとを忘れているのである。その一つである中等の性を理解してはいるが、他の二つ、上等と下等の性を論外のものとして見落としているのだ。
孟子の性を言ふ、日く、人の性は善なりと。
荀子の性を言ふ、日く、人の性は悪なりと。
揚子の性を言ふ、日く、人の性は善悪混ずと。
夫れ始め善にして悪に進むと、始め悪にして善に進むと、始めや混じて今や善悪なると、
皆其の中を挙げて其の上下を遺す者なり。其の一を得て、其の二を失ふ者なり。

原道孔子廟001306







『原性 四段目』 現代語訳と訳註
(本文)

孟子之言性曰:人之性善。
荀子之言性曰:人之性惡。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。


(下し文) 四段目
孟子之言性曰:人之性善。
荀子之言性曰:人之性惡。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。


(現代語訳)