漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2013年07月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#12>Ⅱ中唐詩755 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2759

韓愈 平淮西碑》#12 根強くて叛乱を克服することができないところがあって、益々守るために兵を派遣したのだ。そこでは男が耕作をしても食う物もなく、女が織物を生産しても袴にする布もないいわゆる「不毛の地」となっていた。


2013年7月31日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
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孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#12>Ⅱ中唐詩755 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2759

 

 

11

唐承天命,遂臣萬邦。

まず、唐王朝は天の命令を受けて、遂に万国を臣下としたのである。

孰居近土,襲盜以狂。

誰が近畿地方の土地に居て、襲い盗み、狂った行動をするものか。

往在玄宗,崇極而圮。

昔は玄宗皇帝の「開元の治」といわれるものの高く隆盛を極めてのち、崩れ乱れた。

河北悍驕,河南附起

河北の地では猛く驕った者たちが叛き、河南はそれに追随して起こった。

四聖不宥,屢興師征

その後の四聖帝はこれらをゆるさず、度々軍を強化し謀反・反乱を征伐されたのだ。

12

有不能尅,益戍以兵。

根強くて叛乱を克服することができないところがあって、益々守るために兵を派遣したのだ。

夫耕不食,婦織不裳。

そこでは男が耕作をしても食う物もなく、女が織物を生産しても袴にする布もないいわゆる「不毛の地」となっていた。

輸之以車,為卒賜糧。

それらをすべて車で運び、守備の士卒のために食糧を賜った。

外多失朝,曠不嶽狩。

遠くの潘鎮、節度使たちの多くは入朝して臣下の礼を取ることをしなくなり、ここ久しく、天子の四岳の地方を巡狩されることがなかったのである。

百隸怠官,事亡其舊。

百官・官吏は官職に勤めず怠り、政事はその旧の形を亡ってしまった。

千畳敷0010 

11

唐天命を承けて、蓮に萬邦【ばんほう】を臣とす。

孰【たれ】か近土に居て、襲盗【しゅうとう】して以て狂する。

往在玄宗、崇極りて圮る。

河北悍驕【かんきょう】にして、河南附いて起る。

四聖【しせい】宥さず、屡【しばし】ば師を興して征す。

12

克つ能はざること有り、益【ますま】す 戍るに兵を以てす。

夫 耕して食せず、婦 織りて裳あらず。

之を輸【いた】すに率を以てし、卒の島に糧を賜ふ。

外多くほ朝するを失し、味しく嶽狩【がくしゅ】せず。

百隷【ひゃくれい】官に怠りて、事其の善を亡ふ。

 

 

平淮西碑』 現代語訳と訳註

(本文) 12

有不能尅,益戍以兵。

夫耕不食,婦織不裳。

輸之以車,為卒賜糧。

外多失朝,曠不嶽狩。

百隸怠官,事亡其舊。

 

 

(下し文) 12

克つ能はざること有り、益【ますま】す 戍るに兵を以てす。

夫 耕して食せず、婦 織りて裳あらず。

之を輸【いた】すに率を以てし、卒の島に糧を賜ふ。

外多くほ朝するを失し、味しく嶽狩【がくしゅ】せず。

百隷【ひゃくれい】官に怠りて、事其の善を亡ふ。

 

 

(現代語訳)

根強くて叛乱を克服することができないところがあって、益々守るために兵を派遣したのだ。

そこでは男が耕作をしても食う物もなく、女が織物を生産しても袴にする布もないいわゆる「不毛の地」となっていた。

それらをすべて車で運び、守備の士卒のために食糧を賜った。

遠くの潘鎮、節度使たちの多くは入朝して臣下の礼を取ることをしなくなり、ここ久しく、天子の四岳の地方を巡狩されることがなかったのである。

百官・官吏は官職に勤めず怠り、政事はその旧の形を亡ってしまった。

 

 

(訳注)12

有不能尅,益戍以兵。

根強くて叛乱を克服することができないところがあって、益々守るために兵を派遣したのだ。

 うちかつ。こくふくする

 

夫耕不食,婦織不裳。

そこでは男が耕作をしても食う物もなく、女が織物を生産しても袴にする布もないいわゆる「不毛の地」となっていた。

★重税、収奪をして、強兵制をしていた事を云う。

 

輸之以車,為卒賜糧。

それらをすべて車で運び、守備の士卒のために食糧を賜った。

 

外多失朝,曠不嶽狩。

遠くの潘鎮、節度使たちの多くは入朝して臣下の礼を取ることをしなくなり、ここ久しく、天子の四岳の地方を巡狩されることがなかったのである。

○外 外藩、国境に近い所の節度使

○失朝 入朝の礼を失う。

○瞞 むなしい、久しい意∪絶えて久しい。

○岳狩 古代の天子は四方に諸侯を巡り、その守る職を視察した、これを巡狩(守)という。四岳は四方の諸侯の長。

 

百隸怠官,事亡其舊。

百官・官吏は官職に勤めず怠り、政事はその旧の形を亡ってしまった。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#11>Ⅱ中唐詩754 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2754

韓愈 《平淮西碑》#11 昔は玄宗皇帝の「開元の治」といわれるものの高く隆盛を極めてのち、崩れ乱れた。河北の地では猛く驕った者たちが叛き、河南はそれに追随して起こった。

2013年7月30日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#11>Ⅱ中唐詩754 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2754

minamo03
#11
唐承天命,遂臣萬邦。
まず、唐王朝は天の命令を受けて、遂に万国を臣下としたのである。
孰居近土,襲盜以狂。
誰が近畿地方の土地に居て、襲い盗み、狂った行動をするものか。
往在玄宗,崇極而圮。
昔は玄宗皇帝の「開元の治」といわれるものの高く隆盛を極めてのち、崩れ乱れた。
河北悍驕,河南附起。
河北の地では猛く驕った者たちが叛き、河南はそれに追随して起こった。
四聖不宥,屢興師征。
その後の四聖帝はこれらをゆるさず、度々軍を強化し謀反・反乱を征伐されたのだ。
#12
有不能尅,益戍以兵。
夫耕不食,婦織不裳。
輸之以車,為卒賜糧。
外多失朝,曠不嶽狩。
百隸怠官,事亡其舊。

#11
唐天命を承けて、蓮に萬邦【ばんほう】を臣とす。
孰【たれ】か近土に居て、襲盗【しゅうとう】して以て狂する。
往在玄宗、崇極りて圮る。
河北悍驕【かんきょう】にして、河南附いて起る。
四聖【しせい】宥さず、屡【しばし】ば師を興して征す。
#12
克つ能はざること有り、益【ますま】す 戍るに兵を以てす。
夫 耕して食せず、婦 織りて裳あらず。
之を輸【いた】すに率を以てし、卒の島に糧を賜ふ。
外多くほ朝するを失し、味しく嶽狩【がくしゅ】せず。
百隷【ひゃくれい】官に怠りて、事其の善を亡ふ。


『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文) #11
唐承天命,遂臣萬邦。
孰居近土,襲盜以狂。
往在玄宗,崇極而圮。
河北悍驕,河南附起。
四聖不宥,屢興師征。


(下し文) #11
唐天命を承けて、蓮に萬邦【ばんほう】を臣とす。
孰【たれ】か近土に居て、襲盗【しゅうとう】して以て狂する。
往在玄宗、崇極りて圮る。
河北悍驕【かんきょう】にして、河南附いて起る。
四聖【しせい】宥さず、屡【しばし】ば師を興して征す。
冬00

(現代語訳)
まず、唐王朝は天の命令を受けて、遂に万国を臣下としたのである。
誰が近畿地方の土地に居て、襲い盗み、狂った行動をするものか。
昔は玄宗皇帝の「開元の治」といわれるものの高く隆盛を極めてのち、崩れ乱れた。
河北の地では猛く驕った者たちが叛き、河南はそれに追随して起こった。
その後の四聖帝はこれらをゆるさず、度々軍を強化し謀反・反乱を征伐されたのだ。

(訳注) #11
唐承天命,遂臣萬邦。
まず、唐王朝は天の命令を受けて、遂に万国を臣下としたのである。

孰居近土,襲盜以狂。
誰が近畿地方の土地に居て、襲い盗み、狂った行動をするものか。
○近土 近畿地方。

往在玄宗,崇極而圮。
昔は玄宗皇帝の「開元の治」といわれるものの高く隆盛を極めてのち、崩れ乱れた。
○崇極而圮 玄宗の「開元の治」といわれる太平と、これまでの最高の生産旅に達して、政治経済が極まり、後、755年11月5日天宝十四年の安禄山の乱が起こった。崇は高、隆盛のこと。圮は崩れ壊れる。


河北悍驕,河南附起。
河北の地では猛く驕った者たちが叛き、河南はそれに追随して起こった。
○河北 黄河下流の北側。黄河の北に位置し、黄海に面する。西側には太行山脈、北には燕山山脈がそびえ、華北平原が広がる。黄河以外の主要な河川には、海河や灤河などがある。
北京市・天津市を取り囲むように位置し、北部は遼寧省・内蒙古自治区と接し、西部は山西省、南部は山東省・河南省と接している。
○悍驕 心たけくおごる。悍【おぞま】しい 1 いかにも嫌な感じがする。ぞっとするほど、いとわしい。2 我(が)が強い。強情だ。


四聖不宥,屢興師征。
その後の四聖帝はこれらをゆるさず、度々軍を強化し謀反・反乱を征伐されたのだ。
〇四聖 粛∵代・徳・順の四宗っ聖は聖天子。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#10>Ⅱ中唐詩753 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2749

韓愈(韓退之) 《平淮西碑》#10 帰って農夫となりたいという者が、十のうち九あったので、ことごとくこれを自由にし、呉元済は長安の都で斬ったのである。

2013年7月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor絕句,三首之二 蜀中転々 杜甫 <511>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2750 杜甫詩1000-511-744/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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謝靈運詩 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#10>Ⅱ中唐詩753 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2749


#9
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
顏、胤、武合戰益用命,
元濟盡幷其眾,洄曲以備。
十月壬申,愬用所得賊將,
自文城因天大雪,疾馳百二十里,
用夜半到蔡,破其門,
取元濟以獻,盡得其屬人卒。
十二年八月、丞相裴度は軍陣に到着した。都統韓弘は戦うように将士に責めることが益々きびしくなっていった。
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合してその命令を実行した。
そこで呉元済は、その軍勢全部を河南の洄曲に集めて、それに備えた。
十月壬申の日に、李愬はその得た所の賊将を用いた。
文城から天が大いに雪を降らしたのにつけこんで、百二十里を速く馳せたのである。
夜半に蔡に到着、城門を打ち破って元済を捕らえた。
これを朝廷に献じ、ことごとくその配下の士卒を得た。

十二年八月、丞相度師に至る。
都統弘 戦を責むること益【ますま】す急なり。
顏・胤・武 合して、戦って益【ますま】す命を用ふ。
元済 盡く其の衆を洄、曲に幷て以て備ふ。
十月壬申、愬得る所の賊将を用ひ、
文城よりし、天大いに雪ふるに因りて、疾く馳すること百二十里、
夜半を用って蔡に到り、其の門を破り、
元臍を取って以て献じ、
盡く其の属せる人卒を得たり。
#10
辛巳,丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
淮西平,大饗賚功,
師還之日,因以其食賜蔡人。
凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。

顏、胤、武,合して其の北を攻む。
大戰十六,柵城縣二十三を得,人卒四萬を降す。
道古,其の東南を攻め,八たび戰って,萬三千を降し,
再び申に入れて,破其の外城をる。
文通,其の東に戰うこと,十餘遇,萬二千を降す。
愬,其の西に入りて,賊の將を得る,
輙わち釋して殺さず,
其の策を用いて,戰い比に功有り。

#9
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
顏、胤、武合戰益用命,
元濟盡幷其眾,洄曲以備。
十月壬申,愬用所得賊將,
自文城因天大雪,疾馳百二十里,
用夜半到蔡,破其門,
取元濟以獻,盡得其屬人卒。
十二年八月、丞相裴度は軍陣に到着した。都統韓弘は戦うように将士に責めることが益々きびしくなっていった。
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合してその命令を実行した。
そこで呉元済は、その軍勢全部を河南の洄曲に集めて、それに備えた。
十月壬申の日に、李愬はその得た所の賊将を用いた。
文城から天が大いに雪を降らしたのにつけこんで、百二十里を速く馳せたのである。
夜半に蔡に到着、城門を打ち破って元済を捕らえた。
これを朝廷に献じ、ことごとくその配下の士卒を得た。

十二年八月、丞相度師に至る。
都統弘 戦を責むること益【ますま】す急なり。
顏・胤・武 合して、戦って益【ますま】す命を用ふ。
元済 盡く其の衆を洄、曲に幷て以て備ふ。
十月壬申、愬得る所の賊将を用ひ、
文城よりし、天大いに雪ふるに因りて、疾く馳すること百二十里、
夜半を用って蔡に到り、其の門を破り、
元臍を取って以て献じ、
盡く其の属せる人卒を得たり。
#10
辛巳,丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
淮西平,大饗賚功,
師還之日,因以其食賜蔡人。
凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。
辛巳の日に、丞相裴度は蔡に入り、皇帝の命を以て、敵の配下であった者を赦した。
淮西はここに平定した。そこで大宴会を戦功ある者に賜った。
軍が還った日、これまで通りにその配下の人々を蔡の人に賜った。
しかし、すべて蔡の士卒三万五千、その中で兵となるのをねがうことはないのである。
帰って農夫となりたいという者が、十のうち九あったので、ことごとくこれを自由にし、呉元済は長安の都で斬ったのである。

辛巳、丞相度蔡に入り、皇帝の命を以て、其の人を赦す。
淮西平ぐ。大饗して功に賚【たま】ふ。
師 還るの日、因りて其の食を以て蔡人に賜ふ。
凡そ蔡の卒三萬五千、其の兵 爲ることを樂【なが】はず、
歸りて農爲らんことを願ふ者 十に九、悉く之を縦【ゆる】して、元濟を京師に斬る。


『』 現代語訳と訳註
(本文) #10
辛巳,丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
淮西平,大饗賚功,
師還之日,因以其食賜蔡人。
凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。



(下し文) #10
辛巳、丞相度蔡に入り、皇帝の命を以て、其の人を赦す。
淮西平ぐ。大饗して功に賚【たま】ふ。
師 還るの日、因りて其の食を以て蔡人に賜ふ。
凡そ蔡の卒三萬五千、其の兵 爲ることを樂【なが】はず、
歸りて農爲らんことを願ふ者 十に九、悉く之を縦【ゆる】して、元濟を京師に斬る。


(現代語訳)
辛巳の日に、丞相裴度は蔡に入り、皇帝の命を以て、敵の配下であった者を赦した。
淮西はここに平定した。そこで大宴会を戦功ある者に賜った。
軍が還った日、これまで通りにその配下の人々を蔡の人に賜った。
しかし、すべて蔡の士卒三万五千、その中で兵となるのをねがうことはないのである。
帰って農夫となりたいという者が、十のうち九あったので、ことごとくこれを自由にし、呉元済は長安の都で斬ったのである。


(訳注) #10
辛巳,丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
辛巳の日に、丞相裴度は蔡に入り、皇帝の命を以て、敵の配下であった者を赦した。
・辛巳 (かのとみ、しんし)は、干支の一つ。干支の組み合わせの18番目。

淮西平,大饗賚功,
淮西はここに平定した。そこで大宴会を戦功ある者に賜った。
〇大饗:台饗 大いに宴会を催す。
○賚功 戦功に対して慰労の宴を賜る。賚は賜。

師還之日,因以其食賜蔡人。
軍が還った日、これまで通りにその配下の人々を蔡の人に賜った。

凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
しかし、すべて蔡の士卒三万五千、その中で兵となるのをねがうことはないのである。
○楽 音ガウ、このむ、ねがう。

願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。
帰って農夫となりたいという者が、十のうち九あったので、ことごとくこれを自由にし、呉元済は長安の都で斬ったのである。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#9>Ⅱ中唐詩752 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2744

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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#9>Ⅱ中唐詩752 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2744


#8
顏、胤、武,合攻其北,
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合して敵の北を攻めた。
大戰十六,得柵城縣二十三,降人卒四萬。
大戦は十六度あり、柵や城、県など、二十三を手に入れ、士卒四万を投降させた。
道古,攻其東南,八戰,降萬三千,
李道古は敵の東南を攻め、八度戦って、一万三千人を投降させた。
再入申,破其外城。文通,戰其東,
そして再び中の地に入り、その外城を破った。
十餘遇,降萬二千。
李文通は敵の東側で戦うこと十回以上もあり、一万二千を投降させた。
愬,入其西,得賊將,
李愬は敵の西に攻め入り、賊将を捕らえた。
輙釋不殺,用其策,戰比有功。
それでもそのつど釈放して殺さずに、それを策として用いて、戦いは此の策で功があったのである。

顏、胤、武,合して其の北を攻む。
大戰十六,柵城縣二十三を得,人卒四萬を降す。
道古,其の東南を攻め,八たび戰って,萬三千を降し,
再び申に入れて,破其の外城をる。
文通,其の東に戰うこと,十餘遇,萬二千を降す。
愬,其の西に入りて,賊の將を得る,
輙わち釋して殺さず,
其の策を用いて,戰い比に功有り。

#9
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
十二年八月、丞相裴度は軍陣に到着した。都統韓弘は戦うように将士に責めることが益々きびしくなっていった。
顏、胤、武合戰益用命,
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合してその命令を実行した。
元濟盡幷其眾,洄曲以備。
そこで呉元済は、その軍勢全部を河南の洄曲に集めて、それに備えた。
十月壬申,愬用所得賊將,
十月壬申の日に、李愬はその得た所の賊将を用いた。
自文城因天大雪,疾馳百二十里,
文城から天が大いに雪を降らしたのにつけこんで、百二十里を速く馳せたのである。
用夜半到蔡,破其門,
夜半に蔡に到着、城門を打ち破って元済を捕らえた。
取元濟以獻,盡得其屬人卒。
これを朝廷に献じ、ことごとくその配下の士卒を得た。

十二年八月、丞相度師に至る。
都統弘 戦を責むること益【ますま】す急なり。
顏・胤・武 合して、戦って益【ますま】す命を用ふ。
元済 盡く其の衆を洄、曲に幷て以て備ふ。
十月壬申、愬得る所の賊将を用ひ、
文城よりし、天大いに雪ふるに因りて、疾く馳すること百二十里、
夜半を用って蔡に到り、其の門を破り、
元臍を取って以て献じ、
盡く其の属せる人卒を得たり。
#10
辛巳,丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
淮西平,大饗賚功,
師還之日,因以其食賜蔡人。
凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。
 
#11
冊功:弘加侍中;愬,為左僕射,帥山南東道;
顏、胤皆加司空;公武以散騎常侍,帥鄜坊丹延;
道古進大夫;文通加散騎常侍。
丞相度朝京師,道封晉國公,
進階金紫光祿大夫,以舊官相,
而以其副摠為工部尚書,領蔡任。
既還奏,羣臣請紀聖功,被之金石。
皇帝以命臣愈。臣愈再拜稽首而獻文曰:
DCF00044












『平淮西碑』#9 現代語訳と訳註
(本文) 
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
顏、胤、武合戰益用命,
元濟盡幷其眾,洄曲以備。
十月壬申,愬用所得賊將,
自文城因天大雪,疾馳百二十里,
用夜半到蔡,破其門,
取元濟以獻,盡得其屬人卒。


(下し文)
十二年八月、丞相度師に至る。
都統弘 戦を責むること益【ますま】す急なり。
顏・胤・武 合して、戦って益【ますま】す命を用ふ。
元済 盡く其の衆を洄、曲に幷て以て備ふ。
十月壬申、愬得る所の賊将を用ひ、
文城よりし、天大いに雪ふるに因りて、疾く馳すること百二十里、
夜半を用って蔡に到り、其の門を破り、
元臍を取って以て献じ、
盡く其の属せる人卒を得たり。


(現代語訳)
十二年八月、丞相裴度は軍陣に到着した。都統韓弘は戦うように将士に責めることが益々きびしくなっていった。
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合してその命令を実行した。
そこで呉元済は、その軍勢全部を河南の洄曲に集めて、それに備えた。
十月壬申の日に、李愬はその得た所の賊将を用いた。
文城から天が大いに雪を降らしたのにつけこんで、百二十里を速く馳せたのである。
夜半に蔡に到着、城門を打ち破って元済を捕らえた。
これを朝廷に献じ、ことごとくその配下の士卒を得た。


(訳注) #9
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
十二年八月、丞相裴度は軍陣に到着した。都統韓弘は戦うように将士に責めることが益々きびしくなっていった。
○師 軍の陣。
○責戦 戦いの責任を追求する。督戦と同じ。

顏、胤、武合戰益用命,
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合してその命令を実行した。

元濟盡幷其眾,洄曲以備。
そこで呉元済は、その軍勢全部を河南の洄曲に集めて、それに備えた。
〇滴山 河のまがって流れる場

十月壬申,愬用所得賊將,
十月壬申の日に、李愬はその得た所の賊将を用いた。
○所得賊将 李柘を指す。

自文城因天大雪,疾馳百二十里,
文城から天が大いに雪を降らしたのにつけこんで、百二十里を速く馳せたのである。

用夜半到蔡,破其門,
夜半に蔡に到着、城門を打ち破って元済を捕らえた。

取元濟以獻,盡得其屬人卒。
これを朝廷に献じ、ことごとくその配下の士卒を得た。
ani0026

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#8>Ⅱ中唐詩751 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2739

韓愈(韓退之)《平淮西碑》-#8 李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合して敵の北を攻めた。大戦は十六度あり、柵や城、県など、二十三を手に入れ、士卒四万を投降させた。



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#8
顏、胤、武,合攻其北,
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合して敵の北を攻めた。
大戰十六,得柵城縣二十三,降人卒四萬。
大戦は十六度あり、柵や城、県など、二十三を手に入れ、士卒四万を投降させた。
道古,攻其東南,八戰,降萬三千,
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文通,戰其東,十餘遇,降萬二千。
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輙釋不殺,用其策,戰比有功。
それでもそのつど釈放して殺さずに、それを策として用いて、戦いは此の策で功があったのである。

顏、胤、武,合して其の北を攻む。
大戰十六,柵城縣二十三を得,人卒四萬を降す。
道古,其の東南を攻め,八たび戰って,萬三千を降し,
再び申に入れて,破其の外城をる。
文通,其の東に戰うこと,十餘遇,萬二千を降す。
愬,其の西に入りて,賊の將を得る,
輙わち釋して殺さず,
其の策を用いて,戰い比に功有り。

千丈敷02













『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)
#8
顏、胤、武,合攻其北,大戰十六,
得柵城縣二十三,降人卒四萬。
道古,攻其東南,八戰,降萬三千,
再入申,破其外城。文通,戰其東,
十餘遇,降萬二千。
愬,入其西,得賊將,
輙釋不殺,用其策,戰比有功。


(下し文)
顏、胤、武,合して其の北を攻む。
大戰十六,柵城縣二十三を得,人卒四萬を降す。
道古,其の東南を攻め,八たび戰って,萬三千を降し,
再び申に入れて,破其の外城をる。
文通,其の東に戰うこと,十餘遇,萬二千を降す。
愬,其の西に入りて,賊の將を得る,
輙わち釋して殺さず,
其の策を用いて,戰い比に功有り。


(現代語訳)
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合して敵の北を攻めた。
大戦は十六度あり、柵や城、県など、二十三を手に入れ、士卒四万を投降させた。
李道古は敵の東南を攻め、八度戦って、一万三千人を投降させた。
そして再び中の地に入り、その外城を破った。
李文通は敵の東側で戦うこと十回以上もあり、一万二千を投降させた。
李愬は敵の西に攻め入り、賊将を捕らえた。
それでもそのつど釈放して殺さずに、それを策として用いて、戦いは此の策で功があったのである。


(訳注)#8
顏、胤、武,合攻其北,
李光顏・烏重胤・韓公武の軍は連合して敵の北を攻めた。


大戰十六,得柵城縣二十三,降人卒四萬。
大戦は十六度あり、柵や城、県など、二十三を手に入れ、士卒四万を投降させた。
○柵城縣 木材を結んで防洗とした堡壘の柵・城壁のある都市、県庁のある大都市。


道古,攻其東南,八戰,降萬三千,
李道古は敵の東南を攻め、八度戦って、一万三千人を投降させた。


再入申,破其外城。
そして再び中の地に入り、その外城を破った。


文通,戰其東,十餘遇,降萬二千。
李文通は敵の東側で戦うこと十回以上もあり、一万二千を投降させた。


愬,入其西,得賊將,
李愬は敵の西に攻め入り、賊将を捕らえた。


輙釋不殺,用其策,戰比有功。
それでもそのつど釈放して殺さずに、それを策として用いて、戦いは此の策で功があったのである。
百舌鳥03

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#7>Ⅱ中唐詩750 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2734

韓愈 《平淮西碑》 お前に将軍のしるしに、節旄と斧及び通天の御帯、衛兵三百人を賜る。およそこの朝廷の群臣のうちから、お前が択んで自分の従者にせよ。ただ賢徳と才能だけを問題として択ぶのである。


2013年7月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#7>Ⅱ中唐詩750 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2734


#5
#5
曰:「光顏,汝為陳、許帥,
天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。
維是河東、魏博、郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。
曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,
またいわれた、「重胤よ、お前は、以前河陽や懷州の軍を支配していたが、それに今汝州を増加する。
維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延、慶七軍之在行者,汝皆將之。」
まず、ここに朔方・義・成・陝・益・鳳翔・延慶の七軍の派遣部隊にあるものは、お前がこれに将となれ。」と。
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
続いていわれた、「弘よ、お前は士卒一万二千を率いて、お前の子の公武の手勢として付け、往って討伐せよ。」と。
曰:「文通,汝守壽,
またいわれた、「文通よ、お前は寿州に鎮守府長官となれ」
維是宣武、淮南、宣歙、浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
それで、「ここに宣武・准南・宣歙・浙西の四軍の中で寿州に行く者は、お前が皆これに将となれ。」と。
#6
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
またいわれた、「道古よ、お前は、鄂州・岳州の地方の観察使となれ。」と。
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
またいわれた、「愬よ、お前は唐・鄧・随に主将として、各々其の兵を率いて進み戦え。」と。
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
またいわれた、「度よ、お前は御史の長として、往って軍隊を監視せよ。」と。
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
またいわれた、「度よ、それこそお前は私と同じ意見であるから、お前はそのまま私の宰相として、命令を用いる著と命令に従わない者とを、賞したり罰したりせよ。」と。
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
またいわれた、「弘よ、お前は天子から賜った、将軍の節旄を持って諸軍の都統となれ。」と。
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」

またいわれた、「守謙よ、お前は私の左右に出入する、お前こそ近臣である。往って軍隊を慰問せよ。」と。

#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
また、いわれた、「度よ、お前は是非とも往って、私の士卒に、衣服を給し飲食をさせ、寒さに苦しみ、飢えることがないようにしせよ。
以既厥事,遂生蔡人。
それでもって自分の仕事を成功させて、ついには秦の人々を生きて行けるようにせよ。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
お前に将軍のしるしに、節旄と斧及び通天の御帯、衛兵三百人を賜る。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
およそこの朝廷の群臣のうちから、お前が択んで自分の従者にせよ。ただ賢徳と才能だけを問題として択ぶのである。
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
大吏であってもはばかることはない。庚申の日には、私は、ぜひ宮門でお前の出陣を見送るであろう。」と。
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
またいわれた、「御史よ、私は士大夫の戦争が、甚だ苦しいのを気の毒に思っている。
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」
今から後は、郊廟の祭祀でなければ、ふだんはそれこそ音楽などは用いてはならない。」と。

燕麦003#5
曰く:「光顏,汝 陳、許の帥と為れ。
維れ是れ河東、魏博、郃陽【かんよう】三軍の行在る者,汝 皆 之に將たれ と。」
曰く:「重胤【じゅういん】,汝 故【もと】河陽、懷を有【たも】つ。
今 益すに汝【じょ】を以ってす。
維れ是れ 朔方、義・成、陝、益、鳳翔、延慶の七軍の行に在る者,汝 皆 之に將たれ。」と。
曰く:「弘,汝 卒萬二千を以て而【なんじ】が子公武に屬し 往いて之を討て。」と。
曰く:「文通,汝 壽を守れ。
維れ是れ 宣武【せんぶ】、淮南【わいなん】、宣歙【せんきゅう】、浙西【せつせい】四軍の壽に行く者,汝 皆 之に將たれ。」と。
#6
曰く:「道古,汝 其れ鄂・岳に觀察たれ。」と。
曰く:「愬【そ】,汝 唐、鄧、隨に帥たれ。
各の其の兵を以て進み戰え。」と。
曰く:「度,汝 御史に長として,其れ往いて師を視よ。」と。
曰く:「度,惟れ 汝 予と同じ,汝 遂に予に相として,以て命を用うると命を用いざるとを賞罰せよ。」と。
曰く:「弘,汝 其れが節を以て諸軍に都統たれ。」と。
曰く:「守謙,汝 左右に出入す。
汝 惟れ近臣なり,共に往いて師を撫せよ。」と。
#7
曰く:「度,汝 其れ往いて,予が士に衣服飲食せしめ,寒えること無く飢うること無し。
以て厥の事を既え,遂に蔡人を生せよ。
汝に節斧,通天の御帶,衛卒三百を賜う。
凡そ茲の廷臣,汝 擇【えら】んで自ら從えよ,惟だ其れ賢能のみ。
大吏を憚【はばか】る無かれ。庚申に,予 其れ門に臨んで汝を送らんと。」
曰く:「御史,予 士大夫の戰い甚だ苦しむを閔【あわ】れむ,
今より以往【いおう】,郊廟【こうびょう】の祠祀【しし】に非らざれば,其れ樂を用うる無れ。」


『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)
#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
以既厥事,遂生蔡人。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」


(下し文)
曰く:「度,汝 其れ往いて,予が士に衣服飲食せしめ,寒えること無く飢うること無し。
以て厥の事を既え,遂に蔡人を生せよ。
汝に節斧,通天の御帶,衛卒三百を賜う。
凡そ茲の廷臣,汝 擇【えら】んで自ら從えよ,惟だ其れ賢能のみ。
大吏を憚【はばか】る無かれ。庚申に,予 其れ門に臨んで汝を送らんと。」
曰く:「御史,予 士大夫の戰い甚だ苦しむを閔【あわ】れむ,
今より以往【いおう】,郊廟【こうびょう】の祠祀【しし】に非らざれば,其れ樂を用うる無れ。」


(現代語訳)
また、いわれた、「度よ、お前は是非とも往って、私の士卒に、衣服を給し飲食をさせ、寒さに苦しみ、飢えることがないようにしせよ。
それでもって自分の仕事を成功させて、ついには秦の人々を生きて行けるようにせよ。
お前に将軍のしるしに、節旄と斧及び通天の御帯、衛兵三百人を賜る。
およそこの朝廷の群臣のうちから、お前が択んで自分の従者にせよ。ただ賢徳と才能だけを問題として択ぶのである。
大吏であってもはばかることはない。庚申の日には、私は、ぜひ宮門でお前の出陣を見送るであろう。」と。
またいわれた、「御史よ、私は士大夫の戦争が、甚だ苦しいのを気の毒に思っている。
今から後は、郊廟の祭祀でなければ、ふだんはそれこそ音楽などは用いてはならない。」と。


(訳注)#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
また、いわれた、「度よ、お前は是非とも往って、私の士卒に、衣服を給し飲食をさせ、寒さに苦しみ、飢えることがないようにしせよ。


展望四阿01以既厥事,遂生蔡人。
それでもって自分の仕事を成功させて、ついには秦の人々を生きて行けるようにせよ。
○既膜事 その討伐の仕事を成就させる。既は終わる。


賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
お前に将軍のしるしに、節旄と斧及び通天の御帯、衛兵三百人を賜る。
○節斧 天子から将軍に任命の際に賜る節権と斧まさかり。から隼の毛で飾った旄と、斧、まさかりの処刑用具。
○通天御帯 天子の用いる犀の皮の帯。


凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
およそこの朝廷の群臣のうちから、お前が択んで自分の従者にせよ。ただ賢徳と才能だけを問題として択ぶのである。


無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
大吏であってもはばかることはない。庚申の日には、私は、ぜひ宮門でお前の出陣を見送るであろう。」と。
○庚申(かのえさる、こうしん)は、干支の一つ。干支の組み合わせの57番目。庚申の日には庚申待(庚申講)が行われた。
○門 通化門のこと。


曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
またいわれた、「御史よ、私は士大夫の戦争が、甚だ苦しいのを気の毒に思っている。
○閔 あわれむ。
○御史 秦、前漢以降の官職名。 前漢においては、副宰相である御史大夫に所属し、定員45人であった。そのうち15名は侍御史と呼ばれて殿中におり、二人の丞(副官)のうちの一人である御史中丞に統率された。残りに30人は御史大夫の役所に居た。


自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」
今から後は、郊廟の祭祀でなければ、ふだんはそれこそ音楽などは用いてはならない。」と。
○郊廟 皇帝祭祀は秦の始皇帝に始まる。漢代には祭祀制度として整えられ、周以来の「天子」と、始皇帝以来の「皇帝」が祭祀制度においても使い分けられていた。皇帝祭祀は、史書では郊廟としてあらわれており、皇帝の祖先を祭る宗廟で行われるものと、都の郊外で行われる郊祀に分けられる。また、郊祀は天の主宰神への祭祀である南郊と、地の自然神への祭祀である北郊とに大きく分けられる。
百舌鳥03

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#6>Ⅱ中唐詩749 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2729

韓愈(韓退之) 《平淮西碑》 またいわれた、「道古よ、お前は、鄂州・岳州の地方の観察使となれ。」と。
またいわれた、「愬よ、お前は唐・鄧・随に主将として、各々其の兵を率いて進み戦え。」と。


2013年7月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#6>Ⅱ中唐詩749 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2729


#5
曰:「光顏,汝為陳、許帥,
天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。
維是河東、魏博、郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。
曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,
またいわれた、「重胤よ、お前は、以前河陽や懷州の軍を支配していたが、それに今汝州を増加する。
維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延、慶七軍之在行者,汝皆將之。」
まず、ここに朔方・義・成・陝・益・鳳翔・延慶の七軍の派遣部隊にあるものは、お前がこれに将となれ。」と。
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
続いていわれた、「弘よ、お前は士卒一万二千を率いて、お前の子の公武の手勢として付け、往って討伐せよ。」と。
曰:「文通,汝守壽,
またいわれた、「文通よ、お前は寿州に鎮守府長官となれ」
維是宣武、淮南、宣歙、浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
それで、「ここに宣武・准南・宣歙・浙西の四軍の中で寿州に行く者は、お前が皆これに将となれ。」と。
#6
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
またいわれた、「道古よ、お前は、鄂州・岳州の地方の観察使となれ。」と。
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
またいわれた、「愬よ、お前は唐・鄧・随に主将として、各々其の兵を率いて進み戦え。」と。
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
またいわれた、「度よ、お前は御史の長として、往って軍隊を監視せよ。」と。
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
またいわれた、「度よ、それこそお前は私と同じ意見であるから、お前はそのまま私の宰相として、命令を用いる著と命令に従わない者とを、賞したり罰したりせよ。」と。
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
またいわれた、「弘よ、お前は天子から賜った、将軍の節旄を持って諸軍の都統となれ。」と。
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」

またいわれた、「守謙よ、お前は私の左右に出入する、お前こそ近臣である。往って軍隊を慰問せよ。」と。

#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
以既厥事,遂生蔡人。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」

#5
曰く:「光顏,汝 陳、許の帥と為れ。
維れ是れ河東、魏博、郃陽【かんよう】三軍の行在る者,汝 皆 之に將たれ と。」
曰く:「重胤【じゅういん】,汝 故【もと】河陽、懷を有【たも】つ。
今 益すに汝【じょ】を以ってす。
維れ是れ 朔方、義・成、陝、益、鳳翔、延慶の七軍の行に在る者,汝 皆 之に將たれ。」と。
曰く:「弘,汝 卒萬二千を以て而【なんじ】が子公武に屬し 往いて之を討て。」と。
曰く:「文通,汝 壽を守れ。
維れ是れ 宣武【せんぶ】、淮南【わいなん】、宣歙【せんきゅう】、浙西【せつせい】四軍の壽に行く者,汝 皆 之に將たれ。」と。
#6
曰く:「道古,汝 其れ鄂・岳に觀察たれ。」と。
曰く:「愬【そ】,汝 唐、鄧、隨に帥たれ。
各の其の兵を以て進み戰え。」と。
曰く:「度,汝 御史に長として,其れ往いて師を視よ。」と。
曰く:「度,惟れ 汝 予と同じ,汝 遂に予に相として,以て命を用うると命を用いざるとを賞罰せよ。」と。
曰く:「弘,汝 其れが節を以て諸軍に都統たれ。」と。
曰く:「守謙,汝 左右に出入す。
汝 惟れ近臣なり,共に往いて師を撫せよ。」と。

千丈敷02









『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)

曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」


(下し文) #6
曰く:「道古,汝 其れ鄂・岳に觀察たれ。」と。
曰く:「愬【そ】,汝 唐、鄧、隨に帥たれ。
各の其の兵を以て進み戰え。」と。
曰く:「度,汝 御史に長として,其れ往いて師を視よ。」と。
曰く:「度,惟れ 汝 予と同じ,汝 遂に予に相として,以て命を用うると命を用いざるとを賞罰せよ。」と。
曰く:「弘,汝 其れが節を以て諸軍に都統たれ。」と。
曰く:「守謙,汝 左右に出入す。
汝 惟れ近臣なり,共に往いて師を撫せよ。」と。


(現代語訳)
またいわれた、「道古よ、お前は、鄂州・岳州の地方の観察使となれ。」と。
またいわれた、「愬よ、お前は唐・鄧・随に主将として、各々其の兵を率いて進み戦え。」と。
またいわれた、「度よ、お前は御史の長として、往って軍隊を監視せよ。」と。
またいわれた、「度よ、それこそお前は私と同じ意見であるから、お前はそのまま私の宰相として、命令を用いる著と命令に従わない者とを、賞したり罰したりせよ。」と。
またいわれた、「弘よ、お前は天子から賜った、将軍の節旄を持って諸軍の都統となれ。」と。
またいわれた、「守謙よ、お前は私の左右に出入する、お前こそ近臣である。往って軍隊を慰問せよ。」と。


(訳注)
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
またいわれた、「道古よ、お前は、鄂州・岳州の地方の観察使となれ。」と。
○道古 姓は李。郡州・岳州の団結使。


曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
またいわれた、「愬よ、お前は唐・鄧・随に主将として、各々其の兵を率いて進み戦え。」と。
○愬 姓は李、唐・罫・随の節度使U


曰:「度,汝長御史,其往視師。」
またいわれた、「度よ、お前は御史の長として、往って軍隊を監視せよ。」と。
〇度 姓は裳、韓愈の上官。


曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
またいわれた、「度よ、それこそお前は私と同じ意見であるから、お前はそのまま私の宰相として、命令を用いる著と命令に従わない者とを、賞したり罰したりせよ。」と。


曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
またいわれた、「弘よ、お前は天子から賜った、将軍の節旄を持って諸軍の都統となれ。」と。
○郡統 講軍の総司令官。唐では大臣が都統となり、諸道の軍を総管し、或いは三遷を領し、また玉造を領する。古代の方正、牧伯の任。


曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」
またいわれた、「守謙よ、お前は私の左右に出入する、お前こそ近臣である。往って軍隊を慰問せよ。」と。
〇守謙 姓は梁、知枢密から宣慰監軍となった。
百舌鳥03

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#5>Ⅱ中唐詩748 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2724

韓愈(韓退之) 《平淮西碑》 天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。


2013年7月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#5>Ⅱ中唐詩748 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2724


#5
曰:「光顏,汝為陳、許帥,
天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。
維是河東、魏博、郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。
曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,
またいわれた、「重胤よ、お前は、以前河陽や懷州の軍を支配していたが、それに今汝州を増加する。
維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延、慶七軍之在行者,汝皆將之。」
まず、ここに朔方・義・成・陝・益・鳳翔・延慶の七軍の派遣部隊にあるものは、お前がこれに将となれ。」と。
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
続いていわれた、「弘よ、お前は士卒一万二千を率いて、お前の子の公武の手勢として付け、往って討伐せよ。」と。
曰:「文通,汝守壽,
またいわれた、「文通よ、お前は寿州に鎮守府長官となれ」
維是宣武、淮南、宣歙、浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
それで、「ここに宣武・准南・宣歙・浙西の四軍の中で寿州に行く者は、お前が皆これに将となれ。」と。

泰山の夕日02#6
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」
#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
以既厥事,遂生蔡人。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」

#5
曰く:「光顏,汝 陳、許の帥と為れ。
維れ是れ河東、魏博、郃陽【かんよう】三軍の行在る者,汝 皆 之に將たれ と。」
曰く:「重胤【じゅういん】,汝 故【もと】河陽、懷を有【たも】つ。
今 益すに汝【じょ】を以ってす。
維れ是れ 朔方、義・成、陝、益、鳳翔、延慶の七軍の行に在る者,汝 皆 之に將たれ。」と。
曰く:「弘,汝 卒萬二千を以て而【なんじ】が子公武に屬し 往いて之を討て。」と。
曰く:「文通,汝 壽を守れ。
維れ是れ 宣武【せんぶ】、淮南【わいなん】、宣歙【せんきゅう】、浙西【せつせい】四軍の壽に行く者,汝 皆 之に將たれ。」と。

『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)
#5
満月004曰:「光顏,汝為陳許帥。
維是河東、魏博、郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「重胤,汝故有河陽、懷。
今益以汝。
維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延慶七軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
曰:「文通,汝守壽。
維是宣武、淮南、宣歙、浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」


(下し文) #5
曰く:「光顏,汝 陳、許の帥と為れ。
維れ是れ河東、魏博、郃陽【かんよう】三軍の行在る者,汝 皆 之に將たれ と。」
曰く:「重胤【じゅういん】,汝 故【もと】河陽、懷を有【たも】つ。
今 益すに汝【じょ】を以ってす。
維れ是れ 朔方、義・成、陝、益、鳳翔、延慶の七軍の行に在る者,汝 皆 之に將たれ。」と。
曰く:「弘,汝 卒萬二千を以て而【なんじ】が子公武に屬し 往いて之を討て。」と。
曰く:「文通,汝 壽を守れ,維れ是れ 宣武【せんぶ】、淮南【わいなん】、宣歙【せんきゅう】、浙西【せつせい】四軍の壽に行く者,汝 皆 之に將たれ。」と。


(現代語訳)
天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。
ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。
またいわれた、「重胤よ、お前は、以前河陽や懷州の軍を支配していたが、それに今汝州を増加する。
まず、ここに朔方・義・成・陝・益・鳳翔・延慶の七軍の派遣部隊にあるものは、お前がこれに将となれ。」と。
続いていわれた、「弘よ、お前は士卒一万二千を率いて、お前の子の公武の手勢として付け、往って討伐せよ。」と。
またいわれた、「文通よ、お前は寿州に鎮守府長官となれ」

それで、「ここに宣武・准南・宣歙・浙西の四軍の中で寿州に行く者は、お前が皆これに将となれ。」と。

(訳注)
曰:「光顏,汝為陳、許帥。
天子はまたいわれた、「光顔よ、お前は陳州・許州の主将となれ。
○光顔 姓は李、陳州の刺史で、忠試写の都知兵馬使。


維是河東、魏博、郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
ここに河東と魏と博二州および郃陽の三軍の派遣される者は、汝が皆その将となれ。」と。
〇在行 行は派遣隊。派遣軍の中にある。


曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,
またいわれた、「重胤よ、お前は、以前河陽や懷州の軍を支配していたが、それに今汝州を増加する。
○重胤 烏重胤、河陽軍と懐・汝二州の節度使。


維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延慶七軍之在行者,汝皆將之。」
まず、ここに朔方・義・成・陝・益・鳳翔・延慶の七軍の派遣部隊にあるものは、お前がこれに将となれ。」と。


曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
続いていわれた、「弘よ、お前は士卒一万二千を率いて、お前の子の公武の手勢として付け、往って討伐せよ。」と。
○弘 姓は韓。椎田軍の帥。
〇而子 汝子に同じ。


曰:「文通,汝守壽,
またいわれた、「文通よ、お前は寿州に鎮守府長官となれ」
○文通 姓は李、寿州の団練使。


維是宣武、淮南、宣歙、浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
それで、「ここに宣武・准南・宣歙・浙西の四軍の中で寿州に行く者は、お前が皆これに将となれ。」と。
秋蘭001

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#4>Ⅱ中唐詩747 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2719

韓愈(韓退之) 《平淮西碑》#4 元和九年(814)に蔡州の将が死んだ。蔡の人々はその子の元済を世襲させようと立てて、その承認を朝廷に請うたが許されなかった。


2013年7月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor棠梨花和李太尉 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-235--#91  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2722
 
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楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
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謝靈運詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#4>Ⅱ中唐詩747 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2719


814年元和九年に呉少陽が死ぬと、その部下は勝手に少陽の子元済を立てて、朝廷の任命を請うて来た。朝廷は許さなかったので遂に叛いた。憲宗は裴度の意見を用いて之を討つことに決した。裴度は淮西宣慰処置使、兼彰義軍節度使となったが、韓愈を行軍司馬に任じた。
淮水西方の土地、蔡の地を淮西という。この地方の賊が平定すると、韓愈は裴度に随って朝廷に帰り、功を以て刑部侍即を授けられ、「准西を平ぐる碑」を作れとの詔を受けた。これは韓愈一生の最も重大な作品で、苦心努力の結晶であった。彼の代表作の中でも有数のものである。主旨は惟西の平定によって、憲宗の天下支配が成ったことを頌するのである。

千丈敷02












平淮西碑 原文
#1
天以唐克肖其德,聖子神孫,
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
全付所覆,四海九州,罔有內外,悉主悉臣。
高祖太宗,既除既治;
#2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。


#3
睿聖文武皇帝,既受羣臣朝,乃考圖數貢,
曰:「嗚呼!天既全付予有家,今傳次在予,
予不能事事,其何以見於郊廟?」
羣臣震懾,奔走率職。明年,平夏;
又明年,平蜀;又明年,平江東;
又明年,平澤潞遂定易定,
致魏、博、貝、衛、澶、相,無不從志。
皇帝曰:「不可究武,予其少息。」

 
#4
九年,蔡將死。蔡人立其子元濟以請,不許。
元和九年(814)に蔡州の将が死んだ。蔡の人々はその子の元済を世襲させようと立てて、その承認を朝廷に請うたが許されなかった。
遂燒舞陽,犯葉襄城;
そのまま乱を起こして、舞陽を焼き、葉県・襄陽の城を犯して、
以動東都,放兵四劫。
東都洛陽をおびやかし、兵を方々に出して四方の州を劫かした。
皇帝歷問于朝,一二臣外,
皇帝は朝廷において、臣下一人びとりに問われた。一人、二人の臣の外にして。
皆曰:「蔡帥之不廷授,
皆はいった、「蔡の主将が、朝廷から授けて任命しなくなって、
于今五十年,傳三姓四將;
勝手に立つようになって、今まで五十年の問に、将の姓は三たび変わり、人は四人に伝えている。
其樹本堅,兵利卒頑,不與他等。
その樹の根本を植えること固くし、兵器は鋭く充実し、士卒は頑なに強くて言うことを聴かない。他の潘鎮とは同じでないのである。
因撫而有,順且無事。」
それをそのままにして手なずけて保有すれば、穏順でまた無事にすむであろう」と。
大官臆决唱聲,萬口和附,
大官の人が自分の推量できめて、唱えて言い張ると、すべての人はそれに口を合わせて付き従い、
幷為一談,牢不可破。
併せて、一つの口から出た談のようになって、固くて破ることができないのである。
皇帝曰:「惟天惟祖宗所以付任予者,
皇帝はいわれた、「それこそ天や祖宗が、私に与え任命されたわけがある。
庶其在此,予何敢不力。
それは全くこの事にあるのであろう。私はどうして努力しないでおれよう。
況一二臣同,不為無助。」
まして一、二の臣が私と同意見で討伐に賛成であることは、私にとって助けが無いのではないから、なおさらである」と。
 

#5
曰:「光顏,汝為陳、許帥,維是河東、魏博、
郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延、
慶七軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
曰:「文通,汝守壽,維是宣武、淮南、宣歙、
浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
#6
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」
#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
以既厥事,遂生蔡人。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」



『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
九年,蔡將死。蔡人立其子元濟以請,不許。
遂燒舞陽,犯葉襄城;以動東都,放兵四劫。
皇帝歷問于朝,一二臣外,
皆曰:「蔡帥之不廷授,于今五十年,傳三姓四將;
其樹本堅,兵利卒頑,不與他等。
因撫而有,順且無事。」
大官臆决唱聲,萬口和附,
幷為一談,牢不可破。
皇帝曰:「惟天惟祖宗所以付任予者,
庶其在此,予何敢不力。
況一二臣同,不為無助。」


(下し文) #4
九年,蔡の將 死す。蔡の人 其の子元濟を立てて以って請い,許さず。
遂に舞陽を燒き,葉・襄の城を犯し;以って東都を動し,兵を放つて四劫【しきょう】す。
皇帝 朝に歷問す,一二の臣の外,
皆曰く:「蔡帥の廷授せざるは,今に於いて五十年,三姓 四將に傳う;
其の樹 本と堅く,兵利に卒頑に,他と等しからず。因って撫して有せば,順にして且つ無事なり。」と。
大官 臆决【おくけつ】して唱聲すれば,萬口 和附し,幷【あわせ】て一談と為る,牢として破る可からず。
皇帝曰く:「惟れ 天惟れ祖宗 予に付任する所以の者は,
庶わくば其れ此に在らん,予 何んぞ敢て力めざらん。況んや一二の臣同じく,助け無しと為さざるをや。」


(現代語訳)
元和九年(814)に蔡州の将が死んだ。蔡の人々はその子の元済を世襲させようと立てて、その承認を朝廷に請うたが許されなかった。
そのまま乱を起こして、舞陽を焼き、葉県・襄陽の城を犯して、東都洛陽をおびやかし、兵を方々に出して四方の州を劫かした。
皇帝は朝廷において、臣下一人びとりに問われた。一人、二人の臣の外にして。
皆はいった、「蔡の主将が、朝廷から授けて任命しなくなって、勝手に立つようになって、今まで五十年の問に、将の姓は三たび変わり、人は四人に伝えている。
その樹の根本を植えること固くし、兵器は鋭く充実し、士卒は頑なに強くて言うことを聴かない。他の潘鎮とは同じでないのである。
それをそのままにして手なずけて保有すれば、穏順でまた無事にすむであろう」と。
大官の人が自分の推量できめて、唱えて言い張ると、すべての人はそれに口を合わせて付き従い、併せて、一つの口から出た談のようになって、固くて破ることができないのである。
皇帝はいわれた、「それこそ天や祖宗が、私に与え任命されたわけがある。
それは全くこの事にあるのであろう。私はどうして努力しないでおれよう。
まして一、二の臣が私と同意見で討伐に賛成であることは、私にとって助けが無いのではないから、なおさらである」と。


(訳注)#4
九年,蔡將死。蔡人立其子元濟以請,不許。

元和九年(814)に蔡州の将が死んだ。蔡の人々はその子の元済を世襲させようと立てて、その承認を朝廷に請うたが許されなかった。
O蔡将 蔡州の節度使呉少陽。


遂燒舞陽,犯葉襄城;以動東都,放兵四劫。
そのまま乱を起こして、舞陽を焼き、葉県・襄陽の城を犯して、東都洛陽をおびやかし、兵を方々に出して四方の州を劫かした。
○舞陽・葉・襄 河南省南部の都市。
○動 動揺させる。脅かす。
〇四劫 四方をおびやかす。


皇帝歷問于朝,一二臣外,
皇帝は朝廷において、臣下一人びとりに問われた。一人、二人の臣の外にして。
○歴間 順次に、一人一人に質問する。


皆曰:「蔡帥之不廷授,于今五十年,傳三姓四將;
皆はいった、「蔡の主将が、朝廷から授けて任命しなくなって、勝手に立つようになって、今まで五十年の問に、将の姓は三たび変わり、人は四人に伝えている。
〇三姓四将 李忠臣・陳奇・呉少陽の三姓と、李忠臣・李希烈・呉少誠・呉少陽の四将。


其樹本堅,兵利卒頑,不與他等。
その樹の根本を植えること固くし、兵器は鋭く充実し、士卒は頑なに強くて言うことを聴かない。他の潘鎮とは同じでないのである。
○他 他の潘鎮。唐から北宋代まで存在した地方組織の名称である。節度使や観察使などを頂点とし、地方軍と地方財政を統括した。節度使そのものを指すことも多い。辺境統治、節度使と潘鎮、都護府。唐は太宗の時代に大幅に領土を広げ、その領土を都護府・羈縻政策・府兵制・鎮兵の制度をもって維持していた。鎮兵には蕃将蕃兵が多く用いられ、主に西北方面の辺境防衛のために置かれたが、玄宗時代になると、従来の府兵制が上手く行かなくなり、辺境以外にも藩鎮が設置された。


因撫而有,順且無事。」
それをそのままにして手なずけて保有すれば、穏順でまた無事にすむであろう」と。
〇因撫而有 そのままに手なずけて保有する。


大官臆决唱聲,萬口和附,幷為一談,牢不可破。
大官の人が自分の推量できめて、唱えて言い張ると、すべての人はそれに口を合わせて付き従い、併せて、一つの口から出た談のようになって、固くて破ることができないのである。
○臆決 臆は胸、推測で物事をきめる。確証なくきめる意。
○唱声 発言して主張する。唱は伯、となえる。声は大声でいう。
○和付 付和雷同に同じく、一緒になっていう。
○牢 固い形容。


皇帝曰:「惟天惟祖宗所以付任予者,
皇帝はいわれた、「それこそ天や祖宗が、私に与え任命されたわけがある。
○付任 与えて任命する。天子の職に任命されたこと。


庶其在此,予何敢不力。
それは全くこの事にあるのであろう。私はどうして努力しないでおれよう。
○庶 こひねがはくはと読むが、意味は庶をちかしと読む時と同じ。殆ど全く=・のようである。


況一二臣同,不為無助。」
まして一、二の臣が私と同意見で討伐に賛成であることは、私にとって助けが無いのではないから、なおさらである」と。
〇一二臣 裴度・李吉甫・武元衡らの主戦論者。
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#3>Ⅱ中唐詩746 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2714

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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#3>Ⅱ中唐詩746 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2714


814年元和九年に呉少陽が死ぬと、その部下は勝手に少陽の子元済を立てて、朝廷の任命を請うて来た。朝廷は許さなかったので遂に叛いた。憲宗は裴度の意見を用いて之を討つことに決した。裴度は淮西宣慰処置使、兼彰義軍節度使となったが、韓愈を行軍司馬に任じた。
淮水西方の土地、蔡の地を淮西という。この地方の賊が平定すると、韓愈は裴度に随って朝廷に帰り、功を以て刑部侍即を授けられ、「准西を平ぐる碑」を作れとの詔を受けた。これは韓愈一生の最も重大な作品で、苦心努力の結晶であった。彼の代表作の中でも有数のものである。主旨は惟西の平定によって、憲宗の天下支配が成ったことを頌するのである。


平淮西碑 #1
(淮西を平定したことを記念する碑。)
天以唐克肖其德,聖子神孫,
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
全付所覆,四海九州,
罔有內外,悉主悉臣。
高祖太宗,既除既治;
天は、唐王朝が、天の徳性により困難に勝つことでもって、神のようにすぐれた子孫がうまれる。
そしてそれが、千万年にも次々相継ぎ、そして次々相承けて、敬しみ戒めて怠らず勤めるのである。
天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。
漢民族と、異民族内外の区別がなく、唐は悉くその君主となり、人々は悉く臣下となった。
高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。
#2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,
極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,
以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,
文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。
高宗・中宗・睿宗は、人民を休め、養い、生きて殖えさせたのである。
玄宗に至って、祖宗善政の報いを受け治策の結果を手に収めた。
極めて盛んな勢いがあり豊かな御代となって、物産は多く土地は広大であったが、其の間にひこはえの芽のようなよくない者が出て来た。
粛宗・代宗・わが君の祖父徳宗・父順宗は、治安に勤めて賊を討たれた。
降将を赦して受け容れたりされた。その結果大悪人は今ちょうど去ったのである。
害草のような小賊はまだ草斬り去らないでいるし、大臣や大将などは、
皆文官は安んじ武官は楽しんで、見開くことに馴れ知りつくしていて、当然のことと考えている。


平淮西碑 #1
天以って 唐の克く其の德に肖て,聖子 神孫,
繼繼 承承して,千萬年に於て,敬戒 不怠らざるを,
覆う所を全付する,四海九州,
內外有る罔し,悉く主 悉く臣たり。
高祖 太宗,既に除き既に治む;
#2
高宗・中・睿,休養 生息し;
玄宗に至って,報を受けを功を收め,
極めて熾【さか】んにして豐かに,物眾【おお】くして地大にして,其の間に孽牙す;
肅宗【しゅくそう】・代宗【だいそう】,德祖【とくそ】・順考【じゅんこう】,
以って勤め以って容る,大慝【だいとく】適去。
稂莠【ちゅうい】薅【くさき】らず,相臣【そうしん】將臣【しょうしん】,
文恬【ぶんてん】武嬉【ぶき】,見聞に習熟して,以って當然と為す。

#3
睿聖文武皇帝,既受羣臣朝,乃考圖數貢,
今上、睿聖文武皇帝は、すでに群臣の朝参を受けられ、そこで領地の広さを考え、貢ぎ物の量を数える。
曰:「嗚呼!天既全付予有家,今傳次在予,
そして、いわれた、「ああ、天はすでに天下をわが家に全て与えられた。今順次に伝えて私の身に在る。
予不能事事,其何以見於郊廟?」
ところで私が自分の仕事を第一の仕事とすることができないならば、一体どうして郊の祭りに天に対し、大廟の祭りに祖先に対してまみえることができようか、と。
羣臣震懾,奔走率職。明年,平夏;
これを聞いて群臣は震え恐れ奔走して各自の職務に従って努力をした。そして明年は夏州を平らげた。
又明年,平蜀;又明年,平江東;
またその翌年にには蜀の成都を平らげ、またその翌年には江東地方を平らげるのである。
又明年,平澤潞遂定易定,
またその翌年には、沢州・苗州の地を平らげ、そのまま易州・定州を平定した。
致魏、博、貝、衛、澶、相,無不從志。
魏州・博州を服従させ、貝・衛・澶・相の四州も、わが方の志に従わないものはなかった。
皇帝曰:「不可究武,予其少息。」

皇帝はいわれた、「武力を極度まで用いてはならない。私はそれこそしばらく休息しょう」と。
#3
睿聖【えいせい】文武皇帝,既に羣臣の朝を受け,乃ち圖を考へ貢を數えて,
曰く:「嗚呼!天 既に予の有家に全付して,今 次を傳えて予に在り,
予 事を事する能わずんば,其れ何を以って郊廟に見【まみ】えんと?」
羣臣 震懾【しんしょう】し,奔走して職に率【したが】う。明年,夏を平げ;
又 明年,蜀を平ぐ;又 明年,平江東をげ;
又 明年,澤【たく】・潞【ろ】を平げ遂に易・定を定め,
魏、博を致し、貝【ばい】、衛【えい】、澶【せん】、相【そう】まで,志に從わざる無し。
皇帝曰く:「武を究む可からず,予 其れ少【しばら】く息わんと。」

 


『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文)
睿聖文武皇帝,既受羣臣朝,乃考圖數貢,
曰:「嗚呼!天既全付予有家,今傳次在予,
予不能事事,其何以見於郊廟?」
羣臣震懾,奔走率職。明年,平夏;
又明年,平蜀;又明年,平江東;
又明年,平澤潞遂定易定,
致魏、博、貝、衛、澶、相,無不從志。
皇帝曰:「不可究武,予其少息。」


(下し文)
睿聖【えいせい】文武皇帝,既に羣臣の朝を受け,乃ち圖を考へ貢を數えて,
曰く:「嗚呼!天 既に予の有家に全付して,今 次を傳えて予に在り,
予 事を事する能わずんば,其れ何を以って郊廟に見【まみ】えんと?」
羣臣 震懾【しんしょう】し,奔走して職に率【したが】う。明年,夏を平げ;
又 明年,蜀を平ぐ;又 明年,平江東をげ;
又 明年,澤【たく】・潞【ろ】を平げ遂に易・定を定め,
魏、博を致し、貝【ばい】、衛【えい】、澶【せん】、相【そう】まで,志に從わざる無し。
皇帝曰く:「武を究む可からず,予 其れ少【しばら】く息わんと。」


(現代語訳)
今上、睿聖文武皇帝は、すでに群臣の朝参を受けられ、そこで領地の広さを考え、貢ぎ物の量を数える。
そして、いわれた、「ああ、天はすでに天下をわが家に全て与えられた。今順次に伝えて私の身に在る。
ところで私が自分の仕事を第一の仕事とすることができないならば、一体どうして郊の祭りに天に対し、大廟の祭りに祖先に対してまみえることができようか、と。
これを聞いて群臣は震え恐れ奔走して各自の職務に従って努力をした。そして明年は夏州を平らげた。
またその翌年にには蜀の成都を平らげ、またその翌年には江東地方を平らげるのである。
またその翌年には、沢州・苗州の地を平らげ、そのまま易州・定州を平定した。
魏州・博州を服従させ、貝・衛・澶・相の四州も、わが方の志に従わないものはなかった。
皇帝はいわれた、「武力を極度まで用いてはならない。私はそれこそしばらく休息しょう」と。


(訳注)
睿聖文武皇帝,既受羣臣朝,乃考圖數貢,
今上、睿聖文武皇帝は、すでに群臣の朝参を受けられ、そこで領地の広さを考え、貢ぎ物の量を数える。
○容聖文武皇帝 憲宗に対して元和三年に群臣が奉った尊号。
○朝 朝参。朝拝。天子に拝謁すること。
○考図 地図を考える。領土を考察する。
○数頁 朝廷に地方からの献上物、租税などを数え計る。


曰:「嗚呼!天既全付予有家,今傳次在予,
そして、いわれた、「ああ、天はすでに天下をわが家に全て与えられた。今順次に伝えて私の身に在る。
○有家 有は助字、家、唐の家、姓は李。
○伝次在予 順番に伝えてわが身にその天下がある。


予不能事事,其何以見於郊廟?」
ところで私が自分の仕事を第一の仕事とすることができないならば、一体どうして郊の祭りに天に対し、大廟の祭りに祖先に対してまみえることができようか」と。
○事事 仕事を第一の仕事として努める。
○郊廟 郊の祭りは天地の祭り、天子が冬至の日に天を南郊に祀り、夏至の日に地を北邦に祭る。廟は大廟の祭り、祖先を祭る。


羣臣震懾,奔走率職。明年,平夏;
これを聞いて群臣は震え恐れ奔走して各自の職務に従って努力をした。そして明年は夏州を平らげた。
○震懾 震え恐れる。畏れかしこむ。
○率職 自分の職務に従う。
○平夏 夏州を平らげる。元和元年、東州留後揚恵琳を討伐した。


又明年,平蜀;又明年,平江東;
またその翌年にには蜀の成都を平らげ、またその翌年には江東地方を平らげるのである。
○平蜀 蜀の成都を平らげて劉閥を抱にする。
○平江東 二年鎮海の節度使李錨が叛いたので討って之を斬った。長江下流を江東といぅ。


又明年,平澤潞遂定易定,
またその翌年には、沢州・苗州の地を平らげ、そのまま易州・定州を平定した。
○澤潞 沢州・潞州、山河省の地名。盛従史の拠った所。
○易定 河北の易州・定州。張茂昭の拠った所。
 

致魏、博、貝、衛、澶、相,無不從志。
魏州・博州を服従させ、貝・衛・澶・相の四州も、わが方の志に従わないものはなかった。
○貌博 魂州■博州、田興の拠った所。
○貝衛海相 この四州も田興の支配下にあった所。


皇帝曰:「不可究武,予其少息。」
皇帝はいわれた、「武力を極度まで用いてはならない。私はそれこそしばらく休息しょう」と。
○不可究武 武力を窮極まで用いてはならない。
○少息 しばらく息(押)む。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#2>Ⅱ中唐詩745 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2709

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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#2>Ⅱ中唐詩745 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2709


814年元和九年に呉少陽が死ぬと、その部下は勝手に少陽の子元済を立てて、朝廷の任命を請うて来た。朝廷は許さなかったので遂に叛いた。憲宗は裴度の意見を用いて之を討つことに決した。裴度は淮西宣慰処置使、兼彰義軍節度使となったが、韓愈を行軍司馬に任じた。
淮水西方の土地、蔡の地を淮西という。この地方の賊が平定すると、韓愈は裴度に随って朝廷に帰り、功を以て刑部侍即を授けられ、「准西を平ぐる碑」を作れとの詔を受けた。これは韓愈一生の最も重大な作品で、苦心努力の結晶であった。彼の代表作の中でも有数のものである。主旨は惟西の平定によって、憲宗の天下支配が成ったことを頌するのである。


平淮西碑 #1
天以唐克肖其德,聖子神孫,
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
全付所覆,四海九州,
罔有內外,悉主悉臣。
高祖太宗,既除既治;
(淮西を平定したことを記念する碑。)
天は、唐王朝が、天の徳性により困難に勝つことでもって、神のようにすぐれた子孫がうまれる。
そしてそれが、千万年にも次々相継ぎ、そして次々相承けて、敬しみ戒めて怠らず勤めるのである。
天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。
漢民族と、異民族内外の区別がなく、唐は悉くその君主となり、人々は悉く臣下となった。
高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。
#2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,
極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,
以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,
文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。
高宗・中宗・睿宗は、人民を休め、養い、生きて殖えさせたのである。
玄宗に至って、祖宗善政の報いを受け治策の結果を手に収めた。
極めて盛んな勢いがあり豊かな御代となって、物産は多く土地は広大であったが、其の間にひこはえの芽のようなよくない者が出て来た。
粛宗・代宗・わが君の祖父徳宗・父順宗は、治安に勤めて賊を討たれた。
降将を赦して受け容れたりされた。その結果大悪人は今ちょうど去ったのである。
害草のような小賊はまだ草斬り去らないでいるし、大臣や大将などは、
皆文官は安んじ武官は楽しんで、見開くことに馴れ知りつくしていて、当然のことと考えている。

平淮西碑 #1
天以って 唐の克く其の德に肖て,聖子 神孫,
繼繼 承承して,千萬年に於て,敬戒 不怠らざるを,
覆う所を全付する,四海九州,
內外有る罔し,悉く主 悉く臣たり。
高祖 太宗,既に除き既に治む;
#2
高宗・中・睿,休養 生息し;
玄宗に至って,報を受けを功を收め,
極めて熾【さか】んにして豐かに,物眾【おお】くして地大にして,其の間に孽牙す;
肅宗【しゅくそう】・代宗【だいそう】,德祖【とくそ】・順考【じゅんこう】,
以って勤め以って容る,大慝【だいとく】適去。
稂莠【ちゅうい】薅【くさき】らず,相臣【そうしん】將臣【しょうしん】,
文恬【ぶんてん】武嬉【ぶき】,見聞に習熟して,以って當然と為す。


『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文) #2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,
極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,
以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,
文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。


(下し文) #2
高宗・中・睿,休養 生息し;
玄宗に至って,報を受けを功を收め,
極めて熾【さか】んにして豐かに,物眾【おお】くして地大にして,其の間に孽牙す;
肅宗【しゅくそう】・代宗【だいそう】,德祖【とくそ】・順考【じゅんこう】,
以って勤め以って容る,大慝【だいとく】適去。
稂莠【ちゅうい】薅【くさき】らず,相臣【そうしん】將臣【しょうしん】,
文恬【ぶんてん】武嬉【ぶき】,見聞に習熟して,以って當然と為す。


(現代語訳)
高宗・中宗・睿宗は、人民を休め、養い、生きて殖えさせたのである。
玄宗に至って、祖宗善政の報いを受け治策の結果を手に収めた。
極めて盛んな勢いがあり豊かな御代となって、物産は多く土地は広大であったが、其の間にひこはえの芽のようなよくない者が出て来た。
粛宗・代宗・わが君の祖父徳宗・父順宗は、治安に勤めて賊を討たれた。
降将を赦して受け容れたりされた。その結果大悪人は今ちょうど去ったのである。
害草のような小賊はまだ草斬り去らないでいるし、大臣や大将などは、
皆文官は安んじ武官は楽しんで、見開くことに馴れ知りつくしていて、当然のことと考えている。


(訳注) #2
高宗中睿,休養生息;
高宗・中宗・睿宗は、人民を休め、養い、生きて殖えさせたのである。
○生息 生活の意味。生きて殖える。息は蕃息。ふえる。


至於玄宗,受報收功,
玄宗に至って、祖宗善政の報いを受け治策の結果を手に収めた。


極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
極めて盛んな勢いがあり豊かな御代となって、物産は多く土地は広大であったが、其の間にひこはえの芽のようなよくない者が出て来た。
○孽牙 孽は木のひこはえ。斬ったあとに横から生ずる芽。よけいなもの。節度使の専横、安史の乱などをさす。


肅宗代宗,德祖順考,
粛宗・代宗・わが君の祖父徳宗・父順宗は、治安に勤めて賊を討たれた。
○徳祖 今上の祖父である徳宗。
○順考 考は亡父。今上の亡父である順宗のこと。


以勤以容,大慝適去。
降将を赦して受け容れたりされた。その結果大悪人は今ちょうど去ったのである。
〇以勤以容 努力して賊を平らげたり、降服したものをゆるし容れる。
〇大悪 大悪人。安篠山・史思明・朱壮・李希烈等。


稂莠不薅,相臣將臣,
害草のような小賊はまだ草斬り去らないでいるし、大臣や大将などは、
○娘募 穀物を害する悪い草。治安を害する賊の部下に喩える。税はいぬあわ。秀はほぐさ、稲に似た悪草。
○挿 くさざる。音カウ。田の葦を斬り取る。


文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。
皆文官は安んじ武官は楽しんで、見開くことに馴れ知りつくしていて、当然のことと考えている。
○文惜武嬉 文官は安心し、武人は楽しんで、国家の禍根を考えない。
○習熟 なれてよく知っている。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#1>Ⅱ中唐詩744 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2704

韓愈(韓退之) 《平淮西碑》 高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。



2013年7月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#1>Ⅱ中唐詩744 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2704


814年元和九年に呉少陽が死ぬと、その部下は勝手に少陽の子元済を立てて、朝廷の任命を請うて来た。朝廷は許さなかったので遂に叛いた。憲宗は裴度の意見を用いて之を討つことに決した。裴度は淮西宣慰処置使、兼彰義軍節度使となったが、韓愈を行軍司馬に任じた。
淮水西方の土地、蔡の地を淮西という。この地方の賊が平定すると、韓愈は裴度に随って朝廷に帰り、功を以て刑部侍即を授けられ、「准西を平ぐる碑」を作れとの詔を受けた。これは韓愈一生の最も重大な作品で、苦心努力の結晶であった。彼の代表作の中でも有数のものである。主旨は惟西の平定によって、憲宗の天下支配が成ったことを頌するのである。


平淮西碑 #1
(淮西を平定したことを記念する碑。)
天以唐克肖其德,聖子神孫,
天は、唐王朝が、天の徳性により困難に勝つことでもって、神のようにすぐれた子孫がうまれる。
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
そしてそれが、千万年にも次々相継ぎ、そして次々相承けて、敬しみ戒めて怠らず勤めるのである。
全付所覆,四海九州,
天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。
罔有內外,悉主悉臣。
漢民族と、異民族内外の区別がなく、唐は悉くその君主となり、人々は悉く臣下となった。
高祖太宗,既除既治;
高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。
#2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,
極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,
以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,
文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。

平淮西碑 #1
天以って 唐の克く其の德に肖て,聖子 神孫,
繼繼 承承して,千萬年に於て,敬戒 不怠らざるを,
覆う所を全付する,四海九州,
內外有る罔し,悉く主 悉く臣たり。
高祖 太宗,既に除き既に治む;

千丈敷02











『平淮西碑』 現代語訳と訳註
(本文) 
#1
天以唐克肖其德,聖子神孫,
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
全付所覆,四海九州,
罔有內外,悉主悉臣。
高祖太宗,既除既治;


(下し文)
#1
天以って 唐の克く其の德に肖て,聖子 神孫,
繼繼 承承して,千萬年に於て,敬戒 不怠らざるを,
覆う所を全付する,四海九州,
內外有る罔し,悉く主 悉く臣たり。
高祖 太宗,既に除き既に治む;


(現代語訳)
(淮西を平定したことを記念する碑。)
天は、唐王朝が、天の徳性により困難に勝つことでもって、神のようにすぐれた子孫がうまれる。
そしてそれが、千万年にも次々相継ぎ、そして次々相承けて、敬しみ戒めて怠らず勤めるのである。
天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。
漢民族と、異民族内外の区別がなく、唐は悉くその君主となり、人々は悉く臣下となった。
高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。


(訳注)
平淮西碑
 #1
(淮西を平定したことを記念する碑。)


天以唐克肖其德,聖子神孫,
天は、唐王朝が、天の徳性により困難に勝つことでもって、神のようにすぐれた子孫がうまれる。
 肖る【あやか・る】1 影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。ふつう、よい状態になりたい意に用いられる。2 影響を受けて変化する。動揺する。
其徳 天の徳性。万物を覆い育てる徳。恩恵。


繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
そしてそれが、千万年にも次々相継ぎ、そして次々相承けて、敬しみ戒めて怠らず勤めるのである。
継継承承 継承を重ねて丁重にいう。


全付所覆,四海九州,
天の覆うところの四方の地のはての海いたるまで、その中の九州をすべて唐に与えられたのである。


罔有內外,悉主悉臣。
漢民族と、異民族内外の区別がなく、唐は悉くその君主となり、人々は悉く臣下となった。


高祖太宗,既除既治;
高祖を継いだ、太宗は、すでに逆賊を除き、すでに天下を手中に治めたのである。

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699

2013年7月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699


■平淮西碑 (韓碑)に関する韓愈の年譜
815憲宗元和10年48歳5月、「淮西の事宜を論ずる状」を上奏し、淮西の乱に断固たる措置を求める。夏、「順宗実録」を撰進。*「盆地五首」*「児に示す」作。
81611年49歳正月20日、中書舎人に転任。緋魚袋を賜わる。5月18日、太子右庶士に降任。*「張籍を調(あざけ)る」作
81712年50歳7月29日、裴度、淮西宣慰招討処置使となるに伴い、兼御史中丞、彰義軍行軍司馬となる。8月、滝関を出、本隊より離れて汴州に急行し、宣武軍節度使韓弘の協力をとりつける。10月、敵の本拠、蔡州を間道づたいに突くことを願うも、唐鄧随節度使李愬に先をこされる。11月28日、蔡州を発して長安へ向かう。12月16日、長安へ帰る。21日、刑部侍郎に転任。*「裴相公の東征して途に女几山の下を経たりの作に和し奉る」作
81813年51歳正月、「淮西を平らぐる碑」 を上るも、李愬の訴えにより、碑文は磨り消される。4月、鄭余慶、詳定礼楽使となり、推薦されて副使をつとめる。*「独り釣る四首」
81914年52歳正月14日、「仏骨を論ずる表」を上り、極刑に処せられるところを、裴度らのとりなしで、潮州刺史に左遷となる。3月25日、潮州に着任。10月24日、兗州刺史に転任。*「左遷せられて藍関に至り姪孫湘に示す」*「滝吏」*「始興江口に過る感懐」*「柳柳州の蝦蟇を食うに答う」*「兗州に量移せらる張端公詩を以て相賀す因って之に酬ゆ」  *二月二日、潮州への旅の途次、四女挐、死没。7月、大赦。

平淮西碑 原文 韓愈
#1
天以唐克肖其德,聖子神孫,
繼繼承承,於千萬年,敬戒不怠,
全付所覆,四海九州,罔有內外,悉主悉臣。
高祖太宗,既除既治;
#2
高宗中睿,休養生息;
至於玄宗,受報收功,極熾而豐,物眾地大,孽牙其間;
肅宗代宗,德祖順考,以勤以容,大慝適去。
稂莠不薅,相臣將臣,文恬武嬉,習熟見聞,以為當然。


#3
睿聖文武皇帝,既受羣臣朝,乃考圖數貢,
曰:「嗚呼!天既全付予有家,今傳次在予,
予不能事事,其何以見於郊廟?」
羣臣震懾,奔走率職。明年,平夏;
又明年,平蜀;又明年,平江東;
又明年,平澤潞遂定易定,
致魏、博、貝、衛、澶、相,無不從志。
皇帝曰:「不可究武,予其少息。」

 
#4
九年,蔡將死。蔡人立其子元濟以請,不許。
遂燒舞陽,犯葉襄城;以動東都,放兵四劫。
皇帝歷問于朝,一二臣外,
皆曰:「蔡帥之不廷授,于今五十年,傳三姓四將;
其樹本堅,兵利卒頑,不與他等。因撫而有,順且無事。」
大官臆决唱聲,萬口和附,幷為一談,牢不可破。
皇帝曰:「惟天惟祖宗所以付任予者,
庶其在此,予何敢不力。況一二臣同,不為無助。」
 
#5
曰:「光顏,汝為陳、許帥,維是河東、魏博、
郃陽三軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「重胤,汝故有河陽、懷,今益以汝,維是朔方、義成、陝、益、鳳翔、延、
慶七軍之在行者,汝皆將之。」
曰:「弘,汝以卒萬二千屬而子公武往討之。」
曰:「文通,汝守壽,維是宣武、淮南、宣歙、
浙西四軍之行于壽者,汝皆將之。」
#6
曰:「道古,汝其觀察鄂岳。」
曰:「愬,汝帥唐、鄧、隨,各以其兵進戰。」
曰:「度,汝長御史,其往視師。」
曰:「度,惟汝予同,汝遂相予,以賞罰用命不用命。」
曰:「弘,汝其以節都統諸軍。」
曰:「守謙,汝出入左右,汝惟近臣,共往撫師。」
#7
曰:「度,汝其往,衣服飲食予士,無寒無飢。
以既厥事,遂生蔡人。
賜汝節斧,通天御帶,衛卒三百。
凡茲廷臣,汝擇自從,惟其賢能,
無憚大吏。庚申,予其臨門送汝。」
曰:「御史,予閔士大夫戰甚苦,
自今以往,非郊廟祠祀,其無用樂。」

 
#8
顏、胤、武,合攻其北,大戰十六,
得柵城縣二十三,降人卒四萬。
道古,攻其東南,八戰,降萬三千,
再入申,破其外城。文通,戰其東,
十餘遇,降萬二千。
愬,入其西,得賊將,
輙釋不殺,用其策,戰比有功。
#9
十二年八月,丞相度至師,都統弘責戰益急,
顏、胤、武合戰益用命,
元濟盡幷其眾,洄曲以備。
十月壬申,愬用所得賊將,
自文城因天大雪,疾馳百二十里,
用夜半到蔡,破其門,
取元濟以獻,盡得其屬人卒。辛巳,
丞相度入蔡,以皇帝命赦其人。
淮西平,大饗賚功,
師還之日,因以其食賜蔡人。
凡蔡卒三萬五千,其不樂為兵,
願歸為農者十九,悉縱之。斬元濟京師。

 
#10
冊功:弘加侍中;愬,為左僕射,帥山南東道;
顏、胤皆加司空;公武以散騎常侍,帥鄜坊丹延;
道古進大夫;文通加散騎常侍。
丞相度朝京師,道封晉國公,
進階金紫光祿大夫,以舊官相,
而以其副摠為工部尚書,領蔡任。
既還奏,羣臣請紀聖功,被之金石。
皇帝以命臣愈。臣愈再拜稽首而獻文曰:

 
#11
唐承天命,遂臣萬邦。
孰居近土,襲盜以狂。
往在玄宗,崇極而圮。
河北悍驕,河南附起。
四聖不宥,屢興師征。
#12
有不能尅,益戍以兵。
夫耕不食,婦織不裳。
輸之以車,為卒賜糧。
外多失朝,曠不嶽狩。
百隸怠官,事亡其舊。

 
#13
帝時繼位,顧瞻咨嗟。惟汝文武,孰恤予家。
既斬吳蜀,旋取山東。魏將首義,六州降從。
淮蔡不順,自以為強。提兵叫讙,欲事故常。
#14
始命討之,遂連姦鄰。陰遣刺客,來賊相臣。
方戰未利,內驚京師。羣公上言,莫若惠來。
帝為不聞,與神為謀。乃相同德,以訖天誅。
#15
乃敕顏胤,愬武古通,咸統於弘,各奏汝功。
三方分攻,五萬其師。大軍北乘,厥數倍之。
常兵時曲,軍士蠢蠢。既翦陵雲,蔡卒大窘。
#16
勝之邵陵,郾城來降。自夏入秋,復屯相望。
兵頓不勵,告功不時。帝哀征夫,命相往釐。
士飽而歌,馬騰於槽。
#17
試之新城,賊遇敗逃。盡抽其有,聚以防我。
西師躍入,道無留者。頟頟蔡城,其壃千里。
既入而有,莫不順俟。
 

#18
帝有恩言,相度來宣:誅止其魁,釋其下人。
蔡之卒夫,投甲呼舞;蔡之婦女,迎門笑語。
蔡人告飢,船粟往哺;蔡人告寒,賜以繒布。
#19
始時蔡人,禁不往來;今相從戲,里門夜開。
始時蔡人,進戰退戮;今旰而起,左飱右粥。
為之擇人,以收餘憊;選吏賜牛,教而不稅。
#20
蔡人有言,始迷不知。今乃大覺,羞前之為。
蔡人有言,天子明聖;不順族誅,順保性命。
汝不吾信,視此蔡方;孰為不順,往斧其吭。
#21
凡叛有數,聲勢相倚;吾強不支,汝弱奚恃;
其告而長,而父而兄;奔走偕來,同我太平
 
#22
淮蔡為亂,天子伐之,既伐而飢,天子活之,
使議伐蔡,卿士莫隨,既伐四年,小大並疑,
不赦不疑,由天子明,凡此蔡功,惟斷乃成,
既定淮蔡,四夷畢來。遂開明堂,坐以治之。



平淮西碑 (韓碑)李商隠

#1
元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷
淮西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。

#2
帝得聖和相日度、賊斫不死神扶持。
腰懸相印作都統、陰風惨澹天王旗。
愬武古通作牙爪、儀曹外郎載筆随。
行軍司馬智且勇、十四萬衆猶虎貌。
入蔡縛賊献太廟、功無與譲恩不訾。

#3
帝日汝度功第一、汝従事愈宜爲辭。
愈拝稽首蹈且舞、金石刻畫臣能爲。
古者世稱大手筆、此事不繫於職司。
當仁自古有不讓、言訖屢頷天子頤。
公退齊戒坐小閤、濡染大筆何淋漓。
點竄堯典舜典字、塗改清廟生民詩。
文成破體書在紙、清晨再拝鋪丹墀。

#4
表日臣愈昧死上、詠神聖功書之碑。
碑高三丈字如斗、負以霊鼇蟠以螭。
句奇語重喩者少、讒之天子言其私。
長縄百尺拽碑倒、麤砂大石相磨治。

#5
公之斯文若元気、先時己入人肝脾。
湯盤孔鼎有述作、今無其器存其辭。
鳴呼聖皇及聖相、相與烜赫流淳熙。
公之斯文不示後、曷與三五相攀追。
願書萬本誦萬遍、口角流沫右手胝。
傳之七十有二代、以爲封禪玉検明堂基。

#1
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
これまで、淮西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。
#2
憲宗皇帝の才知英明によって、徳高き宰相のよき輔佐をうけられた。その宰相は、裴度といわれる人である。賊がかつて宰相武元衝を暗殺、裴度も刺客に傷つけられたが、神のご加護があって奇蹟的に助かった。
裴度は腰に宰相の印綬を懸ける身でありながら、自ら元帥として出陣を請うた。裴度元帥の大軍に冬の風が容赦なく吹き付け、天子の御旗は、風に翻った。
四将軍、李愬・韓公武・李道古・李文通たちが、牙と爪の先鋒として攻め入った、礼部員外郎の李宗関もまた戦果を報告しようと、筆を共にして従軍したのだ。
行軍のなかにおいて、請われて副将となった韓愈は、智略に秀れ、且つ勇敢であった。総勢十四万の軍勢すべてが、虎豹のようなつわものぞろいであったのだ。
李愬は雪の降る夜に蔡城を奇襲し、賊の頭目呉元済を生け捕り、佳期ただよう長安に送った。憲宗皇帝は、先祖の廟にそれを報告して、呉元済を斬殺した。准西の乱は平定し、裴度の戦功、功労は比べるものなく秀れ、その恩賞もはかり知れず大きいものであった。
#3
憲宗皇帝はもうされたことは「このたびは汝、裴度が功績第一のものである。」であった、また「汝の部下の韓愈が、碑に刻むべき文章を作らせるがよろしかろう。」と申されたのだ。
韓愈はこの命を最高のものとして受けとめ、唐制にのっとった、拝手稽首の最敬礼と御前に小踊りの礼をしてお答え申し上がたことだった。「金石に刻む文を書くことは天子に代って為さるべきお役目の方々のあることであり、私ごとき行軍司馬のよく為しうる所ではないことでございます。」
「むかしから、世に大文章と称されるものを見ておりますと、筆者は必ずしもその職を司った者とは限ったものではないようであります。それゆえ、天子の命とありますからこのこと誰れ憚ることなく最大の力を注ぎ尽します。」
「『論語』の教えにも、『仁のことをなすに臨んでは、師にもゆずらず』とありますようにいたす所存でございます。」韓愈の意気込みを申しあげて言葉が終ったとき、天子は満足気に幾度もうなずかれたことだった。
かくて、韓愈は朝廷から退出し、沐浴し衣をあらためて身を潔め、集中力を高めて、小座敷に独り坐って筆をとった。大きな筆にたっぷりと墨を含ませ、心を定めて一気呵成に文を書き上げようとしたからだろう。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王の書である堯典や舜典の文章、古い雅頚の集である清廟や生民の詩を、改訂して書き改めたかのような、それは古雅で荘重な文章であった。
その字も常識を破った新しい文体で、紙一面に力強く書かれていた。そして、清々しい朝を迎え、大気も澄んでいた、韓愈は参朝し、宮殿の赤き庭、天子の御座の下にそれをひろげたのである。
#4
かくて官府に奉る上奏文を韓愈はかきあげた、それは、「臣韓愈、昧死して上る次第であります」から始まり、「このたびの戦勝の功、即ち天子有徳の証拠である功績を、かくの如く碑文に詠いあげる。」と献上したのであった。
碑石の高さは三丈もあり、その字はまた斗の如く大きなものだった。礎石には神秘な巨亀のかたちが刻まれ、また書に威厳をそえる模様とし周囲にみずちをめぐらしていた。
その一句一句は、常識を超えた独特の表現であり、一語一語がおごそかで重く、そのため、その卓越した表現力を理解できるものが少なかったのだ。特に、李愬の一族は不満をもったようで、よく理解ができないのに、その文章が高が文人ごときの私情にかたよっていると天子に讒言を申しでた。
立されていた百尺もある碑石は長い縄でしばられ倒されてしまったのだった。その上にあらい磨き砂をまいて、碑文を磨滅させてしまい、別の文章をはりなおすということになったのである。
#5
しかし磨滅されたのではあるが、韓愈公の文学はあたかもすべての事象にたいし普遍で根源的に蓄えられた能力であり、それ以前、先人たちが既に人人の心の奥深く刻み込んでいたものなのである。
殷の湯王の盤や孔子の鼎の文などが作られたことや、刻み込まれたことは知られているが、その刻まれた盤や鼎そのものがいまに伝わるということがなくても、その文章、心意気だけは伝わっているように、たとえ磨滅されたとはいえ、韓文公の文章は、金石のように、その命脈をたもつことであろう。
ああ、聖なるものを受け継ぐ天子憲宗皇帝と、聖仁にして賢明なる宰相裴度はともどもある、たがいにその烜赫な偉業をなしとげ、淳き栄光を遍く世に流した。
韓愈公のこの文を後の世に示さなければ、どうして聖皇聖相の勲功が、かの三皇五帝の業と此肩するほどのものであったことを、どうして後世に伝えることができようか。
それ故に、私は写本することを希望したい。この文章を指にたこのできるまでー万通も写しとり、これを口角沫を飛ばして万遍も諭して、後世に伝えたいのだ。
このようにして代々伝わって、この中国に興亡するだろう七十二の王朝に伝えたのだ、だから、韓愈の文を玉の封印の神器とし天地に功業を告げる封禅の盛儀の御神体として、諸侯を謁見する明堂の基礎とするべきだと、私は思うのである。

送李尚書【李遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162-#2>Ⅱ中唐詩742 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2694

韓愈(韓退之)《送李尚書赴襄陽》李公は一度ここに臨んだ後に、告諭して属郡を寛大に取り扱うのである。そして、遠い鄰国との国境線には戦馬が群がっているがその治下は極めて清平である。そこで、閒に乗じて狩猟をすれば、雷霆の速やかなるが如く、双六を見ては、交互に乱れあう玉石のいそがわしきを眺めていられる。

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送李尚書【李遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162-#2>Ⅱ中唐詩742 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2694



作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 
詩題: 送李尚書【遜。】赴襄陽八韻得長字 
寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     
荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     
峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     
大堤 (山南東道 襄州 襄陽の花街のあるところ)  李白『大堤曲』   
交遊人物/地點: 李遜 書信往來(山南東道 襄州 襄州)
詩文:

送李尚書赴襄陽八韻得長字#1
(李遜尚書の襄陽に赴むくを送別の詩 八韻)
帝憂南國切,改命付忠良。 
天子は南国の重要なることを思われ、しかるべき人を長官に任命しようとして、しきりに憂慮され、改めて忠良を以て聞こえている李遜に勅命を下された。
壤畫星搖動,旗分獸簸揚。 
そこで、李遜は愈々赴任することになり、地域は厳に区画されて、その分野に応ずる天上の星に揺動し、旗は翻って、その上に描いてある猛獣が簸揚するようにみえる。
五營兵轉肅,千里地還方。 
護衛のために引き具してゆく五營の兵士は静粛であるし、その管轄する所の地は方千里の広きに及んでいる。
控帶荊門遠,飄浮漢水長。 
遠くは荊門の剣を控え、漢水は長流千里、飄浮して西北からながれ来る、天然の要害はまことに堅固である。
#2
賜書寬屬郡,戰馬隔鄰疆。 
李公は一度ここに臨んだ後に、告諭して属郡を寛大に取り扱うのである。そして、遠い鄰国との国境線には戦馬が群がっているがその治下は極めて清平である。
縱獵雷霆迅,觀棋玉石忙。 
そこで、閒に乗じて狩猟をすれば、雷霆の速やかなるが如く、双六を見ては、交互に乱れあう玉石のいそがわしきを眺めていられる。
風流峴首客,花豔大堤倡。 
李公の風流は峴山の鼻先に碑を留めている古の羊祜のように、むかしのままで大堤の娼婦は花艶を競うて、座興を添えるには充分である。
富貴由身致,誰教不自強。 
出世して富貴になるというのは、その一身の致すことであって、それにつけても、自ら勉強しないわけにはいかないことなのである。

李尚書の襄陽に赴むくを送る 八韻 長の字を得る
帝 憂南國をうること切にし,命を改めて忠良に付す。
壤は畫して 星 搖動し,旗は分ちて 獸 簸揚【ほよう】す。
五營 兵 轉【うた】た肅とし,千里 地 還た方す。
控帶【こうたい】荊門 遠く,飄浮【ひょうふ】して 漢水 長し。
賜書【ししょ】屬郡を寬にし,戰馬 鄰疆【りんきょう】を隔つ。
獵を縱【ほしいまま】にして雷霆【らいてい】迅【はや】く,棋を觀て玉石忙【いそがわ】しい。
風流 峴首の客,花豔【かえん】大堤の倡。
富貴 身の致す由る,誰か教不自ら強めざらしめむ


『送李尚書赴襄陽』八韻 現代語訳と訳註
(本文)
#2
賜書寬屬郡,戰馬隔鄰疆。 
縱獵雷霆迅,觀棋玉石忙。 
風流峴首客,花豔大堤倡。 
富貴由身致,誰教不自強。 


(下し文) #2
賜書【ししょ】屬郡を寬にし,戰馬 鄰疆【りんきょう】を隔つ。
獵を縱【ほしいまま】にして雷霆【らいてい】迅【はや】く,棋を觀て玉石忙【いそがわ】しい。
風流 峴首の客,花豔【かえん】大堤の倡。
富貴 身の致す由る,誰か教不自ら強めざらしめむ。


(現代語訳)
李公は一度ここに臨んだ後に、告諭して属郡を寛大に取り扱うのである。そして、遠い鄰国との国境線には戦馬が群がっているがその治下は極めて清平である。
そこで、閒に乗じて狩猟をすれば、雷霆の速やかなるが如く、双六を見ては、交互に乱れあう玉石のいそがわしきを眺めていられる。
李公の風流は峴山の鼻先に碑を留めている古の羊祜のように、むかしのままで大堤の娼婦は花艶を競うて、座興を添えるには充分である。
出世して富貴になるというのは、その一身の致すことであって、それにつけても、自ら勉強しないわけにはいかないことなのである。

嚢陽一帯00

















(訳注)
賜書 寬 屬郡 ,戰馬 隔 鄰疆 。
李公は一度ここに臨んだ後に、告諭して属郡を寛大に取り扱うのである。そして、遠い鄰国との国境線には戦馬が群がっているがその治下は極めて清平である。
「賜書」天子からの賜えるの書。
「寬」寛大に取り扱う。
「鄰疆」遠い鄰国との国境線。


縱獵 雷霆 迅 ,觀棋 玉石 忙 。
そこで、閒に乗じて狩猟をすれば、雷霆の速やかなるが如く、双六を見ては、交互に乱れあう玉石のいそがわしきを眺めていられる。
「縱獵」狩猟を好き勝手にする。
「雷霆」雷といなびかり。
「迅」快慢(快)、すみやかなようす。
「棋」娛樂器具の棋。(将棋と双六の合わせたような遊び)


風流 峴首 客 ,花豔 大堤 倡。
李公の風流は峴山の鼻先に碑を留めている古の羊祜のように、むかしのままで大堤の娼婦は花艶を競うて、座興を添えるには充分である。
「峴首」語義類別:地、地名、山嶺地名、峴首。襄陽の峴山。羊祜の碑がたっている。近くに諸葛亮の別荘があった。鹿門山には孟浩然の庵があった。山簡の高陽の池は峴山の麓にある。
襄陽曲四首 其三
峴山臨漢江。 水淥沙如雪。
上有墮淚碑。 青苔久磨滅。
「花豔」大堤の娼婦は花艶を競うて、座興を添えるには充分である大堤の娼婦は花艶を競うて、座興を添えるには充分である。
「大堤」襄陽の花街。李白『大堤曲』『襄陽歌』『襄陽曲四首』

 李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教48襄陽歌 ⅱ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

富貴 由身 致,誰教 不 自強。
出世して富貴になるというのは、その一身の致すことであって、それにつけても、自ら勉強しないわけにはいかないことなのである。
安陸・南陽・嚢陽 李白00

送李尚書【遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162>Ⅱ中唐詩741 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2689

韓愈(韓退之)《送李尚書赴襄陽 八韻》天子は南国の重要なることを思われ、しかるべき人を長官に任命しようとして、しきりに憂慮され、改めて忠良を以て聞こえている李遜に勅命を下された。


2013年7月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


送李尚書【遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162>Ⅱ中唐詩741 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2689


作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 
詩題: 送李尚書【遜。】赴襄陽八韻得長字 
寫及地點:  襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽     
荊門山 (山南東道 峽州 宜都)     
峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山     
大堤 (山南東道 襄州 襄陽の花街のあるところ)  李白『大堤曲』   
交遊人物/地點: 李遜 書信往來(山南東道 襄州 襄州)
詩文:

送李尚書【遜。】赴襄陽八韻得長字#1
帝憂南國切,改命付忠良。 
壤畫星搖動,旗分獸簸揚。 
五營兵轉肅,千里地還方。 
控帶荊門遠,飄浮漢水長。 
(李遜尚書の襄陽に赴むくを送別の詩 八韻)
天子は南国の重要なることを思われ、しかるべき人を長官に任命しようとして、しきりに憂慮され、改めて忠良を以て聞こえている李遜に勅命を下された。
そこで、李遜は愈々赴任することになり、地域は厳に区画されて、その分野に応ずる天上の星に揺動し、旗は翻って、その上に描いてある猛獣が簸揚するようにみえる。
護衛のために引き具してゆく五營の兵士は静粛であるし、その管轄する所の地は方千里の広きに及んでいる。
遠くは荊門の剣を控え、漢水は長流千里、飄浮して西北からながれ来る、天然の要害はまことに堅固である。
#2
賜書寬屬郡,戰馬隔鄰疆。 
縱獵雷霆迅,觀棋玉石忙。 
風流峴首客,花豔大堤倡。 
富貴由身致,誰教不自強。 

李尚書の襄陽に赴むくを送る 八韻 長の字を得る
帝 憂南國をうること切にし,命を改めて忠良に付す。
壤は畫して 星 搖動し,旗は分ちて 獸 簸揚【ほよう】す。
五營 兵 轉【うた】た肅とし,千里 地 還た方す。
控帶【こうたい】荊門 遠く,飄浮【ひょうふ】して 漢水 長し。
賜書【ししょ】屬郡を寬にし,戰馬 鄰疆【りんきょう】を隔つ。
獵を縱【ほしいまま】にして雷霆【らいてい】迅【はや】く,棋を觀て玉石忙【いそがわ】しい。
風流 峴首の客,花豔【かえん】大堤の倡。
富貴 身の致す由る,誰か教不自ら強めざらしめむ。


『送李尚書赴襄陽八韻』 現代語訳と訳註
(本文) 【得長字、遜。】#1
帝憂南國切,改命付忠良。 
壤畫星搖動,旗分獸簸揚。 
五營兵轉肅,千里地還方。 
控帶荊門遠,飄浮漢水長。 


(下し文)
李尚書の襄陽に赴むくを送る 八韻 長の字を得る
帝 憂南國をうること切にし,命を改めて忠良に付す。
壤は畫して 星 搖動し,旗は分ちて 獸 簸揚【ほよう】す。
五營 兵 轉【うた】た肅とし,千里 地 還た方す。
控帶【こうたい】荊門 遠く,飄浮【ひょうふ】して 漢水 長し。
賜書【ししょ】屬郡を寬にし,戰馬 鄰疆【りんきょう】を隔つ。
獵を縱【ほしいまま】にして雷霆【らいてい】迅【はや】く,棋を觀て玉石忙【いそがわ】しい。
風流 峴首の客,花豔【かえん】大堤の倡。
富貴 身の致す由る,誰か教不自ら強めざらしめむ。


(現代語訳)
(李遜尚書の襄陽に赴むくを送別の詩 八韻)
天子は南国の重要なることを思われ、しかるべき人を長官に任命しようとして、しきりに憂慮され、改めて忠良を以て聞こえている李遜に勅命を下された。
そこで、李遜は愈々赴任することになり、地域は厳に区画されて、その分野に応ずる天上の星に揺動し、旗は翻って、その上に描いてある猛獣が簸揚するようにみえる。
護衛のために引き具してゆく五營の兵士は静粛であるし、その管轄する所の地は方千里の広きに及んでいる。
遠くは荊門の剣を控え、漢水は長流千里、飄浮して西北からながれ来る、天然の要害はまことに堅固である。


(訳注)
送李尚書赴襄陽八韻   得長字 李遜
李尚書の襄陽に赴むくを送る 八韻 長の字を得たり、李遜なり。
李尚書の送別の席で韻を分かち、長の字を得た。襄陽は秦、漢には南郡に属し、唐時代から襄陽となる。


帝憂 南國 切 ,改命 付 忠良 。
天子は南国の重要なることを思われ、しかるべき人を長官に任命しようとして、しきりに憂慮され、改めて忠良を以て聞こえている李遜に勅命を下された。
「帝」皇室稱謂、皇帝。天子。
「南國」南方の国。湖南や浙江、越の国には美人が多い。盛唐期より地方分散が続き、東都、西京、に加えて南に重要拠点を置く必要があると議論され、襄陽、南京などが候補にあげられた。
曹植『雜詩六首其四』
南國有佳人,容華若桃李。
朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
「改命」人、行為動作、一般行為(攴部)、改。
「忠良」品德性情、正面、忠良。


壤畫 星 搖動 ,旗分 獸 簸揚 。
そこで、李遜は愈々赴任することになり、地域は厳に区画されて、その分野に応ずる天上の星に揺動し、旗は翻って、その上に描いてある猛獣が簸揚するようにみえる。
「壤畫」それぞれの拠点の重要性によって区割りがなされた。
「星搖」星の動きによってすすめられた。
「旗分」それぞれ区割りによる旗印も替えられた。
「獸」語義類別:物、生物、動物指稱(泛稱)、獸。
「簸揚」 あおってもみがらを取り除く。 簸るひる、あおる 箕(み)で、穀物などをあおって、屑を取り除く。 。


五營 兵 轉肅 ,千里 地 還方 。
護衛のために引き具してゆく五營の兵士は静粛であるし、その管轄する所の地は方千里の広きに及んでいる。
「五營」御所を守る軍營。
「轉肅」守ろその位置を転じても静かにして移動し。
「千里還方」 その地は方千里であるという。


控帶 荊門 遠 ,飄浮 漢水 長 。
遠くは荊門の剣を控え、漢水は長流千里、飄浮して西北からながれ来る、天然の要害はまことに堅固である。
「控帶」山々が要塞のように連なっている。
「荊門」行政地名であり、山の名前である。門のようにそのちをまもっていること。
「漢水」(江河溪流)、漢水。陝西省漢中市寧強県の蟠冢山を水源とする。東に流れ湖北省に入り武漢市で長江に合流する。長江最大の支流である。
「長」語義類別:物、狀態、對比狀態、長短(長)。

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李商隠詩
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芍藥〔元和中知制誥寓直禁中作。〕 韓愈(韓退之) <161>Ⅱ中唐詩740 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2684


作年: 元和十年 815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 芍藥【元和中知制誥寓直禁中作。】 
寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
詩文:

芍藥
〔元和中知制誥寓直禁中作。〕
〔芍薬〕〔元和年間、「知制誥」の職にあった時に宮中にたまたま当直している時につくる。〕
浩態狂香昔未逢,紅燈爍爍綠盤籠。 
芍薬の花の姿容優絶、香気芳烈であるのはこれまでより、未だかって逢わないところでしゃくしゃくたる紅燈火の下で青磁の鉢に植えたのを見ると、ひとしおに感じる
覺來獨對情驚恐,身在仙宮第幾重。 
夜中に夢で目が覚めてしまったときに一人この花に対するときに、この身は仙郷の宮殿にある玉の九層の高楼はるか遠く高い所にあるかと疑われて心に思うに自ずから驚き恐れるばかりなのだ。
 

『芍藥』 現代語訳と訳註
(本文)
芍藥【元和中知制誥寓直禁中作。】
浩態狂香昔未逢,紅燈爍爍綠盤籠。 
覺來獨對情驚恐,身在仙宮第幾重。 


(下し文)
芍藥【しゃくやく】〔元和中知制誥寓直禁中作。〕
浩態【こうたい】狂香【きょうこう】昔し未だ逢わず,紅燈 爍爍【しゃくしゃく】として綠盤【りょくばん】籠む。 
覺【さ】め來って獨り對し 情 驚き恐る,身は在り 仙宮【せんきゅう】第【だい】幾重【いくじゅう】。 


(現代語訳)
〔芍薬〕〔元和年間、「知制誥」の職にあった時に宮中にたまたま当直している時につくる。〕
芍薬の花の姿容優絶、香気芳烈であるのはこれまでより、未だかって逢わないところでしゃくしゃくたる紅燈火の下で青磁の鉢に植えたのを見ると、ひとしおに感じる
夜中に夢で目が覚めてしまったときに一人この花に対するときに、この身は仙郷の宮殿にある玉の九層の高楼はるか遠く高い所にあるかと疑われて心に思うに自ずから驚き恐れるばかりなのだ。


(訳注)
芍藥
〔元和中知制誥寓直禁中作。〕
〔元和年間、「知制誥」の職にあった時に宮中にたまたま当直している時につくる。〕
芍薬は仙人の世界にあるべきで、人間の者ではない。そこに居合わせた人でないとこの詩の本当の意味は分からないということなのだろう。何処にスパイが居るかわからない暗黒の時代になっているので意味不明というか、中身がないというか、浅薄庸近というべき詩である。
ボタン科の多年草。学名 Paeonia lactiflora。高さ約60cm。葉は複葉。初夏、大形の紅・白色などのボタンに似た花を開く。アジア大陸北東部の原産。品種も多い。
牡丹が「花王」と呼ばれるのに対し、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれる。ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本である。そのため、冬には地上部が枯れてしまい休眠する。ボタンの台木として使用されるが、シャクヤク自体の花も美しく、中国の宋代には育種が始まったという。
・知制誥【ちせいこう】天子の命令を起草する官。
・禁中 禁門(禁闕)の内部、すなわち天子が住む宮中。


浩態 狂香 昔 未逢 ,紅燈 爍爍 綠盤 籠 。
芍薬の花の姿容優絶、香気芳烈であるのはこれまでより、未だかって逢わないところでしゃくしゃくたる紅燈火の下で青磁の鉢に植えたのを見ると、ひとしおに感じる
「浩態」植物形態、花の姿容優絶をいう。
「狂香」香気芳烈をいう。 
「紅燈」焔の紅い色を云う。。
「爍爍」現象、光芒、明るく照り輝くさま。。
「綠盤」青磁の鉢。
「籠」裝置籠容器。


覺來 獨對 情 驚恐 ,身在 仙宮 第幾 重 。
夜中に夢で目が覚めてしまったときに一人この花に対するときに、この身は仙郷の宮殿にある玉の九層の高楼はるか遠く高い所にあるかと疑われて心に思うに自ずから驚き恐れるばかりなのだ。
「仙宮」閬苑仙境、閬苑、仙宮。
「第幾」數詞、等級數詞、第幾。
「重」量詞單位、層。
黄金の城壁に囲まれた玉の九層の宮殿に棲む。 宮殿の庭には、食べれば不死になる事が出来る桃(仙桃)が生えている。 この木に実がなるのは3000年に一度のみ。 実が熟すると西王母は1000人達を招いて宴を開き、実を食べさせる。

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
浩態狂香昔未逢,紅燈爍爍綠盤籠。
覺來獨對情驚恐【覺來獨對忽驚恐】,身在仙宮第幾重。 
 

盆池,五首之五 韓愈(韓退之) <160>Ⅱ中唐詩739 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2679

韓愈(韓退之) 《盆池,五首之五》 池の水の色は、そこに映る天の陰と一緒でともに青青としている。わずかな水甕数個分の水をどっと加えても波紋の波が岸に打ち寄せるくらいのものでささやかなものである。


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詩題: 盆池,五首之五 
詩文:

盆池,五首之五
池光天影共青青,拍岸纔添水數瓶。 
且待夜深明月去,試看涵泳幾多星。 
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の五)
池の水の色は、そこに映る天の陰と一緒でともに青青としている。わずかな水甕数個分の水をどっと加えても波紋の波が岸に打ち寄せるくらいのものでささやかなものである。
夜も遅くなって、秋の名月が昇ってくるのを待って、ためしに数あるうちの数個の星を池に浸してみたいとおもっているのだ。

盆池,五首之五
池光 天影 共に青青たり,岸を拍って纔【わずか】に添う 水 數瓶【すうへい】。 
且つ 夜深 明月を待って去り,試みに看る 幾多の星を涵泳するかを。 

DCF00004













『盆池,五首之五』 現代語訳と訳註
(本文)
盆池,五首之五
池光天影共青青,拍岸纔添水數瓶。 
且待夜深明月去,試看涵泳幾多星。 


(下し文)
盆池,五首之五
池光 天影 共に青青たり,岸を拍って纔【わずか】に添う 水 數瓶【すうへい】。 
且つ 夜深 明月を待って去り,試みに看る 幾多の星を涵泳するかを。 


(現代語訳)
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の五)
池の水の色は、そこに映る天の陰と一緒でともに青青としている。わずかな水甕数個分の水をどっと加えても波紋の波が岸に打ち寄せるくらいのものでささやかなものである。
夜も遅くなって、秋の名月が昇ってくるのを待って、ためしに数あるうちの数個の星を池に浸してみたいとおもっているのだ。

(訳注)
盆池,五首之五
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の五)
李白の遊び心のような詩にはなっていない。韓愈の律詩や絶句はあまり優秀な作品ではない。駄作の典型というものである。


池光 天影 共青青 ,拍岸 纔添 水 數瓶 。
池の水の色は、そこに映る天の陰と一緒でともに青青としている。わずかな水甕数個分の水をどっと加えても波紋の波が岸に打ち寄せるくらいのものでささやかなものである。
「池光」水澤湖泊水面がひかること、池の水。
「天影」天文、天空をうつすこと。
「青青」綠の池の色。
「拍岸」岸に波が打ち寄せる。
「纔添」ささやかな行為を云う。
「數瓶」容器の瓶に入れた水を池に加えること。。


且待 夜深 明月 去 ,試看 涵泳 幾多 星 。
夜も遅くなって、秋の名月が昇ってくるのを待って、ためしに数あるうちの数個の星を池に浸してみたいとおもっているのだ。
「涵泳」語義類別:其他、現象、自然現象、沉。
「幾多星」夜空に瞬く多くの星。


--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
池光天影共青青,拍岸纔添水數瓶。
且待夜深明月去【且待夜深乘月去】,試看涵泳幾多星。 


盆池,五首之四 韓愈(韓退之) <159>Ⅱ中唐詩738 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2674

韓愈(韓退之) 《盆池,五首之四》 (庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の四)
盆に水を満たしたところで、きわめて浅く、池ということもできないくらいであるが、青蛙はさといのでここを知って、早くもやって来るのだ。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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盆池,五首之四 韓愈(韓退之) <159>Ⅱ中唐詩738 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2674

作年: 元和十年 815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 盆池,五首之四 
詩文:
盆池,五首之四 
泥盆淺小詎成池,夜半青蛙聖得知。
一聽暗來將伴侶,不煩鳴喚鬥雄雌。

(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の四)
盆に水を満たしたところで、きわめて浅く、池ということもできないくらいであるが、青蛙はさといのでここを知って、早くもやって来るのだ。
その蛙がこっそりと同類を率いてここに來るのは、差支えないことではあるが、やたら鳴きたてて、雌雄を決する闘いをするようなことは煩わしいことだ。

盆池,五首の四
泥盆 淺小 詎んぞ池を成さむ,夜半 青蛙 聖にして知るを得たり。 
一【ひとた】び 暗に來り 伴侶を將いるを聽く,鳴喚にして雄雌を鬥わすを煩らわさず。 

DCF00004










『盆池,五首之四』 現代語訳と訳註
(本文)
盆池,五首之四 
泥盆淺小詎成池,夜半青蛙聖得知。
一聽暗來將伴侶,不煩鳴喚鬥雄雌。


(下し文)
盆池,五首の四
泥盆 淺小 詎んぞ池を成さむ,夜半 青蛙 聖にして知るを得たり。 
一【ひとた】び 暗に來り 伴侶を將いるを聽く,鳴喚にして雄雌を鬥わすを煩らわさず。 


(現代語訳)
kagaribi00(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の四)
盆に水を満たしたところで、きわめて浅く、池ということもできないくらいであるが、青蛙はさといのでここを知って、早くもやって来るのだ。
その蛙がこっそりと同類を率いてここに來るのは、差支えないことではあるが、やたら鳴きたてて、雌雄を決する闘いをするようなことは煩わしいことだ。


(訳注)
盆池,五首之四
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の四)


泥盆 淺小 詎成池 ,夜半 青蛙 聖 得知 。
盆に水を満たしたところで、きわめて浅く、池ということもできないくらいであるが、青蛙はさといのでここを知って、早くもやって来るのだ。
「青蛙」動物專名(水生兩棲)、蛙。
「聖」尊稱美稱、聖。
「得知心智狀態、知。


一聽 暗來 將伴侶 ,不煩 鳴喚 鬥 雄雌 。
その蛙がこっそりと同類を率いてここに來るのは、差支えないことではあるが、やたら鳴きたてて、雌雄を決する闘いをするようなことは煩わしいことだ。
「一聽」聽覺、聽。こっそりと。
「伴侶」親人眷屬、侶。同類。
「雄雌」雌雄を決する。
 

--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
泥盆淺小詎成池,夜半青蛙聖得知【夜半青蛙聽得知】。
一聽暗來將伴侶,不煩鳴喚鬥雄雌【不煩鳴喚鬥雌雄】。

盆池,五首之三 韓愈(韓退之) <158>Ⅱ中唐詩737 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2669

韓愈(韓退之) 《盆池,五首之三》瓦、盆で埋めて池を作り、朝になると、水が澄んで甚だきれいであるがその中に名もしらぬ小虫が数限りなく、たくさん住んでいる。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
盆池,五首之三 韓愈(韓退之) <158>Ⅱ中唐詩737 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2669


作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 盆池,五首之三 
詩文:


盆池,五首之三
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の三)
瓦沼晨朝水自清,小蟲無數不知名。 
瓦、盆で埋めて池を作り、朝になると、水が澄んで甚だきれいであるがその中に名もしらぬ小虫が数限りなく、たくさん住んでいる。
忽然分散無蹤影,惟有魚兒作隊行。 
それが忽然分散し、何処へ行ったか跡形もなくなったと思うと魚兒が隊をなし、整然として過ぎてゆくので大かた小虫は魚を避けて、どこぞの隅へ隠れてしまうのであろう。

盆池,五首の三
瓦沼【ごしょう】晨朝【しんちょう】水 自ら清し,小蟲【しょうちゅう】無數 名を知らず。 
忽然【こつぜん】分散して蹤影【しょうえい】無し,惟だ有魚兒【ぎょじ】隊を作して行くのみあり。 


『盆池,五首之三』 現代語訳と訳註
(本文)
瓦沼晨朝水自清,小蟲無數不知名。 
忽然分散無蹤影,惟有魚兒作隊行。 


(下し文)
盆池,五首の三
瓦沼【ごしょう】晨朝【しんちょう】水 自ら清し,小蟲【しょうちゅう】無數 名を知らず。 
忽然【こつぜん】分散して蹤影【しょうえい】無し,惟だ有魚兒【ぎょじ】隊を作して行くのみあり。 


(現代語訳)
茶苑(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の三)
瓦、盆で埋めて池を作り、朝になると、水が澄んで甚だきれいであるがその中に名もしらぬ小虫が数限りなく、たくさん住んでいる。
それが忽然分散し、何処へ行ったか跡形もなくなったと思うと魚兒が隊をなし、整然として過ぎてゆくので大かた小虫は魚を避けて、どこぞの隅へ隠れてしまうのであろう。


(訳注)
盆池,五首之二
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の三)


瓦沼 晨朝 水 自清 ,小蟲 無數 不知 名。
瓦、盆で埋めて池を作り、朝になると、水が澄んで甚だきれいであるがその中に名もしらぬ小虫が数限りなく、たくさん住んでいる。
「瓦沼」瓦、盆で埋めて池を作る。
「小蟲」小さい虫。


忽然 分散 無 蹤影 ,惟有 魚兒 作隊 行 。
それが忽然分散し、何処へ行ったか跡形もなくなったと思うと魚兒が隊をなし、整然として過ぎてゆくので大かた小虫は魚を避けて、どこぞの隅へ隠れてしまうのであろう。
「忽然」語義類別:時、時間、範圍時間(時刻)、忽。
「惟有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。
「魚兒」語義類別:物、生物、動物指稱(泛稱)、魚。

盆池,五首之二 韓愈(韓退之) <157>Ⅱ中唐詩736 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2664

韓愈(韓退之) 《盆池,五首之二》折角、盆の池を作ったのだが、それをうまくできなかったというものではない。この程度出来上がればまずよいとするものだ。その中に蓮を植えたところ、やがて芽が一斉に生じたのだ。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

盆池,五首之二 韓愈(韓退之) <157>Ⅱ中唐詩736 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2664


作者: 韓愈    815年元和十年  48歲
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 盆池,五首之二 
及地點:  方口 (都畿道 河南府 濟源)  


盆池,五首之二
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の二)
莫道盆池作不成,藕稍初種已齊生。 
折角、盆の池を作ったのだが、それをうまくできなかったというものではない。この程度出来上がればまずよいとするものだ。その中に蓮を植えたところ、やがて芽が一斉に生じたのだ。
從今有雨君須記,來聽蕭蕭打葉聲。 
此れより、雨が降ったならば、君よ、道か忘れずに訪れきて、ぱらぱらとから蕭々としてその葉を打つ音を聞くのだ。又一段の風情があってよいものだ。

盆池,五首の二
道う莫れ 盆池作りて成らずとも,藕稍【ぐうしょう】初めて種えて已に齊しく生ず。 
今從り雨有らば君須からく記すべし,來たり聽か 蕭蕭 打葉をつの聲を。 

レンコン00











『盆池,五首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
莫道盆池作不成,藕稍初種已齊生。 
從今有雨君須記,來聽蕭蕭打葉聲。

(下し文)
(盆池,五首の二)
道う莫れ 盆池作りて成らずとも,藕稍【ぐうしょう】初めて種えて已に齊しく生ず。 
今從り雨有らば君須からく記すべし,來たり聽か 蕭蕭 打葉をつの聲を。 


(現代語訳)
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の二)
折角、盆の池を作ったのだが、それをうまくできなかったというものではない。この程度出来上がればまずよいとするものだ。その中に蓮を植えたところ、やがて芽が一斉に生じたのだ。
此れより、雨が降ったならば、君よ、道か忘れずに訪れきて、ぱらぱらとから蕭々としてその葉を打つ音を聞くのだ。又一段の風情があってよいものだ。


(訳注)
盆池,五首之二
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の二)


 莫道 盆池 作 不成 ,藕稍 初種 已齊生 。
折角、盆の池を作ったのだが、それをうまくできなかったというものではない。この程度出来上がればまずよいとするものだ。その中に蓮を植えたところ、やがて芽が一斉に生じたのだ。
「莫道」言語動作、謂うなかれ。
「盆池」盆地に池。
「藕」スイレン科の抽水性多年草、園芸植物、れんこん。


從今 有雨 君 須記 ,來聽 蕭蕭 打葉 聲 。
此れより、雨が降ったならば、君よ、道か忘れずに訪れきて、ぱらぱらとから蕭々としてその葉を打つ音を聞くのだ。又一段の風情があってよいものだ。
「從今」ただ今、それより。
「聽」聽覺の聽。
「蕭蕭」葉の上に落ちる雨音。降りはじめはぱらぱらであり、蕭蕭ということに変わっていく。。
「葉」レンコンの葉。
「聲」聽覺の聲(音)。

盆池,五首之一 韓愈(韓退之) <156>Ⅱ中唐詩735 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2659

《盆池,五首之一》わたしのような老翁というものは、つまらないことをして喜んでいるところはまるで童児の様なのである。それは、盆に土を埋めて水をくんで、これに満たして小さい池を作ったのだ。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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盆池,五首之一 韓愈(韓退之) <156>Ⅱ中唐詩735 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2659



作者: 韓愈    815年元和十年  48歲
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 盆池,五首之一 
及地點:  方口 (都畿道 河南府 濟源)  

『盆池,五首之一』  
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の一)
老翁真個似童兒,汲水埋盆作小池。 
わたしのような老翁というものは、つまらないことをして喜んでいるところはまるで童児の様なのである。それは、盆に土を埋めて水をくんで、これに満たして小さい池を作ったのだ。
一夜青蛙鳴到曉,恰如方口釣魚時。  
 すると、一夜、青蛙がそこに来て暁まで泣き明かし、ちょうど盧仝先生と濟源の方口に釣りに行ったその時のようであった。
 
盆池,五首の一
老翁【ろうおう】真個【しんこ】に童兒に似たり,水を汲み盆を埋めて小池を作る。 
一夜 青蛙【せいあ】鳴いて曉に到る,恰【あたか】も方口【ほうこう】 釣魚【ちょうぎょ】する時の如し。
  
 

『盆池,五首之一』 現代語訳と訳註

nanda019

(本文)
老翁真個似童兒,汲水埋盆作小池。 
一夜青蛙鳴到曉,恰如方口釣魚時。 


(下し文)
盆池,五首の一
老翁【ろうおう】真個【しんこ】に童兒に似たり,水を汲み盆を埋めて小池を作る。 
一夜 青蛙【せいあ】鳴いて曉に到る,恰【あたか】も方口【ほうこう】釣魚【ちょうぎょ】する時の如し。 


(現代語訳)
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の一)
わたしのような老翁というものは、つまらないことをして喜んでいるところはまるで童児の様なのである。それは、盆に土を埋めて水をくんで、これに満たして小さい池を作ったのだ。
すると、一夜、青蛙がそこに来て暁まで泣き明かし、ちょうど盧仝先生と濟源の方口に釣りに行ったその時のようであった。


(訳注)
盆池,五首之一
(庭に盆に土を埋めて小さい池を作った時の五首の詩のうちの其の一)


老翁真個似童兒,汲水埋盆作小池。 
わたしのような老翁というものは、つまらないことをして喜んでいるところはまるで童児の様なのである。それは、盆に土を埋めて水をくんで、これに満たして小さい池を作ったのだ。
・老翁 老人のことであるが、韓愈48歳のことをいう。
・汲水埋盆 順序からすれば「埋盆汲水」とすべきところ、平仄のためであり、(盆を埋め水を汲む)とくんずる。


一夜青蛙鳴到曉,恰如方口釣魚時。 
すると、一夜、青蛙がそこに来て暁まで泣き明かし、ちょうど盧仝先生と濟源の方口に釣りに行ったその時のようであった。
・方口 地名。方口 (都畿道 河南府 濟源)(地図G-4)近くに道教名山王屋山がある。
韓愈44歳の時。長安。同時期の作。盧仝に寄す。石鼓の歌。酔って東野を留む。
七言古詩『盧郎中雲夫寄示送盤谷子詩兩章歌以和之』。
昔尋李愿向盤谷,正見高崖巨壁爭開張。
是時新晴天井溢,誰把長劍倚太行。
衝風吹破落天外,飛雨白日灑洛陽。
東蹈燕川食曠野,有饋木蕨芽滿筐。
馬頭溪深不可厲,借車載過水入箱。
平沙綠浪榜方口,雁鴨飛起穿垂楊。
窮探極覽頗恣橫,物外日月本不忙。
歸來辛苦欲誰為,坐令再往之計墮眇芒。
閉門長安三日雪,推書撲筆歌慨慷。
旁無壯士遣屬和,遠憶盧老詩顛狂。
開緘忽睹送歸作,字向紙上皆軒昂。
又知李侯竟不顧,方冬獨入崔嵬藏。
我今進退幾時決,十年蠢蠢隨朝行。
家請官供不報答,何異雀鼠偷太倉。
行抽手版付丞相,不待彈劾還耕桑。
・釣魚 (都畿道 河南府 濟源)と王屋山と濟源での池、河での魚を釣る。濟源で盧仝が魚を釣る。



--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
老翁真個似童兒,汲水埋盆作小池【汲井埋盆作小池】。
一夜青蛙鳴到曉,恰如方口釣魚時。
長安と洛陽の大地図0048

戲題牡丹 韓愈(韓退之) <155>Ⅱ中唐詩734 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2654

韓愈(韓退之) 《戲題牡丹》一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。


2013年7月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

戲題牡丹 韓愈(韓退之) <155>Ⅱ中唐詩734 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2654


作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言律詩 
詩題: 戲題牡丹 


戲題牡丹
幸自同開俱隱約,何須相倚鬥輕盈。
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
陵晨併作新妝面,對客偏含不語情。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
雙燕無機還拂掠,遊蜂多思正經營。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。
長年是事皆拋盡,今日欄邊暫眼明。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。
戲れに牡丹に題す
幸に自ら同じく開いて俱に隱約【いんやく】し,何ぞ須いむ 相い倚って輕盈【けいえい】と鬥わすを。
晨を陵いで 併せて新妝【しんしょう】の面を作し,客に對して 偏えに語らざるの情を含む。
雙燕 機無く 還た拂掠【ふつりょう】し,遊蜂【ゆうほう】思い多く 正に經營す。
長年 是の事 皆拋【なげう】ち盡す,今日 欄邊【らんべん】 暫く眼明らかなり。


『戲題牡丹』 現代語訳と訳註
(本文)
幸自同開俱隱約,何須相倚鬥輕盈。
陵晨併作新妝面,對客偏含不語情。
雙燕無機還拂掠,遊蜂多思正經營。
長年是事皆拋盡,今日欄邊暫眼明。


(下し文)
戲れに牡丹に題す
幸に自ら同じく開いて俱に隱約【いんやく】し,何ぞ須いむ 相い倚って輕盈【けいえい】と鬥わすを。
晨を陵いで 併せて新妝【しんしょう】の面を作し,客に對して 偏えに語らざるの情を含む。
雙燕 機無く 還た拂掠【ふつりょう】し,遊蜂【ゆうほう】思い多く 正に經營す。
長年 是の事 皆拋【なげう】ち盡す,今日 欄邊【らんべん】 暫く眼明らかなり。


(現代語訳)
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。


(訳注)
戲題牡丹
庭に咲くボタンの花を詠じたものである。


幸自 同開 俱 隱約 ,何須 相倚 鬥 輕盈 。
一叢の牡丹の花々が幸いに同時に開き、どちらがどっちの花なのか看てはっきりしない、花はたがいに倚っていっぱいにさくはなをきそい、たたかいをするのはこれ見よがしに人を誇るにも及ばないことなのだ。
「隱約」①簡単な言葉のうちに奥深い意味をこめていること。 ②はっきりと見わけにくい・こと(さま)。
「何須」どういうようにして用いるのだろうか。
「輕盈」輕重(輕)。 かろやかにいっぱいになる。


陵晨 併作 新妝 面 ,對客 偏含不語 情 。
暁から早い時間には、あわせて新らしいお化粧を凝らしたような顔色をしている。客に対して物言わぬところに、無限の情思をふくんでいる。
「陵晨」明け方はやい時間。
「新妝」新しい化粧をする。


雙燕 無機 還拂掠 ,遊蜂 多思 正經營 。
二羽、二羽で飛び交うつばめはしかるべき機会もないが、それでも、時あってこれを拂いかすめる。こちらの花に飛びかう蜂は情けの心が多くあり、せっせと花の蜜を吸い取っている。


長年 是事 皆拋盡 ,今日 欄邊 暫 眼明 。
牡丹は派手でにぎやかな花ではあるが、老年になると、そんなことには格別異にとどめるものではなく、すべて放棄をしているのではあるが、今日、高楼横の欄干のあたりにこの花を見ると、暫時目がはっきりするような気がした。
「欄邊」高楼横の欄干のあたり。

春雪 韓愈(韓退之) <154>Ⅱ中唐詩733 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2649

韓愈(韓退之) 《春雪》 新年になってもまだまだ寒さは厳しく、何処でも春景色らしいものは未だ変化してはいない。にがつになってはじめてにわかにあたたかくなり、草が一斉に目を出してきたのにはとても驚かされる。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

春雪 韓愈(韓退之) <154>Ⅱ中唐詩733 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2649


韓愈 
作年: 元和十年  815年  48歲 

春雪
新年都未有芳華,二月初驚見草芽。
白雪卻嫌春色晚,故穿庭樹作飛花。 
(春雪)
新年になってもまだまだ寒さは厳しく、何処でも春景色らしいものは未だ変化してはいない。にがつになってはじめてにわかにあたたかくなり、草が一斉に目を出してきたのにはとても驚かされる。
しかし雪が春景色になることを嫌ったものと思われ、わざと木々の間を穿つように花びらを行きのように落花させ、散らせている。
 

『春雪』 現代語訳と訳註
(本文)
春雪
新年都未有芳華,二月初驚見草芽。
白雪卻嫌春色晚,故穿庭樹作飛花。 


(下し文)
(春雪)
新年 都【すべ】て未だ芳華【ほうか】有らず,二月初めて驚く草芽【そうが】を見る。
白雪 卻って春色の晚を嫌い,故に庭樹を穿【うが】って飛花と作す。 


(現代語訳)
(春雪)
新年になってもまだまだ寒さは厳しく、何処でも春景色らしいものは未だ変化してはいない。にがつになってはじめてにわかにあたたかくなり、草が一斉に目を出してきたのにはとても驚かされる。
しかし雪が春景色になることを嫌ったものと思われ、わざと木々の間を穿つように花びらを行きのように落花させ、散らせている。


(訳注)
春雪
韓愈がこれまで雪について詠ったものは次の通り挙げてみる。
雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#2>Ⅱ中唐詩704 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2504
雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#3>Ⅱ中唐詩705 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2509

酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#1>Ⅱ中唐詩707 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2519
酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#2>Ⅱ中唐詩708 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2524
酬王二十舍人雪中見寄 韓愈(韓退之) <148>Ⅱ中唐詩727 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2619

春雪 韓愈(韓退之) <154>Ⅱ中唐詩733 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2649
この詩は、上に見るこれまでの実感ある表現と違って、宴席などで競って作られたものと思われる。この頃から儒者に似合わない作風が多くなるようになる。朝廷内に陰謀が渦巻き、影響力の面からも、露骨な表現が出来なくなってきたのだろう。


新年都未有芳華,二月初驚見草芽。
新年になってもまだまだ寒さは厳しく、何処でも春景色らしいものは未だ変化してはいない。にがつになってはじめてにわかにあたたかくなり、草が一斉に目を出してきたのにはとても驚かされる。
・都 すべて。この場合場所を示すので、どこでもというほどの意味。
・芳華 花が咲き、花の香りが漂ってくる、春の盛りをいう。
・二月初驚 急に暖かくなり春めいて来て一気に満開になり散り始める。遅い春が急速に変化したことを云う。


白雪卻嫌春色晚,故穿庭樹作飛花。 
しかし雪が春景色になることを嫌ったものと思われ、わざと木々の間を穿つように花びらを行きのように落花させ、散らせている。
・白雪卻嫌春色晚 春が遅いことの表現。積雪の期間が長く残像として残っていて、春景色を冬景色にかさねることで、春の喜びを強調している。
・故穿庭樹作飛花 葉が散る様子、このくの表現を孟浩然の「春暁」王維の「田園楽」などと比較してみるのも面白い。


孟浩然(春曉)
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


王維(田園楽)
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。
桃は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。
桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。


杜甫
絶句漫興 九首 其五 
腸斷春江欲盡頭,杖藜徐步立芳洲。
顛狂柳絮隨風去,輕薄桃花逐水流。
腸斷 春江 盡きんと欲するの頭【ほと】り,藜【あかざ】に杖して徐【おもむろ】に步み芳洲に立つ。
顛狂 柳絮 風に隨って去り,輕薄 桃花 水流に逐う。
春についての思いの高まりが消失していく濯錦江に春景色が終わろうとしている。仙人が持つ藜の杖をついておもむろにあるき、そして花が咲き誇り香が漂う中洲に立つのである。
柳絮が吹雪のように飛び交いまるで狂うほど乱舞し、強いか座が吹いて遠く飛ばされている。桃の花がさいてはいるが値打ちが低くなっている落ちた花弁は水の流れに消えていくのである。


題百葉桃花 韓愈(韓退之) <153>Ⅱ中唐詩732 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2644

韓愈(韓退之) 《題百葉桃花》 百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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題百葉桃花 韓愈(韓退之) <153>Ⅱ中唐詩732 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2644


作年: 元和十年 815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 題百葉桃花【案:知制誥時作。】 
詩文:

題百葉桃花
百葉雙桃晚更紅,窺窗映竹見玲瓏。
應知侍史歸天上,故伴仙郎宿禁中。
海棠花011(百葉桃花の風情を詩にする。)
百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。
侍史の者たちは、私を送ってきて、やがて内廷に帰ってしまい、まことに寂しい所から、この桃花は郎官の職にあるこの私の相手をしてくれ、長閑に禁中の当直をすることが出来るのである。だからこのような花のしおらしい所が良いのだ。

(百葉桃花に題す
百葉の雙桃 晚 更に紅なり,窗を窺【うかが】い 竹に映じて玲瓏【れいろう】を見る。
應に知るべし 侍史の天上に歸るを,故【ことさ】らに 仙郎を伴って禁中に宿す。


『題百葉桃花』 現代語訳と訳註
(本文)
百葉雙桃晚更紅,窺窗映竹見玲瓏。
應知侍史歸天上,故伴仙郎宿禁中。


(下し文)
(百葉桃花に題す
百葉の雙桃 晚 更に紅なり,窗を窺【うかが】い 竹に映じて玲瓏【れいろう】を見る。
應に知るべし 侍史の天上に歸るを,故【ことさ】らに 仙郎を伴って禁中に宿す。


(現代語訳)
(百葉桃花の風情を詩にする。)
百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。
侍史の者たちは、私を送ってきて、やがて内廷に帰ってしまい、まことに寂しい所から、この桃花は郎官の職にあるこの私の相手をしてくれ、長閑に禁中の当直をすることが出来るのである。だからこのような花のしおらしい所が良いのだ。


(訳注)
題百葉桃花
(百葉桃花の風情を詩にする。)
百葉 雙桃 桃の一種で葉が出てそれから花が咲くものである。この詩は韓愈が知制誥であった時に作ったもので宿直部屋近くにある百葉桃花の風情であった。
 

百葉 雙桃 晚 更紅 ,窺窗 映竹 見 玲瓏 。
百葉桃花は両株並び立ち、日暮れになると、花の色はひとしお赤くなる。窓を覗い、竹にその影を映す。せいそできれいなはなとしていかにも清らかなものである。
「雙桃」百葉桃花は両株並び立つをいう。
「晚」ゆうがた。晚。
「玲瓏」きれいなはなとしていかにも清らかなものである


應知 侍史 歸 天上 ,故伴 仙郎 宿 禁中 。
侍史の者たちは、私を送ってきて、やがて内廷に帰ってしまい、まことに寂しい所から、この桃花は郎官の職にあるこの私の相手をしてくれ、長閑に禁中の当直をすることが出来るのである。だからこのような花のしおらしい所が良いのだ。
「侍史」1 貴人のそばに仕える書記。右筆(ゆうひつ)。 2 《直接渡すのを遠慮して、右筆を通じて差し上げる意》手紙の脇付(わきづけ)の一。宛名に添えて敬意を表す。
「歸」行為動作、一般行為(其他部)、歸。
「天上」部門名稱で、內庭のこと。
「仙郎」五位の蔵人(くろうど)の唐名。
「宿」宿直。
「禁中」中国の皇帝が居住する宮殿。

送李六協律歸荊南【案:翱。】 韓愈(韓退之) <152>Ⅱ中唐詩731 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2639

韓愈(韓退之)《送李六協律歸荊南》江陵はわが前年羈官として、遊遇したところであり、この度、君が春風におくられてその地に歸任するとのことである。時、折りしも弥生の末、柳花はばくばくとして、散り乱れ、江上のツバメは飛び交って、翻っており、旅も面白く、やがてつつがなく終わることだろう。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

送李六協律歸荊南【案:翱。】 韓愈(韓退之) <152>Ⅱ中唐詩731 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2639


作年: 元和十年  815年 48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 五言律詩 
詩題: 送李六協律歸荊南【案:翱。】 
作地點: 目前尚無資料 
及地點:  無 
交遊人物/地點: 李礎 當地交遊
 

詩文:
『送李六協律歸荊南』
(江陵幕府協律郎李翺が何らかの用事で上京し、そして歸える時の詩である。)
早日羈遊所,春風送客歸。 
江陵はわが前年羈官として、遊遇したところであり、この度、君が春風におくられてその地に歸任するとのことである。
柳花還漠漠,江燕正飛飛。 
時、折りしも弥生の末、柳花はばくばくとして、散り乱れ、江上のツバメは飛び交って、翻っており、旅も面白く、やがてつつがなく終わることだろう。
歌舞知誰在,賓僚逐使非。 
私がその地にあった時に歌舞をしてくれた人々は、今となって誰が残っているのだろうか。幕府の中の賓官同僚たち、節度使の更迭と共にみな変わってしまったと思われる。
宋亭池水綠,莫忘蹋芳菲。 
ただ、宋玉の宅址のみは依然としてあるだろうし、今、君が池水まさに綠なるころに帰ったなら、その地に芳菲を踏んでかならず遊び心、愛でる心、鑑賞する心を忘れてはいけない。

 
(李六協律の荊南【けいなん】に歸るを送る)
早日 羈遊【きゆう】の所,春風 客を送って歸らしむ。 
柳花【りゅうか】還た漠漠【ばくばく】と,江燕【こうえん】正に飛飛【ひひ】なり。 
歌舞 誰かを知る在なり,賓僚【ひんりょう】使いを逐うて非なり。 
宋亭 池水 綠に,芳菲【ほうひ】を蹋【ふむ】むを忘れる莫れ。 


『送李六協律歸荊南』 現代語訳と訳註
(本文)
早日羈遊所,春風送客歸。 
柳花還漠漠,江燕正飛飛。 
歌舞知誰在,賓僚逐使非。 
宋亭池水綠,莫忘蹋芳菲。 


(下し文)
(李六協律の荊南【けいなん】に歸るを送る)
早日 羈遊【きゆう】の所,春風 客を送って歸らしむ。 
柳花【りゅうか】還た漠漠【ばくばく】と,江燕【こうえん】正に飛飛【ひひ】なり。 
歌舞 誰かを知る在なり,賓僚【ひんりょう】使いを逐うて非なり。 
宋亭 池水 綠に,芳菲【ほうひ】を蹋【ふむ】むを忘れる莫れ。 


(現代語訳)
(江陵幕府協律郎李翺が何らかの用事で上京し、そして歸える時の詩である。)
江陵はわが前年羈官として、遊遇したところであり、この度、君が春風におくられてその地に歸任するとのことである。
時、折りしも弥生の末、柳花はばくばくとして、散り乱れ、江上のツバメは飛び交って、翻っており、旅も面白く、やがてつつがなく終わることだろう。
私がその地にあった時に歌舞をしてくれた人々は、今となって誰が残っているのだろうか。幕府の中の賓官同僚たち、節度使の更迭と共にみな変わってしまったと思われる。

ただ、宋玉の宅址のみは依然としてあるだろうし、今、君が池水まさに綠なるころに帰ったなら、その地に芳菲を踏んでかならず遊び心、愛でる心、鑑賞する心を忘れてはいけない。


(訳注)
李六協律 李翺 
江陵幕府協律郎李翺が何らかの用事で上京し、そして歸える時の詩である。
・荊南 江陵のこと。
 

早日 羈遊 所 ,春風 送 客歸 。
江陵はわが前年羈官として、遊遇したところであり、この度、君が春風におくられてその地に歸任するとのことである。
「早日」(日)、早日。ここでは前年という程度の意味。
「羈遊」羈官として、遊遇したところ。
「春風」万物が清徴せる季節の春風。


柳花 還漠漠 ,江燕 正飛飛 。
時、折りしも弥生の末、柳花はばくばくとして、散り乱れ、江上のツバメは飛び交って、翻っており、旅も面白く、やがてつつがなく終わることだろう。
「柳花」弥生の末、柳花。
「漠漠」ひろいこと。。
「燕」つばめ。
「飛飛」あちこち飛びかう。


歌舞 知 誰在 ,賓僚 逐 使非 。
私がその地にあった時に歌舞をしてくれた人々は、今となって誰が残っているのだろうか。幕府の中の賓官同僚たち、節度使の更迭と共にみな変わってしまったと思われる。
「賓僚」尊稱美稱職業身份、幕府の中の賓官同僚たち。


宋亭 池水 綠 ,莫忘 蹋 芳菲 。
ただ、宋玉の宅址のみは依然としてあるだろうし、今、君が池水まさに綠なるころに帰ったなら、その地に芳菲を踏んでかならず遊び心、愛でる心、鑑賞する心を忘れてはいけない。
「宋亭」宋玉の宅址。
「芳菲」 花が咲き乱れて芳しい.。

寒食直歸遇雨 韓愈(韓退之) <151>Ⅱ中唐詩730 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2634

韓愈(韓退之) 《寒食直歸遇雨》 今日は寒食というが、なるほどぐるっと見ると、それらしい景色になっている。しかし天気があまりよくないのでせっかく春の遠游に出かけようと思ってきたが当てが外れてしまった。


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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

寒食直歸遇雨 韓愈(韓退之) <151>Ⅱ中唐詩730 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2634


作年: 元和十年  815年  48歲 
卷別: 卷三四三  文體: 五言律詩 
詩題: 寒食直歸遇雨 
作地: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
詩文:
『寒食直歸遇雨』
(寒食の日に当直が終わって帰るときに雨に降られる。)
寒食時看度,春遊事已違。
今日は寒食というが、なるほどぐるっと見ると、それらしい景色になっている。しかし天気があまりよくないのでせっかく春の遠游に出かけようと思ってきたが当てが外れてしまった。
風光連日直,陰雨半朝歸。
この盛春の風光に際して、連日宿直をしている。そして今日、曇った挙句、雨が降る朝の間に帰宅する。
不見紅毬上,那論綵索飛。
太陽が出ていないので紅白に別れての蹴球を見ることはできないし、そればかりか、賭博のかけをしてどっちが勝か論じ合うことなど出来もしない。
惟將新賜火,向曙著朝衣。
ただ新たに賜った楡柳の火を持って帰り、明日の朝はその火のひかりで、朝衣を着ることが出来るであろう。
海棠花021









 
『寒食直歸遇雨』 現代語訳と訳註
(本文)

寒食直歸遇雨
寒食時看度,春遊事已違。
風光連日直,陰雨半朝歸。
不見紅毬上,那論綵索飛。
惟將新賜火,向曙著朝衣。


(下し文)
(寒食、直ちに歸りて雨に遇う)
寒食 時に看る度る,春遊 事已に違う。
風光 連日 直し,陰雨 半ば朝に 歸る。
紅毬の上りを見ず,那ぞ綵索【さいさく】の飛ぶを論ぜん。
惟だ新賜の火を將って,曙に向って朝衣を著す。


(現代語訳)
(寒食の日に当直が終わって帰るときに雨に降られる。)
今日は寒食というが、なるほどぐるっと見ると、それらしい景色になっている。しかし天気があまりよくないのでせっかく春の遠游に出かけようと思ってきたが当てが外れてしまった。
この盛春の風光に際して、連日宿直をしている。そして今日、曇った挙句、雨が降る朝の間に帰宅する。
太陽が出ていないので紅白に別れての蹴球を見ることはできないし、そればかりか、賭博のかけをしてどっちが勝か論じ合うことなど出来もしない。

ただ新たに賜った楡柳の火を持って帰り、明日の朝はその火のひかりで、朝衣を着ることが出来るであろう。

(訳注)
『寒食直歸遇雨』
(寒食の日に当直が終わって帰るときに雨に降られる。)
・寒食 中国において,火の使用を禁じたため,あらかじめ用意した冷たい物を食べる風習。〈かんじき〉とも読む。冬至後105日目を寒食節と呼び,前後2日もしくは3日間,寒食した。この寒食禁火の風習は古来,介子推(かいしすい)の伝説(晋の文公の功臣。その焼死をいたんで,一日,火の使用を禁じた)と結びつけられるが,起源は,(1)古代の改火儀礼(新しい火の陽火で春の陽気を招く),(2)火災防止(暴風雨の多い季節がら)などが考えられている。


寒食時看度,春遊事已違。
今日は寒食というが、なるほどぐるっと見ると、それらしい景色になっている。しかし天気があまりよくないのでせっかく春の遠游に出かけようと思ってきたが当てが外れてしまった。


風光連日直,陰雨半朝歸。
この盛春の風光に際して、連日宿直をしている。そして今日、曇った挙句、雨が降る朝の間に帰宅する。
・連日直 連日の当直。
・半朝 日の出から正午の中間時間を指す。


不見紅毬上,那論綵索飛。
太陽が出ていないので紅白に別れての蹴球を見ることはできないし、そればかりか、賭博のかけをしてどっちが勝か論じ合うことなど出来もしない。
・紅毬 紅白に別れての蹴球。・水滸伝(すいこでん)の最初の所に。高毬が、こうした毬戯をする場面がある。貴族の邸内には、それに適するグラウンド庭がつくられていた。
ボールが丼製で、なかに毛を入れたものであったという説明はおもしろいが、その大きさは、はっきりしない。「門」というゴールが、唐代は竹竿をたてて上に網を張ったものであったのが、宋代には、木の柱にかあったこともおもしろい。どうも今日のフットボール式の上ように思われ、「水滸伝」にくわしく出てくるけまりの一種のようで、「紅毬」で攻守に金をかけたもの。映画レッドクリフⅠで孫権の妹が忍び込んで試合を見るシーンがある。このゲームはサッカーのようであり、人馬一体のゲームであった。
・綵索 ブランコ遊び。


惟將新賜火,向曙著朝衣。
ただ新たに賜った楡柳の火を持って帰り、明日の朝はその火のひかりで、朝衣を着ることが出来るであろう。
・新賜火 新たに賜った楡柳の火。

-------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
寒食時看度,春遊事已違。
風光連日直,陰雨半朝歸。
不見紅毬【案:蹴鞠,黃帝所造,鞠與毬同,紅毬以紅帛為之。】上,那論綵索【案:北方寒食日,用鞦韆為戲,綵索即謂鞦韆。】飛。
惟將新賜火,向曙著朝衣。 
026

廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629

韓愈(韓退之) 《廣宣上人頻見過》三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。


2013年7月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629



作年: 元和九年  814年  47歲 
卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 
詩題: 廣宣上人頻見過 
寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
--------------------------------------------------------------------------------
 
廣宣上人頻見過
(廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。)
三百六旬長擾擾,不衝風雨即塵埃。
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
久慚朝士無裨補,空愧高僧數往來。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している。
 

『廣宣上人頻見過』 現代語訳と訳註
(本文)
sora001三百六旬長擾擾,不衝風雨即塵埃。
久慚朝士無裨補,空愧高僧數往來。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。


(下し文)
(廣宣上人が頻りに過るを見る。)
三百 六旬も 長き 擾擾たり,風雨衝わず 即ち塵埃なり。
久しく朝士慚り裨補する無し,空しく高僧往來を數するを愧ず。
學道 窮年 何んぞ所得,詩を吟じ竟日 未だ能く迴らず。
天寒 古寺 遊人少く,紅葉 窗前 幾堆有る。


(現代語訳)
(廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。)
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している。


(訳注)
廣宣上人頻見過
廣宣上人は頻繁に通り過ぎるを見る。
王涯も上人年を交わしている。前にあげた「王二十舍人が雪中に見て寄せるに酬いる。」と同時期の作品。
韓愈『酬王二十舍人雪中見寄』
三日柴門擁不開,階平庭滿白皚皚。
今朝蹋作瓊瑤跡,為有詩從鳳沼來。


三百 六旬 長 擾擾 ,不衝 風雨 即塵埃 。
三百日、六旬の長きにわたって乱れて落ち着かない状態であった。干ばつで風雨がこちらには向ってこず、即ちちりやほこりまみれになった。
「三百」三百日間。
「六旬」六旬。にかげつかん。
「擾擾」じょうじょう【擾擾】とは。意味や解説。[ト・タル][文][形動タリ]乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。「文を求むる者、銭を乞う者、―として絶えざりき」


久慚 朝士 無 裨補 ,空愧 高僧 數 往來 。
久しく朝廷の勢力争いで切り合いをし、助けたり補ったりするもの飛なかった。高い僧侶である上人何もできず空しく恥じ入るばかりで、ただ右往左往するばかりであった。


學道 窮年 何所得 ,吟詩 竟日 未能 迴。
学問や道利の勉強は歳がおさまるまで何の得るところもないものであった。それでも、こうして詩を吟じあい日がな一日を能くやり過ごす以外になかったのである。
「竟日」一日。


天寒 古寺 遊人 少 ,紅葉 窗前 有 幾堆 。
寒さが天から降りてきてこの古い寺には集まってくる人も少なくなった。高陽になった木々の葉は窓の前に掃き手が居ないのでうず高く堆積している


--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
三百六旬長擾擾【三十六旬長擾擾】,不衝風雨即塵埃。
久慚朝士無裨補【久為朝士無裨補】,空愧高僧數往來。
學道窮年何所得,吟詩竟日未能迴。
天寒古寺遊人少,紅葉窗前有幾堆。 

奉酬振武胡十二丈大夫 韓愈(韓退之) <149>Ⅱ中唐詩728 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2624

韓愈 《奉酬振武胡十二丈大夫》 共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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奉酬振武胡十二丈大夫【案:胡証,河東人。元和九年,党項寇邊,以証有安邊才略,乃授振武軍節度使。】 韓愈(韓退之) <149>Ⅱ中唐詩728 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2624


作年: 元和九年  814年  47歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言律詩 
詩題: 奉酬振武胡十二丈大夫
【胡証,河東人。元和九年,党項寇邊,以証有安邊才略,乃授振武軍節度使。】 
寫作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
寫及地點: 振武軍 (隴右道東部 鄯州 振武軍) 別名:振武     
交遊人物/地點: 胡証 書信往來(隴右道東部 鄯州 振武軍)
-------------------------------------------------------------------------------
 
詩文:
奉酬振武胡十二丈大夫
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩)
傾朝共羨寵光頻,半歲遷騰作虎臣。
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
戎旆暫停辭社樹,里門先下敬鄉人。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
橫飛玉盞家山曉,遠蹀金珂塞草春。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつけ塞の草にも春が来た。
自笑平生誇膽氣,不離文字鬢毛新。

平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。

banri08









『奉酬振武胡十二丈大夫』 現代語訳と訳註
(本文)
傾朝共羨寵光頻,半歲遷騰作虎臣。
戎旆暫停辭社樹,里門先下敬鄉人。
橫飛玉盞家山曉,遠蹀金珂塞草春。
自笑平生誇膽氣,不離文字鬢毛新。


(下し文)
振武 胡十二丈 大夫に酬い奉る
傾朝 共に羨【とも】しく寵光頻なり,半歲 遷た騰して虎臣を作す。
戎旆【じゅうはい】 暫く停り社樹を辭す,里門 先下して鄉人を敬う。
玉盞【ぎょくさん】を橫飛して 家山の曉,金珂を遠蹀【えんちょう】して 塞の草春。
平生を自笑しては 膽氣【たんき】を誇り,文字 鬢毛 新なるを離れず。


(現代語訳)
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩)
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつけ塞の草にも春が来た。
平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。


(訳注)
奉酬振武胡十二丈大夫
(振武軍節度使十二丈の胡証大夫の詩に酬い奉る詩。)
・大夫 領地を持った貴族のこと
・振武軍 乾元元年[758年]方鎭表では振武軍節度押蕃落使が鎭北大都護府に置かれ領州は麟勝二州であった。
朔方節度使より分離したものであるが使名も不明で有り実体があったとは思えない。
領域は回紇に面したオルドス東北部の辺境である。
・廣徳2年[764年]方鎭表では振武節度使は廃止され朔方節度へ統合された。
・大暦14年[779年]5月振武軍節度使が置かれ鎭北大都護府綏銀二州東中受降城を領した。郭子儀引退後の麾下の諸将への分与であり、渾瑊が任ぜられたが、11月には崔寧が朔方鄜坊とともに管轄し留後張光晟が管理する体制になった。
正月振武軍乱は簡単に鎮圧され、牙軍のきままを抑える政策がとられた。
九月朝廷につかず離れずの態度を示していた淮西節度使呉少陽が死亡し、子の元濟が自立して反朝廷の態度を明らかにした。
十月忠武李光顔・荊南袁滋・山東嚴綬などに対淮西の配置が行われて、嚴綬を主将として征討が開始された。


 傾朝 共羨 寵光 頻,半歲 遷騰 作 虎臣 。
共通して言えることは十分でもないのに過剰な寵愛を受けていることを羨慕し、それが朝廷を傾けることになるということである。その年の半分以上を自分かってな家臣どもが朝廷をたぎらせ混乱させるのである。
「傾朝」語義類別:朝廷を人の行為によって傾けること。
「共羨」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、正面情感(景仰羨慕)、羨。自分よりもよく見える他人のありさまを見て、自分もそのようになりたいと思う。 また、自分がそのようになれないのをくやしく思う。 【羨道】せんどう. 古墳など横穴式墳墓の、入り口から棺を置く部屋に至る道。 「えんどう」とも読む。 【羨慕】せんぼ. うらやみ、慕うこと。
「光」現象、光芒、光。
「虎臣」個利個略の家臣。


戎旆 暫停 辭 社樹 ,里門 先下 敬 鄉人 。
兵器や軍旗をかかげ、暫くの間休戦して、神殿とその周りの木々に辞すのである。吾が韓愈門下の者は皆その郷里の人間を敬うのだ。
「戎旆」兵器や軍旗。
「停」休戦。

「社樹」社1 神を祭る建物。神社。2 神の降臨する場所。物、生物、植物泛稱(木)、樹。
「門」韓愈のグループ門した。


橫飛 玉盞 家山 曉 ,遠蹀 金珂 塞草 春 。
門下の者は立派な盃を互いにやり取りをし明け方まで呑む。冬のあいだはそうしてすごし、春になれば遠くまで足を延ばし、金やめのう石をみつける様に詩を作り、そうして塞の草にも春が来たことを感じる。
「玉盞」たまうき。美しいりっぱなさかずき。
「金」金屬、金。
「珂」自然資源、玉石、珂。宝石の一種。めのうの白いもの。しろめのう。 くつわ貝。南海に産する白色の貝で、その殻を馬のくつわを飾るのに用いる。
「塞草」塞の季節を感じられるものとしての草。
「春」四時節氣、四季、春。


自笑 平生 誇 膽氣 ,不離 文字 鬢毛 新 。
平生の時、自らほほえむのはどっしりと落ち着いた精神力をほこるのである。われわれは文字から離れられるものではなく、そして、鬢の毛もまた新たになっていくのである。
「自笑」心を広く持つことによって不平不満のない生活をする意味での微笑。
「平生」平常。通常。
「膽」1 内臓器官の名。六腑の一。「胆汁・胆石・胆嚢(たんのう)/臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」2 どっしりと落ち着いた精神力。きもったま。
「氣」語義類別:人、狀態、心神氣力、氣。
「文字」文藝、文體、文字。
「鬢毛」耳ぎわの髪。また、頭髪の左右側面の部分。 びん【鬢】: [音]ビン(慣) 耳ぎわの髪の毛。「鬢髪/霜鬢・両鬢」; びん‐おや【鬢親】: 深除(ふかそ)ぎまたは鬢除(びんそ)ぎの日、髪や鬢の先を切り落とす役目の人。
桑畑

酬王二十舍人雪中見寄 韓愈(韓退之) <148>Ⅱ中唐詩727 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2619

韓愈(韓退之) 《酬王二十舍人雪中見寄》 が降り続いてもう三日目になり、柴門は閉められたままで開けられない。階の高さにまで積雪があり、庭中もう真っ白にみたされてしまった。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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酬王二十舍人雪中見寄 韓愈(韓退之) <148>Ⅱ中唐詩727 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2619


作年: 元和九年  814年  47歲 
卷別: 卷三四三  文體: 七言絕句 
詩題: 酬王二十舍人雪中見寄 
作地: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 
交遊人物/地點: 王涯 書信往來(京畿道 京兆府 長安)
 

酬王二十舍人雪中見寄
(王二十舍人が雪中に見て詩を寄せたことに酬いてこの詩を贈る。)
三日柴門擁不開,階平庭滿白皚皚。
雪が降り続いてもう三日目になり、柴門は閉められたままで開けられない。階の高さにまで積雪があり、庭中もう真っ白にみたされてしまった。
今朝蹋作瓊瑤跡,為有詩從鳳沼來。
朝になって未踏の雪の上を踏みつけて歩くと、雪の玉があちこちに宝石を散らばせたようである。これでは、この風景を詩にするより、仙郷の鳳凰池に来たとしか思えない。

雪の庭











『酬王二十舍人雪中見寄』 現代語訳と訳註
(本文)
酬王二十舍人雪中見寄
三日柴門擁不開,階平庭滿白皚皚。
今朝蹋作瓊瑤跡,為有詩從鳳沼來。


(下し文)
王二十舍人が雪中に見て寄せるに酬いる。
三日 柴門 擁して開ず,階平 庭滿つ 白皚皚【はくがいがい】。
今朝 蹋作して 瓊瑤【けいよう】の跡,詩 從り 鳳の沼 來るを有るを為す。


(現代語訳)
(王二十舍人が雪中に見て詩を寄せたことに酬いてこの詩を贈る。)
雪が降り続いてもう三日目になり、柴門は閉められたままで開けられない。階の高さにまで積雪があり、庭中もう真っ白にみたされてしまった。
朝になって未踏の雪の上を踏みつけて歩くと、雪の玉があちこちに宝石を散らばせたようである。これでは、この風景を詩にするより、仙郷の鳳凰池に来たとしか思えない。


(訳注)
酬王二十舍人雪中見寄
王二十舍人が雪中に見て詩を寄せたことに酬いてこの詩を贈る。
・王 王涯(765?~835) 字は広津。太原の人。唐の貞元八年(792)、進士に及第した。はじめ藍田尉となり、左拾遺・翰林学士から起居舍人に進んだ。

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・舎人 皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者。その役職。雪が降ってあまりいい家の庭でなくても、一面が銀世界となって仙人の鳳凰池に来たようだと詠う。


三日 柴門 擁 不開 ,階平 庭滿 白 皚皚 。
雪が降り続いてもう三日目になり、柴門は閉められたままで開けられない。階の高さにまで積雪があり、庭中もう真っ白にみたされてしまった。
「三日」語義類別:時、時間、範圍時間(日)、三日。「窓雪三日」ということわざがあって、窓の縁に雪が積もると、三日間は雪が続くと言われています。
「柴門」柴でつくった門。粗末な家の門。
「擁」1 抱きかかえる。「抱擁」 2 周囲から守り助ける。「擁護・擁立」
「開平」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、開。
「階」庭から1・2段の階段があって廊下の部分があって家の扉がある。そこまでゆきがつもった。
「庭滿」柴門、生垣が廻る中の園林院落の庭。その庭一面ということ。
「」語義類別:其他、顏色、原色、白。
「白皚皚」雪や霜などが一面に白く積もっている様を示す言葉。 白皚々たる山々などと使う。 豈は神楽の太鼓をたてた姿を描いた象形文字とされ、にぎやかな軍楽のこと。 ほがらか、明るいといった意味がある。 これに白がついて「皚」となり、「明るくしろい様」の意となる。


今朝 蹋作 瓊瑤 跡 ,為有 詩從 鳳沼 來 。
朝になって未踏の雪の上を踏みつけて歩くと、雪の玉があちこちに宝石を散らばせたようである。これでは、この風景を詩にするより、仙郷の鳳凰池に来たとしか思えない。
今朝」けさ。朝一番、庭の雪をだれも踏んでいないことを意識させる。
「蹋作」雪に後踏みつける。
「瓊瑤」語義類別:物、自然資源、玉石、瓊も瑤も玉。瓊は美しい玉。瑤は佩び玉。詩經‧衛風‧ 《木瓜》. 投我以木瓜,報之以瓊琚。 匪報也,永以為好也。 投我以木桃,報之以瓊瑤。
「詩」文藝、詩文。
「鳳沼」仙人の棲む里の河湖地名(湖海池潭)、鳳凰池。


--------------------------------------------------------------------------------
 
詩文(含異文):
 三日柴門擁不開,階平庭滿白皚皚【階庭平滿白皚皚】。
今朝蹋作瓊瑤跡,為有詩從鳳沼來【為有詩仙鳳沼來】。 

江漢答孟郊 韓愈(韓退之) <147-#2>Ⅱ中唐詩726 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2614

韓愈(韓退之) 《江漢答孟郊》 ついに大空の端の方にはひっそりとした隠棲の部屋におさまることにその場所となった。その夜、華やかな燈火は爛々として光っている。いやしくも心がけるはただ忠実に信じていくことだ。そんなことでここには北方の異民族や南方の異民族さえも居することが出来るのだ。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


江漢答孟郊 韓愈(韓退之) <147-#2>Ⅱ中唐詩726 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2614


作年: 元和九年  814年   47歲 
卷別: 卷三三六  文體: 五言古詩 
詩題: 江漢答孟郊 
交遊人物/地點: 孟郊 書信往來(河東道 虢州 閿鄉)
 
江漢答孟郊 
(長江にいる孟郊に答える。)
江漢雖云廣,乘舟渡無艱。
長江の流れは広々として流れているというけれども、船に乗って進めば艱難が無いままにわたっていく。
流沙信難行,馬足常往還。
流れの中洲に信じがたくして進んでゆく。馬に乗っていつもの事として帰っていく。
kagaribi00淒風結衝波,狐裘能禦寒。
寂しい風が吹くころには大きな波が中ほどで結合したりする。そんな時はキツネのわきの下の白毛皮で作った皮衣が寒さを凌ぐには良いものだ。
#2
終霄處幽室,華燭光爛爛。
ついに大空の端の方にはひっそりとした隠棲の部屋におさまることにその場所となった。その夜、華やかな燈火は爛々として光っている。
苟能行忠信,可以居夷蠻。
いやしくも心がけるはただ忠実に信じていくことだ。そんなことでここには北方の異民族や南方の異民族さえも居することが出来るのだ。
嗟余與夫子,此義每所敦。
ああ、ここ門下には士夫先生がいる。りっぱな詩人でどんなときでも優しい気持ちでいるのだ。
何為復見贈,繾綣在不諼。

何を為すべきかと云えば,見ることを詩にして贈呈することである。情の厚いことはいつわざるところである。
 
江漢 孟郊に答う。 
江漢 廣き云うと雖ども,舟に乘りて艱無く渡る。
沙を流すは信に行き難し,馬足 常に往き還る。
淒風 衝波を結ぶ,狐裘 能く寒を禦す。
#2
終霄 幽室を處とす,華燭 光 爛爛たり。
苟くも能く忠信を行く,以って可とす 夷蠻を居す。
嗟 余 夫子を與にす,此の義 每に敦とする所なり。
何為んぞ復た見贈す,繾綣として諼れざる在り。


『江漢答孟郊』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
終霄處幽室,華燭光爛爛。
苟能行忠信,可以居夷蠻。
嗟余與夫子,此義每所敦。
何為復見贈,繾綣在不諼。


(下し文) #2
終霄 幽室を處とす,華燭 光 爛爛たり。
苟くも能く忠信を行く,以って可とす 夷蠻を居す。
嗟 余 夫子を與にす,此の義 每に敦とする所なり。
何為んぞ復た見贈す,繾綣として諼れざる在り。


(現代語訳)
ついに大空の