中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2013年12月

《瀧吏》嶺南行(4)-3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <908>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3524韓愈詩-233

韓愈《瀧吏》嶺南行(4)-3 御主人はこれから自分でその地においでになるんでしょうから、ここでみだりにお聞きになることなど及ばないのではないでしょうか。まったく思いがけなくもやりこめられたので、冷汗を流し、恥じ入り、且つ、驚きもしたのである。
 

2013年12月31日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <908>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3524韓愈詩-233
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 240《九辯 第八段》 宋玉 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3526 (12/31)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《瀧吏》嶺南行(4)-3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <908  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3524韓愈詩-233

嶺南行(4)-3         

 

 

嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

南行逾六旬,始下昌樂瀧。

南へ南へと行くこと六十日あまりくると、やっと昌楽滝を下ることになった。

險惡不可狀,船石相舂撞。

その危険さは口にもいいあらわせないほど、船は岩石にぶつかりあってくだる。

 

往問瀧頭吏,潮州尚幾里。

急流を下る途中で、わざわざ瀧のほとりの役人に聞いてみた、「これから、私の任地である潮州までまだどのぐらいきょりがあるのでしょうか。」と

行當何時到,土風復何似

「それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。」と。

 

嶺南行(4)-#2

瀧吏垂手笑,官何問之愚。

瀧川役人はあいさつもせずに笑い出した、都の高官の御主人は何とおろかなことをお聞きになりますね。

譬官居京邑,何由知東

御主人がみやこにいらっしゃるとき、南蛮の東呉の地方を御存知ではなかったでしょう。

 

遊宦官知自有由。

東呉は地方官として赴任する土地だから、ご主人が御存知になるおりももちろんあったのではないでしょうか。

潮州底處所,有罪乃竄流。

だが潮州とはどんなところなのでしょうか、わたしは罪あるものとしてはじめてそこに流されるのです。

 

嶺南行(4)-#3

儂幸無負犯,何由到而知。

わたしは幸いに何の法にそむいたり、罪もおかすことなどなかったもので、どうしてそんなところへ行くことがありましょう。したがってそこを知るはずがありません。

官今行自到,那遽妄問為。

御主人はこれから自分でその地においでになるんでしょうから、ここでみだりにお聞きになることなど及ばないのではないでしょうか。

 

不虞卒見困,汗出愧且駭。

まったく思いがけなくもやりこめられたので、冷汗を流し、恥じ入り、且つ、驚きもしたのである。

吏曰聊戲官,儂嘗使往罷。

瀧川の役人は気の毒に思ったのか言う、「ええちょっとご主人をからかってみたんですよ、じつはわたしは或る時、役所の使いで行ったことがあるんです。」

 

#4

嶺南大抵同,官去道苦遼。

下此三千里,有州始名潮。

 

惡溪瘴毒聚,雷電常洶洶。

鱷魚大於船,牙眼怖殺儂。

 

#5

州南數十里,有海無天地。

颶風有時作,掀簸真差事。

 

聖人於天下,於物無不容。

比聞此州囚,亦在生還儂。

 

#6

官無嫌此州,固罪人所徙。

官當明時來,事不待委。

 

官不自謹慎,宜即引分往。

胡為此水邊,神色久戃慌。

#7

缸大缾甖小,所任自有宜。

官何不自量,滿溢以取斯。

 

工農雖小人,事業各有守。

不知官在朝,有益國家不。

 

#8

得無虱其間,不武亦不文。

仁義飭其躬,巧姦敗群倫。

 

叩頭謝吏言,始慚今更羞。

歷官二十餘,國恩並未酬。

 

#9

凡吏之所訶,嗟實頗有之。

不即金木誅,敢不識恩私。

 

潮州雖云遠,雖惡不可過。

於身實已多,敢不持自賀。

韓愈の地図01

 

『瀧吏』 現代語訳と訳註

(本文) 嶺南行(5)  瀧吏9分割―#3

儂幸無負犯,何由到而知。

官今行自到,那遽妄問為。

 

不虞卒見困,汗出愧且駭。

吏曰聊戲官,儂嘗使往罷。

 

(下し文) #3

儂【われ】幸にして負犯【ふはん】無し,何に由って到って知らん。

官 今行いて自ら到らん,那ぞ遽【にわか】に妄【みだり】に問うことを為さんと。

 

虞【はから】ざりき卒【にわか】に見困しめられんとは,汗出でて愧じ且つ駭【おどろ】く。

吏曰く聊【いささ】か戲官に【たわむ】る,儂【われ】嘗って使いして往いて罷【や】む。

 

(現代語訳)

わたしは幸いに何の法にそむいたり、罪もおかすことなどなかったもので、どうしてそんなところへ行くことがありましょう。したがってそこを知るはずがありません。

御主人はこれから自分でその地においでになるんでしょうから、ここでみだりにお聞きになることなど及ばないのではないでしょうか。

まったく思いがけなくもやりこめられたので、冷汗を流し、恥じ入り、且つ、驚きもしたのである。

瀧川の役人は気の毒に思ったのか言う、「ええちょっとご主人をからかってみたんですよ、じつはわたしは或る時、役所の使いで行ったことがあるんです。」

 

(訳注) #3(楽昌:下図24)から(潮州u-18)に向かう

儂幸無負犯,何由到而知。

わたしは幸いに何の法にそむいたり、罪もおかすことなどなかったもので、どうしてそんなところへ行くことがありましょう。したがってそこを知るはずがありません。

儂 古い蘇州方言の第一人称といわれているが、今でも用いているところがあるという。広東省なのに、蘇州方言を用いいたのは地方の感じを出すためにあてはめたのだろう。

負犯 法に負いたり罪を犯すこと。

 

官今行自到,那遽妄問為。

御主人はこれから自分でその地においでになるんでしょうから、ここでみだりにお聞きになることなど及ばないのではないでしょうか。

行「まさに…:せんとす」の将と同じ意味。これから……するだろう。

遽 「遂に」という意。「何遽」で、「何寛」とおなじく「何でまあ」という問いつめる気持ちをあらわす。

妄問為 普通の語順なら「為妄問」であるが、押韻の関係で「為」字を句末に置いた。

 

不虞卒見困,汗出愧且駭。

まったく思いがけなくもやりこめられたので、冷汗を流し、恥じ入り、且つ、驚きもしたのである。

 

吏曰聊戲官,儂嘗使往罷。

瀧川の役人は気の毒に思ったのか言う、「ええちょっとご主人をからかってみたんですよ、じつはわたしは或る時、役所の使いで行ったことがあるんです。」
2潮州広東00

《瀧吏》嶺南行(4)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <907>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3519韓愈詩-232

《瀧吏》嶺南行(4)-2 東呉は地方官として赴任する土地だから、ご主人が御存知になるおりももちろんあったのではないでしょうか。だが潮州とはどんなところなのでしょうか、わたしは罪あるものとしてはじめてそこに流されるのです。
 

2013年12月30日 の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <907>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3519韓愈詩-232
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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《瀧吏》嶺南行(4)-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <907  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3519韓愈詩-232      

嶺南行(4)-2

 

 

嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

南行逾六旬,始下昌樂瀧。

南へ南へと行くこと六十日あまりくると、やっと昌楽滝を下ることになった。

險惡不可狀,船石相舂撞。

その危険さは口にもいいあらわせないほど、船は岩石にぶつかりあってくだる。

 

往問瀧頭吏,潮州尚幾里。

急流を下る途中で、わざわざ瀧のほとりの役人に聞いてみた、「これから、私の任地である潮州までまだどのぐらいきょりがあるのでしょうか。」と

行當何時到,土風復何似。

「それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。」と。

 
 

#2

瀧吏垂手笑,官何問之愚。

瀧川役人はあいさつもせずに笑い出した、都の高官の御主人は何とおろかなことをお聞きになりますね。

譬官居京邑,何由知東

御主人がみやこにいらっしゃるとき、南蛮の東呉の地方を御存知ではなかったでしょう。

 

遊宦官知自有由。

東呉は地方官として赴任する土地だから、ご主人が御存知になるおりももちろんあったのではないでしょうか。

潮州底處所,有罪乃竄流。

だが潮州とはどんなところなのでしょうか、わたしは罪あるものとしてはじめてそこに流されるのです。

 

#3

儂幸無負犯,何由到而知。

官今行自到,那遽妄問為。

 

不虞卒見困,汗出愧且駭。

吏曰聊戲官,儂嘗使往罷。

 

#4

嶺南大抵同,官去道苦遼。

下此三千里,有州始名潮。

 

惡溪瘴毒聚,雷電常洶洶。

鱷魚大於船,牙眼怖殺儂。

 

#5

州南數十里,有海無天地。

颶風有時作,掀簸真差事。

 

聖人於天下,於物無不容。

比聞此州囚,亦在生還儂。

 

#6

官無嫌此州,固罪人所徙。

官當明時來,事不待委。

 

官不自謹慎,宜即引分往。

胡為此水邊,神色久戃慌。

甘粛省-嘉峪関

#7

缸大缾甖小,所任自有宜。

官何不自量,滿溢以取斯。

 

工農雖小人,事業各有守。

不知官在朝,有益國家不。

 

#8

得無虱其間,不武亦不文。

仁義飭其躬,巧姦敗群倫。

 

叩頭謝吏言,始慚今更羞。

歷官二十餘,國恩並未酬。

 

#9

凡吏之所訶,嗟實頗有之。

不即金木誅,敢不識恩私。

 

潮州雖云遠,雖惡不可過。

於身實已多,敢不持自賀。

 

『瀧吏』 現代語訳と訳註

(本文) 嶺南行(5)  瀧吏9分割―#2

瀧吏垂手笑,官何問之愚。

譬官居京邑,何由知東

 

遊宦官知自有由。

潮州底處所,有罪乃竄流。

 

(下し文) #2

瀧吏【ろうり】手を垂れて笑い,官 何んぞ問うことの愚【おろか】なるや。

譬【たと】えば官の京邑【きょうゆう】に居るときは,何に由ってか東知らん

 

遊宦のなり官の知ること自ら由し有り。

潮州は底【なん】の處所【しょしょ】ぞ,罪有るもの乃ち竄流【ざんりゅう】さる。

 

(現代語訳)

瀧川役人はあいさつもせずに笑い出した、都の高官の御主人は何とおろかなことをお聞きになりますね。

御主人がみやこにいらっしゃるとき、南蛮の東呉の地方を御存知ではなかったでしょう。

東呉は地方官として赴任する土地だから、ご主人が御存知になるおりももちろんあったのではないでしょうか。

だが潮州とはどんなところなのでしょうか、わたしは罪あるものとしてはじめてそこに流されるのです。

 

韓愈の地図01

  

(訳注) 嶺南行(5)  瀧吏9分割―#2

瀧吏 底本巻六。瀧吏とは昌擽滝という急流の河岸の駅吏。昌楽滝はいまの広東省の楽昌県にある。

 

瀧吏垂手笑,官何問之愚。

瀧川役人はあいさつもせずに笑い出した、都の高官の御主人は何とおろかなことをお聞きになりますね。

垂手 前に手を組合わせてあげるのが、指というあいさつの方法であるが、手を垂れるとは、しないで、手をさげたままでいること。

 官についているものに対して呼びかけることば。都の高官の御主人というていどのあいさつ。つまり韓愈をさす。

 

譬官居京邑,何由知東

御主人がみやこにいらっしゃるとき、南蛮の東呉の地方を御存知ではなかったでしょう。

京邑 みやこ。長安をさす。

東呉 呉は今の江蘇省。中国全体からでは東方にあるから、束呉という。おなじく南ではあるが、都から比較的近い地域。

 

遊宦官知自有由。

東呉は地方官として赴任する土地だから、ご主人が御存知になるおりももちろんあったのではないでしょうか。

遊宦 遊は、地方に旅行すること、宦は、官吏として仕えること。遊宦は、地方官として赴任することをいう。

 

潮州底處所,有罪乃竄流。

だが潮州とはどんなところなのでしょうか、わたしは罪あるものとしてはじめてそこに流されるのです。

底 「何」という意。

筑流 鼠も流も、ともに流しものにすること。
nat0021 

《瀧吏-9分割1回目〔元和十四年出為潮州作。〕》嶺南行(4)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <906>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3514韓愈詩-231

韓愈《瀧吏》これから、私の任地である潮州までまだどのぐらい距離があるのでしょうか。それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。
 

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《瀧吏〔元和十四年出為潮州作。〕》嶺南行(4)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <906  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3514韓愈詩-231

 

 

嶺南行(4)

作時年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 瀧吏〔元和十四年出為潮州作。〕 

及地點:  昌樂瀧 (嶺南道東部 韶州 樂昌)   ・潮州 (嶺南道東部 潮州 潮州・韶州 (嶺南道東部 韶州 韶州) 別名:東 ・惡溪 (嶺南道東部 潮州 潮州)  

  

昌楽滝の役人について述べる。吏は小役人のこと。杜甫『三吏三別』に倣って作ったものであろう。彼らは雇い人であって、中央から任命される正式の官吏でなく、普通現地の土地の人用いた。官庁の実際実務・事務に習熟し、地方政治上において実力をもっていた。ここは、危険な急流下りであるから、船つき場に船を監督する村役人がいたのであろうか。

元和十四年(819年)潮州に貶められたとき、旅行中の作。韓愈時に五十二歳。長い詩であるから、押韻の変わるごとに区切り、四韻ごとに注釈を加えることにする。

 

 

嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

南行逾六旬,始下昌樂瀧。

南へ南へと行くこと六十日あまりくると、やっと昌楽滝を下ることになった。

險惡不可狀,船石相舂撞。

その危険さは口にもいいあらわせないほど、船は岩石にぶつかりあってくだる。

 

往問瀧頭吏,潮州尚幾里。

急流を下る途中で、わざわざ瀧のほとりの役人に聞いてみた、「これから、私の任地である潮州までまだどのぐらいきょりがあるのでしょうか。」と

行當何時到,土風復何似。

「それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。」と。 

#2

瀧吏垂手笑,官何問之愚。

譬官居京邑,何由知東

 

遊宦官知自有由。

潮州底處所,有罪乃竄流。

 

#3

儂幸無負犯,何由到而知。

官今行自到,那遽妄問為。

 

不虞卒見困,汗出愧且駭。

吏曰聊戲官,儂嘗使往罷。

 

#4

嶺南大抵同,官去道苦遼。

下此三千里,有州始名潮。

 

惡溪瘴毒聚,雷電常洶洶。

鱷魚大於船,牙眼怖殺儂。

 

#5

州南數十里,有海無天地。

颶風有時作,掀簸真差事。

 

聖人於天下,於物無不容。

比聞此州囚,亦在生還儂。

 

#6

官無嫌此州,固罪人所徙。

官當明時來,事不待委。

 

官不自謹慎,宜即引分往。

胡為此水邊,神色久戃慌。

#7

缸大缾甖小,所任自有宜。

官何不自量,滿溢以取斯。

 

工農雖小人,事業各有守。

不知官在朝,有益國家不。

 

#8

得無虱其間,不武亦不文。

仁義飭其躬,巧姦敗群倫。

 

叩頭謝吏言,始慚今更羞。

歷官二十餘,國恩並未酬。

 

#9

凡吏之所訶,嗟實頗有之。

不即金木誅,敢不識恩私。

 

潮州雖云遠,雖惡不可過。

於身實已多,敢不持自賀。

 

駅亭の池01 

『瀧吏』 現代語訳と訳註

(本文) 嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

南行逾六旬,始下昌樂瀧。

險惡不可狀,船石相舂撞。

 

往問瀧頭吏,潮州尚幾里。

行當何時到,土風復何似。

 

(下し文) 嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

南行 六旬を逾え,始めて昌樂瀧を下る。

險惡 狀【たと】う可からず,船と石と相い舂撞【しょうとう】す。

 

往きて瀧頭の吏に問うらく,潮州 尚お幾ばく里ぞ。

行きて當に何れの時にか到るべき,土風 復た何似【いかん】。

 

(現代語訳)

南へ南へと行くこと六十日あまりくると、やっと昌楽滝を下ることになった。

その危険さは口にもいいあらわせないほど、船は岩石にぶつかりあってくだる。

急流を下る途中で、わざわざ瀧のほとりの役人に聞いてみた、「これから、私の任地である潮州までまだどのぐらいきょりがあるのでしょうか。」と

「それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。」と。

 

(訳注) 嶺南行(4)  瀧吏9分割―#1

瀧吏 底本巻六。瀧吏とは昌擽滝という急流の河岸の駅吏。昌楽滝はいまの広東省の楽昌県にある。

 

南行逾六旬,始下昌樂瀧。

南へ南へと行くこと六十日あまりくると、やっと昌楽滝を下ることになった。

潜行逾六旬 長安からいえば、この地広東省は南にあたる。韓愈は、曹月十四日に潮州刺史に貶められる勅命が下り、即日出発しているから、六十日をこえたといえは、三月中旬の作ということになる。旬は十日。

昌楽滝 滝ははやせ、急流。昌楽滝とは、いわば唱楽峡というようなものである。昌楽滝は、今の広東省楽昌縣にあり、珠江の一方の本流北江の上流である。

 

險惡不可狀,船石相舂撞。

その危険さは口にもいいあらわせないほど、船は岩石にぶつかりあってくだる。

不可状 形容できない。状は、形容する。

舂撞 舂も撞もぶつかること。

 

往問瀧頭吏,潮州尚幾里。

急流を下る途中で、わざわざ瀧のほとりの役人に聞いてみた、「これから、私の任地である潮州までまだどのぐらいきょりがあるのでしょうか。」と

瀧頭吏 瀧のほとりの吏。

潮州 今の広東省潮州市。韓愈が刺史として流された任地。

 

行當何時到,土風復何似。

「それから、わたしたちが任地に着くのはいつことになるだろうか、南蛮の異民族の風習があると聞いたが、土地の風俗はどんなだね。」と。

 DCF00212

230 嶺南行(3)《過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <905>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3509韓愈詩-230 嶺南行(3) 236

韓愈《過南陽》 南陽をすぎて、城郭の東門外に出ると,桑の木の下には麥が青青と延びている。  この私の旅もここを去っていって留まることはできないのだし,この春の鳩がのどかに鳴いているのも鳴きやむことはないのだ。
 

 

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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230 嶺南行(3)《過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <905  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3509韓愈詩-230    嶺南行(3)             236

 

 

本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではない、たてまえであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととしたのだ。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。杜甫が『三吏三別』、秦州紀行、同谷紀行、成都紀行と綴ったように、韓愈は詠っている。

 

ここでは『嶺南行』として整理、カテゴリーとする

(1)『路傍堠』〔元和十四年出為潮州作〕

(2)『食曲河驛』〔元和十四年出為潮州作〕

(3) 『過南陽』〔元和十四年出為潮州作〕

(4)『瀧吏』〔元和十四年出為潮州作〕

・・・・・。

 菖蒲02

 

嶺南行(3)

作年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四一  文體: 五言律詩 

詩題: 過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都    河南省南陽県 

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏     

 

 

嶺南行(3)

過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕

(山南東道 鄧州の南陽を通り過ぎる。)

南陽郭門外,桑下麥青青。 

南陽をすぎて、城郭の東門外に出ると,桑の木の下には麥が青青と延びている。 

行子去未已,春鳩鳴不停。 

この私の旅もここを去っていって留まることはできないのだし,この春の鳩がのどかに鳴いているのも鳴きやむことはないのだ。

秦商邈既遠,湖海浩將經。 

首を回らせば、秦関商山は邈として既に遠く隔たって,これより先は湖海浩渺たる間を過ぎていかないといけないのだ。 

孰忍生以慼,吾其寄餘齡。 

いっそ一思いに死ねたら却ってよいと思うが、絶えず心に憂戚をいだくということは、誰にしても、忍びかねることであるが、我は、なお爲ある身なるに倚り、余齢を憂戚のなかに寄せる覚悟でさればこそ、従容として、はるかに潮州の謫地に向かうのである。

過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕

南陽 郭門の外,桑下 麥 青青たり。 

行子【こうし】去って未だ已まず,春鳩【しゅんきょう】鳴いて停【とど】まらず。 

秦商【しんしょう】邈【ばく】として既に遠く,湖海【こかい】浩として將に經んとす。 

孰【たれ】か 忍んで生きて以って慼【うれ】えむ,吾 其れ餘齡【よれい】を寄せむ。 

泰山の夕日 

『過南陽』 現代語訳と訳註

(本文) 嶺南行(3)

過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕

南陽郭門外,桑下麥青青。 

行子去未已,春鳩鳴不停。 

秦商邈既遠,湖海浩將經。 

孰忍生以慼,吾其寄餘齡。 

 

(下し文)

過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕

南陽 郭門の外,桑下 麥 青青たり。 

行子【こうし】去って未だ已まず,春鳩【しゅんきょう】鳴いて停【とど】まらず。 

秦商【しんしょう】邈【ばく】として既に遠く,湖海【こかい】浩として將に經んとす。 

孰【たれ】か 忍んで生きて以って慼【うれ】えむ,吾 其れ餘齡【よれい】を寄せむ。 

 

(現代語訳)

(山南東道 鄧州の南陽を通り過ぎる。)

南陽をすぎて、城郭の東門外に出ると,桑の木の下には麥が青青と延びている。 

この私の旅もここを去っていって留まることはできないのだし,この春の鳩がのどかに鳴いているのも鳴きやむことはないのだ。

首を回らせば、秦関商山は邈として既に遠く隔たって,これより先は湖海浩渺たる間を過ぎていかないといけないのだ。 

いっそ一思いに死ねたら却ってよいと思うが、絶えず心に憂戚をいだくということは、誰にしても、忍びかねることであるが、我は、なお爲ある身なるに倚り、余齢を憂戚のなかに寄せる覚悟でさればこそ、従容として、はるかに潮州の謫地に向かうのである。

洛陽南陽地図002 

(訳注)

過南陽〔元和十四年出為潮州作。〕

(山南東道 鄧州の南陽を通り過ぎる。)

藍田関を抜けて商陵に入り、そして鄧州を過ぎようとして作った。

未だ夜が明けないうちに出発し、早朝に曲河驛すぎて鄧州に入ったのだった。山南東道 鄧州 南陽、 別名:南都    河南省南陽県(g6

 

南陽郭門外,桑下麥青青。 

南陽をすぎて、城郭の東門外に出ると,桑の木の下には麥が青青と延びている。 

 

行子去未已,春鳩鳴不停。 

この私の旅もここを去っていって留まることはできないのだし,この春の鳩がのどかに鳴いているのも鳴きやむことはないのだ。 

 

秦商邈既遠,湖海浩將經。 

首を回らせば、秦関商山は邈として既に遠く隔たって,これより先は湖海浩渺たる間を過ぎていかないといけないのだ。 

・秦商 秦は長安、商は商山。商山四皓の用語解説 - 中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

 

孰忍生以慼,吾其寄餘齡。 

いっそ一思いに死ねたら却ってよいと思うが、絶えず心に憂戚をいだくということは、誰にしても、忍びかねることであるが、我は、なお爲ある身なるに倚り、余齢を憂戚のなかに寄せる覚悟でさればこそ、従容として、はるかに潮州の謫地に向かうのである。
DCF00212 

229嶺南行(2)《食曲河驛》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <904>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3504韓愈詩-229 嶺南行(2)

韓愈《食曲河驛》 (鳥がむらがって駅亭の庭樹に巣を作っていて、ツバメの雛がおり、軒端を飛び回っている。このようにして鳥やツバメたちでさえ各々その倚るところがあるのに、わたしはここで重罪をもってただ一人、万里の道のりを孤独な旅で潮州にむかうのである。


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229嶺南行(2)《食曲河驛》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <904  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3504韓愈詩-229              嶺南行(2)

 

 

作年:  819  元和十四年  52

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 食曲河驛

作地點: 鄧州(山南東道 / 鄧州 / 鄧州

及地點: 曲河驛 (山南東道 鄧州 穰縣)     

 

漢文委員会紀頌之タイトル002 

嶺南行(2)

食曲河驛

(鄧州穰縣の曲河驛で食事をする)

晨及曲河驛,悽然自傷情。 

未だ夜が明けないうちに出発し、早朝に曲河驛に差し掛かり、付近のようす風景を見ると、棲然として自らわが心の心情を傷ましめた。

群烏巢庭樹,乳燕飛簷楹。 

鳥がむらがって駅亭の庭樹に巣を作っていて、ツバメの雛がおり、軒端を飛び回っている。

而我抱重罪,孑孑萬里程。 

このようにして鳥やツバメたちでさえ各々その倚るところがあるのに、わたしはここで重罪をもってただ一人、万里の道のりを孤独な旅で潮州にむかうのである。

親戚頓乖角,圖史棄縱橫。 

親族眷屬はにわかに分裂、分隔してしまい、毎日親しんでいた書物も、散らかしたまま捨ててきてしまった。

下負明義重,上孤朝命榮。 

おもえば、下は朋友間の交誼の重さに背いてしまったし、上はせっかく相当の官職に拝された朝命のかたじけなさにたがえてしまった。

殺身諒無補,何用答生成。 

論語に言う「身を殺して持って仁を為すこと有り」のようにいささかなりとも世の稗補となろうとしたのである。何をもって天地の化育に酬いることが出来るであろうかということは常に思っていることなのである。

 

(曲河驛に食す)

晨に曲河驛に及び,悽然【せいぜん】として自ら情を傷ましむ。 

群烏は庭樹に巢い,乳燕【にゅうえん】は簷楹【えんえい】に飛ぶ。 

而かも我は重罪を抱き孑孑【けつけつ】たり萬里の程。 

親戚 頓に乖角【かいかく】,圖史【とし】棄てて縱橫。 

下は明義の重さに負【そむ】き,上は朝命の榮に孤【たが】う。 

身を殺すも諒【まこと】に補う無くんば,何を用ってか生成に答えん。 

 

杏の花0055 

『食曲河驛』 現代語訳と訳註

(本文)

食曲河驛

晨及曲河驛,悽然自傷情。 

群烏巢庭樹,乳燕飛簷楹。 

而我抱重罪,孑孑萬里程。 

親戚頓乖角,圖史棄縱橫。 

下負明義重,上孤朝命榮。 

殺身諒無補,何用答生成。 

 

 

(下し文)

(曲河驛に食す)

晨に曲河驛に及び,悽然【せいぜん】として自ら情を傷ましむ。 

群烏は庭樹に巢い,乳燕【にゅうえん】は簷楹【えんえい】に飛ぶ。 

而かも我は重罪を抱き孑孑【けつけつ】たり萬里の程。 

親戚 頓に乖角【かいかく】,圖史【とし】棄てて縱橫。 

下は明義の重さに負【そむ】き,上は朝命の榮に孤【たが】う。 

身を殺すも諒【まこと】に補う無くんば,何を用ってか生成に答えん。 

 

(現代語訳)

(鄧州穰縣の曲河驛で食事をする)

未だ夜が明けないうちに出発し、早朝に曲河驛に差し掛かり、付近のようす風景を見ると、棲然として自らわが心の心情を傷ましめた。

鳥がむらがって駅亭の庭樹に巣を作っていて、ツバメの雛がおり、軒端を飛び回っている。

このようにして鳥やツバメたちでさえ各々その倚るところがあるのに、わたしはここで重罪をもってただ一人、万里の道のりを孤独な旅で潮州にむかうのである。

親族眷屬はにわかに分裂、分隔してしまい、毎日親しんでいた書物も、散らかしたまま捨ててきてしまった。

おもえば、下は朋友間の交誼の重さに背いてしまったし、上はせっかく相当の官職に拝された朝命のかたじけなさにたがえてしまった。

論語に言う「身を殺して持って仁を為すこと有り」のようにいささかなりとも世の稗補となろうとしたのである。何をもって天地の化育に酬いることが出来るであろうかということは常に思っていることなのである。

  

(訳注)嶺南行(2)

食曲河驛

(鄧州穰縣の曲河驛で食事をする)

●食曲河駅 底本巻六。食は食事をする。曲河駅はいまでいえば陝西省商県と河南省都県との間にあった古駅。韓愈は商州(a)地点から鄧州穰縣(e5)を経て南陽(g6)地点に向う。「驛在商鄧間。元和十四年出為潮州作。」 

洛陽南陽地図002 

晨及 曲河驛 ,悽然 傷情

未だ夜が明けないうちに出発し、早朝に曲河驛に差し掛かり、付近のようす風景を見ると、棲然として自らわが心の心情を傷ましめた。

「曲河驛」山南東道 鄧州 穰縣(e5)。

「悽然」綜合情感)、悲哀傷痛。

 

群烏 庭樹 ,乳燕 簷楹

鳥がむらがって駅亭の庭樹に巣を作っていて、ツバメの雛がおり、軒端を飛び回っている。

「群烏」(飛禽)、烏鴉。

「庭樹」驛亭には馬の水飲み場を含めて庭園がつくられていた。。

「簷楹」ツバメが巣作りをしているところ。

 

而我 重罪 ,孑孑 萬里

このようにして鳥やツバメたちでさえ各々その倚るところがあるのに、わたしはここで重罪をもってただ一人、万里の道のりを孤独な旅で潮州にむかうのである。

「而我」語義類別:人、稱謂、人稱代名詞、我。

「抱」語義類別:人、行為動作、一般行為(手部)、抱。

「重罪」韓愈が『論佛骨表』を上奏したことによって皇帝が大いに怒って、死罪を言い渡されたが、許されて潮州刺史に貶められたことを言う。

「孑孑」才子 孤独のさま。

 

親戚 頓乖角 ,圖史 縱橫

親族眷屬はにわかに分裂、分隔してしまい、毎日親しんでいた書物も、散らかしたまま捨ててきてしまった。

「親戚」親人眷屬、親戚。

「圖史」毎日親しんでいた書物。

 

下負 明義 ,上孤 朝命

おもえば、下は朋友間の交誼の重さに背いてしまったし、上はせっかく相当の官職に拝された朝命のかたじけなさにたがえてしまった。

 

殺身 無補 ,何用 生成

論語に言う「身を殺して持って仁を為すこと有り」のようにいささかなりとも世の稗補となろうとしたのである。何をもって天地の化育に酬いることが出来るであろうかということは常に思っていることなのである。

「殺身」論語衛霊公第十五の九。 「子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。」(子曰わく、志士(しし)仁人(じんじん)は、生を求めて以(もっ)て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。)

「生成」天地の化育。

駅亭の池01

《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <903>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3499韓愈詩-228-#2

韓愈(韓退之)《路傍堠》韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。

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《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <903  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3499韓愈詩-228-2

 

 

本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではない、たてまえであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととしたのだ。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。杜甫が『三吏三別』、秦州紀行、同谷紀行、成都紀行と綴ったように、韓愈は詠っている。

 

ここでは『嶺南行』として整理、カテゴリーとする

(1)『路傍堠』〔元和十四年出為潮州作〕

(2)『過南陽』〔元和十四年出為潮州作〕

(3)『瀧吏』〔元和十四年出為潮州作〕

・・・・・。

 

年: 元和十四年  819  52 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題:路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕

及地點:  㶚水駅・藍田の

 

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 #1

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#1

堆堆路傍堠,一雙復一隻。 

路傍の道標として堆く盛り土をしているのが「堠」である。一対になっているのが十里で、一隻は五里であって、五里ごとにつづいているのである。

迎我出秦關,送我入楚澤。 

この度の長安を出て㶚水の関所を抜けたら五里塚が迎えてくれ、見送ってくれると、秦嶺の山を越えて雲霧澤に続く平野にはいるのである。

千以高山遮,萬以遠水隔。 

振り返ってみればもう千個の道標塚も過ぎ、これを高山まで設置することで遮断されたように感じられ、、万個過ぎたら、遠水さえも隔離されたように感じられるのである。

#2

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

吾君勤聽治,照與日月敵。 

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

臣愚幸可哀,臣罪庶可釋。 

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

何當迎送歸,緣路高歷歷。 

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

 

路傍の堠【こう】〔案:元和十四年出為潮州作。〕

堆堆【たいたい】たり路傍の堠,一雙復た一隻【いっそう】。 

我を迎えて秦關を出で,我を送って楚の澤に入る。 

千は高山を以って遮られ,萬は遠水を以って隔つ。 

 

吾が君 勤めて治を聽く,照は日と月とを敵す。 

臣の愚 幸いに哀れむ可く,臣の罪 庶わくば釋【ゆる】す可し。 

何ぞ當に歸るを迎送し,路に緣【よ】って高く歷歷たらむ。 

 泰山の夕日

 

 

『路傍堠』 現代語訳と訳註

(本文) #2

吾君勤聽治,照與日月敵。 

臣愚幸可哀,臣罪庶可釋。 

何當迎送歸,緣路高歷歷。 

 

(下し文)

路傍の堠【こう】〔元和十四年出為潮州作。〕 #2

吾が君 勤めて治を聽く,照は日と月とを敵す。 

臣の愚 幸いに哀れむ可く,臣の罪 庶わくば釋【ゆる】す可し。 

何ぞ當に歸るを迎送し,路に緣【よ】って高く歷歷たらむ。 

 

(現代語訳)

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

 

(訳注)

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 2

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

漢文委員会紀頌之タイトル002 

吾君 勤聽 ,照與 日月

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

「聽治」天下の政を聞くこと。

・照與 日月  善き皇帝派たいようとつきのようにすみずみまでてらすということ。

 

臣愚 可哀 ,臣罪 可釋

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

「幸 可哀」憐れんでくださることが出来るならば幸福だ。気の毒に思召され。

「臣罪」韓愈が『論佛骨表』を上奏したことによって皇帝が大いに怒って、死罪を言い渡されたが、許されて潮州刺史に貶められたことを言う。

 

何當迎送 ,緣路 歷歷

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

「迎」塚が迎えてくれる。

「送」塚が、送ってくれる。

「歸」長安に歸ってくること。。

「緣路」帰る時の同じ街道沿いの景色。
DCF00212 

《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》―#1 嶺南行(1)-#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <902>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3494韓愈詩-228

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韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。

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《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》―#1 嶺南行(1)-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <902  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3494韓愈詩-228

 

 

《論佛骨表》により左遷、三度目の『嶺南行』

長安のずっと西に鳳翔(安史の乱の際、粛宗が行在所を設置、杜甫が長安で安史軍に軟禁されていたところから脱出して駆けつけたところ)があり、そこの法門寺という寺に釈尊の指の骨と伝えられるものがあって、普段は大切にしまわれているのだが、三十年ごとに開帳があり、誰でも拝むことができる。

 

その年は天下太平、五穀豊穣だと伝えられていたが、元和十四年(819)がその開帳の年にあたった。正月、憲宗は法門寺へ勅使を送って仏骨を迎えさせ、宮中で三日間供養してから長安の諸寺に回すことを命じ、市民一般に礼拝を許した。人々は争って仏骨を拝み、後生を厭い、喜捨をしすぎて倒産する老さえ出るしまつだった。

 

孔孟の「道」を守る韓愈がこれを苦々しく見ていたことは、いうまでもない。これというのも皇帝が仏教を信仰するので、万民がそれにならうのだ。そう思った韓愈は、「仏骨を論ずる表」という意見書を憲宗皇帝にささげ、仏舎利を捨てて仏教の信仰を停止せよと論じた。

 

その理由は、二つの点に要約することができる。一つは、上古の帝王たち、三皇五帝はみな百歳前後の長命だったのに(神話時代なのでみな長命なことになっているのだが、韓愈の時代には史実と信ぜられていた)、仏教が渡来してからは、歴代の皇帝のなかにはあつく仏を信じた人があったにもかかわらず、すべて短命であり、非業の最期をとげた人さえいる。仏を信じても、福が授かるわけではないのだ。第二に、釈迦とはもともと夷狄の人であって、彼が生前に中国を訪れたとしたら、かりに歓迎したとしても、夷狄が中国へ来たときの礼法以上には出ないであろう。ましてその骨など、あがめるには及ばぬものであるから、すみやかに焼きすてていただきたい。

『論佛骨表』は18回に分割して掲載している。

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

 

これを読んだ憲宗は激怒して、韓愈の上奏文を宰相たちに見せたうえ、死刑にせよと命じた。宰相の裴度、崔群たちがとりなすと、憲宗は、仏教が渡来してからの皇帝は全部短命だったとは、臣下たる者の口にすべき言葉ではないと言ったものだ。憲宗は不老不死の薬の擒になっていた皇帝である。仏教を信仰した皇帝はみな短命だなどと不遜な物言いに対し、また、作文力のうまさに、気分を害したのである。本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではない、たてまえであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととしたのだ。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。杜甫が『三吏三別』、秦州紀行、同谷紀行、成都紀行と綴ったように、韓愈は詠っている。

 

ここでは『嶺南行』として整理、カテゴリーとする

(1)『路傍堠』〔元和十四年出為潮州作〕

(2)『過南陽』〔元和十四年出為潮州作〕

(3)『瀧吏』〔元和十四年出為潮州作〕

・・・・・。

 

年: 元和十四年  819  52 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題:路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕

及地點:  㶚水駅・藍田     

 

 

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 #1

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#1

堆堆路傍堠,一雙復一隻。 

路傍の道標として堆く盛り土をしているのが「堠」である。一対になっているのが十里で、一隻は五里であって、五里ごとにつづいているのである。

迎我出秦關,送我入楚澤。 

この度の長安を出て㶚水の関所を抜けたら五里塚が迎えてくれ、見送ってくれると、秦嶺の山を越えて雲霧澤に続く平野にはいるのである。

千以高山遮,萬以遠水隔。 

振り返ってみればもう千個の道標塚も過ぎ、これを高山まで設置することで遮断されたように感じられ、、万個過ぎたら、遠水さえも隔離されたように感じられるのである。

#2

吾君勤聽治,照與日月敵。 

臣愚幸可哀,臣罪庶可釋。 

何當迎送歸,緣路高歷歷。 

 

路傍の堠【こう】〔案:元和十四年出為潮州作。〕

堆堆【たいたい】たり路傍の堠,一雙復た一隻【いっそう】。 

我を迎えて秦關を出で,我を送って楚の澤に入る。 

千は高山を以って遮られ,萬は遠水を以って隔つ。 

 

吾が君 勤めて治を聽く,照は與日と月と敵す。 

臣の愚 幸いに哀れむ可く,臣の罪 庶わくば釋【ゆる】す可し。 

何ぞ當に歸るを迎送し,路に緣【よ】って高く歷歷たらむ。 

 

 漢文委員会紀頌之タイトル002

 

『路傍堠』 現代語訳と訳註

(本文)

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 #1

堆堆路傍堠,一雙復一隻。 

迎我出秦關,送我入楚澤。 

千以高山遮,萬以遠水隔。 

 

(下し文)

路傍の堠【こう】〔案:元和十四年出為潮州作。〕

堆堆【たいたい】たり路傍の堠,一雙復た一隻【いっそう】。 

我を迎えて秦關を出で,我を送って楚の澤に入る。 

千は高山を以って遮られ,萬は遠水を以って隔つ。 

 

(現代語訳)

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#1

路傍の道標として堆く盛り土をしているのが「堠」である。一対になっているのが十里で、一隻は五里であって、五里ごとにつづいているのである。

この度の長安を出て㶚水の関所を抜けたら五里塚が迎えてくれ、見送ってくれると、秦嶺の山を越えて雲霧澤に続く平野にはいるのである。

振り返ってみればもう千個の道標塚も過ぎ、これを高山まで設置することで遮断されたように感じられ、、万個過ぎたら、遠水さえも隔離されたように感じられるのである。

 

 

(訳注)

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 #1

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)

「堠」里塚。土を固めて台を作り、それで道程里をあらわした。十里に「雙堠」、五里に「隻堠」とされた。唐時代に駅伝制が確立され、駅と亭に馬繋ぎ、旅籠が設置された。

 

堆堆 路傍 ,一雙 復一隻

路傍の道標として堆く盛り土をしているのが「堠」である。一対になっているのが十里で、一隻は五里であって、五里ごとにつづいているのである。

「堆堆」うず高く盛り上がっている有様。

 

迎我 秦關 ,送我 楚澤

この度の長安を出て㶚水の関所を抜けたら五里塚が迎えてくれ、見送ってくれると、秦嶺の山を越えて雲霧澤に続く平野にはいるのである。

「秦關」長安付近の關津地名で、長安東10里先に㶚水を渡る㶚橋前に関所が設けられた。。

「楚澤」雲夢澤:古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。

 

千以 高山 ,萬以 遠水

振り返ってみればもう千個の道標塚も過ぎ、これを高山まで設置することで遮断されたように感じられ、、万個過ぎたら、遠水さえも隔離されたように感じられるのである。

・千 5里塚が千個であるから、100050.7562880km
云亭 

《論佛骨表》(18)#11-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <901>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3489韓愈詩-227-18

《論佛骨表》(18) 仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。


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《論佛骨表》(18)11-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <901>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3489韓愈詩-227-18

 

 

(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

 (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

凡有殃咎,宜加臣身。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

上天鑒臨,臣不怨悔。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。

私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

臣某誠惶誠恐。

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

泰山の夕日 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

(下し文)(佛骨を論ずる表)

(18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

(現代語訳)

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

(訳注) (18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

仏がもし霊力があって、禍やたたりをなすことができるならそうなさればよい。

有霊 霊力がある。ふしぎな力がある。

禍祟 わぎわいとたたり。

 

凡有殃咎,宜加臣身。

およそわざわいがあるということでおとがめがあるならば、私のこの身にお加えなさるがよろしい。

殃咎 とがめ。わざわい。

 

上天鑒臨,臣不怨悔。

上天の神も上からこのわたしを見下ろしておられる。私は臣下として首をはねられても怨んだり悔いたりはいたしません。

鑒臨 上から照らしのぞむ。

 

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
私は感激とねんごろなまごころの至りに堪えられないので、謹んでこの上表文を奉り申し上げる、

懇悃 ねんごろなまこと。悃はまごころ。

以聞 申し上げる。上表文につける常用形式語。「いぷん」と読む。

 

臣某誠惶誠恐。

誠に申し訳なく誠心誠意申し上げる次第である。

 

DCF00212 


論佛骨表(2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。
《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2
《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

《論佛骨表》(6)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <889  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3429韓愈詩-227-6ー#4-2 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7

#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

《論佛骨表》(9) #7元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <892  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3444韓愈詩-227-9

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,而肯信此等事哉!

《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10

#8然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13 

《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

《論佛骨表》(15)#10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15 

11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
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美女画55101道観 

《論佛骨表》(17)#11-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <900>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3484韓愈詩-227-17

韓愈《論佛骨表》(17)どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。


2013年12月23日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(33)#13(神仙境)-1 文選 賦<112―33>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩987 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3483 (33)#13(神仙境)-1
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《論佛骨表》(17)#11-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <900>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3484韓愈詩-227-17
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(17)11-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <900>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3484韓愈詩-227-17

 

 

(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

(18)11-2

佛如有靈,能作禍祟,

凡有殃咎,宜加臣身。

上天鑒臨,臣不怨悔。

無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

 

泰山の夕日 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

根本,斷天下之疑,後代之惑。

使天下之人,知大聖人之所作為,

出於尋常萬萬也。

豈不盛哉!豈不快哉!

 

(下し文) (佛骨を論ずる表)

(17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

根本,斷天下之疑,後代之惑。

使天下之人,知大聖人之所作為,

出於尋常萬萬也。

豈不盛哉!豈不快哉!

 

(現代語訳)

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

 

漢文委員会紀頌之タイトル002

(訳注) (17)11-1

乞以此骨付之有司,投諸水火,

どうかこんな骨は役人に下げ渡されることです、そしてこれを水か火に投げ捨てることです。

 

根本,斷天下之疑,後代之惑。

これから先、永く仏教がひろく通ずることの根本を絶つこと、天下に欺瞞がひろがることを断絶すること、そして、後世に疑惑が伝わらぬように断つことなのです。

根本 仏教流伝の根源。

 

使天下之人,知大聖人之所作為,

天下の人々をして大聖人天子のなされる所は、世の常の人々をはるかに凌いでいるということを知らしめるのです。

大聖人 天子を指す。

 

出於尋常萬萬也。

天子が上に出ること万々倍の常識であることを知らしめて頂きたい。

万万 大きいこと。万倍。

 

豈不盛哉!豈不快哉!

これは何と立派なことではないか。何と心よいことではないか。

《論佛骨表》(16)#10-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <899>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3479韓愈詩-227-16

《論佛骨表》(16) 今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。


2013年12月22日  の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《論佛骨表》(16)#10-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <899>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3479韓愈詩-227-16
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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《論佛骨表》(16)10-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <899>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3479韓愈詩-227-16

 

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 (16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

巫祝不先,桃茢不用。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

群臣不言其非,

群臣はそれがよくないとも言はず、

禦史不舉其失,臣實恥之。

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

 云亭

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

(16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

巫祝不先,桃茢不用。

群臣不言其非,

禦史不舉其失,臣實恥之。

 

(下し文) (佛骨を論ずる表)

(16)10-2

今故く無して朽穢【きゅうあい】の物を取り,親臨して之を觀る,

巫祝【ふしゅく】先んぜず,桃茢【とうれつ】用いず。

群臣 其の非を言わず,

禦史 其の失を舉げず,臣 實【まこと】に之を恥づ。

 

(現代語訳)

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

群臣はそれがよくないとも言はず、

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

杏の花0055 

(訳注)

(16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

今は故なくして朽ち穢れた仏骨を取られ、天子みずからその場に行って御覧になった。

 

巫祝不先,桃茢不用。

巫や祝【かんなぎ】が先に立っているものの、桃の木や葦の穂を用いて祓いをしないのだ。

桃茢 桃の木は鬼が畏れるもの、茢すなわち葦の穂の箒は、不祥を払う。この二つを持って先に立つ

 

群臣不言其非,

群臣はそれがよくないとも言はず、

 

禦史不舉其失,臣實恥之。

御史もその過ちを取り挙げて責めもしない。私はまことにこれを恥ずかしく思うのである。

御史 官吏の欠点を弾劾(琶(罪過を攻撃する)する役。群臣が天子の迷信を諌めないのを責めるべきであるのに取りあげない。御史台(ぎょしだい)は、中国歴史上の官署の一つである。秦、漢の時代にあっては、御史が監察事務の任にあたった。御史の執務する役所を御史府といい、蘭台、憲台とも称した。南朝の梁、陳や北魏、東魏、西魏、北斉の時代に御史台と称された。
泰山の夕日 

《論佛骨表》(15)#10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15

《論佛骨表》(15) まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。


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《論佛骨表》(15)10-1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <898>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3474韓愈詩-227-15

 

 

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 (16)10-2

今無故取朽穢之物,親臨觀之,

巫祝不先,桃茢不用。

群臣不言其非,

禦史不舉其失,臣實恥之。

 

DCF00212 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

(15)10-1

況んや其の身死して已に久し,枯朽【こきゅう】の骨,

凶穢【きょうあい】の餘,豈に宜しく宮禁に入ら令む?

孔子曰く:「鬼神を敬し之に遠ざかる。」と。

古の諸侯、吊を其の國に行うや,

尚お巫祝をして先づ桃茢【とうれつ】を以って不祥を祓除【ばつじょ】せ令め,然る後に進み吊す。

 

(下し文)(佛骨を論ずる表)

(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

古之諸侯行吊於其國,

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

 

(現代語訳)

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

 

(訳注)(15)10-1

況其身死已久,枯朽之骨,

まして釈迦の身は死んで随分久しときがたっている。その枯れ朽ちた骨なのである。

 

凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

不吉なけがれたものの残余である仏舎利などを、どうして宮城に入れてよろしいであろうか。

凶穢之餘 不吉でけがれた残余のもの、それが仏骨なのである。韓愈は車かを崇める皇帝が短命であることで穢れたものであるというのである。

 

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」

孔子は言っている、「神や死者の霊魂は敬ってあなどらず、遠ざかってけがさないようにすることだ」と。

孔子日 『論語』蕹也篇に「樊遅知を問ふ。孔子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之に遠ざかる。知と謂ふべし」とある。神や人の亡魂などは、人力以上のものであるから、敬いはするが、馴れ近づいて汚していけないという意味。

 

古之諸侯行吊於其國,

古代の諸侯は自分の国の中で弔問をする場合にも、

古之諸侯 『礼記』檀弓篇に「君、臣の喪に臨むに、巫祝桃茢戈を執るを以てす」とある。

 

尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。

やはり巫(みこ)や祝(かんなぎ)に命じて、その前に、桃や茢(葦の穂)を持って、不吉を祓い除かせて、そのあとで進んで弔ったのである。

桃茢 桃の木は鬼が畏れるもの、茢すなわち葦の穂の箒は、不祥を払う。この二つを持って先に立つ。
 泰山の夕日

《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

《論佛骨表》(14) たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。


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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 229  《桃花源幷記》 陶淵明(陶潜) kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3471 (12/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 9 浣溪紗八首 其七 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-385-9-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3472
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(14)#9-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <897>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3469韓愈詩-227-14

 

杏の花0055 

(13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

來朝京師;陛下容而接之,

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

不過宣政一見,禮賓一設,

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

 

 (13)#9-1

夫れ佛は本【もとも】と夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

(14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

10risho長安城の図035 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

來朝京師;陛下容而接之,

不過宣政一見,禮賓一設,

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

(下し文) (14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

 

(現代語訳)

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

 

唐朝 大明宮2000 

(訳注) (14)#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

たといその身が今に至るまでまだ生きていて、その国王の命を受けて

○假如 かりにもし。たとひ。

 

來朝京師;陛下容而接之,

都長安に来てお目見えしても、陛下は受け入れてもてなしてくれるのに、

 

不過宣政一見,禮賓一設,

宣政殿で一度会見され、礼賓殿でひとたび賜宴を設けられるもので、

○宜政 宣政殿、殿名、外国使臣の謁見するところ。

○礼賓 礼賓殿、外国人に接待饗宴を賜う殿名。

 

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

衣服ひとかさねを賜り、護衛してこれを国境から出しておやりになるだけで、これを礼拝して民衆をまどわせるようなことはなさらないであろう。

〇一襲 衣服ひとかさね。

○境 国境。

花蕊夫人002 

《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13

韓愈《論佛骨表》(13) 一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

2013年12月19日  の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《西都賦》(29)#11(閣道と建章宮)-1 文選 賦<112―29>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩983 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <896>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3464韓愈詩-227-13

 

 

(13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 (13)#9-1

夫れ佛は本【もとも】と夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

(14)
#9-2

假如其身至今尚在,奉其國命,

來朝京師;陛下容而接之,

不過宣政一見,禮賓一設,

賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

(14)#9-2

假如【たとい】其の身今に至るまで尚お在り,其の國命を奉ず。

京師に來朝すとも、陛下容れて 之れに接するに,

宣政【せんせい】に一見し,禮賓【れいひん】を一設し,衣一襲を賜い,衛って之れを境に出たに過ぎず,眾を惑するは令めざるなり。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

衣服殊制,口不言先王之法言,

身不服先王之法服,

不知君臣之義、父子之情。

 

(下し文) (13)#9-1

夫れ佛は本夷狄【いてき】の人なり,中國と言語通ぜず。

衣服 制を殊にし,口に先王の法言を言わず。

身に先王の法服を服せず。

君臣の義、父子の情を知らず。

 

(現代語訳)

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

身に先王の制定した服を着けず、

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。

 

(訳注) (13)#9-1

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,

一体、仏陀はもともと異民族の人である。中国と言語が通じていないのだ。

○夷狄 東夷・北狄、異民族のこと。釈迦は印度人であることをいう。

 

衣服殊制,口不言先王之法言,

衣服も作り方が異なり、口に先王の礼法の言説をいいわしないのだ。

○法言 礼法上の言説。

 

身不服先王之法服,

身に先王の制定した服を着けず、

○法服 法制上定められた服。天子、卿、大夫、士、庶それぞれ身分上定まった服。

 

不知君臣之義、父子之情。

君臣の道である義理、父子の間の情愛を知らない。
云亭 

《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

論佛骨表》(12) それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。


2013年12月18日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(12)#8-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <895>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3459韓愈詩-227-12

 

 

(11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

解衣散錢,自朝至暮,

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

轉相仿效。惟恐後時,

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

老少奔波,棄其業次。

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

必有斷臂臠身,以為供養者。

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

楠樹03 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

解衣散錢,自朝至暮,

轉相仿效。惟恐後時,

老少奔波,棄其業次。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

必有斷臂臠身,以為供養者。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

 

(下し文) (12)#8-2

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

 

(現代語訳)

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。

 

(訳注) (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

頭の頂を火に焼き、指の先を焼いて仏を信心する誠を示したり、十人、百人と群れをなしたりする。

○焚頂焼指 頭の頂を焼き指を焼いて信心の誠を示す。

 

解衣散錢,自朝至暮,

衣服を脱ぎ、銭をまいて仏にそなえ、朝から暮れに至るまで仏のことばかり、

 

轉相仿效。惟恐後時,

それをいよいよ次から次へとお互いに倣い真似て伝える、ただ、おくれることを恐れるというし、

○轉相仿效 それからそれへと互いにならい真似てつたえる。

 

老少奔波,棄其業次。

老人も若者も奔る波のように仏寺に押し寄せて、そのすべき仕事を棄ててしまうという。

○奔放 はしり寄せる波のように押しよせはしる。

○業次 仕事の場所。生業。

 

若不即加禁遏,更曆諸寺,

若し直ちに禁止を加えずして、仏骨が更に諸寺を順に廻るならば、

○禁遏 抑えとどめる。

 

必有斷臂臠身,以為供養者。

必ずわが臂を断ち、身を斬りさいなんで仏に供養をするものがあるであろう。

○斷臂臠身 わがひじを断ち身を細切れにきざむ。仏のために誠を示す。禅宗の慧可(えか)が自ら臂を断って精進の誠をあらわした故事による。

 

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

風習・習俗をそこないやぶって、四方の人々に笑いを伝えひろめることになっては、陛下のために小さな事件ではないのである。
DCF00212 

《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

韓愈《論佛骨表》(11)一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

2013年12月17日  の紀頌之5つのブログ
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班孟堅(班固)《西都賦》(27)#10-2 文選 賦<112―27>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩981 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3453
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《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <894>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3454韓愈詩-227-11

 

 

(11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 (12)#8-2

焚頂燒指,百十為群,

解衣散錢,自朝至暮,

轉相仿效。惟恐後時,

老少奔波,棄其業次。

若不即加禁遏,更曆諸寺,

必有斷臂臠身,以為供養者。

傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

頂を焚き指を焼き、百十群を為し、

衣を解き銭を散じ、朝より暮に至り、

轉た相い仿效し、惟時に後れんことを恐れ

老少奔波して、其の業次を棄てん。

若し即ち禁遏を加へずして、更に諸寺を歴ば、

必ず斷臂臠身、以て供養を為す者有らん。

風を傷り俗を敗り、笑を四方に傳ふるは、細事に非ざるなり。

甘粛省-嘉峪関 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

百姓何人,豈合更惜身命!」

 

(下し文) (11)#8-1

然れども百姓は愚冥にして、惑ひ易く曉【さと】し難し。

苟【いやし】くも陛下の此の如くなるを見るとせば、將に眞心から佛に事ふと謂い、

皆云はん、「天子大聖すら猶一心に敬信す。

百姓何人ぞ。豈に合【まさ】に更に身命を惜むべけん。」と。

 

(現代語訳)

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

 

 

(訳注) (11)#8-1

然百姓愚冥,易惑難曉,

しかし一般人民は愚かで知が明らかでないので、惑い易く、さとし難いのである。

〇愚冥 おろかで暗い。冥は眼が明らかでない。

 

苟見陛下如此,將謂真心事佛。

いやしくも考えるに、陛下がこのようになさるのを見れば、それはまさに本心から仏に仕えなきると思うのである。

 

皆云:「天子大聖,猶一心敬信;

だれも皆いう「天子の大聖人が、やはり一心に仏を敬い信じておられる、ということ。

 

百姓何人,豈合更惜身命!」

一般人民であれば何人に至るまでの者、それは取るに足らぬ微力なものであるとして、どうしてこの上身も命も惜しむべきであるとされるのであろうか、」と。

○合 応当の意。・・・・・・するのがふさわしい。ねうちがある。「合【まさ】に……すべし」と訓む。

幻日環01 

《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10

《論佛骨表》(10) 長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。
 

2013年12月16日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(26)#10-1(朝廷の百官) 文選 賦<112―26>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩980 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3448
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 225  《贈鄭夫子魴》 孟郊(孟東野)  唐宋詩kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3451 (12/16)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 5 浣溪紗八首 其三 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-381-9-#5  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3452
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(10)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <893>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3449韓愈詩-227-10

 

 

(9)#7-1

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,

今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

禦樓以觀,舁入大

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

又令諸寺遞迎供養。

また諸寺をして次々と迎えて供養させなさるとのことであった。

臣雖至愚,必知陛下不惑於佛、

私は至って愚かではあるけれども、きっと陛下は仏に惑ってこのようにあがめお仕えなされたのだ。

作此崇奉,以祈福祥也。

それでもって福や目出度いことを祈りをされるというのではないことはわかっている。

(10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

 

(下し文) (10)72

直だ 年豐かに人樂しむを以て,人の心に徇【したが】い,

京都 士庶【ししょ】の為に、詭異の觀,戲玩【ぎかん】の具を設けるのみ。

安んぞ聖明此の若く,而肯えて此等の事を信ずること有らん哉!

 

(現代語訳)

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

云亭 

 

(訳注) (10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

ただ、年のみのりが豊かで人民が楽しんでいるので、人々の心に従って、

狗 したがう。

 

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

長安の士人、庶民のために、あやしい見せ物や、たわむれもてあそびのための道具を設けなさっただけである。

詭異之観 あやしくめずらしい見もの。詭はまたあざむく。人の目をごまかすあやしい見せ物。

戯玩之具 たわむれもてあそびのための道具。

 

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

このような聖徳明智のお方でありながら、どうしてこれらのあやしい事を信じることを承知なさることがあろうか。

《論佛骨表》(9) #7元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <892>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3444韓愈詩-227-9

《論佛骨表》(9) 今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

2013年12月15日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《西都賦》(25)#9―4 文選 賦<112―25>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩979 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3443
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(9) #7元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <892>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3444韓愈詩-227-9
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 9 4 浣溪紗八首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-380-9-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3447
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(9) #7元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <892>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3444韓愈詩-227-9

 

 

(9)#7-1

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,

今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

禦樓以觀,舁入大

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

又令諸寺遞迎供養。

また諸寺をして次々と迎えて供養させなさるとのことであった。

臣雖至愚,必知陛下不惑於佛、

私は至って愚かではあるけれども、きっと陛下は仏に惑ってこのようにあがめお仕えなされたのだ。

作此崇奉,以祈福祥也。

それでもって福や目出度いことを祈りをされるというのではないことはわかっている。(10)72

直以年豐人樂,徇人之心,

為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。

安有聖明若此,而肯信此等事哉!

華州から秦州同谷成都00 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (9)#7-1

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,

禦樓以觀,舁入大

又令諸寺遞迎供養。

臣雖至愚,必知陛下不惑於佛、

作此崇奉,以祈福祥也。

 

(下し文) (9)#7-1

今聞く陛下 群僧をして佛骨を鳳翔に於て迎い令め,

樓に禦して以て觀,舁【か】きて大入れ,

又た諸寺をして遞迎【ていげい】供養せ令しむと。

臣 至愚【しぐ】なりと雖も,必ず陛下 佛に惑いて、此の崇奉【すうほう】を作し,以て福祥を祈らざるを知る也。

 

(現代語訳)

今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

また諸寺をして次々と迎えて供養させなさるとのことであった。

私は至って愚かではあるけれども、きっと陛下は仏に惑ってこのようにあがめお仕えなされたのだ。

それでもって福や目出度いことを祈りをされるというのではないことはわかっている。

 

 

(訳注) (9)#7-1

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,

今聞くところでは、陛下は多数の僧をして仏骨を鳳翔に抑えさせられた。

鳳翔 韓愈『石鼓歌』 石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。

 

禦樓以觀,舁入大

陛下は楼上にお出ましになってこしれを御覧になり、それを大内裡にかつぎ入れられた。

禦樓 高どのにお出ましになる。御は上にいる。取と同じ。

舁 かくと読む。かつぎ上げる。

大内 大内裡、宮中。

 

又令諸寺遞迎供養。

また諸寺をして次々と迎えて供養させなさるとのことであった。

逓迎 次々と迎える。適は次第に。

供養 仏に供物をそなえる。

 

臣雖至愚,必知陛下不惑於佛、

私は至って愚かではあるけれども、きっと陛下は仏に惑ってこのようにあがめお仕えなされたのだ。

 

作此崇奉,以祈福祥也。

それでもって福や目出度いことを祈りをされるというのではないことはわかっている。

崇奉 あがめ仕える。

福祥 さいわいとめでたいこと。
幻日環01 

《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

《論佛骨表》(8) 御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

2013年12月14日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《論佛骨表》(8)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <891>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3439韓愈詩-227-8

 

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。

 (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

數千百年已來,未有倫比。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

即位之初,即不許度人為僧尼、道士,

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

美女画55101道観 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

數千百年已來,未有倫比。

即位之初,即不許度人為僧尼、

道士,又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

(下し文) (8)#6

伏して惟【おもんみ】るに睿聖【えいせい】文武【もんぶ】皇帝陛下,神聖【しんせい】英武【えいぶ】,

數千百年 已來【いらい】,未だ倫比【りんぴ】有らず。

即位の初めに,即ち人を度して僧尼【そうに】、

道士【どうし】と為すを許さず。

又た寺觀を創立するを許さず。

臣 【つね】に以為【おもえ】らく高祖の誌【こころざし】,必ず陛下の手に行われんと。

今 縱【たと】い未だ即ち行う能わずとも,豈に之を恣【ほしいまま】にし轉【うた】た盛んならしむ可けんや!

 

(現代語訳)

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

また仏寺や道観を新たに立てることを許されなかったのである。

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

 

(訳注) (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武。

伏して謹み思うに、睿聖文武皇帝陛下は、神のごとくひいでて武勇におわしますのである。

睿聖文武皇帝 憲宗の尊号。臣下が随意に用いた敬称ではない。

神聖 神のようにすぐれた。二字で神の意味。

英武 すぐれて、たけく勇ましい。

 

數千百年已來,未有倫比。

それは幾千年幾百年以来より、まだそのたぐいの無いおかたであるのだ。

数千百年 幾千年幾百年。

倫比 たぐい、同類。

 

即位之初,即不許度人為僧尼、道士,

御即位のはじめに、すぐさま人を俗世から離れさせて僧尼や道士とすることを許さないことである。

度人 俗人から離脱させる¢済度する。

道士 道教の修行考

 

又不許創立寺觀。

また仏寺や道観を新たに立てることを許されなかったのである。

寺観 寺院、仏教では寺といい、道教では観という。僧尼道士の居住する所。

 

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

私は常に思っていた、高祖の仏教を険こうとの御志が陛下の手で行われるであろう、と。

 

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

今たとい、まだ、すぐさま行うことはできなくとも、どうしてその仏教を勝手にふるまわせ、ますます盛んにならせてよいであろうか、と。

恣 勝手にする。

転 いよいよ。ますます。それからそれへと転ずる義。
漢文委員会紀頌之タイトル002 

《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7

《論佛骨表》(7) 古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。

 (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

數千百年已來,未有倫比。

即位之初,即不許度人為僧尼、

道士,又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

古今之宜,推闡聖明,

以救斯弊,其事遂止。

臣常恨焉。

 

(下し文) (7)#5

高祖 始めて隋の禪を受け,則ち之を除かんと議す。

當時 群臣【ぐんしん】材識【ざいしき】遠からず,深く先王の道を知るを能わず、

古今の宜,聖明を推闡【すいせん】し,

以って斯の弊を救い,其の事遂に止む。

臣常に恨む。

 

(現代語訳)

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

私は平素これを残念に思っていた。

云亭 

(訳注) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

高祖 李淵、618年、5月帝を称した。

 

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

材識 才能見識。

不遠 遠くを見通すことがなかった。短見。

 

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

古今之宜 古今を通ずる宜しい処置。宜は義に通ずる。正しくよい行い。

推闡 推しひろめあきらかにする。

 

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

 

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。
甘粛省-嘉峪関 

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班孟堅(班固)《西都賦》(22)#9(後宮の華麗)―1 文選 賦<112―22>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩976 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3428
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(6)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <889>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3429韓愈詩-227-6ー#4-2

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

惟梁武帝在位四十八年,

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

其後竟為侯景所逼,

餓死台城,國亦尋滅。

事佛求福,乃更得禍。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

(下し文)

惟だ梁の武帝の在位は四十八年,

前後 三度身を舍て佛に施し,宗廟の祭に,

牲牢【せいろう】を用いず,晝日【ちゅうじつ】一食,於菜果【さいか】に止【とど】まる。

其の後 竟【つい】に侯景【こうけい】の逼【せま】る所と為る。

台城して餓死して,國も亦た尋【つ】いで滅【ほろ】ぶ。

佛に事【つか】えて福を求め,乃ち更に禍を得たり。

此れにって之を觀れば,佛の事【つか】うるに足らざることも,亦た知る可きなり。

 

 

(現代語訳)

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 

 

(訳注)

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

 

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

捨身 梁の武帝は、同番寺にあること三度、袈裟(紺)を着て自ら放光般若(㌍)経を講じ、天下に詔して、寺を建てさせ、僧となることを奨励したので、人は仏心天子と呼んだ。

牲牢 牛羊家などの犠牲の肉。牢は供物の肉。

 

晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

 

其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

侯景 (503-552)字は万景、中国北境の人。弓の達人。南北朝末期の武将。侯周の孫、侯標の子[1]。侯景の叛乱(中国語版)の首謀者。北魂の時、定州の刺史、高歓が魏の相となり、朱栄を討った時、降って司馬行台となり、548年十万の兵をひきいて河南を制した、後に梁に降り、阿南王に封ぜられたが、

翌年、かえって叛いて金陵(建康)を囲み、台城を陥れ、武帝にせまられて餓死した。簡文帝を立てたが、またこれを殺して自ら立ち、漢帝と称した。しかし太始2年(552年)3月、江陵(湖北省)で梁帝に即位していた蕭繹が派遣した王僧弁及び陳霸先の義兵によって都を追われ、その途上で殺害された。

台城 台とは台閣、禁中の省庁を台省といったことから、晋宋梁陳のころは宮城のことを台城と称した。

 

事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

 

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである
甘粛省-嘉峪関 

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

《論佛骨表》(5) 後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

2013年12月11日  の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(5)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <888>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3424韓愈詩-227-5

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

函谷関長安地図座標005 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

明帝在位,才十八年耳。

其後亂亡相繼,運祚不長。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

事佛漸謹,年代尤促。

 

(下し文) (5)#4-1

漢の明帝の時,始めて佛法有り。

明帝の在位は,才【わずか】に十八年のみ。

其の後、亂、亡、相い繼ぎ,運祚【うんそ】長からず。

宋、齊、梁、陳、元魏【げんぎ】以下,

佛に事【つか】うること漸【ようや】く謹むも,年代尤【もっと】も促【せま】る。

 

(現代語訳)

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 

(訳注) (5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

 後漢のこと。明帝のことは題意参照。

 

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

 

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

運祚 運は国運、祚は王所、王のさいわい。王位のこと。

 

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

宋斉梁陳 南北朝の南朝の門報じ仏教は盛んであった。南北朝期は、儒教に飽き、嫌われたのである。道教と仏教が好まれた。

元魏 北魏、北朝では北魏の時に仏教が盛んであった。北魂の孝文帝は拓跋姓を改めて元と称したので元魏という。北魏(ほくぎ、拼音:Bĕiwèi386 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。

国号は魏であるが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。

 

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

漸謹 だんだん手厚く敬う。

尤促 最も短い。促はせまる。間隔かせまくなる。近い。
云亭 

《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

《論佛骨表》(4) その後殷の湯もまた年百歳、湯王の孫大成は在位七十五年、武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

2013年12月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 715 《王閬州筵奉酬十一舅惜別之作》 蜀中転々 杜甫 <622>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3420 杜甫詩1000-622-878/1500五言律詩
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 219 《登科後》 孟郊  唐宋詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3421 (12/10)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 天仙子二首其一 皇甫松 ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-375-6-#67  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3422
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《論佛骨表》(4)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <887>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3419韓愈詩-227-4

 

 

#3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

其の後、殷湯も亦た年 百歳、

湯の孫、太戊は位に在ること七十五年、

武丁は在位、五十九年、

書史其の年壽【ねんじゅ】の極まる所を言はざれども、其の年数を推すに、蓋し亦た供に百歳に減ぜず。

周の文王は年が九十七歳、武王は年が九十三歳、穆王は在位、百年なりき。

此の時、佛法亦た未だ中国に入らず。佛に事【つか】うるに因って然るを致すに非ざるなり。 

幻日環01 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) #3

其後,殷湯亦年百

湯孫太戊在位七十五年,

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

推其年數,蓋亦俱不減百

周文王年九十七

武王年九十三,穆王在位百年。

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

(下し文)

其の後、殷湯も亦た年 百歳、

湯の孫、太戊は位に在ること七十五年、

武丁は在位、五十九年、

書史其の年壽【ねんじゅ】の極まる所を言はざれども、其の年数を推すに、蓋し亦た供に百歳に減ぜず。

周の文王は年が九十七歳、武王は年が九十三歳、穆王は在位、百年なりき。

此の時、佛法亦た未だ中国に入らず。佛に事【つか】うるに因って然るを致すに非ざるなり。

 

 (現代語訳)

その後殷の湯もまた年百歳、

湯王の孫大成は在位七十五年、

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

周の文王は年九十七歳、

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

 

(訳注) #3

其後,殷湯亦年百

その後殷の湯もまた年百歳、

○殷湯 中国古代殷王朝の創設者。殷の始祖契(せつ)より14世目。武湯,武王,天乙,成湯ともいわれ,卜辞では唐(湯と同音),成,大乙と書く。亳(はく)(河南省偃師県)に都をおき,伊尹(いいん)などの賢臣を用い,異民族をも心服させ,その徳は禽獣にもおよんだという。夏の属国の韋(河南省滑県南東),昆吾(河南省許昌県東)などを滅ぼして疆域を拡大した。夏王の桀は暴政を行い,人心が離反したので,これを攻めて滅ぼし,殷王朝を創設した。

 

湯孫太戊在位七十五年,

湯王の孫大成は在位七十五年、

○太戊 殷の第9代の帝。帝太庚の子。帝雍己の弟。なお卜辞では帝雍己の前に即位したとされる。

中宗は、賢人伊陟を相とし、殷を復興させた。参朝しなかった諸侯もこのときには、参朝するようになったという。

 

武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,

武丁は在位五十九年、文書歴史等にその年寿の終わった歳を言っていないけれども、

○武丁 武丁(ぶてい)は殷朝の第22代帝。太子時代には賢人の甘盤について学問を修めた。 武丁は、衰えた殷を復興させようと考えていたが、補佐する者がいなかったので、即位してから3年間は自ら政治に口を出さなかった。ある夜に説(えつ)という名の聖人を夢に見たが、群臣の中にはこのような人物はいなかった。そこで、方々に人を遣わしてこの人物を探させると、道を作る労役者の中にこの人物がいた。武丁が話してみると、まことに聖人であったために、傅(ふ)という姓を与え、傅説と呼んだ。傅説の補佐で殷はまた復興した。

○書史 文書、歴史など。

○所極 寿命の窮まった歳。

 

 

推其年數,蓋亦俱不減百

その年数を推しはかれば、たぶんまたともに首歳よりは減らないであろう。

 

周文王年九十七

周の文王は年九十七歳、

○周文 (? - 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。

 

武王年九十三,穆王在位百年。

武王は年九十三歳、穆壬は在位百年であった。

○武王 、周朝の創始者。殷を滅ぼし、周を立てた。文王の次子。同母兄に伯邑考、同母弟に管叔鮮、周公旦、蔡叔度、霍叔処、康叔封らがいる。子は成王、唐叔虞(晋の開祖)、邘叔、応叔、韓叔ら。

穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。 昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。 彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。 

 

此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

この時には仏教は前と同じくまだ中国に入っていなかった。仏に仕えるおかげでそのように長寿を招いたのではない。

○致然 そのような結果を来す。致は招く、至らす。
sas0009 

《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

《論佛骨表》(3) むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、少昊は在位八十年、年は百歳、顓頊は在位七十九年、年九十八歳、帝堯は在位九十八年、年百十八歳、帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。

2013年12月9日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
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《論佛骨表》(3)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <886  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3414韓愈詩-227-3

 

 

論佛骨表 (2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳。

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。
上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

(3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

少昊在位八十年,年百

少昊は在位八十年、年は百歳、

顓頊在位七十九年,年九十八

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

帝嚳在位七十年,年百五

帝嚳は在位七十年、年百五歳。
帝堯在位九十八年,年百一十八

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

昔は黃帝の在位が百年,年百一十

少昊【しょうこう】在位八十年,年百

顓頊【せんぎょく】在位七十九年,年九十八

帝嚳【ていこく】在位七十年,年百五

帝堯【ていぎょう】在位九十八年,年百一十八

帝舜及び禹,年皆百なり。此の時、天下太平,

百姓、安樂壽考【じゅこう】なりき,然り而して中國に未だ佛 有らざりしなり。

 

漢文委員会紀頌之タイトル002 

論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

 

(下し文) (3)#2

昔は黃帝の在位が百年,年百一十

少昊【しょうこう】在位八十年,年百

顓頊【せんぎょく】在位七十九年,年九十八

帝嚳【ていこく】在位七十年,年百五

帝堯【ていぎょう】在位九十八年,年百一十八

帝舜及び禹,年皆百なり。此の時、天下太平,

百姓、安樂壽考【じゅこう】なりき,然り而して中國に未だ佛 有らざりしなり。

 

(現代語訳)

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

少昊は在位八十年、年は百歳、

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

帝舜及び夏の萬王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

 

(訳注) (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

むかし五帝のはじめの黄帝は在位百年、年は百十歳、

○黃帝 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)。司馬遷『史記』「五帝本紀」に於いて五帝を一応歴史の範疇内に置いたものであるが、「黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである。」炎帝・黄帝・少昊・顓頊・嚳・尭・舜・禹、いわゆる三皇五帝である。

 

少昊在位八十年,年百

少昊は在位八十年、年は百歳、

○少昊(しょうこう)は、義和の国と称された東夷族の国の領主にして黄帝の子。中国古代の五帝の一人。

 

顓頊在位七十九年,年九十八

顓頊は在位七十九年、年九十八歳、

○顓頊(せんぎょく)は、史記に記される帝王で、名は高陽。あるいは、高陽に都して高陽氏と称したと言われている。五帝の1人で、黄帝の後を継いで帝位に就いた。在位78年と言われている。

 

帝嚳在位七十年,年百五

帝嚳は在位七十年、年百五歳。

○嚳(こく)は、上古中国神話上の帝王。名は高辛。あるいは、高辛に都して、高辛氏と称したと言われている。五帝のひとりで、顓頊(センギョク)の後を継いで、帝位に就いた。

 

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝堯は在位九十八年、年百十八歳、

○堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。

 

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

帝舜及び夏の禹王は年は皆百歳であった。この時には天下は太平に治まり、

○舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。

○禹 帝顓頊の孫にあたる。また、帝顓頊は同じく五帝の一人の黄帝の孫であるので、禹は黄帝の玄孫にあたる。塗山氏の女を娶り、啓という皇子をなした。禹は人徳を持ち、人々に尊敬される人物であった。また、卓越した政治能力を持っていたが、それでいて自らを誇ることはなかったという。

 

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。

一般人民は安楽に暮らし、長命であった。そうではあるが、中国にまだ仏教はなかったのである。これらの帝王の長寿、天下の太平長寿は仏教とは関係がないのである。

○百姓 天子以外の多くの姓の人、一般人民、後世は農民をいう場合もある。

○寿考 命長く年老いるまで生きている。考は老。

甘粛省-嘉峪関 

《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2

《論佛骨表》(2) 家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。


2013年12月8日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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《論佛骨表》(2)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <885  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3409韓愈詩-227-2

 

 

○佛骨を論ずる表

長安のずっと西に鳳翔(安史の乱の際、粛宗が行在所を設置、杜甫が長安で安史軍に軟禁されていたところから脱出して駆けつけたところ)があり、そこの法門寺という寺に釈尊の指の骨と伝えられるものがあって、普段は大切にしまわれているのだが、三十年ごとに開帳があり、誰でも拝むことができる。

その年は天下太平、五穀豊穣だと伝えられていたが、元和十四年(819)がその開帳の年にあたった。正月、憲宗は法門寺へ勅使を送って仏骨を迎えさせ、宮中で三日間供養してから長安の諸寺に回すことを命じ、市民一般に礼拝を許した。人々は争って仏骨を拝み、後生を厭い、喜捨をしすぎて倒産する老さえ出るしまつだった。

 

孔孟の「道」を守る韓愈がこれを苦々しく見ていたことは、いうまでもない。これというのも皇帝が仏教を信仰するので、万民がそれにならうのだ。そう思った韓愈は、「仏骨を論ずる表」という意見書を憲宗皇帝にささげ、仏舎利を捨てて仏教の信仰を停止せよと論じた。

 

 

論佛骨表

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)
(2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳。

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、
自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

 

論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文)

臣某言:伏以佛者,

夷狄之一法耳,

自後漢時流入中國,

上古未嘗有也。

 

(下し文)

臣某言う、伏して以【おも】うに佛者は,夷狄【いてき】の一法のみ。

後漢の時より流れて中國に入る。

上古 未だ嘗て有らざる也。

 

(現代語訳)

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)
家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

 

 

(訳注)

論佛骨表【佛骨を論ずる表】

(釈迦の分骨を崇めることについて論じる上奏文)

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,

家臣である韓愈が申しあげます、拝伏し謹んで思んばかりますのに、仏の教えは異民族の夷秋の一つの教えにすぎず、

 韓愈のこと。上表の本文には韓愈の名を記したのであるが、これは草稿であるから「某」と名を略したのである。

伏以 拝伏して思いみるに。以は思う。

 

自後漢時流入中國。

後漢の時初めて入り、それからから流布していってわが中国にひろがったのであります。

自後漢時 後漢の明帝は、夢に金人(金銅の像)を見た。その形は長大で、光明を放っていた。覚めて後これを群臣に問うた。答えるものがいった、西方に神あり、仏と名づける。身長一丈六尺で、金色である、と。帝は使いを天竺(印度)に遣わし、仏法を問わしめた。

 

上古未嘗有也。

上古時代にはまだかつて無かったのでありす。

云亭

2)#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。

 (3)#2

昔者黃帝在位百年,年百一十

少昊在位八十年,年百

顓頊在位七十九年,年九十八

帝嚳在位七十年,年百五

帝堯在位九十八年,年百一十八

帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,

百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。


#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,而肯信此等事哉!

#8

然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

 

11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

  

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

《論佛骨表》仏教は夷狄の教えであって、中国の先王の教えではない。故にこれを奉ずると禍いがあって福がない。これを排絶するがよいという主旨の上表文である。


2013年12月7日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(17)#6-2 文選 賦<112―17>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩971 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3403
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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拳の花001 

○淮西の乱について

万事が愈の思うとおりに運んだのではない。憲宗は涯西の乱が平定したのを機会に、記念碑の建立を計画し、その碑に刻む文章は恵に執筆を命じた。その「准西を平らぐる碑」平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#0>Ⅱ中唐詩743 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2699

平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#1>Ⅱ中唐詩744 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2704

の文章は元和十三年(818)に書きあげられ、いったんは石に刻まれた。ところがこの碑文について、猛烈な反対がおこった。記述が正確でないというのである。たしかに愈の書き方は、准西の乱を平らげた第一の功労者は裴度であるとの立場から、裴度のことを善くのに多くの筆をついやしており、済州に一番乗りした李愬なども軽く触れてあるにすぎない。

この淮西の乱を成敗し、凱旋するのを以下の詩としてあらわした。

《過鴻溝》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <833  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3149韓愈詩-205

《送張侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <834  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3154韓愈詩-206

《贈刑部馬侍郎》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <835  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3159韓愈詩-207

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《郾城晚飲奉贈副使馬侍郎及馮李二員外》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <837  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3169韓愈詩-209

《酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <838  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3174韓愈詩-210

《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3179韓愈詩-211

《過襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <840  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3184韓愈詩-212

《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213

《次硤石》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <842  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3194韓愈詩-214

《和李司勳過連昌宮》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <843  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3199韓愈詩-215

《次潼關先寄張十二閣老使君〔張賈也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <844  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3204韓愈詩-216

 

《次潼關上都統相公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <845  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3209韓愈詩-217

《桃林夜賀晉公》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <846  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3214韓愈詩-218

《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

《晚秋郾城夜會聯句》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <848  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3224韓愈詩-220

これでは文句が出るのももっともである。結局、韓愈の文章を刻んだ石はすり消され、碑文はあらためて翰林学士の段文昌という人物が執筆することとなった。

しかしこの事件は、韓愈の出世のさまたげとなるものではなかったし、彼に精神的なショックを与えるものでもなかったらしい。高級官僚のなかでの彼の地位は学問・文学のスペシャリストとして万人が認めるものだったうえに、准西の乱での働きによって、文書力のみならず、政治的手腕もある男だと人々に感じさせたのだ。彼の地位はますます安泰になったということができる。元和十三年(818)四月、礼楽に関する規定や慣習を整理、改正する詳定礼楽使に鄭余慶が任命されたときも、特に奏請して韓愈を副使に兼務させている。このことは朝廷内、官界での韓愈の地位が安定したことを示すものである。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

 

○佛骨を論ずる表について

長安のずっと西に鳳翔(安史の乱の際、粛宗が行在所を設置、杜甫が長安で安史軍に軟禁されていたところから脱出して駆けつけたところ)があり、そこの法門寺という寺に釈尊の指の骨と伝えられるものがあって、普段は大切にしまわれているのだが、三十年ごとに開帳があり、誰でも拝むことができる。

その年は天下太平、五穀豊穣だと伝えられていたが、元和十四年(819)がその開帳の年にあたった。正月、憲宗は法門寺へ勅使を送って仏骨を迎えさせ、宮中で三日間供養してから長安の諸寺に回すことを命じ、市民一般に礼拝を許した。人々は争って仏骨を拝み、後生を厭い、喜捨をしすぎて倒産する老さえ出るしまつだった。

 

孔孟の「道」を守る韓愈がこれを苦々しく見ていたことは、いうまでもない。これというのも皇帝が仏教を信仰するので、万民がそれにならうのだ。そう思った韓愈は、「仏骨を論ずる表」という意見書を憲宗皇帝にささげ、仏舎利を捨てて仏教の信仰を停止せよと論じた。

その理由は、二つの点に要約することができる。一つは、上古の帝王たち、三皇五帝はみな百歳前後の長命だったのに(神話時代なのでみな長命なことになっているのだが、韓愈の時代には史実と信ぜられていた)、仏教が渡来してからは、歴代の皇帝のなかにはあつく仏を信じた人があったにもかかわらず、すべて短命であり、非業の最期をとげた人さえいる。仏を信じても、福が授かるわけではないのだ。第二に、釈迦とはもともと夷狄の人であって、彼が生前に中国を訪れたとしたら、かりに歓迎したとしても、夷狄が中国へ来たときの礼法以上には出ないであろう。ましてその骨など、あがめるには及ばぬものであるから、すみやかに焼きすてていただきたい。

 

これを読んだ憲宗は激怒して、韓愈の上奏文を宰相たちに見せたうえ、死刑にせよと命じた。宰相の裴度、崔群たちがとりなすと、憲宗は、仏教が渡来してからの皇帝は全部短命だったとは、臣下たる者の口にすべき言葉ではないと言ったものだ。憲宗は不老不死の薬の擒になっていた皇帝である。仏教を信仰した皇帝はみな短命だなどと不遜な物言いに対し、また、作文力のうまさに、気分を害したのである。本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではないので、デキレースであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととした。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。

 寒花004

 

 

論佛骨表

仏教は夷秋の教えであって、中国の先王の教えではない。故にこれを奉ずると禍いがあって福がない。これを排絶するがよいという主旨の上表文である。

 

論佛骨表

#1 

臣某言:伏以佛者,夷狄之一法耳,自後漢時流入中國,上古未嘗有也。

#2 

昔者黃帝在位百年,年百一十;少昊在位八十年,年百;顓頊在位七十九年,年九十八;帝嚳在位七十年,年百五;帝堯在位九十八年,年百一十八;帝舜及禹,年皆百。此時天下太平,百姓安樂壽考,然而中國未有佛也。


#3

其後,殷湯亦年百,湯孫太戊在位七十五年,武丁在位五十九年,書史不言其年壽所極,推其年數,蓋亦俱不減百,周文王年九十七,武王年九十三,穆王在位百年。此時佛法亦未入中國,非因事佛而致然也。

 

#4

漢明帝時,始有佛法,明帝在位,才十八年耳。其後亂亡相繼,運祚不長。宋、齊、梁、陳、元魏以下,事佛漸謹,年代尤促。惟梁武帝在位四十八年,前後三度舍身施佛,宗廟之祭,不用牲牢,晝日一食,止於菜果。其後竟為侯景所逼,餓死台城,國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

 

#5

高祖始受隋禪,則議除之。當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、古今之宜,推闡聖明,以救斯弊,其事遂止。臣常恨焉。

 


伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,數千百年已來,未有倫比。即位之初,即不許度人為僧尼、道士,又不許創立寺觀。臣以為高祖之誌,必行於陛下之手,今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

#7

今聞陛下令群僧迎佛骨於鳳翔,禦樓以觀,舁入大,又令諸寺遞迎供養。臣雖至愚,必知陛下不惑於佛,作此崇奉,以祈福祥也。直以年豐人樂,徇人之心,為京都士庶設詭異之觀,戲玩之具耳。安有聖明若此,
而肯信此等事哉!


#8

然百姓愚冥,易惑難曉,苟見陛下如此,將謂真心事佛。皆云:「天子大聖,猶一心敬信;百姓何人,豈合更惜身命!」焚頂燒指,百十為群,解衣散錢,自朝至暮,轉相仿效。惟恐後時,老少奔波,棄其業次。若不即加禁遏,更曆諸寺,必有斷臂臠身,以為供養者。傷風敗俗,傳笑四方,非細事也。

 

#9

夫佛本夷狄之人,與中國言語不通,衣服殊制,口不言先王之法言,身不服先王之法服,不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在,奉其國命,來朝京師;陛下容而接之,不過宣政一見,禮賓一設,賜衣一襲,衛而出之於境,不令惑眾也。

 

#10

況其身死已久,枯朽之骨,凶穢之餘,豈宜令入宮禁?

孔子曰:「敬鬼神而遠之。」古之諸侯行吊於其國,尚令巫祝先以桃茢祓除不祥,然後進吊。今無故取朽穢之物,親臨觀之,巫祝不先,桃茢不用。群臣不言其非,禦史不舉其失,臣實恥之。

 

#11 

乞以此骨付之有司,投諸水火,永根本,斷天下之疑,後代之惑。使天下之人,知大聖人之所作為,出於尋常萬萬也。豈不盛哉!豈不快哉!佛如有靈,能作禍祟,凡有殃咎,宜加臣身。上天鑒臨,臣不怨悔。無任感激懇悃之至,謹奉表以聞。
臣某誠惶誠恐。

《獨釣,四首之四》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <883>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3399韓愈詩-226

《獨釣,四首之四》期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。


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《獨釣,四首之四》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <883  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3399韓愈詩-226

 

 

『獨釣,四首』元和十三年の作にまちがいなく、四首の連作のうち第一首は、概要、第二首季節は春、夏、第三首に「秋晨」、第四首に「秋半」の語があり、秋である。また通常の隠者は山林に隠棲するものだが、ほんとうの隠者は俗世間のなかにあって、それでも隠逸の心を失わないものだとする観念があり、「吏隠」はその一つで、身分は役人だが精神的には隠者であることをいう。むかし老子が柱下の史という低い身分の役人となったと伝えられるのが、その先例である。刑部侍郎は高官だが、韓愈はここで「吏隠」を気取って見せているのである。

だが韓愈の言うように「太平」だと、どうも力のこもった詩は生まれにくいらしい。この詩にしても、軽く作ったという感じがする。しかしょくしたもので、韓愈が「吏隠」を気取り始めると、彼の生涯における最大の事件が発生するのである。

 

 

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之四【獨酌,四首之四】 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨釣,四首之一

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家林館勝,偶入得垂竿。

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。羽沈知食駛,緡細覺牽難。

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

 

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

楊貴妃清華池002 

獨釣,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。  

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。

 

yamanoki04獨釣,四首之四

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

秋半百物變,谿魚去不來。

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

遠岫重疊出,寒花散亂開。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

所期終莫至,日暮與誰迴。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

秋 半ばして百物 変じ、谿魚 去って来らず。

風は能く芡觜【けんし】を坼【くじ】き、も亦た梨敵【りさい】を染む。

遠咄【えんしゅう】重盛【ちょうじょう】して出で、塞花 散乱として開く。

期する所 終【つい】に至る莫し、日暮 誰と興にか廻らん。   

 

 

『獨釣,四首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之四

秋半百物變,谿魚去不來。

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

遠岫重疊出,寒花散亂開。

所期終莫至,日暮與誰迴。

 

 

(下し文)

秋 半ばして百物 変じ、谿魚 去って来らず。

風は能く芡觜【けんし】を坼【くじ】き、も亦た梨敵【りさい】を染む。

遠咄【えんしゅう】重盛【ちょうじょう】して出で、塞花 散乱として開く。

期する所 終【つい】に至る莫し、日暮 誰と興にか廻らん。

隋堤01 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

 

 

(訳注)

獨酌,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その四) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の

 

秋半百物變,谿魚去不來。

秋も半ばになって、百物次第に変じて凋落に赴き、渓魚もどこかにかくれて、ひとたびさっていったものは再びここにかえってくることはない。

・秋半日物変 この句と第二句あたりには、前の詩の終わりのところの気分が、さらに強められて出ているようである。秋半:陰暦八月をいう。

 

風能坼芡觜,露亦染梨腮。

西風颯颯として、ミズブキの葉の先端を吹き折り、露にうるおっていて、梨のみの表皮を赤く染めている。

・芡觜 みずぶきの葉の先端。

・梨腮 なしのあご。ここは梨の実が色づくことをいっている。律詩、【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】風能以下の頷聯】【頸聯】の四句はことにうつくしく絶妙である。

 

遠岫重疊出,寒花散亂開。

眺め遣れば、遠くの山々の重壘錯出するのがくっきりと見え、ここには寒花が散乱して、あちこちに開いている。

・岫- 1 山の洞穴。2 山の峰。

 

所期終莫至,日暮與誰迴。

期待していた待つところの人は、とうとう来なかったから、日暮れになって、誰と一緒に帰ろうか、まことに心寂しいことである。

・所期 期待したあいて。

・この詩には恋の感情に似たものがある。韓愈はあらわな恋の歌はほとんどつくらなかったが、いまのわれわれからみればそうとれるような詩はかなり多くある。もっとも、その相手が女性なのか男性なのか、恋人であるよりは友人であったのだろう。
nat0010

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韓愈《獨釣,四首之三》せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之三

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

獨釣,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。 

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。   

yamanoki04 

『獨釣,四首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之三

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

露排四岸草,風約半池萍。 

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

 

 

(下し文)

獨り釣る,四首之三

獨り往く南塘の上,秋晨【しゅうしん】景氣【けいき】醒【さ】む。 

露は排す 四岸の草,風は約す 半池の萍【うきぐさ】。 

鳥は下る 人の寂たるを見て,魚は來る 餌の馨【かんば】しきを聞く。 

嗟する所は召さる可き無くして,吾が瓶【へい】を倒すを得ざるを。 

 

 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

 

 

(訳注)

獨酌,四首之三

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その三) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の

 

 

獨往南塘上,秋晨景氣醒。 

ひとり池の南側の土手の上に向かって昇ってゆく、秋の朝、放射冷却でかなり冷え込み、せっかく晴れ渡っているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色は興醒めになる。

・南塘上 池の南側の土手、北に向かって斜面を為すため朝早くには霜が溶けていない。

・秋晨 秋の明け方、午前中、放射冷却でかなり冷え込む。

・景氣醒 はれわたっているものの霜が溶けていない枯れ葉の景色を興醒めと云っている。

 

露排四岸草,風約半池萍。 

興醒めは、夜露がおびただしく下って池の四面の岸の草を押さえつけていることであり、風が池の半分にしかも一か所に浮草を束ねてしまっているのだ。

・約 集約する。束ねる。

 

鳥下見人寂,魚來聞餌馨。 

風がやんだら、鳥が空から降りてきて、辺りに人の気配がないことを慶び、魚は餌の匂いを嗅ぎつけて追々集まってくる。

 

所嗟無可召,不得倒吾瓶。 

こんな景色でもだれかここに招きよせて、せっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すことが出来ないものだろうか。

・無可召 だれかここに招きよせたいがいない。

・倒吾瓶 わたしがせっかく用意した酒瓶を空にするまで一緒に飲み倒すこと。
楊貴妃清華池002 

《獨釣,四首之二》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <881>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3389韓愈詩-224

韓愈《獨釣,四首之二》侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。
 

2013年12月4日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 花間集 古詩源 玉台新詠

 

《獨釣,四首之二》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <881  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3389韓愈詩-224

 

 

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之二

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

楊貴妃清華池002 

 

『獨酌,四首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

獨酌,四首之二

一逕向池斜,池塘野草花。 

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

太平公事少,吏隱詎相 

 

(下し文)

獨酌,四首之二

一逕 池に向いて斜なり,池塘は野草の花さく。 

雨多くして柳耳を添【そ】え,水長じて蒲芽を減ず。 

坐ろに刑柄【けいへい】に親しむを厭【いと】い,【ひそか】に來って釣車に傍【そ】う 

太平なれば公事少く,吏隱【りいん】詎【なん】ぞ相い【はるか】ならむ

 

(現代語訳)

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二)

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

 

(訳注)

獨酌,四首之二

(いやな仕事をさぼって侯家の林館の池で釣りをするが、こうして詩を作るのは精彩を失わないためだ。四首の内その二) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。其の二

 

一逕向池斜,池塘野草花。 

侯家の林館に入ってみると、一筋の道がある、池に向かって堤を斜めに通じている。堤塘のうえには、野草が花を咲かせている。

・地塘 池のつつみ。

 

雨多添柳耳,水長減蒲芽。 

ちかごろ、雨の日が多くて 柳の樹に茸が生えてくるほどだ。水嵩が著しく増していて、蒲の芽が水中に没していて、おおいに減ってしまったようだ。

・柳耳 柳の木にはえるきのこ。

・蒲芽 ガマの芽。雨多、水長の二句は実によく日然ん写している。

 

坐厭親刑柄,來傍釣車。 

わたしはいま、刑部に奉職して、刑部の枅柄・仕置することではあるが、心の中では、花花だ是を厭なものとしている。したがって、暇を盗んではここにきて、釣り人の残した釣り車に沿うようにして、こうして釣り糸を垂れているのだ。

・刑柄 刑獄をつかさどる官をいう。このとき掩忠は刑部侍即であった。韓愈はしばしば司法畑にはいっているが、その職をあまり好まなかった。「赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士」「生平企仁義,所學皆孔周。早知大理官,不別三後儔。何況親犴獄,敲搒發奸。懸知失事勢,恐自罹罝罘。湘水清且急,涼風日修修。

中唐詩-290 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #9 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#9

中唐詩-291 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #10 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#10

・釣車 釣をするために高官、富貴の者がのってきた車。車の陰に隠れていることを云うほどの者華

 

太平公事少,吏隱詎相 

淮西の乱など征伐されて、太平の御代になっており、公的な仕事もはなはだ少なくなって、さながら、吏隠といってもよいくらい状況である。だからこのような詩を作って精彩を失わないようにしなくてはならないのだ。

・吏隱 すぐれた才能をもちながらひくい官職にいる人のことをいう。伯陽は老子のことで、韓愈以前の人も老子を吏隠の典型とみていたようだ。「吏隠」の文字は杜甫の詩にもみえる。『白水崔少府十九翁高齋三十韻』#3「吏隱適情性,茲焉其窟宅。白水見舅氏,諸翁乃仙伯。」

白水崔少府十九翁高齋三十韻 杜甫 123 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 121-3
云亭 

《獨釣,四首之一》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <880>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3384韓愈詩-223

韓愈《獨釣,四首之一》侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 


2013年12月3日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(13)#5-2 文選 賦<112―13>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩967 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3383
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《獨釣,四首之一》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <880>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3384韓愈詩-223
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《獨釣,四首之一》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <880  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3384韓愈詩-223

 

 

年:818  元和十三年  51

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 獨釣,四首之一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

獨釣,四首之一

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家林館勝,偶入得垂竿。

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。羽沈知食駛,緡細覺牽難。

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

楠樹01 

獨釣,四首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

獨釣,四首之一

侯家林館勝,偶入得垂竿。

曲樹行藤角,平池散芡盤。

羽沈知食駛,緡細覺牽難。

聊取夸兒女,條繫從鞍。

 

(下し文)

(獨り釣る,四首の一) 

侯家 林館 勝たり ,偶【たまた】ま入りて竿を垂るるを得たり

曲樹 藤角に行【つら】なり ,平池 芡盤【けんばん】を散ず。

羽 沈んで 食の駛【はや】きを知り,緡【いと】細くして牽くことの難きを覺ゆ

聊【いささ】か兒女に夸【ほこ】るを取る 【ゆじょう】從鞍【じゅうあん】を繫ぐ

 

(現代語訳)

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

 

(訳注)

yamanoki04獨釣,四首之一 

(子供らに自慢できるだけ獨りでたくさん釣り上げる,四首の内その一) 

韓愈長安に刑部侍郎としている時にだれか侯家にあたる邸宅の池で釣りをしたもの。刑務所の役人であることが嫌であった韓愈は時々抜け出して釣りをした。

 

侯家 林館 ,偶入 垂竿

侯家の邸宅には林に囲まれた別館があって、景勝に恵まれている。時折りここに来ては釣り糸を垂れるのである。

・侯家 身分の高い人の林園などのある立派な家。

・林館 林泉に富んだ別館。

 

曲樹 藤角 ,平池 芡盤

岸辺に曲った老樹に藤の切り株に連なっており、池冲には水面にミズブキの大きな葉が散布している。 

・曲樹 まがりくねった樹。老木。

・行 つらなる。

・藤角 藤の切り株。

・芡盤 一年生水草のミズブキ丸い大きな葉。

 

羽沈 食駛,緡細 牽難

暫くすると、浮子が沈んだので、魚が餌をひくのがはやくするのがわかるが、釣り糸が北手切れそうだから引き上げることは難しい。

・羽 釣糸につけるウキのこと。

・食駛 魚の食いつくのがはやい。

・緡細 つり糸。

・牽難 いとがきれそうに思われて思い切ってひっばれない。

 

聊取 兒女 繫從

何と言っても、たくさん釣りあげて、子らに威張ってみせようというので、從者にもゆっくりと待ってもらうためた馬を楡の枝に繋がせて落ち着いて釣りをすることにしたのだ。

・夸兒女 こどもたちにこんなに大きいのがとれたぞと自慢する。威張ってみせる。

・從鞍 従者ののっていた馬。それをつなぐとは、腰をおちつけて釣るため′従にもそのつもりでくつろがすのである。

《送李員外院長分司東都》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <879>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3379韓愈詩-222

韓愈《送李員外院長分司東都》去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
 

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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《送李員外院長分司東都》元和十三年韓愈
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <879  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3379韓愈詩-222

 

 

作時年:818  元和十三年  51

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 送李員外院長分司東都 

及地點:東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京     

交遊人物/地點: 李正封

云亭 

 

送李員外院長分司東都

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

去年秋露下,羈旅逐東征。

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

春光動,驅馳別上京。

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

飲中相顧色,送後獨歸情。

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

兩地無千里,因風數寄聲。

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

函谷関長安地図座標005 

 

『送李員外院長分司東都』 現代語訳と訳註

(本文)

送李員外院長分司東都

去年秋露下,羈旅逐東征。

春光動,驅馳別上京。

飲中相顧色,送後獨歸情。

兩地無千里,因風數寄聲。

 

(下し文)

(李員外院長の東都に分司たるに送る)

去年 秋露下り,羈旅 東征を逐う。

 春光動き,驅馳【くち】上京に別る。

飲中 相い顧みるの色,送後 獨歸の情。

兩地 千里無し,風に因って數しば聲を寄せよ。

 

(現代語訳)

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

 

(訳注)

送李員外院長分司東都

(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)

・李員 李二十八は李正封。やはり裴度の幕下となり従軍し、郾城で韓愈と長い聯句をつくっている。襄城は河南省襄城県。

《晚秋郾城夜會聯句》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <848  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3224韓愈詩-220

(李司勳外郎「連昌宮を過る」詩に唱和する。)

・李司勳 別のテクストでは李二十八とある。これは李正封で、司勲外郎であった。

《和李司勳過連昌宮》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <843  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3199韓愈詩-215

《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213

《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ3179韓愈詩-211

・院長 図籍秘書であり、淮西平定の史実を記録するいんちょうである。

・分司 東都洛陽の留守役のこと。

・禦史中丞 前漢以降の官職名。 前漢においては、御史大夫の二人の丞(副官)のうちの一人(秩千石)であるが、御史中丞は殿中の蘭台におり、図籍秘書を掌り、刺史を監督し、侍御史を統率した。

・行軍司馬 安史の乱以降に置かれた元帥府の属官。元帥(天下兵馬元帥)には親王が任命されるので、副元帥が事実上の統率者となる。幕職には、行軍長史、行軍司馬、掌書記、判官、参謀、兵馬使などがある。

 

 

去年 秋露 ,羈旅 東征

去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。

「東征」『晚秋郾城夜會聯句』の序文に「元和十二年七月,以裴度守門下侍郎同平章事,充淮西宣慰處置使,以韓愈兼禦史中丞,充行軍司馬,以李正封兼侍禦史,為判官,從度出征。」とある。元和十二年(817)、韓愈が五十歳となった年の七月、憲宗皇帝は裴度を宰相(守門下侍郎同平章事)に任ぜられ、膠着状態と患っている淮西の乱を一挙に解決せよと命じ淮西宣慰處置使とした。裴度はこの命令を受けると、韓愈を自分の部下にいただきたいと朝廷へ願い出た。そこで韓愈を御史中丞に任ずるむねの辞令が下り、兼ねて裴度の軍の行軍司馬を命ぜられた。李正封は兼ねて侍禦史とされ、判官と為さしめられ,裴度に從って出征することになる。

 

春光 ,驅馳 上京

今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。

「今」今年。

「春光動」春景色が動きはじめるころ。早春間もないころ。

「上京」長安のこと。

去年 秋露 羈旅 逐 東征

 春光 驅馳 別 上京

律詩の絶対条件である【頷聯】【頸聯】については対句よりも、【首聯】【頷聯】が隔句対となっている方が強い。

 

飲中 相顧 ,送後 獨歸

そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。

 

兩地 千里 ,因風 寄聲

洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。

「無千里」千里も遠くはない。

飲中 相 顧色,送後 獨 歸情。

兩地 無 千里,因風 數 寄聲。

【頸聯】【尾聯】についても隔句対ということで初唐盛唐期の律詩とは若干変化していくことがわかる面白い詩である。この形態は、古詩に見られるものではある。
華州から秦州同谷成都00 

《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4

韓愈《讀皇甫湜公安園池詩書其後》人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。


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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <878  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3374韓愈詩-221ー#4

 

作時: 818  元和十三年  51

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題: 讀皇甫湜公安園池詩書其後〔一本為二首。〕 

及地點: 公安園池 (山南東道 荊州 公安)     

交遊人: 皇甫湜 (山南東道 襄州 襄陽)

 

221-#1

讀皇甫湜公安園池詩書其後

(皇甫湜の公安園池の詩を寄せたのでそれを読んで返したその後の詩)

晉人目二子,其猶吹一

戴晋人は堯と舜を目標とすること、尋常の人に同じく、格別えらいとも思わず、いくら堯舜を誉め立てて話しても、息を吹きかけること位に思っている。

區區自其下,顧肯掛牙舌。

元来区区として、堯舜のことに甘んずるようでは、到底つまらぬ人で、歯牙にかかるにも足らず、そこ得行くと戴晋人はちょっと奇矯のようではあるが、一面からいえば、最も至極なことである。

《春秋》書王法,不誅其人身。

「春秋」は孔子が王法に基づいて褒貶したもので、はあるが、何もその人の身を誅するがためにしたのではなく、あくまで道にかなったもので、儒教の正義はまさしくここにある。

《爾雅》注蟲魚,定非磊落人。

「爾雅」のごときは、ほんの字書で蟲魚名を注したるにすぎず、そんなことをしているのは、決して、磊落のひとではない。

221-#2

湜也困公安,不自閑窮年。

(今皇甫松の作った園地の詩をみると、取りも直さず爾雅の蟲魚を注したるが如く、春秋の王方には全然関係なく要するに取るに足らない技ということなのだ。)皇甫湜は小吏として、公安の地に苦しみ、のんきに年を極めることが出来ず、平生大いに弱っている。

枉智思掎摭,糞壤穢豈有臧。

そんなことをしているのはもし、智を枉げて、何かを引き上げ、拾い出して、一の仕事やらかそうと思うのであれば、よろしくそのものを選ぶべく糞壤汚穢とも称すべき取るにたらないこの苑池などが何になろう。

誠不如兩忘,但以一概量。

それよりも苑池などは、二つながら忘れ去り、それは尋常一様のものとして見るが良いので、その手をつけなければいけない範囲は、ほかにいくらもある。

221-#3

我有一池水,蒲葦生其間。 

元来、苑池などは瑣瑣たるもので、まったく話にもならない。我が家にも、一つ池があって、蒲葦の類がその間に叢生している。

蟲魚沸相嚼,日夜不得閑。 

そして、蟲や魚が自然とその内に沸いて、互いにかみ合い、日夜、暇なことは全くない。

我初往觀之,其後益不觀。

我も初めは行くとしてこれを見て、いささか打ち興じたが、その後、次第にこれを見ないようになった。

221-#4

觀之亂我意,不如不觀完。 

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

百年詎幾時,君子不可閑。 

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

 

#1(皇甫湜【こうほしょく】公安の園池の詩を讀み、其の後に書す)

晉人 二子を目す,其れ猶お一【いちげつ】をくがごとし

區區として其下よりせば,顧みるに肯えて牙舌【がぜつ】に掛らむや。

《春秋》は王法を書す,其の人の身を誅せず。

《爾雅》は注蟲魚【ちゅうぎょ】をす,定めて磊落【らいらく】の人に非ず。

#2

湜【しょく】や公安に困【くるし】み,自ら閑に年を窮めず。

智を枉げて掎摭【きしょう】せむことを思う,糞壤【ふんじょう】【おあい】豈に臧【よき】ころらむ

誠に如かず兩つながら忘れ,但だ一概を以って量る。

 

我に一池の水有り,蒲葦【ほい】其の間に生ず。 

蟲魚【ちゅうぎょ】沸いて相い嚼【か】み,日夜 閑なるを得ず。 

我 初め往うて之を觀る,其の後 益【ますま】す觀ず。 

 

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

楊貴妃清華池002 

 

『讀皇甫湜公安園池詩書其後』 現代語訳と訳註

(本文)

觀之亂我意,不如不觀完。 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

百年詎幾時,君子不可閑。 

 

(下し文)

之を觀れば我が意を亂る,如かず 觀ずして完うするに。 

用うるとき將に諸人を濟【すく】わんとす,捨るときは孔顏を業とすつを得む。 

百年 詎【なん】ぞ幾時ぞ,君子 閑なる可からず。 

 

 

(現代語訳)

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

 

(訳注)

觀之亂我意,不如不觀完。 

なんとなれば、これを見ると蟲魚の互いに噛む状態から、様々なことを連想するからで、それよりも、苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

・觀之 園池の実態を見ること。

・觀完 苑池などを観ずして、心を打ち澄ましていた方が、遙かによい。

 

用將濟諸人,捨得業孔顏。 

いやしくも、男子たるものは、志を立てること、よろしく第成るべく、幸いにして、世に用いられるならば、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済し、不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道を不朽に伝えるが宜しい。

・用將 幸いにして、世に用いられること。

・濟諸人 男子たるものは、志を立てていること、治国平天下の素願を遂げて、あまねく諸人を救済すること。

・捨得業孔顏 不幸にして世に用いられないときは、退いて孔子と顔回のことを行い、儒者の業として、大道をすすむこと。孔顏:春秋末期の儒者。顔淵でも知られる。回は名。字は子淵。孔子の門人。一を聞いて十を知る俊秀で,学識と徳行がともに高く,だれからも愛され,孔子のもっとも信頼した,第一の高弟であった。

 

百年詎幾時,君子不可閑。 

人生は百年というが、まことに短いもので、じきにすぎて、しまうから、君子たるものは、平生切々として、勉強をして、閑暇など中るべきはずで、その楽々と苑池の詩などを作っているようなものは、我が徒に非ずと云いたいくらいで、皇甫湜ともあるものが、よろしく反省すべきである。

・百年 人生は百年。
花蕊夫人002 

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