漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2014年04月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

《南海神廟碑-(12)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1028>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4124韓愈詩-272-4-3

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

        
 2014年4月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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《南海神廟碑-(12)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1028  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4124韓愈詩-272-4-3

 

 

(10)四段-1

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,
各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

牲肥酒香,
樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

降登有數,
神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海之百靈祕怪,
慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

 (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

旗纛旄麾,飛颺靄,

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

武夫奮掉,工師唱和,

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

穹龜長魚,踴躍後先,

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

乾端坤倪,軒豁呈露。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

祀之之,風災熄滅,

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

人厭魚蟹,五穀胥熟。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

 

(下し文) (12)四段-3

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】【あんあい】たり

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す

人 魚蟹【ぎょかい】に【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 

(現代語訳)

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

 

泰山の夕日 

(訳注) (12)四段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

廟の門を閉じて、舟のへさきをめぐらして帰途につく、すると目出度い疾風が帆を送ってくれる。

闔 閉じる。

艫 へさき。舟の先。肺の反対。

祥飆 めでたい疾風。飆は旋風。下から上に吹きあげる突風。祥はしあわせなの意。

 

旗纛旄麾,飛颺靄,

旗や毛羽の飾り旗、から牛の毛の飾り旗や指揮の小旗など、飛びひるがえり日差しを掩ほどの盛んな有様であった。

纛 毛羽のある旗。

旄 から牛の毛で飾った旗。

 揮の小旗。

靄 たなびいて日光を蔽う。

 

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

銅羅や太鼓がさわがしくとどろき、高い笛の音はけたたましくさわぎまわる。

饒 銅鑼

嘲轟 鳴りとどろく。

○高管 かん高い笛の音。

嗷噪 さけびさわぐ。

 

武夫奮掉,工師唱和,

武人は棹を奮って漕ぎ、船頭たちは声を合わせて唱う。

○工師 技術者の長、ここでは船頭。

 

穹龜長魚,踴躍後先,

甲の丸く高い亀や長い魚などが、踊り飛び上がって後先になって送ってくる。

穹龜 亀の甲の円く高くなったもの。

○後先 あとになりさきになる。送って行く。

 

乾端坤倪,軒豁呈露。

天のはて、地のきわみまで見はるかせは、高く広くあらゆる物が姿をあらわし示していた。

乾端坤倪 乾坤は天地・もはて極み。天地のきわみ。

軒豁 高くひらけて見える。

○呈露 さらけ出して見せる。

 

祀之之,風災熄滅,

南海神を祀った歳は、風の災いが消えてなくなる。

○熄滅 消えてなくなる。

 

人厭魚蟹,五穀胥熟。

人々は魚や蟹にあきて、五穀は皆熟した。

 皆。

《南海神廟碑-(11)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1027>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4119韓愈詩-272-4-2

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。


        
 2014年4月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《南海神廟碑-(11)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1027  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4119韓愈詩-272-4-2

 

 杏の花01

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,
各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

牲肥酒香,
樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

降登有數,
神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海之百靈祕怪,
慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

 (12)四段-3

  (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,各執其職。

牲肥酒香,樽爵淨潔,

降登有數,神具醉飽。

海之百靈祕怪,慌惚畢出,

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

 

(下し文) (11)四段-2

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

 

(現代語訳)

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

韓愈の地図01 

(訳注) (11)四段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

文武賓屬,俯首聽位,各執其職。

文武の官、幕賓や属官などは、皆首をたれてかしこみ、その座席にいて命を聴き、担当の職務を取り行った。

○聽位 その座席に居て命を聞く。

 

牲肥酒香,樽爵淨潔,

犠牲は肥え、酒は香ばしくそなえ、酒樽や盃は清潔なものである。

○浄潔 静潔に通用する。静は浄、活である。清潔。

 

降登有數,神具醉飽。

階段を降り、登るにも一定の数に合致、神はみな十分に酔い飽きるまでである。

○降登 階段の登り降りもその数に定則がある。

 

海之百靈祕怪,慌惚畢出,

海の百霊や秘かに棲む寄怪のものも、ぼんやりとまたありありとことごとく現れ出るのである。

○秘怪 海に誓みかくれる怪物。竜蛇の類い。

○慌惚 ぼんやりとしかもありありと見える。

 

蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

うねり続いて来て、自ら安んじ、満足して飲食を受けるのであった。

○蜿蜿蛇蛇 うねりのたくる。龍蛇の進むさま。ここは自ら安んじ、満足するさまの意がある。

《南海神廟碑-(10)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1026>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4114 韓愈詩-272-4-1

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


        
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《南海神廟碑-(10)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1026  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4114 韓愈詩-272-4-1

 

 

(10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。


光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。


省牲之夕,載載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。


將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。


五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明概なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

(11)四段-2

文武賓屬,俯首聽位,

各執其職。牲肥酒香,

樽爵淨潔,降登有數,

神具醉飽。海之百靈祕怪,

慌惚畢出,蜿蜿蛇蛇,來享飲食。

文武 賓屬【ひんぞく】,首を俯して位に聽き,各【おのお】の其の職を執る。

牲 肥え 酒 香しく,樽爵【そんしゃく】淨潔にす,

降登 數有り,神 具に醉飽す。

海の百靈 祕怪にし,慌惚として 畢【ことごと】く出ず,

蜿蜿【えんえん】蛇蛇【いい】として,來って飲食を享す。

  (12)四段-3

闔廟鏇艫,祥飆送帆,

旗纛旄麾,飛颺靄,

饒鼓嘲轟,高管嗷噪,

武夫奮掉,工師唱和,

穹龜長魚,踴躍後先,

乾端坤倪,軒豁呈露。

祀之之,風災熄滅,

人厭魚蟹,五穀胥熟。

廟を闔【と】じ艫を鏇【めぐ】らせば,祥飆【しょうひょう】帆を送る,

旗纛【きとう】旄麾【ぼうき】,飛颺【ひよう】靄【あんあい】たり,

饒鼓【とうこ】嘲轟【とうこう】,高管嗷噪【きょうそう】,

武夫 掉を奮い,工師唱和す,

穹龜【きゅうき】長魚,踴躍【ようやく】後先す,

乾端【けんたん】坤倪【こんげい】,軒豁【けんかつ】呈露す。

之を祀るの,風災 熄滅【そくめつ】す,

人 魚蟹【ぎょかい】に厭【あ】き,五穀 胥【みな】熟す。

 (13)四段-4

明年祀歸,又廣廟宮而大之:

治其庭壇,改作東西兩序,

齋庖之房,百用具修。

明年其時,公又固往,不懈益虔,

仍大和,耋艾歌詠。

 

 (13)四段-4

明年 祀りて歸り,又 廟宮を廣げて之を大いにす:

其の庭壇を治め,東西の兩序を改作す,

齋庖の房,百用 具に修む。

明年 其の時,公 又た固く往く,懈【おこた】らずして益【ますま】す虔【つつし】めり,

 仍って大いに和し,耋艾【てつがい】の歌 詠ず。

 

南海神廟碑00  

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (10)四段-1

公遂升舟,風雨少弛,

棹夫奏功,雲陰解駁,

光穿漏,波伏不興。

省牲之夕,載載陰;

將事之夜,天地開除,

月星明既。五鼓既作,

牽牛正中,公乃盛服執笏,以入即事。

 

(下し文) (10)四段-1

公 遂に舟に升り,風雨 少しく弛む,

棹夫 功を奏して,雲陰 駁を解く,

日光 穿ち漏れ,波 伏して興らず。

牲を省みるの夕,載【すなわ】ち暘【て】り載ち陰る;

將事を【おこな】うの夜,天地 開除し,月星 明既なり。

五鼓 既に作【おこ】り,牽牛 正に中す。

公 乃ち盛服して笏【こつ】を執【と】り,以て入りて事に即【つ】く。

 

(現代語訳)

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。
公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

 

(訳注)(10)四段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳の作である。

 

公遂升舟,風雨少弛,

公はそのまま舟に乗ったら、風雨はやや穏やかになった。

 

棹夫奏功,雲陰解駁,

櫂を漕ぐ人夫たちの努力の結果が奏功し、雲の暗さもまばらとなっていった。

○奏功 功を為すと同じ。事が効を現すのを奏功という。また奏効ともいう。

○駁 雜じる。まだら。雲が散るさま。

 

日光穿漏,波伏不興。

日の光が雲をうがち漏れて射しはじめ、静まり伏した波は起こらなかった。

○波伏 静かに伏し凪いだ波。

 

省牲之夕,載暘載陰;

供え物の犠牲を調べ見た夕べは、晴れて明るくなったりまた陰ったりであった。

○省 調べて視る。様子量る。

○載暘載陰 晴れたり曇ったり、載は「すなわち、…したり……した。」という語助字。

 

將事之夜,天地開除,月星明既。

祭事を行ったその夜は、天地は晴れて雲もなく、月や星が明るく数繁く輝いた。

○将事 車叢。行う。

○概 音キ、桐密。星の多い形容。

 

五鼓既作,牽牛正中,

五更を告げる太鼓もすでに鳴りわたり、牽牛星は中天にあった。

〇五鼓 五更を報ずる太鼓。五更: 1 一夜を初更(甲夜)・二更(乙夜(いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))に五等分した称。2 五更の第五。およそ現在の午前3時から午前5時、または午前4時から午前6時ころにあたる。この知らせで家を出て朝廷に夜明けまでにはいる。

○牽牛 星名。

○正中 空の真ん中にある。
 

公乃盛服執笏,以入即事。

公はそこで立派な服装でしょう笏を手に持ち、そして廟に入って神事に従事した。

○笏 官位にある者が礼服(らいふく)または束帯を着用する際,威儀をととのえるにあたって右手に持つ細長い板をいう。中国ではコツと呼び,すでに周代から使われていた。

《南海神廟碑-(9)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1025>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4109韓愈詩-272-3-3

南海神廟碑-(9)》韓愈≫そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。


        
 2014年4月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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李白index- 41 《762年廣德元年春、宜城から涇縣陵陽に遊ぶ。寶應元年62歳陵陽から金陵に行き、晩秋、当塗に帰り11月李陽冰宅で死ぬ。》1112kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4108 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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《南海神廟碑-(9)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1025  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4109韓愈詩-272-3-3

 

紅蓼00 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

 (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

明日,吏以風雨白,不聽。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

於是州府文武吏士,凡百數,

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

交謁更諫,皆揖而退。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

朱槿花・佛桑華 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)  (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(下し文) (9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

 

(現代語訳)

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

 

(訳注) (9)三段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日、私は海神の霊廟の下を宿として、そうして早朝の神事を仕えまつろう」というのである。

 

明日,吏以風雨白,不聽。

翌日役人は風や雨が激しいことを刺史に申しいれたが、聴き入れることはない。

 

於是州府文武吏士,凡百數,

そこで州の役所の文武の官吏およそ百人ばかりそろえた。

○凡百数 すべて古人ばかり。

 

交謁更諫,皆揖而退。

それが代わり合って見え、かわるがわる諌めたけれども、皆に軽く両手を胸先に組む会釈をして、退けて聴き入れなかった。

○揖而退 揖は胸に手をこまねく礼。挨拶して退出させるだけで、その意見に従わないことをいう。

韓愈の地図01 

《南海神廟碑-(8)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1024>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4104韓愈詩-272-3-2

南海神廟碑-(8)》韓愈≫広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。


        
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《南海神廟碑

-(8)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1024  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4104韓愈詩-272-3-2

 

 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

 (9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) 8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

「冊有皇帝名,乃上所自署,

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

其恭且嚴如是,敢有不承!

 

(下し文)

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

 

(現代語訳)

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。
そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

 

韓愈の地図01

(訳注) 8)三段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

広州の役所に到着した翌年、夏になろうとする時に、南海神の祝祭の文書が都からとどいた。

○祝冊 祭りを告げる文書。朝廷からの祭りの祝い文。

 

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

官吏は祭祀の時期を孔公に告げた。公はそこで物忌みして身を祓い清めてからその公文書を観て、多くの役人たちに誓っていった。

○齋祓 物忌みして身を祓い清める。

○視冊 その公文書を観る。

 

「冊有皇帝名,乃上所自署,

「公文書には皇帝の名があって、そこで天子の自ら御名を書き記されたものである。

 

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

その文には次のように言っている、『お世嗣ぎの天子某が、謹んで役人某を遺して、敬い祭るとある。』と。

○嗣天子 世嗣ぎの天子。

 

其恭且嚴如是,敢有不承!

そのうやうやしく、また、いかめしいことがこのようである。押し切って命令を受けないことがあろうか。

《南海神廟碑-(7)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1023>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4099韓愈詩-272-3-1

南海神廟碑-(7)》韓愈≫公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。


        
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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李白index- 39 《760年上元元年60歳 春、武昌、夏、潯陽に行き、初秋から江南、歴陽の各地に遊ぶ。》李白詩 全詩<李白index- 39> Ⅰ李白詩1110 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4098 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13-328《荷葉盃九首,其四》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-511-13-(328) 花間集 巻第七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4102  
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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《南海神廟碑-(7)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1023  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4099韓愈詩-272-3-1

 

 

(7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

8)三段-2

至州之明年,將夏,祝冊自京師至,

吏以時告,公乃齋祓視冊,誓群有司曰:

「冊有皇帝名,乃上所自署,

其文曰:『嗣天子某,謹遣官某敬祭。』

其恭且嚴如是,敢有不承!

(9)三段-3

明日,吾將宿廟下,以供晨事。」

明日,吏以風雨白,不聽。

於是州府文武吏士,凡百數,

交謁更諫,皆揖而退。

 

(7)三段-1

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

(8)三段-2

州に至るの明年,將に夏ならんとし,祝冊 京師より至る,

吏 時を以って告ぎ,公 乃ち齋祓【さいふつ】して冊を視て,群有司に誓って曰く:

「冊に皇帝の名有りて,乃ち上の自署する所とす,

其の文に曰く:『嗣天子某,謹んで官某を遣わして敬んで祭る。』と。

其の恭 且つ嚴なること是の如し,敢て承けざる有らんや!

(9)三段-3

明日,吾 將に廟下に宿して,以て供晨事にせんとす。」と。

明日,吏 風雨を以てすと白【もう】す,聽かず。

是の於て州府の文武 吏士,凡そ百數,交【こもご】も謁して更に諫【いさ】む,皆 揖【ゆう】して退【しりぞ】く。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (7)三段-1

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史兼御史大夫,以殿南服。

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

治人以明,事神以誠;

内外單盡,不爲表爆。

 

(下し文)

元和十二年,始めて詔して 前の尚書右丞國子祭酒 魯國の孔公を用って廣州の刺史兼ね御史大夫と爲して,以て南服を殿【しず】む。

公は正直 方嚴,中心 樂易,職とする所を祗慎【ししん】す;

人を治むるに明を以てし,神に事【つか】うるに誠を以てす;

内外 單【ことご】とく盡して,表爆を爲さず。

 

(現代語訳)

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

 

韓愈の地図01 

(訳注) (7)三段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

元和十二年,始詔用前尚書右丞國子祭酒魯國孔公爲廣州刺史。

元和十二年始めて詔して、前の尚書右国子祭酒魯国の孔公を以て広州の刺史に任じた。

○孔公 817年元和十二年七月に、孔鄈を嶺南節度使に任じた。

 

兼御史大夫,以殿南服。

そして兼務として兼御史大夫に任じて、南方の地区を鎮め治めさせられた。

○殿南服 南服をしずむと読む。殿は鎮圧、定、さだむと訓じてもよい。『詩経』小雅采篇に「天子の邦殿む」とある。南服は五嶺山脈の南方の邦国。天子に服する邦国を服といぅ。

 

公正直方嚴,中心樂易,祗慎所職;

公は正直で几張面で厳格な人であるが、内心は穏やかに安らかであって、職務をつつしみ勤めるひとである。

○砥慎 二字共つつしむの義。

 

治人以明,事神以誠;

人を治めるのに明智を以てし、神に仕えるのに誠意・真心を以てする。

 

内外單盡,不爲表爆。

内面、外面のことはことごとく、表面を取り繕い、上辺を飾ることをしないのである。

○単 すべて、ことごとく。

○表爆 表面を飾る。爆は外衣の限界を超える。ここは外見はどうでもよいということ。
tasogare45000 

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《南海神廟碑-(6)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1022>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4094韓愈詩-272-2-3

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。


        
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《南海神廟碑-(6)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1022  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4094韓愈詩-272-2-3

 

 

(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 (6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

薦裸興俯,不中儀式;

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

吏滋不供,神不顧享;

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

韓愈の地図01 

(4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

南海神廟碑00 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)(6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

 

(下し文) (6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

(現代語訳)

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

 

 

(訳注) (5)二段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

水陸之品,狼籍籩豆;

水陸の供え物の類も、竹製の入れ物、木の盛り器に散乱している。

○狼籍 散り乱れる。狼の臥した跡は草が籍(敷)き伏していることからいう。

○籩豆 籩は竹編みの供え物入れ。豆は木で作った塩肉を入れる物。

 

薦裸興俯,不中儀式;

神に供え物を薦め、酒を祭壇にそそぐ裸の礼に、身を起こし下にうち伏す動作も儀式の定めにあたらない。

○薦裸 薦は神に供え物を進める。裸は鬱鬯の酒(鬱金草をひたし色香をつけた酒)を条項にそそいで神霊を降す儀式。

○興僻 身を起こし、身を伏す礼拝の動作。

 

吏滋不供,神不顧享;

役人はますます物を供えず、随って神は人々を顧みて祭りを受けることをしなくなるのだ。

○滋 ますます。いよいよ。

○顧享 神よ。 神が祭る人を顧みてその供え物を享けて福を下す。

 

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

そのため秋の暴風、あやしい雨が、吹き起こって定めなく、人はその害を蒙るのであった。

○盲風 秋に吹く暴風をいう。

○怪雨 気味悪い雨。

○発作 おこる。発しおこる。

 韓愈(韓退之)02

《南海神廟碑-(5)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1021>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4089韓愈詩-272-2-2

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

        
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《南海神廟碑-(5)》韓愈(韓退之Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1021  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4089韓愈詩-272-2-2

 

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(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 (6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

(4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

 

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『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)(5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

而委事於其副,其來已久。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

牲酒瘠酸,取具臨時;

 

(下し文)

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

 

(現代語訳)

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

 

(訳注) (5)二段-2

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

やがて船が進み、そして眺め見まわして、おそれ胸さわぎするのであった。それ故に常に病気を以て言いわけをしたのだ。

○怖惇 おそれ胸さわぐ。博もおそれる。

○為解 弁解とする

 

而委事於其副,其來已久。

そうして仕事を副官にまかせた。そのようなしきたりはすでに久しいのである。

 

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

故に清められた神殿、物いみの小屋も、上は雨ふり四方は風が吹き込み、屋根の蓋も、周囲の風の障りもない有様であった。

○明宮 神殿のこと

○齋廬 物の忌み清めをする小屋、廬はいおり。

○上雨旁風 上から雨漏り、横から風が吹き込む。

○蓋障 蓋は雨をふせぐ屋根、障は風を受ける壁、土塀など。

 

牲酒瘠酸,取具臨時;

犠牲は宿せて、酒は貧弱で酸っぱく、祭具もその時々の間に合わせのものを用いる。

○瘠酸 犠酒をうけていう。犠牲は宿せ、酒は古くて酸味がある。
韓愈の地図01 





 

《南海神廟碑-(4)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1020>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4084韓愈詩-272-2-1

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。


        
 2014年4月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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《南海神廟碑-(4)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1020  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4084韓愈詩-272-2-1

 

 

(4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

 (5)二段-2

既進,觀顧怖悸,故常以疾爲解,

而委事於其副,其來已久。

故明宮齋廬,上雨旁風,無所蓋障;

牲酒瘠酸,取具臨時;

(6)二段-3

水陸之品,狼籍籩豆;

薦裸興俯,不中儀式;

吏滋不供,神不顧享;

盲風怪雨,發作無節,人蒙其害。

 

(4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

(5)二段-2

既に進み,觀顧して怖悸【ふき】し,故に常に疾を以って解を爲す,

而して事を其の副に委ね,其の來るは已に久し。

故に明宮齋廬【さいろ】に,上雨 旁風し,蓋障【がいしょう】する所無し;

牲酒 瘠酸【せきさん】にして,具を臨時に取る;

(6)二段-3

水陸の品,籩豆に狼籍たり;

薦裸 興俯し,儀式に中【あた】らず;

吏 滋【ますま】す供せず,神 顧りみ享【う】けず;

盲風怪雨,發作して節無く,人 其の害を蒙る。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文) (4)二段-1

而刺史常節度五嶺諸軍,

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

地大以遠,故常選用重人。

既貴而富,且不習海事,

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

 

(下し文) (4)二段-1

而して刺史は常に五嶺の諸軍を節度し,

仍ち其の郡邑を觀察すべく,南方の事に於いて統べざる所無し,

地 大に以って遠く,故に常に重人を選用す。

既に貴くして富み,且つ海事に習わず,

又 祀時に當りて 海 常に大風多く,將に往んとして 皆憂戚す。

 

(現代語訳)

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。

寒梅000 

(訳注) (4)二段-1

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

而刺史常節度五嶺諸軍,

そして比の広州の刺史は、当然五嶺地方の諸軍を指し図した。

〇五嶺 潮撃福建の境の大痛∵始安・臨賀・桂陽・掲陽の五山傾。

 

仍觀察其郡邑,於南方事無所不統,

それはやはり其の郡の都市を観察して地方を治めなければならないからであり、南方の政治軍事において、統べて支配しないものはないのである。

 

地大以遠,故常選用重人。

その土地は大きくて遠く京師から離れている。それ故、重臣を選んで用いることになる。

○重人 重要な人物。

 

既貴而富,且不習海事,

重人はすでに貴い官について財も富み、その上、海の事に慣れていないのである。

 

又當祀時海常多大風,將往皆憂戚。

また祭りの時に当たって、海は常に大風が多い。南海神を祭りに扶胥の港に行こうとするときは、皆憂い盛んでいくのである。
韓愈の地図01 

《南海神廟碑》-3韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1019>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4079韓愈詩-272-1-3

こういうわけで、南海の神を冊書に記して尊び、広利王となした。常に立夏の気候になるときに、広州の刺史に命じて、祭事を祠廟のもとに行い、行事が終われば、宿場継ぎの速馬で朝廷に報告するのであった。

        
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南海神廟碑》-3韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1019  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4079韓愈詩-272-1-3

 sas0002

 

一段-1

海於天地間爲物最巨。

海は天地の間で、最も巨大な物である。

自三代聖王,莫不祀事,

夏・殷・周三代の聖王より以来、祀り仕えない王はなかった。

考於傳記,而南海神次最貴,

これを伝記の書に考えてみるに、南海の神の位は最も貴くて、

在北東西三神、河伯之上,

北海、東海、西海の三神や黄河の神、河伯の上にある。

號爲「祝融」。

祝融と号していた。

一段-2

天寶中,天子以爲古爵莫貴於公侯,

天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。

故海嶽之祝,犧幣之數,

故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、

放而依之,所以致崇極於大神。

公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。

今王亦爵也,而禮海嶽,

今は王も爵位であり、そして海や山岳に礼を以て仕える。

尚循公侯之事,虛王儀而不用,

まだ、公・侯の格式の行事に循って、王の儀礼があるのをむなしく用いないでいる。

非致崇極之意也。

崇敬の極みをささげるの意思ではないのである、ということなのである。

一段-3

由是冊尊南海神爲「廣利王」,

こういうわけで、南海の神を冊書に記して尊び、広利王となした。

祝號祭式,與次俱升。

祭神の称号及び祭礼の儀式なども、その地位とともに昇格したのである。

因其故廟,易而新之,

これまでの廟の場所をそのままにして、廟を易えて新しくした。

在今廣州治之東南,海道八十里,

今の広州の役所の東南、海路八十里離れたところにある。

扶胥之口,黄木之灣。

それが扶胥の港、黄木の湾である。
常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

常に立夏の気候になるときに、広州の刺史に命じて、祭事を祠廟のもとに行い、行事が終われば、宿場継ぎの速馬で朝廷に報告するのであった。

 

一段-1

海は天地の間において物爲ること最も巨なり。

三代の聖王より,祀事せざる莫し,

傳記に考えて,南海の神は次 最も貴し,

北、東、西の三神は、河伯の上に在る,

號して「祝融」と爲す。

一段-2

天寶中,天子以爲【おもえ】らく古の爵は公、侯より貴きは莫し,

故に海嶽の祝,犧幣【ぎへい】の數,

放【なら】って之に依り,崇極を大神に致す所以【ゆえん】なり。

今 王も亦た爵なりて,而して海嶽を禮す,

尚お公侯の事に循【したが】い,王儀を虛【むな】しゅうして用いざる,

崇極を致すの意に非ずなり。

一段-3

是に由りて冊して南海の神を尊んで「廣利王」と爲す,

祝號【しゅくごう】祭式【さいしき】,次と俱に升【のぼ】る。

其の故廟に因り,易くして之をに新す,

今の廣州の治の東南,海道八十里に在る,

扶胥【ふしょ】の口,黄木の灣あり。

常に立夏の氣至るを以って,廣州の刺史に命じて事 祠下【しか】に行わしめ,事 訖【おわ】って 驛 聞す。

南海神廟碑00 

 

『南海神廟碑』 現代語訳と訳註

(本文)一段-3

由是冊尊南海神爲「廣利王」,

祝號祭式,與次俱升。

因其故廟,易而新之,

在今廣州治之東南,海道八十里,

扶胥之口,黄木之灣。

常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

 

(下し文) 一段-3

是に由りて冊して南海の神を尊んで「廣利王」と爲す,

祝號【しゅくごう】祭式【さいしき】,次と俱に升【のぼ】る。

其の故廟に因り,易くして之をに新す,

今の廣州の治の東南,海道八十里に在る,

扶胥【ふしょ】の口,黄木の灣あり。

常に立夏の氣至るを以って,廣州の刺史に命じて事 祠下【しか】に行わしめ,事 訖【おわ】って 驛 聞す。

 

(現代語訳)

こういうわけで、南海の神を冊書に記して尊び、広利王となした。

祭神の称号及び祭礼の儀式なども、その地位とともに昇格したのである。

これまでの廟の場所をそのままにして、廟を易えて新しくした。

今の広州の役所の東南、海路八十里離れたところにある。

常に立夏の気候になるときに、広州の刺史に命じて、祭事を祠廟のもとに行い、行事が終われば、宿場継ぎの速馬で朝廷に報告するのであった。

 

(訳注) 一段-3

南海神廟碑

広州の南海神廟を修築した事を記した碑文である。これをを以て広州の刺史孔公の治績を、神も人も喜んでいることを表彰するということが主意である。韓愈、820年、元和15年 53歳、五十三歳の作である。

 

由是冊尊南海神爲「廣利王」,

こういうわけで、南海の神を冊書に記して尊び、広利王となした。

○冊 書冊(文書) に記して公式に任命する。

○廣利王 四海竜王(しかいりゅうおう)とは四海を治めるとされる四人の竜王の事である。本記事は主に中国の四海竜王について取り上げる。四海竜王は古くは唐の玄宗が、751年に四海の神を封じてそれぞれ広徳王(東海)、広利王(南海)、広潤王(西海)、広澤王(北海)の称号をそれぞれ授けている。

竜を真の姿として現れるが、普段は人間風の竜として、龍宮(水晶宮)でエビやカニたちに守られている。海を統治すること以外に、雲と雨を操る。怒らせると、都市を洪水にしてしまう。東海竜王が最も大きい領土をもつという。それぞれ別名がある。

東海龍王: 敖廣(ごうこう),廣徳王

南海龍王: 敖欽(ごうきん)または敖紹(ごうしょう),廣利王

西海龍王: 敖閏(ごうじゅん),廣順王

北海龍王: 敖順(ごうじゅん)敖炎(ごうえん),廣澤王

『封神演義』では、四海竜王の名は東海が敖光、西海は敖順、南海は敖明、北海は敖吉と記されている

 

祝號祭式,與次俱升。

祭神の称号及び祭礼の儀式なども、その地位とともに昇格したのである。

○祝号 前述「祝」の項に記した。

○次 位。位置。

 

因其故廟,易而新之,

これまでの廟の場所をそのままにして、廟を易えて新しくした。

 

在今廣州治之東南,海道八十里,

今の広州の役所の東南、海路八十里離れたところにある。

○海道 海上の道。

 

扶胥之口,黄木之灣。

それが扶胥の港、黄木の湾である。

○扶胥之口 広東省香南県南の地名。口は港。

○黄木之湾 扶胥の地の湾名。

 

常以立夏氣至,命廣州刺史行事祠下,事訖驛聞。

常に立夏の気候になるときに、広州の刺史に命じて、祭事を祠廟のもとに行い、行事が終われば、宿場継ぎの速馬で朝廷に報告するのであった。

○立夏 夏に入るという暦の上の日。五月六日或いは七日。

○駅聞 宿場でのいわゆる駅伝制の速馬で朝廷に報告する。
韓愈の地図01 

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天宝年間に、玄宗皇帝は思われた、いにしえの爵位は公爵・侯爵より貴いものは無い。故に海や山の祭りの格式、供物の犠牲や絹布の数量もきまっている、公・侯に見ならってその例により、これが尊崇の極みを大神にささげるわけのものであった。


        
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