(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕
422 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1120> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4584韓愈詩-422
製作年: 823年 長慶三年 56歲
卷別: 卷三四四 文體: 五言古詩
詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻
及地點: 太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都
交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)
李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)
奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻
(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)
〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕
〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕
#1
耒耜興姬國,輴欙建夏家。
昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。
在功誠可尚,於道詎為華。
この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。
象帝威容大,仙宗寶曆賒。
ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。
衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。
太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。
杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕
耒耜【らいし】姬國を興し,輴欙【ちゅんるい】夏家を建つ。
功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。
象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 賒かなり。
門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。
#2
禮樂追尊盛,乾坤降福遐。
四真皆齒列,二聖亦肩差。
陽月時之首,陰泉氣未牙。
殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。
#3
紫極觀忘倦,青詞奏不譁。
噌吰宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。
褻味陳奚取,名香薦孔嘉。
垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。
#4
貴相山瞻峻,清文玉絕瑕。
代工聲問遠,攝事敬恭加。
皎潔當天月,葳蕤捧日霞。
唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。
#2
禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。
四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。
陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。
殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。
#3
紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。
噌吰【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。
褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。
祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。
#4
貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕を絕つ。
工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。
皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。
唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註
(本文)
奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕
耒耜興姬國,輴欙建夏家。
在功誠可尚,於道詎為華。
象帝威容大,仙宗寶曆賒。
衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。
(下し文)
杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕
耒耜【らいし】姬國を興し,輴欙【ちゅんるい】夏家を建つ。
功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。
象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 賒かなり。
門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。
(現代語訳)
(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)
〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕
#1
昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。
この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。
ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。
象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。
太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。
(訳注)
奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕
(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1
杜相公 杜元穎。[唐](775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世孙。
和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(
《奉和李相公題蕭家林亭》
山公自是林園主,歎惜前賢造作時。
巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。
《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》
燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。
〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕
〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕
耒耜興姬國,輴欙建夏家。
昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。
耒耜 農機具の犂鍬など。
興姬國 周家を姬國といい、卲に封じられた后稷、名は奔
輴欙建夏家 書経に“水には船に乗り、陸には車に乗り、泥にはそりに乗り、山にはガンジキに乗る。”禹はこれらによって、天下を歴巡し、洪水を平らげて、夏国を建設した。
在功誠可尚,於道詎為華。
この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。
詎為華 決して華やかな事ではなく、地味な仕事をする。
象帝威容大,仙宗寶曆賒。
ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。
象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。
仙宗 仙道・仙家の宗祖。
寶曆賒 長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいのこと。
衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。
太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。
戟槊 戟も槊のホコ、武器のこと。










































