中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2014年07月

422 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1120>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4584韓愈詩-422

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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422 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1120>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4584韓愈詩-422

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

甘粛省-嘉峪関 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)


〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

#1

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。  

 

閶闔門001

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

耒耜興國,建夏家。 

在功誠可尚,於道詎為華。 

象帝威容大,仙宗寶曆 

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

 

(下し文)

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國を興し,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり。 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

 

(現代語訳)

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

 

(訳注)

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

杜相公杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

耒耜 農機具の犂鍬など。

國 周家を國といい、卲に封じられた后稷、名は奔

建夏家 書経に“水には船に乗り、陸には車に乗り、泥にはそりに乗り、山にはガンジキに乗る。”禹はこれらによって、天下を歴巡し、洪水を平らげて、夏国を建設した。

 

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

詎為華 決して華やかな事ではなく、地味な仕事をする。

 

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

仙宗 仙道・仙家の宗祖。

寶曆 長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいのこと。

 

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

戟槊 戟も槊のホコ、武器のこと。

圖壁 太清廟の四面の壁。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

421 《早春呈水部張十八員外,二首之二》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1119>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4579韓愈詩-421

こで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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421 《早春呈水部張十八員外,二首之二》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1119  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4579韓愈詩-421

 

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題:早春呈水部張十八員外,二首之二

交遊人物: 張籍  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

早春呈水部張十八員外,二首之二

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の

道う莫れ 官忙しく身は老大なり,即ち 年少 春を逐う心無しと。

君に憑って 先ず 江頭に到って看ん,柳色 如今 深きか 未だ深からざるかを。 

隋堤01 

 

 『早春呈水部張十八員外,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

早春呈水部張十八員外,二首之二

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

 

 (下し文)

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の二)

道う莫れ 官忙しく身は老大なり,即ち 年少 春を逐う心無しと。

君に憑って 先ず 江頭に到って看ん,柳色 如今 深きか 未だ深からざるかを。 

 

(現代語訳)

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

 

真竹002 

(訳注)

早春呈水部張十八員外,二首之二 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。)の二

 

 

莫道官忙身老大,即無年少逐春心。 

言っても仕方のないことだが、私も、役所仕事が忙しく、おまけに年を取ってしまった。そうはいっても少年のころ、何処までも春を追い回すような心がなくなってしまったというわけでもない。

老大 年を取ってしまったこと。

年少逐春心 少年のころ、何処までも好奇心旺盛で、春の景色を訪ね追い回すような心。

 

憑君先到江頭看,柳色如今深未深。 

そこで、君に依頼したいのは、まず、江頭に行ってもらって看てもらいたいのだ。それは柳の緑が既に深くなっているのか、未だにそうはなっていないのか、見てきて教えてくれ。もし緑深くなっているようなら、老骨に鞭うって、春のけしを見て回ろうと思うのだ。

江頭 運河から渭水にかけての土手に柳が植えられていたことをいう。

如今 只今。
長安付近図00 

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車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 早春呈水部張十八員外,二首之一 

交遊人物: 張籍  書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

早春呈水部張十八員外,二首之一 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一杯に広がるので一番の景勝ということになるのだ。

 

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の一) 

天街 小雨にして 潤うて酥の如し,草色 遙に看るも 近うて卻って無し。 

最も是れ 一年 春 好きの處,えて 勝る煙柳の皇都に滿る。 

 

楊貴妃清華池002 

 

『早春呈水部張十八員外,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

早春呈水部張十八員外,二首之一 

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

 

(含異文)

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都【勝花柳滿皇都】。 

 

(下し文)

(早春 水部張十八員外に呈す,二首の一) 

天街 小雨にして 潤うて酥の如し,草色 遙に看るも 近うて卻って無し。 

最も是れ 一年 春 好きの處,えて 勝る煙柳の皇都に滿る。 

 

(現代語訳)

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一杯に広がるので一番の景勝ということになるのだ。

唐長安城図 

 

(訳注)

早春呈水部張十八員外,二首之一 

(春は名のみのころ、水部の張籍に贈呈する詩、823  長慶三年  56の作。

 

 

天街小雨潤如酥,草色遙看近卻無。 

車馬の行き交う都大路に春の小雨がしとしとと降るだけで、あらゆるものが潤うが道路が小雨のためにバターを練ったような状態になる、草木は初めて芽を吹き、遠くから見ると緑色であるが近寄ってみるとまだ何にもなっていないのだ。

天街 都大路

潤如酥 馬や牛で路が小雨のためにバターを練ったような状態になること。

 

最是一年春好處,勝煙柳滿皇都。 

この場所は、一年中で春景色が一番よいという、いましもその季節になったということだ、みどりに煙った柳が天子の住む都、長安に一派にに広がるので一番の景勝ということになるのだ。

最是一年春好處 この場所は、一年中で春景色が一番よいという季節になったということ。

煙柳 みどりに煙った柳。

皇都 天子の住む都、長安。
隋堤01 

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韓愈《送鄭尚書赴南海》 尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 送鄭尚書【案:權。】赴南海 

及地點:  南海 (嶺南道東部 廣州 南海)     

番禺 (嶺南道東部 廣州 南海)     

武王臺 (嶺南道東部 廣州 廣州) 別名:越王台     

交遊人物: 鄭權 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

送鄭尚書赴南海 

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

衙時龍集,上日馬人來。 

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

貨通師子國,樂奏武王臺。 

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

 

(鄭尚書の南海に赴くを送る) 

番禺 軍府盛んなり,かんと欲して暫く 杯を停む。 

海を蓋うて 旂幢【きどう】出で,天に連って觀閣開く。 

衙時【がじ】龍集まり,上日 馬人來る。 

風靜かにして 鶢鶋【rんきょ】去り,官廉にして蚌蛤【ぼうこう】迴える。 

貨は師子國に通じ,樂は武王臺に奏す。 

事事 皆 殊異なり,嫌う無れ 大才を屈するを。 

閶闔門001 

 

『送鄭尚書赴南海』 現代語訳と訳註

(本文)

送鄭尚書赴南海 

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

衙時龍集,上日馬人來。 

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

貨通師子國,樂奏武王臺。 

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

 

(含異文)

送鄭尚書【案:權。】赴南海 

番【案:音潘。】禺【案:音愚。】軍府盛,欲暫停杯。

蓋海旂幢出,連天觀閣開。衙時龍集,上日馬人來。

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。貨通師子國,樂奏武王臺。

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

 

(下し文)

(鄭尚書の南海に赴くを送る) 

番禺 軍府盛んなり,かんと欲して暫く 杯を停む。 

海を蓋うて 旂幢【きどう】出で,天に連って觀閣開く。 

衙時【がじ】龍集まり,上日 馬人來る。 

風靜かにして 鶢鶋【rんきょ】去り,官廉にして蚌蛤【ぼうこう】迴える。 

貨は師子國に通じ,樂は武王臺に奏す。 

事事 皆 殊異なり,嫌う無れ 大才を屈するを。 

 

(現代語訳)

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

 

唐時代 韓愈関連05 

(訳注)

送鄭尚書赴南海 

(鄭尚書が廣州南海郡に赴かれるを送別してこの詩をつくる。)

鄭尚書 鄭尚書は、名を權、汴州開封の人。

尚書 中国の官名。秦(しん)代に設置され、初めは天子の文書の授受をつかさどる小官だったが、しだいに地位が上がり、唐代~明代には六部の長官となった。

南海 廣州南海郡。嶺南は州を七十の内、二十二は嶺南節度府に隷す、その内四十余は四府に分かち、府ごとに帥を置く。

 

番禺軍府盛,欲暫停杯。 

番禺の節度府は、管轄する地域が広大で、その勢威は盛んである。そこでその地の風土を説明しようとしてしばらく盃を留めて、ゆっくりと語ることにしよう。

番禺 南海縣のことを漢代では番禺縣という。番山と禺山があり、そのことで名づくとされる。

軍府 節度軍の幕府。

 

蓋海旂幢出,連天觀閣開。 

鄭尚書がこの度赴任される道すがら、はたさしものは、海を蔽うほどに髙く掲げだし、やがて、南海に近くなれば、樓観亭閣の天に接して開くのが見える。

旂幢 節度軍の旗。

觀閣 樓観亭閣。

 

衙時龍集,上日馬人來。 

もとより、野蛮で荒れ果てたところであるから、役所の執務時間には、采珠を業務とする蜑戸のものどもがあつまってきて、元日には、参賀のために、馬留人どもまでやってくる。

衙時 役所の執務時間。

 采珠を業務とする蜑戸のものども。

上日 元日。

馬人 馬留人。南蛮人の精鋭。

 

風靜鶢鶋去,官廉蚌蛤迴。 

尚書は、ひと度その地に臨んで施政を行えば、清平にして、采篇なども怒らず、風も静かであるから、鴎なども、陸から去って海に浮び、それに、官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来ることだろう。

鶢鶋 かもめ。

官廉蚌蛤迴 官僚としても清廉であることから、古の孟嘗のように一度ここを去った真珠貝なども、またぞろ、もとの所へ戻って来る。

 

貨通師子國,樂奏武王臺。 

常に獅子国と交通して、かの土地の物貨を輸入し、古の趙佗の古跡たる武王台において、楽を奏じて、官も民も心のどかに落ち着くこともできるだろう。

師子國 マレーシア半島に存在した国。

武王臺 漢の廣州府、趙佗の古跡たる武王台

 

事事皆殊異,無嫌屈大才。 

南海は、事事物物、中土と違っているが、右の次第で、施政にも張り合いがあるというもので、折角の大才を屈することをもって嫌いと為さず、せいぜい力を盡して、朝旨にかなうようにされたらよいのではなかろうか。

殊異 普通見るものと違っている。
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419 《枯樹》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1116>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4564韓愈詩-419

韓愈《枯樹》老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

    韓昌黎集 巻十

詩題: 枯樹 

 

 

枯樹 

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

猶堪持改火,未肯但空心。 

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

 

(枯樹) 

老樹 枝葉無く,風霜 復た侵さず。

腹は穿って 人 過ぐ可く,皮は剝けて 蟻 還た尋ぬ。

寄託 惟だ 朝菌,依投 暮禽をつ。

猶お 持して火をむ改るに堪えたり,未だ肯て 但だ空心ならず。

sas0011

 

『枯樹』 現代語訳と訳註

(本文)

枯樹 

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

猶堪持改火,未肯但空心。 

 

(下し文)

(枯樹) 

老樹 枝葉無く,風霜 復た侵さず。

腹は穿って 人 過ぐ可く,皮は剝けて 蟻 還た尋ぬ。

寄託 惟だ 朝菌,依投 暮禽をつ。

猶お 持して火をむ改るに堪えたり,未だ肯て 但だ空心ならず。

 

(現代語訳)

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

 

(訳注)

枯樹 

(老木を見て、全く邪魔にすることはなく、役に立たないものとすることはない。)

韓愈哲学というほどの物でなく、律詩としても、あんまり、良いものともいえない。二十四節季「寒食」の際に作ったものか。

寒食(ハンシク)は冬至から数えて105日目に行われる名節。端午(단오)、秋夕(추석)、旧正月(설날)とともに韓国の4大名節のひとつに数えられる。中国の介子推の伝説や改火儀礼に由来するといわれ、この日には火を使わずに冷たいものを食べる習慣がある

 

老樹無枝葉,風霜不復侵。 

老樹は枯れてしまって、枝もなく、葉もなく、したがって風霜もまた降りたとしてもそれによって凋んだり傷んだりすることはない。

 

腹穿人可過,皮剝蟻還尋。 

横っ腹に穴が開いていて人が通れることもあるし、皮は向けてしまい、有が巣を作ったと見えて、しきりにその中に尋ねて入ってゆく。

腹穿 横っ腹に穴が開いている。

 

寄託惟朝菌,依投暮禽。 

こうしたことに生を寄託するというのは晦朔を知らない朝菌だけであって、もはや夕方に鳥が巣に帰るといってもこんな樹にかえることはない。

朝菌 《荘子逍遥遊》「朝菌不知晦朔。」(朝菌は晦朔を知らず)「晦朔」は月の晦日(みそか)・朔日(ついたち)の意〕 限られた境遇にあるものは,広い世界があることを知らない。短命のたとえ。

暮禽 夕方に鳥が巣に帰ること。

 

猶堪持改火,未肯但空心。 

しかし、これを持って、火を改めるに用いることはできるので、何も中心まで空虚で、全く役に立たないというものでもないのである。

改火 古代の改火儀礼、新しい火の陽火で各季節の気を招くこと。古い火は生命力が失われ人間に対しても悪い影響を与えるとし、古い火は消し新しい 火を入れる改火儀礼が周期的に行われることをいう.老木の方がよく燃える。

空心 中心部が空になっている。

418ー#3 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1115>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4559韓愈詩-418ー#3

そうした学問に大志を抱くことは、龍魚の海の視野を得ることであり、黃鵠が一翼千里をうって高く遠く飛ぶようなもので、ぜひそうなることを願っている。随分かしこい人がさらに学を積むのであるから、その学風を伝えてほしいが、暇を作って新しい詩文を作ってもらいたいもので、それを月に三、四幅づつ寄せてください。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 送諸葛覺往隨州讀書〔李繁時為隨州刺史,宰相泌之子也。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物: 諸葛覺 當地交遊(京畿道 京兆府長安)

李繁 詩文提及(山南東道 隨州 隨州)

 

 

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

鄴侯家多書,插架三萬軸。

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

一一懸牙籤,新若手未觸。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

為人強記覽,過眼不再讀。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

偉哉群聖文,磊落載其腹。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

#2

行年五十餘,出守數已六。

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

京邑有舊廬,不容久食宿。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

臺閣多官員,無地寄一足。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

我雖官在朝,氣勢日局縮。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

#3

屢為丞相言,雖懇不見錄。

そうした中で、しばしば、丞相のために意見を述べて、そのきわめて懇切なれども、一向に取り上げてくれないということで、李繁のように、外に出る方が良いのかもしれないのだ。

送行過滻水,東望不轉目。

先に、李繁が随州へ赴任するときに、長安の東、滻水の駅亭まで送っていったときには振り返ることもなく、東の方を望んで眼を移さなかった。

今子從之遊,學問得所欲。

そうしたことから、今君が随州に行って、李繁の門下に遊ぶということは、学問が思う存分できるというものだと思う。

入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

そうした学問に大志を抱くことは、龍魚の海の視野を得ることであり、黃鵠が一翼千里をうって高く遠く飛ぶようなもので、ぜひそうなることを願っている。

勉為新詩章,月寄三四幅。

随分かしこい人がさらに学を積むのであるから、その学風を伝えてほしいが、暇を作って新しい詩文を作ってもらいたいもので、それを月に三、四幅づつ寄せてください。

 

(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)

鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。

一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。

人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。

偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。

#2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

#3

屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。

行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。

今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。

海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。

勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。 

閶闔門001 

 

『送諸葛覺往隨州讀書』 現代語訳と訳註

(本文) #3

屢為丞相言,雖懇不見錄。送行過滻水,東望不轉目。

今子從之遊,學問得所欲。入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

勉為新詩章,月寄三四幅。 

 

(下し文) #3

屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。

行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。

今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。

海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。

勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。 

 

(現代語訳)

そうした中で、しばしば、丞相のために意見を述べて、そのきわめて懇切なれども、一向に取り上げてくれないということで、李繁のように、外に出る方が良いのかもしれないのだ。

先に、李繁が随州へ赴任するときに、長安の東、滻水の駅亭まで送っていったときには振り返ることもなく、東の方を望んで眼を移さなかった。

そうしたことから、今君が随州に行って、李繁の門下に遊ぶということは、学問が思う存分できるというものだと思う。

そうした学問に大志を抱くことは、龍魚の海の視野を得ることであり、黃鵠が一翼千里をうって高く遠く飛ぶようなもので、ぜひそうなることを願っている。

随分かしこい人がさらに学を積むのであるから、その学風を伝えてほしいが、暇を作って新しい詩文を作ってもらいたいもので、それを月に三、四幅づつ寄せてください。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) #3

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

諸葛覺は、初め僧侶であったのが、還俗した後、学を修め洛陽にいて、韓愈・孟郊の二人と知り合う。随州は李泌の子繁が刺史であった地である。その家に蔵書が多いがために、諸葛覺は、学問修業のため、それと、李繁に教えを乞うため、その地に赴かんとし、よって韓愈がこの詩を作って、その行を送ったのである。

 

屢為丞相言,雖懇不見錄。

そうした中で、しばしば、丞相のために意見を述べて、そのきわめて懇切なれども、一向に取り上げてくれないということで、李繁のように、外に出る方が良いのかもしれないのだ。

 

送行過滻水,東望不轉目。

先に、李繁が随州へ赴任するときに、長安の東、滻水の駅亭まで送っていったときには振り返ることもなく、東の方を望んで眼を移さなかった。

滻水 ・灞滻 㶚水と滻水 長安の東を北流して渭水にそそぐ。・涇渭 涇水と渭水 渭水は長安の北側を西から東へながれ、清流であり、涇水は長安の東で渭水に合流する濁流の河川である。

司馬相如 《上林賦》

「且夫齊楚之事又烏足道乎!

君未覩夫巨麗也,獨不聞天子之上林乎?

左蒼梧,右西極,

丹水更其南,紫淵徑其北。

終始灞滻,出入涇渭;

酆鎬潦潏,紆餘委蛇,經營乎其

 

今子從之遊,學問得所欲。

そうしたことから、今君が随州に行って、李繁の門下に遊ぶということは、学問が思う存分できるというものだと思う。

 

入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

そうした学問に大志を抱くことは、龍魚の海の視野を得ることであり、黃鵠が一翼千里をうって高く遠く飛ぶようなもので、ぜひそうなることを願っている。

龍魚  《山海經·海外西經》龍魚陵居在其北(西域古地名沃野北面),狀如鯉。

黃鵠 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。

 

勉為新詩章,月寄三四幅。 

随分かしこい人がさらに学を積むのであるから、その学風を伝えてほしいが、暇を作って新しい詩文を作ってもらいたいもので、それを月に三、四幅づつ寄せてください。
長安付近図00 

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《送諸葛覺往隨州讀書》-#2韓愈≫而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

 
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年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 送諸葛覺往隨州讀書〔李繁時為隨州刺史,宰相泌之子也。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東     

交遊人物: 諸葛覺 當地交遊(京畿道 京兆府長安)

李繁 詩文提及(山南東道 隨州 隨州)

 

 

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

鄴侯家多書,插架三萬軸。

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

一一懸牙籤,新若手未觸。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

為人強記覽,過眼不再讀。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

偉哉群聖文,磊落載其腹。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

#2

行年五十餘,出守數已六。

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

京邑有舊廬,不容久食宿。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

臺閣多官員,無地寄一足。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

我雖官在朝,氣勢日局縮。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

#3

屢為丞相言,雖懇不見錄。送行過滻水,東望不轉目。

今子從之遊,學問得所欲。入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

勉為新詩章,月寄三四幅。 

 

(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)

鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。

一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。

人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。

偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。

#2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

#3

屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。

行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。

今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。

海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。

勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。 

 

長安城郭015 

『送諸葛覺往隨州讀書』 現代語訳と訳註

(本文) #2

行年五十餘,出守數已六。

京邑有舊廬,不容久食宿。

臺閣多官員,無地寄一足。

我雖官在朝,氣勢日局縮。

 

(下し文) #2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

 

(現代語訳)

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

 

(訳注) #2

行年五十餘,出守數已六。

而も、その年は既に五十を過ぎているというのに、官途は未だに進んでいなくて、外に出でて、刺史になること、合わせて6回に及ぶという。

 

京邑有舊廬,不容久食宿。

都の一角に先祖からの旧宅があるというも、そこに落ち着いて寝食することができないのである。

京邑 長安、都の一角。

舊廬 先祖から受け継いだ旧宅がある。

食宿 生活を維持していくこと。

 

臺閣多官員,無地寄一足。

台閣には官員も多くいるのではあるが、李繁はその列に入って足を並べる適当な職が全くないのだ。

臺閣 1 たかどの。楼閣。2 国家の政治を行う機関。政府。内閣。

 

我雖官在朝,氣勢日局縮。

我は朝廷に在官しているとはいえ、牛李党派の争い、宦官の台頭など政治的な不遇にあって、度重ねて左遷されたことなどから意気消沈せざるを得ない状況なのだ。

○日局縮 日々の時局において萎縮するようなこと。韓愈はその発言に倚り、二度も罪を得て、一度目は陽山県令に、二度目は潮州刺史に貶められたことで、発言に注意しているということ。この頃は宦官が諜報機関のような役割を演じていた。そうしたなかに、牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国唐代の憲宗期から宣宗期(808年から849年)にかけて起こった政争。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。
洛陽南陽地図002

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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 送諸葛覺往隨州讀書〔李繁時為隨州刺史,宰相泌之子也。〕 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:  隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東      

交遊人物/地點: 諸葛覺 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

李繁 詩文提及(山南東道 隨州 隨州)

 

 

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

鄴侯家多書,插架三萬軸。

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

一一懸牙籤,新若手未觸。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

為人強記覽,過眼不再讀。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

偉哉群聖文,磊落載其腹。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

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行年五十餘,出守數已六。京邑有舊廬,不容久食宿。

臺閣多官員,無地寄一足。我雖官在朝,氣勢日局縮。

#3

屢為丞相言,雖懇不見錄。送行過滻水,東望不轉目。

今子從之遊,學問得所欲。入海觀龍魚,矯翮逐黃鵠。

勉為新詩章,月寄三四幅。 

 

(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)

鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。

一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。

人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。

偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。

#2

行年 五十に餘り,出でて守たること 數 已に六。

京邑に 舊廬有れど,久しく食宿するを容さず。

臺閣に官員多けれど,一足を寄するに地無し。

我 官して朝に在りと雖も,氣勢 日に局縮す。

#3

屢ば 丞相の為に言う,雖懇なりと錄せられず。

行を送って滻水を過ぎ,東に望んで目を轉ぜず。

今 子 之に從って遊び,學問 欲する所を得ん。

海に入って龍魚を觀,翮を矯げては黃鵠を逐へ。

勉めて新詩章を為り,月き 三四幅を寄せよ。  

 韓愈ルート01

 

『送諸葛覺往隨州讀書』 現代語訳と訳註

(本文)

送諸葛覺往隨州讀書

鄴侯家多書,插架三萬軸。

一一懸牙籤,新若手未觸。

為人強記覽,過眼不再讀。

偉哉群聖文,磊落載其腹。

 

(下し文)

(諸葛覺の隨州に往きて書を讀むを送る)

鄴侯 家に書を多くし,架に插むは三萬軸。

一一 牙籤【がせん】を懸け,新なること 手 未だ觸れざるが若し。

人と為り 記覽に強,眼を過れば再び讀まず。

偉なる哉 群聖の文,磊落 其の腹に載す。

 

(現代語訳)

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注)

送諸葛覺往隨州讀書

(諸葛覺が随州李繁刺史のところへ学問修業のため、それと、教えを乞うため、その地に赴くに対し、韓愈がこの詩を作って、その行を送った。)

諸葛覺は、初め僧侶であったのが、還俗した後、学を修め洛陽にいて、韓愈・孟郊の二人と知り合う。随州は李泌の子繁が刺史であった地である。その家に蔵書が多いがために、諸葛覺は、学問修業のため、それと、李繁に教えを乞うため、その地に赴かんとし、よって韓愈がこの詩を作って、その行を送ったのである。

 

鄴侯家多書,插架三萬軸。

名だたる李鄴侯の家には、蔵書がとてもたくさんある、書棚の上には、巻物として三万軸もある。

鄴侯 鄴縣侯に封じられ、随州刺史に塁遷した李繁のこと。

家多書 先祖代々蔵書する家系、家族であることですこぶる所が多い。

 

一一懸牙籤,新若手未觸。

一一紙札を付けて書名を記し、平生の整理も、手入れも、行き届いているのでどれもこれもいまだ汚損しているものはなく、まるで新しくて、まだ手を触れぬようである。

牙籤 象牙を削って作った薄い札。

 

為人強記覽,過眼不再讀。

今の主人の李繁は、人となり博聞強記で、一度目を通せば、すっかり暗記して再び読み返すことなどないのだ。

 

偉哉群聖文,磊落載其腹。

古来、郡聖の書かれたものは、うず高く積まれてその腹の上に乗せてある。

磊落 ここは落ちそうなほど高く積み上げている。

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武器も溶かしてしまっても良い様になるということで、そのへんのところをよろしくご注意願いたいのです。「周公が一食三度、哺をはき、一沐に三度髪を捉えて、」天下の士を引見したという、それほど勤労を憚らず、もっぱら人材を登用したならばやがて風雨も自然に調い、世の中は太平になるであろう。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊【案:李相公,逢吉也。】 

及地點:  終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山     

交遊人物: 李逢吉 書信往來

 

 

和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。

川原共澄映,雲日還浮飄。

上宰嚴祀事,清途振華鑣。

圓丘峻且坦,前對南山標。

村樹黃複綠,中田稼何饒。

(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)

燦々として輝く房星が角宿にあたって、夜がほのぼのと明けると、白露は所せまきまでおきあまり、

一帯の平原は澄んで相い映ずるがごとく、雲日共に清くして、さながら空中に浮薸するかと思われる。

この時、李相公は祀事の御名代を仰せつかって、立派なクツワを馬に食ませて、奇麗に掃き清めたる大道をしづしづと乗り出した。

天を祀る円丘は高くして、その上は平坦であり、そして、位置からいうと、前は終南山の絶頂に対していて、そこで例の祭儀を行われるのである。

その間なる村々の木は、既に黄ばみたるものあり、あるいは綠なるものもある。田圃の稲は十分に熟している。

#2

顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。

惟彼顛瞑者,去公豈不遼。

為仁朝自治,用靜兵以銷。

勿憚吐捉勤,可歌風雨調。

聖賢相遇少,功德今宣昭。

顧りみれば終南山の巖谷の幽遂なるを想い、都の御門内の塵囂には呆れ果てて、何にも考えが出来なくなるほどの歎を発したのである。

これは、彼ら富貴者たちに顛瞑している俗物は,公のもとを去ることは実に遠く、まるで相手にされないだけなら一向に構わないのである。

仁を行えば、朝廷によって自然に収まるということで、靜を用いるというならば 騒乱というものは何時しか治まってゆくのである。

武器も溶かしてしまっても良い様になるということで、そのへんのところをよろしくご注意願いたいのです。「周公が一食三度、哺をはき、一沐に三度髪を捉えて、」天下の士を引見したという、それほど勤労を憚らず、もっぱら人材を登用したならばやがて風雨も自然に調い、世の中は太平になるであろう。

はともあれ聖君賢相の相い遭うということは、きわめてまれなことで、今あなたの功徳が天下に宣昭されるのは、天子の御心にもかなうという次第である。

 

(和李相公 事を南郊に攝し,物を覽て懷を興す,一二の知舊に呈す)

燦燦【さんさん】として辰角【しんかく】を曙【あ】け,亭亭として 寒露 朝【あした】なり。 

川原と共に澄映【ちょうえい】し,雲日 還た浮飄【ふひょう】す。 

上宰 祀事を嚴にし,清途 華鑣【かひょう】を振う。 

圓丘 峻にして 且つ坦なり,前は南山の標に對す。 

村樹 黃 復た綠にして,中田 稼 何ぞ饒ならん。 

#2

顧瞻【こせん】して巖谷を想い,歎を興して塵囂【じんごう】に倦【う】む。

惟れ彼の顛瞑【てんめい】の者なり,公を去る 豈に 遼【とお】からざらんや。

仁を為して 朝 自ら治まり,靜を用いて 兵 以って 銷ゆ。

吐捉【とそく】の勤を憚かる勿れ,風雨の調えるを歌う可し。 

聖賢 相い遇うこと少し,功德 今 宣昭す。 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊』 現代語訳と訳註

(本文)#2

顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。

為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。

聖賢相遇少,功德今宣昭。

(含異文)

顧瞻想巖谷,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。

為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤【勿憚吐握勤】【吐捉,本《史記》;今人用吐握,本《韓詩外傳》也。】,可歌風雨調。

聖賢相遇少,功德今宣昭。 

 

(下し文)

顧瞻【こせん】して巖谷を想い,歎を興して塵囂【じんごう】に倦【う】む。

惟れ彼の顛瞑【てんめい】の者なり,公を去る 豈に 遼【とお】からざらんや。

仁を為して 朝 自ら治まり,靜を用いて 兵 以って 銷ゆ。

吐捉【とそく】の勤を憚かる勿れ,風雨の調えるを歌う可し。 

聖賢 相い遇うこと少し,功德 今 宣昭す。 

 

(現代語訳)

顧りみれば終南山の巖谷の幽遂なるを想い、都の御門内の塵囂には呆れ果てて、何にも考えが出来なくなるほどの歎を発したのである。

これは、彼ら富貴者たちに顛瞑している俗物は,公のもとを去ることは実に遠く、まるで相手にされないだけなら一向に構わないのである。

仁を行えば、朝廷によって自然に収まるということで、靜を用いるというならば 騒乱というものは何時しか治まってゆくのである。

武器も溶かしてしまっても良い様になるということで、そのへんのところをよろしくご注意願いたいのです。「周公が一食三度、哺をはき、一沐に三度髪を捉えて、」天下の士を引見したという、それほど勤労を憚らず、もっぱら人材を登用したならばやがて風雨も自然に調い、世の中は太平になるであろう。

はともあれ聖君賢相の相い遭うということは、きわめてまれなことで、今あなたの功徳が天下に宣昭されるのは、天子の御心にもかなうという次第である。

長安城郭015 

 

(訳注) #2

和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊

(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

 

顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。

顧りみれば終南山の巖谷の幽遂なるを想い、都の御門内の塵囂には呆れ果てて、何にも考えが出来なくなるほどの歎を発したのである。

塵囂【じんごう】 俗世間のうるさい事柄。

 

惟彼顛瞑者,去公豈不遼。

これは、彼ら富貴者たちに顛瞑している俗物は,公のもとを去ることは実に遠く、まるで相手にされないだけなら一向に構わないのである。

顛瞑 倒れて眠ること。《荘子》富貴の地に顛瞑す。

 

為仁朝自治,用靜兵以銷。

仁を行えば、朝廷によって自然に収まるということで、靜を用いるというならば 騒乱というものは何時しか治まってゆくのである。

朝自治 朝廷によって自然に収まる。

 

勿憚吐捉勤,可歌風雨調。

武器も溶かしてしまっても良い様になるということで、そのへんのところをよろしくご注意願いたいのです。「周公が一食三度、哺をはき、一沐に三度髪を捉えて、」天下の士を引見したという、それほど勤労を憚らず、もっぱら人材を登用したならばやがて風雨も自然に調い、世の中は太平になるであろう。

吐捉勤 すべてを差し置いて賢人を熱心に求める様。 吐哺握髪ともいう。 中国の周公旦が一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した故事から。 《史記》「握髪吐哺: 一饋十起: 吐哺握髪: 吐哺捉髪.」今の人が「吐握」という語を用いるのは,《韓詩外傳》に基づくものである。

 

聖賢相遇少,功德今宣昭。

何はともあれ聖君賢相の相い遭うということは、きわめてまれなことで、今あなたの功徳が天下に宣昭されるのは、天子の御心にもかなうという次第である。
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(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)燦々として輝く房星が角宿にあたって、夜がほのぼのと明けると、白露は所せまきまでおきあまり、

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四二  文體: 五言古詩 

詩題: 和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊【案:李相公,逢吉也。】 

及地點:  終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山     

交遊人物: 李逢吉 書信往來

 

 

和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊

(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。

燦々として輝く房星が角宿にあたって、夜がほのぼのと明けると、白露は所せまきまでおきあまり、

川原共澄映,雲日還浮飄。

一帯の平原は澄んで相い映ずるがごとく、雲日共に清くして、さながら空中に浮薸するかと思われる。

上宰嚴祀事,清途振華鑣。

この時、李相公は祀事の御名代を仰せつかって、立派なクツワを馬に食ませて、奇麗に掃き清めたる大道をしづしづと乗り出した。
圓丘峻且坦,前對南山標。

天を祀る円丘は高くして、その上は平坦であり、そして、位置からいうと、前は終南山の絶頂に対していて、そこで例の祭儀を行われるのである。
村樹黃複綠,中田稼何饒。

その間なる村々の木は、既に黄ばみたるものあり、あるいは綠なるものもある。田圃の稲は十分に熟している。

#2

顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。

為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。

聖賢相遇少,功德今宣昭。

 

(和李相公 事を南郊に攝し,物を覽て懷を興す,一二の知舊に呈す)

燦燦【さんさん】として辰角【しんかく】を曙【あ】け,亭亭として 寒露 朝【あした】なり。 

川原と共に澄映【ちょうえい】し,雲日 還た浮飄【ふひょう】す。 

上宰 祀事を嚴にし,清途 華鑣【かひょう】を振う。 

圓丘 峻にして 且つ坦なり,前は南山の標に對す。 

村樹 黃 復た綠にして,中田 稼 何ぞ饒ならん。 

#2

顧瞻【こせん】して巖谷を想い,歎を興して塵囂【じんごう】に倦【う】む。

惟れ彼の顛瞑【てんめい】の者なり,公を去る 豈に 遼【とお】からざらんや。

仁を為して 朝 自ら治まり,靜を用いて 兵 以って 銷ゆ。

吐捉【とそく】の勤を憚かる勿れ,風雨の調えるを歌う可し。 

聖賢 相い遇うこと少し,功德 今 宣昭す。 

 

寒梅000 

『和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊』 現代語訳と訳註

(本文)

和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。

上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。

村樹黃複綠,中田稼何饒。

 

(下し文)

(和李相公 事を南郊に攝し,物を覽て懷を興す,一二の知舊に呈す)

燦燦【さんさん】として辰角【しんかく】を曙【あ】け,亭亭として 寒露 朝【あした】なり。 

川原と共に澄映【ちょうえい】し,雲日 還た浮飄【ふひょう】す。 

上宰 祀事を嚴にし,清途 華鑣【かひょう】を振う。 

圓丘 峻にして 且つ坦なり,前は南山の標に對す。 

村樹 黃 復た綠にして,中田 稼 何ぞ饒ならん。 

 

(現代語訳)

(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)

燦々として輝く房星が角宿にあたって、夜がほのぼのと明けると、白露は所せまきまでおきあまり、

一帯の平原は澄んで相い映ずるがごとく、雲日共に清くして、さながら空中に浮薸するかと思われる。

この時、李相公は祀事の御名代を仰せつかって、立派なクツワを馬に食ませて、奇麗に掃き清めたる大道をしづしづと乗り出した。

天を祀る円丘は高くして、その上は平坦であり、そして、位置からいうと、前は終南山の絶頂に対していて、そこで例の祭儀を行われるのである。

その間なる村々の木は、既に黄ばみたるものあり、あるいは綠なるものもある。田圃の稲は十分に熟している。

 

辟雍00 

(訳注)

和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊

(この詩は李逢吉が天子の御名代として、南郊に天を祀り、その際、打ち見たる風景に対して感興を催し、詩を作って、一二の旧知に寄せたから、韓愈がこれに和して作った。)

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

 

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。

燦々として輝く房星が角宿にあたって、夜がほのぼのと明けると、白露は所せまきまでおきあまり、

辰角 房星が角宿に来て夜が明ける。

亭亭 夜がほのぼのと明ける。

 

川原共澄映,雲日還浮飄。

一帯の平原は澄んで相い映ずるがごとく、雲日共に清くして、さながら空中に浮薸するかと思われる。

雲日 雲と太陽。

謝靈運《登江中孤嶼》

江南捲歴覧、江北曠周旋。

懐新道轉迴、尋異景不延。

乱流趨正紀、弧嶼媚中川。

雲日相輝映、空水共澄鮮。

表靈物莫賞、蘊眞誰爲傅。

想像崑山姿、緬邈區中縁。

始信安期術、得盡養生年。

登江中孤嶼 謝靈運 <28> 詩集401 紀頌之 漢詩ブログ1020

 

上宰嚴祀事,清途振華鑣。

この時、李相公は祀事の御名代を仰せつかって、立派なクツワを馬に食ませて、奇麗に掃き清めたる大道をしづしづと乗り出した。

上宰 李相公。

振華鑣 立派なクツワを馬に食ませ鳴らせる。

 

圓丘峻且坦,前對南山標。

天を祀る円丘は高くして、その上は平坦であり、そして、位置からいうと、前は終南山の絶頂に対していて、そこで例の祭儀を行われるのである。

圓丘 天を祀る円丘は高くする。

南山標 終南山の絶頂。

 

村樹黃複綠,中田稼何饒。

その間なる村々の木は、既に黄ばみたるものあり、あるいは綠なるものもある。田圃の稲は十分に熟している。

中田 田圃の中。

 稲、穀物。

カンナ223

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私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

 
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416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4

 

 

製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。


顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

 DCF00212

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(下し文)

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

(現代語訳)

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。

01 朝賀の服装 

(訳注) #4

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

吾老世味薄,因循致留連。

私は年をとって世の中のことには関心が薄くなり、以前からの型どおりにつとめて、居すわりを続けている。

世味薄 世の中のことには関心が薄くなってきた。

因循 ぐずぐずすること。

致留連 そのまま居座る。

 

強顏班行,何實非罪愆。

朝廷の百官のなかに厚かましくも加わっているしまつで、それ自体が疑いもなく罪なのだ。

強顏 厚顔。あつかましい。

 

才短難自力,懼終莫洗湔。

才能には乏しいので努力してみてもむずかしい。ついにはぬぐいきれぬ汚点を残すのではないかと気がかりだ。

洗湔 昔の過去を洗い雪ぐ。

 

臨分不汝誑,有路即歸田。

別れに臨んでおまえに嘘はつくまい。即座に官職を辞して田園に帰る道が開けているのだ。
韓愈の地図0055 

416-#3 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1109>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4529韓愈詩-416-#3

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

 
 2014年7月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

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冬夜豈不長,達旦燈燭然。

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

時輩千百人,孰不謂汝妍。

汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。

人生但如此,其實亦可憐。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。

 

(訳注) #3

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

時輩千百人,孰不謂汝妍。

宣州の刺史から招かれて遠くその地に赴くとのことであるが、刺史たるものも、一時の名賢であって、その眷顧をうけたのは、もとより、めいよといわねばならず、同輩たち何千何百人よりあつまったところで、おまえの才能を立派だといわぬ者はないのである。

 

汝來江南近,裏閭故依然。

おまえが江南の宣州付近に来たとき、そこには我が韓家の別業がなお存在し、村里のたたずまいがもとのままなのを見るであろう。

裏閭故依然 宣城は長江下流域、江南にあって、韓愈の別業があった。

 

昔日同戲兒,看汝立路邊。

そして、むかしいっしょに遊んだ子供たちがおまえを見てうやうやしく道はたに立ってお前を迎えてくれるだろう。

 

人生但如此,其實亦可憐。

人生というものはこのようなものであり、立身出世は、なかなか容易なことではなく、おまえはまずよいほうであるとして、愛すべきものではないだろうか。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

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製作年:823年 長慶三年56

卷別:, 卷三四一, 文體:, 五言古詩.

詩題: 示爽. 詩序:.

及地點:宣城(江南西道宣州宣城) 別名:宛陵.

 

 

示爽  #1

(爽に示す)

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

韓愈の地図0055 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文) #2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。

今從府公召,府公又時賢。

 

 

(下し文) #2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

 

(現代語訳)

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

 

 (訳注) #2

示爽  

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

座中悉親故,誰肯舍汝眠。

この宴席の一座にある人々はすべて親戚故旧のものなのだから、おまえの遠行をおくるのであるから、おまえを置いて眠ろうなどとする人があるものか。

 

念汝將一身,西來曾幾年。

思えは、おまえが身ひとつで、西の方のこの長安の都へ来てから何年がたっただろうか。

西來 西京、長安にくること。

 

名科掩眾俊,州考居吏前。

科挙、進士試験ではおまえの名前が名だたる受験者たちをおさえ、州庁の勤務評定ではいつも役人たちの先頭に立っていた。

名科 科挙、進士試験のこと。

州考 州庁の勤務評定。あるいは、郷貢進士の試験の評定。

 

今從府公召,府公又時賢。

そのおまえが今度は府公の招きに応ずることとなったが、その府公は時の賢者であられる。

府公 刺史をさす。

時賢 一代の名賢。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

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韓愈《示爽》(爽に示す)宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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(爽に示す)

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宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

#2

座中悉親故,誰肯舍汝眠。念汝將一身,西來曾幾年。

名科掩眾俊,州考居吏前。今從府公召,府公又時賢。

#3

時輩千百人,孰不謂汝妍。汝來江南近,裏閭故依然。

昔日同戲兒,看汝立路邊。人生但如此,其實亦可憐。

#4

吾老世味薄,因循致留連。強顏班行,何實非罪愆。

才短難自力,懼終莫洗湔。臨分不汝誑,有路即歸田。

 

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

#2

座中は悉く親故、誰か肯て汝を捨てて眠らん。

念えは 汝は一身を将て、西来曾て幾年ぞ。

名科 衆俊を掩い、州考 吏の前に居る。

今 府公の召に従う、府公は 又 時の賢なり。

#3

時輩 千百人、敦か 汝を妍と謂わざらん。

汝 江南の近くに来たらば、裏閭 故より依然たらん。

昔日 同戯の児、汝を看て路辺に立たん。

人生 但だ此くの如し、其れ 実に亦た憐れむ可し。

#4

吾老いて世味薄し、因循として留連するを致す。

強顔なり 班行の内、何ぞ実に罪愆に非ざらん。

才短くして自ら力むること難し、終に洗湔する莫きを懼る。

分れに臨んで汝を誑【あざむ】かず、路有らば 即ち田に帰らん。

 

『示爽』 現代語訳と訳註

(本文)

示爽  #1

宣城去京國,裏數逾三千。

念汝欲別我,解裝具盤筵。

日昏不能散,起坐相引牽。

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

 

(下し文)

(爽に示す) #1

宣城は京国を去ること、里数 三千を逾えたり。

汝の我に別れんと欲するを念い、装を解きて盤筵を具う。

日昏くして散ずること能わず、起坐して相引牽す。

冬夜 豈に長からざらんや、旦に達するまで 灯燭然ゆ。

 

(現代語訳)

(爽に示す)

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。

 douteikoshoko297

(訳注)

示爽  #1

「爽」という人物はこの詩から見ると韓愈の一族のようだが、詳しいことはわからない。愈の息子あるいは甥に、爽という名の人は見あたらないからである。もっとも、韓愈の甥のすべての名が残っているわけではないし、大家族のもとでは従兄弟の息子も甥としてあっかわれることがあるので、その一人だったのかもしれない。そこでこの爽とは前に出た韓湘のことだとか、湘の子だとかいう説がある。韓愈の作った墓誌に年十九で死んだとし、何処にも仕えたことはなかったとしている。それぞれに根拠は示されているのだが、「爽」という名前は、この詩以外には出てこないのは若くして死んだからであろう。

いずれにしても、爽は宜城から長安へ出て来て科挙を受け(これが韓氏の別業が宣城にあることの証拠となっている)、めでたく合格した。そしてどこか地方官庁の役人をつとめていたらしいが、江南をおさめる高官(「府公」である。観察使などの地位にある人かと思われる)の招碑を受けて、行くこととなった。その旅立ちに際して作ったのが、この詩である。詩の最後にもう隠退したいようなことを言うのは、いつもの愈の口癖であるが、今度は老年が近づいているので、多少とも実感をもって読み取ることが可能であろう。事実、韓愈が官界の表面から姿を消す日は、間近に迫っていた。

 

宣城去京國,裏數逾三千。

宣城(安徽省)は都から、里数にして三千を超えている。

宣城 長江デルタ地域に位置し、江蘇省・浙江省と隣接する宣城は、文房四宝(筆・墨・紙・硯)の故郷であり、山水と樹木の豊かな都市であり、優れた自然環境と悠久の文化・歴史を誇っている。

 

念汝欲別我,解裝具盤筵。

おまえが私と別れその遠い道を旅しようとしているのを思い、しばらく旅装を解かせて酒肴をととのえた。

解裝 しばらく旅装をとく。

具盤筵 楽しい宴席を共にする。

 

日昏不能散,起坐相引牽。

日が暮れても散会とすることができず、立ち上がるのも座るのも、たがいに牽制しあっている。

 

冬夜豈不長,達旦燈燭然。

冬の夜は長くないわけはないのだが、朝まで灯を燃やし続けた。
韓愈の地図0055 

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閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 
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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

賓贊,稽經諏律。 

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

施用不差,人用不屈。 

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

公在中流,右詩左書。 

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

無我斁遺,此邦是庥。 

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

楊貴妃清華池002 

 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文) #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

(下し文)

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

(現代語訳)

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

 

長安城郭015 

(訳注) #5

鄆州谿堂詩  

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公在谿堂,公御琴瑟。 

ここは宴会に使用するだけでなく、馬總公は谿堂において、琴瑟を御される。

琴瑟 1 琴と瑟(大琴)。2 むつまじい夫婦仲のたとえ。

賓贊,稽經諏律。 

そして官僚どもをここに会して經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究された。

賓贊 賓客として参賛する人々。

稽經諏律 經を稽え 律を諏い、治国済民のことについていろいろ研究される。

經 ① 仏の教えを記した文章。仏の説いた言葉をそのまま伝えるという形式をとる。三蔵の一。契経(かいきよう)。 十二分経の一。経のうち,散文で記された部分のこと。

律 ① おきて。法律。特に,古代,犯罪・刑罰について定めた刑法典。令とともに中国で秦・漢時代に発達し,隋・唐時代に大成。

 

施用不差,人用不屈。 

これを実際に施して差し違うことはなく、人がこれを用いても屈挫することはない。

屈 屈挫する。

 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

この御堂の名にしおう、渓の中には、浮草もあり、菰もあり、亀もいれば、さかなもいる。

 

公在中流,右詩左書。 

閑暇の折々は、馬總公自ら中流にいて、左右に詩書を置いて、時たまこれを繙かれる。

詩書「詩経」と「書経」。

 

無我斁遺,此邦是庥。 

願わくは、人民どもを厭い棄却することはなく、そして、その治下をよく扶育していよいよ功績をあげられるようであろう。

斁遺 厭い棄却する。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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415-#4 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1105  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4509韓愈詩-415-#4

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 

(下し文) #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 

(現代語訳)

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きるものである。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

楊貴妃清華池002 

(訳注)#4

鄆州谿堂詩  

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公作谿堂,播播流水。 

このようにして馬總公の領域内がすっかり治まったから、谿堂をその邸宅内に建てられたが、その名の示す通り、流水が播播として平らかに下っている。

○播播 平らかに流れる様子をいう。

 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

そして、水の浅い所には、蒲や蓮が生えているし、深い所では蒹葦などがぬきでている。

 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

馬總公賓客を会して宴を開かれるときは、鼓声駭駭として鳴り響くのが常である。

○駭駭 太鼓の音が雷のように鳴り響くことをいう。

 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

馬總公の新築の谿堂において宴が開かれるときは、賓客たる将校の面々は酒に酔いさかなに飽きほどに用意されたのである。

○燕谿堂 新築の谿堂において宴が開かれることをいう。

○賓校 賓客たる将校のこと。

 

流有跳魚,岸有集鳥。

そこで、眺め遣れば、流れには魚が飛び跳ねあがり、岸には鳥があつまってくる。

 

既歌以舞,其鼓考考。 

そうなると、興を助けるのに、既に歌が盛り上がり、毎も盛んにされる。それに合わせて鼓が考考と打ち鳴らされ、にぎやかになる。

○考考 歌や音楽に合わせて馴らされる太鼓と音。
 

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こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

杏の花01 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

 

(下し文)

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

 

(現代語訳)

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。

 

閶闔門001 

(訳注)  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

此れを吹いてやり、これを暖めてやり、手を摩してこれを拊してやる。

喣之 これを暖めてやること。

拊之 拊とは。たたく拊膺(悲しみに)胸をたたく.拊掌()手をたたく,拍手する.

 

箴之石之,膊而磔之。 

これに鍼をうってやりこれに薬をのませ、ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にする。

箴之 鍼灸をすること。ここは鍼をうつこと。

石之 薬石を与える。

膊而磔之 ひどい奴は仕方ないからさらし者にしたうえで磔にするという意。

 

凡公四封,既富以彊。 

こうして、馬總公は四方の境界の内は既に富み、それでもっと強くなっているのである。

四封 四方の境界の内、自分の封土を富国強兵にするということをいう。

 

謂公吾父,孰違公令。 

馬總公を尊崇して、我が父とすることとし、これを徹底する。しかし、その令にだれが違うことがあろうか。

吾父 尊崇して、我が父とすること。

 

可以師征,不寧守邦。

こうなれば軍隊を繰り出して、各地の叛乱をしているものを征伐することが出来るというもので、むしろ自分の封土を守るだけではないのである。
DCF00198 

415-#2 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1103>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4499韓愈詩-415-#2

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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415-#2

《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1103>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4499韓愈詩-415-#2

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。  

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

孰冤不問,不得分願。 

孰為邦蟊,節根之螟。 

羊很狼貪,以口覆城。

 

(下し文)

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

 

(現代語訳)

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

カンナ223 

(訳注)

鄆州谿堂詩 2

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

公不飲食,以訓以徇。 

そこで馬總公は飲食する暇もなく、これを教えこれを徇【とな】え、力を盡して世話をされた。

 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

誰が餓えているのか、食べるものがないのか、誰がうなって呻いているのか、誰が嘆息しているのか。

 

孰冤不問,不得分願。 

誰か冤罪を受けているも、問題にもされず、また分願を得ていないで、苦しんでいる。

分願 事件の顛末を一部始終を願い出て記録すること。

 

孰為邦蟊,節根之螟。 

誰がこの国の害蟲となるのか稲の節や根に食い入る蟲のようであろうか。

○蟊 国の根を食う虫。

○螟 稲の節や苗を食う虫、

 

羊很狼貪,以口覆城。

或は羊のように意地悪く狼のように貪欲に貪る。そして碌な事を喋らず、城を覆すようなことをするのか。

羊很 羊のように意地悪く。羊は根性が悪い。

狼貪 狼のように貪欲に貪る。

以口覆城 つまらぬ事を喋舌っているあいだに、城を破る。

415 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

 
 2014年7月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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31 《古風五十九首之三十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <31> Ⅰ李白詩1189 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4493 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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415 《鄆州谿堂詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor7-407《柳枝五首其四》牛給事嶠(牛嶠)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-590-7-(407) 巻三漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4497 
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415 《鄆州谿堂詩【馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1102  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4494韓愈詩-415

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四五  文體: 四言古詩 

詩題: 鄆州谿堂詩〔馬總為鄆曹濮節度觀察等使,為堂於居之西北隅,號曰谿堂。】【從《文集》錄入。】 

及地點:  鄆州谿堂 (河南道 鄆州 鄆州)

 

 

鄆州谿堂詩 #1

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 #2

公不飲食,以訓以徇。 

孰飢無食,孰呻孰歎。 

孰冤不問,不得分願。 

孰為邦蟊,節根之螟。 

羊很狼貪,以口覆城。

  #3

吹之喣之,摩手拊之。 

箴之石之,膊而磔之。 

凡公四封,既富以彊。 

謂公吾父,孰違公令。 

可以師征,不寧守邦。

  #4

公作谿堂,播播流水。 

淺有蒲蓮,深有葭葦。 

公以賓燕,其鼓駭駭。 

公燕谿堂,賓校醉飽。 

流有跳魚,岸有集鳥。

既歌以舞,其鼓考考。 

 #5

公在谿堂,公御琴瑟。 

賓贊,稽經諏律。 

施用不差,人用不屈。 

谿有蘋瓜,有龜有魚。 

公在中流,右詩左書。 

無我斁遺,此邦是庥。 

 

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 #2

公 飲食せず,以て訓【おし】え以て徇【とな】う。 

孰れか飢えて食無き,孰れか呻【うめ】き孰れか歎ずる。 

孰れか冤問われず,分願を得ず。 

孰れか邦の蟊【ぼう】と為る,節根の螟【めい】のごとき。

羊は很 狼は貪,口を以て城を覆【くつがえ】す。

  #3

之を吹き之を喣【あたた】め,手を摩して之を拊【なで】る。

之を箴【しん】し 之を石し,膊【はく】して 之を磔す。

凡そ公四封,既でに 富んで以て彊し。

公を吾が父と謂う,孰れか 公の令に違わん。 

師を以って征す可く,寧ろ邦を守らざらむや。

  #4

公 谿堂を作り,播播たる流水。 

淺きには蒲蓮有り,深きには葭葦有り。

公以て賓を燕し,其の鼓 駭駭【がいがい】たり。 

公 谿堂に燕し,賓校【ひんこう】醉飽【すいほう】。 

流に跳魚有り,岸に集鳥有り。

既に歌い 以て舞う,其の鼓 考考たり。 

 #5

公 谿堂に在り,公 琴瑟を御す。

公 【およ】び賓贊,稽を經【かんが】え 律を諏【と】う。

施用 差わず,人用 屈せず。 

谿【たに】に 蘋瓜有り,龜有り 魚有り。

公 中流に在り,詩を右にし 書を左にす。 

我を斁【いと】い遺るる無く,此の邦を是れ庥【おお】へ。   

 

楊貴妃清華池002 

『鄆州谿堂詩』 現代語訳と訳註

(本文)

鄆州谿堂詩 #1

帝奠九廛,有葉有年。 

有荒不條,河岱之間。 

及我憲考,一收正之。 

視邦選侯,以公來尸。 

公來尸之,人始未信。 

 

(下し文)

鄆州【うんしゅう】谿堂【けいどう】の詩 #1

帝九廛を奠【さだ】め,葉有り 年有り。 

荒有り 條【おさ】めず,河岱の間。 

我が憲考に及び,一び 之を收正す。 

邦を視 侯を選び,公を以て來り尸【つかさど】らしむ。 

公 來って之を尸【つかさど】る,人 始めは未だ信ぜず。 

 

(現代語訳)

(谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである)

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。

 

(訳注)

鄆州谿堂詩 #1

馬總が尚書右僕射を拝し、扶風縣開国伯に封ぜられたことに感謝し、その記念として一堂をその住宅の西北隅につくって、谿堂と号した。この谿堂の建設意義など馬總の徳を宣伝するためにと韓愈に詩の依頼が来て作ったものである。

 

帝奠九廛,有葉有年。 

天子が九州の国土を治められしより、ここ何代を経、何年を過ぎたであろうか。

○奠 さだむ

○九廛 九州。

 

有荒不條,河岱之間。 

しかるに、荒獏の地があって兎角治まらないことがあり、それも黄河と泰山の間においてのことである。

○有荒 荒獏の地

○不條 おさまらず。

○河岱 黄河と泰山。

 

及我憲考,一收正之。 

先帝天子である憲宗の御宇にこれを治めて始末をつける。

○憲考 天子の先考。憲宗をいう。

 

視邦選侯,以公來尸。 

邦土をしっかり巡視し、区画をして、節度たるべき人を選定する。そこに馬總公が任命され、司るところとなった。

○尸 つかさどる。

 

公來尸之,人始未信。 

馬總公は勅命を畏み、やがて赴任し、その地を治められたのであるが、その地の人民は初めのうちは馬總公を信頼しなかったのである。
長安城郭015 

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

 
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年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 奉和李相公題蕭家林亭【李相公:李逢吉也。】 

及地點: 蕭家林亭 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物/地點: 李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

nat0026 

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『奉和李相公題蕭家林亭』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和李相公題蕭家林亭

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

 

(下し文)

(李相公【りしょうこう】蕭家【せっか】林亭に題し和し奉る)

山公 自ら是れ林園の主,歎惜す 前賢 造作の時。

巖洞 幽深 門 盡く鎖ず,丞相に因らずんば 幾人か知らん。

 

(現代語訳)

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

 

(訳注)

奉和李相公題蕭家林亭

(李逢吉が蕭氏の林亭に遊んで、詩を題したことにより、それに和して作ったもの。)

 

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

君が蕭氏の林亭におけるは、さながら西晋の山簡が高陽の池におけると同じで、我こそ林園の主人と思えるようで、随意に幽賞せられ、そして、蕭氏の前代の人々がここを経営した時を追想してみて感慨に堪えないのである。

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池(佳園池)にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ・高陽 嚢陽にある池の名。 ・白接蘺 接蘺は帽子。

「襄陽歌」の冒頭部分にいう「傍人借問笑何事,笑殺山公酔似泥」も,表面的には山簡の故事をふまえているが、李白自身の事でもある。

「秋浦歌十七首」其七の「酔上山公馬」,「江夏贈章南陵水」の「山公酔後能騎馬」,「留別廣陵諸公」の「山公欲倒鞭」,さらに「尋魯城北お居士失道落蒼耳中見通置酒摘蒼耳作」に「酎宋上馬去,却笑高陽池」,「魯中都東棲酔起作」に「昨日東棲酔,還應倒接羅」というように,泥酔したまま馬に跨り,帽子を逆さまにかぶった滑稽な酔態を詠むものである。

「答友人贈烏紗帽」、「襄陽曲四首」などもこのブログに掲載している

山公、謝安など一見飲んだくれであるもことに及べが力を発揮する李白の矜持の表現である。

前賢 蕭氏の前代の人々をいう。

造作 経営すること。

 

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

その林園は巖洞幽深にしてその門扉はことごとく閉じ、丞相自らここに遊んで詩を作られたから人も成程と、了知したのであるが、そうでなければ、その存在を知っているのものは、幾人もなかったであろう。

丞相 李相公をさす。
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(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 和僕射相公朝迴見寄〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕 

交遊人物/地點: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

和僕射相公朝迴見寄

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕 

〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

盡瘁年將久,公今始暫閒。

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

事隨憂共減,詩與酒俱還。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

放意機衡外,收身矢石間。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

秋臺風日迥,正好看前山。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)

 

(僕射相公の朝より迴って見寄せらるるに和す)

盡瘁【じんすい】年 將に久しからんとし,公 今始じめて暫く閒なり。

事は憂に隨って共に減じ,詩は酒と俱に還る。

意を放つ 機衡の外,身を收む 矢石の間。

秋臺 風日迥【はる】かなり,正に前山を看るに好し。

 

李白図102

『和僕射相公朝迴見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

和僕射相公朝迴見寄

盡瘁年將久,公今始暫閒。

事隨憂共減,詩與酒俱還。

放意機衡外,收身矢石間。

秋臺風日迥,正好看前山。

 

(下し文)

(僕射相公の朝より迴って見寄せらるるに和す)

盡瘁【じんすい】年 將に久しからんとし,公 今始じめて暫く閒なり。

事は憂に隨って共に減じ,詩は酒と俱に還る。

意を放つ 機衡の外,身を收む 矢石の間。

秋臺 風日迥【はる】かなり,正に前山を看るに好し。

 

(現代語訳)

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

〔時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。〕

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)

 

 

(訳注)

和僕射相公朝迴見寄

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、和して詠ったものである。)

《奉和僕射裴相公感恩言志》と同時期の策である。〔822年穆宗長慶二年,裴度罷め,李逢吉相と為る。〕

〔時牛李黨熾,裴度介其間,累遭謗讟,故愈詩有高蹈之語。〕

(時に牛李の黨が熾し、裴度は其の間に介し,累ねて謗讟【ぼうとく】に遭う,故に愈詩は高蹈の語に有る。)

 

盡瘁年將久,公今始暫閒。

裴度宰相は国家のために奮闘努力されてこの方、年、既に久しいのですが、今しも、やっと閒地に就かれた。

盡瘁 朝廷の事、ここでは、牛李の諍いの間に立って見も痩せ細ってしまったという意味。

 

事隨憂共減,詩與酒俱還。

政治は憂いにしたがってともに滅して、再び詩と酒という風流なことへとたちかえられたのである。

詩與酒俱還 詩と酒とを俱にできる閒地(別荘)に還られたこと。

 

放意機衡外,收身矢石間。

そうしたことはまことに喜ばしいことであり、ここに、心意を朝廷の外に放たれられたのであり、矢の石間に身を収められたのである。

意 心意。

機衡 枢機権衡:朝廷を処置するほどの大方針。

 

秋臺風日迥,正好看前山。

そして、この秋、臺に登れば風日朗らかに晴れ渡り、前面にある終南山の一帯の山々がくっきりと見えるのはまことに心地の良いと途ではありませんか。(折角、ご自宅にかえられたのであれば、牛李の諍いに対して私は中立であります、右か左かの争いよりも終南山を眺めて風流に過ごされた蘿よいのではないでしょうか。)
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(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

 
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年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 奉和僕射裴相公感恩言志〔穆宗長慶二年,裴度罷,李逢吉為相。〕 

交遊人物/地點: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和僕射裴相公感恩言志

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

文武功成後,居為百辟師。 

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

自然無不可,范蠡爾其誰。 

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

 

僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉る

文武 功成すの後,居ながら百辟の師と為る。 

林園 勝事を窮め,鐘鼓 清時を樂しむ。 

擺落【はいらく】して 高論を遺れ,雕鐫【ちょうせん】して 小詩を出す。 

自然に不可なる無し,范蠡【はんれい】爾じ其れ誰ぞ。 

 

『奉和僕射裴相公感恩言志』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和僕射裴相公感恩言志

文武功成後,居為百辟師。 

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

自然無不可,范蠡爾其誰。 

 

(含異文)

奉和僕射裴相公感恩言志

文武功成後【文武成功後】,居為百辟師。

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。

擺落遺高論,雕鐫出小詩。

自然無不可,范蠡爾其誰。

 

(下し文)

(僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉る)

文武 功成すの後,居ながら百辟の師と為る。 

林園 勝事を窮め,鐘鼓 清時を樂しむ。 

擺落【はいらく】して 高論を遺れ,雕鐫【ちょうせん】して 小詩を出す。 

自然に不可なる無し,范蠡【はんれい】爾じ其れ誰ぞ。 

長安城郭015 

(現代語訳)

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

 

(訳注)

奉和僕射裴相公感恩言志

(裴度が、参朝して帰宅し、その時の感懐を詩にして寄せてきた、それに韓愈が、僕射裴相公の恩に感じて志を言うに和し奉ると詠ったものである。)

822年穆宗長慶二年,裴度罷め,李逢吉相と為る。〕

 

文武功成後,居為百辟師。 

裴度宰相は、文武二つながらの功績をあげられたのち、居ながらにして百官の師表となり、その声望はまことに素晴らしいものである。

文武功成 裴度は朝廷内では宰相として政治をし、淮西の乱を司令官として平定したことをいう。

同李二十八夜次襄城

周楚仍連接,川原乍屈盤。

雲垂天不暖,塵漲雪猶乾。

印綬歸台室,旌旗別將壇。

欲知迎候盛,騎火萬星攢。

(李正封に同行して襄城に宿する。)

呉元済が謀叛した淮南の地は、古代の周と楚であり、そこは隣接し地形も連なっている。川原がひろがり、高原がつづいたらき、たちまち上下左右にうねっているのだ。

その上、雲はひくく垂れて、天からの暖かくなることが全くないのだ。塵は一帯を覆い尽くし、そこに雪が降るが猶おかんきで乾いている。

呉元済が謀叛して印綬を盗み取ったが、平定されて宰相の率いる台室に帰ってきた。攻め入る軍のかかげる旌旗がゆれ、將壇に別れをつげるのである。

凱旋の道すがら盛んな歓迎され、それに応えようとしている。騎馬の兵士の持つかがり火はまるで萬星があつまったほどにあかるいのだ。

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百辟師 朝廷の百官。

 

林園窮勝事,鐘鼓樂清時。 

しかし、優遊として閒地に就き、林園にあって思う存分、面白い遊びをほしいままにし、つねに、鐘鼓の音楽を奏でておられた。

窮勝事 面白い遊びをほしいままにする。

鐘鼓 ここでは音楽をいう。

清時 清平の時、太平の世。

 

擺落遺高論,雕鐫出小詩。 

そこで、多事の世事をふるい落として、高尚なる議論を口にせず、せっかく修辞の工夫を凝らし精彩な小詩をつくられておられる。

擺落 ふるい落とす。

雕鐫 雕刻、修辞の精彩なることをいう。

 

自然無不可,范蠡爾其誰。 

古から、大名のもとには久しくおりがたいというものであるが、裴度宰相のもとであれば自然、不可ということなどありえない、越王句践の忠臣であった、范蠡などでも「汝は誰なのか?」とまるで話にならないということだ。

・范蠡 春秋時代の越王句践(こうせん)の忠臣。生没年不詳。句践を助けて呉を討ち会稽の恥をそそいだが,越が天下に覇をとなえると句践のもとを去り,海路斉に行った。彼はここで鴟夷子皮(しいしひ)と号し数千万の財をたくわえて斉の宰相となったが,散財して今度は交易の要地である陶(とう)(山東省定陶県)に行って朱公と称し,再び巨万の富を得た。しかし今度もまた,すべて貧者に分け与えてしまったという。いわば中国商人の元祖であるが,これら《史記》に見える彼の事跡には多分に後世の作為があり,伝説の域を脱しない。あるいは、勾践が復仇をとげて凱旋すると、呉の重臣伍負が、斉を討つことに反対して殺されたことを思い、勝利をおさめた勾践のもとにあって、伍員のような運命にめぐりあうこ之を恐れ、西施をつれて隠遁して五湖に泛び、斉にいって大富家となった。

唐長安城図02 

411 《鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1098>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4474韓愈詩-411

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

 
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製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄 

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

交遊人物: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

(鎮州路上 謹んで裴司空相公の重ねて見寄せらるるに酬ゆ)

命を銜んで山東に亂師を撫し,日に 三百を馳せ自ら遲きを嫌う。

風霜 滿面 人の識る無し,何の處にか 如今 更に詩有る。

 

 

『鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

 

(下し文)

(鎮州路上 謹んで裴司空相公の重ねて見寄せらるるに酬ゆ)

命を銜んで山東に亂師を撫し,日に 三百を馳せ自ら遲きを嫌う。

風霜 滿面 人の識る無し,何の處にか 如今 更に詩有る。

 

(現代語訳)

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

 

黄河二首の背景 杜甫 

(訳注)

鎮州路上謹酬裴司空相公重見寄

(この詩は鎮州へ赴く途上、裴度が重ねて留守役の東都から資を寄せたから、同様にそれに酬いたもの。)

前回の詩は、

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

 

銜命山東撫亂師,日馳三百自嫌遲。

私はこの度、勅命を受けて、山東節度軍の鎮州城を包囲している者たちへの鎮撫するために、一日300里という急ぎの旅をするという、馬を馳せての工程であります。

○銜命 勅命を受け、宣諭使となる。

○山東 鎮州

○亂師 成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう王廷湊を説得するのだが、王廷湊はウイグル系の札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っていることからこういう表現をする。

○三百 約173km1里は576m)

 

風霜滿面無人識,何處如今更有詩。

それほど急いでも、もどかしくてたまらぬくらい北地というのは春が遅くいまだに風霜厳しく顏前面に吹き荒び、誰が誰やら識別もできないくらいになるのです。そんなことでここがどこやらと毎日急いでいる関係上、もっと細やかに詩文を作ってお送りせねばならないのに、毎日それどころではないのです。

○無人識 識別する人がいない。

唐時代 太原地図622

410 《奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空【時穆宗長慶二年。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1097>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4469韓愈詩-410

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

 
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「南山有高樹行」の事件は、李宗閲たちの失脚という結果を招きはしたものの、韓愈は長慶元年(821)の七月二十六日、彼は兵部侍即に転じており、地位は安泰ということであった。兵部は軍事行政全般を管轄する役所で、韓愈はそこの次官となったわけである。国子祭酒も軽い身分ではないが、こんどの兵部侍即は直接行政にタッチする職だけに、政治的な手腕も揮うことができ、出世である。

 

この年、鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空【案:時穆宗長慶二年。】 

作地點: 承天軍(河東道 / 太原府 / 承天軍

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

承天軍 (河東道 太原府 承天軍) 別名:承天     

交遊人物: 裴度 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

唐時代 太原地図622 

 

『奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空』 現代語訳と訳註

(本文)

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

 

 

(下し文)

(使いを鎮州に奉じ,承天,行營に行次し 裴司空に酬い奉る)

竄逐 三年 海上より歸り,公に逢うて復た此に 征衣を著く。

旋【たちま】ち 佳句を吟じて 還た馬を鞭ち,恨むらくは 身 去鳥に先って飛ばざるを。 

 

(現代語訳)

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

 

(訳注)

奉使鎮州,行次承天,行營奉酬裴司空

(王廷湊を招撫するため、使命を帯びて鎮州に向かう時、承天の行営に宿した時に、東都に留守であった裴度から、詩が寄せられたから、これに酬いるために作ったものである。)

○奉使鎮州 王廷湊を招撫

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406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

李白図102

竄逐三年海上歸,逢公復此著征衣。 

「佛骨を論ずる表」によって罪を受け、潮州に三年竄逐されたこと、三年の久しきにおよびやがて袁州から帰京いたし、この度、詔を奉じてでかけ、また貴公にお会いでき、ここに征衣を著けて発程したわけであります。

竄逐三年 818年「」819年正月潮州刺史へ貶せられ、820年袁州刺史、821年兵部侍郎に転任するまでの足かけ三年のこと。《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

 

 

旋吟佳句還鞭馬,恨不身先去鳥飛。 

そして、はからずもわたくしに寄懐の佳作を贈っていただき、これに高吟しつつ、激励の意味に感激し、早く化の地に行きたい気持ちになり、馬に鞭うって出発いたしましたが、この身は肥満で、去鳥に先立って、鎮州まで一っ跳びに飛んでゆくこともできないことが残念なのです。

 

 

 

 

 

韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

409 《送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1096>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4464韓愈詩-409

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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26 《古風五十九首之二十六》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <26> Ⅰ李白詩1183 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4463 
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409 《送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1096  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4464韓愈詩-409

 

 

年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 送桂州嚴大夫同用南字【送桂州嚴大夫同用南字赴任】【嚴謨也。】 

及地點:  桂州 (嶺南道東部 桂州 桂州)     

交遊人物/地點: 嚴謨 書信往來(嶺南道東部 桂州 桂州)

 

 

送桂州嚴大夫同用南字

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。 

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

江作青羅帶,山如碧玉篸。 

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

多輸翠羽,家自種黃甘。 

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

 

(桂州の嚴大夫を送る。同じく「南」字を用う。)

蒼蒼として八桂を森とし,茲の地 湘南に在り。 

江は青羅帶を作し,山は碧玉 篸の如し。 

多く 翠羽を輸【いた】し,家 自ら黃甘を種う。 

遠く勝る 登仙して去り,飛鸞 驂する假あらざる。 

 

唐時代 韓愈関連05 

『送桂州嚴大夫同用南字』 現代語訳と訳註

(本文)

送桂州嚴大夫同用南字

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。 

江作青羅帶,山如碧玉篸。 

多輸翠羽,家自種黃甘。 

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

 

(下し文)

(桂州の嚴大夫を送る。同じく「南」字を用う。)

蒼蒼として八桂を森とし,茲の地 湘南に在り。 

江は青羅帶を作し,山は碧玉 篸の如し。 

多く 翠羽を輸【いた】し,家 自ら黃甘を種う。 

遠く勝る 登仙して去り,飛鸞 驂する假あらざる。 

 

(現代語訳)

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

 

蝦蟇02 

(訳注)

送桂州嚴大夫同用南字

(厳謨太夫が桂州都督となって赴任するのを送った。その時に韻に「南」を互いに使って詩を作った。)

 

蒼蒼森八桂,茲地在湘南。

君のこの度赴任せられる桂州は、湘江の南にあって、古くからよく聞く八株の桂樹が森々として繁っているところである。

八桂 八株の桂樹が森々として繁っているところ桂林八桂。秦代に桂林郡,漢代に始安県が置かれ,唐代に臨桂県と改められた。明・清代には桂林府の治所であった。古来,中原から嶺南へ行くにも,逆に嶺南地方から中原に北上するにも必ず通らねばならない要衝の地で,非常に古い歴史都市である。

湘南 長江中下流に位置し、洞庭湖の南に広がるため、湖南と呼ばれる。北部は洞庭湖平野、中部は丘陵地帯、南部は山岳地帯となっている。水稲生産が盛んで、中国の主要な米産地である。南の広東・広西両省区との間には南嶺山脈が走る。主な河川は長江で、湖南省内を貫く河川は洞庭湖を経て長江に流入する。洞庭湖に入る「湖南省四大河川」には、湘江、資江、沅江(げんこう)、澧水(れいすい)がある。その他の河川には、汨羅江(べきらこう)や、湘江の支流・瀟水(しょうすい)などがあり、いずれも水運に利用されている。桂林は湘水と離水の分水嶺であり、北に湘水、南に、離水となる。

 

江作青羅帶,山如碧玉篸【音簪。】。

湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くように、四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざしたようであるという。

江作青羅帶 湘江はその地を繞って、青羅帶を抱くようにつくる。

山如碧玉篸 四境の郡山は翠色細やかにして碧玉の簪をかざす。

 

多輸翠羽,家自種黃甘。

桂州は、南土の暖暑なところであるから、戸ごとに翡翠の羽を上納し、また、蜜柑を栽培して、その風土が我々の知るところと随分違っておるのだ。

輸翠羽 貴人は翡翠の羽で首飾りとする。

 

遠勝登仙去,飛鸞不假驂。 

君がその様に遠地に赴くということではあるが、そのような風物を留め感賞されることであろうから、仙人となって天井に登り、鸞にまたがり驂する暇はとてもないことを考えれば、それに勝っていることであろう。

2蜀の山00 

408 《和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

 
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408

《和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1094  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

 

 

製作年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言律詩 

詩題: 和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩 

及地點:  宣政殿 (京畿道 京兆府 長安)     

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

 

水部張員外の宣政衙に,百官櫻桃を賜うの詩に和す  

漢家 舊と明光殿に種うる,炎帝 還た 本草經に書す。 

豈に似んや 滿朝 雨露を承るに,共に看る傳賜の青冥を出づるに。 

香は翠籠に隨って 擎げて初めて到り,色は銀盤に映じて 寫して未だ停まらず。 

食して罷んで 自ら知る 報ずる所無きを,空然 慚汗 皇扃を仰ぐ。 

 

玄武門 

『和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩』 現代語訳と訳註

(本文)

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

 

 (含異文)

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。

香隨翠籠擎初到【香隨翠籠擎初重】,色映銀盤寫未停【色照銀盤寫未停】【色映銀盤瀉未停】【色照銀盤瀉未停】。

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

 

(下し文)

水部張員外の宣政衙に,百官櫻桃を賜うの詩に和す 

漢家 舊と明光殿に種うる,炎帝 還た 本草經に書す。 

豈に似んや 滿朝 雨露を承るに,共に看る傳賜の青冥を出づるに。 

香は翠籠に隨って 擎げて初めて到り,色は銀盤に映じて 寫して未だ停まらず。 

食して罷んで 自ら知る 報ずる所無きを,空然 慚汗 皇扃を仰ぐ。 

 

(現代語訳)

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

 

 

(訳注)

和水部張員外宣政衙,賜百官櫻桃詩  

(水部張員外郎の張籍が宣政院の衙詰め所で,百官に櫻桃を賜割り、自分も頂戴した。そのことで、詩を一首作ったのでこれに韓愈が和した。)

「朝日敕百官櫻桃」詩  張籍

仙果人間都未有,今朝忽見下天門。

捧盤小吏初宣勅,當殿羣臣共拜恩。

日色遙分門下坐,露香才出禁中園。

每年重此先偏待,願得千春奉至尊。

 

漢家舊種明光殿,炎帝還書本草經。 

櫻桃は古くから珍重されてきた、漢の帝室ではこれを明光殿の前に植えたという、その前、炎帝は本草經をあらわし、櫻桃のことが書かれている。

○明光殿 漢長安城、明光殿の名。「未央官の漸台の北西に桂官あり。中に明光殿あり。皆金玉珠璣もて簾箔を為り、処処明月の珠あり、金階玉階、昼夜光明あり」(『三秦記』)。「漢の武帝故事に天子明光宮、桂宮、長楽官を起し、皆輦道(行幸路)相属き、懸棟(宙づりの棟木あり)、飛閣(かけはし)もて北に度り、宮中より西のかた城に上り、神明台(未央宮の西南上林苑中の建章宮にあり)に至る」(漢唐長安位置図参照)。明光宮の宵は殿のこと。華道は右の文によると吊った置舎やかけはしがある。閣道のこと。これで閣道の大体を知ることができる。

張平子(張衡)《西京賦》(18)(閣道)

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

於是後宮不移,樂不徙懸。

是に於て鉤陳の外、閣道穹隆とす。

長樂と明光とに屬き、径に北のかた桂官に通す。

般爾の巧匠に命じ、變態を其の中に盡せり。

是に於て後宮移さず、欒、懸を徙さず。

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

張平子(張衡)《西京(18)(閣道)#8-1 文選 賦<114―(18)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1055 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3823

<!--[if !vml]-->漢長安図02帝 

本草經 。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している。上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている[3][4]

 

500年(永元2年)、南朝の陶弘景は本書を底本に『神農本草経注』3巻を撰し、さらに『本草経集注』7巻を撰した。陶弘景は内容を730種余りの薬物に増広(ぞうこう)している。

 

豈似滿朝承雨露,共看傳賜出青冥。 

いまや満朝の臣下、官僚らが同じく雨露の恵みを受けていることに喩えようもなく、こうして、賜を拝して、宮中から退潮する。

○出青冥 朝廷、宮殿を天上に喩えて青冥といったので中から退潮することをいう。

 

香隨翠籠擎初到,色映銀盤寫未停。 

その桜桃の実は、緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たときは、普通でない香りがするし、やがてこれを銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

○翠籠擎初到 緑の竹かごに持ってあって、奉げて持ち出して来たことをいう。

○銀盤寫未停 銀盤に入れる時は、その色が互いに映じあってまことに見事でなかなか移動することはできない。

 

食罷自知無所報,空然慚汗仰皇扃。 

それからこれを食し終わってから、よくよく考えてみれば天子の恩に報いるに由なく、つくねんとして慙汗を流し、嶷峩たる宮闕をのみ仰いでいるのは、我ながら、まことに不甲斐ないことである。

○慚汗 恥じ入って汗が出ること。

○皇扃 嶷峩たる宮闕のこと。
唐長安城図02 

408 《酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#5 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4455 杜甫詩1500-770-#5-1062/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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《酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1094>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4454韓愈詩-408

 

 

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人  ≪韓愈≫

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)≪韓愈≫

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

 

七言唐·白居易

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 

(韓侍郎 張博士 雨後に曲江に遊び寄せ見 酬ゆ)

小園 新種 紅櫻樹,閑にして 花行の便 遊ぶに當って遶る。

何ぞ必更 鞍馬隊に隨い,泥に衝いて雨に蹋れ曲江の頭り。

 

長安城郭015 

『酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄』 現代語訳と訳註

(本文)

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

 

(下し文)

(韓侍郎 張博士 雨後に曲江に遊び寄せ見 酬ゆ)

小園 新種 紅櫻樹,閑にして 花行の便 遊ぶに當って遶る。

何ぞ必更 鞍馬隊に隨い,泥に衝いて雨に蹋れ曲江の頭り。

 

(現代語訳)

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

 

 

(訳注)

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄

(韓愈侍郎と張博士が雨がふった後に曲江に遊んでいるからと詩を寄せてきたのを見て それに酬ゆる詩)≪白居易≫
 

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

我家の庭園には、近頃、あらたに紅櫻樹を植えた、今が見ごろであるところから、花の下をめぐって歩くのが気に入っておるところ、それでもって出遊の変わりにしているのだ。

 

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭

今日は雨が降って鞍馬隊の後に随って行こうと思うと、泥濘の道をこねてゆかねばならず、それで曲江池に出かけるというのもおっくうであり、つい無精をしてしまったのだ。

必更隨 かならずしも随うことにはならない。(鞍馬隊が路をこねくってどろどろにしていることで)

蹋 ふみつける。あしぶみをする。
辟雍00 
408


407 《同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1093>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4449韓愈詩-407

曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 
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407 《同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1093>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4449韓愈詩-407

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

作地點: 恒州(河北道南部 / 恒州 / 恒州

及地點:  樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭     

交遊人: 張籍 書信往來(京畿道 京兆府長安)

白居易 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) 

 

 

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

唐 長安図 基本図00 

『同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人』 現代語訳と訳註

(本文)

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。

 

(下し文)

(水部張員外籍と同じく曲江に春遊し,寄白二十二舍人にす)

漠漠たる輕陰 晚に自ら開く,青天 白日 樓臺に映ず。

曲江 水滿ち花千樹,底【なん】の忙しき時有って肯えて來らざる。 

 

(現代語訳)

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

杏00紅白花00 

(訳注)

同水部張員外籍曲江春遊,寄白二十二舍人 

(張籍と共に春日、曲江に遊び、杏花を感賞し、仍て中書舎人の白居易に寄せたのである。)

○曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。風光明媚な所。漢・武帝がここに宜春苑を造営した。(地図の赤線は長安城の城郭、青印が曲江) ・曲:くま。この池はかなり曲線があり、池の奥深いところ。池の湾曲した部分をいう。春は、牡丹、梨、杏などすべての花が咲き誇る歓楽地であった。 

韓愈 『杏花』 #1

居鄰北郭古寺空,杏花兩株能白紅。

曲江滿園不可到,看此寧避雨與風 ?

二年流竄出嶺外,所見草木多異同。』

居隣【きょりん】の北郭 古寺空しく、杏花両株 能【よ】く白紅。
曲江満園 到る可からず、此を看て 寧【いず】くんぞ雨と風とを避けん。 
二年流竄【りゅうざん】して嶺外【れいがい】に出で、見し所の草木 異同多し。』

杏花 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ989 韓愈特集-37-#1

奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄閣老張十八助教

太白山高三百里,負雪崔嵬插花裡。 

玉山前卻不復來,曲江汀瀅水平盃。 

我時相思不覺一回首,天門九扇相當開。 

上界真人足官府,豈如散仙鞭笞鸞鳳終日相追陪。 

太白山は高し三百里,雪を負うて、崔嵬、花裡【かり】插【さしはさ】む。 

玉山 前に卻りて 復た來らず,曲江 汀瀅【ていえい】として 水 盃に平かなし。 

我 時に相い思うて 覺えず一び 首を回らす,天門 九扇 相い當って開く。

上界の真人 官府足れり,豈に如かむや 散仙の鸞鳳を鞭笞【べんち】して 終日 相い追陪するに。 

《奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【案:徽。】閣老張十八助教》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <812  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3044韓愈詩-192

 

漠漠輕陰晚自開,青天白日映樓臺。 

花が咲き誇り、花霞みに花曇りも、晩方になって、はじめて晴れ渡り、青天白日が樓臺に映し、また一層眺めることを増したのだ。

漠漠 

 

曲江水滿花千樹,有底忙時不肯來。 

今しも曲江の池水は、溶溶として満ちていて、そこに咲く千樹の杏花は真っ盛りで、最も感賞に良い時期である。我々二人はここに風流の興をほしいままにしているが、君はどんなに忙しいことがあってこられないのかまことに遺憾の至りである。

 

 

楊貴妃清華池002 

 

 

 

酬韓侍郎張博士雨後遊曲江見寄(唐·白居易)

 

七言句押尤韻顯示自動注.

 

小園新種紅櫻樹,閑遶花行便當遊。

何必更隨鞍馬隊,衝泥蹋雨曲江頭。

406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 
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23 -#1《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23> Ⅰ李白詩1173 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4413 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#3 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4445 杜甫詩1500-770-#3-1060/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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406 《鎮州初歸》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1092  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4444韓愈詩-406

 

 

鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

王延湊は田弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる韓愈のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

韓愈は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 鎮州初歸 

及地點:  恒州 (河北道南部 恒州 恒州) 別名:鎮州     

 

 

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

 

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

taigennankin88 

 

『鎮州初歸』 現代語訳と訳註

(本文)

鎮州初歸 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

 

(下し文)

(鎮州初歸) 

別來 楊柳 街頭の樹,春風に擺弄【はいろう】して只だ 飛ばんと欲す。

還た 小園 桃李 在る有り,花を留めて發せず 郎の歸えるを待つ。 

 

(現代語訳)

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。


終南山06

(訳注)

鎮州初歸 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけ、王廷湊を叱咤して屈服させた。鎮州を出発するとき副行駕部郎中の丹に示したものである。)

 

別來楊柳街頭樹,擺弄春風只欲飛。 

ここ鎮州を出発し、別れるにあたって街頭の楊柳に別れを告げるものだがその楊柳もさすがに心ありげに、春風に震い、弄ばれてはいるものの、さすがに我が方に靡こうとしているようだ。

○楊柳街頭樹 楊柳は別れに際して女性がその枝でリーフを作って見送る「折楊柳」であるが、送別の宴の行われる高樓の傍に植えてあるので、通常花街の女妓のことを言う。

○擺弄春風只欲飛 芸妓遊びのことを示す句である。

 

還有小園桃李在,留花不發待郎歸。 

お前たちのその情についてはよく理解するものではあるが、我家の小園の桃李は私が出発の時はまだつぼみも付けずにあったものである。我家の桃李は私が帰るのを待ち受けて一斉にほころび裂こうとしておるのだ。だから自然に帰り道を急ごうとすることになってしまう。心ならずも、この街の楊柳たちを振り切って先を急ぐのだ。

○小園 自宅の庭園。

○桃李 自宅の庭園の桃李。我が妻子。

○待郎歸 劉郎の帰りを待っている。

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早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

 
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鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

これから朝廷の使者として反乱軍のなかへ乗りこむにしては、威勢のよくない詩である。韓愈は敵地に乗りこむようなこのたびの使命を見事に果たし、戦闘行為の停止を約束させて引きあげる。しかしこの時期に作られた同じ種類の詩も一様に威勢が悪く、強情我慢で大見得を切りたがる恵のこれまでの詩とは趣きを異にしている。あるいはこれが、韓愈の老境を示す一つのあらわれ(本人はそれと意識しなかったかもしれないが)だったのかもしれない。

恵は使命を果たした。牛元翼は自力で包囲網を破り、脱出したが、王廷湊がそのあとを追わせなかったのは、戦闘停止という約束があったからであろう。帰還しためぐみ韓愈は長慶二年の九月二十四日、吏部侍郎に転任することとなった。

 

 

製作年:  822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 七言 

詩題: 夕次壽陽驛題郎中詩後 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  壽陽驛 (河東道 太原府 壽陽)     

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

交遊人物: 當地交遊(河東道 太原府 壽陽)

 

 

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

唐時代 太原地図622


『次壽陽驛題郎中詩後』 現代語訳と訳註

(本文)

夕次壽陽驛題郎中詩後

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

 

 

(下し文)

(夕べに 壽陽驛に次【やど】し 郎中の詩後に題す)

風光 動かんと欲して長安に別る,春半ばにして城邊 特地に寒し。

園花と巷柳とを見ず,馬頭 惟だ月の團團たるのみ有る。 

 

(現代語訳)

(壽陽驛に宿した時に作った詩である)

早春の時期、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

 

toujidaimap 

(訳注)

夕次壽陽驛題郎中詩後

 (この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、壽陽驛に宿した時に副行駕部郎中の丹に示したものである。)


 

風光欲動別長安,春半城邊特地寒。

早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をあらわしたころに長安を出発し、別れをつげた。詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけるために次第に北上したが、この辺塞の地は二月と謂うのにこの地は特別に寒いのである。

風光欲動別 早春のじき、春を気配を感じさせる風光の変化をいう。

特地寒 この辺はまだ寒さが残るというほどの意。

 

不見園花兼巷柳,馬頭惟有月團團。 

このあたりでは、園中の花にしても、巷頭の柳にしても、未だに春の気配が見合ないのである。夜になると急ぐ馬車の前にはまあるいまん丸の月が高く照らすばかりで荒涼凄寂そのものである。

404 《奉使常山早次太原呈副使吳郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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404 《奉使常山早次太原呈副使郎中》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1090>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4434韓愈詩-404

 

「南山有高樹行」の事件は、李宗閲たちの失脚という結果を招きはしたものの、韓愈は長慶元年(821)の七月二十六日、彼は兵部侍即に転じており、地位は安泰ということであった。兵部は軍事行政全般を管轄する役所で、韓愈はそこの次官となったわけである。国子祭酒も軽い身分ではないが、こんどの兵部侍即は直接行政にタッチする職だけに、政治的な手腕も揮うことができ、出世である。

 

この年、鎮州(河北省正定県)に本拠を置く成徳軍節度使の田弘正が士卒のことをかまわず贅沢な生活をしていたため兵士の不満がつのり、部下の将校の一人である王廷湊がそれにつけこんで兵士を扇動し、クーデターをおこしたのである。王延湊はウイグル人の血を引く勇猛な将校であった。

 

田弘正は弘正の殺害に成功すると、自分をその後任とするよう朝廷に要求し、かつ武力で近隣の節度使を攻撃し、勢力範囲を拡張しようとした。これに対して魏博節度使の李愬は、田弘正の弔い合戦を旗じるしに部将の牛元翼を差し向けたが、逆に王廷湊の軍によって包囲されてしまった。

長慶二年(822)二月、朝廷は王延湊の希望を全面的に認めて、王廷湊を節度使に任じ、兵士たちは反乱者だが、これにもおとがめはないものと決定した。その旨を告げて、成徳軍にいっさいの軍事行動をやめさせ、牛元翼に対する包囲を解くよう説得する宣諭使に選ばれたのが韓愈であり、副使には駕部郎中の呉丹という人が任命された。

 

このような使者に韓愈が選ばれたのは、兵部侍郎という身分がら当然であったともいえるが、これは危険な任務であった。王廷湊は札つきの乱暴者だし、その部下の兵士たちも反乱をおこしたあとなので、気が立っている。彼らの要求をのんだからよいようなものの、それでも交渉しだいで、相手がどう出るかわからない。都の百官のなかには、韓愈の安否を気づかう老さえあった。

 

 

年:822  長慶二年  55

卷別: 卷三四四  文體: 五言律詩 

詩題: 奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

及地點:  常山 (江南東道 衢州 常山)     

太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州     

交遊人: 當地交遊(河東道 太原府 太原)

 

 

奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

朗朗聞街鼓,晨起似朝時。 

翻翻走驛馬,春盡是歸期。 

地失嘉禾處,風存蟋蟀辭。 

暮齒良多感,無事涕垂頤。 

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

 

(使いを常山に奉じて 早に太原に次し 副使郎中にす。)

朗朗として 街鼓を聞く,晨起 朝時に似たり。

翻翻として 驛馬を走らせ,春 盡く 是れ歸える期なり。

地は 嘉禾【かかい】の處を失い,風は蟋蟀【しつしゅつ】の辭を存す。

暮齒 良に多感なり,無事にして 涕 頤に垂る。

toujidaimap 

『奉使常山早次太原呈副使郎中』 現代語訳と訳註

(本文)

奉使常山早次太原呈副使郎中〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

朗朗聞街鼓,晨起似朝時。 

翻翻走驛馬,春盡是歸期。 

地失嘉禾處,風存蟋蟀辭。 

暮齒良多感,無事涕垂頤。 

 

(下し文)

(使いを常山に奉じて 早に太原に次し 副使郎中に呈す。)

朗朗として 街鼓を聞く,晨起 朝時に似たり。

翻翻として 驛馬を走らせ,春 盡く 是れ歸える期なり。

地は 嘉禾【かかい】の處を失い,風は蟋蟀【しつしゅつ】の辭を存す。

暮齒 良に多感なり,無事にして 涕 頤に垂る。

 

(現代語訳)

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

 

韓愈の地図00 

(訳注)

奉使常山早次太原呈副使郎中

〔愈使鎮州,丹以駕部郎中副行。〕

(この詩は韓愈が詔を奉じて鎮州常山の王廷湊を招撫しにでかけた時、太原に宿して朝出掛けに副行駕部郎中の丹に示したものである。)

 

朗朗 聞 街鼓 ,晨起 似朝時 。

とうとうと時を知らせる太鼓の音が聞こえてくる。朝、その昔で起きだしてみれば、都にいて朝廷に参内するときのようだ。

「朗朗」太鼓の音が響き聽こえてくる、その音。

「聞街鼓」時を知らせる太鼓の音が聞こえてきておこされたことをいう。

 

翻翻 走 驛馬 ,春盡 是 歸期 。

軽やかに駅継ぎの馬を走らせて旅をして、春の尽きるころが帰る時期となるだろう。

「翻翻」馬の走る音。

「驛馬」駅伝制で30里ごとにおかれた駅に替え馬が置かれた。長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

 

地失 嘉禾處 ,風存 蟋蟀 辭 。

この土地はその昔、唐叔という人が変わった稲を発見して周の天子に献上したところから「嘉禾」という地名がついて、唐叔の子孫が代々このあたりに封ぜられることとなった。すなわち晋の国の起源であり、太原は晋の重要な都会である。その唐叔のことは昔の話で、今は尋ねるすべもないが、『詩経』国風のなかに「蟋蟀」という詩が残っており、これが唐叔の遺風を示すもので、晋の人々の遠い将来のことを考える気風がそれにあらわれているという。

「嘉禾處」唐叔

唐風は晉詩であるが、唐の名を存するのは、邶・鄘の君が罪無くして滅ぼされたのを憫れむの意を著し、晉は族を幷せ宗を滅ぼした不正を悪んで、唐の名を存したものであるとも見られる。唐は、もと、帝堯の旧都で、禹貢(うこう)冀(き)州の域、大行恆山の西、大原大岳の野にある。周の成王が弟の叔虞(しゅくぐ)を封じて唐侯とした。

《逸話》周公旦が唐の乱を平定したおり、成王(武王の子)が、弟の叔虞と戯れ、桐     の葉を削って珪(けい 諸侯に与える印の玉)となし、叔虞に与えて、君を封ずと言った。太史(役職 丞相 太尉 御史大夫に次ぐ)の史佚(しいつ)が「天子に戯言なし」といさめて、ついに叔虞を封じて唐侯となし、晉陽(今の太原)に都した。

「處」太原のこと。

「風」詩経国風、唐風。

「蟋蟀」詩経国風、唐風、「蟋蟀」のこと。

「辭」文體、辭:賦。

 

暮齒 良多感 ,無事 涕 垂頤 。

人間、老年になるとまったく感じやすくなるものだ。べつだんのこともないのに涙は顎までも垂れてくる。

「暮齒」老年になること。

「多感」ちょっとしたことにも感情を動かされること。感じやすいこと。また、そのさま。 
唐長安城図 

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