中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2014年08月

437-#3 《謝自然詩》韓愈(韓退之)ID <1151> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4739韓愈詩-437-#3

暫くすると、雲霧の中より、謝自然の姿が現れて、軽やかに空中に舞上って昇天したが、その有様は、飄然として、風に漂う煙のようであったという。昇天した後、広大な世界のはるか遠い先の先までも、その影響についても、理由、接縁などの痕跡は全くなかったのである。

 
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437-#3 《謝自然詩》韓愈(韓退之)ID  1151 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4739韓愈詩-437-#3

 

 

制作年:              794年貞元十年27

卷別:    卷三三六               文體:              五言古詩

韓昌黎集 巻一

詩題:    謝自然詩〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

及地點:              南充 (山南西道 果州 南充) 別名:南充縣      

金泉山 (山南西道 果州 金泉山)    

 

 

謝自然詩 #1

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った)#1

果州南充縣,寒女謝自然。

所は蜀で果州の南充縣という地に謝自然と名乗る一人の貧女がいた。

童騃無所識,但聞有神仙。

言ってもまだ、子供で、一向知識も何もないが、道教を聞きかじって世に神仙と称するありがたいものがあるということを承っていた。

輕生學其術,乃在金泉山。

人並みのものを食わず、自分の生を軽んじて、神仙の術をまなび、はては、金泉山に分け入って、修業をおこなった。

繁華榮慕,父母慈愛捐。

こうして、世の中の栄華富貴など念慮を絶ち、父母の慈愛をもすててしまったということだ。

#2

凝心感魑魅,慌惚難具言。

やがて、心を凝らした一念は、魑魅をも感動せしめ、その神變不思議なことは、とても、まじめで詳しく話もできないくらいであった。

一朝坐空室,雲霧生其間。

ある朝から、誰もいない講堂に坐していると、雲霧が忽然とその間に生じる。

如聆笙竽韻,來自冥冥天。

冥冥たる天上よりはものとはなしに、笙竽の微妙なる音楽の韻がきこえてくるようなのである。

白日變幽晦,蕭蕭風景寒。

その内に、一天、にわかに搔き曇り、はくじつのひかりをうしなって、幽晦に変ずると同時に、少々として、風景凄まじく寒く淋しいものとなる。

#3

簷楹暫明滅,五色光屬聯。

一団の黒雲が落ちてきたものと見え、軒端がしばらく明滅していたが、忽ちにして、五色の光がたがいに連なる様にして入って来る。

觀者徒傾駭,躑躅詎敢前。

耀きわたった故に、見るものは、全員が大いに驚いたが、何分恐ろしいので、踟蹰して敢て進まず、かといってどういうわけか、室中に入って真相を見極めることもしないようだ。

須臾自輕舉,飄若風中煙。

暫くすると、雲霧の中より、謝自然の姿が現れて、軽やかに空中に舞上って昇天したが、その有様は、飄然として、風に漂う煙のようであったという。

茫茫八紘大,影響無由緣。

昇天した後、広大な世界のはるか遠い先の先までも、その影響についても、理由、接縁などの痕跡は全くなかったのである。

#4

里胥上其事,郡守驚且歎。

驅車領官吏,甿俗爭相先。

入門無所見,冠履同蛻蟬。

皆云神仙事,灼灼信可傳。

#5

餘聞古夏后,象物知神姦。山林民可入,魍魎莫逢旃。

逶迤不復振,後世恣欺謾。幽明紛雜亂,人鬼更相殘。

#6

秦皇雖篤好,漢武洪其源。自從二主來,此禍竟連連。

木石生怪變,狐狸騁妖患。莫能盡性命,安得更長延。

#7

人生處萬類,知識最為賢。奈何不自信,反欲從物遷。

往者不可悔,孤魂抱深冤。來者猶可誡,余言豈空文。

人生有常理,男女各有倫。

7

寒衣及飢食,在紡績耕耘。下以保子孫,上以奉君親。

苟異於此道,皆為棄其身。噫乎彼寒女,永托異物群。

感傷遂成詩,昧者宜書紳。

#8

寒衣及飢食,在紡績耕耘。

下以保子孫,上以奉君親。

苟異於此道,皆為棄其身。

噫乎彼寒女,永托異物群。

感傷遂成詩,昧者宜書紳。

 

             

謝自然の詩 #1

果州の南充縣,寒女の謝自然。

童騃 識る所無く,但だ神仙有るを聞く。

生を輕んじて其の術を學び,乃ち金泉山に在り。

繁華 榮慕,父母 慈愛 捐【す】つ。

#2

心を凝らして 魑魅を感ぜしめ,慌惚 具【つぶさ】に言い難し。

一朝 空室に坐して,雲霧 其の間に生ず。

笙竽の韻を聆【き】くが如く,冥冥の天より來る。

白日 幽晦に變じ,蕭蕭として風景寒し。

#3

簷楹【えんえい】暫らく明滅し,五色 光 屬聯す。

觀る者 徒らに傾駭,躑躅【てきちょく】して詎んぞ敢て前【すす】まん。

須臾【しゅゆ】にして自ら 輕舉して,飄として 風中の煙の若し。

茫茫として 八紘大に,影響 緣に由し無し。

#4

里胥【りしょ】其の事を上【たてまつ】り,郡守 驚き且つ歎ず。

車を驅って官吏を領し,甿俗【ぼうぞく】爭うて相い先んず。

門に入って見る所無く,冠履【かんく】蛻蟬【ぜいぜん】に同じ。

皆云う 神仙の事,灼灼として 信び傳う可し と。

#5

餘聞く 古しえの夏后,物を象って神姦を知る。

山林 民入る可し,魍魎【ほうりょう】旃【これ】に逢うこと莫れ。

逶迤【いい】として復た振わず,後世 欺謾を恣にする。

幽明 紛として雜亂,人鬼 更【かわるがわ】る相い殘【そこな】う

#6

秦皇 篤好と雖も,漢武 其の源を洪【おおい】にす

二主より來【このかた】,此の禍 竟に連連。

木石 怪變を生じ,狐狸 妖患を騁【は】す

能く性命を盡く莫く,安んぞ更に長延するを得んとする。

#7

人生 萬類を處す,知識を最も賢と為す。

奈何んぞ 自ら信ぜずして,反って物に從って遷らんと欲す。

往者 悔ゆ可からず,孤魂 深冤を抱く。

來者 猶お誡む可し,余の言 豈に空文ならんや。

人生常理有り,男女 各【おのお】の倫有り。

#8

寒衣と飢食と,紡績 耕耘に在り。

下は以って子孫を保ち,上は以て君親を奉ず。

苟しくも此の道に異ならば,皆 其の身を棄つと為す。

噫乎 彼の寒女,永く異物の群に托す。

感傷 遂に詩を成す,昧者は 宜しく紳に書すべし。

 

 

『謝自然詩』 現代語訳と訳註

(本文)  #3

簷楹暫明滅,五色光屬聯。

觀者徒傾駭,躑躅詎敢前。

須臾自輕舉,飄若風中煙。

茫茫八紘大,影響無由緣。

 

(下し文) #3

簷楹【えんえい】暫らく明滅し,五色 光 屬聯す。

觀る者 徒らに傾駭,躑躅【てきちょく】して詎んぞ敢て前【すす】まん。

須臾【しゅゆ】にして自ら 輕舉して,飄として 風中の煙の若し。

茫茫として 八紘大に,影響 緣に由し無し。

 

(現代語訳)

一団の黒雲が落ちてきたものと見え、軒端がしばらく明滅していたが、忽ちにして、五色の光がたがいに連なる様にして入って来る。

耀きわたった故に、見るものは、全員が大いに驚いたが、何分恐ろしいので、踟蹰して敢て進まず、かといってどういうわけか、室中に入って真相を見極めることもしないようだ。

暫くすると、雲霧の中より、謝自然の姿が現れて、軽やかに空中に舞上って昇天したが、その有様は、飄然として、風に漂う煙のようであったという。

昇天した後、広大な世界のはるか遠い先の先までも、その影響についても、理由、接縁などの痕跡は全くなかったのである。

女性詩人0052 

(訳注) #3

謝自然詩

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った

〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

(果州の謝真人で上昇し、金泉山に在り,貞元十年十一月十二日、白晝に輕舉す,郡守李堅以聞し,詔を褒諭【ほうゆ】する有り。〕(果州の謝仙女は十四、五で道に修し、室を金泉山に築き在り,貞元十年十一月十二日、白日天に昇る。郡守李堅はこれらを表して聞きつけて,詔して褒美す。と有る〕

◎韓愈は道教を奉じた少女が、白日に昇天したなどと言うのは、無知蒙昧で決してこんなことがあるわけはない。それだけならまだしも郡守が上奏して、天子が詔を賜うという、寄懐至極のことだという。この詩は、韓愈《論佛骨表》の源泉というべきものである。

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

簷楹暫明滅,五色光屬聯。

一団の黒雲が落ちてきたものと見え、軒端がしばらく明滅していたが、忽ちにして、五色の光がたがいに連なる様にして入って来る。

簷楹 のきの柱。「簷楹挂星斗、枕席響風水簷楹に星斗挂かり、枕席に風水響く」〔李白・宿清渓主人〕

五色 青(東)・赤(南)・黄(西)・白(天)・黒(北)の五色は『書経』にあり、道教では五色は神の色とする。

 

觀者徒傾駭,躑躅詎敢前。

耀きわたった故に、見るものは、全員が大いに驚いたが、何分恐ろしいので、踟蹰して敢て進まず、かといってどういうわけか、室中に入って真相を見極めることもしないようだ。

傾駭 全員が大いに驚いた。駭: ① 思いがけないことにあって,落ち着きを失う。びっくりする。  ② 思い知らされて,感心したり、あきれたりする。

躑躅 1 足踏みすること。ためらうこと。2 つつじ。中国で毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足ぶみしてもがき、うずくまってしまったと伝えられ、このようになることを躑躅(てきちょく)と言う。

 

須臾自輕舉,飄若風中煙。

暫くすると、雲霧の中より、謝自然の姿が現れて、軽やかに空中に舞上って昇天したが、その有様は、飄然として、風に漂う煙のようであったという。

須臾 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。

輕舉 軽やかに空中に舞上って昇天したこと。

 

茫茫八紘大,影響無由緣。

昇天した後、広大な世界のはるか遠い先の先までも、その影響についても、理由、接縁などの痕跡は全くなかったのである。

茫茫 1 広々としてはるかなさま。2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。3 草・髪などが伸びて乱れているさま

八紘 国の八方の果て。国の隅々。八極。

 美女画55101道観

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制作年:              794年貞元十年27

卷別:    卷三三六               文體:              五言古詩

韓昌黎集 巻一

詩題:    謝自然詩〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

及地點:              南充 (山南西道 果州 南充) 別名:南充縣      

金泉山 (山南西道 果州 金泉山)    

 

 

謝自然詩 #1

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った)#1

果州南充縣,寒女謝自然。

所は蜀で果州の南充縣という地に謝自然と名乗る一人の貧女がいた。

童騃無所識,但聞有神仙。

言ってもまだ、子供で、一向知識も何もないが、道教を聞きかじって世に神仙と称するありがたいものがあるということを承っていた。

輕生學其術,乃在金泉山。

人並みのものを食わず、自分の生を軽んじて、神仙の術をまなび、はては、金泉山に分け入って、修業をおこなった。

繁華榮慕,父母慈愛捐。

こうして、世の中の栄華富貴など念慮を絶ち、父母の慈愛をもすててしまったということだ。

#2

凝心感魑魅,慌惚難具言。

やがて、心を凝らした一念は、魑魅をも感動せしめ、その神變不思議なことは、とても、まじめで詳しく話もできないくらいであった。

一朝坐空室,雲霧生其間。

ある朝から、誰もいない講堂に坐していると、雲霧が忽然とその間に生じる。

如聆笙竽韻,來自冥冥天。

冥冥たる天上よりはものとはなしに、笙竽の微妙なる音楽の韻がきこえてくるようなのである。

白日變幽晦,蕭蕭風景寒。

その内に、一天、にわかに搔き曇り、はくじつのひかりをうしなって、幽晦に変ずると同時に、少々として、風景凄まじく寒く淋しいものとなる。

#3

簷楹暫明滅【簷楹氣明滅】,五色光屬聯。觀者徒傾駭,躑躅詎敢前。

須臾自輕舉,飄若風中煙。茫茫八紘大,影響無由緣。

#4

里胥上其事,郡守驚且歎。驅車領官吏,甿俗爭相先。

入門無所見,冠履同蛻蟬。皆云神仙事,灼灼信可傳。

#5

餘聞古夏后,象物知神姦。山林民可入,魍魎莫逢旃。

逶迤不復振,後世恣欺謾。幽明紛雜亂,人鬼更相殘。

#6

秦皇雖篤好,漢武洪其源。自從二主來,此禍竟連連。

木石生怪變,狐狸騁妖患。莫能盡性命,安得更長延。

#7

人生處萬類,知識最為賢。奈何不自信,反欲從物遷。

往者不可悔,孤魂抱深冤。來者猶可誡,余言豈空文。

人生有常理,男女各有倫。

8

寒衣及飢食,在紡績耕耘。下以保子孫,上以奉君親。

苟異於此道,皆為棄其身。噫乎彼寒女,永托異物群。

感傷遂成詩,昧者宜書紳。

             

謝自然の詩 #1

果州の南充縣,寒女の謝自然。

童騃 識る所無く,但だ神仙有るを聞く。

生を輕んじて其の術を學び,乃ち金泉山に在り。

繁華 榮慕,父母 慈愛 捐【す】つ。

#2

心を凝らして 魑魅を感ぜしめ,慌惚 具【つぶさ】に言い難し。

一朝 空室に坐して,雲霧 其の間に生ず。

笙竽の韻を聆【き】くが如く,冥冥の天より來る。

白日 幽晦に變じ,蕭蕭として風景寒し。

#3

簷楹【えんえい】暫らく明滅し,五色 光 屬聯す。

觀る者 徒らに傾駭,躑躅【てきちょく】して詎んぞ敢て前【すす】まん。

須臾【しゅゆ】にして自ら 輕舉して,飄として 風中の煙の若し。

茫茫として 八紘大に,影響 緣に由し無し。

#4

里胥【りしょ】其の事を上【たてまつ】り,郡守 驚き且つ歎ず。

車を驅って官吏を領し,甿俗【ぼうぞく】爭うて相い先んず。

門に入って見る所無く,冠履【かんく】蛻蟬【ぜいぜん】に同じ。

皆云う 神仙の事,灼灼として 信び傳う可し と。

#5

餘聞く 古しえの夏后,物を象って神姦を知る。

山林 民入る可し,魍魎【ほうりょう】旃【これ】に逢うこと莫れ。

逶迤【いい】として復た振わず,後世 欺謾を恣にする。

幽明 紛として雜亂,人鬼 更【かわるがわ】る相い殘【そこな】う

#6

秦皇 篤好と雖も,漢武 其の源を洪【おおい】にす

二主より來【このかた】,此の禍 竟に連連。

木石 怪變を生じ,狐狸 妖患を騁【は】す

能く性命を盡く莫く,安んぞ更に長延するを得んとする。

#7

人生 萬類を處す,知識を最も賢と為す。

奈何んぞ 自ら信ぜずして,反って物に從って遷らんと欲す。

往者 悔ゆ可からず,孤魂 深冤を抱く。

來者 猶お誡む可し,余の言 豈に空文ならんや。

人生常理有り,男女 各【おのお】の倫有り。

#8

寒衣と飢食と,紡績 耕耘に在り。

下は以って子孫を保ち,上は以て君親を奉ず。

苟しくも此の道に異ならば,皆 其の身を棄つと為す。

噫乎 彼の寒女,永く異物の群に托す。

感傷 遂に詩を成す,昧者は 宜しく紳に書すべし。

 

kairo10680 

『謝自然詩』 現代語訳と訳註

(本文)

 #2

凝心感魑魅,慌惚難具言。

一朝坐空室,雲霧生其間。

如聆笙竽韻,來自冥冥天。

白日變幽晦,蕭蕭風景寒。

 

 

 

(下し文) #2

心を凝らして 魑魅を感ぜしめ,慌惚 具【つぶさ】に言い難し。

一朝 空室に坐して,雲霧 其の間に生ず。

笙竽の韻を聆【き】くが如く,冥冥の天より來る。

白日 幽晦に變じ,蕭蕭として風景寒し。

 

(現代語訳)

やがて、心を凝らした一念は、魑魅をも感動せしめ、その神變不思議なことは、とても、まじめで詳しく話もできないくらいであった。

ある朝から、誰もいない講堂に坐していると、雲霧が忽然とその間に生じる。

冥冥たる天上よりはものとはなしに、笙竽の微妙なる音楽の韻がきこえてくるようなのである。

その内に、一天、にわかに搔き曇り、はくじつのひかりをうしなって、幽晦に変ずると同時に、少々として、風景凄まじく寒く淋しいものとなる。

 

華山道教000 

(訳注) #2

謝自然詩

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った

〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

(果州の謝真人で上昇し、金泉山に在り,貞元十年十一月十二日、白晝に輕舉す,郡守李堅以聞し,詔を褒諭【ほうゆ】する有り。〕(果州の謝仙女は十四、五で道に修し、室を金泉山に築き在り,貞元十年十一月十二日、白日天に昇る。郡守李堅はこれらを表して聞きつけて,詔して褒美す。と有る〕

◎韓愈は道教を奉じた少女が、白日に昇天したなどと言うのは、無知蒙昧で決してこんなことがあるわけはない。それだけならまだしも郡守が上奏して、天子が詔を賜うという、寄懐至極のことだという。この詩は、韓愈《論佛骨表》の源泉というべきものである。

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

凝心感魑魅,慌惚難具言。

やがて、心を凝らした一念は、魑魅をも感動せしめ、その神變不思議なことは、とても、まじめで詳しく話もできないくらいであった。

感魑魅 眼に見えない妖怪悪魔怪物をもかんどうさせる。

慌惚 魅力または呪文によるように影響されること。神變不思議なこと。

 

一朝坐空室,雲霧生其間。

ある朝から、誰もいない講堂に坐していると、雲霧が忽然とその間に生じる。

 

如聆笙竽韻,來自冥冥天。

冥冥たる天上よりはものとはなしに、笙竽の微妙なる音楽の韻がきこえてくるようなのである。

如聆 聞く・聞えてくるようだ。

笙竽韻 笙の笛。竽:笙(しよう)の大型のもの。古くは三六管,のち,一九管・一七管となる。平安中期には用いられなくなった。うのふえ。

 

白日變幽晦,蕭蕭風景寒。

その内に、一天、にわかに搔き曇り、はくじつのひかりをうしなって、幽晦に変ずると同時に、少々として、風景凄まじく寒く淋しいものとなる。

幽晦 奥深く明らかでない。黄昏時のように暗い。
原道孔子廟001305 

437-#1 《謝自然詩》韓愈(韓退之)ID <1149> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4729韓愈詩-437-#1

韓愈は道教を奉じた少女が、白日に昇天したなどと言うのは、無知蒙昧で決してこんなことがあるわけはない。それだけならまだしも郡守が上奏して、天子が詔を賜うという、寄懐至極のことだという。この詩は、韓愈《論佛骨表》の源泉というべきものである。

 
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437-#1 《謝自然詩》韓愈(韓退之)ID  1149> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4729韓愈詩-437-#1

 

 

制作年:794年貞元十年27

卷別:    卷三三六               文體:              五言古詩

韓昌黎集 巻一

詩題:    謝自然詩〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

及地點: 南充 (山南西道 果州 南充) 別名:南充縣      

金泉山 (山南西道 果州 金泉山)    

 

 

謝自然詩 #1

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った)#1

果州南充縣,寒女謝自然。

所は蜀で果州の南充縣という地に謝自然と名乗る一人の貧女がいた。

童騃無所識,但聞有神仙。

言ってもまだ、子供で、一向知識も何もないが、道教を聞きかじって世に神仙と称するありがたいものがあるということを承っていた。

輕生學其術,乃在金泉山。

人並みのものを食わず、自分の生を軽んじて、神仙の術をまなび、はては、金泉山に分け入って、修業をおこなった。

繁華榮慕,父母慈愛捐。

こうして、世の中の栄華富貴など念慮を絶ち、父母の慈愛をもすててしまったということだ。

#2

凝心感魑魅,慌惚難具言。一朝坐空室,雲霧生其間。

如聆笙竽韻,來自冥冥天。白日變幽晦,蕭蕭風景寒。

#3

簷楹暫明滅【簷楹氣明滅】,五色光屬聯。觀者徒傾駭,躑躅詎敢前。

須臾自輕舉,飄若風中煙。茫茫八紘大,影響無由緣。

#4

里胥上其事,郡守驚且歎。驅車領官吏,甿俗爭相先。

入門無所見,冠履同蛻蟬。皆云神仙事,灼灼信可傳。

#5

餘聞古夏后,象物知神姦。山林民可入,魍魎莫逢旃。

逶迤不復振,後世恣欺謾。幽明紛雜亂,人鬼更相殘。

#6

秦皇雖篤好,漢武洪其源。自從二主來,此禍竟連連。

木石生怪變,狐狸騁妖患。莫能盡性命,安得更長延。

#7

人生處萬類,知識最為賢。奈何不自信,反欲從物遷。

往者不可悔,孤魂抱深冤。來者猶可誡,余言豈空文。

人生有常理,男女各有倫。

7

寒衣及飢食,在紡績耕耘。下以保子孫,上以奉君親。

苟異於此道,皆為棄其身。噫乎彼寒女,永托異物群。

感傷遂成詩,昧者宜書紳。

#8

寒衣及飢食,在紡績耕耘。

下以保子孫,上以奉君親。

苟異於此道,皆為棄其身。

噫乎彼寒女,永托異物群。

感傷遂成詩,昧者宜書紳。

 

             

謝自然の詩 #1

果州の南充縣,寒女の謝自然。

童騃 識る所無く,但だ神仙有るを聞く。

生を輕んじて其の術を學び,乃ち金泉山に在り。

繁華 榮慕,父母 慈愛 捐【す】つ。

#2

心を凝らして 魑魅を感ぜしめ,慌惚 具【つぶさ】に言い難し。

一朝 空室に坐して,雲霧 其の間に生ず。

笙竽の韻を聆【き】くが如く,冥冥の天より來る。

白日 幽晦に變じ,蕭蕭として風景寒し。

#3

簷楹【えんえい】暫らく明滅し,五色 光 屬聯す。

觀る者 徒らに傾駭,躑躅【てきちょく】して詎んぞ敢て前【すす】まん。

須臾【しゅゆ】にして自ら 輕舉して,飄として 風中の煙の若し。

茫茫として 八紘大に,影響 緣に由し無し。

#4

里胥【りしょ】其の事を上【たてまつ】り,郡守 驚き且つ歎ず。

車を驅って官吏を領し,甿俗【ぼうぞく】爭うて相い先んず。

門に入って見る所無く,冠履【かんく】蛻蟬【ぜいぜん】に同じ。

皆云う 神仙の事,灼灼として 信び傳う可し と。

#5

餘聞く 古しえの夏后,物を象って神姦を知る。

山林 民入る可し,魍魎【ほうりょう】旃【これ】に逢うこと莫れ。

逶迤【いい】として復た振わず,後世 欺謾を恣にする。

幽明 紛として雜亂,人鬼 更【かわるがわ】る相い殘【そこな】う

#6

秦皇 篤好と雖も,漢武 其の源を洪【おおい】にす

二主より來【このかた】,此の禍 竟に連連。

木石 怪變を生じ,狐狸 妖患を騁【は】す

能く性命を盡く莫く,安んぞ更に長延するを得んとする。

#7

人生 萬類を處す,知識を最も賢と為す。

奈何んぞ 自ら信ぜずして,反って物に從って遷らんと欲す。

往者 悔ゆ可からず,孤魂 深冤を抱く。

來者 猶お誡む可し,余の言 豈に空文ならんや。

人生常理有り,男女 各【おのお】の倫有り。

#8

寒衣と飢食と,紡績 耕耘に在り。

下は以って子孫を保ち,上は以て君親を奉ず。

苟しくも此の道に異ならば,皆 其の身を棄つと為す。

噫乎 彼の寒女,永く異物の群に托す。

感傷 遂に詩を成す,昧者は 宜しく紳に書すべし。

駅亭の 隠遁 

 

『謝自然詩』 現代語訳と訳註

(本文)

謝自然詩 #1

果州南充縣,寒女謝自然。童騃無所識,但聞有神仙。

輕生學其術,乃在金泉山。繁華榮慕,父母慈愛捐。

 

(下し文)

謝自然の詩 #1

果州の南充縣,寒女の謝自然。

童騃 識る所無く,但だ神仙有るを聞く。

生を輕んじて其の術を學び,乃ち金泉山に在り。

繁華 榮慕え,父母 慈愛 捐【す】つ。

 

(現代語訳)

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った)#1

所は蜀で果州の南充縣という地に謝自然と名乗る一人の貧女がいた。

言ってもまだ、子供で、一向知識も何もないが、道教を聞きかじって世に神仙と称するありがたいものがあるということを承っていた。

人並みのものを食わず、自分の生を軽んじて、神仙の術をまなび、はては、金泉山に分け入って、修業をおこなった。

こうして、世の中の栄華富貴など念慮を絶ち、父母の慈愛をもすててしまったということだ。

成都遂州002 

(訳注)

謝自然詩 #1

果州の謝仙女が白日天に昇ったのを、郡守李堅が,詔して褒美したことを韓愈がこの詩を寄懐至極のことだと作った

〔果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。〕

(果州の謝真人で上昇し、金泉山に在り,貞元十年十一月十二日、白晝に輕舉す,郡守李堅以聞し,詔を褒諭【ほうゆ】する有り。〕(果州の謝仙女は十四、五で道に修し、室を金泉山に築き在り,貞元十年十一月十二日、白日天に昇る。郡守李堅はこれらを表して聞きつけて,詔して褒美す。と有る〕

◎韓愈は道教を奉じた少女が、白日に昇天したなどと言うのは、無知蒙昧で決してこんなことがあるわけはない。それだけならまだしも郡守が上奏して、天子が詔を賜うという、寄懐至極のことだという。この詩は、韓愈《論佛骨表》の源泉というべきものである。

《論佛骨表》(1)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <884  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3404韓愈詩-227-1

 

果州南充縣,寒女謝自然。

所は蜀で果州の南充縣という地に謝自然と名乗る一人の貧女がいた。

果州南充縣 (今四川省南充市東北)安漢県は唐代の621年に果州と改名され、その他には閬州(閬中市)、蓬州(営山県)などが置かれた。果州は742年に南充と改められた。1221年には果州は順慶府に昇格した。 中華民国の時代に入り1916年、この地方の中心は閬中から南充に遷された。

寒女 貧女

謝自然 孝廉謝寰の娘で、女道士,果州の人である。

 

童騃無所識,但聞有神仙。

言ってもまだ、子供で、一向知識も何もないが、道教を聞きかじって世に神仙と称するありがたいものがあるということを承っていた。

童騃 幼なくて痴愚、知識も何もない、無知。

 

輕生學其術,乃在金泉山。

人並みのものを食わず、自分の生を軽んじて、神仙の術をまなび、はては、金泉山に分け入って、修業をおこなった。

金泉山 四川果州南充城の西にある。

 

繁華榮慕,父母慈愛捐。

こうして、世の中の栄華富貴など念慮を絶ち、父母の慈愛をもすててしまったということだ。

436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

 
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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID  1148 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6

 

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

子其聽我言,可以當所箴。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

既獲則思返,無為久滯淫。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

卞和試三獻,期子在秋砧。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

云亭

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(下し文) #6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

 

(現代語訳)

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

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(訳注) #6

孟生詩 

(孟郊(孟東野)が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

求觀眾丘小,必上泰山岑。

孟郊は人の幕客になることは好まないかもしれないが、衆丘の小なるを観んと欲せば、必ず泰山の頂に上るものである。

眾丘小 『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。

杜甫《望嶽》「會當凌絶頂,一覽衆山小。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

求觀眾流細,必泛滄溟深。

眾流の細なるを観んと欲せば、かならず滄溟の深きに泛ぶを要する通りというものである。

 

子其聽我言,可以當所箴。

孟郊は座右の箴として、世間のことを知るためには、私の謂うことを聞き入れて、張建封の様な方の幕中に遊ぶ必要があるのである。

 

既獲則思返,無為久滯淫。

そうして金を貯えて長安に帰って来ればよいので、何時までも幕客のままでそこに留まれと言っているのではない。

 

卞和試三獻,期子在秋砧。

古の卞和は、足を切られるのもいとわず、三度玉を献じて、はじめて志を達したという故事のように、孟郊は一度進士試験を落第したということに気を腐らさず、秋の砧の音がするころには、次の試験のために上京してくるつもりで、とりあえず徐州へ行って勉強すればよいのである。

卞和 秋時代の楚()の人。山中で得た宝玉の原石を楚の王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

秋砧 

杜甫《擣衣》

  亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

  寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 

衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。

肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空,宵月皓中閨。

美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。

高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。

紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。

盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

 

436-#5 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1147> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4719韓愈詩-436-#5

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

韓愈の地図0055 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。

我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

 

(下し文) #5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 修【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

 

(現代語訳)

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

 

01 朝賀の服装 

(訳注) #5

孟生詩 

(孟郊(孟東野)が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

宵靜相對,髮白聆苦吟。

或る時、宵において静かに相対坐し、白髪頭になるまで、孟郊(孟東野)の苦吟するのを聞いたことがある。

 

采蘭起幽念,眇然望東南。

やがて、孟郊(孟東野)は、かの古い詩に見るように、蘭を采るにつけて、故郷に帰って母と一緒にいたいというので、渺然として東南の方を望んだのである。

采蘭 親を思い、帰ることを思うという親孝行の気持ちをいう。

 

修且阻,兩地無數金。

この秦の地、長安と呉の地とは、相去ること何千里というくらい、数金さえ持ち合わせぬということで、とても旅ができないということなのだ。

 秦の地、長安と呉の地。呉は孟郊の故郷。

 

我論徐方牧,好古天下欽。

そこでどうしたものかといろいろ自分としても考えて頼み込んだのが、刻下徐州の長官たる張建封は、古を好んで、天下の人から敬慕されているくらいの人なのである。

徐方牧 徐州の長官たる張建封のこと。

 

竹實鳳所食,德馨神所歆。

竹の実は、鳳凰にして初めて食らうべく、神の享けられるは、黍稷の馨し気にあらずして、徳の馨しきにあるということから、東野を歓迎してくれるのはこの人を置いてほかにいないのである。

竹實 鳳凰は梧桐しか棲まず、竹の実以外に食べないとされる。

德馨 『書経』君陳編「我聞曰至治馨香感于神明。黍稷非馨。明徳惟馨。爾尚式時周公之猷訓。」(我聞く、曰く、至治の馨香、神明に感ず。黍稷馨しきに非ず。明徳惟れ馨し。爾尚(ねがは)くば時(こ)の周公の猷訓に式(のっと)れ。)とある。
辟雍00 

436-#4 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1146> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4714韓愈詩-436-#4

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

 
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436-#4 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID  1146 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4714韓愈詩-436-#4

 

 

制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。

采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。

我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。

求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。

既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

燕麦003 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

 

(下し文) #4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

 

(現代語訳)

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。

 

 

(訳注) #4

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

奈何從進士,此路轉嶇嶔。

いかにして、進士に及第して官僚になろうという、この立身出世の道はそう簡単に出来るようなものではないのである。

嶇嶔 峻険な山道。

 

異質忌處群,孤芳難寄林。

孟郊(孟東野)はもとより、異質のものであって、群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格で、孤芳が雑木林に生えて安穏出来ることが困難というのと同じである。

忌處群 群小人の中に交じっていることなどできることはできない性格。

孤芳 李白《古風五十九首之三十七》I「群沙穢明珠、眾草凌孤芳。」(群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。)

37-#1 《古風五十九首之三十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> Ⅰ李白詩1197 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4533

 

誰憐松桂性,競愛桃李陰。

松桂のような立派な本質は、誰も好むものはなく、桃李の花が咲いて、それが一杯にさいて影になるようなほうが、俗受けがよいというものである。

 

朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

そこで、孟郊(孟東野)は、朝に落葉の樹を辞するのを見て、わが身のはかなきを悲しみ、夕べに、巣に帰る鳥を見て、早く故郷に帰りたいと思ったのだ。

 

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

その間、韓退之は慷慨の人だといって交わりを結び、孟郊(孟東野)はしばしば我がむさくるしい軒端の家を訪ねてくれた。
甘粛省-嘉峪関 

436-#3 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1145> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4709韓愈詩-436-#3

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

01 朝賀の服装 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。

萍蓬風波急,桑日月侵。

 

(下し文) #3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

 

(現代語訳)

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 

(訳注) #3

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

舉頭看白日,泣涕下霑襟。

首をあげて、白日をみれば、涙が自然に下って、襟を濡らしてやまない。

 

朅來遊公卿,莫肯低華簪。

天子に謁見することは、到底難しいから、今度は、公卿の間に遊ぼうとしたが、その公卿もまた華簪を垂れている。

 

諒非軒冕族,應對多差參。

お辞儀をして、孟郊(東野)を迎えるものなどなく、軒冕の族というわけでもない普通の人士は応対さえしてくれない。

軒冕 ① 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。② 高位高官。また、その人。

差參 參差におなじ。① 長短の等しくないさま。そろわないさま。 「枝葉-として生繁り/読本・弓張月 拾遺」 入りまじるさま。入り組むさま。

 

萍蓬風波急,桑日月侵。

かくて、孟郊(東野)は浮草が風波に漂わされたように、ぐずぐずしているうちに日出の桑畑から、日の入りの楡林に沈み、月もやがてしずむように、おいおいとしをとるのだ。

 桑畑は東にあり、西の寝れの端に日が沈むこと、朝から晩まで一生懸命励むことをいう。織蚕は女子の基本作業であり、こまめな作業が必要なのである。

漢の無名氏『陌上桑』 

日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。

日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。

秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。

羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。

青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩

種桑
詩人陳條柯、亦有美攘剔。
前修爲誰故、後事資紡績。
媿微富敎益、浮陽騖嘉日。
蓺桑迨閒隙、疏欄發近郛、長行達廣場。
曠流始毖泉、湎塗猶跬跡。
俾比將長成、慰我海外役。

種桑 謝霊運<19>  詩集 385
 
桑畑

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ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-98-#4 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4705 杜甫詩1500-799ー#4-1112/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

孟生江海士,古貌又古心。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

作詩三百首,窅默咸池音。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。萍蓬風波急,桑日月侵。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

 

玄武門 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #2

豈識天子居,九重鬱沈沈。

一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

 

(下し文)#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

 

(現代語訳)

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

閶闔門001 

(訳注) #2

孟生詩 

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

 

豈識天子居,九重鬱沈沈。

ところが、今の世は簡単なことではなく先ず、天子の住まわれているところを知らねばならないが、九重の門と幾重にも曲った奥深き所におられるということである。

九重《楚辭補註》卷八〈九辯〉~88 豈不鬱陶而思君兮,君之門以九重

沈沈 宮城の奥深いこと。

 

一門百夫守,無籍不可尋。

一門ごとに、百人の番兵がいて、門鑑を持たぬ者は中に入ることは不可能なのだ。

無籍 門鑑を持たぬ者。

 

晶光蕩相射,旗戟翩以森。

そうはいっても日月の光は蕩蕩として互いに相射するものではあるが、はたさしものや矛などでいかめしく護衛しているのである。

晶光 日月の光。

 

遷延乍卻走,驚怪靡自任。

このように厳しい守りに対してたじろぎ、すぐに引き返すのであり、驚いて、怪しむものは自制心さえなくそうというものである。

遷延 あとすざりすること。

靡自任 自制心さえなくなること。
唐朝 大明宮2000
長安城皇城図 

436-#1 《孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】》韓愈(韓退之)ID <1143> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4699韓愈詩-436-#1

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

 
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制作年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳      

九重 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

#2

豈識天子居,九重鬱沈沈。一門百夫守,無籍不可尋。

晶光蕩相射,旗戟翩以森。遷延乍卻走,驚怪靡自任。

#3

舉頭看白日,泣涕下霑襟。朅來遊公卿,莫肯低華簪。

諒非軒冕族,應對多差參。萍蓬風波急,桑日月侵。

#4

奈何從進士,此路轉嶇嶔。異質忌處群,孤芳難寄林。

誰憐松桂性,競愛桃李陰。朝悲辭樹葉,夕感歸巢禽。

顧我多慷慨,窮簷時見臨。

#5

宵靜相對,髮白聆苦吟。采蘭起幽念,眇然望東南。

修且阻,兩地無數金。我論徐方牧,好古天下欽。

竹實鳳所食,德馨神所歆。

#6

求觀眾丘小,必上泰山岑。求觀眾流細,必泛滄溟深。

子其聽我言,可以當所箴。既獲則思返,無為久滯淫。

卞和試三獻,期子在秋砧。

 

(孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

#2

豈に識んや 天子の居,九重 鬱として沈沈たるを。

一門 百夫守る,籍無くば尋ねる可からず。

晶光 蕩として相い射る,旗戟 翩として以て森たり。

遷延 乍ち卻走【きゃくそう】,驚怪 自ら任【と】うる靡【な】し。

#3

頭を舉げて白日を看,泣涕 下って襟を霑す。

朅來【けつらい】公卿に遊び,肯えて華簪を低るる莫し。

諒【まこと】に軒冕【けんべん】の族にら非ず,應對 多くは差參す。

萍蓬 風波急なり,桑 日月侵す。

#4

奈何んぞ進士に從う,此の路 轉た嶇嶔【くきん】。

異質 群に處るを忌まる,孤芳 林に寄せ難し。

誰か松桂の性を憐まん,競うて桃李の陰を愛す。

朝には樹を辭するの葉を悲み,夕には巢に歸るの禽に感ず。

我を顧みて慷慨多し,窮簷【きゅうえん】時に臨み見る。

#5

清宵 靜かに相い對し,髮白くして苦吟を聆く。

蘭をって幽念を起し,眇然として東南を望む。

 【なご】うして且つ阻だたる,兩地 數金無し。

我 徐方の牧を論ず,古を好んで天下欽す。

竹實は鳳の食する所,德馨は神 歆【きん】する所。

#6

眾丘の小を觀んことを求むれば,必ず泰山の岑に上らん。

眾流の細を觀んことを求むれば,必ず滄溟の深きに泛べ。

子 其れ我が言を聽かば,以って所箴【しょしん】に當る可し。

既に獲ば 則ち返らんを思い,久しく滯淫することを為す無かれ。

卞和 試みに三獻,子を期すること 秋砧【しゅうちん】在り。

Nature1-003 

 

『孟生詩』 現代語訳と訳註

(本文) #1

孟生江海士,古貌又古心。嘗讀古人書,謂言古猶今。

作詩三百首,窅默咸池音。騎驢到京國,欲和熏風琴。

 

(下し文)

 (孟生の詩):#1

孟生 江海の士,古貌 又た 古心。

嘗て古人の書を讀み,謂うて言う 古も猶お今のごとし。

詩を作ること 三百首,窅默【ようもく】たり 咸池音。

驢に騎して京國に到り,熏風の琴に和せんと欲す。

 

(現代語訳)

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

 

(訳注)

孟生詩 #1

(孟郊(東野)孟郊が徐州に赴くについて、孟郊を激励する詩)

この詩は、孟郊(東野)がほとんど五十にして上京し、進士試験を受験、落第した。韓愈は衣食の確保のため、徐州節度使の張建封に紹介し、愈々、孟郊が徐州に赴くについてこの詩を作った。

 

孟生江海士,古貌又古心。

孟東野は長江と東海の間の生まれで、風采も心も共に古めかしい人間である。

 

嘗讀古人書,謂言古猶今。

曾て 古人の書を読んでいて、いわゆる堯舜の時代も、やはり、今日のようだと思い込んでいたのである。

 

作詩三百首,窅默咸池音。

作っている詩は三百篇もあり、堯の楽「咸池」の音にも比すべき高い調べも、窅默していても仕方がないということだ。

○窅默 仕方がないと黙っていること。

○咸池 絃の楽。堯帝が洞庭で「咸池の楽」を奏し、洞庭の魚をも舞わせる。荘子』天運篇「咸池樂論」…『荘子』の外篇咸池の楽とは黄帝が作曲したとされる最も秀れた音楽のひとつ 聖人黄帝と、成という名の修道者の問答「懼れ」秀れた音楽はまず人間のパトスをうち、人間の内面に衝撃を与えるものであって、最初に懼れが来る。

 

騎驢到京國,欲和熏風琴。

そんなことがあって、驢馬に乗って、都長安に上り、これを天子の五絃薫風の琴の調子に合わせてはじめて世にあらわしたいと決心して出てきたのだ。

○熏風琴 「五弦の琴を弾じ、南風の詩を歌ひて天下治まる。」ということの基づく。薫風は初夏、若葉の香りを送るようにさわやかに吹く南風をいう言葉で。上古の舜帝が

五弦琴を弾きながら歌ったと伝えられるもの。『礼記注疏』「舜弾五弦之琴其辞」「南風之薫兮。可以解吾民之慍兮。南風之時兮。可以阜吾民之財兮。弾五絃之琴而天下治。

 

 

「郊寒島痩」屈折された文学
宋の蘇軾は「祭柳子玉文」(『蘇軾文集』巻六十三、中華書局、一九八六)の中で、孟郊と賈島の詩の特色を「郊寒島痩」ということばで批評した。孟郊は寒く、賈島は痩せているという。「寒」「痩」という評語は、孟郊と賈島の詩を否定したものではなく、そこに新しい美意識を認めるのである。既に孟郊の「交友」友情、愛情について、「求友」  「擇友」  「結交」 「勸友」 「審交」   結愛  の六首を見た。    
孟郊の「人」について、「寒地百姓吟」(巻三)を例に挙げて、孟郊が「人」をどのように描いているか見てみよう。この詩には、「為鄭相、其年居河南、畿内百姓、大蒙矜卹」という自注がついている。宰相をつとめた鄭余慶が河南尹となり、人民のために尽くしたのを讃えた詩で、元和元年(八〇六)、五十六歳の作。孟郊は鄭余慶の下で、河南水陸運従軍、試協律郎の職に就いていた。

唐中唐詩193 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(1)「求友
唐中唐詩194 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #1

中唐詩195 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(2)「擇友」 #2

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唐中唐詩197 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(4)「勸友

唐中唐詩198 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(5)「審交

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韓愈の地図0055 

435 《青青水中蒲,三首之三》韓愈(韓退之)ID <1142> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4694韓愈詩-435

それは女子として、長しえに、奥座敷を第一にし、そこから下ることはないものとするが、男児たるもの志、四方にあるがゆえに、万里の遠きに出征してしまった。そうなると空閨を守る身にとっては、まことに孤寂の感に堪えられぬ。

 
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435 《青青水中蒲,三首之三》韓愈(韓退之)ID <1142> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4694韓愈詩-435 
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435 《青青水中蒲,三首之三》韓愈(韓退之)ID  1142 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4694韓愈詩-435

 

 

作時年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    青青水中蒲,三首之三

寫作地點:           岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

 

 

青青水中蒲,三首之一

青青水中蒲,下有一雙魚。

君今上隴去,我在與誰居。

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の一

水中には青々とした水草の蒲があって、その下には魚が二尾ならんでいる。

魚が番でいるのに、君は今遠く出征して、隴山に登って西域に去るのであるが、そのような我々は、ここにあるも誰と共にいるといいのだろうか。

(青青水中蒲,三首之一)

青青たり 水中の蒲,下に一雙の魚有り。

君 今 隴に上って去る,我 在れども誰と居らん。

nat0026 

青青水中蒲,三首之二

青青水中蒲,長在水中居。

寄語浮萍草,相隨我不如。

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の二

水中には青々とした水草の蒲があって、それは長しえに、水中を離れるものではない。

白萍であっても浮草というものは波のまにまに風にまかせ、何処えでもしたがってゆく。女は夫と別れても、棄てられても、一つ所に留まるものなのである。

(青青水中蒲,三首の二)

青青たり 水中の蒲,長く水中に在って居る。

語を寄す浮萍の草,相い隨うこと我に如かず。
 

青青水中蒲,三首之三

青青水中蒲,葉短不出水。

婦人不下堂,行子在萬里。

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の三

水中には青々とした水草の蒲があって、蒲の葉の短いものは、水中から出ることなく、女性の表に出ることなく控え目にするかのようである。

それは女子として、長しえに、奥座敷を第一にし、そこから下ることはないものとするが、男児たるもの志、四方にあるがゆえに、万里の遠きに出征してしまった。そうなると空閨を守る身にとっては、まことに孤寂の感に堪えられぬ。

(青青水中蒲,三首の三)

青青たり 水中の蒲,葉 短くして水を出でず。

婦人 堂を下らず,行子 萬里に在り。

 

pla039 

『青青水中蒲,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

青青水中蒲,三首之三

青青水中蒲,葉短不出水。

婦人不下堂,行子在萬里。

 

(下し文)

(青青水中蒲,三首の三)

青青たり 水中の蒲,葉 短くして水を出でず。

婦人 堂を下らず,行子 萬里に在り。

 

(現代語訳)

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の三

水中には青々とした水草の蒲があって、蒲の葉の短いものは、水中から出ることなく、女性の表に出ることなく控え目にするかのようである。

それは女子として、長しえに、奥座敷を第一にし、そこから下ることはないものとするが、男児たるもの志、四方にあるがゆえに、万里の遠きに出征してしまった。そうなると空閨を守る身にとっては、まことに孤寂の感に堪えられぬ。

 

(訳注)

青青水中蒲,三首之三

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の三

 

青青水中蒲,葉短不出水。

水中には青々とした水草の蒲があって、蒲の葉の短いものは、水中から出ることなく、女性の表に出ることなく控え目にするかのようである。

 

 

婦人不下堂,行子在萬里。

それは女子として、長しえに、奥座敷を第一にし、そこから下ることはないものとするが、男児たるもの志、四方にあるがゆえに、万里の遠きに出征してしまった。そうなると空閨を守る身にとっては、まことに孤寂の感に堪えられぬ。

行子 辺境の塞に出征する、征夫のこと。
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434 《青青水中蒲,三首之二》韓愈(韓退之)ID <1141> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4689韓愈詩-434

水中には青々とした水草の蒲があって、それは長しえに、水中を離れるものではない。白萍であっても浮草というものは波のまにまに風にまかせ、何処えでもしたがってゆく。女は夫と別れても、棄てられても、一つ所に留まるものなのである。

 
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434 《青青水中蒲,三首之二》韓愈(韓退之)ID  1141 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4689韓愈詩-434

 

 

作時年:              793年貞元九年26

卷 別:卷三三九              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻四

詩題:    青青水中蒲,三首之二

作地點:              岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

 

青青水中蒲,三首之一

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の一

青青水中蒲,下有一雙魚。

水中には青々とした水草の蒲があって、その下には魚が二尾ならんでいる。

君今上隴去,我在與誰居。

魚が番でいるのに、君は今遠く出征して、隴山に登って西域に去るのであるが、そのような我々は、ここにあるも誰と共にいるといいのだろうか。

 

(青青水中蒲,三首之一)

青青たり 水中の蒲,下に一雙の魚有り。

君 今 隴に上って去る,我 在れども誰と居らん。
 

青青水中蒲,三首之二

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の二

青青水中蒲,長在水中居。

水中には青々とした水草の蒲があって、それは長しえに、水中を離れるものではない。

寄語浮萍草,相隨我不如。

白萍であっても浮草というものは波のまにまに風にまかせ、何処えでもしたがってゆく。女は夫と別れても、棄てられても、一つ所に留まるものなのである。

 

(青青水中蒲,三首の二)

青青たり 水中の蒲,長く水中に在って居る。

語を寄す浮萍の草,相い隨うこと我に如かず。

 

桑摘女00 

『青青水中蒲,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

青青水中蒲,三首之二

青青水中蒲,長在水中居。

寄語浮萍草,相隨我不如。

 

(下し文)

(青青水中蒲,三首の二)

青青たり 水中の蒲,長く水中に在って居る。

語を寄す浮萍の草,相い隨うこと我に如かず。

 

(現代語訳)

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の二

水中には青々とした水草の蒲があって、それは長しえに、水中を離れるものではない。

白萍であっても浮草というものは波のまにまに風にまかせ、何処えでもしたがってゆく。女は夫と別れても、棄てられても、一つ所に留まるものなのである。

 

燕麦003

(訳注)

青青水中蒲,三首之二

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の二

 

青青水中蒲,長在水中居。

水中には青々とした水草の蒲があって、それは長しえに、水中を離れるものではない。

 

寄語浮萍草,相隨我不如。

白萍であっても浮草というものは波のまにまに風にまかせ、何処えでもしたがってゆく。女は夫と別れても、棄てられても、一つ所に留まるものなのである。

 

 

唐代の結婚 は、また「門当戸対」とか、「当色為婚」とか言われる、家柄のつり合いを大変に重視した。良民と賎民は決して縁組みをしないばかりか、良民の中でも同じ階層の者同士が結婚するのが普通だった。唐代は士族と庶民の区別が前代のようには厳密でなく、また通婚圏もそれほど閉鎖的ではなかったが、士族・庶民ともに一族一門の名誉の観念は依然として強烈であった。

一般的には士族は娘を身分の低い庶民などにやりたくはなく、また権門貴顕の大多数が娘の才能や容姿などお構いなしに、争って士族との縁組みを求めたのである。こうした社会通念の影響を受けて、士族の娘自身も家柄を重視し、庶民の家に嫁ぐことを恥だと考えた。

 

家柄以外では、婿の家の財産と本人の才能が重視された。唐代には文学が尊ばれ、また科挙制度も発達したので、文士は名声が高まるだけでなく、文才で出世することも比較的容易であった。こうして才能の中でも文才が重んじられたのである。高貴で財産もある家でも、婿を取る時には家柄や財産よりはむしろ文才を重んじる場合があった。

 

これとは逆に、女が嫁に選ばれる資格第一は容姿であり、第二が金と財産であった。原理的には、徳を重んじて色を重んじないということになってはいたが、しかし唐代の世風は礼法を尚はず、色気や艶っぽさを重んじたので、男は誰でも美貌を重視した。才子や名士などといわれる人物は、とりわけそうした傾向が強かった。

そのほか、親は娘の婿選びに常に家柄や財産を重視したので、「老いた夫と若い妻」という現象を多く生みだした。

 

 

唐代の結婚について、もう一つ注目すべき現象がある。それは男が女の家に行って婚礼をあげるケースがひじょうに多いということである。これについては、敦煌で発見された唐代の書儀(諸種の公文・書簡等の書式)の写本が確かな証拠を提供してくれる。 

それに「最近の人の多くは妻を自分の家に迎えない。つまり妻の実家で結婚式をあげ、何年たっても夫の実家に行かない。自分の実家でそのまま子供を出産することが、一度や二度にとどまらない者もいる。道が遠くて日返りで舅姑に挨拶に行けないからでもない。……婦人は婚礼が終っても夫の一族を全く知らないのである」という。

 

この文書からみると、夫は妻の実家で結婚式をあげ、また妻は何年も夫の家に行かないのみならず、甚だしい場合には、何人か子どもを生んだ後でも妻は夫の実家の人々と知りあうことがないのである。

433 《青青水中蒲,三首之一》韓愈(韓退之)ID <1140> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4684韓愈詩-433

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の一

 
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433 《青青水中蒲,三首之一》韓愈(韓退之)ID <1140> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4684韓愈詩-433 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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433

《青青水中蒲,三首之一》韓愈(韓退之)ID  1140 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4684韓愈詩-433

 

 

作年:    793年貞元九年26

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    青青水中蒲,三首之一

作地點:              岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

 

 

青青水中蒲,三首之一

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の一

青青水中蒲,下有一雙魚。

水中には青々とした水草の蒲があって、その下には魚が二尾ならんでいる。

君今上隴去,我在與誰居。

魚が番でいるのに、君は今遠く出征して、隴山に登って西域に去るのであるが、そのような我々は、ここにあるも誰と共にいるといいのだろうか。

 

(青青水中蒲,三首之一)

青青たり 水中の蒲,下に一雙の魚有り。

君 今 隴に上って去る,我 在れども誰と居らん。

 

nat0026 

『青青水中蒲,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

青青水中蒲,三首之一

青青水中蒲,下有一雙魚。

君今上隴去,我在與誰居。

 

(下し文)

(青青水中蒲,三首之一)

青青たり 水中の蒲,下に一雙の魚有り。

君 今 隴に上って去る,我 在れども誰と居らん。

 

(現代語訳)

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)三首の一

水中には青々とした水草の蒲があって、その下には魚が二尾ならんでいる。

魚が番でいるのに、君は今遠く出征して、隴山に登って西域に去るのであるが、そのような我々は、ここにあるも誰と共にいるといいのだろうか。

 

(訳注)

青青水中蒲,三首之一

(男児たるもの志、四方にあるがゆえに、区々として、家を守っているわけにはいかないが、女性は、常に家を守り、それは終始変わらないものであり、どんな困難があっても、節操を枉げないということを述べたものである。)

 

青青水中蒲,下有一雙魚。

水中には青々とした水草の蒲があって、その下には魚が二尾ならんでいる。

 

君今上隴去,我在與誰居。

魚が番でいるのに、君は今遠く出征して、隴山に登って西域に去るのであるが、そのような我々は、ここにあるも誰と共にいるといいのだろうか。

隴 陝西省隴州の隴山。

 

nat0022 

均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であるが、武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増し、また事前通告なしでの土地の売買を解禁したため戸籍の正確な把握が困難になった。また、華北地域では秋耕の定着による23作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の負担感が増大していった[3]。かくして均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。

 

辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。

 

しかし安史の乱後は内地にも藩鎮が置かれた。地方の藩鎮は唐に対する税の貢納は行っていたものの徐々に自立色を深めていき、最終的には藩鎮により唐は滅ぼされることになる。

 

780年に施行された新しい税制は、それまで資産に関らずに定額を課税していたものを、財産に応じた額に改めたものである。夏(6月)と秋(11月)の年2回徴収するので、両税法と呼ばれる。夏に納めるのは麦であり、秋に納めるのは粟と稲である。税額は一定せず、その年に使われる年間予算を基に税額を各地に割り当てた。

 

かつて安禄山軍から投降した3人の武将に授けた節度使職を元とする、成徳軍・盧竜軍・天雄軍の3つの藩鎮は特に反中央の傾向が強く、節度使の地位を世襲化し中央に納税しなかった。この3つを河朔三鎮と呼んでいる。憲宗は藩鎮を抑制する為、反抗的な藩鎮に対して討伐を加えた。

 

藩鎮では多くの騒乱が発生したが朝廷へ反旗を翻した例は僅かで、大部分は不満を持った驕兵悍将と呼ばれる兵士・下士官が上司たる節度使を追放する目的で行われた。このような兵乱の代表が康全泰の乱(858年)である。兵乱はあくまで自分達の利権を守るのために背いただけで、ほとんどは唐政府に妥協し、大規模なものになる前に鎮圧された。
安史の乱当時の勢力図 

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今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 
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作時年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    岐山下,二首之二

作地點:              岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

及地點:              岐山 (京畿道 岐州 岐山)    

 

岐山下,二首之一

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

人々はいやしくも耳があるならば、鳳凰の啼く声を聞くほどになりたいものである。自分はまだ鳳凰の啼く声を聞いたことがないから、耳がないのも同然である。

朅來岐山下,日暮邊鴻驚。

この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。 

岐山下,二首之二

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

聞者亦何事,但知時俗康。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

自從公旦死,千載閟其光。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 

(岐山下,二首之二)

丹穴 五の色羽,其の名 鳳皇と為す。

昔 周 盛德有り,此の鳥 高岡に鳴く。

和聲 祥風に隨い,窅窕【えいちょう】として相い飄揚す。

聞く者 亦た何事ぞ,但だ 時俗の康きを知る。

公旦の死せしより,千載 其の光を閟【と】づ。

吾が君 亦た理を勤む,爾が一たび來り翔けるを遲【ま】つ。

 

 

『岐山下,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

岐山下,二首之二

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

聞者亦何事,但知時俗康。

自從公旦死,千載閟其光。

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

 

(下し文)

(岐山下,二首之二)

丹穴 五の色羽,其の名 鳳皇と為す。

昔 周 盛德有り,此の鳥 高岡に鳴く。

和聲 祥風に隨い,窅窕【えいちょう】として相い飄揚す。

聞く者 亦た何事ぞ,但だ 時俗の康きを知る。

公旦の死せしより,千載 其の光を閟【と】づ。

吾が君 亦た理を勤む,爾が一たび來り翔けるを遲【ま】つ。

 

(現代語訳)

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

 

長安洛陽鳳翔馬嵬 

(訳注)

岐山下,二首之二

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

○岐山は、長安の西北鳳翔府の西に在り、鳳翔は、昔、周の文王が起こったところである。この詩の年に、渾滋の軍が吐蕃のだまし討ちに遭いかろうじて引き上げてきて、西域に吐蕃が攻め入るとうわさが広がっていたのを題材にしたもの。

 

丹穴五色羽,其名為鳳皇。

元来、鳳凰は、丹穴(闕)というところで生まれ、五色の羽を備え、聖主が位にあればあらわれるというのである。

○丹穴五色羽 丹穴は丹穴鳥で、丹穴の山というところで生まれ、五色の羽を備える。《山海·南次三》「丹穴之山、有焉。,五采而文,名曰鳳凰,首文曰德,翼文曰,背文曰礼,膺文曰仁,腹文曰信。也,食自然,自歌自舞,見則天下安寧。」丹砂の出る穴といういみもある。

 

昔周有盛德,此鳥鳴高岡。

だから昔、周の文王は聖徳有りし故に、この鳥は岐山の高岡に出てきて鳴いたというのである。

○鳴高岡 岐山の高岡に出てきて鳴いた。

 

和聲隨祥風,窅窕相飄揚。

その時、太平の世であったから、和らいだ声は、ありがたき、めでたき風に随って高らかに聞こえ、そして、鳳凰は青天の大空を翔り、飄颻と舞い上がっていたのである。

○窅窕 青天の大空を翔ることをいう。

 

聞者亦何事,但知時俗康。

だから、鳳凰の声を聞いたならば、その時はその世が太平の世であるという証拠になるということから、人々は爭ってこれを聞こうとするし、自分としても、その志を持っているけれど、とうとうこれを是を聞くことはなかった。

 

自從公旦死,千載閟其光。

鳳凰が出たというのは、周の文王の御世にかぎられたことであって、摂政大聖であった周公旦が没してからというもの、千年以上もその光を閉ざして、今に至るも出て来ないのであるから、その声を聞かないのは仕方のないことである。

○公旦 周公旦。本名は姫旦(きたん)。 姫昌の息子で、姫発の弟。  西岐で最高の政治家と言われ、民からは敬意を込めて周公旦と呼ばれている。  姫発が殷を滅亡させ、武王として即位したのちには魯公(今で言えば都道府県知事のようなもの)に任ぜられたが、武王の早逝により燕の召公と共に幼い王・成王(武王の息子)の摂政となる。成王成人後は、後に中国有数の大都市となる洛陽を作り、その長となって生涯を終えた。 夢占いの開祖とされており、孔子の尊敬する人物としても有名。

 

吾君亦勤理,遲爾一來翔。

今、元和の天子は、随分、努めてよく天下を収められているから、鳳凰はもう出てこようというもので、だから,汝、鳳凰は、一度現れて、この地に来たりて翔けられんことを仰望してやまないということなのである。

○遲 1 進み具合がぐずぐずしている。おそい。「遅疑・遅速・遅滞・遅遅・遅筆/巧遅」2 予定の時間を過ぎてしまう。おくれる。「遅延・遅刻・遅配」3 待つ。ここは待つということになる。仰望してやまない。
駅亭の 隠遁 

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この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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作時年:              793年貞元九年26

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    岐山下,二首之一

作地點:              岐州(京畿道 / 岐州 / 岐州)

及地點:              岐山 (京畿道 岐州 岐山)    

 

 

岐山下,二首之一

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

朅來岐山下,日暮邊鴻驚。

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

人々はいやしくも耳があるならば、鳳凰の啼く声を聞くほどになりたいものである。自分はまだ鳳凰の啼く声を聞いたことがないから、耳がないのも同然である。

この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。

 

(岐山下,二首の一)

誰か謂う 我に耳有りと,鳳皇の鳴くを聞かず。

朅來【けつらい】岐山の下,日暮れて邊鴻 驚く。

 

 

『岐山下,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

岐山下,二首之一

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

朅來岐山下,日暮邊鴻驚。

 

(含異文)           

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

朅來岐山下,日暮邊鴻驚【日暮邊火驚】。

 

(下し文)

(岐山下,二首の一)

誰か謂う 我に耳有りと,鳳皇の鳴くを聞かず。

朅來【けつらい】岐山の下,日暮れて邊鴻 驚く。

 

(現代語訳)

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

人々はいやしくも耳があるならば、鳳凰の啼く声を聞くほどになりたいものである。自分はまだ鳳凰の啼く声を聞いたことがないから、耳がないのも同然である。

この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。

 

Nature1-003 

(訳注)

岐山下,二首之一

(韓愈が岐山の麓を通ったとき、兵乱の後で人心が鎮まっておらず、不穏の状態であった。これを、やがて鳳凰が出てきて勲徳を謳歌するような時節になるだろうと詠った。)

岐山は、長安の西北鳳翔府の西に在り、鳳翔は、昔、周の文王が起こったところである。この詩の年に、渾滋の軍が吐蕃のだまし討ちに遭いかろうじて引き上げてきて、西域に吐蕃が攻め入るとうわさが広がっていたのを題材にしたもの。

 

誰謂我有耳,不聞鳳皇鳴。

人々はいやしくも耳があるならば、鳳凰の啼く声を聞くほどになりたいものである。自分はまだ鳳凰の啼く声を聞いたことがないから、耳がないのも同然である。

 

朅來岐山下,日暮邊鴻驚。

この頃、岐山の麓に来かかり、ここは昔、周の文王が起こったところで鳳凰が啼いたところであるから、ぜひその声を聞きたいところである。鳳凰どころか、日暮れになって辺地に向かう雁が、兵器の影に驚いて悲鳴をあげるということだ。

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我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。

 
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科挙は、毎年、春に施行される。韓愈が上京したのは貞元二年(天六)であったが、初めて受験したのは、翌貞元三年の春であった。そして彼は、みごとに落第させられた。

しかし、一回落第するくらいは、いわば常識である。科挙にストレートに合格するのは、よほどの秀才か、あるいは強いコネのある人と思って間違いない。韓愈にしても、一度の落第は覚悟のことだったであろう。しかしその場合、やはり問題となるのは収入をどうして得るかということであった。

 

韓愈の家は、江南でつましい生活を送っている限りにおいては、生計に窮することもなかったであろう。韓愈自身はしきりに自分の家は貧乏だったと言いたててはいるが、それは比較の問題で、彼の一家が飢え死にしそうな事態に追いこまれた形跡もない。しかし江南にいたのでは、将来の展望は何ひとつなく、じり貧の道をたどるはかりであったから、自己の未来に希望をもつ若い恵は、上京して科挙に応じた。しかしそれに落第してみると、長安の物価高のなかでの生活という、きびしい現実が待ち招けていた。

 

韓愈は困窮のあげく、「故人の椎弟を以て、北平王を馬前に拝し」た。(「殿中少監馬君墓誌」)「北平王」とは当時名将の評判が高かった馬燧という人で、それを「馬前に拝した」とは、馬燧が外出のおり、その行列をさえぎって直訴したことを意味する。言うまでもなく非常手段で、たぶん韓愈は馬の座敷を訪ねたことがあるのだが、紹介状を持っていなかったためもあって、門前払いを食ってしまったのであろう。

 

だが、「故人の推弟」とは何のことか、詳しくはわからない。韓愈と馬燧とのあいだにつきあいがあった形跡もないのである。だいたい、馬燧は武勲のゆえに宰相の地位にまで至った人であって、板は将軍であり、伝統的に文官優位の観念が固定している中国では、文官だった韓愈が馬燧とつきあいをもつ必要性もない。そこで今までの説では、ここの「故人」とは恵の従兄にあたる韓弇のことであろうとするのが有力である。従兄を兄と呼ぶことは、当時の家族制度のもとではさしつかえがない。

 

貞元二年、馬燧は吐蕃族が西北の辺境へ侵入して来たのに対して出陣し、欺かれて黄和してしまった。翌年、唐から吐蕃へ和親の使節団が送られたが、思いがけずこれが吐蕃の襲撃を受け、全滅に近い損害を出してしまった。韓弇も使節団の一員で、このときに戦死した。だから韓愈が馬燧に直訴したのをこの事件のあととすれば、「韓弇の稚弟」と言いたてる韓愈を、馬燧が放置しておけなかったのも当然のことといえるのである。

 

とにかく馬燧は、直訴した韓愈を罰せずに、安邑里の私邸で会ってくれた。そして「其の寒飢を軫て」、着物と食事とを恵んでくれ、二人の息子を呼び出して韓愈の世話をしてやるようにと命じた。武将の家に生まれた息子たちの学友にでもするつもりだったのであろう。

これで韓愈は、どうやら飢えをしのぐ道だけは見つけることができた。ただし、武将の馬燧では、科挙についての発言が重視されるはずもなく、その方面での助力はさして期待できなかった。なお、馬燵が韓愈にひきあわせた二人の息子の次男の子が、韓愈が墓誌を書いた「殿中少監馬君」で、三十七歳で若死にしたのである。

 

さて、経済上の問題も解決したことだし、これで科挙に専念できるわけだが、韓愈はそれからも毎年受験して、全部落第した。科挙は「科」によって試験科目が違うと前に述べたが、進士の科の場合は、隆義・詩賦・策論の三科目から成る.詩賦は言うまでもなく詩と賦を作らせる試験であり、そのできばえが成績を決定するわけである。経義は儒家の経書の意味を解釈し、策論は政治・経済などについての論文を書かせるものであるが、経義の場合は経書の、策論は時の政策についての、批判を書くことは許されない。

 

したがって結論はだいたいきまったようなものであり、競争試験としてはその結論を導き出すまでの文章の力によって優劣が決定される。自然、採点は主観的なものとならざるを得ない。その採点は、むろん試験官によって方針が違うわけだが、おおむねは当世風の流行に左右される。韓愈のように「古人」を重んじ、その道に従っていたのでは、合格はまずおぼつかなかった。彼はまた別の文章で、自分が落第を続けたのは運動が足りなかったせいだとも述懐している。たしか堅剛にも述べたごとく、自分を売り込むために奔走するのが当時の受験者の通例なのに、「門を出でて之く所がない」韓愈には奔走のしょうがなかったし、また「古人」の道を守る彼の信条からいって、奔走する気にもなれなかったことであろぅ。しかし科挙に落第したとき、それを自分の実力のせいにはせず、運動の不足とか試験官の不明のゆえにしてしまうのが、落第書生の定石ともいえる弁解なのであり、この点に関しては恵の言い分をそのままに認めることはできない。

 

だがとにかく、落第も一回ならは時の運などと言って通るであろうが、それが続くとなると、周囲の目も温かいはかりではなくなってくる。ことに韓愈の場合は、世話をしてくれる馬燵への気がねも必要である。とうとう三回目に落第した翌年の貞元六年(790)、彼は都を離れて江南へと帰った。その目的は明らかにされていないが、長安での生活が意外に長くなりすぎたため、一度家に帰って親しい人々の顔を見、また都での生活費を補充する必要があったのであろう。ついでに書いておくと、韓愈はこの旅の途中で、滑州(河南省鄭州の付近)にいた賈耽という節度使にあてて手紙を送った(「賈滑州に上る書」)。これが時日を確定し得る限りで、恵の最も早い散文である。内容は貫耽の幕僚として採用を願い出たもので、このときの恵は落第が続いたためもあり、よほど経済的に困っていたらしい。だがこの手紙は、賈耽に黙殺されてしまった。

 

 

 

作年:    788年貞元4年 21

卷別:    卷三三七              文體:    五言律詩

詩題:    落葉送陳羽

交遊人物:陳羽    書信往來

 

 

落葉送陳羽

落葉不更息,斷蓬無復歸。

飄颻終自異,邂逅暫相依。

悄悄深夜語,悠悠寒月輝。

誰云少年別,流淚各沾衣。

(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)

落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。

我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。

悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。

昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。

(落葉、陳羽を送る)

落葉 更に息まず,斷蓬 復た歸える無し。

飄颻として 終に自ら異なり,邂逅【かいごう】暫く相い依る。

悄悄として 深夜に語り,悠悠として 寒月輝く。

誰か云う 少年の別を,流淚 各の衣を沾す。

 

 

『落葉送陳羽』 現代語訳と訳註

(本文)

落葉送陳羽

落葉不更息,斷蓬無復歸。

飄颻終自異,邂逅暫相依。

悄悄深夜語,悠悠寒月輝。

誰云少年別,流淚各沾衣。

 

(下し文)

(落葉、陳羽を送る)

落葉 更に息まず,斷蓬 復た歸える無し。

飄颻として 終に自ら異なり,邂逅【かいごう】暫く相い依る。

悄悄として 深夜に語り,悠悠として 寒月輝く。

誰か云う 少年の別を,流淚 各の衣を沾す。

 

 

(現代語訳)

(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)

落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。

我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。

悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。

昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。

 

(訳注)

落葉送陳羽

(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)

 

落葉不更息,斷蓬無復歸。

落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。

斷蓬 願ちぎれて飛んでゆくヨモギ、轉蓬のこと。

 

飄颻終自異,邂逅暫相依。

我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。

邂逅 めぐりあう。

 

悄悄深夜語,悠悠寒月輝。

悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。

 

誰云少年別,流淚各沾衣。

昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。

少年:若者。年若い者。唐詩で「少年」といえば、王維 少年行
新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。
相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。 
李白 17少年行
少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
杜甫 少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
 
王昌齢『少年行』
走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。
いなせな若者や壮士を詠う。

429 《烽火》韓愈(韓退之)ID index-1 787年貞元3年 20歳<1136> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4664韓愈詩-429

願わくば、君はこの事を考えてみてくれ、夜になっても構わない、燭をとって夜中になってかえればよいから、ここでは、ともし火を掲げて、飲み尽くし、遊びをつくすべきなのだ。

 
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429 《烽火》韓愈(韓退之)ID  index-1 787年貞元3年 20歳<1136 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4664韓愈詩-429

 

 

科挙は、毎年、春に施行される。韓愈が上京したのは貞元二年(天六)であったが、初めて受験したのは、翌貞元三年の春であった。そして彼は、みごとに落第させられた。

しかし、一回落第するくらいは、いわば常識である。科挙にストレートに合格するのは、よほどの秀才か、あるいは強いコネのある人と思って間違いない。韓愈にしても、一度の落第は覚悟のことだったであろう。しかしその場合、やはり問題となるのは収入をどうして得るかということであった。

 

韓愈の家は、江南でつましい生活を送っている限りにおいては、生計に窮することもなかったであろう。韓愈自身はしきりに自分の家は貧乏だったと言いたててはいるが、それは比較の問題で、彼の一家が飢え死にしそうな事態に追いこまれた形跡もない。しかし江南にいたのでは、将来の展望は何ひとつなく、じり貧の道をたどるはかりであったから、自己の未来に希望をもつ若い恵は、上京して科挙に応じた。しかしそれに落第してみると、長安の物価高のなかでの生活という、きびしい現実が待ち招けていた。

 

韓愈は困窮のあげく、「故人の椎弟を以て、北平王を馬前に拝し」た。(「殿中少監馬君墓誌」)「北平王」とは当時名将の評判が高かった馬燧という人で、それを「馬前に拝した」とは、馬燧が外出のおり、その行列をさえぎって直訴したことを意味する。言うまでもなく非常手段で、たぶん韓愈は馬の座敷を訪ねたことがあるのだが、紹介状を持っていなかったためもあって、門前払いを食ってしまったのであろう。

 

だが、「故人の推弟」とは何のことか、詳しくはわからない。韓愈と馬燧とのあいだにつきあいがあった形跡もないのである。だいたい、馬燧は武勲のゆえに宰相の地位にまで至った人であって、板は将軍であり、伝統的に文官優位の観念が固定している中国では、文官だった韓愈が馬燧とつきあいをもつ必要性もない。そこで今までの説では、ここの「故人」とは恵の従兄にあたる韓弇のことであろうとするのが有力である。従兄を兄と呼ぶことは、当時の家族制度のもとではさしつかえがない。

 

貞元二年、馬燧は吐蕃族が西北の辺境へ侵入して来たのに対して出陣し、欺かれて黄和してしまった。翌年、唐から吐蕃へ和親の使節団が送られたが、思いがけずこれが吐蕃の襲撃を受け、全滅に近い損害を出してしまった。韓弇も使節団の一員で、このときに戦死した。だから韓愈が馬燧に直訴したのをこの事件のあととすれば、「韓弇の稚弟」と言いたてる韓愈を、馬燧が放置しておけなかったのも当然のことといえるのである。

 

とにかく馬燧は、直訴した韓愈を罰せずに、安邑里の私邸で会ってくれた。そして「其の寒飢を軫て」、着物と食事とを恵んでくれ、二人の息子を呼び出して韓愈の世話をしてやるようにと命じた。武将の家に生まれた息子たちの学友にでもするつもりだったのであろう。

これで韓愈は、どうやら飢えをしのぐ道だけは見つけることができた。ただし、武将の馬燧では、科挙についての発言が重視されるはずもなく、その方面での助力はさして期待できなかった。なお、馬燵が韓愈にひきあわせた二人の息子の次男の子が、韓愈が墓誌を書いた「殿中少監馬君」で、三十七歳で若死にしたのである。

 

さて、経済上の問題も解決したことだし、これで科挙に専念できるわけだが、韓愈はそれからも毎年受験して、全部落第した。科挙は「科」によって試験科目が違うと前に述べたが、進士の科の場合は、隆義・詩賦・策論の三科目から成る.詩賦は言うまでもなく詩と賦を作らせる試験であり、そのできばえが成績を決定するわけである。経義は儒家の経書の意味を解釈し、策論は政治・経済などについての論文を書かせるものであるが、経義の場合は経書の、策論は時の政策についての、批判を書くことは許されない。

 

したがって結論はだいたいきまったようなものであり、競争試験としてはその結論を導き出すまでの文章の力によって優劣が決定される。自然、採点は主観的なものとならざるを得ない。その採点は、むろん試験官によって方針が違うわけだが、おおむねは当世風の流行に左右される。韓愈のように「古人」を重んじ、その道に従っていたのでは、合格はまずおぼつかなかった。彼はまた別の文章で、自分が落第を続けたのは運動が足りなかったせいだとも述懐している。たしか堅剛にも述べたごとく、自分を売り込むために奔走するのが当時の受験者の通例なのに、「門を出でて之く所がない」韓愈には奔走のしょうがなかったし、また「古人」の道を守る彼の信条からいって、奔走する気にもなれなかったことであろぅ。しかし科挙に落第したとき、それを自分の実力のせいにはせず、運動の不足とか試験官の不明のゆえにしてしまうのが、落第書生の定石ともいえる弁解なのであり、この点に関しては恵の言い分をそのままに認めることはできない。

 

だがとにかく、落第も一回ならは時の運などと言って通るであろうが、それが続くとなると、周囲の目も温かいはかりではなくなってくる。ことに韓愈の場合は、世話をしてくれる馬燵への気がねも必要である。とうとう三回目に落第した翌年の貞元六年(790)、彼は都を離れて江南へと帰った。その目的は明らかにされていないが、長安での生活が意外に長くなりすぎたため、一度家に帰って親しい人々の顔を見、また都での生活費を補充する必要があったのであろう。ついでに書いておくと、韓愈はこの旅の途中で、滑州(河南省鄭州の付近)にいた賈耽という節度使にあてて手紙を送った(「賈滑州に上る書」)。これが時日を確定し得る限りで、恵の最も早い散文である。内容は貫耽の幕僚として採用を願い出たもので、このときの恵は落第が続いたためもあり、よほど経済的に困っていたらしい。だがこの手紙は、賈耽に黙殺されてしまった。

 

 

 

 

 

 

作年:    787年,貞元三年,20

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    烽火

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

烽火

登高望烽火,誰謂塞塵飛。

王城富且樂,曷不事光輝。

勿言日已暮,相見恐行稀。

願君熟念此,秉燭夜中歸。

我歌寧自感,乃獨淚霑衣。

(烽火)

重陽の節句で高い山に登って遠く故郷を臨んだ時、烽火が紅く見えた。無論遠い国境での事だろうが、その塞の戦塵がここまで飛んでくるのだろうかと誰が言うのだろう。

ここはむかし、王城があったところで、豪富を極め、且つ、歓楽で満ちていたところなのだ。どうして、自分の力で出来るだけ栄華を極め、光華なことをできるものではないだろう。

ところで、日がくれれば帰らねばならないから、暮れたなどとは言わぬ方がいいが、朝になれば、互いに酒を酌み交わして楽しむことできないかもしれない。

願わくば、君はこの事を考えてみてくれ、夜になっても構わない、燭をとって夜中になってかえればよいから、ここでは、ともし火を掲げて、飲み尽くし、遊びをつくすべきなのだ。

私がこうして歌っても、考えてみればここでどんなに楽しんでみても、兵乱がいつ起こるかもしれないし、このまま科挙に及第しないかもしれない。そう考えれば、自然感慨を免れず、涙は溢れて衣を濡らしていくのだ。

 

(烽火)

登高 烽火を望み,誰か謂う 塞塵飛ぶ。

王城 富み且つ樂み,曷【なん】ぞ 光輝を事せざる。

言う勿れ 日已に暮ると,相見る 恐らくは行く稀れならん。

願わくば君 熟【つらつ】ら 此を念い,燭を秉って夜中に歸れ。

我が歌 寧ろ自ら感ずるならんや,乃ち 獨り 淚 衣を霑す。

 

 

『烽火』 現代語訳と訳註

(本文)

烽火

登高望烽火,誰謂塞塵飛。

王城富且樂,曷不事光輝。

勿言日已暮,相見恐行稀。

願君熟念此,秉燭夜中歸。

我歌寧自感,乃獨淚霑衣。

 

(下し文)

(烽火)

登高 烽火を望み,誰か謂う 塞塵飛ぶ。

王城 富み且つ樂み,曷【なん】ぞ 光輝を事せざる。

言う勿れ 日已に暮ると,相見る 恐らくは行く稀れならん。

願わくば君 熟【つらつ】ら 此を念い,燭を秉って夜中に歸れ。

我が歌 寧ろ自ら感ずるならんや,乃ち 獨り 淚 衣を霑す。

 

(現代語訳)

(烽火)

重陽の節句で高い山に登って遠く故郷を臨んだ時、烽火が紅く見えた。無論遠い国境での事だろうが、その塞の戦塵がここまで飛んでくるのだろうかと誰が言うのだろう。

ここはむかし、王城があったところで、豪富を極め、且つ、歓楽で満ちていたところなのだ。どうして、自分の力で出来るだけ栄華を極め、光華なことをできるものではないだろう。

ところで、日がくれれば帰らねばならないから、暮れたなどとは言わぬ方がいいが、朝になれば、互いに酒を酌み交わして楽しむことできないかもしれない。

願わくば、君はこの事を考えてみてくれ、夜になっても構わない、燭をとって夜中になってかえればよいから、ここでは、ともし火を掲げて、飲み尽くし、遊びをつくすべきなのだ。

私がこうして歌っても、考えてみればここでどんなに楽しんでみても、兵乱がいつ起こるかもしれないし、このまま科挙に及第しないかもしれない。そう考えれば、自然感慨を免れず、涙は溢れて衣を濡らしていくのだ。

 

 

(訳注)

烽火

この年、進士受験して落第している。北平王馬燧の馬前に拝して援助を乞い、衣食の援助を受ける。

 

登高望烽火,誰謂塞塵飛。

重陽の節句で高い山に登って遠く故郷を臨んだ時、烽火が紅く見えた。無論遠い国境での事だろうが、その塞の戦塵がここまで飛んでくるのだろうかと誰が言うのだろう。

登高 1 高い山などに登ること。2 重陽の節句で、陰暦99日に、厄(やく)を払うために、高い山に登って菊酒を飲む風習。

塞塵 塞の上の塵埃。

 

王城富且樂,曷不事光輝。

ここはむかし、王城があったところで、豪富を極め、且つ、歓楽で満ちていたところなのだ。どうして、自分の力で出来るだけ栄華を極め、光華なことをできるものではないだろう。

王城 むかし、王城があったところで菊酒を飲む。このとき韓愈は前年から長安に出ていた。

 

勿言日已暮,相見恐行稀。

ところで、日がくれれば帰らねばならないから、暮れたなどとは言わぬ方がいいが、朝になれば、互いに酒を酌み交わして楽しむことできないかもしれない。

 

願君熟念此,秉燭夜中歸。

願わくば、君はこの事を考えてみてくれ、夜になっても構わない、燭をとって夜中になってかえればよいから、ここでは、ともし火を掲げて、飲み尽くし、遊びをつくすべきなのだ。

秉燭 漢の無名氏『西門行』。「晝短而夜長、何不秉燭游。」秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

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春夜桃李園宴序李白116

 

我歌寧自感,乃獨淚霑衣。

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そうしてから、その花に両頬を頬ずりして、露に濡れたといって、その紅の痕を乾かそうとして、緑の窓辺に移動して行くと、そこには青銅の鏡が磨きをかけられて、光明瑩朗としている。

 
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年:       785年貞元元年18

卷別:    卷三四五              文體:    七言古詩

詩題:    芍藥歌

〔王司馬紅芍藥歌〕【案:見《外集》。】

 

 

芍藥歌

(庭に咲きほこる芍薬を見て、その感を詠う。)―#

丈人庭中開好花,更無凡木爭春華。

年長者の王司馬の庭中には一種の好花が咲いている、ほかにも普通の平凡な花木が咲いてはいるが、春華を競うというほどの物ではなく、芍薬が庭の主役を独占している。

翠莖紅蕊天力與,此恩不屬黃鍾家。

その芍薬は翠莖紅蕊、色彩の配合は、きわめて見事で、取りも直さず天から与えられた力が強いものであるが、しかし天からの恩というのは、絶えず音楽を演奏している富貴の家にだけ私して、この名花を属せしめるということはなく、風流で花を愛でる丈人であるからこそ、特にここに属させたのである。

溫馨熟美鮮香起,似笑無言習君子。

芍薬の花の香りは新鮮で、成熟し、盛んであるし、その姿は、笑うがごとくでありながら凛として無言であり、全く君子をまねているようである。

霜刀翦汝天女勞,何事低頭學桃李。

天女は、霜刀でもって汝を剪り、やがて、天上界に携えて帰ろうと思っているのに、どうして汝は、首をうなだれて、桃李と同じように恥らうようなそぶりをするのだろうか。

#2

嬌痴婢子無靈性,競挽春衫來比並。

なまめかしくして痴態をおびている侍婢どもは、もとより、一点の霊性もないのに、依然として人間離れをしていないところから、競って紅の春衣を挽いてはなのいろにひかくしする。

欲將雙頰一晞紅,綠窗磨遍青銅鏡。

そうしてから、その花に両頬を頬ずりして、露に濡れたといって、その紅の痕を乾かそうとして、緑の窓辺に移動して行くと、そこには青銅の鏡が磨きをかけられて、光明瑩朗としている。

一尊春酒甘若飴,丈人此樂無人知。

一杯の大盃に春の新酒を灌げば、その甘きことは飴のようであり、留賞して日を送るのは、まことに愉快極まることであるが、丈人のこの楽しみをよく知っている人はいない。

花前醉倒歌者誰,楚狂小子韓退之。

この花の前に酔いつぶれて、歌を作って、いささか丈人のために気焔をあげるのは、誰かと云えば、論語に言う「楚狂接輿」に似ている小儒者の“韓退之”と申すのは私です。

 

(芍藥の歌)

丈人 庭中 好花開く,更に凡木 春華を爭う無し。

翠莖 紅蕊 天力與う,此の恩 黃鍾の家に屬せず。

溫馨は熟美し 鮮香は起り,笑うに似て無言にして君子に習う。

霜刀 汝を翦って天女勞し,何事ぞ頭を低れて 桃李を學ぶ。

#2

嬌痴の婢子 靈性無く,競って春衫を挽いて來って比並す。

雙頰を將って一たび紅を晞【かわ】さんと欲し,綠窗 磨いて遍し 青銅鏡。

一尊の春酒 甘きこと飴の若し,丈人 此の樂み 人 知る無し。

花前 醉倒 歌う者は誰ぞ,楚狂 小子 韓退之。

芍薬002 

 

『芍藥歌』 現代語訳と訳註

(本文)#2

嬌痴婢子無靈性,競挽春衫來比並。

欲將雙頰一晞紅,綠窗磨遍青銅鏡。

一尊春酒甘若飴,丈人此樂無人知。

花前醉倒歌者誰,楚狂小子韓退之。

 

(含異文)           

嬌痴婢子無靈性【嬌痴婢子無性靈】,競挽春衫來比並。

欲將雙頰一晞紅【欲將雙頰一稀紅】,綠窗磨遍青銅鏡。

一尊春酒甘若飴,丈人此樂無人知。

花前醉倒歌者誰,楚狂小子韓退之。

 

(下し文)

#2

嬌痴の婢子 靈性無く,競って春衫を挽いて來って比並す。

雙頰を將って一たび紅を晞【かわ】さんと欲し,綠窗 磨いて遍し 青銅鏡。

一尊の春酒 甘きこと飴の若し,丈人 此の樂み 人 知る無し。

花前 醉倒 歌う者は誰ぞ,楚狂 小子 韓退之。

 

(現代語訳)

なまめかしくして痴態をおびている侍婢どもは、もとより、一点の霊性もないのに、依然として人間離れをしていないところから、競って紅の春衣を挽いてはなのいろにひかくしする。

そうしてから、その花に両頬を頬ずりして、露に濡れたといって、その紅の痕を乾かそうとして、緑の窓辺に移動して行くと、そこには青銅の鏡が磨きをかけられて、光明瑩朗としている。

一杯の大盃に春の新酒を灌げば、その甘きことは飴のようであり、留賞して日を送るのは、まことに愉快極まることであるが、丈人のこの楽しみをよく知っている人はいない。

この花の前に酔いつぶれて、歌を作って、いささか丈人のために気焔をあげるのは、誰かと云えば、論語に言う「楚狂接輿」に似ている小儒者の“韓退之”と申すのは私です。

芍薬001 

(訳注) #2

芍藥歌

(庭に咲きほこる芍薬を見て、その感を詠う。)―#2

丈人庭中開好  更無凡木爭春
翠莖紅蕊天力與  此恩不屬黃鍾
溫馨熟美鮮香  似笑無言習君
霜刀翦汝天女勞  何事低頭學桃
嬌痴婢子無靈  競挽春衫來比
欲將雙頰一晞  綠窗磨遍青銅
一尊春酒甘若  丈人此樂無人
花前醉倒歌者  楚狂小子韓退



●○○△○●○  △○○●○○△

●○○●○●△  ●○△●○○○

○○●●△○●  ●●○○●○●

○○●●○●△  △●○○●○●

△○●●○○●  ●●○○△△●

●△○●●○○  ●○△●○○●

●○○●○△○  ●○●●○○○

○○●●○●○  ●△●●○●○

 

嬌痴婢子無靈性,競挽春衫來比並。

なまめかしくして痴態をおびている侍婢どもは、もとより、一点の霊性もないのに、依然として人間離れをしていないところから、競って紅の春衣を挽いてはなのいろにひかくしする。

嬌痴 嫋やかにして痴態をおびている。

比並 比較する。

 

欲將雙頰一晞紅,綠窗磨遍青銅鏡。

そうしてから、その花に両頬を頬ずりして、露に濡れたといって、その紅の痕を乾かそうとして、緑の窓辺に移動して行くと、そこには青銅の鏡が磨きをかけられて、光明瑩朗としている。

 

一尊春酒甘若飴,丈人此樂無人知。

一杯の大盃に春の新酒を灌げば、その甘きことは飴のようであり、留賞して日を送るのは、まことに愉快極まることであるが、丈人のこの楽しみをよく知っている人はいない。

 

花前醉倒歌者誰,楚狂小子韓退之。

この花の前に酔いつぶれて、歌を作って、いささか丈人のために気焔をあげるのは、誰かと云えば、論語に言う「楚狂接輿」に似ている小儒者の“韓退之”と申すのは私です。

楚狂小子 楚狂:楚の国の狂人。小子:論語に「吾黨小子」とある。孔子の乗った輿に近づいた人、

『論語・微子』《楚狂接輿歌》

鳳兮,鳳兮! 何德之衰。

 往者不可諫, 來者猶可追。

 已而!已而! 今之從政者殆而。

(楚狂 接輿歌)

 鳳や,鳳や, 何ぞ 德の衰へたる。

 往く者は諫むべからず, 來る者は猶お 追うべし。

 已【や】みなん! 已みなん! 今の 政に從ふ者は殆【あやふ】し。

 楚狂接輿歌:

楚狂:楚の国の狂人。接輿:この歌の中心人物の名前になる。孔子の乗った輿(こし、かご、車、乗り物)に近づいた人、の意。 ・歌:『論語・卷九・微子第十八』に「楚狂接輿歌而過孔子曰:」とあって、やがてこの歌の「『鳳兮,鳳兮!何德之衰也。往者不可諫(也),來者猶可追(也)。已而,已而!今之從政者殆而。』」へと続く。その後は「孔子下,欲與之(楚狂を指す)言,趨而辟之(孔子を指す),不得與之(楚狂を指す)言。」となっている。孔子がこの歌は『莊子・人間世』「孔子適楚,楚狂接輿遊其門曰:「鳳兮!鳳兮!何如德之衰也!來世不可待,往世不可追也。天下有道,聖人成焉;天下無道,聖人生焉。方今之時,僅免刑焉。福輕乎羽,莫之知載;禍重乎地,莫之知避。已乎已乎,臨人以德!殆乎殆乎,畫地而趨!迷陽迷陽,無傷吾行!吾行郤曲,無傷吾足!」となっている。



408 《芍藥歌》韓愈(韓退之)ID index-1<1134> Ⅱ韓昌黎外集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4654韓愈詩-408

その芍薬は翠莖紅蕊、色彩の配合は、きわめて見事で、取りも直さず天から与えられた力が強いものであるが、しかし天からの恩というのは、絶えず音楽を演奏している富貴の家にだけ私して、この名花を属せしめるということはなく、風流で花を愛でる丈人であるからこそ、特にここに属させたのである。

 
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408 《芍藥歌》韓愈(韓退之)ID  index-11134 韓昌黎補遺、外集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4654韓愈詩-408

 

index-1 768年―799年 青年期・孟郊、張籍と交遊・汴州の乱に遭遇 41首

 

作年:     785年貞元元年18

卷別:    卷三四五              文體:    七言古詩

詩題:    芍藥歌

〔王司馬紅芍藥歌〕【案:見《外集》。】

 

 

芍藥歌

(庭に咲きほこる芍薬を見て、その感を詠う。)―#

丈人庭中開好花,更無凡木爭春華。

年長者の王司馬の庭中には一種の好花が咲いている、ほかにも普通の平凡な花木が咲いてはいるが、春華を競うというほどの物ではなく、芍薬が庭の主役を独占している。

翠莖紅蕊天力與,此恩不屬黃鍾家。

その芍薬は翠莖紅蕊、色彩の配合は、きわめて見事で、取りも直さず天から与えられた力が強いものであるが、しかし天からの恩というのは、絶えず音楽を演奏している富貴の家にだけ私して、この名花を属せしめるということはなく、風流で花を愛でる丈人であるからこそ、特にここに属させたのである。

溫馨熟美鮮香起,似笑無言習君子。

芍薬の花の香りは新鮮で、成熟し、盛んであるし、その姿は、笑うがごとくでありながら凛として無言であり、全く君子をまねているようである。

霜刀翦汝天女勞,何事低頭學桃李。

天女は、霜刀でもって汝を剪り、やがて、天上界に携えて帰ろうと思っているのに、どうして汝は、首をうなだれて、桃李と同じように恥らうようなそぶりをするのだろうか。

#2

嬌痴婢子無靈性,競挽春衫來比並。

欲將雙頰一晞紅,綠窗磨遍青銅鏡。

一尊春酒甘若飴,丈人此樂無人知。

花前醉倒歌者誰,楚狂小子韓退之。

 

(芍藥の歌)

丈人 庭中 好花開く,更に凡木 春華を爭う無し。

翠莖 紅蕊 天力與う,此の恩 黃鍾の家に屬せず。

溫馨は熟美し 鮮香は起り,笑うに似て無言にして君子に習う。

霜刀 汝を翦って天女勞し,何事ぞ頭を低れて 桃李を學ぶ。

#2

嬌痴の婢子 靈性無く,競って春衫を挽いて來って比並す。

雙頰を將って一たび紅を晞【かわ】さんと欲し,綠窗 磨いて遍し 青銅鏡。

一尊の春酒 甘きこと飴の若し,丈人 此の樂み 人 知る無し。

花前 醉倒 歌う者は誰ぞ,楚狂 小子 韓退之。

芍薬001 

 

『芍藥歌』 現代語訳と訳註

(本文)

芍藥歌

丈人庭中開好花,更無凡木爭春華。

翠莖紅蕊天力與,此恩不屬黃鍾家。

溫馨熟美鮮香起,似笑無言習君子。

霜刀翦汝天女勞,何事低頭學桃李。

 

 

(下し文)

(芍藥の歌)

丈人 庭中 好花開く,更に凡木 春華を爭う無し。

翠莖 紅蕊 天力與う,此の恩 黃鍾の家に屬せず。

溫馨は熟美し 鮮香は起り,笑うに似て無言にして君子に習う。

霜刀 汝を翦って天女勞し,何事ぞ頭を低れて 桃李を學ぶ。

 

(現代語訳)

(庭に咲きほこる芍薬を見て、その感を詠う。)―#

年長者の王司馬の庭中には一種の好花が咲いている、ほかにも普通の平凡な花木が咲いてはいるが、春華を競うというほどの物ではなく、芍薬が庭の主役を独占している。

その芍薬は翠莖紅蕊、色彩の配合は、きわめて見事で、取りも直さず天から与えられた力が強いものであるが、しかし天からの恩というのは、絶えず音楽を演奏している富貴の家にだけ私して、この名花を属せしめるということはなく、風流で花を愛でる丈人であるからこそ、特にここに属させたのである。

芍薬の花の香りは新鮮で、成熟し、盛んであるし、その姿は、笑うがごとくでありながら凛として無言であり、全く君子をまねているようである。

天女は、霜刀でもって汝を剪り、やがて、天上界に携えて帰ろうと思っているのに、どうして汝は、首をうなだれて、桃李と同じように恥らうようなそぶりをするのだろうか。

芍薬003 

 

(訳注)

芍藥歌

(庭に咲きほこる芍薬を見て、その感を詠う。)―#

 

丈人庭中開好花,更無凡木爭春華。

年長者の王司馬の庭中には一種の好花が咲いている、ほかにも普通の平凡な花木が咲いてはいるが、春華を競うというほどの物ではなく、芍薬が庭の主役を独占している。

丈人 年長者の尊称。王司馬

凡木 普通の花木。ここは普通の桃李のこと。

 

翠莖紅蕊天力與,此恩不屬黃鍾家。

その芍薬は翠莖紅蕊、色彩の配合は、きわめて見事で、取りも直さず天から与えられた力が強いものであるが、しかし天からの恩というのは、絶えず音楽を演奏している富貴の家にだけ私して、この名花を属せしめるということはなく、風流で花を愛でる丈人であるからこそ、特にここに属させたのである。

黃鍾家 黃鍾は音律のことで、家に妓女、楽士を置いて絶えず音楽を演奏している富貴の家。

 

溫馨熟美鮮香起,似笑無言習君子。

芍薬の花の香りは新鮮で、成熟し、盛んであるし、その姿は、笑うがごとくでありながら凛として無言であり、全く君子をまねているようである。

溫馨熟美 芍薬の花の香りの盛んである様子をいう。

 

霜刀翦汝天女勞,何事低頭學桃李。

天女は、霜刀でもって汝を剪り、やがて、天上界に携えて帰ろうと思っているのに、どうして汝は、首をうなだれて、桃李と同じように恥らうようなそぶりをするのだろうか。

霜刀 刀の刃が霜のように白く鋭いこと。

 

 

 

丈人庭中開好  更無凡木爭春
翠莖紅蕊天力與  此恩不屬黃鍾
溫馨熟美鮮香  似笑無言習君
霜刀翦汝天女勞  何事低頭學桃
嬌痴婢子無靈  競挽春衫來比
欲將雙頰一晞  綠窗磨遍青銅
一尊春酒甘若  丈人此樂無人
花前醉倒歌者  楚狂小子韓退


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芍薬002 



 

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427-#2 《南溪始泛,三首之三》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1133>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4649韓愈詩-427-#2

すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。

 
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南溪始泛,三首之一

榜舟南山下,上上不得返。

幽事隨去多,孰能量近遠。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

#2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

自是病使然,非由取高蹇。

あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。

すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。

おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。

この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

 

(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)

舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。

幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。

陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。

石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。

 

或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。

点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。

余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。

自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。

 

南溪始泛,三首之二

南溪亦清駛,而無楫與舟。

山農驚見之,隨我觀不休。

不惟兒童輩,或有杖白頭。

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

我云以病歸,此已頗自由。

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

#2

幸有用餘俸,置居在西疇。

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

上去無得得,下來亦悠悠。

但恐煩里閭,時有緩急投。

願為同社人,雞豚燕春秋。

そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」

「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」

「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」

「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

 

南溪始泛,三首の二

南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。

山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。

惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。

我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。

我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。

#2

幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。

囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。

上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。

但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。

 

 

南溪始泛,三首之三

足弱不能步,自宜收朝蹟。

羸形可輿致,佳觀安事擲。

即此南阪下,久聞有水石。

拖舟入其間,溪流正清激。

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)

身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。

痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。

此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。

舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。

#2

隨波吾未能,峻瀨乍可刺。

鷺起若導吾,前飛數十尺。

亭亭柳帶沙,團團松冠壁。

歸時還盡夜,誰謂非事役。

波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。

すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。

たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。

帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。

 

(南溪始泛,三首の三)

足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。

羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。

即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。

舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。

#2

 

波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。

鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。

亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。

歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。

 

渓谷002

 

『南溪始泛,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文) #2

隨波吾未能,峻瀨乍可刺。

鷺起若導吾,前飛數十尺。

亭亭柳帶沙,團團松冠壁。

歸時還盡夜,誰謂非事役。

 

(下し文) #2

波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。

鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。

亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。

歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。

 

(現代語訳)

波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。

すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。

たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。

帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。

 

長安付近図00 

(訳注) #2

南溪始泛,三首之三

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)

○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。

 

隨波吾未能,峻瀨乍可刺。

波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。

○乍可 それよりはこうしたい。ここでは、波のまにまに行くのはつまらない、それよりは激しい早瀬に棹さしたいものだという意。

○刺 舟をさおさす。

 

鷺起若導吾,前飛數十尺。

すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。

 

亭亭柳帶沙,團團松冠壁。

たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。

○亭亭 木が大きく茂っている形容。

○柳帯砂 柳が砂を横にくっつけている。柳の横に砂地がある。

○松冠壁 松が絶壁のいただきにはえている。

 

歸時還盡夜,誰謂非事役。

帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。

○尽夜 夜の明けるまで。

○事役 朝廷の御用でつとめる仕事。「誰謂非事後」とは、これもお上の御用同様の一仕事だということ。
Nature1-003 

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(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。

 
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製作年:824年長慶四年57

卷別:  卷三四二        文體:  五言古詩

     韓昌黎集 巻七

詩題:  南溪始泛,三首之三

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

南溪始泛,三首之三

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)

足弱不能步,自宜收朝蹟。

身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。

羸形可輿致,佳觀安事擲。

痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。

即此南阪下,久聞有水石。

此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。

拖舟入其間,溪流正清激。

舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。

#2

隨波吾未能,峻瀨乍可刺。

鷺起若導吾,前飛數十尺。

亭亭柳帶沙,團團松冠壁。

歸時還盡夜,誰謂非事役。

 

(南溪始泛,三首の三)

足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。

羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。

即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。

舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。

#2

波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。

鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。

亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。

歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。

 

Nature1-003

『南溪始泛,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

南溪始泛,三首之三

足弱不能步,自宜收朝蹟。

羸形可輿致,佳觀安事擲。

即此南阪下,久聞有水石。

拖舟入其間,溪流正清激。

 

(下し文)

(南溪始泛,三首の三)

足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。

羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。

即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。

舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。

 

(現代語訳)

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)

身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。

痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。

此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。

舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。

 

nat0022 

(訳注)

南溪始泛,三首之三

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)

○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。

 

足弱不能步,自宜收朝蹟。

身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。

○朝蹟 蹟は跡と同じ、足あと。朝蹟は、朝廷に於ける足跡。からだ。

 

羸形可輿致,佳觀安事擲。

痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。

○輿致 輿くるまに乗せてつれて行く。韓愈が肥満であったことは、韓愈の多くの詩に出てくる。

○擲 すておく。

 

即此南阪下,久聞有水石。

此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。

○南阪 終南山にのぼるさか。南に行くほど登る地形である。

○有水石 きれいな山水の景色がある。この水石は、美しいという価値判断をふくんだ水と石である。

 

拖舟入其間,溪流正清激。

舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。

○拖 引き舟でひっぱること。

 

 

南溪始泛,三首之一

榜舟南山下,上上不得返。

幽事隨去多,孰能量近遠。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

#2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

自是病使然,非由取高蹇。

あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。

すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。

おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。

この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

 

(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)

舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。

幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。

陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。

石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。

 

或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。

点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。

余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。

自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。

渓谷002 

南溪始泛,三首之二

南溪亦清駛,而無楫與舟。

山農驚見之,隨我觀不休。

不惟兒童輩,或有杖白頭。

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

我云以病歸,此已頗自由。

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

#2

幸有用餘俸,置居在西疇。

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

上去無得得,下來亦悠悠。

但恐煩里閭,時有緩急投。

願為同社人,雞豚燕春秋。

そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」

「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」

「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」

「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

 

南溪始泛,三首の二

南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。

山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。

惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。

我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。

我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。

#2

幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。

囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。

上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。

但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。

426-#2 《南溪始泛,三首之二》韓愈(韓退之)ID index-1<1131> Ⅱ韓昌黎外集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4639韓愈詩-426-#2

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

 
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製作年:824年長慶四年57

卷別:  卷三四二        文體:  五言古詩

     韓昌黎集 巻七

卷別:  卷三四二        文體:  五言古詩

詩題:  南溪始泛,三首之二

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

南溪始泛,三首之二

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

南溪亦清駛,而無楫與舟。

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

山農驚見之,隨我觀不休。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

不惟兒童輩,或有杖白頭。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

我云以病歸,此已頗自由。

わたしはこれに答えていう「わたしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

#2

幸有用餘俸,置居在西疇。

そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」

上去無得得,下來亦悠悠。

「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」

但恐煩里閭,時有緩急投。

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」

願為同社人,雞豚燕春秋。

「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

 

南溪始泛,三首の二

南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。

山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。

惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。

我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。

我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。

#2

幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。

囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。

上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。

但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。

願くば 同社の人と為って,雞豚 春秋に燕せんとす。

 

渓谷002 

『南溪始泛,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文)#2

幸有用餘俸,置居在西疇。

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

上去無得得,下來亦悠悠。

但恐煩里閭,時有緩急投。

願為同社人,雞豚燕春秋。

 

(下し文) #2

幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。

囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。

上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。

但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。

願くば 同社の人と為って,雞豚 春秋に燕せんとす。

 

(現代語訳)

そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」

「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」

「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」

「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

長安付近図00 

(訳注) #2

南溪始泛,三首之二

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。

 

幸有用餘俸,置居在西疇。

そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」

○西疇 疇は田んぼ。西疇の語は、陶潜《帰去来辞》「農人告余以春及、 將有事於西疇。」(農人 余れに告ぐるに春の及ぶを以てし、将に西疇に事有らんとす、と)

 

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」

○囷倉 米ぐら。

○旦夕憂 朝から夕方までをいって、ごく短い時間のこと。あるいは、この朝、この夕ということかもしれない。旦夕憂は、さしあたっての生活心配。

 

上去無得得,下來亦悠悠。

「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」

○上去 朝廷の出勤すること。

○得得 得意なようす。

○下來 官僚をやめて田舎へ引っ込む。

○悠悠 ゆったりおちついている。あくせくせず世間のことに無関心なことをいう。

 

但恐煩里閭,時有緩急投。

「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」

〇里閭 むらざと。

○緩急投 急用ができて厄介になりに行く。

 

願為同社人,雞豚燕春秋。

「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。

○同社人 社は氏神。それから氏神をいっしょにする村落の豪家をもいう。

○鶏豚 豚はこぶた。

○燕 宴と同じ。
函谷関長安地図座標005 

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詩題:  南溪始泛,三首之二

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

南溪始泛,三首之二

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

南溪亦清駛,而無楫與舟。

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

山農驚見之,隨我觀不休。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

不惟兒童輩,或有杖白頭。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

我云以病歸,此已頗自由。

わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

#2

幸有用餘俸,置居在西疇。

囷倉米穀滿,未有旦夕憂。

上去無得得,下來亦悠悠。

但恐煩里閭,時有緩急投。

願為同社人,雞豚燕春秋。

 

南溪始泛,三首の二

南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。

山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。

惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。

我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。

我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。

#2

幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。

囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。

上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。

但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。

願くば 同社の人と為って,雞豚 春秋に燕せんとす。

 

 

『南溪始泛,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

南溪始泛,三首之二

南溪亦清駛,而無楫與舟。

山農驚見之,隨我觀不休。

不惟兒童輩,或有杖白頭。

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

我云以病歸,此已頗自由。

 

 

(下し文)

南溪始泛,三首の二

南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。

山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。

惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。

我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。

我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。

 

(現代語訳)

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

長安付近図00 

(訳注)

南溪始泛,三首之二

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)

○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。

 

南溪亦清駛,而無楫與舟。

上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。

○清駛 駛は、流れの速いこと。

○而無楫與舟 楫は舟をこぐ道具。ろ、かいろの類。

 

山農驚見之,隨我觀不休。

山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。

○山農 山中の農夫。

○驚見之 韓愈が徒歩で登るのに出あったのに驚いた。

○観不休 不休は、上の動作を続けていることを示す助動詞。いつまでもながめている。

 

不惟兒童輩,或有杖白頭。

ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。

○輩なかま。

 

饋我籠中瓜,勸我此淹留。

背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。

○確留 同じところにじっとしている。滞在する。

 

我云以病歸,此已頗自由。

わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。

○頗 ずい分。かなり。

○自由自分の息うままにできる。
渓谷002

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この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

 
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425-#2 《南溪始泛,三首之一》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 824年長慶4年 57歳<1129>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4629韓愈詩-425-#2

 

 

韓愈の晩年

824年、長慶四年、五十七歳。この年、長男の梨が進士に及第した。昶はすでに二十六歳、父の及第した年よりも一年遅れたわけである。

 

正月、穆宗が死んだ。穆宗も不死の薬を服用していたので、その副作用が死期を早めたのだという。帝位を継いだ敬宗はまだ十六歳である。李達吉の勢力は増大し、李紳はカを失った。

 

二月、李紳が左遷される。若い皇帝は宦官たちと撃毯(ポロのようなスポーツ)や狩猟にふけって、政務をかえりみない。

 

四月には宮廷内に勤務する染物職人が易者にそそのかされ、仲間とともに武器を持って宮中に乱入するという事件が起った。撃毯に興じていた敬宗はあわてて逃げ出し、染物屋たちは宮殿を占拠して宴会を始めた。たわいもない反乱だが、一時は大騒ぎになり、禁軍の兵士が出動して、夜になってからようやく鎮圧した。しかし、これら一連の事件も、もはや韓愈とはほとんど無関係であった。彼の健康はまったく衰えていたのである。

 

八月、吏部侍郎を辞職し(百日間の休暇をとったのだともいう)、長安城南の別荘で静養を始めた。この月に書かれた「正議大夫尚書左丞孔君墓誌銘」(韓文三三)が、制作時期を知り得る彼の散文のうち、最後の作品である。

 

一生の間世俗に反抗し、いつも誰かと喧嘩をしていた彼は、ここに始めて平和な晩年を味わう機会を持った。別荘に移ったばかりのころらしいが、ちょうど見舞いに来た門人の張籍とともに、附近の谷川に舟を浮かべて遊んだこともある。その時の「南渓に始めて浮ぶ」と題する三首の五言古詩(韓昌黎集巻七)は次の通り。

 

 

製作年:824年長慶四年57

卷別:  卷三四二        文體:  五言古詩

     韓昌黎集 巻七

詩題:  南溪始泛,三首之一

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

南溪始泛,三首之一

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

榜舟南山下,上上不得返。

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

幽事隨去多,孰能量近遠。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

#2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。

自是病使然,非由取高蹇。

この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

 

(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)

舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。

幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。

陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。

石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。

 

或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。

点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。

余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。

自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。

 

長安付近図00 

『南溪始泛,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)#2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

自是病使然,非由取高蹇。

 

 

(下し文)

或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。

点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。

余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。

自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。

 

 

(現代語訳)

あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。

すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。

おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。

この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

 

 keikoku00

(訳注) #2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。

○偏岸 傾いたがけ。こんなところは淵になっていて魚がいる。

○平洲 平らな中洲。

 

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。

○梢梢 稍稍と同じく、細く小さい形容。

○新月 ここでは三日月。

○偃 横になっている。かたむいている。

 

餘年懍無幾,休日愴已晚。

おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。

○懍 心につつしむ。

○休日 休暇の日。

 

自是病使然,非由取高蹇。

この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。

○自是 病気がそうさせただけである。病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたことを示す助辞。

○高蹇 俗世を軽蔑してお高く止まっていること。偉ぶって隠遁する。

425 《南溪始泛,三首之一》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1128>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4624韓愈詩-425

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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韓愈の晩年

824年、長慶四年、五十七歳。この年、長男の梨が進士に及第した。昶はすでに二十六歳、父の及第した年よりも一年遅れたわけである。

 

正月、穆宗が死んだ。穆宗も不死の薬を服用していたので、その副作用が死期を早めたのだという。帝位を継いだ敬宗はまだ十六歳である。李達吉の勢力は増大し、李紳はカを失った。

 

二月、李紳が左遷される。若い皇帝は宦官たちと撃毯(ポロのようなスポーツ)や狩猟にふけって、政務をかえりみない。

 

四月には宮廷内に勤務する染物職人が易者にそそのかされ、仲間とともに武器を持って宮中に乱入するという事件が起った。撃毯に興じていた敬宗はあわてて逃げ出し、染物屋たちは宮殿を占拠して宴会を始めた。たわいもない反乱だが、一時は大騒ぎになり、禁軍の兵士が出動して、夜になってからようやく鎮圧した。しかし、これら一連の事件も、もはや韓愈とはほとんど無関係であった。彼の健康はまったく衰えていたのである。

 

八月、吏部侍郎を辞職し(百日間の休暇をとったのだともいう)、長安城南の別荘で静養を始めた。この月に書かれた「正議大夫尚書左丞孔君墓誌銘」(韓文三三)が、制作時期を知り得る彼の散文のうち、最後の作品である。

 

一生の間世俗に反抗し、いつも誰かと喧嘩をしていた彼は、ここに始めて平和な晩年を味わう機会を持った。別荘に移ったばかりのころらしいが、ちょうど見舞いに来た門人の張籍とともに、附近の谷川に舟を浮かべて遊んだこともある。その時の「南渓に始めて浮ぶ」と題する三首の五言古詩(韓昌黎集巻七)は次の通り。

 

 

製作年:824年長慶四年57

卷別:  卷三四二        文體:  五言古詩

     韓昌黎集 巻七

詩題:  南溪始泛,三首之一

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

南溪始泛,三首之一

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

榜舟南山下,上上不得返。

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

幽事隨去多,孰能量近遠。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

#2

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

自是病使然,非由取高蹇。

 

(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)

舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。

幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。

陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。

石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。

 

或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。

点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。

余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。

自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。

 

長安付近図00 

『南溪始泛,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)#1

南溪始泛,三首之一

榜舟南山下,上上不得返。

幽事隨去多,孰能量近遠。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

 

(含異文)     

榜舟南山下【榜舟南溪上】,上上不得返。

幽事隨去多【幽尋事隨去】,孰能量近遠。

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

 

或倚偏岸漁,竟就平洲飯。

點點暮雨飄,梢梢新月偃。

餘年懍無幾,休日愴已晚。

自是病使然,非由取高蹇【非由取高謇】。

 

(下し文)

(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)

舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。

幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。

陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。

石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。

 

 

(現代語訳)

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

 

(訳注) #1

南溪始泛,三首之一

(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)

○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。

 

榜舟南山下,上上不得返。

南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。

○榜 舟をこいだりさおさしたりして進めること。

○南山 長安の南にある山脈。終南山。

南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#20>Ⅱ中唐詩396 

城南聯句 韓愈・孟郊 聯句<64-#1>Ⅱ中唐詩397 

遊城南十六首:賽神 韓愈(韓退之) <169>Ⅱ中唐詩780 

遊城南十六首:題于賓客莊 韓愈(韓退之) <170>Ⅱ中唐詩781 

遊城南十六首:晚春 韓愈(韓退之) <171>Ⅱ中唐詩782 

遊城南十六首:落花 韓愈(韓退之) <172>Ⅱ中唐詩783 

遊城南十六首:楸樹,二首之一 韓愈(韓退之) <173>Ⅱ中唐詩784 

城南十六首:楸樹,二首之二 韓愈(韓退之) <174>Ⅱ中唐詩785 

遊城南十六首:風折花枝 韓愈(韓退之) <175>Ⅱ中唐詩786 

遊城南十六首:贈同遊 韓愈(韓退之) <176>Ⅱ中唐詩787 

遊城南十六首:贈張十八助教 韓愈(韓退之) <177>Ⅱ中唐詩788 

遊城南十六首:題韋氏莊 韓愈(韓退之) <178>Ⅱ中唐詩789 

遊城南十六首:晚雨 韓愈(韓退之) <179>Ⅱ中唐詩790 

遊城南十六首:出城 韓愈(韓退之) <180>Ⅱ中唐詩791 

遊城南十六首:把酒 韓愈(韓退之) <181>Ⅱ中唐詩792 

遊城南十六首:嘲少年 韓愈(韓退之) <182>Ⅱ中唐詩793 

遊城南十六首:楸樹 韓愈(韓退之) <183>Ⅱ中唐詩794 

遊城南十六首:遣興 韓愈(韓退之) <184>Ⅱ中唐詩795 

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nanda019 

幽事隨去多,孰能量近遠。

行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。

○幽事 人気をはなれた風流な趣き。

 

陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。

そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。

○連樹 つづいている林。その状態が陰沈なのである。

〇歳昂.低くかくれたり高くそびえ立ったりしているさま。でこぼこしている。

○横坂 横ざまにつっ立った斜面ということであろう。

 

石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。

渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。

○像ごつごつしている。

○磨礪 磨も礪も、とぎすますこと。

○牽挽 舟を引っ張ること。
終南山06 

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こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。

 
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製作年:              824年 長慶四年 57

卷別:    卷三四二              文體:    五言古詩

    韓昌黎集 巻七

詩題:    與張十八同效阮步兵一日復一夕

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:張籍    當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

與張十八同效阮步兵一日復一夕

(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)

#1

一日復一日,一朝復一朝。

一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。

祗見有不如,不見有所超。

これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。

作前日味,事作前日調。

食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。

不知久不死,憫憫尚誰要。

自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。

富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。

もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。

#2

俯仰未得所,一世已解鑣。

立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。

譬如籠中鶴,六翮無所搖。

例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。

譬如兔得蹄,安用東西跳。

例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。

還看古人書,復舉前人瓢。

こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。

未知所究竟,且作新詩謠。

この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。

 

(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)

一日復た一日,一朝復た一朝。

祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。

食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。

知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。

富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。

#2

俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。

譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。

譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。

還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。

未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。

 

Nature1-003 

『與張十八同效阮步兵一日復一夕』 現代語訳と訳註

(本文)#2

俯仰未得所,一世已解鑣。

譬如籠中鶴,六翮無所搖。

譬如兔得蹄,安用東西跳。

還看古人書,復舉前人瓢。

未知所究竟,且作新詩謠。

 

 

(下し文) #2

俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。

譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。

譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。

還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。

未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。

 

 

(現代語訳)

立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。

例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。

例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。

こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。

この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。

 

 

(訳注)#2

與張十八同效阮步兵一日復一夕

(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)

十八 張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

 

阮步兵 阮籍(210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。

 

俯仰未得所,一世已解鑣。

立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。

俯仰【ふぎょう】① うつむくことと仰ぎ見ること。見回すこと。② 立ち居振る舞い。起居動作。

未得所 落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないということ。

解鑣 轡を外して馬を乗り出すこと。

 

譬如籠中鶴,六翮無所搖。

例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。

六翮 翼の太い羽で6本あり、これがなければ飛ぶことが出来ない。

 

譬如兔得蹄,安用東西跳。

例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。

 

還看古人書,復舉前人瓢。

こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。

 1 瓢箪(ひょうたん)のこと。特に、その果実から作った容器。酒などを入れる。《季 秋》2 ユウガオの変種。果実は苦味が強く、果皮が堅い。容器にし、また観賞用。

 

未知所究竟,且作新詩謠。

この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。

 

閶闔門001 

 

 

阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」

 一日復一夕、一夕復一朝。

 顔色改平常、精神自損消。

 胸中懷湯火、變化故相招。

 萬事無窮極、知謀苦不饒。

 但恐須臾間、魂氣隨風飄。

 終身履薄冰、誰知我心焦。

日復た一夕、一夕復た一朝。

顔色は平常にあらたまり、精神は自ずと損消す

胸中は湯火を懷き、變化は,故に,相い招かん

萬事は無窮極、知謀は不饒を苦しむ

但,恐れるは須臾の間、魂氣は風に飄として随う

終身薄冰を履みつづけ、誰が知る,我が心の焦を

 

湯火 滾水と烈火

不饒 不饒恕,ゆるすことのできぬおもい

一日また一夕、一夕また一朝と、容顔は衰え、精神は消耗していく

胸中に火のように熱い思いを抱いているから、このような変化を招くのだ、万事は窮まりなく、智謀の足りないことが苦しい

恐るべきはあっという間に、死んで魂が風に吹かれてしまうことだ、一生薄氷を踏むような、自分の心の焦りをわかってくれるものは誰もいない

 

 

阮籍《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」 

 一日復一朝、一昏復一晨。

 容色改平常、精神自飄淪。

 臨觴多哀楚、思我故時人。

 對酒不能言、悽愴懷酸辛。

 願耕東皐陽、誰與守其眞。

愁苦在一時、高行傷微身。

 曲直何所爲、龍蛇爲我隣。

一日復た一朝、一昏復た一晨

容色は平常に改む、精神は自ずから飄として淪(おちぶれ)る

觴(さかづき)に臨みて哀楚多く、我を思うは時の人故え

酒に對して言うをあたわず、悽愴として酸辛を懷く

願くばうららかなる東(はるに)水田を耕し、誰と其の眞(實)をまもらん、

愁苦は一時にあり、高く行くも微に身傷つく

曲も直も何の爲すところぞ、龍蛇,我の隣と爲さん

 

哀楚 凄愴とした哀傷

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424-#1 《與張十八同效阮步兵一日復一夕》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1126>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4614韓愈詩-424-#1

 

 

製作年:              824年 長慶四年 57

卷別:    卷三四二              文體:    五言古詩

    韓昌黎集 巻七

詩題:    與張十八同效阮步兵一日復一夕

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:張籍    當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

與張十八同效阮步兵一日復一夕

(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)

#1

一日復一日,一朝復一朝。

一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。

祗見有不如,不見有所超。

これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。

食作前日味,事作前日調。

食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。

不知久不死,憫憫尚誰要。

自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。

富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。

もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。

#2

俯仰未得所,一世已解鑣。

譬如籠中鶴,六翮無所搖。

譬如兔得蹄,安用東西跳。

還看古人書,復舉前人瓢。

未知所究竟,且作新詩謠。

 

(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)

一日復た一日,一朝復た一朝。

祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。

食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。

知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。

富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。

#2

俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。

譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。

譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。

還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。

未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。

 01 朝賀の服装

 

『與張十八同效阮步兵一日復一夕』 現代語訳と訳註

(本文)

與張十八同效阮步兵一日復一夕

#1

一日復一日,一朝復一朝。

祗見有不如,不見有所超。

食作前日味,事作前日調。

不知久不死,憫憫尚誰要。

富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。

 

(下し文)

(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)

一日復た一日,一朝復た一朝。

祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。

食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。

知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。

富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。

 

(現代語訳)

(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)

一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。

これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。

食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。

自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。

もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。

 

唐長安城図02 

(訳注) #1

與張十八同效阮步兵一日復一夕

(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)

十八 張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

 

阮步兵 阮籍(210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。

 

 

一日復一日,一朝復一朝。

一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。

 

祗見有不如,不見有所超。

これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。

 

食作前日味,事作前日調。

食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。

 

不知久不死,憫憫尚誰要。

自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。

憫憫 憫然【びんぜん/愍然】あわれむべきさま。

 

富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。

もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。

縶拘 つないで拘束する。

煎焦 煎じて焦がす。

 

 

 

阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」

 一日復一夕、一夕復一朝。

 顔色改平常、精神自損消。

 胸中懷湯火、變化故相招。

 萬事無窮極、知謀苦不饒。

 但恐須臾間、魂氣隨風飄。

 終身履薄冰、誰知我心焦。

日復た一夕、一夕復た一朝。

顔色は平常にあらたまり、精神は自ずと損消す

胸中は湯火を懷き、變化は,故に,相い招かん

萬事は無窮極、知謀は不饒を苦しむ

但,恐れるは須臾の間、魂氣は風に飄として随う

終身薄冰を履みつづけ、誰が知る,我が心の焦を

 

湯火 滾水と烈火

不饒 不饒恕,ゆるすことのできぬおもい

 

一日また一夕、一夕また一朝と、容顔は衰え、精神は消耗していく

胸中に火のように熱い思いを抱いているから、このような変化を招くのだ、万事は窮まりなく、智謀の足りないことが苦しい

恐るべきはあっという間に、死んで魂が風に吹かれてしまうことだ、一生薄氷を踏むような、自分の心の焦りをわかってくれるものは誰もいない

 

 

阮籍《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」 

 一日復一朝、一昏復一晨。

 容色改平常、精神自飄淪。

 臨觴多哀楚、思我故時人。

 對酒不能言、悽愴懷酸辛。

 願耕東皐陽、誰與守其眞。

愁苦在一時、高行傷微身。

 曲直何所爲、龍蛇爲我隣。

一日復た一朝、一昏復た一晨

容色は平常に改む、精神は自ずから飄として淪(おちぶれ)る

觴(さかづき)に臨みて哀楚多く、我を思うは時の人故え

酒に對して言うをあたわず、悽愴として酸辛を懷く

願くばうららかなる東(はるに)水田を耕し、誰と其の眞(實)をまもらん、

愁苦は一時にあり、高く行くも微に身傷つく

曲も直も何の爲すところぞ、龍蛇,我の隣と爲さん

 

哀楚 凄愴とした哀傷

423-#2 《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳<1125>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4609韓愈詩-423-#2

韓愈《玩月喜張十八員外以王六祕書至》 少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

 
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年:824年 長慶四年 57

卷別:    卷三四二              文體:    五言古詩

    韓昌黎集 巻六

詩題:    玩月喜張十八員外以王六祕書至

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:張籍    王建       當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

前夕雖十五,月長未滿規。

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。

君來晤我時,風露渺無涯。

君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

浮雲散白石,天宇開青池。

あちこちにちぎれた浮雲は、白石を散らしたようである。空は青く澄んで、池のようであった。

#2

孤質不自憚,中天為君施。

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

玩玩夜遂久,亭亭曙將披。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

況當今夕圓,又以嘉客隨。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

惜無酒食樂,但用歌嘲為。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

 

kagaribi00

 

(月を玩び 張十八員外の王六祕書以って至るを喜ぶ〔王六は,王建なり。〕)

前夕は 十五と雖も,月 長じて未だ規に滿たず。

君 來って我に晤【あ】うの時,風露 渺として涯り無し。

浮雲は 白石を散じ,天宇は 青池を開く。

#2

孤質 自ら憚【はばか】らず,中天 君が為に施す。

玩玩として 夜 遂に久しく,亭亭として 曙 將に披かんとす。

況んや 今夕に圓かなるに當り,又た嘉客を以って隨うをや。

惜むらくは酒食の樂みを無くし,但だ歌嘲を用いて為さんや。

『玩月喜張十八員外以王六祕書至』 現代語訳と訳註

(本文)#2

孤質不自憚,中天為君施。

玩玩夜遂久,亭亭曙將披。

況當今夕圓,又以嘉客隨。

惜無酒食樂,但用歌嘲為。

 

 

(下し文) #2

孤質 自ら憚【はばか】らず,中天 君が為に施す。

玩玩として 夜 遂に久しく,亭亭として 曙 將に披かんとす。

況んや 今夕に圓かなるに當り,又た嘉客を以って隨うをや。

惜むらくは酒食の樂みを無くし,但だ歌嘲を用いて為さんや。

 

 

(現代語訳)

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

漢文委員会紀頌之タイトル002 

 

(訳注)#2

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

張十八員外は張籍。この時水部員外郎であった。王六は,原注に王建なりとある。病気のため退職して後、作ったものである。

張籍 (766年頃 830年頃))中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

王建 (未詳― 830年頃))中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。

新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

 

孤質 不自憚,中天 為君施。

独り月は誰はばかることなく、九天の真上にあって君のためにこんなにも素晴らしい風景にしてくれる。

孤質 月の事である。月の詩的表現。

 

玩玩 夜遂久,亭亭 曙將披。

月景色を賞賛して夢中になってしまったので夜が過ぎて遅くなってしまっている、空は亭々として高く、「曙色、朝未だ来の空」に披らこうとしている。

玩玩 (月景色を賞賛して)夢中になること。

亭亭 空が高いことをいう。

 

況 當今夕圓,又 以 嘉客 隨。

まして、昨夕でさえもこの通りなのだから、今宵は、期待される夜で満丸な月となるのであるから、君は嘉客を随行してくるので、きっと楽しいことになるに違いない。

 

惜 無酒食樂,但 用 歌嘲 為。

少し惜しいと思うことがあるのは、私が病気がちだということで酒食を思う存分樂しむということが出来ないということで、但し、歌詠談笑することはできるので君たちの存分の酒食にお付き合いするつもりでいる。

酒食樂 酒食を思う存分樂しむということ。

歌嘲 歌詠談笑。歌ったり、詠じたり、談議し、大いに笑おう。

 

泰山の夕日 

423-#1 《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年~824年長慶4年 57歳<1124>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4604韓愈詩-423-#1

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

《玩月喜張十八員外以王六祕書至》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823824年長慶4年 57歳<1124  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4604韓愈詩-423-#1


423-#1

 
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index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57  ・京兆尹兼御史太夫・57歳夏、病気のため退職。 14             

年:824年 長慶四年 57

卷別:    卷三四二              文體:    五言古詩

    韓昌黎集 巻六

詩題:    玩月喜張十八員外以王六祕書至

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:張籍    王建       當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

前夕雖十五,月長未滿規。

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。

君來晤我時,風露渺無涯。

君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

浮雲散白石,天宇開青池。

あちこちにちぎれた浮雲は、白石を散らしたようである。空は青く澄んで、池のようであった。

#2

孤質不自憚,中天為君施。

玩玩夜遂久,亭亭曙將披。

況當今夕圓,又以嘉客隨。

惜無酒食樂,但用歌嘲為。

 

(月を玩び 張十八員外の王六祕書以って至るを喜ぶ〔王六は,王建なり。〕)

前夕は 十五と雖も,月 長じて未だ規に滿たず。

君 來って我に晤【あ】うの時,風露 渺として涯り無し。

浮雲は 白石を散じ,天宇は 青池を開く。

#2

孤質 自ら憚【はばか】らず,中天 君が為に施す。

玩玩として 夜 遂に久しく,亭亭として 曙 將に披かんとす。

況んや 今夕に圓かなるに當り,又た嘉客を以って隨うをや。

惜むらくは酒食の樂みを無くし,但だ歌嘲を用いて為さんや。

 

oborotsuki01h 

『玩月喜張十八員外以王六祕書至』 現代語訳と訳註

(本文)

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

前夕雖十五,月長未滿規。

君來晤我時,風露渺無涯。

浮雲散白石,天宇開青池。

 

(下し文)

(月を玩び 張十八員外の王六祕書以って至るを喜ぶ〔王六は,王建なり。〕)

前夕は 十五と雖も,月 長じて未だ規に滿たず。

君 來って我に晤【あ】うの時,風露 渺として涯り無し。

浮雲は 白石を散じ,天宇は 青池を開く。

 

(現代語訳)

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。

君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

あちこちにちぎれた浮雲は、白石を散らしたようである。空は青く澄んで、池のようであった。

 

(訳注)

玩月喜張十八員外以王六祕書至〔王六,王建也。〕

(仲秋の月を楽しんだのは、張籍君が王建君を見替えに行ってくれたからだ。)

張十八員外は張籍。この時水部員外郎であった。王六は,原注に王建なりとある。病気のため退職して後、作ったものである。

張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。

王建 中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。

新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

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前夕雖十五,月長未滿規。

昨晩は仲秋の名月の日であったにもかかわらず、月は大きいというものの未だ満月というには十分の丸さではなかったようだ。

十五 仲秋の名月。

月長 月が大きくなること。

滿規 規はコンパスで、円を造るもの。すっかり丸いというところまで行っていない。

 

君來晤我時,風露渺無涯。

君がここに来てくれて自分と一緒に見た時、夜はようやく更けていくようなとき、一天の風露、渺として涯際なく、仰げば、まことにきれいに晴れ渡っていた。

 

浮雲散白石,天宇開青池。

あちこちにちぎれた浮雲は、白石を散らしたようである。空は青く澄んで、池のようであった。
56moonetsujo250 

422-#4 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1123>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4599韓愈詩-422-#4

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

玄武門 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

(下し文)

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

(現代語訳)

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

 

(訳注) #4

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

辟雍00 

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

今次、祭事を奉仕した杜相公は、相貌堂々として、山の峻なるを仰ぐように、自らそのことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえない。

貴相 杜相公は、相貌堂々としていること。

清文玉瑕 のことを記述された詩章は、瑩朗透徹、玉のようで一点の瑕さえないということ。

 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

杜相公は、天子に変わり、老子の神霊に向ってご機嫌伺いをして、祭事を摂行して、恭敬愈々加わってくる。

代工 天工(宇宙)、天子がこれに代わるということ。

攝事 祭事を摂行すること。

 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

それは、例えば、天にあたる月の皎潔であるように、日を捧げる霞の葳蕤たるが如く、天子の御代拜として、物事に、聖意を奉体し、いよいよみごとにやってのけられたのは、誠に恐れ入った次第である。

皎潔 白く清らかで汚れのないさま。

當天月・捧日霞 天日は天子君子のことで、月霞は家臣、ここでは杜元穎をさす。

葳蕤 ①形容枝叶繁盛:当薇,枝叶太葳蕤。美;艳丽:妾有腰襦,葳蕤自生光

 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

そこで、李相公との唱酬を拝見すると、いづれも姸麗であって、文彩爛斑、眼も綵なるばかり、このように申し上げる私としては、俯仰のあまり、ただ、「あっ」と言って感ずるのみである。

唱妍酬亦麗 李相公と杜相公との唱和をいう。

稱嗟 「あっ」と言って感ずるのみであるということ。

 

422-#3 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-13-504 Ⅱ韓昌黎集<1122>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4594韓愈詩-422-#3

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

 
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製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

#1

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

 

(下し文)#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

 

(現代語訳)

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。

長安付近図00 

(訳注) #3

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

名を紫極というくらいであるから、その森遂まるは、見ても倦むこと檀前に歌い上げる靑詞は、声高らかにされるのではあるが、決してやかましくはないのである。

紫極 天宝二年三月、玄元廟を改め、紫極廟とした。《旧唐書玄宗紀》

靑詞 神に奏する詞、夜中,星空の下で酒や乾肉などの供物を並べ,皇帝太一や五星列宿を祭り,文書を上奏する儀礼をいう。

 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

夜、なお、暗い時間に、宮門の扉は、噌として、鼓の音が嘈唁として打ち出せば、やがて朝になった。

 門扉の開く際の高い音がすることで宮門の扉を開ける音。

嘈唁 鼓の音が大きくなっている。

晨撾 朝が来て太鼓をたたくこと。

 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

清淨ならぬものは、もとより供えぬことにしてあるし、名香は、薦められればもっと善いとしてある。

褻味 清淨ならぬもの。

 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

このようにして、祭祀が行き届いているから、神霊も、自然感応し、祥瑞を垂れているということは、紛として余りありと為すべく、また、人民の寿命をして無窮ならしめるだろうというものである。
8世紀唐と周辺国00 

422-#2 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1121>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4589韓愈詩-422-#2

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422-#2 《奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1121>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4589韓愈詩-422-#2

 

 

製作年:  823  長慶三年  56

卷別: 卷三四四  文體: 五言古詩 

詩題: 奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻

及地點:  太清宮 (京畿道 京兆府 西京) 別名:玄元皇帝廟、玄都     

交遊人物: 杜元穎 書信往來(京畿道 京兆府長安)

李逢吉 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻
(この詩は杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)
〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝の廟についてのべるもの〕

耒耜興國,建夏家。 

昔、后稷は犂鍬を手にし、もっぱら農事に務めて、周家を興し、禹は橇に乗り、ガンジキを履いて、天下を廻り、勤勉でもって苦しんで洪水を治めて、夏の国の基礎を作り上げた。

在功誠可尚,於道詎為華。 

この后稷と禹はその功績の上からいえば、まことに尊うべきものであるが、「道」というものの上において見れば、地味で華々しいというものではない。

象帝威容大,仙宗寶曆 

ここに我が老子は帝位を追贈されただけに、威容洪大であり、その上、仙家の宗祖として、長生不死を得られ、宝暦遙かにして数えることもできないくらいである。

衛門羅戟槊,圖壁雜龍蛇。 

#1

象帝 老子が帝位を追贈されたことをいう。

太清宮は、すなわち老子の廟であり、門には警護の兵隊が矛を並べ、四璧には龍蛇を描いて、さすがに神々しく、且つ厳かなものである。

杜相公【としょうこう】が太清宮 事を紀し,誠を陳べ 李相公に上る十六韻に和し奉る〔杜は元穎なり。太清宮,玄元皇帝の廟なり。〕

耒耜【らいし】國をし,輴【ちゅんるい】夏家を建つ。 

功に在っては誠に尚【たっと】う可く,道に於ては詎んぞ華と為さん。 

象帝 威容 大いに,仙宗 寶曆 かなり 

門を衛って戟槊【げきさく】を羅ね,壁に圖して龍蛇を雜う。 

#2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

#3

紫極觀忘倦,青詞奏不譁。 

宮夜闢,嘈唁鼓晨撾。 

褻味陳奚取,名香薦孔嘉。 

垂祥紛可錄,俾壽浩無涯。 

#4

貴相山瞻峻,清文玉瑕。 

代工聲問遠,攝事敬恭加。 

皎潔當天月,葳蕤捧日霞。 

唱妍酬亦麗,俯仰但稱嗟。 

 

#3

紫極 觀て倦むを忘れ,青詞 奏して譁ならず。

【そうこう】として宮 夜に闢き,嘈唁【そうさつ】として鼓 晨に撾【う】つ。 

褻味【せつみ】陳ねて奚【なん】ぞ取らん,名香 薦めて 孔【はなは】だ嘉し。 

祥を垂れて紛として 錄す可し,俾壽をして浩として涯【かぎり】無からしめん。 

#4

貴相 山 峻なるを瞻る,清文 玉 瑕をつ。 

工に代って 聲問 遠く,事を攝して 敬恭 加わる。 

皎潔たり 天に當るの月,葳蕤【いすい】たり日を捧ぐるの霞。 

唱妍【しょうけん】にして 酬 亦た麗,俯仰して但だ 稱嗟。 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻』 現代語訳と訳註

(本文)

 #2

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

 

(下し文)#2

禮樂 追尊 盛んに,乾坤 福を降すこと遐【はるか】なり。 

四真 皆 齒列し,二聖 亦た 肩差す。

陽月 時の首【はじめ】,陰泉 氣 未だ牙さず。 

殿階 水碧を鋪き,庭炬 金葩【きんぱ】を坼【くじ】く。 

 

(現代語訳)

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

 

(訳注) #2

奉和杜相公太清宮紀事,陳誠上李相公十六韻〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

(このしは杜元穎が勅命によって、太清宮の祭祀を奉仕し、それがおわってから、事を紀し,誠意を陳べて 十六韻の五言古詩を造り、宰相の上席にいる李相公に上つったものに和してつくったものである)#1

杜相公 杜元穎。[]775-838年)字君,京兆杜陵人,如晦五世

和李相公は度々韓愈の詩に述べるが、旧唐書本伝に「元和十一年四月、朝議大夫門下侍郎同平章事を加え、出でて剣南東川節度使となり、長慶二年、召しいれて復た門下侍郎同平章事となる。」とある。(

《奉和李相公題蕭家林亭》

山公自是林園主,歎惜前賢造作時。

巖洞幽深門盡鎖,不因丞相幾人知。

414 《奉和李相公題蕭家林亭【案:逢吉也。】》韓愈(韓退之)ID Index-12-504Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1101>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4489韓愈詩-414

《和李相公攝事南郊,覽物興懷,呈一二知舊》

燦燦辰角曙,亭亭寒露朝。川原共澄映,雲日還浮飄。上宰嚴祀事,清途振華鑣。圓丘峻且坦,前對南山標。村樹黃複綠,中田稼何饒。顧瞻想岩穀,興歎倦塵囂。惟彼顛瞑者,去公豈不遼。為仁朝自治,用靜兵以銷。勿憚吐捉勤,可歌風雨調。聖賢相遇少,功德今宣昭。

417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1

〔杜元穎也。太清宮,玄元皇帝廟。〕

〔杜相公は杜元穎であり、この詩は老子の太清宮と唐の玄宗と肅宗の二帝のびょうについてのべるもの〕

 

禮樂追尊盛,乾坤降福遐。 

すでに礼楽は大いに行われるこの清時に当たって追尊の盛儀をおこなわれ、その神霊は乾坤に行き渡って、随所に幸福をくだすのである。

 

四真皆齒列,二聖亦肩差。 

荘・文・列・庚の四人も真人を贈られて、これに陪し、列席し、玄宗・粛宗二帝の像は肩を並べて左右に侍立している。

四真 唐の玄宗の天宝元年(742)、荘子に南華真人、列子に沖虚真人、文子に通玄真人、庚桑子【こうそうし】に洞虚真人の尊号を贈り、これら四真人の著書を真経と呼ぶべしとの詔が下された。すでにそれまでに老子には玄元皇帝の尊号が贈られ道教の神々の中核の位置を占めていたのだが、これらの四子が新たに老子を取り巻く座を与えられることとなったことをいう。

齒列 これに陪し、列席する。

二聖 玄宗と肅宗。

 

陽月時之首,陰泉氣未牙。 

十月は、時の初めというのだが、地下においては、陽気がいまだに兆しを見せず、したがって寒冷をおぼえるくらいなのだ。

陽月 陰暦10月の異称。→陰月 。

未牙 いまだに兆しを見せないこと。

 

殿階鋪水碧,庭炬坼金葩。 

殿階には、碧色の寒水石を敷き詰め,庭上の炬火は、黄金色の花が咲くかと疑われるくらいなのだ。

水碧 碧色の寒水石。

坼金葩 黄金色の花が咲くかと疑われる。
長安付近図00 

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