漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2014年10月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1212> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044

韓愈《與少室李拾遺書》(5)また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

 
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22―(5) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1212 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044


韓愈詩
-22―(5)

 與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

今可為之時,自藏深山,

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

利加於時,名垂於將來,

踴躍悚企,傾刻以冀。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるをりて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

(5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 (6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

 

(下し文) (5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

 

(現代語訳)

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

汜水関などの地図 

(訳注) (5)§4

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

○竊聞 私だけが聞いている。公開の話ではない。遠慮して「漏れ聞くところでは」というほどの意。

 

使者往,若不許,即河南必繼以行;

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

○河南、河南府長官。府尹。

 

拾遺征君若不至,必加高秩,

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

○征君 朝廷から召されされても出仕しない人を征君と呼ぶ。李拾遺は一度辞退しているのでこういった。

 

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

○如 もし。

 

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

 

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

○斯人施 このように善い人である拾遺公が同類を進め仕えさせるという恩恵。

太白山001 

22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1211> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4)

韓愈《與少室李拾遺書》§3 もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

 
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22ー(4)§3 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1211 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5039韓愈詩-22ー(4)

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

今可為之時,自藏深山,

いま、拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるをりて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

 (5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

拾遺征君若不至,必加高秩,如是則辭少就多,

傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

函谷関002Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文)(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

今可為之時,自藏深山,

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

利加於時,名垂於將來,

踴躍悚企,傾刻以冀。

 

(下し文) (4)§3

昔は 孔子為す可からざるを知りて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

 

 (現代語訳)

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

 

 

(訳注) (4)§3

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

 

今可為之時,自藏深山,

いま、拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

 

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

○牢關 固く門のかんぬきをとざす。牢は固。

○固距 固くふせぐ。こばむ。

○守 守る道。

 

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

○冠帯 衣冠束帯をつける。礼服を 着て出仕する。

○恵然 好意をあらわす。機嫌よく。

 

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

○補綴 欠けている所をおぎないつづる。

 

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

 

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

○悚企 心おそれ爪立ちする。

○傾刻 しばらくのうちに。
三峡 巫山十二峰001 

22ー(3)§2-2 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1210> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5034

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

 
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韓愈詩-22―(3)§2-2

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。
函谷関002 

汜水関などの地図 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;

幹紀之奸,不戰而拘累;

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

其有一事未就正,自視若不成人。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

(下し文)

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

 

(現代語訳)

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

太白山001 

(訳注) (3)§22

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

 

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

熟衍 熟して溢れる。

符貺 符は目出たいしるし、睨は賜物。天与の瑞兆。

○委至 委は禾ぶ)が積み重なること。重なり

 

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

○幹紀之奸,不戰而拘累 紀綱(法令)をおかす悪人か戦わずして捕縛される。806年元和元年、西川節度使劉闢や李錡が捕らえられたこと

 

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

強梁之凶,銷鑠縮栗 強く暴れる悪者が消滅し縮み恐れる。王承宗が徳州と桂(に)州の地を献じたこと。

○委伏 随い伏す。

 

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

 

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

○甲而兵 鎧を着て武器を持つ。

 

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

○斯無時矣 それこそ時機がないであろう。

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ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

 
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韓愈詩-22ー(2)§2-1

 

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

 

汜水関などの地図 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

 

(下し文) (2)§21

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 

(現代語訳)

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、夜は太平の運ではないのか。

 

辟雍00 

(訳注) (2)§21

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

 

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

仁聖 仁愛ふかくと仁徳がたかいこと。

 

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

 

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

大位 位の高い人。

 

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

 

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

幽閨 奥深い座敷・閨に幽閉されている。寵愛を失って閨に幽閉状態にある妾。

草野 民間人。

小人 取るに足らない、つまらない人。

 

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

不通於古 古代の事が十分に分からない。三皇五帝の仁徳の政治の実際について詳しく知らない(謙遜語)。

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韓愈《與少室李拾遺書》(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)十二月某日、愈頓首して申す。

 
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22―(1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1208 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5024

韓愈詩-22ー(1)

 

 

貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。

愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。

 

五月、愈はついに都を離れ、郷里の河陽へと帰る。彼を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年(一説にはこの年) に死んで、郷里に葬られていた。その墓参が重要な目的であったことはいうまでもないが、長安での生活費の少なくとも一部を持ち帰ることも、目的の一つにはいっていたことであろう。

 

 

翌貞元十二年(796年)六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に紛争が発生した。ここの節度使は李万栄という人であったが、重病にかかったので、息子の李酒に職務を代行させた。節度使は朝廷から任命された官職であり、それが病気になった場合は朝廷であらためて選考1任命するのが筋なのだが、当時では世襲の職のようになっており、節度使の職を息子が継ぐのはしごく当然のことと誰もが考えていた。朝廷もそれを黙認して、息子に辞令を出すことで形式上の任命制を守ろうという態度だったから、李万栄が自分の息子に職務を代行させたのは、べつに常識はずれの行為ではなかったし、まして宣武軍のなかにあっては、文句をつける人もない措置であった。

ところが、息子の李連は酷薄な性格の人で、気に入らぬ部下は即座に殺してしまうしまつだったから、幕府のうちには動揺が起こった。そしてついに、李万栄の側近だった郡惟恭という人がクーデターを決行し、蓮を捕縛して、都へ護送した。

 

 

兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。

 

 

與少室李拾遺書

(1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§21

方今天子仁聖,小大之事,皆出宰相,樂善言如,不得聞。自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

(3)§22

加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。今可為之時,自藏深山,牢關而固距,即與仁義者異守矣。想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,利加於時,名垂於將來,踴躍悚企,傾刻以冀。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。使者往,若不許,即河南必繼以行;拾遺征君若不至,必加高秩,如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。善人斯進其類,皆有望於拾遺公,拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,人庶不盡被惠利,其害不為細。必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。幸甚!愈再拜。

辟雍00 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (1)§1

與少室李拾遺書

十二月某日,愈頓首:

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

朝廷之士,引頸東望,

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

 

(下し文) (1)§1

(少室の李拾遺に與うる書)

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 

 

(現代語訳)

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日、愈頓首して申す。

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

汜水関などの地図 

(訳注) (1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

 

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

 

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

 

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

○引順 首をひきのばして望む。『孟子』梁恵王篇に「天下の民 皆頚を引いて之を望む」とある。

 

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

○景星 めでたいことの前兆として出るといわれる星。瑞星(ずいせい)。『史記』天官書「景星は徳星なり。其の状常無し、有道の国に出づ」と。

○鳳皇 瑞鳥。鳳凰、伝説上の鳥で聖人の世‘に出る。

21-(7)§5 《上兵部李侍郎書 -7》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1207> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5019

南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

 
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21-(7)

§5 《上兵部李侍郎書 -7》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1207 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5019

韓愈詩-21-(7)§5

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

南行詩一卷,舒憂悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

如賜覽觀,亦有可采,

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

愈再拜。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

韓愈の地図01 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

(下し文)

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

 

(現代語訳)

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

 

 

(訳注)§5

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

○扶樹 たすけ立てる。○教道 教化道徳。

韓愈の地図03 

南行詩一卷,舒憂悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

○南行詩 韓愈が陽山の令に遷される時に作った詩である。この時の詩は

index-[805年貞元21年 38歳] 陽山か江陵府参事軍 39

index-4[806年元和元年 39]江陵府参事軍・権知国子博士 50首の(125

韓愈は五嶺山脈を越えたのは三度ある。幼い12歳時に、779年兄の韶州流刑について行った。二回目がこの詩の謂う80336歳、京兆尹李実を弾劾したため陽山に貶せられた時で、三度目は81952歳「佛骨を論ずる表」を上って憲宗の逆鱗に触れ潮州に貶せられた。

index-11819年元和14年 52歳 ・『論佛骨表』を上って潮州に貶せらる 38

 

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

○瑰怪 珍しくあやしいこと。

 

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

 口ずさむ。歌う。

21-(6)§4-2 《上兵部李侍郎書 -6》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1206> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5014

韓愈《上兵部李侍郎書 -6いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

 
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21-(6)§4-2 《上兵部李侍郎書 -6》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1206 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5014

韓愈詩-21-(6)§4-2

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

汜水関などの地図 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) -2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

 

 

(下し文) -2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

 

(現代語訳)

いま永貞元年正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) §4-2

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

○天子新即位 805年永貞元年正月、順宗が位についたこと。

○理化 治化。政治教化。

 

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

○施設 実施する設け、それには人材を要する。

 

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

 

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

寧戚 甯戚。

鬷明 鬷蔑。

「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。
 

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

○左右 直接李侍郎を指さずその左右という。
閶闔門001 

21-(5)§4-1 《上兵部李侍郎書 -5》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1205> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5009

韓愈《上兵部李侍郎書 -5江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-510《漁歌子四首,其一》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-693-20-(510) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5012 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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21-(5)§4-1 《上兵部李侍郎書 -5》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11 28歳<1205 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5009韓愈詩-21-(5)§4-1

 

 

上兵部李侍郎書 §1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

 

上兵部李侍郎書§4-1

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

辟雍00

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣,

 

(下し文)

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

 

(現代語訳)

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

 

 三峡 巫山十二峰001

(訳注) §4-1

兵部李侍郎書§2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

○巨、大である。

 

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

○屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

 

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

○自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

 

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

○内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

○朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。
太白山001 

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一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

 
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三峡 巫山十二峰001 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家の究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

函谷関002 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

 

(下し文)

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

 

(現代語訳)

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) §3

兵部李侍郎書§2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

○牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

 

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

○堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉, 昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

 

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

○叔向 晋の大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

 

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

○言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

汜水関などの地図 

21-(3)§2-2 《上兵部李侍郎書 -3》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1203> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4999

初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は技けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 
 2014年10月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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