漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2014年11月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13

韓愈《此日足可惜贈張籍-13ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID  1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13


 

 

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。





-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

行行二月暮,乃及徐南疆。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

誰云經艱難,百口無夭殤。

 

-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

道邊草木花,紅紫相低昂。

 

(下し文)

-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

(現代語訳)

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。
そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
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汜水関などの地図 

(訳注) -13

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
轅馬   (ながえ)の馬。役所の馬。

 さまよう,うろうろする.

 ふむ。
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甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
甲午 796年貞元十二年七月二日。

鬥龍 『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿をいう。

 

東南出陳許,陂澤平茫茫。
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。
東南 妻のいる徐州は汴州からすると東南方向にあたる。

陳許 中国の王朝名、地方名。地方としての陳は現在の河南省淮陽県を中心とした一帯。 陳 (春秋) - 周の武王により、帝舜の末裔が封じられた国。

の国。自分の生まれ育った所。故郷。

  
道邊草木花,紅紫相低昂。
道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
春秋戦国勢力図917年 五代十国
27-#13

27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189

韓愈《此日足可惜贈張籍-12長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

 
 2014年11月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID  1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189韓愈詩-27-#12

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

此日足可惜,此酒不足嘗。

捨酒去相語,共分一日光。

念昔未知子,孟君自南方。

自矜有所得,言子有文章。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。



-2

我名屬相府,欲往不得行。

思之不可見,百端在中腸。

維時月魄死,冬日朝在房。

驅馳公事退,聞子適及城。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。
その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。
その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
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我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。
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-3

命車載之至,引坐於中堂。

開懷聽其往往副所望。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。
自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。
顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。
その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。

-4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

眾夫指之笑,謂我知不明。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

州家舉進士,選試繆所當。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。
 
そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

 

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

中途安得返,一日不可更。

俄有東來我家免罹殃。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
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10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。



-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

中流上灘潬,沙水不可詳。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)- -12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

 

(下し文) -12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り 過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り 夜 十里の黄を済【わた】る 。

中流 灘澤に上るに 沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

(現代語訳)

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。
流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
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 (訳注) -12

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

黄昏次汜水,欲過無舟航。9
黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
 すぎる。駐屯する。宿泊する。星座。至る。到着する。つぎ。まげ、かつら。

○汜水 河南省成皐県洛陽の東の防衛線にあたるところ。汜水関。

 
號呼久乃至,夜濟十里黄。
号呼 久しゅうして乃ち至り 夜 十里の黄を済【わた】る 。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。
乃至 数量・位置などの限界・範囲を述べて、その間を省略する意を表す。…から…まで。または。もしくは。

夜濟 夜の間に川を渡る。

十里黄 十里幅の黄河。
  
中流上灘潬,沙水不可詳。
中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
灘潬 川中の浅瀬、中州をいう。・灘:急流。早瀬。流れが速く、岩が多くて航行にに危険なところ。・潬:水がよどんで深いところ。
  
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。
驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
驚波 川の早瀬の流れの怒涛。

合沓 集合する。中で逆巻くようなさま。

星宿 星座。

爭翻芒 翻ったり、ぼやけたり、はっきりしたり、瞬いているさま。
華州から秦州同谷成都00 

 

 

27-#11 《此日足可惜贈張籍-11》韓愈(韓退之)ID <1240> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5184

韓愈《此日足可惜贈張籍-11》 すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

 
 2014年11月28日の紀頌之5つのブログ 
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27-#11 《此日足可惜贈張籍-11》韓愈(韓退之)ID  1240> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5184韓愈詩-27-#11

 

 

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているよ うだった。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。

平明身去,決若驚鳧翔。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。

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11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

 

-12

黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り夜 十里の黄を済る

中流 灘澤に上るに沙水 詳らかにす可からず

驚波 暗くして合沓たり星宿 争って空を翻す 種馬 鏑燭として鳴き 左右 僕童泣く

洛陽 函谷関002 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

 

 

(下し文)

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

(現代語訳)

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -11

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

主人願少留,延入陳壺觴。
主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。
すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
主人 汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府には李元が任命され、赴任していた。○壺觴 酒つぼと、さかずき。
 
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。
忽忽 速やかなさま。たちまち変わるさま。心がうつろなさま。我を忘れて、うっとりしているさま。  


飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
 絲竹 琴と笙の笛。宴席における音楽。


平明脱身去,決若驚鳧翔。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
平明 夜明け。明け方。わかりやすくはっきりしていること。また、そのさま。○鳧翔 まがも。互いにくっついて群れをなし、雄は灰色で頭から首にかけて緑色。あひるの原種で、形は、あひるによく似ている。けり。水鳥の名。形はしぎに似ていて、湖沼などの水辺にすむ。 けり。物事の結着。きまり。 過去の助動詞「けり」にあてて用いられる。「鳧をつける」。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
<!--[endif]-->

27-#10 《此日足可惜贈張籍-10》韓愈(韓退之)ID <1239> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5179

韓愈《此日足可惜贈張籍-10自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

 
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27-#10

《此日足可惜贈張籍-10》韓愈(韓退之)ID  1239> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5179韓愈詩-27-#10

 

 

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
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10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。



-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。



11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

 

(下し文)

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る

 

(現代語訳)

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -10

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

  
乘船下汴水,東去趨彭城。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

私は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
汴水 滎陽(けいよう河南省鄭州市)の近辺で黄河はたびたび氾濫を起こした。前漢のとき、武帝が大規模な堤の改修工事を行っているし、後漢になっても二度にわたってやはり大規模な治水工事をおこなっている。ここから黄河の下流に向かっておよそ千里にわたって堅固な石積みの堤を築いたものである。堤の高さは一丈もあったが、所によっては高さは五丈にもなり、まるで城壁である。それゆえに金城湯池のように堅固な堤の意味をこめて金堤(きんてい)と呼ばれていた。
 黄河の勢いをそらすために、滎陽の東北から黄河の水を東南に引く水路をうがった。この水路は滎陽の東北あたりを汴水あるいは汴渠(べんきょ)と呼んでいる。実に長大な人工の川で絵図では墨縄で計ったにまっすぐに伸びている。この水路は総じて鴻溝水(こうこうすい)というが、中ほどからは官渡水と呼びならわされていた。

彭城 江蘇省徐州。
  
從喪朝至洛,還走不及停。
喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
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<!--[endif]-->

假道經盟津,出入行澗岡。
道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
孟津 河南省 孟津県、洛陽の東。  

 

日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
羸馬 乗っている馬がつかれること。

テン  てっぺん。物の先端。「顛末/山顛」。  逆さになる。ひっくり返る。

 たおれる。面(おもて)を改める,表情をひきしめる.
汜水関などの地図 

 

 

27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID <1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174

韓愈《此日足可惜贈張籍-9そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

 
 2014年11月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID <1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID  1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174韓愈詩-27-#9

 

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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<!--[endif]-->

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

 

10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る

10

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。



洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-9

驕兒未乳,念之不能忘。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

中途安得返,一日不可更。

俄有東來,我家免罹殃。


(下し文)

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

(現代語訳)

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -9 

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

驕兒未乳,念之不能忘。
驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
驕兒 韓愈の子供は女の子であったことから、驕女とするテキストもあるが、驕女という場合乳飲み子には使わない別の意味もあるので、兒の方が正しい。  
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<!--[endif]-->

忽如在我所,耳若聞啼聲。
忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
  
中途安得返,一日不可更。」7
中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

 

俄有東來,我家免罹殃。
俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
罹殃 災難に遭う。汴州の乱の渦中にある。幕府の重臣の家族であるため、反乱者に危害を加えられる可能性があった。また、乱に紛れて、強盗が出没するものである。
太白山001 

 

27-#8 《此日足可惜贈張籍-8》韓愈(韓退之)ID <1237> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5169韓愈詩-27-#8

韓愈《此日足可惜贈張籍-8》 日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。


 
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-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。


之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

 

(下し文) #8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

(現代語訳)

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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華州から秦州同谷成都00 

(訳注) -8

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

暮宿偃師西,徒展轉在床。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
偃師 河南省偃師市。

徒展 いたずらに、~するばかり。


夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
○汴州亂 汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6
汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7
○○彷徨 さまようこと

 

我時留妻子,倉卒不及將。
我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
 汴集に残したまま。

倉卒 突然におこったこと。 

 率いると同じ。連れ戻すという意味。


相見不複期,零落甘所丁。
相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
○相 互いに。妻子の姿を見て互いに確認する意味。

 遭う約束。

零落 落ちぶれて

 まかせるほかはない

所丁 運命のままになる。

27-#7 《此日足可惜贈張籍-7》韓愈(韓退之)ID <1236> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5164韓愈詩-27-#7

われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

 
 2014年11月24日の紀頌之5つのブログ 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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27-#7 《此日足可惜贈張籍-7》韓愈(韓退之)ID  1236> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5164韓愈詩-27-#7

 

 


-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。


-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

 

 

(下し文) 7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

 

(現代語訳)

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
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(訳注) -7

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

竊喜複竊歎,諒知有所成。
窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
  なげく。ため息をつく。「歎息/慨歎・長歎」。感心してほめる。

 

人事安可恒,奄忽令我傷。
人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
我傷 宣武軍節度使の幕府の董晋歿す。
  
聞子高第日,正從相公喪。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
高第 よい成績で合格すること。
  
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
哀情逢吉語 幕府の董晋の詩と張籍の合格。○惝恍 ・惝:ぼおっとしている、・恍 ぼんやりしている。何が何だかわからないこと。

27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID <1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6

韓愈《此日足可惜贈張籍-6》 君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

 
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27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID <1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ66年大暦元年55歲-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-540《虞美人一首,》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-723-20-(540) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5162 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID  1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6

 

 

-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

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-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

辟雍00 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

 

(下し文) 6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

 

(現代語訳)

君は文辞の筆を馳せて私の問題に答えたが、その句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->4岳陽樓詩人003
<!--[endif]-->

(訳注) -6

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

馳辭對我策,章句何煒煌。
辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。
君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。
馳辭 文辞の筆を馳らせること。

對我策 私の設問、課題正解をした。

章句 対句、押韻、散文。

○何煒煌


相公朝服立,工席歌鹿鳴。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
相公 あなた様。796年に招いてくれた董晋のこと。

○朝服 朝衣と同じ。朝廷に出るときに着る衣服。

 楽器の演奏者。楽人。職人。工房の人。

鹿鳴 「詩経」小雅の「鹿鳴」は、「群臣や賓客をもてなす宴会で詠じる歌であるところから」宴会で客をもてなす音楽。また、宴会のこと。
「詩経」小雅 『鹿鳴』 
呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。
吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我周行。
呦呦鹿鳴,食野之蒿。我有嘉賓,德音孔昭。
視民不恌,君子是則是效。我有旨酒,嘉賓式燕以敖。
呦呦鹿鳴,食野之芩。我有嘉賓,鼓瑟鼓琴。
鼓瑟鼓琴,和樂且湛。我有旨酒,以燕樂嘉賓之心。


禮終樂亦闋,相拜送於庭。
礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。


之子去須臾,赫赫流盛名。
之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。
いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
須臾 - 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。

赫赫  赤赤と照り輝くさま。「―たる日輪」。 功名・声望などがりっぱで目立つさま。

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韓愈《此日足可惜贈張籍-5それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

 
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-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

汜水関などの地図 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) 5

時未云幾,浩浩觀湖江。

眾夫指之笑,謂我知不明。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

州家舉進士,選試繆所當。

 

(下し文) #5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

 

(現代語訳)

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。
 
そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
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太白山001 

(訳注) 5

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

時未雲幾,浩浩觀湖江。
歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。
それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
雲幾 たくさんの量をいう。

浩浩 広々とした広大な様子。歳月を自然の景色に喩えている。


眾夫指之笑,謂我知不明。
衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
○衆夫 世の人々。

○知 賢人、聖人となろうとしてすべてを知ること。


兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 
○魚鱉 魚とすっぽん。