韓愈《此日足可惜贈張籍-13》ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。
《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13
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主人顧少留,延入陳壺觴。
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
平明脫身去,決若驚鳧翔。
すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。
正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11
主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。
卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。
-12
黃昏次汜水,欲過無舟航。
號呼久乃至,夜濟十里黃。
中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合沓,星宿爭翻芒。
夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。
流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12
黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。
号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。
中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。
驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。
-13
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。
東南出陳許,陂澤平茫茫。
道邊草木花,紅紫相低昂。
そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。
-14
百里不逢人,角角雄雉鳴。
行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。
誰云經艱難,百口無夭殤。
-14
百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。
行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。
誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し
『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説
(本文) -13
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。
東南出陳許,陂澤平茫茫。
道邊草木花,紅紫相低昂。
(下し文)
-13
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。
(現代語訳)
自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。
そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
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(訳注) -13
此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。
轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
○轅馬 轅(ながえ)の馬。役所の馬。
○蹢 さまよう,うろうろする.
○躅 ふむ。
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甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。
甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
○甲午 796年貞元十二年七月二日。
○鬥龍 『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿をいう。
東南出陳許,陂澤平茫茫。
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。
○東南 妻のいる徐州は汴州からすると東南方向にあたる。
○陳許 中国の王朝名、地方名。地方としての陳は現在の河南省淮陽県を中心とした一帯。 陳 (春秋) - 周の武王により、帝舜の末裔が封じられた国。
許の国。自分の生まれ育った所。故郷。
道邊草木花,紅紫相低昂。
道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。


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