中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2014年11月

27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13

韓愈《此日足可惜贈張籍-13ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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27-#13 《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID <1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《此日足可惜贈張籍-13》韓愈(韓退之)ID  1242> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5194韓愈詩-27-#13


 

 

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。





-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

行行二月暮,乃及徐南疆。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

誰云經艱難,百口無夭殤。

 

-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

道邊草木花,紅紫相低昂。

 

(下し文)

-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

(現代語訳)

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。
そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
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汜水関などの地図 

(訳注) -13

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。
轅馬   (ながえ)の馬。役所の馬。

 さまよう,うろうろする.

 ふむ。
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甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。
甲午 796年貞元十二年七月二日。

鬥龍 『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿をいう。

 

東南出陳許,陂澤平茫茫。
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって路には草が茫々と広がっている。
東南 妻のいる徐州は汴州からすると東南方向にあたる。

陳許 中国の王朝名、地方名。地方としての陳は現在の河南省淮陽県を中心とした一帯。 陳 (春秋) - 周の武王により、帝舜の末裔が封じられた国。

の国。自分の生まれ育った所。故郷。

  
道邊草木花,紅紫相低昂。
道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
春秋戦国勢力図917年 五代十国
27-#13

27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189

韓愈《此日足可惜贈張籍-12長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

 
 2014年11月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (4)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-729--() 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5192 
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID  1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189韓愈詩-27-#12

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

此日足可惜,此酒不足嘗。

捨酒去相語,共分一日光。

念昔未知子,孟君自南方。

自矜有所得,言子有文章。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。



-2

我名屬相府,欲往不得行。

思之不可見,百端在中腸。

維時月魄死,冬日朝在房。

驅馳公事退,聞子適及城。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。
その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。
その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
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我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。
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-3

命車載之至,引坐於中堂。

開懷聽其往往副所望。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。
自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。
顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。
その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。

-4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

眾夫指之笑,謂我知不明。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

州家舉進士,選試繆所當。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。
 
そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

 

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

中途安得返,一日不可更。

俄有東來我家免罹殃。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
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10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。



-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

中流上灘潬,沙水不可詳。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)- -12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

 

(下し文) -12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り 過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り 夜 十里の黄を済【わた】る 。

中流 灘澤に上るに 沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

(現代語訳)

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。
流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
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 (訳注) -12

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

黄昏次汜水,欲過無舟航。9
黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
 すぎる。駐屯する。宿泊する。星座。至る。到着する。つぎ。まげ、かつら。

○汜水 河南省成皐県洛陽の東の防衛線にあたるところ。汜水関。

 
號呼久乃至,夜濟十里黄。
号呼 久しゅうして乃ち至り 夜 十里の黄を済【わた】る 。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。
乃至 数量・位置などの限界・範囲を述べて、その間を省略する意を表す。…から…まで。または。もしくは。

夜濟 夜の間に川を渡る。

十里黄 十里幅の黄河。
  
中流上灘潬,沙水不可詳。
中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
灘潬 川中の浅瀬、中州をいう。・灘:急流。早瀬。流れが速く、岩が多くて航行にに危険なところ。・潬:水がよどんで深いところ。
  
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。
驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
驚波 川の早瀬の流れの怒涛。

合沓 集合する。中で逆巻くようなさま。

星宿 星座。

爭翻芒 翻ったり、ぼやけたり、はっきりしたり、瞬いているさま。
華州から秦州同谷成都00 

 

 

27-#11 《此日足可惜贈張籍-11》韓愈(韓退之)ID <1240> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5184

韓愈《此日足可惜贈張籍-11》 すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

 
 2014年11月28日の紀頌之5つのブログ 
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27-#11 《此日足可惜贈張籍-11》韓愈(韓退之)ID  1240> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5184韓愈詩-27-#11

 

 

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているよ うだった。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。

平明身去,決若驚鳧翔。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。

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11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

 

-12

黄昏 汜水(しすい)に次(やど)り 過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り夜 十里の黄を済る

中流 灘澤に上るに沙水 詳らかにす可からず

驚波 暗くして合沓たり星宿 争って空を翻す 種馬 鏑燭として鳴き 左右 僕童泣く

洛陽 函谷関002 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

 

 

(下し文)

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

(現代語訳)

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -11

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

主人願少留,延入陳壺觴。
主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。
すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
主人 汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府には李元が任命され、赴任していた。○壺觴 酒つぼと、さかずき。
 
卑賤不敢辭,忽忽心如狂。
卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているようだった。
忽忽 速やかなさま。たちまち変わるさま。心がうつろなさま。我を忘れて、うっとりしているさま。  


飲食豈知味,絲竹徒轟轟。
飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
 絲竹 琴と笙の笛。宴席における音楽。


平明脱身去,決若驚鳧翔。
平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
平明 夜明け。明け方。わかりやすくはっきりしていること。また、そのさま。○鳧翔 まがも。互いにくっついて群れをなし、雄は灰色で頭から首にかけて緑色。あひるの原種で、形は、あひるによく似ている。けり。水鳥の名。形はしぎに似ていて、湖沼などの水辺にすむ。 けり。物事の結着。きまり。 過去の助動詞「けり」にあてて用いられる。「鳧をつける」。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
<!--[endif]-->

27-#10 《此日足可惜贈張籍-10》韓愈(韓退之)ID <1239> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5179

韓愈《此日足可惜贈張籍-10自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

 
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27-#10

《此日足可惜贈張籍-10》韓愈(韓退之)ID  1239> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5179韓愈詩-27-#10

 

 

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
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10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。



-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。



11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

 

(下し文)

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る

 

(現代語訳)

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -10

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

  
乘船下汴水,東去趨彭城。
船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

私は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。
汴水 滎陽(けいよう河南省鄭州市)の近辺で黄河はたびたび氾濫を起こした。前漢のとき、武帝が大規模な堤の改修工事を行っているし、後漢になっても二度にわたってやはり大規模な治水工事をおこなっている。ここから黄河の下流に向かっておよそ千里にわたって堅固な石積みの堤を築いたものである。堤の高さは一丈もあったが、所によっては高さは五丈にもなり、まるで城壁である。それゆえに金城湯池のように堅固な堤の意味をこめて金堤(きんてい)と呼ばれていた。
 黄河の勢いをそらすために、滎陽の東北から黄河の水を東南に引く水路をうがった。この水路は滎陽の東北あたりを汴水あるいは汴渠(べんきょ)と呼んでいる。実に長大な人工の川で絵図では墨縄で計ったにまっすぐに伸びている。この水路は総じて鴻溝水(こうこうすい)というが、中ほどからは官渡水と呼びならわされていた。

彭城 江蘇省徐州。
  
從喪朝至洛,還走不及停。
喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。
それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。
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<!--[endif]-->

假道經盟津,出入行澗岡。
道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。
孟津 河南省 孟津県、洛陽の東。  

 

日西入軍門,羸馬顛且僵。」8
日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。
羸馬 乗っている馬がつかれること。

テン  てっぺん。物の先端。「顛末/山顛」。  逆さになる。ひっくり返る。

 たおれる。面(おもて)を改める,表情をひきしめる.
汜水関などの地図 

 

 

27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID <1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174

韓愈《此日足可惜贈張籍-9そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

 
 2014年11月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID <1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174 
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 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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27-#9 《此日足可惜贈張籍-9》韓愈(韓退之)ID  1238> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5174韓愈詩-27-#9

 

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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<!--[endif]-->

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

 

10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る

10

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。



洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-9

驕兒未乳,念之不能忘。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

中途安得返,一日不可更。

俄有東來,我家免罹殃。


(下し文)

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

 

(現代語訳)

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->華州から秦州同谷成都00
<!--[endif]-->

(訳注) -9 

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

驕兒未乳,念之不能忘。
驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。
驕兒 韓愈の子供は女の子であったことから、驕女とするテキストもあるが、驕女という場合乳飲み子には使わない別の意味もあるので、兒の方が正しい。  
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<!--[endif]-->

忽如在我所,耳若聞啼聲。
忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。
  
中途安得返,一日不可更。」7
中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

 

俄有東來,我家免罹殃。
俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。
罹殃 災難に遭う。汴州の乱の渦中にある。幕府の重臣の家族であるため、反乱者に危害を加えられる可能性があった。また、乱に紛れて、強盗が出没するものである。
太白山001 

 

27-#8 《此日足可惜贈張籍-8》韓愈(韓退之)ID <1237> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5169韓愈詩-27-#8

韓愈《此日足可惜贈張籍-8》 日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。


 
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-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。


之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

 

(下し文) #8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

(現代語訳)

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
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華州から秦州同谷成都00 

(訳注) -8

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

暮宿偃師西,徒展轉在床。
暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。
偃師 河南省偃師市。

徒展 いたずらに、~するばかり。


夜聞汴州亂,繞壁行彷徨。」6
夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。
○汴州亂 汴州亂二首其一 唐宋詩-205Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-6
汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7
○○彷徨 さまようこと

 

我時留妻子,倉卒不及將。
我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。
 汴集に残したまま。

倉卒 突然におこったこと。 

 率いると同じ。連れ戻すという意味。


相見不複期,零落甘所丁。
相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。
○相 互いに。妻子の姿を見て互いに確認する意味。

 遭う約束。

零落 落ちぶれて

 まかせるほかはない

所丁 運命のままになる。

27-#7 《此日足可惜贈張籍-7》韓愈(韓退之)ID <1236> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5164韓愈詩-27-#7

われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

 
 2014年11月24日の紀頌之5つのブログ 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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27-#7 《此日足可惜贈張籍-7》韓愈(韓退之)ID  1236> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5164韓愈詩-27-#7

 

 


-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。


-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。

人事安可恆,奄忽令我傷。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。

聞子高第日,正從相公喪。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

 

 

(下し文) 7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

 

(現代語訳)

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->汜水関などの地図
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(訳注) -7

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

竊喜複竊歎,諒知有所成。
窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

私は心ひそかに喜び、また感心してほめたたえた。たしかに君が名を成すであろうとわかっていたから、自分でも世話のし甲斐があったと思っていたのだ。
  なげく。ため息をつく。「歎息/慨歎・長歎」。感心してほめる。

 

人事安可恒,奄忽令我傷。
人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

ところが人間界の出来事はもとより、常という事は無く、我々は傷心の出来事が起こったのである。君がいよいよ進士試験のため、上京しようという時であった。われわれが主人と頼んでいた董晋公が亡くなって、悲しい気拝と合格という吉報に、歓ぶべきか悲しみを先にすべきか困ったものだった。
我傷 宣武軍節度使の幕府の董晋歿す。
  
聞子高第日,正從相公喪。
子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

というのも、君がよい成績で合格したと聞いた日というのは、ちょうど董晋公の喪列を護って、故郷の洛陽偃師に向っている時だったのだ。
高第 よい成績で合格すること。
  
哀情逢吉語,惝恍難爲雙。
哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

それから、哀悼の情のうちに吉報と逢い、何が何やらわからなくなって両立しがたい思いを抱いたものだった。
哀情逢吉語 幕府の董晋の詩と張籍の合格。○惝恍 ・惝:ぼおっとしている、・恍 ぼんやりしている。何が何だかわからないこと。

27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID <1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6

韓愈《此日足可惜贈張籍-6》 君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

 
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27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID <1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ66年大暦元年55歲-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-540《虞美人一首,》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-723-20-(540) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5162 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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27-#6 《此日足可惜贈張籍-6》韓愈(韓退之)ID  1235> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5159韓愈詩-27-#6

 

 

-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

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-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

辟雍00 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

 

(下し文) 6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

 

(現代語訳)

君は文辞の筆を馳せて私の問題に答えたが、その句韻文はなんと素晴らしく光り輝いていたのである。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->4岳陽樓詩人003
<!--[endif]-->

(訳注) -6

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

馳辭對我策,章句何煒煌。
辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。
君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。
馳辭 文辞の筆を馳らせること。

對我策 私の設問、課題正解をした。

章句 対句、押韻、散文。

○何煒煌


相公朝服立,工席歌鹿鳴。
相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。
そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。
相公 あなた様。796年に招いてくれた董晋のこと。

○朝服 朝衣と同じ。朝廷に出るときに着る衣服。

 楽器の演奏者。楽人。職人。工房の人。

鹿鳴 「詩経」小雅の「鹿鳴」は、「群臣や賓客をもてなす宴会で詠じる歌であるところから」宴会で客をもてなす音楽。また、宴会のこと。
「詩経」小雅 『鹿鳴』 
呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。
吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我周行。
呦呦鹿鳴,食野之蒿。我有嘉賓,德音孔昭。
視民不恌,君子是則是效。我有旨酒,嘉賓式燕以敖。
呦呦鹿鳴,食野之芩。我有嘉賓,鼓瑟鼓琴。
鼓瑟鼓琴,和樂且湛。我有旨酒,以燕樂嘉賓之心。


禮終樂亦闋,相拜送於庭。
礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。
かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。


之子去須臾,赫赫流盛名。
之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。
いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。
須臾 - 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。

赫赫  赤赤と照り輝くさま。「―たる日輪」。 功名・声望などがりっぱで目立つさま。

27-#5 《此日足可惜贈張籍-5》韓愈(韓退之)ID <1234> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5154

韓愈《此日足可惜贈張籍-5それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

 
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27-#5 《此日足可惜贈張籍-5》韓愈(韓退之)ID  1234> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5154韓愈詩-27-#5

 

-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

#5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

6

辞を馳せて我が策に対す、章句 何ぞ煒煌【いこう】たる。

相公 朝服して立ち、工 席に鹿鳴【ろくめい】を歌う。

礼終わりて楽も亦た闋【お】わり、相い拝して庭に送る。

之の子去ること須臾【しゅゆ】にして、赫赫【かくかく】として盛名流る。

#7

窃【ひそ】かに喜び復た窃かに歎じ、諒【まこと】に知る 成す所有らんことを。

人事安くんぞ恒とす可き、奄忽 我をして傷ましむ。

子の高第を聞きし日は、正に相公の喪に従う。

哀情 吉語に逢う、惝恍として双と為し難し。

#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

汜水関などの地図 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) 5

時未云幾,浩浩觀湖江。

眾夫指之笑,謂我知不明。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

州家舉進士,選試繆所當。

 

(下し文) #5

歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。

衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。

児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。

州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆【あやま】る。

 

(現代語訳)

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。
 
そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
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<!--[endif]-->

太白山001 

(訳注) 5

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

時未雲幾,浩浩觀湖江。
歳時末だ云【ここ】に幾ばくならざるに、浩浩として湖江を観る。
それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。
雲幾 たくさんの量をいう。

浩浩 広々とした広大な様子。歳月を自然の景色に喩えている。


眾夫指之笑,謂我知不明。
衆夫は之を指して笑い、我が知の不明なるを謂う。
しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。
○衆夫 世の人々。

○知 賢人、聖人となろうとしてすべてを知ること。


兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。
児童は雷電を畏れ、魚鱉【ぎょべつ】は夜光に驚く。
しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 
○魚鱉 魚とすっぽん。

夜光 ホタルの別名。月の別名。夜光珠。名玉で作った盃。美玉の名。『戦国策』(「楚策」)、『史記』李斯伝、張衡「思玄賦」班固《西都賦》「懸黎垂棘,夜光在焉。」などに見える。


州家擧進士,選試繆所當。」4
州家 進士を挙ぐるに、選試 当たる所を繆(あやま)る。
そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
州家 汴州の幕府を示す。

挙進士 科挙を受験する有資格者を推薦する

選試 汴州で施行される予備試験

繆所當 誤って担当に任官されたこと。

27-#4 《此日足可惜贈張籍-4》韓愈(韓退之)ID <1233> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5149

韓愈《此日足可惜贈張籍-4そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

 
 2014年11月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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27-#4 《此日足可惜贈張籍-4》韓愈(韓退之)ID  1233> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5149韓愈詩-27-#4

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。

 

-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。


我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。


-3

命車載之至,引坐於中堂。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。

開懷聽其往往副所望。

自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。





-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

長安城郭015 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

 

(下し文)

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

(現代語訳)

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。
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(訳注)  -4

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

長老守所聞,後生習爲常。
長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。
仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

守所聞 儒学者が聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったということ。

習爲常 その説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになったことをいう。


少知誠難得,純粹古已亡。
少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。
すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

誠難得 仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいものであること。

古已亡 天下に大業を成そうというものは昔から絶無である。


譬彼植園木,有根易爲長。
彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。
たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

易爲長 枝葉の繁茂するのは造作もないこと。

 

留之不遣去,館置城西旁。
之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。 

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。
館置 家に住まわせる。・館:建物。旅館。やど。官舎。

 城郭、街。
玄武門 


 

27-#3 《此日足可惜贈張籍-3》韓愈(韓退之)ID <1232> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5144

韓愈《此日足可惜贈張籍-3》 顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

 
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27-#3 《此日足可惜贈張籍-3》韓愈(韓退之)ID  1232> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5144
韓愈詩-27-#3

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。



-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
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我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。
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-3

命車載之至,引坐於中堂。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。

開懷聽其往往副所望。

自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。



-4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣()めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

辟雍00 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -3

命車載之至,引坐於中堂。

開懷聽其往往副所望。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

 

(下し文)

車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其のを聽けば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。

 

(現代語訳)

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。
自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。
顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。
その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

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(訳注)

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

命車載之至,引坐於中堂。
車を命じて之を載せて至り、 引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。
そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。
中堂 一番の座敷、客間。

 

開懷聽其,往往副所望。
(
懷を開いて 其のけば,往往 望む所に副う。)
自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。
開懷 胸襟を開く。

 儒者の諸説。

○往往 往々にして。屡。

○副所望 儒者として、この時代で忘れられ、嫌気なものとされてきたものの復活。清廉な考えに合致することが多かったものと思われる。


孔丘殁已遠,仁義路久荒。
孔丘歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。
顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。
孔丘 実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた孔子のこと。


紛紛百家起,詭怪相披猖。
紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。
その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。
○諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

○詭怪〔名〕(形動) 怪しいこと。不思議なこと。また、そのさま。正理に合わない奇詭怪異な説。
云亭 


 


 


 




27-#2 《此日足可惜贈張籍-2》韓愈(韓退之)ID <1231> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5139

韓愈《此日足可惜贈張籍-21012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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133-3 《安州應城玉女湯作-3》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <133-3> Ⅰ李白詩1318 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5138 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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27-#2 《此日足可惜贈張籍-2》韓愈(韓退之)ID  1231> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5139

韓愈詩-27-#2

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。



-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
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我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

-3

命車載之至,引坐於中堂。

開懷聽其往往副所望。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

-4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -2

我名屬相府,欲往不得行。

思之不可見,百端在中腸。

維時月魄死,冬日朝在房。

驅馳公事退,聞子適及城。

 

(下し文)

我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端(ひゃくたん) 中腸(ちゅうちょう)に在り。

()れ 時 月魄(げっぱ)死し,冬日 朝 房に在り。

驅馳(くち)して 公事より退けば,子が適々(たまたま)城に及べりと聞く。

 

(現代語訳)

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。
その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。
その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
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<!--[endif]-->

辟雍00 

(訳注)

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

我名屬相府,欲往不得行。
我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。
そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。
○屬相府 宣武軍節度使の幕府。汴州董晉の幕下にいたことを指す。

 

思之不可見,百端在中腸。
之を思えども見るべからず,百端ひゃくたん 中腸ちゅうちょうに在り。
その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。
思之 前の句で君に会いに行けないから思うこと。

百端 沢山の端々までのさまざまの思い。

中腸 胸から下腹に至るまで思いがたまっていくこと。蟠りがたまる。談義をすることに価値を置いているため、話ができないためフラストレーションがたまる。

維時月魄死,冬日朝在房。
れ 時 月魄げっぱ死し,冬日 朝 房に在り。
しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、1012日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。
維時 これの初めの時。

月魄 月の陰の部分。・:①人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 ② 月のかげの部分。「生魄」 ③ 落ちぶれる。「落魄」。

冬日 10,11,12月が冬。1012日ごろをいう。前の句のこの時がかかってくる。

朝在房 10月に張建封に随って長安に朝したことを言う。


驅馳公事退,聞子適及城。
驅馳くちして 公事より退けば,子が適々たまたま城に及べりと聞く。
その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。
驅馳 馬かって走り回る。人のために尽力し、奔走すること。

公事 幕府での務め、公務。

適及 

 城郭。汴州の街。
三峡 巫山十二峰001 

 

27-#1 《此日足可惜贈張籍-1》韓愈(韓退之)ID <1230> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5134

韓愈《此日足可惜贈張籍-1君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈るそれに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。


 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-5-1 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#1》 杜甫index-15 杜甫<868-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155 
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27-#1 《此日足可惜贈張籍-1》韓愈(韓退之)ID  1230> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5134韓愈詩-27-#1

 

 

 26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1225 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109

ID


799年貞元15年 32

初句 

26


病中贈張十八

中虛得暴下

27


河堤上

暮行河堤上,

28


此日足可惜贈籍 #1

此日足可惜,

29


駑驥

駑駘誠齷齪,

30


嗟哉董生行 <42>#1

淮水出桐柏,

31


汴州亂二首其一

汴州城門朝不開,

32


汴州亂二首其二

母從子走者為誰,

33


齪齪

齪齪當世士,

34


汴泗交流贈張僕射【建封。】

汴泗交流郡城角,

35


忽忽

忽忽乎余未知生之為樂也,

36


鳴雁

嗷嗷鳴雁鳴且飛,

37


雉帶箭【此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】

原頭火燒靜兀兀,

38


從仕

居閒食不足,

39


贈河陽李大夫【李芃,河陽節度使。】【《外集》。】

四海失巢穴,

40


贈徐州族姪【《外集》。】【《遺集》。】

我年十八九,

41


贈張徐州莫辭酒【《外集》。】【見《遺集》。】

莫辭酒,

 

 

年:799年貞元15年 32

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:       

偃師 (都畿道 河南府 偃師)        

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁         

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津   

交遊人物:     

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

此日足可惜,此酒不足嘗。

捨酒去相語,共分一日光。

念昔未知子,孟君自南方。

自矜有所得,言子有文章。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。



-2

我名屬相府,欲往不得行。

思之不可見,百端在中腸。

維時月魄死,冬日朝在房。

驅馳公事退,聞子適及城。

-3

命車載之至,引坐於中堂。

開懷聽其往往副所望。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

-4

長老守所聞,後生習為常。

少知誠難得,純粹古已亡。

譬彼植園木,有根易為長。

留之不遣去,館置城西旁。

-5

時未云幾,浩浩觀湖江。

眾夫指之笑,謂我知不明。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

州家舉進士,選試繆所當。

-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

之子去須臾,赫赫流盛名。

-7

竊喜復竊歎,諒知有所成。

人事安可恆,奄忽令我傷。

聞子高第日,正從相公喪。

哀情逢吉語,惝怳難為雙。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

我時留妻子,倉卒不及將。

相見不復期,零落甘所丁。

-9

驕兒未乳,念之不能忘。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

中途安得返,一日不可更。

俄有東來我家免罹殃。

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

從喪朝至洛,還走不及停。

假道經盟津,出入行澗岡。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明身去,決若驚鳧翔。

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

道邊草木花,紅紫相低昂。

-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

行行二月暮,乃及徐南疆。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

誰云經艱難,百口無夭殤。

-15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

閉門讀書史,窗忽已涼。

日念子來遊,子豈知我情。

-16

別離未為久,辛苦多所經。

對食每不飽,共言無倦聽。

連延三十日,晨坐達五更。

我友二三子,宦遊在西京。

東野窺禹穴,李觀濤江。

-17

蕭條千萬里,會合安可逢。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

子又捨我去,我懷焉所窮。

男兒不再壯,百如風狂。

高爵尚可求,無為守一

 

 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)

此日足可惜贈張籍-1

此日足可惜,此酒不足嘗。

捨酒去相語,共分一日光。

念昔未知子,孟君自南方。

自矜有所得,言子有文章。

 

(下し文)

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。

 

(現代語訳)

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

汜水関などの地図 

(訳注)-1

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

 張十八 張籍。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

函谷関002
此日足可惜,此酒不足
此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。
君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。


舍酒去相語,共分一日光。
酒を捨てて去()いて相語り,共に一日の光を分かたん。
だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

一日光 一日の光陰を共に長閑に過ごすこと。


念昔未知子,孟君自南方。
念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。
思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

孟君 孟郊(東野)。この時、江南東道 越州會稽にいっている。

436-#1 《孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】》韓愈(韓退之)ID <1143 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4699韓愈詩-436-#1

19-#1 《醉留東野 #1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1177 Ⅱ韓昌黎集 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4869韓愈詩-19-#1

24-1 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1212 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044


自矜有所得,言子有文章。
自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 
どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

有所得 「得るところがある。」自分には人の良さがわかるのだということ。

有文章 文章力がある。
太白山001 

 

26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1229> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129

韓愈《病中贈張十八 -5すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

 

 
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26-#5 《病中贈張十八 -5》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1229 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5129韓愈詩-26-#5

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

籍也處閭里,抱能未施邦。

文章自戲,金石日擊撞。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや。

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

從此識歸處,東流水淙淙。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

 

雌聲にして款要を吐き,酒壺、羊腔を綴る。

君 乃ち崑崙の渠,籍 乃ち嶺頭の瀧。

譬えば蟻蛭の微なるが如し,詎んぞ崆岇【こうごう】を陵ぐ可けんや。

幸いに願わくば 終に之を賜い,櫱【けつ】と樁【とう】とを斬拔せよ。

此れより歸處を識り,東流 水淙淙たり。

辟雍00 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

(下し文)

雌聲にして款要を吐き,酒壺、羊腔を綴る。

君 乃ち崑崙の渠,籍 乃ち嶺頭の瀧。

譬えば蟻蛭の微なるが如し,詎んぞ崆岇【こうごう】を陵ぐ可けんや。

幸いに願わくば 終に之を賜い,櫱【けつ】と樁【とう】とを斬拔せよ。

此れより歸處を識り,東流 水淙淙たり。

 

(現代語訳)

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

汜水関などの地図 

(訳注) -5

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

すると張籍は、おなごのような声をして和睦のようなことばをはいてきて、酒壺一杯の酒を持ち、羊の腸を綴って降参したのだ。

雌聲 雌猫の声のようにいう。猫なで声。妓女が媚びるような言い方をする。

吐款要 和睦を申し込む。

綴羊腔 羊の腸を綴って降参した

 

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

君の理論は崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである、自分、張籍は普通の山から落ちて流れる早瀬のようなものである。

崑崙渠 崑崙山より流れ出る水路の水のようでまるで黄河の流れのようである。

嶺頭瀧 普通の山から落ちて流れる早瀬のようなもの。

 

譬如蟻蛭微,詎可陵崆岇。

また、自分は、蟻の塔の様な小さなものであるのに、君、韓愈は、崆岇とした山岳を凌ぐほどであるからとても太刀打ちできないのである。

陵崆岇 山石高峻な山を凌ぐほど大きい。

 

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

しかし、幸いにしてお願いしたいのは、これから、始終面倒を見て教えを乞いたいのであり、つまらぬ考えの根っこが残っていれば容赦なくぶった斬ってもらってその気が本当に成長するようにしてもらいたい。

櫱與樁 櫱:ひこばえ。木の切り株から新しく出た芽。樁:切り株。木の根っこ。

 

從此識歸處,東流水淙淙。

こうして、張籍の本音のところをサラけてくれて自覚したようで、これなら、大河の水が淙淙と東流して行く様に、間違いなく成長して行ってくれることと思うのである。

26-#4 《病中贈張十八 -4》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1228> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5124

韓愈《病中贈張十八 -4すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

 

 
 2014年11月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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26-#4 《病中贈張十八 -4》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1228 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5124韓愈詩-26-#4

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

將歸乃徐謂,子言得無

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや。

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

 

(含異文)

夜闌縱捭【案:音擺。】闔,哆口疏眉厖。勢侔高陽翁,坐約齊橫降【案:音杭。】。

連日挾所有,形軀頓?【案:音滂。】肛。將歸乃徐謂,子言得無【案:音厖。】。

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

 

(下し文)- 4

夜闌【たけなわ】にして捭闔【はいこう】を縱にし,哆口【しゃこう】にして疏眉厖【ぼう】たり。

勢は 高陽の翁,坐ながら齊橫を約して 降すに侔【ひと】し。

連日 有る所を挾んで,形軀 頓に胮肛【ほうこう】たり。

將に歸らんとして乃ち徐【おもむろ】に謂う,子の言は【ぼう】たる無きを得んや

軍を回らして與に角逐【かくちく】,樹を斫って窮龐【きゅうほう】を收む。

 

(現代語訳)

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

 

 

(訳注) ‐ 4

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

すると張籍は、夜が更けるにしたがってますます弁舌のリズムをアップさせて開合抑揚をほしいままにして、口に任せて、得意絶頂では、眉毛をひき、起ちあがって動いていくかと思うほどである。

・捭闔 捭闔縱橫.捭闔,開合。開合抑揚をほしいままにする。

・哆口 口に任せて饒舌る。

・疏眉厖 眉毛を立て動かして喋る。

 

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

その勢いは高陽の翁といわれたかの酈食其が斉の田横の所に乗り込んで、居ながらにして、72城を陥落させたようなものである。

高陽翁,坐約齊橫降 『史記、田儋傳「田横は秦の末期、兄の田栄、従兄の田儋と共に郷里の狄県で挙兵し、田儋が自立して斉王となった。しかし田儋は秦の章邯に包囲された魏王魏咎を救援に出て敗北して殺された。斉の人間はそれを聞くと元の斉王建の弟である田仮を王に立てたので、田栄はそれを怒った。田栄も章邯に追われたが楚の項梁に助けられ、田栄は田仮を攻撃し、田仮は楚に逃げた。田栄は田儋の子の田市を王に立て、自分はその宰相となり、田横は将となって斉を平定した。漢の将である韓信が趙を落とし、斉を攻めようとしていたので、斉は歴山のそばに兵を集めて阻もうとした。そんな折、漢は説客酈食其を派遣して斉との同盟を持ちかけてきた。田横はそれを受け入れ、漢に対する守備を止めた。しかし自己の功績が無くなることを恐れた韓信は斉へ侵攻し、斉の軍を撃破した。斉王田広と田横は報復として酈食其を煮殺して逃げた。項羽は斉を救うため龍且を派遣したが、韓信に破れ、斉王田広は捕らえられた。田横はそれを聞くと自分が王になったが、漢将灌嬰に破れて梁の彭越の元へ落ち延び、斉は漢によって平定された。このとき、72城を陥落させたという。

 

連日挾所有,形軀頓胮肛。

その晩から喋りつづけてあきもせず、それでも得意げにしゃべり続け、連日連夜、非常におごり高ぶった心持が形体の上にも表れるほどであった。

・胮肛 おおきなかおをする。非常におごり高ぶった顔をする。

 

將歸乃徐謂,子言得無

まさに張籍は勝ち誇ったようにして帰ろうとするかのようで、おもむろに口を開いて言うには、一体、君の今まで喋ったことは、蕪雑極まったもので、道理にかなったものではないと一蹴しておくのである。

・得無 蕪雑極まったもので、道理にかなったものではない(と一蹴しておくこと)。

 

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

自分の軍勢をめぐらして一緒に角逐し、丁度、孫臏が樹を白くし、龐涓をおびき寄せて、これを打ち取ったようにこれを説破したのである。

・斫樹收窮龐 馬陵の戦いでの逸話。木の枝に板を吊るして「龐涓死于此樹之下(龐涓この樹の下にて死せん)」と書き記し、道の両側の兵を伏した。

孫臏 孫臏は、中国戦国時代の斉の軍人・思想家。兵家の代表的人物の一人。孫武の子孫であるとされ、孫武と同じく孫子と呼ばれる。『孫臏兵法』は孫臏の手によると推定されている。この他、『孫臏拳』も彼が創始したと伝えられている。

龐涓 将軍まで出世した事を祝ってもらおうと孫臏を魏に招いた龐涓は、孫臏に魏へ仕官を世話しようと言って滞在を長引かせ、狩りを名目に孫臏を魏の公室の陵墓がある山へと誘い出し、スパイの罪を着せた。

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26-#3 《病中贈張十八 -3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1227> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5119

韓愈《病中贈張十八 -3そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、

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26-#3 《病中贈張十八 -3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1227> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5119 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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26-#3 《病中贈張十八 -3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1227 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5119韓愈詩-26-#3

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

 

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

-吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

長安付近図00 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

 

(下し文) -3

吾 其の氣を盈たしめんと欲し,麾幢【きとう】を見せ令めず。

牛羊 田野に滿ち,旆を解いて空杠を束ぬ。

尊を傾けて與に斟酌【しんしゃく】し,四壁 罌缸【おうこう】を堆す。

玄帷 雪風を隔て,爐を照らして明釭を釘つ。

 

(現代語訳)

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

nat0022 

 

(訳注) -3

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

私が口を出すと懼れて頓挫するだろうというので、わざと先方の気を満たそうとして伏兵を置いて、敵を欺くようなこころもちで、指図旗を見せようとしないのである。

麾幢 幢麾 [ハタとホコ]ハタサシモノ。幢という,儀仗として用いる矛。

1名詞 古代,軍隊の指揮に用いた指図旗.2((文語文[昔の書き言葉])) 旗を用いて軍隊の向かうところを指図する.軍隊を指揮して前進させる.

 

牛羊滿田野,解旆束空杠。

そして牛と羊を野に放って田野を満たし、旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けて、張籍にものを言わせようと企てたのである。

解旆束空杠 旗を解き去って、棹だけになったものを束ねて片付けること。

 

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

そこで大盃を傾けて、共に飲んで、部屋の四面の壁に酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意をしたのである。

斟酌 酒をくみ分ける意① 相手の事情・心情などをくみとること。② 手加減すること。手ごころ。③ 条件などを考え合わせて,適当に取捨選択すること。④ 遠慮すること。ためらい。

堆罌缸 酒の甕をいくつも積んでどんなに飲んでも構わないための用意する。

 

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

その時は冬の時期であり、吹雪が激しいので、黒い幃を回りに垂らして、雪の風が入らないようにし、亦、夜になって、炉に十分の火を起こし、その上、明かりをともして、徹夜して喋っても良い様にしたのである。

玄帷 黒い幃を回りに垂らす。

釘明釭 明かりをともす。

26-#2 《病中贈張十八 -2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1226> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5114

韓愈《病中贈張十八 -2張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

 
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26-#2 《病中贈張十八 -2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1226 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5114韓愈詩-26-#2

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

-2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり。

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

-4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

 

唐 長安図 基本図00 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文) -2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

 

(含異文)

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐【案:音窗。】。半途喜開鑿,派別失大江。

 

(下し文) -2

龍文 百斛の鼎,筆力 獨り扛【あ】ぐ可し。

談舌 久しく掉【ふる】わず,君に非らざれば 亮【まこと】に誰か雙せん。

几を扶け之を導いて言う,曲節 初めて 摐摐【そうそう】たり

半途 喜んで開鑿【かいさく】し,派別 大江を失う。

 

(現代語訳)

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

 

(訳注)  -2

病中贈張十八 

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

 

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

つくる文章といえば、面に龍の模様を彫り、中には百斛ものを盛るような鼎を一人で持ち上げるような筆力なのである。

龍文百斛鼎 百斛の大盤の鼎での面に龍の模様を彫ってある。10斗,すなわち100升に等しい。中国の漢の時代に10斗に等しい容量の単位を斛(こく)と定め,石(せき)は120斤=4鈞(きん)に等しい質量の単位であったが,宋の末に至り5斗を斛とし,10斗を石(せき)とした。ただし5斗を斛とする。

扛 差し上げる。

 

談舌久不掉,非君亮誰雙。

ところが、張籍は我が門下に来て、文章だけでとても自分の才能を充分発揮できないから、弁舌でもってしようと思ったのだが、そのお相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったということで、ここへ来て「君以外にしかるべきものがいない」から来てやった。

談舌久不掉 相手がいないと久しく弁舌をふるえなかったという意。

 

扶几導之言,曲節初摐摐

そんなことで、病気の私は、机に助けられて座ることができ、その弁舌の紆余曲節をはじめから机をたたきながら調子を上げて話すのを聞かされたのである。

摐摐 弁士が机をたたきながら調子を上げて話すこと。

 

半途喜開鑿,派別失大江。

おもしろいけれど、中途から横道にそれ、人の通らぬところを開鑿し、大江の水があふれ出して別の所に流れを作ってしまったようであった。

半途喜開鑿,派別失大江 この二句は、話が横道にそれたばかりか、横道の話が本流になったことをいう。
01 朝賀の服装 

26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1225> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109

韓愈《病中贈張十八 -1夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

 
 2014年11月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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129-2 《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<129-2> Ⅰ李白詩1312 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5108 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1225> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-3-2 《客居 -#2》 杜甫index-15 杜甫<866ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5110 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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26-#1 《病中贈張十八 -1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1225> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5109韓愈詩-26-#1

 

 

年:798年貞元十四年31

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻五

詩題:    病中贈張十八

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

交遊人物:張籍    書信往來(河南道 汴州 汴州)

 

 

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)
中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら【ごぎ】金石 日に擊撞【げきとう】。

-2

龍文百斛鼎,筆力可獨扛。

談舌久不掉,非君亮誰雙。

扶几導之言,曲節初摐摐

半途喜開鑿,派別失大江。

-3

吾欲盈其氣,不令見麾幢。

牛羊滿田野,解旆束空杠。

傾尊與斟酌,四壁堆罌缸。

玄帷隔雪風,照爐釘明釭。

-4

夜闌縱捭闔,哆口疏眉厖。

勢侔高陽翁,坐約齊橫降。

連日挾所有,形軀頓胮肛。

將歸乃徐謂,子言得無

回軍與角逐,斫樹收窮龐。

-5

雌聲吐款要,酒壺綴羊腔。

君乃崑崙渠,籍乃嶺頭瀧。

譬如蟻蛭微,詎可陵崆山兇。

幸願終賜之,斬拔櫱與樁。

從此識歸處,東流水淙淙。

汜水関などの地図 

 

『病中贈張十八』 現代語訳と訳註解説

(本文)

病中贈張十八 -1

中虛得暴下,避冷臥北窗。

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

籍也處閭里,抱能未施邦。

文章自戲,金石日擊撞。

 

(下し文)

(病中の張十八に贈る) -1

中虛 暴下を得たり,冷を避けて北窗に臥す。

曉鼓を蹋んで朝さず,安眠して逢逢を聽く。

籍也 閭里に處し,能を抱いて未だ邦に施さず。

文章 自ら戲【ごぎ】,金石 日に擊撞【げきとう】。

 

(現代語訳)

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

 

辟雍00 

(訳注)

病中贈張十八 -1

(病気静養中の張籍との論議をまとめて詩にして贈る)

病気静養中に張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。この詩はそれについての経過を一首の詩にしたものである。

張十八 張籍。字は文昌。和州烏江(安徽省)あるいは東郡(河南省)の人といわれる。貞元15(799)の進士で国子司業などをつとめる。韓愈の門下のひとり。とりわけ楽府(がふ)に長じ,僚友の王建の作とともに〈張王楽府〉と並称される。官僚としては不遇だった彼には〈征婦怨〉や〈築城詞〉など民衆の苦痛を訴え,為政者を批判する作品が多く,その点杜甫,元結の詩風を受け継ぎ,同時代の大詩人で友人でもあった白居易が絶賛している。

 

中虛得暴下,避冷臥北窗。

近頃、胃腸を悪くして、腹の中を空虚にしても、頻りに下痢を催すので、冷気をさけて北窓のもとに臥せっている。

中虛 胃腸を悪くして、腹の中を空虚にする。

暴下 頻りに下痢を催す。

 

不蹋曉鼓朝,安眠聽逢逢。

夜明け前の 登朝の知らせる太鼓の音が聴こえても土を踏んでゆくこともできない。だから、ただ安眠して太鼓の逢逢となる音をきいているだけなのだ。

曉鼓 登朝の知らせをする太鼓の音。夜明け時には、整列を終える。

朝 朝廷に出かけること。朝礼に出る。

逢逢【ほうほう】  鼓声。『詩経、大雅、霊台』「鼉鼓逢逢 矇瞍奏公.」(鼉鼓逢逢たり 矇瞍公を奏す.

 

籍也處閭里,抱能未施邦。

張籍よ、お前は長安の閭里に住んでいて、十分な才能を秘めており、未だこれを一斛の政治に役立て、施すことはできていない。

閭里 長安の閭里に住んでいること。

 

文章自戲,金石日擊撞。

文章をもって我が門下での娯楽としているが、その作品は、金石が日々に擊撞するように絶えず心に鳴り響くほどである。

擊撞 ・撞:1 つく。2 つき当たる。さしさわる。

25 《暮行河堤上》韓愈(韓退之)ID <1224> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5104

韓愈《暮行河堤上》舟をこう黄河に泛べて洛陽に赴こうとし、日暮れに舟をつなぎ、上陸して川土手の上を散歩したが、四方を顧みて人影はない。

 

 
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25 《暮行河堤上》韓愈(韓退之)ID  1224 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5104韓愈詩-25

 

 

 

 

799年貞元15年 32

 

27

 

暮行河堤上

暮行河堤上,

28

 

此日足可惜贈張籍 #1

此日足可惜,

29

 

駑驥

駑駘誠齷齪,

30

 

嗟哉董生行 <42>#1

淮水出桐柏,

31

 

汴州亂二首其一

汴州城門朝不開,

32

 

汴州亂二首其二

母從子走者為誰,

33

 

齪齪

齪齪當世士,

34

 

汴泗交流贈張僕射【案:建封。】

汴泗交流郡城角,

35

 

忽忽

忽忽乎余未知生之為樂也,

36

 

鳴雁

嗷嗷鳴雁鳴且飛,

37

 

雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】

原頭火燒靜兀兀,

38

 

從仕

居閒食不足,

39

 

贈河陽李大夫【案:李芃,河陽節度使。】【案:見《外集》。】

四海失巢穴,

40

 

贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

我年十八九,

41

 

贈張徐州莫辭酒【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】

莫辭酒,

 

 

年:799年貞元十五年32

卷別:    卷三三六              文體:    五言律詩

韓昌黎集 巻一
詩題:
    暮行河堤上

 

 

暮行河堤上

(何の目的もなく洛陽の河水土手を歩いての思いを述べたもの)

暮行河堤上,四顧不見人。

舟をこう黄河に泛べて洛陽に赴こうとし、日暮れに舟をつなぎ、上陸して川土手の上を散歩したが、四方を顧みて人影はない。

衰草際黃雲,感歎愁我神。

秋も終わりごろになると、枯れた草は郊外の野原に広がって遙か先の夕雲に連なって見え、この寂しい景色に対して、感嘆した私の胸の内を揺り動かしたのである。

夜歸孤舟臥,展轉空及晨。

夜になってもとの孤舟に帰って横になったところが、どうしても寝ることができなくて、ゴロゴロと展轉反側、そしてそのまま夜明けを迎えたのだ。

謀計竟何就,嗟嗟世與身。

自分は胸に謀計を貯えているが、それは何時成就するかわからないことで、世にわが身を受け入れられようとしない性格であるので、どうしようもないのだ。

 

 (暮に河堤の上を行く)

暮に河堤の上を行けば,四顧 人を見ず。

衰草 黃雲に際し,感歎 我が神を愁えしむ。

夜 歸って孤舟に臥し,展轉して 空しく晨に及ぶ。

謀計 竟に何をか就し,嗟嗟 世と身とに。

汜水関などの地図 

 

『孤』 現代語訳と訳註解説

(本文)

暮行河堤上

暮行河堤上,四顧不見人。

衰草際黃雲,感歎愁我神。

夜歸孤舟臥,展轉空及晨。

謀計竟何就,嗟嗟世與身。

 

(下し文)

(暮に河堤の上を行く)

暮に河堤の上を行けば,四顧 人を見ず。

衰草 黃雲に際し,感歎 我が神を愁えしむ。

夜 歸って孤舟に臥し,展轉して 空しく晨に及ぶ。

謀計 竟に何をか就し,嗟嗟 世と身とに。

 

(現代語訳)

(何の目的もなく洛陽の河水土手を歩いての思いを述べたもの)

舟をこう黄河に泛べて洛陽に赴こうとし、日暮れに舟をつなぎ、上陸して川土手の上を散歩したが、四方を顧みて人影はない。

秋も終わりごろになると、枯れた草は郊外の野原に広がって遙か先の夕雲に連なって見え、この寂しい景色に対して、感嘆した私の胸の内を揺り動かしたのである。

夜になってもとの孤舟に帰って横になったところが、どうしても寝ることができなくて、ゴロゴロと展轉反側、そしてそのまま夜明けを迎えたのだ。

自分は胸に謀計を貯えているが、それは何時成就するかわからないことで、世にわが身を受け入れられようとしない性格であるので、どうしようもないのだ。

 

洛陽 函谷関002(訳注)

暮行河堤上

(何の目的もなく洛陽の河水土手を歩いての思いを述べたもの)

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

799年 汴州の乱

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

 

暮行河堤上,四顧不見人。

舟をこう黄河に泛べて洛陽に赴こうとし、日暮れに舟をつなぎ、上陸して川土手の上を散歩したが、四方を顧みて人影はない。

河 黄河。

 

衰草際黃雲,感歎愁我神。

秋も終わりごろになると、枯れた草は郊外の野原に広がって遙か先の夕雲に連なって見え、この寂しい景色に対して、感嘆した私の胸の内を揺り動かしたのである。

衰草 枯れた草。

黃雲 遙か先の夕雲に連なって見えること。

 

夜歸孤舟臥,展轉空及晨。

夜になってもとの孤舟に帰って横になったところが、どうしても寝ることができなくて、ゴロゴロと展轉反側、そしてそのまま夜明けを迎えたのだ。

展轉 ねがえり。ゴロゴロと展轉反側する。

 

謀計竟何就,嗟嗟世與身。

自分は胸に謀計を貯えているが、それは何時成就するかわからないことで、世にわが身を受け入れられようとしない性格であるので、どうしようもないのだ。

24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1223> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099

韓愈《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》君の名声は、四海を照らすほどに知れ渡り、道徳・人格についてのよい評判というものは日常的に止むことはないのである。

 
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24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1223> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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24-9 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1223 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5099韓愈詩-24-9

 


遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

〔孟郊〕:#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔 【孟郊。】

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。〔ここまで孟郊〕

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

〔韓愈〕:#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。〔ここまで韓愈〕

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

憤濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻を涉り,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

魑魅魍魎の類いは、しばしば出没し、蛟龍はたがいに巻き付きあっている。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

そこには舜と禹の古跡があって、これらの聖王が昌言を拝したことを思い出し、自分で一身を修めたいと思っていて、やがて、また、帆を上げて、呉楚の地を過ぎて、北歸することもあるであろうと、ただそれを頼みとする。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

賢者である屈原が身を投じたところを過ぎれば竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔い、また、長江の渺茫たるを見て、筏に乗って、遠き昔の聖人の後を追いかけようと思うのである。

飄然天外步,豈肯區中囚。 〔韓愈。〕

このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕

魍魅【もうみ】暫く出沒し,蛟螭【こうち】互いに蟠蟉【はんりゅう】す。

昌言 舜禹を拜し,舉颿【きょはん】斗牛を凌ぐ。

糈【しょ】を懷いて賢屈に饋【おく】り,桴【いかだに】乘じて聖丘を追う。

飄然として天外に步し,豈に肯えて區中に囚われん。 〔韓愈。〕 

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

しかし、江南は瘴癘の地で、決して永住すべきところではなく、魂魄の離散するのを弔ってあげるのに誰が楚辞の「楚些」のうたを作るのであろうか。そういう人もいないので、死後において、賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

自分たちもまた、屈原のように、自らその明を掩うてしまえば、人を諭すどころではなく、魂が一たび幽暗のなかに秘められたなら、それでおしまいであり、その上何を求めるということもできないのである。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

當春忽淒涼,不枯亦颼

その地は気候の激変する常としており、春にあたって、忽ち凄涼の様相となり満願の草木、未だに枯れてはいない中に、風は颼の響きを成している。

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

貉族の歌は何やら頻りに悲しむことが多く集まったようで、巴国の言葉は、その場所場所において違っていて、どれが正しいのかわからないのである。

默誓去外俗,嘉願還中州。

自分は黙然として、心に誓い、ここの地方の風俗に同化されることなく、そうして、この国の中心に帰りたいと願うことを喜びとしているのである。

江生行既樂,躬輦自相戮。

その時、長江に春水が生じたならば、舟で旅を進めるのが楽しいものだし、何も自分で力を合わせて輦車をおしていくことはないのである。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬〔孟郊。〕

そんなことで行き、まじりけがなく,濃くのある酒を飲み、聖明の時代に対してもてはやされることであるが、このような蛮族の生臭い食事を味わうようなことはご容赦願いたいものと願っているところである。〔ここまで#6・#7孟郊〕#6

楚些【そさ】誰が弔いを待たん,賈辭 恨を緘みて投ず。

明を翳【かざ】して曉【さと】す可からず,祕魂【ひこん】安んぞ求むる所あらん。

氣は放逐の域に毒し,蓼は芳菲の疇に雜わる。

春に當って忽ち淒涼し,枯れずして 亦た颼【しゅうりゅう】す

#7

貉謠【はくよう】眾く猥款【わいあい】し,巴語 相い咿【いゆう】す

默誓【もくせい】外俗を去り,嘉願 中州に還る。

江生 行 既に樂み,輦を躬【みずから】して自ら相い戮【あ】わす。

醇を飲んで明代に趣き,腥を味うて荒陬【こうしゅ】を謝す。:〔孟郊。〕 

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

水位の深みを馳せてゆくには、便利にできた楫を鼓する他にはなく、道の険しい所に差し掛かると輕車でさえも辟易するもので、何分にも、その生涯もなく万事願のままにありたいとおもうのである。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

かの屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者には、石をおもりに着けて、水中に沈め、葉、舜の時に逆賊と為したものであるから、弓を開いてこれを射て、これと同じようなものが二度と悪逆を為し得ぬようにしたなら実に愉快であろう。

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

また、路が暗くても、屏翳という、自ら天使を名乗った悪者を取り押さえ、波立ち騒ぎ立つ間に入って、陽侯という水神を殺してしまい、江南の僻處に旅をするとき、朝から晩まで水陸の全てに人に害をするもの根絶するように致したい。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

広大な水の上に、泛んでも煙浪縹緲の中にあり、高い山に登っても、かってに遊賞することができる。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

そういう風にして、外患が蕭々として無くなれば、心の中の憂いも段々と平穏になっていくことだろう

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

その後、衣を振るって朝廷に帰参し、丹階の前にひざまずいて自分の嘉謀を奏上するのである。
德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

そうすれば、君の徳風を以て讒言功勲を事とする末世の風俗を変革し、仁気をもって辺境の兵戈をなくして、再び騒乱を無くするようにすることもできるだろう。

名聲照西海,淑問無時休。

君の名声は、四海を照らすほどに知れ渡り、道徳・人格についてのよい評判というものは日常的に止むことはないのである。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

このようにきっとなるのであって、そうなれば、孟夫子よ、早速この地に帰って来るのである、しかも変えるにあたっては、少しの猶予があってはならないのである。(そのために今回の赴任を心して行かれることである。)〔ここまで#8#9韓愈。〕

 

#8

深きに馳せて利楫【りしゅう】を鼓し,險に趨って蜚輶【ひいう】に驚く。

石を繫いで靳尚【きんしょう】を沈めんとし,弓を開いて鴅吺【かんとう】を射ん

路 暗くして屏翳【へいえい】を【とら】え,波驚いて陽侯を戮す。

廣泛 信に縹緲たり,高行 恣【ほしいまま】に浮游す。

#9

外患 蕭蕭として去り,中悒 稍稍として瘳【い】えん。

衣を振って 雲闕に造り,跪坐して 清猷を陳ぶ。

德風 讒巧を變じ,仁氣 戈矛【かぼう】を銷さん。

名聲 西海を照らし,淑問 時に休む無し。

歸れ哉 孟夫子,歸り去って夷猶する無し。 〔韓愈。〕

 

 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

 

(下し文) #9

外患 蕭蕭として去り,中悒 稍稍として瘳【い】えん。

衣を振って 雲闕に造り,跪坐して 清猷を陳ぶ。

德風 讒巧を變じ,仁氣 戈矛【かぼう】を銷さん。

名聲 西海を照らし,淑問 時に休む無し。

歸れ哉 孟夫子,歸り去って夷猶する無し。 〔韓愈。〕

 

(現代語訳)

そういう風にして、外患が蕭々として無くなれば、心の中の憂いも段々と平穏になっていくことだろう

その後、衣を振るって朝廷に帰参し、丹階の前にひざまずいて自分の嘉謀を奏上するのである。

そうすれば、君の徳風を以て讒言功勲を事とする末世の風俗を変革し、仁気をもって辺境の兵戈をなくして、再び騒乱を無くするようにすることもできるだろう。

君の名声は、四海を照らすほどに知れ渡り、道徳・人格についてのよい評判というものは日常的に止むことはないのである。

このようにきっとなるのであって、そうなれば、孟夫子よ、早速この地に帰って来るのである、しかも変えるにあたっては、少しの猶予があってはならないのである。(そのために今回の赴任を心して行かれることである。)〔ここまで#8#9韓愈。〕

 

 

(訳注) #9

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

そういう風にして、外患が蕭々として無くなれば、心の中の憂いも段々と平穏になっていくことだろう

中悒 心の中の憂い。

 

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

その後、衣を振るって朝廷に帰参し、丹階の前にひざまずいて自分の嘉謀を奏上するのである。

 

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

そうすれば、君の徳風を以て讒言功勲を事とする末世の風俗を変革し、仁気をもって辺境の兵戈をなくして、再び騒乱を無くするようにすることもできるだろう。

讒巧 讒言功勲を事とする末世の風俗。

仁氣 仁義を旨とする施策施政。

 

名聲照西海,淑問無時休。

君の名声は、四海を照らすほどに知れ渡り、道徳・人格についてのよい評判というものは日常的に止むことはないのである。

淑問 道徳・人格についてのよい評判。

 

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

このようにきっとなるのであって、そうなれば、孟夫子よ、早速この地に帰って来るのである、しかも変えるにあたっては、少しの猶予があってはならないのである。(そのために今回の赴任を心して行かれることである。)〔ここまで#8#9韓愈。〕

夷猶 猶予。『楚辞九歌』「君不行兮夷猶、蹇誰留兮中洲。」(君行かずして夷猶す。蹇【ああ】、誰か中洲に留まれる。)

韓愈『赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 』「胡為首歸路,旅泊尚夷猶?」(胡為【なんす】れぞ帰路に首【むか】いて、旅泊 尚夷猶【いゆう】する。)

夷猶/猶予。ためらう。ぐずぐずする。王維『汎前陂』「此夜任孤棹、夷猶殊未還。」(此の夜孤棹に任せて、夷猶殊に未だ還らず)という心境にあり、もっといえば、宋玉『九辨』にみられる心境そのものであった。

九辨

悲哉秋之為氣也!

蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,

登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,

寂寥兮收潦而水清,

悽欷兮薄寒之中人,

愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,

廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。

鴈廱廱而南遊兮,鶤雞啁哳而悲鳴。

獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。

時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。

24-8 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1222> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5094韓愈詩-24-8

8 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》かの屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者には、石をおもりに着けて、水中に沈め、葉、舜の時に逆賊と為したものであるから、弓を開いてこれを射て、これと同じようなものが二度と悪逆を為し得ぬようにしたなら実に愉快であろう。

 
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24-8 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1222 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5094韓愈詩-24-8

 

 

 

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

水位の深みを馳せてゆくには、便利にできた楫を鼓する他にはなく、道の険しい所に差し掛かると輕車でさえも辟易するもので、何分にも、その生涯もなく万事願のままにありたいとおもうのである。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

かの屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者には、石をおもりに着けて、水中に沈め、葉、舜の時に逆賊と為したものであるから、弓を開いてこれを射て、これと同じようなものが二度と悪逆を為し得ぬようにしたなら実に愉快であろう。

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

また、路が暗くても、屏翳という、自ら天使を名乗った悪者を取り押さえ、波立ち騒ぎ立つ間に入って、陽侯という水神を殺してしまい、江南の僻處に旅をするとき、朝から晩まで水陸の全てに人に害をするもの根絶するように致したい。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

広大な水の上に、泛んでも煙浪縹緲の中にあり、高い山に登っても、かってに遊賞することができる。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

 

#8

深きに馳せて利楫【りしゅう】を鼓し,險に趨って蜚輶【ひいう】に驚く。

石を繫いで靳尚【きんしょう】を沈めんとし,弓を開いて鴅吺【かんとう】を射ん

路 暗くして屏翳【へいえい】を【とら】え,波驚いて陽侯を戮す。

廣泛 信に縹緲たり,高行 恣【ほしいまま】に浮游す。

#9

外患 蕭蕭として去り,中悒 稍稍として瘳【い】えん。

衣を振って 雲闕に造り,跪坐して 清猷を陳ぶ。

德風 讒巧を變じ,仁氣 戈矛【かぼう】を銷さん。

名聲 西海を照らし,淑問 時に休む無し。

歸れ哉 孟夫子,歸り去って夷猶する無し。 〔韓愈。〕

 

douteikoshoko297 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) #8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

 

(下し文) #8

深きに馳せて利楫【りしゅう】を鼓し,險に趨って蜚輶【ひいう】に驚く。

石を繫いで靳尚【きんしょう】を沈めんとし,弓を開いて鴅吺【かんとう】を射ん

路 暗くして屏翳【へいえい】を【とら】え,波驚いて陽侯を戮す。

廣泛 信に縹緲たり,高行 恣【ほしいまま】に浮游す。

 

(現代語訳)

水位の深みを馳せてゆくには、便利にできた楫を鼓する他にはなく、道の険しい所に差し掛かると輕車でさえも辟易するもので、何分にも、その生涯もなく万事願のままにありたいとおもうのである。

かの屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者には、石をおもりに着けて、水中に沈め、葉、舜の時に逆賊と為したものであるから、弓を開いてこれを射て、これと同じようなものが二度と悪逆を為し得ぬようにしたなら実に愉快であろう。

また、路が暗くても、屏翳という、自ら天使を名乗った悪者を取り押さえ、波立ち騒ぎ立つ間に入って、陽侯という水神を殺してしまい、江南の僻處に旅をするとき、朝から晩まで水陸の全てに人に害をするもの根絶するように致したい。

広大な水の上に、泛んでも煙浪縹緲の中にあり、高い山に登っても、かってに遊賞することができる。

函谷関002 

(訳注) #8

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

水位の深みを馳せてゆくには、便利にできた楫を鼓する他にはなく、道の険しい所に差し掛かると輕車でさえも辟易するもので、何分にも、その生涯もなく万事願いのままにありたいとおもうのである。

蜚輶 ・羽を左右に広げるの意。虫などが羽を開いて飛ぶこと、または、そのような虫。 意義[編集]. 空を飛ぶ。飛と同義。・輶:輕車。又音由

 

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

かの屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者には、石をおもりに着けて、水中に沈め、葉、舜の時に逆賊と為したものであるから、弓を開いてこれを射て、これと同じようなものが二度と悪逆を為し得ぬようにしたなら実に愉快であろう。

靳尚 屈原を讒言した靳尚の様な賊臣の者。上官大夫靳尚は屈原と位を同じくし、その君寵を憎んだ。そこで靳尚は王に讒言して「王が屈平に法令を作らせれば、平は自分の功を誇り、自分でなければ誰もできないと自負しています」と言った。そのため懐王は屈原を遠ざけた。

鴅吺 驩兜(かんとう)または、歡兜・驩頭・鴅吺兜は、古代中国神話に登場する悪神。共工、鯀、三苗とともに並ぶ四罪の一人。堯の時代の悪人とも言われている。

 

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

また、路が暗くても、屏翳という、自ら天使を名乗った悪者を取り押さえ、波立ち騒ぎ立つ間に入って、陽侯という水神を殺してしまい、江南の僻處に旅をするとき、朝から晩まで水陸の全てに人に害をするもの根絶するように致したい。

屏翳 ①古代伝説中の神名。雷神。史記.卷一一七.司馬相如傳:「時若薆薆將混濁兮,召屏翳,誅風伯而刑雨神。」韋昭.注:「屏翳,雷神也。」雲神。楚辭.九歌.雲中君.王逸.注:「雲神,豐隆也,一曰:『屏翳』。」風神。文選.曹植.洛神賦:「屏翳收風,川后靜波。

陽侯 傳中の水神。能く風を興し浪を作す,災害を造成す。『淮南子・覽冥』「武王伐紂し,孟津を渡る,陽侯の波,逆流して擊す。」

 

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

広大な水の上に、泛んでも煙浪縹緲の中にあり、高い山に登っても、かってに遊賞することができる。

縹緲 とおくかすかなさま。はるかにひろい。緲【さ】 =紗。かすか。
汜水関などの地図 

24-7 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1221> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5089

《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》#7そんなことで行き、まじりけがなく,濃くのある酒を飲み、聖明の時代に対してもてはやされることであるが、このような蛮族の生臭い食事を味わうようなことはご容赦願いたいものと願っているところである。

 
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24-7 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1221 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5089

韓愈詩-24-7

 

 

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

しかし、江南は瘴癘の地で、決して永住すべきところではなく、魂魄の離散するのを弔ってあげるのに誰が楚辞の「楚些」のうたを作るのであろうか。そういう人もいないので、死後において、賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

自分たちもまた、屈原のように、自らその明を掩うてしまえば、人を諭すどころではなく、魂が一たび幽暗のなかに秘められたなら、それでおしまいであり、その上何を求めるということもできないのである。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

當春忽淒涼,不枯亦颼

その地は気候の激変する常としており、春にあたって、忽ち凄涼の様相となり満願の草木、未だに枯れてはいない中に、風は颼の響きを成している。

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

貉族の歌は何やら頻りに悲しむことが多く集まったようで、巴国の言葉は、その場所場所において違っていて、どれが正しいのかわからないのである。

默誓去外俗,嘉願還中州。

自分は黙然として、心に誓い、ここの地方の風俗に同化されることなく、そうして、この国の中心に帰りたいと願うことを喜びとしているのである。

江生行既樂,躬輦自相戮。

その時、長江に春水が生じたならば、舟で旅を進めるのが楽しいものだし、何も自分で力を合わせて輦車をおしていくことはないのである。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬〔孟郊。〕

そんなことで行き、まじりけがなく,濃くのある酒を飲み、聖明の時代に対してもてはやされることであるが、このような蛮族の生臭い食事を味わうようなことはご容赦願いたいものと願っているところである。〔ここまで#6・#7孟郊〕#6

楚些【そさ】誰が弔いを待たん,賈辭 恨を緘みて投ず。

明を翳【かざ】して曉【さと】す可からず,祕魂【ひこん】安んぞ求むる所あらん。

氣は放逐の域に毒し,蓼は芳菲の疇に雜わる。

春に當って忽ち淒涼し,枯れずして 亦た颼【しゅうりゅう】す

#7

貉謠【はくよう】眾く猥款【わいあい】し,巴語 相い咿【いゆう】す

默誓【もくせい】外俗を去り,嘉願 中州に還る。

江生 行 既に樂み,輦を躬【みずから】して自ら相い戮【あ】わす。

醇を飲んで明代に趣き,腥を味うて荒陬【こうしゅ】を謝す。:〔孟郊。〕

 

云亭 

『遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕』 現代語訳と訳註解説

(本文) #7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬。〔孟郊。〕

 

(下し文)

貉謠【はくよう】眾く猥款【わいあい】し,巴語 相い咿【いゆう】す。

默誓【もくせい】外俗を去り,嘉願 中州に還る。

江生 行 既に樂み,輦を躬【みずから】して自ら相い戮【あ】わす。

醇を飲んで明代に趣き,腥を味うて荒陬【こうしゅ】を謝す。:〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

貉族の歌は何やら頻りに悲しむことが多く集まったようで、巴国の言葉は、その場所場所において違っていて、どれが正しいのかわからないのである。

自分は黙然として、心に誓い、ここの地方の風俗に同化されることなく、そうして、この国の中心に帰りたいと願うことを喜びとしているのである。

その時、長江に春水が生じたならば、舟で旅を進めるのが楽しいものだし、何も自分で力を合わせて輦車をおしていくことはないのである。

そんなことで行き、まじりけがなく,濃くのある酒を飲み、聖明の時代に対してもてはやされることであるが、このような蛮族の生臭い食事を味わうようなことはご容赦願いたいものと願っているところである。〔ここまで#6・#7孟郊〕

 

唐時代 韓愈関連05三峡 巫山十二峰001 

(訳注) #7

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

貉謠眾猥款,巴語相咿

貉族の歌は何やら頻りに悲しむことが多く集まったようで、巴国の言葉は、その場所場所において違っていて、どれが正しいのかわからないのである。

貉謠 貉族の歌。貉族とは北方族,中国文明の最早者であると傳えられ,貉,又た貊をされた,あるいはまた、濊貉と称せられた。

巴語相咿 巴国の言葉は、その相応した場所において違っていて、どれが正しいのかわからないのである。

 

默誓去外俗,嘉願還中州。

自分は黙然として、心に誓い、ここの地方の風俗に同化されることなく、そうして、この国の中心に帰りたいと願うことを喜びとしているのである。

 

江生行既樂,躬輦自相戮。

その時、長江に春水が生じたならば、舟で旅を進めるのが楽しいものだし、何も自分で力を合わせて輦車をおしていくことはないのである。

躬輦自相戮 何も自分で力を合わせて輦車をおしていくことはないのである。

戮 1 切り殺す。「殺戮・誅戮(ちゅうりく)2 力を合わせる。「戮力」

 

飲醇趣明代,味腥謝荒陬。 〔孟郊。〕

そんなことで行き、まじりけがなく,濃くのある酒を飲み、聖明の時代に対してもてはやされることであるが、このような蛮族の生臭い食事を味わうようなことはご容赦願いたいものと願っているところである。〔ここまで#6・#7孟郊〕

 まじりけがなく,こくのある酒。

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どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩-24-6

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

〔孟郊〕:#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔 【孟郊。】

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。〔ここまで孟郊〕

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

〔韓愈〕:#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。〔ここまで韓愈〕

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

憤濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻を涉り,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

魑魅魍魎の類いは、しばしば出没し、蛟龍はたがいに巻き付きあっている。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

そこには舜と禹の古跡があって、これらの聖王が昌言を拝したことを思い出し、自分で一身を修めたいと思っていて、やがて、また、帆を上げて、呉楚の地を過ぎて、北歸することもあるであろうと、ただそれを頼みとする。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

賢者である屈原が身を投じたところを過ぎれば竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔い、また、長江の渺茫たるを見て、筏に乗って、遠き昔の聖人の後を追いかけようと思うのである。

飄然天外步,豈肯區中囚。 〔韓愈。〕

このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕

魍魅【もうみ】暫く出沒し,蛟螭【こうち】互いに蟠蟉【はんりゅう】す。

昌言 舜禹を拜し,舉颿【きょはん】斗牛を凌ぐ。

糈【しょ】を懷いて賢屈に饋【おく】り,桴【いかだに】乘じて聖丘を追う。

飄然として天外に步し,豈に肯えて區中に囚われん。 〔韓愈。〕

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

しかし、江南は瘴癘の地で、決して永住すべきところではなく、魂魄の離散するのを弔ってあげるのに誰が楚辞の「楚些」のうたを作るのであろうか。そういう人もいないので、死後において、賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

自分たちもまた、屈原のように、自らその明を掩うてしまえば、人を諭すどころではなく、魂が一たび幽暗のなかに秘められたなら、それでおしまいであり、その上何を求めるということもできないのである。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

當春忽淒涼,不枯亦颼

その地は気候の激変する常としており、春にあたって、忽ち凄涼の様相となり満願の草木、未だに枯れてはいない中に、風は颼の響きを成している。

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬。〔孟郊。〕

#6

楚些【そさ】誰が弔いを待たん,賈辭 恨を緘みて投ず。

明を翳【かざ】して曉【さと】す可からず,祕魂【ひこん】安んぞ求むる所あらん。

氣は放逐の域に毒し,蓼は芳菲の疇に雜わる。

春に當って忽ち淒涼し,枯れずして 亦た颼【しゅうりゅう】す

#7

貉謠【はくよう】眾く猥款【わいあい】し,巴語 相い咿【いゆう】す

默誓【もくせい】外俗を去り,嘉願 中州に還る。

江生 行 既に樂み,輦を躬【みずから】して自ら相い戮【あ】わす。

醇を飲んで明代に趣き,腥を味うて荒陬【こうしゅ】を謝す。:〔孟郊。〕

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

 

函谷関002 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) 〔孟郊〕

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

 

(下し文) #6

楚些【そさ】誰が弔いを待たん,賈辭 恨を緘みて投ず。

明を翳【かざ】して曉【さと】す可からず,祕魂【ひこん】安んぞ求むる所あらん。

氣は放逐の域に毒し,蓼は芳菲の疇に雜わる。

春に當って忽ち淒涼し,枯れずして 亦た颼【しゅうりゅう】す。

 

(現代語訳)

しかし、江南は瘴癘の地で、決して永住すべきところではなく、魂魄の離散するのを弔ってあげるのに誰が楚辞の「楚些」のうたを作るのであろうか。そういう人もいないので、死後において、賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

自分たちもまた、屈原のように、自らその明を掩うてしまえば、人を諭すどころではなく、魂が一たび幽暗のなかに秘められたなら、それでおしまいであり、その上何を求めるということもできないのである。

どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

その地は気候の激変する常としており、春にあたって、忽ち凄涼の様相となり満願の草木、未だに枯れてはいない中に、風は颼の響きを成している。

汜水関などの地図 

 

(訳注) #6

〔孟郊。〕;

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

しかし、江南は瘴癘の地で、決して永住すべきところではなく、魂魄の離散するのを弔ってあげるのに誰が楚辞の「楚些」のうたを作るのであろうか。そういう人もいないので、死後において、賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

楚些待誰弔 些:量詞1(不定の数量を示し)幾つか,幾らか,少し、2.楚辞招魂において、語気を強める女詞として使われている。ここは宋玉が屈原が、罪なくして放遂されたことを悲しみ、その魂魄、離散しないことを懼れ、詞を作ったのが招瑰である。

賈辭緘恨投 賈誼が屈原を弔ったように恨みを竹簡に包みこんでくれたところで、何の役にも立たない。

 

翳明弗可曉,祕魂安所求。

自分たちもまた、屈原のように、自らその明を掩うてしまえば、人を諭すどころではなく、魂が一たび幽暗のなかに秘められたなら、それでおしまいであり、その上何を求めるということもできないのである。

 

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

どうせ放逐された人の行く区域であるから、瘴癘の毒気が蔓延していて、蛮人の群がる中でに、自分が一人行くのは、蓼が、芳しい花畑の中交じっているように思われて、無論他人扱いされるに相違ないのである。

氣毒 瘴癘の毒気が蔓延していること。

 

當春忽淒涼,不枯亦颼

その地は気候の激変する常としており、春にあたって、忽ち凄涼の様相となり満願の草木、未だに枯れてはいない中に、風は颼の響きを成している。

 ①象聲詞。風聲。也單用作「颼」。②象聲詞。雨聲。③寒冷;清涼。也單用作「颼」。2. 方言。風吹(使變乾或變冷)

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《遠遊聯句》#5 このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕

 
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24-5 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1219 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5079

 

韓愈詩-24-5

作年:798年貞元14年 31

卷別:    卷七九一              文體:    五言古詩

詩題:    遠遊聯句【韓愈、李、孟郊】

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

〔孟郊〕:#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔 【孟郊。】

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。〔ここまで孟郊〕

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

〔韓愈〕:#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。〔ここまで韓愈〕

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

憤濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻を涉り,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

魑魅魍魎の類いは、しばしば出没し、蛟龍はたがいに巻き付きあっている。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

そこには舜と禹の古跡があって、これらの聖王が昌言を拝したことを思い出し、自分で一身を修めたいと思っていて、やがて、また、帆を上げて、呉楚の地を過ぎて、北歸することもあるであろうと、ただそれを頼みとする。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

賢者である屈原が身を投じたところを過ぎれば竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔い、また、長江の渺茫たるを見て、筏に乗って、遠き昔の聖人の後を追いかけようと思うのである。

飄然天外步,豈肯區中囚。 〔韓愈。〕

このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕

魍魅【もうみ】暫く出沒し,蛟螭【こうち】互いに蟠蟉【はんりゅう】す。

昌言 舜禹を拜し,舉颿【きょはん】斗牛を凌ぐ。

糈【しょ】を懷いて賢屈に饋【おく】り,桴【いかだに】乘じて聖丘を追う。

飄然として天外に步し,豈に肯えて區中に囚われん。 〔韓愈。〕

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬。〔孟郊。〕

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。 〔韓愈。〕

 

 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) 〔韓愈〕#5

〔韓愈。〕:

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚。 〔韓愈。〕

 

(下し文) #5

魍魅【もうみ】暫く出沒し,蛟螭【こうち】互いに蟠蟉【はんりゅう】す。

昌言 舜禹を拜し,舉颿【きょはん】斗牛を凌ぐ。

糈【しょ】を懷いて賢屈に饋【おく】り,桴【いかだに】乘じて聖丘を追う。

飄然として天外に步し,豈に肯えて區中に囚われん。 〔韓愈。〕

 

(現代語訳)

魑魅魍魎の類いは、しばしば出没し、蛟龍はたがいに巻き付きあっている。

そこには舜と禹の古跡があって、これらの聖王が昌言を拝したことを思い出し、自分で一身を修めたいと思っていて、やがて、また、帆を上げて、呉楚の地を過ぎて、北歸することもあるであろうと、ただそれを頼みとする。

賢者である屈原が身を投じたところを過ぎれば竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔い、また、長江の渺茫たるを見て、筏に乗って、遠き昔の聖人の後を追いかけようと思うのである。

このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕

韓愈の地図0055 

 

(訳注) #5

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔韓愈。〕:

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

魑魅魍魎の類いは、しばしば出没し、蛟龍はたがいに巻き付きあっている。

魍魅 魑魅魍魎:山の怪物や川の怪物。様々な化け物、妖怪変化。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪であり、一般には山河すべての怪として魑魅魍魎の名で用いられることが多い。

蛟螭 みずち【蛟・虬・虯・螭】〔古くは「みつち」。「み」は水,「つ」は格助詞,「ち」は霊。水霊・水神の意〕 古代人が恐れた想像上の動物。水中にすみ,蛇に似た形をし,角・四肢をもち,毒気を吐いて人を害するという,一種の竜。

蟠蟉 劉や蛇がどくろを巻くこや、絡み合い巻き付くこと。

 

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

そこには舜と禹の古跡があって、これらの聖王が昌言を拝したことを思い出し、自分で一身を修めたいと思っていて、やがて、また、帆を上げて、呉楚の地を過ぎて、北歸することもあるであろうと、ただそれを頼みとする。

昌言 道理にかなった良い言葉。善言。中国,後漢末の学者仲長統の著書。昌言とは正言,直言の意味で,古今の政治,経済,社会を論じ,時世の退廃を嘆じた書。 34編十余万言あったといわれるが,現在はその逸文がわずかに伝えられている。

舜禹 古代中国の理想的君主の3人組。尭から舜へ、また舜から禹へ、有徳の人へ帝王から 、禅譲で政権が譲渡されたことで有名。

舉颿 ①馬が疾風の如く砂塵巻き上げ走ること。②帆を上げて風に吹れて船が進みゆくこと。

斗牛 二十八宿の斗宿と牛宿。斗は射手座の一部,牛は山羊座の一部で,ともに南方の天にある。

 

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

賢者である屈原が身を投じたところを過ぎれば竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔い、また、長江の渺茫たるを見て、筏に乗って、遠き昔の聖人の後を追いかけようと思うのである。

 シトギ神前に供える餅の名。別名粢。この場合、屈原の投身に対する、竹筒に容れたコメを水中に投じてこれを弔うものである。

賢屈 賢者である屈原。

乘桴 論語「道不行,乘桴浮于海,從我者其由與。子路聞之喜。」(子曰く、道行なわれず、桴に乗て海に浮ばん。我に従う者は其由なるか。子路、之を聞きて喜こぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取所無し。)孔子が、「乱れた国に居る気はしない。桴に乗って海外にでも行ってみようか。その時わしについて来るのは由かな?」と軽い冗談を云った。これを聞いた子路は真に受けて、どうだい!イザとなればやっぱり俺様の出番だ!とばかりに一人ではしゃいだ。これを見た孔子は、「やれやれ、あいつは本気で行く気だわい。由の勇ましさにはわしも適わんが、ところでお前は桴の材料はどうするんだい?」と云ったので、一行の中から笑いが起こった。

 

飄然天外步,豈肯區中囚。 〔韓愈。〕

このようにして、飄然として、天涯に歩くのは、いささか愉快であって、どうして区中の小人同様、狭い所に跼蹐しておるべきであおう。〔ここまで韓愈。〕
nat0022 

24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1218> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074

《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。


24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1218 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074
韓愈詩-24-4

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

〔孟郊〕:#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔 【孟郊。】

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。〔ここまで孟郊〕

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

〔韓愈〕:#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。〔ここまで韓愈〕

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

憤濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻を涉り,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

三峡 巫山十二峰001 

 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

〔孟郊。〕:

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽。〔孟郊。〕

 

(下し文)

〔孟郊。〕:

怪を觀て 忽ち 蕩漾,奇を叩て 獨り 冥搜。

海鯨 明月を吞み,浪島 大漚を沒す。

我に一寸の鉤有り,千丈の流に釣んと欲す。

良に知る 忽然として遠きを,壯志 鬱として抽くなし。 〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕

 

云亭 

(訳注)

(遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔孟郊。〕:

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

江南は、随所にめずらしいものがたくさんあるから、これを見ては心を蕩漾せしめ、そして、更に冥搜をついやすのである。

蕩漾 ふわふわと泛んでいるさま。

冥搜 ふらふらとさがしあるくさま。

 

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

海中にいる長鯨の目はキラキラとして明月を呑んだかと疑われるほどで、波間に没する島は、泡のようである。

海鯨 海中にいる長鯨の目をいう。

 

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

我々は一寸もある大きい釣針を持っているから、千丈の深い流れに臨んで、釣り糸を垂れようと思うのである。

 

良知忽然遠,壯志鬱無抽。〔孟郊。〕

しかし、この都を離れること既に遠く、さしもの壮心、空しく鬱結して、抽出できないのは誠に残念なのである。〔ここまで孟郊〕
韓愈の地図0055 

 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

韓愈《遠遊聯句》#3 江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1217> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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24-3 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1217 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5069韓愈詩-24-3

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。 【韓愈。】

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

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氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

 

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『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

 

(下し文) #3

靈瑟 時に窅窅たり,猿【いんえん】夜に啾啾たり。

濤  氣 尚お盛んに,恨竹 淚 空しく幽なり。

長懷 【はなは】だ已む無く,多感 良に自ら尤む。

路に即いて獻,歸期 涼秋に眇たり。

兩歡 日に牢落し,孤悲 坐に綢繆す。 【韓愈。】

 

(現代語訳)

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

 

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(訳注) #3

 (遠遊聯句)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

#3 〔韓愈〕:

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

江南には、懐古の情を催す遺跡が数多くあるので、時には湘夫人の霊が弾ずる瑟琴の音色が微かに聞こえてきて、雲間の峡樹に棲んでいる猿はより悲しげに啼くという。

靈瑟 楚辞・遠游「使湘靈鼓瑟兮」(湘靈をして瑟を鼓せしめ・・・」湘水の女神に瑟琴を弾かせて(禹の両妃娥皇と女英が九韶の曲をうたった)

猿 は雲が太陽を蔽うことをいう。猿が雲の間にいることをいう。それぐらい渓谷に響き渡ることをいう。楚辞・九辯「忠昭昭而願見兮,然曀而莫達。(忠 昭昭として見わるるを願えども,然く曀【いんえい】して達する莫し。)

 

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

伍子胥の余憤は怒涛となって、その恨みの気風が今なお盛んであるというし、二妃嬪の恨みで染まった班竹には涙の痕が残っている。

 伍子胥【ごししょ】(?~前485 中国,春秋時代の楚の人。名は員(うん)。父と兄が楚の平王に殺されたため呉に奔(はし)り,呉を助けて楚を破り,平王の墓をあばいてその屍(しかばね)に鞭(むち)打った。呉王夫差が越王勾践を会稽山に破ったとき,勾践を殺すよう勧めて退けられ,のち讒言(ざんげん)により自殺。

恨竹 斑湘江の川の神は「湘妃」「湘君」といい、娥皇と女英の二人の女神からなる。娥皇と女英は舜帝の妃であったが、舜が没すると悲しんで川に身を投じ、以後川の神となった。斑竹の表面にある斑紋は、娥皇と女英の涙が落ちた跡が残って斑になったという言い伝えがあり、湘江竹、湘竹、涙竹などの別名がある。

春秋時代から戦国時代にかけてこの地にあった楚の人々は、湘水神を崇めた。楚の人であった屈原にも『湘夫人』という漢詩がある。

楚の地に伝わる湘妃などの神話、桃源郷をはじめとする伝説、およびこの地を流浪した屈原の詩により、風光明媚な湘江流域は神話的想像力や詩的想像力をかきたてる土地とみなされるようになっていった。これを背景に、洞庭湖から湘江、瀟水にかけての地域には瀟湘八景という名所が設定され、中国をはじめ東アジアで書画の題材となってきた。

 

長懷無已,多感良自尤。

これらの故事をつぎつぎに思い浮かべていれば、決してやむことなく続くのであるが、本来君は多感であるから、まことに、自分で自分を歎き傷つけてしまうだろう。

 

即路涉獻,歸期眇涼秋。

乃ち、それは、赴任する道中で、まず、新年に遭い、そして、帰る時期としては、清々しい秋であろうが、何年先かわからないのである。

 

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

こうして二人が互いに会って歓激し合うことは、日に日に牢落として、その後寂しくなるのであり、一人悲しい心でいると日々そのことが付きまとってくることだろう。

牢落 おちぶれるさまをいうのだが、孟郊が落ちぶれているというのではない。唐の制度は地方官として良い官僚としての実績を重ねないと高官にはなれないということが前提にある。相手が昇っていくことを強調するための謙遜の語。

杜甫《送樊二十三侍禦赴漢中判官》「居人莽牢落,遊子封迢遞。」(居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。)

この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。

綢繆 1 まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。「未だ陰雨せざるに牖戸を―せしめよと」〈東海散士・佳人之奇遇〉2 むつみあうこと。なれしたしむこと。

24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1216> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

《遠遊聯句》〔孟郊の句〕:自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 
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24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1216 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2

 

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

韓愈の地図0055 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 〔孟郊。〕

 

 (下し文) #2

〔孟郊〕:

楚客 江上に宿せば,夜魂 浪頭に棲む。

曉日 遠岸に生じ,水芳 孤舟を綴る。

村飲 好木に泊し,野蔬 新柔を拾う。

獨り悽悽の別を含んで,中に鬱鬱の愁を結ぶ。

人は舊行の樂を憶い,鳥は新たに得儔をたるを吟ず。 〔孟郊。〕

 

(現代語訳)

〔孟郊の句〕:

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

云亭 

(訳注)

(遠遊聯句)2

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

〔孟郊〕:

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

自分は楚地の客として長江のほとりに宿をとったとすれば、旅人としての寂しい気持ちは、夜の思いは特に強く、長江の波の中に住んでいるかのように思うことだろう。

 

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

やがて、暁の日差しが照らされて長江の遠い対岸から日が昇ってくる。岸の水辺に咲く水草の花は、孤舟に連なって風情を作っている。

水芳 岸の水辺に咲く水草の花。

綴 連なって風情を作っている。

 

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

水辺の村で飲食をしようと舟を都合の良い木を選んで繋いで停泊した。そこでは新しい野菜を採って軟らかく煮こんでいる。

村飲 水辺の村で飲食をする。

 

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

ひとり、悽悽たる離別の愁いを含んでいて、心の中は鬱鬱とした愁いが鬱血してそれを絶えることができない。

 

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。 

人として思うのは、悵然とした昔の行楽での思い出のことであるし、鳥は新たに友を得て、歓んで啼くことだろうと思うところで、旅の有様はおおよそこんなもんだろう。

舊行樂 昔の行楽での思い出のこと。

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《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058 
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24-1 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1212> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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24-1 《遠遊聯句〔韓愈、李、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1212 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5044韓愈詩-24-1

 

 

作年:798年貞元14年 31

卷別:    卷七九一              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻八
詩題:
    遠遊聯句【韓愈、李、孟郊】

作地點:              汴州(河南道 / 汴州 / 汴州)

 

遠遊聯句

別腸車輪轉,一日一萬周。離思春冰泮,瀾漫不可收。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。取之詎灼灼,此去信悠悠。」

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔。」

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。憤濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。即路涉獻歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆。」

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。良知忽然遠,壯志鬱無抽。」

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。飄然天外步,豈肯區中囚。」

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。當春忽淒涼,不枯亦颼

貉謠眾猥款,巴語相咿默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。飲醇趣明代,味腥謝荒陬。」

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。廣泛信縹緲,高行恣浮游。」

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶。」

 

遠遊聯句 #1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

#2

楚客宿江上,夜魂棲浪頭。

曉日生遠岸,水芳綴孤舟。

村飲泊好木,野蔬拾新柔。

獨含悽悽別,中結鬱鬱愁。

人憶舊行樂,鳥吟新得儔【孟郊。】。

#3

靈瑟時窅窅,猿夜啾啾。

濤氣尚盛,恨竹淚空幽。

長懷無已,多感良自尤。

即路涉獻,歸期眇涼秋。

兩歡日牢落,孤悲坐綢繆【韓愈。】。

#4

觀怪忽蕩漾,叩奇獨冥搜。

海鯨吞明月,浪島沒大漚。

我有一寸鉤,欲釣千丈流。

良知忽然遠,壯志鬱無抽【孟郊。】。

#5

魍魅暫出沒,蛟螭互蟠蟉。

昌言拜舜禹,舉颿凌斗牛。

懷糈饋賢屈,乘桴追聖丘。

飄然天外步,豈肯區中囚【韓愈。】。

#6

楚些待誰弔,賈辭緘恨投。

翳明弗可曉,祕魂安所求。

氣毒放逐域,蓼雜芳菲疇。

當春忽淒涼,不枯亦颼

#7

貉謠眾猥款,巴語相咿

默誓去外俗,嘉願還中州。

江生行既樂,躬輦自相戮。

飲醇趣明代,味腥謝荒陬【孟郊。】。

#8

馳深鼓利楫,趨險驚蜚輶。

繫石沈靳尚,開弓射鴅吺

路暗執屏翳,波驚戮陽侯。

廣泛信縹緲,高行恣浮游。

#9

外患蕭蕭去,中悒稍稍瘳。

振衣造雲闕,跪坐陳清猷。

德風變讒巧,仁氣銷戈矛。

名聲照西海,淑問無時休。

歸哉孟夫子,歸去無夷猶【韓愈。】。

 

 

 

 

『遠遊聯句』 現代語訳と訳註解説

(本文)

(遠遊聯句)#1

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

 

 

(下し文)

(遠遊聯句)#1

別腸 車輪轉じ,一日 一萬周。 〔孟郊。〕

離思 春冰泮け,瀾漫 收む可からず。〔韓愈。〕

馳光 忽ち以て迫る,飛轡 誰か能く留めん。〔孟郊。〕

之を取ること詎ぞ灼灼たる,此を去って 信に悠悠たり〔李。〕

 

(現代語訳)

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

 

函谷関002 

(訳注)

(遠遊聯句)#1

(江南に赴任する孟郊と韓愈・李翺の送別の聯句。)

○遠遊 元和三年、孟郊が溧陽尉に任ぜられて、江南に赴任するということで、孟郊20韻を中心にして、韓愈19韻、李翺1韻を聯句とした。孟郊が遠方にしか赴任する所がなく、ふてくされているのを慰めるための聯句ということである。

 

○李翺 貞元14年(798年)に進士となる。元和年間の初めに国子博士に任命され、元和15年(820年)に史館修撰となり考功員外郎と兼任する。後に朗州と廬州刺史へと左遷され、大和元年(826年)に文宗が即位すると入朝して諫議大夫となり、すぐに知制誥に復帰する。大和7年(833年)に潭州刺史、大和9年(835年)から湖南視察使・検校戸部尚書・襄州刺史・山南東道節度使を経て襄陽(または会昌中鎮)に赴任中に没した。諡は文公。     

は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。

327 《韓愈が尊敬と信頼していた人物。韓愈門下の中心人物「李」》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3961 (03/28)

別腸車輪轉,一日一萬周。 〔孟郊。〕

別離に際して、我がはらわたは心と体も離れ車輪のように回転し、それも一日で、一万回転もするほどである。

別腸 別離に際して心と体も離れること。

 

離思春冰泮,瀾漫不可收。 〔韓愈。〕

離愁は、春冰が溶けだして、春水があふれることの様に瀾漫として収拾がつかないほどである。

瀾漫 滴り落ちる。別れ散るさま。乱雑でだらしないさま。色彩の美しいさま。

 

馳光忽以迫,飛轡誰能留。 〔孟郊。〕

日陰は、頻りに馳せていて、暫くすると日はくれてきて、馬を乗り出しても誰も止めることができない。

馳光 光陰矢のごとし。

飛轡 轡を取って飛んでゆく。

 

取之詎灼灼,此去信悠悠。 〔李。〕

ここに、別離を為すことは灼灼として明白であり、ここを去れば、万里の先、悠悠として尽きることが無い。

 

汜水関などの地図 

孟郊

793年貞元九年の作と推定されている。孟郊(751814)は、愈より年長であったが、進士の科に合格したのはあとになってしまった。後年のことになるが、孟郊が官職を得るのに愈が骨を折ってやったこともあり、そんな縁で孟郊は韓門の一人に数えられているが、愈の弟子ではない。「孟詩韓筆」(詩は孟郊で散文は韓愈)という評判をとったほどで、愈もこの人に対しては、あくまでも先輩に対する礼をとることを忘れなかった。
 孟郊が進士の試に合格したのは796年貞元十二年であった。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたものの、「門を出ず」と同じ調子をもっている。 そして翌794年貞元十年に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。

23 《知音者誠希》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1214> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5054韓愈詩-23

韓愈《知音者誠希》(送別に際していう、君のような親友(・知己・恋人)というものは本当にいないものである)

 
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23 《知音者誠希》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1214 Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5054韓愈詩-23

 

 

年:       貞元十四年

寫作時間:           798

寫作年紀:           31

卷別:    卷三四五              文體:    五言

詩題:    知音者誠希【見《外集》、《遺集》。】

 

 

知音者誠希

(送別に際していう、君のような親友(・知己・恋人)というものは本当にいないものである)

知音者誠希,念子不能別。

世に知音のものは誠に稀であって、君のようにわが心の底まで知り抜いているものは、ほかには全くいないから、君を思って、ここに別れを為すことはできない。

行行天未曉,攜酒踏明月。

そこで未だ夜が開けていないうちに君を送り出すこととして、酒を携えて明月の差し込む道を踏みつつ、行き行きて留まるところを知らないというほどなのである。

 

(知音の者は誠に希れなり)

知音の者は誠に希れなり,子を念うて別るる能わず。

行行 天 未だ曉ならず,酒を攜えて明月を踏む。

 

BlogPaint 

『知音者誠希』 現代語訳と訳註解説

(本文)

知音者誠希

知音者誠希,念子不能別。

行行天未曉,攜酒踏明月。

 

 

(下し文)

(知音者誠希)

知音の者は誠に希れなり,子を念うて別るる能わず。

行行 天 未だ曉ならず,酒を攜えて明月を踏む。

 

(現代語訳)

(送別に際していう、君のような親友(・知己・恋人)というものは本当にいないものである)

世に知音のものは誠に稀であって、君のようにわが心の底まで知り抜いているものは、ほかには全くいないから、君を思って、ここに別れを為すことはできない。

そこで未だ夜が開けていないうちに君を送り出すこととして、酒を携えて明月の差し込む道を踏みつつ、行き行きて留まるところを知らないというほどなのである。

終南山06 

 (訳注)

知音者誠希

(送別に際していう、君のような親友(・知己・恋人)というものは本当にいないものである)

送別の詩であるが、詩中起首一句を題に替える。この四句は一気呵成に詠み、前区が熟語のように送別に利用された素晴らしい句である。

知音 《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》

互いによく心を知り合った友。親友。「年来の―」

知り合い。知己。「―を頼る」

恋人となること。また、恋人。なじみの相手。

 

知音者誠希,念子不能別。

世に知音のものは誠に稀であって、君のようにわが心の底まで知り抜いているものは、ほかには全くいないから、君を思って、ここに別れを為すことはできない。

 

行行天未曉,攜酒踏明月。

そこで未だ夜が開けていないうちに君を送り出すこととして、酒を携えて明月の差し込む道を踏みつつ、行き行きて留まるところを知らないというほどなのである。

 

知音について 

『烈子・湯問』

伯牙鼓琴、鍾子期聴之。

方鼓琴而志在太山、鍾子期曰、

「善哉乎、鼓琴。巍巍乎若太山。」

少選之間、而志在流水、鍾子期又曰、

「善哉乎、鼓琴。湯湯乎若流水。」

鍾子期死。伯牙破琴絶絃、終身不復鼓琴。

以為世無足復為鼓琴者。

伯牙 琴を鼓し、鍾子期 之を聴く。

琴を鼓するに方たりて、志太山に在り。鐘子期曰はく、

「善きかな、琴を鼓すること。巍巍乎(ぎぎこ)として太山のごとし」と。

少選の間にして、志 流水に在り。鐘子期又曰はく、

「善きかな、琴を鼓すること。湯湯乎(しゃしゃうこ)として流水のごとし。」と。」

鐘子期死す。伯牙 琴を破り絃を断ち、終身復た琴を鼓せず。

以為(おも)へらく世に復た為に琴を鼓するに足る者無しと。

 

呂氏春秋

鍾子期死。伯牙破琴絶絃、終身不復鼓琴。

以為世無知音為鼓琴者。

鐘子期死す。伯牙 琴を破り絃を断ち、終身復た琴を鼓せず。

以為(おも)へらく世に知音者無しと。

 

文選・古詩

「不愁歌者苦、但傷知音希。」愁えず、歌うものはなやみ、知音の者は誠に希れなるを傷む。,
 

22ー(6) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1213> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5049韓愈詩-22ー(6)

韓愈《與少室李拾遺書》(6) 李渤は、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。

 
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22ー(6) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1213> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5049韓愈詩-22ー(6) 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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與少室李拾遺書

(1)§1

(1)§1

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

十二月某日,愈頓首:

十二月某日、愈頓首して申す。

伏承天恩,詔河南敦拾遺公,

伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。

朝廷之士,引頸東望,

朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。

若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。

目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。

 

十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:

伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に,と。

朝廷の士,頸を引いて東望す,

景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。

 (2)§2-1

方今天子仁聖,小大之事,

ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、

皆出宰相,樂善言如,不得聞。

皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、

自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。

それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。

勤儉之聲,寬大之政,

そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、

幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。

奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。

愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?

私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。

方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,

善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。

大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。

勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。

愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?

 (3)§2-2

加又有非人力而至者,

又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。

年穀熟衍,符貺委至;

年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、

幹紀之奸,不戰而拘累;

法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。

強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。

強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、

其有一事未就正,自視若不成人。

その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。

四海之所環,無一夫甲而兵者。

四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。

若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。

このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。

 

加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。

紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。

強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。

其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。

四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。

此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。

(4)§3

昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。

むかし孔子は、道を行うことができないことを知りながら、これを行おうとしてやまず、その足あとは天下の諸侯の国々に続いていた。

今可為之時,自藏深山,

もし拾遺公が、仕えて政をすることができる時世に、ひとりで深山に隠れ、

牢關而固距,即與仁義者異守矣。

門をしっかりととざし、固く人のさそいをふせいで出ないのは、とりもなおさず、孔子のような仁義を行う者と守る道が違うのである。

想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,

想うに拾遺公が、冠をかぶり帯をしめて、礼服に身を正し、車に乗り、機嫌よく朝廷に来ることを承諾し、

抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,

平素から心にたくわえ積んだ抱負をのべて、天子の立派な徳のとう闕けて手落ちのある所を補い綴るならば、

利加於時,名垂於將來,

その利益はその時世に加わり、その名誉は将来に伝わるであろう。

踴躍悚企,傾刻以冀。

躍り上がって心おそれ爪立ちしながら、暫くのうちに公の来られることをこいねがうのである。

昔は 孔子為す可からざるをりて 之を為して已まず,足跡 諸侯の國に接す。

今 為す可きの時,自ら深山に藏る,

牢關して固く距ぐは,即ち仁義の者と守を異にす。

想うに拾遺公 冠帶して車に就き,惠然として肯て來る,

蓄積する所を抒べ,以って盛德の闕遺有るを補綴せば,

利 時に加わり,名 將來に垂れん,

踴躍して悚企し,傾刻以って冀【こいねが】う。

(5)§4

又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。

また漏れ聞くところでは、朝廷の考えは必ず拾遺公を出仕させようとしているということだ。

使者往,若不許,即河南必繼以行;

使者が拾遺公の所に往って、もし承知されなければ、すぐさま河南府長官が必ず引き継いで行くであろう。

拾遺征君若不至,必加高秩,

拾遺征君がもし朝廷に往かないならば、必ずそれよりも高い官秩を加えて招かれるであろう。

如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。

このようであれば、少禄を辞して多禄に行き、廉目正しく無欲な徳を傷つけて、正しい筋道をそこなうことになる。拾遺公はきっとこういう行いはされないであろう。

善人斯進其類,皆有望於拾遺公,

善人であればこそ善人の同類のものを進め仕官させようとするものであるから、皆拾遺公にこれを望んでいることがあるのである。

拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。

拾遺公がもし起ち上がって仕えることをしないならば、多数の善人たちをして、この善人である公の施しにあずかって進仕することをなくさせるのである。

(5)§4

又た竊に聞く 朝廷の議,必ず拾遺公を起さんとす、と。

使者は往き,若し許さずんば,即ち河南必ず繼いで以て行かん。

拾遺征君 若し至らずんば,必ず高秩を加えん。

是の如くんば則ち少を辭し多に就き,廉に傷って 義に害あり,拾遺公 必ず為さざるなり。

善人 斯に其の類を進むれば,皆 於拾遺公に望むこと有り。

拾遺公 儻に起つを為さずんば,是に 眾 善人をして斯の人に施に與【あずか】らざなり。

(6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

人庶不盡被惠利,其害不為細。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

幸甚!愈再拜。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

拾遺公に由って 而して 天子にして不盡く得良臣をず,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈 再拜す。

函谷関002 

 

『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (6)§5

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈再拜。

 

(下し文)  (6)§5

拾遺公に由って 而して 天子にして不盡く得良臣をず,君子不盡得顯位,

人庶不盡被惠利,其害不為細。

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

幸甚!愈 再拜す。

 

(現代語訳)

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注)   (6)§5

與少室李拾遺書

(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)

○李渤 (773831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。

○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。

汜水関などの地図 

由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,

拾遺公の進退によって、天子をしてことごとく良臣を得させず、君子成徳の人をしてことごとく世に顕れる立派な位を得させないのである。

 

人庶不盡被惠利,其害不為細。

一般人民たちはというと、ことごとくその恵みと利益を被らせないことになれば、その害は小さいことにはならないのである。

○不為細 小さいとはしない。小さなものではない。

 

必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。

必ずつまびらかにこれを察して遠い影響を思って、為すことができない状況にあって、それでも為そうとした、孔子の道に務めて合わせようと望まれるだろうとおもう。

○審察 つまびらかに察する。察は見にくいことを明らかにする。

 

幸甚!愈再拜。

甚だ幸せなことである。わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

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