中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2014年12月

30-(4) §2-1 《讀巻05-05 畫記 -(4)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1272> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5344

韓愈(4) §2-1 《讀巻05-05 畫記 -(4)》 速足で行くもの、走るもの、服や物を載せて引くもの、狐や免を載せているものなどがあり、およそ馬の動作は二十七態、馬の数は大小八十三、しかも同じものは無いのである。

 
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韓愈詩-30-(4) §2-1

 

 

4.§2--1

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、

馬の大きなものが九匹、馬の車で、また、たけの高いもの、低いもの、歩いているもの、輓いているもの、

涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、

水を渡るもの、陸にあがっていくもの、体を持ち上げようとする者、ふり返っているもの、鳴くもの、横になっているもの、動いているもの、立っているもの、

人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、

人のように後脚で立つもの、草をかむもの、水を飲むもの、小便をするもの、坂をのぼるもの、降りるもの、痺いので樹に体をこすりつけるもの、

噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、

息を吐くもの、嗅いでいるもの、喜んでたわむれるもの、怒って互いに蹴り、噛み合うもの、秣を食うもの、人が乗るもの、

驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,

速足で行くもの、走るもの、服や物を載せて引くもの、狐や免を載せているものなどがあり、およそ馬の動作は二十七態、

為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

馬の数は大小八十三、しかも同じものは無いのである。

5. -2

牛大小十一頭,橐駝三頭,驢如橐駝之數而加其一焉,

隼一,犬羊狐兔麋鹿共三十;旃車三兩,

雜兵器弓矢旌旗刀劍矛楯弓服矢房甲冑之屬,

缾盂簦笠筐筥錡釜飲食服用之器,

壺矢博奕之具,二百五十有一;皆曲極其妙。

 

4.§2--1

馬の大なる者が九匹,馬の中に於いて又た有上なる者、下なる者、行く者、牽く者、涉る者、陸【あが】れる者、翹【つまだ】つ者、顧る者、鳴く者、寢る者、訛【うご】く者、立つ者、人立する者,齕【か】む者、飲む者、溲【しょう】する者、陟【もぼ】る者、降る者、痒ゆくして樹に磨する者、噓する者、嗅ぐ者、喜んで相い戲むるる者、怒って相い踶齧【ていげつ】する者、秣【まぐさか】う者、騎る者、驟【か】くる者、走しる者、服物を載する者、狐兔【こと】を載する者,凡そ馬の事,二十有七,馬為ること大小,八十有三,而して同じき者有る莫し。

5. -2

牛大小十一頭,橐駝【たくだ】三頭,驢 橐駝の數の如くにして其の一を加う,隼一,犬羊狐兔麋鹿共に三十。

旃車【せんしゃ】三兩,雜兵器 弓矢 旌旗 刀劍 矛楯 弓服 矢房 甲冑の屬,缾盂【へいう】簦笠 筐筥【きょうきょ】錡釜 飲食服用の器,壺矢 博奕の具,二百五十有一。

皆 曲【つぶ】さに其の妙を極む。

 

 

6.§3-1

貞元甲戌年,余在京師甚無事,同居有獨孤生申叔者,始得其畫而與余彈棊,余幸勝而獲焉,意甚惜之,以為非一工人之所能運思,蓋藂集眾工人之所長耳,雖百金不願易也。

7.-2

明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。座有趙侍御者,君子人也,見之戚然若有感然。少而進曰:「噫!余之手摸也。亡之且二十年矣,余少時常有志乎茲事,得國本,絕人事而摸得之,遊閩中而喪焉。

 

8.-3

居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

 

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

 

 

『畫記』 現代語訳と訳註解説

(本文)

4.§2--1

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、

涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、

人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、

噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、

驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,

為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

 

(下し文)

 

 

 

(現代語訳)

馬の大きなものが九匹、馬の車で、また、たけの高いもの、低いもの、歩いているもの、輓いているもの、

水を渡るもの、陸にあがっていくもの、体を持ち上げようとする者、ふり返っているもの、鳴くもの、横になっているもの、動いているもの、立っているもの、

人のように後脚で立つもの、草をかむもの、水を飲むもの、小便をするもの、坂をのぼるもの、降りるもの、痺いので樹に体をこすりつけるもの、

息を吐くもの、嗅いでいるもの、喜んでたわむれるもの、怒って互いに蹴り、噛み合うもの、秣を食うもの、人が乗るもの、

速足で行くもの、走るもの、服や物を載せて引くもの、狐や免を載せているものなどがあり、およそ馬の動作は二十七態、

馬の数は大小八十三、しかも同じものは無いのである。

 

(訳注) 

〈畫記〉4.§2--1

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

時に韓愈は年28歳(795年貞元11年 )であった。画中の人や物をいちいち数え上げて描写した筆法には韓文の俳諧味が既に見える。

795年貞元11年は三度博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬長安に戻る。

この詩文の画記は克明に人馬の状、雑物の数を挙げて記し、この画に代わる、文字による画としているのは、極めて特異な作品である。特に百二十三人と、馬八十三頭、その他二百五十一の物を記録して、自らの記憶の便にしたことも、韓愈のこの画に対する愛情の深さを物語るものであろう。ただ愛玩の絵画の記であるから、その発想表現は自ら諧謔、滑椿の趣向が生まれるのが、中国詩文の通例である。特にこの文では馬の描写に精彩がある。杜甫はじめ多くの詩人が画馬の詩に傑作を残したのを、韓愈は散文において試みたと見ることもできる。
 

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、

馬の大きなものが九匹、馬の車で、また、たけの高いもの、低いもの、歩いているもの、輓いているもの、

 

涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、

水を渡るもの、陸にあがっていくもの、体を持ち上げようとする者、ふり返っているもの、鳴くもの、横になっているもの、動いているもの、立っているもの、

○陸 陸にあがる。

○翹 身を持ち上げてつまだつ。

○訛 動く。吪に同じ。

 

人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、

人のように後脚で立つもの、草をかむもの、水を飲むもの、小便をするもの、坂をのぼるもの、降りるもの、痺いので樹に体をこすりつけるもの、

○齕 かむ。まぐさを食うこと。

○溲 小便をする。

 

噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、

息を吐くもの、嗅いでいるもの、喜んでたわむれるもの、怒って互いに蹴り、噛み合うもの、秣を食うもの、人が乗るもの、

○嘘 うそぶく。息を吐く。

○踶 蹴る。

○齧 かむ。かじる。

 

驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,

速足で行くもの、走るもの、服や物を載せて引くもの、狐や免を載せているものなどがあり、およそ馬の動作は二十七態、

○驟 はしる。速く歩く。

○載服物 身の廻りのものを串に載せて引く。

○狐兔 狐と兎、狩りの獲物。

 

為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

馬の数は大小八十三、しかも同じものは無いのである。

 

30-(3) §1-3 《讀巻05-05 畫記 -(3)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1271> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5339

韓愈《讀巻05-05 畫記 -(3)》(3) §1-3 子供のたわむれ遊ぶ者が九人いて、凡そ何かをしている大人の人間様子は三十二様である。人間は百二十三人で、同じ者がいないのである。

 

 
 2014年12月29日の紀頌之5つのブログ 
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韓愈詩-30-(3) §1-3

 

 

 

〈畫記〉

(1)§1

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

雜古今人物小畫共一卷。

古今の人や物を雑えた小さな画、合わせて一巻を手に入れた。

騎而立者五人,騎而被甲戴兵立者十人,

その画には馬に乗って立っている者五人、馬上に鎧を着て武器を車に載せて立っている者十人、

一人騎執大旗前立,騎而被甲載兵行且下牽者十人,

一人は馬に乗り大旗を持って前に立ち、馬に乗り鎧を着て武器を載せて歩き、そのうえ馬を降りて牽いて行く者が十人いる。

騎且負者二人,騎執器者二人,

そして馬に乗り荷物を背負う者二人、馬に乗り器物を手に持つ者二人。

騎擁田犬者一人,騎而牽者二人,

馬に乗り猟犬を抱いている者一人、馬に乗り馬を引く者二人。

 

<!--[if !supportLists]-->(2)    <!--[endif]-->#2

騎而驅者三人,執羈靮立者二人,

馬に乗り、駆ける者が三人。馬のおもがいや、たづなを手に持って立っている者が二人いる。

騎而下倚馬臂隼而立者一人,騎而驅涉者二人,

馬から降りて、馬に寄りかかり、はやぶさを背に止まらせて立っている者が一人、馬に乗って水を駆り渡る者が二人いる。

徒而驅牧者二人,坐而指使者一人,

徒歩で馬を駆けさせ、芻【まぐさ】をやる者が二人、坐って指し図をする者が一人いる。

甲冑手弓矢鈇鉞植者七人,甲冑執幟植者十人,

鎧かぶとをつけて弓矢を手にし、斧まさかりを突き立てている者が七人、甲胃を着けて幟を手にして立てている者が十人いる。

負者七人,偃寢休者二人,甲冑坐睡者一人,

物を背負う者七人、横に寝て休んでいる者二人、甲胃をつけて居ねむりする竺人、

方涉者一人,坐而脫足者一人,寒附火者一人,

水を捗っている者が一人、腰かけて履物をぬいでいる者が一人、寒くて火の傍にいる者が一人いる。

(3)#3

雜執器物役者八人,奉壺矢者一人,

舍而具食者十有一人,挹且注者四人,

牛牽者二人,驢驅者四人,一人杖而負者,

婦人以孺子載而可見者六人,載而上下者三人,

孺子戲者九人,凡人之事三十有二,

為人大小百二十有三,而莫有同者焉。

 

古今の人物を雜ふる小畫共に一巻。

騎して立つ者五人、騎して甲を被り兵を載せて立つ者十人。

一人は騎して大旗を執って前に立つ。騎して甲を被り、兵を載せて行き且つ下り牽く者十人、

騎して負う者二人、騎して器を執る者二人、

騎して田犬を擁する者一人、騎して牽く者二人、

#2

騎して驅る者三人,羈靮【きてき】を執りて立つ者二人,

騎して下り馬に倚り隼【じゅん】を臂にして立つ者一人,騎して驅涉【くしょう】する者二人,

徒して驅牧する者二人,坐して指使する者一人,

甲冑して弓矢をに手して鈇鉞【ふえつ】植つる者七人,甲冑して幟を執り植つる者十人,

負う者七人,偃寢して休う者二人,甲冑して坐睡する者一人,

方に涉る者一人,坐して足を脫する者一人,寒えて火に附く者一人,

#3

器物を雜え執て役する者八人,壺矢【こし】を奉ぐる者一人,

舍して食を具える者十有一人,挹【ゆう】して且つ注ぐ者四人,

牛牽く者二人,驢 驅る者四人,一人は杖つきて負う者なり。

婦人 以孺子をて載せて見る可き者六人,載せて上下する者三人,

孺子 戲むるる者九人,凡そ人の事三十有二,

人為る大小百二十有三,而して同じき者有る莫し。

 

4.§2--1

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

 -2

牛大小十一頭,橐駝三頭,驢如橐駝之數而加其一焉,隼一,犬羊狐兔麋鹿共三十;旃車三兩,雜兵器弓矢旌旗刀劍矛楯弓服矢房甲冑之屬,缾盂簦笠筐筥錡釜飲食服用之器,壺矢博奕之具,二百五十有一;皆曲極其妙。

 

 

§3-1

貞元甲戌年,余在京師甚無事,同居有獨孤生申叔者,始得其畫而與余彈棊,余幸勝而獲焉,意甚惜之,以為非一工人之所能運思,蓋藂集眾工人之所長耳,雖百金不願易也。

-2

明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。座有趙侍御者,君子人也,見之戚然若有感然。少而進曰:「噫!余之手摸也。亡之且二十年矣,余少時常有志乎茲事,得國本,絕人事而摸得之,遊閩中而喪焉。居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

 

-3

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

 

 

 

『畫記』 現代語訳と訳註解説

(本文)(3)#3

雜執器物役者八人,奉壺矢者一人,

舍而具食者十有一人,挹且注者四人,

牛牽者二人,驢驅者四人,一人杖而負者,

婦人以孺子載而可見者六人,載而上下者三人,

孺子戲者九人,凡人之事三十有二,

為人大小百二十有三,而莫有同者焉。

 

(下し文)#3

器物を雜え執て役する者八人,壺矢【こし】を奉ぐる者一人,

舍して食を具える者十有一人,挹【ゆう】して且つ注ぐ者四人,

牛牽く者二人,驢 驅る者四人,一人は杖つきて負う者なり。

婦人 以孺子をて載せて見る可き者六人,載せて上下する者三人,

孺子 戲むるる者九人,凡そ人の事三十有二,

人為る大小百二十有三,而して同じき者有る莫し。

 

(現代語訳)

器物をさまざまに持って働いている者が八人、投げ矢の壷と矢をささげている者が一人みえる。

小屋の中で食事の仕度をしている者が十一人、水を汲んで注いでいる者が四人いる。

牛を牽く者が二人、駿馬を駆る者が四人、-人杖をつき背負っている者がいる。

女の子供を引きつれ車に載せて見ることのできる者が六人、車に載せるのに上り下りする者が三人いる。

子供のたわむれ遊ぶ者が九人いて、凡そ何かをしている大人の人間様子は三十二様である。

人間は百二十三人で、同じ者がいないのである。

 

(訳注) (3)#3

〈畫記〉(3)§1-#3

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

時に韓愈は年28歳(795年貞元11年 )であった。画中の人や物をいちいち数え上げて描写した筆法には韓文の俳諧味が既に見える。

795年貞元11年は三度博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬長安に戻る。

 

雜執器物役者八人,奉壺矢者一人,

器物をさまざまに持って働いている者が八人、投げ矢の壷と矢をささげている者が一人みえる。

○壷矢 投げ矢の壷とその矢。矢を壺に投げ入れて勝負をする遊戯の道具。『春秋左氏伝』にも見える非常に古いゲームである。『礼記』および『大戴礼記』に投壺篇があり、投壺の儀礼、壺と矢の寸法、席から壺までの距離などを細かく規定している。

 

舍而具食者十有一人,挹且注者四人,

小屋の中で食事の仕度をしている者が十一人、水を汲んで注いでいる者が四人いる。

○舎 小屋に入る。

○具食 食事の準備をする。

○注 水を汲む。挹は取る。

 

牛牽者二人,驢驅者四人,一人杖而負者,

牛を牽く者が二人、駿馬を駆る者が四人、-人杖をつき背負っている者がいる。

 

婦人以孺子載而可見者六人,載而上下者三人,

女の子供を引きつれ車に載せて見ることのできる者が六人、車に載せるのに上り下りする者が三人いる。

○以孺子 子供を連れて。以はいてと読み、率いての意。

 

孺子戲者九人,凡人之事三十有二,

子供のたわむれ遊ぶ者が九人いて、凡そ何かをしている大人の人間様子は三十二様である。

○人之事 人の仕事、行為。

 

為人大小百二十有三,而莫有同者焉。

人間は百二十三人で、同じ者がいないのである。

○為人 人間。人であるもの

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韓愈(2) §1-2 《讀巻05-05 畫記 -(2)》 馬から降りて、馬に寄りかかり、はやぶさを背に止まらせて立っている者が一人、馬に乗って水を駆り渡る者が二人いる。徒歩で馬を駆けさせ、芻【まぐさ】をやる者が二人、坐って指し図をする者が一人いる。

 
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韓愈詩-30-(2) §1-2

 

 

 

〈畫記〉

(1)§1

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

雜古今人物小畫共一卷。

古今の人や物を雑えた小さな画、合わせて一巻を手に入れた。

騎而立者五人,騎而被甲戴兵立者十人,

その画には馬に乗って立っている者五人、馬上に鎧を着て武器を車に載せて立っている者十人、

一人騎執大旗前立,騎而被甲載兵行且下牽者十人,

一人は馬に乗り大旗を持って前に立ち、馬に乗り鎧を着て武器を載せて歩き、そのうえ馬を降りて牽いて行く者が十人いる。

騎且負者二人,騎執器者二人,

そして馬に乗り荷物を背負う者二人、馬に乗り器物を手に持つ者二人。

騎擁田犬者一人,騎而牽者二人,

馬に乗り猟犬を抱いている者一人、馬に乗り馬を引く者二人。

 

<!--[if !supportLists]-->(2)    <!--[endif]-->#2

騎而驅者三人,執羈靮立者二人,

馬に乗り、駆ける者が三人。馬のおもがいや、たづなを手に持って立っている者が二人いる。

騎而下倚馬臂隼而立者一人,騎而驅涉者二人,

馬から降りて、馬に寄りかかり、はやぶさを背に止まらせて立っている者が一人、馬に乗って水を駆り渡る者が二人いる。

徒而驅牧者二人,坐而指使者一人,

徒歩で馬を駆けさせ、芻【まぐさ】をやる者が二人、坐って指し図をする者が一人いる。

甲冑手弓矢鈇鉞植者七人,甲冑執幟植者十人,

鎧かぶとをつけて弓矢を手にし、斧まさかりを突き立てている者が七人、甲胃を着けて幟を手にして立てている者が十人いる。

負者七人,偃寢休者二人,甲冑坐睡者一人,

物を背負う者七人、横に寝て休んでいる者二人、甲胃をつけて居ねむりする竺人、

方涉者一人,坐而脫足者一人,寒附火者一人,

水を捗っている者が一人、腰かけて履物をぬいでいる者が一人、寒くて火の傍にいる者が一人いる。

(3)#3

雜執器物役者八人,奉壺矢者一人,

舍而具食者十有一人,挹且注者四人,

牛牽者二人,驢驅者四人,一人杖而負者,

婦人以孺子載而可見者六人,載而上下者三人,

孺子戲者九人,凡人之事三十有二,

為人大小百二十有三,而莫有同者焉。

 

古今の人物を雜ふる小畫共に一巻。

騎して立つ者五人、騎して甲を被り兵を載せて立つ者十人。

一人は騎して大旗を執って前に立つ。騎して甲を被り、兵を載せて行き且つ下り牽く者十人、

騎して負う者二人、騎して器を執る者二人、

騎して田犬を擁する者一人、騎して牽く者二人、

#2

騎して驅る者三人,羈靮【きてき】を執りて立つ者二人,

騎して下り馬に倚り隼【じゅん】を臂にして立つ者一人,騎して驅涉【くしょう】する者二人,

徒して驅牧する者二人,坐して指使する者一人,

甲冑して弓矢をに手して鈇鉞【ふえつ】植つる者七人,甲冑して幟を執り植つる者十人,

負う者七人,偃寢して休う者二人,甲冑して坐睡する者一人,

方に涉る者一人,坐して足を脫する者一人,寒えて火に附く者一人,

#3

器物を雜え執て役する者八人,壺矢【こし】を奉ぐる者一人,

舍して食を具える者十有一人,挹【ゆう】して且つ注ぐ者四人,

牛牽く者二人,驢 驅る者四人,一人は杖つきて負う者なり。

婦人 以孺子をて載せて見る可き者六人,載せて上下する者三人,

孺子 戲むるる者九人,凡そ人の事三十有二,

人為る大小百二十有三,而して同じき者有る莫し。

 

<!--[if !supportLists]-->(1)  <!--[endif]-->§2--1

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

<!--[if !supportLists]-->(2)  <!--[endif]--> -2

牛大小十一頭,橐駝三頭,驢如橐駝之數而加其一焉,隼一,犬羊狐兔麋鹿共三十;旃車三兩,雜兵器弓矢旌旗刀劍矛楯弓服矢房甲冑之屬,缾盂簦笠筐筥錡釜飲食服用之器,壺矢博奕之具,二百五十有一;皆曲極其妙。

 

 

<!--[if !supportLists]-->(3)  <!--[endif]-->§3-1

貞元甲戌年,余在京師甚無事,同居有獨孤生申叔者,始得其畫而與余彈棊,余幸勝而獲焉,意甚惜之,以為非一工人之所能運思,蓋藂集眾工人之所長耳,雖百金不願易也。

<!--[if !supportLists]-->(4)  <!--[endif]-->-2

明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。座有趙侍御者,君子人也,見之戚然若有感然。少而進曰:「噫!余之手摸也。亡之且二十年矣,余少時常有志乎茲事,得國本,絕人事而摸得之,遊閩中而喪焉。居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

 

(8) -3

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『畫記』 現代語訳と訳註解説

(本文)

<!--[if !supportLists]-->(3)    <!--[endif]-->#2

騎而驅者三人,執羈靮立者二人,

騎而下倚馬臂隼而立者一人,騎而驅涉者二人,

徒而驅牧者二人,坐而指使者一人,

甲冑手弓矢鈇鉞植者七人,甲冑執幟植者十人,

負者七人,偃寢休者二人,甲冑坐睡者一人,

方涉者一人,坐而脫足者一人,寒附火者一人,

 

(下し文) #2

騎して驅る者三人,羈靮【きてき】を執りて立つ者二人,

騎して下り馬に倚り隼【じゅん】を臂にして立つ者一人,騎して驅涉【くしょう】する者二人,

徒して驅牧する者二人,坐して指使する者一人,

甲冑して弓矢をに手して鈇鉞【ふえつ】植つる者七人,甲冑して幟を執り植つる者十人,

負う者七人,偃寢して休う者二人,甲冑して坐睡する者一人,

方に涉る者一人,坐して足を脫する者一人,寒えて火に附く者一人,

 

(現代語訳)

馬に乗り、駆ける者が三人。馬のおもがいや、たづなを手に持って立っている者が二人いる。

馬から降りて、馬に寄りかかり、はやぶさを背に止まらせて立っている者が一人、馬に乗って水を駆り渡る者が二人いる。

徒歩で馬を駆けさせ、芻【まぐさ】をやる者が二人、坐って指し図をする者が一人いる。

鎧かぶとをつけて弓矢を手にし、斧まさかりを突き立てている者が七人、甲胃を着けて幟を手にして立てている者が十人いる。

物を背負う者七人、横に寝て休んでいる者二人、甲胃をつけて居ねむりする竺人、

水を捗っている者が一人、腰かけて履物をぬいでいる者が一人、寒くて火の傍にいる者が一人いる。

 

 (訳注)

〈畫記〉(2)§1-#2

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

時に韓愈は年28歳(795年貞元11年 )であった。画中の人や物をいちいち数え上げて描写した筆法には韓文の俳諧味が既に見える。

795年貞元11年は三度博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬長安に戻る。

 

騎而驅者三人,執羈靮立者二人,

騎して驅る者三人,羈靮【きてき】を執りて立つ者二人,

馬に乗り、駆ける者が三人。馬のおもがいや、たづなを手に持って立っている者が二人いる。

○羈靮 羈は馬頭にまとう革紐、おもがい。馬の行動を束縛する首綱。靮は手綱。

 

騎而下倚馬臂隼而立者一人,騎而驅涉者二人,

騎して下り馬に倚り隼【じゅん】を臂にして立つ者一人,騎して驅涉【くしょう】する者二人,

馬から降りて、馬に寄りかかり、はやぶさを背に止まらせて立っている者が一人、馬に乗って水を駆り渡る者が二人いる。

○臂 ひじにはやぶさを止まらせる。

〇隼 はやぶさ。狩りに使う鷲の類。

 

徒而驅牧者二人,坐而指使者一人,

徒して驅牧する者二人,坐して指使する者一人,

徒歩で馬を駆けさせ、芻【まぐさ】をやる者が二人、坐って指し図をする者が一人いる。

 

甲冑手弓矢鈇鉞植者七人,甲冑執幟植者十人,

甲冑して弓矢をに手して鈇鉞【ふえつ】植つる者七人,甲冑して幟を執り植つる者十人,

鎧かぶとをつけて弓矢を手にし、斧まさかりを突き立てている者が七人、甲胃を着けて幟を手にして立てている者が十人いる。

○鈇鉞 おのとまさかり。武器。

○植 地に立てる。

 

負者七人,偃寢休者二人,甲冑坐睡者一人,

負う者七人,偃寢して休う者二人,甲冑して坐睡する者一人,

物を背負う者七人、横に寝て休んでいる者二人、甲胃をつけて居ねむりする竺人、

 

方涉者一人,坐而脫足者一人,寒附火者一人,

方に涉る者一人,坐して足を脫する者一人,寒えて火に附く者一人,

水を捗っている者が一人、腰かけて履物をぬいでいる者が一人、寒くて火の傍にいる者が一人いる。
函谷関002 

30-(1) §1-1 《讀巻05-05 畫記 -(1)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1269> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5329

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30-(1) §1-1 《讀巻05-05 畫記 -(1)》韓愈(韓退之)ID  795年貞元11年 28歳<1269> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5329

韓愈詩-30-(1) §1-1

 

 

〈畫記〉

(1)   >§1

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

雜古今人物小畫共一卷。

古今の人や物を雑えた小さな画、合わせて一巻を手に入れた。

騎而立者五人,騎而被甲戴兵立者十人,

その画には馬に乗って立っている者五人、馬上に鎧を着て武器を車に載せて立っている者十人、

一人騎執大旗前立,騎而被甲載兵行且下牽者十人,

一人は馬に乗り大旗を持って前に立ち、馬に乗り鎧を着て武器を載せて歩き、そのうえ馬を降りて牽いて行く者が十人いる。

騎且負者二人,騎執器者二人,

そして馬に乗り荷物を背負う者二人、馬に乗り器物を手に持つ者二人。

騎擁田犬者一人,騎而牽者二人,

馬に乗り猟犬を抱いている者一人、馬に乗り馬を引く者二人。

 

<!--[if !supportLists]-->(2)  <!--[endif]-->#2

騎而驅者三人,執羈靮立者二人,

騎而下倚馬臂隼而立者一人,騎而驅涉者二人,

徒而驅牧者二人,坐而指使者一人,

甲冑手弓矢鈇鉞植者七人,甲冑執幟植者十人,

負者七人,偃寢休者二人,甲冑坐睡者一人,

方涉者一人,坐而脫足者一人,寒附火者一人,

<!--[if !supportLists]-->(3) <!--[endif]-->#3

雜執器物役者八人,奉壺矢者一人,

舍而具食者十有一人,挹且注者四人,

牛牽者二人,驢驅者四人,一人杖而負者,

婦人以孺子載而可見者六人,載而上下者三人,

孺子戲者九人,凡人之事三十有二,

為人大小百二十有三,而莫有同者焉。

 

古今の人物を雜ふる小畫共に一巻。

騎して立つ者五人、騎して甲を被り兵を載せて立つ者十人。

一人は騎して大旗を執って前に立つ。騎して甲を被り、兵を載せて行き且つ下り牽く者十人、

騎して負う者二人、騎して器を執る者二人、

騎して田犬を擁する者一人、騎して牽く者二人、

 

<!--[if !supportLists]-->(4)  <!--[endif]-->§2--1

馬大者九匹,於馬之中又有上者、下者、行者、牽者、涉者、陸者、翹者、顧者、鳴者、寢者、訛者、立者、人立者,齕者、飲者、溲者、陟者、降者、痒磨樹者、噓者、嗅者、喜相戲者、怒相踶齧者、秣者、騎者、驟者、走者、載服物者、載狐兔者,凡馬之事,二十有七,為馬大小,八十有三,而莫有同者焉。

<!--[if !supportLists]-->(5)  <!--[endif]--> -2

牛大小十一頭,橐駝三頭,驢如橐駝之數而加其一焉,隼一,犬羊狐兔麋鹿共三十;旃車三兩,雜兵器弓矢旌旗刀劍矛楯弓服矢房甲冑之屬,缾盂簦笠筐筥錡釜飲食服用之器,壺矢博奕之具,二百五十有一;皆曲極其妙。

 

 

<!--[if !supportLists]-->(6)  <!--[endif]-->§3-1

貞元甲戌年,余在京師甚無事,同居有獨孤生申叔者,始得其畫而與余彈棊,余幸勝而獲焉,意甚惜之,以為非一工人之所能運思,蓋藂集眾工人之所長耳,雖百金不願易也。

<!--[if !supportLists]-->(7)  <!--[endif]-->-2

明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。座有趙侍御者,君子人也,見之戚然若有感然。少而進曰:「噫!余之手摸也。亡之且二十年矣,余少時常有志乎茲事,得國本,絕人事而摸得之,遊閩中而喪焉。居閒處獨,時往來余懷也,以其始為之勞而夙好之篤也。今雖遇之,力不能為已,且命工人存其大都焉。」

 

(8) -3

余既甚愛之,又感趙君之事,因以贈之,而記其人物之形狀與數,而時觀之以自釋焉。

 

 洛陽 函谷関002

 

『畫記』 現代語訳と訳註解説

(本文)

〈畫記〉(1)§1

雜古今人物小畫共一卷。

騎而立者五人,騎而被甲戴兵立者十人,

一人騎執大旗前立,騎而被甲載兵行且下牽者十人,

騎且負者二人,騎執器者二人,

騎擁田犬者一人,騎而牽者二人,

 

(下し文)

古今の人物を雜ふる小畫共に一巻。

騎して立つ者五人、騎して甲を被り兵を載せて立つ者十人。

一人は騎して大旗を執って前に立つ。騎して甲を被り、兵を載せて行き且つ下り牽く者十人、

騎して負う者二人、騎して器を執る者二人、

騎して田犬を擁する者一人、騎して牽く者二人、

 

(現代語訳)

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

古今の人や物を雑えた小さな画、合わせて一巻を手に入れた。

その画には馬に乗って立っている者五人、馬上に鎧を着て武器を車に載せて立っている者十人、

一人は馬に乗り大旗を持って前に立ち、馬に乗り鎧を着て武器を載せて歩き、そのうえ馬を降りて牽いて行く者が十人いる。

そして馬に乗り荷物を背負う者二人、馬に乗り器物を手に持つ者二人。

馬に乗り猟犬を抱いている者一人、馬に乗り馬を引く者二人。

 

917年 五代十国 

(訳注)

〈畫記〉(1)§1

(韓愈が人から画巻を手に入れて、また他人に記文して贈った画巻の詩文である。画の代わりにこの文を残したいというのである。)

時に韓愈は年28歳(795年貞元11年 )であった。画中の人や物をいちいち数え上げて描写した筆法には韓文の俳諧味が既に見える。

795年貞元11年は三度博学宏詞科を受験して落第、河陽に帰って墓参し、冬長安に戻る。

 

雜古今人物小畫共一卷。

古今の人物を雜ふる小畫共に一巻。

古今の人や物を雑えた小さな画、合わせて一巻を手に入れた。

 

騎而立者五人,騎而被甲戴兵立者十人,

騎して立つ者五人、騎して甲を被り兵を載せて立つ者十人。

その画には馬に乗って立っている者五人、馬上に鎧を着て武器を車に載せて立っている者十人、

 

一人騎執大旗前立,騎而被甲載兵行且下牽者十人,

一人は騎して大旗を執って前に立つ。騎して甲を被り、兵を載せて行き且つ下り牽く者十人、

一人は馬に乗り大旗を持って前に立ち、馬に乗り鎧を着て武器を載せて歩き、そのうえ馬を降りて牽いて行く者が十人いる。

 

騎且負者二人,騎執器者二人,

騎して負う者二人、騎して器を執る者二人、

そして馬に乗り荷物を背負う者二人、馬に乗り器物を手に持つ者二人。

 

騎擁田犬者一人,騎而牽者二人,

騎して田犬を擁する者一人、騎して牽く者二人、

馬に乗り猟犬を抱いている者一人、馬に乗り馬を引く者二人。

29-§6-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(14)§6-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1268> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5324

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(14)§6-2》一かどの人物、士というものは、もとより自分を真に知ってくれる人に対して心の中を存分に打ちあけ述べるのである。足下が無けれは、私の常識はずれの勝手なこの言葉を発表のしょうがなかったであろう (韓愈再拝いたす)。


29-§6-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(14)§6-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1268> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5324

韓愈詩-29-§6-2

 

 

 
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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(13)§6-1》これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

 
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韓愈詩-29-§6-1

 

 

§6 -1

方今天下風俗尚有未及於古者。

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

-2

若都不可得,猶將耕於寬間之野,

釣於寂寞之濱,求國家之遺事,

考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮。

誅奸諛於既死,發潛德之幽光。

二者將必有一可。

足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,

又所謂者果誰哉?

再克之刑信如何也?

士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

 

§6 -1

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

-2

若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。

二者將必有一可。

足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,

又所謂者果誰哉?

再克之刑信如何也?

士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

安史の乱当時の勢力図 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (13)- §6 -1

方今天下風俗尚有未及於古者。

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

 

(下し文) §6 -1

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

 

 

(現代語訳)

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

 汜水関などの地図

(訳注) §6 -1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

方今天下風俗尚有未及於古者。

方今 天下の風俗 尚お未だ古えに及ばざる者有り。

只今の天下の風俗は、まだ古代の淳美なのに及ばないところがある。

○天下風俗 儒教文化が、六朝以来頽廃になり、唐朝により一時健全化したが、天子が頽廃であることが天下泰平であるという宦官の考え方が蔓延している。

 

邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。

邊境 尚お有甲を被むり兵を執る者,主上 怡ぶことを得ず,而して宰相 以て憂を為す。

外国との境ではここのところまだ鎧を着て武器を手にして防衛しなければならないので、天子は心安んじてたのしむことができず、宰相はそれを憂いとしている。

被甲執兵 

○被甲執兵 鎧を着て武器を握る。戦線に立つ。国境紛争が常侍ある。

○怡 よろこびたのしむ。

 

仆雖不賢,亦且潛究其得失。

仆 賢ならずと雖も,亦た且つ潛かに其の得失を究む。

僕は徳の賢というほどの者ではないけれど、また、とにかく、いまは、政治の当を得ているか、失敗か、を考え、きわめなければいけない。

 

致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。

之を吾が相に致し,之を吾が君に薦めて,上は卿大夫の位を希い,下は猶お一障を取って之に乘ぜん。

これをわが宰相に申し上げ、これを吾が君に薦めて、その結果、上は卿・大夫の位を希って天下を治め、下は一武夫として城の上の一防壁を取って登り、国のために尽くそうと思うところなのだ。

〇一障 城上の一防壁。 

29-§5-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1266> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5314韓愈詩-29-§5-2

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

 

 
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29-§5-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(12)§5-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1266> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5314韓愈詩-29-§5-2

 

 

§5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

誠足下相勉之意厚也。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

足下謂我必待是而後進者,

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

尤非相悉之辭也。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

仆之玉固未嚐獻。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

 

§5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) (12)-§5-2

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

誠足下相勉之意厚也。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

足下謂我必待是而後進者,

尤非相悉之辭也。

仆之玉固未嚐獻。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

 

 (下し文)

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ

 

(現代語訳)

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

 

 

(訳注) (12)-§5-2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖兩刖足不為病,且無使勍者再克。

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。且つ使者をして再び克たしむること無れと。

卞和氏が二度も足を斬られても患いと思わなかったように、二度の失敗ぐらいは忍ばねはならないというもので、また強力な敵をして再び勝たせてはならねと思っておられる。

〇兩刖足 二度肢きりの刑にされた。両足を失った。韓愈が二度落第したことを喩える。

○勍 音ケィ、強い。

○剋 魁に作るのは俗字、克。

 

誠足下相勉之意厚也。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

誠に足下が私をはげましてくださる心は厚いことである。

 

然仕進者,豈舍此而無門哉?

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

しかし仕官する者には、どうしてこの博学宏辞の科を捨てて、ほかに進む路がないであろうか。

 

足下謂我必待是而後進者,

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

足下は、私に必ずこの試験の及第を待って、その後仕官せよといわれる。

 

尤非相悉之辭也。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

しかも、そのことは、私の心をよく知り悉した者の言葉ではない。

○相悉 相つくす。互いに相手を知りつくす。

 

仆之玉固未嚐獻。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

卞和のように僕の玉は、はじめからお上に献じたことはないのである。

 

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

而して足固より未だ嚐て刖られず。足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

足ももとより、未だ斬られたことはないし、僕の最も大切な操守は、まだ誰にも献げてはいないのであり、これまで二度の失敗を足斬りの刑のような大打撃とは考えていない。足下、私のために痛く心配をしないで頂きたい。

○戚戚 甚だ心配する。戚はうれう。悲しむ。

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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

 
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29-§5-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1265> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5309 
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29-§5-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(11)§5-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1265> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5309韓愈詩-29-§5-1

 

 

§5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

雖兩刖足不為病,且無使者再克。

誠足下相勉之意厚也。

然仕進者,豈舍此而無門哉?

足下謂我必待是而後進者,

尤非相悉之辭也。

仆之玉固未嚐獻。

而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

 

§5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

兩つながら足を刖【らる】と雖も病と為さず。

且つ使者をして再び克たしむること無れと。

誠に足下 相い勉【はげ】ますの意厚きなり。

然れども仕進の者,豈に此れを舍てて門無からんや?

足下 我を必ず是を待って後に進む者と謂えり。

尤も相悉【そうしつ】の辭に非ざるなり。

仆の玉は 固より未だ嚐て獻ぜず。

而して足固より未だ嚐て刖られず。

足下 我が為に戚戚たるを為し無れ。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §5

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

 

(下し文) §5

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。

誠に人を待って後に知らざるなり。

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

 

(現代語訳)

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) §5

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤。

故に凡そ仆の進むに於て汲汲たる者は,其の小しく得れば蓋し以って裘葛を具、窮孤を養わんと欲す。

それ故、僕の進士に応ずるのに休むことなくつとめるのは、それで得る地位が小であれは、たぶん、それでもって冬の皮ごろもや夏の蔦織衣を準備し困っているみなし児を養おうと思うであろう。

○裘葛 冬の皮衣、夏の葛の繊維で織った衣。

 

其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳。

其の大いに得れば 蓋し以って吾の樂しむ所を於人に同じゅうせんと欲すすのみ。

その得た地位が大きい場合には、たぶん、それでもって自分の楽しむ所のことを世の人々と共にしたいと思うだけであろう。

 

其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。

其の他の可否は,自ら計ること已に熟せり。誠に人を待って後に知らざるなり。

その他の可能か否かは、自分で計画したものが、もはや十分に熱しているから、誠に他人から言われるのを待ってはじめて知るのではない。他のさしずを待たないのである。

 

今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,

今 足下 乃ち複た之を玉を獻ずる者に比して,以為【おもえ】らく必ず工人の剖を俟って,然る後に天下に知られん。

今足下は、それなのにまたこれを玉を献じた楚の和氏にたとえて、必ず細工人が荒玉を割って磨くのを待って、はじめて天下に知られるということなのである。

○献玉者 『韓非子』和氏篇にある説話。楚の和氏、即ち卞和が璞を楚の山中で得て、厲王に献じた。王は信ぜず、譎としてその左足を刖にした。武王が即位したので再び献じたが、また譎として右足を斬られた。文王が立った時、卞和氏は荊山のふもとで、璞を抱いて泣いていた。王がこれを問わせると、「私は足を斬られたのを悲しんでいるのではなく、宝石を石といい、貞心ある士を譎といわれるのが悲しい」といった。王がその石を磨かせると果たして玉を得た。そのまま名づけて「和氏の璧」といった。

汜水関などの地図

29-§4-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1264> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5304

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

 
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29-§4-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1264> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5304 
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29-§4-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(10)§4-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1264> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5304
韓愈詩-29-§4-2

 

 

§4-1

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

乃不自進而已耳。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

-2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

然彼五子者,且使生於今之世,

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

 

§4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

-2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

 

『答崔立之書』-(10)§4-2現代語訳と訳註解説 

(本文) -2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

然彼五子者,且使生於今之世,

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

 

(下し文) -2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

(現代語訳)

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

 

 

(訳注) 2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

もし、かの今の試験上手の者と愚かで不明瞭な試験の中で競争させるならば、彼らが落第の辱めを受けるのが、僕には確かにわかっている。

○設 もし。

○善進取 上手に試験に応じて成功する。試験上手。

○蒙昧 愚かで暗い。わけのわからぬ不明瞭な。

 

然彼五子者,且使生於今之世,

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

しかし彼ら五人の古代儒者たちが、仮にもし今の世に生れたとしたら、

 

其道雖不顯於天下,其自負何如哉!

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

彼らの抱いていた道は天下に顕れずとも、自ら頼む心のうちは果たしてどうなることであったろうか。

○自負 自分の力を心だのみにする。

 

肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

かの一斗か一斗二升の小箱のような小度量の人物と、勝敗をつまらない試験官の目にきめられて、それで心配をしたり喜んだりなどすることを承知するであろうか。絶対にそんなことはしないであろう。

○鬥筲 斗は十升、筍は一斗二升の入る竹の器、小さい器、才短く量の浅い人物を形容して斗筲の器という。『論語』子路篇に「斗筲の人、何ぞ算ふるに足らん」とある。

〇一夫 つまらぬ一人の試験官。

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韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(9)§4-1》 誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

 
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29-§4-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(9)§4-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1263> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5299
韓愈詩-29-§4-1

 

 

§4-1

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

乃不自進而已耳。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

-2

設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

 

§4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

-2

設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。

然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,

其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!

肯て夫の鬥筲の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

 

 

『答崔立之書』-(7)§4-1現代語訳と訳註解説 §4-1 (本文)

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

乃不自進而已耳。

 

(下し文) §4-1

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

乃ち自ら進まざるを已のみ。

 

(現代語訳)

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

 

(訳注) §4-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

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夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる五子の儒者の博学とは、どうして今のいうところの博学であろうか。

 

夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?

夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?

かのいわゆる宏詞辞とは、どうして今のいうところの宏詞辞であろうか。今の博学宏辞というのは有名無実、その実体は誠に低級なものである。

 

誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?

誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?

誠に古のすぐれひいでた人物である、屈原・孟輌・司馬遷・司馬相加・揚雄らの仲間のような人々を、この博学宏詞辞科の選試験に進み、応じさせるならば、その試験官である博学者たちが恥ずかしい思いをするのは必定である。

屈原 戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

孟軻 孟子は戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻、字は子輿。亜聖とも称される。孟子の「子」とは先生というほどの意。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。

司馬遷 前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。 姓は司馬。名は遷、字は子長。周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ。太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある。

相如 前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿。名は、もと犬子と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。

揚雄 前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。

 

乃不自進而已耳

乃ち自ら進まざるを已のみ。

すなわち、こんな博学者が試験官であれば、自ら進んで受験しないであろうことは必ずわかり切っている。

 

29-§3-3 《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1262> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5294韓愈詩-29-§3-3

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

 
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29-§3-3 《讀巻03-12 答崔立之書 -(8)§3-3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1262> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5294韓愈詩-29-§3-3

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退因自取所試讀之。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因複求舉,亦無幸焉,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

辟雍00 

『答崔立之書』-(8)§3-3現代語訳と訳註解説 -3

(本文)

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

(下し文)

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

(現代語訳)

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

太白山001 

(訳注) -(8)§3-3

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

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既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

やがて受験をするとなると、成功する所があって欲しいと思った。『書経』にいうところの、過ちを恥じていながら、その間違ったことをするのであった。

○《書》所謂 『書経』説命中篇に謂う所の「過を恥ぢて非を作すこと無かれ」という教えにそむく。

 

因複求舉,亦無幸焉。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

因ってまた挙げられるように求めたけれども、また幸いはなかった。

 

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度。

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

そこでまた自分で疑って思った、試験の答案と、及第した者とは、其の程度が同じくなかったのであろうか、と。

○程度 出来ぐあい。上手・下手の程合い。

 

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

しかし、それを手に入れて観た時には、私もまた甚しくは愧じることなどなかったのである。

 

○無甚愧焉 蕪しくこれに愧じることはない。

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29-§3-2 《讀巻03-12 答崔立之書 -(7)§3-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1261> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5289韓愈詩-29-§3-2

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退因自取所試讀之。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

函谷関002 

 

『答崔立之書』-(7)§3-2現代語訳と訳註解説 -2

(本文)

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

雖不得仕,人或謂之能焉。

退因自取所試讀之。

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

 

(下し文)

-2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

 

(現代語訳)

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

華州から秦州同谷成都00 

 

(訳注)

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

凡そ二度吏部で試験されて、一度はすでに及第したけれども、しかしまたもや中書省で退けられた。

○黜 しりぞけられた。

○中書 中書省の選考官。

 

雖不得仕,人或謂之能焉。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

仕えることはできなかったのではあるけれども、或る人は、これでも才能ある者というのである。

 

退因自取所試讀之。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

退けられた原因をつかもうとし、自分ひとりになって試験されて書いた文書を取って読んでみたのである。

 

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

俳優などが君主に迎合阿諛する文章、辞に似ているので、顔もはずかしくて心も不安に思うこと数ケ月であった。

○俳優者之辞 昔君主の側近に俳優、おどけの役者がいて、君主に媚び喜ばせる言辞を以て仕えていた。君主に迎合阿諛する文章であるから、韓愈はこれを賤しんでいた。

○顏忸怩 顔も赤くなってはじる。
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29-§3-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(6)§3-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1260> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5284

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(6)§3-1》 そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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29-§3-1 《讀巻03-12 答崔立之書 -(6)§3-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1260> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5284韓愈詩-29-§3-1

 

 

§3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

因又詣州府求舉,

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

-2

凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,

雖不得仕,人或謂之能焉。

退因自取所試讀之,

乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。

-3

既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。

因複求舉,亦無幸焉,

乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,

及得觀之,餘亦無甚愧焉。

 

§3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

2

凡そ二たび吏部に試されて,一たび既に之を得られたが,而も又た中書に黜【しりぞ】けらる。

仕えるを得らざると雖も,人は或いは之を能と謂う。

退いて因自ら試みる所を取って 之れを讀む。

乃ち俳優者の辭に類し,顏 忸怩【じくじ】として 心 寧【やす】んぜざる者數月なり。

-3

既已に之を為せば,則ち成就する所有らんと欲し,《書》に所謂【いわゆる】過【あやまち】を恥じて非を作す者なり。

因って複た舉られんことを求めしも,亦た幸いは無からん,

乃ち複た自ら疑って,以為【おもえ】らく試みる所と之れを得る者と,其の程度を同じくせざるか と。

之れを觀るを得るに及んで,餘も亦た甚だしくは愧ずる無し。

 

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『答崔立之書』-(6)§3-1現代語訳と訳註解説

(本文) §3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,

因又詣州府求舉,

 

(下し文) §3-1

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

亦た禮部の類なり,私【ひそか】に其の故を怪み,然れども猶お其の名を樂【ねが】う,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

 

(現代語訳)

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。

 

函谷関002

(訳注) §3-1

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才。

吏部に博學宏詞を以て選ばるる者有りと聞く,人 尤も之を才と謂う。

吏部に博学宏辞の科を以て選ばれるものがあり、人々はこれを才子であるという。

○吏部 官吏の任官昇進などを司る役所でここで採用試験がある。吏部(りぶ)は六部の一つ。後漢のときに吏曹が設置され、尚書常侍曹と改められた。魏晋南北朝時代より吏部と称され、隋唐五代十国では尚書省のもとで六部の首位に置かれた。長官として吏部尚書が、次官として吏部侍郎が2人置かれた。吏部の下には吏部司・司封司・司勛司・考功司が置かれ、文官の任免・評定・異動などの人事を担当した。唐の初期には科挙を主管したが、開元24年(736年)からは礼部が主管した。唐の中期に至り尚書省の権限が他の機関に侵されるようになると、吏部の役人の任免権も低下していった。司列、天官、文部と改称されたこともあるが、やがて吏部に戻された。

○博学宏辞 学問か博く文辞を広く用いる者を選ぶ科目。制挙の一つ。博学宏辞科ともいう。鴻詞とは優れた文章の意。

 

且得美仕,就求其術,或出所試文章。

且つ美仕を得,就いて其の術を求むれば,或いは試みる所の文章を出だす。

また立沢な仕官を得ると聞いて、行ってその方法を尋ねると、或る人が試験した文章を出して見せた。

 

亦禮部之類,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

それもまた礼部の試験と似たものであった。

禮部 六部の1つで、礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙などを司掌した。 祖型は漢代にまで遡り、歴代王朝を通じて整備が進み、一時は祠部と改称された。南北朝北周時開始設立,相當於今日的教育部和外交部。

 

私怪其故,然猶樂其名,

そこで心中で、何故博学宏辞といって尊重するのかを疑わしく思ったけれども、しかしやはりその博学宏辞の名を欲しいと思った。

○其名 博学宏辞の名目。

 

因又詣州府求舉,

因って又た 州府に詣【いた】りて舉げられんことを求む。

困ってまた州の役所に行って挙げられて試験に応じたいと求めた。
玄武門 

《讀巻03-12 答崔立之書 -(5)§2-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1259> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5279

韓愈《答崔立之書 -(5)§2-2》 だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 

 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(5)§2-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1259> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5279 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-16-4奉節-8 《巻15-26 雷 -4》 杜甫index-15 杜甫<879-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5280 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(5)§2-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1259> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5279韓愈詩-33

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

 

§2-1

仆始年十六七時,未知人事。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

然後知仕之不唯為人耳。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之。

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

仆以為可無學而能。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

因詣州縣求舉。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

有司者好惡出於其心。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

四舉而後有成,亦未即得仕。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 

§2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文)§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,

仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。

有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

 

(下し文)§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

(現代語訳)

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

 函谷関002

 

(訳注) §2-2

 

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

都長安に来て、進士に挙げられる老あれば、人々は多くこれを貴ぶのを見るに及んで、僕は誠にこいねがわしく思った。

○楽之 楽は「ねがふ」と読む。欲する。

 

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

就いてその方法を求めたところ、或る人が礼部の試験した賦や詩、論策等を出して、それを示してくれた。

○求其術 仕官の方法を尋ねる。

○礼部 官署名。旧官制の大部の一、礼式、学校、人材登用のことを司る。

○賦詩策 賊は韻文の一種、楚辞、洪代低などの長文の叙事詩。詩は五・七言の詩麓、策は論策、問題についの論文。

 

仆以為可無學而能。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

僕は学ばなくともできると思っていたということである。

 

因詣州縣求舉。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

困って州県の役所に行って進士に挙げられることを求めた。

州縣 州県の役所に行くこと。

 

有司者好惡出於其心。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出づ。

だけど、役人はその心から好き嫌いでもって判定を出すのである。

○有司 役人。

○好悪 好き嫌い。採否の基準が主観的なもので公平でないということ。

 

四舉而後有成,亦未即得仕。

四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

僕は四度挙げられて試験を受けて、はじめて成功したのであるが、それでもまた、すぐには仕えることができなかったのである。

《讀巻03-12 答崔立之書 -(4)§2-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1258> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5274韓愈詩-32

 

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§2-1

仆始年十六七時,未知人事。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

然後知仕之不唯為人耳。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

§2-2

及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之。

就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示。

仆以為可無學而能。

因詣州縣求舉。

有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

 

§2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

§2-2

京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。

就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。

仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。

因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。

有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。

 

辟雍00 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §2-1

仆始年十六七時,未知人事。

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。

 

(下し文) §2-1

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

 

(現代語訳)

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。

 

 

(訳注) §2-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

太白山001 

仆始年十六七時,未知人事。

仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。

僕はやっと年十六、七の時に、まだ世間の事を知らなかった。

○人事 人世の事。人間関係。

 

讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。

聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。

聖人の書を読んで、人が官に仕えるのは皆、人のため、天下のためにするだけで、自分の一身の利益のためではないと思った。

 

及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,

年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

年が二十の時になって、家が貧しくて、衣食をするにも足りないのに苦しんで、親しい人に相談をした。

 

然後知仕之不唯為人耳。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。

そうして後、はじめて官に仕えることはただ世の人のためだけでないことを知った。
詩人李白5x5 

《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

汜水関などの地図 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

(下し文) §1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

(現代語訳)

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

洛陽 函谷関002 

(訳注)§1-3

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

○暁 あきらかに知る。さとる。

○故 ことさらに。わざと。

○発 啓発。蒙を啓(帥)く。啓き導く。

 

不然,何子之不以丈夫期我也?

もしそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

○丈夫 立派な男子。ますらお。

 

不能默默,聊複自明。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264

韓愈《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

 
 2014年12月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠14《菩薩蠻十四首 其十四》溫庭筠66首巻一14-〈14〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5267 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(2)§1-2》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1256> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5264

韓愈詩-30

 

 

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

§1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

§1-2

足下猶複以為可教。

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

貶損道德,乃至手筆以問之,

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

扳援古昔,辭義高遠,

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

華州から秦州同谷成都00汜水関などの地図 

 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文) §1-2

足下猶複以為可教。

貶損道德,乃至手筆以問之,

扳援古昔,辭義高遠,

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

 

(下し文) §1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

 

(現代語訳)

足下はそれでもまだ教えることができると思っておるようだ。

足下の立派な道徳をわざわざ落し損じて、わざわざお手ずから筆を取られて尋ねることまでして下さった。

お手紙では、古代の事を引用して、言葉の意味は高尚深遠であった、

僕を推し進めたり、はげましたりして下さった。足下の旧友に対する在り方はまことに当を得ている。

 

(訳注)§1-2

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之」

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

 

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

それは僕であっても、またもとより足下に望むところであり、他人には決して望まないことであって足下にかぎってのことである。

 

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

それでもやはり足下は僕の心を明らかに知っておられないような所があって、ことさらに私の心を啓発されるのは間違いないのではないだろうか。

○暁 あきらかに知る。さとる。

○故 ことさらに。わざと。

○発 啓発。蒙を啓(帥)く。啓き導く。

 

不然,何子之不以丈夫期我也?

も然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

しそうでなく、私を知っておられるのなら、何故に足下は一人の立派な男子になれと、私に期待されないのか。

○丈夫 立派な男子。ますらお。

 

不能默默,聊複自明。

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

私はだまっていることができずして、いささか、また、自分の心を明らかにしようと思う。

 

29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1255> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259

韓愈《答崔立之書 -(1)§1-1》(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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149-1 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (1)》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<149-1> Ⅰ李白詩1342 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5258 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1255> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-15-5奉節-7 《貽華陽柳少府 -#5》 杜甫index-15 杜甫<878-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5260 
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29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID  798年貞元14年 31歳<1255> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259韓愈詩-29

 

 

答崔立之書 作者:韓愈

 

崔立之、字は斯立。貞元四年の進土、韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。

 

 

§1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,以至辱於再三,君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。足下猶複以為可教,貶損道德,乃至手筆以問之,扳援古昔,辭義高遠,且進且勸,足下之於故舊之道得矣。雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?不然,何子之不以丈夫期我也?不能默默,聊複自明。

 

仆始年十六七時,未知人事,讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。

§2

聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,且得美仕,就求其術,或出所試文章,亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,因又詣州府求舉,凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,雖不得仕,人或謂之能焉。退因自取所試讀之,乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。因複求舉,亦無幸焉,乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,及得觀之,餘亦無甚愧焉。

§3

夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?乃不自進而已耳。設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!

§4

故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤,其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳,其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,雖兩刖足不為病,且無使者再克。誠足下相勉之意厚也,然仕進者,豈舍此而無門哉?足下謂我必待是而後進者,尤非相悉之辭也。仆之玉固未嚐獻,而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

§4

方今天下風俗尚有未及於古者,邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。仆雖不賢,亦且潛究其得失,致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。二者將必有一可。足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,又所謂者果誰哉?再克之刑信如何也?士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。

 

 

 

答崔立之書
§1-1

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

以至辱於再三。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。
§1-2

足下猶複以為可教。

貶損道德,乃至手筆以問之,

扳援古昔,辭義高遠,

且進且勸,足下之於故舊之道得矣。

§1-3

雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。

然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?

不然,何子之不以丈夫期我也?

不能默默,聊複自明。

 

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

§1-2

足下 猶お複た以て教うる可しと為す。

道德を貶損して,乃ち手筆以て之を問うに至る。

古昔を扳援して,辭義 高遠に,且つ進め且つ勸む。

足下の故舊に於けるの道を得たり。

§1-3

仆と雖も 亦た固より吾子に望む,敢えて他人に望まざる者のみ。

然れども尚お相い曉【さと】らざるに似たる者有り,故【ことさら】に餘を發せんと欲するに非らざるか?

然らずんば,何ぞ子の丈夫を以て我に期せざるや?

默默たる能わず,聊か複た自ら明かにするなり。

 

洛陽 函谷関002 

『答崔立之書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

答崔立之書 §1-1

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

以至辱於再三。

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

 

(下し文)

§1-1

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

以て再三に辱めらるるに至る。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

 

(現代語訳)

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

二度、三度と辱めを受けるに至った。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

 

汜水関などの地図 

(訳注)§1-1

答崔立之書

(韓愈が三度吏部の試験に及第せず、立之が書を与えて激励した。それに対する.返書である。試験に合格しなくとも、男子の本質には変化はないことを述べて、不屈の精神を表示した文章である。)

崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。

「答崔立之書」

「贈崔立之評事」

「崔立之評事に贈る」詩に「崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。崖侯の文章は苦だ捷敏」とうたい 「才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。」(才豪に気猛に語言を易しとし、往々にして較蛸に蝮矧を雑ふ)といっているところからすれば、才気にまかせて書きなぐり、できた詩文は玉石混淆だったのであろう。同じ詩に「頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。」(頻に怨句を蒙って棄遺すと刺らる。豈 問官にして敢て推引するあらむ)というのは、崔が現職にあきたらず、有利な職へ転ずるよう推薦してほしいと、しつこくたのみ、話がてきぱきと進まないと「お忘れになったのですか」と嫌味をいうこともあったのであろう。これに対し大学の下級教官では人を推薦できる柄ではない、といっているのである。

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363

贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366 

この詩は『荘子』の著者荘周についての逸話と『荘子内篇第六 大宗師篇』の子輿と子桑についての問答の話に基づいて作られている。

 子輿(しよ)と子桑(しそう)は友だちであった。あるとき,雨が十日も降り続いた。子輿は「多分,子桑は病気だろう」と言った。そこで彼は,食べ物を包んで,子桑に会いに出掛けた。

 戸口にやって来ると,弦楽器の音にまじって,歌っているとも泣いているともつかぬ声が聞こえてきた。その声は「父よ,母よ! これは神の仕業でしょうか,人のせいでしょうか」と。その声は途切れ途切れで,ことばはたどたどしかった。

 子輿は中に入って尋ねた,「どうしてそんな風に歌っているのかね。

 「こんなひどい状態に私を追い込んだのは,いったい誰なんだろうといろいろ考えていたんだ」と子桑は答えた,「父や母は私がみじめになることなど,とても望んではいまい。天はあまねくすべてのものを覆い,地はあまねくすべてのものを支える。天や地が私だけを差別してひどい貧乏に追い込んだのでもあるまい。私を突き落としたのは誰かと見つけようとしたんだが,うまくいかないんだ。結局のところ,運命が私をこのひどい状態に落とし込んだのにちがいないよ

 

斯立足下:仆見險不能止,動不得時,

斯立足下、仆 險を見て止む能わず,動いて時を得ず。

斯立足下、僕にとって仕進の道というものが険阻であるのを見ても止めることができずに、吏部の試験を受けたけれども、動くに適当な時でなかった。

 

顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,

顛頓狼狽して,其の操持する所を失い,困んで變じること知らず。

それで、つまずき倒れ、あわてふためいて、平静を守る精神を失っていて、その平素心を取りもどすこともできず、困しんで道を変更することも知らず、

○顛頓 つまずきたおれる。失敗する

○狼狽 うろたえまごつく。狽は前脚が極めて短くて、歩くとき常に狼の腿に乗るようにしている。狽が狼を失うと動くことができない。故に事が失敗するのを狼狽という(『酉陽雑姐』) つまずくの義がある。

 

以至辱於再三。

以て再三に辱めらるるに至る。

二度、三度と辱めを受けるに至った。

 

君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。

君子小人の憫笑する所,天下の背いて馳する所の者なり。

それは君子も小人も憐れむ顏をしながら笑ったりする所であり、天下中の人が、僕に背を向けて馳け去り、軽侮する所のものである。

憫笑 あわれみ笑う。相手を可哀相に思い見下す笑い方。

28-§4-2 《與衞中行書 -(8)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1254> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5254

韓愈《與衞中行書 -(8)》-§4-2足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

 

 
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28-§4-2 《與衞中行書 -(8)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1254> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5254
韓愈詩-28-§4-2

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下征前世而言之,則知矣;

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

因與人絕,一室之內,有以自娛。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

-§4-1

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§4-2

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

因與人絕,一室之內,有以自娛。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

(下し文)

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

(現代語訳)

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

汜水関などの地図 

 

(訳注) -2

《與衞中行書》-§4-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、衞中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

貧乏住まいは荒れはててさびしく、草木は茂って密である。外出するに馬は勿論、驢馬もない。

荒涼 1.風景などが荒れ果てて、もの寂しいこと。または、そのさま。 2.精神がすさんでいること。または、そのさま。

 

因與人絕,一室之內,有以自娛。

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

それによって人とは交わりが絶え、一室の内で私はひとりわが道を守って自分で楽しみ、慰めているのである。

 

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

足下は、私がまた、この汴州の禍乱をまぬがれたことを喜んでくれるのであれば、当然、心平穏に、安んじて家に居て、ゆっくりと来るべきではないのである。どうか速くお出掛されるよう頼みます。

28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249

韓愈§4-1 《與衞中行書 -(7)》足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

 

 
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28-§4-1 《與衞中行書 -(7)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1253> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5249

韓愈詩-28-§4-1

 

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下征前世而言之,則知矣;

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

-2

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,

因與人絕,一室之內,有以自娛。

足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

-§4-1

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

-2

窮居 荒涼にして,草樹 茂密に,出づるに驢馬無く,

因って人と絕え,一室の內,以って自ら娛しむこと有り。

足下 吾が複た脫禍亂をるるを喜わば,當に安安として居り、遲遲として來るべからざるなり。

 

 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

 

(下し文)-§4-1

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

 

(現代語訳)

足下はいう、「運命の行きづまるか、通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私は、それは道理に合わないだろうことを恐れる。

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

 

 

(訳注)§4-1

《與衞中行書》

論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下曰く:「命の窮通,我れ自り之を為す」と,吾れ恐らくは未だ道に合わざらんことを。

足下はいう、「運命の行きづまるか通ずるかは、自分からこれを招くものである」と。私はそれは道理に合わないだろうことを恐れる。

 

足下征前世而言之,則知矣。

足下 前世に征して之を言わば,則ち知らん。

足下は前世古代の事を証拠としていうならは理解できるであろう。

 

若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

若し道德を以って己が任と為し,窮通の來る,吾が心に接せずと曰わば,則ち可なり。

若したい道徳を以て自己の責任として窮するか通ずるかの運命が来ることは、自分の心にかかわらないというならはよいのである。

28-§3-2 《與衞中行書 -(6)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1252> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5244

韓愈《與衞中行書 -(6)》§3-2自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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28-§3-2 《與衞中行書 -(6)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1252> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5244韓愈詩-28-§3-2

 

 

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

 

 

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

存乎己者,吾將勉之;

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

其所守者,豈不約而易行哉!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

 

§3-2

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

太白山001 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§3

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

(下し文)

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

 

(現代語訳)

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

辟雍00 

(訳注) 《與衞中行書》 -§3-2

論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

賢不肖は己に存り,貴と賤と、禍と福とは天に存し,名聲の善惡は人に存する。

賢不宵など、徳の勝れたことと劣っていることは自分自身の努力にあり、貴と賤と、禍と福とは、天がさだめることにあり、名声の善い悪いは他人がいうことである。

 

存乎己者,吾將勉之;

己に存する者は,吾れ 將に之に勉めんとするなり。

自身のなすべきことがあるのであり、すなわち賢不宵などについては、自分はこれから勉め励もうと思うことをなさねばならないということなのだ。

 

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

天に存し、人に存する者は,吾れ 將に彼に任せて吾が力を用いざらんとするなり。

人の努力をして、それ以上の天運によるものというものがあり、それは、貴賤、禍福というものであり、他人による名声の善し悪しについては、自分こころがけているのは自分でできないことは彼に任せること、即ち天に運を任せ、人の口、名声というものは他人に任せて、自分の力を用いてはいけないと思っている。

 

其所守者,豈不約而易行哉!

其の守る所の者は,豈に約にして行い易からずや!

そう言う考え方で、その心を維持実践することの方が、なんと要領があって行い易いというものではないか。

約而易行 要約されていて行い易い。約は要領を得ている。
文具-峡 

28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239

§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈 君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠9《菩薩蠻十四首 其九》溫庭筠66首巻一9-〈9〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5242 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239


韓愈詩
-28-§3-1

 

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

 

 

 

《與衞中行書》 -§3-1

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§3-1

凡そ禍福 吉凶の來る,我に在らざるに似たり。

惟だ君子は禍を得るを不幸と為す,而て小人は禍を得るを恒と為す。

君子は福を得るを恒と為して,而て小人は福を得るを幸と為す。

其の為す所以て 之を取る有るに似たりを以てなり。

必ず曰く「君子は則ち吉,小人ならば則ち凶」なる者は,不可なり。

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

§3-2

賢不肖存乎己,貴與賤、

禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;

存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,

其所守者,豈不約而易行哉!

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》 現代語訳と訳註解説

(本文) -§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

君子得福為恒,而小人得福為幸:

以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

函谷関002 

(訳注)

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

凡禍福吉凶之來,似不在我。

およそ禍福吉凶の来るのは、論語に言うように自分のせいではないようである。

似不在我 自分の生ではない様であるということ。論語《顔淵篇》「子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天」(子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。

 

惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;

ただ君子だけはわざわいを得るのを不幸と考える。善をなせば福を得るはずであるのに、禍を得るのは不幸と考えてよいわけである。そして小徳の人は、禍を得るのが常である。小人は悪をなすから禍を得るのが常である。

 

君子得福為恒,而小人得福為幸:

君子は福を得るのが常となし、小人は福を得るのを幸いと考える。福を得られぬはずなのに幸いにも福を得たことになる。

 

以其所為似有以取之也。

彼らの為すことが、それを以て結果を取るのにふさわしいからなのである。

 

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

必ず「君子であれば吉で、小人であれは凶である」というのは、よくないのである。

汜水関などの地図 

28-§2-2 《與衞中行書 -(4)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1250> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5234

§2-2 《與衞中行書 -(4)》韓愈 節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

 
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28-§2-2 《與衞中行書 -(4)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1250> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5234

 

 

韓愈詩-28-§2-2

 

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

 

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§2-2 現代語訳と訳註解説

(本文) 《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

 

(下し文) -2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

(現代語訳)

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

 

韓愈の地図0055 

(訳注) 《與衞中行書》-§2-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

しかし貴殿(足下)が私の飲食衣服を視ても、また前と異なることがあるだろうか。

 

然則仆之心,或不為此汲汲也,

それならは、僕の心は、或いは富貴のために汲汲としていないのである。

 

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

私の仕進のことを忘れないのも、またこれから少し自分の志を行おうと思っているからにすぎない。

 

此未易遽言也。

しかしこれはまだ今、そんなに急には言い易くないことである。

遽 にわか。にわかに。急に。 あわてる。おそれる。うろたえる。 【遽しい】あわただしい. 忙しく落ち着かない。せわしい。「遽しく働く」; 重大な事が起こり、人の動きや社会状勢がよく変わる。「遽しい政局」. 「慌ただしい」とも書く。 【遽然】きょぜん. 急なさま。あわてる

28-§2-1 《與衞中行書 -(3)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1249> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5229

§2-1 《與衞中行書 -(3)》韓愈 はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。その後、汴州と徐州の二州で会った。

 

 
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 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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28-§2-1 《與衞中行書 -(3)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1249> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5229韓愈詩-28-§2-1

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

 

《與衞中行書》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

《與衞中行書》-§2-2

足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,

其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

 

-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

-2

足下 吾が飲食 衣服を視るも,亦た異なること有らんや?

然らば則ち仆の心,或は此れが為に汲汲たらざるなり。

其の仕進を忘れざる所の者も,亦た將に小しく其の誌を行わんとするのみ。

此れ未だ遽【にわか】に言い易からざるなり。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

《與衞中行書》-§2-1 現代語訳と訳註解説

(本文) 《與衞中行書》-§2-1

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,

仆皆為之從事,日月有所入,

比之前時,豐約百倍。

 

(下し文)-§2-1

始めて相い識し時,方に甚だ貧にして,於人に衣食す。

其の後 於汴、徐の二州に相見,仆【ぼく】皆 之が從事為り。

日に月に入る所有りて,之を前時に比すれば,豐約 百倍す。

 

(現代語訳)

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

その後、汴州と徐州の二州で会った。

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

 

韓愈の地図0055

》-§2-1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。

 

始相識時,方甚貧,衣食於人。

はじめて衞中行殿(足下)と相い識った時、僕は甚だ貧しくて、人に頼って衣食していた。

 

其後相見於汴、徐二州,

その後、汴州と徐州の二州で会った。

汴州 大部分は河南道で,一部は河北・淮南・山南の3道に分属していた。唐が滅んだのち,五代では後唐が洛陽に都をおいたほかは,みな東方の汴州(べんしゆう)(開封)を都としたのは,そこが平原に位置し,洛陽に比べていっそう水運の便に恵まれていたからであった。宋代になると汴州は汴京(べんけい)開封府といい,北宋一代にわたり全中国の国都として栄えた。…

徐州 徐州は、元来は山東省南東部と江蘇省の長江以北の地域を指した漢代の地方区分の名称であった。古称は彭城(ほうじょう)とも称す。市域内の沛県は劉邦の故郷であるほか、彭城は項羽(項籍)の都となっていた。

 

仆皆為之從事,日月有所入,

僕は、いずれも従事の職となっていた。日々月々に収入があるようになった。

○従事 地方の知事の輔佐官の名。別駕、治中などを皆従事史という。州従事は州で任命する。

 

比之前時,豐約百倍。

これを前の時に比べれば、豊かさとつつましさとが百倍もちがっているのだ。

○豐約 豊は余裕がある。約は貧乏で窮屈である。

28-§1-2 《與衞中行書 -(2)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1248> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5224

韓愈《與衞中行書 -(2)》§1-2 とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。


 
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28-§1-2 《與衞中行書 -(2)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1248> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5224

 

韓愈詩-28-§1-2

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§1-2 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

 

(下し文)#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

 

(現代語訳)

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

 

 

(訳注) §1-2

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。
 

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

お手紙の中で、その一、二私に近く似つかわしいことを択んで、私だけの考えで取り上げれば、友に交わることが忠実で、陰で離反しないということでは、少しはそれに近いようである。

○不反於背面 顔を背(そむ)けた・陰でもそむかない、表裏がない。

 

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

それもまた私の心の好むところであるにすぎず、これを行って怠ることがないということは、まだとても自分ではそのようにできるとは思ってはいないのである。

 

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

 

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

とてもそれには当たらないのである。富や貴い身分を求めて忌まないこと、世を救うことを以て仕事とすることに至っては、皆聖人賢者の事業であって、その智恵は考え謀ることができ、力は堪え得ることを知っているのである。私のような者は、またどうしてこれができるであろうか。

○汲汲 求めてやまない。

○力能任 力がそれに堪えることができる。
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28-§1-1 《與衞中行書 -(1)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1247> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5219

韓愈《與衞中行書 -(1)》(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

 

 
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28-§1-1 《與衞中行書 -(1)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1247> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5219 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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28-§1-1 《與衞中行書 -(1)》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15年 32歳<1247> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5219韓愈詩-28-§1-1

 

 

董晋の寛仁に慣れていた宜武軍の将士が不安を抱いたのは、当然であろう。不安は動揺となり、陸長坂への怒りに変った。晋の遺体を捧じた葬列が汗州の城門を出てから四日の後、ついに将士の反乱が起る。長瀬は怒り狂った兵士たちの手にかかり、むざんな最期をとげた。

その知らせが葬送の一行にとどいたのは、彼らが洛陽の東の催師という町に一泊した夜であった。

このあたりの事実は、事態がいちおう鎮静してから、愈が弟子の張籍に贈った「此の日惜しむに足る可し」と題する五言古詩(韓文二)に詳しい。

 

この時、愈は汴州に妻子を残していた。彼がいつ結婚したのかは明らかでないが、もう長女があった。長男の乗はこの年の生まれだが、詩中に言及するところがないのを見ると、まだ母親の胎内にあったと思われる。妻ももちろんのことだが、まだ乳離れもしていない長女が、戦乱の中でどうしていることか。「騎女 未だ乳を絶たず/これを念うて忘るる能はず、忽ち我が所に在るが如く耳に噂声を聞くが若し」というのが、この時の愈の思いであった。

しかし、そのうちに東から来た旅人があって、情報をもたらした。愈の妻子は無事である。ただ、汗州にいては危険なので、船で脱出し、洛陽とは反対方向、東方の徐州へ落ちのびたという。愈は葬列を洛陽まで送ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と落ちあって、ここに仮の住居を定めたのは、二月も末のことであった。

 

汴州の反乱はほどなく鎮圧されたが、愈はもう、汴州には帰れない。節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。

愈もせっかく得た幕僚の職を失ったが、運のよいことに、徐州に根拠を置く武寧軍節度使の張建封が、どれほどのつきあいがあったのかはわからないけれども、以前から愈を知っていた。汴州から避難して来た愈の一家に住居を与え、どうやら衣食にも困らぬ程度に援助してくれたのは、張建封であった。もっとも、愈の方ではいつまでも仮住居をしてはおられず、建封に甘えてもいられないので、秋になると、徐州を去ろうとした。郷里へ引きあげるつもりだったのかもしれない。その時、建封が愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれた。

 

 

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。#2

其中擇其一二近似者而竊取之,則於交友忠而不反於背麵者,少似近焉。

亦其心之所好耳,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

不敢當,不敢當!

至於汲汲於富貴以救世為事者,皆聖賢之事業,知其智能謀力能任者也。如愈者又焉能之?

-§2

始相識時,方甚貧,衣食於人;

其後相見於汴、徐二州,仆皆為之從事,日月有所入,比之前時,豐約百倍,足下視吾飲食衣服,亦有異乎?

然則仆之心,或不為此汲汲也,其所不忘於仕進者,亦將小行乎其誌耳。

此未易遽言也。

-§3

凡禍福吉凶之來,似不在我。惟君子得禍為不幸,而小人得禍為恒;君子得福為恒,而小人得福為幸:以其所為似有以取之也。

必曰「君子則吉,小人則凶」者,不可也。

賢不肖存乎己,貴與賤、禍與福存乎天,名聲之善惡存乎人。

存乎己者,吾將勉之;存乎天、存乎人者,吾將任彼而不用吾力焉,其所守者,豈不約而易行哉!

-§4

足下曰:「命之窮通,自我為之」,吾恐未合於道。

足下征前世而言之,則知矣;若曰以道德為己任,窮通之來,不接吾心,則可也。

窮居荒涼,草樹茂密,出無驢馬,因與人絕,一室之內,有以自娛。足下喜吾複脫禍亂,不當安安而居、遲遲而來也。

 

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

#2

其の中 其の一二近似なる者を擇んで 竊かに之を取らば,則ち友に交わるには忠にして 背麵に反かざる者に於いて,少しく近きに似たり。

亦た 其の心の好む所のみ。,行之不倦,則未敢自謂能爾也。

敢えて當らず,敢えて當らず!

富貴に汲汲として 世を救うを以って事を為す者に至っては,皆 聖賢の事業,其の智 能く謀り 力 能く任ずるを知る者なり。愈の如き者 又た焉んぞ之を能くせん?

洛陽 函谷関002 

《與衞中行書》-§1 現代語訳と訳註解説

(本文)

《與衞中行書》-§1

大受足下:辱書,為賜甚大,

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

不敢當,不敢當!

 

(下し文)

《衞中行【えいちゅうこう】に與【あた】うる書》-§1

大受足下、書を辱【かたじけな】くす,賜【たまもの】為る甚だ大なり。

然れども稱道する所 過盛たり,豈に所謂【いわゆる】之を誘って 其の是に至らんことを欲するか?

敢えて當らず,敢えて當らず!

 

(現代語訳)

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。

 

(訳注)

《與衞中行書》-§1

(衞中行殿に、少し自分の論と異なるところをしたためた書をお渡しする。)

衛中行、字は大愛、御史中丞畳の子で、貞元九年の進士、初め韓愈が汴州で董晋に従い、徐州で張建封に従ったが、二人の死後は、その軍隊か反乱をおこした。愈は難をまぬがれたので、街中行がこれを喜んで、書を送って賀した。愈は後に、洛院に寓していた時に、この手紙を作って与えた。

衛中行の書に、命の窮通は自分から招いたものというのが、韓愈の考えと合わないので弁じた。

衛中行

【生卒】:?—829

唐、河東の安邑の人,字を大受という。793年、德宗、貞元九年の進士。802年、十八年,東都の留守の韋夏卿の幕府に入る。806年、憲宗元和元年,浙東幕府に在る,同僚と石傘峰に賦詩に游ぶ。元和中に禮部員外郎に歷任し、兵部郎中、中書舍人となる。元和の末 華州刺史より陜虢觀察使に改む。敬宗寶歷二年に,自ら國子祭酒に出て 福建觀察使と為し。次年,貪贓の事 發すに因って,播州に流さる。
 

大受足下:辱書,為賜甚大,

大受足下、御手紙をかたじけなくし、それは非常に大きな賜物として感謝する。

足下 1 足の下。足もと。「―にひれ伏す」2 相手の足もと、あなたのそばの意で、手紙の脇付(わきづけ)に用いる語。「田中太郎様―」[代]二人称の人代名詞。同等、または、それ以下の相手に用いる敬称。貴殿。

 

然所稱道過盛,豈所謂誘之而欲其至於是歟?

しかし称え言われることはあまりにも立沢すぎる。それはなんと、いわゆる誘ってそこまで到達するように望んでおられるのだろうか。

稱道 たたえていう。議論を始める際の常套語。

過盛 立派過ぎる、大げさ。

 

不敢當,不敢當!

それにはとても当たらない。まったくあたらないのである。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

韓愈《此日足可惜贈張籍-17》 そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 

 
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27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17 
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27-#17 《此日足可惜贈張籍-17》韓愈(韓退之)ID  <1246> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5214韓愈詩-27-#17

 


年:799年貞元15年 32歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

 

詩題:  此日足可惜贈張籍【愈時在徐,籍往謁之,辭去,作是詩以送。】

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:        

偃師 (都畿道 河南府 偃師)         

汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁          

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方          

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下河清 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:盟津、孟津    

交遊人物:      

張籍    當地交遊(河南道 徐州 徐州)

孟郊    詩文提及(江南東道 越州 會稽)

張建封  當地交遊(河南道 徐州 徐州)

 

 

此日足可惜贈張籍-1

(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)

此日足可惜,此酒不足嘗。

君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。それに比べればこの酒を味わって飲むということに値打ちがあるというものではなく、それよりも一言でも多く話をして、胸をすっきりしておきたい。

捨酒去相語,共分一日光。

だから酒をおいて、互いに思っていることを語ろうではないか、この一日の光陰を共に長閑に過ごしてこそ値打ちがあるというものだ。

念昔未知子,孟君自南方。

思えば昔、わたしがまだ君を知らなかったときである、そう、孟君(孟郊)が南方に旅行して帰りだといって立ち寄ったときのことである。

自矜有所得,言子有文章。

どうも自慢顏してわたしに対して、自分は人を見る目があるといい、旅行中に張籍という門下生に遭ったが、良い人材であるとし、かれの文章は素晴らしく、文学の才があると胸を張って云ったのだ。

 

(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る) 

此の日惜しむ可きに足る、此の酒嗜むに足らず。

酒を捨てて去(ゆ)いて相語り,共に一日の光を分かたん。

念う昔 未だ子を知らざらしとき,孟君南方自りす。

自ら矜る得る所有り,子が文章有るを言う。 



-2

我名屬相府,欲往不得行。

そのとき私は董晋の幕府に所属し、事務官であり、試験官であった、だから、君の所へわざわざ出かけて行き、遭いに行くこともできず、そういう立場にあったのだ。

思之不可見,百端在中腸。

その人を思っても、会うことが出来ず、そのためさまざまの思いが腹のうちにわだかまっていた。

維時月魄死,冬日朝在房。

しかし、月が陰って光を失うその時季節が変わる、10月12日ごろ、房宿にから長安に旅立つのだ。

驅馳公事退,聞子適及城。

その時は、例の如く、終日公事に奔走して後退庁すると、君がちょうど汴州の町に来ていると耳にした。

我名は相府に屬す,往かんと欲するも行くを得ず。」

之を思えども見るべからず,百端【ひゃくたん】 中腸【ちゅうちょう】に在り。
維【こ】れ 時 月魄【げっぱ】死し,冬日 朝 房に在り。
驅馳【くち】して 公事より退けば,子が適々【たまたま】城に及べりと聞く。

-3

命車載之至,引坐於中堂。

そこで大いに喜んで、車を迎えにやり、命じて君を乗せて我が寓居に来てもらって、案内して奥の客間に座ってもらった。

開懷聽其說,往往副所望。

自分の胸のうちを開いて君の儒学的諸説に耳を傾けたのであるが、私の考えとしばしば合致した点が出て、君の偉さがわかってきたのだ。

孔丘歿已遠,仁義路久荒。

顧みれば、孔子が没してからもはや幾千百年、長い年月がたっている、仁徳・正義の儒者の道は頽廃し、荒蕪に帰して往来さえ難しくなって久しい。

紛紛百家起,詭怪相披猖。

その後、諸子百家が紛然として起こり、正理に合わない奇詭怪異な説を平然と並べ立て、互いに他を合わせようとはせず、儒教の衰退を進めたのである。

車を命じて之を載せて至り、引いて中堂に坐せしむ。 懐(ふところ)を開いて其の説を聴けば、往往にして望む所に副(かな)えり。

懷を開いて 其の說を聽けば,往往 望む所に副う。

孔丘ざん歿して己に遠く、仁義の路久しく荒(すさ)む。

紛粉として百家起こり、詭怪(きかい) 相 披猖(ひしょう)す。

-4

長老守所聞,後生習為常。

仁義を学んできた長老たちはただ聞くところを固守し、独善的に伝統的な説を守っていくだけで、聖人の道を復興しようとしなかったのだ、後世はその説を習うだけを常とし、儒教者は退嬰主義者ということに慣れてしまって、それが当然のことと思うようになっている。

少知誠難得,純粹古已亡。

すこし仁義の道、説を認知している人はなかなか求めがたいもの、まして、純粋な斯道を研究して、天下に大業を成そうというものは昔から絶無で、君が常人と異なる点がこのことなのである。

譬彼植園木,有根易為長。

たとえば、少し離れたあの畑に植えた木のようなもので、根がしっかり張って居れば、それから、枝葉の繁茂するのは造作もないことである。そこで君は、既に根底を得ているから、これから勉強次第で、どんな偉い者にもなれる。

留之不遣去,館置城西旁。

そこで自分は、及ばずながら、君を大成させるべくここに引きとめて去らせることをしないわけで、城郭の西に家を借りて、住まわせたことで、いつも往来して、一緒に学芸を研究したのである。

長老は聞く所を守るも、後生は習いて常と為す。

少くして知るは誠に得難く、純粋なるは古え己に亡し。

彼の園に植うる木に譬うれば、根有るは長きに為り易し。

之を留めて去ら遣(し)めず、館して城の西旁(せいぼう)に置く。

 

5

歲時未云幾,浩浩觀湖江。

それから歳月がいくらもたっていないのに、君の詩文章はかなり進歩し、広々とした湖や大河が広がっているように、際限も知らぬほど大きく成長した。

眾夫指之笑,謂我知不明。

しかし、世人はそういうことを理解していないから、あんな貧乏書生が何ができるかと、指さして笑い、私にいらぬ世話をして人を見る目がないと嘲笑したのだ。

兒童畏雷電,魚鱉驚夜光。

しかし、元来児童というものは、雷電をこわがるものだし、魚やすっぽんが夜光珠に驚くようなもので、深い考えもなければ、真の才能を見分ける目をもっていないのだから、君の人物評価ができるわけがないのだ。 

州家舉進士,選試繆所當。

そのうち、汴州において進士(ここでは科挙を受験する有資格者をさす)を推薦するにあたり、その試験(つまり汴州で施行される予備試験である)を私が誤って試験委員長を抜擢せられた。
-6

馳辭對我策,章句何煒煌。

君は辞賦の筆を馳せて私の問題に答案を書かれたが、その句韻文のすみずみまでなんと素晴らしく光彩陸離として輝いて好成績で及第したのである。

相公朝服立,工席歌〈鹿鳴〉。

そして、長安に送りだすことになり、その送別のために、大宴会が催され、節度使の董晋公は正装して臨場し、楽工師たちはその席に受験者慰労のために「鹿鳴」の古歌をうたい、まことに名誉な事であった。

禮終樂亦闋,相拜送於庭。

かくして、厚くもてなされて饗宴の礼が終わり、音楽もそれに伴って終了した、董晋公以下、役人たちは、拝礼して受験者をその場から送り出した。

之子去須臾,赫赫流盛名。

いまだ、幾ばくの時を過ごしていないうちに、君は都へ去ったが、まもなく、功名・声望など、りっぱな評判が伝わってきて、私は感嘆したのである。

-8

暮宿偃師西,徒展轉在床。

日暮れ方、黄河西岸にある偃師に宿泊したが、寝つかれずに床の上で寝返りをうつばかりで苦しんだ。

夜聞汴州亂,繞壁行徬徨。

そしてその夜中に汁州において、大騒動がおこったということを聞き、あわてて壁をつたって、うろうろと歩きまわったがどうしようもない。

我時留妻子,倉卒不及將。

私はその時、汴州に妻子を残したままにしていた。そもそも突然におこったことなので、つれてくることが間にあわなかったのである。

相見不復期,零落甘所丁。

私が、妻子の姿を見るのがいつの日になることか予想も立ちはしない、そのままだと、妻子が落ちぶれて運命のままになることにまかせるほかはないのである。


#8

暮に偃師の西に宿るも、徒らに展転して床に在るのみ。

夜汴州の乱を聞き、壁を繞って行いて彷徨す。

我 時に妻子を留むるも、倉卒 将【ひき】いるに及ばず。

相見んこと復た期せず、零落 丁【あた】る所に甘んぜん。

-9

驕兒未絕乳,念之不能忘。

成り行きのままに甘や かして育てた娘はまだ乳離れしておらず、ただひとつ、それが気がかりで忘れることができない。

忽如在我所,耳若聞啼聲。

たちまちにして、私のそばにいるような気がして、耳に泣き声が聞こえたような気がした。

中途安得返,一日不可更。

そこで、一遍、たち返って、その模様を詳しく見届けたいが、しかし、途中からどうして引き返すことができよう、おまけに、予定は一日たりとも変更はできないのだ。 

俄有東來說,我家免罹殃。

そのうちに思いがけずも、東の方からの情報が伝わってきて、それによると私の家族は災難にあうのを免れたというので、胸をなでおろし、安心したのだ。

驕兒【きょうじ】 未だ乳を絶たず、之を念うて忘るる能わず。

忽として我が所に在るが如く、耳に啼く声を聞くが若く。

中途にして安くんぞ返るを得ん、一日も更【あらた】む可からず。

俄【にわ】かに東來の説有り、我が家は殃【おう】に罹【かか】るを免る。
 

-10

乘船下汴水,東去趨彭城。

自分は今度の役目を澄ましたら、彭城に行って、張建封の世話になるつもりであるので、一足先に行ってほしいと、船に乗って汴水運河を下っていって、東へ行き彭城にまで避難させたのである。

從喪朝至洛,還走不及停。

それで心配がなくなったので、私は董晋の喪葬をしきたりに則り、翌朝 喪列について洛陽まで行き、その上で、ひと休みするひまもなく彭城へ向かうことにした。

假道經盟津,出入行澗岡。

通行の許可をもらって、道をとって、盟津(孟津に同じ)の渡し場を経由し、今度は、馬に乗って、谿山の間を上り下りしながら、谷や岡を越えて行った。

日西入軍門,羸馬顛且僵。

そして日が西に傾いたころ河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、私の乗馬は疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。


10

船に乗って汴水を下り東に去って彭城に趨【はし】ると。

喪【そう】に従って朝に洛に至り、還走【かんそう】して停(とど)まるに及ばず。

道を仮りて盟津【もうしん】を経、 出入して澗岡【かんこう】を行く。

日西にして軍門を入れば、羸馬【るいば】顛【つまづ】きて且つ僵【たお】る。

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているよ うだった。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。

平明脫身去,決若驚鳧翔。

夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。


11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。 

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。 

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

中流上灘潬,沙水不可詳。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。 

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   

行行二月暮,乃及徐南疆。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。

誰云經艱難,百口無夭殤。

今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。


-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

-15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。

閉門讀書史,窗戶忽已涼。

ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。

日念子來遊,子豈知我情。

そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。


僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。
 

-16

別離未為久,辛苦多所經。

わかれ別離してからまだ日が久しく経っているわけでもないのだが、さまざまの辛苦に出会って、いろいろな経験をかさねてきたことを君に聞いてもらわねばならない。

對食每不飽,共言無倦聽。

それからというもの、毎日食事をとるということは飽きることはない、同じように、二人で話をするということ、いくら聞いてもあきるということがない。

連延三十日,晨坐達五更。

そういうことがあって、幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも早朝から向きあって座ったまま、気が付けば五更になっていて、暁けがたに及ぶまで議論した。 

我友二三子,宦遊在西京。

私の友人としては、外に二、三人の諸君がいて、かれらは長安へ行って役人生活をしている。

東野窺禹穴,李翱觀濤江。

東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。



16

別離 未だ久しと為さざるも、辛苦 経る所多し。

食に対して毎に飽かず、共に言いて聴くに倦むこと無し。

連延たり三十日、晨に坐して五更に達す。

我が友 二三子、宦遊して西京に在り。

東野は禹穴を窺い、李翱は清江を観る。

-17

蕭條千萬里,會合安可逢。

蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
子又捨我去,我懷焉所窮。

そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
男兒不再壯,百歲如風狂。

とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
高爵尚可求,無為守一鄉。

そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
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17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

  
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『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -17

蕭條千萬里,會合安可逢。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

子又捨我去,我懷焉所窮。

男兒不再壯,百歲如風狂。

高爵尚可求,無為守一鄉。

 

(下し文) 17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

 

(現代語訳)

蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。

そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
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(訳注)

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

蕭條千萬里,會合安可逢。
蕭条として千万里を隔てているので、消息を通わすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。

○蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。
  
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
○淮 淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。

○舒舒 ゆっくりしたさま。しずかなさま。

○楚山 淮水流域の山々。ここでは、韓愈の住んでいる徐州の地方の山々。

○叢叢 草木のたくさん集まっているさま。草が群がり生えているさま。
  
子又舍我去,我懷焉所窮。
そういうところへ、つぎに君がまた私を置いて出て行ってしまったら、我が悲しい思いは、なにごとにおいても窮まることはできないくらいだ。
  
男兒不再壯,百歲如風狂。
とはいっても、男子たるもの、元気に働ける壮年の時は二度とないのであるから、我々にとって、人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
○風狂 古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくこと。旋風が一掃するようなこと。人生百年の中で今を考えれば旋風が一掃する位の事だ、だから友人たちのようにせっせと旅行して見聞を広め、廣い交際を求めることが良いことなのだ。
  
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14
そして、君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるひとであるから、一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけない。したがってこの別れも辛いことではあるが、これも君の為であるから、この旅行が上手くいくことを願い次第である。 
○高爵 中央の朝廷での高い地位。

○一鄉 一つの土地に固執すること。若い時は地方の幕府で下働きをし、認められて中央に引き上げられるもの。

27-#16 《此日足可惜贈張籍-16》韓愈(韓退之)ID <1245> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5209韓愈詩-27-#16

韓愈《此日足可惜贈張籍-16》東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。

 
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27-#16

《此日足可惜贈張籍-16》韓愈(韓退之)ID  <1245> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5209韓愈詩-27-#16



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轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

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百里不逢人,角角雄雉鳴。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   

行行二月暮,乃及徐南疆。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。

誰云經艱難,百口無夭殤。

今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。


-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

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僕射南陽公。宅我雎水陽。

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。

閉門讀書史,窗戶忽已涼。

ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。

日念子來遊,子豈知我情。

そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。


僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。
 

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別離未為久,辛苦多所經。

わかれ別離してからまだ日が久しく経っているわけでもないのだが、さまざまの辛苦に出会って、いろいろな経験をかさねてきたことを君に聞いてもらわねばならない。

對食每不飽,共言無倦聽。

それからというもの、毎日食事をとるということは飽きることはない、同じように、二人で話をするということ、いくら聞いてもあきるということがない。

連延三十日,晨坐達五更。

そういうことがあって、幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも早朝から向きあって座ったまま、気が付けば五更になっていて、暁けがたに及ぶまで議論した。 

我友二三子,宦遊在西京。

私の友人としては、外に二、三人の諸君がいて、かれらは長安へ行って役人生活をしている。

東野窺禹穴,李翱觀濤江。

東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。

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16

別離 未だ久しと為さざるも、辛苦 経る所多し。

食に対して毎に飽かず、共に言いて聴くに倦むこと無し。

連延たり三十日、晨に坐して五更に達す。

我が友 二三子、宦遊して西京に在り。

東野は禹穴を窺い、李翱は清江を観る。

-17

蕭條千萬里,會合安可逢。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

子又捨我去,我懷焉所窮。

男兒不再壯,百歲如風狂。

高爵尚可求,無為守一鄉。

17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

Ta唐 長安近郊圖  新02  


『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -16

別離未為久,辛苦多所經。

對食每不飽,共言無倦聽。

連延三十日,晨坐達五更。

我友二三子,宦遊在西京。

東野窺禹穴,李翱觀濤江。


(下し文) 16

別離 未だ久しと為さざるも、辛苦 経る所多し。

食に対して毎に飽かず、共に言いて聴くに倦むこと無し。

連延たり三十日、晨に坐して五更に達す。

我が友 二三子、宦遊して西京に在り。

東野は禹穴を窺い、李翱は清江を観る。


(現代語訳)

わかれ別離してからまだ日が久しく経っているわけでもないのだが、さまざまの辛苦に出会って、いろいろな経験をかさねてきたことを君に聞いてもらわねばならない。
それからというもの、毎日食事をとるということは飽きることはない、同じように、二人で話をするということ、いくら聞いてもあきるということがない。
そういうことがあって、幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも早朝から向きあって座ったまま、気が付けば五更になっていて、暁けがたに及ぶまで議論した。
 
私の友人としては、外に二、三人の諸君がいて、かれらは長安へ行って役人生活をしている。

東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->韓愈の地図0055
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(訳注)16

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。


别離未爲久,辛苦多所經。
わかれ別離してからまだ日が久しく経っているわけでもないのだが、さまざまの辛苦に出会って、いろいろな経験をかさねてきたことを君に聞いてもらわねばならない。
  
對食每不飽,共言無倦聽。
それからというもの、毎日食事をとるということは飽きることはない、同じように、二人で話をするということ、いくら聞いてもあきるということがない。

連延三十日,晨坐達五更。
そういうことがあって、幕府の事務室の中でずっと三十日間もつづけたのだ、しかも早朝から向きあって座ったまま、気が付けば五更になっていて、暁けがたに及ぶまで議論した。 
○五更 五行思想で夜明け前をいう。日が落ちる時から夜明けまでを五等分した時刻をいう。
  
我友二三子,宦游在西京。
私の友人としては、外に二、三人の諸君がいて、かれらは長安へ行って役人生活をしている。

○宦游 1役人になるためあちこち奔走する.用例宦游四方=役人となるためあちこち奔走する.2官吏になって他郷に住む.ここでは李翺、皇甫湜が長安に、孟郊が江南に行っていることを指す。(李賀・王建・賈島なども門下生)


東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
東野(孟郊)は禹穴(浙江省の会稽にある古代の聖天子の禹の遺跡といわれる穴)をのぞきに行き、李翱は浙江の潮(銭塘江の河口 に見られる満潮時に海水が逆流して水位が高くなる現象)を見に行った。
○東野 孟郊

○禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。浙江、会稽地方を遊ぶことをいう。

○李翱 772年 – 841年、798年に進士となる及第。李翱は韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。

○濤江 大潮のとき銭塘江の河口でおこる潮流の遡上現象 銭塘江は浙江とも言い、浙江省の一番長い川である。全長605キロある。源は安徽省の西南、懐玉山脈の主峰六股尖(1629.8メートル)の東にある。幹流は安徽省祁門、歙県などを通って、浙江省に流れ、東へ淳安、建徳を通って、蘭江に合流し、続いて富陽、杭州を通って杭州湾に入る。河口は漏斗型になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

27-#15 《此日足可惜贈張籍-15》韓愈(韓退之)ID <1244> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5204

韓愈《此日足可惜贈張籍》-15 ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。

 
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27-#15 《此日足可惜贈張籍-15》韓愈(韓退之)ID  <1244> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5204韓愈詩-27-#15

 

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。

 

-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   

行行二月暮,乃及徐南疆。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。

誰云經艱難,百口無夭殤。

今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。


-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

-15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。

閉門讀書史,窗戶忽已涼。

ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。

日念子來遊,子豈知我情。

そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。
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<!--[endif]-->

僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。

 

-16

別離未為久,辛苦多所經。

對食每不飽,共言無倦聽。

連延三十日,晨坐達五更。

我友二三子,宦遊在西京。

東野窺禹穴,李翱觀濤江。

-17

蕭條千萬里,會合安可逢。

淮之水舒舒,楚山直叢叢。

子又捨我去,我懷焉所窮。

男兒不再壯,百歲如風狂。

高爵尚可求,無為守一鄉。

16

別離 未だ久しと為さざるも、辛苦 経る所多し。

食に対して毎に飽かず、共に言いて聴くに倦むこと無し。

連延たり三十日、晨に坐して五更に達す。

我が友 二三子、宦遊して西京に在り。

東野は禹穴を窺い、李翱は清江を観る。

 17

蕭條たり千万里、会合 安くんぞ逢う可けん。

涯の水 舒舒たり、楚山 直に 叢叢たり。

子 又た我を捨てて去る、我が懐 篤くにか窮まる所。

男児 再びは壮ならず、百歳 風狂の如し。

高爵 尚お求む可し、一郷を守るを為す無かれ。

洛陽 函谷関002  


『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文)  -15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

閉門讀書史,窗戶忽已涼。

日念子來遊,子豈知我情。

 

(下し文)

僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。

 

(現代語訳)

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。
生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。
そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->函谷関002
<!--[endif]-->

(訳注)

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

僕射南陽公,宅我睢水陽。
僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

徐州にいる武寧軍節度使、僕射の南陽公 張建封の幕府に自分を迎えてくれて、世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居を作って与えてくれた。
○僕射 (ぼくや)中国の官名。尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。

○南陽公 徐州武寧軍節度使 張建封の幕府のこと。

○睢水 彭城の戦い(ぼうじょうのたたかい)は、中国楚漢戦争期の紀元前205年に項羽の楚軍と劉邦の漢連合軍との間の彭城(現在の江蘇省徐州市)で行われた戦い。「睢水の戦い」とも呼ばれる。睢水は陽、南にあるということは、自宅は睢水の北側にあったことになる。
  
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

生活も安定してきたから、衣裳筐のなかに着物が余分な量が用意され、米櫃には余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
○篋 衣装箱。

○盎 米を入れるはち。
  
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

ゆとりを持って生活をして、やがて季節は変わり、その家で集中して歴史書を読書するため、扉をとざしてしてできるようにもなったが、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。清々しい季節になった。
○閉門 門を閉めることと読書で季節の変化を教えてくれる。

○窗戶 窓と戸口。

○涼 諸邂逅の風に使う語である。
  
日念子來游,子豈知我情。」12
日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。

そうして、君が訪ねて来てくれることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか、嬉しいことに君が来遊してくれた。
○日念 日日思い続けること。ここでは張籍のことを思い続けているのである。
汜水関などの地図 

 

27-#14 《此日足可惜贈張籍-14》韓愈(韓退之)ID <1243> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5199韓愈詩-27-#14

韓愈《此日足可惜贈張籍-14》今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。

 
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27-#14 《此日足可惜贈張籍-14》韓愈(韓退之)ID  <1243> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5199韓愈詩-27-#14

 

 

-11

主人顧少留,延入陳壺觴。

卑賤不敢辭,忽忽心如狂。

飲食豈知味,絲竹徒轟轟。

平明脫身去,決若驚鳧翔。

すると幕府の主人である節度使の李範はもうしばらく滞留しなさいといってくれて、私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれて、歓待してくれた。
わたしは、もとより今や仕えるところも何もない卑賎の身分であるから、すこしも遠慮なくごちそうを頂戴したのだが、心に妻子の事が気になってふらふらして狂っているよ うだった。

正直に言うと、飲んだり食べたりしても味などわかるものではなく、宴席の琴や笙の音楽もただうるさいばかりで、面白くなかった。
夜明けを待って、幕府の官舎から身を脱したが、その決意して行動する姿は、ここを思いきりよくマガモの飛び立つようなものだった。
11

主人少【しばら】く留まらんことを願い、延【ひ】き入れて壺觴【こしょう】を陳【つら】ぬ。

卑賤【ひせん】 敢て辞せず、忽忽として心狂えるが如し。

飲食 豈味わいを知らんや、 糸竹 徒【いたず】らに轟轟たるのみ。

平明 身を脱して去る、決として驚鳧【きょうふ】の翔るが若し。

 

-12

黃昏次汜水,欲過無舟航。

號呼久乃至,夜濟十里黃。

中流上灘潬,沙水不可詳。

驚波暗合沓,星宿爭翻芒。

夕方には氾水の岸に到着した、氾水には渡し場があり、そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに就航の船がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく出発できる船が来てくれた、夜のあいだに遙か先の向う岸までが十里もある黄河も川筋を渡らねばならないのだ。

流れの中ほどで中洲を過ぎると早瀬と淵があり、そこを上流に昇り危険な思いをしたが、暗くなって、川の砂も川の水も暗くてはっきりしなくて見分けられない状態なのだ。
くら闇の中で早瀬の流れが集合してぶつかり合い怒涛ははねおこる、それでも、水面に星が映る星座の光が鉾先を翻して閃いたりする。
-12

黄昏 汜水【しすい】に次【やど】り、過ぎんと欲するに舟航無し。

号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済【わた】る 。

中流 灘澤に上るに、沙水 詳らかにす可からず。

驚波 暗くして合沓【ごうとう】たり、星宿 争って空を翻す。

 

-13

轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。

自分たちの車を引く馬も一緒に舟に乗せているが、驚いて跳ね上がり、落ち着かず動く、左右にいる僕童たちはこえをあげて泣くので、大変な苦労であった。

甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。

甲午の日(96年貞元十二年七月二日)、昔の邸の城門である時門に着いて休憩し、『春秋左伝』にあるような竜の戦う姿を見ようと泉の中を覗き込んで、古跡を窺ったのである。

東南出陳許,陂澤平茫茫。

ついで、田舎道辿って東に行き、南に行くと、陳地方の生まれ故郷の許に出てきた、ここら一体平地であり、堤塘池沼が入り混じって 路には草が茫々と広がっている。

道邊草木花,紅紫相低昂。

そうした道はたには草木の花がさき、赤や紫に、あるいは低くあるいは高く咲きみだれている。
-13

轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。

甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺うかがう。

東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。

道辺の草木の花、 紅紫 相い低昂【ていこう】す。



-14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   

行行二月暮,乃及徐南疆。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。

誰云經艱難,百口無夭殤。

今まで、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。
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-14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

-15

僕射南陽公。宅我雎水陽。

篋中有餘衣,盎中有餘糧。

閉門讀書史,窗戶忽已涼。

日念子來遊,子豈知我情。

 

僕射 南陽公、我を雎水の陽に宅せしむ。

篋中に余衣有り、盎中に余糧有り。

門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し。

日に子が来たり 遊はんことを念う、子 豈に我が情を知らんや。

 

洛陽 函谷関002 

『此日足可惜贈張籍』 現代語訳と訳註解説

(本文) -14

百里不逢人,角角雄雉鳴。

行行二月暮,乃及徐南疆。

下馬步堤岸,上船拜吾兄。

誰云經艱難,百口無夭殤。

 

(下し文) -14

百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

 

(現代語訳)

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。  
行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。
そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。
今までは、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。
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春秋戦国勢力図 

(訳注) -14

此日足可惜贈張籍
(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る)
(君と居るのも今日一日で、この日こそ大切にする値うちがあるというものだ。この詩は、張籍に贈る)
病気静養中に門人の張籍が来て、何かと議論をしたが、韓愈は初めからただ聞き方に専念し、可否、反論、結論は全く言わなかったが、張籍の意見を十分いい尽くしたと思えたので、張籍の誤っているところを指摘し、納得させた。その時の詩が《病中贈張十八》であり、韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどした。しかし、何等かの用で楚の地に向かって出発する張籍の去るにあたって、彼はこの詩を贈った。杜甫の《北征》《彭衙行》のイメージをつたえている詩である。

 

百里不逢人,角角雄雉鳴。
百里 人に逢わず、角角【こくこく】として雄雉【ゆうち】鳴く。

しかし、茫茫たる荒野で、百里の道、どこまで行っても人に逢わず、時々、コツコツと雄の雉が鳴き叫ぶのである。   
○雄雉 子を思う親の愛情の深さを表わすとりであって、また「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」といった予知能力まで与えられているが、ここでは人恋しさをあらわすものである。
行行二月暮,乃及徐南疆。
行き行きて 二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。

行っても、行ってもど、こまでも進んでも、二月の末ごろにようやく徐州の南境にたどり着いた。
○行行 道なりに進んでゆくこと。どんどんゆく。

孟浩然《將適天臺,留別臨安李主簿》「泛泛隨波瀾,行行任艫枻。」(泛泛として波瀾に隨い、行行として艫枻【ろえい】に任す。)ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。  

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


下馬步堤岸,上船拜吾兄。
馬より下りて堤岸を歩み、船に上りて吾が兄を拝す。

そこで馬から下りて、堤防の上を歩いてゆくと、そこに渡し場があって、我がいとこが迎えに来ていたので、舟に乗ってから、はじめて丁寧にあいさつをした。
○吾兄 韓愈の実兄たちは、このときにはみな死んでいる。ここに「兄」というのは従兄のこと、あるいは兄弟の契りをしたものをいう。



誰雲經艱難,百口無夭殤。
誰か云わん 艱難を経たりと、百口 夭殤【ようしょう】無し。

今までは、非常に困難な事態を経てきたというのに、一家百口、幼死も無ければ、横死もなく、家族は全員なにごともなかったということ、誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのである。
○百口 家族全員。一族すべて。

○夭殤 若死に。成人(十五歳)までに死ぬこと。夭は幼年でしぬこと、殤は不慮の難に遭って横死すること。
唐時代 韓愈関連05

 

 

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