漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2015年03月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

50-#1 《巻02-03 幽懷-#1   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1347> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719

韓愈《巻02-03 幽懷-#1   (幽懷不能寫)(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)わびしき思いを除きかねて、一人、春江の岸辺を漫歩してゆけば、時あたかものどかな春の日である。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    幽懷

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

幽懷  #1

(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)

幽懷不能寫,行此春江潯。

わびしき思いを除きかねて、一人、春江の岸辺を漫歩してゆけば、時あたかものどかな春の日である。

適與佳節會,士女競光陰。

そこに、士女は絶好の行楽日和ということで、行楽に出かけてきていて、遊ぶのに寸暇を惜しんで忙しくしている。

凝妝耀洲渚,繁吹蕩人心。

彼女らは装いをこらしているから洲渚に耀やくばかりで、そこで盛んに笛を吹き、人の心をとろかすほど艶やかな雰囲気である。

#2

間關林中鳥,亦知和為音。

豈無一尊酒,自酌還自吟。

但悲時易失,四序迭相侵。

我歌君子行,視古猶視今。

 

 

(幽懷)

幽懷 寫【のぞ】くべからず,此の春江の潯を行く。

適【たまた】ま 佳節と會し,士女 光陰を競う。

妝を凝して 洲渚に耀き,繁んに吹く 人の心を蕩するに。

 

間關たり 林中の鳥,亦た知る 和して音を為すに。

豈に一尊の酒無からんや,自ら酌み 還た自ら吟ずるのみ。

但だ 悲しむ 時は失い易くして,四序 迭【たがい】に相い侵すを。

我は 「君子行」を歌い,古を視ること 猶お今を視るがごとし。

 

 

『幽懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

幽懷  #1

幽懷不能寫,行此春江潯。

適與佳節會,士女競光陰。

凝妝耀洲渚,繁吹蕩人心。



(下し文)
(幽懷)

幽懷 寫【のぞ】くべからず,此の春江の潯を行く。

適【たまた】ま 佳節と會し,士女 光陰を競う。

妝を凝して 洲渚に耀き,繁んに吹く 人の心を蕩するに。

(現代語訳)
(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)

わびしき思いを除きかねて、一人、春江の岸辺を漫歩してゆけば、時あたかものどかな春の日である。

そこに、士女は絶好の行楽日和ということで、行楽に出かけてきていて、遊ぶのに寸暇を惜しんで忙しくしている。

彼女らは装いをこらしているから洲渚に耀やくばかりで、そこで盛んに笛を吹き、人の心をとろかすほど艶やかな雰囲気である。


(訳注)

幽懷  #1

(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)

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幽懷不能寫,行此春江潯。

わびしき思いを除きかねて、一人、春江の岸辺を漫歩してゆけば、時あたかものどかな春の日である。

 除く。

春江潯 春江の岸辺。

 

適與佳節會,士女競光陰。

そこに、士女は絶好の行楽日和ということで、行楽に出かけてきていて、遊ぶのに寸暇を惜しんで忙しくしている。

佳節會  めでたい日。清明節の出会い。 よい時節の出会い。

競光陰 月日の流れるのが早いのに負けないように行楽を急いですること。

 

凝妝耀洲渚,繁吹蕩人心。

彼女らは装いをこらしているから洲渚に耀やくばかりで、そこで盛んに笛を吹き、人の心をとろかすほど艶やかな雰囲気である。

繁吹 行楽の幔幕の中で盛んに笛を吹き踊っているのであろう。

蕩人心 人の心をとろかすほど艶やかな雰囲気であることをいう。

50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769

上張僕射書 -10 韓愈  何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走り回るだけであったり、

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

 

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

 

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

將以稱於天下曰知己知己則未也。

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。

 

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。


(下し文)
韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。


(現代語訳)
韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。


(訳注) §3--

韓愈三十二歳の時の作、二十八歳で長安での仕官に見きりをつけ、故郷に帰る。翌年秋宣武軍節度使董晋に召されて初めて就職した。ところが董晋が死に、かねて知己の武寧節度使張建封に迎えられた。下級職の規則を適用されたこともあって任官早々文句をつけたのである。それも韓愈独特のしつこい議論の積み重ねや原則論から時に人情に訴え微塵も妥協を許さぬ文面をみると張建封も辟易したことだろう。翌年五月には辞職している。

 

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

韓愈がこうやって閣下に仕えるのも道義のためではなく、利益と考えただけだ」といわれる。

 

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

かりそめにもこのようなことをいわれては、日に千金のご下賜を頂き、一年に九回昇進をさせてくださったならば、そのことを恩義に感じ、それに感謝することはありましょうが、

千金之賜 《周禮天官大宰》「以九賦斂財賄。一曰邦中之賦,二曰四郊之賦,三曰邦甸之賦,四曰家削之賦,五曰邦縣之賦,六曰邦都之賦,七曰關市之賦,八曰山澤之賦,九曰弊餘之賦。」

九遷 喜遷鶯《南史·到撝傳》:「上又數游撝家,懷其舊德,至是一三遷。」一年之陞遷九次。比官職升得極快。《「詩経」小雅・伐木から》ウグイスが谷から出て喬木(きょうぼく)に移り住むこと。高い地位に昇進することのたとえ。遷鶯(せんおう)

 

將以稱於天下曰知己,知己則未也。

天下に己を知ると賞賛され、彼こそ我を知るすばらしい人物と言われるにはまだほど遠いでありましょう。

 

 

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

何とぞ至らぬ所を哀れみその愚をふびんに思召して罪をお咎めにならず、私の申し上げたことをお察しくださって、おおいなるご慈愛を賜り、採用されますことをお願い申し上げます。愈、恐懼再拝。

 

 

張僕射に上【たてまつ】る書

§1-1

九月一日。愈、再拝。牒【ちょう】を受くるの明日。使院中に在り。

小史の院中の故事節目十余事を持し来りて愈に示す有り。

その中の不可なるものは、九月より明年二月の終わりに至るまで、皆晨(あした)に入り、夜に帰り、疾病事故有るに非ざれば、輒【すなわち】出ずるを許さずと有ることなり。

§1-2

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。上の下を使うも、その事を一にせず。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

50-§3-4 《上張僕射書-#9》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1356> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764

§34 上張僕射書の#9 韓愈  もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

 

 
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50-§3-4 《上張僕射書-9》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1356 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764韓愈詩-50-§3-4

 

 

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走り回るだけであったり、

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

 

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)
§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;


(下し文)
-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

(現代語訳)
もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、



(訳注)

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

もし、役人の行列に従ってただ登庁し、そして、行列に隊をあわせ、その後を追って走りまわるだけであったり、

使隨行 隨行せしめる。役人の行列にただ従って行動させられる。

而趨 『論語、季氏』「鯉趨而過庭。曰、『学礼乎』。対曰、『未也』。『不学礼、無以立』。鯉退而学礼。聞斯二者」。陳亢退而喜曰、「聞一得三。聞詩、聞礼、又聞君子之遠其子也」。(鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びたるか』と。対へて曰く、『未だし』と。『詩を学ばざれば、以て言ふこと無し』と。鯉退きて詩を学べり。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。『礼を学びたるか』と。対へて曰く、『未だし』と。『礼を学ばざれば、以て立つこと無し』と。鯉退きて礼を学べり」と。陳亢退きて喜びて曰く、「一を聞いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり」と。)にもとづくもの。

 

 

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

それに、発言を言うことそのものに誠意、忠誠心がまったくなく、道義において己の信念を枉げることあるとすれば、

 

天下之人聞執事之於愈如此,

天下の人は閣下のこうした私、韓愈に対する扱いについてこう言うことを聞く事でありましょう。

 

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

皆が言うには「長官が韓愈を採用されたのは彼の窮乏を憐れんで採用されただけのこと、

50-§3-3 《上張僕射書-#8》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759

§3-3 《《上張僕射書》-8》韓愈  韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

 

 
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50-§3-3 《上張僕射書-#8》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
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50-§3-3 《《上張僕射書》-8》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1355> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759韓愈詩-50-§3-3

 

 

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈之不諂屈於富貴之人如此

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)
§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。


(下し文) -3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。


(現代語訳)
また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。


(訳注) §3--

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

 

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

また、別の云い方をすれば「韓愈が信頼して帰るところ、これほどまでに身を寄せ頼る相手を見極めている。

其所依歸 信頼して帰るところ、身を寄せ頼る相手。

 

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈はこれほどまでに富貴に人に気に入られるように媚びた振る舞いをしたことはない。

諂屈 媚びへつらって屈する。

 

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

韓愈はこのように賢明であり、これほどまでに主人が礼遇させてくれたのであり、閣下の御前に死んでも悔いはないと思っている」と。

其主待之以禮 そこにおける主人が礼徳を以て待遇してくれる。

50-§3-2 《上張僕射書-#7》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1354> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754

§3-2 《上張僕射書-7》韓愈  閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

 

 
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50-§3-2 《上張僕射書-7》韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1354 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754韓愈詩-50-§3-2

 

 

§3-2 《上張僕射書-7》韓愈

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,

言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。

-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

執事之使人不枉其性而能有容如此,

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。



(下し文) -2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

(現代語訳)
閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。



(訳注) §3--

 

天下之人聞執事之於愈如是也,

閣下が私、韓愈に対してこのような案を「加待之」したということは燕の昭王の故事のように世の人が聞き及ぶことになります。

戦国時代の燕の王。楽毅や郭隗ら有能な人材を用い、斉に攻められて没落していた燕を再興させて全盛期を築き上げた。

 

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

誰もがきっとこう言うでしょう「節度使閣下はこれほどまでに賢士を好んでおられる、節度使閣下が賢士を待遇すること礼に適っておられる。

戦国燕の昭王は、名高い郭隗に聞いた。賢人招請の古の道理を踏まえた方法を教示した。

そして、「王が真に広く国中の優れた人物を選んで、その門を訪ねて行けば、王が賢者を其の家まで訪ねられるという評判が天下に立ち、天下の優れた人物たちは、燕に馳せ集まってくるに違いありません」と。

 

執事之使人不枉其性而能有容如此,

節度使閣下は人を使われるのにこれほど、その人の本姓を曲げないようにし、寛大に扱っておられるのだと、

 

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

節度使閣下の良い人材を集めて行こうとされることは、このように世の人に閣下の名声を成すことになり、そして、節度使閣下はこれほど子飼いの者、昔馴染みを大切にされるのだ」と。

故舊 子飼いの者、昔馴染みの者。

50-§3-1 《上張僕射書》-#6韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1353> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749

3-1 《上張僕射書》-6韓愈  まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。


 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-§3-1 《上張僕射書》-#6韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1353> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749 
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50-§3-1 《上張僕射書》-6韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1353 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5749

 

 

 

韓愈詩-50《上張僕射書》-§3-1

§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。
§3--

天下之人聞執事之於愈如是也,

必皆曰:執事之好士也如此,執事之待士以禮如此,

執事之使人不枉其性而能有容如此,

執事之欲成人之名如此,執事之厚於故舊如此。

§3--

又將曰:韓愈之識其所依歸也如此,

韓愈之不諂屈於富貴之人如此,

韓愈之賢能使其主待之以禮如此,則死於執事之門無悔也。

§3--

若使隨行而入,逐隊而趨,言不敢盡其誠,道有所屈於己;

天下之人聞執事之於愈如此,

皆曰:執事之用韓愈,哀其窮,收之而已耳;

§3--

韓愈之事執事,不以道,利之而已耳。

苟如是,雖日受千金之賜,一九遷其官,感恩則有之矣,

將以稱於天下曰知己知己則未也。

 

伏惟哀其所不足,矜其愚,不錄其罪,察其辭而垂仁采納焉。愈恐懼再拜。


-2

天下の人、執事の愈に於けること是の如きを聞く、

必ず皆曰わん「執事の士を好むや此なり、執事の士を待つに礼を以ってする此の如し、

執事の人を使うにその性を枉【ま】げずして、能く容るる有る此の如し、

執事の人の名を成さんと欲すること此の如し、執事の故旧に厚きこと此の如し」と。

-3

また将【まさ】に曰う「韓愈のその依帰【いき】する所を識れるや此の如し、

韓愈の富貴の人に諂屈【てんくつ】せざるや此の如し、

韓愈の賢、能くその主をしてこれを待つに礼を以ってせしむること此の如し」と。

則ち執事の門に死すとも悔い無きなり。

-4

若し行に随って入り、隊を逐【お】って趨【はし】り、

言は敢えてその誠を尽さず、道は己を屈する所有らしめば、

天下の人、執事の愈に於けること此の如きを聞きて、

皆曰う「執事の韓愈を用うる、その窮を哀れみてこれを収むるのみ。

-5

韓愈の執事に事うる、道を以ってせず、これを利とするのみ」と。

苟も是の如くんば、日に千金の賜を受け、一歳に九たびその官を遷【うつ】さると雖も、恩に感ずることは則ちこれ有らん。

将【まさ】に以って天下に知己と曰われ称せらども、知己は、則ち未だしなり。

伏して惟【おも】うにその足らざる所を哀れみ、その愚を矜【あわれ】みて、その罪を録せず、その辞を察して、仁を垂れて採納せられよ。愈、恐懼再拝。

  

韓愈の地図0055 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文) 
§3-1

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

若寬假之,使不失其性,加待之,

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。


(下し文)§3-1

愈の幸【こう】を執事に蒙る、その従【よ】るところ旧【ひさ】し。

若しこれを寛仮【かんか】してその性を失わざらしめ、これを加待【かたい】し、

以って名を為すに足らしむ、「寅にして入り、辰を尽して退き、申にして入り、酉を終えて退く、率【おおむね】以って常と為し、亦た事を廃すことなし。


(現代語訳)
私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

唐時代 韓愈関連05

(訳注) §3-1

 

愈蒙幸於執事,其所從舊矣。

私が閣下の厚情により、お引き立てを蒙ってかなり久しくなります。

 

若寬假之,使不失其性,加待之,

もし、私の申し出を大目に見て下さり、それは私の本来もっている性質を失わせることないことで、手厚い待遇いただいておることに甘えて申し上げます。

・寬假 〔「仮」はゆるす意〕 寛大に扱ってとがめないこと。大目に見ること。

 

使足以為名,寅而入,盡辰而退;

それはちょっとした名案考えたものですから、それで満足を得られるはずのもので、まず、通常と同じように夜明け前の寅の刻に登庁し、朝礼等がおわって、辰の刻が過ぎたら一旦退庁します。

・寅 寅の刻 午前4時の前後2時間頃頃を指す語。

・辰 辰の刻 午前8時の前後2時間頃を指す語。

節度使軍の執務だから、朝の引き継ぎ、朝礼など終ればすることが無く、昼間は、軍の訓練があるが、事務官のすることが無いという意味であり、夕方は点呼、引継ぎがあるということで、この申し入れをした。

 

申而入,終酉而退,率以為常,亦不廢事。

こんどは、申の刻あたりで、再度登庁し、日没後の酉の刻を終えて退庁するというものです。大体これを就業の決まりとしても仕事全体が止まることなどなく、一切支障が出ることなどないのです。

・申 申の刻 午後4時の前後2時間頃を指す語。

・酉 酉の刻 おおむね18時の前後、夕暮れ時が該当する。暮六ツとも言う。

・率以為常 經常的な仕事の規則とする事。《北齊書·司馬子如傳》「及其當還, 高祖及武明後俱有賚遺,率以為常。」とある。

・不廢事 仕事をやめることはない。廢事:仕事をやめる。すたれたこと。《漢書 成帝紀》「故官無廢事,下無逸民,教化流行,風雨和時,百穀用成,眾庶樂業,咸以康寧。

50-#5 〔《上張僕射書》-#5〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1352> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5744

〔《上張僕射書》-5〕韓愈  今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

 

 
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韓愈詩-50-5

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

 

 

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

直己而行道者,好義者也。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

 

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

韓愈の地図0055

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。


(下し文) §2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

(現代語訳)
命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。


01 朝賀の服装
(訳注) §2-3

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

 

聞命而奔走者,好利者也;

命令のまま走りまわる者は、利を好む者であります。

好利 「好利者、逸出於道義之外、其害顕而浅。」(利を好む者、道義の外に. 逸出し、其の害顕わるるは浅し。)

 

直己而行道者,好義者也。

おのれの身を正しく守って道義を実行する者は、義を好む者であります。

好義者 「未有上好仁而下不好義者也」(未だ上人を好まざれば、下は義のもを好まざるなり。)

 

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

いまだ、利を好みながら、しかも主君を愛する者などいるはずなどありませんし、また、義を好みおこなうもので、君主への報恩を忘れる者などおりません。

有好義 大学傳十章「未有上好仁、而下不好義者也。」(いまだ上【かみ】仁を好みて、下【しも】義を好まざる者あらざるなり。」

《禮記、檀弓下》

・「仁人放流有害無益之者。仁人為能愛人能悪人。」(仁君は国にとって有害無益な家臣をよく見定めて、悪影響が及ばないように遠くへ放逐する。これはただ愛すべき人を愛し、憎むべき人を憎むという当たり前のことをしているだけである。)

・「仁者以財発身、不仁者以身発財。未有上好仁、而下不好義者也。」(仁者は財力を利用して己を高めていくが、不仁の者は己を犠牲にしてまでも財力にこだわる。上の者が仁行に努めているのに、下々が正義を否定するようなことはあり得ない。)

まとめてみると、

・昔の聖王は、仁愛の心を以て民を導き、民もよくそれに応えた

・親を思う心こそ何物にも代えがたい

・財力は仁徳を高める手段に過ぎない

・上の仁行を見倣って、下は正義に目覚める

儒者の「仁」に取り組む姿勢は、慈愛・孝悌に基ずく事に変わりない。

・幸 引き立て。・寛仮 大目にみること。・加待 手厚く待遇する。事を廃せず 仕事にさわらない。 ・依帰 依って帰する、頼ること。・諂屈 へつらって屈服すること。・行 行列。 官を僊 昇進する。・哀 いたみ悲しむ。・矜 気の毒に思う。・知己 自分の心を良く知っている者史記に「士は己を知る者の為に死す」

 

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

今の王公はじめとして、大官たち大勢いる中で、閣下だけがこのことを申し上げることができるお方であります。ただし、私、韓愈だけが閣下に対して申し上げることができるもので進言させていただくのです。

・執事 家令の意でなく、貴人への手紙の脇付にもちいた。閣下。 

 

50-#4 〔《上張僕射書》-#4〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1351> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5739

《上張僕射書》-4〕韓愈  上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

 

 

 
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50-4 〔《上張僕射書》-4〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1351 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5739韓愈詩-50-4

 

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

 

 

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

 

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

戦国時代勢力図 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

今之時,與孟子之時又加遠矣,

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。


(下し文) §2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。

皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

(現代語訳)
上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。



(訳注) §2-2

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

・張僕射 (735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

汜水関などの地図 

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

上の人は部下の能力がどの程度のものであるかを測り、職務を任せるものであって、下の者は自分の才能を考えて職務に努めるのである、できないことは強いてやらせないものではないだろうかとおもいます。

・強 彊と同じ、強いて。 

・量力 部下の能力がどの程度のものであるかを測ること。

・度才 自分の才能をおしはかって考えること。

 

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

でありますから、下に仕える者は上の人からとがめられず、上に立つ人は下の者から恨まれることがないのであります。

・獲 とがめを受ける。 

 

 

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

孟子がこのように言っております「今の諸侯に優れた人が居ないのは、

・孟子 戦国時代中国の儒学者。姓は不詳、氏は孟、諱は軻、字は子輿。亜聖とも称される。孟子の「子」とは先生というほどの意。儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 あるいはその言行をまとめた書『孟子』。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。

 

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

彼らが皆『それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。』と。

・好臣其所教,而不好臣其所受教 孟子、公孫丑章句下》「今天下地醜徳齊、莫能相尚、無他、好臣其所教、而不好臣其所受教、湯之於伊尹」(この現代、どの国も規模の大きさといい人徳の篤さといい似たり寄ったりでどこも突出することができないでいます。それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。湯王や桓公は、伊尹や管仲を呼びつけにしませんでした。)

 

今之時,與孟子之時又加遠矣,

問題は、今の世と、孟子の時代とは時代・社会が違い、そしてまた時が益々隔たっております。

 

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

それでも同じなのは、誰もが自分の命令を聞いて奔走する者を好み、己を正しく守って道義を行う者を嫌うのであります。

・聞 耳に入れる。 

 

 

公孫丑章句下

孟子將朝王、王使人來曰、寡人如就見者也、有寒疾、不可以風、朝將視朝、不識可使寡人得見乎、對曰、不幸而有疾、不能造朝、明日出弔於東郭氏、公孫丑曰、昔者辭以病、今日弔、或者不可乎、曰、昔者疾、今日愈、如之何不弔、王使人問疾、醫來、孟仲子對曰、昔者有王命、有采薪之憂、不能造朝、今病小愈、趨造於朝、我不識能至否乎、使數人要於路曰、請必無歸而造於朝、不得已而之景丑氏宿焉、景子曰、内則父子、外則君臣、人之大倫也、父子主恩、君臣主敬、丑見王之敬子也、未見所以敬王也、曰、惡、是何言也、齊人無以仁義與王言者、豈以仁義爲不美也、其心曰是何足與言仁義也云爾、則不敬莫大乎是、我非堯舜之道、不敢以陳於王前、故齊人莫如我敬王也、景子曰、否、非此之謂也、禮曰、父召無諾、君命召、不俟駕、固將朝也、聞王命而遂不果、宜與夫禮若不相似然、曰、豈謂是與、曾子曰、晉楚之富、不可及也、彼以其富、我以吾仁、彼以其爵、我以吾義、吾何慊乎哉、夫豈不義而曾子言之、是或一道也、天下有逹尊三、爵一、齒一、徳一、朝廷莫如爵、郷黨莫如齒、輔世長民莫如徳、惡得有其一以慢其二哉、將大有爲之君、必有所不召之臣、慾有謀焉則就之、其尊徳樂道不如是、不足與有爲也、故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王、桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸、今天下地醜徳齊、莫能相尚、無他、好臣其所教、而不好臣其所受教、湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召、管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。

 

孟子が王(斉宣王)に会見する用意をしていた。そのとき、王から使者があって、言った。

使者「王のお言葉です。『小生、先生の下に行って会見しようと思ったのでありますが、あいにく風邪をこじらしてしまいまして、外の空気に当たることができません。だが先生から朝廷に来ていただければ、そこで会見できると思います。どうですか、小生とお会いできるご都合がつくでしょうか?』」

孟子は使者に回答した。

孟子「申し訳ございませんが、こちらも病をこじらせており、朝廷に参内できません。」(要するに、理由をつけて呼びつけにする王の態度を不誠実とした。)

さて翌日のこと、孟子は外出して斉の家臣の東郭氏の葬儀に出席しようとした。弟子の公孫丑が言った。

公孫丑「昨日使者に病気だと理由をつけたのに、今日になったら葬儀に出かけるというのは、ちょっとまずいんじゃないですか?」

孟子「昨日は病気。今日は治った。葬儀に出るのはいっこうにかまわん。」(こうして外出してしまった。)

その後、王の使者がやって来た。使者は孟子の病状を見舞い、医者まで派遣してきた。留守番の孟仲子(孟子のいとこ)が弁明した。

孟仲子「昨日は王の命がありましたが、『采薪(さいしん)の憂(うれい)』で体が思うように参らず参内できませんでした。本日病気も少しく軽快しましたので、おそらく今は取り急ぎ参内に向っていると思いますが、、、だがなにぶん到着できたかどうかは存じません。」

こうやって言い訳したので、葬儀の帰路に人を待たせて、孟子に「どうか帰宅なさらずに必ず参内してください」と申し上げた。だが孟子は参内せず、斉の家臣の景丑氏の所に行って一泊させてもらったのであった。

主人の景丑は言った。

景丑「内には父子の秩序、外には君臣の秩序。これは人の大倫の道でしょうが。父子の間では恩情が基本で、君臣の間では敬愛が基本です。それがしが見るに、王はこんなにも先生を敬愛しておられるのに、先生がいっこうに王を敬愛していない理由が納得いきませんな。」

孟子「おー、何ということをおっしゃる!この国の人が王と仁義の道をちっとも話そうとしないのは、まさか仁義の道がよくないことだと思われてそうしているのでしょうか?そうではないでしょう。勘ぐるに、王を軽んじてどうせ仁義の道を話すに値しない君主だと思っているからに違いない。だったらそれは不敬の最たるものです。私はね、いにしえの堯舜の道でないと、王の前では何一つ申し上げません。だからこの国の人の王への敬愛など、私の敬愛には及ばないのですよ。」

景丑「いや、今は仁義の道について申したいのではござらん。礼儀です。このようなことが書いてあります。

父が呼びつけたときには、『はーい』とか返事してる暇もなく、すぐ行け。

君主が呼びつけたときには車の用意など気にせず、すぐ行け。

どうです。先生は参内すべきでしょうが。なのに王の命を受けたのに参内しなかった。これは、こういった礼儀にぜんぜん外れているように思いますが?」

孟子「何をおっしゃる。いいですか、かつて孔子の弟子の曾子はこう言いました。

 

私は持てる富では晋公や楚王に到底及ばない。だが、あちらが富を誇るならば、私は仁を誇るだろう。あちらが爵位を誇るならば、私は義を誇るだろう。私のどこが彼らより劣っていようか?

曾子はこの言葉を道理もなく言ったわけではない。ちゃんと正しい道を示しているのです。天下には、最も尊いものが三つあります。すなわち、爵位の身分、年齢の功、そして人徳の道です。朝廷においては、爵位が最も尊重されます。地域社会においては、年功が最も尊重されます。そして世を治め民を率いる事業においては、人徳の道が最も尊重されるのです。この三つのうち一つを持っているからといって、他の二つを軽んじることはできない。曾子の思いはそこにあります。だから、大きなことを成そうとする君主には、必ず呼びつけになどせずに丁重に扱う家臣があり、何か相談しようとするときには君主が臣の下に出向いていくものなのです。君主が人徳の道をここまで尊重し喜んで行わないならば、天下救済の大事業を成すことなど思いもよりません。殷の開祖、湯王(とうおう)の伊尹(いいん)に対する扱いはどうでしたか?まず伊尹を師としてこれに学び、しかる後に家臣としたでしょうが。春秋の覇者、斉の桓公の管仲に対する扱いはどうでしたか?湯王と伊尹の関係と同じだったでしょうが。だから、湯王は労せずして王となり、桓公は労せずして覇者となれたのです。この現代、どの国も規模の大きさといい人徳の篤さといい似たり寄ったりでどこも突出することができないでいます。それは、どこの君主も自分に従う人材を家臣にするのを好んでも、自分の教師となる人材を家臣とするのを好まないからです。湯王や桓公は、伊尹や管仲を呼びつけにしませんでした。最も君主に忠誠厚き管仲ですら呼びつけにしなかったのです。管仲でない者を呼びつけにするようなお考えで、王はいったい何をなさろうというのでしょうか?」

50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3

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50-3 〔《上張僕射書》-3〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元1532歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-3

 

 

§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

§2-2

量力而仕之,度才而處之,其所不能,不強使為,

是故為下者不獲罪於上,為上者不得怨於下矣。

孟子有云:今之諸侯無大相過者,

以其皆「好臣其所教,而不好臣其所受教」,

今之時,與孟子之時又加遠矣,

皆好其聞命而奔走者,不好其直己而行道者。

§2-3

聞命而奔走者,好利者也;

直己而行道者,好義者也。

未有好利而愛其君者,未有好義而忘其君者。

今之王公大人,惟執事可以聞此言,惟愈於執事也可以此言進。

§2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

§2-2

力を度【はか】りてこれに処【お】り、その能くせざる所は彊【し】いて為さしめず。

是の故に下と為る者は罪を上に獲【え】ず、上と為る者は怨みを下に得ざるなり。

孟子云える有り「今の諸侯大いに相過ぐる者無きは、その皆その教うる所を臣とするを好みて、その教えを受くる所を臣とするを好まざるを以ってなり」と。

今の時と孟子の時と、また加々【ますます】遠し。皆その命を聞きて奔走する者を好み、その己を直くして道を行う者を好まず。

§2-3

命を聞きて奔走する者は、利を好む者なり。己を直くして道を行う者は、義を好む者なり。

未だ利を好んで而もその君を愛する者は有らず。

未だ義を好んで而もその君を忘るる者は有らず。

今の王公大人、惟だ執事のみ以って此の言を聞(ぶん)すべく、惟だ愈のみ執事に於いて此の言を以って進むべし。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§2-1

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

下之事上,不一其事;

上之使下,不一其事。


(下し文) §2-1

凡そ執事の愈に択べるものは、その能く晨に入り夜に帰るを為すに非ざらん。必ず将に以ってこれに取ること有らんとす。

苟も以ってこれに取ること有らば、晨に入り夜に帰らずと雖も、その取る所のものは、猶在るなり。

下の上に事うるや、その事を一にせず。

上の下を使うも、その事を一にせず。

(現代語訳)
もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。
上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。


(訳注) §2-1

 

凡執事之擇於愈者,非為其能晨入夜歸也,必將有以取之。

もとより閣下が私、韓愈をご採用になりました訳は、朝未だ来に登庁して夜になって退庁することができるとお考えになってのことであれば違いますが、そういうことでなくきっと役に立つとお考えになったからでしょう。

・執事 家令の意でなく、貴人への手紙の脇付にもちいた。閣下。 

 

苟有以取之,雖不晨入而夜歸,其所取者猶在也。

いやしくも何がしかの役に立つ点があります、朝未だ来に登庁したり、夜になってから退庁することでなくても、そのやくだつことができ得るものであり、まちがいなくできるはずであります。

 

下之事上,不一其事;

下の者が上の人に仕える場合、仕事は一定しておりません。

 

上之使下,不一其事。

上の人が下の者を使う場合にも一定しておりません。

50-#2 〔《上張僕射書》-#2〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1349> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729韓愈詩-50-#2

《上張僕射書》-2〕韓愈  このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。


50-2 〔《上張僕射書》-2〕韓愈(韓退之)ID  799年貞元15 32歳<1349 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729韓愈詩-50-2

 

 

上張僕射書 §1 -

(張僕射にたてまつる書:要望書)

九月一日,愈再拜:受牒之明日,在使院中,

九月一日、愈、再拝して申し上げます。武寧軍節度使,又稱徐泗節度使の辞令を受けましたので、翌日、節度使の役所におりますときのことです。

有小吏持院中故事節目十餘事來示愈。

吏員が院中の先例と規則の十余条を持って私、韓愈に見せてくれたのです。

其中不可者,有自九月至明年二月之終,

その中で問題点に気づいた点があったのです。晩秋、九月から翌年盛春二月までのきまりとして、

皆晨入夜歸,非有疾病事故,輒不許出。

日の出に登庁して日が沈みつくした夜になってから退庁すること、病気、事故がある場合以外は、退出を許さぬという一条でありました。

§1 -2

當時以初受命,不敢言,

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

古人有言曰:人各有能有不能。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

若此者,非愈之所能也。

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

忘其將所以報德者;

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

下無以自立,喪失其所以為心。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

夫如是,則安得而不言?

 

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

 

 

『上張僕射書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§1 -2

當時以初受命,不敢言,

古人有言曰:人各有能有不能。

若此者,非愈之所能也。

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

忘其將所以報德者;

下無以自立,喪失其所以為心。

夫如是,則安得而不言?


(下し文)
(張僕射に上【たてまつ】る書)  §1-2

当時は初めて命を受けしを以って、敢えて言わざりき。

古人言有りて曰く「人各々能あり不能あり」と。

此【かく】の若【ごと】きものは、愈の能くする所に非ざるなり。

抑えてこれを行わば、必ず狂疾を発し、上は以って公に承事する無く、その将に徳に報ゆる所以とせんとするものを忘れ、下は以って自立する無く、その心と為す所以を喪失せん。

夫れ是の如くんば、則ち安んぞ得て言わざらんや。

(現代語訳)
(張僕射にたてまつる書:要望書)§1-2

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

それがこの通りでありまして、この規則についてどうして問題ありと、申し上げずにおれましょうか。


(訳注) §1 -2

上張僕射書

(張僕射にたてまつる書:要望書)

張建封の幕下に入ったばかりの韓愈は、ほどなく建封に手紙を送り、幕府の規則に文句をつけている《上張僕射書》。

・張僕射 (735年-800年)武寧軍節度使張建封のこと。尚書省右僕射の待遇を受けていたのでかく言う。 建封字を本立といい,兗州の人。788年貞元四年、徐州刺史と為し、徐泗濠節度使となる。796年貞元十二年,檢校右僕射を加られる。公以799年十五年二月汴州之亂,建封に依りて徐せらる。秋,建封闢為節度推官,至是供職。書意以晨入夜歸為不可,其不諂屈於富貴之人可知矣。

武寧軍節度使,又稱徐泗節度使,為唐朝から、五代にかけてげんざいの江蘇省北部に設立さてれた節度使をいう。 782年(唐建中三年)徐海沂密都團練觀察使が徐州を治められるため設けられ,淄青李納控制を實と為し,784年(唐興元元年)廢除。 788年(唐貞元四年)十一月徐泗濠節度使を設ける。800年(唐貞元十六年),廢除,泗州、濠州改歸淮南節度使。

 

當時以初受命,不敢言,

ただ、その時は、はじめて任命されたばかりでしたので、敢えて申し上げることができませんでした。

當時以初受命 799年秋、韓愈が郷里へ引きあげるつもりで、徐州を去ろうとしたとき、張建封節度使が韓愈を引きとめ、自分のところの幕僚に任命してくれたこと。

 

古人有言曰:人各有能有不能。

昔の人の言葉にこうあります「人各々できることとできないこと、各得手、不得手があるものだ」と。 

有能有不能 人の才能には各得手、不得手あるものだ。才能あるものと才能のない者がいる。

 

若此者,非愈之所能也。

このような規則は私、韓愈の能くするところではありません。

 

抑而行之,必發狂疾,上無以承事於公,

それをあえて行なければいけず、このまま続ければ、きっと発狂してしまいそうです、それに、上にたいしては、閣下にご奉公することができないことになり、

・承事 奉公。 
 

忘其將所以報德者;

ひいては、そのご恩に報いる手立てそのものを忘れることになるのです。

 

下無以自立,喪失其所以為心。

下にむけては自分の身を立てる勉強をすることができず、そのためにしっかりした心がけを持ち続ける事を全てを失ってしまいそうなのです。

自立 ここでは、自分の身を立てること、書物を読むこと、受験勉強をすること。

 

夫如是,則安得而不言?

それがこの通りでありまして、この規則についてどうして問題ありと、申し上げずにおれましょうか。

 
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