中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2015年04月

65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924

§3 二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

 

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

 

65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID  803年貞元19 38歳》<1388 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924

韓愈詩-65-#5-§3

 
 2015年4月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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232 《(改訂版)巻21-6 太原早秋 (歲落眾芳歇)》Index-15 Ⅱ― 10- 735年開元二十三年35歳 <232> Ⅰ李白詩1475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5923 
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65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -5》 杜甫index-15 杜甫<913-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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§3-1

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,

況於毀瘞而不禘祫乎?

 

二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

§3-2

魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。

況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

§3-2

自魏晉已降,始有毀瘞之議,

事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,

況於毀瘞而不禘祫乎?



(下し文)
二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。

臣又以て不可と爲す。

謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、

一壇一墠、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。

百代と雖も毀たず。祫には則ち太廟に陳ねて饗す。

 

魂晋より己降、始めて毀瘞の議有り。

事経拠に非ず。完に施行す可からず。

今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。

献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。

況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。



(現代語訳)
第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

私はまたそれはよくないと考えます。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。



(訳注) §3-1

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。

○瘞 うずめる。踟蹰に魏清夜玉などを埋めて地を祭ること、またその祭をいう。

 

臣又以為不可。

私はまたそれはよくないと考えます。

 

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。

○礼記 『礼記』王制篇に(帝国の理想の政治制度が書かれている)が、「天子七廟,三昭三穆,與太祖之廟而七。」(天子は七廟、三昭三穆、大祖の廟と七なり)天子七廟,三昭(246世が左)三穆(357世が右)と太祖で七代七廟を祀る。とある。その疏に「周の七なる所以は、文王、武王命を受けたるを以て、其の廟毀たず。以て二祧と為す。始祖后稷及び高祖以下親廟四と幷せて、故に七と為すなり」とある。その他諸説ある。

○壇・墠 祭場。土を盛り上げたのを壇、地を清めたところを墠という。『礼記』祭法篇に「王立七廟,一壇一墠」(王は七廟を立つ、一壇一墠)とある。

 

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。

○祧 『礼記』祭法篇に「祧之言超也,言其超然上去也。」(祧の言は超なり。其の超然として上に去るをいふ)と。遠廟のこと。高祖の父、祖父の廟をいう。別に離れた所に祧廟を立て、毀廟の神主を入れて置く。

 

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。

65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919

§2 一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。臣以為不可。夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

 

65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1387 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919韓愈詩-65-#4-§

 
 2015年4月29日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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65-#4-§ 《讀巻02-07 禘祫議》- §2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1387> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5919 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊144《巻三43女冠子二首其一》巻三4344-〈144〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5922 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

自魏晉已降,始有毀瘞之議,事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,況於毀瘞而不禘祫乎?

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

臣以為不可。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。



(下し文)
一に日く、獻・懿の廟主は、宜しく永く之を夾室に蔵すべしと。

臣以て不可と爲す。夫れ祫は合なり。

毀廟の主は、皆当に大祖に合食すべし。

獻・懿二組は、即ち毀廟の主なり。

今夾室に蔵すと雖も、禘祫の時に至り、豈大廟に食せざるを得んや。

名づけて合祭と日ふ。而して二祖祭るを得ずんば、之を合と謂ふ可からざるなり。


(現代語訳)
衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。


(訳注) §2

《禘祫議》

然而禮文繁漫,所執各殊,

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

繁漫 繁雜であって、放漫であること。・繁:1 草木がしげる。物事が盛んになる。たくさん増える。「繁栄・繁華・繁盛(はんじょう)・繁殖・繁茂」2 事が多くて煩わしい。「繁簡・繁雑・繁多・繁文・繁忙/頻繁・農繁期」・漫:1 一面に満ちて覆うさま。「漫漫/瀰漫(びまん)・爛漫(らんまん)2 むやみに広がって締まりがない。「漫然/散漫・冗漫・放漫」3 何とはなしに。気のむくまま。

 

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

衆議の一つは、獻と懿の二祖の御位牌は、永くこれを大廟の左右の室におさめるのがよろしいという。

○獻懿 唐の初代の天子高祖(劉淵)以前の先祖の称号と名は、献租、煕(き)、懿祖、天錫(せき)、太祖、虎(景皇帝)、世祖、昞(へい)高祖、淵、の順である。

○廟王 みたまやの神位、位牌。

○夾室 太廟の左右にある室。

 

臣以為不可。

しかし、私は、それはよくないと考えます。

 

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、

一体、その祫とは合という意味であります。独立した廟を毀【こわ】して、昭三廟・穆三廟のほかに遷すべき位牌は、皆当然太祖の廟に合わせ祭るべきものであります。

○毀廟 こばつべきみたまや。五世以上の祖霊は覇をこわして神主を大麻に遷す。大朝は始祖(太祖)の廟。

 

獻、懿二祖,即毀廟主也。

献と懿の二祖はとりもなおさずその毀廟の主であります。

 

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?

今は夾室に蔵めてありますけれども、禘と祫の二祭の時になれば、どうして太祖の廟に合食しないでおられましょうか。

 

名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

名づけて合祭といいながら、二祖が祭られることができないならば、合祭ということができないのであります。

○合祭 先祖が合同で祭りの供え物を享ける。

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禘祫議-§1-2 》韓愈

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

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§

1-2

 

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

 

 

65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909韓愈詩-65-#2 §1

 

 

禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

屢經禘,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今輒先舉議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1-1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

§1-2

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其


(下し文)
昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。
§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。


(現代語訳)
(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

1-1

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

1-2

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

建中(780)の初めから今年(802)まで、

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。


(訳注)

《禘祫議》

然而禮文繁漫,所執各殊,

そうなりますと、祭礼の様式のさだめたものは、繁雑でまとまりがなく放漫になってしまい、人によって、それを読んで、受け執るところの考えが各々ちがってくるのです。

繁漫 繁雜であって、放漫であること。・繁:1 草木がしげる。物事が盛んになる。たくさん増える。「繁栄・繁華・繁盛(はんじょう)・繁殖・繁茂」2 事が多くて煩わしい。「繁簡・繁雑・繁多・繁文・繁忙/頻繁・農繁期」・漫:1 一面に満ちて覆うさま。「漫漫/瀰漫(びまん)・爛漫(らんまん)2 むやみに広がって締まりがない。「漫然/散漫・冗漫・放漫」3 何とはなしに。気のむくまま。

 

自建中之初,迄至今

建中(780)の初めから今年(802)まで、

○建中- 徳宗の年号(780783)から802年貞元18年までの22年間。

 

屢經禘祫,未合適從。

しばしば禘祫の祭りを経て参りましたが、まだそのどれも祀行するに従うものとして適当ではありません。

○未合 いまだまさに……すべからず。合は応、当のように読む。

 

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

私は生まれてこのかた、聖明な陛下の御世に遇い、御恩沢に充分浸り浴しております。

涵泳 ひたりおよぐ。充分に浴する。

 

雖賤不及議,而誌切效忠。

身分はいやしくて、この論議に参加できなくても、志は、まごころをつくしたいと切実に思っております。

○切效忠 まごころをつくしたいと切実に思う。

 

今輒先舉眾議之非,然後申明其

今は、まず、多くの議論の誤っているところを取り挙げて、そのあとでわたくしの説をのべ明らかにいたさせていただきたいのであります。

○申明 明らかにする。中も明の意がある。

65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

 

 

65-#2 §1 《讀巻02-07 禘祫議》- §1 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1385> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5909韓愈詩-65-#2 §1

 
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禘祫議

禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

昌黎先生集《》§1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

§1-2

昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其

 

§1-2

然り而して禮文繁漫、執る所各の殊なり。

建中の初より、今歳に至る迄、屡ば禘を経るに、未だ合に適從すべからず。

臣生れて聖明に遭ひ、恩澤に涵泳す。

賎しくして議に及はずと雖も、而も志は忠を致すに切なり。

今、輒ち先づ衆議の非を挙げて、然る後に其の説を申明せん。

 

 

『禘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昌黎先生集巻十四《禘祫議》§1-1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

§1-2

然而禮文繁漫,所執各殊,

自建中之初,迄至今

屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,

雖賤不及議,而誌切效忠。

今輒先舉眾議之非,然後申明其


(下し文)
昌黎先生集巻十四《禘【ていこう】の議》§1-1

右今月十六日の赦旨に、宜しく官僚をして議して、五日内を限りて、聞奏せしむべき者と。將仕郎 守國 子監四門博士臣 韓愈 謹みて議を献じて日く、

伏して以ふに陛下孝を祖宗に迫ひて、祀事を甫敬し、

凡そ擬議するに在っては、敢て自ら尊にせず、聿に厥の中を求め、延いて羣下に訪ふ。

(現代語訳)
(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。



(訳注)

《禘祫議》§1-1

(唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した小論文である。)

 

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

右今月十六日のみことのりの旨は、百官をしてこれを議論して、五日以内を限って奏聞させよとのこと。

○百僚 百官。僚は同官。

 

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

将仕郎で守国子監、四門博士の韓愈が、謹んで意見をたてまつり申し上げます。

○将仕郎 唐の文散官(職事の無い、閑な官) の名で、従九品。最も低い官。

○国子監 国子学と同じ。国学、大学。

 

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。

伏して思いますに、陛下は祖先に対して今からさかのぼり孝心をお尽くしになり、祀りの事をつつしみうやまいなされることであります、

○追孝 祖先の死後の孝行。祭りのこと。

 

凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

凡そ物事を推しはかり論議する場合、思い切って御自分だけでおきめにならず、ついに過不及のない中正のところを求めて、引いては群臣にまでお尋ねになられる。

○聿 「つひに」、また「ここに」と読む。

65-#1 《讀巻02-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 35歳》   ()<1384> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65-#1

禘祫議

 

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。
65-#1

 


唐宋八大家文読本巻二

昌黎先生集 巻14

禘祫議

 

65 《讀巻03-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1384 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65

 

 

禘祫議

 

或作祫禘。今按篇皆作禘祫。《禮》:三年一祫,五年一禘。

祫者,合也,謂以昭穆合食於太祖之廟。

禘者,諦也,謂審諦其尊卑而祀之,禘祫之議,考之《新史·陳京傳》及《禮樂誌》,前後議者不一。

或いは祫禘に作る。今按篇の皆 禘祫と作る。《禮》に:三年に一たび祫し,五年に一たび禘とする。

祫者は,合也,以て謂う 昭と穆を太祖之廟に合食す、と。

禘者は,諦也,謂審やかに諦かにするは其れを尊卑して之を祀し,禘祫の議,之を《新史·陳京傳》及び《禮樂誌》で考,前後 議者は一ならず。

陳京始建議,繼有禮儀使顏真卿議,左庶子李嶸等七人議,吏部侍郎柳冕等十二人議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武等議,左司陸淳議,左仆射姚南仲等獻議五十七封,尚書王紹等五十五人議,鴻臚卿王權又申衍之。

陳京の始め建議し,繼いで禮儀使顏真卿の議有り,左庶子李嶸 等七人の議,吏部侍郎柳冕等十二人の議,司勛員外郎裴樞、同官縣尉仲子陵、京兆少府韋武 等の議,左司陸淳議,左僕射姚南仲等の獻議 五十七封じ,尚書王紹等五十五人の議,鴻臚卿 王權 又た之を申衍す

公所排五,即此諸人議也。

其間惟顏魯公議與公合,後卒詔從王紹等議。

正景皇帝東向之位已下,列序昭穆,附獻、懿二主於興聖廟,禘祫就本室饗之。

凡二十年乃決。

公所五排す,即ち此の諸人の議なり。

其の間 惟れ顏魯公の議を公合に與え,後詔を卒して 從て王紹等議とす。

正に景皇帝は東向して之位し已に下り,列序は昭穆に,獻と、懿の二主を興聖廟に附して,禘祫して本室の饗之に就く。凡そ二十年には乃を決す。

 

 禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。

議は諭よりやや小さい問題の論文である。

 

《昌黎先生集》§1

右今月十六日敕旨,宜令百僚議,限五日聞奏者。

將仕郎守國子監四門博士臣韓愈謹獻議曰:

伏以陛下追孝祖宗,肅敬祀事。凡在擬議,不敢自專,聿求厥中,延訪群下。

然而禮文繁漫,所執各殊,自建中之初,迄至今,屢經禘祫,未合適從。

臣生遭聖明,涵泳恩澤,雖賤不及議,而誌切效忠。今輒先舉眾議之非,然後申明其

§2

一曰「獻懿廟主,宜永藏之夾室」。

臣以為不可。

夫祫者,合也。毀廟之主,皆當合食於太祖、獻、懿二祖,即毀廟主也。

今雖藏於夾室,至禘祫之時,豈得不食於太廟乎?名曰合祭,而二祖不得祭焉,不可謂之合矣。

§3

二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。

臣又以為不可。

謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。

其毀廟之主,皆藏於祧廟。

雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。

自魏晉已降,始有毀瘞之議,事非經據,竟不可施行。

今國家德厚流光,創立九廟。

以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,況於毀瘞而不禘祫乎?

§4

三曰「獻、懿廟主,宜各遷於其陵所」。[12]臣又以為不可。二祖之祭於京師,列於太廟也,二百年矣。今一朝遷之,豈惟人聽疑惑,抑恐二祖之靈,眷顧依遲,不即饗於下國也。[13]

§5

四曰「獻、懿廟主,宜附於興聖廟而不禘祫。」[14]臣又以為不可。《傳》曰「祭如在」。景皇帝雖太祖,其於屬,乃獻、懿之子孫也。[15]今欲正其子東向之位,廢其父之大祭,固不可為典矣。[16]

§6

五曰「獻、懿二祖,宜別立廟於京師。」[17]臣又以為不可。夫禮有所降,情有所殺。是故去廟為祧,去祧為壇,去壇為墠,去墠為鬼,漸而之遠,其祭益稀。[18]昔者魯立煬宮,《春秋》非之,[19]以為不當取已毀之廟,既藏之主,而復築宮以祭。今之所議,與此正同。又雖違禮立廟,至於禘祫也,合食則禘無其所,廢祭則於義不通。

此五者,皆所不可。[20]

 

§7

故臣博採前聞,求其折中。以為殷祖玄王,[21]周祖後稷,太祖之上,皆自為帝;又其代數已遠,不復祭之,故太祖得正東向之位,子孫從昭穆之列。《禮》所稱者,蓋以紀一時之宜,非傳於後代之法也。[22]

§8

《傳》曰:「子雖齊聖,不先父食。」[23]蓋言子為父屈也。景皇帝雖太祖也,其於獻、懿,則子孫也。當禘祫之時,獻祖宜居東向之位,景皇帝宜從昭穆之列,祖以孫尊,孫以祖屈,求之神道,豈遠人情?[24]又常祭甚眾,[25]合祭甚寡,則是太祖所屈之祭至少,所伸之祭至多,比於伸孫之尊,廢祖之祭,不亦順乎?[26]事異殷周,禮從而變,非所失禮也。[27]

§9

臣伏以制禮作樂者,天子之職也。陛下以臣議有可采,[28]粗合天心,斷而行之,是則為禮。如以為猶或可疑,乞召臣對,面陳得失,庶有發明。謹議。

 
 2015年4月26日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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《讀巻02-06 禘祫議》 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 35歳》   ()1384 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5904韓愈詩-65-#1

64-#3 《補遺-25 送陸歙州參》   (我衣之華兮,) 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1383> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5899

送陸歙州參
だから、その馬を駆ることをしないでほしい、急がずにゆっくりしてぼつぼつ行かれることを勧める。もしかしたら、この歌が天子の耳に届いて、詔を下されて、陸君の地方就任は取りやめになるかもしれない。

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。
送陸歙州參》韓愈  

 

 

64-#3 《補遺-25 送陸歙州參》   (我衣之華兮,) 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1383> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5899韓愈詩-64-#3

 
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送陸歙州參

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。

送陸歙州參幷序》 韓愈 しかるに、このように嘆息涕洟して、陸君は都を去ってはならないのであって、しかし君の考えは、いかがかというと、陸君の道が中央政府の朝廷に行われるにおいて、天下をあげて其賜を望み、つまり、御蔭にあずかることが出るが、大州とはいえ、一州の刺史となるというとその州だけの其賜を占用するということで、決して天下にあまねくことができないという。

 

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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)《 802年貞元18年 36歳》<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64

送陸歙州參幷序-#1》韓愈 802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

 

 
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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之) 802年貞元18 36歳》<1378 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64

 

 

年:802年貞元18 36

卷別:    卷三四五              文體:    雜言古詩

詩題:    送陸歙州參【案:從《文集》錄入。】

及地點:              歙州 (江南東道 歙州 歙州)              

交遊人物:陸參    書信往來(江南東道 歙州 歙州)

 

 

送陸歙州參幷序 #1

(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

當今賦出於天下,江南居十九。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

#2

宣使之所察,歙為富州。

宰臣之所薦聞,天子之所選用,其不輕而重也較然矣。

如是而齎諮涕洟以為不當去者,陸君之道,行乎朝廷,則天下望其賜;刺一州,則專而不能鹹。

先一州而後天下,豈吾君與吾相之心哉?

於是昌黎韓愈道願留者之心而泄其思,作詩曰:

#3

我衣之華兮,我佩之光。陸君之去兮,誰與翔。斂此大惠兮,施於一州。今其去矣,胡不為留。我作此詩,歌於逵道。無疾其驅,天子有詔

(陸參歙州を送る並びに序)

貞元十八年二月十八日,祠部員、外郎 陸君は出でて歙州【きゅうしゅう】に刺たり,朝廷 夙夜の賢,都邑 遊居の良,齎諮【せいし】涕洟【ていい】,鹹な以為【おも】えらく當に去るべからず、と。

歙は,大州なり;刺史は,尊官なり:郎官よりして往く者,前後 相い望むなり。

當今 賦の天下に出づる,江南は十の九に居り。

 

宣使の察する所,歙を富州と為す。

宰臣の薦聞する所,天子の選用する所なり,其の輕からずして重きや 較然たり。

是の如して 齎諮涕洟 以て當に去るべからず為すは,陸君の道,朝廷に行わるるときは,則ち天下其の賜を望み;一州に刺たるときは,則ち專らにして 鹹【あまね】き能わず。一州を先にして 天下を後にす,豈に吾が君と吾が相との心ならむや哉?

是に於いて 昌黎の韓愈 留まらむことを願う者の心を道うて 其の思を泄らし,詩を作って曰く:

 

 

送陸歙州參

我衣之華兮,我佩之光。

陸君之去兮,誰與翔。

斂此大惠兮,施於一州。

今其去矣,胡不為留。

我作此詩,歌於遠道。

無疾其驅,天子有詔。

 

(陸參歙州を送る)

我が衣の華なる,我が佩の光れる。

陸君の去る,誰かと與に翔【こうしょう】せん。

此に大惠を斂めて,一州に施す。

今 其の去る,胡ぞ 為に留めざる。

我 此の詩を作って,遠道に歌う。

其の驅ることを疾する無かれ,天子 詔 有らん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『送陸歙州參幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送陸歙州參幷序

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。當今賦出於天下,江南居十九。

宣使之所察,歙為富州。

宰臣之所薦聞,天子之所選用,其不輕而重也較然矣。

如是而齎諮涕洟以為不當去者,陸君之道,行乎朝廷,則天下望其賜;刺一州,則專而不

能鹹。先一州而後天下,豈吾君與吾相之心哉?

於是昌黎韓愈道願留者之心而泄其思,作詩曰:


(下し文)
(
陸參歙州を送る並びに序)

貞元十八年二月十八日,祠部員、外郎 陸君は出でて歙州【きゅうしゅう】に刺たり,朝廷 夙夜の賢,都邑 遊居の良,齎諮【せいし】涕洟【ていい】,鹹な以為【おも】えらく當に去るべからず、と。

歙は,大州なり;刺史は,尊官なり:郎官よりして往く者,前後 相い望むなり。

當今 賦の天下に出づる,江南は十の九に居り。

宣使の察する所,歙を富州と為す。

宰臣の薦聞する所,天子の選用する所なり,其の輕からずして重きや 較然たり。

是の如して 齎諮涕洟 以て當に去るべからず為すは,陸君の道,朝廷に行わるるときは,則ち天下其の賜を望み;一州に刺たるときは,則ち專らにして 鹹【あまね】き能わず。一州を先にして 天下を後にす,豈に吾が君と吾が相との心ならむや哉?

是に於いて 昌黎の韓愈 留まらむことを願う者の心を道うて 其の思を泄らし,詩を作って曰く:

(現代語訳)
(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。


韓愈の地図0055
(訳注)

送陸歙州參幷序

(陸參歙州、名は修、祠部員外郎をもって出でて歙州の刺史になったから、韓愈は詩を以て送り、あわせてこの序文をつくった。)

歙州 江南東道 歙州。592年(開皇12年)、隋朝が陳朝を平定すると歙州が新設された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い歙州は新安郡と改称され下部に3県を管轄した。

 

貞元十八年二月十八日,祠部員外郎陸君出刺歙州,朝廷夙夜之賢,都邑遊居之良,齎諮涕洟,鹹以為不當去。

802年貞元十八年二月十八日、祠部員外郎陸參は、長安を出でて、歙州の刺史になった。そこで、朝廷に在関し、朝早く出勤し、夜遅く退庁するという賢良である吏僚、ならびに都邑に游居する良民どもは、一斉に嘆息涕洟し、こういう人は、何時までも中央政府にいるのがよく決して長安を去るべきではない。

齎諮 みんないっせいに荘子遣準遊 怪を士山す者なり斉諮に出 る。

涕洟 涙と鼻汁。

祠部員外郎 古代の官職。神祇伯、玄蕃頭、陰陽頭の別称。外郎は定員外。

 

歙,大州也;刺史,尊官也:由郎官而往者,前後相望也。

しかし、歙州は大きい州であり、そこの刺史は尊貴の官職である。郎官から、このような刺史に任ぜられて出掛けるものは、前後、相い望んで、その千例、すこぶる多く、無論陸君にとって栄転である、めでたいことなのである。

刺史 一つの 「州」 には平均して八つの 「郡」 があり、これら 「州」 に属する複数の 「郡」の行政を監察する役目の役職があり、それがここにいう 「刺史」という。

 

當今賦出於天下,江南居十九。

今日、天下の租税の九割は、江南地方で占めている。

居十九 十の内の九に当たる、つまり九割を占める。

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夜歌》  韓愈(夜に至って興を催して詠った)静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

 

 
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年:802年貞元18 36

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

韓昌黎集 巻一 18

詩題:    夜歌

 

 

夜歌

(夜に至って興を催して詠った)

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

念身幸無恨,志氣方自得。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない

樂哉何所憂,所憂非我力。

その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

 

(夜歌)

靜夜 清光有り,閒堂 仍お獨り息う。

身を念うて 幸に恨み無し,志氣 方に自得す。

樂い哉 何の憂う所ぞ,憂う所は 我が力に非ず。

 

 三峡 巫山十二峰001

『夜歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜歌

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

念身幸無恨,志氣方自得。

樂哉何所憂,所憂非我力。

(下し文)
(
夜歌)

靜夜 清光有り,閒堂 仍お獨り息う。

身を念うて 幸に恨み無し,志氣 方に自得す。

樂い哉 何の憂う所ぞ,憂う所は 我が力に非ず。

(現代語訳)
(夜に至って興を催して詠った)

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない
その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

tski001
(訳注)

夜歌

(夜に至って興を催して詠った)

王叔文の一党が韋執誼と結託して一時期朝廷を攪乱するにいたったころに作ったもので、国家の事が心配でいた。

 

靜夜有清光,閒堂仍獨息。

静夜、つきがさえて、静光は地上に溢れている、自分は静かな書斎に坐して一人心落ち着けて休息している。

閒堂 静かな書斎。

 

念身幸無恨,志氣方自得。

我が一身のことを思えば、聊かながら俸給をいただいて、食うにはこまらず、幸いに恨みもなく、志気に自得すべき時であるので大いに楽しまねばならない。

 

樂哉何所憂,所憂非我力。

その楽しむべき折から、なんの憂いがあるか、まことに不思議のようであるが、己の力でいかんともしがたいことを憂えているので、余計なお世話であるが、これもわが身の性分であるからしかたがない。

樂哉 韓愈は憂うところがなく状態の時を楽しいという。

非我力 己の力でいかんともしがたい。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩-62 -#2

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

(改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

 

倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

 

(改訂版)

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。


(下し文)
倏忽【しゅくこつ】十六年,終朝 寒飢に苦む。

宦途 竟に寥落たり,鬢髮 差池に坐す。

潁水 清 且つ寂,箕山 坦に而て夷。

如今 便ち當に去り,咄咄 自ら疑う無かれ。

(現代語訳)
はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

洛陽 函谷関002

(訳注) (改訂版)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

はじめて上京して、はやいもので二十六年になる、この間、終日、援助を受けるような門下に入っていないので、試験及第の為、空腹と寒さに苦しんできた。

倏忽 時間がきわめて短いさま。たちまち。

 

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

官に就くことは、汚れた門下に入っていないので、その途は本の微かなもので、志を果しておらず、鬢髮をしろくなるのもうまく世渡りをすることができないためでもある。

坐差池 差池 互い違いになること。不ぞろいであること。SV構文である。〔ついに、宦途は寥落〕:〔いつの間にか、鬢發は差池〕出世はできないし、頭は薄くなってきた。

 

潁水清且寂,箕山坦而夷。

我々儒者にとっては、許由のように穎水の清らかな水で汚れた社会の出来事を聞いてきた耳を洗い、單父のように、それを聞いて牛に水を飲ませなかったと静かに山に入ろうと思う、そして箕山に入れば平坦で地勢もなだらかで、隠遁するにはもってこいというものである。

潁水・箕山 この語は、たびたび出る。

韓愈《巻03-15 贈侯喜》

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

提攜妻與子 漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

入箕潁無還時 箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。 杜甫《》「数奇謫関塞、道広存箕潁。」(それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。)

*この二句は、隠遁の願望を世俗の汚れを超越した、「箕穎の心」崇高な心を持って生きたいというもの。

 

李白《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1

巢父將許由,未聞買山隱。

巢父と許由は耳を洗って隠遁したものだが、ところが山を買ってしかる後に隠遁したというような話は未だに聞いたことが無い。

巢父・許由 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

買山 もっぱら山を使い、自分の為だけのために支配するために購入する。《世新語/排調》「支道林因人就深公買印山,深公答曰:「未聞巢、由買山而隱。」(支道林 因て人 深公に就いて印山を買う,深公 答えて曰く:「未だ巢、由の山を買うて而隱るるを聞かず。」)

208-#1 《巻12-21 北山獨酌寄韋六 -#1Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <208-#1> Ⅰ李白詩1440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5748

 

李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

下瓢 穎水についての許由と巣父の故事を暗用するもの。許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の高士。許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠れ、巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませなかった、という。俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿としているもの。

潁水 穎水の源は少室山。

172-3 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-3> Ⅰ李白詩1386 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5478

 

李白《行路難 三首 其三》 

有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨 
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

 

如今便當去,咄咄無自疑。

そこで、今、私は、心に決してまた疑うこともなく、都を後にするため、悔しいけれど此処を立ち去ろうとするのである。

咄咄 驚いたりくやしがったりするさま。またそのために舌打ちをしたり声を発したりするさま。

62 -#1(改訂版) 《巻05-29 將歸贈孟東野房蜀客》 (君門不可入) 韓愈(韓退之) 801年貞元17年 34歳<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874

(改訂版)將歸贈孟東野房蜀客》韓愈801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。


 
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韓愈詩-62 -#1

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三四0              文體:    五言古詩

詩題:    將歸贈孟東野房蜀客【案:蜀客名次卿。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

交遊人物:孟郊    書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

 

(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

 

(將歸贈孟東野房蜀客)

君門不可入,勢利互相推。

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。

 

倏忽十六年,終朝苦寒飢。

宦途竟寥落,鬢髮坐差池。

潁水清且寂,箕山坦而夷。

如今便當去,咄咄無自疑。

Ta唐 長安近郊圖  新02洛陽 函谷関002 

 

 

『將歸贈孟東野房蜀客』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

將歸贈孟東野房蜀客

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

借問讀書客,胡為在京師。

舉頭未能對,閉眼聊自思。



(下し文)
(將に歸らんとして 孟東野、房蜀客に贈る)

君 門に入る可からず,勢利 互いに相い推す。【勢力 互いに相い推す】

借問す 讀書の客,胡ん為れぞ 京師に在るや。

頭を舉げて未だ對うる能わず,眼を閉じて聊か自ら思う。

(現代語訳)
801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。


(訳注)

將歸贈孟東野房蜀客

801801年貞元17年 34歳三月、長安から、洛陽に行くときに、孟東野と房項卿に留別したもの。)

孟東野 孟郊。751 - 814年 唐代の詩人。字は東野、諡は貞曜先生という。

湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省律栗陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。

詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

房蜀客 房某、字は項卿、名次卿といった。韓愈の友人である。

 

君門不可入,勢利互相推。【勢力互相推】

都に上って、調選に随い、折角一官を得たいと思っていたが「門に入る可からず」というところだ、君も知っての通り、今、勢利ある人たちが、政争を事としていて、政権争奪がなされ、たがいに勢力争いをしている。

勢利互相推 玄宗朝に勃発した安史の乱により唐の国勢は大きく傾き、地方に節度使が半独立状態で割拠した藩鎮が跋扈するようになった。この状況に対して憲宗朝に於いて杜黄裳・武元衝・李吉甫らの主導により藩鎮に対して武力を使って政府に反抗的な藩鎮を討伐する強硬策が行われ一定の成果を収め、唐は中興時代を迎えた。しかし武力討伐に使われた費用は財政を悪化させ、また藩鎮に対抗するために作られた神策軍は宦官の勢力に組み込まれ、朝廷における宦官の勢力は極めて大きなものとなった。

その最中の元和3年(808年)、牛李の党争の発端となる事件が起こる。この年の科挙進士科に牛僧孺・皇甫湜・李宗閔の3人が合格した。この時の論策にて三人は時の失政に対して批判を行い、これが一旦は憲宗に受け入れられた。しかしこの時の宰相[3]李吉甫と宦官とが憲宗に泣訴し、逆に牛僧孺たち3人は中央を追われ、辟召を受けて地方に転出させられた。

科挙試験にも反映され、受ける前、書生の段階から色分けされて、どちらの門に入るか決めないと合格しずらかった、韓愈門下はどちらにも組しなかったことをいう。

 

借問讀書客,胡為在京師。

だから、勉学に集中できる状態でないから、読書の客など京師にいたってしかたがないということだ。

 

舉頭未能對,閉眼聊自思。

こんなことだから、頭をあげれば叩かれるから、これに対する良い方法はなく、眼を閉じて、じっとして一人で自問自答とするのみである。

61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869

贈侯喜》-#4 韓愈  元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

 

 
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61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID  802年貞元18 36歳》   ()1377 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869韓愈詩-61-#4

 

 

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

#3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

#4

人間の事勢 豈に見ざらんや,徒に自ら辛苦して終に何為れぞ。

便ち當に妻と子とを提攜し,南 箕潁に入って還る時無かるべし。

叔巳 君 今 氣 方に我が言 至って切 君嗤う勿れ。

君 魚を釣らんと欲せば 須らく遠く去るべし,大魚 豈に肯えて沮洳【しじょ】に居らんや。

漢魏隋唐の洛陽城 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。


(下し文)
人間の事勢 豈に見ざらんや,徒に自ら辛苦して終に何為れぞ。

便ち當に妻と子とを提攜し,南 箕潁に入って還る時無かるべし。

叔巳 君 今 氣 方に,我が言 至って切 君嗤う勿れ。

君 魚を釣らんと欲せば 須らく遠く去るべし,大魚 豈に肯えて沮洳【しじょ】に居らんや。

(現代語訳)
人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。


洛陽 函谷関002
(訳注) #4

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

人間の事勢は、大抵これでわかっているので、いたずらに自ら辛苦したとして、何にも売るところがないというのは、今日のこの釣りの様ではないか。

*この二句は、齷齪する世俗の事をいう。

 

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

それでも、自分は妻子を提携して、南の方、許由と單父のように箕山穎水の間に分け入って、再び世間には戻ってこないと思っている。

提攜妻與子 漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。李白『贈僧崖公』「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

入箕潁無還時 箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。 杜甫《》「数奇謫関塞、道広存箕潁。」(それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。)

*この二句は、隠遁の願望を世俗の汚れを超越した、「箕穎の心」崇高な心を持って生きたいというもの。

 

叔巳君今氣方我言至切君勿嗤。

しかし、叔巳君は今しも、若き青年の気鋭であるから、わたしがいうような「穎水で耳を洗って、世俗を離れる」というようなことは言うものではないし、私のことを笑わずにいてほしい。

 

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

元来、魚を釣ろうというのは、こんな浅くせまい川では到底駄目で、おおきな魚は、決して水たまりのようなところには住んでいないし、もっと遠くへ足を運ばねばならない、大魚を釣ろうと思えば、大江、大海を望むところでなくてはいけない、何はともあれ、世の中で仕事をするには、遠大な計画を為すことが一番大切なことである。

 

 

許由(きょゆう)は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。

伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

 

《巻06-12 梁園吟》「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。」とはいっても、酒ばかり飲んでいるわけにもいかず、むかし、謝安石が東山に隠棲したのとおなじように、世の人民を救おうという時が来れば起ちあがるのだ。この意欲があれば、遅すぎるはずはない。

○東山高臥-東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配した。(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである

169 -4(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -4Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <169 -4> Ⅰ李白詩1381 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5453
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。 
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864

韓愈 贈侯喜  かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

 

 
 2015年4月18日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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61-#3 《巻03-15 贈侯喜》 #3 韓愈(韓退之)  801年貞元17年 34歳》 <1376 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5864

 

 

韓愈詩-61-#3

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

#3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。


(下し文) #3

竿を舉げ、線を引いて 忽ち得る有り,一寸 纔に 分かる 鱗と鬐と。

是の日 侯生と韓子と,良に久しくして 歎息し 相い看て悲む。

我 今 行事 盡く此の如く,此の事 正に好し 吾が規と為さむ。

半世 遑遑 舉選に就く,一名 始めて得て 紅顏 衰う。


(現代語訳)
かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。



(訳注) #3

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろうか、しめたというので竿をあげて糸を引いた、はたして一尾の魚がかかっていた、わずか一寸くらい、よく見なければ鱗もひれもわからぬような小さな魚であった。

忽有得 かれこれする間に、少し手ごたえするほど動いたのであろう。

纔分 よく見なければ~もわからない。

鱗與鬐 うろことひれ。鬐:馬のたてがみ、魚の背びれ。虹の湾曲の形容。次第に尽きる。

 

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

かくて侯生と韓子とは、あまり釣れない所から、やや久しゅうして嘆息し、相い看て哀しんだ。

 

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

それは、我が輩、平成の行事は、丁度、今日の事と同じく、小さなことにのみ、悪朔しているから伝教はこれだけで辛抱しても、その結果の一向つまらないもので、平生の行事に対して、まことによき規箴となるわけである。

 規箴:戒めること。戒め。

 

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

吾輩は、半生の間、遑遑として試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至れば、最早、歳が寄ってしまい、紅顔も、何時しか衰えた。

遑遑 心が落ち着かないさま。あわただしいさま。 「齷齪たり,又た遑遑たり、欺かざるの記」

就舉選 試験に憂き身をやつし、やっとのことで、一たび及第を得るに至る。

61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 34歳<1375> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859

韓愈 贈侯喜-#2 何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏迄いたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が倦怠なってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一度体を起こして背伸びをした。


 
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61-#2 《巻03-15 贈侯喜》-#2 韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 341375 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5859

 

 

韓愈詩-61-#2

年:801年貞元17年 34

卷別:    卷三三八  韓昌黎集 巻三15   文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

#2

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。
#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

洛陽 函谷関002 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。


(下し文)

#2

蝦蟆 跳り過ぎて雀兒 浴す,此に縱【たと】い魚る有も 何ぞ求むるに足らん。

我 侯生の為に已む能わず,針を盤げ 粒を擘【つんざ】いて 泥滓【でいし】に投ず。

晡時 堅坐して 黃昏に到る,手倦み 目勞して 方に一び起つ。

暫く 動いて還た休み 未だ期す可からず,蝦は行き 蛭は渡るも、皆 疑うに似たり。


(現代語訳)
それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

汜水関などの地図
(訳注) #2

贈侯喜  

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

 

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

それは蝦蟇でも飛び越せるし、スズメが来て水浴びを野に丁度いいくらい、こんな所に喩え魚がいたにしても、われわれがもとめていたものにたるようなものではないのにきまっている。

此縱 ここでたとえば~。

何足求 どうしてその求めることを満足させられようか。《論語、子路第十三》「斗筲之人、何足算也。」斗筲(としょう)の人、何んぞ算(かぞ)うるに足らん。

 

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

しかし、我々は、侯生君に誘われてせっかくここへ、釣り目的で来たのだから、そのまま帰るわけにもゆかないから、やがて、釣り道具を取り出して、針を曲げ、飯粒を擘いて、泥水たまりの中に投げ込んだ。

不能已 自分の目的にかなわないこと。

泥滓 泥水たまりの中に。滓:① 液体の底にたまる沈殿物。液体をこしたあとに残る不純物。 ② 必要な部分を取ったあとに残るもの。くず。 ③ ねうちのないもの。ひどくつまらないもの。

 

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

何せ、川に着いたのが申(さる)の刻だから、それから釣り糸を垂れ、じっとそこに座って黄昏るまでいたけれど、一向に魚がえさに喰いつくわけでもなく、竿を持つ手が怠くなってきて、見つめる目は疲れ、しゃがみ込むのもしんどいので、一たび体を起こして背伸びをした。

晡時  午後三時から五時を申(さる)の刻。現在の午後4時ごろ。また、日暮れ時をいう。

方一起 一たび体を起こして背伸びをする。

 

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

こんなに何にもないと、小さなエビか、蛭が梁や糸に触れただけでも、魚のように思われるほどで、ちょっと動いて、また止まってしまって一向につれそうにない。

未可期 一向につれそうにないこと。いまだにつれる時期が訪れない。

蝦行蛭渡 蝦が動いたり、蛭が移動して横切る。

61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854

韓愈 贈侯喜  さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

 
 2015年4月16日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1374> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊131《巻三34浣溪紗八首 其五》巻三3431-〈131〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5857 
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61 《巻03-15 贈侯喜》   (吾黨侯生字叔巳,) 韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》   ()1374 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5854韓愈詩-61

 

 

年:       貞元十七年

寫作時間:           801

寫作年紀:           34

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    贈侯喜

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

交遊人物:侯喜    當地交遊(都畿道 河南府 洛陽)

 

 

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。

#2

蝦蟆跳過雀兒浴,此縱有魚何足求。

我為侯生不能已,盤針擘粒投泥滓。

晡時堅坐到黃昏,手倦目勞方一起。

暫動還休未可期,蝦行蛭渡似皆疑。

#3

舉竿引線忽有得,一寸纔分鱗與鬐。

是日侯生與韓子,良久歎息相看悲。

我今行事盡如此,此事正好為吾規。

半世遑遑就舉選,一名始得紅顏衰。

#4

人間事勢豈不見,徒自辛苦終何為。

便當提攜妻與子,南入箕潁無還時。

巳君今氣方我言至切君勿嗤。

君欲釣魚須遠去,大魚豈肯居沮洳。

 

洛陽 函谷関002 

 

『贈侯喜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈侯喜  -#1

【愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。


(下し文)

侯喜に贈る)  -#1

【愈は貞元十七年七月二十二日,李景興と、侯喜と、尉遲汾とで洛に於て漁を同じゅうして,不刻有る在らん,詩 必ず是の時に作る。】

吾が黨の侯生 字は叔巳,我を呼び 竿を持して溫水に釣る。

平明 馬に鞭って都門を出で,盡日 行き行く 荊棘の裡。

溫水 微茫 えて又た流る,深きは車轍の如く 闊きは輈を容る。


(現代語訳)
(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。


莎柵洛陽地図001
(訳注)

贈侯喜  -#1

(この日は一向に魚が釣れなかったから、戯れに、門下の侯喜にたいして不満をいうような意味で作った。)

愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作

韓愈は貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水に魚釣りなどして遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

この詩の前の《巻03-02 山石 》と同時期の作品である。

韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた時のものである。

 

吾黨侯生字叔巳,呼我持竿釣溫水。

吾韓門一党の侯生君は字名を叔巳という、その男の発起で一日、竿をかついで、洛水で魚釣りをしようということになった。

溫水 洛水のことで、河南縣北にある。易の乾鑿度に「王者、盛徳の應あれば、洛水先ず温かなり、故に溫洛と號す。」

 

平明鞭馬出都門,盡日行行荊棘裡。

そこで朝早く、馬に鞭うって、城門を出たが、その路は、荊棘の間に通じているために、行くのに時間がかかり、一日近くかかってしまった。

 

溫水微茫又流,深如車轍闊容輈。

さて、ようやく温水に到着してみると、かねてより聞いていたこととは違っていて、ただ微汒として、ろくろく水もなく、絶えてはまた流れるという有様で、水深葉というと車のわだちが土中にめり込んだくらいしかないし、水幅は車の心棒がやっと通るかという程度のものである。

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(改訂版) 山石 #3 韓愈  (こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。

 
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韓愈詩-60-#2

(改訂版)《巻03-02 山石 #1
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。 
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
#3
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 

人生如此自可樂,豈必局束爲人
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。
#1
山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】 絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】 を窮【きわ】む。
#3
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。
流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために
【つな】がれんや。
嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

 

 

洛陽 函谷関002 

『山石』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。

人生如此自可樂,豈必局束爲人

嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。

(下し文)
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。

流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。

人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために【つな】がれんや。

嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

(現代語訳)
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。

辟雍00
(訳注)
 (改訂版)《巻03-02 山石 #3》

山石
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。) 
韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた。貞元17年7月22日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水で釣りをしてに遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

 

○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。


山紅澗碧紛爛漫、時見松櫪皆十圍。
そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
山紅 山は、紅(くれない)になる。

澗碧 苔むした碧色で流れる水も淥である 

 〔かん〕谷川。

 入り乱れる。 

○爛漫 〔らんまん〕光り輝くさま。あふれ散らばり消える。山が紅であるから、楓が散り去ることともいえる。通常は、春の花が咲き乱れるさま。

時見 時折見かける。 


當流赤足蹋澗石、水聲激激風吹衣。
しばらく歩くと谷川の流れに行き至ったので、裸足になって、巌石を踏んでトボトボ覚束なく進みいくと、浅瀬には水の音はだんだん激しく、颯然として風は強く衣のなかにまで吹きつけてきて、身に浸みるような寒さを感じてくる。 
當流 (谷川の)流れに行き当たる。 

赤足 裸足(はだし)。 

 〔とう〕踏(ふ)む。 

澗石 〔かんせき〕谷川の石。

激激 〔げきげき〕水の勢いの激しいさま。

○風吹衣 杜甫《醉歌行》「風吹客衣日杲杲,樹攪離思花冥冥。」(風は客衣を吹いて日呆呆たり、樹は離息を摸して花冥冥たり)とある。


人生如此自可樂、豈必局束爲人鞿
こういうこと過していると楽しくて、人生とは、このように自分からら楽しめることだとおもえることをすべきものであるし、世の中に局束し、厳しく繋がれて、人のためにこき使われるにもあたるまいと、つくづく心に感じた。
人生 人生。人が生きる。 

○如此 このよう(に)。 

自可樂 自分からら楽しめることとおもえることをやるべきものである。たとえ、落第しても、仲間と哲学論争をして、人生を意義あるものにしたい。

豈必 必ずしも…するには及ばない。 

局束 〔きょくそく〕体や心が縮こまる。のびのびしない。人のことを気にしたり、受験のことだけで萎縮したり、知事困ったりすることの方が問題である。

爲人 人柄。人格、品格をけいせいすること。 

 〔き〕きずな。束縛。作者は動詞として使っている。


嗟哉吾黨二三子、安得至老不更歸。
ああ、そこで、帰後、同行の門下の仲間に告げて、なろう事なら仲間とともに、老いに至るまでも、帰り去らず、どうにかして、このまま山中の人となりたいと思うところである。
嗟哉 ああ。おお。歎息する。感嘆する。 

吾黨 わたしの仲間。 

二三子 二、三人の者。 

安得 どこに求められよう。どうして…だろうか。いづくにか…を得ん。いづくんぞ…なるを得んや。 

至老 老齢になっても。年をとっても。 

○不更歸 なおまた隠棲することがない。「更不歸」の意。

安得不更歸 帰ってこざるを得ないだろう。

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韓愈(改訂版) 山石 #2  やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。

 
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222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838 
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60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》   ()1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844

 

 

韓愈詩-60-#2

(改訂版)《巻03-02 山石 #1
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。 
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 
#3
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

#1
山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】 絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】 を窮【きわ】む。
#3
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。
流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために鞿【つな】がれんや。
嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

 

 

(改訂版)《巻03-02 山石 #2》

『山石』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
(改訂版)《巻03-02 山石 #2》
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

(下し文)#2

床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに足る。

夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。

天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】を窮【きわ】む。


(現代語訳)
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。

そんな夜を過ごして朝になり、同行者がまだ寝ているうちに、自分ひとり起きだして、山中の景色を眺めるつもりで外に出て歩いてみると、山の土は紅色であり、谷川のながれは、碧色で流れて、紛として爛漫というように、如何にも良い眺めである、やまには赤の地肌と木々の緑水の璧色が混じり合って、光り輝いていて、時々、松や櫪(くぬぎ)の十人でかかえほどもあるのを見かける。 


(訳注) (改訂版)《巻03-02 山石 #2》

山石
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。) 
韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた。貞元17年7月22日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水で釣りをしてに遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

 

○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。


鋪床拂席置羹飯、疏糲亦足飽我飢。
今日は、一日遊び回って、腹も空いたからというので、牀を鋪き、腰掛になる板を並べ、羹、煮物と御飯を持ってきてもらって、さていよいよ箸を付けてみると、美味しくはない玄米の飯であったが、腹ぺこだったわたしを満足させるに充分であったのである。 
鋪床 寝床と腰掛になる板を並べる。 

拂席 席(むしろ)の敷物をひろげてくれる。 

 しつらえる。準備する。 

羹飯 〔かうはん〕羹(あつもの)と御飯。

疏糲 〔それい〕粗末な飯。粗食。 

 〔ほう〕満腹する。満足する。 

 〔き〕腹が減る。飢(う)える。


夜深靜臥百蟲絶、清月出嶺光入扉。
やがて、夜が深けたから、静かに横に伏せていたら、たくさんの虫の声が急に途絶えて、清らかな月が、東嶺からさしのぼってきて、その月光が戸口から入ってくると、まことに澄み切った夜になってきた。
夜深 夜が更ける。中唐・白居易の『夜雪』に「已訝衾枕冷,復見窗戸明。夜深知雪重,時聞折竹聲。」とある。 

靜臥 静かに横になる。 

百蟲 色々な虫。多くの虫。 

 (虫の声が)途絶える。

清月 くもりのない月。


天明獨去無道路、出入高下窮煙霏。
天が明るくなったのにつられて、ひとりで出かけようと思うが道らしい道が無いのである。道は高くなったり、下に下がったりして変化に富んでいる、朝靄が深くなるところを窮めるまでるいていくのだ。
天明 夜明けになる。明けがたになる。  

獨去 独(ひと)りで出かける。  

○無道路 道らしい道が無い。・出入:出たり入ったりする。行ったり来たりする。

○高下 高くなったり低くなったり。 

 〔きゅう〕窮(きわ)める。 「終南別業」漢詩紹介
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。
煙霏 〔えんぴ〕たなびく靄(もや。)煙がたなびく。



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韓愈(改訂版)  山石 #1  山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 

 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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60-#1 (改訂版)《巻03-02 山石 #1》 (山石犖確行逕微,) 韓愈(韓退之)ID  801年貞元17年 34歳》<1371> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5839韓愈詩-60-#1

 

 

年:    801年貞元十七年34

卷別:  卷三三八        文體:  七言古詩

詩題:  山石

 

 

山石

山石犖確行逕微,黃昏到寺蝙蝠飛。

升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。【芭蕉葉大梔子肥】

僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。

 

鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。

夜深靜臥百蟲清月出嶺光入扉。

天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

 

山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。

人生如此自可樂,豈必局束為人鞿。【案:音饑。】

嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。

 

(山石)

山石犖確行逕微,黃昏到寺蝙蝠飛。

升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。

僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。

 

鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。

夜深靜臥百蟲,清月出嶺光入扉。

天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。

 

山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。

當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。

人生如此自可樂,豈必局束為人鞿。

嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。

 

 

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。

797年 病気のため一時求職。

    孟郊が来る。

798年 同所で進士科の予備試験員。

    張籍、この試験合格者の中に有る。

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14

 

799年 汴州の乱

38-(4 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》韓愈(韓退之)I 799年貞元15年 32歳<1329 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5629

39 《0226(改訂)汴州亂二首其一》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1330 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5634韓愈詩-39

40 《0227(改訂)汴州亂二首其二》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1331 韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5639

41-#1 《0229 齪齪 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1332 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5644

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

43 《0305 (改訂) 忽忽》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1337 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5669

44-#1 《0306 鳴雁 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1338 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5674

50-§3-4 《上張僕射書-#9》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1356 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5764

50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769

 

 

800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

50-#1 《巻02-03 幽懷-#1   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1347 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719

51-#1 (改訂版)《巻02-06 歸彭城》-#1韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1349 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729

 

801年貞元十七年

身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。

「山石」

 ・孟郊常州に行く。

「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)

 


(改訂版)《巻03-02 山石 #1》
山石

山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。 
#1
山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」
坊さんは古い壁に措かれた仏の絵がすはらしいといい、明かりで照らしてくれたが、剥げているためいくらも見えなかった。
僧侶の方は「古い壁の仏画は好いものだ」とお説教をしてくれる。その仏画は、火で照らし出した部分、見えたのは、ごく一部である。

#2
鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。
夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。
天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。
山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。」
#3
當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。
人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。
嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」

#1
山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。
堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。
僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

#2
床を鋪【し】き 席【むしろ】を拂いて羹飯【こうはん】を置き,疏糲【それい】 亦また我が飢を 飽【あ】かしむるに 足る。
夜深く靜かに臥すれば 百蟲【ひゃくちゅう】 絶え,清月 嶺を出て 光 扉【とびら】に入る。
天明 獨り去ゆくに道路 無く,高下に 出入して 煙霏【えんぴ】 を窮【きわ】む。#3
山 紅に澗碧に 紛まじりて 爛漫,時に見る 松櫪【しょうれき】の皆 十圍【じゅうい】なるを。
流れに當りて赤足もて 澗石を 蹋【ふ】み,水聲 激激として 風 衣【ころも】を吹く。
人生 此かくの如く自から樂しむべく,豈に 必ずしも 局束【きょくそく】として 人の爲ために鞿【つな】がれんや。
嗟哉【ああ】 吾が黨の二、三の子,安んぞ 老に至りて 更に歸らざることを得ん。

 

 

(改訂版)《巻03-02 山石 #1》

『山石』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#1

山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。

升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。

僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。」

(下し文) #1

(山石)

山石 犖确【らくかく】として 行径【こうけい】微にして,黄昏 寺に到れば 蝙蝠【へんぷく】飛ぶ。

堂に昇り 階に坐ざすれば 新雨足り,芭蕉【ばしょう】の葉は大いにして 支子肥ゆ。

僧は言う「古壁の佛畫【ぶつガ】好し」と,火を以て 來り照らすに 見る所稀まれなり。

(現代語訳)
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。)
かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
すると僧侶が出てきて、この寺の説明して「古い壁の仏画はたいそう見事描かれている好いものだ、ぜひご覧になってください」と教えてれる。そこで、燈火を秉って仏画を照らしてみたところが、薄暗くて、何が何だか、さっぱりわからなかった。


(訳注)  (改訂版)《巻03-02 山石 #1》#1

山石
山に転がって進む道を邪魔する石。(韓愈受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。) 
韓愈が徐州を去って、しばらく洛陽にいた。貞元17722日、韓愈門下の李景興、侯喜、尉遅汾らと共に、洛陽城郭外の洛水で釣りをしてに遊び、その帰途、洛北の惠林寺に往ったところ、遅くなったので、そのまま留泊した。そのときの惠林寺に題名が残っていたために、その時の事実が明らかになった。

 

○韓愈の「以文爲詩」(散文的な手法の詩=散文的な語彙や句法、段落で作った詩)の代表的なもの。六朝詩や唐詩の華麗さがなく、夕暮れから夜、更に早朝の光景が、淡々と語られている。これらを詠いつつ、受験に落第し、再度チャレンジすることを決したことをこの山道にたとえてうたうものである。

 

山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。

かどかどした山石のあいだをぬけるのにやっと人が通れる一筋の登る道があり、その小道をたどってゆくと、恵林寺に到着したが、黄昏になって、蝙蝠が得意になって飛んでいる。 
○犖确 〔らくかく〕山に大きい石が多くあるさま。ごろごろと。でこぼことしている。 

行徑微 山道がだんだんと細くなるさまを謂う。 

行徑 こみち。

黄昏 〔くゎうこん〕。たそがれ。夕方の薄暗い時刻。 

蝙蝠 〔へんぷく〕コウモリ。

 

升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。

そこで、お堂に昇っていって、階に坐れば新たに暑熱を洗い去る充分な雨が降って、その雨が降る止んだ頃の事であり、秋の初めの気はさわかで、この雨で冷ややかになってきた。雨後であるから芭蕉の葉は大きく伸び広がって、梔子の花実が肥え大きくなって,えもゆわぬ香気をはなっている。 
升堂 お堂に入る。「昇堂」。屋敷の場合は奥座敷に使われるが、寺で僧侶に会う場合はお堂の方が良い。 

○坐階 階(きざはし)に坐(すわ)る。 

 充分である。足(た)る

芭蕉 〔ばせう〕バショウ科の多年草。高さ4メートルくらい。葉身は、長さ約1.5メートルの長楕円形。 

 大きくなる。後出の「肥」と句中の対を構成する。 

支子肥 支子=梔子(くちなし)の実。「梔」:〔し〕クチナシ。夢は実現するものということをくちなしの実が雨に濡れて大きくなることで悟ってくることを示唆している。そして、その雨に濡れて大きくなるのは杜甫の詩に基づいている。

杜甫《陪鄭廣文遊何將軍山林詩十首之五》「綠垂風折筍,紅綻雨肥梅。」(緑は垂る風に折るる夢 紅は綻ぶ雨に肥ゆる梅)緑色のうなだれているのは風に吹き折られた若竹であり、紅色の花の咲きほころびているのは雨でふとった梅の実である。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其五 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 59


僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。

すると僧侶が出てきて、この寺の説明して「古い壁の仏画はたいそう見事描かれている好いものだ、ぜひご覧になってください」と教えてれる。そこで、燈火を秉って仏画を照らしてみたところが、薄暗くて、何が何だか、さっぱりわからなかった。
○「古壁佛畫好」 「古い壁に画かれている仏画は素晴らしい。」古きものを大切にしなさいというお説教と考える。僧侶が作者・韓愈に言った言葉。

以火 火で。 

來照 照らし出す。 

所見 見えるところ。見える事柄。 

 わずかである。

59-#3 《補遺-02 海水》 -#3 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1370> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5834

韓愈 海水 -3  我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。

 
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59-3 《補遺-02 海水》 -3 韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳<1370 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5834

 

 

韓愈詩-59-3

卷別:    卷三四五              文體:    五言古詩

詩題:    海水【海水詩】【案:見《外集》。】

 

 

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

海水非不廣,鄧林豈無枝。

海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。

風波一盪薄,魚鳥不可依。

林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

海水饒大波,鄧林多驚風。

それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。

豈無魚與鳥,巨細各不同。

そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。

 

2

海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。

海には、一口に舟を飲むというような長鯨がいるし、鄧林には、その翼、垂天の雲の如しといわれる様な大鵬がやすんでいる。

苟非鱗羽大,盪薄不可能。

苟も、長鯨や、大鵬のその鱗羽の極めて大いなるものにあら坐れば、風波、大波を、盪薄することができないものだ。

我鱗不盈寸,我羽不盈尺。

しかるに、それらの鱗羽のものから我を見るとまことに些細な存在で、鱗の一寸にも満たない者であろうし、羽にしてみればその一尺にも満たない。

一木有餘陰,一泉有餘澤。

鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。

我將辭海水,濯鱗清冷池。

そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。

 

3

我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。

そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。

海水非愛廣,鄧林非愛枝。

海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。

風波亦常事,鱗魚自不宜。

そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。

我鱗日已大,我羽日已修。

我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。

風波無所苦,還作鯨鵬游。

やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。

 

(海水) #1

海水 廣からざるに非ず,鄧林 豈に枝に無からんや。

風波 一に盪薄,魚鳥 依る可からず。

海水には 大波饒【おお】く,鄧林には 驚風多し。

豈に魚と鳥と無からんや,巨細 各の同じからず。

2

海には 吞舟の鯨有り,鄧には 垂天の鵬有り。

苟くも 鱗羽の大なるに非ざれば,盪薄 能くす可べからす。

我が鱗は 寸に盈たず,我が羽は 尺に盈たず。

一木 有り,一泉 澤有り。

我 將に海水を辭し,鱗を清冷の池に濯わんとす。

3

我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。

海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。

風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。

我が鱗 日 已に大,我が羽 日 已に修【なが】。し

風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。

 

 

『海水』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。

海水非愛廣,鄧林非愛枝。

風波亦常事,鱗魚自不宜。

我鱗日已大,我羽日已修。

風波無所苦,還作鯨鵬游。


(下し文) 3

我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。

海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。

風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。

我が鱗 日 已に大,我が羽 日 已に修【なが】。し

風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。


(現代語訳)
そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。

海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。

そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。

我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。

やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。



(訳注) 3

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

 

我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。

そうなると我は、まさに、鄧林を辞して、羽をこんもりと葉の繁って枝に刷ろうとしているのである。

刷羽 枝に刷りつける。

蒙籠枝 こんもりと葉の繁って鄧林の枝。

 

海水非愛廣,鄧林非愛枝。

海水はとても我に向ってその広きを惜しむわけでもなく、鄧林の方でも、もとより我に向ってその枝を惜しむはずがないのである。

非愛廣 海の広きを惜しむわけでもないこと。

非愛枝 枝を提供してくれるというのを惜しむことはない。

 

風波亦常事,鱗魚自不宜。

そして風があり、波があるのは、通常の事であって、我々のような小さい鱗翅をもっているものにはそれでも自ずからよろしくないのである。

 

我鱗日已大,我羽日已修。

我々のような小さい鱗翅をもっているものは、鱗は日々に大きくなり、羽は日々に長くなるので、いつまでもこのままでいるのではないのである。

日已大 日々に大きくなる。

日已修 日々に長くなる。

 

風波無所苦,還作鯨鵬游。

やがて、風波にも苦しむことが無くなるようになれば、またぞろ、ここに来て、長鯨や、大鵬とおなじように遊びたいと思うので、しばらくの間お別れをする次第である。

59-#2 《補遺-02 海水》 -#2 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1369> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5829

韓愈 海水 -2  鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。

 
 2015年4月11日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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219 《(改訂版) 巻4-13 襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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59-#2 《補遺-02 海水》 -#2 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1369> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5829 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
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59-2 《補遺-02 海水》 -2 韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳<1369 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5829
韓愈詩-59-2

 

 

800年貞元16年 33

 

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

海水非不廣,鄧林豈無枝。

海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。

風波一盪薄,魚鳥不可依。

林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

海水饒大波,鄧林多驚風。

それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。

豈無魚與鳥,巨細各不同。

そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。

 

2

海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。

海には、一口に舟を飲むというような長鯨がいるし、鄧林には、その翼、垂天の雲の如しといわれる様な大鵬がやすんでいる。

苟非鱗羽大,盪薄不可能。

苟も、長鯨や、大鵬のその鱗羽の極めて大いなるものにあら坐れば、風波、大波を、盪薄することができないものだ。

我鱗不盈寸,我羽不盈尺。

しかるに、それらの鱗羽のものから我を見るとまことに些細な存在で、鱗の一寸にも満たない者であろうし、羽にしてみればその一尺にも満たない。

一木有餘陰,一泉有餘澤。

鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。

我將辭海水,濯鱗清冷池。

そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。

 

3

我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。

海水非愛廣,鄧林非愛枝。

風波亦常事,鱗魚自不宜。

我鱗日已大,我羽日已修。

風波無所苦,還作鯨鵬游。

 

(海水) #1

海水 廣からざるに非ず,鄧林 豈に枝に無からんや。

風波 一に盪薄,魚鳥 依る可からず。

海水には 大波饒【おお】く,鄧林には 驚風多し。

豈に魚と鳥と無からんや,巨細 各の同じからず。

2

海には 吞舟の鯨有り,鄧には 垂天の鵬有り。

苟くも 鱗羽の大なるに非ざれば,盪薄 能くす可べからす。

我が鱗は 寸に盈たず,我が羽は 尺に盈たず。

一木 有り,一泉 澤有り。

我 將に海水を辭し,鱗を清冷の池に濯わんとす。

3

我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。

海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。

風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。

我が鱗 日 已に大,我が羽 日 已に修【なが】。し

風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。

 

 

『海水』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
2

海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。

苟非鱗羽大,盪薄不可能。

我鱗不盈寸,我羽不盈尺。

一木有陰,一泉有澤。

我將辭海水,濯鱗清冷池。


(下し文) 2

海には 吞舟の鯨有り,鄧には 垂天の鵬有り。

苟くも 鱗羽の大なるに非ざれば,盪薄 能くす可べからす。

我が鱗は 寸に盈たず,我が羽は 尺に盈たず。

一木 陰有り,一泉 澤有り。

我 將に海水を辭し,鱗を清冷の池に濯わんとす。

(現代語訳)
海には、一口に舟を飲むというような長鯨がいるし、鄧林には、その翼、垂天の雲の如しといわれる様な大鵬がやすんでいる。

苟も、長鯨や、大鵬のその鱗羽の極めて大いなるものにあら坐れば、風波、大波を、盪薄することができないものだ。

しかるに、それらの鱗羽のものから我を見るとまことに些細な存在で、鱗の一寸にも満たない者であろうし、羽にしてみればその一尺にも満たない。

鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。

そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。


(訳注) 2

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

 

海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。

海には、一口に舟を飲むというような長鯨がいるし、鄧林には、その翼、垂天の雲の如しといわれる様な大鵬がやすんでいる。

 

苟非鱗羽大,盪薄不可能。

苟も、長鯨や、大鵬のその鱗羽の極めて大いなるものにあら坐れば、風波、大波を、盪薄することができないものだ。

 

我鱗不盈寸,我羽不盈尺。

しかるに、それらの鱗羽のものから我を見るとまことに些細な存在で、鱗の一寸にも満たない者であろうし、羽にしてみればその一尺にも満たない。

 

一木有陰,一泉有澤。

鄧林の一樹の影に休んでも、その木の影は余りあるくらいだし、その雲夢の鄧林の一泉のみずをのんでも、その泉の水はとても飲みきれるものではない。

 

我將辭海水,濯鱗清冷池。

そうなれば、もっと小さい所に棲む方が良いと、我は、その海水を辞して、汚れた鱗を凊冷の水をたたえる池の水で洗おうとすることになる。

我將辭海水 儒者である韓愈は、時世に流されて麗連に生きることを妨げられるならその職場を辞して去る。陶淵明の《帰去来辞》であり《自祭文》の「陶子將辭逆旅之館,永歸本宅」ということになる。

濯鱗清冷池 許由が潁水で耳のけがれを洗い落としているのを見た巣父が、そのような汚れた水は牛にも飲ませられないとして牛を連れて帰ったという、「荘子」逍遥遊・「史記」燕世家などにみえる故事。栄貴を忌み嫌うことのたとえ。また、その故事を描いた画題。中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。 伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)

59-#1 《補遺-02 海水》 -#1 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1368> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5824

韓愈  海水 -1(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

 

 
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59-1 《補遺-02 海水》 -1 韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳<1368> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5824

 

 

韓愈詩-59-1

800年貞元16年 33

 

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

海水非不廣,鄧林豈無枝。

海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。

風波一盪薄,魚鳥不可依。

林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

海水饒大波,鄧林多驚風。

それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。

豈無魚與鳥,巨細各不同。

そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。

 

2

海有吞舟鯨,鄧有垂天鵬。

苟非鱗羽大,盪薄不可能。

我鱗不盈寸,我羽不盈尺。

一木有陰,一泉有澤。

我將辭海水,濯鱗清冷池。

 

3

我將辭鄧林,刷羽蒙籠枝。

海水非愛廣,鄧林非愛枝。

風波亦常事,鱗魚自不宜。

我鱗日已大,我羽日已修。

風波無所苦,還作鯨鵬游。

 

(海水) #1

海水 廣からざるに非ず,鄧林 豈に枝に無からんや。

風波 一に盪薄,魚鳥 依る可からず。

海水には 大波饒【おお】く,鄧林には 驚風多し。

豈に魚と鳥と無からんや,巨細 各の同じからず。

2

海には 吞舟の鯨有り,鄧には 垂天の鵬有り。

苟くも 鱗羽の大なるに非ざれば,盪薄 能くす可べからす。

我が鱗は 寸に盈たず,我が羽は 尺に盈たず。

一木 有り,一泉 澤有り。

我 將に海水を辭し,鱗を清冷の池に濯わんとす。

3

我 將に鄧林を辭し,羽を蒙籠の枝に刷せんとす。

海水は 廣きを愛むに非らず,鄧林は 枝を愛むに非らず。

風波 亦た常事,鱗魚 自ら宜しからず。

  大,我  【なが】

風波 苦しむ所無く,還た 鯨鵬の游を作す。

 

 

『海水』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

海水 #1

海水非不廣,鄧林豈無枝。

風波一盪薄,魚鳥不可依。

海水饒大波,鄧林多驚風。

豈無魚與鳥,巨細各不同。


(下し文)
(海水) #1

海水 廣からざるに非ず,鄧林 豈に枝に無からんや。

風波 一に盪薄,魚鳥 依る可からず。

海水には 大波饒【おお】く,鄧林には 驚風多し。

豈に魚と鳥と無からんや,巨細 各の同じからず。

(現代語訳)
(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。

林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。

そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。


(訳注)

海水 #1

(今は地方の潘鎮に出かけて仕事を見習い、やがて追々成熟し、中央政府に帰って、今の世にときめく公卿搢紳と一緒に周旋したい)

 

海水非不廣,鄧林豈無枝。

海水は、廣くないということはないし、柚子の鄧林には枝がないということはない。

鄧林 兮夫の杖が化して生じたという柚子の林。楚の北境にあった。<列子、湯問篇>記夸父逐日的神話如下: 夸父不量力,欲追日影,逐之於隅谷之際。渴欲得飲 ,赴飲河渭。河渭不足,將走北飲大澤。未至,道渴而死。棄其杖,尸膏肉所浸,生鄧林,鄧林彌廣數千里焉。

 

風波一盪薄,魚鳥不可依。

林には風があり、海には波があり、一たび盪薄すれば、魚鳥は其処に依って安んずることはできない。

盪薄 動き迫る。盪:1 ばらばらになる。散る。〈名義抄〉2 固まっていたものなどが解けほぐれる。緊張などが緩む。薄:【肉薄/肉迫】1 身をもって敵地などに迫ること。「敵の本拠に―する」2 競争などで、すぐ近くまで追い迫ること。

 

海水饒大波,鄧林多驚風。

それも普通の波ならまだしも、海水には大波が多くあり、鄧林には、驚風が多くあるのである。

驚風 驚いたようににわかに吹く風。

 

豈無魚與鳥,巨細各不同。

そんな大きな波や驚風がつづけば、もとより、そこに棲んで安んじている魚と鳥がいるけれどいることはできない。そこには、尋常なものとは、夐然として大小、巨木や細木、それぞれ同じものがないのにである。

54-#1 《巻07-02 送僧澄觀 -#1  (浮屠西來何施為,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1355> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759

韓愈  送僧澄觀 -1 (良い評判の人物で、徐州に召し上げた僧澄觀が淮泗地方から要請で帰るというのを送別して作った詩。)仏教は、西インドから伝来し、いかなることを施すのか知らないが、これを崇信するもの、愈々多くなり、四海の蒼生、擾擾として争ってその方に奔馳して、斉しく帰依している。

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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217 《(改訂版) 巻22-34 自遣》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <217> Ⅰ李白詩1453 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5813 
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54-#1 《巻07-02 送僧澄觀 -#1  (浮屠西來何施為,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1355> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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54-1 《巻07-02 送僧澄觀 -1  (浮屠西來何施為,)》韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳<1355> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5759韓愈詩-54-1

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三四二              文體:    七言古詩

詩題:    送僧澄觀【注:李邕泗州普光王寺碑。僧伽者,龍朔中西來,嘗縱觀臨淮,發念置寺,既成,中宗賜名普光王寺,以景龍四年三月二日示滅於京,後澄觀建僧伽塔於泗州。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:開封 (河南道 汴州 開封) 別名:大梁             

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方               

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淮 (河南道 泗州 臨淮)  

交遊人物:釋澄觀              當地交遊 (河南道 汴州 開封)

 

送僧澄觀 #1

(良い評判の人物で、徐州に召し上げた僧澄觀が淮泗地方から要請で帰るというのを送別して作った詩。)

【注:李邕泗州普光王寺碑。僧伽者,龍朔中西來,嘗縱觀臨淮,發念置寺,既成,中宗賜名普光王寺,以景龍四年三月二日示滅於京,後澄觀建僧伽塔於泗州。】

(僧澄觀を送る)

【注:李邕 泗州の光王寺に碑を普した。僧伽の者は,龍朔中に西來し,嘗て觀るを縱いままにし淮に臨み,念置寺に發し,既成す,中宗 普して光王寺と名を賜える,以て景龍四年三月二日示して京に滅す,後に澄觀は僧伽の塔を泗州に建る。】

杜甫と交流があった李邕が泗州にある光王寺に碑を普した。その仏教修行僧者は唐高宗李治の治世の龍朔年間に西のインドからやって来た。淮水地方に臨み、念置寺からはじまってしだいにひろがっていった、中宗はあまねくいきわたったとして光王寺と名を賜える,それから景龍四年三月二日示して京に滅した。その後、わいすいちほうで、澄觀は僧伽の塔を泗州に建る

浮屠西來何施為,擾擾四海爭奔馳。

仏教は、西インドから伝来し、いかなることを施すのか知らないが、これを崇信するもの、愈々多くなり、四海の蒼生、擾擾として争ってその方に奔馳して、斉しく帰依している。
構樓架閣切星漢,誇雄鬥麗止者誰。

それによっていたるところに寺を建てるというので楼を構え、閣を架し、その高きことは天上の銀河にも接触するかのようであるという、それぞれの楼閣は結構装飾の雄壮と優麗を競ってだれも止めることを知らないほどである。

僧伽後出淮泗上,勢到眾佛尤恢奇。

ここに、僧伽というのは、近時の名僧であって淮水、泗水のほとりより出た人だという、その名僧が、群衆を帰服せしめる勢いは、衆佛に比敵するほどであり、もっともその名は恢奇と称せられたのである。

浮屠 西より來って 何をか施為する,擾擾【じょうじょう】四海 爭って奔馳。

樓を構え 閣を架して 星漢を切り,雄を誇り 麗を鬥わして 止む者は誰れぞ。

僧伽 後に淮泗ぼ上りに出で,勢は 眾佛に到って 尤も恢奇【かいき】。

#2

越商胡賈身罪,珪璧滿船寧計資。

清淮無波平如席,欄柱傾扶半天赤。

火燒水轉掃地空,突兀便高三百尺。

#2

越商 胡賈 身罪をせんとし珪璧 滿船 寧ろ資を計らんや。

清淮 波無く 平 席の如し,欄柱 傾扶 半天赤し。

火は燒き 水は轉じ 地を掃うて空し,突兀 便ち高し 三百尺。

#3

影沈潭底龍驚遁,當晝無雲跨虛碧。

借問經營本何人,道人澄觀名籍籍。

愈昔從軍大梁下,往來滿屋賢豪者。

皆言澄觀雖僧徒,公才吏用當今無。

4

後從徐州辟書至,紛紛過客何由記。

人言澄觀乃詩人,一座競吟詩句新。

向風長歎不可見,我欲收斂加冠巾。

洛陽窮秋厭窮獨,丁丁啄門疑啄木。

#5

有僧來訪呼使前,伏犀插腦高頰權。

惜哉已老無所及,坐睨神骨空潸然。

臨淮太守初到郡,遠遣州民送音問。

好奇賞俊直難逢,去去為致思從容。

 

(送僧澄觀) #1

浮屠西來何施為,擾擾四海爭奔馳。

構樓架閣切星漢,誇雄鬥麗止者誰。

僧伽後出淮泗上,勢到眾佛尤恢奇。

#2

越商胡賈身罪,珪璧滿船寧計資。

清淮無波平如席,欄柱傾扶半天赤。

火燒水轉掃地空,突兀便高三百尺。

#3

影沈潭底龍驚遁,當晝無雲跨虛碧。

借問經營本何人,道人澄觀名籍籍。

愈昔從軍大梁下,往來滿屋賢豪者。

皆言澄觀雖僧徒,公才吏用當今無。

4

後從徐州辟書至,紛紛過客何由記。

人言澄觀乃詩人,一座競吟詩句新。

向風長歎不可見,我欲收斂加冠巾。

洛陽窮秋厭窮獨,丁丁啄門疑啄木。

#5

有僧來訪呼使前,伏犀插腦高頰權。

惜哉已老無所及,坐睨神骨空潸然。

臨淮太守初到郡,遠遣州民送音問。

好奇賞俊直難逢,去去為致思從容。

 

 

『送僧澄觀』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送僧澄觀 #1

浮屠西來何施為,擾擾四海爭奔馳。

構樓架閣切星漢,誇雄鬥麗止者誰。

僧伽後出淮泗上,勢到眾佛尤恢奇。



(下し文)僧澄觀を送る #1

(僧澄觀を送る)

【注:李邕 泗州の光王寺に碑を普した。僧伽の者は,龍朔中に西來し,嘗て觀るを縱いままにし淮に臨み,念置寺に發し,既成す,中宗 普して光王寺と名を賜える,以て景龍四年三月二日示して京に滅す,後に澄觀は僧伽の塔を泗州に建る。】

浮屠 西より來って 何をか施為する,擾擾【じょうじょう】四海 爭って奔馳。

樓を構え 閣を架して 星漢を切り,雄を誇り 麗を鬥わして 止む者は誰れぞ。

僧伽 後に淮泗ぼ上りに出で,勢は 眾佛に到って 尤も恢奇【かいき】。



(現代語訳)
(良い評判の人物で、徐州に召し上げた僧澄觀が淮泗地方から要請で帰るというのを送別して作った詩。)

杜甫と交流があった李邕が泗州にある光王寺に碑を普した。その仏教修行僧者は唐高宗李治の治世の龍朔年間に西のインドからやって来た。淮水地方に臨み、念置寺からはじまってしだいにひろがっていった、中宗はあまねくいきわたったとして光王寺と名を賜える,それから景龍四年三月二日示して京に滅した。その後、わいすいちほうで、澄觀は僧伽の塔を泗州に建る

仏教は、西インドから伝来し、いかなることを施すのか知らないが、これを崇信するもの、愈々多くなり、四海の蒼生、擾擾として争ってその方に奔馳して、斉しく帰依している。

それによっていたるところに寺を建てるというので楼を構え、閣を架し、その高きことは天上の銀河にも接触するかのようであるという、それぞれの楼閣は結構装飾の雄壮と優麗を競ってだれも止めることを知らないほどである。

ここに、僧伽というのは、近時の名僧であって淮水、泗水のほとりより出た人だという、その名僧が、群衆を帰服せしめる勢いは、衆佛に比敵するほどであり、もっともその名は恢奇と称せられたのである。


(訳注)

送僧澄觀 #1

(良い評判の人物で、徐州に召し上げた僧澄觀が淮泗地方から要請で帰るというのを送別して作った詩。)

800年貞元16年 33歳、河南府洛陽にいた時に僧伽の塔を泗州にたてた澄觀僧師についてのべたもの。釋澄觀は当時の名僧であるが、書物には見えない。この詩の中で、韓愈の行く先々でよい評判の人物であることを述べている。

 

注:李邕泗州普光王寺碑。僧伽者,龍朔中西來,嘗縱觀臨淮,發念置寺,既成,中宗賜名普光王寺,以景龍四年三月二日示滅於京,後澄觀建僧伽塔於泗州。

【注:李邕 泗州の光王寺に碑を普した。僧伽の者は,龍朔中に西來し,嘗て臨淮を縱觀し,發念して寺を置き,既に成る,中宗 名を普光王寺と賜う,景龍四年三月二日以て京に示滅す,後に澄觀は僧伽の塔を泗州に建る。】

杜甫と交流があった李邕が泗州にある光王寺に碑を普した。その仏教修行僧者は唐高宗李治の治世の龍朔年間に西のインドからやって来た。淮水地方に臨み、念置寺からはじまってしだいにひろがっていった、中宗はあまねくいきわたったとして光王寺と名を賜える,それから景龍四年三月二日示して京に滅した。その後、わいすいちほうで、澄觀は僧伽の塔を泗州に建る

李邕678 - 747年)は、中国唐代の書家。広陵江都県(現・江蘇省蘇州市江都区)の人で、字は泰和。『文選』の注釈で有名な李善の子である。盛唐の名臣で、留台侍御史のときに譙王李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗のとき北海太守に任命されたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室である李林甫に警戒され、投獄され杖殺されて非業の死を遂げた。杜甫《八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕》

766年大暦元年55-44-#10奉節-35-#10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10 杜甫index-15 杜甫<907-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755

龍朔(りゅうさく)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。661 - 663年。

中宗(ちゅうそう)は、唐の第4代、第6代皇帝高宗の七男として生まれる。当初は周王に封じられたが、後に英王に改封された。同母兄である李弘の急死と李賢の廃立の後、代わって立太子され、高宗の崩御により即位した。即位後、生母である武則天に対抗すべく、韋皇后の外戚を頼った。具体的には韋后の父である韋玄貞(元貞)を侍中に任用する計画であったが、武則天が信任する裴炎の反対に遭う。計画を反対された中宗は怒りの余り、希望すれば韋元貞に天下を与えることも可能であると発言した。この発言を理由に、即位後わずか54日で廃位され、湖北に流された。

 

浮屠西來何施為,擾擾四海爭奔馳。

仏教は、西インドから伝来し、いかなることを施すのか知らないが、これを崇信するもの、愈々多くなり、四海の蒼生、擾擾として争ってその方に奔馳して、斉しく帰依している。

浮屠 仏陀のことであるが、儒者である韓愈は軽い表現をしている。

西來 西インドから伝来したこと。

擾擾 ごたごたと乱れているさま。騒がしいさま。

四海 1.四方の海。よものうみ。2.《四方の海の内の意》国内。世の中。天下。また、世界。3 仏語。須弥山(しゅみせん)を取り巻く四つの外海。

爭奔馳 競い爭って、走ること。奔走。

 

構樓架閣切星漢,誇雄鬥麗止者誰。

それによっていたるところに寺を建てるというので楼を構え、閣を架し、その高きことは天上の銀河にも接触するかのようであるという、それぞれの楼閣は結構装飾の雄壮と優麗を競ってだれも止めることを知らないほどである。

星漢 天上の銀河。あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。

 

僧伽後出淮泗上,勢到眾佛尤恢奇。

ここに、僧伽というのは、近時の名僧であって淮水、泗水のほとりより出た人だという、その名僧が、群衆を帰服せしめる勢いは、衆佛に比敵するほどであり、もっともその名は恢奇と称せられたのである。

淮泗 淮水、泗水の河川地方。

上 ほとり、二河川の周辺。

眾佛 、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の八部衆があつまること。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。

 もっとも. 道理にかなっていて、なるほどとうなずけるようす。 「君の意見も尤もだ」; ただし。しかし。 前の文に対してある条件を付加する場合に使う接続詞。 「尤も、金があればの話だが」. 【尤】ゆう. 非常にすぐれているようす。

恢奇 ①大きくてすぐれている。〔史記・公孫弘〕「為人恢奇多聞」(人と為り恢奇多聞)②非常に珍しい。恢:おおきい。ひろめる。おおきくする。

53 《(改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1354> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754

韓愈 河之水二首寄子侄老成 其二  もし、一緒にいたならば、うちつれて、高い山にワラビを取り、あるいは、君とともに沈碑潭の淵で釣り糸を垂れると、どんなに楽しいかわからないが、遺憾ながらそれができない。そして、今、私は張建封節度使の命を奉じて長安の朝廷に行くが、遠からず帰って来るから、君もまた、海辺から徐州の方に来てはくれないだろうか。

 

 
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53 (改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》》韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳<1354> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5754
韓愈詩-53

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:  卷三三八        文體:  雜言古詩

詩題:  河之水二首寄子侄老成,二首之二【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】

作地點:        洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都   

 

 

(改訂版)《巻03-01-1 河之水二首寄子侄老成 其一)

河之水二首寄子侄老成,二首之一【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】(自註;愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。

(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。)

河之水,去悠悠。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

我不如,水東流。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。【我有孤侄在海作隅】【案:古音隅,將侯切,亦與流通。】

そして、私には海辺の片田舎、宣城上元の荘園に孤独にさせている君という孤独な甥がいるのだが、三年来、うち途絶えて逢っていない、だから心配で仕方がなく、日夜胸が詰まる思いだ。

日復日,夜復夜。

一日すぎて、また一日がすぎる、一夜あけて、また一夜が来ると、歳月はしきりに移りすぎてしまった。

三年不見汝,使我鬢髮未老而先化。

本当に三年も君と会っていないうちに、まだ、老年という歳ではないのに、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
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(河之水二首子侄老成に寄す,二首の一)

河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。

我は 如【し】かず、水の東流するに。

我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして【うれえ】を生ぜしむ。

日 復た 日、夜 復た 夜。

三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして 未だ老いざるに 先づ化【か】せしむ。

 

(改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》

河之水二首寄子侄老成,二首之二

(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。その二)

河之水,悠悠去。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

我不如,水東注。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
我有孤姪在海浦,三年不見兮使我心苦。

そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
采蕨於山,緡魚於淵。

もし、一緒にいたならば、うちつれて、高い山にワラビを取り、あるいは、君とともに沈碑潭の淵で釣り糸を垂れると、どんなに楽しいかわからないが、遺憾ながらそれができない。
我徂京師,不遠其還。

そして、今、私は張建封節度使の命を奉じて長安の朝廷に行くが、遠からず帰って来るから、君もまた、海辺から徐州の方に来てはくれないだろうか。

 

(河之水二首寄子侄老成,二首之二)

河之水,悠悠去。

我不如,水東注。

我有孤姪在海浦,三年不見兮使我心苦。

采蕨於山,緡魚於淵。

我徂京師,不遠其還。

 

韓愈の地図0055 

『河之水二首寄子侄老成,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》
河之水二首寄子侄老成,二首之二

河之水,悠悠去。

我不如,水東注。

我有孤姪在海浦,三年不見兮使我心苦。

采蕨於山,緡魚於淵。

我徂京師,不遠其還。


(下し文)
河の水、悠悠と去る。

我は如かず、水の東注するに。

我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。

蕨を山に采り、魚を淵に緡す。

我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

(現代語訳)
(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。)

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
もし、一緒にいたならば、うちつれて、高い山にワラビを取り、あるいは、君とともに沈碑潭の淵で釣り糸を垂れると、どんなに楽しいかわからないが、遺憾ながらそれができない。
そして、今、私は張建封節度使の命を奉じて長安の朝廷に行くが、遠からず帰って来るから、君もまた、海辺から徐州の方に来てはくれないだろうか。



(訳注) (改訂版)《巻03-01-2 河之水二首寄子侄老成 其二》

【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】(自註;愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。

(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。その二)

河之水二首 底本巻三。この題も『詩経』にならったもの。二首が、少しばかりの語をのぞいて、互いにほとんど同じであるところも『詩経』をまねたものである。

子侄 侄は甥のこと。子の字は以前韓愈が一緒に住んでいたことを意味し、このように思う(十二郎を祭る文)とするもの。あるいは、誤って加わった文字だとする説があるが従えない。

老成 韓愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。韓老成四歳、韓愈14歳の時、兄韓会が左遷先(韶州・現広東省曲江県)で死去、兄嫁と甥の老成と共に戦乱の中、死物狂いで、洛陽まで帰った。その後兄嫁も死に、老成と二人、死んだ兄の荘園で暮らす経験を持つもの。十九歳、老成9歳になって、韓愈は受験で出る。この時「しばらく別れるが必ず一緒に棲む」と約束して出発する。何回か再会し、汴州の乱がおこるまで1年一緒に暮らすが、その後、老成と死に別れする。その詩に対しての詩が『祭十二郎文(十二郎を祭る文)』である。

 

河之水,去悠悠。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

去悠悠 ゆっくりと流れていく様子。気が付かないうちに時は流れて行ったということ、張若虚《春江花月夜》「白雲一片去悠悠」(白雲一片去って悠悠。)

 

我不如,水東注。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
我不如水東流 東海のほとりに住むおまえに会いにもゆけないわたしは、東の海に流れてそそいでゆく川水にも及ばない情ない身の上だ。

南朝梁武帝詩蕭衍「河中之水向東流,洛陽女兒名莫愁。」とある。

 

我有孤姪在海浦,三年不見兮使我心苦。

そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせている甥がいるのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が詰まる思いだ。
孤姪 親のない甥。○海陬【かいすう】 海(みずうみ)のほとり。このとき老成は、宣城上元の荘園にいた。・宜城酒:裏陽が名酒の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)・雲夢:古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。宜城は海岸のまちではないが大湿地帯で、湖が散在していること。漢水により、荘園が水没した経験からこの表現になったのではないか。

 

采蕨於山,緡魚於淵。

もし、一緒にいたならば、うちつれて、高い山にワラビを取り、あるいは、君とともに沈碑潭の淵で釣り糸を垂れると、どんなに楽しいかわからないが、遺憾ながらそれができない。
采蕨於山 詩経、召南の『草蟲』「渉彼南山、言采其蕨。未見君子、憂いの心、をる彼の南山に捗って、言、其の蕨を采る。未まだ君子を見ざれば、憂いの心惙惙たり。」の句がある。南の山に登って私はワラビを摘む。あなたの御顔を見ぬうちは心配で胸がずきずき痛む。

緡魚於淵 詩経召南の『何彼穠矣』に「其釣維何、維絲伊緡。」(其の釣するは維れ何ぞ、維れ糸を伊れ緡とす)の句がある。行こうにも行けない韓愈を、兵士の妻や、嫁入りの娘に喩え、詩経を釈文してあらわす。挺古詩をいかに巧みに作りうるかが、詩人の才能をはかる一つの尺度とされていた(科挙試験など)。この詩も『詩経』の諸篇とほとんどみわけがつかないぐらいうまく古調を模している点で高く評価されたのであろう。復古主義の韓愈はこうして、子供の時に約束した子供のように思っていた老成に語句の背面にある『詩経』の心を、老成にくみ取らせ、老成が『詩経』を読むたびに韓愈を思い、寂しさを勉学に向かわせようとした。中國の人々は老成と同じ気持ちになって、韓愈の思いやりを読み取ったのである。したがって韓愈のこの詩が人々の中に受け入れられたのであり、華美、美辞麗句、艶歌に向かいがちであった人たちに古き詩文の新しさを感じさせたのである。

 

我徂京師,不遠其還。
そして、今、私は張建封節度使の命を奉じて長安の朝廷に行くが、遠からず帰って来るから、君もまた、海辺から徐州の方に来てはくれないだろうか。
李白図102 

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韓愈 河之水二首寄子侄老成 其一  わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。

 
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年:800年貞元16 33

卷別:  卷三三八        文體:  雜言古詩

詩題:  河之水二首寄子侄老成,二首之一【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】

作地點:        洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

河之水二首寄子侄老成,二首之一【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】(自註;愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。

(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。)

河之水,去悠悠。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

我不如,水東流。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。【我有孤侄在海作隅】【案:古音隅,將侯切,亦與流通。】

そして、私には海辺の片田舎、宣城上元の荘園に孤独にさせている君という孤独な甥がいるのだが、三年来、うち途絶えて逢っていない、だから心配で仕方がなく、日夜胸が詰まる思いだ。

日復日,夜復夜。

一日すぎて、また一日がすぎる、一夜あけて、また一夜が来ると、歳月はしきりに移りすぎてしまった。

三年不見汝,使我鬢髮未老而先化。

本当に三年も君と会っていないうちに、まだ、老年という歳ではないのに、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
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(河之水二首子侄老成に寄す,二首の一)

河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。

我は 如【し】かず、水の東流するに。

我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして【うれえ】を生ぜしむ。

日 復た 日、夜 復た 夜。

三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして 未だ老いざるに 先づ化【か】せしむ。

 

 

『河之水二首寄子老成,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

河之水二首寄子侄老成,二首之一【案:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】

河之水,去悠悠。

我不如,水東流。

我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。【我有孤侄在海作隅】【案:古音隅,將侯切,亦與流通。】

日復日,夜復夜。

三年不見汝,使我鬢髮未老而先化。



(下し文)
(
河之水二首子侄老成に寄す,二首の一)

河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。

我は 如【し】かず、水の東流するに。

我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして【うれえ】を生ぜしむ。

日 復た 日、夜 復た 夜。

三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして 未だ老いざるに 先づ化【か】せしむ。


(現代語訳)
(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。)(自註;愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
そして、私には海辺の片田舎、宣城上元の荘園に孤独にさせている君という孤独な甥がいるのだが、三年来、うち途絶えて逢っていない、だから心配で仕方がなく、日夜胸が詰まる思いだ。
一日すぎて、また一日がすぎる、一夜あけて、また一夜が来ると、歳月はしきりに移りすぎてしまった。
本当に三年も君と会っていないうちに、まだ、老年という歳ではないのに、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。

(訳注)

河之水二首寄子侄老成,二首之一【自註:老成,愈兄介之子,即所謂十二郎是也。】 (自註;愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。

(詩経の《揚之水》の体をまねて甥っ子の老成にこの三年の変化についてと心配している気持ちを寄せる。)

○河之水 黄河。

老成 韓愈の次兄韓介の子で、長兄韓会の養子となり、十二郎とよばれた韓老成である。韓老成四歳、韓愈14歳の時、兄韓会が左遷先(韶州・現広東省曲江県)で死去、兄嫁と甥の老成と共に戦乱の中、死物狂いで、洛陽まで帰った。その後兄嫁も死に、老成と二人、死んだ兄の荘園で暮らす経験を持つもの。十九歳、老成9歳になって、韓愈は受験で出る。この時「しばらく別れるが必ず一緒に棲む」と約束して出発する。何回か再会し、汴州の乱がおこるまで1年一緒に暮らすが、その後、老成と死に別れする。その詩に対しての詩が《祭十二郎文(十二郎を祭る文)》である。

 

吾年十九、始來京城。其後四年、而歸視汝。又四年、吾往河陽省墳墓、遇汝從嫂喪來葬。又二年、吾佐董丞相于汴州。汝來省吾。止一歳、請歸取其孥。明年丞相薨、吾去汴州。汝不果來。是年、吾佐戎徐州。使取汝者始行、吾又罷去。汝又不果來。吾念汝從于東、東亦客也、不可以久。圖久遠者、莫如西歸。將成家而致汝。嗚呼、孰謂汝遽去吾而歿乎。

吾年十九。始めて京城に来る。その後四年にして帰りて汝を視る。また四年にして吾河陽に往き、墳墓を省するに、汝が嫂の喪に従い来たりて葬るに遇う。また二年にして吾董丞相に汴州に佐()たり。汝来りて吾を省す。止まること一歳にして、帰りてその孥()を取らんと請う。明年に丞相薨じて、吾汴州を去る。汝来ることを果たさず。是の年、吾戎(じゅう)に徐州に佐たり。汝を取る者をして始めて行かしめしとき、吾また罷め去る。汝また来ること果たさず。吾汝の東に従うを念(おも)うに、東も亦た客なり、以って久しゅうすべからず。久遠を図るものは、西帰(せいき)するに如くは莫()し。将(まさ)に家を成して汝を致さんとす。嗚呼、孰(たれ)か謂(おも)わん汝遽(にわ)かに吾を去りて歿せんとは。

汴州で別れて何処にいたかは、《祭十二郎文》「中年兄歿南方。吾與汝倶幼、從嫂歸葬河陽。既又與汝就食江南。零丁孤苦、未嘗一日相離也。」(中年に兄南方に歿す。吾と汝と倶(とも)に幼く、嫂に従いて河陽に帰葬(きそう)す。既にしてまた汝と食に江南に就く。零丁孤苦(れいていこく)未だ嘗て一日も相離れず。)とあり、「是病也,江南之人,常常有之。」(是れ病也,江南の之人,常常之有り。)江南がどこか、はっきりしていない。定説では、今の鎮江か上海であろうとされる。

河之水  去悠
我不如  水東
我有孤侄在海  三年不見兮使我生
日復日  夜復
三年不見汝  使我鬢髮未老而先






河之水二首 底本巻三。この題も『詩経』にならったもの。二首が、少しばかりの語をのぞいて、互いにほとんど同じであるところも『詩経』をまねたものである。

 

河之水,去悠悠。

黄河の水は、ゆっくりとはるかかなたに流れ去って大海へといく。

去悠悠 ゆっくりと流れていく様子。気が付かないうちに時は流れて行ったということ、張若虚《春江花月夜》「白雲一片去悠悠」(白雲一片去って悠悠。)

 

我不如,水東流。

わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東流しているように、そのながれにそってゆけば君のところへ行けるのであるが、幕客の身、それも出来ず「不如河水」という情ない次第である。
我不如水東流 東海のほとりに住むおまえに会いにもゆけないわたしは、東の方に流れてゆく川水にも及ばない情ない身の上だ。

南朝梁武帝詩蕭衍「河中之水向東流,洛陽女兒名莫愁。」とある。

 

我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。【我有孤侄在海作隅】【案:古音隅,將侯切,亦與流通。】

そして、私には海辺の片田舎、宣城上元の荘園に孤独にさせている君という孤独な甥がいるのだが、三年来、うち途絶えて逢っていない、だから心配で仕方がなく、日夜胸が詰まる思いだ。
孤姪 親のない甥。

海陬【かいすう】 海(みずうみ)のほとりの片田舎。このとき老成は、宣城上元の荘園にいた。・宜城酒:裏陽が名酒の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)・雲夢:古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。宜城は海岸のまちではないが大湿地帯で、湖が散在していること。漢水により、荘園が水没した経験からこの表現になったのではないか。

 

日復日,夜復夜。

一日すぎて、また一日がすぎる、一夜あけて、また一夜が来ると、歳月はしきりに移りすぎてしまった。
日夜日夜復 夜一日すぎて、また一日がやって來る、一夜あけて、また一夜が来る。おとついも会えず、きのうも食えず、またきょうも会えなかった。そんな嘆きが、このくりかえされる語と句とから、読む者の胸に、自然に、痛切に、響いてくる。古い詩によく使われた句だ。

 

三年不見汝,使我鬢髮未老而先化。

本当に三年も君と会っていないうちに、まだ、老年という歳ではないのに、目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった。
未老而先化 韓愈は前掲の《祭十二郎文(十二郎を祭る文)》の中で「:「吾年未四十,而視茫茫,而髮蒼蒼,而齒牙動搖,念諸父與諸兄,皆康強而早世,如吾之衰者,其能久存乎!」(吾年未だ四十ならずして、視ること茫々たり、髪蒼蒼たり、歯牙動揺す。諸父と諸兄との、皆康彊(こうきょう)にして早世せるを念(おも)えば、吾の衰うる如き者は、それ能く久しく存せんや。吾去()くべからず、汝肯(あえ)て来らずんば、旦暮に死して、汝が涯し無き戚(うれ)いを抱かんことを恐る」と。)吾、年いまだ四十ならざるに、しかも視は茫茫として、髪は蒼蒼たりしといっている。目はぼうっとかすみ、髪はすっかり白くなってしまった、というのである。又別に、『落歯』「去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)に、三十代なのに歯槽膿漏で苦しんだ。その白髪は、なんと悲痛にひびいてくる。

55-#5 (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#5  韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1364> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5804

(改訂版)  歸彭城》-#5  韓愈   そして、こうなったら、晋の山簡と同じであり、酒さえあればすぐに酩酊してしまう。酔って馬に乗り、池端に来てしまう。そして山簡よろしく、「我為誰」とつまらぬ男というだろうが、それは私の本当の面目を知らないからだ。

 

 
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55-#5 (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#5  韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1364 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5804韓愈詩-55-#5

 

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三三七               韓昌黎集 巻02-06 文體:        五言古詩

詩題:    歸彭城【案:貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。】

作地點:徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡           

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

 

 

(歸彭城)

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。

前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

(彭城に帰る) 

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

#2

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
上天不虛應,禍福各有隨。

この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

我欲進短策,無由至彤墀。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
刳肝以為紙,瀝血以書辭。

しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。


去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

 

#3

上言陳堯舜,下言引龍夔。

まず上のこととしては、堯帝、舜帝の治世を例としてその道を説かねばならないことを述べ、下のこととして、堯のときに、その補佐役である竜・夔をも例に引き、名臣が御側にいなければ駄目だとといた。
言詞多感激,文字少葳蕤。

その建白書を天子のお手元に届けようと思いその草稿を読み返してみると、その言辞には感慨激烈の言語が多く、その上、文章には飾りが少なく、露骨であった。
一讀已自怪,再尋良自疑。

こうして、一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら、その意味を改めて考えなおして、正直なところ自分でも差し出し兼ねると思ったほどのものであった。

食芹雖云美,獻御固已痴。

『列子』に見える逸話のように、齊国の百姓が芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとしたが、その志はさることながら、言うまでもなく愚かなことである。
上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

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55-#4 (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#4  韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1363> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5799

歸彭城》-#4  韓愈  その上、わたくしが当今の文章家であるということで、これに対する態度はいささか通常の礼をこえて特別鄭重なものではあったが、それは表面的なことで、心底まで毛皮をかぶっていて、実情、真相をきわめることができなかったのである。
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年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三三七               韓昌黎集 巻02-06 文體:        五言古詩

詩題:    歸彭城【案:貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。】

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:              徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡           

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都    

 

 

(歸彭城)

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。

前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

(彭城に帰る) 

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

#2

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
上天不虛應,禍福各有隨。

この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

我欲進短策,無由至彤墀。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
刳肝以為紙,瀝血以書辭。

しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。


去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

 

#3

上言陳堯舜,下言引龍夔。

まず上のこととしては、堯帝、舜帝の治世を例としてその道を説かねばならないことを述べ、下のこととして、堯のときに、その補佐役である竜・夔をも例に引き、名臣が御側にいなければ駄目だとといた。
言詞多感激,文字少葳蕤。

その建白書を天子のお手元に届けようと思いその草稿を読み返してみると、その言辞には感慨激烈の言語が多く、その上、文章には飾りが少なく、露骨であった。
一讀已自怪,再尋良自疑。

こうして、一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら、その意味を改めて考えなおして、正直なところ自分でも差し出し兼ねると思ったほどのものであった。

食芹雖云美,獻御固已痴。

『列子』に見える逸話のように、齊国の百姓が芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとしたが、その志はさることながら、言うまでもなく愚かなことである。
上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

 

#4

緘封在骨髓,耿耿空自奇。

そこでその建白書を自分の骨髄の中にしっかりと封じこめて、ただ、耿耿として自分一人の中で、憐れみ、奇なり、奇なりといってそらんじているばかりであった。
昨者到京城,屢陪高車馳。

去年の末に、張建封節度使の代理となって、都長安へ行って、何度か節度使の御車に乗るところの当路の大臣たちに陪席して、議論を闘わしたことがあった。
周行多俊異,議論無瑕疵。

そして、朝廷にいる臣僚が居ならぶ中には、すぐれた方たちが多く、その議論にはいかにも婉曲であって、些の瑕疵はなかったのだ。
見待頗異禮,未能去毛皮。

その上、わたくしが当今の文章家であるということで、これに対する態度はいささか通常の礼をこえて特別鄭重なものではあったが、それは表面的なことで、心底まで毛皮をかぶっていて、実情、真相をきわめることができなかったのである。
#4

鍼封【かんぷう】して骨髄に在り、耿耿【こうこう】として空しく自ら奇とす。

昨者【さきごろ】 京城に到り、屡ば 高車に陪して馳す。

周行 俊異多く、議論 瑕疵【かし】無し。

待【たい】せらるるは 頗【すこぶ】る礼を異にするも、未だ毛皮【もうひ】を去る能わず。

 

#5

到口不敢吐,徐徐俟其巘。

歸來戎馬間,驚顧似羈雌。

連日或不語,終朝見相欺。

乘閒輒騎馬,茫茫詣空陂。

遇酒即酩酊,君知我為誰。

 

#5

口に到るも敢て吐かず、徐徐に其の巇【ぎ】を俟【ま】つ。

戎馬の間に帰り来て、驚顧【きょうこ】して 羈雌【きし】に似たり。

連日 或いは語らず、終朝 相 欺【あざむ】かる。

間に乗じて輒【すなわ】ち馬に騎り、茫茫たる空陂【くうば】に詣【いた】る。

酒に遇えば即ち酩酊【めいてい】す 君知るや 我を誰と為すかを。

 

洛陽 函谷関002 

『歸彭城』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#4 韓愈
#4

緘封在骨髓,耿耿空自奇。

昨者到京城,屢陪高車馳。

周行多俊異,議論無瑕疵。

見待頗異禮,未能去毛皮。


(下し文) #4

鍼封【かんぷう】して骨髄に在り、耿耿【こうこう】として空しく自ら奇とす。

昨者【さきごろ】 京城に到り、屡ば 高車に陪して馳す。

周行 俊異多く、議論 瑕疵【かし】無し。

待【たい】せらるるは 頗【すこぶ】る礼を異にするも、未だ毛皮【もうひ】を去る能わず。

(現代語訳)
そこでその建白書を自分の骨髄の中にしっかりと封じこめて、ただ、耿耿として自分一人の中で、憐れみ、奇なり、奇なりといってそらんじているばかりであった。
去年の末に、張建封節度使の代理となって、都長安へ行って、何度か節度使の御車に乗るところの当路の大臣たちに陪席して、議論を闘わしたことがあった。
そして、朝廷にいる臣僚が居ならぶ中には、すぐれた方たちが多く、その議論にはいかにも婉曲であって、些の瑕疵はなかったのだ。
その上、わたくしが当今の文章家であるということで、これに対する態度はいささか通常の礼をこえて特別鄭重なものではあったが、それは表面的なことで、心底まで毛皮をかぶっていて、実情、真相をきわめることができなかったのである。

韓愈の地図0055
(訳注) (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#4  韓愈

(歸彭城) (彭城に帰る) 

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

(彭城は徐州、韓愈が張建封の幕府にいた時の作)

貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。 

 

緘封在骨髓,耿耿空自奇。

鍼封【かんぷう】して骨髄に在り、耿耿【こうこう】として空しく自ら奇とす。

そこでその建白書を自分の骨髄の中にしっかりと封じこめて、ただ、耿耿として自分一人の中で、憐れみ、奇なり、奇なりといってそらんじているばかりであった。
緘封 しっかりと封をすること。○耿耿 1 光が明るく輝くさま。「洋灯(ランプ)が―と輝いて居る」2 気にかかることがあって、心が安らかでないさま。

 

昨者到京城,屢陪高車馳。

昨者【さきごろ】 京城に到り、屡ば 高車に陪して馳す。

去年の末に、張建封節度使の代理となって、都長安へ行って、何度か節度使の御車に乗るところの当路の大臣たちにの陪席して、議論を闘わしたことがあった。
昨者 さきごろ。先般。799年貞元15年冬。

高車 節度使の御車。

 

周行多俊異,議論無瑕疵。

周行 俊異多く、議論 瑕疵【かし】無し。

そして、朝廷にいる臣僚が居ならぶ中には、すぐれた方たちが多く、その議論にはいかにも婉曲であって、些の瑕疵はなかったのだ。
○周行 朝廷に居ならぶ人々。

俊異 すぐれた方たち。

瑕疵 欠点。欠陥。過失。

 

見待頗異禮,未能去毛皮。

待【たい】せらるるは 頗【すこぶ】る礼を異にするも、未だ毛皮【もうひ】を去る能わず。

その上、わたくしが当今の文章家であるということで、これに対する態度はいささか通常の礼をこえて特別鄭重なものではあったが、それは表面的なことで、心底まで毛皮をかぶっていて、実情、真相をきわめることができなかったのである。
○見待 自分に対する、見識。

異禮,通常の礼を超越している。慇懃無礼ということ。

毛皮 気持ちに毛皮をつけていること。朝廷内の実態、真相がつかめないというほどの意。

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55-#3 (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#3  韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1362> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5794韓愈詩-55-#3

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三三七               韓昌黎集 巻02-06 文體:        五言古詩

詩題:    歸彭城【案:貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。】

詩序:   

作地點: 徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點: 徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

     靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡             

     長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

 

(歸彭城)

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。
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前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

(彭城に帰る) 

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

#2

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
上天不虛應,禍福各有隨。

この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

我欲進短策,無由至彤墀。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
刳肝以為紙,瀝血以書辭。

しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。


去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

 

#3

上言陳堯舜,下言引龍夔。

まず上のこととしては、堯帝、舜帝の治世を例としてその道を説かねばならないことを述べ、下のこととして、堯のときに、その補佐役である竜・夔をも例に引き、名臣が御側にいなければ駄目だとといた。
言詞多感激,文字少葳蕤。

その建白書を天子のお手元に届けようと思いその草稿を読み返してみると、その言辞には感慨激烈の言語が多く、その上、文章には飾りが少なく、露骨であった。
一讀已自怪,再尋良自疑。

こうして、一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら、その意味を改めて考えなおして、正直なところ自分でも差し出し兼ねると思ったほどのものであった。

食芹雖云美,獻御固已痴。

『列子』に見える逸話のように、齊国の百姓が芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとしたが、その志はさることながら、言うまでもなく愚かなことである。
上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

 

春秋戦国勢力図 

 

『歸彭城』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
(改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#
#3

上言陳堯舜,下言引龍夔。

言詞多感激,文字少葳蕤。

一讀已自怪,再尋良自疑。

食芹雖云美,獻御固已痴。



(下し文)
上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

(現代語訳)
まず上のこととしては、堯帝、舜帝の治世を例としてその道を説かねばならないことを述べ、下のこととして、堯のときに、その補佐役である竜・夔をも例に引き、名臣が御側にいなければ駄目だとといた。
その建白書を天子のお手元に届けようと思いその草稿を読み返してみると、その言辞には感慨激烈の言語が多く、その上、文章には飾りが少なく、露骨であった。
こうして、一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら、その意味を改めて考えなおして、正直なところ自分でも差し出し兼ねると思ったほどのものであった。

『列子』に見える逸話のように、齊国の百姓が芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとしたが、その志はさることながら、言うまでもなく愚かなことである。
韓愈の地図0055
(訳注) (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#

(歸彭城) (彭城に帰る) 

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

(彭城は徐州、韓愈が張建封の幕府にいた時の作)

 

上言陳堯舜,下言引龍夔。
上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

まず上のこととしては、堯帝、舜帝のの治世を例としてその道を説かねばならないことを述べ、下のこととして、堯のときに、その補佐役である竜・夔をも例に引き、名臣が御側にいなければ駄目だとといた。
 例にとる。

堯舜 太古の聖人皇帝、三皇五帝。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。『史記』の三皇本紀(補三皇本紀または補史記という)では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。五帝について『史記』では①黄帝、②顓頊、③嚳、④堯、⑤舜としていて、禹が入っていない。

龍夔 堯の旧臣たちを官職につけて活躍させたのが禹、皋陶、契、后稷、伯夷、夔、竜、垂、益、彭祖であった。とくに竜、夔が忠君、家臣とされた。

 

言詞多感激,文字少葳蕤。
言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

その建白書を天子のお手元に届けようと思いその草稿を読み返してみると、その言辞には感慨激烈の言語が多く、その上、文章には飾りが少なく、露骨であった。
葳蕤 枝葉の繁るさま。ここでは詩文、散文に余分な飾りがないことをいう。


一讀已自怪,再尋良自疑。」
一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

こうして、一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら、その意味を改めて考えなおして、正直なところ自分でも差し出し兼ねると思ったほどのものであった。

 

食芹雖云美,獻御固已痴。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

『列子』に見える逸話のように、齊国の百姓が芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとしたが、その志はさることながら、言うまでもなく愚かなことである。
食芹 庶民の間で食するもの。

雲美 おいしいという。

獻禦 天子に献上する。・献芹『列子、楊朱』。つまらない野草のセリを差し上げる意みで、物を贈ることをへりくだっていう語。 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。に見える。《列子楊朱》:昔人有美戎菽、甘枲莖芹萍子者, 豪稱之。 豪取而嘗之, 蜇於口, 慘於腹。 眾哂而怨之, 其人大慚。”後因以“芹獻”為禮品菲薄的謙詞。

 おろかなこと。

55-#2 (改訂版) 《巻02-06 歸彭城》-#2  韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1361> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5789

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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韓愈詩-55-#2

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:  卷三三七         韓昌黎集 巻02-06 文體:     五言古詩

詩題:  歸彭城【案:貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。】

詩序: 

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:        徐州 (河南道 徐州徐州) 別名:彭城、徐方         

靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡      

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

 

 

(歸彭城)

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。
前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

(彭城に帰る) 

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

#2

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
上天不虛應,禍福各有隨。

この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

我欲進短策,無由至彤墀。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
刳肝以為紙,瀝血以書辭。

しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。


去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

#3

上言陳堯舜,下言引龍夔。

言詞多感激,文字少葳蕤。

一讀已自怪,再尋良自疑。

食芹雖云美,獻御固已痴。

#4

緘封在骨髓,耿耿空自奇。

昨者到京城,屢陪高車馳。

周行多俊異,議論無瑕疵。

見待頗異禮,未能去毛皮。

#5

到口不敢吐,徐徐俟其巘。

歸來戎馬間,驚顧似羈雌。

連日或不語,終朝見相欺。

乘閒輒騎馬,茫茫詣空陂。

遇酒即酩酊,君知我為誰。

韓愈の地図0055 

 

『歸彭城』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻02-06 歸彭城》-#

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

上天不虛應,禍福各有隨。

我欲進短策,無由至彤墀。

刳肝以為紙,瀝血以書辭。


(下し文)
去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

(現代語訳)
去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。
唐時代 韓愈関連05

(訳注) 《巻02-06 歸彭城》-#

(歸彭城) (彭城に帰る) 

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

(彭城は徐州、韓愈が張建封の幕府にいた時の作)

 

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

去年秋七月、洛陽地方では大雨があり、東郡、鄭州、滑州洪水のため、その地の民は水死して流失してしまった。
東郡水 799年貞元十五年秋七月「鄭州、滑州大水。真是屋漏偏逢連夜雨。」

 

上天不虛應,禍福各有隨。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

この天変地異をうけて、呉少誠が謀反したわけだが、謀叛にも、天変地異にも兵を動かすというのができない、上天は決して応報をむなしくはしないので、大水や、日照りのように共にしかるべき理由があって、人民を誡めるためにされておるのであって、禍福は、すべて善悪の行為に随って起こることなのだとされた。

 

我欲進短策,無由至彤墀。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

わたくしはつたない論策を天子の御前に上申すべく書き上げ、御警戒あるように進言しようと思ったが、卑しい身分であるから、彤墀の所まで進めさせてもらう理由がないということなのだ。
短策 いささかの策。短い鞭。 

彤墀 赤く塗った階段。天子の大極宮殿に庭から階段にかけて丹朱を塗られている。有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102  「丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。」皇帝に接見するには彤庭を通り、丹陛を上っていくのである。
*天のすることにはそれぞれ理由がある。それまでの善悪の積み重ねを天が判断して誡めている。

 

刳肝以為紙,瀝血以書辭。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

しかし、ここで是非ともわたしの志を貫徹しようと、肝をえぐって紙とし、血をしたたらせ手文字を書き連ね建白書を書いたのだ。
刳肝 肝をえぐる。渾身の思いを込めるさま。

爲紙 計画、上奏文にすること。

瀝血 この語も精一杯の気持ちを込めることをいう。

書辭 建白書。

 

 

 

去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【とうち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

 

51-#1 (改訂版)《巻02-06 歸彭城》-#1韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1349> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5729

改訂版 韓愈  歸彭城-#1  799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。

 
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韓愈詩-51-#1

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:  卷三三七         韓昌黎集 巻02-06 文體:     五言古詩

詩題:  歸彭城【案:貞元十五年冬,愈為徐州從事,朝正京師,此曰歸彭城。蓋明年自京師歸徐也。】

詩序: 

作地點:        徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

及地點:        徐州 (河南道 徐州徐州) 別名:彭城、徐方         

靈昌 (河南道 滑州 靈昌) 別名:東郡      

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

 

 

(歸彭城)

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。
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前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

#2

東郡水,生民為流屍。【案:貞元十五年秋,鄭滑大水。】

上天不虛應,禍福各有隨。

我欲進短策,無由至彤墀。

刳肝以為紙,瀝血以書辭。

上言陳堯舜,下言引龍夔。

#3

言詞多感激,文字少葳蕤。

一讀已自怪,再尋良自疑。

食芹雖云美,獻御固已痴。

緘封在骨髓,耿耿空自奇。

#4

昨者到京城,屢陪高車馳。

周行多俊異,議論無瑕疵。

見待頗異禮,未能去毛皮。

到口不敢吐,徐徐俟其巘。

#5

歸來戎馬間,驚顧似羈雌。

連日或不語,終朝見相欺。

乘閒輒騎馬,茫茫詣空陂。

遇酒即酩酊,君知我為誰。

 

(彭城に帰る) 

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

 

#2

去歳 東郡の水、生民 流屍と為る。

上天 応を虚しくぜず、禍福 各の随う有り。

我 短策を進めんと欲するも、彤墀【たんち】に至るに 由 無し。

肝を刳【えぐ】りて以て紙と為し、血を瀝【そそ】ぎて以て辞を書す。

 

#3

上言は 堯舜を陳ベ、下言は龍夔【りゅうき】を引く。

言詞 感激多く、文字 葳蕤【いすい】少なし。

一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良【まこと】に自ら疑う。

芹を食うて 美と云うと雖も、御【ぎょ】に献ずるは固【もと】より己に痴なり。

 

#4

鍼封【かんぷう】して骨髄に在り、耿耿【こうこう】として空しく自ら奇とす。

昨者【さきごろ】 京城に到り、屡ば 高車に陪して馳す。

周行 俊異多く、議論 瑕疵【かし】無し。

待【たい】せらるるは 頗【すこぶ】る礼を異にするも、未だ毛皮【もうひ】を去る能わず。

 

#5

口に到るも敢て吐かず、徐徐に其の巇【ぎ】を俟【ま】つ。

戎馬の間に帰り来て、驚顧【きょうこ】して 羈雌【きし】に似たり。

連日 或いは語らず、終朝 相 欺【あざむ】かる。

間に乗じて輒【すなわ】ち馬に騎り、茫茫たる空陂【くうば】に詣【いた】る。

酒に遇えば即ち酩酊【めいてい】す 君知るや 我を誰と為すかを。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『歸彭城』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(歸彭城)

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

訏謨者誰子,無乃失所宜。

前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】



(下し文)


(現代語訳)
(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。
今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。
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韓愈の地図0055
(訳注)

(歸彭城) (彭城に帰る) 

(張建封の代理として上京したが、担当大臣に会って話をしたが、意見を聞いきいれてもらえなかったようで、彭城に帰ってきて、長安での事を追憶してこの詩を作った。)

(彭城は徐州、韓愈が張建封の幕府にいた時の作)

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797
年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798
年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799
年 「汴州亂二首其一」
    「汴州亂二首其二」
    「此日足可惜贈張籍」

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

41-#3 《0229 齪齪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1334 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5654韓愈詩-41-#3

42-#1 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1335 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5659韓愈詩-42-#1

42-#2 《0304 汴泗交流贈張僕射 -#2》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1336 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5664韓愈詩-42-#2

    「忽忽」

43 《0305 (改訂) 忽忽》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1337 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5669

44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID 雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】<1339 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679

45 《0308 雉帶箭》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1340 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5684

46 《0531 (改訂)從仕》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1341 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5689

47 《外04 贈河陽李大夫》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1342 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5694

48-#3 《外09 贈徐州族姪 -#3》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1345 唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5709 韓愈詩-48-#3
49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714

50-#0 〔《上張僕射書》-#0〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1347 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719
800
年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

「幽懐」
「歸彭城」(彭城に帰る)
「山石」    ・孟郊常州に行く。

歸彭城 #1(5) 韓愈
 韓愈の常日頃頭の中に有ることは、浮世を捨てて隠士となり、孤高の生活を守りたいとおもっている。しかし、現実には「孔丘の道」をとろうとすることは許されないのだ。理想は天子のそばにあって、それを名君といわれるほどの聖天子に仕立てることにあり、また自分にはそれができる能力があると信じていることなのだ。
だからといって、武寧軍節度使の幕僚としてのつとめをおろそかにして、仁義、礼節を怠ることはしてはいない。幕僚になったばかりで、受け入れられはしなかったが就業規則を変えてほしいと上奏し、799年貞元十五年冬、張建封の供をして、長安の都まで出張した。徐州(彭城)へ帰ったのは、800年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩である。

<詩の背景>
絶対的権威は失われ、朝廷の内部は、権力闘争があり、実態は宦官勢力が、要職を占めるに至っており、皇帝の権威は失われてきていた。財政的にも、節度使、潘鎮からの租税が低減しているし、主たる海外貿易の利権は安史の乱の約束により、ウイグルに吸収されていたのだ。国の富が減っていく中で太平はいったいいつになったら得られるのだろうか。

 

 

天下兵又動,太平竟何時。【案:貞元十五年秋,起諸道兵討少誠。】

天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。

799年貞元十五年の秋、節度使の呉少誠が謀反したが、天下に兵乱の気配が充満しており、どこで兵乱がおこってもおかしくない状況であるが、だからと言って今、大軍を動かす時世ではないと朝廷は思っている、こういうことでは、太平の世というのは、何時くるのかわからない。
この頃の主な謀叛や叛乱。細かい抵抗党派、枚挙にいとまがない。
775
年 魏博節度使謀叛。
781
  襄州節度使謀叛。
782
   平蘆、成納、淮西各節度使、地方政府樹立
783
  長安の乱。徳宗、奉天に回避。・韓愈16歳。
787
  吐蕃と同盟した潘鎮の乱。・韓愈20歳。
796
  義武軍の乱            ・韓愈29歳。
799
  義武軍、汴州の乱      ・韓愈32歳。
800
  節度使の呉少誠が謀反  ・韓愈33歳。

 

 

訏謨者誰子,無乃失所宜。

訏【おおい】に謨【はか】る者は誰が子ぞ、乃ち所宜を失う無きか。

今日、天下の大柄を握って天下の政治を補佐する人の為すべきことが、その宜しきを失っているように思う。まことにわけがわからない。経済的な面で大軍を動かせることができないため、兵乱の根源を断ち切ることができないし、国家の大計を立てているのは誰か、適宜に判断、行動が出来なくなっているのではあるまいか。
訏謨 大所高所にたった国家の大計。・ 直言する。・ 大きな企て。

*叛乱を起した少誠を討伐して勝たず、許した。

 

前年關中旱,閭井多死飢。【案:貞元十四年冬,京師饑。】

前年 関中の旱【ひでり】、 閭井【りょせい】 死飢多し。

前年冬には関中地方に非常に旱が続き、村里の間には、餓死者が多くでたのであった。

○前年 798年貞元十四年

○關中 都関内地方において日照り続きで作物が不作。

○閭井 村里の間。
【案:貞元十四年冬,京師饑。】 天候異変で、不作になると、餓死者が出る。こうした時に、叛乱が起こるということは、施政者なら予測しなくてはいけないということを韓愈は思っている。仁政の時は鞍の貯蔵米を出して救済したものである、これが出来ないということは、施政者としてよろしくないというもの。

50-#2 《《巻02-03 幽懷》-#2   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1348> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5724

韓愈 幽懷--#2  我は、「君子行」という古詩を歌って、君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らずと自ら慰めるのである、「瓜田不納履、李下不正冠。」とは昔からそうであるから、今においてもそうなのである。

 

 
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210 《巻17-22 送梁四歸東平》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <210> Ⅰ李白詩1441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5753 
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50-#2 《《巻02-03 幽懷》-#2   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1348> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5724 
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50-#2 《《巻02-03 幽懷》-#2   (幽懷不能寫,)》韓愈(韓退之)ID  800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳の27首<1348 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5724
韓愈詩-50-#2

 

 

年:800年貞元16年 33

卷別:    卷三三七        韓昌黎集 巻二      文體:    五言古詩

詩題:    幽懷

作地點:              徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)

 

 

幽懷  #1

(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)

幽懷不能寫,行此春江潯。

わびしき思いを除きかねて、一人、春江の岸辺を漫歩してゆけば、時あたかものどかな春の日である。

適與佳節會,士女競光陰。

そこに、士女は絶好の行楽日和ということで、行楽に出かけてきていて、遊ぶのに寸暇を惜しんで忙しくしている。

凝妝耀洲渚,繁吹蕩人心。

彼女らは装いをこらしているから洲渚に耀やくばかりで、そこで盛んに笛を吹き、人の心をとろかすほど艶やかな雰囲気である。

#2

間關林中鳥,亦知和為音。

林間にいる鳥も笛の音に合わせて鳴きわたり、また笛も鳥の声に合わせて合唱する。

豈無一尊酒,自酌還自吟。

ただここに、一樽の酒がないわけではないが、世俗となれば、自然に友達も少なく、だから、一人で酌んで、そして一人で歌うだけである。

但悲時易失,四序迭相侵。

こうしてみて、ただ、時の移ろいは失いやすいもので、四時は遠慮なく押し移していくので、まことに、歳月は人を待たない。

我歌君子行,視古猶視今。

我は、「君子行」という古詩を歌って、君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らずと自ら慰めるのである、「瓜田不納履、李下不正冠。」とは昔からそうであるから、今においてもそうなのである。

 

 

(幽懷)

幽懷 寫【のぞ】くべからず,此の春江の潯を行く。

適【たまた】ま 佳節と會し,士女 光陰を競う。

妝を凝して 洲渚に耀き,繁んに吹く 人の心を蕩するに。

 

間關たり 林中の鳥,亦た知る 和して音を為すに。

豈に一尊の酒無からんや,自ら酌み 還た自ら吟ずるのみ。

但だ 悲しむ 時は失い易くして,四序 迭【たがい】に相い侵すを。

我は 「君子行」を歌い,古を視ること 猶お今を視るがごとし。

 

 

『幽懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

間關林中鳥,亦知和為音。

豈無一尊酒,自酌還自吟。

但悲時易失,四序迭相侵。

我歌君子行,視古猶視今。


(下し文)
間關たり 林中の鳥,亦た知る 和して音を為すに。

豈に一尊の酒無からんや,自ら酌み 還た自ら吟ずるのみ。

但だ 悲しむ 時は失い易くして,四序 迭【たがい】に相い侵すを。

我は 「君子行」を歌い,古を視ること 猶お今を視るがごとし。


(現代語訳)
林間にいる鳥も笛の音に合わせて鳴きわたり、また笛も鳥の声に合わせて合唱する。

ただここに、一樽の酒がないわけではないが、世俗となれば、自然に友達も少なく、だから、一人で酌んで、そして一人で歌うだけである。

こうしてみて、ただ、時の移ろいは失いやすいもので、四時は遠慮なく押し移していくので、まことに、歳月は人を待たない。
我は、「君子行」という古詩を歌って、君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らずと自ら慰めるのである、「瓜田不納履、李下不正冠。」とは昔からそうであるから、今においてもそうなのである。


(訳注) #2

幽懷  #1

(わびしきおもい:韓愈が、徐州の張建封の幕府にいたとき、要望書を提出したりしたが受け入れられず、切ないおもいで仕事をして作ったもの。)

46 《0531 (改訂)從仕》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1341 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5689

49 《遺13 贈張徐州莫辭酒》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1346 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5714

50-#0 〔《上張僕射書》-#0〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1347 Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5719

 

間關林中鳥,亦知和為音。

林間にいる鳥も笛の音に合わせて鳴きわたり、また笛も鳥の声に合わせて合唱する。

間關 笛の音に合わせての声。

 

豈無一尊酒,自酌還自吟。

ただここに、一樽の酒がないわけではないが、世俗となれば、自然に友達も少なく、だから、一人で酌んで、そして一人で歌うだけである。

 

但悲時易失,四序迭相侵。

こうしてみて、ただ、時の移ろいは失いやすいもので、四時は遠慮なく押し移していくので、まことに、歳月は人を待たない。

 

我歌君子行,視古猶視今。

我は、「君子行」という古詩を歌って、君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らずと自ら慰めるのである、「瓜田不納履、李下不正冠。」とは昔からそうであるから、今においてもそうなのである。

君子行 文選、古楽府四首・《君子行》「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」(君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。)

君子たるものは、人から疑いを招くような事を未然に防ぎ、嫌疑をかけられるような振る舞いはしないものだ。(取ろうとしていると勘違いされぬように)瓜(うり)畑の中で靴を穿(は)くような仕草をしたり、李(すもも)の木の下で冠をかぶりなおしたりはしないものだ。

視古猶視今 列子「四體安危,古猶今也;世事苦樂,古猶今也。」(四體の安危,古え猶お今のごときなり也、世事の苦樂,古え猶お今のごときなり也。)とある。

 

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