§3 二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。
臣又以為不可。
謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。
其毀廟之主,皆藏於祧廟。
雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。
壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。
その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。
65-#5-§3 《讀巻02-07 禘祫議》- §3 韓愈(韓退之)ID 《 803年貞元19年 38歳》<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924
韓愈詩-65-#5-§3
§3-1
二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。
第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。
臣又以為不可。
私はまたそれはよくないと考えます。
謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。
謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。
其毀廟之主,皆藏於祧廟。
壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。
雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。
その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。
§3-2
自魏晉已降,始有毀瘞之議,
事非經據,竟不可施行。
今國家德厚流光,創立九廟。
以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,
況於毀瘞而不禘祫乎?
二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。
臣又以て不可と爲す。
謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、
一壇一墠、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。
百代と雖も毀たず。祫には則ち太廟に陳ねて饗す。
§3-2
魏晋より己降、始めて毀瘞の議有り。
事経拠に非ず。完に施行す可からず。
今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。
献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。
況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。
『禘祫議』 現代語訳と訳註解説
(本文)
§3
二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。
臣又以為不可。
謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。
其毀廟之主,皆藏於祧廟。
雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。
§3-2
自魏晉已降,始有毀瘞之議,
事非經據,竟不可施行。
今國家德厚流光,創立九廟。
以周制推之,獻、懿二祖,猶在壇墠之位,
況於毀瘞而不禘祫乎?
(下し文)
二に日く、「献・懿の廟主は、宜しく之を毀ち之を瘞むべし」と。
臣又以て不可と爲す。
謹んで《禮記》を按ずるに、天子七廟を立て、
一壇一墠、其の毀廟の主、皆祧廟に蔵す。
百代と雖も毀たず。祫には則ち太廟に陳ねて饗す。
魂晋より己降、始めて毀瘞の議有り。
事経拠に非ず。完に施行す可からず。
今国家徳厚く光流し、創めて九廟を立て、周制を以て之を推す。
献・懿の二祖は、猶壇墠の位に在り。
況や毀瘞して禘・祫せざるに於てをや。
(現代語訳)
第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。
私はまたそれはよくないと考えます。
謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。
壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。
その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。
(訳注) §3-1
禘祫議
禘は五年に一度の朝廷の大祭、祫は三年に一度の大祭である。禘帝は禘祭である。「諦」は審である。『説文』段玉裁注に「之を祭りて審かに諦(あきら)かにする者なり。自来説く者皆言ふ、昭穆を審諦するなりと」とある。昭穆とは、天子の七廟に、まず始祖の廟は西より東を向き、その前方の北側南側にそれぞれ三廟があり、北側に位して南を向いて並んだもの三廟を昭といい、南側にあって北を向いた三廟を穆という。始祖から昭、昭から穆という順序に位を継いだ順を示すのである。これを祭ることによって明審にするのを禘というのである。また祫は合祭の意である。すでに遠くなった先祖の神位は、これを遠廟、すなわち祧に遷す。これを遷廟という。この祧した祖先を太祖の廟に合わせ祭るのを祫という。唐では中宗に至って世祖景皇帝を迫尊して、別に太祖の廟を立てて、献・懿の二宗の廟を加えて九廟とした。そのために祭礼が煩雑となり、群議が一致しないので、韓愈はこれを明らかにするためにこの文を上申した。
議は諭よりやや小さい問題の論文である。
二曰「獻、懿廟主,宜毀之瘞之」。
第二には、「献・懿一廟の位牌は、これを毀して地にうずめるが宜しい」という。
○瘞 うずめる。踟蹰に魏清夜玉などを埋めて地を祭ること、またその祭をいう。
臣又以為不可。
私はまたそれはよくないと考えます。
謹按《禮記》,天子立七廟,一壇,一墠。
謹んで、『礼記』を調べてみますと、天子は七廟を立て、各々一つの壇、一つの墠を設ける。
○礼記 『礼記』王制篇に(帝国の理想の政治制度が書かれている)が、「天子七廟,三昭三穆,與太祖之廟而七。」(天子は七廟、三昭三穆、大祖の廟と七なり)天子七廟,三昭(2,4,6世が左)三穆(3,5,7世が右)と太祖で七代七廟を祀る。とある。その疏に「周の七なる所以は、文王、武王命を受けたるを以て、其の廟毀たず。以て二祧と為す。始祖后稷及び高祖以下親廟四と幷せて、故に七と為すなり」とある。その他諸説ある。
○壇・墠 祭場。土を盛り上げたのを壇、地を清めたところを墠という。『礼記』祭法篇に「王立七廟,一壇一墠」(王は七廟を立つ、一壇一墠)とある。
其毀廟之主,皆藏於祧廟。
壇は土地を高くして、そこに廟を作り、墠は壇の後の清浄な所である。
○祧 『礼記』祭法篇に「祧之言超也,言其超然上去也。」(祧の言は超なり。其の超然として上に去るをいふ)と。遠廟のこと。高祖の父、祖父の廟をいう。別に離れた所に祧廟を立て、毀廟の神主を入れて置く。
雖百代不毀,祫則陳於太廟而饗焉。
その毀瘞の神主(位牌)は、皆 祧廟に蔵めて、百代を経ても毀たず、祫の祭りをするときには、これを太廟に列ねて供物を献げる。
















