漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2015年05月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

71 《巻04-17 哭楊兵部凝陸歙州參》 (人皆期七十,) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1419> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6079

哭楊兵部凝陸歙州參

人皆期七十,纔半豈蹉跎。

併出知己淚,自然白髮多。

晨興為誰慟,還坐久滂沱。

論文與晤語,已矣可如何。
(楊凝兵部と陸參歙州刺史の連続した死に慟哭す。)人は皆、そのじん生は七十を期すという、我も今年で36歳、わづかにその半分に及んだということであるが、何も蹉跎しているとはおもわないし、それで悲しむということはないが、二人の友を喪っことについては、悲まないわけには行かぬ。それも、一人ならまだしも、又、次に一人、つまり二人連続して死んだのであるから、知己の涙を併せて注ぎ出すのである、それがために、自然と白髪も多くなるのは仕方がない。

 

71 《巻04-17 哭楊兵部凝陸歙州參》   (人皆期七十,) 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1419> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6079

 


 
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71 《巻04-17 哭楊兵部凝陸歙州參》 (人皆期七十,) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1419> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6079 
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韓愈詩-71

年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三九              文體:    五言律詩

詩題:    哭楊兵部凝陸歙州參

作地點:              目前尚無資料

及地點:歙州 (江南東道 歙州 歙州)              

交遊人物:楊凝    書信往來

陸參       書信往來

 

 

哭楊兵部凝陸歙州參

(楊凝兵部と陸參歙州刺史の連続した死に慟哭す。)

人皆期七十,纔半豈蹉跎。

人は皆、そのじん生は七十を期すという、我も今年で36歳、わづかにその半分に及んだということであるが、何も蹉跎しているとはおもわないし、それで悲しむということはないが、二人の友を喪っことについては、悲まないわけには行かぬ。

併出知己淚,自然白髮多。

それも、一人ならまだしも、又、次に一人、つまり二人連続して死んだのであるから、知己の涙を併せて注ぎ出すのである、それがために、自然と白髪も多くなるのは仕方がない。

晨興為誰慟,還坐久滂沱。

今朝も、早く起きだし、おもひ出しては慟哭し、やがて坐っても、涙は滂沱として尽きないのである。

論文與晤語,已矣可如何。

この二人とは、生前、ともに文を論じあい、面談して心を慰め、まことに、我が良友であったのに、最早、論議すら、することもできないと思えば、慟哭を止める訳にも行かす、己んぬるかな、今後どうしたら善かろうかと思うばかりである。

 

(楊兵 部の凝 陸歙州參を哭す)

人 皆 七十を期す,纔かに半にして豈に蹉跎せん。

併せて 知己の淚を出だし,自然に 白髮多し。

晨興 誰が為に慟せん,還って坐して久しく 滂沱す。

論文と晤語と,已んぬるかな 如何んともす可し。
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『哭楊兵部凝陸歙州參』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

哭楊兵部凝陸歙州參

人皆期七十,纔半豈蹉跎。

併出知己淚,自然白髮多。

晨興為誰慟,還坐久滂沱。

論文與晤語,已矣可如何。
(含異文)

人皆期七十【人生期七十】,纔半豈蹉跎。併出知己淚【數出知己淚】,自然白髮多。晨興為誰慟,還坐久滂沱。論文與晤語【新墳與晤語】【論文與宿草】【新墳與宿草】,已矣可如何【已矣兩如何】【已矣復如何】。


(下し文)

(楊兵 部の凝 陸歙州參を哭す)

人 皆 七十を期す,纔かに半にして豈に蹉跎せん。

併せて 知己の淚を出だし,自然に 白髮多し。

晨興 誰が為に慟せん,還って坐して久しく 滂沱す。

論文と晤語と,已んぬるかな 如何んともす可し。

(現代語訳)
(楊凝兵部と陸參歙州刺史の連続した死に慟哭す。)

人は皆、そのじん生は七十を期すという、我も今年で36歳、わづかにその半分に及んだということであるが、何も蹉跎しているとはおもわないし、それで悲しむということはないが、二人の友を喪っことについては、悲まないわけには行かぬ。

それも、一人ならまだしも、又、次に一人、つまり二人連続して死んだのであるから、知己の涙を併せて注ぎ出すのである、それがために、自然と白髪も多くなるのは仕方がない。

今朝も、早く起きだし、おもひ出しては慟哭し、やがて坐っても、涙は滂沱として尽きないのである。

この二人とは、生前、ともに文を論じあい、面談して心を慰め、まことに、我が良友であったのに、最早、論議すら、することもできないと思えば、慟哭を止める訳にも行かす、己んぬるかな、今後どうしたら善かろうかと思うばかりである。


(訳注)

哭楊兵部凝陸歙州參

(楊凝兵部と陸參歙州刺史の連続した死に慟哭す。)

楊凝 唐書に楊凝傳あり、新唐書 《楊凝傳》 “凝、董晉の判官となり、晉卒の亂起きるや、凝走って、京師に帰り、門をとずること三年、兵部郎中に拝せられ、病を以て卒す”とあり、

兵部 隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

陸歙州參 歙州 (江南東道 歙州 歙州)の陸參 呉郡の陸参のことで。字は公佐、侍御史より、入って祠部員外郎となり、二年いでて、歙州の刺史、そこで没。

 

人皆期七十,纔半豈蹉跎。

人は皆、そのじん生は七十を期すという、我も今年で36歳、わづかにその半分に及んだということであるが、何も蹉跎しているとはおもわないし、それで悲しむということはないが、二人の友を喪っことについては、悲まないわけには行かぬ。

蹉跎 つまずく。思うようにいかない。時期を逸する。つまずいて時機を失すること。[形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。《楚辭·王褒〈九懷·株昭〉》:“驥垂兩耳兮,中阪蹉跎。”洪興祖補注:“蹉跎,失足。” .とある。韓愈は、大歴三年に生れたから、この年36歳、そこで、七十の半といったのである。

 

併出知己淚,自然白髮多。

それも、一人ならまだしも、又、次に一人、つまり二人連続して死んだのであるから、知己の涙を併せて注ぎ出すのである、それがために、自然と白髪も多くなるのは仕方がない。

 

晨興為誰慟,還坐久滂沱。

今朝も、早く起きだし、おもひ出しては慟哭し、やがて坐っても、涙は滂沱として尽きないのである。

晨興 朝早く起きる

滂沱 なみだの流れるすがた。

 

論文與晤語,已矣可如何。

この二人とは、生前、ともに文を論じあい、面談して心を慰め、まことに、我が良友であったのに、最早、論議すら、することもできないと思えば、慟哭を止める訳にも行かす、己んぬるかな、今後どうしたら善かろうかと思うばかりである。


70-#4(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #4》【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1418> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6074

韓愈  落歯#4  

我言生有涯,長短俱死爾。

人言齒之豁,左右驚諦視。

我言莊周云,水雁各有喜。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

因歌遂成詩,持用詫妻子。
『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もある』というわけで、それぞれに幸いがあるものだ。荘子の考えを、自分の落歯にあてはめれば、“ものが言いにくくなれば、黙っていられるから、かえって都合がよいというものだし、噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる”ということだ。

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 2015年5月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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248 《巻22-18 春日獨酌二首 其一》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <248> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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70-#4(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #4》【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1418> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6074 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四10望江怨》『花間集』161全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6077 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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韓愈詩-70-#3

年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    落齒

 

落 歯 #1
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年落一牙、今年落一齒。
去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。

俄然落六七、落勢殊未已。
そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
餘存皆動搖、盡落應始止。

あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。

憶初落一時、但念豁可恥。
遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。

#2

及至落二三,始憂衰即死。

しかしそのあと引き続いて二・三本と抜けてゆくにおよんで、このままからだが老衰して死期が近づいているのではと心配した。

每一將落時,懍懍恆在已。

そして、その後は、一本が抜けそうになるたびに、いつも懍懍たるビクビクした思いにとりつかれた。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。
終焉舍我落,意與崩山比。

務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。
#3

今來落既熟,見落空相似。

このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けても、ああ。またかと思うだけだ。
餘存二十餘,次第知落矣。

今のこっている歯は、二十余本であるが、これも次々に抜けてゆくに違いないだろう。

儻常落一,自足支兩紀。

だが仮に、毎年一本ずつ抜けるとしたら、歳星二回り、即ち二十余年は十分に持つ勘定になる。
如其落併空,與漸亦同指。

もし、また、万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだと考えればよいのだ。
人言齒之落,壽命理難恃。

ある人は、歯がぬけるというのは、道理として寿命がちぢまって来たことの証拠だといったけれど、実際にはそうではないらしい。

#4

我言生有涯,長短俱死爾。

私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。

人言齒之豁,左右驚諦視。

歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。

我言莊周云,水雁各有喜。

私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もある』というわけで、それぞれに幸いがあるものだ。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

荘子の考えを、自分の落歯にあてはめれば、“ものが言いにくくなれば、黙っていられるから、かえって都合がよいというものだし、噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる”ということだ。

因歌遂成詩,持用詫妻子。

そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

 

(落歯) #1
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
#2

二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
#3

今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
#4

我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。

 

 

『落齒』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

#4

我言生有涯,長短俱死爾。

人言齒之豁,左右驚諦視。

我言莊周云,水雁各有喜。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

因歌遂成詩,持用詫妻子。

(下し文)
#4

我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。

人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。

我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。

語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」

因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。

(現代語訳)
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。

歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。

私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もある』というわけで、それぞれに幸いがあるものだ。

荘子の考えを、自分の落歯にあてはめれば、“ものが言いにくくなれば、黙っていられるから、かえって都合がよいというものだし、噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる”ということだ。

そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

(訳注) #4

我言生有涯、長短倶死爾。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。


人言齒之豁、左右驚諦視。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。

諦視 じっと見つめること。見きわめること。諦観。


我言荘周云、木鴈各有喜。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もある』というわけで、それぞれに幸いがあるものだ。

荘周 姓は荘,名は周,字は子休といい,宋の蒙(河南省商邱県)の人。荘周とも称される。その伝記には不明な部分が多いが,《史記》本伝や《荀子》など先秦諸子の書の記事および《荘子》外・雑篇に散見される荘周説話などによれば,およそ前370‐前300年ごろの人で,故郷の蒙で漆園の管理に携わる小役人を務めるかたわら,名家の巨匠恵施と親しく交わった知識該博な学者であり,楚王から宰相に迎えられたのも辞退して,おおむね清貧の中で自適の生涯を送ったようである。

木鴈各有喜 材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。末尾に《荘子、山木第二十》の関連部分を掲載。


語訛黙固好、嚼廢軟還美。
荘子の考えを、自分の落歯にあてはめれば、“ものが言いにくくなれば、黙っていられるから、かえって都合がよいというものだし、噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる”ということだ。

 かむ【噛む/咬む/嚼む】とは。意味や解説、類語。[動マ五(四)]1 上下の歯で物を挟んだり、砕いたりする。「悔しさで唇を―・む」「よく―・んで食べなさい」2 歯を立てて傷つける。「舌を―・む」「蛇に―・まれる」3 歯車の歯などがぴったりと合わさる。


因歌遂成詩、持用詫妻子。』
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

詫妻子 妻や子供達に見せびらかすこと。

 

 

「木鴈各有喜」の文献

《荘子、山木第二十》

『莊子行於山中、見大木、枝葉盛茂、伐木者止其旁而不取也。問其故。曰「無所可用。」莊子曰「此木以不材得終其天年。」夫子出於山、舍於故人之家。故人喜、命豎子殺雁而烹之。豎子請曰「其一能鳴、其一不能鳴、請奚殺?」主人曰「殺不能鳴者。」明日、弟子問於莊子曰「昨日山中之木、以不材得終其天年。今主人之雁、以不材死。先生將何處?

 

莊子笑曰「周將處乎材與不材之間。材與不材之間、似之而非也、故未免乎累。若夫乘道徳而浮游則不然。無譽無謗、一龍一蛇、與時倶化、而無肯專為、一上一下、以和為量、浮游乎萬物之祖、物物而不物於物、則胡可得而累邪。此黄帝、神農之法則也。若夫萬物之情、人倫之傳、則不然。合則離、成則毀、廉則挫、尊則議、有為則虧、賢則謀、不肖則欺、胡可得而必乎哉?悲夫!弟子志之、其唯道徳之郷乎!』(『荘子』三木第二十)

 

荘子は弟子とともに山中に入り、生い茂った大木を見つけた。樵達は、その木を切り倒そうとはしない。樵にその理由を尋ねると、「あの木は役に立たないから、ほったらかしているんだ。」という。荘子は「見るがいい、あの木は役に立たないがゆえに、天寿を全うすることができるのだ。」その後、彼らは山を降り、知人の家にやっかいになった。古い友人は喜び、雁を殺してご馳走しようとした。召使が「鳴く雁と鳴かない雁がおりますが、どちらを殺しましょう?」主人は「鳴かないほうを殺しておこうか」というやりとりしていた。翌日、弟子が荘子に質問した「役に立たない大木は天寿を全うしたのに、鳴かない鳥は殺されてしまうんですね。先生はどこにこの世のどこに処りどころがあるとお思いですか?」。

 

荘子は笑って言った。「じゃあ私は、役に立つものと、役に立たないものの真ん中に居てしまおうか。しかし、真ん中にいるというのは、決して本当の道ではない。世の中の煩わしさから逃れることはできないだろうよ。役に立つものと立たないものの価値を超えて、俗世から抜け出すほどではなければな。あるときは龍のように、あるときは蛇のように、時の流れに乗って、ひとつ事に執着しない。上に、下に、動きながら、一つの場所に囚われず、和を以って自らの度量とする。物を物として使い、物に支配されないようになれば、世の中の煩いから逃れられうだろう。世の中のありさまや、人の常ある様子は、それとは違うのだ。出会いがあれば別れがあり、成功があれば失敗があり、真面目だと角を挫かれ、高い位のものは批判され、何かをしようとすれば妨げられ、賢明であると謀略にあい、暗愚であると詐欺にあう。この世の煩わしさから逃れようとしても、物とらわれていると、どうしようもないな。悲しむべきことだよ。弟子たちよ、記しておけ。ただ、道徳の郷のみだと。」

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韓愈 落齒 #3  

今來落既熟,見落空相似。餘存二十餘,次第知落矣。儻常落一,自足支兩紀。

如其落併空,與漸亦同指。人言齒之落,壽命理難恃。
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けても、ああ。またかと思うだけだ。今のこっている歯は、二十余本であるが、これも次々に抜けてゆくに違いないだろう。だが仮に、毎年一本ずつ抜けるとしたら、歳星二回り、即ち二十余年は十分に持つ勘定になる。
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韓愈詩-70-#3

年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    落齒

 

落 歯 #1
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年落一牙、今年落一齒。
去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。

俄然落六七、落勢殊未已。
そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
餘存皆動搖、盡落應始止。

あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。

憶初落一時、但念豁可恥。
遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。

#2

及至落二三,始憂衰即死。

しかしそのあと引き続いて二・三本と抜けてゆくにおよんで、このままからだが老衰して死期が近づいているのではと心配した。

每一將落時,懍懍恆在已。

そして、その後は、一本が抜けそうになるたびに、いつも懍懍たるビクビクした思いにとりつかれた。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。
終焉舍我落,意與崩山比。

務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。
#3

今來落既熟,見落空相似。

このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けても、ああ。またかと思うだけだ。
餘存二十餘,次第知落矣。

今のこっている歯は、二十余本であるが、これも次々に抜けてゆくに違いないだろう。

儻常落一,自足支兩紀。

だが仮に、毎年一本ずつ抜けるとしたら、歳星二回り、即ち二十余年は十分に持つ勘定になる。
如其落併空,與漸亦同指。

もし、また、万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだと考えればよいのだ。
人言齒之落,壽命理難恃。

ある人は、歯がぬけるというのは、道理として寿命がちぢまって来たことの証拠だといったけれど、実際にはそうではないらしい。

#4

我言生有涯,長短俱死爾。

人言齒之豁,左右驚諦視。

我言莊周云,水雁各有喜。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

因歌遂成詩,持用詫妻子。

 

 

(落歯) #1
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
#2

二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
#3

今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
#4

我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』

 

 

『落齒』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

今來落既熟,見落空相似。

餘存二十餘,次第知落矣。

儻常落一,自足支兩紀。

如其落併空,與漸亦同指。

人言齒之落,壽命理難恃。

(下し文)


(現代語訳)
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けても、ああ。またかと思うだけだ。
今のこっている歯は、二十余本であるが、これも次々に抜けてゆくに違いないだろう。

だが仮に、毎年一本ずつ抜けるとしたら、歳星二回り、即ち二十余年は十分に持つ勘定になる。
もし、また、万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだと考えればよいのだ。
ある人は、歯がぬけるというのは、道理として寿命がちぢまって来たことの証拠だといったけれど、実際にはそうではないらしい。



(訳注) #3

落 歯
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

 このときの韓愈は35歳だから、ずいぶん早くから歯が悪かったわけである。本人は歯がぬけても平気のようなことをいっているが、内心で気にしていたことは疑いがない。それもそのはずで、この年(貞元十九年〈803年)の四月には韓愈の妻の母の苗氏が亡くなり、五月には兄の韓介の子で愈といっしょに育てられた韓老成(十二郎)が死んだ。愈は身辺が索莫として、もの寂しい気持に沈まざるを得ないのである。

 

今來落既熟、見落空相似。
このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、抜けても、ああ。またかと思うだけだ。
今來 このころ○ 物事を、静かに深く考えたり、注意深く観察したりするさま。○空相似 空しく相い似たり


餘存二十餘、次第知落矣。
今のこっている歯は、二十余本であるが、これも次々に抜けてゆくに違いないだろう。


儻常歳落一、自足支両紀。
だが仮に、毎年一本ずつ抜けるとしたら、歳星二回り、即ち二十余年は十分に持つ勘定になる。
儻常 だが仮に。

両紀 二十余年。紀は歳星のひとまわり。十二年の倍二十四年。


如其落併空、與漸亦同指。
もし、また、万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだと考えればよいのだ。
如其 もしまた万が一。

落併空 いっぺんに完全抜けて

○與漸 おもむろに少しずつ。

亦同指 結局は同じことだ。

 

人言齒之落、壽命理難恃。
ある人は、歯がぬけるというのは、道理として寿命がちぢまって来たことの証拠だといったけれど、実際にはそうではないらしい。

理難恃 理屈、理論ではそうなるが、そうばっかりでもないというほどの意。道理として・・・・・・・ことの証拠だといったけれど、実際にはそうではないらしい。

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韓愈   落歯 #2  

及至落二三,始憂衰即死。

每一將落時,懍懍恆在已。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

終焉舍我落,意與崩山比。
どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。
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70-#2(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #2》【4分割】 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1416 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6064

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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韓愈詩-70-#2

年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    落齒

 

落 歯 #1
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年落一牙、今年落一齒。
去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。

俄然落六七、落勢殊未已。
そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
餘存皆動搖、盡落應始止。

あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。

憶初落一時、但念豁可恥。
遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。

#2

及至落二三,始憂衰即死。

しかしそのあと引き続いて二・三本と抜けてゆくにおよんで、このままからだが老衰して死期が近づいているのではと心配した。

每一將落時,懍懍恆在已。

そして、その後は、一本が抜けそうになるたびに、いつも懍懍たるビクビクした思いにとりつかれた。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。
終焉舍我落,意與崩山比。

務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。
#3

今來落既熟,見落空相似。

餘存二十餘,次第知落矣。

儻常落一,自足支兩紀。

如其落併空,與漸亦同指。

人言齒之落,壽命理難恃。

#4

我言生有涯,長短俱死爾。

人言齒之豁,左右驚諦視。

我言莊周云,水雁各有喜。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

因歌遂成詩,持用詫妻子。

 

 

(落歯) #1
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
#2

二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
#3

今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
#4

我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』

 

 

『落齒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

及至落二三,始憂衰即死。

每一將落時,懍懍恆在已。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

終焉舍我落,意與崩山比。

(下し文)
二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。

一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。

終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。

(現代語訳)
しかしそのあと引き続いて二・三本と抜けてゆくにおよんで、このままからだが老衰して死期が近づいているのではと心配した。

そして、その後は、一本が抜けそうになるたびに、いつも懍懍たるビクビクした思いにとりつかれた。
どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。
務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。

(訳注) #2

 

及至落二三、始憂衰即死。
しかしそのあと引き続いて二・三本と抜けてゆくにおよんで、このままからだが老衰して死期が近づいているのではと心配した。


毎一將落時、懍懍恆在己。』
そして、その後は、一本が抜けそうになるたびに、いつも懍懍たるビクビクした思いにとりつかれた。
懍懍 心の引き締まる形容。おそれおののく。 

恆在己 常に心に心配事がある。擬惧。


叉牙妨食物、顛倒怯漱水。
どうか抜けぬようにと願い、その歯が触って具合の悪いのをこらえ、叉牙としてうごいているその刃に触れぬようにし、朝、口を漱ぐときにも、ビクビクものだった。
○妨 さまたげる。

顛倒 さかさまになる。揺れ動く。

 くちをすすぐ。手で揺り動かして汚れを洗う。


終焉捨我落、意與崩山比。
務めて大切にしたけれど、やはり、そのかいもなく、とうとう抜け落ちてしまったときには、まるで山が崩れ落ちてきて、とめてもとまらないような気がしたものだ。
終焉 その場で身が落ち着くこと。窮まり果てること。臨終。

意與 気持ちを


 このときの韓愈は35歳だから、ずいぶん早くから歯が悪かったわけである。本人は歯がぬけても平気のようなことをいっているが、内心で気にしていたことは疑いがない。それもそのはずで、この年(貞元十九年〈803年)の四月には韓愈の妻の母の苗氏が亡くなり、五月には兄の韓介の子で愈といっしょに育てられた韓老成(十二郎)が死んだ。愈は身辺が索莫として、もの寂しい気持に沈まざるを得ないのである。

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韓愈  落齒 #1  

去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。

餘存皆動搖,盡落應始止。憶初落一時,但念豁可恥。

(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
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70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之)  803年貞元19 38歳<1415> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

 

 
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韓愈詩-70-#1

年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三九              文體:    五言古詩

詩題:    落齒

 

 

落齒 #1

去年落一牙,今年落一齒。

俄然落六七,落勢殊未已。

餘存皆動搖,盡落應始止。

憶初落一時,但念豁可恥。

#2

及至落二三,始憂衰即死。

每一將落時,懍懍恆在已。

叉牙妨食物,顛倒怯漱水。

終焉舍我落,意與崩山比。

#3

今來落既熟,見落空相似。

餘存二十餘,次第知落矣。

儻常落一,自足支兩紀。

如其落併空,與漸亦同指。

人言齒之落,壽命理難恃。

#4

我言生有涯,長短俱死爾。

人言齒之豁,左右驚諦視。

我言莊周云,水雁各有喜。

語訛默固好,嚼廢軟還美。

因歌遂成詩,持用詫妻子。

 

 

(落歯) #1
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
#2

二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
#3

今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
#4

我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』

 

 

80135歳貞元十八年春、韓愈はようやく吏部の試に合格して、大臣・宰相はあまり望めそうもない職ではあるが、高級官僚の列につらなった。これはたいへんな名誉で、韓愈に与えられたのは四門溥士というものであった。
 唐の政治体制のほとんどは、高級官僚、三品以上の人の子弟は国子学に、四品・五品の子弟は太学に、六品・七品の子弟は四門学に、それ以下の子弟は律学に入ることときまっていた。親の身分により、子弟の入学する学校に影響するわけで、これも六朝から続いた世襲制の名残りであり、博士はそこの教官の官名である。それぞれの学校には教官として博士および助教が各一名ないし三名いるので、韓愈が任官した四門博士というのは、四門学のなかでは高級官僚であってもとてもエリートコースに乗ったというものではない。重要なことは、役職に在るからこそ、作られた詩文に評判が出やすいというものである。頽廃化していく朝廷を儒教の論議により支えたいというのが韓愈であった。

 これらの学校には、学生になっていれば、無条件で科挙の受験資格、が得られ、国子監の学生であるか、地方長官の推薦状をもつことが、受験者としては必要な条件なのである。たてまえの上では前者のほうが本筋とされる。もっとも国立学校での講義は、科挙と無関係ではないものの、特別に受験指導をするわけでもないし、在籍していると受験に有利だということもない清廉な学校である。だから、長安の子弟は、入学しておけば学問的雰囲気のなかで過ごせるということであった。地方在住者がわざわざ上京して入学するということはなかった。国子監は科挙のための予備校であったのなら、賄賂等あり、清廉潔白ということはなかったのである。

 四門博士のような官を「清官」という。清廉潔白な官という意味である。この官職は教養があって学問・文学に熟達していなければ勤まりかねる職なので、これに任ぜられることは名誉であるが、役得というものとは全然ない。清潔なもので世の尊敬はあっても、本人にとっては一文も余分な収入はなく、生活は苦しかったようだ。

 韓愈は四門博士の職を、まじめに勤めたらしい。若い学生を相手にして「古えの道」を説くことは、彼の理想でもあったし、またそれが彼の性格にも最もよく合うものであった。ただ、それでは生計は立てにくい。四門博士に任官してまもない貞元十八年七月、韓愈は工部尚書兼山南東道節度使の于頗という人に手紙を送って、援助を求めている。何がしてほしいのか、必ずしも明瞭には書かれていないが、節度使に手紙を出した以上、援助してやるからおれの部下になれといわれたら、いまさら断わることはできまい。あるいは愈は、四門博士の俸給があまり安いのに音をあげて、節度使の幕僚にもう一度もどってもいいと思っていたのだろう。

 韓愈が、四門博士の職をけっして怠けていたわけではないが、韓愈にとって完全に満足できるポストではなかったということができる。それが反映したのか、このころの韓愈が書いたものの中に、
韓愈《八大家巻三13 与崔群書》(崔群に与うる書)[808年作]というのがある。参考までに後半1/4を引用するが全体に自虐的な言葉が見える。生活の苦しさと、仕事に満足感がなかった時期であることが読み取れる。
「仆無以自全活者,從一官於此,轉困窮甚,思自放於伊、潁之上,當亦終得之。

近者尤衰憊,左車第二牙,無故搖動去;

目視昏花,尋常間便不分人顏色;兩鬢半白,頭發五分亦白其一,須亦有一莖兩莖白者。

仆家不幸,諸父諸兄皆康強早世,如仆者,又可以圖於久長哉?

以此忽忽,思與足下相見,一道其懷。小兒女滿前,能不顧念!

足下何由得歸比來?仆不樂江南,官滿便終老嵩下,足下可相就,仆不可去矣。

珍重自愛,慎飲食,少思慮,惟此是望。」
自分の老いを必要以上に強調しているところが認められる。自分の兄弟や叔父たちは、みな丈夫であったが若死にした。自分のように今から歯が抜け、目はかすみ、白髪が生えているありさまでは儒者たるもの、痩せ我慢をしたがる韓愈のことだから、寂しいというようなせりふはめったに口にしないが。(韓愈はこのとき四十歳なのに)、そう長くはもたないだろうとも書いている。
 それは、見た目にもショッキングなできごとであったろう「歯が抜け落ちた」のだ。歯槽膿漏であった。

 

 

便宜的に4分割して掲載。

落 歯 #1
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年落一牙、今年落一齒。
去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。

俄然落六七、落勢殊未已。
そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
餘存皆動搖、盡落應始止。

あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。

憶初落一時、但念豁可恥。
遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。
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『落齒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

落齒 #1

去年落一牙,今年落一齒。

俄然落六七,落勢殊未已。

餘存皆動搖,盡落應始止。

憶初落一時,但念豁可恥。

(下し文)
(落歯) #1

昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。

俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。

余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。

憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。

(現代語訳)
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。

そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。

遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。

(訳注)

落 歯
(歯が一年ごとに抜け落ちてしまい、次第に自分の衰えてゆくのを感じて詠ったもの)

 

去年落一牙、今年落一齒。
去年から歯が落ち始めて一本奥歯が取れ、そして今年は、前歯が一本抜けた。


俄然落六七、落勢殊未已。
そうかと思えば、ちょっとの間に六本七本と一気に抜けてゆき、歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもないのだ。
○俄然 にわかに。突然。○落勢 歯が抜けていく勢い。○殊未已 どうしたものか止まりそうにない。


餘存皆動搖、盡落應始止。
あとに残った歯もみなグラグラうごきだしたので、きっと全部抜け落ちるまではおさまらないらしいようだ。


憶初落一時、但念豁可恥。
遡って考えると、去年最初に一本抜けたときのことを思い出す。あの時はただ歯と歯の間が透いたのを面相が変わったと、恥ずかしいと思った。
 歯と歯の間が透いた

73 《巻03-16 古意》 (太華峰頭玉井蓮,) 韓愈(韓退之)803年 貞元19年38歳   ()<1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ592

古意

太華峰頭玉井蓮,開花十丈藕如船。

冷比雪霜甘比蜜,一片入口沈痾痊。

我欲求之不憚遠,青壁無路難夤緣。

安得長梯上摘實,下種七澤根株連。
(古くからいわれていることに、華山の上の蓮の花は仙藥で、持病など立ち待ちに治るというけれど、それなら、これを持ちかえり雲儚の澤に植え込めれば広く世間の人々を救えるというものだがそれはできないことだ)

73 《巻03-16 古意》   (太華峰頭玉井蓮,) 韓愈(韓退之)ID  803年 貞元19年京兆尹李実を弾劾して陽山令に貶せられる。2度目嶺南行。》 <1388> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5924韓愈詩-73

 

 
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年:803年 貞元1936

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    古意

及地點:              華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

玉井 (京畿道 華州 華山)  

 

 

古意

(古くからいわれていることに、華山の上の蓮の花は仙藥で、持病など立ち待ちに治るというけれど、それなら、これを持ちかえり雲儚の澤に植え込めれば広く世間の人々を救えるというものだがそれはできないことだ)

太華峰頭玉井蓮,開花十丈藕如船。

西嶽の太華峰、華山の山頂には玉井という池があり千葉の蓮が生えている。花を啓けば、その大きさは十条にわたり、さながら船と見まがうばかりである。

冷比雪霜甘比蜜,一片入口沈痾痊。

この花は、仙藥となるので、その冷たきことは霜雪のようであり、甘いと言ったら蜜のようである。その一片を口にいれれば、平生の持病も忽ち治るという。

我欲求之不憚遠,青壁無路難夤緣。

私はこれを求めて遠路を憚らず、わざわざ出かけてみたけれど、何分にも、青壁千尋、屹立していて、到底攀じ登ることができるようなものではない。

安得長梯上摘實,下種七澤根株連。

どうにかして、長梯子を用意して上にあがり、根と株哀つらなるように摘み取り持ち帰って、天下の人々のためにこれを楚の雲儚の七澤に植え込んで、病気の人を救いたいと思うけれど、不老長寿の薬、万能薬がおいそれと手に入るわけでなく、どうやらそれはできない相談である。

 

(古意)

太華 峰頭 玉井の蓮,開花 十丈 藕 船の如し。

冷は 雪霜に比し 甘は蜜に比す,一片 口に入って沈痾 痊【い】ゆ。

我 之を求めんと欲して 遠きを憚らず,青壁 路無く 夤緣し難し。

安んぞ長梯を得て 上って實を摘み,下 七澤に種えて 根株 連るを。

 

 

『古意』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

古意

太華峰頭玉井蓮,開花十丈藕如船。

冷比雪霜甘比蜜,一片入口沈痾痊。

我欲求之不憚遠,青壁無路難夤緣。

安得長梯上摘實,下種七澤根株連。

(下し文)
(
古意)

太華 峰頭 玉井の蓮,開花 十丈 藕 船の如し。

冷は 雪霜に比し 甘は蜜に比す,一片 口に入って沈痾 痊【い】ゆ。

我 之を求めんと欲して 遠きを憚らず,青壁 路無く 夤緣し難し。

安んぞ長梯を得て 上って實を摘み,下 七澤に種えて 根株 連るを。

(現代語訳)
(古くからいわれていることに、華山の上の蓮の花は仙藥で、持病など立ち待ちに治るというけれど、それなら、これを持ちかえり雲儚の澤に植え込めれば広く世間の人々を救えるというものだがそれはできないことだ)

西嶽の太華峰、華山の山頂には玉井という池があり千葉の蓮が生えている。花を啓けば、その大きさは十条にわたり、さながら船と見まがうばかりである。

この花は、仙藥となるので、その冷たきことは霜雪のようであり、甘いと言ったら蜜のようである。その一片を口にいれれば、平生の持病も忽ち治るという。

私はこれを求めて遠路を憚らず、わざわざ出かけてみたけれど、何分にも、青壁千尋、屹立していて、到底攀じ登ることができるようなものではない。

どうにかして、長梯子を用意して上にあがり、根と株哀つらなるように摘み取り持ち帰って、天下の人々のためにこれを楚の雲儚の七澤に植え込んで、病気の人を救いたいと思うけれど、不老長寿の薬、万能薬がおいそれと手に入るわけでなく、どうやらそれはできない相談である。


(訳注)

古意

(古くからいわれていることに、華山の上の蓮の花は仙藥で、持病など立ち待ちに治るというけれど、それなら、これを持ちかえり雲儚の澤に植え込めれば広く世間の人々を救えるというものだがそれはできないことだ)

韓愈が実際にこの山に登ろうとしたわけではなく、多くの詩人がこの山を詩にしているし、韓愈らしい切り口でこの山を歌い、儒者の韓愈が道家の「不老不死、仙藥」などの言い伝えを嘲笑した詩である。

 

太華峰頭玉井蓮,開花十丈藕如船。

西嶽の太華峰、華山の山頂には玉井という池があり千葉の蓮が生えている。花を啓けば、その大きさは十条にわたり、さながら船と見まがうばかりである。

太華峰頭 華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。

玉井蓮 古代の傳中にある、華山峰頂に玉井の所にする蓮をいう。《華山記》云: '山頂有池, 生千葉蓮花, 服之羽化, 因曰華山。(山頂に池有り,千葉の蓮花を生じ,之を服せば羽化す, 因て華山と曰う。)

開花十丈 花をひろげれば輒ちその直径が十丈にもなる。《繼古叢編》「始意退之自為豪偉之辭,後見真人關令尹喜傳,老子曰,天涯之洲,真人遊時各坐蓮花之上,花輒徑十丈,有返香生蓮,逆水聞三千里。又北齊修文御覽有花生香一門,專載此事。」(始、意えらく退之、自ら豪偉の辭を為し,後に真人關令尹喜傳をるに,老子 曰く,天涯の洲,真人は遊ぶ時 各 蓮花之上に坐し,花は輒ち徑十丈,返り生ずる香る蓮有り,水に逆って三千里に聞る見し。又 北齊修文御覽に花生香の一門有り,專ら此の事を載す。)と解説している。

藕如船 蓮の花も葉も大きく広がっているその上に人が乗っても沈まないものであったという。

 

冷比雪霜甘比蜜,一片入口沈痾痊。

この花は、仙藥となるので、その冷たきことは霜雪のようであり、甘いと言ったら蜜のようである。その一片を口にいれれば、平生の持病も忽ち治るという。

沈痾痊 長引いて治らない持病、不治の病が立ち待ちにして改善する。

 

我欲求之不憚遠,青壁無路難夤緣。

私はこれを求めて遠路を憚らず、わざわざ出かけてみたけれど、何分にも、青壁千尋、屹立していて、到底攀じ登ることができるようなものではない。

夤緣 縁故などの関係。てづる。つて。夤とは、(1) 敬い恐れる.(2) 深い夤夜深夜.

 

安得長梯上摘實,下種七澤根株連。

どうにかして、長梯子を用意して上にあがり、根と株哀つらなるように摘み取り持ち帰って、天下の人々のためにこれを楚の雲儚の七澤に植え込んで、病気の人を救いたいと思うけれど、不老長寿の薬、万能薬がおいそれと手に入るわけでなく、どうやらそれはできない相談である。

長梯 杜甫《巻八38 鳳凰台》 「亭亭鳳凰台,北對西康州。西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。山峻路蹤,石林氣高浮。安得萬丈梯,為君上上頭?」

亭亭【ていてい】たる鳳凰【ほうおう】の台、北のかた西康州【こうしゅう】に対す。西伯【さいはく】今は寂寞【せきばく】、鳳声【ほうせい】 亦た悠悠。

山は峻しくして路は蹤【あと】を絶ち、石林に気は高く浮かぶ。安【いずく】にか万丈の梯【てい】を得て、君の為に上頭に上らん。

樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。

周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。

この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。

どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。

“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000331#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488

 

68 《巻02-28 利劍》   (利劍光耿耿) 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1413> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6049

韓愈  利劍   

利劍光耿耿,佩之使我無邪心。

故人念我寡徒侶,持用贈我比知音。

我心如冰劍如雪,不能刺讒夫。

使我心腐劍鋒折,決雲中斷開青天。

噫!劍與我俱變化歸黃泉。

(宝剣をどう使おうか)

鋭利なる宝剣はその刃は細やかに光耿耿として、これを腰に佩びたとしたら、その瞬間から、《越書·外傳記寶劍》に三に曰く邪心に勝つ」とあるように、自分自身の邪心を消亡せしめるくらいに心地良いものである。ああ、だけどこれは実行できぬことであるからこの世にいても仕方がないから、我と剣と、共に変化して黄泉の国に帰ってしまおうと思うのである。

68 《巻02-28 利劍》   (利劍光耿耿) 韓愈(韓退之) 803年貞元19 38歳<1413> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6049韓愈詩-68

 

 
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年:803年貞元19 38

卷別:    卷三三七              文體:    雜言古詩

詩題:    利劍

 

 

利劍

(宝剣をどう使おうか)

利劍光耿耿,佩之使我無邪心。

鋭利なる宝剣はその刃は細やかに光耿耿として、これを腰に佩びたとしたら、その瞬間から、《越書·外傳記寶劍》に三に曰く邪心に勝つ」とあるように、自分自身の邪心を消亡せしめるくらいに心地良いものである。

故人念我寡徒侶,持用贈我比知音。

我が友人は、ひとり世に容れられず、日夕追随する仲間の少ないのを気の毒に思って、この宝剣を贈ってくれ、「知音として見よ」ということで、そのご好意は、まことに感謝すべきである。

我心如冰劍如雪,不能刺讒夫。

元来、我が心は、氷の如く、この剣の刃は、雪の如くであり、世にあふれる讒者をこの剣できれば痛快ではあろうがそういうわけにもいかない。

使我心腐劍鋒折,決雲中斷開青天。

したがって、我が心をして腐敗せしめたなら、剣の鉾先をして折れることになってしまうのである。しかし、もし、かの讒者を斬ったとしたならば、さながら、雲を斬りまくって中断し、そして晴天を啓いて望むように、この上もなく気分の良いということであろう。

噫!劍與我俱變化歸黃泉。

ああ、だけどこれは実行できぬことであるからこの世にいても仕方がないから、我と剣と、共に変化して黄泉の国に帰ってしまおうと思うのである。

 

(利劍)

利劍 光り 耿耿たり,之を佩びれば 我をして 邪心無からしむ。

故人 我が徒侶寡【すくな】きを念い,持用して 我に贈って 知音に比す。

我が心 冰の如く 劍は雪の如し,讒夫を刺す能わず。

我が心をして 腐し 劍鋒をして折らしむ,雲を決【さ】いて 中斷し 青天を開く。

噫!劍 我と俱に 變化して 黃泉に歸せむ。

 

 

『利劍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

利劍

利劍光耿耿,佩之使我無邪心。

故人念我寡徒侶,持用贈我比知音。

我心如冰劍如雪,不能刺讒夫。

使我心腐劍鋒折,決雲中斷開青天。

噫!劍與我俱變化歸黃泉。

(下し文)
(
利劍)

利劍 光り 耿耿たり,之を佩びれば 我をして 邪心無からしむ。

故人 我が徒侶寡【すくな】きを念い,持用して 我に贈って 知音に比す。

我が心 冰の如く 劍は雪の如し,讒夫を刺す能わず。

我が心をして 腐し 劍鋒をして折らしむ,雲を決【さ】いて 中斷し 青天を開く。

噫!劍 我と俱に 變化して 黃泉に歸せむ。

(現代語訳)
(宝剣をどう使おうか)

鋭利なる宝剣はその刃は細やかに光耿耿として、これを腰に佩びたとしたら、その瞬間から、《越書·外傳記寶劍》に三に曰く邪心に勝つ」とあるように、自分自身の邪心を消亡せしめるくらいに心地良いものである。

我が友人は、ひとり世に容れられず、日夕追随する仲間の少ないのを気の毒に思って、この宝剣を贈ってくれ、「知音として見よ」ということで、そのご好意は、まことに感謝すべきである。

元来、我が心は、氷の如く、この剣の刃は、雪の如くであり、世にあふれる讒者をこの剣できれば痛快ではあろうがそういうわけにもいかない。

したがって、我が心をして腐敗せしめたなら、剣の鉾先をして折れることになってしまうのである。しかし、もし、かの讒者を斬ったとしたならば、さながら、雲を斬りまくって中断し、そして晴天を啓いて望むように、この上もなく気分の良いということであろう。

ああ、だけどこれは実行できぬことであるからこの世にいても仕方がないから、我と剣と、共に変化して黄泉の国に帰ってしまおうと思うのである。


(訳注)

利劍

(宝剣をどう使おうか)

良い宝剣を贈られて、その剣の良さを讃えるものの、あまり良いものだが、今の世に、讒言をして、地位や財産を守る者が多く、この者を斬ってく成敗しないと世はよくならない。しかし、実際にはそうもいかないので、剣の芯の使い道がないようだから仕方がないのでこの剣を黄泉の国に持ってゆくよりないだろう。

 

利劍光耿耿,佩之使我無邪心。

鋭利なる宝剣はその刃は細やかに光耿耿として、これを腰に佩びたとしたら、その瞬間から、《越書·外傳記寶劍》に三に曰く邪心に勝つ」とあるように、自分自身の邪心を消亡せしめるくらいに心地良いものである。

無邪心 自分自身の邪心を消亡せしめるくらいに心地良いものである。《越書·外傳記寶劍》記載越王句踐取“毫曹”劍以示相劍者薛燭,薛燭謂“歐冶乃因天地之精,悉其伎巧,造為大刑三、小刑二:一曰湛盧,二曰純鈞,三曰勝邪,四曰魚腸,五曰巨闕”

 

故人念我寡徒侶,持用贈我比知音。

我が友人は、ひとり世に容れられず、日夕追随する仲間の少ないのを気の毒に思って、この宝剣を贈ってくれ、「知音として見よ」ということで、そのご好意は、まことに感謝すべきである。

寡徒侶 友達が少ない。

持用 これを持って来てくれる。わざわざ持参して贈ってくれる。

 

我心如冰劍如雪,不能刺讒夫。

元来、我が心は、氷の如く、この剣の刃は、雪の如くであり、世にあふれる讒者をこの剣できれば痛快ではあろうがそういうわけにもいかない。

 

使我心腐劍鋒折,決雲中斷開青天。

したがって、我が心をして腐敗せしめたなら、剣の鉾先をして折れることになってしまうのである。しかし、もし、かの讒者を斬ったとしたならば、さながら、雲を斬りまくって中断し、そして晴天を啓いて望むように、この上もなく気分の良いということであろう。

決雲中斷 『荘子』 説剣篇 「上決浮雲、下絶地紀。」(上は浮雲を決し、下は地紀を絶つ。)とあり、李白 飛劍決浮雲 秦王掃六合,虎視何雄哉!揮劍決浮雲,諸侯盡西來。

巻一 古風五十九首其三 「秦皇掃六合、虎視何雄哉。 揮劍決浮云、 諸侯盡西來。 明斷自天、大略駕群才。」

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噫!劍與我俱變化歸黃泉。

ああ、だけどこれは実行できぬことであるからこの世にいても仕方がないから、我と剣と、共に変化して黄泉の国に帰ってしまおうと思うのである。

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韓愈  論今年停挙選状 #7§5-2

清閑之餘,時賜召問,必能輔宣王化,銷殄旱災。臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,苟有所知,不敢不言。謹詣光順門奉狀以聞。伏聽聖旨。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

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論今年權停舉選狀

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

右,臣伏見今月十日敕,今年諸色舉選宜權停者。

右の通り、伏して謹んで、今月十日の勅書を拝見すると、今年の各種の官吏登用試験は、仮に停止するがよいとのことであります。

道路相傳,皆雲以之旱,

道々に相い伝えて皆がいっております、今年の作物は日照りつづきなのであります。

陛下憐憫京師之人,慮其乏食,

陛下は、都、長安の人々を憐れに思われ、その人々が食糧不足であろうと心配されたのであります。

故權停舉選,以其來者,所以省費而足食也。
それ故、かりに登用試験を停止して、その受験のために都に来る者を絶たれたのであります。これは口をへらし、消費を省いて、食物の不足が起こらぬようにされるための手段である、ということであります。

右臣伏して今月十日の穀を見るに、今年諸色の挙選、宜しく權に停むべき者とあり。

道路相い傳えて皆云ふ、歳の旱を以て、

陛下京師の人を憐憫し、其の食に乏しきを慮る。

故に權に挙選を停めて、以て其の来者を絶つ。費を省いて食を足す所以なりと。

 

#2§2-1

臣伏思之,

私は伏してこのように思います。

竊以為十口之家,益之以一二人,於食未有所費。

心中ひそかに思っておりますのは、十人家内の家で、これに一人二人増加しても、食物の分量では、それほど費えるものはありません。

今京師之人,不啻百萬;

いま、都の多くいる人は、ただ百万人の人口というばかりではありません。

都計舉者不過五七千人,

すべて科挙の受験者数を計るに、五、七千人にすぎません。

並其僮仆畜馬,不當京師百分之一。

その人たちの供人や飼い馬などをあわせても、郡の人の百分の一にも当たらないのです。

#3§2-2

以十口之家計之,誠未為有所損益。

十人世帯の割合で家計計算すれば、まことに消費は差引増減する所があるとは思えないのです。

又今年雖旱,去大豐,

また観点をかえ数年を通してみると、たしかに今年は日照りの害があっても、去年は大豊作であったわけであります。

商賈之家,必有儲蓄。

商人の家では、必ず米の備蓄があるはずなのです。

舉選者皆齎持資用,

科挙の試験に集まる者たちは、皆、生活の物資、用品を持って来ています。

以有易無,未見其弊。

その持ってきている物を有効に活用することで、且つ余ったもので以て持っていない物に取りかえたりすれば、相互補助で、有無相通じて、弊害を見ることはないのであります#2§2-1

臣 伏して之を思う,

竊かに 以為【おもえ】らく十口の家,之に益すに 一 二人を以て,食に於て未だ費ゆる所有らず。

今 京師の人は,啻【た】だ百萬のみならず;

都【すべ】て舉者を計るに 五 七千人に過ぎず,

其の僮仆 畜馬を並せて,京師 百分の一に當らず。

#3§2-2

十口の家を以て之を計り,誠に 未だ損益する所有りと為さず。

又 今年 旱すと雖も,去 大いに豐なりき,

商賈の之家に,必ず 儲蓄有らん。

舉選の者 皆 資用を齎持し,

有を以て 無に易う,

未だ 其の弊を見ず。

 

#4§3

今若暫停舉選,或恐所害實深:

いま若し暫く登用試験を停止すれば、あるいは人材に対する害することが実に深いことになるであろう。

一則遠近驚惶。

一つには遠いものも近い所のものも驚きおそれるでありましょう。

一則人士失業。

二つには士人たちが職業を失うでありましょう。 

臣聞古之求雨之詞曰:

私は聞いております、古代の雨を求める詞にいう、

「人失職歟?」然則人之失職,足以致旱。

「人が職を失ったであろうか」、と。それならは、人が職を失うならは、日照りを招くに十分でありましょう。

今緣旱而停舉選,是使人失職而召災也。
今旱魃があったために登用試験を停めるというのは、これこそ人をして職を失わせて、早災を招くのでありましょう。

今若し暫く撃選を停めは、或は害する所賓に深からんことを恐る。

一には則ち遠近驚憧せん。

二には則ち人士業を朱はん。

臣聞く、古の雨を求むるの詞に日く、「人職を矢へるかと。」

然らは則ち人の職を失ふは、以て旱を致すに足る。

今早に縁って撃選を停む。

是れ人をして職を矢はしめて災を召すなり。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。

#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。


(下し文)
清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

(現代語訳)
そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。


(訳注) #7§5-2

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

清閑之餘,時賜召問,

そして清々しくて静かなお暇のあるとき、時には召して御下問を賜うならば、

 

必能輔宣王化,銷殄旱災。

必ず王の徳化を輔け宣べ、早魅の災害を銷しほろぼすことでありましょう。

 

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

私は、君のおん前に毎日お勤めする官ではありませんが、月々俸銭を受け、歳ごとに禄米を頂戴しているので、

○朝官 天子に朝して政治にあずかる官、朝参官。

 

苟有所知,不敢不言。

かりそめにも知ることがあれば、思い切って申し上げないではいられないのであります。

 

謹詣光順門奉狀以聞。

謹んで光順門に詣でて本状を奉りあげますのでお聞きください。

○光順門 宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門(-5)がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。中書省から、延英殿に入って行って上奏する。

 

伏聽聖旨。

伏して、天子のお考えをお聞かせいただきたいのであります。

○聖旨 天子の考え。また、天子の命令。
大明宮-座標02
 

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論今年停挙選状》韓愈#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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#5§4

臣又聞君者陽也,臣者陰也,

私はまた、聞いています、「君主は陽であり、臣下は陰にあたる、」ということを。

獨陽為旱,獨陰為水。

「陽気ばかりで陰気がないと日照りの災いをなし、陰気はかりで陽気がないときには水害をなす」ということを。

今者陛下聖明在上,雖堯舜無以加之。

今は陛下が聖明の徳をもって上におられ、堯・舜などの古代の聖王でも、これ以上に加えることはないほどであります。

而群臣之賢,不及於古,

しかし群臣のすぐれた徳は・古代の賢相に及ばない。

又不能盡心於國,與陛下同心,助陛下為理。

また心を国家に尽くし、陛下と心を同じくして、陛下を助けて治をなすこともできないのです。

有君無臣,是以久旱。
これは、君はあっても、臣がいないのであり、それでこそ久しく日照りが続いているのです。

臣又聞く、君は陽なり。臣は陰なり。

獨陽は早をうま爲し、獨陰は水を爲すと。

今は陛下聖明上に在り、尭葬と錐も以て之に加ふる無し。

而して軍臣の賢は、古に及ぼす。

又心を國に盡し、陛下と心を同じうし、陛下を助けて理を焉すこと能はず。

君有って臣無し。是を以て久しく旱す。
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。

#7§5-2

清閑之餘,時賜召問,

必能輔宣王化,銷殄旱災。

臣雖非朝官,月受俸錢,受祿粟,

苟有所知,不敢不言。

謹詣光順門奉狀以聞。

伏聽聖旨。

 

#6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。

#7§5 -

清閑の餘、時に召問を賜ひ、

必ず能く王化を輔宜し、早災を銷殄せよ。

臣朝官に非ずと雖も、月づきに俸錢を受け、歳どしに禄粟を受く。

苟くも知る所有らは、敢て言。言はずんばあらず。

謹で光順門に詣で狀を奉り以て聞く。

伏して聖の旨を聽かしめん。

 

 

『論今年停挙選状』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6§5-1

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

憂國如家、忘身奉上者,

超其爵位,置在左右。

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。


(下し文) #6§5 

臣の愚を以て、以爲【おもえ】らく 宜しく純信の士、骨鯁の臣、

國を憂ふること家の如く、身を忘れ上に奉ずる者を求め、

其の爵位を超えしめ、置いて左右に在ること、

殷の高宗の傅説を用ひ、周の文王の大公を挙げ、

斉の桓公の甯戚を抜き、漢の武帝の公孫弘を取るが如くなるべしと。


(現代語訳)
私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫弘を取り用いたようであるのが宜しい、と。


(訳注) #6§5-1

論今年權停舉選狀 #1§1

(今年の登用試験の中止されたことに対する意見論文)

徳宗の貞元十九年に旱魃で収穫が少ないことを見込んで、長安の米穀消費を減らすために、七月官吏の登用試験を停止した。韓愈は時に四門博士であったが、この論文をたてまつり、挙選をやめずに人才を登用することが大切で、反って干害を消滅させることになるといって、暗に自己を推薦する意がある。

 

以臣之愚,以為宜求純信之士,骨鯁之臣,

私の愚かな心をもって、思いますのに、まじりけのない心のまことある人物で、言いにくいことを申し上げて天子を諌める臣、

○純信 純潔な心で二言のないまことの人物

○骨鯁 喉に魚の骨が引っかかるように、その人の無遠慮な忠言が、聞きづらい。そのような臣を骨鯉または骨硬の臣という。剛直忠譲の臣をいう。

 

憂國如家、忘身奉上者,超其爵位,置在左右。

国を憂うることわが家のようであり、身を忘れて上天子にお尽くし申し上げるものを求め、その爵位を高く陸はせ、天子の身の左右におらしめること、

 

如殷高宗之用傅,周文王之舉太公,

あたかも殿の高宗武→が樽説を用い、周の文王が太公望呂尚を挙げて用い、

○傅説 古代、殷(いん)の高宗の宰相。高宗が聖人を得た夢によって土木工事に従事していたところを登用され、中興の業を完成したといわれる。

太公 呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろに活躍した周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。

 

齊桓公之拔甯戚,漢武帝之取公孫宏。

斉の桓公が宵戚を抜きんで、漢の武帝が公孫宏()を取り用いたようであるのが宜しい、と。

○甯戚 甯恵子; 甯戚(ネイセキ)【宰相】: 斉の宰相。衛の人。 斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

宋玉《九辯 第九段》―#6 「甯戚謳於車下兮,桓公聞而知之。」
昔斉の甯戚は車の下で飯牛の歌をうたっていたら、桓公は聞いて勝れた人物であると知って用いた。
九辯 第九段―#6 宋玉  <00-#32>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 661 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2289