中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2015年08月

87-#4 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1511> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6539

韓愈  燕喜亭記#4§2-2  

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;
その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

87-#4 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1511> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6539韓愈詩-87-#4

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔椔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。

 

#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
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その土の谷を黄金の谷という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,

取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,

曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。

經營於其側者相接也,而莫直其地。

凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

(下し文)
瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

(現代語訳)
その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。


(訳注) §2-2

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,

その瀑を「秩秩の瀑」という。これは、谷はその土が黄色い姿からいうのである。

○秩秩 『詩経』小雅「甫田の什」「賓之初筵、左右秩秩。」とある。これは秩序ある形容で、朝廷において臣下が宴を賜って痛飲するの状を詠じたもので酒宴における乱酔を戒めたもの。。また小雅 鴻鴈之什 斯干篇には「秩秩斯干、幽幽南山。」とある。秩々は流れ行く形容。千は澗(たにがわ)。ほかに智、明などの性格をいう場合もある。

 

瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;

瀑はその性格が、順序正しく落ちていることをいうのである。洞穴を「寒居の洞」という。そこに入る時に、寒気を覚えたのを記念したのである。

○寒居 洞穴居であまりに寒かったのであろう。

 

池曰「君子之池」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;

池を「君子の池」という。それは中が虚しくて、その美しいものを集めていて、水が満ち溢れるときには、その悪水汚物を流し出してしまうからである。

○君子之池 詩経《君子偕老》《東門之池》

 

泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

泉の源を「天沢の泉」という。高い所に出て、低い所に施しめぐむので、天のうるおしめぐむのに似ているからである。

天澤 (1) 沼,沢湖泽湖沼.(2) 湿っている,潤いがある.(3) (金属や珠玉などの)光沢,つや.(4) 恵み.

87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3

韓愈 #3 燕喜亭記§2-1   

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,
やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。その土の谷を黄金の谷という。

87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3

 

 

 
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298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478 
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87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔椔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。

 

#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

§1-2

卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

其土穀曰「黃金之穀」,
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その土の谷を黄金の谷という。

 

既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

 

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

瀑を「秩秩の操」と日い、谷は容を言う。

瀑は徳を言ふなり。洞を「寒居の洞」と日ふ。其の入る時を志すなり。

池を「君子の池」と日ふ。虚以て其の美を鍾め、盈以て其の悪を出すなり。

泉の源を「天澤の泉」と日ふ。高きに出でて下きに施すなり。

 

合せて之に名くるに屋を以てして、「燕音の亭」と日ふ。

詩に所謂「魯侯燕喜」する者に取る頌なり。

是に於て州民の老、聞いて相異に観る。

日く、吾が州の山水天下に名あり。然り而して「燕書」といふ者と比する無しと。

其の側に経営する者相接するなり。而も其の地に直る美し。

凡そ天作りて地之を癒し、以て其の人に逼るか。

嶺南道圖00 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

穀言德,瀑言容也;

其土穀曰「黃金之穀」,

(下し文)
既に成る。愈 之に名けんと請ふ。其の邱を「俟德の邱」と日う。

古に蔽ぼれて今に顯わる。俟つの道有るなり。

其の石谷を「謙愛の谷」と日い、瀑を振鷺の瀑と日う。

谷は徳を言ひ、瀑は容を言ふなり。

其の土谷を「黄金の谷」と日う。

(現代語訳)
§2-1

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

その土の谷を黄金の谷という。

韓愈 陽山と潮州002
(訳注) §2-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでその様を記したもの)

 

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,

やがで、亭ができ上がった。私、韓愈はこれに名をつけたいと申し出て、その丘を「俟德の丘」という。

○俟德 徳、即ち人格のある人物を俟って戯れるの意。

 

蔽於古而顯於今,有俟之道也;

これは、昔は蔽われて世に知られず、今になって顕れたのは、俟(待つ) の道理があったからである。

○道 道理。

 

其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,

その石の谷を「謙受の谷」といい、瀑を「振鷺の瀑」という。

○謙受 『書経』大禹謨に「謙にして益を受く」とある。へり下ってその結果、利益を受ける

○振鷺 《『詩経』周頌振鷺篇》に、「振鷺于飛、于彼西雝。」(振鷺 于【ここ】に飛ぶ、彼の西雝に。)の句がある。鷺が勢いよく群がり、西の雝の沼のほうに飛び行く意。振は鷺・とりの群飛の形容。

・容子は激白。瀧水を喩える。

 

穀言德,瀑言容也;

これは谷の徳性が、虚しくてへりくだり受け入れるのをいい、操の様子、姿が白いことをいうのである。

 

其土穀曰「黃金之穀」,

その土の谷を黄金の谷という。
韓愈 陽山00 

87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1509> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529

韓愈  燕喜亭記#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

87-#2 燕喜亭記 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1509> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6529韓愈詩-87-#2

 


燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔椔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。

 

§1-2

卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。

韓愈 陽山と潮州002 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

卻立而視之,出者突然成邱,

陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,

若有鬼神異物陰來相之。

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

乃立屋以避風雨寒暑。

(下し文) §1-2

卻立して之を視るに、出づる者は突然として邱を成し、

陥る者は冴然として穀を成し、窪める者は池と為りて、闕くる者は洞と為り、

鬼神異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、晨に往いて夕に歸るを忘る。

乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を避く。


(現代語訳)
あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

嶺南道圖00
(訳注)

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

○燕喜亭の主人、王弘中(王仲舒)は、名は仲野である。韓愈は時に陽山の令となる。年三十七、弘中は吏部員外郎から貶せられて遠州にあった。陽山は連州の属邑であった。同じく貶せられた者同士往来交友の間柄であったので、その亭のために記を作ったのである。

 

卻立而視之,出者突然成邱,

あとずさりしてこれをよく見ると、出張っているものは突き出て丘となる。

○卻立 あとずさりする。退後幾步才站住。《史記.卷八一.廉頗藺相如傳》:「王授璧,相如因持璧卻立,倚柱,怒髮上衝冠。」

 

陷者呀然成穀,窪者為池,而闕者為洞,

落ち込んでいるものは、口をあいたように谷となり、くぼんでいるものは池となり、欠けている所は洞穴となっている。

○呀 口を張った貌。

○相之 これをたすける。相は助。

 

若有鬼神異物陰來相之。

まるで目に見えぬ霊魂や神、妖怪が、ひそかに来て手伝ってくれたかのように、すはらしくよい眺めになった。

 

自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,

これから宏中と二人の僧とは、朝早く行って、夕暮れにはあまりの楽しさに志るのを忘れるというありさまであった。

○忘帰 楽しんで帰るのを忘れてしまう。

 

乃立屋以避風雨寒暑。

そこで東屋を立てて、風雨寒暑を避けることにした。

○屋 家臣。

 

 
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87-#1 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1508> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6524

韓愈  燕喜亭記§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔椔翳。

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韓愈詩-87-#1

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,輦糞壤,燔椔翳。

#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

§2-1

既成,愈請名之,其邱曰「俟德之邱」,蔽於古而顯於今,有俟之道也;其石穀曰「謙受之穀」,瀑曰「振鷺之瀑」,穀言德,瀑言容也;其土穀曰「黃金之穀」,

§2-2

瀑曰「秩秩之瀑」,穀言容,瀑言德也;洞曰「寒居之洞」,誌其入時也;池曰「君子之地」,虛以鍾其美,盈以出其惡也;泉之源曰「天澤之泉」,出高而施下也;

§2-3

合而名之以屋曰「燕喜之亭」,取詩所謂「魯侯燕喜」者頌也。

於是州民之老,聞而相與觀焉,曰:吾州之山水名天下,然而無與「燕喜」者比。經營於其側者相接也,而莫直其地。凡天作而地藏之,以遺其人乎?

 

§3-1

宏中自吏部郎貶秩而來,次其道途所經,自藍田入商洛,涉淅湍,臨漢水,升峴首以望方城;出荊門,下岷江,過洞庭,上湘水,行衡山之下;繇郴逾嶺,蝯狖所家,魚龍所宮,極幽遐瑰詭之觀,宜其於山水飫聞而厭見也。

§3-2

今其意乃若不足,《傳》曰:「知者樂水,仁者樂山」。宏中之德與其所好,可謂協矣。智以謀之,仁以居之,吾知其去是而羽儀於天朝也不遠矣。遂刻石以記。

 

唐時代 韓愈関連05 

 

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

輦糞壤,燔椔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

 

#2§1-2

卻立而視之,出者突然成邱,陷者呀然成穀,{穴窪}者為池,而闕者為洞,若有鬼神異物陰來相之。自是宏中與二人者,晨往而夕忘歸焉,乃立屋以避風雨寒暑。

 

燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。

 

§1-2

卻立して之を観るに、出づる者は突然として邸を成し、陥る者は冴然として谷を成し、窪める者は池と為りて、映くる者は洞と為り、鬼耐異物、陰に来って之を相くること有るが若し。

是より弘中二人の者と、農に往いて夕に締るを忘る。乃ち臣を立てて以て風雨寒暑を逝く。

韓愈 陽山00 

 

『燕喜亭記』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

燕喜亭記

§1-1

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

輦糞壤,燔椔翳。

 

(下し文)
燕喜亭記§1-1

太原の王弘中は連州に在り。佛を学ぶ人景常・元慧と游ぶ。

異日二人の者に従って、其の居の後、荒邸の間に行き、高きに上って望み、異處を得たり。

茅を斬って嘉樹列り、石を發【あば】いて清泉激す。

糞壤を輦し、椔【し】翳を燔【や】く。

(現代語訳)
燕喜亭記(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

§1-1

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。


(訳注) §1-1

燕喜亭記

(韓愈と同様連州に左遷された王弘中と釋景常と惠師即元惠らと四阿を建てたのでそのさまを記したもの)

○燕喜亭の主人、王弘中(王仲舒)は、名は仲野である。韓愈は時に陽山の令となる。年三十七、弘中は吏部員外郎から貶せられて遠州にあった。陽山は連州の属邑であった。同じく貶せられた者同士往来交友の間柄であったので、その亭のために記を作ったのである。

 

太原王宏中在連州,與學佛人景常元慧遊,

大原の王弘中は連州にあって、仏教を学ぶ人、釋景常と惠師即元惠の二人と交わっている。

佛人景常元慧 景常は、靈師のこと。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。元慧は、元惠上人で、仏教の僧侶ではあるが、卓犖不羈の人である。自註に、「愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。」とある。

78-#1 《巻0210送惠師》【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#1 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1474> Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6354

79-#1 (改訂)《巻0211送靈師》-#1 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1485> Ⅱ【11分割】-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6409韓愈詩-79-#1

 

異日從二人者,行於其居之後,邱荒之間,上高而望,得異處焉。

或る日、二人を従えて、その住居の後方、草木の繁り荒れた丘の間に行き、高みに上って遠くを眺め、すぐれた景色の場所を見つけた。

 

斬茅而嘉樹列,發石而清泉激,

そこで茅萱を斬り、憲い木が立ちならび、石を掘り出して、清水がほとばしり湧き出した。

○発石 石を発掘して。

○激 勢いよく流れる。ほとばしる。

 

輦糞壤,燔椔翳。

悪い土壌を手押し車で運び去り、立ち枯れの木や仆れた枯れ木をあつめて焼き払う。

○輦 手押し車。

○糞壌 糞土に同じ、きたない土壌、悪土。

○翳 椔、木の立ち枯れしたもの。翳も枯れ木の仆れたものが自然に集まっている影を為すところ。『詩経』大雅皇矣篇に「作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其栵。」(これを作りこれを屏する、その菑その翳。これを脩めこれを平らぐ、その灌その栵。)とあり、説註に「木自ら集れたるを翳と為す」とある。菑は椔に同じ。

菑【し】:立ち枯れのきその翳。

栵【れつ】:木のかたまり。

『詩経』大雅皇矣篇(八章の内初二章)

皇矣上帝、臨下有赫。監觀四方、求民之莫。

維此二國、其政不獲。維彼四國、爰究爰度。

上帝耆之、憎其式廓。乃眷西顧、止維與宅。

 

作之屏之、其菑其翳。脩之平之、其灌其栵。

啟之辟之、其檉其椐。攘之剔之、其檿其柘。

帝遷明德、串夷載路。天立厥配、受命既固。

韓愈 陽山と潮州002 

86-#5-§2-3 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1507> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6519

韓愈  送區册序#5-§2-3   

與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂,若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

歲之初吉,歸拜其親,酒壺既傾,序以識別。

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

86-#5-§2-3 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1507> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6519韓愈詩-86-#5-§2-3

 

 
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送區冊序§-1-1

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

陽山,天下之窮處也。

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

(區冊【おうさく】を送る序)

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流悍急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟に侔し。

舟上下するに勢を失へば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

 

§-2-1

愈待罪於斯,且半歲矣。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

有區生者,誓言相好,

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

自南海挐舟而來,升自賓階,

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。

§-2-1

愈罪を斯に待つこと、且に半歳ならんとす。

區生といふ老有り。誓って言ふ、相好くせんと。

南海より舟を拏きて来り、賓階より升る。

儀觀 甚だ偉なり。坐して之と語るに、文義卓然たり。

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。

況如斯人者,豈易得哉!

ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。

§2-2

荘周云ふ、「空虚に逃るる者は、人の足音跫然たるを聞いて喜ぶ」と。

況や斯の人の如き者、豈得易からんや。

吾が室に入りて、《詩》《書》仁義の説を聞き、欣然として喜ぶ。

其の間に 志 有るが若きなり。

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

投竿而漁,陶然以樂,

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

歲之初吉,歸拜其親,

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

酒壺既傾,序以識別。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

聲利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

 

 

『送區册序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

投竿而漁,陶然以樂,

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

歲之初吉,歸拜其親,

酒壺既傾,序以識別。

(下し文)
§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

聲利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

(現代語訳)
この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。


(訳注) §-2-3

送區冊序(區冊【おうさく】を送る序)

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

與之翳嘉林,坐石磯,

この人と見事に繁った林の木蔭に入り、石の多い磯に腰かけ、

翳 かげにはいる。かくれる

嘉林 すばらしい、りっぱな、見事に繁った林。

 

投竿而漁,陶然以樂,

竿を突き出して魚を釣るときなど、いかにもくつろいで、きもちいい様子で楽しんでいる。

陶然 1 酒に酔ってよい気持ちになるさま。2 うっとりとよい気持ちであるさま。

 

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

それは名誉や利益を忘れて考えの外におき、貧賤をいとわないで暮らすことができるようであった。

聲利 名誉や利益。

 

歲之初吉,歸拜其親,

年の初めの吉日に、帰って御両親を拝賀されるという。

歲之初吉  年頭の吉日。

 

酒壺既傾,序以識別。

ここに餞けの酒壷もはや傾いて尽き、宴も終わろうとしているので、私はこの序を以て惜別の意を記すのである。

酒壺既傾 送別の酒を酌み交わして壺を傾け、酒がなくなった様子をいう。

86-#4-§2-2 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1506> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6514

韓愈  送區册序 #4-§2-2    

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」況如斯人者,豈易得哉!

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。

86-#4-§2-2 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1506> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6514韓愈詩-86-#4-§2-2

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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送區冊序§-1-1

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

陽山,天下之窮處也。

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

 

(區冊【おうさく】を送る序)

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流悍急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟に侔し。

舟上下するに勢を失へば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

 

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

 

§-2-1

愈待罪於斯,且半歲矣。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

有區生者,誓言相好,

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

自南海挐舟而來,升自賓階,

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。


§-2-1

愈罪を斯に待つこと、且に半歳ならんとす。

區生といふ老有り。誓って言ふ、相好くせんと。

南海より舟を拏きて来り、賓階より升る。

儀觀 甚だ偉なり。坐して之と語るに、文義卓然たり。

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。

況如斯人者,豈易得哉!

ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。

 

§2-2

荘周云ふ、「空虚に逃るる者は、人の足音跫然たるを聞いて喜ぶ」と。

況や斯の人の如き者、豈得易からんや。

吾が室に入りて、《詩》《書》仁義の説を聞き、欣然として喜ぶ。

其の間に 志 有るが若きなり。

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

投竿而漁,陶然以樂,

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

歲之初吉,歸拜其親,

酒壺既傾,序以識別。

§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

聲利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

 

嶺南道圖00 

『(區冊【おうさく】を送る序)』 現代語訳と訳註解説

(本文)
§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

況如斯人者,豈易得哉!

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

(下し文)
§2-2

荘周云ふ、「空虚に逃るる者は、人の足音跫然たるを聞いて喜ぶ」と。

況や斯の人の如き者、豈得易からんや。

吾が室に入りて、《詩》《書》仁義の説を聞き、欣然として喜ぶ。

其の間に 志 有るが若きなり。

(現代語訳)
§-2-2

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。

ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。

私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。


(訳注)

送區冊序(區冊【おうさく】を送る序)

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

荘子はいう、「山谷の人けのないむなしい所に世を避けている者は、たまに人の足音のカタンコトンとひびくのを聞いて、嬉しく思う」と。

○荘周云 《莊子‧徐無鬼》「夫逃空虛者, 藜藿柱乎鼪鼬之逕, 踉位其空, 聞人足音跫然而喜矣。」(夫【か】の虚空【キョクウ】に逃【のが】るる者は、黎藋【れいちょう】、鼪鼬【せいちゅう】の逕に柱【ふさ】がる。其の空に踉位【りゅうい】すれば、人の足音、跫然【きょうぜん】たるを聞きて喜ぶ。)

 

○跫然 足を踏む音。「空谷跫音」魏の武侯が、眞人(道の奥義をさとり得た人)に巡り合える喜びは、“空谷”に“跫音”を得た程に匹敵するものであると言う。

 

況如斯人者,豈易得哉!

ましてこの人のようなすぐれた者は、どうして得やすいものであろうか。なおさらに楽しいと思うのであった。

 

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

私の私室に入って、『詩経』『書経』の話、仁義道徳の説を聞いて、嬉しそうに喜んでいるのは、聖賢儒家の道に志があるようであった。

詩経 中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

書経 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。
韓愈 陽山と潮州002 

86-#3§2-1 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1505> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6509

韓愈  送區册序§-2-1

愈待罪於斯,且半歲矣。有區生者,誓言相好,自南海挐舟而來,升自賓階,儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。

86-#3§-2-1送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1505> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6509

 
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86-#3§2-1 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1505> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6509 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十絕句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-108 <971> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog9欧陽烱《巻五49浣渓沙 三首 其三》『花間集』248全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6512 
 ●薛濤の全詩●花間集(1巻●花間集(2巻●花間集(3巻●花間集(4巻●花間集(5巻 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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韓愈詩

-86-#3

 

 

送區冊序§-1-1

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

陽山,天下之窮處也。

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

 

(區冊【おうさく】を送る序)

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流悍急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟に侔し。

舟上下するに勢を失へば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

 

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

 

§-2-1

愈待罪於斯,且半歲矣。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

有區生者,誓言相好,

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

自南海挐舟而來,升自賓階,

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。


§-2-1

愈罪を斯に待つこと、且に半歳ならんとす。

區生といふ老有り。誓って言ふ、相好くせんと。

南海より舟を拏きて来り、賓階より升る。

儀觀 甚だ偉なり。坐して之と語るに、文義卓然たり。

§-2-2

莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」

況如斯人者,豈易得哉!

入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。

§-2-3

與之翳嘉林,坐石磯,

投竿而漁,陶然以樂,

若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。

歲之初吉,歸拜其親,

酒壺既傾,序以識別。

 

§2-2

荘周云ふ、「空虚に逃るる者は、人の足音跫然たるを聞いて喜ぶ」と。

況や斯の人の如き者、豈得易からんや。

吾が室に入りて、《詩》《書》仁義の説を聞き、欣然として喜ぶ。

其の間に 志 有るが若きなり。

§-2-3

之と嘉林に翳れ、石磯に坐し、

竿を投じて漁し、陶然として以て樂む。

聲利を遺外して、貧賤を厭はざるなり。

歳の初吉に、歸りて其の親を拜せんとす。

酒壺既に傾く。序して以て別を識す。

 

 

『(區冊【おうさく】を送る序)』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§-2-1

愈待罪於斯,且半歲矣。

有區生者,誓言相好,

自南海挐舟而來,升自賓階,

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。


(下し文)
§-2-1

愈罪を斯に待つこと、且に半歳ならんとす。

區生といふ老有り。誓って言ふ、相好くせんと。

南海より舟を拏きて来り、賓階より升る。

儀觀 甚だ偉なり。坐して之と語るに、文義卓然たり。

(現代語訳)
私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。


(訳注) §-2-1

送區冊序(區冊【おうさく】を送る序)

(區冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

 

愈待罪於斯,且半歲矣。

私はこの陽山の縣令としての職に過失の罪もあろうかと待つこと半年になろうとしている。

○待罪於斯 貞元二十一年(八〇五)、韓愈が三十八歳の正月、徳宗が崩じた。享年六十四。二月(一説には三月)、大赦が行われ、徳宗の治世に流された役人たちは全部召還されることとなったことをいう。

 

有區生者,誓言相好,

區生というものがあって、この私に誓って互いに仲好くしようというのである。

 

自南海挐舟而來,升自賓階,

南海から舟を牽いて川を上って来て、賓客の階段から昇って相対したが、

○挐舟 牽く。舟を牽いて。

○賓階 堂に升る賓客用の階段。

 

儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。

その威儀容貌は甚だすぐれている。坐してこれと語るに、その学問上の考えが高くすぐれていた。

儀觀 區冊の威儀容貌をいう。

文義 文章の意義。文意。

卓然 抜群の成绩卓然成績が抜群である.ひときわ抜きん出ているさま。きわだってすぐれているさま。

86-#2-§1-2 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1504> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6504

韓愈  送區册序§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,皆鳥言夷面。始至,言語不通,畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

是以賓客遊從之士,無所為而至。
陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

86-#2-§1-2 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1504> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6504韓愈詩-86-#2-§1-2

 

 
 2015年8月24日の紀頌之5つのBlog 
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送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。

陸有丘陵之險,虎豹之虞;

江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。

(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

§-1-1

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。

そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。

大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。

舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

 

陽山は天下の窮處なり。

陸に邱陵の険、虎豹の虞有り。

江流悍急にして、波に横はるの石は、廉利なること劍戟に侔し。

舟上下するに勢を失へば、破砕倫溺する者、往往之れ有り。

 

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

韓愈 陽山00 

『送區冊序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§-1-2

縣郭無居民,官無丞尉,

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

是以賓客遊從之士,無所為而至。

(下し文)
縣郭に居民無く、官に丞尉無し。

江を爽める荒茅篁竹の間に、小吏十餘家あり。

皆 鳥言 夷面、始て至りしとき言語通ぜず、

地に畫して字を為し、然る後に告ぐるに租賦を出し、期約を奉ずるを以てす可し。

是を以て賓客遊從の士、為にして至る所無し。

(現代語訳)
§-1-2

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。


(訳注) §-1-2

(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

韓愈が陽山に流された時、区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序に、その感激の情を述べたのである。冊の人物には別に伝はない。区は音「欧」と同じ。

韓愈 陽山と潮州002 

縣郭無居民,官無丞尉,

陽山県の城郭内には住民は住まわっていない、そして、役所には副官の丞も属官の尉もない。

○丞 県の副官。

○尉 県の警察裁判を司る属官。

 

夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,

江をはさんで両岸に荒れ茂った茅や竹薮などの間に、小役人の十軒あまりの家がある。

 

皆鳥言夷面。始至,言語不通,

人々の話し言葉は、鳥の噛りのような言葉で、異民族らしい顔をしていて、はじめて到着したときは、言葉が通じなかった。

 

畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。

地面に字を書いて、やっと租税額を云い出せたり、期日や約束を守ることなどを告げることができた。

○租賦 地税や人頭税。

 

是以賓客遊從之士,無所為而至。

こういうわけで、私の所に、賓客や交わり遊ぶ人士など、わざわざ来るものはなかったのである。

○無所為而至 為はわざわざ私のために来る人がない。「為にする所にして至る無し」と読む説もある。

86-#1 送區册序 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1503> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6499

韓愈  送區冊序§-1-1

陽山,天下之窮處也。陸有丘陵之險,虎豹之虞;江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,

舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。
(区冊が遠方から来て従い交わったので、深く喜んで、帰郷の区冊を送る序で、その感激の情を述べたもの)

§-1-1

陽山は天下中で最も行きづまりの辺鄙なところである。そして、陸に丘陵のけわしさがあり、虎や豹のおそれもある。大川の流れは荒く急であって、波の中に横たわる石は角があり、するどくて、剣や戟に似ている。舟がその川を上り下りするとき、その体勢をまちがえると、波や岩に打ちくだかれて、人々が沈み溺れることは、よくあるのである。

86-#1 送區册序 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1503> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6499韓愈詩-86-#1

 

 
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85 (改訂) 巻09-14湘中 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1502> Ⅱ巻09-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6494

韓愈  湘中  

猿愁魚踴水翻波,自古流傳是汨羅。

蘋藻滿盤無處奠,空聞漁父扣舷歌。
(湘江流域の平原に来て汨羅に臨んで、屈原を弔って歌ったもの)猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははね躍り、湘江の水は波をわきたたせて、まことに瀟湘八景をみる。そしてここには昔から屈原が投身して死んだところとして、世間に知られている汨羅の故跡である。その魂をまつるために、蘋蘩を盤いっぱいに盛ったが、さてどこに向ってすすめたら良いかわからず、屈原がであった漁父がその人かと思われる様な漁父が相変わらず、船端を叩きながらうたう舟歌がむなしく聞こえてくる。
85 (改訂) 巻09-14湘中 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1502> Ⅱ巻09-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6494韓愈詩-85

 

 
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韓愈が監察御史で罪を得て陽山に流されたのか(1)

803年貞元十九年、長安を含む一帯は正月から七月まで雨がなかった。その上、秋には異常に早い霜を見た。農作物は全滅に近い被害を受けた。

首都長安は、地方行政制度の上では長安県(長寿坊南西角)・万年県(宣楊坊東南角)の二県に分けられる。二県を統括する上部機関が京兆府(光徳坊東南角)と呼ばれるもので、その長官を京兆府尹と称する。長安地方の農作物の作柄を調査するのは京兆府の所管事項であり、時の京兆府尹は、さきに、韓愈が手紙を送った李実である。

この手紙で韓愈は李実に向って、「未見有赤心事上,憂國如家如閤下者。今年以來,不雨者百有餘日,種不入土,野無青草,而盜賊不敢起,穀價不敢貴。」未だ赤心もて上に事へ、国を憂ふるに家の如くすること、閣下の如き者を見ず」などとはめちぎったが、これは就職を依頼する手紙の性質上、やむを得なかったことである。実際には、李実は民に臨むのに温情よりも厳格を旨とし、法の適用について仮借しない、酷史と呼ばれる種類の官僚だったらしい。だから、京兆府戸の報告書に、雨はなかったが農作物の作柄は特に良好と書いて、皇帝に提出した。凶作ならば税の減免が行われるはずなのに、この報告書では、特別な措置のとりようがない。農民は大凶作の上に、例年どおりの課税を負担しなければならなくなった。

韓愈はこれを見て、監察御史の摘発すべき事態と考えた。そこで書いたのが、「御史台より天旱人饑を上論する状」(韓文三七)である。

禦史臺上論天旱人饑狀

右臣伏以今年已來,京畿諸縣,夏逢亢旱,秋又早霜,田種所收,十不存一。陛下恩逾慈母,仁過春陽,租賦之間,例皆蠲免。所征至少,所放至多;上恩雖弘,下困猶甚。至聞有棄子逐妻,以求口食;坼屋伐樹,以納稅錢;寒餒道途,斃踣溝壑。有者皆已輸納,無者徒被追征。臣愚以為此皆群臣之所未言,陛下之所未知者也。

臣竊見陛下憐念黎元,同於赤子,至或犯法當戮,猶且寬而宥之,況此無辜之人,豈有知而不救?又京師者,四方之腹心,國家之根本,其百姓實宜倍加憂恤。今瑞雪頻降,來年必豐,急之則得少而人傷,緩之則事存而利遠。伏乞特敕京兆府,應今年稅錢及草粟等在百姓腹內征未得者,並且停征,容至來年,蠶麥庶得,少有存立。

臣至陋至愚,無所知識。受恩思效,有見輒言,無任懇款慚懼之至。謹錄奏聞。謹奏。

 

そこには農民の窮状を述べ、「子を棄て 妻を逐ひ、以て口食を求め、屋を坼ち樹を伐り、以て税銭を納む」というありさまであり、これを救済するためには、本年度の課税の未徴収分はしばらく凍結し、来年の蚕と麦の収穫期が過ぎて、農民に少しく余裕ができてから徴収する処置をとろがよいと論じてあった。

これは当時の役人として、まず穏当な意見といえよう。ただし、穏当すぎて、愈がどれほど農民の身になって考えたか、疑問成思われる。農民の立場からすれば、減税か免税になってもよい事態なのに、韓愈の意見では徴収が延期されるだけのことであって、その場だけは息がつけるものの、結局のところ大した恩恵とはいえない。しかし、韓愈の立場からいえば、本年度の課税は朝廷ですでに決定された方針であり、監察御史として、そこにまで文句はつけにくい。だから既定の方針はそのままにして、徴税方法だけを操作し、農民の苦痛を軽減しょうとする。これならば、朝廷のどこにもさしさわりは生じないはずであった。

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年:804年貞元20年 37歳

卷別:    卷三四三              文體:    七言絕句

詩題:    湘中

作地點:              目前尚無資料

及地點:              郴州 (江南西道 郴州 郴州) 別名:湘中         

 

 

湘中

猿愁魚踴水翻波,自古流傳是汨羅。

蘋藻滿盤無處奠,空聞漁父扣舷歌。

(湘江流域の平原に来て汨羅に臨んで、屈原を弔って歌ったもの)

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははね躍り、湘江の水は波をわきたたせて、まことに瀟湘八景をみる。そしてここには昔から屈原が投身して死んだところとして、世間に知られている汨羅の故跡である。
その魂をまつるために、蘋蘩を盤いっぱいに盛ったが、さてどこに向ってすすめたら良いかわからず、屈原がであった漁父がその人かと思われる様な漁父が相変わらず、船端を叩きながらうたう舟歌がむなしく聞こえてくる。
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(湘中) 
猿愁え魚踴って水は波を翻【ひるがえ】し、古【いにし】え自【よ】り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。
頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【てん】する処無し、空しく聞く 漁父の舷【ふなばた】を扣いて歌うを
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韓愈 陽山00 

『湘中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

湘中

猿愁魚踴水翻波,自古流傳是汨羅。

蘋藻滿盤無處奠,空聞漁父扣舷歌。
湘中(含異文)

猿愁魚踴水翻波【猿愁魚躍水翻波】,自古流傳是汨羅。

蘋藻滿盤無處奠,空聞漁父扣舷歌。


(下し文)
(湘中) 

猿愁え魚踴って水は波を翻【ひるがえ】し、古【いにし】え自【よ】り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。

頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【てん】する処無し、空しく聞く 漁父の舷【ふなばた】を扣いて歌うを。

 

(現代語訳)
(湘江流域の平原に来て汨羅に臨んで、屈原を弔って歌ったもの)

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははね躍り、湘江の水は波をわきたたせて、まことに瀟湘八景をみる。そしてここには昔から屈原が投身して死んだところとして、世間に知られている汨羅の故跡である。
その魂をまつるために、蘋蘩を盤いっぱいに盛ったが、さてどこに向ってすすめたら良いかわからず、屈原がであった漁父がその人かと思われる様な漁父が相変わらず、船端を叩きながらうたう舟歌がむなしく聞こえてくる。

(訳注)

湘中
(湘江流域の平原に来て汨羅に臨んで、屈原を弔って歌ったもの)

湘中:湘江 五嶺(現・南嶺)山脈を流域源流にして北流して洞庭湖に流入する、長江の支流である。湘江の川の神は「湘妃」「湘君」といい、娥皇と女英の二人の女神からなる。娥皇と女英は舜帝の妃であったが、舜が没すると悲しんで川に身を投じ、以後川の神となった。斑竹の表面にある斑紋は、娥皇と女英の涙が落ちた跡が残って斑になったという言い伝えがあり、湘江竹、湘竹、涙竹などの別名がある。

春秋時代から戦国時代にかけてこの地にあった楚の人々は、湘水神を崇めた。楚の人であった屈原にも『湘夫人』という詩がある。

楚の地に伝わる湘妃などの神話、桃源郷をはじめとする伝説、およびこの地を流浪した屈原の詩により、風光明媚な湘江流域は神話的想像力や詩的想像力をかきたてる土地とみなされるようになっていった。これを背景に、洞庭湖から湘江、瀟水にかけての地域には瀟湘八景という名所が設定され、中国をはじめ東アジアで書画の題材となってきた。

 

猿愁魚踴水翻波,自古流傳是汨羅。

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははね躍り、湘江の水は波をわきたたせて、まことに瀟湘八景をみる。そしてここには昔から屈原が投身して死んだところとして、世間に知られている汨羅の故跡である。
○猿愁 中国南部の猿は、手長猿、悲鳴のような啼き方をする。孟浩然『宿桐廬江寄廣陵舊遊』「山暝聽猿愁,滄江急夜流。」(山暝【くらく】して猿愁を聽き,滄江【そうこう】急ぎて夜に流る。)李白『尋高鳳石門山中元丹邱』「寂寂聞猿愁、行行見云收。」(寂寂(せきせき)として猿の愁うるを聞き、行行雲の収まるを見る。)

○汨羅 今の湖南省長抄の付近の川の名で、その昔、戦国時代末期の楚の屈原は、政敵に謹言されて都を放逐され、洞庭湖畔を放浪した末、旧羅江に身を投げて自殺した。彼の痛憤は「離騒」「九章」などの韻文にうたわれ、それらは『楚辞』に収められている。
李白『江上吟』
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
李白『秋浦歌十七首 其六』 
愁作秋浦客。 強看秋浦花。 
山川如剡縣。 風日似長沙。
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊』(王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る)
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李白、杜甫、李商隠、韓愈、多くの詩人が洞庭湖について、屈原に関してたくさん詩を作っている。

 

蘋藻滿盤無處奠,空聞漁父扣舷歌。

その魂をまつるために、蘋蘩を盤いっぱいに盛ったが、さてどこに向ってすすめたら良いかわからず、屈原がであった漁父がその人かと思われる様な漁父が相変わらず、船端を叩きながらうたう舟歌がむなしく聞こえてくる。
○蘋藻 かたばみ藻と水藻。水草。この水藻を敬ってお供えをするということに基づいている。『左傳、㐮公二十八』「済澤之阿、行两潦之蘋藻、寘諸宗室、季蘭尸之、敬也。敬可棄乎。」(済澤之阿、行潦の蘋藻も、諸を宗室に寘【お】き、季蘭これを尸【つかさど】るは、敬なり。敬として棄つく可けん乎。)とある。屈原の祭壇が分からないのである。

○漁父 隠遁者のこと。『楚辞』のなかにはまた「漁父」という一篇があり、現在では後世の人の作とされるが、韓愈の時代には屈原が作ったものと信じられていた。「漁父」とは「漁師のおやじ」という意味で、ここの漁父は隠者であり、屈原が、「挙世みな酔う」なかで自分一人正気でいるこんな目にあっているのだというと、それなら、自分もその酒の余りを飲み、世の中の人たちといっしょに酔ったらよいではないかという。しかし、屈原と漁父とでは、しょせん生き方が違う。それを知った漁父は、ふなはたを叩いて歌をうたいながら舟を濯ぎ去る。


この詩は愈が配流の旅の途中、洞羅にさしかかって作ったものである。同じく都から追放された者として、彼はわが身を屈原になぞらえているのである。ただし汨羅江のほとりに漁師の歌・舟歌はいくらも聞けたであろうが、現代の漁父は、一人も韓愈のそばへ舟を濯ぎ寄せ、声をかけようとはしてくれなかった。左遷、流刑の旅である。気軽に声をかけてくれる者はいない。その寂しさを屈原の孤独と重ねているのである。

孟郊『答盧仝』(「楚屈入水死,詩孟踏雪僵。」(楚の屈は 水に入りて死し、詩の孟は雪を踏んで僵【たおれ】る。)
楚の屈原は世をはかなみ湘水に入水して死んだ。詩人である孟郊は、作詩に雪道を歩いて倒れて死んでしまうほどの努力をしている。
○楚屈 戦国時代の楚の政治家、詩人。氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した
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李商隠『楚宮』 「湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。」(湘波 涙如 色漻漻【りょうりょう】たり、楚厲【それい】の迷魂 恨みを逐いて遙かなり。)
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李商隠 『潭州』「潭州官舎暮樓空、今古無端人望中。湘涙浅深滋竹色、楚歌重畳怨蘭叢。」(潭州の官舎 暮楼空し、今古 端なくも人望中る。湘涙 浅深 竹色を涼し、楚歌 重畳 蘭叢を怨む。)
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韓愈  答張十一功曹  

山淨江空水見沙,哀猿啼處兩三家。簣簹競長纖纖筍,躑躅閒開豔豔花。

未報恩波知死所,莫令炎瘴送生涯。吟君詩罷看雙鬢,斗覺霜毛一半加。
(揚山について、先に任地の臨武に到着していた張署に答えて詩をおくる)

時しも春の末、嶺南の山色極めて清らかで明るい、江川にはまったく人影もない、水は少なく澄みきっているので川砂の堆積までみえる。このあたりはまことに寂しく、悲しげに猿が啼く林樹の下あたりに、二、三軒の家があるばかりである。この地方特産の篔簹の竹はあちこちにわれがちに纖纖たる筍をのばしている、つつじは静かに豔豔たる花を咲かせている。身は、いまだに聖主の恩波に報ゆるをえず、この邊地にながされて、ここを死に場所と定める外はないが、炎暑に瘴癘の毒気にあてられても、一生を終わらせるようなことだけはしたくない。君から送ってきた詩を吟じ終えると、北歸の日が、何時の事かわからない段階で、わが両の鬢を見れば、白髪が半ばまで及んだことを覚ったのである。
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韓愈  次同冠峽  

今日是何朝,天晴物色饒。落英千尺墮,遊絲百丈飄。

泄乳交巖脈,懸流揭浪標。無心思嶺北,猿鳥莫相撩。
(同冠峡に宿泊した際にこの地で感じたことを述べた。)
今日は、いったいなんという朝であろうか、天は晴れ すべての物の色が じつに豊に、あざやかに見え、全て佳景である。落花は千尺の崖の上から舞いおちてきて、舞い上がるかげろうは百丈のたかいところでにゆらゆらして見える。乳のような石灰質の溶液は、巌に脈からしみ出て、鐘乳石となってまじわりたれている、早瀬の勢いは、激しく、そこに崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。五嶺山脈を越えてこの地に来たからには嶺北のことがよいとこであったなどと思う気持ちになりはしない、というのも羈官の身であり仕方あるまいが、慟哭の様な猿やほととぎす鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことなどないようにしてもらいたいものである。
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(改訂版Ver.2.1)

同冠峽【案:貞元十九年貶陽山後作。】  

南方二月半,春物亦已少。維舟山水間,晨坐聽百鳥。

宿雲尚含姿,朝日忽升曉。羈旅感和鳴,囚拘念輕矯。

潺湲淚久迸,詰曲思增繞。行矣且無然,蓋棺事乃了。

77 (改訂)《巻0209同冠峽》【案:貞元十九年貶陽山後作。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1473> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6349

 

(改訂版Ver.2.1)

韓愈詩-83

年:804年貞元20年 37歳

卷別:    卷三四三              文體:    五言律詩

詩題:    次同冠峽【次弄冠峽】【次巫冠峽】【案:赴陽山作。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              同冠峽 (江南西道 連州 陽山)           

 

 

次同冠峽

今日是何朝,天晴物色饒。

今日は、いったいなんという朝であろうか、天は晴れ すべての物の色が じつに豊に、あざやかに見え、全て佳景である。
落英千尺墮,遊絲百丈飄。

落花は千尺の崖の上から舞いおちてきて、舞い上がるかげろうは百丈のたかいところでにゆらゆらして見える。
泄乳交巖脈,懸流揭浪標。

乳のような石灰質の溶液は、巌に脈からしみ出て、鐘乳石となってまじわりたれている、早瀬の勢いは、激しく、そこに崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
無心思嶺北,猿鳥莫相撩。

五嶺山脈を越えてこの地に来たからには嶺北のことがよいとこであったなどと思う気持ちになりはしない、というのも羈官の身であり仕方あるまいが、慟哭の様な猿やほととぎす鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことなどないようにしてもらいたいものである。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(同冠峡に次【じ】す)

今日 是れ 何の朝【ちょう】ぞ?、天は晴れて 物色饒【おお】し。

落英【らくえい】千尺より墮ち,遊絲【ゆうし】百丈 飄【ひるがえ】る。

泄乳【せつにゅう】巖脈交わり,懸流 浪標【ろうひょう】を揭【かか】ぐ。

嶺北【れいほく】を思うに心無し,猿鳥 相い撩【みだ】ること莫れ。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->唐時代 韓愈関連05
<!--[endif]-->

 

『次同冠峽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

次同冠峽

今日是何朝,天晴物色饒。

落英千尺墮,遊絲百丈飄。

泄乳交巖脈,懸流揭浪標。

無心思嶺北,猿鳥莫相撩。

(下し文)
(同冠峡に次【じ】す)

今日 是れ 何の朝【ちょう】ぞ?、天は晴れて 物色饒【おお】し。

落英【らくえい】千尺より墮ち,遊絲【ゆうし】百丈 飄【ひるがえ】る。

泄乳【せつにゅう】巖脈交わり,懸流 浪標【ろうひょう】を揭【かか】ぐ。

嶺北【れいほく】を思うに心無し,猿鳥 相い撩【みだ】ること莫れ。

(現代語訳)
(同冠峡に宿泊した際にこの地で感じたことを述べた。)
今日は、いったいなんという朝であろうか、天は晴れ すべての物の色が じつに豊に、あざやかに見え、全て佳景である。
落花は千尺の崖の上から舞いおちてきて、舞い上がるかげろうは百丈のたかいところでにゆらゆらして見える。
乳のような石灰質の溶液は、巌に脈からしみ出て、鐘乳石となってまじわりたれている、早瀬の勢いは、激しく、そこに崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
五嶺山脈を越えてこの地に来たからには嶺北のことがよいとこであったなどと思う気持ちになりはしない、というのも羈官の身であり仕方あるまいが、慟哭の様な猿やほととぎす鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことなどないようにしてもらいたいものである。
韓愈 陽山00
(訳注)

次同冠峡
(同冠峡に宿泊した際にこの地で感じたことを述べた。)
・次同冠峡 さきの同冠峡の詩についでつくった。次は宿ること。


今日是何朝?天晴物色饒。
今日は、いったいなんという朝であろうか、天は晴れ すべての物の色が じつに豊に、あざやかに見え、全て佳景である。
○今日是何朝 今日は何の日というほどの意。悲しみや苦しみの中にあるとき、その思いになんのかかわりもなく、太陽がきらきら輝き、風が爽やかに吹くと、それがあまりに良すぎて、ひとはそれに対して逆の愁いをいだきたくなるものだ。この句はそうした郷愁の感情から生まれたものである。

○物色饒 すべての物の色が じつに豊に、あざやかに見え、全て佳景である。


落英千尺墮,遊絲百丈飄。
落花は千尺の崖の上から舞いおちてきて、舞い上がるかげろうは百丈のたかいところでにゆらゆらして見える。
○落英 おちる花びら。

○遊絲 かげろう。旅人(韓愈自身)を示す言葉。


泄乳交巖脈,懸流揭浪標。
乳のような石灰質の溶液は、巌に脈からしみ出て、鐘乳石となってまじわりたれている、早瀬の勢いは、激しく、そこに崖から流れ落ちる瀑布は白い波柱をあげている。
○泄乳 もれ出る鍾乳。

○懸流 たき。

○浪標 浪柱のこと.

李白『望廬山五老峯』『望廬山瀑布水 二首其一』『望廬山瀑布二首其二(絶句)』に雰囲気が似ている。

無心思嶺北,猿鳥莫相撩。
五嶺山脈を越えてこの地に来たからには嶺北のことがよいとこであったなどと思う気持ちになりはしない、というのも羈官の身であり仕方あるまいが、慟哭の様な猿やほととぎす鳥のように泣かれてはわたしの心をかきみだすことなどないようにしてもらいたいものである。
○嶺北 嶺は広東・広西の北境にある大庾・始安・臨賀・桂陽・掲陽の五嶺山脈のことで、この嶺から北の方を嶺北という。ここでは長安での出来事、のこして来た二男のことをしめす。

○猿鳥 中国南部に生息する手長猿で、悲鳴の声をさらに引っ張って慟哭するように鳴く。鳥は、啼いて血を吐くホトトギスに代表され、人恋しさの喩えに使われる。こうした猿や鳥の鋭い鳴き声は、孤独な旅人にとっては、殊に悲しいものである。

○莫相撩 せっかく忘れようとしている北方への郷愁をかきたて、わたしの心なみだすことはするな。相は、ここでは互いにという意妹はもたない。

82 巻09-04李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1499> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6479

韓愈  李員外寄紙筆  

題是臨池後,分從起草餘。兔尖針莫並,繭淨雪難如。莫怪殷勤謝,虞卿正著書。
(郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。

82 巻09-04李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1499> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6479韓愈詩-82

 

 
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韓愈詩-82

年:804年貞元20年 39歳

卷別:    卷三四三              文體:    五言古詩

詩題:    李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

交遊人物:李伯康            當地交遊(江南西道 郴州 郴州)

 

 

李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

(郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

題是臨池後,分從起草餘。

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。

兔尖針莫並,繭淨雪難如。

筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。

莫怪殷勤謝,虞卿正著書。

此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。

 

(李員外 紙筆を寄す【李伯康なり,郴州の刺史。】)

題すること是れ「臨池」の後,分つことは起草の餘よりす。

兔の尖なるは 針 並ぶ莫く,繭の淨きは 雪も 如く難し。

怪む莫れ 殷勤に謝するを,虞卿 正に書を著わす。

 

 

『李員外寄紙筆』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

題是臨池後,分從起草餘。

兔尖針莫並,繭淨雪難如。

莫怪殷勤謝,虞卿正著書。

(下し文)
(李員外 紙筆を寄す【李伯康なり,郴州の刺史。】)

題すること是れ「臨池」の後,分つことは起草の餘よりす。

兔の尖なるは 針 並ぶ莫く,繭の淨きは 雪も 如く難し。

怪む莫れ 殷勤に謝するを,虞卿 正に書を著わす。

(現代語訳)
(郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。

筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。

此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。


(訳注)

李員外寄紙筆【案:李伯康也,郴州刺史。】

(郴州刺史となった李員外殿が紙筆して一詩を寄せてくれる【李員外は、李伯康なり,郴州の刺史である。】)

李員外 李員外は、李伯康であり、803年貞元19年郴州刺史となった。韓愈が郴州待命中、世話になった。後に韓愈は《祭郴州李使君文》のなかで「苞黃甘而致貽,獲紙筆之雙貿。」とこの詩のことを述べている。

 

題是臨池後,分從起草餘。

この紙に、この筆で書くことは、「臨池学書、池水尽黒」」と十分に修辞の練習をしたのちにすべきである、しかしこれをいつものこととされる君の能書も、その様であるが、この紙筆を他人に分かつことは、禁中にあって、文章の起草を掌ったのちのもの、即ち、その使い残しの者と見えてまことに結構な品々である。

臨池 「張芝臨池学書、池水尽黒」(池に臨んで書を学ぶ、池水尽く黑し)後漢の張芝、書道の練習にはげみ、そのための硯の墨で池の水が真っ黒になったと言うところから、習字の義となった。王羲之(与書人)宋書の練習のことをいう。

 

兔尖針莫並,繭淨雪難如。

筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていることは、針にも勝っているし、紙は、眉から作ったので、その純白なることは、雪にも及ばぬくらいのものである。

兔尖 筆先は兔毛で出来ていて、その先のとがっていること。

繭淨 繭紙のことで、繭を材料として漉た紙で、この時代最も白いものであったという。

 

莫怪殷勤謝,虞卿正著書。

此れを頂戴して、慇懃にお礼を申し上げるのは、他意は一切なく、感謝する所である、自分は、昔の虞卿のように困窮の愁にあって、今しも著書に心掛けているからで、何よりの物を賜ったのは誠にありがたく思う次第である。

殷勤 ① 礼儀正しく,丁寧な・こと(さま)。② 親しい交わり。よしみ。③ 男女の情交。

虞卿 戦国時代末期趙の政治家・歴史家・弁論家。 後述するように「卿」は通称・尊称であり、本名は不明。趙の上卿・宰相を務め、また、歴史書『虞氏春秋』を著した。その史料と義侠に溢れた生き様は『史記』の著者司馬遷にも大きな影響を与えた。

歴史書を核に到ったのは、全ての地位を失い虞卿は困窮の身に陥り、書の執筆に専念するようになったのである。孔子が著したとされる歴史書『春秋』から当世に至るまでの歴史をまとめ、さらに自らの見解から国家の得失を論じ、ついに『節義』『称号』『揣摩(しま)』『政謀』、通称『虞氏春秋』全八篇を完成させた。『虞氏春秋』は現存しないが、司馬遷の『史記』など後代の史料の基礎となった。

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韓愈(韓退之)  縣齋讀書#2

青竹時默釣,白雲日幽尋。南方本多毒,北客恆懼侵。

謫譴甘自守,滯留愧難任。投章類縞帶,佇答逾兼金。

時には、青竹を竿にして石磯に坐し,竿を投じて漁したこともあるし、白雲の深く立ち込めた山路をあちこち幽澗なところを訪ね歩いたのである。元来、南方は瘴癘の地で、熱毒の地であって、北からきて風土になれぬものは、つねにこれに侵される虞があるのである。しかし、いまの自分は謫譴されて此処に来たものの、上述のごとき楽しみがあるから、甘んじて自分を守っているので、此処に滞留して、縣宰という職務を全うすることができるかどうかその点において覚束なく思われる。詩を作ってそれを他の詩人と唱和を求めて詩を贈るのは、さながら、その昔の人が縞帶を贈り、白紵の衣と和した“縞紵之交”のようなものであり、そして、答えを待つ側からすれば、あたかも、兼金とする珍品でも贈られるようであるから、良い詩を作らなければいけないと思って詩を作るものであり、晨夕の詩の応酬はおおよそこのようなものである。

81-#2 (改訂)巻04-14縣齋讀書 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1498> Ⅱ巻04-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6474

 

 
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韓愈詩-81-#2

縣齋讀書【案:在陽山作。】 #1

(陽山縣の書斎で書を読む。)【804年貞元二十年陽山での作。】 #1

出宰山水縣,讀書松桂林。

私は、左遷され陽山にきて、このように山水の眺めゆたかなところに縣令となり、そして、高台の松桂の列をなしている林で書を読んでいる。
蕭條捐末事,邂逅得初心。

平生蕭條として俗事を棄て去り、ここで、たまたま逢う人は、皆初対面のときから気が合う、気心の知れた友達である。

哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。

その林で鳴いている猿の哀しい声は俗事をさましてくれ、けがれた耳を高潔の士、許由のように耳を洗うまでのことではないが、穢れのない清泉は、塵に汚れた衣襟を洗ってくれ、世俗のことにわずらわされる心を潔くすることができる。
詩成有共賦,酒熟無孤斟。

ここへきて詩が出来るのも、新しくできた友と唱和するからであるし、酒が熟せば、陶淵明のように酒を独酌しないで、互いに酌み交わすから、逸興が湧いてくるというものである。
#2

青竹時默釣,白雲日幽尋。

時には、青竹を竿にして石磯に坐し,竿を投じて漁したこともあるし、白雲の深く立ち込めた山路をあちこち幽澗なところを訪ね歩いたのである。

南方本多毒,北客恆懼侵。

元来、南方は瘴癘の地で、熱毒の地であって、北からきて風土になれぬものは、つねにこれに侵される虞があるのである。

謫譴甘自守,滯留愧難任。

しかし、いまの自分は謫譴されて此処に来たものの、上述のごとき楽しみがあるから、甘んじて自分を守っているので、此処に滞留して、縣宰という職務を全うすることができるかどうかその点において覚束なく思われる。

投章類縞帶,佇答逾兼金。

詩を作ってそれを他の詩人と唱和を求めて詩を贈るのは、さながら、その昔の人が縞帶を贈り、白紵の衣と和した“縞紵之交”のようなものであり、そして、答えを待つ側からすれば、あたかも、兼金とする珍品でも贈られるようであるから、良い詩を作らなければいけないと思って詩を作るものであり、晨夕の詩の応酬はおおよそこのようなものである。


(縣齋に書を讀む【陽山に在る作。】)

出でて 山水の県に宰とし、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】 末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成って共に賦する有り、酒 熟して孤斟【こしん】無し。
#2

青竹【せいちく】もて時に默【もく】して釣り、白雲 日【ひび】に幽尋【ゆうじん】す。

南方 本【もともと】 毒多し、北客【ほくきゃく】 恒【つね】に侵されむことを懼【おそ】る。

謫譴【たくけん】 自ら守るに甘んじ、滞留【たいりゅう】 任【た】へ難きを愧【は】づ。

章を投ずるは縞帯【こうたい】に類す、答を伫【ま】つこと兼金【けんきん】に逾【こ】えたり。』

韓愈 陽山と潮州002 


現代語訳と訳註
(
本文)  #2

青竹時默釣,白雲日幽尋。

南方本多毒,北客恆懼侵。

謫譴甘自守,滯留愧難任。

投章類縞帶,佇答逾兼金。


(下し文)   #2

青竹【せいちく】もて時に默【もく】して釣り、白雲 日【ひび】に幽尋【ゆうじん】す。

南方 本【もともと】 毒多し、北客【ほくきゃく】 恒【つね】に侵されむことを懼【おそ】る。

謫譴【たくけん】 自ら守るに甘んじ、滞留【たいりゅう】 任【た】へ難きを愧【は】づ。

章を投ずるは縞帯【こうたい】に類す、答を伫【ま】つこと兼金【けんきん】に逾【こ】えたり』


(現代語訳)
時には、青竹を竿にして石磯に坐し,竿を投じて漁したこともあるし、白雲の深く立ち込めた山路をあちこち幽澗なところを訪ね歩いたのである。

元来、南方は瘴癘の地で、熱毒の地であって、北からきて風土になれぬものは、つねにこれに侵される虞があるのである。

しかし、いまの自分は謫譴されて此処に来たものの、上述のごとき楽しみがあるから、甘んじて自分を守っているので、此処に滞留して、縣宰という職務を全うすることができるかどうかその点において覚束なく思われる。

詩を作ってそれを他の詩人と唱和を求めて詩を贈るのは、さながら、その昔の人が縞帶を贈り、白紵の衣と和した“縞紵之交”のようなものであり、そして、答えを待つ側からすれば、あたかも、兼金とする珍品でも贈られるようであるから、良い詩を作らなければいけないと思って詩を作るものであり、晨夕の詩の応酬はおおよそこのようなものである。


(訳注) #2
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青竹時默釣,白雲日幽尋。

時には、青竹を竿にして石磯に坐し,竿を投じて漁したこともあるし、白雲の深く立ち込めた山路をあちこち幽澗なところを訪ね歩いたのである。

時默釣 陽山縣志 釣魚臺は縣東半里、塔渓の右に在り。韓愈《送區冊序》(區册を送る序)「與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂。」(之と嘉林に翳し,石磯に坐し,竿を投じて漁し,陶然以て樂む。)

 

南方本多毒,北客恆懼侵。

元来、南方は瘴癘の地で、熱毒の地であって、北からきて風土になれぬものは、つねにこれに侵される虞があるのである。

 

謫譴甘自守,滯留愧難任。

しかし、いまの自分は謫譴されて此処に来たものの、上述のごとき楽しみがあるから、甘んじて自分を守っているので、此処に滞留して、縣宰という職務を全うすることができるかどうかその点において覚束なく思われる。

 

投章類縞帶,佇答逾兼金。

詩を作ってそれを他の詩人と唱和を求めて詩を贈るのは、さながら、その昔の人が縞帶を贈り、白紵の衣と和した“縞紵之交”のようなものであり、そして、答えを待つ側からすれば、あたかも、兼金とする珍品でも贈られるようであるから、良い詩を作らなければいけないと思って詩を作るものであり、晨夕の詩の応酬はおおよそこのようなものである。

縞帶 縞紵之交.【釋義】:縞紵:縞帶と紵衣のこと。縞帶とは白色絹を用いて製成した大帶を指す。紵衣とは苧麻の纖維を用いて織成した衣服を指す。交情の篤深を指す。 【出處】:《左傳·襄公二十九年》:“(吳之公子劄)聘于鄭,見子產,如舊相識,與之縞帶,子產獻紵衣焉”。(吳之公子劄、鄭に聘す,子產を見て,相い識る舊の如し,之れに縞帶を與う,子產は紵衣を獻ず)呉地は縞を貴び、鄭地は紵を貴ぶとされる。

兼金 その価値が兼ねて倍するものをいう。價值倍于常金的好金子。 古代金銀銅通言金。 亦泛指多量的金銀錢帛。 ▷ 《孟子‧公孫丑下》: “前日于齊, 王饋兼金一百而不受。”晉陸機《贈馮文羆》詩: “愧無雜佩贈, 良訊代兼金。”


(参考) 韓愈は語句について、下に示す「陶淵明の詩」に基づいて作詩している。
和郭主簿 其一 陶淵明
藹藹堂前林、中夏貯淸陰。
凱風因時來、回飆開我襟。
息交遊閑業、臥起弄書琴。
園蔬有餘滋、舊穀猶儲今。
營已良有極、過足非所欽。
舂秫作美酒、酒熟吾自斟。
弱子戲我側、學語未成音。
此事眞復樂、聊用忘華簪。
遙遙望白雲、懷古一何深。  


藹藹たり堂前の林、中夏に清陰を貯う。
凱風 時に因りて来たり、回飆(かいひょう) 我が襟を開く。
交りを息(や)めて閑業に遊び、臥起に書琴を弄ぶ。
園蔬は余滋有り、旧穀は猶お今に儲(たくわ)う。
已(おのれ)を営むは良(まこと)に極(さだめ)有り、足るに過ぐるは欽(ねが)う所に非ず。
秫(じゅつ)を舂(つ)きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟(く)む。
弱子(じゃくし)我が側らに戲むれ、語を學(ま)ねて未だ音を成さず。
此の事眞に復た樂し、聊か用って華(か)簪(しん)を忘る。
遙遙たる白雲を望む、古(いにしえ)を懐(おも)うこと一(いつ)に何ぞ深き。

(座敷の前の林はこんもりと茂り、夏のさなかにはさわやかな木陰をたくわえている。折から南風が吹くようになり、小さく渦巻いてわたしの襟元を吹きひらく。世間との付き合いをやめたわたしのいまの関心は芸に遊ぶことにあって、日がな一日、書物や琴をもてあそんでいる。畑の野菜はすくすくと育っているし、穀物も去年の分がまだたくわえてある。暮らしを立てるには一定の限度があり、必要以上に求めるのは不本意なことである。もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。幼い子供が傍で戯れている。まだ言葉を覚えだしたばかりで片言しか話すことは出来ない。こうした生活は本当に楽しく、束の間、華やかな政治の世界を忘れることが出来る。遠くを流れる白い雲を眺めながら、古き良き時代を想うことはなんとも趣き深いことだ。)

 

 

作者:韓愈 唐                 

本作品收录于:《全唐文/卷0555》

 

送區冊序

陽山,天下之窮處也。陸有丘陵之險,虎豹之虞;江流悍急,橫波之石,廉利侔劍戟,舟上下失勢,破碎淪溺者,往往有之。縣郭無居民,官無丞尉,夾江荒茅篁竹之間,小吏十餘家,皆鳥言夷面。始至,言語不通,畫地為字,然後可告以出租賦,奉期約。是以賓客遊從之士,無所為而至。愈待罪於斯,且半歲矣。有區生者,誓言相好,自南海挐舟而來,升自賓階,儀觀甚偉,坐與之語,文義卓然。莊周云:「逃空虛者,聞人足音,跫然而喜矣。」況如斯人者,豈易得哉!入吾室,聞《詩》《書》仁義之說,欣然喜,若有志於其間也。與之翳嘉林,坐石磯,投竿而漁,陶然以樂,若能遺外聲利,而不厭乎貧賤也。歲之初吉,歸拜其親,酒壺既傾,序以識別。
韓愈 陽山00 

81-#1 (改訂)巻04-14縣齋讀書 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1497> Ⅱ巻04-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6469

韓愈  縣齋讀書【案:在陽山作。】 #1

出宰山水縣,讀書松桂林。蕭條捐末事,邂逅得初心。

哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。詩成有共賦,酒熟無孤斟。

(陽山縣の書斎で書を読む。)【804年貞元二十年陽山での作。】 #1

私は、左遷され陽山にきて、このように山水の眺めゆたかなところに縣令となり、そして、高台の松桂の列をなしている林で書を読んでいる。平生蕭條として俗事を棄て去り、ここで、たまたま逢う人は、皆初対面のときから気が合う、気心の知れた友達である。その林で鳴いている猿の哀しい声は俗事をさましてくれ、けがれた耳を高潔の士、許由のように耳を洗うまでのことではないが、穢れのない清泉は、塵に汚れた衣襟を洗ってくれ、世俗のことにわずらわされる心を潔くすることができる。ここへきて詩が出来るのも、新しくできた友と唱和するからであるし、酒が熟せば、陶淵明のように酒を独酌しないで、互いに酌み交わすから、逸興が湧いてくるというものである。
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0542 臨江仙七首其二》『花間集』240全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6472 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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韓愈詩-81-#1

年:804年貞元20年 39歳

卷別:    卷三三九            文體:    五言古詩

詩題:    縣齋讀書【案:在陽山作。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

 

 

縣齋讀書【案:在陽山作。】 #1

出宰山水縣,讀書松桂林。

蕭條捐末事,邂逅得初心。

哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。

詩成有共賦,酒熟無孤斟。

(陽山縣の書斎で書を読む。)【804年貞元二十年陽山での作。】 #1

私は、左遷され陽山にきて、このように山水の眺めゆたかなところに縣令となり、そして、高台の松桂の列をなしている林で書を読んでいる。
平生蕭條として俗事を棄て去り、ここで、たまたま逢う人は、皆初対面のときから気が合う、気心の知れた友達である。

その林で鳴いている猿の哀しい声は俗事をさましてくれ、けがれた耳を高潔の士、許由のように耳を洗うまでのことではないが、穢れのない清泉は、塵に汚れた衣襟を洗ってくれ、世俗のことにわずらわされる心を潔くすることができる。
ここへきて詩が出来るのも、新しくできた友と唱和するからであるし、酒が熟せば、陶淵明のように酒を独酌しないで、互いに酌み交わすから、逸興が湧いてくるというものである。
#2

青竹時默釣,白雲日幽尋。

南方本多毒,北客恆懼侵。

謫譴甘自守,滯留愧難任。

投章類縞帶,佇答逾兼金。

 

 

(縣齋に書を讀む【陽山に在る作。】)

出でて 山水の県に宰とし、書を松桂【しょうけい】の林に読む。
蕭條【しょうじょう】 末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。
哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。
詩成って共に賦する有り、酒 熟して孤斟【こしん】無し。
#2

青竹【せいちく】もて時に默【もく】して釣り、白雲 日に幽尋【ゆうじん】。
南方 本と 毒多し、北客 恒【つね】に侵さんことを懼【おそ】る。
謫譴【たくけん】 自ら守るに甘んじ、滞留【たいりゅう】 任【た】へ難きを愧【は】づ。
章を。
』

 

韓愈 陽山と潮州002 

『縣齋讀書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

縣齋讀書【案:在陽山作。】 #1

出宰山水縣,讀書松桂林。

蕭條捐末事,邂逅得初心。

哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。

詩成有共賦,酒熟無孤斟。


(下し文)
(縣齋に書を讀む【陽山に在る作。】)

出でて 山水の県に宰とし、書を松桂【しょうけい】の林に読む。

蕭條【しょうじょう】 末事【まつじ】を捐【す】て、邂逅【かいこう】 初心【しょしん】を得たり。

哀狖【あいゆう】 俗耳【ぞくじ】を醒【さ】まし、清泉【せいせん】 塵襟【じんきん】を潔くす。

詩成って共に賦する有り、酒 熟して孤斟【こしん】無し。

(現代語訳)
(陽山縣の書斎で書を読む。)【804年貞元二十年陽山での作。】 #1

私は、左遷され陽山にきて、このように山水の眺めゆたかなところに縣令となり、そして、高台の松桂の列をなしている林で書を読んでいる。
平生蕭條として俗事を棄て去り、ここで、たまたま逢う人は、皆初対面のときから気が合う、気心の知れた友達である。

その林で鳴いている猿の哀しい声は俗事をさましてくれ、けがれた耳を高潔の士、許由のように耳を洗うまでのことではないが、穢れのない清泉は、塵に汚れた衣襟を洗ってくれ、世俗のことにわずらわされる心を潔くすることができる。
ここへきて詩が出来るのも、新しくできた友と唱和するからであるし、酒が熟せば、陶淵明のように酒を独酌しないで、互いに酌み交わすから、逸興が湧いてくるというものである。

(訳注)

縣齋讀書【案:在陽山作。】 #1

(陽山縣の書斎で書を読む。)
○県斎読書 底本巻四。804年貞元二十年陽山での作。《巻04-15新竹》《巻04-16晩菊》も同じ時期である。
韓愈に『縣齋有懷』(陽山縣齋作805年貞元二十一年)がある。


出宰山水縣,讀書松桂林。
私は、左遷され陽山にきて、このように山水の眺めゆたかなところに縣令となり、そして、高台の松桂の列をなしている林で書を読んでいる。
○出 長安の中央官庁から地方に転出する。

・宰 為政者。ここでは県令となること。

○山水縣 山水に富んだ県。自分が県令であることと半官半隠であるかのようにくらせる。

○松桂林 松とモクセイの混生した林。陽山県の北二里に賢令山(牧民山)があって、その上に読書台があり、それがこの詩にいう読書松桂林のあとである。


蕭條捐末事,邂逅得初心。
平生蕭條として俗事を棄て去り、ここで、たまたま逢う人は、皆初対面のときから気が合う、気心の知れた友達である。

○蕭條 ものさびしいさま。

○捐末事 俗事を棄て去る。

○邂逅 めぐりあい。

○得初心 初対面のときから気が合う。


哀狖醒俗耳,清泉潔塵襟。
その林で鳴いている猿の哀しい声は俗事をさましてくれ、けがれた耳を高潔の士、許由のように耳を洗うまでのことではないが、穢れのない清泉は、塵に汚れた衣襟を洗ってくれ、世俗のことにわずらわされる心を潔くすることができる。
○哀狖 かなしく鳴く尾長猿の声。

○俗耳 俗事を聞くことによりけがれた耳。・有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。・首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八」

○塵襟 世俗のくだらないことどもを塵という。襟はえりのあるところ、すなわち胸、すなわち心。つまり世俗のことにわずらわされる心である。


詩成有共賦,酒熟無孤斟。』

ここへきて詩が出来るのも、新しくできた友と唱和するからであるし、酒が熟せば、陶淵明のように酒を独酌しないで、互いに酌み交わすから、逸興が湧いてくるというものである。
○孤斟 独酌する。陶淵明《庚子歲五月中從都還阻風於規林二首. 其一》詩に、「舂秫作美酒、酒熟吾自斟」(秫【じゅつ】を舂【つ】きて美酒を作り、酒熟すれば吾れ自ら斟【く】む。)“もち粟をついて美酒を作り、酒が熟すれば自分で酌んで飲む。”の句がある。韓愈は明らかに陶潜の句をふまえているが、儒者として濁りのない清酒、聖人の酒「清酒」を飲むというのだ。韓愈は陶淵明の思想は評価していない。
韓愈 陽山00 

80 《巻03-14貞女峽》【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1496> Ⅱ巻03-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6464

韓愈  貞女峽【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】 江盤峽束春湍豪,風雷戰鬥魚龍逃。

懸流轟轟射水府,一瀉百里翻雲濤。漂船擺石萬瓦裂,咫尺性命輕鴻毛。
(連州桂陽縣の貞女峽の様子をうたった詩)【貞女峽は江南西道連州桂陽に在る。秦の時代に数人の女がここへ法螺貝を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化したという、この峡谷の東側に洞穴があって、そのなかにある】

江水は盤曲し、峡勢はいよいよ縮まって狭く、おりしも春で水かさが増しているから、流れは早瀬でさらに早く、その勢いは、風雷の空中に戦うがごとく、その響きの凄まじきに驚いて、魚龍などいたがらずに、逃げ出したという。向うを見ると、数十丈の断崖から、懸流が轟轟として直下し、水底の竜宮まで射透すかと疑われ、一瀉百里、雲濤を翻すというようなここの様子である。その峡谷を船で下るのであるから、大抵の舟は、転覆して漂わされ石でさえも、波のために推し開かれ、さながら、萬瓦の裂けるように、すべての物は粉砕されてしまうが、此処に到れば、吾生命の軽いことは、さながら鴻毛の如く、まことに危ないことである。

80 《巻03-14貞女峽》【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1496> Ⅱ巻03-14 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6464

 
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韓愈詩-80

年:804年貞元20年 37歳

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    貞女峽【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              貞女峽 (江南西道 連州 桂陽)           

 

 

貞女峽【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】

(連州桂陽縣の貞女峽の様子をうたった詩)【貞女峽は江南西道連州桂陽に在る。秦の時代に数人の女がここへ法螺貝を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化したという、この峡谷の東側に洞穴があって、そのなかにある】

江盤峽束春湍豪,風雷戰鬥魚龍逃。

江水は盤曲し、峡勢はいよいよ縮まって狭く、おりしも春で水かさが増しているから、流れは早瀬でさらに早く、その勢いは、風雷の空中に戦うがごとく、その響きの凄まじきに驚いて、魚龍などいたがらずに、逃げ出したという。

懸流轟轟射水府,一瀉百里翻雲濤。

向うを見ると、数十丈の断崖から、懸流が轟轟として直下し、水底の竜宮まで射透すかと疑われ、一瀉百里、雲濤を翻すというようなここの様子である。

漂船擺石萬瓦裂,咫尺性命輕鴻毛。

その峡谷を船で下るのであるから、大抵の舟は、転覆して漂わされ石でさえも、波のために推し開かれ、さながら、萬瓦の裂けるように、すべての物は粉砕されてしまうが、此処に到れば、吾生命の軽いことは、さながら鴻毛の如く、まことに危ないことである。

 

貞女峽【連州桂陽縣に在り。秦の時 女子石に化すを有る,東岸穴中に在る。】

江は盤り 峽は束ねて 春湍豪なり,風雷戰鬥して 魚龍逃る。

懸流 轟轟として水府を射る,一瀉 百里 雲濤を翻す。

船を漂わし石を擺【ひら】いて 萬瓦裂く,咫尺 性命 鴻毛よりも輕し。
 

韓愈 陽山と潮州002



『貞女峽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

貞女峽【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】

江盤峽束春湍豪,風雷戰鬥魚龍逃。

懸流轟轟射水府,一瀉百里翻雲濤。

漂船擺石萬瓦裂,咫尺性命輕鴻毛。

(下し文)
貞女峽【連州桂陽縣に在り。秦の時 女子石に化すを有る,東岸穴中に在る。】

江は盤り 峽は束ねて 春湍豪なり,風雷戰鬥して 魚龍逃る。

懸流 轟轟として水府を射る,一瀉 百里 雲濤を翻す。

船を漂わし石を擺【ひら】いて 萬瓦裂く,咫尺 性命 鴻毛よりも輕し。

(現代語訳)
(連州桂陽縣の貞女峽の様子をうたった詩)【貞女峽は江南西道連州桂陽に在る。秦の時代に数人の女がここへ法螺貝を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化したという、この峡谷の東側に洞穴があって、そのなかにある】

江水は盤曲し、峡勢はいよいよ縮まって狭く、おりしも春で水かさが増しているから、流れは早瀬でさらに早く、その勢いは、風雷の空中に戦うがごとく、その響きの凄まじきに驚いて、魚龍などいたがらずに、逃げ出したという。

向うを見ると、数十丈の断崖から、懸流が轟轟として直下し、水底の竜宮まで射透すかと疑われ、一瀉百里、雲濤を翻すというようなここの様子である。

その峡谷を船で下るのであるから、大抵の舟は、転覆して漂わされ石でさえも、波のために推し開かれ、さながら、萬瓦の裂けるように、すべての物は粉砕されてしまうが、此処に到れば、吾生命の軽いことは、さながら鴻毛の如く、まことに危ないことである。

嶺南道圖00
(訳注)

貞女峽【案:在連州桂陽縣。秦時有女子化石,在東岸穴中。】

(連州桂陽縣の貞女峽の様子をうたった詩)【貞女峽は江南西道連州桂陽に在る。秦の時代に数人の女がここへ法螺貝を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化したという、この峡谷の東側に洞穴があって、そのなかにある】

韓愈が陽山に左遷される途中、江南西道連州桂陽にある貞女峽に立ち寄って臨んで作ったもの。

貞女峽 峡の西岸の水ぎわに高さ七尺の石があって、その形が女のように見えるので、その石を貞女と呼び慣わしている。伝説によれば、秦の時代に数人の女がここへ法螺貝を採りに来ると、風雨に逢って昼暗く、晴れてから見ると其の一人は石に化していたというのである。王韶《始興記》「桂陽貞女峽,傳云,秦世有數女,取螺於此,遇風雨,一女忽化為石人,今形高七尺,狀如女子。」とある。

 

江盤峽束春湍豪,風雷戰鬥魚龍逃。

江水は盤曲し、峡勢はいよいよ縮まって狭く、おりしも春で水かさが増しているから、流れは早瀬でさらに早く、その勢いは、風雷の空中に戦うがごとく、その響きの凄まじきに驚いて、魚龍などいたがらずに、逃げ出したという。

峽束 峡間が狭いこと、川幅が廣かったものが、峡谷に差し掛かると急激に狭くなることで、束ねるという。杜甫《巻1940秋日夔府詠怀奉寄鄭監李賓客一百韻》「峽束滄江起,岩排石樹圓。」(峽は滄江を束ねて起り,岩は石樹を排して圓なり。)大江を束ねるがごとく攻めつけて峡勢が沸き起こっており、巌の上には、古い樹木が配列されていて、その巌は円かに横たわっている。

春湍豪 春、雪解け、伏流水、春の長雨によって水が増して、水嵩、水の勢いが、更に凄まじくなるごうごうと流れる早瀬をいう。

 

懸流轟轟射水府,一瀉百里翻雲濤。

向うを見ると、数十丈の断崖から、懸流が轟轟として直下し、水底の竜宮まで射透すかと疑われ、一瀉百里、雲濤を翻すというようなここの様子である。

水府 竜宮。

 

漂船擺石萬瓦裂,咫尺性命輕鴻毛。

その峡谷を船で下るのであるから、大抵の舟は、転覆して漂わされ石でさえも、波のために推し開かれ、さながら、萬瓦の裂けるように、すべての物は粉砕されてしまうが、此処に到れば、吾生命の軽いことは、さながら鴻毛の如く、まことに危ないことである。

擺石 石を並べる,巌石を配置する.

輕鴻毛 鴻毛の如く、吾生命の軽いことをいう。

79-#11 (改訂)《巻0211送靈師》-#11 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1495> Ⅱ【11分割】-#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6459

韓愈(韓退之)  送靈師 -#11  手持南曹敘,字重青瑤鐫。

古氣參彖繫,高標摧太玄。維舟事干謁,披讀頭風痊。

還如舊相識,傾壺暢幽悁。以此復留滯,歸驂幾時鞭。

ましてや、かの南曹に官する王員外の作った贈序を讀んで、はじめて靈師の事を知ったというが、なるほどその贈序は、大した名文で、青瑤に彫り付けたものよりも重い位である。その文章は、古色に富んで、丁度、易の彖辭や繫辭傳を昆用した技であり、高尚なる標敦は、揚雄の太玄経をも滅茶滅茶に砕き去る程である。そこで、李太守から、わざわざ迎いを寄越し、靈師は、やがて舟を繋いで謁見することになって、近近出発するが、さて始めて相逢う時、君の事を知ったのは、この贈序の御蔭だから、もう一遍、念のために読んで見やうといって、やがて之を披讀すると、頭痛も直る位、まして、贈序中に見えた常人に逢ったのだから、その面白いことは、言うまでもない。君とは、今回始めて逢うが、右の次第で、舊知も同様であるといい、酒壷を傾けて、憂悒の情を暢べられることであろう。しかし、かくの如く、李太守に好遇されて、その地に滞留したならば、何時、三頭立ての馬車に鞭って此地に掃ってくるか、それは、前以て分からぬことで、自分は、靈師の還俗を希望するのであるが、それも、当分差しひかえる外はない。まあ、彼方へいって、チヤホヤと持て囃されるのも悪い事ではないから、ゆっくりして居るも善かろう。

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79-#10 (改訂)《巻0211送靈師》-#10 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1494> Ⅱ【11分割】-#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6454

韓愈(韓退之)  送靈師 -#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。
そこで、段段話をして見ると靈師は、天晴の材調、坊主にしておくのは、まことに惜い位である、とはいうものの、朱丹も磨かざれば、赤い光も出ないという通り、これほどの材調あるものを坊主の中に埋没させて置くのは、まことに、残念至極である。どうにかして、この人を引き摺ってきて、孔子の道の中に収め、そして、剃りあげた頭に毛を生やして、冠をつけ、つまり還俗するようにしたいと思った。これから、靈師は、連州の隣境なる韶州に往くというが、その地の李太守は、高歩して雲煙を凌ぎ、随分出世をして居る人である。それにも拘わらず、とても客を愛し、客に対しては、飲食をも忘れる位である、その上、嚢を開いて、金錢でも、布帛でも、少しも惜しまずして、客に与えるという位、腹の大きい人物である。

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韓愈詩-79-#10

年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生した。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。

どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
失職不把筆,珠璣為君編。

ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。

それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

昨者至林邑,使君數開筵。

その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。

例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。

やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。

鄰州競招請,書札何翩翩。

すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。

落落王員外,爭迎獲其先。

ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。

率先して自宅に案内し、賓館に入れ置き、まるで濁りで靈師を占領して、出し惜みをする様な風で、久しい間、自ら専らにすることができた。

吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

陽山は、連州に近いが、交通が不便であるから、自分たちは、夜具を持参し、泊りがけで之を訪問し、互に心を語り争って、十分の歓喜を極めた。

聽說兩京事,分明皆眼前。

就中【なかんづく】、長安、洛陽のことを語り出すのを聞けば、左遷謫貶の身には、耳新らしく、明かに眼前に湧き出る如く思われ、まことに面白くて堪まらないくらいであった。

縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあうなかにいる。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。

そこで、段段話をして見ると靈師は、天晴の材調、坊主にしておくのは、まことに惜い位である、とはいうものの、朱丹も磨かざれば、赤い光も出ないという通り、これほどの材調あるものを坊主の中に埋没させて置くのは、まことに、残念至極である。

方將斂之道,且欲冠其顛。

どうにかして、この人を引き摺ってきて、孔子の道の中に収め、そして、剃りあげた頭に毛を生やして、冠をつけ、つまり還俗するようにしたいと思った。
韶陽李太守,高步凌雲煙。

これから、靈師は、連州の隣境なる韶州に往くというが、その地の李太守は、高歩して雲煙を凌ぎ、随分出世をして居る人である。

得客輒忘食,開囊乞繒錢。

それにも拘わらず、とても客を愛し、客に対しては、飲食をも忘れる位である、その上、嚢を開いて、金錢でも、布帛でも、少しも惜しまずして、客に与えるという位、腹の大きい人物である。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

唐時代 韓愈関連05 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

材調真可惜,朱丹在磨研。

方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。

得客輒忘食,開囊乞繒錢。

(下し文) #10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

(現代語訳)
そこで、段段話をして見ると靈師は、天晴の材調、坊主にしておくのは、まことに惜い位である、とはいうものの、朱丹も磨かざれば、赤い光も出ないという通り、これほどの材調あるものを坊主の中に埋没させて置くのは、まことに、残念至極である。

どうにかして、この人を引き摺ってきて、孔子の道の中に収め、そして、剃りあげた頭に毛を生やして、冠をつけ、つまり還俗するようにしたいと思った。
これから、靈師は、連州の隣境なる韶州に往くというが、その地の李太守は、高歩して雲煙を凌ぎ、随分出世をして居る人である。

それにも拘わらず、とても客を愛し、客に対しては、飲食をも忘れる位である、その上、嚢を開いて、金錢でも、布帛でも、少しも惜しまずして、客に与えるという位、腹の大きい人物である。


(訳注)

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

材調真可惜,朱丹在磨研。
そこで、段段話をして見ると靈師は、天晴の材調、坊主にしておくのは、まことに惜い位である、とはいうものの、朱丹も磨かざれば、赤い光も出ないという通り、これほどの材調あるものを坊主の中に埋没させて置くのは、まことに、残念至極であるから、

・材調 才調と同じ。才智の程度。

・朱丹在磨研 金丹のことで丹は水銀と硫黄の化合した赤色の鉱物。朱墨の原料である。丹が朱墨としての価値を発揮するのは硯にかけて磨ることによる、というほどの意。『呂氏春秋』に「丹は磨くべきも、朱を奪うべからず」という語がある。

 

方將斂之道,且欲冠其顛。
どうにかして、この人を引き摺ってきて、孔子の道の中に収め、そして、剃りあげた頭に毛を生やして、冠をつけ、つまり還俗するようにしたいと思った。
・方将 方も将も、二字合しても、まさに。

・斂之道 仏教僧侶の霊師を儒教の道に収容する。

・斂は儒教における大小之斂礼ということもある。

・冠其順 その頭に冠をつけさせる。還俗させること。


韶陽李太守,高步凌雲煙。
これから、靈師は、連州の隣境なる韶州に往くというが、その地の李太守は、高歩して雲煙を凌ぎ、随分出世をして居る人である。
・韶陽 韶州始興郡の地名。

・高歩 すぐれた歩み。

・凌雲煙 雲やかすみをつきぬける。


得客輒忘食,開囊乞繒錢。」
それにも拘わらず、とても客を愛し、客に対しては、飲食をも忘れる位である、その上、嚢を開いて、金錢でも、布帛でも、少しも惜しまずして、客に与えるという位、腹の大きい人物である。

・輒 そのたびごとに。

・忘食 客を得るたびごとに歓待して自分の食事もわすれる。

・乞繒錢 絹布や銭を与える。おくりものとするのである。当時、絹布は貨幣の代用とされていた。
嶺南道圖00 

79-#9 (改訂)《巻0211送靈師》-#9 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1493> Ⅱ【11分割】-#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6449

韓愈(韓退之)  送靈師-#9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

率先して自宅に案内し、賓館に入れ置き、まるで濁りで靈師を占領して、出し惜みをする様な風で、久しい間、自ら専らにすることができた。

陽山は、連州に近いが、交通が不便であるから、自分たちは、夜具を持参し、泊りがけで之を訪問し、互に心を語り争って、十分の歓喜を極めた。

就中、長安、洛陽のことを語り出すのを聞けば、左遷謫貶の身には、耳新らしく、明かに眼前に湧き出る如く思われ、まことに面白くて堪まらないくらいであった。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあうなかにいる。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生した。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。

どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
失職不把筆,珠璣為君編。

ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。

それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

昨者至林邑,使君數開筵。

その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。

例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。

やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。

鄰州競招請,書札何翩翩。

すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。

落落王員外,爭迎獲其先。

ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。

率先して自宅に案内し、賓館に入れ置き、まるで濁りで靈師を占領して、出し惜みをする様な風で、久しい間、自ら専らにすることができた。

吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

陽山は、連州に近いが、交通が不便であるから、自分たちは、夜具を持参し、泊りがけで之を訪問し、互に心を語り争って、十分の歓喜を極めた。

聽說兩京事,分明皆眼前。

就中、長安、洛陽のことを語り出すのを聞けば、左遷謫貶の身には、耳新らしく、明かに眼前に湧き出る如く思われ、まことに面白くて堪まらないくらいであった。

縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあうなかにいる。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#9

自從入賓館,占吝久能專。

吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。

縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

(下し文) #9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。


(現代語訳)
率先して自宅に案内し、賓館に入れ置き、まるで濁りで靈師を占領して、出し惜みをする様な風で、久しい間、自ら専らにすることができた。

陽山は、連州に近いが、交通が不便であるから、自分たちは、夜具を持参し、泊りがけで之を訪問し、互に心を語り争って、十分の歓喜を極めた。

就中、長安、洛陽のことを語り出すのを聞けば、左遷謫貶の身には、耳新らしく、明かに眼前に湧き出る如く思われ、まことに面白くて堪まらないくらいであった。

それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあうなかにいる。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。

(訳注)

送靈師 #9

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。


自從入賓館,占吝久能專。
率先して自宅に案内し、賓館に入れ置き、まるで濁りで靈師を占領して、出し惜みをする様な風で、久しい間、自ら専らにすることができた。

・自従 より。そういうことにより。

・賓館 客殼。

・占吝 占拠。独占すること。


吾徒頗擕被,接宿窮歡妍。
陽山は、連州に近いが、交通が不便であるから、自分たちは、夜具を持参し、泊りがけで之を訪問し、互に心を語り争って、十分の歓喜を極めた。

・頗 やや、かなりというほどの意。すこぶると似た意で用いられることもある。

・被 夜具。

・接宿 幾晩もぶっ続けに。

・妍【けん】優美なこと。美しいこと。


聽說兩京事,分明皆眼前。」
就中、長安、洛陽のことを語り出すのを聞けば、左遷謫貶の身には、耳新らしく、明かに眼前に湧き出る如く思われ、まことに面白くて堪まらないくらいであった。

・両京 長安と洛陽。

 

縱横雜謠俗,瑣屑鹹羅穿。
それから縦横にはやり歌、俗歌、地方の歌が飛び交いまじりあうなかにいる。おまけに今度は、些細なことを詮索し合ったりもするのだ。
・謡俗 俗謡。

・瑣屑 些細なこと。項は墳の俗字。

・羅穿 ならべたり、せんさくしたりする。

79-#8 (改訂)《巻0211送靈師》-#8 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1492> Ⅱ【11分割】-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6444

韓愈(韓退之)  送靈師 -#8

やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。

79-#8 (改訂)《巻0211送靈師》-#8 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1492> Ⅱ【11分割】-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6444

 

 
 2015年8月12日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0537 生查子一首》『花間集』235全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6447 
 ●薛濤の全詩●花間集(1巻●花間集(2巻●花間集(3巻●花間集(4巻●花間集(5巻 
 ●魚玄機全詩●花間集(6巻●花間集(7巻●花間集(8巻●花間集(9巻●花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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韓愈詩-79-#8

年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

唐時代 韓愈関連05 

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生した。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。

どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
失職不把筆,珠璣為君編。

ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。

それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

昨者至林邑,使君數開筵。

その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。

例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。

やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。

鄰州競招請,書札何翩翩。

すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。

落落王員外,爭迎獲其先。

ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
-#8

別語不許出,行裾動遭牽。

鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。

落落王員外,爭迎獲其先。

(下し文) #8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

(現代語訳)
やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。

すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。

しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。

ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。


(訳注)

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

别語不許出,行裾動遭牽。
やがて別れの事を言葉にほのめかすと、滅多に此からは外に出さぬといって、行きかけた裾を引つ捉えて、決して離さないので旅に出れない。

・別語 別れをつげることば。

・行裾 行は旅。裾は衣服の襟から下をさす。場合によっては、ふところ、えり、すそ、そでをさす。ここでは、旅に出ようとする霊師の袖というほどの意。


鄰州競招請,書劄何翩翩。」
すると、近郷の諸州でも、是非一度は来て貰いたいといって、競うて靈師を招待し、その書札は、翩翩として遣ってくるが、林邑の太守が靈師を解放せぬから仕方がない。

・書札 てがみ。

・翩翩 ひらひら。

 

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。
しかし、その年の十月に五嶺山脈を越え、桂嶺を下り、熱帯地方では冬の方が善いというので、この時に乗じて探勝を縦まにし、やっとの事で、我が今居る連州に到著した。

・桂嶺 賀州臨賀郡にある県名。三国時代、呉の黄武5年(226年)に孫権が臨賀郡を置く。隋代に賀州を置く。

・乗寒 陰暦十月は冬である。その寒さにかこつけて。

・恣窺縁 うかがうゆかりを自由にする。この地にやって来たというほどの意。五嶺山脈の南、嶺南は暖熱の地だから避寒にはもってこいである。


落落王員外,爭迎穫其先。
ここに吏部考功員外即の王仲舒という人が居て、その性質は、極めて磊落であるが、爭って迎へ、率先して自宅に案内してくれたのである。

・落落 心のひろいさま。

・王員外 王仲舒(761~822)のことで、韓愈と交友があった。礼部考籾員外郎から流されて当時連州司戸だった。曆任蘇州刺史、洪州刺史、中書舍人等。

・穫其先 第一番に霊師を獲得した。

79-#7 (改訂)《巻0211送靈師》-#7 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1491> Ⅱ【11分割】-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6439

韓愈(韓退之)  送靈師 -#7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。
それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

79-#7 (改訂)《巻0211送靈師》-#7 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1491> Ⅱ【11分割】-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6439韓愈詩-79-#7

 

 
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年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生した。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。

どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
失職不把筆,珠璣為君編。

ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。

それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

昨者至林邑,使君數開筵。

その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。

例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

唐時代 韓愈関連05 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#7

強留費日月,密席羅嬋娟。

昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。

湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

(下し文) #7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

(現代語訳)
それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。


(訳注)

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

強留費日月,密席羅嬋娟。」
それのみか、靈師を無理に引き留めて、歳月を送り、ある時は、秘密の座敷に於て、嬋娟たる美人を侍坐せしめたということである。

・嬋娟 美女。

 

昨者至林邑,使君數開筵。
その後、靈師は、方方歩いた末に、古い時代の林邑といわれた、廣東地方に来ると、太守は、頻りに之を歓迎して、しばしば宴を催してくれた。

・林邑 驩州 日南郡越裳県、

・使君 刺史またはこれに準ずる人をいう。


逐客三四公,盈懷贈蘭荃。
例の左遷の厄に遇った三四の刺史の人人も、しきりに詩文を贈答し、たとへば、懐中に一杯になるほどの蘭茎等の香草を贈った様なものであった。

・逐客 放逐された客臣。

・盈懐 霊師のふところがいっぱいになるまで。

・蘭荃 どちらも匂いのよい草。そのようなすぐれた文章をさす。『楚辞』などに見える語である。


湖游泛漭沆,溪宴駐潺湲。
それから、漭沆として廣き湖水に遊んでは舟を泛べ、潺湲の音涼しき渓中に往いては、宴を催したのである。

・漭沆 水の広大なさま。

・潺湲【せんかん】1 さらさらと水の流れるさま。せんえん。2 涙がしきりに流れるさま。

79-#6 (改訂)《巻0211送靈師》-#6 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1490> Ⅱ【11分割】-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6434

韓愈(韓退之)  送靈師》-#6  
同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。
どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
79-#6 (改訂)《巻0211送靈師》-#6 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1490> Ⅱ【11分割】-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6434韓愈詩-79-#6

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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-#4

有時醉花月,高唱清且綿。

仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。

四座咸寂默,杳如奏湘弦。

四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。

風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。
瞿塘五六月,驚電讓歸船。

なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
#4

時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生した。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。

どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
失職不把筆,珠璣為君編。

ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
 #6
同行二十人,魂骨俱坑填。

靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。

失職不把筆,珠璣為君編。

(下し文) #6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

(現代語訳)
(霊僧師を送る)
どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。

ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。


(訳注)

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

同行二十人,魂骨俱坑填。
どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

・坑填 あなにうずもれる。


靈師不掛懷,冒涉道轉延。
こんな大事変にであっても靈僧師は、格別こころにもかけず、相変わらず、冒険的の跋渉をこころみ、次第に道を伸ばして、蜀の奥地に進んでいった。


開忠二州牧,詩賦時多傳。
ここに、開・忠二州の刺史は、偉い人の李吉甫たちで、その詩賦は、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料を伝わるほどの有名な人たちであった。
・開忠二州牧 開州・忠州の刺史、牧は牧民官の意・当時、開州の剌史は唐次、忠州の刺史は李吉甫。758. 中国,唐の政治家。字は弘憲,諡は忠懿。趙郡(河北省)の人。憲宗のとき宰相となる。現存最古の地誌『元和郡県図志』を編纂。李吉甫(りきっぽ)758-814 27歲爲太常博士。後任忠州、郴州、饒州刺史。元和二年(807年)爲相。後因與竇群等有隙,三年(808年) 九月轉任淮南節度使。六年(811年)正月還朝複相,封讚皇侯,徙趙國公。その子李徳裕(りとくゆう、787年 - 849年)は、中国・唐代の政治家である。趙郡(河北省寧晋県)を本貫とする、当代屈指の名門・李氏の出身。字は文饒。憲宗朝の宰相であった李吉甫の子である。徳裕は、幼くして学を修めたが、科挙に応ずることを良しとせず、恩蔭によって校書郎となった。820年、穆宗が即位すると、翰林学士となった。次いで、822年には、中書舎人となった。その頃より、牛僧孺や李宗閔らと対立し始め、「牛李の党争」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。また、後世の仏教徒からは、道士の趙帰真と共に「会昌の廃仏」を惹起した張本人である、として非難されている。

敬宗の代に浙西観察使となって、任地に善政を敷き、帝を諌める等の功績があった。829年、文宗代では、兵部侍郎となった。時の宰相、裴度は、徳裕を宰相の列に加えるよう推薦した。しかし、李宗閔が、宦官と結託して先に宰相の位に就いた。逆に、830年徳裕は、投を排除され、鄭滑節度使として地方に出された。833年兵部尚書になる。甘露の変の際、前年より病勝ちで療養中の出来事。

840年、武宗が即位すると、徳裕が宰相となり、843年、844年劉稹の地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、宣宗が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。

特に『会昌一品集』は、李徳裕が宰相として手腕をふるった会昌年間6年に書いた制・詔・上奏文などをまとめたものである。ここには彼が処理した、ウイグル帝国崩壊後、南へ逃れ唐北辺へと流れてきたウイグル一派への対応や、昭義軍節度使劉稹の反乱の平定など、当時の政策の様相をダイレクトに描き出す文章が多数載せられ、武宗期の政治史のみならず、遊牧民の歴史の観点からも、重要な史料として注目される。

漫成五章 其四 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 107


失職不把筆,珠璣爲君編。
ところが、輝く前職を失ったのは左遷の厄に在ったので、ここに来てからろくに筆を執っていなかった、それを靈師が来遊したことによって、珠璣を連ねたような文字でもって編纂され、見事な詩を贈ったのである。
・失職 りっぱな地位を失う。

・珠璣爲君編 宝玉のような文字をあみつらねて君におくる文章とした。璣は丸くない珠。

79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429

韓愈(韓退之)  送靈師》-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。

投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。
瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生し、どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5韓愈(韓退之)  804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429

 

 
 2015年8月9日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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288 《1814酬中都小吏攜斗酒雙魚於逆旅見贈》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <288> Ⅰ李白詩1567 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6383 
 ●孟浩然 詩 index●李白詩index●謝霊運 詩 index●司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》●揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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79-#5 (改訂)《巻0211送靈師》-#5 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1489> Ⅱ【11分割】-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6429 
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韓愈詩-79-#5

年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

送靈師 #1

(霊僧師を送る) 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。

平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
官吏不之制,紛紛聽其然。

しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。

そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。

さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
少小涉書史,早能綴文篇。

霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

中間不得意,失跡成延遷。

中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
#2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。

また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。

六博在一擲,梟盧叱回旋。

その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。
戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。

その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。

#3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

-4

有時醉花月,高唱清且綿。

仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。

四座咸寂默,杳如奏湘弦。

四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。

風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。
瞿塘五六月,驚電讓歸船。

なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
#4

時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

-#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

環回勢益急,仰見團團天。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
投身豈得計,性命甘徒捐。

そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生し、どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

-#6

同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。

#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

-#7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

-#8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

-#9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

-#10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

-#11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師 』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
#5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。

環回勢益急,仰見團團天。

投身豈得計,性命甘徒捐。

浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

(下し文)
#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。


(現代語訳)
瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。

それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生し、どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。


(訳注)

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。


怒水忽中裂,千尋堕幽泉。
瞿塘峡は難所であって、逆巻く水は、中間に於て一段凹んで居て、その處にはまり込んだら最期、千尋の深さある黄泉の底へ落ちて仕舞うのである。

・幽泉 黄泉と同じ、よみじ、地獄。

・千尋 一ひろの千倍。また、はかりしれない深さ。


環回勢益急,仰見團團天。
そこで、流水はその難所で逆巻く波がめぐり渦巻を大きくし、その勢い、さらに急になる、両岸の絶壁に支えられ、船は波間にかくれ、仰ぎみればまるですり鉢の底から見るような團團たる天を仰ぎ見る。
・団団天 まんまるい天。渦巻の底から天を見ると円く見える。すり鉢の底から見た空。


投身豈得計,性命甘徒捐。
そうであれば、慣れた舟人でさえ、この難所に身を投じて舟を進めるというのは、どういうわけか無謀なことをしている。その岩陰を避けて、他の側を通ることをならいとするのに、靈師は、水の逆落としになっているところに舟を入れようとしたので、まるで自分の命をむだに棄てるというようなものである。


浪沫蹙翻湧,漂浮再生全。」
それでも、同行を志願したものが大分あって、愈よ渦が蹙められ、巌にあたって砕け、沫を生じて涌き返って居る処に舟を入れると、水の勢いは益々す激して、舟は見る間に転覆したが、靈師は、水練の心得があった故に、自ら泳いで再生し、どうやら、助かったものの、同行二十人は、魂も、骨も粉緻塵に成って、渦巻いて居る穴の底に沈んで仕舞った。

79-#4 (改訂)《巻0211送靈師》-#4 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1488> Ⅱ【11分割】-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6424

韓愈(韓退之)  送靈師-#4  

有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。
仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

送靈師 #1

(霊僧師を送る) 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。

平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
官吏不之制,紛紛聽其然。

しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。

そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。

さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
少小涉書史,早能綴文篇。

霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

中間不得意,失跡成延遷。

中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
#2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。

また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。

六博在一擲,梟盧叱回旋。

その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。
戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。

その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。

#3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

-4

有時醉花月,高唱清且綿。

仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。

四座咸寂默,杳如奏湘弦。

四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。

風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。
瞿塘五六月,驚電讓歸船。

なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『送靈師』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
-4

有時醉花月,高唱清且綿。

四座咸寂默,杳如奏湘弦。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。

瞿塘五六月,驚電讓歸船。

(下し文)
時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

(現代語訳) -4

仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。

四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。

風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。
なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。

(訳注) #4

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

有時醉花月,高唱清且緜。
仍って、時には、花に酔い、月にうかれて酔うのであり、大勢の居る席上で、聲高に歌い出すと、その聲は清らかに、そして、長く引いてうたうのである。


四座鹹寂默,杳如奏湘弦。
四座の客は、皆感に堪へ兼ねて、ひっそりして居ると、歌聾、愈よ、揚がって、さながら、湘靈が瑟を弾ずるようである。

○四座 その席の四方にいならぶ人。

○寂黙 聞きほれてしいんとする。

○湘絃 湘水の神のひく語。古代の帝王亮のむすめで帝舜の妃となった蛾皇・女英が舜の死後、湘水に身投げしてその川の神となった。盛唐から中唐はじめの銭起(722-780)「湘靈鼓瑟」に「善鼓雲和瑟、常聞帝子霊。馮夷空自舞、楚客不堪聴。苦調凄金石、清音入杳冥。蒼梧来怨慕、白芷動芳馨。流水伝瀟浦、悲風過洞庭。曲終人不見、江上数峰青。」(湘君が舜帝の魂を慰めるために瑟を奏でると、その清らかで悲しい調べに誘われて水神も舞う。屈原は聞くことさえ堪えられないほどである。悲愴な音色は鐘や馨よりも遥か遠くまで悲しげに響いていく。舜の魂も眠る蒼梧から遥々やって来て、二人の妃との離別を悲しんだ。水中の香草はいい香りを周りに漂わせ、その調べは流水のように湘水の岸辺まで伝わり、悲風のように洞庭湖の湖面を渡っていく。やがて瑟の音が終わると、周りに人影は見えず、岸辺にただ幾つかの峰々が青くそそり立つのみであった。)


尋勝不憚險,黔江屢洄沿。」
風流を愛で勝景を訪ね歩く旅人でもあるから、たとえ険路であってもいとわず、かの黔江を幾度も遡り、流れくだったものである。
○尋勝 風流を愛で勝景を訪ね歩く旅客。

○黔江 貴州の東南から流れ出る川で、長江の最上流の一つ。

○洄沿 流れに逆らって上ることを洄、順って下ることを沿という。

 

瞿塘五六月,驚電讓歸船。
なかでも、五、六月に瞿塘峡を通ったが、最も危険であった。それをことさら 押し渡っていこうという企みをする、脅威なのは船が電撃に遭い揺れ動き、自分でどうのこうのはできないので流れに譲るよりないのである。
○瞿塘 長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。三峡瞿塘峡四川省奉節県の東にある。ようし長江で最もせまい峡谷で、古来難処として知られ、ことに陰暦五、六月のころが、最も渡航に危険だとされる。杜甫、五言律詩《1515灩澦堆》「巨積水中央,江寒出水長。沈牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」(巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。)長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

○驚電讓歸船 譲をゆずると読む説と、せむと胱む説とがある。ゆずるならば、帰る船のはげしい早さには稲妻もゆずるほどという意である。せむならば、稲妻が帰る船を責め怒るようだ。ここは前者を取る。
唐時代 韓愈関連05 

79-#3 (改訂)《巻0211送靈師》-#3 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1487> Ⅱ【11分割】-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6419

韓愈(韓退之)  送靈師 #3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。六博在一擲,梟盧叱回旋。

戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。

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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

送靈師 #1

(霊僧師を送る) 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。

平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
官吏不之制,紛紛聽其然。

しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。

そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。

さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
少小涉書史,早能綴文篇。

霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

中間不得意,失跡成延遷。

中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。

また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。

六博在一擲,梟盧叱回旋。

その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。
戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。

その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。

-4

有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。

-5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。

投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

-6

同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。

-7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

-8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

-9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

-10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

-11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

 

(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

#2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

#3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

#4

時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

唐時代 韓愈関連05 

『送靈師』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。

六博在一擲,梟盧叱回旋。

戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。

飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

(下し文) #3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

(現代語訳)
また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。

その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。
その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。


(訳注) #3

送靈師 

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

圍棋鬥白黑,生死隨機權。
また、第一に碁が好きで、黒白の石を闘わし、囲碁をさしては、白と黒をたたかわせることをし、生かし、殺したとはかりごと巧みなもので、生死は石を下す機権から生ずるというので、仏教には無い生死だの、機縁だのいうことに関係している。

○圍棋 兵法の類いのものとされている。棋局縦横各十七道、併せて二百八十九道、白黒棊子各一百五十枚。

○機権 はかりごと。


六博在一擲,梟盧叱回鏇。」
その次には、博奕が好きで、六つの采を投げ出して、丁半を争い、はては気合を以て、度々「ここ一発」と賽を投げたのである。賽の目の「梟盧一擲」と大勝負に出ることもよくやり、いかさま師を叱咤することもよくあったというので、これも、全く坊主らしくない。
○六博 。バクチの道具。《楚辞 招魂》「菎蔽象棊,有六簙些。」とあって賽の目を6個転がせて丁半を争う。李白、以下の詩に見ある。

204巻五 37猛虎行 ( 此詩蕭士(贇)云是偽作 )       有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。

217卷六12梁園吟     連呼五白行六博。 分曹賭酒酣馳輝。 歌且謠。意方遠。 東山高臥時起來。 欲濟蒼生未應晚。

536卷十六39送外甥鄭灌從軍三首其一       六博爭雄好彩來。 金盤一擲萬人開。丈夫睹命報天子。 當斬胡頭衣錦回。

○梟盧 バクチに使うサイの目。当時、五木というサイを使った。五木は五本の小さなヘラのような木で、両端がとがり、投げるとくるくる室わる。両面は白と黒に塗りわけ、黒い面に子牛、白い面に焙が描いてある。五本投げて白黒の出かたで勝負する。五本とも黒が出ると盧といい、最高で六点。四黒一白を薙といって次点。全部白だと梟といって最下の一点。これが普通の採点法だが場合によっては、いろいろ複雑な採点法を加味したようである。

梟盧一擲【きょうろいってき】思い切ってさいころを投げる。大勝負に出ることのたとえ。  「梟盧」は、ばくち。「一擲」は、すごろくのさいころなどを思い切って投げること。梟は一、盧は六を表す
李白『猛虎行』
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。 
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
○六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む○一擲 一回賽を投げろと連呼する
李白『梁園吟』「連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。」
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて質する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。」

 

 

戰詩誰與敵,浩汗横戈鋋。
その外、詩を作って、人と文藻を闘わし、その時は、非常な勢いであるから、誰も之に敵するものなく、才鋒は森然として、数限りなき矛を押し立てた様である。

○戦詩 詩文のわざをぎそいあうことを、唐の人は歌詩、戦文などといった。

○浩汗 水の広大なさま。ひろく限りないこと。汗は瀚に通じる。

○戈鋋 戈は柄の先端に両刃の刀を一つ横につけたほこ。鋋は小さなほこ。


飲酒盡百盞,嘲諧思逾鮮。
その上に又酒も飲むので、平生百杯を尽くし、飲めば飲む程、気が確かになって、口に任かせて、諧謔の言葉を吐き出し、それが愈よ鮮かである。

○嘲諧思逾鮮 あざけたり、ふざけたりするやりかたが思いつきがよいので、やればやるほどに新鮮なのだ。

 

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韓愈  送靈師#2
靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。少小涉書史,早能綴文篇。

中間不得意,失跡成延遷。逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
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韓愈詩-79-#2

年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

送靈師 #1

(霊僧師を送る) 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。

平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
官吏不之制,紛紛聽其然。

しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。

そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。

さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
少小涉書史,早能綴文篇。

霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

中間不得意,失跡成延遷。

中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。六博在一擲,梟盧叱回旋。

戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

-4

有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。

-5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。

投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

-6

同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。

-7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

-8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

-9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

-10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

-11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

 

(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

#2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

#3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

#4

時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。

少小涉書史,早能綴文篇。

中間不得意,失跡成延遷。

逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

(下し文) #2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

(現代語訳)
さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
霊師は、
幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。

(訳注) #2

 

靈師皇甫姓,胤胄本蟬聯。
さて霊師は、出家される前の本姓は皇甫氏であり、連綿とつたわる名家の裔である。
○胤冑 子孫。古代帝王或貴族的後嗣。《說文》:「胄,𦙍也。从肉,由聲。」「𦙍」即「胤」,指後代、子孫。

○蝉聯 連綿と同じ。絶えないさま。晉書に「爵位蟬聯、文武相継ぐ」といい、また、呉都賦に蝉聯林邱とあって、その註に「蟬聯は絶えざる貌」とある。

 

少小涉書史,早能綴文篇。
霊師は、幼少のころから 書史を渉猟し早くから、上手に詩文を作り、巧く編纂したりした。

○涉書史 渉猟し書史。四書、史記、諸史など。

○綴文篇 解釈、説明書などを編纂する。


中間不得意,失蹟成延遷。
中ごろ、成人にもなると、自分の持つ本位と違うことが生じてきて、不得意の境涯におちいり、中央の官途につくという出世のコースから、跡を失って。ぐずぐずしてるうちに、僧侶になってしまった。
○成延遷 しりぞく。文官試験をうけ合格すれば官途につくという予定のコースから、しりぞいて出家したことをさす。

 

逸志不拘教,軒騰斷牽攣。
ところが、通常の僧侶と違って、人並はずれた志を持ってはいるが、仏法の教義に拘泥しないで、自分勝手に飛び上がって、仏教徒として守るべき戒律など、拘束を無視するのである。
○逸志 並はずれた志。

○軒騰 高くつき上っている。

○斷牽攣 束縛をたち切る。仏教徒として守るべき戒律を無視することをさす。

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韓愈  送靈師 #1

佛法入中國,爾來六百年。齊民逃賦役,高士著幽禪。

官吏不之制,紛紛聽其然。耕桑日失隸,朝署時遺賢。
(霊僧師を送る) #1仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

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年:804年貞元20年 37歳

卷別:  卷三三七        文體:  五言古詩

詩題:  送靈師

作地點:        陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:石城 (黔中道 黔州 石城) 別名:黔江       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

開州 (山南西道 開州 開州)       

忠州 (山南東道 忠州 忠州)       

桂嶺 (嶺南道東部 賀州 桂嶺)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

始興 (嶺南道東部 韶州 始興) 別名:韶陽

 

交遊人物:靈師  當地交遊(江南西道 連州 連州)

王仲舒        當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

送靈師 #1

(霊僧師を送る) 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
齊民逃賦役,高士著幽禪。

平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
官吏不之制,紛紛聽其然。

しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
耕桑日失隸,朝署時遺賢。

そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。

#2

靈師皇甫姓,胤冑本蟬聯。少小涉書史,早能綴文篇。

中間不得意,失跡成延遷。逸志不拘教,軒騰斷牽攣。

#3

圍棋鬥白黑,生死隨機權。六博在一擲,梟盧叱回旋。

戰詩誰與敵,浩汗橫戈鋋。飲酒盡百琖,嘲詣思逾鮮。

-4

有時醉花月,高唱清且綿。四座咸寂默,杳如奏湘弦。

尋勝不憚險,黔江屢洄沿。瞿塘五六月,驚電讓歸船。

-5

怒水忽中裂,千尋墮幽泉。環回勢益急,仰見團團天。

投身豈得計,性命甘徒捐。浪沫蹙翻涌,漂浮再生全。

-6

同行二十人,魂骨俱坑填。靈師不挂懷,冒涉道轉延。

開忠二州牧,詩賦時多傳。失職不把筆,珠璣為君編。

-7

強留費日月,密席羅嬋娟。昨者至林邑,使君數開筵。

逐客三四公,盈懷贈蘭荃。湖遊泛漭沆,谿宴駐潺湲。

-8

別語不許出,行裾動遭牽。鄰州競招請,書札何翩翩。

十月下桂嶺,乘寒恣窺緣。落落王員外,爭迎獲其先。

-9

自從入賓館,占吝久能專。吾徒頗攜被,接宿窮歡妍。

聽說兩京事,分明皆眼前。縱橫雜謠俗,瑣屑咸羅穿。

-10

材調真可惜,朱丹在磨研。方將斂之道,且欲冠其顛。

韶陽李太守,高步凌雲煙。得客輒忘食,開囊乞繒錢。

-11

手持南曹敘,字重青瑤鐫。古氣參彖繫,高標摧太玄。

維舟事干謁,披讀頭風痊。還如舊相識,傾壺暢幽悁。

以此復留滯,歸驂幾時鞭。

 

(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

#2

靈師は皇甫【こうほ】の姓,胤胄【いんちゅう】本【もともと】 蟬聯【せんれん】たり。

少小【しょうしょう】にして書史【しょし】に涉り,早くより能く文篇【ぶんへん】を綴る。

中間 意を得ず,蹟【あと】を失って延遷【えんせん】を成す。

逸志【いっし】教に拘わらず,軒騰【けんとう】して牽攣【けんれん】を斷つ。

#3

棋【き】を圍【かこ】んで白黑を鬥【たたか】わせ,生死機權【きけん】に隨う。

六博 一擲【いってき】在り,梟盧【きゅうろ】回鏇【かいせん】を叱っす。」

詩を戰はして誰か與に敵せん、浩汗【こうかん】 戈鋋【かえん】を横ふ。

酒を飲んで百盞【ひゃくさん】を盞し、嘲諧【ちょうかい】 思 逾【いよい】よ鮮なり。

#4

時有って花月に醉ふ、高唱 清くして 且 緜【はるか】なり。

四座 鹹【ことごと】く寂默【せきもく】し、杳【よう】として湘弦【しょうげん】を奏するが如し。

勝を尋ねて瞼【けん】を憚【はばか】らず、黔江【けんこう】 屢 洄沿【かいえん】す。

瞿塘【くとう】 五六月、驚電【けいでん】 帰船【きせん】に譲る。

#5

怒水【どすい】 忽ち 中裂し、千尋【せんじん】 幽泉【ゆうせん】に堕つ。

環廻【かんかい】して 勢 益【ますま】す急に、仰いで團團【だんだん】の天を見る。

身を投ずる 豈に計を得むや、性命【せいめい】 甘んじて徒に捐【す】つ。

浪沫【ろうばく】 蹙【ちじま】って翻涌【ほんよう】し、漂浮【ひょうふ】して 再び 生全【いのちまった】し。

#6

同行 二十人、魂骨【こんこつ】 倶に坑填【こうてん】す。

霊師 懐【おもい】に掛けず、冒渉【ぼうしょう】 道 轉【うたた】た延ぶ。

開忠 二州の牧、詩賦【しふ】 時に多く傳ふ。

職を失いしより筆を把らざるに、珠璣【しゅき】 君が爲に編めり。

#7

強いて留めて日月を費やさしめ、密席【みつせき】に嬋娟【ぜんけん】を羅【つら】ねき。

昨者 林邑【りんゆう】に至り、使君【しくん】 數【しばし】ば筵を開く。

逐客【ちくかく】の三四公、懐【ふところ】に盈つるまで蘭荃【らんせん】を贈る。

湖游【こゆう】 漭沆【もうこう】に泛び、渓宴【けいえん】 潺湲【せんかん】に駐まる。

#8

別語【べつご】 出すを許さず、行裾【こうきょ】 動【やや】もすれば牽くに遭ふ。

鄰州【りんしゅう】 競って招請【しょうせい】し、書札 何ぞ 翩翩【へんべん】たる。

十月 桂嶺【けいれい】を下る、寒に乘じて窺緑【きえん】を恣【ほしいまま】にす。

落落たる王員外、爭い迎へて其の先を穫【え】たり。

#9

賓館【ひんかん】に入りてより、占吝【せんひん】して久しく能く専【もっぱら】にす。

吾が徒【と】 頗【すこぶ】る被を擕【たずさ】ヘ、宿を接して 歎研【かんけん】を窮【きわ】む。

兩京の事を説くを聽くに、分明にして 皆 眼前。

樅横 謠俗【ようぞく】を雑【まじ】ヘ、瑣屑【ちせつ】 鹹【ことごと】く羅穿【らせん】す。

#10

材調 真【まこと】に惜む可し、朱丹【しゅたん】 磨研【まけん】に在り。

方將【まさ】に之を道に斂め、且 其の顛【いただき】に冠【かん】せしめむと欲す。

韶陽【しょうよう】の李太守、高歩【こうほ】 雲煙【うんえん】を陵【しのぐ】ぐ。

客を得ては輒【すなわ】ち食を忘れ、囊を開いて繒錢【そうせん】を乞【あた】ふ。

#11

手に南曹【なんそう】の叙を持するに、字は青瑤【せいよう】に鐫【ほ】りしよりも重し。

古気 彖系【たんけい】を參【まじ】ヘ、高標【こうひょう】 太玄を摧【くだ】く。

舟を維【つな】いで干謁【かんえつ】を事とし、披讀【ひどく】すれば頭風痊【い】ゆ。

還た旧相 識の如く、壺を傾けて幽悁【ゆうけん】を暢【の】べむ。

此を以て復た留滞し、歸驂【きさん】 幾時か鞭うたむ。

 

 

『送靈師』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送靈師 #1

佛法入中國,爾來六百年。

齊民逃賦役,高士著幽禪。

官吏不之制,紛紛聽其然。

耕桑日失隸,朝署時遺賢。

(下し文)
(靈師を送る)

佛法【ぶっぽう】 中國に入り,爾來【じらい】 六百年。

齊民【せいみん】 賦役【ふえき】を逃れ,高士【こうし】 幽禪【ゆうぜん】を著【め】づ。

官吏 之を制せず,紛紛として其の然【しか】ることを聽【ゆる】す。

耕桑【こうそう】日【ひび】に隸【れい】を失い,朝署【ちょうしょ】時に賢を遺せり。

(現代語訳)
(霊僧師を送る) #1

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
しかも、これに対してなんら制裁もなく、
歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。


(訳注)

送靈師 #1

(霊僧師を送る)
○送霊師 底本巻二11番目の詩。霊験あらたかな師。師は僧の尊称。俗名は、皇甫といった。

この詩は、《巻0210送惠師》と同時期、804年貞元20年 37歳、陽山での作。

 

佛法入中國,爾來六百年。

仏教が中国に伝来したのは「後漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とあて既に600年以上がすぎている。
彿法人中國 蒋註に「按ずるに、後漢の明帝、夢に金人を見、羣臣に問う。或は日く、西方に神あり、名な佛という、その形、長丈六尺上して金色.と。ここに於て、使を天竺に遣わして、佛の道法を問い、形像を図画して以て帰り、その数、困って流れて、中國に入る。この詩、漢の明帝の時によって之をいうのみ。故に、その彿骨表に云ふ、後漢の時、流れて中国に入ると。叉云う、漢の明帝の時、始めて彿法あるなり」とある。

もつと古い時代にする説もあって、漢武故事に「昆邪王、休屠王を殺して来り降り、その金人の神を得て、これを甘泉宮に置く」とあれば、佛の中国に入ったのは、漢武からで、成衰の間には、経もあったろうと云われている。叉杜預の行守編に「漢武、昆明地を作り、地を掘って黒灰を得たり。東方朔云う、西域の道人に問うべし、と。西域の道人に佛の徒なり」とあり、叉開皇歴代三賓記に「劉向称す、予、典籍を覧る、すでに經あるを見る、将にこ知らむとす」周時の九流釈典、秦、爇除すと雖も、漢興って復た出づと。すなわち、先漢の前、逆に周に至り、彿あり、經あり、そり来るや遠し。范嘩、胡すれぞ、以て明帝の時始めて中國に入ると謂うか。韓愈は一世の大儒.繆誤を承襲するものに非ず、また、心、その教を悪むに由って、復た詳其源流の自るところを考えざるのみ」とある。

○爾来六百年 仏教の中国伝来については諸説あり、『資治通鑑』に後漢の明帝の65年永平八年に「初め帝、西域に神ありてその名を仏といふと聞き、使をして天竺にゆきてその道を求めしむ」とある。その年から804年貞元二十年まで七百四十年。布教活動して、修行するまで140年かかったということであろうか。

 

齊民逃賦役,高士著幽禪。
平民のなかには、仏道に入れば、律令の租庸調のがれ、つまり税金や徴兵逃れに相争ってこの教えを奉じた。いつのまにか高尚なる士人は深遠秘密の禅を研究し、世事を抛擲してしまうようになる。
○斉民 平民。

○逃拭役 僧は納税労役の義務を免除されていたから、税金のがれや徴兵忌避で剃髪得度する人民が少なくなかった。○高士 高い徳を持った士。知識人。○著 愛と同じ意味で使われている。

○幽禅 幽玄な禅。禅は禅那とも禅定ともいい一種の精神統一法で、仏教の主要な修行法である。ここではいわゆる禅宗ではない。


官吏不之制,紛紛聽其然。
しかも、これに対してなんら制裁もなく、歴代の官吏は、まことに不注意で、毫も之を禁せず、紛粉として、その然るに任せて置いたから、弊害が百出した。
○紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。ごね得のさま。


耕桑日失隸,朝署時遺賢。
そこで、耕桑を業とするものは、追々に少くなり、朝廷官署に於ても、賢人を遺して之を登用することができないといふ有様である。
○朝署 朝廷官署。

○遺賢 賢者はみな登用して官につけ国家に役立たせるべきひとだのに、それをすてておく。『書経』の大禹謨に「野に遣賢なし」の語がみえる。朝廷以外を野という。民間のことである。いい人材は民間に置かずに登用するものだ。

78-#11 《巻0210送惠師》【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#11 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1484> Ⅱ【11分割】-#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6404

韓愈  送惠師#11  

江魚不池活,野鳥難籠馴。吾非西方教,憐子狂且醇。

吾嫉惰遊者,憐子愚且諄。去矣各異趣,何為浪霑巾。

江中に住む魚は、池に持ってきては活きて居らず、野に住む鳥は、籠中に飼って馴らすことはむずかしいものである。君の如く、天下を諷遊するものを、しばしなりとも、無理にひき止めたのは、吾輩が悪かつた。われは、儒教を信じて、西方の偶数は大嫌いなのであるが、君が、坊主に似合わず、一本気の気違いじみて、且つ醇粋なる処は、平生から気に入っていた。それに、われは、坊主を以て、無職業なるのらくら者として大ににくんで居たが、君がひとり愚直でお上手も言わず、そして、淳朴であることには、これも平生から心服していたのである。そこで、今日、君を送るといっても、尋常別離の態を爲さず、君にして往きたいというなら、遠慮なく往くが善いということで、君と我とは、本来、趣を異にしているから、何も女女しく涙を流して、巾を霑すにも及ばないと、こう云って、笑って別れようではないか。

78-#11 《巻0210送惠師》【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】-#11 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 39歳<1484> Ⅱ【11分割】-#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6404韓愈詩-78-#11


 
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年:804年貞元二十年37歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    送惠師【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

天台山 (江南東道 台州 天台山)       

禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

溫州 (江南東道 溫州 溫州) 別名:東甌         

浙江 (江南東道 越州 會稽)              

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)   

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山         

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山            

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 羅浮山)          

連州 (江南西道 連州 連州)

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下   

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

交遊人物/地點:元惠          /當地交遊(江南西道 連州 連州)

送惠師【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】#1

(惠師が洛陽、長安に行くというので、この詩を作って送った)【この時、韓愈は、連州の寺をめぐって、釋景常と元惠と一緒に遊んでいた。】#1

惠師浮屠者,乃是不羈人。

元惠上人は、仏教の僧侶ではあるが、卓犖不羈の人である。

十五愛山水,超然謝朋親。

このひとは、年わずかに十五のころから、天下の山水を愛し、超然として、朋友親戚に暇乞をなしたのである。

脫冠剪頭髮,飛步遺蹤塵。

冠を脱して頭髪を剪って出家した後、自由自在に山水の間を飛び歩いて、到る処に、その足跡を留めて居る。

(惠師を送る)【案:愈 連州に在るとき,釋景常と,元惠とで遊ぶ。惠師 即ち元惠なり。】#1

惠師は浮屠の者,乃ち是れ不羈の人。

十五に山水を愛し,超然として朋親に謝す。

冠を脫して 頭髮を剪り,飛步して 蹤塵を遺る。

#2

發跡入四明,梯空上秋旻。

かくて、第一に発跡して、四明山に人り、雲梯を躡んで、秋空に上ってゆく。

遂登天台望,眾壑皆嶙峋。

やがて天台に登って望むと、多くの谷には巌が角角しくとがっている。

夜宿最高頂,舉頭看星辰。

夜、その最高項に宿し、頭を拳げて天上の星辰を望む。

光芒相照燭,南北爭羅陳。

すると、その数は、限りなく、光茫互に照らし合って、南北に爭って列っている衆壑とたがいに映じて居る。

發跡 四明に入り,梯空 秋旻に上る。

遂に天台に登って望めば,眾壑 皆 嶙峋たり。

夜 最高の頂に宿し,頭を舉げて 星辰を看る。

光芒 相い照燭して,南北 爭って羅陳す。
#3

茲地絕翔走,自然嚴且神。

ここは、非常に高いところで、飛禽走獣も居らず、自然に荘厳にして神神しい。

微風吹木石,澎湃聞韶鈞。

その時、微風が木石を吹くと、澎湃として大きな聲を発し、さながら韶鈞という古の尊い優美な樂曲のしらべを聞く様な気がした。

夜半起下視,溟波銜日輪。

夜半にふと起きあがって脚底を見下してみると、海波の中に日輪が銜まれていた。

魚龍驚踴躍,叫嘯成悲辛。

#3

茲の地 翔走を絕ち,自然 嚴且つ神なり。

微風 木石を吹き,澎湃として 韶鈞を聞く。

夜半 起って下に視れば,溟波 日輪を銜む。

魚龍 驚いて踴躍,叫嘯して悲辛を成す。

 

#4

怪氣或紫赤,敲磨共輪囷。

奇怪なる水蒸気は、或は紫、或は赤といいように、様々の色彩を為し、互に磨擦し合って、はては、ぐるぐる廻旋する。

金鴉既騰翥,六合俄清新。

その内に、金鳥は、すでに中天に跳り上り、天地の間は、俄に清新になった。凡そ高山で日出を観るのは、奇絶快絶であるが、これは、天台の絶頂であるから、又ひとしおである。

常聞禹穴奇,東去窺甌閩。

上人は、前から会稽には禹穴と云っていたのをきいている、大禹の故蹟があると聞いて居たから、東に向って、古しえの甌閩の地を窺ったが、

越俗不好古,流傳失其真。

ここは、むかし、百越といって、文身断髪の野蛮国であったから、今でも、その風が残って居て、古跡を保存するなどいう考もなかったのである。

怪氣 或は紫赤,敲磨して 共に輪囷。

金鴉 既に騰翥し,六合 俄に清新。

常に禹穴の奇なるを聞く,東に去って 甌閩を窺う。

越俗 古を好まず,流傳 其の真を失う。
#5

幽蹤邈難得,聖路嗟長堙。

口耳 相いに承けて、流傳して居る間に、いつしか其の真を失い、だんだんおぼろげになって、果して、そうで.あるか、どうか、分からない様になり、舜や禹の如き聖人の通った路も、長しえに湮滅して仕舞い、格別面白くもなかった。

回臨浙江濤,屹起高峨岷。

そこで、踵を廻して、浙江に来たり、広陵の観涛を試みると、涛は屹然起立して、蜀中の峨岷二山よりも高かったという。

壯志死不息,千年如隔晨。

伍子胥が剣を渡され自害するようにと命令され冤死したがその餘憤駭が、死後もなお止まず、千年後の今でも、昨日のように感ぜられる。

是非竟何有,棄去非吾倫。

伍子胥のことの実否はわからぬが、そんな事は、吾吾の関係したことでは無いというので、これを棄て去ってゆくことになる。

#5

幽蹤 邈として得難く,聖路 長く堙れんことを嗟す。

回って浙江の濤に臨めば,屹起して峨岷より高し。

壯志 死して息まず,千年 晨を隔つるが如し。

是非 竟に何か有らん,棄て去るは吾が倫に非らず。

#6

凌江詣廬嶽,浩蕩極遊巡。

今度は、長江を遡って、盧山に往き、浩蕩として巡遊を極めた。

崔崒沒雲表,陂陀浸湖淪。

そもそも盧山は、非常に面白い山で、崔崒として高い処は、雲表に隠れ、陂陀として低い処は、段段下って隄の様になり、やがて鄱陽湖に這入って仕舞う。

是時雨初霽,懸瀑垂天紳。

時しも雨が初めて晴れると、名だたる瀑布は、水量が増加して、さながら、天の帯かと疑はれる位。

前年往羅浮,步戛南海漘。

つい去年は、盧山から嶺南に出て廣東に赴き、羅浮山に遊び、歩して、南海の端に突き当たって引き返した。

#6

江を凌ぎ 廬嶽【ろがく】に詣り,浩蕩として 遊巡を極む。

崔崒【さいしゅつ】雲表に沒し,陂陀 湖淪を浸す。

是の時 雨 初めて霽れ,懸瀑【けんばく】天紳を垂る。

前年 羅浮【らふ】に往き,步して戛【かつ】す 南海の漘【ほとり】。

#7

大哉陽德盛,榮茂恆留春。

その南海の端は、流石に熱帯地方であるから、陽徳の廣大なるを見るべく、草木は繁茂して四時常に春のようなあたたかさである。

鵬鶱墮長翮,鯨戲側修鱗。

大鵬は飛び上って長い羽を落し、鯨は戯れて水中に長い鱗を逆立てて居る。

自來連州寺,曾未造城闉。

そこで、いよいよ引き返し、この頃、陽山附近の連州にある寺に留錫せられ、大分、帰依する者もあるが、かって、城郭の重門に入ったことはなかった。

日攜青雲客,探勝窮崖濱。

日ごとに、山林隠逸の士を携えて、山水の勝景を探り、この先には、もう陸もないという海岸の果までも窮められた。

#7

大いなる哉 陽德の盛んなるを,榮茂 恆に春を留む。

鵬は鶱って 長翮を墮し,鯨は戲れて 修鱗を側つ。

連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず。

日に青雲の客を攜え,勝を探って 崖濱を窮む。

#8

太守邀不去,群官請徒頻。

かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。

囊無一金資,翻謂富者貧。

上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、

昨日忽不見,我令訪其鄰。

昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、

奔波自追及,把手問所因。

はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。

#8

太守 邀うれども去らず,群官 請うこと徒らzに頻りなり。

囊に 一金の資 無けれども,翻って 富者を貧しと謂う。

昨日 忽ち見えず,我 其の鄰を訪わ令む。

奔波 自ら追い及び,手を把って 所因を問う。
#9

顧我卻興歎,君寧異於民。

上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。

離合自古然,辭別安足珍。

離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。

#9

我を顧て卻って歎を興し,君 寧ろ民に異ならんや。

離合 古えより然り,辭別 安んぞ珍とするに足らん。

吾 九疑の好きを聞き,夙志 今 伸べんと欲す。

斑竹 舜婦を啼かしめ,清湘 楚臣を沈む。

 

#10

衡山與洞庭,尋嵩方抵洛,

衡山と洞庭湖とゆけば、中岳である嵩山を尋ねて、洛陽に至るのが路順である。

尋崧方抵洛,歷華遂之秦。

山が大きく高い嵩山を尋ねて、洛陽に立ち寄れば、その次に、華山を歴て、いよいよ長安に乗り込むという予定となる。

浮遊靡定處,偶往即通津。

もとより、雲水の身で浮遊するのであるから、ところ定めず、ぶらぶらしてゆくものであり、偶然立ち寄ったところが、即ち路の経由するところということである。

吾言子當去,子道非吾遵。

「そうゆう訳だから、格別な暇乞をするわけでもなく出立したのである」と、かう謂ったものであるが、そこで、此方もいささか腹が立ったから、「なる程、さういう了見ならば、ここを去って行くも善かろうというもの」で、元来、君の守れる道は、我が遵奉すべき道でなく、君が君の道に従うのは、もとより勝手次第ということだ。

#10

衡山と洞庭とあり,嵩を尋ね 方に洛に抵【いた】る,

崧【すう】を尋ね 方に洛に抵れば,華を歷て遂に秦に之く。

浮遊 定處靡く,偶【たまた】ま往かば 即ち通津【つうしん】。

吾れ言う 子 當に去るべし,子の道は吾が遵うに非ず。

#11

江魚不池活,野鳥難籠馴。

江中に住む魚は、池に持ってきては活きて居らず、野に住む鳥は、籠中に飼って馴らすことはむずかしいものである。君の如く、天下を諷遊するものを、しばしなりとも、無理にひき止めたのは、吾輩が悪かつた。

吾非西方教,憐子狂且醇。

われは、儒教を信じて、西方の偶数は大嫌いなのであるが、君が、坊主に似合わず、一本気の気違いじみて、且つ醇粋なる処は、平生から気に入っていた。

吾嫉惰遊者,憐子愚且諄。

それに、われは、坊主を以て、無職業なるのらくら者として大ににくんで居たが、君がひとり愚直でお上手も言わず、そして、淳朴であることには、これも平生から心服していたのである。

去矣各異趣,何為浪霑巾。

そこで、今日、君を送るといっても、尋常別離の態を爲さず、君にして往きたいというなら、遠慮なく往くが善いということで、君と我とは、本来、趣を異にしているから、何も女女しく涙を流して、巾を霑すにも及ばないと、こう云って、笑って別れようではないか。

#11

江魚は 池にして活きず,野鳥は籠にして馴らし難し。

吾は 西方の教に非ず,憐む 子が狂にして且つ醇なるを。

吾は惰遊の者を嫉む,憐れむ子が愚にして且つ諄なるを。

去れ、各の趣を異にし,何ん為れぞ 浪【みだ】りに巾を霑す。

 

韓愈 陽山00 

『送惠師』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#11

江魚不池活,野鳥難籠馴。

吾非西方教,憐子狂且醇。

吾嫉惰遊者,憐子愚且諄。

去矣各異趣,何為浪霑巾。

(下し文)
#11

江魚は 池にして活きず,野鳥は籠にして馴らし難し。

吾は 西方の教に非ず,憐む 子が狂にして且つ醇なるを。

吾は惰遊の者を嫉む,憐れむ子が愚にして且つ諄なるを。

去れ、各の趣を異にし,何ん為れぞ 浪【みだ】りに巾を霑す。

(現代語訳)
江中に住む魚は、池に持ってきては活きて居らず、野に住む鳥は、籠中に飼って馴らすことはむずかしいものである。君の如く、天下を諷遊するものを、しばしなりとも、無理にひき止めたのは、吾輩が悪かつた。

われは、儒教を信じて、西方の偶数は大嫌いなのであるが、君が、坊主に似合わず、一本気の気違いじみて、且つ醇粋なる処は、平生から気に入っていた。

それに、われは、坊主を以て、無職業なるのらくら者として大ににくんで居たが、君がひとり愚直でお上手も言わず、そして、淳朴であることには、これも平生から心服していたのである。

そこで、今日、君を送るといっても、尋常別離の態を爲さず、君にして往きたいというなら、遠慮なく往くが善いということで、君と我とは、本来、趣を異にしているから、何も女女しく涙を流して、巾を霑すにも及ばないと、こう云って、笑って別れようではないか。


(訳注) #11

送惠師【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

(惠師が洛陽、長安に行くというので、この詩を作って送った)【この時、韓愈は、連州の寺をめぐって、釋景常と元惠と一緒に遊んでいた。】

この詩の#7に「自來連州寺,曾未造城闉。」(連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず)とある。

 

江魚不池活,野鳥難籠馴。

江中に住む魚は、池に持ってきては活きて居らず、野に住む鳥は、籠中に飼って馴らすことはむずかしいものである。君の如く、天下を諷遊するものを、しばしなりとも、無理にひき止めたのは、吾輩が悪かつた。

江魚不池活,野鳥難籠馴 この二句は、儒者と仏教者とは相いれないものということを比喩したもの。

 

吾非西方教,憐子狂且醇。

われは、儒教を信じて、西方の偶数は大嫌いなのであるが、君が、坊主に似合わず、一本気の気違いじみて、且つ醇粋なる処は、平生から気に入っていた。

西方教 西の異民族の教えで、中国には合わないものであり、仏教を信仰した皇帝は皆、早死にしていると、事例を挙げて排斥している。

韓愈《八讀巻二01論佛骨表》《論佛骨表》(18)#11-2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <901>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3489韓愈詩-227-18

韓愈《巻二11送靈師》送靈師 韓退之(韓愈)詩<49#1>Ⅱ中唐詩331 紀頌之の漢詩ブログ1072 
 

吾嫉惰遊者,憐子愚且諄。

それに、われは、坊主を以て、無職業なるのらくら者として大ににくんで居たが、君がひとり愚直でお上手も言わず、そして、淳朴であることには、これも平生から心服していたのである。

子 惠師のこと。

 

去矣各異趣,何為浪霑巾。

そこで、今日、君を送るといっても、尋常別離の態を爲さず、君にして往きたいというなら、遠慮なく往くが善いということで、君と我とは、本来、趣を異にしているから、何も女女しく涙を流して、巾を霑すにも及ばないと、こう云って、笑って別れようではないか。

唐時代 韓愈関連05 

78-#10 《巻0210送惠師》-#10 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1483> Ⅱ【11分割】-#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6399

韓愈  送惠師#10  

衡山與洞庭,尋嵩方抵洛,尋崧方抵洛,歷華遂之秦。

浮遊靡定處,偶往即通津。吾言子當去,子道非吾遵。
衡山と洞庭湖とゆけば、中岳である嵩山を尋ねて、洛陽に至るのが路順である。山が大きく高い嵩山を尋ねて、洛陽に立ち寄れば、その次に、華山を歴て、いよいよ長安に乗り込むという予定となる。もとより、雲水の身で浮遊するのであるから、ところ定めず、ぶらぶらしてゆくものであり、偶然立ち寄ったところが、即ち路の経由するところということである。「そうゆう訳だから、格別な暇乞をするわけでもなく出立したのである」と、かう謂ったものであるが、そこで、此方もいささか腹が立ったから、「なる程、さういう了見ならば、ここを去って行くも善かろうというもの」で、元来、君の守れる道は、我が遵奉すべき道でなく、君が君の道に従うのは、もとより勝手次第ということだ。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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#9

顧我卻興歎,君寧異於民。

上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。

離合自古然,辭別安足珍。

離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。

#9

我を顧て卻って歎を興し,君 寧ろ民に異ならんや。

離合 古えより然り,辭別 安んぞ珍とするに足らん。

吾 九疑の好きを聞き,夙志 今 伸べんと欲す。

斑竹 舜婦を啼かしめ,清湘 楚臣を沈む。

 

#10

衡山與洞庭,尋嵩方抵洛,

衡山と洞庭湖とゆけば、中岳である嵩山を尋ねて、洛陽に至るのが路順である。

尋崧方抵洛,歷華遂之秦。

山が大きく高い嵩山を尋ねて、洛陽に立ち寄れば、その次に、華山を歴て、いよいよ長安に乗り込むという予定となる。

浮遊靡定處,偶往即通津。

もとより、雲水の身で浮遊するのであるから、ところ定めず、ぶらぶらしてゆくものであり、偶然立ち寄ったところが、即ち路の経由するところということである。

吾言子當去,子道非吾遵。

「そうゆう訳だから、格別な暇乞をするわけでもなく出立したのである」と、かう謂ったものであるが、そこで、此方もいささか腹が立ったから、「なる程、さういう了見ならば、ここを去って行くも善かろうというもの」で、元来、君の守れる道は、我が遵奉すべき道でなく、君が君の道に従うのは、もとより勝手次第ということだ。

#11

江魚不池活,野鳥難籠馴。

吾非西方教,憐子狂且醇。

吾嫉惰遊者,憐子愚且諄。

去矣各異趣,何為浪霑巾。

 

#10

衡山と洞庭とあり,嵩を尋ね 方に洛に抵【いた】る,

崧【すう】を尋ね 方に洛に抵れば,華を歷て遂に秦に之く。

浮遊 定處靡く,偶【たまた】ま往かば 即ち通津【つうしん】。

吾れ言う 子 當に去るべし,子の道は吾が遵うに非ず。

#11

江魚は 池にして活きず,野鳥は籠にして馴らし難し。

吾は 西方の教に非ず,憐む 子が狂にして且つ醇なるを。

吾は惰遊の者を嫉む,憐れむ子が愚にして且つ諄なるを。

去れ、各の趣を異にし,何ん為れぞ 浪【みだ】りに巾を霑す。

 唐時代 韓愈関連05

 

『送惠師』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#10

衡山與洞庭,尋嵩方抵洛,

尋崧方抵洛,歷華遂之秦。

浮遊靡定處,偶往即通津。

吾言子當去,子道非吾遵。

(下し文)
衡山と洞庭とあり,嵩を尋ね 方に洛に抵【いた】る,

崧【すう】を尋ね 方に洛に抵れば,華を歷て遂に秦に之く。

浮遊 定處靡く,偶【たまた】ま往かば 即ち通津【つうしん】。

吾れ言う 子 當に去るべし,子の道は吾が遵うに非ず。

(現代語訳)
衡山と洞庭湖とゆけば、中岳である嵩山を尋ねて、洛陽に至るのが路順である。

山が大きく高い嵩山を尋ねて、洛陽に立ち寄れば、その次に、華山を歴て、いよいよ長安に乗り込むという予定となる。

もとより、雲水の身で浮遊するのであるから、ところ定めず、ぶらぶらしてゆくものであり、偶然立ち寄ったところが、即ち路の経由するところということである。

「そうゆう訳だから、格別な暇乞をするわけでもなく出立したのである」と、かう謂ったものであるが、そこで、此方もいささか腹が立ったから、「なる程、さういう了見ならば、ここを去って行くも善かろうというもの」で、元来、君の守れる道は、我が遵奉すべき道でなく、君が君の道に従うのは、もとより勝手次第ということだ。


(訳注) #10

送惠師【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

(惠師が洛陽、長安に行くというので、この詩を作って送った)【この時、韓愈は、連州の寺をめぐって、釋景常と元惠と一緒に遊んでいた。】

この詩の#7に「自來連州寺,曾未造城闉。」(連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず)とある。

 

衡山與洞庭,尋嵩方抵洛,

衡山と洞庭湖とゆけば、中岳である嵩山を尋ねて、洛陽に至るのが路順である。

衡山與洞庭 南岳 衡山1,298mで湖南省衡陽市衡山県にある。洞庭湖は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。

嵩 中岳である嵩山のこと。

五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。

 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区)

 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県)

 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市)

 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市)

 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)

神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

抵洛 洛陽に立ち寄ること。洛陽にいたる予定。

 

尋崧方抵洛,歷華遂之秦。

山が大きく高い嵩山を尋ねて、洛陽に立ち寄れば、その次に、華山を歴て、いよいよ長安に乗り込むという予定となる。

崧 山が大きく高い嵩山。嵩山、五岳の一つ.最高峰は太室山の標高1,440m。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽から近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

華 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市)最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。

之秦 古の秦の都、長安に行く予定。

 

浮遊靡定處,偶往即通津。

もとより、雲水の身で浮遊するのであるから、ところ定めず、ぶらぶらしてゆくものであり、偶然立ち寄ったところが、即ち路の経由するところということである。

浮遊 仏教者、雲水の身で浮遊する。

通津 路の経由するところという意。

 

吾言子當去,子道非吾遵。

「そうゆう訳だから、格別な暇乞をするわけでもなく出立したのである」と、かう謂ったものであるが、そこで、此方もいささか腹が立ったから、「なる程、さういう了見ならば、ここを去って行くも善かろうというもの」で、元来、君の守れる道は、我が遵奉すべき道でなく、君が君の道に従うのは、もとより勝手次第ということだ。

非吾遵 「吾が遵うに非ず」わが順守すべき道に非ず。つまり、自分は儒者の道、原道に順守するが、仏教に帰依しているということであれば、遵守することが自分とことなっている。
洛陽 函谷関002 

78-#9 《巻0210送惠師》-#9 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1482> Ⅱ【11分割】-#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6394韓愈詩-78-#9

韓愈(韓退之)  送惠師  -#9

顧我卻興歎,君寧異於民。離合自古然,辭別安足珍。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog(改訂)7毛文錫《巻五24浣紗溪一首》『花間集』225全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6397 
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年:804年貞元二十年37歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    送惠師【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

天台山 (江南東道 台州 天台山)       

禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

溫州 (江南東道 溫州 溫州) 別名:東甌         

浙江 (江南東道 越州 會稽)              

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)   

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山         

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山            

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 羅浮山)          

連州 (江南西道 連州 連州)

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下   

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

交遊人物/地點:元惠          /當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

#6

凌江詣廬嶽,浩蕩極遊巡。

今度は、長江を遡って、盧山に往き、浩蕩として巡遊を極めた。

崔崒沒雲表,陂陀浸湖淪。

そもそも盧山は、非常に面白い山で、崔崒として高い処は、雲表に隠れ、陂陀として低い処は、段段下って隄の様になり、やがて鄱陽湖に這入って仕舞う。

是時雨初霽,懸瀑垂天紳。

時しも雨が初めて晴れると、名だたる瀑布は、水量が増加して、さながら、天の帯かと疑はれる位。

前年往羅浮,步戛南海漘。

つい去年は、盧山から嶺南に出て廣東に赴き、羅浮山に遊び、歩して、南海の端に突き当たって引き返した。

#6

江を凌ぎ 廬嶽【ろがく】に詣り,浩蕩として 遊巡を極む。

崔崒【さいしゅつ】雲表に沒し,陂陀 湖淪を浸す。

是の時 雨 初めて霽れ,懸瀑【けんばく】天紳を垂る。

前年 羅浮【らふ】に往き,步して戛【かつ】す 南海の漘【ほとり】。
#7

大哉陽德盛,榮茂恆留春。

その南海の端は、流石に熱帯地方であるから、陽徳の廣大なるを見るべく、草木は繁茂して四時常に春のようなあたたかさである。

鵬鶱墮長翮,鯨戲側修鱗。

大鵬は飛び上って長い羽を落し、鯨は戯れて水中に長い鱗を逆立てて居る。

自來連州寺,曾未造城闉。

そこで、いよいよ引き返し、この頃、陽山附近の連州にある寺に留錫せられ、大分、帰依する者もあるが、かって、城郭の重門に入ったことはなかった。

日攜青雲客,探勝窮崖濱。

日ごとに、山林隠逸の士を携えて、山水の勝景を探り、この先には、もう陸もないという海岸の果までも窮められた。

#8

太守邀不去,群官請徒頻。

かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。

囊無一金資,翻謂富者貧。

上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、

昨日忽不見,我令訪其鄰。

昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、

奔波自追及,把手問所因。

はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。

#9

顧我卻興歎,君寧異於民。

上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。

離合自古然,辭別安足珍。

離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。

 

#7

大いなる哉 陽德の盛んなるを,榮茂 恆に春を留む。

鵬は鶱って 長翮を墮し,鯨は戲れて 修鱗を側つ。

連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず。

日に青雲の客を攜え,勝を探って 崖濱を窮む。

#8

太守 邀うれども去らず,群官 請うこと徒らzに頻りなり。

囊に 一金の資 無けれども,翻って 富者を貧しと謂う。

昨日 忽ち見えず,我 其の鄰を訪わ令む。

奔波 自ら追い及び,手を把って 所因を問う。

#9

我を顧て卻って歎を興し,君 寧ろ民に異ならんや。

離合 古えより然り,辭別 安んぞ珍とするに足らん。

吾 九疑の好きを聞き,夙志 今 伸べんと欲す。

斑竹 舜婦を啼かしめ,清湘 楚臣を沈む。

 

 

『送惠師』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#9

顧我卻興歎,君寧異於民。

離合自古然,辭別安足珍。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

(下し文) #9

我を顧て卻って歎を興し,君 寧ろ民に異ならんや。

離合 古えより然り,辭別 安んぞ珍とするに足らん。

吾 九疑の好きを聞き,夙志 今 伸べんと欲す。

斑竹 舜婦を啼かしめ,清湘 楚臣を沈む。

(現代語訳)
上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。

離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。

九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。

九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。


(訳注) #9

送惠師【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

(惠師が洛陽、長安に行くというので、この詩を作って送った)【この時、韓愈は、連州の寺をめぐって、釋景常と元惠と一緒に遊んでいた。】

この詩の#7に「自來連州寺,曾未造城闉。」(連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず)とある。

 

顧我卻興歎,君寧異於民。

上人は、一向に平気であって、われを顧みて却って嘆息し、君は吾々とは大いに異なって居るのである。

異於民 吾々とは大いに異なって居る。民は吾、吾々。

 

離合自古然,辭別安足珍。

離合は、むかしから有るあたりまえのことで、暇乞をして辞するなどは、どうでも善いことで、それをわざわざ跡を迫いかけて、此までこられた処を見ると、君は、どうも、吾とは考が違って居る。

 

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

九疑山の絶勝は、むかしから聞いて居たから、今度こそ、夙志を伸べようとするがために、其地に行くのである。

九疑 九嶷山。湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。 舜が蒼梧の野で死去して零陵の九疑山に葬られたという伝説になったわけで、その時に、二妃がこれを追って追いつかず、途中で溺れたというのは、だれもが信ずることができない伝説なのである。二妃の素晴らしさが後追いの伝説に変わった。

 

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

九疑山に行けば、娥皇、女英が、舜の崩御を聞いて、これを追えども追いつかず、やがて、涙を揮うと、それが竹にかかって、斑竹になったという、そうした遺跡もあるし、瀟湘八景といわれる地方であり、そこには、楚の忠臣であった屈原が、水に投じて死んだ汨羅といふ処も、ちゃんと残って居る。

斑竹 舜が南方、蒼梧の野に崩ずるや、娥皇女英、これを悲しみ、涙を竹に灑ぎしに班竹となる、故に後世班竹を湘妃竹という。李淑《斑竹怨》、「二妃昔追帝、南奔湘山間、有涙寄湘竹、至今湘竹斑、雲深九疑廟、日落蒼梧山、余恨在江水、滔滔去不還」とある。

劉禹錫《瀟湘神》「斑竹枝,斑竹枝,涙痕點點寄相思。楚客欲聽瑤瑟怨,瀟湘深夜月明時。」

舜婦 舜に嫁いだ、堯の二人の娘、娥皇と女英のこと。

清湘 瀟湘八景の瀟湘地方の八つの景勝であるところ。

沈楚臣 秦により楚の首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望して、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。後に屈原の無念を鎮めるため、また亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしても人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これがちまきの由来といわれる。

 

 

娥皇女英は支那古代の聖天子尭が二人の女なり。堯、舜の賢なるを見て之を畎畝の間に挙げ、更にこの二女を以て嬀汭の地に於て舜に妻はしめ、次いで天下を舜に譲る。後舜南方蒼梧の野に崩ずるや、両女之を悲しみ、涙を竹に灑ぎしに班竹となる、故に後世班竹を湘妃竹という。李淑が斑竹怨に、「二妃昔追帝、南奔湘山間、有涙寄湘竹、至今湘竹斑、雲深九疑廟、日落蒼梧山、余恨在江水、滔滔去不還」

 

娥皇、女英は共に支那古代の聖天子尭の女にして、尭帝、舜の賢なるを見て、二女を舜に嫁せしめ位を譲る、ここに於て娥皇を湘君といひ女英を湘夫人といふ、蓋し娥皇正妃たる故である、舜よく天下を治め賢君の聞え高かつたが、南方巡狩の途次、蒼梧の野に死するや二女大に悲しみ沅湘の間に溺死すといふ。

一説に両女舜の死を悲しみ、涙を竹に濺いだ所、涙痕竹の斑となる、これを涙竹又は湘妃竹といふと。『竹譜詳録』に曰く

涙竹生全湘九疑山中、博物志云、舜南巡守不返葬於蒼梧之野、尭二女娥皇女英、追之不及至洞庭之山、涙下染竹成斑、妃死為湘水神、述異記云、舜南巡葬於蒼梧、尭二女娥皇女英涙下沾竹、文悉為之斑、亦名湘妃竹。

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韓愈(韓退之)  送惠師#8

太守邀不去,群官請徒頻。囊無一金資,翻謂富者貧。

昨日忽不見,我令訪其鄰。奔波自追及,把手問所因。
かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。

78-#8 《巻0210送惠師》-#8 韓愈(韓退之)  804年貞元20年 39歳<1481> Ⅱ【11分割】-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6389韓愈詩-78-#8

 

 
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年:804年貞元二十年37歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    送惠師【愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

天台山 (江南東道 台州 天台山)       

禹穴 (江南東道 越州 會稽)              

溫州 (江南東道 溫州 溫州) 別名:東甌         

浙江 (江南東道 越州 會稽)              

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)   

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山         

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山            

羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 羅浮山)          

連州 (江南西道 連州 連州)

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下   

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

交遊人物/地點:元惠          /當地交遊(江南西道 連州 連州)

 

#6

凌江詣廬嶽,浩蕩極遊巡。

今度は、長江を遡って、盧山に往き、浩蕩として巡遊を極めた。

崔崒沒雲表,陂陀浸湖淪。

そもそも盧山は、非常に面白い山で、崔崒として高い処は、雲表に隠れ、陂陀として低い処は、段段下って隄の様になり、やがて鄱陽湖に這入って仕舞う。

是時雨初霽,懸瀑垂天紳。

時しも雨が初めて晴れると、名だたる瀑布は、水量が増加して、さながら、天の帯かと疑はれる位。

前年往羅浮,步戛南海漘。

つい去年は、盧山から嶺南に出て廣東に赴き、羅浮山に遊び、歩して、南海の端に突き当たって引き返した。

#6

江を凌ぎ 廬嶽【ろがく】に詣り,浩蕩として 遊巡を極む。

崔崒【さいしゅつ】雲表に沒し,陂陀 湖淪を浸す。

是の時 雨 初めて霽れ,懸瀑【けんばく】天紳を垂る。

前年 羅浮【らふ】に往き,步して戛【かつ】す 南海の漘【ほとり】。
#7

大哉陽德盛,榮茂恆留春。

その南海の端は、流石に熱帯地方であるから、陽徳の廣大なるを見るべく、草木は繁茂して四時常に春のようなあたたかさである。

鵬鶱墮長翮,鯨戲側修鱗。

大鵬は飛び上って長い羽を落し、鯨は戯れて水中に長い鱗を逆立てて居る。

自來連州寺,曾未造城闉。

そこで、いよいよ引き返し、この頃、陽山附近の連州にある寺に留錫せられ、大分、帰依する者もあるが、かって、城郭の重門に入ったことはなかった。

日攜青雲客,探勝窮崖濱。

日ごとに、山林隠逸の士を携えて、山水の勝景を探り、この先には、もう陸もないという海岸の果までも窮められた。

#8

太守邀不去,群官請徒頻。

かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。

囊無一金資,翻謂富者貧。

上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、

昨日忽不見,我令訪其鄰。

昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、

奔波自追及,把手問所因。

はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。

#9

顧我卻興歎,君寧異於民。

離合自古然,辭別安足珍。

吾聞九疑好,夙志今欲伸。

斑竹啼舜婦,清湘沈楚臣。

 

#7

大いなる哉 陽德の盛んなるを,榮茂 恆に春を留む。

鵬は鶱って 長翮を墮し,鯨は戲れて 修鱗を側つ。

連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず。

日に青雲の客を攜え,勝を探って 崖濱を窮む。

#8

太守 邀うれども去らず,群官 請うこと徒らzに頻りなり。

囊に 一金の資 無けれども,翻って 富者を貧しと謂う。

昨日 忽ち見えず,我 其の鄰を訪わ令む。

奔波 自ら追い及び,手を把って 所因を問う。

#9

我を顧て卻って歎を興し,君 寧ろ民に異ならんや。

離合 古えより然り,辭別 安んぞ珍とするに足らん。

吾 九疑の好きを聞き,夙志 今 伸べんと欲す。

斑竹 舜婦を啼かしめ,清湘 楚臣を沈む。

 

 

『送惠師』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#8

太守邀不去,群官請徒頻。

囊無一金資,翻謂富者貧。

昨日忽不見,我令訪其鄰。

奔波自追及,把手問所因。

(下し文)
太守 邀うれども去らず,群官 請うこと徒らzに頻りなり。

囊に 一金の資 無けれども,翻って 富者を貧しと謂う。

昨日 忽ち見えず,我 其の鄰を訪わ令む。

奔波 自ら追い及び,手を把って 所因を問う。

(現代語訳)
かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。

上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、

昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、

はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。


(訳注) #8

送惠師【案:愈在連州,與釋景常,元惠遊。惠師即元惠也。】

(惠師が洛陽、長安に行くというので、この詩を作って送った)【この時、韓愈は、連州の寺をめぐって、釋景常と元惠と一緒に遊んでいた。】

この詩の#7に「自來連州寺,曾未造城闉。」(連州寺より來しより,曾て未だ城闉に造らず)とある。

 

太守邀不去,群官請徒頻。

かくて、太守は、其徳を慕うて、わざわざ迎いに従っても、上人は、出て行かず、群官が頻りに招いても、無益であった。

群官 上人を招こうとした官の者の多く。

 

囊無一金資,翻謂富者貧。

上人の高尚なることは、これを以て概見すべく、嚢中には、一銭もないが、却って、富者を貧ならといい、ひとりで打ち澄ましている。われは、幸い陽山に居て、上人と交際することが出来だが、

囊 袋の中。 財布の中。転じて、所持金。「囊中が乏しい」. 《囊中の錐》のうちゅうのきり. 才能のある者は凡人の中にあっても、自然にその真価があらわれることのたとえ。 錐 ( きり ) は袋の中に入れてもその先がつき出ることから。

 

昨日忽不見,我令訪其鄰。

昨日、突然行方が知れなく成ったといふ知らせがあった。さて何度へ従ったかといふので、位を遣って、その郷の人に尋ねさせ、

 

奔波自追及,把手問所因。

はては奔披して、自身で跡を追ひかけて、やつとこれに追い付き、手を把って、どうした渾かといって問う。

奔波 駆けずり回る,苦労を重ねる.

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