漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2015年09月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈91-#6《 巻二12 縣齋有懷》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1541> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6689

韓愈  縣齋有懷  #6

名聲荷朋友,援引乏姻婭。雖陪彤庭臣,詎縱青冥靶。

寒空聳危闕,曉色曜修架。捐軀辰在丁,鎩翮時方碏。

その内に自分は、文章を以て売り出し、朋友の御蔭で、大分評判も善かったが、美官に引き上げて呉れる様な有力者は、姻戚姉妹の手蔓など無かったから、仕方がない。それでも、やっとの事で監察御史を拝命し、丹墀に参候する身分とはなったが、快馬を飛ばせて青雲の上を駆け廻わるという様な、目ざましい栄達は、到底望むことができない。ところが、上疏したことに因って左遷せられ、突然のうちに長安を出ることになったが、その時は、冬であって、顧みれば、九重の城闕は高く寒容に荘厳にそびえ、そして、暁色は長くつらなる屋根の棟にかがやいていたが、これが都の見納めかと思うと、覚えず、然として、心悲しくなったものである。自分が一身を賭して上疏したのは、丁の字の付く日であり、辰の丁の方向、瘴癘の地にあったのである、それは、羽蟲に苦しめられ、観察御史という翼をもがれた鳥のように、貶謫の憂き目に遇ったのは、十二月、即ち年の暮れであった。

韓愈91-#6 巻二12 縣齋有懷》 6 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1541 Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6689

 

 
  2015年9月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈91-#6《 巻二12 縣齋有懷》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1541> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6689  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-139#8杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#8 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-139 <1002> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6690  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684

韓愈  縣齋有懷 #5  

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。兩府變荒涼,三年就休假。

求官去東洛,犯雪過西華。塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。
或は狩場の御供をして、弓箭を以て狐や兎を取り囲む有様を実視し、或は宴会合に陪席して、管弦楽の聲の賑しき間に列ねたる酒肴を御馳走になったこともある。しかし、董晉も、張建封も、程なくあいついで没卒し、汴州も、徐州も荒涼の景色に変じたから、自分も、その地を立ち去り、その後、三年の間は、丸で休職という状態に在ったのである。やがて官を求めるために、洛陽より出で、雪を犯して、西の方、華山の麓を通ったが、随分難儀な旅行であった。やつとの事で、長安に到著すると、都大路の春は、流石に賑わしく、塵埃が地に捲いて起る位、そこで、四門博士となり、文王の遺跡たる靈臺では、風雨のため、足止めされた夜など、殊に寂しく、両ながら戚慨に堪へ兼ねた。

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  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
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  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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韓愈詩-韓愈91-#5

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

開封 (河南道 汴州 開封) 別名:大梁           

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方              

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

西華 (河南道 陳州 西華)  

陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

靈臺 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

縣齋有懷

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

少小尚奇偉,平生足悲吒。

われは、年なお若き頃より、世人と異にして俊偉なることを旨として居たが、従前の境遇は、まことに嘆き悲むべきものであった。

猶嫌子夏儒,肯學樊遲稼。

しかし、孔子に君子の儒となれと云われた弟子の子夏の様な学者になるのも厭であるし、同じ弟子の樊遅が志願した様に、百姓の真似をすることも好まない。

事業窺皋稷,文章蔑曹謝。

何でも、事業を爲せば古の皐陶・后稷の如く成りたいと思い、文章を作れば、曹植・謝靈運をも侮蔑する位に成りたいと、こういう志望であった。

濯纓起江湖,綴佩雜蘭麝。

そこで、江湖の清き水に臨んで、冠の紐を洗い、腰下に佩びるに蘭麝の香高きものをもってし、屈原が「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめたい。

(縣齋にて懐い有り)【自註:陽山縣の齋で作る,時 貞元二十一年,順宗 新たに即位。】
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
#2

悠悠指長道,去去策高駕。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
誰為傾國媒,自許連城價。

昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
初隨計吏貢,屢入澤宮射。

そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
雖免十上勞,何能一戰霸。

その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。

#3

人情忌殊異,世路多權詐。

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

冶長信非罪,侯生或遭罵。

だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

懷書出皇都,銜淚渡清灞。

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。

人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。

#4

身將老寂寞,志欲死閒暇。

固より身は寂箕の中に老いるのに甘んじ、閒暇無事の間に生涯を終りたいと志ざしたものの、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。

朝食不盈腸,冬衣纔掩

それでは、第一、衣食に差支え、朝食は腹も満たすほどの量もなく、冬の衣は、わずかに腰を掩うだけで、とても、寒さを凌げない。

軍書既頻召,戎馬乃連跨。

時しも、天下騒乱に苦み、国家、愈よ多事であって、軍書を以て絶えず兵士を召集し、そして、馬に跨って出征するという位だから、どうにか任用の路が無いこともあるまいと思っていた。

大梁從相公,彭城赴僕射。

だから、汴州にいっては董晋に依り、彭城に往つては張建封の幕中に赴き、招きに応じて希望をもったのだ。

身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
#5

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

或は狩場の御供をして、弓箭を以て狐や兎を取り囲む有様を実視し、或は宴会合に陪席して、管弦楽の聲の賑しき間に列ねたる酒肴を御馳走になったこともある。

兩府變荒涼,三年就休假。

しかし、董晉も、張建封も、程なくあいついで没卒し、汴州も、徐州も荒涼の景色に変じたから、自分も、その地を立ち去り、その後、三年の間は、丸で休職という状態に在ったのである。

求官去東洛,犯雪過西華。

やがて官を求めるために、洛陽より出で、雪を犯して、西の方、華山の麓を通ったが、随分難儀な旅行であった。

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

やつとの事で、長安に到著すると、都大路の春は、流石に賑わしく、塵埃が地に捲いて起る位、そこで、四門博士となり、文王の遺跡たる靈臺では、風雨のため、足止めされた夜など、殊に寂しく、両ながら戚慨に堪へ兼ねた。

弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

 

#6

名聲荷朋友,援引乏姻婭。

雖陪彤庭臣,詎縱青冥靶。

寒空聳危闕,曉色曜修架。

捐軀辰在丁,鎩翮時方昔。

名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。

寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
#7

投荒誠職分,領邑幸寬赦。

湖波翻日車,嶺石坼天罅。

毒霧恆熏晝,炎風每燒夏。

雷威固已加,颶勢仍相借。

荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。

湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。

 

『縣齋有懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

兩府變荒涼,三年就休假。

求官去東洛,犯雪過西華。

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

(下し文)
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。

両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。

官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。

塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

(現代語訳)
#5

或は狩場の御供をして、弓箭を以て狐や兎を取り囲む有様を実視し、或は宴会合に陪席して、管弦楽の聲の賑しき間に列ねたる酒肴を御馳走になったこともある。

しかし、董晉も、張建封も、程なくあいついで没卒し、汴州も、徐州も荒涼の景色に変じたから、自分も、その地を立ち去り、その後、三年の間は、丸で休職という状態に在ったのである。

やがて官を求めるために、洛陽より出で、雪を犯して、西の方、華山の麓を通ったが、随分難儀な旅行であった。

やつとの事で、長安に到著すると、都大路の春は、流石に賑わしく、塵埃が地に捲いて起る位、そこで、四門博士となり、文王の遺跡たる靈臺では、風雨のため、足止めされた夜など、殊に寂しく、両ながら戚慨に堪へ兼ねた。


(訳注) #5

 

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

或は狩場の御供をして、弓箭を以て狐や兎を取り囲む有様を実視し、或は宴会合に陪席して、管弦楽の聲の賑しき間に列ねたる酒肴を御馳走になったこともある。

○弓箭 弓と矢。弓矢。 2 弓矢を取る身。武士。

○狐兔 きつね、うさぎ。

○絲竹 絲は弦楽器。竹、笛の楽器。

○羅酒炙 宴会に酒や肉をならべたもの。

 

兩府變荒涼,三年就休假。

しかし、董晉も、張建封も、程なくあいついで没卒し、汴州も、徐州も荒涼の景色に変じたから、自分も、その地を立ち去り、その後、三年の間は、丸で休職という状態に在ったのである。

○兩府 汴州の董晉と徐州の張建封の二人が相次いで俎謝したことを言う。宣武軍節度使の董晋の幕府と死んだ後の幕府。貞元十二年(七九六)、愈は二十九歳。この年六月、汀州(河南省開封)にある宜武軍節度使の幕府に内紛が起った。796年東都留守(洛陽の長官である)の董晋に宜武軍節度使の職務を代行せよと命じた。前にも述べたとおり、節度使は自分が人選して、幕府を構成する。董晋も東都留守としての部下を連れて行くわけにはいかないので、新たに幕僚を集めなければならない。とりあえず洛陽で人員を構成し、それを従えて汀州へ乗りこむわけである。そこで選ばれた幕僚の一人に、愈が入っていた。なぜ董晋が愈を選んだのか、詳しいことはわからない。それまでに深いつきあいがあったとも見えないし、晋が愈の才能を特に買っていたわけでもないらしいのである。愈にしてみれば、以前には貢耽の幕僚になりたいと志願してことわられたのに、こんどは思いがけなく、幕僚の職がころがりこんで来たことになる

○荒涼 叛乱があり統治が乱れた。董晋は突然に、宜武軍節度使の任命を受けた。しかもクーデターの直後だけに、赴任は急を要する。内示があって、しかるべき準備期間を経て、用意を撃凡てから赴任するという、通常の転任とは違う。緊急に幕僚を集めたいとなれば、広く天下の人材に思いを及ぼす余裕はあるまい。どうしても手近の人間でまにあわせなければならない、となれば、南陽から洛陽に出て来ていた愈は、ちょうど都合のよい人員であった。

○三年 798800年官を退く。足かけ三年。中国では経過年では表現しない。

○休暇 お暇をいただく身の上となった(浪人となった)

 

求官去東洛,犯雪過西華。

やがて官を求めるために、洛陽より出で、雪を犯して、西の方、華山の麓を通ったが、随分難儀な旅行であった。

○求官 官を求める。

○東洛 東の都の洛陽

○犯雪 この時大雪が降ったがその中を旅したことを言う。 

○西華 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳。

 

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

やつとの事で、長安に到著すると、都大路の春は、流石に賑わしく、塵埃が地に捲いて起る位、そこで、四門博士となり、文王の遺跡たる靈臺では、風雨のため、足止めされた夜など、殊に寂しく、両ながら戚慨に堪へ兼ねた。

○塵挨 世俗、世間。舞い立つほこり。

○紫陌春 長安の東西の大道の裴景色。

○風雨 春の長雨。

○霊臺夜 昔、文王が築いた霊台において、陝西省卾県(長安近郊)ので足止めをされた。

韓愈91-#4《 巻二12 縣齋有懷》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1539> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6679

韓愈  縣齋有懷#4   

身將老寂寞,志欲死閒暇。朝食不盈腸,冬衣纔掩

軍書既頻召,戎馬乃連跨。大梁從相公,彭城赴僕射。

固より身は寂箕の中に老いるのに甘んじ、閒暇無事の間に生涯を終りたいと志ざしたものの、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。それでは、第一、衣食に差支え、朝食は腹も満たすほどの量もなく、冬の衣は、わずかに腰を掩うだけで、とても、寒さを凌げない。時しも、天下騒乱に苦み、国家、愈よ多事であって、軍書を以て絶えず兵士を召集し、そして、馬に跨って出征するという位だから、どうにか任用の路が無いこともあるまいと思っていた。だから、汴州にいっては董晋に依り、彭城に往つては張建封の幕中に赴き、招きに応じて希望をもったのだ。

韓愈91-#4 巻二12 縣齋有懷》 4 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1539 Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6679

 

 

韓愈詩-韓愈91-#4

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

開封 (河南道 汴州 開封) 別名:大梁           

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方              

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

西華 (河南道 陳州 西華)  

陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

靈臺 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

縣齋有懷

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

少小尚奇偉,平生足悲吒。

われは、年なお若き頃より、世人と異にして俊偉なることを旨として居たが、従前の境遇は、まことに嘆き悲むべきものであった。

猶嫌子夏儒,肯學樊遲稼。

しかし、孔子に君子の儒となれと云われた弟子の子夏の様な学者になるのも厭であるし、同じ弟子の樊遅が志願した様に、百姓の真似をすることも好まない。

事業窺皋稷,文章蔑曹謝。

何でも、事業を爲せば古の皐陶・后稷の如く成りたいと思い、文章を作れば、曹植・謝靈運をも侮蔑する位に成りたいと、こういう志望であった。

濯纓起江湖,綴佩雜蘭麝。

そこで、江湖の清き水に臨んで、冠の紐を洗い、腰下に佩びるに蘭麝の香高きものをもってし、屈原が「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめたい。

(縣齋にて懐い有り)【自註:陽山縣の齋で作る,時 貞元二十一年,順宗 新たに即位。】
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
#2

悠悠指長道,去去策高駕。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
誰為傾國媒,自許連城價。

昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
初隨計吏貢,屢入澤宮射。

そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
雖免十上勞,何能一戰霸。

その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。

#3

人情忌殊異,世路多權詐。

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

冶長信非罪,侯生或遭罵。

だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

懷書出皇都,銜淚渡清灞。

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。

人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。

#4

身將老寂寞,志欲死閒暇。

固より身は寂箕の中に老いるのに甘んじ、閒暇無事の間に生涯を終りたいと志ざしたものの、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。

朝食不盈腸,冬衣纔掩

それでは、第一、衣食に差支え、朝食は腹も満たすほどの量もなく、冬の衣は、わずかに腰を掩うだけで、とても、寒さを凌げない。

軍書既頻召,戎馬乃連跨。

時しも、天下騒乱に苦み、国家、愈よ多事であって、軍書を以て絶えず兵士を召集し、そして、馬に跨って出征するという位だから、どうにか任用の路が無いこともあるまいと思っていた。

大梁從相公,彭城赴僕射。

だから、汴州にいっては董晋に依り、彭城に往つては張建封の幕中に赴き、招きに応じて希望をもったのだ。

身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
#5

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

兩府變荒涼,三年就休假。

求官去東洛,犯雪過西華。

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

 

韓愈 陽山と潮州002 

『縣齋有懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

身將老寂寞,志欲死閒暇。

朝食不盈腸,冬衣纔掩

軍書既頻召,戎馬乃連跨。

大梁從相公,彭城赴僕射。

(下し文)
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。

朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。

軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。

(現代語訳)
#4

固より身は寂箕の中に老いるのに甘んじ、閒暇無事の間に生涯を終りたいと志ざしたものの、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。

それでは、第一、衣食に差支え、朝食は腹も満たすほどの量もなく、冬の衣は、わずかに腰を掩うだけで、とても、寒さを凌げない。

時しも、天下騒乱に苦み、国家、愈よ多事であって、軍書を以て絶えず兵士を召集し、そして、馬に跨って出征するという位だから、どうにか任用の路が無いこともあるまいと思っていた。

だから、汴州にいっては董晋に依り、彭城に往つては張建封の幕中に赴き、招きに応じて希望をもったのだ。

嶺南道圖00
(訳注)

縣齋有懷 

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

「縣斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原因となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

 

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

縣齋は縣令の官舎で、これは、韓愈が陽山の令たりし時に作ったのである。且つ篇中に「嗣皇新繼明,率土日流化。」とあるを見れば、貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。「有懐」は、懐抱を述べるという意で、韓愈の希望は、遷謫を赦された彼、全然浮世の事を来て去って、嵩山穎水の間に歸隠したいと云うのである。

 

身將老寂寞、志欲死閑暇。

固より身は寂箕の中に老いるのに甘んじ、閒暇無事の間に生涯を終りたいと志ざしたものの、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。


朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。

それでは、第一、衣食に差支え、朝食は腹も満たすほどの量もなく、冬の衣は、わずかに腰を掩うだけで、とても、寒さを凌げない。

・髁 腿の骨。腰骨、尻骨。


軍書既頻召、戎馬乃連跨。

時しも、天下騒乱に苦み、国家、愈よ多事であって、軍書を以て絶えず兵士を召集し、そして、馬に跨って出征するという位だから、どうにか任用の路が無いこともあるまいと思っていた。

・軍書 古代において軍に徵召される徴兵告知通知書、告知(曉、聲討等の文書。《文選.質.答魏太子牋》:「軍書輻至,羽檄交馳,於彼諸賢,非其任也。」

 

大梁従相公、彭城赴僕射。

だから、汴州にいっては董晋に依り、彭城に往つては張建封の幕中に赴き、招きに応じて希望をもったのだ。

汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
大梁 796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であった。何軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言し宜武軍は混乱から立ち直った。この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。

相公 宣武軍節度使の幕府の董晋のこと。

彭城 徐州(彭城)へ帰ったのは、880年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩を作っている。

僕射 中国の官名。戦国時代には各政府 、僕射という名称は尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。 隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。

韓愈91-#3《 巻二12 縣齋有懷》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1538> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6674

韓愈  縣齋有懷 #3  

人情忌殊異,世路多權詐。蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

冶長信非罪,侯生或遭罵。懷書出皇都,銜淚渡清灞。

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。

 

韓愈91-#3《 巻二12 縣齋有懷》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1538> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6674

 

 
  2015年9月27日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白315-#2 《巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》315-#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白315-#2> Ⅰ李白詩1625 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6673  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈91-#3《 巻二12 縣齋有懷》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1538> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6674  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-136#5杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#5 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-136 <999> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6675  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 10和凝 (改)《巻六30柳枝三首其一 》『花間集』281全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6677  
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韓愈詩-韓愈91-#3

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

開封 (河南道 汴州 開封) 別名:大梁           

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方              

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

西華 (河南道 陳州 西華)  

陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

靈臺 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

縣齋有懷

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

少小尚奇偉,平生足悲吒。

われは、年なお若き頃より、世人と異にして俊偉なることを旨として居たが、従前の境遇は、まことに嘆き悲むべきものであった。

猶嫌子夏儒,肯學樊遲稼。

しかし、孔子に君子の儒となれと云われた弟子の子夏の様な学者になるのも厭であるし、同じ弟子の樊遅が志願した様に、百姓の真似をすることも好まない。

事業窺皋稷,文章蔑曹謝。

何でも、事業を爲せば古の皐陶・后稷の如く成りたいと思い、文章を作れば、曹植・謝靈運をも侮蔑する位に成りたいと、こういう志望であった。

濯纓起江湖,綴佩雜蘭麝。

そこで、江湖の清き水に臨んで、冠の紐を洗い、腰下に佩びるに蘭麝の香高きものをもってし、屈原が「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめたい。

(縣齋にて懐い有り)【自註:陽山縣の齋で作る,時 貞元二十一年,順宗 新たに即位。】
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
#2

悠悠指長道,去去策高駕。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
誰為傾國媒,自許連城價。

昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
初隨計吏貢,屢入澤宮射。

そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
雖免十上勞,何能一戰霸。

その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。

#3

人情忌殊異,世路多權詐。

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

冶長信非罪,侯生或遭罵。

だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

懷書出皇都,銜淚渡清灞。

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。

人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。

#4

身將老寂寞,志欲死閒暇。

朝食不盈腸,冬衣纔掩

軍書既頻召,戎馬乃連跨。

大梁從相公,彭城赴僕射。

身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
#5

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

兩府變荒涼,三年就休假。

求官去東洛,犯雪過西華。

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

 

長安付近図00Ta唐 長安近郊圖  新02 

『縣齋有懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

人情忌殊異,世路多權詐。

蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

冶長信非罪,侯生或遭罵。

懷書出皇都,銜淚渡清灞。


(下し文)
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し

蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、折【さいせつ】して気愈々下る。冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。

書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。


(現代語訳)
#3

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。


(訳注)  #3

縣齋有懷 

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

「縣斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原因となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

 

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

縣齋は縣令の官舎で、これは、韓愈が陽山の令たりし時に作ったのである。且つ篇中に「嗣皇新繼明,率土日流化。」とあるを見れば、貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。「有懐」は、懐抱を述べるという意で、韓愈の希望は、遷謫を赦された彼、全然浮世の事を来て去って、嵩山穎水の間に歸隠したいと云うのである。

 

人情忌殊異、世路多權詐。

しかし、人情として、党派、門閥に組する様な特別に優れた人間関係を忌み嫌い、その結びつきが世間の道であるとし、権謀詐術をつかうことが多いのである。

忌殊異・多權詐 人情による特別扱いを忌み嫌う(党派、門閥の形成)、人がやることには策略など(権謀詐術)が多いものである。どちらも一呼吸おいてもう一度見直すことが必要である。


蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。

生家文才あって、しかも資性極めて愚直なる自分は、党派、権謀詐術により、目ざましき立身をすることなでできず、進士試験の落第するたび、不景気な顔色をし、幾度も失策して、意気消沈したのである。

蹉跎 つまずいて時機を失すること。時機を逸しているさま。不遇であるさま。進士試験の落第を言う。

嶊折 嶊は、材木をうずたかく積まれたのを言う、此処では科挙試験、高級官僚への道が、落第によって挫折したことを言う。

 

冶長信非罪、侯生或遭罵。
だから、孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、全く罪に非ずの如く、私も理由わからず人から誤解されたが、それから、侯嬴の如く、失礼な爺だといって、人から罵られたこともあったように、私もそのように悪口を浴びた

冶長 公冶長は春秋時代の人。字 (あざな) は子長。孔子の門人で女婿。鳥の言葉を解したという。生没年未詳。春秋時代の儒学者である孔子の弟子となり、『論語』には「公冶長編」と題された編が存在している。『論語』には師である孔子が「公冶長なら娘を嫁に嫁がせても良い」と評している。また、公冶長は鳥と会話が出来るという特殊能力が備わっており、それを機に獄中入りとなったが、それを実証して釈放の身になったと言われている。

生 魏の公子信陵君と食客としてむかえた侯嬴の故事で、侯嬴は失礼な爺だと皆は蔑まれたが、それを許した信陵君の器量に感動した。これが噂となって、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まった。《魏公子列伝 第十七》にみえる信陵君の多くの故事の一つである。(食客三千人・双六に興じて王は却って信陵君を恐れることになる)


懐書出皇都、銜涙渡清㶚。

そこで、長安に居ても仕方がないから、自分の財産ともいうべき数冊の書物を懐にして、都、春明門を立ち去り、灞水の清き流を渡るときには、覚えず涙ぐんだものだった。

 長安城の東の門があり、春明門を出るとます杜陵を水源とした滻水を渡り、その後長安から最初の街道駅となる㶚陵橋には藍田終南山を水源にした㶚水がある両河川は長安東を北に下り渭水に合流する。

韓愈91-#2《 巻二12 縣齋有懷》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1537> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6669

韓愈  縣齋有懷 #2

悠悠指長道,去去策高駕。誰為傾國媒,自許連城價。

初隨計吏貢,屢入澤宮射。雖免十上勞,何能一戰霸。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

韓愈91-#2《 巻二12 縣齋有懷》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1537> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6669

 

 
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韓愈91-#2《 巻二12 縣齋有懷》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1537> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6669  
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韓愈詩-韓愈91-#2

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              縣齋 (江南西道 連州 陽山)              

開封 (河南道 汴州 開封) 別名:大梁           

徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方              

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

西華 (河南道 陳州 西華)  

陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

靈臺 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

縣齋有懷

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

少小尚奇偉,平生足悲吒。

われは、年なお若き頃より、世人と異にして俊偉なることを旨として居たが、従前の境遇は、まことに嘆き悲むべきものであった。

猶嫌子夏儒,肯學樊遲稼。

しかし、孔子に君子の儒となれと云われた弟子の子夏の様な学者になるのも厭であるし、同じ弟子の樊遅が志願した様に、百姓の真似をすることも好まない。

事業窺皋稷,文章蔑曹謝。

何でも、事業を爲せば古の皐陶・后稷の如く成りたいと思い、文章を作れば、曹植・謝靈運をも侮蔑する位に成りたいと、こういう志望であった。

濯纓起江湖,綴佩雜蘭麝。

そこで、江湖の清き水に臨んで、冠の紐を洗い、腰下に佩びるに蘭麝の香高きものをもってし、屈原が「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめたい。

(縣齋にて懐い有り)【自註:陽山縣の齋で作る,時 貞元二十一年,順宗 新たに即位。】
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
#2

悠悠指長道,去去策高駕。

誰為傾國媒,自許連城價。

初隨計吏貢,屢入澤宮射。

雖免十上勞,何能一戰霸。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。

#3

人情忌殊異,世路多權詐。

蹉跎顏遂低,摧折氣愈下。

冶長信非罪,侯生或遭罵。

懷書出皇都,銜淚渡清灞。

人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。#4

身將老寂寞,志欲死閒暇。

朝食不盈腸,冬衣纔掩

軍書既頻召,戎馬乃連跨。

大梁從相公,彭城赴僕射。

身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。

大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
#5

弓箭圍狐兔,絲竹羅酒炙。

兩府變荒涼,三年就休假。

求官去東洛,犯雪過西華。

塵埃紫陌春,風雨靈臺夜。

弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。 

 

 

『縣齋有懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

悠悠指長道,去去策高駕。

誰為傾國媒,自許連城價。

初隨計吏貢,屢入澤宮射。

雖免十上勞,何能一戰霸。

(下し文)
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。

誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。

初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。

十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。

(現代語訳)
#2

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。


(訳注)

縣齋有懷

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

「縣斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原因となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

 

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

縣齋は縣令の官舎で、これは、韓愈が陽山の令たりし時に作ったのである。且つ篇中に「嗣皇新繼明,率土日流化。」とあるを見れば、貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。「有懐」は、懐抱を述べるという意で、韓愈の希望は、遷謫を赦された彼、全然浮世の事を来て去って、嵩山穎水の間に歸隠したいと云うのである。

 

悠悠指長道、去去策高駕。

道義を身に行い、そして悠々として人生の長路を指し、去々として立派な馬車を馳せる身分に成りたいと思ってどんどん進んで行った。
悠悠 ゆうゆうとして、はるかなさま。

指長道 長安への道を目指すこと。

去去 去りゆくさま。

策高駕 名馬にまたがって鞭を打つ。

 

誰爲傾国媒、自許連城價。

昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分は、長く沈淪することを免れず、かの「和氏の璧」と同じく、そのような貴重な才能をもっていると自任していた。
傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)連城の璧とは? 〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。

和氏の璧:楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の右足の筋を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は左足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて33晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。


初随計吏貢、屡入澤宮射。

そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
計吏貢 会計簿を朝廷にたてまつる役人。

澤宮 めぐみを施す宮殿。周代の宮殿の名前。榭を習わし、士を選んだ場所をいう。『周禮、夏官、司弓矢』「澤共射椹質之弓矢。」(澤は椹質を射るこの弓矢を共す)。
 科挙試験を射止めるという意味。


雖免十上勞、何能一戰覇。

その初、郷貢進士となら、計夏に連れられて上京し、射を澤宮に試みられるのと同じく、数は試験場に立ち入り、蘇秦が十度まで上書したといふ轟の苦券は無かったものの、なかなか一戦して覇を威すことは出来ず、両三度失敗した彼に、やつと進士に及第した。

十上勞 上奏文十回の、戦国時代の蘇秦最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる「鶏口となるも牛後となることなかれ」という言辞を述べた。何能一戰覇。

91 巻二12縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1536> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6664

韓愈  縣齋有懷   

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

少小尚奇偉,平生足悲吒。猶嫌子夏儒,肯學樊遲稼。

事業窺皋稷,文章蔑曹謝。濯纓起江湖,綴佩雜蘭麝。

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

われは、年なお若き頃より、世人と異にして俊偉なることを旨として居たが、従前の境遇は、まことに嘆き悲むべきものであった。しかし、孔子に君子の儒となれと云われた弟子の子夏の様な学者になるのも厭であるし、同じ弟子の樊遅が志願した様に、百姓の真似をすることも好まない。何でも、事業を爲せば古の皐陶・后稷の如く成りたいと思い、文章を作れば、曹植・謝靈運をも侮蔑する位に成りたいと、こういう志望であった。そこで、江湖の清き水に臨んで、冠の紐を洗い、腰下に佩びるに蘭麝の香高きものをもってし、屈原が「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめたい。

91 巻二12縣齋有懷【案:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1536 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6664


 
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90 巻二07醉後 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1535> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6659

韓愈  醉後   

煌煌東方星,奈此眾客醉。初喧或忿爭,中靜雜嘲戲。

淋漓身上衣,顛倒筆下字。人生如此少,酒賤且勤置。

(この詩は酔った後に本音を述べたいものの宴の有様を比興手法で詠ったもの)

暁の明星が煌煌として東の空に希望の龍の星が輝いているが、この席はなお、散会せず、集まった客は、皆酔いつぶれて、何を考えているのだろう、どうしようもない。始めは何か少しばかりの言葉の行き違いから、大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあったが、中ごろは、また、静かになってきた、冗談を言い、女をからかう者もいて互いに打ち解けている。そうして、興がたけなわになると、一生懸命で、着物の上に酒が淋漓としてそそぎかかりぬれてしまうが、興に乗じて、筆を持つ手がすらすら書けるはずが、ふらふら転倒してうまく書けない。このように、多くの人が相会して痛飲するというのは、めったにないことであるし、酒も安いことから、夜が明けようとかまいはしない、だから、できる限りこの場をそのままにしておいて、十分に飲めばよい。

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韓愈詩-90

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言律詩

詩題:    醉後

作地點:              目前尚無資料

 

醉後

(この詩は酔った後に本音を述べたいものの宴の有様を比興手法で詠ったもの)

煌煌東方星,奈此眾客醉。

暁の明星が煌煌として東の空に希望の龍の星が輝いているが、この席はなお、散会せず、集まった客は、皆酔いつぶれて、何を考えているのだろう、どうしようもない。
初喧或忿爭,中靜雜嘲戲。

始めは何か少しばかりの言葉の行き違いから、大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあったが、中ごろは、また、静かになってきた、冗談を言い、女をからかう者もいて互いに打ち解けている。
淋漓身上衣,顛倒筆下字。

そうして、興がたけなわになると、一生懸命で、着物の上に酒が淋漓としてそそぎかかりぬれてしまうが、興に乗じて、筆を持つ手がすらすら書けるはずが、ふらふら転倒してうまく書けない。
人生如此少,酒賤且勤置。

このように、多くの人が相会して痛飲するというのは、めったにないことであるし、酒も安いことから、夜が明けようとかまいはしない、だから、できる限りこの場をそのままにしておいて、十分に飲めばよい。

(酔後)
煌煌たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【い】かん。
初め 喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【いや】しければ、且つ勤めて置け。

 

 

『醉後』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

醉後

煌煌東方星,奈此眾客醉。

初喧或忿爭,中靜雜嘲戲。

淋漓身上衣,顛倒筆下字。

人生如此少,酒賤且勤置。


(下し文)
(酔後)
煌煌たり東方の星、此の衆客の酔えるを奈【い】かん。
初め 喧【かまびす】しくて或いは忿争し、中ごろは静かにして嘲戯を雑う。
淋漓たり身上の衣、顚倒す筆下の字。
人生 此の如きこと少なり、酒は賎【いや】しければ、且つ勤めて置け。


(現代語訳)
(この詩は酔った後に本音を述べたいものの宴の有様を比興手法で詠ったもの)

暁の明星が煌煌として東の空に希望の龍の星が輝いているが、この席はなお、散会せず、集まった客は、皆酔いつぶれて、何を考えているのだろう、どうしようもない。
始めは何か少しばかりの言葉の行き違いから、大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあったが、中ごろは、また、静かになってきた、冗談を言い、女をからかう者もいて互いに打ち解けている。
そうして、興がたけなわになると、一生懸命で、着物の上に酒が淋漓としてそそぎかかりぬれてしまうが、興に乗じて、筆を持つ手がすらすら書けるはずが、ふらふら転倒してうまく書けない。
このように、多くの人が相会して痛飲するというのは、めったにないことであるし、酒も安いことから、夜が明けようとかまいはしない、だから、できる限りこの場をそのままにしておいて、十分に飲めばよい。


(訳注)

醉後

(この詩は酔った後に本音を述べたいものの宴の有様を比興手法で詠ったもの)

この詩の頭に「煌煌東方星」とあるのは、家臣たちの政治で左右されるものではなく、天子の徳に期待を持っていることをあらわしている。
五行思想では龍は東方を表して虎は西方を表し、また龍は水との縁に因んで北方を代表する動物として、虎は猛火を例えて南方を代表する動物として考えられている。龍と虎を描いて天下統一の思想と世界全体を表して用いられている。

 

煌煌東方星,奈此眾客醉。

暁の明星が煌煌として東の空に希望の龍の星が輝いているが、この席はなお、散会せず、集まった客は、皆酔いつぶれて、何を考えているのだろう、どうしようもない。
煌煌【こうこう】きらきらと輝くさま。明るく照るさま。

東方星 五行思想では東方の色は青だったので、青龍と呼ばれた。そこにインドから仏教とともにナーガーラジャ(蛇神)が伝来し、これが龍王と翻訳されたことから、龍王という呼び方が定着したという。皇帝が没し、順宗が即位し、新しい希望持つことを、東方で表し、万物の生まれ成長していく原点が東方にある。

 

初喧或忿爭,中靜雜嘲戲。

始めは何か少しばかりの言葉の行き違いから、大声をだし、騒がしくて喧嘩をする者もあったが、中ごろは、また、静かになってきた、冗談を言い、女をからかう者もいて互いに打ち解けている。
初喧 始めは大声をだし、騒がしくする。

忿爭 て喧嘩をする者もある。

中静 宴の中ごろは静かになってきた。

雜嘲戯 戯言、女をからう、酔いの勢いに乗って混じり合うさま。

 

淋漓身上衣,顛倒筆下字。

そうして、興がたけなわになると、一生懸命で、着物の上に酒が淋漓としてそそぎかかりぬれてしまうが、興に乗じて、筆を持つ手がすらすら書けるはずが、ふらふら転倒してうまく書けない。
淋漓 したたるさま。元気や筆勢などの盛んなこと。 杜甫四07奉先劉少府新畫山水障歌「反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。」(反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城に鬼神入る。元気 淋灕りんりとして障 猶 湿う、真宰に上り 訴えて 天 応に泣くなるべし。)

顚倒 上句に淋漓があり、下句に筆が来ると筆の運びの勢いが盛んなことである。

上衣 からだにつけている着物。

 

人生如此少,酒賤且勤置。

このように、多くの人が相会して痛飲するというのは、めったにないことであるし、酒も安いことから、夜が明けようとかまいはしない、だから、できる限りこの場をそのままにしておいて、十分に飲めばよい。

 

 

当時朝廷を勝手気ままにしていた連中は、王伾・王叔文の一党であった。徳宗の末期には、不可解な事件が多く多くの文人が左遷されている。この詩で東の空に輝く星とは、東宮にある皇太子、後の憲宗をさす。
順宗は779年に立太子され、805年に徳宗の崩御により即位した。王叔文を翰林学士に任じ、韓秦、韓曄、柳宗元、劉禹錫、陳諌、凌准、程異、韋執宜ら(二王八司馬)を登用、徳宗以来続いていた官吏腐敗を一新し、地方への財源建て直し、宦官からの兵権を取り返そうとするなどの永貞革新の政策を行なっているが、即位して間もなく脳溢血に倒れ、言語障害の後遺症を残した。さらに8月には宦官の具文珍らが結託して皇帝に退位を迫り、即位後僅か7ヶ月で長男の李純に譲位し、自らは太上皇となった。翌年に47歳で病気により崩御したが、宦官によって殺害されたものであった。

中央では、このような状況の中、韓愈は、牧歌的な地域の県令であり、何の手の施しようもなかった。詩のなかには制作年代を推定させる言葉が一つもないが、韓愈がこの詩を書ける時期として、陽山しかないのである。陽山での作に入れられているのは、このためである。


とにかく、このように、韓愈は王伾・王叔文の改革に反対で、保守派に所属していたから、王伾たちからは敵側と見られていた。韓愈の書き残したものには、政治的に革新派であったとは思えるものはない。
しかし、徳宗時代の「弊政」を擁護しょうとする態度もまったくない改革、革新性のない儒者なのである。王伾の一派には柳宗元や劉禹錫がおり、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属すことができる可能性はあったが、王伾に対しては反感すらもっていたのである。

89 巻二04君子法天運 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1534> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6654

韓愈  君子法天運   

君子法天運,四時可前知。小人惟所遇,寒暑不可期。

利害有常勢,取舍無定姿。焉能使我心,皎皎遠憂疑。

(君子というのは、人為的に策略を凝らすのではなく、人間に幸福、不幸などをもたらす、人為を超越した作用にのっとっておこなうことが大切だ。)

世に君子といわれるものは、天運に法って、一挙一動、道理に違わないようにするもので、天運は、春夏秋冬、自然に順序があって、四時の推移は、もとより、前以て、知ることが出きる。そのように君子は、利害を予察して、去就をなすものであるから、決して、その身を誤るような事はないはずで、これに反して、小人は、唯だその境遇に従って、一己の健棒を得むとし、寒暑の推移などは、少しも、あてにしないのである。元来、利害には常勢あって、こういふ事をすれば利で、かういふ事をすれば害というように、ちゃんと決まっているのに、小人の取捨するところは、全然誤っていて、一定の体式というものがない。今や、劉禹錫・柳宗元の二人までが、取捨を誤るというのは、まことに呆れた話で、自分は、彼等の仲間に立ち交わることは出きない。我が心は、皎皎として潔白であるが、友人中に、そういふものがあるから、自分の身にも悪い事があるのではないかと思われることを心配して居るので、どうか、そういふ事のないように、我が心をして憂疑よら遠ざかるようにして欲しいものである。

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韓愈詩-89 

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言律詩

詩題:    君子法天運

 

 

君子法天運

君子法天運,四時可前知。

小人惟所遇,寒暑不可期。

利害有常勢,取舍無定姿。

焉能使我心,皎皎遠憂疑。

(君子というのは、人為的に策略を凝らすのではなく、人間に幸福、不幸などをもたらす、人為を超越した作用にのっとっておこなうことが大切だ。)

世に君子といわれるものは、天運に法って、一挙一動、道理に違わないようにするもので、天運は、春夏秋冬、自然に順序があって、四時の推移は、もとより、前以て、知ることが出きる。

そのように君子は、利害を予察して、去就をなすものであるから、決して、その身を誤るような事はないはずで、これに反して、小人は、唯だその境遇に従って、一己の健棒を得むとし、寒暑の推移などは、少しも、あてにしないのである。

元来、利害には常勢あって、こういふ事をすれば利で、かういふ事をすれば害というように、ちゃんと決まっているのに、小人の取捨するところは、全然誤っていて、一定の体式というものがない。

今や、劉禹錫・柳宗元の二人までが、取捨を誤るというのは、まことに呆れた話で、自分は、彼等の仲間に立ち交わることは出きない。我が心は、皎皎として潔白であるが、友人中に、そういふものがあるから、自分の身にも悪い事があるのではないかと思われることを心配して居るので、どうか、そういふ事のないように、我が心をして憂疑よら遠ざかるようにして欲しいものである。

 

(君子天運に法る)

君子は天藩に法り、四時前知すべし。

小人はただ遇ふところ、寒暑期すべからず。

利害、常勢あり、取捨、定姿なし。

焉んぞ能く我が心をして、皎皎、憂疑に遠ざからしめむ。

 

 

『君子法天運』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

君子法天運

君子法天運,四時可前知。

小人惟所遇,寒暑不可期。

利害有常勢,取舍無定姿。

焉能使我心,皎皎遠憂疑。

(下し文)
(君子天運に法る)

君子は天藩に法り、四時前知すべし。

小人はただ遇ふところ、寒暑期すべからず。

利害、常勢あり、取捨、定姿なし。

焉んぞ能く我が心をして、皎皎、憂疑に遠ざからしめむ。

(現代語訳)
(君子というのは、人為的に策略を凝らすのではなく、人間に幸福、不幸などをもたらす、人為を超越した作用にのっとっておこなうことが大切だ。)

世に君子といわれるものは、天運に法って、一挙一動、道理に違わないようにするもので、天運は、春夏秋冬、自然に順序があって、四時の推移は、もとより、前以て、知ることが出きる。

そのように君子は、利害を予察して、去就をなすものであるから、決して、その身を誤るような事はないはずで、これに反して、小人は、唯だその境遇に従って、一己の健棒を得むとし、寒暑の推移などは、少しも、あてにしないのである。

元来、利害には常勢あって、こういふ事をすれば利で、かういふ事をすれば害というように、ちゃんと決まっているのに、小人の取捨するところは、全然誤っていて、一定の体式というものがない。

今や、劉禹錫・柳宗元の二人までが、取捨を誤るというのは、まことに呆れた話で、自分は、彼等の仲間に立ち交わることは出きない。我が心は、皎皎として潔白であるが、友人中に、そういふものがあるから、自分の身にも悪い事があるのではないかと思われることを心配して居るので、どうか、そういふ事のないように、我が心をして憂疑よら遠ざかるようにして欲しいものである。


(訳注)

君子法天運

(君子というのは、人為的に策略を凝らすのではなく、人間に幸福、不幸などをもたらす、人為を超越した作用にのっとっておこなうことが大切だ。)

【題義】 この詩は、前者の條に一寸言った通わ、劉禹錫・柳宗元、二人にたいしてに作ったのである。徳宗の崩御に次いで、順宗が即位されたところが、王伾・王叔文の二人は、帝が東宮に居た頃、寵を得て居たから、朝政の革新を企て、宰相の韋執誼と結託して、順宗が病気で物を言ふことが出来ないのを幸とし、天子の詔と称して、短い時日に、様様の事を遣った。劉禹錫柳宗元二人は、その幕賓として大いに信頼せられ、一時飛ぶ鳥をも落す勢であったが、韓愈は之を伝聞し、そういふ悪い事をした庭で、とても長く績くものではないといふ忍を述べたのである。

法天運 人間に幸福、不幸などをもたらす、人為を超越した作用にのっとっておこなう。

 

君子法天運,四時可前知。

世に君子といわれるものは、天運に法って、一挙一動、道理に違わないようにするもので、天運は、春夏秋冬、自然に順序があって、四時の推移は、もとより、前以て、知ることが出きる。

四時 ① 1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。② 1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。③ 一日中の4回の座禅の時。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・晡時(ほじ)(午後4時)。

可前知 前もって知っておかないといけないことはすべきである。

 

小人惟所遇,寒暑不可期。

そのように君子は、利害を予察して、去就をなすものであるから、決して、その身を誤るような事はないはずで、これに反して、小人は、唯だその境遇に従って、一己の健棒を得むとし、寒暑の推移などは、少しも、あてにしないのである。

 

利害有常勢,取舍無定姿。

元来、利害には常勢あって、こういふ事をすれば利で、かういふ事をすれば害というように、ちゃんと決まっているのに、小人の取捨するところは、全然誤っていて、一定の体式というものがない。

 

焉能使我心,皎皎遠憂疑。

今や、劉禹錫・柳宗元の二人までが、取捨を誤るというのは、まことに呆れた話で、自分は、彼等の仲間に立ち交わることは出きない。我が心は、皎皎として潔白であるが、友人中に、そういふものがあるから、自分の身にも悪い事があるのではないかと思われることを心配して居るので、どうか、そういふ事のないように、我が心をして憂疑よら遠ざかるようにして欲しいものである。

皎皎 白く光り輝くさま。こうこう。明るく光り輝くさま。特に,太陽・月・雪などにいう。

 

 

君子法天運

君子法天運,四時可前知。小人惟所遇,寒暑不可期。

利害有常勢,取舍無定姿。焉能使我心,皎皎遠憂疑。

(君子天運に法る)

君子は天藩に法り、四時前知すべし。

小人はただ遇ふところ、寒暑期すべからず。

利害、常勢あり、取捨、定姿なし。

焉んぞ能く我が心をして、皎皎、憂疑に遠ざからしめむ。

韓愈88-#19 §4-5 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1533> Ⅱ#19 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6649

韓愈  赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士-#19 §--5

殷湯閔禽獸,解網祝蛛蝥。雷煥掘寶劍,冤氛消斗牛。

茲道誠可尚,誰能借前籌。殷勤答吾友,明月非暗投。

むかし殷の成湯王は鳥獣を憐れんで、四面に張った網の三面を慈愛を以て取りはらい、蜘蛛や稲食いむしのようにもさぼってはならないとまじないをとなえて、網にかかったものを放ってやったという故事のように私も小人によって網にかかったのであるから、自由な身、希望ある職につかせてほしいいと思うので、君たちに骨を折ってもらいたいのである。それに、晋の雷煥は無実の者を救うのに、宝剣を掘りあてることにより、その上に立ちこめた「北斗星と牽牛星」の間にある恨みの気を消えさせたという故事のように、自分を都に呼び返してくれるならば、これまでの冤罪苦もわすれ、自分の才能を発揮することができるというものである。聖賢の道は、まことに貴いものであるだけに、このようなことをだれに対しても相談できるものでなく、三君におねがいするのではあるが、それは、漢の張良が目の前の箸を使って国家の計略を立てたように、私をその中に登用することは、誰ができよう、君たち、三君のほかにはないのだ。そこで、慇懃に三君に申しあげるけれども、昔から明月の珠は貴重なものながら、それを暗闇で人に投げつければ、誰でも驚くというもの、やみくもに頼むというのではなく、十分採用される見込みがあればこそ申し上げるので、決して徒労に終わることなどないことは確信している。

韓愈88-#19 §45 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1533> Ⅱ#19 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6649

 

 
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韓愈詩-韓愈88-#19 §45

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士

【案:德宗貞元二十年移江陵法曹參軍,未幾以四門博士召,三學士王涯、李建、李程也。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              江陵 (山南東道 荊州 江陵)              

連州 (江南西道 連州 連州)             

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏              

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

交遊人物/地點:王涯          書信往來(京畿道 京兆府 長安)

李建         書信往來(京畿道 京兆府 長安)

李程         書信往來(京畿道 京兆府 長安)