中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2015年10月

韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844

韓愈  八月十五夜贈張功曹#2   

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。下床畏蛇食畏藥,海氣溼蟄熏腥臊。

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。
韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844

 

 
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韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844  
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韓愈詩-韓愈97-#2

年:805年貞元21年 38歳

卷別:  卷三三八        文體:  七言古詩

詩題:  八月十五夜贈張功曹

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

作地點:        郴州(江南西道 / 郴州 / 郴州)

及地點:        洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭   

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山   

交遊人物/地點:

張署    當地交遊(江南西道 郴州 郴州)

 

 

八月十五夜贈張功曹 #1

(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21年2月20日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。

川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

下床畏蛇食畏藥,海氣溼蟄熏腥臊。

その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。

#3

昨者州前搥大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。

赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。

遷者追迴流者還,滌瑕蕩垢清朝班。

州家申名使家抑,坎軻祗得移荊蠻。

#4

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。

同時輩流多上道,天路幽險難追攀。

君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。

一年明月今宵多,人生由命非由他,有酒不飲奈明何?

 

 

(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

 

#2

君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。

洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。

十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。

 

#3

昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。

赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。

遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。

州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

 

#4

判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。

同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。

君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。

一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

 

 

『八月十五夜贈張功曹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

下床畏蛇食畏藥,海氣溼蟄熏腥臊。

(下し文)


(現代語訳)
#2

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。

(訳注) #2

八月十五夜贈張功曹 #1

(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。)
張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのである。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地に向かへという命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものであったのだろうか、朝廷が混乱していただけなのかよくわかっていないが、宦官は儒者とは全く相いれないからどんなに些細な事でも、邪魔をするので、事務処理の邪魔をされたのかもしれない。

 

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
○聲酸 辛い、痛ましい、むせぶ様な調べ。きわめて酸楚、

○辭且苦 その言辞は極めて悽苦。


洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
○洞庭 洞庭湖。湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた

○九疑 九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。


十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1
私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

 

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。
○下牀 寝台から降りる。

○畏蛇 毒蛇の心配があること。

○食畏藥 食事には毒薬の入っている恐れがある。

○海氣 海から立ちのぼる気

○濕蟄 空気中の水分が多いこと、湿気を帯びていること。

○熏腥臊 なまぐさい臭いがあたりに漂う。北回帰線付近の8月だから、まだ蒸しあつい日がある。

韓愈97-#1《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1571> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6839

八月十五夜贈張功曹 #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。

(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21年2月20日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

韓愈97-#1《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1571> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6839

 

 
  2015年10月30日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈詩-韓愈97-#1

年:805年貞元21年 38歳

卷別:  卷三三八        文體:  七言古詩

詩題:  八月十五夜贈張功曹

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

作地點:        郴州(江南西道 / 郴州 / 郴州)

及地點:        洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭   

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山   

交遊人物/地點:

張署    當地交遊(江南西道 郴州 郴州)

 

 

八月十五夜贈張功曹 #1

(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21年2月20日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。

川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

下床畏蛇食畏藥,海氣溼蟄熏腥臊。

#3

昨者州前搥大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。

赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。

遷者追迴流者還,滌瑕蕩垢清朝班。

州家申名使家抑,坎軻祗得移荊蠻。

#4

判司卑官不堪說,未免捶楚塵埃間。

同時輩流多上道,天路幽險難追攀。

君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。

一年明月今宵多,人生由命非由他,有酒不飲奈明何?

 

 

(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

 

#2

君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。

洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。

十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。

 

#3

昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。

赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。

遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。

州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

 

#4

判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。

同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。

君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。

一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

 

 

『八月十五夜贈張功曹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八月十五夜贈張功曹 #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。

(下し文)
(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

(現代語訳)
(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21年2月20日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。


(訳注)

八月十五夜贈張功曹 #1

(805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。)

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命

於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21年2月20日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

 

「張功曹」は803年暮、3人流罪にされたうちの張署である。中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。
これら参軍の職を総称して判司と呼び、高級官庶の場合は身分を重んじて、流罪とか左遷、革職(官職剥奪)、あるいは自殺を賜わるなどの処罰はあるのだが、叩かれることはないが、官職といっても、罪があれば鞭や杖で叩かれるお仕置きを受けるていどのちいである。判司はいちおう高級官原の末席には連なるのだが、扱いは高級職と下級職との中間にあるということであった。張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのである。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地に向かへという命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものであったのだろうか、朝廷が混乱していただけなのかよくわかっていないが、宦官は儒者とは全く相いれないからどんなに些細な事でも、邪魔をするので、事務処理の邪魔をされたのかもしれない。

 

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
○纖雲 細い糸の雲。筋雲。

○四卷 糸巻きのように四方の空を巻く。

○天無河 銀河さえ見えない。


沙平水息聲影絕,一杯相屬君當歌。
川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

韓愈96《 巻三12東方半明【東方未明】》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1570> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6834

韓愈  方半明【東方未明】

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

殘月暉暉,太白睒睒。雞三號,更五點。

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

韓愈96《 巻三12東方半明【東方未明】》  韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1570> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6834

 

 
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韓愈詩-韓愈96

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三八              文體:    雜言古詩

詩題:    東方半明【東方未明】

作地點:              目前尚無資料

 

 

方半明【東方未明】

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

殘月暉暉,太白睒睒。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

雞三號,更五點。

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

(方 半ば明かなり【東方 未だ明らかならず】)

東方 半ば明かにして 大星 沒し,獨り太白の殘月に配する有り。

嗟あ 爾じ 殘月 相い疑う勿れ,光を同じうし影を共にして須臾を期す。

殘月暉暉たり,太白睒睒たり。

雞 三號し,更 五點す。

 

『方半明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

方半明【東方未明】

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

殘月暉暉,太白睒睒。

雞三號,更五點。
方半明【東方未明】(含異文):        東方半明大星沒【東方未明大星沒】,獨有太白配殘月。嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。殘月暉暉,太白睒睒。雞三號,更五點。


(下し文)
(方 半ば明かなり【東方 未だ明らかならず】)

東方 半ば明かにして 大星 沒し,獨り太白の殘月に配する有り。

嗟あ 爾じ 殘月 相い疑う勿れ,光を同じうし影を共にして須臾を期す。

殘月暉暉たり,太白睒睒たり。

雞 三號し,更 五點す。

(現代語訳)
(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。


(訳注)

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

 

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

東方半明大星沒、太白配殘月 金星は明け方と夕方にのみ観測でき、太陽、月についで明るく見える星であることから、明け方に見えるのが「明けの明星」、夕方に見えるのが「宵の明星」という。・太白星とは金星の異称である。「金星」の名は中国では太白とも呼び、戦国時代 に起こった五行思想とかかわりがある。それによると「金剋木であり、金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。」ということで、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られているのである。また、仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされるというのも、釈迦伝説、五行思想の影響ということである。韓愈は、明確な理由もわからず陽山に貶められたことから、朝廷内における不運不遇から、明けの明星が、月に吸収されるということで、明るい兆しが見えてきたのではないかとこの二句でそれを表現する。

 

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

爾 太白星、金星を言う。

殘月 夜が明けて,なお空に残っている月。有明(ありあけ)の月。月の20日頃の月。

 

殘月暉暉,太白睒睒。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

暉暉 日光が照り輝くさま。

太白睒睒 金星が光り輝く。

 

雞三號,更五點。

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

雞・三、更・五 鶏は持っている声の最高の声で鳴き、夜の暗黒はここで終わる。

「三五夜」の略。十五夜。特に八月十五夜。十五歳。三は心星、五と星がまばらなこと。ちらばってあること。三々五々。

韓愈95《 巻三07龍移》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1569> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6829韓愈詩-韓愈95

韓愈  龍移  

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

〔この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。〕

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

韓愈95《 巻三07龍移》  韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1569> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6829韓愈詩-韓愈95

 

 
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韓愈詩-韓愈95

年:       永貞元年

寫作時間:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    龍移

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

作地點:              目前尚無資料

 

 

龍移

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)
〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

〔この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。〕

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

(龍 移る)

〔自註:此の詩は南山の湫を謂うなり。湫は初め平地に在り,一日 風雷,移って山上に居る,其の山下の湫は遂に化して土と為り,長安の人 今に至って、之れを乾湫と謂う。〕

天は昏く 地は黑くして 蛟龍移る,雷は驚き 電は激して 雄雌 隨う。

清泉 百丈 化して土と為る,魚鱉 枯死し 吁 悲しむ可し。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『龍移』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

龍移

【自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。】

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

(下し文)
(龍 移る)

〔自註:此の詩は南山の湫を謂うなり。湫は初め平地に在り,一日 風雷,移って山上に居る,其の山下の湫は遂に化して土と為り,長安の人 今に至って、之れを乾湫と謂う。〕

天は昏く 地は黑くして 蛟龍移る,雷は驚き 電は激して 雄雌 隨う。

清泉 百丈 化して土と為る,魚鱉 枯死し 吁 悲しむ可し。

(現代語訳)
(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

〔この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。〕

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。


(訳注)

龍移

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

 

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。

 

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

雷驚電激 漢 班固 《西都賦》: “六師發逐, 百獸駭殫, 震震爚爚, 雷奔電激。”

 

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

韓愈94-#11《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #11 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1568> Ⅱ#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6824

韓愈  岳陽樓別竇司直#11

庶從今日後,粗識得與喪。事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

乞い願わくば、今日から後は、いくらか人事の得失をも知り、世渡りを考えねばということを認識したのである。ということで、人間は有るきっかけがあった時の万事について、これまでの嗜好を改め、そして新しい好尚をもってみることである、そうすれば趣きというものがあり、新しい行く手が開けるものと思う。これからは『荘子』にあるように、地道に十畝ぐらいの畑を耕し、万乗の君に仕える宰相の位はだけを求めていくという了見はなげうって棄ててしまおうと思う。我妻は、養蚕と機織りすることぐらいはできるし、幼い子どもも大きくなったら畑まで食事を運んで来られるまでには成長するだろう。だから、そのうちに私は衣冠を返上して、田畑に引きこもるつもりだから、君と此処に別れるのであるが、時々手紙でも寄せて、私が生きているか死んだものかというぐらいは、訪ねてもらいたいものである。

韓愈94-#11《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #11 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1568> Ⅱ#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6824

 

 
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韓愈94-#10《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #10 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1567> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6819

韓愈  岳陽樓別竇司直#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

韓愈94-#10《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #10 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1567> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6819

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#10

唐時代 韓愈関連05#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

 

#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないということで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

生還真可喜,尅己自懲創。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

 

#11

庶從今日後,粗識得與喪。

事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。

細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。

事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。

誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。

細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。

行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。

 

douteikoshoko297 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

(下し文)
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

(現代語訳)
#10

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。


(訳注) #10

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないということで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

○苦駑緩 困ったことに何事にのろまな性質

○懼 また欺かれるかもしれない。

○失宜當 前の量刑が不当なもので、だまし討ちであったことが影響するかもしれない。

 

追思南渡時,魚腹甘所葬。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

○時南渡 五嶺山脈を越えて南に流罪として行く。

○魚腹 なすがまま。死んでもいいたとえ。

○甘所葬 死に場所は選ばぬどこでもいい。

 

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

○迫風帆 挙げた帆風が迫ってくる。

○劈箭 矢のように早く迫ること。

○入高浪 乗っている小舟が高波の中に入っていくこと。

 

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

○顛沈 船が転覆するということ

○在須臾 寸刻の間に。

○忠鯁 真心があって剛直なこと。

 

生還真可喜,尅己自懲創。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

○尅己 己を克服する。反省してみる。

○自懲創 自分に懲罰をし、作り変えることから、心を入れ替える。自分を枉げてみて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである

韓愈94-#9《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #9 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1566> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6814

韓愈  岳陽樓別竇司直  #9

前年出官由,此禍最無妄。公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。新恩移府庭,逼側廁諸將。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。

韓愈94-#9《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #9 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1566> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6814

 

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#9

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

 

#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

 

#11

庶從今日後,粗識得與喪。

事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。

細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。

事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。

誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。

細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。

行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。

 

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

前年出官由,此禍最無妄。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

(下し文)
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

(現代語訳)
#9

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。


(訳注) #9

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

○出官由 地方官として出された原因。

○最無妄 とりわけていわれのないもの、「無妄の禍」。

 

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

○虛名 韓愈の散文、五言詩について評価が高かった。謙遜語。

 

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

○姦猜 いかがわしい猜疑心。

○彈射 弾劾されること。狙い撃ちされること。

○欺誑 欺きたぶらかす。だます。

 

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。

○新恩 私は御恩をかけていただ

○移府庭 新帝の即位とともに

○逼側 腰をかがめながら

○廁諸將 役所の将校たちの間にまじることになった。それを心配する。

韓愈94-#8《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #8 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1565> Ⅱ#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6809

韓愈  岳陽樓別竇司直#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。愛才不擇行,觸事得讒謗。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

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韓愈詩-韓愈94-#8

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

 

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

 douteikoshoko297

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

(下し文)
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

(現代語訳)
#8

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。


(訳注) #8

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

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歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

○婉孌 年が若く美しい。親しみ愛する。親切であること。

 

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

○干 説き伏せる。遊説する。

○霸王 1 覇者と王者。覇道と王道。2 武力で諸侯を統御して天下を治める者。『礼記』「義與信,和與仁,霸王之器也。」(義と信、和と仁は覇王の器である)

 

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

○屠龍 龍を屠殺するために千金の財産を費やしたが、せっかく身に着けてもそれは全く役立たないというもの。屠龍之技。荘子『列禦寇』「朱泙漫學屠龍於支離益,殫千金之家,三年技成,而無所用其巧。」(朱泙漫 屠龍を於支離益に學び,千金之家を殫らし,三年にして技成る,而れども其の巧を用うる所無し。)とある。

 

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

○才 才能。

○擇行 素行に気をつけようとしないこと。

○讒謗 何かにつけて悪口を言われる。讒言による陰謀に貶められる。

韓愈94-#7《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1564> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804

韓愈  岳陽樓別竇司直#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

韓愈94-#7《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1564> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#7

韓愈94-#7《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1564> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804韓愈詩-韓愈94-#7

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

 

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

(下し文)
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

(現代語訳)
#7

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。


(訳注) #7

 

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

○竄逐歸 流罪にあって帰りみち。

○得無恙 心配ないことを確認し得た。

 

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

○開筵 宴席を設ける。晉書『車胤傳』「謝安游之日、輒開筵待之。」

○履舃 くつ。履は一枚底。舃は二枚底。

○爛漫 花が咲き乱れるさま。水があふれているさま。

 

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

○高柱 高貴な瑟琴のすばらしい演奏。

 

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

○橙栗 だいだいと栗。

○投擲 

○脯醬 味噌漬の肉

 

 

 

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

韓愈94-#6《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1563> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6799

韓愈  岳陽樓別竇司直#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。前臨指近岸,側坐眇難望。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。主人孩童舊,握手乍忻悵。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

韓愈94-#6《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #6 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1563> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6799

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#6

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

 

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履舃【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

前臨指近岸,側坐眇難望。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

主人孩童舊,握手乍忻悵。


(下し文)


(現代語訳)
#6

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。


(訳注)

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

○冬之孟 冬の初めの陰暦十月。

○隙竅 冷たい風が細く吹き。

○縮寒漲 水かさも落ちていること。

 

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

○側坐 座ったまま首を伸ばした。

○眇難望 向こう岸ははるばるとして望みにくい。

 

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

○滌濯 この風景に洗われている。

○神魂醒 魂は夢から醒める。

○幽懷 ただ一人思い悩む。

○舒以暢 物思いも晴れる。

 

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

○主人 竇司直は竇庠という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

韓愈94-#5《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1562> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6794

韓愈  岳陽樓別竇司直#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。飛廉戢其威,清晏息纖纊。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

韓愈94-#5《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #5 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1562> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6794

 

 
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李白333 巻二25-《上雲樂》(金天之西,) 333Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(14) <李白333> Ⅰ李白詩1646 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6778  
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韓愈詩-韓愈94-#5

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

前臨指近岸,側坐眇難望。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

douteikoshoko297 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

(下し文)
#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

(現代語訳)
#5

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。


(訳注) #5

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

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【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

○輝煥 朝日の光明。

○朝日亮 朝日が爽朗であること。

 

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

○飛廉 中国の想像上の動物で、頭は雀に似て角があり、胴体は鹿に似ていて豹文があり、尾は蛇に似るというもの。 ここでは昨夕の荒れた洞庭湖を考慮し、風の神の名。風伯。

○纖纊 細い糸くず。

○清晏 清く静かなること。

 

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

○泓澄 水が深くて澄んでいるようす。

○湛凝綠 静かに緑色をたたえているようす。

○巧相況 くらべあうこと。

 

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

○江豚 スナメリ。長江に棲む川イルカ。

○蕩瀁 ただようさま。揺れ動く。なみまかせのさま。瀁は漾とおなじで古字。浩漾もおなじ。李白、『惜餘春賦』「水蕩瀁兮碧色、蘭葳兮紅芳。」(水 蕩漾として碧色なり、蘭葳として紅芳あり。)

韓愈94-#4《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1561> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6789

韓愈  岳陽樓別竇司直#4  

朝過宜春口,極北缺堤障。夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。
洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

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  2015年10月20日 の紀頌之5つのBlog  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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韓愈詩-韓愈94-#4

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

(下し文)
#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

(現代語訳)
#4

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

douteiko02
(訳注) #4

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

韓愈 陽山00 

朝過宜春口,極北缺隄障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

○朝過 朝がた船で出発したとき

○宜春口 袁州の宜春の入り口、港。まだ洞庭湖まで100km、宜春から漉水を下り、次に潭州で湘江に合流、まだ洞庭湖には入っていない。

○極北 洞庭湖の北には岳陽がある。

○缺隄障 高い障害物がないこと。雨季にはほとんど水没する湿地帯であることをいうのであろうし、風よけがないから、突風がふきはじめた時に避難ができないことをいう。

 

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

○夜纜 やっと、夜になる。

○巴陵 現在の岳陽市の中心部になる。洲 中洲

○叢芮 むらがって生えている小さな芽生えた芽。

○纔可傍 ようやく舟が寄せられる程度であった。

 

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

○星河 夜空に見える天の川

○涵泳 天の川のなかに浮かんで輝き

○俯仰 下を向いたり上を向いたりする

○迷下上 天と地を見ちがえるほどである。

 

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

○餘瀾 この詩#2で「聲音一何宏,轟輵車萬兩。」(声音 一に何ぞ宏いなる、轟輵として車万両。)と起した余波。

○喧聒 さわがしい、かまびすしい、やかましい

○甕盎 つぼとかめ。

韓愈94-#3《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1560> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6784

韓愈  岳陽樓別竇司直  #3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

韓愈94-#3《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1560> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6784

 

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#3

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

 

douteiko02 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

(下し文)
#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍簴【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌踼【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

韓愈 陽山00
(現代語訳)
#3

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。


(訳注) #3

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

○帝軒轅 黃帝、三皇の最後、または五帝の始めに必ず名前のあがる人物で、一般に中華民族の祖とされている。 特に道家思想では、道家の論者を「黄老の徒」と呼んだように、理想の君主とされる。『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となり、天我契合の聖境に達しようとするにいたった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描いている。

《荘子、天運篇》“北門成、問.黄帝.曰「帝張二咸池楽於洞庭野.」”(北門成り、問う.黄帝.曰く「帝 咸池の楽を洞庭の野に張る.)洞庭湖は乾期である冬場には湘江の流域以外皆乾いて野原となるので、「野」といった。

○張樂 天を弦にした音楽を演奏している。

○空曠 天空の隅々までの広大なこと。

 

蛟螭露筍簴,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

○蛟螭 蛟と螭のどちらも種類の違う「みずち」である。蛟は蛟であるが大魚、角のない竜。 螭は山の中の「みずち」、猛獣の名。

○筍簴 楽器を掛ける道具の台。ここではそれが水面に現わす。

 

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌踼足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

○鬼神 天の神がなでる音楽のわざ。

○節奏頗跌踼 節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないものだ。

 

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

○陽施 陽に響くときは、万物が調和するということ。『淮南子・天文篇』「吐気者施、含気者化、是故陽施陰化。」(吐気は施、含気は化、是れ故に施は陽で化は陰。)施;ほどこす。手前の物を向こうへ押しやる。のびる(ノブ)。のばす。うつる。長くのびる。また、のびてうつっていく。「是れ故に施は陽で化は陰」とは、陰陽分類とは、どんなことについて陰と陽に分けたかというテーマ性が必要で、それによって陰と陽に分けたものの性質と、それ同士の関係性を明確化するわけである。この場合は天があって地があることで生じる環境変化を、反応のために作用を施す陽と、受けた施しから変化と言うかたちで反応する陰とに分類して、次の気象の発生で説明をしている。

○誇麗 美しい。『荀子,富国』「非ず特以て為す淫泰誇麗之聲。」(特だに以て淫泰誇麗之聲を為すのみに非ず。)

○陰閉 陰の声をなすときには、人心を傷ましめる。

○悽愴 凄惨、悲愴。凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせる。

韓愈94-#2《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1559> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6779

 

韓愈  岳陽樓別竇司直  #2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。軒然大波起,宇宙隘而妨。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。聲音一何宏,轟輵車萬兩。
もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。そのぶつかり合う音、流れ込む音、なんとすさまじく大きい音は 萬輌の車が一つに集まって馳せだしたかと思うほどであり、轟わたるのである。

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韓愈詩-韓愈94-#2

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

(下し文)
#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟輵【ごうかつ】として車万両。

(現代語訳)
#2

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

そのぶつかり合う音、流れ込む音、なんとすさまじく大きい音は 萬輌の車が一つに集まって馳せだしたかと思うほどであり、轟わたるのである。


(訳注)

#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

○炎風 東北の風。八風の一つ。融風。熱風。

○日搜攪 日ごとに湖のおもてを騒がせ

○幽怪 底に住む怪物

○多冗長 長々しいものが多い。

 

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

○軒然 声高らかに笑うこと。

 

巍峩拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

○巍峩 山の高くそびえるさま。三山五嶽之一,華山!巍峩壯觀,美麗景山分享!

○拔嵩華 嵩山、崋山を凌ぐ。五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)

○騰踔 飛び上がる。飛び越える。

○較健壯 その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

そのぶつかり合う音、流れ込む音、なんとすさまじく大きい音は 萬輌の車が一つに集まって馳せだしたかと思うほどであり、轟わたるのである。

○聲音 流れ込む音、波の音

○一何宏 一つに集まって何とおおきなことになる。

○轟輵 車の音が轟音として轟渉。

○車萬兩 萬輌の車

韓愈94-#1《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1558> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6774

韓愈  岳陽樓別竇司直#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。南匯群崖水,北注何奔放。

瀦為七百里,吞納各殊狀。自古澄不清,環混無歸向。

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。
韓愈94-#1《 巻二15岳陽樓別竇司直【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1558> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6774

 

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#1

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

岳陽樓別竇司直#1

洞庭九州間,厥大誰與讓。

南匯群崖水,北注何奔放。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

自古澄不清,環混無歸向。

#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

蛟螭露筍虡,縞練吹組帳。

鬼神非人世,節奏頗跌踼。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

江豚時出戲,驚波忽蕩漾。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

前臨指近岸,側坐眇難望。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履舄,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

念昔始讀書,志欲千霸王。

屠龍破千金,為藝亦云亢。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

#9

前年出官由,此禍最無妄。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,剋己自懲創。

#11

庶從今日後,粗識得與喪。

事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。

細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

岳陽樓別竇司直#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

南匯群崖水,北注何奔放。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

自古澄不清,環混無歸向。

(下し文)
(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。

(現代語訳)
(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。


(訳注)

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

○岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

○竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

○洞庭 長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。洞庭湖に流入する河川は、湖南省四大河川といわれる湘江・資江・沅江(げんこう)・澧水(れいすい)で、瀟水(しょうすい)も湘江と永州市(長沙市の近郊)で合流している。海を航行できる程の規模の船でも、長江から洞庭湖・湘江と経由して長沙にたどり着くことができる。

○九州 天下ということ。戦国諸子の一人、陰陽家の代表者である鄒衍の言葉「九州の外に更に九州有り。」(「史記」の孟子筍卿列伝に見える)を引いている。陰陽家の考えでは、文明世界は赤県神州つまり中国を中心とした九つの州に分たれ、それを海がとりまいている。その外側にまた九つの州があり、更にその外部を大嵐海(大海)がとりまいているとされる。

○厥大 その。それ。その大きさは。

○誰與讓 誰に譲るということはない。

 

南匯羣崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

○匯 水が廻り集まる。

○羣崖水 群がるように集まり、他と和合しない水の流れ。

○北注 北に向かって注ぎ込む。

○何奔放 流れる勢いのなんとすさまじいことか。

 

瀦爲七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

○瀦 みずたまり。ぬま。たまる。

○七百里 403km、1里は576m

○吞納 川水を飲みこむ。

○各殊狀 それぞれに姿が異なる。

 

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

○澄不清 澄ませても澄まない

○環混 めぐってまざる。

○無歸向 帰着する所もわからない。

韓愈93-#6《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1557> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6769

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍  #6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

あなたこそはやがて興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方、中央政府の大官になられるべきお方と嘱望されているのである。毎日の公務に一部の隙もなく行うため、杜侍御をだいこうさせられた、これは書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。幕府経営の常侍の仕事に少しの暇も作らぬ誠心誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し、示しをつけられたことと厳しさを感じたところである。私のような才力愚劣、身分いやしきものが、いつまでも旅路の途中、愚図愚図と逗留していることについて恥いる次第、ああ、歳月荏苒としてむなしく過ごし、何一つできないこの身を嘆かわしく思うのである。もとよ、わたしは平生、感慨多く、特にこの地の絶境に宿したから、ここに柔翰を把って、興に任せ、下らぬことを書き綴ったわけである。そして、夜も更け、暁近くになり、高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてきて、輾転の間にも夢は結ばれず、残り燈火は睒睒と青くゆらいで枕頭を照らしているのである。

韓愈93-#6《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #6 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1557> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6769

 

 
  2015年10月16日 の紀頌之5つのBlog  
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李白330#2 巻二11-《飛龍引,二首之二》 330#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(12) <李白330#2> Ⅰ李白詩1644 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6768  
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805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

 

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくった。

805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。

 

韓愈詩-韓愈93-#6

年:805年永貞元年38歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍【案:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

陜縣 (都畿道 陜州 陜縣)   

交遊人物/地點:杜侍御      當地交遊(江南西道 潭州 潭州)

楊憑          書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

【本詩は6分割で掲載】

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

長沙千里平,勝地猶在險。

長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

山樓黑無月,漁火燦星點。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

 

#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。

 

#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す

#5

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

屈原が水に投じて死んだ汨羅の地にも遠からず、賈誼が文帝のご機嫌を損なったのも、わたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだが、だがわたしの場合、誰が腸を痛めるほどの悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、千古同感、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

そこで早く都の方に帰りたいと思うが、天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、その上、欠点ばかりをほじくって攻撃したり、いわれのない指摘をされ、それでこの苦しみをしているのである。

珥貂藩維重,政化類分陝。

今、揚常侍は、貂尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠にし、一地方の観察使として、その聲威、すこぶる重く、そして、政化の行き届いたことは、昔、周の周公と召公が陜州を界として、国政を分担されたようなものである。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

楊公は、賢を禮して、非常に優待せられ、己を奉ずることは、きびしい質素倹約を課し、、傲慢奢靡のところが全くないのである。

#5

誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。

翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。

貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。

賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。

#6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。

あなたこそはやがて興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方、中央政府の大官になられるべきお方と嘱望されているのである。毎日の公務に一部の隙もなく行うため、杜侍御をだいこうさせられた、これは書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

幕府経営の常侍の仕事に少しの暇も作らぬ誠心誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し、示しをつけられたことと厳しさを感じたところである。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。

私のような才力愚劣、身分いやしきものが、いつまでも旅路の途中、愚図愚図と逗留していることについて恥いる次第、ああ、歳月荏苒としてむなしく過ごし、何一つできないこの身を嘆かわしく思うのである。

平生每多感,柔翰遇頻染。

もとよ、わたしは平生、感慨多く、特にこの地の絶境に宿したから、ここに柔翰を把って、興に任せ、下らぬことを書き綴ったわけである。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

そして、夜も更け、暁近くになり、高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてきて、輾転の間にも夢は結ばれず、残り燈火は睒睒と青くゆらいで枕頭を照らしているのである。

 

#6

大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。

経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。

旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す

平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。

 

 

『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。

經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。

平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

(下し文)
#6

大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。

経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。

旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す

平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。

(現代語訳)
#6

あなたこそはやがて興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方、中央政府の大官になられるべきお方と嘱望されているのである。毎日の公務に一部の隙もなく行うため、杜侍御をだいこうさせられた、これは書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。

幕府経営の常侍の仕事に少しの暇も作らぬ誠心誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し、示しをつけられたことと厳しさを感じたところである。

私のような才力愚劣、身分いやしきものが、いつまでも旅路の途中、愚図愚図と逗留していることについて恥いる次第、ああ、歳月荏苒としてむなしく過ごし、何一つできないこの身を嘆かわしく思うのである。

もとよ、わたしは平生、感慨多く、特にこの地の絶境に宿したから、ここに柔翰を把って、興に任せ、下らぬことを書き綴ったわけである。

そして、夜も更け、暁近くになり、高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてきて、輾転の間にも夢は結ばれず、残り燈火は睒睒と青くゆらいで枕頭を照らしているのである。


(訳注)

 

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)

○杜侍御 楊常侍の幕府のもので、当初の予定では、楊常侍自身が案内するつもりであったが、だいやくとしてあんないさせたもの

○湘西兩寺 寺の本当の名は、湘西寺である。

○楊常侍 揚憑のことで官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。《合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》「中丞黜凶邪」韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724 と登場した、その中丞である。

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄りなどの詩をつくった。『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』、『岣嶁山』、『別盈上人』、『祝融峰』。さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』(杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず)をつくった。

 

大廈棟方隆,巨川楫行剡。

あなたこそはやがて興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方、中央政府の大官になられるべきお方と嘱望されているのである。毎日の公務に一部の隙もなく行うため、杜侍御をだいこうさせられた、これは書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。

・廈 廈:おおきな家。寄棟の家。中央政府の大官。

・巨川楫行剡 『書経』商書説命「若済巨川、用汝作舟楫。」(若し巨川を済らば、汝を用で舟楫と作さむ)殷の高宗が、夢に傅説を見、彼を得、彼のことを、巨川を渡るときの楫、日照りの時の霖雨に喩えた『書』説命上「若濟巨川、用汝作舟楫、若歳大旱、用汝作霖雨」とあり『易経』繋辞下伝に「蓋帝尭舜垂衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、刳木為舟、剡木作楫、舟楫之利、以済不通、致遠以利天下、蓋取諸渙」(木を刳【えぐ】りて舟と為し、木を剟【けず】りて楫と為し、舟楫の利、以て通せざるを済し、遠きを致して以て天下を刺す)とある。、「黄帝や尭舜が衣裳を垂れたまま、ことさらの作為も施さずに天下が無事に治まったのは、おそらく乾坤の卦(乾坤は天地、天地の変化は無為自然)から思いついたことであろう。また木を刳り抜いて舟をつくり、木を剡(けず)って楫をつくり、これら舟と楫の便利さによって、今まで通れなかった水上に人を渡し遠方にまで行きつけるようにして天下の人々を利したのは、おそらく渙の卦(坎下巽上、坎は水、巽は木、すなわち水上に浮かぶ木の象)から思いついたことであろう。つまり楊常侍が今や巨川をわたす舟の楫としての信頼をうけ政治家としての仕上げのけずりをうけている人だ、ということ。

 

經營誠少暇,遊宴固已歉。

幕府経営の常侍の仕事に少しの暇も作らぬ誠心誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し、示しをつけられたことと厳しさを感じたところである。

・遊宴固已歉 わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。・歉;(1) 凶作,不作歉年凶年.(2) すまないと思う気持ち,遺憾(い/かん)の意抱歉申し訳なく思う.歉疚 ]気がとがめる,良心がうずく.歉收 凶作に見舞われる

經營  

 

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。

私のような才力愚劣、身分いやしきものが、いつまでも旅路の途中、愚図愚図と逗留していることについて恥いる次第、ああ、歳月荏苒としてむなしく過ごし、何一つできないこの身を嘆かわしく思うのである。

・荏苒【じんぜん】なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。

 

平生每多感,柔翰遇頻染。

もとよ、わたしは平生、感慨多く、特にこの地の絶境に宿したから、ここに柔翰を把って、興に任せ、下らぬことを書き綴ったわけである。

・柔翰 墨をしっかりふくませた筆。

・頻染 しきりに書きつける。

 

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

そして、夜も更け、暁近くになり、高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてきて、輾転の間にも夢は結ばれず、残り燈火は睒睒と青くゆらいで枕頭を照らしているのである。

・曙燈青睒睒 睒睒はひかりかがやくさま。

・輾轉 寝返りをするのを覚えているくらい眠りが浅いことを言う。

韓愈93-#5《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1556> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6764

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍#5   

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。禮賢道何優,奉己事苦儉。

屈原が水に投じて死んだ汨羅の地にも遠からず、賈誼が文帝のご機嫌を損なったのも、わたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだが、だがわたしの場合、誰が腸を痛めるほどの悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、千古同感、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。そこで早く都の方に帰りたいと思うが、天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、その上、欠点ばかりをほじくって攻撃したり、いわれのない指摘をされ、それでこの苦しみをしているのである。今、揚常侍は、貂尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠にし、一地方の観察使として、その聲威、すこぶる重く、そして、政化の行き届いたことは、昔、周の周公と召公が陜州を界として、国政を分担されたようなものである。楊公は、賢を禮して、非常に優待せられ、己を奉ずることは、きびしい質素倹約を課し、、傲慢奢靡のところが全くないのである。

韓愈93-#5《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #5 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1556> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6764

 

 
  2015年10月15日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈詩-韓愈93-#5

年:805年永貞元年38歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍【案:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

陜縣 (都畿道 陜州 陜縣)   

交遊人物/地點:杜侍御      當地交遊(江南西道 潭州 潭州)

楊憑          書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

【本詩は6分割で掲載】

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

長沙千里平,勝地猶在險。

長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

山樓黑無月,漁火燦星點。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

 

#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。

 

#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す

#5

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

屈原が水に投じて死んだ汨羅の地にも遠からず、賈誼が文帝のご機嫌を損なったのも、わたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだが、だがわたしの場合、誰が腸を痛めるほどの悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、千古同感、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。

そこで早く都の方に帰りたいと思うが、天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、その上、欠点ばかりをほじくって攻撃したり、いわれのない指摘をされ、それでこの苦しみをしているのである。

今、揚常侍は、貂尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠にし、一地方の観察使として、その聲威、すこぶる重く、そして、政化の行き届いたことは、昔、周の周公と召公が陜州を界として、国政を分担されたようなものである。

楊公は、賢を禮して、非常に優待せられ、己を奉ずることは、きびしい質素倹約を課し、、傲慢奢靡のところが全くないのである。

#5

誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。

翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。

貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。

賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。

#6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

 

#6

大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。

経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。

旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す

平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。

韓愈 陽山00唐時代 韓愈関連05 

 

『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。

禮賢道何優,奉己事苦儉。

(下し文)
#5

誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。

翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。

貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。

賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。

(現代語訳)
#5

屈原が水に投じて死んだ汨羅の地にも遠からず、賈誼が文帝のご機嫌を損なったのも、わたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだが、だがわたしの場合、誰が腸を痛めるほどの悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、千古同感、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。

そこで早く都の方に帰りたいと思うが、天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、その上、欠点ばかりをほじくって攻撃したり、いわれのない指摘をされ、それでこの苦しみをしているのである。

今、揚常侍は、貂尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠にし、一地方の観察使として、その聲威、すこぶる重く、そして、政化の行き届いたことは、昔、周の周公と召公が陜州を界として、国政を分担されたようなものである。

楊公は、賢を禮して、非常に優待せられ、己を奉ずることは、きびしい質素倹約を課し、、傲慢奢靡のところが全くないのである。


(訳注)

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)

○杜侍御 楊常侍の幕府のもので、当初の予定では、楊常侍自身が案内するつもりであったが、だいやくとしてあんないさせたもの

○湘西兩寺 寺の本当の名は、湘西寺である。

○楊常侍 揚憑のことで官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。《合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》「中丞黜凶邪」韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724 と登場した、その中丞である。

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄りなどの詩をつくった。『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』、『岣嶁山』、『別盈上人』、『祝融峰』。さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』(杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず)をつくった。

 

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。

屈原が水に投じて死んだ汨羅の地にも遠からず、賈誼が文帝のご機嫌を損なったのも、わたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだが、だがわたしの場合、誰が腸を痛めるほどの悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、千古同感、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。

○誰令悲 屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。

 

翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

そこで早く都の方に帰りたいと思うが、天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、その上、欠点ばかりをほじくって攻撃したり、いわれのない指摘をされ、それでこの苦しみをしているのである。

○瑕玷 欠点。

 

珥貂藩維重,政化類分陝。

今、揚常侍は、貂尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠にし、一地方の観察使として、その聲威、すこぶる重く、そして、政化の行き届いたことは、昔、周の周公と召公が陜州を界として、国政を分担されたようなものである。

○珥貂 漢代に侍中・常侍の冠には、貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした。珥はさしはさむ。あるいは耳を飾る玉。揚常侍に対していいかけていることばだ。

○藩維 藩は王庭の藩屏、維は天下を維持すること。揚常侍は監察使だから諸侯にひとしい地位だ、とたたえているのだ。

○分陝 周の周公と召公は隣の地を境として天下の政治を二分して担当したことをいう。

 

禮賢道何優,奉己事苦儉。

楊公は、賢を禮して、非常に優待せられ、己を奉ずることは、きびしい質素倹約を課し、、傲慢奢靡のところが全くないのである。

韓愈93-#4《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1555> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6759

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍-#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。

韓愈93-#4《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #4 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1555> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6759

 

 
  2015年10月14日 の紀頌之5つのBlog  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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韓愈詩-韓愈93-#4

年:805年永貞元年38歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍【案:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

陜縣 (都畿道 陜州 陜縣)   

交遊人物/地點:杜侍御      當地交遊(江南西道 潭州 潭州)

楊憑          書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

【本詩は6分割で掲載】

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

長沙千里平,勝地猶在險。

長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

山樓黑無月,漁火燦星點。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

 

#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。

 

#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。

 

 

『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

(下し文)
#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。

(現代語訳)
やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。

山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚にお冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。

屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。


(訳注)

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)

○杜侍御 楊常侍の幕府のもので、当初の予定では、楊常侍自身が案内するつもりであったが、だいやくとしてあんないさせたもの

○湘西兩寺 寺の本当の名は、湘西寺である。

○楊常侍 揚憑のことで官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。《合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》「中丞黜凶邪」韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724 と登場した、その中丞である。

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄りなどの詩をつくった。『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』、『岣嶁山』、『別盈上人』、『祝融峰』。さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』(杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず)をつくった。

 

 

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。

やがて、夜が更けて、風の音が一段と厳しく騒がしく、杉や檜がひっきりなしにゆられて、擦れ合って声を添えているからである。

○磨颭 磨はすれる。颭は風が吹いて波立つ。立つ。山楼崇拝月からここまでの四旬は、山寺の夜を映してまことに美しい。

 

猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

山楼の上に寝ているので、その風と木々の音はまるで江海の中にあって波涛に漂うようであり、先ごろ洞庭湖で、転覆しかけた時のような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。

○猶疑在波濤 杉や槍の木立の波だち騒ぐ音を暗い部屋で聞いているといつの間にか、嵐ふく波涛の中に漂うているかと錯覚する。その錯覚がただちにかれを陽山左遷の回想へと駆りたて、洞庭湖上の苦しい体験に結びつくのだ。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

○怵惕 おそれて心が安らかでないさま。 

○夢成魘 夢の中でうなされる。

 

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

冷静に考えればここは屈原が身を沈めた汨羅の淵からも遠くはないところである、また、遠い昔の世、賈誼が文帝のご機嫌を損ねて左遷させられたのもここ長沙である。

○屈原沈 屈原は名は平、原はその字、号は霊均。戦国時代の楚の人。楚王の一族で、懐王に仕え、三閭大夫となり国政にたずさわって信任されたが、懐王の弟の令尹子蘭や大夫の子槭に妬まれ、王からも疎まれるようになった。懐王の子㐮王はかれを長抄に追放した。「離騒」はじめ楚辞の諸篇はかれの作である。長沙を放浪中、ついに汨羅の淵に投身自殺した。

○要誼茫 漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。

李白『行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183』参照。

○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照

贈劉司戸蕡  李商隠

哭劉蕡  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

寄令狐郎中 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 

杜司勲  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

哭劉司戸二首其二 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40

潭州 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41

 

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

屈原は、子蘭・子椒の二人に凄まじい妬みと怨みにより政権を追われ、賈誼は、周勃と灌嬰は共に讒言をかまえられ、左遷ということになったのである。

・椒蘭 親秦派の公子子蘭と懐王の首席大臣であった子椒のこと。秦は懐王に婚姻を結ぼうと持ちかけて秦に来るように申し入れた。屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまった。

王を捕らえられた楚では頃襄王を立てた。頃襄王の令尹(丞相)に屈原が嫌いぬいた子蘭がなったために、更に追われて江南へ左遷された。その後、秦により楚の首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望して、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。

また、王椒文(おうしゅくぶん)をさすともいえるが、前句から屈原についての記述と考えるべきであろう。805年正月徳宗が崩御、順宗が即位し、気に入られていた王叔文は王伾と組んで政権を握った。しかし、凄まじい妬みと怨みにより七月には政権を追われやがて八月憲宗の即位に伴い名がされ翌年には殺された。この王叔文の事件で韓愈は都に復帰できるのである。 

・蘭呉子蘭(ごしらん、生年不詳~200年)、名は不詳で子蘭は後漢朝の将軍。献帝が董承に曹操暗殺の密勅を出した際、董承に協力していた将軍。 しかし事が露見し、董承らと共に殺された。・妒忌 ねたむ,嫉妬する,

・絳灌 周勃と濯嬰。周勃(しゅう ぼつ、? - 紀元前169年)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将、政治家。子は世子の周勝之、条侯・周亜夫、平曲侯・周堅らがいる。爵位は絳侯。諡号は武侯。・灌嬰(かん えい、? - 紀元前176年)は、中国の秦・前漢時代の武将。 ・讒諂 讒言することと、こびへつらうこと。諂う【へつらう】相手の気に入るようにふるまう。機嫌をとる。おもねる。

韓愈93-#3《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1554> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6754

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍  #3  

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

韓愈93-#3《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1554> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6754

 

 
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韓愈93-#3《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1554> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6754  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-143杜甫 《卷九35遣愁》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-143 <1015> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6755  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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韓愈詩-韓愈93-#3

年:805年永貞元年38歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍【案:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

陜縣 (都畿道 陜州 陜縣)   

交遊人物/地點:杜侍御      當地交遊(江南西道 潭州 潭州)

楊憑          書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

【本詩は6分割で掲載】

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍

長沙千里平,勝地猶在險。況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。是時秋之殘,暑氣尚未斂。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。客堂喜空涼,華榻有清簟。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。

 

#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

#5

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。禮賢道何優,奉己事苦儉。

#6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

 

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。

#5

誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。

翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。

貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。

賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。

#6

大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。

経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。

旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す

平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。

 

 

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

長沙千里平,勝地猶在險。

長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

山樓黑無月,漁火燦星點。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

 

 

 

『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

山樓黑無月,漁火燦星點。

(下し文)
#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

(現代語訳)
#3

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。


(訳注)#3

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)

○杜侍御 楊常侍の幕府のもので、当初の予定では、楊常侍自身が案内するつもりであったが、だいやくとしてあんないさせたもの

○湘西兩寺 寺の本当の名は、湘西寺である。

○楊常侍 揚憑のことで官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。《合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》「中丞黜凶邪」韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724 と登場した、その中丞である。

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄りなどの詩をつくった。『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』、『岣嶁山』、『別盈上人』、『祝融峰』。さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』(杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず)をつくった。

 

 

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。

山中、渓谷、渓流でとれたもので、大したごちそうではないが、かおりゆかしいヨモギやセリの精進料理があり、清涼の果物には菱やミズブキの実が割いていれてあって、食をそそられる。

・澗疏 谷間でとれた蔬菜。・蒿芹 ヨモギとセリ。

・菱芡 ヒシとミズブキ。

 

伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

こういう場所は、わたしがずっと前から慕うところであって、今日、杜侍御に陪席してここに遊ぶことができたのは喜ばしい限りで、杜侍御が 気の利いた人でまた実に良い人でありがたい。

・陪賞 案内してくれる方がいること。お供して鑑賞させてもらう。

 

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。

程好い機転というのは、自分たちが長くいるとかえって窮屈だと、わたしを案内して寺に送り込むと、さっと車騎をそろえて帰って行った、それで、私一人残されても、盗賊の心配もないから、ひとりで過ごす宿の気楽さで門をしめずに過ごしたのである。

・幸逢車馬歸 わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せだ。相手が気をきかせてくれたことを感謝しているのだ。

 

山樓黑無月,漁火燦星點。

今夜は、宵闇、山楼台に登って漆黒のなかに沈んでいきなにもみえないが、下の方、渺渺とした湘江に臨むと、江中には、数点の漁火が星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。

 

韓愈93-#2《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1553> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6749

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍  #2

剖竹走泉源,開廊架崖广。是時秋之殘,暑氣尚未斂。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。客堂喜空涼,華榻有清簟。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

韓愈93-#2《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1553> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6749

 

 
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韓愈詩-韓愈93-#2

年:805年永貞元年38歲

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍【案:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

陜縣 (都畿道 陜州 陜縣)   

交遊人物/地點:杜侍御      當地交遊(江南西道 潭州 潭州)

楊憑          書信往來(江南西道 潭州 潭州)

 

【本詩は6分割で掲載】

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍

長沙千里平,勝地猶在險。況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。是時秋之殘,暑氣尚未斂。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。客堂喜空涼,華榻有清簟。

#3

澗蔬煮蒿芹,水果剝菱芡。伊餘夙所慕,陪賞亦雲忝。

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。

 

#4

夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。

靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。

#5

誰令悲生腸,坐使淚盈臉。翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。

珥貂藩維重,政化類分陝。禮賢道何優,奉己事苦儉。

#6

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。

輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。

 

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

#3

澗疏【かんそ】嵩芹【こうきん】を煮、水果【すいか】菱芡【りょうけん】を剥【さ】く。

伊【こ】れ余【わ】が夙【つと】に慕ふ所、陪賞【ばいしょう】亦た云【ここ】に忝【かたじけ】なし。

幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず

山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。

#4

夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。

猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。

静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。

#5

誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。

翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。

貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。

賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。

#6

大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。

経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。

旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す

平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。

展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。

 

 

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

長沙千里平,勝地猶在險。

長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。

況當江闊處,鬥起勢匪漸。

湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。

深林高玲瓏,青山上琬琰。

山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。

路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

(杜侍御に陪して湘西両寺に遊び独り宿って一首題あり。因って楊常侍に献ず。)#1

【自註:愈 陽山より北還し,潭を過るときに作る。楊常侍,嚴なり,時に湖南を觀察す。】長沙 千里 平かなれど、勝地【しょうち】は猶は険に在り。

況んや 江の闊【ひろ】き処に当たって、鬥起【とき】すること勢の漸【ぜん】に匪【あら】ざるをや。

深林 高くして 玲瓏【れいろう】たり、青山 上に 琬琰【えんえん】たり。

路 窮まって 台殿【だいでん】聞け、仏事【ぶつじ】 煥【かん】として且つ儼【げん】なり。

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

 

 

『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

剖竹走泉源,開廊架崖广。

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

客堂喜空涼,華榻有清簟。

 

(下し文)#1

#2

竹を剖【さ】いて泉源【せんげん】を走らせ、廊を開いて崖广【がいげん】に架く。

是の時 秋の残【おわり】なるも、暑気【しょき】尚 未だ斂【おさ】まらず。

羣行【ぐんこう】して後先【こうせん】を忘れ、朋に息【いこ】ふに拘檢【こうけん】を棄つ。

客堂【かくどう】に空涼【くうりょう】を喜び、華榻【かとう】に清簟【せいてん】有り。

 

(現代語訳)

#2

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

 

(訳注)

陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)

○杜侍御 楊常侍の幕府のもので、当初の予定では、楊常侍自身が案内するつもりであったが、だいやくとしてあんないさせたもの

○湘西兩寺 寺の本当の名は、湘西寺である。

○楊常侍 揚憑のことで官は左散騎常侍、湖南江西観察任であった。《合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》「中丞黜凶邪」韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724 と登場した、その中丞である。

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】

805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄りなどの詩をつくった。『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』、『岣嶁山』、『別盈上人』、『祝融峰』。さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』(杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず)をつくった。

 

剖竹走泉源,開廊架崖广。

それから、竹を剖いた懸樋は泉の水を走らせて清水を混混として運ぶ。そして、崖璧を削って作った長い廊下が開けて本堂のところまでつきでたようにかかっている。

○開廊架崖广 廻廊が開け延び、その先に崖に突き出たような家がある、というほどの意味である。山岳仏教の寺院、道教の寺観はほとんどそうである。雪舟の山水画に出てくる仏寺の姿に、この句を思わせるようなのがある。广は一方ががけのところに造られた家。

 

是時秋之殘,暑氣尚未斂。

時しも、すでに秋から冬への季節の変わり目のころ、長沙地方は熱帯に近いから、暑気はなお収まらない。

○秋之残 残はそこないやぶれてわずかにのこるという意味で、おわりに近いこと。秋の終わり。

○斂 暑さが収斂していくこと。

 

羣行忘後先,朋息棄拘檢。

そこで、儀式だって、その山に登るのは骨が折れるのであるが、案内をしてくれる杜侍御は脱略な人であるから、羣行して、前後の順序をくるわせても、案内者が後になっても構わず、休息もいっしょにするし、少しも禮法に頓着しないし、肌脱ぎしても咎めなかったのである。

○羣行忘後先 軍は群と同じ。むれ立ってゆき、主客、あとさきなどを忘れる。○朋恩棄拘検 いっしょに休んで、客は休んでも、主人は休んでほならないなどいった他人行儀なことはしない。

 

客堂喜空涼,華榻有清簟。

到着した寺には、客殿があってそれが特別に涼しい座敷、小ざっぱりした寝牀の上には、美しくすがすがしい簟が敷いてあるのだ。

○空涼 人気がなく掠しい。涼は俗字。・華榻 美しい長椅子。ベッドとして使用することもある。

○清簟 すがすがしい竹むしろ。韓愈は、でっぷりと肥えた人で、暑がりやの汗かきだった。少し親しい人だと、訪ねていった早々に、竹むしろと枕を出させて、ねそべった、というエピソードが残っている。『鄭羣贈簟 #1 Ⅱ韓退之(韓愈)詩307 紀頌之の漢詩ブログ998』

寺の客殿にはいって、まず華榻清簟をうたうところ、いかにもかれらしい。この時も、おそらく、杜侍御などほったらかしにして、大好きな簟にごろりと寝ころんだことだろうと思う。

韓愈93-#1《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1552> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6744

韓愈  陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍 #1

【自註:愈自陽山北還,過潭作。楊常侍,嚴也,時觀察湖南。】

長沙千里平,勝地猶在險。況當江闊處,鬥起勢匪漸。

深林高玲瓏,青山上琬琰。路窮臺殿辟,佛事煥且儼。

(この詩は杜侍とともに、湘西兩寺に遊び、独り宿して一首を作り、寺壁に題し、地方の長官である湖南観察使の楊憑にこの詩を寄せた。)#1

【韓愈は赴任地であった陽山を出発して北に向かい、潭州(長沙)を経由してこの詩を作る。楊常侍は廉訪使の楊馮中丞公のことで、厳格なる人である,時に湖南を觀察する役目があったので同行できなかった】長沙というところは、一望千里、大平原であるが、景勝の地はやはり険岨なところに存在するのである。湘江の流れの下流では洞庭湖に濯ぐあたりは広いところにあたって、一望千里になる所である。上流の景勝地では両岸に山が、北斗七星の形ように突然起こってそびえていて、がけがに立つ、急流があり、段々急になる形状ではない。山の上一帯は森林で、緑の絨毯上状で青くかすんだ山が、美女が横たわっているようにうねってながくつづいている。その深林の間に玉のように光りかがやく水の滝があざやかに高いところにある。そして、その間に、一条の路登って窮まったところにふいに楼台や大伽藍、仏殿がひらけている。その仏殿のかざりや設備は荘厳のきらめきと美しい、そこが湘西寺である。

韓愈93-#1《 巻二14陪杜侍御遊湘西兩寺,獨宿有題一首,因獻楊常侍》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1552> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6744

 

 
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韓愈 合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。願書巖上石,勿使泥塵涴。

君は、一方では、此度に淹滞して、無爲の中に閒曠なる景色を楽み、そして、一方では、自ら勤苦して、模範を示し、慵惰の者をば、はげましすすめられた。

そこへ我輩が、丁度、きかかったから、予のために、塵階を掃うてねんごろに迎接し、楽を命じて座上の衆賓を酔わせわしめ、まことに、大した歓迎ぶりであった。

ここに来たときは、新月から月が朔の部分がみえるころであったたが、今しも、秋の半、名月にはいささか間がある上弦の月を過ぎたあたりになる。

ずいぶんごちそうになったから、この亭の縁起より初めて、歴代の刺史の功績と今の君の功績を巌上の石面に書きつけようと思って、この詩を作ったのであるが、これを泥塵で汚さないように、やがてこれを鐫りつけて、いつまでも残るよう注意して保存してくれることを願ものである。

韓愈92-#6《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #6 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1551> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6739

 

 

 
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韓愈詩-韓愈92-#6

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】

【案:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

作地點:              衡州(江南西道 / 衡州 / 衡州)

及地點:合江亭 (江南西道 衡州 衡州) 別名:綠淨閣  

蒸水 (江南西道 衡州 衡陽) 別名:蒸池     

交遊人物/地點:鄒儒立      書信往來(江南西道 衡州 衡州)

 

 

合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】  #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

維昔經營初,邦君實王佐。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

翦林遷神祠,買地費家貨。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

#2

紅亭 湘江を枕にし,蒸水 其れを左にして會す。

瞰臨すれば 眇として空闊,綠淨 唾すべからず。

維れ昔 經營の初,邦君 實に王佐。

林を翦って 神祠を遷し,地を買うて家貨を費す。

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

老郎來何暮,高唱久乃和。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。

#3

梁棟 宏にして愛す可し,結構 麗にして過たるに匪らず。

伊の人 去って軒騰,茲の宇 遂に頹挫。

老郎 來たること何ぞ暮きに,高唱 久しく乃ち和す。

蘭を樹えて 九畹に盈ち,竹を栽えて 萬个に逾えたり。
#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

初如遺宦情,終乃最郡課。

かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

しかし、世論の声というのは決して、いつまでもつづくものではなく、この宇文炫も、亦た中央政府に召し還され、折角の文彩吏治、ともに過去の夢となり、これお囘憶すると、まことに、悲に堪へられぬ程である。


#4

長綆 滄浪を汲み,幽蹊 坎坷を下る。

波濤 夜 俯して聽き,雲樹 朝に對して臥す。

初めは 宦情を遺れたるが如く,終には乃ち郡課を最とす。

人聲 誠に幾も無く,事往 悲み 豈に奈せんや。

#5

蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。

かくて蕭條として物淋しい中に歳月を送り、契闊として久しい間を隔てて、刺史の役を継いだのは誰かというと、元澄といふ凡庸懦弱の詰らぬ一俗吏であった。

勝事誰復論,醜聲日已播。

そのため、折角の勝事も、最早、口にするものなく、刺史の悪評判のみが日に増し世間に伝播することとなったのである。

中丞黜凶邪,天子閔窮餓。

ここに、中丞の楊馮という御方は、観察使として、この地に着任してきて、こんな事では、とていけないと、元澄のごとき凶邪の者をしりぞけることにし、天子も亦た人民の窮餓をあわれんで、手職のある立派な刺史を派遣されることになされたのである。

君侯至之初,閭里自相賀。

その選定にあたって、はるばる下向したのが、今の雛君で、その来任を開いて、閭里皆互いに相賀した位である。

〔自註:前刺史元澄無政,廉使楊公中丞奏黜之,朝廷遂用鄒君。〕

前の刺史は元澄というもので、これはまつりごとを全くしなかった、廉訪使の楊馮中丞公が元澄の罷免を奏上し、この男を退けることに成功し、朝廷は、変わって雛君をこの地の刺史に命じたのである。

蕭條として 歲時綿【はるか】なり,契闊にして 庸懦【ようだ】を繼ぐ。

勝事 誰か復た論ぜん,醜聲 日に已に播す。

中丞 凶邪を黜【しりぞ】け,天子 窮餓を閔【あわれ】む。

君侯 至るの初,閭里 自ら相い賀す。
【自註:前の刺史 元澄は政無し,廉使楊公中丞奏して之を黜【しるぞ】け,朝廷 遂に鄒君を用う。】。

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。

君は、一方では、此度に淹滞して、無爲の中に閒曠なる景色を楽み、そして、一方では、自ら勤苦して、模範を示し、慵惰の者をば、はげましすすめられた。

そこへ我輩が、丁度、きかかったから、予のために、塵階を掃うてねんごろに迎接し、楽を命じて座上の衆賓を酔わせわしめ、まことに、大した歓迎ぶりであった。

ここに来たときは、新月から月が朔の部分がみえるころであったたが、今しも、秋の半、名月にはいささか間がある上弦の月を過ぎたあたりになる。

ずいぶんごちそうになったから、この亭の縁起より初めて、歴代の刺史の功績と今の君の功績を巌上の石面に書きつけようと思って、この詩を作ったのであるが、これを泥塵で汚さないように、やがてこれを鐫りつけて、いつまでも残るよう注意して保存してくれることを願ものである。

淹滯して 閒曠を樂み,勤苦して 慵惰を勸む。

餘の為に 塵階を掃い,樂を命じて 眾座を醉わしむ。

窮秋 平分を感じ,新月 半ば破れたるを憐む。

願わくば 巖上の石に書し,泥塵 涴さしむること勿れ。

 

 

『合江亭』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。


(下し文)
#6

淹滯して 閒曠を樂み,勤苦して 慵惰を勸む。

餘の為に 塵階を掃い,樂を命じて 眾座を醉わしむ。

窮秋 平分を感じ,新月 半ば破れたるを憐む。

願わくば 巖上の石に書し,泥塵 涴さしむること勿れ。


(現代語訳)
#6

君は、一方では、此度に淹滞して、無爲の中に閒曠なる景色を楽み、そして、一方では、自ら勤苦して、模範を示し、慵惰の者をば、はげましすすめられた。

そこへ我輩が、丁度、きかかったから、予のために、塵階を掃うてねんごろに迎接し、楽を命じて座上の衆賓を酔わせわしめ、まことに、大した歓迎ぶりであった。

ここに来たときは、新月から月が朔の部分がみえるころであったたが、今しも、秋の半、名月にはいささか間がある上弦の月を過ぎたあたりになる。

ずいぶんごちそうになったから、この亭の縁起より初めて、歴代の刺史の功績と今の君の功績を巌上の石面に書きつけようと思って、この詩を作ったのであるが、これを泥塵で汚さないように、やがてこれを鐫りつけて、いつまでも残るよう注意して保存してくれることを願ものである。


(訳注)  #6

合江亭 【題合江亭寄刺史鄒君】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭 古跡名。 元この地方の張翰であり、のちに宰相になった齊映がこれを建立した。そののち、宇文炫が改修したとされる。唐人は宴餞題詠の所と為した。水陸駅の要衝の地である。

鄒君 衡州の刺史であろうが、未詳の人物である。この雛君の前任者は元澄というもので、すこぶるよろしくないものであったとされる。

 

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

君は、一方では、此度に淹滞して、無爲の中に閒曠なる景色を楽み、そして、一方では、自ら勤苦して、模範を示し、慵惰の者をば、はげましすすめられた。

  1. 淹滯 無爲にして長く留まること。

 

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

そこへ我輩が、丁度、きかかったから、予のために、塵階を掃うてねんごろに迎接し、楽を命じて座上の衆賓を酔わせわしめ、まことに、大した歓迎ぶりであった。

 

窮秋感平分,新月憐半破。

ここに来たときは、新月から月が朔の部分がみえるころであったたが、今しも、秋の半、名月にはいささか間がある上弦の月を過ぎたあたりになる。

  1. 感平分 秋の中秋の名月が終わり晩秋の新月ごろから、しばらくして満月となるころ。ここでは、上弦の月(7日)を過ぎて10日ぐらいの月ということであろう。したがっていまだ、秋の最中である。これにより、韓愈はこの地で、1週間から10日くらいいたのである。

  2. 新月・半破 新月は1日から三日月まで欠けた部分が薄く見える朔は、きぼうをいみする。半破は上弦の月。

 

願書巖上石,勿使泥塵涴。

ずいぶんごちそうになったから、この亭の縁起より初めて、歴代の刺史の功績と今の君の功績を巌上の石面に書きつけようと思って、この詩を作ったのであるが、これを泥塵で汚さないように、やがてこれを鐫りつけて、いつまでも残るよう注意して保存してくれることを願ものである。

  1. 涴 汚す。

韓愈92-#4《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1549> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6729

韓愈  合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

初如遺宦情,終乃最郡課。人聲誠無幾,事往悲豈奈。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

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韓愈92-#4《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1549> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6729

韓愈  合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】#4

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かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

しかし、世論の声というのは決して、いつまでもつづくものではなく、この宇文炫も、亦た中央政府に召し還され、折角の文彩吏治、ともに過去の夢となり、これお囘憶すると、まことに、悲に堪へられぬ程である。

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韓愈92-#4《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1549> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6729  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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韓愈詩-韓愈92-#4

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】

【案:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

作地點:              衡州(江南西道 / 衡州 / 衡州)

及地點:合江亭 (江南西道 衡州 衡州) 別名:綠淨閣  

蒸水 (江南西道 衡州 衡陽) 別名:蒸池     

交遊人物/地點:鄒儒立      書信往來(江南西道 衡州 衡州)

 

 

合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】  #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

維昔經營初,邦君實王佐。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

翦林遷神祠,買地費家貨。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

#2

紅亭 湘江を枕にし,蒸水 其れを左にして會す。

瞰臨すれば 眇として空闊,綠淨 唾すべからず。

維れ昔 經營の初,邦君 實に王佐。

林を翦って 神祠を遷し,地を買うて家貨を費す。

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

老郎來何暮,高唱久乃和。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。

#3

梁棟 宏にして愛す可し,結構 麗にして過たるに匪らず。

伊の人 去って軒騰,茲の宇 遂に頹挫。

老郎 來たること何ぞ暮きに,高唱 久しく乃ち和す。

蘭を樹えて 九畹に盈ち,竹を栽えて 萬个に逾えたり。
#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

初如遺宦情,終乃最郡課。

かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

しかし、世論の声というのは決して、いつまでもつづくものではなく、この宇文炫も、亦た中央政府に召し還され、折角の文彩吏治、ともに過去の夢となり、これお囘憶すると、まことに、悲に堪へられぬ程である。


#4

長綆 滄浪を汲み,幽蹊 坎坷を下る。

波濤 夜 俯して聽き,雲樹 朝に對して臥す。

初めは 宦情を遺れたるが如く,終には乃ち郡課を最とす。

人聲 誠に幾も無く,事往 悲み 豈に奈せんや。
#5

蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。

勝事誰復論,醜聲日已播。

中丞黜凶邪,天子閔窮餓。

君侯至之初,閭里自相賀。

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。

 

 

『合江亭』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

初如遺宦情,終乃最郡課。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

(下し文)
#4

長綆 滄浪を汲み,幽蹊 坎坷を下る。

波濤 夜 俯して聽き,雲樹 朝に對して臥す。

初めは 宦情を遺れたるが如く,終には乃ち郡課を最とす。

人聲 誠に幾も無く,事往 悲み 豈に奈せんや。

(現代語訳)
#4

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

しかし、世論の声というのは決して、いつまでもつづくものではなく、この宇文炫も、亦た中央政府に召し還され、折角の文彩吏治、ともに過去の夢となり、これお囘憶すると、まことに、悲に堪へられぬ程である。


(訳注) #4

合江亭 【題合江亭寄刺史鄒君】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭 古跡名。 元この地方の張翰であり、のちに宰相になった齊映がこれを建立した。そののち、宇文炫が改修したとされる。唐人は宴餞題詠の所と為した。水陸駅の要衝の地である。

鄒君 衡州の刺史であろうが、未詳の人物である。この雛君の前任者は元澄というもので、すこぶるよろしくないものであったとされる。

 

 

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

巌岩のコツコツたる閒に細道を作って、そこを奥まった寂しいところに辿り下っていくと、長い井戸縄で、滄浪の水と見紛う清き水を汲み上げることが出来るようにした。

  1. 滄浪 楚辞、屈原、漁父の辞に「滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。」とあり、ここでは清い水の義に用いたのである。

  2. 幽蹊 

  3. 坎坷 炊珂石の相迫って塞がって昇る虎

 

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

かくて、宇文炫自身は、ここに住んで居て、夜は、俯して波涛の声の響くを聞き、朝は、向い合って、雲樹の團合しているのを寝ながら眺めておられた。

 

初如遺宦情,終乃最郡課。

これらのようにして、初めは、役人の政務を全く忘れているほどに、人から思はれていたが、治民の成績、すこぶる見るべきものがあり、地方吏員の良否を課考するとき、第一の最善であったというのを聞いては、誰しも、感服しないものはいなかった。

  1. 最郡課 最郡課郡課とに・地方郡塩の疫人の良否わ誤考する=と、最は尊い方り第ていふ弟。

 

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

しかし、世論の声というのは決して、いつまでもつづくものではなく、この宇文炫も、亦た中央政府に召し還され、折角の文彩吏治、ともに過去の夢となり、これお囘憶すると、まことに、悲に堪へられぬ程である。

韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724

韓愈  合江亭#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

老郎來何暮,高唱久乃和。樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。

韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724

 

 
  2015年10月7日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈92-#3《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1548> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6724  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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韓愈詩-韓愈92-#3

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】

【案:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

作地點:              衡州(江南西道 / 衡州 / 衡州)

及地點:合江亭 (江南西道 衡州 衡州) 別名:綠淨閣  

蒸水 (江南西道 衡州 衡陽) 別名:蒸池     

交遊人物/地點:鄒儒立      書信往來(江南西道 衡州 衡州)

 

 

合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】  #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

維昔經營初,邦君實王佐。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

翦林遷神祠,買地費家貨。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

#2

紅亭 湘江を枕にし,蒸水 其れを左にして會す。

瞰臨すれば 眇として空闊,綠淨 唾すべからず。

維れ昔 經營の初,邦君 實に王佐。

林を翦って 神祠を遷し,地を買うて家貨を費す。

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

老郎來何暮,高唱久乃和。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。

#3

梁棟 宏にして愛す可し,結構 麗にして過たるに匪らず。

伊の人 去って軒騰,茲の宇 遂に頹挫。

老郎 來たること何ぞ暮きに,高唱 久しく乃ち和す。

蘭を樹えて 九畹に盈ち,竹を栽えて 萬个に逾えたり。
#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

初如遺宦情,終乃最郡課。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

#5

蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。

勝事誰復論,醜聲日已播。

中丞黜凶邪,天子閔窮餓。

君侯至之初,閭里自相賀。

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。

 

 

『合江亭』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

老郎來何暮,高唱久乃和。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

(下し文)
#3

梁棟 宏にして愛す可し,結構 麗にして過たるに匪らず。

伊の人 去って軒騰,茲の宇 遂に頹挫。

老郎 來たること何ぞ暮きに,高唱 久しく乃ち和す。

蘭を樹えて 九畹に盈ち,竹を栽えて 萬个に逾えたり。

(現代語訳)
#3

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。


(訳注) #3

合江亭 【題合江亭寄刺史鄒君】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭 古跡名。 元この地方の張翰であり、のちに宰相になった齊映がこれを建立した。そののち、宇文炫が改修したとされる。唐人は宴餞題詠の所と為した。水陸駅の要衝の地である。

鄒君 衡州の刺史であろうが、未詳の人物である。この雛君の前任者は元澄というもので、すこぶるよろしくないものであったとされる。

 

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

されば、この地に梁棟したというのは、廣くして愛すべきところであったし、その結構は、いかにも麗わしいのであり、この合流点という場所を過ぎたところではというのではだめで、江山の景致に対して、まことにふさわしいようであった。

 

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

その齊映君は、もとより、辺鄙の地方官をもって終るような人でなかったから、やがて、都に召し還され、忽ち立身して、宰相の高位に上ったが、あとに残された此亭は、いつしか頽挫して、こわれて仕舞った。

  1. 伊人 この人。齊映君をいう。

  2. 軒騰 飛び上る、立身する。

 

老郎來何暮,高唱久乃和。

次に、老郎の宇文炫という人が刺史となって來任したが、その來方の遅かったのは、いささか遺憾で、たとえば、陽春白雪の高調も、久しうしてから、やっと和する人がでてきたようなものであった。

  1. 老郎 学究敗れ醸す。【案:宇文郎中炫又增其制。】

  2. 來何暮 後漢書廉范傳に「廉叔度、來何暮」とあるに本づく。

  3. 高唱 高尚な曲として李白《古風,五十九首之二十一》「郢客吟白雪,遺響飛青天。  徒勞歌此曲,舉世誰為傳。  試為巴人唱,和者乃數千。  吞聲何足道,歎息空淒然。 」 (郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。  )とある。

李太白―(21) 《李白詩全集 卷二十一(古近體詩五十八首) 》李白詩 973詩<李太白―(21)> Ⅰ李白詩1136 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4228

 

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

しかし、宇文炫が遅蒔ながらも来たからよかったので、やがて、蘭の如き香草を九畹に比すべき近達の閒地に種えつけ、又竹を移植すること萬竿の多きに及んでいったのである。

  1. 九畹 楚辞に「余既滋蘭之九畹兮,又樹蕙之百畝。」(余既に蘭を滋うること之れ九畹、又蕙を樹うること之れ百晦なり。)とあって、王逸の註に「十二畝を畹と爲す」とある。

  2. 萬个 史記貨殖傳に竹竿萬个とあって、古書には皆个の字を用いている。

韓愈92-#2《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1547> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6719

韓愈  合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

維昔經營初,邦君實王佐。翦林遷神祠,買地費家貨。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

韓愈92-#2《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1547> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6719

 

 
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韓愈詩-韓愈92-#2

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】

【案:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

作地點:              衡州(江南西道 / 衡州 / 衡州)

及地點:合江亭 (江南西道 衡州 衡州) 別名:綠淨閣  

蒸水 (江南西道 衡州 衡陽) 別名:蒸池     

交遊人物/地點:鄒儒立      書信往來(江南西道 衡州 衡州)

 

 

合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】  #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

維昔經營初,邦君實王佐。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

翦林遷神祠,買地費家貨。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

#2

紅亭 湘江を枕にし,蒸水 其れを左にして會す。

瞰臨すれば 眇として空闊,綠淨 唾すべからず。

維れ昔 經營の初,邦君 實に王佐。

林を翦って 神祠を遷し,地を買うて家貨を費す。

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

老郎來何暮,高唱久乃和。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

初如遺宦情,終乃最郡課。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

#5

蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。

勝事誰復論,醜聲日已播。

中丞黜凶邪,天子閔窮餓。

君侯至之初,閭里自相賀。

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。

 

詩文(含異文):     紅亭枕湘江,蒸水會其左。瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。維昔經營初,邦君實王佐【案:此亭,故相齊公映所作。】。翦林遷神祠,買地費家貨。梁棟宏可愛,結構麗匪過。伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。老郎來何暮,高唱久乃和【案:宇文郎中炫又增其制。】。樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。初如遺宦情,終乃最郡課。人聲誠無幾,事往悲豈奈【事往悲豈那】。蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。勝事誰復論,醜聲日已播。中丞黜凶邪,天子閔窮餓。君侯至之初,閭里自相賀【案:前刺史元澄無政,廉使楊公中丞奏黜之,朝廷遂用鄒君。】。淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。為餘掃塵階,命樂醉眾座。窮秋感平分,新月憐半破。願書巖上石,勿使泥塵涴。

 

 

『合江亭』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

維昔經營初,邦君實王佐。

翦林遷神祠,買地費家貨。

(下し文)
#2

紅亭 湘江を枕にし,蒸水 其れを左にして會す。

瞰臨すれば 眇として空闊,綠淨 唾すべからず。

維れ昔 經營の初,邦君 實に王佐。

林を翦って 神祠を遷し,地を買うて家貨を費す。


(現代語訳)
#2

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)


(訳注) #2

合江亭 【題合江亭寄刺史鄒君】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭 古跡名。 元この地方の張翰であり、のちに宰相になった齊映がこれを建立した。そののち、宇文炫が改修したとされる。唐人は宴餞題詠の所と為した。水陸駅の要衝の地である。

鄒君 衡州の刺史であろうが、未詳の人物である。この雛君の前任者は元澄というもので、すこぶるよろしくないものであったとされる。

 

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

合江亭の朱塗の建物は、湘江に臨んで峙ち、そして蒸水は其の左を流れて、湘江と合流する、 つまり、この亭は、蒸湘二水の合流、会点に當っている。

  1. 紅亭 赤色に塗った亭榭。

  2. 湘江,喜糾山水経に「湘水は、零焼蛤安螺陽誓よ品で、芸蒜讐西忘ぐるや、承赤、告雨より来↓て之言珪TLとみろ。そ‥で関東が衣川一室六一二拍水と合する主1上沼掛といひ、衛州去六=泥水に合すると与に、 謡といひ、衝州に棄て菜に写ると昌、蒜と云ふ。

  3. 蒸水 芸山勘か言霊といふ、水紆註∴「禁は、衡望安讐西、郡降懸界の邪芸州より出づ」とあり、璧義理志に「承陽は、承水の陽に氷り、讃んで薫の若し」とみろ。叉議水に、その水魚蒸すが如きが故に名づけたといふ=とである。

 

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

そこで、亭上から俯瞰すると、まことに渺然として、広々とした景色であり、殊に、二水は、緑色浄く澄み、唾をすることなどもってのほかと思う位である。

  1. 瞰臨 亭上から俯瞰してみること。

 

維昔經營初,邦君實王佐。

刺史の齊映が建立し、初めて、この亭を経営したのは、衡州地方長官の王佐という人で、天晴な才を具へた偉らい人物であった。

  1. 邦君 地方長官、 ・ここでは建立した齊映でスタートし、実質経営を軌道に乗せた王佐をいう。軌道に乗せたから、次の刺史、宇文言が改修するといううまい経営がなされたのである。

 

翦林遷神祠,買地費家貨。

当初の頃、このあたりは、林が茂って、鎮守の祠があつたが、その林木を切りはらって、祠をも外に遷したという、それから、自らの私財をすべて使い切って、かかる土地を買い、この亭の建設に成功することができたというのである。(初めが良いから、後三代にわたって刺史は良い経営をした。)

韓愈92-#1《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1546> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6714

韓愈  合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】 #1  

【自註:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

韓愈92-#1《 巻二13合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1546> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6714

 

 
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韓愈詩-韓愈92-#1

年:805年貞元21年 38歳

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】

【案:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

作地點:              衡州(江南西道 / 衡州 / 衡州)

及地點:合江亭 (江南西道 衡州 衡州) 別名:綠淨閣  

蒸水 (江南西道 衡州 衡陽) 別名:蒸池     

交遊人物/地點:鄒儒立      書信往來(江南西道 衡州 衡州)

 

 

合江亭【題合江亭寄刺史鄒君】  #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

#2

紅亭枕湘江,蒸水會其左。

瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。

維昔經營初,邦君實王佐。

翦林遷神祠,買地費家貨。

#3

梁棟宏可愛,結構麗匪過。

伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。

老郎來何暮,高唱久乃和。

樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。

#4

長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。

波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。

初如遺宦情,終乃最郡課。

人聲誠無幾,事往悲豈奈。

#5

蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。

勝事誰復論,醜聲日已播。

中丞黜凶邪,天子閔窮餓。

君侯至之初,閭里自相賀。

#6

淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。

為餘掃塵階,命樂醉眾座。

窮秋感平分,新月憐半破。

願書巖上石,勿使泥塵涴。

 

詩文(含異文):     紅亭枕湘江,蒸水會其左。瞰臨眇空闊,綠淨不可唾。維昔經營初,邦君實王佐【案:此亭,故相齊公映所作。】。翦林遷神祠,買地費家貨。梁棟宏可愛,結構麗匪過。伊人去軒騰,茲宇遂頹挫。老郎來何暮,高唱久乃和【案:宇文郎中炫又增其制。】。樹蘭盈九畹,栽竹逾萬个。長綆汲滄浪,幽蹊下坎坷。波濤夜俯聽,雲樹朝對臥。初如遺宦情,終乃最郡課。人聲誠無幾,事往悲豈奈【事往悲豈那】。蕭條綿歲時,契闊繼庸懦。勝事誰復論,醜聲日已播。中丞黜凶邪,天子閔窮餓。君侯至之初,閭里自相賀【案:前刺史元澄無政,廉使楊公中丞奏黜之,朝廷遂用鄒君。】。淹滯樂閒曠,勤苦勸慵惰。為餘掃塵階,命樂醉眾座。窮秋感平分,新月憐半破。願書巖上石,勿使泥塵涴。

韓愈 陽山00 

 

『合江亭』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

合江亭 #1

【題合江亭寄刺史鄒君】

【自註:亭在衡州負郭,今之石鼓頭,即其地也,地形特異,巋然崛起於二水之間,旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。愈自陽山量移江陵,道衡山作。】

(下し文)
(合江亭) #1

〔合江亭に題し、刺史鄒君に寄せる〕

【自註】亭は衡州の負郭に在る。

今、之れ石鼓頭,即ち其の地なり。

地形は特異なり,巋然として二水の間に於て崛起す。

旁らに朱陵洞有り,唐人 題刻し巖上に散滿す。

愈 陽山より江陵に量移するとき,衡山に道して作る。

(現代語訳)
合江亭 #1

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

【自註】

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。


(訳注) #1

合江亭 【題合江亭寄刺史鄒君】

(湘江と烝水の合流点にあった合江亭に題し、同時にここの刺史である雛君にこの詩を寄せる。)

合江亭 古跡名。 元この地方の張翰であり、のちに宰相になった齊映がこれを建立した。そののち、宇文炫が改修したとされる。唐人は宴餞題詠の所と為した。水陸駅の要衝の地である。

鄒君 衡州の刺史であろうが、未詳の人物である。この雛君の前任者は元澄というもので、すこぶるよろしくないものであったとされる。

 

【自註】亭在衡州負郭,

合江亭は衡州の湘江に烝水、末肥水、武水の合流するところにあり衡州の城郭を背にした城外にある。

・衡州/衡陽 湖南省南部の工業・交通都市。人口74万(1994)。湘江とその支流の耒水(らいすい)・蒸水が市内で合流し,京広(北京~広州)・湘桂(衡陽~友誼関)両鉄道が交わる。漢代に承陽県が置かれ,隋代に衡陽県と改められた。古来,湖南省南部における水陸一貫交通・物資集散の中心で,1943年衡陽県から分離して市となった。耒陽市のほか6県を管轄する。岩塩を原料とした化学工業など重化学工業が発達している。名勝に富み,四大書院の一つに数えられ,唐の李寛の創立にかかる石鼓書院のほか,合江亭,開雲楼をはじめ古跡も多い。

負郭 城壁を背にすること。城の外側。

 

今之石鼓頭,即其地也,

そこは今の石鼓頭の岩場のあるところである。

石鼓頭 石鼓書院 先秦時代の石刻品。太鼓の形をし,狩猟に関する文章が刻まれている。

 

地形特異,巋然崛起於二水之間,

地形は特別に変わっているところであり、湘江と烝水の川で掘り下げられ、それら河の間に高くそびえたっているのである。

巋然 高くそびえ立つさま。

 

旁有朱陵洞,唐人題刻散滿巖上。

そこの傍らには朱陵洞があり、それをまた、朱陵仙府といわれている、唐の人々はその巌壁に題刻し、あちこちに多く見られる。

朱陵洞 朱陵洞は石鼓山の東側の懸崖の下に在る,是れは道家の所谓る“洞天福地”であり、“朱陵仙府”と称されるのである。傳説は唐朝天宝年間のこと,個叫董が奉先するに道士有り、曾て洞内で丹砂を加熱して精錬したもの在り,因って仙洞の名を得了す。

 

愈自陽山量移江陵,道衡山作。

韓愈は陽山から江陵にするときの道中に衡山による際にこの詩を作ったものである。

量移 罪のために辺地に左遷されていた役人が、情状を酌量されて近い所に転任させられること。

江陵 古代荊州の中心地(江陵古城)。現在の荊州市荊州区に位置する。

衡山 道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。
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韓愈91-#10《 巻二12 縣齋有懷》 #10 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1545> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6709

韓愈  縣齋有懷#10

兒童稍長成,雀鼠得驅嚇。官租日輸納,村酒時邀迓。

閒愛老農愚,歸弄小女奼。如今便可爾,何用畢婚嫁。

子供たちもだんだん生長して大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。こうしてお上の租税は決められた日その日までにきちんと上納し、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけて、村人たちを待ちむかえ、共に、酒を進めあおうと思う。外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛すのであるが、家に帰ってからは娘どもが可愛くて仕方ないから、あやして楽しもうと思っている。今の今、じぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。それなのに、どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
韓愈91-#10《 巻二12 縣齋有懷》 #10 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1545> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6709

 

 
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韓愈91-#9《 巻二12 縣齋有懷》 #9 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1544> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6704韓愈詩-韓愈91-#9

韓愈  縣齋有懷#9

嗣皇新繼明,率土日流化。惟思滌瑕垢,長去事桑柘。

斸嵩開雲扃,壓潁抗風榭。禾麥種滿地,梨棗栽繞舍。

聞くところによれば、皇太子が新に即位して明徳を継承され、率土の濱までも、日日に教化を布き施されるという。そういうことで、ここに古い罪科を洗い落し、これより長く去って隠遁し、田園の中に養蚕でもして暮らしたいと思うし、左遷暮らしが続くなら、地方官僚を永久にしたくない。その場処は、どこが善いかといえば、穎水の流れで耳を洗って、嵩山を切り開いて、雲に倚る扉を開き、壓するばかりにして、風の吹き入る臺樹を築くことからする。そして、開墾した土地いっぱいに米や麦を耕作し、梨や棗を家の周囲に栽培するのである。

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韓愈  縣齋有懷#9

 

#8

氣象杳難測,聲音吁可怕。

かくの如く風土の変化は、沓然として測り難きが上に、耳に入る聲音は、聞きなれたものと異なり、まことに恐ろしい位である。

夷言聽未慣,越俗循猶乍。

夷の言葉は、聞いて未だ慣れるものではない、南国越地の風俗は、風俗にならおうとして一寸真似て見ても、取ってつけたようで、到底長くは績けることはできない。

指摘兩憎嫌,睢盱互猜訝。

おまけに、自分は、遠来のものであるから、よそ者扱いにされ、少しの事でも指摘され、互に恨み嫌うという状態で、ぎょろりと睨み合って、嫉み訝るという始末で、信頼関係はできるものではない。

祗緣恩未報,豈謂生足藉。

まことに、こんな辺鄙なところに居るのは、厭で堪まらないが、天恩未だ報いざるによって、しばらく此に留まるも、微官であるから、生活をこれに託することはむつかしい。

気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。

指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
#9

嗣皇新繼明,率土日流化。

聞くところによれば、皇太子が新に即位して明徳を継承され、率土の濱までも、日日に教化を布き施されるという。

惟思滌瑕垢,長去事桑柘。

そういうことで、ここに古い罪科を洗い落し、これより長く去って隠遁し、田園の中に養蚕でもして暮らしたいと思うし、左遷暮らしが続くなら、地方官僚を永久にしたくない。
斸嵩開雲扃,壓潁抗風榭。

その場処は、どこが善いかといえば、穎水の流れで耳を洗って、嵩山を切り開いて、雲に倚る扉を開き、壓するばかりにして、風の吹き入る臺樹を築くことからする。

禾麥種滿地,梨棗栽繞舍。

そして、開墾した土地いっぱいに米や麦を耕作し、梨や棗を家の周囲に栽培するのである。

#9

嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
#10

兒童稍長成,雀鼠得驅嚇。

官租日輸納,村酒時邀迓。

閒愛老農愚,歸弄小女奼。

如今便可爾,何用畢婚嫁。

児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。

 

汜水関などの地図 

『縣齋有懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

嗣皇新繼明,率土日流化。

惟思滌瑕垢,長去事桑柘。

斸嵩開雲扃,壓潁抗風榭。

禾麥種滿地,梨棗栽繞舍。

(下し文)
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。

惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。

嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。

禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。

(現代語訳)
#9

聞くところによれば、皇太子が新に即位して明徳を継承され、率土の濱までも、日日に教化を布き施されるという。

そういうことで、ここに古い罪科を洗い落し、これより長く去って隠遁し、田園の中に養蚕でもして暮らしたいと思うし、左遷暮らしが続くなら、地方官僚を永久にしたくない。
その場処は、どこが善いかといえば、穎水の流れで耳を洗って、嵩山を切り開いて、雲に倚る扉を開き、壓するばかりにして、風の吹き入る臺樹を築くことからする。

そして、開墾した土地いっぱいに米や麦を耕作し、梨や棗を家の周囲に栽培するのである。


洛陽 函谷関002
(訳注) #9

縣齋有懷 

(縣舎の書斎で思うところを整理して述べる。)

「縣斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原因となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。

 

【自註:陽山縣齋作,時貞元二十一年,順宗新即位。】

(韓愈が陽山の令であったときに、縣令の官舎書斎で作ったのである。805年貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。)

縣齋は縣令の官舎で、これは、韓愈が陽山の令たりし時に作ったのである。且つ篇中に「嗣皇新繼明,率土日流化。」とあるを見れば、貞元二十一年、順宗即位の事を傳聞したのである。「有懐」は、懐抱を述べるという意で、韓愈の希望は、遷謫を赦された彼、全然浮世の事を来て去って、嵩山穎水の間に歸隠したいと云うのである。

 

嗣皇新繼明、率土日流化。

聞くところによれば、皇太子が新に即位して明徳を継承され、率土の濱までも、日日に教化を布き施されるという。
○嗣皇 次の皇帝。

○新繼明 新たに聖明の徳を継承されること。

○率土 国のすみずみまで。


惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
そういうことで、ここに古い罪科を洗い落し、これより長く去って隠遁し、田園の中に養蚕でもして暮らしたいと思うし、左遷暮らしが続くなら、地方官僚を永久にしたくない。
○滌瑕垢 傷や垢をきれいに濯ぎたい。

○事桑柘 隠遁生活のこと、隠遁者は桑、麻、瓜、黍、などの表現が常套語。 


斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。

その場処は、どこが善いかといえば、穎水の流れで耳を洗って、嵩山を切り開いて、雲に倚る扉を開き、壓するばかりにして、風の吹き入る臺樹を築くことからする。

○雲扃 雲のかんぬき、戸口。

○頴 穎水。

○風榭 内室のないお堂、道場のような建物。榭は屋根のある台。

 

禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
そして、開墾した土地いっぱいに米や麦を耕作し、梨や棗を家の周囲に栽培するのである。

○禾麦 イネと麥。多くは細長い葉をもち、花は花弁がなく二枚の 苞 ( ほう ) でつつまれている。イネ・ムギ。アワなどの穀類や、ススキ・アシなど。 【禾】のぎ. イネ・ムギなどの実の外殻にある針状の突起。のげ。 「芒」とも書く。

○梨棗【りそう】なしとなつめ。杜甫『百憂集行』
憶年十五心尚孩、健如黄犢走復来。
庭前八月梨棗熟、一日上樹能千迴。
即今倐忽已五十、坐臥只多少行立。
強将笑語供主人、悲見生涯百憂集。
入門依旧四壁空、老妻覩我顔色同。
痴児未知父子礼、叫怒索飯啼門東。 

百憂集行 杜甫 五言古詩 成都5-(20)<469>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2310 杜甫詩1000-469-656/1500

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韓愈  縣齋有懷 #8

氣象杳難測,聲音吁可怕。夷言聽未慣,越俗循猶乍。

指摘兩憎嫌,睢盱互猜訝。祗緣恩未報,豈謂生足藉。

かくの如く風土の変化は、沓然として測り難きが上に、耳に入る聲音は、聞きなれたものと異なり、まことに恐ろしい位である。夷の言葉は、聞いて未だ慣れるものではない、南国越地の風俗は、風俗にならおうとして一寸真似て見ても、取ってつけたようで、到底長くは績けることはできない。おまけに、自分は、遠来のものであるから、よそ者扱いにされ、少しの事でも指摘され、互に恨み嫌うという状態で、ぎょろりと睨み合って、嫉み訝るという始末で、信頼関係はできるものではない。まことに、こんな辺鄙なところに居るのは、厭で堪まらないが、天恩未だ報いざるによって、しばらく此に留まるも、微官であるから、生活をこれに託することはむつかしい。

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韓愈  縣齋有懷 #7

投荒誠職分,領邑幸寬赦。湖波翻日車,嶺石坼天罅。

毒霧恆熏晝,炎風每燒夏。雷威固已加,颶勢仍相借。

萬里の天涯なる荒漠の地に向うのも、職分ならば致し方なく、まして、小邑でも領することのできたのは、寛大なる恩赦であるのかもしれないし、もつと、ひどい目に遇ったところで、何とも言うことはできないというものだ。

陽山に向う道すがら、洞庭湖の渺渺たる湖波は、太陽の光を閃かし、嶺頂の石は、中から裂けて、天空に裂け目を探るかのように自然に孔をなしている。

それから、いよいよ陽山に到着して見ると、瘴癘の毒霧は、常に自昼を燻べ、熱い風は、いつもながら夏を焦がすが如く強射する。

その上に雷鳴が甚しくして、その威は、いよいよ加わり、颶風が往々天地を占領して吹きめくることがある。

韓愈91-#7《 巻二12 縣齋有懷》 #7 韓愈(韓退之)  805年貞元21年 38歳<1542> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6694

 

 
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