中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2015年10月

韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844

韓愈  八月十五夜贈張功曹#2   

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。下床畏蛇食畏藥,海氣蟄熏腥臊。

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。
韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈97-#2《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1572> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6844  
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韓愈詩-韓愈97-#2

年:805年貞元21 38

卷別:  卷三三八        文體:  七言古詩

詩題:  八月十五夜贈張功曹

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

作地點:        郴州(江南西道 / 郴州 / 郴州)

及地點:        洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭   

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山   

交遊人物/地點:

張署    當地交遊(江南西道 郴州 郴州)

 

 

八月十五夜贈張功曹 #1

805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21220日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
沙平水息聲影一杯相屬君當歌。

川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

下床畏蛇食畏藥,海氣蟄熏腥臊。

その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。

#3

昨者州前搥大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。

赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。

遷者追迴流者還,滌瑕蕩垢清朝班。

州家申名使家抑,坎軻祗得移荊蠻。

#4

判司卑官不堪未免捶楚塵埃間。

同時輩流多上道,天路幽險難追攀。

君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。

一年明月今宵多,人生由命非由他,有酒不飲奈明何?

 

 

(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

 

#2

君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。

洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。

十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。

 

#3

昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。

赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。

遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。

州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

 

#4

判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。

同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。

君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。

一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

 

 

『八月十五夜贈張功曹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

下床畏蛇食畏藥,海氣蟄熏腥臊

(下し文)


(現代語訳)
#2

そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。

(訳注) #2

八月十五夜贈張功曹 #1

805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。)
張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのである。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地に向かへという命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものであったのだろうか、朝廷が混乱していただけなのかよくわかっていないが、宦官は儒者とは全く相いれないからどんなに些細な事でも、邪魔をするので、事務処理の邪魔をされたのかもしれない。

 

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。
そこで君は歌いだし、その歌はむせぶ様なきわめて酸楚、であり、その言辞は極めて悽苦、終わりまで聴いていることができずに涙が雨のように落ちる。
聲酸 辛い、痛ましい、むせぶ様な調べ。きわめて酸楚、

○辭且苦 その言辞は極めて悽苦。


洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。
君の歌の中で、“洞庭湖は天に続くかと思われるほどにひろがり、九疑の山は高く、湖水のなかに蛟龍が出没し、山中では猩々【しょうじょう】や鼯鼠【むささび】が鳴く。”といい。
○洞庭 洞庭湖。湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた

九疑 九疑山 湖南省寧遠縣の南六十支那里に在る山名、九峯竝び聳え、山形相似たるによりて名づく。


十生九死到官所,幽居默默如藏逃。―1
私は九死に一生を得るという困難を経て、やっと転任先、配所の郴州臨武に着いたが、もとより、僻地であるところから、ひっそりした生活しかできなくて毎日黙りこんで、逃げ隠れしているような具合、人に顔を見せなかった。

 

下牀畏蛇食畏藥,海氣濕蟄熏腥臊。
その上、其処は、瘴癘の地、寝台の下に毒蛇がひそんでいることがあったので心配し、食事には毒薬の入れてあるということもあったりして始終心配して、隠れ住んでいるように感じるのであった。おまけに、海から立ちのぼる気は湿気を帯びていて、なまぐさい臭いがあたりに漂って、とても耐えられなかった。
○下牀 寝台から降りる。

畏蛇 毒蛇の心配があること。

食畏藥 食事には毒薬の入っている恐れがある。

○海氣 海から立ちのぼる気

濕蟄 空気中の水分が多いこと、湿気を帯びていること。

熏腥臊 なまぐさい臭いがあたりに漂う。北回帰線付近の8月だから、まだ蒸しあつい日がある。

韓愈97-#1《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1571> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6839

八月十五夜贈張功曹 #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

沙平水息聲影一杯相屬君當歌。

805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21220日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

韓愈97-#1《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1571> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6839

 

 
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韓愈詩-韓愈97-#1

年:805年貞元21 38

卷別:  卷三三八        文體:  七言古詩

詩題:  八月十五夜贈張功曹

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

作地點:        郴州(江南西道 / 郴州 / 郴州)

及地點:        洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭   

九疑山 (江南西道 無第二級行政層級 九疑山) 別名:蒼梧山   

交遊人物/地點:

張署    當地交遊(江南西道 郴州 郴州)

 

 

八月十五夜贈張功曹 #1

805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21220日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
沙平水息聲影一杯相屬君當歌。

川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

#2

君歌聲酸辭且苦,不能聽終淚如雨。

洞庭連天九疑高,蛟龍出沒猩鼯號。

十生九死到官所,幽居默默如藏逃。

下床畏蛇食畏藥,海氣蟄熏腥臊。

#3

昨者州前搥大鼓,嗣皇繼聖登夔皋。

赦書一日行萬里,罪從大辟皆除死。

遷者追迴流者還,滌瑕蕩垢清朝班。

州家申名使家抑,坎軻祗得移荊蠻。

#4

判司卑官不堪未免捶楚塵埃間。

同時輩流多上道,天路幽險難追攀。

君歌且休聽我歌,我歌今與君殊科。

一年明月今宵多,人生由命非由他,有酒不飲奈明何?

 

 

(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

 

#2

君が歌は声酸【いた】み辞も且つ苦しく、終わるまで聴く能【あた】わずして涙雨の如し。

洞庭は天に連なり九疑【きゅうぎ】は高く、蛟竜【こうりゅう】出没して猩鼯【せいご】号【さけ】ぶ。

十生【じつせい】九死【きゅうし】 官所に到り、幽居黙黙として蔵逃せるが如し。

牀【しょう】を下れば蛇を畏れ食には薬を畏れ、海気濕蟄【しつちつ】して腥臊【せいそう】熏【くん】ず。

 

#3

昨者【さきごろ】州前【しゅうぜん】に大鼓を槌【う】ち、嗣皇【しこう】聖を継ぎて菱皐【きこう】を登【あ】ぐ。

赦書一日に万里を行き、罪の大辟【たへき】に従うは皆死を除かる。

遷者は追回し流者は還【かえ】し、瑕【きず】を滌【あら】い垢【あか】を蕩【そそ】いで朝【ちょう】 班【はん】を清む。

州家は名を申【の】べしも使家は抑え、坎軻【かんか】隻【ひとつ】荊蛮【けいばん】に移るを得しのみ。

 

#4

判司は卑官にして説【い】うに湛えず、未だ塵埃【じんあい】の間に捶楚【すいそ】せらるるを免れず。

同時の輩流 多く道に上るも、天路は幽険にして追攀【ついはん】し難し。

君が歌を且【しばら】く休【や】めて我が歌を聴け、我が歌は今君と科を殊【こと】にす。

一年の明月 今宵【こよい】多し、人生命【めい】に由る 他に由るに非ず、酒有れども飲まずんば明を奈何【いかん】せん

 

 

『八月十五夜贈張功曹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八月十五夜贈張功曹 #1

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命於郴,而作是詩。】

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。

沙平水息聲影,一杯相屬君當歌

(下し文)
(八月十五夜張功曹に贈る)#1

【自註:張功曹は,署なり。愈と署とは以て貞元二十一年二月二十日赦され南方より,俱に徙って江陵に掾たり,是れに至て郴に於いて命を俟つ,而して是の詩を作る。】

繊雲【せんうん】四【よ】もに巻いて天に河【か】無く、清風空を吹いて月は波を舒【の】ぶ。

沙は平らに水息【や】んで声影絶え、一盃【いっぱい】相属【しょく】す君当【まさ】に歌うべし。

(現代語訳)
805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。) #1

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21220日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。


(訳注)

八月十五夜贈張功曹 #1

805年、貞元二十一年八月十五夜、仲秋の夜、江陵功曹参軍事に新たに任じられた張署君に贈る。)

【案:張功曹,署也。愈與署以貞元二十一年二月二十日赦自南方,俱徙掾江陵,至是俟命

於郴,而作是詩。】

【張功曹は,張署のことである。韓愈と張署とは、805年貞元21220日大赦するというので南方陽山の地を出発し、ともに流された張署が郴州臨武で縣令をしていたところで、ともに江陵に量移される命令が出るまで待機するようにということで待っている間に張署との因縁、これからの構想を述べたものである。】

 

「張功曹」は803年暮、3人流罪にされたうちの張署である。中唐詩-266 答張十一功曹 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29正式には功曹参軍事という。人事を担当する職で、愈が任ぜられた法曹参軍とは同格であり、府庁の最末端に属する官僚である。
これら参軍の職を総称して判司と呼び、高級官庶の場合は身分を重んじて、流罪とか左遷、革職(官職剥奪)、あるいは自殺を賜わるなどの処罰はあるのだが、叩かれることはないが、官職といっても、罪があれば鞭や杖で叩かれるお仕置きを受けるていどのちいである。判司はいちおう高級官原の末席には連なるのだが、扱いは高級職と下級職との中間にあるということであった。張署は愈と同時に臨武県へ流されたのだが、臨武県は彬州に属する。やはり郴州で命令を待つうち、これも江陵府の、功曹参軍に任ずるという辞令を受けたのである。そして出発の日を待つうち、たまたま中秋の名月の日が来て、張署が愈の宿を訪れ、酒を酌みかわしたところから、この詩が作られた。良くわからない罪で流罪となっている韓愈には次の赴任地に向かへという命が出ないのである。急進改革派、宦官筋からの裏工作によるものであったのだろうか、朝廷が混乱していただけなのかよくわかっていないが、宦官は儒者とは全く相いれないからどんなに些細な事でも、邪魔をするので、事務処理の邪魔をされたのかもしれない。

 

纖雲四卷天無河,清風吹空月舒波。
宵のうちは、細い筋のような雲があったが、やがて四方の空に巻き散らされて跡形もなく消えた、天には天の川も見えず、すがすがしい風が空を吹きわたって、月は水面から上り、月影は波の上にのびている。
纖雲 細い糸の雲。筋雲。

四卷 糸巻きのように四方の空を巻く。

天無河 銀河さえ見えない。


沙平水息聲影,一杯相屬君當歌。
川岸の平砂、渺渺として、水の動きは見えず、さながら休んでいるのであろう、流れの音もなく、葉擦れ音もなく、物の影もない、ひっそりとした中、君と相対座して、一杯の酒を君に勧め、心の内を互いに歌を歌って、さらけだそうとしよう。

韓愈96《 巻三12東方半明【東方未明】》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1570> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6834

韓愈  方半明【東方未明】

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

殘月暉暉,太白睒睒。雞三號,更五點。

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

韓愈96《 巻三12東方半明【東方未明】》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1570> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6834

 

 
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韓愈詩-韓愈96

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三八              文體:    雜言古詩

詩題:    東方半明【東方未明】

作地點:              目前尚無資料

 

 

方半明【東方未明】

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

殘月暉暉,太白睒睒。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

雞三號,更五點。

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

(方 半ば明かなり【東方 未だ明らかならず】)

東方 半ば明かにして 大星 沒し,獨り太白の殘月に配する有り。

嗟あ 爾じ 殘月 相い疑う勿れ,光を同じうし影を共にして須臾を期す。

殘月暉暉たり,太白睒睒たり

雞 三號し,更 五點す。

 

『方半明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

方半明【東方未明】

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

殘月暉暉,太白睒睒

雞三號,更五點。
方半明【東方未明】(含異文)        東方半明大星沒【東方未明大星沒】,獨有太白配殘月。嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。殘月暉暉,太白睒睒。雞三號,更五點。


(下し文)
(方 半ば明かなり【東方 未だ明らかならず】)

東方 半ば明かにして 大星 沒し,獨り太白の殘月に配する有り。

嗟あ 爾じ 殘月 相い疑う勿れ,光を同じうし影を共にして須臾を期す。

殘月暉暉たり,太白睒睒たり

雞 三號し,更 五點す。

(現代語訳)
(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。


(訳注)

(罪にとわれ、陽山に謫貶され、不運続きであったが、夜明けの金星の見て、吉兆の兆しが見えた明るい希望をもって進もう)

 

東方半明大星沒,獨有太白配殘月。

東方の空はまさに明けようとして次第に明るくなると天上に燦然と瞬いていた大いなる星々は太陽に没してゆくけれど、太白星は一人、明けの明星として、名残の月に配して光っている。

東方半明大星沒、太白配殘月 金星は明け方と夕方にのみ観測でき、太陽、月についで明るく見える星であることから、明け方に見えるのが「明けの明星」、夕方に見えるのが「宵の明星」という。・太白星とは金星の異称である。「金星」の名は中国では太白とも呼び、戦国時代 に起こった五行思想とかかわりがある。それによると「金剋木であり、金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。」ということで、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られているのである。また、仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされるというのも、釈迦伝説、五行思想の影響ということである。韓愈は、明確な理由もわからず陽山に貶められたことから、朝廷内における不運不遇から、明けの明星が、月に吸収されるということで、明るい兆しが見えてきたのではないかとこの二句でそれを表現する。

 

嗟爾殘月勿相疑,同光共影須臾期。

その太白星は名残月に吸い込まれて今しも互いに一体化しようとしているのかと疑うものではないが、光を同じように放ち、影も共にし、そしてしばらくして一体化していった。

 太白星、金星を言う。

殘月 夜が明けて,なお空に残っている月。有明(ありあけ)の月。月の20日頃の月。

 

殘月暉暉,太白睒睒。

名残の月は照り輝いているし、太白星も光り輝いている。(吉兆の前触れである)

暉暉 日光が照り輝くさま。

太白睒睒 金星が光り輝く。

 

雞三號,更五點。

そうしているうち鶏が三聲高く鳴き、五更を告げる鐘が、カンとなったので、希望に満ちた一日の始まりである。

雞・三、更・五 鶏は持っている声の最高の声で鳴き、夜の暗黒はここで終わる。

「三五夜」の略。十五夜。特に八月十五夜。十五歳。三は心星、五と星がまばらなこと。ちらばってあること。三々五々。

韓愈95《 巻三07龍移》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1569> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6829韓愈詩-韓愈95

韓愈  龍移  

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

韓愈95《 巻三07龍移》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1569> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6829韓愈詩-韓愈95

 

 
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韓愈詩-韓愈95

年:       永貞元年

寫作時間:805年貞元21 38

卷別:    卷三三八              文體:    七言古詩

詩題:    龍移

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

作地點:              目前尚無資料

 

 

龍移

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)
〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。

昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

(龍 移る)

〔自註:此の詩は南山の湫を謂うなり。湫は初め平地に在り,一日 風雷,移って山上に居る,其の山下の湫は遂に化して土と為り,長安の人 今に至って、之れを乾湫と謂う。〕

天は昏く 地は黑くして 蛟龍移る,雷は驚き 電は激して 雄雌 隨う。

清泉 百丈 化して土と為る,魚鱉 枯死し 吁 悲しむ可し。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『龍移』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

龍移

【自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。】

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

(下し文)
(龍 移る)

〔自註:此の詩は南山の湫を謂うなり。湫は初め平地に在り,一日 風雷,移って山上に居る,其の山下の湫は遂に化して土と為り,長安の人 今に至って、之れを乾湫と謂う。〕

天は昏く 地は黑くして 蛟龍移る,雷は驚き 電は激して 雄雌 隨う。

清泉 百丈 化して土と為る,魚鱉 枯死し 吁 悲しむ可し。

(現代語訳)
(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。


(訳注)

龍移

(終南山の湫について述べる。この湫が龍とともに山上に移った珍事を伝聞したことを、柳宗元、劉禹錫の友人らのことに比したもの。)

 

〔自註:此詩謂南山湫也。湫初在平地,一日風雷,移居山上,其山下湫遂化為土,長安人至今謂之乾湫。〕

この詩は、終南山にある湫のことについていうものである。湫は、はじめ平地にあったが、一日ぶっ通しで風雨があり、山上に移居したというのは、その山の下にあった湫には土が堆積して土地に変化したのである、だから、長安の人々は、今に至るも、この土地をさして“乾湫”と名付けて呼んでいる。

 

天昏地黑蛟龍移,雷驚電激雄雌隨。

その日、天はにわかに掻き曇り、大地も黒く咫尺晦冥、どこもかしこも見分けがつかなくなり、その時、雷は驚き、電は激し、世にも恐ろしい声がして、蛟龍は、雌雄相随って、その居を山上に移してしまった。

雷驚電激 漢 班固 《西都賦》:六師發逐, 百獸駭殫, 震震爚爚, 雷奔電激。”

 

清泉百丈化為土,魚鱉枯死吁可悲。

そこで、今まで龍が棲んでいた百丈の清泉は、すっかり土で埋もれ、その中に棲んでいた魚鱉の類は、いずれも枯渇乾燥して死んでゆくという全く気の毒なことであった。

韓愈94-#11《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #11 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1568> Ⅱ#11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6824

韓愈  岳陽樓別竇司直#11

庶從今日後,粗識得與喪。事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

乞い願わくば、今日から後は、いくらか人事の得失をも知り、世渡りを考えねばということを認識したのである。ということで、人間は有るきっかけがあった時の万事について、これまでの嗜好を改め、そして新しい好尚をもってみることである、そうすれば趣きというものがあり、新しい行く手が開けるものと思う。これからは『荘子』にあるように、地道に十畝ぐらいの畑を耕し、万乗の君に仕える宰相の位はだけを求めていくという了見はなげうって棄ててしまおうと思う。我妻は、養蚕と機織りすることぐらいはできるし、幼い子どもも大きくなったら畑まで食事を運んで来られるまでには成長するだろう。だから、そのうちに私は衣冠を返上して、田畑に引きこもるつもりだから、君と此処に別れるのであるが、時々手紙でも寄せて、私が生きているか死んだものかというぐらいは、訪ねてもらいたいものである。

韓愈94-#11 巻二15岳陽樓別竇司直》 #11 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1568 #11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6824

 

 
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韓愈94-#10《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #10 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1567> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6819

韓愈  岳陽樓別竇司直#10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

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韓愈詩-韓愈94-#10

唐時代 韓愈関連05#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

 

10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないということで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

生還真可喜,尅己自懲創。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

 

11

庶從今日後,粗識得與喪。

事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。

細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。

事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。

誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。

細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。

行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。

 

douteikoshoko297 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

(下し文)
于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

(現代語訳)
10

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。


(訳注) 10

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

それに、薄ノロだといわれたり、困ったことに性格がのろまであるから、叱責され、仕事上の便宜を失って疎外されたり、量刑が当を得ないということで、そのまま当てられてそこに居続けされることになりはしないかと恐れるのである。

苦駑緩 困ったことに何事にのろまな性質

 また欺かれるかもしれない。

失宜當 前の量刑が不当なもので、だまし討ちであったことが影響するかもしれない。

 

追思南渡時,魚腹甘所葬。

それに、さきに陽山に赴いたときのことを思い返せば、行くときも此処を通過し、凄まじい大風浪で、あわや魚腹に入って葬られるところであった。

時南渡 五嶺山脈を越えて南に流罪として行く。

魚腹 なすがまま。死んでもいいたとえ。

甘所葬 死に場所は選ばぬどこでもいい。

 

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

しかも、厳格な日程があるところから、風帆を揚げて、矢を射るような勢いで高波の中を潜り入り、進行を強行したのである。

迫風帆 挙げた帆風が迫ってくる。

○劈箭 矢のように早く迫ること。

入高浪 乗っている小舟が高波の中に入っていくこと。

 

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

あぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

顛沈 船が転覆するということ

在須臾 寸刻の間に。

忠鯁 真心があって剛直なこと。

 

生還真可喜,尅己自懲創。

そこから不思議に難を逃れ、今日ここに又生きて帰ってこられたのは、ほんとうに喜ばしいことだが、反省してみて、これからは自分を枉げて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである。

尅己 己を克服する。反省してみる。

自懲創 自分に懲罰をし、作り変えることから、心を入れ替える。自分を枉げてみて、世事に懲りたように行ってみようと思っているのである

韓愈94-#9《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #9 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1566> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6814

韓愈  岳陽樓別竇司直  #9

前年出官由,此禍最無妄。公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。新恩移府庭,逼側廁諸將。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。

韓愈94-#9《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #9 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1566> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6814

 

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈94-#9《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #9 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1566> Ⅱ#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6814  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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韓愈詩-韓愈94-#9

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

 

10

于嗟苦駑緩,但懼失宜當。

追思南渡時,魚腹甘所葬。

嚴程迫風帆,劈箭入高浪。

顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。

生還真可喜,尅己自懲創。

于嗟【ああ】驚緩【どかん】を苦しみ、但だ宜当【ぎとう】を失わんことを懼【おそ】る。

追思す 南渡の時、魚腹 葬る所に甘んず。

厳程 風帆に迫り、劈箭 高浪に入る。

顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせん。

生還せるは真に喜ぶ可し、己れに剋【か】ちて自ら懲創【ちょうそう】す。

 

11

庶從今日後,粗識得與喪。

事多改前好,趣有獲新尚。

誓耕十畝田,不取萬乘相。

細君知蠶織,稚子已能餉。

行當掛其冠,生死君一訪。

庶【こいねが】わくは今日従り後、粗【ほ】ぼ得と喪とを識らん。

事多く前好を改め、趣【すなわ】ち新尚【しんしょう】を獲【う】る有り。

誓って十畝【じっぽ】の田を耕し、万乗の相を取らじ。

細君は蚕織【さんしょく】を知り、稚子【ちし】は已【すで】に能く餉【しょう】す。

行々当【まさ】に其の冠を掛くべし、生死 君一たび訪【と】え。

 

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

前年出官由,此禍最無妄。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

(下し文)
前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

新恩 府庭に移り、逼側【ひょくそく】として諸将に廁【まじ】わる。

(現代語訳)
#9

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。


(訳注) #9

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

 

前年出官由,此禍最無妄。

この問題は、前年、地方官として出された原因もそこにあったのだが、これは災難というものではなく、必然的に起こった、「無妄の禍」であった。

○出官由 地方官として出された原因。

○最無妄 とりわけていわれのないもの、「無妄の禍」。

 

公卿採虛名,擢拜識天仗。

その時自分は気が進まなかったが、公卿のあいだで虚名を溥し、詩文を評価されたということで抜擢されて天子のおそば近くに仕える身となったのである。

○虛名 韓愈の散文、五言詩について評価が高かった。謙遜語。

 

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

これを奸臣や宦官たちがいかがわしい猜疑心をもって弾劾され、無実の罪を言いかけられて、都から追放、南方に斥逐されたのである。

○姦猜 いかがわしい猜疑心。

○彈射 弾劾されること。狙い撃ちされること。

○欺誑 欺きたぶらかす。だます。

 

新恩移府庭,逼側廁諸將。

新帝の即位とともに私は天恩をかけていただき、陽山という小縣より、大府である江陵府に転任となったが、そこは軍人の組織している節度使の幕府であって自分は、迫られて諸将のあいだに交じることになったが、文弱な身で、武人に排斥されないかと心配している。

○新恩 私は御恩をかけていただ

○移府庭 新帝の即位とともに

○逼側 腰をかがめながら

○廁諸將 役所の将校たちの間にまじることになった。それを心配する。

韓愈94-#8《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #8 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1565> Ⅱ#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6809

韓愈  岳陽樓別竇司直#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。愛才不擇行,觸事得讒謗。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

韓愈94-#8《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #8 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1565> Ⅱ#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6809

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#8

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

 

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

#9

前年出官由,此禍最無妄。

公卿採虛名,擢拜識天仗。

姦猜畏彈射,斥逐恣欺誑。

新恩移府庭,逼側廁諸將。

前年 官を出でし由【よし】、此の禍【わざわい】最も無妄【むもう】なり。

公卿に虚名を採り、擢拝【てきはい】して天仗【てんじょう】を識る。

姦猜【かんさい】弾射【だんせき】を畏れ、斥逐【せきちく】欺誑【ぎきょう】を恣【ほしい】ままにす。

 douteikoshoko297

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

(下し文)
歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

(現代語訳)
#8

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。


(訳注) #8

岳陽樓別竇司直

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)

岳陽樓 湖南省岳陽の町の西南にある楼。ここからは洞庭湖の見晴らしがよく、名勝として知られており、昔から多くの文人墨客がこの楼に登って、作品を残している。

 彬州から江陵へと赴任する道は、現在の湖南省をほぼ縦断して行く。ここを北に向かって湘水(湘江)が流れていて、愈の一行はその流れを舟で下ったり、川ぞいの街道を行く陸路をとったりしたようだ。そして湘水が洞庭湖に流れこむところ、湖の南端から舟に乗り、これからは水路をとって、湖水を越え、長江を渡って、江陵へ行くつもりだったようである。

 王涯たち「三学士」に運動してもらって都へ召還されようとしたのだが、三人がはたして口をきいてくれたのか、きいてはくれたが効果がなかったのか、確実なことはわからないが、とにかく韓愈たちは都へ呼びもどしてはもらえなかった。呼びもどしてもらえぬ以上、江陵へ赴任するほかはない。彼らはここから江陵への道をとらざるを得なかったのである。

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派の差し金とするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、韓愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろう。したがって、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説が有力といわれている。

事実か否かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった韓愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蠻の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、苔や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

 

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。

竇庠 舊唐書「竇庠は字は冑卿、韓皐の武昌に鎮するや、幕車に辟し、大理司直に陟り、権りに岳州を領す」とある。

竇司直 「賓司直」は賓限という人。やはり詩人であるが、このときは韓皐という人の幕府に入り、岳州(州庁は岳陽にあった)刺史の事務取扱となっていた。司直は官名で、大理司直の略。検察事務を扱う職だが、節度使の幕下に勤務する場合は朝廷の官職の一つを肩書として授けられるのが常であり、実際の職務としては、節度使からもらった岳州剌史事務取扱のほうが優先するわけである。舟で洞庭湖を渡り、江陵へと赴こうとしていた愈を、詩中に言うように、岳陽にいた竇庠が宴席を設け、招いてくれた。前から知りあいの仲で、久しぶりに顔を合わせたのである。そこで心ゆくまで飲み、別れにあたって、この詩を贈ったのであった。

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歡窮悲心生,婉孌不能忘。

喜びと楽しさが極まるにつれて、物とは無しに悲しみの心が生じてきて、胸のなかに君の親切は、決して忘れることができないと思った。

○婉孌 年が若く美しい。親しみ愛する。親切であること。

 

念昔始讀書,志欲干霸王。

いま思えばその昔、学問をしはじめたころ、覇者王者に遊説し、あっぱれな人物となり、認められて片腕となって働こうという理想を抱いたものである。

○干 説き伏せる。遊説する。

○霸王 1 覇者と王者。覇道と王道。2 武力で諸侯を統御して天下を治める者。『礼記』「義與信,和與仁,霸王之器也。」(義と信、和と仁は覇王の器である)

 

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

その学んだ『荘子』に見える「屠龍之技」の故事のように、竜を屠るなどという無益のわざのために千金の財産を費やしたが、身につける技能としてはあまりにも特異に過ぎて、役立たない。

○屠龍 龍を屠殺するために千金の財産を費やしたが、せっかく身に着けてもそれは全く役立たないというもの。屠龍之技。荘子『列禦寇』「朱泙漫學屠龍於支離益,殫千金之家,三年技成,而無所用其巧。」(朱泙漫 屠龍を於支離益に學び,千金之家を殫らし,三年にして技成る,而れども其の巧を用うる所無し。)とある。

 

愛才不擇行,觸事得讒謗。

自分が朋友と交際するのに、その才能でもって選んで、その素行・行状でもって選ばなかったから、ことに触れて、先方の感情を害し、何かにつけて悪口を言われ、讒謗せられるということになってしまったのである。

○才 才能。

○擇行 素行に気をつけようとしないこと。

○讒謗 何かにつけて悪口を言われる。讒言による陰謀に貶められる。

韓愈94-#7《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1564> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804

韓愈  岳陽樓別竇司直#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

韓愈94-#7 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1564 #7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804

 

 
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韓愈詩-韓愈94-#7

韓愈94-#7《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #7 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1564> Ⅱ#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6804韓愈詩-韓愈94-#7

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三三七              文體:    五言古詩

詩題:    岳陽樓別竇司直

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

交遊人物/地點:竇庠          /當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

岳陽樓別竇司直#1

(岳陽樓で友人の竇限司直と別れの宴をした。)#1

【自註:竇庠時以武昌幕權岳州,愈移江陵法曹,道出岳陽樓作。】

【自註:竇庠という人は、この時武昌幕府と岳州を治めていた役人である。韓愈は、江陵法曹参軍に量移されるところであり、この人と岳陽楼で別れる際につくったものである。】

洞庭九州間,厥大誰與讓。

洞庭湖は天下を九州に分けられたこの世界のなかで、大きさは他のどこの何にものに劣らない湖水である。

南匯群崖水,北注何奔放。

蜀中羣崖の水は、その南側をめぐって集まり湖水になり、他と和合しない水の流れは下って北へ、長江に注流、その流れこむ勢いのなんとすさまじいことはもっとも至極なことである。

瀦為七百里,吞納各殊狀。

かくて水は集まって、洞庭湖の周囲は七百里の広さの湖となり、川水を飲みこむのだが、それぞれに姿が異なる。

自古澄不清,環混無歸向。

流入する河川の中にはずいぶん濁流の河川もあるので、この湖水は昔からいくら澄ませてもきよくならないし、混沌として帰着する所もわからないのである。

(岳陽楼にて竇司直と別る)#1

【自註:竇庠【とうしょう】時に武昌の幕を以って岳州に權たり,愈 江陵の法曹に移り,道出するに岳陽樓で作る。】

洞庭 九州の間、厥【そ】の大 誰にか譲らん。

南に群崖【ぐんがい】の水を匯【あつ】め、北に注ぐこと何ぞ奔放なる。

瀦【たた】えて七百里と為り、呑納【どんのう】各々状を殊【こと】にす。

古え自り澄ませども清【す】まず、環混として帰向無し。
#2

炎風日搜攪,幽怪多冗長。

もとより、暑い地方であるから、炎風が日々その湖面をかき乱し、底に住む怪物は役に立たない癖に長々としてたくさん棲んでいるのである。

軒然大波起,宇宙隘而妨。

このように大湖であるから、軒然として大浪が高く巻き起こり、そのために宇宙さえも狭くなって、つかえるかと思うほどであり、その上、これが邪魔だといわんばかりに大暴れするのである。

巍峨拔嵩華,騰踔較健壯。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

聲音一何宏,轟輵車萬兩。

嵩山、華山は巍峩壯觀,美麗景山であるが、洞庭湖の大波が飛び上がるとき、その波はこれらの山とその健壮をきそっているようである。

 

#2

炎風 日に捜攬【そうかく】し、幽怪 冗長多し。

軒然として大波起こり、宇宙 隘まりて妨【さまた】ぐ。

巍峩として嵩・華を抜き、騰踔【とうたく】して健壮を較ぶ。

声音 一に何ぞ宏【おお】いなる、轟【ごうかつ】として車万両。

#3

猶疑帝軒轅,張樂就空曠。

荘子で三皇五帝の黃帝、軒轅皇帝がこの天空の広さのなかで天を弦にした音楽を演奏したといわれているが、これはそのものだと疑われるほどのものである。

蛟螭露筍,縞練吹組帳。

それから水中底に住むみずちが楽器の台を水面に現わしそれに蟠っているのかと思うし、湖をわたる風にあがった波しぶきが、楽団をかこむ白絹の帳を張ったのが揺れ動くかのようである。

鬼神非人世,節奏頗跌

このように大きな響きは、天の神がかなでる音楽であり、到底人間の仕業ではなく、黃帝が奏でさせたのは太古のことである、跌足る大きな管弦楽器で、節章のリズムの取り方も奏でるメロディーも通常のものではないのである。

陽施見誇麗,陰閉感悽愴。

この管楽器を吹き鳴らす音律が、陽に響くときは、万物が調和して奇麗で誇らしく見え、これが、陰の声をなすときには、凄愴の極みであり、悲愁の秋を思わせ、人心を傷ましめ、それにより、それに応じて、景色が変わり、季節も変わってくるのである。

 

#3

猶 疑う帝軒轅【けんえん】の、楽【がく】を張りて空曠【くうこう】に就くかと。

蛟螭【こうち】 筍【じゅんきょ】を露わし、縞練【こうれん】 組帳【そちょう】を吹く。

鬼神 人世に非ず、節奏 頗【すこぶ】る跌【てっとう】。

陽施して誇麗を見【あら】わし、陰閉して悽愴【せいそう】に感ず。

#4

朝過宜春口,極北缺堤障。

洞庭湖はざっとこのような景色であるが、朝がた、宜春口から船で出発し、此処に到着したが、北進する間には、堤防もなく、風が起こったら、何もさえぎるものがないのでどうしようかとおもったのである。

夜纜巴陵洲,叢芮纔可傍。

夜になって巴陵の中洲に舟をつないだが、草がむらがって生えていて、小さな芽がいっぱいでようやく舟が寄せられることができた。

星河盡涵泳,俯仰迷下上。

そして夜空に見える天の川、すべて星は、その影を湖面に涵し、俯仰する間、空なのか水なのか、いずれも上下を分かちかねるばかりである。

餘瀾怒不已,喧聒鳴甕盎。

合流の川波の餘瀾は「轟輵車萬兩」とまだ怒りを静めず、まるで壺や甕の水が揺られて、ザブザブとを鳴らしているかのようにやかましく響いていた。

#4

朝【あした】に宜春【ぎしゅん】の口を過ぐれば、極北 堤障【ていしょう】を欠く。

夜 巴陵の洲に纜【つな】げば、叢芮 纔かに傍【そ】う可し。

星河 尽く涵泳し、俯仰【ふぎょう】下上【かじょう】に迷う。

余瀾【よらん】怒りて已【や】まず、喧聒【けんかつ】として甕盎【おうおう】を鳴らす。

#5

明登岳陽樓,輝煥朝日亮。

あくる日、夜が明けて岳陽楼に登ってみる、朝日がきらきらとかがやいて、明るくひろがって爽朗である。

飛廉戢其威,清晏息纖纊。

それは、飛廉という風の神はその威力をおさめられたのであろう、こうして静まりかえって、羅紗模様も、細い糸くずさえ動かない。

泓澄湛凝綠,物影巧相況。

湖水の表面はひろびろと静かに緑色をたたえ、みごとに万象、皆その影を写し出して、互いに比べあっている。

江豚時出戲,驚波忽蕩瀁。

その間に、江豚(イルカ)が時おり水面に出てたわむれると、今まで驚波がのたりのたりとして、ゆたかにあふれている景色なのである。

#5

明けて岳陽楼に登れば、輝煥として朝日【ちょうじつ】亮【あき】らかなり。

飛廉 其の威を戢【おさ】め、清晏にして纖纊【せんこう】息【や】む。

泓澄【こうちょう】として凝緑【ぎりょく】を湛【たた】え、物影 巧みに相況【たと】う。

江豚【こうとん】時に出で戯れ、驚波 忽ち蕩瀁【とうよう】す。

#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。

ちょうど時節は冬の初めの陰暦十月になってきた、風も冷たく、か細い音をたてて吹きぬけ、水かさも落ちてきたのが隙間から見える。

前臨指近岸,側坐眇難望。

したがって、身をまえに進み出て近くの岸を眺望すればよくみえるが、船奥に座ったまま首を伸ばして脇を見ると、渺として、向こう岸が望みにくい。

滌濯神魂醒,幽懷舒以暢。

この風景に洗われてわたくしの魂は豁然として夢から醒め、そして、ただ一人思い悩む胸のつかえも晴れることができた。

主人孩童舊,握手乍忻悵。

今日、此処に招いてくれた主人の竇庠公は子どものころからの昔なじみであって、久しぶりに会ったから、手を握りあって、一喜一憂、私の江陵への量移を喜んでくれた。

時に冬の孟【はじ】めに当たり、隙竅【げききょう】寒漲【かんちょう】を縮む。

前臨して近岸を指し、側坐するも眇として望み難し。

滌濯【できたく】して神魂醒め、幽懐 舒【の】べ以て暢【の】ぶ。

主人は孩童【がいどう】の旧、手を握って乍【たちま】ち忻悵【きんちょう】す。

 

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴な瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

 

憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

 

#8

歡窮悲心生,婉孌不能忘。

念昔始讀書,志欲干霸王。

屠龍破千金,爲藝亦云亢。

愛才不擇行,觸事得讒謗。

 

歓 窮まって 悲心生じ、婉孌【えんらん】として忘るる能わず。

念う昔 始めて読書せしとき、志 覇王に干【もと】めんと欲す。

竜を屠【ほふ】らんとして千金を破り、芸を為すこと亦 云【ここ】に亢【たか】し。

才を愛して行ないを択【えら】ばず、事に触れて讒謗【ざんぼう】を得たり。

 

 

 

『岳陽樓別竇司直』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

(下し文)
憐れむ 我が竄逐【ざんちく】せられて帰り、相見て恙【つつが】無きを得しことを。

筵を開きて履【りせき】を交え、爛漫【らんまん】として家醸【かじょう】を倒す。

盃行【はいめぐ】りて留停する無く、高柱 清唱を送る。

中盤 橙栗【とうりつ】を進め、投擲【とうてき】脯醬【ほしょう】を傾く。

(現代語訳)
#7

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。


(訳注) #7

 

憐我竄逐歸,相見得無恙。

私が陽山に竄逐され、恩赦によって、この地に帰り、こうしてお目にかかれて誠に毛皇なことだと喜んでくれたのである。

○竄逐歸 流罪にあって帰りみち。

○得無恙 心配ないことを確認し得た。

 

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

そこで酒宴をもよおしてくれて履舃を交絵、多くの人を合わせて招き寄せ、手作りの酒を傾け、心ゆくまで打ち興じたのである。

○開筵 宴席を設ける。晉書『車胤傳』「謝安游之日、輒開筵待之。」

○履舃 くつ。履は一枚底。舃は二枚底。

○爛漫 花が咲き乱れるさま。水があふれているさま。

 

杯行無留停,高柱送清唱。

しきりに杯を回し、停滞せず、何度もやりして留まらない、やがて、高貴なな瑟琴のすばらしい演奏に清らかな歌声で、宴席の興が添えられた。

○高柱 高貴な瑟琴のすばらしい演奏。

 

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

食卓の中央には土地の名物であるだいだいや栗などを盛り、それにつける味噌漬の脯醬の肉をありったけ並べてご馳走してくれたのである。

○橙栗 だいだいと栗。

○投擲 

○脯醬 味噌漬の肉

 

 

 

憐我竄逐歸,相見得無恙。

開筵交履舃,爛漫倒家釀。

杯行無留停,高柱送清唱。

中盤進橙栗,投擲傾脯醬。

韓愈94-#6《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1563> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6799

韓愈  岳陽樓別竇司直#6

時當冬之孟,隙竅縮寒漲。前臨指近岸,側坐眇難望。