漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2015年12月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139

韓愈  上兵部李侍郎書 3§2-

凡自唐虞以來,編簡所存,大之為河海,高之為山嶽,明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139


 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #3§2-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1631> Ⅱ#3§2-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7139  
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説

(本文) (3)§2-

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

 

(下し文)

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

 

(現代語訳)

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

(訳注) 

兵部李侍郎書 §2-2

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

 

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

28. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

 

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

 

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,無所告語,遂得究窮於經傳、史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,礱磨乎事業,而奮發乎文章。

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

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  孟郊 張籍          
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 韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

-3

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

-2 

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

-3

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

 

(下し文)

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

 

(現代語訳)

§2-1

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

 

(訳注

兵部李侍郎書§2-1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

 

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

10. 究窮 きわめる。研究する。

 

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

 

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1629> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7129韓愈詩-韓愈125

韓愈  上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:愈少鄙鈍,於時事都不通曉,家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1629> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7129韓愈詩-韓愈125

 

 
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韓愈は宮市の弊害を論じた意見書を上奏した。宮市とは、宮中で必要な物資を業者から買い入れることをいう。当然なことのようだが、これが購入担当の匡官たちの役得となった。彼らは宮中御用と言いたて、法外に安い価格で物資を買いあげてしまう。ほとんど掠奪といぇる場合さえあった。自居易の「新楽府」のうちの「売炭翁」は、このために泣かされた炭焼きの爺さんを描き出した。爺さんは炭を牛車に積み、苦労して長安の町まで売りに来るが、そこで宮市の使者につかまり、申しわけ程度の代価とひきかえに、炭を全部持って行かれてしまう。このように民衆を苦しめる宮市を廃止すべきだと韓愈が主張したのが、彼の流罪のほんとうの原因であったのである。

 

 

韓愈がもらった職は、江陵府の法曹参軍であった。府庁の中で司法事務を管掌する、末端の官僚である。榔州の刺史(州家)は愈の召還を奏請したのだが、その上官である湖南観察使(使家)が握りつぶし、不運にも(玖珂)やはり刑蛮の地である江陵(今の湖北省江陵。愈はこんなことを言っているが、陽山よりはもちろん都に近い大都会である)に移住を許されただけだというのである。

ここに一つの問題がある。当時の湖南観察使の楊漁は、柳宗元の妻の父であった。愈の陽山へ流されたのが王叔文一派のさしがねとするならば、彼らが順宗を擁して時めいている時期に、愈を簡単に召還するはずがない。幹部の柳宗元の義父ともなれば、その辺の事情は察していたであろうから、中央からの指令はなくとも、楊憑が勝手に奏請を握りつぶしたのだろうと、推測する説がある。事実か香かは確かめようもないが、「使家は抑へ」とうたった愈が、そこに気をまわしていた可能性は大きい。

任地は刑蛮の江陵、しかも法曹参軍という「卑官」である。官僚が罪を犯すことがあると、流罪とか左遷とかの処罰を受けるが、庶民とは違って、笞や杖で叩かれることはない。その身分を重んじ、屈辱的な刑は遠慮するのである。ところが法曹参軍など、「判司」と総称される役人には、それが適用されない。庶民と同様に、叩かれることもあった。

自分のかつての同僚たちは、たいがい出世コースを歩いている。こう言ったときの韓愈は、おそらく柳宗元や劉禹錫を思い浮べていたのであろう。朝廷への道(天路)は暗く険しく、彼らのあとを迫って登ることもできない。

彼はますます絶望的な気特になった。このころ、自戒の意味をこめて五つのいましめ、「五」(韓文一二)を書いたが、その序文には言う。

余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益

余、生れて三十有八年、髪の短き者は日ごとに益と白く、歯の揺らぐ者は日ごとに益々脱す。

聡明は前時に及ばず、道徳は日ごとに初心に負く。

そして五箴の一つである「游箴」(遊ぶことのいましめ)には、

余少之時,將求多能,蚤夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。

余、少き時、将に多能を求めんとし、蚤夜以て孜孜たり(朝晩努力していた)。

余、今の時、既に飽いて嬉しみ、蚤夜以て為すこと無し。

これらには、もとより現在のわが身への自嘲がこめられていよう。しかし、前途に希望を失ってしまっては、さすがの彼も、往年の壮気を呼びもどすすべがなかったように見える。

翌年は憲宗の元和元年(八〇六)である。愈は三十九歳の正月を江陵で迎えた。そして「春に感ず」と題する四首の詩(韓文三)を作ったが、その第三首には言う。

 感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
詩書漸欲
,節行久已惰。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
孤負平生心,已矣知何奈。

朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く
【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。

 

法曹参軍には供をする者もないので、朝、出勤するときは馬が一頭だけ。妻子もいないので、夜、寝るときはベッドが一つきり。学問(詩書)もだんだんと拗棄しかけてきた。正しい行為を守ろうとしたのも、とっくの昔におろそかとなっている。冠が傾いた。それで自分の髪が薄くなったのだと気づく。言葉を言い違えた。これも歯がぬけたためと、悲しい。今の自分は、平素の信念にそむいてしまった。しかし、もうしかたがない。これをどうしたらよいのだろう。

 

 

 

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

§2

性本好文學,因困厄悲愁,

無所告語,遂得究窮於經傳、

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

-2

凡自唐虞以來,編簡所存,

大之為河海,高之為山嶽,

明之為日月,幽之為鬼神,

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 


『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説

(本文)

上兵部李侍郎書§1

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

 

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韓愈124《 遺17潭州泊船呈諸公【案:見《遺集》。】》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1628> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7124

韓愈  潭州泊船呈諸公

夜寒眠半覺,鼓笛鬧嘈嘈。暗浪舂樓堞,驚風破竹篙。

主人看使範,客子讀《離騷》。聞道松醪賤,何須吝錯刀。

(郴州を出発し、潭州に停泊した時に諸公にこの詩を呈した)

春なお浅く、殊に水邊は夜寒くして、折角眠ったが、やがて半ば覚めかかった。すると、岸上には、鼓笛が嘈嘈として響いて鬧がしく、まさしく大官の御來駕と察せられる。その時、暗き浪は城楼の女牆に舂き、けたたましく吹いてきた風は、舟を繋いである竹棹を折りそうである。やがて、諸公が御出でになったが、主人たる刺史は、流石に師表とすべき風範を備えて、打ち見るからに、慕わしき人物である。われは、従来放逐の客子であるところから、離騒を誦して、感慨に堪へられない。聞けば、この地では、松花で醸した酒が名物で、価も廉いそうだから、銭金を吝まず、しこたま買い入れて、諸公と今夕痛飲をしようではないか。

韓愈124 17潭州泊船呈諸公【案:見《遺集》。】》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1628 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7124

 

 
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韓愈詩-韓愈124

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四五              文體:    五言律詩

詩題:    潭州泊船呈諸公【《遺集》。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州         

 

 

潭州泊船呈諸公

(郴州を出発し、潭州に停泊した時に諸公にこの詩を呈した)

夜寒眠半覺,鼓笛鬧嘈嘈。

春なお浅く、殊に水邊は夜寒くして、折角眠ったが、やがて半ば覚めかかった。すると、岸上には、鼓笛が嘈嘈として響いて鬧がしく、まさしく大官の御來駕と察せられる。

暗浪舂樓堞,驚風破竹篙。

その時、暗き浪は城楼の女牆に舂き、けたたましく吹いてきた風は、舟を繋いである竹棹を折りそうである。

主人看使範,客子讀《離騷》。

やがて、諸公が御出でになったが、主人たる刺史は、流石に師表とすべき風範を備えて、打ち見るからに、慕わしき人物である。われは、従来放逐の客子であるところから、離騒を誦して、感慨に堪へられない。

聞道松醪賤,何須吝錯刀。

聞けば、この地では、松花で醸した酒が名物で、価も廉いそうだから、銭金を吝まず、しこたま買い入れて、諸公と今夕痛飲をしようではないか。

(潭州にて船に泊し 諸公に呈す)

夜 寒くして 眠 半ば覺む,鼓笛 鬧がしくて嘈嘈。

暗浪 樓堞に舂【うず】き,驚風 竹篙を破る。

主人 使範を看,客子 《離騷》を讀む。

聞く道く 松醪【しょうりょう】賤しと,何ぞ錯刀を吝【おし】むを須【もち】いむ。

 

 

『潭州泊船呈諸公』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

潭州泊船呈諸公

夜寒眠半覺,鼓笛鬧嘈嘈。

暗浪舂樓堞,驚風破竹篙。

主人看使範,客子讀《離騷》。

聞道松醪賤,何須吝錯刀。
詩文(含異文)

夜寒眠半覺,鼓笛鬧嘈嘈。暗浪舂樓堞,驚風破竹篙。主人看使範【主人看使帆】【案:去聲。】,客子讀〈離騷〉。聞道松醪賤,何須吝錯刀。


(下し文)
(潭州にて船に泊し 諸公に呈す)

夜 寒くして 眠 半ば覺む,鼓笛 鬧がしくて嘈嘈。

暗浪 樓堞に舂【うず】き,驚風 竹篙を破る。

主人 使範を看,客子 《離騷》を讀む。

聞く道く 松醪【しょうりょう】賤しと,何ぞ錯刀を吝【おし】むを須【もち】いむ。


(現代語訳)
潭州泊船呈諸公(郴州を出発し、潭州に停泊した時に諸公にこの詩を呈した)

春なお浅く、殊に水邊は夜寒くして、折角眠ったが、やがて半ば覚めかかった。すると、岸上には、鼓笛が嘈嘈として響いて鬧がしく、まさしく大官の御來駕と察せられる。

その時、暗き浪は城楼の女牆に舂き、けたたましく吹いてきた風は、舟を繋いである竹棹を折りそうである。

やがて、諸公が御出でになったが、主人たる刺史は、流石に師表とすべき風範を備えて、打ち見るからに、慕わしき人物である。われは、従来放逐の客子であるところから、離騒を誦して、感慨に堪へられない。

聞けば、この地では、松花で醸した酒が名物で、価も廉いそうだから、銭金を吝まず、しこたま買い入れて、諸公と今夕痛飲をしようではないか。

韓愈 陽山00
(訳注)

潭州泊船呈諸公

(郴州を出発し、潭州に停泊した時に諸公にこの詩を呈した)

唐書地理志に「潭州長沙郡、江南西道に属す」とある、元和郡國志に「隋、陳を平らげ、湘州を改めて潭州といい、昭潭を取って名と爲す」とある。すると、この詩は、永貞元年の春、陽山を離れて郴州に遷る時の旅中の作である。

1.   潭州 長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、546年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。

 

夜寒眠半覺,鼓笛鬧嘈嘈。

春なお浅く、殊に水邊は夜寒くして、折角眠ったが、やがて半ば覚めかかった。すると、岸上には、鼓笛が嘈嘈として響いて鬧がしく、まさしく大官の御來駕と察せられる。

2.    向かい合って争う、「市」は人が集まるを意味し、人が集まり争う。 さわぐ、さわがしい。 騒動、騒動をおこす。

3.   嘈嘈 声や物音が騒々しいさま。

 

暗浪舂樓堞,驚風破竹篙。

その時、暗き浪は城楼の女牆に舂き、けたたましく吹いてきた風は、舟を繋いである竹棹を折りそうである。

4.    ① 穀物などを臼に入れてつく。   夕日が山の端に入ろうとする。

5.   樓堞 城樓と城堞。城楼の墻、即ち、女牆。

6.   竹篙 川中に竹を突き立ててその竹に船をつなぐ。船をつないである棹。

 

主人看使範,客子讀《離騷》。

やがて、諸公が御出でになったが、主人たる刺史は、流石に師表とすべき風範を備えて、打ち見るからに、慕わしき人物である。われは、従来放逐の客子であるところから、離騒を誦して、感慨に堪へられない。

7.   主人 この宴席の来訪者の中の重要な人物を示す、この地域の刺史であろう。

8.   使範 主人、客の模範を仰ぐをいう。

9.   離騷 離騷は屈原の代表作で全篇は三百七十三句の長編のものである。潭州は湘水で、屈原が投身して死んだところであるからここで示した。題意についてはいくつかの解釈があるが、史記は「離憂の如きなり」としている。すなわち「憂いにかかる」という意味である。詩の内容から推して、この解釈がもっとも自然といえる。書かれた時期については、屈原が最初に放逐された30歳頃とするものと、2度目の追放をこうむった60歳頃とするものとがある。これも史記に従って、最初の放逐の際のものとするのが、自然なようである。史記はまた離騷一篇を次のように解題している。「屈平王聴の聡ならず、讒謗の明を覆ひ、邪曲の公を害し、方正の容れられざるを疾むなり、故に憂愁幽思して離騷を作る。」この解題にあるとおり、離騷は志を得ずに人の讒謗にあい、放浪の旅に出ざるを得なかった自らの不運を憂い嘆いて歌ったものだ。しかし晩年の詩が、絶望苦悶の色彩濃厚なのに対し、この詩には、憂いを語りながら絶望に陥らず、浪漫的な色彩をも感じ取れる。

 

聞道松醪賤,何須吝錯刀。

聞けば、この地では、松花で醸した酒が名物で、価も廉いそうだから、銭を吝まず、しこたま買い入れて、諸公と今夕痛飲をしようではないか。

10. 松醪 松の花を和じえて醸造した酒。杜甫《巻十四53 宴戎州楊使君東樓》「重碧拈春酒,輕紅擘荔枝。」(重碧の春酒を拈【ひね】り,輕紅の荔枝を擘【やぶ】る。 新酒で濃い緑の竹筒に入った松醪の「春酒」をつまむようにして口元に持って行って飲むと、南国の紅色の荔枝をつよく裂き破ってつまみにする。

杜甫《卷二二58-附 詠懐二首 附:杜員外兄垂示詩因作此寄上〈郭受〉》「松醪酒熟旁看醉,蓮葉舟輕自學操。」(松醪酒 熟して旁く醉を看る,蓮葉 舟輕くして自ら操を學ぶ。)

11. 何須 なんとしても~しようではないか。

12. 吝 銭金を惜しまない。

13. 錯刀 金錯刀、象嵌をあしらった刀の形の小さいもので古代の貨幣。う【錯刀】中国漢代の貨幣の一。黄金の地金で、刀の形をしている。

韓愈123《 遺12晝月(昼の月)【《外集》。《遺集》。》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1627> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7119

韓愈 晝月(昼の月)

玉碗不磨著泥土,青天孔出白石補。

兔入臼藏蛙縮肚,桂樹枯株女閉

陰為陽羞固自古,嗟汝下民或敢侮,戲嘲盜視汝目瞽。
(時間を持て余し空を眺めていると、名残の月が昼間に見える、それを面白おかしく詠った)

月の昼の空に白くかかれるのを見ると、丁度、玉の盆が磨かれず、泥土をつけたままで汚れて居る様であるし、青天に孔ができて、仕方がないから、白石を以て繕った様に見える。無論、昼の事で、光も薄いから、月中の模様も、はっきりとは見えず、藥を搗いて居る兎も、臼の中に這入ってかくれてしまい、蝦蟇もまた腹をちじめてちいさくなり、例の桂樹も、幹が枯れて勢いも衰え、そして嫦娥も扉を閉じて引っ込んでしまったというようなことである。今しも、昼で、太陽が高く中天にある、そこで、陰精である月が太陽に圧倒せられて、小さく薄く、さながら羞じるが如き態度を爲して居るので、そういうことは、むかしから、毎毎見るところである。しかし、月は、もとより神聖なもので、やがて夜になれば、再び蘇って、清い光を放ち、天地を我が物顔に支配するに相違ないから.汝下民ども、昼の月見て、これを侮るようなことがあっては成らぬ。かりそめにも戯嘲して、そっと盗みみたならば、いつしか、罰があたって汝のめはつぶれてしまうことになろう。

韓愈123 12晝月(昼の月)【《外集》。《遺集》。》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1627 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7119

 

 
  2015年12月25日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈詩-韓愈123

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四五              文體:    七言古詩

詩題:    晝月【《外集》。《遺集》。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

 

晝月

(時間を持て余し空を眺めていると、名残の月が昼間に見える、それを面白おかしく詠った)

玉碗不磨著泥土,青天孔出白石補。

月の昼の空に白くかかれるのを見ると、丁度、玉の盆が磨かれず、泥土をつけたままで汚れて居る様であるし、青天に孔ができて、仕方がないから、白石を以て繕った様に見える。

兔入臼藏蛙縮肚,桂樹枯株女閉

無論、昼の事で、光も薄いから、月中の模様も、はっきりとは見えず、藥を搗いて居る兎も、臼の中に這入ってかくれてしまい、蝦蟇もまた腹をちじめてちいさくなり、例の桂樹も、幹が枯れて勢いも衰え、そして嫦娥も扉を閉じて引っ込んでしまったというようなことである。

陰為陽羞固自古,嗟汝下民或敢侮,戲嘲盜視汝目瞽。

今しも、昼で、太陽が高く中天にある、そこで、陰精である月が太陽に圧倒せられて、小さく薄く、さながら羞じるが如き態度を爲して居るので、そういうことは、むかしから、毎毎見るところである。しかし、月は、もとより神聖なもので、やがて夜になれば、再び蘇って、清い光を放ち、天地を我が物顔に支配するに相違ないから.汝下民ども、昼の月見て、これを侮るようなことがあっては成らぬ。かりそめにも戯嘲して、そっと盗みみたならば、いつしか、罰があたって汝のめはつぶれてしまうことになろう。

 

(晝月)

玉碗 磨かず 泥土を著け,青天 孔出でて 白石 補う。

兔は臼に入って 藏し 蛙は肚を縮む,桂樹 株を枯して 女 

陰 陽の為に羞ずるは 固より古よりす,嗟あ 汝 下民 或は 敢て侮るあらんや,戲嘲 盜視せば 汝 目 瞽【こ】せん。

 

『晝月』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

晝月

玉碗不磨著泥土,青天孔出白石補。

兔入臼藏蛙縮肚,桂樹枯株女閉

陰為陽羞固自古,嗟汝下民或敢侮,戲嘲盜視汝目瞽。

(下し文)
(晝月)

玉碗 磨かず 泥土を著け,青天 孔出でて 白石 補う。

兔は臼に入って 藏し 蛙は肚を縮む,桂樹 株を枯して 女 

陰 陽の為に羞ずるは 固より古よりす,嗟あ 汝 下民 或は 敢て侮るあらんや,戲嘲 盜視せば 汝 目 瞽【こ】せん。

(現代語訳)
晝月(時間を持て余し空を眺めていると、名残の月が昼間に見える、それを面白おかしく詠った)

月の昼の空に白くかかれるのを見ると、丁度、玉の盆が磨かれず、泥土をつけたままで汚れて居る様であるし、青天に孔ができて、仕方がないから、白石を以て繕った様に見える。

無論、昼の事で、光も薄いから、月中の模様も、はっきりとは見えず、藥を搗いて居る兎も、臼の中に這入ってかくれてしまい、蝦蟇もまた腹をちじめてちいさくなり、例の桂樹も、幹が枯れて勢いも衰え、そして嫦娥も扉を閉じて引っ込んでしまったというようなことである。

今しも、昼で、太陽が高く中天にある、そこで、陰精である月が太陽に圧倒せられて、小さく薄く、さながら羞じるが如き態度を爲して居るので、そういうことは、むかしから、毎毎見るところである。しかし、月は、もとより神聖なもので、やがて夜になれば、再び蘇って、清い光を放ち、天地を我が物顔に支配するに相違ないから.汝下民ども、昼の月見て、これを侮るようなことがあっては成らぬ。かりそめにも戯嘲して、そっと盗みみたならば、いつしか、罰があたって汝のめはつぶれてしまうことになろう。


(訳注)

晝月

(時間を持て余し空を眺めていると、名残の月が昼間に見える、それを面白おかしく詠った)

1.    昼月 夜ではない時間帯の空にある月のこと。夜の煌々とした月とは異なりうっすらと見える。文字どおりの月の絵や同名の楽曲のイメージイラストなどに用いられている。 夜明けの後もまだ月や星が見えることを「明け残る」と言い、 明け残った月を呼ぶ日本語は「有明月」「残月」「朝月夜」など様々にある。

太陽と月は昼と夜を象徴する天体だが、実際には月の出入りと太陽のそれは間隔がずれる。

月が常に夜から出ているとも限らず、未明に出て夕方に沈む日もたまにある。

 

玉碗不磨著泥土,青天孔出白石補。

月の昼の空に白くかかれるのを見ると、丁度、玉の盆が磨かれず、泥土をつけたままで汚れて居る様であるし、青天に孔ができて、仕方がないから、白石を以て繕った様に見える。

2.    玉碗 玉で造った盆、崗史の沈燗傳に「茂陵の玉碗。遂に人間に出づ」とある。

3.    白石補 列子に「天地亦た物足らざるあり、故に昔者女媧氏、五色の石を選び、以て闕を補う」とある。

 

兔入臼藏蛙縮肚,桂樹枯株女閉

無論、昼の事で、光も薄いから、月中の模様も、はっきりとは見えず、藥を搗いて居る兎も、臼の中に這入ってかくれてしまい、蝦蟇もまた腹をちじめてちいさくなり、例の桂樹も、幹が枯れて勢いも衰え、そして嫦娥も扉を閉じて引っ込んでしまったというようなことである。

4.    兎 月中に兎が居て薬を搗く。

5.    蛙縮肚 月は蝦蟇の精、ここでは蛙が腹中縮めるといふ意。

6.    桂樹 月中に大きな桂樹がある。

7.    女閉戸 嫦娥が月中に走ってそこに留まって居る。嫦娥は、中国神話に登場する人物。后羿の妻。古くは姮娥と表記された。『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月(広寒宮)に逃げ、蝦蟇(ヒキガエル)になったと伝えられる。別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。后羿の妻である嫦娥(嫦娥仙子)が、后羿が西王母から貰った不老不死の霊薬(または天上界へ行ける霊薬)を飲み1人月へ昇り月宮(広寒宮)で寂しく暮らすことになったという中秋節の故事である。嫦娥奔月とは「嫦娥、月に奔る」の意味。淮南子6巻の覧冥訓12節には嫦娥の物語として「譬若羿請不死之藥於西王母、姮娥竊以奔月、悵然有喪、無以續之。何則? 不知不死之藥所由生也。是故乞火不若取燧、寄汲不若鑿井」との記載がある。道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに「月宮黄華素曜元精聖後太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている。「姮娥」が本来の表記であったが、前漢の文帝の名が「恒」であるため、字形のよく似た「姮」を避諱して「嫦」を用いるようになった。のちに旁の「常」の影響を受けて読みも「じょうが」(に対応する中国語での発音)に変化した。

 

陰為陽羞固自古,嗟汝下民或敢侮,戲嘲盜視汝目瞽。

今しも、昼で、太陽が高く中天にある、そこで、陰精である月が太陽に圧倒せられて、小さく薄く、さながら羞じるが如き態度を爲して居るので、そういうことは、むかしから、毎毎見るところである。しかし、月は、もとより神聖なもので、やがて夜になれば、再び蘇って、清い光を放ち、天地を我が物顔に支配するに相違ないから.汝下民ども、昼の月見て、これを侮るようなことがあっては成らぬ。かりそめにも戯嘲して、そっと盗みみたならば、いつしか、罰があたって汝のめはつぶれてしまうことになろう。

8.    汝目瞽 汝の目がつぶれてしまう。昼月は太陽のそばにあることもある、そのため太陽光線が目に入って見えなくなることもある。

韓愈122《 巻九24木芙蓉》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1626> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7114

韓愈  木芙蓉

新開寒露叢,遠比水間紅。豔色寧相妒,嘉名偶自同。

採江官渡晚,搴木古祠空。願得勤來看,無令便逐風。

(むくげの花に似た落葉低木の木芙蓉とは別に蓮の花も芙蓉という、皆美しく楚辞や古詩に詠われた)

木芙蓉は、新に吹き出でて叢をなし、それに露のかかって居るのは、まことに風情があって、処を隔てて、水中に赤く咲きたる蓮の花と相比することが出来る。木芙蓉と蓮と、各おの艶なる姿をして居るが、それぞれ同士が妬むにも及ばず、蓮を一に芙蓉といって、その名も偶然に同じである。江に臨んで蓮の花を采れば、渡頭の日暮、傷心し易く、木芙蓉を折り取って、何処に薦めむとするか、淵や山野、そこらには、楚辞九歌の古い祠も見つからない。唯だ願わくは、しばしば此にきて、その花を賞したいと思うので、風を遂うて徒に散ってしまうことのないようにしたいものである。

韓愈122 巻九24木芙蓉》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1626 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7114

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八17酒泉子三首其一》『花間集』369全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7117  
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韓愈詩-韓愈122

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四三              文體:    五言律詩

詩題:    木芙蓉

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

 

木芙蓉

(むくげの花に似た落葉低木の木芙蓉とは別に蓮の花も芙蓉という、皆美しく楚辞や古詩に詠われた)

新開寒露叢,遠比水間紅。

木芙蓉は、新に吹き出でて叢をなし、それに露のかかって居るのは、まことに風情があって、処を隔てて、水中に赤く咲きたる蓮の花と相比することが出来る。

豔色寧相妒,嘉名偶自同。

木芙蓉と蓮と、各おの艶なる姿をして居るが、それぞれ同士が妬むにも及ばず、蓮を一に芙蓉といって、その名も偶然に同じである。

採江官渡晚,搴木古祠空。

江に臨んで蓮の花を采れば、渡頭の日暮、傷心し易く、木芙蓉を折り取って、何処に薦めむとするか、淵や山野、そこらには、楚辞九歌の古い祠も見つからない。

願得勤來看,無令便逐風。

唯だ願わくは、しばしば此にきて、その花を賞したいと思うので、風を遂うて徒に散ってしまうことのないようにしたいものである。

 

(木芙蓉)

新に開く寒露の叢,遠く水間の紅に比す。

豔色 寧ろ相い妒まんや,嘉名 偶たま自ら同じ。

江に採れば 官渡晚れ,木に搴れば 古祠空し。

願あくば 勤めて來り看るを得ん,便ち風を逐はしむる無れ。

 

『木芙蓉』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

木芙蓉

新開寒露叢,遠比水間紅。

豔色寧相妒,嘉名偶自同。

採江官渡晚,搴木古祠空。

願得勤來看,無令便逐風。
詩文(含異文)     新開寒露叢,遠比水間紅。豔色寧相妒,嘉名偶自同。採江官渡晚【採江秋節晚】,搴木古祠空。願得勤來看【須勸勤來看】,無令便逐風。


(下し文)
(木芙蓉)

新に開く寒露の叢,遠く水間の紅に比す。

豔色 寧ろ相い妒まんや,嘉名 偶たま自ら同じ。

江に採れば 官渡晚れ,木に搴れば 古祠空し。

願あくば 勤めて來り看るを得ん,便ち風を逐はしむる無れ。

(現代語訳)
木芙蓉(むくげの花に似た落葉低木の木芙蓉とは別に蓮の花も芙蓉という、皆美しく楚辞や古詩に詠われた)

木芙蓉は、新に吹き出でて叢をなし、それに露のかかって居るのは、まことに風情があって、処を隔てて、水中に赤く咲きたる蓮の花と相比することが出来る。

木芙蓉と蓮と、各おの艶なる姿をして居るが、それぞれ同士が妬むにも及ばず、蓮を一に芙蓉といって、その名も偶然に同じである。

江に臨んで蓮の花を采れば、渡頭の日暮、傷心し易く、木芙蓉を折り取って、何処に薦めむとするか、淵や山野、そこらには、楚辞九歌の古い祠も見つからない。

唯だ願わくは、しばしば此にきて、その花を賞したいと思うので、風を遂うて徒に散ってしまうことのないようにしたいものである。


(訳注)

木芙蓉

(むくげの花に似た落葉低木の木芙蓉とは別に蓮の花も芙蓉という、皆美しく楚辞や古詩に詠われた)

芙蓉 ①は木芙蓉といわれるもの、②は蓮の異名。後者は呉越江南地方でよばれる異名であり、落つということばや、蜀山という語と、ふさわしくないから、前者と解す。「木芙蓉」フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)はアオイ科フヨウ属の落葉低木。種小名 mutabilisは「変化しやすい」(英語のmutable)の意。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には(もくふよう)とも呼ばれる。

原産地は中国で、台湾、日本の沖縄、九州・四国に自生する。日本では関東地方以南で観賞用に栽培される。幹は高さ1.53m。寒地では冬に地上部は枯れ、春に新たな芽を生やす。

葉は互生し、表面に白色の短毛を有し掌状に浅く37裂する。

710月始めにかけてピンクや白で直径1015cm程度の花をつける。朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。花は他のフヨウ属と同様な形態で、花弁は5枚で回旋し椀状に広がる。先端で円筒状に散開するおしべは根元では筒状に癒合しており、その中心部からめしべが延び、おしべの先よりもさらに突き出して5裂する。

果実はさく果で、毛に覆われて多数の種子をつける。

《楚辞、離騒》、「芰荷以爲衣兮,集芙蓉以爲裳」(芰荷を製して以て衣と為し、芙蓉を集めて以て裳と為す)とうたわれ、高潔で孤高に生きる君子の袴とされた花。

 

新開寒露叢,遠比水間紅。

木芙蓉は、新に吹き出でて叢をなし、それに露のかかって居るのは、まことに風情があって、処を隔てて、水中に赤く咲きたる蓮の花と相比することが出来る。

水間紅 水中に在って赤い花を咲かせる蓮。

 

豔色寧相妒,嘉名偶自同。

木芙蓉と蓮と、各おの艶なる姿をして居るが、それぞれ同士が妬むにも及ばず、蓮を一に芙蓉といって、その名も偶然に同じである。

嘉名偶自同 蓮を一に芙蓉といって、その名も偶然に同じである。

 

採江官渡晚,搴木古祠空。

江に臨んで蓮の花を采れば、渡頭の日暮、傷心し易く、木芙蓉を折り取って、何処に薦めむとするか、淵や山野、そこらには、楚辞九歌の古い祠も見つからない。

採江 文選・古詩 《古詩十九之六》

涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。

還顧望舊,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。

江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。

之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。

還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。

同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。

江水をわたって蓮の花をとるのである、蘭草の茂った沢があり、たくさんの芳しい草花が咲いている。

それをとって誰におくろうというのか。わが思う人は遠い旅路にいったままなのだ。

ふりかえって故郷の方を眺めると、はてしもない長い路がひろびろと続いているのを見られるのだ。

慕う思いは、同じ心の二人でありながら、離れはなれにくらしているのだ、そのため憂と悲しみにくれてついには老いこんでしまうというものだ。

官渡晚 国が作った水路駅の渡船場。

搴木 《楚辞、九歌、湘君》「采薜荔兮水中,搴芙蓉兮木末。」(薜茘を水中に采り、芙蓉を木末に搴るごとく。)

古祠 楚辞九歌は十一篇の祭祀歌の総称であり、それぞれの地に廟、祠がある。

 

願得勤來看,無令便逐風。

唯だ願わくは、しばしば此にきて、その花を賞したいと思うので、風を遂うて徒に散ってしまうことのないようにしたいものである。

韓愈121《 巻九21梨花下贈劉師命》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1625> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7109

 韓愈  梨花下贈劉師命

洛陽城外清明節,百花寥落梨花發。今日相逢瘴海頭,共驚爛漫開正月。

(洛陽では清明節のころ以降に、梨の花が、満開になるが、陽山では正月に満開になる、君と花の下で酒を酌み交わしてこの詩を贈る)

洛陽城の郊外では、晩春、清明節のころである、やっと百花散尽くして淋しい頃に、その城外にはじめて梨花が咲くのである。今日、南海の濱なる此地において梨花を見たのは、まだ正月というのに眞盛りで爛漫、これほどまでに気候風土が違うとは誠に驚くべきことなのである。

韓愈121 巻九21梨花下贈劉師命》  韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1625 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7109


 

 
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韓愈詩-韓愈121

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四三              文體:    七言

詩題:    梨花下贈劉師命

作地點:              陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

交遊人物/地點:劉師命      當地交遊(江南西道 連州 陽山)

 

 

梨花下贈劉師命

(洛陽では清明節のころ以降に、梨の花が、満開になるが、陽山では正月に満開になる、君と花の下で酒を酌み交わしてこの詩を贈る)

洛陽城外清明節,百花寥落梨花發。

洛陽城の郊外では、晩春、清明節のころである、やっと百花散尽くして淋しい頃に、その城外にはじめて梨花が咲くのである。

今日相逢瘴海頭,共驚爛漫開正月。

今日、南海の濱なる此地において梨花を見たのは、まだ正月というのに眞盛りで爛漫、これほどまでに気候風土が違うとは誠に驚くべきことなのである。

 (梨花下贈劉師命)

洛陽の城外 清明節,百花は寥落 梨花は發す。

今日 相逢う 瘴海の頭,共に驚く 爛漫 正月に開くを。

 

 

『梨花下贈劉師命』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

梨花下贈劉師命

洛陽城外清明節,百花寥落梨花發。

今日相逢瘴海頭,共驚爛漫開正月。

(下し文)
(
梨花下贈劉師命)

洛陽の城外 清明節,百花は寥落 梨花は發す。

今日 相逢う 瘴海の頭,共に驚く 爛漫 正月に開くを。

(現代語訳)
梨花下贈劉師命(洛陽では清明節のころ以降に、梨の花が、満開になるが、陽山では正月に満開になる、君と花の下で酒を酌み交わしてこの詩を贈る)

洛陽城の郊外では、晩春、清明節のころである、やっと百花散尽くして淋しい頃に、その城外にはじめて梨花が咲くのである。

今日、南海の濱なる此地において梨花を見たのは、まだ正月というのに眞盛りで爛漫、これほどまでに気候風土が違うとは誠に驚くべきことなのである。


(訳注)

梨花下贈劉師命

(洛陽では清明節のころ以降に、梨の花が、満開になるが、陽山では正月に満開になる、君と花の下で酒を酌み交わしてこの詩を贈る)

1 劉師命 韓愈が劉生と遭遇したのは、陽山である。劉生の遇ふところ、皆不羇なることを。故に終篇に、「咄哉識路行勿休,往取將相酬恩讎。」といふ。又集中、劉生の為にせる《巻五03梨花 二首》詩あり、此の詩より前に作られたものともいわれるものである。貞元二十一年正月、陽山に在つて作る。この詩に、「今日相逢瘴海頭」というは、まさしくこの詩である。

巻九18聞梨花發贈劉師命》

桃溪惆悵不能過,紅豔紛紛落地多。

聞道郭西千樹雪,欲將君去醉如何。

(梨花の發けるを聞き、劉師命に贈る)

桃溪 惆悵して 過ること能わず,紅豔 紛紛たりて 地に落つること多し。

聞道らく 郭西は千樹雪ならん,將に君去らんと欲し 醉うこと如何ん。

すると、劉生は、才を負うと共に、志を得ざるより、放蕩に身を持ち崩して居たものらしい。それが陽山縣で、韓退之の門人に成ったから、韓退之は、今後、道を重んじて修學せよといって、しっかりと之を指導して遣ったのが、即ち劉生詩である《 巻四01 劉生詩》

劉生詩 #1

生名師命其姓劉,自少軒輊非常儔。

棄家如遺來遠遊,東走梁宋揚州。

遂凌大江極東陬,洪濤舂天禹穴幽。

#2

越女一笑三年留,南逾橫嶺入炎州。

青鯨高磨波山浮,怪魅炫曜堆蛟虯。

山摻讙譟猩猩遊,毒氣爍體黃膏流。

#3

問胡不歸良有由,美酒傾水炙肥牛。

妖歌慢舞爛不收,倒心迴腸為青眸。

千金邀顧不可酬,乃獨遇之盡綢繆。

#4

瞥然一餉成十秋,昔鬚未生今白頭。

五管歷遍無賢侯,迴望萬里還家羞。

陽山窮邑惟猿猴,手持釣竿遠相投。

#5

我為羅列陳前修,芟蒿斬蓬利鋤耰。

天星迴環數纔周,文學穰穰囷倉稠。

車輕御良馬力優,咄哉識路行勿休,往取將相酬恩讎。

(劉生の詩) #1

生は 名を師命 其の姓を劉という,少より軒輊【けんち】常儔に非ず。

家を棄ること遺れたるが如く 來って遠遊し,東は梁宋に走り 揚州に【およ】ぶ

遂び大江を凌ぎ 東陬を極む,洪濤 天を舂いて 禹穴幽なり。

#2

越女 一笑 三年留まる,南は橫嶺を逾えて 炎州に入る。

青鯨 高く磨して 波山浮び,怪魅 炫曜して 蛟虯を堆す。

摻 讙譟して 猩猩遊び,毒氣 體を爍して 黃膏流る。

#3

問う胡ぞ歸らざる 良に由有り,美酒 水を傾けて肥牛を炙す。

妖歌 慢舞 爛として 收まらず,心を倒にし腸を迴して青眸の為にす。

千金 顧るを邀うれども 酬ゆ可からず,乃ち獨り之に遇うて綢繆を盡す。

#4

瞥然【べつぜん】一餉 十秋を成し,昔は鬚 未だ生ぜず 今は白頭。

五管 遍ねく歷るも 賢侯無し,迴望 萬里 家に還ることを羞づ。

陽山の窮邑 惟だ猿猴,手に釣竿を持して 遠く相い投ず。

#5

我 為に羅列して 前修を陳ね,蒿を芟り 蓬を斬って鋤耰【じょゆう】を利くす。

天星 迴環 數 纔に周り,文學 穰穰として 囷倉 稠し。

車輕く 御良くして 馬力 優なり,咄なる哉 路を識らば 行いて休むこと勿れ,往いて 將相を取って 恩讎に酬いよ。

韓愈102-#5 巻四01 劉生詩》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1593 Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6949

・《巻五33送劉師服 韓愈(韓退之) <119>Ⅱ中唐詩678 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2374

 

 

洛陽城外清明節,百花寥落梨花發。

洛陽城の郊外では、晩春、清明節のころである、やっと百花散尽くして淋しい頃に、その城外にはじめて梨花が咲くのである。

清明節 祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。日本におけるお盆に当たる年中行事である。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。

百花 百花繚乱とは。意味や解説。いろいろの花が咲き乱れること。転じて、秀でた人物が多く出て、すぐれた立派な業績が一時期にたくさん現れること。▽「百花」は種々の多くの花、いろいろな花の意。

寥落 ごく少ない,まばらにしかない.

梨花發 果樹類が花を咲かせる季節、春本番です。桜が終わると、1週間と経たずに桃に始まり、梨、サクランボ、リンゴと続いていきます。特に、家の前が梨畑になっているため、一年中で最も花の量の多い時期となります。梨の花は満開になると辺り一面に甘い香りが充満します。

 

今日相逢瘴海頭,共驚爛漫開正月。

今日、南海の濱なる此地において梨花を見たのは、まだ正月というのに眞盛りで爛漫、これほどまでに気候風土が違うとは誠に驚くべきことなのである。

瘴海頭 1.  指南方海域。2.  指南方有瘴氣之地。

爛漫 花が咲き乱れている、花盛り。

韓愈120《 巻九18聞梨花發贈劉師命》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1624> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7104

韓愈  聞梨花發贈劉師命

桃溪惆悵不能過,紅豔紛紛落地多。聞道郭西千樹雪,欲將君去醉如何。

(洛陽ではまだだろうが、城西に梨の花が咲いたということが耳に届いたが、劉師、君と一緒に飲みたいと思うがどうだろうということでこの詩を贈る。)

先日、「桃李不言、下自成蹊。」ということで門下の君と桃の花の盛りの時に、その下の小道を逍遥して、吟賞することのできなかったのは、いかにも残念な事で、兎角する内に、紅の花片は紛紛として、おびただしく地上に散り布いて仕舞った。

聞けば、城西の梨が眞盛りで、千樹さながら雪の如く、今が丁度見頃であるということで、君と一緒に出掛けて、花の下で杯を酌み交わしたいと思うが、尊意如何、ご返事を待っている。

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韓愈詩-韓愈120

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四三              文體:    七言

詩題:    聞梨花發贈劉師命

作地點:陽山(江南西道 / 連州 / 陽山)

及地點:無

交遊人物/地點:   劉師命    當地交遊(江南西道 連州 陽山)

 

 

聞梨花發贈劉師命

(洛陽ではまだだろうが、城西に梨の花が咲いたということが耳に届いたが、劉師、君と一緒に飲みたいと思うがどうだろうということでこの詩を贈る。)

桃溪惆悵不能過,紅豔紛紛落地多。

先日、「桃李不言、下自成蹊。」ということで門下の君と桃の花の盛りの時に、その下の小道を逍遥して、吟賞することのできなかったのは、いかにも残念な事で、兎角する内に、紅の花片は紛紛として、おびただしく地上に散り布いて仕舞った。

聞道郭西千樹雪,欲將君去醉如何。

聞けば、城西の梨が眞盛りで、千樹さながら雪の如く、今が丁度見頃であるということで、君と一緒に出掛けて、花の下で杯を酌み交わしたいと思うが、尊意如何、ご返事を待っている。

(梨花の發けるを聞き、劉師命に贈る)

桃溪 惆悵して 過ること能わず,紅豔 紛紛たりて 地に落つること多し。

聞道らく 郭西は千樹雪ならん,將に君去らんと欲し 醉うこと如何ん。

嶺南道圖00 

『聞梨花發贈劉師命』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

聞梨花發贈劉師命

桃溪惆悵不能過,紅豔紛紛落地多。

聞道郭西千樹雪,欲將君去醉如何。

(下し文)
(梨花の發けるを聞き、劉師命に贈る)

桃溪 惆悵して 過ること能わず,紅豔 紛紛たりて 地に落つること多し。

聞道らく 郭西は千樹雪ならん,將に君去らんと欲し 醉うこと如何ん。

(現代語訳)
聞梨花發贈劉師命(洛陽ではまだだろうが、城西に梨の花が咲いたということが耳に届いたが、劉師、君と一緒に飲みたいと思うがどうだろうということでこの詩を贈る。)

先日、「桃李不言、下自成蹊。」ということで門下の君と桃の花の盛りの時に、その下の小道を逍遥して、吟賞することのできなかったのは、いかにも残念な事で、兎角する内に、紅の花片は紛紛として、おびただしく地上に散り布いて仕舞った。

聞けば、城西の梨が眞盛りで、千樹さながら雪の如く、今が丁度見頃であるということで、君と一緒に出掛けて、花の下で杯を酌み交わしたいと思うが、尊意如何、ご返事を待っている。


(訳注)

聞梨花發贈劉師命

(洛陽ではまだだろうが、城西に梨の花が咲いたということが耳に届いたが、劉師、君と一緒に飲みたいと思うがどうだろうということでこの詩を贈る。)

1 劉師命 韓愈が劉生と遭遇したのは、陽山である。劉生の遇ふところ、皆不羇なることを。故に終篇に、「咄哉識路行勿休,往取將相酬恩讎。」といふ。又集中、劉生の為にせる《巻五03梨花 二首》詩あり、此の詩より前に作られたものともいわれるものである。貞元二十一年正月、陽山に在つて作る。後詩に、「今日相逢瘴海頭」というは、まさしくこの詩である。

巻九21梨花下贈劉師命》「洛陽城外清明節,百花寥落梨花發。今日相逢瘴海頭,共驚爛漫開正月。」

(梨花の下 劉師命に贈る)

洛陽城外 清明節,百花 寥落 梨花 發す。

今日 相逢う 瘴海の頭,共に驚く 爛漫正月に 開くを。

すると、劉生は、才を負うと共に、志を得ざるより、放蕩に身を持ち崩して居たものらしい。それが陽山縣で、韓退之の門人に成ったから、韓退之は、今後、道を重んじて修學せよといって、しっかりと之を指導して遣ったのが、即ち劉生詩である《 巻四01 劉生詩》

劉生詩 #1

生名師命其姓劉,自少軒輊非常儔。

棄家如遺來遠遊,東走梁宋揚州。

遂凌大江極東陬,洪濤舂天禹穴幽。

#2

越女一笑三年留,南逾橫嶺入炎州。

青鯨高磨波山浮,怪魅炫曜堆蛟虯。

山摻讙譟猩猩遊,毒氣爍體黃膏流。

#3

問胡不歸良有由,美酒傾水炙肥牛。

妖歌慢舞爛不收,倒心迴腸為青眸。

千金邀顧不可酬,乃獨遇之盡綢繆。

#4

瞥然一餉成十秋,昔鬚未生今白頭。

五管歷遍無賢侯,迴望萬里還家羞。

陽山窮邑惟猿猴,手持釣竿遠相投。

#5

我為羅列陳前修,芟蒿斬蓬利鋤耰。

天星迴環數纔周,文學穰穰囷倉稠。

車輕御良馬力優,咄哉識路行勿休,往取將相酬恩讎。

(劉生の詩) #1

生は 名を師命 其の姓を劉という,少より軒輊【けんち】常儔に非ず。

家を棄ること遺れたるが如く 來って遠遊し,東は梁宋に走り 揚州に【およ】ぶ

遂び大江を凌ぎ 東陬を極む,洪濤 天を舂いて 禹穴幽なり。

#2

越女 一笑 三年留まる,南は橫嶺を逾えて 炎州に入る。

青鯨 高く磨して 波山浮び,怪魅 炫曜して 蛟虯を堆す。

摻 讙譟して 猩猩遊び,毒氣 體を爍して 黃膏流る。

#3

問う胡ぞ歸らざる 良に由有り,美酒 水を傾けて肥牛を炙す。

妖歌 慢舞 爛として 收まらず,心を倒にし腸を迴して青眸の為にす。

千金 顧るを邀うれども 酬ゆ可からず,乃ち獨り之に遇うて綢繆を盡す。

#4

瞥然【べつぜん】一餉 十秋を成し,昔は鬚 未だ生ぜず 今は白頭。

五管 遍ねく歷るも 賢侯無し,迴望 萬里 家に還ることを羞づ。

陽山の窮邑 惟だ猿猴,手に釣竿を持して 遠く相い投ず。

#5

我 為に羅列して 前修を陳ね,蒿を芟り 蓬を斬って鋤耰【じょゆう】を利くす。

天星 迴環 數 纔に周り,文學 穰穰として 囷倉 稠し。

車輕く 御良くして 馬力 優なり,咄なる哉 路を識らば 行いて休むこと勿れ,往いて 將相を取って 恩讎に酬いよ。

韓愈102-#5 巻四01 生詩》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1593 Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6949

・《巻五33送劉師 韓愈(韓退之) <119>Ⅱ中唐詩678 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2374

 

 

桃溪惆悵不能過,紅豔紛紛落地多。

先日、「桃李不言、下自成蹊。」ということで門下の君と桃の花の盛りの時に、その下の小道を逍遥して、吟賞することのできなかったのは、いかにも残念な事で、兎角する内に、紅の花片は紛紛として、おびただしく地上に散り布いて仕舞った。

2 桃溪 「桃李不言、下自成蹊。」《史記、李将軍列伝第四十九》

太史公曰。伝曰、「其身正不令而行、其身不正雖令不従。」其李将軍之謂也。

余睹李将軍、悛悛如鄙人、口不能道辞。及死之日、天下知与不知皆為尽哀。

彼其忠実心、誠信於士大夫也。諺曰、「桃李不言、下自成蹊。」此言雖小、可以大也。

太史公曰はく。伝に曰はく、「其の身正しかれば令せずして行はれ、其の身正しからざれば令すと雖も従はれず。」と。其れ李将軍の謂ひなり。

余李将軍を睹るに、悛悛として鄙人のごとく、口道辞する能はず。死の日に及びて、天下知ると知らざると皆為に哀しみを尽くせり。

彼の其の忠実心、誠に士大夫に信ぜられたるなり。諺に曰はく、「桃李言はざれど、下自ら蹊を成す。」此の言小なりと雖も、以て大をふべきなり。

3 惆悵 残念に思う。

4 紅豔 艶 桃の花片をいう。

5 紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。

 

聞道郭西千樹雪,欲將君去醉如何。

聞けば、城西の梨が眞盛りで、千樹さながら雪の如く、今が丁度見頃であるということで、君と一緒に出掛けて、花の下で杯を酌み交わしたいと思うが、尊意如何、ご返事を待っている。

6 郭西 陽山の城郭の西側。

7 千樹雪 梨花の満開に咲いた様子を言う。

韓愈119-#5《 巻九16喜雪獻裴尚書》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1623> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7099

韓愈  喜雪獻裴尚書#5

悲嘶聞病馬,浪走信嬌兒。灶靜愁煙,絲繁念鬢衰。

擬鹽吟舊句,授簡慕前規。捧贈同燕石,多慚失所宜。

悲し気に嘶くのを聞けば、病気の馬であるということを知ることになり、好き勝手に走り回るのはどこにでもいる腕白小僧どもであらう。ここに、自分は、竈静かにして、飯を炊かないから、朝餉の煙も上らず、白髪は絲の如くたくさん増えてきており、両鬢の衰えて来るのを心配になってくるのである。そこで、塩に喩えたという旧句を吟じ、紙をあたえて何か作れと命ぜられたその先例を慕って、この詩を作った。さてこれを得意らしく貴下の前に奉贈するのは、さながら、宋の愚人が燕石を大そうなもの様に誤信したと同じく、その宜しきところ失って、全く見るに足らず、こんなもので御目を汙すのは、まこととに慚愧に竃に堪へぬ次第である。

韓愈119-#5 巻九16喜雪獻裴尚書》 #5 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1623 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7099

 

 
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韓愈119-#5《 巻九16喜雪獻裴尚書》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1623> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7099  
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韓愈詩-韓愈119-#5

年:805年貞元21 38

卷別:    卷三四三              文體:    五言古詩

詩題:    喜雪獻裴尚書【裴均也,時為荊南節度使,檢校吏部尚書,愈為法曹參軍。】

作地點:              江陵(山南東道 / 荊州 / 江陵)

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

 

《喜雪獻裴尚書》#1

(元和元年の春、法曹参軍となって江陵にいるとき、この地の駐箚であった裴均に献ずるためにつくった。春の大雪は、その年の豊年となる吉兆であるというので慶賀したのである)

宿雲寒不卷,春雪墮如簁。

夜來、畳合した厚重い雲は、寒げに見えながら、未だ巻き収めず、春の雪は、ドカッと降って來て、丸で簁で篩う様に降り積もるのである。

騁巧先投隙,潛光半入池。

雪の飛ぶとき、或は技巧を馳せて、第一に物の隙間を目がけて其中に投じ、或は己が光を潜めて、地に落ち込むこともある。

喜深將策試,驚密仰簷窺。

多く降って、大分積ったところで、その深くなったのを喜び、杖を以て試みに之を測ってみたりする、又、密に重なり合ったのに驚き、屋根に積もった雪の軒端を仰いで、下から之を窺うこともしてみた。

自下何曾汙,增高未覺危。

雪は、勝手に地に降つても、決してよごれることはなく、だんだんに高く積っていっても、危いことを覚えることはない。

#2

比心明可燭,拂麵愛還吹。

その皎潔は、わが心と相比すべく、明かにして燭火に代用することもできるし、その清冷なるは、面を拂うて、ひんやりするのも、心持がよい。

妒舞時飄袖,欺梅並壓枝。

ある時は女の袖にひるがえり、舞踊れば、これをねたま舗重いこともある、壮かと思えば、木々のどの枝に圧雪していれば梅の花が咲いたかと欺かれることもある。

地空迷界限,砌滿接高卑。

これが地面に降り積もれば、どこも平坦になってしまい界限がどこやらわからなくなって、迷ってしまう、家の周りの砌にいっぱいに積もれば、高かった砌と低くかった地面の處とが相接して、見境がなくなってふわりとしている。

浩蕩乾坤合,霏微物象移。

天地は、浩蕩として相合し、物象は、霏微して移り変わる。

#3

為祥矜大熟,布澤荷平施。

雪は、豊年の祥瑞として、今年の大熟も予想され、又地に潤いを加えて、平等に布き施して居る。

已分年華晚,猶憐曙色隨。

雪が降って見れば、春ながら、年の暮れのような気がするし、また、曙の景色の如く、ほんのりと明るいのは、殊に面白い。

氣嚴當酒換,灑急聽窗知。

さすがに寒気厳しいけれども、酒のおかげで模様が変わり雪見酒となるし、そこに雪が降ってくること、愈々、酒も急になり、窓に耳を寄せると、明かに、雪の降り積もる音も、それと知られる。

照曜臨初日,玲瓏滴晚澌。

愈々、夜明けになると、朝日に光り輝いて、日の出に臨むと、玲瓏たる中に、早くも雪解の水が滴れるのが見える。是も興味深いことだ。

#4

聚庭看嶽聳,掃路見雲披。

庭に聚れるは、山嶽の聳えたるが如く、路に當れるを掃ってゆきかきをすれば、一すじに天への道のようになって、雲が中から披いたようである。

陣勢魚麗遠,書文鳥篆奇。

すこし引いて見ていると、遠くに亙って、魚麗の陣を布いたようにみえるし、その上に足跡がついているのは、丁度太古にできて間もないころの鳥篆文字の字体に酷似していておもしろい。

縱歡羅豔黠,列賀擁熊螭。

そんな雪の日には、朝官富貴の家では、酒を縦にして歓楽をするもので、側には美女を侍らせて、祝辞を述べに来る者は熊螭装束の衛士に引き立てられ、物物しく列をなして賑かに参賀してくる。

履敝行偏冷,門扃臥更羸。

これに引きかえ、陋巷貧賤のものはというと、履は破れ、底がぬけ、歩けば足の裏が冷たく、洛陽の故事の様に、門は閉じたまま家の奥の方で布団にもぐりこんで出てこないから、人には死んだのかと思われてしまうしかなく、それが最も賢いことなのだということである。

#5

悲嘶聞病馬,浪走信嬌兒。

悲し気に嘶くのを聞けば、病気の馬であるということを知ることになり、好き勝手に走り回るのはどこにでもいる腕白小僧どもであらう。

灶靜愁煙,絲繁念鬢衰。

ここに、自分は、竈静かにして、飯を炊かないから、朝餉の煙も上らず、白髪は絲の如くたくさん増えてきており、両鬢の衰えて来るのを心配になってくるのである。

擬鹽吟舊句,授簡慕前規。

そこで、塩に喩えたという旧句を吟じ、紙をあたえて何か作れと命ぜられたその先例を慕って、この詩を作った。