中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2016年01月

韓愈128《 巻01-13南山詩 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1657> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7261

韓愈  南山詩 #11

茫如試矯首,塞生怐懋。威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

拘官計日月,欲進不可又。因緣窺其湫,凝湛閟陰
ここでは、定めて、山が善く見えるだろうといふので、茫然として、首を奉げたけれども、鼻の先に山がつかえて、何も見えないから、はては、煩悶をますばかりである。元來、この山は、遠望すれば、威容凛然としているけれども、側へくると、極めて平凡になって、蕭爽としてそびえて居る景色は、全く失われて、今まで見なかった新しい景色は、格別の趣もなく、やはりこれまで終南山を見た方がよかったと思われるので、心の中では迷うばかりである。されば、山全体を見るには、是非絶頂を窮めねばならないということだが、自分は、官吏で、種種の俗務に拘束されて居て、登山には、かなりの時日を要するから、それも出来ず、進もうと思っても、つづいて行くにも行かぬところから、その時も、亦た山を中止して仕舞った。しかし、折角、ここまできたのだから、どこか面白い景色はなかろうかというので、その邊を辿り行くと、例の谷川のところにきたり、そこには、一つの湫潭がある。その沼は、湛然としで碧色を凝らし、陰獸である蛟が、その主として棲んで居る。

韓愈128

01-13

南山詩

113942

806年貞元22 39-1

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年:806年貞元22 39-1)<1657

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

 

#8

昆明大池北,去覿偶晴晝。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

微瀾動水面,踴躍躁猱

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

#9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものである。

#8

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#9

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

10

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういう事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思ったのである。

還疑造物意,固護蓄精祐。

しかし、よく考へると、この岡巒を作ったのは、もと造物主の神業で、その本意は、これを以て、山の精霊を保護するためである。

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

されば、たとい巨霊や兮蛾の餘勇を買い得て、十分、その岡を切り開くちからがあるといえども、それでは、造物主の本意に運ぶことで、雷電を起して、ひどく叱りつけられることがないとも限らぬから、ここはやめておくほうが良いとする。

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

そこで仕方がないから、藤蘿に縋りついて、自分の手足を抜き取りながら、やつとの思いで、山を越し、礫が石だたみのように成って居る谷川のところへ、よろよろと、やつとの事で遣って来た。

11

茫如試矯首,堛塞生怐懋。

ここでは、定めて、山が善く見えるだろうといふので、茫然として、首を奉げたけれども、鼻の先に山がつかえて、何も見えないから、はては、煩悶をますばかりである。

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

元來、この山は、遠望すれば、威容凛然としているけれども、側へくると、極めて平凡になって、蕭爽としてそびえて居る景色は、全く失われて、今まで見なかった新しい景色は、格別の趣もなく、やはりこれまで終南山を見た方がよかったと思われるので、心の中では迷うばかりである。

拘官計日月,欲進不可又。

されば、山全体を見るには、是非絶頂を窮めねばならないということだが、自分は、官吏で、種種の俗務に拘束されて居て、登山には、かなりの時日を要するから、それも出来ず、進もうと思っても、つづいて行くにも行かぬところから、その時も、亦た山を中止して仕舞った。

因緣窺其湫,凝湛閟陰嘼。

しかし、折角、ここまできたのだから、どこか面白い景色はなかろうかというので、その邊を辿り行くと、例の谷川のところにきたり、そこには、一つの湫潭がある。その沼は、湛然としで碧色を凝らし、陰獸である蛟が、その主として棲んで居る。10

巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。

力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。

攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。

11

茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。

咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。

官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。

因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。

43

魚蝦可俯掇,神物安敢寇。

魚蝦【ぎょか】は俯して掇【ひろ】うべきも、神物は安んぞ敢えて冦【こう】せんや。

44

林柯有葉,欲墮鳥驚救。

林柯【りんか】に脱【お】つる葉有り、堕ちんと欲っすれば鳥驚き救う。

45

爭銜彎環飛,投棄急哺鷇。

争い銜【ふく】んで彎環【わんかん】として飛び、投げ棄つること鷇【こう】に哺するよりも急なり。

46

旋歸道回睨,達櫱壯復奏。

鏇【めぐ】り帰って道より回【かえ】り睨【み】れば、達【たつげつ】として壮にして復た奏【あつ】まる。

47

吁嗟信奇怪,峙質能化貿。

籲嗟【ああ】信に奇怪【きかい】なり、峙質【じしつ】も能く化貿【かぼう】す。

48

前年遭譴謫,探歷得邂逅。

前年【ぜんねん】鑓鏑【けんたく】に遭い、探歴【たんれき】して邂逅【かいこう】することを得たり。

49

初從藍田入,顧盻勞頸脰。

初じめ藍田【らんでん】より入りしとき、顧盻【こべん】して頸脰【けいとう】を労す。

50

時天晦大雪,淚目苦朦瞀。

時に 天 晦【くろ】うして大いに雪ふり、涙の目は苦【はなは】だ矇瞀【もうぼう】たり。

 

 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

11

茫如試矯首,塞生怐懋。

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

拘官計日月,欲進不可又。

因緣窺其湫,凝湛閟陰

(下し文)
11

茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、塞【ひつそく】として怐【こうぼう】を生ず。

咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。

官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。

因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。

(現代語訳)
11

ここでは、定めて、山が善く見えるだろうといふので、茫然として、首を奉げたけれども、鼻の先に山がつかえて、何も見えないから、はては、煩悶をますばかりである。

元來、この山は、遠望すれば、威容凛然としているけれども、側へくると、極めて平凡になって、蕭爽としてそびえて居る景色は、全く失われて、今まで見なかった新しい景色は、格別の趣もなく、やはりこれまで終南山を見た方がよかったと思われるので、心の中では迷うばかりである。

されば、山全体を見るには、是非絶頂を窮めねばならないということだが、自分は、官吏で、種種の俗務に拘束されて居て、登山には、かなりの時日を要するから、それも出来ず、進もうと思っても、つづいて行くにも行かぬところから、その時も、亦た山を中止して仕舞った。

しかし、折角、ここまできたのだから、どこか面白い景色はなかろうかというので、その邊を辿り行くと、例の谷川のところにきたり、そこには、一つの湫潭がある。その沼は、湛然としで碧色を凝らし、陰獸である蛟が、その主として棲んで居る。


(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #11

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

茫如試矯首,堛塞生怐愗。

ここでは、定めて、山が善く見えるだろうといふので、茫然として、首を奉げたけれども、鼻の先に山がつかえて、何も見えないから、はては、煩悶をますばかりである。

105 茫如 如は、然などと同じく形容詞につく語尾。ボーッとしたままで。なにげなく。

106 矯首 あたまを上向ける。

107 堛塞 堛は、土くれ。堛塞は、土くれがいっぱいつまっているさま。

108 恂悲 おろかなさま。ここでは、どうしてよいかわからず、途方にくれたことをいう。

 

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

元來、この山は、遠望すれば、威容凛然としているけれども、側へくると、極めて平凡になって、蕭爽としてそびえて居る景色は、全く失われて、今まで見なかった新しい景色は、格別の趣もなく、やはりこれまで終南山を見た方がよかったと思われるので、心の中では迷うばかりである。

109 威容 南山のりっぱなすがた。雄々しき姿。

110 蕭爽 ものさびしいさま。

111 近新迷遠旧 南山の近い新しい風景が、遠くから見ていた以前の風景とちがうので、迷ってしまうこと。

 

拘官計日月,欲進不可又。

されば、山全体を見るには、是非絶頂を窮めねばならないということだが、自分は、官吏で、種種の俗務に拘束されて居て、登山には、かなりの時日を要するから、それも出来ず、進もうと思っても、つづいて行くにも行かぬところから、その時も、亦た山を中止して仕舞った。

112 拘官 官吏の生活にしばられる。

113 計日月 日月をかぞえてみる。官吏として出動すべき月ロまでの日数を計算してみたわけである。

114 欲進不可又 この道から進もうとしたがそれ以上できない。

 

因緣窺其湫,凝湛閟陰獸。

しかし、折角、ここまできたのだから、どこか面白い景色はなかろうかというので、その邊を辿り行くと、例の谷川のところにきたり、そこには、一つの湫潭がある。その沼は、湛然としで碧色を凝らし、陰獸である蛟が、その主として棲んで居る。

115 囚縁窺其湫 杜墅より山にはいって、雨山の山中にある池を見たことである。・因縁:ついでにということ。其湫の湫は、いけ。これは、南山の中にあって雨乞いの場所であった炭谷湫をさす。韓愈には、「炭谷湫の祠堂に題す」という詩(集巻五)もある。

116 凝湛 瀞とに水がたたえられているさま。

117 閟 かくれすまわせている。

118 陰獸【いんきゅう】 獸は、畜と同じ。家畜という考え方でこの池に飼っている蛟のことをいう。蛟を畜とすることは、『礼記』「礼運篇」に見えるという。

 

 


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韓愈  南山詩 #10

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。還疑造物意,固護蓄精祐。

力雖能排斡,雷電怯呵詬。攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういう事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思ったのである。しかし、よく考へると、この岡巒を作ったのは、もと造物主の神業で、その本意は、これを以て、山の精霊を保護するためである。されば、たとい巨霊や兮蛾の餘勇を買い得て、十分、その岡を切り開くちからがあるといえども、それでは、造物主の本意に運ぶことで、雷電を起して、ひどく叱りつけられることがないとも限らぬから、ここはやめておくほうが良いとする。そこで仕方がないから、藤蘿に縋りついて、自分の手足を抜き取りながら、やつとの思いで、山を越し、礫が石だたみのように成って居る谷川のところへ、よろよろと、やつとの事で遣って来た。

韓愈128

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南山詩

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806年貞元22 39-1

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1)<1655

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

 

#8

昆明大池北,去覿偶晴晝。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

微瀾動水面,踴躍躁猱

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

#9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものである。

#8

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#9

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

10

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういう事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思ったのである。

還疑造物意,固護蓄精祐。

しかし、よく考へると、この岡巒を作ったのは、もと造物主の神業で、その本意は、これを以て、山の精霊を保護するためである。

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

されば、たとい巨霊や兮蛾の餘勇を買い得て、十分、その岡を切り開くちからがあるといえども、それでは、造物主の本意に運ぶことで、雷電を起して、ひどく叱りつけられることがないとも限らぬから、ここはやめておくほうが良いとする。

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

そこで仕方がないから、藤蘿に縋りついて、自分の手足を抜き取りながら、やつとの思いで、山を越し、礫が石だたみのように成って居る谷川のところへ、よろよろと、やつとの事で遣って来た。

12

茫如試矯首,堛塞生怐懋。

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

拘官計日月,欲進不可又。

因緣窺其湫,凝湛閟陰嘼。

10

巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。

力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。

攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。

11

茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。

咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。

官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。

因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。

 

 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

還疑造物意,固護蓄精祐。

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

(下し文)
10

巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。

力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。

攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。

(現代語訳)
10

むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういう事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思ったのである。

しかし、よく考へると、この岡巒を作ったのは、もと造物主の神業で、その本意は、これを以て、山の精霊を保護するためである。

されば、たとい巨霊や兮蛾の餘勇を買い得て、十分、その岡を切り開くちからがあるといえども、それでは、造物主の本意に運ぶことで、雷電を起して、ひどく叱りつけられることがないとも限らぬから、ここはやめておくほうが良いとする。

そこで仕方がないから、藤蘿に縋りついて、自分の手足を抜き取りながら、やつとの思いで、山を越し、礫が石だたみのように成って居る谷川のところへ、よろよろと、やつとの事で遣って来た。


(訳注) 10

《 巻01-13南山詩 》 #10

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)


巨靈與誇蛾,遠賈期必售。

むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういう事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思ったのである。

105 巨霊 黄河の神の名。伝説によれば、むかし陝西省の華山は、黄河のまん中につっ立っていて、黄河はこの山を迂回して流れていた。そこで巨霊が、手足で山を二つにひき分けて、華山と山西省の首陽山にし河流を通した、という。

106 誇蛾 むかしの神力ある者の名。愚公という人が、じゃまになる太行・王屋の二山を、子孫まで総がかりで、移そうとしたとき天帝がその志をあわれんで、誇蛾氏の二子に命じて、その二山を移さしめられたという。「列子」湯問篇に見える有名な愚公移山の故事である。

107 遠賈期必售 巨霊と誇蛾が遠くここまで山を裂く力を売りに来ればそれがきっと売れるだろうと期待できる。賈は商う。売り買いともに用いるが、ここは売る方である。は売れる。力を売買する話ではないが、よく似たことがらで、恐らくこの着想のもととなったものに、「左伝」成公二年、斉の高固のことば「勇ならんと欲っする者は余が余勇を賈え。」がある。 

『列子、湯問篇「愚公移山」』

「太行、王屋二山,方七百里,高萬仞。本在冀州之南,河陽之北。 北山愚公者,年且九十,面山而居。懲山北之塞,出入之迂也,聚室而謀曰:吾與汝畢力平險,指通豫南,達于漢陰,可乎?雜然相 許。其妻獻疑曰:以君之力,曾不能損魁父之丘,如太行王屋何? 且焉置土石?雜曰:投諸渤海之尾,隱土之北。遂率子孫荷擔者 三夫,扣石墾壤,箕畚運于渤海之尾。鄰人京城氏之孀妻,有遺男 ,始齔,跳往助之。寒暑易節,始一反焉。河曲智叟,笑而止之, 曰:甚矣,汝之不惠。以殘年餘力,曾不能毀山之一毛,其如土石 何?北山愚公長息曰:汝心之固,固不可徹,曾不若孀妻弱子。雖 我之死,有子存焉子又生孫,孫又生子子又有子,子又有孫。 子子孫孫,無窮匱也。而山不加增,何苦而不平?河曲智叟亡以應。 操蛇之神聞之,懼其不已也,告之于帝。帝感其誠,命夸娥氏二子 負二山,一厝朔東,一厝朔南。自此,冀之南,漢之陰,無隴斷焉。」

 

還疑造物意,固護蓄精祐。

しかし、よく考へると、この岡巒を作ったのは、もと造物主の神業で、その本意は、これを以て、山の精霊を保護するためである。

108 還疑 還は、それでもやはり。疑は、ではないかと思う。

109 造物 道。造物主。この天地自然を造った神。『烈子、周穆王』「造物主、其巧妙、其功深、固難窮難終。」(造物主、其の巧妙にして、其の功深く、固より難窮難終)

110 精祐 徴妙な造物主のしわざをいう。祐は、神の助けということ。ここは山に対していろいろ造物主が施こして加えた力をいう。

 

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

されば、たとい巨霊や兮蛾の餘勇を買い得て、十分、その岡を切り開くちからがあるといえども、それでは、造物主の本意に運ぶことで、雷電を起して、ひどく叱りつけられることがないとも限らぬから、ここはやめておくほうが良いとする。

111 排斡 斡は、まわすこと。排斡で、おしのけ動かすことをいう。

112 雷電 かみなりといなずま。

113 怯 びくびくと心配する。

114 呵詬 呵は、しかりつける。詬は、ののしる。

 

攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。

そこで仕方がないから、藤蘿に縋りついて、自分の手足を抜き取りながら、やつとの思いで、山を越し、礫が石だたみのように成って居る谷川のところへ、よろよろと、やつとの事で遣って来た。

115 攀緣 よじのぼる。攀緣は、よじる。縁は、たよって行く。

116 脱手足 手をはなし足をふみはずすことであろう。よじのぼっていくうちに、ふみはずし、崖下に落ちたということ。

117 蹭蹬 よろよろするさま。

118 積甃 甃は、井戸のまわりに積む煉瓦。この積甃とは、煉瓦のような石のつみかさなった堆積岩をいう、谷底まで続いているのであろう。

 


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韓愈  南山詩 #9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものの、むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういふ事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思った。

韓愈128

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南山詩

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806年貞元22 39-1

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1)<1655

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

31

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

32

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

33

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

34

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

35

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

36

還疑造物意,固護蓄精祐。

還疑造物意,固護蓄精祐。

37

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

38

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

39

茫如試矯首,堛塞生怐懋。

茫如試矯首,堛塞生怐【案:音寇。】懋【案:音茂。】。

40

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

41

拘官計日月,欲進不可又。

拘官計日月,欲進不可又。

42

因緣窺其湫,凝湛閟陰嘼。

因緣窺其湫【案:南山有炭谷湫。】,凝湛閟陰嘼【案:音嗅。〈禮運〉:「龍以為嘼。」謂湫中蛟也。】【凝湛閟陰獸】。

31

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

32

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

33

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

34

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

35

巨靈與夸蛾,遠賈期必售。

巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

36

還疑造物意,固護蓄精祐。

還た疑ごう 造物の意、固く護って精祐【せいゆう】を蓄【たくお】うるかと。

37

力雖能排斡,雷電怯呵詬。

力 排斡【はいあつ】するに能【た】えたりと雖も、雷電して呵詬【かこう】せんことを怯る。

38

攀緣手足,蹭蹬抵積甃。

攀緣【はんえん】すれば手足【しゅそく】を脱して、蹭蹬【そうとう】として積甃【せきしゅう】に抵【いた】る。

39

茫如試矯首,堛塞生怐懋。

茫如【ぼうじょ】として試みに首を矯【あ】ぐれば、堛塞【ひつそく】として怐愗【こうぼう】を生ず。

40

威容喪蕭爽,近新迷遠舊。

咸容【いよう】喪しなわれて蕭爽【しょうそう】たり、近新【きんしん】遠旧【えんきゅう】に迷う。

41

拘官計日月,欲進不可又。

官に拘【つな】がれて日月を計【かぞ】うるに、進まんと欲っすれども又【ふたたび】すべからず。

42

因緣窺其湫,凝湛閟陰嘼。

因縁【いんえん】して其の湫【しゅう】を窺【うたが】えば、凝湛【ぎょうたん】として陰獸【いんきゅう】を閟【と】ざす。

 

#7

藩都配德運,分宅占丁戊。

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。

#7

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

#8

昆明大池北,去覿偶晴晝。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

微瀾動水面,踴躍躁猱

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

#9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものの、むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういふ事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思った。

#8

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#9

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

 

秦嶺山脈終南山 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

(下し文)
#9

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

(現代語訳)
#9

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。

やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。

その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。

その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものの、むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういふ事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思った。

Nature1-003
(訳注) #9

《 巻01-13南山詩 》 #8

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。

この前におとずれたとき、ここには猿などが人を恐れずして翠居する位、路の奇険は、いうまでもないので、唯だ水の此方から山を望んだだけ、その水を渡って、南山まで登って行かうといふ勇気も出す、その時も亦た失敗して仕舞ったが、今度は、杜陵から南山に登ろうと行って見たのであって、まもなく、畢原に差しかかると、頻りに塵埃が起って目を眩まし、いかにもうるさかったが、どうやらこうやらして、その原を横断した。

88 前尋 この前におとずれたとき。以下この段は、かつて杜陵()を経て、南山に分け入ったときのことである。

89 径 まっすぐにとおりぬける。

90 杜墅 長安の南の郊外にある杜陵のこと。墅は、田園、荘園。

91 忿蔽 塵土がかぶさってうすぎたないさま。忿は、塵のことであるが、ここは忿蔽で形容詞的に用いられている。

92 畢原陋 畢原は、長安萬年縣の西南二十八里郊にあって、周の文王・武王・周公を葬むった土地。ここは、そういう聖人たちを葬むった畢原も、塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっているということ。

杜甫『奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 『夏日李公見訪 哀江頭 自京赴奉先縣詠懷五百字 醉時歌 

李白『杜陵絶句

「南登杜陵上、北望五陵間。秋水明落日、流光滅遠山。」

 

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

やがて山道に差しかかると、崎嶇甚だしく、やがて、少し高い処へ辿り着くと、眼界が豁然として開け、大に眺望を縦にすることができた。うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。

93 崎嘔 山道のでこぼこしたさま。

94 軒昂 軒は、中国古代の馬車で前方の高いこと。そこから高いことをいう。昂も高いこと。軒昂は、高く盛りあがったさま。

95 始得 そこでやっと……できた。

96 観覧富 ながめが変化に富んでいること。

 

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

その處を行き行きて、将に窮まろうとするとき、岡巒と平原とが交互に入り乱れて居て、地の高低は極めて甚だしい。だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。

97 行行 ぼつぼつ行く。古詩十九首「行行重行行。」とある。魏の武帝、《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)、 謝惠運《西陵遇風獻康楽 その3》「行行道轉遠,去去情彌遲。」(行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。)

98 遂窮 ことのついでに山頂をきわめる。おわりまで行くことが、窮である。

99 嶺陸 嶺は、みね。陸は、おか、高原。

100 煩互走 けわしいみねと、なだらかな丘陵とがうるさくいりまじってつらなっていて、いつまで行っても全体が見はらせないのである。

 

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

その岡などの為に、山が遮られて見えなくなるので、勃然として腹を立て、その岡をことごとく切ら開いて仕舞いたい、おのが眼界を壅蔽して居るから、断じて、容赦はできないと思ったものの、むかし華山を裂いた巨霊や、愚公の手伝いをした兮蛾の餘勇を買えば、はじめて、そういふ事ができると思われるので、定めて、その餘勇を買って居るだろうから、遠くに出かけて買ってきたいと思った。

101 勃然 急に興奮するさま。

102 坼裂 避ける意味を強調される。

103 擁掩 おおいかくす。

104 難恕宥 山があたりの見晴らしをおおいかくしているのを、大目に見ておれぬ、というのである。

韓愈128 巻01-13 南山詩 #8(27~30) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7251

韓愈  南山詩 #8

昆明大池北,去覿偶晴晝。綿聯窮俯視,倒側困清漚。

微瀾動水面,踴躍躁猱驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

韓愈128

01-13

南山詩

82730

806年貞元22 39-1

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1)<1655

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

1

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

2

東西兩際海,巨細難悉究。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

3

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

4

團辭試提挈,挂一念萬漏。

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

5

欲休諒不能,粗敘所經覯。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

6

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

7

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

8

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

9

無風自飄簸,融液煦柔茂。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

10

橫雲時平凝,點點露數岫。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

11

天空浮修眉,濃綠畫新就。

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

12

孤撐有巉,海浴褰鵬噣。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

13

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

14

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

15

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。

16

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。

17

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って【や】せ瘦【や】せたり。

18

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。

19

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。

20

新曦照危峨,億丈恆高袤。

新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

21

明昏無停態,頃刻異狀候。

明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。

22

西南雄太白,突起莫間簉。

西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。

23

藩都配德運,分宅占丁戊。

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

24

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

25

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

26

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

27

昆明大池北,去覿偶晴晝。

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

28

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

29

微瀾動水面,踴躍躁猱狖。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

30

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

31

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

32

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

33

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

34

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

 

#7

藩都配德運,分宅占丁戊。

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。

#7

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

#8

昆明大池北,去覿偶晴晝。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

微瀾動水面,踴躍躁猱

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

#9

前尋徑杜墅,坌蔽畢原陋。

崎嶇上軒昂,始得觀覽富。

行行將遂窮,嶺陸煩互走。

勃然思坼裂,擁掩難恕宥。

#8

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#9

前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。

崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。

行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。

勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。

 

yoshu&choan736 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#8

昆明大池北,去覿偶晴晝。

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

微瀾動水面,踴躍躁猱

驚呼惜破碎,仰喜呀不仆。

(下し文)
#8

昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。

綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。

微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱【どうゆう】躁【さわ】ぐ。

驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

(現代語訳)
#8

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

京兆地域図002
(訳注)#8

《 巻01-13南山詩 》 #8

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

昆明大池北,去覿偶晴晝。

それから、昆明池の北岸までかえってきたのであつたが、そうしたら、からりと晴れた天気になっていた。

88 昆明大池北 南山のふもとから長安城の西南にある昆明池にもどってきたことをいう。昆明池は、長安の西南にある大きな池で、当時、周囲四十里(約20km)あったという。(E-2)あたりであったという。漢の武帝が紀元前121年の元狩二年に掘らせたが、四世紀ごろより水が涸れていた。唐の797年貞元十三年に、それを浚渫したというから、この806年元和元年には、水が湛えられていた。南山は、昆明池からすれば、南にあたるから、池の北がわの都からは、南山が水面にかげをおとしているのを見ることができるわけである。

89 去覿 覿は、ここでは、見ること。去覿は、現代中国語の「去看」と同じく、「見に行く」という意である。

90 偶 偶然。おりよく。太白山では曇っていたのに長安に戻る途中にははれ上がってきたということ。

 

綿聯窮俯視,倒側困清漚。

昆明池の水面にうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、その眺めやる景色は、極めて宜しく、綿綿として長く績ける山の影を清く澄める池に例に映ってそばだち、逆さに傾きつつ、水面に入りきらない山々は困り顔に見えるのである。

91 綿聯 聯綿と同じく、ひきつづいて長くつらなっているさま。

92 窮俯視 うつむいて池にうつる南山の影を見るリ、その影がどこまでも連綿とつづいていることをいう。窮は、そのはてまで行くということ、ここでは、池の面のはてまで見てもなお山の影がつづいているということ。

93 倒側 山の影がさかさにかたむいて映っている。

94 困清漚 漚は、ひたすこと。南山の影が清らかな水にひたされてこまっている、ということであろう。

 

微瀾動水面,踴躍躁猱狖。

水面に一ぱいところ狭きもので、湖面が却って迷惑に思いそうな位であり、そして、猿などが、木の上に居るが、糜爛が水面に動揺するとき、そこに寫れるを、自分の影とは知らす、動かされている。

95 微瀾 瀾は、なみ。水表面の上に波が波及する様子。かさぶた状になっている。

96 踊躍 はねまわる。

97 猱狖 猱、狖もさるの類。泣き方が違う猿のこと。また、狖は尾が長い猿で悲鳴のように泣く。猱は、鼠の類で、くるくるよくまわるというから、りすざるをいい、騒がしい猿である。

98 躁 さわぐ。狂躁。さるは、水面にうつる自分たちのかげが、さざなみにつれてゆれ動き、自分がもみけされそうに見えるのにびっくりしてさわぐことをいう。

 

驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。

水面に映る猿の身が砕けようとするのをみて、そしてその影におどろき、さけび、仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。

99 呀不僕 呀は、牙を出して哭く猿の口の形容であるが、ここは、さるの「キィーッ」という鳴き声をうつしたもの。水に映っていること、木から落ちていないことなどについて喜びさわいでいる様子をいう。
 

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韓愈128 巻01-13 南山詩 #7(23~26) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231

韓愈  南山詩 #7

藩都配德運,分宅占丁戊。逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。

韓愈128

01-13

南山詩

72326

806年貞元22 39-1

 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

詩 聯

(含異文・案内)

19

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

20

新曦照危峨,億丈恆高袤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

21

明昏無停態,頃刻異狀候。

明昏無停態,頃刻異狀候【案:已上敘四時變態。】。

22

西南雄太白,突起莫間簉。

西南雄太白,突起莫間簉。

23

藩都配德運,分宅占丁戊。

藩都配德運,分宅占丁戊【案:音茂。】。

24

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

25

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

26

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

 

 

5

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。

#6

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬の季節なると、曇り勝で、墨を流したような真っ黒な雲ができて、やがて、鉛色の空は、氷雪を降らし、その氷雪が、工に琢鏤をなして居る。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

清廉な時、そこへ朝日が高い峰を照らすと、霊賢な光のひろがりは山は高さと廣さとをましたように見える。

明昏無停態,頃刻異狀候。

四季の変化は、かくの如く、一日の中でも、朝と晩とは違うので、少しもじっとしては居らず、頃刻の間と雖も、状候が互に異なって居る。

西南雄太白,突起莫間簉。

終南山のある秦嶺山脈の西端にあるのが最高峰、太白山であり、ひときわ雄視して居る。この山は、連なる山々を隔て独立して居て、其傍に交って副侍するものないのである。

#7

藩都配德運,分宅占丁戊。

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。

#5

夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。

秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って【や】せ【や】せたり

參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。

#6

冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。

新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。

西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり【まじ】わること莫し。

#7

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

 

 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

藩都配德運,分宅占丁戊。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

(下し文)
#7

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

(現代語訳)
#7

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。

又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。

しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。

じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。


(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #5

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

藩都配德運,分宅占丁戊。

長安の藩屏としてまもり、徳運に配すべく、終南山が分家をして、丁戊、即ち西南の位置を占めたものと見える。

71 藩都 藩は、かきね。都なる長安の垣根として太白山、終南山と崋山がつったっている。

72 配徳運 先秦以来、各朝代には、それぞれその朝が尊ぶ五行の徳が定められており、唐は土徳であるとされた。西府は、易の八卦で坤位にあたり、坤は、地すなわち土をあらわすから、「徳運に配す」というのである。つまり最高峰の太白山から他の山々にその気を、徳を配分、配当しているという。

73 分宅 太白山が、終南山脈中でもほかの山山とははなれて、別の家をかまえるように、特別の位置を占めていることをいう。

74 丁戊 西南の方角をいう。

 

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

又南山にある谷を逍遥して、遠く其坤位を越え、折り返して、東北なる乾の方角に低地になって山の尾をはねかえして広範囲に広がっている。そこで、この太白山に遊んで、それから、終南の本山へ行こうと思ったが、とうとう行かれなかった。

75 逍遙 【しょうよう】気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。「南山にある谷を散歩する。

76 坤位 西南の方位。

77 詆訐【テイケツ】欠点をあばいて、とことんまでつきつめる。

78 乾竇 乾は、西北の方位。資は、あな。ここは、長安の南西と西の渭水流域、西北の方位が、涇水流域となって、広範囲、低地となっていることをいう。

 

空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。

しかし、その時、大空は非常に寒く、風気は、さながら垢離でも取った様であり、その地はすべてがむなしく風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。

79 空虚 がらんとなにもないさま。

80 競競 ひやひやと気づかうさま。

81 較 かなり。

82 蒐漱 蒐は、さあっと風の速いさま。漱も、ここでは蒐と同じような意味。

 

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

じつは夏の眞盛りで、太陽が夏至線にあたって焼き付ける時分で、ここでは、空が掻き曇って、大粒な霞が、ばらばらと降ってきたくらいで、まことに凄寒にして険悪な天候であったかち、折角の企をも中止して、引返して仕舞った。

83 朱維 朱は、五行思想で夏を朱明というように、夏をあらわす色。維はつな。朱維は、夏の太陽の軌道ということ。

84 方 ちょうどそのときにあたる。

85 陰霰 陰の気がこりかたまってできたあられ。

86 縦 思うままに。

87 騰糅 地上にあられが降り、落ちて飛び跳ね揉み合っている様子。

 


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韓愈128 巻01-13 南山詩 #6(19~22) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231

韓愈  南山詩 #6

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。新曦照危峨,億丈恆高袤。

明昏無停態,頃刻異狀候。西南雄太白,突起莫間簉。

冬の季節なると、曇り勝で、墨を流したような真っ黒な雲ができて、やがて、鉛色の空は、氷雪を降らし、その氷雪が、工に琢鏤をなして居る。清廉な時、そこへ朝日が高い峰を照らすと、霊賢な光のひろがりは山は高さと廣さとをましたように見える。四季の変化は、かくの如く、一日の中でも、朝と晩とは違うので、少しもじっとしては居らず、頃刻の間と雖も、状候が互に異なって居る。終南山のある秦嶺山脈の西端にあるのが最高峰、太白山であり、ひときわ雄視して居る。この山は、連なる山々を隔て独立して居て、其傍に交って副侍するものないのである。

韓愈128

01-13

南山詩

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806年貞元22 39-1

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  2016年1月26日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

詩 聯

(含異文・案内)

19

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

20

新曦照危峨,億丈恆高袤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

21

明昏無停態,頃刻異狀候。

明昏無停態,頃刻異狀候【案:已上敘四時變態。】。

22

西南雄太白,突起莫間簉。

西南雄太白,突起莫間簉。

23

藩都配德運,分宅占丁戊。

藩都配德運,分宅占丁戊【案:音茂。】。

24

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

25

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

26

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

 

 

南山詩 #1(26分割)

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

橫雲時平凝,點點露數岫。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

5

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。

#6

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬の季節なると、曇り勝で、墨を流したような真っ黒な雲ができて、やがて、鉛色の空は、氷雪を降らし、その氷雪が、工に琢鏤をなして居る。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

清廉な時、そこへ朝日が高い峰を照らすと、霊賢な光のひろがりは山は高さと廣さとをましたように見える。

明昏無停態,頃刻異狀候。

四季の変化は、かくの如く、一日の中でも、朝と晩とは違うので、少しもじっとしては居らず、頃刻の間と雖も、状候が互に異なって居る。

西南雄太白,突起莫間簉。

終南山のある秦嶺山脈の西端にあるのが最高峰、太白山であり、ひときわ雄視して居る。この山は、連なる山々を隔て独立して居て、其傍に交って副侍するものないのである。

#7

藩都配德運,分宅占丁戊。

逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。

空虛寒兢兢,風氣較搜漱。

朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

#5

夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。

秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って【や】せ【や】せたり

參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。

#6

冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。

新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。

西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり【まじ】わること莫し。

#7

都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。

逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。

空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

 

朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。

 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

明昏無停態,頃刻異狀候。

西南雄太白,突起莫間


(下し文)
#6

冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。

新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。

西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり【まじ】わること莫し

(現代語訳)
#6

冬の季節なると、曇り勝で、墨を流したような真っ黒な雲ができて、やがて、鉛色の空は、氷雪を降らし、その氷雪が、工に琢鏤をなして居る。

清廉な時、そこへ朝日が高い峰を照らすと、霊賢な光のひろがりは山は高さと廣さとをましたように見える。

四季の変化は、かくの如く、一日の中でも、朝と晩とは違うので、少しもじっとしては居らず、頃刻の間と雖も、状候が互に異なって居る。

終南山のある秦嶺山脈の西端にあるのが最高峰、太白山であり、ひときわ雄視して居る。この山は、連なる山々を隔て独立して居て、其傍に交って副侍するものないのである。


(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #5

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬の季節なると、曇り勝で、墨を流したような真っ黒な雲ができて、やがて、鉛色の空は、氷雪を降らし、その氷雪が、工に琢鏤をなして居る。

59 冬行 冬の間、冬の季節。行は、運行、めぐりあわせ、その間ということ。

60 幽墨 幽はくらい、墨はすみ。冬は、五行思想で玄(黒)、北、重陽、辰星(水星)で、水であり、黒色に相当する。鉛色の空。

61 琢鏤 琢は、玉に細工する。鏤は、彫刻する。樹氷を言う。

 

新曦照危峨,億丈恒高袤。

清廉な時、そこへ朝日が高い峰を照らすと、霊賢な光のひろがりは山は高さと廣さとをましたように見える。

62 新曦 曦は、日のひかり。新曦では、清廉な時、出たばかりの朝日。

63 危峨 山のけわしい形容。

64 億丈恒高洸 高袤は、高さとひろさ。ここは、「高袤恒に億丈」という意で、いつも億丈の高さとひろさとを、朝日が照らすということであろう。

丈は約3m。「広」は東西の、「袤」は南北の長さの意》幅と長さ。広さ。面積。

 

明昏無停態,頃刻異狀候。

四季の変化は、かくの如く、一日の中でも、朝と晩とは違うので、少しもじっとしては居らず、頃刻の間と雖も、状候が互に異なって居る。

65 明昏 明は、夜明け、あさ。昏は、夕ぐれ。だからあさゆうということ。

66 停態 状態をそのままにしている。

67 頃刻 ほんのしばらくのあいだ。

68 状候 候も、状と同じく有様ということ。徴候の候である。

 

西南雄太白,突起莫間簉。

終南山のある秦嶺山脈の西端にあるのが最高峰、太白山であり、ひときわ雄視して居る。この山は、連なる山々を隔て独立して居て、其傍に交って副侍するものないのである。

69 西南雄太白 この段は、終南山脈のうちの一峰で西端の最高峰、太白山3760mのことである。

70 間簉 間は、なかをへだてる。簉は、そえものとしてくっついていること。

 

 

 

 

 

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韓愈128《 巻01-13南山詩 -5  韓愈(韓退之)  806年貞元22 39-1)<1649> Ⅱ 

韓愈  南山詩 5

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。神靈日歊歔,雲氣爭結構。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。參差相疊重,剛耿陵宇宙。

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。

韓愈128

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

詩 聯

(含異文・案内)

11

天空浮修眉,濃綠畫新就。

天空浮修眉,濃綠畫新就。

12

孤撐有巉,海浴褰鵬噣。

孤撐有巉,海浴褰鵬噣【案:音晝。・以上敘南山大概。】。

13

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

14

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎【案:音宙。】。

15

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

16

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

神靈日歊【案:音枵。】歔,雲氣爭結構。

17

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

18

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

參差相疊重,剛耿陵宇宙【剛耿凌宇宙】。

19

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

20

新曦照危峨,億丈恆高袤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

 

 

南山詩 #1(26分割)

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

橫雲時平凝,點點露數岫。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉絕なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

5

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。

#6

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

明昏無停態,頃刻異狀候。

西南雄太白,突起莫間簉。

#5

夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。

秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って【や】せ【や】せたり

參差【しんし】として相い叠重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ。

#6

冬行【とうこう】幽墨【ゆうぼく】なりと雖も,冰雪【ひゃうせつ】工【たく】みに琢鏤【たくろう】す。

新曦【しんぎ】危峨【きが】たるを照らせば,億丈【おくじょう】恒【つね】に高袤【こうぼう】。

明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。

西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。

 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

5

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

秋霜喜刻轢,磔卓立瘦。

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

(下し文)
#5

夏炎 百木【ひゃくぼく】盛んなるときは、蔭鬱【いんうつ】として増すます埋覆【まいふう】す。

神靈 日びに歊歔【きょうきょ】し,雲氣 爭って結構【けっこう】す。

秋霜 刻轢【こくれき】を喜【この】むときは,磔卓【たくたく】として立って【や】せ瘦【や】せたり。

參差【しんし】として相い重【じょうちょう】し,剛耿【ごうこう】として宇宙を陵ぐ

(現代語訳)
5

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。

山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。

秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。

かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。


(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #5

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏のやけつく暑さのころは、種々いろいろの木立が成長し、陰鬱として、その中に埋没せられ、こんもりして山が大きく見える。

45 夏炎 夏のやけつく暑さ。夏は、五行思想で赤、南、火星、火であり、その司る帝は、炎帝である。

46 百木 いろいろの木。

47 蔭鬱 こんもりしているさま・

48 埋覆 覆は、おおうこと

 

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

山の守り神は儼として存在し、もとより神々しい處へ太陽の光が直射して照り付けるから、雲気が自然に生じ、わき上がってさまざまに造型するのである。

49 日歊歔 日は、日日に・歊歔は、照り付ける、山の持っている生命力といえる気を上にふきあげるさま。その気が吐き上げられて雲氣となる。

50 争結構 競争でいろいろの造型をおこなう。桔構は、くみたてる。

 

秋霜喜刻轢,磔卓立瘦。

秋になり露霜が降り始めると、万物を傷める季節になり、草木は枯れて山だけがつっ立ち、やせて骨だけの山になる。

51 刻轢 いためつけること。《史記酷吏列傳序》「高后時, 酷吏獨有侯封, 刻轢宗室, 侵辱功臣。」(高后の時, 酷吏獨り侯封有り, 宗室を刻轢し、功臣を侵辱す。)とある、刻削凌轢、刻んできしる。

52 磔卓 草木が闌れて山だけがつっ立っている形容。

53 瘦 も、やせていること。

 

參差相叠重,剛耿陵宇宙。

かくて、峰巒は、長短不ぞろいのままでそれぞれ重なり合いつつ、枯れ木の立ち木は儒教者の気概のようなきびしさで宇宙を凌いで聳え立つのである。

54 参差 長短不そろいのさま。

56 剛耿 しっかりとして人とたやすく妥協しない儒教者の気概をいう。・耿 明るい,まばゆい.気概がある,公正な.誠実な,忠実な忠心。忠義に篤い.気掛かりな,

57 陵 下に見くだす。

58 宇宙 四次元世界。宇は、空間系であり、宙は、時間系である。

 

 


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韓愈128 巻01-13 南山詩 #4(11~14) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231

韓愈  南山詩 #4

天空浮修眉,濃綠畫新就。孤撐有巉海浴褰鵬噣。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉絕なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

韓愈128

01-13

南山詩

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806年貞元22 39-1

 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7231

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

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詩 聯

(含異文・案内)

11

天空浮修眉,濃綠畫新就。

天空浮修眉,濃綠畫新就。

12

孤撐有巉,海浴褰鵬噣。

孤撐有巉,海浴褰鵬噣【案:音晝。・以上敘南山大概。】。

13

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

14

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎【案:音宙。】。

15

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

夏炎百木盛,蔭鬱增埋覆。

16

神靈日歊歔,雲氣爭結構。

神靈日歊【案:音枵。】歔,雲氣爭結構。

17

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

秋霜喜刻轢,磔卓立臞瘦。

18

參差相疊重,剛耿陵宇宙。

參差相疊重,剛耿陵宇宙【剛耿凌宇宙】。

19

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

冬行雖幽墨,冰雪工琢鏤。

20

新曦照危峨,億丈恆高袤。

新曦照危峨,億丈恆高袤。

 

 

南山詩 #1(26分割)

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

橫雲時平凝,點點露數岫。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉絕なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

 

秦嶺山脈終南山 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

有巉,海浴褰鵬

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

巖巒雖嵂,軟弱類含酎

(下し文)
#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり

(現代語訳)
#4

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。

その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉絕なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。

四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。

この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

Nature1-003
(訳注) #4

《 巻01-13南山詩 》 #3

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

天空浮修眉,濃綠畫新就。

また、雨後の眺めは、良くて、高い空の下に広がるところへ、細長い眉を浮かべ、そのこいみどりに立った今、画き引かれたばかりのようである。

31 修眉 咲は、長い。女性の化粧の一つである長い眉を画がくこと、ここは遠くから見た山のすがたをいう。

32 新就 えがきあげたばかりである。就は、でき上がること。

 

孤撑有巉,海浴褰鵬噣。

その眉のような雲が切れてゆくと、山全体がまた見え始め、その一番高い處の斜の支え柱のような一本柱がきり立っている、その勢いの巉絕なるは、かの大鵬という鳥が、渺茫たる海に水浴し、自分のくちばしをもって海水をとばしているようである。

33 孤撑 撑は、斜に入れる支え柱。孤撑は、ひとつの峰だけが他とはなれて斜につっ立っていること。

34 巉絶 山が切り立っている形容。

35  もちあげる。

36 鵬 鵬は、大鵬で、「荘子」逍逢游篇に出て来る寓話上の巨大な鳥で、その背は何千里あるか分からないほどであり、北海に住み、南海に移動することがある。

北極贈李觀 (北極李観に贈る詩)

北極有羈羽,南溟有沉鱗。川原浩浩隔,影響兩無因。

風雲一朝會,變化成一身。誰言道裏遠,感激疾如神。

我年二十五,求友昧其人。哀歌西京市,乃與夫子親。

所尚同趨,賢愚豈異倫。方為金石姿,萬世無緇磷。

無為兒女態,憔悴悲賤貧。

『荘子、逍逢游篇』「北凕有魚焉,其廣數千里,未有知其修者,其名爲鯤。有鳥焉,其名爲鵬,背若泰山,翼若垂天之雲;摶扶羊角而上者九萬里,絶雲氣,負青天,然後圖南,且適南冥也。去以六月息者也。且夫水之積也不厚,(讀若“”)則其負大舟也無力。

ここから「海浴」ということばがみちびかれる。櫛ぞ島のくちぱし。

 

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

四季の折々に触れて、その眺めを異にするが、春の陽気がそのなかに潜めていた物を潤し始め、水蒸気が次第に立ち込め上ると、それが霞となり、美人の浴後の羅衣を着たかのように濯濯として、新芽が深秀を吐き出すのである。

37 春陽 生物を育てる春の陽気。春を青陽というように、陽は、春の性質とされる。以下ここから一季節四句で、南山の四季の移り変わりを述べている。

38 沮洳 じめじめしたさま。ものをうるおすさま。

39 濯濯 つやつやしているさま。

40 深秀 おく深くめばえているさま。秀は、他よりくらべて目立ってつき出ているさま。ここは草木の芽生え始めを描写している。

 

岩巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

この山は全体が岩山であり、武骨で嶮しいけれど春の時分は、裾をつつむのはやわらかな緑で、物とはなしに軟弱にして、その山の中腹が微酔をおびており、平素の厳格、武骨とは似つかわしくないようであるのである。

41 巌巒 巒は、けわしい小山。巌巒で、とんがった岩の峰をいう。

42 嵂崒 高くてけわしい形容。

43 軟弱 やわらかくてよわよわしい。

44 含酎 酎は、よくかもされたこい酒の雰囲気を持ち、酎を含むとは、山の中腹が微酔をおび、うっとりとした気持ちがあふれていることをいうのである。

 

 

 

《 巻01-13南山詩 》【字解】

1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

○紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

2 吾聞京城南 この最初の一段は、序にあたる部分である。京城は、みやこ長安。

3 茲惟 惟は、ことばの調子をととのえるための助辞。

4 群山太白山、終南山、華山 の秦嶺山脈をいう。終南山は古くから道教、仏教の本山がある。儒虚者の隠遁、修行の場である。

5 囿 本来は、動物を飼っておく囲いのある庭。そこからものが集まっている所をいう。交會地点。

6 両際海 際は、接していること。海は、四方の地のはてにあると考えられた。史記に見えた、舂申君が秦の昭王に上る書に「王の地、一に南海を経」とある。無論、中国の東は、太平洋、西は、西域の先も海であると、インド洋であり、地中海である。東漢の甘英に條支、即ち今の小亜細亜まで行って、地中海を望み、もう行かれねと思って引き返したという記述もある。

7 山経 山のことを書いた書物。「山海経」など。中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。

8 地志 土地の状況を書いた書物。歴代の正史に載せた地理志の類。周禮•職方氏、元和郡縣誌、三輔黄圖、長安志、太平寰宇記など。

《禹貢》、《周禮•職方氏》、《元和郡縣誌》、《山海經》、《太平寰宇記》、《漢中府志》、《武功縣誌》、《十洲記》蠻書、水經注、地記、錄、夢粱錄、佛國記、              船錄、              寺塔記、              三輔黃圖、           廬山記、島夷志略、南嶽小錄、臺灣通史、嶺外代答、武林舊事、東京夢華錄、淳熙三山志、桂林風土記、荊楚時記、嶺表錄異、都城紀勝、洛陽伽藍記、游城南記、溪蠻叢笑、平江記事、大唐西域記、華紀麗譜、真臘風土記、徐霞客遊記、東京夢華錄、洛陽名園記、岳陽風土記

9 茫昧 ぼんやりとよくわからぬ。

10 受授 手ずから伝授する。

11 団辞 団は、団結の意。ことばをあらんかぎり、いろいろとりあつめる。

12 提挈 挈も提と同じく、ひっさげること。大網を提げる。

13 桂一 一つだけをとりあげて。桂は、掛と同じ。

14 萬漏 万もあるそのほかの多数をわすれてしまう。漏万とあるべきところを、押韻の都合で、逆の順序にしてある、

15 欲休諒不能 やめようとおもうがどうしてもやめられない。諒は、実のところ、心中おくそこでは、の愈。

16 經覯 自分が親歴して実際に見たこと。

17 嘗昇崇丘望 この段は、ある高い丘から南山の大観を見たところである。嘗は、そういう経験のあったことを示す助辞。崇は、高いこと。終南山は、華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)太白山3760m、と嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、

のあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

18 戢戢 よりあつまっている形容。

19 稜角 かど。山の稜線をいう。

20 緩脈 いとすじ・山だから尾根すじである。

21 砕分繍 いつもは、大きな尾根すじしか見えないのが、天気がからりとはれたので、こまかい支脈までよく見え、山の稜線は刺繍が零砕して別れているよう、というのである。稜線からグラデーションする山が重なり続く様子を言う。

22 蒸嵐 わき上がる山気。かげろうのようなもので、山をいっそうくっきりと浮き出すような力を持つ。嵐は、山気であって、あらしではない。

23 澒洞 気体がいっしょにいりまじっている形容。

24 通透 つきぬける。

25 飄簸 ふきあげてひす。飄は、吹きあげられること。・簸 箕()で穀物をあおって、くずを除き去る。

26 融液 雨の潤沢によりとけること。

27 煦 あたためること。

28 柔茂 草木をうるおししげらせる。

29 平凝 平らになったままじっとしている。

30 數岫 岫はみね、ピークをいう。それが数多くあること、すなわち谷の筋があることを意味する。

韓愈128 巻01-13 南山詩  #3(7~10) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7226

韓愈  南山詩 #3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

無風自飄簸,融液煦柔茂。橫雲時平凝,點點露數岫。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

韓愈128

01-13

南山詩 

3710

806年貞元22 39-1

 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7226

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韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

詩 聯

(含異文・案内)

1

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾聞京城南,茲惟群山囿。

2

東西兩際海,巨細難悉究。

東西兩際海,巨細難悉究。

3

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

4

團辭試提挈,挂一念萬漏。

團辭試提挈,挂一念萬漏。

5

欲休諒不能,粗敘所經覯。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

6

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

7

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

8

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

蒸嵐相汞【案:胡孔切。】洞,表裡忽通透。

9

無風自飄簸,融液煦柔茂。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

10

橫雲時平凝,點點露數岫。

橫雲時平凝,點點露數岫。

 

 

南山詩 #1(26分割)

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

橫雲時平凝,點點露數岫。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

 

秦嶺山脈終南山 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

橫雲時平凝,點點露數岫。

(下し文)
#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。


(現代語訳)
#3

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #3

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

 

晴明出棱角,縷脈碎分繡。

天気の良い時であったから、山々の稜線がくっきりと錯出仕、絲を引いた山の稜線は刺繍が零砕して別れているようであった。

19 稜角 かど。山の稜線をいう。

20 緩脈 いとすじ・山だから尾根すじである。

21 砕分繍 いつもは、大きな尾根すじしか見えないのが、天気がからりとはれたので、こまかい支脈までよく見え、山の稜線は刺繍が零砕して別れているよう、というのである。稜線からグラデーションする山が重なり続く様子を言う。

 

蒸嵐相澒洞,表里忽通透。

山の間、岩場の空洞から湧き、或は蒸し上がる煙風、山靄は、空闊して、山の表裏でまじりあい、通透すると遠くなる山は霞んで見えなくなる。

22 蒸嵐 わき上がる山気。かげろうのようなもので、山をいっそうくっきりと浮き出すような力を持つ。嵐は、山気であって、あらしではない。

23 澒洞 気体がいっしょにいりまじっている形容。

24 通透 つきぬける。

 

無風自飄簸,融液煦柔茂。

それに、風もない時でも雲が翻って広がり、山を蔽うと、やがて雨を降らし、長安一帯の草木は、雨の潤沢により、これによって温められてうるおい成長するのである。

25 飄簸 ふきあげてひす。飄は、吹きあげられること。・簸 箕()で穀物をあおって、くずを除き去る。

26 融液 雨の潤沢によりとけること。

27 煦 あたためること。

28 柔茂 草木をうるおししげらせる。

 

横雲時平凝,點點露數岫。

それに、今度は、雲にとざされると、山は全く見えなくなり、時として、横雲が平らかに凝結し、その絶え間から、尾根と谷が点点として露出することがある。

29 平凝 平らになったままじっとしている。

30 數岫 岫はみね、ピークをいう。それが数多くあること、すなわち谷の筋があることを意味する。

 

関内道京畿道350万分の一図002 























































































































































































































































































































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韓愈128 巻01-13 南山詩  #2(4~6) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7221

韓愈  南山詩#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。欲休諒不能,粗敘所經覯。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

韓愈128

01-13

南山詩 

#2(46

806年貞元22 39-1

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26分割

 

 
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韓愈詩-韓愈128

韓愈詩-韓愈128   806年貞元22 39-1          #1         

01-13南山詩 (吾聞京城南,)

韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

 

南山詩 #1(26分割)

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

橫雲時平凝,點點露數岫。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

 

秦嶺山脈終南山 

『南山詩』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

(下し文)
#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

(現代語訳)
#2

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

Nature1-003
(訳注) #2

《 巻01-13南山詩 》 #2

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

1 南山詩 南山は、唐の首都長安の南にそびえる終南山。南山は即ち終南山。通典に「長安縣南に終南山あり、武功縣の東に在り、一名南山」とあり、元和郡縣志に「終南山は、京兆府萬年縣南五十里に在り」とあって、藍田・咸寧・長安・厔の四縣の境に連亙して居る。そして、その山脈は、渭水と並行し、西に走って太白を起し、やがて、蜀中への通路となり、鳳嶺にまで続いて居る。この詩は、終南山に遊んで作ったのであるが、その結構をいうと、初めに、従来しばしば遊びに行こうと思って計画したが、兎角支障があって、実際の景色を目撃することができなかったといい、それから、愈よ今次の探勝に及び、その下に於て、山中の景勝を述べたのである。しかし、その景勝を述べるには、全然、虚写を用いて、一も実筆を用いず、さながら、終南山賦を作るというような心持で起稿したところが、絶代の奇作と称せられる所以である。韓愈は、終南山や太白山を含め、秦嶺山脈脈全体をして南山といっているようである。806年元和元年、江陵(現湖北省)から長安に召還され、権知国子博士となったときの作。韓愈三十九歳。韓愈の詩中、最大の長篇で、一百二韻二百四句を去声「宥」韻一つで押韻するという枝巧をこらし、南山をいろいろの角度から描写しようとした。従来「賦」の文学手法を、詩に用いようとしたもので、韓愈が一番精魂込めた作品である。杜甫の長詩「北征」と、優劣が論ぜられるほど、中国詩の歴史上からも、屈指の力作とされる。長篇であるから、26の#に分けることにする。

 

團辭試提挈,掛一念萬漏。

そこで、自分は、あらん限りの文献を取り集め、その地に伝わる言葉など、集め試みに取り上げようとすれば、一つをとりあげられてその他の多く、万を漏らす恐れがあるので全体としての山をとらえて述べてみることとする。

11 団辞 団は、団結の意。ことばをあらんかぎり、いろいろとりあつめる。

12 提挈 挈も提と同じく、ひっさげること。大網を提げる。

13 桂一 一つだけをとりあげて。桂は、掛と同じ。

14 萬漏 万もあるそのほかの多数をわすれてしまう。漏万とあるべきところを、押韻の都合で、逆の順序にしてある、

 

欲休諒不能,粗叙所經覯。

だから、そういう考えを基本に置くと、資料が多くてやめようとしてもどうしてもやめられず、はずすものがないのであり、全体といっても困るので、わたしがかつて実地に跋扈してこの目で見たところをあらまし書きつらねてみることにしてこの詩を作ったのである。

15 欲休諒不能 やめようとおもうがどうしてもやめられない。諒は、実のところ、心中おくそこでは、の愈。

16 經覯 自分が親歴して実際に見たこと。

 

升崇丘望,戢戢見相湊。

全体ということでは、まず、ある時、長安の郊外にでて、高い丘にのぼって終南山を望んだのであるが、戢戢として、羣巒相集まるのが見えたのである。

17 嘗昇崇丘望 この段は、ある高い丘から南山の大観を見たところである。嘗は、そういう経験のあったことを示す助辞。崇は、高いこと。終南山は、華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)太白山3760m、と嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、

のあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

18 戢戢 よりあつまっている形容。

 

 

 

《 巻01-13南山詩 》【字解】

 

1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

○紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

2 吾聞京城南 この最初の一段は、序にあたる部分である。京城は、みやこ長安。

3 茲惟 惟は、ことばの調子をととのえるための助辞。

4 群山太白山、終南山、華山 の秦嶺山脈をいう。終南山は古くから道教、仏教の本山がある。儒虚者の隠遁、修行の場である。

5 囿 本来は、動物を飼っておく囲いのある庭。そこからものが集まっている所をいう。交會地点。

6 両際海 際は、接していること。海は、四方の地のはてにあると考えられた。史記に見えた、舂申君が秦の昭王に上る書に「王の地、一に南海を経」とある。無論、中国の東は、太平洋、西は、西域の先も海であると、インド洋であり、地中海である。東漢の甘英に條支、即ち今の小亜細亜まで行って、地中海を望み、もう行かれねと思って引き返したという記述もある。

7 山経 山のことを書いた書物。「山海経」など。中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。

8 地志 土地の状況を書いた書物。歴代の正史に載せた地理志の類。周禮•職方氏、元和郡縣誌、三輔黄圖、長安志、太平寰宇記など。

《禹貢》、《周禮•職方氏》、《元和郡縣誌》、《山海經》、《太平寰宇記》、《漢中府志》、《武功縣誌》、《十洲記》蠻書、水經注、地記、錄、夢粱錄、佛國記、              船錄、              寺塔記、              三輔黃圖、           廬山記、島夷志略、南嶽小錄、臺灣通史、嶺外代答、武林舊事、東京夢華錄、淳熙三山志、桂林風土記、荊楚時記、嶺表錄異、都城紀勝、洛陽伽藍記、游城南記、溪蠻叢笑、平江記事、大唐西域記、華紀麗譜、真臘風土記、徐霞客遊記、東京夢華錄、洛陽名園記、岳陽風土記

9 茫昧 ぼんやりとよくわからぬ。

10 受授 手ずから伝授する。

韓愈128 巻01-13 南山詩  #1(1~3) 806年貞元22年 39歳-(1)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ7216

韓愈  南山詩   

吾聞京城南,茲惟群山囿。東西兩際海,巨細難悉究。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

 

韓愈128

01-13

南山詩 

#1(13

806年貞元22 39-1

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韓愈(韓退之1648 #1 

韓愈詩-韓愈128   806年貞元22 39-1          #1         

01-13南山詩 (吾聞京城南,)

韓愈詩-韓愈128

年:806年貞元22 39-1

卷別:    卷三三六              文體:    五言古詩

詩題:    南山詩

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

太白山 (京畿道 岐州 太白山) 別名:太白峰  

昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

畢原 (京畿道 京兆府 萬年)              

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

澄源夫人湫廟 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:湫、湫祠堂             

藍田 (京畿道 京兆府 藍田)

交遊人物/地點:  

 

 

南山詩 #1(26分割)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

東西兩際海,巨細難悉究。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

#2

團辭試提挈,挂一念萬漏。

欲休諒不能,粗敘所經覯。

嘗昇崇丘望,戢戢見相湊。

#3

晴明出稜角,縷脈碎分繡。

蒸嵐相汞洞,表裡忽通透。

無風自飄簸,融液煦柔茂。

橫雲時平凝,點點露數岫。

#4

天空浮修眉,濃綠畫新就。

孤撐有巉海浴褰鵬噣。

春陽潛沮洳,濯濯吐深秀。

巖巒雖嵂崒,軟弱類含酎。

 

(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

#2

團辭【だんじ】して試みに提挈【ていけつ】せんとすれば,一を掛けて萬を漏らさんことを念う。

休めなんと欲すれば諒【まこと】に能【あたわ】ず,粗【ほ】ぼ經覯【へみ】し所を叙【つい】でん。

嘗つて昇りて崇丘【すうきゅう】に望まん、戢戢【しゅうしゅう】として相い湊【あつ】まるを見る。

#3

晴明なるときに稜角【りょうかく】を出だせば、縷脈【りょうみゃく】砕けて繍を分かてり。

蒸嵐【じょうらん】相い鴻洞【こうどう】として、表裏【ひょうり】忽ち通透【つうとう】す。

風無けれども自のずから瓢簸【ひょうは】し、融液【ゆうえき】して 煦【あたた】めて 柔 茂【も】す。

横雲 時に平凝【へいぎょう】して,點點【てんてん】露數岫【すうしゅう】を【あら】わす。

#4

天空 修眉【しゅうび】を浮かべ,濃綠【のうりょく】画がいて新たに就る。

孤撑【ことう】して巉【ざんぜつ】たること有るは,海に浴して鵬の噣【くちさき】を褰【あ】ぐ。

春陽 潛かに沮洳【しょじょ】たるとき,濯濯【たくたく】として深秀を吐く。

岩巒【がんらん】嵂崒【りつしゅ】たりと雖も,軟弱なること酎を含めるに類せり。

 

終南山03 

『南山詩』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南山詩 #1(26分割)

吾聞京城南,茲惟群山囿。

東西兩際海,巨細難悉究。

《山經》及《地志》,茫昧非受授。

(下し文)
(南山の詩) 

吾れ聞く 京城の南、茲【こ】こは維れ群山の囿【ゆう】なりと。

東西 両つながら海に際【まじ】わり、巨細【きょさい】悉【ことごと】くは究【きわ】め難し。

山經【さんきょう】及び地志【ちし】、茫昧【ぼうまい】として受授【じゅじゅ】するに非ず。

(現代語訳)
南山詩 #1(26分割)(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

《 巻01-13南山詩 》 #1

(南山をいろいろの角度から描写しようとした詩)

1 南山詩 南山は、唐の首都長安の南にそびえる終南山。南山は即ち終南山。通典に「長安縣南に終南山あり、武功縣の東に在り、一名南山」とあり、元和郡縣志に「終南山は、京兆府萬年縣南五十里に在り」とあって、藍田・咸寧・長安・厔の四縣の境に連亙して居る。そして、その山脈は、渭水と並行し、西に走って太白を起し、やがて、蜀中への通路となり、鳳嶺にまで続いて居る。この詩は、終南山に遊んで作ったのであるが、その結構をいうと、初めに、従来しばしば遊びに行こうと思って計画したが、兎角支障があって、実際の景色を目撃することができなかったといい、それから、愈よ今次の探勝に及び、その下に於て、山中の景勝を述べたのである。しかし、その景勝を述べるには、全然、虚写を用いて、一も実筆を用いず、さながら、終南山賦を作るというような心持で起稿したところが、絶代の奇作と称せられる所以である。韓愈は、終南山や太白山を含め、秦嶺山脈脈全体をして南山といっているようである。806年元和元年、江陵(現湖北省)から長安に召還され、権知国子博士となったときの作。韓愈三十九歳。韓愈の詩中、最大の長篇で、一百二韻二百四句を去声「宥」韻一つで押韻するという枝巧をこらし、南山をいろいろの角度から描写しようとした。従来「賦」の文学手法を、詩に用いようとしたもので、韓愈が一番精魂込めた作品である。杜甫の長詩「北征」と、優劣が論ぜられるほど、中国詩の歴史上からも、屈指の力作とされる。長篇であるから、26の#に分けることにする。

 

吾聞京城南,茲惟群山囿。

吾開く、長安城の南にあたって終南山があるが、この山は、宇内羣山の交会点というべくその餘脈は、長く連なってつきず、

2 吾聞京城南 この最初の一段は、序にあたる部分である。京城は、みやこ長安。

3 茲惟 惟は、ことばの調子をととのえるための助辞。

4 群山太白山、終南山、華山 の秦嶺山脈をいう。終南山は古くから道教、仏教の本山がある。儒虚者の隠遁、修行の場である。

5 囿 本来は、動物を飼っておく囲いのある庭。そこからものが集まっている所をいう。交會地点。

 

東西兩際海,巨細難悉究。

東は東海、即ち太平洋に及び、西は西域の海、即ち地中海にまで走って居る。かくの如く、中国本部を横断して居る主山であるから、この山を写すことは、なかなかむつかしく、巨細悉く究めることは出家ない。

6 両際海 際は、接していること。海は、四方の地のはてにあると考えられた。史記に見えた、舂申君が秦の昭王に上る書に「王の地、一に南海を経」とある。無論、中国の東は、太平洋、西は、西域の先も海であると、インド洋であり、地中海である。東漢の甘英に條支、即ち今の小亜細亜まで行って、地中海を望み、もう行かれねと思って引き返したという記述もある。

 

 終南山06

《山經》及《地志》,茫昧非受授。
古くは山海経、近くは歴代正史の地理志等は、皆机の上で想像的に書いて居るから、茫味として明かにし難く、聖賢が自身で探検をした結果を口に伝え、手に伝えて授受したものではないから、これを一概して、確乎たる根拠に乏しいものである。

7 山経 山のことを書いた書物。「山海経」など。中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。

8 地志 土地の状況を書いた書物。歴代の正史に載せた地理志の類。周禮•職方氏、元和郡縣誌、三輔黄圖、長安志、太平寰宇記など。

9 茫昧 ぼんやりとよくわからぬ。

10 受授 手ずから伝授する。

 

 

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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211

韓愈  送廖道士序 #5  

氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、その別れに、かさねてこれを問う次第である。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #5 韓愈(韓退之)  805年貞元2138歳<1647> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7211


 
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖師郴民,而學於衡山。

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?

於其別,申以問之。

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

その別れに、かさねてこれを問う次第である。

#5  

氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,

豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?

廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。

之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?

其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。

 

『送廖道士序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?

於其別,申以問之。

(下し文)
#5  

氣專らにして容寂たり,多藝にして善く遊ぶ,

豈に吾が所謂 魁奇して 迷溺する者か?

廖師 善く人を知る,若し其の身に在らずんば,必ず其の與に遊ぶ所に在らん。

之れを訪えども 吾れに告げざるは,何んぞや?

其の別れに於て,申【かさ】ねて以て之れを問う。

(現代語訳)
#5  

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

その別れに、かさねてこれを問う次第である。


(訳注) #5

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

  

氣專而容寂,多藝而善遊,

その気性は専一で、容貌は物静かであり、才芸は多く、善く人と交わっている。

35 容寂 容貌は物静か。物さびしい。

36 多藝 才芸あり、人格ある。

 

豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

何と彼こそ、私のいうところの、偉大ですぐれていながら、仏老に迷い溺れている人であろうか。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

37 迷溺/迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

 

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

廖道士はよく人を知っている。奇偉の気性がもし彼自身にないのであれば、必ずその共に遊交する人の中にあるであろう。

 

訪之而不吾告,何也?

私がこれをたずねているのに、私に告げてくれないのは何故であるか、

 

於其別,申以問之。

その別れに、かさねてこれを問う次第である。

38 申 かさねて。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

28当 相当する。

29 意 おもうに。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

31 材徳 才能あり、人格ある。

32 迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

33 郴 郴州の人。

34 衡山 道教の五岳の一つ祝融峰。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿)と対応づけられていた。また、炎帝神農の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めたという。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206

韓愈  送廖道士序 #4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間而吾又未見也。其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206

 

 
  2016年1月19日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》(浮陽滅霽景,) 380Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(61) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195  
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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1646> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7206  
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖師郴民,而學於衡山

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。

#5  

氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4  

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間。

而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

(下し文)
#4  

意うに 必ず魁奇、忠信、材德の民 其の間に生ずること有らん。

而して 吾 又た未だ見ざるなり。

其れ 乃ち佛老の學に於て迷惑し溺沒して出でざること無からんや?

廖師は郴民なり,而して衡山に學ぶ。


(現代語訳)
#4  

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。


(訳注) #4  

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

 

意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,

思うに、必ず偉大にすぐれた人物や、忠心信義の者、才能人格のある人民が、その地域に生ずることがあるものである。

29 意 おもうに。

30 魁奇 偉大ですぐれた人物。

31 材徳 才能あり、人格ある。

 

而吾又未見也。

しかし、そういうものの私はいたまだ見ないのである。

 

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

それは、或いは、郴州の人々が仏教や老子の学問に、迷い惑って、溺れ沈んでしまって、出てこないということがないであろうか。

32 迷惑溺没 宗教にまよいまどい、おぼれ沈む。

 

廖師郴民,而學於衡山,

廖道士は郴州の人であって、衡山に入って学問をしたひとである。

33 郴 郴州の人。

34 衡山 道教の五岳の一つ祝融峰。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿)と対応づけられていた。また、炎帝神農の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めたという。

 

 

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

28当 相当する。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201

韓愈詩  送廖道士序 #3

衡山之神既靈,而郴之為州,

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201

 

 
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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1645> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7201  
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。
そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。
#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,

又當中州清淑之氣,蜿扶輿磅礴而鬱積,

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

(下し文)
#3

衡山の神 既に靈にして,郴の州為る,

又た中州 清淑の氣の,蜿蟺 扶輿 磅礴して鬱積するに當る

其の水土の生ずる所,神氣の感ずる所,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚の包,竹箭の美,千尋の名材,獨り當る能わざるなり。


(現代語訳)

#3

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。


(訳注) #3

《 巻四19 送廖道士序》

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1   送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2    

衡山之神既靈,而郴之為州,

衡山の神はもともと不思議な威力があるのであって、そして郴州という所がなりたっておる。

17 衡山は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。 古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。

18. 郴州 湖南省の南東部に位置し、株洲市、衡陽市、永州市、江西省贛州市、広東省韶関市と接する。主な河川には湘江の支流・耒水(れいすい)がある。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった。

 

又當中州清淑之氣,蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,

わが中国の清く善い気の、うねりわだかまり、渦巻きのぼり、満ちひろがり、ふさがり積もる所に当たっているのである。

19. 蜿蟺 わだかまる。とぐろを巻く。

20. 扶輿 渦巻きのぼること。

21. 磅礴 /旁礴/旁魄 1 混じり合って一つになること。2 広がり満ちること。満ちふさがること。

22. 鬱積 1 不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていること。2 出口をふさがれて、内に滞りたまること。

 

其水土之所生,神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

そうであるから、その地の水土の生ずる所のもの、その神霊や風気の感ずる所のものには、白金・水銀・丹砂・石英・鍾乳石・橘や柚子の包皮や、矢竹の立派なものや千尋もある名木の材などもあるが、それだけではこの霊気に相当のものにはなり得ない。

23. 丹砂 酸化水銀。

24. 石英 水晶、火うち石。瑪瑙などの総称。

25. 鍾乳 石灰岩の結晶、鍾乳石。

26. 橘柚之包 たちはなとゆずとの果実の皮。橘包は橘の実。

27. 千尋之名材 長さ千尋の名木材。千尋は大木の大げさな形容。尋は六尺から八尺をいう。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

8 駛 速か。急。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1644> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7196

韓愈詩  送廖道士序#2  

其最高而橫南北者嶺。郴之為州,在嶺之上,測其高下,得三之二焉,

中州清淑之氣,於是焉窮。氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。郴という州は、その嶺の上にある。その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1644> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7196

 

 

 
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,又當中州清淑之氣,

蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,其水土之所生,

神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

嶺南道圖00韓愈 陽山と潮州002 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2  

其最高而橫南北者嶺。

郴之為州,在嶺之上,

測其高下,得三之二焉,

中州清淑之氣,於是焉窮。

氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積

(下し文)
#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。

郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。

中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿扶輿 磅礴して鬱積す


(現代語訳)
#2  

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

郴という州は、その嶺の上にある。

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。


(訳注) #2

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

  

其最高而橫南北者嶺。

そのうち最も高くて南北を横に絶っている者は南()嶺山脈の越城嶺である。

9 横絶 横きり隔てる。南()嶺山脈により、分断されることを言う南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 簡体字: 南岭、拼音: Nánlǐng)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の構造山地で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。

 

郴之為州,在嶺之上,

郴という州は、その嶺の上にある。

10 郴 州の名。湖南省に属し、永興・宜章等五県からなる。漢初の113年、桂陽郡が設置された。建武年間には郡治が郴県に置かれた。その後735年(開元23年)、州制を施行した唐により郴州が設置されると、清末までこの名称が使用されていくことになった、

 

測其高下,得三之二焉,

その高さを測るに、衡山は南嶺山脈の山々との三分の二くらいに当たる。

11 三之二 衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、南嶺の地勢は、最高峰は越城嶺の猫児山(「華南第一峰」の別名がある)で海抜は2,142メートルである。その他の主要な山峰には、萌渚嶺の馬塘頂(海抜1,787メートル)、都龐嶺の韭菜嶺(海抜2,009メートル)、瑤山(大瑤山)の石坑崆(海抜1,902メートル)などで、2000メートル前後ということになり、衡山と最も衡山に近い山は1800位であるところから、衡山は、南嶺山脈の2/3程度の高さになるということ。がある。

 

中州清淑之氣,於是焉窮。

わが中国の清く静かなよい気は、この所で行きづまっている。

12 清淑之気 澄んで静かによい気。南これより南は瘴癘の地ということ。

 

氣之所窮,盛而不過,必蜿扶輿磅礴而鬱積
その気のきわまる所は、盛んで外に通過しなければ、必ずうねりわだかまり、渦巻き登り、満ちせまって、ふさがり積もるものである。

13  うねりとぐろをまく。北回帰線の近くに位置するので綺皓的にも雨期乾期、スコールなど変化が多い。

14 扶輿 地形的な変化、扶揺と同じ。うねり登る。うずまく。

15 磅礴 満ちひろがる。

16 鬱積 ふさがりつもる。

 

 

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》【字解】

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

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韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1643> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7191

韓愈  送廖道士序 #1

五嶽於中州,衡山最遠。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

最遠而獨為宗,其神必靈。

衡之南八九百裏,地益高,山益峻,水清而益駛,
(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 #1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1643> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7191

 

 
  2016年1月16日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈詩-韓愈127

送廖道士序 #1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

最遠而獨為宗,其神必靈。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

#2  其最高而橫南北者嶺。

郴之為州,在嶺之上,測其高下,得三之二焉,中州清淑之氣,於是焉窮。

氣之所窮,盛而不過,必蜿蟺扶輿磅礴而鬱積。

(廖道士を送る序)

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますますし。

#2

其の最も高くして南北を横絶する者は嶺なり。郴の州爲る、嶺の上に在り。

其の高下を測るに、三の二を得たり。中州清淑の気、是に於て窮る。

気の窮る所、盛にして過ぎずんば、必ず蜿蟺扶輿 磅礴して鬱積す。

#3

衡山之神既靈,而郴之為州,又當中州清淑之氣,

蜿蟺扶輿磅礴而鬱積,其水土之所生,

神氣之所感,白金、水銀、丹砂、石英、鍾乳,橘柚之包,竹箭之美,千尋之名材,不能獨當也。

#4  意必有魁奇、忠信、材德之民生其間,而吾又未見也。

其無乃迷惑溺沒於佛老之學而不出耶?

廖師郴民,而學於衡山,

#5  氣專而容寂,多藝而善遊,豈吾所謂魁奇而迷溺者耶?

廖師善知人,若不在其身,必在其所與遊。

訪之而不吾告,何也?於其別,申以問之。

 

 

『送廖道士序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送廖道士序 #1

五嶽於中州,衡山最遠。

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

最遠而獨為宗,其神必靈。

衡之南八九百裏,地益高,山益峻,水清而益駛,

(下し文)
(廖道士を送る序)#1

五岳の中州に於ける、衡山は最も遠し。

南方の山、巍然として高くして大なる者、百を以て數ふ。濁り衡は宗爲り。

最も遠くして濁り宗爲れば、其の紳必ず靈ならん。

衡の南八九百里、地 益ます高くして山ますます峻しく、水清くしてますます駛し。


(現代語訳)
送廖道士序 #1(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

 

 (訳注)

韓愈127《 巻四19 送廖道士序》 1

(すぐれた人物である廖道士が隠遁するのを送る詩の序をつくる)

1 送廖道士序 805(永貞元)年、韓愈は陽山(広東省) の令から量移されて江陵(湖北省)の掾【えん】となった時、道を衡山に取った。この序はその時の作である。当時すぐれた人物が僧や道士(道教の修行者)となって隠れるのを惜しみ、廖道士を借りて、その意を述べた。

 

五嶽於中州,衡山最遠。

中国の五岳のうちでは、衡山が最も遠いのである。

2 五岳 五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

3 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。

《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》

五嶽祭秩皆三公,四方環鎮嵩當中。火維地荒足妖怪,天假神柄專其雄。

噴雲泄霧藏半腹,雖有頂誰能窮。我來正逢秋雨節,陰氣晦昧無清風。

(衡岳廟に謁し,遂に嶽寺に宿して門樓に題す。)

五嶽の祭秩 皆 三公,四方に環り鎮して 嵩は中に當る。火維 地荒れて 妖怪に足れり,天 神柄を假して 其の雄を專らにす。

雲を噴き 霧を泄らして 半腹を藏し,頂有りと雖も 誰れか能く窮めん。我來って 正に逢う 秋雨の節,陰氣 晦昧して 清風無し。

韓愈98-#1 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1575 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6859

 

南方之山,巍然高而大者以百數,獨衡為宗。

南方の山々の、高く大きくそびえ立つものは百を以て数える程多いが、その中で、衡山はひとりその総本山となっている。

4 巍然 高大の貌。そびえ立つ。

5 宗 総本家。中心の山。

 

最遠而獨為宗,其神必靈。

最も遠くて独り本山であるから、その山の神は威霊がある。

6 其神 山の神。

7 必霊 必ずふしぎな力がある。

 

衡之南八九百裏,地益高,

衡山の南方八、九百里の所は、地は益々高く、

 

山益峻,水清而益駛,

山は益々峻しく、水は澄んで益々勢いよく流れている。

8 駛 速か。急。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1642> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186

韓愈詩  荊潭唱和詩序#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”從事曰:“子之言是也。”

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 6 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1642 Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186


 
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韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1642> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7186  
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 韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

信所謂材全而能鉅者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

苟在編者,鹹可觀也。
かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

從事曰:“子之言是也。”

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

#5

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

#6 

宜なるかな 之を樂章に施し,諸【これ】を冊書に紀すこと。”と。

從事 曰く:“子の言是なり。”と。

公に告ぐ,書して以て《荊譚酬唱の詩の序》と爲す。

 

唐時代 韓愈関連05 

『荊潭唱和詩序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

(下し文)
#6 

宜【うべ】なるかな 之を樂章に施し,諸【これ】を冊書に紀すこと。”と。

從事 曰く:“子の言是なり。”と。

公に告ぐ,書して以て《荊譚酬唱の詩の序》と爲す。

(現代語訳)
#6 

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

そこでこれを裴公に告げて、《荊潭酬唱、唱和の詩の序》としたのである。

douteikoshoko297
(訳注) #6

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

宜乎施之樂章,紀諸冊書。

これを楽章にあわせて歌い、また書冊に記しとどめるのは、もっともなことであるよ、と。

施之樂章 漢の武帝が設置した音楽を司る役所を「楽府]といい、官署が設置されたことで「四言詩」から『五言詩』型が現われ、曲をつけ楽章を作らせたので、天下四方の民間歌謡や知識人の詩を収集・整理し、[楽府]はこうした背景の下で、新しい詩型の『五言詩』ができたのである、後に[楽府]の楽曲を『楽府』と指すようになるが、もともと詩は庶民の間から自然に生まれた民謡がその起源とされ、民間の歌謡や宮廷の祭祀の時の歌から発展したものであった。楽器の伴奏に合わせて歌うのが詩の本来の姿であったが、次第に歌われなくなり、詩と音楽とが分離し、朗読したり吟詠するものに変わっていった。此処では前漢「武帝」に習って[新楽府運動]を展開されていたころで、江陵においての文学的な権威づけのような形をとって、その詩の趣、曲に合わせて編纂されるということを言うのである。

冊書 書策、書籍、書篇のこと。

 

從事曰:“子之言是也。”

従事はいう、君の言葉は正しい、と。

3.従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

 

告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

そこでこれを裴公に告げて、荊潭酬唱、唱和の詩の序としたのである。

 

 

 

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

19 抉 摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

21 韋布 布衣韋帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22 裏 村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25 較 比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

27 鏗鏘 金属の音。楽器の清くかん高い音。

28 金石 楽器、錘と磐(冊)など。

29 鬼神 天地万物の霊魂。死者の霊魂と天地の神霊。

30 材全而能 材は才、才は欠けた所がなく完全で、能力は巨大である。は巨に同じ。

31 両府 荊南節度府と湖南観察府。

32 鹹 咸、いずれも,皆。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1641> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7181

韓愈  荊潭唱和詩序#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能鉅者也。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。
その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 5 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1641 Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7181


 
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 韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

信所謂材全而能鉅者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

苟在編者,鹹可觀也。
かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

#5

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

 

 

『荊潭唱和詩序』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

信所謂材全而能鉅者也。

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

苟在編者,鹹可觀也。

(下し文)
#5 

鏗鏘【こうしょう】金石を發し,幽眇にして鬼神を感ぜしむ,

信に所謂【いわゆる】材 全うして 能鉅なる者なり。

兩府の從事 部屬の吏と屬して之に和す,

苟くも編に在る者,鹹【みな】觀る可きなり。

(現代語訳)
#5 

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。


(訳注) #5 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

鏗鏘發金石,幽眇感鬼神,

その詩句の表現は清く美しい音声が、鐘や磬などの楽器から発するようであり、その思想は奥深くはるかに限りなく、霊魂や神々をも感動させるようである。

27 鏗鏘 金属の音。楽器の清くかん高い音。

28 金石 楽器、錘と磐(冊)など。

29 鬼神 天地万物の霊魂。死者の霊魂と天地の神霊。

 

信所謂材全而能者也。

そそして、の作者は まことに世にいう所の、才性が完全で能力の大きなものなのである。

30 材全而能 材は才、才は欠けた所がなく完全で、能力は巨大である。は巨に同じ。

 

兩府之從事與部屬之吏屬而和之,

荊南節度府と湖南観察府の両府の従事は、その部下の官吏と相集って両公の詩に答えて詩を作った。

31 両府 荊南節度府と湖南観察府。

 

苟在編者,鹹可觀也。

かりそめにもこの一編中に載せられている詩は、どの詩もみな観るに十分の価値があるものである。

32 鹹 咸、いずれも,皆。

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

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412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

19 抉 摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

21 韋布 布衣韋帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22 裏 村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25 較 比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1640> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176

韓愈  荊潭唱和詩序 #4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 4 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1640 Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176

 

 
  2016年1月13日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(56)李白 卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1715 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7123  
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韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1640> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7176  
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韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字をす。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す。

 

 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

往複循環,有唱斯和,

搜奇抉怪,雕文字,

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸

(下し文)
#4 

乃ち能く志を《詩》、《書》に存し,辭を詠歌に寓し,

往複 循環して,唱有れば 斯に和す。

奇を搜り 怪を抉【めぐ】りて,文字を雕鏤す。

韋布 裏 憔悴 專壹の士と其の毫厘分寸を較す

(現代語訳)
#4 

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。


(訳注) #4 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,

このように貴い身分でありながら、その志を『詩経』や『書経』 の文学に置いて、文辞を詠歌の詩篇に寄せることができる。

17 詩 詩経は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

18 書 書経または尚書は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。

 

往複循環,有唱斯和,

互いに詩篇を往復し、順繰りにやりとりして、片方が先に詩を作りとなえることがあれは、他方はこれに詩を以て答えられるのであった。

 

搜奇抉怪,雕文字,

そしてすぐれてめずらしい辞句を捜し、あやしく不思議な表現をえぐり出して来て、文字を飾りちりばめ、

19  摘出する。えぐる、さくる (掘りうがつ) と読む。

20 雕文字 雕文刻鏤のこと。器などに細工をして飾ること。転じて、文章の細部を工夫し飾ること。▽「雕文」は模様を彫刻すること。「刻鏤」は彫りつけること。「刻」は木に彫りつける、「鏤」は金属に彫りつける意。「雕」は「彫」とも書く。

 

與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

官位もなくて民間にあり、貧窮にやつれた専門の詩人と、その僅かの差を競う。

21 韋布 帯、麻布の衣を着た平民、無官の人。韋はなめしがわ、庶民のする帯。

22  村里の門。転じて、朝廷に対して、無官の民間の人を言う。

23 憔悴 病気や心痛のために,やせおとろえること。やつれること。憂苦のために顔色は焦げ黒くやつれている。

24 專壹 一云一技を専ら修めている者。専門の詩人。

25  比べ争う。競う。

26 毫厘分寸 極めて僅かの距離。僅かの差。

 

 

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

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16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1639> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171

韓愈詩 荊潭唱和詩序#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1639 Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#4Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1726 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7170  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1639> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7171  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

是故文章之作,恒發于草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。
恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

#4 乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

#2 歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

 

douteikoshoko297 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。

(下し文)
#3 

今の仆射裴公,鎮を蠻荊に開き,郡を統ぶる惟れ九;

常侍 楊公,湖の南を領し,壤地 二千裏。

德刑の政 並びに勤め,爵祿の報 兩つながら崇し。

(現代語訳)
#3 

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。


(訳注)#3 

《荊潭唱和詩序》

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1 荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2 唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;

今の僕射巽公は鎮守府を南蛮荊楚の地に開き、郡を統括することは九つである。

13. 裴僕射相公 裴度。

《奉和裴相公東征,途經女几山下作》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <836>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3164韓愈詩-208

《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233

《賀張十八祕書得裴司空馬【酬張祕書因騎馬贈詩】》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3869韓愈詩-270 

402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402

403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403

412 《奉和僕射裴相公感恩言志韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1099  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4479韓愈詩-412

413 《和僕射相公朝迴見寄》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集822年長慶二年<1100  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4484韓愈詩-413

14. 蠻荊 荊蠻に同じ。春秋時代から,長江の中流域の原住民への蔑称。南の野蛮人。湖北・湖南の地をいう。《文選.王粲.七哀詩二首之一》「復棄中國去,遠身適荊蠻。」(復た中國を棄てて去り,遠身をざけて荊蠻に適く。)

 

常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。

また常侍楊公は、洞庭湖の南を領地とし、土地の広さは方二千里である。

15. 湖 洞庭湖。

韓愈101-#2 巻三21 洞庭湖阻風贈張十一署【案:時自陽山徙掾江陵。】》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1588 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6924

 

德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。

恩徳刑罰の施政は両者を並び行って人民を勧めはげまし、爵位封祿の報酬は両方共に崇いのであった。

16. 德刑 飴と鞭の施政を言う。韓愈は突然に刑罰を受け、天子の即位による特赦を受けた804年貞元20年~805年貞元21年にかけての経緯について、次のブログで詳しく述べる。

805年  88-#1 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21 38歳<1515 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6559

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

7.    歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8.    工:精妙。

9.    旅:作客他

10.  草野:平民百姓。

11.  能 才能がある。

12.  不暇以爲:沒有時間寫作文章。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1638> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7166

韓愈  荊潭唱和詩序#2 

歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

是故文章之作,恒發于旅草野;至若王公貴人,氣滿志得,非性能好之,則不暇以爲。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1638 Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7166

 

 
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  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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韓愈詩-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。是故文章之作,恒發于草野;至若王公貴人,氣滿志得,非性能好之,則不暇以爲。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

 

#3 今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。

#4 乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

 

 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2 

歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

是故文章之作,恒發于旅草野;

至若王公貴人,氣滿志得,

非性能好之,則不暇以爲。


(下し文)
#2 

歡愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。
(現代語訳)
#2 

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。


(訳注) #2 

荊潭唱和詩序

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

 

歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。

歓言愉色、美辞麗句を詠んだ辞句は、巧みになり難く、結局は行きづまって困った境地での言葉は好まれることだけのものになりやすいのである。

7. 歡愉 歓言愉色をいう。処世術。お世辞を言い、いい顔をすること。六朝文学などを言う。

8. 工:精妙。

 

是故文章之作,恒發于旅草野;

このゆえに、文章の立派な作品は、常に旅客者となって他をあるき、草深い平民百姓の憂愁や困苦の境遇から滲み出るものである。

9. 旅:作客他

10. 草野:平民百姓。

 

至若王公貴人,氣滿志得,

王公貴人らのような人となると、はじめから、元気は満ち、志は得られて、歓言愉色、美辞麗句を詠む境遇であるから、生まれつき詩を上手に作ることをしているのである。

 

非性能好之,則不暇以爲。

そうはいっても、詩を作る能力というのは、好きでなければ、作る暇がないがないから能力を開発、伸長させることができないのである。

11. 能 才能がある。

12. 不暇以爲:沒有時間寫作文章。

 

 

 

《荊潭唱和詩序》【字解】

 

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

3.    従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4.    酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

5.    卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

6.    音・声 詩語の調子をいう。

韓愈126《 巻四21 荊潭唱和詩序》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1637> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7162

韓愈  荊潭唱和詩序 #1

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,愈既受以卒業,因仰而言曰:“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

韓愈126 巻四21 荊潭唱和詩序》 1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1637 Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7162


 
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韓愈詩

-韓愈126

荊潭唱和詩序 #1

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

#2 歡愉之辭難工,而窮苦之言易好也。是故文章之作,恒發于草野;至若王公貴人,氣滿志得,非性能好之,則不暇以爲。

 

#3 今仆射裴公,開鎮蠻荊,統郡惟九;常侍楊公,領湖之南,壤地二千裏。德刑之政並勤,爵祿之報兩崇。

#4 乃能存志乎《詩》、《書》,寓辭乎詠歌,往複循環,有唱斯和,搜奇抉怪,雕文字,與韋布裏憔悴專壹之士較其毫厘分寸,

#5 铿锵發金石,幽眇感鬼神,信所謂材全而能者也。兩府之從事與部屬之吏屬而和之,苟在編者,鹹可觀也。

#6 宜乎施之樂章,紀諸冊書。”

從事曰:“子之言是也。”告于公,書以爲《荊譚酬唱詩序》。

 

(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。愈既に受けて業を卒ふ。困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

懽愉の辞は工なり難くして、窮苦の言は好くし易きなり。是の故に文章の作は、恒に旅草野に發す。王公貴人の、気満ち志得るが若きに至っては、性能くして之を好むに非ずんば、則ち以て為すに暇あらず。

 

 

『荊潭唱和詩序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

荊潭唱和詩序

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,愈既受以卒業,因仰而言曰:“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

(下し文)
(荊潭 唱和の詩 序)

従事に愈に示すに荊潭酬和の詩を以てする者有り。

愈既に受けて業を卒ふ。

困って仰いで言って日く、夫れ和平の書は淡薄にして、愁思の聾は更妙なり。

(現代語訳)
荊潭唱和詩序(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。


(訳注)

荊潭唱和詩序

(江陵府法曹参軍にある時長官の作った詩に唱和するものがあったので、長官の詩に序文を作ったもの)

1.    荊潭 荊は楚国、潭はふち。湖南を荊潭といった。その地で、裴均が詩を作り、楊憑がこれに答え和した次第を述べ、裴均の実篤で才幹のあることをいう序である。均は、字を君斉といい、803年、貞元十九年五月に、荊南節度使となり、憑は802年十八年九月に湖南観察使となった。韓愈は805年永貞元年に均を輔佐して江陵(湖北)の法曹となった。法曹は裁判をつかさどる。

2.    唱和とは甲が先に詩を作り、乙以下がこれに答えて作るのをいう。

 

從事有示愈以《荊譚酬唱詩》者,

観察便の従事の中に、私に荊潭唱和の詩を示すものがあった。

3. 従事 荊南節度使の従事の中に の意味。

4. 酬和 むくいこたえる。詩を以て応答する。和は答。

 

愈既受以卒業,因仰而言曰:

私はそれを受け取って、その詩篇を読みおえ、そのために首を上げて言った、

5. 卒業 業は文書を記した木板。詩篇のこと。一に「集」に作る。詩篇を読み卒【ぉ】える。

 

“夫和平之音淡薄,而愁思之聲要妙;

一体やわらいで平らな心を述べた言葉の調子はあっさりとして薄いものであるが、悲しい思いを歌った詩の調子は趣深くすぐれている。

6. 音・声 詩語の調子をいう。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

韓愈  上兵部李侍郎書§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;南行詩一卷,舒憂悲,雜以瑰怪之言,時俗之好,所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。
謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。 

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1636 Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158

 

 
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #8§5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1636> Ⅱ#8§5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7158  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

(下し文)
§5

謹んで舊文の一卷を獻じ,教道を扶樹し,所明白にする有らん。

南行の詩の一卷は,憂いを舒べ悲みを【なぐ】さむ。

雜うるに瑰怪の言を,時俗の好を以ってす。

口に諷して、耳に聽いたりする所以なり。

如し 覽觀を賜り,亦た采る可き有らんとすれば,

嚴尊を幹黷【かんとく】し,伏して惶恐を增すものなり。

愈 再拜す。

(現代語訳)
§5

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。


(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

謹んで旧作の文章一巻をたてまつる。これは教化道徳を扶け樹立し、明らかにするところの働きがあるというものである。

39. 扶樹 たすけ立てる。

40. 教道 教化道徳。

 

南行詩一卷,舒憂悲,

また南行の詩一巻は、憂いをゆるめ、悲しみをなぐさめるもので、

41. 南行詩 韓愈が陽山の令に遷される時に作った詩である。この時の詩は

index-[805年貞元21年 38歳] 陽山から江陵府参事軍 39

index-4[806年元和元年 39]江陵府参事軍・権知国子博士 50首の(125

韓愈は五嶺山脈を越えたのは三度ある。幼い12歳時に、779年兄の韶州流刑について行った。二回目がこの詩の謂う80336歳、京兆尹李実を弾劾したため陽山に貶せられた時で、三度目は81952歳「佛骨を論ずる表」を上って憲宗の逆鱗に触れ潮州に貶せられた。

index-11819年元和14年 52歳 ・『論佛骨表』を上って潮州に貶せらる 38

 

雜以瑰怪之言,時俗之好,

それに取捨雑多をまじえて珍奇であやしい言葉をつかい、時俗の好みをうまくつかっている。

42. 瑰怪 珍しくあやしいこと。

 

所以諷於口而聽於耳也。

しかし、これは私が口に歌ったり、耳に聴くためのものである。

43. 諷 口ずさむ。歌う。

 

如賜覽觀,亦有可采,幹黷嚴尊,伏增惶恐。

もし御覧いただければ、そして、采べきものがあるとみられたのであれば、

これは、閣下の尊厳をおかし、けがしているわけでなく、厳かに尊意を持っているということであり、伏して益々かしこみ恐れる次第である。

 

愈再拜。
わたくし、韓愈はこうして頭を下げてお願い申し上げる。

 

 

 


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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1635> Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

韓愈  上兵部李侍郎書》 #7§4-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,寧戚之歌,鬷明之言,不發於左右,則後而失其時矣。

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #7§4-2 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1635 Ⅱ#7§4-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7154

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

 

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』
(
本文)

上兵部李侍郎書》 #7§4--2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。


(下し文)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。


(現代語訳)
上兵部李侍郎書 #7§4--2

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

 

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。



(訳注)

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1. 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

當天子新即位,汲汲於理化之日,

いま正月に、天子が新たに即位されたので、政治教化はこの日から汲汲として休みなく勉められることになった。

39. 天子新即位 805年永貞元年正月、順宗が位についたこと。

40. 理化 治化。政治教化。

 

出言舉事,宜必施設。

言説を出し事業を行ったのであり、必ずその実施の設備をするのがよいのである。

41. 施設 実施する設け、それには人材を要する。

 

既有聽之之明,又有振之之力,

侍郎はすでにこれを聴いて判断する明智を持ち、またこれを力強く動かす実力があるのである。

 

寧戚之歌,鬷明之言,

それなのに甯戚の牛角の歌、鬷明の堂下の言のように、知己を求める意をあきらかにし、

42. 寧戚 甯戚。甯嬴(ネイエイ)【在野】: 甯の旅館の主人。 B.C.628陽処父が衛へ行った帰りに甯を通り、甯嬴の所で泊まった。甯嬴は妻に「わしは長いこと君子を捜していたが、 今やっとみつけた」と言って陽処父について行った。 しかし温山まで行くと、甯嬴は引き帰した。

43. 鬷明 鬷蔑。春秋、鄭の大夫。莊公の外辟、字は、然明。姿かたちは醜悪。

《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉「昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美.三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適【ゅ】く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、昔 賈大夫惡く. 妻を娶りて美し.三年 言ず笑ず. 遂に故知の如し)とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。
 

不發於左右,則後而失其時矣。

閣下の左右に発し陳べなければ、遅れて時を失うことになるであろう。

44. 左右 直接李侍郎を指さずその左右という。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,尚賢而與能,哀窮而悼屈,自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣
伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

韓愈125 巻三03 上兵部李侍郎書》 #6§4-1 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1634 Ⅱ#6§4-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7150



 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

伏して以【おも】うに閣下 仁して外義【そとぎ】,行ない高くして德 巨【おおい】なり,

賢を尚【たっと】んで能を與え,窮を哀んで屈を悼む,

江よりして西,既に化して行わる。

今は入りて職を守り,朝廷の大臣と為る,

-2

天子 新に即位し,理化に汲汲たるの日に當り,

言を出だし事を舉げ,宜しく必ず施設すべし。

既に之れを聽くの明 有り,又た之れを振るの力 有る,

寧戚【ねいせき】の歌,鬷明【そうめい】の言,

左右に發せざれば,則ち後れて其の時を失わん。

 

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣

(下し文)
§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣

(現代語訳)
§4-1

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。


(訳注)

§4-1

兵部李侍郎書

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1.兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

伏して思うに、閣下は心の内には仁愛の心を貯え外には筋道正しい行いをされ、その行為は高尚で人格は大きいのであります。

33. 巨、大である。

 

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

すぐれた徳のある人を尚び、能力のある人を挙げ用い、行きづまって苦しんでいる者を哀れんで、志を伸ばし得ないでいるものをいたみ悲しまれる。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

 

自江而西,既化而行矣。

江西の地方は、その徳によって感化されてその政道が実行されている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

 

今者入守職,為朝廷大臣,

今は政府内の官職を守って、朝廷の大臣と為られた。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

33. 巨、大である。

34. 屈 志を伸ばし得ずに、まげている。

35 自江而西 長江の南岸地方の西を江西という。長江下流地域を江東というのに対して言う。

36. 既化而行矣  その徳によって感化されてその政道が実行されている。

37. 内職 政府の内の官職、地方官を外職というのに対語。

38. 朝廷大臣 兵部侍郎。兵馬を司る兵部省の次官。大臣とは重役という意味。

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

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韓愈  上兵部李侍郎書 §3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,然則非言之難為,聽而識之者難遇也!
一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!

§4-1

伏以閣下仁而外義,行高而德巨,

尚賢而與能,哀窮而悼屈,

自江而西,既化而行矣。

今者入守職,為朝廷大臣,

-2

當天子新即位,汲汲於理化之日,

出言舉事,宜必施設。

既有聽之之明,又有振之之力,

寧戚之歌,鬷明之言,

不發於左右,則後而失其時矣。

§5

謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;

南行詩一卷,舒憂悲,

雜以瑰怪之言,時俗之好,

所以諷於口而聽於耳也。

如賜覽觀,亦有可采,

幹黷嚴尊,伏增惶恐。

愈再拜。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§3

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

堂下之言,不書於傳記。

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

(下し文)
§3

夫れ牛角の歌,辭 鄙【いやし】くして 義 拙【つたな】し。

堂下の言は,傳記に書せず。

齊桓 舉げて以って國に相たらしめ,叔向 手を攜えて以て上る,

然らば則ち言の為し難きに非らず,聽いて之を識る者 遇い難きなり!


(現代語訳)
§3

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 


(訳注) §3

兵部李侍郎書§3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

夫牛角之歌,辭鄙而義拙;

一体、斉の甯戚の牛角の歌は、斉の桓公に求めたものであるが、その辞はいやしくて、その意義はまずいものであった。

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

 

堂下之言,不書於傳記。

鄭の鬷蔑の堂下での言は、伝記に書いてはないから、内容はわからないのである。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

 

齊桓舉以相國,叔向攜手以上,

斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相ける宰相となし、晋の叔向は鬷蔑と手をたずさえて堂に上って語った。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

 

然則非言之難為,聽而識之者難遇也!

そうだとすると、人に認められ難いのは、物言うことの難いのでなくて、それを聴いて人物を識別する者の遇い難いのである。 

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

 

韓愈 兵部李侍郎に上る書 《上兵部李侍郎書》【字解】

 

1 兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

2. 江陵府 湖北省の省都。

3. 法曹参軍 司法を掌る属官。

4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

5. 都 すべて。

6. 覓官 役職を求める。

7. 薄命 運命が薄い、運がわるい。

8. 讒謗 ありもせぬ罪を言い立てて悪口をいう.

9. 困厄 苦しみこまる。厄は災厄に遇う。

10. 究窮 きわめる。研究する。

11. 史記 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計5265百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。

12. 百家 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。

13. 沈潛 ① 水底深く沈みかくれること。② 物事に深く没頭すること。

14. 礱磨 すりみがく。石臼と挽き目。動詞としですりみ がく意。

15. 事業 学問上の仕事。学業。

16 唐虞 堯舜、唐は堯の領国の名、虞は舜の天下をたもつときの号。古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な三皇五帝とされる帝王の日二人である。

17. 編簡 文書、書籍。

18. 河海 河は黄河、海は黄河の水が注ぎこむ東海。

19. 山嶽 五嶽の内の嵩山を言う。

20. 幽 ほの暗く明らかでない。幽玄な。隠遁的な静けさをいう。

21. 繊 細くこまかい。

22. 珠璣 珠は真珠のような小粒な玉。璣は円くない玉、小玉。

23. 華実 草木の 花や実。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

29. 牛角之歌 斉の桓公が、夜外出して、雷戚が牛に餌をやりながら、牛の角を叩いて「南山矸,白石爛,生不逢堯與舜禪。 短布單衣適至骭,從昏飯牛薄夜半,長夜漫漫何時旦?」(南山矸【かん】(けわしい)たり、白石爛たり。生まれて堯と舜の禪(ゆずり)に遭はず、短布単衣、適【わず】かに骭【かん】(すねの骨)に至る。昏より牛を飯【か】いて、夜半に薄【いた】る。長夜 漫漫、何れの時にか旦【ぁ】けん)と歌っていた。桓公は車に載せて帰って大夫としたという。これを「飯牛の歌」ともいう。

30. 堂下之言 『左伝』昭公二十八年に「《春秋左傳》〈昭公傳二十八年〉昔叔向適鄭。鬷蔑惡欲觀叔向。從使之收器者。而往立於堂下。一言而善。叔向將飲酒。聞之曰。必鬷明也。下執其手。以上曰。必鬷明也。 下執其手. 以上。 曰. 昔賈大夫惡. 娶妻而美. 三年不言不笑. 御以如。」(叔向鄭に適(ゅ)く。鬷蔑【そうべつ】醜悪(顔がみにくい)、叔向を観んと欲す。使の器を収むる者に従ひて、往いて堂下に立つ。一言して善し。叔向将に酒を飲まんとす。之か聞いて日く、必ず鬷明なりと、下つて其の手を執つて、以て上つて日く、云云、遂に故知の如し」とある。鬷蔑の字は然明。故に鬷明ともいう。鄭の大夫。

31.  齊桓舉以相國 斉の桓公は甯戚を挙げて国政を相けるを宰相となした。斉の宰相甯戚(ネイセキ)は、衛の人。斉桓公に用いられようと思い、斉に赴き、牛飼をして牛に飯を食わせる歌を歌った。桓公はこれを聞いて、 甯戚を見出して登用した。

32. 叔向 晋の 羊舌肸(ようぜつ きつ、生没年不詳)のことである。中国春秋時代の晋の政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸、字は叔向。羊舌職の子。同母兄に羊舌赤(伯華)、同母弟に羊舌鮒(叔魚)、異母弟に羊舌虎(叔羆)。平公の傅をつとめ、該博をもって知られた賢人。大夫羊舌肸【きつ】、一名羊肸、字は叔向、博学多聞、能く礼講を以て国を治めた。

32. 言之難為 言説のなし難いこと。物を言うのが困難。

 

 

五箴(並序)--韓愈(國學治要五-古文治要卷一)

【原文】

人患不知其過,既知之,不能改,是無勇也。余生三十有八年,髮之短者日益白,齒之搖者日益,聰明不及於前時,道德日負於初心,其不至於君子而卒為小人也昭昭矣!作《五箴》以訟[1]其惡云。

 

游箴

余少之時,將求多能,蚤[2]夜以孜孜。余今之時,既飽而嬉,蚤夜以無為。嗚呼余乎,其無知乎?君子之棄,而小人之歸乎?

 

言箴

不知言之人,烏[3]可與言?知言之人,默焉而其意已傳。幕中之辯,人反以汝為叛[4]。臺中之評,人反以汝為傾[5]。汝不懲邪,而呶(ㄋㄠˊ)[6]以害其生邪!

 

行箴

行與義乖,言與法違。後雖無害,汝可以悔。行也無邪,言也無頗。死而不死,汝悔而何。宜悔而休,汝惡曷瘳(ㄔㄡ)[7]。宜休而悔,汝善安在。悔不可追,悔不可為。思而斯得,汝則勿思。

 

好惡箴

無善而好,不觀其道。無悖而惡,不詳其故。前之所好,今見其尤。從也為比[8],捨也為讎(ㄔㄡˊ,通仇)。前之所惡,今見其臧(ㄗㄤ)[9]。從也為愧,捨也為狂。維讎維比,維狂維愧。於身不祥,於德不義。不義不祥,維惡之大,幾如是為,而不顛沛?齒之尚少,庸有不思。今其老矣,不慎胡為。

 

知名箴

不足者,急於人知。霈(ㄆㄟˋ)[10]焉有餘,厥聞(ㄨㄣˋ)[11]四馳。今日告汝,知名之法,勿病無聞,病其曄(ㄧㄝˋ)[12]。昔者子路,惟恐有聞。赫然千載,德譽愈尊。矜汝文章,負汝言語。乘人不能,揜(ㄧㄢˇ,通掩)以自取。汝非其父,汝非其師,不請而教,誰云不欺。欺以賈(ㄍㄨˇ古)[13]憎,揜以媒怨。汝曾不寤[14],以及於難。小人在辱,亦克知悔。及其既寧,終莫能戒。既出汝心,又銘汝前。汝如不顧,禍亦宜然。

 

【注釋】

[1]訟:責備。

[2]蚤:通「早」,表時間。

[3]烏:哪裡,怎麼;與「安、焉、何」同義。

[4]叛:違背。

[5]傾:傾軋、排擠。韓愈在《論天旱人飢狀》中提出「伏請特敕京兆府」停徵賦,而京兆尹李實是德宗的幸臣,他不止一次對德宗「今年雖旱,而穀甚好」,德宗因而認為韓愈是有意傾軋、排擠李實。

[6]呶呶:謂多言也。

[7]瘳:損失、減少。

[8]比:親密。

[9]臧:善。

[10]霈:比恩澤。

[11]聞:名聲。

[12]曄曄:盛大的樣子。

[13]賈:招引、招惹。

[14]寤:通「悟」,醒悟。

 

【註】韓愈《五箴》不能視為嚴肅的教,而是抒發他對黑暗現實的牢騷和不滿,表達他對自己懷才不遇,屢遭排擠打擊的坎坷身世的深沉感嘆。

 

【作者】韓愈(768年-824年)[1],字退之,出生於河南河陽(今河南孟縣),祖籍郡望昌黎郡(今遼寧省義縣),自稱昌黎韓愈,世稱韓昌黎。卒諡文,世稱韓文公。唐代文學家,與柳宗元是當時古文運動的倡導者,合稱「韓柳」。蘇軾稱讚他「文起八代之衰,道濟天下之溺,忠犯人主之怒,勇奪三軍之帥」。散文,詩,均有名。著作有 《昌黎先生集》。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

韓愈  上兵部李侍郎書 §2-3

奇辭奧旨,靡不通達。惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,悔其初心,發禿齒落,不見知己。
変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #4§2-3 韓愈(韓退之)  805年貞元21 38歳<1632> Ⅱ#4§2-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7144

 

 
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韓愈詩-韓愈125

上兵部李侍郎書 §1

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)

十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:

十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。

愈少鄙鈍,於時事都不通曉,

私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、

家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。

家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。

薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。

しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。

(兵部李侍郎に上る書)

十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。

愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,

家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。

薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。

 

§2-1

性本好文學,因困厄悲愁,

私は生まれつきの性格は、もともと文学を奸み、生活に困っていて、災いに苦しみ悲しみうれっていた。

無所告語,遂得究窮於經傳、

それを告げ語る人も無い境遇であったから、そのまま聖人の教えの書やそれの伝述の書を研究した。

史記、百家之,沈潛乎訓義,反複乎句讀,

そして、歴史の記録、請子百家の説を研究し、その読み方解義に深く心をひそめ、辞章の句切り読みなどの勉学を繰り返した。

礱磨乎事業,而奮發乎文章。

学問の仕事に錬磨して、文章に力を奮い発することができた。

§2-1

性は本と 文學を好み,困厄 悲愁に因る,

告語する所無く,遂に經傳、史記、百家のを究窮するを得る。

訓義に沈潛し,句讀を反複し,

事業を礱磨【ろうま】し,而して文章を奮發す。

凡自唐虞以來,編簡所存,

およそ堯・舜からこのかた、書籍に存する所のものを読み、

大之為河海,高之為山嶽,

広大な文章では黄河や大海のようなものであり、高大なものでは山嶽のような 文章であるのだ。

明之為日月,幽之為鬼神,

明らかに輝くものでは、日月のような文章であり、幽玄なものでは鬼神にもたとえられる神秘な文章であるのだ。

纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,

繊細な文章では真珠や小さい玉、花や実のようなものでもあるのだ。変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

-2

凡そ唐虞より以來,編簡の存する所なり,

之を大にしては河海を為し,之を高うしては山嶽と為す。

之を明しては日月と為り,之を幽にしては鬼神と為る。

之を纖しては珠璣【しゅき】華實と為り,之を變じては雷霆【らいてい】風雨と為る,

3

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。
悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

 

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

 

 

『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

§2-3

奇辭奧旨,靡不通達。

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

年老而智益困,私自憐悼,

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

(下し文)
§2-3

奇辭 奧旨,通達せざる靡【な】し。

惟だ是れ 鄙鈍【ひどん】時事に通曉せず,學成りて 道 益す窮す。

年老いて 智 益す困しみ,私【ひそか】に自ら憐悼【れんとう】す。

其の初心を悔い,發禿【はつとく】し齒落ち,知己を見ず。

(現代語訳)
§2-3

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。


(訳注)

兵部李侍郎書 §2-3

(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。) 

1兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。

 

奇辭奧旨,靡不通達。

変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。これらのめずらしい文辞、奥深い意味を、私は十分によく理解しないところがない。

24 奇辭奧旨 変化の激しいものでは、雷や稲光、風や雨のような文章である。

25 靡 無と同じ。

 

惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,

ただ私の性質は見識いやしく、心の働きがにぶくて、時世の大切な事がらに行きわたり理解できないだけである。学問はでき上がっているのにである。

 4. 鄙鈍 見識が低くのろまである。

 

年老而智益困,私自憐悼,

わが道はますます行きづまり、年を重ねて智恵はますます苦しんでいる。私は人しれず自分を憐みいたむのである。

 

悔其初心,發禿齒落,不見知己。

その初めに抱いた志を今では悔いている。髪は禿げ歯は抜けてうつろになっても、己を知ってくれる人物に遭遇できないでいる。

26 初心 初志。学問に対する志。

27 發禿/髪禿 髪が抜けてはげる。

28 歯落 歯が脱けてうつろになる。《落齒》「去年落一牙,今年落一齒。俄然落六七,落勢殊未已。」(昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。)

70-#1(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #1》 (去年落一牙)【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1415 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6059

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