中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊(東野)  漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 訳注解説ブログ

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

2016年03月

韓愈144-#2《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #2 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)<1717> Ⅱ #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7561

韓愈  喜侯喜至贈張籍張徹  #2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556 

 806年貞元22 39-17)#1

 <1677

 

 

 
  2016年3月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -4 428-#4Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1804 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7560  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈144-#2《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #2 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)<1717> Ⅱ #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7561  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十07後庭花三首其二》『花間集』460全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7564  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

韓愈詩-韓愈144-#2

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

 

 

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。
#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。 

 唐時代 韓愈関連05

 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。

(下し文)
#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。

(現代語訳)
#2

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。


(訳注)  #2

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

 

常思得遊處,至死無倦厭。

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

 

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

1      水鏡涵石劍 水鏡、∴名は城。陸璣「疏云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之。」(一名は射影、江淮の水、皆之に有り。人は岸上に在って、影、水中に見ゆれば、人影に投じて則ち之を殺す)とある。その蟲が石の蔭などに潜んで居て、剣を以て人の影を刺すと、その人は忽ち病気になって、死ぬということ。

 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

2      騰閃 飛び上って閃めく。

 

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びす、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

9 昏塾 塞がって開通ぜざること。

函谷関002

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

 

韓愈144-#1《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹 (昔我在南時,)》  #1 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(17)<1716> Ⅱ #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556

韓愈  喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)  先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556 

 806年貞元22 39-17)#1

 <1677

 

 

 
  2016年3月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -3 428-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-16【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈144-#1《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹 (昔我在南時,)》  #1 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(17)<1716> Ⅱ #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 23 杜少陵集-巻18-55 《赤甲》23 杜甫詩index-15-1182 <1632> 18-55 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十06後庭花三首其一》『花間集』459全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7559  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

 

 

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。 

長安皇城宮城00 

 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

《喜侯喜至贈張籍張徹》

昔我在南時,數君常在念。

搖搖不可止,諷詠日喁噞.

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

又如心中疾,針石非所砭。

(下し文)
《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

(現代語訳)《喜侯喜至贈張籍張徹》(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。


(訳注) 

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

1      【題義】 韓愈は、806年元和元年六月、江陵法曹参軍より召し返されて、國子博士となった。その頃、孟郊、幷に張籍・張徹などは、頻りに其門に出入し、詩酒の間に交わりを結んで、唱和をなし、城南聯句の如き、會合聯句という数人によるものさえ作り、即ち聯句に於て一新体を剏出して、大に世俗を驚かした。ところが、孟郊は、前に「薦士」詩に在った通り、凓陽の尉を罷められたまま、都に久しくいたが、矢張任用されず、食うにも困るところから、又、微官を得て、ついに都を去ってしまった。すると、侯喜というものが新に入門したから、韓愈は、大に喜び、この詩を作って、張籍、張徹等に吹聴したのである。侯喜は、字は叔己、貞玄19年、進士の第に中り、国士主簿に終ったのである。

韓愈の詩には

801

03-15

贈侯喜【案:愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

806

02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹【案:愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。】

812

補遺 遺29

石鼎聯句【案:劉師服(進士)、侯喜(字叔退,登貞元進士第,官終國子主簿)、軒轅彌明】

816

巻十14

和侯協律詠筍【案:侯喜也。】

820

巻九32

送侯喜

61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869

《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

韓愈の文集に《祭侯主簿文》《與汝州盧郎中論薦侯喜書》

がある。

祭侯主簿文

維年月日,吏部侍郎韓愈,謹遣男殿中省進馬佶,致祭於亡友故國子主簿侯君之靈。

嗚呼!惟子文學,今誰過之。

子於道義,困不舍遣。我狎我愛,人莫與夷。

自始及今,二紀於茲。我或為文,筆俾子持。

唱我和我,問我以疑。我釣我遊,莫不我隨。

我寢我休,莫爾之私。朋友昆弟,情敬異施。

惟我於子,無適不宜。棄我而死,嗟我之衰。

相好滿目,少年之時。日月雲亡,今其有誰。

誰不富貴,而子為羈。我無利權,雖怨曷為。

子之方葬,我方齋祀。哭送不可,誰知我悲。

嗚呼哀哉!尚饗。

 

《與汝州盧郎中論薦侯喜書》

右其人為文甚古,立誌甚堅,行止取舍,有士君子之操;家貧親老,無援於朝,在舉場十余年,竟無知遇。愈常慕其才,而恨其屈。與之還往,月已多,嘗欲薦之於主司,言之於上位,名卑官賤,其路無由。觀其所為文,未嘗不掩卷長嘆。去年,愈從調選,本欲攜持同行,適遇其人,自有家事,迍邅坎軻,又廢一年。及春末,自京還,怪其久消息。五月初至此,自言為閣下所知,辭氣激揚,而有矜色,曰:“侯喜死不恨矣!喜辭親入關,羈旅道路,見王公數百,未嘗有如盧公之知我也。比者分將委棄泥途,老死草野;今胸中之氣,勃勃然,復有仕進之路矣!”

愈感其言,賀之以酒,謂之曰:“盧公天下之賢刺史也。未聞有所推引,蓋難其人而重其事。今子郁為選首,其言‘死不恨’固宜也。古所謂知己者,正如此耳。身在貧賤,為天下所不知,獨見遇於大賢,乃可貴耳。若自有名聲,又托形勢,此乃市道之事,又何足貴乎?子之遇知於盧公,真所謂知己者也。士之修身立節,而竟不遇知己,前古已來,不可勝數,或日接膝而不相知,或異世而相慕。以其遭逢之難,故曰士為知己者死。不其然乎,不其然乎?”

閣下既已知侯生,而愈復以侯生言於閣下者,非為侯生謀也;感知己之難遇,大閣下之德,而憐侯生之心,故因其行而獻於左右焉。謹狀。

 

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

2      在南時 陽山に謫貶され、県令にあった時をいう。

3      在念 念頭に在って忘れることはないということ。

 

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

4      喁噞 呉都賦に喰喁沈浮とあって、その註に「噞喁とは、魚.水中に在って羣出し.口を動かす貌」とあり、淮南子に「水濁れば魚噞喁す」とある。

 

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

5      漬 ひたす、つける。

 

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

6      砭 針を打つ、説文に「石を以て病み刺すみ掟といふ」とみろ。

終南山06 

 

 

 

 

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551

韓愈詩-韓愈143-薦士 10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #10

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551 

 806年貞元22 39-16)#10

 <1715

 

 

 
  2016年3月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-15李太白集161巻四36東武吟  -2 428-#2Ⅰ李白詩1802 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7550  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog
17 毛熙震《巻十05木蘭花》『花間集』458全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7554
 
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士10

10

通波非難圖、尺地易可漕。善善不汲汲、後時徒悔懊。

救死具八珍、《周禮·膳夫》:“珍用八物。”又:“食醫掌八珍之齊。”《禮記·則》:“八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。

微或作數。

微詩公勿誚、微或作數。愷悌神所勞。《詩》:“愷悌君子,神所勞矣。”勞,郎到切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
善善不汲汲,後時徒悔懊。
る努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
救死具八珍,不如一簞犒。

人の善を善として採用す孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


洛陽 函谷関002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

通波非難圖,尺地易可漕。

善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

(下し文)
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

(現代語訳)
10

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

(訳注) 10

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

汜水関などの地図 

通波非難圖,尺地易可漕。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
65 通波 波を切り開いて進むこと。当たり前のこととして川の水が海の波に通づること。

66  はかりごと。計画。

67 尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
68 善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
69
 悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

70 八珍 品数の多い、上等の料理。《周禮·膳夫》「珍用八物。」(珍、八物を用う。)又「食醫掌八珍之齊。」(食醫に八珍の齊を掌る。)

《禮記·則》「八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。」(八珍とは、淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝を謂うなり。”一簞の犒如くなし。楚と晉との戰い,或る人が王に一簞酒を進め,王は水上に酒を傾け,士と共に飲む。)


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。
71 詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。

72 公勿誚 悪く考えないでほしい。

73 誚:せめる。そしる。

74 愷悌 安らぎを楽しむ。《詩経大雅・泂酌【けいしゃく】》「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。()教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。 
Ta唐 長安近郊圖  新02 

韓愈143-#9《 巻02-19薦士 -#9》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#9<1714> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7546

韓愈詩-韓愈143-薦士 #9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #8

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541 

 806年貞元22 39-16)#8

16) #8

 <1712

 

 

 

 
 2016年3月27日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  428Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#9《 巻02-19薦士 -#9》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#9<1714> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7546 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog17 毛熙震《巻十04定西番》『花間集』457全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7549 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士9

#9

幸當擇珉玉、寧有棄珪瑁。《周禮》:“天子執瑁四寸,以朝諸侯。”瑁,天子圭也。瑁音冒。

悠悠我之思、擾擾風中纛。

纛以氂牛尾為之,大如鬥,系於左馬軛上。《選》:“黃屋左纛。”楚王曰:“寡人之心,搖搖然如懸旌。”詩意取此。纛音道。

上言愧無路、日夜惟心禱。鶴翎不天生、變化在啄鳥伏卵謂之,薄報切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


京兆地域図002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。

鶴翎不天生,變化在啄

(下し文)
#9

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。

悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。

上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。

鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り

(現代語訳)
#9

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
杏の花01
(訳注) 9

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


幸當擇玉,寧有棄珪瑁。
人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
57 擇玉 擇はえり分ける。選りすぐることを言う。《《孔子家語?問玉第三十六》「敢問君子貴玉而賤珉,何也?為玉之寡而珉之多歟?」孔子曰:「非為玉之寡,故貴之;珉之多,故賤之。」似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。 ・玉與珉 礼記に「君子、玉を貴んで、珉を賤む。珉は石、玉に似て非なり。」とある。

58  :玉に似た美石。玉三采。

59 珪瑁 能力知才を持ち合わせていることの喩えで用いる。《周禮》に「天子執瑁四寸,以朝諸侯。瑁,天子圭也。」(天子四寸を執瑁し,以て諸侯に朝す。瑁は,天子の圭なり。)


悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
60 悠悠 1 はるかに遠いさま。限りなく続くさま。2 ゆったりと落ち着いたさま。3 十分に余裕のあるさま。

61 擾擾 乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。

62  ヤクの尾などで飾った大旗》さおの先に象牙の飾りのある、天子や大将軍の旗。馬の尾の黒毛を束ねた飾り。竜像などの幡(はた)をかけ、即位式・大嘗祭(だいじょうさい)などに用いる。纛とは氂牛の尾を以て之を為り,大、鬥の如く,左騑馬軛の上に繋ぐ。

風中纛 「楚王曰寡人之心,搖搖然如懸旌。」詩意取此。纛音道。(楚王、曰く寡人の心,搖搖然しとて旌を懸るが如し。”詩意は此を取ったもの。纛音道)


上言愧無路,日夜惟心禱。
そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。


鶴翎不天生,變化在啄
鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
63 鶴翎【かくれい】つるのはね。

64  ・:ついばむくちばしでつつく。ついばむ。:卵を抱いて孵化させること。

 

 

10
通波非難圖,尺地易可漕。
広い大海原へ切り開いて進み行くのは、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちよっとした推挙がほしい。)
通波 波を切り開いて進むこと。・ はかりごと。計画。・尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思い、どれほど憂えもだえても役には立たないだろう。
善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
餓死寸前の人を救おうとして八珍の料理をそろえることというけれども、瓢箪にたった一杯の飲み物を供給するということには及ばないというではないか。
・八珍 品数の多い、上等の料理。


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、神が民を父母の情で見るようにしてほしいのだ。
詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。・公勿誚 悪く考えないでほしい。:せめる。そしる。・愷悌 安らぎを楽しむ。「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。(教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。):『詩経』大雅・泂酌【けいしゃく】の章。 

韓愈143-#8《 巻02-19薦士 -#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#8<1713> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541

韓愈詩-韓愈143-薦士 8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #8

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541 

 806年貞元22 39-16)#8

16) #8

 <1712

 

 
  2016年3月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-13李太白集139巻四09 來日大難 -3 427-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#3【56首】Ⅰ李白詩1800 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7540  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#8《 巻02-19薦士 -#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#8<1713> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十03小重山》 《花間集》456全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7544  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士8

 

#8

霜風破佳菊、嘉節迫吹帽。晉孟嘉在征西將軍幕中,九日宴龍山,風吹嘉帽落。

念將决焉去、感物増戀嫪。嫪恡物也。《聲韻》雲:“姻嫪戀惜也。”《文》雲:固也。嫪盧到切。

彼微水中荇、尚煩左右芼。《詩》:“參差荇菜,左右芼之。”芼,擇也。芼音冒。

魯侯國至小、廟鼎猶納郜。《春秋》桓二年:“取郜大鼎於宋。戊申納於太廟。”郜,地名。郜音告。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

甘粛省-嘉峪関

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

念將決焉去,感物增戀

彼微水中荇,尚煩左右芼。

魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

(下し文)
8

霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。

将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。

彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。

魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

(現代語訳)
8

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
岳陽樓詩人0051
(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
52 霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。(晋の孟嘉の故事)
東晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。

李白『九日龍山飲』(九日 龍山に飲む)
九日龍山飲、
黄花笑逐臣。
酔看風落帽
、舞愛月留人。
杜甫『九日藍田崔氏荘』(九日 藍田の崔氏の荘)
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277


念將決焉去,感物增戀嫪。
この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
53 決焉去 決然として出発しようとしているさま。

54 戀嫪 心残りのたねが増すばかりというさま。


彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
55 関雎はミサゴの意で、文王と王妃の仲を詠じているところから〕夫婦が仲よくて、礼儀正しいこと。『詩経、周南、関雎』「關關雎鳩,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。參差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,輾轉反側。參差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。參差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,鐘鼓樂之。」


魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
56 廟鼎猶納郜 :太廟 郜鼎:春秋時代宋の国にあった鼎:魯の桓公二年(前710年)内乱を起こした家老の華父督によって、魯の国に賄賂として贈られ魯の先祖を周公を祭る廟におかれた。今の山東省にあった郜の国で鋳造されたので郜鼎と称された。
左伝、桓公二年 無責任な甘やかしは、愛にもとづく厳格な戒めに及ばないことのたとえ。【城下の盟】敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。
○紀元前701年、鄭の祭仲と公子突を抑留して脅迫し、盟を結ぶと帰国させて突(厲公)を国君に立てさせた。紀元前700年、魯の桓公や燕の人と穀丘で会談し、鄭との修好を求められた。また魯と虚や亀で会談したが、荘公は鄭との講和を拒否した。宋は魯・鄭の連合軍の攻撃を受けた。紀元前699年、斉・宋・衛・燕と魯・鄭・紀のあいだの会戦となった。
韓愈『石鼓歌』「薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。」(諸を太廟に薦めて郜の鼎に比せば,光價は豈に止だ百倍過ぐるのみならんや。)
石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#8-(最終回)>Ⅱ中唐詩529 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1682

『左伝、桓公二年』
郜鼎- 春秋郜國造的宗廟祭器, 以為國寶。 後被宋國取去。 宋又將此鼎賄賂魯桓公, 桓公獻於太廟。 《左傳‧桓公二年》: “
以郜大鼎賂公……夏四月, 取郜大鼎於宋。 戊申, 納於大廟, 非禮也。” 《左傳‧桓公二年》: “ 郜鼎在廟, 章孰甚 .

韓愈143-#7《 巻02-19薦士 -#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#7<1712> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7536

韓愈詩-韓愈143-#7 薦士 #7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。
孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。

韓昌黎集02-18

薦  士 #7

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7536 

 806年貞元22 39-16)#7

16) #7

 <1712

 

 

 
  2016年3月25日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-13李太白集139巻四14 來日大難 -2 427-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#2【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#7《 巻02-19薦士 -#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#7<1712> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7536  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十02河滿子二首 其二》『花間集』455全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7539  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士7

#7

廟堂有賢相、謂鄭余慶。受遇均覆燾。

公有與余慶書雲“再奉示問,皆緣孟家事。”郊死於元和九年,時余慶為興元尹。韋莊雲:“東野佐徐州幕,卒,使下廷評以墓誌。”考之余慶在興元,奏郊為參謀,未至而卒,莊非也。覆,方又切。

况承歸與張、謂郊嘗為歸登、張建封所知。二公迭嗟悼。

青冥送吹噓、箭射魯縞。《前漢·韓安國傳》:“強弩之末,力不能穿魯縞。”

胡為久無成使以歸期告。

貞元十九年,建封死久矣,公猶且雲爾者,蓋言東野素為建封所知,胡為久無成,以歸期告也。

 

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

況承歸與張,二公迭嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。

胡為久無成,使以歸期告。

(下し文)
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。

況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。

青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。


(現代語訳)
#7

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。

(訳注) #7

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
44 廟堂 孔子廟のことであるが、それは鄭余慶が仁徳を持った施政を行うことをいうため、紫宸殿のことをこう表現した。

45 賢相 鄭余慶を謂う。

46 覆燾 天が血を蔽うこと。韓愈は、再三、孟郊の過程に事情を含めて、鄭余慶と書簡を交わしている 

公有與余慶書雲“再奉示問,皆緣孟家事。”郊死於元和九年,時余慶為興元尹。韋莊雲:“東野佐徐州幕,卒,使下廷評以墓誌。”考之余慶在興元,奏郊為參謀,未至而卒,莊非也。覆,方又切。


況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
47 歸與張 高官のなかの帰登と張建封の二人のことらしい。

48 嗟悼 哀傷悲嘆をいう。才智があるのにどうして認められ、とうようされないのかと歎くこと。晉の潘岳『楊荊州誄』「聖王嗟悼, 寵贈衾襚。」


青冥送吹噓,強箭射魯縞。
物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
49 吹噓 吹き上げる。取り持つ。世話をする。李白《312巻八26卷八贈崔侍郎》「故人東海客,一見借吹噓。」、   

杜甫《11-56謁文公上方》#3

久遭詩酒,何事忝簪裾。王侯與螻蟻,同盡隨丘墟。

願聞第一義,回向心地初。金篦刮眼膜,價重百車渠。

無生有汲引,茲理儻吹噓。

久しく 詩酒のすを遭うて,何事か忝じけなくも簪裾す。王侯 螻蟻を與へ,同じうして盡く丘墟に隨う。

願わくば第一義に聞くは,回向【えこう】心地の初めてにするを。金篦【きんへい】 眼膜を刮り,價重 百車の渠。汲引する有るを生む無し,茲に理らば儻に吹噓するを。

50 強箭射魯縞 《前漢·韓安國傳》:“強弩之末,力不能穿魯縞。”(強弩の末,力魯縞に穿る能わず。強い弓で射た矢も、最後にはその勢いが衰えて、魯で産する薄絹さえも射通すことができない。強いものも、衰えてしまっては何事もできなくなることのたとえ。

 

胡為久無成,使以歸期告。
おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
51 歸期告 郷里へ帰る日を報告させるような羽目にしたこと。

韓愈143-#6《 巻02-19薦士 -#6》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#6<1709> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7521

韓愈詩-韓愈143-#6 薦士 6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。

韓昌黎集02-18

薦  士 #6

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7521 

 806年貞元22 39-16)#6

16) #6

 <1709

 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士#6

#6

酸寒溧陽尉、溧陽,即今升州縣名。貞元十二年,呂渭知貢舉,郊年四十有六,中進士第。間四年,調溧陽尉。溧音栗。五十幾何耄。八十九十曰耄。

孜孜營甘㫖、《禮記·則》:“昧爽而朝,慈以甘旨。”辛苦久所冒。

俗流知者誰、指注競嘲慠。聖皇索遺逸、髦士日登造。

 

 

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。

聖皇索遺逸,髦士日登造。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

聖皇索遺逸,髦士日登造。

(下し文)
#6

酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。

孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。

聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

(現代語訳)
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。

(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
35 酸寒 苦寒、韓愈《赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士》「酸寒何足道,隨事生瘡疣。」生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、嫌いなことをしているとかさぶたができるというが、何につけてもかさぶたのできるようなことばかりだ。中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6
36 溧陽 今の升州縣をい名。貞元十二年,呂渭知が貢舉,郊年四十六歳で,中進士に及第。それから四年して,溧陽尉に調ぜられる。

37 孟郊 唐代の詩人。751年― 814年字は東野、諡は貞曜先生という。湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省溧陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

38 耄 八十九十歳を耄という。


孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

39 孜孜【しし】熱心に努め励むさま。・營甘旨 さまざまの苦労をなめてきたこと。

40辛苦久所冒 孟郊は故郷の母を江蘇省溧陽の尉となった時に呼び直接面倒を見ているが不遇は続き、生活は困窮のままであったので、韓愈が孟郊を抜擢してもらうよう動いた。しかし、貧相な孟郊を嘲ったことをいう。

俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
41 嘲傲 嘲笑輕視。嘲奔する。


聖皇索遺逸,髦士日登造。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
42 聖皇 806年元和元年とす。憲宗即位。

43 髦士 俊秀の士。才知が秀でて進んでいるひと。賢者。才智鋭敏。『詩経、小雅、甫田』「攸介攸止、烝我髦士。」(介【お】る攸【ゆう】 止まる攸、我が髦士【ぼうし】を烝【すす】む)

韓愈143-#5《 巻02-19薦士 -#5》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#5<1708> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7516

韓愈詩-韓愈143-薦士 #5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。

韓昌黎集02-18

薦  士 #5

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ75116 

 806年貞元22 39-16)#5

16) #5

 <1708

 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

中間數鮑謝,比近最清奧。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
國朝盛文章,子昂始高蹈。

かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
後來相繼生,亦各臻閫奧。それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。

行身踐規矩,甘辱恥媚灶。

孟軻分邪正,眸子看了眊。

杳然粹而清,可以鎮浮躁,

(下し文)
#5

栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。

身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。

杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

(現代語訳)
#5

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。

(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


榮華肖天秀,捷疾逾響報。
孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
27 榮華 つややかな言葉。

28 天秀 天然に咲き出た花。

29 捷疾 詩を作る速さ。

30 響報 こだま。


行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
31
 規矩 行動にきちんとしたきまりがあること。

 

 

孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
32 眸子看了眊 論語雍也第六) 3孟子曰:「存乎人者,莫良於眸子;眸子不能掩其惡。胸中正,則眸子瞭焉;胸中不正,則眸子眊焉。聽其言也,觀其眸子,人焉廋哉?」(孟子曰わく、人を存()るには眸子より良きはなし。眸子はその悪を奄すこと能わず。胸中正しければ眸子も暸らかに、胸中正しからざれば眸子も咤し。)


杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
33
 杳然【ようぜん】はるかに遠いさま。また、深くかすかなさま。その人物の奥深さははっきりしないほどではあるが。

34 浮躁 落ち着きのないこと。軽率。うわっ調子。

韓愈143-#4《 巻02-19薦士 -#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#4<1707> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7511

韓愈詩-韓愈143-薦士#4

有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。

韓昌黎集02-18

薦  士 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ75101 

 806年貞元22 39-16)#4

16) #4

 <1707

 

 

 
  2016年3月22日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-12李太白集118巻三29 上之回  426Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-12【56首】Ⅰ李白詩1794 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7510  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#4《 巻02-19薦士 -#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#4<1707> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7511  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(16)杜少陵集 《月,三首之一》18-84 杜甫詩index-15-1173 <1623> 767年大暦2年56歲-(16) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7512  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九48南歌子二首其一》『花間集』450全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7514  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 



作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

中間數鮑謝,比近最清奧。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
國朝盛文章,子昂始高蹈。

かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
後來相繼生,亦各臻閫奧。それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

有窮者孟郊,受材實雄

冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排

敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

(下し文)
#4

有窮者孟郊,受材實雄

冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排

敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

(現代語訳)
#4

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。

(訳注) #4

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)





続きを読む

韓愈143-#3《 巻02-19薦士 -#3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#3<1706> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7506

韓愈詩-韓愈143 薦  士#3

搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。

勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7506 

 806年貞元22 39-16)#3

16) #3

 <1706

 

 

 
  2016年3月19日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-11-#2李太白集96巻三7 山人勸酒  425-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-11-#2 Ⅰ李白詩1793 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7505  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#3《 巻02-19薦士 -#3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#3<1706> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7506  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(15)杜少陵集 《18-51懷灞上遊》杜甫詩index-15-1172 <1622> 767年大暦2年56歲-(15)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7507  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九47清平樂》 春》『花間集』449全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7509  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 



作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

中間數鮑謝,比近最清奧。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
國朝盛文章,子昂始高蹈。

かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
後來相繼生,亦各臻閫奧。それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

國朝盛文章,子昂始高蹈。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

後來相繼生,亦各臻閫奧。

(下し文)
#3

春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。

国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。

後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。

(現代語訳)
#3

六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。

(訳注)  #3

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
13 花卉 観賞用になるような美しい花をつける植物の総称。草本のものには一年生,二年生 (越年) ,多年生 (宿根) のものがあり,木本のものには高木,低木のものがある。畑,花壇,鉢植,垣仕立て,庭木,盆栽などいろいろの仕立てがある。

14 剽盜 人の文章を脅かしぬすむ。またかすめとる。剽窃。剽竊。


國朝盛文章,子昂始高蹈。
かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
15 陳子昴(ちんすこう)661 - 702年、六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。登幽州臺歌(前不見古人)、 感遇三十八首 其二(蘭若生春夏)、題祀山烽樹贈喬十二侍御(漢庭榮巧宦)、  送別(落葉聚還散)


勃興得李杜,萬類困陵暴。
盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
16 李杜 李白・杜甫
・李白 701 - 762 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁()りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
杜甫 712 - 770 (きょう)県(河南省)の人。字(あざな)は子美(しび)。少陵と号し、杜工部、老杜とも呼ばれる。青年時代から各地を放浪。湖南省の湘江付近で不遇の一生を終えた。現実の社会と人間を直視し、誠実・雄渾な詩を作り、律詩の完成者で詩聖と称され、詩仙と呼ばれる李白と並ぶ唐代の代表的詩人とされる。「兵車行」「春望」などは有名。

陵暴欺侮凌辱。史記.卷六十七.仲尼弟子傳.仲由傳:「冠雄雞,佩豭豚,陵暴孔子。」(雄雞を冠し、豭豚【かとん】を佩び、孔子を陵暴す。おすの鶏の羽で作った冠をつけ、おす豚の皮を剣の飾りにするという勇ましげないでたちで、孔子を辱めた。


後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。
17 中唐文学 五七言の律詩・絶句に長じた一群が大歴の十才子で、孟浩然・王維の田園山林の文学を受け継ぐ一群、杜甫の精神を受け継ぐ一群には大きく二つの流れがある。一方は、八教委のグループ、もうひとつは、古文復興の一群で韓愈、孟郊、張籍、賈島がいる。
18
 臻閫 臻:いたる。おおい。すなわち。とどく、およぶ。ゆきわたる。あつまってくる。

19 閫奧 おくぶかいところ。詩文学の奥義。閫:門のきしみ。

 

韓愈143-#2《 巻02-19薦士 -#2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#2<1705> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7501

韓愈詩-韓愈143-薦士 2

建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,
建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7501 

 806年貞元22 39-16)#2

16) #2

 <1705

 

 

 
  2016年3月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-11-#1李太白集96巻三7 山人勸酒  425Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-11-#1【56首】Ⅰ李白詩1792 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7500  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#2《 巻02-19薦士 -#2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#2<1705> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7501  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(14)杜少陵集 《卷一五59 晴二首其二》15-59 杜甫詩index-15-1171 <1621> 767年大暦2年56歲-(14)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7502  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九46女冠子二首其二》『花間集』448全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7504  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 



作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18  

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士#1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。

齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,
建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

國朝盛文章,子昂始高蹈。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

後來相繼生,亦各臻閫奧。

#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。


#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。


#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。


#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


楠樹01

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

建安能者七,卓犖變風操。

逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。

齊梁及陳隋,作等蟬噪

(下し文)
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。

中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。

斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。


(現代語訳)
#2

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
終南山06
(訳注)  #2

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
6 建安 後湊末期の年号。いわゆる三国時代が事実上姶まった時。・七子 孔融・陳琳・王栞・徐幹・R璃・応揚・劉禎。建安の七子。三曹七子・風操 『詩経』や「琴操」(琴の曲の歌詞)の詩風。
「郊廟歌辭」「燕射歌辭」「鼓吹歌辭」「橫吹曲辭」「相和歌辭」「淸商曲辭」「舞曲歌辭」「琴曲歌辭」「雜曲歌辭」「近代曲辭」「雜歌謠辭」

 

逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。
西暦301頃~439 " 301年に始まった帝位継承紛争「八王の乱」によって西晋王朝が崩壊し始めたのを契機に、当時、中国の内外に多数居住していた異民族が華北に侵入した。彼らは略奪を行って引き上げるという遊牧民的な行動の代わりに中華領域内に定住して数多くの国を建国した。国の数がおおよそ十六であり、この時代を担った異民族が五族(匈奴、鮮卑、羯、羌、氐*1)であったことからこの名がある。
一般に、439年、北魏が北涼を滅ぼして華北を統一した時点でこの時代は終わり、南北朝時代*2に移るとされる。おおまかにいって、華北主要部では、東部と西部に確立した二つの王朝が対立する構図が、王朝が交代しながら続いた。現在の甘粛省付近では、いずれも「涼」と自称する*3五つの王朝が興亡した。江南はほぼ一貫して西晋王朝の衣鉢を継ぐ東晋王朝が存続した。こうした大勢力の間でいくつかの小国が勃興し滅亡していった。"    
439
420)~589中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。
この時期、華南には宋 ⇒ 斉 ⇒ 梁 ⇒ 陳4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。
南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、王羲之や陶淵明などが活躍した。
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。
北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。
東魏550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。

   
中間數鮑謝,比近最清奧。
美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
謝霊運 385433南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。 
延之(がん えんし) 384 - 456 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。 
鮑照 412 -466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。擬行路難 , 代出自薊北門行
謝朓③(しゃちょう)464 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり。遊東田,玉階怨、王孫遊、金谷聚、同王主薄有所思、


齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸

韓愈144《 巻02-18薦士》(周詩三百篇,) 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(16)<1704> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7496

韓愈  薦士#1

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。

五言出漢時,蘇李首更號。東都漸彌漫,派別百川導。

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)  周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。

韓昌黎集02-18

薦  士 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7496 

 806年貞元22 39-16)#1

16) #1

 <1704


 
  2016年3月17日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-10李太白集74巻二15 行路難三首 其三 #2 424-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-10【56首】Ⅰ李白詩1791 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7495  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈144《 巻02-18薦士》(周詩三百篇,) 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(16)<1704> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7496  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(13)杜少陵集 《卷一五58 晴二首其一》15-58 杜甫詩index-15-1170 <1620> 767年大暦2年56歲-(13) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九45女冠子二首其一》『花間集』447全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7499  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 



作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18  

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

薦士#1

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。

五言出漢時,蘇李首更號。東都漸彌漫,派別百川導。

2

建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

3

搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。

勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。

4

有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆余,奮猛卷海潦。

5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚竈。

孟軻分邪正,眸子看了毛。杳然粹而清,可以鎮浮躁。

6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄?孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰?指註競嘲忄敖。聖皇索遺逸,髦士日登造。

7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公叠嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成?使以歸期告。

8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。

 


薦士#1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

中間數鮑謝,比近最清奧。齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。國朝盛文章,子昂始高蹈。勃興得李杜,萬類困陵暴。後來相繼生,亦各臻閫奧。
有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。


#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。

#7
胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

8
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄
8
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註
(
本文)
薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。曾經聖人手,議論安敢到。
五言出漢時,蘇李首更號。東都漸瀰漫,派別百川導。
建安能者七,卓犖變風操。
 

(下し文)#1
周詩 三百篇、雅麗 訓浩を理む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首めて号を更む。
東都 漸く涌漫し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓単として風操を変ず。


(現代語訳)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。


(訳注)
薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

1 【解説】孟郊を鄭餘慶宰相に推薦したと作者註にあるが、歴史家が作時期を疑問視している問題の詩である。この詩では、鄭余慶が宰相の地位にあって、それに韓愈が孟郊を推薦したものである。鄭余慶が宰相となったのはたしかだが、ほどなく免職となって国子祭酒に任ぜられ、それから東都留守(洛陽の長官) に転出している。鄭余慶が孟郊を私的な部下として採用したのはこの東都留守の時期であり、かつ 『旧唐書』に見える孟郊の伝記によれは、鄭に孟郊を推薦したのは韓愈の門人の李翺だということになっている。)
この詩の制作年代と鄭余慶に対する効果については、はっきりしない点が存在するのである。人を推薦する書としての作品的に韓愈の力量が評価されるものであったことは間違いない。そして、長安へもどった韓愈のもとに、「韓門」 の人々がまた集まりだしたのである。彼らの生計まで気にかけるのも、韓愈の性格としては自然のことだったであろう。

孟東野,貞元十一年進士,為溧陽尉時,鄭余慶尹河南,公作是詩以薦之,鄭辟為水陸運從事。此詩作於郊為尉後,辟從事前歟?觀公銘郊墓,謂鄭公尹河南,既辟從事,後以節領興元,復奏為參謀。皆公一詩之薦也。(孟東野,貞元十一年進士,溧陽尉を為す時,鄭余慶 河南に尹たり,公、是の詩を作り以て之を薦む,鄭辟水陸運の從事と為す。此の詩 郊に於て尉と為す後,從事の前にか辟せん?公 郊の墓の銘を觀れば,鄭、河南の尹のとき公に謂う,既に辟に從し事,後に以て興元を節領し,復た奏じて參謀と為す。皆これ公 一詩之れ薦むなり。


周詩三百篇,雅麗理訓誥。
周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。
2 周詩三百篇 『詩経』は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。三百零五篇からなる。

3 訓誥 典謨訓誥のこと。聖人の教え。 経典のこと。 「書経」にある、典、謨、訓、誥の四体の文の称で、同時に「書経」の篇名。これに誓、命を加えて尚書の六種ともいう。

 

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。


五言出漢時,蘇李首更號。
現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。
4 蘇李 蘇武も李陵も漢代の武将。李陵は優勢な匈奴軍に包囲され、善戦したが、ついには降伏した。匈奴は李陵を厚く待遇し、匈奴軍の大将に任命した。また蘇武は、漢の外交使節として匈奴へ赴いたが、匈奴は蘇武を抑留し、匈奴の臣となることを強制した。蘇武はこれを拒絶し、さまざまな迫害にあったすえ、漢からの外交折衡により、無事に帰ることができた。そこで蘇武か帰国のとき、李陵が送りに出て、互いに唱和した詩が『文選『李都尉【従軍】陵』』に載っており、五言詩の始まりとされる。今日の研究では、すべて偽作とされているのだが、韓愈の時代には、本物と信じられていた。

《選·李陵與蘇武詩》註雲:“五言詩自陵始也。”


続きを読む

韓愈142-#8《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#8<1703> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7491

韓愈詩-韓愈142-#8送文暢師北遊 #8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

かくて、君は、裘馬に富む様な身分となれば、坊主の本色を無くして、精進三昧、藜や蕨ばかり食っているようなこともなく、その方が、人間味があって、却って、善いかも知れない。これに反して、自分は、今次召還された天恩に報ずることをなし得たなら、それで、思い置くことが無いから、病気を言い立てて歸農する。蓬茅の中に此身を置き、耕作を以て世を終わり、その間、暇でもあれば、猟犬でも引き連れて、山林を跋渉したい。その時、君が浮世の事をうるさく思つで、尋ねてきてくれたならば、僕射や相公の如き大した御馳走は到底できないが、せめては、山の芋でも掘って、それを煮て差し上げようとおもうところである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #6

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7491

 806年貞元22 39-14)#8

14) #6

 <1703

 

 

 
  2016年3月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-10#1李太白集74巻二15 行路難三首 其三 #1 424Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-10【56首】Ⅰ李白詩1790 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7490  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#8《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#8<1703> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7491  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(12)-#2杜少陵集 《雨》19-23 杜甫詩index-15-1169 <1619> 767年大暦2年56歲-(12)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7492  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九44更漏子二首其二》『花間集』446全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7494  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈142-#8

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

韓昌黎集巻02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

(京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:

僧侶法師文暢

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

柳宗元

書簡

 

 

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

幽窮誰共語,思想甚含噦。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

昨來得京官,照壁喜見蠍。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

況逢舊親識,無不比鶼.

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

#5

征租 異物を聚め,詭制 巾襪に怛く。

幽窮 誰と共に語らん,思想 噦を含むこと甚だし。

昨來 京官を得,壁を照して 蠍を見るを喜ぶ。

況んや 舊親識に逢い,鶼.に比せざる無し。

#6

長安多門,吊慶少休歇。

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。

而能勤來過,重惠安可揭。

そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。

當今聖政初,恩澤完獝狘。

今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。

胡為不自暇,飄戾逐鸇

そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 

#6

長安 門を多くし,吊慶 休歇少くす。

而【なんじ】能く勤めて來り過ぐ,重ねて惠む 安んぞ揭ぐ可きかを。

當今 聖政の初めなれば,恩澤に 狘【けつげつ】を完うす。

胡【なん】為れぞ 自ら暇あらざる,飄戾【ひょうれい】して鸇【せんけつ】を逐う。

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。

君の行く方には、魏博節度使田季方が北門を領して、その威徳は、胡を壓服するに足る働きをしている。

相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

それに、幽州節度使劉濟は、幽都を鎮して、その勲功は、竹帛の上にかがやいて居る位である。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。

そういうところに君が行かれると、或は宴会を催し、酒筵の上において、若い女共々に舞わせることもあるべく、或は狩猟を催し、辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともあるべく、いづれにしても、非常な歓迎を受けられることであろう。

開張篋中寶,自可得津筏。

それから、君が今まで極力蒐集して篋中の寶となる例の送別の詩文を、いちいち開いて、僕射や相公にすすめたならば、渡りに船を得たるが如く、何かしかるべき役目でも仰せ付けるかも知れない。

#7

仆射 北門を領し,威德 胡羯を壓す。

相公 幽都に鎮し,竹帛 勳伐を爛かす。

酒場 閨姝を舞わしめ,獵騎 邊月を圍む。

篋中の寶を 開張すれば,自ら津筏を得可し。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。

かくて、君は、裘馬に富む様な身分となれば、坊主の本色を無くして、精進三昧、藜や蕨ばかり食っているようなこともなく、その方が、人間味があって、却って、善いかも知れない。

余期報恩後,謝病老耕垡。

これに反して、自分は、今次召還された天恩に報ずることをなし得たなら、それで、思い置くことが無いから、病気を言い立てて歸農する。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。

蓬茅の中に此身を置き、耕作を以て世を終わり、その間、暇でもあれば、猟犬でも引き連れて、山林を跋渉したい。

僧還相訪來,山藥煮可掘。

その時、君が浮世の事をうるさく思つで、尋ねてきてくれたならば、僕射や相公の如き大した御馳走は到底できないが、せめては、山の芋でも掘って、それを煮て差し上げようとおもうところである。

#8

茲れ從り裘馬に富まば,寧ろ複た藜蕨を茹わんや。

余は期す 恩に報じた後,病を謝して 耕垡に老ゆるを。

身を庇して蓬茅を指し,志を逞うして獫猲を縱たしめん。

僧 還って相い訪い來らば,山藥 掘る可くして煮ん。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。

余期報恩後,謝病老耕

庇身指蓬茅,逞志縱獫

僧還相訪來,山藥煮可掘。

(下し文)
#8

茲れ從り裘馬に富まば,寧ろ複た藜蕨を茹わんや。

余は期す 恩に報じた後,病を謝して 耕垡にゆるを

身を庇して蓬茅を指し,志を逞うして獫猲を縱たしめん

僧 還って相い訪い來らば,山藥 掘る可くして煮ん。

(現代語訳)
かくて、君は、裘馬に富む様な身分となれば、坊主の本色を無くして、精進三昧、藜や蕨ばかり食っているようなこともなく、その方が、人間味があって、却って、善いかも知れない。

これに反して、自分は、今次召還された天恩に報ずることをなし得たなら、それで、思い置くことが無いから、病気を言い立てて歸農する。

蓬茅の中に此身を置き、耕作を以て世を終わり、その間、暇でもあれば、猟犬でも引き連れて、山林を跋渉したい。

その時、君が浮世の事をうるさく思つで、尋ねてきてくれたならば、僕射や相公の如き大した御馳走は到底できないが、せめては、山の芋でも掘って、それを煮て差し上げようとおもうところである。



(訳注)  #8

 

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。

かくて、君は、裘馬に富む様な身分となれば、坊主の本色を無くして、精進三昧、藜や蕨ばかり食っているようなこともなく、その方が、人間味があって、却って、善いかも知れない。

富裘馬 裘馬輕肥:身上穿著軟皮衣,騎著肥壯駿馬。指生活富裕,放蕩不羈。 【出處】:《論語·雍也》:“赤之適齊也,乘肥馬,衣輕裘。” 「子華は肥えた馬に乗り、豪華な衣服を着て斉にでかけた。(貧しい者に施しするならともかく金持ちに施しをするなど聞いた事も無い。」)

藜蕨 《詩召南草蟲》:陟彼南山, 言采其蕨。” 陸璣疏:蕨, 山菜也, 周秦曰蕨, 齊魯曰 初生似蒜, 莖紫黑色, 可食。” 南朝宋謝靈運《酬從弟惠連》詩:山桃發紅萼, 野蕨漸紫苞。”(山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。

酬従弟謝蕙運 五首その(5) 謝霊運(康楽) 詩<53>Ⅱ李白に影響を与えた詩440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1137

 

 

余期報恩後,謝病老耕垡。

これに反して、自分は、今次召還された天恩に報ずることをなし得たなら、それで、思い置くことが無いから、病気を言い立てて歸農する。

 1動詞 (土地を)耕す.用例垡地=土地を耕す.2名詞 掘り起こした土の塊.

 

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。

蓬茅の中に此身を置き、耕作を以て世を終わり、その間、暇でもあれば、猟犬でも引き連れて、山林を跋渉したい。

獫猲 《爾雅》に「長喙曰獫/短喙曰猲。」(長喙を獫といい短喙を猲という。)獵犬の鼻先の長い犬と短い犬のことで、鳥や小獣の場合は長い鼻の犬、戦う場合は、鼻の短い犬ということである。 《詩經、秦風、駟驖》「游於北園,四馬既閑。輶車鸞鑣,載獫歇驕。」(北園に於て游ぶ,四馬既に閑う。輶車 鸞鑣,獫と歇驕とを載す。)狩が終わって北園に遊び、四頭の馬をならして遊ぶ。軽い車の鈴が鳴り、猟犬どもを載せておく。

 

僧還相訪來,山藥煮可掘。

その時、君が浮世の事をうるさく思つで、尋ねてきてくれたならば、僕射や相公の如き大した御馳走は到底できないが、せめては、山の芋でも掘って、それを煮て差し上げようとおもうところである。

山藥 山の芋。

 

#8

富裘馬、寧復茹藜蕨。余期報恩

謝病老耕垡。庇身指蓬茅、逞志縱獫猲。

獫猲爾雅》「長喙曰獫/短喙曰猲。」 《詩》曰「載獫猲竭獫虛撿」切猲許

僧還相訪來、山藥煑可掘。

 

韓愈142-#7《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#7<1702> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7486

韓愈詩-韓愈142- 送文暢師北遊 7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

君の行く方には、魏博節度使田季方が北門を領して、その威徳は、胡を壓服するに足る働きをしている。それに、幽州節度使劉濟は、幽都を鎮して、その勲功は、竹帛の上にかがやいて居る位である。そういうところに君が行かれると、或は宴会を催し、酒筵の上において、若い女共々に舞わせることもあるべく、或は狩猟を催し、辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともあるべく、いづれにしても、非常な歓迎を受けられることであろう。それから、君が今まで極力蒐集して篋中の寶となる例の送別の詩文を、いちいち開いて、僕射や相公にすすめたならば、渡りに船を得たるが如く、何かしかるべき役目でも仰せ付けるかも知れない。 

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #7

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7486

 806年貞元22 39-14)#7

14) #7

 <1701

 

 
  2016年3月15日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-9李太白集65巻02-06楽府烏棲曲  423Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-9【56首】Ⅰ李白詩1789 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#7《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#7<1702> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7486  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(12)-#1杜少陵集 《雨  (山雨不作埿,)》19-23 杜甫詩index-15-1168 <1618> 767年大暦2年56歲-(12)-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7487  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九43更漏子二首其一》『花間集』445全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7489  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

韓愈詩-韓愈142-#7

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

韓昌黎集巻02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

(京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:

僧侶法師文暢

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

柳宗元

書簡

 

 

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

幽窮誰共語,思想甚含噦。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

昨來得京官,照壁喜見蠍。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

況逢舊親識,無不比鶼.

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

#5

征租 異物を聚め,詭制 巾襪に怛く。

幽窮 誰と共に語らん,思想 噦を含むこと甚だし。

昨來 京官を得,壁を照して 蠍を見るを喜ぶ。

況んや 舊親識に逢い,鶼.に比せざる無し。

#6

長安多門,吊慶少休歇。

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。

而能勤來過,重惠安可揭。

そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。

當今聖政初,恩澤完獝狘。

今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。

胡為不自暇,飄戾逐鸇

そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 

#6

長安 門を多くし,吊慶 休歇少くす。

而【なんじ】能く勤めて來り過ぐ,重ねて惠む 安んぞ揭ぐ可きかを。

當今 聖政の初めなれば,恩澤に 狘【けつげつ】を完うす。

胡【なん】為れぞ 自ら暇あらざる,飄戾【ひょうれい】して鸇【せんけつ】を逐う。

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。

君の行く方には、魏博節度使田季方が北門を領して、その威徳は、胡を壓服するに足る働きをしている。

相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

それに、幽州節度使劉濟は、幽都を鎮して、その勲功は、竹帛の上にかがやいて居る位である。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。

そういうところに君が行かれると、或は宴会を催し、酒筵の上において、若い女共々に舞わせることもあるべく、或は狩猟を催し、辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともあるべく、いづれにしても、非常な歓迎を受けられることであろう。

開張篋中寶,自可得津筏。

それから、君が今まで極力蒐集して篋中の寶となる例の送別の詩文を、いちいち開いて、僕射や相公にすすめたならば、渡りに船を得たるが如く、何かしかるべき役目でも仰せ付けるかも知れない。

#7

仆射 北門を領し,威德 胡羯を壓す。

相公 幽都に鎮し,竹帛 勳伐を爛かす。

酒場 閨姝を舞わしめ,獵騎 邊月を圍む。

篋中の寶を 開張すれば,自ら津筏を得可し。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。

相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。

開張篋中寶,自可得津筏。

(下し文)
#7

仆射 北門を領し,威德 胡羯を壓す。

相公 幽都に鎮し,竹帛 勳伐を爛かす。

酒場 閨姝を舞わしめ,獵騎 邊月を圍む。

篋中の寶を 開張すれば,自ら津筏を得可し。

(現代語訳)
#7

君の行く方には、魏博節度使田季方が北門を領して、その威徳は、胡を壓服するに足る働きをしている。

それに、幽州節度使劉濟は、幽都を鎮して、その勲功は、竹帛の上にかがやいて居る位である。

そういうところに君が行かれると、或は宴会を催し、酒筵の上において、若い女共々に舞わせることもあるべく、或は狩猟を催し、辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともあるべく、いづれにしても、非常な歓迎を受けられることであろう。

それから、君が今まで極力蒐集して篋中の寶となる例の送別の詩文を、いちいち開いて、僕射や相公にすすめたならば、渡りに船を得たるが如く、何かしかるべき役目でも仰せ付けるかも知れない。


(訳注)  #7

送文暢師北遊 

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2 文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

 

仆射領北門,威德壓胡羯。

君の行く方には、魏博節度使田季方が北門を領して、その威徳は、胡を壓服するに足る働きをしている。

仆射 魏博節度使の田季方をいう。僕射は1 中国の官名。左右各1名が置かれる。秦代に始まり、唐・宋時代は宰相の任にあたった。2 左大臣・右大臣の唐名。

胡羯 北西方の未開民族。また一般に、異民族・外国の意を表す。えびす。後趙が滅亡すると羯族は分散してしまうが、南北朝から隋(ずい)・唐(とう)時代の文献には、匈奴や鮮卑さらには契丹(きったん)など華北に入居した異民族の蔑称(べっしょう)として「羯胡」「羯虜(けつりょ)」「戎羯(じゅうけつ)」などの語がしばしば使われている。

 

相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

それに、幽州節度使劉濟は、幽都を鎮して、その勲功は、竹帛の上にかがやいて居る位である。

相公 幽州節度使の劉濟のこと。

鎮幽都 幽州の都を鎮する。

竹帛 書物のこと、紙が高価な古代において、竹簡、木札、と紙の書物とあった。

勳伐 幽州においての勲功をいう。《史記高祖功臣侯者年表序》「太史公 曰:古者人臣功有五品: 以德立宗廟定社稷曰勳;以言曰勞;用力曰功;明其等曰伐, 積日曰。」(太史公 曰く:古者、人臣の功 五品有り:德宗廟に立てば社稷を定みて勳を曰うを以てす;言 勞を曰うを以てす;力 功を曰うを用う;其等を明かにし伐と曰う,日を積みすを曰う。

 

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。

そういうところに君が行かれると、或は宴会を催し、酒筵の上において、若い女共々に舞わせることもあるべく、或は狩猟を催し、辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともあるべく、いづれにしても、非常な歓迎を受けられることであろう。

閨姝 若い女共々に舞わせることもあるということ。

獵騎 狩猟を催して、そこに群がる騎馬をいう。

圍邊月 辺地の月の皎皎たる下に、群がる騎馬を以て猟場を囲むこともある。

 

開張篋中寶,自可得津筏。

それから、君が今まで極力蒐集して篋中の寶となる例の送別の詩文を、いちいち開いて、僕射や相公にすすめたならば、渡りに船を得たるが如く、何かしかるべき役目でも仰せ付けるかも知れない。

篋中寶 送別分、序文などを篋中におさめて集め、宝物とする。韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》

津筏 港のいかだ。渡りに船ということ。
大明宮 作図011長安皇城宮城00 

韓愈142-#6《 巻02-16送文暢師北遊》-#6〔8分割〕 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)<1701> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7481

韓愈詩  送文暢師北遊 #6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完獝狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #6

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7481

 806年貞元22 39-14)#6

14) #6

 <1701

 

 
  2016年3月14日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-8李太白集055巻一55 古風,五十九首之五十五 422Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-8【56首】Ⅰ李白詩1788 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#6《 巻02-16送文暢師北遊》-#6〔8分割〕 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)<1701> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7481  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(11)杜少陵集 《暮春》18-49 杜甫詩index-15-1167 <1617> 767年大暦2年56歲-(11) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7482  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九42臨江仙二首其二》『花間集』444全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7484  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

韓愈詩-韓愈142-#6

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

韓昌黎集巻02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

(京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:

僧侶法師文暢

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

柳宗元

書簡

 

 

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。

僧時不聽瑩,若飲水救暍。

これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。

風塵一出門,時日多如發。

かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。

三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。

#4

下は迷惑の胸を開いて,豁として株橛を劚る。

僧 時に 聽瑩せず,水を飲んで救暍するが若し。

風塵 一び門を出づ,時日 多きこと發の如し。

三年 荒嶺に竄せられ,縣を守りて 深樾に坐す。

 

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

幽窮誰共語,思想甚含噦。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

昨來得京官,照壁喜見蠍。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

況逢舊親識,無不比鶼.

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

#5

征租 異物を聚め,詭制 巾襪に怛く。

幽窮 誰と共に語らん,思想 噦を含むこと甚だし。

昨來 京官を得,壁を照して 蠍を見るを喜ぶ。

況んや 舊親識に逢い,鶼.に比せざる無し。

#6

長安多門,吊慶少休歇。

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。

而能勤來過,重惠安可揭。

そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。

當今聖政初,恩澤完獝狘。

今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。

胡為不自暇,飄戾逐鸇

そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 

#6

長安 門を多くし,吊慶 休歇少くす。

而【なんじ】能く勤めて來り過ぐ,重ねて惠む 安んぞ揭ぐ可きかを。

當今 聖政の初めなれば,恩澤に 狘【けつげつ】を完うす。

胡【なん】為れぞ 自ら暇あらざる,飄戾【ひょうれい】して鸇【せんけつ】を逐う。

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

長安多門,吊慶少休歇。

而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完

胡為不自暇,飄戾逐鸇

(下し文)
#6

長安 門多くし,吊慶 休歇少くす。

而【なんじ】能く勤めて來り過ぐ,重ねて惠む 安んぞ揭ぐ可きかを。

當今 聖政の初めなれば,恩澤に 狘【けつげつ】を完うす

胡【なん】為れぞ 自ら暇あらざる,飄戾【ひょうれい】して鸇【せんけつ】を逐う。

(現代語訳)
#6

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。

そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。

今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。

そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 


(訳注)  #6

送文暢師北遊 【字解】

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2 文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

 

長安多門,吊慶少休歇。

そうであれ、長安の都においては、非常に戸数も多いし、朋友もたくさんいるところであるから、たがいに離れない様にといっても、そういうわけにもゆかず、今日は誰の、葬礼、今は某の慶事というので、必ず出掛けてゆかねばならないのである。

 

而能勤來過,重惠安可揭。

そうした中、文暢師は、よくも勤めて来訪されていて、その重ねてあらわされる恵擇の厚いことに対しては、どうして、掲げて報ゆればよいのだろうかとおもっている。

32 而 爾とよむ。

33 重惠 重ねてあらわされる恵擇。

34 安可揭 どうして、掲げて報ゆるいればよいのだろうか、というほどの意。

 

當今聖政初,恩澤完狘。

今しも、聖天子が、新たに即位されたばかり、その恩澤は、飛禽走獣にも及ぶ程の時期である。

35 當今聖政初 憲宗が即位してまもない初きのころを謂う、

36 完 或は寛に作る

37 () 一心不乱に恩に報いることを言う。1.  鳥飛獸走を指す。;《禮記禮運》「鳳以為畜, 故鳥不獝;麟以為畜, 故獸不狘」(鳳以て畜と為す,故に鳥獝せず;麟以て畜と為す, 故に獸狘せず 漢の鄭玄の注に、獝も、狘も,飛び走るという貌をいうのである。  2.  飛禽走獸を指す。;明 陶宗儀 《輟耕錄發宋陵寢》に「圣朝量包覆燾,恩完獝狘,煦育亡國遺胤。」(圣朝量包 覆た燾なり,恩は獝狘を完す,煦は亡國遺胤を育む。

 

胡為不自暇,飄戾逐鸇

そういうことで、如何なれば、みずから寸暇を作ることできずにいるし、さりはさりとて、世人と同じような言い訳をすることはできないので、鷹の如く、鸇の如く、素早く野ネズミを見事に捕るが如く、詩文をつくろうとしているところである。 

38 飄戾 飄然として、一般の人と趣を異にする。戻は異なること。

39 逐鸇 鸇鷂はに屬し、鷹に似ている。尾は上の方を白くし、善くを捕える。は別名をという。《爾雅》をいう。

 

東雅堂昌黎集註:送文暢師北遊 #

長安多門弔慶少休歇。

而能勤來過、重惠安可揭。

重惠或作惠重毋邱儉詩憂責/重山岳誰能為我擔與此義同

當今聖政初、謂憲宗初/即位也、恩澤完狘。

完或作寛 禮記以為畜故/鳥不獝麟以為畜故獸不狘狘許出切/ 許月切

胡為不自暇、飄戾逐鸇

鸇鷂屬似鷹/尾上白善捕䑕鷢一名爾雅/ 鸇之然切音厥

 

続きを読む

韓愈142-#5《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#5》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#5<1700> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7476

韓愈詩  送文暢師北遊 ##5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #5

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7476 

 806年貞元22 39-14)#5

14) #5

 <1700

 

 

 

韓愈詩-韓愈142-#5

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

韓昌黎集巻02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

(京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:

僧侶法師文暢

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

柳宗元

書簡

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

 

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。

僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。

三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。

これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。

かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。

三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。

#4

下は迷惑の胸を開いて,豁として株橛を劚る。

僧 時に 聽瑩せず,水を飲んで救暍するが若し。

風塵 一び門を出づ,時日 多きこと發の如し。

三年 荒嶺に竄せられ,縣を守りて 深樾に坐す。

 

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

幽窮誰共語,思想甚含噦。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

昨來得京官,照壁喜見蠍。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

況逢舊親識,無不比鶼.

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。

幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。

況逢舊親識,無不比鶼.

(下し文)
#5

征租 異物を聚め,詭制 巾襪に怛く。

幽窮 誰と共に語らん,思想 噦を含むこと甚だし。

昨來 京官を得,壁を照して 蠍を見るを喜ぶ。

況んや 舊親識に逢い,鶼.に比せざる無し。

(現代語訳)
#5

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。


(訳注)  #5

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

 

征租聚異物,詭制怛巾襪。

土地の租税として徴収せるは、いづれも見たことの無いような物品ばかり、その地の人民の服装も、へんてこな拵え方であって、すべてが目慣れぬものである。

26 詭制 奇怪なるしつらえかた。

27 怛巾襪 頭巾と足袋、服装をすべて着て整えること。

 

幽窮誰共語,思想甚含噦。

そうしたところから、幽窮の中に在って、話し相手もなく、いろいろ考へると、胸が悪くなって、嘔吐を催すばかりである。

28 含噦 胸が悪くなって、嘔吐を催すことをいう。

 

昨來得京官,照壁喜見蠍。

ところが、幸にも、国士博士となって、都に召し還され、燈火を壁にさし付けて、サソリを見ても、嬉しく思う位であった。

29 得京官 806年元和元年6月、江陵より召し還えされて國子博士になったことをいう。

30 喜見蠍 蠍:節足動物門鋏角亜門クモ綱サソリ目の動物の総称である。鋏状の脚と、尻尾に毒針を持つのが特徴。韓愈が陽山地方にいるときは其処に生息していなかった。したがって、北の乾燥した場所に生息、つまり、北の長安には生息したので、長安に帰ることについて喜ぶということを表現したものである。

蒋註に「酉陽雜俎、江南舊無蝎。開元初、有一主簿、竹筒盛、過江、今江南往往有之。俗呼為主簿蟲。、杜詩每愁夜中自足蝎蘇内翰聞騾試筆余謫居黄州五年今日離泗州、退、『照壁喜見蝎不虚語也又、嶺南歸云『巳脱問鵩、之變行有見蝎之喜』皆取諸此。」(酉陽雜俎、江南舊と蝎無し。開元の初、一主簿有り、竹筒盛りて、江を過ぐ、今、江南、往往之有り。俗呼んで主簿蟲と為す、と。杜詩、每夜中に愁う、足蝎より蘇内、翰騾聞いて筆を試みるに、余、黄州に謫居すること五年、今日、泗州を離れ、北行す。岸上に騾空籠を聲らす、意、亦た、欣然たり。蓋し、此の聲を聞かざること久し。退之の「照壁喜見蝎」も、虚語ならずなり、又た、嶺南より歸るに云う、「巳脱問/鵩、之變行有見蝎之喜」と、皆、諸此に取る。)といっている。

 

況逢舊親識,無不比鶼

まして、むかしの朋友に遭うと、けんけんと称する鳥が翔を並べて、飛ぶが如く.ケツという獣が二頭あいよって歩くが如く、いつまでも、相比し、相ならびて、末長く一緒に居たいとおもっていた。

31 鶼 鶼は比翼の鳥、は二頭相憑って歩くという獣。《爾雅·釋鳥》「南方有比翼鳥焉,不比不飛,其名謂之鶼鶼。」(南方に比翼の鳥有り,比れせざれば飛ばず,其の名は之れを鶼鶼と謂う。)孔叢子に「北方有獸、名曰愛蛩蛩駏驉。食得甘草、必齧以遺。蛩蛩駏驉見人將來、必負以走。非愛蛩蛩駏驉為其假足也。二獸亦非愛為其得甘草而遺之也。夫禽獸猶知比假而相報也。况士君子欲名利者乎。」(北方に獸有り、名をと曰う、『蛩蛩駏驉』をして甘草れば、必んでる。『蛩蛩駏驉、人の將に來らんとするを見れば、必ず負うて以いぇ走る。『蛩蛩駏驉』を愛するに非ざる也、其の足を假るが為め也。二獸も亦たするにざるなり。其の甘草を得て、之に遺るが為めなり。夫れ禽獸 猶お比假して相報ゆるを知るなり。况んや士君子、名利を欲する者をや。

 

東雅堂昌黎集註:送文暢師北遊 #5

徴租聚異物或作物/異非是、詭製怛巾韈製或/作制怛或作恒怛驚也。

幽窮共誰語共或/作與、思想甚含噦噦逆氣禮記/不敢噦噫嚏咳月噦/ 切。

昨來得京官元和元年六月自江/陵召還為國子博士、照壁喜見蝎。

酉陽雜俎江南舊無蝎開元初有一主簿竹筒盛過江/今江南往往有之俗呼為主簿蟲杜詩每愁夜中自足

蝎蘇内翰聞騾試筆余謫居黄州五年今日離泗州/北行岸上騾聲空籠意亦欣然蓋不聞此聲久矣退

之照壁喜見蝎不虚語也又嶺南歸云巳脱問/鵩之變行有見蝎之喜皆取 諸此 蝎音歇

况逢舊親識或作識知/親或作相無不比鶼

爾雅陸徳明音義云鶼鶼/鳥有目一翅相得乃飛故

曰兼兼孔叢子北方有獸名曰愛蛩蛩駏驉食得甘/草必齧以遺蛩蛩駏驉見人將來必負以走

蛩蛩駏驉也為其假足也二獸亦非愛也為其得甘/草而遺之也夫禽獸猶知比假而相報也况士君子欲名利者乎音鶼/古恬切

韓愈142-#4《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#4<1699> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7471

韓愈詩-  送文暢師北遊 #4

下開迷惑胸,豁劚株橛。僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7466 

 806年貞元22 39-14)#4

14) #4

 <1699

 

 

 
  2016年3月12日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-6李太白集042巻一42 古風,五十九首之四十二 420Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-6【56首】 Ⅰ李白詩1786 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7470  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#4《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#4<1699> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7471  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(9)杜少陵集 《遣悶戲呈路十九曹長》18-47 杜甫詩index-15-1165 <1615> 767年大暦2年56歲-(9)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九40浣溪沙七首其七》『花間集』442全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7474  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈142-#4

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

韓昌黎集巻02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

(京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:

僧侶法師文暢

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

柳宗元

書簡

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

 

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。

僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。

三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。

これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。

かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。

三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。

#4

下は迷惑の胸を開いて,豁として株橛を劚る。

僧 時に 聽瑩せず,水を飲んで救暍するが若し。

風塵 一び門を出づ,時日 多きこと發の如し。

三年 荒嶺に竄せられ,縣を守りて 深樾に坐す。

 

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

下開迷惑胸,株橛。

僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。

三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

(下し文)
#4

下は迷惑の胸を開いて,豁として株橛を劚る

僧 時に 聽瑩せず,水を飲んで救暍するが若し。

風塵 一び門を出づ,時日 多きこと發の如し。

三年 荒嶺に竄せられ,縣を守りて 深樾に坐す。

(現代語訳)
#4

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。

これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。

かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。

三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。


(訳注) #4

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

 

下開迷惑胸,豁劚株橛。

下にしては、今、佛教を信じている者たちが迷ったり、惑ったりしている胸を推し開き、そして、聖人の大道を妨げるところの乱杭をさっぱりと一刀のもとに断ち切ってしまい、つまり、佛を排し、儒をすすめるようにせねば成らぬといふ旨意をのべたものである。

21  広々とした朗(ほが)らかな貌 ・:高い気。何遜詩:「豁下巖岈。」音哮,氣上 也。校本一用《西京賦》,作豁,恐非。今按:一本作豁,注云開達貌。《西京賦》李善無注,而《篇韻》以爲宮殿貌。祝氏《音義》作豁,開達貌。潘岳《登虎牢賦》:「幽谷豁以寥。」とある。

22 劚株橛 聖人の道を妨げる乱杭を一刀のもとに切り捨てる。列子「吾處也、若株抅」注斷木也。(吾が處るや、株に抅せらるるが若し。)(その注に斷木するなり

 

僧時不聽瑩,若飲水救暍。

これが、普通の坊主であれば、腹を立てるに相違ないが、流石に高僧と称せられる文暢師のことであるから、わが言うところを聞き分けて、大分腑に落ちたような風で、たとへば、脱水症状の者が水を飲んで喉をうるおすというように、非常にありがたく感じたように見えたのである。

23 聽瑩 疑惑の貌をして聞くこと。《莊子、齊物論》「是黄帝之所聴瑩也。」(是れ黄帝の聴瑩する所なり。)註「聴瑩疑惑貌。」その註に聴瑩疑惑貌。)とある。

24 救暍 夏の直射日光によって頭痛、めまいなどをおこすこと、を救済する。

 

風塵一出門,時日多如發。

かくて、文暢師は、浮世の風塵を追うて、ひとたび韓愈の門を出ででより、知らず、識らず、時日を経過したことは、乱れたる髪の毛の数うるにたえざるが如くであって、その間に、わが一身にも、非常なる変化が起ったのである。

一出門 韓愈の説を理解としたその意味では、韓愈の門下ということであろう、儒者の門下ということではなくい。

 

三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

三年の間、荒れはてたる嶺南の地に謫せられ、陽山の縣令として、森の木陰の奥深い處に住居していたのである。

25 深樾 此れは為陽山の令に貶謫に出されたこと言う。樾とは木蔭のことで、陽山は日差しが強く、奥深い木陰にいるだけであったということを言うのである。「楚謂兩木交隂 之下曰樾」(楚に兩木 交隂の下の曰樾を謂う。

 

 


続きを読む

韓愈142-#3《 巻02-16送文暢師北遊-#3》806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#3<1698> Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7466

韓愈詩-韓愈142-  送文暢師北遊 #3

又聞識大道,何路補黥刖。出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。上論古之初,所以施賞罰。
そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7466 

 806年貞元22 39-14)#3

14) #3

 <1697

 

 
  2016年3月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-5李太白集040巻一40 古風,五十九首之四十 419Index-24Ⅲ-3 5【56首】Ⅰ李白詩1785 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7465  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#3《 巻02-16送文暢師北遊-#3》806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#3<1698> Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7466  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(8)杜少陵集 《晝夢》18-48 杜甫詩index-15-1164 <1614> 767年大暦2年56歲-(8)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九39浣溪沙七首其六》『花間集』441全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7469  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

韓愈詩-韓愈142-#3

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安

 

及地點:

 

 

 

 陽山

 

 

 江陵

 

交遊人物:

僧侶法師文暢

柳宗元

 

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

又聞識大道,何路補黥刖。

出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。

上論古之初,所以施賞罰。

(下し文)
#3

又 聞く 大道を識る と,何れの路か 黥刖を補わん。

其の囊中の文を出せば,聽に滿ちて 實に清越。

僧に謂う 當に少しく安んずべし,序を草して 頗る排訐す。

上は古の初め,賞罰を施す所以を論ず。

(現代語訳)
#3

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。


(訳注) #3

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

 

又聞識大道,何路補黥刖。

そして、先生は儒家の大道を知って居られるから、刑餘の人に等しいと称せられる我々佛徒の為になるようなことを教えていただきたい。

補黥刖 刑罰のことで、黥は刑罰で刺青をすること、此処では仏教徒が刑罰を受けた人と同じ待遇であることをどうしたらいいのか教えてほしいというほどの意。仏教徒は、髪の毛を剃ったりするのは、刑餘の人に等しいと称せられる。《莊子·篇·大宗師第六》「庸詎知夫造物者之不息我黥而補我劓, 使我乘成以隨先生邪」(庸詎【いづくんぞ】夫の造物者の我が黥を息めずして我が劓を補わざるを知らんや, 使我をして成を乘せて以て先生に隨わしめざるを。)

 

出其囊中文,滿聽實清越。

そして、今まで手に入れたのは、この通りだといって、嚢中の文を取り出して、それを読み上げるのを聞くと、いかにも清越である。

清越 清らかでよくとおる,清らかに響く.清くて調子が高い。用例、其声清越=その声が清らかに響く。南朝宋. 謝靈運《石門巖上宿》詩:「異音同至聽,殊響俱清越。」(異音 同じく聴を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。いろんな違う音が同時に聞こえてくる、たまには清風にのっていろんな音がきこえて調子が高い。

石門巌上宿 謝霊運<33> 詩集 411  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1050

 

謂僧當少安,草序頗排訐。

そこで、自分は、文暢に答へて、そういう訳なら、書いて遣るから、少し待ってくれというので、「浮屠丈陽を送る序」といふもの書き上げたが、佛教の事は、性來大嫌いであるから、よほどこれをそしったものであった。

排訐 悪く言う、譏。

 

上論古之初,所以施賞罰。

そして、全文の大意たるや、上にあるものを考えてみると、いにしえ国家というものが出来上った時分、聖君賢主が賞罰を施して人民を督励した所以を論じたのである。

 

 

送文暢師北遊 【字解】

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

 

 


続きを読む

韓愈142-#2《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#2<1697> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7461

韓愈詩-韓愈142-送文暢師北遊 #2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。從求送行詩,屢造忍顛蹶。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。先生閟窮巷,未得窺剞劂。
都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7461 

 806年貞元22 39-14)#2

14) #2

 <1697

 

 
  2016年3月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-4李太白集022巻一22 古風,五十九首之二十二 418Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-4【56首】Ⅰ李白詩1784 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7460  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#2《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#2<1697> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7461  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(7)杜少陵集 《愁》18-44 杜甫詩index-15-1163 <1613> 767年大暦2年56歲-(7)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九38浣溪沙七首其五》『花間集』440全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7464  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

韓愈詩-韓愈142-#1

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安

 

及地點:

 

 

 

 陽山

 

 

 江陵

 

交遊人物:

僧侶法師文暢

柳宗元

 

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。上論古之初,所以施賞罰。

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

唐時代 韓愈関連05 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

(下し文)
#2
薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。


(現代語訳)
#2

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

京兆地域図002
(訳注)  #2

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2 文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

 

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。

都に名高い貴顕を始め、文筆の士などは、文學上の門閥をなし、聲誉赫赫として、なかなか偉く構えて居るのである。

薦紳 大官の連中。都に名高い貴顕を始めとする者たち。

耀前閥 従前の門閥として著名である。

 

從求送行詩,屢造忍顛蹶。

だから、毎毎そういう人に送序を作ってもらおうというので滅多に書かないのを、根気よくしばしば足を運び、ころびつまづくことを忍んで、毎日催促に出かけたというのである。

送行詩 送別の詩、送行詩、など、いろんな宴席で披露するためにあつめる。

屢造 しばしば足を運び、毎日催促に出かける。

忍顛蹶 ころびつまづくことを忍んで、苦労をいとわないことを言う意。

 

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。

そういう風にして、処処で作ってもらった詩文は、段段たまって、今では十餘巻となり、その分量も多く、且つ磨き立てた斧鉞を羅列するが如く、光彩燦然たるものがある。

浩汗 分量の多いこと。

羅斧鉞 斧やまさかりを揃えて並べる。斧や鉞は刑を執行する道具。戦陣で最も使われる武器。

《莊子·至樂》. 莊子之楚,見空髑髏,髐然有形,檄以馬捶,因而問之,曰:「夫子貪生. 失理,而為此乎?將子有亡國之事,斧鉞之誅,而為此乎?

《論語》「成春秋一書,褒貶嚴斧鉞」

 

先生閟窮巷,未得窺剞劂。

ここに、韓愈先生は、陋巷に質素倹約の佗住居をして居られ、未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられないのでまことに遺憾至極であるというのである。

先生 侶法師文暢が韓愈のことをさしていう。

閟窮巷 陋巷に佗住居。裏小路に質素なわびしい住居を持つこと。

未得窺剞劂 未だ其の文章を頂戴しないのは、詩本にのせられない・剞劂:剞と劂は彫刻刀。詩文を板木に彫刻することをいい、本の製作をするという意味になる。

 

 

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳、筆を秉るの徒、聲譽、前閥を耀かす。

従って送行の詩を求め、屡ば造【いた】りて顛蹶を忍ぶ。

今、十餘卷を成し、浩汗.斧鉞を羅す。

先生、窮巷を閟【と】ぢて、未だ剞劂を窺うを得ず。

 

送文暢師北遊 【字解】

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1 北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2 文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

柳宗元 《柳宗元集、送文上人登五台遂游河朔序.

韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》

浮屠師文暢喜文章,其周遊天下,凡有行必請於搢紳先生,以求詠歌其所誌。

貞元十九年春,將行東南,柳君宗元為之請。

解其裝,得所得敘詩累百餘篇,非至篤好,其何能致多如是耶?

惜其無以聖人之道告之者,而徒舉浮屠之贈焉。夫文暢,浮屠也。

浮屠師 文暢は文章を喜む。

其の天下を周遊する、凡そ行くこと

有れば、必ず紳先生に請うて、以て其の志す所を詠歌せんことを求む。

貞元十九年春、將に東南に行かんとす。

柳君宗元之が爲に請う。

其の袋を解いて、得る所の敘詩百餘篇を累ぬるを得たり。

至って篤く好むに非ずんば、其れ何ぞ能く多きを致すこと是の如くならんや。

惜むらくは其の聖人の道を以て之に告ぐる者無くして、徒に浮屠の説を挙げて勝るのみなるを。

夫れ文暢は浮屠なり。

仏教の僧侶法師文暢は文章を好んでいる。

彼が天下を周遊するとき、およそ旅立つことがあれは、かならず高官の人や学者たちに請うて、自分の志す所を詩に詠歌して欲しいという。

貞元十九年(803年)春、彼は東南の地方に行こうとしていた。

柳宗元君がこの人のために私に頼まれたので、彼の旅の荷物を解いた。

彼の旅の荷物を解いて、彼の得た叙文や詩を百余篇もかさねることができた。

至って深く篤く好む人でなければ、一体どうしてこのように多くの詩文を手に入れ、ためておくことがあろうか。

惜しいことに、それらは儒家聖人の道を彼に告げたものがなくて、ただ無益にも仏の説を取りあげて彼に贈るだけである。

それ、文陽は仏教の僧侶である。

75-#1 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1442 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194

75-#2 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1444 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6204

75-#3 八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1445 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6209

75-#4 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#4 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1446 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6214

75-#5 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#5 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1447 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6219

75-#6 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#6 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1448 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6224

75-#7 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#7 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1449 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6229

75-#8 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#8 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1450 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6234

75-#9 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#9 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1451 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6239

 

3 四門館 即ち四門學。四方侯伯の子弟に教えるところ。 王讜 《唐語林學舊六館》「國子館、太學館、四門館、書館、律館、算館, 國子監の六學が有り。”唐代、四門博士が三人あって、即ち、その教授である。国子学は在京貴族の子弟を教え、四門學は在外有爵者の子弟を教授したのでので、両方を合せて學習院といった様なものである。

4 城闕 城門やぐら。城楼。門観。《詩経国風:鄭風、子衿》「挑兮達兮、在城闕兮。一日不見、如三月兮。」(挑たり達たり、城闕に在り。一日見ざれば、三月の如し。とあって、都会という義、必ずしも天子の都に限った訳ではない。

5 輗軏 輗は轅端の横木、以て軛を縛するもの。軏に、轅端上の曲れる鉤衡。つまり、軏はは馬を縛り付ける水。個個の物の用途性質といふ義に用いてある。

6 攣拘 漢書鄒陽傳に「能く攣拘の語を越ゆ」といい、文選·潘岳·西征賦「陋吾人之拘攣, 飄萍浮而蓬轉。」といひ、即ち、拘束、束縛ということ。

7 戒轄 くさびを外して出発車輛の準備をする。

韓愈142-#1《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#1<1696> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7456

韓愈  送文暢師北遊 #1

昔在四門館,晨有僧來謁。自言本人,少小學城闕。

已窮佛根源,粗識事輗軏。攣拘屈吾真,戒轄思遠發。
803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)  むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

韓昌黎集02-16

送文暢師北遊 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7456 

 806年貞元22 39-14)#1

14) #1

 <1677

 

 
  2016年3月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-3李太白集020巻一20 古風,五十九首之二十 417Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-3【56首】 Ⅰ李白詩1783 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7455  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈142-#1《 巻02-16送文暢師北遊 (昔在四門館,)-#1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(14)8分割-#1<1696> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7456  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(6)杜少陵集 《18-46崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡》 index-15-1162 <1612> 767年大暦2年56歲-(6) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7457  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九37浣溪沙七首其四》『花間集』439全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7459  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈142-#1

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

全唐詩卷337-16 

文體:

 五言古詩

 

02-16

 

 

詩題:

送文暢師北遊

序文

作地點:

長安

 

及地點:

 

 

 

 陽山

 

 

 江陵

 

 

 

 

 

交遊人物:

僧侶法師文暢

柳宗元

 

 

 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。
#2

薦紳秉筆徒,聲譽耀前閥。從求送行詩,屢造忍顛蹶。

今成十餘卷,浩汗羅斧鉞。先生閟窮巷,未得窺剞劂。

#3

又聞識大道,何路補黥刖。出其囊中文,滿聽實清越。

謂僧當少安,草序頗排訐。上論古之初,所以施賞罰。

#4

下開迷惑胸,豁劚株橛。僧時不聽瑩,若飲水救暍。

風塵一出門,時日多如發。三年竄荒嶺,守縣坐深樾。

#5

征租聚異物,詭制怛巾襪。幽窮誰共語,思想甚含噦。

昨來得京官,照壁喜見蠍。況逢舊親識,無不比鶼.

#6

長安多門,吊慶少休歇。而能勤來過,重惠安可揭。

當今聖政初,恩澤完 ?狘。胡為不自暇,飄戾逐鸇

#7

仆射領北門,威德壓胡羯。相公鎮幽都,竹帛爛勳伐。

酒場舞閨姝,獵騎圍邊月。開張篋中寶,自可得津筏。

#8

從茲富裘馬,寧複茹藜蕨。余期報恩後,謝病老耕垡。

庇身指蓬茅,逞志縱獫猲。僧還相訪來,山藥煮可掘。

 

長安皇城宮城00 

『送文暢師北遊』現代語訳と訳註解説
(
本文)

送文暢師北遊 #1

昔在四門館,晨有僧來謁。

自言本人,少小學城闕。

已窮佛根源,粗識事輗軏。

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

(下し文)

(文暢師も北遊するを送る) #1

昔 四門館に在りしとき,晨に 僧有って來り謁す。

自ら言う 本と人,少小にして 城闕に學ぶ。

已に佛の根源を窮め,粗ぼ 事の輗軏【げいげつ】を識る。

攣拘して 吾が真を屈し,轄を戒めて 遠く發せんを思う。

(現代語訳)
送文暢師北遊 #1803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。


(訳注) 

送文暢師北遊 #1

803年貞元19年に柳州の柳宗元のところいく仏教の僧侶であり、詩人である文暢師を送別する詩を贈ったが、このたび五台、河朔のほうにいくというので又この詩を贈って送別する)

1    北遊 五台、河朔のほう面に遊ぶ。現在の河北省を中心とする地域のことで、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州(廬龍軍。現在の北京及び長城付近)、成徳(鎮冀軍。幽州以南と山西に接する地域)、魏博(天雄軍。渤海湾から黄河以北)のことを指す。

2    文暢師 僧侶法師文暢のこと。803年貞元19 38歳の時の作で、韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》があり、3年後のこの時、その時と同じように、送別の詩を依頼してきた。

柳宗元 《柳宗元集、送文上人登五台遂游河朔序.

韓愈《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》

浮屠師文暢喜文章,其周遊天下,凡有行必請於搢紳先生,以求詠歌其所誌。

貞元十九年春,將行東南,柳君宗元為之請。

解其裝,得所得敘詩累百餘篇,非至篤好,其何能致多如是耶?

惜其無以聖人之道告之者,而徒舉浮屠之贈焉。夫文暢,浮屠也。

浮屠師 文暢は文章を喜む。

其の天下を周遊する、凡そ行くこと

有れば、必ず紳先生に請うて、以て其の志す所を詠歌せんことを求む。

貞元十九年春、將に東南に行かんとす。

柳君宗元之が爲に請う。

其の袋を解いて、得る所の敘詩百餘篇を累ぬるを得たり。

至って篤く好むに非ずんば、其れ何ぞ能く多きを致すこと是の如くならんや。

惜むらくは其の聖人の道を以て之に告ぐる者無くして、徒に浮屠の説を挙げて勝るのみなるを。

夫れ文暢は浮屠なり。

仏教の僧侶法師文暢は文章を好んでいる。

彼が天下を周遊するとき、およそ旅立つことがあれは、かならず高官の人や学者たちに請うて、自分の志す所を詩に詠歌して欲しいという。

貞元十九年(803年)春、彼は東南の地方に行こうとしていた。

柳宗元君がこの人のために私に頼まれたので、彼の旅の荷物を解いた。

彼の旅の荷物を解いて、彼の得た叙文や詩を百余篇もかさねることができた。

至って深く篤く好む人でなければ、一体どうしてこのように多くの詩文を手に入れ、ためておくことがあろうか。

惜しいことに、それらは儒家聖人の道を彼に告げたものがなくて、ただ無益にも仏の説を取りあげて彼に贈るだけである。

それ、文陽は仏教の僧侶である。

75-#1 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#1 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1442 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6194

75-#2 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#2 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1444 Ⅱ【9分】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6204

75-#3 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1445 Ⅱ【分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6209

75-#4 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#4 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1446 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6214

75-#5 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#5 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1447 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6219

75-#6 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#6 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1448 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6224

75-#7 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#7 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1449 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6229

75-#8 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#8 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1450 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6234

75-#9 《八讀巻四17 送浮屠文暢師序》-#9 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1451 Ⅱ【9分割】 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6239

 

 

昔在四門館,晨有僧來謁。

むかし、予が四門博士として、都に在官した頃、朝早く、-人の僧侶が尋ねて来た。

3 四門館 即四門學。四方侯伯の子弟に教えるところ。 王讜 《唐語林學舊六館》「國子館、太學館、四門館、書館、律館、算館, 國子監の六學が有り。”唐代、四門博士が三人あって、即ち、その教授である。国子学は在京貴族の子弟を教え、四門學は在外有爵者の子弟を教授したのでので、両方を合せて學習院といった様なものである。

 

自言本人,少小學城闕。

聞いて見ると、名を文暢といい、もと呉國の人で、若い時には、都会の学校で勉強をして居たという。

4 城闕 城門やぐら。城楼。門観。《詩経国風:鄭風、子衿》挑兮達兮、在城闕兮。一日不見、如三月兮。」(挑たり達たり、城闕に在り。一日見ざれば、三月の如し。とあって、都会という義、必ずしも天子の都に限った訳ではない。

 

已窮佛根源,粗識事輗軏。

そのうちにあらぬ方にそれて、佛學の根源を極め、ほぼ佛理の本末を知ることとなった。

5 輗軏 輗は轅端の横木、以て軛を縛するもの。軏に、轅端上の曲れる鉤衡。つまり、軏はは馬を縛り付ける水。個個の物の用途性質といふ義に用いてある。

 

攣拘屈吾真,戒轄思遠發。

そして、その厳重なる戒律に束縛され賭されて、本性の真を屈することはいとわず、また、雲水の行脚をなすために、車の轄をしめて遠地に向って出発しようとし、そこで、吾が宅にきたのである。

6 攣拘 漢書鄒陽傳に「能く攣拘の語を越ゆ」といい、文選·潘岳·西征賦「陋吾人之拘攣, 飄萍浮而蓬轉。」といひ、即ち、拘束、束縛ということ。

7 戒轄 くさびを外して出発車輛の準備をする。
大明宮 作図011 

韓愈141-#5《 巻02-08醉贈張祕書 #5》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#5<1695> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7451

韓愈  醉贈張秘書 #5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

詩を作れば、その険怪の語、以て鬼神の膽を破るべく、高超の詞を詠い、古えの三墳に倣い、まことに大したものであるが、至上の寶たる珠は、彫琢を待たず、天然の功は、耕耘を待たぎると同じく、何も故らに苦心経営して作ったのではなく、自得の妙である王羲之の「率意書」、すなわち、かくのごとく、これすなわち酔中に得たところの文字の真趣である。顧みれば方今の世、ようやく泰平に向はむとし、八元八凱にも比すべき幾多の名相(杜黄裳、鄭餘慶、李吉甫、裴汨、李藩など)を輩出し、堯舜の如きわが君憲宗を輔佐して行くから、四海すでにおそれるものないのである。吾が徒は、微官に居て、幸に事なきものなれば、希はくは、酔歌して、朝夕を送ることもできるであろう。 

韓昌黎集02-08

醉贈張祕書 #5

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7451 

 806年貞元22 39-13)#5

13) #5

 <1694

 

 
  2016年3月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-2李太白集005巻一05 古風,五十九首之五 416Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-2【56首】-364-005Ⅰ李白詩1782 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7450  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#5《 巻02-08醉贈張祕書 #5》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#5<1695> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7451  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(5)杜少陵集 《老病》15-16 杜甫詩index-15-1161 <1611> 767年大暦2年56歲-(5) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九36浣溪沙七首其三》『花間集』438全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7454  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈141-#5

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

卷二二九 

文體:

 五言古詩

 

02-08

詩題:

醉贈張祕書

序文

今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。

作地點:

長安

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

徹(張署)

孟東野

張籍

 

 

醉贈張秘書 #1

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

人皆勸我酒,我若耳不聞。

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

今日到君家,呼酒持勸君。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

為此座上客,及余各能文。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

君詩多態度,藹藹春空雲。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 

酒味既泠冽,酒氣又氛氳,

酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、

性情漸浩浩,諧笑方雲雲,

性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.

此誠得酒意,余外徒繽紛。

かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 

#4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,

長安には富貴のものが集まっており、皿にくさい野菜にいたるまでと、くさい肉にいたるまで様様の物をならべて、ひどく肴好みをするものであるが、

不解文字飲,惟能醉紅裙。

本来、風流なる文字の飲を解せざるが故に、唯だ、紅裙を侍らし、絃歌を以て、その興を助けるだけで、まことに、頽廃、俗悪の極というべきものである。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。

そして、一度飯を食う程の短き閒の歓楽を得たりとも、畢竟、蚊がむれ飛んで騒がしいと同一であるのである。

今我及數子,固無蕕與薰。

今、われと数子門下のものは、格別、酒の肴をえらぶことなどしないで、贅沢なことは元からする気はない。

#5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

詩を作れば、その険怪の語、以て鬼神の膽を破るべく、高超の詞を詠い、古えの三墳に倣い、まことに大したものであるが、
至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

至上の寶たる珠は、彫琢を待たず、天然の功は、耕耘を待たぎると同じく、何も故らに苦心経営して作ったのではなく、自得の妙である王羲之の「率意書」、すなわち、かくのごとく、これすなわち酔中に得たところの文字の真趣である。
方今向泰平,元凱承華勛,
顧みれば方今の世、ようやく泰平に向はむとし、八元八凱にも比すべき幾多の名相(杜黄裳、鄭餘慶、李吉甫、裴汨、李藩など)を輩出し、堯舜の如きわが君憲宗を輔佐して行くから、四海すでにおそれるものないのである。
吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

吾が徒は、微官に居て、幸に事なきものなれば、希はくは、酔歌して、朝夕を送ることもできるであろう。

(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。

#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。
阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

#3

酒を得んと欲する所以は,文を為【つく】らんとして 其の醺を俟【ま】てばなり,酒味 既に泠冽,酒氣 又た 氛氳,

性情 漸く 浩浩,諧笑 方に雲雲,

此れ誠に酒意を得たり,余外 徒らに繽紛。

#4

長安の富兒,盤饌 膻葷【せんぐん】を羅ぬ,

文字の飲を解せず,惟だ能く 紅裙に醉う。

一餉の樂みを得と雖も,聚飛の蚊の如く有る。

今 我及び數子,固より蕕と薰と無し。

#5

險語は鬼膽を破り,高詞は皇墳に媲【たくら】

至寶不雕琢せず,神功は鋤耘を謝す。

方今 泰平に向い,元凱 華勛を承く,

吾が徒 幸いに無事,庶わくば 以て嘲曛を窮めん。

 

 

『醉贈張祕書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

險語破鬼膽,高詞皇墳。

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。


(下し文)
#5

險語は鬼膽を破り,高詞は皇墳に【たくら】ぶ。

至寶不雕琢せず,神功は鋤耘を謝す。

方今 泰平に向い,元凱 華勛を承く,

吾が徒 幸いに無事,庶わくば 以て嘲曛を窮めん。

(現代語訳)
#5

詩を作れば、その険怪の語、以て鬼神の膽を破るべく、高超の詞を詠い、古えの三墳に倣い、まことに大したものであるが、

至上の寶たる珠は、彫琢を待たず、天然の功は、耕耘を待たぎると同じく、何も故らに苦心経営して作ったのではなく、自得の妙である王羲之の「率意書」、すなわち、かくのごとく、これすなわち酔中に得たところの文字の真趣である。

顧みれば方今の世、ようやく泰平に向はむとし、八元八凱にも比すべき幾多の名相(杜黄裳、鄭餘慶、李吉甫、裴汨、李藩など)を輩出し、堯舜の如きわが君憲宗を輔佐して行くから、四海すでにおそれるものないのである。

吾が徒は、微官に居て、幸に事なきものなれば、希はくは、酔歌して、朝夕を送ることもできるであろう。


(訳注) #5

醉贈張秘書 #1

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

 

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

詩を作れば、その険怪の語、以て鬼神の膽を破るべく、高超の詞を詠い、古えの三墳に倣い、まことに大したものであるが、

25 險語 生僻之詞、奇異之語、険怪之語。生きるのを厭うような言葉、奇怪で普通でない言葉、険呑で怪しい言葉。その気に染まる人また縄皿と肺ろに命を曝さざるなし、道南鼠死行一篇を賦し、奇険怪偉、集中の冠たり、数日ならざるに道南またすなわち怪鼠病で死んだも奇なり。

26 破鬼膽 鬼神の膽を破る、人の声とは思われないほど高い評価をする際の語。

27 高詞 高超の詞を詠うこと。

28 媲 連れ合いの女の方。同等にならぶものであることをいう。

29 皇墳 三皇の書、五典は五帝の書。《書序》:“伏羲、神農皇帝之書,謂之三墳。”皇墳,三皇墳書也。媲或作動。《左傳·昭公十二年》,楚靈王稱讚左史倚相:“是良史也,子善視之,是能讀《三墳》、《五典》、《八索》、《九丘》。”杜預有注:“皆古書名。”《尚書序》稱:“伏羲、神農、黃帝之書,謂之《三墳》,言大道也。

 

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

至上の寶たる珠は、彫琢を待たず、天然の功は、耕耘を待たぎると同じく、何も故らに苦心経営して作ったのではなく、自得の妙である王羲之の「率意書」、すなわち、かくのごとく、これすなわち酔中に得たところの文字の真趣である。

30 神功謝鋤耘 王羲之の「率意書」の故事に基づくもの。353年(永和9年)33日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会して曲水の宴が開かれ、その時に作られた詩集の序文の草稿が蘭亭序である。王羲之はこれを書いたときに酔っていたと言われ、後に何度も清書をしようと試みたが、草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられている。いわゆる「率意」の書である。

 

方今向泰平,元凱承華勛,

顧みれば方今の世、ようやく泰平に向はむとし、八元八凱にも比すべき幾多の名相(杜黄裳、鄭餘慶、李吉甫、裴汨、李藩など)を輩出し、堯舜の如きわが君憲宗を輔佐して行くから、四海すでにおそれるものないのである。

31 元凱 八元八凱のことで、高い徳を持っていて、清く正しい心の人物のこと。 「元」は善、「凱」は高い徳。 古代中国の神話上の高辛氏の八人の心の清い人物は「八元」と呼ばれ、高陽氏の八人の高い徳を持つ人物は「八凱」と呼ばれていたという故事からいう。《左傳·文公十八年》:「昔高陽氏有才子八人,蒼舒,隤,檮,大臨,尨降,庭堅,仲容,叔達,齊聖廣淵,明允篤誠,天下之民,謂之八愷」、「高辛氏有才子八人世謂之八元」にもとづく。.

32 華勛 堯と舜のこと。舜の字は重華、堯の字は放勲であることからいう。当時、憲宗即位以来、皇帝の権威を回復しようとし、朝廷に人材を集める方針をとった。杜黄裳、鄭餘慶、李吉甫、裴汨、李藩など、あいついで宰相にした。また、皇帝の親試があり、白居易、元稹などの俊才が選抜されている。韓愈が長安に召喚されたのもこの一環であった。

 

吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

吾が徒は、微官に居て、幸に事なきものなれば、希はくは、酔歌して、朝夕を送ることもできるであろう。

33 嘲曛 朝夕を送る、嘲は朝、曛は日の入りの事。

 


 

 


続きを読む

韓愈141-#4《 巻02-08醉贈張祕書 #4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#4<1694> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7446

韓愈  醉贈張秘書 #4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,不解文字飲,惟能醉紅裙。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。今我及數子,固無蕕與薰。

長安には富貴のものが集まっており、皿にくさい野菜にいたるまでと、くさい肉にいたるまで様様の物をならべて、ひどく肴好みをするものであるが、本来、風流なる文字の飲を解せざるが故に、唯だ、紅裙を侍らし、絃歌を以て、その興を助けるだけで、まことに、頽廃、俗悪の極というべきものである。そして、一度飯を食う程の短き閒の歓楽を得たりとも、畢竟、蚊がむれ飛んで騒がしいと同一であるのである。今、われと数子門下のものは、格別、酒の肴をえらぶことなどしないで、贅沢なことは元からする気はない。 

韓昌黎集02-08

醉贈張祕書 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7446 

 806年貞元22 39-13)#4

13) #4

 <1694

 

 
  2016年3月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年歳-1李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山 415Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-1【56首】Ⅰ李白詩1781 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#4《 巻02-08醉贈張祕書 #4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#4<1694> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7446  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(4)杜少陵集 《王十五前閣會》18-45 杜甫詩index-15-1160 <1610> 767年大暦2年56歲-(4)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7447   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九35浣溪沙七首其二》『花間集』437全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7449  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈141-#4

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

卷二二九 

文體:

 五言古詩

 

02-08

詩題:

醉贈張祕書

序文

今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。

作地點:

長安

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

徹(張署)

孟東野

張籍

 

 

醉贈張秘書 #1

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

人皆勸我酒,我若耳不聞。

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

今日到君家,呼酒持勸君。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

為此座上客,及余各能文。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

君詩多態度,藹藹春空雲。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 

酒味既泠冽,酒氣又氛氳,

酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、

性情漸浩浩,諧笑方雲雲,

性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.

此誠得酒意,余外徒繽紛。

かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 

#4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,

長安には富貴のものが集まっており、皿にくさい野菜にいたるまでと、くさい肉にいたるまで様様の物をならべて、ひどく肴好みをするものであるが、

不解文字飲,惟能醉紅裙。

本来、風流なる文字の飲を解せざるが故に、唯だ、紅裙を侍らし、絃歌を以て、その興を助けるだけで、まことに、頽廃、俗悪の極というべきものである。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。

そして、一度飯を食う程の短き閒の歓楽を得たりとも、畢竟、蚊がむれ飛んで騒がしいと同一であるのである。

今我及數子,固無蕕與薰。

今、われと数子門下のものは、格別、酒の肴をえらぶことなどしないで、贅沢なことは元からする気はない。

#5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。

#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。
阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

#3

酒を得んと欲する所以は,文を為【つく】らんとして 其の醺を俟【ま】てばなり,酒味 既に泠冽,酒氣 又た 氛氳,

性情 漸く 浩浩,諧笑 方に雲雲,

此れ誠に酒意を得たり,余外 徒らに繽紛。

#4

長安の富兒,盤饌 膻葷【せんぐん】を羅ぬ,

文字の飲を解せず,惟だ能く 紅裙に醉う。

一餉の樂みを得と雖も,聚飛の蚊の如く有る。

今 我及び數子,固より蕕と薰と無し。

#5

險語は鬼膽を破り,高詞は皇墳に媲【たくら】

至寶不雕琢せず,神功は鋤耘を謝す。

方今 泰平に向い,元凱 華勛を承く,

吾が徒 幸いに無事,庶わくば 以て嘲曛を窮めん。

 

 

『醉贈張祕書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

長安富兒,盤饌羅膻葷,

不解文字飲,惟能醉紅裙。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。

今我及數子,固無蕕與薰。

(下し文)
#4

長安の富兒,盤饌 膻葷【せんぐん】を羅ぬ,

文字の飲を解せず,惟だ能く 紅裙に醉う。

一餉の樂みを得と雖も,聚飛の蚊の如く有る。

今 我及び數子,固より蕕と薰と無し。

(現代語訳)
#4

長安には富貴のものが集まっており、皿にくさい野菜にいたるまでと、くさい肉にいたるまで様様の物をならべて、ひどく肴好みをするものであるが、

本来、風流なる文字の飲を解せざるが故に、唯だ、紅裙を侍らし、絃歌を以て、その興を助けるだけで、まことに、頽廃、俗悪の極というべきものである。

そして、一度飯を食う程の短き閒の歓楽を得たりとも、畢竟、蚊がむれ飛んで騒がしいと同一であるのである。

今、われと数子門下のものは、格別、酒の肴をえらぶことなどしないで、贅沢なことは元からする気はない。


(訳注) #4

醉贈張秘書 #1

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

 

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,

長安には富貴のものが集まっており、皿にくさい野菜にいたるまでと、くさい肉にいたるまで様様の物をならべて、ひどく肴好みをするものであるが、

21 膻葷 (葷羶, ) くさい野菜とくさい肉。辛味的の菜、薬草類であり、牛羊肉の臭み取に使用される。白居易《招韜光禪師》(韜光禪師を招く)3708にみえる。

白屋炊香飯、葷膻不入家。

濾泉澄葛粉、洗手摘藤花。

青芥除黃葉、紅薑帶紫芽。

命師相伴食、齋罷一甌茶。

白屋に香飯を炊(カシ)ぎ、葷膻(クンセン)は家に入れず。

泉を濾()して葛粉を澄ませ、手を洗いて藤花を摘む。

青芥(セイカイ) 黃葉を除き、紅薑(コウキョウ) 紫芽を帯ぶ。

師に命じて相い伴食せしめ、齋し罷りて一甌(オウ)の茶。

]粗末な家で香しいご飯を炊く、なまぐさいものは家に入れない。泉の水を濾してくず粉を透明に溶き、手を洗って藤の花を摘む。からしなの黄色くなった葉を取り除き、紅はじかみは紫の芽をつけている。禅師を招待して食事をともにし、斎が終わったら一瓶のお茶を飲みたいもの。

斎戒の食事の内容がよくわかる。禅宗では、「不過中食」の決まりにより、正午を過ぎると食事をしないことになっているから、この招待は昼の食事である。ぜひとも禅僧を招いて斎戒の食事をともにしたいものと、ずいぶん気合いが入っている。白居易にとっては残念なことだが、韜光禪師は気が重かったようで、この招待を断っている。

白居易は、杭州から洛陽にもどってからも斎戒を続けた。長慶四年、洛陽にもどって太子左庶子になっている時の作「問遠師」2374にも見える。

葷羶停夜食、吟詠散秋懷。

笑問東林老、詩應不破齋。

葷羶夜食を停め、吟詠 秋懐を散ず

笑いて問う東林の老、詩は応に斎を破らざるべし

私は夜食にはなまぐさものは食べません、詩を吟じて秋の愁いをまぎらしています。東林寺の大師に笑いながらお尋ねするのですが、詩を吟ずるのは斎戒を破ることにはなりませんよね。

 

不解文字飲,惟能醉紅裙。

本来、風流なる文字の飲を解せざるが故に、唯だ、紅裙を侍らし、絃歌を以て、その興を助けるだけで、まことに、頽廃、俗悪の極というべきものである。

22 紅裙  1 紅色の着物の裾。2 美人。また、芸妓。

 

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。

そして、一度飯を食う程の短き閒の歓楽を得たりとも、畢竟、蚊がむれ飛んで騒がしいと同一であるのである。

23 一餉 一度飯を食う程の短き閒。*1餉は晌に通ず。

 

今我及數子,固無蕕與薰。

今、われと数子門下のものは、格別、酒の肴をえらぶことなどしないで、贅沢なことは元からする気はない。

24 蕕與薰。くさい匂いの薬草と、よいかおりの芳草、香草。

 

 

醉贈張秘書 【字解】

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

1 張秘書 【題轟】 これは、張秘書といふ人の處に招かれて、酒宴をした其席上に於で作ったのである。蒋註に「今本の下に、或は徹の字を証す。徹は元利周年の進士、この詩は、元和の初に作り、徹は猶、未だ第せず。公は五六年の間、皆東都に在り。この詩、蓋し長安に在るの日作る、徹に非ざるなり。」とある。そこで、方世拳は、張徹ではなくて、張曙だらうといった。現に、張曙は、元和の初に進士となって、直に秘書部の官を授けられたというから、大方それに相違なかろううが、あえて誤字として、注釈に徹の字をしたのであろう。「今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。」

2 君家 張秘書の家。

3 座上客 酒宴の主客、賓客を表現したもので、《後漢·孔融傳》:“融字文舉,性寬容少忌,好士,喜誘益後進。及退閑職,賓客日盈其門。常嘆曰:‘座上客常滿,樽中酒不空,吾無憂矣。’”(融、字は文舉,性、寬容にして忌 少く,士を好み,喜んで後進を誘益す。閑職に退くに及び,賓客 日に其門に盈つ。常に嘆じて曰く:‘座上 客 常に滿ち,樽中 酒 空しからず,吾 憂 無し。)に基づいたもの。

4 君詩多態度 《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。

5 藹藹 1 草木がこんもりと茂っているさま。「藹藹たる樹林」2 「あいあい(靄靄)和気藹藹とは。意味や解説。心と心が通じ合い、和やかな気分が周囲に満ちあふれている様子。▽「和気」は穏やかな気分。「藹藹」は和やかなさま。「藹藹」は「靄靄」とも書く。

春空雲 花霞の春天の雲のようである。

6 東野 孟郊孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

⊛孟郊(孟東野関連のブログについては、末尾に掲載

7 天葩 天花、天より雨のように降らす花、天から降りてくる花。

8 奇芬 えもいわれぬ奇香。

9 張籍 原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身のためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士から国子司業に至った。

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序》(吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。)「從吾遊者,李、張籍其尤也。」私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

10 古淡/枯淡 1 人柄・性質などがあっさりしていて、しつこくないこと。世俗的な名利にとらわれないで、さっぱりしていること。また、そのさま。「枯淡な(の)境地」2 書画・文章などに俗っぽさがぬけ、あっさりとした中に趣があること。

11 軒鶴避雞群 車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なものであるという意。張籍と孟郊の文章は全く違っているけれども、それぞれの詩文は、韓愈の高い評価を得ているものであるという意味を言うのである。《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。(“嵇紹 始めて洛に入り,或は王戎謂うて曰く:‘昨 稠人中に於て嵇紹を見る,昂昂然として野鶴の雞群に在るが如し。’”鶴,方に諸本に及び皆作昂す。今 按ずるに:此れ張籍の古淡に學ぶを言うて綺靡に鶩かず,以て軒に乘じた鶴の如くして反て雞群を避くるなり。又 軒鶴は乃ち與天葩の句相偶す。)に基づくものである。

12 阿買 阿は愛称であるから、幼少の時の名前であるから、韓愈の甥の中に詩文の上手なものがいたのであろう。趙堯夫曰:“或問阿買是退之何人,答雲退之侄,必有所據而雲。”此必其子侄小字。(趙堯夫曰く:“或は阿買に問えば是れ退之の何人か,答えて雲う退之の侄なり,必ず所據る有り而て雲いならしむ。”此れ必ずしも其の子侄は小字なり。)

不識字 ここでは、篆書の古字のことを言うので、まだ学問が深くないから、難しい字は知らない。

13 八分 秦の古文を壞すと八體有り、其の一の隸書をいう,この頃これを八分といって公用文字として使われていた。秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。《書苑》に雲う「八分者,秦羽人上谷王次仲飾隸書為之,鐘繇謂之章程書。”漢蔡邕以隸作八分體。蓋八分之後,又分此法,謂之八分。杜甫《八分歌》雲:陳倉石鼓今巳訛,大小二篆生八分。“それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。 ○大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-53 <918 -#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6145

14 張吾軍 《左傳》桓公六年:“楚鬥伯比曰:‘我張吾三軍。’”(“楚の鬥伯比 曰く:‘我 吾が三軍を張る。’”)とあって、万全の態勢を敷くことをいう。

 

15 俟其醺 酒に酔う、酔えば酔うほど興がわく、その気分になることを待つという意。

16 泠冽 強い酒は泠寒である。アルコールの度数が強いこと。

17 酒氣又氛氳 酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成る。

18 浩浩 酔いと勢いに乗って浩大になること。

19 雲雲 話し声が次第に大きい声になり、それぞれがかってに話すありさまを言う。

20 徒繽紛 支離滅裂になったり、錯乱状態になって、他の物を寄せ付けない。

韓愈141-#3《 巻02-08醉贈張祕書 #3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#3<1693> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7441

韓愈  醉贈張秘書 #3

所以欲得酒,為文俟其醺,酒味既泠冽,酒氣又氛氳,性情漸浩浩,諧笑方雲雲,此誠得酒意,余外徒繽紛。

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 

韓昌黎集02-08

醉贈張祕書 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7441 

 806年貞元22 39-13)#3

13) #3

 <1693

 

 
  2016年3月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(96)李太白集944巻二十四56思邊  414-2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 96首-(96) Ⅰ李白詩1780 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7440  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#3《 巻02-08醉贈張祕書 #3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#3<1693> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7441  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(3)杜少陵集 《庭草》18-43 杜甫詩index-15-1159 <1609> 767年大暦2年56歲-(3)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7442   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻九34浣溪沙七首其一》『花間集』436全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7444  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈141-#3

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

卷二二九 

文體:

 五言古詩

 

02-08

詩題:

醉贈張祕書

序文

今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。

作地點:

長安

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

徹(張署)

孟東野

張籍

 

 

醉贈張秘書 #1

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

人皆勸我酒,我若耳不聞。

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

今日到君家,呼酒持勸君。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

為此座上客,及余各能文。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

君詩多態度,藹藹春空雲。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 

酒味既泠冽,酒氣又氛氳,

酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、

性情漸浩浩,諧笑方雲雲,

性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.

此誠得酒意,余外徒繽紛。

かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 

#4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,不解文字飲,惟能醉紅裙。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。今我及數子,固無蕕與薰。

#5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。

#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。
阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

#3

酒を得んと欲する所以は,文を為【つく】らんとして 其の醺を俟【ま】てばなり,酒味 既に泠冽,酒氣 又た 氛氳,

性情 漸く 浩浩,諧笑 方に雲雲,

此れ誠に酒意を得たり,余外 徒らに繽紛。

#4

長安の富兒,盤饌 膻葷【せんぐん】を羅ぬ,

文字の飲を解せず,惟だ能く 紅裙に醉う。

一餉の樂みを得と雖も,聚飛の蚊の如く有る。

今 我及び數子,固より蕕と薰と無し。

#5

險語は鬼膽を破り,高詞は皇墳に媲【たくら】

至寶不雕琢せず,神功は鋤耘を謝す。

方今 泰平に向い,元凱 華勛を承く,

吾が徒 幸いに無事,庶わくば 以て嘲曛を窮めん。

 

 

『醉贈張祕書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,

酒味既泠冽,酒氣又氛氳,

性情漸浩浩,諧笑方雲雲,

此誠得酒意,余外徒繽紛。

(下し文)
#3

酒を得んと欲する所以は,文を為【つく】らんとして 其の醺を俟【ま】てばなり,酒味 既に泠冽,酒氣 又た 氛氳,

性情 漸く 浩浩,諧笑 方に雲雲,

此れ誠に酒意を得たり,余外 徒らに繽紛。

(現代語訳)
#3

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 

酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、

性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.

かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 


(訳注) #3

醉贈張秘書 #1

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

 

所以欲得酒,為文俟其醺,

元來、酒を得ようと欲する所以は、文を作る間に酔おうと思うので、酔うと、自然興が湧いて、早速、作ができるからである。 

15 俟其醺 酒に酔う、酔えば酔うほど興がわく、その気分になることを待つという意。

 

酒味既泠冽,酒氣又氛氳,

酒の味は、すでに強くして、浸みるようであるし、酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成るのであり、

16 泠冽 強い酒は泠寒である。アルコールの度数が強いこと。

17 酒氣又氛氳 酒の気は、どことなくにおうようであって、大分、好い心持に成る。

 

性情漸浩浩,諧笑方雲雲,

性情は、次第に浩浩として、気が大きくなり、諧謔談笑、今しも大分賑かになるのである.

18 浩浩 酔いと勢いに乗って浩大になること。

19 雲雲 話し声が次第に大きい声になり、それぞれがかってに話すありさまを言う。

 

此誠得酒意,余外徒繽紛。

かくの如きは、酒の真意を得たもので、この以外の者は、徒に雑乱するばかり、全く以て取るに足らぬものとなる。 

20 徒繽紛 支離滅裂になったり、錯乱状態になって、他の物を寄せ付けない。

 

 

 

醉贈張秘書 【字解】

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

1 張秘書 【題轟】 これは、張秘書といふ人の處に招かれて、酒宴をした其席上に於で作ったのである。蒋註に「今本の下に、或は徹の字を証す。徹は元利周年の進士、この詩は、元和の初に作り、徹は猶、未だ第せず。公は五六年の間、皆東都に在り。この詩、蓋し長安に在るの日作る、徹に非ざるなり。」とある。そこで、方世拳は、張徹ではなくて、張曙だらうといった。現に、張曙は、元和の初に進士となって、直に秘書部の官を授けられたというから、大方それに相違なかろううが、あえて誤字として、注釈に徹の字をしたのであろう。「今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。」

2 君家 張秘書の家。

3 座上客 酒宴の主客、賓客を表現したもので、《後漢·孔融傳》:“融字文舉,性寬容少忌,好士,喜誘益後進。及退閑職,賓客日盈其門。常嘆曰:‘座上客常滿,樽中酒不空,吾無憂矣。’”(融、字は文舉,性、寬容にして忌 少く,士を好み,喜んで後進を誘益す。閑職に退くに及び,賓客 日に其門に盈つ。常に嘆じて曰く:‘座上 客 常に滿ち,樽中 酒 空しからず,吾 憂 無し。)に基づいたもの。

4 君詩多態度 《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。

5 藹藹 1 草木がこんもりと茂っているさま。「藹藹たる樹林」2 「あいあい(靄靄)和気藹藹とは。意味や解説。心と心が通じ合い、和やかな気分が周囲に満ちあふれている様子。▽「和気」は穏やかな気分。「藹藹」は和やかなさま。「藹藹」は「靄靄」とも書く。

春空雲 花霞の春天の雲のようである。

6 東野 孟郊孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

⊛孟郊(孟東野関連のブログについては、末尾に掲載

7 天葩 天花、天より雨のように降らす花、天から降りてくる花。

8 奇芬 えもいわれぬ奇香。

9 張籍 原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身のためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士から国子司業に至った。

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序》(吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。)「從吾遊者,李、張籍其尤也。」私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

10 古淡/枯淡 1 人柄・性質などがあっさりしていて、しつこくないこと。世俗的な名利にとらわれないで、さっぱりしていること。また、そのさま。「枯淡な(の)境地」2 書画・文章などに俗っぽさがぬけ、あっさりとした中に趣があること。

11 軒鶴避雞群 車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なものであるという意。張籍と孟郊の文章は全く違っているけれども、それぞれの詩文は、韓愈の高い評価を得ているものであるという意味を言うのである。《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。(“嵇紹 始めて洛に入り,或は王戎謂うて曰く:‘昨 稠人中に於て嵇紹を見る,昂昂然として野鶴の雞群に在るが如し。’”鶴,方に諸本に及び皆作昂す。今 按ずるに:此れ張籍の古淡に學ぶを言うて綺靡に鶩かず,以て軒に乘じた鶴の如くして反て雞群を避くるなり。又 軒鶴は乃ち與天葩の句相偶す。)に基づくものである。

12 阿買 阿は愛称であるから、幼少の時の名前であるから、韓愈の甥の中に詩文の上手なものがいたのであろう。趙堯夫曰:“或問阿買是退之何人,答雲退之侄,必有所據而雲。”此必其子侄小字。(趙堯夫曰く:“或は阿買に問えば是れ退之の何人か,答えて雲う退之の侄なり,必ず所據る有り而て雲いならしむ。”此れ必ずしも其の子侄は小字なり。)

不識字 ここでは、篆書の古字のことを言うので、まだ学問が深くないから、難しい字は知らない。

13 八分 秦の古文を壞すと八體有り、其の一の隸書をいう,この頃これを八分といって公用文字として使われていた。秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。《書苑》に雲う「八分者,秦羽人上谷王次仲飾隸書為之,鐘繇謂之章程書。”漢蔡邕以隸作八分體。蓋八分之後,又分此法,謂之八分。杜甫《八分歌》雲:陳倉石鼓今巳訛,大小二篆生八分。“それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。 ○大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-53 <918 -#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6145

14 張吾軍 《左傳》桓公六年:“楚鬥伯比曰:‘我張吾三軍。’”(“楚の鬥伯比 曰く:‘我 吾が三軍を張る。’”)とあって、万全の態勢を敷くことをいう。

韓愈141-#2《 巻02-08醉贈張祕書 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#2<1692> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7436韓愈詩-韓愈141-#2

韓愈  醉贈張秘書 ##2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。張籍學古淡,軒鶴避雞群。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

韓昌黎集02-08

醉贈張祕書 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7436 

 806年貞元22 39-13)#2

13) #2

 <1692

 

 
  2016年3月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(95)李太白集943巻二十四54學古思邊  414Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(95) Ⅰ李白詩1779 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7435  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#2《 巻02-08醉贈張祕書 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#2<1692> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7436韓愈詩-韓愈141-#2  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(1)杜少陵集 《立春》18-41 杜甫詩index-15-1157 <1607> 767年大暦2年56歲-(1)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九33菩薩蠻》『花間集』435全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7439  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈141-#1

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

卷二二九 

文體:

 五言古詩

 

02-08

詩題:

醉贈張祕書

序文

今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。

作地點:

長安

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

徹(張署)

孟東野

張籍

 

 

醉贈張秘書 #1

人皆勸我酒,我若耳不聞。

今日到君家,呼酒持勸君。

為此座上客,及余各能文。

君詩多態度,藹藹春空雲。

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,酒味既泠冽,酒氣又氛氳,性情漸浩浩,諧笑方雲雲,此誠得酒意,余外徒繽紛。

#4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,不解文字飲,惟能醉紅裙。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。今我及數子,固無蕕與薰。

#5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。

#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。
阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

#3

酒を得んと欲する所以は,文を為【つく】らんとして 其の醺を俟【ま】てばなり,酒味 既に泠冽,酒氣 又た 氛氳,

性情 漸く 浩浩,諧笑 方に雲雲,

此れ誠に酒意を得たり,余外 徒らに繽紛。

#4

長安の富兒,盤饌 膻葷【せんぐん】を羅ぬ,

文字の飲を解せず,惟だ能く 紅裙に醉う。

一餉の樂みを得と雖も,聚飛の蚊の如く有る。

今 我及び數子,固より蕕と薰と無し。

#5

險語は鬼膽を破り,高詞は皇墳に媲【たくら】

至寶不雕琢せず,神功は鋤耘を謝す。

方今 泰平に向い,元凱 華勛を承く,

吾が徒 幸いに無事,庶わくば 以て嘲曛を窮めん。

 

 

『醉贈張祕書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

(下し文)
#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。

阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

(現代語訳)
#2

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。


(訳注) #2

醉贈張秘書 #1

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

 

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

孟東野の詩は、ややもすれば、俗を驚かし、天から降りてくる花の、えもいわれぬ奇香を吐くが如き詩文である。

6 東野 孟郊孟郊は、貞元十五年七九九春、汴州をはなれて蘇州各地をめぐり、十六年、五十歳で、はじめて溧陽県の尉に任命され赴任した。溧陽は、いまの江蘇省の南京から約百キロメートル東南のまちで、尉は、警察部長にあたる。県令の季操は官僚肌の男で、孟郊の学問や詩業など眼中になかった。孟郊は、老いた母親まで呼びよせて、しばらく落ちつくつもりだったが、805年永貞元年ついに母を常州の属邑義興にうつし、元和元年、職をもとめて、単身、長安に上って来た。韓愈が帰って来たときには、ほぼ新しい職のめどもついていたのである。

かれらにとっては、四、五年ぶりの再会であった。話題が豊富であった。ほとんど毎晩のように寄り合い、酒をくみ、別れていた間の出来事を語りあい、詩をよせあった。そして、多くの聯句を残した。

⊛孟郊(孟東野関連のブログについては、末尾に掲載

7 天葩 天花、天より雨のように降らす花、天から降りてくる花。

8 奇芬 えもいわれぬ奇香。

 

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

張籍の詩は、古淡を学んで、奇靡に馳せず、たとへば、車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なもので、いづれも詩が上手である。

9 張籍 原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身のためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士から国子司業に至った。

韓愈《讀巻04-14 送孟東野序》(吾に従って溝ぶ者、李翺・張籍は其の尤なり。)「從吾遊者,李、張籍其尤也。」私に従って遊ぶ者、李翺・張籍はその中でもすぐれている。

10 古淡/枯淡 1 人柄・性質などがあっさりしていて、しつこくないこと。世俗的な名利にとらわれないで、さっぱりしていること。また、そのさま。「枯淡な(の)境地」2 書画・文章などに俗っぽさがぬけ、あっさりとした中に趣があること。

11 軒鶴避雞群 車に乗った鶴は、羣鶏の中に下りまざっても、飛び離れ、独り抜きん出て居る様なものであるという意。張籍と孟郊の文章は全く違っているけれども、それぞれの詩文は、韓愈の高い評価を得ているものであるという意味を言うのである。《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。“嵇紹 始めて洛に入り,或は王戎謂うて曰く:‘昨 稠人中に於て嵇紹を見る,昂昂然として野鶴の雞群に在るが如し。’”鶴,方諸本皆作昂す。今 按ずるに:此れ張籍の古淡に學ぶを言うて綺靡に鶩かず,以て軒に乘じた鶴の如くして反て雞群を避くるなり。 軒鶴與天葩句相偶)に基づくものである。

 

阿買不識字,頗知書八分,

そして、吾が甥の阿買は、まだ学問が深くないから、難しい字は知らぬが、生來、よほど上手に八分の字体を書くのである、

12 阿買 阿は愛称であるから、幼少の時の名前であるから、韓愈の甥の中に詩文の上手なものがいたのであろう。趙堯夫曰:“或問阿買是退之何人,答雲退之侄,必有所據而雲。”此必其子侄小字。(趙堯夫曰く:“或は阿買に問えば是れ退之の何人か,答えて雲う退之の侄なり,必ず所據る有り而て雲いならしむ。”此ずしも子侄小字なり

不識字 ここでは、篆書の古字のことを言うので、まだ学問が深くないから、難しい字は知らない。

13 八分 秦の古文を壞すと八體有り、其の一の隸書をいう,この頃これを八分といって公用文字として使われていた。秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。《書苑》に雲う「八分者,秦羽人上谷王次仲飾隸書為之,鐘繇謂之章程書。”漢蔡邕以隸作八分體。蓋八分之後,又分此法,謂之八分。杜甫《八分歌》雲:陳倉石鼓今巳訛,大小二篆生八分。それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。 ○大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-53 <918 -#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6145

 

詩成使之寫,亦足張吾軍。

だから、詩を作成したならば、この阿買に淨書させると、これでもって“吾が三軍を張る”ということで、大いに気焔を揚げるに足りることとなる。

14 張吾軍 《左傳》桓公六年:“楚鬥伯比曰:‘我張吾三軍。’”(“楚の鬥伯比 曰く:‘我 吾が三軍を張る。’”)とあって、万全の態勢を敷くことをいう。

 

 

醉贈張秘書 【字解】

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

1 張秘書 【題轟】 これは、張秘書といふ人の處に招かれて、酒宴をした其席上に於で作ったのである。蒋註に「今本の下に、或は徹の字を証す。徹は元利周年の進士、この詩は、元和の初に作り、徹は猶、未だ第せず。公は五六年の間、皆東都に在り。この詩、蓋し長安に在るの日作る、徹に非ざるなり。」とある。そこで、方世拳は、張徹ではなくて、張曙だらうといった。現に、張曙は、元和の初に進士となって、直に秘書部の官を授けられたというから、大方それに相違なかろううが、あえて誤字として、注釈に徹の字をしたのであろう。「今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。」

2 君家 張秘書の家。

3 座上客 酒宴の主客、賓客を表現したもので、《後漢·孔融傳》:“融字文舉,性寬容少忌,好士,喜誘益後進。及退閑職,賓客日盈其門。常嘆曰:‘座上客常滿,樽中酒不空,吾無憂矣。’”(融、字は文舉,性、寬容にして忌 少く,士を好み,喜んで後進を誘益す。閑職に退くに及び,賓客 日に其門に盈つ。常に嘆じて曰く:‘座上 客 常に滿ち,樽中 酒 空しからず,吾 憂 無し。)に基づいたもの。

4 君詩多態度 《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。

5 藹藹 1 草木がこんもりと茂っているさま。「藹藹たる樹林」2 「あいあい(靄靄)和気藹藹とは。意味や解説。心と心が通じ合い、和やかな気分が周囲に満ちあふれている様子。▽「和気」は穏やかな気分。「藹藹」は和やかなさま。「藹藹」は「靄靄」とも書く。

春空雲 花霞の春天の雲のようである。

 

 

続きを読む

韓愈141-#1《 巻02-08醉贈張祕書 (人皆勸我酒,)#1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#1(5分割)<1691> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7431

韓愈  醉贈張秘書 #1

人皆勸我酒,我若耳不聞。今日到君家,呼酒持勸君。

為此座上客,及余各能文。君詩多態度,藹藹春空雲。

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

韓昌黎集02-08

醉贈張祕書 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7431 

 806年貞元22 39-13)#1

13) #1

 <1691

 

 
  2016年3月4日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(94)李太白集941巻二十四53怨情  413Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(94) Ⅰ李白詩1778 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7430  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈141-#1《 巻02-08醉贈張祕書 (人皆勸我酒,)#1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(13)-#1(5分割)<1691> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7431  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-26杜少陵集 《17-24 秋風,二首之二》 杜甫詩index-15-1156 <1606> 767年大暦2年56歲-26 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九32醉公子》『花間集』434全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7434  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

韓愈詩-韓愈141-#1

作時年:

806

貞元22

39

卷別:

卷二二九 

文體:

 五言古詩

 

02-08

詩題:

醉贈張祕書

序文

今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。

作地點:

長安

及地點:

 

 

 

 

交遊人物:

徹(張署)

孟東野

張籍

 

 

醉贈張秘書 #1

人皆勸我酒,我若耳不聞。

今日到君家,呼酒持勸君。

為此座上客,及余各能文。

君詩多態度,藹藹春空雲。

張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

#2

東野動驚俗,天葩吐奇芬。

張籍學古淡,軒鶴避雞群。

阿買不識字,頗知書八分,詩成使之寫,亦足張吾軍。

#3

所以欲得酒,為文俟其醺,酒味既泠冽,酒氣又氛氳,性情漸浩浩,諧笑方雲雲,此誠得酒意,余外徒繽紛。

#4

長安眾富兒,盤饌羅膻葷,不解文字飲,惟能醉紅裙。

雖得一餉樂,有如聚飛蚊。今我及數子,固無蕕與薰。

#5

險語破鬼膽,高詞媲皇墳。

至寶不雕琢,神功謝鋤耘。

方今向泰平,元凱承華勛,吾徒幸無事,庶以窮嘲曛。

(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。

#2

東野は、動もすれば 俗を驚かし、天葩 奇芬を吐く。

張籍は古淡を學び,軒鶴 雞群を避けしむ。
阿買は字を識らず、頗る八分を書するを知る。

詩成って之を寫さしむれば、亦た吾軍を張るに足る。

 

 

『醉贈張祕書』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

醉贈張秘書 #1

人皆勸我酒,我若耳不聞。

今日到君家,呼酒持勸君。

為此座上客,及余各能文。

君詩多態度,藹藹春空雲。

(下し文)
(酔うて張秘書に贈る)

人皆我に酒を勸むれども、我は耳に聞かざるが若し。

今日、君が家に到り、酒を呼んで持して君に勸む。

この座上の客たるは、余に及ぶまで各おの文を能くせり。

君の詩は態度多し、藹藹たり春空の雲。


(現代語訳)
醉贈張秘書 #1(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。


(訳注)

醉贈張秘書 #1

(張秘書に酒宴に招かれて、その席で役人とし、詩人としての在り方を述べたものである。)

張秘書 【題轟】 これは、張秘書といふ人の處に招かれて、酒宴をした其席上に於で作ったのである。蒋註に「今本の下に、或は徹の字を証す。徹は元利周年の進士、この詩は、元和の初に作り、徹は猶、未だ第せず。公は五六年の間、皆東都に在り。この詩、蓋し長安に在るの日作る、徹に非ざるなり。」とある。そこで、方世拳は、張徹ではなくて、張曙だらうといった。現に、張曙は、元和の初に進士となって、直に秘書部の官を授けられたというから、大方それに相違なかろううが、あえて誤字として、注釈に徹の字をしたのであろう。「今本下或註徹字。徹,元和四年進士,此詩元和初作,徹猶未第。公五六年間,皆在東都,此詩蓋在長安日作,非徹也。」

 

人皆勸我酒,我若耳不聞。

われは、生來、あまか酒を好まず、人がいくら勧めてくれても、耳にもかけないこととしてきた。

 

今日到君家,呼酒持勸君。

しかし、今日君の家を訪うて、酒を出させて自ら酌み、且つ君にも注いで勧めた。

君家 張秘書の家。

 

為此座上客,及余各能文。

凡そ、この座の上客たるものは、自分と共に、いづれも、文芸の士である。

座上客 酒宴の主客、賓客を表現したもので、《後漢·孔融傳》:“融字文舉,性寬容少忌,好士,喜誘益後進。及退閑職,賓客日盈其門。常嘆曰:‘座上客常滿,樽中酒不空,吾無憂矣。’”(融、字は文舉,性、寬容にして忌 少く,士を好み,喜んで後進を誘益す。閑職に退くに及び,賓客 日に其門に盈つ。常に嘆じて曰く:‘座上 客 常に滿ち,樽中 酒 空しからず,吾 憂 無し。)に基づいたもの。

 

君詩多態度,藹藹春空雲。

第一、君の詩は、風情多く、たとえば、藹藹たる花霞の春天の雲のように華やかな雰囲気を持つ。

君詩多態度 《晉書》:“嵇紹始入洛,或謂王戎曰:‘昨於稠人中見嵇紹,昂昂然如野鶴之在雞群。’”鶴,方及諸本皆作昂。今按:此言張籍學古淡而不鶩於綺靡,如以乘軒之鶴而反避雞群也。又軒鶴乃與天葩之句相偶。

藹藹 1 草木がこんもりと茂っているさま。「藹藹たる樹林」2 「あいあい(靄靄)和気藹藹とは。意味や解説。心と心が通じ合い、和やかな気分が周囲に満ちあふれている様子。▽「和気」は穏やかな気分。「藹藹」は和やかなさま。「藹藹」は「靄靄」とも書く。

春空雲 花霞の春天の雲のようである。

韓愈140《 巻01-24秋懷詩,十一首之十一 (鮮鮮霜中菊,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(12)<1690> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7426

韓愈詩-韓愈140  秋懷詩,十一首之十一

鮮鮮霜中菊,既晚何用好。揚揚弄芳蝶,爾生還不早。

運窮兩,婉孌死相保。西風蟄龍蛇,眾木日凋槁。

由來命分爾,泯滅豈足道。
霜中の菊と張を見て、たとえ、死に至るも變せず、おのが操守は、決して柾げないという意を述べる。)

菊は霜中に咲き出でて、その色香は、鮮鮮として居る。もとより時候が遅いとにこれほどには、別段、必要もないのだが、かくばかり顔よき色をなして居る。その菊の芳香に戯れて居る蝶は、揚揚として、さも得意げであるが、これも時節に遅れ、その君らの命もやはりせまっているのである。天命窮まれるも、なお且つ、自己の節を忘れねといふのは、丁度こんなものであろう。今しも、西風吹き起り、龍蛇は地中に蟄し、多くの木木は、日ごとに乾燥し、凋み皆枯れていくのである。そして、菊も、蝶も、その命分に従って、ここに出てきたのが由来で、たとひ遠からず亡びてしまうにしても、そんな事は、どうでも宜しいのであり、わが志を守っていきてゆくことは、死するもなお變せざるもので、恰も此通りである。

韓昌黎集01-25

秋懷詩,十一首之十一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7426 

 806年貞元22 39-12

12140

1688

 

 
  2016年3月3日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(93)李太白集939巻二十四50怨情  412Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(93) Ⅰ李白詩1777 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7425  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈140《 巻01-24秋懷詩,十一首之十一 (鮮鮮霜中菊,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(12)<1690> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7426  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-26杜少陵集 《17-24 秋風,二首之二》 杜甫詩index-15-1156 <1606> 767年大暦2年56歲-26 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九31杏園芳》『花間集』433全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7429  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

年:806年貞元22 39-12

卷別:  卷三三六        文體:  五言古詩

詩題:  秋懷詩,十一首之十一

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

 

秋懷詩,十一首之十一

鮮鮮霜中菊,既晚何用好。

揚揚弄芳蝶,爾生還不早。

運窮兩遇,婉孌死相保。

西風蟄龍蛇,眾木日凋槁。

由來命分爾,泯滅豈足道。

霜中の菊と張を見て、たとえ、死に至るも變せず、おのが操守は、決して柾げないという意を述べる。)

菊は霜中に咲き出でて、その色香は、鮮鮮として居る。もとより時候が遅いとにこれほどには、別段、必要もないのだが、かくばかり顔よき色をなして居る。

その菊の芳香に戯れて居る蝶は、揚揚として、さも得意げであるが、これも時節に遅れ、その君らの命もやはりせまっているのである。

天命窮まれるも、なお且つ、自己の節を忘れねといふのは、丁度こんなものであろう。今しも、西風吹き起り、龍蛇は地中に蟄し、多くの木木は、日ごとに乾燥し、凋み皆枯れていくのである。

そして、菊も、蝶も、その命分に従って、ここに出てきたのが由来で、たとひ遠からず亡びてしまうにしても、そんな事は、どうでも宜しいのであり、わが志を守っていきてゆくことは、死するもなお變せざるもので、恰も此通りである。

11         

(秋懷詩,十一首の十一)

鮮鮮たり霜中の菊,既れて何ぞ好きことを用いん

揚揚たり芳を弄する蝶,爾生還た早からず

運窮まれるもの両つながらい遇い、婉孌として死ぬまでに相い保つ。

西風は龍蛇を蟄し,眾木は日びに凋槁

由来 命分爾り、泥滅 豈道うに足らんや。

 

 

 

『秋懐詩十一首』(十一) 現代語訳と訳註

(本文) 11   

鮮鮮霜中菊,既晚何用好。揚揚弄芳蝶,爾生還不早。

運窮兩遇,婉孌死相保。西風蟄龍蛇,眾木日凋槁。

由來命分爾,泯滅豈足道。

 

 

(下し文)

鮮鮮たり霜中の菊,既れて何ぞ好きことを用いん

揚揚たり芳を弄する蝶,爾生還た早からず

運窮まれるもの両つながらい遇い、婉孌として死ぬまでに相い保つ。

西風は龍蛇を蟄し,眾木は日びに凋槁

由来 命分爾り、泥滅 豈道うに足らんや。

 

 

(現代語訳)

秋懷詩,十一首之十一霜中の菊と張を見て、たとえ、死に至るも變せず、おのが操守は、決して柾げないという意を述べる。)

菊は霜中に咲き出でて、その色香は、鮮鮮として居る。もとより時候が遅いとにこれほどには、別段、必要もないのだが、かくばかり顔よき色をなして居る。

その菊の芳香に戯れて居る蝶は、揚揚として、さも得意げであるが、これも時節に遅れ、その君らの命もやはりせまっているのである。

天命窮まれるも、なお且つ、自己の節を忘れねといふのは、丁度こんなものであろう。今しも、西風吹き起り、龍蛇は地中に蟄し、多くの木木は、日ごとに乾燥し、凋み皆枯れていくのである。

そして、菊も、蝶も、その命分に従って、ここに出てきたのが由来で、たとひ遠からず亡びてしまうにしても、そんな事は、どうでも宜しいのであり、わが志を守っていきてゆくことは、死するもなお變せざるもので、恰も此通りである。

岳陽樓詩人0051 

(訳注) 11  

秋懷詩,十一首之十一 

霜中の菊と張を見て、たとえ、死に至るも變せず、おのが操守は、決して柾げないという意を述べる。)

 

鮮鮮霜中菊,既晚何用好。

菊は霜中に咲き出でて、その色香は、鮮鮮として居る。もとより時候が遅いとにこれほどには、別段、必要もないのだが、かくばかり顔よき色をなして居る。

178 鮮鮮 新誓言。

179  既は、そのことが既定のことになっていること差す遠は、季節がすでに遅いこと。

180 何用 どうしてその必要があろうか。反語「その必要ががない」ということ。

 

揚揚弄芳蝶,爾生還不早。

その菊の芳香に戯れて居る蝶は、揚揚として、さも得意げであるが、これも時節に遅れ、その君らの命もやはりせまっているのである。

181 揚揚 のびのびとして威勢のよいさま。ひらひらと飛ぶ。

182 芳 はなの香晋。

183 還 やはり遥かと比べる気持ちを含む助辞。

 

運窮兩遇,婉孌死相保。

その運の窮まれる時にあたって、菊と蝶とはおのおの婪として、一は顔よき色に咲き出で、一は優しい香を懐かしんで、死に至るまで、相互に保って決して離れないのである。

184 運窮 運は、時のめぐり合わせ。運窮は、菊と蝶の二つが、寒くなるので生きるべき時節のおしせまっていること。

185 両値遇 両は、菊と蝶とその二つがめぐりあう。

婉孌 親しみ絡み合うさま。

 

西風蟄龍蛇,眾木日凋槁。

天命窮まれるも、なお且つ、自己の節を忘れねといふのは、丁度こんなものであろう。今しも、西風吹き起り、龍蛇は地中に蟄し、多くの木木は、日ごとに乾燥し、凋み皆枯れていくのである。

186 西風 西は、五行説によれば金に属し、秋も金に属する。西風は、西域からのもので秋風をいう。

五行       木 火 土 金 水

五色  青 紅 黄 白 玄

   (緑)     (黒)

五方    中 西 北

五時       春 夏 土用 秋 冬

五行関係図
187
 蟄竃蛇 蟄は、虫が冬眠すること。竜も蛇も、虫のうちである。

188 日 日に日に。

189 凋槁 凋も槁も、枯れること。

 

由來命分爾,泯滅豈足道。

そして、菊も、蝶も、その命分に従って、ここに出てきたのが由来で、たとひ遠からず亡びてしまうにしても、そんな事は、どうでも宜しいのであり、わが志を守っていきてゆくことは、死するもなお變せざるもので、恰も此通りである。

・由来 もとから。

・命分 命は、天命。分は、自分に与えられた分け前。

泯滅 ほろびてなくなる。

・道 言う。

 

 

 

 


続きを読む

韓愈140-#《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #2<1689> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7421

韓愈詩-韓愈140-

韓愈  秋懷詩,十一首之十 #2

強懷張不滿,弱念缺已盈。詰屈避語,冥茫觸心兵。

敗虞千金棄,得比寸草榮。知恥足為勇,晏然誰汝令。
そこで、強固なる懐抱を十分に張って居ようと思っても、いまだじゅうぶんにはならず、薄弱なる念慮は、かけてゆくかと思って居ると、やがて反対に胸に一ぱいになる。されば、窮屈にして自ら志を枉げ、言語上の落し穴を避けて、人に恵まれぬようにし、冥茫の中に在って、心の兵器を礪ぎすまし、少しもたゆまぬようにしたいとおもうことなのである。しかし、それでは、世間を渡り行く時に、得るところ少くして失うところ多く、なかなか、うまくは行かないので、失敗した時には、千金を地上に棄てたと同じく、たまたま一つ勝ち得たことがあつても、名も知らぬ小さな草が花を開いたやうなものである。但だ、恥を知るといふ一念だけが残って居れば、如何なる世累や、外憂が侵入してきても、勇気を鼓舞して之と戦って行くことができるので、晏然としで、誰の指図をも受けず、自ら守って、独立特行することもできるのである。

韓昌黎集01-21-#2

秋懷詩,十一首之十 2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7421 

 806年貞元22 39-11#2

11#2

1689

 

 
  2016年3月2日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(92)李太白集932巻二十四44 春怨  411Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(92) Ⅰ李白詩1776 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7420  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈140-#《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #2<1689> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7421  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-25 杜少陵集 《17-23 秋風,二首之一》 杜甫詩index-15-1155 <1605> 767年大暦2年56歲-25 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九30滿宮花》『花間集』432全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7424  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:806年貞元22 39-11 #2

卷別:  卷三三六        文體:  五言古詩

詩題:  秋懷詩,十一首之十

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

秋懷詩,十一首之十 #1

(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

暮暗來客去,群囂各收聲。

日が暮れて暗くなってくると、今までいた来客も辞して去って行く、そうして、さまざまのさわがしさはそれぞれの者たちが声をひそめることで収まっていく。

悠悠偃宵寂,斖斖抱秋明。

そこで、悠々として、夜るの清寂の中に体を伸ばして横になり、こころは、亹亹として、秋の澄んでいて、さわやかに月の光の明るく聡明さを心に抱いているのである。

世累忽進慮,外憂遂侵誠。

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うようになる。

2

強懷張不滿,弱念缺已盈。

そこで、強固なる懐抱を十分に張って居ようと思っても、いまだじゅうぶんにはならず、薄弱なる念慮は、かけてゆくかと思って居ると、やがて反対に胸に一ぱいになる。

詰屈避語阱,冥茫觸心兵。

されば、窮屈にして自ら志を枉げ、言語上の落し穴を避けて、人に恵まれぬようにし、冥茫の中に在って、心の兵器を礪ぎすまし、少しもたゆまぬようにしたいとおもうことなのである。

敗虞千金棄,得比寸草榮。

しかし、それでは、世間を渡り行く時に、得るところ少くして失うところ多く、なかなか、うまくは行かないので、失敗した時には、千金を地上に棄てたと同じく、たまたま一つ勝ち得たことがあつても、名も知らぬ小さな草が花を開いたやうなものである。

知恥足為勇,晏然誰汝令。

但だ、恥を知るといふ一念だけが残って居れば、如何なる世累や、外憂が侵入してきても、勇気を鼓舞して之と戦って行くことができるので、晏然としで、誰の指図をも受けず、自ら守って、独立特行することもできるのである。

 

(秋懷詩,十一首の十) #1

暮暗に來客去り,群囂【ぐんがく】各の聲を收む。

悠悠として宵の寂けきに偃し,亹亹【びび】として秋明を抱く。

世累【せるい】忽として慮に進み,外憂【がいゆう】遂に誠を侵す。

2

懷を強くして張れど滿たされず,念を弱くして缺けれど已に盈ちたり。

詰屈【きつくつ】として語阱【ごせい】を避け,冥茫【めいぼう】として心兵に觸【ふ】る。

敗れて虞う 千金を棄てむことを,比れを得るは寸草の榮。

恥を知るは勇を為すに足れり,晏然たり 誰か汝を令せん。

 

『秋懷詩,十一首之十』現代語訳と訳註解説
(
本文)

2

強懷張不滿,弱念缺已盈。

詰屈避語,冥茫觸心兵。

敗虞千金棄,得比寸草榮。

知恥足為勇,晏然誰汝令。

(下し文)
2

懷を強くして張れど滿たされず,念を弱くして缺けれど已に盈ちたり。

詰屈【きつくつ】として語【ごせい】を避け,冥茫【めいぼう】として心兵に觸【ふ】る。

敗れて虞う 千金を棄てむことを,比れを得るは寸草の榮。

恥を知るは勇を為すに足れり,晏然たり 誰か汝を令せん。

(現代語訳)
2

そこで、強固なる懐抱を十分に張って居ようと思っても、いまだじゅうぶんにはならず、薄弱なる念慮は、かけてゆくかと思って居ると、やがて反対に胸に一ぱいになる。

されば、窮屈にして自ら志を枉げ、言語上の落し穴を避けて、人に恵まれぬようにし、冥茫の中に在って、心の兵器を礪ぎすまし、少しもたゆまぬようにしたいとおもうことなのである。

しかし、それでは、世間を渡り行く時に、得るところ少くして失うところ多く、なかなか、うまくは行かないので、失敗した時には、千金を地上に棄てたと同じく、たまたま一つ勝ち得たことがあつても、名も知らぬ小さな草が花を開いたやうなものである。

但だ、恥を知るといふ一念だけが残って居れば、如何なる世累や、外憂が侵入してきても、勇気を鼓舞して之と戦って行くことができるので、晏然としで、誰の指図をも受けず、自ら守って、独立特行することもできるのである。


(訳注) 2

秋懷詩,十一首之十 2

(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

 

強懷張不滿,弱念缺已盈。

そこで、強固なる懐抱を十分に張って居ようと思っても、いまだじゅうぶんにはならず、薄弱なる念慮は、かけてゆくかと思って居ると、やがて反対に胸に一ぱいになる。

169 強懷 強く思う気持ち。

170 張 緊張させようとする。

 

詰屈避語阱,冥茫觸心兵。

されば、窮屈にして自ら志を枉げ、言語上の落し穴を避けて、人に恵まれぬようにし、冥茫の中に在って、心の兵器を礪ぎすまし、少しもたゆまぬようにしたいとおもうことなのである。

171 詰屈 ぎくしゃくとまがりくねっているさま。

172 語阱 言葉の落とし穴。

173 冥茫 ぼんやりとりとめなく広いさま。

・心兵 兵は、武器。心の刃。

 

敗虞千金棄,得比寸草榮。

しかし、それでは、世間を渡り行く時に、得るところ少くして失うところ多く、なかなか、うまくは行かないので、失敗した時には、千金を地上に棄てたと同じく、たまたま一つ勝ち得たことがあつても、名も知らぬ小さな草が花を開いたやうなものである。

174 敗虞千金弄 危険にぶつかれば、本質的でないものは、一見貴重に見えるものでも棄てさらねはならぬ。『荘子』山木篇、「林回棄千金之璧,負赤子而趨。或曰:‘為其布與?赤子之布寡矣;為其累與?赤子之累多矣。棄千金之璧,負赤子而趨,何也?’林回曰:‘彼以利合,此以天屬也。’夫以利合者,迫窮齷己.君子之交淡若水,小人之交甘若醴。君子淡以親,小人甘以。彼無故以合者,則無故以離。」

「林回、千金の壁を棄て、赤子を負ひて趨る。或人目く「……何ぞや」林回目く「彼は利を以て合ふ。此は天を以て属せり。夫れ利を以て合ふ者は窮禍患害に迫って相乗つ。天を以て属する者は窮禍患害に迫って相収む。……且つ君子の交は淡くして水の若し、小人の交は甘くして酸の若し。君子は淡くして以て親し。小人は甘くして以て絶ゆ。彼の故無くして以て合ふ者は則ち故無くして以て離る」と見える。

175 寸草栄 栄は、草のはなが咲き誇る。

 

知恥足為勇,晏然誰汝令。

但だ、恥を知るといふ一念だけが残って居れば、如何なる世累や、外憂が侵入してきても、勇気を鼓舞して之と戦って行くことができるので、晏然としで、誰の指図をも受けず、自ら守って、独立特行することもできるのである。

176 知恥 『礼記』の中庸に、「恥を知るは勇に近し」 の語がみえる。

177 晏然 やすらぐさま。

 

 

続きを読む

韓愈139-#1《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #1<1688> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7416

韓愈詩-韓愈139-1

韓愈  秋懷詩,十一首之十 #1

暮暗來客去,群囂各收聲。悠悠偃宵寂,斖斖抱秋明。

世累忽進慮,外憂遂侵誠。

(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

日が暮れて暗くなってくると、今までいた来客も辞して去って行く、そうして、さまざまのさわがしさはそれぞれの者たちが声をひそめることで収まっていく。

そこで、悠々として、夜るの清寂の中に体を伸ばして横になり、こころは、亹亹として、秋の澄んでいて、さわやかに月の光の明るく聡明さを心に抱いているのである。

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うやうになる。

韓昌黎集01-21-#1

秋懷詩,十一首之十 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7416 

 806年貞元22 39-11#1

11#1

1688

 

 
  2016年3月1日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(91)李太白集931巻二十四42長門怨二首 其二  410Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(91) Ⅰ李白詩1775 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7415  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈139-#1《 巻01-23秋懷詩,十一首之十 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(11) #1<1688> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7416  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-24 #5杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#5》 杜甫詩index-15-1154 <1604> 767年大暦2年56歲-24 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7417   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 16尹鶚《巻九29臨江仙二首其二》『花間集』431全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7419  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:806年貞元22 39-11 #1

卷別:  卷三三六        文體:  五言古詩

詩題:  秋懷詩,十一首之十

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:       

交遊人物/地點:

詩文:

 

秋懷詩,十一首之十 #1

(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

暮暗來客去,群囂各收聲。

日が暮れて暗くなってくると、今までいた来客も辞して去って行く、そうして、さまざまのさわがしさはそれぞれの者たちが声をひそめることで収まっていく。

悠悠偃宵寂,斖斖抱秋明。

そこで、悠々として、夜るの清寂の中に体を伸ばして横になり、こころは、亹亹として、秋の澄んでいて、さわやかに月の光の明るく聡明さを心に抱いているのである。

世累忽進慮,外憂遂侵誠。

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うやうになる。

2

強懷張不滿,弱念缺已盈。

詰屈避語阱,冥茫觸心兵。

敗虞千金棄,得比寸草榮。

知恥足為勇,晏然誰汝令。

 

(秋懷詩,十一首の十) #1

暮暗に來客去り,群囂【ぐんがく】各の聲を收む。

悠悠として宵の寂けきに偃し,亹亹【びび】として秋明を抱く。

世累【せるい】忽として慮に進み,外憂【がいゆう】遂に誠を侵す。

2

懷を強くして張れど滿たされず,念を弱くして缺けれど已に盈ちたり。

詰屈【きつくつ】として語阱【ごせい】を避け,冥茫【めいぼう】として心兵に觸【ふ】る。

敗れて虞う 千金を棄てむことを,比れを得るは寸草の榮。

恥を知るは勇を為すに足れり,晏然たり 誰か汝を令せん。

大明宮 作図011 

『秋懷詩,十一首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋懷詩,十一首之十 #1

暮暗來客去,群囂各收聲。

悠悠偃宵寂,斖斖抱秋明。

世累忽進慮,外憂遂侵誠。

(下し文)

(秋懷詩,十一首の十) #1

暮暗に來客去り,群囂【ぐんがく】各の聲を收む。

悠悠として宵の寂けきに偃し,亹亹【びび】として秋明を抱く。

世累【せるい】忽として慮に進み,外憂【がいゆう】遂に誠を侵す。


(現代語訳)
秋懷詩,十一首之十 #1(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

日が暮れて暗くなってくると、今までいた来客も辞して去って行く、そうして、さまざまのさわがしさはそれぞれの者たちが声をひそめることで収まっていく。

そこで、悠々として、夜るの清寂の中に体を伸ばして横になり、こころは、亹亹として、秋の澄んでいて、さわやかに月の光の明るく聡明さを心に抱いているのである。

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うやうになる。


(訳注)

秋懷詩,十一首之十 1

(これこそがおのが志すところへ一直線に進むことを述べる)

 

暮暗來客去,群囂各收聲。

日が暮れて暗くなってくると、今までいた来客も辞して去って行く、そうして、さまざまのさわがしさはそれぞれの者たちが声をひそめることで収まっていく。

160 群囂 もろもろのさわがしいもの音。

 

悠悠偃宵寂,亹亹抱秋明。

そこで、悠々として、夜るの清寂の中に体を伸ばして横になり、こころは、亹亹として、秋の澄んでいて、さわやかに月の光の明るく聡明さを心に抱いているのである。

161 偃 よこになる。

162 宵寂 宵は夜る。夜の静けさ。

163 亹亹 道理の微妙なところによく通じているさま。

164 秋明 秋の性質として清々しさと澄み切った空気澄明・聡明の明である。秋の澄明・聡明さ。

 

世累忽進慮,外憂遂侵誠。

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うようになる。

165 世累 世間のわずらいこと。

166 進慮 心の中に侵入する。

167 外憂 外部的な愁い。

168 侵誠 素直な心に侵入してくること。

 

ひとり、色色の事を考へると、世間の俗累は、忽ち自己の思慮の中に進入し、外部の憂いは、誠心を侵害するもので、余ほどしっかりした意思を持っておらないというと、世累や外憂のために次第に本心を失うやうになる。

皇城005 

 


続きを読む
記事検索
最新記事
最新記事(画像付)
記事検索
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ