漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2016年03月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈144-#2《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #2 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)<1717> Ⅱ #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7561

韓愈  喜侯喜至贈張籍張徹  #2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556 

 806年貞元22 39-17)#1

 <1677

 

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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韓愈詩-韓愈144-#2

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

 

 

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。
#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。 

 唐時代 韓愈関連05

 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。

(下し文)
#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。

(現代語訳)
#2

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。


(訳注)  #2

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

 

常思得遊處,至死無倦厭。

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

 

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

1      水鏡涵石劍 水鏡、∴名は城。陸璣「疏云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之。」(一名は射影、江淮の水、皆之に有り。人は岸上に在って、影、水中に見ゆれば、人影に投じて則ち之を殺す)とある。その蟲が石の蔭などに潜んで居て、剣を以て人の影を刺すと、その人は忽ち病気になって、死ぬということ。

 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

2      騰閃 飛び上って閃めく。

 

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びす、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

9 昏塾 塞がって開通ぜざること。

函谷関002

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

 

韓愈144-#1《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹 (昔我在南時,)》  #1 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(17)<1716> Ⅱ #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556

韓愈  喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)  先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556 

 806年貞元22 39-17)#1

 <1677

 

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
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作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

 

 

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。 

長安皇城宮城00 

 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

《喜侯喜至贈張籍張徹》

昔我在南時,數君常在念。

搖搖不可止,諷詠日喁噞.

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

又如心中疾,針石非所砭。

(下し文)
《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

(現代語訳)《喜侯喜至贈張籍張徹》(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。


(訳注) 

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

1      【題義】 韓愈は、806年元和元年六月、江陵法曹参軍より召し返されて、國子博士となった。その頃、孟郊、幷に張籍・張徹などは、頻りに其門に出入し、詩酒の間に交わりを結んで、唱和をなし、城南聯句の如き、會合聯句という数人によるものさえ作り、即ち聯句に於て一新体を剏出して、大に世俗を驚かした。ところが、孟郊は、前に「薦士」詩に在った通り、凓陽の尉を罷められたまま、都に久しくいたが、矢張任用されず、食うにも困るところから、又、微官を得て、ついに都を去ってしまった。すると、侯喜というものが新に入門したから、韓愈は、大に喜び、この詩を作って、張籍、張徹等に吹聴したのである。侯喜は、字は叔己、貞玄19年、進士の第に中り、国士主簿に終ったのである。

韓愈の詩には

801

03-15

贈侯喜【案:愈貞元十七年七月二十二日,與李景興、侯喜、尉遲汾同漁於洛,有不刻在焉,詩必是時作。】

806

02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹【案:愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。】

812

補遺 遺29

石鼎聯句【案:劉師服(進士)、侯喜(字叔退,登貞元進士第,官終國子主簿)、軒轅彌明】

816

巻十14

和侯協律詠筍【案:侯喜也。】

820

巻九32

送侯喜

61-#4 《巻03-15 贈侯喜》-#4   (吾黨侯生字叔巳,)-#4 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377 Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869

《送侯喜》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <968  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3824韓愈詩-261

韓愈の文集に《祭侯主簿文》《與汝州盧郎中論薦侯喜書》

がある。

祭侯主簿文

維年月日,吏部侍郎韓愈,謹遣男殿中省進馬佶,致祭於亡友故國子主簿侯君之靈。

嗚呼!惟子文學,今誰過之。

子於道義,困不舍遣。我狎我愛,人莫與夷。

自始及今,二紀於茲。我或為文,筆俾子持。

唱我和我,問我以疑。我釣我遊,莫不我隨。

我寢我休,莫爾之私。朋友昆弟,情敬異施。

惟我於子,無適不宜。棄我而死,嗟我之衰。

相好滿目,少年之時。日月雲亡,今其有誰。

誰不富貴,而子為羈。我無利權,雖怨曷為。

子之方葬,我方齋祀。哭送不可,誰知我悲。

嗚呼哀哉!尚饗。

 

《與汝州盧郎中論薦侯喜書》

右其人為文甚古,立誌甚堅,行止取舍,有士君子之操;家貧親老,無援於朝,在舉場十余年,竟無知遇。愈常慕其才,而恨其屈。與之還往,月已多,嘗欲薦之於主司,言之於上位,名卑官賤,其路無由。觀其所為文,未嘗不掩卷長嘆。去年,愈從調選,本欲攜持同行,適遇其人,自有家事,迍邅坎軻,又廢一年。及春末,自京還,怪其久消息。五月初至此,自言為閣下所知,辭氣激揚,而有矜色,曰:“侯喜死不恨矣!喜辭親入關,羈旅道路,見王公數百,未嘗有如盧公之知我也。比者分將委棄泥途,老死草野;今胸中之氣,勃勃然,復有仕進之路矣!”

愈感其言,賀之以酒,謂之曰:“盧公天下之賢刺史也。未聞有所推引,蓋難其人而重其事。今子郁為選首,其言‘死不恨’固宜也。古所謂知己者,正如此耳。身在貧賤,為天下所不知,獨見遇於大賢,乃可貴耳。若自有名聲,又托形勢,此乃市道之事,又何足貴乎?子之遇知於盧公,真所謂知己者也。士之修身立節,而竟不遇知己,前古已來,不可勝數,或日接膝而不相知,或異世而相慕。以其遭逢之難,故曰士為知己者死。不其然乎,不其然乎?”

閣下既已知侯生,而愈復以侯生言於閣下者,非為侯生謀也;感知己之難遇,大閣下之德,而憐侯生之心,故因其行而獻於左右焉。謹狀。

 

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

2      在南時 陽山に謫貶され、県令にあった時をいう。

3      在念 念頭に在って忘れることはないということ。

 

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

4      喁噞 呉都賦に喰喁沈浮とあって、その註に「噞喁とは、魚.水中に在って羣出し.口を動かす貌」とあり、淮南子に「水濁れば魚噞喁す」とある。

 

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

5      漬 ひたす、つける。

 

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

6      砭 針を打つ、説文に「石を以て病み刺すみ掟といふ」とみろ。

終南山06 

 

 

 

 

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551

韓愈詩-韓愈143-薦士 10

通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #10

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551 

 806年貞元22 39-16)#10

 <1715

 

 

 
  2016年3月28日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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17 毛熙震《巻十05木蘭花》『花間集』458全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7554
 
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士10

10

通波非難圖、尺地易可漕。善善不汲汲、後時徒悔懊。

救死具八珍、《周禮·膳夫》:“珍用八物。”又:“食醫掌八珍之齊。”《禮記·則》:“八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。

微或作數。

微詩公勿誚、微或作數。愷悌神所勞。《詩》:“愷悌君子,神所勞矣。”勞,郎到切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
善善不汲汲,後時徒悔懊。
る努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
救死具八珍,不如一簞犒。

人の善を善として採用す孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


洛陽 函谷関002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

10

通波非難圖,尺地易可漕。

善善不汲汲,後時徒悔懊。

救死具八珍,不如一簞犒。

微詩公勿誚,愷悌神所勞。

(下し文)
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

(現代語訳)
10

大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。

(訳注) 10

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

汜水関などの地図 

通波非難圖,尺地易可漕。
大河の水を広い大海原へ通ぜしめ、切り開いて進み行くのは、造作もないことで、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちょっとした推挙があればいい。)
65 通波 波を切り開いて進むこと。当たり前のこととして川の水が海の波に通づること。

66  はかりごと。計画。

67 尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思うであろうし、どれほど憂えもだえても役には立たないだろうし、また孟郊にしても、今救ってやらないといけなくて後悔はしたくないのである。
68 善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
69
 悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
孟郊は、本当に餓死寸前の人というほどのものであり、これを救おうとして八珍の料理を山ほどそろえることというけれども、『一瓢箪の食』をもって労ってやれば、それでよいので、もとより、一足飛びに高官にしてほしいというのではないのである。

70 八珍 品数の多い、上等の料理。《周禮·膳夫》「珍用八物。」(珍、八物を用う。)又「食醫掌八珍之齊。」(食醫に八珍の齊を掌る。)

《禮記·則》「八珍謂淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝也。”不如一簞犒。楚與晉戰,或人進王一簞酒,王傾酒於水上,與士共飲。簟音單。不或作無。」(八珍とは、淳熬、淳母、炮豚、炮羊、搗珍、漬、熬、肝を謂うなり。”一簞の犒如くなし。楚と晉との戰い,或る人が王に一簞酒を進め,王は水上に酒を傾け,士と共に飲む。)


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらないかもしれない「薦士」詩を見られて、おせっかいな奴だとおもわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、「愷悌の君子」、すなわち、心楽しくて、優しいお方が、この人物を登用されたなら、神からお褒めの言葉を賜るに相違なく、民を父母の情で見るようにしてほしいというものである。
71 詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。

72 公勿誚 悪く考えないでほしい。

73 誚:せめる。そしる。

74 愷悌 安らぎを楽しむ。《詩経大雅・泂酌【けいしゃく】》「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。()教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。 
Ta唐 長安近郊圖  新02 

韓愈143-#9《 巻02-19薦士 -#9》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#9<1714> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7546

韓愈詩-韓愈143-薦士 #9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #8

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541 

 806年貞元22 39-16)#8

16) #8

 <1712

 

 

 

 
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士9

#9

幸當擇珉玉、寧有棄珪瑁。《周禮》:“天子執瑁四寸,以朝諸侯。”瑁,天子圭也。瑁音冒。

悠悠我之思、擾擾風中纛。

纛以氂牛尾為之,大如鬥,系於左馬軛上。《選》:“黃屋左纛。”楚王曰:“寡人之心,搖搖然如懸旌。”詩意取此。纛音道。

上言愧無路、日夜惟心禱。鶴翎不天生、變化在啄鳥伏卵謂之,薄報切。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
上言愧無路,日夜惟心禱。

そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴翎不天生,變化在啄

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


京兆地域図002

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#9

幸當擇玉,寧有棄珪瑁。

悠悠我之思,擾擾風中纛。

上言愧無路,日夜惟心禱。

鶴翎不天生,變化在啄

(下し文)
#9

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。

悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。

上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。

鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り

(現代語訳)
#9

人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。

鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
杏の花01
(訳注) 9

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


幸當擇玉,寧有棄珪瑁。
人を持ちうるには、宰相の鑑識がじゅうようで、「貴玉而賤珉」を泛然と見分けなければならない、貴鄭殿は美しい石と宝玉とを選び分けるにあたり、天子の用いる宝玉を捨てることはないかどうか、幸いにも孟郊は珪瑁という天子の礼に用いられるほどの有能な人材であるから、よもやこれを切り捨てるという理由はないのである。
57 擇玉 擇はえり分ける。選りすぐることを言う。《《孔子家語?問玉第三十六》「敢問君子貴玉而賤珉,何也?為玉之寡而珉之多歟?」孔子曰:「非為玉之寡,故貴之;珉之多,故賤之。」似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。 ・玉與珉 礼記に「君子、玉を貴んで、珉を賤む。珉は石、玉に似て非なり。」とある。

58  :玉に似た美石。玉三采。

59 珪瑁 能力知才を持ち合わせていることの喩えで用いる。《周禮》に「天子執瑁四寸,以朝諸侯。瑁,天子圭也。」(天子四寸を執瑁し,以て諸侯に朝す。瑁は,天子の圭なり。)


悠悠我之思,擾擾風中纛。
孟郊は、貧窮の底に沈んでいるから、私の孟郊に対する思いは、はてもなく、限りなく続くのである、そして天子や将軍の旗のように立派な旗であっても風のなかに立てた旗は乱れて落ち着かないでしきりに動くものである。
60 悠悠 1 はるかに遠いさま。限りなく続くさま。2 ゆったりと落ち着いたさま。3 十分に余裕のあるさま。

61 擾擾 乱れて落ち着かないさま。ごたごたするさま。

62  ヤクの尾などで飾った大旗》さおの先に象牙の飾りのある、天子や大将軍の旗。馬の尾の黒毛を束ねた飾り。竜像などの幡(はた)をかけ、即位式・大嘗祭(だいじょうさい)などに用いる。纛とは氂牛の尾を以て之を為り,大、鬥の如く,左騑馬軛の上に繋ぐ。

風中纛 「楚王曰寡人之心,搖搖然如懸旌。」詩意取此。纛音道。(楚王、曰く寡人の心,搖搖然しとて旌を懸るが如し。”詩意は此を取ったもの。纛音道)


上言愧無路,日夜惟心禱。
そうかといって、自分も、ぎりぎりの生活であって、天子に意見を上奏しようにも恥ずかしながら術がないのである、したがって、これまで、日夜心の内でただ祈るばかりであったのであるから、此処にこの詩を作ったのである。


鶴翎不天生,變化在啄
鶴は、品格の良い鳥であるが、天然、自然に成長するものではなく、親鳥が抱いてふ化させ、餌を啄んでこれを与え続けた結果、やっと成長し、飛べることができるのである。それは孟郊にしてみても、上位にいる人が啄抱の労をとって、世話をしてやらないと、才能ある者も誰かの推挙がなければ、能力を発拝できないということなのである。
63 鶴翎【かくれい】つるのはね。

64  ・:ついばむくちばしでつつく。ついばむ。:卵を抱いて孵化させること。

 

 

10
通波非難圖,尺地易可漕。
広い大海原へ切り開いて進み行くのは、できない計画ということではない。ただの一尺ほどのわずかなものでも動かし勢いが付けば、漕ぎだすことが容易にできる。(そのように、あなたのちよっとした推挙がほしい。)
通波 波を切り開いて進むこと。・ はかりごと。計画。・尺地 一尺ほどのわずかな土地。


善善不汲汲,後時徒悔懊。
人の善を善として採用する努力をおこたったとしたら、あとになっていたずらに後悔して残念に思い、どれほど憂えもだえても役には立たないだろう。
善善不汲汲 人の善意を信じ、善意に頼ることとその及ぼす力を及ぼす力として頼りにしないこと。
悔懊 後悔して残念に思い、憂えもだえる。・:悔悟・悔恨・悔悛(かいしゅん)/後悔・追悔。:深く思い悩む。憂えもだえる。「懊悩」


救死具八珍,不如一簞犒。
餓死寸前の人を救おうとして八珍の料理をそろえることというけれども、瓢箪にたった一杯の飲み物を供給するということには及ばないというではないか。
・八珍 品数の多い、上等の料理。


微詩公勿誚,愷悌神所勞。
そういうことで、このつまらぬ詩といわれるかもしれないが悪く謗ることのないようしてほしい。私と孟郊の友情に篤いのを『詩経』にあるように、神が民を父母の情で見るようにしてほしいのだ。
詩 ここでいう詩は韓愈のこの「薦士」をいう。・公勿誚 悪く考えないでほしい。:せめる。そしる。・愷悌 安らぎを楽しむ。「教以臣、所以敬天下之爲人君者也。詩云、愷悌君子、民之父母。(教うるに臣をもってするは、天下の人の 君 たる者を敬するゆえんなり。 詩に云く: 愷悌 【がいてい】の君子は民の父母なり。):『詩経』大雅・泂酌【けいしゃく】の章。 

韓愈143-#8《 巻02-19薦士 -#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#8<1713> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541

韓愈詩-韓愈143-薦士 8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。

韓昌黎集02-18

薦  士 #8

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541 

 806年貞元22 39-16)#8

16) #8

 <1712

 

 
  2016年3月26日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士8

 

#8

霜風破佳菊、嘉節迫吹帽。晉孟嘉在征西將軍幕中,九日宴龍山,風吹嘉帽落。

念將决焉去、感物増戀嫪。嫪恡物也。《聲韻》雲:“姻嫪戀惜也。”《文》雲:固也。嫪盧到切。

彼微水中荇、尚煩左右芼。《詩》:“參差荇菜,左右芼之。”芼,擇也。芼音冒。

魯侯國至小、廟鼎猶納郜。《春秋》桓二年:“取郜大鼎於宋。戊申納於太廟。”郜,地名。郜音告。

 

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。

この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
彼微水中荇,尚煩左右芼。

『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。

甘粛省-嘉峪関

『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

8

霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。

念將決焉去,感物增戀

彼微水中荇,尚煩左右芼。

魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

(下し文)
8

霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。

将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。

彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。

魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

(現代語訳)
8

今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
岳陽樓詩人0051
(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
今、仲秋になろうとして、東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
52 霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。(晋の孟嘉の故事)
東晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。

李白『九日龍山飲』(九日 龍山に飲む)
九日龍山飲、
黄花笑逐臣。
酔看風落帽
、舞愛月留人。
杜甫『九日藍田崔氏荘』(九日 藍田の崔氏の荘)
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277


念將決焉去,感物增戀嫪。
この時、孟郊は、免官になれば、そのまま、決然としてここを去るつもりであろうが、我々としては、孟郊の身の上を思い、ものごとに感じて心残りがあるので何とか引き止めたいと思っている。
53 決焉去 決然として出発しようとしているさま。

54 戀嫪 心残りのたねが増すばかりというさま。


彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)は、宮女たちが、左右から后妃を助けてえり分けたうえで、お祀りのお供えものにするのと同じよう孟郊のためにあれこれと選んでくれる人があれば初めて廟堂の上に立つことができる。
55 関雎はミサゴの意で、文王と王妃の仲を詠じているところから〕夫婦が仲よくて、礼儀正しいこと。『詩経、周南、関雎』「關關雎鳩,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。參差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,輾轉反側。參差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。參差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,鐘鼓樂之。」


魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできたという、鼎に等しい孟郊を選ばれないわけはないと思うのである。
56 廟鼎猶納郜 :太廟 郜鼎:春秋時代宋の国にあった鼎:魯の桓公二年(前710年)内乱を起こした家老の華父督によって、魯の国に賄賂として贈られ魯の先祖を周公を祭る廟におかれた。今の山東省にあった郜の国で鋳造されたので郜鼎と称された。
左伝、桓公二年 無責任な甘やかしは、愛にもとづく厳格な戒めに及ばないことのたとえ。【城下の盟】敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。
○紀元前701年、鄭の祭仲と公子突を抑留して脅迫し、盟を結ぶと帰国させて突(厲公)を国君に立てさせた。紀元前700年、魯の桓公や燕の人と穀丘で会談し、鄭との修好を求められた。また魯と虚や亀で会談したが、荘公は鄭との講和を拒否した。宋は魯・鄭の連合軍の攻撃を受けた。紀元前699年、斉・宋・衛・燕と魯・鄭・紀のあいだの会戦となった。
韓愈『石鼓歌』「薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。」(諸を太廟に薦めて郜の鼎に比せば,光價は豈に止だ百倍過ぐるのみならんや。)
石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#8-(最終回)>Ⅱ中唐詩529 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1682

『左伝、桓公二年』
郜鼎- 春秋郜國造的宗廟祭器, 以為國寶。 後被宋國取去。 宋又將此鼎賄賂魯桓公, 桓公獻於太廟。 《左傳‧桓公二年》: “
以郜大鼎賂公……夏四月, 取郜大鼎於宋。 戊申, 納於大廟, 非禮也。” 《左傳‧桓公二年》: “ 郜鼎在廟, 章孰甚 .

韓愈143-#7《 巻02-19薦士 -#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#7<1712> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7536

韓愈詩-韓愈143-#7 薦士 #7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。
孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。

韓昌黎集02-18

薦  士 #7

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 806年貞元22 39-16)#7

16) #7

 <1712

 

 

 
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  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士7

#7

廟堂有賢相、謂鄭余慶。受遇均覆燾。

公有與余慶書雲“再奉示問,皆緣孟家事。”郊死於元和九年,時余慶為興元尹。韋莊雲:“東野佐徐州幕,卒,使下廷評以墓誌。”考之余慶在興元,奏郊為參謀,未至而卒,莊非也。覆,方又切。

况承歸與張、謂郊嘗為歸登、張建封所知。二公迭嗟悼。

青冥送吹噓、箭射魯縞。《前漢·韓安國傳》:“強弩之末,力不能穿魯縞。”

胡為久無成使以歸期告。

貞元十九年,建封死久矣,公猶且雲爾者,蓋言東野素為建封所知,胡為久無成,以歸期告也。

 

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。

聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。

物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
胡為久無成,使以歸期告。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。

況承歸與張,二公迭嗟悼。

青冥送吹噓,強箭射魯縞。

胡為久無成,使以歸期告。

(下し文)
7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。

況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。

青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。


(現代語訳)
#7

孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。

おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。

(訳注) #7

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
孔子のように人の施政をされる廟堂には賢相の鄭余慶宰相があり、才のある人材を愛遇し、重く見る恵みは、天の地をおおう徳にひとしい。
44 廟堂 孔子廟のことであるが、それは鄭余慶が仁徳を持った施政を行うことをいうため、紫宸殿のことをこう表現した。

45 賢相 鄭余慶を謂う。

46 覆燾 天が血を蔽うこと。韓愈は、再三、孟郊の過程に事情を含めて、鄭余慶と書簡を交わしている 

公有與余慶書雲“再奉示問,皆緣孟家事。”郊死於元和九年,時余慶為興元尹。韋莊雲:“東野佐徐州幕,卒,使下廷評以墓誌。”考之余慶在興元,奏郊為參謀,未至而卒,莊非也。覆,方又切。


況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、承れば、歸登、張建封などという有力者も、孟郊の不遇について、痛く同情し、「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物であるから、どうにかしてくださるとは思っている。
47 歸與張 高官のなかの帰登と張建封の二人のことらしい。

48 嗟悼 哀傷悲嘆をいう。才智があるのにどうして認められ、とうようされないのかと歎くこと。晉の潘岳『楊荊州誄』「聖王嗟悼, 寵贈衾襚。」


青冥送吹噓,強箭射魯縞。
物が青空の上に上がるには,大風によって吹き上げられるように朝廷に推挙を待たねばならないし、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
49 吹噓 吹き上げる。取り持つ。世話をする。李白《312巻八26卷八贈崔侍郎》「故人東海客,一見借吹噓。」、   

杜甫《11-56謁文公上方》#3

久遭詩酒,何事忝簪裾。王侯與螻蟻,同盡隨丘墟。

願聞第一義,回向心地初。金篦刮眼膜,價重百車渠。

無生有汲引,茲理儻吹噓。

久しく 詩酒のすを遭うて,何事か忝じけなくも簪裾す。王侯 螻蟻を與へ,同じうして盡く丘墟に隨う。

願わくば第一義に聞くは,回向【えこう】心地の初めてにするを。金篦【きんへい】 眼膜を刮り,價重 百車の渠。汲引する有るを生む無し,茲に理らば儻に吹噓するを。

50 強箭射魯縞 《前漢·韓安國傳》:“強弩之末,力不能穿魯縞。”(強弩の末,力魯縞に穿る能わず。強い弓で射た矢も、最後にはその勢いが衰えて、魯で産する薄絹さえも射通すことができない。強いものも、衰えてしまっては何事もできなくなることのたとえ。

 

胡為久無成,使以歸期告。
おまけに、孟郊は、久しくしてなすことなく、幕府を任期が満ちそうで、そうなると、免官して郷里へと帰るような羽目になってしまう。
51 歸期告 郷里へ帰る日を報告させるような羽目にしたこと。

韓愈143-#6《 巻02-19薦士 -#6》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#6<1709> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7521

韓愈詩-韓愈143-#6 薦士 6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。

韓昌黎集02-18

薦  士 #6

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7521 

 806年貞元22 39-16)#6

16) #6

 <1709

 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士#6

#6

酸寒溧陽尉、溧陽,即今升州縣名。貞元十二年,呂渭知貢舉,郊年四十有六,中進士第。間四年,調溧陽尉。溧音栗。五十幾何耄。八十九十曰耄。

孜孜營甘㫖、《禮記·則》:“昧爽而朝,慈以甘旨。”辛苦久所冒。

俗流知者誰、指注競嘲慠。聖皇索遺逸、髦士日登造。

 

 

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。

聖皇索遺逸,髦士日登造。

彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

6

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。

孜孜營甘旨,辛苦久所冒。

俗流知者誰,指注競嘲傲。

聖皇索遺逸,髦士日登造。

(下し文)
#6

酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。

孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。

聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

(現代語訳)
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。

(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

 

酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉といえば、酸寒の極みともいえるもので、貧乏この上ない上に、出世栄達を夢見る望みも薄い五十代という最早老耄にちかく、これから先の寿命がどれほどのこされていようか。
35 酸寒 苦寒、韓愈《赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士》「酸寒何足道,隨事生瘡疣。」生活が苦しいのはいまさら言うまでもなく、嫌いなことをしているとかさぶたができるというが、何につけてもかさぶたのできるようなことばかりだ。中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6
36 溧陽 今の升州縣をい名。貞元十二年,呂渭知が貢舉,郊年四十六歳で,中進士に及第。それから四年して,溧陽尉に調ぜられる。

37 孟郊 唐代の詩人。751年― 814年字は東野、諡は貞曜先生という。湖州武康(浙江省)の出身。狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は河南省嵩山に隠れた。798年、50歳の時に三度目で進士に及第し、江蘇省溧陽の尉となった。一生不遇で、憲宗の時代に没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。

38 耄 八十九十歳を耄という。


孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかも、一家を背負い、孜孜として勉励し、母親の世話を熱心に努め、長いことさまざまな辛苦をなめてきた。

39 孜孜【しし】熱心に努め励むさま。・營甘旨 さまざまの苦労をなめてきたこと。

40辛苦久所冒 孟郊は故郷の母を江蘇省溧陽の尉となった時に呼び直接面倒を見ているが不遇は続き、生活は困窮のままであったので、韓愈が孟郊を抜擢してもらうよう動いた。しかし、貧相な孟郊を嘲ったことをいう。

俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
41 嘲傲 嘲笑輕視。嘲奔する。


聖皇索遺逸,髦士日登造。
聖天子、憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
42 聖皇 806年元和元年とす。憲宗即位。

43 髦士 俊秀の士。才知が秀でて進んでいるひと。賢者。才智鋭敏。『詩経、小雅、甫田』「攸介攸止、烝我髦士。」(介【お】る攸【ゆう】 止まる攸、我が髦士【ぼうし】を烝【すす】む)

韓愈143-#5《 巻02-19薦士 -#5》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#5<1708> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7516

韓愈詩-韓愈143-薦士 #5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
孟軻分邪正,眸子看了眊。杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。

韓昌黎集02-18

薦  士 #5

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ75116 

 806年貞元22 39-16)#5

16) #5

 <1708

 

 


  卷337_18 《薦士(薦孟郊于鄭餘慶也)》韓愈 

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

338 18 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になると、詩の気象、流れは凋喪消耗して、意味を主とせず、かえって辭を主とするようになった。

中間數鮑謝,比近最清奧。

美辞麗句の六朝詩は、もとより、その間に鮑照・謝霊運・謝誂が名家として挙げられ、近代諸家詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪,

しかし齊・梁となり、陳・隋となれば、世はいよいよくだって、その間の多くの詩はただ、取るに足らず、蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけのものである。
#2

建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。

#3
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。

六朝からの詩は春の息吹を搜って、花卉を摘みとるように、ただ人の真似をし、あるいは、人の摘んだものを横取りして我が物にするというようにし、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
國朝盛文章,子昂始高蹈。

かくて、唐朝時代になると、中國の歴史上最高に文学が盛んになり、詩も勃興した、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、復古を唱道し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。

勃興得李杜,萬類困陵暴。

盛唐になって、詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、この二人は、古今稀に見るところの大詩人で、宇宙間に存在するあらゆるものをとらえて尽くしにしたところから、萬類はこの李杜二人の詩に陵暴され、蹂躙されたのである。
後來相繼生,亦各臻閫奧。それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学に、少なくとも一面は正しく継承した詩を作り、閫奧に参入してきたのである。
#3
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。勃興【ぼっこう】して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。

#4
有窮者孟郊,受材實雄驁。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。

冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
橫空盤硬語,妥帖力排奡。

その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。
#4
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。

#5
榮華肖天秀,捷疾逾響報。

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
孟軻分邪正,眸子看了眊。

むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
#5
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

#6
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
俗流知者誰,指注競嘲傲。聖皇索遺逸,髦士日登造。#6
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。

#7
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。況承歸與張,二公迭嗟悼。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。胡為久無成,使以歸期告。

7

廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。

8
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。念將決焉去,感物增戀嫪。

彼微水中荇,尚煩左右芼。魯侯國至小,廟鼎猶納郜。

8
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。

#9
幸當擇玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄

幸いに玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄【たくほう】に在り。

10
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。



『薦士』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

榮華肖天秀,捷疾逾響報。

行身踐規矩,甘辱恥媚灶。

孟軻分邪正,眸子看了眊。

杳然粹而清,可以鎮浮躁,

(下し文)
#5

栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。

身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。

杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。

(現代語訳)
#5

孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。

(訳注) 

薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) (#1)
(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)


榮華肖天秀,捷疾逾響報。
孟郊は華美で、艶やかな語句は天然に咲き出た花の秀でたるものに触発されているし、詩を作る速さはこだまに対応するかのようか、それにもまさるかと思えるほどである。
27 榮華 つややかな言葉。

28 天秀 天然に咲き出た花。

29 捷疾 詩を作る速さ。

30 響報 こだま。


行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また孟郊は、自身詩をよくするのみならず、聖人の教えに服して、身を行うには、規矩に従い、微管の卑しきに甘んじて、権力者に媚びるという阿諛主義を恥とし、反対している。
31
 規矩 行動にきちんとしたきまりがあること。

 

 

孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けるには、『論語、雍也篇』に見える「眸子看了眊」(眸子了眊を看る。)を決め手としたものだが、明らか「正」であるのだ。
32 眸子看了眊 論語雍也第六) 3孟子曰:「存乎人者,莫良於眸子;眸子不能掩其惡。胸中正,則眸子瞭焉;胸中不正,則眸子眊焉。聽其言也,觀其眸子,人焉廋哉?」(孟子曰わく、人を存()るには眸子より良きはなし。眸子はその悪を奄すこと能わず。胸中正しければ眸子も暸らかに、胸中正しからざれば眸子も咤し。)


杳然粹而清,可以鎮浮躁,

孟郊のひとみは杳然と澄み渡っていて、確かなことは純粋で清らかであり、そして、他の浮躁者流、気風を鎮静させることができる。
33
 杳然【ようぜん】はるかに遠いさま。また、深くかすかなさま。その人物の奥深さははっきりしないほどではあるが。

34 浮躁 落ち着きのないこと。軽率。うわっ調子。

韓愈143-#4《 巻02-19薦士 -#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#4<1707> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7511

韓愈詩-韓愈143-薦士#4

有窮者孟郊,受材實雄驁。冥觀洞古今,象外逐幽好。

橫空盤硬語,妥帖力排奡。敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。

そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、その天稟の才は実に勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥冥の内に洞観して、詩に関した古今のことを一切腹の中に仕舞い込み、現実の世界を超越したところの詩の幽辟なる嗜好をおうていて、奥深い美を発見する力を備えている
その詩は、前人未到の地のものであり、天空に横たわるほど難解で、硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は、練り上げて脱稿し、良く落ち着いてきわめて平易にし、古代神話に出てくる力持ちの奡をもしのぐほどである。
柔軟な表現では紆餘の趣をほしいままにし、見栄えのある華美な趣は、天然の花の秀でたものの様であり、ふるい立ったところでは大風が海の水をも巻き上げるほどの力を出し、素早いことは、響きの声に応じたるが如しと思われる。

韓昌黎集02-18

薦  士 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ75101 

 806年貞元22 39-16)#4

16) #4

 <1707

 

 

 
  2016年3月22日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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744年年44歳-12李太白集118巻三29 上之回  426Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-12【56首】Ⅰ李白詩1794 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7510  
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韓愈143-#4《 巻02-19薦士 -#4》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#4<1707> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7511  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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作時年:

806

貞元22

39

卷別:

338 18

文體:

 五言古詩

 

18-41

 

 

詩題:

薦  士

序文

作地點:

長安、京師、

 

及地點:

河南 

洛陽 

 

凓陽

 

交遊人物:

鄭餘慶宰相 

張建封 

孟東野

張籍

 

 


薦士1

(東野は、ひとまず凓陽に赴任したが、遠地の一卑官でもあり、到底、栄転もなければ、家族を呼び寄せて生活もできないことから、一門を大事に思う韓愈は、ひどく之を気の毒に思い、汴州から、この詩を鄭餘慶にたてまつって、吸引の恵を垂れむこと嘱望したのである。)

周《詩》三百篇,雅麗理訓誥。

周の『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持し、詩文として奇麗にできている。ただし、古訓を調べ、それに依って、今人が初めて解澤することが出来るので、くさま学問として研究することが必要である。

曾經聖人手,議論安敢到。

この三百篇は、孔子の刪正を経て、一部の詩経としてまとまっているから、今さら批評すべき限りではなく、もとより、超絶的である。

五言出漢時,蘇李首更號。

現世に行われる五言の詩は、漢の時代に出来たので、蘇武・李陵の唱和に始まると称し、これまでは、四言を詩といったのに、爾後、改めて五言を詩と号することに成つた。

東都漸彌漫,派別百川導。

五言詩は後漢の世になって、しだいにひろまり、例えば、一つの源の水が海に灌ぐまでには、さまざまに分かれて百川であるように、詩の流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。

2

建安能者七,卓犖變風操。

建安で詩をよくする者たちが “建安の七子”と称されていたが、彼らは人より卓越した才能によって、古詩、樂府、『詩経』や「琴操」の詩風を一層大きくさせた。
逶迤抵晉宋,氣象日雕耗。

それから、さらに変化を重ねて、両晉より宋になる