漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 中唐詩人選集【Ⅰ李商隠-150】Ⅱ韓退之(韓愈)-500Ⅶ孟郊(東野)賈島張籍柳宗元韋応物

Ⅰ李商隠は難解詩といわれている。約150首紹介済。(晩唐詩人) Ⅱ韓退之(韓愈)-約500首Ⅶ孟郊、中唐の詩人を掲載中。万物の性(さが)をテーマにした哲学的な詩。このブログは基本的に中唐詩人を中心にして掲載する予定。 韓愈詩文のこれまでの掲載分とこれから掲載予定分を時系列で整理した2014.3.29のブログに集約してそこから各年次を見ることができる  kanbuniinkai 検索で、《漢文委員会HP05》サイトあります。漢詩唐詩を理解するための総合サイト:≪漢文委員会 漢詩07≫。

2016年05月

少し、マニアックな晩唐詩人Ⅰ-李商隠150首をまず掲載済み。中唐は盛唐詩人(孟浩然・王維、杜甫、李白)を受け継いだ多様な詩人が出ている。この時代も驚くほど詩が発展している。Ⅱ韓退之(韓愈)500首、Ⅲ柳宗元40首、Ⅳ韋応物、Ⅴ劉長卿、Ⅵ韋荘、Ⅶ孟郊(孟東野)、Ⅷ張籍、Ⅸ賈島、Ⅹ劉禹錫、ほか2012~2020年の予定で気長に進める。同じ中唐ではあるが、白居易のグループについては、李白のブログ350首(2015/6月再開~2018/夏・秋月予定)の後掲載の予定。別に杜甫詩ブログ1500首(2011/7月~2018/8月の予定で)を進行中。詩数につぃては、予定の詩数より多くなる。気まぐれなところがあるのでこの予定が少し変わる場合があり、その節はご容赦ください。                 古詩・謝霊運詩 杜甫詩 韓愈詩 花間集500首全詩 それぞれ毎日ブログしています。 このブログ、索引=語句の「検索」 参考書以上掲載。漢詩力up。

韓愈145-#3《 全唐文551-11至鄧州北寄上襄陽於相公書 #3》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)-#3<1723> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7591

韓愈詩-韓愈145-至鄧州北寄上襄陽於相公書 #3  

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

そこにいう谷川の水は、深さは八寸一尺程にすぎないものである。丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。ふるえおののき、心はいたみ恐れて、目がくらみまどい気を失ってぼんやりしないものはいないのである。観る所の物が前とは変われば、心の守る考えが内で変わるのも、またその道理上宜しいことであるということである。

昌黎先生集15-08

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #3上襄陽於相公書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7591 

 806年貞元22 39-18)#3

 <1721

 

 

 

 

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐文卷別:

551-11 

文體:

書 啓

昌黎先生集 

15-08

 

 

詩題:

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳 

 日觀峰 (河南道 兗州 泰山

交遊人物:

 于頔・襄陽相公

 書簡(襄陽節度使)

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

      

          

 

全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,

襄陽の節度府から鄧州の北境まで凡そ五百里であって、その途中、

自庚子至甲辰凡五日,

また、庚子(かのえね)の日から甲辰(きのえたつ) の日までの凡そ五日の間に、

手披目視,口詠其言,

これらの御詩文の作を手で披いて目で視、口にその言辞を詠じ、心でその内容意義を考えて、

心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,

恐れたり驚いたり、ふと物を忘れたようになったりして、

不知鞍馬之勤,道途之遠也。
馬上の旅の苦労も、道の速さも覚えなかったのである。

幕府より鄧の北境に至るまで、凡そ五百餘里,庚子より甲辰に至るまで、凡そ五日で,手にして披し目に視,口に其の言を詠じ,心に其の義を惟いて,且つ恐れ且つ懼る,忽ち亡うこと有るが若し,鞍馬の勤,道途の遠きを知らざるなり。

 

夫澗穀之水,深不過咫尺,

そこにいう谷川の水は、深さは八寸一尺程にすぎないものである。

邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。

丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。

及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,

丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。

莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。

ふるえおののき、心はいたみ恐れて、目がくらみまどい気を失ってぼんやりしないものはいないのである。

所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。
観る所の物が前とは変われば、心の守る考えが内で変わるのも、またその道理上宜しいことであるということである。

#3

夫れ 澗穀の水は,深さ咫尺に過ぎず,

邱垤の山は,高さ尋丈を逾ゆる能わず,人は則ち狎れて之を玩ぶ。

泰山の懸崖に臨み,巨海の驚瀾を窺うに至るに及んで,

戰掉悼栗,眩惑して自失せざるは莫し。

觀る所 前に變じ,守る所 に易るも,亦た其の理の宜しきなり

 

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。

及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。

所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

(下し文)
#3

夫れ 澗穀の水は,深さ咫尺に過ぎず,

邱垤の山は,高さ尋丈を逾ゆる能わず,人は則ち狎れて之を玩ぶ。

泰山の懸崖に臨み,巨海の驚瀾を窺うに至るに及んで,

戰掉悼栗,眩惑して自失せざるは莫し。

觀る所 前に變じ,守る所 易るも,亦た其の理の宜しきなり

(現代語訳)
#3

そこにいう谷川の水は、深さは八寸一尺程にすぎないものである。

丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。

丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。

ふるえおののき、心はいたみ恐れて、目がくらみまどい気を失ってぼんやりしないものはいないのである。

観る所の物が前とは変われば、心の守る考えが内で変わるのも、またその道理上宜しいことであるということである。


(訳注) #3

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (#1

襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

 

夫澗穀之水,深不過咫尺,

そこにいう谷川の水は、深さは八寸一尺程にすぎないものである。

11 咫尺 咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸》1 距離が非常に近いこと。「―の間 (かん) 2 貴人の前近くに出て拝謁すること。

 

邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。

丘や土盛りは、高さ八尺か十尺程度をこえることはないのであるし、そこで人はこれにおそれても近づいて、もてあそぶのである。

12 邱垤 邱は丘。垤とは、 アリやシロアリが地中に巣を作るとき,運び出した土や砂が盛り上げられてできる柱状・円錐状の山。また,落ち葉や枯れ木で作られるアリの巣。蟻の塔。蟻垤(ぎてつ)。蟻封(ぎほう)。

13 尋丈 両手をひろげた長さは尋、八尺。丈は十尺。尋丈は僅かの尺度。

 

及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,

ところがどうだろう、泰山の高い崖の上に立ち、大海の騒ぐ波をうかがい見ることになると、

泰山 山東省泰安市にある山。高さは1,545m 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。

 

莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。

ふるえおののき、心はいたみ恐れて、目がくらみまどい気を失ってぼんやりしないものはいないのである。

14 戰掉 ふるえおののく。地獄の苦を身に感じ、脚や膝が震える姿。

15 悼栗 心おそれふるえる。驚恐戰栗。

 

所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

観る所の物が前とは変われば、心の守る考えが内で変わるのも、またその道理上宜しいことであるということである。

16 所守 心の中に守る考え。

17 理宜 道理上もっともである。

 

 


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韓愈145-#2《 全唐文551-11至鄧州北寄上襄陽於相公書 #2》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)-#2<1722> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7586

韓愈詩-韓愈145- 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #2  

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。
襄陽の節度府から鄧州の北境まで凡そ五百里であって、その途中、また、庚子(かのえね)の日から甲辰(きのえたつ) の日までの凡そ五日の間に、これらの御詩文の作を手で披いて目で視、口にその言辞を詠じ、心でその内容意義を考えて、恐れたり驚いたり、ふと物を忘れたようになったりして、馬上の旅の苦労も、道の速さも覚えなかったのである。

昌黎先生集15-08

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #2上襄陽於相公書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7586 

 806年貞元22 39-18)#2

 <1721

 

 

 

 

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐文卷別:

551-11 

文體:

書 啓

昌黎先生集 

15-08

 

 

詩題:

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 于頔・襄陽相公

 書簡(襄陽節度使)

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,

自庚子至甲辰凡五日,

手披目視,口詠其言,

心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,

不知鞍馬之勤,道途之遠也。
襄陽の節度府から鄧州の北境まで凡そ五百里であって、その途中、

また、庚子(かのえね)の日から甲辰(きのえたつ) の日までの凡そ五日の間に、

これらの御詩文の作を手で披いて目で視、口にその言辞を詠じ、心でその内容意義を考えて、

恐れたり驚いたり、ふと物を忘れたようになったりして、

馬上の旅の苦労も、道の速さも覚えなかったのである。

幕府より鄧の北境に至るまで、凡そ五百餘里,庚子より甲辰に至るまで、凡そ五日で,手にして披し目に視,口に其の言を詠じ,心に其の義を惟いて,且つ恐れ且つ懼る,忽ち亡うこと有るが若し,鞍馬の勤,道途の遠きを知らざるなり。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

(下し文)
幕府より鄧の北境に至るまで、凡そ五百餘里,庚子より甲辰に至るまで、凡そ五日で,手にして披し目に視,口に其の言を詠じ,心に其の義を惟いて,且つ恐れ且つ懼る,忽ち亡うこと有るが若し,鞍馬の勤,道途の遠きを知らざるなり。

(現代語訳)
襄陽の節度府から鄧州の北境まで凡そ五百里であって、その途中、

また、庚子(かのえね)の日から甲辰(きのえたつ) の日までの凡そ五日の間に、

これらの御詩文の作を手で披いて目で視、口にその言辞を詠じ、心でその内容意義を考えて、

恐れたり驚いたり、ふと物を忘れたようになったりして、

馬上の旅の苦労も、道の速さも覚えなかったのである。


(訳注) 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

 

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,

襄陽の節度府から鄧州の北境まで凡そ五百里であって、その途中、

8 自幕府至鄧之北境 襄陽(湖北)の都督府(節度府)から鄧州の北境まで。鄧州は韓愈の行く先。

 

自庚子至甲辰凡五日,

また、庚子(かのえね)の日から甲辰(きのえたつ) の日までの凡そ五日の間に、

9 凡五日 その日も入るから5日間となる。庚子:干支の組み合わせの37番目。甲辰:干支の組み合わせの41番目。

 

手披目視,口詠其言,心惟其義,

これらの御詩文の作を手で披いて目で視、口にその言辞を詠じ、心でその内容意義を考えて、

10 手披手批) 本集には批を披に作る。披は詩文の巻を開くこと。

 

且恐且懼,忽若有亡,

恐れたり驚いたり、ふと物を忘れたようになったりして、

 

不知鞍馬之勤,道途之遠也。

馬上の旅の苦労も、道の速さも覚えなかったのである。

韓愈145-#1《 全唐文551-11至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)-#1<1721> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581

韓愈詩-韓愈145-#1

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

昌黎先生集15-08

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1上襄陽於相公書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7581 

 806年貞元22 39-18)#1

 <1721

 

 

 

 

 

作時年:

806

貞元22

39

全唐文卷別:

551-11 

文體:

書 啓

昌黎先生集 

15-08

 

 

詩題:

至鄧州北寄上襄陽於相公書 (上襄陽於相公書)

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 于頔・襄陽相公

 書簡(襄陽節度使)

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

全唐文551-11 至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》。

自幕府至鄧之北境凡五百餘裏,自庚子至甲辰凡五日,手披目視,口詠其言,心惟其義,且恐且懼,忽若有亡,不知鞍馬之勤,道途之遠也。

夫澗穀之水,深不過咫尺,邱垤之山,高不能逾尋丈,人則狎而玩之。及至臨泰山之懸崖,窺巨海之驚瀾,莫不戰掉悼栗,眩惑而自失。所觀變於前,所守易於,亦其理宜也。

#4

閣下負超卓之奇材,蓄雄剛之俊德,渾然天成,無有畔岸,而又貴窮乎公相,威動乎區極,天子之毗,諸侯之師。故其文章言語,與事相侔,憚赫若雷霆,浩汗若河漢,正聲諧《韶》《》,勁氣沮金石,豐而不餘一言,約而不失一辭,其事信,其理切。孔子之言曰:「有德者必有言。」信乎其有德且有言也!揚子雲曰:「《商書》灝灝爾,《周書》噩噩爾。」信乎其能灝灝而且噩噩也!

7

昔者齊君行而失道,管子請釋老馬而隨之;樊遲請學稼,孔子使問之老農。夫馬之智不賢於夷吾,農之能不聖於尼父,然且雲爾者,聖賢之能多,農馬之知專故也。

今愈雖愚且賤,其從事於文,實專且久,則其讚王公之能,而稱大君子之美,不為僭越也。伏惟詳察。愈恐懼再拜。

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》
伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

唐時代 韓愈関連05 

 

至鄧州北寄上襄陽於相公書』現代語訳と訳註解説
(
本文)

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並《與京兆書》

(下し文)
(至鄧州の北、襄陽の相公の書に寄せ上る) #1

伏して《文武順聖樂の辭》《天保樂の詩》《蔡胡笳の辭をむの詩》《族從に移す》びに《京兆に與うるの書》を示し蒙る。

(現代語訳)
至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。


(訳注) 

至鄧州北寄上襄陽於相公書 #1

襄陽から鄧州の北境までの節度府の閣下御制作の文書を讀んだのでこの書を寄せ奉る

1 鄧州 鄧州(とうしゅう)は中国にかつて存在した州。魏晋南北朝時代・隋代、隋朝が成立すると当初は荊州が設置され49県を管轄した。587年(開皇7年)に鄧州と改称、607年(大業3年)、郡制施行に伴い鄧州は南陽郡と改称され下部に8県を管轄した。

2 相公 于襄陽公、襄陽大都督となる。驕蹇不法、ついに朝に入る。

《新唐書地理志》「于頔傳,頔為襄陽節度,襄有髹器,天下以為法。至頔驕蹇,故方帥不法者,稱為『襄樣節度』。」(于頔傳に,頔は襄陽節度と為し,襄に髹器有り,天下以て法と為す。頔 驕蹇に至り,故に方に帥 不法者なり,『襄樣節度』と稱為す。

 

伏蒙示《文武順聖樂辭》《天保樂詩》《讀蔡胡笳辭詩》《移族從》並與《京兆書》。

伏して閣下御制作の「文武順聖樂辭」文武順聖楽の歌辞)、「天保樂詩」天保楽の詩「讀蔡琰胡笳辭詩」蔡琰が胡茄の辞を読むの詩「移族從」族従に移し)、幷びに「與京兆書」(京兆に与うる書をお示し頂いた。

3 文武順聖樂辭 干公が献上した楽府(歌曲)の名。唐德宗以後、方鎮多製樂舞以献頔、献順聖樂曲、其曲將半行綴皆伏一人舞于中又令女妓爲佾舞 雄徤壯妙號文武順聖楽。

4 天保樂詩 天宝(玄宗の年号)の音通という。

5 讀蔡胡笳辭詩 後漢の学者蔡邕の娘、琰、字は文姫、博学で才があった。乱に遭って胡騎に捕らえられて、匈奴に十二年住み、二子があった。曹操が買い取って董祀に嫁にやった。「胡茄十八拍詞」は匈奴での苦しみを歌ったものである。

6 移族從 廻状の手紙を移文、または移という。つかわす。廻読させる。・族従 一族や家来。

7 京兆書 ・京兆 京都の長官、京兆尹の李実。804年監察御史に進んだが、京兆尹・李実を弾劾したとして、連州陽山の縣令に貶謫されたこともあって、この文のように異様なまでの襄陽相公を賞賛したのであろう。

韓愈144-#5《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #5 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(17)<1720> Ⅱ #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7576

韓愈詩-韓愈144 喜侯喜至贈張籍張徹  -#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

いつもながら、自分に対して推譲し、一同の師範と仰がれ、自分の作った詩文は、光万乗、天を焦がすといわれたものである。しかし、比較が甚だ無造作であって、謂われる言葉は、誠に美はしいが、恐懼のあまり、額面通りに受け取れないとおもっている。何は兎もあれ、こういう門下の會は、非常に、楽しいものである。下僕を呼んで、御馳走の用意をさせて、積み上げた惣菜は、魚や野菜が澤山で、格別珍らしくもないが、決して不足なことはない。苟も、この世に在る間、毎日こういふ風にして面白く暮らして行けたならば、この上もない愉快なことで、何も身分品位の朱紫を身に纏うにも及ばない無礼講であって、つまり、詩酒の楽しみは美官に勝るというべきものではあるまいか。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #5

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7576 

 806年貞元22 39-17)#5

 <1720

 

 

 

 

韓愈詩-韓愈144-#5

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

#5 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

鄭餘慶宰相

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

そこで、神社がありさえすれば喜ばしい限りで、必ず参詣して、歸京の一日も早く可能とならんことを祈るものだ。そして、霊験があったなら、神への恩は、決して忘れないと固く心に誓った位である。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

それに、たびたび都に帰る夢を見ていたし、旅宿の有様なども、歴々たるものであった。

今者誠自幸,所懷無一欠。

かくて、心の誠が貫徹して、さきに都に召し還され、今日ここに在るのは、誠に幸とせねばならぬことで、南方にあって、色色と仲間が欠けるかと予想していたが、少しもかけて居なかった。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

尤も孟郊だけは、濁り離れて此に居らず、どうやら物淋しい心持がするが、その代り、侯喜という人が新に入門して、日夕過訪せられ、まことに、この身に取っては満足なことである。

#3

神に逢うて祝する所多く,豈に 靈 即ち驗なるを忘れんや。

依依として 歸路を夢む,歷歷として 行店を想う。

今は 誠に自ら幸いなり,懷う所 一も欠くる無し。

孟生 去って索【はな】ると雖も,侯氏 來って還た歉【あき】たれり。

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。

#4

欹眠して 新詩を聽けば,屋角 月 豔豔たり。

雜作 間を承けて騁せ,交ごも 驚いて 舌 互いにく。

繽紛として 瑕疵を指し,拒捍して 城塹を阻つ。

餘が摧挫を經たるを以て,固く請うて 鉛槧を發せしむ。

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

いつもながら、自分に対して推譲し、一同の師範と仰がれ、自分の作った詩文は、光万乗、天を焦がすといわれたものである。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

しかし、比較が甚だ無造作であって、謂われる言葉は、誠に美はしいが、恐懼のあまり、額面通りに受け取れないとおもっている。何は兎もあれ、こういう門下の會は、非常に、楽しいものである。

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

下僕を呼んで、御馳走の用意をさせて、積み上げた惣菜は、魚や野菜が澤山で、格別珍らしくもないが、決して不足なことはない。

人生但如此,朱紫安足僭。 

苟も、この世に在る間、毎日こういふ風にして面白く暮らして行けたならば、この上もない愉快なことで、何も身分品位の朱紫を身に纏うにも及ばない無礼講であって、つまり、詩酒の楽しみは美官に勝るというべきものではあるまいか。

 

#5

居然として 妄【みだ】りに推讓す,天を爇く焰とすを謂わらるる。

比疏にして 語 徒らに妍なり,悚息して 敢えて占めず。

奴を呼んで盤餐を具へ,飣餖 魚菜 贍わう。

人生 但だ此の如くんば,朱紫 安んぞ僭するに足らん。

京兆地域図002 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。

(下し文)
#5

居然として 妄【みだ】りに推讓す,天を爇く焰とすを謂わらるる。

比疏にして 語 徒らに妍なり,悚息して 敢えて占めず。

奴を呼んで盤餐を具へ,飣餖 魚菜 贍わう。

人生 但だ此の如くんば,朱紫 安んぞ僭するに足らん。

(現代語訳)
いつもながら、自分に対して推譲し、一同の師範と仰がれ、自分の作った詩文は、光万乗、天を焦がすといわれたものである。

しかし、比較が甚だ無造作であって、謂われる言葉は、誠に美はしいが、恐懼のあまり、額面通りに受け取れないとおもっている。何は兎もあれ、こういう門下の會は、非常に、楽しいものである。

下僕を呼んで、御馳走の用意をさせて、積み上げた惣菜は、魚や野菜が澤山で、格別珍らしくもないが、決して不足なことはない。

苟も、この世に在る間、毎日こういふ風にして面白く暮らして行けたならば、この上もない愉快なことで、何も身分品位の朱紫を身に纏うにも及ばない無礼講であって、つまり、詩酒の楽しみは美官に勝るというべきものではあるまいか。

終南山04
(訳注) #5

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

 

居然妄推讓,見謂爇天焰。

いつもながら、自分に対して推譲し、一同の師範と仰がれ、自分の作った詩文は、光万乗、天を焦がすといわれたものである。

 

比疏語徒妍,悚息不敢占。

しかし、比較が甚だ無造作であって、謂われる言葉は、誠に美はしいが、恐懼のあまり、額面通りに受け取れないとおもっている。何は兎もあれ、こういう門下の會は、非常に、楽しいものである。

1      悚息不敢占 恐れ入って放て受け取らない。

 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

下僕を呼んで、御馳走の用意をさせて、積み上げた惣菜は、魚や野菜が澤山で、格別珍らしくもないが、決して不足なことはない。

2      飣餖 積み重ねる。 

 

人生但如此,朱紫安足僭。

苟も、この世に在る間、毎日こういふ風にして面白く暮らして行けたならば、この上もない愉快なことで、何も身分品位の朱紫を身に纏うにも及ばない無礼講であって、つまり、詩酒の楽しみは美官に勝るというべきものではあるまいか。

3      朱紫 大官の服色を言い、公式の服の義に用う。

 

《 巻01-20秋懷詩,十一首之七》「不如覷文字,丹鉛事點勘。」(如かず 文字を覷て、丹鉛もて點勘を事とせむには。)

だから、そんなときは、自分の本性に逆らわずに、ともかく、書物を紐解き、文字をながめて、朱筆をもって、添削圏点を施したり、校正をかきいれたりして、ちいさなたのしみをしているにこしたことはないのである。

・覷 のぞく。みる。

・丹鉛 朱と胡粉。朱は書きこみに用い、胡粉は訂正するために使う。鉛は、むかしこれで木の板に文字を書いた。特にノートするようなときに用いられたようである。

・点勘 テキストの校訂をする。点も勘も、しらべること。

韓愈136-2 01-20秋懷詩,十一首之七 (秋夜不可晨,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22 39-8)<1683 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7391

 

 

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

韓愈144-#4《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #4 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(20)<1719> Ⅱ #4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7571

韓愈詩-韓愈144- 喜侯喜至贈張籍張徹  #4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。

韓昌黎集02-19

喜侯喜至贈張籍、張徹 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7571 

 806年貞元22 39-17)#4

 <1719

 

 

 

 

韓愈詩-韓愈144-#4

作時年:

806

貞元22

39

全唐詩卷別:

三三七 

文體:

 五言古詩

韓昌黎集 

02-19

 

 

詩題:

喜侯喜至贈張籍張徹

序文

愈初謫陽山令。元和改元,自江陵掾召國子博士,其從遊如喜、如籍如皆會都下,詩以是作。

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點:

 

 

交遊人物:

 侯喜

 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

 

 張籍

 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

徹(張署)

 書信往來(都畿道 河南府 河南)

交遊人物:

孟東野(孟郊

 

 

337_19 《喜侯喜至贈張籍張徹》韓愈 

喜侯喜至贈張籍張徹  #1

昔我在南時,數君常在念。搖搖不可止,諷詠日喁噞

如以膏濯衣,每漬垢逾染。又如心中疾,針石非所砭。 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。依依夢歸路,歷歷想行店。 

今者誠自幸,所懷無一欠。孟生去雖索,侯氏來還歉。 

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。雜作承間騁,交驚舌互舚。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。人生但如此,朱紫安足僭。 

 

《喜侯喜至贈張籍張徹》

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

昔我在南時,數君常在念。

先に、自分が南の陽山にあったときは、門下の諸君のことを心にかけて、たとえ一時でも忘れたことはなかった。

搖搖不可止,諷詠日喁噞

そして、何時も何とかして会いたいという心は、揺揺として、止めることも出来ず、せめては、諸君を寄懐する詩でも作って、自ら慰めようというので、諷詠終日、丁度、魚が口を動かしている様であった。

如以膏濯衣,每漬垢逾染。

しかし、それは、垢の付いた衣を膏で洗うようなもので、洗えば洗う程、垢が付くと同じく、詩を作ろうとすれば、するほど、ひとしお諸君の事を思うようになる。

又如心中疾,針石非所砭。 

又、心臓の病は、針でも、薬でも、到底治療することが出来ないのと同じく、諸君の事を我が念頭より去るといふことは、絶対に不可能であった。

《侯喜の至るを喜び、張籍張徹に贈る》

昔、我 南に在る時,數君 常に念に在り。

搖搖として 止む可からず,諷詠して 日に喁噞【ぎょうげん】す。

膏を以て衣を濯うが如く,每漬す 垢 逾いよ染む。

又、心中の疾いの如く,針石 砭【はりさ】す所に非らず。

 

#2

常思得遊處,至死無倦厭。

その頃、諸君と會合して、面白い遊び場所で心ゆくばかり唱和でもしたならば、死すとも決していとわないと、常常心の中に思って居たものの、それがなかなかむつかしかった。

地遐物奇怪,水鏡涵石劍。 

陽山は、遠隔地で熱帯に近くであるため、見る物も、奇怪なものが多く、水鏡という蟲が居て、水中に人の影が映つると、それを目がけて、その身を投げる、すると、その人は、非常な疫病にかかって直に死ぬという位のものがいる。

荒花窮漫亂,幽獸工騰閃。

この蟲は、平生、石の蔭で剣を水にひたして待ちかまえているということである。それから、名も知らないへんな形の気味の悪い花が爛漫として咲き乱れ、山深く住む奇異な獣類は、時たま、白昼にもでてきて、頭の上を飛んで閃くことがある。

礙目不忍窺,忽忽坐昏墊。 

こんな風であるから、目にさえぎるものは、すべて見るに忍びず、終日忽忽として、丸で昏睡している様であった。

#2

常に思う 遊處を得て,至死にるまで 倦厭無しと。

地 遐かにして 物奇怪,水鏡 石劍を涵す。

荒花 まって 漫亂たり,幽獸 工みに騰閃す。

目を礙【さえぎ】って 窺うに忍びず,忽忽として 坐ながら昏墊【こんてん】す。

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

そこで、神社がありさえすれば喜ばしい限りで、必ず参詣して、歸京の一日も早く可能とならんことを祈るものだ。そして、霊験があったなら、神への恩は、決して忘れないと固く心に誓った位である。

依依夢歸路,歷歷想行店。 

それに、たびたび都に帰る夢を見ていたし、旅宿の有様なども、歴々たるものであった。

今者誠自幸,所懷無一欠。

かくて、心の誠が貫徹して、さきに都に召し還され、今日ここに在るのは、誠に幸とせねばならぬことで、南方にあって、色色と仲間が欠けるかと予想していたが、少しもかけて居なかった。

孟生去雖索,侯氏來還歉。 

尤も孟郊だけは、濁り離れて此に居らず、どうやら物淋しい心持がするが、その代り、侯喜という人が新に入門して、日夕過訪せられ、まことに、この身に取っては満足なことである。

#3

神に逢うて祝する所多く,豈に 靈 即ち驗なるを忘れんや。

依依として 歸路を夢む,歷歷として 行店を想う。

今は 誠に自ら幸いなり,懷う所 一も欠くる無し。

孟生 去って索【はな】ると雖も,侯氏 來って還た歉【あき】たれり。

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。

#4

欹眠して 新詩を聽けば,屋角 月 豔豔たり。

雜作 間を承けて騁せ,交ごも 驚いて 舌 互いにく。

繽紛として 瑕疵を指し,拒捍して 城塹を阻つ。

餘が摧挫を經たるを以て,固く請うて 鉛槧を發せしむ。
#5

居然妄推讓,見謂爇天焰。

比疏語徒妍,悚息不敢占。 

呼奴具盤餐,飣餖魚菜贍。

人生但如此,朱紫安足僭。 

 

 

『喜侯喜至贈張籍張徹』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

雜作承間騁,交驚舌互

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

以餘經摧挫,固請發鉛槧。

(下し文)
#4

欹眠して 新詩を聽けば,屋角 月 豔豔たり。

雜作 間を承けて騁せ,交ごも 驚いて 舌 互いに舚く

繽紛として 瑕疵を指し,拒捍して 城塹を阻つ。

餘が摧挫を經たるを以て,固く請うて 鉛槧を發せしむ。

(現代語訳)
諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。

その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。

そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。

それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。


(訳注) #4

喜侯喜至贈張籍張徹

(長安に帰って仲間と合い詩酒、聯句を唱和した。そこに、新たな仲間である、侯喜加わり、韓愈は大喜びしてこの詩を作って張籍、長徹の兄弟に贈った詩である)

 

欹眠聽新詩,屋角月豔豔。

諸君が我が家に会合して、新しい詩を作られる時、自分は、横に成って臥しながら、その朗吟の聾を聞いて居ると、折しも、屋角に上った月は、艶艶として輝いて居る。

 

雜作承間騁,交驚舌互舚。 

その詩たるや、さまざまの事を作って、少しでも、目つけところがあると、それをすかさず、おのが才情をはせ、そのでき上ったのを見ては、互に舌を吐いて驚くばかりである。

1      雜作 決まった構文ではなく、新しい句文をいう。

2      舌互舚 礫は吐く。互に舌を巻いて怒鳴り合ったり、恐れ入ったりといって、驚嘆する。

 

繽紛指瑕疵,拒捍阻城塹。

そこで、こんどは、互に入り乱れて、瑕疵を指摘しあう、中には、強情やら、負惜みやらを云って、自分の城に塹壕を設けて、固く守って居る人もある。

3      拒捍 拒いて強情を張る。

4      阻城塹 自分の意見に固執し、自分の殻を取り払うことをせず、訂正も妥協もしない

 

以餘經摧挫,固請發鉛槧。 

それでは、門下のためにならないと、そして、わたしが貶謫を経たる身なるを以て肩身の狭い思いをしてはいけないと、遠慮せず筆を執って、十分に加朱して、指導してほしいといって依頼されたのである。

5      摧挫 打擊、挫折を言うが、此処では、陽山に貶謫され挫折したことを言う。。《後漢書·卷十七·馮異傳》「其後蜀復數遣將閒出,異輒摧挫之。」

6      固請 是非にと依頼をされる。

7      發鉛槧 詩文に校正、加筆、訂正、の朱字を入れること。

 

 

 

   喜侯喜至贈張籍張徹

    公初謫陽山令元和改/元六月自江陵椽召為國子博士其從遊如喜如籍/如徹皆于都下詩以是

昔我在南時、謂責陽/山時也數君長在念。

搖搖不可止、諷詠日喁噞。喁噞魚口動貌選張衡曰喁/噞沈浮 喁音顒噞音驗

如以膏濯衣、每漬垢逾染。

又如心中疾、箴石非所砭。

#2

常思得遊處、至死無倦厭。無或/作不

地遐物奇怪、水鏡涵石劒。

水鏡一名域陸璣疏/云一名射影江淮水皆有之人在岸上影見/水中投人影則殺之

荒花窮漫亂、幽獸工騰閃。

礙目不忍窺、忽忽坐昬墊。書下民昬墊注昬瞀/墊溺 墊都念切

#3

逢神多所祝,豈忘靈即驗。

依依夢歸路,歷歷想行店。

今者誠自幸、所懷無一欠。

孟生去雖索、孟生孟郊索離也東野其年十/一月從河南尹鄭餘慶奏為水陸運從事/索悉各切侯氏來還歉。説巳/見上

#4

欹眠聴新詩、屋角月豔豔。眠或作枕/月或作日

雜作承閒騁雜方作新句按上句巳云聴新/詩不應此 便重出新字當作雜作承間騁蓋/謂間出他文也交驚舌舚。交或作文或作牙皆誤/俗互字也文舚吐舌貌念舚/

繽紛指瑕疵、拒捍阻城塹。阻城或作/城阻非是

以余經摧挫、固請發鉛槧。

王充論衡斷木為槧西京雜記揚子雲/好事常懷鉛提槧從諸計吏訪殊方絶域之語鉛墨槧牘/ 槧七艷切

#5

居然妄推讓、見謂爇天燄。天或作/黔非是

比疎語徒妍、悚息不敢占。

呼奴具盤飱、或作/飣餖魚菜贍。

人生但如此、朱紫安足僣

 

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