曲江もものがたりである。おもな舞台は長安である。
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李商隠 4 曲江



人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。

 皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。

 かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。

 だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はずだずたに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春にも喩うべきその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱にくじける心のかなしみも何ほどのこともないと思えるのだ

曲江 
望断平時翠輦過、空聞子夜鬼悲歌。
望断す 平時 翠輦の過りしを、空しく聞く 子夜 鬼の悲歌するを
金與不返傾城色、玉殿猶分下苑波。
金與(きんよ)は返らず 傾城の色(かんばせ)、宝殿は猶お分つ 下苑の波
死憶華亭聞唳鶴、老憂王室泣銅駝。
死せまりて憶う 華亭に唳鶴を聞きしことを、老いては王室を憂えて銅駝に泣く
天荒地欒心雖折、若比傷春意未多。

天荒れ地変じ心折ると雖も、若し春を傷むに此ぶれば意(こころ)未だ多からじ


曲江
望断す 平時 翠輦の過りしを、空しく聞く 子夜 鬼の悲歌するを
金與(きんよ)は返らず 傾城の色(かんばせ)、宝殿は猶お分つ 下苑の波
死せまりて憶う 華亭に唳鶴を聞きしことを、老いては王室を憂えて銅駝に泣く
天荒れ地変じ心折ると雖も、若し春を傷むに此ぶれば意(こころ)未だ多からじ


曲江
○曲江 古くから長安の南の郊外にある遊園地。唐の玄宗皇帝李隆基(685~752)の時改修して景勝の地とした。楼閣あり、庭園あり、寺社あり、士女官妓遊宴し、毎年三月三日の節句には公式の園遊会がこで催された。詳細は唐の康駢の「劇談録」に見える。唐の文宗皇帝李昂(809~840年)もしばしば寵姫楊賢妃をともなって、ここに遊んだが、甘露の変(835年)の後、補修作業も中止され、行幸も止んだ。詩は文宗の没後、後継争いから楊賢妃殺され、死骸が曲江に葬られた事を感慨する(馮浩の説)。
宦官は、虚勢を施した朝廷の侍従たち755~763安史の乱後の政治的混乱に乗じ権力を増大させ、数も数十人から5・6000にまで膨らんだ。「尚父」と号し大臣級の位まで持った。文宗は即位したときもほとんど実権を握られていた。準備周到に進められた一時は成功すとみられたが(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件「昨夜、甘露が降りてきた」と偽って宦官を一か所に集め殺そうとしたが、宦官の組織力が強く、失敗した。唐における宦官勢力の権力掌握がさらに強めることとなった事件。甘露の変という。

mapchina003李商隠 4 曲江、5楽遊園を示す

望断平時翠輦過、空聞子夜鬼悲歌。
人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。
○望断 望は遠くからみる。断は視界のとどかぬ事だが、ここは、以下の事柄のもう見られなくなったことをいう。○平時 つねきろ。かねがね。○翠輦 翠玉でかざった車、皇后や寵妃の乗る車と思われる。○子夜 第一の意味は真夜中ということだが、南北朝時代の歌謡に子夜歌という、南方から発生した一群の恋愛民歌をも指す。その曲詞は、東晋の時代、子夜なる乙女が初めに作り、東晋の孝武帝司馬曜(362~396年)の太元年間、琅椰の名族王氏の家で、亡霊がこの子夜を歌ったと伝えられ(「末書」楽志)、またその声は哀切に過ぎるものだったとも伝えられる(「唐書」楽志)。李白も呉の国の恋歌としてうたった。李白25子夜呉歌 ○鬼 亡霊。


金與不返傾城色、玉殿猶分下苑波。
皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。
○金輿 天子の車。○傾城色 その妖艶な色香の一瞥で城をも滅ぼすほどの美貌。漢の協律郎<李延年>が妹を武帝劉徹(紀元前157~87年)に薦めて歌った詩の一節、「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾けん。」からこの語にしている。皇帝の気に入られる事前調査済みの美人が差し向けられる場合、命を受けている。麗しい色気と回春の媚薬とでとりこにして行き、中毒死させていくのである。この役割の一端を宦官が担っていた。○下苑 「漢書」元帝紀に、この語が見え、顔師古の注に、京城東南隅の曲江なりとある。


死憶華亭聞唳鶴、老憂王室泣銅駝。
かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。○華亭唳鶴 華亭は江蘇省松江県西方の渓谷の名。呉の滅亡後、陸機(261~303年)はそこに隠棲した。陸機は呉の貴族、弟の陸雲(262~303年)と、祖国滅亡後、共に上洛して晋朝に仕えたが、乱世のこと、しばしばその主を変えねばならなかった。いわゆる八王の乱の第三クーデターの時、彼は成都王司馬頴の将軍として長沙王司馬乂と戦ったが大敗、宦官孟玖に誹謗され、陣中に殺された。処刑の間際に、「あの華亭鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬ。」と嘆いたという=陸士衡集」十巻がある。○王室泣銅駝 西晋の五行学者索靖(239~303三年)の故事。銅駝は洛陽王宮の南、東西に走る街路。王宮から南へ走る路との交叉点に、青銅の駱駝の像が相対して立てられていた。索靖は、天下の混乱を予見し、その銅駝を指さして、「今は宮門に据えられたお前を、そのうち荊の茂る廃墟で見ることとなろう。」と慨嘆したという。事実、やがて いわゆる五胡の晋都侵攻があり、洛陽は半ばが灰燼に帰した。


天荒地欒心雖折、若比傷春意未多
今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はズダズタに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春の花のようなその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱に挫ける心の悲しみも何ほどのこともないと思えるのだ
○心折 心が悲しみにくじける。盛唐の詩人杜甫(712~770年)の冬至の詩に「心折れ此の時一寸無し。」と。○傷春 実は文宗の寵妃楊賢妃の死を悼むことば。
甘露の変(かんろのへん)とは、唐の大和9年(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件だが、失敗した。そのことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の権力掌握がほぼ確実となったもの。





 人も知る、文京皇帝の痛ましき崩御の後は、楼閣聳え、広い庭園のある遊園地・この曲江の池畔に、かつてはしばしば御出駕あった天子の車、そして寵妃楊賢妃の翡翠で飾った乗物を、いくら見つめても、もう見る事ができなくなった。夜更ともなれば、昔、東晋の世、王氏の家の人が耳にしたような、姿なきものの悲しい歌声を人は聞くばかりである。

 皇帝の金のくるまはもはやここに返らず、帝の行幸には常に付き随った楊賢妃の傾国の美貌もは永遠に帰らない。たとえ、今も宮殿は池畔にくっきりと聳え立ち、その愛妃の骨の埋められしゆえに波立つ、下屋敷の庭池の水に、はっきりと影を落としているとはいえ、失われたものは帰ってはこない。

 かつて、晋の陸機は、冤罪に死を賜って、故郷を思い、あの華亭の鶴の鳴き声をもう二度と聞けぬと辞世した。同じ頃、老いたる索靖は不幸な予感に涙しながら、洛陽門の駱駝の銅像を指さし、いずれお前を、荊(いばら)の生いしげる廃墟の中で見ることとなろうと嘆いたという。

 今、この乱れんとする世に、とりわけ甘露の変より以後は、いちいち名指さなくても、どれだけの人があの陸機の悲しみに悲しみをかさね、罪なき罪に貶められ、殺されたことだろう。また幾人が力及ばぬ索靖のような憂国の憂いに沈んだままでいたことか。だが、たとえ天変地変のようなはげしい革命がこのように続き、心はズダズタに砕けようとも二人の女性の惨死を聞き知り、春の花のようなその人の死を傷む心にくらべれば、あい続く動乱に挫ける心の悲しみも何ほどのこともないと思えるのだ


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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